魔法少女フラン☆マギカⅣ (761)

魔法少女まどか☆マギカと東方projectのクロスです。



いくつか注意点です

※初SSです。いろいろ足りないところがあると思いますがよろしくお願いします。

※独自設定がてんこ盛りです。

※一部オリキャラが出ます。

※東方キャラはすべて出るわけではありません。また、かずマギ、おりマギのキャラは出ません。

※一部、残酷な描写がございます。ご注意ください。

※当SSはフィクションです。実在の人物、団体、歴史的事実とは一切関係ありません。

批判はいつでも受付中です。


SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1379597413

このスレは4スレ目です。


過去スレはこちら↓↓

魔法少女フラン☆マギカ� - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1362722680/) (魔法少女フラン☆マギカⅡ)

魔法少女フラン☆マギカ� - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1368800717/) (魔法少女フラン☆マギカⅢ) 






遂に4スレ目に突入。
まだまだ終わりません笑

7スレ目まで行くかな???
















                    *














「うっ……」





 気が付けば、全てが終わっている。

 そこは見慣れた図書館で、魔法の灯りが薄暗い空間を照らしていた。
あの魔法陣の白い輝きはどこにも見えない。




 辺りは酷い有様だった。


 実験に使われた盆栽は、結界ごと破壊されていて、テーブルもろとも床に投げ出され、
無残に土を撒き散らしている。
他にも、そこら中に積み上げられていた本の山も盛大に散らばっていて、床も一部が黒く焦げていた。

 パチュリーは頭を振る。
先程の衝撃は全身に土産を残していき、そのせいでジンジンと肉体の奥底から鈍い痛みが響いて来ていた。
それでも何とか体を起こして周囲の惨状を視線で辿りながら、やがて目を空間の中心に向ける。




 そこには、白い石灰で描かれた大きな魔法陣がまだ存在していた。健在だった。

 あれだけの爆発があっても、それは傷一つ付いていない。
ただのチョークで描かれた模様も、魔術的な意味合いを持てばその形を保存することが出来るのだ。
ただ、術式自体は壊れているだろう。
あれだけの爆発があったのだから、繊細な術の方程式は無茶苦茶になっているはず。
この魔法陣が残っているのは、単に込められた魔力の残滓がその保存に働いたに過ぎない。

















 しかし、そこに魔法陣が健在だったとしても、そこに――親友の姿はなかった。




















 魔法陣の上には誰もいない。何もない。


 手を床について立ち上がろうとした。その手が、ぐにっと、何か柔らかい物に当たる。

 見下ろすと、自分の下に咲夜が倒れていた。
というより、自分が咲夜の上に乗っかっている状態だ。

 反射的にパチュリーは転がるようにして咲夜の上からどいたが、彼女は起き上がる気配がない。
よくよく見ると、気を失っているようだ。
いつもぴしっと整えられているメイド服が、酷く乱れていた。




 パチュリーは咲夜から、再び魔法陣に視線を戻す。


 崩れた本の陰に隠れていたフランドールが姿を現しているかもしれない。
そんな淡い希望を持ってみたけれど、やっぱりそこには誰もいなかった。





 そうだ。フランを探さなきゃ。







 魔法使いは立ち上がろうとした。
けれど、腰が、足が、震えて上手くいかなかった。
体に浸透したダメージがまだ抜けきらないせいだろうか。


 だから、彼女は這うようにして魔法陣に近づく。








「フ、フラン? どこ? どこに行ったの?」







 掠れた声で呟けば、ざらざらとした床を、姿の見えない親友を求めて両手が撫でる。
だが、どこにもいない。


 ネグジュリのような、魔女のゆったりした服が魔法陣の上を引き摺られても、その模様は乱れず、
陣は健在のまま。
だが、どこにもいない。


 フランドールが立っていた場所まで這って来たパチュリーは、そこに彼女を求めて、まるで地面を掘る犬のように、
床を引っ掻きだした。
あたかも、その床を壊せば下から親友が出て来ると思っているかのように。





















「パチェッ!!」








 唐突に図書館内に響く声。魔女の、もう一人の親友がやって来た。




「パチェッ!!」


 二度、吸血鬼の姉は友の名を呼ぶ。
しかし、魔女は意に介さず、ただ無心に床を爪で引っ掻いていた。
「フラン。フラン」と低い声でぶつぶつ呟きながら。


「パチェ、やめるんだ! パチェ!!」


 魔女の爪は割れて、指先の皮膚が裂け、血が流れ出していた。

 吸血鬼の姉は慌てて彼女を背後から羽交い絞めにして、床から引き剥がす。



「ヤッ! 離して! フランが!!」

 魔女は暴れるが、吸血鬼の力には敵わない。
あっさり抑えられてしまった。


 それからレミリアはパチュリーの目の前に回る。
が、魔女は親友が眼前に居るというのに、全く反応を示さなかった。
その眼は何も見ていない。その眼はありもしない幻影を追っている。





「パチェ。私が分かる?」


「フラン……」


「違う! レミリアよ」


「フラン……」



 レミリアとフランドールの顔はよく似ている。
だから、目の前のそれに妹の面影を見出したパチュリーは、その名前を呼び続けた。











 パンッと、小気味良い音が図書館の中に響く。


 ジンと左の頬が熱くなる。パチュリーは無意識的にそこを手で抑えた。

 徐々に伝わってくる痛み。それによって意識が覚醒する。



「ぁ……」

「気が付いた?」


 目の前で優しく微笑んでいるのは、フランドールではない。
レミリアだ。パチュリーが唯一愛称で呼び合う親友だ。


「レミィ……」

「そうよ。レミィよ」

「レミィ」

「パチェ」



 ゆるゆると、震える手でパチュリーはレミリアの両肩を掴む。
それから、彼女の大きな真紅の瞳を覗き込む。




「ご、ごめんなさい」

「パチェ?」

「ごめんなさい……」

「どうしたの? 何を謝っているの?」

「だって、私……。貴女の、妹を、フランを、なくしてしまったわ……」

「パチェ……」

「ごめん、なさい。ごめんなさい。ごめんなさい」



 壊れた人形のように同じ言葉を繰り返し始めるパチュリー。
最早自分が何を言っているのかも分からず、ただ無意識に口を突いて出て来る謝罪の言葉をひたすらにレミリアに向ける。
そのあまりに悲惨な様子に、レミリアは首を振って叫んだ。





「違う! 謝るのは私の方よ。貴女は何も悪くないわ、パチェ」



「でも、フランが。フランが。フランが。居ないの。居なくなったの。どこに行ったの? 
フラン? フラン! フラン! 出て来て。お願い。フラン!!」



「もういい! もういいんだ、パチェ!!」




 レミリアはパチュリーの方を揺さぶる。けれど、魔女は反応せず、叫ぶのを止めない。




「フラン!! フラン!! フラ……ゲホッ」


 ついに、彼女は咳き込んだ。


 ゲホッ、ゴホッ、と痛々しい咳を出し、体を折りながら、さらに咳き込む。

 発作だ。元から喘息持ちだった彼女。
しかも今日はあまり調子がいい方ではないのに、こんなことになって、遂に発作が起きたのだ。



 パチュリーの発作は収まらない。
その場に蹲りながら、心臓でも吐き出そうとしているかのような激しい咳を繰り返す。



「パチェ!!」


 慌ててレミリアが背中をさするが、パチュリーは体を震わせて咳を続けるだけで、楽になる様子もない。




 このまま死ぬかと思った。死ぬほど苦しかった。



 これは天罰かもしれない。親友を救えなかった、哀れで無力な魔法使いへの制裁なのだ。




「パチュリー様!?」


「小悪魔! 大至急、薬を持って来て!! 早くパチェに飲ませないと、発作が止まらないわ」


「わ、分かりました!!」


「パチェ、すぐに小悪魔が薬を持って来てくれるわ」



 言葉は聞こえる。けれど、脳にその意味を理解するほどの余裕がなかった。

 咳のし過ぎで喉が痛い。気管が張り裂けそうだ。




「咲夜はどこに行った……ああ、くそっ。気でも失っているのね」


 ゴボッと水っぽい音がして、図書館の床に血が落ちる。
ついに、喉が切れて咳に血が混じったらしい。



「パチェ!?」



 血を見てさらに慌てたのか、レミリアは必死でパチュリーの背中をさすった。


「ちょっと待って。すぐに楽にしてあげる」


 そう言うと、彼女は小声で何かの呪文を唱えた。
それを聞いて、パチュリーの脳裏に、その呪文が簡単な治療を施すものだという事実が浮かび上がる。



 ありがたい。お陰で少し楽になった。激しい咳も収まりつつある。まだ、喉の奥が痛いが。






「薬持ってきました!!」


 そう叫んで飛び込んできた小悪魔。
レミリアはすぐにパチュリーに薬を飲ませて、何とか発作は収まった。






「レ、レミィ……」


 掠れた老婆のような声で親友の名を呼ぶと、彼女は頷いた。


「無理しないで」

「フランを……」

「解かってる。それは私に任せて」

「ごめんなさい」

「もう、謝らないで」

「……う、うぅ」








 嗚咽が込み上げて来た。



 もう頭では何も考えられなくなって、パチュリーはひたすらに涙を流し出した。
視界がぐにゃっと歪んでいて、それでもなお両の目は魔法陣を見つめている。





 諦められない。諦められるものではない。
だって、フランドールは大切な親友なのだから。






 彼女はどこに行ってしまったのだろう? 
死体がないということは死んではいないということだろうか?



 手がかりが欲しい。
今すぐこの魔法陣を調べて、それから隙間妖怪の協力も取り付けなければ……。




 そうだ! あいつが悪いのだ。
あいつがこんな魔法を依頼するから、こんなことが起きてしまったのだ。





 責任をとって貰わないといけない。
何が何でもフランドールを探させなければいけない。







 全身に力が入る。


 最初のショックと悲嘆から解放されたパチュリーの心を、次に覆い尽くしたのは、八雲紫への怒りだった。
それが逆恨みに近いものであることにも気付くことなく、パチュリーは胸の内で紫への呪詛の言葉を吐き続ける。










「パチェ」





 不意に、優しく頭を撫でられた。

 少しぎこちなく、それでも精一杯の思いやりを込めて、パチュリーの長い髪を撫でているのは、
他ならぬ傍らの親友。
レミリアは、どうしてかパチュリーにすまなそうな表情を浮かべていた。





「落ち着いて」





 静かな声色の言葉に、パチュリーは微かに顎を震わせながら頷く。

 紫への怒りは陽炎のように掻き消え、心の中の嵐は収まった。
パチュリーは両手で目元のの涙をぬぐい、親友に心配を掛けまいと、無理矢理に笑顔を浮かべる。



「あ、りがとう。落ち着いた、わ」


 変に途切れた言葉。レミリアはそれに少し安心したように口元を緩めた。


「そう。少し、休むといいわ」

「ええ」

 それから彼女は振り返り、その背後で心配そうに顔を歪めていた使い魔に声を掛ける。
その拍子に彼女のラベンダー色の髪がふわりと舞い、甘い香りがパチュリーの鼻をくすぐった。





「小悪魔! パチェを寝室に連れて行ってあげて」


「はい!」



 レミリアに支えられながらパチュリーは立ち上がる。
未だ膝が震えて上手く足が立たないが、回り込んだ小悪魔が背中からそっと支えてくれた。


 二人の気遣いに、冷えていた心がじんわりと暖かくなる。

 自分にはまだ味方がいる。仲間がいる。
一人じゃないし、フランドールを助けるのも彼女たちと一緒なら不可能じゃない。

 そんな気がしてきた。


 小悪魔とレミリアに支えられて、よろよろと久しぶりにベッドから起き上がった病人宜しく、
頼りない歩みを踏み出す。
どの道、こんな様では何もできない。まずは休息が必要だろう。
爆発で吹き飛ばされたダメージも体から抜け切っていないのだから。




 最後にパチュリーはもう一度魔法陣を見遣る。

























































 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――えっ?








 え……? ちょっと待って…………。何……? どういうこと?




 嘘……でしょ? 待ってよ。それって……。













「パチュリー様?」




 その場に佇んで、愕然と魔法陣を見下ろすパチュリーに、小悪魔が泣きそうな顔で声を掛ける。
だが、その声はパチュリーの耳に届いていない。届く訳がない。






 今その頭を埋め尽くすのは、目に見える魔法陣の『形』ばかりなのだから。





 内臓が消えて、心臓がストンと骨盤まで落下した気がした。
脊椎の中が空洞になって、その中を氷水が流れている気がした。









 もし、もしそうなら……、これは……、最悪と、言える状況ではないのだろうか?











 ああ、どうして気が付かなかったんだろう。
「世界初」とか、「境界を操る程度の能力」とか、「結界の修復」とか、そんな言葉に心を躍らせていて、
肝腎なことに気が付かなかった。





 このパチュリー・ノーレッジとあろう者が。







 こんな基本的なことにも気が付かなかったなんて!!













 それこそ、悪夢のようだ……。









 バクンッ。バクンッ。と、爆発しそうなくらい、鼓動の音がする。そのせいで胸が痛い。






 耳元で誰かが自分の名前を呼んでいる気がする。だけど、聞こえない。


 パチュリーの頭は、もうその事実に埋め尽くされていて、他のことを考える余裕などないのだ。


 だってそうだろう。自分が、とんでもない見落としをしていたことに気が付いたのだから。
そして、そんな見落としさえしなければ、この冗談のように悪い事態を防ぎ得たのだろうから。






















 この魔法陣。パチュリーとフランドールがおよそ一週間かけて作り上げた「世界初」の魔法陣。
よく見ると、転送魔法のそれに似ているのだ。






















 何で……そうなるの……? 私たちは、「結界に作用する魔法」を作っていたんじゃないの?







 単なる、偶然だろうか? 
結界を修復させるための魔法を作ろうとしていたら、術者を遠くへ飛ばす魔法に近くなっていて、
しかもそれを魔法使いたちが気付かなかったなんて。








 ……いや、今はそんなこと、重要じゃない。


 もし、これが結界に作用するだけじゃなく、転送する効果も持つ魔法陣だというならば、
フランドールはどこかへ飛ばされたことになる。
ならば、今彼女が肉片の一つも残さず、図書館の中から消えてしまったのも納得がいく。

 転送魔法なら、それで幻想郷のどこかに飛ばされただけなら、フランはけろりとした顔で帰ってくるだろうが、
現実はそんなに甘くも優しくもない。
パチュリーが思うに、この魔法は幻想郷の結界に作用するものだから、きっと彼女は、外の世界か、
あるいは結界の狭間に飛ばされたに違いない。

















 …………それって、探しようがあるの?










 外の世界の、何十億という人間が住む陸地の総面積は、148,940,000 km2。
それですら地球の表面積の3割にも満たず、海を含めた値は510,072,000 km²。
本当にどこに飛ばされたか分からないなら、その中からたった一人の小さな少女を探し出さなければならない。

 それならばまだいいかもしれない。
運良く陸地に飛ばされて、運良く誰かに拾われて保護されたならば、まだ何とかしようがある。
希望は潰えていない。



 もっと恐ろしいのは、もはやこの世かあの世かも分からないような場所に飛ばされている場合。
そうなったら、生きているのかすらも怪しい。
あるいは、永遠の時を彷徨うだけになるかもしれない。
フランドールが、何がなんだかよく分からない状況になっていても、何ら不思議ではないのだ。





 声が出ない。ヒュー、ヒュー、という空気の漏れる音だけが口から吐き出されている。





 涙も出ない。泣くという感情表現すら忘れたかのように、瞬きを繰り返している。










 気が付けば、見下ろしていた魔法陣が幾分近くなっていた。
膝から力が抜けて、パチュリーは小悪魔に抱えられているのだ。
でも、本人にそんなことを認識する余裕なんてない。


 パチュリーは生まれてからおよそ100年の時を過ごしてきた。
妖怪としては、まだまだ幼子の短い生涯だ。
その100年の中で、初めて――絶望――と言うものを味わった。



 何か、大事なものがなくなっているような気分だ。




 それはそうかもしれない。
人も妖怪も、常に心の中に何かしらの「希望」を持って生きているのだから、それが絶たれた状態というのは、
確かに大事なものがなくなっていると言えるのだ。

 魔女としてのどうしようもない性のせいか、こんな状況で尚(あるいはこんな状況だからこそ)、
パチュリーは心のどこかで今の自分の気持ちを分析していた。
感情と言うものが消え失せて、ただ論理的な思考を繰り返すだけの頭脳。
優秀すぎるために、その働きは止まらない。






「パチェッ!!」




 突然、鋭い声が割り込んできた。
そのせいで、蜃気楼の様な思考が割れて砕け散り、パチュリーの頭には何もなくなっていまう。
その代わり、視界一杯を埋め尽くす顔が、同じようにその空っぽの頭も占領した。

 深紅色の瞳の収まった、くりっとした大きな眼。
すらりと筋の通った形の良い鼻を中心に、あどけなさを含みながらも非常に整った顔。
薄紅色の唇と、その間から覗く白い牙。








 レミリアの顔だ。それが、悲しそうにパチュリーを覗き込んでいる。






 そう言えば、これとよく似たもう一つの御顔がどっかに飛んで行っちゃったっけ……。





「パチェ。どうしたの!?」

 問いかけてくる声には、多分、焦りが相当に含まれていたのかもしれない。
ただ、何となくそんな思考が生まれた。



「あ、ぁうぁ」



 言葉にならない呻きが口から洩れて、レミリアは辛そうに目を閉じた。それから彼女は呟く。



「すまない、パチェ……」




 バチンと。




 音がした。


 そして、蝋燭の炎を吹き消すように、パチュリーの意識は闇に包まれた。
















壁の中の巨人を初めて見た時のハンジさんもこんな感じだったのかもしれない。






後、グーグル先生に感謝!!




ごめんなさい。。。
海軍の提督に就職したせいで全然執筆が進まず放置状態になっていました><
ほむら様に踏まれてもいいです


映画見てきて、モチベーションも上がったので、これから書き溜めもはかどる……はず?








               *









「ッ……」



 気が付くと、橙色に染まった空が視界一杯に映っていた。
浮かんだ雲が黄金色に染まって綺麗だと思う。



 ここはどこだろう?



 妙に全身を覆う倦怠感に顔を顰めつつ、パチュリーは上体を起こした。

 見回せば、見慣れない建物が周りを囲んでいる。
黒々と汚れた金属で造られた建造物。
見る限り、金属以外で造られた建物はない。
他にも、何のためにあるのかよく分からない、銀色の光沢を持つ何かの装置やら、白い煙を吐き出す高い煙突も見える。
すぐ傍の建物の壁には赤いペンキで『見滝原第二工場』とでっかく書かれていた。



 言語は日本語だ。つまり、ここは日本か?




 どうやら、飛ばされたのは外の世界らしい。
異世界とか、太平洋のど真ん中とかじゃなくて良かった。それに取り敢えずの一安心をする。

 ただ、日本のどこかは分からない。
建物の壁に書かれた文字から、おそらくここは『見滝原』という名前の場所なのだろうが、
果たして日本のどこに位置していて、外の世界にもあるという博麗神社からどれ程の距離にある場所なのかが分からないのだ。
物知りなパチュリーは、日本地図を見たこともあったが、それでも細かい場所を覚えている訳ではない。
東京や大阪なら、大体の位置は分かるのだが。





 それよりも、いくつか心配なことがある。

 まず、ここが外の世界なら、間違いなく自分は幻想としての存在の強さが弱まってしまっているはずだ。

 それは深刻な危機だった。

 外の世界が恐ろしいのは、その点である。
幻想を否定した世界である以上、幻想の存在である妖怪は異物。
その存在は霞みの様に弱まり、最悪消滅してしまうかもしれない。割と高い可能性で。

 その上、パチュリーはどうしたら妖怪が外の世界で存在を保てるか知らなかった。
そんなことを書いてあった本は読んだことがない。
ただ、ごく少数、外にも妖怪は存在しているという。
ならば、きっと何らかの方法があるのだろう。
事実、西暦1998年までパチュリーも今で言う外の世界に暮らしていたのだから。

 だからこそ、それはフランドールも一緒なのだ。
彼女とて、パチュリーと同じく幻想郷の住人。この世界では完全なる異物である。



 もう消えてしまった!? いや!! 賢い彼女ならきっと何らかの対策を見つけているはず!!



 強くそう思い込んだ。
そうでなければ、今までやって来たことが全て無駄になってしまう。
そんなのは考えたくもない最悪の可能性だった。






 そしてもう一つ懸念することがある。




 先程から痛む喉。空気が悪いのだろう。
恐らく今パチュリーがいる場所は、産業革命時代から大気を汚染していることで有名な『工場地帯』と呼ばれる場所だ。
つまり、喘息持ちのパチュリーが、最も居てはならない所なのだ。




 いつ発作が起こるか分からない。いつ起こってもおかしくない。





 うっかりしていた、というべきなのだろうか。
喘息の発作を抑える薬を持って来なかった。
もし発作が起これば、もう自力で止める手段がない。
当然、得意の魔法なんかも使える筈もなく、運良く誰かが助けて、病院という施設に運んでくれることを祈るしかない。
科学技術の発達したこの世界ならば、喘息を抑える薬も当然存在しているだろうから。


 ただ、そうでなければ、下手をすると死ぬかもしれない。
今のパチュリーは人間の小娘同然なのだから、重度の発作でも起これば呼吸困難で、
あっと言う間に三途の川を渡る羽目になるに違いない。
これが幻想郷なら、そこは腐っても魔女なのだから、たかが喘息の発作程度では、苦しいだけで死にはしない。


 喉元にいつ爆発するかも分からない爆弾を抱えているようなものだ。





 パチュリーは立ち上がり、被っていた帽子を取って口元に当てる。
マスクの代わりのつもりだが、果たして効果があるのかは知らない。


 とにもかくにも、まずこの場所から離れて、一刻も早く空気の綺麗な場所に移動する必要がある。
でないと、本当に死んでしまう。それでは元も子もない。



 薬を持ってくれば良かった、と後悔するが、もう後の祭り。
できればどこかで薬も調達したい。






 よろよろとパチュリーは歩き出す。

 今パチュリーが立っているのは、工場と工場に挟まれた道だ。
靴底が踏んでいるのは、アスファルトという黒く硬い物質で、人間はこれで道を舗装して、
その上に自動車を走らせるのだ。

 地面とは全く違う感触を踏みしめながら、パチュリーは適当に道の続いている方向へ歩を進める。







 と、パチュリーのすぐ横を、その自動車が走り抜けていった。それに、心臓が冷えた。


 この自動車が吐き出す『排ガス』もまた、大気汚染を進めている。
すなわち、パチュリーの喉を刺激する危険物質という訳だ。

 ここはあまりにも恐ろしい。
魔法の森に彷徨い込んだ人間もこんな気分になるだろう。
ここでは、空気そのものが天敵となるのだから。



 呼吸器官を刺激しないように、それでいて可能な限りの早足でパチュリーは歩く。
戦々恐々としながら歩く。




 時間帯は夕方なのか、歩けば歩くほど、空が暗くなっていった。
それに、ほんの少し安堵する。
何しろ、魔女の様な妖怪は夜の方が元気だからである。
気休め程度でも、夜になれば力が戻ってくるはずだ。
そうなれば、喉の状態も多少は安定する。









 やがて、いつの間にか『工場』は減り、代わって家や田畑が目に付くようになった。
さらに道は、転々とした街頭に案内されるかのように、住宅の密集した中に続いている。
奇妙というか、不自然な場所だ。
住宅密集地と田畑の間には明確な境界線が引かれている。
というより、ある区画に住宅が集中していると言った方がいいか。
この道はその境界を跨いで住宅街へと走り込んでいるのだ。



 周りは住宅密集地まで建物は所々家が建っているだけで、見晴らしが良い。
おかげで景色が広がって、『見滝原』がどういう場所なのか大体分かってきた。


 目の前に林立する摩天楼。遠くにあるのに、高く、そして明るく輝いているせいで、
実際より近くに立っているように思える。
『見滝原』はそれなりに大きな街らしい。






 それは重要な情報だった。悪い意味で、だ。




 大きな街なら当然広いし、従ってフランドールを見つけにくくなる。
自然も遠いから、空気も汚い。




 良くない。非常に良くない。






 もっと準備をしてくれば、多少は変わっていたかもしれない。
だが、とにかくあの魔法陣で飛ぶことばかりを考えていて、飛んだ後どうやってフランドールを探すかについては、
全く失念していた。悔やまれるばかりだ。

 パチュリーが住宅密集地に入るころには、太陽は完全に姿を消していた。
だが、夜だというのに周囲は明るい。
家々から漏れる明りが、街灯が路面を照らす光が、自動車のライトが、街を明るくしているのだ。
人間が、闇というものをどれだけ恐れているのかがよく分かった。




 パチュリーは歩き続けた。
このまま進めば、きっとこの道は街の中心部に到達するだろうが、そっちはあまり行きたくない。
だから、どこかでこの道からそれなければならないが、地の利も無いので下手に道をそれると迷う可能性が大だ。
できれば、木立があるところに行きたい。
緑が近い場所は、空気も比較的綺麗だろうから。


 神社なんかあればいいと思う。
神社の境内というのは、必ずといっていいほど木々に覆われている。御神木というやつだ。
そう言った神聖な木々は一種の結界を形成している。
そういうところなら、幻想の存在たるパチュリーにとっても相性が良い。






 道は大きな川を渡っていた。
住宅地を抜け、市街地に入るその手前に、大きな川が流れているのだ。
微かに湿気を吸った空気が、鼻に心地良い。




 川か。川沿いなら……。





 交通量はそれほど多くないとは言え、自動車の走る道路沿いより余程ましだ。
パチュリーは川を挟む土手の上を進み始めた。
それからすぐに、土手は支流の方へとそれていく。
大きな川に合流する支流を渡る橋は近くに見当たらず、仕方なくパチュリーは支流沿いを遡る。


 支流と本流の合流地点の近くには、支流を塞ぐように大きな水門が横たわっていた。
それは橋の代わりになりそうにはなかった。
いや、そもそも支流を渡る必要なんてない。



 パチュリーは運が良かったようだ。


 目の前には、黒々とした林が待ち構えている。



 そこは川べりの公園のようだ。
林の向こうには芝生に覆われた開けた場所があり、そこそこ広く、空気も綺麗な気がする。
ここなら安心して休めそうだ。疲労も喉の敵である。



 パチュリーはその林の手前で一度立ち止まった。



 そう言えば、と思い出したのだ。月を見ていなかった。








 月は重要だ。あれから何日経ったか知る手掛かりになる。
歩き続けて棒のようになった足を休ませる意味も含めて、歩みを止めたパチュリーは空を見上げ、愕然とした。






 嘘……でしょ……。









 無意識的に、小さく呟いていた。

 全身が凍りつく。目の前の光景が、悪夢であってほしいと、切実に願う。


 身近に月の満ち欠けを酷く気にする友人が二人もいるから、日がな一日中地下の図書館に籠っているパチュリーでも、大体の月の年齢は把握していた。






 記憶によると、あの事故が起きたのは、満月の前だったはずだ。
フランドールがそう言っていた。

 だが、今の月は……もう下弦も過ぎている。



 ということは、あれから少なくともおよそ2週間は経っているということになるのだ。


 外の世界と幻想郷の間に、時間のずれはないはず。だから本当に2週間弱の時間が過ぎている。








 信じられない。信じたくない。







 だって、それはもう……。











 ――――――いや! 落ち着きなさい。落ち着くのよ、パチュリー・ノーレッジ!!







 震え出した心に何とか言い聞かせる。取り乱しては、色々と危険なのだ。
今の我が身は、脆いガラス細工なようなもので、ちょっとの衝撃であっけなく崩れてしまう。
それに、流石にいつまでも取り乱したままでは、流石に魔女としてのプライドが傷つく。



 とにかく考えよう。考えて、考えて、その先に打開策があるはずだ。





 まず不思議なのは、どうして2週間近くも眠っていたかということ。
昏睡状態に陥ったならそれもあり得なくはないが、あの時の事故で、そこまで大きな身体的な
ダメージを受けたようには思えない。
とすると、意図的に誰かが自分を眠らせたままにしたと考えた方が自然だ。




 誰が? というのは、間違いなくレミリアだろう。
では、何故そんなことを?




 これも答えが思い当る。


 思い出してみれば、事故の直後の取り乱し様は、特に酷かった。
妖怪は精神が折れると死んでしまうから、重症化する前にレミリアがパチュリーの意識を奪ったのだろう。
そしてそのままにしておいたのだ。
そうでなければ、目覚めた途端パチュリーはまた取り乱し始めてしまうかもしれないから。

 事実、後先考えずこんな所に飛んで来てしまったのだ。
レミリアの懸念は的中したというよりほかない。





 しかし、およそ2週間経ったところで、パチュリーは覚醒してしまった。
出掛け際の、あの小悪魔の慌てようから、恐らくパチュリーの目覚めも行動も予想外だったに違いない。
レミリアのことだから、フランドールを連れて帰ってくるまでパチュリーを眠らせたままにしておきたかったのだろう。
だから、あの魔法陣もそのままだったのだ。
もしパチュリーが早く目覚めるのを予想していたならば、当然フランドールを探しに行くことも予想できたはず。
ならば、先に魔法陣を破壊していただろう。


 それがどうしてか、パチュリーは予想より早く覚醒し、まあこんな状況に陥っているのだった。







 あれ……? ってことは……。




 その瞬間、パチュリーの顔は真っ赤になった。
もう信じられないくらい全身が熱い。
というか自分の失態が信じられない。



 これって、ひょっとして入れ違いだったり、もうフランが見つかっていたりする……?




 あるいは、既に誰か(恐らく咲夜辺り)がフランドールの迎えに出されているんじゃないだろうか? 
というか、もうとっくの昔に彼女は紅魔館に帰って来ていて、パチュリーが目覚めたのも予想外でも何でもなくて、
単にこの間抜けな魔法使いが早とちりして迷惑かけているだけじゃないのか。




 ア……アホすぎる…………。






 パチュリーは絶句してしまった。


 何たることだろう。
ひょっとして、ひょっとすると、あるいはひょっとしなくても、相当な間抜けをやらかして、
命を危険にまで晒しているんじゃないだろうか? 今の自分は……。







 何が稀代の魔法使いだ。何が動かない大図書館だ。


 これじゃあただの道化じゃないか。存在そのものがジョークみたいな大うつけ者だ。





 パチュリーはその場にガクッと膝をついて、両手で顔を覆った。
周囲には誰もいないが、恥ずかしすぎて穴でも掘って埋まりたい。




 本気で死にたくなった。
合わせる顔がないって、本当にこういう気持ちを言うんだろうなあ……。







 これもまた、生涯初めての経験だった。最近やたら学ぶことが多い。






 とりあえずパチュリーは立ち上がり、ノロノロと木立の中に入っていく。
そして適当な大きさの木を見つけると、その根元に腰を下ろし、膝を立てて三角座りした。




 魔女の威厳だとか、プライドだとか、そんなものはとっくに粉砕されていた。
もうすでに解決しているかもしれない事件を引っ掻き回すとか、どれだけ滑稽なのだろうか? 
あるいはそれすら早とちりかもしれないが、どっちにしろパチュリーの無様は変わらない。

 レミリアは優しいだろうから、きっと責めたりはしないかもしれない。
けど、恥ずかしすぎて一緒に暮らせそうになかった。
髪剃って出家したい。
尼の魔法使いとか新しいかもしれない。
尼法使い。
南無三という声が聞こえた気がした。






「嫌、もう……。本当に、何をやってるのよ、私ったら」


 気が付けば目元が濡れていた。
パチュリーは膝に顔を埋めて、小さく鼻をすする。
涙が止まらない。胸の内は、申し訳なさと羞恥で溢れかえっていた。


 本当に久しぶりに本気で泣いた気がした。
































 それから、気が付いたら辺りは明るくなっていて、どうやら泣いているうちに眠ってしまい、
朝を迎えたようだ。

 どこからともなく人々が起き出してくる音が聞こえて来る。
静かな木立の中に居ても、都会の喧騒というのは耳に入るものらしい。


 パチュリーは立ち上がって、足を引き摺るようにして木立を出る。





 とにかくにも、誰かと接触しなければならない。
レミリアは恐らく、パチュリーが見滝原に来たことを既に察知しているだろうから、いずれは迎えが来るはず。
その迎えと会うために、動くか動かないべきか考えたが、それとは全く別の理由があって動くことに決めた。



 理由は、パチュリー自身が意外に思ったことだ。



 空気に混じる、微かな魔力の香り。
かなり薄まっていて、その発生源はおろか、どこから漂って来ているのかすら分からないほど僅かなものだが、
確かに魔力の気配がするのだ。
それはパチュリーだからこそ感知できた。
生粋の魔女だからこそ分かった。
パチュリー以外なら、八雲紫ですら嗅ぎ取ることはできないだろう。



 それはすなわち、この世界に、この街に、魔力を発する何かがいる証拠。





 それはフランドールだろうか? いや、違う。





 フランドールの魔力とは、例えどんなに薄まっていても、必ずそうと分かるくらいには慣れ親しんでいる。
この嗅ぎ慣れない魔力は、彼女の物ではない。
というか、パチュリーの知っているような、魔法使いや妖怪が発しているものではないかもしれない。





 嫌な、気配がする。


 長閑な朝にはふさわしくない、不穏な何かがこの魔力の香りには含まれていた。
まるで、負の感情だけを抽出して濃縮したような、極端に偏った感情が含まれている。


 パチュリーはしばらく木立の周辺を歩き回っていた。魔力の流れてくる方向を探るために。



 休息を取ったお陰か、喉の調子はいい。無茶をしなければ発作を起こすこともないだろう。









 そうしてしばらく歩き回ったが、やはり薄すぎて分からなかった。
今度はもう少し範囲を広げてみる。
木立の周辺から、本流に合流するあたりまで足を延ばしてみた。


 だが、それでも分からない。
風に撹拌されたかのように匂いが散らばっていて、辺り一面に万遍なく広がっている感じだ。





 このままでは埒が明かない。
この魔力の発生源を突き止めれば、まだ何とかなりそうなのだから、何が何でも見つけ出したい。
だが、気配を探索するだけでは分からないなら、直接足を動かして、散歩でもしながら発生源を探すしかない。


 そう思い立つや否や、パチュリーは昨日と同じく帽子をマスク代わりに歩き始めた。
できれば、あの木立のあった公園を大きく一周するようなルートで歩きたい。
地の利がないため難しいが、太陽と正確ではない体内時計という、恐ろしく頼りにならないものを頼りにしながら歩いていく。







 春なのに太陽はかんかんと照りつけてくる。
帽子を被っていないため、このままでは大変髪が傷むのだが、喉の保全には換えられない。
今更だが、虚弱な体が恨めしい。


 見上げた空は、今のパチュリーの気分とは対照的に、綺麗に晴れ上がっていた。
春の霞は見えるが、気持ちのいい天気だ。それが何だか恨めしい。




 そんなふうにパチュリーはその日一日中歩き回った。
けれど、遂に魔力の発生源を突き止めることは叶わなかった。



 全くの無駄だった。多少、地理に詳しくなったくらいが成果か……。




 結局彼女は元の公園の木立に戻って来て、そこにドカッと腰を下ろした。



「疲れた……」



 掠れた声で呟き、はあっと大きな溜息一つ。


 疲労困憊だった。




 当然だろう。日中ずっと休みなしで歩き続けたのだから。
その上、気のせいかしら、昨日からずっと感じ続けていた倦怠感が酷くなっている。
体を酷使したせいかもしれない。


 これが普通の人間だったりしたら、今頃腹の虫が盛大に演奏会を開いているだろうが、
その虫を捨てたパチュリーの腹は鳴らない。
そもそも、種族魔法使いの活動源は魔力。
何も食べず、一切休息を取らずとも魔力が存在し続ける限り、いつまでも動ける。
それゆえに魔力の運用効率も恐ろしく良い。
例え、空気に混じっているだけの微弱な魔力を回収するだけでも一日中歩き続けることが出来るのだ。



 とはいうものの、食事や睡眠があれば体の調子がさらによくなるのは間違いない。
今までパチュリーは、その必要性を感じない限り、そうしたことは行わなかった。
飯を食ったり、ベッドで眠っている暇があったら、一冊でも多くの本を読むべきだと考えていたのだ。

 しかし、読書ができない今は、食事や睡眠もそれなりに有意義である。
食事は食べ物がないから無理にしても、疲れた体を癒すために、少しでも眠った方がいい。


 丁度、睡魔が襲って来たところだ。パチュリーは適当な木の幹に背を預け、その根元で蹲るように眠った。









 ただ、目を閉じる時、視界に映った自分の手にどこか妙な違和感を見出したけれど、
睡魔には勝てなかった。


















繋ぎの回なんで、特に話は進みません。
パッチェさんが一人で悶絶してただけですw




さて、映画を見てきたのですが・・・・・
見る前は、久しぶりに映画を見に行くなぁ、とか呑気なことを思っていたんですが、


見終わった後・・・・・・





(;;    )              ゚   Д  ゚ 





って感じ・・・・


賛否両論って、確かにそうですね(´・д・`)
つくづく、まどマギはみんなハッピーで終わることはないんだなあと思いましたけどw
まあ、これもそういう結末にするつもりなんですが。。。


未見の方は、是非見たほうがよろしいかと。

絶対に笑ってはいけない映画館

1提督殿久々に乙

「魔法使いは腹が減らない」ってのは某ローグライクダンジョンゲーの魔法使い職くらいしか思い当たらないな

ここまで読むのに5日かかったんだよ!
ゆっくり早く書いていってね!


映画の興行収入がすごいようで……
二回目見に行こうか考え中の1です。

>>67
お笑い番組より笑いそうになったという事実
腹筋轟沈不可避

フィギュアスケート→千手観音→ブレイクダンスのトリプルコンボと、
ドヤ顔で思わせぶりなセリフを吐くさやかちゃんと、
ティロ・ドーラ&鹿、
QB合唱団のところは特にw


>>68
公式設定では寝る必要もないという
なお、縞模様はあります
「パチュリーにしまがないと思っているのはZUNさんだけ(笑)」


>>69
げき乙ですw
五日もかかるのか・・・・
なげーなw







                  *








 目を開けると、木漏れ日が飛び込んできて、網膜を焼き、雄鶏の代わりに意識に朝の到来を告げた。




 外の世界で迎える二回目の朝である。





 眩しさに思わず目を瞬かせ、パチュリーは手で光を遮った。否、遮ろうとした。



















 ――――――――手が、透けていた。





 眠気が銀河の彼方に吹き飛んで、パチュリーは声なき悲鳴を上げた。
実際には、「ひうっ」というよく分からない音が喉から漏れただけ。


 そんなことなど欠片も気にせず、パチュリーは透けている己の手をまじまじと見る。


 両方だ。両方の手が透けて、うっすら向こう側が見えているのだ。




 な、なんで!? 嘘よ……。嘘でしょッ!?




 信じられなかった。どうして? という疑問があっと言う間に頭蓋骨の中に溢れかえった。


 大丈夫だと思っていたのだ。
何せ、昨日からこの魔力の残滓を吸い続けているのだし、そうやって幻想の力の供給を受けている限りは、
消えることなどないだろうとも考えていた。

 魔力が少なかったからなのだろうか? 
いや、それでもこんなに早く消え始めるなんて考えられない。


 心の中は既に恐怖で埋め尽くされていた。
泣きそうになりながら、パチュリーは服を捲り、全身を確認する。
そして、案の定、自分の状態に項垂れるしかなかった。





 やはり、全身が透けていた。


 確実に、消滅は進行している。




 どうしよう……? どうしたらいいの? 嫌だ! 死にたくない。




 湧き上がる感情を押さえられない。
どうしても脳裏に浮かび上がってくる、自分が消えてしまうビジョンが消えない。


 このままではもうレミリアにもフランドールにも会えなくなってしまう。
外の世界で消えた妖怪がどうなるかは知らない。
三途の川の向こうで閻魔の裁きを受けるのだろうか? 
それとも……完全に、魂さえも、消滅してしまうのだろうか?




 何か……何か方法は……?





 何も手を打たなければ消え去るほかない。
何かないのか? 生き残る方法が。


 だが、世の中そんな都合よく……、









――――いや、あった。











「これよ」





 思わず声に出していた。


 そうだ。ここには微かに魔力の臭いがするのだ。
昨日はそれを探して散々歩き回ったじゃないか! 
この魔力の発生源を突き止め、そこに避難すれば何とかなるのではないか。

 希望が湧いてくる。
お陰で心も平静を取り戻し、パチュリーはゆっくりと立ち上がった。



 いつまで自分が持つかは分からないが、とにかく一刻も早く動き出さなければならない。
魔力の発生源は、きっとかなり離れた所にある。
昨日彷徨った範囲より、さらに遠い。






 パチュリーは歩き出す。
消えかけている足は、しかししっかりと柔らかな腐葉土を踏みしめていた。
昨日と同じく帽子をマスク代わりに、そして昨日より早足でパチュリーは進む。





 実は昨日、敢えて探していなかった範囲があるのだ。

 それが、工場地帯。
理由は言わずもがな。
空気が悪いところに、わざわざ自分から足を踏み入れる愚は犯さなかった。
けれど、だからこそ、今はそこに行くべきだと考えたのだ。


 何故か? この微かな魔力には、負の感情だけが濃縮されたように詰まっている。
ということは、この発生源にもそう言った負の感情が詰まっているに違いない。
そして、そのような陰湿な存在は、得てして暗い場所を好むものだ。
それは単に、物理的に明りが少ない、ということだけでなく、そこに暗い感情が集中するという意味。
例えば、大きな事故や火災があった現場や、自殺の名所と呼ばれるような場所だ。

 あの工場地帯がそう呼ばれているかは分からないが、少なくとも、街中よりは人気も少なく
相対的に『暗い』と言えるのではないか? 
そして、昨日はそう言った場所を探さなかったからこそ、魔力の発生源を突きとめられなかったのだ。

 ならば行くべきはそこだ。
一昨日はそんな気配がしなかった。
けれどそれは、パチュリーが気が付かなかったわけじゃなく、この魔力の発生源はその時そこにはいなかった
ということじゃないだろうか。
恐らくだが、その発生源は移動することが出来る。
つまり、一昨日パチュリーがあの工場地帯を去った後に、あの魔力の発生源がやって来たのだろう。








 ――――――そして、パチュリーのその仮説を裏付けるように、一昨日歩いた道を逆方向に辿るにつれて、
徐々にだが魔力の臭いは強まっていった。





 確信した。この先に魔力の発生源がある。


 帽子をマスク代わりにしながら、パチュリーは期待に逸る足が走り出さないように抑え付けていた。
息を切らすのは良くない。ただでさえ、これから刺激の多い所に行くのに。




 それはそうと、朝にしては暑いなと思って空を見上げると、太陽は随分と高いところにいた。
どうやら、かなり遅くまで寝ていたらしい。
これはひょっとして、ひょっとしなくても、時間をロスしてしまっただろうか?



 ジトッとした焦燥が胸を覆い、パチュリーは小走りに近い早足に切り替えた。


 途中、すれ違う人がギョッとしたようにパチュリーを見たり、小さく悲鳴のような声を上げたり、
とにもかくにも今の状態はかなり目立つ。
実際、自分の体はさっきより透けているように見えるし、全身を覆う倦怠感もどんどん酷くなってきている。

 思ったより進行が早い。時間はあまり残されていないようだ。



 そして、そういう時だからこそ、進む道がやたら長く感じられるのだ。


 緩やかにカーブしながら家々の間を走る道。
進めど進めど同じような住宅が立ち並ぶ景色に、パチュリーは苛立ちを募らせていた。
驚いたように目を見開きながらすれ違う、自転車に乗ったおじいさんを見て、あの老人相手なら
自転車を奪うこともできそうだなと考えたが、すぐに自分が自転車に乗れないことに気が付いて、
その考えを却下した。
さらに、即座に自転車を乗りこなせるほど運動神経がいい訳ではない。とろ臭い自分が恨めしい。


 そして、やっと住宅街を抜けたと思ったら、今度は田園地帯。
見晴らしがいいので、黒々とした工場群が良く見える。







 遠いわね。




 もう完全に小走りになったパチュリー。
徐々に強まる魔力のお蔭である程度無理をしても大丈夫なはずだ。


 ここまで来ると、魔力ははっきりと感じられるようになっていた。

 生粋の魔法使いだけあって、魔力に全身が反応している。
表皮を伝う汗や、動いているせいだけではなく、鼓動を強める心臓。
逸る気持ちを追い風に、パチュリーは走るスピードを上げる。



 傍から見れば不気味極まりないだろう。
体が透けた少女が、必死の形相で走っているのだから。





 もはや、体は七割方透明になっていた。
手をかざしてみれば、完全に向こうが透けて見える。
そして、それに比例して倦怠感は全身に鉛を仕込んだかのような悪辣な感覚に変化していった。
走らなければいけないのに、足が異様に重い。






 それでもパチュリーは力を振り絞る。


 今ここは、生きるか死ぬかの瀬戸際なのだ。
足を止めてしまえば、パチュリーは無残に消滅する。








 まるでメロスになったかのような気分だ。


 あの話とはだいぶ状況が違うが、必死に走って目的地に到達しなければならないのも、
それに厳しいタイムリミットが存在しているのも同じだ。
メロスは代わりになった友を救うために、そして自身が処刑されるために道をひた走った。
パチュリーは逆に、友と再び会うために、そして死なぬために、道をひた走る。



 太陽は南中を過ぎ、春にも拘らず強い日差しを地上に撒き散らしていた。
強めの日差しは、日陰で生きてきた少女の気力を削ぎ、まるで死へと誘う地獄からの魔手のよう。
太陽が天敵なのは、実は吸血鬼だけじゃないのかもしれない。


 魔女に火事場の馬鹿力なんてあるのかどうか知らないが、もしあるとしたら、
パチュリーは今まさにそれを発揮しているに違いない。
無我夢中で、必死で、もがくように走る。


 走る。




 走る……。





 走る…………。













 気が付けば、いつの間にやら工場地帯だ。
遠くに見えていた金属の建物の群衆が、今は目の前にそびえている。

 この工場地帯はそこそこ広いようだが、ここまで来れば、魔力の発生源の細かな場所もはっきりと特定できる。
ただ問題は、その間に大きな建物が横たわっていて、それを迂回しなければならないことだった。


 パチュリーは工場を迂回するために走り出す。
だが、建物の他にも敷地を区切る塀のせいでうまく回り込めない。
いっそのこと、猫のようにその上を……、と思ったけれど、生憎有刺鉄線がそれを阻んでいた。




 くっ! どうなっているのよ!!






 一昨日現れた道を辿りながら、パチュリーは思考を巡らす。
魔力の発生源は、道に隣接する工場の建物の向こう側にある。
この工場を回り込まなければならないが、長く続く塀がそれを妨げていた。
急いでその塀伝いに道を進む。


 そして、やっと見つけた門。
門番が居て、年配の彼はパチュリーを見るなり硬直してしまった。

 都合がいい。その間に開きっぱなしの門から敷地の中に侵入する。




「あ!!」




 彼が後ろで声を上げたが、パチュリーは気にせず駆け去って行った。


 むしろ、そんなことよりちくちくと痛む喉や、乱れまくる呼吸の方が気になる。
今、パチュリーの呼吸器は臨界状態なのだ。もう、発作が起こってもおかしくない。








 お願い! もって!!






 神に祈るように。パチュリーは走り続けた。



 建物を回り込む。
アスファルトで舗装された道は工場内にも続いていて、建物を囲むようになっている。










 ――――――――――――――――あった!!






 それが何かは分からない。何かの入口のようだ。

 目の前の空間が歪んでいて、どうやら異界に繋がっているようだ。
その入り口には、何やら禍々しい気配を醸し出す模様が渦巻いている。



 もうちょっと……。もうちょっとだ。もうちょっとで、助かる!!






 そう思った時――――、




















「ゲフォッ!!」








 突然パチュリーの喉が爆発したような音がした。



 咳だ。ついに、咳が出てしまった。




 う、そ……。





 一度出れば、もう止まらない。恐れていた、最悪の事態が訪れた。


 激しい咳。あまりに激しいので呼吸ができない。苦しい。立っていられない。





 パチュリーはその場に蹲った。
カタンと甲高い音を立てて、帽子に付いていた三日月の飾りがアスファルトに落下する。


 発作。それも、重度の発作。



「が……ゲホッ、ゲホッ」



 体を丸め、喉を押さえながらパチュリーは咳を続けた。






 お願い、あと、少しなの……。







 激しい咳を繰り返しながら、何とか顔を起こして前を見る。


 入口はそこにあった。手を伸ばせば届きそうなところに。








 ――――手は、もうほとんど消えかけていた。



 半透明どころじゃない。霞のようになっている。
既に関節や爪の判別も不可能になっていて、最早何か手の形をした影のようなものになってしまっていたのだ。




 動けない以上、もうどうしようもない。

 それで悟ってしまった。ここが自分の終わりであるということを。





 やや傾いた太陽の光は工場の建物に遮られて、一足早く夕暮れの気配を感じさせているその場所で、
魔女は止まらない咳に体を丸めながら、それでも顔を上げて目の前の異界への入口を見上げている。
しかし無情に、足が動かなければその間にある距離は絶対の隔たりとなって、永遠に魔女はそこにたどり着けない。
それが分かった彼女には、最早その入り口すら意味のないものになってしまっていて、必死でそれを見上げていたその目も、
今はもう何も見つめてはいなかった。




 もう自分は死ぬのか。真っ黒な恐怖が全身を覆い尽くし、パチュリーの視界が薄れていく。


 こんなところで、こんな惨めに、死んでしまうのか……。









 会いたかった。最後に一目だけでも、会いたかった。

















 でもそれは叶わなかった……。














 悔しくて、悲しくて、恐ろしくて、目の前がふにゃりと歪む。
ほとんど消えかかっても、パチュリーは自分が泣いているんだと分かった。









 もう二度と会えない。





あの、魔法を見てキラキラ輝くフランドールの目も、


誇り高く気高いレミリアの背中も、


頼りないけれど癒してくれる小悪魔のドジな様子も、


完全で瀟洒でそれでいてどこか抜けている咲夜も、


いっつも門を突破されているくせにやたら頼もしい美鈴の笑顔も、


数日置きに泥棒に来る魔理沙の得意げな姿も、


たまにお茶をするアリスの繊細な手も、



その全てがもう見ることは叶わない。















 走馬灯というのだろうか?



 次から次へと今までの思い出が蘇ってきて、パチュリーの涙は止まらなかった。


 泣いて、泣いて……、その涙は滴となって顎から落ちて、虚空に消えていく。






 どこからともなく吹いて来た風が、ほとんど見えなくなっていたパチュリーの髪を、
無様な魔女をからかうように揺らし、過ぎ去っていった。







 嫌だ……! だれか! レミィ、フラン…………。











 声なき声を上げ、パチュリーは呼ぶ。





















 たす、けて………………。







 されど空気の分子は少しも震えない。




































パッチェさん轟沈!!


乙!
今日も書くのかな?書かないのかな?
どっちにしても、ゆっくり早く書いていってね!
期待しているよ!

ゆっくり乙いってね!
パチュリー!ゆっくりたすけていってね!
ゆっゆっ・・・ゆっくっ
ゆっくり早く書いていってね!



アカン‥
その街付近で「助けて」は死亡フラグ‥!
場合によっては助かったほうがアウト‥!

QBがアップを始めたようです

しかし100歳の魔女は第二次性徴期の少女と言えrアッハイパッチェさんは少女です

東方の登場人物は全員ひっくるめて「少女」だ、いいね?
雲山?香霖?妖忌?いたね、そんなの

>>92
玄爺「ワシもいるぞい」


ひょんな事で劇場版のネタバレを知ってしまった
見に行きたくなるじゃないかぁ
総集編や告知で割りと堂々とネタバレやってたんだね公式……




>>87
執筆速度が上がらないと投下のペースも上がらないんですね
今現在、一回の投下分を書き溜めたら、一回投下するというルールでやっていますので。
それだと常にストックは一定に保たれるし、書き溜めは遂行していかないといけないので……

>>88
も、もちつけ!!

>>89
魔窟見滝原の本領発揮!
どの選択肢を選んでも地獄域とか、救いようがないですね!!

>>90
くんなw

>>91
というか、100歳のパッチェさんはかなり若い方……
もっとロリロリしい見た目で、千年以上前からご存命の方もいらっしゃいますし
ほら、角の生えてる……

>>92
里の住人とかにはちゃんと男もいるらしい
釣り師のおじいさんとか

>>93
せめて人の形をしてきてくれませんかねぇ

>>94
早く! ゴスロリシーツほむに萌え死ぬ作業に入るんだ!
さあ、早く!!

しかしながら、巧いプロモーションですねぇ
内容知ってる人にはネタバレだってわかるけど、知らない人にはちゃんと見に行きたくなるように作ってある
あえて核心に触れるようなネタばらしを断片的に出すようにしてね




では投下します。
以下は、とあるお方の一人称で進みます。











                        *














「レミリア!!」




 悲鳴のような紫の声が聞こえて来た時、私は嫌な予感がどうしようもなく現実になってしまったことを悟った。
けれど、私はそれを素直に認められるほど大人ではなくて、そんなはずはない、そんなことは有り得ない、
と必死で自分の中で否定の言葉を繰り返した。


 紫のスキマから出てみれば、そこは工場の敷地の中だった。

 日も沈みかけた黄昏時、建物の陰で周囲より一段と暗くなっていたアスファルトの上に、見覚えのある
布切れが横たわっていた。
































 ――――布切れだけが。






 紫の縞模様が入ったそれは、親友のお気に入りの服だ。
リボンで飾られたそれは、親友がいつも被っていた帽子だ。
その横に落ちている三日月のそれは、親友が好んで帽子に付けていたお洒落な飾りだ。


 でも、親友の――パチュリー・ノーレッジの姿はどこにもなかった。
まるで、体だけが消えてしまったかのように。








「う……そ……」



 私はふらふらと布切れに近づき、そこに膝を突いた。
そっと触れた布切れには、もう温かみが残っていなかった。
でも、微かに彼女の匂いは嗅ぎ取れた。










「パチェ……? パチェ……?」



 見回しても、彼女の姿はない。暗い工場に、暗い紫。
あの気だるげな、それでいて可憐な顔が見当たらない。



 どこに行ってしまったの、パチェ? かくれんぼしていないで出ておいで。






「レミリア……」



 そっと肩に触れた少しの質量と、ほんのりとした温かみが、私を現実に戻した。
ハッと見下ろすと、紫が私の肩に、少女のように繊細で白い手を置いていて、それが一瞬、魔女の手に思えてしまった。

 でもそれは違う。これは紫の手で、パチェの手じゃない。



 紫は優しく私の体を抱き寄せてくれたけれど、震えは止まらなかった。







 もう、居ないのだ。

 私の唯一無二の親友は、世界でただ一人、あだ名で呼び合う彼女は、永遠にこの世から失われてしまったのだ。



 肩に回された手に力が入り、私はぎゅっと紫の柔らかい体に押し付けられる。
この震えを押さえ込もうとしているかのように。

 けれど違うのだ。
紫は誤解している。
この震えは、感情が昂ぶったから出て来たものじゃない。その逆だ。

 私は全身に力を込めている。
だから体が震えている。
泣かないように、声を上げないように。
そうして力を入れておかないと、すぐにでも大泣きしそうなのだ。



 どうして私に流涙する権利があるのだろう? どうして私に慟哭する権利があるのだろう?



 私にはそんなものはないのだ。
だから、泣いてはいけない、叫んではいけないと、自分に言い聞かせている。

 紫もそれにすぐに気が付いたのだろう。
「泣いて叫んでもいいのよ。無理をしないで」と、小さく囁きかけてくれた。

 その言葉に、思わず泣きそうになる。
必死で堪えないと、一瞬で目元のダムが決壊しそうだった。



 私は頑なに首を振る。
傍から見れば、我儘な幼子のような動作だったかもしれない。
そういう自覚があって、尚私は子供のように優しさを拒絶した。





「パチェは……」




 紫に話しかけた。





「発作を起こしたから、こうなってしまったの?」






 ゆっくりと見上げると、紫も見下ろしていた。
その顔は影になってよく見えないけれど、想像するまでもなく、どういう表情なのかは手に取るように分かる。
だから、私は問いかけたのだから。




「恐らく……そうでしょうね。ここは空気が悪すぎる。
むしろ、これほど近づけたことの方が、奇跡と言っても過言ではないでしょう」







 何に、近づけたのか?

 その答えは、私と紫の目の前に存在していた。




 薄暗い中でもはっきりと分かる『影』の紋様。禍々しい気配を放つ、異空間への扉。





 魔女の結界。その入り口。







 パチェは、間違いなくそれを目指していた。
そして、後一歩のところで発作を起こし、力尽きた。




「貴女の親友は、とても強い女性だったわ。きっと、最後まで諦めなかったのね」



 気休めの称賛。

 私もそう思う。



 パチェは、諦めなかった。生きることを諦めなかった。
だからこそ、ここまでたどり着けたのだ。


 ――――でも、現実は残酷だった。

 もし、彼女があの入口まで到達で来ていたなら、この悲劇は起こらなかっただろう。
結界の中に居れば、パチェがあんなモノに負ける道理はない。
けれど、そうはならなかった。



 そして、彼女のどうしようもなく過酷な運命を強いたのは、他ならぬ私自身なのだ。
事もあろうに、彼女の親友を自称する、この私が……。








 史上類を見ないほどの、友情への裏切り。悪逆非道の極み。


 否、ある意味、悪魔としての本分を発揮したのかもしれない。最悪の形だけれども。



「レミリア。あまり自分を責めないで」
 紫は語りかける。


「確かにこうなってしまったのは私たちの不手際のせい。
でも、不幸な偶然もあるわ。
彼女が思ったより早く目覚めてしまったこと。
魔女の結界がこんな場所に存在していたこと。
それを探すのに時間が掛かり過ぎてしまったこと」

 だからね、

「貴女には泣き叫ぶ権利があるの。
泣いていいの。叫んでいいの。
友人を失うのはとてもとても辛いこと。
私だって、幽々子の時はそうだったんだから。
……だから、それを押さえ込まないで。
そういうものを無理矢理抑え込んでしまうと、後々良くないから。
貴女は彼女をとても大切に想っていたのだから、その気持ちは本物なのだから、泣いていいのよ」



 そういう紫の声は、ほんの少しだけ、湿っていた。






 本当に、私は友人に恵まれているのだと思う。パチェも、紫も、いい奴だ。


 そして、その言葉を聞くまでもなく、そんなことを言われるまでもなく、

















 ――――既に私は涙を流していた。







 とうとうと涙は頬を伝い、顎先から膝上の手の甲に落ちて小さく跳ねる。
そのくすぐったいような感覚に、ゆっくりと視線を下ろすと、私の両手はパチェの服を力強く握っていて、
こんなふうに服を掴んでいたら生地が痛むと咲夜に怒られるな、なんてどうでもいいことを考えた。










「……ごめん、なさい」



 紫色の服に、さらに皺が寄る。











「ごめんなさい……」



 顎先が震えて、滴が二,三、一気に落下していった。













「パチェ……ごめんなさい」




 私はそうやってしばらく泣きながら、震えていた。
紫はその間ずっと、母のように私を抱き締めていてくれた。

 宵の帳が、夜が降りてくる中で、私たちは一つの陰になっていた。

 声は出さない。意識して嗚咽を上げないようにしていた。
それが何だか意地を張っている子供のような気もしたけれど、私というのはどうしても意地を張らないと生きていけない生き物だ。
プライドの残りカスのような、何とも言えないものを守るために、私は口元を必死で引き締めていた。声だけはあげまいと。


 でも、いつまでも泣いていられない。私は懐からハンカチを取り出し、涙を拭き取った。綺麗に。一滴残らず。




 それから、私は立ち上がって、手を離した紫にパチェの服を押し付けた。
彼女はそれをしっかり受け取ってくれたけれど、私が何をしようとしているのか分からず、
少し戸惑ったような表情を浮かべたように思う(何せ、暗闇で見えない)。


 そうやって一度落ち着くと、周囲の状況もよく分かるようになってきた。


 闇に包まれた工場の敷地内。それだけではない。




 工場と工場の間を走る道を通り抜けるトラックの音や、まだ稼働している工場からの機械の作業音。
耳を澄ませば人工の音が聞こえる。

 そして、鼻を刺激する、嗅いだことのない異臭。
よく分からない化学式で表わされるような、これまたよく分からない化学物質の臭いだ。
これのせいで、パチェは喘息の発作を起こした。



 目の前には、科学とは縁遠いようでいて、その実凄まじく緊密な関係にある魔女の結界の入口。
パチェが倒れていたこの場所と、目算で大凡10メートル弱。





 たったそれだけだ。たったそれだけの距離が、パチェの生死の針の振れる方を決定した。










 もう少し空気が綺麗だったならば? 後少し結界が近ければ?










 ――パチェは生きていた。生きて、私と再び会えた。















 彼女をここに追いやったのは私。彼女に残酷な仕打ちをしたのも私。
でも、そんなことを望んでいた訳じゃなかった。
償いもするつもりだった。全ては、私たちのためなのだから。

 八つ当たりなのは分かっている。酷く幼稚だというのも自覚している。

 けれど、感情が止まらない。私はそれを留める術を知らない。



 私は思うのだ。
人間が空気をもう少し綺麗にしていれば。
魔女がもう少し位置をずらして存在していれば。





 いや、そもそも。







 人間が幻想を否定しなければこんなことにはならなかったのではないだろうか?








 だったら、パチェがこんなところで消えるようなこともなかった。
私がこんなくだらない『お仕事』をする必要もなかった。
それ以前に、紅魔館が幻想郷に移転することもなかった。


 私たちが元々住んでいたこの世界は、今ではすっかり人間の所有物になってしまっていて、
たまに気まぐれで戻って来ればこの様だ。
人間たちは捕食者たる私たちを排除し、自分たちだけの王国を築き上げた。
その過程で、私たちは理想郷という掃き溜めに追いやられ、かつての畏怖も恐怖も忘れられた哀れな不用品と化してしまったのだ。



 それだけならまだ我慢できた。
でも、この世界の異変が、楽園で細々と暮らしている私たちの生活を脅かすのは許せない。
その上、奴らは私から親友すらも奪って行ったのだ。




 私はどれだけの物を奪われればいいのだろう!





 故郷を奪われ、安寧を奪われ、親友も奪われ、では次はなんだ?






 そう思うと、心の奥底から抑えようのない怒りが湧いてくる。
これはもう、二度と思い出したくない、二度と思い出すようなことがあってはならない、そう思っていた怒りだ。
この五百余年の生涯の中で、かつてこれほどの怒りを感じたのは、一度きり。
最大の汚点であり、今の私の原点でもある。






 実は、私の中には自分自身から少し離れて、冷めた視点で見る私が居て、
その冷めた私は冷めた言葉で冷めた理屈を投げかけて来るのだが、それはこの地獄の業火のように燃え上がった怒りには、
全く焼け石に水だった。
そりゃそうだ。理屈とか論理で解決出来ないものなのだから。



 先程から頑なに閉じていた口に、さらに引き締まる。
吸血鬼の歯は鋼鉄のように頑丈だが、それでも粉々に砕けそうなほど顎に力が入っていた。
閉口の意味が変わっている。
悲嘆の声を上げまいとしていたものが、憤怒を食い縛るためのものに。



 これが私の愚かさが招いた事態だとしても、紫の言うように『不幸な偶然』とやらも存在するはず。
そしてその『不幸な偶然』というのが、私には許せない。
その偶然を作り出した張本人は、他でもない人間たちなのだから。










 私は歩き出した。




「レミリア?」と、背後で紫が名を呼ぶが、私は黙ったままずんずんと進んでゆく。



 パチェの代わりのように。パチェができなかったことをするように。









 パチェが死んだ今、そんなことに何の意味もない。
けれど、私は目の前の結界の中に、躊躇無く踏み込んでいった。



 中は白黒だった。

 あの泥棒ネズミのことではない。
もっとも、彼女がここに居れば、長いブロンドも白黒になっていて、『金髪の子』と呼べなくなっていまっただろうが。




 ここには白と黒という色以外が存在しないのだろうか?




 いや、赤もあるようだ。


 結界に入った私の目の前には、赤いシンボルが建っている。
これが「何であるか?」と表現するのは難しいが、敢えて言うなら【太陽】だろうか? 
こんなモノクロの空間の中で、それは大変皮肉が効いていてよろしい。
どうやらこの魔女は、読書家の方の魔女と違って、多少はジョークのセンスを持ち合わせているようだ。









 この結界の主は、そのシンボルの前に居た。
こちらに背を向け、シンボルに向かって祈り続けている少女のような姿。
そのシルエットは足元と一体化していて、実際にそうなのか、単にそう見えるだけかは分からない。






 ここは非常に大きな空間のようだ。

 私が立っているこの場所自体、この空間の中に位置する巨大な像の腕の上なのだから。


 その像は、自由の女神に似ている。
ただ彼女と違って、こちらの像は右腕を真っ直ぐ前に伸ばし、手には松明ではなく太陽のシンボルを握っている。

 空間を覆うのは巨大なステンドグラス。
まるで万華鏡を覗いた時に見えるような幾何学模様が描かれていて、あまりの大きさに遠近感が狂いそうだ。



 この不可思議且つ不気味極まりない空間が魔女の結界。
こうした場所に入るのは二度目だ。
魔女ごとに結界も違うらしく、一度目のそれとはまったく様相が異なっていた。


 私の存在に気が付いていても、魔女は動かない。
狂ったように、あるいはそこに根を張ったように、魔女はその場にとどまって、一心不乱にシンボルに向かって祈り続けている。


 結界に踏み入るのは二度目でも、魔女を目の当たりにするのは三度目だ。
初めて見た魔女より小さく、感じる魔力も少ない。
巴マミを食い散らかした魔女のように狡猾さは感じられない。






 敵ではない。取るに足らない。




 そんな程度の存在だ。
強大な吸血鬼からすれば、ただそこに居るだけで憐憫を覚えてしまうくらい弱小な妖怪。
それはパチェから見ても同様だっただろう。
実物を見てから分かったが、やはりこれを前にしてもパチェが負ける要素は何一つない。



 にも拘らずだ。パチェは、こいつを求めて、求めて、たどり着くことが出来ずに死んでしまった。




 何でこんなもののために。何でこんな弱いモノのために。




 そういう疑問は、怒りに油を注ぐだけで、私はゆっくりと右手に妖力を集中させていった。
この怒りの捌け口として、だ。


 その不穏な気配を感じ取ったのだろうか? 
魔女の傍から何匹もの、影で出来た蛇の様な何かが飛び出してきた。
その口には鋭い歯が並び、うねうねと気持ち悪い動きを見せた後、私に……私の心臓に狙いを定め、
一直線に突進してきたのだ。



























 ――――――――が、その時には全てが終わっていた。








「舐めるなぁ! 雑魚がッ!!」








 咆哮が轟いた。



 それまで閉じられていた口は、これでもかと云わんばかりに開け放たれ、
喉の奥から怒号が空間に衝撃波のように拡散する。
私の声は、叫びは、結界内に響き渡り、空気をびりびりと震わせた。


 我が右手には、ありったけの妖力が込められた真紅の神槍。
ドロドロとした、血のような濃い紅色の力が渦巻き、存在するだけでその周囲の空間を歪めるような、
強大な兵器。


 私の身長より長い柄に、先には不釣り合いなほど大きな、とにかく攻撃に特化した穂が付いている。
私のイメージによって形作られるのだ。
私の、私による、私のための槍。








 槍は私の手を離れた。








 槍は使い魔もろとも魔女を撃ち抜いた。








 槍はその先のシンボルすら木端微塵に砕いた。








 北欧神話の主神の愛武器の名に違わぬ次元違いの破壊力。
魔女は一瞬で消滅し、結界の内部の空間は轟音を立てて崩壊した。
それに伴って発生したカミソリのような衝撃波が私の髪を揺らし、紅蓮の炎が私の視界一杯に燃え広がる。


 像の右腕の先が完全に消滅し、結界は崩壊を始めていた。
ステンドグラスも、像も、何もかもがぼろぼろと零れ落ちるように崩れる中、私は無言でその場に突っ立っていた。




 こんなものか。




 あまりにもあっけなさ過ぎて、どんな反応をしていいか分からないのだ。
そして、どうしようもなく空しいのだ。

 パチェがあれだけ求めていたものが、こんなに容易く消えてしまう。
それに、世の儚さというか、空しさと言うものが感じられて、私はしばし呆然とした。







 消えてしまった。


 こんな弱小な存在でも、確かにパチェが追いかけていたもので、彼女が生きていた証拠でもある。
そして、その死の際に最も近くに居た存在。




 だからこそ、私はありったけの力でこれを打倒したのだ。

 この程度の存在が、あの高貴な魔女の最期の証拠だなんて、そんなの耐えられないから。





「終わったの?」






 声を掛けられて、元の場所に戻ったんだと気が付いた。

 そこは先程と同じ工場の敷地の中で、後ろには紫が立っている筈だ。
それ以外は、特に目を向けるような物はない。
魔女は死ぬとグリーフシードと言う物を残すそうだが、見当たらなかった。
どうやら槍の威力が強すぎてグリーフシードも破壊してしまったらしい。
魔法少女でもない私には、どうでもいいことだった。




「ああ。あっけなかったわね……」


「あれだけ豪快にやればねえ」


「見ていたの?」


「気配だけで分ったわ」


「そう」






 私は紫に背を向けたまま、紫は私の背に目を向けたまま、会話した。
私は呆然と虚空を見つめているだけ。
今しばらくは、こうしていたかった。

 それは紫も分かったのだろう。彼女は無言のまま、私と同じく突っ立っているようだった。
あるいは、私みたいにただぼうっとしているのではなく、何か考えているのかもしれない。
紫はそういう奴だ。




 それにしても、こうして二人して案山子のように立ち尽くしているのは、
傍から見れば随分と滑稽な光景かもしれない。まあ、誰もいないのだけれど。



 視界の端に、夜空を引っ掻いた傷痕のような形をした月が浮かんでいる。
あの夜――パチェが突然覚醒して、見滝原に飛んだ夜より、幾分か細くなった月だ。







 その知らせを受けた時、私は美樹さやかの動向を観察していた途中で、紫の式の藍から
パチェが結界を突き抜けたという報告を受けた。
紫と私が完全にコントロールしていたフランの場合と違い、今回は不測の事態。
見滝原という都会の、一体どこに彼女が行ってしまったのか、全く手がかりはなかった。


 慌てて紅魔館に戻ってみると、美鈴が泣きじゃくる小悪魔を慰めていた。
門番は、異常事態に慌てて館内に戻って来たらしい。





 小悪魔から話を聞くと、パチェが自室に居ないのに気が付いた彼女が急いで図書館に行くと、
既に彼女は魔法を発動させていて、止める暇もなかったのだという。
哀れな使い魔は必死で私に謝罪をしたが、私は聞いていなかった。





 何で? どうして? そんな疑問が頭を巡っていたからだ。






 パチェはフランの『事故』の後、錯乱状態に陥ったので眠らせた。
これは予想していた事態で、彼女には少々酷だが、しばらくそのままになっていてもらうつもりだった。
具体的には、この『お仕事』が終わるまで。


 パチェを眠らせるのは、その後は美鈴に任せた。
気を操る能力を持つ優秀な門番なら、造作もないことのはず。
事実、彼女はちゃんと言われたとおりに眠らせているつもりだった。
けれど、どうしてかパチェは目が覚めてしまった。
美鈴曰く、パチェの強大な魔力が自分の能力に対抗した結果かもしれないと。





 とにもかくにも運が悪かった。
普段は館の管理をさせている妖精メイドに全て暇を出してるのもまた不運だった。
彼女たちが居れば、誰かがもっと早くパチェが起きたことに気が付いただろう。
そうすれば、この事態は防げた。
すでに咲夜がフランを探しに行ったと言えば良かっただけなのだから。

 しかし、当時館内には小悪魔しかおらず、美鈴は門に、私は紫のスキマの中から見滝原の観察をしていた。
だから、気付くのが遅れた。



 徹底した秘匿作戦が裏目に出た形だ。
余計な混乱を起こさないように、そう考えたことがさらなる混乱の遠因となったのだった。








 最初のショックから立ち直った私にはそこから考えなければならないこと、しなければならないことが多かった。
まず美鈴に、確実にこの異常に気が付いたであろう天狗連中、特に射命丸文に対する言い訳――もとい建前を伝えた。
少々苦しいかもしれないが、体裁を整えておくことは欠かせない。

 それから私はやって来た紫と共にパチェの使用した魔法陣を調べ、その行先を突きとめようとしたのだが、
残念なことに魔法陣が既に壊れていたのだ。
恐らく、パチェはこの魔法陣の維持に使われている魔力すらも転送魔法のために使ったのだろう。
寝起きでよくやるものだ。
ただ、これをちゃんと消しておかなかったのも私のミス。後回しにしたツケがこれだ。


 見滝原に監視は藍に任せて、紫と私は結界を調べた。しかし、そこにも手がかりはない。

 結局、私たちは手探りで広い見滝原の中からパチェを探さなければならなかった。
紫が言うには、外の世界で妖怪が、自らの存在を維持するための条件を満たさずに生き続けられる猶予は数日。
それは元の妖怪の強さによって変わり、弱い妖怪なら一日足らずで、吸血鬼や天狗クラスの妖怪なら四,五日はもつ。
パチェならほぼ二日と言っていた。




 時間は短かった。

 私たちは即座に捜索を始めたが、いかんせん手さぐりで効率が悪い。
しかもパチェが飛んだ直後、咲夜が美樹さやかのソウルジェムを紛失するという事件まで起こり、
途中紫が抜け出さなければならなかった。



 紫のスキマがなければ、こちらの機動力は大幅に落ちる。
彼女の能力で私の飛行能力と視力は元の通りに維持されたが、空から探すにも限度があった。






 紫はさやかのジェムの処理を藍に任せ、すぐに戻って来てくれた。

 私たちは見滝原に存在する魔女や使い魔を中心に、その周囲にパチェが居ないか探した。
しかしここは、魔窟と呼べるほど魔女や使い魔の多い場所。
その存在を探し出すだけでも骨が折れた。
さらに不幸だったのは、パチェが魔女や使い魔の近くに居なかったこと。


 紫曰く、見滝原にはあまりにも魔女や使い魔が多すぎて、街全体にそいつらの撒き散らす魔力が、
微量に充満しているのだそうだ。
パチェならそれに気が付くという。
それを当てにしていたのだが……。


 先程倒した「影の魔女」も既に一度調べていた。
この魔女はその時からこの工場地帯に居たのだが、しかし近くにパチェはおらず、
パチェが魔女か使い魔のどれかの近くに居ることを祈りながら探し回っていたのだが、
遂に紫が見つけたのはパチェの消えた跡だけ。






 この二日は、本当にあっという間だった。


 そしてこんな結果になってしまって、後悔してもしきれない。
自分をぶん殴りたくて仕方がない。

 しかし、私たちはパチェの死をいつまでも嘆き悲しんでいることはできないのだ。


 事態は刻一刻と動き続けている。
今日だって、美樹さやかと佐倉杏子が巴マミを救うために結託したそうだ。




 舞台裏でトラブルがあっても、舞台上の役者は演技を続けている。
そして私たちはその舞台を監督している以上、これを続け、劇を終幕まで導かなければならない。
私たちの望む結末へ至るように。












「……紫」



 私は月を見上げながら彼女の名を呼んだ。
後ろで彼女が微かに身じろぎする気配がして、「何かしら?」と問い返してきた。





「必ず、やり遂げよう」





 私は宣言した。それがせめて、彼女への手向けになればいいと思う。








「……ええ。もちろん」










 音もなく、それが開く。








 スキマ。



 無数の目。



 空間に現れたぱっくりとした入口。



 端を結ぶ赤いリボン。








 紫はその中に消え、振り向いた私も後に続いた。


 なさなければならないことがある。
これから状況は大きく動くだろう。
そろそろ咲夜にも事情を教えてやらないといけない。
巴マミの今後についてはどうするか決めていない。
フランもいつ咲夜と合流するのか、あるいはさせるのか、そのタイミングを慎重に測らないといけない。


 全ての運命は、私の手の中にあるのだから。





















ここまで!


エルザ・マリアが出てこなかったのはこういう訳でした。
さやかちゃんが戦ってたのは、おぜうが撃ち漏らしたエルザの使い魔だったという裏設定。
行間は終わりで、次から本筋に戻ります


ただ、勘のいい人なら大体のことが分かっちゃったかもしれません。
でも、分かっても言わないようにw



なお、リアルの事情で今月中に投下は出来ないっぽい? のでご了承ください。
そういや、もうすぐ一周年ですねww


週明け()とか言ったのに、もう週の後半と言う……

遅れてすみません。










第三章Ⅲ
















                 *





 二日前の夜のことだ。


 ガラス張りのバス停の中でフランと一緒に雨宿りをしていると、まどかの母、鹿目詢子が車で迎えに来てくれた。
二人は鹿目家のマイカーに乗り込み、まどかの家に帰ったのだった。

 詢子もそして父・知久も、フランのことをかなり疑問に思っていて、まどかは必死で言い訳をしなければならなかった。
大人からすれば、いきなり小さな女子が付いて来たのだから、そりゃあびっくりするだろう。
しかも、背中から生えるあの「羽根」も気になるところだったに違いない。
けれど、結局両親は二人ともまどかのことを信じてくれて、詳しいことを突っ込まずにいてくれた。
「いいご両親ね」と、何故だかフランが寂しそうに言っていたのを覚えている。


 そんなフランだったが、すぐに落ち着いた感じを崩すことになった。


 訳は、弟のタツヤの攻撃。三歳児にとって、見慣れない、それも奇妙な「羽根」をぶら下げているフランは、
有り余っている無邪気な好奇心の絶好の対象だったのだ。
「ふらん、ふらん」と舌足らずな声を上げながら襲って来た小さな脅威に、さしもの吸血鬼もしどろもどろになり、
あっと言う間におもちゃにされてしまった。

 服を涎でべとべとにされた挙句、「羽根」を引っ張られて「痛い! 痛い!」と悲鳴を上げる羽目になったフラン。
まどかが止めに入った後、可哀想に涙ぐんでいた。
それ以後、彼女はタツヤに近づこうとしなかった。
もう、見るからに三歳児を恐れ、怯えていたのである。


 この吸血鬼相手にここまでやらかしてしまった弟(3)に、空恐ろしいものを感じたまどかだった。



 とは言え、このトラブルのお蔭で、フランは鹿目家に無事受け入れられたのだ。
まあ、三歳児にいいようにやられる幼女が有害だとは誰も思わないのだろう。

 その日のディナーのメインディッシュはハンバーグで、「おいしい、おいしい」とフランは感激していた。
数日ぶりにまともな食事にありつけたらしく、その喜びようはたいそうなもので、料理した知久も思わず顔を綻ばせていたのだった。


 鹿目家に来て以来、フランの両親からの好感度は鰻登り。
何しろ、挨拶もちゃんとするし、行儀もいいし、テーブルマナーもしっかりと身についていて、
おまけに料理には感動する。下がる要素がない。



 まどかはフランのことがちゃんと両親に受け入れられるか心配していたけれど、どうやら杞憂だったらしい。
いい結果になって良かった。


 それはそうと、その後、まどかとフランは一緒にお風呂に入った。
一緒になった訳は、まどかが無理矢理そう言ったから。
フランは「一人で出来るもん」と言っていたけれど、強引に押し切った。
妹ができたみたいで、一緒にお風呂したかったからだ。


 なんやかんやで、まどかに髪や背中を洗って貰って、フランもまんざらでもなさそうだった。
こういう洗いっこはしたことがなかったらしい。お風呂上りには随分機嫌が良さそうだった。


 それから二人はまどかの寝室に行き、当然まどかはそこで就寝することになるのだが……。

 夜行性のフランは一晩中起きているつもりらしかった。
けれど、それではまどかたちと生活リズムが合わない。
なので、彼女は少し遅くまで起きて、夜寝ることにしたのだ。
フランからすれば、立派な昼夜逆転である。
改めて、人間と吸血鬼の違いを思い知らされたまどかだった。




「イスが多いのね」


 まどかの部屋に入っての第一声がこれ。

 実際、まどかの部屋には椅子が多い。
珍しいデザインの椅子を集めるのがちょっとした趣味なのだ。
古今東西、いろんな椅子がある。中には明治時代に作られた物とか。

 フランはそのうちの一つに腰掛けて、まどかはベッドの上で膝を組んで、向かい合った。
聞きたいことがあったのだ。
何となくそういう雰囲気になってから、まどかは口を開いた。




「ねえ、フランちゃん」

「ん?」

「さっき、何を言おうとしてたの?」


 問い掛けが抽象的過ぎただろうか? 
フランは首を傾げて、頭の上にはてなマークを浮かべていた。


「あ、杏子ちゃんが来る前。さやかちゃんが大変なことになるって……」

「…………ああ、それか」


 ぽつりと呟いたフランの表情は、先程までの見た目相応の可愛らしいものではなく、冷たさを感じる、大人な表情。
目も口も笑っていなくて、ほんの少し、まどかは怖いと思ってしまった。

 フランは床に視線を落としたまま、何かを考え込むように口を閉ざしていた。



 バス停の時と同じだ。
その時もフランは見た目に似合わない、とても冷たい顔をしていて、それがほんのちょっぴり恐ろしく感じられて、
それでいてとても綺麗な子なんだとも思ったのだ。
美貌、というのだろうか。
とにかくフランの顔かたちは同性のまどかでもハッとしてしまうくらいに整っている。

「…………すごく、ショックを受けると思うけど、覚悟はいい?」

 やがてフランは床からまどかに視線を移し、低く小さな声で言った。
なのにそれはまどかの耳によく届き、その不穏な内容に、思わず唾を飲み込んでしまった。


 何か、とても恐ろしいことを聞こうとしている。
それは覚悟が必要なほどのもので、けれどまどかは後悔はしなかった。

 聞かなければいけないことだと思ったから。
だからまどかは、フランの異様に鋭い眼光にも怯まず、小さく、しかしはっきりと頷いた。


「そう」

 彼女はそれだけ言うと、再び目線を床に落とした。

「魔法少女のことなんだけどね」


 すぐに続けて、






「魔法少女は、魔女になるの」














 ――――その言葉の後の話はよく覚えていない。
気が付けばまどかはベッドに横になっていて、枕がなぜか濡れていた。
フランは起きていて、時計を見るとそんなに時間は経っていなかった。


 部屋の中も、家の中も、何の物音もせず、ただ未だ降りしきる雨の音だけが物寂しく響いている。
空から落ちてくる無数の滴が屋根を、地面を叩く。
その音の中に、まどかの低い声が混じった。


「それ、本当なの?」

「確証はないわ。直接見た訳じゃないし、あいつの口から言われた訳でもない。
でも、あいつは否定しなかったし、こう考えるのが妥当だと思うの」

「……酷いよ。そんなのって、ないよ」


 もし、フランの言っていることが真実だったなら、さやかも、杏子も、ほむらも、いずれは魔女になってしまう。


 おかしい。そんなことがあっていいはずがない。
魔法少女は希望の象徴なのに、それが呪いを振り撒く魔女に落ちてしまうなんて。



「だって、さやかちゃん……。上条君のために奇跡を願って、なのに魔女になっちゃうなんて、そんなのあんまりだよ……」

「何を叶えたかは重要じゃないのよ。奇跡を祈り、それを実現してしまったこと、それ自体に対する代償なの」



 フランの言葉には温度がないように思えた。

 でもフランだって完全に冷血な訳ではなく、気まずそうに、どこか苦しそうにしていたのだ。
ただ、この現実が信じられないほど残酷なだけ。





 ……ああ、そういうことなんだ。



 まどかはふと思い出す。

 さやかのジェムがなくなった時、杏子はまどかにいろいろ話してくれた。
主に魔法少女についての哲学を。

 その中で彼女はまどかに「契約するなら、人のために祈るんじゃねーぞ」と釘を刺して、
その後こんなことも言っていた。



「いいかい、まどか。希望の祈りってのは、それと同じ分だけの絶望を生み出すんだ。
誰かのために奇跡を願ったら、その分の絶望を自分が背負い込まなきゃならなくなる。
それが世の中のバランスって奴さ」



 その時は、誰かのために祈ることが悪いことな訳がないと思ったけれど、今考えてみれば、
あれは限りなく真実に近いものだったのだ。
きっと杏子は、過去にひょっとしたら魔女になってしまうかもしれないくらい酷い目に遭ったのかもしれない。
だからあんなことが言えたのだ。







「杏子ちゃんがね」


 まどかはゆっくりと体を起こし、それから気が付いたらそんな言葉を発していた。


「あ、さっきの赤い髪の子ね。その杏子ちゃんが、前に、『希望を祈ったら絶望も同じ分だけ生まれる』って言ってたの。
それ、本当なんだよね」

 フランは無言で頷いた。

「その通りよ。賢い子ね、あの子」

 それから彼女は椅子から降りて、てくてくとまどかのベッドに歩み寄って来た。
そしてまどかの隣に腰掛ける。
体重が軽いのか、あまりベッドは凹まなかった。



「小さな祈りを叶えれば小さな呪いが、大きな祈りを叶えれば大きな呪いがばら撒かれる。
この世の中を創り給うた神様ってのは、とっても残酷なのよ」

 吐き捨てるように言われた言葉に、まどかは無言で首を縦に振るしかなかった。


 杏子の、フランの言う通り。
希望と絶望は世界に同じ分だけ存在していて、決してその総量は減らない。
だから誰かが希望を叶えたら、それは同じ量の絶望が撒き散らされるのだ。



 それが世の中の法則。不変で無慈悲な条理。




 それでも、と思うのだ。



「みんなが幸せになれたらいいのに。誰も絶望しなくて、笑い合って行けるような世の中だったらいいのに」



 無意識に口を突いて出た言葉に、フランはゆっくりと首を振った。
その意味が分からなくて、まどかは首を傾げる。



「皆が希望を抱ける世界は、同じように皆が絶望することもあるのよ。
だったら、今の方がましかもね。
少なくとも、自分が絶望した分、他の誰かが希望抱けているって訳だから。
まあ、だから良いとも言えないんだけど」


 そっか。


 息を吐き出す音なのか、呟きなのか、どちらともつかない声が出てしまった。

 どうしても、どうしようもなく、世の中は惨たらしい。
きっと、絶望というものが、呪いというものが存在する限り、みんなが幸せになるような世界は絶対に訪れないのだろう。酷い話だ。

 どんなに人のために願っても、その最後は結局絶望しかない。
きっと今のさやかのように、どんどん追いつめられて希望を失っていくのだ。




 数日前、仁美と共にまどかを助けてくれた時と、先程フランと言い合いして走り去って行ってしまった時とでは、
さやかの表情はまるで違った。
とっても辛そうで、笑顔も全然なくて、だんだん元気がなくなっていくさやかに、まどかは何もできなかった。


 それが悔しい。

 今まで散々守ってもらったり助けてもらったりしたのに、まどかの方からは何にもしていない。
さやかは優しいからまどかのことを、「親友だから」の一言の理由さえあればどんな時だって助けてくれた。
でもまどかができたお返しなんて、思い出してみてもほとんどなくて、だからこそ、まどかはさやかのために
契約したいと思っていたのだ。
さやかが幸せになれば、恭介への想いが報われれば、そう思っていたのだけれど。

 さやかのために契約したところで、さやかかまどかか、あるいは他の誰かが不幸になってしまう。

 杏子が言っていたこと、そして事ある毎にまどかの契約を止めようとしていたほむらの気持ちも、
分かるようだった。
ほむらは、このことを知っていたのだろうか? 
だからあんなに冷たい態度をとっていたのだろうか?




 どうすればいいのだろう?





 魔法少女になっても結局魔女になるなら、一体まどかに何ができるのだろう?


 また無力なままなのだろうか。また守られるだけなのだろうか。


 まどかには何も成すことはできず、ただ状況が進み、周囲が苦しんでいくのを指を咥えて眺めるだけしかできないのだろうか。





「ねえ、フランちゃん」

「何?」

「私……何にもできないのかな? 
契約したって魔女になっちゃうなら、皆を悲しませるだけだし。
でも私だって、守られるだけじゃなくて、皆を助けたいの。
マミさんも、さやかちゃんも……。
それから杏子ちゃんやほむらちゃんだって、誰も魔女にしたくない」


 気が付けば、そんな気持ちをフランに吐露していた。

 自分が酷く子供っぽいことを言ったような気もして、慌ててフランの様子を伺うと、
彼女はいたく真剣な面持ちで自分の膝に目を落としたまま。
笑うでもなく、ちゃんと聞いてくれたようだった。

 何か考え込むような様子を見せていたフランは、すぐに口を開き、

「マミについては、私がやる。
でも、あなたが今こうしてお家に止めてくれなかったら、正直何にもできないと思うわ。
それに、前に私の言ったことを聞き入れてくれて、マミのために契約するのも我慢してくれてたんでしょ? 
それに、感謝してるわ」

「……うん。キュゥべえがちょっとしつこかったけどね」

 そう答えると、フランは苦笑し、まどかの口元も思わず、といった形で緩んでしまった。



 ふと、心の中に何か明るいものが生まれる。

 そんな、本当に何気ないことでも感謝されたのだ。それが、素直に嬉しいと思えた。


 そう、まどかにとってそんなのは当たり前。
こんな小さな女の子を、独りで夜のバス停に放置するなんて考えられない。
当り前のことを当たり前にしただけ。
なのにフランは、「感謝してる」と言ってくれた。



 それに、フランが言っていたことも、それが正しいと思ったから聞き入れたのだ。
マミがおかしくなっていくのを目の当たりにしても、それでもそれを背負っていくと言ったフランを信じて。





「ただ、さやかの方については私は何とも言えないわね」

 けれど、続きを言うフランの顔は決して明るくない。

「さっきはああいう結果になっちゃって、それは多分私のせい。
このままさやかが魔女になったら、その責任の一端は私にあるわ」

「それは……!」


 そのなことはないと否定しようとした。思わず、反射的に。

 でも、言葉が見つからなかった。
それは多分、まどかも頭のどこかでフランの言う通りだと納得してしまっているから。
だから、否定できなかった。


 先程のバス停での争い。
あれがさやかをぎりぎりまで追い詰めてしまった。
まどかという味方をも、さやかは失ってしまったのだ。

 あの後、杏子はどうしただろうか? 
彼女なら、さやかの味方を、まどかができなかったことをしてくれるだろうか?

 ただ、それは杏子という他人に甘えるということで、本来自分がやるべき役目を放棄して
杏子に丸投げしてしまったという後悔が、まどかの胸の内に重く沈んでいるのだった。
そうやって誰かに責任を負わせてしまう自分が、ひどく卑怯に思えてくる。
しかし、それでも、あの杏子なら、優しくて、その実さやかと似た者同士な彼女なら、やってくれるという、
杏子を信じたい気持ちもあるのだ。


 そんなまどかの考えを読んだかのように、実際にはまどかの中途半端な否定に対して、
フランは微かに口元ゆるめて、優しく諭すように言う。



「いいわよ。それに、さやかを魔女にしなければいいだけの話だしね」




 最悪を考えるより、最悪を回避する方法を考えましょう。




 フランはそう付け加えた。


「うん」


 そうだ。悪いことばかり考えたって何にもならない。
今はマミを救うこと、さやかを助けることを考えるべき時なのだ。

 指を咥えて状況を見過ごしている時間は終わり。
魔法少女でもなんでもないただの少女でしかないまどかだけれど、二人を助けたいというこの気持ちだけは誰にも負けないもののはずだ。


 まどかの目に、小さな明かりが灯る。
俯きながら、けれど暗くない表情を見せるその横顔からは、気弱さや可憐さからは程遠い、
戦乙女のような美麗で真に迫る決意を見て取れた。








「これも仮説の域を出ないんだけど」


 それからフランはそう前置きして、


「魔女になる条件は、多分、ソウルジェムに限界まで『濁り』を溜め込むことだと思う。
で、その『濁り』なんだけど、これを溜め込めば溜め込むほど魔法少女は魔女に近くなると言えるから、
恐らく魔女の撒き散らす呪いに近いものを魔法少女が持ち始めれば、魔法を使わなくても『濁り』は
溜まり始めてしまうのよ」


 話が変わり、語り出したフランにまどかは耳を傾ける。
話の内容も、彼女が見せる顔も深刻で真剣なもの。まどかは少し背を伸ばした。


「その、呪いって?」

「有り体に言えば、負の感情かしら? 
例えば怒りだったり、恨みだったり、妬みや憎しみ、嫌悪。
とにかく良くない感情。マイナスなものかな?」



 マイナスのものか……。



 心の中で独りごち、それならば、とまどかは思いついたことを口にする。



「じゃあ、逆にそれって、希望を持ったりすることで消せないの?」


 つまり、マイナス分はプラスで消してしまえば――絶対値が等しいならプラスとマイナスの足し算は0になる。
単純な発想だが、これも考えてみれば当たり前だ。
希望と絶望が等しく、希望を祈った分だけ呪いをまき散らすことになるなら、
呪った分だけの希望を足せば元に戻るのではないか。

 だが、そううまい具合にはいかないようだ。フランは気難しい顔を振る。


「分からないわ。あくまで仮説だし、当たってるかどうかも怪しい訳だしね」

「……そっか」



 実際、そこはどうなんだろう?



 いや、というか、『濁り』はグリーフシードで吸い取ることが出来るけど、魔女になってしまった
魔法少女は戻してあげることはできないのだろうか?

 マイナスになったものは、プラスに戻せるはずなのだ。
計算は合っているはず。





「ソレも分からないけど、難しいんじゃないかなあ」


 ところが、フラン曰く。


「どうして?」

「希望を抱くより、絶望する方が簡単だからじゃない?」

「……そう、かな?」


 まどかにはその言葉は実感できない。だってそう思わないからだ。



 確かに人は絶望しやすい。
さやかを見れば、いろいろ悪いことが起きれば、どんどん人の心に良くないモノが積もっていくというのが分かる。
けれど、同時に人はもっと簡単に希望を抱けるものだと思うのだ。

 マミを見れば、契約したばかりのさやかを見れば、誰しも希望の象徴になれる。

 だからこそ、一度魔女になって、呪いを振り撒く存在になっても、また希望の魔法少女に戻れるんじゃないか。
希望と絶望のバランスで世の中が成り立っているというなら、魔女になった魔法少女も救えるんじゃないだろうか。
それに、希望の祈りの果てが、絶望の呪いしかないなんて信じたくない。


「まあ、根拠としては弱いからね。ひょっとしたら何か方法があるのかもしれないし」

 と言いつつも、フランはあまりそうは考えていない様子だった。
取って付け加えたような感じだったのでまどかはそう思った訳だが、それ以上このことについては追及するのはやめた。



 もしフランの言う通り、魔女になってしまった魔法少女が元に戻れないのだとしたら、彼女たちを救う手立ては
倒してそれ以上呪いを振り撒かないようにしてあげることしかない。
ならばせめて、魔法少女を元に戻してあげることはできないのだろうか? 
魂が石っころになったままでは、きっとそれを受け入れられない子たちが、さやかの様に苦しんでしまうだろうから。

 そして、まどかのよく知る人物の中に、魔法少女から別の存在に変わった少女がいる。
彼女は吸血鬼になって戻ることはないとフランは言ったけれど、マミは魔女になることはないのだろうか? 
それをフランに尋ねると、


「ないわ」


 と、はっきりとした答えが返って来た。

「どうしてって、マミにはもうソウルジェムがないからよ」

「じゃあ、マミさんの魂はどうなっちゃったの?」

「元のマミの体に還元されたわ。尤も、その魂自体が変容しているけどね」

「それなら、魔法少女の魂を元に戻すことはできないかな。吸血鬼にするとかじゃなくて」

「うーん」


 唸りながらフランは腕を組み、首を傾げた。
外から響く雨音に、シャランという宝石の揺れる音が混じり、高級感あふれる特異な「羽根」が揺れる。



 これって、一体なんなのだろうか?



 話の本題には関係ないが、前から気になっていたフランの「羽根」。
タツヤの暴挙によって、神経が通じているのは証明されたけれど、マミを見れば分かるように、
吸血鬼の「羽根」はデフォルトでこんな形をしている訳ではないらしい。
時折発光したりしてなんだかよく分からない代物だ。


「マミの例は本当に特殊だと思うの。でも見方を変えればそれほど不自然なことでもないわ」

 フランの「羽根」から意識を戻したまどかは首を捻る。
不自然ではないとは、どういうことだろうか。

「人間を吸血鬼にするのも、魔法少女を吸血鬼にするのも、大した違いはないということよ。
どっちにしろ吸血鬼にする訳だし、魔法少女も……広い意味では『人間』と呼べると思うし。
ただちょっと、魂の処理が難しいだけ」

「魔法少女は、人間なのかな? 魂がソウルジェムに変わっちゃってても、人間って言えるのかな?」

「それは、『人間とは何か?』っていう哲学の問題じゃないかしら。
どう考えるかによって答えは変わってくるし、だから魔法少女が人間であるか否かというのも人によって違うと思う。
誰かが定義したわけじゃないんだから、いくらでも考えようがあるわ。
まどかやさやかが『魔法少女は人間じゃない』と考えるならそれはそうだし、
逆に私は『魔法少女も人間の範疇に入る』と考えるからそれはそうなのよ」


 うん、と頷くしかない。



 考える人によって答えの変わる問。
まどかにとってそのような問いは経験したことが少ないもので、だから明確な答えが出ないことに
モヤモヤとしたものを心の中に抱いた。
学校で出される問題とは違って、はっきりとした正解がないのだ。


「それでさっきの問いに答えるとね」

 まどかが新しい悩みを増やしているうちにフランはさらに言葉を重ねる。
意外と言うべきか、案外と言うべきか、彼女はこうやってポンポンと会話を進めてしまう傾向を持っているようだった。
尤も、会話中に話題とは関係のないことを考えているまどかだからそう感じたのかもしれないが。


「魔法少女を、狭い意味での『人間』に戻すのは、ひょっとしたらできるかもしれない」

「ほんと?」

 期待に目を輝かせ、思わずまどかはフランに詰め寄る。

 先程から否定的なことばかり言っていた彼女が、ようやく前向きな言葉を口にしたのだ。
さやかたちを救う光明が差した気がして、まどかの心は悩みや不安を投げ出して弾む。


「あくまで、ひょっとしたらよ」

 そんなまどかに対し、フランはやや冷ややかな言を返す。
それで、まどかの期待に膨らんだ心が少し萎んだけれど、それでもまだ明るいものは消えていない。

「でも、出来るかもしれないんでしょ?」

「可能性はゼロじゃない。正直、かなり難しいことだと思うわ。
吸血鬼にするのと違って、一度変化したものを元に戻す訳だからね。
私もどうすればいいか予想もつかないし」

 続きの内容は、まどかの期待をさらに萎ませるのに十分なものだった。
徐々に冷めていく熱に、「それもそうだよね」という諦観が代わりに心中を覆い始める。

「ただね、何とかあいつが魂を固形化するプロセスを解析することが出来れば、不可能じゃないと思うの。
要は、いかにして魔法少女が生まれるのかっていう、仕組みさえ分かればできる。
そこがポイントよ」

「魔法少女の、生まれる仕組み……」

「誰かが契約するところを見るだけでも、完全にとはいかなくても、ちょっとは分かるはずよ。
ソウルジェムに関しては、私もいろいろ考察してみたし、それと合わせれば多分いけるはず。
自信ないけど……」


 そういうフランの顔は、実際自信なさそうだ。
けれど、出来ないと言われるよりはよほどいい。
そう、彼女が契約の瞬間を目撃すればいいのだから。



 だったら、私が契約するところを見せれば……。



 あれ? でもそれなら、はじめから奇跡で祈ればいいだけじゃない?



 そこで思い付いた。

 確かにそれなら、奇跡なんだから不可能じゃないはず。
何より、どんな願い事を叶えることが出来るだけの素質を持っていると、キュゥべえに太鼓判を押されたこともあるのだ。


「それならさ。私が奇跡で、魔法少女が魔女にならないように願っちゃえばいいんじゃないかな? 
きっとそれならさやかちゃんたちだって魔女にならなくなるし、契約した私自身だって魔女にはならないはずだよ」


 そう言うと、それもそうかもね、とフランも呟く。
だが、彼女の表情は決して晴れやかにはならなかった。

 それに、まどかは眉を顰める。

 自分では妙案だと思ったのだけれど、それでも何かまずいことがあるのだろうか。
フランはしばし考えて、

「でも、奇跡の対価は必ず支払わなければならない。
だから、魔法少女が魔女にならなくなったとしても、絶対にその代償は別の形で現れることになるに違いないわ。
まあ、現状みたく、皮肉たっぷりな顛末になる訳ではないでしょうし、だから少しはましになると思うけどね」

「そっか。でも少しでも良くなるんなら、私はそれでいいよ。
魔女になるより悪いことなんてないし、ちょっとでも希望を持ったみんなが救われるなら、
それでいいと思う」

「そうね。まあ、まどかがいいならそれでいいのかもしれないけど」




 ただね、とフランは付け加える。











「私としては、それは少し待ってほしいかなあって」






「え? どうして?」


「いやさ、個人的で身勝手な要求なんだけどさ」



 どこか言いづらそうにしながら、フランはしっかりとまどかと目を合わせた。

 その眼は底なしの深紅色で、まどかの視線どころか心さえも引き込まれそうだ。
彼女の姓と同じ色の瞳はぐるぐると渦巻いているようで、見れば見るほどまどかはそこに
自分が吸い込まれていくのではないかという感覚に陥った。












「魔法少女の謎に挑んでみたいの。その仕組みをもっと調べてみたいの。だから待ってほしい」













 そうして、吸い込まれていった先に見えた彼女の本質。
言葉という形ではっきりとまどかの脳髄まで届いたそれに、まどかは酷く人間らしい感情を抱く。

 怖かった。

 そんな言葉と共にまどかを見つめる彼女が恐ろしいと思った。


 狂っているじゃないかとも感じた。

 だってそうだ。魔法少女を調べるために、彼女たちを救う手を差し伸べるのに待ったをかけるのだ。
まどかからすればあまりに理解不能で、それ故に恐ろしかった。
だからか、その理由を尋ねる気すら起きない。訳の分からないことを言い出したフランに、まどかは唯々恐れ戦くばかり。


 その理由は、フランが勝手にしゃべり始めた。



「ああ。怖がらせてしまったみたいね。ごめんなさい。
でも、私はそうなのよ。目の前に謎があったら挑まずにはいられない。
まして魂の固形化なんて常識はずれの技術を目にした訳だし、こっちの世界でも存続できる幻想な訳だし、
そういうのを調べずにはいられないのよ。
私は吸血鬼だけど、魔法使いに近くなってるから、在り方としてもそうなのよね。
知識を蒐集せずにはいられない。そういうモノなのよ」


 まどかの様子を見て焦ったのか、フランは言い訳がましく早口に捲し立てた。
けれどまどかは全く聞いていなかった。




 かつて一度、フランに恐怖を抱いたことはあった。
それはあの病院に居た魔女の結界の中でのこと。
ただ、その時の恐怖と、今まどかが抱いているそれとは種類が違う。

 あの時の恐怖は、物理的な破壊力に対するもの。
自分が壊されるんじゃないか、殺されるんじゃないかという恐怖。
けれど今のこれは、精神的な恐怖だ。理解できないものへの恐怖。


 そんなまどかの心中を察して、フランは言葉を並び立てることを諦めたようだ。
溜息を一つ吐き、まどかから顔を逸らして髪を掻き揚げる。




 何も言わない。まどかも何も言わない。





 二人してしばらく雨の音を聞いていた。








 やはり、とまどかは思考を巡らす。


 フランは自分とは違う存在なのだ。そう思い知らされた気分だった。
何しろ、自分だったら、「魔法少女のことをただ純粋に調べたいから救いを後回しにする」なんていう考えは、発想自体が有り得ない。

 所詮、彼女にとって魔法少女の苦しみなど、他人事に過ぎないのかもしれない。
フランドールは吸血鬼であり、住んでいる場所も違い、そもそも奇跡を願うこと自体を疑っていて、
故にまどかたちとは考えの視点や見方が異なっている。

 多分、フランドールはマミの味方だ。
彼女のマミに対する想いは本物だというのはよく分かっている。
けれど、だからと言って彼女がまどかたちの味方でもあるというのは間違いなのだ。
まどかたちに対して、一定の理解は示してくれる。
魔法少女のことも考えて、さっきはまどかの問いかけ(というか相談)にちゃんと答えてくれた。
でも、マミが魔法少女じゃなくなった今、魔法少女のことはフランにとって興味や関心の対象でしかなく、
有り体に言えば顕微鏡で眺めるような研究対象なのだ。



 ただ、だからと言ってまどかにはフランを頭ごなしに否定することが出来ない。


 何故なら、彼女が魔法少女を調べることによって、ソウルジェムを元の魂に戻す方法が、
すなわち魔法少女たちへの救いが見つかるかもしれないから。
もちろん、だからと言ってあの言葉に頷く訳にはいかないのだが。


 反対も賛成もできない。それでまどかは何も言わなかった。




 フランはどうだろうか? どうして黙ったままなのだろうか?




 個人的で身勝手と予防線を張ったり、言い訳を並び立てたりしたあたり、彼女は失敗したという
自覚を持っているのかもしれない。そんな感じだ。








「寝ましょう」


 沈黙を破り、不意にフランが言葉を発する。


「もう11時よ。話し込み過ぎたわ。夜更かしは良くないし、早く寝ましょう」


 そう言いながら彼女はベッドから離れ、先程腰を下ろしていた椅子に再び座る。


「こっちで、寝ないの?」

「私にとってはお昼寝みたいなものだし、ベッドが狭くなっちゃうからね。イスでいいわ」


 少し微笑んでの言葉は、きっと建前。
多分本当は、怖がらせた相手と一緒に寝るのはまどかにとって気分が良くないだろうから、
という気遣いだろう。それは有難かった。


 それからフランは椅子の上で丸くなり、まどかはベッドに潜り込む。
けれど、すぐには寝付けなくて、いつまでも途切れることのない雨音を耳にしながら、まどかはあれこれと考えてしまう。

 取り留めのない考えは堂々巡りで、フランに背負向けて横になっていると、否が応でもその存在を意識せずにはいられなかった。
彼女の息遣いが、彼女が微かに身じろぎする時に生じる布の擦れる音が感じられる。
それどころか、彼女の鼓動まで聞こえてきそうだった。


 初めて、実感した。
自分は今、魔の物と空間を共にしているのだと。
背後に居るのはヒトの形をした人ではないナニカ。

 頭の中で何かが蠢いていて、心の中で世闇より深い何かが淀んでいた。


 これは何なのか、漠然とした不安が消えない。
その不安に苛まされながら、ようやくまどかの瞼は閉じたのだった。











眠いのでここまで。
ほんとはもっと長いけど、あまりにも長すぎるのでここで切ります。

なお、現在時間軸が前後しております。
まどさやがバス停でフランと出会う→さやかとフランが口論→さやか失踪&杏子登場→まどかとフランがまどかの家へ→今ココ
ちょうど、ほむホームでほむあんがちゅっちゅしてる頃ですw

ゆっぐりおづいっでね!
どごろでばぢゅりーばどうなっだのがな?
ぎになるよ
ゆっぐりはやぐがいでいっでね!

つ、続きはやくー

二次創作でのフランの「狂いかた」みたいなのって、作者によって色々種類があるから面白いよね



彼女の狂気は破壊能力に由来するものがよく描かれる
こういう好奇心に由来する狂気表現は珍しいな
もっと適任なキャラはいくらでもいるからかな?


二次創作で多く描かれてるキャラ付けのせいか
フランって精神的に幼くて善悪の判断もわからない、情緒不安定な性格って印象のが強いな
他のキャラで例えるならガンダムZZの「エルピー・プル」みたいなイメージというか何というか……
このssのフランみたいな描き方は結構珍しく感じるかも

こういう知的な感じのキャラ付けは、姉のレミリアの印象が強いかな
上で書いたフランの性格とは逆で大人びた解釈て描かれのが多いから(たまにカリスマブレイクするけど)


今日は一周年です。
きっと誰も覚えていないけど、そうなのです!

>>156
パッチェさんはねぇ
もうねぇ・・・


>>157
案外、真っ当に狂っていると思います。
真っ当というのは、他の二次創作作者さんがやるような、フランの狂い方です
要は、能力の影響でなんでもぶっ壊そうとすることですね


>>158
「マンハッタン計画」に加担していた科学者たちは狂っていたのか・・・
まどか視点では狂っているように見えていますが、本当はちょっと好奇心が強いだけなんですよ、きっとw


>>159
仰る通りで。
よくあるフランのキャラ付けは、幼くて判断能力が未熟、というものが多いんですが、
しかし原作では魔理沙と結構知的な会話をしていたりして、案外精神年齢はそこまで低くないのかなと思ったり……

500年近く地下に閉じ込められていて、その間何をしていたんでしょう?と考えた時に、
アガサ・クリスティを読んでいたようなので、やっぱり読書ばかりしていたのか
→じゃあ図書館に入り浸っていて、パッチェさんとも仲良くなっていたりするんだろう
→だから頭でっかちな学者タイプになってるんじゃないか、好奇心強いんじゃないか
→知識が豊富なので、結構知的かも(以上、>>1の脳内設定)
ということになりましたw

しかし、超引き籠りの魔法オタクのくせして外の世界で生き残れるコミュ力と知恵もある、ハイスペック妹です。
姉の方はコミュ力あるようでない。そしてカリスマブレイクします。妹より優れた姉なんざいねぇ

でも案外子供なのかもしれません。
大人だったら、あんな事思っていても決して口には出さないでしょうから







                    *






 気が付いたら朝になっていた。

 フランとちょっと豪勢になった朝食を摂り、まどかは学校を休んだ。
朝にも拘らず、どんよりとしたまどかの表情を見て両親は何かを察してくれたのか、今日一日だけなら
学校を休んでもいいと言ってくれた。雨は止んでいた。


 フランは眠いからという理由で、朝からベッドに潜り込んでいた。
ちなみに、一晩中あの椅子の上で丸くなっていたせいで、朝起きる時背中と腰の痛みに呻き声というか悲鳴を上げていた。
その無邪気な様子を見て、まどかは思わずクスリと笑ってしまったのだった。
朝の彼女は、昨晩のような気配を全く感じさせないからだろうか。


 午後になって、ほむらが家を訪ねて来た。
その時まどかは自室で(暇だったので)宿題をしていて、誰かが来たなあとしか思わなかったのだけれど、
後で応対に出た父からほむらが来て、伝言を渡されたことを知った。



「学校近くの公園に、七時に来て」



 夕方になってようやく起き出したフランに伝えると、「マミのことね」と答えた。

 あくびをしながらフランは「多分そこに居るのよ」と言いつつ、さらに懐から地図を取り出した。
よくコンビニに売っている二千五百分の一の地図だ。

 いつの間にそんなものを、とまどかが驚いていると、
「これはマミを探すためにお店から頂戴したのよ」

「お金、持ってたの?」

「いいえ」

 それって……、と言葉を失ったまどかに、フランはしれっとした様子でさらにペンも取り出した。


 フランはまどかの部屋の床に直接地図を広げ、傍らに膝をついてペンを持ちながら何かを探し始める。

「あ、これよね。『見滝原中学校』って、マミたちが通っているところよね」

 地図の中のある一点、まどかたちの学校の場所を指す。

「そうだけど」

「じゃあ、学校近くの公園ってのは、ここね」

 そう呟きつつ、件の公園の場所に赤いインクで円を描く。
地図には他にも、同じペンで書かれた円やら線やらが書き込まれていた。
その円の場所、それはまどかが吸血鬼となったマミと遭遇した跨道橋であり、上条恭介の家の近くの
彼がマミに襲われたという場所であった。



「今は空を飛ぶ力もない。
マミの気配を追って、精々地べたを這いずり回るしかないの。
だからせめて、マミの居場所を割り出せるように地図を使って分析してたのだけど、あんまり役に立たなかったわね。
まあ、予測した範囲内ではあるけれど」

 地図にはもう一つ、大きな円が描かれていた。
それが恐らく、フランが予測したマミの大凡の居場所。
広い見滝原の、大体この範囲にマミは潜んでいるだろうと考えたのだろう。
そして実際、その円の中に学校もその近くの公園も含まれていた。

 遅かれ早かれ、まどかたちと出会わなくてもフランはマミの居場所を特定していたのかもしれない。


「咲夜の方が一足早く絞り込めたのかしら? それとも他に何か手がかりが?」


 地図を広げたままぶつぶつ呟き出したフラン。
まどかはベッドに腰掛けながら、その様子を見下ろしていた。



「ま、いっか」

 しかし、結局そう言ってフランは地図を畳む。
どうやら考え事を切り上げたらしい。
フランは結構さばさばしたところがあるみたいだ。
あっさりしているというか、考えても仕方のないことにはいつまでも拘ったりはしないらしい。
彼女はまどかの両親とすぐに仲良くなったけれど、それはそう言った母の詢子に似ているところがあるからかもしれない。





「えーっと……」



 地図とペンを懐にしまってから、少し気まずそうにフランは切り出した。



「昨日のことだけどさ」


 言葉を切りながら視線を泳がせるフランに、まどかも彼女がまだ昨日のことは消化しきれていないのだと悟った。
余計なことを言ったと、本人も後悔しているのだろう。

 つまり、あれはフランの偽らざる本心だったという訳だ。





「私の個人的な願望なんて気にしなくていいわ。
ただね。まどかが言ったような、奇跡で魔法少女が魔女にならないようにするっていうのは、
やっぱりもう少し、考えた方がいいと思う」


「……なんで?」


「あー、大変なことになるから、かな?」


「大変なことって?」


 冷めた声で、低く問い返す自分は、怒っているように思われただろうか? 
フランはまどかに目を向けようとせず、視線を床に落としたまま、人差し指で頬を掻いていた。









「多分ね、その願い事を叶えたら……まどか、消えちゃうよ」






 消える?


 どうして?





 二つ合わせての質問は、静かな部屋の中に儚く響いただけ。
下から知久が料理する音が聞こえて来る。
フランも視線を床に固定させて、気難しそうな顔で居た。




 何のことを言ってるの? 分らないよ……。




「魔法少女のシステムっていうのはさ、それで完成されてるものなのよ。
希望と絶望があって、祈った希望の分だけ、呪いの絶望を撒き散らすようになってる。
そうやって出来上がっているものに後から手を加えるのは、相当な力と、それ相応の存在に成り上がる必要があるの」


「その、存在って何?」


「有り体に言えば、神様かな?」


「神様? 神様って、あの神様だよね」


「神にもいろいろあるけどね。難しく言うなら、『人間には知覚できない上位の概念的存在』かしらね。
それも一種の幻想で、だからマミと同じようなことになると思う」


 正直、よく分からなかった。

 確かにキュゥべえから素質が誰よりもあると言われたことはあったけれど、
神様になるなんて思いも寄らなかった。

 でも、もしフランの言う通り奇跡を叶えることで自分が神様になるなら、それはそういうことだ。
フランの言いたいことが分かった。



「それって、みんなとお別れしなきゃいけないってことだよね」

「……そうよ」

「そっか」






 上手くいかないものだ。

 どうしてだろうか? どんな手段をとっても、必ず代償がある。
奇跡を願えば魔女になったり神になったり。
フランが血を吸えば吸血鬼になってしまうし、魔法少女を人間に戻すことだってできるか分からない。



 マミと出会ったばかりの頃は、悪い魔女をやっつけて、それでみんな笑顔のハッピーエンドだと思っていた。
そんな、テレビアニメの中のヒーロー物のような気がしていた。

 けれど現実は限りなく残酷で、魔女をやっつければそれで解決なんてものじゃなく、複雑で、
何が正しいのか分からなくて、どの方法だって間違っているような気がして、まるで八方塞だ。



「私が居なくなったら、みんな、悲しむよね」

「少なくとも、まどかの家族はそうね。さやかだってそうじゃない?」

「……でもね」



 やっぱり魔法少女たちをこのままにしておきたくないよ。






 フランは一瞬まどかと目を合わせて、それからまたすぐに視線を下ろした。
頷いたようにも見える。彼女は、どう思ったのだろうか?


 我儘だってのは分かっている。
弟も小さいし、父にも母にも自分が大切に想われているのも十分自覚している。
さやかだって何時もまどかのために行動してくれるくらい、まどかのことを好いてくれている。
仁美も同じだ。そしておそらく、ほむらも……。

 けれど、だからと言ってこの目の前の問題を見過ごせない。
例えこの身を犠牲にしても、魔法少女全てを救えるなら、それは十分お釣りが来ることじゃないか。



 だから……!





「家族を、見捨てるってことよ。それ」






 次にフランが放った一言に、まどかの考えは根こそぎ吹き飛んだ。

 言葉一つで、自分が最善だと思った考えは、あっけなく消えてなくなってしまった。


「見捨てるなんて、私……そんなつもりじゃ」

「なくても、そう見える」

 フランの声は冷たくて、どうしてか彼女は怒っていた。
激しい怒りではなく、静かな怒り。
ただ静謐とベッドに腰掛けたまどかの前に佇み、今は目を合わせて彼女は怒っていた。



 何で怒ってるの? そう尋ねることさえ憚られるほどだった。








「タツヤ君、だっけ? 弟さん」





「え? うん」


 唐突に話題を変えたフランに、まどかは思わず目を瞬かせる。
意図が読めないけれど、とりあえず聞かれたことには答えておいた。


「まだ、幼いよね。何歳だっけ?」

「3歳だよ」

「3歳ね」


 そうして彼女は言葉を切り、おもむろに手近にあった椅子に腰掛ける。
座面の上で膝を抱え、三角座りをすると、顎を膝の上に乗せて彼女は続けた。


「私に姉がいるのは言ったっけ?」

「あ……。えっと、あのメイドの人が初めて会った時に」


 思い出すのは、杏子とさやかが戦った路地裏での出来事。
唐突に現れた咲夜は、確かあの時「レミリア・スカーレット」という名前を出し、フランドールはその妹であると述べていた。


「ああ。そっか。咲夜が言ってたのね」

「うん。『レミリア』って名前の人の、妹なんだよね」

「そう。それが私の姉よ」


 道理で妹キャラな訳である。本当に妹なのだ。
お姉さんなマミと姉妹みたいな友達関係だったのも頷ける。


「まあ、その姉と私の仲はね、今はそんなでもないんだけど、昔はすっごく悪かった。
どれくらい悪いかっていうと、たまたま同じ部屋に居合わせたら、すぐにどっちかがそこから出ていくほどにね」

「そんな……」

「でも、もっと昔は仲が良かったのよ。
私はお姉様が大好きで、お姉様も私を好いていてくれた。
けれど、ある時彼女は変わってしまって、もう私が知るようなお姉様じゃなくなっていたわ」


 フランは顔を上げ、遠くを見るような目をする。



 夕日が入らないようにしっかりとカーテンの閉じられた部屋の中で、何処へか思いを馳せているのか、
彼女はしばし口を閉じた。

 そうやってしばらく黙っているから、まどかも何も言うべきじゃないと思って言葉を発さず、
二人で沈黙を共有していた。



「人形みたいに、冷たくなってた。笑い掛けてくれなくなってたわ。
誰かを見下すような冷笑はよく浮かべてたけど。
……それは、吸血鬼としては正しいのかもしれない。
冷徹で傲慢で、夜の王としてはふさわしいのかもしれない」


 でもね……、


「お姉様がお姉様じゃなくなった気がした。
……ううん、きっとそう。
お姉様が全く違う誰かになって、私はお姉様を喪ったんだと思ったの。
もうあの優しかったお姉様はいないんだって……。
だからね、すごく辛かった。また会えるって信じてたのに、それが裏切られた気分だった」


 何故だろうか。まどかはフランが泣きそうだと思った。

 表情からはそんな気配は伺えないし、声が震えている訳でも目が潤んでいる訳でもないのに、
フランは今にも大声で泣き出しそうだったのだ。



 けれど彼女は泣かない。泣く気配もない。



「あのお姉様は死んだのよ。
今居る『レミリア・スカーレット』は姉であってお姉様じゃない別人。
昔よりかはだいぶましになったけど、きっと大元は変わってないわ。
お姉様は死んだままなのよ」



 そう言う彼女はすごく悲しそうで、言葉だけを聞けば諦観しているようにも思えた。
だけど、多分フランは「お姉様」が戻って来ることを望んでいるのだろう。
言外にはそんな響きがあって、だから余計に悲しかった。






 言葉の通り、そこには諦めも含まれているのだから……。







「まあ、私の姉は今も生きている訳だけどね。
もしまどかが契約して神様にでもなったら、あの弟君に同じ思いをさせるんじゃない?」



 言いたいことは分かっている。



 3歳のかわいい弟を残して姉は神様に。



 それは、とても酷な話だ。
何も知らない、まだ物心がついているかどうかも定かではないタツヤは、きっとまどかのことを思い出すことも
しなくなってしまうに違いない。
そして、両親はどこかへ消えてしまった娘をいつまでも探し続けるだろう。
必ず生きていると信じて、タツヤに「お前にはお姉ちゃんが居たんだよ」と言って、どこにもいないまどかを求めるのだろう。


 想像したら、悲しくなってきた。視界が潤んで、まどかは鼻を啜って目元をぬぐう。


 それだけじゃない。神様にならなくても、魔女に堕ちてしまっても同じ結果だ。
それどころか、家族を傷つけてしまう恐れすらある。




 じゃあ契約しなければいい。

 そうすれば、さやかたちはいずれ魔女になったり魔女に殺されてしまうだろうけど、
まどかは今までのように家族と幸せに暮らし、ごく普通の人として成長し、大学に行って、就職して、
結婚して、子供を持って、おばあちゃんになって、一人の平凡な人間として生を終えるだろう。
ただ、何人かの友達を失い、誰の役にも立てない人間のままでいるだけだ。ただそれだけだ。







「ヤダよそんなの。家族も友達も、見捨てるなんてできないよ!」








 まどかは語気を強めた。
声はしっかりと震えていて、けれどそこにはゆるぎない意志がしっかりと含まれている。




 そうだ! 見捨てるなんてできない。素晴らしい力があるのだから、みんなを救ってみせる。





 魔法少女も、家族も、そして魔女さえも。


 甘いと言われるだろうか? 
現実は残酷なんだからそんな上手くいく訳ないと否定されるだろうか?



 しかし、フランドールはあっけにとられたようにまどかを見つめたまま、しばらく固まっていた。
彼女は笑いもしないし、否定もしない。

 ただ、何かに憑りつかれたようにまどかを凝視していた。


 気まずくなってまどかは顔を伏せる。
ついでに無意識に出て来てしまった涙をぬぐい取った。









「………………我儘なのね、意外と」


 沈黙の後、ようやく告げられた言葉にまどかは顔を上げる。

 彼女は無表情でもなく、馬鹿にした様子もなく、驚いてもおらず、ただ感慨深げに、
そして少し安心したように口元を緩めていた。
昨日から暗い話ばかりでお互い顔の表情が硬くなっていたけれど、目の前の吸血鬼のそれは柔らかなものだ。
あるいは、少しだけ彼女は喜んでいるのかもしれない。

 その意味が分からなくて、まどかは小さく首を傾げる。



「まどかという人間が、よく分かった気がするわ」


「どういう……?」


「気弱に思ってたけど、案外意志が強いのね」



 そう言って肩を竦めるフランに、まどかはやや頬を膨らませて「気弱だよ」とぶっきらぼうに返した。
その様子がおかしかったのか、フランはクスクスと身体を震わせ、


「ごめんなさい。でも、それでいいと思う。
それだけ強い意志があれば、あなたはきっと何かを成せるわ。
何をすればいいのかっていうアドバイスは送ってあげられないけど、でも何かをできると思う。
私が言うようなことじゃないかもしれないけど」



 皮肉っぽく付け加えて口の端を吊り上げるフランに、まどかも小さく笑った。




 その言葉を胸に刻みつける。



 何か解決した訳じゃない。妙策を思い付いた訳でもない。
ただ、気休めのような励ましの言葉を貰っただけ。

 なのに、心の中が温かくなる。
暗雲がのしかかっていたまどかの胸の中に、雲を裂いて陽光が差してくる。



「うん。ありがと」



 素直に嬉しかった。
それを言ったのがフランであっても、その言葉が気休めだったとしても、嬉しかったのは事実だ。






 確かに彼女には恐ろしいところがある。

 吸血鬼としての凶悪で強大な破壊力も、人間の常識の通用しない理解不能な部分も、それは十分まどかの恐怖の対象だ。
それは今もそうだし、多分だけれど、妖怪というのはそういうモノなのだ。
古来より人に怖れられてきた存在が妖怪なのだ。


 けれど、全く言葉が通じない訳ではない。心が通じ合わない訳ではない。




 魔法少女だった時、マミはフランと友達になれていた。
マミには力があったのかもしれないけれど、それでも一緒に寝て起きてご飯を食べることが出来るくらいマミはフランに心を許していた。

 なら、まどかだってフランと友達になれるはず。

 実際、こうやっていろいろと語り合った訳だし、それはできないことはない。
おかげでまどかはフランのことが分かってきたし、フランも同じだと思う。
そりゃあ、恐ろしいところもあるし、そういうのはあまり見せてほしくないけれど、それを受け止めての友達なのだ。







「んん?」



 おもむろにフランは顔を上げ、鼻をひくひくさせる。

 気が付くと、どこからともなく美味しそうな匂いが漂って来ていた。これは……。


「お料理の匂いがするわ」

「今日はグラタンだって、パパが言ってたよ」

「Yeah! それはいいわ。あなたのお父さんの料理はうちのメイドといい勝負ね」

 パチンと指を弾いて喜ぶフランに、まどかも思わず破顔する。嬉しそうで何よりだ。



「あのメイドさんもお料理上手なの?」

 待ちきれず二人はまどかの部屋を出た。
すきっ腹にこの匂いは堪えがたく、致し方なく、二人は階下へ降りることにしたのだ。
現実とは残酷なものである。


「咲夜? ええ。ナイフを投げるのも料理をするのも上手よ。
お陰で舌がフランス人並みに肥えてきたわ」

「フランス? グラタンはフランス料理だっけ?」

「そうじゃないわよ」


 何故か苦笑するフラン。どうやらまどかは的外れなことを言ったようだが……。



「私はイングランド出身なのよ。
毎日三回も冷えた肉に齧り付かなくちゃならなかったころに比べればって話」


 あっけにとられてまどかは言葉を失った。

 少しして、ようやくそれがジョークだと気付いて「あはは」と乾いた声を漏らしたのだった。

 イギリスの食べ物が不味いというのは、どうやらご当地の方々にも認められているらしい。
カレーは……元々インド料理か。





 一階に下りると、リビングのテーブルでクレヨンを散らかしながらお絵かきをしていたタツヤが顔を上げる。
そしてもう、これ以上ないほどの、まるでおもちゃ売り場を目の当たりにしたかのように目をネオンのように輝かせ、
きょろきょろとよく動く眼球はピタリとフランに固定された。


 吸血鬼はギョッとしてまどかの背後に隠れる。


 しかし、しっかりとロックオンされてしまっていて、もう後の祭り。
無敵の3歳児はイスから飛び降りると、よたよたと、それでいて任務を遂行せんとする兵士のような
確固たる意志を感じさせる足取りで近付いて来る。





 進撃のタツヤ。恐れ戦くフランドール。






 吸血鬼を駆逐せしめる将来有望な弟だった。
























 ――――――――これが、昨日の話。



 マミが、救われる直前の話だ。














取り敢えず、まどかとフランのちゅっちゅはここまでです。
次からは元の時間に戻ります。
お風呂シーンは、脳内で付け足しておいてくださいw





ところで、一周年記念として魔法石は配布しませんが、ちょっとした小話を投下させていただきます。
早苗さん主人公のスピンオフ? ということで・・・


需要? 知らない子ですね。






 その日も、私は幼馴染でクラスメートの彼女とともに、田んぼの間を通る農道を、自転車を並べて走っていました。
本来の通学ルート(学校には一応、通学ルートを知らせなければいけない)はこの農道ではなく、
田んぼの向こう、家々が並ぶ間を突き抜ける県道なのですが、最近帰宅時間が合う彼女と自転車を並べるために、
わざわざ車の通りの少ない農道を選んでいるのです。

 今日も彼女と二人、ゆっくり自転車を漕ぎながら楽しくおしゃべりをします。
私の住んでいる神社や、その神社に訪れる参拝客を相手に土産物屋を営む彼女の家は、私たちの学校からなかなかに離れており、
したがってこうやって自転車で通学しても、十分におしゃべりをする時間が取れるのです。
しかし、それでも少しでも楽しくお話がしたいと思ったので、私たちは帰宅時間が遅くなるにも拘らず、
ゆっくりと自転車を漕いでいます。
仕方がないですよね。友人とだべるのは時間を忘れてしまいがちになるほどなのですから。


 私たちが暮らすのは、長野県のほぼ中央に位置する諏訪地域。県下最大の湖――諏訪湖の湖畔です。

 長野県は大きく四つに分けられます――長野市を含む『北信』、
北は白馬村から、南は木曽まで、松本を含む『中信』、
軽井沢、佐久、上田のある『東信』、
そしてこの諏訪や諏訪湖から流れ出す天竜川沿いの飯伊地区で構成される『南信』。
この諏訪地域は、『南信』地域の北端に位置し、松本、飯伊、山梨・東京の各方面へ通じる道の交差する交通の要所です。
昨今、リニア新幹線が通るとか通らないとかで話題にもなったりしております。

 さて、私や隣の彼女は、その諏訪湖の南東に住んでおります。
私の家である守矢神社は、赤石山脈の北端の山――『守屋山』の麓にある、大変歴史の古い神社です。
どれくらい古いかと言うと、もう何時から存在しているのか分からないほどなのです。
他方、彼女の家はこの神社の周辺の、やや住宅の密集している参道沿いにあります。

 かつて、我が神社付近は諏訪地域の中心地でした。
神社には大変ご立派な神様が祀られており、諏訪の人々は皆その神様を崇めたのです。
が、それも今は昔。時代の流れは残酷です。

 後には、神社の北方、諏訪湖東岸に高島城が建設され、諏訪の中心はその城下へと移ってしまいました。
今でも城下町には多くの人々が住んでおり、諏訪の中心地として栄えています。
私たちの通う、地元の進学校もその城下町のはずれの、山の麓の小高い丘の上に立っております。
余談ですが、この高校まで急な坂を上らなければなりません。
おかげで、足が太くなってしまうのがちょっとした悩みとなっています。



 私はその高校に通う一年生「東風谷早苗」。今年で16になるピチピチの女子高生です!

 片や、隣の彼女は同じく一年生の「会見まなか」。
小、中、高とずっと一緒の腐れ縁。当然、保育園も同じでした。
このまま、同じ大学に進学したら、どうなっていただろうかと考えて、少し悲しくなりました。

 さて、これだけ長くいるせいか、どうしてもセンスが似通ってしまうところがあるようです。例えば、私服とか。

 我が校は『学生』の自主性を重んじる校風なためなのか、制服もないし、校則もありません。
これは同じ県下の他の進学校にも当てはまるようで、練習試合で戦った飯田高校、伊那北高校、松本深志高校もまた、私服校だそうです。
長野県の高校には他府県と比べても私服校が多い、というような話をどこかで耳にしたことがありました。

 ところで、「練習試合で戦った」とありますが、その通り、私は部活に所属しておりました。
女子バスケットボール部で、隣の彼女も同じです。
ただ、過去形なのは、もう私もまなかも部活をやめているからです。

 秋も深まる今日この頃。半年足らずで部活をやめてしまったのは、何も練習がきつかったからではありません。
私にはのっぴきならない深刻な事情があったのです。


 実は、私の神社には神様がいらっしゃいます。言葉の通りの意味です。

 もちろん、我が家は神社な訳ですから、これは当然でしょう。
ただまあ、人前でいうことはありません。
実際に口に出そうものなら、周囲の人から一斉に白い目で見られてしまいます。
悲しいことに、現代人は神様の存在を信じていないのですから。
彼らは一体、初詣の時に誰に向かって手を合わせるのでしょうか。
参拝は、信仰心を持ってやらないと意味がないのに。


 それはともかく、この現代人の信仰心のなさが私の事情に繋がっているのです。
と言うのも、神様は人々の信仰心がなければ存在できません。
誰も信仰しなくなった神様は消えてしまいます。


 残念なことに、それが今我が神社の下でも起こっているのです。

 諏訪の地域は前述のとおり、その中心市街地は高島城下に移り、神社周辺は寂れています。
しかも、最近は再開発やら郊外化やらで、高速道路のインター付近の国道バイパス沿いが栄えていて、城下ですら寂れ始めています。
守矢神社の名前は、徐々に忘れられていっているのです。
さらに、かろうじて覚えている人も、信仰心を持って参拝に来たりはしません。
あくまで諏訪の“はずれ”にある寂れた神社ですから、誰も見向きなんかしないのです。

 我が神社には二柱の神様が祀られていらっしゃいます。
二柱とも、それはそれは大変格の高い神様であられるのですが、そうはいってもこの無情な現実を前にして
嘆かざるを得ないのが悲しいところです。

 ただ、そこで手をこまねいているほど呑気な神様方ではありません。
二柱は新天地への移転を企画されました。

 その新天地の名前は『幻想郷』。捨てられた幻想たちの集う、最後の楽園。

 そこでは人間や妖怪たちが共存しているそうです。
彼らは特殊な結界に守られ、力を失うことなく生きていけるのです。
この世界では誰も信じなくなった幻の力が当たり前のように存在し、まさしく幻想の郷となっている。
そんな場所だから、神も当然存在できる。
そう、我が神社の神様は仰られておりました。


 問題は、私が神様方のお供をしなければならないということです。

 私は、生まれた時から神社の娘であり、聖職者でありました。
我が神社で「風祝」と呼ぶ、いわば巫女のような神職です。

 だから、私は現実世界の一切合財に別れを告げ、二柱の神様とともに幻想郷へ行かなければなりません。
部活をやめたのも、そのための準備の一環でした。

 当然、そんな決心など簡単につくはずもなく、悩みに悩み抜きました。
行きたかった志望校に入学し、部活も始めて、さあいよいよ高校生活を謳歌するぞ、と言う時にこの話が出てきたわけですから、
それはもう、未練たらたらです。


 そうは云っても、私自身が風祝としての使命を自覚しておりましたし、幼いころよりお世話になってきた神様のため、
この身を捧げてもご奉仕するのが筋である、と言うのは十分に理解しておりました。

 優しい神様でありますから、悩む私に「無理について来なくてもいい」と言うお声を掛けていただきました。
ああ、何度その言葉に甘えたくなったことか。
しかしそれでも、私は心に鞭を打って、全てと別れを告げる決意をしたのであります。

 このことは、両親以外の誰にも告げてはおりません。もちろん、隣にいるまなかにも。

 両親は私と違い、神様方を知覚することはできません。
けれど、神社の管理をしている立場にあるのですから、神様を信じていない訳などなく、私に神様が分かることも理解してくれますし、
お別れをしなければならないことも(ひどく沈痛な面持ちでしたが)、伝えた時にはちゃんと頷いてくれました。
本当にいい両親を持ったものです。


 という訳で、一度はこの世界と別れる決意をした次第でありますが、どうやらこの自分と言う執着心の強い女は、
まだこちらに未練が強くあったようなのです。

 どういうことかと言うと、神様方によれば、どうやら事態の進行が思った以上に早いらしく、
幻想郷への移転を繰り上げて行わなければならなくなってしまったようなのです。
つまり、別れの時が早く来る、ということですね。

 それまでは、別れまでもっと時間があると思って悠長に構えていたのですが、いざその時間がなくなったと言われると、
途端に未練やらがぶり返してきて、こうして私の頭を悩ませるのです。
事情が事情であるにせよ、もう少し心の整理をつける時間がほしかった、というのが本音でございます。

 だから、今こうしてまなかと車輪を並べている時間は、一秒一秒が貴重なものなのですが、
どうしてか私の頭はじくじくといつまでも悩んで、まなかの話も上の空なのです。
この声を聞くことはもうすぐできなくなってしまうから、その一言も逃さずに聞き取って記憶に留めておこうと思うのに、
私は憂いにさらに憂いを掛けてまなかの話を聞き流してしまうのでした。


 何の偶然か、私が部活をやめたのとほぼ同時期にまなかも部活をやめております。
その理由は判然としません。尋ねても答えてくれないのです。
何があったのでしょうか。あるいは、何をしているのでしょうか。
諏訪は平和で長閑な田舎とはいえ、最近は不審者やらの情報を耳にすることも多くなってきて、
しかもこのまなかは、顔立ちは男子に人気が出るほど可愛らしいものですから、変な男に捕まってしまうのではないかと、
妙な老婆心を働かせてしまいます。

 幼いころから一緒にいたため、まなかの性格は熟知しており、だからこその懸念という訳なのです。
彼女は昔から気の抜けたというか、おっちょこちょいなところが散見されますから、という訳です。
私がいなくなった後、この子はちゃんとやっていけるのだろうか、そんな悩みもあるのです。


 そんな彼女は、我が神社の近くの、参拝客を相手に商売をしている土産物屋の一人娘でありまして、
まあだから幼いころからよく遊んできたのです。
昔、彼女のご両親に不幸があり、今はその土産物屋で祖母と二人で暮らしております。
ただ、元から参拝客が少ない上に、長らく続く不況の煽りで、徐々に店の経営は苦しくなっているらしく、
時折ですが、まなかはそんな愚痴を零すことがありました。
だから、彼女を見ていると、我が神社がなくなった後お店はどうするのだろうかと不安を抱きますし、
私たちだけが裏技を使って自己救済するということへの引け目もございます。

 そんな悶々とした思いをこの頃は常に持っていて、おかげで授業も耳に入りません。
そういった気持ちは徐々に消化していこうと考えていたのですが、既に述べました通り、予定が繰り上がってしまって、
一気に心中が乱れてしまったのです。
お別れは早く言わなくちゃならない、でも、いろんな思いが交差して何が何だか分からなくなってしまっているのでした。


 片や、我が友人はそんな私の胸の内など露知らず、隣で何が楽しいのか、日常のちょっとした面白話を、
落語家のようにそれはもう、表情豊かに語っているのです。
その両手は自転車のハンドルを握っておりますので動かされることはないのですが、もしそうでないなら、
指揮者のように腕を振り回していたことでしょう。

 彼女の話は、とにかく次から次へと目まぐるしく移り変わっていきます。
よくもまあ、そんなに話すことがあるものだと舌を巻くくらい、本当にいろんな話をするのです。
とはいえ、かくいう私も女子高校生の一人でございまして、そんな彼女の話についていけますし、
時には私自身も彼女のように目まぐるしく、東京の交通のように次から次へと押し寄せる言葉の波を、
延々としゃべり続けることができます。
隣のまなかに比べれば幾分おとなしい性分とはいえ、私の性格は気立て良し、器量良しの奥ゆかしい大和撫子とは程遠いものですから。




「……なえ。早苗!」



 だからといいますか、幼いころから一緒にいたのは、性格的に波長が合うからなのでしょう。
私は彼女と話していて楽しいと思いますし、それは彼女の方も同じだと思います。



「お~い。『神社生まれのSさん』や~」

「何?」



 どうやら、物思いにふけっている間に呼ばれていたようです。
不審そうな顔をしているまなかに、私は曖昧な笑みを浮かべます。



「『破ぁ!!』」

「はっ?」



 突然、右手をこちらに向かって突き出し、掌を見せて、まるで力士のツッパリのような仕草とともに大きな声で叫ぶまなか。
私は思い切り眉間に皺を寄せました。そんなことをしてたら、こけるよ。



「いや、煩悩に苛まれているみたいだったから、解決してあげようと思って」

「煩悩じゃないから」

「でも、話聞いてなかったでしょ。『神社生まれのSさん』」

「それやめて」



 私は溜息を吐きました。

 まなかの言う『神社生まれのSさん』とは、もちろん私のこと。
その由来は、インターネットの掲示板に書き込まれる怪談話に出てくる『寺生まれのTさん』なる架空の人物です。
この『寺生まれのTさん』は、大変霊感の強い人で、怪奇現象に遭遇してピンチに陥った人の前に突然現れて、
『破ぁ!!』の叫びとともに悪霊やお化けを退治し、颯爽と去っていく謎の存在です。
『Tさん』の話はそれを目撃した他人からの視点で語られることが多いのですが、そうした人々はいつも
「寺生まれってスゴイと思った」と話を締めくくるのでした。


 ……というような話を、夏休みに私の家で、当時所属していた女バスの一年生だけで集まって怖い話をしていた時に、
私が言い出しまして、それ以来私のあだ名が『神社生まれのSさん』になりました。
自分が原因を作っておいてなんですが、この呼び名は不本意であります。
尤も、『Tさん』ではないですが、私も霊を退治できるくらいの力を持っていますので、あながち的ずれなあだ名という訳でもないのですが。
(ちなみに、どうして私の家に集まったかというと、「雰囲気がすごい」から。
確かに、神聖な場所ではありますが、それ故に霊魂も集まりやすく、私も『見える』タイプなので、
そのような話を部活仲間にしていた結果、必然的に決定されたのでした)




「それで、何の話なの?」



 いちいち構っていても埒があきません。
反応すればするほどからかわれますので、ここは大人な態度で話を先に進めます。



「ああ、うん」



 傾いた夕日に照らされ、うっすらと黄金色に染まるまなかの顔は、曖昧な笑みを浮かべていました。
それこそ、先程私がまなかに見せたような、取り繕うような笑みで、付き合いの長い私は直感的に、
これは何か隠しているな、と感じました。またか、とも……。


 最近、一緒に帰ることが多いのですが、どうしてかまなかは帰路の途中で私と別れるのです。
本当なら、私たちの家はご近所同士なので、少なくともまなかの家の前まで二人一緒に帰られるのですが、
何故かそうならないのです。
そして、また不思議なことに、まなかと別れるタイミングはいつも違い、学校の周辺や、私たちの家の近くを通る中央道の辺り、
時には田んぼの真ん中でと、別れる場所はバラバラでした。

 まったくもって分かりません。
こっそりまなかの後を付けたりしたのですが、それもどうしてか見失ってしまい、結局彼女が何をしているのか、
どこに行っているのか、てんで分からずじまいなのです。


 さて、今日は、というと。



「またぁ?」



 そんなまなかに、私は呆れたように、困ったように、あるいは文句を言うように零しました。
まなかは「ごめんね」と手を合わせて小さく謝ります。

 ここは、中央道の手前。
家に帰るには、目の前を走る中央道の下をくぐらないといけないのですが、まなかはその手前の
家が何軒か立つこの場所で別れようと言っています。
周りには中央道の土手や、農家のお家の他は、田畑しかありません。
遠くに、密集する市街地の中から飛び出る高島城の天守閣や、丘の上に立つ我が校の校舎が見えるほど見晴らしがいい場所なのですが、
多分この後彼女の後を付けてみても、その姿を見失ってしまうことでしょう。
本当に不思議です。まるで、神隠しのよう。




「うん……。じゃあね。また明日」



 結局、追及しても答えが返ってこないのは分かりきっているため、私は渋々手を振ってまなかに別れを告げます。
まなかもすまなそうに手を振って、先に自転車を漕いで農道を戻っていきました。

 そうです。
ここ最近は今通ってきたこの農道を帰り道にしているのですが、まなかは日によって違いますが、
この農道から脇道に反れたり、先に進んだり、あるいは今のように戻っていったりします。
一体全体、どこで何をしているというのでしょうか。
謎は深まるばかりで、さらに私の心も沈むばかりです。

 まなかと過ごせる時間も残り少ないのに、私は物思いにふけって話を聞かないし、まなかはまなかで謎の行動をするしで、
ますます貴重な時間が浪費されていってしまいます。
その現状に、私はいろんなものを込めて大きな溜息を吐き出しました。


 まあ、心の中で愚痴っていても仕方がありません。
私は自転車のペダルを踏み出し、独り家路に着きます。

 嫌な感じがします。
まなかは割と単純な性格で、裏表がないので隠し事はへたっぴだと思っていたのですが、
そんな彼女が頑なに隠そうとする真実な一体何なのでしょうか。
それは、思春期の女の子な訳ですから、誰しも隠し事の一つや二つ持っています。
私もそうですし、周りもそうです。

 けれど、これはそういった「思春期の女の子の隠し事」とは違う気配がするのです。
もっと重大な、もっと恐ろしいもののような感じがして、だからまなかのことが心配ですし、
私が諏訪を去った後の彼女の行く末も不安で仕方がありません。



 実は最近、近くの中学校の女子生徒が一人、行方不明になるという事件が発生しました。
二年生だった彼女は、一月ほど前から消息を絶ち、未だに連絡が付きません。
当初は家出と考えられていたようなのですが、ずっと連絡がない状態だったので、警察沙汰にもなりました。

 長閑な田舎の中学校から行方不明者が出たということで、地元でも大きなニュースになり、
長野県の地方紙にも記事が掲載されました。
しかし、一向に行方は分からず、事件は未解決のままです。

 そんな恐ろしい事件があったからこそ、私の心配は増すばかりなのです。
まなかも何か事件に巻き込まれているのではないか、消えた女子生徒のように彼女も行方をくらませてしまうのではないか。
そんな不安が付きまといます。


 ピチャピチャと、車輪が水を撥ねました。
ペダルも急に重たくなったような気がします。
私は足に力を入れて自転車を漕ぎました。


 本当にもう嫌になります。
引っ越し、友人の隠し事、彼女への引け目。
さらには、幻想郷という未知の土地で上手くやっていけるかという不安もあります。
何せ、妖怪変化が跋扈する地ですから、食われてしまったりはしないのだろうかと、恐れてしまいます。

 ああ、もう。どうしてこんなに不安なことばかりなのでしょう。
何故、何もかもが上手くいかないのでしょう。
この自転車のペダルだって、一体どうしてこんなに重いのでしょう。
これでは、非力な私では漕げないではないですか。




「……………………は?」







 気が付きました。周りの様子がおかしいことに。


 どこでしょう。ここは。


 自転車を止めて、地面に片足を付こうとして、その足が急に冷たくなったうえに、ずぶりと何か柔らかいものに沈んだので、
私は思わず「きゃあっ」と悲鳴を上げてしまいました。

 足元を見ると、私の足が水面の下に沈んでいます。
どうやら、今いるこの場所は水辺のようで、水深は非常に浅いのですが、片足も自転車の両輪も水面とその下の泥に沈んでいるようなのです。


 どういうことでしょうか。先程まで田畑の間を走る農道にいたはずなのに。


 確かに、今の時期、青い稲がそろそろ穂が重たくなってきて、猫背になっています。
田んぼには水が張られ、もうすぐ収穫な訳です。
しかし、ここは田んぼという訳でもなさそうです。
足や車輪の沈み具合を見るに、田んぼより水深は深いようでした。

 まったく見慣れぬ場所です。辺りには霧が立ち込めていて、視界が効きません。
見える範囲も、それほど広いものではなく、目を凝らしても先程まで目の前に横たわっていた中央道の土手は影も形もなく、
またそこを走る車の走行音もいつの間にやら消えています。


 ここはどこでしょうか。突然見知らぬ場所に放り込まれて、私の頭は混乱の極みに達しました。
しかも、それになお拍車をかけているのは、今いるこの場所が記憶にないにもかかわらず、どうしてか“既視感”があるからです。


 はて、忘れているだけでしょうか。
……いいえ、思い出しました。すぐに、思い出せました。


 この水辺の場所。よくよく思い出せば、諏訪湖の岸辺に似ているのです。


 我らが諏訪の民の心のよりどころ、故郷『諏訪』の象徴――――諏訪湖。



 話は変わりますが、私の高校にはある伝統行事があります。それが「端艇大会」。

 その名の通り、全校生徒でボートレースをする行事です。
そのために、私たちは一月ほど前から諏訪湖でボートを漕ぐ練習をしました。
その端艇大会はつい先日、無事終了したのですが、その大会まで散々見た諏訪湖の水辺に、今のこの場所がそっくりなのです。
といっても、霧の中で見える範囲だけですが。


 いつの間に私は諏訪湖まで来てしまったのでしょうか。


 ――――いえ、それはあり得ません。
いくら物思いにふけるからといって、前後不覚になる訳がないですし、第一自転車を漕いでいるのですから、
そんな状態になってしまったら、あの農道から諏訪湖に至るまでの間に、事故を起こしてしまうでしょう。
そもそも、今日は良く晴れていて雲も少ない気持ちの良い日。
こんな霧などどこにも出ていません。


 何でしょう。ワープでもしたのでしょうか。
あるいは、これこそが神隠しだとでもいうのでしょうか。


 私は自転車から降ります。

 これで両足が水に浸かることになりました。
秋になったとはいえまだ寒くない時期なのに、ここの水は肌を刺すような冷たさがあり、
そのリアルな感触に思わず身震いしてしまいます。
靴も靴下も、とうに水を吸い込んでびしょ濡れ。
それがますます今この状況が夢でも幻でもなく、現実だということを教えてくれます。

 私は自転車を片手で支えつつ、周囲を見回しました。
しかし、全く見当たりません。
木の一本でもあれば、霧の向こうに影となって浮かび上がったりするものですが、そんなものはどこにもありません。

 白い霧はのっぺりと広がっていて、どちらを向いても同じような感じがします。
例え濃霧の中であっても、こんな不可思議な感覚がするでしょうか。
全く方向感覚がつかめないので、今自分がどちらを向いているのか把握できません。


 これは困りました。
これだけ水深が浅いのですから、陸地は近いと思うのですが、一方で直感は、こんな霧に包まれた浅瀬がどこまでも続いているんだ、
と告げているのです。


 だんだん分かってきました。
リアルな水の感触、泥の感触がしますが、ここは「リアル」な場所ではないと。
現実ではないということが……。



 それと同時に、こちらに向かってくるイヤな何か。

 私は神社の娘で、どうやら古い神様の血を引いているようなので、他人にはない、不思議な力を持っています。
神様方を知覚できたり、霊感があったりするのはこのためです。
これはもちろん、まなかにも言ったことがありません。

 まあ、だから分かるのです。
今、私に向かってものすごい速さで水面の下を突き進んでくるそれが。


 私は身構えました。そして、それが奏功しました。

 突然、目の前の水面から何かが飛び出してきたのです。
私は持てる限りの反射神経を使って、全力でそれを避けました。
身をかがめて回避すると、その飛び出してきた何かは、私の頭上を通過していきました。
そして、また大きな水音を立てて水面下に戻っていきます。

 一瞬見えたのは、魚のような影でした。
大きさは、トビウオくらい。動きもトビウオっぽかったので、トビウオなのでしょう。
ただのトビウオとは思えませんが。

 諏訪湖にトビウオがいるなんて話は聞いたことがありません。
そもそも海水魚のトビウオが、東京タワーの倍以上の標高のところに位置する諏訪湖に生息できるはずがないのですから。


 まったく訳が分かりません。一体何だというのでしょう。


 しかし、私には考える時間は与えられませんでした。


 次に近づいてくる気配が複数。あっと思った時には、それらが同時に飛び出してきたのです。
私は避けようとしましたが、バランスを崩して尻餅をついてしまいました。
お気に入りのショートパンツが泥だらけになり、あっという間に下着の中まで水がしみ込んできましたが、私はそれどころではありません。

 バシャン、と派手な水音を立てて、自転車が倒れてしまいます。
その拍子に、飛沫がいくらか髪にかかり、私は頭を振って水を払いました。

 たった今襲ってきたトビウオはもう見えなくなっています。
そもそも、まともに視認できる速度ではありません。
しかし、確かに一つ分かることは、このトビウオたちは、明確に私に向かって襲い掛かってきているということです。



 どうしましょう。応戦した方がいいのでしょうか。


 私には、超常の力がありますが、完全に使いこなすことができる訳ではありません。
そもそもが、この力は私の仕える二柱の神様の、その御力を頂戴している訳ですから、そうそう気軽に行使できません。
尤も、訳の分からない存在に襲われているこの状況なら、力を使っても構わないとは思います。


 問題は、相手が速過ぎて捕捉できないこと。

 私の力は発動に少々時間がかかるので、悠長にしていたらトビウオに殺されてしまいます。
かといって、このまま手をこまねいている訳にもいきません。ジリ貧に陥ってしまいました。


 どうしましょう。こんなところで、こんな訳の分からない魚に、無残に殺されるのが私の最期だとでもいうのでしょうか。


 泣きたくなりました。


 それが私の運命だというなら、さすがに本気で恨みますよ。神奈子様! 諏訪子様!


 けれど、状況はとにかく無慈悲でした。
私はなおも近付いて来るトビウオの気配を察知してしまいます。

 あれだけ速く動いている相手には、私などどれだけ動いても止まっている的に等しいでしょう。
先程はたまたま運よく避けられただけ。幸運がいつまでも続く訳などないのです。

 「もうだめだ」なんて言ったら、それこそ本当に駄目なのでしょう。
しかし、私の体は動かず、私は阿呆のように処刑を待つしかなかったのです。


 トビウオが来ます。感じる気配は一匹。しかし、確実に狙ってきています。


 ああ、ごめんなさい……、神奈子様。諏訪子様。情けないこの風祝をお許しください……。


 私は目をつむり、唇を噛みしめて心の中で、悲しませてしまう神様方に祈りました。
ご期待に添えられないのが、本当に無念で…………。





 ――――その時、




 ビィィンと、




 音がしました。


 ガシャァンというものすごい音がすぐ近くから響いて、私は飛び上がりました。
目を開けてみると、傍にある自転車の後輪に魚が激突していました。
そして、その姿に私はまた驚いたのです。


 なんと、その姿形の奇異なこと、奇異なこと。
一言でいえば魚で、やはりトビウオのような見た目をしているのですが、不可思議なことにこの魚には嘴が生えているのです。
真っ直ぐとして細長い、鶴のような嘴です。
あんな物が突き刺さったら痛いどころの話ではありません。死んでしまいます。

 しかし、それはそうはいっても生物のものです。
遺伝子操作の上で誕生した魚のキマイラと言えば、相当無理がありますが、まあ分かります。
けれど、その胸鰭が付いている位置から生えるボートのオールはいかがなものでしょうか。
サイズはそれこそトビウオの胸鰭くらいですが、端艇大会のおかげで散々見慣れたオールは見間違いようがありません。

 嘴だけならまだしも、体から人工物が生えるって、どういうことなんでしょう。
本当に理解不能で、頭が痛くなってきました。

 その奇怪な魚は、衝突した自転車の車輪の上で跳ねていましたが、やがて体をあり得ないくらい折り曲げると、
何と自分の嘴で腹を抉ったのです。
抉られた腹からは当たり前ですが、真っ赤な地や内臓が溢れ出てきて、魚はプルプルと痙攣した後、
力尽きてしまいました。
その間、わずか数秒。あっという間の出来事に、私の脳はフリーズを起こしました。


 これは自殺でしょうか。この凶暴な魚は何をしたかったのでしょうか。


 目が回ってきた私の耳に、霧を割いて声が届きました。



「早苗ッ!!」





 聞き慣れた声です。そう、この声は、



「大丈夫!? 早苗!」



 ビチャビチャと派手に水音を鳴らしながら駆け寄ってきたのは……何ということでしょう。
先程別れたばかりの会見まなかではありませんか。
ボートのオール以上に見間違いようのない顔をありったけの心配の色で染めて、彼女は私に向かって走ってきます。

 三度、私は驚き、そして最も衝撃を受けました。
最早、自分が何に驚いているのかすらも分からなくなってしまうほど驚いたのです。


 というのも、今ここに彼女がいる以外にも驚く要素があったのです。


 まず、その格好です。


 先程まで、彼女は今の私と同じように、グレーのショートパンツとその下にレギンスを履き、
上はガラTに薄手の黒いカーディガンを引っ掛けていたのですが、今は全く違う服装になっていたのです。

 それは、一言でいえば「ファンシーな狩猟服」といったものでしょうか。
自分でも何を言っているのか分からないのですが、そんな表現しか思いつきません。
狩猟服といっても、現代の漁師の皆さんが来ているようなものではなく、某モンスター狩猟ゲームに出てくる防具のような感じで、
全体は厚手の皮で仕上げられているようなのですが、生足露出の眩しいミニスカートの縁なんかは、
ふさふさのファーです。
胸元は大きく開いていて、彼女の白い肌が覗いて、何だかエロチックな仕上がりになっています。


 さらに、彼女が手にしている物にも驚きました。


 それは弓です。大きな狩猟弓で、これもまたあのゲームに出てきそうな武器でした。
そして、彼女とあのゲームをよくしていたなあ、と思い出しました。
確か、二人で狩りに出かけて隠しボスの白い竜まで倒したはずです。


 それはともかくとして、奇妙なのは彼女が矢や矢筒を持っていないことです。
あのゲームのハンターは矢を無限に射れますが、彼らも矢筒は持っていました。
しかし、まなかの方はというと、狩猟弓を持っているにもかかわらず、矢も矢筒も見当たらないのです。
ただの弓だけで、一体どうやって戦うのでしょう。



 その疑問は、すぐに解消されました。

 あの気配、奇怪なトビウオが近づいてくる気配がします。
それも複数。今度は今までよりもっと数が多いようです。

 それと同時に、奇妙なことが起こりました。



「気を付けてまなか! 新手が来たよ」



 誰かの声がしたのです。
ただ、それは耳から聞こえた音波ではなく、頭の中に直接響いてくる、テレパシーのような物でしょうか。
実体化していない神様が私に語りかける時のように、頭の中で直接声が響いたのです。

 それに私はショックを受けました。
何故って、そんな芸当ができるのは、偉大な神様方だけだと思っていましたから。


 そのテレパシーの主はすぐに分かりました。
まなかの左肩の上に、見たこともない生物がいたのです。
直感的に、そいつがテレパシーを飛ばした張本人だと分かりました。

 それもまた、奇異な姿をしているのです。
大きさはそこら辺のイエネコ程度ですが、体に比して不釣り合いなほど大きく膨らんだ尻尾に、
やや扁平な球状の頭、そこに猫のような耳が生えていて、一番目立つのはその耳から延びる腕というか、
触手というか、そんな様なものです。
その腕(便宜上そうしておきます)の先には左右それぞれリングが付いていました。
腕輪、なのでしょうか。

 また、全身は真っ白で、腕の先だけ桃色になっていて、リングは金色です。
そして、目玉は真ん円の赤いのが二つ。
全く生物らしさを感じさせない、人形のような目玉です。
口もあるのですが、その口は閉じられていて開きません。




「あいよー」



 まなかは、まなからしいどこか気の抜けた返事をして、私と向かって来るトビウオの群れの間に立ちます。
そして、足を肩幅に開き、まるで古武士のように弓を構えます。

 そして――――、


 ビィィン、と。


 先程も聞いた独特の音が辺りに響き渡りました。まなかは人差し指と親指で弦を摘み、それを弾いたのです。


 それでピンときました。鳴弦です。

 なるほど、そういうことなのですね! 得心します。


 鳴弦とは、御神事などの際に梓弓の弦を鳴らし、魔を払う儀式のことを言います。
つまりは退魔の動作で、この妖怪魚を祓うためには普通に矢を射るよりそちらの方が有効かもしれません。
ただ、奇妙なのは梓弓ではなく、狩猟弓でやっていることですが。

 ただ、実際には退魔の効果があるようではないのでしょう。


 まなかが弦を鳴らすと、奇妙な光景が繰り広げられ始めました。

 水中を猛スピードで泳いできたトビウオたちが、一斉に空中へ飛び上がったのです。
それもほぼ垂直に。丁度、例の某ゲームに出てくる、ある魚竜に音爆弾を当てた時のような反応。

 一斉に飛び上がったトビウオたちは着水すると、また跳ね回りました。
こっちに向かってくることはありませんが、なんと自慢の嘴で他の魚を突き刺し始めたのです。
先程の魚は自殺しましたが、今度は仲間同士で殺し合っているのです。


 その悍ましい光景に私は目を背けました。これでも普通の女子高生なんです。
あんまりグロテスクなものは見られません。さっきの魚の自殺だってきつかったのに。



「今度は後ろから来るよ」



 また、頭の中に声が響きます。同時にまなかは殺し合う魚の集団に背を向け、再度弦を鳴らしたのです。

 私は目を向けません。派手な水音だけで何が起こっているのか十分分かりましたから。



「また来るよ。数が多い。一つ一つ、落ち着いて対処をして行こう」

「はいはい」



 どうやらあの生物は、このまなかの戦闘(?)のサポートをしているようです。
的確で沈着なアドバイスのおかげか、割合慌てん坊なところのあるまなかも落ち着いています。
十数年来の友人である私より、まなかの扱いが上手いのは何故でしょう。

 まなかの方はというと、よく見ると緊張しているのが丸分かりです。
何よりも表情がこわばっていますし、弦を弾く手が震えています。
しかし、それでも彼女は慌てることなく弦を鳴らし続け、襲い来るトビウオの群れを迎え撃ちます。

 弦を弾いて鳴らすだけの単純な作業ですが、それでもものすごい数のトビウオたちが次から次へと押し寄せてくるので、
少しでも気を抜けば大変なことになります。
まなかもそれを分かっているのでしょうが、謎の生物のおかげで破綻せずにいられるようでした。
私たちの周囲では先程のような殺伐とした光景が繰り返され、しかし一匹として私たちの下にたどり着いたトビウオはおりません。




「これで全滅だ」



 謎の生物がそう呟いたのは、少ししてからでした。

 その時には全方位から響いていた盛大な水音もすっかり静まり、辺りは平和を取り戻していたのです。



「結界が解けるよ」



 少年にも少女にも聞こえる声で生物は言います。これが妖怪というやつなのでしょうか。
実物は初めて見ますが、これから行く幻想郷にはうじゃうじゃいると聞きます。


 そして、生物の言う通り、結界が解けたのです。いえ、溶けたと言うべきでしょうか。
霧に包まれていた浅瀬の景色は、見慣れた夕空の田園風景に溶け込んでいくようにして消えていったのです。

 正直、驚きの連続で、驚き疲れていたので特にリアクションは取りませんでした。
まあ、何となく察せていたことですし。



「はぁ~。終わった~」



 盛大な溜息とともに、まなかの顔から一気に緊張が抜け、彼女の体も脱力します。
まなかは狩猟弓を支えにして、ほっと安堵の息を吐きました。



「早く変身を解いた方がいいよ、まなか。誰かに見られたら面倒だ」



 謎の生物はまなかの肩から地面に飛び降りつつ、そんなテレパシーを頭に残してくれます。



「はーい」



 気の抜けた返事とともに、まなかの体が一瞬光に包まれたかと思うと、次の瞬間には元の、先程まで着ていた服装に戻っていました。

 その間、目まぐるしく変化する状況に私はあっけにとられて、尻餅を付いたままでした。
足もお尻も冷たいまま、それがあの空間が夢や幻の類ではなく、現実であったことを改めて教えてくれます。




「早苗大丈夫? 腰抜けた?」



 軽く笑いながら、まなかが手を差し出してくれました。どこからどう見てもいつものまなかです。私は恐る恐るその手を取りました。


「ほい」


 そんな掛け声とともに、強い力で私は引っ張り挙げられてしまいます。


「大丈夫? ボーっとしてるけど。戻って来て~」


 まなかが目の前で手を振りました。私はその手を掴みます。


「何、これ」


 それだけしか出ませんでした。いろいろ聞きたいことはあるのですが、それらを全てひっくるめて、それだけしか言いませんでした。


「あーっとねぇ」


 目を逸らして、残った方の手で頬をポリポリと掻くまなか。気まずそうに、言いにくそうにしています。
しかし、なんとしてでも説明してもらわなければなりません。


「取り敢えず、あたしんち来る?」

「行く」

「オッケー」


 軽い感じでまなかは返事をしました。

 と、そこへ、


「東風谷早苗」


 唐突に名前を呼ばれました。あの生物です。

 驚いて見下ろすと、足元からその生物の二つの目玉がじっと私を見上げていました。


「後で詳しく説明するけど、予め簡単に話しておくよ。君の友人、会見まなかは魔法少女だ。
そして僕は、彼女と魔法少女の契約を取り結んだ魔法の使者――キュゥべえ。今日は君にお願いがあって来たんだ」

「お願い?」

「そう。僕と契約して、魔法少女になってほしいんだ」


 生物はそう言いました。全く抑揚のない声で、限りなく胡散臭く、限りなく不気味に。









小話という分量じゃないので、都合四回に分けて投下します。

オリキャラはまどマギの命名規則に従ってつけてみました。
名前にも読める苗字って結構あるんですねぇ。


批判? 賛成とは違うのですか?



一応、オリ使い魔紹介っぽい?

端艇の魔女の使い魔
その役割は「随伴」。
魔女の忠実な部下で、魔女の航行を妨害する障害をすべて排除する。
鳥の嘴を持つ魚のような姿をしていて、胸鰭がオールになっている。
加速をつけて、嘴で突き刺すように攻撃する。数は多いがそんなに強くない。
結界は、諏訪湖の湖畔をモデルにした浅瀬のような場所。
霧に包まれていて視界が悪い上に、水面の下は泥沼で、足を取られるため非常に闘いにくい。
場所のせいで、使い魔が強く感じる。



気立ては少ないとしても器量は良いだろSさん



人としての過去への未練と人の身で神にならんとする傲慢の二律背反、それが彼女
そんな解釈を見た覚えがある
RPG風二次ゲーだったか一枚絵だったか

(ドッペルゲンガーみたく分裂して幻想郷と外の世界それぞれに存在する説もあり、その場合はこの解釈は的外れである)

初書き込みです。
やっと追い付いた!東方知ってて魔法少女知らん自分でも楽しめてます。こういうフランも好きですなー。(紅魔メンバーファンです自分)
これからどうなるか...そしてパチュリー...........文打ってる今、ガチ泣きしてます。現在進行形で。
フランが知ったらショック受けるだろうな...フランにとっても、パチュリーにとっても、親友同士だったんだし。
...にしても咲夜さんの装備は何なんだよ。拳銃は良いとして、軽機関銃、グレネードランチャーはおかしい。
それに、弾の消費具合が半端じゃない気がする...軽機関銃ぶっぱなしてしてるし。
弾が底尽きないと良いけど...。トランクに入るくらいだったら連射速度は低い方かな...? 大抵の奴は大型だからトランクに入るとは思えないし。
カスタムしてたらサブマシンガンやアサルトでも軽機関銃の代わりになるかも知れんけど。(例えばゲームでM4やAK47に100連マガジンを装填した奴が軽機関銃の部類に入ってたりする)

どっちにしろ、フランを探しに行くのにそんな重装備は要らんwww
ずいぶんと話は逸れましたけど、続き頑張って下さい!

パチェは存在そのものが世界から否定されちゃったからな~
それこそ奇跡か魔法でもない限り復活できないような気がする


感想が入り乱れておりますなw
やっぱ、二つのお話を同時に投下するのは無理っぽい?

>>194
たしかに、器量はいいですよ。器量は。
まあ、早苗さんの謙遜ということで

>>195
いろいろ思い悩んだ結果、はっちゃけちゃったという・・・
あと、現生にいる早苗さんは貰っていきますね^^

>>196
おお! ありがとうございます。
長いから読むのが大変だったでしょう。まだまだ続きますよwwまだ中盤ですからw

>>198
パッチェさんは~、パッチェさんは~、
多分今頃触手の餌にグヘヘ
(エロ同人におけるパッチェさんの触手被害率の高さw)







             *









 マミとフランの弾幕ごっこがあった次の日、まどかは朝から学校に行かず、ずっとさやかを探して街中を駆け回っていた。

 あの公園で色々とあった後、まどか以外の全員がほむらの家に向かい、まどかだけが自分の家に帰ったのだった。
両親はフランが居なくなったことを気にしていたけれど、まどかはあれこれ言い訳を並び立てて、
「迎えが来たから帰った」ということにした。まあ、嘘ではない。


 マミたちはほむらの家に泊まることになった。
その時、マミや杏子が別のところに泊まろうと言い出したのだけれど、意外なことに、ほむら自身が半ば強引に誘ったのだ。
曰く、話したいことがあると。


 ほむらはマミを極端に恐れているのだと、まどかも感じていた。
事実、まどかの後ろに隠れたり、マミを見つめるその視線に怯えが混じっていたりしていたのだ。
けれど、彼女は勇気を振り絞った。
理性を取り戻し、かつてのような、まどかたちのよく知る先輩に戻ったマミなら、もう自分を襲うことはないと、
必死に言い聞かせていたのだろう。
もし二人の間に亀裂が入ったままなら、まどかは手引きしてあげようと考えていたけれど、歩み寄ったほむらにその必要はないと判断した。




 状況は良くなっている。


 悪いことばかり続きの中でも、それでも確実に前進しつつある。

 残るは、さやかのことだけだ。



 今現在、見滝原は夜。
だから、吸血鬼であるマミとフランも街に出て、さやかの行方を捜していた。
他にほむらも杏子も咲夜も、そしてまどかもさやかを探している。


 尤も、初めはまどかが当てにされたのだ。
家出したさやかの行きそうな所に心当たりはないかと。
けれど、残念ながらまどかには答えかねた。
さやかの行きそうなところなんて思いつかないのだ。

 それでも、仁美と一緒によく行った場所を中心にまどかたちは探してみたのだが、どこにもさやかの姿はなかった。
昼間はマミたちが動けず、学校に行っていない杏子と仕方なく学校を休んだほむらとまどかが、
夜は吸血鬼二人に、彼女たちの世話をしていた(むしろそっちが本業の)咲夜が加わっている。


 魔女や使い魔が現れればそこにさやかが来るかもしれない。
毎日その脅威の出現する見滝原では、魔女や使い魔を先に探し出す方が効率よくさやかを見つけられるかもしれない。

 だが、今は一人になっているまどかの元に、さやかが見つかったという報告は届いていなかった。


「はあ」


 なかなか親友の行方が分からないことに大きく溜息を吐いて、まどかは手近に設置されてあったベンチに腰を下ろす。


 ここは駅近くの公園の広場。
目の前には、この公園の名物である大きな噴水が水のイルミネーションを作り上げていた。
が、今ここに居るのはまどか一人で、まどか自身も煉瓦で舗装された地面に目線を落として噴水を見ていない。





 疲れた。今日は本当に疲れた。


 何しろ一日中、街中を歩き回っていたのだ。
腿と脹脛の筋肉はパンパンで、足は痛いし、全身くたくた。
しばらくここで休もうと、まどかはベンチに腰掛けたのだった。

 報告がないということは、まださやかは見付かっていないのだろう。
どこに居るのか。どこに行ったのか。全く手掛かりはないまま。

 しかし、それでも親友を責めようとする気は全く起きない。
確かにこれだけさやかには手を煩わされてはいるだろうけれど、その理由は、さやかの方がずっと苦しんでいるんだと分かっているからだ。
だから、心配はすれども責めるつもりはない。
それどころか、今のまどかにはさやかの心配以上のことが考えられないのだ。


 それは――――、









「まどか」










 頭の中に響く独特の“声”。
物理的な音波ではなく、超常の現象として脳に感覚器官を経ずに直接認識される(あるいはさせられる)それは、“テレパシー”。





「キュゥべえ?」

 顔を上げると、噴水のイルミネーションの灯りに背中を照らされながら歩いて来る魔法の使者の姿。
その白い体が、イルミネーションの赤や紫や緑といった光に染められている。
そんな風に多色に照らされつつ、こちらを無感情に見つめる真っ赤で真ん丸な二つの目玉を、
まどかは少し不気味に感じた。
この人間味というか、感情を感じさせない視線や佇まいは、かつてならば魔法という未知の世界へと誘う神秘に思われたが、
今ではどうしようもなく違和感を植え付け、異物感を抱かせている。
彼に比べれば、機械的に光の演出をするだけの噴水の方が、余程人情豊かに思えた。


「さやかはまだ見つからないようだね」

 白々しくそう言いながら、キュゥべえはベンチに飛び乗り、さも当然のようにまどかの隣に腰を下ろす。
そして監視カメラのように無機質な動きで首を回し、顔をこちらに向けた。


「うん。キュゥべえは、分からない?」

 その様子に微かな嫌悪感を抱きつつも、少しでも手掛かりの欲しいまどかは敢えて尋ねてみた。
対して、キュゥべえは音もなく首を振るのみ。



「残念だけど、僕にも分からないよ」

「キュゥべえでも魔法少女のさやかちゃんの位置も分かったりしないの?」

「テレパシーの届く範囲に居なければ分からないよ。
今さやかは、僕のテレパシーの届かない範囲に居るんじゃないかな?」

「それって、どのくらい遠いの?」

「そこまで広い範囲をカバーしている訳じゃないからね。
少なくとも、この街全域を覆えるほどではないよ。
だから、まださやかはこの街のどこかに居るかもしれないね」

「……そっか」


 そこまで期待はしていなかったからか、失望もそんなにない。

 今は疲れていて、これ以上この無機質な生物と会話する気力もなかった。
まどかはそれからテレパシーを送らず、ベンチに体重を預ける。







「もし君が望むなら」



 ところが、この生物は空気が読めなかった。気遣いもできなかった。




「契約してさやかを元に戻してあげることもできる」



 その言葉に、また勧誘かと、うんざりした気分にまどかはなる。
気付かれるか気付かれないか分からないくらい小さな溜息を吐いた。


「マミの場合はフランドールというイレギュラーがあったけれど、さやかの場合はそうじゃない。
よしんばフランドールが関わって来たとしても、彼女ではさやかを吸血鬼にするしかできない。
ならば、今さやかを救ってあげられるのは君しかいないよ」


 それは逆を言えば、さやかを救うためにはまどかが契約するしかないと言っている訳であって、
ちょっと前のまどかだったならこの口車に乗せられていたかもしれない。

 けれど今は、魔法少女の最悪の秘密について知ってしまった今ならば、そんなホイホイ契約したりはしない。





「でも、マミさんはもう魔法少女じゃないんでしょ? 
魂はソウルジェムじゃなくなっちゃったんでしょ? 
なら、さやかちゃんも同じようにできないかな」



 敢えてそう問うてみる。果たしてフランにさやかを人間に戻せる可能性があるのか。


「確かに、マミの魂はそうジェムではなくなったよ。
完全に彼女の魂が概念に戻ったという訳ではないけれど、少なくともそれはマミの体の中にある。
でもそれは、フランドールがマミを吸血鬼にしたからであって、そうせずにさやかを元の人間に戻すのは、いくら彼女でも不可能だろう。
魂とは、そんな簡単に扱えるものじゃないしね」

「本当に、1%の可能性もないの?」


 キュゥべえの否定的な答えを覆したくてまどかは思わず聞き返していた。

 それに対してキュゥべえはしばし黙り込む。
そちらをちらりと見遣ると、彼は何やら考え込むように少し首を傾けていたが、やがて、


「完全にその可能性がないかと問われれば、そうとも言い切れない。
何しろ、彼女たちは魔法少女や魔女とはまた違った、条理を覆す存在だ。
その力は僕をしても計り知れない。
まさか彼女のような存在がまだこの世界に残っていたなんて思ってもみなかったけれど、
だからこそ思いも寄らないことを引き起こすかもしれない」



「じゃあ……」

「けれど、それでも魔法少女の祈り以上の奇跡は起こせないだろうね」


 まどかの言葉を遮るようにキュゥべえは畳みかける。


「彼女たちは――君たち人間が妖怪と呼ぶその存在は、本来人間の天敵であるはずだよ? 
言うなれば、魔女に近い存在でもある」

「……」

「そんな相手に、さやかを託せるのかい? 
彼女たちはいつ君たちに牙を剥くとも知れないんだよ? 
元は魔法少女として人間のために戦ってきたマミでさえ人を襲ったんだ。

フランドールたちにその可能性がないと言えるかい?」

「でも! 私は、フランちゃんと友達になったよ。だから」

「……確かに、友好関係を築くことは不可能じゃない。マミとフランドールのような例もある。
それについて僕も異論はないよ。ただね……」









 ここに居る妖怪はフランドールとマミだけじゃないかもしれない。










 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――え?










「何……? どういうこと?」




「簡単なことさ。フランドールには姉がいる。
つまり、他にも吸血鬼が存在していて、しかも妖怪は吸血鬼だけじゃない。
この国に古来から居ると信じられていた、例えば鬼や天狗、化け狸に妖狐。
彼らが居ないとは言い切れない」



 キュゥべえの話が分からない。何を……言っているの?



「そして彼らがこの見滝原に来ていないとも言い切れない。
もし、さやかがそう言った妖怪と遭遇してしまったなら、疲弊しているだろう今の彼女では、
ただ一方的に嬲り殺されるだけかもしれないし、そうでなくても魔女に殺される可能性も高い」


「魔女に?」


「そうだよ。マミだって、もしあの時フランドールが助けなければ、あの魔女にソウルジェムもろとも貪り食われていただろうね」


 その言葉で思い出す。

 そう、あのお菓子の魔女との戦いの時、必殺技を決めて油断したマミに、本性を現した魔女が頭から食いつこうとしていた。
その直後に有ったことが衝撃的過ぎて、忘れかけていたけれど、確かにマミはあの時食い殺されそうになっていたのだ。










「このままでは、さやかは近いうちに死ぬかもしれないよ」













 さやかが、死ぬ?




 それは、

「イヤ……。さやかちゃんが死んじゃうのは、イヤ」

「なら、もしさやかを救うことに君が自分の魂を差し出せるなら、僕はいつでもその思いに応えるよ」


 もしかしたら、時間はもうあまりないのかもしれない。
他の妖怪はともかく、さやかはいずれ魔女に殺されてしまったり、あるいは魔女になってしまったりするかもしれない。

 それを分かっていて契約しないのは、さやかを見殺しにするのと同じ。


「……もし、私が契約したら、さやかちゃんは助かるの? 死なずに済むの?」

「造作もないね。何しろ、君が秘めている力は途方もない。
正直に言って、どうして君がそれほどまでに力を蓄えこんでいるのか、僕にも分からない。
それは理論上有り得ないものだ。
だから、それだけの力を解放すれば、それこそ君はどんな願いも叶えられるし、万能の神にだってなれる。
当然さやかを人間に戻すことだって簡単に成してしまうだろう」

「今、契約すればさやかちゃんは……」

「早ければ早いに越したことがないよ。
今こうして話している間にも、さやかには脅威が迫りつつあるかもしれないしね」


 キュゥべえの言葉に心が揺れる。


 早くさやかを助けなければという気持ちが強くなる一方で、さやかのためだけではなくほむらや杏子も悲惨な運命から救うために奇跡を願いたいという欲求も主張を激しくする。しかもそこに、契約すればいずれ魔女になるという重たい不安も加わり、まどかの内心はぐちゃぐちゃになった。



 どうすればいいの? 何が正しいの?



 時間もあまりない。急かすように言うキュゥべえに、まどかは焦りを感じ始めていた。


 フランは、まどかが強い意志を持っていれば何かを成せると言っていたけれど、どんな意志を持つのか、
それがまだまどかの中で決められないのだ。




 自分の中で何がしたいのか? どうすれば最善なのか? 
それが分からない限り、まどかには契約へ踏み切る決意はできなかった。



 かといっていつまでも悩んでいる暇はない。



「私は……」

「さやかのために、契約するかい?」


 念を押すように声を掛けてくるキュゥべえ。心なしか、その距離が近くなっているように思える。


 やっぱり、今すべきなのだろうか? 
もし今契約せずに、後でさやかが死んでしまったら、例え奇跡でさやかを生き返らせることが出来たとしても、
まどかがさやかを見殺しにしたという事実は変わりない。
そして、その場合まどかは魔女になる運命を背負うことになり、必ず家族や友人たちを悲しませてしまう。
その一方で、魔法少女みんなの助けになるような奇跡を願うべきなんだという思いもある。



 待てない。でも、選べない。



「まどか、迷っているなら早くした方がいい。後から悔やんでも遅いからね」



 キュゥべえの言葉に背中を押される。

 それは、一歩踏み出す助けになるようなものではなく、無理矢理崖に近付けるような押し方。
力一杯に、ドンと押すようなもの。





「私……私……」




 私は……、




「あまり、時間はないよ。やるなら早い方がいい」















「待ってよッ!!」









 気が付いたらキュゥべえに怒鳴っていた。

 思いの外大きな声が出てしまったことにまどかは驚いて硬直する。
それまで頭の中を引っ掻き回していた三つの葛藤は凍りつき、まどかはしばし呆然とする。

 考えが真っ白になって、顔を上げて前を見つめるまどかの視界に映ったその姿が、代わって思考を埋め尽くした。













「ほむら、ちゃん?」












 呟きが漏れると同時に、魔法少女姿の暁美ほむらが早足で歩み寄って来る。



「消え失せなさい。この害獣!」

 激しい言葉と共に、キッとキュゥべえを睨むほむら。
なまじ造形がいいだけに、眉間に皺を寄せ、眉を吊り上げて敵意を煮えたぎらせた目をして睨むその表情には迫力があった。

 ほむらの怒りと剣幕に圧倒されているまどかの横で、罵倒された当のキュゥべえはやれやれと言わんばかりに首を振り、静かにベンチから飛び降りた。


「まあ、無理強いはしない。まどかが正しいと思ったタイミングで、思うように願い事を叶えればいい。
僕はいつでも待っているからね」


「早く失せなさいと言ってるでしょ!」



 未練がましくまどかを振り返りながら捨て台詞を吐くキュゥべえに、ほむらはさらにとげとげしく怒鳴った。
それを聞き入れたのか、間もなくキュゥべえは夜闇に紛れて去って行った。








 二人だけになる。


 まどかの目の前に立ったほむらの後ろで、相も変わらず噴水がイルミネーションを飾り、爽やかな水の音が耳を満たしてくれた。
丁度逆光になって、ほむらの表情は伺えない。
陰になったその顔を見上げながらまどかは、しばし呆然としていた。



 ほむらが、あれだけの怒りを見せて怒鳴ったことに驚き、戸惑い、そしてほんの少し嬉しさと安堵を感じていたのだ。
もっと落ち着いていて感情の起伏の少ない、冷静な、あるいは冷たいとも言える性格をしていると思っていたほむらが、
激しく怒鳴ったのが意外だった。
そして、キュゥべえに付き纏われていたところを助けてくれたことに、感謝したのだった。




「あ、ありが……」

「契約しては駄目よ」


 掠れた声で発せられたお礼の言葉は、同時にほむらの強い口調に掻き消されてしまった。


「う、うん」


 そのせいで、何となくお礼を言うタイミングを失して、まどかは次に言う言葉を失くしてしまった。




「あいつはああやって貴女を急かし、さも契約以外の手段がないかのように言葉巧みに誘導してくるの。
そんな詭弁に騙されてはいけない」


 まだ怒りが冷めやらぬのか、その声には苛立ちのようなものも含まれていて、さっきまで心の中に合った
感謝の気持ちや嬉しさは萎んでいってしまう。
叱られているような気分になって、まどかは縮こまった。






 けれど、次にほむらの発した一言が、心の琴線に触れる。







「もっとよく考えて。貴女を居なくなれば、それを悲しむ人がいるということを」










 まどかは顔を上げた。


 逆光で相変わらず陰になっているほむらの顔。
視力はいいはずのまどかでも、いまいちよく見えない。
だというのに、ほむらがすごく辛そうに顔を歪めていることが分かった。




 泣きそう……。





 何故だか、そう思う。


「ほむら、ちゃん……?」






 脳裏に浮かぶ光景。

 巨大な何か。今思えば、あれは魔女? 
逆さに浮いたドレスを着た大きな魔女が甲高い笑い声を上げ、理解不能な力で壊れたビルを宙に浮かし、街を蹂躙している。

 そして、その魔女にたった一人で挑む少女の姿。
長い黒髪に、灰色と黒と白の、制服の様な衣装。左腕に装着された小型の円形の盾。


 あんな巨大な敵に立ち向かいにはあまりにも無力で、それ自体が彼女が強いられている残酷な運命のようだ。

 それは、いつの日か見た夢。普通はすぐに忘れてしまう夢なのに、それだけは不思議と今でもはっきりと思い出せる。



 見たことのない光景。



 そこに居るほむら。









 その姿が、ふと目の前のほむらと重なった。







「ほむらちゃん。私たち、どこかで……?」




 ハッと体を震わせるほむら。
さっきとは一転して、動揺したように揺れる声で「そ、それは……」と呟く。


 答えないほむら。まどかは夢のことを頭から振り払う。






 今は、きっと目の前の彼女を慰めてあげた方がいいと思うから。





「ありがとね。ほむらちゃん、助けてくれたんでしょ」

 精一杯、優しく微笑んでみる。
安心させられたらいいと思うけれど、果たしてできただろうか?

 ほむらは驚いたように目を見開いた、と思う。



「契約するの、しっかり考えたいの。願い事だって、ちゃんと決めたい」

「まどか。だから、契約は……」

「うん。解ってるよ」

 ほむらの言葉を敢えて遮る。そして、続けてまどかはこう言った。



「魔女になっちゃうから、だよね」



「あ、貴女は!」



 動揺してか、ボリュームの調整が狂ったように大きい声でほむらが怒鳴る。
されどまどかは怯むことも怯えることもなく、優しくほむらを見上げた。

「それを知っても、まだ契約するというの!?」

「したい。……ううん、するよ」

「どうしてッ!!」

「みんなを、助けたいからかな」


 まどかはゆっくりと立ち上がる。


「さやかちゃんも、杏子ちゃんも、もちろんほむらちゃんも、みんなが救われるような、みんなが幸せになれるような願い事を叶えたいの」

「そ、そんなの……」


 イヤイヤするようにほむらは首を振る。
その様子を見るに、ほむらにもその言葉の意味が分かったのだろうか?


「私は、大丈夫よ。魔女になったりなんかしない。ただ、貴女が無事でいてくれればそれで、いいから……」

「それは、私も同じだよ」


 その瞬間、ほむらは時間を失ったように固まる。ただ、その頬を一筋の滴が伝い落ちていった。


「私だって、ほむらちゃんが大切だから、ほむらちゃんに無事でいてほしいと思うの。
だって、友達だから…………」




 果たして、それはほむらにとって救いになったのだろうか?

 止めどなく流れる涙に、ほむらは嗚咽も上げずに小刻みに震えていた。
それが、悲しいものじゃないというのは分かっている。



 良かった、と思う。泣かせてしまったけれど、悪い意味ではなかったから。

 まどかも泣きそうになった。目の奥がツンとして、それでも今自分が泣いたらほむらを驚かせてしまうんじゃないかと思って、必死で我慢した。

 自分はこんなに想われているんだ。
今まで何一つ取り柄がなくて、ただ生きているだけだったような自分が、ほむらからこんなに想われている。
それだけで、嬉しくて嬉しくて、泣きそうになったのだ。



 ありがとう、ほむらちゃん。



 そう言って、まどかはほむらに身を寄せる。





 イルミネーションに照らされた公園の広場、そこに居る二人の少女の影が、重なった。
















今回の投下分の、前半と後半における読者の皆様方の予想されるご反応。


前半
QB「ケイヤクケイヤク」
まどか「ヤメテー」
http://www.geocities.jp/gaijin_e3/s01.jpg


後半
ほむら「マドカー」
まどか「ホムラチャン」
http://www.geocities.jp/gaijin_e3/d01.jpg








         まどほむ厨大勝利!!!


まどほむは、
アニメ・始まり/永遠→シェイクスピア的悲恋
叛逆→昼ドラ
ここ→純愛

の予定ですw



「願い事が何でも叶う」というおとぎ話は、世界中に言い伝わっています。
最も有名なお話は『アラジンと魔法のランプ』でしょう。
魔法のランプから魔神が出てきて、アラジンの願い事を何でも叶えてくれたのです。

 日本では、一寸法師の『打ち出の小槌』でしょうか。
これも、小槌を振れば、という内容でした。
他にも、ヨーロッパには妖精が現れて願い事を叶えてくれるというおとぎ話がありますし、
変種でありますが『一つの指輪』もそうでしょう。

 フィクションとしては、ある意味王道のお話と言えるかもしれません。
自分の欲望を実現する力といかに向き合うか、それがストーリーの核となったりします。


 しかし、です。それが、現実となったら。
真実、自分の目の前に、「願い事を何でも一つ叶えてあげるよ」という妖精が現れたら、
果たしてそれらのおとぎ話はどれほどの説話となるのでしょうか。
どんなことを学び取れるのでしょうか。


 私自身、まさかフィクションが現実になるなんて、今日まで想像すらしておりませんでした。


 ……なんて言うと、おかしいかもしれません。
私には、それこそフィクションの中から出て来たような力が備わっているのですから。

 しかし、それは何らおかしいものではありません。
私にとって、神様も力も、物心ついた時から認識しているもので、ずっと当たり前だと思っていたものなんですから。
ある日突然、「願い事が叶う」と言われることとは違うのです。



 その妖精は、「キュゥべえ」と名乗りました。
何とも不思議なような、不思議でないような響きの名前です。漢字で書けば「九兵衛」でしょうか。
そもそも、漢字表記があるのでしょうか。
何と言うか、あのキュゥべえの外見からはあまり想像できないような名前、逆に外見から想像しにくいような名前です。

 パッと見は、「愛くるしい」と言えるような姿をしているのではないでしょうか。
日曜日の朝にやってる魔法少女もののアニメに出てくる何たらとかいう魔法の妖精に似ているような気も、
しないこともないです。


 しかし、その一方で違和感というか、異物感というか、現代風に言うなら「コレじゃない感」がするのです。
そして不思議なことに、同時に既視感もしました。

 どういうことなの、と畳に寝っころがって考えます。
私室は私が最も心を落ち着けられる場所の一つですから、リラックスして考えられると思ったのです。

 そうしてしばらく謎の既視感について考えていると、突然「ああ、あれか」と思い出せました。

 何も難しいことではありません。ミッフィーです。あのウサギの……。


 ミッフィーは、いつ、どんな時でも、どこでも、何をしていても、どんな体勢であっても、必ず画面を向いています。
「こっち見んな」と思っても、常に画面(カメラ?)目線なのです。それも、無表情で。


 見ようによっては、あれは不気味かもしれません。
ただ、肝心なのは、それがキュゥべえを見た時の既視感の源泉だということです。


 常に固定化された表情。無機質でこちらを向き続ける顔。
ロボットの方が、まだ人間味があります。


 そんな生物は、自ら「魔法の使者」を名乗り、そして私にある契約を持ちかけました。
それが先に述べた「何でも一つ願い事を叶える代わりに、魔法少女になってほしい」というものです。


 そう、魔法少女です。日曜朝にやってる、あれです。


 正直、それを初めて聞いた時、本物の魔法少女を前にしながら、
「高校生にもなって、魔法少女ってどうなんだろう」と思ってしまいましたよ。ええ。

 とはいえ、定義から言えば確かにその通りなのです。
「魔法」を使う「少女」だから「魔法少女」。全くおかしなことはありません。
言葉の響きがアレなだけで。


 まあ、呼称についてはこの際問題にする必要もないでしょう。何せ、実物が居るのですから。
それも、彼女は私の十数年来の親友なのですから。


 そう、我が無二の友、会見まなかは魔法少女なのです。

 それを聞いた時、何だかとても悔しいような、悲しいような気持になりました。
だって、そうでしょう。
お互い幼い頃からずっと一緒にいて、相手のことは知り尽くしているはずなのですから。
魔法少女になったことを秘密にされていたことが、少しショックだったのです。
けれど、よくよく考えてみれば、私自身がまなかに隠し事をしていたではありませんか。
神様方に頂いたこの力のことを、私は今までずっとまなかに黙っていたのですから。

 だから、お互い様と言えばそうかもしれません。そう言うことにしましょう。
いまいち、腑に落ちないところもあるのですが。


 さて、それはともかくとして、私たちはあの後まなかの家に移動しました。
まなかの家の土産物屋は、彼女の祖母が一人で切り盛りしています。
例によって、まなかの祖母が店番をしていたのですが、彼女はその時まなかが肩に乗せていたキュゥべえに、全く反応しませんでした。
どうやら、キュゥべえは魔法少女か、その素質のある私のような少女にしか視認できないらしいのです。
神様方が、私にしか見えないようなものでしょうか。

 それから、まなかの部屋でじっくり腰を落ち着けて話を聞いたのですが、先に率直な感想を言うと、
すでに契約しているまなかには失礼ですが、どうにも胡散臭い感じがするのです。


 魔法少女に関することの説明は、主にキュゥべえが担当しました。
彼(自分のことを『僕』と呼んでいたので、便宜上オスとみなしています)曰く、
「魔法少女とは奇跡を叶えることを対価にキュゥべえと契約し、そして魔女と戦う運命を背負った少女たち」だそうです。

 その魔女というのが魔法少女と対をなす存在で、希望を祈った魔法少女とは逆に、呪いや絶望をまき散らす厄介な敵なんだそうな。
またなんとも、アニメチックな、と思ったのは秘密です。

 この魔女は普段、結界の奥に隠れ潜んでいて、無辜の人を巻き込んで殺してしまう危険な存在で、
原因の分からない事故や事件は、大抵この魔女が関わっているとのこと。
ちなみに、先程私を襲ったのは、その魔女の手下の使い魔と呼ばれる化け物で、魔女よりは弱いのですが、
数が多くてこれまた厄介なうえ、同じように人を襲い、時には魔女にまでなってしまうこともあるんだそうです。
魔女や使い魔の結界に飲み込まれたら、魔法少女以外脱出するのは不可能で、私はたまたま近くにまなかが居て、
すぐに駆けつけてくれたから運よく助かっただけ、という訳でした。


 ところで、魔法少女は皆、契約した証として『ソウルジェム』なる物体を持っているらしいのです。
事実、まなかも持っていました。
気が付かなかったのですが、まなかは左手の中指に銀色の指輪をしていて、これが未変身状態のソウルジェムだそうです。
まなかは指輪の形のソウルジェムを戻してくれました。


 形も大きさも卵みたいなのですが、色は琥珀のようで、不思議なことに自ら光を放っているのです。
これは、まなかの希望の輝きなんだそうな。

 このソウルジェムは魔法少女の力の根源で、これがなければ魔法も使えないし、もちろん変身すらできません。
なるほど、確かにソウルジェムは魔法少女の証なのでしょう。


 ところで、まなかの叶えた願い事は何だったのでしょうか。
本人に訊いてみましたが、まなかは「恥ずかしいから」と言って話してくれませんでした。
今更何を、と思ったのですが、確かに一生に一度の願い事な訳ですから、恥ずかしがっても仕方ないのでしょう。


 ただ、そんな願い事のヒント(?)に繋がることは分かりました。


 それは、まなかの『魔法』です。

 何でも、魔法少女の『魔法』は、契約の時に叶えた願い事の内容に左右されるらしく、だから一人一人違うんだそうです。
まなかの場合、その能力は幻覚の一種だと、キュゥべえは言いました。


 なるほど、確かにそう言われれば納得できます。
あの結界の中で、魚の形をした使い魔は自殺したり、仲間同士で殺し合ったりしましたが、
それが幻覚を見せられての行動だとしたら合点です。
ただ、可憐な魔法少女の能力にしては、少々えげつないのではないでしょうか。
願い事によるものだから、仕方がないと言えばそうなのですが。


 尤も、この点はまなか自身もやや不満に思っているようで、曰く「もっと強そうな魔法がよかった」とのこと。


 武器や服装が明らかにモン○ンを意識しているのは、魔法少女と聞いて真っ先にそれをイメージしたからだそうです。
あのゲームに魔法少女要素とかってありましたっけ……。
なお、彼女は好んで弓を使っていました。なるほど…………。

 何だかまなかは暢気な感じですが、キュゥべえによれば、彼女まだ契約して日が浅いらしいので、
多分あんまり現実が分かっていないのでしょう。
そもそも、そういったことを考えるのが不得意なまなからしいとも言えます。
それでよくうちの高校に入れたね、と思ったのは一体何回目でしょうか。

 ただ、契約した代償は大きかったようです。
彼女が部活をやめたのは、魔法少女として活動する時間を確保するためでした。
魔女は夕方に出現することが多く、魔法少女となった以上、どれほど面倒でも魔女を狩らねばならず、
とても部活をやっている暇はないのです。
嫌なら辞めればいいじゃんか、とも思いましたが、キュゥべえが言うには、そうもいかないとのこと。
また、彼女が私と帰宅する途中でどこかへ行ってしまうのは、魔女を倒しに行っていたからでした。
そこまでして叶えたかった願いというのは、一体なんだったんでしょうか。


 さて、そうして一通り説明がされた後、キュゥべえは改めて私に契約を持ちかけてきました。

 どうにも胡散臭いのです。
が、何が胡散臭いのか今一つはっきりしません。
だからでしょうか、話を聞いてみて、少し心が動いたのは。


 願いというのは、本当に何でも叶えてしまえる訳ではないのだそうです。
少女には素質というものがあって、人によっては全く素質がない人もいます。
幸い(といっていいのかは分かりませんが)、素質のある人はその素質の大きさの範囲の中で、
願い事を叶えられるそうです。
つまり、素質の限界が、叶えられる奇跡の限界、ということになります。


 私の場合、キュゥべえによれば、かなり珍しいと言える程度に素質が大きいそうです。
素質が大きければ魔法少女としても強くなるので、キュゥべえとしてもぜひ契約したいとのこと。
「あたしは弱っちいからね~」と言うまなかを前に、全く喜べませんでした。


 私の素質の強さ、それはおそらく神様方に頂いた力が関係しているのでしょう。
それこそまさに奇跡の力で、複雑な気持ちになってしまったのです。

 頂いた力をこんな胡散臭い相手に使ってしまっていいのかと思う半面、奇跡の凄さというのはよく理解しています。

 何しろ、私には今、それこそ奇跡の力で解決したいような問題があるのですから。


 キュゥべえと契約すれば、神社に信仰を取り戻し、再び神様方が力を持てば、幻想郷に行く必要もなくなるのではないかと、
そう思うのです。
何より、神様方から頂いた力、これを神様方のためにお使いできるなら、風祝としてこれ以上嬉しいこともありません。
ただ、だからといって即断即決できないのまた事実でして、それは私が優柔不断なのだからなんでしょうか。


 思えば、代償も大きいですが、その分得られる利益も大きいのです。
思ったより早く訪れることになる別れに、私の決心は揺らいでいます。
神様方にご奉仕するためについていかなければならないという使命感と、こちらの世界の友人や
両親と別れたくないという我がままに挟まれて、最近は夜も寝付けません。
このままずっと迷いを引き摺ったまま幻想郷に行って後悔するくらいなら、今契約して話をなかった
ことにした方がいいのではないかとも思いました。

 だというのに、胡散臭さが妙に鼻について気になってしまいます。
それは確かに胡散臭いのです。
むしろ、胡散臭さなどかけらもない方が胡散臭いのです。
誰だって、いきなり「願い事を何でも叶えられる契約」を持ちかけられたら、疑ってかかるのは仕方のないことです。


 ああ、今日もきっと寝付けないのでしょうね。
連日寝不足なため、授業中にうとうととしてしまうのです。明日もきっと……。


 このままでは勉学に支障が出てしまいます。
仮に契約するなら、早く決めたほうがいいに決まっています。
幻想郷に行くまで時間がありませんし、勉強をおろそかにしないためにも。




「よいしょ」



 声を出しながら、私は身を起こします。
家に帰って夕食を食べてから、部屋着に着替えてずっと寝っころがっていました。
時計を見ると、畳に身を投げ出してから既に一時間も経過しています。
そろそろお風呂に行かなければなりません。


 そもそも、帰りが遅かったのです。
それもそのはず、まなかの家でずっと魔法少女の説明を受けていたのですから。
結局、今日はキュゥべえの勧誘を断って帰ってきたのですが。


 それはそうと、キュゥべえは私の家に来たがりました。
いつでも契約できるように、と言って付いて来ようとしたのですが、私はやんわりとお断りを入れました。
何故かというと、まだ正体のよく分からないキュゥべえを神聖な神社である我が家の敷地に入れていいものか迷ったからです。
神様方に怒られるのを恐れたからでは、決してありません。

 キュゥべえは残念がっていましたが、無理に来ようとはしませんでした。
「また明日」と言ってまなかの家を去りました。
まなかは、秘密を吐き出してすっきりしたのか、朗らかな顔で見送ってくれました。


 私は立ち上がり、お風呂に行こうとしたところで、勉強用の座卓の上に置いてある携帯電話が鳴りました。
ストラップとプリクラで飾られた淡いピンクの携帯電話が震えて音楽を奏で始めます。


 携帯を開くと、まなかからメールが届いていました。
「迷ってるんなら、明日魔女退治について来てみる?」と、可愛らしく絵文字やらでデコレーションされた文面でした。


 なるほど、と思いました。


 確かに話を聞いただけでは分からないことはあります。
実際にこの目で見れば、きっともっとよく魔法少女のことについて分かるでしょう。

 私は特に迷うことなく、まなかに返信しました。断る理由はありませんし。




 と、そこで――。



「あっ」



 私は声を挙げました。というのも、外でバイクの音がしたからです。

 誰かが来ました。誰が来たかも明確です。


 間もなく玄関が開く音がして、入って来た誰かと居間の両親が会話している声がします。
私はお風呂に行くのを中断して、きっとこの部屋に来るであろう彼女を待ちます。

 私の家は、神社の敷地内にある古びた一軒家です。
社務所と一体化しているのですが、そんなに広くないので、居間で話している声は奥にある私の部屋にもよく届きます。

 そして案の定、間もなくこちらに向かって廊下を歩いて来る足音がしました。



「早苗。入るよ」



 そう言って襖を開けたのは、一人の背の高い女性。
20代くらいに見える彼女は、私の『従姉のお姉さん』です。



「神奈子さ……ん」



 先程、カッコいいバイクをかっこよく乗りこなしてやって来たのは彼女です。
私は深々とお辞儀をして彼女を出迎えました。



「“今は”そんな畏まらなくったっていいよ」

「いえ。それでも……」

「まったく。真面目だねぇ、早苗は」



 カラカラと笑いながら神奈子さんは襖を閉めて私の部屋に入り、そのまま腰を下ろしました。
私も彼女の目の前ですから、ゆっくりとした動作で丁寧に正座をします。


 どうやら腰を落ち着けて話すようなことがおありのようですが、はて、私には何にも分かりません。
そもそも、こんな夜遅くに一体何事でしょう。
わざわざやって来られたということは、何かしらがあったということなのでしょう。



「あの、いかがなさったのですか」



 私は恐る恐る尋ねてみました。どうにも嫌な予感がしたのです。



「ん。ちょっと気になったことがあってね」



 心臓がドキドキしてきます。
両親への挨拶もそこそこに、こうして私の下まで真っ直ぐ来られたということは、
その「気になること」とは私に関することなのでしょう。



「何でしょう」



 恐ろしいことなら、嫌なことなら、早く知ってしまいたい。
そんな心理が働いて、私は失礼にも、神奈子さんを急かすようなことを言ってしまいました。
言ってから、しまったと思ったのですが、一度出た言葉は取り消せませんし、すぐに謝ろうとしたのですが、



「ああ。それより、最近どうだい。元気かい」



 当の神奈子さんは全くお気になさることはありません。
元より、八ヶ岳の裾野のようにお心の広い方ですから、この程度の失言は気に留める程のことでもないのでしょう。



「はい。仔細なく過ごしております」



 ただ、気になるのは神奈子さんの意図でございます。
社交辞令に対し、私が答えると、神奈子さんは「そうか、そうか」と頷いて微笑まれたのですが、
どうにも様子を観察されているような気がするのです。
ですから、そんなふうにされて私はますます不安を募らせていくのでした。


 しかし、ここはぐっと我慢して、神奈子さんが本題に移られるまで待ちます。



「うん。でも、あんまり顔色が良くないね。寝てないんじゃないのかい」



 その言葉に、私はさっと紅潮しました。

 まったく、お恥ずかしい限りです。
きっと、神奈子さんはすぐ、私が目の下に隈を作っているのにお気づきになられたのでしょう。
こんな顔をお見せしてしまって、申し訳ないです。



「悩んでいるんだよね」



 どうやらその原因もお察しのようで。まるで身包みを剥がされていくような気分です。



「……はい」



 心配なのは、神奈子さんは私にいつもお優しくされますから、私が悩んでいるというと、
特にそれが神奈子さんたちの事情によるものだというと、負い目を感じられてしまうのではないかということです。


 事実、私が躊躇いがちに肯定すると、神奈子さんのご尊顔が少し曇りました。



「本当はもっと時間をおいてあげたかったんだけどね。急な話になってしまってすまない」

「い、いえ。とんでもございません。寝不足なのは、あくまで私の問題ですので」

「いいんだよ。早苗にはいろいろ辛い思いをさせてしまって申し訳なく思っている。
せっかく高校に入って、部活も始めて、これからって時にこちらの都合でこんなことになってしまったからね」



 何も言うべき言葉が出て来ませんでした。
やっぱり、あまり悩むのは良くないようです。


 本当に大変なのは私ではありません。
これ以上、神奈子さ……まのご心労を増やさないように、私は早く決心しないといけないのでしょう。





 …………そうです。
今目の前にいらっしゃる彼女は、我が守矢神社の祭神の一柱――八坂神奈子様なのです。


 八坂神奈子様は、それはもう由緒の正しい神様であります。
その昔、かの有名な古事記や日本書紀にも神奈子様をモデルにした神様のお話が記されました。
特に、古事記においては、神奈子様がモデルとなったその神様が信濃の国まで逃げてくる、
という描写があるのですが、それは実際とは違います。

 事実は、神奈子様がこの地を平定するために侵攻したのです。
その時に、この神社のもう一柱の神様――洩矢諏訪子様との間で戦争が勃発したそうで、諏訪子様は
当時最新鋭の鉄製武器を使って奮戦されましたが、さすがに軍神たる神奈子様相手では分が悪く、
残念ながら敗北されてしまったとのことです。


 だからといって二柱の関係が悪いということはなく、そもそもその話自体が何千年も前のことですし、
その戦争以後は、お二方共同で諏訪の地を治められてきたのでした。


 お二方の、神としての威厳は大変立派なものです。
本気で威圧をなされたのなら、私など塵のように吹き飛ばされてしまうことでしょう。
しかし、普段から威張り散らしているようなことはなく、お二方とも大変お優しく私に接してくださいます。
いや、むしろ私を実の娘のように思って下っており、その実親ばか……ああ、仮にも神様相手に
「ばか」などと言ってはいけませんね、実に親身になってくださるのです。

 そしてそれがついには、現身となって私の前にご顕現されるほどになってしまっております。
神奈子様に限ってですが、このように“人間”として時折私の下に来てくださるのです。
その時は、『茅野(隣町)に住む従姉のお姉さん』という設定でご顕現されるんだそうで、
私の両親はそう信じておりますし、実はまなかも『従姉のお姉さん』中の神奈子様に出会ったことがあります。
もちろん、誰もこのお姉さんが守矢神社の祭神であるなど気付きません。
私ですら、そう言われなければ分からないでしょう。
何故なら、こうして人間のお姿を取られる時は、完全にそのご神力を消されるからです。
そうなられては、ただの人間と見分けがつきません。



 ちなみに、人間の姿を取って現われる最大の理由は、人間界の情報を集めることだそうです。
曰く「神様にも情報化の時代がやって来たんだよ」と。
それを聞いた時、何とも言えない気分になりました。


 まあ、神様と一口に言いましても、その実態はさまざまであります。
とんでもなく保守的な方もいらっしゃれば、我が神社の神奈子様や諏訪子様のように、その辺は柔軟にと言うか、
リベラルな思想をお持ちの方もいらっしゃいます。

 ただ、そのような神様であっても、この時代の流れというのには逆らえず、神奈子様や諏訪子様のほか、
多くの神様方が消えかかっているという、悲しい現実が存在するのです。
そうした現実を前にしても、この私は全くの無力で、ただ消え逝く者を見守るしかないのですから、
大変歯痒い思いをしていました。


 しかし、そこで状況を覆せる可能性が降ってきたのです。
これは僥倖なのでしょうか。それとも別の何かなのでしょうか。





「早苗」と、神奈子様は静かに私の名前を呼ばれました。

「はい」



 ついさっきまでの穏やかな雰囲気はいつの間にか薄らいでおり、代わって神奈子様から言い知れぬ威圧感のようなものが発されいました。
その理由が分からず、私は戸惑いと不安と、そして恐怖を覚えます。


 一体、何事でしょうか。


 そもそも普段から穏やかな神奈子様は、こうして御稜威を顕わにされることなど滅多にありません。
ましてや、実の娘のように可愛がっている私相手であり、私自身としても、このようなことは
相当昔に神奈子様を激怒させてしまって以来のことで、驚いてしまったのです。
その時は、温厚な神奈子様が、それはもう鬼神の如き形相でお怒りになられて、子供心に
トラウマとして刻み付けられたのでした。


 さすが軍神といいますか、この方だけは絶対に怒らせてはならないと、幼いながらも私は固く決意した次第であります。
だから、今こうして神奈子様が、あの時と同じように威厳を顕わになされているのですから、
私はまた何かやらかして、神奈子様をお怒りにさせてしまったのではないのかと、その内心は情けなくも
戦々恐々として震えている有様でございます。


 しかし、それからふと、神奈子様は威圧感を緩められて、いつものように穏やかな雰囲気に戻されました。
恐らく、私が驚き慄いたことを察されたのでしょう。
細やかなお気遣いを欠かさないお方ですから、私のそうした心の機微も敏感に感じ取られたのです。
ということは、少なくとも怒られるようなことはない、と言えるのでしょうか。




「今日、何かあったのかい」



 それから神奈子様は、努めて優しい声音で私にそう尋ねられました。
もとい、ご確認なされました。


 私は賽を投げ、観念致します。

 神奈子様の前に、私などが隠し事を隠し通せるなどあろうはずがありません。
ひょっとしたら、今日帰りが遅くなったことから何かを見抜かれたのかもしれません。


 いずれにしろ、もう私には正直に白状するしか選択肢がなくなりました。


 正直、魔法少女のことを神奈子様にお話しするべきか否か、先程より迷ってはいたのですが、
直接こうしていらっしゃった以上、話すよりほかないのでしょう。
そもそも、そうすべきなのでしょう。

 この身は、私「東風谷早苗」だけのものではありません。
私は神に仕える者ですから、この私の身も心も神様のものであるのです。
したがって、勝手に一生を左右するような奇跡を叶える契約などできません。


 それから私は、神奈子様に正直にお話ししました。
今日、下校途中に遭遇した出来事。
魔法少女となったまなかや契約を勧めるキュゥべえという存在。
魔女や使い魔、そして願い事のことまでも。


 話している間、神奈子様のお顔は徐々に険しくなっていきました。
普段の柔和な微笑みはどこへやら、段々とその皺が深くなっていくのです。

 また怒られるのではないかと、話している途中から私も恐ろしくなってきたのですが、
神奈子様は私が話し終えてもしばし沈黙されたままでした。


 しかし、それもやがて、腰を上げられたことで終了します。



「早苗、ちょっと本殿に来てくれないか。諏訪子と一緒に話そう」

「え……。は、はい」



 本殿に行く。神奈子様は、相当な重要事項を話される場合、こうやって私を神社の本殿に呼びます。
基本的に、神奈子様のみ人間のお姿を取られる時を除いて、お二方とも本殿を出られません。
したがって、諏訪子様はずっと本殿にいらっしゃるのです。


 ですから、この時私の緊張は最高値を記録しました。


 やはり、奇跡が関わっているからでしょうか。
諏訪子様を交えてお話をすることになるということは、相当に重要なことだということなのですから。




早苗さんは「常識にとらわれない」でしたね!
「常識の通用しない」のは、某超能力者のK君だったはずです。


なお、言い忘れていましたが、この早苗さんのお話はSS本編と若干矛盾するところがあります。


乙です
人間も妖怪も神様も悪魔でも真の意味で万能と言える存在はいない・・・世の中って世知辛いね・・・
TV版とも映画版とも違うまどほむか~今後も楽しみだな~

SS本編と矛盾……だと

>>236の書き込みですけど、思いっきり相手を間違えました!
>>198じゃなかった!
本っ当にごめんなさい!!!
いや、許されないと思いますけど謝らせて下さい!
本当にすみませんでした!!!


こんばんわ

みなさん、今年のクリスマスはいかがお過ごしだったでしょうか。
1は年若き可憐な少女たちと楽しい二日間を共にしました。画面の向こうのね!


確かに、このようにリアルの女性と時を過ごせないのは寂しいことかもしれません。
しかし、逆に考えるのです。
画面の向こうの彼女をめでることのできる私たちは、彼女たちを単なる電子情報と蔑むことなく、
三次元の女性に対するのと同じように愛せる寛容な紳士であると。



イイコトイッタナー


>>248
でも結局同じになるかもしれない
何しろ、本質的な部分が「I love Madoka」だもん・・・・・・


>>249
はいもうしわけありませんいちのちからぶそくです
何とか辻褄合わせできないかと模索しとります><


>>250
おk! まずは名前欄からfusianasanを消そう!
それはネット初心者を嵌めるためのトラップで、今名前欄に表示されているのはあなたのリモートホストです。
詳しくはこちら↓↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/Fusianasan

ネットを始めて数カ月ということですが、もう少しいろいろと慎重になられた方がいいでしょう。
よくネットの情報は玉石混合だと言いますが、正直殆どが『石』です(特に2chなんかに書き込まれているものは)
掲示板に書かれていることのほとんどは嘘か、書き込んだ人の勘違い、もしくは主観であって、客観的に正しいことは少ないと思います。
なので、まずはご自身で書かれている情報の真偽を調べる癖をつけるといいでしょう。
例えば、fusianasanトラップも少し調べればすぐに情報が出て来て引っかかることはなかったと思われます(ある意味様式美とも言えますが)
人間は匿名だと本音や攻撃性、悪意を顕わにする傾向のある生き物です。
初心者だから大目に見てほしいなどと言っても、逆に容赦なく叩かれます(そういう人をたくさん見てきました)
魑魅魍魎の跳梁跋扈するネットの世界を渡り歩いてきた猛者の方々は、大変厳しく、しかし慈悲深いですから、
初心者のあなたが一日でも早くネットの世界に慣れるようびしばし鍛え上げてくれます。
長々と書きましたが、以上のことを猛者の方々がよく言うように、一言で言い表しますと、
ggrks
となります。
意味が分からなかったら、ご自身で検索なされると良いでしょう。










                 *








「恭介。お客さんよ」


 家で一人で演奏の練習をしていると、ノックをして入って来た母親がそう告げてきた。


「お客? 誰?」

 手を止め、バイオリンを持ったまま尋ね返すと、母親は少し訝しげな顔をしながら、
「暁美ほむらっていう子。同じクラスだって言ってたけど」



 その瞬間、恭介はバイオリンを急いでケースにしまった。今日の練習はこれで切り上げ。

「すぐに行くよ」

 突然慌てるように動きだした息子に戸惑いつつ、母親は頷いて引き返していった。
ケースに入れたバイオリンはそのままに、松葉杖を取り、練習部屋を母親の後を追う様に恭介は飛び出る。









 待っていた。待ちかねていた。

 昨日、一昨日に引き続き、今日もほむらもまどかも、そしてさやかも学校には来ておらず、
色々と言いたいこと、聞きたいことが溜まっていた恭介はモヤモヤしていたのだった。
まさか、向こうからわざわざ訪ねて来るなんて驚いたけれど。


 用件は大体予想がついている。
十中八九さやかのことだろう。
なら、ここは情報交換と行こう。




 駆け込むように応接室に飛び込むと、暁美ほむらはそこに居た。







 ――――――その刹那、絵画を見ている気分になった、というのが正直な感想だ。



 黒い革張りの来客用ソファに腰を掛け、ストッキングに包まれた細く、しなやかな足をそろえ、
膝に手を置き、背筋をぴんと伸ばしている様は、さながらどこかの令嬢の肖像画のような芸術性を湛えていた。
静謐且つ堂々としている彼女には気品が溢れ、それどころかまるでかぐや姫のようにも思える。

 恭介が飛び込んで来ると、無表情で前を見つめていたほむらは、微かに顔を上げ、長い睫のついた目蓋を幾度か開閉させた。
静かながら、真っ直ぐな視線を受けて、恭介の心が跳ねる。
彼も男の一人なのだから、こんな美人に見つめられたら反応するのも致し方のないことだった。


 一方のほむらは、そんな恭介の内心など気にも留めず、形式的に会釈する。
反射的に恭介も会釈し返した。


 彼女の座る応接室のソファの前にはガラスのテーブル。
ストッキングの上からでも分かる飛び出た膝小僧の鼻先には冷たい麦茶が置かれているが、
手は付けられていないようだった。
恭介はモデルと言っても不思議ではない、むしろモデルではないという方が不思議な脚線美に目を落としつつ、
ほむらの斜め前のソファに腰を下ろした。




 そう言えば、彼女とこうして相対するのは初めてのことかもしれない。
ほむらが転校して来た時、恭介はまだ入院していたし、退院した後も接する機会なんて全くなかったからだ。
言うなればほぼ初対面である。
そのせいか、やたら恭介は緊張していた。


 大きな演奏会で結果を残せるだけあって、恭介は自分が緊張やプレッシャーに強いと自負している。
落ち着きを払って、冷静にほむらと向かい合う。


 そこで、若干ほむらの雰囲気に違和感を感じた。
あまり彼女のことは知らないが、以前はもっと近寄りがたい、冷たい雰囲気を醸し出していたように思う。
が、今はもっと柔らかな感じがするのだ。



 ほむらはなまじ美人なだけに、好奇の噂の対象になっていた。
転校してきてから何回も告白されたとか、一人で夜の街を徘徊していたとか、才色兼備の優等生の皮を被った同性愛者だとか、
そんなくだらない噂話を(主に中沢辺りから)、退院してからの短い期間にも拘らず、恭介は山ほど聞かされていた。
その原因の一端は間違いなくほむらの近寄りがたい雰囲気、そしてそこから生じるミステリアスさな訳だが、
今はそんなもの欠片も感じ取れない。
むしろ、深窓の令嬢と言うにふさわしい。

 だからそれはありがたかった。
聞き辛い事を尋ねる以上、あまり冷たい雰囲気は出さないでほしかったのだ。





「さやかのことだね」


 手っ取り早く話を進めるために、恭介は前置きも省いていきなり切り出す。
訪ねてきたほむらを持て成す側にしてはやや無作法な行為だったかもしれないが、
ほむら自身が余計な世間話を挟みたいとは思っていなさそうだったし、
何より恭介は早く知りたいことを知りたかったのだ。




「ええ。家出した彼女が行きそうなところに心当たりがないか教えてほしいの」


 ほむらもすぐに要求を口にした。内容は案の定である。



「さやかの、行きそうなところか……」


 練習部屋からここに来るまでに少し考えていたけれど、すぐには思い浮かばない。
簡単に答えられるようで、意外に難しいのがこの種の問いだ。





「鹿目さんや志筑さんの方が詳しいと思うけど」

 一瞬仁美の顔を思い出して、恭介はそれをすぐに振り払う。
彼女とはいろいろあって気まずいのだ。


「もちろん尋ねたわ。でも、どこにも美樹さやかはいなかった」


 ほむらは首を振る。その様子に残念さは見受けられないが、どこか落胆した雰囲気もあった。


 そうか、と恭介は呟き、さやかとの思い出を探る。
その中に、彼女の行きそうなところがあると考えたからだ。





 そして、思い出す。

 恭介が初めてコンクールで賞を採った市民ホール。
さやかも見に来てくれていて、幼い二人は手を取って喜び合った。
少なくともそこは、恭介にとってはとても思い出深い場所だった。




「市民ホールなら」

 その一言に、ほむらは柳眉を動かして反応する。



「それくらいしか思い浮かばないけど、ひょっとしたらさやかはそこに行ったかもしれない」

「市民ホール……」

「電車で、3駅くらい離れた所にある。分かるかな?」

「ええ。思い出したわ」


 ほとんど表情を変えずに彼女は答えた。「そっちの方は探していなかったわね」と付け加える。


「じゃあ、探してみるといいよ。僕はこんな状態だからこれくらいしか協力できないけど」

「いえ。貴重な手がかりを教えてくれて感謝しているわ」


 そういうほむらは無表情で、声色もあっさりしていて、言葉の通りに感謝しているのかいまいち分からなかった。
とげとげした雰囲気はなくなったけれど、コミュニケーションが取り辛いのは変わっていないのかもしれない。




「いや……。僕も早くさやかが見つかればいいと思ってるしね」

 そう言うと、ほむらはそそくさと立ち上がろうとした。
用件を済ませたらさっさと去ろうという気か。慌てて恭介は言葉を繋いだ。



「あのさ! 暁美さん、どうしてさやかのことを探してくれてるんだい?」

 今思いついたように言ったけれど、これは本題に移る前にワンクッション置くための話題だ。
もちろん、ほむらがさやか探しに協力しているのは不思議に思っているのだけれど。

 そして、その言葉に腰を上げかけたほむらももう一度ソファに座り直す。
腰を落ち着けて話を聞こうとしたのではなく、タイミングを失してやむなく座り直したという感じだ。
事実、ほむらは若干不機嫌そうにした。


「同類のよしみと、知り合いに協力を頼まれたからよ」

「魔法少女だから?」

「……ええ」


 ほむらの眉間に少し皺が寄る。今、「魔法少女だから?」と恭介が問い返した瞬間に。



 どうやらほむらは、恭介が魔法少女のことに関わるのを快く思っていないらしい。
あからさまに不機嫌な雰囲気を撒き散らし始めた彼女に、それでも恭介は敢えて無神経に、
図々しく振る舞う。




「ところでさ」


 と続けると、ほむらは「まだ何かあるの?」と言わんばかりにさらに眉を顰めた。

 構わず恭介は口を開く。




「僕を助けてくれたのは、暁美さん?」




 もちろん、あの怪物に襲われた時のことだ。
わざわざ言うまでもなく、ほむらにはそれが伝わっているだろう。


 ただ、返事は無言だった。

 さっきまで不機嫌そうにしていた仏頂面は再び無表情になり、一方で探るような目線が恭介をじっと見つめる。
深いアメジストの瞳は心の奥底まで見透かしてくるようで、恭介は無意識に体に力を入れた。


 二人はしばらくそうやって見つめ合っていたが、やがて間が持たなくなって、恭介は口を開きかけた。
その時に、唐突にほむらは「いいえ」と短く呟いた。


 あまりにも淡白に言われたせいで、少し反応が遅れてしまったが、ほむらは気にも留めずに続ける。


「あの時、貴方を助けたのは私ではないわ」

「……じゃあ、誰が?」

「別の、魔法少女よ」


 そう言って、今度こそこれで終わりと言わんばかりにほむらは立ち上がろうとする。
だが、恭介は止めなかった。止めるのが遅れた。ほむらの言ったことに気を取られていたのだ。




 一瞬、さやかのことかと思った。けれど、それならそう言うはずだ。
わざわざぼかして言う理由は思い浮かばない。


 ならば、それは誰か? 思い当たったのは……、



「失礼するわ」

 こちらを振り向きつつそう言って応接室を出ようとしていたほむらに向かって、恭介はその名を口にした。






「佐倉杏子って子のこと?」







 ピタリとほむらの動きが止まる。
恭介を見つめる目は見開かれ、彼女ははっきりと驚いた表情をしていた。
まさか、恭介がその名を知っているとは思っていなかったと言わんばかりに。



「鹿目さんの紹介で一度会ったことがあるんだ」


 ほむらの疑問に先んじて答える。
そのお陰か、彼女の顔から驚きは消えたけれど、あからさまな不審さは堂々と発し出されていた。



「さやかじゃないなら、彼女しかいない。僕をあの化け物から助けてくれたのは、佐倉杏子だ」

「……その通りよ」

「じゃあ、あの化け物は?」



 重ねての問いかけに返って来たのは、凍えるような冷たい視線。
どこか非難するようなそれには、明確な拒絶の意志も混ざっていた。
その意味が分からず、困惑する恭介に対し、少しの間口を閉ざしていたほむらはそれから、
「貴方には関わりのないことよ」と切り捨ててくれた。


 やはりと言うか、そこは教えてくれない。
ほむらはあの少女の姿をした“何か”のことについて知っているのだろうけれど。



「ただ、安心して。彼女がもう誰かを襲うようなことはないわ」


 付け加えられたその一言に、今度は恭介が驚く番だった。


「え?」

「真実は知らなくていい。ただ、結論だけ分かっていれば」


 そっけなく釘を刺されたけれど。





「そっか」


 それは、正直どうでもいいと思う。
ほむらの言うように、結論だけ分かっていればそれで構わない。
真実を聞いたところで、また悩みの種が増えるだけだろうから。


 だから、もう一つ、恭介は打ち明けたいことがあって、そのために帰りたそうにしているほむらをさらに引き留めたのだ。


「佐倉杏子って子も、君たちの仲間なのかい?」

「まあ、そう言えるわ」

「じゃあ――」




 君も魔法少女の正体については分かっているんだね。







「ええ」


 即答だった。

 そして、今のほむらの表情は露骨に――不機嫌さではなく――不快感を示していた。






「君にこんなことを言ってもしょうがないかもしれないけど」


 それでも、恭介はそれを無視する。
俯き、ほむらの方を見ないように彼女が飲まなかったお茶に目を落とした。

 自分がやっているのは酷く失礼な行為であるという自覚はあるし、まだそこで立ち止まって話を聞いてくれている
ほむらの好意に甘えているということも分かっている。
それでも、言わずにはいられなかったのだ。




「僕は……さやかのことを、魔法少女のことを、どう受け止めたらいいのか分からないんだ」





 ついに、打ち明けた。


 ほぼ初対面の相手。どんな性格か、何を考えているのかも分からないのに。
それは相手も同じで、ほむらとてこんなことを言われても困るだろう。


 そんなことは重々承知だ。

 それでも、彼女なら――魔法少女なら、答えてくれるかもしれないと思ったのだ。
何しろ、それは彼女たち自身のことなのだから。



 魔法少女なら、誰でも良かったのかもしれない。
ほむらでも、杏子でも、それこそさやかでも。
ただ、今目の前に居るのがほむらだからほむらに打ち明けただけの話だ。

 顔を上げて様子を伺えば、当のほむらは相変わらず感情の読めない眼をしていて、じっと恭介を見下ろしている。






「美樹さやかも、同じような悩みを抱えていたわ」

「さやかも?」

「ええ。自分の体こういう状態になったことを受け入れられなかった。
かと言って割り切ることもできなかった。
その結果、心の中に大きなひずみが生じて…………失踪したのよ」


 もちろん他にも原因はあったでしょうけど、とほむらは言った。






 魔法少女であるさやか自身がそんな悩みを抱いていたとは……。



 だが、よくよく考えてみればそう不思議でもない。
さやかのあの性格を考えれば、ほむらの言ったような反応はしっくりきた。
普段は明るくてノリが良くて、少しお馬鹿なキャラをしているくせに、こういう時は変に生真面目に
考え過ぎるきらいのあるさやかだ。
そうなってもおかしくはない。
しかも、まどかによればソウルジェムが魂であることは、契約前には知らされなかったのだという。
その、契約をする魔法の使者とやらから。


 ただ、だからとって恭介の悩みが軽減された訳でもなく、むしろ、当の魔法少女ですら受けとめかねる問題だと分かって、
さらにそれは大きくなってしまったのだ。

 ほむらの口ぶりからは、彼女がこのことについては割り切っているのだと感じられた。
何しろ、今さっきの言葉だっていかにも他人事ですと言わんばかりだ。
共通の悩みを抱えているならもっと感情が込められてもおかしくないのに、ほむらは先程からと変わらない淡々とした調子。



 相談相手を間違えただろうか? 
それとも、他の魔法少女に同じ事を尋ねても、知らないか、あるいはこんな反応が返ってくるかのどちらなのだろうか? 
失踪したさやかの方が魔法少女の中では特殊な部類に入るのだろうか?



 結局、期待したものは得られず、そもそも何に期待していたのかもよく分からず、
ただ恭介の心の中には苛立ちだけが残った。
悩みは小さくなるどころか大きくなり、化け物になってしまった親友を、恩人を、果たして化け物として扱っていいのか、
人として接しなければならないのかの判断もつかない。






 だから――、



















「何だよ、それ……」











 低く、恭介は呟く。


 何も、心にひずみを抱えていたのはさやかだけではない。
恭介とて、恩人であるさやかへの感謝の念と友情と、動く死体になった彼女への嫌悪感の
板挟みになっていたのだ。

 そこに、ほむらの淡白で無感情な態度が激情を煽った。












「化け物のくせに、なに人間みたいに悩んでるんだよ! 気持ち悪いんだよッ!!」












 気が付けば、本音をぶちまけてた。

 偽らざる本心が口を突いて出ていた。





 その瞬間、恭介はしまったと思ったけれど、もう遅い。
口にした言葉は取り消せず、入口の手前で中途半端に立ち止まったほむらと未だソファに座ったままの恭介との間に、
鉛を含んでいるかのように重い空気が立ち込める。


 もちろん、これだけが本音ではない。
言ってしまったという後悔と、確実に傷つけたであろうほむらに対する罪悪感が胸の内を支配した。


 謝罪を口にしようとして恐る恐るほむらを見上げると、彼女は背を向けていて、入り口を開けた。
そしてそのまま無言で立ち去ろうとする。




 ただ、体が半分部屋の外に出たところで彼女は不意に立ち止まり、微かに首をこちらに向けて、
ぎろりと恭介を睨み下ろした。

 その凍てつくような視線と、見て分かるほど凄まじい憤怒に、恭介の顎の筋肉は硬直して、
背筋を冷たいものが流れ落ちていった。







「貴方の言う通り、私たちは化け物よ。人間じゃないわ。



だけどね――――」























 化け物にだって心はあるのよ。























 バタン、と扉が閉まった。







 間もなく母親の声と、玄関が開閉する音が聞こえて来た。
部屋に残っているのは恭介だけで、彼はソファに背を預け、天井を仰ぎ、片腕で目元を覆う。




 ほむらが激怒するのは尤もで、悪いのは恭介だ。言ってはならないことを言ったのは恭介だ。

 吐き捨てられたほむらの言葉にはきっと、魔法少女全ての怒りが込められていて、
それは当然なされるべき非難であった。









 ――――――――そうだ。魔法少女にだって心はある。


 それは、石っころで死体を動かすような、疑似的な生命活動のような「偽物」ではない。









 本当の、本物の、人が誰しも持っている――――人の心――――だ。














 だからさやかは魔法少女の実態を知って、苦悩し、失踪した。


 だからほむらは恭介の本心を聞いて激しい怒りを見せた。


 だから杏子は恭介が魔法少女に嫌悪を抱いた酷い奴にも拘らず助けた。





 そして恐らく、恭介を襲ったあの少女にも心があるのだろう。
ほむらが「もう安全」と言ったのも、その少女が心を取り戻したからかもしれない。

 こんなことは考えてみるまでもなく至極当然のことで、自分のことばかりに目を向けていて
言われるまでそれに気付かなかった恭介は最低な奴だ。







 恭介は泣いた。


 悔しいのか、悲しいのか、理由のよく分からない涙が顔を伝って流れ落ちたけれど、そのままの姿勢で声を上げずに泣いた。



 応接室に母親が入って来て、恭介の様子に驚いて何か言ったけれど、そんな言葉は全く頭に入ってこない。
今、恭介は自己嫌悪やら後悔やらにまみれているのだから。













激おこほむほむ!

ギャラクティッククレイジーサイコデビルレズさんは怒らせると怖そうw




 五回。

 それが、今日私が授業中に先生に指名されて、問題に答えられなかった回数です。
その度に恥をかいて、友人たちには心配されました。
やっぱり、ボーっとしているのは教卓からよく分かるみたいです。
今日、指名された回数が多かったのはそのせいでしょう。



「早苗、どうしたん?」



 いきなりそんなふうに彼女の声が頭の中に響いたものだから、私は思わず飛び上がってしまいました。



「アハハ。ごめんごめん。驚かせちゃったね」



 何でしょう。これ、どうしたら……。



「普通に話せるよ」

「ふつう……。こんな感じかな」

「うん。そうそう」



 もう、こんなファンタジーな力が。思わず身に力が入ります。



「キュゥべえが中継してくれれば、魔法少女じゃなくてもテレパシー使えるんだって」

「キュゥべえ、どこ居んの?」



 私は教室を見回しますが、どこにもあの生物の姿はありません。
まなかも同じクラスなのですが、彼女の傍にもおりません。



「あー。どっかにいるんじゃない」



 まなかは適当な感じで答えます。
まあ、こうしてテレパシーの中継を行えるということは、近くにいるということなのでしょう。




「それで、今日はボーっとしとったね」

「ああ、うん」



 もちろん、何故ボーっとしていたかと言えば、



「あれだら、魔法少女のこと考えとったんでしょ」

「……うん」

「まあ、仕方ないねー。急にあんなこと言われてもね。あたしだって最初はいろいろ悩んだんだし」



 そう言いつつも、まなかは気楽な様子でした。私はそれに溜息を吐きます。


 結局、授業で五回当てられただけで、それ以上当てられることはなかったのですが。


 正直なことを言えば、結構きついです。
元から寝不足な上に、昨晩は神様方と遅くまで話していましたし、その話の内容というのが、
これまた重たいものでしたから。
ただ、どちらが辛いかと言われれば、それは圧倒的に話の内容でした。


 今日も、まなかとともに下校します。これから彼女とともに魔女退治に出かけるのです。

 それは昨日彼女と約束したからですが、果たして、今の私に魔法少女のことについて
これ以上知る必要があるのでしょうか。


 昨晩、私の仕える神様、八坂神奈子様と洩矢諏訪子様からお聞きした魔法少女の真実。
その途方もなく残酷な現実が、ずうっと私の心を圧迫しているのです。


 魔法少女はいずれ魔女になる。
ソウルジェムは魔法少女の魂そのものであり、濁りきるとそこから魔女の種――グリーフシードが孵化する。


 希望の反対は、絶望。


 奇跡の代償は、破滅。


 祈りを持って魔法少女になった以上、呪いを振りまく魔女になる運命は必然。

 そのあまりにも残酷な真実に、私は知った当初、全ての思考が停止してしまいました。


 何だか、現実味がしなかったのです。
まるで、自分がふわふわと宙に浮いたような気がして、全く頭が働きません。
麻薬を吸うと、ちょうどこんな感じになるのでしょうか。まあ、快感なんてありませんけど。


 もし、これが私に全然理解できないような、突飛な話だったなら、どんなにか良かったのでしょう。
しかし、知った現実以上に酷く惨たらしかったことは、私がその現実を、神奈子様と諏訪子様の仰った話を、
よくよく理解できてしまったということなのです。


 私は神に仕える風祝。
ゆえに、奇跡や呪いといったものは、恐らくほとんどの現代人よりも身近に感じているはずです。

 だからこそ、その意味が分かってしまいました。
だからこそ、その仕組みを俯瞰的に見渡すことができてしまいました。

 それはつまり、知ったこと以上のことを分かってしまうという不幸。


 魔法少女のこのシステムは、完璧なのです。これで、完全に、完成しているのです。

 楔を打つ僅かな綻びすらありません。
どんな理屈を捏ねようが、覆すことなど不可能です。
それは、たとえ神の力をもってしても……。


 ただ、どれほど残酷な真実であっても、対岸の火事なら私の心はこれほどまでに押し潰されたりはしません。
河の向こうでどれだけの人が火災で死のうが、そこに家族や友人が混じっていなければ、
所詮は他人事。
案外、人間なんてものは冷たい生き物です。


 しかし、そこに自分の大切な人が含まれていたら、事情は違ってきます。

 きっと、少し前の私だったら、この話を聞いても他人事として片づけていたでしょう。
けれど、今は……。


 私の幼馴染、会見まなかの運命は、決定されているのでした。

 魔法少女になってしまった以上、元に戻る術はありません。
魔女になるのを防ぐ方法もありません。

 ソウルジェムは魂そのものですから、もしどうしても魔女になるのが嫌なら、それを自ら砕いて、
自害するより他ないのです。
そうでなければ、魔女に殺されて戦死するか、魔女になるかの道しかありません。


 あのキュゥべえという生物は、さも善意で契約を提案しているように見せかけて、あまりにも残酷な
現実を突き付けているのです。
神奈子様によれば、多くの魔法少女は自らの運命など知りません。
考えもしないでしょう。何より、キュゥべえ自身がそういったことは全く知らせないからです。

 結局のところ、私がキュゥべえの話を聞いてからずっと感じていたあの胡散臭さというのは、
そこにあったわけです。
リスクを知らせず、リターンだけを強調するやり方は、まさしく詐欺やペテンの類なのですから、
それはそう感じることでしょう。


 昨日、契約しなくて正解だったのです。あの生物を家に上げなかったのも正しかった。


 あんな不浄の存在が私の身に近付いて来たなど、考えただけでも身の毛がよだちます。

 でも、私は良かった。運が、良かったのです。

 何故なら、神奈子様と諏訪子様という、これ程頼りになる者は他に居ないような、心強い味方がいるのですから。
お二方がいらっしゃったからこそ、私は真実を知ることができました。
それはとてつもなく恐ろしいことだったけれど、知らないより遥かにましなのです。


 ですが、まなかにはそのような味方はおりません。

 私はいつでもまなかの味方ですが、既に契約してしまった彼女に対して、できることなどほとんどありません。
悔しいことに、私はどうしようもなく無力なのです。



 …………いえ、ただ一つ存在します。


 魔法少女のシステムは完璧です。

 完璧ですが、それはあくまで理屈が完璧だというだけの話。
その理屈を超える不条理ならば、それならばシステムを覆すことも不可能ではない。


 その不条理とはすなわち――奇跡、です。


 つまり、魔法少女のシステムに則り、そのシステム自体を強制的に変更する。
ある意味矛盾しているとも言えるそんな裏技が、実は可能なのです。

 私が奇跡を祈り、まなかを魔女になる運命から救い出すことは、決して不可能ではありません。
しかし、それでは今度は私が魔女になってしまいます。
だから、システムそのものを変えることで、私もまなかも魔女にならないようにすることができるはずです。

 もちろん、そんな途方もないことをすれば、私はただでは済まないでしょう。
きっと、人間ではなくなるはずです。
それがどういうことか、具体的には想像できませんが、案外神奈子様や諏訪子様のお隣に坐してしまうのかもしれません。


 けれど、私にはそのような選択肢は採れない。

 何故なら、契約すること自体がお二方によって止められているからです。
どんな願いであれ、どんな状況であれ、決してキュゥべえと契約してはならない。
昨晩、お二方の前で私は誓わされたのです。


 つまりそれは、まなかを見捨てるということに他なりません。


 お力の弱ったお二方ではまなかを救うことはできません。
もちろん私にも不可能です。
そうである以上、私がまなかを魔女になる運命から解放するためには契約する以外になかったのですが、
それができないとなると、最早まなかの救済は諦めるしかありません。

 それは、お二方にとって当然の選択だったのでしょう。それは分かります。


 そうです。お二方にとって、まさにまなかの事情は対岸の火事。
それに対し、私は大切な娘のような風祝。
どちらを優先するかは、火を見るより明らかです。


 それが神様の選択というところが何ともやりきれないのですが、現実としてはそうならざるを得ないのでしょう。


 理屈は分かります。
けれど、それで納得してしまうような、血も涙もない人間ではありません。

 だからこそ、私はずっと思い悩んでいるのですが、だからといって何かできる訳ではありません。


 もう、いっそのこと諦めちゃいましょうか。
どの道、後しばらくすれば幻想郷に行くのです。
もうすぐお別れなのです。
引っ越した後、まなかが魔女になろうがなるまいが、そんなことは最早私にとって遠い世界の与り知らぬ他人事になるのですから、
今そんなことで気を揉んだところで何の意味もありません。


 ――――でも、そんなこと、できる訳ないじゃないですか。


 簡単に友達を見捨てられますか。
引っ越した後にどうなろうが知ったこっちゃないって、そんなふうに切り捨てられますか。

 ええ。世の中は広いですから、そういうことができるような人もいらっしゃるかもしれません。
けれど、私はできません。出来る訳がない。


 むしろ、そんな無情な人間に生まれたほうが良かったと思えるくらいです。
こんなに苦しむことになるなら、と。

 でも、私にはまなかを大切に思う心があって、救いのない運命に囚われた彼女を、どうしようもないのに、
それでもどうにかしたいと、何か可能性はないのかと、ずっと模索し続けているのです。


 今日一日、そればかりを考えていました。
当然、寝不足も相まって授業など耳に入るはずもなく、先生に指名されたところで問題は答えられません。

 まなかはそれを心配してくれました。私の様子がおかしいから当然です。

 けれど、私はそんなまなかに言いたい。
本当に心配されるべきなのは、まなかの方なのだということを。


 でも、言える訳がない。そんなことを知ってしまえば、きっとまなかは崩れてしまう。


 決して弱い子ではないことは知っています。
それこそ、両親や神様方の次に時間を共に過ごしてきた相手な訳ですから、知らないはずがありません。

 だけど、この残酷な真実の威力は、そんなまなかですら簡単に突き崩してしまえるほどあるのです。
何しろ、未契約の私ですらこれなのですから。


 結局のところ、どれだけ考えたところで、私にできることなど何一つなく、私は別れの時まで、
ただ指を咥えて状況を見ているしかできないのです。
契約しないこと、それだけを誓って。






 下校時になっても、当然何も進展しませんでした。

 まなかを救う妙案なんて思い浮かぶはずもなく、彼女に真実を伝える決心なんてものもつくこともなかったのでした。

 今もこうして、昨日までと同じように自転車で並んで走っています。
ただ、昨日までと違うところは、私たちは通学路と反対方向の、中央線の上諏訪の駅に向かっていること、
そして私の頭を悩ませていることが、まるっきり変わったことです。


 駅の方は、昭和の面影が所々に残る古い町なのですが、まだ結構栄えていたりします。
こうした人の多いところには、人間を求めて魔女や使い魔も集まりやすいのだと、キュゥべえは言いました。

 この生物は、学校が終わるといつの間にやらまなかの肩に乗っていました。
ターゲットを私にしているらしく、私の下に近寄って来ようとしましたが、やんわりと拒絶します。


 元より、得体が知れなかったのであまり近付けたくなかったのですが、真実を知ってからは、
視界に入れるのも悍ましく感じられます。
あの一見可愛らしく見える無表情など、それらしく作ってあるところが尚更なのですが、もう生理的に無理です。
キモいです。
早く地球から居なくなってください。


 正直、こいつがまなかの肩に平然と乗っていることが許せません。

 まなかを騙して、カモにして、さも味方のようにそんなところで済ましているのが我慢なりません。
今すぐ棒で叩いて、その位置から落としてやりたいくらいです。
私の親友に気安く触れないでください。
というか、テレパシーもやめてください。
脳を蹂躙されているようで、ひどく不快です。


 そんなこと、実際口に出して言ったらどうなるのでしょうか。

 少なくとも、まなかはこの生物のことを信頼しているようですから、きっと私たちの仲に亀裂が入ることでしょうね。
何より、まなかを傷つけてしまいそうです。だから、言いません。




「じゃあ、ここらで自転車止めとこっか」



 まなかがそう言ったので、私たちは駅に自転車を置き、それから歩きます。

 自転車だと、行動範囲は広くなるのですが、ソウルジェムを元の形に戻せないため、
魔女探しの効率が悪くなるんだそうです。



「こうやってね、ソウルジェムを見ながら近くに魔女が居ないかなーって、確かめながら歩くんだよ」



 説明しながら、まなかはソウルジェムを手の平の上に乗せて進んでいきます。
私はそれを、どこか白けた気持ちで聞いていました。
まるで、種を知っている手品を見ているような、そんな気分です。



「おっと」



 さっそく反応がありました。
それまで淡く光っているだけだったソウルジェムが、今は軽く明滅しています。



「この反応の強さからすると魔女だね」



 と、生物が捕捉します。

 その言葉に、まなかの顔が俄かに引き攣りました。
私がいるから変なところで気負ってしまうんじゃないかと思っていましたが、どうやら予感的中のようです。



「だいじょう。だいじょう。がんばろうね」



 私は努めて明るい口調で、笑顔と共にそう言いましたが、果たしてぎこちなくなっていないかどうかは分かりません。
何しろ、内心に重たいものを抱え込んでいる訳ですから、いい笑顔を作れないかもしれません。



「う、うん。任せて」



 少しは緊張が解れたのか、頷き返したまなかの顔からは、若干力が抜けているように見えました。




「魔女の結界はもう少し先だね」



 生物が口を挟みます。まるで早く行けと言わんばかり。

 私は思わず舌打ちをしそうになりましたが、ここはぐっと我慢します。
こんなところでイラついても、まなかを不安にさせるだけなのですから。


 それはさておき、その魔女の結界はどこにあるのでしょうか。
見回した限り、それらしきものは見えません。
周囲は田舎の住宅街。
閑静で、禍々しい化け物が潜んでいる気配など、微塵もしません。



「あっちかな?」



 まなかは先へ進み始め、私も後を追います。


 諏訪の谷というのは、北西―南東方向に細長い盆地です。
北は八ヶ岳や霧ヶ峰、蓼科山からの尾根が下りて来て、南からは赤石山脈の山々迫ります。
比較的駅や中心街から近い私たちの高校が、山の麓の丘の上に建っていることも、谷から山地が近い証拠です。
したがって、今こうして歩いている住宅街も、山から下りてくる斜面上にあって、勾配も結構急なところがあります。
そして、住宅街の傍には鬱蒼と茂った山林が生えているのです。

 魔女の結界の入り口は、そんな住宅街と山林の境目にありました。
周りの家はまばらで、人っ子一人いません。
不気味なほど静まり返っていて、なるほど、魔女が潜むには最適な場所です。


 その入り口は、まさに『入り口』といった感じでした。

 普通ではない空間の大きな歪み、その真ん中に何とも形容しがたい紋章が浮かび上がっています。



「これが魔女の結界の入り口。早苗、行ける?」



 その前に立ち止まって、まなかは一旦私の方を振り返ります。



「うん」



 私は頷きました。



「おーし!じゃあ、行くぜっ!!」



 まなかは元気よくそう叫びました。
部活に所属していた時、試合前によくそうやって声を出していたので、少し懐かしいです。
彼女なりの発破の掛け方なのでしょう。


 まなかはその入り口に飛び込みました。その瞬間、彼女の体は消えてしまいます。
一瞬、空間に波紋が生じたように見えて、彼女は結界の中に入って行ってしまったのでした。


 本当に大丈夫だろうか。少しばかり躊躇して、それから私も決心しました。

 足元のアスファルトを蹴り、私も勢いよく入り口に向かって飛び込みます。


 刹那、シーツを被ったような軽い感触が全身を包み、しかしすぐにそれは消えてしまいました。
そして、代わりに全身の肌をひんやりとした空気が刺します。
高地の諏訪は確かに寒い場所ですが、10月後半にしては寒すぎる気温でした。
12月位と言われれば納得できるくらいです。


 同時に、他にもいくつかの違和感がありました。

 まず、足元がゴツゴツしていること。
固いのですが一面に広がっているアスファルトの感触とは全く違い、靴の底を通して足元にある地面の
起伏がはっきりと感じられるのです。
見下ろしてみれば、それもそのはず、足の下には地面から顔を出す黒い岩がありました。


 そしてもう一つの違和感。それは、呼吸が苦しいこと。

 といっても、息ができないほどではありません。
ただ、肺一杯に空気を吸い込まないと少し息苦しさを感じるのです。
これはおそらく、酸素が少ないからなのでしょう。


 気温が低く、酸素が薄い。行ったことのある人なら分かるでしょう。
私自身、そういう経験がありましたので、すぐに察することができました。
尤も、察する以前にもう少し周りを見ればどういうことか理解できるのですが。


 そう、今私がいるのは山の上なのです。


 一体、いつの間に山の上になんか来てしまったのでしょう。
確かに先程まで住宅街に居たはずです。テレポートでもしたというのでしょうか。



「これが、魔女の結界だよ」



 前方から声が投げかけられました。
周囲を見ていた眼をそちらに向けると、既に変身してあるまなかの背中が視界に映りました。
彼女は眼前の大きな岩の上に立ち、私には岩と彼女の体に隠れて見えない何かを見据えているようでした。

 寒気がします。
いえ、実際気温が低いので寒いのですが、そうではなくて悪寒というものでしょうか、
そんな感じがするのです。
頭の中でサイレンが鳴っていて、この先から、まなかの見つめる先の方から、禍々しい気配が漂ってくるのです。
あるいは瘴気、悪意、または形容しがたいどす黒い感情。そんな様なモノです。




「早苗、どーすんの? ここで待って見とる?」



 不意に、前を見据えていたまなかが振り返って岩の上から見下ろしてきました。
私はだいぶ上にある彼女の顔を見上げ、開きかけた口を閉じました。
反射的に答えようとしたのですが、このまま彼女について行っても足手まといにしかならないのではないか
と考えたのでした。



「ううん。ここで見とる」

「おっけぇ。じゃあ、行ってくるね」



 まなかはそう言い、私に一瞬笑顔を見せてから、岩の向こうへ消えます。
私はそれまで彼女が立っていた場所へ、入れ替わるようにして岩を這い上がりました。
その動作は、自分でも分かるほどおっかなびっくりで腰が引けています。


 それはそうでしょう。何しろ、両側が切り立った断崖絶壁なのですから。


 風はありません。それだけが救いでしょう。
しかし、その高度感の凄さといったら、思わず生唾を飲み込んでしまったほどなのです。


 下は、見えません。
斜面の途中から白い雲のようなものに覆われてしまって、その向こうを見下ろすことは叶わないのです。
叶わないのですが、けれどここが相当高い場所であろうことは容易に理解できるほど
その白い雲の上部との高低差があるのです。

 私がいるのは切り立った稜線の上。
両側の崖は黒々とした岩に覆われていて、ところどころに緑の植物が見えるだけです。
見た目はほぼ垂直な崖です。
足を滑らせでもしたら、きっとひとたまりもないでしょう。


 私は崖下から無理矢理に視線を引き剥がしました。
こうやって覗き込んでいると、まるで自分が何もない空中へ吸い込まれていくような感覚がしたからです。
思わず大空へ身を投げたくなってしまうような、そんな意味の分からない衝動のために
離陸してしまいそうな気がしたのでした。


 稜線の幅は人一人分程度しかありません。しかもゴツゴツとした岩があって足元は不安定。
だというのに、先へ行くまなかはひょいひょいと岩の上を撥ねていきます。
両側の断崖絶壁を気にも留めていないかのように、タイルで舗装された路面の特定の色のタイルの上だけを
踏んで歩く一人遊びのように、彼女は進んで行くのです。

 私が今這いつくばるようにしているこの岩の上だって、一人分のスペースしかないのにも拘らず、
彼女は何の気なしに立っていたのですから、いよいよ恐怖心なんてものを忘れてしまったんじゃないかと、
魔法少女になってからおかしくなってしまったんではないかと、私はそんな危惧をしました。
何故なら、まなかは高所恐怖症だったはずなのですから。




「ま、まなか!」



 私はついに心配のあまり、親友を呼び止めました。



「何?」



 まなかは、これまた不安定そうな岩の上にバランスを取って立ち止まりました。
そして、実に自然体で振り返って問い返してきたのです。



「怖くないの!?」

「別に~。魔法少女だし、落ちてもなんとかなるんじゃない?」



 本気の心配は、そんな軽い言葉で否定されてしまいました。
「魔法少女ってスゴイ」って言うべきなんでしょうか。



「実際、この程度の場所で魔法少女が滑落したりはしないよ。
基本的に魔法少女は同年代の他の少女と比べても身体能力が上がっているし、それはさらに魔法で強化できたりするからね。
しかもまなかはその辺りの筋はかなりいいみたいだから、あまり心配するほどのことではないと思うよ」



 いつの間にやら、まなかの置き土産、もといキュゥべえが傍らに居て、懇切丁寧に聞いてもいない
説明をしてくれます。
尤も、理屈が分かって安心はできた訳ですが。


 さて、私は狭い岩の上、この生物とともに過ごさなければならなくなりました。
やたら高くて怖いし、寒いし、おまけにこいつがいるのでまったくいいことなしです。
こんなことならついて来なければ良かった、なんていう後悔すら生まれ始めました。

 どうしましょう。
……と言ったところで、まなかが魔女を退治するまで待っているしかない訳なのですが。



 ところで、その魔女と言えばまなかの目指す先、再び進み始めたその背中を追っていくと、
稜線はそこからさらに切り立った急峻な峰に繋がり、その頂に大きなケルンがありました。
学校の校庭の隅なんかによく植えられているヒマラヤスギ程度の大きさです。


 あれが魔女だと教えられた訳ではありません。
しかし、直感的に分かりました。
この結界全体に溢れる禍々しいモノの発生源、すなわち魔女はあのケルンなんだと。


 ケルンというのは、石を積み上げた塔のことを言うのですが、やはりというか、常とは違うあり得ないケルンでした。
何しろ、そのケルンを作る石というのが、表面がつるんとしていて全く凹凸がなく、色ものっぺりとした
灰色一色の気味の悪い物だったのですから。

 まるでそれだけ色を塗り忘れたかのような灰色。
あるいは原色とも言うのでしょうか。
ひどく味気なく、際立って“地味”なのです。



「あれが、魔女……」



 気が付けば、そんな呟きが漏れていました。
昨日見たあの魚の形をした使い魔と打って変わって、『動かざること山の如し』をそのまま体現したような
魔女の姿に意外な印象を抱いたのです。
あの使い魔は随分攻撃的でしたから、魔女ももっと積極的に襲ってくるのかと思いきや、
という訳です。

 そして、当然この呟きはすぐ傍に居たあの生物に拾われました。



「そうだよ。ああやって動かない魔女はあまり多くはないんだけどね」



 その何気ない解説に、私は思わず歯を食いしばります。


 この生物ときたら、魔女のことを何でもないように言ったのです。
しかし、彼女とて元々は私と同じような少女だった訳で、望んでこうなったのではない姿をそんなふうに
無感情に説明されたのでは、本当に救いがありません。
あの魔女とて、本当は動きたいのではないのでしょうか。

 けれど、こいつはそれを理解することはないのでしょうね。
善悪とか人間の価値観が通用しないというのは、よく分かりましたから。


 あの魔女は、生前どんな少女だったのでしょうか。
こんな寂しい結界の中で、あんな姿になって、一体どんな悲劇を経てきたのでしょうか。
家族が居たのでしょう、友人が居たのでしょう、場合によっては恋人も居たのでしょう。
それらを捨てざるを得なくなって、彼女は何を思ったのでしょうか。


 それを考えると、目の奥がつんとしてきました。
隣の生物に悟られないように、こっそりと目元をぬぐいます。



「まなかっ!! 気を付けて! 来るよ」



 急に隣の生物が叫びました。
それに驚いたのか、今まさに急峻な峰――魔女のお膝元まで達したまなかの肩が跳ねます。


 ところで、魔女は石を積み上げたケルンの姿をしているのですから、当然その石と石の間には隙間があります。
それも、結構大きなものが。

 今まさに、その隙間の間から何かが出てきたのです。
いえ、具体的に言えば使い魔です。
どうやら、この魔女にも使役する使い魔が存在していたみたいです。


 その使い魔は、魔女の体の隙間から這い出て来て、そのままその周りにうじゃうじゃと集まり出しました。
ガサガサという、使い魔同士の体が擦れ合う不気味な騒音が響き渡ります。

 その姿は、一言で言えば『動く木』です。むしろ、それ以外に表現しようがありません。

 敢えて言うなら、『指輪物語』に出てくる『エント』という存在に近いのでしょうか。
尤も、その大きさは人間よりも小さく、恐らくは背丈も人の腰までくらいしかないのでしょう。

 まさに『動く木』の通り、根っこを両足に、幹を体に、そこに顔が付いていて、顔の横の辺り、
人間で言えば耳があるような場所から左右にそれぞれ枝が伸びていて、それが腕の代わりです。
頭にもトサカのように何本か枝が生えています。
奇妙なのはその両腕の先で、手の形をしているのではなく、何故か黒い石のようなものが付いているのでした。


 昨日の魚ではないですが、十分不気味な姿をしています。
しかも、それが次から次へと、それこそ蟷螂の子供の様にうじゃうじゃと出現する訳ですから、
もう気持ちが悪過ぎます。

 始め、使い魔は魔女の周囲にたむろしていたのですが、次々と魔女から現れるために遂にそこから溢れ、
半ば滑り落ちるように峰を下り出してきたのです。



「キモッ!!」



 その様子に、思わずまなかもそう叫んでしまったようです。

 黒や茶色の使い魔が無数に一斉に動き出す訳ですから、これに嫌悪を抱かずに何に嫌悪を抱くのか、
と言えるレベルで気持ち悪いのです。
それはまなかも同じで、さっさとどこからともなく弓を取り出すと、昨日のように弦を弾きました。


 ビィィンと音が鳴ります。


 けれど、



「あれ?」



 魔女はあんな姿なので微動だにしませんが、這い下りてくる使い魔ですらその動きに変化はありません。
それどころか、どんどん魔女の立つ峰の斜面を下りて来て、その付け根にいるまなかとの距離が
徐々に縮まっていきます。


 ビィン、ビィンと、まなかの心中を表すように弦が鳴ります。
しかし、使い魔に効果が見えません。



「あれ? あれ? あれ? 何で? 何で? 何で効かないの? ちょっと……」



 彼女は徐々に後ずさりします。
が、こんな足場の不安定なところでそんなことをすれば、バランスを崩すのは火を見るより明らか。
現に、「うわっ」という悲鳴が上がって、彼女の体が大きく谷の方へと傾きました。


 私は息を飲みます。
同時にまなかの名前を呼ぼうとしたのですが、息を飲み込んでしまって声が詰まりました。


 ただ――、



「あっぶなぁー!!」



 何がどうなったのやら、まなかは驚異的な身体能力でバランスを取り戻してみせました。
それで私も安堵できたのですが、一度跳ねた心臓はなかなか収まりませんでした。


 と、そんなことをしているうちに使い魔がまなかのすぐ傍まで下りて来てしまいました。
「ちょ、来ないでよ!」と叫んで後ろへ下がるまなかに、使い魔は不思議な動きをして答えました。


 ちょうど万歳をするように、両腕を上げて、自らの頭上で、その手を――黒い石のようなものを
叩き合わせ始めたのです。
それも、稜線に下りてきた使い魔だけが一斉に。


 カツッ、カツッという固い音が、まるで拍手のように響き渡ります。



 私には理解ができませんでした。


 いえ、正確には、彼らが何をしようとしているのかは分かったのですが、どうしてそれをするのかが理解できなかったのです。

 何故なら、彼らは手にあたる黒い石を火打石代わりにして、自らの頭の枝に火を着けようとしているのですから。
カチッ、カチッという音ともに火花が散り、それはやがてその使い魔の頭に小さな火を起こしました。



「あ、ああ……」



 私と同じようにその様子を呆然と見ていたまなかが掠れ声を出し、さらに使い魔から離れようとします。
直接的な戦闘能力に乏しいまなかにとって、自ら火を着けた使い魔など脅威以外の何物でもないのでしょう。

 しかも、火が着いてからも早かったのです。
まるでガソリンでも染み込んでいるのかと言いたくなるくらい、あっという間に火は使い魔の前身に燃え広がり、
すぐに傍に密集していた他の使い魔も炎に包まれてしました。



「うわああ」



 遂にまなかは背を向けて、情けない声を上げながらこちらへと戻って来ます。
そして、その後を追うように火の着いた使い魔も向って来たのです。


 私は声も出ません。

 自分で自分に火を着けたのはまなかの魔法のせいでしょうか。
けれど、初めはそんな気配は見られなかったのに……。


 とにかく、ここは一時撤退しかないでしょう。
どう考えてもこれだけの使い魔の相手は無理ですし、燃え盛っている以上、どうしようもありません。
今や火の手は峰の周りにまだへばり付いている使い魔にも広がっていて、さらに何匹もの使い魔が
ぼろぼろと燃えながら谷底へと落下していきます。


 小さな火花は瞬く間に大火へと成長し、魔女の立つ峰はそれ自体が真っ赤に燃えているようでした。
僅か十数秒の間に起きたことです。驚異的な延焼速度のために。

 しかもその炎は燃え盛る使い魔ごとこちらに向かって来ているのですから、逃げるより他ありません。
ところが、現実というのはどうにもこうにも無常で残忍なようでした。



 カチッ、カチッというあの音が、今度は、背後から響いてきたのですから。


 背筋が凍りつくというのは、正に今のような感覚を言うのでしょうね。
全身をマイナス温度の水銀が流れたような気がして、私の産毛から髪の毛まで、至る所で毛が逆立ち、
全ての肌に鳥肌が立ちました。


 恐る恐る振り返ってみると、ああ、何と言うことでしょう。
すでに火花が付いた使い魔が背後にもいました。
先程入ってきた入口は見えず、私の後ろにも稜線が続いているのですが、そこにも使い魔がたくさんいて、
今まさに先程と同じ光景が繰り返されているのです。

 あっという間に火は燃え広がっていきます。
これで、完全に退路は断たれました。



「うそぉ……」



 やっと私のいる岩までたどり着いたまなかは、背後の絶望的な状況を見て半べそのような声を上げました。

 泣きたいのは私も同じです。
左右に逃げ場はありません。
この断崖絶壁を下りるなんて無理です。
けれど、前にいる魔女を倒せる訳でもなく、かといって背後にいる使い魔の群れを突破できる訳でもない。
完全に囲まれてしまったのです。



「まずい!! このままでは炎にやられてしまう! 早苗、早く僕と契約するんだ」



 さしものキュゥべえも、この状況には焦りを隠せないようでした。
当然、今採れる最善の手段を提示してきます。

 確かに、私が今契約して魔女や使い魔を倒せば、この状況を無事に切り抜けられるかもしれません。
……かもしれませんが、私にはそれは出来ないのです。

 何故なら、契約を止められているから。
神奈子様と諏訪子様の言いつけがあるから。
何より、私自身が契約などしたくないから。


 一体、誰がこんな生物に魂をくれてやるものですか。
決して契約しないと、神様方に誓ったのです。

 しかし、ここで死んでしまっては元も子もありません。火の手は確実に迫って来ているのです。



「早苗!! 早く! もう迷っている暇はないよ!!」



 こちらを向く二つの紅色の円が急かします。

 確かにそれはその通りで、躊躇している暇など全くないのですから。

 けれど、それでも私には踏ん切りがつきませんでした。



「もうヤダー!! 来ないでよぉッ!!」



 べそをかきながらまなかは叫んで、狂ったように弦を鳴らしています。
もう完全にパニックになっていて、泣き叫びながら、遂には駄々を捏ねる子供のように弓を振り回し始めました。

 ただ、それが良かったのでしょうか。
まなかの目の前に迫っていた使い魔が振り回された弓に当たって悲鳴を上げながら谷底に消えます。



「ああ! やったぁ! 来ないでぇぇッ」



 まなかは支離滅裂なことを叫びながらさらに弓を振り回します。


 状況はさらに混沌としてきました。
山の稜線一帯は赤々と燃え盛り、黒々とした煙が吹き上がり、火の着いた使い魔がうろうろしています。
ただ、足場が狭いので次から次へと溢れた使い魔たちは虚空へと落下していくのでした。
私の鼻を焦げ臭い臭いが満たし、耳はパチパチと薪が弾ける音に覆われ、肌を熱気が撫でて、
先程までの寒気を吹き飛ばします。
他方、まなかは最早言葉にもならない叫びを上げながら弓を振り回して使い魔を谷底に落とし、
私の隣ではキュゥべえが何やら必死で呼びかけて来ます。
振り返れば、前と同じように使い魔が燃えながら、徐々にこちらに距離を詰めてくるのです。


 それを、私は少し落ち着いて見ていました。
まなかがこれだけパニックになったからでしょうか。
不思議と頭の芯が冷えていくような感覚がしたのです。



「早苗、どうしたんだい!? 僕の声が聞こえているのかい? 早苗!!」



 生物がさらにしつこく呼びかけて来ます。
どうやら、どうしてもこのチャンスに契約してほしいようです。
私は目を周囲の使い魔からそちらに向けました。



「もう間に合わないよ! 早く僕と契約をきゅぷいっ!?」



 言い掛けた言葉は突然奇妙な叫び声で遮られてしまいました。
その白い体は私の視界から消え、綺麗な放物線を描いて眼下に広がる雲海に吸い込まれて行きました。
私は、それを呆然と見送るだけ。
あっという間の出来事だったのです。




「キュゥべえっ!?」



 まなかの悲鳴が聞こえて、私は我に返りました。
そして、その瞬間何が起こったのかを理解したのです。


 何のことはない。ただまなかの振り回す弓がキュゥべえに当たってしまっただけなのです。
そして、体の軽いあの生物は、この狭い岩の上からゴルフボールのように打たれて飛んで行ってしまったのでした。


 こうして、助かる道は閉ざされてしまったのです。









「早苗ぇ。ごめんね。あたしのせいで。ごめん……」



 終いには、まなかは戦意を完全に喪失してしまいました。
私のへばりついている岩にもたれ掛って、ぼろぼろと涙を流しながら私に向けてひたすらに謝罪の言葉を繰り返します。


 彼女の喉元、昨日は気が付かなかったのですが、白いフリルで縁取られた臙脂色の首輪に
彼女の琥珀色のソウルジェムが付けられているのです。
が、今やそれが徐々に濁り出し、泥水の様な色へと変化し始めていました。


 ソウルジェムが濁る要因は二つ。
一つは、魔力を使うこと。
そしてもう一つは、魔法少女が絶望すること。


 つまり、まなかは今まさに魔女へ至ろうとしているのです。
当の本人はすでに廃人状態で、そんなことに構っている余裕など全くありません。


 それが、私に決心をさせました。


 キュゥべえには悪いですが、居なくなってくれて丁度良かったのです。
私はほんの少し罪悪感を抱きながら、ゆっくりと、バランスを崩さないように岩の上で立ち上がりました。



「早苗?」



 足元では、まなかが不思議そうな表情で私を見上げていることでしょう。
声を聞いただけでその様子が脳裏に浮かびあがります。

 けれど、私には彼女を見下ろす余裕などありません。
何しろ、そんなことをすれば一緒に恐ろしい景色も見えてしまう訳ですから。


 私は顎を上げ、できるだけ下を視界に映さないようにしました。
そうでないと、怖くて怖くて、とても立っていられません。
私だって高いところは好きではないのです。


 さて、前を見つめたのですが、あいにく魔女は燃える使い魔が出す煙で見えません。
視界いっぱいに黒々とした煙が広がっています。

 私は一つ深呼吸をして、精神を落ち着かせます。
焦げ臭さが肺まで達してひどく不快なのですが、我慢します。

 それからもう一度深呼吸をして、意識を自分の内側に向けました。


 驚いたことに、調子はすこぶる良好なのです。
私の体の中を、清涼なものが循環していて、しかもそれは全く淀むことも滞ることもありません。
すべての歯車に油が塗られて、一切の摩擦を起こすことなく滑るように動いているかのようでした。

 こんな感覚は初めてです。
神様方から頂いたこの力を使う修業を始めてから長い時間が経っていますが、今ほど調子が良かった
時などありませんでした。


 今なら、何でも思うようにできそうな気がしました。
到達したことのない新しい境地に入り、真の力が覚醒した気分です。


 先程まで、キュゥべえの契約を渋っていたように見えたのは、実はあの生物の前でこの力を
披露していいものか迷っていたからなのです。
神奈子様や諏訪子様から直接それを止められた訳ではないのですが、きっとキュゥべえの前で私が力を見せることに、
お二方はいい顔をなさらないでしょうから。


 けれど、運がいいのか悪いのか、その生物はまなかのドジによって視界の外へと消えていきました。

 キュゥべえにとって、恐らく私の力は計算外のものだと思います。
そういった“幻想”を信じられないのがあの生物の最大の弱点なんだよと、神奈子様は昨晩仰っていたのです。


 だからこそ、キュゥべえにとって、私たちがこの状況を切り抜ける最後の手段は
私の契約しかなかったのですが、残念、他に手はあったのでした。

 それは、まなかも同じはずです。
何しろ、彼女もまた、私の力のことは知りませんから。


 だからまなかは絶望しかけました。
魔女へと至ろうとしました。
希望を失いました。

 しかし、そんなことはさせません。
こんなところでまなかと心中するつもりも毛頭ありません。


 私は最後の希望となります。最後の救いとなります。








 ――――それが、神の役目なのだから。







 私の最大の秘密。私自身と、神奈子様と、諏訪子様しか知らない、最高機密。


 私は人の身にて人ではなく神であり、神であって神ではなく人であるのです。
「人として現れた神」
「祀られる風の人間」


 力が溢れ出しました。不思議なことに、私は全身が淡く発光しているのです。
いえ、これは不思議で当然なのでしょう。
私は不思議とそうでないものの境界を股掛けて立っているのですから。


 足元を見下ろすと、まなかが目を一杯に開いて私を見上げていました。
ぽかんと開いた口は何かを言いたげで、けれども何と言っていいか分からなくなっているようです。

 すでに高所に対する恐怖心などどこにもなく、私は出来るだけ優しく見えるように、
まなかに向かって微笑みかけました。


 我が信仰はすべからく儚き人間のためになければならない。
それこそが神であり、人である私のあり方そのものなのです。


 消えゆく神では人を守れない。無力な人間も人を守れない。

 されど、私は現人神であり、有力な神でありながら人間として存在できるからこそ、人を守ることができる。
それが我が責務であり、今こそそれを果たすべき時なのです。


 まず起こすのは一つの奇跡。神秘の風が吹き、煙は流れ、眼下の雲海は上昇。

 これは雨乞い。我らが山の神にして風雨を司る八坂神奈子様のお力。

 火には水を。雨を呼んで炎を消してしまえばいいのです。


 雲がむくむくと斜面を登って来るにつれ、鼻の奥をつんと刺激する雨の臭いが強くなっていきます。
水滴の地面を叩く音も響き渡り、間もなく私の視界は白い雲に覆われ、先程よりもずっと悪くなってしまいました。
同時に、身を刺すような冷気が広がり、今の今まで見えていた大火事は黒々とした雨の幕に覆われて
見えなくなります。



 嵐でした。大嵐でした。


 風はごう、ごう、と唸り、雨は横殴りで全身を瞬く間に水浸しにせんとしてしまいましたが、
私は濡れることはありません。これほど激しい風雨の中では、普通の人間はまともに立っているのも困難でしょう。
しかし、私にとっては仔細ないこと。
この風も、この雨も、全ては私の奇跡、私のものなのですから。

 決して人間には到達できない領域。
私は、この自然現象を完全に掌握しているという感覚を確かに感じていました。
雨の一滴が、風の一吹きが、そのすべてが私の手中にあって、私の意のままに操られるのです。


 すでに火の手はどこにも見当たりません。
すべて、風と雨が消し去ってしまったのです。


 私は右手を高く挙げました。これ以上の嵐は必要ないからです。

 そして、私の忠実な僕となった雨雲は、海の波が引くように、あるいはステージの幕が開くように、
急速にその場から去っていきます。

 雲が晴れて再び光の世界が現れた時、私の眼前には超然と高き峰が聳え、さらにその頂には
魔女がその巨体を鎮座させていたのでした。
あれほどの大火と大嵐の後でも、魔女は先程と変わらぬ姿をしておりました。
やはり、本当に動くことができないのでしょう。
つまりは、彼女はもう動くことを諦めてしまったのでしょう。


 私は足に力を込め、次の瞬間には軽く岩を蹴り、空中に身を投げ出しました。

 放物線を描く私の体。
そのまままなかの頭上を越え、彼女の後ろに着地するのかと思いきや、体は重力から解放されたように
浮かび上がります。


 ふわふわと。


 風船のように、風に舞う蒲公英の胞子のように。



 全速前進! ヨーソロー!



 昔、どこかで聞いた船乗りの掛け声を真似しながら、私はふよふよと宙を漂っていきます。


 眼下の使い魔は、火も消えてびしょ濡れになり、すっかりおとなしくなってしまっていました。
先程までは元気よく動いていたのに、今は項垂れたように体を曲げて微動だにしません。
もう、見た目通り、立木のようでした。

 私はそんな使い魔を尻目に、徐々に上昇していきます。目指すは魔女の座す頂。


 台風一過と言うのか、先程まで煙臭く、燃えカスや煤が広がっていた空気は
綺麗さっぱりそういったものが取り除かれて、すっきりと爽やかな美味しい山のそれに戻っていました。
私は大きく胸を膨らませてその空気を吸い込み、灰の中に残っている不快な感覚を呼気と共に吐き出します。

 それだけではありません。
こうして山の稜線の、さらにその上を飛んでいると、見える景色も素晴らしいものになってきます。
この不思議な結界の中では、どこまでも白い雲海が広がっており、まなかや私、魔女がいるこの山は
さながら海に浮かぶ島のよう。
現実では望めるはずの富士山や赤石山脈の頂はどこにも見当たらず、雲の水平線より上は底なしの青空が
全天を支配しているのでした。



 だからこそ、これだけ景色がいい場所だからこそ、あの魔女の寂しさと言うのが、
際立ってしまうような気がするのです。
目の前の、抜けるような青空を背景に立つ灰色の魔女が、どうしようもなく悲しく見えるのです。
何より、この青空の中には、太陽がないのですから。
どこからともなく発された光が結界内に満ちているのです。


 この中では、何もかもが静止していました。


 風はなく、使い魔は動かず、魔女も動かず、まなかもきっと唖然としていることでしょう。
その中での唯一の例外が私で、一人宙を漂っていました。


 ようやく上昇し終えた私は、魔女のすぐ傍に降り立ちます。

 こうして隣に立つと、その魔女の大きさと言うか、威容というかが良く実感できます。
見上げるほど大きく、ちっぽけな私なんか押し潰されてしまいそうです。
先程使い魔が這い出て来た石と石の隙間の向こうは不自然なほど真っ暗。
雨水に濡れて艶やかに光を反射する石も、やはりのっぺりとした灰色で、ひたすらに無味乾燥、
そして気味の悪さが漂います。



 静かでした。とても静かでした。

 だから、私の心も静まり返り、不思議と落ち着いた気持でいられたのです。
何しろ、動くものなど私以外にありませんから、私も静止してしまえば、結界の中はまるで死んだように
静寂に包まれるのです。


 ただ、そろそろ終わりにしなければなりません。
私たちはここに長く居過ぎました。
元々魔法少女だったとはいえ、魔女は人々に仇をなす存在であることに変わりはなく、魔女の結界の中も
決して長居していい空間ではありません。


 私はおもむろに片手を魔女に向かって水平に伸ばし、手の平を見せます。


 もう一度、今度は別の奇跡を起こすのです。
この魔女はまなかの力では倒せないでしょう。
動こうとしないのだから、仮に幻覚を見せたところで自爆攻撃をするとは思えませんし、
弓による直接打撃も固そうな見た目のこの魔女に通用することはないでしょう。

 使い魔の脅威がなくなった以上、逃げることは可能です。
しかし、それは私の神としての、また風祝としての心が許しません。


 信仰は儚き人間を救うために。


 彼女は一度でも信仰心を持って我が神社に参拝したでしょうか。
一度でも畏敬の念を持ち、神様に手を合わせたでしょうか。


 それは分かりません。したかもしれないし、しなかったのかもしれない。

 しかし、それは重要なことではありません。


 目の前に救われぬ魂がある。


 ただその事実だけで、私が神の力を揮うには十分すぎるのですから。


 かつてないほど滑らかに働くこの力。
私は、体の底から湧き上がってくるそれを、伸ばした手に送りました。
血流に乗ってそれが手先に集まってくるような、爽やかでひんやりとしたそれが体の中を
心臓の脈に合わせて移動するような、そんな不思議な感覚がするのです。


 力は私の片手に集まり、再び発光し出します。淡く、新緑の色に。




 ――――と、そこで私は少し止まりました。
手は発光したまま、力は留まり手先で淀みを作ります。


 先程は無言でやりましたが、素晴らしい奇跡を起こすのに、無言と言うのは少々趣に欠けるのではないでしょうか。
せっかく神奈子様と諏訪子様から頂いたこのお力を使わせていただくのに、霊験あらたかな言霊の一つも
発さないというのは、さすがに不躾ではないでしょうか、とそんな疑問が頭をよぎります。

 けれど、だからと言ってすぐにそんな様な言葉は思いつきません。
御神事での祝詞もあるのですが、それはそれでちゃんとした意味合いがあり、儀式と合わせて初めて
意味をなすものなのですから、そういった状況ではない今、口にするのは合い相応しくないでしょう。

 とすると、何だかそれらしいことを言うのがいいのですが、生憎と言うか、今すぐそのような言葉を
思いつくほど私の頭は柔らかくないのでした。


 ただ、こんなことを考えているうちに、全く別のことを思い出したのです。
そして、それは今の状況にはぴったりだと思いました。


 決めました。そうしましょう。


 私は留めていた力を解放します。魔女に向かって、彼女を呪いの運命から救うために。

 その呪いや絶望を吹き飛ばすために。















「破ぁ!!」













 空気を割るような甲高い声が響き渡りました。
同時に、上げていた手の平から若草色の光線が放たれ、魔女に直撃、ドォンという凄い音ともに魔女が
木っ端微塵に砕け散ったのです。

 無数の灰色の破片となった魔女は、そのまま空間に溶けるように消えて行ってしまいました。
本当に、一瞬だったのです。


 あれだけの騒ぎとなったにしては、あっけない最期でした。
でもこれで、彼女は呪いを振りまくことはなく、絶望することもなくなるのでしょう。

 私は目の前の、さっきまで魔女が立っていたそこを落ちていく、真っ黒な球体を針が貫通した物体を目で追いながら、
そんな安堵の気持ちを抱いたのでした。








 気が付くと、元の場所に戻っていました。

 住宅街と山林の境目にある細い道路。結界に入る前に私たちが居た所です。

 ただ、時間は少し経過しているのか、結界に入る前はまだ出ていた太陽が、今はすっかり姿を隠していました。
諏訪に限らず、四方を山で囲まれた長野県の日没は早いのです。
けれど、西の山の向こうから黄金色の光が空を染め、雲を染め、遠く見える八ヶ岳の頂も染め、
太陽は己の存在を強く主張していました。


 私は片手を伸ばしたままだったので、その手を下ろし、背後を振り返ります。

 そこには、未だ変身したまま、アスファルトにお尻を付けて呆然としているまなかが居ました。
どうやら、まなかは夢見心地で、今見た光景に現実感を持てないでいるのでしょう。
奇跡を起こした私自身がそうなのですから。


 私は彼女の目の前に膝を突き、その両肩を持って、「まなか」と優しく揺すってやります。

 すると、彼女のやや黒目がちな目が動いて私に焦点を当て、続いて魚のように何度か口を開閉させた後、
急に彼女は私の両腕を掴んで叫ぶように言いました。



「早苗ッ! 何なん!? あれ!!」



 威勢の良い彼女の声に、私はほっとしました。思わず、口元も緩んだことでしょう。

 首元のソウルジェムを見ると濁りはありますが、その輝きはまだ失われていません。
何とか、まなかは絶望せずに済んだのです。



「早苗! 何あれ!? 何あれ!? 何したん?」



 焦ったように問い掛けながら、私の体を強く揺さぶるまなかを私は「まあまあ」となだめます。




「あれはね、奇跡の力なんだよ」

「奇跡……? 早苗、契約して……」

「ううん。私は魔法少女じゃなくて風祝。あの力は、私の仕える神様のものなんだ」

「……神様」



 呆然とまなかは呟きます。
信じられない面持ちでいるので、きっと受け入れられないのでしょう。


 それは仕方のないことです。
信仰心のなくなった現代人には「私は神の力を使えます」といったところで、宗教の勧誘か、
若しくは頭のおかしい人に見られるだけですから。

 でも、さっき目の当たりにしたことを、そして何より自身が魔法少女であるまなかは否定できないでしょう。

 彼女ならきっと分かってくれると思います。



「魔法、じゃないの?」



 まなかは掠れた声で尋ねます。私はそれに、丁寧に首を振り答えました。



「違うよ。私は風祝として、神様のお力を使えるんだよ」

「さっきのあれが、そうなの?」

「うん。そう」

「じゃあ、本当に神様はいるの?」

「もちろん。本当に神様はいるよ」

「…………そっかぁ」



 その瞬間のまなかは、何とも言えない、けれど少し悲しそうな表情をしていました。
いえ、あるいはもっといろんな感情が混ざっていたかもしれません。
いずれにしろ、私にその真意は計ることはできませんでした。
私から目を逸らし、何事かを思うのは何故でしょう。


 その様子に、どうしてか、私は少し不安を抱きました。

 でもそれはきっと気のせいです。
あんな力の使い方をしたために、私自身がナーバスになっているだけなのです。

 なので、私は努めて明るく言いました。その不安を吹き飛ばすために。



「ほら、立って。帰ろうよ」



 私はまだ腕を掴んでいるまなかの手を放し、先に立ち上がります。
そして彼女に手を伸ばすと、まなかも「うん」と頷いてその手を取り、立ち上がりました。

 それからまなかは変身を解き、私の背中越しにあの物体を見つけました。



「あ! グリーフシード」



 その物体は、まなかによってそう呼ばれました。

 そう。これこそが魔女の種であるグリーフシードなのです。



「すごい。ほんとに倒しちゃったんだ……。あたしだってまだ一回しか魔女を倒せてないのに」



 感心しながらまなかはグリーフシードを拾い、それをしげしげと見つめました。



「うん。何か巧くいった」



 そんなふうに素直に褒めてもらったのが嬉しいやら気恥ずかしいやらで、思わず照れ笑いを浮かべてしまいました。
思いのほか好意的に受け止めてもらえて安心しました。
ひょっとしたら拒絶されてしまうんではないか、という心配もあったのですが、どうやら杞憂に終わったようで。



「じゃあ、帰ろっか」



 そう言ってまなかは笑いました。
でも、私が彼女の東にいたせいで、その顔は逆光でよく見えませんでした。











まさかの伏線だったという……



オリ魔女&使い魔紹介

魔女
死火山の魔女。性質は「挫折」。
一度敗北し、それ以上何もすることもないため、これ以上負けることはない。
まなかの魔法を受けても、自分で自分を攻撃することに挫折するため、効果がない。
姿かたちは、背の高いヒマラヤスギ程度の大きさのケルン。
ただし積み上げているのは灰色の結晶のようなもので、これは固く動かなくなった心を表す。
ケルンは山の頂上に鎮座している。
※八ヶ岳の伝説がモチーフ。
使い魔
死火山の魔女の使い魔。役割は「焚き付け」。
人間大のカラマツで、根っこと枝の一部が手足になっている。
手になっている枝の先には火打石があり、それで自分自身を燃やす。
魔女を焚き付けようとするが、全く効果がなく、自分自身が燃えるだけ。
まなかの攻撃が通じたが、同じように自分に火を着けて、まなかを山火事に巻き込み、窮地に追いやった。

神社生まれってスゲー
それにしても早苗さんがマトモなキャラに見えるんだが気のせいだよな……?

乙乙

早苗さんは元々マトモな子だよ
ちょっと人の影響を受けやすくて思い込みが激しいだけだよ

乙です
QBはアニメで紀元前から地球の人類に干渉してきたって豪語してたのに、なんで妖怪や神話とかの知識はゼロなんだろう。それとも魔法少女以外の地球の存在なんて知ろうともしなかっただけか?

早苗たちの微妙に方言がまじってる感じが可愛いな

>>253
え゛っ...アドバイスありがとうございます。
>>246を見て嫌な予感したんですよね....

ゆっくりおついってね!



うおおおお!
2013年もあとわずかですね。
今年は進撃のアベノミクスで日本経済が倍返しの年でしたw


>>305
マトモ、かなぁ?
結構はっちゃけさせたんですけど・・・

>>306
そうですね。
早苗さんはめんどくさカワイイ!!!!!!!

>>307
そこがべえさんの弱点(という設定)

>>308
握手

方言女子のかわいさは二次元でも三次元でも異常
でも、諏訪方言には大分違和感があるかも。
結構忘れてしまっているので><

>>309
乙!

>>310
もうちょっと早く書きたいですねー。
カマチーみたいに。







                  *





 巴マミは貪欲だ。

 私はそうであると、マミは自信を持って言い切れる。
独りは嫌だ。仲間が欲しい。誰かに慰めてほしい。大切な人をもう失いたくない。幸せになりたい。ずっと笑っていたい。美味しいお菓子を食べ続けたい。太りたくない。恋をしたい。勉強はしたくない。友達と遊びたい。

 そんな、誰もが享受している当たり前の日常を取り戻したい。








 ………………………………まあ、こんな様なんだけど。


 人間から魔法少女へ、そして魔法少女から吸血鬼へ。
日常に別れを告げて非日常の戦いに飛び込み、今度は現実の見滝原に別れを告げて幻想の土地に去りゆく。

 鏡で自分の口を開けて歯を見ると、以前より大きくなった犬歯が強くその存在を主張していた。
それが今の自分というモノであり、これからの運命を表わしている。


 それは分かっている。分かっているのに、やはり失ってしまうものを求めてしまう。



 だから巴マミは貪欲だ。
未練たらしくそれに縋り付いて、失いたくないと我儘を言っているのだ。



 そう言えば、と思い出す。

 昔の自分は我儘を言って両親を困らせることがよくあった。とにかく諦めるというのが嫌で、
手に入らなくなったものが欲しいと喚いたり、よく着ていたお気に入りの服を小さくなったからという理由で
捨てようとした母親を止めたり、散々迷惑をかけたと思う。

 成長した今ではそんなことを言わない程度の分別はつくようになったけれど、それでも本質は変わっていない。
やっぱり、私は大切なものや失ってしまったものにしがみ付いているのだ。



 マミはベンチの背もたれに体を預ける。

 ここは見滝原の中心駅近くの公園の広間の一角にあるベンチで、以前からマミもよく訪れる憩いの場だった。
日はとっくに沈み、こんなふうにくつろいでいるのはマミたちを除いて他に居ない。
広場にはちらほらと、帰宅を急ぐスーツ姿のサラリーマンが通りすぎるだけ。


 マミはそうやってベンチに腰を落ち着け、手元で一昨日の晩からマイブームになっている
グレープフルーツジュースの缶をいじりながら、物思いにふけっていた。
缶にはまだ半分ほど中身が残っていて、ずっと持っていたせいか、体温が移って温くなってしまっている。

 ずびり、と一口啜る。ほろ苦い味が口の中に広がった。
さっぱりとした苦味は後味が良くて、しつこくない爽やかな液体を喉に落としながら、
今度はアイスグレープフルーツティーでも作ってみようかなと考える。



「さくやー。いま何時ぃ?」

「21時13分でございます」


 隣に座ったフランとその後ろに控えている咲夜がそんなやり取りをしている。
それにつられるように、まどかは公園に設置されている時計を見上げた。


 昨日に続き、今日もマミはこの三人と行動を共にしていた。
無論、目的はさやかを探すことだ。
(昨日はまどかは別行動だったのだが、魔法少女でも何でもないまどかを夜の街で一人にするのは危ないので、
今日はマミたちと一緒に居るのである)




 一昨日の晩、学校近くの公園でフランと弾幕ごっこに興じた後、マミは彼女たちとほむらの家に向かった。
しばらくはそこを拠点にするつもりだったのである。
理由は、咲夜が前から居候していたのと、マミの家が無茶苦茶になってしまっていることである。
さらに、ほむら自身がマミたちと一緒に居た方が後々都合がいいと言ったのだ。






 よく言ったものだ、と思う。


 暴走していた時の記憶は戻っている。
つまり、自分がほむらにどんなことをしたのかも分かっている。
その結果、彼女から酷く恐れられるようになった。


 正直なところ、誰かから恐怖一色に染まった瞳で見られるのは辛い。
自分が恐れられるということに、傷つくのは避けれらなかった。
でも、それは受け入れなければならない。
それは自分のやったことの結果であり、因果応報なのだ。
何より、ほむらはもっと深い傷を負ってしまったのだ。










 それでも……それでもだ。


 ほむらはマミを自分の家に招き入れることを、自ら言い出したのだ。


 どれほど勇気のいることだろう。どれほど覚悟を決めたのだろう。


 恐怖で震える心と体を必死で抑え付け、もうマミは大丈夫だと、襲って来ることはないと自分に言い聞かせ、
宿無しになっていたマミに情けをかけて、家に泊まるように言った。
碌に償いもしていない加害者を、彼女は受け入れたのだ。




 ほむらがそう切り出した時、マミは泣かずにいられなかった。
本当に泣きたいのはほむらの方だというのに、涙が止まらなかった。





 ――――感涙だった。


 ほむらの心の強さと、懐の深さに感極まったのだ。
同時に、凄まじい罪悪感が圧し掛かって来て、マミはその場に崩れ落ちてしまった。
口に手を当て、大声を上げて、滝のように涙を流しながら号泣した。

 自分がどれだけの罪を犯したのか、どれだけの業を背負ったのか、それが心の奥底まで実感できたから。
そして、泣きじゃくるマミを慰めてくれたまどかや杏子の優しさに心底感謝した。
「ありがとう、ありがとう」と、そう繰り返しながら泣き続けた。



 それから、ようやっと泣き止んだマミはほむらの家に案内された。
そこはとにかく奇抜且つ奇妙な空間で、何でも彼女の魔法でそうしているのだとか。
元の内装は、建物の外観から想像できるような(メトロン星人が潜んでそうな)、ボロい部屋だという。

 マミはほむらに配慮して、自分の家に帰ると言ったのだが、あまりにも滅茶苦茶で寝泊りできないからと却下されてしまった。
(が、後から聞いたことだが、見滝原に来て直ぐ、咲夜がそこで寝泊まりしていて、ならマミもできるんじゃないかと思ったけれど、
そこはメイド長曰く「自分はどんなところでも生活できますから」ということらしい。
ホント、何者なんだろう、この人)



 閑話休題。


 その晩のうちに、杏子とほむらから諸々の事情を説明してもらった。




 まず、ほむらの目的。

 彼女の目的はワルプルギスの夜という、マミも耳にしたことのある伝説の魔女を打倒することであった。
そのために杏子と同盟を組んだのだという。
事実、ほむらの家にはワルプルギスに関する資料がたくさんあった。

 そして彼女がマミと対立した理由。
それは、ほむらが魔法少女の隠されていた真実を知っており、まどかとさやかを不幸にさせないためだった。
だから執拗に絡んできたのだ。


 それを聞いた時、マミは本気で土下座してほむらに謝ろうとした。
彼女は、ちゃんと伝えなかった自分も悪かったと言ったが、本当に良くできた子だと思う。
初めは悪い魔法少女じゃないかと勘繰っていたけれど、現実は真逆だったのだ。
年上の自分なんかより、よほどしっかりしていて、優しい。


 本当は分かっていた。
ほむらの言っていることは正しいのだと。
ただ自分は図星を認めたくないだけなのだと。

 結局、ほむらと対立したのはマミが意地を張っていたからだ。
杏子と喧嘩別れしてからこっち、再び独りぼっちになって、マミはずっと寂しかった。
理解者なんていなくて、友達とも疎遠になって、何より去りゆく杏子を引き留められなかったことが
心に重くのしかかっていた。


 そこにまどかとさやかが現れて、自分に羨望の眼差しを向ける彼女たちを見て、もう二度と手放したくないと
がっついたのだ。
マミに何度も忠告するほむらは自分から二人を引き離そうとする邪魔者で、だから拒絶し、威嚇した。




 やっぱり、自分は貪欲なのだ。
魔法少女になってリボンの魔法を手に入れたのも、ある意味当然の因果と言える。
そのリボンによって相手を縛り、自分に繋ぎ止めるのだ。
そう考えれば、きっと、自分に人を助ける使命を課して魔女退治をし続けたのも、単に生に執着して
自分一人だけが生き残れられるような願い事を叶えたことに対する罪悪感から逃れたかったからかもしれない。
我儘は巴マミの本質であり、欲しいものは拘束して決して逃がさない。


 それなら、ほむらの方がよっぽど人のために行動していると言える。
彼女が忠告してきたのも、まどかとさやかを不幸にしないためであり、事実契約したさやかは辛い思いを強いられている。
もしマミがほむらの忠告を聞き入れて、二人に契約しないように言っていれば、さやかはこんな目に遭わなかったかもしれない。
結果論かもしれないけれど、でもマミは自分が二人に与えている影響について把握していた。
しっかりと言い聞かせていれば、さやかは契約を思い留まったと思う。



 想いを寄せる人を助けたというのは、それ自体は美談だ。
さやかなら、きっとそれは自分の選択だと言い張るだろう。
だけど、そうではなく、彼女は選ばされたのかもしれない。
マミに誘導され、契約という手段を選んでしまったのかもしれない。
つまり、今さやかが無用な苦しみを背負っているのは、マミのせいなのだ。
ならば、マミが何とかしなければならない。
ツケをさやかに払わせる訳にはいかない。


 杏子が、さやかを救ってくれと言った時、それは言われるまでもないと思った。
それは果たすべき責務だから。



 杏子が見滝原にやって来て、そこで体験したことも聞いた。

 初めてさやかと会った時から、この子は昔の杏子似ているなと薄々感じていたのだ。
いつの間にやら結託していても不思議ではない。


 そんな杏子も、マミを巡ってさやかと対立してしまう。
結局そこにも自分が関わっていて、もう申し訳なくて申し訳なくて仕方がなかった。
もっとしっかりしていれば、狂気に呑まれたりしなければ、ほむらも杏子も、そしてさやかも傷つくことがなかったのだ。
マミは諸悪の根源だ。



 しかし、杏子はそんなマミに恨み言の一つも言わない。
「辛いのはアンタも同じだったんだろ?」なんて、逆に慰めてくれたくらいだ。
……何だろう? ほむらにしろ杏子にしろ、聖人君子の星の下に生まれたのだろうか? 
ああ、そう言えば、杏子は聖職者の娘で、ほむらは越して来る以前はミッション系の学校に通っていたらしい。
道理で、という訳だ。












 ――――――そして、最後にほむらとフランから告げられた衝撃の真実。


 信じたくない、でも現実。
あまりにも残酷で、無常で、それを聞いた時、マミは思わず泣き出してしまった。





 だってそうだ。魔法少女が魔女になってしまうなんて、そんなのあんまりだ。

 ほむらが言うには、希望と絶望は等価で、祈った分だけの呪いを撒き散らすしかない。
その理屈はいつだったか杏子が言っていた通りで、詰まる所、今までマミが張り切ってやっていたことは同族殺しだった。



 これが、ほむらが必死になってまどかたちを契約させまいとしていた理由。

 ほむらは、その眼で友人が魔女になる瞬間を目撃したそうだ。




 どんな、気持ちだったのだろうか? いや、どれ程の衝撃だったのだろうか?

 もしほむらがかつては心優しい唯の女の子だったとして、今のように冷たくそっけなくなってしまうくらい、
それはそれは大きな衝撃だったのだろう。


 マミに真実を隠していたのは、その衝撃を与えないためだという。
魔法少女の正義というものに縋って生きてきたマミにとって、それは根幹を破壊するほどのものだからだ。
実際、魔法少女だった時にそれを聞いていれば、魔女になる自信があった。





 一方で、フランは初めて魔法少女の話を聞いた時に、既にそのことに気が付いていたそうだ。
何と言うか、見た目によらず、頭がいい。まあ、五百年も生きてきたからか。

 もっとも、フランが言うには、悪魔というのは(吸血鬼も悪魔の一種)とにかく「契約」という言葉に敏感で、
奇跡のような大きな利益の対価と言えば、魂以外にないのだそうだ。
だから、ソウルジェムがその名の通り、結晶化した魂そのものであることにもすぐ気が付いたし、
魔法少女と魔女の関係も簡単に推察できたと、彼女は述べた。


 そんなことはおくびにも出さなかったキュゥべえには言いたいことが山積りになった。
けれど、この真実だってフランの言う通り、よくよく考えれば誰でも気付けるもので、
「奇跡」やら「希望」やらといった言葉に踊らされて、浮かれていたマミたちにも多少は落ち度がある。
それでも、こんな重要なことを事前に知らせないのは悪辣極まりないし、それは糾弾されてしかるべきだ。


 ほむらは「あいつには『騙す』という概念すらないのよ。聞かれなかったから言わなかっただけと言い逃れるだけ」と、
諦めたように言っていた。


「そういうことだったんだな」と、どこか納得したように呟いた杏子の声がはっきりと頭に残っている。



 フランによれば、すでに魔法少女ではないマミが魔女になることはない。
ただ、だからと言ってマミは安心できるわけではなく、ほむらと杏子と、行方不明のさやかのことが心配だった。
杏子はショックは受けていたけれど、不安定になったり、魔女になったりする様子はなく、
彼女自身も「大丈夫だ」とい言っていた。
それより、さやかの方がより深刻だ。



 その時点で、魔女化の真実を知っていないのはさやかだけ。
まどかにはフランがすでに話してあるらしい。
フランからすれば、仮説を確認しただけだ。



 さて、問題は二つある。

 一つは、ソウルジェムに濁りが溜まる条件は、魔力の消費の他に、心の中に負の感情を溜め込むことだという。
さやかは今まさにその状態で、いつ魔女になってもおかしくないらしい。
一刻も早く探し出し、ソウルジェムを浄化する必要があった。
幸い、グリーフシードはフランが持っていたのがある。
ただそれも、さやかが呪いを生み始めると、浄化した傍から濁り出すので、そうなるともう手遅れだという。


 魔女になった魔法少女は、もう戻ることはない。
奇跡は例外だが、それ以外の手段は存在しない。
今の内しかないのだ。





 そしてもう一つ問題がある。


 それは、キュゥべえがさやかにその真実を話す危険があるということ。
そうなれば確実にさやかは魔女になってしまい、さらにそれを口実にまどかに契約を迫りかねない。
まどかの性格からして、さやかを生き返らせるために契約する恐れは十分に存在した。

 まどかに真実を教えたフランも、契約それ自体は止めず、あくまでよく考えた上で契約するように釘を刺しただけ、とのこと。
それを聞いたほむらは、少し苦虫を噛み潰したような顔をしていた。


 とにかく、これでやらなければいけないことははっきりした。
夜行性のマミとフラン、そして御付の咲夜は話の後にほむら宅を飛び出し、さやかの捜索を始めた。
翌日の、つまり昨日の昼間にはほむらと杏子とまどかが代わって捜索を行い、夜にはまたマミたちが街に繰り出た。
まどかの協力もあって、早く見つかるかと思いきや、どこにもさやかはおらず、使い魔や魔女の居場所を見つけても、
そこにもその姿はない。
見滝原は広く、魔女の数も多いので、運が良くなければさやかと会わないのだろう。




 余談だが、その魔女について、マミもいろいろと思うところはある。
結局、自分がやっていたことは魔法少女を殺すのと同義なのだから。
フランは、魔女とグリーフシードは同じもので、単に状態が違うだけ、いわば水と氷と同じだと言ってくれたけれど、
それでも心情的には、だ。


 もしさやかが魔女になってしまったら、まどかを契約させるのは論外だから、誰かが彼女を倒すしかない。
そしてその役目は恐らく、マミが負うことになる。
というより、ほむらや杏子にそれをやらせるつもりはなかった。
いくら魔女になろうと、さやかはさやかだ。
友達殺しという最悪の罪を、その二人に着せる訳にはいかない。
それは、マミが被ってしかるべきなのだ。
その覚悟は、既にできている。






 さて、昨日までの捜索は実を結ばず、今日は少し方法を変えてみた。
ほむらが、さやかの契約理由である上条恭介の下に赴き、さやかの行きそうな場所について聞いて来たのだ。


 そう言えば、マミは彼を襲った。全く無力な唯の少年を襲ったのだ。
それについても、償いをしなければならない。
ただ、上条宅から戻ってきたほむらは「彼に合わない方がいいわ」と吐き捨てるように言っていた。
機嫌も妙に悪かったし、何かあったのだろうか?



 それはともかく、恭介からは貴重な情報が得られた。


 恭介が言った、さやかとの思い出の場所。電車で3駅のところにある市民ホール。

 ああ、あそこか、とマミは頷いた。
場所は知っている。
そこはよくコンサートや劇をやっている場所で、マミもその案内ポスターを目にすることがしばしばあった。
立地は、駅には近いのだが、街の外れにあってやや不便だ。
マミたちの住む場所、すなわち見滝原中学の学区からは、市街地の中心を挟んでちょうど反対側にあるため、
よく魔女退治のために市中を徘徊していたマミも滅多に足を運んだことがなかった。
ただ、これでも見滝原の地理にはかなり詳しいと自負するマミは、場所だけはよく知っていたのだ。

 そして現在、マミとフランと咲夜さらにまどかは電車に乗り、市民ホールまで行って、そして帰ってきたところなのだ。




 見つからなかった。市民ホールにもさやかはいなかった。
しかし、痕跡はあった。
微かに彼女の魔力の波動が残っていたのだ。
ただ、もうさやかはそこから去ってしまっていたのだけれど。


 そんな訳で、マミたちは小さな手がかりを土産に戻って来て、駅近くのこの公園で一休みしているのだ。
既に、ほむらと杏子にはこのことは報告してある。


 その二人だが、ほむらは魔女を探し、杏子はさやかが電車を利用するかもしれないからと言って中心駅に張っている。
そしてマミたちは、これからどこを探すか、作戦を練っているのだ。





「まどかはそろそろ帰らないとまずいんじゃない?」


 時間を確認した後、フランがまどかに話しかけた。


「うん。でも、もうちょっと……」


 頷きながらも、言葉を濁すまどかにマミは優しく諭す。



「ご両親が心配していると思うわ。美樹さんのことはちゃんと見つけるから、ね?」

「……はい」


 残念そうにしながらも、まどかは返事をした。
聞き分けの悪い子ではないので、ちゃんと分かってくれている。





 彼女の気持ちは痛いほど理解できる。そのためにも、必ずさやかを見つけないといけない。


 フランとは反対側の、マミの隣に座っていた彼女は、ゆっくりと立ち上がる。
まだ少し心残りがあるようにしているが、彼女はマミたちの前に立ち、頭を下げた。




「それじゃあ、お願いします……」

「ええ。任せて」




 力強く応えたマミに、まどかも微かに笑い、それから踵を返して――、









「マミ!!」








 突然、テレパシーが飛んで来た。


 来た! と直感する。

 送り主は杏子で、内容は間違いなく、




「さやかが見つかった。早く来てくれ!」



 焦ったような杏子のメッセージに、内心嫌なものを抱く。
もう手遅れなんじゃないか、そんな気がしてマミは飛び上がるようにベンチから立ち上がった。
慌てて残ったジュースを飲み干し、マミたちの居る広場の反対にあるゴミ箱に空き缶を投げ入れた。



「咲夜は先に行って!」



 隣でフランが指示を出す。適確だ。
時間停止は使えるものの、ほむらと違い他者の時間を任意に止めないという器用なことが出来ない咲夜は、
単身で先に行動した方がいい。

 メイドは頷くと、すぐに時を止めてその場から消え去った。




「行くわよフラン。鹿目さんも!」



 二人にそう声を掛けつつ抱え上げ、マミは走りだした。

 杏子が居るであろう中心駅は目と鼻の先。
吸血鬼の力で、一気に飛び出す。
人にぶつからないように走れば、ほらもう目の前に駅のエントランス。
なりふり構わず突入した。












ここまで!


多分、年明け早々から鬱屈とした話になると思います・・・・







「早苗?」



 私が聞き慣れた声にそうやって呼び止められたのは、魔女退治を終えてまなかと共に自転車を
停めていた駅前の駐輪場まで来た時でした。

 振り返ると、胸の底に響くような低いエンジン音を鳴らせたままのバイクに跨った神奈子さんが、
黒光りするフルフェイスのシールドを片手で上げた姿勢のまま、こちらを見ていました。
その表情はよく伺えないのですが、紅色の膨らんだジャケットやヘルメットと同じ黒い手袋、
さらにピカピカに磨かれた大きなオートバイが鳴らすアイドリング音が、妙な威圧感と言うか、
圧迫感といったものを私に与えてきました。
「こんなところで何をしているんだ」と半分脅すような勢いで迫ってくるような、あるいは神奈子さんが
直接そう言っているような感覚がしたのです。



「あ、えっと……」



 多分、その感覚は私が今この瞬間、後ろめたさを感じていることから来るのでしょう。


 何しろ、私は今日、まなかと共に魔女退治に行くことを神奈子さんに報告していなかったのですから。
だから、私は返答に困って、どう言い訳をしようかと素早く頭を巡らしたのですが、生憎何も思い浮かびませんでした。


 私がそんなことをしていると、代わってまなかが口を開きます。



「こんにちは」



 隣でまなかが丁寧に挨拶したことで、私に向いていた神奈子さんの鋭い視線がそちらに移り、
私は取り敢えずのところ、ほっと息を吐けました。
本人はフォローのつもりはないのでしょうが、私にとっては丁度いいフォローになりました。


 さて、もちろん、まなかはあくまで「従姉のお姉さん」としての神奈子さんとの面識はあります。
いつも同じバイク、同じヘルメットを被っているので、すぐに誰か気が付いたのでしょう。



「お! 久しぶりだね、まなかちゃん」



 神奈子さんは白々しく挨拶を返します。
昨日の今日で、そんなふうに気さくな態度を維持できる神奈子さんが羨ましいです。



「何してたんだい、二人とも」



 神奈子さんはそのままの調子でまなかに問いました。
そこで敢えて私を選ばなかったことに、少し寒いものを感じます。何故ならそれは……。



「アハハ。えっと、ちょっと道草食ってました」



 まなかは露骨に取り繕うような笑みを浮かべて答えます。
良くも悪くも単純な彼女は、こういったことは苦手で、何か隠していることは傍から見ればバレバレなのですが、
当の本人ときたら、それでうまく誤魔化せていると勘違いしているのですから。

 とはいえ、今この場において、それは全く関係ないでしょう。
どの道、私は後で神奈子様から尋問を受ける羽目になるのですから。




「そうかい。そうかい。早く帰んなよ」



 そう言って神奈子さんはフルフェイスのシールドを下げ、「じゃあ」と片手を挙げてあっという間に走り去って行きました。
その後ろ姿は様になっていて、かなりカッコいいのですが、彼女はああ見えて神様です。
世の中にあんなフランクでリベラルな神様がいていいのかと言われても、あれが神奈子様なのですからしょうがないのでしょう。



「ああ。神奈子さん帰ってたんだ」



 駅前の交差点を曲がり、姿を消した神奈子さんを見送ってから、まなかが話しかけてきました。



「ああ、うん。割と頻繁に来るけどね」

「いいな~。あたしもああゆうお姉さんがほしかったわ~」

「うん」



 まなかが神奈子さんに憧れを抱いているのは昔からよく知っていました。
まあ、確かにオートバイを乗りこなし、いつも気さくでさっぱりした態度をとる神奈子さんは、
そのルックスも相まって、幼い少女たちからは憧憬を浴びることでしょう。
ある意味、理想像とも言えるのですから。

 ただ、その正体を知っている私は、そういった憧れの言葉を聞く度に複雑な気持ちになるのでした。


 その気持ちを少しでも信仰に向けてくれれば、と。
憧れではなく、畏怖と敬意を抱いてくれれば、と。


 浅ましく思ったりするのです。


 今もそうなのですが、そんなこと考えたところで私の現状がどうにかなる訳ではありません。
無意味なことです。
なので、私はさっさと思考を切り上げて自転車を取りに行こうとしました。




「早苗はさぁ」



 その時に、不意に、まなかが私の名前を呼んだのです。

 私は神奈子様が消えた交差点からまなかの横顔に視線を移し、「何?」と問い返します。


 まなかは前を、交差点の方を向いたまま、こちらを向きません。
その目は何を見つめているのでしょうか。
彼女の顔からは色が抜け落ちていて、そこには何の感情も見い出せはしませんでした。
まるで、先程の魔女の体を作っていた灰色ののっぺりとした石のようです。


 私は、まなかがそんな表情をしていることに軽く目を見開きます。

 普段から思春期の少女らしく、口数が多くて能天気で、何も考えずに日々を過ごしているような彼女が、
そんな無味乾燥とした顔をすることが意外だったのです。
彼女は常に何かしらの感情を顕わにしていて、人より喜怒哀楽がはっきりしている人間なのですから。
だから、今のまなかを見て、彼女が何を思っているのか分からず、どうしていいのか分からず、
戸惑いと不安を覚えたのでした。



「将来、あんなふうになりたいと思う?」



 前を向いたままの問いかけ。
その意図が分からず、私はさらに困惑をしたのですが、まなかの方は何かはっきりとした目的をもってそう問いかけているような気がして、
だから答えなければいけないと思ったのです。
彼女は無表情でしたが、不思議とそんな雰囲気を感じ取れたのでした。




「……あ、うん。まあ、神奈子さ……ん、みたいにカッコ良くなりたいかな」

「そっか」



 小さく、溜息を吐くように呟いた彼女の顔には相変わらず何も浮かんでいなかったのですが、
妙にその声色は寂しげでした。


 そして――――、



「あたしは、無理かなぁ」



 続けて吐き出された鉛のようなその言葉に、私は衝撃を受けたのです。


 その意味が、分かってしまったから。


 その言葉は、単に額面通りに解釈するなら、神奈子さんみたいな憧れの女性に成れないという、
ちょっと諦めの入った何でもない言葉でしょう。
憧れを抱く人や、理想の自分に成れないなんてことはよくあることですし、誰しも一度はそういった
経験をしていることでしょう。


 けれど、そうじゃない。そうじゃないのです。

 そんな単純なことじゃないのです。


 そんな“諦観”を抱いている人が、現実にいるなんて実感したことがありませんでした。
ましてや、それが今目の前にいる親友だなんて思いもよらなかったし、知りたくもなかったです。


 だってそれは、これから死地に赴く兵士のような、あるいは余命いくばくもない病人のような、
「それ」なのですから。




「あたし、思ったんだよね。
今日は運が良くて、早苗に助けてもらったけどさあ、次もそうなるとは限らんし、あたし……弱っちいから、
ああいうことだってこれから起こるかもしんないしさ」



 ……やめて。



「魔法少女って、一度なったらもう後戻りできるようなもんじゃないって思うんだよねえ。
だから、あんまり長生きできんかなあ」



 何故でしょう。何故、彼女は今こんなことを言うのでしょう。


 心臓を万力で絞められているような痛みが胸を刺しました。
心は柔らかくて繊細なものなのですから、そんなふうに乱暴に扱われると簡単に傷ついてしまいます。
そんなことは、まなかだって分かっているはずです。

 だというのに、彼女はそんなことを言ったのでした。
そんな、有刺鉄線の絡みついたような言葉を発したのでした。


 きっと彼女はそれで私がどれだけ傷つくか分かっていないのです。
傷つけることは分かっていても、その傷の深さまでは考えが及んでいないのです。


 昔からそうでした。
昔から、まなかは時々思いやりに欠けることを、何の気なしに零したりすることがあって、
それが原因で私と喧嘩をしたことも一度や二度ではありません。
きっと今だって私のことなんかあんまり考えずに言ったに決まっています。

 でも、だからと言ってまなかばかりを責められません。
何故なら、今私が心を痛めているのは、半分は私の事情のせいだからです。


 もうすぐ、別れの時。

 私は生まれ育ったこの地を去り、幻想の存在へと成り果てます。
それは、現世への永遠の別離。
二度とまなかと会うこともなくなります。


 それは、言ってしまえば“死別”に等しい。今生の別れ、と言うやつです。

 でも、この場合、私は『去る』方。
別れの辛さは互いに感じるものではあっても、『去る』方と『残される』方では、きっと中身が違うのでしょう。


 私は今まで、『去る』方としての痛みを感じ、それについて考えを巡らせたことはありましたが、
その逆はありませんでした。
そして今、まさに私たちは立場が逆転してしまったのです。

 『去る』方の辛さなんかより、『残される』方の辛さがこんなにも強いだなんて、初めて知りました。

 まなかの方が私の下を去るなんて、考えたこともありませんでした。
そんな辛さなど、想像したことすらありませんでした。

 だから、そんな“想定外”の辛さを思い知られて、無防備に構えを取っていなかった私の心は深く傷つけられて、
どろりとした液体を湯水のごとく垂れ流しているのです。


 どうしてこんなにも辛いのでしょう。どうしてこんなにも深く傷ついたのでしょう。


 それはきっと、『残される』方は、理不尽な痛みを強要されるからだと思います。

 何故なら、『去る』方は、その辛さにいろいろな理屈を、例えば「信仰を確保するために幻想郷に行かなければならない」とか、
「魔法少女として魔女と戦っていると、その内に戦死をするだろうから」とかといった言い訳を立てられます。
そうすることで、自分の辛さや痛みを誤魔化してしまうことができるのです。
現に、私がそうでした。


 でも、『残される』方は違う。
『残される』方は、『去る』方の一方的な理屈で、無理矢理別れをしなければならないのです。
ずっと一緒に痛いのに、引き千切られるように離れ離れにされるのです。


 それはとても理不尽なこと。だからこそ、強い苦痛を伴うのです。


 本当に、本当にまなかは間が悪いというか、バカです。大バカです。


 何だってこんなことを口にするんですか。


 こんな時に――――、



「そんなこと、今言わんでよッ!!」

「……あ」



 「あ」ってなんですか。「あ」って。


 しまったと思うくらいなら、初めから黙っていなさい、このバカ!


 私は踵を返し、まなかに背を向けて駐輪場に向かいます。
後ろでさらにまなかが何かを言い掛けた気もしますが、シカトです。シカト。


 ああ、もう! 最悪です。あんなバカなんて放っておいて、さっさと帰ります。


 きっと私は泣いているでしょう。
視界がぼやけているし、鼻水が出そうだし、顔全体が熱いし、頬を何かが伝っているし。

 ほんとにサイテーです。前がまともに見えません。
これから自転車に乗って帰るのに、事故ったらどうするんですか。


 私は自分の自転車の鍵を外すと、駐輪場から引き出して、まなかの制止を振り切って乱暴に漕ぎ出しました。


 まさかそれが、最後の別れになるとも知らずに…………。





 家に帰った私を待っていたのは、「吽」の形相で仁王立ちをしている神奈子様でした。
それを目の当たりにした瞬間、予想していた通りのことが起きると理解した私は、
まるで処刑台にしょっ引かれていく罪人のような重たい足取りで神奈子様の前まで参り、
その御前に跪いたのです。


 しばらく、神奈子様は何もおっしゃいませんでした。


 そこは神社の本殿の中。
つまり、神様方が鎮座されている場所であり、本来なら諏訪子様もいらっしゃるはずですが、
気配はすれどもお姿は見られず、その助け舟に微かな希望を抱いていた私は、それが叶わないことを悟りました。
どうやら、諏訪子様はご静観なさるおつもりのようです。


 気まずい沈黙が本殿の中を支配します。


 辺り一帯は静かなもので、交通量も少なく、人も少ないので、物音と言えば風に吹かれた木や葉が擦れる音や、
小鳥のさえずりくらいしかしません。
でも今は、それすら聞こえず、耳が痛くなるほどの静寂に包まれていました。

 空気はまるで水銀のようにどろりと重たく、私の全身にのしかかって来ていて、背筋は徐々に曲がり、
終いには頭を上げていることすら億劫になってきました。
耳はあまりの静寂に、糸が張るような甲高い幻の音を拾い出し、暑くもないのに脇に不快な汗の感触がしました。


 早くしてください。
私は神奈子様の足袋を履いたつま先を凝視したまま、心の中で必死に祈っていました。
雷が落ちるなら、早ければ早い方がいいと。




「早苗」

「は、はい!!」



 静かに帰られたその御声に、私は緊張のあまり裏返った声を出し、弾かれたように体をびくつかせました。
まるで、叱られるのを待っている子犬のようです。



「今日、帰りに何をしてた?」



 単刀直入に来ました。ストレートに来ました。150キロオーバーの剛速球です。



「ぁ、ぇと、その……魔女、退治に…………」

「そうか。魔女は倒せたのかい?」

「は、はい」

「まなかちゃんがやった?」

「い、いえ。私が、その、やりました」

「そうか……。あいつに、力を使ったところは見られたのかい?」

「いえ、多分、見られてないかと」

「あいつはいなかったのかい?」

「さ、最初は、いました。でも、途中で……その、死んじゃったと、思います」

「なるほど。では、早苗はあいつがいなくなったから力を使って魔女を倒したんだね」

「はい。そうです」

「まなかちゃんは何か言ってた?」

「驚いてました。でも、信じてくれました」

「……そうか。信じてくれたか」

「あ、神奈子様……」

「ん?」

「申し訳ありません。昨日、まなかから魔女退治に誘われたことを黙っていて。
それに、勝手に力を使ってしまって! 本当に、すみませんでした」



 私は両手を床につき、そのまま額も床につけました。元々正座していたので、それはそれは見事な土下座となったのです。



「ああ。いいよ。契約しなかったんならね」



 けれど、神奈子様はあっさりそう言っただけ。もっと怒られるかと思っていた私は、拍子抜けして思わず神奈子様を見上げたのでした。

 そして次の瞬間、そのお口から放たれた言葉に、思考を根こそぎ吹き飛ばされたのです。



「ただ、幻想郷への移転はさらに切り上げるよ。今晩行う。分かったね、早苗」



 言葉も、出ませんでした。





 それから、随分長いこと茫然自失としていた私は、気が付いたら自室にいました。
はっとした時には、既に部屋着に着替えていて、寒々とした和室の片隅で膝を抱えながら泣いていたのです。
部屋は薄暗く、ひんやりとした畳が裸足を冷たくしています。
顔面はびしょびしょで、ズボンの膝の辺りも濡れていました。

 今は何時でしょうか。
座卓の上の目ざまし時計を見ると、蛍光シールの張られた長針と短針が直角に、ちょうど9時を指していました。
もう、こんな時間なのです。


 何と言うことでしょう。私は貴重な時間を無駄にしてしまったのです。

 それを認識した途端、頭の中は一気にかき乱され、ぐちゃぐちゃになってしまいました。
どうしよう、どうしよう、という意味のない焦燥に覆われたのでした。


 こんなところで泣いている暇があったら、今からでもまなかのところに行って別れの挨拶でもしてくれば良かったのですから。

 いや、そもそも、夕方、どうしてあんな別れ方をしたのでしょう。
ほとんど喧嘩別れみたいな感じになっていて、ああ、これが最後だと分かっていたなら、もっといい別れ方をしたのに!


 どうしましょうか。今からでも会いに行けばいいのでしょうか。


 けれど、それは後どれだけ時間が残されていないか分からない以上、できないでしょう。
何時に移転を行うのか、その準備はどうするのか、そう言った具体的なことを、神奈子様は一切仰っていってなかったように思います。
あるいは、私が聞いていなかっただけでしょうか。
いずれにしろ、私は把握しておりません。


 だから、いつでも言われたら動けるように、神様方がお困りにならないように家に居なければならないのです。


 ということは、私にとれる手段は一つ。


 座卓の上にいつの間にか放置されていた携帯電話に私は飛びつきました。
もしかしたら、まなかからメールが届いているかと思って開きましたが、生憎ただの待機画面が表示されるだけでした。

 まあ、それはいいのです。
私はすぐにアドレス帳からまなかの電話番号を開き、すぐに発信ボタンを押します。


 お願い、早く出て。


 コール音に耳を研ぎ澄ませながら、私は祈るような気持ちで待ちます。
お風呂に入っていなければ、この時間ならまなかはすぐに出るはずですが。


 1コール、2コール、3コール、と数えたところで、



「早苗?」



 出ました。その声を聞いた途端、思わず私は安堵の息を吐いてしまいました。
「早苗?」ともう一度、電話の向こうでまなかが困惑したように私を呼びます。
「どうしたん?」




「まなか、あのね」

「うん」

「言わんといけないことがあるんだ」

「何?」



 大丈夫。まなかは聞いてくれる。

 私は、深呼吸しました。そうしないと、決心がつきそうになかったからです。


 ヒイ、フウ。ヒイ、フウ。

 吸って吐いてを2回ずつ繰り返し、私は再び口を開きました。



「私、引っ越しするんだ」

「え! マジで!!」



 まなかは素っ頓狂な声を上げました。
いや、まあそれはそうでしょう。
いきなりそんなことを言われたら、誰だってそうなります。

 だけど、次の言葉を聞いたらどうなるのでしょうか。



「もう、二度と会えんようになるよ」

「……は?」

「電話もメールも通じないし、手紙も届かない。多分、来るのも無理なところなんだ」

「は? え?」



 電話の向こうで、彼女は相当混乱しているようです。
きっと、その頭の中はぐちゃぐちゃになっていることでしょう。

 他方、それとは逆に、私は妙にすっきりした心持でした。



「だもんで、もうこれでお別れなんだよ。
ごめんね。ほんとはもうちょっと先の予定だったんだけど、急に今晩行くことになって……」

「は!? 今晩!? ウソッ!」

「ほんとだよ。もう、明日にはいないし」

「ちょ、ちょお待って! 今から見送りに行くから!」



 言葉とともに、電話の向こうでバタバタと物音がしました。
きっと、まなかが携帯を片手に慌てて出かける支度をしているのでしょう。
走れば五分もかからないほどの近所です。
上下灰色のスウェットに白いウィンドブレーカーでもひっかけて来る彼女の姿がありありと思い浮かべられました。


 けれど、私はそれを止めます。



「ダメ」

「え?」

「来ちゃ、ダメ……」

「何で?」



 突然の拒絶の言葉に、まなかの声が低くなります。

 そこに怒りや悲しみが含まれているのはよく分かります。
それは仕方のないことで、誰だってこんなふうに拒絶されればそういう反応になります。


 少し、まなかを傷つけたかもしれません。その事実を悟り、私の胸も少し疼きました。


 本音を言えば見送りに来てほしいです。もう一度、最後に彼女の顔を見たいです。


 でも――、



「巻き込まれちゃうから、ダメ。危ないから」

「な、何? さっきから訳分かんないんだけど! 早苗、分かるように話してよ!」



 ついに彼女は怒り出しました。

 鋭い声にははっきりとした苛立ちと糾弾の響きが含まれていて、「ああ、これは本気で怒ってるんだな」と感じて、
だから胸の疼きが少し強くなりました。

 言わなければならないでしょう。
そうでなければ、まなかはきっと納得しません。
あるいはもっと傷つけてしまって、結局夕方のような別れ方になるのかもしれません。


 それが、どれだけ残酷な事実であっても。




「あのね」



 でも、少し躊躇してしまいます。

 本当に、事実を伝えていいのだろうか。
適当に誤魔化した方がまなかも傷が浅くて済むんじゃないだろうか。

 そんな小狡い考えが頭に浮かんだからでした。


 けれど、私は頭を振ってすぐにその考えを掻き消し、決心をつけるために少し大きく息を吸い込みました。


 こんなところで嘘を吐いても仕方がない。
何より、大事な別れの時を、そんな浅はかな嘘で汚したくない。



「普通の方法じゃ、ないんだ」



 言葉は途切れ途切れに、



「引っ越す“人間”は私だけで」



 声に抑揚はなく、



「ううん。もっとはっきり言えばね」



 調子は淡々として、



「“この世界”から居なくなるんだ」



 私は告げました。




 それから、しばらく沈黙がおります。長い、長い、間がありました。

 あまりに静かになったので、もしや電話が切れてしまったのではないかと思ったのですが、
機械を通して耳から入ってくるまなかの息遣いに、確かにまだ私たちは繋がっているんだと実感できました。


 そう、まだ繋がっているのです。
私とまなかの間にある、「糸」か「絆」かは分かりませんが、それは確かに断たれてはいないのです。


 あと少し。もう少し。

 もう少しだけ、繋がっていたい。


 機械と電波で繋がれた私たちの“それ”を、もう少しだけでいいから維持していたい。

 そんな欲求が頭に浮かんで、自然に携帯を持つ手に力が入りました。


 やがて――息を吐く音がしました。

 続いて、再びまなかが口を開きました。




「それって、『死ぬ』ってこと?」

「違う、かな。正確には、異世界に行く、みたいな」

「異世界……」

「『幻想郷』って言うんだよ。そこ」

「ゲンソウキョウ?」

「うん」

「どんなとこなの?」

「妖怪とか、神様とかいるらしい。もちろん、人間もいるみたいだけど」

「妖怪って、マジで言っとんの? それ」

「マジだよ」

「笑えんのだけど」

「笑う話じゃないよ」

「食われちゃうじゃん」

「あはは。だいじょうだよ。やられたりしんようにするから」

「ま、早苗は強いからねえ」

「……強く、ないよ」

「強いよ」

「強くないよ」

「強い。だってさ、泣けるんだもん」



 ああ、どうして。


 どうして彼女はそういうことを言うんでしょうね。


 ほんとに無神経で、少々思いやりに欠ける発言を改めたりはしないのでしょうかね。



 そんなこと言うから彼氏出来ないんだよ。



「そんなこと言うから彼氏出来ないんだよ」



 思ったことを言ってやりました。まあ、これくらいなら許されるでしょう。
恋愛なんてものは、相手への気遣いや思いやりがなければ成り立たないですからね。
経験皆無の私が言うのもなんですけど。



「うわ。傷つくわー。今日の早苗の発言の中で、今のが一番傷ついた」

「こっちの方がもっと傷ついたし」

「えー? ほんと?」

「ほんとだよ。まなかは思いやりに欠けるから」

「え? あたし優しいじゃん」

「自分で言うな、バカ」

「うっさい、アホ。ってか…………そっかぁ。
あたしって、あんまり考えんともの言うから、結構傷つけちゃったりしてたんだね。気を付けんと」



 え? 何で?



「……なんかさ、いろいろごめんね」

「ま……」

「考えてみたら、あたし結構早苗に迷惑かけてたよね。ほんと、早苗を振り回してたって感じ。
今日だって助けてもらったわけだし」

「な……」

「いろんなもん奢ってもらったしね。
あたし、早苗に借金結構あったよね。いくらだけ? 
ていうか、返せないね。お金ないし、時間ないし……。マジ、ごめん」

「い、いいよ。気にしてないし」






 どうして。


 どうして彼女は。


 何だってこんな時に、そんな普段は絶対に見せないような態度を。
しかも、どうでもいいことばかり。


 そして私も私。

 残り時間が少ないのは分かっているはずなのに、なんでまなかに合わせてしまうのか。
もっと他に言うべきことがあるでしょうに。



「マジで? いいの?」

「……うん」



 そんなことより、他に……、



「やったー! 借金、チャラだぁ!」



 前言撤回です。

 イラッときました。

 本当に一瞬ですが、確かにイラッときました。



「うるさい。そんなこと言ってないから」

「え? 言ったじゃん」

「言ってない!」

「言った!」

「言ってない!!」

「いや、言ったし!!」

「言ってない。言ってないもん……」



「……ああ、うん。ごめん。泣かないでよ。あたしが悪かったから」

「……うん。……じゃあ、謝んないで」

「何で?」

「なんか、嫌、だから」

「あ、そう。今日の早苗、よく分からん」

「……うん」

「あー……。あ、でさぁ」

「ん?」

「何で、その……『ゲンソウキョウ』ってとこに行くの?」

「……ん、それは。あれ……みんなが、神様信じなくなっちゃったからかな」

「どういうことなん?」

「神様ってね、信仰がなくなったら、消えちゃうんだよ」

「マジで?」

「マジで」

「やばいね、それ。消えるって。神様とか強そうなのに」

「そんな、単純じゃ、ないから」

「そっかぁ。でも、『ゲンソウキョウ』ってとこなら、大丈夫なん?」

「うん。そっちじゃ神様とか普通に信じられてるみたいだから」

「へー。でも、早苗ん家だってお正月とかわりかし初詣に人来てたし、最近だって人増えてなかった?」

「ああ、うん。そうだけど、あの人たちは神様信じてないから。
お賽銭入れて、手を合わせたらいいとしか思ってないから。
でも、それじゃダメなんだよ。ちゃんと神様への気持ちを込めてやんないと。
拝んだだけじゃご利益なんて貰えんの。
神様の力って、元はそういう人たちの気持ちだからさ。信じてもらえんと力が出せない訳」

「……………………あ、そうなんかぁ」

「しょうがないよ。みんな、神様より大事なものができたんだもん」

「……そうだねぇ」

「うん」




「…………そういやさぁ」

「うん?」

「最近、神社に来る人増えてんじゃん?」

「うん」

「あれさ、あたしのせいなんだよね」

「え? 何で?」

「いや、昨日は言わんかったけど、あたしの契約した時の願い事ね。
『早苗の神社に人がたくさん来るように』ってお願いしたんだ」

「…………ぁ」

「でも、それじゃあダメだったんだよね。
ほら、神社に人が来れば、早苗も助かるだろうし、家の店にもお客さん来るんじゃないかって思ったんだけど。
ちょっとバカなお願いだったねぇ」

「あ、そんなことないよ。ありがと」

「フハッ。何でお礼言うの?」

「だって、まなかなりに私の神社のこと考えてくれてたんでしょ。
しかも、一生の願い事にそんな……」

「いいよ。いいよ。あたしがバカだっただけだし」

「そんなことないよ。ほんとに、嬉しい」

「…………はあ。早苗は優しいなあ。
……ついでにさあ、借金もチャラにしてくんない?」

「な、また! そういうッ!!」

「ええー。いいじゃん。お願いします、早苗さん。ちゃんと毎朝拝むからさ」




「仏壇じゃないんだよ、バカ!!」

「いや、だってさ。今、金額ちょっと計算したら、2万くらいあって……」

「そんなに!? バカじゃないの!? 高一で友達に2万も借金するとか真性のバカじゃん!」

「ちょい、バカバカ言い過ぎじゃない? いくらあたしでも傷つくよ?」

「うっさい! ほんとにバカじゃん。私より成績悪いし、通知表悪いし、しかも借金バカだし」

「はあ? そういうそっちだって、貸したくせに金額憶えてないとか、そっちこそバカなんじゃないの!」

「はぁあ!? そっちのがバカだし! バーカバーカ。
どうせあっちに行ったら借金返せなくなるし、死ぬまで一生利子が膨らんで借金生活だよ。
ざまあみさらせバーカ」

「ハッ! それって踏み倒したのと同じじゃん。やったー!」

「はあ? 友達からの借金踏み倒すとかサイテー。バカでサイテーとか、ほんとどうしようもないね」

「しょーないじゃん! だって急に言うんだもん。もっと早くに……」

「うっさい! 
そういうこと言うな、バーカ!」

「早苗……」




「あと、元気にしてなよ! 
腹出して寝てたらバカでも風邪引くんだからね!」

「うん…………」

「それから! やばい奴相手にしちゃだめだからね。
そこら辺、ちゃんと考えんといけんよ! 
バカなままだと死んじゃうからね!」

「ぅ……」

「泣かんでよ! バカ。
ソウルジェムの浄化、忘れちゃだめだかんね! 
あとあと! みんなによろしくね。
『幻想郷』のこと、人に言っちゃだめだからね!」

「ぅん。分かった……」

「だから泣かんでよ! 

それからさ、おばあちゃん大事にしなよ! 

彼氏作んなよ! 

大学落ちんなよ!

 
強く生きなよ! 


分かったか、バーカ! 




返事は聞かないッ!!」









 気が付いたら、私は携帯を両手でマイクのように持っていました。
そして、電話はツー、ツーという音を鳴らしており、既に切れていました。


 ――――――バカは、私です。

 何を言っているのでしょう。途中から、自分が何を言っているのか分からなくなっていました。
そして、勢いに任せてまなかに罵詈雑言を散々吐いた後、身勝手に通話を切ったのです。

 何と言うことをしてしまったのでしょうか。
これが最後なのに。まなかの肉声を聞く最後だったのに。


 ほかにもっと言いたいことがありました。もっと話したいことがありました。

 けれど、そういったことはみんな頭から吹っ飛んで、代わって感情に任せた支離滅裂な言葉の嵐を
一方的にまなかにぶつけただけ。
しかも、吹き飛んでいた言葉たちは、今頃になって舞い戻って来たのですが、最早後の祭りです。


 まなかはどんな顔をしていたでしょうか。


 きっと困ってたでしょうね。
それとも、「こいつの方がほんとはバカなんじゃないか」なんて、呆れていたかもしれません。


 少なくとも、私が思うに確実に言えることは、まなかは泣いていなかったってことですかね。


 ええ。断じて泣いていませんでしたね。ひどい奴です。
まあでも、口喧嘩の最中にめそめそ泣き出してしまうような、そんな空気の読めない性格ではなかったはずですから、
きっと大丈夫です。
きっと、きっと……。



 ――――――それにしても、何でしょうか。この気持ちは。

 まだ胸の中にはもやもやとしたものがたくさん残っているのです。
先程まで行方不明になっていた言葉たちが、今や腐敗して発酵して、それがモヤっとしたものに変貌しておりました。

 ただ、それだけではありません。

 ほかにもいろんな感情が渦巻いているのです。

 悲しみとか、後悔とか、そんなもの。……あと、喜びも。


 不思議です。私は何に喜んでいるのでしょうか。


 ――――なんて、考える必要もありません。


 簡単なことです。
私が喜んでいるのは、「じゃあね」とか、「バイバイ」とか、「さようなら」とか、
そんな別れの言葉を言わなかったからなのですから。

 何しろ、それだけは言いたくなかったのです。
前々から、まなかにお別れを告げるときは、別れの言葉を言わないで別れようと考えていたのです。
その目的を達成できて、私は喜んでいるのでした。

 こんな考えは幼稚かもしれません。でも、ちょっとした願掛けみたいなものなのです。

 だって、「さようなら」を言ってしまうと、もう二度と会えなくなりそうな気がしたから。
それが永遠の別れを決定づけてしまうような気がしたから。


 人から見ると、馬鹿馬鹿しいのかもしれません。
けれど、何故だか私はそう思い込んでいて、だから別れの言葉を言わないと心に決めたのでした。

 もちろん、現実的に、幻想郷に行ったら再会するのは不可能である、ということは分かっています。
そんなことは重々承知なのです。


 でも、嫌じゃないですか。そんな冷めた現実だけしか見ないのなんて。
少しでも希望を持ちたいじゃないですか。
大体、二度と会えないなんて寂しすぎます。

 でも、私は言いませんでした。

 頭の中がぐちゃぐちゃになっていても、それだけは忘れませんでした。

 これはあれですね。「再会フラグが立った」と言うやつですね。ちゃんと回収しないと。

 私は鼻をすすり、喉を鳴らしながら、一方で低い笑い声を出しました。

 嬉しくて仕方がないのです。

 私の未来は“お先真っ暗”ではないのです。
この部屋みたいに、さっきまではそうだと思っていましたが、フラグを立てたので光が差し込んで来たのです。
ねえ、神奈子様。



 私がそう思うと同時に、「早苗」と静かに私を呼ぶ声が後頭部に降ってきました。

 いつの間にやら部屋の真ん中あたりの中途半端な場所で、携帯を持ったまましゃがんでいた私は、
そのままの姿勢でゆっくりと振り返りました。

 案の定、そこにいらっしゃったのは、人間のお姿を取っている神奈子様。
部屋の入り口に立ってこちらを見下ろしておられますが、廊下から差し込む光が逆行になっていて、
私からはその御顔はよく伺えません。


 電話をしている途中から、そこに神奈子様がおられるのは分かっていました。
聞かれたら恥ずかしいことをいろいろ口走りましたが、その時は気にならなかったのです。



「早苗……」



 もう一度、神奈子様は私の名前を呼ばれました。
しかし、その声には微かに困惑の響きが混ざっていました。


 それもそのはずです。


 何しろ、今の私の顔ときたら、嬉しさからくる笑いが半分、悲しみからくる泣きが半分をそれぞれ占めていて、
最早泣き笑いなんて言えないほど、それはそれは、甚だ気色の悪い表情をしているのでしょうから。
さすがの神様もドン引きでしょう。

 多分、顔面の筋肉はコントロールを失っていて、心の中にある感情がそれをそのまま乗っ取っている状態です。
だから、ぐちゃぐちゃになっているのです。


 自分がそんな顔をしていると考えたら、思った以上にダメージを受けました。
恥ずかしいので、慌てて目元を拭いて表情を取り繕います。




「い、いかがなさいましたか?」

「……ああ。こちらは準備が整ったよ。あとは早苗だけだ。まあ、まだ時間はあるんだが」

「私も、いつでも大丈夫ですよ」



 準備は前々からしておりました。

 といっても、神社丸ごと移転をするので、その敷地内にある我が家も幻想郷に行くのです。
だから部屋から荷物を全部出して、というような面倒なことをする必要はありません。
ただ、両親はあちらに行かないので、岡谷の辺りにアパートの一室を借りて、そちらに荷物を移していました。

 したがって、我が家の中にはすでに両親の物はほぼなく、また私の私物も幾つか、形見として両親に渡してありました。



「そうか。じゃあ、あとはお父さんお母さんと挨拶を済ませて、そしたら行こうか」



「いえ」けれど、私は頭を下げて、否定の言葉を口にします。



「一つ、お願いがあります。もう少しだけ、お時間を頂けないでしょうか」

「ん? 何かあるのかい?」

「はい。少し、やり残したことが」

「そうか。じゃあいいよ。明日の夜明けまでに行えればいいからね。そこまで急ぐわけじゃない」

「はい。ありがとうございます」



 私は粛々と神奈子様に深く頭を垂れ、感謝を口にしました。



 そう、やり残したことがあるのです。


 神奈子様はその後本殿の方に戻って行かれました。
私はそれを見送った後、部屋の電気をつけて、それから座卓の上の小物入れから便箋を取り出しました。

 クローバーの絵柄のある薄緑色の可愛らしい便箋です。


 一時、まなかに手紙を残しておこうと考えていたことがあって、この便箋を買ったまではいいのですが、
書くことが思い浮かばず、頑張って捻り出すのも億劫になったので結局辞めたのです。


 けれど、今はあります。たくさんあります。


 先程の電話で言いそびれたこと。
今、この胸の中で発酵した言葉の数々を、このまっさらな便箋に山ほど書き殴ってやるのです。
裏面まで、封筒の中にすらも。


 多分、無茶苦茶な手紙になることでしょう。
きっと、まなかはびっくりすると思います。
そして、すぐに呆れ果てるに違いありません。


 ――――――――事実、それから一時間以上かけてほぼストレートに書き上げた手紙は、
予想したとおりでした。


 急いで書いたせいか、字も汚いし、文章も支離滅裂だし、本当に書きたいことを書き殴っただけの手紙です。
おまけに便箋の裏にまで文字は浸出していて、我ながら酷い出来だと、完成した時には声を出して笑ってしまいました。

 でもいいのです。急に移転を決めた神奈子様が悪いのですから。私のせいじゃないんです。


 私は便箋を丁寧に折りたたみ、ゆっくりと封筒に入れて封をすると、絶対にまなかに届くように、
切手をぺたぺたと貼りまくりました。
多分、というか明らかに多過ぎるのですが、これで問題なく届くことでしょう。
余った切手はまなかにくれてやります。あ、消印捺されてしまうんだっけ。



 それから、私は待っていてくれた両親に最後の挨拶をしました。

 二人とはすでにいろいろ語りつくして、いつその時が来てもいいように備えていたのですが、
でもやっぱりいざ別れの段になると、涙腺が崩れてしまいました。
最後くらいは笑っていられるように、と考えていたのですが。


 それでも、両親は強い人たちでした。

 瞳に悲しそうな色を湛えながらも、決して泣こうとはせず、目が真っ赤でも笑ってくれました。
「元気でね」って言われたせいで、涙が止まりませんでした。

 でも、名残惜しくはありましたが、あまり時間がありませんので、挨拶もそこそこに、私は家を飛び出しました。
時刻はすでに深夜11時半。
別に誰かに言われた訳ではないのですが、日付が変わるまでには準備を終えたいと思っていたのです。


 神社から出て、私はすぐ近くに(本当にすぐ近くで、神社の正面入り口から100メートルも離れていないところに)ポストがあるので、
そこを目指して走りました。まなかの家より近いのです。


 田舎の夜は暗いです。
神社の前を走る道路に沿って、ポツリポツリと街灯が立っていて、それが寂しげに路面を照らしていました。

 車なんて走っていませんし、それどころか物音一つしません。
諏訪湖の方に目を向ければ、黒いシルエットと化した集落の向こうから、後光のように街の淡い光が天へと向かって伸びています。
深夜の田舎とはいえ、街の方はまだ明かりがあるのでした。


 私はポストに手紙を投函すると、神社に参拝する時のように二礼二拍手一礼を済ました後、
踵を返して神社に戻りました。


 これでこの街は見納めです。
諏訪の地を駆けるのも、信濃の国の空気を吸うのも、これで最後です。


 私はその感慨を、神社への僅かな距離の間に一歩一歩踏みしめました。
今では、何の変哲もない足元のアスファルトすらも名残惜しく感じられます。
街灯の白色灯の明かりすらも愛おしく思えます。


 だから、最後なのです。でも、「さようなら」は言いません。


 口に出すのはもちろん、心の中で呟くこともありません。




 100メートルはあっという間でした。

 足の速い人なら、十秒前後で駆け抜けられる距離。私ですら二十秒もかかりません。


 私は風のように神社に舞い戻り、車に乗り込んでいる両親に微笑みかけて、それからいよいよ拝殿の前に立ちました。


 私に見える人影は三人。

 一人は神奈子様。もう一人は諏訪子様。

 そして三人目は――、



「もう、いいんだね」



 到着するなり、神奈子様はそう尋ねられました。

 私ははきはきと答えます。



「はい。すべて準備オッケーです」

「心残すことはないかい?」



 今度は諏訪子様が尋ねられました。

 私ははきはきと答えます。



「はい。数えきれないほどあります。でも、それでも構いません」

「そうかい」



 諏訪子様は満足されたように笑みを浮かべました。


 それにしても、珍しいこともあるものです。
諏訪子様は普段こうして実体化されることはないのに。




「よし。じゃあ始める前に、早苗に彼女を紹介しておかないとね」



 神奈子様はそうおっしゃって、お二方の後ろに控えるように佇んでいた“三人目”を振り返りました。

 それに合わせて、その背の高い人影が一歩前に出ます。



「彼女は、私たちがこれから行く幻想郷の管理者。名前は『八雲紫』。
前々から移転の協力を仰いでいて、大変に尽力してくれたんだよ」



 神奈子様が紹介すると、その女性は優雅な仕草で腰を下りました。



「ご紹介に上がりました、『八雲紫』です。これからよろしくお願いしますね、東風谷早苗さん」



 綺麗な方でした。

 物腰も丁寧で、教養を感じさせる瀟洒な雰囲気に、私は少々あっけにとられたのでした。


 幻想郷というのは、文明の発達はこちらの世界よりずっと遅れていると聞いていたので、
さぞや未開の地で、野蛮な風習とか残っていたりするんじゃないかと想像していたのですが、
八雲さんを見る限り、そんな気配は微塵も感じられなかったのです。
何より、「妖怪」にこんな方がいるとは思ってもみませんでしたから。



「は、はい。守矢神社の風祝、東風谷早苗です。よろしくお願いします」



 恥ずかしいことに、緊張して声が少し上ずってしまいました。
多分、八雲さんは先程からと変わらないたおやかな微笑みを浮かべていると思いますが、
私は気恥ずかしくて顔を上げられません。



「さあ。そろそろ日付が変わる。行こうか」



 結局、神奈子様がそう仰られたことで、私は何とか取り繕うことができましたけど。



「ええ。では、こちらも始めさせていただきますわ」



 それから、お三方は私にはよく分からないご準備をされて、その間手持無沙汰だった私は、
視界のすべてが白色の光に包まれるまで、生まれ育った諏訪の街がある方向をずっと眺めていました。







 騒がしい天狗が去って、再び静けさを取り戻した神社。

 しばらくして、私は奉納品の整理をしてもらうために早苗を呼んだのだが、どうしてかあの子からの返事はなかった。

 神社を出て行った気配はないので、まだ敷地内にいるはずだが、はて、外で掃除でもしているのだろうか。

 そう思って社務所に入ると、僅かに開いた早苗の私室の襖の隙間から、彼女の姿が見えた。


 何をしているんだと思い、気配を消して物音を立てないようにこっそりのぞくと、
部屋の真ん中にぽつんと立ちすくみ、両手に持ったものを見下ろしている彼女の横顔があった。

 その手にあるのは、外の世界であの子と仲が良かった会見まなかとのツーショット写真。

 高校の入学式の時に校門前で撮ったというそれは、彼女の宝物の一つだったと思い出す。


 どうやら、先程の天狗との話で思い出が蘇って来て、早苗はノスタルジーに浸っているらしい。
どんな思いを心に秘めているのか、一心不乱に写真を見つめる彼女の横顔は、なかなか綺麗なものだった。


 ここは、そっとしておいてあげようか。


 私はそう考え、足音を立てないようにゆっくりとその場を去った。


 さて、何をしようか。


 次の予定について頭を巡らすと、次第にむくむくと悪戯心が夏の入道雲のように湧き上がってくる。

 早苗に頼もうとしていた奉納品の整理を自分でやったらどうだろうか。
きっと早苗のことだから、恐縮しすぎて壊れたブリキ人形のように頭を下げまくるのだろう。
風祝の、そんな可愛い姿を想像すると、思わず頬の筋肉が緩んでしまった。




「やい、神奈子。そんなだらしのない顔をしてたら天狗にすっぱ抜かれるよ」



 神社の本殿に戻ると、いきなりそんな声が飛んで来た。
見ると、目の前に頭二つ分は低い位置から私を睨み上げるぎょろりとした目玉が二個。
帽子についている。もとい、諏訪子だった。

 私は相方に指摘された通りのだらしのない顔を強制するため、少し強めに頬を手で叩いた。



「うん。これで良し。ところで、さっきから姿を見なかったけど、どこに行ってたんだよ」



 帽子の下、さらに低い位置から見上げる双眸にそう問いかけた。
すると、その顔面はニタリといやらしく笑って、



「それより、さっき天狗が来ていたねえ。写輪眼だっけ?」

「射命丸だよ! いい加減に名前くらい憶えてやりな。結構うちに来ているだろう、あいつ」

「ああ、そいつさ、そいつ」

「で? それが?」

「何を聞いていた?」

「桜の取材だよ。えらい感激していたなあ。ああいうふうに喜ばれると苦労も吹き飛ぶよ」

「ほう。桜ねぇ」



 諏訪子の目が光った気がした。多分気のせいなんだろうけど、どうにも嫌な感じがする。


 大体、諏訪子が今みたいな顔をしているときは、ろくなことを考えていない。
数千年にわたる長い付き合いの中で、散々思い知らされたことだ。



「何考えているのさ」

「いやぁ。残念だったねえ、と思って」

「何が?」

「先に、別の天狗が取材していたのさ。私が答えたんだよ。ほら、あのキャピキャピした奴」



 そう言われて思い浮かぶのは、長い髪を二つに分けた射命丸の同僚の天狗の姿。名前は確か……、



「『姫海棠ほたて』とか言ったっけ?」

「『姫海棠はたて』だよ! そっちこそ人のこと言えないじゃないか」



 ああ、そんなおいしそうな名前じゃなかったか。

 それはそうと、ホタテガイが食べたくなってきた。
もう長いこと食べてない気がする。射命丸の奴、買って来てくれないかなあ。



「ああ。その姫海棠の取材をお前が受けたってのか。何にもしてなかったくせに」



 私が非難がましく言うと、諏訪子は不貞腐れたような顔になってぼやいた。



「いいじゃないか。たまたまだよ。たまたま」

「ああ、そうかい」



 尤も、まともに取り合うつもりもないので適当に流しておく。


 それにしても、あの天狗もかわいそうなことだ。
あれだけ大はしゃぎして手に入れたネタが、既に他の天狗の手柄になっていたと知れば、
さぞや落胆することだろう。ご愁傷様。


 諏訪子の与太話に付き合うのもそこそこにして、私は本殿の奥、奉納品がしまわれている物置に向かおうとした。
この相方のしょうもない悪戯に構っていては日が暮れてしまう。


 ところが、相方の用件は――というよりこちらが本題のようだが――それは、まだ済んでいなかったようだ。
私の前に立ち塞がるようにしている諏訪子の脇を通り抜けようとして、彼女に止められてしまった。



「何? まだ何かあるの?」

「ああ。まだあるさ。さっき、他にも話していたみたいだけど、何を話してたの? 
あの天狗相手に何を長話していたんだい? 早苗も含めて」



 普段はきょろきょろと動き回る帽子の目玉も、今は私にぴったり固定されていた。
そこに浮かんでいる色は、疑問や疑念か。

 純粋に訊いているのだろう。
恐らく、私や早苗が天狗に余計なことを言っていないか気になったのだ。
全く、長い付き合いなんだからそこら辺は信用してほしいもんだ。
早苗だって、あれは賢い子だから口を滑らすことなんてないし。



「んあ、ちょっとした野暮話さ。スキマの奴に頼まれてね。
天狗が来たら話してやってほしいことがあるんだとさ」



 帽子のつばが作る影の中で、諏訪子の目玉が怪しく光る。どうやら食いついてきたようだ。



 まあ、伝えても仔細ないか。


 頭の中で、軽い調子でひとり勝手に頷く。別に、黙っている必要もないことだ。



「魔法少女のことをあの天狗に伝えてほしいんだとさ」



 諏訪子が黙って先を促すので、とりあえず放り投げるように一言言ってみた。

 案の定、諏訪子は、

「懐かしいね」と不審な笑みを浮かべた。


 どうでもいいけど、それを他人の前でするなよ? 
みんなおっかながって逃げてしまいそうだからな。



「あいつは何か外でやっているみたいだからね。
さしずめ、山の頂上とのパイプ役にあの天狗がほしいから、あくまで“自主的に”天狗が外に向かうようにって、
伏線を張ったんだろうね。
天狗連中の中じゃ、あいつが一番話しやすいから」

「全くだね。天狗の上の連中ときたら、同じ言語を喋っているはずなのに言葉が通じないから。
まともに話ができるのは姫海棠とあの“写楽丸”の奴くらいだ」

「射命丸だ」

「何でもいいけど。で、それで終わり?」

「終わり。私はもうこの件にはこれ以上関わらないよ。あとは勝手にスキマたちがやるだけさ」



 ちぇっ、とでも言いたそうな表情になる諏訪子。
首を突っ込んで引っ掻き回して、ケロケロ笑いたかったらしい。
さすがに、最近仲良くなった友人が関わっている以上、あまり彼女に迷惑を掛けられないから、
ここでこいつを止めておかない申し訳が立たない。



 もちろん、昨日レミリアのところに早苗を遣いに出したのは、射命丸を釣るためだった。
今も紅魔館を逐一観察している天狗たちが、山の風祝がレミリアを訪ねて来たとなったら、
何らかの形で早苗に接触してくるのではないかと踏んだからだ。
案の定、射命丸はレミリアの動向が知りたくてここまでやって来た。

 本人は果たして、気が付いていないだろう。
私が散々狸を演じさせてもらったからだ。
さすがに、天狗程度に演技を見破られるほど伊達な長生きはしていない。

 その一方で、何も知らない早苗を利用する形になってしまい、今もきっと部屋で複雑な思いを抱いているだろうが、
まあそれは仕方がない。それに、もうあのことは早苗の中で整理がついているだろうし。



「で、早苗ももう関わったりしないのかい?」



 と思ったら、諏訪子がそんなことを聞いてきた。
どうやら、こちらも同じようなことを考えていたらしい。



「ああ」私は軽く頷いた。
「さすがにね。ただでさえ、あの時はかなり危ないと思ったんだ。
もう、これ以上早苗を契約のリスクにさらせない。
だから、あんなに急いでこっちに来たんだろう? 
そのつけは、来て早々のどたばたという形で支払うことになったけれど、不確定要素をあのままにしておくよりよほどましだった。
それが今更になって、もう一度早苗に契約のリスクを負わせる訳ないじゃないか」

「そうだね。あれは、ね」



 そう呟いた諏訪子の表情には、はっきりとした陰りが見えた。




 ひょっとしたら、あの諏訪を去る直前にあった出来事の整理がついていないのは私たちの方かもしれない。


 元より、私たちはこうなる運命だったのだろう。
レミリアのように言うならば、因果の糸が私たちを幻想郷に引っ張って来たのだ。


 そう、必然だった。避けようもない未来だった。


 けれど、そうは言っても、複雑な思いを抱かざるを得ないのだ。
その辺りが、私たちがまだ整理を付けられていない所以なのだろう。


 守矢神社が幻想郷に移転する直前、昨年の秋から、急に神社の参拝客が増えだしたのだ。
普段は寂れているとはいえ、正月や盆はそれなりに人が来たうちの神社。
その時と同じくらいに、別段何もない、例年は人など一日に一人来ればいい方の時期に、
急に人が来るようになったのだ。

 始めは、不思議なことが起こったものだと、神様ながらにして諏訪子と顔を見合わせていた。
とはいえ、別に悪いことではない。
神社に参拝客が来るのは当然のことだし、むしろ現代人が信仰心を取り戻したんじゃないかとぬか喜びもした。


 そう、ぬか喜びだった。


 違和感に気が付いたのはそれからすぐ。
参拝客が増えた割には、私たちの力はまるで増えなかった。
いや、真逆に、減っていく一方だったのだ。

 明らかに不自然なこと。
普通、参拝客が増えれば信仰が増し、信仰に依拠する神の力も増していくもの。
だからこそ、私たちはその増した力を使い、人間たちに利益をもたらすことができるのだ。

 けれど、そんな不自然な事態に直面しても、それが私たちの存在を脅かすような危機の到来であっても、
私たちは悩みはしたが狼狽えはしなかった。
何故なら、そういう経験はすでにしているからだ。


 やって来た参拝客たちは、典型的な現代人だったのだ。
別に、彼らは信仰心を取り戻したから神社に来た訳ではない。

 「取り敢えず、神社に参拝すれば何らかのご利益(交通安全、試験合格、恋愛成就など)がある」
と考えて参拝していたにすぎない。
彼らの中には、御手洗で手と口をすすぎ、鈴を鳴らして、二礼二拍手一礼をきっちりやり遂げ、
周囲の人間に感心をされるくらいの者もいた。
神の私から見てもお手本のような参拝をしていた人間も、しかし落第点しか与えられなかった。


 何故なら、参拝において最も重要なのは、作法を守ることではないからだ。
もちろん、御利益を祈願することでもない。


 重要なのは、信仰心を持つこと。
畏怖と敬意を忘れず、真摯に信仰することなのだ。


 彼らは、みな信仰心を持っていなかった。
神社に参拝をしながら、本来大前提であるはずの「神の存在を否定してはならない」ということが崩壊していたのだ。
彼らは神の存在を疑い、ただ参拝が利益に繋がるとしか考えていなかったのだ。

 それは、初詣に来る参拝客たちと同じだった。
結局、重要な信仰の一つだった初詣も、神を否定する現代では単なる文化的なイベントに成り下がっている。
それと同じことが起きていたのだった。


 形ばかりの参拝に何の意味があるのだろうか。
そのような参拝は、むしろ私たちにとって害悪でしかない。
皮肉なことに、本来神を拝むはずの参拝が、その神を弱めてしまう結果になったのだ。

 その結果、私たちは追い立てられるように諏訪の地を去らねばならなくなった。
それがどうにも釈然としないのだ。


 しかし、それにしても、何故あのようなことが起こったのか。
メディアで守矢神社が取り上げられ、それでミーハーな人間たちがやって来ただけなのだろうか。

 私はそれなりに調べてみたが、そういう事実は確認できなかった。
守矢神社のことは、テレビでも新聞でも取り上げられていなかったのだ。
かと言って、御柱祭りの年でもない。



 それに、もう一つ違和感があった。

 それは、押し寄せる参拝客たちの行動の不自然さ。


 というのも、参拝客たちは全員拝殿の真正面、鈴と賽銭箱を結んだ線の上でしか参拝をしなかったのだ。
当然、そのような限られた場所には一人しか立てないから、待っている間は一人ずつ、きちんと一直線に賛同のど真ん中を並んでいた。
そして、一人が参拝し終わると、次の一人が参拝をして、それが終わるとまたさらに後ろの一人が、
という具合で、参拝自体が終わるのに相当な時間がかかっていた。


 彼らはまるで“そのようにプログラミングされている”ように参拝していたのだ。

 初めは意味が分からなかった。
正月の初詣なんかは、それぞれの参拝客は(拝殿の前に限られるが)それぞれ好き勝手な位置で手を合わせている。
したがって、そこに押し寄せる形にはなっても、一列に並ぶことはない。


 それが、ある時諏訪子が指摘したのだ。
「うちの神社に、よくこんなふうに参拝する奴がいる」と。


 それが、早苗の幼馴染、会見まなかだった。




 彼女は近くの土産物屋の一人娘。
幼い頃から早苗と仲が良く、頻繁に神社に来て、時折参拝もしていた。
しかも、彼女は変に生真面目なところがあるのか、何故か拝殿の正面、自分と鈴と賽銭箱を一直線で結んだ位置で手を合わせるのだ。
そう、急に増えた参拝客たちが拝んでいたあの位置で。


 そして何より、彼女には例によって、信仰心がなかった。

 商売繁盛、健康祈願など、願いの内容はその時々だが、いずれにしても多くの現代人と同じく、
彼女は「信仰心」という大前提を崩した“本末転倒”な参拝をしていたのだ。


 それで、私は何が起こっているのか察することができた。

 少女が関わっていて、尚且つこのような不自然な出来事を起こすことが可能なのは、魔法少女の契約の他にない。


 会見まなかは契約していた。
後でこっそり彼女を探ってみたところ、予想通りにあの生物を連れ、ソウルジェムを持っていたのだ。


 神社の参拝客が増えたのは間違いなく彼女の契約のせいだった。
これは恐らくだが、彼女の家は参拝客相手に商売をする土産物屋、参拝客が増えれば、売り上げも増える。

だから彼女は、単に自分の店の来客を増やすことを願ったのではなく、参拝客が増えることを願ったのだ。

 そうすれば、守矢神社も潤い、自分の店も潤い、すなわち一石二鳥だと考えたのかもしれない。


 そうだとしたら、それが神社の移転を早めたのだから、これは皮肉というより他はない。


 向こうの世界から見れば、神社は消失した訳だから、大いに世間の興味と関心を引くだろう。
それによって神社の跡地に人が押し寄せて、彼女の店は一時的に売り上げを伸ばせるかもしれないが、そんなものは長続きしない。
神社がなくなった以上、そこに参拝する人間もいなくなり、結果、その僅かな参拝客相手に商売をしている彼女の店も閉店せざるを得なくなる。



 何とも言えない結末だろう。
しかし、それがある意味魔法少女として、当然の末路とも言えてしまうのだ。


 もちろん、それは今だから言えること。
当時の私たちは、もともと早まっていた予定をさらに繰り上げるか否かで意見が分かれた。
特に、早苗が始めて魔法少女の契約者に接触した時に。

 私は一刻も早く幻想郷に行くべきだと言い、諏訪子は早苗に心の整理をつける時間を与えるべきだと主張した。

 最終的に、私たちは早苗によく言って聞かせる、という妥協案を採択した。
そこにあったのは、「早苗は賢い子だから、言って聞かせれば契約しないだろう」という根拠のない楽観論でしかなかった。
そして、そんなものは一日と経たずに崩壊してしまったのだった。


 翌日、早苗が魔女と戦い、辛くも生還したことを知って、私は背筋が凍る思いをした、というのが正直なところだ。

 早苗は、自分の力を使ったところを奴(キュゥべえと名乗っているらしい)に見られなかったと言っていたが、
どうせばれているだろう。
すぐに再接触していないのは、恐らくもうしばらく様子見や身元調査をするためだったに違いない。
警戒されていることにも気づいていただろう。

 おかげで、私たちは自分たちの正体が奴にばれる前に行動を移さなければならなくなったし、
何より早苗が契約せざるを得ない状況に追い込まれるのを防がなければならなかった。


 だから、あんなに急いで移転を強行したのだ。
そのために、八雲には相当な無理が掛かり、大きな借りを作ることになったのだが、致し方のないことだ。
何より、八雲も八雲で、魔法少女のことについては色々と含んでいるものがあるらしく、
事情を話したら快く協力してくれた訳だが。


 もちろん、そう言った裏の事情を早苗は把握していないし、これからも知らせるつもりはない。


 もう終わったことなのだから。





「ま、それならいいけどね」



 諏訪子のそんな声に、私は我に返った。


 もう興味を失ったのか、こちらに背を向けて去っていく小さな背中を見ながら、私は口元に緩やかに笑みを浮かべることができた。


 諏訪子はいつも通り、自由気ままに身勝手にやっている。
私も私で、早苗をおちょくるのに全力を出そう。
早苗も、後しばらくもすれば感傷から戻って来ることだろう。


 それでいい。もう外の世界のことは知らないし、魔法少女のことにも関わることはないのだから。


 その時、諏訪子とは入れ替わるように背後から軽やかな足音が近付いて来た。

 どうやら、思ったよりも早く早苗は通常業務に戻ったらしい。
私はそのままの表情で振り返った。






これで早苗さんのお話は終わりです
次回から通常業務です

何だか、救いのない話になってしまいました


みなさん、初詣はちゃんとやりましょう!



それではよいお年を。


おつー
SさんとKさん名前ながすぎませんかねぇ?w

あけましておめでと~

1年、お疲れ様でした
あけましておめでとうございます

オリキャラなのにまなかちゃんに感情移入してしまっま
彼女が幸せになれますように

案外魔女化した姿で本編にも出てきたりして…

まあ作中時系列的に考えて少なくとも半年近くは経ってるわけで…(守矢神社幻想入り:秋、作中:春)
戦闘能力ほとんどないし死んでるか魔女化しててもおかしくないよなあ


あけましておめでとうございます。
今年も一年よろしくお願いいたします。

>>371
ほんとだw
名前のところ二行いくとか初めて見たわっうぇww

>>373>>374
あけおめ~ノ

>>375
まどマギでオリキャラは難しいんですが、そう思っていただけて嬉しいです。
でも、救済はまど神様を待たなければならない訳で、残念ながら……

>>376
今のところその予定はありませんが、もしかしたら・・・・・です。

>>377
恐らく、大多数の魔法少女はあんな感じだと思うんですけどね。
見滝原の連中が特殊なだけで


では、新年一発目から暗い話を投下していきたいと思います。
ただし、ネタが盛りだくさんですw










                       *






 学校近くの公園には広い池があって、その畔に幾つか横長のベンチが設置されている。
二人が座っているのはその一つだ。

 その後ろには、落下防止の策を挟んでキラキラと陽光を反射する池と、その池に流れ込む人工の滝。
人の手によって作られた“自然”がこの公園のモチーフだ。
人工物ばかりで疲れる都会暮らしの見滝原市民の心を少しでも癒そうと、行政がたらふく税金をかけて作った、
やっぱり“人工”的な自然。
自然を支配して、自然を模して作られた人造物。
メーカーはもちろん、行政から日曜大工に励む一家の大黒柱、果ては物心つく前の幼子まで、
「ものづくり」の得意な日本人の生産した製品だった。


 とはいえ、天然の「自然」に囲まれているような心地を再現する技術は流石。
都会の喧騒は遠く、耳に五月蠅くない水音が公園内を満たし、爽やかな風がさやかの肌を撫でた。

 ベンチに仲睦まじそうに腰掛ける二人の中学生。
近くの中学校の制服を着た彼と彼女は、付き合いそうな仲か、あるいは付き合い始めたばかりで、
お互いのことを探り合いながら徐々にその間にある微笑ましい小さな感情を育んでいるような
初々しい雰囲気を振り撒いていた。
少なくとも、彼らの目の前にある時計台の陰に隠れているもう一人の少女――さやかにはそう見えた。











 ――――――――決定的瞬間、と言うのだろうか?


 予測不能なトラブルがあったせいで一日遅れになってしまったとはいえ、仁美はそれを除けば
宣告通りに恭介に告白を実行したようだった。


「それで、話って……」


 声が聞こえて来る。明瞭に、“愛しいしと”の声が耳に届く。
ゴクリ、とさやかは唾を飲み込んだ。

 隠れているさやかは耳を欹てているだけで、二人の様子は直接目にはしていない。
その代わり、魔法で強化した聴力が二人の会話を詳細に拾う。

 音だけで十分だった。
音だけで、二人の仕草やら、表情やらがありありと脳裏に浮かぶのだ。
それくらい、さやかは二人のことをよく知っていた。
彼らが何を考え、どういう時にどういう反応をするのか、手に取るように分かる。

 恭介とは物心つく前からの知り合いだし、仁美とは中学校からだけれどしょっちゅう一緒に居た。
二人とも大切な人で、思い返してみれば、さやかは大抵の時間をこの二人のどちらかと共に過ごしていたように思う。


 だからこそ、この状況はひどく歪んでいる。
何故なら、そこには、二人の間には……自分がいない。さやかの姿がない。
その姿はこうして陰から二人の会話を盗み聞きしている。



 何だろう、これ……。何なんだろう? これ…………。



 どうしてあそこに自分はいないのか? 
いや、そんなことを考えている暇があったら今すぐにこの時計台の陰から飛び出して、
いつものように軽いノリで二人に絡んでいけばいいんじゃないのか?


 だというのに、両の足は地面に鉄杭でも打ち込んだかのように微動もせず、それどころか全身が
石像のように凝り固まってしまっていて、今さやかの中で働いているのはその思考と脳の聴覚野だけであった。


「か、上条君?」


 そう言う仁美の反応は、しばし間を置いてからだった。

 その声を聴くだけで、声と共に吐き出された呼気のリズムを聴き取るだけで、さやかには
仁美が普段は見せないような、唐梨色に染まった頬をして、恥じ入るように俯き、瞬きの回数を多くし、
採れたての果肉のような瑞々しさに満ちた唇を微かに振るわせ、恐らくは恭介の様子に戸惑いを
感じているのであろうその姿をはっきりと描き出すことができた。


「あ、ご、ごめん」

「あ、ああ。うん、別に、いいですわ」


 慌てたように恭介が言い、また仁美も上ずって返した。



 心拍数は増えただろうか? 呼吸が荒くなっただろうか? 体温は上がっただろうか? 耳も赤くなっただろうか?



 二人が何やら羞恥に身を焦がしているのが感じ取れる。
奥歯が削れそうなほど歯がゆく、胃もたれしそうなほど甘い空気がこちらにも伝わって来た。
その、それに……ゴクリと、またさやかは唾を飲み込んだ。



「上条君」


 やがて、沈黙と緊張を破ったのは仁美の方であった。


「は、はい」


 答える恭介はどもっていて、男にしては情けない声を上げた。





「私、あなたのことを、お慕いしておりましたの」







 ――――ついに、その言葉が放たれた。その言葉を、聴いてしまった。


 こつんと、さやかは時計台に背をもたれ、後頭部を硬いコンクリートで出来たそれに打ち付ける。



 嗚呼、如何して私は此処にゐるのだろう。



 妙な心持になった。それは、何であろうか。よく分からない。
強いて言うなら、諦観だろうか。

 酷く場違いな気がしていた。もう、いいや……、という諦めだろうか?


 そうであるとも言えるし、そうでないとも言える不思議な気持ちで、さやかはしばし呆然としていた。



「お慕い……はい?」

「えっと、その……」


 二人が何かやり取りしている。だが、さやかは聞いていなかった。

 仁美は既に恭介に告白したのだ。気持ちを伝えたのだ。もうそれだけで十分だった。




 そう、十分なのだ。返事など――、









「で、ですから。私、上条君のことが、す……すす、好きなのです!!」















 ハッとする。我に返る。

 魔法で聴力を強化するまでもなく、辺りに響き渡った仁美の声はよく聞こえた。
彼女らしからぬ、やや幼く、飾り気のない、それ故に直截的な言葉。
「お慕い」なんて言う婉曲ではない、直接の「好き」。


 泡沫のように現れては消えていく無数の歌手が、大量生産されてひと月もすれば忘れられていく恋愛を歌った歌の中で、
やたらめったら連呼している「好き」だ。
それだけ安売りされてしまったその言葉は、つまりそれだけ真っ直ぐ人に己の気持ちを送りつけるのにふさわしい言葉なのだ。
否応なく、解釈の余地なく、相手に自分の気持ちを押し付ける言葉なのだ。


 仁美はそれを言った。
どのような意図があったのか、はたまた意図などなく、咄嗟に出て来たのか。
何れにしろ、言ってしまえば仁美の勝ちなのだ。恭介の返事など……。









 ――――――――聞ける訳がない。そんな恐ろしいこと、出来る訳がない。





 さやかは逃げ出した。

 音を立てないように時計台の陰から飛び出し、恭介たちからは見えない方向へ、走り去った。


 返事など知らない。考えたくない。

 先程まで微細に震えることすらなかった足は、今は韋駄天の如く働き、思考はただひたすら現実を拒否している。
 



 
 逃げよう。逃げてしまおう。逃げろ。逃げるんだ。





 走った。


 走って、走った。


 走って、走って、走った。








 ……………………………………………………



 ………………………………………………



 …………………………………………



 ……………………………………



 ………………………………



 …………………………



 ……………………



 ………………



 …………



 ……









 ここは、どこだろう?





 ふと気が付けば、先程の場所とは全く違うところに居た。
見回すと、人の多い場所。
2階の高さにある、駅ビルとその周辺のホテルや百貨店を結ぶデッキから見下ろしていた。
眼下にはタクシーが何台も客待ちしているロータリー。
その一角のバス停で客を扱っているバス。
さらにロータリーの奥には赤になっている信号と、大きな通りと通りが交差する交差点を行き交う自動車。
左手に見えるホテルの下には野村証券と大和証券。
右を見ればサティとその奥に高島屋。
よく来る場所だから、よく見慣れている。



 駅前だ。見滝原駅の駅前。この街で一番賑やかな場所。



 さやかは立ち止まった。
すると、自分が荒い息をしているのに気が付いて、ゆっくりと呼吸を落ち着けた。




 街は相変わらず忙しない。

 下のロータリーにあるバス停で客扱いを終えたバスがエンジンを唸らせて動き出す。
ウィンカーを点滅させながらロータリーから駅前通りの交差点に向かい、さらに丁度青になったばかりの
信号にゴーサインを受け、そのままこちらに背を向け走り去ってゆく。
それを見て、「ああ、あれに乗れば良かったな」とさやかは考えた。
そのバスの背面の行き先板に表示されていたのは、あまり行ったことのない場所だからだ。
そこは、日常よく知る見滝原とはまた違う所なのだ。
まあ、電車でも行けるのだけれど。


 ふと、そっちの方向に行きたくなる。
思い出ばかりのこの周辺から離れ、見知らぬ場所へと足を延ばしたくなった。
ここは……厭でも思い出してしまうから。




 転と、さやかは踵を返した。そして、早足で駅ビルへ入っていく。


 夕方のこの時間、会社帰りのスーツ姿の人や制服姿の学生が多い。
ただ、皆一様に疲れた顔をしていて、複数人で一緒に居ても会話も少なく、黙々と足を動かす作業に勤しんでいるように見えた。



 つまらなそうな顔で、つまらなそうにしていて、一体この人たちは何が愉しくて生きてるの?



 ……いや、あるいは、彼らにこんな顔をさせているのは自分だろうか。
こんな最低な奴が街を守るとか嘯いているから皆こんな顔をしているんだろうか。

 そんな考えが頭に浮かぶと、それはその途端世の中の真理のように思えてきた。
それは絶対正しいと、そうに違いないと、心の中で誰かが叫ぶ。



 ああ、やっぱり……こんなあたしのせいなんだね。








 ――――だから、視界の端に映った黄色が気になったのだろうか。
あるいは、その色自身が無理矢理意識に食い込んでくるほど己を主張していたのだろうか。


 派手な黄色のジャージに黒いタンクトップを着た女の子がさやかとは逆方向に駆けていく。
さやかと同年代に見えるが、大人の女性と比べても背が高い。
そんな彼女は、何やら楽しみなことでもあるのか、大変機嫌が良さそうで、うきうきしているのが見ただけで分るような表情をしていた。



 明るくて、まるで太陽のようだと思った。

 きっと、少し前の自分も毎日あんな顔をしていたのだろう。
特に、恭介の病院に向かっている途中なんかは。


 だからこそ、影が濃くなってしまったのが思い知らされた。
闇に落ちてしまった自分がくっきりと浮かび上がった気がした。


 そう、まるで吸血鬼のように。日の光を浴びれなくなった闇の世界の住人のように。



 あまり、変わらないか。どっちも、化け物だもんね。



 生き血を啜る化け物と、石っころで死体を動かす化け物。
形は違えど、両方異形の存在。人間ではない。
人間の振りをしているだけ。
以前のフランドールもそうだったではないか。
彼女は自分の正体を明らかにせず、迷子を装ってマミの下に居た。


 彼女が居たからマミは吸血鬼になった。
でも、マミは元から化け物だったのだ。
本人はそれを知らなかったとしても。





 ――――――そう、彼女がさやかをこの世界に勧誘したのだ。同じ穴のムジナが欲しくて……。






 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――






――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――ハッ!?





 なに……考えてんのよ!!





 恐ろしいことを考え出した自分を叱る。
今、確かに自分は、こうなった責任をマミに押し付けようとしていた。

 化け物だったマミが、同じ仲間が欲しくてさやかを勧誘したなんて。
そんな馬鹿げたことを思ったのだ。





 全く嫌になる。


 どうしてこの美樹さやかというのは、こんな醜いことばかり思いつくのだろう? 
マミはさやかたちの命の恩人で、奇跡を叶える権利を得たさやかたちに魔法少女というものを教えてくれただけだ。
化け物と呼ぶのも憚られる、尊い精神の持ち主なのだ。

 そんな人を、あろうことか仇のように捉えるなんて、恩知らずにもほどがある。



 醜い。醜すぎる。



 さやかは歯を食いしばり、俯きながら足を早めた。
そんなふうに、前を見て歩いてなかったから……。






「あ!」



 ドンッと、誰かにぶつかった。

 柔らかな感触がして、ふわっと香水の匂いが鼻をくすぐる。
顔を上げてみれば、若い女の人が目の前に居た。


「ごめんね。大丈夫?」


 渋谷に居そうなギャルメイクをばっちり決めて、毎日街を遊び歩いてそうなその人は、
そんな見た目に似合わず、優しい保母さんのように心配顔でさやかを気遣ってくれた。
悪いのは前を見ずに歩いていた自分なのに、この人はちゃんと謝ってくれたのだ。



 いい人だ。こんな自分を気にかけてくれるなんて。



 その小さな優しさが、心を刺した。





「ご、めんなさい。大丈夫です」


 そう呟いて、さやかは逃げ出すように立ち去った。
彼女は後ろで声を上げたような気がしたけど、さやかは慌てて駅のコンコースへと向かう。
なんだか彼女の声が自分と似ていて嫌になったのだ。

 ダメだと思うのに、どうしても心は希望と、温かいものを、明るさを求めてしまう。
往生際が悪くて、貪欲で、ほんとにどうしようもない。




 気を紛らわすように切符を買う。行先は特に決めていない。


 それから適当なホームに降りて、そしたら丁度電車がやって来て、それに乗り込んだ。


 後は、ぼーっとしていた。




 電車の座席に体を預けながら、流れゆく景色を何となく目に映し、何を考えるでもなく、
ただ無為にしていた。
電車にはそこそこ人が乗っていて、多くがやはり、帰宅途中の会社員や学生だった。
彼らはさやかに一瞥もくれることもなく、各々携帯を見たり本を読んだり友達としゃべったり、
自由に過ごしている。


 そんなものだ。
よく観察すれば、制服姿ながら鞄を持っていないさやかの様子に違和感を覚えるだろうが、
他人に無関心な都会ではそんなものなのだ。
だからさやかも彼らに関心を払わない。
ただ、よくある日常の風景の一つになっていた。



 それは、ある意味恐ろしいことかもしれない。
こんな在り来たりな日常の中に、人とは違う存在がいともたやすく紛れ込めるのだから。
もし、さやかが地球に侵略してきた宇宙人とかだったら、きっと今周りにいる彼らは
もう餌食になっていたかもしれない。
自分の身に脅威が迫っていることなど露とも知らず、あっと言う間に殺されていたかもしれない。


 そんなつまらない光景が思い浮かんでさやかは小さく溜息を吐いた。




 下らない。




 そう切り捨てて、今度こそ頭を動かすのを止めた。



 それから、いくつか駅を過ぎて、車掌のアナウンスに記憶の奥にあった何かが刺激されたのに気が付く。
妙に透る鼻声で告げられたその駅名は、えらく懐かしい響きがした。
実際、幼い頃に訪れただけの懐かしい駅だった。

 電車がホームに滑り込み、停車してドアを開けると、さやかは他の何人かの乗客と共にその駅に降り立つ。
ホームから見える風景はあまり変わっておらず、最近の見滝原の再開発の波にも呑まれ忘れたような田舎だ。
改札を通り、駅舎を出ると増々懐かしさがこみ上げてきた。



 すぐ近くに音楽ホールがある。
帰宅を急ぐ人に混じり、駅前の小さなロータリーを回りながらさやかはそちらへと足を向けた。



 中心街とは打って変わって、辺りは静かで古びた街だ。
江戸時代から建ってそうな木造の建物が駅前を横断する県道沿いに建ち並び、他にも背の低いビルやら
医院やらスーパーマーケットやらが、ここが周辺の生活の中心であることを示していた。
ただ、そういった道沿いの建物と建物の間からは最近できた新しい住宅も見え、
この辺りが単に古いだけの町ではないと分かる。





 恭介との思い出の音楽ホールはそんな長閑な街並みを切り開くように存在していた。


 片側一車線のオレンジ色のラインで分離された県道脇の狭い歩道を少し進むと、すぐにやたら開けた駐車場に、
幅広の建物が見えてくる。
これが音楽ホールで、県道から見てホールの後ろ側には田んぼがあって、単に場所が開けている以上に広々とした感覚がした。

 ホールの建物の周りには広葉樹が植えられ、芝生が敷かれ、さらに背の低い生垣がその芝生と道路を区切っていた。
アスファルトと新緑のコントラストはよく目にする人工自然の証。いかにもな外観だ。



 さやかは駐車場を横切り、ホールのエントランスへと向かって行く。

 人気はしない。
一瞬閉館しているのかと思ったけれど、ガラス張りの玄関の奥のエントランスホールを横切る人を見て、
まだやっているのだと分かった。


 そのガラス張りの玄関、自動ドアの横に幾つかのポスターに目が行った。
落語、オーケストラ、学生の吹奏楽団、演劇、そしてアイドルコンサートの案内ポスター。



 さやかはアイドルのポスターから眼を逸らす。そのまま、無言で中に踏み込んだ。


 エントランスの中はひんやりとしていて、少し肌寒かった。
その寒さに微かに眉を顰めながら、エントランスの奥にある電子掲示板に目を向ける。
こんな辺鄙な場所に建っているホールのくせに、中はやたらハイテクな機器が多い。
この電子掲示板などその代表格だ。

 そこに表示されているのは、今日の予定。
丁度この時間には何もやっていない。
ということは、中のホールは今空いているということか。


 ホールへの入口は電子掲示板の取り付けてある壁の両側に二つ、他にもホールの側を走る廊下に通じるのが
左右にそれぞれ二つの、計六つがあるはずだ。
記憶が正しければそのはず。


 さやかは正面エントランスの奥左手の入口へと足を向けた。


 そこにもポスターがある。
否、ポスターはそこかしこにある。
特に、アイドルのそれは他のものより数多く張られていた。

 それはそうだろう。そのアイドルは最近売れている新進気鋭だ。
そんな彼女たちがわざわざ来てくれるのだから。




 件のポスターには二人のアイドルが映っていた。その二人が今回見滝原に来るらしい。


 その内の一方、元気溌剌な印象を与える小麦色の肌をした沖縄娘が杏子と重なってしまう。
色は違えど、長い髪をまとめたポニーテール、活発そうで自信に溢れた顔、チャーミングな八重歯が杏子とよく似ているのだ。
事実、初めて会った時から杏子がこのアイドルが似ているな、とは思っていた。




 だから、思い出してしまうのだ。


 あの高架下でのこと。マミを諦め、フランに託すと言った杏子の顔が。




 信頼していたのに裏切られたと思った。
でも、あの時の杏子は決して悪意があってあんなことを言った訳じゃないのだ。
そんなことは、あの時の泣きそうな顔を見れば分かる。




 ――――誰が悪いかなんて、そんなの後で決めればいいんだよ――――



 ――――今は、マミを救ってやることが一番だろ? ――――





 彼女はそう言った。

 その時はそれを否定したけれど、よく考えればその通りで、結局さやかはマミを救いたいんじゃなくて、
自分が正しいと言ってほしかっただけなのだ。


 やってみないと分からない。そんなようなことを言ったけれど、それこそお笑い草だ。




 そんな身勝手なことしか考えていない自分が何を言っているんだか。



 やめやめ。



 さやかは頭を振ってホールの中に入った。厭だ……思い出すのも、厭だ。

 ホールの中は無人で、臙脂色の座席がずらりと並び、その先に木で出来た舞台が口を開いている。


 懐かしい。思い出の中の舞台と一緒だ。


 あれは確か、小学校低学年の頃だっただろうか。
恭介は初めてこのホールで開かれていたコンクールに出場して優勝したのだ。



 神童、と持て囃された。天才バイオリン少年とも。

 そのコンクールの後、恭介の快進撃はすごかった。
次々といろんなところで賞を取って来て、遂には全国コンクールにも出場し、上位入賞を果たしたのだ。
そのあまりに輝かしい成績に、地元のメディアも取材に来た。
ローカルチャンネルで照れくさそうにインタビューに答える姿をよく覚えている。


 当時は、唯々恭介が誇らしかった。
こんなすごいバイオリニストと自分が幼馴染で、学校の友達が恭介のことを誉めると自分のことのように嬉しくなったものだ。
同時に、自分が特別だとも思っていた。
何しろ、こんなに綺麗な音色を奏でる彼の演奏を、一番近くで聴けたのだから。



 その気持ちが、「好き」に変わったのはいつだったろうか。
否、明確に「好き」だと認識したのはいつだったろうか。
気が付けば恭介のことを考える度に胸が苦しくなって、会う度に心臓が跳ねるようになっていた。
いつしかその傍でずっと寄り過ごしたいなんて思うようになって、結婚式のことなどを妄想すると
ベッドの上で恥ずかしさに身悶えしていたりもあった。


 ごく自然に、そうなるものだと思っていた。
自分はいつしか恭介と添い遂げ、死ぬまで仲良く一緒に居られるものだと、そんな思い上がりをしていたのだ。





 そう、所詮そんなものは思い上がり。




 だから、仁美の告白を聞いた時、それを思い知らされたのだ。
逆を言えば、あの時まで自分はそんな簡単なことにも気が付いていなかった。




 恋は盲目。まさにその通り。




 きっと仁美は昨日今日で恭介のことを好きになった訳じゃないはずだ。
さっきの二人の様子だって、どこか親し気というか、距離がある程度近い感じがした。
さやかの記憶では二人が話していたところなんてほとんど思い当たらないけど、そんな風には見えなかったのだ。
恐らくだが、仁美は恭介の入院中に、さやかに気付かれないようにこっそりお見舞いでもしていたのかもしれない。




 注意深くしていれば、それに気付けた。
魔法少女になる前に仁美の気持ちに気付けたとして、それでどうなったかは分からないけど、
少なくとも今よりはもっとましなことになっていたはずだ。



 仁美に負けたのだ。
でも、何年も想い続けた相手をそうきっぱり諦められないのだ。


 本当は分かっている。
告白しなかった自分が、幼馴染という立場に胡坐をかいていた自分が悪いのだと。
その挙句、腕を治して恩人になったから恭介も振り向いてくれるなんてくだらない打算をして、
そんな都合よく事は運ばなくて、だからと言って無実な仁美を恨んで。

 それだけでも十分最悪最低なヤツなのに、命の恩人で、尊敬するマミが恭介を襲ったからと言ってそれを恨んで、
救いようがないのだ。



 杏子は、結果的には正しかったのかもしれない。



 さやかにマミを救う資格なんてないのだ。
あんなふうに身勝手にマミを恨むような醜悪な化け物に、そんなヒーローみたいな役割は期待されていない。
そう考えたら、フランと対立したのもなんだか馬鹿らしくなる。


 あのバス停の中でさやかはフランを責めたけれど、一体どの面下げてあんなことを言ったのだろうか。
我ながら信じられない。

 今でもフランの言い分を認めるつもりはないが、かと言ってそれを糾弾できる訳でもない。
もし彼女と再び会うことになったら、何と言えばいいのか。
いや、そもそも、フランを含め、杏子やまどかと会いたくなかったからこんなところまで来たのではないだろうか。





 今のさやかに残されているのは、魔女を退治するという義務だけ。
フランのように言うならば、それは「恭介の腕を治したことに対する責任」だ。
それしかしてはならない。人を傷つけぬために。







 さやかはホールの中の席の一つに腰掛け、舞台を何とはなしに眺めながら思考に没していたが、
そこにふと違和感が挟まる。
それは、魔女か使い魔かが近くに現れた印だ。




 こんなところにも、出るんだ……。




 尽きない化け物に、さやかは複雑な思いを抱く。
それが今の自分の存在理由だとしても、こんな長閑で辺鄙で平和な場所にまで現れる魔女たちに、
うんざりしたような気持ちと怒りを感じる。
しつこく、貪欲に呪いを撒き散らそうという魔物が許せない。


 さやかは立ち上がり、早足でホールを出てさらにエントランスも通り抜けた。
途中アイドルのポスター、杏子に似た娘ともう一人
――あの事務所に所属するアイドルの中で一番自分に似ていると思っていた――
を視界の端に映し、思わず顔を背ける。
彼女たちに罪はないけど、さやかはポスターを直視できないのだ。




 嗚呼、厭だ。




 明るく、太陽のような笑顔の彼女たちから逃げるように、外に出たさやかは走り去った。









ここまで!


だいぶ精神状態が悪化しとります……。




尚、どうでもいいことですが、>>1提督が出撃させすぎて艦隊が壊滅状態に陥り行動不能になりました。
その結果軍令部より自宅謹慎を言い渡されております。
したがって、大変時間が余っておりますので、次は早く来れると思います。

                                      


響prpr

「このアイドルは自分に似ている」とか思うこと自体は自由だがそれは自意識過剰と呼ばれる

アイマス‥提督‥軍‥
ゼ‥ゼノ‥なんだっけ?

派手な黄色のジャージに黒いタンクトップ=阿良々木火憐
渋谷に居そうなギャルメイクをばっちり決めて、毎日街を遊び歩いてそうなその人=???
元気溌剌な印象を与える小麦色の肌をした沖縄娘=我那覇響
アイドルの中で一番自分に似ていると思っていた=菊地真
かな?

キュウべぇ「エネルギ-回収に来たよ!」
モノクマ「うぷぷ…そうそう、これこれ。 この絶望感満載のノリだよね!  やっぱ、見せしめはこうでなくっちゃね!」
コエムシ「おまえはもうすぐ死ぬんだ。」

>>399
意外と、実は、はるるんかも?

普段は明るく元気で笑顔がウリ、ときどき失敗してズッコけてもてへへと笑って笑顔は絶やさない。
けれど、一度ガチで折れてネガ方面に傾くと、(参照:アニメ23~24話)
ある意味千早と同等以上に自分を追い詰め、ネガ方面に思いつめる子だし……



早く来ると言っておいて時間がかかってすみませんでしたぁ!!


>>398
響prpr

>>400
It is the black history.

>>401
>渋谷に居そうなギャルメイクをばっちり決めて、毎日街を遊び歩いてそうなその人=???
ヒント:この人だけ他と違う。

あと、そのくみあわせはやめてくださいしんでしまいます

>>402
>>401
はるるんはどちらかっていうと、まどかに近い気がする。
ほら、貧乳の子と那珂良いし?







        *








 仁美が恭介に告白する場面を見て、街のこっちに逃げて来て二日が経った。




 その間、適当な公園を見つけて、そこにたまたまあったドームのような、中が空洞になっている遊具を寝床にした。
食料は、まさか万引きする訳にもいかないので、家出してから何も食わず、公園の水道の水だけで飢えを凌いでいる。



 こんな体になっても不思議なことに、体は食べ物を求めた。
胃は痛いほど収縮して食事を催促し、脳は早く飯を食えとうるさい。
その全てが偽物にも拘らず、だ。

 ただ、空腹というのは思ったよりも体に響くらしい。
水や、時には魔法で飢えを誤魔化しても、栄養不足で動きが鈍ってしまうのだけは誤魔化しようがない。
幸いというか、ここ数日狩っているのは弱っちい使い魔ばかりで、ふらふらな状態でも大して苦戦もしないのだが、
これが魔女相手だとまずいな、と思う。


 それでも、魔女にやられるならそれはそれで構わないと思う。
こんな、明日をも知れぬ生活を続けてしまえば、遅かれ早かれ戦死するのは目に見えているからだ。
事実マミはお菓子の魔女に食い殺されそうになったのだし、だから今まで何不自由なく平和に暮らしてきたさやかでも、
戦いのことなんて素人に毛が生えた程度のさやかでも、そんなことは重々承知だった。

 何より、魔女を退治する以外に存在する意義のないさやかにとってもう我が身は既に死んでいて、
今は裏ワザでまだこの世に留まっているだけの往生際の悪い化け物で、今更「死ぬ」のは単にそれが終わるだけの意味しかないのだ。
恭介にも、仁美にも、マミにも、まどかや杏子にももう合わせる顔なんてない。
それでも無為に居なくなってしまうのは嫌だから、そしてせめてもの罪滅ぼしとして、こうやって魔女退治を張り切っているのだ。



 そろそろソウルジェムの濁りも溜まって来た。
グリーフシードがあればすぐ浄化するだろうが、生憎持ち合わせはない。
まあ、このまま濁りが溜まりきって魔力が使えなくなってしまっても、それで構わないのだけれど。




 閑話休題。


 魔女の少ない昼間、さやかは寝床にしている公園で何をするでもなく、ぼーっとしていた。
魔女探しでもすればいいのだが、そうしようという気力がない。
理由は不明だが、風邪をひいた時のように体がだるいのだ。
足に鉄の重りでも入っているみたいで、動く気がしない。

 この辺りは古い住宅街だ。昭和っぽい古い家が建ち並ぶ。
新興住宅街やら真新しい建物の多い見滝原では珍しい場所かもしれない。

 公園には何人かの老人がたむろしていた。
ベンチに腰掛けながら何やらゆっくりと会話している。
時折ちらちらこちらに視線を寄越すのは、平日にもかかわらずこんなところで昼間っから黄昏ているさやかが興味を引くからか。
けれど、彼らは一度も声を掛けて来ない。


 ただ、いい加減その視線が鬱陶しくなった。
さやかはブランコに乗りながら小さく揺れていたけれど、少し勢いをつけて立ち上がると、
老人たちに追い払われるように公園から立ち去った。
なんだか惨めだった。街の平和を守っている魔法少女がこの様とは……。





 さて、行く宛てなどないさやかには、もちろん何かする予定もない。
結局、怠い体を引き摺るようにして歩きながら、魔女探しに専念する。


 見滝原は広い街だ。自分の生活圏から出ると、そこは見知らぬ街だ。

 距離的には決して遠くないのに、まるで遠くに来てしまったかのような街並みが広がっている。
現に、さやかの居るこの辺りは、さやか自身が同じ見滝原かと疑ってしまうくらい見知らぬ場所だった。


 地の利なんてある訳ないので、適当に交通量の多い道を歩いてみる。
魔女は見付からない。
かなり濁りの溜まった(大体八割くらい)ソウルジェムはほとんど反応しない。



 天気は晴れ。雲は浮かんでいるけど、青空が広がっている。
遮るものがない陽光は、暗い青色のソウルジェムを照らし、ソウルジェムはしかし光を反射しない。



 さやかはぶらぶらと歩き回り、疲れたので人気のなさそうな寂れた公園にやって来た。
遊具もブランコとジャングルジムしかなく、寝床にしていたところより幾分か狭い。
公園と言うよりむしろ、空き地に遊具が放置されていると言った方がふさわしいかもしれない。
ただ、有難いことにそこには誰も居なくて、さやかは先程と同じようにブランコに腰掛けた。





 それから何を考えるでもなく、ぶーらぶら、ぶーらぶら、とブランコを揺らしていた。




 傍から見れば、五月病で学校をサボった不良学生に見えるだろうか。
あるいは失恋で傷心中のナーバスな女の子に見えるだろうか。

 さあっと風が吹き、さやかの髪を揺らす。ザザッと葉と葉の擦れる音がする。
公園には立ち木がなく、風邪で揺れたのは隣の家の敷地の中に立つ柿の木だ。
暗緑色の、これでもかと言わんばかりに濃い暗緑色の大きな葉をつけた柿の木はすこぶる健康そうだ。
風に吹かれて葉を鳴らす様は、春の温かい陽光を浴びて全身全霊で喜びの踊りをしているようにも見えた。


 風が吹き終わると、キコキコという甲高い音だけが公園に忘れ去られたように残った。
油が少なくなっているのか、ブランコの金具が揺れる度に耳障りな音を立てている。



 さやかは揺れていた。何を考えるでもなく、何を思うでもなく。



 それでも構わなかった。
途方もなく無為な時間を過ごしているとしても、魔女もおらず、人もおらず、聞こえる音はブランコと風とどこかを走り抜ける車のものだけ。
だから、今さやかはとても静かな気持ちで居られるのだ。
何も考えないでいるから、自己嫌悪に陥ることもない。
厭なことを思い浮かべることもない。

 思考を放棄すればとても楽な気分になれたのだ。
何も生まないが何も失わない。
時間の観念すら遠くに行き、心地よい感じがする。
例えるなら、浮き輪に身を預けて泳がず動かず、水の流動に任せるままぷかぷか浮いているようなものか。
楽だと感じることすらなくなるほど空っぽになった。
























 ――――そして、気が付いたら空が赤くなっていた。
朱に染まっていて、太陽は西の山々の向こうに沈もうとしていた。



 一体、何時間こうしていたのだろう? 
こんなふうに公園でただ夕方になるまで時間を潰すなんて、あたしって、ほんとバカ……。
と自分を皮肉ってみる。



 とりあえず、いつまでもここでこうしている訳にもいかないので、さやかはブランコから立ち上がった。
しかし、この後どこかに行く予定もない。家に帰るつもりもない。



 適当に魔女でも探すか、と思った時だ。
また頭の中に違和感が生じた。
どうやら近くに使い魔でも出たらしい。
本当に、この街は魔女や使い魔に尽きない。























                     *









 さやかは電車に乗っていた。


 時間は……乗った駅の時計を見た時、9時くらいだったと思う。
帰宅のラッシュ時を過ぎていて、ちらほら見えるのは残業帰りやこの時間まで飲んでいた会社員ばかりだ。
そんな中でさやかは異様に浮いていた。
だから、好奇の視線にあまり晒されないように敢えて人の少ない後ろの車両に乗ったのだ。
尤も、郊外から都心へ向かう電車なので元より人は少ないのだが。




 さて、何故さやかがこの電車に乗ったかと言えば、見知らぬ場所での魔女退治を一通り終えたからだ。
と言っても使い魔にしか遭遇しなかったのだけれど。

 そして、もう一つ理由がある。
それはごく単純に、いつまでも地の利のない場所に居るのが、想像以上にストレスとなっていたのだ。
しょっちゅう道に迷うし、だから使い魔を追うのも上手くいかないし、すれ違う人からは変な目で見られるしで、
それなら自分の生活圏に戻った方がましだと思ったのだ。


 そこには当然仁美も恭介もまどかも杏子もいる。
完全に出会わないで過ごすというのは不可能だし、見かける度にまた嫌なことを思い出すに違いない。
でも、それでも構わない。何故なら、もう自分は長くないからだ。


 生まれ育った町に戻って来た三つ目の理由は、それがあるとして、死に場所に定めたからかもしれない。
ソウルジェムの濁りは限界寸前で、後一戦もすれば相手が弱い使い魔でも死ねるだろう。
まあ、魔法少女として最後の役目を果たすために、せめて相打ちで終わりたいものだ。





 自ら首を吊る訳じゃない。けれど、消極的でも死ぬことをさやかは選んだのだ。





 今の自分に生きながらえる価値はない。
そんな結論はとうに出ていて、後はいつ死ぬかという問題だけ。

 それは達観と言えば達観だし、諦観と言えば諦観だ。
ただ、どちらにしろ今のさやかに死を避けようとする気持ちはないし、むしろそれを受け入れる覚悟すらある。
そうするべきだとも思っている。




 お別れは、していない。多分、しない。




 それで良かった。
皆に会えば止められるし、もしかしたら生きたいと思ってしまうかもしれない。
決心が揺らがぬ内に、こっそりと消え去ろう。



 空虚というか、空っぽというか……同じ意味だっけ?



 さやかの心の中には何もない。
ぽっかりとした空洞が開いているだけ。
何かを失った気もするのだが、果たして何を失ったかも分からない。
ただ、何もないからそこには恐怖もない。そして、だから希望もない。


 自分がそういう状態になったからこそ、さやかは死を受け入れられたとも言える。
空っぽになった自分を何かで埋め合わせようとも思わなかった。
普通の少女だった頃には考えられない変化だ。

 ただ空っぽになって、じゃあ死のう。と、そう考えたのだ。
まあ、その根本には自己嫌悪が潜んでいたのだと思うけれど。


 それに、ソウルジェムを、今のさやかの本体を見て、ああこれはもう先が長くないな、と悟ったのだ。
もとよりあれは希望で光輝いている宝石だ。
それがあれだけの穢れを溜め込み、元の色が分からないほど濁ってしまえば、それが自分自身なのだから、
相当ヤバいことなど馬鹿にでも分かる。



 濁りきった時に何が起こるのか、さやかは知らない。
今まで考えたこともなかったし、訊かれない限りそういうことは口にしないキュゥべえも、もちろん教えてくれなかった。
「何が起こるの?」と尋ねれば正しい答えを言ってくれるだろうが、聞くまでもなくその内容が碌でもないことはよく分かる。




 希望の象徴たる魔法少女から希望の輝きが全て失われた時何が起こるのか?




 さやかは、それが魔法少女の死であると考えていた。
だから、濁りがリーチに達している自分はもうすぐ死ぬのだと……。
グリーフシードでジェムを浄化するのが大切だとキュゥべえが言っていたのは、多分それが「生きる」ために必要なことだからだろう。
ずっと浄化をしていないさやかは、絶食した挙句飢え死にするようなものなのだ。
生きるために必要なことをしなかったら死ぬのは当然だった。
魔法少女はもう死んでるも同然だけれど。












「次は、見滝原~、見滝原~」



 アナウンスが鳴り、気怠そうな車掌の声が、ガタンゴトンと揺れる車内に響いた。

 間もなく、電車は駅のホームに滑り込む。
鉄輪とレールの摩擦する音を鳴らし、大質量の列車は動きを止めた。
プシューッと空気の抜ける音ともにドアが開くと、さやかはホームへと降り立つ。


 さっきの車掌の声には、今日一日働いて溜まった疲れがたっぷりと含まれていたが、
昼間はずーっとブランコに座っていただけのさやかの足も、どうしてか疲労で重かった。
全身を倦怠感が包み、亀のような遅さでノロノロとさやかは歩いて、よっこらせとホームのベンチに腰を下ろす。
尻を落とすように座ったせいで、プラスチックの座面に強かに打ち付けてちょっと痛かった。



 背もたれに背を預け、ハアッと大きな溜息を吐き出す。
何もする気が起きない。
立ち上がるのも億劫だ。
ずっとこうしていたいが、駅が閉まる時間になると退去を促されるだろう。
億劫だ……。



 モーターに電流が流れる音がして、次に連結部の鉄と鉄がぶつかり合って、さやかを乗せていた電車が走り出す。
赤いテールランプが遠ざかっていくのを見送ってから、近くにある時計を見上げると、9時15分の直前だった。




 駅の構内は静かだった。






 いくつかあるホームのどれにも電車は止まっておらず、それどころか不思議なことに人影すら見当たらない。
さやかは一人ぼっちだった。



 それが有難い。
疲労感と倦怠感が内蔵の代わりに体の中に詰まったような感覚のする今は、周りが騒がしいのは
鬱陶しいことこの上ないからだ。
先程電車に乗っている時ですら、その走行音と振動に少々辟易していた。


 未だ動く気が起きないが、とにもかくにもここでしばらく休もう。
途中で魔女か使い魔が現れたら、その時は仕方ない。
重い腰を上げよう。最期だし……。












 ――――――が、




























「さやかッ!!」

















 キン、と甲高い声が頭に響く。
そのせいでさやかの機嫌が一気に急降下した。
元々低かったテンションが、さらに落ちる。



 それにしても、だ。面倒臭いことになった、と思う。



 カッ、カッ、と階段を刻む音がして、視界の端に鬱陶しい赤毛が現れる。
息を切らしながらホームまで駆け上がって来た彼女は、ずっと自分のことを探してくれていたのだろうか? 
よく似たアイドルを見かけるどころか、本人に直接会ってしまうとはついてない。



 杏子は、きっとさやかを止めようとするだろうから。







「よう」


 さやかの目の前に立ち、荒い息を吐きながらぎこちない笑みを浮かべて、彼女は「友達」のように声を掛けてきた。
それを、さやかは無感情な目で見上げる。



 そんなさやかの様子に何か感じ取ったのだろうか? 杏子の瞳が揺れる。








「どうしたんだよ?」




 いや、元から何か必死な様子があった。




「大丈夫か?」


「……何?」




 投げやりな声でさやかは尋ね返す。
別に無視しても良かったのだが、そうすると余計面倒な絡み方をして来そうな気がした。
適当にあしらってしまう方が楽かもしれない。




「だから、探したんだよ。それに、いいニュースもあるんだ」




 そう言って、息を落ち着けた杏子はちょっと笑う。
それからごく自然に、馴れ馴れしく、図々しく、さやかの隣に遠慮なく腰を下ろした。

 彼女の言葉に微かに興味を抱いたさやか。気が付けば聞き返していた。




「いいニュースって?」


「ああ」




 さやかは微かに杏子の方に顔を向ける。杏子は安堵している様子だった。




「マミが、戻ったんだ」




 彼女は笑いかけてくる。嬉しそうに、誇らしげに。







「いつもの、アイツに戻ってくれたんだ」






 そっか。マミさん、戻ったんだ……。






「さっき呼んだからさ。もうすぐ来るはずだよ」






 うん……。






「心配してたぜ。それに、アンタに謝らないといけないことがたくさんあるって言ってたし」






 謝るのは、あたしの方だよ。






「ううん。さやかは悪くない。悪いのはアタシたちなんだ。アタシはアンタを裏切っちまったし、マミもアンタを傷つけた」






 あたしは、マミさんを身勝手に恨んだんだよ。悪いに決まってるじゃん。












「そうだとしても、アタシたちの方が悪かったんだ」






 なんで……、






「ん?」






 なんで……、そんな優しいの?






「さやか……」






 だって、あたしなんかに心配する価値なんて……ないよ。






「ある! あるに決まってんだろ!」






 なんでよ?






「そりゃあ、その……。アタシが今更言えたことじゃないかもしれないけどさ。
アタシは……さやかの、『友達』だと、思ってるから。
だから、友達を心配すんのは当たり前じゃんか」






 友達……。












「い、嫌ならそう言えよ。別に無理する必要なんてねーんだしな」






 ……バカ。






「……まあ、馬鹿かな。アタシ」






 違うわよバカ。バカはあたしの方なの。






「何で……」






 だって、あたし……死のうとしてたんだよ。
バカじゃん。こんな心配してくれてる友達がいるのに。






「さやか…………」






 もう自分に価値がないと思ってた。
仁美を恨んで、マミさんを恨んで、フランちゃんと喧嘩して、まどかとも喧嘩して、それでアンタにも酷いこと言って。
ほんとにどうしようもないくらい救いのないバカだと思ってたの。
それで、もうあたしには魔女を倒す以外のこってないと思ってたの。
魔女にやられる時があたしの最期だって、決めつけてた。
…………でも、あんたが今あたしのことを「友達」って言ってくれて……なんでだろう? 
すごく、嬉しいんだ。













「アタシだけじゃないよ。マミもそうだし、まどかだって、フランだって、ほむらや咲夜の奴だってアンタを心配してたんだ。
みんなで探してたんだよ。
みんな、アンタの帰りを待ってる」






 …………っ!






「だから、帰ろう。疲れたろ? お風呂も用意するし、グリーフシードもあるからさ。腹が減ってんならウマいもんでも食おう」






 …………うん。……うん。






「ほら、もうマミの奴も来たし。みんな待ってるから」
















                     *






 空っぽだったはずの心の中から、止めどなく感情が湧き出て来て、それは堰を切ったように目から流れ落ちていった。
目の前の赤毛の「友達」も、視界の端に現れた金髪の「恩人」も、どっちも姿がぼやけてしまって、
その顔がよく見えない。




 嬉しかった。心の底から嬉しいと思えた。





 ぽっかりと空いた胸の内の空洞には、今や、さっきまでには考えられなかった程感情が溢れかえっていた。
ただひたすらに嬉しくて、それで胸が一杯になってしまっていて、そのせいで涙が止まらない。
今の自分はきっと、とんでもなくヒドイ顔を晒しているのだろう。
一生笑いものにされるくらいの顔をしているのだろう。




 だから、滴で歪んでいる杏子の顔も笑っているのだ。
この不良魔法少女がさやかを見ながら笑っているのは、きっとそのせいだ。
そうに違いない。後でお仕置きだ、このヤロウ。

























 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――








――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――








――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――








―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――ただ、
















 神様っていうのはどこまでも性悪で、残酷で、とんでもなく野暮な奴なのだ。






 腿の上に乗せていたさやかの左手。
その中指にはめられていた指輪の形にしているソウルジェム。
それが、勝手に元の形に戻った。


 それは、さやかの意志とは関係なく起こった。


 見下ろすと、ソウルジェムはどす黒く濁っている。
ちょっと前に見た時よりも、濁りが濃くなっている。







 嗚呼、とオモッタ。来てしまった、とワカッタ。








 感情が昂ぶって、舞い上がって、一瞬忘れていたのだ。
ソウルジェムの濁りが限界まで溜まればどうなるのか。
つまり、今のさやかのそれのような状態になれば、どうなるのか。






「……オイ、さやか……。それ………………」



 愕然と呟く杏子。酷く怯えたような掠れた声。


「美樹さんッ!?」と叫んだのは、懐かしさを覚える先輩の声。


 どっちも焦っていた。二人にも、この意味は分かったのかもしれない。
どういうことが起きるのかも分かったかもしれない。




 ごめんなさい。




 助けて…………。




 空っぽだったからこそ何も感じなかった心だったけれど、今は感情に溢れかえっていた。
だからこそ、そこには明るい感情だけでなく、暗い――負の感情もまた戻って来てしまうのだった。







 怖い。とてつもなく怖い。




 恐怖だ。
ありったけの、死への恐怖がさやかを一瞬で支配し、その全身を糸で絡め取るように動かなくしてしまった。



 込み上げるその感情は止めどなく、さやかの口をついて出て行く。
藁にも縋る気持ちで、杏子に助けを乞う。










「い……いや。死にたくない。死にたくないよ………………」










 呟きは、轟音に消されてしまった。













 ついに、“孵化”が始まったから。



























――――この国では、成長途中の女性のことを、少女って呼ぶんだろう?――――










――――だったら、やがて魔女になる君たちのことは、魔法少女と呼ぶべきだよね――――


































ラストのQBのセリフは、聞いて二番目にムカついた奴です。
「QBマジぶっ頃www」




























杏子「サヤカ マイ フレンド」





 キュゥべえの呆れ混じり(のような気がする)否定に、フランはそっけなく返事をした。


 もちろんキュゥべえの言葉も仮定の上に積み重なった仮定かもしれないが、さやかのソウルジェムに悪影響が出ない方法ならば、
グリーフシードの破壊だけを行っても構わないという訳だ。

 それは、フランドールの得意分野だった。



 そう、生まれ持ったその稀有な才能ゆえに――――、




 ありとあらゆるものを破壊する程度の能力。





 どんな物体にも必ず緊張している部分――「目」があり、フランドールはそれを己の掌に移植し、
物理的に握り潰すことで対象の物体を破壊することが出来る。
そのプロセスの関係上、能力の対象は物理的に握り潰せる物体でないといけない。
例えば「記憶」のような正体が電気信号であるものや、「水」や「空気」のように不定型なもの、
「心」のような概念を破壊することはできないのだ。
だが逆を言えば、その条件を満たす物でさえあれば、それが何であっても破壊できるということ。


 それはあまりにも強力で、凶悪な能力だった。
何故なら、一度「目」を握られたら、もう防御不可能なのだ。
問答無用で相手を滅することのできる力。それがこの能力だ。


 だからこそ、それを誰もが恐れた。
加えて、本当は多くの制約がかかっているにも拘らず、ただ能力に対する恐ろしい憶測だけが独り歩きして、
本来出来ないはずの概念の破壊も可能だと思われることもあった。



 今ここでそれを披露したら、みんなはどんな反応をするだろうか? 
頭の大事なネジがぶっ飛んでいる幻想郷の魑魅魍魎どもならいざ知らず、外の世界のか弱い人間の感覚を有する彼女たちからすれば、
この能力は圧倒的な恐怖と畏怖の対象になるのではないだろうか?



 ただ、それでも今これを使うべきなのだろう。


 もう、これしか手段が残されていないのかもしれない。


 最悪、マミ自身から怖れられるかもしれないが、彼女から遠ざけられてしまうかもしれないが、
それでもさやかを失ってマミが致命的な傷を負う方が恐ろしい。


 確固たる意志を持って、やらなければならないのだ。




 フランドールはおもむろにマミの隣に寄り立つ。
キュゥべえを投げ捨てるように放し、代わりに今度はマミのリボンを掴んだ。


 ちらりと伺ったマミの顔は険しく、後々小皺が残るんじゃないかと思うほどのしかめっ面だった。
そのこめかみを玉のような汗が流れ落ちる。
さやかのソウルジェムに繋いだリボンを支えつつ、まどかを結んだリボンにも気を払わなければならないのは、相当な負担を強いられるのだろう。

 けれど、どれだけそれが辛くきついことであっても、彼女は決してそのリボンを離さない。
さやかの命を繋ぎ止めるのに全力を尽くすだろう。





 ――――それがマミの願いだから。





 事故で死にかけて、命を繋ぐという願い事を叶えたマミ。
既に魔法少女ではなくなり、願の結晶であるソウルジェムも持ってはいないが、その願いが生み出した能力は残っていた。
恐らく、魔法少女というある幻想から、吸血鬼というまた別の幻想へとシフトしたからだろう。
幻想ではない人間に戻った訳ではなかったから、幻想の力も失われなかったのだ。


 それが、今この状況を作り上げた。

 マミの能力があったからこそ、ギリギリでさやかの命は繋ぎ止められているのだ。

 それは、ある意味彼女の本望かもしれない。
契約の時に、自分一人の命しか繋げなかったことは、ずっとマミの心の中で大きな後悔として残っていた。
しかし今、その罪滅ぼしではないが、マミは願いの能力を使って必死で自分以外の命――さやかのソウルジェムを繋ぎ止めているのだ。



 もし、失敗したらどうなるのだろうか? さやかを助けられなかったらどうなるのだろうか?



 きっとその時に、マミは崩壊してしまうに違いない。

 何故ならそこが、マミの心の「目」だから。中心だから。根幹だから。

 それを分かって、主であるからこそ分かって、フランはリボンを掴み、マミにテレパシーを送る。

「今からこのリボンを通してさやかのソウルジェムの解析を行うわ。私の魔力を受け入れて、流れるようにしてくれないかしら」
「分かった」


 フランドールを見下ろすマミの目に、不安の色はない。信じているからだ。

 マミがさやかの命を繋ぎ止め、咲夜とほむらと杏子がさやかの魔女の相手をし、
まどかが呼びかけることでさやかの意識を留め、フランドールがさやかを呪いから解き放つ。
誰ひとり欠けてはならない。
誰ひとり手を抜いてはならない。


 そしてフランドールは最も肝心な役目を負っていた。


 己の出来次第で全てが決まる。
今まさに、さやかとマミたちの「運命」はこの手にある。




 “運命を操る”なんていう眉唾の力はお断りだわ!!




 望む結果は己の実力でもぎ取ってみせる。それがフランドールなのだ。


 「運命」なんて言葉に縋らない。言い訳にしない。全ては自分次第なのだから。





 リボンに魔力を流し込む。それはスムーズにできた。

 マミのこのリボンを銅線だとすると、フランの魔力は電気だ。
これを媒介にしてさやかのジェムまで魔力を流し、まずその状態を精査する。
そして、その精査の結果によるけれども、同じようにリボンを媒介にして、グリーフシードの「目」を移植、爆破する。


 これが今考えている解決策の概要だ。
ただ、その通りに事が運べるかは分からない。
そのために、まず調べる必要があるのだ。



 フランは目を閉じて集中する。吹き付ける強風が鬱陶しい。
風に煽がれて顔を撫でる頭髪の毛先も邪魔臭い。


 魔法使いが静かな空間を好むのは、その方が魔法に集中できるからだ。
こんな風の吹き荒れる場所で高等魔法など使うものではない。
鬱陶しい風を何とかしたいし、やろうと思えばできるのだが、生憎時間がそれを許してくれない。
仕方ない。このままやるしかない。

 ただ、だからと言ってイライラしたりするのはもってのほか。
感情の起伏も集中力をかけさせる要因だ。心を落ち着けて、自分をリボンの中に流し込むことを意識する。


 魔力を流す対象と一体化するような感覚で魔法を行使すること。
それがフランのやり方だった。
そうすれば、魔法陣なりなんなりを、まるで自分の手足のように自由に扱うことが出来るからだ。



 今回も例によって、その感覚を持ち………入った。





 自分の意識がリボンの中に入り込んだ感覚。
すぐさまそこを伝い、さやかのソウルジェムにたどり着く。




 それはそれは酷い有様だった。


 さやかのソウルジェムには無数のヒビが入っていて、その内の幾つかは穴になっている。
その穴からどす黒い穢れが勢いよく噴き出して来ているのだ。
しかも尚悪いことに、その穴は徐々に広がっており、やがてはさやかのジェムは崩壊してしまうだろう。
それは、こうやってマミのリボンで包んでいても防げない事態だ。


 それはさて置き、この状態を見るに、やはりというか、シードはジェムの内部にあるようだ。


 フランはさらに奥に入り込む。

 黒いモノが噴き出すのに逆らうように進み、さやかのジェムの内部に侵入しようとする。
が、それは噴き出す穢れに妨げられてしまう。
この穢れにも魔力は含まれていて、それがフランの魔力を乱すのだ。



 どうすべきか? 力技だ。



 強引にフランはジェム内部に侵入した。



 くそっ……。



 その状態に、思わずらしくない下品な悪態を吐く。


 案の定、シードはジェムの内部にあって、しかも半ば一体化しているようだった。
例えるなら、卵の中で徐々に形の出来上がりつつある雛鳥のようなものか。
バロットみたいなものだと思えばいい。


 だからこそ厄介……いや、厄介どころでは済まないのだ。





 問題点が二つある。


 一つは完全にシードがジェムの内部にあるということ。

 フランの能力は最も力の集中する場所を握り潰すため、それによって起こる破壊には爆発が伴う。
「目」を潰された物体は木端微塵に砕け散ってしまうのだ。

 プリンス・ラパートの滴というガラス細工がある。
尾の長いオタマジャクシのような形をしたこのガラスの塊は、その頭部に極めて強い内向きの力がかかっており、
ハンマーで叩いても割れないが、尻尾を僅かでも傷つけると、その緊張状態が解け、一気に力が解放され、
結果ガラスはそのままの意味で“粉”になる。
これを例えば、水を入れたビーカーの壁に滴を触れさせたまま行うと、つまり爆発のエネルギーが逃げないような状態で行うと、
ビーカーに大きなエネルギーが伝わって割れてしまう。

 フランの能力もこれとよく似た現象を起こす。
ということは、このままシードを爆破しても、その圧力はどこにも逃げ道がないので、その結果ジェムまで破壊してしまう。



 そしてもう一つの問題点。それは、ジェムとシードがまだ繋がっていること。

 繋がっているということは、「目」を移植する時に、その対象がシードだけでなくジェムまで一緒にされてしまう恐れがあるのだ。
つまり、そのまま「目」を握ると、ジェムまで破壊してしまう。


 これはまずい。大変まずい。


 もちろん時間をかければこの二つの問題を解決することは可能だ。その自信は大いにある。

 しかしながら、そんな猶予はないのだ。急いでこの対策をしないといけない。
圧力の逃げ道を開け、シードとジェムを別に認識するように能力を精密に発動させる必要がある。



 方法は思い付いた。どういう魔法を使って行けばいいのかも大体考え付いた。
が、絶対的に時間と、そして魔力も不足している。

 フラン一人では一気に二つの問題を解決するのは到底無理だった。
もし十全の状態なら、頑張ればそれもできたかもしれないが、
この中途半端にしか展開していない結界の中では、半分以下の力しか取り戻せていない。

 魔力や妖力の運用量もその効率もすこぶる悪く、ただ能力を使うだけにもいつもより時間が掛かってしまう。





 どうする? どうすればいいの?



 できないなどとは口が裂けても言えないが、かと言って有効な方法が見つかった訳でもない。
目を開けて意識を「引き上げた」フランは奥歯を噛み締める。



 パチュリーでも居れば……。



 そんなことを思ってしまう。無い物ねだりをしても仕方ないが、そう思わずにはいられなかった。

 だがこのまま悩んでいても時間は過ぎていくだけ。
みんな頑張っている中で、フラン一人が諦める訳にはいかない。
能力によるシードの破壊が無理なら、他の方法を考えるべきだ。


 いっそのこと、ジェムに針状のリボンを突き刺して、中のシードに直接魔力を送り込んでみようかしら。
そうしてシードだけを壊していく……。


 そんなことが出来るだろうか? フランの魔力でシードを壊すなんてできるだろうか?



 いずれにしろ緻密な作業が求められる。
故に、この吹き付ける風も厄介な障害だった。

 高い集中が必要な以上、それを乱す要因たる風は天敵なのだ。





 フランは魔女を睨みつける。真正面から吹き付ける風に逆らうように立つ。


 今だ咲夜たちと激しい戦いを繰り広げている甲冑姿の魔女。
これだけでも、と思ったが、魔女とグリーフシードは同じものだ。
魔女の「目」は、シードの「目」。握っても意味がない。



 なら、どうしろっていうのッ!?



 地団太を踏みそうになる。駄目だと思うのに、思考が袋小路に彷徨い込む。

 背後から吹き抜けた風に掻き乱された髪を、フランは乱暴に払った。











 ――――――後ろから……?




 風は前から吹いている筈では? 強烈な違和感を抱き、フランは振り向く。











「あやや。大変なことになってますねぇ」













 どこかで聞いたことのあるような声に耳を疑う。





「――――――ッ!!」



 新たに現れたその姿を目にしたのか、魔女が剣を振り上げ、威嚇するように雄叫びを上げた。







「あー。うるさいです。うるさいです。静かにしてくださいよ、ほんとにもう……」







 なんで……?





 掠れた声は流石の天狗の耳にも届かなかったのか、突如現れた射命丸文は、今やっとフランに気が付いたらしく、軽く驚いたように目を見開いた。


「あやっ!? フランドールさんじゃありませんか! 
いつもお姿を見かけないからどうされていたのかと思っていましたが、こんなところにいらっしゃったのですね。御機嫌よう」


 人格高潔で品行方正な腹の立つパパラッチ天狗は、いつも通り挨拶と抱き合わせに軽い皮肉を飛ばしてきた。
魔女を中心に吹き出す猛風も、彼女の周りだけでは完全に勢いを失い、文の髪の毛は一本たりとて揺れることはない。
いつだったか取材を受けた時と同じく、あからさまな営業スマイルを浮かべて天狗の記者は立っていた。




「なんで、あなたがここに……」




 問いかけた言葉は、急に途切れる。フランが自身で切ったのだ。





 もう一度、先程以上の衝撃を受けた。
そして同時に、フランドールは心の底から己の僥倖に歓喜した。








 ――――――匂いだ。匂いがした。



 あまりに嗅ぎ慣れていて、最早自分の一部と化した匂いだ。


 鼻をくすぐる懐かしい匂い。微かにかび臭く、微かに紙臭い。


 毎日毎日、数百年間入り浸っていたあの場所――紅魔館の図書館の匂いだ。



 忘れる訳がない。
嗅いだだけで図書館の情景が明瞭に思い浮かぶ。
あの湿気の多い空気、
魔力が入り混じっている感覚、
忙しなく動く小悪魔やゆったりとくつろいだテーブルセット、
迷宮のように入り組んだ本棚の間の通路に、
尋常ならざる威圧感を誇る本の壁、
薄暗く揺れる蝋燭に、ぺらぺらと紙を捲る音……。
その全てが鮮明に思い出された。



 これも「運命」なのだろうか?



 否、ただの幸運。フランの実力と努力が引き寄せたものだ。






 ――そう思うようにしておこう。













「お困りのようね、悪友」







「丁度いいところに来たわね。親友」











 いつの間にやら、フランの横で紫色の魔女が笑っていた。



















         ヒューッ!




アイエエエ!!? パッチェ=サン!? パッチェ=サンナンデ!!?

熱すぎる展開だな
このSSのお陰で東方厨になりましたわ。ありがとう


困難な状況下での胸熱展開は良いものだ

パッチェ!?お前死んだんじゃ!?

やったッ!! さすが幻想郷最速!
おれたちにできない事を平然とやってのけるッ!
そこにシビれる!あこがれるゥ!

パチェ、お前生きてたのか!

残念だったな、トリックだよ

文ちゃん何処から来たんだwwwwそして、パチェやはり生きていたのか

>“運命を操る”なんていう眉唾の力はお断りだわ!!

どこかのお嬢がエシディシみたいな反応しそうだなこのセリフ‥じゃなくてモノローグ

文の台詞が出た瞬間から風神少女がすごい勢いで脳内BGMとして再生された

「お困りのようね、悪友」

「丁度いいところに来たわね。親友」

このノリ良いな

ひゃっはぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!?
これはゆっくりできない!ゆっくりしないでいってね!
468>>
わたしは文のイラストがざっと100種類でた

明日の投下に期待

>>472

生きてたのか、てっきりトラックに向かって
「僕は死にまs」ドン
となったのかと

>>1です。
お待たせしました



>>459
これがPRS(パチュリーリアリティショック)か・・・

>>460
おk!次は艦これだ

>>461
王道ですけど、一番カタルシスを得られる展開だと思います

>>462
死んだとは(>>1は)言っていない
作中の登場人物は誤解している可能性があります

>>463>>468
握手
貴方方と飲む「超不夜城レッド」はとてもおいしそうだ

>>464>>465>>466
残念だったな、トリックry
「やったか?」→やってない
のフラグの応用ですよw

>>467
あァァァんまりだァァアァ

>>469
この二人はこんな関係ですよw

>>470
ヒャッハー
なお、私の文ちゃんイラスト総数は530000枚です

>>473
お、お待たせしてすみま橙

>>474
僕は死にましぇんッ!!



では、投下します
ええと・・・・・・どこからだったけ








                 *





 「なんで?」とか、「どうして?」とか、「どうやって?」とか、そんなことは後回しだ。

 今はただ、目の前にこれ以上ないくらい心強い味方がいるということさえ分かっていればいい。




 パチュリー・ノーレッジ。




 フランドールと同等以上の魔法の使い手。


 おまけに、風を操る天狗まで引っ付いてきた。



「楽しそうじゃない。私も混ぜてはくれないのかしら? フランドール」

「是非そうしていただくわ。精々小悪魔並みにこき使ってあげる。パチュリー」


 パチュリーは華奢なくせに、この風をもろともしていなかった。堂々と立っている。
その服装は普段の見慣れたあの趣味の悪い色をしたネグジュリみたいなのではなく、
所謂外の世界の私服という奴で、女物のジーンズにタイトめの絵柄付きのTシャツ。
本人のセンスではないな、と思った。

 着やせするパチュリーでも、これならそのボディのグラマラスさが出ている。
胸部の、絵柄を歪ませ皺を作る大きなふくらみと、理想的な丸みを帯びた臀部。
ふむ、すばらしい。





 閑話休題。



 今こうして彼女の前に立っているだけで、聞きたい質問がどんどん山積みになっていくのだが、
それらは全て後回しだ。まずは再会を喜ぼう。


「天狗のおまけ付きなんてね」

「いろいろあったのよ」

「いろいろありました」


 自分のことを話題にされて、今こそと言わんばかりに天狗が会話に入って来た。
白のワイシャツに黒と赤のストライプのネクタイを崩して結び、紺のデニムショートパンツを履いている。
幻想郷に居る時のような格好ではなく、ボーイッシュな、(なぜか)外の世界らしいカジュアルな格好だ。
カメラを片手に立っているその姿は、一見すればごく普通の人間の少女に見える。
とても天狗とは思えない。山伏帽も乗せてないし。

 街中を歩いているちょっとお洒落な少女姿の鴉天狗は邪気のなさそうな、人懐っこそうな笑みを浮かべた。


「というかフランドールさん。あなた、普通の会話もできたのですね」

「烏の取材にはあんな適当な話で十分だったのよ。それより、あなたも手伝ってくれるかしら? 
この厄介な風を鎮めてほしいのだけど」

「お安い御用で!」


 文はそう言ってにっこりとして、片手を無造作に振った。

 それだけだ。それだけであれだけ吹いていた風が一瞬にして収まってしまった。
いつの間にやらカメラを手にしていない方の手には大きな八つ手の葉団扇が握られている。
季節に合わせてなのか、新緑色だ。




「うおお!?」

 突然の状況変化に魔女の相手をしていた杏子が変な声を上げた。
それでほかの二人にも増援の存在が発覚したらしい。
一番驚きを見せたのは咲夜だった。

「なぜ、天狗が……?」

「ども、恐縮です、射命丸ですぅ! 一言お願いします!」

 元気よく声を上げる文。風が静まった空間の中にそれはよく響いた。
そして、彼女は片手に持ったカメラのシャッターを押した。
パシャパシャというシャッター音が妙に間抜けに聞こえる。

「誰?」

 杏子は首を傾げたが、直後に身を翻す。
風を消されて怒った魔女が彼女に向かって剣を振り下ろしたのだ。

 それを合図に、一瞬硬直した咲夜とほむらも再び戦い出す。
いきなり現れた新たな登場人物より、目の前の魔女の方が優先順位は高いと考えたのだろう。



 ところが、魔女はそうではなかった。

 目の前を動き回る三人より、新たにやって来たもとい自らが生み出していた猛烈な風を
一瞬にして操り消してしまった文に敵意を向けたのだ。
咆哮し、剣を掲げる。

 その頭上に、今までよりもっと多くの車輪が現れ、そして今までよりもっと早くそれが射出された。
「クソッ!」と杏子が悪態を吐く。
三人では手が回らない多さだった。



 その内の幾つかがこちらに向かって来る。
フランはすぐに迎撃のために魔法を発動させようとして――、




「土&金符”Emerald Megalith”」





 隣で魔法使いが呟いた。
途端に結界の地面がいきなり盛り上がり出し、地響きとともに見る見るうちに巨大な緑柱石の柱が
盾のように眼前に何本も並び立つ。
唐突に出現した奇怪なその様に誰もが目を剥いた。


「今日金曜日?」

「今宵は金と土の境目の夜。加えて、あの魔女は水の属性を持ち、そこに金符を使うと水を助けてしまうわ。
だから土符も合わせて水を害し、効果を相殺したのよ」


 さすがは一週間少女。
彼女は毎日曜日に合わせた魔法を使うというささやかで意味不明な趣味をお持ちで、だからいつも曜日をちゃんと答えられる。
尤も、碌にカレンダーを見たりしないので、日付が分からないという状態に陥ることもしばしばだけれど。


「――――――――――――ッ!!」


 魔女が一際大きく長く吠える。会心の攻撃を難なく防がれたことに激昂したらしい。
先程と同じくらいの車輪を出現させた。


 フランは呆れるように溜息を吐く。

 いつまでも魔女の相手をしていられない。
かと言って、今の魔女の怒りっぷりでは、三人だけでそれを止めるのは難しそうだ。
とすれば、あと一人、魔女の周りを高速で移動しながら様々なアングルで撮影をしているパパラッチに協力を仰ぐしかない。
そう言えばさっき手伝うように頼んだはずだが……。




「ちょっと天狗! 手伝ってよ」


 フランがそう叫んでいる間に、魔女がまた車輪攻撃をしてきたのだが、


「やりますよ!!」


 一瞬だった。
魔女の後ろで見上げるようにカメラを構えていた文の姿が消えたと思ったら、次の瞬間には無数の車輪が崩壊する音ともに、
彼女が魔女の目の前に浮いて現れたのだ。

 それは吸血鬼であるフランドールですら不可能な早業。
速さ自慢の天狗の、その中でもとりわけ速い鴉天狗である射命丸文だからこそできる芸当。
だが、それですら彼女にとっては写真撮影の片手間でできることなのだろう。

 当然天狗など初めて見るであろうマミたちは驚きに目を見開いていた。
既に文が人間ではないことは分かっただろうが、それでも何が起こったのか理解していないに違いない。




「まどか!」


 振り向いて呼ぶと、呆然と立ち尽くしていた桃髪の少女が反応する。

 まどかには、最早何が何だかチンプンカンプンだろう。
先程からさやかに呼びかける声も止まっていた。

 そのせいだろうか。魔女の攻撃が激しくなったのは、決して無関係とは言い切れないに違いない。
何より、今の魔女は敵意や悪意を増幅させつつある。
そう言った悪い感情にさやかの意識が飲み込まれないようにするためにも、まどかの呼びかけは必須なのだ。


「続けて。声を止めないで。今が勝負どころなの」


 叱責するように、あるいは激励するように。

 その言葉は揺れていたまどかの瞳を座らせ、絡まっていた思考をシンプルにさせる。


「うん!」


 力強く、頼もしく頷く。そこに普段の気弱な気配はない。

 元より芯の強い子だ。道を指し示せば、必ずやり遂げてくれる。
フランはそんな安心感をまどかに対して抱いていた。


 そう。だからもう大丈夫だ。
「さやかちゃん! 起きて! しっかりして!!」と叫びだしたまどかに背を向け、
フランはマミのリボンを握った。



「この子、貴女の眷属?」

 傍に並んだパチュリーが問いかけてくる。

「そうよ」

「いつの間に作ったのよ、このビッチ」

「……!」

 ヒドイいわれようだ。むっとしたフランも言い返す。

「うるさい。最近お腹周りがたるんできたこと、天狗に言うよ」

「……!」

「というか、そんなくだらないこと言ってる場合じゃないの」

「ええ。それで? 状況は?」

 閑話休題して、二人は早速本題に入る。

「魔法少女のこと、どれくらい知ってる?」

「魂の結晶化。絶望への転落。負の感情の具現」

「話が早くて助かる。このリボンの先にソウルジェムがあるわ。そしてその内部に孵化しかけているグリーフシード」

 フランがそう言っている間に、パチュリーはリボンに触れて、さっと魔力を通した。


 認めるのは悔しいが、やっぱり魔法の実力はフランよりパチュリーの方が高い。
いくら自身の魔力を強化し知識を蒐集したと言っても、フランはあくまで吸血鬼であり、
正真正銘生粋の魔法使いであるパチュリーには敵わないのだ。


 ほんの数秒、リボンに触れていただけで彼女はソウルジェムの状態を把握してしまった。
フランはそれにもっと時間を要したというのに。


「なるほどね。で、貴女はグリーフシードを“破壊”したいと考えている訳ね。
でも場所が場所で下手をするとソウルジェムまで傷つけてしまう、と……」


 魔法使いは頷く。
たったあれだけの時間で、彼女はほとんど同じくらい正確に現状を理解したに違いない。


「そうよ。方法は考えてある。まずジェムの台座に圧力を逃がすための小さな穴を開ける。
それから私がグリーフシードだけを精密に破壊するの」

「爆発のエネルギー自体は静められるわ。
『爆発』とは、文字通り“火が暴れ発する”こと。
例えそれに爆炎が伴っていなくても、ね。
だからこそ、“火に克つ水”で抑えられる。
それに、彼女は水と相性がいいみたいだし」


 パチュリー・ノーレッジの専門分野は精霊魔法。
木火土金水の五行思想に日と月の陰陽思想を絡めた陰陽五行思想をさらに発展させた独自の七曜の魔法を扱う。
「一週間少女」という洒落た渾名の由来はそこだ。

 パチュリーの言葉は、つまりさやかのソウルジェムに穴を開けるなんてことはしなくてもいいということ。
もちろん、それが可能ならそれを選ばない手はない。


「そう。これで第一関門はクリアね。
問題は半ばソウルジェムと一体化したグリーフシードを厳密に定義してその『目』を破壊しないといけないことと、
そのためにはあまり時間をかけられないことね」

「後者については心配しないで。木をくべて火勢を強めてあげるわ。
そうすれば能力の発動もスムーズに行くでしょ」


 なるほどありがたい。
もちろん、フランの属性は火。木生火。木は燃えて火を生かす。

 精霊魔法は属性さえちゃんと当てはめれば、いろんなことに応用が利くのが便利だ。
その分扱いが難しいし、だからパチュリーのような高位の魔法使いでないと使いこなせない。
だが、それさえできればいろんなことが出来るようになる。
ただし、問題はその行使者の健康状態なのだが。


「喉は大丈夫なの?」

「すこぶる良好よ」


 問題ないようだ。
「安心したわ」と返すと、「そんなことより」とパチュリーが顔を近づけてきた。



「前者の方だけど、貴女の眷属を使えばもっと早くできると思うわ」

「早く?」



 フランはパチュリーの顔をぱちくりと見た。

 見上げるほど二人に身長差はない。
フランほどではないが、魔法使いもかなり背が低い部類に入る。まどかよりやや低いくらいだ。

 自分と同じくらいの高さにある目の奥に苛立ちの色が浮かんだのを鋭く察したフランだが、
今一つパチュリーの意図を掴みかねていた。



「ねえまさか、分かってないの?」

「何よ。何のこと?」



 急いでいるのに勿体付けるパチュリーに、今度はフランドールが苛立ちを表わす番だった。
端的に仰れと、言外にメッセージを込める。


 それに対し、魔法使いは呆れたように軽く息を吐いた。




「自分の眷属のこと……まさかその程度にしか理解していないとかいうんじゃないでしょうね」













 ――――――いや、本当は分かっているのだ。


 パチュリーが言いたいことも、そして眷属のことも……。



「ソレは……」





 Uk Oyr'o Non Odi Et Ur Eku Tib Us Um





 言い掛けた言葉は途中で途切れてしまった。その後に、言う言葉を失ってしまったから。

 そこに、さらに魔法使いは問い掛けを重ねてくる。


「単にリボン遊びをする程度が貴女の眷属の力なのかしら?」


 ただ、今の今に指摘されるまで気が付いてなかったのを認めたくないだけだ。
変なプライドのせいで思わずパチュリーに反駁し、無駄に時間を浪費してしまった。
マミのことは、主人たる自分が一番分かっているなんて考えてしまった。




 だが、それは意味がなく、無駄なこと。

 これは確認なのだ。再認識なのだ。






 Ow O Nom Ur Uyar A Ot Ira





 幻想郷の住人は誰しも【程度の能力】を持っている。
例えばフランドールが「ありとあらゆる物を破壊する程度の能力」であり、
パチュリーが「火+水+木+金+土+日+月を操る程度の能力」であり、
文が「風を操る程度の能力」であるように、
新たに幻想郷の住人になることが内定したマミもまた、同じように【程度の能力】を持つはずなのである。

 だからこそ、今マミはさやかのソウルジェムを、命を繋げられているのである。
その能力は彼女の魔法少女としての願い事から発展したもの。






 幻想の証明。





 忘却への約束。































 ――――――あらゆるものを結び付ける程度の能力――――――












「答えは簡単でしょ? 
グリーフシードの『目』を、貴女の右手に結び付けてもらえばいい。
それだけで『移植する』というプロセスが省かれ、さらに元々よりも遥かに高い精度で能力を発動できるわ」


 パチュリーの提案を拒否する材料は存在しなかった。

 どうやら難しく考え過ぎていたようだ。素直にマミの力を頼っていれば良かったのだ。
自分一人でやろうとして空回りしてしまうのは、悪い癖だろうか。
生憎、フランはそこまでしっかりと自分のことを分かっている訳ではない。
仮にそういう癖があったとしても、今まで困難らしい困難に立ち向かったことのない引き籠もりの吸血鬼には、
それを知る場面はなかったのだ。



 一人じゃ出来ない時は、誰かに頼りましょう。
脳内のメモ帳にインプットしておく。




 フランドールはマミを見上げる。


 マミには今の会話が一寸も分からなかっただろう。そんな顔をしている。




 果たしてマミは、自分能力についてどれほど把握しているだろうか? 
否、ほとんど自覚していないに違いない。
何しろ、肝心の【程度の能力】についてマミに語ったことは一度もないからだ。
知りようがないのだ。

 けれど、本能的には理解しているだろう。
言うまでもなく、それはマミ自身の力なのだから。







「全ての物には壊すための目があるのよ。私だけがその隠し場所を知ってるわ」




 フランドールはゆっくりと右手をマミに向かって伸ばす。手を開き、掌をマミに見せるように。




「教えてあげる。その場所を」




 スカーレットは笑った。




「だから、貴女はグリーフシードの目と私の掌を繋ぎなさい。主からの命令よ」




 眷属は頷いた。


 理解しただろう。何をすればいいのか、どうすればいいのかを。






 リボンの吸血鬼は片手でさやかのジェムを支え、もう片方の手から新たにリボンを出してそれをフランドールに渡す。
その新しいリボンは、さやかを支えている方のリボンと既に繋がっており、そこからフランドールはグリーフシードへと辿ることが出来た。


 隣ではパチュリーがぶつぶつと呪文を唱えている。

 喉の調子がいい魔法使いは、普段より呪文の詠唱もずっと早く、その声には力強さが宿っていた。
彼女が一字一句唱える度に、フランは自分の中で魔力の循環が加熱するような感覚を覚えた。


 力が渦巻く。弾力を溜めたどぐろのようにうねる。


 パチュリーの呪文が途切れた。というより、終わったのか。
これでフランドールの強化は完了だ。続いてもう一つの魔法の呪文に入る。

 同時にフランドールは意識をリボンに沈めた。



 己は赤い魔力となってリボンを辿る。
パチュリーのお蔭で先程とは比べ物にならないほど調子がいい。
それだけで快感を覚えてしまった。


 そこに、もう一つ別の魔力が混ざる。

 黄金色のそれは愛しい眷属のもの。




 ついて来て。秘宝の在り処を教えてあげるわ!




 緋色と黄金色は絡み合い、共にリボンを辿って魂の結晶までたどり着くと、
その小さなひび割れの中から内部に侵入した。

 中からは真っ黒なモノがどんどん噴き出してくるが、二人は意にも介さない。
その魔力は嘆きの種を包み込んだ。


 その中心にある、緊縮力と緊縮力が張り合う力点。最も緊張した「目」。




 さあ、これがお宝! ぎゅっと握り潰すのよ。





 黄金色の魔力と緋色の魔力は混じり合い、「目」を繋ぐ。

 フランドールは、その瞬間確かに右手に「目」を移植したような感触を得た。
実際には「目」はグリーフシードの中に残ったままなのだが、確かにそれと右掌が繋がっている。
それでいて、とても明瞭にグリーフシードのことが分かるのだ。


 どこからどこまでが種で、どこからどこまでが宝石なのか。


 さっきは分からなかったその境界が、今はまさに手に取るように分かった。




 そして同時に、“さやか”が流れ込んで来た。







――――あるよ。奇跡も、魔法も、あるんだよ――――



――――よし、これで魔法少女さやかちゃんが誕生したって訳か。ふふふ。マミさんの代わりに街を守っちゃいますよぉ――――



――――あーはっは、んーまあ何、心境の変化っていうのかな?――――



――――どんな怖いことでも乗り越えられる……ううん、乗り越えなきゃいけないって思ったんだ――――



――――誰が……あんたなんかに。あんたみたいな奴がいるから、マミさんは……!!――――



――――やっぱりお前だけは、絶対に許さない。今度こそ……必ず!――――



――――私、叶えたい願いがあったから契約しただけです――――



――――いやだッッッ!! あんたに、マミさんを傷付けさせない!!――――



――――気持ち悪いよね、こんなあたし。ほんと、ごめんね――――



――――私は見返りを求めない。だから、誰からも感謝されなくてもいい――――



――――分かってる。あたしも同じ気持ちだよ――――



――――あたしなんかに、構わなくていいよ――――



――――あの時、仁美を助けなければって。ほんの一瞬だけ思っちゃった。正義の味方失格だよ……――――



――――もう一度バイオリンを弾いてほしかったんだ――――



――――もう、こんなの、…………ヤダよ――――





――――い……いや。死にたくない。死にたくないよ………………――――







 そこに居たのは一人の少女。酷くか弱く、それでも虚勢を張り、結局崩れていく姿。



 彼女は普通だった。

 あまりにも普通だったのだ。



 魔法少女の運命なんて背負える訳なかった。聖人君子になんてなれる訳なかった。
まして、奇跡の代償を払う覚悟なんて始めからある訳なかった。

 けれど悲しいことに、彼女はそうであろうとした。
憧れの人がいて、その人のようになりたくて、
想いの人がいて、彼に振り向いてほしくて、
しかしそうなれない自分そうならない現実との間で苦悩し、葛藤し、徐々に崖っぷちに追い込まれていく。

 彼女は自分が普通であることを受け入れられなかった。
見滝原に新たな風を誘った彼女の栄華も長くは続かない。
運に恵まれぬ少女は坂を転げ落ちていくしかなかったのだ。


 それでも彼女は懸命に闘い、意地とも呼べぬ何かのために華奢な体に鞭を打ち続け、血を流す心を酷使した。
けれど遂には自らの存在意義も失い、ただ死を望むだけになってしまう。



 知っているさやか。知らないさやか。

 今、彼女の心の軌跡がフランの頭の中で、まるでフィルムを流すように再生されている。
希望に満ちていた表情が徐々に怒りや失意、遂には絶望へと染まっていくのは、ある種の美しさや崇高ささえ感じさせた。
あまりにも見事な悲劇。
僅か十日足らずを、彼女は渾身の力を振り絞って疾走していった。



 孤独になったのね。



 意識していなければ、思わずそんなことを呟いていただろう。
誰にも頼れなくなってしまったさやかに、フランドールは過去の自分を重ねていたから。


 もちろん、状況は全く違う。時間の長さもまるで異なる。

 もとより恵まれていたさやかともとより恵まれていなかったフランドール。
対照的なのにも拘らず、フランドールはどこか自分とさやかの間に通じているものを感じていた。



 孤独は、辛いよね。



 今、さやかとフランドールは繋がっている。
フランドールにさやかの記憶が流れ込んで来たように、さやかにもフランドールの記憶が流れ込んでいることだろう。
だから、語りかけた。囁きかけた。



 それでも、あなたはもう独りじゃないわ。



 出会った当初は、さやかはただの人間だった。ただの少女だった。

 人々が家畜である牛や豚や鶏に特別関心を払わないように、吸血鬼であるフランドールもまた、
己の腹に収まる対象でしかなかったただの人間に興味を抱くことはなかったのだ。
あくまでさやかはマミの知り合いという程度の認識。



 それが、いつから彼女を意識するようになったのだろうか? 
明確に、あのバス停で再会した時からだろう。


 そしてさらに、こうやって通じ合ってしまったらもう、のっぴきならないではないか。





 だから、さやかは独りではない。
フランドールがいる。マミもいる。杏子もいる。まどかもいる。ほむらもいる。咲夜もいる。
おまけに魔女と天狗まで付いている。



 最後の最後に希望を見つけられたさやか。その小さな光は、決して失われてはならないもの。






 フランドールは眷属を見上げる。


 彼女にも、さやかの記憶は、心は、流れ込んで来ていたのだろう。
マミは、静かに涙を流していた。


 二人の目線は確かに交差し、接続を確認する。





「……準備は完了よ」


 呪文を唱え終えたパチュリーが告げた。フランドールはそれに静かに頷く。






 舞台は、整った。






「さやかちゃぁぁぁん!!」


 背後で叫ぶまどかの声は、可哀想に掠れ気味だった。
それでも彼女は必死に叫ぶ。それが親友に必ず届いていると信じて。


「さやかぁ!! 目ぇ覚ませぇぇぇぇッ!!」


 まどかだけじゃない。さやかの魔女の目の前で杏子が多節棍にした槍を振り回しながら叫んだ。


「美樹さんッ!」


 ほむらの呼び方が変わっていた。
いつもフルネームで呼ぶのに、今はマミのように苗字にさん付けだ。
その背中が、まるで別人に見えたのは気のせいだろうか。


「青二才ッ! 起きなさい」


 咲夜の呼び方は酷い。何か恨みでもあるのだろうか? 
しかし、それでもいつもの落ち着いた瀟洒なメイドらしからぬ、必死な表情で呼びかけているのだから、
本心では案外そう悪く思ってはいないのかもしれない。


「美樹さん……」


 呟きはマミのもの。呼んだというより、思わず口から零れてしまった言葉。



 今、フランとマミの心も繋がっている。
だからこそ、彼女がどれだけ後輩の無事を願っているのかがよく分かったのだ。












 大丈夫。安心して……。さやかは死ねないから。









 あなたの嘆きも悲しみも絶望も、その一切合財を全部、ぶっ壊してあげるわ!!









 フランドールは右手に力を込めた。期待も込めた。


 指を閉じ、中指で掌を押しつぶすように握る。












「ギュっとして――」













 ――――――――――――壊れた。









 「目」はあっけなく握り潰され、壊れてしまった。











 その瞬間、フランドールの背筋に何とも言えない快感が走り抜けた。
その強烈さに、思わず身震いしてしまう。




 精神が脳みそを離れ天国に行ったような感覚。
顔の筋肉がだらしなく弛緩し、全身の穴という穴から水分が滲み出てきた。
涙腺も刺激され、フランドールは無意識に涙目になる。

 これは破壊が上手く行った時の快感。
一歩間違えれば、フランドールの意識を狂気の底に引きずり込んでしまうほどの強力な引力を持っていた。

 この、能力を行使すると強い快感を得られるということは、フランドールがその身の内側に先天的に抱えていた『歪み』の正体の一つだ。悪魔の妹は狂っている。




 目の前では魔女が崩壊していた。
剣を振り上げたままの奇妙な姿勢で硬直し、そのままぼろぼろと鎧が剥がれ落ちていく。
中身は黒くてねっとりとした泥のような物。
それすらも溶けるように虚空へと消えていってしまった。


 何が起こったか分からないであろう杏子とほむらは呆然と立ち尽くし、
咲夜はただ静かにそれを見続け、
文は少しでも多くこの瞬間をカメラに映そうと、夢中でシャッターを切っていた。





 最ッ高…………。





 ゾクゾクと走り抜ける「痺れ」に、フランドールは身を震わせる。
両手でしっかりと体を抱き、それ以上震えないように力を込めるが、狂気の引力は抑えきれそうにない。



 だけど、トンでいきそうになったフランの精神にはしっかりとリボンが結び付けられていて、
まるで風船のように持ち手に捕えられてしまっているのだった。




「フラン!」


 すぐ傍の頭上から声が降って来たので見上げると、顔を赤らめた、もっと言えば頬を上気させたマミが睨んで来ていた。
感覚を共有していたらしい。
つまり、彼女もこの快感を味わったのだ。訳も分からぬうちに……。


 段々我に返ってきたフラン。急に恥ずかしくなって思わず俯いてしまう。
なんか、変な声も出しちゃったし……。


「何なのよ、これ……」


 少し怒ったような呟き。フランは小さい体をさらに小さくした。


「いちゃつくのは後にしたら?」とパチュリー。

「い、いちゃついてなんか……!」

「はいはい」


 フランの反駁に呆れたように肩をすくめ、パチュリーは親指でリボンの先を示した。


「それより、あっちの確認の方が先じゃない?」


 既に結界はなくなり、元の駅のホームに戻っていた。
丁度、金属の擦れるような耳障りな音を出しながらホームに入ってきた列車が、その場から緊張感を根こそぎ奪っていく。
逆を言えば、全員無事に元の日常に戻って来たことの証明なのだ。



「そう、ね」


 マミはリボンを手繰り寄せていく。
その先、ソウルジェムを包んでいた部分は、魔女の中身を大量に浴びていたせいか、真っ黒に染まっていた。


「おい、大丈夫かよ、これ」


 その様子に、変身を解いて近付いて来ていた杏子が声を上げる。


「多分……」


 自信なさ気にマミは頷いて、手元に寄せたリボンを、慎重に解いていく。
その様子を、その場に居る全員が固唾を飲んで見守っていた。


「いくわよ」


 マミのリボンはジェムを三重に包んでいた。
そのうちの二つを解き、一番下に手をかけた時、マミは覚悟を決めるように呟く。






 そして――――、


















「……ぁ」


「はあ…………」




 息を漏らしたのはまどかとマミ。二人とも安堵したように、思わずと言ったところか。



 そこには、さやかのソウルジェムがあった。



 まだ、存在していた。



 微かに青く光っているのは、溜め込んだ穢れを全部壊されたせいだろうか。
ただ、その表面には無数に罅が入っており、中から穢れが噴き出した小さな穴もある。



「体を……」



 そう言って、いつの間にやらさやかの体を持って来たほむらが、さやかをソウルジェムの前に静かに横たえる。

 マミは頷いて、そして恐る恐るソウルジェムをさやかの胸元に置いた。
フランはさやかの首筋に手を当て、脈を計る。

 フッとさやかが息を吐いた。同時に、脈が戻る。


「息を、吹き返したわ」


 全員を見上げながら報告する。
その瞬間を、恐らくフランは一生忘れないだろう。




 それまで緊張して強張っていた彼女たちの顔の筋肉は瞬く間に緩み、音よりも早く喜色に染まったのだ。





 歓声が上がる。

 悲鳴のような黄色い声が夜のホームに響き渡り、何も知らない人々が何事かと目を剥いた。

 だけど彼女たちは気にも留めずにお互いに抱き合ったり、手を取り合ったり写真を撮ったり、
それぞれ全身全霊で喜びを表していた。




「ありがとう、フラン!!」


 ほっと一息ついていたフランは、マミに思いっきり抱きしめられた。
ぎゅうっと抱きつかれた。く、苦しい……。


 ありがとう、ありがとうと何度も呟きながら頬ずりしてくるマミの声は、だんだん湿っていく。
案外泣き虫なマミは案の定涙腺が崩壊したようで、けれどそれは他にも言えることだった。


「フランちゃん! すごいよ、やったよ!」


 普段はおとなしいまどかでさえ目に涙を浮かべて喜んでいた。


「ありがとう、ありがとな!」


 杏子はフランの頭を帽子ごとくしゃくしゃと撫でた。


「本当に、これなら……」


 ほむらも半ば我を失ったように呟きながら、それでもその顔は普段から考えられないほど喜びに満ちていた。

 その傍らで一歩控えて咲夜は静かに微笑み、天狗は感動の瞬間を写真に収めていた。






 上手くいって良かったのだが、フランはどうにもむず痒い心地だった。


 こんなのは初めてだ。人からこんなに感謝をされたのは初めてなのだ。
だから、慣れてない。
周りから素直に感情を評されて、それをどう受け止めればいいのか分からないのだ。
そのせいで、フランはしばらく呆然自失としていた。

 けれど彼女たちはお構いなく、寄って集ってフランをもみくちゃにして、お陰さまで服がしわくちゃだ。




「フラン? フラン、大丈夫?」


 最初にその状態に気が付いたのは、力強くフランを抱き締めていたマミだ。
木偶の棒と化したフランを離し、両肩を掴んで軽く揺する。
柔らかく有難い感触が離れてしまって、少し残念な気分だ。


「あれ? どうしたの?」


 次にまどかも気付き、それからすぐ傍で「プッ」と噴き出した奴がいた。

 それに敏感に反応するフラン。
即座に肘を打ち込んでやるが、紫もやしめ、体を折って笑いを堪えていた。


 パシャ、パシャ、とシャッター音が響く。
満面の笑みで天狗がこちらにレンズを向けていた。
おまけにその顔には「絶好のチャンスです!!」と堂々と書かれている。


「ちょ……、撮るな! 撮るな!」


 文からカメラを奪おうとするが、何故かしっかりとマミに押さえつけられてしまった。
そんなフランの様子も文にとっては美味しい獲物で、ニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべながらさらにシャッターを切る。
その傍らに、そっと寄った咲夜が文に何か囁きかけた。



 おい、メイド! 「後で一枚焼き増ししてくれないかしら?」とかどういう了見だ! お前、コラッ!!



「攻められると、結構弱いのよねえ」


 あちらを抑えればこちらが立つ(抑えられてないけど)。
今度は魔法使いのたっぷりとした笑いを含んだ声にフランは反応した。


「やかましい。やかましい! やかましい!! アホ! もやし! お香!」


 フランらしからぬ悪態を吐いても、魔法使いには一切効果がないようだ。
楽しげで嫌らしく顔面を弛緩させながら無言で煽ってくるパチュリー。



 彼女だけじゃない。
そんなフランの様子を、まどかと杏子が妹を見るような目で見下ろしていて、微笑ましくてよろしいと言わんばかりだ。



 ダメだこりゃ。四面楚歌だ。



 反応すればするほどからかわれてしまう。ええい、どうしてこうなった。



 フランがほとほと困り果てていると――、




「いいのよ」




 不意に優しく後ろから抱き締められて、フランの荒んでいた心が静まる。


「みんなあなたに感謝してるんだから、素直に受けとっておけばいいの」


 マミが耳元でそっと囁く。




「…………ううん」




 しかし、フランはそれを首を振って否定する。

 先程までフランをいじってからかっていた彼女たちも、真剣な面持ちになっていた。
文も写真を撮るのをやめている。


「私だけじゃ出来なかった。全員で頑張った結果なのよ」


 フランは顔を上げ、まどかの、さくやの、ほむらの、杏子の、文の、パチュリーの顔を順に見回し、
最後に振り向いてマミと目を合わせた。





「私からもお礼を言うわ。みんな……ありがとう」











Grip & Break down !!



意味は、そのまま「ぎゅっとして、ドカーン」だそうで







「私、『文々。新聞』社社長兼編集長兼記者の射命丸文という者です。
以後お見知りおきを。名刺をどうぞ」

「僕は受け取れないよ」

「いやいや、そんなこと仰らずに」

「物理的に難しいんだ。四足歩行だしね」

「あやや、困りましたねえ」

「大丈夫。君のことは忘れないよ」

「そう言ってくれるのはありがたいのですが、どうかその言葉は意中の方に仰ってください」

「……そういう意味じゃないんだけどねえ」


 キュゥべえが呆れてる! キュゥべえが呆れてる!

 見滝原の少女たちは文の勢いに気圧されて、幻想郷から来た三人は白けた目で文とキュゥべえのやり取りを眺めていた。


「さあ、それはそうと、私、記者らしくあなたに取材を申し込もうと思うのですが、お時間宜しいでしょうか?」

「僕は構わないよ。こちらも君に聞きたいことがあるし」

「あや? 何でしょう。お先にどうぞ」

「いいのかい? じゃあ聞くけど、君は……君の種族は」

「……! 種族、ですね。天狗です。鴉天狗です」

「天狗……。この国の妖怪だね」

「ご存知だったんですね」

「その割に、随分こなれた格好をしているようだけど」

「この服ですか? 季節に合わせて“動きやすい”格好をしただけですよ。
妙ちくりんな服を着ていると目立ちますしね」

「……なるほど。それで、君はどうしてここにいるんだい?」

「取材ですよ。さっきの――『魔女』と言いましたか? その存在を聞きつけましてね。
『怪異! 結界の中に潜む魔物たち』という見出しで記事を作ろうかと。
これで新聞大会優勝も間違いなしです。むふふ」

「君はどこから? 『文々。新聞』とは……?」

「出身地はシャングリラです」




 そんなやり取りの間にも、文は手帳を取り出し凄まじいスピードでメモを取っている。
キュゥべえに対して質問をしていない今、何を書いているのだろうか?


「さあ、行きましょう」


 取材に夢中な文に背を向け、パチュリーはフランに声を掛けた。
「あれを待っていたらいつまでかかるか分からないわ」


「そうね」


 フランも同意する。
いちいち天狗の取材を待っていてやる義理もない。
もちろん文には聞きたいことが山ほどあるが、それは後回しにして、とにかく話し合いの場を設けないといけない。
フラン自身、パチュリーに聞きたいことがあるし、マミたちにも話さなければならないこともたくさんある。


「え? いいのかしら?」


 文とフランを交互に見ながらマミが疑問を呈するが、当の吸血鬼は「放って置きなさい」と言い捨てるだけ。


「帰りましょう。疲れたわ」


 付け加えられた一言は、思わず漏れてしまった本音だった。

 今のフランは幼子同然。能力まで使って、全力でさやかを助けたのだ。
今その反動である「疲労」が全身を覆っていた。

 フランの言葉を合図に、咲夜がさやかの体を担ぎ上げ、先に進み出した吸血鬼と魔法使いに続く。
それを見て戸惑っていたマミたちも文とキュゥべえを残し、駅のホームから降りて行った。

 相当に目を引く集団だろう。
コンコースに下りるとやたら好奇の目で見られた。
けれどフランは気にも留めず、そのまま改札を通過する。
尚、杏子の幻覚のお蔭で止められることはなかった。
入る時も、マミの魔法を使い、不法に侵入したので切符がなかったのだ。

 そうしてずらずらと、全員連なりながら街中を練り歩く。
途中まどかの携帯に家から電話が掛かって来て、彼女は慌ててほむらの家に宿泊することを伝えていた。
さやかを見つけたことについては、大人が関わってややこしくならないようにフランが口止めした。
何とか一命を取り留めたが、未だ意識の戻らないさやかは、そのまま報告すると病院に収容されかねない。
少なくとも目が覚めるまでは見つけたことを隠蔽しておいた方が、何かと都合がいいのだ。




 そのさやかだが、眠ったままの原因は不明。
咲夜に背負われた状態でパチュリーが“診て”、精神に異常はなさそうで、単に疲れて寝ているだけかもしれないという結論を出した。
頭でっかちな知識人の言うことなので、信憑性の程は知れないが。

 パチュリーは、移動中に軽く自己紹介をした。
自分の種族が魔法使いであること、フランの友人であること、諸事情があってこちらにやって来たことをさっと、手短に伝えたのだ。
あまりの素っ気無さに、マミたちは「はあ」と頷くしかなかったようだった。


「その服はどうしたの?」


 話すと長くなりそうな質問を避け、フランはまずパチュリーの服装について指摘した。

 フランが着ているのは、いつもの赤いドレス風の服。
ちなみに、人間ではない証であり、街中に出ると否応なく目を引くであろう背中の「羽根」は、
マミが胸部にさらしのようにリボンを巻くことで体に張り付け、目立たなくした。
お陰で若干窮屈だが、特に痛みなどもない。
尚、マミ本人もそうしている。
尤もそちらは、豊満な胸部を保護するための下着としての意味合いも強いが。

 それに対し、パチュリーの服装はカジュアルなもの。
どこからどう見ても外の世界で市販されているものであり、いつものネグジュリではない。
某ネズミの絵柄付きのTシャツに、ジーンズという派手ではない格好なのだが、ややサイズがあっておらず、
小さめなせいか、そのボディのスタイルの良さが余すことなく表わされていた。
トランジスタ・グラマーという奴か。妬ましい。ぱるぱる。


「あの天狗の趣味よ。服がなかったから」

「いつものはどうしたのよ」

「いろいろあってね。後で話すわ」

「そっか」


 集団の先頭を、二人で並んで歩きながら話す。




 こうして会話するのは半月、いや二十日ぶりくらいだ。
考えてみれば、そこまで久しぶりな訳ではないけれど、この間には本当にいろんなことがあり過ぎた。

 見滝原に飛んで、マミと一緒に過ごして、まどかたちと出会って、魔法少女とか魔女とか……。
その頃は早く帰りたいという気持ちに、いつの間にかマミとずっと一緒に居たいという願望も加わって結構悩んだ気がする。

 そして、あのお菓子の魔女の結界でマミが殺されかけて、それを助けるために敢えて吸血鬼にして、
お陰で葛藤からは解放されたけれど吸血鬼のことでマミと喧嘩して、マミが狂気に呑まれて、
それからは大変だった。

 行方不明のマミを探して街を彷徨い、マミはマミで狂気に苦しみ、望みもしない悪をする羽目になってしまった。
でもまどかたちと出会ったのがきっかけで状況が良くなり、マミも救われ、さやかもこうして助かった。

 先程いきなりパチュリーたちが現れた時にはさすがに驚いた。
まさかあの状況で、まさにあの瞬間パチュリーの助けを求めていて、そうしたら本人がやって来るなんて、一体誰が想像だにするだろうか? 
そこに何か「運命」めいたものを感じる。お姉様の仕業だろうか?

 もしこれが本当に姉によって引き起こされた“偶然”なら、フランはレミリアと彼女の能力に対する評価を大きく変更しなければならないだろう。
「運命を操る程度の能力」なんて、とんだ眉唾だと考えていたけれど(でなければ誇大表現だ)、
それが間違っていたということになる。
尤も、とてもそうは思えないのだが。

 まあ、何はともあれこうして再会できたのだ。それは喜ぶべきことだ。


「お姉様は……心配してくれてるのかしら?」

「と、思うわよ。私よりずっとか落ち着いていたみたいだけれど」

「そう。お姉様らしいかしらね」

「そうね。レミィらしいわ」


 親友と妹が外に行ってしまって、レミリアはどんなことを考えているだろうか? 
本当に、フランのことを心配していたのだろうか?





 “今”の姉にはそれなりに情があるのは知っている。
冷徹ではあっても冷血ではないと信じたい。

 けれど、時々フランドールは思うのだ。本当にそうなのか、と。

 どこか、彼女には空っぽのところがある。
大切な何かを失っているような気がする。

 唯一の肉親とは言え、フランにはそれが何なのかは分からない。
ただ一つ言えるのは、レミリアは変わってしまったということだけ。
ただ、それだけだ。


「あ! 追いつきました!!」


 不意に、後ろから元気のいい声が飛んで来た。
振り返ると、文がこちらに向かって駆けて来る。
空を飛んでいないところを見るに、彼女もこちらの世界では力を失ってしまうらしい。
それでも、相も変わらず忙しないのだけれど。


「いやあ、追いつけて良かったです。見失ったらどうしようかと思いましたよ」


 息を切らしながらも笑って言う文に、フランは皮肉を切った。


「自由行動でも良かったのよ? 
せっかくこんなところまで来たんだし、観光でもしていけばいいじゃない」

「生憎、仕事中なんですよ」

「取材なら後で受けてあげるわ」

「言いましたね。約束ですよ?」


 言質をとったと言わんばかりに顔を綻ばせる文。
「ただし」と続けると、すぐさま真面目な表情になるのは、天狗の記者の本分といったところか。


「あなたもいろいろ話してよ」

「分かっていますよ。では後程お願いしますね」


 嬉しそうに再び破顔すると、文は手帳を開いて何かをメモし始めた。





「気を付けなさいよ」


 そんな文に聞こえないように、パチュリーがそっと耳元に囁く。


「分かってるわよ。下手は打たないわ」


 天狗が何を知りたいのかは分からないが、余計なことを喋れば後あとややこしいことになるのは目に見えている。
狡猾さや老獪さでは向こうの方が一枚も二枚も上手である以上、慎重に言葉を選ばないといけない。

 先程の様子を見るに、天狗も魔女のことや魔法少女のことは一通り知っているようだ。
天狗は情報の扱いに長けた妖怪だと聞くし、文自身フランの倍は生きているそうだから、知っていても不思議ではない。


「あの天狗ね」と、パチュリーがさらに囁きかけてくる。

「言っておくけど、新聞作りは趣味なのよ」

「趣味? じゃあ……」


 仕事とはなんだ? 首を傾げたフランに、パチュリーは、


「諜報」


 一言告げた。

 若干不穏な雰囲気を纏っているその単語に、フランは鋭く反応する。
そしてすぐに、今の様子を天狗に知られたかと思い、文の方をちらりと伺うが、
彼女は何やら手帳に目を落としたまま考え込んでいるようだ。

 それにほっと息を吐き、目でパチュリーに続きを促す。


「情報収集をしているみたい。実際、外の世界で活動するための拠点まで設けているわ」

「……興味深いわね。何のためかしら?」

「それは決まっているでしょう。山の組織の利益のために違いないわ。
それがどんな利益かは分からないのだけど」

「なるほど。確かに『仕事』ね」




 これでいくつか疑問が解決した。

 パチュリーや文がこちらの、外の世界のカジュアルな格好をしているのも、
文が情報収集のために外の世界に拠点を持っているのだとしたら納得いく。
外の世界で活動するために外の世界の服を手に入れておくのは当然だろうし、
何らかの事情で文と合流したパチュリーはその服を借りたのだろう。

 さらに、だ。わざわざ拠点まで設けているということは、それなりに時間と資金を投資したに違いない。
つまり、天狗の組織は以前から外で活動することがあったという訳だ。

 何故だろうか? はっきりとは分からないが、そこに八雲紫が関わっているのであろう。

 八雲と天狗の確執は有名な話だ。
引き籠りのフランですら知っているくらいなのだから。

 幻想郷の管理を一手に引き受け、強大な権限を持つ八雲と、幻想郷最強集団を名乗り、かつ最大規模の組織である天狗のメンツの戦い。

 天狗たちは幻想郷をずっと見てきた。天狗たちは幻想郷のことは誰よりも知っている。

 彼らは観測者であり、監視者でもある。
その対象には、もちろん境界に棲む彼の妖怪も含まれるのだ。

 であるならば、今回のこの事件とも事故とも言えない何かの出来事に関して、
スキマ妖怪がこそこそ動いているのを察知して探りを入れてくるのも当然だろう。
それが例え外の世界での事情であっても変わらない。
八雲紫が外とどのような関係を持ち、どのように行動するのか、それを観るのも天狗の役割なのかもしれない。


「ねえ」


 不意に背後から声をかけられて、フランは思考の海から意識を引っ張り上げた。
パチュリーとともに立ち止まって振り返ってみると、何やらマミが物を聞きたそうな顔をして立っている。
さらにその背後にはこちらの様子を伺うまどかたち。
どうやらマミは見滝原ガールズの代表としてフランに声をかけたらしい。


「どうしたの?」

「美樹さんの、ことなんだけど」


 不安げに眉尻を下げるマミを見て、フランは彼女が、もとい彼女たちが何を言いたいのか察した。
三人はそのまま並んで歩き出す。


「ソウルジェムのことね」


 マミの言葉を先取りすると、眷属は頷いた。

 確かにそれは気になるだろう。

 さやかのソウルジェムは、魔女が孵化しかかった後遺症か、罅割れていて、さらに中に穴まで開いてしまっているのだ。
今にも壊れそうな見た目のジェムでは、マミたちが不安になるのも仕方がない。

 正直なことを言うと、フランにもどうなるのか分からない。
触っても壊れはしないだろうが、魔力を使うことで何か影響が出るかもしれない。
それは未だ眠ったままのさやかに感触を聞いて考えなければならないだろう。

 それを、そのままマミに伝えた。

「そう」と呟くマミの顔には、不安がさらに色濃く表れている。
だが、フランとて安易なことは言えない。
分からない以上、「分からない」と正直に言うしかないのだ。


「美樹さんが起きるまで待ってから考えるしかないのね」

「そうね」


「ところで」とマミは前置きする。
「さっき、あなたがやったことって、何だったの?」

「……」




 遂に来たか、と思った。

 隣でパチュリーが「言うしかないわよ」という顔をしている。

 それは分かっている。
分かっているし、ああして目の前で自分の能力を見せた以上、当然この質問は来るのが予想できていた。
それでも、その時を少しでも先延ばしにしたくて、敢えてパチュリーと仲良く話して見せて、
「話しかけるな」というオーラを出していたのだった。

 パチュリーもそれが分かっているし、だからもう諦めろという意味の視線を送りつけて来る。

 そもそも、この「ありとあらゆるものを破壊できる程度の能力」のせいでフランドールは紅魔館の地下に幽閉されることになり、
それが未だにフランの心の中に深い闇を抱え込ませているのだった。

 この能力を発動すると、フランの精神は一気に狂気の方向に振れることになる。
かつて自身のコントロールができなかったほど幼かった頃には、意図的にしろ、意図しないにしろ、
何らかの形で能力が発動しては、フランは狂い、そして暴れまわった。
その結果、フランドールは地下に閉じ込められてしまうのだ。
一方で、周囲にとって幸いだったのは、その能力の持ち主が幼いフランドールで、
物心のつく前に遠ざけてしまえばひとまず安全は確保できたのことだ。

 もちろんやったのはフランドールの両親だ。
だからフランドールは両親に対して親しみなんて全く持っていないし、そもそもその顔を初めて知ったのが、
まだ優しかったころの姉が持って来た肖像画の模写を見た時なのだ。


 当時は心優しかったレミリア。
危険も顧みずに毎日フランに会いに来てくれた。
あの能力を使えば、吸血鬼も簡単に殺せる。
自慢の再生能力も発揮されないし、「目」を握られて破壊されても生き残られるのは不死人くらいなものだろう。
けれど、レミリアはそんなことを考えてもいないかのようだった。

 生まれてこの方あったことのない両親の顔をせめて覚えておいた方がいいと考えた彼女が、
わざわざどこからともなく両親の絵を運んでフランに見せてくれたのだった。
尤も、フランからすれば赤の他人も同然だったのだが。




 やがて、フランが幽閉を解かれた時には両親はすでに死んでいて、だからと言って何の感慨も抱かなかった。
ああそうかと、遠いところに居る誰かさんが死んだような感覚だったのだ。

 その頃にはフランの情緒も落ち着き、能力のコントロールもほぼ完璧になっていた。
それは単に成長したからで、別にフラン自身は能力のコントロールを掌握するために何か努力をした訳でもない。

 フランドールにとって、この能力はわが身を不幸にするものでしかなかった。
これが役に立った時なんて、紅魔館の頭上に巨大な隕石が降って来た時くらい。
しかも、それでさえ姉の力で何とかできたはずなのだから、この能力がなければならない状況なんてものは、
この五〇〇余年間、一切なかったのだ。

 だからこそ、フランは自分の持つ能力の存在、眷属であるマミにすら言っていなかった。
いずれは言うつもりだが、見滝原に居る内は打ち明ける気はなかったから。

 彼女が魔法少女だった時、フランは能力の存在をおくびにも出さなかった。
だからマミは気付くはずもない。
何故そうしたのかと言えば、正直にそれを言ってしまうと、マミに恐れられ、遠ざけられると危惧したのだ。


 初めはせっかく見つけた食住の提供者をもう一度探すのが面倒だったから。
後には、「友達」を失いたくなかったから。

 フラン自身は全くそんなことは思ったことがないが、レミリアによれば両親はごく普通に娘を愛せる方々だったらしい。
しかし、そんな彼らですら我が子にあれほどの仕打ちをしてしまうくらいの理由になるのだ、この能力は。

 同じことがマミにも起こらないとは限らない。

 だから、ずっと秘密にしていた。
大丈夫だと安心できるその時まで、打ち明けないつもりだった。

 しかし、それももう限界だ。

 ああしてマミの目の前で自ら能力を披露してしまった以上、最早言い逃れも隠蔽もできない。
正直に告白するしか選択肢は残っていないのだった。




「あー。それは……」


 けれどなかなか覚悟が決まらない。

 嫌われたらどうしよう。避けられたらどうしよう。
実の両親から恐怖されたように、マミからも恐れられはしないだろうか?

 傷つくことが怖い。
何より、せっかく一緒になれたマミと距離ができてしまうのが恐ろしい。

 思えば、この能力について自分から親しい誰かに話したことなど一度もなかった。
パチュリーや咲夜、美鈴に小悪魔など、同じ紅魔館に住む同居人たちには、全て姉が言っていたのだ。
「妹には、何でも壊す力がある」と。

 唯一の例外は天狗だが、それは彼女が部外者で、特別親しくもない相手だからだ。
むしろこちらを小馬鹿にする様な天狗を恐れさせるために言ったのだ。
案の定というか、千年も生きてきた老獪な天狗に、その程度の脅しは効かなかったけれど。

 ただ、マミは違う。
マミは、フランがもう二度と離れたくないと思うような親友なのだ。

 だからこそ、幼い頃に味わった悪夢が再来するのが恐ろしいのだ。

 隣で促してくるパチュリーには、きっとその気持ちは分からないに違いない。
自分の能力に誇りを持てる魔法使いには、それを隠そうとするフランの心理は根本的に理解できない。




「あ、言いたくなかったら無理に、とは言わないけどね」


 それを察したのだろうか、マミが譲歩してくれる。そして、それに甘えたくなる。

 けれど――、


「無理にでも言わないといけないでしょう? どの道隠し通すなんて不可能よ」


 パチュリーは厳しい。厳しく、そして正しい。

 理解はしているのだ。
魔法使いの言う通りで、気持ちを抑えてカミングアウトしないといけないし、これから一緒に暮らしていく眷属に対して、
こんな重要なことを隠し続けるのは出来るはずがない。

 それでも、なかなか踏ん切りがつかない。

 理屈と感情の間で、フランは身動きが取れなくなってしまっていた。
どうすればいいのかはちゃんと理解しているのに、感情がそれを阻害する。
というより、言い出すためのほんの少しの勇気が足りないのだ。


「貴方が言わないなら、私が言うわよ」

「待ッ!!」


 遂に痺れを切らしたらしいパチュリーの宣告。
フランは嫌々をするように首を振った。

 他人に言われてはならない。
これは、フラン自身が直接マミに伝えなければならないことなのだ。
そうでないと、フランとマミの間にある信頼が、大きく揺らぐことになってしまう。
フランが言わず、パチュリーが言うということは、フランがマミを信じていないと受け取られても仕方のないことだから。

 魔法使いもそれを分かった上で発破をかけてきたのだ。お蔭で、ようやく決心がついた。


「分かった。ちゃんと言うわ。でも、後でね。後で、ゆっくりと話しましょう」


 結局先延ばしにしたふうに見えるかもしれないが、歩きながら話すと誤解を受けそうだったから。
落ち着いた場所で、落ち着いて話し合いたかったから。


「うん。ああ、でもね、言いたくなかったら無理はしなくても……」

「してないから!!」


 余計な気遣いを見せるマミに、フランは声を荒げて否定した。
否、その気遣いに甘えそうになる心を叱責するために声を荒げた。


「あ、うん」


 その剣幕にマミはしゅんとしてしまった。
怒られたと思ったのだろうか? 後で謝っておこう。




「よくできました」


 そう言いつつ、隣の魔法使いが頭を撫でてくる。


「フン!」


 その手を払いのけつつ、フランはそっぽを向く。
もちろん振りだ。実は心の底で楽しんでいた性悪魔女め、拗ねてやる。


 閑話休題。

 そんなこんなで、一行はようやっとほむらの家に戻ってきた。
最近見慣れた、宇宙人が潜伏してそうなボロアパート。
それを見て、パチュリーは「全員が部屋に入れるの?」と当然の疑問を口にしていた。
「咲夜と同じよ」と答えてあげると、納得したようだ。


「わあ」


 入った途端声を上げたのはまどかだ。
この部屋に初めて入る三人のうち、パチュリーと文の二人は紅魔館でよく似た光景を見慣れている。
まどかだけが驚いた。


「咲夜が、やってるの?」


 明らかに外から見るより遥かに容積の大きい部屋の中に立ち、最後に入ってきた咲夜に魔法使いは尋ねた。
従者は首を振り、ほむらに目をやる。


「彼女の能力です」


 その言葉を聞いてパチュリーと傍に居た文がほむらに同時に視線を集中させる。
初対面の二人に見られてほむらは少し不安げな色を瞳に浮かべた。
この子は案外人見知りをするのかもしれない。


「貴女が?」

「咲夜さんと同じ能力なんですかね?」

「……ええ」


 躊躇いがちに首肯するほむら。
対して、パチュリーと文の反応は対照的だった。

 魔女は何かに納得したように頷き、記者は目を輝かせた。


「あやや。ということは、あなたも時間を操作できる能力を? ええと……」

「暁美ほむらよ」

「ほむらさん! なるほど、あなたも魔法少女ですよね? そのお力は契約によって?」

「…………そうよ」

「それはどういった経緯で……ッ!」




 ほむらに対し不躾なことを聞き始めた天狗は、その直後どこからともなく現れたナイフに身を翻す。


「魔法少女に、その手の質問はタブーだと覚えておきなさいな。天狗」


 ほむらを庇った咲夜の代わりにフランが忠告する。
冷然とした言葉に敵意は込めなかったけれど、あるいは挑発だと受け止められたかもしれない。
それはそれで構わないとフランは思った。

 対する文はそれまで浮かべていた営業スマイルを引込め、無表情で見返した。
その目には何の色も浮かんでおらず、ともすれば気の抜けたような、何か抜け落ちたと言えるような顔だ。

 ほんの一瞬前までキラキラと輝いていた瞳も、今は安っぽいガラス玉のように見える。
その上、ぞっとするほど整った容姿を持つせいで、今の彼女はより一層不気味だった。


「タブーに踏み込んでこその記者よ。よく覚えておきなさい。吸血鬼」


 文の声にはいかなる感情も含まれておらず、まるで機械のように彼女は冷酷に告げたのだ。
だけれども、いや、だからこそそこには文の強い意思が伝わってきた。

 それこそが文のプライドであり、新聞にかける情熱の発露なのだろう。


「なるほどね。それがあなたの本性という訳……」


 天狗の迫力にほむらと傍聴していたまどかは圧倒されてしまったようだ。
けれど、幻想郷の住人たちはその程度のことでは動じない。
人間だろうが妖怪だろうが、どいつもこいつも肝が据わっていて図太い上に性根が捻くれているのだ。

 フランもパチュリーも咲夜も、もちろん文も、お互い平然としていた。
平然として敵意を滲ませていた。


「そっちの方がいいと思うわよ。天狗らしくて」

「記者ですから」


 文はにっこりと笑う。

 ならば、フランにはそれ以上言うことはない。
ほむらに向かって肩をすくめ、マミたちが先に入って行った奥のリビングに足を向ける。
それを合図に、文もパチュリーも咲夜も何事もなかったかのように後に続いた。
拡張された玄関の中でほむらとまどかは圧倒されたままだった。

 それを背後に、フランはリビングの、巨大なワルプルギスの見下ろす居間に立つ。




「これは!」


 やはり、パチュリーには見覚えがあったようだ。
驚きに目を見開きながらワルプルギスを見上げる親友に、フランは口元を緩める。


「知っていたわね。というか、あなたの方が詳しいんじゃない?」

「まあ、そうね」


 パチュリーはワルプルギスのホログラムに近づき、興味深そうにしげしげと見ていた。

 西洋に言い伝わる魔女の祭り。
4月の末日から5月の初日の間の夜を「ワルプルギスの夜」と呼ぶのだ。
現在は人間たちの迎春際のことを指すようになっているが、本来は魔女の宴のことを言った。


「おおおお!? 何ですか、これ?」

「ほむらちゃん、あれは何?」


 後から入ってきた文とまどかも驚きに声を上げる。

 当然だ。ほむらの家で最も目立つインテリアがこれなのだから。いい趣味してる。


「『ワルプルギスの夜』と呼ばれる魔女よ」

「……こんなのと一緒にしてほしくないわね」


 何故か真っ先に反応するパチュリー。
魔法少女が変化した魔女と自分を一緒にされるのが嫌だったのだろうか?


「名前だけだって」フランは苦笑しつつ突っ込むと、

「別の呼び名を付けてほしかったわね」


 と、ご機嫌は直らない。

 憮然とした顔のままワルプルギスに背を向けて戻って来る魔法使い。
どうやらもう興味はなくなったらしい。




 そうだろう。
ここにあるのはほむらが集めたワルプルギスに関する情報なのだが、それはフランが知っていることばかりだったのだ。
大して目新しい情報がないのでフランも初めてこのワルプルギスの立体映像を見たときには興味津々で観察したのだが、
すぐに飽きてしまったのだ。


「貴女も、知っていたのね」


 ほむらはさほど意外に思ってなさそうな顔だった。
その横で目を白黒させているまどかとは対照的だ。

 まあ彼女も、フランがワルプルギスを知っていたことには驚いていたのだが。


「こいつは有名だからね。さまざまな伝承に登場するわ。
ある日突然、巨大な逆さの人形が現れたという話。至る所に言い伝わっているから」

「私は、知らなかったですねえ」

「この国にはあまり来なかったんじゃないかしら。元はヨーロッパの妖怪だし」


 文の言葉にパチュリーが答える。

 確かにフランの知る限り、このワルプルギスが現れたという言い伝えのほとんどがヨーロッパに集中していた。


「いえ。何度も襲来しているわ。一般には、名前の付いた自然災害として認識されているけれど」


 ほむらは述べる。それは初耳だ。案外ワルプルギスは世界中に現われているのかもしれない、とフランは認識を改める。


「それは最近のことですか? なら、私たちには知りようがありませんね」


 フムフムと頷きつつ、文は手帳にペンを走らせる。
やはり、長生きな天狗であっても、大陸のこちら側に住んでいては西洋出身のこいつのことはほとんど知らないようだ。

「それで」と文はペンを止め、手帳から顔を上げてほむらと目を合わせる。
「ほむらさん、あなたはどうしてこの『ワルプルギスの夜』の情報を集めているのでしょう?」


「…………それを含めて、この後話し合うんじゃないかしら」


 ほむらが僅かに間を置いてそう答えると、文はフランに顔を向けた。


「そうね。語らいましょうよ」


 フランは言った。その一言で、長い長い話し合いが始まったのだ。






今日はここまで!


今回で第三章は終りです。
次回からは次の章に入ります。

入らなくていいよ下手糞

>>579
このスレで書きたいことはチラシの裏にでも書いてなさい。
文句言ってるのは『貴方一人』だけなのだから。

>>579
このスレで書きたいことはチラシの裏にでも書いてなさい。
文句言ってるのは『貴方一人』だけなのだから。

『お前なんざ誰も待ってないから自意識過剰も大概にしろ』って言ってた末尾О
で?誰も待って無かったかい?
子供は公開[田島「チ○コ破裂するっ!」]に必死ですねwwwwww



 何だろう、このちぐはぐさは。和なら和で統一しろよ、と思ってしまうパチュリーの感性は、決しておかしなものではないはずだ。
この部屋の設計をした誰かは、いったい何を考えていたのか? そのセンスの理解に苦しむ。

 キッチンとダイニングルームが一体化したような、というより小さなダイニングにキッチンも据え付けられているようなコンパクトなその部屋は、
狭い空間を有効に利用するための工夫の産物か。
キッチンは片付いていて、物が少ない。
たくさんの調味料や調理器具がある紅魔館の調理場と比べるとずいぶんと物寂しい気がした。
まあ、それなりの人数分の食事を作らないといけない咲夜の牙城は、それ故に物がたくさんあるのも仕方ないのだろうが。

 部屋の向こうの、ここからは見えない位置で歩く音がして、入り口に文が姿を見せた。
彼女の服装は無地のTシャツに短パンというラフな部屋着。
色気もくそもない……と思いきや、白く眩しい生足が艶めかしい。


「下着と服です。ブラはサイズフリーですよ」


 そう言って彼女は手に持った布きれをパチュリーの横に置く。見慣れぬ外の世界の服だ。
下着セットと、Tシャツにボトムスは、ジャージー生地のズボンか。

「ありがと」とボソッとパチュリーが呟くと、文は気を利かせてまた向こうの部屋に姿を消した。
ただ、その時に「お腹減ってますか?」と聞いてきたので、「いいわ」と返しておいた。

 しかし、どうしてか胃が空っぽなのが分かって、どうしてか食べ物が頭に浮かぶ。
下着を手に取りながら、あれこれテーブルに乗った豪勢な食事を思い出している。
何故? と疑問を抱いて、しかし服を着ている間もなかなかそれは氷解しなかった。




 服は、ボトムスはいいとして、Tシャツは若干サイズが小さいのか、少々窮屈だった。
とはいえ、動きを阻害されるほどでもないし、まあいいかと思う。
それより、未だ食べ物を思い浮かべ、それどころか口の中に涎が出てきたこの不可解な現象の方が気になってしまう。


 ぎゅぅうぅぅ。


 と、間抜けな音が部屋に響いた。


「アッハハ。なんだぁ、お腹減ってるんじゃないですか」


 部屋の向こうまで響いたのだろう、文の笑い声が飛んできた。
あの音を聞かれていたかと思うと、パチュリーの顔は羞恥で熱くなる。
これが、空腹というやつなんだろうか?


「わ、私はッ!」


「待っててくださいね。すぐ食べ物ご用意しますから」


 魔法使いの弁明も聞かず、天狗は何やら作業を始める。
歩き回る音がして、「ピッ」という小さな何かのスイッチでも押すような音も聞こえてきた。
パチュリーは言われた通りにその場に腰を下ろして静かに待つ。

 意識したらお腹が急にへっこんだみたいな感覚になった。
胃の中が空っぽで、だからその袋が急に萎んだような感じ。初めて味わうものだった。


「そう言えば、パチュリーさんは種族魔法使いだから物を食べる必要がないんですよね」


 ピチャピチャと水の音ともに、また文の声が飛んでくる。何の作業をしているのだろうか? 
料理でも作ってくれるのか?


「そうよ。腹の虫は元から居ないはずなんだけど……」


「腹が減ったら鳴くのは虫だけじゃないんですよ、きっと」


 微かに笑いを含んだ言葉とともに、近付いて来る足音がして、やがて部屋に文が入ってきた。
もう出来上がったのか、と目を見開いて、次に文が両手に持っている物にパチュリーは疑問符を浮かべる。





 それぞれ片手で持てるサイズの、やや平べったいどんぶりのような形をした何かの容器。
白の地に、片方は緑、片方は赤い色が塗ってある。
それぞれには蓋(といっても鍋蓋ではなく、紙(?)の蓋)が付いていて、文は親指で容器の淵ごと蓋を押さえ、
残り四本の指で容器の下を支えて持っていた。
蓋は中途半端に開いていて、淵との間に隙間が出来、そこから白い湯気が立っている。


「何よそれ」


「どん兵衛です」


「飲兵衛?」


「それは私たちのことです」


 パチュリーは口の端を歪めた。


「ジョークが分かるじゃない。天狗のくせして」


 文も口元をひきつらせた。


「魔女のくせして冗談を言うんですね」


 文は「どん兵衛」をちゃぶ台の上に置いた。
いや、ほんとに「どん兵衛」と蓋に書いてある。
中身はそれぞれ、緑の方がきつねうどん、赤い方が天ぷらそばらしい。
蓋の上半分にはでっかく「どん兵衛」とあり、下半分は揚げの乗ったうどんと天ぷらの乗ったそばの写真がそれぞれ印刷されている。
文は両手で蓋を押さえていた。
その手の下、蓋との間に挟まれるように割り箸も見える。


「どっち食べますか? うどんかそば」


「これ、食べ物なの?」


「食べ物ですよ。ちゃんと書いてあるじゃないですか。『きつねうどん』と『天ぷらそば』って」


 文はおかしそうに笑ったが、どうにもパチュリーには納得がいかない。

 確かにうどんやそばは食べたことがある。
以前、咲夜が作ってくれたのだ。
コンソメに、小麦を練った太い麺を入れ、揚げを乗せパセリをまぶした、曰く「本場」のものだった。
その時からあまり美味しいとは思わなかったのだが、これはどうなのだろう。
それを正直に文に言うと、彼女は盛大に噴き出した。


「あの人も、変なところでずれてますねえ。それ、『本場』のうどんじゃないですよ。多分、咲夜さんの創作料理です」




 必死で「どん兵衛」の器を倒さないように体の震えを押さえている天狗に、魔女は唇を尖らせつつ、不貞腐れたように返す。


「何よそれ。話が違うじゃない」


「里に蕎麦屋がありますよ。いっぺん行ってみてはどうですか? そばだけじゃなく『本物』のうどんもありますし」


「騙してたのね、あのメイド」


「案外本気だったのかもしれませんよ。そっち(西洋)では出汁と言えば、ブイヨンを指すんでしょう?」


「まあ、分からないでもないわね……」


 取り敢えず納得するパチュリー。
どこかずれているあの女中ならやりかねない。
彼女は一通り和食も作れるという話なのだが、それはひょっとして……。


 閑話継続。


 で、と魔女は続ける。「これは美味しいの?」

 文はにっこりとほほ笑んだ。「食べてみればお分かりになるかと」

 それは先程までの、可笑しくて笑っているような笑顔ではなく、単なる営業用のものだ。
そこに一抹の不安を抱いたパチュリーだった。


「じゃあ、早く食べましょう」


「待ってください。五分、待ってください」


「何でよ?」


「そういう物なんです、これ」


 首を傾げる魔女に、天狗は懇切丁寧に「どん兵衛」の解説をしてくれた。




 これは「即席カップ麺」と呼ばれる食品で、油で揚げて水分を飛ばした麺に、粉末状のスープの素や、
フリーズドライにした具材が一緒の容器に入れて販売されており、購入者が食べる時にお湯を入れてしばらく待てば、
あら不思議、麺が出来上がっているという訳だ。

 うどんやそばに限らず、ラーメン、焼きそば、春雨などなど、麺の種類も多く、
さらにそれぞれに味が異なるものも存在するためとにかく多種多様だそうだ。
一週間毎日食べ続けても、その種類の多さに故に飽きることはないらしい。
ただし、油分塩分が非常に多いので、健康にはあまり良くないそうな。

 とにかく速さと手軽さを追求した商品なので、味の程は知れていると天狗は言う。
空きっ腹で今すぐにでも何かを食べたいパチュリーにはまさにお誂え向きという訳だ。
ちなみに、うどんを選んだ。
緑色の方の「どん兵衛」に乗っている天ぷらのような脂っこいものはあまり受け付けないのだ。


「五分経ちました。食べましょう。さあ、食べましょう」


 文の掛け声とともに二人は蓋をはがす。
途端に白い湯気と熱気がもわっと吹き上がってきた。
同時に鼻を香ばしい匂いがくすぐり、胃袋がきゅうっと縮まる。

 中にあったのは、パッケージの写真とさして相違ないきつねうどん。
白い面の上にでっかい四角の揚げが乗っていて、申し訳程度の量の葱と、小さく薄い蒲鉾が添えられている。
スープはやや濃い黄色で、なるほどこれなら咲夜が間違ったとしても納得がいく。
確かにコンソメと色が似通っているのだ。
ただし、あまり美味しそうには見えない。


「いただきまーす」


 パキンと小気味良い音を立てて天狗は割り箸を割り、さっそくずるずると食べ始める。
ところがパチュリーは、


「あ、あれ?」


 割り箸に悪戦苦闘していた。

 割れないのだ。
二本の棒を一体化させた形で、真ん中には溝が走っているのだが、そこから棒を分離させようにもうまく離れない。
さっき文は綺麗に箸を割っていたのに、パチュリーはそのように出来なかった。




「何をしているんですか?」


「……フンッ」


 左右に思いっきり引っ張ってみるが、片方の手が滑ってぽろっと割り箸は机に落ちてしまう。


「……」


「……」


 二人黙って机に落ちた箸を見下ろした。


「……私が、やりましょうか?」


「……お願い」


 パキッ。

 文は見事に箸を割った。ああ、細い方を持つんだ、と合点するパチュリー。


「はい」


「ありがと」


 渡された箸を受け取ってさっそく食べ始めるのだが、うまいこと麺が掴めない。
何故かつるつると滑って落ちてしまう。


「く……、このっ。えい」


 だが、一向に麺が掴めない。ええい、お揚げが大きすぎて邪魔なのよ!

 そんなふうに悪戦苦闘するパチュリーを、諦観したような、達観したような、遠い目で見つめる文だった。


「あの……。フォーク、使いますか?」


「…………………………………………………………………………………………ええ、お願い」


 フォークを渡された。うん、すごく楽。




 ただ、何とも気まずい空気になってしまった。
気を使われたのが余計に恥ずかしい。
文の、あの生温かい目が忘れられない。

 なので、聞きたいことが山積みであっても、パチュリーは黙って食べた。
文も声を掛けるのが躊躇われたのか、黙って食べていた。




「ごちそうさまです」

「ごちそうさま」


 うどんスープは残った。
文も、そばスープを残している。
辛いのだ。飲んだら喉が渇きそうだったし、体にも良くないそうなので。


「さてと」


 残ったスープをキッチンに流してから戻ってきた文。
コップとペットボトルという容器に入ったお茶を差し出す。
外の世界の店では、この形で飲み物が売っているそうだ。
キャップを開ければすぐに飲めるという、いわば先程の即席めんの飲み物版とも言うべき物か。
人間は落ち着いてゆっくりとお茶を飲む時間すら惜しむようになってしまったらしい。
一日中暇そうにしているあの博麗の巫女は、相当な希少種なのだろうか?


「それで、いろいろと聞きたいことがあるのだけど」

「私もです。情報交換といきましょう」


 ようやく落ち着いて話をする体勢になった二人。
文は記者モードになって、手帳にペンを構えている。


「まずは、私から聞いてもいいかしら?」

「どうぞどうぞ」


 そう言うと、天狗はペンと手帳を置いた。

 それを見てから、パチュリーは最も大きな疑問を口にする。すなわち、


「私はどうして生きているの?」


 射命丸は神妙な顔で頷き、「お話ししましょう。あの時のことを」と言ってから話し始めた。





ここまで!


箸を使って麺を食べるくらいならできる外国人は結構いますよ



                      *


 それは本当に偶然だったそうだ。
空から情報収集していた文は、たまたま工場の敷地の隅で今まさに消えかけていたパチュリーを発見した。
文が降り立ったとき、パチュリーの体は霞のようになっていて、そのまま服を透過し、
空に昇って虚空に消えようとしていたのだという。

 手で触っても既にほとんど実体を失っていた魔法使いを掴むことは叶わず、致し方なく文は渾身の力を振り絞り、
強烈な風を吹かせて、霞となっていたパチュリーを「魔女」の結界の入り口まで吹き飛ばしたそうだ。

 これがパチュリーの命をぎりぎりで救った。

 文に風もろとも結界の中に叩き込まれたパチュリーの体は、すぐに実体を取り戻した。
文も後を追って入り、そこに居た「魔女」への取材も程々に、全裸のパチュリーにある秘術を施してから、
その体を担ぎ上げて再び外に出る。
そしてそのまま風に乗り、彼女が今拠点としているこのぼろい部屋に帰ってきたという訳だ。
それからパチュリーはほぼ四日間眠っていたそうだ。今日は五月の七日だという。


 不思議なことに、一つの質問の回答を得たと思ったら、いつの間にか聞きたいことが増えていた。




「秘術って何よ?」

「お答えできません」


 にべもなく断られる。まあ、秘密の術だから「秘術」か。


「ですが、それがどんな効果を発揮するかはお伝えしましょう」

「なんとなく予想がついているけど……。こっちで消えないためのもの、よねえ?」

「ご名答。こちらの、すなわち我々から見た外の世界で存在するための裏ワザみたいなものです。
その秘術というのは」


 なるほど、とパチュリーは納得する。


「私があの時消えかかっていたのは、こっちの世界で滞在するための『在留許可』がなかったからね」

「その例えを拝借させていただくと、私たちの秘術というのはそれを偽装するようなものです。
つまり、“正規”の手段ではないということ。
“正規”という表現がふさわしいかどうかはともかくとして」

「じゃあ、“正規”の手段とは何?」


 今のパチュリーは、文の言うように、“不正”な秘術でここに滞在できているのである。
しかし、それはあくまで“不正”であり、裏ワザであるからいつまでも効果を持つとは言えないのではないだろうか。
故に、パチュリーの心理としては、“正規”の手続きを踏んでこちらで滞在できるようにしたい。

 それには文も得心したように首を縦に振る。パチュリーの懸念は正解という訳だ。


「簡単なことです。私たちは妖怪なのですから、妖怪らしく振舞えばいいのです」
「……! なるほど、そういうことなのね」
 ああ、分かった。気付いてしまえば、本当に当たり前のことなのだ。パチュリーはそれにも気付かず、あんな目にあってしまった。全く、間が抜けているどころの話ではない。
「私は魔法使い。魔法を使う妖怪。だから、魔法を使えば良かったのよね?」
「その通りです。私は天狗ですから、人間から『風を操る山の神』と祀られる存在ですから、風を操ればいいのです。さらに言えば、妖怪として人間を恐怖させたり、畏敬の念を抱かせたりすれば尚良い。要は、妖怪としての存在意義を果たすことが、この場合の“正規”の手段と言えるのです」
「なら、簡単なスペルでも存在を保てた、という訳か」
「いつまでも効果がある訳じゃないので、定期的にやらないといけないのですがね。この秘術も、その“正規”の手段を取るための準備みたいなものなのです。こちらの世界では、スキマ妖怪や元からこちらに居た妖怪のような例外を除けば、どんな幻想もまともに力を発揮できません。私とて、せいぜい霞になりかけていた魔女を少しの距離吹き飛ばせる程度の風しか吹かせることができない。本来なら岩をも切り裂く強風を放てるのですが、秘術を使っても人の髪の毛を乱すのが関の山です。もちろん、あなたもそうでしょう。秘術というのは最低限の力を、すなわち魔法使いなら魔力、天狗なら妖力がそれぞれ必要ですから、それを真っ先に確保するための手段です」
 これで一つの疑問が氷解した。まだ聞きたいことは幾つかあるが、それより先に魔法を使ってしまおう。パチュリーは文に「今日は何曜日かしら?」と尋ねた。
「木曜日ですが、それが何か?」
 きょとんとする文の目の前で、パチュリーは素早く呪文を唱える。



「簡単なことです。私たちは妖怪なのですから、妖怪らしく振舞えばいいのです」

「……! なるほど、そういうことなのね」


 ああ、分かった。気付いてしまえば、本当に当たり前のことなのだ。
パチュリーはそれにも気付かず、あんな目にあってしまった。
全く、間が抜けているどころの話ではない。


「私は魔法使い。魔法を使う妖怪。だから、魔法を使えば良かったのよね?」

「その通りです。私は天狗ですから、人間から『風を操る山の神』と祀られる存在ですから、
風を操ればいいのです。
さらに言えば、妖怪として人間を恐怖させたり、畏敬の念を抱かせたりすれば尚良い。
要は、妖怪としての存在意義を果たすことが、この場合の“正規”の手段と言えるのです」

「なら、簡単なスペルでも存在を保てた、という訳か」

「いつまでも効果がある訳じゃないので、定期的にやらないといけないのですがね。
この秘術も、その“正規”の手段を取るための準備みたいなものなのです。
こちらの世界では、スキマ妖怪や元からこちらに居た妖怪のような例外を除けば、
どんな幻想もまともに力を発揮できません。
私とて、せいぜい霞になりかけていた魔女を少しの距離吹き飛ばせる程度の風しか吹かせることができない。
本来なら岩をも切り裂く強風を放てるのですが、秘術を使っても人の髪の毛を乱すのが関の山です。
もちろん、あなたもそうでしょう。
秘術というのは最低限の力を、すなわち魔法使いなら魔力、天狗なら妖力がそれぞれ必要ですから、
それを真っ先に確保するための手段です」


 これで一つの疑問が氷解した。
まだ聞きたいことは幾つかあるが、それより先に魔法を使ってしまおう。
パチュリーは文に「今日は何曜日かしら?」と尋ねた。


「木曜日ですが、それが何か?」


 きょとんとする文の目の前で、パチュリーは素早く呪文を唱える。




「木符”Sylphy horn”」


 木曜日のスペル。パチュリーの掌の上に、何か靄のようなものが現れた。


「何を?」


 天狗が首を傾げる。
パチュリーが何の為のしたのか、その意図は分かっても、何をしたのかは分からなかったのだろう。

 掌の上に現われた靄のようなものはすぐ消えてしまった。
実はこれは、魔法で小さな妖精を出そうとしたのだが、魔力不足でうまく形にならなかったのだ。
やはり、天狗の秘術やらを使っても、本来の力を取り戻すのは叶わないらしい。
そして、“正規”の手段を使った今でも、力は戻っていなかった。


「私の能力は、五行の木・火・土・金・水と陰陽の月・日を扱う程度の能力よ。
丁度一週間でしょ? だから曜日に合わせて魔法を使ったりしているのよ」

「なるほど」


 文は早速手元の手帳を開き、パチュリーの言葉を素早くメモする。
こういう小さな情報も逃さないのは、さすが記者といったところか。
同居人のレミリアでさえ、つい最近まで気が付かなかったこの密やかな趣味についても、
文は律儀に書き留めた。


「それで、他にお聞きしたいことはありますか?」


 メモをし終えた文は再び顔を上げる。
こうやって彼女の顔を真正面から見ることはあまりないのだが(多くはパチュリーが下を見ながら会話することが常だからだ)、
かなり整った容姿の持ち主であることが改めて分かる。

 あどけなさが残る顔立ちに、くりっとした大きな目。
触ればフニフニと柔らかそうな涙袋と二重の瞼。
すらりとした高い鼻は天狗らしさの表れだろうか。
丸みを帯びた顔の輪郭に、それに沿うように手入れされた烏のような黒い髪は、
博麗の巫女とはまた別の、大和の美の体現である。

 天狗は色を好む妖怪。
見た目からして清純そうなこの少女も、その実は色々と体験してきた猛者なのだろう。
この美貌はさぞかし男を誘うに違いない。
自分も男だったら、彼女の顔に惑わされていたかもしれないと思うと、パチュリーの背中に冷たいものが走った。




「あるわ」


 清楚系ビッチの観察も程々に、パチュリーは質問タイムの続きへと入る。


「ここはどこ? 貴女はどうしてこんなところに居るの? 何故見滝原で情報収集していたの?」


「順にお答えしましょう。まず、この場所ですが、東京です」


「東京? 見滝原じゃないの?」


「ええ。何せ、拠点であるこの部屋が東京にありますから。正確には東京都練馬区……」


「いえ、結構よ」


 余計なことを喋り出そうとした文をパチュリーは遮る。また長くなりそうだったからだ。

 それよりも、もっといっぱい聞きたいことがあるのだ。


「理由を聞いてもいいかしら? 何故、外の世界の、東京に拠点なんか設けているのかを」


 果たして答えてくれるだろうか? 文は微かに笑いつつ、「いいですよ」と快諾した。


「我々天狗と八雲紫さんの確執はご存知でしょう。
ならばお察しされるかもしれませんが、現状幻想郷の物流のほとんどを彼女が握っています。
もちろん結界の作用で、こちらで忘れられた物が流れ込んで来ることはありますが、
食料品やら衣類やら、そして特に塩は彼女の輸入に頼っている状態なのです。
紅魔館も『人間』の供給を受けているからお判りでしょう」


「ええ」


 異論もないのでパチュリーは素直に頷く。

 文の語ったことは全て事実。
実際、「境界を操る程度の能力」を持つ八雲紫が、幻想郷内に居住する人間や妖怪に必要な物資を“輸入”している。
それすなわち、八雲紫一人が幻想郷の住人たちの生活を、胃袋を、がっちり握っていうということなのだ。




 文の言う通り、パチュリーは察した。

 天狗が言いたいこと。
それは、そのように八雲紫一人だけが幻想郷の生活を掌握しているという状況はリスクが高い、ということ。
あるいは、もっと身も蓋もない言い方をすれば、それが気に食わないということか。


「もちろん、幻想郷の管理者である彼女を信用していない、という訳ではありません。
彼女は胡散臭く、何を考えているか分からないことが多々ありますが、
幻想郷に対して真摯で誠実であるということに関してだけは、絶大な信頼を置けるものと考えております」


 しかしです。と天狗は語気を強めた。


「現状、紫さんは幻想郷の事実上の最高権力者です。
生活を握られている以上、どんなに彼女と対立しても、最終的にはその意に添わなければならないような妥協をせざるを得ません。
もちろん、彼女が我々妖怪の矜持を踏みにじるようなことはしないとは分かっていますが、
問題はそこではありません」


「『八雲紫が常に正しいとは限らない』で、合っているかしら?」


 文の言いたいことを先読みしたパチュリーは、話を手早く進めるために、その言葉を先に口にした。

 文は「その通りです」と頷く。


「彼女には隔絶した力がありますが、竜神様のように“存在そのもの”が隔絶している訳ではない。
あくまで、『八雲紫』という名前の妖怪は、ちょっと変わっているだけの、ただの妖怪でしかないのです。
そうである以上、必ずミスはします。
人間のように権力に溺れるようなことはないと思いますが、常に正しいという保障はできません。
その時に、彼女を止める存在が必要だ。
それがすなわち、我々天狗なのです」


「なるほどね。
でも、あれはあれで、妖怪の賢者と呼ばれているのよ。
そんなに間違いを恐れることもないじゃない」




 文の言い分は理解した上で、敢えてそれらしい反論をしてみる。
答えもなんとなく予想できてるのだが、一応の確認のためだ。


「賢者が常に正しいとは限らない。愚者が常に間違いとは限らない。
賢さと愚かさ、正しさと間違い。
それぞれは別個のものであり、相関はしますが直接因果する訳ではないのです」


 案の定の答えだった。
それはパチュリー自身も分かっていることであり、当然紫も承知しているだろう。
ただそこで、紫を止める装置として名乗りを上げるところが、天狗が天狗たる所以であり、
見て見ぬふりをするのが、魔女が魔女である所以なのだと思う。


「そう。だから貴女たちは八雲紫とは違う、全く別の流通チャネルを開拓した。
そのための拠点が、ここなのね」


「ご名答」


 文は満足そうに顎を上下させた。話の理解が早くて助かる、といったところか。


 それにしても、天狗も相当手間のかかることをするものだ。
しばしば天狗と八雲が衝突するのは、彼らの論理を借りて言えば、「八雲の間違いを正すため活動」
ということになるのだろう。ご苦労なことである。

 これは幻想郷全体に関わる大きな話だ。
先程までに文が語ったことを仔細広めれば、幻想郷で大いに議論を醸すだろう。
しかし、パチュリーにとってはどうでもいいことだった。
今気になるのは、天狗の「秘術」とやら。
知識を探求するモノとしては、ぜひ知りたい。

 逆に、そう言った知識の探求に関わらないことなら、極端に興味や関心が薄れてしまうのが、
魔法使いという妖怪の特徴だった。




「そういうことなのね。ついでに、外の世界の情報も仕入れようと……」


「微に入り細を穿ち、情報収集を怠るべきではない、というのが我々の哲学です。
尤も、あなたとは知識の求め方は違うかもしれませんが」


「物事が『どうなるのか』を調べるのではなく、物事が『どうしてそうなるのか』を追い求めるのが私たち魔法使いの本分なのよ」


 それにしても、と思う。

 当の紫はこんな重大な事実を把握していないはずがないだろう。
物流などというのは彼女の力のほんの一端で、やはりその本質的な部分は結界を管理できるところにある。
つまり、紫はいつでも止めようと思えば、天狗たちを止められるのだ。

けれど彼女はそれをしようとしない。
その上で認めているのだ。天狗たちの言い分の正当性を。


 そして、パチュリーはこの話を聞いて、再度強く確認する。

 パチュリーたちが紫から部分的とはいえ、結界に関する情報を受け取ったこと。
それは決して天狗の前では口にしてはならない。

 元より口止めはされていたし、天狗に言えばどうなっているのかも分かっているのだが、
「八雲紫を監視する」という天狗たちの言い分を聞いたら、口が裂けても言う訳にはいかない。

 紫の立場などパチュリーにとってはどうでもいいことだが、紅魔館と山が対立をするのは好ましくないと思う。
不穏なことは口走らない。口は災いの元。


「でも」とパチュリーは巧みに話題を逸らす。逸らそうと試みる。

 目の前の天狗がこれだけ重要な事実をべらべらとしゃべるのは、やはりパチュリーから何かを聞き出したいと考えているからだろう。
恐らくだが、勘のいい文なら、紫がパチュリーたちに何かを売った、ということぐらい気付いているのかもしれない。
監視者として、紫の一挙手一動を把握しておきたいということだろうか。




 だから、時間稼ぎもかねてパチュリーは話題を逸らしたのだ。


「手間のかかることをするのね。こんな部屋を用意するなんて」

「そうでもありませんよ」


 文は感情を悟らせない笑みを浮かべた。


「この部屋自体は、ただの賃貸部屋です。人間の大家にお金を支払って借りたものですよ」

「勘付かれたりしないの?」

「でしょうね。けれど、その辺りの分別は弁えている人間であるようなので、詮索されたりはありませんよ」

「そう」


 まあ、どうでもいい話だ。もっと他にも聞きたいことがある。


「じゃあ、最後の質問に答えていただけるかしら?」

「ええ」


 先程パチュリーが畳みかけた三つの質問。
その最後は「何故見滝原で情報収集していたのか」というもの。


 文が見滝原で何かをしていたからこそ、彼女はパチュリーを見つけられたのだ。
恐らくフランも飛んだと思われるあの街で、文はいったい何を探ろうとしていたのか?

 答えてくれるか半信半疑だったパチュリーだが、文は快諾したようだった。


「実を言いますとね、あなたを探していたんですよ。パチュリーさん」


「私?」


 少し驚いてパチュリーは自分を指さす。少々意外な答えだった。
てっきり八雲やフランのことを探していたのかと思えば……。


「そうです。私たちはあなたが外に飛んだ瞬間を観ていましたからね。
魔力の軌跡を辿り、外の世界の――見滝原という街に飛んだことを突き止めました。
しかし、そこからが分からなかった。
あなたが見滝原という街の、一体どこに行ってしまわれたのかということです」


「なるほどねえ」


 納得いったというようにパチュリーは頷く。





 どうやら、あの瞬間はきちんと天狗たちに観測されていたらしい。
ということは、天狗たちは前々から紅魔館を見張っていたのだろう。
恐らく、きっかけとなったのがあの『事故』だろうか。


「もちろん、紫さんたちとのある種の競争になっていました。
私としては当然、彼女たちよりあなたを早く見つけ出したかった」


「取り調べを行うために、ね?」


 皮肉を込めて言うと、文は取り繕うように笑い声をあげて弁明する。


「いやだな~。人聞きの悪いことを仰らないで下さいよ」


 否定をしないあたり、真実という訳か。


「で、なんで私を探していたのよ?」


 今更天狗の舌の数を数えても仕方がない。
どこまで語ってくれるのか、あまり期待せずにパチュリーは続けた。


「こうしてお話を伺うためですよ」


「どうして?」


「もちろん、今回何が起こっているのか、探るためです。観察者として」


「観察してどうするの? 
言っておくけど、貴女たちと八雲の権力抗争のために情報を売ったりはしないわよ」


「あくまで、観察するだけです。
我々の望むのは、安泰。
八雲の隠密行動がそれを掻き乱さない限り、我々は不干渉を貫きます。
しかし、現時点ではそれがどういったものかも分からず、我々は干渉するのか不干渉を維持するのか、
その判断すらしていません」


「分かったわ」


 取り敢えずこの話をはこれで終わりだ。ただし、もう一つ聞きたいことがある。

 文もそれを分かっていて、三つの質問に答えた後でも自分の質問を始めようとはしない。

 そう。パチュリーが聞きたいのは――――、




「もう一つ聞くわ。“アレ”は何?」




 見滝原に行った時感じ取った僅かな魔力の臭い。
結界の中に潜んでいた何か。射命丸文は、天狗の記者は、それを――魔女――と表した。

 だがそれは、パチュリー・ノーレッジからは程遠い存在に違いない。
あんなモノが、自分と同じなど、崇高な魔法使いには到底許せないことだ。





「…………あなたのような女性魔法使いを指す訳ではありません。
あれは、『魔女』と呼ばれる、ただそれだけの幻想――ただそれだけの怪異――なのです」


 そう切り出してから文は説明を始めた。


 奇跡を願った人間の少女たち。
そして奇跡の代償。
結晶化した魂と魔女へ孵化する運命。
遥か以前より地球上を闊歩する魔法の使者とその目的。

 いっそ滑稽と言えるほど哀れで愚かな少女たちの末路とそれを食い物にする不快な存在。

 どこかで聞いたような話だった。結晶化した魂の話も、突如として現れる不可解な魔物の話も。
あくまで本の中の知識でしかなかったのだが、実物に触れて、パチュリーは「あれがそうだったのか」と心の中でひとりごつ。


「本当に愚かなのね。人間って」


 そんな単純なことにも気が付かない。
あまりにも馬鹿馬鹿しくて、パチュリーは契約した少女たちに憐憫やら同情やらといった感情を、
一欠けらも抱かなかった。

 奇跡を願えば、何でも一つだけ自分の望みを叶えれば、高い代償を支払うことは容易に想像がつくはずだ。
あるいは、言葉に踊らされてそこまで思考が回らないほど愚鈍なのかもしれない。


「仕方ありません。人間とはそういう生き物です。限りなく貪欲で愚か。
けれど、その貪欲さと愚かさのおかげで私たちは生まれて来れたんですよ」

「因果なものね。で、その情報はどこから?」

「とある、信頼できる情報筋からとしか……」

「あっそう」


 しかし、むくむくと好奇心が湧いてくる。

 魂の結晶化や、奇跡を実現するプロセスなど、大いに興味を刺激してくれるではないか。
一体どういった技術でそれを可能にするのか、ぜひとも詳しく知りたいところだ。


「分かりやすい反応をされていますね」


 そんな内心が表に出ていたのかもしれない。苦笑しつつ文は言う。


「だって、仕方ないじゃない。そんな未知なる方法があるなんて知ったら」

「まあ、分かりますけど」


 好奇心旺盛な記者も同じ。文だって魔法少女のことに関しては大いに興味を抱いてそうだった。


 外にこれだけの幻想が存在する。それも大昔から。 

 それは、パチュリーに小さくない驚きをもって迎えられた。
何しろ、この世界で人間たちは幻想を否定し続け、幻想のほとんどが消えるか、幻想郷に逃げ込むか、
あるいはまだ細々と頑張り続けているかの三つの運命を辿った。

 その理由も知りたい。

 どうして魔法少女は「忘れられない」のだろうか? 
どうしてまだ外の世界で存在し続けられるのだろうか?





「ご質問は、以上でよろしいでしょうか?」


 パチュリーが思考に没しかけたのを見計らって文が声を掛ける。
いつの間にやらペンとメモ帳も用意していた。


「ええ」と、我に返ったパチュリーは頷き、さてどう切り抜けようか、と思案し始めた。

「では、私からも質問させていただきましょう」


「……何かしらね」


「まずは簡単に。パチュリーさん、あなたはどうして見滝原に飛んだのですか?」


 正直に答えるべきか。あるいは、魔法実験の失敗で、どこまで押し通せるだろうか?

 そんな計算をしながら、パチュリーは口を開く。


「フランドールを、追ったの」

「フランドールさんを? 彼女も外に?」

「ええ。もう知っているでしょうけどね」

「なるほど」


 カリカリとメモ帳に何か書き記す文の様子に対して驚きはない。
やはり、それは分かっていたのだろう。
つまり、パチュリーがどうして外へ飛んだのか、わざわざ質問するまでもなく分かっていた。
これは、確認のためのもの。

 ――あるいは、前菜とも言う。


「三週間前のあの出来事は、あれはフランドールさんが外へ飛んだ時にもの、ですね?」


 一旦ペンを止めた文は再度確認するように問いかけてくる。

 ちゃぶ台を挟んで座っている二人。
パチュリーはそれまで足を揃えていたが痺れてきたので姿勢を変え、足の向きを反対にする。


「そうよ」


 もう、三週間前にもなるのか。随分と時間が経ってしまったものだ


「その時は、何を?」


 そして、ついに核心を突く質問が来た。

 文の顔は真剣そのもの。その瞳から心の中は伺えず、まるで印刷物に映っている人物のようだ。


「実験よ。魔法の」


「何の魔法で?」




 さて、なんと答えようか。

 はぐらかすのは簡単だ。
けれど、文はそれでは満足せず、もっと突っ込んでくるだろう。
適当な嘘を吐いても構わないのだが、別の誰かに同じように質問をした時、その誰かの答えと矛盾すると後々ややこしいことになる。


 さて、どうしようか……。


「パチュリーさん?」


 パチュリーが答えないのを見て、文は首を傾げる。
一見「どうかしたのか」と問いかけるような仕草だが、その目はパチュリーの抱える裏の事情に確信を持っていて、
そこには冷徹に尋問するかのような色が浮かんでいる。
徐々に追い詰められるような、堀を埋められていくような錯覚を、パチュリーは覚えた。


「転送魔法よ」


 内心の動揺を悟られないように、魔女はいつもの無愛想なポーカーフェイスを堅持する。

 そのおかげか、文の表情には変化がなかった。
不審に思う様子も、逆に納得した様子も見えない。


「転送魔法、ですか……」


 言外に込められている、目的を問う意。
無視を許さない無言の圧力に、魔女は辟易とした溜息を吐きたくなった。


「レミィから頼まれたの。一方的に、ね」


 そこで初めて文が形の良い眉を寄せた。
不審に思ったというより、単に困惑したようにも見える。
恐らく、ここでレミリアの名前が登場するのを予想していなかったのだろう。
求めていたのは、八雲紫か。

 だから、文の顔には「何故レミリアが?」と露骨に書いてあった。


「理由なんて知らないわ。いつもの気まぐれよ。新しい転送魔法に興味でも湧いたんじゃない?」

「……そう、ですか」


 文は追撃を諦めたようだ。
意外と引きが早い。問い詰めても、ああ言われては無駄だと悟ってくれたのだろうか。




 パチュリーが親友の名前を利用した理由は二つ。

 一つは「気まぐれ」という言い訳を説得力を持って使えること。
事実、そのせいで文は追撃を諦めざるを得なくなった。
レミリアの性格は、彼女もよく知っているからこそ使えたのだ。

 そしてもう一つ。それは限りなく真実に近いこと。

 実際には八雲紫が「結果的に転送魔法に近くなった結界修復用魔法」の作製を依頼したのだが、
フランドールとともに予想したように、確実にレミリアも一枚噛んでいる。
とすれば、やや苦しいが、レミリアが依頼したといってもなんとか通じる。

 そして何より、仮に文が同じ質問をレミリアにした時に、おそらく彼女ならこう答えるはずだと考えたのだ。

 レミリアとて、レミリアこそ、あの魔法実験の意味はよく理解しているだろう。
紫が関わっていることを下手に天狗にばらせば大事になるのも承知の上。
ならば、紅魔館の中で完結した言い訳を立てるに違いない。
そして、そうした言い訳の中で最も“それらしい”のが、「レミリアの気まぐれ」なのだ。


 ここは、親友を信じるしかない。信じてくれなかった親友を…………。


「では、もう一点お聞きしましょう」


 天狗はさっさと次に移る。この切り替えの早さは見事なものだ。


「何故、二週間も経ってから見滝原へ?」


 この質問は正直に答えても構わないだろう。
ただ問題があるとすれば、かなり恥ずかしいことか。


「簡単よ。あの事故から、二週間眠っていたから」

「二週間も?」

「二週間も」


 そうですか、と頷いた文は納得していないようだ。しかし、事実なのだから仕方がない。

 尤も、パチュリーとて二週間もずっと眠っていたことに、違和感を覚えないこともないのだが。




「私は最近咲夜さんを見かけていません。里への買い出しは美鈴さんが行っています。
彼女はどうしたのか、と考えた時に、フランドールさんを迎えに行かれたのは間違いなく人間である咲夜さんでしょう。
彼女とはお会いしなかったのですか?」

「……見かけていないわね。館内でも、外でも」

「ん? 咲夜さんが見滝原に居ることはご存じなかったのですか?」

「……そうよ」

「誰かに聞いたりとかは……」

「その前に、早とちりして勝手に外に飛んだのよ」


 投げやりになって声を上げるパチュリー。

 悟ってくれたら良かったものを、わざわざ自分から言う羽目になってしまった。
これでは恥ずかしさが倍増だ。


「ああ、なるほど」


 文もさすがに気の毒に思ったのか、苦笑しつつ、それでもしっかりとメモを取っていた。
ああ、自分の恥が文字にされて残ってしまう。


「二週間後というのは、外に来るまでお気づきにならなかった?」

「ええ。月を見て分かったのよ」

「驚かれたでしょう」

「驚いたどころの話じゃなかったわ……」

「ご愁傷様です」


 からかわれなかったのは運が良かったのか、文の配慮か。
とにもかくにも、この話はもうこれで終わりにしたい。


「ということは、咲夜さんの行方は分からずじまいですか」

「そんなふうに言うとあの子が行方不明に聞こえるけど、私の方がそうなのよね。
多分、貴女の言う通り、咲夜はフランを探しに行ったのでしょうね」


 ふむと文は手を顎に当て、何事かしばし考え込む。

 同時にパチュリーも思考し始めた。恐らく考えていることは文と一緒。

 それは、


「フランドールさんが見つかったならお帰りになられているはず。少なくとも二週間前は」


「ええ。現時点では私も探さないといけないから、仮にフランを見つけていたとしても、
咲夜はまだ見滝原に滞在している可能性は高いけど、それ以前の話として、フランが見つかったのかどうか……」


 広い街でちびっ子一人を見つけるのは大変に困難なことなのだろう。
パチュリーの時も、紫がすぐに来なかったことからも、「境界を操る程度の能力」をもってしてもそれは難しい。

 そして、すぐに見つけられなかったということは、




「ねえ、さっきの“在留許可”を取らずに私たち妖怪がこの世界で存在できるリミットって、
どれくらいなの?」


 考えないようにしていた最悪の可能性が頭をよぎる。
もしそうなら、フランドールはもう……。


「種族に因りますが、概ね数日以内です。どんな妖怪でも、十日は無理でしょう」


 深刻な現実に、パチュリーは頭を抱えて溜息を吐いた。

 ひょっとしたらフランドールは、誰にも気づかれることなく、虚空へと消えてしまったのかもしれない。
パチュリーのように僥倖に恵まれることもなく、独り寂しく。


 それは……それは、あまりにも酷い。

 泣き叫んだだろうか。絶望しただろうか。

 彼女は悲劇を噛みしめながら、たった一人で消えて行ってしまったのだろうか。

 彼女がどのような最期を遂げても、ただそれだけでパチュリーは涙を流しそうになった。
何とかこらえてみるが、それでも……。


 もう、二度と会えない。




「パチュリーさん」


 不意に、文が名前を呼ぶ。

 パチュリーは慌てて目元をぬぐって顔を上げた。

 魔女は、息を飲む。


「フランドールさんは、生きています」


 力強い言葉。目に宿る真剣な光。


「絶対に、生きていますよ」


 どうして? そう問い返す声は掠れて、自分の耳にもほとんど聞こえなかった。

 何故だか、文はひどく強い調子でそういうのだ。確証もないことを、まるでそう思い込むかのように。
だからパチュリーは何も言うことができなくなってしまった。


「信じたくありませんから」


 きっぱりと告げる。

 その顔には悲しみなんて欠片もない。その瞳は希望を見つめ、口元にはたおやかな笑みが浮かんでいる。


「幻想郷を愛しているのは、何も紫さんだけではありません」


 どんな暗い中にも、必ずその光は射している。
ただそれを幻覚と決めつけるか、あるいはその光の射す方向を愚直に目指すか。そのどちらかなのだ。

 そして文は後者だった。
狡猾な天狗のくせして、まるで小娘のようにそんな夢物語を“信じて”いるのだ。
「演技だ」なんて疑う余地もないほど真っ直ぐに。


「我々もまた、幻想郷を愛し、幻想郷の住人たちを愛します。
だから、あなたを見つけられた時、本当に心の底から安心しました。
そして、あなたを助けられた時、心底嬉しく思いました。
『借り』だなんて思わなくていいですよ。既に対価は受け取っていますから」


 朗らかに笑う彼女の笑みは、本当に心からのもので、パチュリーの胸の内を支配していた、
どんよりとした暗いものが、まるで風によって吹き散らされていく雨雲のように、その後には晴れやかな青空が広がり、陽光が満ちてくる。

 射命丸文は目の前の絶望に囚われない。希望を信じる。
嘘と欺瞞にまみれた天狗だけれど、彼女は今、真実の言葉を話しているのだ。
何重もの隠匿のためのカーテンをかき分けて、文という天狗の『シン』が覗いていた。


「何より、幻想を忘れ去ろうとする世界に抹殺されるなんて糞喰らえな末路、絶対に認めませんよ」


 茶化して言う文に、パチュリーもようやく口元を緩めた。


「そうね」


 そうだ。悲観してもどうにもならない。
それがどうしても必要なことは、フランが飛んだ後に気が付いたではないか。
私たちは、希望がなければ生きてはいけないのだ。

 根拠があるないなんて関係ない。そういう、感情なのだから。


「その通りよね。また、フランと会える……いえ、会ってみせる!!」



ここまで!


ビザと滞在許可ってまったく別物なんですね

海外に行ったことのない1はググって初めて知りました



 
                    *




「フランドールさん、ちょっといいですか?」


 ほむらの家に戻り、さやかを寝室に寝かせて取り敢えず落ち着いた後、漫談している少女たちの中で、
文はこっそりとフランに声を掛けてきた。

 その瞬間に、先程約束した取材のことだと悟ったフランは、頷き、適当に言い訳を付けて輪の中から出る。
離れたところから見ていたパチュリーが「私も行こうかしら?」と目線だけで尋ねてきたが、
「大丈夫」とフランもアイコンタクトを図る。

 文が声を掛けてきたことに眉を顰めた人物はもう一人いて、それは咲夜なのだが、やはりフランは咲夜にも
アイコンタクトを送る。

 これで結局文とはサシで話すことになってしまったが、下手は打たない。


「ここで、いいでしょうか」


 二人が移動したのはフランとマミが使っている客間。
ほむらの間借りしているアパートの一室は、単に空間が拡げられているだけでなく、間取りも変更されているらしい。
それには空間の再構成を行わないといけないのだが、思ったよりほむらの能力の幅は広いようだった。

 閉じられたドアの向こうから、マミの楽しそうな笑い声が聞こえてくるのを背景に、フランドールは文と向かい合う。
文もペンと手帳を取り出し、臨戦体勢だ。





「で? 何が聞きたいの?」


 大凡予想はついているし、答えも用意しているのだが、さてどう切り込んで来るだろうか。
相手は老獪な天狗。油断は大敵だ。


「そうですね。まず、一体何が起こってあなたはこちらに来てしまったのでしょうか?」

「パチュリーから聞いてないの? 実験の失敗よ」


 さっそく飛んで来た質問は、納得のもの。フランは適当な調子で返す。


「ええ。何でも、結界に関わる実験だとか……」


 神妙な顔をしてペンを持った手を顎先に当てる文。
そんな何気ない仕草に、フランは軽い感じで付け加えた。


「そうよ。あれは……」


 と、そこでフランは不意に言葉を切る。

 直感的に、口を閉じたのだ。そして思考がそれに追いつき、フランはほっと胸を撫で下ろした。


 あ、あぶな~!!


 危うく乗せられるところだった。
文は何気ない風を装って、巧みに誘導尋問を仕掛けてきたのだ。
彼女がどこまで真実を把握しているかは分からないが、こうしてひっかけようとしてきた以上、
そこまで多くは知らないのかもしれない。

 恐らく、手元にある情報から当たりを付けたのだろう。
「結界に関わる実験」という表現も、実際に結界を修復する魔法実験をやっていたフランからすれば、
それに限りなく近い言い方と言えるが、その実ありきたりな、どうとでもとれるものだ。
何しろ、結界に関する魔法は多いのだから。

 そんな方法を、初っ端からやって来るあたり、さすが天狗という訳か。
パチュリーに「下手は打たない」と大見得を切ってこの様とは、何とも情けない。
直前で気が付いたのが幸いだった。



「あれは?」


 とぼけた表情で首を傾げる天狗。
罠が失敗したというのにその瞳に動揺の色はなく、至って平然としている。

 フランもまるで何事もなかったかのようにすっとぼけてみた。


「……何だったかしら?」

「ガクッ」


 大袈裟な仕草とともにずっこける文。とほほ、と困ったような顔をして見せた。


「ごめんなさいね。最近いろいろあり過ぎてよく覚えていないわ。
眷属まで作ったんだし、紅魔館に居たのが遠い昔のように思えるわ」

「それでも結構な規模の実験だったんじゃないですか? そんな簡単に忘れますか?」

「吸血鬼にとって、眷属を造るのってすごい大事なのよ? 子供作るより大変なのよ? 
漢字の違い分かる?」

「活字にしないとですが……まあ、何となく分かります」

「それに、完全に忘れた訳じゃないわ。時間をかければ思い出すかも。後で聞いてくれる?」

「分かりました。それじゃあ思い出したら教えてください」

「うん、じゃあ次の質問は?」

「ええ。では……」

「あ!」

「? どうかしました?」


 次の質問に移ろうとした文の声を遮り、フランは唐突に声を上げる。

 いいことを思いついたのだ。
先程口車に乗せられかけたことの反省で、パチュリーと矛盾したことを言わないために、

「後でパチュリー入れて話さない? そっちの方が効率良いと思うけど」

 その言葉の意味は当然分かったはずだ。文の表情が矢庭に固まる。

 それは自分にとって不利だという計算をしたか。
しかし、断る理由もない。というか、断らせない。
何が何でもこの提案をゴリ押しする。

 そう言うフランの意図を敏感に察したのだろう。結局、文はフランの提案に頷くしかなかった。


「……そうですね。そうしましょう」


 取り敢えずのところ、ピンチを切り抜けたフランは満面の笑みを浮かべてやる。
文もそれに応ずるように笑みを浮かべたが、やはりそれは若干引き攣っていた。



 サシではこちらが不利だが、二対一なら逆に文の方が不利だ。
せっかく上手くやってフランをパチュリーから引き離したのに、するりと切り抜けられてしまって、
さぞかし天狗は悔しい思いをしているだろう。
それをはっきりと顔に出さないだけ、彼女もポーカーフェイスが得意なのだが、今のフランにはそんな文の内心が手に取るように分かった。

 二人は部屋を出る。フランは機嫌良く、そして安心して。文は若干機嫌が悪そうにしていた。


「あ! 戻って来たわ」


 皆が居る部屋に戻ると、真っ先にマミが声を上げた。
すぐに戻って来た二人に、若干驚いているようだ。
見ると、つい先程までは離れたところに居たパチュリーも、いつの間にやら少女たちの輪の中に混じっていて、
彼女も不思議そうな表情を浮かべていた。
社交性皆無のくせにちゃっかりしている。


「何よ?」


 フランと文はスペースを作ってもらって、その間に腰を下ろす。

 ほむらの家の居間の中心にあるドーナッツ型の椅子は全員が座れるくらいの大きさがある。
その椅子が囲むテーブルの上にはすでに開封されたスナック菓子やらチョコレート菓子やらが広げられていた。


「その、いろいろお話しないといけないことも、あるじゃない……と思って」

「そうね」


 フランは隣に腰かけている天狗の記者に目線をやる。


「まずは、自己紹介からかしらね?」

「私、ですか」


 少しだけ文は眉を顰めて問い返す。フランはそれに頷き、
「どこから来た何者か、ちゃんと言わないと」と押す。


「分かりました」


 天狗は立ち上がる。


「それでは改めて自己紹介致しましょう。私は妖怪の山に所属している射命丸文です。
『清く正しい射命丸』と憶えてください。
種族は天狗。趣味は新聞作り。
私の発行している『文々。新聞』を試し読みしたいという方は、是非是非仰ってください。
あいにく本日はサンプルを持ち合わせておりませんが、直ぐにお持ちいたしましょう!!」


 そうして、広い部屋の中にも十分響き渡るような、朗々とした声で長い上に胡散臭い口上を述べた。
八雲も八雲だが、こいつも大概な奴だ。
清くも正しくもないけどね、とフランは心の中だけで突っ込んでおく。

 見滝原の少女たちは、そんな文の態度のやはりというか、少々気圧されているようだった。
まあ、こんな奴は彼女たちの知り合いに居そうもないから仕方ない。


「紅魔館の方々とは、日頃より我が『文々。新聞』を購読していただいたり、取材にご協力いただけるなど、
懇意にさせてもらっております。
もちろん、こちらのフランドールさん、パチュリーさん、咲夜さん、お三方共に親しくさせていただいています。
ですので、どうか見滝原の皆さんも気張らずに、私にどんどんお声を掛けてくださいね」


 意外にも、普段の姿とは対照的に文は下手に出た。
いつもは喧嘩を売って歩いているくせに、ただの人間を含む見滝原の少女たちにはこの態度。
ひょっとしたら、外の人間相手に挑発するような行為をすれば、取材がしづらくなると計算したのかもしれない。
それは幻想郷の住人相手でも同じなんだけどな。

 文は言い切ると、そのままストンと椅子に座る。
誰が始めたのか、パチパチと控えめな拍手が鳴った。



 マミたちはまだよく分かっていない顔をしていたが、分からないなりに文を受け入れたようだった。
そんな意味の拍手はすぐに鳴り止み、続いて全員の目がパチュリーに集中する。


 根暗な本の虫は、十目を集めても怯むことも緊張することもなく、すっと立ち上がると、

「名前はパチュリー・ノーレッジ。種族は魔法使い。フランドールや咲夜と同じ紅魔館に住んでいるわ」

 それだけ言ってすぐに座った。


 沈黙に支配される場。あまりにもあっさりしすぎていて、皆どんな反応をしていいのか分からないようだった。


 それじゃあ、ただの屈伸運動じゃん……。


 呆れて溜息も出なかった。無愛想なのはよく分かっているが、ここまで来ると『冷たい』と言った方がいい。
これじゃあまだほむらの方が愛想がいい。
無駄に社交的すぎる天狗の爪の垢を煎じて飲ませてやった方がいいだろう。


「もうちょっと何か言いなさいよ」


 これでも親友の間柄なのだ。“致し方なく!!”フランは咎めてあげるが……、


「十分じゃない」


 とすまし顔で素っ気なくのたまうこの態度。
フランはフォローを入れることを放棄した。


「あ、えっと」

 以上でよろしいのかしら。と言いたそうな顔でマミは声を漏らした。
戸惑いの広がる空気に、結局フランは一言入れなければならなくなった。

「こんな無愛想だけど、一応私の友人なのよ。よろしくしてやってね」

 そう言うと、やっとパチパチと、さっきよりもさらに控えめな拍手が鳴った。
露骨に困惑を表しているそれに、パチュリーが憮然とした顔をしているのを見て、フランは本当に溜息を吐くしかなかったのだった。



 それからはマミやまどかたちが順に自己紹介をして、全員がお互いを誰か知ることとなった。
その後休憩がてらほむらと咲夜がコーヒーを用意して、全員で一服する。


 これから話が長くなるのだ。それに、時間もだいぶ遅い。

 まどかたちは眠そうにしていなかったが、眠気を覚ます意味でもコーヒーは最適だった。




「さてと」


 一服終えたところで、フランは口を開く。



「じゃあ、まずはパチュリーから話してもらいましょうか。何でここに居るのか」







短いですが、今日はここまでです。

長い間放置してすみませんでした。
近日中にまた来たいと思います。



           
               *




「……それで、再びフランドールさんを探すために見滝原に来たら、丁度あんなことになっていたという訳です」


 そう言って文は一旦話を終えた。

 文とパチュリーが見滝原に来た理由やフランたちと合流するまでの経緯を、彼女は要約して
(別の言い方をすれば都合の悪い部分を端折って)、語った。

 その中で最もフランの関心を引いたのは、文が見滝原に来た理由と外の世界で妖怪が存在できる条件である。

 後者について、そういえば初めて会った時に不慮の事故でマミの血を吸ったことがあったなあ……と思い出す。
あの時はまさかこんなことにもなるなんて思っていなくて、随分と呑気だった気がする。




 そして前者。

 やはり、八雲紫が関わっているのは間違いないことだった。
天狗は独自のルートから紫の動向を察知し、文を見滝原に派遣したそうだ。
フランが見滝原に来てからも彼女は陰で何かをしていたようで、一気にきな臭いものを感じられるようになった。

 文は、フランが外へ飛んだ時のことを『事故』と表現していて、それについてはそれ以上何も言わなかったが、
その口ぶりからは本当にそう思っていないように感じ取れた。
狡猾な天狗なら、それ自体を一つの演技として成り立たせることもできるが、もし仮に彼女が本当に
あの『事故』を事故と思っていないのなら、長年記者としてやってきた天狗の勘はある程度信頼できるだろう。
あの『事故』は事故ではなかった可能性が飛躍的に高くなる。
少なくともその仮説が荒唐無稽とは言い切れないはず。

 その場合、間違いなく八雲紫が何らかの形で関わっている。
結界管理の保険なんて、露骨に嘘くさい理由を並べ立ててわざわざやらせたくらいだ、
相当な裏があるに違いない。
実際、彼女は弱み曝したとしか言えないような行動もしている。

 それはつまり、そう。彼女がフランドールたちに渡した、『境界を操る程度の能力』の一部に関する情報。

 当然、紫自身もその意味は分かっているだろう。
その上で、そのようなリスクを背負ってでもフランを見滝原に送らなければならない理由があったのだ。

 パチュリー曰く、あの魔方陣は転送用のそれに似ていたという。
彼女は逆にそれを利用して見滝原へ飛んだそうだ。

 この事実もまた、先の仮説を裏付けていると言えるかもしれない。
あの実験が八雲によって『仕組まれた』とするなら、辻褄は合うのだ。




 そしてもう一つ、「分からない」という点で気になることがある。


 それは、姉――レミリア・スカーレットのこと。


 彼女が紫とグルなのはほぼ間違いない。ただ、その理由や思惑が分からないのだ。

 パチュリーに混乱した記憶の中から、レミリアに関する情報を拾い出してもらい、聞いた結果、
彼女はあの『事故』直後はパチュリーの身を心配したり、謝罪をするなど、気に掛ける様子を見せていたそうだ。

 その背景が分からない。
もし本当に二人が組んでいるなら、フランが見滝原に飛ぶことも、そしてパチュリーが取り乱すことも想定するはず。
あの姉なら、目的のために冷徹な手段を選ぶことも厭わない。
それでも罪悪感があったのだろうか?

 仮にそうだとして、罪悪感を抱いてまでしなければならないことだ。
それは、レミリアにとっても余程の事情があるということだろう。
つまり、姉は単に紫に利用されているのではなく、恐らくは自分の意志で彼女の協力している。
何か、どうしても達成したい目的のために。



 …………いや、それはそうとは言い切れない。

 何しろ、仮定の上に仮定を積み重ねた蜃気楼のような仮説だ。それには拘らないでいよう。

 ただ、何にせよ、レミリアと紫には何らかの目的があり、それ故に二人が何かしらを企んでいるのは確かだ。
そして、それはフランが見滝原に来たことと深い繋がりがあるのは間違いない。



 では、パチュリーは? 咲夜は?

 二人はどうしてここに?



 その理由はいかなるものか。
少なくとも咲夜はこちらに来てから時間が経っており、彼女には何らかの役割が課せられているとも思える。




「咲夜」




 では、分からなければ聞けばいい。果たして彼女が知っているかは別として。


「はい」


 メイドはいつもの澄ました様子で瀟洒に返事をする。


 基本的に咲夜はフランやパチュリーに対して従順だ。
当然だろう。何しろ彼女は紅魔館の使用人なのだから、言うことを聞かない訳がない。

 ただし、彼女はいついかなる時もレミリアの命令を優先する。
何故ならば、咲夜が最も固い忠誠心を誓い、忠義を持って使えている相手は、その吸血鬼の王だけなのだから。
乱暴で身も蓋もない言い方をすれば、彼女にとってフランやパチュリーというのは、あくまでレミリアの付属品であり、
主人の幸福と充足を保証するために、主人に対する忠誠に近いものを持って使えなければならない相手でしかない。


「あなたはどうしてここに来たの?」


 空気がピンと張る。矢庭に緊張感が場を包み、フランと咲夜の間で鋭い目線が交わされる。

 咲夜の蒼の瞳は静謐としていて、尚且つ強い意志が感じ取れた。
それが何かは分からないが、少なくともそれのせいでフランは咲夜の内心を見通すのは叶わなかった。



 これは答えない。



 そう直感した。そして、間違いなく彼女は何か秘密を抱えているとも……。




「もちろん、貴女様をお迎えに上がるためです」


 彼女は淡々と、いつも通りと言える調子で答える。
「完全で瀟洒」の二つ名は伊達ではなく、その仕事ぶりは(しばしばはっちゃけるものの)感情を感じさせないような徹底したもの。
質問に対しても、いつもこんな感じで返す。

 動揺はない。
それ故に、フランはメイドが何かを隠しているという直感を、より根拠の強いものに変えることができなかった。


「それにしては、随分と時間がかかってるわね。“何事もなかったら”このまますぐに帰れるのかしら?」


 ちょっと意地悪な聞き方だったかもしれない。
揺さぶりを掛けるために敢えてそうしたのだが、流石はメイド長様だ。その瞳は微動だにしない。



「ええ。“何も起こらなければ”帰還出来ましょう」

「そうね。じゃあ、ワルプルギスの夜が襲来してきたらどうなのかしら?」

 咲夜は沈黙する。長い睫の付いた目蓋が二度、三度開閉し、それから形の良い唇が小さく開いた。

「それは……」

 一旦言葉を区切り、彼女は視線をぶらすことなく続けた。

「フランドール様のご意向に従います。
もし、巴様とともにワルプルギスを迎撃したいとお考えになるなら、仰せの通りに助力致しましょう。
もし、今日明日中にでも紅魔館にお帰りになりたいと仰られるなら、それもまた仰せの通りに行動致しましょう」




 ――――うん。分からないや。


 咲夜はただメイドとしての職分を述べただけ。結局直感はそれ以上になることはなく、フランが邪推しただけとも言える。

 思えば彼女は単にフランを探しに来ただけだ。
この広い街の中で、マミとの間にいろいろあったせいでフランは咲夜となかなか合流できなかったし、
合流したと思えばそこからさやかを探さないといけなかったしで、考えてみれば帰るチャンスなんて一度もなかったのだ。

 だから、咲夜の言う通りだ。
これからワルプルギスが襲ってくるのに対し(ほむら情報)、それを迎え撃つか撃たないかで、
いつ帰るかが変わってくる。



 ただねぇ――――、





 じゃあ、なんであなたが迎えに来たの?





「そう。分かった。それはまた後でマミと相談するし、決まったら言うわ」


 結局フランはそれ以上の追撃を諦めた。

 咲夜が言ったことに矛盾はないが、そもそも彼女はどうしようもない矛盾を抱えている。
ただ、それについて今この場で追及するのは良くないと、フランは考えたのだ。


 周りを見てみると、主従の間に交わされた緊迫な会話に、マミたちは戸惑いの色を露わにしていた。
パチュリーはフランと同じく咲夜を怪しく思っているようで、その様子をつぶさに観察していたが、
フラン以上の情報は得られなかっただろう。
そして、この中で唯一『場違い』な文は、ごく自然体で主従の会話を聞いていた。
ただ、その目の光だけは、獲物を狙う猛禽類のように鋭かったが。


 天狗が居たからフランは追及をやめたのだ。
恐らくだが、咲夜の矛盾を指摘すると、紫のことについても言及しなければならなくなり、
それはまずい。
仕方がない、後でこっそりと聞き出すしかないようだ。




 さて、パチュリーの方だが…………、フランが彼女を見ると、魔女もまた見返してきた。


「何よ?」


 ぶっきらぼうな反応の意味が分かって、フランはにんまりとする。
パチュリーは端正な眉を寄せて、眉間に深い皺を作った。

 そんなことをすると、「明るさ」とか「朗らかさ」とかからほど遠い彼女の顔が、より一層怖く見えてしまうことを、
彼女自身は気が付いているだろうか。


「べつにぃ~」


 彼女はここに来た理由についてはっきりと語らず、ぼかすような説明をしていたが、それは考えなくても分かる。
どうせ早とちりして、慌てて後先考えずに飛んで来たに違いない。
想定外の事態には滅法弱いのがこの知識人の疵だ。



「ねえ、フラン」


 と、そこでようやくマミが声を掛けてきた。

 そろそろ来ると思っていた。
にやけた顔を引込めて彼女の少し気まずそうな顔を見れば、どうやら予想通りのようだ。


「さっきやったことよね」


 質問を先取りすると、マミはコクリと顎を下ろした。

 全員居る場で話すのは少々躊躇われたが、今この場でやり過ごしても、マミ以外にも結局いずれは言わざるを得なくなるだろう。




 さて、どうなることやら……。




 唇が渇いてきたので舌で舐めて濡らし、それからフランは意を決して説明し始めた。


「さっきやったのは、さやかのソウルジェムの中に生まれつつあったグリーフシードの爆破。
その時に、マミの能力を借りさせてもらったわ」


 全員が沈黙して先を促す。まっすぐフランを見つめるマミの目には、期待の色さえ浮かんでいた。


「幻想の住人は、誰しも『程度の能力』というものを持っているわ。
例えば、咲夜なら『時を操る程度の能力』。
パチュリーなら『(おもに属性)魔法を使う程度の能力』。
そこの天狗なら『風を操る程度の能力』」


 フランが例えを出すたびに、マミたちの視線が咲夜、パチュリー、文と移って行く。
そして最後にフランに集中した。


 それを待ってから、フランはついに告げる。








「私の場合は――――『ありとあらゆるものを破壊する程度の能力』」






 水を打ったように静まる空間。全員が呼吸の音すら立てまいとしているようだった。
しんと静まり返った部屋の中に、どこからか時計の針の音が響き渡る。
フランは自分の血の流れる音がマミたちに聞こえるのではないかと思えた。

 けれど、静まり返ってはいても、空気は冷えたようには感じられない。
マミやまどかを見るに、彼女たちは驚いたというより、意味がよく分かっていないようだった。
もちろん、フランが一番恐れていた『拒絶』という反応を示したわけでもない。

 それが少し意外だったが、よく考えてみればそうなるだろう。
いきなり何でも壊せます、と言われたところで「はあ?」となるのは当然な訳だが。


「どんなものにも、力の向きが集中して緊張した部分があるわ。そこを潰せば、壊せるような部分が。
私はそれを『目』と呼んでいて、私の能力はその『目』を移植して潰すことができるの。

ここにね」


 言葉と同時にフランは右の掌を見せる。

 視線がそこに集中したのが分かったが、まだマミたちはよく分かっていないようだった。
ただ、それにしてもこの能力のことを知っているはずの天狗も興味津々にフランの掌を見ているのは、なぜだろうか。
メカニズムにでも気が魅かれたのか。


「咲夜」


 メイドは名前を呼ばれると、フランの意図を察したのか、懐から一枚のコインを取り出した。

 ピン、と繊細な音を響かせて、コインは弾かれる。

 果たして今のこの状態で上手くできるだろうか。
コインのような構造が単純な物なら、能力の発動にはそれほど力を要しないし、だからすぐに出来る。

 フランは回転しながら舞い上がるコインを注視する。
その両の眼(まなこ)は、コインのすべてを見透かし、そこに隠された『目』を探り出す。

 見つければ後は簡単。その『目』を引っ張り出すようにして右手に移植して――――、




 パチン




 と、小さな音を立ててコインが砕け散った。

 破片はすぐさま咲夜によってかき集められ、そしてテーブルの上にまとめて乗せられる。

 真鍮で出来たコインは、木っ端微塵になっていた。
一ミリにも満たない小さな無数の破片に分裂し、全く原形を留めていない。
ただの金属の屑と化していた。


 マミたちはそれを覗き込み、その変貌ぶりに目をまん丸くしている。
ようやくフランの言った意味が、能力の威力が分かったのだろう。

 ここまでは予想通り。さて、ここからどう反応するか、だ。


 フランは一旦目を閉じる。

 心臓の鼓動が激しい。
緊張で震え出しそうになる全身を押さえつけ、ヒイ、フウ、と呼吸を整える。

 それから目を開けると、マミと視線が交差した。


「これ……」


 彼女はコインの残骸を指で指し、


「本当に、あなたがやったの?」


「ええ」


 もう一度マミは残骸に目を落とし、それからゆっくりとフランを見上げて――――、





「すごい!!」





 と叫んだ。



 あ、あれぇ?



 この反応は予想外。
てっきり怖がられたりするかと思いきや、マミは目をキラキラと輝かせていた。


「すごいわフラン! 何でも壊せちゃうなんて」

「そ、そうかしら……?」

「そうよ。これならどんな敵にも負けなしじゃない。それに、何かカッコいいし」


 一体、何がマミの琴線に触れたのだろうか? フランには皆目見当もつかなかった。

 ほかの少女たちを見れば、まどかは急なマミの反応に目をパチパチとさせていたし、
杏子とほむらは「またか……」と言わんばかりに溜息を吐いていた。



 ――――彼女たちに、フランの能力を恐れている節はない。



「どんなものでも壊せるのよね」

「一応、握りつぶせる物だけに限られるけどね」

「それでもすごいわ。こんな隠された……」




「だから――」




 興奮して捲し立てるマミの言葉を遮り、フランは手を上げる。もう一度、掌を見せつける。


「あなたも壊せるのよ? 
私に『目』を握り潰されたら、それこそ不死人でもない限り復活できない。
吸血鬼とて、例外ではないのよ」


 ああ、どうして怖がらせるようなことを言ってしまったのだろうか。
マミの反応も、ある意味受け入れてくれたと言えるのに。



 ほら、マミも固まっちゃって……、



「そう」彼女は優しく微笑んだ。

「でも、あなたは絶対にそんなことをしないでしょう?」


 その瞬間、パチュリーと文は小さく口元を緩め、まどかは杏子と目を合わせ、ほむらは目線を床に落とし、咲夜は背筋を伸ばしたまま凛として澄ましていた。



 何故? という問いすら、無粋。


 考えてみれば、それは明瞭に納得できるはずのこと。
このマミが、そんなことでフランを恐れるはずがないのだ。
紆余曲折を経たとはいえ、その絆は本物。
フランを知ったからこそ、マミはその能力を忌避することはない。


 隠していたとか、何でも壊せるとか、そんなことは些末なことなのだ。


 馬鹿馬鹿しいことに、フランドールはそんなマミの心に考えが及ばず、打ち明けることを今の今まで恐れていたのだ。
それはマミを信頼していないのと同義で、だからフランはそのことをやっと理解して、すぐに恥じ入った。


 それと同時に感謝する。マミの優しさに、懐の深さに、ありがとうと言いたかった。




「だから、別にその力を恐れたりとかはしないわよ」


 その時のマミは、本当にフランのお姉さんのようだった。





 だから、思い出してしまった。


 古い、古い記憶。遥か昔の、霞の向こうでぼやけていた記憶が、今、はっきりと浮かび上がってきた。


 かつて、レミリアもこんなふうに笑ってフランを受け入れてくれたのだ。
実の両親に恐れられ、幽閉されてしまったフランの、たった一人の味方だった。
かつて、彼女もまたフランの能力を恐れずに接し続けてくれたのだ。

 フランは俯く。ちょっとノスタルジックな気持ちになってしまった。

 遠い遠い思い出。随分長い間忘れていた。



「フラン」


 心地よい声色が鼓膜を震わせる。

 顔を上げるとマミが穏やかな表情をしていた。


「ちゃんと言ってくれて、ありがとうね」




 …………マミは、卑怯だ。




 お礼を言いたいのはこっちなのに。先に言われたら、どう返せばいいか分からないじゃない。


「いずれは、言わないといけないことだったし、別にお礼を言われるほどのことじゃないわ」


 素直になれないフランは、そんな素っ気ない言葉を吐いたけれど、マミにはすべてお見通しだったらしい。
クスリと楽しそうに笑ったのを見て、手玉に取られたような気がした。



「ふふ。そうね」


 それで、とマミは続けた。


「私にも、その……『程度の能力』というのはあるのかしら?」


 気を使って、話題を変えてくれたのかもしれない。
それにホッとしつつも、どこか残念な気持ちになったフランは、マミの質問にしっかりと答える。


「もちろんよ」

「リボンの、能力よね」


 本人もなんとなく分かっているようだが、言葉に出せる認識というのは、その程度らしい。
もっとも、彼女は元々の魔法少女としての力から連想してそう言ったのかもしれないが。




 フランは首を振って否定する。

「そんなものじゃないわ。あなたの能力はもっとすごいのよ」

 『すごい』という言葉の響きを聞いて、マミの目の奥が光った。

 どうやらこの手の話は、マミの琴線に触れるものらしい。
先程までのお姉さん然とした雰囲気が砕けて、途端に子供っぽい、あるいは年相応の少女らしい様子を見せる眷属。
そんな二面性も、マミの大きな魅力の一つだった。
しかも、彼女はこれを意識してか無意識的にか、自在に操って相手を籠絡してしまう悪い癖を持っているのだ。


「『あらゆるものを結び付ける程度の能力』。名前を付けるなら、それがふさわしいかしら?」


 ますますマミの目の光が強まっていく。どうやら、お気に召してもらえたようだ。


「……カッコいい」


 恍惚とした表情で呟くマミ。もう、何でもいいや……。




 もともとマミは魔法少女の武器としてリボンを使っていた。
このリボンは彼女の願い事『生きたい』――――命を繋ぐ――――が元になっている。




「繋ぎ止める能力」

 魔法少女としてのマミの能力は、そう言って差し支えないかもしれなかった。
そして吸血鬼として覚醒して、その能力が発展したもの――それが「あらゆるものを結び付ける程度の能力」。




「ただ結びつけるだけじゃなく、他の能力との組み合わせで無数の可能性を生み出すことができる能力よ。さっきフランとやったように」


 パチュリーが解説を加える。さすがは魔女様。的確だ。
「『結び付ける』という概念自体を取り扱う能力かもしれないわね」


「どういう、ことですか?」


 と、パチュリーに敬語で尋ね返すマミ。

 魔女はもったいぶらず、さらりと言い切った。




「どんなものでも結び付け、“接続(コネクト)”できるかもしれないということよ」




 一瞬水を打つ空間。次に、「すご……」と漏らしたのは誰だったのか。


 マミにはパチュリーの言葉が実感できなかったのだろう。
呆然とした様子で自分の手を見下ろしていた。

 まだ生まれたばかりの能力だ。
どれほどのことができるのか、フランにも分からない。
というか、パチュリーの言った意味がよく理解できなかったのだが。


 魔女の言った言葉を額面通りに受け取るなら、“何か”が複数個あるという前提で、
マミの能力はそれこそ無限の組み合わせを生み出すことができるということだ。
しかも、ひょっとしたら単に結び付けるだけではないかもしれない。
結び付けることによって生じるシナジーもまた期待できるのだろう。



 底の深さが知れない。



 マミに元々それほどの潜在能力が備わっていたからなのかもしれないが、
主であるフランドールですら見通せない程の底を彼女は持っているのだ。



 どれだけのことができるのだろう。どこまで進化するのだろう。



 胸が躍った。この眷属の持つ可能性に。

 正直、自分の能力の発動の手助けになるという時点で相当なものだとは思っていたけれど、
あのパチュリーが素直に褒めているようなのだから、きっと“相当”どころではない。



 【程度の能力】にもいろいろある。
基本的に強力な妖怪などは強力な能力を持っている。この「ありとあらゆるものを破壊する程度の能力」も然り。

 しかし、それらの中で特に強力な、突出した能力が二つある。
一つは「境界を操る程度の能力」。
そして、「主に空を飛ぶ程度の能力」。
片方は人間の持つ力だというのだから恐ろしい。やはり博麗の巫女は違う。


 だが、とフランドールは考える。

 マミのこの能力は、その二つに引けを取らない程のものではないだろうか? 
過大評価でも、バイアスでもなんでもなく、本当にそう思えるのだ。
八雲にも巫女にも比肩し得る。


 何故なら、彼女がやったのは他の能力への干渉。
パチュリーのようにフラン自身を強化するのではなく、その能力そのものの補助を行ったのだ。
今までフランが知る限り、そんなことができるのは八雲紫一人だけだった。



 けれど、マミにもできたのだ。マミにも……。



 胸の内から突き上げてくる興奮に体が思わず震えてしまう。
今すぐ飛び上がってマミに飛びつきたい衝動を押さえつける。
衆目があるから自分を制しているが、マミと二人だけだったら、もう抱き着いて、その柔らかい頬にキスをして、
髪を指紋が擦り切れるまで撫でてやっただろう。


 その代わりにフランは熱っぽい視線を送る。

 いまいちよく分かっていないのか、マミは未だ戸惑った瞳でフランを見つめ返してきた。



 今はそれでいいわ。こんなことはすぐに理解出来ない。
出来るようなものじゃない。
けれど、いずれあなたにはあなたの能力の凄まじさに気付き、戦慄する日が来るでしょう。

 その時にあなたはその力の真価を理解するのよ。

 誰よりも深く、ね。

 そして、この私やパチュリーですら思いもよらなかった可能性を実現するに違いないわ。
私たちの想像の範疇を超えて、きっと考えられないようなことをしでかしてくれるはずよ。



 楽しみで仕方がない。
今から、マミがどんな新しい世界を見せてくれるのか、待ち遠しくて、待ち遠しくて…………。








ここまで!

世の中、やっぱり「コネ」ですよ「コネ」!




                     *



 目を開けると、白い天井が視界に映った。
全く味気のない、ただひたすらに白くしたような真っ白な一枚板の天井。
継ぎ接ぎもなく、のっぺりとしていてやたら違和感を覚えてしまう。
ふつう、天井と言えば複数の板をきっちり隙間なく敷き詰めて作るもので、
だから板と板の間に境界線ができるのだが、この天井にはそういったものが一切見受けられなかったのだ。

 それがどうして天井だと分かったかというと、頻繁に病院に出入りしていたせいだ。
そう言った意味では、この天井はデジャブのある感じがした。
ただ、今時病院の天井も、あまりに人間味のしない無機質な白一色はやめて、淡いパステルカラーで染めている。
この天井はどちらかというと、研究所のような印象を抱かせた。

 当然、こうして視界の正面に天井を見ているということは、己の体は床に仰向けに横たわっているのであり、
体に感じる布団の微かな重さと布地の柔らかな感触が、
今自分が病人よろしく寝かされているということを教えてくれている。




「美樹さん?」



 今自分はどこにいるのか、どうして寝ているのか、状況確認をしようとしたところに、
聞き慣れた声がした。
驚いたというより、「あら」と気が付いたような柔らかな声色で、
ふわりとした羽毛のように優しく耳に入り込んでくる。


 目を覚ました直後に彼女の声を聞いたことを幸運に思うべきなのだろう。
さやかはゆっくりと身を起こし、くるくる巻貝のような二つのおさげ、
金糸のように滑らかな彼女の髪が天井から降り注ぐ光を反射するのに目を向けた。


 ふわり、と。


 鼻腔を擽る微かに甘い匂い。全身を包む心地よい圧力。
その瞬間、さやかは彼女に抱きしめられた。


 鼻の頭に、彼女の巻いたおさげが微かに触れる。
そのこそばゆさに、さやかは微かに顔をずらした。



「美樹さん」



 耳元で彼女が囁く。

 決して大きな声ではない。どちらかというと、思わず心中が漏れてしまったような小さな声。
けれど――否、だからこそそこには語りつくせないほど無数の感情が大量に詰まっていた。
いま彼女の胸の中をそれ以上のものが覆い尽くしているのだろう。
その中で、一番を占めているのは「喜び」だろうか、「安堵」だろうか。
果たしてその呟きだけでは分からなかったし、これ以上彼女が心の中を晒すような言葉を発するとも思えなかった。




 対して、さやかも何も言えなかった。

 言うべき言葉が見つからない。
目が覚める前、自分が何をしていたか、こうして記憶にある以上、彼女にも多大で済まない迷惑をかけたはずで、
当然さやかはそれについて誠心誠意、謝罪をしなければならないのだが、しかしすぐにたったの一言も出ては来なかった。


 さやかとて、その心中には最早何とも言えぬほどの感情の雑多な塊が詰まってしまっていて、
さてそれらを一つ一つ解き解していって、それをいちいち言葉にして発しようという面倒な作業などする気も起きなかった。

 むしろ、言葉など必要ない。今はただ、彼女のしたいようにさせていればいい。
彼女の溢れる想いを静かに受け止めるだけ。それが今すべき最善のことなのだ。

 さやかは降ろしていた両手をそっと彼女の背中に回す。
彼女がしているように、またさやかも彼女の体を抱きしめようとして、




 その背中を叩いた。




 く、苦しいっ!






 言葉を発せられなかった理由は、何も感極まったからだけではない。
いやむしろ、比重としてはこちらの方が大きい。

 彼女は、出会ったばかりの頃は今の自分と同じカテゴリーに属していた訳だったが、
今は“吸血鬼”という存在になっていて、それはとても力の強い妖怪なのだという。

 つまりは、彼女は全く力加減をせず、全力でさやかの体を抱きしめているのだ。
さやかからすれば万力で全身を締め上げられているようなもので、
骨という骨は軋み、内臓はそろって苦痛に悲鳴を上げ、肉は今にも形が戻らないほど押し潰されようとしていた。
肺は膨らむことすら叶わず、当然それ故に呼吸もままらない。
そもそも、声を上げることなど、呻き声以外は物理的に不可能なのだ。



 ギブ、ギブ! マミさん、ギブ!!



 軽く二、三回彼女の背中を叩いて、ようやく彼女はさやかの状態に気が付いた。


「あ、ごご、ごめんなさい」


 びっくり仰天、驚きのあまり、どもりながら彼女は慌ててさやかを解放した。

 しばし咳き込むさやか。心配そうな顔でマミはさやかの背中を摩った。

「大丈夫? ほんとにごめんなさい。私ったら、思わず力いっぱい込めちゃって。苦しかったでしょう?」

「あ、大丈夫っす」


 あれ? 口調変だぞ、私。


 隣で不安そうに声を掛けてくるマミに、さやかは無意識的に普段使わない若者言葉を思わず使ってしまった。
いや、若者だし、いいよね……。



「ほんとに? 他に痛いとか、苦しいとかない?」


 そんなさやかの様子に、やはりマミも違和感を覚えたのか、余計に心配そうな声でそう尋ねてくる。
そんな声を聞いていると、むしろこっちが不安になりそうだ。


「大丈夫。今のところはね」


 さやかは口元を緩める。

 マミに締め上げられた体も徐々に回復し、呼吸も落ち着いてきている。
特に怠さや痛みを感じることもなく、本当に「大丈夫」と言える状態だった。


 そう、良かった。


 マミも安心したように微笑んだ。
心中にはいろいろと複雑なものがない交ぜになっていたけれど、それらがようやく沈殿して平静を取り戻したような笑みだった。
うん、マミさん、ほんと美人。


 それはさておき、その後に続く言葉をさやかは失っていた。

 何と言っていいか分からない。礼を言うべきなのか、謝罪するべきなのか、あるいは再会の喜びを表すべきなのか。

 電車であの駅に戻って来て、杏子と会い、彼女のおかげで投げやりになっていた気持ちを変えることができた。
その時にはマミもその場に駆け付けた。そして自分は――――、



 その先の記憶は曖昧だ。



 薄暗くて、ぼんやりとしていて、はっきりと思い出せない。

 ただ何となく、何となくだけれども、自分が杏子たちと戦っていたのを覚えている。
霞が掛かったような記憶の映像の中で、何事かを叫びながら武器を振り回す杏子に、ほむらに咲夜、そして見知らぬ少女。
彼女たちだけではない。
マミが居て、まどかが居て、フランもキュゥべえも、さらにもう一人の見知らぬ誰か。

 思い出せる映像は断片的で、まるで昔のサイレント映画のようにただ静かに流れている。
けれど、唯一例外があって、それがまどかの声。




 まどかは叫んでいた。さやかの名前を、そして自分のことを思い出せ、とも。


 あの時、一体自分はどうしていたのだろうか。
何故まどかは叫び、杏子たちは武器を手にしていたのだろうか。

 杏子たちは武器を持ちながらも、さやかに攻撃をしようとはしてない。
少なくとも、思い出せる範囲では、だ。
ただ、襲い掛かって来る……駄目だ。その先は思い出せない。

 変わって頭に浮かぶのは、今目の前にいるマミと、その傍らに寄り添うフランの姿。
そして同時に、さやかは強烈な違和感を覚えた。



 頭の中に何かがある。




 もちろんそれは比喩だ。物理的に頭蓋骨や脳の中に何かがある訳ではない。
記憶の底に、覚えのないものがあったのだ。

 まったくおかしなことだ。
そもそも記憶とは、自分が過去体験した事象を脳内に記録したものであるはずじゃないか。
当然それらは全て過去に自分が行ったことであり、その記憶の中にあって「覚えがない」など、
矛盾もいいところだ。
しかし、そんな訳の分からない“記憶”が存在するのも事実。




 さやかは困惑した。


 例えるなら、パソコンの中にダウンロードした覚えのない謎のファイルを見つけたような気分だ。
当然、真っ先にそれがウィルスが封入されている物であることを疑うであろう。
全く記憶の端に引っかかりもしないなら、下手に開こうとせず、さっさと消去してしまうのが妥当な対処法だろう。

 しかし、人の記憶に関してそのようなことは行えない。
脳の構造はそんなふうに便利には出来てはいないのだ。そしてさやかは好奇心に負けた。


 恐る恐る、その記憶の封を解いていく。



 それは二つあった。


 一つは、これは――マミの記憶だ。
まだ彼女がただの幼い少女であった頃から、交通事故に遭い、
最愛の両親を失って、孤独に魔法少女として戦い続け、杏子との出会いと別れ、
そしてフランやさやかたちと出会ってからの出来事が、
まるでダイジェストを見ているように次々とさやかの頭の中で流れては去ってゆく。
何と言えばいいかも分からず、どうしてマミの記憶が自分の中にあったのかも理解できず、
たださやかは胸が苦しくなるような感覚を覚えた。

 見事と言えるような悲劇。幸福から不幸への綺麗な転落。
ごく一般的で常識的な感性の持ち主であるさやかには、涙こそ流さなかったものの、
十分に涙腺を刺激する物語だった。
しかもそれはさやか自身の中にあり、だから殊更共感してしまう。


 マミに何と声を掛けようか。そもそも、彼女の記憶が自分の中にあったことを言うべきなのか。
しかし、そんな考えがまとまらない内に、もう一つ別の記憶がさやかの意思とは無関係に再生される。




「ヒッ」


 声が漏れた。正確には、悲鳴だ。

 無意識的に発せられたさやかの悲鳴。
それを傍らで聞いていたマミは飛び上がり、驚いて「何? どうしたの美樹さん?」と焦りを含んだ言葉をさやかに掛けた。

 だが、さやかは反応しない。
口元に手を当て、まるで恐ろしいものを見たかのように――――事実、彼女は恐ろしいものを知ってしまったのだ。


 もう一つの他人の記憶は、フランドールのものだった。
その幼い姿の吸血鬼が、人間の数倍の時間を生きて来た証である記憶だ。
それはマミの時と同じ様に、ダイジェストのようにさやかの脳裏を流れたのだが……。


 何もかもがおかしかった。何もかもが狂っていた。


 狂気、恐怖、悪意、絶望。


 それらをまとめてぶち込んでない交ぜにした、あるいはどす黒い感情のるつぼと言えるような記憶。
マミの悲劇がかわいく思えてしまうほど、圧倒的で破滅的な惨劇。

 それはさやかの記憶の中にあって、さやかのものではない記憶。
ただ閲覧するだけでも精神を汚染する有害な記録。



 吸血鬼は長生きなのだろう。

 マミの記憶は高々十数年ぽっちだったが、フランドールのそれはもっと長いものだった。
きっと、マミの記憶より何十倍もの分量がある。
それがすなわち、フランドールという吸血鬼の過ごしてきた時間の長さを表しているのだった。


 さやかにとって、そしてもちろんその記憶の本来の保持者であるフランドールにとって、
幸いだったのは、フランドールの記憶は時間が過ぎるにつれて、徐々に明るいものになっていったことだ。
最近の記憶、彼女が本来住んでいる幻想郷なる場所での記憶は、その過去からは到底想像できないほど穏やかで、
幸福なものだった。


 花火のような美しい弾幕、荘厳な図書館での魔法談義、寂れた神社に集って騒ぐ宴会。


 呑気で、長閑で、朗らかで、どこか懐かしさを覚えるそんな光景が続く。それに、さやかは涙した。



 良かった、と。


 他人のことなのに、まるで自分が体験してきたかのように思えたから、だからさやかは良かったと安堵して、涙を流した。

「み、美樹さん!?」

 動揺のせいか、音程が不安定になった奇妙な声でさやかをマミが呼んだ。
傍から見たら、いきなり悲鳴を上げたかと思えば急に涙を流し始めたのだから、それはそれはマミからすれば奇想天外で、
当惑するのも当然。後輩の急激な変化にオロオロするマミに、さやかはほんのり微笑んだ。


 言葉はない。だから相手に伝わったかは分からない。

 それは安堵の笑みだった。

 少なくとも今は、二人とも不幸ではないのだから、それにさやかは安堵したのだった。


「美樹さん、本当に大丈夫? 気分が悪いの? それとも嫌なことを思い出しちゃったの?」


 けれどマミの方は全く安堵した様子はなく、逆に戸惑いを加速させてしまったようだ。
さやかの憧れだった頼りがいのある先輩は、今や迷子になって母親を探す幼い少女のような顔をしていた。
困惑と恐怖。どうしていいか分からず、少し泣きそうに目が潤んでいる。

 さて、どう言ったらいいだろうか。
この様子では、何を言っても目の前の先輩の誤解を解くのは無理そうだ。
まずはまだ流れ続けているこの涙を止めないと。




 そう思った矢先、バタンとドアが開く音がした。

 威勢よく部屋に踏み込んできたのは、件の記憶の持ち主――フランドールと、記憶の中で何度かその姿を見かけた見知らぬ少女。
まどかくらいの小柄な彼女だが、その慎ましい親友とは対照的にガラTの膨らみはえらく扇情的だった。


「目が覚めたのね」

 泣き顔を見られるのが恥ずかしくて、慌てて涙をぬぐいながら、「あ、うん」とさやかは返す。
フランともう一人の少女はおもむろに近づいてきた。
それから、その少女が、半身だけ起こしたさやかの傍らに膝を突き、「失礼」と一言無愛想に投げると、さやかの左手を取って脈を測り始めた。

 さやかと、他の二人はその様子を黙って見つめる。
少女は脈を測り終えると、長くてもっさりとした紫髪を払い、熱を測るようにして片手をさやかの額に当てた。
それから、何の意味があるのか、「ん」と息を漏らすように頷いて、少女は背後に立っていたフランに振り返った。


「脈拍、呼吸に異常なし。他にもおかしなところはないわ。二、三日は調子が戻らないかもしれないけど、回復するから安心して」


 お調子者で、バカっぽい、なんてひどい評価を貰うことも偶にあるさやかだが、少しは人と人の間の機微を察する能力は持っている。
見知らぬ少女とフランの間に、壁とかよそよそしさがまったく感じられないのを見て、二人がかなり親しい関係にあるのだと、すぐに分かった。
さやかの中に存在するフランドールの記憶の裏付けもある。


 それもそのはず、何しろ二人は、



「そう。魔女様がそう仰るなら大丈夫そうね」

 魔女?

 その単語に、さやかの体が反応する。遅れて、脳がその認識を完了した。
これが、魔法少女としての性なのだろうか。

 だが、状況を見れば分かる通り、今ここにさやかが思い浮かべたような“魔女”は存在せず、気配もしない。
フランの言った『魔女』とは、全く別のニュアンスで語られた言葉なのだ。

 それが、この見知らぬ少女のことを指しているのは、すぐに把握できた。

「という訳だから、マミは安心してね。ほら、そんなふうにしてると笑われるわよ、後輩に」

 半ば呆れたようにマミに向かって笑いかけるフラン。言われた方は殊勝に頷いた。
何だか、頼りない姉とそれを励ましている妹みたいだ。

「それならいいけど。でも、どうしていきなり泣いちゃったの?」

 それでもマミは尚も心配や不安を拭いきれないようだ。さりげなくさやかとの距離を詰めてくる。


 さて、どう答えたものか。


 これはちょっと困った。何しろさやか自身がまだよく理解していないのだから。
どうして、マミやフランの記憶が自分の中にあるのか。

 まったく身に覚えがないし、だから自分自身の記憶が曖昧になっている間に何かがあって、こうなっているのだと考えるのが妥当なのだが。


 果たして、マミの質問に答えたのはフランだった。




「記憶を見たんでしょう。私と、あなたの」

「記憶……?」




 戸惑いの表情を見せながら聞き返すマミに、これまたフランも顔を顰めた。
それから、いつの間にやら立ち上がって隣に並んでいた『魔女』と顔を見合わせる。



「気付いてないのかしら?」

「無意識的にロックを掛けているんじゃない?」

「さやかは“見た”みたいだけど」

「……個人差、かしら」


 さやかとマミを置いてきぼりにした会話が交わされる。
いや、さやかの方は“見た”からまだ何となく言っている意味は分かるのだが、マミの方はチンプンカンプンだろう。
そして、彼女はそんなふうに扱われるのがたいそうご不満だったらしい。
「ねえ、何の話なの?」と、若干力の籠った声で訴える。

「あら?」と、フランは首を傾げながらマミに目を向けた。「心当たりないかしら?」

「心当たりって何よ」

 よく分からない話をされて機嫌が傾いたのか、マミの声は低かった。
フランは隣の少女と再び目を合わせて、それから再度マミを見てから口を開く。


「自分の頭の中に、自分のもの以外の記憶がなかったかしら?」

「自分のもの以外の……あっ」


 少し考え込むような素振りを見せた彼女は、すぐに声を上げた。
フランの言っている意味が分かったのだろうか。というか、マミの中にもそんなものが?


「えっ……これ。何これ……?」


 今、マミの頭の中では、誰の物か知らないが、他人の記憶が再生されているのだろう。
白く、血色の良い顔の色がどんどん青ざめていく。
それとともに目から光も失われていき、さやかは彼女が誰の記憶を思い出しているのか察っすることができた。


「…………これ」マミは微かに唇を震わせた。これも震えていた。「何これ……。フラン……」

「昔のことよ」


 すっかり蒼白になってしまった顔でフランを見るマミに、当の吸血鬼は素っ気なくそう呟き返すだけ。
割り切っているのか、未だにそれを引き摺っているのか、その様子からは判別しかねた。



「訳が分からないでしょうから」それからフランはおもむろにさやかの傍に腰を下ろした。
「ちゃんと説明するわ」


 魔女と呼ばれた少女もフランの傍らに座り、それを見てから吸血鬼は話し始めた。




「簡単に言うと、私とマミ、そしてさやかの3人は、それぞれお互いの記憶を共有している状態になっているわ。
ほら、マミは覚えていると思うけど、あの駅でさやかを助けた時よ。
あの時、マミの能力で私たち3人は“繋がった”。
だからさやかを助けられたんだけど、その副作用で記憶の共有が起こったの。
私の中にはさやかとマミの記憶がある。
マミには私とさやかの、さやかには私とマミの記憶があるはずよ」



 フランの言う「あの時」の記憶はさやかにはない。
だから、彼女たちと自分が“繋がった”ことについてもよく分からない。

 だけれど、フランの言う通り、自分の中には二人の記憶があって、だからそれは真実なんだろう。
ということは……、


「じゃ、じゃあ、まさか……」


 同じことはマミも考えたらしい。さっきまで青白かったその顔が、見る見るうちに紅潮していく。
多分、今のさやかも同じだ。


「そうよぉ。マミのあんなこと、こんなこともぜ~んぶ知っちゃったわ。ああ!! そんなことまでしてたのね!」


 きゃっ、とフランはおどけて自らの体を抱いた。


「いや~っ!!」


 方や、マミは両手で顔面を覆い激しく首を振って悶えていた。


「う、うわ~。それは……ちょっと……。ええ~!」


 尚もふざけているフランに、マミは詰め寄った。


「やめなさい。もうういいからっ!!」


 フランの方を両手で掴んで激しく揺さぶりながら、必死の形相で迫るマミさん。
フランはその状態でもニタニタ笑っていた。そしてわざとらしく顔を歪めて、


「ああん。止まらないわ! ……えっ!? ちょっ……それはっ!」

「もういいからーっ!!」


 ついに叫び声まで上げて混乱の極みに達したのか、何故かフランの目を覆うマミ。


「あっ!! きゃーっ。それはいけないわっ!」

「ダメダメダメダメダメダメダメダメダメ」


 今度は頭を両手で抱えながら壊れた機械のように連呼し始めるマミさん。マミさん……。





「嘘だけどね!」


 しかし、次の瞬間には「ドッキリでした!」と言わんばかりに小さく舌を出して悪戯っぽく笑ってフランは種明かし。
ピタッと、マミの動きが停止した。


「エチケットとして、他人の記憶を覗かないのは当たり前じゃない。
ちゃーんと、心の中にしまっておいてあるわ。だから、さっきから何にも“思い出して”ないわよ」

「じゃ、さっきのは……」

「もちろん、ちょっとからかっただけじゃない。だのに、あんなに本気になるなんて……」

「う、嘘……」

「嘘だって言ってるじゃない。…………でもまあ、独り暮らしだから、他人の目がないからねぇ」

「あああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!」


 絶叫して転げまわるマミさん。あろうことか、自ら痴態を曝け出して轟沈してしまったマミさん。



 見なよ。あれがあんたが憧れてた先輩の本当の姿だよ。



 耳の傍に「悪いさやか」が現れて囁きかけてきた。



 でも、マミさんずっと独り暮らしで、寂しい思いをしてたんだよ。仕方ないじゃん!



 もう片方の耳の傍に「いいさやか」も現れて、「悪いさやか」に反論する。



 いや、でもあれはないわー。ドン引きだわー。

 いいじゃん! マミさんだって秘密の一つや二つあるだろうし。

 幻滅するわー。

 マミさんだって普通の女の子なんだよ!

 でもさ、独りで××とか、△△とか、しかも☆☆までしちゃうとか……。

 それはプライベートだからいいんだよ。そんなんでマミさんがやってきたことは否定されないんだよ!!





 パンッ!!


 突然響いた音ともに、さやかの頭越しに言い争いをしていた二人の「さやか」が消える。
同時に、悶絶していたマミやそれをからかっていたフランも音のした方に首を向けた。




「閑話休題よ」





 無表情で、魔女と呼ばれた少女が言う。その胸の前で、彼女の両手が拝むように合わされていた。
さっきの音は、その手を叩いたもののようだ。


「そうね。マミへの尋問は後にして、先に話すこと話しちゃいましょう」

「え゛!?」

「さやか」


 転とフランはさやかの方に向いた。

 そこに、さっきまでのふざけていた様子は皆無。
目には真剣な光が宿り、にやけていた口元も引き締まっている。


「これからするのは、重い話。覚悟を持って聞いてね」


 さやかは黙ってうなずいた。



 そして、フランは話し始める。



 魔法少女はいずれ魔女になることとその仕組み。

 さやかが魔女になりかけたこと。

 それを、皆で助けたこと。

 マミの能力、フランの能力。


 すべて聞いた。さやかは話の間、一言もはさまず、ただ黙って静かに聞いていた。

 フランも、時々補足を入れるマミやもう一人の少女も、そんなさやかに対して何も声を掛けず、
淡々と事実だけを伝えた。



「意外と、ショックを受けてないのね」

 話が終わった後、フランがそう言った。

「うん。何となく、分かってはいたんだ。このままソウルジェムが濁りきると、きっと自分は死んでしまうって。
……実際は、もっと酷かったけど」


 希望と絶望は等価。希望を祈れば、祈った分だけの絶望が降りかかる。

 魔法少女は、いずれ魔女になるから「魔法少女」と呼ぶ。


 なるほど、その通りだ。まさに、名は体を表す。
これ程はっきりと示されていたにもかかわらず、魔法少女たちはそんな簡単なことにも気が付かなかった。

 キュゥべえなら、「聞かれなかったから教えなかっただけだよ」と言うだろう。
生死にかかわる重大な契約の前にそういうことを言わない不誠実さは抜きにして、その言葉は裏を返せば、
「教えるまでもなく考えたら分かるよね」ということなんだろう。

 そんなキュゥべえにはむかっ腹が立つし、いずれ魔女になるという運命に心は地面の下まで沈下したような気がした。


 けれど、自分はその運命を一度受け入れた。
このまま死んでしまってもいいや、なんてことを考えていた訳だ。



 フランの話を聞いた後は、「死ぬ」程度では済まないと分かったけれど、
仮に少し前の自分が「魔法少女は魔女になる」と言うことを知っていたとしても、それは変わらないと思う。
やっぱり、魔女になる運命を受け入れていたと思う。
きっと投げやりになって、杏子のためにグリーフシードを残そうとしたかもしれない。



 必死で魔女になりかけた自分を助けてくれた人たちの気持ちを無視して。





 あたしって、ほんとにどうしようもないバカ。






 魔女になるという運命を知ったショックより、そうさせまいと努力してくれた皆に対する罪悪感の方が遥かに大きかった。




 そして、それ以上に――――、



「言わなきゃ、いけないことがあるんだ」


 しばし口を噤んでいたさやかは再び言葉を発した。そう前置きして、さやかは語る。

 今までの自分のことだ。


 契約してから、マミに憧れ、マミの後を継いで正義の魔法少女になろうとしたこと。

 杏子との対立。
憧れのマミが堕落してしまったこと。
ソウルジェムの秘密を知ったこと。
恭介に魔法少女であることを知られたこと。

 仁美との軋轢。葛藤。後悔。
そして、マミが恭介を襲ったことに対する怒り。

 かけがえのない親友を理不尽に逆恨みしたこと、憧憬の対象であり恩人でもある先輩を非難したこと。
そんな醜い感情を抱く自分を責めたこと。

 フランとの口論。
杏子とまどかとの決別。そして、家出。

 街を彷徨っていた時、どんなことを考えていたのか。何を思っていたのか。


 それらすべてを赤裸々に吐露した。




「あの時、あの駅に戻って来たのはね、死のうとしたからなんだよ。
もうこんなあたしには価値がないと思って、魔女と戦って死のうなんて馬鹿なこと考えてたんだ」


 涙が止まらない。声は震えて言葉にするのもやっとだ。

 それでも、さやかは言い続けた。


「ごめんなさい。みんなに心配かけて、迷惑かけて、ほんとに、ごめんなさい。
…………それから、ありがとう。こんなあたしのために、頑張ってくれて……」




 きっと、マミやフランはもう分かっている。
記憶は共有しているし、さやかがどんな道を歩んできたのか、言葉で聞くよりずっとよく分かってる。
けれど、さやかは言葉の形にして伝えたかった。

 もう何も考えられない。
頭の中はおもちゃ箱をひっくり返した子供部屋のように散らかっていて、気持ちも考えも到底整理できない状態だった。


 ふわりと、体が柔らかいものに包まれる。


 自分よりちょっと高い体温に、鼻腔を擽る甘い匂い。先程と同じく、マミに抱きしめられた。

 だけど、金色のお下げは見えない。
視界は真っ暗に覆われてしまい、代わって顔に弾力のある何かがそっと当たる。



 言葉はない。必要ない。彼女は、ただ胸を貸しただけ。



 さやかはマミの上着を両手で掴む。放すまいと、しっかり握る。

 その柔らかく、温かな乳房に向かってさやかは声を上げた。



 トントン、と。マミが優しく叩く心地よいリズムを背中で感じながら。






ここまでです。




                   *





 コツンと、壁に後頭部を預けると髪の毛を通して冷たさが頭皮に伝わって来た。

 研究室のような無機質な白い壁は、見た目に違わずその温度は低く、服によって幾分軽減されているものの、
それでもしっかりとした固く冷たい感触が背中にも当たっている。
けれど、体中が火照った今は、そんな冷たさが逆にありがたかった。




 部屋の中は静かだ。

 壁や扉の向こうから、リビングで話す少女たちの明るい声が聞こえて来るけれど、それはくぐもっていて、
今一何を言っているかはっきりしない。
でも、そのおかげで耳から入ってくる余計な雑音に意識を割かれずに済んでいる。
人は完全な静寂の中にいるより、今のようにある程度の雑音がある空間にいる方が落ち着けるのではないだろうか。
そんな考察ができるほど、今さやかの心中は静寂に包まれていた。

 部屋の中は寒々しているし、蛍光灯の明かりが中を照らしているものの、どこか暗さや陰りがあるような気がした。
リビングから楽しげな話し声が聞こえて来るから、それとの対比で余計にそう感じるのだろう。

 決してさやかは集団の輪から弾き出されてこんな部屋に一人寂しく籠っている訳ではない。
むしろ、さやかはその輪の中心に位置すべきなのだが、敢えて断り、引き留められながらも多少強引に
この部屋に戻って来たのだ。




 今日、さやかが数日ぶりに覚醒し、その直後マミたちと再会した部屋だ。

 どうやらこの部屋は、元々はほむらが借りているアパートの一室らしい。
「らしい」というのは、元の部屋の面影が全くないからだ。
魔法の力を使って賃借部屋を違法改造した自称“魔法”少女(14)曰く、「元は昭和の臭いがする部屋」だったそうな。
どうしてこうなった。


 彼女の趣味なのか、はたまた魔法を使った結果意図せずにこうなったのかは知らないが、
とにかくほむらが違法改造した賃借部屋は、全てどこかの研究所のような風景になってしまっていた。
おまけに隣のリビングときたら、B級SF映画に出て来る未来の作戦会議室みたいな安っぽい作りの不思議空間だ。
これがほむらのセンスなのだとしたら……まあ、天は二物を与えず、ということなのだろう。


 だから、落ち着けないと言えば落着けないのだが(しかも、さやかが寝ていた布団が部屋の隅にきちんと畳まれて置いてあることが違和感を覚えさせる)、
正直ほむらの家の中ではどこでも一緒だし、何よりリビングで楽しくおしゃべりする気分になれなかったからさやかはこうして一人になったのだった。

 さやかは別に何をするでもなく、部屋の隅で壁に背を預け、足を伸ばして座っていた。
壁紙なんて洒落た物は張られていないし、それどころかカーペットすらなく、何で出来ているのかよく分からない白い床の上に直接腰を下ろすしかない。
布団を除けば、部屋の中には他にさやかが元々着ていた制服(今はほむらから服を貸してもらっている。胸キツイ)や携帯電話が置かれているだけで、
後は何もなく、ひどく殺風景だ。


 だが、何もなくても構わない。
何かをしたい訳ではない。
ただ、頭を働かせるのをやめて、無為な時間を過ごしたいだけなのだ。




 普段、碌に頭なんて使わないさやかには、今日一日だけで一週間分くらい脳を回転させた気がした。
それくらい、たくさんの情報が入って来たのだ。



 自分が魔女になりかけたこと、
頭の中にマミやフランの記憶が混在していること、
マミさんが意外と子供っぽいこと、
自分が失踪していた間のこと、
まどかや杏子たちの思いなどなどを、たっぷり数時間かけて延々と聞かされたのだ。
その間、さやかは罪悪感やら感謝やらの感情に心を揉みくちゃにされて、「疲れた」というのが正直なところだった。

 話の最後の方には、もうくたびれてしまってさやかの気力はすっかりすり減っていたし、
おかげでリビングに有った巨大なホログラムに映った魔女について聞くのを忘れてしまった。ま、いっか。




 美樹さやかは静かに過ごしたい。
けれど、そんな彼女の細やかな望みとようやく手に入れた安息は、次の瞬間に無情にも打ち破られてしまった。
小さな音がして、続いてくぐもって聞こえていた話し声が急に明瞭になる。
誰かがリビングに通じる扉を開けたのだ。
そして、その誰かはすぐに扉を閉めて、ペタペタと裸足で近寄って来る。


 視界の端に、半分野生児みたいな生活をしているくせに、妙に綺麗な白い足が映った。
彼女はその性格に反して色白で、すらりとして無駄のない肉付きの美脚とか、服の合間からちらちらと見える臍とか、
よれたシャツの襟元から半身を覗かせる鎖骨とかが、やたら艶めかしいのだ。
どこぞの沖縄娘のように日焼けして湘南カラーになった方が絶対似合うと思うのに。




「おーい。生きてるかー」


 そいつは迷惑なことに、さやかの目の前にしゃがんで、しかも鼻先で手を振って来たのだ。
おかげで、さやかは自分の奥底から意識を引き上げなければならなくなってしまった。


「何よ」

 あからさまな不機嫌を込めて声とともにそいつを睨みつけてやると、やれやれ、効果は全くないようだ。
佐倉杏子という名前の、この不届き者は、さも当然のごとくさやかの右隣に腰を下ろした。
実に嘆かわしいことに、さやかの安らかで静かな時間は、この無粋な野良魔法少女によって無残にも破壊しつくされてしまったようだ。

「何よ」

 もう一度、今度はさらに機嫌を悪くして、さやかは問い返す。


「元気ねーじゃん」

「別に」

「ほら、元気ない」

「いいじゃん。あんたには関係ないし」

「はあ」


 杏子はわざとらしい大きな溜息を吐いた。


「またそういうこと言う……」

「だって、疲れたんだもん。
今日一日ずっと話を聞いて、それでいろいろ思っちゃって。
あたしって、ほんとにバカなことやってたんだなーって」

「なにさ、らしくねーじゃん。反省なんかしちゃってさあ」


 なんということだろう。
あろうことか、隣に図々しく腰掛けた少女はそんな発言をしやがった。
何だか、随分馬鹿にされている気がする。




 さやかは大袈裟に眉を寄せて杏子にそれを見せつけるように顔を右に向けると、ニタニタとしたむちゃくちゃ腹の立つ笑い顔と目があった。



 こっちは自分がどれだけバカやったか自覚してしっかり反省しているのに、こいつはそれをからかって来たのだ。許せない!



 無性に、その白くてマシュマロのように柔らかそうなほっぺたを引っ張りたくなった。

「ふひっ!? ひはい! ひはい!」

 両手で思いっきりつまんで引っ張ってやる。
案の定、さわり心地は気持ち良くて、一方でしっかりとした肉の厚みも感じられる。
いくら引っ張ってもすぐに元に戻りそうな弾力の感触に、思わずさやかはどんどん引っ張ってしまう。何これ、楽しい!


 まともに発音できなくなりながら、割と必死で抗議する杏子の顔がどんどん崩れていくのを楽しみながら、
しばらくさやかは遊んでいた。
引っ張ったり、力を緩めたり。
その度に杏子の口は横に広がり、大きな赤い瞳が収まった目が開閉し、さらに頬肉をつまんだままそれを上や下に動かしたりすると、
杏子の顔は福笑いのようにぐちゃぐちゃになった。

 それでも杏子は抵抗しなかったし、だからさやかは調子に乗ってさらにいじり倒したのだが、
遂に本気で痛くなってきたのか、杏子の目尻が湿り出したところでやめてあげた。

「いってー」

 さやかにもてあそばれて赤くなってしまった頬を押さえながら、杏子が若干泣きの入った目で恨みがましく睨んで来る。

「ごめん、ごめん」

 軽く笑いながらも謝るけれど、杏子は相変わらず睨んだままだ。
そして、これまた相変わらずの怨嗟の籠ったような低い声で呪詛のように呟きかけてくる。

「いってー」

「ごめんって」

「許さねー」

「それはお互い様じゃん」

「なんだよ。アタシが何したって言うんだよ」

「今さっき酷いこと言ったし」

「それは、らしくなかったから……」

 言い返されて、急に歯切れ悪くなる杏子。酷いことを言ったって自覚はあるんだ。




 さやかは杏子の顔から目線を外し、正面を向いてもう一度頭を壁につけた。
先程変わって、ちょっとは自分の体温が移ったのか、僅かな温かさが髪によって軽減されながらも伝わって来る。



「私だって、落ち込む時は落ち込むんだよ」



 そう言うと、杏子もさやかの横顔から正面に目を向けて同じように頭を壁につけた。

 さやかの返答に杏子は答えない。
結局彼女が入って来る前と変わらず、部屋の中は隣から雑談の声が聞こえて来るだけの静けさに包まれた。

 けれど、不思議なことに、一人増えただけで部屋の中が随分と温かくなった気がする。
さっきまでは寒々としていたのに、隣に杏子が座った途端、急に彩られたような錯覚を覚えたのだ。

 何より、隣からポカポカとしたものが伝わって来る。
それが本当に、物理的に温度が伝わって来ているのか、あるいは単なる気のせいなのかは分からない。
いずれにしろ、独りでいるより遥かに心地良かったのは確かだ。




 二人はそのまま無言で時間と空間を共有していた。
雑談の声が喫茶店のBGMのように聞こえてくる中で、お互いの呼吸の音にただ耳を澄ませていた。


 杏子がなぜ黙っているかは知らない。
さやかは、疲れてもう杏子を構う気力がなかったから黙っていた。

 杏子がしゃべりかけてこないなら、こちらからも何も言う必要はない。
今はこうして頭を休ませておこう。


 そう考えたのに、さやかの意思に反して脳は勝手に記憶の底からある『予定』を引っ張り出してしまった。
しかも、それを思い出した途端、さやかは「あっ」と声を上げたのだ。


「ん?」


 隣の杏子が転と首を回した。
「なんでもない」と言えば、また今し方の静かな時間に戻れるだろうが、思い出してしまったのだから、この際、だ。
きっと、後回しにすると気恥ずかしくなってしまうから。

 さやかは、杏子に尋ねようと思って、今の今まで忘れていたことを口にした。




「ねえ、私たちってさ、『友達』かな?」








 ずっと、心に残っていたのだ。


 周りにあれだけ迷惑をかけて、手を差し伸べてくれた杏子を、その手を払って拒絶した自分が、
果たして『友達』と言えるのか。あの時、杏子がそう言った真意を、知りたかった。

 もちろん、杏子たちが自分のことを想ってくれていることは理解している。
そうでなければ魔女になりかけてしまった自分を助けてはくれなかっただろう。
今日一日だけでも、それは散々痛感することができた。


 でも、本当にそれを受け入れていいのだろうか? 
あれだけ酷いこと尽くしだった自分には、果たしてその資格があるのだろうか?


 ありったけの好意を向けられて、ひょっとしたら尻込みをしているのかもしれない。
それをそのまま受け止めていいのだろうかと、迷っているのかもしれない。
あるいは、そう思っていること自体が贅沢な悩みなのだろうか。




「『友達』だよ。誰が何と言おうと、アタシたちは『友達』だよ」





 杏子がそう答えて、さやかの全身から力が抜けた。
いつの間にやら、緊張して力が籠もっていたみたいだ。


「でも、私は」


「いいんだよ、さやか。アタシがそう思っているんだから、アンタもそう思えばそれでアタシたちは『友達』なんだからさ」


 やっぱり、杞憂だったようだ。現在地を確かめる必要なんてなく、杏子が嘘を吐くはずもない。





 見失っていたものは、ここにある。忘れないで、もう離さないで、この手にしっかりと握って。


 さやかの右手と杏子の左手が触れ合う。
その瞬間、さやかの冷たい指先に杏子の体温が伝わって来た。

 二つの手は自然に、結ばれる。
片方は温もりを求めるように。
もう片方は温もりを分け与えるように。


 涙は乾いた。溜息は飲み込んだ。


 間違いなく、二人は互いの傍に居る。







「なあ、さやか」

「なに?」

「告白しろよ」

「なんで?」

「なんでって。そりゃあ、ちゃんとけじめ付けたほうがいいだろ。
溜め込んだもんはちゃんと吐き出さねーと体に悪いじゃん?」

「今更だよ。もう恭介は仁美と……」

「分かんねーじゃん。チャンスはあるかもしれないしさ」

「いいの。私はただ、恭介が幸せになってくれればいいから。
あいつのバイオリンをみんなが聞いてくれればそれでいいから。そのために契約したんだよ」

「そう言って大騒ぎした奴は誰だよ」

「うっ……」

「別にいいじゃん。フラれたって。一人ぼっちになったりはしねーよ。
そんときゃ、アタシが一緒に居てやるからさ。さやか」

「……うわっ。なにソレ。ひっどー! フラれるの前提じゃん」

「なんも、怖がることはねーよ。アタシが居る。
アタシだけじゃなくて、マミもまどかもほむらも居る。みんな、アンタの味方だよ」

「アハハ。頼もしいね」

「だろ? ハハハ」


 二人は笑って見つめ合う。

 杏子は無邪気な笑顔で。さやかもきっとそう。



「ありがとね、杏子」



 錆び付いた心に血が巡る。冷えていた体に熱が戻る。









「それから、『ただいま』」











ここまで!


なんか二人でいちゃいちゃしてます。
マミさんたちは空気を読みました。


ほむホームは、元は漫画版のようにちゃぶ台のあるぼろアパートの一室という設定です。
実は押し入れの中に某星人が潜んでいるという裏設定。




                  *




「おっはよー!!」


 朝の教室に明るい声が元気よく響き渡る。

 その懐かしい声質に、恭介は思わず今し方入ってきた人物を凝視してしまった。

 美樹さやかだった。失踪していたはずの、さやかだった。

 彼女の周りに、瞬く間に人だかりができる。
性格が明るくて、邪気がなく、人当たりのいいさやかはクラスのムードメーカー的な存在だった。
そんな彼女が家出をして、しばらく行方をくらませていた訳だから、それはそれは色々な噂の対象になったし、
心配していた人間も結構いた。

 クラスの女子に囲まれて質問攻めに遭いながらもさやかは何とか自分の席に移動し、
そして何事もなかったかのように事態を静観していた仁美に挨拶をしたのだ。

 仁美も、ぎこちなく挨拶をし返す。
けれど、さやかはそんな仁美の様子に気付かないふりをして、
「元気にしてた? ごめんねー。心配かけちゃって」なんて軽い調子で雑談を開始したのだった。
仁美は仁美で、そんなさやかに安心や後ろめたさ、そしてほんの少しの怒りを混ぜたような表情で、
それでも少し嬉しそうに答えている。




 さやかと一緒に教室に入ってきたまどかとほむらに目を向ければ、まどかはそんなさやかと仁美の間にすぐに
入って雑談に加わったし、ほむらは例の如く一人になって、恭介と一瞬目が合った。

 プイッとそっぽを向かれる。
予想通りの反応だけれど、それでも胸の奥が抉られるような気がした。


 一体、何が起こって、どうやってさやかが戻って来たのかは分からない。
多分、誰に聞いても教えてもらえないだろう。
きっと魔法少女がらみのことなんだろうけど、だからこそ部外者たる恭介には知る権利はなかった。


「おい、上条!」

 どこからともなく現われた中沢がニヤついた顔で声を掛けて来た。
面倒な絡み方に恭介は一瞥をくれただけ。
雑多な感情が胸の内を掻き乱しているのに、馬鹿な友人の馬鹿な話に付き合うだけの気力と余裕はなかった。


 ここ数日、さやかはもちろん、ほむらとまどかの姿も見なかった。
その二人もずっと学校を休んでいた。さやかを探していたらしい。

 そのせいで、言いたいことや訊きたいことを吐き出せず、鬱憤が溜まっていたのだが、
ではいざそれらを吐き出してどうなったかと言えば、今度は後悔や自己嫌悪にまみれるだけだった。




 今は反省をしている。あんなことを言わなければ良かったと思っている。

 ただ、だからどうした、という話だ。

 ほむらに直接謝罪をするチャンスはなかった。


 彼女を深く傷つけてしまったのはよく分かっている。
まともに話したのはあの時が初めてだったけれど、それでも初めての顔合わせでクラスメートたちを
圧倒した(中沢談)美貌と知性を持ち合わせる彼女に悪い気はしなかったし、何より、
特に好意は抱いていないものの、嫌っている訳でもない相手をあれだけ傷つけ怒らせてしまったことに、
どうしようもない申し訳なさや罪悪感を抱いたのだ。

 今日、ようやくそのチャンスが訪れた。
ただ、先程のほむらの態度を見るに、そのハードルはいろんな意味でなかなかに高そうだと思うけれど。


 そして、もう一つ、恭介の心の中である変化が起きていた。

 それは、魔法少女を魔法少女として見れるようになったこと。
彼女たちを、単なる『動く死体』としてみなさなくなったこと。


 その理由は何だろうか?

 ほむらの言った、あの言葉だろう。




 ――――化け物にだって心はあるのよ――――




 心がなければ怒らない。心がなければ涙を流さない。

 彼女たちは、元は自分と同じ人間で、そして今も人間と同じように心を持ち、自分の感情を大切にしているのだろう。

 それに気付いた今、最早彼女たちを否定する気にはなれなくなっていた。

 だから、彼女たちのことを受け入れられるようにもなったのだ。
例えその魂が石になっていたとしても、彼女たちは生きていて心を持ち、笑い、泣き、怒り、悲しむ存在なのだということを。


 するとどうだろうか。


 まるで違って見えた。
記憶の中で、かつて化け物として、嫌悪の対象として避けていた彼女たちの姿が、急に活き活きと輝き出したのだ。
ほむらも、さやかも、あの金髪の少女だって。
みんなその身に血を流し、躍動している。

 表情の微細な変化の一つ一つが、口から発せられた言葉の一言一言が。
圧倒的な質感と熱量を持って思い描かれるようになっていた。
かつて、オーケストラの荘厳で絶句する演奏を聴いた時のように、
あの時の音楽が巨大な音波となって津波のように押し寄せて来るような迫力で迫るのだ。




 その中で、殊更光る星が一つ。

 ほむらの言葉以上に、恭介の心に強く残っているそれは……。



 ――――たった一つの願い事のために、命掛けて、そのためにこんな体になっちまった、バカでマヌケなガキなんだよ!!――――



 化け物にも心はある。
そして、その化け物たちの中で、彼女たちはたった一度の奇跡を願い、かけがえのないものを取り返しのつかない状態にしてまで、その願いを実現させた。
だから彼女たちにとって、その願いは全てだ。
それこそが、恭介にとってのバイオリンと同じく、生きる糧であり、精神の柱なのだ。



 ――それが、魔法少女というものだ。


 答えは初めから教えられていた。それに気が付かなかった恭介が愚かなだけ。

 あの時、自分を押し倒し、その上に跨って涙を流し、怒りに顔を歪めながらそう叫んだ佐倉杏子という少女。

 彼女は、「願いを拒絶するな」と言った。さやかのために。さやかが辛い思いをしないために。


 けれど、本当にそれだけだったのだろうか? 
単に、さやかのことを思っていただけなら、あの言葉は出て来なかったんじゃないだろうか?




 何故、あの時杏子があんなことを言ったのか、恭介は確信に近い答えを出すことができた。

 やはりそれは、杏子自身の体験があったからに他ならないのだろう。
彼女には、恐らく、そして間違いなく、自身の魔法少女としての願いを否定された経験があったのだ。
だから、それによって魔法少女がどれほどの衝撃と裂傷を受けるのか、よく理解していた。

 自分とそう年の変わらないであろう杏子には壮絶な記憶があるに違いない。
あの時、恭介を見下ろしたあの眼は、決して平々凡々な人生を歩んで来た者にはできない眼だった。
強い信念というのだろうか。
あるいは過去の蓄積が燃え上がったような閃光が、確かにその瞳の奥で輝きを放っていた。





 恭介にはそれが分かる。「持つ者」、「経て来た者」のみに通じるそれが。

 バイオリンの世界はシビアだ。そこには情や慈悲など微塵もない。
「才能」、「努力」、「環境」を兼ね備えた実力に加え、運やコネまでが物を言ってくる。
自分の持ち得るありとあらゆる資産・資源を投入しても、挫折を強いられる者など珍しくもない。

 バイオリンは、断じてお坊ちゃま・お嬢ちゃまの道楽ではない。
お受験戦争なんかよりももっと激しく厳しい生存競争にさらされるのだ。
生半可では生き残れない。


 佐倉杏子がバイオリンをやっていたとは思えないが、それに近い世界を生き抜いてきたことは容易に想像がついた。


 それが、魔法少女の世界。化け物と殺し合う世界。


 そこで“生きる”ということの意味。




 心が魅かれた。

 大いに魅かれた。


 佐倉杏子という一人の少女の生き様に、あらがいようのない魅力を感じた。


 決定的に印象が破たんしているほむらではない。
恭介の心に圧倒的な恐怖を植え付けたあの少女でもない。まして、幼馴染のさやかでもない。

 一度会ったきりの、あの不良のような少女なのだ。
お世辞にも素行は良さそうには見えず、言葉遣いも乱暴だった。

 けれど、彼女には他者を思いやる優しさがあった。あるいは、“強さ”と言ってもいい。

 もちろん、恭介の生きるバイオリンの世界にも、そう言ったものはある。
共にバイオリニストを目指す「同志」がいる。
彼らとは親交を深めるし、彼らの成功を切に願う。


 でも、基本は孤独な戦いだ。

 支えてくれる家族や友人、師はいる。
彼らの助けによって今の恭介が成り立っているのも事実だが、やはり“弾く”のは自分一人だけだ。
コンクールで、ステージに立った時、フォローしてくれる人は誰もいない。
己だけが頼りだ。そして、恭介はその世界で結果を残して来た。




 それは恐らく、魔法少女も同じだろう。

 彼女たちは、基本的に、極めて個人的な「願い」に立脚した存在だ。
あの時の杏子の言葉を素直に解釈すれば、そうなる。

 だからこそ、それは“強さ”だと思うのだ。
恭介がどれほど「同志」のバイオリニストたちの成功を願っても、いざコンクールで賞を競い合う関係になると、もう敵同士。
彼らがそこで挫折しても、恭介が審査員に泣きながら懇願するようなことはあり得ない。
冷たいようだけれど、「残念だったね」で終わってしまう。現実はそんなものだ。


 彼女は自分にはない“強さ”を持っている。

 あの時、あの小屋で、杏子の感情を浴びて、恭介は混乱の極みに陥った。
当時はまだ事実を受け入れられていなかったし、感情の整理もついていなかった。
そこに、あれだけの「想い」をぶつけられたのだ。それはそうなるだろう。


 でも、今なら分かる。あれがどういうことだったのか。どういう意味だったのか。



 会いたい。

 会って話がしたい。

 彼女が何を思っているのか。何を見ているのか。

 その全てを、知りたい。






短いけどここまで。

またすぐに来ます。



                


                 *





 そのチャンスは思いのほか早く来た。

 その日の放課後、帰宅途中の恭介の前に、なんと佐倉杏子は姿を現したのだった。
突然の、思わぬ会合に恭介は目を白黒させた。


「よう」


 予め、通学路で待ち構えていたのか、恭介の眼前に立ちはだかった彼女は、素っ気ない挨拶をした。
いかにも、“それっぽい”粗暴な挨拶の仕方だ。

 けれど、悪感情なんて湧かない。

「君は、あの時の……」

 あまり親しげに挨拶を返しても不審がられる。出来るだけ、「それらしい」返し方をした。

「ちょいと用事がある。ついてきな」

 彼女は顎をしゃくって背後を示す。恭介の都合なんて一切考えていないような強引さ。
少し前までの自分なら、それだけで酷く不愉快な気持ちになっていただろう。

「うん」

 けれど、今は素直に従う。

 杏子は恭介が頷いたのを確認して、こちらに背を向けて歩き出した。
恭介もやや急ぎ足でまだ離せない松葉杖を突く。





 場所は、中学近くの公園。つい先日、仁美から告白を受けた公園だ。

 この公園は、見滝原中生の多くが通学路にしている。
恭介も仁美もさやかやまどかも、この公園を通り抜けて学校に通っているのだ。

 ただ、今杏子が足を向けているのはそんな通学路から外れた、公園の端。
そちらは、中学生はおろか、人通り自体が少ない静かな場所だった。
杏子は、人造池の岸辺の遊歩道を歩いていく。


 そのスピードは恭介に合わせてくれているのか、ゆっくりとしたものだった。
初めこそ急ぎ足で彼女についていった恭介だが、歩いているうちに彼女の方からペースを落としてくれたために、
楽になることができた。

 やはり、不良っぽく見えても、心根は優しい子なのだろう。
そういう気遣いができるというのは大したものだ。


 二人は無言で歩いていた。
意外と広いこの公園は、その中央を突っ切る通学路から端までは割と距離がある。
しかも、今はこうしてゆっくりしたペースで歩いているので、それなりに時間がかかるだろう。

 ならば、今のうちに恭介から先に用件を伝えておいた方がいい。

 そう思って口を開いた。


「あのさ」

 ちょっと緊張して声が上ずってしまったのはご愛嬌。
赤いポニーテールが揺れ、後頭部を見せていた彼女が微かに振り返る。



「ん?」

「この間は、ごめん」

「ああ。別にいいよ。アタシの方こそ、いきなり怒鳴ったりして悪かったな」

 再び彼女は前を向く。恭介の目の前ではポニーテールが揺れるだけ。



「それは、僕が悪かったから。怒らせてしまったのは僕の方だったし。
だから、お詫びと言っては何だけどさ、何か食べに行かない?」



 ピタッと、杏子の足が止まった。
それに一拍子おくれて揺れていたポニーテールがだらんと下がって停止する。



「……」




 杏子は何も言わない。恭介の足も自然ととまり、二人はしばらく無言の時間を共有した。




「……」




 否。完全な沈黙ではない。

 杏子は何か言っているようだ。ただ、声が小さすぎて聞こえない。
口の中だけで呟いたような、本人にしか分からない言葉を発している。


 何と言っているのだろうか? 彼女の返事は何だろうか?


 恭介は松葉杖に体重をかけ、前にのめり出すように耳を近付けた。



「……。……そいつは」

 不意に、杏子の声のボリュームが大きくなる。
大きくなると言っても、先程までの会話と同じくらいの声量だけれど。

「メシを奢ってくれるってことかい?」

 背を向けたまま、杏子は尋ね返した。

「うん。何でも言ってよ」

「そっか。……でも、いいや。アンタ、それは他の奴に言ってやんなよ」


 それだけ言って、杏子は歩き出してしまう。




 右に左に、小さく振り子のように揺れ出したポニーテールを凝視しながら、恭介はしばし呆然としていた。
二人の距離は少しずつ離れていく。
後ろで恭介が固まっていることに気が付いていないのか、杏子は先と同じゆっくりとしたペースで歩いて行った。

 恭介の脳はびっくりするくらい働かず、杏子が言ったことをようやく認識できたのは、
彼女との距離が相当に開いてからだった。
離れてしまったことに気が付いて、我に返ったかのように恭介は慌てて歩み出す。




「杏子!」


 公園の端、出口へと向かう石畳の道。両側には木立と立ち並ぶ街灯。
そのうちの一つに背を預けていた少女が声を上げた。

 杏子の足が止まり、恭介が半ば息を切らしながら追いついたところで、待っていたさやかと目が合った。

 すぐに逸らされる視線。その耳は既に赤かった。


「じゃあ、後はアンタらの問題だ」


 杏子は片手を挙げて、素っ気なくそう告げる。相変わらずこちらを振り向こうともしない。


「あ、ありがと」

「頑張れよ」


 さやかとすれ違いざまに、杏子はその肩に手を置き、そっと耳に囁いた。
だが、不思議なことにその声は恭介にも聞こえたのだ。
わざと聞こえるように言ったのだろう。
おかげで、さやかの顔は赤カブみたいな色になってしまった。



 それから、さやかは俯いてもじもじしたまま黙り込む。
恭介も恭介で、動揺から抜け切れず、かといって気を紛らわせるためにさやかに声を掛けようにも、
そんな様子なので何を言っていいか分からず、苦しい沈黙を共有しなければならなかった。


 軽やかな木々の葉が擦れる音がして、冷たくもなく暖かくもない風が頬を撫でた。
さやかのアンシンメトリーなショートヘアも川のせせらぎのように揺れた。
その髪につけられている「ff 」の髪飾りが、澄み渡った青空から降り注ぐ陽光を反射する。





 5月もそろそろ中旬に入る。気温はますます暖かくなって、生地の分厚い冬服のままだと若干の暑さを感じるほどだ。
表皮はそのためか、妙に汗ばんでくるし、そうでなくても体温が急上昇して、恭介は上着を脱ぎたい欲求と喉の渇きを潤したい渇望に駆られた。

 さやかの沈黙は1分ほど続いただろうか。
ただ黙っている1分は思った以上に長く感じられて、実はもっと時間が経過しているんではないかと思われた。
それでも時間が分かったのは、何のことはない、さやかの背後、住宅街が見える公園の出口の手前に、
こちらを向いた時計塔が立っていたからだ。


 杏子の姿はいつの間にやら消えていた。
公園から出て行ったようには思えなかったから、どこかに隠れているのだろうか。
そうだとすれば、先程あんなことを言った手前、さらにさやかとこうしていつまでも黙ったままでいるのを見られるのとで、
結構な気恥ずかしさがあった。




「あ、あのさ」

 時計の秒針が一周とちょっと過ぎたくらいで、ようやくさやかは言葉を発する。

「足、大丈夫?」

 まずは、当たり障りのないところから。

 挨拶のような問いかけに、恭介も社交辞令として返す。

「うん。痛いとかはないよ。来月にはギブスも取れるだろうし」

「そ、そっか。うん。良かった」

 ぎこちないというか、壊れかけのロボットみたいな動きで頷くさやか。
そう言えば、この子は昔から隠し事が下手だった。

 先取りしてこちらから聞くのもいいが、ここはさやかが言い出すのを待とう。
それでも何も言わなかったら、聞けばいい。




「腕の方は、どう?」

「調子はいいよ。今まで通り弾けているし」

「そっか。…………ぁと、私の、願い事は知ってるんだよね」

「うん……」

「あー、あれはね!」

 それまで恥ずかしそうに手を組んだり拳を作ったりして、そわそわしながら話していたさやかの声が急に大きくなる。
目線あはあらぬ場所を泳いでいるが、決して恭介の方を見ようとはしなかった。

「き、恭介の、バイオリンをみんなに聞いてもらいたかった、からなんだ。
うん。べ、別に、そんな下心はないっていうか……。いや、そう言ったら嘘になるんだけど」

「そっか、ありがとう。さやか」

 言葉は途切れ途切れで、何を言いたいかはっきりしない。
けれど、恭介は戸惑いを見せることなくさやかにお礼を言った。

 元々そのつもりで、いろいろあってお礼もお詫びもできていなかった。
ご飯を奢るなら、杏子より先にさやかだろう。
まあ、今はこうして「ありがとう」と口にするだけでもいいだろうけど。

 先程から顔の赤かったさやかはさらに赤くなった。
彼女の白い頬に血の気が射してスモモの様。今にも耳から蒸気が噴き出さんと言わんばかりだ。

「ああ、ううん。ど、どういたしまして……」

 そう言うと、またさやかは黙り込んでしまった。


 恭介は急かさない。焦らず彼女が言い出すのを待っている。
きっと、これからさやかは大切な話をするつもりなのだから。



 それは何だろうか。魔法少女の話だろうか。




 さやかは転と背を向ける。
そして、音を立てて大きく息を吸い込み、吐き、吸い込み、吐きを繰り返す。
たっぷり十数秒掛ける深呼吸を一度、二度、と続ける。

 その間に、時計の秒針は半周を回った。
けれど、さやかは胸に手を当て、肩をはっきりと上下させながら、まだ深呼吸を行う。
心を落ち着かせ、決心を付けるのにはまだしばらくかかるのか。

 そう思った矢先、秒針がもうすぐ一周しようかというところで、彼女は再び恭介と向き合った。




 そこに、つい先程までのはっきりしない態度はない。「決まった」という顔だ。

 頬は変わらず赤いし、耳も真っ赤。気恥ずかしさは抜けていない。

 けれど、その目は真っ直ぐと恭介を見据えている。
静かな蒼い瞳は微かに潤い、鏡のように恭介の姿を映す。
視線は一筋の光線のように恭介を射し、今し方の小さく縮こまった少女の姿はない。





 急にさやかの存在が大きくなった。


 その背後には、閑静な公園と住宅街が見えるはずなのに、どうしてか、
彼女が背負っている何か大きなものに遮られて見えないような気がするのだ。



「恭介」



「……」



「私ね、ずっと恭介のことが好きだったんだよ。昔から、ずっと前から……」



「……」



「だから、もし良かったら、私と――――」












 付き合ってくれないかな。





























 ――――――――――――風が、走り抜けた。






 柔らかに恭介の首を撫でていく温かな空気の衣に、甘い匂いを嗅ぎ取った。



 ああ、そういうことなのか。



 あれも、これも、全てはそういうことだったんだ。




 いや、考えてみれば当然か。
むしろ、何で今まで気が付かなかったのか自分を問い詰めたいくらいだ。


 バチンと、頭の中で何かがはまる音がする。
それと同時に、今の今まで自分でも気が付いていなかった胸の奥の突っかかりが取れた。

 志筑仁美は時々だがこっそりお見舞いに来てくれていた。
いつも必ず一人で、誰とも鉢合わせすることのないお忍び。
余程他人には知られたくなかったのか、その旨を言って見舞いの品の一つも持ってこなかったことをわざわざ詫びていた。

 つい先日、彼女から直接告白されたことを鑑みれば、誰だって彼女が見舞いに来ていたのは、
恭介に対して好意を抱いていたから、と分かるだろう。
もちろん、恭介にも既にそんなことは分かりきっている。


 しかし、もう一人居た。
頻度としてはむしろこちらの方が高く、しかもしょっちゅう安くないレアなCDを持って来てくれていたさやか。

 彼女が恭介に恋愛感情を抱いていることにどうして気が付かなかったんだろう。
仁美の例があって、さやかも同じ感情に突き動かされていたと、何故分からなかったのだろう。



 灯台下暗し。



 まさに、その言葉がぴったりだった。

 あまりにも身近に居過ぎたために、恭介はそんなことなど全く考えたこともない。
さやかが、幼い頃から一緒に居て、何でも分かっていると思っていたさやかが、
そんな感情を自分に向けているなど、想像だにしなかった。


 けれど、さやかにとって、恭介への恋慕の情はそのままの意味で「命を賭ける」に値する宝物だったのだ。

 今更ながらにして、やっとそれを理解することができた。だが、全ては遅きに失している。

 今まで、さやかをそんな目で、そんな対象として、見たことがなかった。それが、総てだった。





 そして、そんな自分が、さやかのことなんて実は何一つ分かっていなかった自分が、
果たして彼女の想いを受け止められるのか。答えは決まっている。





 無理だ。




 何故なら、さやかはその「想い」に命を賭けている。魂を賭している。

 そんなもの、受け止められる訳がなかった。そんな強さなど、どこにもあるはずがなかった。

 今この瞬間、恭介は自分がどれほど脆弱な存在か、骨の髄まで思い知らされていた。


 さやかは大切な幼馴染だ。しかも、自分に再び希望を、バイオリンを返してくれた恩人でもある。

 だから、その想いには応えたい。




 でも、できない。


 無理をしてでも彼女の想いを受け止めたとしても、きっと長くは持たないだろう。
どこかで破綻して、恭介か、さやかか、あるいは両方が不幸な目に合うに違いない。



 さやかは待っている。

 告白の瞬間には真っ直ぐ恭介を見つめていた瞳も、今は地面に視線を落としていて、その光を見出すことはできない。



 早く答えなくちゃ。



 そう思うのに、舌は石膏で固めたかのようにピクリとも動かず、「はい」とも「いいえ」とも言えなかった。




 ああ、こんな時に、あの子のような強さがあれば……。




 ふと思い浮かぶ顔。ついさっきまで一緒に居て、恭介をここまで案内してくれたあの子。


 本当に、馬鹿馬鹿しい。

 どうして、こんな時に彼女の顔を思い浮かべるのか。あまりにも無節操な自分の思考に嫌気がさした。むしろ、惨めになって来る。



 でも……、

 自己嫌悪に陥っている暇はない。

 今は、何とかさやかに対して答えを告げなければならないから。




 意を決して口を開く。

 すると、思いの外すんなりと舌は動き出した。




「え、と……」

 声を発すると、さやかの肩が跳ねた。

 俯いていた顔は上げられ、懇願するような、祈るような切なげな表情で恭介を見つめる。



 頼むから、そんな顔をしないでくれ。




 目を伏せたくなる。ここから走って逃げ去りたくなる。
こんな惨たらしい宣告をするくらいなら、いっそ舌を噛み切った方がましだ。

 だが、恭介の自制心はそれらの欲求の一切を抑圧した。



「ごめん。さやか」



 それだけだ。それだけしか言えなかった。

 理由なんて、慰めなんて、口にする気力なんて一切なかった。

 さやかの目から光が失われていく。
重力に引っ張られるように顎が下がって行き、遂には垂れ下がる前髪でさやかの表情は伺えなくなってしまった。


 何をしたらいいのかが分からない。だから、何もできない。

 ただ見ているだけが、あまりにも辛すぎた。だけど、ただ見ているだけしか選択肢はなかった。

 さやかは――しかし――すぐに顔を上げて、どう見ても無理矢理作ったような笑みを張り付けて、
無理矢理明るい声をひねり出した。

「あ、そっか。やっぱね~。フラれる気がしてたんだぁ。……ッ」

 それでも、全てを取り繕うことはできなかったみたいだ。

 一瞬言葉に詰まって、張りぼての笑顔が崩れそうになる。でも、さやかは耐えることができた。

「……あっ。だから、気にしなくていいよ。それじゃあ、ね」

 軽く手を挙げ、彼女は走り去って行く。

 その背中を見据えながら、恭介は全体重を松葉杖に掛けた。

 膝から力が抜けて、今すぐにでもこの場に蹲りたい衝動に駆られたからだ。



 どうして、自分は何度もさやかを裏切るんだろう?



 どうすれば良かったのだろう?



 誰か、教えてください。







 ――――しかし、恭介は独りだった。



ここまで!


すぐ来るとか言って引き延ばしてすみませんでしたぁ!!
罰ゲームに川の様子見てきます!



大学生じゃないから暇はあんまりないのよ……





「うん! 結構違和感ないわね」



 風を切るは我が愛剣。

 体躯を巡るは我が魔力。

 四肢は軽く、銀刃は滑らかに。

 さやかは振り回していた獲物を地面に突き立てた。


「大丈夫そうね。魔力の流れに滞りはないかしら?」

 それを傍で見ていた紫の少女――パチュリー・ノーレッジが話しかけてくる。

「全然オッケーです。あ、でもちょっと突っかかる感じがするかも」

 それは、何とも言えない妙な感覚だった。

 血が詰まる、というのとはちょっと違う。
一瞬だけ、上手く流れないような、あるいは脳から体の先々まで伝達されるはずの命令が一拍子遅れるような、
そんな微妙な感覚だ。

「そう。後でもう一度見てみるけど、概ね良好ね。調整が巧くできたみたい」

「そっすね~。マミさんとパチュリーさんに感謝しないと」

 機嫌良くさやかは笑う。





 魔女になりかけた後遺症で、さやかのソウルジェムは罅割れてしまっていた。
我ながら、これは大丈夫なのかと、大いに不安に駆られたものだが、見た目ほど簡単に壊れはしないとマミは教えてくれた。

 ただ、それでもやはりソウルジェム自体の強度はだいぶ下がってしまったらしい。
攻撃が掠っただけでも崩壊の危険があるという。
すなわち、さやかは死にやすいということだ。

 これは、さやかにとって大きな問題だった。
何しろ、その戦闘スタイルは剣を用いた近接白兵戦だ。
しかも、腰に近い臍の位置にソウルジェムはあって、かなり攻撃を食らいやすいのだ。

 そういった戦闘スタイルの代わりに、さやかは高い治癒能力を有している訳だが、
さすがにソウルジェムに攻撃を食らってしまえば、ひとたまりもない。
さやかはこれから、敵の近くで致命的な弱点を晒しながら戦うことになってしまう。


 対策を考えた。

 まず思いついたのは、ほむらの持つ四次元ポケットならぬ盾の中にソウルジェムを預けることだった。
まさに、某ネコ型ロボットよろしく、その中には何でも入れることができる。
尤も、本人は専ら武器弾薬を詰め込むのに利用しているようだが。


 ――さて、この試行は結論から言うと、失敗した。

 何故か。それは、ほむらの盾の中にさやかのソウルジェムを入れた途端、さやかは“死んだ”からだ。
異次元空間になっている盾の中からは、例えほむらが近くにいたとしても、100メートルの制限を超えてしまうらしい。


 そこで、また別の方法を考えた。

 それが、攻撃の喰らいにくい、体の後ろに位置を移すこと。
そうすることで、被弾のリスクを最小限に抑える。


 ただ、これも失敗だった。

 それで結局、至極『真っ当』な方法を採るしかなかった。
すなわち、魔力での強度の向上である。
変身後、さやかやあるいは他の誰かが、さやかのソウルジェムに保護魔法をかけて、
攻撃が当たっても壊れないようにする。魔力のコーティングでソウルジェムを強化するのだ。




 さて、その一方で、魔力の使用についてはそこまで問題はない。

 今さっきさやかが試していたのは、魔力が上手く使えるか、ということだったのだが、
武器の取り出し、使用にさしたる支障はない。
敢えて気になるところがあるとすれば、若干スムーズに魔力が流れない場合があるということか。
まあ、一瞬のミスが命取りになるのが戦場な訳だが。


 しかし、例外が一つだけある。

 こんな(少なくとも見た目は)ぼろぼろのソウルジェムが、不具合を起こさないはずがない。
それは、魔法を使ってすぐに現われるものだった。


 濁るのが、早いのだ。


 ほんのちょっとの魔力の使用で、直ぐに濁りが溜まって来る。
魔法少女歴が短いさやかでも、この濁りの速さは異常だとはっきりと感じ取れた。
パチュリーが言うには、恐らくソウルジェム自身が魔力を生み出すのに負担とロスが生じているらしい。

 これが、ソウルジェムの位置を変えられなかった理由だ。
さやかは常に自分のソウルジェムの濁り具合を把握しながら戦わなければならず、それ故に背中など、見れない位置にソウルジェムを置くことができない。
その点、臍の位置はリスキーだがどこよりも見えやすい。

 ベテランである杏子やほむらは、自分がどの程度戦ったり魔法を使ったりすれば、どの程度ソウルジェムが濁るか、感覚的に分かっているらしいが、
さやかはまだそこまでいっていない。
加えて、そのレベルまで達するのに、殊さやかはグリーフシードを要するが、その在庫もそれほどある訳ではなかった。
しかも、もうすぐ「ワルプルギスの夜」という巨大魔女が襲来するというのだから、グリーフシードを乱用する訳にもいかない。

 この問題はさやかたちの頭を大いに悩ませていた。
ソウルジェムがこういう状態である以上、修復は不可能だし、現状出来るだけ魔力を節約した戦い方を心掛けなければならない。
特に、回復の魔法は魔力の消費量が多く、その分濁りも早くなってしまう。
出来るだけ被弾せず、今までとは逆に、能力に頼らない戦いを強いられることになってしまった。


 これでも、できる得る限りのことをした上だが、根本的な解決は叶わなかったのだ。


 その解決に尽力してくれたのが、今もこうしてさやかを見てくれている『魔女』――――パチュリー・ノーレッジ。

 フランの友人で、彼女と同じく『幻想郷』から来たという。
独特の紫の長髪が目立つ彼女は、その種族を「魔法使い」というらしい。
そう、あの魔法使いである。魔法少女ではなく、魔法使いである。

 フランから、「役に立たない知識人」と皮肉られていたが、そんなことはない。
今もそうだし、さやかが魔女に落ちるのを防いでくれた恩人の一人でもある。




 さすがに、「知識人」と呼ばれるだけあって、その知識は豊富だ。
元々、魔法少女のことは“専門外”らしいのだが、どんな質問にも的確に答えてくれる。
複雑なソウルジェムや魔力生成の仕組みを、数日である程度まで解析してしまった凄い頭脳も持っている。

 彼女ともう一人が新しく見滝原にやって来た登場人物たちだ。
その詳しい経緯は知らないが、やはり魔法少女に関わっているらしい。


「やっぱり、これ以上は難しいのかしらねぇ」


 さやかが変身を解き、ソウルジェムを手に持つと、そう言いながら少し離れた場所で見ていたフランが近付いて来た。
その隣にはパチュリー、そしてマミもいる。

 今、彼女たちは市内を流れる利根川の河川敷、大河を渡る国道の橋の下に来ていた。
片側二車線と両端の歩道を支える幅広の橋、日本有数の暴れ川から街を守るための高い堤防が、
橋の下の河川敷を周囲の目から隠している。こっそり魔法の練習を行うには絶好の場所だった。
加えて、雲が全天にのしかかるように広がっているこの天気では、いくら平日の午前中とはいえ、
散歩をしている人は少ない。


 広い河川敷には遊歩道やテニスコートもあったりするのだが、人影は見当たらなかった。
よく橋の下にあるホームレスのバラック小屋もなく、視界の範囲の中にいるのはさやかたちだけ。
ひっきりなしに上の橋を通り抜ける車の騒音が、この街が活きていることを表していた。

 杏子とほむらは魔女退治に向かっている。
さやかのこともあるし、「ワルプルギスの夜」にも備えなければならないから、グリーフシードがとにかく欲しいのだ。
昨日こそ学校に出席して我が身の無事を周囲に示したさやかだったが、今日からまたしばらく休まなければならない。
巨大魔女と戦えるよう、少しでもスキルアップに努めたかった。

 そのさやかとほむらの代わりと言っては何だが、まどかが学校に行っていた。
「さやかちゃんとほむらちゃんの分までちゃんと勉強してくるからね」と、そう言って今朝登校していったまどか。
成績はさやかとどっこいどっこいなので心配だ。
というか、補習の常連であるさやかにとって、今更成績が多少下がろうが、どうということはないのだが。


 したがって、今この場にいるのはさやかとマミ、フランにパチュリーだけだった。

 もちろん、何のためかと言えば、ソウルジェムの調整である。
罅割れた状態のジェムで戦えるのか確認しなければならなかったし、不具合も調べなければならなかった。何より、さやか自身が不安だった。

 調整にはパチュリーやフランがあれこれ論議していたが、それそのものについてはマミが行った。
というのも、パチュリーもフランも、結界の外ではほとんど無力だからだ。
二人がマミに指示し、マミがそれを聞いてさやかのソウルジェムにいろいろな魔法をかけたのだった。




 マミの魔法はリボンを媒介にしてジェムに作用していた。それが彼女の『能力』らしい。

 何でも繋げてしまうだとか、フランはそんなふうなことを言っていたが、正直さやかにはよく分からなかった。
魔法少女時代よりずっと強力な魔法に進化した、というのは何となく理解できたけれど。


 そして、それが、悔しかった。


 さやかは、契約して魔法少女になって、最初の魔女戦で仁美たちを助けることができた時から、
自分は憧れの境地に踏み込むことができたんだという満足感や充実感を抱いていた。

 やっと追いつけた。やっと肩を並べられる。

 華麗に闘う彼女の隣に、遂に立つことができるんだ。
そんな、喜びや誇らしさが胸を満たしていたのだ。
それは魔法少女になったことで、そして人々を助ける“ヒーロー”になったことで、実現できたのだから。


 だから、楽しみにしていた。

 不幸な目に遭ってしまったマミが復帰し、彼女と共に戦うことを。
いずれ、マミに背中を任せてもらえるようになることを。

 マミのようになりたかったのだ。

 ――――そのマミが、さらなる境地に進んでしまったのだから、「悔しい」気持ちにもなろう。
しかも、自分は逆に大きなハンデを背負うことになってしまったのだ。

 吸血鬼と魔法少女の差というものは、今まででも散々思い知らされてきた。
そこには越えられない隔てりがあり、彼女はその向こう側にいた。

 いずれ、努力すれば記憶の中のマミには追い付けるかもしれない。
現実に彼女に認められて、その背中を預けてもらえるようになるかもしれない。
杏子には負けたくない。


 だけど、きっと肩を並べることはできないだろう。

 マミの隣には、彼女と並び立つ資格を持っているのは、フランドールしかいないのだから。



 それが、「悔しい」。とても、「悔しい」。



 ただ、それはネガティブな感情ではない。あくまで、明るい気持ちなのだ。

 悔しさの中に、どこか清涼としたものが混じっている。
胸の内には「嫉妬」なんてドロドロとしたものは全く存在せず、夢を追い求め続けられるようになったことへの歓喜があった。
眼前には広々とした草原と抜けるような青空が広がっていて、大きく息を吸い込み、腹の底から叫び声を上げながら、
その地平線へと風のように走って行きたくなるような、そんな「悔しさ」だ。

 果たして、それは「悔しさ」と呼べるのかは知らない。どうだっていい。そんなことは。



 もっと平たく言えば――――燃えるのだ。






 さやかの心には火が着いてしまっていた。もう消えない。もう止められない。

 マミが天空に浮かぶ満月ならば、さやかはその金の光の出所を目指して空を飛ぶ鳥だ。
決して到達できないからこそ、そこへ目指して飛び続けられるのだ。


 慰め? 開き直り?


 ううん。違う。本当にそう思っている。

 理由は当然のことだ。超えられない目標だから目指す訳じゃない。

 “超えられると思っている”から目指すのだ。

 こんなに馬鹿馬鹿しい考えは他にないに違いない。
一方でマミに並び立てないと理解していながら、他方で彼女を超えられると信じている。
愚直というか、支離滅裂というか。


 でも、その二つは矛盾しない。両立できる。

 確かに、吸血鬼と並ぶことは魔法少女で、しかもハンデを負ってしまったさやかには無理かもしれない。
けれど、それを超えることはできるはずだ。




 マミ以上の、街を守る正義のヒーローに。





「ちょっと見せてくれるかしら?」

 近付いて来たマミに頼まれると、さやかは素直に手に持っていたソウルジェムを差し出した。
マミはそれを受け取ると、フランとパチュリーとともに顔を突き合わせるように覗き込み、
何やらまた難しそうな話をし始めた。

 さやかの目はマミに固定される。

 その顔は真剣そのもの。だからこそ、自分の総てをこうして安心して預けられるのだ。



 やっぱり、マミさんは安心感が違うよね。



「取り敢えず、今できることはやりきったわ。後は、ソウルジェム自体をどうこうするより、どう戦うかを考えていった方がいいわね」

 難解な議論は終わったのか、締め括るようにパチュリーが言った。
ソウルジェムがマミの手からさやかに返され、さやかはいつものようにそれを指輪の形に戻す。
そうしながら、今ひとつピンとこなかったパチュリーの言葉について訊き返した。

「どう戦うかって?」

 魔力を節約する戦い方は今でも意識している。それとは違うのだろうか。





「さやか自身が工夫するというより、チーム戦を意識すると言ったところかしらね」

 パチュリーに代わってフランが答えた。本当に、この二人は以心伝心らしい。
お互いのことがどれだけよく分かっているか、ということについては、フランとパチュリーは、フランとマミ以上の関係にあるのかもしれない。

「チーム戦?」

「そう。多分、ワルプルギスの夜との戦いで主な戦力となるのはマミとほむらだわ。この二人の火力で魔女を倒す。
杏子は前に出て攪乱役に徹する。能力的にもそれがはまり役だと思うし。で、咲夜とあなたがマミとほむらの護衛。
咲夜はほむらの、あなたはマミのボディーガードよ。
使い魔に気を散らされないように戦わないといけない。
必ずしも倒す必要はなくて、マミが景気よくぶっ放している間に、使い魔を近付けさせなければそれでいいの。
それなら、魔力の消費も抑えられるでしょう?」

 確かに。「そうだね」とさやかは納得して頷いた。

 なるほど、既にフランの頭の中ではワルプルギス戦の作戦が出来上がっているらしい。
言っていることは最もだし、さやかに異論はない。

 さやかの役目は、マミに張り付いて彼女を守ることだ。


「頼むわよ、美樹さん」

「ハイッ! 頼まれます!」


 さやかは元気よく敬礼しながら返事した。

 マミを守るという使命。それを課せられたことに、さやかの心は満たされた。
今まで彼女に守られ、助けられるばかりだった自分が、ついに彼女のために戦うことができるようになる。



 棚から牡丹餅とはこのことか!



 本来なら、守られる必要もない吸血鬼。
そんな彼女を背にして剣を振るえるということが、それだけで彼女に追い付き追い越すチャンスを与えられたように思えたのだ。
それこそ、登竜門かもしれない。
そこで彼女に認められれば、さやかは本当に一人前の魔法少女に成れるのではないか。
何より、人々を守れる正義の味方に成れるのではないか。


 無理して戦っていたあの頃とは違う。
魔法少女でいることを、自分から、現実から逃げるための言い訳にしていたのとは違う。




 一刀入魂。乾坤一擲。




 我が愛刀は、我が正義においてのみ振るわれる。

 それが、私の戦いだ。






「任せて、下さい」

「フフ。任せるわね」

 マミは嬉しそうに微笑んだ。さやかも、同じような顔をしていたと思う。

 マミは後輩の成長を喜び、さやかは先輩と戦えることを喜んだ。



「さあ、そろそろお腹も空いてきたし、暁美さんの家に帰って何か食べましょうか」

 パチンとマミは手を鳴らした。それを合図に、さやかの思考が切り替わる。

 そう言えば、もうそろそろお昼時だ。
鍛錬に夢中で気が付かなかったが、マミに言われて俄かに腹の虫が騒ぎ始める。
飯を早くよこせと、胃袋も空っぽになった体が言う。


 つい先日まで、さやかにとって食べることは全く無駄なことであった。
何しろ、この体は魂の入っていない抜け殻なのだから、それを養ったところでどうなるというのだ。
それでも脳は空腹を訴えかけるので、無理矢理魔法で誤魔化していた。


 だが、今はそんなふうには思っていない。考えが変わったのはつい最近のことだった。

 失踪してから、さやかは何の食べ物にもありついていなかった。
「食べる」という行為に全く意味を見出していなかったから当然だ。
けれど、そんな時に料理がべらぼうに巧いマミと咲夜が丹精込めて作った、
これまた一目見るだけで涎が滝のように零れ出すほど美味そうな料理を目にして、
本能の赴くままに飛びつきひたすら腹の中に詰め込んで、舌が至福に包まれる感覚を自覚した時、
そんな考えは銀河の彼方に吹き飛んで行ってしまった。


 「食べる」ことがこれ程幸福だとは思わなかった。
それは人間であっても魔法少女であっても同じ。
そして、魔法少女である以上、常に魔女と戦い続けなければいけず、そして魔女退治というのは魔力とともに、結構カロリーを消費するものだった。

 つまり、いくら食べても戦いで脂肪を消費するのだから、体重計の針が想定外の、そして許されざる領域まで振れることがない。
さやかは、同年代の少女たちが持つ共通の大いなる悩みから解放されたのだ。


 食っても食っても大丈夫。オーキー・ドーキー、ヘイ、ボーキ! って、頭の中で何かが……。
慢心ダメ! ゼッタイ!!






 彼女の料理を食べられるのだ。
すっかり餌付けされてしまったさやかは、無意識的に唾を飲み込んだ。

 しかし、残念なことに今回はそうはいかない。そうはいかない用事がある。


「えっと。ごめん、マミさん。家に帰んなくちゃいけなくて……」


 それを言うのは躊躇われた。

 せっかく料理を作ってくれるマミを失望させてしまうからではない。
そうではなくて、マミに家族のことを話すのが気まずいのだ。

 昨日、さやかは失踪してからずっと連絡を取っていなかった家に電話をした。
さやかが見つかって、友達の家(ほむらの家)に居ること自体はまどかが伝えてくれたらしいが、
両親と直接話をするのはその時が失踪して以来初めてだった。


 言うまでもなく、父親と母親はさやかのことを心配していた。
ずっとその無事を祈っていた。
だから、電話越しにさやかの声を聞いた時、初めに応対に出た母の声が崩れたのも致し方のないことだったろう。

 二人はさやかに対して怒ったり、家出していたことを咎めたりはせず、ただひたすら安堵していた。
それを聞いて、さやかもようやく自覚したのだ。
自分がどれほど家族に迷惑をかけたのか、どれほど心労を押し付けてしまったのか。

 両親は、帰っておいでと言った。さやかは、明日帰ると答えた。

 さやかには、まだ帰る『家』がある。
そこで待ってくれていて、温かく出迎えてくれる人たちがいる。


 けれど、マミにはいない。彼女には、家族がいない。

 それはどれほど寂しいことなのだろう。家族がいたことがないという経験をしたことがないさやかには理解できなかった。
自分を生んでくれた両親という特別な存在を失い、ずっと孤独に身を痛めながら時を過ごしていくということが、
どんなに辛く冷たいことなのか、想像もつかなかった。


 彼女は今も家族を持たない。
眷属の主であるフランドールも、それはそれで特別な関係であるに違いないが、彼女はマミの血縁者ではない。
吸血鬼としての生みの親ではあっても、「巴マミ」自身の生みの親ではない。

 誰にもマミの家族の代わりは出来ない。
さやかにも、まどかにも、杏子にも、フランにも。
友達に、主に、後輩に、戦友になることはできても、それだけは出来ない。


 一体、誰が彼女を温かく、優しく包み込んで、抱きしめてあげられるのだろう。
愛情を注ぎこんで「親」の存在を確かめさせてあげられるのだろう。
いつもお姉さん然としているマミの見栄を剥がし、子供として甘えることを許せるのだろう。

 マミにとって世界でたった一人ずつしかいない父親と母親は天国に行ってしまっていた。

 それがどういうことなのか、自分の両親と話し、その存在の大きさと温かさを実感して初めて、
さやかはようやっと理解したのだ。





 だから、彼女の前で家族のことを、さやかにはまだそれがあるということを意識させてしまうのが躊躇われた。

「あら。それじゃあ仕方ないわね。ちゃんとお家の人に元気な姿を見せて、それから謝るのよ。
きっと心配してたと思うからね」

 だというのに、マミは笑っている。
別段気を悪くした様子もなく、その声には温かさと優しさと、慈しみが詰まっていた。

 マミは、幸せにならないといけない。彼女は不幸になってはいけない。


「うん、ありがと」


 さやかは涙を零しそうになるのを必死で堪えながら頷いた。
今泣き出したりなんかしたら、きっとマミは心配してしまうだろう。それは防ぎたかった。

 いつから自分の涙腺はこんな緩みやすくなったのだろうか。
思えば、最近泣いてばかりな気がする。

 これ以上はもたないから、さやかは踵を返し、マミに背を向けて走り出した。


「マミは罪な女ねぇ」と、呆れたようにフランの呟く声が聞こえて来て、
だけどさやかはそれに対するマミの返答は耳にしなかった。しないことにした。








ここまで


まどマギはセカイ系だから主人公はまどかとほむらの二人になるんだと思います。


さやかが主人公なら「努力」「友情」「勝利」のワンピとかナルトに。

杏子ならブラックラグーン。


マミさんならブリーチ。

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