モバP「たった一人の理解者」 (72)
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――出会いは、唐突に訪れた。
「あのー、少しよろしいでしょうかー?」
会社からの帰宅途中、雨が降りそうだからと少しばかり速目に歩いていると、突然後から声をかけられた。
この時既にとある違和感を感じていたが、突然話しかけられた為に違和感の正体に気づくことはできなかった。
「そこのお方ー、ひとつお伺いしたいことがございましてー」
振り返れば小柄な少女が佇んでいた。
可愛らしい声で、やけに語尾を伸ばすゆったりとした喋り方の少女。
華やかで明るい色の着物を着こなし、長い亜麻色の髪を後で一つに束ねている……顔立ちは幼いが、どこか大人びているようにも見える不思議な少女。
少女は一歩二歩と近づいてくる。やがて俺を視界の中心に見据えると、静かに微笑んだ。
「むー? あぁー。そなたでしたかー、わたくしを探しているのはー。人をお探しだったのでしょうー?」
ずい、と更に一つ歩を進めて近づいてくる少女はどこか白々しくそう言った。独特の間延びした話し方も何だか棒読みのように聞こえてしまう。
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「誰が、誰を探してるって?」
「そなたが、わたくしを探していたのでしょうー?」
就職活動中に偶然であった社長にスカウトされてアイドルを養成するCGプロダクションに所属したのはいいが、肝心のアイドルがおらず俺だけ手持ち無沙汰な状態だ。
だからといって進んでスカウトをする気にはなれなかったが、アイドルを探していたとは言えるだろう。目の前の少女は誰だか分からないし、探していたわけでもないが。
なんて返したらいいか分からず、黙りこくっていると、彼女が唐突に俺の左手をとった。
「わたくしがー、そなたの望むアイドルとやらになりましょうー」
どうして彼女は、俺がプロデューサーで、アイドルを探していることが分かったのだろうか。
俺には彼女が何を考えているのか、読み取れなかった。何かを覆いつくす壁のようなものに阻まれたからだ。
だが、これで確信した。少女の不可解な言動にも納得が行く。
「俺は……君がよく分からない……こんなこと、初めてだ」
――自分以外の超能力者に出会ったのは、これが初めてだ。彼女は間違いなく常人ではない。
「わたくしは初めてではありませんねー、これで四回目でしてー」
さらりと凄いことを言っている……だが、俺の脳は状況を整理するのに忙しく、彼女の言葉を拾えない。
「君は……一体……」
今まで当然のように読み取れていた人の心。それが、目の前の少女からは何も読み取ることはできない。
「わたくし依田は芳乃といいましてー、これからよろしくお願いしますねー」
「……え?」
相変わらずゆったりとした喋り方だが、有無を言わせない強い口調だった。
「ですからー、わたくしがそなたの担当アイドルになるということでしてー」
得体の知れない少女からの提案……断ろうと思えば断ることもできた。
だが、俺は首を横に振ることができなかった。少々気味が悪いだけで、それ以外では断る理由が思い浮かばなかったというのもあるが、本当は違う。
俺は期待してしまったのだ。もうとっくの昔に諦めていた何かを、彼女に。
――この日から、謎の少女、依田芳乃は俺の担当アイドルとなった。
寝ます
更新は遅いです、ごめんなさい
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――今まで過ごしてきた人生は長いようで短い。
幼い頃から、自分の能力に振り回されていた。
超感覚的知覚の一種である『精神感応』。自分では当たり前だと思っていた世界は、世間的には信憑性の低い、存在するかどうかすら定かではないあやふやなものだったらしい。
精神感応は近くにいる人間の感情、思っていることを勝手に読み取ってしまう。それは人間の常識を超えることであり、能力を知られれば周囲の人間から排他されても仕方ない。
子供の頃は知らなかった。自分の世界が他の人とは異なっている異形のものだということを。
知らなかったとは言え、この能力のせいで他人を傷つけてしまったことは何回もある。
俺は普通になりたかった。精神感応なんてものを持って生まれなければどれだけよかったことか。
もっとも身近な存在である家族ですら容赦なく悪意をぶつけてくる。表向きは普通の家族そのものだからこそ、失望は大きかった。幼い頃から既に、良い子にしていないと悪い感情をぶつけられるという抑圧された環境に身を置く羽目になった。
友人と呼べるものは小学生の頃に数人いたが、結局この能力のせいで別れる羽目になった。それどころか虐めまでされる始末。
非行に走ることなんて思いつきもしない。ただひたすらに、悪感情を持たれないように立ち回った。
今でこそマシになったが、昔はいつも精神を疲弊していた。
疲れるのも、嫌な思いもするのも嫌だから、俺は独りになることを望んだ。
独りになった俺は、次第に音楽に惹かれていった。音量を高くすれば読み取ってしまう人の感情、心を掻き消してくれるからだ。
やがて音楽だけが趣味となった。人と関わるのを極力避けていた俺が、CDを買うためにバイトをしたこともある。
ある日、実家の近くで好きだったアイドルがライブをすることを知り、なんとなくチケットを買ってしまった。
最初は行くかどうか迷っていたのを覚えている。大多数の人間が押し寄せるのだから無理もない。
だが、俺は結局チケットを握り締めてライブ会場に向かった。自ら望んで人の多い場所へ行ったのは初めてだった。
ライブ会場の人間達は期待と興奮、応援する気持ちで溢れかえっていたのを覚えている。
アイドルが舞台上に現れ、照明の下に立った時、不思議と精神が高揚した。
ライブが始まり、アイドルが歌って踊る。それを見て、大勢の観客がそれを見て色めき立つ。
そこにはアイドルを性の対象として見る邪な感情もあったが、それを掻き消すほど皆の気持ちは一つだった。
それは、美しかった。
視界を覆い尽くすほど大勢の人間がいるのに、心は一つになっているのだから。
感情、人の心、歓声、歌声。普通の人よりも拾う音は多くて騒がしいが、それでも心地よかった。
皆の心を一つに纏める偶像……アイドルという圧倒的な存在に、俺は心を奪われた。
その日から俺は、財布に余裕があればアイドルのライブに参加した。
嫌なことがあっても、もう少し頑張ってみようと思える。舞台上で楽しそうに歌うアイドルを見ていると、そんな気持ちになることが度々あった。
苦労しながらもそれなりに工夫しながら生きていると、いつの間にか大学四年生になっていた。
面接官の心を読み取ってしまうせいで満足に就職活動できなかった時、俺はその人と出会った。
「君! うちのプロダクションのプロデューサーにならないかい?!」
ライブ会場近くのベンチで座っている時に、不意に話しかけてきた初老の男性。
彼は見ず知らずの他人である俺にプロデューサーという仕事をやってもらいたいらしく、熱心にスカウトする。
心を読み取ったが、驚くべきことに彼は本気で言っていた。
彼に悪意はなかった。本当に赤の他人を会社の社員として求めていたのだ。
どんな仕事かも知らないし、役に立てるかどうかは分からない。
ただ、人と関わりたくないからと仕事をしないわけにもいかない。それに、精神感応のせいでこの先面接が上手くいくとは思えない。
俺は、男の提案を受け入れた。
勤めるのがまさかアイドルプロダクションで、スカウトしてきた男が社長だとは思いもしなかったが。
熱心にスカウトした割には俺に割り当てるアイドルが一人もいなかったりと、少しばかり笑える話もあったが。
色々あって、今に至る。本当、長いようで、短い人生だった。
ふと、隣を歩く少女を横目で盗み見る。
彼女の名前は依田芳乃と言う。先日、手続きを終わらせて正式に俺の担当アイドルとなった。
俺は、芳乃の心だけは読めない。何か、言葉にし難い壁のようなものに遮られているからだ。もしかしたら俺と同じ超自然的な能力を持っているのかもしれない。
謎の多い少女だ。
なんにせよ、初めて受け持ったアイドルなのだから、トップアイドルにするくらいの気持ちで望む。
「ふふふ……そなたが望むなら、わたくしは立派なアイドルになってみせましょうー」
まさかとは思うが、俺の心を読んだのだろうか。断言はできないが、彼女が何らかの力を有している可能性はある。俺と同じ精神感応を持っていたとしても驚きはしない。
頭一個分、背の低い芳乃が俺を見上げながら、優しく微笑んだ。
「あぁ……よろしくな、芳乃」
――きっと……わたくしを……。
「芳乃?」
「…………」
何故か一瞬だけ、芳乃の心を読み取れた。
断片的なもので、彼女が何を思っていたのかはまったく分からない。
ただ、俺に何らかの期待をするような感情を持っているのが見えた。
芳乃は一体、何を思っていたのだろう。
更新終わりです。
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芳乃と出会ってから数日。俺は芳乃をトップアイドルにするべく走り回ったり、PCと睨めっこしたりと大忙しだった。
先輩からある程度やるべきことは教えてもらっていた。その時はアイドルがいなかったので頭に知識を入れるだけだったが、実践してみるとなると中々大変だ。
それにしても、やはり芳乃はどこか変だ。
芳乃をアイドルにする件で実家に挨拶に伺った時、俺は門前払いを食らってしまった。門前払いだったとはいえ、一応芳乃がアイドルになることについて承諾は貰ったが。
変に思ったのは、芳乃の実家の反応が、芳乃については勝手にしろ、こちらに関わるなと言った風な意味合いであったことだ。
芳乃を嫌っている、というよりは関わらないようにしているのだろうか。インターホン越しだったために心の声は読み取れない。よって、俺には真実を知る術がない。
他人の家に深く踏み込むのもどうかと思うが、やはり気になってしまう。
助手席に乗って大人しく前方を眺めている芳乃。言動や性格は明るいほうで、活発的だ。自分からアイドルになることを望んできただけあって、仕事にも意欲的だ。
だが、俺には何かを覆い隠しているようにしか見えない。芳乃の心を見ることはできないが、なんとなく分かる。芳乃はあまり笑顔を浮かべず、笑ってもどこか表情が硬い。
芳乃には何かがある。何かよくないものを一人で抱えているような、そんな気がするのだ。
「それは、いずれ分かることでしてー」
「……やっぱり、心を読めるのか」
「勝手に見えてしまうのでしてー、そなたと同じですよー」
彼女が人ならざる能力を持っているのは知っていた。まさか俺と同じ精神感応だとは思いもしなかったが。
だとしたら、実家から煙たがられていたのもその能力が原因なのだろうか。
「俺は芳乃の心だけは読めない。これは、どういうことなんだ?」
「ふふっ。乙女の心はそう簡単に読めないわけでしてー」
愛想笑いのようなものを浮かべて、芳乃は誤魔化す。
「…………」
疑問は残るが何にせよ、やはり彼女は超能力者だ。
俺は心を読めるだけだが、それでも今まで相当苦労して生きてきた。別に不幸だとは思わない。いつも孤独で辛かったのは確かだが、俺だけが知ることのできた幸せだってある。
ただ、どうしても心の底では欲しがっている。理解者を。自分の全てを受け止めて、共に歩いてくれる人を。
もし、同じ苦しみを抱えている人間と一緒になれたら……とても歪な関係だが、本当の意味で分かり合える関係を築けるのではないのだろうか。その関係に幸せがあるのかどうかはともかく。
そこまで考えて、すぐ隣にいる芳乃の顔が浮かんだ。掻き消すように首を軽く横に振る。
――芳乃にそれを求めてどうする。担当アイドルだと言うのに。それどころか、まだ十六歳じゃないか。馬鹿なことは考えるなよ、本当。
もしかしなくても、今もなお思考を読まれているのだろうか。
ちらりと横に視線を送ると、こちらをじっと凝視していた芳乃の視線とぶつかった。
「悪い。忘れてくれ」
「…………」
芳乃は何も言わない。
今までいらないと何度も思ってきた精神感応だが、心が読めないのがこんなにも不安になるとは思わなかった。
芳乃が俺を気味悪がっているのか、それとも別のことを考えているのか、まったく分からないからだ。
変なこと考えるんじゃなかった。
嫌な空気が暫し漂ったが、幸いなことに営業先が見えてきた。頭を切り替えて仕事に集中しなければならない。
その日は、とにかく芳乃を売り込みに行った。先輩に紹介してもらった人や、社長が勧めてくれた所、とにかく走り回った。
心を読み取った限りでは、好印象だった。芳乃の起用についても検討するというのも嘘ではなさそうだ。
芳乃はマイペースながらも丁寧な会話で、関わった人達からは軒並み好印象だった。
「印象はよくても仕事となると別だ。使ってくれるかどうかは分からない。それでも、やれるだけのことはやった」
お疲れ様、芳乃。
労いの部分だけ、あえて心の中で強く思う。
「そなたこそ、お疲れ様ですー」
この不思議な少女のことを、もっと知りたい。
聞こえているだろう、芳乃。
俺はもっと、芳乃のことを知りたい。
芳乃からしてみれば、鬱陶しいことこの上ないだろうが。
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後日、芳乃のどこか異質な魅力に当てられた人達が、是非彼女をを採用したいと言ってくれた。
芳乃を連れて回った所のおよそ八割だろうか、想像を超えるほどの仕事が来て、少し動揺したぐらいだ。
少々量が多いが、できるだろうか。視線をソファに座ってぽけーっとしてる芳乃へと向ける。
「やってみせましょうー。これは自分が変わるための第一歩でしてー、断る理由などー」
「助かる。それじゃ、さっそく先方と話をつけてくる」
その日はスケジュールの話で浪費された。何度もミスがないか念入りにチェックし、できたスケジュール表を芳乃へと渡す。
売れっ子のアイドルからしたら、全然穴だらけのスケジュール表だが、それでも他の新人アイドルよりは恵まれている。
それほど、芳乃が魅力的だということだろう。
「これが、わたくしの……」
「一緒にがんばろう。これが最初の一歩だ」
芳乃は小さく笑顔を浮かべて、頷いた。だが、やはり彼女の表情は硬い。
『わたくしは、本当に変われるのでしょうかー?』
突如聞こえてくる、芳乃の声。目の前に佇む彼女は口を開いてはいない。
つまり、今聞こえたのは芳乃の心の声だ。
同時に、迷い、悲しみ、期待、様々な感情が俺の頭の中へと流れ込んでくる。
「芳乃……?」
「……ふふふっ。油断してしまいましたねー、どうかお気になさらずにー」
芳乃は一体何に迷って、何に悲しんで、何に期待している?
心を読めても、無駄に燻るだけだった。結局、何も分からなかったのだから。
いつか、心を開いてくれるかもしれない。
今はただ、その時を待つしかないのか。
俺は俯き、芳乃は小さく微笑を浮かべた。
寝ます
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後日、芳乃を連れて仕事場へと向かう。今回はオーソドックスなファッション誌のモデルだ。
用意された服は落ち着いた色合いのものだった。派手過ぎるわけでもなく、地味すぎるわけでもない、中々おしゃれな服だ。仕事場についてからではなく、事務所で既に着替えている。メイク等はスタッフがやってくれるらしい。
指定されたそこそこ大きな公園へと俺達はやって来た。周囲にはスタッフの他に、他所のアイドルの姿が見える。
芳乃はまだ無名の新人で、他にもマイナーなアイドルが来ていたが、それなりに有名なアイドルも来ているようだった。いくら可愛い子ばかりを集めるとはいえ、無名だけというのもファッション誌的には問題なのだろう。
スタッフと監督に軽く挨拶を済ませ、噴水の横のベンチへと芳乃と二人で腰掛ける。どうやら撮影まではまだ時間があるらしい。
暫くの間、世間話の一つもなく、二人でじっとベンチに座っていた。
気が付けば、道行く人々、撮影に興味を抱いた野次馬達、スタッフの方々、他所のアイドル、その殆どが芳乃へと視線を注いでいた。
芳乃は虚空を見つめてじっとしていた。彼女の瞳に何が映っているのかは分からない。そんな彼女を色々な人達が見ていた。
徐々に辺りが騒がしくなっていった。こうも人が多いと、聞こえてくるのが心の声なのか実際に発しているものなのか区別がつかなくて困る。
芳乃の美しさに感嘆する声、どこからともなく流れてくる黒い嫉妬の心、芳乃に興味を持つ者、様々な声や感情がが感じ取れた。
その中でも際立ってはっきりと感じられるのは、情欲の感情だった。全身に鳥肌が立つぐらい嫌な感情だ。この感覚は間違いなく男が発したものだろう。
容赦なく聞こえてくる感情は一つ、二つどころじゃない。今日初めて芳乃を見て、妄想の中で彼女に性処理をさせている人間が既に周囲にいるのだ。
吐き気がするほど気持ち悪く、寒気がする。今までも何度かこういう嫌な感情、妄想が流れてくることはあったが、未だに慣れることはできない。
「芳乃、大丈夫か?」
ただ聞いている俺ですらこれほど嫌悪感を感じている。当の本人はどれほど辛いのだろう。大人びているとはいえ、まだ十六歳だ。妄想の中でとはいえ、男の性処理に自分が使われていたら、きっと傷ついてしまう。
今更ながら、取り返しのつかないことをしたと後悔する。彼女が心に深い傷を負ってしまったら、俺の責任だ。
こんなにも騒がしい中、芳乃はじっと空を見上げていた。いつも通りの芳乃のままだった。汗も浮かべず、鳥肌も立っていない。表情だって変わっていない。
芳乃は俺と違い、心を読み取る能力を自分で制限することができるのだろうか。
「 」
芳乃が空を見上げながら、何かを話した。俺は確かにそれを聞いたが、何を言っているのかが理解できなかった。
『小学生の頃から、こういう想いには慣れているのでしてー。つまり、心配には及ばないのですー』
短いですが、更新終わり
続きは近いうちに投下します
前書き書くの忘れてました、ごめんなさい
このSSには、芳乃はまだしも、なぜかPにも超能力設定が付いているので、オリジナル要素に嫌悪感を抱く方にはあまりおすすめできません
てすす
俺は思わず彼女の手を取り、人の多い広場から連れ出していた。
「そなたー? どこに向かうのでしてー?」
たとえ芳乃の言っていることが本当で、ああいう環境に慣れているのだとしても、あの汚い場所から少しでも遠ざけてあげたかった。それが自己満足だとしても構わない。
芳乃にはあの場にいて欲しくなかった。
「撮影まではまだ時間がある。あんなところにいる必要はない」
少しばかりひと気のない林道にて、彼女の手を離す。
芳乃は穏やかな表情で、俺を真正面から見つめていた。
「そなたの心は、優しさに満ちておりましてー。とっても嬉しいのですー」
「優しいとか、そういうんじゃない。俺に限った話じゃない……誰だってそうする」
女の子が嫌な想いを直接ぶつけられるような状況の中にいるのに、誰が放っておくというのか。
芳乃は一歩身を乗り出して、俺の左手を両手で取った。
「この手も、そなたの心も……温かくて、優しいのですー」
ぎゅっと、小さな手で、左手を強く握る。数秒間じっとそうしていた後に、彼女は手を離した。
少しばかり、温もりが名残惜しかった。
「さぁ、そなた。戻りましょうー。もうすぐ撮影が始まってしまうのでしてー」
芳乃はそう言って、来た道を戻り始める。仕方なく、俺も続く。
本当は、戻りたくなかった。戻らせたくなかった。
だが、仕事をやらないわけにも行かない。
芳乃がどういう人間なのか知らなかったとは言え、アイドルにしたことを後悔した。
本当に彼女は何も思っていないのか? ……辛くはないのだろうか。
色々見えたり、聞こえてしまうこの能力を持って生まれてきて今まで、俺は碌な目にあったことがない。
だから、見えないのがもどかしかった。彼女がどのような苦しみを抱えているのか、知りたかった。
俺は彼女を理解したい。似たような苦しみを持っているかも知れない芳乃を見て、理解したかった。
肝心な時に使えないゴミみたいな能力を、俺は恨んだ。
目の前を歩く小さな女の子。一つに結い上げている長い髪が歩みに合わせて左右に揺れていた。
彼女を見つめても、やはり何も見えないし、聞こえない。
だけど、少しの間、一緒に過ごしてきて確信はできた。
目の前の少女、依田芳乃は、本物ではない。自分を偽って生きているだけだ。
「…………」
気がつけば、目の前を歩く芳乃が横顔でこちらを見つめていた。
そして、寂しそうな笑みを見せて、前を向いた。
芳乃は意図的に、何らかの超感覚的な力を用いて俺に思考を読み取らせないようにしている。
「まだ、信用されていないか……」
結局、俺はただの他人だ。他人に心を読まれるのは嫌なことだろう。思春期の女の子ならなおさら。
今までだって何人もの他人が俺に心を読まれるのを恐れ、嫌がり、近づくのさえ拒んだのだから。
その後、芳乃は無事に仕事を終わらせた。ちょっとぎこちない所もあったが、概ね好評だ。
芳乃に和服は非常に似合うが、今回のような清楚系の洋服も似合っていた。
結局、素材がよければ何でも似合うのかもしれない。
「また仕事を頼みたいだってさ。よかったな、芳乃」
「わたくしは何もしていないのでしてー。全てそなたのお陰なのですー」
アイドルとしての素質は間違いなくある。
あれだけの大衆に囲まれ、能力のせいで精神的な負担は恐ろしいものだったろうに、芳乃は涼しい顔をして全てを成し遂げた。
だが、このままでいいのだろうか。
アイドルとして生きる以上、ファンと接する機会も設けなければいけない。そうなれば当然今日のような出来事も起きるだろう。
彼女は慣れているから平気だと言う。
だからと言って、危険な場所に送るのはいい事だとは思えない。
俺は芳乃を知らない。彼女がどれほど強いのかも、当然知らない。
だからこそ、慣れているからと危険な環境に送り込むようなことはしたくなかった。
気がつけば、一日中、芳乃のことで頭を悩ませてばかりだった。芳乃が隣にいても、芳乃のことを考えてしまう。
俺の存在が既に、精神的な負担を芳乃に与えてしまっているかもしれなかった。それぐらい、彼女のことを考えている。
芳乃を、実家と近い所にある祖母の家に送り届け、帰路に着く。今の時期だとまだ日が落ちるのが早く、そんなに遅い時間でもないのに外は暗い。
明日のスケジュールを頭の中で確認しながら運転していると、突然眩暈に似た感覚に陥った。
『殺してやる』
黒い感情がはっきりと見えた。指先が震え始め、息をするのさえも忘れてしまう。
我に返ると共に、力の入らない手で何とかハンドルを握りながら、車のスピードを上げる。嫌な汗が頬を伝った。
感じたのは間違いなく殺気だった。
無差別殺人鬼などではない。間違いなく俺に対して殺気を出していた。
追ってくる感覚はない。
その後は何事もなく住んでいるアパートに辿り着き、すぐさま二階にある自分の部屋へと駆け込む。
鍵とチェーンをかけ、部屋着に着替えないで、スーツ姿のまま自室のベッドに身を投げる。
見慣れた天井を仰ぎながらさっきの出来事を思い返す。
思い出すのさえ苦痛なぐらい、恐ろしい感情だった。
本気かどうかまでは見えなかったが、少なくとも殺したいぐらい俺を恨んでいるということだけは分かった。
あんなにも苦しい感覚は初めてだ。
当然ながら、命を狙われるような心当たりはない。
ため息をつきながら、嘆く。
なぜこんなことになってしまったのかと。
また、心のどこかで勘違いであることを祈った。
ごめんなさい。
モチベーションが低下してて、なおかつ多忙だったので中々更新できずにいました。
次は早めに更新したいです。
このSSまとめへのコメント
期待支援
貴方のssが一番好きです。
このssはエタったようですが、他作品を書いていただけるのをお待ちしています
続き楽しみにしてました
いつかまたSSを書いてくれるのを待ってます
もしこのコメ欄を見ることがあるなら続きまだ待ってますから
なんだかんだまだまってる
まだ待ってます
別作品書いてるならid教えてくれ