素直なミミズ、たこ焼きと会う (22)
ある日その若いミミズが、ひょっこり珍しく地面から首を出したとき、
彼の目にまず留まったのはたこ焼きだった。
ミミズの例に漏れず彼は酷く目が悪く、鼻も利かない。
そして今まで自分以外の誰かと出会ったことがない。
ミミズが見たのは、自分へとうっすら注いでいるぼんやりした光と、
それを遮る美しい円形の影。
土の中で飽きるほど彼は暗闇を見慣れている。
しかし、土の中でこんなに綺麗な形を闇がとったことはなかった。
頭の先にある円、たこ焼きを、ミミズは障害物、ただの物体だとは思わなかった。
彼の行く手をこれまで何度も塞いできた石などの様々な障害物たちは、
必ずもっとゴツゴツしていた。
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障害物でなければ何だろう?
ミミズはそれからあまり悩むことなく、ごく素直な気持ちで確信した。
障害物でないとしたら、生きているに違いない。
彼はなんと、自分の前にあるたこ焼きを、自分とは別種の生物ではないかと考えたのだ。
初めてあった自分以外の誰か。
上手くすれば友だちになれるだろうか? ミミズはえらく緊張していた。
こういう場合何と声をかければよいのか。
地中からやってきた世間知らずのつまらないヤツと思われないだろうか?
じめじめとした周囲。木が茂っていて、木漏れ日が所々から差し込む薄暗がり。
たこ焼きとミミズは二人きりで長いこと向かい合っていた。
当然たこ焼きからは何も反応はない。
ミミズはたこ焼きが何も喋らず、その場から立ち去ろうともしないことから、
少なくとも相手が自分に悪い気持ちを抱いていないと考えた。
話しかけても問題はないはず。決死の思いでミミズが言葉を発した。
「やあやあ、こんにちは」
ミミズは待つ。こんにちは、その言葉が帰ってくるだろうと予想して。
けれども沈黙以外は当然何も返ってこない。
返事を待つうち段々ミミズは不安になってきた。
もしかして自分はとんだ無礼をしてしまったのではないか?
一度そう思うと、不安でいてもたってもいられなくなる。
伸びたり縮んだり、せわしなく体長を変化させるミミズ。
その場から微動だにしないたこ焼き。
彼らにしか、というよりただミミズのみが感じている場の緊張は、みるみる際限なく高まっていった。
どんな無礼をしてしまったのだろう? ミミズは頭をフリフリ思考する。
「こんにちは」がおかしかった? いや、そんなはずはない。
明るさを感じるということは今は夜ではないはずだ。
挨拶の時間帯を間違えていたとは思えない。
でも、こんにちはとしか言っていないのに…………。
――やあやあ、こんにちは。
その時、ミミズはハッとした。馴れ馴れしすぎたのではないか?
初めてであったもの同士、地上には地上式のもっとふさわしい挨拶があるのではないか?
ミミズは必死で頭の中にふさわしい挨拶を探したが、見つからない。
丁寧な言い方に変えようと思った。まったく浮かばない。
しかしだからといってこのミミズを、
他のミミズたちと比べてひどく劣った愚か者だとみなすことはできない。
それどころか、たこ焼きを生き物と勘違いしたという失態に目を瞑れば、
彼の頭脳は優秀ですらあった。
なぜならそもそもミミズの口から、こんにちは、という言葉が飛び出たことが奇跡的なのだ。
ミミズの言葉は、土の中で同族とすれ違う、
同族間で何か問題があったときのためその生命に刻み付けられたものだ。
こんばんは、以外の挨拶は土の中では本来必要ない。
こんにちは、それは先祖の遠い記憶が彼を通じて表れた尊い歴史の証。
今日、この日のため本能に刻まれていた不要物。
にもかかわらず、自分がどんな奇跡を起こしたかに気付かず、
ミミズはただただ恐縮している。
自分の無知を恥じて頭を垂れている。
初めての友人を得る機会を無駄にしてしまいそうだと怯えている。
何か、せめて何か言ってほしい。
そう願いながら黙っていると、
大したことはない量ながらずっと光に曝されているのが辛くなってきた。
そういえばこんなに長いこと、外にいたことはこれまでなかったかも。
うん、辛い、辛い。いったいいつまでこうしてただじっと待っていればいい?
辛いと一度意識してから辛さはどんどん増すばかりだった。
体を伸び縮みさせるのにもなんだか少し疲れた。
限界まで身体を縮こまらせて動くのをやめ、さらに長い時間が過ぎた。
土のほどよく冷えた、あの慣れ親しんだ空間に帰りたい……。
もう、帰ろうか……。
うん、そうだ、帰ることにしよう。
誰かと友だちになりたい、その思いだけに繋ぎ止められていた。
彼は元々土の中の世界をこよなく愛している。
ミミズが帰ろうと思ってからの決断は早かった。
そして、これまで自分の中に閉じ込めていた、喋りたいという思いを一気に爆発させる。
「あのね、僕は見ての通り土生まれ土育ちの世間知らずな若造なんだ。
それも長いこと外気に曝され続けるのすら初めてなくらいの奴さ」
「僕としては君ともっと二人一緒にいたいのだけれど、
生憎こんな風に長いこと外にいたせいで、どうも体調が芳しくない感じになってきてしまった」
「僕の挨拶に何かしら機嫌を損ねるようなものがあったんだろうと思う。本当にすまない」
「だけどそこは僕にも悪気はなかったということで、どうか許して欲しい」
「この場は土へ帰ることを許してもらって、また出会うようなことがあれば、
次の機会に僕と君、きちんと交流を深めることにしたいと思うのだけど、どうだろう?」
静寂が続く。
ミミズはたこ焼きが自分に対して何もしてこないこと、
否定の言葉を口にしないことの両方を肯定の意思表示と捉えた。
なんだ、別に嫌われてる、怒ってるんじゃなかったのかもしれないぞ。
生来の楽天家であるこのミミズは、先ほどまでの緊張を忘れさる準備を既に始めている。
相手に嫌われていない。相手は怒っていない。
そう考えるとこの場にもう少しとどまっても辛くないような気がした。
しかし、帰ると言った舌の根の乾かぬうちから長々と居座ってしまえば、
気分屋で信用ならない奴だと今度こそ本当に嫌われてしまうかもしれない。
やっぱり帰ろう。
「それじゃあまた。失礼」
ウキウキとした気持ちで、ミミズは土に潜ってずんずんどこまでも進んでいく。
完全に浮かれていた。
浮かれていたせいで、彼が犯した最後の失敗は取り返しがつかないほどに痛い。
どこから地表に顔を出せば、たこ焼きと出会ったあの場に顔を出せるのか忘れてしまったのだ。
諦めずに毎日、毎日、初めて友人になったはずのあの影を土の上に探すが見つからない。
結局それから二度と、ミミズとたこ焼きが出会うことはなかった。
死ぬまで二度と、言葉の通じぬ、つまらぬ虫けらども以外の生きた誰かに出会うことはなかった。
けれども彼とたこ焼きが出会った数か月後のことである。
ミミズがひょっこり地面から首を出したとき、
彼の目にまず留まったのはスーパーボールだった。
一般的なたこ焼きよりは少し大きい。
しかし、同じ円形の影。
ミミズは、影が大きくなったのは相手が成長したからだと解釈した。
「おやおや、久しぶり。君にまた会いたくて僕は今まで散々探したよ。
……ひょっとすると、君もそうだったりするかい?」
スーパーボールは何も答えない。
「再会場所を決めておかなかったのは本当にマズかったねえ。
やれやれ、こんなに一人で居続けることがつまらなくなるとは思わなかった」
「君に話したいことが山ほどあるんだ。
土の中の話で君にとってはつまらない話かもしれないけど、聞いてくれるかな?」
スーパーボールは何も答えない。
ミミズはそれを肯定を捉えた。
それから毎日、とある公園のとある場所を昼間に眺めれば、
スーパーボールに話しかける珍妙なミミズの姿を、彼が死ぬその日まで見ることが出来たはずだ。
いつまで経っても何一つ返事をしてくれない友人。
ミミズはそんな友人と時たま無視という形での喧嘩をしたが、
それでも大抵は、自分の話を理解してくれる友人を得たことを嬉しく思いつつ、
心平静に、おいしい土を食べて、好きなことを話す幸せな日常を最期まで送った。
おわり
「素直」と「ミミズ」と「たこ焼き」でなんか書いてみろよって言われたので書いた 反省はしてる
似た話山ほどありそうだけど誰にも見られずPCの中で埋もれるのは悲しいので投下して供養
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