真美「ベランダ一歩、お隣さん」 (603)
あの日も、夏の暑い日だった気がする。
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「真美ー、この段ボールこっちでいいのー?」
「うんむー、頼むー」
隣の部屋から、壁越しに亜美の声が聞こえた。
夏の頭、じりじりと日差しが暑い日のお昼下がり。
亜美と一緒に、引越しの準備をしていた。
「やばっ、これちょっと懐かしすぎる!」
「え、何見っけたの?」
「これこれ」
「……って何見つけ出してるのさ!? 捨てて! 捨てて亜美!」
「えー」
荷造りをしながら懐かしの品を掘り出しては、手を止めて二人ではしゃぎ回る。
お陰で、作業は遅々として進まなかった。
「もう、そういうことするなら手伝わなくていいよ」
「真美さんや、そう易々と拗ねるでないぞよ?」
「ふん、拗ねてないもんね。真美はオトナの階段を着々と登ってるの」
「酒も飲めない歳で何を言うか」
「よっし、今度りっちゃんにこないだのタバスコジュースの真相をお伝えしてしんぜよう」
「あ゙っ!? 真美、それは卑怯っしょ! あの件は合意の上で闇に葬ったはずだよ!?」
「亜美クン……外交カードとは常に懐に忍ばせておくものなのだよ……」
「うあー! まじごめんっ!」
けらけらと笑いながら、いつものように漫才じみた掛け合いを繰り返す。
酒も飲めない歳、かぁ。
あと二年弱もしたら合法になるのかと思うと、時の流れって早いなぁ。
「……なぁんて、真美もおばあちゃんじみてきちったよ……」
「真美さんや、ご飯はまだかいの?」
「亜美おばあちゃん、もう食べたでしょ」
「ううん、本当にまだ食べてないよ」
「……あれっ、そういや食べてないっけ?」
「真美……まさか若年性……」
「ちがうーーーっ!」
きーっ!と叫ぶ私を尻目に、亜美は「お昼持ってくるー」と、台所へ駆けて行った。
そういや、朝に菓子パンを食べたきりだった。
これじゃあ本当に呆け老人みたいだ。
一人だけ作業をするのもなんだか癪だから、ぼーっと窓の外を眺める。
マンションの窓からは、前面に広々と青空が見える。
あー、夏の空っていいなー。
あの白い雲とか、すっごいもふもふしてそう。
「……でも、あ゙づい゙」
動きを止めると、途端に暑さがむわっと襲いかかってくる。
無理。これは耐えきれぬ。
「涼しい場所はいねがー……」
空を見ていた視線を少し下げると、手摺りが目に入った。
人が三人立てるくらいの、微妙な広さのベランダ。
「……涼も」
窓をがらりと開けて、ベランダへ出た。
澄んだ風が吹いた。
夏の気だるさを吹き飛ばす。
「あー、いーぃ風ぇー……」
溶けたように手摺りに身体を預け、だらーんと伸びる。
もー引っ越しの準備疲れたよー。
これならやよいっちにも手伝ってもらうんだった……。
「……お?」
そんな風にだれてた時、視界に手摺りの端が見えた。
その向こうにはもう一つ、別の手摺りがある。
「おー、そういやここ、こうなってたんだった」
真美たちの部屋の手摺りの向こうには、お隣の部屋の手摺り。
その距離は、ほんの子どもの一歩ほど。
「久しぶりに、やっちゃいますかね?」
右足を手摺りにかける。
室外機のダクトを支えに、一呼吸で一気に登る。
「あいよっと!」
猫の子か何かのように、ひょいっと手摺りへ飛び乗る。
アイドルレッスンで鍛え抜かれた真美のバランス力に、敵はないのだ!
……ダクト掴んでる時点でダメな気もするけど。
「うわー、やっぱり高いね、ここ」
眼下を見降ろせば、ちっちゃい人々がちらほら。
あれ? これ、スカートの中見える?
「……まぁ、大丈夫っしょ!」
それより、こっから落ちたらマミバーグケチャップソース添えになっちゃうから、気をつけないとね。
マンションの壁を伝うパイプを掴む。
そして、隣の手摺りへ一歩、足を伸ばした。
あの日と、同じように。
――――――――
―――――
――
「っととぉ! めっちゃギリセーフ! 危なかったぁ……」
一歩で渡れるかびみょーな距離だったけど、まぁ真美の足にかかればこんなもんっしょ!
スリル満点で面白かった!
「で、渡ったはいいんだけど……」
隣のベランダに降りて、部屋の中をこっそりと覗く。
「ここ、誰の部屋?」
うーん、人がいる気配がしない。
誰もいないっぽい?
「そういえば真美、お隣さん会ったことないかも」
すれ違ったことくらいはあるのかな?
でも、エレベーターとかで会う中の誰なのかはわかんないや。
と、その時急に。
「ん?」
「うあああああああんっ!?」
ととととと、突然横から声がしたぁ!
びっくりしてすぐ横を見ると、男の人が怪しむような目で真美を見ていた。
「……隣のベランダから幼女が侵入してきた」
「な、何をぉっ!?」
で、出会い頭によーじょとは失礼な!
「真美、これでも小五なんだかんね!」
「十分幼女じゃないのか……いや、幼女って歳じゃないか……」
「全く、シツレーだよキミィ!」
「……いや、いきなり人んちに不法侵入決め込んでるお前の方が失礼だからな」
「……あり?」
どうやら、この部屋の人っぽい?
「兄ちゃん、この部屋の人?」
「兄ちゃんて……まぁ、そうだな」
「ニート?」
「誰がニートだ誰が。大学生だよ」
「ほほう……エリートですな?」
「だと思うか?」
「思わない」
「初対面相手に本当に失礼な奴だなお前」
真美は気付いた。
この手摺りの影の部分、割と涼しい。
だからこの人もここに座ってんだね。
暇だったから、兄ちゃんとだらだらとお喋りしてた。
兄ちゃんは大学四年生で、今は就活中だということ。
就活があんまりうまくいっていないということ。
というか、やりたいことが特にないということ。
あんまり就活に身が入らず、だらだらと日々を過ごしてること。
「結局、実態はニートと大差ないじゃん」
「やめろ、耳が痛い」
「働けニート!」
「働かせてくれよ!」
「真美が子どもじゃなくて社長さんだったら良かったのにね」
「社長さんはまずベランダから侵入はしない」
だらだらと喋ってるだけだけど、なんか楽しかった。
「あ、そろそろ戻らなきゃ」
手摺りによじ登ろうと手をかける。
「いやいやいやいや待てお前落ちたらどうする! 帰りは普通に玄関から戻れ!」
「だいじょーぶだって! 真美、うんどーしんけーには自身あるから」
「『大学生の部屋から少女が落下! 部屋へ連れ込んだ挙句、悪魔のような凶行!』とかワイドショーに躍るだろう!」
「『少女誘拐、二十代の男を逮捕! 近隣住民の通報により救われる』とかニュース報道されてもいいの?」
「お前嫌な子どもだな……ちゃんと俺が表の様子見るから、合図したらとっとと戻りなさい」
「へいへい」
まぁ確かに、来るときベランダ危なかったしねー。
兄ちゃんがそう言うなら、仕方ないから言うことを聞いてあげよう。
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