モバP「あと一年」 (52)
「Pさんは、私が何歳か知っていますか?」
十月になりすっかり秋めいた町中を二人で歩いていた。
レッスン終わりだし、疲れて黙っていたのかもと思っていたけど、俺の隣、頭一つ低い位置から、不意にそんな声が聞こえてきた。
「知ってるさ。十七歳だろ?」
彼女、道明寺歌鈴に、当たり前だろって付け加えてそう微笑んだ。
元気はつらつ… とは少し違うのかもしれないけど、いつもの歌鈴の様子とは違った声色が、何か大事な話でも始めるのかなと、そんな予感をさせた。
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思えば最近、何処か心ここに在らずといった風で、いつもぼんやりとしていたと思う。
らしくないって少し気掛かりではあったけど、何か悩み事ならきっと歌鈴から話してくれるだろうと、俺はあえて触れないでいた。
歌鈴が切り出した言葉から内容までは察せないが、夕日を見上げる憂いだ瞳から読み取ったのは、もしかしたらあまりいい話では無いかもしれないって事。
「ええっと…」
「なんだ?」
話しにくい事なら、無理はしなくていい。外で言い難い事だったら事務所まで戻っても構わない… まぁ、今道を行く影は二つしかないが。
急いて歌鈴の口を割らせても仕方ない。仕事に当って俺と歌鈴の関係を悪くする行為は絶対に良くない。
それに、飽く迄も『歌鈴から話した』というスタンスを取っていた方が、もし嬉しくない話だったとしても、幾分かは俺の気が楽だから。
「…月が綺麗な夜になりそうだ」
燦然と俺達を照らす空を見上げて呟いた。
俺からは聞かないよって、そんな気持ちを込めて当り触りない風景の話なんてしてみたけど、歌鈴に届いている様子はどうにも見当たらない。
「Pさんと出会って、アイドルになって… こんな私でも頑張れるって知ったんです」
「それはよかった」
もう何年か前の話だが、歌鈴をスカウトしたのは俺だ。
俺の目に狂いは無いつもりだけど、当初自身の容姿に全く自信が無かった歌鈴には本当に苦労させられた。
あまつさえ、『私より可愛い子は沢山いる』なんて、結局スカウトを受けたのは歌鈴本人だっていうのに、そんな事を言いだす始末で。
「わ、私は、だめかもって思ってたんですけど、Pさんが一緒に頑張ってくれたから… その…」
意を決してか、話し始めたのはいいけど、結論にはまだ遠い道を歩いていると思った。
歌鈴自身の中で話が纏まらないままに言葉を紡いでいるんだろう。
しどろもどろで拙い物言いが、出会ったころの歌鈴を彷彿とさせていた。
「つ、つまり、ですねっ!」
「?」
事務所への帰路も半分を切った所で、歌鈴は声を上げた。
それまで、いつもよりも遅い足並みでトロトロ歩く歌鈴に合わせるのは少々億劫だったから、俺は内心安堵の息を付いていた。
「私を見つけて、私の魅力を教えてくれたPさんの事が、ですね… その…」
「…ゆっくり話してくれればいいから」
正直なところ、さっさと話せって思っていたんだけど、勿論口が裂けたってそんな事は言えない。
優しい言葉を掛けるつもりも別に無かったが、何処か浮ついた雰囲気がそうさせたのか、いつもより拳一つ分程度近い歌鈴との距離がそうさせたのか、知らぬ間に口を継いでいた。
「………です…」
「は?」
「っ… しゅきですっ! ………あぅ」
噛んだことが恥ずかしいのか、歌鈴は頬を朱に染める。夕日色に染められてとか、いくらなんでも間違えない。
「………」
顎に手を添え思案する。
………最近噛み癖も無くなってきていたのに、こう大事な場面(?)で噛んでしまうのは如何なもんだろう。
もしこれが収録なんかだったら確実にリテイクだ。
迷惑をかけるし、印象も良くない。レッスンの内容を今一度確認する必要があるだろう。
「あ、あと一年で高校も卒業しますっ! そしたらもう大人ですし、その、Pさんの隣にって…」
「………」
「だめ、ですか…?」
「なにが?」
少し潤んだ瞳で俺を見上げていた。
…そういえば告白してきたんだった。俺が難しい顔で考え込んでいたから不安にさせてしまったのだろう。
「…そうだな」
どうにも煮え切らないのは俺の悪い所だと思う。
何か困ったら先延ばしにしてしまう事が多いのは、直さなければならない癖だと常々思ってはいる。
いるんだけど…
「………ふぇぇ」
不安と期待と照れと、そういった所か。そんな瞳で俺をちらちら盗み見る歌鈴を見ていると、どうにも答えを返す気は削がれてしまう。
…だって、俺が口にする言葉なんて一つしかないのに。
「………十八になって高校出たって、まだまだ子供じゃないか」
どのくらい思案していたんだろうか。一つ解決策を見出した。
夕日は変わらず俺を照らしているし、歌鈴が焦れて言葉を促してくる事も無かったから、そう時間は経っていないか。
だとしたら、この短時間で思いつく俺の頭も捨てたもんではないらしい。
「後、三年… 二十歳になって、歌鈴が本当に大人になったら、もう一度言ってくれないか?」
「あと、三年ですか…?」
「その時まで歌鈴の気持ちが変わっていなかったら、な」
歌鈴の問いかけに頷きながら、そう付け加えた。
今度は歌鈴が考え込む番か… とも思ったが、そんなことは一瞬たりともなかった。
不安が見え隠れしていた表情は、みるみる内に満面の笑顔へ。
「ぜ、ぜったいに三年たって大人になったらPさんにもう一度好きだって言いますっ!」
「…楽しみにしておくよ」
今度は恥ずかしげもなく歌鈴はそう言った。
俺は内心の苦みを微笑みに変えて、表層に貼り付ける他無かった。
騙している様で気が引けるというのもある。
歌鈴を受け入れる事は無いって結論が、己の中で揺らぐ可能性は万に一つも無い。
ビジネスライクに接していたつもりだったけど、歌鈴はそう受け取らなかったのだろうか。
単身上京して、アイドル活動の不安の中接していたのが俺だけだから、歌鈴の中で勘違いでも起こしたんだろう。
………向き合うべき問題を先延ばしにしたに過ぎない。それはわかっているつもりだ。
だけど、最近割と顔が売れ始めた彼女は、これからきっと多くの人と触れ合っていくことになる。
だから、もう三年も経つ頃には、俺への気持ちなんてすっかり忘れている筈だ。
「…帰ろうか」
「はいっ!」
打って変わって上機嫌な歌鈴に帰路を促す。
触れてしまいそうな肩の近さは、俺と歌鈴の心の距離とは大違いで。
………本当に大丈夫だろうか。
好意を向けられて、嬉しくないと言えば嘘ではあるが…
「………」
零れかけた溜息を呑みこみながら、事務所へ重い足取りを進めていった。
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「遅かったですね、プロデューサー」
戻りましたと扉を開けたとき、事務所に戻ると予定していた時間からは長針半周程遅れていた。
社会人として時間を守れないのは致命的だ。特に諌める様な物言いを賜った訳でも無いが、言外に俺を非難しているって事は理解できる。
………だけど、俺の帰社時間に遅いと苦言を呈したのは、裏方仕事を共だつ千川ちひろではなかった。
「肇、居たのか」
応接用のソファーに座って、眠たげな瞳を投げかける藤原肇にそう声を掛けた。
居たのか、なんて、実は約束してたんだけど。………四半刻前に。
「居ましたよ」
これ見よがしに腕時計を俺に向ける。
仕草からもわかるし、声色も少し怒ってる感じだ。だけど待ちくたびれて眠気を伴っているのか、その瞳から感じたのは、ただ肇が可愛らしいなって事だけ。
というか、眠そうな顔なのは、いつでもそうだった。
「何かお仕事で問題が起きたんですか?」
やっぱり若干不機嫌そうなトーンで肇は続ける。
…別に怒鳴られるような事した訳じゃないけど、本当の事言って面倒な説明するのは怠いので、ここは肇の助け舟に乗るとしよう。
「ああ、打ち合わせで揉めたんだ。向こうの資料に不手際があってな」
「え? Pさん今日は私をレッスンから迎えに来ただけですよ?」
「あ、いや……… そうだっけ」
歌鈴、お前余計な事言うなよ。
さっきまで俺の隣でニヤニヤしてるだけで、帰社の挨拶すらしなかったのに。
「…あ~、それ昨日の話だった! はは………」
「Pさんはおっちょこちょいですねっ!」
バカの振りしておどけて誤魔化してみる。
「………」
肇は無言で俺を一瞥。これ、駄目な時の顔だ。
表情の変化が分かり難い目をしてる肇だけど、これはもう怒っているというか機嫌が悪いというか。
そもそも約束した時間に遅刻の時点で御機嫌斜めなのに加えて、肇からすれば俺の理解できない嘘。
まぁ俺が肇の立場でも怒るとは思う。
「肇ちゃんはPさんと約束があったんですか?」
俺と肇の微妙な空気を察知できてい歌鈴が、何の悪気も無しにそう聞く。
「…そんな所です」
俺と肇の約束は、余り声を大にして言える事ではない。
仕事後のプライベートだからな。
「何の約束してたんですか?」
…悪意が無いのが猶悪いと言う奴か。
歌鈴は今、諸々の事情で昂揚してるから、周りが… というか肇が見えてないのかもしれない。
この調子で喋らせていたら何を言い出すかわかったもんじゃない。
「次回のライブについて相談があるんだよな!? な、肇!」
「あ… はい、そうです…」
さっさと歌鈴との会話を終わらせようと、これまた適当な嘘をでっち上げる。
肇も意図を察して便乗してくれたけど、『後で説明してくださいね?』と告げているのが、もう肇の方を見なくてもわかる。
「Pさんと? ここで?」
「え? い、いやぁ… どうだったっけ、肇」
いやまさかこれ以上何か聞いてくるとは思わなかったし、しかも質問の内容が斜め上だったから、咄嗟の事態に答えを窮する。
結果、肇にスルーパス。
「__ホテルのレストランを予約してるって、プロデューサー言いましたよね?」
「………おお、そう言えばそうだったな!」
俺に付きまとうが如く質問する歌鈴に対抗意識でも燃やしたんだろうか。肇はそんな事を言い出した。
勿論そんな予約はしていない。
………というか、__ホテルのレストランと言えば、最上階の展望室で夜景が一望できると有名な所だ。
この時間から、つまりディナーのお値段は洒落にならない。
前に連れて行った時にまた来たいって言ってたけど、まさか今か…
流れ上、俺はイエスとしか言えない事がわかってるんだ。
………肇は、知性溢れる素敵な女性なんだな。図らずも新しい一面を知った。
「ふぇ… そんな大事な約束してたんですね」
「そうなんです。だから歌鈴さん、もういいですか?」
笑顔で俺の腕を取りつつ肇は言った。
割と控えめな肇にしては大胆な行動を取った事に、驚きを隠せない。
………でもそんな事よりも、これまた控えめな肇にしては珍しく、腕を取る手に込められた力が尋常ではない事の方がもっと驚いた。
「あ、肇ちゃんっ。でもですね!」
「………はい?」
「私はPさんと、もっと大事なとっても約束しましたっ」
………何が『もっと』なんだろうか。それは歌鈴の主観だろ。
まさか、ここでさっきの話をする気か?
そういうのって人にひけらかす事ではないと俺は思う。
他人の価値観に対して口を出すのは俺の性分ではないが、流石に頭が痛くなってくる。
歌鈴と仲のいい友達… ユニット組ませた藍子とかにこっそり話すならまだわかるが、どうして態々肇に言う必要があるのだろう。
事務所が一緒なだけだ。後、二人とも担当が俺だって事ぐらい。
しかも、肇と俺は、プライベートで会う様な仲なんだから察してほしいんだが。
………最後のやつは、歌鈴が知る由は無いか。
「………もっと大事な約束…?」
「そうですっ。私とPさんは…」
肇の眉が中央に寄る。流石に気になってしまったようで、歌鈴を訝しんでいるけど、先を促した。
「あ、俺、ちひろさんに領収書申請するんだった」
………この場から逃げよう。そして、今日はそのまま帰ろう。
もう、隠し通すのは無理だと判断した。
だからって、その罪の通告に俺が態々立ち会う必要は無いだろう。針の筵とか、そんな言葉で表現できる状況じゃない。
「…申請したら待っていてくださいね」
………退路は絶たれた様だ。
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「それで、どういう事なんでしょうか?」
何が、とは言ってないけど、馬鹿な俺でもわかる。俺と歌鈴が交わした約束の話だ。
食後のコーヒーを嗜んでいた時、肇はぽつりと零した。
歌鈴と別れてからすぐに触れてくると思っていたが、今この時まで全く口にしなかったので、緊張感のせいか高級だと思われる食事の味なんて一切わからなかった。
「何の事だ?」
「…とぼけたって駄目ですよ」
俺が考え過ぎていただけで、もしかしたら歌鈴は何も言ってないのかもしれない。
そう思って誤魔化してみる。だけど、それは肇の苛立ちに油を注いでしまっただけのようだ。
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