澪「秋のものがたり」 (39)
私は日本に生まれて良かったと思う。四季を感じる事が出来て幸せだ。
この公園は私のお気に入りの場所。夏の終わりに初めて訪れて以来、何度も足を運んでいる。
大きな滑り台と砂場。ランニングコースやアスレチックまである。公園の中心には小さな池があって売店がこじんまりと佇んでいる。塗装の剥げたベンチが年代を感じさせた。
私の住んでいる町からは電車で二駅離れているが、一人の時間が出来ると好んでここを訪れていた。
ランニングコース沿いにいくつも置かれたベンチに座って、歌詞を考えていると懐かしいような、それでいて新鮮な感覚を受ける。それがこの公園を好きな理由の一つだった。
秋が来ると公園の外周にあるイチョウが色付き始めた。風で葉っぱが舞い、ランナーを困らせている。
そんな様子をなんとはなしに見ながら私は先程売店で買い求めたココアを飲んでいたら、ふいに声をかけられた。
「お嬢さん」
「最近、よく見かけますな」
声のした方を向くといつの間にか、ベンチの反対側に一人のお爺さんが腰掛けていた。
澪「は、はぁ」
気の抜けた返事をしてしまった。
灰色の薄手のコートを着た老齢の男性だった。短く刈られた髪の毛は全て白髪で体格は私よりやや大きいくらいだろうか。深い皺の刻まれた目が特徴的だった。
老人「はっはっは」
老人「警戒するのも致し方ないの」
澪「そ、そういう訳では」
老人「最近、この場所でよく見かけるからの」
老人「つい話かけてしまったんじゃよ、すまないね」
澪「い、いえ…」
老人「どうじゃ?老人の無駄話に付き合ってはくれんかね」
澪「は、はぁ」
なんだか圧倒されてしまう。
笑うと印象深い優しい目をしていた。悪い人じゃないんだろう。
老人「お嬢さんはおいくつかな?」
澪「高校二年生です」
老人「そうかそうか」
老人「青春真っ盛り、というやつじゃな」
澪「へっ?」
老人「はっはっは」
突然、変な言い回しをしたかと思えばツボに入ったか一人で笑っている。悪い人じゃないのだろうが、変な人だ。
澪「お爺さんはおいくつなんですか?」
老人「ふむ」
老人「わしに年を聞いたのはお嬢さんが初めてだよ」
澪「そうなんですか?」
老人「わしも17歳じゃな」
澪「はぁ」
老人「わしも青春真っ盛りじゃからのぅ」
そう言ってまたひとしきり笑った。
どうしていいか全く分からなくなってしまった。
澪「ふざけているんですか?」
老人「いや、すまん」
お爺さんは頭を下げた。
老人「急にこんな事を言っていてはそう思われるじゃろうな」
老人「ちょっとした戯れじゃ。許して欲しい」
澪「いや、それほどの事じゃ…」
老人「許してくれるかの?」
澪「は、はい」
老人「そうか、ありがとう!仲直りじゃな」
お爺さんは私に握手を求めてきた。おずおずと差し出した私の手を握ったお爺さんはまた声をあげて笑った。皺だらけだったけど力強い大きな掌だ。
そして、相手をしてくれた礼を私に告げると立ち去った。
これが彼と私の出会いだった。
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翌週も同じ場所に座っているとお爺さんがやってきた。今度は私の正面から歩いてきて、前回と同じくベンチの反対側に座った。
老人「こんにちは、お嬢さん」
澪「こんにちは」
老人「何かいい事あったのかね」
澪「え?」
老人「いい表情をしとる」
澪「そうですか?」
澪「最近、部活の練習が上手く行ってるからかな」
老人「何か運動でも?」
澪「軽音部です」
老人「音楽を嗜んでるのじゃな」
澪「音楽というかバンドです」
老人「充実してるようじゃね」
澪「楽しいです」
老人「良きかな良きかな」
優しい目をして笑うお爺さんを見てると何だが私も楽しくなってきた。
公園に来るとほとんど毎回、お爺さんはいて私の隣に座った。それから15分くらい会話をすると彼は私に礼を言って去って行く。
私が公園に向かう目的は半分以上、彼との会話を楽しむ為だった。
秋も深まり11月の初旬。私はママが焼いたクッキーと水筒に入れた紅茶を持って公園へ向かった。その日は少し暖かい陽気だった。
私の指定席になっているベンチにはすでにお爺さんが腰掛けていた。心なしか肩を落としているように見えた。
澪「こんにちわ、お爺さん」
老人「ああ、お嬢さんかね」
澪「どうしたんですか?どこか調子でも・・・」
老人「なに陽気の問題じゃよ、こういう暑い日は調子が狂う」
澪「お家に帰らなくても?」
老人「お嬢さんの顔を見ていたら元気が出てきたよ、大丈夫じゃ。心配かけてすまんね」
澪「いえ」
言葉とは裏腹にお爺さんの顔色は優れなかったが、きっと私には触れられたくないのだろうと思い追求しなかった。本当に倒れそうになったら手を貸そう。
澪「今日はクッキーを持ってきたんです」
老人「おお、これはこれは。お嬢さんの手作りかね?」
澪「・・・実は母親です」
老人「いやいや。ありがたく頂きますよ」
澪「紅茶もあります」
老人「至れり尽くせりじゃな」
澪「紅茶は私が淹れました」
老人「これは美味しいのう」
談笑しつつ、お爺さんは4枚、私は2枚のクッキーを食べた。やはり15分くらい経つとお爺さんは私に礼を言って立ち去っていった。ちょっとフラフラした足取りだったので本当に心配だった。公園を出るまで目で追っていたのだが、公園の出入口付近で見失ってしまった。
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それから数日が経った。
その間ずっとお爺さんが心配だった。天気が安定せず暖かい日と寒い日を交互に繰り返すようになっていてテレビでもしきりに体調管理を訴えていた。現に軽音部でも唯が体調を崩していた。老齢だから余計に気を配らなくてはいけないのではないかと思った。
唯が早退したので部活は休みになった。公園に行ってみようかな。普段は休みの昼間に行っているから、お爺さんはいないだろうけど、どこかで会えるかもしれない。散歩コースになっているのなら、近所に住んでいる可能性は大きい。
律「澪~、帰りに楽器屋寄ってこーぜ」
澪「ごめん、ちょっと用事があるから」
律「え~なんでだよ~」
紬「りっちゃん、私と一緒にいきましょ」
律「ムギ!心の友よ~」
澪「ごめんな、先に帰るよ」
文句を並べる律を置いて部室を飛び出した。
公園について真っ先にいつものベンチへ向かった。一組のカップルが座っていたが、息を切らせながら移動する私に怪訝な視線を向けていた。どうやらこの近くにはいないようだ。
公園まで来る道すがら、急ぎ足ながらも周囲を見渡しながら歩いていたけどそれらしい人影はなかった。
当たり前か・・・何を焦っていたんだろう、と自嘲して売店近くのベンチに座り込む。
息を整えていると聞きなれた足音が近付いてきた。
老人「こんにちわ、お嬢さん」
澪「お、お爺さん・・・」
にこやかに笑って帽子をとるお爺さんは英国紳士のようだった。
澪「元気そうでよかったです」
老人「先日の事か、心配かけてしまったようだね」
澪「余計なお世話だとは思いましたが・・・」
老人「いやいや、陽気が良いとどうも調子が悪くなるものでね。すまなかった」
澪「どこかお体の調子でも?」
老人「お嬢さんに心配かけるようなことは何もないんじゃ」
そう言ってお爺さんはおどけてラジオ体操のような動きをして笑った。私もつられて笑ったところで、息が切れるまで急いだせいで喉が渇いていたのだろう。噎せてしまった。
老人「ずいぶんと焦らせてしまったようだね、ちょっと待っていなさい」
近くの売店で紅茶を二本買ってきてくれて、一本を私にくれた。
お礼を言って受け取る。あまり温まってはいなかったが、私にはちょうどよかった。
ほんのり甘いストレートティーが喉を潤してくれる。老人は私を見て微笑んでいた。
顔が赤くなるのを感じた。
ひとしきり会話を楽しんでいると夕刻を知らせる鐘がなった。
今日は肌寒い一日だとは思っていたが、いつの間にか震えるくらいの気温まで下がっていた。
老人「もうこんな時間か、遅くまで引き留めてすまなかったね」
澪「私も楽しかったです」
老人「こんな可愛いお嬢さんにそんな事言われると照れてしまうわい」
澪「そんな///」
老人「寒くなってきたな、これを持っていきなさい」
お爺さんは首に巻いていたマフラーを私にかけてくれた。温もりがまだ残っていて懐かしいいい匂いがした。
澪「大丈夫です!お爺さんも寒いじゃないですか」
老人「わしは平気じゃよ、寒さには強いんじゃ」
では、と手を上げるとお爺さんは前回より力強い足取りで去っていき、夕闇に包まれて姿はすぐに見えなくなってしまった。
一陣の風が吹きスカートの裾をまき上げて行った。私は首に巻いたマフラーに顔を埋めて家路についた。
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それからまた数日が経ち12月が目前に迫った。寒さは本格的にやってきていてコートが必要になり始めていた。
あれから雨の日が続いたり梓や唯の誕生日があったりして、公園へは放課後に行ったきりになっていた。
今日は久しぶりに公園へやってきた。
ベンチには座っているとお爺さんが近くにきた。
澪「こんにちわ、お爺さん」
老人「こんにちわ、お嬢さん」
澪「少し元気がないみたいです」
老人「そんな事はないよ」
澪「それならいいですけど」
老人「ところで、今日は買い物帰りかね?」
澪「ああ」
実はここに来る前に近くの大手スーパーに寄っている。
前回の紅茶のお礼に何かお菓子とお茶を買おうとしたのだが、本格的なお菓子作りの材料コーナーを発見して、方針を変更したのだ。今日は売店で小さなココアを二つ買っていた。
澪「実はお菓子作りに挑戦しようと思って材料を買ってきたんです」
老人「ほう」
澪「今度はマ・・・母親じゃなくて私の作ったクッキーを食べてもらおうと思って//」
老人「それは嬉しいね」
お爺さんは破顔した。晴れやかな笑顔だった。
しかし、その笑顔はすぐに曇ってしまった。
老人「残念じゃが、わしはご相伴預かる事ができないようだ」
澪「えっ」
老人「今年、ここに来る事が出来るのは今日で最後なんじゃ」
澪「そう・・・なんですか・・・」
老人「お嬢さんの気持ちだけおいしく頂くとするよ」
澪「どこか具合が悪いんですか?入院されるとかっ」
急に別れを告げられるとは思わず、びっくりした。
今年、という言い方をしていたのが気になる。しばらく離れるという事、つまり入院、と悪い想像が広がった。
老人「そうじゃないんじゃ」
澪「どういう事ですか」
老人「本当は言ってはいけない事なんだが」
と、そこで言葉を切って彼は私の前に立った。
ピン、と背筋を伸ばして。
老人「わしは君の秋なんじゃ」
澪「あ、秋?」
老人「生まれてからずっとお嬢さんを見守ってきた」
澪「え?」
老人「覚えておるかな?まだ君が四歳だったころ、この公園で両親とはぐれて泣いていたのを」
そこまで言われて頭の中に風景が広がった。
覚えていた。
散歩に訪れた公園で両親とはぐれ泣いていた私。
どうする事も出来ずただ悲しかった。
その私の手を優しく握ってくれた人がいた。
銀杏の葉の舞う中、私の右手から伝わる温もりが全身を包み込んでくれた。
彼に曳かれて歩いていた時間は寂しさや悲しさを全て忘れていた。
やがて真っ赤な目をした両親が私の前に現れた。
母親が私を抱きしめてくれた。とても落ち着いたのを覚えている。
そして、私を助けてくれた人を探したのだが、どこにもいなかった。
両親も私が一人で歩いていた、と記憶している。
老人「覚えていてくれたみたいだね」
澪「はい、あの時はありがとうございました」
老人「ほっほっほ」
老人「本当は見守っている事しかしてはいけないんだが、ちょっとだけ色々わがままをしてみたかった」
老人「お嬢さんと話ができてわしは幸せじゃった」
澪「私も楽しかったです」
老人「だが、そろそろ冬がやってくる。わしがいられるのは今日までじゃ」
優しく笑いかけてくれた。
老人「来年、また会える」
澪「はい・・・」
私の頬を涙が滑り落ちた。
お爺さんはポケットから取り出したハンカチで拭ってくれた。
老人「しばらく声は掛けられないかもしれないが、いつも見守っているよ」
澪「うん、お爺さん・・・ありがとう」
老人「君の焼いたクッキーが食べられなかったのは残念だが、来年の楽しみにとっておくとしよう」
澪「おいしく焼ける様に練習します」
老人「ありがとう」
どこからともなく風が吹いて枯葉が舞い上がり、お爺さんを包んだ。
私は涙を拭く。葉が地面に落ちる頃に彼の姿は消え去っていた。
秋が去った後、銀杏の木がざわざわと揺れ、無数の葉っぱが私を包んだ。
あの日に借りたマフラーみたいに私を温めてくれた。
あのマフラーは来年返す事にしよう。
もうすぐ冬がやってくる。
おしまい!
ご視聴(?)ありがとうございました。
ちょっと切ない文章を書いてみたかったからやった。後悔はしてない。
地の文は難しいね。
今度は全然違う感じのを書いてみる。
また読んでくれると嬉しいですな。
ほっほっほ。
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