楓「午前0時のコール」
の続きです。
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P「う……」
事務所の片隅のくたびれたソファーに足を投げ出して、重ねたひざ掛けをかぶったまま横たわっていた。
窓の外に朝のかすかな気配を感じて、それをそっと除けた。
P「……少し寒いな」
もう春とはいえ、薄いひざ掛けでは無理もない。
時計は4時56分を回っていた。4時間くらいは眠れたようだ。
P「……かえで、さん」
楓さんの夢を見ていた。確かに見ていた、はずだったけれど。
目覚めと共にそれは、わずかな痕跡と暖かな心地だけを残して消えてしまっていた。
P「あの辺り、だったかな」
事務所の窓際。それが唯一残っていた夢の場面だった。
そこに彼女が、何の前触れもなく現れた夢だった。
P「それからどうしたんだろう? 何を話したんだろう?」
もう一度眠れば思い出せるかもしれない、と思ったが、
そもそも今までそんな器用な真似ができた試しはなかった。
P「……起きよう」
名残惜しい夢の続きは諦めることにした。
ブラインドを開けると、遠くのビルのまばらな隙間から紅色に滲んだ雲がのぞかせていた。
その色は、紅葉した"楓の葉"を思い起こさせた。
P「我ながら、安直すぎるな……」
小さくため息をついて、軽く伸びをしながらコーヒーマシンを起動させに向かった。
コーヒーを抽出している間、洗面台で顔を洗い、寝癖を軽く直した。そして昨夜の事を思い出す。
ニュージェネレーションのライブの片付けを終え、自宅よりも早く着く事務所を目指した。
それも元担当アイドルとの約束のためだった。
P「楽しい電話だった、な」
元担当アイドル、楓さんの担当を外れる際に、週末の午前0時に電話をかける約束をしていた。
週にたった一度とはいえ、大人だとはいえ、
体が資本のアイドルに日をまたがせることは快諾したくはなかったが、彼女の
楓「ダダをこねます、社長に」
の一言に、泣く泣く承諾しなくてはならなかった。
ついでに
楓「……ところで、"ダダ"って何でしょう? どうこねるのでしょう?」
と、気の抜ける問いかけにも呆れてしまったが、
打って変って明るい表情の彼女を見ると、そんなことはどうでもよくなっていた。
コーヒーにはスティックシュガーを2本いれた。
普段ブラックで飲んでいるけれど、起きがけの頭は糖分を欲していた。
P「……甘すぎたかもしれない」
夕焼けと違って、朝焼けは東の地平線からアスファルトを、外壁を静かに伸び伝うように忍び込んでくる。
ソファに投げやったままのひざ掛けにも、柔らかな光が染みている。
『朝焼けの後は、雨だ』
どこで聞いたか、果ては本当であったかも忘れてしまっていたが、
携帯の天気予報には、午後からの降水確率は70%と出ていた。
P「……怪しいところだな」
今日の手帳を開いて、移動に差し支えが出そうなアイドルがいないかをチェックする。
問題がないことを確認した後、ページを見渡す。月末の火曜日に目が留まる。
P「あの居酒屋、予約しなくちゃな……」
丁寧にオレンジ色のマークをした"楓さん休日 18:00~"の文字を見つめた。
――――――
楓「……え?」
レッスンを終えた直後のジャージ姿の私は、彼の突然の言葉を受け、レッスン場で立ち尽くした。
P「……つきましては、今月末には新しいプロデューサーと交代することになります。急な連絡になってしまい、申し訳ありません。」
私の焦点は、目の前にいるプロデューサーに合わない。
彼の真後ろの扉のあたり。彼の問いかけにはっと我に帰って、ようやくその申し訳なさそうな表情を捉えられた。
楓「そんな……」
咄嗟にこぼれた言葉はそれだけだった
むしろ、言いたいことが喉に押し寄せて、渋滞を起こしているみたいだった。
P「安心してください。新しいプロデューサーは、楓さんの……」
過去のプロデュース遍歴はこうだとか、周囲の評判も良いとか、
私のプロデュースの方針に適任な人物だとかいう説明を、彼は一生懸命していた。
私だって大人だ。彼が大抜擢されたことだって、わかってる。十代のアイドルを3人も担当する。
アンビバレントに揺れ動く感情を持つ思春期の少女を受け持つなんて、1人だって大変だ。
楓「ふーん、若い子の方に、行っちゃうんですね」
場を和ませようとして、ちょっと悪戯っぽく言ってみた。
けれども、それは失敗だった。彼の性格だもの、そんなこと言ったら困らせてしまう。
P「いえ……そういうわけでは……」
窓の外は夕焼け空。夕日はいつも強引に入り込んできて、影をぐんと引っ張る。
私はずっと立ち尽くしたままだったけれど、私の影は、彼の方に向かおうとしているみたいだった。
でも、彼の影はそれを避けるように、ぐっとのけ反っている。
二つの影は平行で、二人と同じだけ離れていた。
楓「……Pさん」
半歩だけ前にでた。影も同じだけ、近づいた。
楓「一つ、約束をしてくれませんか」
私の進歩を彼はいつも、心の底から喜んでくれた。私も、彼の昇進を祝わないと。
P「……なんですか? 私にできることならば……」
楓「……週末。」
P「え?」
楓「毎週末に必ず、電話をしてください」
この場で思いついたのは、これだけだった。
けれども、これくらいならば彼はきっとOKしてくれる。ここからが勝負だ。
P「はあ、電話、ですか。それくらいならば……」
いいですけれど、と彼は言った。作戦開始。
楓「時間は、仕事が終わってからです。午前0時にください」
お願いをするときは、小さなものから。フット・イン・ザ・ドア、成功。
意識して使ったことはなかったけれど、彼の性格は良く知っているから、上手くいくとわかっていた。
P「えっ……それでは日をまたいで……!」
楓「……良いって言ってくれたじゃないですか」
少しむくれてみる。うう、とバツの悪そうな顔をしている。
彼にだって、勝手に担当を外れるという罪悪感があるはずだ。
P「わ、う……わかりました」
作戦成功。
楓「ありがとうございます!」
思いがけず、少し声がうわずってしまう。
P「いえ、やっぱり、急すぎました……もう少し早く伝えようと思っていたのですが、言い出せずに」
言い出せなかった、か……。彼なりに、想ってくれてるのだろうか。
……もう一つくらい、使えないかな。欲が出る。よくないことだ。
楓「あの」
もう半歩前に出る。今度は影より近くなってるかもしれない。
夕焼けの後は、きっと晴れだ。そう信じよう。
楓「今まで通りの頻度でなくていいので、」
また飲みに行きましょう。これはいけるかな? 一か八だ。
P「さ、さすがに、もう担当ではないアイドルとは……」
ダメですか。そうですか。でも、もう一息だと思った。
……ダダをこねます、社長に。
――――――
朝焼けは朝日に変わっていた。雲の紅色も、いつの間にか消え去っていた。
はっきりと一日の始まりと、夢の終わりを宣言されたようだった。ソファーの上のひざ掛けを畳んで、元の場所に戻した。
あの日の夜は、なんて約束をしてしまったんだと頭を抱えてしまった。しかし彼女の顔を見るたびに、
P「あの、やっぱり、二人で食事は……」
そう言いかけて、いつにしましょうか? と続けてしまう。
そして不本意ながら、あの約束を持ちかけられたときに、心が躍ったことも事実だった。
消さなくてはならないと思い込んでいた感情が、胸の片隅でかすかに息を吹き返した。
むしろ、吹き返してしまった、と言ったほうがいいのかもしれないけれど。
プロデューサーとは、アイドルに魔法をかける者に過ぎない。
私はただのカボチャの馬車であり、自らの幸せのために彼女らの未来を奪うことは、断じて許されない。
週刊誌のスキャンダルが脳裏に浮かぶ。
楓「次の飲み、どうしましょうか?」
P「楓さんは何が食べたいですか?」
義務ではなく、"努力"義務なのだから、別にできないふりをしてしまえばいい。
けれどそんな気持ちとは裏腹に、電話口でそう尋ねてしまう自分がいる。
半分以上残ったコーヒーは温くなりかけていた。
『一体、どうしたいのだろう?』
初めて、そう自分に問いかけてみた。
夢の中で、彼女が立っていた窓際に立つ。夢の続きも、雲の紅色も失われたままだった。
朝焼けの後は、雨。西の空には、雨雲が待ち構えているのだろうか?
「晴れの確率、30%」
降水確率70%は、そう言い換えることだってできるだろう。その可能性に賭けてみみたい。
そう確かに、思った。この運命に抗うことだって。
完全に冷めてしまわないうちに、コーヒーを飲み干した。
終わりです。ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
キリンジの「朝焼けは雨のきざし」という名曲を下地に書きました。とてもいい曲なので、是非聴いてみてください。
https://www.youtube.com/watch?v=kT8_KH2QK3E
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