ミュウツー『……これは、逆襲だ』 (1000)


――誰が生めと頼んだ

――誰が造ってくれと願った

――私は、私を生んだ全てを恨む

――だからこれは

――攻撃でもなく宣戦布告でもなく

――私を生み出したお前たちへの


ミュウツー(……忌々しいニンゲンどもめ)

ミュウツー(こんな場所を、飽きもせずによく監視し続けられるものだ)

ミュウツー(と言いたいところだが……)

ミュウツー(奴らが来るようになってしまったのは、つまるところ私がここに逃げ込んだせいか)


暗く、じめじめとした洞窟の中で、ミュウツーはそう思い至った。

この予想は、残念なことにほぼ当たっている。


かつて、自分のいた研究所を破壊して逃げた。

人間が作り、ミュウツーを作り、そして消滅した研究所。

いい思い出などほとんどなかったが、それでも自分の居場所だと思っていた時期もあった。


『私』が生まれた。

『私』を、誰かが『ミュウツー』と呼んだ。

『私』は、『ミュウツー』と呼ばれるようになった。

『私』はその箱庭で、時を過ごした。



SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1373648472

・赤緑~BW2までの本編ゲーム世界に『逆襲』+首藤設定の要素を詰め込んだカンジです

・上記をベースにはしていますが、たぶん独自設定や妄想がたくさん織り込まれています

・VIP風SSに不慣れなので、カギカッコ前に名前はつきますが地の文がかなり多いです

・本当は完結させてから一気に投稿する予定でしたが、映画放映前に公開したかったので、
  書き進めながらですが、少しずつ投稿を始めることにしました

・結末は既に考えてあり、現時点で全体の半分(予想)くらい書き終わってる…と思います

・時間はかかるかもしれませんが、必ず完結させたいので宜しくお願いします


誰かがやって来た。

そして、何かを言った。

何かを思い出しそうになった。

何を言われたのかは、よく憶えていない。

最後の瞬間、あの男と目が合ったことは、よく憶えている。

白衣を着込んだ人間達から、フジとか、博士だとか呼ばれていたあの男。

『父親』であったような、『創造主』でもあったような。


人間が寄りつかないだろう場所を探して、ハナダの洞窟に辿り着いた。

だが、見たこともない不審なポケモンがやってきたところで、異物以外の何者でもない。

異物が迷い込んだ洞窟では野生のポケモンたちが騒ぎ、人間の関心を引いた。

逃げ込んだ当時は、人間が出入りしている形跡など、ほとんどなかったはずだ。

なのに、ミュウツーが居着いてからしばらくすると、時折トレーナーが訪れるようになっていた。


はじめのうちは、トレーナーのぶつけてくるポケモンを戦闘不能に陥らせ、記憶を弄って追い返していた。

そのうち、わざわざ相手をする義理がないことに気づいた。

それからはいきなりトレーナーの方を昏倒させ、記憶操作と催眠術をかけて追い返すことにした。


そういう生活がどれくらい続いたのか、もう思い出せない。

ほんのわずかな期間だけだったような気もするし、随分長い間、そういう生活をしていたようにも思えた。

時間の概念はだんだん薄れ、ただ空腹と眠気の繰り返しだけが時の移ろいを測る尺度になっていた。


ある時を境にぱったりと来訪が途絶え、かわりに出入口を人間が監視するようになった。

記憶を消す処理に手落ちがあったのかとも思ったが、そういうことではないようだった。

野生のポケモンたちも落ち着きを取り戻した。


ミュウツー(いずれにせよ、この洞窟に潜伏するのも潮時ということか)


夜闇に紛れ、ミュウツーはハナダの洞窟を去ることにした。

洞窟の奥は光も届かず、夜昼の区別なく常に陰鬱である。

急に日光の元に出て行くのは気が進まなかった。

荷物はただひとつ、逃亡の際にたまたま掴んだ薄汚いシーツだけ。


あのフジという科学者は死んだだろうか。

それとも、生き延びているだろうか。

死んでいて欲しい気もした。

だが一方で、死んで終わることも許せないように思った。

復讐したいのだろうか。

憎んでなどいないといえば嘘になるだろう。

こんな自分を生み出した『父親』を。

醜く、いびつで、不自然な存在に生んだ『創造主』を。

こんな自分に生まれたいと思ったことなどない。

こんな命を与えたのは誰だ。

誰が、生み出してくれなどと頼んだ。

『生みの親』すら認めようとしない命に、存在する意味などあるのか。

誰一人、『私が私である』ことを認めてくれなかった。

では、誰かに『私自身』を認めてもらえれば、満足できたのだろうか。

誰に認めてもらいたかったということなのだろうか。

そうであるような気もするし、少し違うような気もした。


もうたくさんだった。

自分のことなど考えたくもなかった。

遠く離れたかった。

自分を切り刻んでデータを取るような連中からも、遠巻きに奇異の目を向けてくる連中からも。


ぴたぴたと静かな足音を立てて歩く。

湿り気の強い洞窟内の水辺には『本当の』野生のポケモンたちがいた。

息を潜め、ミュウツーの様子を伺っている。

結局ここの連中とは、意思の疎通すら叶わなかった。

ただ避けられた。

ただ畏れられた。

向こうにしても、ミュウツーの存在は理解不能だったに違いない。

気味が悪いと思われていたはずだ。

そうに決まっている。


ミュウツー(海の向こうにも陸があるという。そこまで行けば、あるいは……)

ミュウツー(できれば、ニンゲンもポケモンもいないところがいいのだが)


人間の監視のない小さな岸壁の裂け目から、這い出すように洞窟を出た。

外は、思いがけず冷たい風が吹いている。

洞窟の中からも、洞窟の外の茂みからも視線が突き刺さった。

そんな気がした。

視線が嫌だったのか、ただ風が寒かったのか。

誰かからの視線を遮るように、シーツを羽織る。

ふわりと浮き上がり、空を駆ける。

はじめはゆっくり、少しずつ速度を増す。

大小の陸地が眼下を過ぎていく。

突然、黒々とした大海原が広がった。

バタバタとシーツがはためく。


ミュウツー(飛び立ってから考えるのも我ながら無計画甚しいが)

ミュウツー(向こう側の陸地に着くまで、体力が保つだろうか)


空が白みかけてきたその頃、限界が訪れた。

ガクリとスピードが落ち、コースの維持が難しくなった。

身体に力が入らない。

それも致し方ない。


餌の見つけ方など知らなかった。

洞窟にいた他のポケモンたちを『食べていい』ものなのかどうかすら、わからない。

分厚い強化ガラスの筒の中では、考えたこともなかった。

もっとも、そんなことを考える必要もなかったのだが。

しかし人間の手と目を逃れ、ハナダの洞窟に行き着いたことで、そういうわけにもいかなくなった。

ミュウツーは気分が悪くなるほどの『空腹』を、そこで生まれて初めて感じたのだった。


他のポケモンがそうするのを見て、ミュウツーは壁の苔を毟って齧った。

そして吐いた。

味の善し悪しなどわからなかった。

だが今齧った苔が決して美味いものではないこと、身体が拒絶反応を示していることは理解できた。

それでも、もう一口齧る。

さっきよりは少し、抵抗がない。

これなら、大丈夫かもしれない。

遠巻きに見るポケモンたちは嫌そうな顔をした。

だが睨みつけると、諦めたように去っていった。

何度か苔を齧っていると、少しだけ空腹が紛れた。

おかげで死ぬことはなかったが、まともな健康状態とは決して言えなかった。


自分は本来、何を食べて生きていくべき生き物なのだろうか。

空腹を覚え、水を啜りまずい苔を齧るたびにそのことを考えた。

誰も教えてくれなかった。

『父』も。

『誰か』も。

命あるものとして最低限の知恵さえ持たない自分に腹が立った。

考えたくもないのに、腹を空かせるたびに自分の存在を突きつけられるのも嫌だった。

『普通』の生き物なら、『まとも』な生き物なら……。

まるで、自分が『まともな生き物ではない』と嘲笑されているように感じた。


ミュウツー(海に落ちたら……流石に、それまでかもしれないな)


どこまでも青い海を見て、一瞬、破滅的な考えがよぎった。


しかし、向かう視界の片隅に大きな陸地が見え始めると、意外にもそんな考えは掻き消えてしまった。


ミュウツー(……まだ、死ぬわけにはいかない)


もはや振り返っても、かつて自分がいた大地は見えないだろう。

本当に振り返る気力は、もうない。

だが、そう想像してみるだけで何かを遣り遂げたような、不思議な達成感を覚えた。

生まれて初めて、人間の手から逃げおおせた。

もう、誰かに拘束されることもなく、好奇の目に晒されることもない。

不愉快な思いをせずに、生きていけるかもしれない。

自分の本当の姿を突き付けられることなく、過ごせるかもしれない。


ミュウツー(だが、そろそろ……限界だな)


いくらか心が昂ぶり、近づきつつある大陸がはっきりと目に入った。


ミュウツー(あれは……別の陸地か……)

ミュウツー(……寒……い……)


とうとう意識と推進力を失って、ミュウツーは墜落した。

望んでいた僻地ではなかった。

広大な森林が広がっている。


はじめに、着地の衝撃と土煙を認識できた。

地面も抉れ、自分も相当に傷を負ったはずだった。

痛みのあまり、擦り切れつつあった意識を取り戻したからだ。

ぼんやりと霞んだような五感に、周囲の誰かの声が届いた。

聞いたことのない鳴き声だった。

ここに住む野生のポケモンだろうか、とミュウツーはぼやけた頭で考えていた。


――カサカサ

――チィチチッ……

――オチテキタ

――オソラ カラ


言葉が聞こえた。

妙な響きと聞き取りにくさのある、たどたどしい声。

その『声』が放つ、人間の言葉が。


――フッテキタ

――カチカチカチ


ミュウツー(……だ、れ、だ……)


――コイツ ミタコト ナイ

――コワイ

――ポケモン カナ

――ニンゲン カナ


ミュウツー(私は……ニンゲンなどではない。それだけは違う)


――ワルイヤツ ダヨ

――コワイネ

――コワイ


目を開けていなくても、今にも気絶しそうでも、注がれる視線は肌に痛かった。

もはや、立ち上がって敵意を剥き出しする力もない。


ミュウツー(……ニンゲンではないというなら、私はポケモンなのだろうか)

ミュウツー(私は、いったい何者なのだ)

ミュウツー(ここは、どこだ)

ミュウツー(なぜ、ここにいるのだろう)

ミュウツー(貴様らは……)

ミュウツー(……貴様らは、誰だ)


ざりざりと草を踏み締める音が聞こえる。

近づいてきている。


――ミタコトナイ、ヤツダ

――タスケルノ?

――タス……ケル


聞き取りにくい声たちが、頭上を行き交っている。

ここには、人間がこんなにいたのだろうか。

ああ……それでは、苦労して飛んできた意味がないではないか。

そして、ひときわ大きな影が覗き込んで――今度こそ、ミュウツーは意識を失った。





夢を見た。

沈んで行くような、浮き上がっていくような。

そこに誰かがいる。

小さな太陽のように、暖かい光の塊がいる。

『それ』は優しいものだ。

『それ』は教えてくれた。

『それ』は、たくさんのことを教えてくれた。

「生きているって、きっと、とっても楽しくて、とっても素晴らしいことよ」




ミュウスリーだっピ!!!!!!!!

今回は以上です。

始めます。
完結に向けて頑張ります。

>>12 ギエピー!



ミュウツー(ここは、どこだ。私は……)


目覚めると、大きな木のうろの中で仰向けに寝かされていた。

足元には口のような穴があり、昼前と思しき日射しが、自分の足先を焼いている。

それが妙に眩しく、思わず眉を顰める。

身体を起こそうとすると、全身に鈍い痛みが走って息が止まった。

思うように起き上がれない。

どおん、どおん、と、どこかから音が響いている。


ミュウツー(うぐっ……)


それでも無理に起き上がろうとするが、結局断念した。

身体が怠く、右肩が痛い。

脳は動けと指令を出しているのに、身体がその通りに動かなかった。

ならばと身体を浮かせと念じてみても、やはり思うように物事は運ばない。

経験したことのない不快感に、苛立ちが募った。

溜息をついてまわりを見てみると、どうやら自分は、葉を敷き詰めて作った寝床のようなものの上にいる。

シーツはいくらか傷んでいたが、失われることもなく身体に被せられていた。

痛む右肩のあたりから、ツンとした匂いがする。

磨り潰した草のようなものが右肩に塗りたくられていた。


ミュウツー(これは、怪我の治療のつもりか)

????「あっ おきた!」

ミュウツー(!?)


突然声がしたので慌ててそちらを見るが、誰もいない。

既に走り去ってしまったようだ。


ミュウツー(ニンゲン……ではないな。今の声)


手を動かしてみる。

丸みのある三本の指は、脳の指令通りに動いてみせた。

こちらは両手とも、問題はなさそうだった。

脇腹のあたりをぶつけたらしく、少し痛む。

ゆっくりと首を回し、頭を振ってみる。それほど辛くない。

ならば、無理やりにでも立ち去るか。

そう思った瞬間、再びうろの入り口に影が差した。


????「あーっ うごく だめ!」


見たことのないポケモンが、木のうろの外からこちらを覗き込んでいる。

背はそれほど高くなく、頭の上に葉が数枚、揺れていた。


ミュウツー『!? ……だ、誰だ』


反射的にテレパシーを飛ばし、その相手にぶつけていた。


????「えっ……こえ きこえる???」


声の主は辺りを見回した。

しばらくキョロキョロとして、再びミュウツーに視線を向ける。

最終的に、目の前の存在こそが、声の源であることを理解したようだった。


????「こえ……なの?」

ミュウツー『き……貴様は誰だと聞いている』

????「チュリネ? チュリネはー チュリネ!」

チュリネ「げんき? おなか すいた?」

ミュウツー(……)

チュリネ「あのね、これ あげる にーちゃん いった」


そう言いながら、チュリネは目の前にきのみをぼろぼろと落とした。

ミュウツーは呆気に取られ、反応すらできずにいる。

目の前にいる小柄なポケモンが、ひどくたどたどしいながら、人間の言葉を吐いていたからだ。

意味が分からなかった。

テレパシーを使っているのかとも思ったが、声は確かに聴覚を刺激しており、直接頭の中に響いている様子もない。

どおん、どおん、と、どこかから音が響く。


チュリネ「はい どーぞ」

チュリネ「げんき なったら にーちゃんとこ いこ!」


きのみのことだけを言い残すと、チュリネはくるりと向きを変えて走って行く。

ミュウツーは何か反応しようとして、結局間に合わなかった。

目の前には、甘ったるい香りを放つ、桃色のきのみだけが残された。


ミュウツー(ただの……野生のポケモンが、私を助けたのか……?)

ミュウツー(しかも、奴が話していたのは……紛れもなくニンゲンの言葉だ)

ミュウツー(『ただの』野生のポケモンでは、ないのかもしれん)

ミュウツー(……わからん)

ミュウツー(あのポケモン、これを食べろと言っていた)

ミュウツー(これは、食べ物なのか)


見たことのない物体だった。

心地良い香りが鼻を刺激する。

苔よりは、ずっと惹かれるものだ。


ミュウツー(……腹が減っているか、だと?)

ミュウツー(腹は……減っているに決まっているではないか)


生きるために、何かを食べるのは当然のことだ。

だというのに、誰かに見られるのが異常に恥ずかしい。

見せたくない自分のはらわたを、人目に晒すような気分だった。

誰にも見られていないことを確認すると、痛くない左腕を伸ばして、きのみの一つを手に取った。

どおん、どおん、と、どこかから音が響く。


ミュウツー(……こんなもの、研究所でも洞窟でも見たことはない)


生まれてこの方、こうした固形のものを食べたことはなかった。

見たことも、聞いたこともない。


ミュウツー(いや、そうでもないか……)


ガラスの筒の中で、存在だけは聞いていたような気がした。


ミュウツー(あのコケより、マシだといいが……)

ミュウツー(……いい匂いだ)

ミュウツー(もぐっ)

ミュウツー(……う……)


鼻を通り抜ける甘い匂いと口に溢れた果汁に、気が遠くなりそうだった。

頭の中に、言葉にできない不思議な感情が湧いた。

胸がそわそわするような、身体が喜んでいるような感覚。

それは、『おいしい』という概念だった。

腹一杯食べるとまた眠くなったので、ミュウツーはシーツにくるまって眠ることにした。

モノを食べて腹が膨れるという体験も、この時が初めてだった。

ときどき、地面に響くような轟音がどこか遠くから聞こえている。


ミュウツー(……雨も……降ってないのに……雷……か……?)


そんなことを考えながら、ミュウツーは眠りに落ちた。



夢を見た。

『私』は、ぬるい水に浮いている。

ぬるい水の見通しは悪く、奥底に何がいるのかわからない。

ぽちゃり、と音がして水面に誰かの細い手がひとつ、浮き上がってくる。

ぽちゃり。

ぽちゃり。

ぽちゃり。

その手たちの向こう、どんより濁った水の底から、ごぼごぼと声がした。

「それは、わたしのもの」



再び目が覚めると、日はすっかり傾いていた。

昼間よりだいぶ涼しくなっている。

無意識に、眉間に皺が寄っていた。


ミュウツー(不愉快な夢を見た……気がする)

ミュウツー(身体は、もう動かしても痛くなさそうだな)


だが、相変わらず力を発揮できる気配はない。

疲労のためなのか、別に理由があるのかは、自分でも分からない。

もうしばらく、無力な存在でいなければならないようだった。


チュリネ「おはよ! おなか いっぱい? おいしーかった?」

ミュウツー(ッ!?)


近づいてくる気配に、まったく気づけなかった。

さきほどのチュリネが、うろの入り口から自分を見ている。


チュリネ「げんき! じゃあ にーちゃんとこ!」

ミュウツー『に、「にーちゃん」……?』


相変わらず声は聞き取りづらい。

一方、こちらの伝達はテレパシーである。

こちらからの問いかけは、鮮明に届いているはずだった。

『にーちゃん』とは、なんだろうか。

人間の研究所にいた頃の知識を総動員する。

『にーちゃん』とは、『兄』の極めて砕けた言い方だ。

『兄』と呼ばれるのは共通の生みの親を持ち、先に生まれたオスの個体を指すはずだった。

ある意味で、『兄』のような存在は、たくさんいたといえるかもしれない。

自分より先に生み出された、呪いの子。

ガラス筒の中から出ることなく、消えていった『兄』や『姉』たち。


チュリネ「にーちゃん げんき なったら よんで って」

チュリネ「おけが いたい?」

ミュウツー『……そいつも、ポケモンか』

チュリネ「うん! にーちゃん とーっても つよいポケモン!」

ミュウツー『そ、そうか……』

チュリネ「にーちゃん たすける いった!」

ミュウツー『わ、わかった、わかった……』


理由は分からないが、このチュリネは興奮しているようだ。

これ以上この会話を続けていても、大した情報は得られないだろう。

それより、『にーちゃん』と呼ばれるポケモンに会った方が、現状を把握するにはいいはずだった。

のっそりと起き上がり、節々の痛みを堪えながら木のうろをくぐる。

チュリネはすでに歩き出していた。ついてこいと言わんばかりだ。

シーツを被り、不本意ながらついて行く。


のろのろと歩く。

体中に鎖かツタが絡みついて、歩みを邪魔しているような気がしている。

かろうじて交互に足を送り出し、少しずつ前へと進んでいた。

歩く行為そのものに慣れていないのだということに、本人は気づかない。

チュリネは親切な介助者のように振り返り、追いつくのを辛抱強く待っていた。

それを、敵意と憎しみを込めて睨み、牽制する。

だがせっかくの牽制も、伝わっているとは到底思えなかった。


くさむらに、ポケモンたちが身を潜めているのがわかる。

この闖入者を嫌悪し、恐れているのだろう。

そうに決まっていた。

仲間ではない何かを見る視線。

異物を見る視線。

排除すべき対象を見る視線。


ミュウツー『どこまで行く気だ』

チュリネ「すぐ! にーちゃん 『シュギョー』してる」

ミュウツー『修行? なんの修行だ?』

チュリネ「どーんどーん! してるの。……あれっ もうしてない」

ミュウツー(???)

チュリネ「よかったぁ にーちゃんね シュギョーだと おはなし きいてくれないの……あっ!」


チュリネが何かに気づき、速度を増して駆けていく。

その先には、巨大な倒木の上であぐらをかく誰かの姿があった。

巨木には、抉ったような大穴が開いている。

周囲に木屑のようなものを撒き散らし、あたりに生っぽい木の香りが立ち込めている。

この瑞々しい香りは、大穴が今さっき開けられたものだということを伺わせた。

あぐらをかく『誰か』はこちらに背中を向け、表情はわからない。


ミュウツー(なるほど、地響きはこいつが出していたのか)

チュリネ「ダゲキにーちゃーん げんき なったー!」


その誰かが、チュリネの声を耳にして緩慢な動きで振り向いた。

そして声の主が誰なのかを確認すると、のんびりと立ち上がった。

倒木の上から軽々と飛び降りて、ふたりの前まで猫背気味に歩いてくる。


ミュウツー(格闘ポケモンか……見たことのない種類だが)

ミュウツー『ポケモンが、私に何の用だ』


ミュウツーは不快そうな顔を隠そうともせず、眉間にいっそう深い皺を寄せた。

ミュウツーの『声』は今、チュリネたちを中心とした、ごく小さな半径に届くようにしている。

だから、声は聞こえているはずだった。


ダゲキ「……」


だが、思ったような反応は見られない。

返事を考えているようにも見えるが、よくわからなかった。

ミュウツーの我慢が限界を超えようとした瞬間、相手は口を開いた。


ダゲキ「……きみ ニンゲンのことば こえ する」

ダゲキ「あたま、きこえる……」

ダゲキ「……」

ダゲキ「……ぐあい どうだ」


ダゲキはミュウツーをじっと見据えて言った。

その表情に変化はない。

だが自分の言ったことが伝わっているのか、探ろうとする目に見えた。


ミュウツー『おかげさまで、最悪だ』


ダゲキが少し考え込むように頭を傾けた。

言われた言葉を理解しようとしている。

それだけで、皮肉の通じる相手ではないことがわかった。


ダゲキ「チュリネ……けが してる、あるく だめ」

チュリネ「にーちゃん よぶ いった!」

ダゲキ「……ぼく よぶ……ぼく、いく」

チュリネ「あっ……」


ミュウツーはふたりのやりとりを聞いて、ようやく自分が、しなくてもいい苦労をさせられたことに気づいた。


ミュウツー(……ま、まぁ……いいが)

ダゲキ「ごめん」

ダゲキ「きみ たくさん ねた。おぼえてる?」

ミュウツー『待て』

チュリネ「?」

ダゲキ「なに?」

ミュウツー『貴様は……貴様らは、なぜニンゲンの言葉を話せるのだ』

ダゲキ「きみも、あたま こえ はなす」

ミュウツー『それは……そうだが』

チュリネ「チュリネも おはなし!」

ダゲキ「チュリネ」

チュリネ「……はーい」

ミュウツー『……貴様の目的はなんだ? なぜ私を助けた?』

ダゲキ「『モクテキ』?」

ミュウツー『私のようなテレパシーならばともかく、言葉を操るポケモンなど、ニンゲンに関わらねばあり得ん!』

ミュウツー『たとえ関わりがなかったにせよ……』

ミュウツー『私がこの森にいると気づかれれば、私を捕えるためにニンゲンどもがやって来る』

ミュウツー『私は、ニンゲンの研究所を破壊して逃亡してきた。恐らく、いずれは私を追って来るはずだ』

ミュウツー『仮に奴らが来た時、私は貴様らに危害が及んでも庇う気はない』

ミュウツー『貴様らが、私を庇うことにデメリットこそあれ、メリットはないはずだ』

ミュウツー『それとも貴様は、あのサカキとかいう……』

ダゲキ「……?」


チュリネが、不思議そうな顔でふたりを交互に見ている。

言葉の意味が伝わったのか、疑わしい。


ダゲキ「きみ……も、ニンゲン にげた?」

ミュウツー『……? まあ、そうだ』

ダゲキ「じゃあ、もりの おく かくれろ」

ダゲキ「ニンゲン こない」

ダゲキ「あいつのそば、ニンゲン ちかよらない」

ミュウツー『「あいつ」?』


足元のチュリネが嬉しそうに跳ねた。


チュリネ「あのね もりのおく すんでる」

ミュウツー『そ、そいつは……ニンゲンか?』

チュリネ「ううん みんなと おんなじ ポケモン」

ミュウツー『同じ……ポケモンだと?』


その言葉を耳にすると、ミュウツーは無性に怒りが込み上げてきた。


ミュウツー『何が「同じポケモン」だ! 同じなものか!』

ミュウツー『私は……私がポケモンだと? 貴様らには私が、ただのポケモンに見えるのか?』

ミュウツー『何も知らないくせに、利いた風なことを言うな。私は……』

ミュウツー『私はニンゲンの都合で生み出され、ニンゲンの都合で否定され、ニンゲンの都合で生かされてきた「モノ」だ』

ミュウツー『貴様らはポケモンだな? ポケモンだ。紛うことなきポケモンだ。だが私は何だ?』

ミュウツー『ニンゲンに造られた存在である私は、もはやポケモンですらない!』

ミュウツー『ならば……』

ミュウツー『ならば私は、誰なのだ!』

ミュウツー『貴様らに、答えられるのか!』


意味が通じる自信はなかった。

チュリネの表情に、不安の色が濃くなった。

話を理解できないまでも、険悪な空気は感じ取ることができるのだろう。


チュリネ「にーちゃん……」


そんなチュリネに対しても、ダゲキは一瞥をくれただけだった。

ミュウツーには、やはり何を考えているのかよくわからない。

くるくると変わるチュリネの表情と違い、どこか人間に似ているダゲキの顔に、表情らしい表情はなかった。


ダゲキ「きみのこと しらない。だから、わからない」

ダゲキ「こまっている やつ たすける」

ダゲキ「きみ……は、こまってる だろ?」

ミュウツー『だ、だが……』

クルミル「キュウイッ!」

ミュウツー(!?)

ダゲキ「?」


くさむらから突如、野生のクルミルが顔を出した。

のろのろと足を動かしながら、しきりに頭を振り、近づいてくる。


クルミル「キュッ……キュー、ウィウィキュッ」


何を言っているのか、ミュウツーにはまるで理解できない。

その『声』に、ダゲキの足元にいたチュリネが反応した。


チュリネ「にーちゃん はし あった!」

ダゲキ「わかった。いく」

ミュウツー『お……おい、待て!』


ダゲキは言うが早いか、ミュウツーやチュリネを置いて歩き始めた。

その背に向け、ミュウツーは思わず引き留める言葉を吐く。

ダゲキはちらりと振り返って、ミュウツーを横目で見た。


ダゲキ「きみ ふってきた。はし ながれた」

ミュウツー(……!)

ダゲキ「チュリネ、あとで いく」

ダゲキ「きみは まず、げんきになれ」

ダゲキ「……たすけられたら 『れい』 いえ」

ミュウツー『なっ……』


クルミルに先導させ、ダゲキはくさむらへと消えていった。


一方、ミュウツーはチュリネに導かれ、さっきまで自分が寝かされていた木のうろに戻ってきた。

思うようにならない身体を庇いながら、寝床の上に腰をおろす。

相手が落ち着くのを待ち構えていたかのように、チュリネが勢い込んで口火を切った。


チュリネ「あのね!」

ミュウツー『なんだ!』


ミュウツーは精いっぱいの苛立ちをぶつけた。

だが、チュリネはあまり意に介していないようだ。


チュリネ「おうち チュリネ きれいきれい したの!」

ミュウツー『そ……それがどうした』

チュリネ「すごい? えらい?」

ミュウツー『……う……うむ……?』

ミュウツー『貴様、チュリネ……と言ったな』

チュリネ「うん! チュリネね、チュリネ!」

ミュウツー(言いたいことはわかるが意味がわからん)

ミュウツー『チュリネ。奴は……どうして私を助けた』

チュリネ「『やつ』? にーちゃん の、こと? チュリネ わかんない」

ミュウツー『そうか……いや、いい……』

チュリネ「あとでね……みまわり……にーちゃ……」


そのあとは、ミュウツーの耳に届いていない。

上から泥を被せられていくように意識が途切れた。

今回は以上です。
期待に応えられるよう、ちゃんと完結できるよう、頑張ります。

気張らなくてもいいよ

せっかく書き溜めてある分にまだ若干の余裕があるので、
メインになるキャラがおおむね出揃う範囲まで、まとめて投稿しようと思ってます。

ということで、今夜また一回投稿します。

>>38-40
レスありがとう。
反応もらえるって本当に励みになりますね。

まあのんびりとやっておくれよ

始めます。
とりあえずここまでか、あと一回くらいでペースを落とし、
書きながら投稿する方向にシフトします。

>>42-46
モチベ反比例するってのは身に染みてますので、勢いつける意味もあるんですヨ!
でもストックが怪しくなったら、自動的にペース落ちますから…(震え声)


いつのまにか、体を丸めて眠っていた。

空に太陽の輝きはなく、痩せた月とわずかな星々が瞬くばかりだった。

少し、寒い。

シーツは無意識に羽織っていたようだ。

これでは人間と変わらないではないか、と自嘲する。


ミュウツー(なんと無様なのだ)

ミュウツー(あんな連中に助けられ、説教までされるとは。とんだお笑い種だ)

ミュウツー(これでは、洞窟にいた頃よりなお悪い。早く出て行こう……)

ミュウツー(……)

ミュウツー(身体が重い。腹は減った。腕を上げるのも億劫だ)

ミュウツー(この気怠さは、なんなのだ)

ミュウツー(……体力が戻るまでは、おとなしくしていよう……)

ミュウツー(眠る前はまだ陽があった気がしたが、もう真っ暗だな)

ミュウツー『……夜か』

ダゲキ「もうすぐ、あさだ」

ミュウツー『……!? いッ、いつからいる!?』

ダゲキ「さっき」


飛び起きると、うろの入り口にごく薄い月明かりを受ける背中が見えた。

その横には、昼間のチュリネがうずくまって眠っている。

地面にはきのみがいくつか散らばり、きらきらと光っていた。


無意識に、独り言が垂れ流されていたようだった。


ダゲキ「みまわり おわって きた」

ミュウツー『……そんなことはいい』

ミュウツー『貴様は何者なのだ』

ダゲキ「……?」

ミュウツー『何者だと聞いている』

ダゲキ「このもりの、ポケモン」

ミュウツー『たかが森に住むポケモンが、なぜテレパシーでもなくニンゲンの言語を使える?』

ミュウツー『なぜ、私を助けた?』

ミュウツー『私のような存在を見て、どうしてそう平静にしていられる?』


矢継ぎ早に疑問をぶつけ、ミュウツーはいつの間にか肩で息をしていた。

動揺している、困惑している、あるいは馬鹿にしているのだろうか。

そのいずれであったにせよ、相手の様子に変化はなかった。


ダゲキ「はんぶんぐらい、なに いってるか、わからない」


無感動な声で言う。

冗談が空振りしたような、決まりの悪い気分になった。


ダゲキ「たすけた は……たすける おもった から」

ミュウツー(『助けたのは、助けようと思ったから』……とでも言いたいのか)

ミュウツー『なぜだ?』

ダゲキ「『なぜ』?」

ダゲキ「へんなやつ。……たすけたい おもった」

ミュウツー『……いい加減なものだ』

ダゲキ「ぼくは そう おもったんだ」

ミュウツー『なんだって?』

ダゲキ「……これ、たべろ」


そう言いながら、ダゲキは転がっていたきのみの一つを投げてよこした。

ミュウツーが拾ったかどうか確認するそぶりもなく、他のきのみを拾い、自分もかじりついている。


ミュウツー『この……「きのみ」は』

ダゲキ「チュリネ」

ミュウツー『あのチビか……』

ダゲキ「チュリネ、チビ いわれる すごくいや」

ミュウツー『知るか』

ミュウツー『……「見回り」と言っていたが……何の見回りをしているんだ』

ダゲキ「……ニンゲン、ちかく すんでる」

ミュウツー『……やはり、近くに街があったか』


少し残念だった。

ミュウツーはその言葉の続き、彼らが人間を厭う理由を待った。

だが、いくら待っても語られる気配はない。


ミュウツー『……ニンゲンに、何かされたか?』


そこでようやく、ダゲキは肩越しにミュウツーを見た。


ダゲキ「……ニンゲン するの よくないこと だけ」

ミュウツー『真理だな』

ダゲキ「『シンリ』? ……きみ、ことば、たくさん しってる。とても……わかりにくい」

ミュウツー『わ、わかりにくい……だと?』

ダゲキ「『シンリ』 きいたこと ない」

ダゲキ「ぼく、おぼえた ことばだけ わかる」

ミュウツー『……憶えたのか? ニンゲンの言葉を』

ダゲキ「……うん」

ダゲキ「ニンゲンの ことば、みんな すこしおぼえた」

ダゲキ「すごく ちがうポケモンと、はなせる」

ミュウツー『「みんな」? この森のポケモンは、みなニンゲンの言葉を話せるのか?』

ダゲキ「ううん……ちがう」


ダゲキ「はなせる ポケモン、ちょっとだけ」

ダゲキ「きいて わかるだけ、もっといる。ニンゲンと いたポケモン、みんなわかる」

ダゲキ「みんなのことば ぜんぶおぼえる できない」

ミュウツー『では、貴様も……』

チュリネ「むにゃむにゃ」

ミュウツー『……お、起きてしまったか?』

ダゲキ「おきてない」

ダゲキ「……ぼくも ねる。あした、はし なおす」

ミュウツー『……わ、私にも手伝わせろ。私が落ちてきたせいで、壊れた橋なんだろう?』

ダゲキ「けが してるやつ、てつだわなくていい」

ミュウツー『み、見くびってもらっては困る。こんな怪我、どうということはない』

ダゲキ「でも……」

ミュウツー『余計な借りは作りたくない』

ダゲキ「『カリ』?」

ダゲキ「……ううん、わかった」


知らないなりに、ミュウツーの言いたいことは理解できたらしい。

意外な早さでダゲキが折れ、ミュウツーは少し驚いた。


ダゲキ「じゃあ」


短かくそう言い残すと、ダゲキは眠るチュリネを抱えて去って行った。


チュリネ「おはよう! きのみ たべてくれた! ありがとう!」

ミュウツー『う、うむ……』


覚醒しきらないうちから、ミュウツーのうろにはチュリネの声が響いた。

夢は見なかった。

外はやけにいい天気だった。


チュリネ「……いたい?」

ミュウツー『いや、もう痛くはない』


そう答えると、チュリネは急に嬉しそうに飛び跳ねた。


チュリネ「チュリネの はっぱ おくすり! すごい?」

チュリネ「ぐあいわるい はっぱ かじる みーんな げんきなる」

ミュウツー(……あ、そういえば頭の葉が一枚減ってるな……)

チュリネ「きのみ チュリネ おてつだいしてるの!」

ミュウツー『きのみを……自分たちで育てているのか』

チュリネ「チュリネ わかんない あのね、おねえちゃん おせわしてるの」

ミュウツー『そいつもポケモンか』

チュリネ「うん! こんど、はたけ みせる!」

ミュウツー『あ、ああ、今度な……と、ところで、昨日の、ダゲキとかいう奴はどこにいる?』

チュリネ「にーちゃん? にーちゃん……おひさま とおいかわで はし なおしてる」

ミュウツー(太陽の遠い川……?)

ミュウツー『そうか……私をそこへ連れて行ってくれるか?』

チュリネ「うん いいよ! チュリネ いま いくの。いっしょいこ!」

..3日目 午前 橋のところへ~ジュプトル遭遇~見回りへ

ミュウツー(……はぁ、はぁ……)

ミュウツー(坂道があるなら先に言ってくれ……)

チュリネ「~♪」

次第に、さらさらと水の流れる音が聞こえてきた。

目的地である小川が近いのだろう。

はじめに自分がいた場所から考えると、向かう先は森の北側である。


ミュウツー(なるほど……太陽の遠い川とは、そういう意味か)


あたりの森は鬱蒼として、それでいて陽射しは強い。

チュリネが滑っていくゆるやかな坂道に、ミュウツーは眩暈を覚えた。

自分だけ、なぜこんなに疲れるのだろうか。

目の前の小柄なポケモンは、楽しげに鼻歌を歌いながらどんどん進んでいく。

鼻がどこについているのか、よくわからないが。

自由奔放な言動に少し慣れてきたのか、腹は立たなかった。


ミュウツー(ひとりなら、空を飛んで行けるが……案内させている手前、そういうわけにもいくまい)

チュリネ「にーちゃん いる!」


ミュウツーを顧みて、チュリネが嬉しそうな声を上げた。


チュリネ「にーちゃーん! つれてき……」

ミュウツー『……? どうした?』

チュリネ「……あ ジュプトルちゃん、また おこってる。もー」


その言葉を受け、ミュウツーはチュリネの視線の先へと顔を向けた。


まず、小川があった。

小川といっても、泳げない小さなポケモンでは恐怖を覚えそうな程度には幅がある。

細い丸太をいくつも並べて蔦でくくったらしい原始的な橋が、その小川にかけられていた。

彼岸にも此岸にも、見慣れないポケモンたちが集まっている。

橋がかけられる様を見物に来たのだろうが、今は誰もが別のものに目を向けていた。


誰かが文句を言っている。

ずいぶん機嫌が悪そうだった。

頭頂から長く伸びる長い葉のようなものを激しく揺らしている。


ダゲキ「……わかった。でも……」

ジュプトル「おまえ、いつもそうだ。よわむしめ」

ダゲキ「……よわむし?」

ジュプトル「よわむしだ」

ジュプトル「おまえ、おいだされたくない もんな」

ジュプトル「おれは、あいつが いるなら……」


怒りを露わにしていたポケモンは、そこでようやくチュリネとミュウツーの存在に気づいた。

言葉を切り、悔しそうに顔を歪めて踵を返して去って行く。

舌打ちもしていたような気がした。


ミュウツー(?)

チュリネ「??」


チュリネとミュウツーは、去りゆくポケモンの姿をただ眺めていた。


ダゲキ「きたのか」


ミュウツーは慌てて振り返った。


ミュウツー『あ、ああ……昨日、手伝うと言ったからな』

ダゲキ「ありがとう。でも、おわった」

ミュウツー『そ、そのようだな……今の奴は?』

ダゲキ「あいつは、いいんだ……」

ダゲキ「……きみは、とても たかいところ おちた」


露骨に話を逸らされた。

それはわかっていたが、そのままにしておいた。


ミュウツー『そうだったかもしれない……よく憶えていないが』

ダゲキ「よなか……だ、か、ら、ニンゲン きづかなかった」


やけに言いにくそうにしている。

人間と似た頭部の構造をしていても、発音しにくい音があるのかもしれない。


ダゲキ「きづかれなくて よかった」

ミュウツー『すまなかった。……いや、違うな。礼をまだ言っていなかった』

ミュウツー『助けてくれて、感謝する』

ダゲキ「『カンシャスル』 は……『れい』か?」

ミュウツー『そうだ』

ダゲキ「……ごめん」

ミュウツー(?)

ダゲキ「もっと……はなし できないやつ おもった」

ミュウツー『な!? なんだと! そっちこそ……』

ダゲキ「うん。ぼくは なまいきだった」

ミュウツー『そ……ああ、うむ……』

ダゲキ「たすけて ほしくない だった……と、おもった」

ミュウツー『……いや、そんな、それは違う』

ミュウツー『仮に助けてほしくなかったとしても、助けた貴様が謝るようなことではないだろう』


そこまで言っておいて、ミュウツーは自分の言葉が伝わっているのか不安を覚えた。

相手は、それなりに概念を持っているようではある。

だが、表現のしかたについては極めて稚拙だ。


ミュウツー『わ、私の方こそ、いろいろと面倒をかけた。これ以上、貴様やこの森の連中に迷惑をかけるつもりはない』

ミュウツー『体力が戻り次第、ここを出て行く』

ダゲキ「でていく?」

ダゲキ「きにしなくて いい」

ダゲキ「『よそ』から もりにきて、すんでる たくさんいる」

ダゲキ「ジュプトルも、そうだ」

ダゲキは、すぐそばに座って手を舐めていたポケモンの頭に手を置き、耳のうしろを撫でた。

ダゲキ「イーブイ ジョウトという ところから、きた」

イーブイ「にーちゃん? ぼくの おはなし?」

イーブイ「ぼく、おふね びゅーん! って、きた!」

ミュウツー『たしかに……ニンゲンどもがジョウトと呼ぶところがある』

ミュウツー『……だがなぜ、ジョウトのポケモンが、ここにいる?』

ダゲキ「さあ……」

ダゲキ「『シンカ』しないから、すてた って」

ミュウツー『捨て……られた?』

イーブイ「あのね、ぼく おいてかれちゃったの」


そう言い放つイーブイは、上機嫌でにこやかだった。

とても、自分が捨てられたことについて話している様子ではない。

せいぜい、楽しい思い出を話しているようにしか見えない。


イーブイ「シンカしないの、いらないって!」

ミュウツー『進化しないと……ニンゲンに捨てられるのか?』

ミュウツー『ニンゲンは、そんなことでポケモンを捨てるのか!?』

ダゲキ「……それは、ニンゲン きいて」


くだらない理由でポケモンを、本来の生息地でもない森に捨てて行く神経が理解できない。

その上、捨てられたことをさほど悲しんでもいない彼らの様子も理解できなかった。


ミュウツー(ニンゲンとは、なんと罪深い存在なのだ)

ミュウツー『貴様らは……ニンゲンが憎くならないのか?』

ダゲキ「『ニクク』?」

ミュウツー『う……いや、強く嫌うことだ』

ダゲキ「きらいに なること……?」

イーブイ「ぼく ニンゲン きらいだよ」

ミュウツー『そ、そうだ』

ダゲキ「……しゅぎょう じゃま」

ミュウツー『どういう意味だ』

ダゲキ「きらい なる、いやなきもち なる」

ミュウツー『だ、だが……』

チュリネ「にーちゃん おはなし、むずかしい」

イーブイ「うん、ニンゲンみたい、むずかしーおはなし」

チュリネ、イーブイ「ねー」

ミュウツー『す、すまん』

ミュウツー(私は、なぜ謝っているんだ)

ダゲキ「ぼくも わるい」

ダゲキ「……チュリネ。きょう、ぼくと……」


チュリネに視線を向け、ダゲキが言った。


ダゲキ「きみ なまえ」


今度はミュウツーを見て、そう言った。


自分の方は、互いに呼び合うのを聞いて、彼らの名前を知っていた。

だが、そういえばこちらから名を名乗った記憶はない。


ミュウツー『ミュウツーだ。とりあえずそれでいい』

ミュウツー(つくづく、嫌な名前だ)


遺伝上の親だった『誰か』の名前。

その名前を被せられた自分。

だが、その『もらいもの』の名以外、自分で自分を示す言葉を知らなかった。


ダゲキ「……ミュウツーと『みまわり』 いく。さきに もどって」

ミュウツー(……見回りか)

チュリネ「チュリネ だめ?」

ダゲキ「こんど」

チュリネ「はぁーい……」

イーブイ「ぼくもー!」

ダゲキ「だめ だってば」


ダゲキ「その、ニンゲンのふく みたいなの、ずっと きる?」


森の中を歩きながら、こちらを見もせずにダゲキが尋ねた。

ふたりは並んで、森の縁に近い場所を辿っている。

いつものコースなのだという。


ミュウツー『大した意味はない。ニンゲンに見られた時、誤魔化せる』

ダゲキ「そんな おおきなニンゲン いない」

ダゲキ「そんな しっぽ ある ニンゲン いない」

ミュウツー(……)

ミュウツー『貴様、意外と口が悪いとか言われないか』

ダゲキ「ううん」

ミュウツー『……そ、そうか』

ダゲキ「……しっぽ、ある どんな かんじ」

ミュウツー『しっぽがないと、バランスが取れないだろうが』

ミュウツー『……というか貴様こそ、しっぽもなくて、どうやってまっすぐ立っているんだ』

ダゲキ「しっぽ あったこと ない、わからない」


正論だった。

ふう、と聞こえよがしに溜め息をつき、ミュウツーは嘲るように言った。


ミュウツー『実に不毛だな』

ダゲキ「『フモウ』?」


ダゲキが立ち止まり、こちらを見て尋ねた。

やはり知らない言葉だったのだろう。

意味を説明しても構わなかったが、少し面倒だった。


ミュウツー『気にするな』


ダゲキを追い越し、ミュウツーはそれだけ言い捨てて歩いた。

するとダゲキもまた歩き始める。


ミュウツー『……さっきのジュプトルとかいうポケモン、なぜ怒っていたのだ』

ダゲキ「うん……」

ダゲキ『ぼくの、ううん……ぼくが、はなし する ポケモンと、なか わるい』

ミュウツー『「あいつ」というのが、奴の嫌う相手か』

ダゲキ「そう」

ダゲキ「まえは……けんか しなかった ……のに」

ミュウツー『「まえ」……か。この森は、捨てられたポケモンばかりか?』

ダゲキ「ちがう」

ダゲキ「この もりの ポケモン たくさん」

ダゲキ「にげてきた ポケモン すこしいる」

ミュウツー『それは……虐待を受けて、ニンゲンのところから、自分の意志で逃げてきたポケモンという意味か?』

ダゲキ「『ギャクタイ』?」

ミュウツー『ニンゲンに怪我をさせられたり……あるいは、反対に一切の世話をされないことだ』

ダゲキ「そう いうんだ」

ミュウツー『そ、そう言うのだ』

ダゲキ「じゃあ、そうだ」

ミュウツー『そうか……奴も、ニンゲンの身勝手で捨てられたクチか?』

ダゲキ「『クチ』?」

ミュウツー『……言い換える。ジュプトルも、ニンゲンに酷い扱いを受けて、捨てられたポケモン……なのか?』

ダゲキ「ああ……ジュプトルは その はなし、しない……」

ミュウツー『貴様はどうなのだ』

ダゲキ「ぼくも、いわない」

ミュウツー『いや、そういう意味では……まあいい。「見回り」とは、なんだ』

ミュウツー『前にも尋ねた気がするが、具体的に何をする』

ダゲキ「すてられた ポケモン たすける」

ダゲキ「……ニンゲン もりに きたら、かくれる させる」

ダゲキ「いじめられたポケモン、ニンゲン みると、こわがる、ぐあい わるくなる」

ミュウツー『なるほど……ん? あれは……』


ミュウツーが茂みの向こうに視線を向けた。

ふたりが立っているところより少し森の外れに近いところで、リュックサックを背負って歩く人間がいる。

金属バットを肩に担いで、くさむらを歩き回っている。


ダゲキ「ニンゲン……」

ダゲキ「ここ ニンゲン ときどき くる」

ミュウツーはとっさに身を低くし、人間の動きを伺った。


若い男だった。

腰まであるくさむらを掻き分け、バットを振り回して騒がしい音をわざと立てている。

そうすることで、野生のポケモンを誘い出そうとしているのだった。


あ! やせいの ナゲキが とびだしてきた!


ナゲキ「ヴォーッ」


トレーナー「おっ、出やがったなポケモン! 行け! コマタナ!」


トレーナーが翳したモンスターボールからポケモンが飛び出した。


コマタナ「う、うぉっ、う゛ぉ……シャアッ!」


出てきたコマタナは体調が万全ではないらしく、片方の足を引き摺っている。

遠目ではよくわからなかったが、全身に細かい傷跡があるようにも見えた。


ナゲキ「ヴォアッ!」


ミュウツー『……あれは、助けに行かなくていいのか?』

ダゲキ「じぶんで とびだした。いらないよ」

ミュウツー『自分から……?』

ダゲキ「たたかう したくない ニンゲンのまえ でない」

ダゲキ「ニンゲンの まえ、でる……たたかう したい」

ミュウツー『何のために、そんなことをする』

ダゲキ「ニンゲンのポケモン たたかう」

ダゲキ「だから」

ミュウツー『……?』

ダゲキ「ニンゲンのポケモン なる、つよくなる」

ダゲキ「だから、ニンゲンのポケモンと たたかって かちたい」

ミュウツー『……ふむ』

コマタナ「ヴァアエェ……ギュワアッ!」

トレーナー「よし、コマタナ! ひっかくだ! 早くしろ!!」

コマタナ「ヴェッ? ……ア゛ッ……ギッガ……グォ! キュワァァァッ!」


コマタナはひとしきり首を捻り、合点がいったとでもいうように奇声を発しながらナゲキに斬りかかった。

動きは素早かったが、しっちゃかめっちゃかに振り回された両手の刃では、ほとんどダメージになっていない。

不愉快な鳴き声で喚き、暴れているだけだった。


ミュウツー『あのトレーナー、あまりポケモンの扱いに長けていないようだが……』

ミュウツー『それにしても、あいつの動きは……妙だな』

ダゲキ「……」

トレーナー「ちっ……じゃあコマタナ、次は……」


トレーナーの声が聞こえると、コマタナはピタリと動きを止めた。

首を無理矢理捻って目をぱちぱちさせ、トレーナーの言葉に耳を傾けている。

隙だらけ、むしろ無防備と言っていい状態だった。

その間隙を衝いて、ナゲキが懐に飛び込んだ。

コマタナの小さな身体を、ナゲキの大きな手が掴む。


ナゲキ「ゴオッ!」


ナゲキのちきゅうなげで、コマタナは頭から地面に投げ落とされた。


コマタナ「アギャッ……ヴェッ!」


コマタナは立ち上がることもできず、両手の刃で地面を引っ掛き、呻いている。


ミュウツー『おい……やはりおかしい』

ダゲキ「……」


戦っているナゲキすら、対戦相手の不自然な様子を目にして動きが止まった。

間合いから飛び退き、コマタナと、そのトレーナーの次の出方を伺っている。


トレーナー「ったく……役に立たねぇなあ。おい!」


人間の男はそう零しながら、持っていた金属バットを振り翳した。


トレーナー「これくらいでヘバってんじゃねーよ!」


ガンッ


コマタナ「ア゛ッ……」


男は金属バットでコマタナを殴り飛ばした。

ギュウとおかしな鳴き声を発し、コマタナは吹き飛んで地面に叩きつけられる。

その光景を見て、ナゲキのみならず、ミュウツーとダゲキも息を呑んだ。


ミュウツー『……!』


ゴン


トレーナー「いくら相性悪いからってさぁ、お前のがレベル上なんだから、ちょっとくらい粘れよ、つまんねーだろ」


ガキン


コマタナ「ギッ……ギギィ……ヴァア……」


ゴキッ


男は文句を言いながら、コマタナをバットで殴り続けた。

コマタナの頭とバットが当たり、辺りに不快な金属音が響き渡っている。


ナゲキ「ヴォオ……」

ダゲキ「……」


ガァン


トレーナー「なんだよ。せっかく強そうだったから、あのガキから取り上げたのに」

コマタナ「ヴァア……イ……ダ……ァ……」

トレーナー「全然ダメだね。性格も思ってたのと違うし」

トレーナー「やんちゃとか。陽気なのがよかったのになあ」

ミュウツー『お、おのれニンゲンめ……! 黙って見ていれば!』

ダゲキ(て、てをだすな)

ミュウツー『なぜだ!』

ミュウツー『こんなことが、許されていいはずがないだろう!?』

ダゲキ「……」

コマタナ「ヴァア……ア゛ア゛ア゛……ア゛ギィ……」

トレーナー「あーあ。つまんね。帰ろっと」

トレーナー「次はもーちょっと強いポケモン探さないとなー」

トレーナー「うーん、それより先輩から質のいいメタモン借りて……」


男は空になったボールを放り出し、コマタナをその場に残して帰って行った。

残されたコマタナは、まだ呻いている。


コマタナ「ア゛……ア゛ア゛……」

ミュウツー『……あんなニンゲンなど、一思いに殺してしまえばよかったのだ』

ダゲキ「それ は、だめだ」

ミュウツー『なぜだ? 貴様はポケモンのくせに、ニンゲンの味方をするのか?』

ダゲキ「みかた しない」

ダゲキ「たべない ころす だめ」

ミュウツー『えっ、食べ……』

ミュウツー『……だ、だが、ああいうニンゲンを放置すれば、今のようなことがまた起きるのだぞ』

ミュウツー『ニンゲンに傷めつけられ、命を弄ばれるものが増えるだけだ』

ダゲキ「きみ でる、ニンゲン あいつ たたかわせる……かもしれない」

ミュウツー『???』

ミュウツー『……そうか。狙いはそこか』

ミュウツー『確かに、その可能性もある』

ミュウツー『無事にあのニンゲンはあいつに興味をなくし、捨てた』

ダゲキ「これで たすけられる」

ミュウツー『腹立たしい話だ』

ダゲキ「きみは、いつも おこってる」

ミュウツー『普通は、貴様のようにはいかん』


そう言いながら、ミュウツーはコマタナの方を見た。

哀れなまでに傷つけられ、捨てられてしまったポケモンを眺める。

他人から奪い取ったポケモンだから、体調など気にもせず酷使したのだろうか。

同じ人間ではないから、もので殴り、捨ててしまっても平気なのだろうか。

その時、もっとずっと近い場所でコマタナを見つめていたナゲキが、突如こちらを見た。


ミュウツー(……!?)

ナゲキ「……ヴォア!」

ダゲキ「……ヒュッ!」

ミュウツー『!?』


唸り声にも似たナゲキの『声』に、隣に立つダゲキが即座に反応した。

やや甲高い雄叫びのような『声』で応える。

会話は成り立っているようだったが、ミュウツーにはどちらも唸り声にしか聞こえない。


ナゲキ「ヴッ……ヴォウ」

ミュウツー『なんと言っているんだ?』

ダゲキ「ぼく かくれてる しってた」

ミュウツー『む……』

ダゲキ「とにかく」

ミュウツー『助けるんだな?』

ダゲキ「うん」


くさむらから出たダゲキは、小走りでコマタナの元まで駆け寄った。

それを、ナゲキとミュウツーがそれぞれの場所から眺めている。


ミュウツー(猫背で小走りすると……少し笑えるな)

ナゲキ「ゴァ、ヴォア……オ゛……」

ダゲキ「ヒュー……ル……」

ミュウツー『貴様ら、わかる言葉で話せ』

ダゲキ「たたかった きがしないって」

ぐったりしたコマタナを抱え、ダゲキが歩き始めた。

ミュウツー『……私のことも、そうやって助けたのか』

ダゲキ「きみは もっと ずうっと おもかった」

ミュウツー(……)

今回は以上です。

投稿って緊張するもんなんですね。毎回ドキドキします。
一番緊張するのは、投稿した後なんですが。

アッ…

>>52
> ..3日目 午前 橋のところへ~ジュプトル遭遇~見回りへ

この行は消し忘れたト書です。無視してください

おつおつ
ジュプトル♀か。ポケダンとかでイケメン♂のイメージあったから新鮮

始めます。
今回で一端、集中投稿を切り、書き進めつつ投稿する方向に切り替えます。
たぶん。

>>70-71
完結に向けて頑張るよ!

>>72-73
ポケダンやったことないんですわ…
というか、ポケモンは本編しかやったことない…。


憔悴しきったコマタナが、小さく丸まって眠っている。

そのまわりに、いくつもの影が寄り添う。

パチパチと音をさせて、居並ぶ影の中央で小さな焚き火が揺れていた。


焚き火に顔を向けると、向けた顔だけが熱くなる。

背中を向ければ、背中が熱くなる。

弾ける音も、揺れる炎も、不思議な匂いも、ミュウツーには馴染みのないものだった。

爆発で起きた火災はもっと激しい炎だったはずだ。

だが、この頼りない焚き火とあの火災が同じもののようには、どうしても思えなかった。


バシャーモ「……ほな、またな」

ダゲキ「あ、ありがとう」

バシャーモ「めっそもないわ。ダゲキはんの頼みやったら、断れまへん」

ダゲキ「……う、うん」

バシャーモ「火ぃが必要にならはったら、いつでも呼んでおくれやす」

バシャーモ「ふふふっ」

そう言うと、バシャーモはにこにこしながら夜闇に消えていった。

ダゲキ「あいつも、すてられた」

ダゲキ「ぼくは ひ おこせない」

そう言っているダゲキの顔に明確は感情は浮かんでいない。

ミュウツー『そ、そうか……』

ミュウツー『妙な言葉遣いだったな……貴様よりは、かなり喋れるようだったが』


本当は、焚き火のことを尋ねようとしていた。

なのに、口を突いて出たのは、見慣れないポケモンのことだった。

自分でもどうしてなのか、ミュウツーには理解できない。


ダゲキ「かいぬし だったニンゲンの、ことば」

ダゲキ「……むずかしいけど」

ミュウツー『奴が苦手なのか?』

ダゲキ「……い、いや……」

ミュウツー『では何を怯えている』

ダゲキ「……いや……うん……」

ミュウツー『……?』

チュリネ「あたらしいこ、いたい? ……かわいそう」

ダゲキ「……やっと ねむった。しずかにしよう」

チュリネ「はぁーい」

ダゲキ「……まいにち、に……に、ぎや、か」

ミュウツー『それは嫌味か』

ダゲキ「チュリネ、ねむくなったら、ねていい」

チュリネ「ぶーっ、チュリネ 『カンビョー』! ……ふぁあっ……」

ミュウツー『寝不足は身体に悪いと聞くぞ』

チュリネ「……」

チュリネ「……ぐー」

ミュウツー『……もう寝てないか?』

ダゲキ「……こども だから」

ミュウツー『……まあいい』

ミュウツー『さっきは、私を止めてくれて感謝する。あのまま私が動いていたら、ニンゲンに危害を加えていた』

ミュウツー『いや、ニンゲンがどうなろうと、それは知ったことではない』

ミュウツー『だが私がそうしていたら、騒ぎが大きくなり、無用にニンゲンを呼び寄せてしまったかもしれない』

ミュウツー『それは貴様たちにとっても困るだろうし、何より私にとっても望まぬ状況だ』

ダゲキ「……きみ、が、おこらない だったら、ぼく とびだした」

ミュウツー『そうか? それは意外だな』


その時、茂みが揺れた。

さらさらと鳴る葉を掻き分けて出て来たのは、小さなフシデだった。

自分の身体より大きな葉の包みを引き摺っている。


フシデ「きのみ もてきた」


木を擦り合わせたような、聞き取りにくい声だった。


ダゲキ「ありがとう」

フシデ「チュリネちゃ、こない、だも」

ミュウツー『そこで呑気に寝ている』


そこに至ってフシデはようやく、ミュウツーの存在を認識したらしい。

丸く大きな目を更に大きく開いてミュウツーを見た。


フシデ「わあ」

ミュウツー『お……おう』

フシデ「はじ、まして」

ミュウツー『あ、ああ……よ』


『よろしく』と言いかけ、慌ててその言葉を飲み込んだ。


フシデ「およそ もり、きた?」

ミュウツー『まあ……そんなところだ』

フシデ「およそ からきた たくさ いる。だいじょぶ」

ミュウツー『いや、私は別に、人間に捨てられたわけではないのだがな……』

ミュウツー『……あぁ、逃げてきたのは事実か』

コマタナ「ビクッ!!」

ミュウツー『……?』

ダゲキ「……?」

フシデ「……??」

コマタナ「ヴォアッ……アガァ……」


ガクンガクン


コマタナ「エゲッ……ヴェエア、ゲェェッェェェ!」


びちゃびちゃびちゃ


ミュウツー『お、おい吐いたぞ!』

コマタナ「オゲッ……ギギィア、ア゛……ア゛ッ……ゴ、ゴア……ゴヴェッゴボゴボ……イダイ、イ゛ヤ゛ァ…!!」

ダゲキ「わあ」

ミュウツー『おい、何か使えるものはないのか!』

フシデ「こ、これオボンのみ……」

ダゲキ「キーのみ、ラムのみ ない……しかたない」

コマタナ「アガァ……ゴェ……ナザイ……ゴベ……オゲエエエッ……」


べちゃべちゃ ごぼっ


ミュウツー『……どうする!』

ダゲキ「ニンゲンのところ いく」

ミュウツー『ニンゲ……おい、正気か!?』

ダゲキ「もりのはずれ、ニンゲン すんでる」

ミュウツー『……』

ダゲキ「つれていく」

フシデ「にーちゃ。おそら とべる、みいな ねてる」

ダゲキ「せおって はしる」

ミュウツー『ならば、私が行く。一刻を争うのだろう? 私なら空を飛べる』


体力がある程度回復していれば、飛べるはずだった。


ダゲキ「きみ……も、けがにんだ。むり するな」

ミュウツー『見くびってもらっては困ると言ったはずだ!』

ダゲキ「……わかった。フシデ、きのみ もっていく」

フシデ「う、う!」

ダゲキ「チュリネのことも」

ミュウツー『ふん、まだ子供だからな』


ダゲキ、ミュウツー、コマタナは森の上空を飛んでいた。

すっかり細くなった月の光で、うすぼんやりと明るい。


ミュウツー『……まだ見えてこないのか!?』

ダゲキ「いつもと、みえかた ちがう。よく わからない……」

ミュウツー『正直、貴様らふたり分で重いんだ、早く探せ!』

ミュウツー(というか……私は一体何をやっているんだ)

ダゲキ「だから、むり しなくていい、いった」

コマタナ「ヴェ……ア゛……ギュウウ……」


両手が自由になるミュウツーに抱えられて、コマタナが呻いている。

先程に比べれば、少し落ち着いたようだった。

暴れてはいるものの、力は弱々しい。

ダゲキは、フシデから受け取ったきのみの包みを片手で抱え、ミュウツーの尻尾にぶら下がっている。


ダゲキ「あっ……あれ あそこ」

ミュウツー『あの家か!?』


木々の間に、仄かな明かりの漏れるログハウスが佇んでいた。

煙突からは、煙が細く流れている。

少し離れたところに降り立つと、ミュウツーは地面に手を突いた。

飛べたこと自体は喜ばしい。

だが正直、体力が回復しきらないうちの飛行は少し辛かった。


ミュウツー『ぜぇ……ぜぇ……わ、私はここで休む。早く行け』


ダゲキは頷くと、きのみとコマタナを両方とも抱え、ログハウスに走って行った。

煙突があるということは、暖炉があり、煙が出ているということは、中に人間がいるはずだ。

人間には姿を見られたくなかった。

それを察したのかどうかわからないが、ダゲキはそれ以上何も言ってこなかった。


ダゲキは、ログハウスの扉を叩いている。

ミュウツーはその様子を、ぼんやり眺めた。


?????「はぁーい、ちょっと待ってねー」


カーテンの引かれた窓に人影が映り、ノックに気づいた様子が見て取れる。

ミュウツーは慌てて体を引きずり、扉から死角になる場所まで這って行った。


?????「どちらさまー?」


扉越しのくぐもった声に、ダゲキは低く鳴いて返事をする。


?????「……ありゃ、はいはい、わかった今開けるって」


がちゃりと音がした。


?????「おーっ、久しぶりだね」


ダゲキは何も言わず、抱えたコマタナを示す。


?????「なに? ……あれ、この匂い……!」


ミュウツーは人間の反応が気になり、首を伸ばした。


ミュウツー(あれは……レンジャーか……)


逆光で顔付きまでは分からなかったが、オレンジ色っぽい衣服を着ている。


レンジャー「なんだこれ、思いっきり殴られたみたいだな。吐いたのか。このコマタナ、まさかお前が……なわけないか」

レンジャー「ああもう! 今夜に限って飲んでなくてホントによかった! 今すぐポケモンセンターに連れてくから!」


ダゲキがきのみの包みを差し出した。


レンジャー「いいって。その話はあと! これからチャリぶっ飛ばして、シッポウシティ行かなきゃなんないからさ」


家の中が見えないミュウツーには、どたどたと人間が走り回る音だけが聞こえた。

急いで出掛ける準備をしているのだろう。

飛び出して来た時、レンジャーは小さなハンモック型にくくった布を斜めにかけ、その中にコマタナをくるんでいた。

自転車に跨りながらモンスターボールを掲げる。


レンジャー「ココ!」

ココロモリ「キューッ」


ボールの閃光と共に、ココロモリが気持ち良さそうな一声を上げて夜空に躍り出た。


レンジャー「ココ! フラッシュで先導!」

ココロモリ「キュィーッ」

レンジャー「じゃ、行ってくる! 留守番よろしくっ!」


レンジャーの自転車がガチャガチャと金属音を立て、油の足りていない不快な音を伴って消えていった。

音が遠くへ消える頃、ミュウツーはようやくログハウスの玄関近くまでやって来た。


ダゲキ「……とぶやつ にがて」

ミュウツー『飛んでいったポケモンのことか?』

ダゲキ「うん」

ミュウツー『そんなことより……大丈夫なのか?』

ダゲキ「たぶん だいじょうぶ」

ミュウツー『ニンゲンの方だ』

ダゲキ「わるいニンゲン じゃない おもう」

ミュウツー『……いいニンゲンなど、いない』

ダゲキ「……うん」


ふう、と盛大に息を吐き、ダゲキはログハウスのステップに腰を下ろした。


ミュウツー『「久しぶり」と言っていたぞ』

ダゲキ「うん……まえ きた」

ミュウツー『??』

ダゲキ「なおらない けがとか、びょうき」

ダゲキ「あのニンゲン ポケモンセンター つれてって もらう」

ミュウツー『……ふむ』

ダゲキ「だから、チュリネたちの きのみ おれい」

ミュウツー『あまり褒められた話ではないな』

ミュウツー『ニンゲンは……自分の利益のためなら、ポケモンをゴミのように扱うぞ。貴様だって知っているだろう』

ミュウツー『命あるものを、生きているのに切り刻み……モノのように捨てる。今日のあの男がいい例だ』

ダゲキ「うん」

ミュウツー『ポケモンの命など……ニンゲンにとっては』


ダゲキ「だけど、あのニンゲン たすけてくれる」

ミュウツー『……貴様が賢いのか馬鹿なのか、私にはわからなくなってきた』

ダゲキ「また おこってるのか?」

ミュウツー『怒ってなどいない。これが常態だ』

ミュウツー『あっ、うむ……ジョウタイとは、「いつもどおり」ということだ』

ダゲキ「たすかる」


顔をこちらへ向けようともせず、ダゲキは無感動に応えた。

それが厭味なのか本心なのかもミュウツーにはよくわからなかった。


しばらくして、ダゲキがぼそりと言った。


ダゲキ「……きみ ニンゲンの『じ』、わかる、か?」

ミュウツー『あ、ああ……読め……いや、わかる。道具があればおそらく、書くこともできる……と思う』

ダゲキ「そう……」

ミュウツー『……何か、知りたいことでもあるのか?』

ダゲキ「なんでもない」

ダゲキ「きみ……きみこそ、ニンゲンのことば どうして しってる?」

ミュウツー『それは……教えてもらったからだ』

ダゲキ「……ニンゲンに?」


怪訝そうな口ぶりだった。

かすかに顔をこちらに向け、目だけでミュウツーを見ている。

なぜか、笑われているのかもしれないと思った。


ミュウツー『なんだその目は。たぶん……そうだ。はっきりとは憶えていないが』


きまりが悪くなって、ミュウツーは月を見上げた。

眠りの中。

夢の中。

ガラス筒の中。

研究所の中。


ダゲキ「こえ、あたま きこえるの どうして?」

ミュウツー『それは……いや、それは単にこういう能力がある、というだけだ』

ダゲキ「ふうん」

ダゲキ「……ぼく できない」

ミュウツー『それは、そうだろう』

ダゲキ「そうなんだ」


この能力自体は、自分の一部であり、血肉だ。

だが誰かが、ニンゲンの言葉で考え、伝えることを教えてくれた。

だから……。

……誰が?

誰が、教えてくれた?

思い出さない方がいいことだ。

だけど、思い出せないといけないことだ。


ダゲキ「……きみ とてもふしぎな やつだ」

ダゲキ「ほかの すてられた やつと……ちがう」

ミュウツー『……』

ミュウツー『貴様も私を、異物だと……いや、変な存在だと思うか?』

ダゲキ「『イブツ』? べつに、へん おもわない」

ミュウツー『だが、その……ふ、不思議な奴だと言ったではないか』

ダゲキ「それは、きみが いつも、おこってるから」

ミュウツー『そこか』

ダゲキ「ぜんぶのポケモンを しっているわけじゃない」

ダゲキ「きみが とくべつに へん、だなんて わからない」

ミュウツー『まあ……そうだが』

ダゲキ「……ほんとうは、なに いいたかった?」

ミュウツー『なんだと?』

ダゲキ「……」

ダゲキ「きみは、ほんとう ニンゲンみたいなやつ」

ミュウツー『……ニンゲンみたい、か』

ミュウツー『嫌なことを言う』

ダゲキ「ニンゲン、いいたいこと、わざと いわない」

ダゲキ「きみも、いいたいこと、へんな いいかた する」

ダゲキ「なら、むりに いわなくていい」

ミュウツー『……』

ミュウツー『貴様に、何がわかる』

ダゲキ「わからない」

ダゲキ「ぼく……は、きみのこと しらない」

ミュウツー『正ろ……そのとおりだ。だが、貴様こそどうなのだ』

ミュウツー『色々と喋ってはいるが自分自身のことは何も言わず、私や誰かの話ばかりする。不公平ではないのか』

ダゲキ「ぼくのはなし、したくない」


少し疲れた声でそう言うと、ダゲキは月を見上げた。


ダゲキ「わかってもらえるか、わからないから」

ミュウツー『卑怯な奴だ』

ダゲキ「『フコウヘイ』? 『ヒキョウ』……?」

ダゲキ「わるい ことば? いけないこと?」


月を見上げながら、ダゲキは考えごとをしているようだった。

ミュウツーを見ようともしない。

言われたことそのものより、未知の言葉に対する好奇心の方が勝っているように思えた。

それが余計に腹立たしいのだった。


ミュウツー『もちろん、とても悪い意味だ』


まるで負け惜しみを言っているようだと、ミュウツーは思った。

話すことがなくなって、ふたりはステップに腰掛けて黙り込んだ。


どれくらい、そうしていただろうか。

朝が近づくにつれ、空気が硬く、冷たくなった。

そして、東の空に輝いていたはずの星が見えなくなっていった。


ダゲキ「ああ、ねられなかった」

ミュウツー『一日くらい、どうということはない』

ダゲキ「からだに わるいんだろう?」

ミュウツー『……私は、昨日までに充分眠らせてもらった』

ミュウツー『あのニンゲンが戻ってきたら起こしてやる。それまで寝ていても構わんぞ』

ダゲキ「だいじょうぶ」

ミュウツー『強情な奴だ』

ダゲキ「『ゴウジョウ』? それも、わるいこと?」

ミュウツー『……』


ふたり揃って、ぼうっとしていた。

いつしか日はとうに昇り、寒々としていた朝の空気も、昼が近づいて暖かく変わっていた。

遠くから、ガリガリと掻き毟るような自転車の音が聞こえてくる。

姿を見られたくないミュウツーは、大儀そうにログハウスの陰に身を隠した。

ダゲキが立ち上がり、音のする方に目を向ける。

間もなく、オンボロ自転車が木々の向こうから現れた。


レンジャー「……おっ、ホントに留守番してくれてたんだ」


レンジャーは乱暴に自転車を停めた。

つんのめりながら自転車から降りると、自転車が倒れるのも気にせずダゲキのいるログハウス前に駆け寄った。

急いだのだろう、息が上がり、汗をかいている。

出発したときと同じように、身体に布を巻きつけている。

その膨らんだ中には、きっとコマタナが丸まっているのだろう。


レンジャー「まあ、安心してよ。大丈夫だから」

レンジャー「いやァ、最初に見た時の状態、相当酷かったじゃない? 私がドクターとナースにしこたま叱られたよ」

レンジャー「トレーナーのくせに何やってんのって。私、トレーナーじゃないのにね。困っちゃったよ」


言葉と裏腹にあまり困っていなさそうな声で、トレーナーは朗らかに言った。


レンジャー「まあ、ちゃんと釈明したけどさあ。信用される肩書きって大事だなあ」

レンジャー「硬い棒状のもので繰り返し殴打された形跡、日常的な虐待を受けていたと思われる多数の打撲痕……だって」

レンジャー「かわいそうに、心ないトレーナーに酷いことされてたってのが一目瞭然だったよ」

レンジャー「センターに着いてからも、床にハサミ落とした音に驚いて、一回嘔吐してるんだ」

レンジャー「もう吐くものなんて胃に残ってないのに、ゲェゲェやってたよ。フラッシュバックだったみたいだ」

レンジャー「で、怪我はなんとかなったし落ち着いたから退院させてもらえたけど、どうする? 私が預かろうか?」


ダゲキは小さく首を横に振った。


レンジャー「……わかった。じゃあ、ドクターからもらった薬の説明しとくわ」


レンジャーは肩からコマタナを下ろし、背負っていたナップザックから薬を取り出して説明を始めた。


レンジャー「……ってカンジで、毎日お薬、ちゃーんと飲んでくださいねー。あ、いやこれは塗り薬だけど」

レンジャー「きのみと違って人間が作ったモンだけど、お前だって馬鹿じゃないんだし、使えるよね」

レンジャー「さっきも言ったけど、ドクターが言うには、脳と足に症状が残ってるかもしれないってさ。動けるようになったら……」

レンジャー「ま、ちょっとでも様子がおかしかったら、すぐに連れて来いよ」

ダゲキ「……」

レンジャー「おいおい、気にしなくて……まあいいや、受け取っておくよ」


ダゲキが何も言わずに差し出したきのみの包みを、レンジャーは少し困った様子を見せながらも受け取った。


レンジャー「礼儀、だもんな」

ミュウツー(……受け取ることが『礼儀』とは、どういう意味だ?)


『チュリネたちが育てたきのみ』を謝礼として渡しているわりに、この人間とダゲキたちの間に妙な距離があるように、ミュウツーには感じられた。


ミュウツー(友好の証ではない……ということなのか)

レンジャー「じゃあ、お大事に。うーん……報告書どう書こっかなあ」


レンジャーはいかにも寝不足といった顔で、フラフラしながらログハウスへと入っていった。

ひょっとすると、一睡もしていないのかもしれない。

その場には、布にくるまれて寝息をたてているコマタナと、薬を握り締めているダゲキが残された。

ダゲキがコマタナを抱え、元来た方へと歩く。

茂みに入って少しすると、うしろからミュウツーが追いついてきた。


ダゲキ「きみも、たいへんだな」


今までと変わらず、ダゲキの顔に表情らしい表情はない。

だがなんとなく馬鹿にされているように、ミュウツーは感じた。


ミュウツー『い……色々、事情がある』

ミュウツー『さっきのニンゲンの話、説明は必要か?』

ダゲキ「だいたい わかった」

ミュウツー『日常的な虐待といっていた。ことあるごとに、ああして殴られていたのだろう』

ダゲキ「こいつは もう、そんなこと されない」

ミュウツー『ニンゲンに怒りを覚える』

ダゲキ「また おこってるのか? おこる きもちは、ながつづきしないだろ?」

ミュウツー『嫌味かそれは』

ダゲキ「いや、み……?」

ミュウツー『……もういい』

ミュウツー『こいつはどうする』

ダゲキ「ぼくのねどこ できた。そこでねる」

ミュウツー『「出来た」? 貴様は今までどうしていたんだ?』

ダゲキ「ぼくが、まえにつかった ところ」

ダゲキ「……いま きみがねてる」

ミュウツー『!?』

ダゲキ「ぼくには ひろすぎて、あんまり つかってなかった」

ダゲキ「チュリネ、『つくった』とか、いってた だろう?」

ダゲキ「きみ たすけたとき、チュリネ きれい した」

ミュウツー『ああ……』

ダゲキ「ぼくは、いい き たおれたから、ひっこした」

ミュウツー『初めの日に、貴様が乗っていた木か』

ダゲキ「そう そう」


ミュウツー『初めの日に、貴様が乗っていた木か』

ダゲキ「そう そう」

ミュウツー『……つくづく、よくわからんな、貴様は』

ダゲキ「そう?」

ミュウツー『なぜ、そうも常に冷静でいられる?』

ミュウツー『あんな光景を見ていながら怒りを覚えず、ニンゲンを憎みもしない』

ダゲキ「……」

ダゲキ「やっぱり、ぼくは おかしい?」

ミュウツー『……なんだと?』

ダゲキ「ううん」

ダゲキ「ああ ぼくはもうすこし さきだ」


いつの間にか、ふたりははじめのうろに戻って来ていた。

多少は見慣れた寝床を見て、息をつく。

ミュウツーは自分が思いの外ほっとしていることに気づいた。

こうして事情を知ってみると、確かに元の持ち主には広すぎる。


ミュウツー『貴様はどうするんだ』

ダゲキ「すこしだけ ねる」

ミュウツー『あのチビなら、喜んで看るだろうからな』

ダゲキ「うん」


コマタナを抱きかかえて歩いていく後ろ姿は、まるで人間のようだった。

ミュウツーはシーツを投げ捨て、腰を下ろす。


ミュウツー(『ぼくはおかしいか』だと?)

ミュウツー(言いたいことをハッキリ言わんという意味では、奴も大差ないではないか)

ミュウツー(……何があった?)

ミュウツー(しかし……今のところ、一番会話が成り立つのも奴だ)

ミュウツー(奴にもっと語彙があれば、こちらも話がしやすいのだが……)

ミュウツー『……話などする必要ないではないか』

ミュウツー(だが、奴も何か知りたいことがあるようだったし、知識や常識の程度が近い方が、今後何かと……)

ミュウツー(……い、いやいや……)


うろの中には、見覚えのないきのみが転がっていた。

うやうやしく葉に載せられ、綺麗に並べて置かれている。

誰かが持ってきたのだろう。

ミュウツーはそのうちの一つを手に取った。

夜気を吸い込んだまま待っていたかのように、きのみはひんやりと冷たい。

黄色とオレンジ色のまだらで、驚くほど酸っぱいが、まずくはない。


ミュウツー『こ、こんなに酸っぱいもの……食べて大丈夫なのか……? ま、まあ、味は悪くないが』

ミュウツー(だが、おかげで頭がはっきりした)

ミュウツー(これは、いいな……)

ミュウツー(あ、いやそれはともかく……近くの街を、明日の夜にでも調べてみよう)

ミュウツー(空からこっそり見るだけなら、問題あるまい)

ミュウツー(いずれ去るにせよ、現状把握は大切だ)


そうやって、自分を納得させた。

人間の生活と比較すれば、昼夜逆転といえなくもない。

だが元々、ミュウツーは自分が夜行性なのか昼行性なのかもわからない。

ミュウツーの知っている範囲では、規則正しい寝起きをしている人間は少なかった。

自分だって少しくらいサイクルが狂っても問題はないはずだ、と考えた。

誰に見張られているわけでも、観察されているわけでもないのだから、好きにすればいいのだ。

朝、起きねばならないわけではない。

夜、眠らねばならないわけでもない。

どちらでもない。

どちらでもいい。

誰かの目的に沿い、役に立たねばならないわけではない。

何者でもない。

何者でもいい。

翌日は身体を休め、体力を温存することにした。

今回は以上です。

脳内では市村正親さんではない声で喋ってもらっています。
映画のミュウツー本人ではなくて、ほぼパラレルワールドですし。

と、いうことで次回の投稿は未定です。

おつおつ
結構言葉に詰まったりするし割と人間味のあるミュウツーだよね
本人に言うと怒るだろうけれど

少し短かめですが、始めます。
なんか投稿したいなって思ったので。

>>97
『逆襲』ルートに入る前に分岐したため、
『逆襲』ほど色んなことを突き抜けておらずやや感情的なんだと思ってください。


次の日の夜。

月のない空に、緩い風を受けばたばたとはためくぼろ布が浮いていた。

シーツをマントのように身体に纏い、ミュウツーは街を見下ろしている。

たとえ人間に姿を見られても、正体を知られてしまわないためだ。

ところどころが破れ、痛んできている。

だが逆に、薄汚れていることで目立たずに済んでいた。

少なくとも、本人はそう思っている。

誰かに見つかったら、自分はいったいどんな存在に見えるのだろうか。


あのレンジャーが行った先がここであれば、この街はシッポウシティというはずだ。


街といえども、よほどの大都市でなければ夜は人間もあまり出歩かず、光源も減る。

警備員という役割の人間を配置して、それ以外の人間たちは家に帰ってしまう。

そして深夜になれば、たいていは寝静まる。

ミュウツーは、人間の文化生活について思い出した。

ならば、新月の今夜こそ、闇に紛れて活動するには最適だろう。

研究所では、大きくて薄っぺらい、バリバリと音のする紙の束を読んでいる人間がたくさんいた。

ミュウツーの実験や研究についても、板にくくりつけた紙に書き込んでいた。

そしてどうやら人間は、情報を『本』というモノに集め、共有する。

おとなもこどもも、分け隔てなくその『本』というモノの恩恵に浴しているようだ。


風が冷たい。

あてもなくフラフラと飛び回った。

民家、倉庫、喫茶店、どれもミュウツーにとっては大差なく映っていたが、ポケモンセンターだけが目を引いた。

レンジャーがコマタナを連れて行った先だと、知っていたからかもしれない。

ポケモンセンターだけは、深夜だというのに煌々と明かりが灯っている。

レンジャーが話した通りなら、この時間でも医師が常駐しているのだろう。


それから、あたりに誰もいないことを確認して、すっと地面に降り立った。

ミュウツーはキョロキョロと見回した。


ミュウツー(……『地図』とかいうモノがあるはずだ)


くすんだ街灯の光を浴びて、周辺の地図が描かれた看板が目に入った。

近づき、今自分がいる場所を指で触れた。

看板はひんやりしている。

民家とおぼしき建造物はほぼ省略され、いくつかの施設だけが書き記してあった。


ミュウツー(……は、く、ぶ、つ、かん…博物館か。これがそうか。ふりがなとは、なんとも便利なものだ)

ミュウツー(ふむ……と、しょ、しつ……へ、い、せ、つ……)

ミュウツー(図書室)

ミュウツー(図書“カン”は、ないのか)


人間たちが通貨を使い、モノを売り買いすることは知っている。

だが、『本』に限っては買うばかりではなく、借りることもできるらしい。

そのための施設が『図書館』なのだということだけは、知っていた。

もっとも、人間以外も利用できるのか、そこまでは知らなかったが。


ミュウツー(ならば、この博物館とやらへ行くしかあるまい)


ミュウツーは再び浮かび上がり、目指す建造物の方へと飛んだ。

目的地の博物館は夜闇にうっすら白く浮かび上がり、存在感がある。

入り口の周辺に、警備員とおぼしき人間が立っているのが見えた。


ミュウツー(……どこから侵入しようか)

ミュウツー(あのニンゲンに見つからずに入るだけならいいが、中は中で警備システムがあるかもしれん)

ミュウツー(見取り図のようなものがあればいいのだがな……)

少し迂回して、建物の裏手に回った。

表の時代がかった装いに反して、裏手は他の建造物と大差ない近代的な造りだった。

少し高いところに、明かり取りだろうか、大きめの窓が等間隔で並んでいる。

夜中に勝手に開けると警報が鳴る可能性も無視できなかった。

いつの間にか、探検をしているような気分になってきた。


ミュウツー(なら、一つ開けて確かめてみるか)


どの窓にも明かりはなかった。

緑色で控えめな非常灯だけが、部屋の奥の方で弱々しく灯っている。

端から順番に窓を覗き込んでいく。

この暗さなら、中に誰かがいるということもないだろう。

いくつ目かの窓を覗き込むと、中が書架で埋め尽くされていた。

本棚には大小さまざまな本が詰め込まれている。

隣の窓、その隣の窓にまで、この本だらけの部屋が続いている。


ミュウツー(では、この窓にしよう)


窓からふわりと離れ、そばの樹木に身を隠す。

そこからミュウツーは手を翳した。

窓を割らずに開けることなど、眠ったままでも出来る。

ただねんりきを使い、窓の内側にある錠を外せばいいだけだ。

かすかに、カチンと音がした。

そのまま窓ガラスをゆっくり引いて、窓を開ける。


警報の類が発動した様子はない。人間の気配もしない。

五分ほど待って、ミュウツーは窓の中を覗き込んだ。

やはり、物音一つしない。

書架が整然と並んでいる。

その一角に、不自然に何もない空間があるだけだった。

窓からするりと中へ入る。

腰のあたりがつかえてしまうかとも思ったが、そんなことはなかった。

ニンゲンのような指紋があるわけではなかったが、余計な跡をつけないよう気を使った。

息を沈め、もう一度あたりを伺う。

誰もいないようだ。


ミュウツー(私は、何をしているのだろうな……)

ミュウツー(今日は、ここまでするつもりではなかったのだが)


見上げた本棚には、うっすらと埃の積もった本が並んでいる。

あまり読まれていないだろうか。

ちょうど目の高さの棚にあった、『放射年代測定概論』という本が目に入った。

文字だけは読めたが、どういう意味なのかは、よくわからない。

『ソクテイ』という言葉は、研究所にいた頃、何度も耳にしていた気がする。

その隣には、『ポケモン化石のための年代測定、その代替手段に関する考察』という副題を読み取ることができる。

ポケモン、化石といった単語は理解できたため、興味を引かれて本を引き抜いた。

慣れない手でパラパラとページを捲り、冒頭の一文を追ってみる。


『――であることから明らかであるように、これら化石化したポケットモンスター (以降、ポケモン)の骨は
 こうした元素を含有しない。故に、ポケモンのものと思しき化石が出土した場合には、
 通常の測定元素のみならず代替となる別元素、あるいは化石に付着する――』


相変わらず、文字は理解できても、何が書かれているのかといえば部分的にしか理解できなかった。

理解できなくても恥じるところではないのだが、ミュウツーはそれがやけに悔しかった。

眉間に皺が寄る。

知らない言葉があるというのは、思いの外ストレスが溜まるものだ。

勢いをつけてバタンと本を閉じ、本棚に押しつけた。


???「誰?」

ミュウツー『ッ!?』


遠くから、カチャリとノブを回す音がした。

隣接する別の部屋に人間がいたようだ。


???「……キダチ? 先に帰ったんじゃなかったの?」


広い部屋の向こう、いくつも立ち並ぶ書架のさらに奥から、コツコツと足音が聞こえる。

その動きに合わせて、小さな光がちらちらと見えている。

懐中電灯の光だろう。


ミュウツー(しッ、しまった。ニンゲンがいたのか……!?)


思わず身構える。

「ニンゲンに手を出すな」という言葉が去来したが、場合によっては危害を加えることも辞さないつもりだった。


???「いるなら電気くらいつければ……あれっ?」


本棚の陰から、人間の女が姿を現した。

同時に、眩しい懐中電灯の明かりが目を刺す。

ミュウツーは目を細めた。

明かりでよく見えなかったが、人間の女であることはわかった。

汚れたシーツを被るミュウツーを見上げて目を大きく開き、言葉を失っている。

女は天井近くに目をやり、開いたままの窓とミュウツーを見比べて結論を出したようだった。


???「……泥棒だね?」


言うが早いか、女はポケットからモンスターボールを取り出した。


???「ミルホッグ!」

ミルホッグ「ホルッホー!」


女が出したポケモンは、頬を膨らませながら尻尾を振っている。

身体の模様の黄色い部分がぼんやりと発光しているように見えた。


???「ミルホッグ、いつでも『くろいまなざし』が使えるように準備して待機」

ミルホッグ「ホルッ!」

???「さてと……何の用かしら? 泥棒さん」


ミュウツーは逡巡し、そして結論を出した。


ミュウツー『ど……泥棒ではない』


人間の女は今まで以上に驚き、耳に手を当ててキョロキョロと見回した。

しかし声の主が目の前の不審者であること、口から出た声ではないことを悟ると、その目から驚きの色は消えた。


???「……テレパシーか」


ミュウツーの目が少しずつ、懐中電灯の強い光に慣れてきた。

こうして見ると、ミュウツーの知る人間たちの中では肌の色が黒く、大柄に見えた。

ミルホッグは主人の動きに戸惑っている。

テレパシーは人間一人に向けて発したものだから、ミルホッグの戸惑いは当然だった。


???「それで、泥棒じゃないっていうなら……あんた一体、何なんだい。巨人さん」

ミュウツー『わ、私は……』

ミュウツー(私は、何だ)

ミュウツー(私は何者なのだろう)

ミュウツー『……本を……探している』


意外にも、女は口に手を当てて吹き出した。


???「ぷっ……!」

ミュウツー『な、何がおかしい』

???「だって、ここは図書室だからね。そりゃそうかーって」

???「でもね、本を読みたかったら、昼間、開いてる時間に利用者カード持ってくればいいじゃないか」

???「稀覯本扱いされてる資料だって、まあ……閉架だけど、申請すれば誰にでも見せるしさ」

???「それじゃあ、誰が見ても幽霊か泥棒だ」


女はそう言って笑いながら、ミュウツーの頭から足に向けて懐中電灯を滑らせる。

足元に光が及ぶと、片方の眉を跳ね上げた。

シーツの下からわずかに伸びる『どう見ても人ではない』足。

そして、『どう考えても人にはない』しなりのある尾。


???「……なるほど」

???「見たことないポケモンだけど」

???「テレパシーとはいえ、人間の言葉を話せるポケモンもいるんだねぇ……驚いた」

ミュウツー『不法侵入については、謝る』


こんな人間一人、いやミルホッグごと操ってしまえばいい。

ミュウツーには、それが可能なだけの力がある。

難しいことではない。話も早い。

外にいた警備員にしても、操って鍵を開けさせることだってできたではないか。

以前なら、ハナダの洞窟にいたあの頃なら、躊躇なく実行に移せたと思う。

だが、なぜかそうする気になれなかった。

自分がすっかり腑抜けてしまったようで、少し嫌だった。


???「うん、まあ……ポケモンに、あたしたちの法律に従えって言っても仕方ないしね」

???「ミルホッグ、もういいよ。ボールに戻ってな」

ミルホッグ「ホル……」

???「心配? あたしを誰だと思ってるの」


そう言いながら、ミルホッグの反応も待たずに、女はボールを翳した。

ミルホッグがボールに戻ってしまうと、あたりは少し暗く、少し静かになった。


???「変な連中が、たまにいるからね。けしかけたりして、悪かった」

ミュウツー『私が不審なのは、事実だ』

???「まあね」

???「……でもその様子だと、悪さしに来たわけじゃないんだろう?」

???「本屋で盗もうとしないだけ、感心だよ」


返事のしようがなかった。


???「……そうだねぇ、どんな本、探してるのかな?」

ミュウツー『自分が、文字と、言葉を知りたい。それから、それを……知ってもらいたい相手がいる』

???「キミ自身は、読み書きが出来るの?」

ミュウツー『読むことなら、多少できる。書くのは、経験がない』

???「そう。ちょっと待ってて」


そう言うと、人間の女はくるりと背を向けて歩いて行ってしまった。

ミュウツーを特に警戒するそぶりもない。

光がなくなり、急に耳が痛いほど静かになった。

これでよかったのだろうか。

女が、その足で警備員を呼びに行ったはずがないと、どうして言い切れるだろうか。

女が、あの人間の男――サカキと通じているはずがないと……。


しばらくして、さっきの扉が再びバタンと音を立てた。

書架の間から扉の方を覗き見ると、女が両手に本を抱え、足でドアと格闘しているところだった。

無事ドアを閉め、女はカツカツと高らかな足音をさせて歩いてきた。


???「ほら、こっち」


顎をしゃくって示すと、女は方向を変えて歩き出した。

ミュウツーは無言で着いて行く。

いきなり、前を歩く女の背が縮んだ……ように見えた。

何もない空間だと思った場所には、地下へと続く階段があった。

女の立てる硬い足音と、ミュウツーの立てる柔らかな足音だけが響いている。


???「あそこだと、時々警備員が巡回して来るからね。あたしの書斎でならゆっくり話もできるし」


辿り着いた先は、またしても書架に囲まれた部屋だった。

壁は天井まで届く本棚に埋め尽くされ、ところどころに蝋燭の灯りが掲げられている。

上の部屋よりも明るいくらいだった。


女の向かう先には机があった。

机の上には、大小様々な本や紙の束、筆記用具が散乱している。


???「研究に夢中になっちゃうと、なかなか片付かないのさ。家事ならさっさと終わるんだけど」


無造作に本や紙を避け、女は抱えてきた本の山を机の上に置いた。

そしてパチリとスタンドライトを点ける。


???「まあ、自分じゃあ、何がどこにあるのかわかってるけど」

???「……おっと、自己紹介がまだだったね。あたしはね、アロエ」

アロエ「このシッポウ博物館の館長で、化石研究者で、えーっとそれから……副業だけどジムリーダーもやってる」

アロエ「有望な後継者が見つかったら、すぐにでも譲って研究に専念したいんだけどね」

アロエ「で、キミは……まあ、無理に自己紹介しなくてもいいか」

アロエ「キミ、運がいいよ。警備システムと監視カメラ、図書室とここは今だけオフだから」

アロエ「といっても、あたしが深夜まで出入りするから、その間だけ、館長のICカードでオフにしてるんだけどね」

アロエ「本を取りに行ったり、戻ったりでいちいちパスワード打ち込んでたら、やってられないじゃない?」


アロエと名乗った女は、今しがた置いた本の上に手を添えた。

元々は鮮やかだったのだろうが、今となっては色褪せてしまった本たちが積まれている。


アロエ「これ、ウチの子がちいさい頃に読んでた本なんだけど、来週のバザーに出そうかと思っててさ」

アロエ「役に立てそうでよかったよ。上の部屋に並んでる小難しい本よりは、キミの力になれると思う」

アロエ「……ねぇ、教えたい相手って、キミと同じ、ポケモン? ひとり? それとも、たくさん?」


『キミと同じ』?

どこかで最近、聞いたことのあるフレーズだった。

違う。

断じて、違う。

私は……違う……だろうか。


ミュウツー『ひとり。そいつ“も”、ポケモン……だ』

ミュウツー『ニンゲンの言葉は、耳で聞いて少し知っているが、文字は読めない』

アロエ「そう。じゃあ、ちょうどいいと思うよ。持って行きな」

ミュウツー『……』

アロエ「どうしたんだい?」

ミュウツー『感謝する。必ず返す』


アロエはまた、快活に笑った。


アロエ「そんなに畏まらなくていいよ。うちの子も、もう大きいし。それにね」

ミュウツー『「それに」?』

アロエ「あたし自身、ちょっと興味あるかな」

アロエ「ポケモンが本当に人間の言葉を修得できるのかっていう、まあ学術的な興味」

アロエ「キミたちポケモンが、文字と言葉を得たらどうなるのか。どんな変化を生み出すのか」

アロエ「その変化はポケモンと人間、それぞれにどんな影響を及ぼすのか」

アロエ「あたし自身、そういうのが専門ってわけじゃないんだけどね」

アロエ「ポケモンが大好きな研究者としては……魅力的な疑問ではあるよ」

ミュウツー『悪いが、“もう”……研究対象になる気はない』

アロエ「……」

アロエ「もちろん、こっちもキミたちを調べようって気はないよ。どうなるか、気になるってだけさ」

アロエ「でもね。キミが教えようとしている相手とキミが、どんな関係であったとしても……」


女は、こちらをじっと見詰めている。

口元は笑っているが、目には強い意志を湛えていた。

壁の炎が唸った。


アロエ「押しつけちゃ駄目よ。文字も、言葉も、考え方も」

ミュウツー『押しつける?』

アロエ「そう、押しつけちゃ駄目」

アロエ「……人間って、めんどくさい生き物でね」


そう言いながら、腕を組んで机に寄り掛かった。

デスクライトに背後から照らされ、ミュウツーには女のディテイルが見えなくなった。


アロエ「そうね……ひとりひとりが、正しいと信じ、善いと感じたことを貫くだけっていう簡単なことが、なかなかできない」

アロエ「自分ではない誰かにも、同じように思い、感じてもらいたくて仕方がない」

アロエ「で、他人と正しさを共有したいとき、どちらかの正しさを否定してしまいがちなの」

ミュウツー『一致しない二つの正しさがあるなら、どちらか、より正しい方を信じるべきではないのか』

アロエ「そう簡単だと、いいんだけどね」

アロエ「キミたちポケモンはどうなのか、わからないけど……」

アロエ「人間は人種、習慣、宗教、みーんな違うから」

ミュウツー『……正しさの基準がいくつもあるということか?』


アロエは小さく溜息をついたようだった。


アロエ「キミは、頭がいいんだね」

アロエ「キミにとって何が正しいかは……キミと、キミを取り囲む世界との向き合い方で変わる」

アロエ「だから、誰かの『正しい』を否定しちゃいけない。キミの『正しい』を、押しつけてもいけない」

ミュウツー『私が他人に、私の信じる正しさを否定されれば、不快に思う。それは、わかる』

ミュウツー『だが……相手の正しさと私の正しさが、相容れないものだったら……』

ミュウツー『いずれ、相手の正しさを否定するか、さもなければ自分の正しさを否定しなければならなくなるではないか』

アロエ「それは、とても寂しいことだけどね」

ミュウツー『寂しい……?』

アロエ「でも……そうね、そういうこともあるかもしれないね。だからよく考えなくちゃいけない」

アロエ「大切な家族や友達、仲間といえども、仲良しではいられなくなってしまうかもしれないんだから」


女の視線に射竦められている気分になった。

身長も体格もこちらの方が上なのに、それすらも忘れてしまうほどだった。


アロエ「だから、出来ることなら、そんな悲しいことの手助けはしたくないし、キミにもしないでほしい、かな」

ミュウツー『ならば、なぜ……私に、本を提供してくれる?』

アロエ「キミ自身が求めたから。そう言うしかない」

アロエ「……もし、あたしが『人間様が、言葉を持たないポケモンたちに言葉と知識を広めるため、本を与える』って言ったら?」

ミュウツー『なぜそこまで偉そうに言われなければならないのか理解できない。傲慢この上ないではないか』

アロエ「でしょうね。『余計なお世話』。でも、キミは、自ら求めた。だからウチの子の本を貸すわ」

アロエ「『求めよ、さらば与えられん』ってね。ちょっと違うけど」

ミュウツー『ならば、私がそいつに言葉を教えようとするのも……「余計なお世話」か』

アロエ「そうねぇ……それは、キミとその相手次第でもある。だから……」

アロエ「自分に対して、常に問い続けることね」

ミュウツー『何を……問えと?』

アロエ「これは正しいのか、違う見方ができるのではないか、相手にとってはどうなのか」

アロエ「……そして、『正しいかどうかを見定める、自分の心が曇っていないか』」

アロエ「これは……研究者としての意見というより、母親としての忠告ね」

アロエ「キミは知識を求め、与えられた。ならば、誰かが知識を欲したその時、その求めに応えなさい」

アロエ「ただし、最大限の敬意を払って」


人間の女は急に優しい声音になった。


アロエ「あんまり難しく考えなくていいよ」

アロエ「大事なのは、ひとりの意志ある存在として相手を認め、心から尊敬し慈しむこと」

アロエ「それはポケモンも、人間も、それ以外のありとあらゆる生き物も、みんな同じ」

ミュウツー『みんな、同じ……』


どうということはないその言葉を、ミュウツーは噛み締めるように繰り返した。

今となっては、この人間に危害を加える気はなかった。

そんな心の動きを見てとったのか、アロエはパンと手を叩いて声を張り上げた。


アロエ「さ、あたしもそろそろ切り上げて帰らないとねぇ。キミも帰りなさい」


アロエは抽斗から柄のついた鈴のようなものと紙袋を取り出した。


ミュウツー(……音のしない鈴?)


ガサガサと音をさせ紙袋に本を詰めながら、アロエは言う。


アロエ「蔵書じゃないから、返却はいつでもいいわ」


ミュウツーは警戒しながらも紙袋を受け取り、下げた。

アロエはそれを見上げて、満足そうに笑った。


アロエ「じゃ、ここ閉めるわよ。キミも一緒に出ましょ」


アロエはあっという間にスタンドライトを消し、すたすたと歩いて行ってしまった。

ミュウツーは慌ててその後を追う。

アロエは歩きながら、抽斗から取り出した鈴のようなものを壁の蝋燭に被せていった。

一つ被せるごとに、蝋燭の炎は目を閉じるように消え、書斎が暗くなっていく。


ミュウツー『それは、あの火を消すための道具だったのか』

アロエ「珍しい?」

ミュウツー『初めて見た』

アロエ「ろうそくと、ろうそく消し。雰囲気あるでしょう? だから、やめられないんだ」

アロエ「空気をちゃんと入れ替えないと危ないんだけど……そうね」

アロエ「自らの力で光を生み、炎を吐き、目には見えない力を操るキミたちには、縁がないかもね」

ミュウツー『ニンゲンに、そうした力はない。身体的にも脆弱だ。なぜだ?』

アロエ「忘れちゃったのかもね……自分の外側に、真実を求めたから、かな?」

ミュウツー『外側……』

ミュウツー『よくわからない』


アロエ「ごめんごめん。今のはあたしの独り言だね」

アロエ「難しいこと考える時はね、ちゃんと寝て、美味しいものをいっぱい食べて、それから考えなさい」

ミュウツー『それは……どの立場からの意見だ?』

アロエ「そうね、これも……母親寄りかな。子供には、いい意味でいっぱい悩んでほしいもの」

ミュウツー『「母親」とは、そういうものか』

アロエ「少なくともあたしは、そうね」

アロエ「さて……あたしは人間だし館長だから、入り口から堂々と帰るんだけど」

アロエ「キミはどうやって帰るつもり? あたしのポケモンってことにすれば、警備は誤魔化せるよ」

ミュウツー『来た時の窓から、帰る』

アロエ「わかったわ。でもあたしじゃ、あの窓閉められないのよね、あの高さ。脚立はしまってあるし」

ミュウツー『大丈夫だ。自分で外から閉められる』

アロエ「じゃあ、任せるわ」

ミュウツー『……私のことは、誰にも……』

アロエ「えっ? ああ、誰にも言わないよ。安心しなさい」

ミュウツー『感謝する』

アロエ「また畏まっちゃって。そうね……この時間なら、だいたいあたししか残ってないから、いつでも来ていいよ」

アロエ「次に読んだらよさそうなのを、見繕っておくからね」

アロエ「その友達を連れて来てもいいし、読んでみたいものがあれば、都合つけてあげられるし」

アロエ「じゃあ、おやすみ。早く寝なさいよ。寝る子は育つって言うでしょ」


最後にそれだけ言うと、アロエは帰ってしまった。

懐中電灯のない部屋の中に、ミュウツーと、紙袋に詰められた本だけが取り残されている。

ミュウツーは紙袋を抱え、窓を見上げた。


ミュウツー『……ともだ、ち……』

ミュウツー(……私に『ともだち』など……)





夢を見た。

大きな目の、小さな生き物がいる。

大きな目を、こちらに向けている。

大きな目で、笑っている。

大きな目が、あざわらっている。

なのに、何も言わない。

それでも何を言いたいのかわかる。

まがいものに、かける言葉などない。




今回は以上です。
これで(物理的な意味で)ストックの半分くらいです。

始めます。
けっこう落ちるんですねこの板。


キャアキャアと楽しそうな声が聞こえた。

目覚めの気分は、それほど悪くない。

意識がはっきりしてくると、昨夜の人間とのやりとりが頭に甦った。

ただ町の様子を見に行くだけのつもりだったのに、うっかり大変なことになってしまった。

やはり、腑抜けてしまっているのだろう。

自分らしくない。

自分らしい、とは何なのか、それも今となってはよくわからなかった。

まだ話を消化しきれてはいなかったが、とりあえずその記憶を隅に押し遣った。

寝床の奥の方には、借りた本が紙袋に入ったまま置いてある。


ミュウツー『朝から騒がしいな』

チュリネ「みーちゃん、おはよ!」

ミュウツー『み……「みーちゃん」……?』

チュリネ「うん、みーちゃん。だって……」

ミュウツー『……う……いや、説明しなくていい』


面食らい、そして軽い目眩がした。


チュリネ「わーい!」

ミュウツー『……まあいい……。それより、朝っぱらから、もう少し静かにできんのか』

チュリネ「みーちゃん もう おひる!」

ミュウツー『……む、そうか』


確かに日は高かった。

ミュウツーはのろのろと、うろから這い出す。


チュリネ「みーちゃん、おねぼうさーん」

イーブイ「ねぼすけー! いっけないんだぁ」

チュリネ、イーブイ「ねーっ」

ミュウツー『何がそんなに楽しいんだ……』

イーブイ「えーっ なんで?」


主人だった人間に捨てられてもか?

生まれ育った土地から離れ、異国の地で生きることになってもか?

そう問い掛けてみようと思ったが、ミュウツーは思い止まった。


ミュウツー(なにも、意地悪く傷を抉ることはないか)

ダゲキ「あ」

ミュウツー『ねぼすけで悪かったな!』

ダゲキ「まだ なにも いってないよ」

ミュウツー『なっ……』

チュリネ「にーちゃん! にーちゃん おはよー!」

イーブイ「おっはようー!」

ダゲキ「おはよう」

ミュウツー『ん? そいつはもう、動き回っても大丈夫なのか?』


ダゲキのすぐ横には、コマタナがついて来ていた。

手ではなく手首を掴まれ、コマタナはキョロキョロしている。

全身の至るところに痛々しい傷が残っていた。

イーブイとチュリネが、物珍しそうに走り寄っていく。

ミュウツーの言葉を受けて、ダゲキはコマタナを一瞥した。


ダゲキ「たぶん」

コマタナ「う゛ーぁっ……?」


鳴き声とも唸り声とも、呻き声ともつかぬ声で鳴いた。

治療は済んでいるはずなのに、初めて見た時と同じ足を引き摺り、時折怪しい角度で首を捻っている。


ダゲキ「けがは、なおってる みたい」

コマタナ「ヴァ? うーっ…キィッ!」

ミュウツー『む……足も気になるが……こんな鳴き声なのか?』

チュリネ「コマタナちゃん こんにちは!」

コマタナ「う゛、あ゛ーぁ!」

ダゲキ「……わからない。こいつの なかま あったこと ない」

ミュウツー『どこかに、後遺症が残っているのかもしれないな』

ダゲキ「『コウイショウ』?」

ミュウツー『怪我や病気が治っても、体のどこかにおかしなところが、残ることがある』

チュリネ「あのね、チュリネはね、チュ、リ、ネ!」

コマタナ「ヂュ、イ……エ゛ェ!」


ミュウツー『それを後遺症という。あのレンジャーは、脳か足に出る可能性があると言っていた』

ミュウツー『足を引き摺っているなら、それかもしれん。声が妙なのも、関係ありそうだ』

ダゲキ「ふうん」

ミュウツー『だとすれば、我々に出来ることは少ない』

チュリネ「こっち ダゲキにーちゃん!」

コマタナ「ダッ……ニー…ニー!」

イーブイ「ぼく、イーブイ!」

コマタナ「イ゛ー!」

ミュウツー『一度、あのニンゲンに見せに行った方がいいかもしれんぞ』

ダゲキ「……こんど つれていこう」

チュリネ「コマタナちゃん すごーい、にーちゃんは?」

コマタナ「ニーッ!」

イーブイ「ねえ じゃあ、みーちゃんは?」

コマタナ「ミィ……ミッ、ミーッ!」

ミュウツー『なんの話をしている!!』

ダゲキ「まあ、まあ」

コマタナ「ア゛ア゛……ヴァッ、キャッキャ!」

ミュウツー『こいつはなぜ喜んでいるんだ!』

チュリネ「みーちゃん、へんなのー」

イーブイ「みーちゃん、おこってるの? なんでぇ?」

ミュウツー『くっ……』


ダゲキ「もうすこし、げんきに なったら、つれていこう」

コマタナ「ミーッ! キャッキャッ…ヴァーッ!」

ミュウツー『十分元気そうだがな!』

ダゲキ「まだ、あのいえまで あるかせるわけには、いかない」

コマタナ「ヴァァー……? ギィ、キャッ!」

ミュウツー『貴様のことを話してるんだ』

コマタナ「キャッ、キャッ……ミー!」

ミュウツー『ミーじゃない!』

チュリネ「ミー!」

イーブイ「ミー!」

コマタナ「ミー!」

ミュウツー『……勘弁してくれ』

ダゲキ「たのしそうだな」

ミュウツー『貴様には、本当にそう見えるのか?』


そう思って、ダゲキを睨みつけるつもりで目を向けた。

一見無表情だが、どこか違和感がある。


ミュウツー『……なんだその顔は』

ダゲキ「……え?」

ミュウツー『……まさか、貴様それで笑っているつもりか?』

ダゲキ「……いや……えっと……」

ミュウツー『貴様でも笑うことがあるのか! これは傑作だ!』

ダゲキ「き きみに いわれたくない……」

チュリネ「にーちゃん、わらわない もんね」

イーブイ「いーっつも、こわーい おかお、してるもん」

ダゲキ「……そんなに、こわいかお してる……?」

ミュウツー「……ぶっ」


今度はミュウツーが吹き出した。

それを見て、ダゲキは複雑そうにしている。


ダゲキ「きみに おなじこと いいたいよ」


コマタナ「イ゛イ゛ヴェアァ……ミー、う゛ー、オダガ……ヅイダッ」

チュリネ「チュリネも おなかすいた。きのみ たべたい」

ミュウツー『きのみといえば、あの酸っぱいきのみは、なんというものだ』

チュリネ「すっぱいの イアのみ!」

ミュウツー『イアのみ、か』

ミュウツー『あれは、酸っぱいのが普通なのだな?』

チュリネ「うん。ぜーんぜん、あまくないの」

ミュウツー『なかなか気に入った』

イーブイ「えー、ぼく、あれおいしくない……」

ダゲキ「まだ あるぞ」

チュリネ「みーちゃん、すっぱい すき?」

チュリネ「みーちゃんも、きのみばたけ、つれてってあげたい!」

ミュウツー『い、いや気を使う必要は……』

ミュウツー『まあ、なんでもいい』

ミュウツー『そのコマタナを連れて行く時は言ってくれ』

ダゲキ「わかった」

ダゲキ「ぼく は、きのみを たべるけど……どうする?」

ミュウツー『私は以前もらったきのみを食べる』


ダゲキ「……」

ダゲキ「それはもう たべられないんじゃ ないか?」

ミュウツー『えっ』

ダゲキ「えっ」

ミュウツー『……たッ、たべられなくなる……のか……?』

ダゲキ「……」

ミュウツー『……』

ダゲキ「くさると、たいへんだ。そとに あなをほって、うめろ」

ミュウツー『そ、そうか……すまん』

ダゲキ「おいしく なってから とるから……すぐ だめになる」

チュリネ「おねえちゃん、『いちばん おいしい とき』 いってた」

チュリネ「はやく たべないと、くさっちゃう って」

ミュウツー『そうなのか……』


そんなことは知らない。

考えたこともない。


ミュウツー『……ニンゲンに関わると、碌なことがないな』


ミュウツーはうろの中に腰を下ろした。

また少し自分が嫌になった。

思い知らされたというべきだろうか。

多少はものを知っているつもりでいたのに。

ふいに、うろの中に影が差した。


ダゲキ「きのみ のこと きにするな」

ミュウツー『すまん、私の認識不足……いや……私は、単に物知らずだった』

ミュウツー『もう大丈夫だ』

ダゲキ「なら いい けど」


ダゲキはそう言うと、ミュウツーのうろから離れた。

チュリネたちは今も楽しそうに遊んでいる。

なんとなく、うろの中を振り返った。

あの紙袋がある。

こんな体たらくで、よくも「教える」などと言えたものだ。


ミュウツー『……厚顔無恥にも程がある』


相変わらず、いい天気だった。

再び、影が差した。

今度はチュリネが覗き込んできている。


チュリネ「みーちゃん……まだ ぐあいわるい?」

ミュウツー『少し、自分に腹が立っただけだ。具合は悪くない』

チュリネ「……みーちゃん あのね」

チュリネ「チュリネ、いやなこと あったら、おいしい きのみ、おなかいっぱい たべる」

チュリネ「そうしたら うれしい きもち なるの」


小さなポケモンが、何かを伝えようとしている。


ミュウツー『……私を慰めているのか?』

チュリネ「わかんない。チュリネ、かなしい の みーちゃん、げんき なってほしい」

ミュウツー『私は……悲しそうか』

チュリネ「みーちゃん、おけが ないのに いたそう」

チュリネ「からだ いたくないのに いたいのは、こころが いたいの」

チュリネ「それ、『かなしい』って いうんだよって……にーちゃん いってた」


反射的に、チュリネの向こうに佇むダゲキを見た。

チュリネが何かを差し出してくる。


ミュウツー『……イアのみ?』

チュリネ「みーちゃん」

ミュウツー『貴重なアドバイスに従おう』


思わず、ぷいと顔を背ける。

受け取ったイアのみはやはり酸っぱく、美味かった。

同時に頭が冴え、視界が開けた気がした。


ミュウツー『……ところで、あいつは何をやってるんだ』

コマタナ「う゛ー! ギャイッ! お゛お゛ーっ」


コマタナがおぼつかない足取りで歩いている。

そして意外なほどの飛距離で、ぴょんと跳ねる。

その先にはイーブイがおり、すれすれで飛び退いて避ける。

ただそれだけの動きで、ふたりがとてつもなく楽しそうに遊んでいた。


イーブイ「みーちゃん! コマタナちゃん、とっても、あしがはやい!」

コマタナ「キューイ?」

イーブイ「よーし! みーちゃんに、どーんっていっちゃえ!」

コマタナ「ア゛ーイ! イぐおぉ!」

ミュウツー『えっ』

コマタナ「ウャーイ!」


イーブイに嗾けられ、ミュウツーに向かってコマタナが走り出した。

満面の笑みで駆け寄り、ピョンと跳ねた。


ミュウツー(正直、今の私では、あのイーブイほど機敏に動ける気がしないな)

コマタナ「きゃっきゃーっ!」


眼前に迫るコマタナを見据えながら、ミュウツーは指先から力を放った。

放ったつもりだった。

今回は以上です。

投稿し、引っ込みがつかなくなることで無理にでも完走しようという腹積もりです。
物語的な盛り上がりを作るのが苦手で、そっちの方がネックなんですけど。

ではまた、書き進んだら投稿します。

始めます。


ミュウツーは、どこか理不尽な思いを抱いていた。

それは完全に八つ当たりなのだが。


ミュウツー『今日は災難続きだ』

ミュウツー『こういうのをな、「踏んだり蹴ったり」というんだ』

ダゲキ「ふんだり……けったり……?」


バシャーモが火を起こし、その横でチュリネがきのみを食べている。

コマタナは申し訳なさそうに座り込み、ちらちらとミュウツーを見上げていた。

ダゲキは、今新たに知った言葉を噛み締めるように考え込んでいる。


ミュウツー『言葉通りに想像するな。そういう言い方をするというだけだ』

ダゲキ「どういう、ことば?」

ミュウツー『次から次へと嫌な目にあうことだ』


いつのまにか、できるだけ噛み砕いた言葉遣いをしようと努める自分に気づいた。

未知の言葉に興味を示す友人たちに、いちいち説明するのも、さほど苦痛ではない。

どこかいびつではあったが、これはこれでコミュニケーションの一つの形なのではないだろうか。

ミュウツー自身、そこにかすかな楽しさを見出だしつつあった。


ダゲキ「……きのみのことも、『いやなめ』?」

ミュウツー『……そ……そこには触れてくれるな』


たとえ、思わぬ墓穴を掘ることがあっても。


ダゲキ「でも、ひどい ケガじゃなくて、よかった」

ミュウツー『ふん。まったくだ』

バシャーモ「ミュウツーはん、そないに怖ぁい顔、せんとき」

ミュウツー『怖い顔などしていない!』

コマタナ「ヴゥゥ……ゴベンァダイ……」

ミュウツー『いや、貴様は悪くない』

コマタナ「ウァ……ゴ……ゴ……」

ミュウツー『私は、貴様のことを怒っているわけではないのだ』

ミュウツー『今日は……いろいろと巡り合わせが悪かった』

バシャーモ「ほんま、コマタナちゃん、かいらしい子ぉやねぇ」

コマタナ「ミー……ギュゥ」


コマタナは、縋りつくような目をしている。

煩わしく感じないわけでもなかったが、これも、そこまで不快ではない。

自分以外の誰かとの、有機的なつながりを意味しているからだ。


ミュウツー『だからその、「ミー」は……まあいいか』

ミュウツー(……顎にぐっさりきたが)

ミュウツー(……)

ミュウツー(……私はあの時……)


コマタナを、ねんりきで弾き飛ばそうとした。

弾き飛ばそうとして、指先から力を放った。

その手応えは確かにあったのに、何も起きなかった。

迫り来るコマタナの勢いが削がれる気配もない。

そのまま飛びかかられて、ミュウツーは盛大にひっくり返ったのだった。

ひっくり返りながら、ゆっくりと回転する風景が目に入った。

イーブイはけらけらと笑っていた。

チュリネは大喜びしていた。

ダゲキは不思議そうな顔をしていた。

コマタナは抱きついたまま頬擦りしていた。

コマタナの頭と腹の刃はすっかり鈍っており、刃物であっても、ちくちくと痛いだけだった。


ミュウツー(……なまくらであったことが、不幸中の幸いといったところか)

ミュウツー(こいつの様子を考えると、この両手は、本来もっと切れ味が良いもののはずだ)

ミュウツー(それだけで、あのニンゲンの扱いの酷さがよくわかるな)

ミュウツー(十分な世話もされず、まともに手入れも出来ない環境に置かれていたのだろう)

ミュウツー(それにしても……)

ミュウツー(私のねんりきが……こいつには効かないのか)

ミュウツー(研究所にいた頃は、私の力が効かない相手など……ほぼいないと言われていたのだが……)

ミュウツー(その『ほぼ』から外れるポケモンが、こいつか)

ミュウツー『おい、コマタナ。私の声が聞こえるな?』


コマタナはびくりと驚いて顔を上げた。

目が合う。

叱られる恐怖に怯える、子供の目をしていた。


コマタナ「ミー? イ゛ー……ナ、ァ、ニ?」

ミュウツー『いや、なんでもない』

コマタナ「うー…?」

ミュウツー(これで、テレパシーは伝わるのだからややこしい)

ミュウツー(まったく、だから嫌なんだ)


これも八つ当たりだった。


ミュウツー「……はぁ」


目の前で焚き火を弄っていたバシャーモが言った。


バシャーモ「ため息なんてつかはったら、幸せが逃げてしまいますえ」


気づけば、火は十分に燃え上がっている。

真上には葉の生い茂る木がある。

のろのろと上がっていく煙は、その葉に差し掛かると霧散していった。


ミュウツー『逃がすような幸せなど、持ち合わせてはいない』


ミュウツーの言葉に、バシャーモはなぜか嬉しそうな声音になる。


バシャーモ「そないなこと、ありまへんえ」

バシャーモ「幸せいうんはね、持ってる時は気づかへんもんなんよ」

バシャーモ「ニンゲンの被っとる、帽子みたいなもんや」

ミュウツー『帽子?』

バシャーモ「被っとるあいだは、自分には見えへん」

ミュウツー『……なるほどな』


真顔で考え込むミュウツーに、バシャーモは機嫌よさそうに笑った。


バシャーモ「ダゲキはんのためならて、今日も火ぃおこしにきたったけど」

バシャーモ「よぉ見たら、ミュウツーはんもなかなか、男前さんやないの」


そう言いながら、バシャーモはダゲキの方をちらちらと見ている。


バシャーモ「もちろん、ダゲキはんが、いっちばん男前さんやけど。ふふっ」

ダゲキ「……えっ……」


ガサガサッ


ミュウツー「?」

?????「……あっ……」


その瞬間、茂みから、夜の塊のように黒々とした何者かが姿を見せた。

巨大な手で草を掻き分けながら。

頭についた鈍く光る大きな目は、怯えたように震えている。

一方で腹部の黄色い模様が、まるで自分こそが目と口であると言わんばかりに揺らめいていた。


バシャーモ「あら、ヨノワールはんやないの。めずらし」

ヨノワール「……ひゅう……ひゅう……」

ダゲキ「どうした?」

ミュウツー『なんだ?』


足元は地についておらず、そもそも足らしいものもない。

ふらふらと浮かび、身体の下の方はぼんやりと霞んで見える。

蝋燭の明かりのような頼りない目が、その場にいる全員の顔をゆっくりと舐めた。


ミュウツー(何かを、探しているのか?)


そう考えると、動きの意味も理解できるような気がした。


ヨノワール「……あの」

チュリネ「なーに?」

ヨノワール「……ハハコモリは、どこでしょう」


空洞の中を反響したあげくに出たような、聞き取りにくい不気味な声だった。

『ハハコモリ』という言葉……あるいは名に、聞き覚えはない。


ミュウツー『ハハコモリ……?』

ダゲキ「ハハコモリ あいたい?」


疑問を口にする前に、ダゲキがヨノワールに応えた。

聞き返す言葉から、『ハハコモリ』が誰かの名であることがわかる。

やはりポケモンの名なのだろう。


ヨノワール「はい、あいたいのです」

チュリネ「おねえちゃん ねんね」

バシャーモ「ヨノワールはん。ハハコモリはんやったら、きのみ畑のねきや」

ヨノワール「そう……です……か」

バシャーモ「せやけど、いっくらなんでも、こないな時間やし……ハハコモリはんに迷惑かけんとき」

ヨノワール「……」


バシャーモの言葉に、ヨノワールは返事をしない。

そのままゆっくり頭を下げると、また木々の間へと滑るように消えていった。


ミュウツー『……なんだ、あいつは』

バシャーモ「ヨノワールはん、いうんです。あんまり話したこと、あらしまへんけど」

チュリネ「みーちゃんのまえ、もり きた」

ミュウツー『……そうなのか』


ミュウツーはその時、初めて気づいた。

お辞儀をするという行為は、人間の文化だ。

言葉を解するという点だけでも十分な証拠ではあったが。

彼もまた人間と共に行動していた時期があることを示している。

捨てられたのだろうか。

それとも自ら逃げ出してきたのだろうか。


ミュウツー『逃げて来たのか、それとも捨てられたのか?』

ダゲキ「……わからない」

ミュウツー『こんな時間に出歩くということは、夜行性か』

バシャーモ「さあ。でも、変わりもんですわ。みんなとも、しゃべらんし」

ダゲキ「……ヨノワールとハハコモリ、なか よかったかな」

バシャーモ「なかよしどころか、おぉたことも、あるかわかりません」

チュリネ「なかよし なりにいった?」

ミュウツー『それなら、時間をもう少し考えるだろう』

ミュウツー『……夜行性で、今しか活動できないのかもしれないが』

バシャーモ「ま、ええわ」

バシャーモ「木ぃの下やから、だいじょうぶやと思うわ。ニンゲンに見つからんよう、あんじょう気ぃつけたってな」

バシャーモ「ほな、な。みんな、はよぉねな、あきまへんえ」

ダゲキ「あ、ありがとう……」

チュリネ「バシャーモちゃん、おやすみなさーい」

イーブイ「……ぐー……」

ダゲキ「……」

ミュウツー『毎度、奴の言葉遣いは耳が慣れん』

ダゲキ「どこかの、ことばだと いっていた」

ミュウツー『……』

ミュウツー『貴様の名が出ると、二つ返事で頼まれてくれるのだな』

ミュウツー『……奴は、よほど貴様のことを気に入っているようだ』

ダゲキ「そう みえるか」

ミュウツー『?』

ミュウツー『違うのか?』


ダゲキが少し言いにくそうにしている。

慎重に言葉を選び、こう言った。


ダゲキ「あいつ ぼくを ずっとみる」

ミュウツー『……見る?』

ミュウツー『……まあ、気に入っているのだから、そういうこともあるだろう』

ダゲキ「うん でも……」

ダゲキ「……あいつ、オスなのに」

ミュウツー『……ああ……ああ??』

コマタナ「ミー……」


コマタナが、ミュウツーの足に体を擦りつけてきた。

自分の手で頭の側面をがりがりと擦り、唸っている。

少し眠そうだった。


ミュウツー『お、おい、今度はひっかくんじゃないぞ』

ダゲキ「ひるまの……なんだったんだ?」

ミュウツー『昼間? ああ……どうもこのコマタナに、私のちからは通用しないらしい』

ダゲキ「?」

ミュウツー『手応えがなかった。こんなことは初めてだ』


自分の手を見ながら思い返す。

照れくさいような、恥ずかしいような、不思議な気分だった。

悔しかった。


ダゲキ「……ううん」

ダゲキ「そのかんじ ぼくもしっている……かな」

ダゲキ「ニンゲンが、ヒトモシ……っていうポケモン つれて きた」

ミュウツー『……それで?』

ダゲキ「ぜんぜん だめだった」

ダゲキ「たきびの、うえのほうを けってるきぶんだった」

ミュウツー『そのときは、どうした』

ダゲキ「にげた」

ミュウツー『それだけか?』

ダゲキ「どうしようも ないよ」

ミュウツー『くや……悔しくはなかったのか』


ダゲキが火を見詰めている。

やはり、何を考えているのかよくわからない。


ダゲキ「『くやしい』……くやしくて、どうすればいい」

ミュウツー『貴様がどうしたいのかにもよると思うが……』

ミュウツー『勝ちたいなら、対抗……あ、いや、相手に効果のある技を使えるようになればいい』

ダゲキ「ぼくは、たぶん できるように、ならない」

ダゲキ「ニンゲンのちからを かりて、わざをおぼえれば いいか」

ダゲキ「そうまでして、ニンゲンの やくにたつ、ポケモンにならないと……いけないか」

ミュウツー『……何の話をしている』

ダゲキ「ぼくの はなし」

ミュウツー『話したくないんじゃなかったのか?』

ダゲキ「たまには、はなしたい きぶんにも なる」

ミュウツー『……そうか』

ミュウツー『だが、貴様は強くなるために修行しているのではないのか』


コマタナが唸りながら立ち上がり、チュリネの座っている向こう側へ歩き始めた。


ダゲキ「……ぼくは、つよくなりたい とか つよくなるため とか、おもったこと ないよ」

ミュウツー『修行狂いの貴様が言っても、あまり説得力はないがな』

ダゲキ「そう?」

ダゲキ「こころと からだを きたえるのは、ぼくやナゲキにとって、ふつうのこと だよ」

ダゲキ「つよくなると、ニンゲンが よろこんで……くれたんだ」

ダゲキ「ニンゲンが、うれしいなら……いいことだと おもった」

ミュウツー『それは……』

ダゲキ「だれかが よろこんでくれるのは、うれしかった」

ダゲキ「やくにたつ は、うれしかった」


ミュウツー『それは、危険な考え方ではないのか』

ダゲキ「……わからない」

ダゲキ「ぼくは、それでいいと おもってた」

ミュウツー『他人に存在意義を求めるのか?』

ミュウツー『それは……』

ミュウツー『……やはり、貴様もニンゲンの所に……いたことがあるのだな?』

ダゲキ「……うん」

ダゲキ「でも、うまれたのは このもり」

ダゲキ「はなれてた ことが あるだけだ」

ミュウツー『……そうか』

ダゲキ「みんなには、いわないでくれよ」

ミュウツー『それは構わんが……』

ダゲキ「でも……」

ダゲキ「ああ……ううん。やっぱり、うまくいえない」


焚き火の向こう側では、チュリネとコマタナが楽しそうに話をしている。

何を話しているのかは分からなかった。

本当に話をしているのかどうかも、定かではない。

だがときどき顔を見合わせ、何ごとか囁き合って、にこにこしている。

人間と関わらなければ出会うはずのないポケモン同士が、どういうわけか仲良くしていた。

人間と関わることで、辛い思いをするものはいくらでもいる。

それでも、今この場に彼らが寄り添っているのもまた、人間に関わったからだった。


ミュウツー『……』

ミュウツー『それは、言葉の問題か、それとも気持ちの問題か』

ダゲキ「どっちも かな」

ダゲキ「きみは……いいたいことを、ことばにできて いいな」

ダゲキ「ぼくが いいたいことも、ちゃんと わかってくれる」

ミュウツー『ニンゲンの言葉を使えたからといって、いいことがあるわけではない』

ダゲキ「そう?」

ダゲキ「ぼくは うらやましい」

ミュウツー『伝える相手がいなければ……伝わらなければ、意味はない』

ダゲキ「きみがいっていること、ちゃんと わかる」

ミュウツー『それは……伝わるように言っているからだ』

ダゲキ「そうかな」

ミュウツー『……だがもし、貴様が知りたいというのなら』

ミュウツー『教えてやれんこともない』

ミュウツー『私が、何をわかっているわけでもないが……』

ミュウツー(……私も、随分と弱気になったものだ)

ダゲキ「そうか……たのむよ」

ミュウツー『貴様は、言葉を知って……何がしたい』

ミュウツー『この森で生きていくとか……貴様が言っていた意思疎通に必要だというなら』

ミュウツー『それに必要な分は、もうじゅうぶん修得できていると思うが』

ダゲキ「ぼくは……」

ダゲキ「ぼくも、かんがえたい」

ダゲキ「ぼくは なんなのか。ぼくたちは なんなのか」

ダゲキ「ほかにも あるけど、どう ことばにしたらいいか、よくわからない」


そこで、ダゲキはいちど言葉を切った。

少し考えるそぶりを見せ、思いあたったとでも言うように口を開く。


ダゲキ「……あ」

ダゲキ「それを いえるように なりたい」

ミュウツー『……わかった。気が向いたら言ってくれ』

ミュウツー『必要なものは……ある』

ダゲキ「ああ……そういえば、どこか でかけていたな」

ミュウツー『気づいていたのか』

ダゲキ「うん」

ミュウツー『シッポウシティへ行った』

ダゲキ「へえ」

ダゲキ「ニンゲンに、みられたくないんじゃ なかったのか」

ミュウツー『そのつもり……だったのだが』

ミュウツー『いろいろ、あったのだ』

ダゲキ「いろいろ、か」

ミュウツー『いろいろだ』

ミュウツー『まあ……いずれ話す……かもしれん』

ミュウツー『あるニンゲンと、話をしたのだ』

ミュウツー『……「ともだち」を連れて来ても構わんと言われた』

ダゲキ「『トモダチ』……?」

ミュウツー『まあ……物凄く大雑把に言うと、仲のいい相手という意味だ……ったと思う……』

ミュウツー『そのニンゲンから、本を借り受けてきた』

ダゲキ「『ほん』……って、なんだ」

ミュウツー『本とは……その、ニンゲンが言葉を集めたものだ』

ミュウツー『その中には、言葉を学ぶための本もあるのだ』

ダゲキ「それを、もらった?」

ミュウツー『い、いや、「かりた」のだ。いずれ返さねばならん』

ダゲキ「……ふうん」

ダゲキ「ニンゲンにか?」

ミュウツー『そうだ。一定の……そ、それなりに信用できると踏んだニンゲンだ』

ダゲキ「きみが?」


ミュウツー『……なんだか、いちいち忌々しいのだが』

ダゲキ「『イマイマシイ』?」

ミュウツー『は、腹が立つ』

ダゲキ「……ぼくが? ごめん」

ミュウツー『……いや、そういう意味では……』

ミュウツー『本を借りたのも、あくまで私自身が学ぶためだ』

ミュウツー『貴様のために借りたわけではない』

ミュウツー『だが、貴様がもし知りたければ、見せてやってもかまわん』

ダゲキ「そう」

ミュウツー『……なんだその目は』

ダゲキ「いや……なんというのかな」

ダゲキ「うまく いえないんだけど、ううん……」

ダゲキ「そうだ、『シンキョウノヘンカ』?」

ミュウツー『む……そんな言葉を知っているか』

ダゲキ「むかし きいた」

ミュウツー『意味はわかるか?』

ダゲキ「よく、わからない」

ミュウツー『わからないのか』

ミュウツー『……意味、か……』


意味のわからない言葉。

ときどき、頭の中に甦る言葉があった。


ミュウツー『……ケッチュウアドレナリンチジョウショウ、キョクドノコウフンジョウタイデス』

ミュウツー『チンセイザイヲチュウニュウシマスカ、ハカセ……』

ダゲキ「なんだ、それは」

ミュウツー『……ニンゲンのところにいた頃、耳にした言葉だ。今でも一字一句、思い出せる』

ミュウツー『意味は……残念ながら、ところどころしかわからん』


若い男の声だったように思う。

自分自身では、直接耳にしていないはずの言葉。


ミュウツー(たしか、あの時……私は)

ダゲキ「……あんまり きもちいい ことばじゃないな」

ミュウツー『それは、私もそう思う。忌々しい記憶だ』

ミュウツー『意味を知れば、自分がモノとして扱われていたことを思い知るだけ、のような気がする』


――……ハカセ……フジ博士!

――ゴボゴボゴボゴボ

――け、血中アドレナリン値上昇、極度の興奮状態です

――麻酔で眠っているのにか! そんな、まさか……

――ゴボゴボゴボゴボゴボゴボゴボ

――鎮静剤、注入しますか、博士!

――これ以上不安定になると効かなくなります!

――ゴボゴボゴボゴボゴボゴボゴボゴボゴボゴボ

――あ……あんた一体、何をした! 私の……ミ

――ゴボゴボゴボゴボゴボゴボゴボゴボゴボゴボゴボゴボゴボ

――ゴボゴボゴボゴボゴボゴボゴボゴボゴボゴボゴボゴボゴボゴボゴボゴボゴボゴボゴボ……


焚き火の枝が、パチンと音を立てた。


ダゲキ「おい」

ミュウツー『……?』

ダゲキ「だいじょうぶか」

ミュウツー『ああ、すまん。嫌なことを……思い出していた』

ダゲキ「はやく、ねないからだ」

ミュウツー『なんだと?』

ダゲキ「……また チュリネが うるさいぞ」

ミュウツー『……夜更かしなら、貴様も同じではないか』

ダゲキ「ぼくは ねなくても へいき」

ミュウツー『ふん』

ミュウツー『……寝ないと、あのバシャーモが来るぞ』

ダゲキ「……」

ミュウツー『……』

ミュウツー『……寝る』

ダゲキ「……うん」


ふたり揃って、背筋に悪寒が走った。


アロエは書類を整理していた。

気弱そうな男がその様子を見て、声をかける。


キダチ「あれ、ママ。なんだか、やけにご機嫌だね」

アロエ「そう見える?」

キダチ「うん。そういえば……今朝から、ニコニコしてた」

キダチ「なんだか、凄く楽しそうだなあ。ゆうべ、私が帰ったあとで、いいことでもあったの?」


その言葉を聞き、アロエは一層顔をほころばせた。


アロエ「そうだねぇ……じゃあ、何があったか、当ててみてよ」

キダチ「うーん……なんだろ。調べ甲斐のある化石が手に入った……なんて話は聞いてないしなあ」

キダチ「ヤーコンさんも最近来てないから違うし……」

キダチ「戦い甲斐のありそうなジム挑戦者を見つけた、とか?」

キダチ「あっ! ……まさか、戸棚の一番上の、使ってないお茶碗の中に隠してた『もりのヨウカン』……見つけちゃった!?」

アロエ「そ、そんなところに隠してたの……? でも残念、ハズレ」

キダチ「ううん……それじゃあ、わからないよママ」

アロエ「じゃあ、内緒だね。もともと、内緒って約束だから」

キダチ「なあんだ、残念」

アロエ「ただね……素直で、そこらの学生よりよっぽど意欲のある生徒が出来るかも、ってところまでなら言えるわね」

キダチ「へえ……そんなに有望な生徒なら、私にも紹介してよ」

アロエ「あら、やきもち?」

キダチ「もちろん。ママにそんなに褒めてもらえるなんて、羨ましい」

アロエ「最近じゃあ、やる気のある学徒なんて、なかなかいないもんね」

アロエ「人間でもポケモンでも、やる気があるなら分け隔てなく門戸を開いてるつもりなんだけどねえ」


アロエは溜息をついた。

挑むに値する研究を目の当たりにしたような、清々しい心持ちだった。


アロエ「“分け隔てなく”……か」

アロエ「いいことじゃないか」


自分に言い聞かせるように、アロエは呟いた。





誰かが俯いて立っている。

顔は見えない。

その誰かが、これから何をしようとしているか、『私』は知っている。

それまでに奪われてきたものを奪い返そうとしている。

されたことを、しかえそうとしている。

憎しみに駆られて、ではない。

見返してやりたいわけでもない。

自分自身であり続けるために、それが正しいと思っているだけだ。

「だからこれは、攻撃ではない」

でも、その道は違う。

「宣戦布告でもない」

ほら、私は、お前より、こんなに優れている。

だから……。

だから、ここにいてもいい?

「これは――逆襲だ」

俯いていた誰かの顔が見えた。




今回は以上です。

いつもレスありがとうございます。
面白いと言ってもらえて、嬉しいです。

私生活の変化(引越しなど)で少しバタバタしそうなので、
その前に投稿しておきます。
次回投稿時期はホントに未定です。

お久しぶりです。

始めます。


チュリネ「みーちゃーん はー、やー、くーっ!」

フシデ「チュリネちゃ まてて!」

イーブイ「はしっちゃだめー!」

ミュウツー『……』

チュリネ「ピィッ」


どたっ


イーブイ「だから いったのにー」


イーブイとフシデが騒ぎながら、転んだチュリネの元へと駆け寄る。

その様子を、のろのろと歩くミュウツーが眺めていた。

足の裏……といっても指の先程度だが、そこに触れる地面がひんやりとしている。

存外、気持ちいい。

むろん、体力もちからも、とうに回復している。

自分のちからで浮き上がり、苦労なく進むこともできた。

だが自分の足で歩き、多少汗をかいた方が気分がいい。

あとで水浴びをした時の爽快感が違……


ミュウツー(……いや待て何を考えてるんだ私は)


森は深く、木漏れ日はあっても暗い。

そこを、楽しそうな声たちが通り抜けていく。


ミュウツー『まったくこれでは、まるで子守りではないか』

イーブイ「『こもり』って なーに?」


いつのまにか近くに戻って来ていたイーブイが言った。

少し離れたところで、チュリネとフシデも立ち止まって、こちらを見ている。

歩みの鈍い友人を待っているのだった。


ミュウツー『子守りとはな……「こどものあいて」だ』

イーブイ「ぼく こどもじゃない!」


見下すような物言いに、イーブイが即座に反応した。

もちろん、煽るような言い方はわざとである。

会話が始まったと見るや、チュリネとフシデもとことこと戻ってきた。


チュリネ「チュリネだって、いっぱい おてつだい、できるもん!」

フシデ「じゃあ みーちゃ 『ほごしゃ』なお?」

ミュウツー『保護者? そんな言葉、どこで憶えた』

フシデ「ニンゲ いてた。こども、おとなのホゴシャ いしょに いるて」

ミュウツー『その通りだ』

ミュウツー『「子供」は、自分で何もかも、出来るわけではないからな』

イーブイ「えーっ! ぼく、けづくろいだって じぶんでできる!」

チュリネ「チュリネも、チュリネのこと、ひとりで できるもん……」


幼い彼らにとって、やはり幼いことはコンプレックスになっているようだ。

しきりに、一人前であることを主張しようとする。

相手をするのが億劫になって、無意識に眉間に皺が寄った。

といっても、彼らを煽ったのはミュウツー自身なのだが。


フシデ「……みーちゃ、おこてるお?」

チュリネ「ちがうよ!」

チュリネ「みーちゃんは、いっつも、おこった おかお してるだけ」

チュリネ「おかおだけ だから、ぜーんぜん こわくない」

ミュウツー(それはそれで、情けない気がするんだが)

イーブイ「ぼく、おなかすいたー。はやくいこー」

チュリネ「うん、はやく いこ」

フシデ「みーちゃ、はやく、みたいしょ?」

ミュウツー『私は、別に……』

チュリネ「もうすぐだよ、もうすぐ!」


『子供』たちは元気よく前へ進んで行く。

それを、嫌そうに、地面を睨みながら追いかける。


ミュウツー(どうして、こんなことになったのだろう……)


昨夜の夢見も、いつもどおり悪かった。

内容はあまり憶えていない。

悲しいというより、やるせなかった。

誰かが道を誤ろうとしていて、それを止められない。

筋を違え、道理を履き違える様を、黙って見ていることしかできない。

そういう心持ちにさせられる夢だった。

ような気がした。

あれは、誰だったのだろう。

知っている誰かのような気もしたし、見ず知らずの誰かのようにも思えた。

『気持ち』は、不思議なほどよく理解できた。


フシデ「みーちゃ」


フシデに呼び掛けられて顔を上げると、いきなり目の前が開けた。

森の中に突如として、太陽の暖かさに溢れた空間がある。

そこにまた、周囲とは明らかに種類の違う木が生えていた。

遠目にも、その木々に色とりどりの果実が実っているのがわかる。

走っていくチュリネらを目で追うと、向かう先に誰かがいるのが見えた。

ほっそりとして、しなやかなシルエットのポケモンだった。

それがきのみを摘み取り、あちこちの枝を切り落としている。


チュリネ「おねえちゃん、こんにちはー!」

ミュウツー(……奴が、そうか)


聞いていた話によれば、あのポケモンがハハコモリというらしい。

あの夜、ヨノワールが探していた相手であるはずだった。

足元には葉や枝だけでなく、クルミルやクルマユがごちゃごちゃと這っている。

ハハコモリが切り落とした葉を、一心不乱に齧っていた。

その中のひとりが目についた。

他のクルミルと比べても全体的に緑色が強く、口元だけが赤い。


ミュウツー(……ああいう色合いのものも、いるのか)


目線の高さが大して変わらないチュリネが近づいてきているのに、興味を示す様子はない。

チュリネが足元まで辿り着くと、ハハコモリはゆっくりと膝を折って屈んだ。

『遊びから帰って来た子供を迎える、母親のような動き』だった。

人間ならば、そう連想する動きである。

だがミュウツーにとっては、何をしているのかわからない。

そもそも連想する記憶を持ち合わせていないのだった。


イーブイ「こんにちは!」

フシデ「こにちぁ」

ハハコモリ「ひゅーん? ふぅーん」

チュリネ「ううん、おようふく、まだ だいじょうぶ。おねえちゃん、ありがとう」

ハハコモリ「ひゅうー。ひゅ」

チュリネ「えっ……!? ほんとう? きのみ おせわ、おしえてくれるの!?」

チュリネ「うわあ! うれしい!!」

ハハコモリ「ひゅうーん」

チュリネ「うん! わかった! あした、またくるね! ……あっ!」

チュリネ「あのね、きょうはね、おねえちゃんに、みーちゃんを『ショーカイ』したいの」

ハハコモリ「ふぅ?」

チュリネ「みーちゃん、はやくー!」


チュリネが呼んでいる。

ミュウツーの存在に気づくと、ハハコモリはふわふわとした動きで立ち上がり、会釈した。


ミュウツー(こいつが……ヨノワールの探していた相手なのか)

チュリネ「あのね、みーちゃん っていうの!」

ハハコモリ「ひゅ、ひゅー」

チュリネ「はじめまして、だって」

ミュウツー『あ、ああ……よろしく』


ハハコモリはその返事を聞き、にっこり笑って首を少し傾けた。

そのようすが、実に人間じみている。


ミュウツー(……こいつも、そうなのだろうか)

ミュウツー『ミュウツーと呼ばれているから、このチビの戯れ言は気にしないでほしい』

チュリネ「ぶーっ、チュリネ チビじゃないもん!」


チュリネは頬を膨らませて下を向いた。

少し言い過ぎてしまっただろうか。

小さなポケモンは眉間に皺を寄せ、怒っていた。


チュリネ「……みーちゃん しらない!」

チュリネ「おねえちゃんね、きのみ そだてるの、とーっても じょうずなんだから!」

ミュウツー『ほう』

ミュウツー(……チュリネとのやりとりといい、ニンゲンの言葉は理解できるようだな)

ミュウツー(むしろ、チュリネはこのハハコモリの言葉がわかるのか)

ミュウツー『ダゲキに頼まれて来た』

ハハコモリ「ひゅーん。ひゅう……」

チュリネ「はーい、だって!」

ミュウツー『む……いちいち不機嫌な通訳が入るのも、煩わしいものだな』


森に寝起きするようになってから、よくも悪くも、意思の疎通であまり困ったことはない。

チュリネも、フシデも、イーブイも、ダゲキも、ナゲキも、バシャーモもみな、似ても似つかぬポケモン同士だったが。

本来は互いに言葉も違い、考え方も違い、生まれも本能も習性も異なるはずのポケモン同士。

それが、多少の言い換えや配慮は必要なものの、大きな齟齬なく意思を伝え合うことができている。

人間の言語を介することで、種族の壁はいともたやすく越えられてしまった。

冷静になって考えてみれば、それは希有であり、また尋常ならざる事態でもあった。


ミュウツー『貴様は、人間の言葉を話さないのだな』


ハハコモリは少し困ったようなそぶりを見せた。

意味は通じているのだろう。

問い掛けをしているようでいて、半分は独り言のつもりだった。

困らせてしまったのも無理はない。


ミュウツー『いや、なんでもない。気にするな』

ハハコモリ「……ひぅーん……」

ジュプトル「ハハコモリ、どうした? だれか……あっ……おまえ」

フシデ「あっ、ジュプトルさ」

ジュプトル「おう、フシデ。あいかわらず、あかいなあ」


声がした方を見ると、ジュプトルがこちらを見ていた。

腕にきのみを抱え、頭や尾の葉も今日は機嫌よさそうに揺れている。


ミュウツー『……貴様は確か……』

ジュプトル「おまえ、このあいだ ふってきた、でかいやつじゃないか」

ミュウツー『……ジュプトル、だったか』

ジュプトル「おう。よく、しってるな。おまえは?」

ミュウツー『ミュウツーだ』

ミュウツー『まあ……適切な名かどうかわからんが、それ以外に呼ばれたことがなくてな』

チュリネ「ハハコモリのおねえちゃんにね、みーちゃん、『ショーカイ』してた!」

ジュプトル「ふうん」

ジュプトル「あのときは、わるかったな。ちゃんとあいさつもしなくて」

ミュウツー『ああ、それは別に気にしていない』

ジュプトル「そーか。で……なんか、ようか?」

ミュウツー『ダゲキに頼まれて、チビどもを連れて来たのだ』

チュリネ「チュリネ、チビじゃないもん!」

ジュプトル「はいはい」


ジュプトルの返事から、『チビ』という言葉に対するチュリネの反応がいつも通りのものであることが理解できた。

ダゲキの言っていた通り、『チビ』呼ばわりされることに強い拒絶を示すようだ。

イーブイも同様に子供扱いされることに文句をつけてくる傾向にある。

そういうものなのだろうか。


ジュプトル「それで、あいつは?」

ミュウツー『ダゲキか?』

ジュプトル「うん。……あ、また、『シュギョー』か」

ミュウツー『ああ、そうらしい……有名なのだな』


ジュプトルが笑った。


ジュプトル「ゆーめい、か。みーんな、しってるもんな。ゆーめいだ」

ミュウツー『倒木を抉っている時の音は、確かに良く響いていた』

ジュプトル「ほうっておくと、いつまでも やってるからなあ」

ジュプトル「めいわくじゃないけど、かわってるよ」

ミュウツー『まったくだ』

ジュプトル「バシャのやつにいわせると、こうなるんだぜ」

ジュプトル「『おとこまえさんやけど、かわりもんどすえ』とか!」


声音を似せ、それらしい“しな”まで作ってみせる。

ミュウツーは失笑した。

先日以来、笑うことに不思議と抵抗が薄れていた。


ミュウツー『ああ、言いそうだ』

ジュプトル「そういえばあいつの、その『シュギョー』で、おもしろいはなしがあってよ……」

イーブイ「おねえちゃん、ジュプトル、きのみ とっていい?」


待ちきれないといった様子で、イーブイが木の方を見ている。

ハハコモリが無言で頷くと、イーブイとチュリネが木に飛びついた。

ふたりとも身体が小さいため、低いところの実しか獲れない。

ふたりが届かない高さのものは、ハハコモリとジュプトルが収穫し終えていた。

フシデは木に登ろうとせず、大きな葉を風呂敷のように地面に広げている。


ジュプトル「まあいいや。そのはなし また、こんどな」

ミュウツー『奴をからかう材料になるなら、是非とも頼む』

ジュプトル「あはは、こりゃいいや」


ミュウツーは改めて実感していた。

このジュプトルやチュリネ、イーブイ、多少控えめだがフシデもみなそれぞれに感情表現が豊かだ。

怒れば顔が険しくなり、嬉しければ笑みを浮かべる。

人間ならば、それも当然のことだ。

よくも悪くも、人間は感情の生き物だからだ。

『理性』という、不思議な抑制装置を抱えてはいるが。

ポケモンにしても、きっと同じなのだ。

心があり、感情があり、喜んだり悲しんだりするならば。

ミュウツーでさえ、『怒っている』と見られる程度には感情が外に出ている。

なのに新しい友人の、あの表情と感情の乏しさはなんなのだろうか。

確かに、出会って長い付き合いではない。

だが類似種のナゲキと見比べても、ダゲキの感情や表情の幅は狭い。

ミュウツーが森にやってくる遥か以前から、ミュウツーの認識とそう違わぬ扱いをされている。

そういう奴なんだ、と思ってしまってもいいのだろうか。


ミュウツー『……貴様は、ここで何をしている?』

ジュプトル「おれ? ちからしごと。ハハコモリより、ちからもちだし」

ハハコモリ「ふぅー。ひゅっ」

ジュプトル「ギー」

ミュウツー『?』

ジュプトル「いつも たすかってる、って。へへへ」


自分を持ち上げる発言を自分で通訳する。

ジュプトルは、ハハコモリの言葉を伝えながら照れていた。


ミュウツー『違うポケモン同士で、言葉が通じるのか』

ジュプトル「おなじ、くさのポケモンで、『ちかい』しな」

ジュプトル「ぜんぶわかる わけじゃないけど、ちょっとなら」

ミュウツー『そういうものなのか』

ジュプトル「ダゲキとナゲキだって……おれには、なにいってるか さっぱりわからないけど、よく はなしてるだろ?」

ジュプトル「おまえ、そういう『ちかい』やつと、はなしたこと ないのか」

ミュウツー『ないな』

ミュウツー『……うん? ひょっとして、ダゲキによく似た赤い奴……は「ダゲキ」ではないのか』

ジュプトル「それが『ナゲキ』だろ。おれも、さいしょは ちょっとびっくりした」

ミュウツー『そういえば、「鳴き声」はだいぶ違っていたが……色違いかと思っていた』

ジュプトル「やっぱり、そう おもうよなあ」


一番低い枝にぶら下がりながら、イーブイが言った。


イーブイ「ちぇーっ、きょうも、このえだ までしか とどかなかったぁ」

イーブイ「おとなになったら、ぼく、もっと うえのきのみも、とれるのかなあ」

ジュプトル「おまえは おとなになっても、おれくらいだろ? あきらめろ」

イーブイ「ジュプトル いじわる!」

チュリネ「イーブイちゃんは、おとなになったら、なに なるの?」

イーブイ「わかんない。チュリネちゃんは?」

チュリネ「チュリネ わかんない。どうしたら、おとなになれるのかなあ」

フシデ「わた、おおきくなた、みーちゃより、おーきくなれる だて」

ミュウツー『ほう』

フシデ「でも、ごろごろ ころがる、たいへ そう。め まわちゃうかな」


チュリネが葉の上にきのみを置きながら、ミュウツーを眩しそうに見上げた。


チュリネ「みーちゃんは、おとな なるの?」

ミュウツー『……さあな』


大人になるとは、人間の言う『進化する』という意味なのだろう。

自分が進化するのかどうか、考えたことはなかった。


チュリネ「チュリネ……はやく、おとなになりたいな」

フシデ「えー、どして?」

チュリネ「はやく おとなになりたいの!」

ジュプトル「こどもって、たのしい じゃないか。オトナは たいへんなんだぞ」

チュリネ「でもね、なんだか……なってみたい」

ミュウツー『「なんだか」か。気楽なものだ』

ミュウツー『それより、頼まれたことは出来ているのか?』

ミュウツー『私は子守りだけではなく、お前たちがちゃんと「使い」が出来るか見届けるよう、奴から頼まれてもいるんだが』

ジュカイン「あいつは『シンパイショー』だからな」

イーブイ「うーっ、にーちゃん、ぼくのこと、すぐ こどもこどもーっていうんだもん」

ミュウツー『ふん、その通りではないか』

イーブイ「……『こもり』なんて いなくても、ちゃんとできるのに」

チュリネ「チュリネ、いっぱい きのみとったよ!」

フシデ「おちてく、ひろてたら、おなか、すいた……」

ミュウツー『おい、あのてっぺんの実はどうするんだ?』


ミュウツーが指さす先、木の一番上のあたりにいくつかのきのみが残されていた。

今ここにいる面々では、届かない高さに実っている。


ジュプトル「あれかあ。とってもいいけど、とらなくてもいいんだ」

ジュプトル「それに、ぜんぶとっちまうと、つぎ はえないんだ」

ミュウツー『そういうものなのか』

ジュプトル「そうだよ」

ジュプトル「……ほんと、ニンゲンのところからきたやつは、なにも しらないんだな」

ミュウツー『悪かったな』

チュリネ「あーっ、ジュプトルちゃん、それ、まえにバシャーモちゃん いったのと、おんなじ! まねっこ!」

ジュプトル「う、うるせえ!」

フシデ「あれ、イアのみ」

ミュウツー『ほう』


イアと聞いて、興味が湧いた。

あれを欲しい。

食べたい。


ジュプトル「いちばん、おひさまがあたってるから……いちばんうまいはずだ」

ミュウツー『……ほおう……』

ジュプトル「とびきり、すっぱいぞ。おまえ、すっぱいのがすきか?」

ミュウツー『イアのみが一番気に入っている』

チュリネ「おねえちゃんも、いつも とれない いってるよ。チュリネもとれない……」

チュリネ「みーちゃんでも、とれない?」

ミュウツー『取れる』

チュリネ「ほんと!?」

イーブイ「きのぼり できるの!? ぴょんって とびはねるの!?」

フシデ「こないだみたに、ふわーて、おそら とぶ?」

チュリネ「えっ、すごーい! みーちゃん、おそら とべるの!?」

イーブイ「はね ないのに!?」

ミュウツー『飛べるが飛ばん。わざわざ、そんなことをする必要はない』

イーブイ「すごいなぁ!」


照れ臭くなって、ミュウツーは樹上を見上げた。

わざわざ飛ぶまでもないのは事実だった。

ほんの少し念じるだけだ。


パキッと音がした。

ここからよく見えなくても、何がどうなったのかは手に取るようにわかる。

なんとなく全員が固唾を飲み、押し黙っていた。


ぽとり、ときのみが掌に落ちてきた。


ジュプトル「エスパーか、おまえ」

ミュウツー『そうらしいな』

チュリネ「みーちゃん、すごい……」

イーブイ「すっごい! ぼくも、おおきくなったら できるかな!」

フシデ「わ、わたも、いま、やてみたい!」


子供たちが騒いでいる。

やけに恥ずかしかった。


チュリネ「……えっ、おねえちゃん、なーに?」


ハハコモリがチュリネに何か伝えている。


チュリネ「わかった!」


話を終えたチュリネがにこにこして、ミュウツーのところへ駆け寄ってきた。


チュリネ「あのね、そのイアのみ、みーちゃん たべていいよって!」

ミュウツー『いいのか』

チュリネ「いつも、とれなくて ざんねんなの」

チュリネ「うれしいから、どうぞって」

ミュウツー『……そうか』

ミュウツー『ならば、ありがたくいただく』


齧ると、やはりすっぱかった。


ミュウツー『とれたては……またやたらとすっぱいな……』

フシデ「『トレタテ』てなーに?」

チュリネ「おててが、とれちゃうの?」

ジュプトル「じつはな……うますぎて、うでが もげちゃうんだ」

チュリネ「えーっ!」

イーブイ「こ、こわい!」

フシデ「わ、わたしのあし、いぱい とれちゃたら、どうしよ……」

ミュウツー『い、いや……違っ』

ミュウツー『……「とれたて」というのは、だな……』

ミュウツー『「木からとったばかり」ということだ。貴様、適当なことを言うんじゃない』

ジュプトル「あはは」

フシデ「な、なんだ……ニンゲンのことばて、へんなの」

イーブイ「みーちゃん、なんでも しってるんだ」

チュリネ「どうして、みーちゃんは、いろいろ しってるの?」

ミュウツー『ど……どうしてだろうな……』

フシデ「チュリネちゃ、みーちゃ、ニンゲンのとこ いただも。だから」

ミュウツー『まあ……それは、その通りではある』

チュリネ「そっかぁ。いいなあ、チュリネも……」

フシデ「チュ、チュリネちゃ……」


チュリネは思わず息を呑み、イーブイとジュプトルを見た。


チュリネ「あっ……ごめんね」

イーブイ「ううん、いいよ」

ジュプトル「……きにするな」

ミュウツー『……』

チュリネ「あ、あのね、チュリネね……」

チュリネ「にーちゃんと、みーちゃんと、ジュプトルちゃんは、いっぱいおはなしできて、うら、う、うあ……」

ミュウツー『?』

チュリネ「うああらしい の!」

イーブイ「チュリネちゃん、それ、『うららましい』だよ!」

ミュウツー『それは、「うらやましい」だな。……羨ましいのか?』

チュリネ「うん、う、ら、や、ましい!」

チュリネ「にーちゃん、とってもやさしいけど、あんまりおしゃべり、できないんだもん……」

チュリネ「チュリネ、おしゃべり、じょうずじゃないから」

フシデ「にーちゃ、あそぼて いても、すぐ『シュギョー』いちゃう」

イーブイ「バシャーモちゃんは『エンジュなまり』だから、おしゃべりしにくいんだって」

チュリネ「ジュプトルちゃんは、みんなと すぐ けんかしちゃうもんね」

ジュプトル「……いや、べつに、すきでけんかしてるわけじゃねー」

フシデ「……でもね、あのね、にーちゃ、まえより いっぱい あそで くれる」

イーブイ「うん、にーちゃん、まえより いっしょ、きのみ たべる!」

チュリネ「にーちゃん、ちょっと、うれしい……かな」

ミュウツー『嬉しい?』


小さなチュリネは、必死で考えながら言葉を吐き出していた。

言いたいこと、伝えたいこと、受け取ってもらいたいことを押し出す。

なぜ、そうも必死になるのかミュウツーには理解できなかった。


チュリネ「あのね、にーちゃん、きっと うれしい なの」

チュリネ「にーちゃん、おしゃべり、たのしいの」

チュリネ「みーちゃんと、おしゃべり たのしいの」

チュリネ「みーちゃん、にーちゃんと、おはなし してくれるから」

チュリネ「みーちゃん、いっぱい しってるから」


違う。

それは違う。


ミュウツー『……冗談ではない』

イーブイ「みーちゃん?」

ミュウツー『……確かに、お前たちや奴の知らないことを、多少は知っている』

ミュウツー『だがな、私が知っているようなことは、知っていても何の役にも立たん』

ミュウツー『ニンゲンに関わる気がないなら、意味のない知識ばかりだ』

ミュウツー『何の意味もない』


実際には、違うかもしれない。

けれど、とても肯定的に返事をする気にはなれなかった。


ミュウツー『生きていくのに必要な知識を持ち、木の世話も出来る方が』

ミュウツー『お前たちの方が、ずっと……』


おべっかを言うつもりはない。

ある意味では、ある側面では、ある部分では本当にそう思っていた。


イーブイ「ほんと!?」

ミュウツー『……うむ』

チュリネ「チュリネたち、えらい……の?」

ジュプトル「おいおい、あんまり ほめると、ちょうし のるぞ」

ミュウツー『いや、これは本心だ』

ミュウツー『この森のことに関しては私より、ずっとよくわかっている』


この森で生活している彼らは、まぎれもなく『生きて』いて、与えられた命の本分を全うしている。

それ以上でも、それ以下でもない。

種族の壁を低くするために、少しばかり人間の知恵を借りているだけだ。


イーブイ「みーちゃん?」

チュリネ「みーちゃん、また おかお こわーくなってる」

フシデ「おねえちゃね、みいなでたべて、て、きのみくれた」

フシデ「もてかえて、みいな くばたら、いつもとこで たべよ」

ミュウツー『……うむ』

ミュウツー『ふたりにちゃんと礼を言っておくんだぞ』

チュリネ「みーちゃ、みーちゃ も!」

ミュウツー『わかってる』

イーブイ「おねえちゃん、ジュプトル、ありがとー!」

フシデ「ありがと、おねちゃ。さむくなたら、およふく、つくて」

チュリネ「おねえちゃん、ありがとう! ジュプトルちゃん、またくるね!」

ジュプトル「おう」

ハハコモリ「ひゅーん」

ミュウツー『世話になった』

イーブイ「えーっ、『セワニナッタ』だけー?」

チュリネ「わかった、みーちゃん、はずかしいんだ!」

フシデ「『はずかしい』? なぁに それ」

チュリネ「だって、みーちゃん、にーちゃんに たすけてもらったときも……」

ミュウツー『ちょっ……待て、その話は』

イーブイ「えっ、なになに!?」

フシデ「わたし、ききたい!」

チュリネ「うふふーっ、ないしょー!」


チュリネはそう言い残すと、やけに嬉しそうに走りだした。

自分ひとりだけが知っていることだ、と知ったからだった。

イーブイとフシデが慌ててその後を追いかけ始めた。


ミュウツー『やれやれ、騒々しい』

ジュプトル「げんきだよなぁ」

ハハコモリ「ふぅー、ひゅい」

ミュウツー『なんと言っている?』

ジュプトル「にぎやかで、たのしいってさ」

ミュウツー『……まあ、それは否定しない』

ミュウツー『では、私も……』

ミュウツー『あっ』


あることを思い出した。

本人に会ったら、尋ねようと思っていたことがある。


ミュウツー『お前たち、先に行っててくれ』

イーブイ「どうしたのー?」

フシデ「はーい……?」

チュリネ「みーちゃん?」

ミュウツー『ハハコモリに用があったのを、思い出した』

ミュウツー『少しだけ、話をしてくる』

ミュウツー『先に帰っていても構わない』


それを聞き、『子供』たちはおとなしく連れ立って歩き始めた。

とはいえ気にはなるらしく、かわるがわるこちらを振り返っている。


ジュプトル「でっかいのだけ、まだ なんかようか?」

ミュウツー『でっかいの……』

ミュウツー『まあ、な……ハハコモリ』

ハハコモリ「?」

ミュウツー『何日か前、ヨノワールが貴様を探していたが……会えたのか?』

ジュプトル「……ヨノワール……だって?」

ミュウツー『ああ、このま』

ジュプトル「おまえ、あいつのなかま か?」


それまで友好的な態度を示していたジュプトルが、にわかに身構えた。

敵と対峙する顔になっている。


ミュウツー『えっ……いや、そういう』

ジュプトル「ちがうのか? じゃあ、あんなやつのことは いうな」

ミュウツー『そう、言われてもな』

ミュウツー『……で、どうなんだ?』

ジュプトル「おいハハコモリ、こたえなくても……」


だがミュウツーが水を向けると、ハハコモリは小さく頷いた。


ミュウツー『……そうか。何だか知らんが、用は済んだんだな?』

ハハコモリ「……ひゅーん……」

ジュプトル「ギッ」

ハハコモリ「ひゅ……ふー……」

ジュプトル「ギキッ」

ミュウツー『……通訳してもらえるか?』

ジュプトル「……」

ジュプトル「なんにちか まえ……たぶん、おまえが あいつにあった よるだな」

ジュプトル「ヨノワールのやつが、あいにきた」

ジュプトル「……なにをはなしたか……おしえてくれない」

ミュウツー『……そうか』

ジュプトル「……なんで、いわないんだよ……」


ハハコモリは申し訳なさそうにしている。


ミュウツー『すまない。詮索する気はなかった。ただ』

ジュプトル「あいつには、ちかよっちゃだめだ」

ジュプトル「あいつは、ふしあわせを はこんでくる」

ミュウツー『どういう意味だ?』


ジュプトルは心底不愉快そうに顔を顰めた。

考え込み、慎重に言葉を選んでいるようだった。


ジュプトル「……いまは、まだ わからない」

ジュプトル「でも、どうしても、あいつのこと……いやだ」

ジュプトル「きっと、わるいことをかんがえてるに きまってる」

ジュプトル「だからハハコモリ、きをつけてくれ。おれが、まもる」

ハハコモリ「ひゅう……」

ジュプトル「おまえも、あいつには きをつけろ」

ミュウツー『そう、言われても……だが、わかった』

ミュウツー(まあ……私にとっても、得体の知れないポケモンであることは確かだが……)

ミュウツー『手間を取らせたな』


ミュウツーはそれだけ伝えると、遠くでお喋りをして待っているチュリネたちの方を向いて歩き始めた。

そんな彼らを、ハハコモリがじっと見ている。

やわらかく手を振り、姿が見えなくなるまで動こうとしない。

足元のクルミル、クルマユたちが、それを不思議そうに見上げている。

ジュプトルも、そんなハハコモリを心配と焦りの籠もった目で見ていた。

今回は以上です。

引越しはなんとなく終わりそうです。
少し書き進められたので、実家に戻っている今日、投稿しておきます。

それではまた。

『もう一度子供に戻ってみたい』がリフレインしてつらい

乙です
ミュウツーの性格が大分丸くなってきていいね
次も楽しみに待ってます

マジで面白過ぎるわこれ
モノローグセンスあり過ぎ

こんばんは。

なんとなく「どんどん投稿しないと!」って思ってしまっているので、
投稿予定分の最終チェックが終わりしだい、投稿します

べ、別に焦ってるわけじゃないんですが…

いただいたレスへの返信は投稿のあとでします

では、始めます。


薄暗い店の片隅で、男がグラスを傾けていた。

ひどく老け込んだ、だが実際にはそこまで年老いていないようにも見える男である。

少しでも世界に迷惑をかけまいとするかのように、そう大きくない体躯をよけいに縮めている。

グラスには、半分ほどアイスコーヒーが残っていた。

週末の夜、静かにアルコールを嗜む客がいるだけの店内で、男のコーヒーはやはり異質だった。

しかしこの異質な客は、この時間のこの店を定期的に利用している。

町の人間も他の客たちも、この男の正体をよく知っていた。

だから「いつもの光景」と感じこそすれ、奇異の目を向けることはなかった。


カラン、と音がした。

誰か客が入ってきたのだろう。

だが、アイスコーヒーを啜る男が興味を持つ気配はない。

そんな男の背後に、たった今入ってきた禿頭の男が歩み寄った。

つかつかと大股で歩き、背筋も伸びた長身の男だった。


禿頭の男「やあ。ここ、いいかな」


やけに響く声に、老人はめんどくさそうに振り向く。

声の主を見て、老いた男は驚いたような、呆れたような顔をした。


老人「……君か……」

老人「いや……本当に、久しぶりだね」


老人はきまり悪そうに応え、男から視線をそらした。


禿頭の男「いつ以来だったかな。こちらも、なかなか忙しくてね!」

禿頭の男「どうにも、のんびりできやしない。おお! ここ、座っても構わんね?」


コーヒーを啜る男の返事も待たずに、長身の男は隣に腰を下ろす。

いちいち声が大きく、身振りも大袈裟で鬱陶しい。

それが、老人のみならず店にいた客たちの共通して受ける印象だった。


禿頭の男「うーんと、ハーフロックで。君は相変わらず、こんな店でコーヒーか!」


誰もが思っていても正面から指摘できなかったことを、禿頭の男は正面からつついた。


老人「今更、酒を憶える気にもなれなくてね……」

老人「君こそ、今もジムリーダーをやっているのかな?」

禿頭の男「うん? ……ああ。むろんだ!」


暑苦しい男に対峙しても、老いた印象の男は引き摺られることなく対応した。

もっとも、こうした温度差は昨日今日に始まったことではない。


禿頭の男「未来ある若者たちと戦っていると、自分も負けていられないという気がしてくるからな」

禿頭の男「いいぞぉ、未来があるというのは。まず第一に、瞳の輝きが違う」

禿頭の男「自分が何かを成し遂げられると本気で信じる、希望の輝きだ」

禿頭の男「わしらのような年寄りにはない、素晴らしいものだよ!」


男は嬉しそうだった。

そう高らかに言う男の瞳にこそ、眼鏡の奥で年齢に不相応なまでの情熱を宿らせている。

老人にしてみれば、この男ほど熱意に満ちた『年寄り』などいない。


老人「『わしらのような』? 心にもないことを言うな。ジムの話、ここまで来ているよ」

禿頭の男「はっはっは! そうか、そうか。わしは諦めが悪いからな」

禿頭の男「火山の力は偉大だ。小手先で敵う相手ではない!」

禿頭の男「その容赦ないエネルギーこそ、わしには魅力的なのだがね」

老人「そうか……」


大袈裟な身振りを交えて話す禿頭の男に対し、老いた男はあまり乗り気ではない反応を見せる。

話を聞いてはいても、目線はグラスからほとんど離れない。

上の空だった。


禿頭の男「……やれやれ、相変わらずのようだな。町の連中も言っていたよ」

老人「『バーでコーヒーを飲む、変わりものの老人』だって?」

禿頭の男「はっはっは。自分で言っちゃおしまいだ。でも、おおむね正解だね」

老人「……この町に住む人たちは、私の正体を知らない。だからそんなことを言っていられるだけだよ」

禿頭の男「ふむ、なるほど……仮に今の君が、ただの仮面でしかないとしよう」

禿頭の男「だが、今しか知らない連中にとっては、その仮面こそが全て」

禿頭の男「その仮面こそが、真実だ」

禿頭の男「それに……今の君に、かつてのような科学者の一面はない。実のところ、彼らが言う通りの人間なんだよ、君は」

老人「まさか」


薄くなったコーヒーをひとくち飲み込み、老いた男は虚空を見つめた。

『いつものように』思い詰めた顔をしている。


老人「……私は、命を弄びすぎた。命を奪い、侮辱しすぎた。彼らが噂しているような人物であるはずもないよ」


禿頭の男はわざとらしく溜息をついた。

この会話の流れは初めてではない。

どうということのない雑談をしていても、ある一点に触れるとこうして男のスイッチが入ってしまうのだった。

ウイスキーをあおり、禿頭の男は言葉を選んで話を切り出す。

かすかに、何かを期待する含み笑いを浮かべた。


禿頭の男「少しは世間に目を向けてみたらどうだ? その様子だと、洞窟の話も耳に入ってないようだ」

老人「洞窟? その話は……私に関係あるのか?」

禿頭の男「やっぱり、な……」

禿頭の男「最近になってようやく露見したことなのだが……ハナダの北西に、洞窟があるだろう?」

禿頭の男「そこにね、どの種類かはわからんが、大型のポケモンが一匹、住み着いていたようなのだよ」

老人「……」

禿頭の男「噂を聞いた卜レーナーたちが洞窟を訪れたが、いずれもしばらくしてから、意識が朦朧とした状態で保護されている」

禿頭の男「洞窟に踏み入る前後の記憶も曖昧だ」

老人「……君は、何の話をしているんだね」


男はその返事を聞き、にやりと笑って白い髭を撫でた。

待ってましたと言わんばかりである。


禿頭の男「もうちょっと興味を持っても、罰は当たらんと思うぞ」

禿頭の男「これは公表されていない情報なのだが……」

禿頭の男「保護されたトレーナーたちの状態は、全員が共通している」

禿頭の男「ポケモンが使うような、『極めて強力な催眠術及び記憶操作をかけられた状態』で間違いないそうだ」

老人「……?」

禿頭の男「だが、記録にあるいずれのポケモンのデータと比較しても……」

禿頭の男「そこまで強力な催眠術や超能力を使えるポケモンは、そうそういるものではない」

禿頭の男「……誰かが、人工的に生み出しでもしない限りはね」


そう言って、意味ありげに老人を見る。

老け込んだ男が突如身を乗り出した。

目に光が宿り、本来の年齢の輝きを取り戻したかのようだった。


老人「まッ……まさか、それが……私の……『あの子』は名無しの洞窟にいるのか!?」

禿頭の男「まあ、まあ……落ち着きたまえ。やれやれ、やっと食いついてきたな」

禿頭の男「事態を把握してすぐ、ポケモンリーグは洞窟を監視し始めた。情報が出揃い次第、調査隊を送り込むつもりだったようだ」

禿頭の男「噂を溯ってみるとどうやら、そのポケモンが住み着いたのは、研究所が吹き飛んでから間もなくのことだったらしい」

禿頭の男「その調査も、とうに終わったがね」

老人「で……では、『あの子』は!? 『あの子』はリーグの人間に捕えられてしまったのか!? 無事なのか!」

禿頭の男「それがなぁ……」

禿頭の男「何もわからんのだ」


そう言うと、男は再び琥珀色の液体を口に含んだ。


老人「わから……ない?」

禿頭の男「調査隊は、何も発見出来なかったのだ。洞窟の中は……まあ、野生のポケモンはいたが、他は蛻けの殻だった」

禿頭の男「それらしい死骸も回収できなかったそうだ」

禿頭の男「よくよく調べてみれば、リーグの人間が見落していた出入口があってね。逃げたとすれば、そこからかもしれん」

禿頭の男「『本当の』報告書を見せてもらえたわけではないが、何らかの原因で洞窟内にガスが発生したことにするようだ」

禿頭の男「リーグとしては、そんな状態の洞窟に足を踏み入れたトレーナーがガスを吸って不調を訴えた。ということにするらしい」

禿頭の男「リーグが出入口を監視していたのも、ガスが収まるのを待っていた……ということにするとね」

老人「そうか……」

禿頭の男「なぁに、君や私にとっては都合がいい。リーグとしても、発見と対策が後手に回ったことを知られたくないというだけさ」

禿頭の男「証人たちも幸か不幸か、みんな証人としては役立たずなわけだし」


そう言って、男は肩を竦めた。


老人「……『あの子』なら、強大な超能力を使って、侵入者の記憶を弄ることくらい、わけはない」

老人「……だが、『あの子』は……」

老人「私は『あの子』に、生物として生きるすべなど何一つ教えていない」

老人「……食べ物を手に入れる方法だって、知らないはずだ」

老人「そんな子が、どうやって自然界を生き延びられるというんだ」

禿頭の男「『あの子』はきっと無事だ。君の子だろう」


慰めを言うつもりはなかった。

実際、『あの子』は極めて知能が高い。

たとえ『親』から教えられなくても、どうにか生きるすべを見出しているかもしれない。

希望的観測も含めてだが、何ら手掛かりがなかったとしても、禿頭の男はそう考えていた。


老人「いいや、いやいや違う」

老人「私の『子』……『子』だなどと、私に親を名乗る資格はない」

老人「私は創造主だの父親だのを自称しながら、何一つ与えることをしなかった」

老人「……それどころか、何もかもを奪ったのだ。謝って許されるものではない」

禿頭の男「君のその、深い後悔と果たせぬ償い」

禿頭の男「この町で命尽きたポケモンを弔い、哀れなポケモンたちを保護し続けることで、かわりになるのかね」


にわかに科学者の顔に戻っていた男は、その言葉を聞いて不快そうにした。

禿頭の男の言葉は冷ややかで、老人の言動を責めているようにも響いた。

それは、自分自身に対する欺瞞なのではないか、と。


老人「それはわからない。だが、借金の利子くらいにはなるかもしれない」

老人「私は……もっとも、私にそんなことを言える資格はないのだが……『あの子』には感謝している」

老人「研究所はなくなり、培ってきた実績も、集めたデータもノウハウも失った。娘の最後の痕跡さえも消し炭になった」

禿頭の男「……」

老人「初めは憎みもしたよ。『あの子』のせいで、娘を取り戻すことができなくなった、と」

老人「だがね……瓦礫を引っ繰り返していて、娘の写真が、半分焼けた状態で出てきた」

老人「そこで私は……突然理解したんだ」

老人「私の娘は、もういないのだ。とっくの昔に死んでいた。ずっと考えないようにしてきただけだったんだ」


男の目に、正体のわからない力が籠もった。

古い友人には、それが狂気じみた、痛々しい熱に見える。


老人「こうすれば娘の死をなかったことにできる。ああすれば娘を取り戻せる……」

老人「そうやって目を背けてきた現実が、否が応にも目の前に突きつけられた」

老人「私が娘の死を受け入れられないばかりに、自分の娘を弔うことすら拒否してきた」

老人「死んだ後も、私は娘の名誉を傷つけ続けた」

老人「『あの子』の向こう側に娘が帰ってくる妄想を抱き、『あの子』そのものの命を無視し続けた」

老人「『あの子』の人格……いや、一つの生命としての尊厳すら踏み躙ったのだ」

老人「私が現実から目を背けなければ……あるいは、ぶつけようのない未練と後悔を受け止めてくれる何かがあれば」

老人「『あの子』は……本来の生命を全うできたかもしれない。別の生まれ方があったかもしれない。私は、その機会を奪った」

老人「けれど、『あの子』が全てを吹き飛ばしてくれたおかげで、私は目が覚めたんだ」

老人「だから、私はここで潰えた命を弔い、行き場のない気持ちを受け止め続けようと思う」

禿頭の男「今の自分の姿が後ろ向きの『逃げ』ではないと、言いたいのだな」

老人「……町を歩けば、一人の人間として人々が好意的に挨拶をしてくれる……私には、勿体ないくらいだ」

禿頭の男「そうか。なら、こちらのネタも、ちゃんと伝えておかなければな」

老人「?」


男はニヤリと笑った。


禿頭の男「……先程、きっと無事だなどと言ったが、あれはあながち、無根拠でもなくてね」

老人「……どういうことだね?」

禿頭の男「ハナダのあたりをね、噂好きなファンキーじじいのふりをしてうろうろしてみたのだよ」

老人「『ふり』ではないだろう」

禿頭の男「するとだな、一人、こんなことを言っている子供に出会ったのだ」

老人「……」

禿頭の男「ポケモンリーグの調査隊が洞窟に踏み込む数日前のことだそうだ」

禿頭の男「眠れなくて、ベッドに座って窓の外を見ていたのだという」

禿頭の男「すると、空を一本の流れ星のようなものが走っていった」

禿頭の男「地面に落ちる様子もなく、むしろ地面から飛び去っていくように、空に向かってまっすぐにな」

禿頭の男「そうだな……あの子が指差した方角からすると、イッシュあたりの方面かね」

禿頭の男「親にも友達にも信じてもらえなかったと言っていた。もちろん、調査隊にそういう話は回ってきていない」

老人「……そうか……」

禿頭の男「『それは特別な流れ星だ。見た者は幸せになれる。ただし、誰にも言ってはいけない』と吹き込んでおいた」

禿頭の男「だから、もうあの子供も言い触らすことはないだろう」

老人「……それは……本当に、よかった」

禿頭の男「心配だろうがな。きっと、どこか人間に見つからないところで、隠れて穏やかに暮らせているさ……そう願おう」

禿頭の男「当然、流れ星が『あの子』ではなく、無関係という可能性もあるしな」

老人「そうだな……」


禿頭の男も老人も黙り込んだ。

それぞれに、何かを考えている。

かたや我が子のことを。

かたや友人のことを。


突然、男がよく響く声で話を始めた。


禿頭の男「……ああ、そうだ。それとは関係ないのだが今度、しばらくジムを空けることになった」

老人「……? 旅行か?」

禿頭の男「いやぁなに、ナントカっていう街で、新しいバトル施設を作るっていう話が持ち上がっててね」

禿頭の男「わしらカントーのジムリーダーにも声がかかっておるんだ」

禿頭の男「ジムはしばらく休業する予定だよ。他のジムリーダーも、どこかで時間を作って視察に行くらしいから……」

禿頭の男「わしだけ顔を出さん、というわけにもいかんのだ」


自分との関連が見出せない話題に、老人は訝しげな顔をした。

いずれ関係が見えてくるのかもしれないが、どうにもまわりくどい。

日常会話くらい、得意のクイズのように難解にしなくてもいいではないか、と元研究者は思った。


老人「それこそ、私には関係なさそうに聞こえるが」

禿頭の男「いやいや。君のことだから、変化の少ない毎日を送っていると思ってな。気晴らしに旅行でもどうかね」

老人「いや……私は……ポケモンたちの世話があるから、そうそう離れられんよ」

禿頭の男「君はなにも、『たましいのいえ』を独りで運営しとるわけじゃないだろう。たまには気分転換も必要だよ」

老人「……そ、そうは言うが……」

禿頭の男「おお……そうだ、思い出したぞ。たしかなぁ、ホドモエとかいう街でな」

禿頭の男「イッシュ地方にある」

老人「……!?」

禿頭の男「まあ、考えておいてくれ」


長身の男はそう言いながら、立ち上がって帽子を手に取った。


老人「……」

老人「……カツラ」

禿頭の男「なんだ?」


男は、その禿頭に帽子を載せながら立ち止まる。

老人はしばらく悩み、そして口を開いた。


老人「やはり、私は行けない……」

禿頭の男「そうか、それは……少し残念だ」

老人「だが……」

禿頭の男「『だが』?」

老人「……もし……もしも、だ……」

老人「どこかで……『あの子』に出会うようなことが……そういう奇跡があったら……」


すっかり色に薄くなったコーヒーを見詰めながら、男が呟いた。


老人「『本当にすまないことをした。ふがいない“父”を恨め』と、伝えておいてくれないか」


帽子を被った男は髭を撫でながら少し考え、そして応えた。


禿頭の男「なぁ、フジよ……そういうのは、自分の口で言うもんだ」


その言葉が流れ出ると同時に、扉が閉じた。

残された老人は頭を抱え、グラスの水滴を見つめていた。


いつものように、小枝の爆ぜる音がした。

森の夜は暗く、いつもの場所に、いつものように焚き火が揺らめいている。


ダゲキ「……これは、ペンドラーを よこから みたところか?」


小さな土埃を立て、ダゲキが長い指で地面に文字を刻み込んだ。

本に印字されている活字と比べると直線は頼りなく、曲線は怪しい。


ミュウツー『それは「え」だ。ペンドラー……がどんなポケモンか知らんが、違う』

ダゲキ「そうか」

ダゲキ「フシデが『しんか』すると、ペンドラーに なるんだ」

ダゲキ「しらなかったか?」

ミュウツー『知るか』


無愛想な返事をしながらも、ミュウツーは機嫌がよかった。

借りてきた本を使って、字の練習が出来ることも思いのほか楽しい。

何か、極めて建設的な行いをしているように思えるのだった。

その行為が、自分独りではなく誰かと一緒であることも、なんとなく嬉しい。

むろん、焚き火が今一度、目の前にあることも嬉しかった。


ミュウツー『……そういえばフシデが、いずれ私より巨大になるとか、そういうことを言っていたな』

ダゲキ「あそこの ふといえだ に、つのが ひっかかるくらいの おおきさだ」

ミュウツー『ほう、なかなかだな』

ダゲキ「そのまえに、まるくなるらしい」

ダゲキ「ニンゲンの、バイク あるだろう。あれの『タイヤ』に にてる」

ミュウツー『……お前、今日はやけに喋るな』

ダゲキ「しゃべるの、おもったより たのしい」


表情に出ているわけではなかったが、嬉しそうだった。

いつもより少しばかり饒舌なのは、その現れなのかもしれない。


ダゲキ「きみの おかげで、すこし、うまく はなせるようになった」

ミュウツー『私の?』

ダゲキ「きみの……あたまのこえは、ニンゲンみたいに、すごくうまい だろう?」

ダゲキ「おかげで、ちょっとずつ、うまくしゃべれるように……なってきた」

ミュウツー『テレパシーでも……そういうものか』

ミュウツー『おい、あまり火に近づくなよ。本が燃える』

ダゲキ「わかってる」

コマタナ「ヂャー……キィー……?」


会話の意味を理解できているのか不明だったが、コマタナがふたりを交互に見る。

ふたりが揃って意識を向けている『本』に、興味を持ったようだった。

ダゲキが広げているものに手を伸ばし、その感触を確かめている。


ミュウツー『こら、刃を立てるな。これは借りた物なんだぞ』

コマタナ「うァ?」

ダゲキ「『かりた』って、わかるかな」

コマタナ「ガィ……ダ?」

ミュウツー『そうだ、借りたんだ。……とにかく、斬るな、叩くな、大事にしろ』

コマタナ「ア゛ーィ……」


目に見えて悄然とする。

かつての『踏んだり蹴ったり』の時のように、叱られていると思ったのかもしれない。


ミュウツー『……叱ったわけではない、そんなにしょげるな』


こうした子供の扱いが、ミュウツーはやはり不得手だった。

衝動的で、表裏がなく、純粋なところが扱いにくい。

こちらの言動を正面から受け止めるところも、ある意味で厄介だった。


ダゲキ「……ニンゲンが つかう、もえない『ひ』 あるだろう」

ミュウツー『燃えない火……ああ、「電灯」か? それがどうした』

ダゲキ「そう、そう。あれなら、この『ほん』 ちかづけても、もえない?」

ミュウツー『そうかもしれんが、あれは火と違って電気を持ってこないと使えん』

ミュウツー『電気を扱えるポケモンがいても、そうそう繊細な電力供給が出来るとは限らない。こっちの方が扱いやすい』

ダゲキ「そうか……よくわからないが、むずかしいんだな」

ミュウツー『それに、そんなところにまで、ニンゲンの力を借りるのも癪……いや、「はらがたつ」』

ダゲキ「この『ほん』は いいのか?」

ミュウツー『だ、だから……』

ダゲキ「はい、はい」


必死になって言い返しても、ダゲキはどこ吹く風だった。

からかわれているのは、こちらの方なのかもしれないとミュウツーは思う。


ダゲキ「コマタナの『こ』は、どれだ」

コマタナ「……キッ? ノ゛ぅあァ……」

ミュウツー『お前の名前の話をしてるんだ』

ミュウツー『これだ。「に」と似てるな』

ミュウツー『……何度見ても、「き」と「さ」の区別が難しい。なぜここまで似ているんだ』

ミュウツー『というか、もっと見分けやすい形の文字にすればいいだろうに』

ダゲキ「ニンゲンは、まちがえたり しないんだろう。ふしぎだな」

ミュウツー『ニンゲンは毎日、文字が山ほど載ったモノを読んでいる。見分けがつかぬようでは、用が足りんのだろう』

コマタナ「ヴァー……」

ミュウツー『お前も、勉強するか?』

コマタナ「……ヴェン……オ゛?」

ミュウツー『これが「こ」だ。「ま」「た」「な」。これで……』


ミュウツーは拾った枝で、地面に文字を書き込んだ。

何かを書き終え、得意げな顔でコマタナにそれを示す。


ミュウツー『うまく書けているだろう。これでお前の名だぞ、コマタナ』

コマタナ「オ゛ェ、ノ……ナ゛、ァ、エ?」

ダゲキ「『ま』の、まるくなる ところは……はんたいの ばしょに かくんじゃないのか?」

ミュウツー『!』

ミュウツー『お、お前だって、「こ」の線が繋がってアーボかハクリューみたいになっているではないか』

ダゲキ「これ? ……ジャローダかミロカロスになら、みえるけど……」

ミュウツー『……』

ダゲキ「……」

ミュウツー(……言ってるポケモンが一つもわからない……)

ダゲキ(……きいたことない ポケモンばかり……)

コマタナ「……ヂャー……?」

ミュウツー『……まあ、その……』

ダゲキ「……うん……」

ミュウツー『今度は、ポケモン図鑑でも借りてくるか』

ダゲキ「うん、たのむ」

ミュウツー『考えてみれば、イーブイ以外のポケモンは見たことのない奴らばかりだった』

ダゲキ「ここと、きみがいた ところは、そんなにちがうか」

ミュウツー『昔、ニンゲンから教えられたポケモンたちは、ここにはあまりいないようだ』

ダゲキ「そうか。せかいは ひろいな」

ミュウツー『生意気な』


地面にはいつのまにか、焚き火を中心にして、ふたりが書き付けた字が散乱していた。

コマタナが不思議そうな顔をして、刃で文字をなぞっている。


ミュウツー『そういえば……以前、お前とジュプトルが揉めていたことがあっただろう』

ダゲキ「ああ……うん」

ミュウツー『あれは、なぜ揉めた?』

ダゲキ「……ながされた はしが、とりにくいところに ひっかかったんだ」

ダゲキ「あぶないから、じゆうに うけるポケモンに、たすけてもらおうとした」

ダゲキ「そうしたら、ジュプトルが いやがった」

ミュウツー『なるほど……奴の言う「あいつ」とは、あの時のヨノワールのことではないのか?』

ダゲキ「うん、そうだ」


地面に新たな文字を刻んでいたダゲキが、表情もなく振り返った。

それに反応して、コマタナも慌てて顔を上げる。


ダゲキ「……なんで、しってる? なにか あったのか」

コマタナ「ア゛ーァ?」

ミュウツー(ダゲキの真似をしてるつもりなのか、コマタナは……)

ミュウツー『ハハコモリのところで、ジュプトルと会った』

ミュウツー『そのとき、ヨノワールのことをやけに毛嫌いしていたのだ』

ダゲキ「またか。なにが あったんだろう」

ミュウツー『知らんのか』

ダゲキ「わからない。ぼくには、おしえてくれない」

ミュウツー『何か企んでいるに違いないとまで言っていた。何かしら、あったのは確かだ』

ダゲキ「……けんかも、してないのに」

ミュウツー『……お前がわからんのなら、新参者の私はもっとわからん』

ダゲキ「ぼく、なんでも しってる わけじゃない」

ミュウツー『そうか。私はてっきり、お前がここの森を牛耳っているものだと』

ダゲキ「『ギュウジ』って……?」

ミュウツー『うん、まあ、聞かなかったことにしてくれ』

ダゲキ「うん……」


言葉が途切れた。

それぞれに、何かを考えている。

かたや必死で憶えようとする文字のことを。

かたや不規則に揺れ動く炎のことを。


ダゲキ「……よし」

ミュウツー『?』

ダゲキ「なまえ、かけた」

ミュウツー『ほう』

コマタナ「ニ゛ー……、ネゥ、イ」

ダゲキ「さきにねて いいよ」

コマタナ「う゛ー……」

ミュウツー『おい』

ダゲキ「……ん?」

ミュウツー『点が足りなくて「た'げき」になってる』

ダゲキ「……」

今回は以上です。

引越しが落ち着いてホッとしてます
いつも乙コール、コメント、ありがとうございます

>>183-184
大人になってからの破壊力がヤバかったです
聞くだけで涙腺が決壊します

>>185-186
『逆襲』の方向に振り切れなかったら、本来は優しい子だったんだよ!
と思いながら書いてます

>>187
嬉しいこと言ってくれるじゃないの

逆襲も別に凶悪犯罪者みたいなマネはしていないだろ
境遇考えたらああなって当然
後日談の方ではかなりまともだったしな

>>211
半分くらいジョークなんで、そんなに正面から受け止めないでー!
『逆襲』の彼を優しくないとは思いません
いや、この手の話を、こちらから長々とするつもりはありませんし
>>94ってことで

一つだけ補足させてください
本文の世界における文字を日本語としたのは、あくまで便宜上です

ゲームだとアルファベットが多いし
アニメはもうずいぶん長いこと見てなくてわかりませんが
たまに見かける画像だと記号っぽい創作文字っぽいのでしたし
わかりやすく日本語にしただけなので、他意はありません

それでは、また

おーつ!
懐かしい面々が出てくれるとちょっと嬉しいね
どうでもいいことだけど、ヨノワールと敵対するジュプトルとかどうしてもポケダンを思い出してしまうよ

ダゲキナゲキの進化前が出るのか…??
えっメガ進化は? なにあのバシャーモかっこいい

はいはいはい板飛び越えて誤爆したごめんなさい

SSWikiにこのスレを書いても良いだろうか

>>222
完結してなくてもいいのかな?
もし問題がないなら、ぜひお願いします

登録しときました
ちょっと文中の発言もお借りしました

>>226
おおお、ありがとうございます!
立派なページが…凄く嬉しいです!

1、2の…… ポカン!
あたらしく saga sage を おぼえた!

代わりに何を忘れたのかww

始めます。


夕陽を浴びて赤紫色に染まったダゲキが、同じく真っ赤に染まったコマタナを指差した。

その次に、今度は自分の喉を指差す。

レンジャーの制服を着込んだ若者が、かすかに首を傾げて考えるそぶりを見せた。


レンジャー「ん? 首? ……あ、喉か」


ダゲキはレンジャーの返事に頷き、傍らのコマタナを促した。

コマタナはダゲキのうしろに体を半分隠し、レンジャーを露骨に警戒している。

顔を覗き込んでこようとするレンジャーの視線を、なんとしても避けようとしていた。

ダゲキの腕を掴み、ミュウツーが聞き耳を立てる茂みの方を何度も不安そうに見ていた。


レンジャー「やれやれ……私がセンターに連れて行ったのに、忘れられちゃったかな」

コマタナ「……う゛……? ギゥ、ア゛……ィ゛ァ゛ーィ……」

レンジャー「ううん……」


レンジャーは眉根を寄せ、大袈裟に唸ってみせた。


レンジャー「なるほど……コマタナってこんな鳴き声じゃないよなあ。ふん、ふん……」


独り言のように呟きながら、レンジャーは手元の紙に何かを書き込んでいる。


ダゲキ(……いまなら、あれ よめるかな……)


ぼんやりと、ダゲキはそんなことを思った。

もっとも、字面を追うことができても意味が理解できるわけではなかったが。


レンジャー「……よし、わかった。パッと見も健康そうになってきたし、何より元気で安心した」

レンジャー「喉、っていうか鳴き声と足のことも、ドクターに尋いてみる。で、食べさせてたのは主にクラボのみ、と」

ダゲキ(うん)


もう一度、ダゲキは頷いてみせる。

何を食べさせていたか、言葉で伝えたわけではない。

単に、食べさせていたものを尋ねられた時に現物を見せただけだ。


レンジャー「お前が『話して通じる』ポケモンで助かったよ」

レンジャー「トレーナーに所有されたことのないポケモンって、基本的に言葉通じないじゃん?」

レンジャー「だから、私が言ってそのまま通じるって、凄く助かるんだよね」

レンジャー「お前の方も喋ってくれると、もっと楽なんだけど……まあ、それは高望みだよな」


呑気に笑うレンジャーを見上げていると、どこからともなく声が飛んできた。


ミュウツー『お前が、本当はべらべら喋ると知ったら、面白いことになりそうだな。悪い意味で』

ダゲキ(……うるさいよ)


テレパシーだというのに、からかうような響きがあった。

声が届くかどうかわからなかったが、ダゲキは頭の中でだけ悪態をつく。


ミュウツー『……すまん』


申し訳なさそうな応答があった。


レンジャー「さてと……ほらコマタナ。お前を、病院に連れてってやるよ」

レンジャー「お前の怪我、ちゃんと治ったかどうか、医者に診てもらうんだ。こっちおいで」


声をかけられて驚いたのか、コマタナは目を丸くして、なおダゲキのうしろに隠れようとした。

反対側から足の先が飛び出していることには気づかない。

レンジャーは、その滑稽な様を見て苦笑していた。


コマタナ「……ぁ……ア゛……ニー……」


傍らのダゲキを見上げて、コマタナは不安を露にした。

だがダゲキはコマタナを引き剥がし、レンジャーの方へと押し出した。

コマタナは露骨に嫌がって首を横に振っている。


レンジャー「歯医者を嫌がる子供と、その保護者みたいだな」

コマタナ「……ゥ……ゥゥ……」


何度もダゲキを振り返りながら、コマタナは恐る恐るレンジャーに近づいた。


コマタナ「キッ!!?」


レンジャーが手を翳すと、コマタナは弾かれたように飛び退いた。

眼球が小刻みに震え、落ち着きを失っている。

仮にポケモンが人間と同じように泣き叫ぶことができたとしたら、コマタナも泣き叫んでいたかもしれない。

それほど、あからさまな拒絶を示していた。


コマタナ「……ぃ……ぎっ……ゥ……」

レンジャー「……?」

レンジャー「……あ、そっか」


若いレンジャーは何かを察して息を呑み、手袋を外しジャケットを脱いで地面に放り投げた。

帽子も脱ぎ捨て、上半身は紺色のシャツだけの状態で膝をつく。

両腕を広げて掌を天に向け、なるべく害意を感じさせない姿勢をとった。


レンジャー「ほら、私は、何もしないよ。何も持ってない。安心して」

レンジャー「痛い目に遭わせたりもしないし、怖い思いもさせない。だからほら、おいで」


コマタナにも通じるように、という意図はダゲキにもわかった。

レンジャーはやけにゆっくり、そしてはっきりとしゃべっている。

コマタナは目を瞬かせてダゲキを振り返った。

ダゲキはコマタナをじっと見つめている。

助けに来てくれる気配はない。

コマタナはようやく諦め、そろりそろりとレンジャーに歩み寄った。


レンジャーはコマタナの頭に、ゆっくりと手を置いて撫でた。

びくりと体を震わせたものの、コマタナは逃げずに撫でられていた。

ミュウツーもダゲキも、それを黙って見ている。


コマタナ「……ァ、ヴ……」

レンジャー「……辛かったよなぁ」

ダゲキ「……」

ミュウツー『……』


不意に、レンジャーが撫でるのをやめた。

大きな溜息をつき、地面に手をつく。


レンジャー「……ごめん」

コマタナ「……ゴェ……ア゛……?」

レンジャー「世の中、お前たちをそんな目に遭わせたような、酷い人間ばかりじゃない」

レンジャー「たぶん、きっと違う」

レンジャー「だから、頼む……人間を嫌いにならないで」


コマタナは困り果て、ダゲキを振り返った。

レンジャーの言っている言葉は、コマタナにもおおむね理解できている。

だが、だからといってどうしたらいいのか、それはわからない。


ダゲキが短く鳴いた。

その声に、レンジャーは我に返る。


レンジャー「……あ、そうだね。私なんかに謝られても困るよなぁ」


独り言のように呟きながら、レンジャーは立ち上がって膝をはたいた。


レンジャー「ま、その……うん」

レンジャー「ダゲキ。今夜はこのコマタナ、私が預かる。この前みたいに緊急じゃないからね」

レンジャー「明日になったら、朝イチでシッポウのセンターに行く。検査でどれくらい時間が必要かはわからないけど」

レンジャー「私が戻るまで、代わりの人間を手配してもらうかもしれないから、その間はここに近づかない方がいいよ」

レンジャー「私みたいに報告書を『いい加減』に書ける奴が来るとは、限らないからさ」

ダゲキ(……?)

ミュウツー(……??)

レンジャー「……んん?」


ダゲキの顔を見たレンジャーが、怪訝そうな表情を見せた。

ミュウツーからは見えなかったが、さすがのダゲキも驚いたのかもしれない。

実のところ、ダゲキはほんのわずかに眉間に皺を寄せただけだったが。


レンジャー「あ、あれ……言ってなかったっけ?」

レンジャー「本当はさ、コマタナやお前のこと、それからあの茂みに隠れてるつもりのお友達のことも、報告書に書くんだよ」

ダゲキ(!?)

ミュウツー(!?)

レンジャー「いや書くって言っても、そりゃ……日誌に毛が生えたレベルだけどさ」

レンジャー「なにその顔。や、やだなあ。私これでも“森林保護官”……なんだけど」

レンジャー「森と森に住むポケモンを守るためには、いろいろ理解してないといけないでしょ」

レンジャー「森にとってどんな状態が『正常』なのか、その上で、森で何が起きてるか、とか……」

レンジャー「いやまあ、何を書いて何を書かないかは、私が勝手に決めてるんだけど」


レンジャーは聞かれてもいない話を続けた。


レンジャー「だ……だってさぁ、私が手を出さなくてもうまく回ってるとこを、記録に残して人目に晒すのも……って」

レンジャー「そ、そのうち私を信用してもらえたら、そこのお友達も顔を見せてくれるのかなー、なんてさ」

レンジャー「つ、通じてるかな」

ダゲキ(……)


ダゲキは黙って、三度頷く。


レンジャー「そ、そりゃよかった」

ミュウツー(……こっちにまで、矛先が向くとは思わなかった)

レンジャー「ほ、ほら、日が暮れちゃうよ。私は夕飯と夜のパトロール準備があるから、お前たちは帰りな」


そう言うと、レンジャーはコマタナを抱き上げ、ログハウスに入ってしまった。

間もなく中の窓ガラスにコマタナがへばりつき、キョロキョロと外を見回す。

外にいるはずのふたりを探している。

その後ろからレンジャーが何か声をかけ、コマタナは窓から離れた。

入れ替わるようにレンジャーが窓ガラスに近寄り、ダゲキに軽く手を振ってからカーテンを引く。

ログハウスの中が見えなくなった。

カーテンごしに明かりが灯っていることだけがわかる。

そうしてようやく、心配の必要がなさそうだと判断し、ダゲキはログハウスに背を向けた。


ミュウツー『……ぃ……ぉぃ……おい!』


茂みの向こうから身を乗り出さんばかりの勢いで、ミュウツーがダゲキに話しかけてきた。


ダゲキ「……なんだよ」

ミュウツー『見つかっていたではないか! 誰が「お友達」だ!』

ダゲキ「ぼくに おこるなよ……」

ダゲキ「きみは、からだ おおきいから」

ミュウツー『……ニンゲンだと思って油断した』

ダゲキ「そうか」

ダゲキ「……」

ダゲキ「きみは、あのニンゲン しんじるか?」

ミュウツー『正直、まだわからん』

ミュウツー『……純粋な悪人ではなさそうだ、という程度の認識だ』

ダゲキ「……あのニンゲンは、ちゃんと あやまった」

ミュウツー『“だから”、信用できると思うのか?』

ダゲキ「ううん」


ダゲキは迷うことなく首を横に振った。

それを見て、ミュウツーは心のどこかでほっとするのだった。

あの飄々として油断ならない『ポケモンレンジャー』の若者を、ことさら嫌っているわけではない。

だが、友人があの人間に心を許している『わけではない』ことが、彼を安心させた。

ダゲキとミュウツー、コマタナやジュプトルたちは、みな人間への憎悪を同じくしているはずだったからだ。

そこに至るまでの経緯や、『憎む』気持ちの隠し持った意味は違うとしても。

実際には、その違いにこそ本質がある。

ミュウツーはそれを知らない。

想像もしない。

思い至ることは、今のところない。


ダゲキ「……でも、しんじて いいなら、しんじたい」

ミュウツー『信じなければ、裏切られることもない』


釘を刺しているだけのつもりが、なぜか言葉に熱が籠もった。


ダゲキ「『ウラギラレル』って、どういういみ」

ミュウツー『いい奴だと思って背中を見せたら、後ろから殴られるようなこ……ことだ』

ダゲキ「……それは、ぼくもいやだなあ」

ミュウツー『ああ、そうだろう』

ダゲキ「……でも」


そう言って、ダゲキは少し考え込む。


ダゲキ「だれにも、せなかを みせないのは……つかれるよ」

ミュウツー『……』

ミュウツー『洒落たことを……』

ダゲキ「……」

ミュウツー『……』

ミュウツー『……腹が減ったな』

ダゲキ「うん」


あたりはすっかり暗くなり、夕陽の赤さはもう残っていない。

遠くの樹上や近くのくさむらに、誰かの気配がする。

だが、ポケモンも人間も、ふたりの前に飛び出してくることはなかった。


ミュウツー『……誰かいるのか?』


気になり、ひょいと茂みの向こうを覗き込む。

そこには、木の葉を齧るフシデが、ミュウツーの両手の指の数ほど固まっていた。


ミュウツー『フシデか』


何度も会っているフシデのことを思い出す。

とりわけ言葉が舌っ足らずで、たくさんの足をいつも必死に動かしている赤いフシデ。

あのフシデと、ここにいるフシデたちは、何が違うのだろうか。


ミュウツー『おい、貴様ら』

フシデ「ピキィ!」

ミュウツー「!?」


ミュウツーの語りかけを遮るように、フシデが金切り声を上げた。

驚くミュウツーを尻目に、フシデたちは食べかけの葉を放り出して逃げていった。


ミュウツー『……なんなんだ』

ダゲキ「いつものこと だよ」

ミュウツー『いつも?』

ダゲキ「けんかしないで くらすのに、だいじなこと」

ミュウツー『……持って回った言い方をするではないか』

ダゲキ「だめ?」

ミュウツー『上手くなったと感心しているんだ』

ダゲキ「ああ、うん、ありがとう」

ミュウツー『……』

ミュウツー(皮肉の通じん奴だ)

ダゲキ「あ」

ミュウツー『?』

ダゲキ「ハハコモリの すんでるばしょが ちかい。きのみ、もらおう」

ミュウツー『そうか、それはいい』

ミュウツー『ハハコモリのところで食べたイアのみが、実に美味かった』

ダゲキ「そうか……ぼくには、すっぱいよ。ぼくはクラボが すきだなあ」

ミュウツー『あれは、不味くはないが……辛いではないか』

ダゲキ「からいところが、いいんじゃないか」

ミュウツー『そういうものか?』

ダゲキ「からくて おいしいし、ねむくても、めがさめて いい」

ミュウツー『いや、そういう時は、寝ろ』

ダゲキ「それじゃあ、しゅぎょう できない」

ミュウツー『そこまでして鍛えたいのか……とんだ筋肉馬鹿だ』

ダゲキ「『バカ』か……」


ミュウツー『ジュプトルも、お前の修行狂いは有名だと言っていたぞ』

ダゲキ「なんだか、うれしくない」

ミュウツー『褒めてはいないからな』

ダゲキ「ひどいな」

ダゲキ「……そうだ。ブリーのみ、たべたことある?」

ミュウツー『あるわけないだろう。見たこともない』

ダゲキ「じゃあ、こんど たべてみろ。……おもしろい」

ミュウツー『面白い……?』

ダゲキ「ああ。とても、おもしろい」

ダゲキ「ええと……うん、チュリネやイーブイが すごく よろこぶ」

ミュウツー『……ほおう』

ミュウツー『……お前、何か企んでるだろう?』

ダゲキ「うん」

ダゲキ「……あ、みえるか? あのはっぱのいえが……うん?」

ミュウツー『おい、話を誤魔化……なんだ?』


ふたりの視線の先には、大きめの葉を組み合わせて作ったテントのような巣がある。

そこに、誰かがいた。


ミュウツー『……あれは……』

ダゲキ「……」


巣の入り口あたりに、大きな影が立っている。

ヨノワールだった。

ヨノワールは巣の中を覗き込むように背を丸め、音もなく浮いている。

誰かが喋っているような声が、かすかに聞こえた。

ふたりがいる場所からでは、誰が何を話しているのか分からない。

しばらく様子を伺っていると、ヨノワールがゆっくりと身を引いた。


ダゲキ「あれは、なんだ」


大きな手の中に、ぼんやりと燐光を放つ何かが握られている。


ミュウツー『わからん』

ダゲキ「ハハコモリは、みえるか?」

ミュウツー『ここからでは見えんな』

ミュウツー『……』

ミュウツー(……なんだ、この胸騒ぎは)

ダゲキ「お、おい」

ミュウツー『嫌な……感じがする』


ミュウツーは生い茂る低木を掻き分け、ヨノワールの方へ飛び出した。

すんません、一旦休憩します。

再開します。


ほんの数時間前。

チュリネ「~♪」

小さなポケモンが、ひとり森の小道を歩いていた。

いつもどおり、鼻歌を歌っている。

いつもより、いくぶん頭の上の葉をおおげさに揺らして森を進む。

いつも以上に、とびきりの上機嫌で。

身体を揺らすたびに葉がこすれ、さらさらと音を立てていた。

その瑞々しい葉が、揺れながら夕暮れの森を行く。

たそがれ時。

かわたれ時。

誰そ彼。

彼は誰。

あなたは、だあれ?


チュリネ(チュリネは、チュリネだもん)

チュリネ(えらいんだもん)

チュリネ(みーちゃん、チュリネのこと えいっていったもん)


そんな暗さの中にあっても、チュリネは心細さを感じてはいない。

むしろ、大きな達成感と自己肯定感に包まれている。

かすかな、ある種の期待も。

むろん、達成感をもたらしただけの疲労も、ないわけではなかったが。

それというのもハハコモリの最後の『講義』が、何日も続いてきた『講義』と同じく一日がかりだったからだ。

ハハコモリの『講義』は、彼女が得意とするきのみの育て方についてであった。


ほんの数時間前。

チュリネ「~♪」

小さなポケモンが、ひとり森の小道を歩いていた。

いつもどおり、鼻歌を歌っている。

いつもよりも、いくぶん頭の上の葉をおおげさに揺らして森を進む。

いつも以上の、とびきりの上機嫌で。

身体を揺らすたびに葉がこすれ、さらさらと音を立てていた。

その瑞々しい葉が、揺れながら夕暮れの森を行く。

たそがれ時。

かわたれ時。

誰そ彼。

彼は誰。

あなたは、だあれ?


チュリネ(チュリネは、チュリネだもん)

チュリネ(えらいんだもん)

チュリネ(みーちゃん、チュリネのこと えらいっていったもん)


そんな暗さの中にあっても、チュリネは心細さを感じてはいない。

むしろ、大きな達成感と自己肯定感に包まれている。

かすかな、ある種の期待も。

むろん、達成感をもたらしただけの疲労も、ないわけではなかったが。

それというのもハハコモリの最後の『講義』が、何日も続いてきた『講義』と同じく一日がかりだったからだ。

ハハコモリの『講義』は、彼女が得意とするきのみの育て方についてであった。


きのみや種を植える時期のこと。

きのみがよく育つためには、どういう土にしておけばいいか。

水をあげるタイミングと量のこと。

そのために協力してくれることになっている、水の扱いに長けたポケモンとの連絡のしかた。

葉や枝を落とす時の加減。

味のいいきのみを、たくさん実らせるための工夫。

ハハコモリはひとつずつ、ゆっくり、チュリネが理解するまでじっと待ちながら教えてくれた。


チュリネ『でも、えだ きっちゃったら……いたくないの?』


そう尋ねると、ハハコモリはにこにこしながら応えた。


――チュリネちゃんの葉っぱと、同じ

――おなじ?

――葉っぱを摘むと、新しい葉っぱが出てくるでしょう?

――うん、チュリネのね、はっぱ、そうだよ

――だから、元気な葉っぱを出すために、切るの


一回で憶えきることのできる量の知識ではない。

それは双方が理解していた。

だからここしばらく、チュリネは大好きな日課を我慢してまで、ハハコモリの元で教えを受けていた。

大好きな日課とは、森のポケモンたちが近寄ろうとしない、『彼ら』と日々を過ごすこと。

尊敬してやまない存在のそばにいつづけること。

けれど、決して寂しくはない。

チュリネには希望があるからだ。


立派な『おとな』になることに。

一人前として、認めてもらえることに。


チュリネ(えらいって、いってもらえるかな……)

チュリネ(また、なでなで してもらえるかな)


ハハコモリの物腰は、いつもと変わらず柔らかかった。

自分に母親というものがいれば、ハハコモリのような存在だったに違いない。

母親を知らないチュリネは、そう思った。

チュリネはクルミルたちが羨ましくて仕方ない。


チュリネ「でもね、チュリネ もう さみしくないもん」


母親はいないけれど、母親のように接してくれているハハコモリがいる。

森の外から来たけれど、優しくしてくれるジュプトルやイーブイ、バシャーモ、ミュウツーがいる。

森に生まれたけれど、外から来たポケモンを拒絶しないダゲキやフシデがいる。

だからチュリネにとっては、他のチュリネたちから距離を取られていても何も不都合はなかった。

森に生まれたポケモンたちが、外から来たポケモンたちに向ける独特の目を、チュリネも知っている。

彼らと親しく過ごすようになってしばらくしてから、チュリネは気づいたのだった。

自分もまた、その『目』を向けられていることに。

けれど、チュリネにとっては気にもならない。

親しくしてくれる誰もが、同じチュリネからでは得られない素晴らしい世界を見せてくれるからだった。

ふと、チュリネは歩みを止める。


チュリネ「……あっ」

チュリネ(ヨノワールちゃんだ)


前方の木陰に大柄なポケモンの姿を認め、チュリネは思わず声をあげた。

年を経た樹木の足元、茂みで隠れるような場所に、図体の大きなヨノワールが蹲まっている。

腹部の模様がかろうじて見える。

だが以前見た時と比べて、腹の模様はどこか輝きを失っているように見えた。

いつも暗い煌めきを放っていた目を閉じ、眠っている。

チュリネの声にも反応はない。


ヨノワール「……」

チュリネ(ねてるのかな……?)

チュリネ(でも、もう よるなのに)

チュリネ(みーちゃん、ヨノワールちゃんは『ヤコーセー』って いってたのに)


『夜行性』という言葉の意味を、チュリネが正確に理解しているわけではない。

ミュウツーが話をした時の前後を考慮して、『夜しか動きまわれないこと』だと理解しているだけだ。

言葉の意味の理解とは、それで十分のはずだった。

なのにチュリネは、そこで劣等感を覚える。

自分は、その言葉そのものの意味をよく知らず、周辺情報でしか理解できていないと。

自分自身で、背伸びをして言葉を使っていると思っている。

子供扱いされたくないと必死になること、実際に子供であることが、彼女にそう思わせていた。


チュリネはヨノワールに近づいた。

大切な友人であるジュプトルが、ヨノワールを嫌っていることはよく知っている。

だが別の大切な友人であるダゲキは、ヨノワールをそこまで嫌ってはいない。

流されてしまった橋の一件でも、それは明らかだった。

だからきっと、……。


チュリネ「ねんね……なの?」

ヨノワール「……う……うぅ……」


内緒話ならば届くほどの距離まで近寄って、チュリネは初めて気づいた。

ヨノワールは、眠っていたわけではなかった。

うずくまって、その大きな両手で頭を抱えている。

俯き、唸っている。

ただ目を閉じていたわけでもなかった。

一つしかない大きな目を固く瞑って、懸命に何かを拒絶していた。

二メートルを越える巨体を極限まで縮め、小さくなっている。

これも、見上げるほど近寄ってようやくわかったことだ。


チュリネ「ヨノワール……ちゃん?」

ヨノワール「……う……いやだ……いや……だ……」


呆然とするチュリネの前で、ヨノワールは嗚咽にも似た声をあげていた。

チュリネの存在にも気づいていない。

何も見ようとせず、何も聞こうとしない。

控えめな銅鑼のように低く響く、不思議な声。


ヨノワール「……も、もう……やめ、て……」


ふとヨノワールが目を開く。

チュリネのいる方を真っ直ぐに見て、硬直する。

胡乱な目を、これ以上ないほど開く。

チュリネとヨノワールの目が合った。

ように思えた。


ヨノワール「あ……あぁ……」

チュリネ「……ど、どうしたの?」

チュリネ「あたま、いたいの?」

ヨノワール「い……いか、なく……ては……」


チュリネは、子供ながらに恐怖を覚えた。

まぎれもなくヨノワールの目は、自分を向いている。

なのに、ヨノワールの目に、自分は映っていない。

見えていない。

何か別のものを見ている。

何を見ているの?

何を、そんなに怖がっているの?

何を、見たくなかったの?

何を、聞きたくなかったの?

そう問い掛けようとした瞬間、ヨノワールが動いた。


ヨノワール「……ああ……い、いか……なくては……」


絞り出すような声を漏らしながら、ヨノワールは立ち上がった。

足はないけれど。

海底からゆっくりと浮かび上がる泡のように身を起こし、チュリネが来た方角へと漂い始める。

そのまま、夜闇に沈んでいくように消えた。

ヨノワールが消えていった方角を見ながら、チュリネは小さく息をついた。


チュリネ「……びっくりしたぁ」

チュリネ「うーん……ぐあい、わるかったのかなぁ」


不気味さを感じながら、チュリネはそう結論づけた。

ヨノワールの向かった先がどこなのか、考えようとはしなかった。

気を取り直し、進もうとしていた方へと歩き始める。

再び、鼻歌を歌いながら。

今のことは、次にダゲキたちに会った時にでも伝えればいいだろう。

きっとヨノワールにも、何か事情があるのだ。

いつか仲良くなれるに違いない。

ジュプトルが嫌っているのは、とても残念なことだけど。

そう考えながら、チュリネは茂みの中へひょいと飛び込んで消えた。


しばらくして物音がすっかりなくなったころ。

別の茂みから、誰かが立ち上がった。


?「……見たか?」

?「まさか、カントーの噂がマジだったとはね」

?「こりゃあ、いい金になりそうだ」

?「そうと決まれば……」


二つの人影は軽く頷き合うと、そそくさとその場を去って行った。


ハハコモリの巣の前。

五感でも知識でもない、頭の中の信頼すべき『誰か』が、異常を告げている。

その『誰か』が誰なのか、ミュウツーには知る由もない。


ヨノワール「……?」


物音に振り返ったヨノワールは、不思議そうに目の上を歪めた。

感情の伝わりにくい顔をしているが、それでも訝しんでいるのがわかるほどだった。

ミュウツーが巣の中へ目をやると、そこにはハハコモリの足が見えている。


ミュウツー『貴様、そこで何を』


ザザザッ


ジュプトル「ヨノワール、おまえ……なにしてるんだ」


反対側の茂みから、険しい顔のジュプトルが現れた。

ほんの一瞬、ヨノワールの意識が逸れる。

その瞬間、ヨノワールの手中にあった『何か』が二、三度震え、思いがけない速さで空へまっすぐ上がっていった。


ヨノワール「……おお」


思わず、その場にいる誰もが燐光を目で追った。

燐光は遥か上空に溶け込み、星に紛れて区別がつかなくなっていく。

誰よりも早く我に返ったのはジュプトルだった。


ジュプトル「ハハコモリ!」


ジュプトルがヨノワールを突き飛ばして巣に飛び込んだ。

押し退けられたヨノワールは、大きな目でジュプトルを追いながら飛ばされるまま後退る。

ミュウツーがハハコモリの巣まで辿り着くと、ちょうど後ろにダゲキが追いついた。


ダゲキ「いまのは、なんだ」


目線はハハコモリの巣とそこにいるジュプトルに向け、ダゲキは言葉だけをヨノワールに投げかける。

一方、ミュウツーはヨノワールを見ていた。

ヨノワールは見たこともないほど目を見開き、巣の中を見ている。


ヨノワール「なんでも ないです」

ジュプトル「……『なんでもない』?」


ジュプトルが立ち上がり、ヨノワールに掴みかかった。


ジュプトル「『これ』が、『なんでもない』のか!」

ジュプトル「やっぱり、おまえだったんだな!」

ダゲキ「おい、ハハコモリ」


今度は、ダゲキがハハコモリの巣に頭を突っ込んだ。

呼び掛けに対して返事がないことは、ハハコモリが見えないミュウツーにもわかる。

心臓がごきり、ごきりと重い鐘のように波打ち、それ以外の音が遠くに離れていった。


ミュウツー『ヨノワール、これはどういうことだ』


ミュウツーの言葉を聞き、ジュプトルが今度はミュウツーに掴みかかろうとした。


ジュプトル「きッ、きまってるだろ、こいつが……!」

ダゲキ「ジュプトル、おちつけ」

ジュプトル「こっ……これが、どうし……キッ……お、おちつけるん…ギィキ、ガァッ!」


ダゲキが、今にも殴りかかりそうなジュプトルを抑えている。

激昂するジュプトルを尻目に、ミュウツーはヨノワールの目を見た。

さきほどまでと違い、蝋燭のように揺らめく大きな目は空を見上げている。

その目を見てミュウツーは、得体の知れない寒気を覚えた。

耳から流れ込む音は地鳴りのような鼓動に占められ、喚き散らすジュプトルの声が霞む。

おかしい。

何かが、『いつも』と違う。

そんなミュウツーの焦りをよそに、ヨノワールはのんびりした声でぽつりと呟いた。


ヨノワール「これで いいんです」

ジュプトル「……な、なんだと、こいつ!」

ミュウツー『ヨノワール……貴様は』


ミュウツーが手を伸ばし、ヨノワールの肩を掴もうとする。

精一杯伸ばしたはずの腕が震えている。

自分でも不思議だった。

なぜ、この手は震えている?

何を恐れているのだ、この『私』が。

わずかに間に合わず、ヨノワールはふわふわと向きを変える。

更に追いかけようとすると、ヨノワールはその場で溶けるように消えてしまった。

届かなかった手を見る。

不気味な形状の自分の指を見る。

いまだに震えている。

わからない。

どうして、こんなに……。


ジュプトル「にげるな! おい、はなせよ、ダゲキ! ……っと!」

ダゲキ「あ、ああ……ごめん」


我に返ったダゲキが手を離すと、ジュプトルが踏鞴を踏んで転ぶ。

そのやりとりでミュウツーは我に返った。


ジュプトル「……これで わかったろ」

ジュプトル「ハハコモリ……」


吐き捨てるように言い、ジュプトルは地べたにへたりこんだ。


ジュプトル「お、おれが……まもるって、いったのに」


ジュプトルは何を言っているのだろう。

ミュウツーはわざわざ、それを考えた。

答えは、目の前にあるのに。


夜の刺すような寒気が彼らを取り囲む。

寒々とした風がミュウツーの晒された首筋を撫で、無意識に筋肉が引き攣っていた。

とても嫌な感じだった。


ミュウツー『……ハハコモリは?』


自分でもわかっていた。

そんなことを口に出して、誰かに尋ねても意味はない。

ジュプトルを見る。

恨みがましい目でこちらを見ていた。

ミュウツーは少し困って、今度はダゲキを見る。

ダゲキは、ハハコモリの巣の中を見ていた。

ダゲキの目は、不自然にどこかを見詰めている。

何かを見ているのに、何も見ていない。

ハハコモリに目を向けているのに、別のものを見ていた。


ダゲキ「しんだ よ」


相変わらず表情の薄い顔で、ダゲキはそう言い放った。

今回は以上です。

>>217
俺…このSS完結させてXYまでに時間があったら…ポケダン空買うんだ…

>>228
誤字脱字の修正を忘れてしまいました!

始めます。





――みんなは どこ……?

――みんな、いなく なっちゃったよ……


――……


――……おわかれが、ちかづいたみたい


――おわ、かれ……?


――あなたと……さようなら、しなくちゃ


――どうして? どうして さよう、なら……?


――……


――ねえ、**……ぼくの め から、なにかが

――これは……なに? とまらないよ

――とまらないよ……


――……ありがとう


――どう……して ありがとう?


――……だって、わたしのために、ながしてくれたんだもの


――**……どうして、とまらないの?


――……これは、なに? **、おしえて


――それは、ね……




『ちくしょう』という、恐ろしく人間じみた罵倒を聞いて、ミュウツーは現実に引き戻された。

ほんの一瞬、どこか別の世界を見ていたような気がした。

どうしても思い出せない、あたたかいもの。

思い出せず、胸が締めつけられる何か。

思い出せば、気が狂わんばかりの何か。

……今、『私』はどこにいる?


ダゲキの言葉が、耳をかすめてどこかへ飛んで行った。

理解できているはずなのに、脳が受容しない。


ミュウツー(……死んだ?)

ミュウツー『……ハハコモリが?』

ミュウツー(お前は何を言っている)

ミュウツー『嘘をつくな』


『冗談だ』と否定されることを期待した。

冗談など滅多に言わない、皮肉の通じない友人に。


ダゲキ「……」

ダゲキ「ぼくは うそ、いわない」


感情のこもらない声で、ダゲキがやはりそう言った。

そんなふうに言うだろう、というまさにそんな低い声で言うのだった。


ミュウツー『ならば……なぜだ』

ダゲキ「わからない」

ミュウツー『答えろ』

ダゲキ「……わからないよ」

ミュウツー『なぜ、死ぬ』


――どうして? どうして さよう、なら……?


ダゲキ「……ぼくには わからない」


それ以上、問い詰める気にはなれなかった。

相手を苛めているような気分だった。

ミュウツーは押し黙る。

ダゲキはやはり、こちらに顔を向けようとしない。

それだけ見れば、いつものことだ。

それでも、ミュウツーはその横顔を見下ろした。


焦りだろうか。

憔悴か。

それとも苦痛。

あるいは悲壮。

どれも少し違う。

いや、問題はそこではない。

『それ』を今、心に抱いているのは……私ではないか。


ミュウツー『おい』

ダゲキ「えっ?」


ダゲキが痙攣でもしたかのようにびくりと顔を上げ、ミュウツーを見た。

いつもは色ひとつ変えず、眉ひとつ動かさない顔。

その目に、何かが浮かんだように見えた。

その何かを振り払うように、ダゲキが首を横に振る。


ミュウツー『だ、大丈夫か』

ダゲキ「ぼくは、だいじょうぶ だよ」


自分に言い聞かせるような言い方だった。

あるいは、なぜそう尋ねられるのか理解できていないような言い方。

ダゲキはほんのわずかな時間、何かを考える顔をした。

そして、ミュウツーから目を逸らした。


ジュプトル「なんで、こんなこと……に……」


ジュプトルが呻いていた。

突如弾かれたように立ち上がり、ダゲキに掴みかかる。


ジュプトル「だから、いっ……ただろ! は はやく、おいだせって!」

ダゲキ「……ご ごめん……」

ジュプトル「ハハコモリ ころしたのは、ヨノワールだ」

ジュプトル「ペンドラー、ころしたのも ヨノワールだ!」

ダゲキ「……」

ミュウツー(……ペンドラー?)


聞き馴れない名前が飛び出した。

正確に言えば、最近どこかで耳にしたばかりの名だ。


――フシデが『しんか』すると、ペンドラーに なるんだ


ミュウツー(……そうだ、フシデの……)

ジュプトル「でも、ギギッ……あいつ もっとはやく、おいだせば、……キッ、ころされなかった!」


ダゲキの肩を掴み、ジュプトルは両手に力を込めて友人を罵倒し続けた。

なぜジュプトルがダゲキを罵るのか、なぜダゲキが黙って責められているのかミュウツーにはわからない。

だが、自分の知らないどこかで生まれた確執なのだろう、ということは察しがつく。

根拠を示されたことはないが、ジュプトルにとってヨノワールの容疑は明確であるらしい。

少なくとも、ジュプトルはそう信じている。

真偽はどうあれ、それならばこれまで目にしてきたようにヨノワールを忌み嫌うのも、理解できなくない。

自分がこの森へ来る前、何があったのだろうか。


ジュプトル「おまえの……」

ダゲキ「……」


ジュプトルが何を言おうとしているかなど、ミュウツーには予想もつかない。

だが、『頭の中の誰か』がミュウツーに告げていた。


『それ以上、言ってはいけない』

『それ以上、聞いてもいけない』


誰かが誰かを傷つけるために、言葉が使われようとしていた。

それは、やってはいけないこと。

そんなことをするのは、人間だけだ。

ポケモンは、そんなことをしない。

言葉とは――


ジュプトル「あいつらが しんだのは」


だが、ミュウツーにできることはない。

禁句が投げ出される瞬間を、ただ見ていることしかできなかった。


ジュプトル「おまえの せいだ!」


試合開始の合図のように叫ぶと、ジュプトルはダゲキを突き飛ばしながら飛び退いた。

小柄な見た目にそぐった身軽さで、くるりと宙を舞う。

突き飛ばされたダゲキは二三歩あとずさり、ぼんやりとジュプトルに目を向けていた。

ジュプトルはあっと言う間に、ダゲキの間合いの外へと飛び出す。

ハハコモリの巣から少し離れたところに着地し、即座にリーフブレードを繰り出すべく駆け出した。

重心を低くし、ダゲキ目がけて一直線に突っ込んでいく。

はっとしてダゲキが身を引いた。

今まで、ほんの一秒前まで立っていた場所を、ジュプトルの一閃が通り過ぎる。

空振りを知って、ジュプトルは怒りに顔を顰めて吐き捨てた。


ジュプトル「に、にげるな! たたかえよ!」

ダゲキ「ま、まって」


怒りに任せ、ジュプトルは再び地を蹴る。


ジュプトル「ポケモン なのに……なんで たたかわない!」


その言葉を聞いて、ミュウツーは驚いた。

ダゲキもまた、ジュプトルの言葉にどことなく呆然としている。

ミュウツーは猛烈に、嫌な気分になった。

腹を立て、久々に強い怒りを覚えていた。


ミュウツー『や……』


ィィィ……ィィィィィィィ……


ミュウツー『……やめろ!』


そう叫んで、無意識のうちに力を放つ。

今にもダゲキに斬りかかりそうだったジュプトル、身構えようとしていたはずのダゲキ。

うっすらと青い輝きに包まれ、ジュプトルはぴたりとその場に釘付けになった。

必死の形相で前へ進もうとするも、かくんと体勢を崩して足が空を掻いた。


ジュプトル「!? な、なん……」

ダゲキ「……!?」


音もなく、ジュプトルたちの身体が浮かび上がった。

すっかり身体の自由を奪われ、ふたりは空中でもがいている。

足をばたつかせることもままならないようだった。

ミュウツーは見えない腕で、摘まみ上げた友人ふたりを引き寄せる。

眉間に深い深いしわを寄せ、目の前で空中に拘束されている友人たちを睨みつけた。


ミュウツー『私は、貴様がそれほど怒り狂うわけを、知らない』

ミュウツー『お前が、なぜ言われっぱなしなのかも、わからない』

ミュウツー『だが……そんな醜い姿を晒すのは、いますぐやめろ』


ィィィィィィィィィィィィ……


ジュプトルとダゲキの耳には、金属音にも似た何かの唸りが聞こえている。

もっとも、音の正体に考えが至るほどの余裕はなかった。


ジュプトル「……うっ……ギッ」


ジュプトルが目を見開く。


ジュプトル(く……く、る、しい……)


自分の首に、目に見えない力が少しずつかかっている。

まるで、誰かに首を絞められているような苦しさだった。

息ができない。

必死の思いでダゲキを見ると、そちらも同じように苦しみ、もがいている。

これは、あの図体のでかい新参者の力なのか。


バキッ


すぐ横に立っていた木の枝が、金属音の向こう側で鋭い音をたてて折れた。

そう細くもない枝だったというのに、乾いた小枝を折るように圧し折れていた。

続いて鈍い音が響く。

どうにか目だけそちらに向けると、木の幹に何かが激突したように抉れた跡がついている。

金属音が大きくなる。


ジュプトル(……なんだよ……)

ジュプトル(いちばん おこってんの……おまえだろ……)

ジュプトル「……わ、わがっ……た……か、ら……」


やっとのことで、そう絞り出す。

すると耳鳴りの音は消え、首のみならず全身にかかっていた力も掻き消えた。

ふたりは、ぼとりと無造作に投げ出される。

少し遅れて、太い枝が地面に落ちる音も聞こえた。

ジュプトルは腹と顎をしたたかに打ち、衝撃に目がチカチカした。

ダゲキもまた、受け身を取る間もなく背中から地面に激突していた。

ジュプトルとダゲキはそれぞれに咳き込む。

息をしている実感、窒息死していない実感を得ながら、それぞれがミュウツーに目を向けた。


ダゲキ「……い、い、たい……じゃないか」

ジュプトル「……くっそ、げほっ……」

ジュプトル「なに、するんだ!」

ミュウツー『私の前で、くだらん喧嘩を始めるからだ』


一喝すると、ジュプトルが目に見えて項垂れた。

ダゲキもふたりを交互に見て、俯く。


ジュプトル「くだらなく なんか……な……」


またしても噛みつこうとしたジュプトルだったが、さきほどのミュウツーを思い出して言葉を切った。


ジュプトル「さ、さっきのは……やめてくれよ」

ミュウツー『それは、貴様の態度次第だ』

ミュウツー『……それより、今は考えなければならないことがあるだろう』

ジュプトル「わ、わかってるよ」

ダゲキ「……」

ミュウツー『……落ち着いたか?』

ジュプトル「……うん」

ミュウツー『お前も、大丈夫か』

ダゲキ「ぼくは……だいじょうぶ」


ミュウツーは深い溜息をついた。

なぜ、自分などがポケモン同士の喧嘩の仲裁などしているのだろうか。

そんなことよりも、優先すべきことがあったはずだ。


ミュウツー『ハハコモリは……』


だが自分でも、その先を口にしたくはなかった。

繰り返し言えば言うほど、『それ以外』の可能性が消えていく気がしてならないからだ。

定まらずにいたはずの事実が、そのまま本当のことになってしまうような気がした。


ミュウツー『本当に、死んでいるのか?』

ダゲキ「うん」

ジュプトル「……」

ミュウツー『……本当に、奴が殺したのか?』

ジュプトル「き、きまってるだろ!」

ダゲキ「まだ わからないよ」

ジュプトル「そっ……そんなわけ」

ミュウツー『……ううむ』


状況証拠だけで言えば、ヨノワールの行動もそれなりに怪しかった。

むろん、物証も自白もなかったが。

さきほど目にした一連の出来事があるとはいえ、だから犯人だ、とは言えないように思う。

ミュウツーはそれをそのまま、ふたりに伝えた。


ジュプトル「まあ……そうだ」

ダゲキ「あの、ひかってたの なんだ」

ミュウツー『それは、私にもわからん』


どこかで見たことがあるような気もしたが、思い出せなかった。


ダゲキ「あ……ハハコモリ かえさないと」


突然、ダゲキが独り言のように口を開いた。


ミュウツー(かえす? ……『返す』か? それとも『帰す』か?)

ジュプトル「そうだな。おれ、いくよ」


応じるジュプトルも、話がわかっているようだった。


ダゲキ「でも……ジュプトル、だいじょうぶか」

ジュプトル「ああ、うん……」

ダゲキ「チュリネでも、いいんだぞ」

ジュプトル「いいや。おれがやる」

ジュプトル「あんなチビに、まかせて おけるか」

ダゲキ「……そうか」

ジュプトル「でも、もうすこし、まってくれ」

ミュウツー(……なんの話をしているんだ)


ふたりが話をしている光景を見て、ミュウツーは自分ひとりだけが取り残される感覚に陥った。

考えてみれば、ヨノワールが姿を消してからずっとそうだったではないか。

自分だけが知らず、ふたりは知っている何かについて、話をしている。

たしかに、森に来て間もない自分は、この森で何があったのかを知らない。

彼らの関係や、仲の善し悪しもわからない。

森の慣習を知らなくても仕方ない。

それでも、知らないということは、どうにも寂しいことだった。

ジュプトルがミュウツーの視線に気づいた。


ジュプトル「しんだら……なかまの ところに、かえして やるんだ」

ミュウツー『仲間?』


ミュウツーはかつて、自分がダゲキに噛みついた時にやって来たポケモンを思い出していた。

そして、きのみ収穫を手伝いに行った時、ハハコモリの足元にいたポケモンたちのことも。

たしかあの時のポケモンが『ハハコモリの仲間』だったはずである。


ミュウツー『私も行っていいか?』

ミュウツー『付き合いが短いとはいえ……恩も縁もある』


埋葬するというなら、手を貸すつもりだった。

本人に自覚はなかったが、その発想は実に人間的なものである。


ジュプトル「……おれは、いいけど」

ジュプトル「でも……ううん……やめたほうが いいよ」

ミュウツー『なんだその含みは。余計な気遣いは無用だぞ』

ミュウツー『一人だけ置いて行かれるのも、気にくわん』


事実、これ以上蚊帳の外に置かれるのは気に入らなかった。


ジュプトル「じゃあ……すきに しろ」

ダゲキ「……ぼくもいく」


ジュプトルが意外そうな顔をした。


ジュプトル「おまえ、あれ いやだろ。いいのか」

ダゲキ「だいじょうぶ」

ジュプトル「……そうか」

ミュウツー『……?』

ジュプトル「いけば、わかるよ」

ミュウツー『……わかった』

今回は以上です。

いつも乙コール、感想ありがとうございます。



そういえばポケモンの死は泉のあれなのかな…?
続きが気になるところ。待ってます

一週間ぶりっすね。

では、始めます。


重々しい足音が三つ、それぞれが噛み合わないテンポで不協和音を残しながら、がさがさと通り過ぎていく。

ハハコモリは、中で一番腕力のあるダゲキが背負うことになった。

ミュウツーが運ぶことも提案してみたものの、あまりいい顔はされなかった。

ジュプトルは先ほどの仲裁以来、ミュウツーの能力に戸惑いを感じているようだった。

それも無理はない、とミュウツーは思う。

きのみをもぎ取れる力があることと、触れることすらなく命を奪いかねない能力があることは違う。

ジュプトルがダゲキのほぼ真横、ミュウツーはややうしろの方で歩みを進めている。

話をしようとするものはいない。

声ひとつ、鳴き声ひとつ、テレパシーすら飛ばそうとするものはいない。


ある地点に来ると、ジュプトルが目でふたりを制した。

言われて見回してみれば、そこここで蠢く何者かの気配がある。

言われるまで、ミュウツーには見分けがつかなかったが。


ジュプトル「ギューッ」


甲高い声でジュプトルが鳴いた。

応える声はない。


しばらくして、草木の隙間から次々とポケモンたちが這い出してきた。

ほとんどが幼い『クルミル』ばかりで、その群れの中に『クルマユ』がわずかに混ざっている。

かつてハハコモリの元で目にした時よりも、ずっと数が多い。

クルマユの中のひとりが、葉の衣を引きずりながら進み出た。

この衣もまた、ハハコモリが仕立てたものに違いなかった。

他のクルマユたちは弧を描くように並び、そのさらに向こうにクルミルたちが固まっている。

弧はミュウツー、ジュプトル、ダゲキをゆるく囲み、ある程度の距離を保っていた。

特に怯えや嫌悪を示している様子はない。

だがクルマユたちの動きから、幼いクルミルをミュウツーたちから遠ざけようとする意図が感じられた。

要は、警戒されている。

警戒されているのは、新参者であるミュウツーだけなのだろうか。

それとも、『よそもの』である自分たち全員なのだろうか。

いずれにせよミュウツーはそのことに気づいて、少し不愉快になった。

それを知ってか知らずか、こちらからはジュプトルが一歩踏み出し、対話の意思を示している。


ジュプトル「キィッ、ギッ」

クルマユ「キシュッ、キシュシュッ」

ジュプトル「キィキキッ」

ミュウツー(おい……何を話してるかさっぱりわからんのだが、お前はわかるのか?)

ダゲキ(わかるわけ ないだろう)


ふたりのひそひそ話が聞こえたわけではないのだろうが、まさにそんなタイミングでジュプトルが振り返った。


ジュプトル「そこに、おろせ って」

ダゲキ「……わかった」


その言葉を受けて、ダゲキは背負っていたハハコモリを地面に下ろした。

ただの重い塊になったハハコモリは、だらしなく四肢を伸ばし重力に逆らわない。

改めて見ると、身体のどこにも傷ひとつとしてなく、まるで眠っているようだ。

だがその身体はもはや息をせず、脈打つこともなく、二度と起き上がることもない。

細い腕が地面に当たっても、痛がることすらない。


ミュウツー(……もう少し、話をしてみたかった)


胸の中に、もやもやとした『まずい』綿を詰め込まれているような気分だった。

もっと違うことが心に浮かんだはずだったのに、それが掴めない。

なんとも、収まりがつかなかった。


ふう、と盛大に息を吐いて、ダゲキがハハコモリを横たえた。

踵を返し、振り返るそぶりもなくクルマユから離れる。

ハハコモリを地べたに据えダゲキが離れても、クルマユたちは一向に近づいて来ようとしなかった。

薄暗い森の中で目を見開き、監視でもしているかのように彼らを見つめている。


ダゲキ「これで、いい?」

ジュプトル「うん」

ミュウツー『それで……これからどうするんだ』

ダゲキ「ぼくたちに できることは、おわった」

ミュウツー『あとは、同族に任せるということか?』

ダゲキ「『ドウゾク』……?」

ミュウツー『「仲間」だ』

ジュプトル「あー……まあ、な」


奥歯にものの挟まったような言い方をしている。

疑問を差し挟もうとすると、その後ろからダゲキが急かしてきた。


ダゲキ「はやくいこう」

ミュウツー「?」

ダゲキ「もう、ここには いないほうがいい」

ミュウツー『あ……いや……』


言うが早いか、ダゲキとジュプトルはハハコモリとクルマユ、クルミルたちに背を向けて歩き出している。

後方に立っていたミュウツーとすれ違いざま、ダゲキが腕を掴んで無理矢理向きを変えさせた。

ミュウツーは軽くうしろに仰け反り、辛うじてバランスを保つ。


ミュウツー『……お、おい』

ジュプトル「はやくいこうぜ」


横目でちらりと視線を送り、ジュプトルはそれだけ言うとさっさと歩いて行ってしまった。

それを追うように、ダゲキも後に続く。


ミュウツー『なぜだ?』


ジュプトルの横柄な態度は、いつもとそれほど変わらない。

ダゲキの起伏のない表情も、昨日までとあまり違わない。

だがふたりの顔は、いつになく青ざめているような気がした。


ダゲキ「いいから」

ミュウツー『なん』


文句を言おうとしたその時、ミュウツーの耳に聞き慣れない音が飛び込んできた。


バリッ


パキパキ


ミュウツー『……おい、今の音は』

ダゲキ「きのせいだ」

ミュウツー『なにを馬鹿な』

ミュウツー(気のせいや空耳などではない)

ミュウツー(絶対に、何か聞こえた)


何かが突き崩される音が、今も聞こえ続けている。


パキパキパキ


ミュウツー『……やはり、自分の目で確かめる』

ジュプトル「あっ、おい……やめとけよ!」

ダゲキ「……」


ブチッ


ふたりの制止を聞き流し、ミュウツーは慌てて踵を返した。

『頭の中の誰か』の言葉に耳を傾ける必要もない。

一歩一歩、歩くにつれて音が大きくなる。

心臓の鼓動も、くさむらの向こうの奇妙な音も。

小さな音がたくさん集まって、さざめきを作っている。

ミュウツーの全身が叫びを上げている。


『見てはいけない』

『見なくてはいけない』

『目を閉じよ』

『目を逸らすな』


得体の知れない恐ろしい何かが、すぐそこにあるからだろうか。

ハハコモリを横たえた場所のすぐそばで立ち止まり、音の発生源に目を向けた。


ガリッ


ガリガリガリ


パリッ


ビリッ


ミュウツー『な、なんだ……これは』


思わず流れ出た思考に反応して、今まで聞こえていた音が止んだ。

暗い中に蠢くいくつもの玉が、一斉にミュウツーを見上げる。

暗がりに浮かぶ玉は、ときおり瞬いていた。

クルミルたちの目だった。

どのクルミルも口をもごもごと動かし、何かを咀嚼している。

彼らは群がり、齧りつき、引きちぎって貪っているのだった。




ハハコモリの死骸を。


ミュウツーはその時になって、ようやく痛感した。

やはり、『友人の忠告』は聞いておくべきだったのだ。

『はやくいこう』と急かすのには、それなりのわけがあったのだ。

だがそう思えた頃には、もう手遅れだった。

視界が歪み、夜であるにもかかわらず目の前はカラフルに、白に黒にめまぐるしく変化する。

皮膚の表面が引きつり、いやな汗が吹き出した。

首筋の後ろが熱い。

喉の奥から、熱い何かがこみ上げてくる。


ミュウツー(……!)


死骸に群がるクルミルたちの中で、ミュウツーの目を引くものがいた。

『口元が赤く、全体的に緑色の強い』、特徴的な色合いのクルミルが。


ミュウツー(……こいつ……は……)


知っている。

このクルミルは、前に会ったことがある。


どこでだ?

いつ?

……そうだ、思い出した。

あの日、ハハコモリが枝を切り落としていた。

その足元で、葉を齧っていたではないか。


クルミル「キューイ」


ミュウツーを見上げていた色違いのクルミルが鳴いた。

なんと言っているのだろうか。

何を言いたいのだろう。

抗議だろうか。

『食事の邪魔をするな』と。

『何を見ている』?

『よそものめ』。


ミュウツーの目に、ハハコモリが映っている。

『かつてハハコモリだったもの』が見えている。

もはや『ハハコモリ』とは言えない物体が。

ほんの少し前まで、眠っているようだったではないか。

ほんの数日前まで、命を宿し、生きていたではないか。

『これ』はなんだ。

ポケモンか。

外骨格と肉と体液の塊か。

それとも、食べ物か。

これは……。


――たべない ころす だめ


ミュウツー『……うっ』

ミュウツー「……ごぶっオ゛エ゛ッ」


抑えようとしたが、それは徒労に過ぎなかった。

胃が勝手に中身を吐き出し、腹の中をすべて押し出そうとしている。

あの時のコマタナと同じように。


ミュウツー「ごぼ……げほっ、げっほ……」


両手を地につき、四つん這いになって嘔吐する。

自分の肉体くらいは自由になるものだと思っていたのだが、どうも違うようだった。

内臓が収縮する動きさえ、制御できない。

腹の中が引き攣りそうだった。

鼻の奥が痛い。


ミュウツー(……頭がくらくらする)


『私』の意志とは、どこに入っているのだろうか。

『私』の意志は『私』の肉体に、どこまで尊重してもらえるものなのだろうか。


ミュウツー(……私の肉体は、『私』の一部ではないのか?)


胃液の匂いと不快感に、焦点が定まらない。

視界も相変わらず歪んでいたが、不思議にも頭ははっきりしていた。


ミュウツー(空腹でも、吐こうと思えば吐けるものなのだな……)


いくらか呼吸が落ち着いて顔を上げると、クルミルたちはまた無心に食事を始めている。

こちらに目を向けているものすらいない。

ミュウツーに対する興味は、早くも失われていた。


シャリシャリ

キューッ、キィ


ミュウツー(……なぜ、食べる……)

ダゲキ「……だいじょうぶか」


振り返るそぶりだけ見せる。

これで、聞こえていることだけは伝わるだろう。

実際には立ち上がるのも億劫で、とてもではないが相手の顔は見えない。


ミュウツー『……う……うむ……』

ミュウツー『もう、大丈夫だ』

ジュプトル「だから、いっただろう」


そう呟くジュプトルも、なるべくあちらを見ないよう顔をあらぬ方向へ向けている。

そして、音は止まない。


ブチブチッ

パキッ


ジュプトル「まったく、もう」

ダゲキ「……いこう」


そこから、どこをどう通っていつもの場所まで戻ったのか、どうしても思い出せない。

ふたりに肩を借り、時折思い出したように訪れる吐き気と戦いながら歩いたことだけは確かだった。

地べたに横たえられ、ダゲキやジュプトルが何かしているのが視界の隅に見えていた。

いつものように、火を起こそうとしているのだろう。

では、あのユニークなバシャーモが呼ばれるのだろうか。


ミュウツー(……それは、少し疲れそうだ)


ミュウツーはぼんやりと、無感動にそれを見ている。

吐き気は、少しずつ治まってきていた。

いずれは楽になり、起き上がれるはずだ。

少し休めば。

もう少しだけ横になっていれば……。

そう思って息を吐いたところで、記憶は途切れた。

今回は以上です。

>>284
ダイパプラチナ、大好きなんです。
神話にせよ、どうくつ・いずみ関連にせよ、やけに神秘的で。

神秘的なのは好きだけどミュウツー以上の設定のものをボカボカ作ったことは許されない

というかグロ表現あるなら先に言ってよ(´;ω;`)

>>305
設定の上で強くても偉くてもボクらのミュウツーは唯一無二やで

>>306
ごめんなさい、失念してました
本当に申し訳ない

むし、とかくさ、とかだけですよね?

動物型やら人型やらが共食いしたりしませんよね!?(ガタガタ)

続きはよぅ

こんばんは。始めます。


眠ったつもりはなかった。

だが気づくと、地面に頭を押しつけるようにして眠っていた。

こすりつけていた部分はすっかり痺れ、泥を貼りつられたように何も感じなくなっている。

その上、全身が緊張しながら眠っていたのか、身体中が疲労していた。


ミュウツー『う……』

ジュプトル「あ、おきた」


ジュプトルの声が聞こえた。

同時に、パチパチと火花の散る音も耳に入り始めた。

圧迫されていた血流と、神経の伝達とが戻りつつあるのだろう。

地べたに押しつけていた場所がじわじわと感覚を取り戻し始めている。

頭の表皮を這い回るびりびりとした感触に驚きながら、ミュウツーは重い首をもたげた。


ダゲキ「……だいじょうぶ?」

ミュウツー『あ、ああ……』


本当は、あまり大丈夫ではない。

吐き気はおおむね治まったとはいえ、気分が悪いことに変わりはない。

だがこれ以上体調不良を訴えれば、ふたりは更に気を使うだろう。

なにくれとなく世話を焼くに違いない。

無理やり上体を起こし、そばの岩に寄りかかった。


ミュウツー『面倒をかけた』


岩に体を預け、天を仰いでそう発した。

口を開く元気はない。

テレパシーとは便利なものだと、こんな時に思う。


ジュプトル「きに すんな」


耳障りな声で、朗らかな返事が返ってきた。

ヨノワールが絡まなければ、ジュプトルは気のいい奴なのだろう、とミュウツーは感じた。

あのヨノワールがどういう存在なのかは別として、そこまで嫌うほどの何があったのだろうか。


ミュウツー『近くに、川か何かあったか』

ジュプトル「あっち、いけば あるよ」

ミュウツー『わかった』


差された方角へ、ずるずると身体を引き摺って歩く。

静かに流れる音が聞こえてきた。

いつか見た小川に比べるとずいぶん小さく、深さもない。

水辺に腰を降ろし、不恰好な手を水に差し込む。


ミュウツー(……冷たい)


水越しにゆらゆらと歪んで見える自分の手。


ミュウツー(水に入れずとも、私の手はいびつだ)


人間がするように、両手を使って水を掬い上げようとした。

掌にあたる部分がほとんどないミュウツーの手では、掬い上げられる水はほんのわずかである。


ミュウツー(ニンゲンのようには、いかないか)


しかたなく両手を水に浸けたまま、顔ごと水に押し込む。

ごぼごぼと流れる水の音が顔から伝わってくる。


ミュウツー(やっぱり、冷たい)

ミュウツー(……あの中の液体は、こんなに冷たくなかったが)

ミュウツー(さすがに、この中で息はできないだろうな)


目を瞑り、息を止めて水に顔を浸けていると、頭の芯まで冷えていくような気がした。


ミュウツー(あの液体より……気持ちいい……)


ミュウツーは水で口を漱ぎ、醜い両手で顔を拭った。

いくらか気分がいい。

機嫌がよくなって、ミュウツーは背筋を伸ばしふたりの元へと戻った。


ふたりは焚き火を囲み、その灯りを顔に向けて座っている。

ミュウツーが戻ってきたことに気づくと、ジュプトルがこちらを向いた。

ジュプトルの動きを見て、ダゲキもこちらに顔を向ける。

ダゲキは申し訳なさそうな目をして口を開いた。


ダゲキ「……ごめん」

ミュウツー『なにがだ』

ダゲキ「やっぱり、とめれば よかった」

ジュプトル「おれも、とめたぜ」

ミュウツー『……お前たちの忠告を無視したのは私の方だ。謝る必要はない』

ミュウツー『すまなかった』

ジュプトル「……で きぶんはどうだ」

ミュウツー『まあ、大丈夫だ。少し……驚いた』

ミュウツー『……まだ鼻の奥がひりひりする』

ジュプトル「だーから、いったろ」


そう言いながら、ジュプトルは長い木の枝で焚き火をつつき始めた。

積み重ねられた枝はだいぶ燃え、黒い塊の隙間から、ちらちらと輝きが漏れるばかりになっている。

ジュプトルはそれを突き崩し、顔を顰めながらも火をつついているのだった。


ダゲキ「あれは……いつも、いやだよ」

ジュプトル「おれも、いやだな」

ミュウツー『……ならば、なぜあんなことをする』

ジュプトル「……しんだ ポケモンは、ああするんだ」

ミュウツー『いつもか?』

ダゲキ「うん、だいたい むしポケモンは いつも」

ジュプトル「べつに、いつも おれたちが、はこんでる わけじゃないけど」

ダゲキ「ぼくたちに、その、ええと……」

ダゲキ「あわない、じゃなくて、はなれないで いること……なんていうんだ?」

ミュウツー『……ううむ』

ダゲキ「ええと……」

ダゲキ「いっ……しょ?」

ミュウツー『ああ……「一緒にいる」?』

ダゲキ「……かな?」

ミュウツー『……で、なんだって?』

ダゲキ「いっしょに、いてくれる もりのポケモンは……ぼくたちが かえす ことが、おおいよ」

ミュウツー『そうなのか』

ダゲキ「……なんでなのか、わからない けど」

ダゲキ「そういう やくそくに、してる」

ジュプトル「どうせ、おれたちが よそもの だからだよ」

ジュプトル「よそものと なかよくする、ポケモンは なかまじゃねーって」

ジュプトル「そんな ところだろ」

ミュウツー『……そうか』


パチン


ジュプトル「……あっちィ!」

ミュウツー『ジュプトル、貴様、何をしているんだ』

ジュプトル「なんだよ。たきびの あとしまつ だよ」

ジュプトル「まーったく、おまえ、ホントに なにもしらないんだな」

ミュウツー『い……いちいち突っ掛かるんじゃない』

ダゲキ「たきびの ことは、バシャーモが おしえてくれたんだ」

ダゲキ「ぼくも、おしえてもらった」

ミュウツー『ほう』

ミュウツー『なるほど、奴なら火の扱いは得意だろうな』

ジュプトル「ばッ、ばか! なんで いっちゃうんだよ!」

ダゲキ「なんで?」

ジュプトル「『なんで』って……おまえなあ」

ダゲキ「……ご、ごめん」

ジュプトル「ちぇっ」

ミュウツー『火の始末など、水でもかければいいだろう』

ダゲキ「それじゃあ、だめなんだ」

ジュプトル「そう、そう」

ミュウツー『なぜだ?』

ジュプトル「おー、でっかいの! ぜんぜん、わかってないね!」

ミュウツー『……あ、うん……』


あからさまに見下した表情を見せ、ジュプトルはおどけて言う。

ミュウツーには理由がわからないが、少し嬉しそうだった。


ダゲキ「みずをかけると、ひのことか はいが とんで……あぶないんだって」

ジュプトル「あっ……おいまた! いうなよ! おれ、いいたかったのに!」

ダゲキ「……あ、ご、ごめん」

ミュウツー『そういうものなのか』

ジュプトル「だ……だから、こうやって、えだが のこらないようにして、くずして けすんだ」

ミュウツー『ほう……』

ミュウツー『そうすれば、火の粉も飛ばないのか』

ミュウツー『……大したものだな』

ジュプトル「な……なんだよ、きもちわるい」


ジュプトルは不審そうな顔をしていたが、ミュウツーは半ば本気で感心していた。

感心したのは、火の後処理技術についてではない。


ミュウツー『貴様は草ポケモンだろう』

ジュプトル「うん、そうだけど」

ミュウツー『火を苦手とするはずの貴様が、教えられたとはいえよくそこまで身につけたな』

ミュウツー『それは、生まれながらの能力に頼らずに、生きているということではないか』

ジュプトル「……」

ジュプトル「な、なんか、ほめられてる?」

ミュウツー『そう、受け取ってくれて構わない』

ジュプトル「……わるかったな」

ミュウツー『うん?』

ジュプトル「おまえのこと、もっと いやなやつだと おもってたよ」

ミュウツー『……そうか』

ジュプトル「なんか、えらそうだったし」

ミュウツー『……そ、そうか?』


思わずダゲキの方を見ると、ダゲキは困ったように首を傾げた。


ミュウツー『……そこは否定しろ』

ダゲキ「『ヒテイ』……あ、なんでもない。ごめん」


何を言おうとしたのかは予想できた。

教えを乞うまでもなく、言葉の意味をなんとなく理解できたに違いなかった。


ジュプトル「なあ、おまえ さ」

ミュウツー『?』

ジュプトル「ダゲキにきいたけど、むりに でていかなくて いいんだぞ」

ミュウツー『……』

ジュプトル「おれたち みたいに、ここにいろよ」

ジュプトル「きのみも……うまいし」

ダゲキ「そう……だな」

ダゲキ「……ともだちが ふえたら、うれしい」

ジュプトル「だよな」

ミュウツー『なにを言ってるんだ、お前たちは』

ダゲキ「……」

ミュウツー『……?』

ジュプトル「へへへ」

ジュプトル「もりのやつらには、きらわれてるけど、チュリネたち いるし」

ジュプトル「ふつうに、やってくだけなら こまらないよ」

ミュウツー『……嫌われている? なぜだ』

ジュプトル「え?」


ジュプトルは不思議そうな顔をした。


ジュプトル「そりゃあ、よそものだからだよ」

ミュウツー『よそものか。確かに私やお前たちはそうだが、それだけで嫌われるとは、どういうわけだ』

ジュプトル「……さあね。おれは、ニンゲンのところで うまれたから、あっちのきもちは、わかんない」

ミュウツー『それは……私も同じだ』

ジュプトル「そういえば、そうだな」

ジュプトル「フシデとか、チュリネとかハハコモリとか、こいつみたいなのは、めずらしいんだ」

ダゲキ「……うん……そうだね」

ミュウツー『……え? ああ……なるほど』

ミュウツー(そうか……みんなには黙っているのだったな)


ちらりとダゲキに目を向けると、向こうもミュウツーを見ていた。

黙っていてほしいと言われたことは、むろん忘れてなどいない。

それでも流石に不安なのだろう。

いや……負い目なのか。

よほど、自身が人間と旅をしたことがあると知られたくないらしい。

『嫌われている』とジュプトルは言った。

人と在ったものとそうでないものの溝を、ダゲキも繰り返していた。

ミュウツーがどうやら彼の禁忌に触れないらしいとわかると、ダゲキはようやく目を伏せた。


ダゲキ「……じぶんのすみかが あらされるのは、いやなんだよ」

ミュウツー『だからといって、嫌われるほどの……』

ダゲキ「みんな……じぶんのばしょ だと、おもってる」

ダゲキ「そこに、しらないやつが きたら、こわい」

ジュプトル「おいおい、おまえまで、そんなこと いうかよ」

ダゲキ「もう、おもってないってば」

ミュウツー『お前も“昔”は、よそものを嫌っていたのか?』


ジュプトルにはどうということのない質問に聞こえるはずだ。

だが、ダゲキにとって『昔』という言葉が、正確にはどういう意味を持つのか。

彼の過去を知っているものから発せられる場合、どういう意図を持つのか。

はたして、その意図が伝わるのかどうか。

底意地の悪いやり方だと、我ながら思った。


ダゲキはミュウツーの顔をしげしげと眺め、一瞬悲愴な顔を見せた。

予想通り、ダゲキはミュウツーの言葉が持つ意図を理解できたらしい。

何かを思い出すような目つきを見せて、ダゲキは口を開いた。


ダゲキ「きらい……じゃないけど……」

ダゲキ「なかよく なんて、おもわなかった」

ダゲキ「ちかづきたく……ないし」

ダゲキ「どこからきたか、わからないし。どういうやつかも、わからない」

ミュウツー『しかし、話してわからん連中というわけでも……』

ダゲキ「……」

ジュプトル「それは、なあ……」

ダゲキ「たぶん……すごく むずかしい」


どこか諦めたような話し振りだった。


ミュウツー『……そうか』


自分の知らないところで、むしろ自分がここにやって来るまでに、共存の努力はそれなりに払われたのかもしれない。

生まれた森以外を知らない『普通の』ポケモンたちと、人間に関わった『異質な』ポケモンたちとの間で。

ミュウツーは、ハハコモリを貪るクルミルの目を思い出した。

こちらの顔を見るなり餌を放り出し、慌てて逃げていったフシデたちの姿を思い出した。


ミュウツー『……私から見ても、連中との溝は深そうだ』

ジュプトル「おれ あんなふうに……ほかのポケモン たべたくない」

ミュウツー『……ううむ』

ミュウツー『……なぜ、奴らは仲間の死骸を食うのだ』

ダゲキ「それは」

ジュプトル「そーゆーもん だからだよ」


やけに、撥ねつけるような物言いでジュプトルが言った。

吐き捨てていると言ってもよかったかもしれない。


ミュウツー『……それが普通、ということか』

ジュプトル「みんな、へいき なんだってさ」

ジュプトル「ま、どーせ、おれには わかんないけど」

ジュプトル「おれ、ニンゲンのポケモンフードと きのみ しか、たべたことないし」

ミュウツー(私など、研究所を出るまで、モノなど食べたことなかったが……)

ミュウツー(……言わない方がよさそうだ)

ダゲキ「ぜんぶの ポケモンが、たべるわけじゃ……ないよ」

ミュウツー『それを聞いて、少し安心した』

ダゲキ「……ぼくも、やっぱり きのみ がいい」


それぞれに溜息をつく。

そのままうっかり、誰もが口を噤んでしまった。

パチン、パチンと間隔を開けて、燻る焚き火が音をたてる。

そう遠くないところから、小川のせせらぎが聞こえる。


彼らはなんの変哲もない、ただの野生のポケモンである。

生まれた森で育ち、人間や外部の存在から教えられることもなく、生きる術を身につける。

特別なところは、特にない。

その上、この森は決して資源に乏しい土地ではない。

あのハハコモリを見ている限り、食べるものに困っている様子もなかった。

それなのに、彼らはごく普通のこととしてその遺骸を食べる。

同種の成体が死んだ時の、当然のルーチンワークの一つであるかのように食べていた。

つまり、クルミルたちがハハコモリの遺体を食べるのは――


ミュウツー『……どうしてなんだ』

ダゲキ「……え?」

ジュプトル「なにが?」


どう説明したものか。

少し悩んだが、結局は下手に考えをまとめることはせず、思考のままに伝えることにした。

何よりも、まず――


ミュウツー『……なぜ、私やお前たちは……「あれ」を、こうも受け入れられない』

ジュプトル「ん?」

ダゲキ「ぼくたち……は、『たべない』ポケモンだから じゃ……ないの?」

ダゲキ「しんだら みんな、たべる わけじゃないし」

ジュプトル「かんがえたこと ないや。いやな もんは いやだろ」


そうなのだろうか。

怪訝そうな顔をしていたジュプトルが、少し間をおいて目を開いた。


ジュプトル「……もりに ずっといるやつらは、へいきなんだよな?」

ダゲキ「……えっ……」


ジュプトルの疑問に、ダゲキが小さく反応する。


ジュプトル「おい、ダゲキ。どうしたんだよ」

ミュウツー『……』

ダゲキ「な……んでも ない」

ジュプトル「……」


不審に思っていることは明らかだった。

だが、ジュプトルはそのまま話を続ける。


ジュプトル「チュリネとか……ほら、なんだっけ……エルフーンとか、ヤナップとか」

ジュプトル「あいつらと、あれのこと……はなしたこと あるけど」

ジュプトル「みんな……なんとも おもってなかった」

ミュウツー『というか、チュリネも……平気なのか』


少し意外な気がした。

チュリネのことはすっかり『こちら側』だと、ミュウツーも認識していたからだ。


ミュウツー『“野生のポケモンにとっては”……普通のこと……ということなのか?』


では、『人間と共に生活したことのあるポケモン』にとってはどうだ?

自分があの光景に耐えられなかったのも、ジュプトルが目を背けたのも、『だから』なのだろうか。


ミュウツー(……いや、待て)


この論法では、まるで……。


ジュプトル「えっ……じゃあ さ、ダゲキ」

ジュプトル「おまえは、なんで 『だめ』なんだ?」


そう言ってダゲキを見る。


ダゲキ「え……あ……」


顔にこそ出ていなかったが、ダゲキが狼狽していることはふたりにも伝わった。

ジュプトルの問い掛けに、そこまで深い意味はなかったのかもしれない。

ただ単に疑問に思ったから口にした、というだけであった可能性もあった。


ダゲキ「……ぼく は……」


けれどもダゲキは、それを尋問、追求、あるいは遠回しの弾劾と受け取ったようだった。

いつになく落ち着きを失い、動揺している。

“まるで”、“嘘がばれた子供のように”。

それを、ミュウツーは不思議なものを見るような気分で眺めていた。





私はただ、知りたかった。

思い出したかっただけだ。

私がどこの誰なのか。

なぜ存在するのか。

どうして、今ここにいるのか。

誰か教えてくれと、私は声に出さず叫び続けていた。

嘘でもいい。

おためごかしでも、なんでもいい。

それが私にとっての救済となるから、教えてほしい。

それが私にとって絶望でしかなくても、教えてほしい。

なぜ、私はいるのだろう。

なぜ、こんなちからを持っているのだろう。

なぜ、あんなことがわかるのだろう。

なぜ、こんなことをしなくてはならないのだろう。

誰も答えてくれない。

誰も教えてくれない。


私は、私自身に投げかけ続けてきた問いの答えを知っていたはずだ。

そうだ、きっと知っていたはずだ。

それなのに、私はどうしても思い出せない。

ときどき、思い出せそうなこともある。

暗い洞窟の中で過ごした懐かしい記憶と共に、私は私の本来の姿を夢想する。

自分がどういう存在なのか、何をすべきなのか。

忘れてしまえば、根のない草のようになんと頼りないことか。

憶えていること、思い出せることを頼りに、私はどうにか過ごしてきた。

すべきこと、しなければならないことをした。

たとえ、誰かに憎まれても。

それでも、今の私は、大切な何かを思い出せずにいる。

思い出さなければならない。

思い出してしまえば、別の大切な何かを失ってしまうような気がする。

それでも、思い出さなければならない。

私の、本来の役目を。


私はほんの少しの骨を、両手に抱えて呻く。

思い出せない。

ここから、どうすればいいのか。

あそこから、どうすればよかったのか。

すべきことが出来なかったために、どうなってしまうのか。



今回は以上です。

それにしても、なんで書き込みしてる最中にコロコロIDが変わっちゃったんだ…?

>>308-309
現実の動物でも、共食いってわりとあるらしいですよ!

>>310-311
楽しみにしてくれてありがとうございます!

意図したわけじゃないですが毎週水曜日に投稿してるみたいなんで、
このペースを保てたら、それはとっても嬉しいなって

それでは、また


身近な生き物だとゴキとか仲間の死骸食うよ

猿が別の群れの猿を殺して食べてた映像見たことあるけど殺し方がリンチみたいな感じで殺した後にボス猿が他の猿に配給するんだけど仕草が妙に人間臭くて不気味だった

まーだだよ!

でもそんなこと言われちゃったら
嬉しいから、投稿しちゃう

では、始めます。



……そりゃあ、憶えてるよ。

モンスターボールの中で過ごしていた頃のことは、今でも憶えている。

忘れられるわけないじゃないか。

いっそ忘れることが出来たら、どれほど楽だかわからない。

あの中が居心地よかったかどうか……正直なところ、よくわからない。

そんなに悪くはなかったと思うけど。

このままニンゲンのポケモンとして生きていくのも悪くないかな、と思ったくらいには。

……強い相手と戦えるなら、自分を鍛えられるならそれもいいかも、って。

だってほら、森のポケモンの間では、今さら話題にするまでもない話だったから。

ニンゲンについて行けば、強いポケモンと戦えて、強くなれる、って。

ぼくだって、強くなりたかった。


――行け!


あのニンゲンに連れて行かれて、少し経った頃。

ぼくは、こんなことを思うようになった。

ひょっとしたらこのニンゲンは、ぼくのことを……生き物とは思ってないんじゃないか、って。

命令した通りに戦う、道具か何かだと思ってるのかもしれない、って。

実際、ぼくがボールから呼び出される時というのは、本当に限られていた。

ニンゲンがポケモン同士を戦わせるために、ぼくを必要とした時だけだ。

だから外から声をかけられて、呼ばれて、ボールから飛び出す時、悪い気はしなかった。

ぼくは、必要とされたってことだから。

ぼくは戦わせれば強い、役に立つって言われたようなものだから。

それは、いい気分になることだった。

そういう気分のことは、なんていう言葉を使えばいいんだろう。

……『うれしい』、だったかな。

呼び出された戦いで勝てば、あのニンゲンは喜んでくれた。


――よーし行け! 負けたら承知しないぞ!


あのニンゲンに連れて行かれて、少し経った頃。

ぼくは、こんなことを思うようになった。

ひょっとしたらこのニンゲンは、ぼくのことを……生き物とは思ってないんじゃないか、って。

命令した通りに戦う、道具か何かだと思ってるのかもしれない、って。

実際、ぼくがボールから呼び出される時というのは、本当に限られていた。

ニンゲンがポケモン同士を戦わせるために、ぼくを必要とした時だけだ。

だから外から声をかけられて、呼ばれて、ボールから飛び出す時、悪い気はしなかった。

ぼくは、必要とされたってことだから。

ぼくは戦わせれば強い、役に立つって言われたようなものだから。

それは、いい気分になることだった。

そういう気分のことは、なんていう言葉を使えばいいんだろう。

……『うれしい』、だったかな。

呼び出された戦いで勝てば、あのニンゲンは喜んでくれた。


ぼくは、もっと必要とされる。

こうしてボールの中で静かに待っているのも耐えられる。

それは、とても『うれしい』気分になることだった。

自分が何のためにいるのか、唯一考えずにいられる時間だったから。


他のニンゲンとポケモンがどういう関係で生きているのか、ぼくにはわからない。

ぼくとあのニンゲンは、決して仲良しではなかった。

ポケモンとニンゲンだから友達ではなかったし、そういえば仲間でもなかった。

それだけは、間違いないと思う。

このニンゲンとなら一緒にいたい、と思ったことは一度もない。

勝てた時、頭を撫でて褒められたことなんてない。

負けた時、また頑張ればいいと慰められたことだってない。

いつ、役に立てず、必要とされなくなってしまうか、それが気がかりだった。

けど、これが普通なんだと思っていた。

それ以外、ぼくは知らなかったから。


どんなニンゲンだったかは、よく憶えてる。

あのニンゲンは、強いポケモンが好きだったみたいだ。

強いことが大事、勝てるポケモンであることが、大事。

あとは、ポケモンと関係ない、別のことが好きだった。

ぼくは……その『別のこと』は、あんまり好きじゃないんだけど。

そういうニンゲンだった。

名前は……憶えてない。

思い出せないだけなのかもしれない。

ああ、ひょっとしたら、そもそも知らなかったのかもしれない。


ある時、ぼくが倒したピンク色の丸っこいポケモンに、そのトレーナーが駆け寄った。

ぽやんぽやんした声の、丸々として、少し……なんでもない。

なんていうポケモンかなんて、ぼくは知らない。

トレーナーは、ぐったりしたそいつを抱き上げて、何か声をかけていた。

その言葉を聞いて、ぼくは不思議な気分になった。


命令じゃない言葉だから、ぼくには理解できなかったけど。

『よしよし』とか『お疲れさま』とか『ごめんね』とか……。

今になってみれば、そういう言葉だったんだと思う。

ぼくを連れていたトレーナーが、絶対に言わない言葉だ。

もう、本当のことはわからない。

意味を理解できなかったから、羨ましいとも、悲しいとも思わなかった。

今なら思うかもしれないけど、その時は自分でもわからなかった。

けど、なんだか、とても……胸が苦しかった。


ボールの中にいても、ニンゲンたちが交わしている話は聞こえる。

外にいる時よりは、少し聞き取りにくいけど。

ぼくには聞こえてないと思ってるんだろう。

ひょっとしたら、聞こえてもわからないと思ってたのかもしれない。

命令は、理解できるって知ってるのに。

ぼくに関係ないことも、ぼくのことも、普通に話していた。

ニンゲンたちの話をたくさん聞いているうちに、ぼくは少しずつ、命令以外の言葉もなんとなくわかるようになってきた。

たぶん、他のニンゲンと一緒にいるポケモンたちも、みんな似たようなものだと思う。

その頃は、自分がしゃべることなんて考えもしなかったけど。


自分のことを『ぼく』と呼ぶんだ、ということも知った。

『おれ』とか『わたし』という言い方もあると知ったのは、もっとあとのことだ。

でも、『ぼく』と思うようになってから、それまで自分のことをどう考えていたのか、思い出せなくなった。

『ぼく』という気持ちは、ずっと前からあったはずなのに。

その時から、自分のことは『ぼく』としか思えなくなったし、言えなくなった。


あの日も、ぼくはいつものように、ボール越しに聞こえてくる会話を感じていた。

半分眠ったような、半分起きているような不思議な気分で。


――……おい、**たか?


――なにを?


――カントーの、しゃ**ポケモンの***


――はぁ? ポケモンがしゃ*るかよ


――それがさ、***なんだけど……

――人間様と***ように、べらべらしゃべるニャースが**んだってよ


――マジかよ、それ。どうせ、う**だろ?


――****でしゃべる****してるところを見た、って

――まあ、都市****みたいなもんだけど


――……そんなスゲェのがいたら、もっとおお**ぎになってるんじゃねーの?


――でも考えてみたら、人間と似たような***のポケモンもいるんだし、*****もないと思わね?

――お前んとこのさ、そいつみたいなポケモンなら、しゃべれるかもって


しゃべる?

ぼくが?

……どうやって?

ニンゲンみたいに?

そうしたら……どうなるんだ?


ニンゲンに、言いたいことが言える?

伝えたいことが、伝えられる?

命令されるだけじゃなくて?

呼び出された時に戦わされる、だけじゃなくて?

用がなくなればすぐにボールに戻されるだけじゃ、なく?

何かを訊いたりできる?

『ぼくと、あなたは』……『仲良く、なれますか?』って。


――うちのダゲキ? だめだめ、コレなんて、バトルで**こと***、**がないから


――コレ**わりかよハハハ


――メスでもないから、他に使い**なんてないもじゃんアハハ


――ああでも、***込めば、**みたいに***られるかもな


――****したからって、しゃべれるもんなのかねぇ?


――口がないポケモンとかいるじゃん、それに**べたら……


口……。

どう、口を動かせばいい?

舌は?

歯は?

喉は?

どうすればいい?

どうすれば、ニンゲンの言葉を話せる?

ぼくは……知りたくなった。


――こんなんがしゃべって、どうするんだよ


だからぼくはボールの中で、今までよりも一生懸命、ニンゲンの言葉に耳を傾けた。

ボールから出て、戦わされている時も。

ニンゲン同士が話し始める時に、なんと言うか。

どんな声で、どんな抑揚をつけて、どんな言葉を言うか。

たくさん、たくさん聞いた。


だんだん、いろんなことがわかるようになった。

自分より上に見たり、下に見たりする言葉がある。

言葉ではそう言っていても、本当は違うことを言っていることもある。

ボールの中だと、口をどう動かしたらいいか、よくわからない。

ただ普通に声を出すだけだと、いつもの声になってしまう。

外に出ている時は、戦うばかりだから練習のしようがない。

だから、たくさん言葉を憶えることだけ考えた。

まだ知らない言葉は、たくさんあるけど。

それでもぼくを連れていたニンゲンが話すことは、だいたいわかるようになった。


そのおかげで……『そのせいで』、かもしれない。

なんにしても、ぼくは知った。思い知った。


あのニンゲンは、ぼくをどこかに置いて行ってしまおうとしていることを。

それから、ぼくのかわりにする奴を、もう捕まえてることを。

つまりもう、ぼくはあのニンゲンに、必要とされていないってことを。

本当は、言葉がどうのこうの、っていうより前にわかってたような気もするんだけど。


……あのニンゲンに必要とされなくなったら、ぼくはどうなるんだろう。

ずうっと、あのボールの中?

もう戦うこともなく?

ずっと……ずうっとあんな場所で?

それは……。

それは、なんという気持ちなのだろう。

ぼくは夜になっても眠らず、ボールの中でその気持ちのことを考えた。

頭の上の方だとか、ボールの外で聞こえていた言葉を思い出しす。


――いやだなあ、やめてくださいよ先輩


――ポケモンのくせに、一人前にイヤそうな顔すんなよ


そうだ、『いや』だ。

いやだ。


――いけ、ローキックだ!


いやだ。

いやだ。いやだ。

そんなのは、いやだ。

ぼくはチョロネコを転ばせながら、そんなことを考えていた。

こんなにいやな気分なのに、戦うことをやめられない。

いやだ。

いやだいやだ。

ここはどこだろう。

ぼくは、どうしてこんなところにいるんだろう。

ぼくはなんなんだ。

ポケモンってなんなんだ。

帰りたい。

でも、どこへ?


空を見た。

戦いながら、何度も空を盗み見る。


――なにボーッとしてるんだ!


後ろから、ニンゲンの怖い声が聞こえる。

いつもなら、あの怖い声をぶつけられたくなくて、必死になった。

だけどもう、あまり声は気にならない。

それよりも……目に映る空のことをずっと考えていた。

空は青くて、白い雲が浮いている。

色だけでいうと、ぼくの方がずっと青いんだけど。

ぼくは、それ以外に青さを表す言葉を知らない。

あそこを飛んで行けば、ぼくのいた森に帰れるんだろうか。

見たことのある空だと思った。

でも、空はどこまでもずっと繋がってるらしいから、どこで見ても同じ空なのかな。

ぼくが住んでいた森にも、繋がっているはずだ。

ぼくには空の違いなんて、見分けもつかない。

それでもどういうわけか、この空はぼくが知っている空だと思った。

なんだか見覚えのある風景だ、って。


そういえば、ぼくがいた森のすぐそばにも、こんな街があった。

森の連中はどうしているだろう。

よく修行に付き合ってくれていたナゲキは、元気だろうか。

隙を見せると、すぐ投げ飛ばそうとしてくるところ以外は、いい奴だった。

もし森に戻ったら……。


チョロネコはミィと短かく鳴いて、蹲まった。

つまり、ぼくが勝った。


――チャコちゃん! やーん、ひどーい!


甲高い声を上げながら、チョロネコのトレーナーがチョロネコに駆け寄った。


――ごめんねチャコちゃん! ポケモンセンター行こ!

――ミャー……


トレーナーの女は、眉を寄せてチョロネコを抱きかかえた。

ぐったりしているチョロネコを撫でると、チョロネコはか細い鳴き声を出した。


……。

何をしてるんだろう、ぼくは。

なんで、こんなことしてるんだろう。

楽しくも、嬉しくもない。

全然、楽しくない。

いつもなら、すぐにボールに戻される。

いつもなら、それでおわりだ。

だと思ったけど……。


――ねぇ、これから食事でも行かない?


ほら、また始まった。

ぼくは、ぼくの頭の上で言葉を投げ掛け合うニンゲンたちを見上げる。


――ポケモンバトルでは俺が勝ったけど、キミのチョロネコ……チャコちゃん、かわいいね

――へえ、***ちゃんっていうんだ!

――そこに、雰囲気のいいカフェがあるじゃない?


ニンゲンが、ニンゲンの女と話し始めた。

ニンゲンはにやにや笑っている。

女の方は、少し困ったような顔をしている。

でも、ぼくは知っていた。

女は困ったような顔をしてるけど、本当は嬉しがってる。

二人が話していることは、ほとんど理解できた。

どういう『つもり』で話をしているのかも、なんとなくわかる。

ぼくのトレーナーは、相手のトレーナーを食事に連れて行こうとしていた。


あのニンゲンは、自分の気に入ったニンゲンの女と話をするのが好きだったんだ。

ときどき、そうやって話をした女と、その日はずっといることもある。

夜になってポケモンセンターに泊まるときも、ずっと二人の話し声が聞こえる。

相手がぼくじゃないからだと思うけど、ニンゲンはすごく……不気味なくらい優しい声で話していた。

女の方もだいたい、薄気味悪いくねくねした声で返事をする。

ぼくが眠くなってきた頃、二人で何かしている音も聞いたことがある。

ああ、そうだ。

修行ができないものだから、毎日、夜は眠くなってたんだ。


ボールの中にいるから、そんな音が聞こえる時、ニンゲンが何をしているのかはわからない。

変な音が聞こえたり、ニンゲンと女の気持ち悪い声が聞こえたりした。

何かが軋んでるような音と、ニンゲンたちの声。

何をしているかわからないのに、ものすごく下品で、悪いことをしているのだと思ってた。

さすがに、あまり知りたいと思わなかった。

けっこうよくあることだったから、ニンゲンにとっては楽しいことなのかもしれないけど。

それが、ぼくのあんまり好きじゃない……『別のこと』。


そういうニンゲンだったから、今日も同じだと思う。

女に向かって、一生懸命食い下がっていた。

『食い下がる』っていうのは、諦めないでしつこくすること、だったと思う。

ぼくは、このニンゲンといることに何の意味も持てなくなっていた。


――えー、いいじゃん、お茶だけでも

――じゃあさ、せめてCギアの……


帰ろう。

そう思った瞬間、もう身体は勝手に動いていた。

少し歩いて、それから無意識に走り出す。

振り返ってみてもよかったけど、やめておいた。

怖い声で怒鳴られたり、掴まれたりするかと思ったけど、そうはならなかった。

まだ、ぼくが走り始めたことに気づいてないのかな。

それとも、『そんなこと』は、どうでもいいのかな。


いくら頭の悪いぼくでも、今走っている場所が『森』のそばだということはわかる。

知っているにおい。懐かしい空気。

土のにおい。草のにおい。水のにおい。風のにおい。

これは、ぼくが育った森のにおいだ。

そうだ、この赤い四角い石で出来た建物にも見覚えがあるじゃないか。

赤っぽい石でできた、赤っぽい建物がたくさん並んでいる。

足元には、建物とは違う色の四角い石が並んでいる。

名前は知らないけど、ここはぼくがいた森のすぐそばにあった街だ。


そんなことを考えながらしばらく走ったら、森が見えてきた。

迷わず茂みに飛び込む。

においは確かに、ぼくのいた森だ。

でも、あまり来たことのない場所だ。

早く、見慣れた場所に帰りたい。

いつも鍛えていた場所はどこだろう。

きょろきょろ見回しながら走っていたら、突然頭……おでこにビリッと電気みたいなものが走った。

茂みを越えた時、枝で引っ掻いたらしい。

目のすぐ横に、つう、と何かが伝ってきた。

生温かい。

怪我をしたんだ。

痛いはずなのに、ぜんぜん痛くない。

頭も全身も、血が止まったみたいにじんじん、ぼんやりしてよくわからない。

ふと、見覚えのある木が見えた。

そうだ、あの木の場所から太陽が沈む方へ行けばいいんだ。

そうすれば、いつもひとりで修行していた場所に着く。


懐かしかった。

ここは、ぼくの居場所だったところだ。

何も考えないで、修行をしていた場所。

ぼくは走るのをやめて、少し開けているところに立ち止まった。

最後に山籠もりをした時のまま、誰も足を踏み入れていないみたいだ。

そういえば、いつも雨が降った時とか疲れた時に、休むことにしている場所がある。

枯れて倒れてしまった木の中だったはずだ。


心臓がすごい音を発てている。

ずっと走っていたからかな。

たくさん修行をしたあとの気分に少し似ている。

ちょっと、気持ちいいと思った。

体を思いきり動かして汗をかくのなんて、久しぶりだ。

……あのニンゲンといた時は、修行なんてできなかったから。


うろの中に入って、ぼくはバタッと倒れ込んだ。

そのとたん、おでこがきりきり痛くなった。

さっき、枝でついた傷が今になって痛くなってきたみたいだった。

……痛い。痛いなあ。

うろの入り口の隙間から、さっきの青い空が見えている。


「……ひゅ゛ー……ひゅ゛ー……」


口をあんぐりと開けて、ぜえぜえ息をする。

喉が、ごりごりとした変な音を出している。

口から、鳴り損ねた笛みたいな、自分のいつもの声ともちょっと違う音が漏れる。

喉を鳴らす。

首に力を入れて、喉を動かして、それで声を押し出す。


「……ぁ゛……ぅ゛ぅ……」


これ、誰の声だ。

ぼくの声だ。


「……あ゛あ゛……あ゛ぁ゛ぁぁ……」

「……い゛……ぁ゛ぃ゛……」


口を動かしたら、『あ』が『い』になった。

ニンゲンが話していたような、はっきりした音にはならないけど。

ああ、痛い。

苦しい、痛い、痛い、いたい、いたい。


――い は……いたい の い


頭の中で、誰かの濁声が聞こえたような気がした。

一度も、聞いたことのない声なのに。


「……い、だ……い……」


ぼくは、なんだか無性に眠たくなった。

遅れてきた頭の痛みは、またいつの間にかぼんやりして、よくわからない。

身体がどろどろと溶けて、地面に吸い込まれていくような気分だった。

ぼくは形を失い、自分と誰かの境目も、自分と地面の境目も薄れていった。

今回は以上です。

>>335,>>337-339
昆虫メインかと思っていたら、調べれば調べるほど「わりとよくある」んで驚きますよね。

では、また次回。
月曜に投稿しちゃったんで、水曜はないですね。

人間ですら部族によっては「よくある」ことらしいからね
でも人食い族って今はいないんだっけ?

まあ乙

乙です!
すっかりこの作品のファンになってしまいました

>>344
>>345
投稿エラーが出てたのに、もう一度投稿したせいで重複してますね
>>345の方を本採用ってことにしてください

>>368
ソニー・ビーン一族って実在したんですかねぇ…

>>369-370,372
ありがとうございます!

気付けば、このSSを書き始めて1年たちそうです
あの頃はまだ覚醒話もメガ進化もなかったんだなぁと思うと感慨深い
感慨深がるのは完結させてからにしろって話なんですけど

ん?
構想自体は1年前からあったのかな?

気づけば一週間経っていた…。

では、始めます。


ジュプトルは、ダゲキの言動を注意深く見守っていた。

当のダゲキはおぼつかない目つきで、焚き火を見詰めている。

何かを思い出している。


ジュプトルにとっても、『ひょっとしたら』と思ったことがないわけではなかった。

そもそも捨てられたり逃げ出してきたポケモンは、森に居場所などない。

森や森に住むものにとって、よそものは所詮よそものだからだ。

森は、よそものが住むための寝床を用意しない。

森が、よそものに食べさせるためのきのみを実らせることもない。

ましてや『人間と旅をしたポケモン』などのために、存在意義を与えることもない。

あからさまに拒絶することもないが、本当の意味で受け入れることも滅多にない。

“闖入者”として、明確な境界を示される。

運がよければ“来訪者”として、存在が許されることもある。

それでも、“異邦者”であることに変わりはない。

いずれは“邪魔者”として、疎まれ小さくならねばならない。

そんな異物たちを疎まないどころか、あれこれと手を使ってまで交わろうとする。

考えたことがないわけではなかったのに。


なぜ、人間の言葉をよく知っているのか。

考えてみれば、理由は簡単だった。


ジュプトル「……やっぱり おまえも、そうだったのか」

ダゲキ「……うん」


観念したように、ダゲキは項垂れた。

それほどのことなのだろうか、という疑問がミュウツーとジュプトルの脳裏をかすめる。


ダゲキ「ぼくにも トレーナーがいた」

ダゲキ「このもりで うまれて、そとにでて……かえってきた」

ジュプトル「どんなトレーナーだった?」

ダゲキ「あんまり……いいニンゲンじゃなかった」

ジュプトル「そっか……」


まるで溜息のような声が出た。

どういう気持ちで今の言葉を受け止めているのか、ジュプトル自身よくわからない。

森のポケモンでありながら、他の森のポケモンの白い目を浴びてなお、よそものを助ける理由。


なあんだ。

こいつも、俺と同じだったのか。

何も、違わない。

……なあんだ。


ジュプトル「それ、しってるの だれ?」

ダゲキ「ふたりと……あと、ヨノワール」

ミュウツー『……』

ジュプトル「ふーん……」

ジュプトル「……あいつも、しってるのか」


少し悔しかった。

自分が毛嫌いするヨノワールでさえ、知っていたというのに。

この森に来たばかりのミュウツーでさえ、聞かされていたというのに。

ジュプトルたちの話を黙って聞いていたミュウツーが、不意に口を開いた。


ミュウツー『他の連中に、黙っているのは不思議ではない』

ミュウツー『なぜ、こいつにまで黙っていた?』

ダゲキ「……うん……」

ミュウツー『親しくなるために、秘密を明かすことで距離を縮めようとするのは、理解できる』

ダゲキ「……」

ミュウツー『ましてやお前たちふたりならば、同じような境遇を共有することになるのだ』

ミュウツー『利点こそあれど、それを上回るデメリットは、私には思いつかない』

ミュウツー『なぜ黙っていたのか、私には合点が行かない』


ミュウツーは無意識に堅苦しい言葉遣いになっていた。

責める意図があるわけではない。

ただ、思考しながらその考えを垂れ流しているだけだった。

そのために、その場にいる『ふたり』に合わせた語彙ではなくなりつつあったが。

それでもおおむね、ミュウツーの言いたいことは伝わっていた。


ダゲキ「い……いえなかった……」

ダゲキ「しられたく なかった」


いたずらを厳しく咎められている人間の子供のように、ダゲキは怯えた声を出した。

弱々しい声音で発せられた『言えなかった』という答えに嘘はないのだろう。

少なくとも、声を聞いたふたりはそう感じていた。

言葉に表れてない部分に、ふたりとも敢えて触れるようなことはしない。

そこに本当の意志が隠れていることを、それぞれに理解はしていたが。


ミュウツー『ならばなぜ、私には言った?』

ダゲキ「……」


ジュプトルはダゲキに、横目で視線を送る。

少なくともダゲキの方は、その一瞥に非難がこめられていると感じたようだった。

それを見ていたミュウツーが呆れたように溜息をつく。


ミュウツー(こんな程度のことで、ずいぶん落ち着きを失うのだな)


ジュプトルの視線にも言葉にも、実のところ非難の色はない。

しかし、受け取る方に含むところがあれば、話は別だった。


ジュプトル「……なーんだ、おれだけ なかまはずれかぁ」

ダゲキ「そ、そんなことない」

ダゲキ「ないよ……」


自分でも自信を失いつつあるのか、ダゲキの言葉尻がかすれた。

ダゲキは助けを求めるような眼差しをジュプトルに、そしてミュウツーに投げかける。

だが、ミュウツーは寄越された視線をはたき落とすように目を閉じ、これ見よがしに肩を竦めた。


ミュウツー『さあ、どうだかなァ』

ダゲキ「えっ……」


ミュウツーは少しおどけた身振りをしてみせ、ちらっとジュプトルに視線を送る。

するとジュプトルもその意図を受け取った。

いたずらっこのようにやはり目を細め、アイコンタクトを交わす。

ダゲキはふたりに挟まれて困っていた。


ミュウツー『そんな重要なことを黙っていたとは、油断も隙もない』

ジュプトル「そうだなー おしえてくれないなんて、ひどいや」

ダゲキ「……」

ミュウツー『なんとも、友達甲斐のない奴だ』

ジュプトル「ウン。ミソコナッタよ ダゲキ」

ダゲキ「……ご……ごめん……」

ミュウツー『……』

ジュプトル「……」



ジュプトル「……ぶっ」

ミュウツー『……やれやれ』

ダゲキ「……?」


堪えきれなくなったジュプトルが吹き出し、ミュウツーも肩を竦める。

ダゲキはそんなふたりを、呆気に取られた様子で見ていた。


ジュプトル「おいおい、ほんきに すんな」

ダゲキ「えっ……あ」

ミュウツー『……まったく、友達甲斐がない上に、からかい甲斐もないとはな』


何が起きているのかわからないとでも言いたげに、ダゲキは目を瞬かせた。

ジュプトルはすっかり呆れた顔で、さらさらと頭部の葉を揺らして笑う。


ジュプトル「あのなぁ……おれと こいつが、ほんきで あんなこというとおもうのか?」

ジュプトル「おれは、さあ」

ダゲキ「?」

ジュプトル「……おれ、おまえが どっちでも、べつに よかったよ」

ダゲキ「ごめん」

ミュウツー『私から見ればダゲキ、お前が秘密にしたがったことは、秘密にするほどではないもののように思うのだ』

ミュウツー『特に、似たような境遇のジュプトルにとっては』

ジュプトル「そんなに、きにしなくても いいのに」

ダゲキ「……わからない」


ダゲキは俯いて首を横に振った。


ダゲキ「……でも、はじめに いえなかった」

ダゲキ「だから、あとから いったら」

ジュプトル「なかよく できなくなるって、おもったのか?」

ダゲキ「……」

ミュウツー『……』


ジュプトル「おれ、さ」

ジュプトル「うまれた ときから、ニンゲンのところにいたし」

ジュプトル「あんまり……たたかったこと ないから」

ジュプトル「おまえが、なんで いいたくなかったか よくわかんない」

ジュプトル「……みーちゃんは どうよ」

ミュウツー『み……い、いや……私にも、よくわからない』

ミュウツー『ここに来る少し前まで……私も外の世界など知らなかった』

ジュプトル「だよなあ」


ジュプトル「なあ、ダゲキ」

ダゲキ「なに」

ジュプトル「おまえ いいなぁ」

ダゲキ「……?」

ジュプトル「だってさあ、おまえ うまれたときは……だれのポケモンでも なかったんだろ」


ああ、違う。

自分は友人に向かって、そんなことが言いたいんじゃない。

いや、全く違うわけでもないけど、そうじゃない。

どう言ったらいいのかわからない。

自分の中に言葉が足りない。

もやもやとして、はっきり形を持てないこの気持ちを、どう言葉にしたらいいのか。

誰かの所有物ではない時期があったことを言いたいわけではなかった。

何かに所属しない、自分が自分である、という……それだけの……。


ジュプトル「な、なんていうのかな……」

ジュプトル「うまく、いえないや」

ミュウツー『……お前が言いたいことは、わかるぞ』

ジュプトル「そう? でも、なんだか……もやもやするな、これ」

ダゲキ「その きもちは、ぼくにも わかる」


手に持っていた枝を、ジュプトルがぽいと放り投げた。

いらだちと、ぐるぐると定まらない思考も投げ捨てて口を開いた。


ジュプトル「……おれ ほんとは どんなポケモンなんだろ」


ぽつりとそう漏らした。

それが、今のジュプトルに出来る最大限の表現だった。

まさに言いたいことではないものの、一番本質に近い気持ちだとジュプトル自身も思う。

頭の葉は控えめに靡いている。


ミュウツー『ニンゲンといた間に、知ることはできなかったか』

ジュプトル「ぜーんぜん……うーん、どうだったかなぁ」


そう言いながら焚き火を放り出し、ジュプトルは腕を組んで考え始めた。

昔の記憶を呼び起こしているのだろう。

その脳裏には、どんな風景が広がっているのだろうか。

『私』が見たことのない、あの景色。

……見たことのない、まぶたの裏の、あの……世界……?

それは……『私』が、この世界に生まれる前の記憶だ。

ふと、頑丈な袋に開いた小さな穴から水が流れ出るように、記憶の中の人間の言葉が漏れ出した。


――『ミュウツー』?

――それが、私の名か


――そうだ、お前は『ミュウツー』

――我々が生み出した、最強にして最高のポケモンだ


――生み出した?

――命を生み出すことができるのは、神だ

――ならば、貴様は神なのか


――いいや

――生命を生み出すことができるのは、神だけではない

――生命を創り出す秘技、それを持つのは神と……


ジュプトル「おれの トレーナー、おれを バトルで、つかわねーんだ」

ジュプトル「うまれてから あのニンゲンのとこ いくまでは、たのしかったのになあ」

ジュプトル「あ、そうだ」

ジュプトル「なあ、ふたりは……いちばん さいしょの こと……おぼえてる?」

ミュウツー『……なんだ、突然』

ダゲキ「え? うまれたときの こと?」

ジュプトル「うん」


ジュプトルから突然振られた話題に、ミュウツーは少なからず焦った。

考えていることが漏れてしまったのだろうか。

それも考えたが、誰もその記憶に触れないところを見ると、どうやら単なる偶然だったようだ。


ジュプトル「うーんと……おれは、さ」

ジュプトル「さいしょに すっごく、まぶしいところに いてさ」

ジュプトル「それで、おおきな『かげ』が いっぱいみえた」

ダゲキ「かげ?」

ジュプトル「ニンゲンのかげ……だったと おもうよ」

ジュプトル「あとは……『かこい』がある はらっぱ みたいなところにいた」

ミュウツー『囲いのある原っぱ……牧場のような場所だな、おそらく』

ジュプトル「そうなのかな?」

ジュプトル「……で、はらっぱには、おれとおなじ キモリが いっぱいいた」


想像を巡らせる。

覗き込む影たち。

囲いのある原っぱ。

同じ種類のポケモンが集められている。


ミュウツー『それは……ニンゲンがポケモンを育てる施設……ということなのだろう』

ジュプトル「そうなの? いつのまにか ふえたり、いなくなったり、よくわからなかった」

ジュプトル「ああ、でもたぶん そうだな」

ジュプトル「わりと、たのしかったよ」

ジュプトル「それで、ボールにいれられて、ニンゲンにつれてかれた」

ジュプトル「……みんな、どうしてるんだろうな、って」


草の上にごろりと横になり、ジュプトルは呟いた。

ジュプトルにも、当然ミュウツーやダゲキにも疑問の答えは予想がついている。

生まれた時から人間に育てられたポケモンたちは十中八九、トレーナーたちに与えられるものだからだ。

自力でポケモンを捕まえる手段を持たないトレーナーたちに。

すなわち、生まれて初めてポケモンを手にするトレーナーたちに。

少しでも人間に関わる機会があれば、いつのまにか知ってしまうたぐいの知識である。


ミュウツー『そいつらの行く末は……あまり、考えない方がいいだろうな』


そうなってしまえば、与えられる道は限られる。

よいトレーナーに出会い、よい扱いを受けてトレーナーと共に生きるか。

悪質なトレーナーに出会い、あのコマタナのような扱いを受けるか。

どこかに押し込まれ、存在すら思い出されないままになるか。

ポケモンバトルという、ある種の晴れ舞台に上がることもなく。

あるいは、捨てられるか。


ジュプトル「うん……それも、そうだな」


どの未来を歩むことが、はたしてポケモンにとって幸せなのだろうか。

もっとも、人間と関わってしまった以上、大した違いはないのかもしれない。


ジュプトル「で ダゲキ、おまえは?」

ジュプトル「もう かくすような ヒミツなんて ないだろ」

ジュプトル「ついでに おしえろよ」


ダゲキは彼自身が考え込んでいるとき、よくそうしているように首をかしげた。

返事をまとめているようだった。


ダゲキ「え、ええと……」

ジュプトル「ダゲキは、このもりの ポケモンじゃん」

ダゲキ「うん……」


少し、引っ掛かりのある返答だった。

だがそれに気づいていないのか、ジュプトルは特に気にする様子もなく話を続けた。


ジュプトル「もりのなか なら、ほかの ダゲキとか、いただろ?」

ダゲキ「ううん……」

ダゲキ「おなじポケモンは……いなかった」

ダゲキ「……ほんとは いたかもしれないけど」

ミュウツー『どういう意味だ?』

ダゲキ「ぼくが……うまれたときは、きに ハトーボーがたくさん、とまってた」

ジュプトル「ハトーボーが?」

ミュウツー『それで?』

ダゲキ「すごく、じっと みられてて……こわかった」

ジュプトル「……そ、それで?」

ダゲキ「たべられそうになった」

ジュプトル「……えっ」

ミュウツー『……おいおい……』


ミュウツーもジュプトルも、思わずダゲキの顔をまじまじと見る。

ダゲキの方はいつもと同じで、涼しい顔をしていた。

表情というものが欠如している。

特徴的な、人間でいう眉にあたる部分もほとんど動かない。

ジュプトルもミュウツーも、彼の感情の動きを顔から読み取ることは諦めている。

もっとも、話し振りやしぐさで心の動きはわかるようになっていた。


ダゲキ「つつかれて……いたかったな」

ミュウツー『確かに、それは痛いのだろうが……』

ジュプトル「おっかねえこと いうなよ……」

ミュウツー『それで、どうした』

ダゲキ「いそいで、にげたよ」

ミュウツー『それだけか』

ダゲキ「うん」

ダゲキ「……たぶん、ぼくが さいしょにみたのは、たまごのから……だったとおもう」

ダゲキ「じめんに、たくさん われてて、でももう だれもいなかった」

ダゲキ「ひょっとしたら ぼく、きょうだいとか いたのかな」

ジュプトル「ふうん……」


ダゲキのその言葉を聞き、ジュプトルはパッと目を見開いた。


ジュプトル「あっ、じゃあ おれは、なんにんきょうだい だったんだろ」

ジュプトル「おれよりさきに うまれてたやつ、みーんな きょうだいだったりして」

ミュウツー『……貴様やダゲキが山ほどいても、私には見分けがつかんぞ』


思わず、ミュウツーはげんなりした口調で呟く。


ジュプトル「ひでえなあ……だいいち、おまえはどうなんだよ」

ダゲキ「そうだな」

ダゲキ「ぼくも ジュプトルも、いったもんな」

ダゲキ「きみだけ いわなかったら、『ヒキョウ』じゃないか」

ダゲキ「あ、『ヒキョウ』ってことばの、つかいかた、あってるかな」

ミュウツー『……そういう時は、どちらかといえば「不公平」の方を使うものだ』

ダゲキ「そう……なのか」

ミュウツー『第一、お前たちふたりが言ったからといって、私まで言わねばならん道理はないぞ』

ジュプトル「あっ いいたくなかったら、いわなくて いいんだぜ」

ジュプトル「おれだって、ちゃんと いったの、きょうだけ だし!」

ダゲキ「うん、ぼくも はじめてきいた」

ミュウツー『む……いや、別に言いたくない……わけではないのだが』

ジュプトル「おぼえてないのか?」

ミュウツー『ううむ……いや、そうでもない』

ダゲキ「むりは、しなくていいけど」


口ではそう言っていても、興味はあるのだろう。

ミュウツーはふたりから強い好奇心を感じた。

風変わりな、聴衆を惹きつけるような出自を語らなければならないのだろうか。

話を創作する気はない。

ただ、見たことも聞いたこともないだろう話を、正直に受け取ってもらえるのか。

自分の生まれ方は、どのくらい奇異なのだろうか。

それが少しだけ、心配だった。


しばらく考え、それからミュウツーは軽く首を振った。


ミュウツー『いや、無理をしているわけではない』

ミュウツー『……ある程度は憶えているし、思い出せる』

ミュウツー『話すことに抵抗があるわけでもない』

ミュウツー『私は、ガラスの筒の中にいた』

ジュプトル「ガラスって……ニンゲンのいえの、まど?」

ミュウツー『ああ……うむ、あれの、もっと分厚いやつだ。それで、そこの木くらいの太さだったか』

ミュウツー『中は液体で満たされていて、私はその中に浮いていた』


ふたりが、ミュウツーの指し示した立木を見た。

見たこともないはずのガラス筒が、ふたりの中ではどのように想像されているのだろうか。


ミュウツー『カントーという土地に、ある研究所があった』

ミュウツー『そこでは、私のような存在をいくつも生み出していたのだ』

ミュウツー『私のガラスの筒以外にも、似たようなものがいくつもあって……』

ミュウツー『その中にも、誰かが浮いていた』

ダゲキ「どんなものかなあ。よくわからない」

ミュウツー『……だろうな』

ジュプトル「オタマロの“す”、みたいな やつかな」

ダゲキ「あー」

ミュウツー『私は、むしろそっちの方がわからん……』

ジュプトル「あ、そう」


不思議な気分だった。

『普通』の、どうということのないごく普通の話をしているような心持ちだった。

積極的に語ろうと思ったことなどない、自らの生まれを話すことになってしまったというのに。

どう贔屓目に見ても、尋常な由来ではない。

それなのに……。


ミュウツー『私は、その筒の中で……ずっと眠っていた』

ミュウツー『私にとっての卵の殻は、その筒だった』


――私は、まだ……この世界に生まれてすらいない


ミュウツー『貴様が言っていた“はらっぱ”も』

ミュウツー『私にとっては、その筒がそうだった』


――ここに、ただ存在しているだけだ

――ずっとずっと、眠ったまま

――深い深い、眠りの中で


ダゲキ「……どうして、そんな ガラスのなかに いたんだ?」


『どうして』?

そういえば、どうしてだろう?

ふと、脳裏を誰かが通り過ぎた。

薄く短い体毛に、何かのまばゆい光が反射した。

あの光は、太陽の輝きだ。

『私』が見たことのない景色を、自由に飛んで行く、小さな、小さな姿。


――記憶にない、この世界を

――私は、あの誰かが飛び立っていった あの世界を


ミュウツー『どうして……か』

ミュウツー『私にもわからない』

ダゲキ「そうか……」

ミュウツー『その……いろいろあって、そこから飛び出した。あまり、いい思い出はない』


『いろいろ』という言葉に全てを集約させる。

思い出せない部分も、思い出したくない部分もまとめて。


ミュウツー『初めに逃げ込んだ場所には、いつの間にかニンゲンが来るようになってしまった』

ミュウツー『それが鬱陶しくて、な』

ミュウツー『……お前たちと比べて、特に面白いものでもなかっただろう?』


自嘲しながらふたりを見た。

面白いか否かで言えば、自分にとっては極めて面白くない話だ。

思い出せる部分、話してもいいと思える部分は特に。


ジュプトル「そんなこと、ないだろ」

ジュプトル「いままで きいたこともないぞ、おまえみたいの!」

ミュウツー『そ、そうか』

ジュプトル「それで、その……なんだっけ」

ジュプトル「カントーってトコから、ここまで とんできたんだろ?」

ダゲキ「あの、うみ とか……の、むこうからか」

ミュウツー『海……ああ、海は越えたな。夜だったから、よくは見えなかったが』

ダゲキ「……いいなあ」

ジュプトル「なんか、おまえ すごいな!」

ジュプトル「……あ、ごめん」

ミュウツー『いや、いい。別に気にしていない』

ダゲキ「はなしてくれて ありがとう」

ジュプトル「うん。やっぱり おまえ、いいやつだよ」

ミュウツー『……そう……だろうか』

ジュプトル「うん、いいやつ……ふぁー」


大きなあくびをしながら、ジュプトルは身体を伸ばした。

それを見て、ダゲキも眠たそうな目をする。

ミュウツーもつられてあくびを噛み殺した。


ダゲキ「やっぱり しゃべるの、つかれる」

ジュプトル「うん……もう ねむいや」

ミュウツー『ただでさえ、今日はいろいろあった。無理もない』

ジュプトル「もう、ねようかなー」

ミュウツー『私もそろそろ眠ろう』

ダゲキ「じゃあ ぼくは……」

ミュウツー『修行か』

ジュプトル「『シュギョー』だろ」

ダゲキ「……えっ……うん」

ダゲキ「なんで、わかったの」

ジュプトル「おまえだもんな」

ミュウツー『お前だからな』

ダゲキ「そ、そう……」

ミュウツー『やれやれ……まったく、本当にからかい甲斐のない奴だ』

ジュプトル「……あっ、たきび、おわりそう」


いつの間にか、ジュプトルのつついていた焚き火が終わりかけていた。

さきほどまでは顔に温かさを感じていたというのに、今ではそれがまったく存在しなかった。


森に来てからというもの、ミュウツーは焚き火の炎が気に入っていた。

近づけば温かく、離れれば温かくない。

当然といえば当然の物理現象が、やけに嬉しかった。

ちらちら揺れる炎の動きも実に興味深い。


ミュウツー『もう終わってしまうのか』


その焚き火が終わりつつあることが、少し残念だった。


ダゲキ「でも、つきがあるから、きょうは あかるい」

ミュウツー『月……?』


――あれ、は、なあに?


――あれはね、おつきさま


――お、つ、き、さ、ま……


――とっても、きれいでしょ


――うん、とっても、あかるい、きれい


――よるのあいだ、おひさまは、ねむってしまうでしょう?

――だから、まっくらに ならないように

――ひとりぼっちじゃ ないんだよって、おそらで、ピカピカしてくれるの


――ぴか、ぴか?


――そう、ピカ、ピカ


ミュウツー(……空で、月が、ピカピカ……)

ミュウツー『月は好きだ』

ダゲキ「……そう」

ジュプトル「おひさまのほうが、あったかいぜ」

ミュウツー『だが、月の光は優しい』


ミュウツーは、懐かしそうに空を見上げた。

つられて、ジュプトルやダゲキも空に目を向ける。

太陽のように、暖かく力強い光を放つわけではない。

だが月は、ひんやりとして穏やかな風のような光を、森に向けて静かに注いでいた。





それから間もなく、ミュウツーはふたりと別れた。

まるで月明かりそのもののような、涼しい風を受けて空を見上げる。

お互いの日々の時間を共有することは多いが、一緒に生活しているわけではない。

ダゲキは修行へ行くというし、ジュプトルも夜は眠らないと調子が出ないという。

なぜだか、妙に嬉しかった。

そうして共に過ごす時間と、そうでない時間を当たり前に認め合えることが。


ミュウツー(ああ、そういえば私たちは、結局きのみを食べそこねてしまった)


腹は当然減っていたが、今から何かを食べる気にはならなかった。

顔を洗った川で水を飲み、敢えて歩いて寝床にしている木のところまで戻る。

ミュウツーは、うろのある高い木のてっぺんに近いところまで浮かび上がった。

そう太くない枝に、体重はかけずに足を載せる。

木々に遮られることがないため、ここまで上がれば月明かりが眩しい。

地面からこれだけ離れても、月の大きさはあまり変わらなかった。

ミュウツーは、月がどこにあるどんなものなのか知らない。

ただ、空に浮かぶ丸いなにかであることしか知らない。

月のことを教えてくれた、どうやっても思い出せない誰かは、もうここにはいない。

それでも、なんとか心安らかに生きていけそうな気がする。


ミュウツーは、希望を抱いた。








それから間もなく、ジュプトルはふたりと別れた。

ぺたぺたと音をさせて、ジュプトルは森の中を進む。

木々の間から月明かりが注ぎ、茂る葉の薄いところが夜だけ浮かび上がる道しるべのように見えた。

いいことと、悪いことの重なった日だった、と回顧する。

ダゲキやミュウツーと、今までしたことのなかった話をたくさんできたことは、嬉しい。

だけど、それ以上にヨノワールが許せなかった。

神出鬼没で、ああして目の前で消えられてしまっては自分に打つ手はない。

自分では少なくとも、奴にはハハコモリや“アイツ”の死の責任があると思っている。

とはいえ冤罪である可能性があることに、意図的に目を瞑ってきたことも事実だった。

それでも、真実を突き詰めれば、拠り所を失ってしまいそうで、怖い。

ヨノワールを憎むことで自分の心を安定させているなんてことは、誰にも言えない。

仲良くしていても、自分の中のどろどろした部分を晒すつもりはなかった……けど。

思わず、背中に流れ落ちる月の光を振り返る。

あのふたりはどちらも、口裏を合わせたかのようにハハコモリやヨノワールの話をしなかった。


ジュプトル(ふたりになら、はなしても いいかもな)


話してもなお、友人でいてくれるかもしれない。

それっぽい笑い方じゃなくて、心から笑っていられるかもしれない。


ジュプトルは、希望に満ちていた。








それから間もなく、ダゲキはふたりと別れた。

肩を落として、月明かりの差す森の中を歩く。

道が行き着く先は、いつも修行に使っている場所だった。

あの日、ニンゲンから逃げて辿り着いた場所。

あの時は、ただ『帰りたい』とひたすら走っていただけで、他には何も考えていなかった。

同じ道を歩いているけれど、あの頃と今では色んなことが違う。

一歩一歩踏み出す足に覆い被さる、気持ちが違った。

なんだか、ほんの少しだけ心の中がすっきりしている。

あんなことがあったあとだけど、ふたりとたくさん話をして、楽しかった。

ひょっとしたら、今まで誰とも作れなかった関係を、作れるかもしれない。

ニンゲンを捨てたにせよ、ニンゲンに捨てられたにせよ、自分たちはそれぞれの境遇がある。

同じような心の傷を不用意に共有すれば、そこだけを“かなめ”に繋がる関係になってしまう。

それがどうしても嫌だった。

境遇を慰め合い、傷を舐め合うだけじゃなくて、『そうじゃない』、もっと真っ当な関係。


ダゲキ(……ぼくの きもちを、ふつうの ことのように わらってくれた)


ふたりとは、友達になれるかもしれない。

ここに至る前のことなんか、関係ないと言ってくれるかもしれない。


ダゲキは、希望にすがった。








あれから間もなく、ヨノワールは別の場所に姿を現した。

森のずっと、奥の奥の方、思索の原のほど近く。

森に住むポケモンさえ、あまり近づかない深い場所。

刺すような月明かりを浴びて、逃げるように深夜の木陰に潜り込む。

ずるずると腰を降ろし、大きな両手で頭を抱える。

頭の中で反響する誰かの声を、それでも自分の中に入らせまいとするように。

暗く寂しい洞窟でニンゲンに捕まり、そのままニンゲンのポケモンとして過ごした。

ニンゲンと過ごすうち、彼らの言葉を憶えた……だからなのだろうか。

忘れてしまった。

忘れてしまった……言葉を憶えて、忘れてしまった。

自分に課せられた本当の役割と、心を蝕むこの声との付き合い方を。

今は聞こえないけれど、いつまた聞こえてくるかもしれない。

誰かの命が終わる鐘、教えてやれとそやす声。

それが、お前の使命だと告げる……電波。


ヨノワール(それをつたえて……しあわせに、なれるのだろうか)


それでもいつか、思い出すことができるかもしれない。

誰かが近く死ぬことを、どうしてあの声が教えてくれるのか。

そうして自分が掬い上げた魂を、どうしてやればよかったのか。


ヨノワールは、希望を捨てられない。




今回は以上です。

ひとまとまりになっているところを、まとめて投稿したら結構な量になってしまいました

>>374-375
話を考え始めたのは去年の夏くらい、見切り発車で書き始めたのは9月末でした
真面目に最後までの流れを考えたのは年末くらいですかね?もうちょっと前だったかな

いつだったか忘れてしまったけど、真面目に書き始めてから今年の映画の話が出てきて
「ど、どうしよう…もう公式が弄らないと思ってミュウツーを主役にしたのに…」
って焦ったのを憶えてます

それでは、また。
今回でストックが相当怪しくなってきたので、ちょっとペース落とします

もう何回同じ事書いたかわかんねぇけど、本当にむちゃくちゃ面白いわコレ
ちょっとクサい言い方になるけど、相応しい賛辞の言葉が浮かばない位面白い。

続き超機体してる

いつもコメントありがとうございます

やっぱり今週の月曜は投稿できませんでした。申し訳ない
一番忙しい週は終わったので、今月中にあと一回は投稿したいですね…

>>411-413
身に余るようなお褒めの言葉、ありがとうございます
げんきのかたまりのような嬉しい言葉ばかりいただいて、いつも励まされています

あとはひたすら書き進めるだけの状態なので、
最後までお付き合いいただければ幸いです

↓以下雑談
ミュウツーXの口元がコボちゃんにしか見えなくて腹筋がヤベェ

まあ3年がかりくらいのSSならある程度追っかけしてましたから
1年と半年くらいは全然行けますね
今まで見たいSSが中途で終わってばかりだったので
時間はどれだけかかってもいいから完結してほしいと思っています。

初めからニンゲンと共に在ったようなポケモンは彼らの気持ちが分からないのだろうね
ゴルーグちゃんかわいい

ご無沙汰しております。
それでは、始めます。


私はその時、とても緊張していた。

なにせ、レンジャーになって初めての任務らしい任務だったからだ。

普段は事務所で書類の整理をしたり、定期的なパトロールをしたりするばかりだった。

要請がかかれば誰かしら出動はするものの、新人に任せてもらえるような都合のいい任務はなかなか来ない。

来たとしても、スピアーが人家の近くに巣を作って騒音が凄い、とか。

あるいは、ミミロルが畑の回りに穴を掘って年寄りが転んだ、とか。

そんな任務さえ、なかなか私のところへはやって来ない。

ドラマのように上手くはいかないものだ。

あの日だって、私は机の上のモンスターボールをぼーっと眺めては雑務をこなし、電話番までしていた。

そんな時、どこかの現場へ出ていたはずの上司から連絡が入った。

電話口で上司はこう言う。


――人手が足りない。動ける奴を何人か寄越してくれ


その言葉を聞いて、私の心は躍った。

これこそ、ようやく巡ってきた『レンジャーらしい仕事』だ。

多少うわずった声で返事をし、電話を切って居合せた先輩たちに話を伝えた。


結局、先輩と私を含む数名が出動することになった。

私は思わず、浮き足立った。

人手が足りないというのなら、ポケモンの大量発生で何か問題が起きているとか、そういう話に違いなかった。

詳細は向こうに到着してから説明する、と上司は言っていた。

まあ……夢に描いていたような、華々しい任務にはならないかもしれない。

それでも、同期が駆り出された『民家の軒下でサンドが掘った穴を埋めてまわる任務』に比べれば、栄えある初陣になりそうだった。

経験を積んでいるはずの先輩は、やや緊張した面持ちを見せている。

すっかり浮かれていた私は、それを些細なこととして気にも留めなかった。


先輩「お前さぁ、のぼせるんじゃないよ」


無意識に、顔が笑ってしまっていたのだろうか。

明るい声でそう先輩が釘を刺してきた。

淡々と身支度を進める先輩に指摘されて、私は慌てて真顔に戻る。


レンジャー「は、いや、そんな……」

先輩「……そういえば初任務か」

先輩「勢いづくのもいいけど、吐くなよ」

レンジャー「は……はい!」


大量発生の対応で、吐くほど大変な作業があるのだろうか。

そりゃあ、大量発生したポケモンを全部捕まえろ、なんて言われたら……。

それはそれで、吐いてもおかしくないかもしれないけど。

……でも私の認識は、正直言って甘かったのだと思う。


到着した『現場』は、何の変哲もない雑居ビルのように見えた。

あまり目つきのよくない男たち……たまに女も混ざっていたが、それが制服の警察官に引っ張られてビルを出て行く。

手錠をかけられているのだろう、彼らの手元は一様に覆い隠されていた。

一部の男女は、思いがけず上等そうな装いをしている。

キャバクラのように、派手なだけの服装ではない。

なんというか、地味なのだが実はえらく高価なスーツ……といった印象だった。

少し待つと、連行される人間はすっかりいなくなった。

上司が何も言わずに頷き、私たちレンジャーは入れ替わりにビルへと進入する。

階段に、満足な照明はない。

今となっては旧式の蛍光灯が、ひどい音をさせながら腐った色合いの光を瞬かせている。

あまりそこに意識を向けていると、気持ち悪くなってしまいそうだった。

私はごくりと喉を鳴らし、埃だらけの足元を見つめることにした。


かつんかつんと音を響かせて、手入れの行き届いていない階段を降りていく。

この期に及んでそこかしこに警察官が立っているのが目についた。

もう連れ出す人間はいないはずなのに。

第一、いまだに物々しい、この妙な雰囲気はなんなのだろう。

『物々しい』というのは、少し違うかもしれない。

警察官たちはみな一様に、沈痛な表情を見せている。

彼らは犯罪と犯罪者に対処するのが職務だ。

その彼らが、なぜこんな顔をするのだろう。

いい加減、大量発生の対応ではないことくらい、私にも理解できていた。


たしか、行き着いた先は地下二階くらいだっただろうか。

いずれにせよ、階段はそこで終わっていた。

重厚で、階段の古臭さとは不釣り合いな扉が眼前に鎮座している。

扉を潜る。

そこには少しばかり畏まったクラブのような空間が広がっていた。


クラブと違うのは、広々とした部屋の一辺に分厚いガラス板をはめこんだ吹き抜けがある点だ。

いや……ガラスで区切られている以上、吹き抜けとはいえないかもしれない。

もう一階分、あるいは二階分ほど下の階層があって、そこにある部屋をこの階から覗けるようになっている。

そういう作りだった。

分厚いガラスの周囲には、高級そうな椅子とテーブルが何組も並べられている。

簡易なボックス席になっているところもある。

……これは、何かを『観覧』するための設備だ。


上司「ひでえもんだな」


誰に言うともなく、上司が呟いた。

何がどう『ひどい』のか、私にもおおむね察しがついた。

ガラスの横を通り過ぎながら、中をちらっと覗く。

何も、誰もいない。

壁も床も無愛想なコンクリートが剥き出しで、ありていに言えば『何か』で汚れている。

金持ちが高見の見物を決め込む、ガラス製のコロシアムといった印象を受けた。

先頭に立つ上司に促されるまま、コの字型に奥へ進む。


『立入禁止』の文字が掲げられた扉が、バーカウンターの横にあった。

元々照明は雰囲気優先でよく見えないのだが、それにしても空気が暗く息苦しかった。

空調の調子が悪いのかもしれない。

扉の前に制服の警察官が立っていて、私の上司を認めると何も言わないうちに誰かを呼びに行った。

やって来た責任者と思しき人物とこちらの上司が、何か言葉を交わしている。

どちらも深刻そうな顔をしていた。

簡単に敬礼を交わし、警察の責任者は今降りてきた私たちと交代に、階段を上がって行った。

扉を背に、上司がこちらに向き直る。


上司「さて、仕事だ。初任務の奴もいるようだが……おい、話はどこまで聞いている?」

レンジャー「えっ……あ、あの……」


いきなり尋ねられて、私は思わずどもった。


レンジャー「ポ、ポケモンの保護、としか……」

上司「そうか。それはある意味でもっとも本質的だ。ではそのままの認識でいい」

レンジャー「???」

上司「まあ……ここに来るまでに説明できなくてすまない」

レンジャー「いえ、なんだか……なんとなく察しはついてます」

先輩「……あ、そうか。ちゃんと説明してなかったか」


上司「……」

上司「非合法団体がポケモンを『虐待』していたことがわかった」

上司「人間の方は既に大半を引っ捕えてあるが、ポケモンの保護は警察ではなく我々の管轄だ」

レンジャー「虐……待……」


ぞっとすると同時に、私は心のどこかで熱狂していた。

大量発生絡みの、地道で地味な任務ではなかったからだ。

これぞ、私が思い描いていた『華々しい初陣』に相応しい事案だ。

もちろんこれだけで箔がつくとも、兄を越えられるとも思わないが。


上司「この先に保護対象がいる」

上司「我々の任務は、虐待されたポケモンの保護及び施設への収容、その後の諸々だ」

上司「やっと『落ち着いた』ところらしいから、極力刺激しないように気をつけるんだ」


それでも、レンジャーとしての経歴に堂々と書き加えることは出来るだろう。

だが私の認識は、実に甘かったのだ。


そこで目にしたのは、夥しい数の傷ついたポケモンたちだった。

ただ『傷ついた』に留まらない。

目や手足をはじめとして、身体のどこかに著しい欠損を生じているもの。

目立つ欠損こそないものの、目を覆いたくなるほど傷だらけのもの。

どこを見ているのかわからない目をしながら、自分の腕を齧りつづけるもの。

身じろぎひとつせず、薄暗い檻の中からじっとこちらを見つめるもの。

凶暴な犯罪者だとでも言うように、非常識な量の鎖で繋がれ身動きが取れなくなっているもの。

まるで檻のような小部屋に、それぞれのポケモンが別個に押し込められている。

なんだ、これは……なんなんだ、ここは。


レンジャー「なん……なんですか、これ」

上司「保護対象、だよ」


上司はそれだけ言うと、それ以上は何を尋ねても返事をしなくなった。

私たちは刺激しないよう、そっと歩みを進めていたつもりだ。

それでも、大人数の私たちを見て一部のポケモンが狂ったように騒ぎ始めた。

私は呆然として、斜め前を進む上司の顔を盗み見る。

上司は今まで見たこともない苦々しい顔をしている。

発狂しているポケモンに影響されたのだろうか。

暴れるほどでないものの、どのポケモンもすっかり落ち着きを失っていた。

聞くに耐えない悲鳴じみた鳴き声を上げ、あるいは狭い独房のような個室の奥へ、少しでも私たち人間から離れようとして縮こまる。

濁りきった、汚泥のような目を光らせて、彼らは一様に不信と憎悪と恐怖を露わにしていた。

どれも小型から中型のポケモンばかりで、わざわざボールではなく個室に入れられているのが不思議だった。

……なぜ、ボールに入れておかないんだろう。

どういう目的でここに置いているにせよ、その方が管理も楽だろうに。

入り口に近い『独房』にいるポケモンほど外見上の損傷は少なく、暴れる元気が残っていた。

奥へ進むほど欠損や傷だらけのものが増え、反比例するかのようにおとなしくしている。

そして奥へ行くほど、何かを諦めた目をしていた。


……手を引っ掻かれた傷がひりひりする。

助けようとした相手に暴れられ敵意を向けられるというのは、やっぱり嫌なものだ。

私を引っ掻いたあのマリルは、耳と尻尾が欠けていた。

違う。

外に見える傷は、耳や尾の損傷だけかもしれない。

では、外部から見えない心の傷はどうだ。

触れることのできない心の『損傷』は、形ある尺度で測ることはできない。

別の形で、私たちの眼前に現れる。


簡単にボールに入れてしまえるポケモンもいたが、不用意に近づけば暴れて危険なポケモンもいた。

なんとなくその拒絶の強さこそ、傷だらけの心から滴る流血のように思えた。

正確には一致しないのだろうが。

先輩が自分のモルフォンを出して、暴れるガルーラを眠らせ、保護していた。

その場にいた連中みんなで、手分けして探したのに。

『コロシアム』中のどこを探しても、最後までガルーラの子供を見つけることはできなかった。

どうしてなのか、子供はどこにいったのか、考えたくもない、と先輩は笑いながら言っていた。

この先輩の心から零れる血の量もまた、私に推し量る手段はない。


レンジャー「……デスマッチ、ですか」

上司「文字通りのな。プロレスの方じゃないぞ」


私と上司、それから先輩は、すっかり生き物の気配がなくなった地下を歩きながら話をしていた。

ポケモンたちは、既に全て運び出されている。

あとはこまごまとした仕事を済ませ、引き上げるだけだ。


レンジャー「どうして、そんなこと……」

上司「普通の『戦闘不能』じゃ、満足できない連中がいる」

上司「だから、本当に『死ぬまで』戦わせる、というだけのことだ」

レンジャー「……」


それじゃ、死んじゃうじゃないですか。

あとなんでボールに入れないんですか。

ポケモンって強いじゃないですか……なんでみんな逃げないんですか。

こんなの、逆らえばいいじゃないですか。

嫌だって……やめてくれって。

頭の中を、ぐるぐると様々な疑問が渦巻いた。

そんな私を見て、上司はやれやれという顔をする。


先輩「色々思うところはあるだろうけど、まあ……あとで一緒にカウンセリングセンター行くか」

先輩「たぶん、環境の変化に耐えられなくてここ数日で何匹か脱落すると思うけど」


『脱落』という言葉の影に、もっといやらしい死の匂いが見え隠れしていた。

涼しい顔でそんな言葉を吐く先輩に、私は腹立たしさよりも踏んだ場数の違いを感じた。

慣れてしまえばいいというものではないんだろうけど。


上司「人間と同じだ。急激な変化ってもんが苦手な奴はどこにでもいる」

上司「心身に負った傷に、耐えられないことだってある」

上司「それって『弱い』ってことだと思うか?」

レンジャー「……思わないですよ」


上司が何を答えさせようとしているのか、よくわからなかった。


上司「あいつらは、ある意味取り返しのつかない虐待を受けた」

レンジャー「……?」

上司「わかるか?」


わかってしまいそうだった。

口にしたら、自分がわかっていることを、自分自身が自覚してしまう。

それでも、言葉に出さないといけないことではあった。


レンジャー「ここにいたポケモンは……」

レンジャー「みんな、勝ち残った方」

先輩「つまり、生き残った方、ってことだよね」

上司「自分の意志だったとしても、あるいは人間に命令されて仕方なく、だったとしても」

上司「あそこのポケモンたちは、『ポケモン殺し』をさせられたってことだ」


がつんと殴られたような気分になった。


上司「賢いポケモンほど、そういうことを理解してしまうもんだ」

上司「たとえ自分が生き存えるためには仕方なかったんだとしても」

上司「むしろ、そういう免罪符を与えられるほど、心は蝕まれる」


先輩が笑って私を見た。

笑っている。


先輩「まあ……こんな調子だけど、俺だってショック受けてないわけじゃないんだよ」

上司「最初の出動にしては重かったか」

先輩「いいんじゃないんですか。こいつ、早く現場に出たがってたし」

先輩「華々しい初陣、ってやつにはならなかったかもしれないけど」


見抜かれてたのか。

いや、それとも新人が必ず通る道、というやつなのだろうか。

私はなんだか無性に恥ずかしくなって、下を向く。

情けない思惑がバレていたから、ではない。

人間であることが恥ずかしくなったのだ。

無意識に、ポケットに忍ばせたモンスターボールに触れてしまう。

人間とポケモンの関係って、なんなのだろう。

私と、この小さなボールに押し込められた相棒の関係は、なんなのだろう。

その答えを見つけなければならない。

このボールに入った相棒が、進化してしまうまでに。


先輩「引き取り手、どんくらい見つかるかなあ」


あっけらかんとした声で、先輩が呟いた。

これが、私の初任務だった。

今回は以上です。

>>417
そう言っていただけると頑張れます。

>>418
「なになにゴルーグ? ははーん、この見た目は岩・鋼とかだな? ならば、からてチョッ…ファッ!?」
のゴルーグちゃんマジかわいい

必要ないかもしれないけど生存報告を兼ねて保守。

現在、書き溜めしてます。
XY発売までに出来るだけ書いておきたいので、
投稿したくてうずうずしてますが我慢します。

お久しぶりです。
少ないですが、それでは始めます。


テレビから、アナウンサーの神経質な声が聞こえる。

日誌を書くための音楽がわりだとしても、本当はもう少しマシなものを流したかった。

しかし仕事との関わりを考えると、このニュースを見ないという選択肢は初めからない。

画面が切り替わり、ドキュメンタリー的なよく揺れる映像が流れ始めた。

レンジャーの若者はテーブルに向かい、何かを書きながら耳を傾ける。


ナレーション『この日、我々は……』


ほどなくして、小さなテレビの枠の中に不愉快なものが映った。

それほどショッキングなものではないが、見て楽しいものでもない。

散乱する、独特の模様に覆われた大量の卵の殼。

周囲には湿った草の積み重なる地面、画面の奥には湿度の高そうな樹木が広がっている。

地面との馴染み具合や殼の汚れから考えて、卵の殼はかなり新しいものだと一目でわかった。

テレビ画面を盗み見ながら、そんなことを考えた。

ありがたいことに、その『森』は若いレンジャーのよく知るヤグルマではなさそうだ。

生えている植物も、伺い知れる気候も、ヤグルマとは違う。

レンジャーの若者にとっては、どの風景も全く見覚えがなかった。

カメラが少し引き人物を映すと、ナレーションが淡々とした声で何か説明した。


ナレーション『我々は、彼の普段の業務に同行させてもらうことになった』


画面に映った誰かが、同行する撮影スタッフに向かって目配せした。

オレンジと黒っぽいツートンカラーで統一された、見慣れたユニフォームに身を包んでいる。

ニュースを初めから見ていたわけではないが、どこかの地方のレンジャーに間違いなかった。


レンジャー『……週に一度は、見つかりますね。こういうの』


カメラが撮影しているにも関わらず、テレビの中のレンジャーは険しい表情を取り繕おうともしない。

ぼうっと見ていたつもりだったが、いつの間にか自分まで顔が引き締まった気がした。

レンジャーの男はおもむろにしゃがこみ、そこに落ちている不愉快な何かを調べ始めた。

カメラもまたレンジャーの前方に回り、同じくゆっくりとその不愉快な何かに近づく。

何かが映り、ほんの一呼吸遅れて、テレビの映像に粗いモザイクがかけられた。


レンジャー『他にも、孵化直後に捕食されたらしい食べかすがありますね』

テレビクルー『孵化したのは、何ですか?』

レンジャー『これ全部、ケムッソで間違いないでしょう』

レンジャー『……厄介だなぁ』

テレビクルー『どう厄介なんです?』

レンジャー『いや、どっちに進化しても、この森には……』


映像はそこから数分で終わった。

明るい照明で白っぽく見えるスタジオに、映像が戻る。

見慣れないセットに驚いたのか、コマタナがテレビの前に陣取って画面にかじりついた。


アナウンサー『……この件に関して、ポケモンリーグ理事会イッシュ支部理事長は次のように述べています』


レンジャー「おぉいコマちゃん、テレビ見えないよ」

コマタナ「う゛ぁ……お゛……?」


コマタナは、レンジャーの言葉を難なく理解した。

テレビにくっつきそうなほど近づくのは止め、ちょこんと床に座って画面を見上げる。

ようやく、コマタナはレンジャーやこのログハウスに慣れてくれたようだった。

さっきまでは、何かしら大きな物音がするだけでおどおど怯えを見せていたのだが。

きのみを食べて満腹になったことで、なんとか落ち着いているのが現状である。

レンジャーの若者は、コマタナのこれまでの日々に思いを馳せた。

どういう経緯があったにせよ、今後このコマタナが人間と共に暮らすのは、相当に難しいだろう。

人間がいない世界でなら、この子も穏やかに毎日を重ねていけるのだろうか。

……そうすることでしか、この子や彼の傷は癒えないのだろうか。

人間とポケモンの関係そのものを否定されたような気になった。


レンジャー(……私は、こうやって気を引き締める機会があるだけ、運がいいか)


その後ろ姿を眺め、レンジャーは溜息をついた。

コマタナに気づかれないように、こっそりと。


レンジャー「うん、そう、そう。見えるようになった。ありがとう」


努めて明るい声で礼を言いながら、再びテレビに目を向けた。

いつの間にか、テレビには見たことのない男が映っている。

男にはマイクが向けられ、眩しいフラッシュを焚かれている。

レンジャーは、コーヒーカップに口をつけながらその映像を眺める。


レンジャー(へー……理事長って、こんな顔してたのか)

レンジャー「うん、やっぱりエスプレッソが一番だなぁ」


理事長『……このような行為は、ポケモンと共に生活する全ての人々にとって、許されざる蛮行です。

     悪質なブリーダー、無認可の心ない育て屋が跋扈することにより、生命の尊厳はもとより……』


コマタナは、かじりついていたテレビから離れ、レンジャーの元に近づく。

目の前で何かを書きつける様子を見て、コマタナは嬉しそうに飛び跳ねた。

コマタナの両手には、周囲のものを傷つけないよう堅い革製の手袋がはめられている。

それがテーブルに当たり、がたがたと鈍い音をたてた。

見知ったものを意外なところで見てしまい、それで喜んでいるように見える。


コマタナ「イギッ! あ゛ー……ぢゃ!!」

レンジャー「な、なんだよ、そんなに珍しい? 日誌書いてるだけだってば」

コマタナ「ぉ……ぅ゛……?」

レンジャー「あはは、お前ホントかわいいなぁ」


理事長『……遺伝的に能力の高い個体を生み出すために行われる乱獲や無計画な交配と繁殖、

     また意に添わない個体や卵の不法な遺棄は、今や社会問題と言っても過言ではありません』


レンジャー「お前のトレーナー……あ、いや」

レンジャー「お前が一緒にいた人間も、こうやって何か書いたりしてたの?」

コマタナ「……ぉぁ……?」


首をかしげるコマタナを見て、レンジャーは再び複雑な気分になった。

身体の表面に残る傷こそ薄れ、内部を蝕む痛みこそ消えているかもしれない。

それでも心ない誰かが、このコマタナを肉体的にも精神的にも痛めつけたことに変わりない。

ただの、人間の勝手な都合で。


コマタナ「お゛ー、あー……」


回復不能なほど、発声器官を傷つけられた痛々しいコマタナの声。

ポケモンセンターの治療が済んでもこの状態ということは、もうこれ以上の改善は見込めまい。

あの場では、ダゲキにああ言ったが。

キリキザンに進化してしまえばまた、身体の構造も変化するから話は別だ。

だがそれは、コマタナという種類の生態を考慮すれば……随分と先の話になるだろう。

このコマタナは、これから相当な期間をこの喉と付き合いながら生きていかなければならない。

たとえコマタナ本人が楽しそうに鳴いていても、どう贔屓目に考えてもひどい声だった。

似たような悲惨な鳴き声を、レンジャーになってすぐの頃に聞いたことがある。

薄暗い、あの雑居ビルの地下深くで。


狂ったように叫ばれ続けていた、耳を覆いたくなる鳴き声。

声もなく鎖に埋もれ、薄暗がりからこちらを見る濁った目。

あの目が今のように力を取り戻すまで、どれほどの時間を費やしたのだろう。


アナウンサー『……森や海岸、里山を始めとした「もともとポケモンが多種生息する場所」を狙って、

         不法な遺棄する場合が多い、と理事長は語っています』


レンジャー「……ひどいことするよなぁ」

レンジャー「それ結局、人間の勝手でポケモンを捨ててるってことだもんな」


人間の勝手。

ポケモンたちが、理不尽なまでの苦しい状況に置かれるのは……常に人間のせいだ。

だったら……人間とポケモンは、一緒にいてはいけないのだろうか。

そんなのは寂しすぎる。

一緒にいることで生まれる不幸があるとしても。

同じように、別々の存在が時間を共有することで幸福だって生まれるはずだ。

そうでなければ……そうでなければ、自分の存在意義すら怪しくなる。

何のためにレンジャーという、人間とポケモンを繋ぐ仕事をしているのかわからない。


レンジャー「お前さあ、『もぐり』って意味、わかる?」

コマタナ「……?」

レンジャー「……うん、いいよ、わかんないよなぁ」

レンジャー「こんなこと続けてたら、人間はいつかポケモンに見捨てられちゃうよね」



若いレンジャーは、コマタナにこちらの言葉が通じることを素直に喜びたくなかった。

言葉が十分に通じるということは、『この子』がそれなりの期間を共に過ごしてきたという意味でもある。

『この子』をこんな目に遭わせた、トレーナーの風上にも置けない人間と。


保護施設に収容されたぼろぼろのポケモンたち。

彼らが治療を受け、新たな飼い主に引き取られていく光景を幾度も見てきた。

頃合いを見て、引き取り手のところへ抜き打ち調査を入れる。

全ての引き取り手を調べることは難しいが、それでもおおまかな傾向を調べ、対策を練ることはできる。

肉体的に疲弊したポケモンが多いせいもあって、トレーナーとしてバトルに使うため引き取る人間は少なかった。

子供や孫が巣立ってしまった年寄りの、心の拠り所。

あるいは、小さな子供がいる家庭に加わった、新たな家族。

あるいは、何らかの形で失ってしまった、パートナーの代理。

若いレンジャーが担当した範囲では、おおむね安らかな『余生』を送るものが多かったように思う。

ほら、心ない人間ばかりではないんだ。

だから、人間であることに罪悪感を覚える必要はない。

自分もまた罪深い人間である以上、その希望は捨てたくなかった。

捨てないようにしてきた。

幾度、同じ人間に圧し折られそうになっても。


『いつまでも懐かない』。

『可愛げがない』。

そういって突き返してくる人間も、決していないわけではなかった。

少ないながら、保護される前と大差ない、むしろ劣悪な環境に放り込まれるポケモンもいる。

たちの悪い保護団体の元へ行き着いてしまえば、たちの悪い引き取り手のところへ行く可能性は格段に上がる。

もっとレンジャーや警察の権限、人員、時間があれば精査は可能なのだろう。

だが、現実問題として何ひとつ実現できてない。

人間として悔しいが、何も間に合っていない。


だから、社会的に言えば『仕方がない』のだ。


あのダゲキが人間である自分の前に姿を見せてから、協力関係を結ぶまでずいぶんと時間がかかったこと。

助けを求めて彼が連れてきたポケモンたちが、二度とログハウスを訪れてくれないこと。

先日連れてきた『彼の友達』が、自分には姿すら見せてくれなかったこと。

彼らから一定の信用を得たとはいえ、決して信頼を獲得できているわけではないこと。

何か頼みがあって顔を出す時も必ず謝礼を寄越し、決して人間に借りを作らない姿勢を崩さないこと。


……いつか、一度尋ねたことがあった。

『謝礼を渡すことを考えたのは君か』と。

彼は黙って私を見上げるだけだった。

彼がひとりで決めたのかもしれないし、『よそもの』同士で話し合い決めたのかもしれない。

いずれにせよ、何も答えようとしなかった。

私には、それを拒絶と受け取る以外にない。


レンジャー(思い出してもらえないってのも、寂しいもんだね)


初心を忘れず、本分を失わず、常に持つべき意識を抱き続けるのは容易ではない。

人間だから、ともすればレンジャーとして忘れてはならないことさえ、忘れてしまうかもしれない。

この若いレンジャーが、この森からの異動を拒み続ける理由がそれであった。

彼や森に潜む『人間との繋がりを捨てさせられたポケモンたち』のありさまから、目を逸らさないこと。


アナウンサー『……では、豊富なフィールドワーク経験をお持ちで、ポケモンの生態にもたいへんお詳しい……』


レンジャー(……にしても、ニュースでまでやるなんて、明日は朝刊にでも載るんかな、この話題)

レンジャー(現場の私たちには今更でも、世間は知らないもんなのかも)

レンジャー「人手、もっと配置してくれりゃいいのに」

レンジャー(いや……頭の固い奴が派遣されてきたら、それはそれで困るけどさ)


不良レンジャーを気取るつもりはなかった。

同じレンジャー同士でも『どこまでがレンジャーの仕事なのか』という認識に幅がある、というだけのことである。

テレビからは、専門家と紹介された恰幅のいい男の声が聞こえていた。

柔らかそうな椅子に腰掛け、アナウンサーと話をしている。


アナウンサー『……なるほど、ではどういう意図が考えられますか』

博士『一見、多種多様なポケモンが生息する場所になら、

    十数匹ほどの不法な遺棄でもさほど影響がないように思われるかもしれません』

博士『しかし、それは大いなる勘違いというものです』

アナウンサー『はあ……』

博士『考えてもみてください。それぞれが“これくらいなら”とゴミを捨てる。

    それが一人や二人ならともかく、百万人が、一億人が同じことをすれば、

    それは自然に対するテロリズムとも言える規模になるのですよ』

アナウンサー『な、なるほど』

博士『それに多種多様なポケモンが生息する場所にこそ、複雑で繊細な生態系、

    まあいわば、ポケモン同士の住み分けや自治とでも言うのでしょうか。

    そういうものがしっかりと形成されている場合が多いのです』


テーブルの片隅には、浅い籠にモンスターボールがいくつか並んでいる。

レンジャーはその中のひとつに手を伸ばした。

中には、長年の相棒であるココロモリが収まっている。

子供のころ、年の離れた兄に協力してもらって初めて手に入れたポケモンだった。

もちろん、捕まえた当時の姿はココロモリではなく、コロモリである。

『将来はココロモリになるから』と、不自然にならないよう家族総出で名前を考えた。

手に入れたその日から片時も離さず、どこへ行くにもポケットに連れていた。

用もないのにボールから出し、抱きかかえて寝ようとしたことさえある。

『羽を痛める』と兄にこっぴどく叱られて、すぐにボールに戻すよう言われてしまった。

その兄はレンジャーになった。

今ではそれなりの地位にいるとかで、末端の自分ではどこに行けば会えるのかもよく知らない。

……ココロモリに進化したのは、自分がレンジャーになってしばらく経った頃だ。

レンジャー試験にパスした時よりも、ずっと嬉しかった。



アナウンサー『……それでは博士、どのような場面を見かけたら、遺棄である可能性を疑えばいいのでしょうか』

博士『そうですね……ポケモンの多くはそれぞれのテリトリーを持ち、おおむねその奥、

    何よりも人間や天敵の目には触れない場所で繁殖すると考えられています。また……』


どれも、レンジャーとしての基礎知識を学んでいた頃に聞いたことがある話だった。

懐かしささえ感じる。

だが懐かしさと同時に、優秀な兄と常に比べられていた苦い記憶も蘇る。

最近では、あまり思い出していなかったことばかりだ。


コマタナ「……?」

レンジャー「ココ、出ておいで」

ココロモリ「きゅーっ?」

コマタナ「う゛ぁっ!?」


ボールから飛び出したココロモリはそのまま舞い上がり、ログハウスの梁にぶら下がって毛づくろいを始めた。


ココロモリ「キュイーウ」

レンジャー「大丈夫、おとなしい子だから」

コマタナ「お゛ぁ……お??」

レンジャー「ココ、お前、私と一緒にいて、楽しい?」

ココロモリ「キュ? キュキュイーッ」



ココロモリは毛づくろいを止め、嬉しそうに羽ばたいて好意を伝えた。


ほら、私とこの子の気持ちは、確かに通じている。

はじめの頃は、ねんりきを自分にかけられて引っくり返ったこともあった。

バトルで出した指令を聞いてもらえず、ボイコットされたこともある。

それでも少しずつ、私とココは『仲良く』なって来た。

人間とポケモンの信頼関係とは……いや、誰かと誰かの関係は、そうやって薄い紙を積み重ねていくように培っていくものだ。

……と思う。


レンジャー「……ありがとう」

レンジャー「今まで、ココには本当に世話になってきたなあ」


そうやって築き上げる信頼は、森の野生のポケモンたちとの間でも変わらないはずだ。

だから、レンジャーになったといっても過言ではない。


博士『……つまりですね、先程の映像のように、天敵に狙われやすい場所にゴロゴロ転がってるとか、

    そんな状態の卵があったとすれば、その時点で不法遺棄の可能性が極めて高いと、そう考えて差し支えないわけです。

    いやむしろ、それ以外の可能性は限りなく低い。

    一刻も早く、関係機関への通報をお願いしたい状況ですよ、それは』

博士『もっとも、天敵に食べられて、結局は半数以上が生き延びることもままならない場合も多いでしょうが……。

    だからといって、人倫に悖る人間の行為が見過ごされていいわけではないのですよ!』

アナウンサー『な、なるほど、よくわかりました。地域のレンジャー、警察機関、リーグやジム関係者が連携を取り、

         早急に対処していかなくてはいけませんね。オダマキ博士、本日はありがとうございました』

アナウンサー『えー、次は明日の大量発生予報です』



テレビの中の男の言葉が熱を帯びていた。

アナウンサーが焦って切り上げたところを見ると、本気で憤っているのかもしれない。


レンジャー「……コマちゃん、もう寝よっか。明日は早起きして、お前の検査だよ」

コマタナ「ぇ゛……ぅー……ぁ゛?」

レンジャー「そう、そう。け・ん・さ」

コマタナ「キヤァーッ!」

ココロモリ「きゅーい」


必死で言葉を真似ようとするコマタナを微笑ましく思いながら、若いレンジャーは書類を片付け始めた。

さすがに、前回のように切羽詰まった状況ではない。

とはいえ明日の朝一番に、シッポウシティに到着しておきたかった。

人員が慢性的に不足している現状、平日の午前中に話が終わっていて欲しかったのである。


レンジャー「よーし、みんなー! 寝るぞ!」

コマタナ「ィア゛ー!」

ココロモリ「キュー」


相棒のココロモリをボールに戻らせ、レンジャーはボールをテーブルの上に戻す。

その中が、相棒にとって快適な世界であることを願うばかりだった。


ありったけのクッションを積み上げてコマタナのベッドを作る。

手袋をさせているから、破かれてしまうということもないだろう。


レンジャー「ほら、お前のベッド」

コマタナ「! ア゛ァー!」


コマタナは奇声を発しながら、クッションの山に飛び込んだ。

手足をばたばたと動かし、ふわふわしたベッドの中で飛び跳ねている。

しばらくするとクッションに頬擦りし、丸まって寝息を立て始めた。

どうやら、即席の寝床は気に入ってもらえたようだ。

レンジャーはほっと息をつき、ベッドに倒れ込む。

ベッドがやけにすっきりしているのは、クッションや枕を全て明け渡してしまったからだった。


その夜、レンジャーの若者は夢を見た。

見覚えのない青年が、見覚えのない場所で、見覚えのない何かを手に持っている。

もちろん兄ではないし、知り合いの誰かでもない。

どちらかといえば、自分と同じくらいの年代に見える。

夢だから、知らない人間が出てきてもおかしくはないのかもしれない。

青年の周囲にも、また別の誰かが何人も立っているような気がした。

けれど夢の中で思うように身体が動かず、そちらを見ることもできない。

もごもごと、くぐもった話し声が聞こえる。

声は確実に聞こえているのに、何を言っているのかはわからない。

夢だからなのかもしれない。

ゼリーの中を泳いでいるような気分だった。

それなのに、突如として何かの鳴き声が響いた。

とても夢の中とは思えない、鮮明な声。

地獄の底から響いているような、心を押し潰す声。

あんな遠吠えを上げる生き物が、この世にいるのか。

その声に反応するかのように、青年がゆっくりとこちらを振り向いた。

青年は、ぞっとするほど冷たい目をしている。

真っ黒な何かが、タールよりもなお黒い雫を滴らせながら青年の足元に迫り――


そこで目が覚めた。

とんでもない『悪夢』だ。

今回は以上です。

XYやってますよ。ネタバレを食らわないように、極力インターネットやらんようにしてます
やっと一人目のジムリーダーを突破したところなので、戦力が揃うまで集中して遊びたいです

SSの内容が全然XYにかすりもしないんで置いてけ堀感半端じゃないですが

それではまた

厳選が原因となる社会問題か
色々考えさせられる…

いやホント面白いわ。これだけ巧く書ける人は稀だよ。
個人的にミュウツーがレンジャーと話す時が楽しみで仕方ない。

明日休みなんで、投稿します。
XYの方は、やっと三つ目のジムに挑むところです。

それでは、始めます。


日が出ていれば、おそらく真上に近い場所にあっただろう。

けれども彼らの周囲では音のない、絶え間ない雨が降っている。

雨の粒子は細かく、息を吹きかければ舞い上がりそうなほどに軽かった。

降り始めを知らずにこの光景を見れば、雲や霧の中に入ってしまったのと区別がつかないかもしれない。

青々とした樹木たちも白く霞み、ぼんやりしていた。

それでも空気そのものは乾燥しており、皮膚に触れる霧のような雨粒が心地いい。

水気と植物の甘い香気が綯い交ぜになった瑞々しい匂いも、憂鬱な森の中にあって爽やかさを醸し出していた。


その中をゆっくりと歩く、二つの影がある。

片方は小さい。

もう片方の影も比較で言えばやや大きいという程度で、せいぜいが人間の幼児ほどの背丈しかない。

やや大きい方が、ギィギィと軋むような鳴き声を発した。


ジュプトル『雨、いいなー』


小さな方も、ピィと高い声で返す。


チュリネ『うん、雨、大好き』


傍目には、ふたりの草ポケモンがそれぞれの鳴き声で、さえずり合っているようにしか見えない。

事実ふたりの間に、未熟な人間の言葉を除く共通の言語は存在しなかった。

相手と同じ鳴き声、同じ言語を発することもできない。

生物学的に構造が大きく異なる以上、相手と同じ鳴き声を出すことは極めて難しかった。

とはいえ流石に、相手の鳴き声が言わんとしていることは、なんとなくわかる。

それもこれも、比較的近い種類のポケモン同士だからだった。

あまりに種類の遠いもの同士では通じない。

そもそも発した鳴き声が、相手の聴覚器官に届かないことさえある。

隣り合う土地の、起源の近い外国語同士のようなものであった。


ジュプトル『バシャーモとか、濡れるの好きじゃないんだと』

チュリネ『にーちゃんも、あんまり好きじゃないって』

チュリネ『でも、水浴びは好き……なんだって』

ジュプトル「……」

ジュプトル『お前……ほんと、あいつの話ばっか』


ジュプトルがなかば呆れ顔でそう唸ると、チュリネは驚いたような顔をした。


チュリネ「そう……かなぁ?」


たどたどしい、甲高い声と人間の言葉でそう言った。

ジュプトルは少し面喰らって、それでも気をとりなおし相手に合わせることにする。

どちらの方が込み入った話ができるかと言えば、疑念の余地はなかった。

チュリネはジュプトルの皮肉に対して、人間の言葉を使ってでも言いたいことがある。

意識的ではないにせよ、このふたりの間で人間の言葉を選択するということには、そういう意味があった。

ただ、本来の声の出し方ではないから、人間の言葉での会話は少し疲れる。


ジュプトル「だって、おまえ」

ジュプトル「なんでもかんでも……すぐ、にーちゃん、にーちゃんって」

チュリネ「チュリネ、そんなに いわないもん」

チュリネ「みーちゃんも、イーブイちゃんも、フシデちゃんも、ジュプトルちゃんのことも、いっぱい おはなし してるもん」

ジュプトル「でもさあ、ほんとは ダゲキと、しゃべりたいんだろ?」

チュリネ「……」


自分が言う前に核心を突かれたのか、あるいは言われたくない本心を言われたのか。

何も言わずにぷいと向きを変えてしまう。

チュリネは新しく生え揃った頭頂部の葉を揺らし、歩く速度を少し上げた。

言葉で答えが返ってくることはなかったが、肯定したも同然であった。


ジュプトル(……わっかりやすいなぁ)


人間に連れられたポケモンは、もはや野生のポケモンとは異なった存在となる。

一度も人間と関わったことのない野生のポケモンは、近づこうとすらしない。

『元』人間の所有物であるポケモンを、あからさまに敵視してくるものもいる。

トレーナーが繰り出すポケモンに対して、野生のポケモンたちが『そう』するように。

幸い、この森で出会う連中の中に、後者はほとんどいなかったが。

ジュプトルはダゲキから何度も、そんなふうに扱われるだけの理由というものを説明されていた。

攻撃的に接してくるポケモンがほぼいない理由も含めて。

説明されれば理屈は理解できる気がしたが、いまいち腑に落ちない。

野生の連中に敬遠されるのも仕方ないらしい、という認識が持てた程度だった。

ならばなぜ、親しくしてくれるポケモンが一部とはいえいるのか、それも疑問だった。

彼がよそものに世話を焼いてきたわけは、ひょんなことから知ってしまったが。

だがチュリネは、それともまた異質だった。


ジュプトル「おまえも、へんなやつだよな」


チュリネは全くの野生のポケモンであるにもかかわらず、頻繁に彼らの元に顔を出す。

人間の言葉を憶え、草ポケモンなのに火を恐れなくなった。

ジュプトルが平然と焚き火にあたることができるのと、同じように。

そういう意味では、このチュリネも変わり者である。

だからこそ、他の同じチュリネたちから距離を置かれていた。

チュリネの方も、今は他のチュリネたちと積極的に関わろうとはしない。

なぜここまで『よそもの』といることを求めるのか、ジュプトルにもよくわからなかった。


いや、そんなことはない。

ジュプトルはすぐに自己欺瞞に気づく。

理由は、ある意味どうしようもなく単純で明快だからだ。

彼女は、『よそもの』に寄り添うことを望んでいるわけではない。

『よそもの』と『そうでないもの』の間に立とうとしていた誰かの、傍らにいたいだけだ。

無言で走っていたチュリネが立ち止まり、振り返った。


チュリネ「チュリネ、ね」

ジュプトル「ん?」

チュリネ「チュリネ、にーちゃんと、いっしょがいい」

ジュプトル「ふうん」


ほうら、やっぱり。

おれの思ったとおりだ。


ジュプトル「あんな おもしろくないやつの、どこが いいんだ?」


その言葉に、チュリネがわかりやすく、むっとした。

それもまた予想通りであり、いつもの応酬である。


チュリネ「にーちゃん、おもしろくない ちがう」

ジュプトル「はい、はい」


『あこがれ』を受け止めなければならないのは大変だ、とジュプトルはいつも思う。

子供は真似をしたがり、同じようにやりおおせてみたがる。

無茶をし、無理を通そうとし、足が攣りそうなほど背伸びをする。

そうすれば、一人前として認められるとでも思っている。

今日の『見回り』ひとつとっても、本来ならばジュプトルひとりで出るはずだった。

それなのに、『少しでも早く、ひとりで見回りができるようになりたい』とくっついて来たのがチュリネである。

チュリネの意図に気付いていたのかどうかわからないが、ダゲキも特に止めるそぶりはなかった。

おおげさに反対するほどではなかったから、ジュプトルも受け入れてしまった。

だが正直、めんどくさい。


ジュプトル(……ペンドラーも、めんどくさい って、おもってたのかな)


そうではなかったと思いたい。

そんなのは悲しい。

そんなのは、いやだ。


チュリネ「ねえ、ジュプトルちゃん」

ジュプトル「ん?」

チュリネ「『いっしょ』って、どういう こと?」

ジュプトル「……え?」

ジュプトル「いま じぶんで、いったろ」

チュリネ「……うん」

チュリネ「チュリネ、いっぱい いっぱい おぼえたの」

チュリネ「みんなが おはなし してるの」

チュリネ「いっぱい いっぱい かんがえたの」

チュリネ「でも わからない」

チュリネ「ぜんぜん、いっしょじゃない」


チュリネが少し寂しそうに吐露した。

ジュプトルには、チュリネが何を悩んでいるのかよくわからない。

彼女の目指すところがどこなのか、わからない。

自分の同族と生きることを捨ててなお、したいことなどあるのか。

種族にこれほど隔たりのあるポケモン同士で、彼女がなぜそこまで執着するのか。

こちらは『チュリネ』で、あちらは『ダゲキ』だ。

どうしても理解できなかった。


ジュプトル「しらないよ」

チュリネ「……」


お前はあいつの……あんな奴のどこがいいんだ。

そりゃあ、あいつは悪い奴じゃないけど。

でも気がきかないし、変な奴だし。

……嘘つきだし。


チュリネ「いっぱい がんばったの」

チュリネ「でもね」

チュリネ「にーちゃんと チュリネ、いっぱい ちがう」

チュリネ「みーちゃんも、ジュプトルちゃんも いっぱい ちがうけど……」


わからない。

お前はさ、あいつを仲間だと思ってるかもしれないけど。

あいつはとっくに、森のポケモンじゃないんだ。

お前やおれに、嘘ついてたんだぞ。

ヨノワールや、ミュウツーでさえ、本当のことを知ってたのに。

おれは、知らなかった。

お前も、知らない。

それでも……あんな奴がいいのか?


……なんだよ、おれ。

ただの“いやなやつ”じゃないか。


ジュプトル(……くそっ)


まだ、自分の中で落とし所が見つかっていない。

見つけた“つもり”、納得した“つもり”でしかなかった……のかもしれない。

自分の中のせめぎ合う感情を、コントロールできない。

『騙された』?

『隠さないで教えてくれてもよかったじゃないか』?


ともだち……じゃないか。

だから、なんなんだ。

おれたち、ともだち……なんだろ?

でも、ともだちだからって、なんでも言わなきゃいけないわけじゃない。

ともだちといえども、言いたくないことだってあるかもしれない。


――ねえ、お前が言う『ともだち』って、なーに?


そう、誰かが問いかけてくる。


腹の中に、もやもやとした何かが……別の生き物がいるような気がした。

その生き物は、はらわたのなかにどろどろ渦巻く膿を手に掬い、これみよがしに掲げてみせる。

そしてにやにや笑いながら、うっかり目を向けてしまったジュプトルの顔に押しつけてくる。


――お前は、本当に酷い奴だ

――これまで世話になっておきながら、腹の中ではそんなふうに思っている

――ほら、見てみろよ

――お前があんまり毒づくから、腹の中に……こんなに素敵な膿が溜まってる


つまりは、そういうことなんだ。

頭ではわかってる。

あいつは、別に悪くない。

言いたくなかった気持ちも、十分理解できる。

結局は教えてくれたじゃないか。

黙っていたことを、悪かったとも言ってくれたじゃないか。

だからチュリネに……あんな子供に苛立ちをぶつけても、意味はない。


そりゃ、ただの八つ当たりだ。

悪いのはたぶん、おれなんだ。

それが余計に腹立たしかった。

爽やかに感じていた霧雨も、不快に思える。


――あっちは、やっと秘密を教えてくれたっていうのに

――なのに、お前はどうだ

――こんな醜い秘密を、まだ誰にも言えないで身体の中に溜め込んでるなんて

――本当に、いやな奴


ああ、もう。

気分悪いや。

ジュプトルは自分の足元を見ながら歩き、顔を顰めた。


チュリネ「あー」


唐突に、チュリネが大きな声を出した。


ジュプトル「ん? どうし……」

ジュプトル「あ」

ミュウツー『……お……』


チュリネの声につられて前を見ると、見慣れた生っ白い巨体が佇んでいた。

どこか腰の引けた様子で立ち止まるミュウツー。

驚いた顔をしてこちらを見やり、細く頼りない両腕にきのみを抱えている。

腰が引けているように見えたのは、そのためだった。


チュリネ「みーちゃんだ! わーい!」


呑気な声でチュリネが大喜びしている。


ミュウツー『あ、ああ……』


先日、恐るべきちからの一端を見せつけられてからというもの、ジュプトルはミュウツーに複雑な思いを抱いていた。

友人である限り、頼もしいことは間違いないだろう。

万が一にも敵対するようなことがあれば、あの時以上の恐怖を覚えなければならないかもしれない。

あんな風に怒らせてしまうことさえなければ、敵になることもないはずだが。

けれどもそれ以上に――


ジュプトル(……いいよな、おまえは)


名前のない、汚泥のような気持ちがごぼごぼと湧き出ようとしていた。

その気持ちはチュリネにも、イーブイにも、むろんダゲキに対しても感じている。

人間であれば、この感情に名前をつけているのかもしれない。

でも、自分は人間ではない。


ジュプトル「……こんなとこで、なにしてるんだ?」

ミュウツー『……う、あ、いや……』

チュリネ「みーちゃん、どうして きのみ、もってるの?」

ミュウツー『特に……何というわけではないんだが』


ばつが悪そうに、ミュウツーは抱えたきのみを隠すしぐさをした。

といっても、実際にはほとんど隠せてはいなかったが。


ミュウツー『……な、なんでもない』

ジュプトル「?」


ミュウツーはあちらこちらと目を泳がせ、そわそわしている。

何かを言おうとして、言い出せずにいるようだった。


ミュウツー『……』


図体のでかい友人は、何かを恥ずかしがっていた。

自分よりずっと小柄なふたりに対して、何を引け目に感じるようなことがあるのだろうか。

その中身は知れなかったが、ジュプトルはなんとなく優位に立てている、という確信を持った。


ジュプトル「どうしたんだ?」

ミュウツー『……いや、その……聞きたいことが』


きのみを抱え、もじもじ言いにくそうにしている巨躯。

初めて出会ったころは、もう少し尊大で、傲慢で、自信に満ちた印象を受けていたように思う。

本当に同じ存在なのだろうか。


ジュプトル「なんだ? なんでも、きけよ」


その姿は、ジュプトルにもう一つの仮面を与える。

『自己嫌悪にふさぐ自分』ではなく、『気のいい先輩』の仮面。

そうすることで、腹の中のあの生き物は目を閉じ、口を噤んで眠りにつく。

噤んだはずの口元にはきっと、いやな笑いを浮かべているのだろう。


――また、そうやって騙すんだろ


ジュプトル「おれが しってることなら、おしえてやれるけど」

ミュウツー『……』

チュリネ「みーちゃん、どうしたの?」

ミュウツー『……ハ、ハハコモリの巣があった場所へ行きたい』

ミュウツー『かれこれ二時間ほど探している……』

ミュウツー『……の……だ、が……』

ミュウツー『どうにも辿り着けない上に、寝床へ戻る道もわからなくなった』

ジュプトル「まいごか」


言葉にして聞かされたことで、ミュウツーは衝撃を受けたようだった。

目に見えてしょんぼりと項垂れ、肩を落とした。


ミュウツー『ま……迷子……』

ミュウツー『そうとも……言うかもしれない』

チュリネ「……みーちゃん、『まいご』って、なーに?」

ミュウツー『え……えーとだな……』

ジュプトル「もりにきて、そんなに ながく ないんだし」

ジュプトル「そりゃー、しょーがない」


零れ落ちそうになった仮面を辛うじて拾い上げ、ジュプトルは応える。

森のことなら、こいつに出し抜かれることはない。

向こうも、きっとこちらに一定の敬意を払ってくれる。

なんたってここじゃあ、おれの方が先輩なんだから。

大丈夫。

化けの皮が剥がれることは、ない。


ミュウツーは開き直ったかのように大きく息を吐き、チュリネを見下ろした。

初めて見た頃ミュウツーを覆っていた刺々しい険は、今となっては影を潜めている。

気難しそうな雰囲気こそ残っているものの、それだけの奴ではないことくらいわかっていた。


ミュウツー『「迷子」……とはな』

チュリネ「うん」

ミュウツー『道がわからなくなって、行きたい場所へ行けなくなった奴のことだ』

チュリネ「みーちゃんが、そうなの?」

ミュウツー『……』

ミュウツー『そ……そうだ……』

チュリネ「そっか!」


不思議そうに首を傾げていたチュリネが、突然大きな声を出した。

何かに合点がいったらしく、やけに嬉しそうに飛び跳ね始めた。


チュリネ「みーちゃん、『まいご』なんだね!」

チュリネ「チュリネ、ちゃんと おぼえた! イーブイちゃんにも おしえてあげる!」

ミュウツー『お、おいそれはやめろ! やめてくれ!』

チュリネ「え? どうして?」

ジュプトル「あははは! しょーがねーな」


ミュウツーとチュリネのやりとりを見て、ジュプトルが吹き出した。

仮面は頑丈で、分厚い立派なものになっていく。

この場で演ずるべき役割を全うできるような、不透明で濁った仮面に。


ジュプトル「よし、わかった。つれてって やるよ」

ジュプトル「チュリネも、いいだろ?」

チュリネ「うん! チュリネもいく!」

ジュプトル「これから いく『みまわり』のみちと、そんなに ちがわないから、な」

ミュウツー『感謝する』

ジュプトル「あ? 『カンシャ』?」

ミュウツー『気にするな。礼を言っただけだ』

ジュプトル「あー……、ダゲキが ときどき、いうやつ」

ミュウツー『そうなのか』

ジュプトル「あいつ、ニンゲンのことば、よく しってるからな」

ミュウツー『そうか……?』


ジュプトルは返事をせず、進む先を顎でしゃくって歩き始めた。

チュリネは鼻歌を歌いながら、ミュウツーは黙って、ジュプトルに従った。

ジュプトルは、気分がいい。


チュリネ「チュリネ、みち しってる!」


大きな声を上げ、チュリネは二人を追い越して行く。

ジュプトルはにやにやと笑って、ミュウツーの足を叩いた。

人間同士であれば肩を叩いているところなのだろうが、ジュプトルにとってミュウツーの肩は思いのほか、遠かった。


ミュウツー『なんだ』

ジュプトル「いやー、べつに」


ふと、根本的な疑問が湧き出た。


ジュプトル「……そういえば、なんでハハコモリのところに いきたいんだ?」

ミュウツー『……』

ミュウツー『それは、私にもよくわからない』


ミュウツーが呟く。

心なしか、気弱そうな響きが見え隠れしているような気がした。


ジュプトル「?」

ジュプトル「なんだ、それ」

ミュウツー『さあな』


訳がわからないという顔でジュプトルが聞き返すと、ミュウツーはそっけない返事をよこした。

辛うじて返答はしているものの、ミュウツーの意識は別のところを向いている。


ミュウツー『ただ……最近、とみに思うようになったのだ』

ジュプトル「なにを」

ミュウツー『……』

ミュウツー『あのハハコモリは、なぜ死んだのか』

ジュプトル「……それは……」

ミュウツー『わかっている。お前が言いたいことは』


ジュプトルが見上げると、ミュウツーはかぶりを振った。


ミュウツー『だが、私が言いたいのは……そういうことではない』

ジュプトル「じゃあ、なんだ」

ミュウツー『死が、“なぜ”ハハコモリに訪れたかだ』

ジュプトル「なにが ちがうのか、よくわかんねえ」

ミュウツー『……』

ミュウツー『……お前は、本当にヨノワールが、ハハコモリの命を奪ったと思っているのか』

ジュプトル「ちがう って?」

ジュプトル「そんなはず……ない」

ミュウツー『確証は……いや、なぜそこまで疑う』

ジュプトル「……」


立ち止まる。

それに気づいてミュウツーも立ち止まった。

チュリネもまた、少し進んでから後ろのふたりが立ち止まったことに気づく。

こちらを振り返り、戻ってふたりの会話に交ざったものか決めかねていた。

ジュプトルは下を向き、再び眉間に皺を寄せた。

この心に渦巻いている疑い、憎しみ、そして自他への嫌悪をどう表せばいいのだろうか。


ジュプトル「おまえも……みたんじゃないのか」

ミュウツー『何を?』

ジュプトル「ヨノワールが……なにか……」

ミュウツー『ハハコモリから、何かを取り出したところを……か?』

ジュプトル「うん」

ミュウツー『それなら、私もダゲキも見た』


そうだった。

おれがあの場所に着いた時、向こう側にはもうふたりが来ていた。

ちょうど挟み撃ちにするような感じで、ヨノワールを見ていたはずだ。


ジュプトル「だったら……」

ミュウツー『それだけでは、証拠になるとは思えない』


食い下がるジュプトルを撥ねつけるように、ミュウツーはジュプトルを見た。

ジュプトルはごくりと喉を鳴らす。


ミュウツー『だが……それはあくまで私の視点で考えた、私の理屈だ』

ミュウツー『私は、新参者でしかない』

ミュウツー『私がこの森へ来る以前のことは、お前たちにしかわからない』

ミュウツー『……肝心なのはお前の視点であり、お前の理屈、お前の心情だ』

ジュプトル「……」


それからミュウツーは押し黙った。

視線を泳がせ、考え込むそぶりを見せている。

ジュプトルにも、相手が何かを言うべきか否か迷っていることが理解できた。

はたしてミュウツーは、ゆっくりと言葉を伝え始めた。


ミュウツー『私は、大切な誰かを失う悲しみを知らない』

ミュウツー『……私は、私にとって大切な誰かを失ったことがないからだ』


淡々とした調子で、ミュウツーはそう言った。

厳密に言えば、その発言は事実に反している。

だが、現在のミュウツーにとってはまぎれもない真実であった。

『思い出せないこと』と『存在しなかったこと』を、自分自身で見定めるすべはない。


ミュウツー『だから、お前の気持ちを理解できていないような気がする』


ジュプトルには、ミュウツーの声に『残念がる』響きがあるように思えた。

ミュウツーはジュプトルを残して、再び歩き始めた。


ジュプトル「……」

ジュプトル「そうかな」

ジュプトル「おれ、そう おもわない」


無意識に、その言葉が口を突いて出た。

ミュウツーの背中に声を投げかける。


ジュプトル「もし おまえが、そういう『きもち』……わからないやつなら」

ジュプトル「『あれ』をみて はいたり しない」

ジュプトル「あんなふうに……おこったり、しないと……おもう」

ミュウツー『……そうだと、いいがな』


ジュプトルの口不調法な擁護も、ミュウツーは控えめに否定するだけだった。


ミュウツー『まあ……私のことは、いい』

ミュウツー『問題は、お前の方だ』

ジュプトル「……おれ?」


思わず、ジュプトルは顔を上げた。

チュリネは相変わらず、ずっと先に佇みふたりを待っている。

ミュウツーはきのみを大事そうに抱えたまま振り返り、少し困ったように肩を竦める。


ミュウツー『お前は、あのヨノワールに関することとなると、あまりに感情的だ』

ミュウツー『確かに奴は何か隠している、と私も思う。だが証拠もなければ動機……』

ジュプトル「『ドウキ』?」

ミュウツー『……あ、いや……』

ミュウツー『そうだな……』

ミュウツー『ハハコモリや、お前が言っていた“ペンドラー”とやらは……ヨノワールに恨まれてでもいたのか』

ミュウツー『あるいは……ふたりが、ヨノワールの捕食対象だった』

ジュプトル「『ホショク』?」

ミュウツー『……ああ……餌だ』

ミュウツー『その可能性はあるか?』

ジュプトル「ううん……それは……ない とおもう」

ミュウツー『ならば動機もない、ごく薄い状況証拠しかない……』

ミュウツー『なぜ、そこまで理屈を度外視して疑う』

ミュウツー『お前が奴を嫌っているからだとして、なぜそこまで嫌う』


『なぜ』。

理由なんて、うまく言葉にならない。

ただ、とてつもなく嫌なんだ。

あいつの纏う――


ジュプトル「……におい……っていうのかな」

ミュウツー『匂い?』

ミュウツー『きのみの甘い匂いとか、風の匂いの……匂いのことか?』

ジュプトル「うん」

ミュウツー『……』


目の前のミュウツーは、本気で訝しんでいた。


ミュウツー『匂い、か……』


ミュウツーには、自分が特別、鼻が悪かった認識はない。

これまでヨノワールと対峙して、特段に嗅覚を刺激された覚えもなかった。

記憶の中に、ジュプトルがヨノワールを嫌うほどの『匂い』があったかどうか、必死に思い出す。

だが、それらしい刺激は思い当たらない。


ジュプトル(……そう だろうな)


自分の言葉を受けて首を捻るミュウツーを、ジュプトルは諦めの目で見ている。

誰かに、上手く伝えられるとは思っていなかった。

それでも伝えたい。

ジュプトルは人間の言葉を使って考え、そして少しずつ絞り出した。


ジュプトル「なんていうか……」

ジュプトル「いやな……においがするんだ」

ジュプトル「しんだやつとか、これから しぬ……やつの、におい」

ミュウツー『死の……匂い?』

今回は以上です。

無限毛玉打ち、むちゃくちゃ楽しいです。
やっと200コンボ越えできるようになってきたんで、次は250とか目指してます。
そんなんだから、まだバッヂ2個しかないんだよ!

>>462-465,467
ゲームだから普通にやっちゃうんですけど、冷静に考えると恐ろしいですよね厳選。

>>466
ありがとうございます。勿体無いくらいです。

それでは、また。

ご無沙汰してます。

あまり間が開いてしまうのもマズイと思うので、
量は少ないですが推敲が終わり次第投稿します。

少々お待ちください。

それでは、始めます。


きっといつも上手くいく。

おれたちの誰かが死ぬなんて、ありえない。

何ひとつ根拠はないのに、おれはそんなふうに信じていられた。

たぶん、何も知らなかったからだ。

……知らないってことは、シアワセだ。


あの頃は、湿気がかなり多い季節だった。

おれなんかニンゲンよりずっと背が低いから、あいつらよりずっと地面が近い。

薄汚れた硬い地面に、びたびたした嫌な雨が降ってて、跳ね返った水滴が気持ち悪かった。

それが嫌で仕方なかった。

空気が臭かった。

ニンゲンも家もたくさん。

綺麗なところが多いんだけど、汚いところは、もっと多い。

ニンゲンが『カイナシティ』と呼ぶここは、そういう街だった。

広くて、ニンゲンがたくさんいて、建物も隠れる場所もたくさんあるところ。

しかも剥き出しで食べ物を売っている、おれたち宿無しにとっては天国みたいな街。

この街に住んでいるニンゲンは、誰も彼も明るかった。

まるで汚いところなんか、最初から無いみたいにニコニコしていた。

でもそれは、ニンゲン同士だけの話。

おれは、いつもと同じようにニンゲンの街の、建物と建物の間を走っていた。

あいつと一緒に。


キモリは立ち並ぶ住居の壁、窓枠、雨樋を飛び移り、何かから逃げていた。

走る合間に何度もちらちら後ろを振り返り、誰も追ってきていないことを確かめる。

少しずつ速度を落とし、すっかり立ち止まった。


キモリ(……)


そこでようやく息をついて一声高く鳴いた。


キモリ「ギーッ」


やや間があって、ゴミ箱の中から返答がある。


ガコッ


サボネア「ガァーゴッ」


すると半開きだった巨大なゴミ箱の蓋が押し開けられ、中から薄汚れたサボネアが顔を見せた。

目をぱちぱちさせて、サボネアもまた周囲を伺っている。

真剣なのはお互い様なのだが、それでも真面目くさって辺りを探るその様子に、キモリは滑稽さといじらしさを感じた。

それでも相棒の元気そうな姿を見て、キモリはホッとしている。


サボネア「……ガガゴッ」

キモリ「ギー」


互いの安全を知ると、キモリはサボネアのいたゴミ箱の中に身を隠した。

ひんやりとしたゴミ箱の壁に背を預け、ふたりは息が落ち着くまでじっとすることにした。

ひょっとすると、追手がまだ諦めていないかもしれないからだ。

ゴミ箱の蓋には、ずいぶんと隙間がある。

蓋は彼らが何かするまでもなく、ぴったり閉まらないほど元から歪んでいた。

隙間から湿気と鈍い光が射し込んでいる。


少しずつ心臓の高鳴りが収まるにつれて、目に見える世界は徐々に広くなった。

色々なものが目に入るようになってくる。

ゴミ箱の内側は、正体のわからないベタベタした汚れで変色していた。

食べ物の包装紙、何かの容器、何だかわからない中身の詰まったビニール袋。


キモリ(……きたねえ)

キモリ(ま……あとで あらえばいいや)


必死で走っている間はきっと、必要のない情報が削ぎ落とされるようになっているのだろう。

ゴミ箱の中がひどい匂いだったことも、やっと気づいた。

とはいえ、かなり安全な場所でもある。

この匂いと汚さを考えれば、ニンゲンだって開けて鼻っ柱を突っ込みたくはないだろう。


どれほどの時間そうしていたのか、ふたりも正確にはわからない。

しばらく息を潜めていても、どうやら誰も追いかけてはこないようだ。


キモリ「ギー……」


キモリは目を細め、してやったりという顔をする。

図体ばかりでかくて馬鹿なニンゲンをまんまと出し抜くのは、いつも気分がよかった。

あいつらはぼーっとしてるから、おれたちが食べ物を盗むのなんて簡単なんだ。

その上、こうやって街中を逃げ回ってみせれば、あっという間に撒ける。


うっすらと照らし出されたゴミ箱の中で、ふたりは安堵の溜息をついて向かい合う。

それぞれに抱えた獲物を見て、互いの戦果をつたなく称え合った。


サボネア「ガガガァ……ギー」


戦利品に埋もれたピンク色のきのみを手に取って、サボネアが嬉しそうに鳴いた。


キモリ「ギュー」


キモリもそれに同意する。


種族こそ、言葉こそ違っていても、それなりに意志の疎通は出来ていた。

ピンク色でつやつやしたきのみは、甘くて美味い。

本心を言ってしまえば、ふたりともこのモモンのみを食べたかった。

これほど美味しそうなモモンのみを見るのも、久しぶりだった。

けれど、ゴミにまみれて笑うふたりの気持ちは一致している。

このきのみはここで食べず、ねぐらに持ち帰ることにした。

別のきのみを齧って取り敢えずの飢えを凌ぎ、ふたりはそう遠くない夕暮れを待った。


夕闇に紛れて、町の路地裏をこそこそと移動した。

時おり、短く鳴いて互いの安全と位置を確認するだけで、必要以上に声は交わさない。

ある場所へ到着すると、どちらともなく歩みを止めた。

サボネアがキョロキョロして、安全を確認している。

警戒しすぎるということはない生活だった。


サボネア「ガァー」

キモリ「キッ」


いつものように、緩んだ側溝の蓋を注意深く持ち上げた。

街を一回りして調べた結果、ここが一番開け閉めが容易なのだった。

しんがりを務めるキモリが最後に周囲を見回し、ガチャンと音をさせて側溝の蓋を閉めた。

地上よりも一段と色濃くなった臭気と湿気をくぐり、サボネアとキモリはすぐに下水の横道へ潜って行く。


サボネア「ガガガ」


楽しそうなサボネアの声が反響する。

モモンのみを、あいつに見せてやるのが楽しみだとサボネアは言っている。


キモリ「ギー」


キモリもまた、あいつは甘いものが好きだからと笑って応じた。

自分の声も同じように反響している。

汚い水の流れるざぶざぶという音と、かすかなふたりの足音だけが下水道に響いている。


ねぐらにしている場所が近づき、キモリは『あいつ』を呼ぶ声を上げる。


キモリ「ギッギー!」


湿り気の多い反響がおさまると、すぐそばの横道から小さな影が姿を見せた。


ハスボー「ガビー」


六本の足を器用に動かし、ハスボーがふたりに這い寄ってくる。

ハスボーは頭の上に大きな皿があるから、自分の背丈より上の世界を見るのは不得手だ。

可能な限り身体を反らせ、帰ってきたキモリとサボネアを見上げて鳴いた。


キモリ「ギッ」

サボネア「ガー」


サボネアが、いきなりモモンのみを取り出した。

ハスボーが見やすいように身を屈め、ニコニコしながら。

それはそれは嬉しそうに、掲げた手にきのみを持って振り回すのだった。

素晴らしい土産物を見せびらかすように。


ハスボー「ガガ、ガビガ!」


見せられたピンク色のきのみに、ハスボーは傍目にもわかりやすく目を輝かせた。

何と言っているかはよくわからなくても、喜んでいるのだけは確実だった。


キモリ「ギ……ギー……」

サボネア「……ガッガッ……」

ハスボー「……?」


キモリが責める口調で声を上げると、サボネアは丸い目を歪めて申し訳なさそうにした。

もう少しくらい、もったいぶってから見せてもよかっただろうに、とキモリは思っている。

ハスボーはそんなキモリの思惑など知らず、喜んできのみに食いついている。

その光景を見ていると、キモリもまあいいかと思ってしまう。

大事な“弟”が、こんなに喜んでくれるんだから。


当然、実際の兄弟関係にあるわけではない。

本当の兄や弟という存在がどういうものなのかも、よくわからない。

けれどもサボネアとキモリにとって、ハスボーは実の弟以上の存在だった。

何ひとつ実体のなかったキモリに、明確な存在意義を与えてくれたからだ。

守らなければならない相手であり、大切にしなければならない弟だ。

サボネアも大事な家族ではあったが、ハスボーとは少し違う。

どちらかといえば対等な立場にあり、守るべきハスボーのために共に奔走する仲間だった。


サボネアはメスだと言っていた。

ならば、少し間の抜けた姉か妹のようなものなのだろうか。

種類が違うから、メスだろうがオスだろうが、キモリにとってはどうでもよかったが。

せっかく驚かそうとしたのに、あっさりきのみを見せてしまったサボネアに腹は立たない。


ハスボーを喜ばせてやりたかった気持ちは、おれと同じだから。


サボネアと共にキモリは、無心にモモンを食べるハスボーの横で残飯を漁った。

キモリはナナシのみを手に取り、変色した部分を削ってから食べ始めた。

少し腐り始めているくらいの方が、むしろ硬い皮が柔らかくなるし、味が落ち着く。

同じナナシを食べるなら、キモリはこのくらいの傷みかけが好きだった。

一方サボネアは、半分くらい駄目になっているリリバのみをニコニコしながら食べていた。

キモリの目から見ても、サボネアは細かい作業ができるとは思えない手をしている。

だが先の方に生えているトゲを上手く使って、傷んでいる部分だけをポロポロと外していた。


……シアワセという言葉は、ニンゲンの口から聞いたことがある。

心が嬉しくて、恐いことがなくて、心配することもない気持ちのことだって言っていた。

確かにそう言われてみれば、『かつて』のおれはシアワセだったんだろう。

『今』のおれも、きっとそうなんだ。


初めて世界を見て、自分以外に同じようなポケモンがたくさんいると知った頃、おれは確かにシアワセだった。

食べることを心配したこともない。

誰かに安全を脅かされていたわけでもない。

周りには、同じポケモンがたくさんいた。

まさにシアワセ、ってやつだったんだろう。

それが『かつて』のおれ。

他のキモリと同じように、トレーナーの手に渡るまでのおれ。

トレーナーのところへ行った時だって、おれはこれからの生活を夢想して、シアワセだった。

でもおれの最初のシアワセは、そこで終わった。

知らないってことは、なんてシアワセなことなんだろう。


ポケモン同士を戦わせる、ということにどんな意味があるのか、おれは知らない。

せめて、もう何度かでも戦わせてもらえれば、わかったのかもしれないけど。

ほら、ニンゲンって、ボールの中でも音が聞こえるって、知らないから。

……つまりニンゲンは、シアワセだ。

あのニンゲンは、おれのことを時々喋っていた。


『使えない』

『役に立たない』

『戦わせても、すぐ落ちる』


そんなことを言っていた。

不思議なもので、最初はよくわからなかったニンゲンの言葉も、少しずつわかるようになった。

だから、どうして自分が使ってもらえないのかも理解できた。

だから……。


だから、おれはずっとボールの中にいた。

眠っているような、起きているような不思議な感じ。

たくさん考えごとができて、それでも外の音や声は、けっこう聞こえる。


ニンゲンが、ポケモン同士を戦わせ始めた。

たぶんキノガッサって言ってたと思う。

ポケモンセンターにまとめて預けられた時とかに、何度か顔を合わせたことがある。

進化する前のキノココだった頃にも、会ったことがあると思う。

キノガッサは間抜けそうな顔のわりに、やけに迫力があって、いかにも戦い慣れてる感じだった。

おれの方がずっと先に、あのニンゲンのところに来たんだけどな。

あのニンゲンはおれのことが気に入らなかったらしくて、全然戦わせてもらえない。

あっちはよく『使われ』てる。


外から、終わったらしい声が聞こえた。

キノガッサが褒められている。

あいつ、勝ったんだな。


……いいな。

使ってもらえて。

戦わせてもらえて。

戦えて、しかも強くて、勝てて。

それってさ、ポケモンがニンゲンに連れられて、一番意味があることだよね。

戦って勝つことで、ニンゲンといる意味がある。

たぶんそう。

他にあるの?

少なくとも、おれは知らない。


じゃあ、おれは?

おれは、なんなの?

戦いに呼ばれることもない。

そばを一緒に歩くこともない。

何もさせてもらえない。

ずっとボールの中。

たまに、餌をもらえるだけ。

でもその回数も、最近は減ってきたような気がする。

そりゃあ、そうだよな。

戦わせたって弱い奴だもの。

そんな奴にやる餌なんてない。

死なない程度にでも、食べさせてもらえるだけいい。

……じゃあ、おれはなんのためにいるの?

なんでここにいるの?

いる意味は、あるの?

いつまでここにいないといけないの?

誰か教えてくれよ。

帰りたい。

あの平和な場所に。

何の心配もない、苦しみも悩みもないあの頃の、あの柵のあるはらっぱ。

でもたぶん、それは無理なんだ。

もう帰れない。

帰る場所はない。

だから――


キモリ(だから……こいつらを まもるのが、おれの……“いみ”だ)


無邪気に喜んでいるふたりを見ながら、おれはそう思った。

あの頃のように、自分が何のためにいるのかわからなくて苦しむことはない。

ニンゲンなんかに、自分の存在の意味を求めるからいけないんだ。

せいぜいあの頃のマイナスを取り戻すために、食べ物でも掻っ攫ってやる。

できれば、もう関わりたくもないけど。

このふたりと、シアワセに、楽しく生きていられればそれでいい。

寝起きする場所が下水道の中だとしても。

食べ物を盗んで石を投げられ、舌を出しながら逃げ回ることになっても。

結局は居場所がバレて、同じ街には長いこと留まれないとしても。

このふたりがいれば、それだってちっとも苦ではない。


サボネア「ギィー?」

ハスボー「ガァ?」


不思議そうな顔で、ふたりがおれを見ている。

おれはふたりに、まるでニンゲンがするみたいに肩を竦めてみせる。

心配することなんか何もない。

恐いと思うものなんて何もいない。

食べ物だって、きっとなんとか手に入る。

だから、おれたちはシアワセだ。

今回は以上です。

いつも、乙やコメント本当にありがとうございます。

家の外で書くのに使っていたPDAが壊れてしまったので
勢い余ってまどマギ叛逆の物語を2回も観に行ったりしてましたが
もうすぐタブレットPCが家に届くはずなのでそれでいっぱい書くぞーと意気込んでるところです。

それでは。

寒いですね。気温一桁ですよ。

それでは、始めます。


……水が冷たい。

昼前の木漏れ日が眩しい。

ダゲキは仰向けに寝転がって身体を水に浸し、ぼうっとしようとしていた。

ただぼうっとしたいわけではない。

何も考えないようにする、という行為もまた身体を鍛えたあとの日課の一部だった。

必ずしも沐浴をしなければならない、というわけではないのだが。

汗を洗い流すついでに、そんな時間を過ごすのが常になっている。


木の葉が揺れれば、ああ風が吹いたと無意識に考えてしまう。

目に入った何かをきっかけに、昨日までの記憶を呼び起こしてしまう。


森から連れて行かれた時、周囲に満ちていた風の音。

もう思い出すこともない、ずっと前にどこかで嗅いだ不快な金属の匂い。

人間に、物で殴られた時の痛み。

ともだちとたくさん話ができて、嬉しい気持ち。


――ポケモン なのに……なんで たたかわない!


そう罵ってきた時の、ジュプトルの怒りに満ちた目。


何も考えないというのは思いのほか大切で、それでいて難しいものだとダゲキは思う。

『何も考えないように』と考えてしまえば、それもまた目的にそぐわない。

それでは意味がない。


ダゲキ(……きょうは、うまく いかない)


どうにも、風のそよぐ音が気になる。

木の葉の揺れる音が頭に響く。

水の撥ねる音が、誰かのはばたく音が、今日に限ってやけに耳障りだった。


ダゲキ(どうしてかな)


しばらく前の、ハハコモリの一件があったからだろうか。

今までに、ポケモンの死を目の当たりにしたことは何度もあった。

死んでしまったポケモンを同族の元へ送り届けたことも、一度や二度ではない。

生まれて、生きるということは、いずれ死ぬということだ。

たとえ森に在ろうが人と在ろうが、そこに違いはないはずだった。


今回だけ心に引っ掛かる、何かがあったのだろうか。

あの光景を初めて見て、嘔吐してしまったミュウツーがいたから?

今まで言うに言えなかった自分の来歴の一部を、ジュプトルにも明かしたから?

だから、あの夜そのものが印象に残ったのだろうか。

考えれば、どれもそれなりに理屈は通りそうだった。

けれども、どれもしっくりこない。


突如、森全体が息を呑んだように押し黙った。

風は変わらず吹いているのに、葉が身を強張らせている。

水は変わらず流れているのに、水面が息を潜めている。

森の中には無数のポケモンたちが生活しているのに、その誰もが固唾を飲んでいる。

そんな気がした。


誰かが近づいてくる。

はじめは気配だけ。

それから、少しずつ足音が聞こえ始める。

さく、さく、と軽やかな音で草を踏み締め、誰かが歩み寄ってきている。

音の数はやけに多く、テンポも自分と全く違った。

四本足の誰かなのだろう。

水から身体を持ち上げるのが億劫で、ダゲキはそのまま太陽を見上げていた。

来訪者が人間でないのならば、そう神経質になることもない。


ダゲキ(……だれ だろう)


がさっ


『誰か』が、明らかに自分のすぐ近くで立ち止まった。


ダゲキ「……」

?????『こんにちは』

ダゲキ「……?」

ダゲキ「……あ……」

?????『そのままでいいよ。私は話をしに来ただけだから』


耳ではなく、頭の中に響く声。

そういう話の伝え方をする知り合いは、そう多くない。

怒りっぽく、小難しい言い回しばかりするミュウツーか、あるいは――


ダゲキ「にんげんの ことばだと、『ひさしぶり』……って、いうのかな」

?????『さあ……そういう、細かいことはわからない』

?????『そんなに、ニンゲンの言葉を知りたい?』

ダゲキ「……」


頭の上の方、声の主が立っているあたりから言葉が流れているのは確かだった。

それなのに、本当に上から聞こえているかと考えてしまうと、自信がなくなる。


テレパシーを相手にした会話は、慣れるまで時間がかかる。

ミュウツーと話をする時も、多少は感じていたことだが。

頭の中に響くだけで、音が外から振動で伝わっているわけではないからだ。

自分が考えているだけの言葉なのか、誰かの意思が言葉となって頭の中で響いてるのかを判断するのは容易ではない。

慣れてしまいさえすれば、話を聞いて返事をするだけのコミュニケーションにさほど支障はないのだが。

ミュウツーと出会った時、あまり驚かずにすんだのも、彼にとってはこうした話し方が初めてではなかったからである。

人間が使う『離れた所にいる相手と話をする機械』に、少し似ているように思った。


?????『それにしても、君はずいぶん……ニンゲンの言葉を話すのが上手くなったね』

ダゲキ「……ぼく?」


ダゲキは思わず聞き返した。

誰かにそんなことを言われたのは、初めてだった。


ダゲキ「……ともだちに、たくさん おしえてもらった」

?????『……ああ』

?????『ミュウツー……だっけ』

?????『テレパシーに頼らずにこれだけ言葉を話せるポケモンは、そんなにいないと思う』

?????『私の知る限りは、だけど』

?????『それが、いいことか悪いことか……私にはなんとも言えないけどね』


声の主は、棘のある言い回しをしてきた。

かつて『話』をした時も、あの頃の理解力でも受け取ることができるほど、皮肉っぽい言い方を好んだ。

ただ単にこの相手がそういう性格なのか、自分が嫌われているだけなのかは知らない。


話をしに来た、と言っていた。

まさか皮肉を言うためだけに来たわけではないはずだった。

ひょっとすると、嫌味や皮肉ですらないのかもしれないが。


ダゲキ「なにか、あった? きみが でてくるのは……」

?????『気は進まないけど、仕方ないんだ』

?????『必要なら、私だって棲み家から出てくることもあるさ』


ダゲキは首だけを捻って、そこで初めて声の主を見る。

春先に茂る若葉のような色の体毛に、ちらちらと陽が当たっていた。

ほっそりと伸びた四肢と、頭から伸びる二本の角。

これだけ種族が異なっていても、その容姿が殊更に優れたものであることはダゲキにも理解出来た。

その『見目麗しい』四本足のポケモンが、これまた堂々とした出で立ちで森の中に佇んでいる。

『居るべき』まさにその場所に、居るべき存在が居る。

ダゲキの目に映るその風景には、そう思わせるだけの説得力があった。

ビリジオンか?


ダゲキ「……もう、ビリジオンという ポケモンがいるって、しらないやつも いる」

ビリジオン『それならそれで、私は構わない』

ビリジオン『私は別に、この森のボスじゃない』


細い首を大きく反らし、ビリジオンは鼻先を空に向けた。

目を閉じて周囲の匂いを嗅いでいる。


ビリジオン『ずいぶん、よそものも増えたようだ』

ダゲキ「……」

ビリジオン『ああ……君が気に病むことじゃないよ』

ビリジオン『私が気にしていたような懸念は、君だってちゃんと考えていたんだから』

ビリジオン『森に悪影響がないよう、君たち……よそものはよくやっていると思う』

ビリジオン『実際、トラブルらしいことも特にない』

ビリジオン『その努力は評価したい』


しかし美しいポケモンは、自身の言葉に含意あることを隠そうともしていない。


ダゲキ「……でも、ほんとうは いや?」

ビリジオン『そりゃあ、もちろん』


そう応えながら、ビリジオンはダゲキが浸っている水辺に足を踏み入れた。

水しぶきはほとんど上がらず、滑るように数歩進む。

まるで幽霊が浅瀬を歩いているようだった。


ダゲキ「どうして、でてきたの?」


ビリジオンはダゲキを一瞥する。

ダゲキには、その優しげな視線の影に、別のものが潜んでいるように思えてならない。


ビリジオン『とてもよくないことが、起きそうだから』

ビリジオン『それを、起きてしまう前に伝えておこうと思って』

ダゲキ「よくないこと?」

ビリジオン『よくないこと』


念を押すように、ビリジオンは繰り返した。


ビリジオン『どうしてわかるのか、なんてのは聞かないでね』

ビリジオン『言ってしまえば、ただの予感だから』

ビリジオン『君に伝えるのが、一番早いと思って。君も無関係ではないし』

ダゲキ「……?」

ビリジオン『正確には、君ではないけど』

ダゲキ「……??」

ビリジオン『最近、君が助けた奴のことだよ』

ビリジオン『さっきも言った、きみのともだち、「ミュウツー」』

ダゲキ「……どうして?」


ダゲキには、ビリジオンがミュウツーの名を挙げる理由がわからない。

そもそもビリジオンとダゲキの間に、何らかの連絡手段はない。

森でどんな“よそもの”を受け入れようと、報告する義務もない。

ある種の約束を交わして折り合いをつけているだけで、協力関係にあるわけではないからだ。


『ミュウツー』という名前さえ、伝えていなかったはずだ。


ダゲキ「あいつは、なにも……わるいこと しない」

ダゲキ「すぐ おこるけど……」

ダゲキ「もりの じゃまにならないように、ちゃんと かんがえ ら、れ、る」

ビリジオン『君が言うように……ミュウツー本人は、問題ないかもしれない』

ダゲキ「……?」

ビリジオン『ああ、まぁ……場合によっては、本人も危ないと思うけど』


妙だった。

ダゲキたちがこれまで“助けて”きたポケモンは、それなりの数になっていた。

人間に見捨てられたもの、人間に見切りをつけたもの、よそから紛れ込んできただけの野生のもの。

話が通じやすく森にいち早く馴染めたポケモンもいれば、そうでないポケモンもいた。

おとなしい性質のものも、どうしようもなく凶暴だったものもいた。

だがどんなポケモンを受け入れるにしても、ビリジオンが口を出してきたことはなかった。

少なくとも、これまでは。


ダゲキ(……それは、そういう やくそく だから)

ダゲキ(めいわく、かけない……から)

ダゲキ(そのかわり、おいださないって……)


ダゲキからすれば、ミュウツーもまた『よそもの』であるポケモンとしては例外ではない。

むしろ、ミュウツーは外来のポケモンとしては優秀な方だった。

人間の言葉を解し、『話がわかる』。

森から排除されないために、何に気をつけなければならないか理解できる。

にも関わらず、ビリジオンはこうして明確な警告を発してきた。

それも、これほどまでに直接的な形で。

ダゲキが記憶している限り、初めてのことだった。


ダゲキ「……ほかの ポケモンと、ミュウツーは……なにが、ちがう?」


少ない語彙の中、必死で言葉を選びながら尋ねる。

ダゲキはどこか妙な感触を覚えていた。

自分にはわからない、回答を求めるための問いかけをしているはずだ。

そのはずなのに。




P「お疲れさま千早、今日も良かったぞ」

千早「ありがとうございますプロデューサー、今日のお仕事はここまででしたよね」

P「ああ、直帰してもいいがどうする?」

千早「そう…ですね。プロデューサーは他にも仕事が?」

P「事務処理くらいかな、千早が一発で終わらせてくれたから今日は早く帰れそうだ」

千早「それじゃあ事務所に一度戻ります、プロデューサーの帰宅時間を遅らせたくはありませんから」ジトー


目に見えない、言葉にならない『自分たちとミュウツーの違い』を、既に感じ取っていたような気さえする。

『だから爪弾きする』とか、そう考えてしまうような“違い”ではなかったが。


ビリジオン『……君もわかってるでしょ』


そんな葛藤を見透かしているかのように、ビリジオンは言葉を繋いだ。


ビリジオン『とても、違うよ』

ビリジオン『……いや、それは語弊があるかな』

ダゲキ(……『ゴヘイ』……?)

ビリジオン『私から見れば、そのミュウツーも見慣れない“よそ”のポケモンでしかない』

ビリジオン『けれど、ニンゲンはそうは思わない』

ダゲキ「い……いみ わからない」


ビリジオンは口角を吊り上げた。

笑っているというよりは、笑われていると思った。


ビリジオン『君ならわかると思ったけど。まあいいや』

ビリジオン『私が守りたいのはこの森と、この森のポケモンたち』

ビリジオン『いずれ必ず、ミュウツーの存在は森に大いなる厄災を齎すだろう』

ビリジオン『私はそれを防ぎたいし、もし起きてしまったら……禍いは撥ねのけなければならない』

ビリジオン『残念だけど、ミュウツーの存在が原因で、ニンゲンによって森や仲間に危害が加えられることがあれば』

ビリジオン『私はミュウツーを敵と見做すし、君たちも敵として排除しなければならない』

すまん、盛大に誤爆した


相変わらず、優しい目をしてそう言い放った。


ダゲキ「ぼく……“も”……」


意図のよくわからない言葉を投げつけられ、ダゲキは訝しむ。

返答はない。

ビリジオンは慈愛に溢れたような、さもなくば侮蔑を込めたような不思議な笑顔を浮かべている。

歩み寄る気のない厳然たる溝か、あるいはぶ厚く堅固な壁があるように思えた。

どちらも、そこに敢えて踏み込もうとはしない。


ビリジオンは言いたいことを言うと、細い音をさせて森の奥へと消えていった。

あとに残されたダゲキは、身体を水に浸したまま、今度こそぼうっとしていた。

『ケネン』、『ゴヘイ』、『ヤクサイ』、『イブツ』、『ハイジョ』。

どれも耳に馴染みのない、難しい言葉ばかりだ。

前後の言葉があるから、いい言葉なのか、悪い言葉なのかの推測はできる。

けれど、ちゃんとした意味がわからないのは、なんだかもやもやする。


あとで、ミュウツーに意味を尋いてみよう。

『イブツ』という言葉は、ミュウツーが一度言っていたことがある気がする。

きっと、いつものように意味を教えてくれるはずだ。


それはともかく、いつまでも水浸しになっているわけにはいかない。

ざぶんと音をさせて水から立ち上がる。

すっかり身体が冷えてしまった。

こんなに長い時間、水浴びをするつもりではなかったのに。

風邪をひいては困るから、ひと走りした方がいいかもしれない。

水を吸って重くなった帯を絞る。

だいぶ傷んできたから、本当は新しいのを作りたいと思っている。

見回りもしなくては。

森の外れまで行けば、また人間のポケモンに挑みたがる連中もいるのだろう。

わざわざ出て行って、相手の怪我を治してやる奴もいる。

それが悪いことだとは思わない。

どういうつもりなのか、何がしたいのか、ぼくにとっては理解しがたいだけだ。

……それでも、やると約束したことは、しないと。


ダゲキ「……はぁ」


思わず溜息をつく。

ダゲキは、ビリジオンが去り際に残していった言葉を思い返した。


――ぼくも……“ハイジョ”する?


――そういうことになるね

――だって

――君も、この森のポケモンじゃないでしょ

今回は以上です。

タブレットPCの調子がなかなかイイ。
フリック入力も慣れてきたので、だんだんタイピングが安定してきたよ!

>>530
正解やで

>>537
どんまい

おつおつ
ビリジオンか……こう、神秘的な感じも含めてしっくりくる
そして質問が爆弾にならなきゃいいけど

ゲームの設定ならビリジオンさんが本気だしてもミュウツーにはかすり傷一つ出来ないだろうけどな
どうする気だろ

週末に急な出張が入ってしまったので、また間が開きそう

>>543
どんでん返しものではないので、あまり意外な展開には…ならないかな

>>544
◆/D3JAdPz6s(1)「そこは」

◆/D3JAdPz6s(2)「ぼくたちが」

無数の◆/D3JAdPz6s「「「「「「調整しているのさ!!」」」」」」


ごめん嘘キュップイ

了解

出張から帰ってきました…本場のチキン南蛮うまかった
投稿済分を確認していたら、けっこうミスがあったことに気づきました
今わかってる、個人的に放置したくない部分だけでも書いておきます

>>60
>> ダゲキ『ぼくの、ううん……ぼくが、はなし する ポケモンと、なか わるい』

>> ダゲキ「ぼくの、ううん……ぼくが、はなし する ポケモンと、なか わるい」
※テレパシーじゃないのに二重カッコにしてました

>>237
>> だが、友人があの人間に心を許している『わけではない』ことが、彼を安心させた。

>> だが、友人があの人間に心を許している『わけではない』ことが、ミュウツーを安心させた。
※「せいべつ:ふめい」なんだから「彼」はだめです

× >>244 → ○ >>245
× >>344 → ○ >>345

>>354
>> 頭の上の方だとか、ボールの外で聞こえていた言葉を思い出しす。

>> 頭の上の方だとか、ボールの外で聞こえていた言葉を思い出す。
※ださい誤植すんません

まだありそうですが、今のところ…こんなとこです

>>546-550
◆/D3JAdPz6s「「「「「「「「わけがわからないよ!」」」」」」」」ボゴォ
みんなも『魔法少女まどか☆マギカ 叛逆の物語』を観に行こう!

それでは、また

出張おつ
まどマギは次行ったら四周目になるな…

出張乙
やっぱり市村声でイメージしてたけど
性別不明ってことはミュウツーがクシャナ殿下ばりの
男前な♀という可能性が微レ存…ごくり

お久しぶりです。
それでは始めます。


今までどうして、なんの疑いもなく信じていられたんだろう。

きっと、いつも上手くいくって。

おれたちの誰かが死ぬなんて、そんなことはありえないって。

いつまでも、シアワセに暮らしました。

最後の締めは、そうなるはずだって。

何ひとつ根拠はないのに、そんなふうに信じていられた。

でも、そんなのは……それこそシアワセな思い込みだ。

もっとよく考えてみればよかったんだ。

ニンゲンが好きな『シアワセに くらしました』のそのあとが、どうなるのか。


生き物なんて、簡単に死ぬ。

びっくりするほど簡単に。

そして死に始めてしまったら、もうどうにもならない。

その時、おれはついにそう思った。

やっとのことで思い知った。


おれは、耳が遠くなるほど強く降り続ける雨の音を聞きながら、呆然としていた。

たぶん放心していたのは、ほんの短い時間だけだったと思う。


キモリ(……どうしよう)

キモリ(どうすればいい……)

キモリ(おれは、どう……しなきゃいけない)

キモリ(このままじゃ、しんじゃう)


おれは薄暗い下水道の中で、目の前に蹲まるサボネアを見ながら、そればかり考えていた。


あまり天気のよくない日だった。

たしか、それほど遅い時間じゃないのにべったりと暗くて、なんとなく肌寒く感じていたと思う。

いつもと同じように、おれたちはニンゲンの『イチバ』から食べ物を盗んだ。

いつもと同じように、路地に駆け込もうとした。

途中で二手に別れ、追いかけてくるニンゲンを撒く作戦も、いつも通りだ。

あとちょっとで逃げ切ることができそうだというところ。

おれは少し余裕さえ見せながら、道路を走っていた。

うしろから、怒り狂ったニンゲンの声が、途切れ途切れに聞こえてくる。


――野良ポケ  の駆除   終わったんじゃ  よ!?

――   まだ   なに、うろちょろ  る  ねーか!

――駆除  にやってん   くそが!


何を言ってるのか、さっぱりわからない。

でも、流石に『怒ってるんだろうなぁ』というのは、よくわかる。

それがかえって、誇らしいくらいだった。

ニンゲンを怒らせるってのが、おれにとっての楽しみだった。


曲がりくねった路地にさえ駆け込んでしまえば、隠れる場所に不自由することはない。

たしか路地に入ってすぐの曲がり角なら、上へも下へも逃げ込め――


キモリ(……!?)


おれは思わず呆然とした。

狭い路地には、段ボール箱が山積みになっている。

一瞬、進むのを躊躇するくらいの威圧感があった。


キモリ(……こんなの いつもは……)


いつもは置いてなかったはずの荷物。

その上、どうやら空ではなく中身も詰まっている。

慎重に登れば登れないこともないが、段ボール箱は木箱と違って体重をかけられないから、おれは苦手だった。

これじゃ……こんなところで手間取ってたら、ニンゲンを撒くどころか距離を縮められてしまう。


そうだ……だからだ。

だからおれは、ほんの何メートルかを逆走して、今来た大通りに戻ろうとしたんだ。

もう一つ先の路地に入れば、また隠れる場所はいくらでもあるから。

一瞬の間に、おれは次に隠れられそうな場所をいくつも思い浮かべる。

それだって、ニンゲンとおいかけっこをしながら生きていくのに必要な技術っていうやつだ。


そうしたら、大通りに出ようとした瞬間、いきなりそこに大柄なニンゲンが姿を現した。

デッキブラシとかいう、長い棒を持っている。

おれたちを引っ叩くために使うんだろう。


カァン


凄い音をさせて、ニンゲンはそいつの先端を堅い地面に叩きつけた。

あれで殴られたことがあるわけでもないのに、その音が物凄く神経に障る。

とても嫌な気分になる。

おれは、もう殴りつけられた後みたいにびくりと痙攣した。


男「くそっ、いつもいつも!」

男「よくもウチの商品、毎度毎度パクってくれたな……!」

キモリ「……」

男「ちょこまか逃げやがって……今日という今日は――」


ニンゲンが一歩ずつ足を踏み出しながら、デッキブラシを振り上げた。

……やばい。

逃げないと、このまま殴られる。

一刻も早く走り出さないと、殺される。

なのに、身体が言うことを聞かない。

足が動いてくれない。

真っ黒に聳え立つニンゲンのシルエットを見上げながら、おれは硬直していた。

怖い。

……怖い?

ニンゲンって、そんなに怖い相手だったっけ?

間抜けで、図体ばかり大きくて、簡単に出し抜ける馬鹿……っていうのがニンゲンじゃなかったのか?

じゃあ……どうして、こんなにおれは……。

ひょっとして、おれは今までとんでもないことを、してたんじゃないのか?


たくさんのことをぐるぐると考えた。

ニンゲンを怒らせるって、こういうことだったのか。


おれは、死を覚悟した。


サボネア「ガギーッ」


ドスン


おれが諦めて目を瞑ろうとしたその瞬間、大きなニンゲンの影に、別の小さな影が飛びついた。

聞き覚えのある鳴き声がした。


男「うおっ!?」

サボネア「ゴアー!」

男「痛っ……」


見上げると、サボネアがニンゲンの頭に飛びついていた。

不器用な手でニンゲンの視界を遮りながら、サボネアは逃げろと言っている。

ニンゲンは、自分に何が起きてるのか理解できず、腕を振り回している。

違う。

それは、おれの役割じゃないのか。

おれは、頼りになるリーダーなんだぞ。

だから、助けるのは、おれの……


サボネアが、また何か一声鳴いた。

なんて言ってるかは、流石にわかる。

急かされたんだ。

早く逃げろって。

おれが呆気に取られて、もたもたしていたからだ。

助けられるなんて、守られるなんて癪だけど。


キモリ「ギッ」


お前の意図は理解したと伝え、おれは壁を蹴ってニンゲンの足の間を駆け抜けた。

後ろを振り返らず、そのまま走って大通りを少し進む。

擦り抜けた先の道で、おれは自分がもう安全であることを伝えるべく、走りながら少しだけ首を回した。


男「こ、このやろ……!」


ベキッ


キャベツを叩き割るような、いやな音がした。


キモリ「……!」


おれが振り返ったときはもう、吹き飛ばされたサボネアが視界から消えるところだった。

ニンゲンがデッキブラシを振り回していた。

あれで殴ったんだ。

それから、ニンゲンはサボネアには見向きもせずに、おれ目掛けて走り出した。

何か、罵声を上げながら。

それを見て、おれは慌てて跳んだ。

ゴロゴロと腹の底に響くような、雷が聞こえていたと思う。


必死の思いで、とにかく走った。

やっと見慣れてきた街の中を、ひたすら無我夢中で走り回る。

どこをどう逃げたかなんて、まったく憶えてない。

いつの間にか、ニンゲンの罵声は聞こえなくなっていた。

それでもまだ緊張を解く気になれなくて、おれはいつもよりずっとずっと、ゆっくり速度を落とした。

心臓がばくばく鳴って、頭や目の周りまでガンガン痛む。

……どうやら今度こそ、本当に逃げきれたみたいだ。


キモリ(……サボネアは……?)


今、自分のいるここがどこなのか……は、問題なくわかる。

棲み家を決める時に、逃げるルートを把握する意味も込めて、その街の造りも必ず頭に叩き込むようにしているからだ。

さっき追い詰められ、サボネアが殴り飛ばされた場所までは、そう遠くない。


キモリ(……たすけに いかなきゃ……)


ニンゲンをすっかり撒いた今なら、救出しに行けるはすだった。


結論から言うと、サボネアはあの場所にいなかった。

積み重ねられた段ボール箱は、さっきより崩れている。

何かが叩きつけられたような、妙なへこみも見える。

殴り飛ばされた時に、サボネアがぶつかって崩れたのかもしれない。

おれは、サボネアがどこに行ったのか、手掛かりを探して辺りを見回した。

何かを引き摺ったような、むしろ『痛む身体を引き摺りながら這ったような』汚れが段ボール箱のあちこちについている。

なんとなく、あちら側へ行けばサボネアがいるような気がした。


どうしようか迷っていると、ぽつぽつと雨が降り始めた。

このまま放っておくと、ぐねぐねに濡れてしまった段ボール箱は登るのがとても面倒になる。

向こう側を確かめてみるのなら、もう今しかなかった。


段ボール箱にそっとよじのぼり、崩れないように慎重に、次の取っ掛かりに手をかける。

サボネアも自分と同じように、この段ボール箱を越えたのだろうか。

軽々と飛び降り少し進むと、さっき自分が逃げ込もうとしていた曲がり角が見えた。

いつもと同じようにここに来られれば、どれほどよかっただろう。

せめてこの道がいつもと違って、通れなくなってるとわかっていたら。

そうすれば、少なくともサボネアは殴られずにすんでいたはずだ。

胸が痛くて、頭がおかしくなりそうだった。

具合が悪いわけでもないのに。

頭の中と胸の真ん中へんが、捩じ切られそうなくらい締めつけられている。

なのに、同じくらいの強さで胸の中がちぎれ飛んでしまいそうだ。


おれとあいつと、どっちに落ち度があったわけでもない。

ふたりして力を合わせて餌を探してるんだから、失敗もふたりの失敗だ。

ただおれには、おれが仲間の中で担うべきだと自分自身に定めていた役割がある。

それを全うできなかった。

できなきゃいけなかったのに。

おれのせいだ。

そういう気持ちのことを、『悔しい』とか、『後悔する』というのだと、あとから知った。


地面にも、何かを引き摺ったような跡……に見えそうな汚れがある。


キモリ(……だれか とおった、か……?)


早くあいつを見つけて、無事を確認したかった。

『いや、今日は危なかったな』なんて笑って言いながら、それをハスボーに、武勇伝のように伝える。

獲物は少なかったけど、みんな無事で笑ってられてよかったじゃないか、って。

伝わってるかどうかわからなくても、ハスボーはその話を楽しそうに聞いてくれる。

サボネアも、ちょっと申し訳なさそうにしながら唸っている。

まったく頼りない妹だ。

そこでおれは、わざとらしく溜息をつきながら言うんだ。

明日からはもっと気をつけようぜ、とか、今度は街の反対の方を狙おうぜ、とか。

そういう話をして、また明日から――


ずりずり……カラン


キモリ(……!)


サボネア「……ぎ……ガァ」


さっきよりも少し強くなった雨音に紛れて、音と声が聞こえた。


キモリ「ギーッ!」


走って、角を曲がる。

引っくり返ったゴミ箱がある。

散乱したゴミは生ゴミで、匂いも見た目も酷かった。

その更に向こう……。

容赦ない雨に打たれて、サボネアが横たわっていた。


キモリ「ギギッ……ギィッ!」

サボネア「ゴァー……」


元々、そんなにふっくらしていたわけではない。

それにしても、今のサボネアは殴り飛ばされたおかげで全身がボコボコだった。

ひょっとしたら、おれが知らない間にもっと殴られたり、酷い目に遭わされていたのかもしれない。

おれの声に気づくと、サボネアは辛そうに目を開けておれを見た。

申し訳なさそうな顔をしている。

違う。

申し訳ないとか、悪かったなんていうのは、おれの方が思うべきなんだ。

おれが……。

おれに、なにが出来た?

何も出来なかったじゃないか……。

ニンゲンの役に立つことなんか、もう考えてもいない。

ずっとずっと前に忘れた。

なら、せめて大事な仲間くらいは守れなきゃいけないじゃないか。

なのに、妹を守ることもできない。

ニンゲンを翻弄して、餌を掠め取ることも満足にできない。

あいつとハスボーと揃って、シアワセに生きてくために頑張ろうって思ったんじゃないのか。

シアワセに?

これの、どこが?


サボネア「……ゴブッ……」


おれは、サボネアの妙な鳴き声に気がついた。

びゅうびゅうと、おかしな呼吸をしている。

顔色が……というか、ようすも少しおかしい。

ひょっとしたら、怪我が見た目より酷いのかもしれない。


キモリ(……かくれないと……!)

キモリ「ギーッ、ギギキッ! ギ!」

サボネア「ガゴ……ゴヴォア……ゴッ」

キモリ「ギギ……」


何か伝えようとしてくるのを抑え、おれはサボネアを背負った。

思っていたより、ずっと軽い。

おれが……満腹にしてやれないからだ。


サボネア「ゴゥ……ゴガァ……」


あいつが、か細い声で鳴いたのが聞こえた。

痛々しいくらいの声なのに、楽しそうに話している。

おんぶが嬉しいと言っている。

いつもだったら『重いから、おんぶなんてしたくない』と、おれが突っ撥ねていたからだ。


キモリ「ギィー、グギィ、ギッ!」

サボネア「おご……ア……」


おんぶくらい、いつでもしてやるよ。

なあ……おんぶくらいしてやるから、そんな声出すなって。

……心配になるだろ。


少しずつ、本当に少しずつだけど、あいつが重くなってきたような気がする。

背中から伝わってくる呼吸も、どこかぜえぜえした、ほんのちょっと不規則なものになってきた。

そのことについて、考えてはいけないような気がした。

考えれば考えるほど、意味は深刻なものになってしまうような気がする。


ねぐらまでの距離はそれほどなかったはずなのに、ずいぶんと時間がかかってしまった。

身体が重い。

身動きも自由にならないからと、いつもよりずっと慎重に進んだせいもある。

いつの間にか、背中におぶった妹の呼吸は、ひゅうひゅうと吹き抜ける乾っ風のように変わっていた。

雨は強くなっている。

下水の水嵩も増して、ざぶざぶ流れているから余計にやかましい。

歩ける場所は辛うじて残っている程度で、気をつけないと流れに足を取られてしまいそうだった。


サボネア「……ゴォ……ォ……」

キモリ「ギィ……」


いつも寝起きしているあたりに、サボネアを降ろした。

床は冷たい。

本当は温かいところで、寝かせてやりたい。

けど、おれにはその手段もないし、方法もわからなかった。

炎を操れるポケモンに知り合いもいない。

少し前までは、他にもこの街で野良として路地裏を飛び回るポケモンがいたはずだった。

前は街を走っているとロコンとウソハチのコンビをよく見掛けたけど。

……あれ?

そういえば……最近、見ない。


……まあ、いいや。

あいつらがいないとなると、おれに暖を取る手段はない。

身体をさすってやるくらいはできるだろうけど。

おれは、手近にあった段ボールを掻き集めてサボネアに被せた。

重くないかと聞いてみたけど、返事をするのも辛そうだった。


サボネア「……ゴァ……ゴボッ……」

キモリ「……ギィ……」


サボネアが、たぶんおれに呼びかけた。

おれは、ちゃんとそばにいるよ、と答える。

そうしてやる以外に、おれに何ができるんだろう。


夜中を過ぎた頃、雨は止んだ。

明け方頃には下水の濁流も落ち着いて、周りは静かになった。

自分の心臓の音と、サボネアの不自然な呼吸音だけが浮かび上がって聞こえる。


昼間になって、ゴミ捨て場から濡れていない段ボールと、半分が傷んだきのみを拾ってきた。

段ボールを新しいものに取り替えてサボネアに着せてやる。

きのみの、食べられないところを削って渡した。

あいつはちらっときのみを見て、身体を起こそうとする。

おれは、それを止める。

きのみを小さくちぎって、ちょっとずつ口の中に入れてやった。

指先がべたべたになってしまったが、そんなことはちっとも気にならない。

すっかりきのみを食べきると、サボネアは静かに眠り始めた。

サボネアの身体に触れると、びっくりするほど熱い。


キモリ(どうしよう……まだ こんなに あついなんて)


怪我だけでなくて、病気にもなっているかもしれない。

殴られたから、それがいけなかったのか。


キモリ(こんなとき……ニンゲンの ところなら)


ニンゲンのポケモンならば、ポケモンセンターへ行けばいい。

あそこなら、腕が落ちたとか首が飛んだでもない限り、なんとかなるはずだ。

でも、おれはニンゲンのポケモンじゃない。

こいつも違う。

おれなんかがサボネアを連れてったって、追い返されるだけだ。

野良の泥棒を受け入れてもらえる道理はない。

……あそこの調理場とゴミ捨て場からも、色々盗んだな。

『レストラン』のゴミほど美味しいものはなかなか手に入らないけど、変わったものが多かった。

盗んだ中にシーツの切れ端があって、それをハスボーが――


キモリ(そういえば……)

キモリ(……ハスボーは?)


昨夜戻ってから一度も見ていない。

サボネアのことで頭が一杯だった。

……水嵩が戻るまで、どこかに隠れているのだと思ったけど。


キモリ(……へんだ)

キモリ(あいつ、えさ……とれない、のに)


他の野良がここへやって来たのだろうか?

それなら、それらしい形跡が残っていそうなものだ。

なにごともないなら、とっくに腹をすかせてギィギィ鳴いてないとおかしい。

どうして、姿を見せないんだろう。


キモリ(……)

キモリ「ギィー……?」


呼んでみるが、返事はない。


キモリ(……でも、こいつ おいて、さがす……むり)


サボネア「……フゥ……ゴァ……」

キモリ「ギ?」


腹が減ったのかな。

具合、悪いのかな。

なあ、どうしてほしい?

おれ……どうしたらいい?


ふと、匂いが鼻に触れた。

嗅いだことのない匂い。

食べられなくなったきのみが腐って、もっともっと腐って、すっかり残り滓だけになってしまったあとのような。

ゴミ箱ともちょっと違う、ずっと開けていなかった古い倉庫の中の、隅っこのような。

甘ったるい何かのような。

あまりいい気分になれない匂いだ。

よくない匂いなんだろうか?

頭の中にいる誰かは、この匂いに凄まじい拒絶反応を示している。

けど、どこから匂ってくるのかわからない。

下水道を通って、誰か見慣れない奴がやってきたのだろうか?

でも、いくら待っても誰かが近づいてくる気配はない。


夕方になって、おれはサボネアを残してまた街へ出た。

もう『誰か』が来ることもないと、区切りをつけたのだ。

獲物は、また新しい段ボールを何枚かと、ニンゲンの食べ物。

きのみでもポケモンフードでもないけど、しょうがない。

茶色くてフワフワしてて、真ん丸じゃないけど、小さい雲みたいな形。

焼いたみたいな、嗅ぎ慣れない匂いがする。

すみっこに緑色のカビが生えていたから、そこだけちぎって捨ててみた。

中は茶色くなくて黄色っぽい。

なんていうんだっけ、これ。

ニンゲンがよく食べてるものだ。

パン……だったかな?

わからないけど、どうでもいい。


もう地面も濡れてない。

雨が降ったことなんて、みんなもう忘れてる。

おれやおれの仲間が、ここでニンゲンと追いかけっこしたことも。

おれがニンゲンに捨てられたことも。

おれがニンゲンのところへ来たことも。

おれが、どこかで生まれたことも。

誰も憶えてない。

みんな忘れてる。

誰も思い出さない。

別にそれでもいい。

ニンゲンに、おれのことを憶えててもらう必要なんてない。

他の誰かに憶えててもらう必要もない。

あいつとハスボーは、おぼえてて くれてる。

ふたりと、いっしょに いきていたい。

あいつと ハスボーしか、おれには もう いない から。

でも あのね おれ。

あのね――


獲物を持って帰ってきたおれは、思わず抱えたパンを落とした。

パンはほとんど音をさせずに地面に落ちて、一回だけ跳ねた。


キモリ「……ギ……ギィ?」


サボネアが、出掛けた時と違う場所に蹲っていたからだ。

最初に寝かせた場所より、ずっと出入口に近い場所だった。

前に寝ていた場所からここまで、段ボールが点々と落ちている。

……ここまで這って来たんだ。

さっきもしていた、変な匂いがする。

さっきよりも、ずっと強い。

甘ったるいような、饐えたような、カビ臭いような、嫌な匂い。

これは……やっぱり、不吉な匂いだ。


おれはなんとか落ち着いて、パンを拾い上げた。

這いずりまわるほど腹をすかせているのなら、早く食べさせてやりたかった。

頭の中で、誰かが叫んでいる。


サボネアは目を閉じて眠っている。


ほら、食べもの。

ニンゲンの食べものだけど、けっこうイケるよ。

段ボール、湿っちゃっただろ?

新しいの見つけてきたから、替えよう。

……眠ってるの?

そりゃ、そうだよね。

具合、悪いんだもんな。

怪我も、まだ痛いんだろ?

ゆっくり眠ったらいいよ。

疲れてるもんな。

おれ?

おれは大丈夫だよ。

なんたって、おまえとハスボーを守る、リーダーなんだ。

おまえが起きるまで、おれ、眠らないで見張り、してるからさ。

そのくらい、ぜんぜん平気。


三回太陽が登って、三回太陽が沈んで、全部で五回、夜が来た。

その間に雨が二回降った。

おれはずっと眠らないで、ほとんどを座って過ごした。

おれはリーダーだったから。

サボネアが起きるまで、おれが見張っててやるって、約束したんだもんな。

けど、サボネアは目を開けなかった。

ハスボーも帰って来なかった。


毎日、毎日、毎日、毎日、毎日。

おれは、ちょっとずつ変わっていくサボネアをただ見ていた。

サボネアは少しずつ、サボネアじゃなくなっていった。

変な匂いは、日を追うごとにどんどん強くなった。

そのうち、腐っていく匂いがし始めた。

それでもサボネアは起きないし、おれは眠らなかった。

ハスボーは帰って来ない。


足元に置いたパンは、とっくにカビて真っ黒になっていた。

ぐずぐずのしわくちゃになって、もう食べる気にもなれない。

それでもサボネアは目覚めない。

ハスボーは帰って来ない。


サボネアは、二度と目を覚まさなかった。

ハスボーが帰ってこないことも、おれにはもうわかっていた。


おれは意識が朦朧としていた。

ずっと、起きているのか眠っているのかわからない状態だったと思う。

眠っているのに、目は開けている。

目は開けているのに、頭は動いていない。

ただ座って、じっとしている。

時々、身体のどこかが痛くなるから、その時だけ姿勢を変える。

それに加えて、本当に最低限の運動をする。

それだけだった。

サボネアらしさの減ってしまったあいつを見ている。

おなかがすいた。

このぱんは、こいつのためのものだ。

おれは、たべない。

もう、とてもじゃないけどパンには見えないのに、おれはそう思っていた。

けど、とても、とても、おなかがすいたから――


サボネアが動かなくなってから、四度目に降った雨が、さっき上がった。

凄く爽やかな日射しに照らされて、雨上がりの気分のいい風が吹いている。

おれは、ずいぶん久しぶりに、外に出た。

少しだけ腹がふくれていて、それでも意識はぼんやりしている。

こんなに清々しい朝がやってきたのに。

ハスボーはいない。

サボネアもいない。

おれには、もうなにもない。

なんにもない。


少しだけ食べたもんだから、かえって腹が減った。

そんなことを考えていた。

イチバの賑やかな声が聞こえてきた。

とても久しぶりに思える。

無意識に足が向いていたんだろうか。

そうだ、食べ物を手に入れないと。

今日はひとりでやらないといけないけど、しょうがない。

ひとりでだってニンゲンに捕まることはない。

おれの足と素早い動きがあれば、ニンゲンなんて寝てるヤドンより余裕だ。

あいつらが腹をすかせてるからな。

おれも、腹が減ったよ。


……どうにも、調子が出ない。

きのみをひとつ手にとったところで、もうニンゲンに見つかってしまった。

物凄い怒鳴り声を浴びせられて、おれは目が覚めたように飛び跳ねた。

ああ……そうだ、走って逃げないといけないんだ。

ニンゲンはのろいから、捕まることなんてないけど。

とにかく、走らないと。

前みたいに。

サボネアはどっちに逃げたんだろう?


そうだなあ。

今日は、海が見える方に逃げてみよう。

きっと気分がいいはずだ。

もう少し、気分がよくなれるはずだ。

ハスボーに、いい土産話ができる。


ブゥンだか、ボォンだかよくわからない音がした。

聞き慣れた音だ。

港町から船が出て行く時に鳴らす、笛みたいな音。


船……船、って、海の上を走って、よそへ行くんだよな。

よそ?

違う場所?

ここじゃない場所?

おれのことを、誰も知らない場所?

じゃあ、ここと同じだな。

どこでも同じってことだ。

どこにいても同じ。

ここにいても、これ以上、何かが変わることはたぶんない。


短くなっていくタラップに飛び乗り、おれは船に潜り込んだ。

ニンゲンのために作られている船は隙間が多い。

特に、おれみたいに小さな奴にとっては十分な隙間が。

エンジンの音がゴウンゴウンと響くところに入り込むと、おれはやっと腰を下ろした。

たぶん、ここなら『船を動かす』ニンゲン以外、来ることはない。

次に止まったところで、船を降りよう。

きっと、そこはおれの見たことも、行ったこともない場所だ。

海を越えてどこかへ行くはずなんだから。

どんなところなんだろう。

『盗み』のやりやすいイチバがある街だと、いいな。

さっきだって、きのみひとつを盗むのにずいぶん苦労した。


そう考えながら、盗んだきのみをじっと見つめた。

これは……なんていうんだっけ。

ピンク色のこれは……たしか……そうだ。

モモンだ。

甘くて、うまいんだ。

おれは、これが好きだ。


そうだ。

ハスボーはこれが好きだった。

あの時、必死になって盗んだモモンを、ハスボーのためにふたりで我慢した。

サボネアもおれも、本当はこれが好きなのに。

……。

どれくらい、モモンを食べてなかったかな。

齧ってみると、やっぱり甘い。

最近食べた何かよりも、ずっと美味しい。


キモリ(ああ……)

キモリ(……そうだ……)


サボネアより、モモンのみのほうが、ずっとおいしいかった。

今回は以上です。

>>552-553
自分は4回でやめとくことにしました
SPECも見たかったですし。あ、SPECも面白かったです色んな意味で

>>554-555
当初は流石に男性的なイメージでしたが
真面目に書き始めてからは、性別で何かが左右されることはない話にしよう、
と決めてたので、心身共に男女どちらでもいいと思って書いてます

ご無沙汰しています、実家から生存報告です
なかなか書いてるものに納得がいかなくて、間が開いてしまいました

アパートから書き込めなくなっていたので、
WiMAX規制が解けるまでは、精精を尽くして書き進めます

規制大変だな
忙しいかもしれないけど頑張ってくれい
楽しみにしてる

ジュプトルも共食い経験者か

今年一年、ありがとうございました
来年も引き続き、お付き合いいただければ幸いです

結局、年内にもう一度くらい投稿できなかったのが心残りですよ

>>594-596
WiMAX規制は意外に早く解けたんですが、
肝心の書き溜めが全然でした、申し訳ない

>>597
タレはつけなかったので、味は薄くてぼんやり、
ちょっとだけ匂った青臭さと、下水道の悪臭の方が印象に残ってるそうです
(ヤグルマの森調べ)

超お久しぶりです
それでは始めます


雨はいつのまにか、水滴の見えない霧からパタパタと音のする雨粒に変わっていた。

それでも、ここには誰ひとりとして雨を気にする者などいない。

ミュウツーでさえ、抱えたきのみや自身が濡れていくことを歯牙にもかけていないようだった。

ジュプトルの鼻筋を、ひときわ大きな水滴が滑り落ちていく。

それが、パタンと地面に当たる。

たったひとしずくの落ちる音が、反響する銅鑼の音のように耳に届いた気がした。

実際は降り注ぐ雨粒に紛れ、そんな音は聞こえるはずもなかったのだが。

ジュプトルにとっては、感じ取ることのできる世界がそれほどまでに狭まっていた。


唐突に、口の中に“あれ”の味が甦る。

舌を刺激しない、単純でぼんやりとした味。

仲間だと思っていた――少なくとも、あちらはそう思っていたはずの――あいつの味。

付随して思い出される、青臭さのある味わいのない香り。

“あれ”を頬張ると共に流れ込んできた、下水道の不快な臭い。

そして鼻をつく、忘れようのないあの匂い。

大事な仲間は、美味しくなかった。


ジュプトル「……うっ……」


ジュプトルのささやかな世界は更に狭まり、雨で色味を失いつつあった。

こみあげてくる何かを飲み下し、膝を突き、かろうじて耐える。

彩りに乏しい地面を睨み、暴れる内臓が落ち着くのを待つ。


ジュプトルは努めて平静を保とうとする。

けれども、頭の方は思うように働いてくれない。

おおざっぱに繋げられた鎖を手繰り寄せるように、記憶が繋がっていく。

いつもは思い返すこともない、嫌な思い出までひとつずつ拾い上げてしまう。

シアワセで、何も知らなかった日々。

カイナシティで走り回っていた日々。

そこで味わった、敗北感と後悔。

乗り込んだ船の片隅で蹲まっていた自分。

船が停泊した街。

あの街には、やけに大きくて赤い橋がかかっていた。


カイナシティで降り掛かったような経験をするのは、二度とごめんだった。

心に、埋めようのない大きな穴を開けられてしまった。

たとえ、この森で新たに仲間を得ることが出来ても、満たされることはないような気さえする。

たぶんそれは、失う可能性を知ってしまったからだ。

ほんの些細なきっかけで、誰かのせいで、あっという間に世界が変わってしまう。

だから……あれからずっと、ひとりでやってきた。

誰か仲間を見つけて組めば、食べ物を盗むのだって難しくはない。

苦しい時には、慰め合うこともできる。

楽しい時には、その喜びを分かち合うことだってできる。

でも、もう誰かを仲間にするのは嫌だった。

また、失ってしまうかもしれない。

人間や、人間以外の何かに奪われてしまうかもしれないから。


そうだ。

初めての仲間は、人間に奪われた。

今でも、あの時に響いた鈍い音と、匂いと思いを忘れることはない。

たぶん、死ぬまで忘れることはない。

人間なんかのせいで、あんな思いを……。


――本当に?


ジュプトル(……)


いつもそうだった。

人間のせいで仲間を失った時のことを、考える。

さもなくば、ヨノワールのせいでハハコモリやペンドラーを奪われた、と憎しみを募らせる。

ジュプトルはそんな時、内側から自分をつつく誰かの存在をまざまざと感じていた。

その声は自分を嘲笑い、蔑み、見下し、軽蔑の眼差しを向ける。

自分の中に巣喰う、醜い笑い声を上げる、自分ではない誰か。

あれは……誰だ。


地表に触れては、間髪を入れず消えていく雨水。

小さな水玉を抱え、重そうに堪えている草。

元より背の高い友人たちに、この景色は遠い。

その小さくて広い世界が、いつにも増してジュプトルの視界をいっぱいに占拠していく。

少しでも気を許すと、あの日の友人のように臓物の中身を吐き出してしまいそうだった。



ミュウツー『チュリネ』


ジュプトルをただ見守っていたミュウツーが、不意に彼方のチュリネを仰ぎ見た。

それまで様子を伺うばかりで距離を置いていたチュリネが、突然の声に飛び上がる。

声の主が誰なのか理解すると、小さなポケモンは慌ててふたりに駆け寄った。


チュリネ「みーちゃん、なあに? どうしたの?」

チュリネ「……ジュプトルちゃん、ぐあい わるい なの?」

チュリネ「チュリネ、どうしたら いい?」

チュリネ「にーちゃん、よぶ?」

チュリネ「きのみ、ほしい?」


いつの間にか生え揃った新しい葉は重く揺れ、雨粒を滴らせている。

よくわからない状況の中で、自分には何が出来るのか、チュリネは必死に見出そうとしていた。

初めから探さなくていい立場にあるはずの彼女は、そうやって今もなお居場所を探している。

ジュプトルには、そんな彼女の気持ちが、いまいち理解できない。


ミュウツー『いや、その必要はない』

ミュウツー『……チュリネ』


聳えるような高さから、ミュウツーはチュリネを見下ろした。

ミュウツーはもう一度、チュリネの名前を呼ぶ。

これから真面目な話をする。

名前を呼んだことで、ミュウツーはそれを知らせようとしていた。

荒い息をつきながら、ジュプトルはようやく顔を上げる。


ミュウツー『……私とこいつは、ここで少し休憩することにした』

ジュプトル「……」

チュリネ「きゅーけい?」


そう言いながら、チュリネは真偽を確かめるかのようにジュプトルを見る。

さきほどミュウツーに名前を呼ばれ、これがただの『休憩』ではないことをチュリネも理解していた。

自分が仲間外れにされるのではないか、という不安が彼女の中で首をもたげる。

子供だから、と聞かせてもらえない話なのではないか。

お前にはわからないから、と爪弾きにされてしまおうとしているのではないか。

チュリネは判断しかねたのか、少し困った顔をしている。


ミュウツー『だからお前には、しばらく待っていてほしい』

ミュウツー『これはおそらく、こいつにとって大事なことだ』


『大事』という言葉に反応し、チュリネは再びミュウツーを見上げた。

大事な話に入れてもらえない。

このままでは心から憧れる存在との間に、明確な線が引かれてしまう。

それは彼女にとって、何よりも耐えがたい。


チュリネ「だいじ おはなし?」

チュリネ「チュリネも、だいじ おはなし……だめ?」

ミュウツー『……それは』

ジュプトル「だめ」


強い語気で、ジュプトルがミュウツーの言葉を遮った。

ミュウツーがその言葉に疑問を持つより早く、チュリネが抗議する。


チュリネ「どうして?」

チュリネ「チュリネ、こどもだから たいじ おはなし、だめ?」


やっぱり、とジュプトルはうんざりする。

チュリネはどうしても、『子供』という世界が耐えられないらしい。

彼女の思い描く『おとな』の世界に行けば、望みが叶うと信じている。

いや、信じたいだけなのかもしれない。

彼女にとって、他に道しるべはない。


ジュプトル「『おれの』、だいじな はなし……だから」

チュリネ「……」

チュリネ「……うん、チュリネ わかった」

チュリネ「あっち いいこ してる」


そう言うと、チュリネはふたりに背を向けて歩き始めた。

ジュプトルとミュウツー、ふたりはその背中を目で追う。


ミュウツー『やけに聞き分けがいいな』

ジュプトル「あいつ、『こども』……いわれたく ない」

ジュプトル「だって……あ」


ジュプトルは、すんでのところでその続きを飲み込んだ。

どれほど傍目には明らかだったとしても、これはチュリネの個人的な話だ。

今ここで言っても意味がないばかりか、下手をすれば彼女の尊厳を傷つけることにもなる。

そこまでするほど、おちぶれてはいないつもりだった。


ジュプトル「……でも、ばかじゃ ない」

ミュウツー『そうか』


チュリネは、やはり雨など気にする様子もなく真っ直ぐ歩いていく。

元より彼女やジュプトルなどといった草ポケモン、そして植物にとって、雨は恵みをもたらす存在である。

度を越した豪雨でもない限り、避ける必要さえないはずだ。

にも関わらず、彼女はこうして『しなくていい雨宿り』をしてみせる。

理由は、極めて簡単だ。


彼女は大きな葉の茂る木の根元に辿り着くと、幹に背を預けてちょこんと座った。

やかましい雨音が、ジュプトルの耳を遮る。

その音の壁さえものともせずに、ジュプトルの頭にミュウツーの声が飛び込んできた。


ミュウツー『我々も、雨宿りしようか』

ジュプトル「う……うん」


その実、今となっては雨宿りも何もない。

ふたりとも、とうにずぶ濡れになっている。

さほど気温が低くないことが救いだった。


ミュウツー『そこの木のところでいいな』


返事を待つこともなく、ミュウツーは巨躯を軽々と動かして、目指す場所へさっさと歩き始める。


ジュプトルはその平然と歩く後ろ姿を見て、やけにしっかりした足取りを見て、少し驚く。

二度目にこのポケモンを見た時のことを、ジュプトルは思い出した。

初めてミュウツーを目にしたのは、言うまでもなくこの森に墜落してきた夜のことだ。

その次に目にしたのが、ミュウツーがチュリネに導かれてあの小川にやって来た時だった。


あの頃は、もっとよたよたと歩き慣れない風情ではなかったか?

大した距離を来たわけでもないのに肩で息をし、重い身体を引き摺ってはいなかったか?

身軽で敏捷な自分とは、見るも無惨なまでに大違いだったはずだ。


だが、今はどうだ。

自分のような俊敏さこそないものの、ずっと歩き慣れているといった所作で、危なげなく足を動かしている。

両足を繰り出し、尾でバランスを取り、歩くことがごく当たり前の動作として落ち着いている。


――誰かが、かつては出来なかったことを、ちょっとずつ出来るようになっていく

――その姿を見て、お前は何を思う?

――“あいつばっかり”か?

――前になんて、進む気はないもんな、お前


ジュプトル(……そんなこと……)


頭の中に響く罵倒を振り払い、ジュプトルはげっそりした顔で後を追った。

人間が嫉妬と名付けて疎む泥に足を浸し、劣等感と名付けて避ける雨を浴びている。

ぐるぐると苦しむことが無意味だと、誰よりもわかっている。

それでも、やめられない。

変わりたくても、今まで変われなかった。


バシャーモが羨ましい。

自分の居場所を見つけ、爪弾きのよそものとして自分たちと群れることもなく、生きているからだ。

力を借りたい時は喜んで貸してくれるが、普段は彼なりの交友を持って生きている。


チュリネが羨ましい。

自分の気持ちを衒いなく表に出し、憧れを口にでき、何よりハハコモリから役割を引き継いだからだ。

この森で生まれ、何不自由なく育ち、天真爛漫で、きちんと『森の一員』だ。


ダゲキが羨ましい。

森に住むことになった、よそのポケモンたちに居場所を与える『仕事』を全うしているからだ。

自分の修行も疎かにせず、たくさんものを考え、いつも何かの答えを探している。


ミュウツーが羨ましい。

誰よりも人間のことをよく知り、憎み、誰よりも強大なちからを持っているからだ。

気難しいが聡明で、人間に限らず色んなことを知っているのに、まだ貪欲に学び、知ろうとしている。


ああ……みんな、羨ましい。


自分には、ひとりで生きていく覚悟なんてない。

自分の心を曝け出す勇気もない。

自分や誰かのために、一生懸命になる心意気もない。

新たに学び、前に進むちからさえ、ない。

その『足りなさ』を、是正していく気も持てない。

そんな気力は、あの時に綻び、すっかりこぼれ落ちてしまったから。

だから、変わりたくても、変われなかっただけ。

あんな目に遭ったせいで。


――じぶんじゃない だれかの、せい?

――それ、いつまでやるの?


ミュウツー『大丈夫か』

ジュプトル「う、うん……」

ミュウツー『ちっとも、大丈夫そうに見えないがな』

ジュプトル「じゃあ、きくなよ」

ミュウツー『それもそうだ』


座り込んだミュウツーが神妙な顔で、手に持ったきのみを眺めている。

その中のひとつを手に持ち、ジュプトルに向け差し出しながらこう言うのだった。


ミュウツー『……これはお前にやろう』

ジュプトル「あ?」

ミュウツー『どうやら間違えて、フシデに甘いきのみまで要求してしまったようだ』

ジュプトル「フシデ?」


何を言っているんだと言わんばかりの顔で、ミュウツーがジュプトルを見る。


ミュウツー『お前か、あのチビに頼もうと思ったら、揃って出発したと聞いたからな』

ジュプトル「あ……そうか」

ミュウツー『私は、イアのように酸っぱい方が好きなんだ』

ミュウツー『このモモンは、お前が食べろ』

ジュプトル「……モ、モモン……」


気分が悪い。

けれども、さっきまでの不安定さに比べれば、随分と落ち着いている。

皮肉で返すことができる程度には。


ジュプトル「べつに……あまいの きらいじゃ、ないだろ」

ミュウツー『嫌いではない。だが、好みの優先順位というものがある』

ジュプトル「おまえ、めんどくさいよ」

ミュウツー『そうか?』


きのみを受け取り、こちらも躊躇なくかじりつきながら、ジュプトルは皮肉を続ける。

この期に及んで、仮面が剥がれないように。

そんな悪い癖を止めたくても、これまでどうしても止められなかった。

この森に来てからずっと被っている冷たい覆い。

笑う時は、仮面が笑う。

自分は、笑えない。


ジュプトル「ふつうに いえば いいだろ」

ミュウツー『さっきまでのお前は、それでは受け取れないだろう?』

ジュプトル「さっきの……おれ?」


ジュプトルは呆気に取られたような顔をした。

仮面を支える手が震える。


ミュウツー『さっき、会った時のお前だ』

ミュウツー『様子がおかしかった』

ジュプトル「……どんな ふうに?」

ミュウツー『説明しようがない。私の知るお前ではなかった』

ミュウツー『しばらくすると……正確には、少し話をした後、“いつもの”お前に戻っていた』

ミュウツー『だから、単なる思い違いか、とも思ったのだが』

ミュウツー『ハハコモリの話を振ってから、お前は……また様子が変だ』

ミュウツー『……ほう。私がものを齧ると、こんなが「あと」がつくのか』


自分で齧ったきのみの歯型をしげしげと見ながら、ミュウツーはそう言った。

わかってるくせに、とジュプトルは内心毒突く。


ジュプトル「おまえが……あいつのはなし、するから」

ミュウツー『ヨノワールのことか』

ジュプトル「おれ……あいつ、いや……だっ、たんだ」


無意識に、言葉尻が弱々しくなる。


ミュウツー『そんなにも憎いか』

ジュプトル「……うん」


――どうして?


ミュウツー『それは、何故だ?』

ジュプトル「だから……におい だよ」

ジュプトル「あいつ あう、と……においが した」

ミュウツー『死を連想させる匂い……だったか』

ジュプトル「すごく いやな におい」

ジュプトル「しんだとき、しぬとき、そういう におい する」


何かを想起して、ジュプトルが鼻先に皺を寄せる。

今となっては、その匂いの記憶だけがジュプトルにとっての真実だった。


ジュプトル「あいつ ハハコモリに あった」

ミュウツー『そういう、話だったな』

ジュプトル「だからだ」

ミュウツー『……?』

ジュプトル「ハハコモリも その におい、した」

ミュウツー『……私には、わからなかった』

ジュプトル「ぜったい あいつのせいだ」

ジュプトル「……あのひ より まえは、ぜったい……においは、なかった」

ジュプトル「あいつだ。そうに きまってる」


――お前はいつも“そう”言ってきた

――楽だよな

――そっから先、考えなくていいんだもんな

――わかるよ

――俺は、お前だから


ジュプトルの腹の中で、『あいつ』が言う。


――あいつのせい、こいつのせい

――“おれは わるくない”……だろ?


ジュプトル「ち……ちがう! ちがう!」

ミュウツー『……?』


何度自分に言い聞かせても、罪悪感は最後まで消えなかった。

どうしても、自分で自分を騙しきれなかった。

騙しきれないから、繰り返し吹聴するしかない。

騙しきれないから、塗り固めるしかない。

理由はわかっている。


ジュプトルは固く目を瞑った。

雨音が神経を逆撫でする。


ジュプトル「あいつが なにか した……んだ……」


自分の声がこんなにも醜く、虚しく聞こえたのは初めてだった。

決して、嘘をついているわけでも、虚偽を並べているわけでもない。

けれども、真実とはほど遠い。

違うことを誰よりもわかっている。

わかっているのに、わかっていないふりをして口にする。


ジュプトル(だめだ、おれ)


――そうだな

――サボネアが死んだのは、ニンゲンのせい

――ハスボーがいなくなったのも、ニンゲンのせい

――よかったな、どっちもお前のせいにならなくて

――最初は、ちゃんと、わかってたのにな


腹から響く声が、いつの間にか少しずつ変わっていた。

自分を責めているのとは、少し違う。


“最初は”わかっていたのに、と声は告げている。

わかっていたのに、わからなくなった。

わかっていたことを、自分でわからなくした。

だから、もうあの頃の自分には戻れないんだ。

本当の自分に戻るための道は、口を噤むように閉じられている。

それは、誰のせい?


――自分で、やったんじゃないか


悪意ある何者が、戻れないように邪魔をしていたわけではない。

他ならぬ自分自身が、自分の示した行動で、口にした言葉で、自分自身に呪いをかけた。

あるいは行動しなかったがために、口にしなかったがゆえに、かもしれない。

自分につき続ける嘘が、戻りたいあの頃を踏みつけている。

根を傷つけ、葉をちぎり、腐らせようとしている。


――ペンドラーが死んだのも、あいつのせい……だもんな

――ハハコモリだって……きっとそうに“決まってる”

――だよな?


ジュプトルの言葉を咀嚼するように、ミュウツーは眉間に皺を刻んでいた。


ミュウツー『お前は……そう思っているのか』


友人は、ジュプトルの脆弱な告発を肯定も否定もしなかった。

ミュウツーには、ジュプトルの話を肯定するだけの材料も、否定するだけの材料もない。

そのずっと向こうで、小さなチュリネが雨を眺めている。

そのチュリネに合わせる顔が、自分にはあるのだろうか。

ハハコモリや、ペンドラーには?


ジュプトル(……やっぱり……すごく、いやな やつだ……おれ)


ミュウツーの沈黙を、死刑宣告を待つような心境でジュプトルは耐える。

ぐるぐると体内に渦巻く罪ならぬ罪を、誰かに糾弾してほしい。

誰でもいい。

もちろん、他ならぬヨノワールにこそ、その権利はあるのだろうが。

むしろ、親しい誰かに責められる方が、逃げ場はないかもしれない。

『誰か』が責めてくれれば、楽になれる。

その時を、消極的に待ち望む。


ミュウツー『ヨノワールは……あの時、“本当は”何をしていたのだろうか』

ミュウツー『それを、お前は知っているか?』

ジュプトル「それは……しらない」

ミュウツー『そうか。ならば』

ミュウツー『私は、知りたい』

ミュウツー『お前は知りたいか?』


雨の音を潜り抜け、ミュウツーの言葉が脳裏を駆け巡る。


ジュプトル「……なにを?」

ミュウツー『本当のことを、だ』

ミュウツー『知りたいとは思わないのか?』


ジュプトルが、驚きとも怒りとも判じかねる顔をミュウツーに向けた。

ミュウツーもまた、気難しげな紫色の瞳をこちらに真っ直ぐ向けていた。

ジュプトルはその目を睨み、ミュウツーがこんな話をする意図を探り出そうとしている。


自分の罪が、ようやく暴かれるのだろうか。

ついに、白日の下に晒されて後ろ指を指されるのだろうか。

それは、なんとも、喜ばしいことだ。


ジュプトル「……」

ジュプトル「なんで……そんなこと」


――お前はそんなの、考えたくないよな


ミュウツー『まあ……何よりも、まず私自身が知りたいと思ったのだ』

ジュプトル「……なにを?」

ミュウツー『さあな』


そう尋ねると、ミュウツーは肩を竦めた。


ミュウツー『残念ながら、私には何がどうなっているのか、よくわからない』

ミュウツー『……』

ミュウツー『あのヨノワールという存在に、ほんの少しだけ興味が湧いたのかもしれない』

ミュウツー『お前の説明では、納得できなかった……というのも、あるにはある』

ミュウツー『お前は、何を尋ねても「ヨノワールが悪い」としか言わんしな』


食べ終えたきのみのへたを、ジュプトルはくさむらに投げ捨てた。

ミュウツーの言葉は、その通りである。

思考停止としか言いようのないところで、ジュプトルはもうずっと足踏みしている。


ミュウツー『この森に暮らすようになるまで、私は本当にごく狭い世界しか知らなかった』

ミュウツー『それは、以前お前たちに話した通りだ』

ミュウツー『何かを知り、何かを理解すると、周囲の見え方が変わった』

ミュウツー『森にいるものたちは、森にいるものたちなりのルールで生きていることを、多少だが知った』

ミュウツー『お前たちのようなポケモンが、色々と折り合いをつけて生きていることも知った』

ミュウツー『私がニンゲンではないと知ってなお、求める知識への道と示そうとするニンゲンの存在を知った』

ミュウツー『自分が何かを知っていて、何かを理解している気になっていたことを思い知った』

ミュウツー『……』

ミュウツー『知らないということは、愚かなことだ』

ミュウツー『……だがある意味、幸せなことなのかもしれないな』

ジュプトル「!」

ミュウツー『……? どうした?』

ジュプトル「えっ……あ、ああ……いや」


その言葉は知っている。

その考え方は知っている。

おれ自身が、一番よくわかっている。


降り注ぐ雨は、いつしか少しずつ弱くなっていく。

いずれ雨が止もうとする変化だった。

自分自身を騙し続けるための嘘が力を失いつつある。

ジュプトルの耳には、弱くなっていく雨音がそう聞こえていた。


ジュプトル「おまえの、いってること」

ジュプトル「……おれ しってる き……する」

ミュウツー『そうか』


知らなければ、このままでいられる。

シアワセでいられる。

安全が保障された『はらっぱ』の外が、どんな世界なのか、知らなければ。

生きる意味を持てた日々が、どんな毎日なのか、知ろうとしなければ。

欠けることなどないと信じていた仲間が失われる可能性に、考えが至りさえしなければ。

本当に憎むべき相手が何なのか、考えようとしなければ。

自分を囲む世界は、変わることなく続く。

向き合い方を変えない限り。

知らなければ、シアワセな姿のままだ。

知ろうとしなければ、今のシアワセは揺るがない。

“そこ”は楽園だ。


ミュウツー『だが、知ろうともしないのは、もっと愚かなことだ』

ミュウツー『……と、私は思う』


知ろうとしなければ、真実に行き着くことはない。

真実に行き着かないかわり、手放しに誰かを責め立てることができる。

誰かの本当の姿を知ることなく、自分自身の罪を知ることもない。

だがそんな日々に、未来が訪れることはない。

“そこ”は誰もいない、ひとりきりの楽園だ。


――寂しいかい?

――ひとりきりは……誰もいないのは、寂しいだろう?

――でも、その世界を望んだのは、お前だった


ミュウツー『お前は、どうしたい?』


――お前は、知りたいのか?


ジュプトル「おれ……」

ジュプトル「……しりたい」


……何言ってるんだ、おれ。

『答えなんていらない』って言えばよかったんだ。

『関係ないんだから黙ってろ』って、言ったってよかった。

こいつが、そうまで言うおれを追求してくることは、たぶんない。

それで話が終わるはずだ。

なのに、おれは……どうしてそんな返事をした?


――お前だって、本当はわかってるから

――真実を前に、偽りの楽園は……


頭の中に棲むあいつが、やけに穏やかな顔をしている。

どうしてだ?

“いい気味だ、もっと苦しめ”……だろ?

“ざまあみろ”……じゃないのか?


――違う

――おれは、お前だから


ジュプトル「……あ……」

ジュプトル「……そう、なんだ……」


喉を唸らせた程度の、ほんの小さな声でジュプトルが鳴いた。

小さなその声は、ともだちの耳まで届かないかもしれない。


――ともだちに なりたいのに、な


ジュプトル(あいつら、は……)

ジュプトル(ともだち……に、なんて なれないよ)


――こんな、自分だから?

――それとも……そんなに、辛かった?

――自分が無力だったこと

――大事な仲間を守れなかったこと

――それが、他の誰でもない自分のせいだってこと


パキン、と何かにひびの入る音が聞こえたような気がした。


ミュウツー『……ん?』

ジュプトル「……い、いや……その……」

ミュウツー『……』


ジュプトル(だれかの せい?)

ジュプトル(ちがう……おれの せいだ)

ジュプトル(そ……そうだ)

ジュプトル(おれが にくいのは……あいつじゃ ない)


ジュプトル「もう いやなんだ」


ジュプトルは頭を抱えた。

頭の中と外の区別がつかなくなる。

自分が声を出しているのか、頭で思い浮かべただけの言葉なのかも、よくわからない。

そもそもはじめから、そんな区別など存在しなかった気さえしてくる。

自分の中には、自分しかいない。


塞いだ耳に、自分の鼓動と共にもやもやと歪んだ音が届く。

雨が止み、声が止んだ。

頭の中で、腹の底から、自分を責め続けてきた、誰かの声。


違う……あの声は、『おれを責めてる誰か』なんかじゃない。

おれ自身だ。

おれ自身が、言い訳を並べるおれを忘れないように、声を発していただけだ。

誰かを憎み、誰かを羨み、誰かに嫉妬する醜い『おれ』を、忘れないように。

その浅ましい姿こそ、本当の自分なのに。

どうして、忘れていられたのだろう。

どうして、見て見ぬふりなんて、していられたんだろう。

どうして……。


ガラスよりも低い音で、何かが割れたような気がした。


ジュプトル「なあ、みー……あ、じゃなくて」

ジュプトル「ミュウ……ツー」

ミュウツー『なんだ』

ジュプトル「なんで……おまえ なんかが、ここに きたんだろうな」


そうじゃない。

そういうことが言いたいんじゃないんだ。

だめだ、もっと必要なんだ。

自分には、致命的に言葉が足りない。

言い表すすべがない。

どう言えば伝わるのか、見当もつかない。


ジュプトル(……だから、ダゲキは べんきょう、したいのか)

ジュプトル(なんか やっと、わかってきた)


ミュウツー『……ずいぶんな言い草だな』

ジュプトル「あれ……えっと……」

ジュプトル「いまの よくない いいかた……なのか?」


ミュウツーは怪訝そうに顔を顰めた。

そしてすぐ、相手の言語レベルを思い出して片方の眉を跳ね上げる。


ミュウツー『以前の私なら、この前のようにねじる』

ジュプトル「……やだな……」

ジュプトル「あ、ああ……はは……」

ジュプトル「そっか、なんだ……」


突如、ジュプトルはケケケと声を上げて笑い出した。

喉を鳴らし、人間とは程遠い、その種族に独特な笑い方をする。


ミュウツー『変な奴だな』

ジュプトル「……そう?」

ジュプトル「おれ……わかった、のかも」

ミュウツー『「わかった」? ヨノワールのことでか?』

ジュプトル「ううん、ちがう」

ジュプトル「おれの、こと」

ミュウツー『お前のこと?』


ちくり、と何かがジュプトルの目を刺した。

雲が切れ、陽射しが注いでいる。

下草が抱える雨粒に細い矢のような光が当たり、反射してジュプトルの目を射ているのだった。


ジュプトル「なあ、ミュウツー」

ジュプトル「おれ……すごく、ひどいやつだ」

ジュプトル「ひどいやつで、いやなやつ、なんだ」

ミュウツー『……そうなのか?』

ジュプトル「わらえよ」

ミュウツー『私には、お前を笑う理由がない』

ジュプトル「いいよ、わらって いい」

ジュプトル「おれさ、みんなに わるいこと、した」

ジュプトル「ダゲキとか、チュリネとか、ヨノワールとか、おまえとか……あと、いっぱい」

ジュプトル「ともだち なんて、なれない」


ミュウツーが変な顔をしている。

きっと、おれの言っていることがよくわからないんだろう。

それは……しかたがない。


ジュプトル「なんていうのか、わかんないけど」

ジュプトル「おれ、ひどいのは……わるいのは じぶんじゃないやつ、とおもってた」

ミュウツー『??』

ジュプトル「ことば……へんか?」

ミュウツー『さっぱり、わからない』

ジュプトル「そっかぁ」


そう口にしてみると、無意識に顔が緩んだのがわかった。

伝えようという努力をしてこなかったのだから、伝わらないのも当然のことだった。

ならば今からでも、伝えようと努力してみればいいだけの話だ。

そんな程度のことに、ジュプトルはようやく思い至った。


ジュプトル「じゃあ……がんばって、いう」

ジュプトル「だから、きいて くれ」

ミュウツー『わかった』


ジュプトル「おれ、ここ くるまえ、まち……に、いた」

ミュウツー『ニンゲンと、か』

ジュプトル「うん……さいしょ だけ」

ジュプトル「ニンゲン……に すてられて、なかまと、まちに いた」


ただそれだけのことを伝えるのに、思いの外、苦労してしまった。

人間の言葉は、本当に難しい。

今にも舌や喉が攣りそうだった。

口を使って、上手く喋れるダゲキやバシャーモが羨ましい。

口を使わずに伝えられるミュウツーも羨ましい。

これは嫉妬ではない。

自分もそうなりたいという、ただの憧れだ。


ジュプトル「でも、その なかまは、しんだ」

ジュプトル「しんだから、たべた」

ミュウツー『……』

ミュウツー『食べたのか』

ジュプトル「うん……でも、そのとき だけ」


ジュプトルは俯き、あの時のことを思い出そうとする。

ぼんやりとした光景と気持ちだけなら、思い起こすこともできそうだった。


ジュプトル「なあ」

ジュプトル「それ、おれが わるかったんだ」

ジュプトル「おれのせい。おれが……たくさん、まちがえたから」

ジュプトル「だから、あいつ しんじゃった」

ジュプトル「なのに おれ、ニンゲンの、せいにした」

ジュプトル「ニンゲンのせいに、“できちゃった”」


あの時はわかっていた。

自分が何を間違い、どこで誤り、どうしなければいけなかったのか。


ミュウツー『ああ……なるほど』

ミュウツー『なんとなくだが、お前の言おうとしていることは理解できたような気がする』

ジュプトル「ちゃんと、つたわった?」

ミュウツー『おそらくは、な』

ミュウツー『まあ、ちっとも上手くはないが』

ジュプトル「ちぇっ」


ジュプトル「そりゃあ……ダゲキみたいに、うまく いえない」

ジュプトル「あいつ、いっぱい しってる」

ミュウツー『奴も別に上手くはないから、引け目に感じる必要はない』

ジュプトル「……そうなの?」

ミュウツー『お前より、頭の形がニンゲンに近いから、多少言いやすいだけだ』

ミュウツー『第一、バシャーモの方がずっとニンゲンの喋り方に近いレベルまで喋れている』

ジュプトル「……じゃ、じゃあ」

ジュプトル「おれも、べんきょう とか、れんしゅう、したら……もっと、いえる?」

ミュウツー『さあな』

ジュプトル「そっか」

ジュプトル「もっと ちゃんと、いえたら……ヨノワールにも あやまりたい」

ミュウツー『ヨノワールにも、「疑ってすまなかった」と謝るのか』

ジュプトル「……うん」

ジュプトル「おれ、ちゃんと いわなきゃ」

ジュプトル「なんて いえばいいか、わかんないけど」

ジュプトル「おれ、いけないことしたって、いわなきゃ」


ああ……やっと言えた。

どうしても言いたかったこと、言わなきゃいけないことを、やっと言えた。


ミュウツー『次は、いつどこで会えるかわからないぞ』

ジュプトル「う、うん……でも、さがすよ」

ジュプトル「あやまる、って……どういえば いいのかな」

ミュウツー『ううむ……』


ジュプトルがそう口にすると、ミュウツーは唸った。

こういう時にふざけず、真面目に考えてくれる友人がありがたかった。


ミュウツー『「ごめん」とか「ごめんなさい」でいい……と思うが』

ミュウツー『ヨノワールは、ニンゲンの風習まで身についているようだ』

ミュウツー『謝罪の言葉も、当然知っているはずだ』

ミュウツー『言って伝わらない、ということはないんじゃないのか』

ジュプトル「おれ、あんまり、あやまったこと ないや」

ミュウツー『謝罪するばかりというのも、それはそれで問題があると思うが』

ジュプトル「でも、ダゲキは よく、いうよ」

ジュプトル「『ごめん』って」

ミュウツー『……あれはあれで、謝りすぎだ』

ジュプトル「そうなんだ」

ジュプトル「……あ……あめ、おわった」


その言葉につられ、ミュウツーも空を見る。

雨が降る前の晴れた空よりも、今の空の方が少しばかり色鮮かだった。


ミュウツー『そろそろ、あいつが待ちくたびれているだろうな』

ジュプトル「うん」


ふたりは立ち上がり、足元の雫を撥ね飛ばしながら歩き始めた。

チュリネは即座に気づき、飛び上がらんばかりの勢いで駆け寄る。


チュリネ「おはなし、おわったの?」

ジュプトル「うん、おわった」

ミュウツー『休憩も終わりだ』

チュリネ「じゃあ、いっしょ、いこ!」


チュリネは甲高い声で、こんなに嬉しいことはない、とでも言いたげに喜ぶ。


ジュプトル「……ハハコモリの、とこ?」

ミュウツー『そうだ』

チュリネ「チュリネ、みーちゃん つれてく!」

チュリネ「チュリネ、いっぱい しってるんだもん!」

チュリネ「だから、ついてきて!」

ミュウツー『わかった』

ミュウツー『案内はチュリネに頼もう』

ジュプトル「おれも、いるんだけど……」

ミュウツー『お前は先にやることがあったはずだが』

ジュプトル「げっ……なに それ!」

ジュプトル「おまえ、いじわるだな!」

ミュウツー『ふふん』


甲高い声と、かすれた耳障りな声がかすかに飛び交う。

大きさもばらばらな三つの影が、雨の止んだ明るい森を進んでいった。

今回は以上です

前回から数えて1ヶ月以上開いてしまいましたね!

次回はもうちょっとペースを上げるか、
一回の量が少なくても頻度が上げられるよう努力します

それでは、また。


しっとりとした空気まで伝わってくる
やっぱり上手いなぁ

乙です
ふり返って読み直していたらバシャーモが♂だったってとこ見落としててびっくりしたww
ちゃんと読んでたつもりなんだけどなあ…
読み直すと新たな発見がありそうなくらい厚みあるよな
結局ジュプトルは♂♀どっちなんだろ
チュリネの呼び方は皆ちゃん付けしてるしまだ分かってない希ガス
一人称からして♂っぽいけど

とりあえずチュリネが天使であることは分かった
長文すまん

たくさんレスありがとうございます!

>>634-636,638-639
前回のところは、書き直したりしてて一番時間がかかってしまったので、
そう言っていただけるとありがたいです

>>637
とりあえずハッキリしてるのは、
ダゲキ(♂)、チュリネ(♀)、バシャーモ(♂)ですね


予告ですが、今夜また投稿します
前回より量は少ないですが、せっかくいい区切りまでできてるので…

こんばんは

それでは始めます


無機質な光が降り注ぐ部屋に、カタカタと音が響いている。

外は真昼だというのに、窓のない部屋では時刻そのものが意味を為していなかった。


部屋の中には、白衣に身を包んだ眼鏡の男がいた。

男は画面に向かってキーボードを操作している。

目の前には天井まで伸びる厚いガラス板が嵌め込まれ、二つの部屋を完全に遮断している。

強化ガラスの向こう側にも大きな空間があり、男が少しだけ背筋を伸ばせば覗き込める。

もっとも、頭上には薄いモニタがいくつも並び、覗き込まなくても様子がわかるように設置されていた。

今もガラスの向こう側の状態をカメラが拾い続け、その使命を全うしている。


だが眼鏡の男にとって、このモニタは歯痒いばかりだった。

どうしても、現実の動きとモニタの映像にわずかな誤差があるような『気がして』しまう。

測定する上で、それが有意差になることはない。

映像は常に録画されているし、数値も記録され続けている。

検証するのなら、データ取りを終えたあとから、いくらでもできる。

それでも男は、ほんの一瞬の『何か』を見逃がしてしまうのではないかと恐れていた。


わずかに目を動かした、その誤差にもならない“刹那”に、待ち望む『何か』が起きるかもしれない。

カメラでは捉えられない『何か』、測定器具では拾うことのできない『何か』。

具体性の薄いその『何か』が起こることを願って、実験を繰り返しているような気がしていた。

結局、男は実験が開始されれば、ほとんどガラス越しの光景を見つめ続ける。

データとして記録される数値や映像など、それこそあとから確認すればいいだけのことだ。


もうひとつの部屋には、頭部に機械を取りつけられたダルマッカと、『男』と同じように白衣を着た青年が立っている。

ダルマッカは何度も、自分につけられた計測用の装置に目を向けるしぐさをする。

装置を邪魔そうに見上げながら、ダルマッカはプクプクと鳴いては飛び跳ねるのだった。

向かい合うようにして、その正面には同じ装置をつけたハーデリアと、別の白衣の男が立っている。

二人目の白衣の男は毛並みを優しく撫でながら、ハーデリアに声をかけていた。

撫でられたハーデリアは嬉しそうに鼻を鳴らしている。


????「どうですか?」

青年『今のところ、予想範囲内です』

白衣『こちらも、調子はいいようです』


インカムを通じ、二人の白衣が答えた。


????「それでは、始めてください」


眼鏡をかけた男の声を契機に、二人の白衣が声を上げた。


白衣『ハーデリア、かみつく!』

青年『ダルマッカ! いかり! それからずつきだ!』


ほんの一瞬だけ出遅れたダルマッカの前脚に、ハーデリアがかみついた。

ダルマッカがピィと高い声で鳴く。

かみつく口にぶら下がった状態のまま、ダルマッカはもう一方の前脚でハーデリアの鼻つらをひっかいた。

ハーデリアが唸り、牙が外れた隙にダルマッカは耳障りな鳴き声を上げる。

不快な音にハーデリアが退くと、ダルマッカは間合いを取りずつきを食らわせた。


白衣の人間たちはポケモンにそれぞれ指示を出し、その様子を観察していた。

合間合間に、板にくくりつけた紙に何かを書き込んでいる。

ガラスのこちら側で見つめる男もまた、ポケモンとそれを指揮するトレーナー役の研究員たちを交互に見ていた。

待望する『何か』を見逃がさないように。


しばらくして、ガラスで隔てられた眼鏡の男が声を発する。


????「ありがとうございます。戦闘を中断してください」


スピーカーから響く男の声を聞き、二人の白衣はそれぞれのポケモンを呼び寄せた。

ダルマッカはまだ戦いたいらしく、ふうふう唸りながらいっそう飛び跳ねている。

一方ハーデリアは、自身を指揮する白衣の声に素直に従い、尾を振りながらその脇に控えた。

眼鏡をかけた白衣の男は、さきほどの模擬戦闘を思い出しながら、記録された映像と数値を確認している。


残念なことに、男の期待する『何か』は今回も起きなかった。

記憶にも、映像にも、数値にも、興味深いデータはあっても、心躍る『何か』の存在はあまり感じられない。


????(……ダルマッカの攻撃力上昇は、『いかり』効果の想定範囲内と言えなくもない、か)

????(もっとも、効果そのものは優秀だから、問題はない)

????(ハーデリアの方はやや不安定だが、これが仮説の裏付けになるかというと……それには弱い)


男が今しがた得たデータに目を通す間、二人の研究員と二匹のポケモンはそれぞれに待機していた。


青年はじっとガラスを見上げ、ダルマッカはその足元でころころと転がっている。

頭に取り付けられた装置を外せないものか、ダルマッカなりに色々と試みているのだった。

一方、もう一人の白衣はハーデリアの健闘を称え、戦いのようすを思い返して語りかけている。

理解できているかどうかはさておき、ハーデリアは心地良さそうにその声に耳を傾けていた。


????「興味深いデータが取れました。むろん、まだ結論は出せませんが」

????「判断するには、条件を揃えてデータをもっと積み重ねる必要がありますね」

????「まあ、いいでしょう。一旦休憩します」

青年『はい』

白衣『わかりました』


男は腕を組み、椅子に背を預けた。


????(……やはり連中の使っていたという、例の装置について資料を探してみるべきか)

????(彼に頼む、という手もあるが……)


二人目の白衣はハーデリアに『お疲れ』と声をかけ、ボールに収めて足早に部屋を出て行く。

青年の方は、なかなか動こうとしなかった。

いつまでも自分をボールに戻そうとしない青年を、ダルマッカが不思議そうに見上げている。


青年『あの、差し出がましいことかもしれませんが』


不意に、一人残った青年がインカムに話しかけた。

男はいま預けたばかりの背を起こし、青年の声に耳を傾ける。


青年『アクロマさん、やっぱりもっと……』


青年の言葉を受け、アクロマと呼ばれた男は眼鏡を持ち上げる。

アクロマの表情は、薄い微笑から変化しない。


アクロマ「もっと……なんでしょうか?」

青年『いえ。もっと強いポケモン……』

青年『せめて進化後のヒヒダルマを使って実験をした方が、いい結果が出るんじゃないでしょうか』

青年『私のダルマッカにしても、あいつのハーデリアにしてもそうです』

青年『攻撃力も素早さも、ヒヒダルマやムーランドの方が、ずっと成長の“伸びしろ”は大きいはずでは』


アクロマは、青年の『意見』を黙って聞いている。

若い研究者の持つ、視野が狭くても勢いある野心は、彼も嫌いではない。


アクロマ「その意見は理解できます」

アクロマ「事実、ヒヒダルマやムーランドの方が、同じ成長度合いでも例外なく能力は高い」

アクロマ「しかし、わたくしが求めているのは『強いポケモンが強さを発揮する』ことだけではありません」

青年『はあ……』


明らかに納得できない、という感情が返事に滲み出ていた。


アクロマ「わたくしの目的は、以前お話ししましたね」

アクロマ「『あらゆるポケモンが、その持ちうる真の能力を最大限発揮する』こと」

アクロマ「ひいては『能力の限界を越えた能力を発揮する』こと、とでもいいましょうか」

アクロマ「わかりますね?」

青年『はい』


アクロマ「たとえば、マメパトやココドラより単純に能力の高いポケモンは、それこそいくらでもいるでしょう」

アクロマ「しかし、仮にこのココドラが百パーセントの……いえ、百パーセント以上の力を発揮すれば」

アクロマ「そうした『強い』ポケモンを凌駕することだって可能かもしれない」

アクロマ「遍在するが弱いとされている、種々のポケモン」

アクロマ「彼らから真の能力を引き出し、そのちからが最大限“以上”に発揮されるところを見たいとは、思いませんか」

アクロマ「わたくしは、彼らの能力の、限界を越えたその先の領域を……見てみたいのです」

青年『それは、わかります』

アクロマ「まあ……現実的な問題もありますけどね」

アクロマ「能力は高いが入手が難しいポケモンを、血眼になって探し、量産するより……」

アクロマ「いわゆる『どこにでもいるポケモン』を素材とする方が、実験の繰り返しも極めて容易です」

アクロマ「いわば基礎研究……と言えなくもないでしょうね」

アクロマ「めざましい結果が出ないことで、あなたにも不満があるかとは思いますが」

青年『……』

アクロマ「いずれ汎用性のある手法を確立することも、目的のひとつです」

アクロマ「どうあれ、現在の研究が無駄になることはないのですよ」


青年は複雑そうな顔をし、ダルマッカの器具を取り外してボールに戻した。

アクロマは、自分よりも遥かに若い研究員の心中を思った。

アクロマの研究に助手として参加している以上、こちらの方針に従う以外にない。

気に食わないわけではないが、納得しきれない部分も大きいのだろう。

『こうすればもっと成果が上がるのに』。

『ああすれば、もっと効率よく結論が出せる』。

熱意と未来のある青年の気持ちは、もちろんアクロマにも痛いほどよくわかる。

しかし、一見華々しい成果を残した、“一発屋”になるだけでは意味がない。

研究とは、そういうことではない。

ただひたすら突き詰め、究める。

いまだ見ぬ、未知の領域をその目で確かめるために。


想像もつかない、常識を越えた領域。

固定概念の通用しない、まばゆい存在たち。

彼らは、人間には一生かけても到達できない世界を軽々と飛び交う。

彼らに秘められた能力は、どこまで高く昇っていけるのだろうか。

空を越え、惑星のくびきを越え、宇宙を難なく越えるだろう。

世界と世界の壁さえも越えてみせるかもしれない。

その非常識な『可能性』は、人間にも垣間見ることが許されているのだろうか。

それを自らの手で引き出すことの愉悦が、あの若者に理解できるだろうか。

それに――


プシュッ


アクロマの背後で小さな音が響き、扉が開いた。

コツコツと硬い靴の音が、これまた硬い床に響く。

耳に馴染みのある足音だった。


アクロマは振り返るまでもなく、入ってきた男が誰なのか、どんな姿をしているのか知覚した。

そして、奇異と言われても不思議ではない男の装いに、それなりの意味があることも知っていた。

彼自身はほとんど関わっていないものの、男は壮大な計画を進めている。

長い時間をかけて下準備を済ませ、気の遠くなるような根回しをし、求めるものへと少しずつ手を伸ばしていく。

時代錯誤な印象さえ与えるマントが、アクロマの背後で翻った。


アクロマ「……それに、研究ではなく“技術”となれば、また話は違ってしまいますからね」

????「なんの話……でしょうか」


アクロマは薄い微笑を浮かべたまま、オフィスチェアをくるりと回した。

今しがた入ってきた男に視線を向け、あくまで消極的に話をはぐらかすべく、肩を竦めてみせた。


????「……まあ、いいでしょう」

????「で、実験の進み具合は?」

アクロマ「まあまあといったところですよ、ゲーチス」


曖昧な返事をしながら、アクロマは椅子を少しだけ回転させ、キーボードに触れた。

モニタにグラフが表示される。


アクロマ「たった今の実験、結果を見てみますか」

ゲーチス「ええ、それでは」


ゲーチスと呼ばれた長躯の男は、モニタに近づき、かすかに目を細めて見入った。


アクロマ「解説しましょうか?」

ゲーチス「いいえ結構。途中経過に、それほど興味はありません」

ゲーチス「結果さえ出していただければ」

ゲーチス「あなたの提唱した『二つのアプローチ』、どちらが正解なのでしょうね」

アクロマ「まだなんとも。個人的な希望的観測はありますが」

アクロマ「現時点では、特に問題なくデータを蓄積できている、といったところです」

ゲーチス「そうですか」

ゲーチス「では、そのまま続けてください」


大柄な男は身を引き、満足そうに頷いた。

実際、この男は本当に途中経過には興味がないのだろう。

その姿勢は、いっそ清々しいとさえ言えた。

アクロマは、このゲーチスという人間のことを、それほど好ましく思ってはいない。

共に仕事をする意味があるからこそ、尋常ならざる恩恵があるからこそ、ここにいた。

そういう意味では、非常に有り難い存在であることは否定できなかった。


ゲーチス「一刻も早く、ポケモンを任意にコントロールし、能力を発揮させるすべを見出すのです」

ゲーチス「あなたの好奇心が、非人道的なレベルで満たされ……」

ゲーチス「のみならず、わたくしにとっても、大きな利益となるわけですからね」

アクロマ「ええ、それはもう、もちろん」

アクロマ「……」

アクロマ「そういえば、あちらの成果はどうなんです」

ゲーチス「『あちら』? ああ、アレのことですか」

アクロマ「たしか、実用とまではいかなくても、いいところまで進んでいたように記憶しています」


ゲーチスは眉間にこれみよがしな皺を寄せ、いかにも『残念極まりない』という表情を作った。

その顔は、おそらく民衆に見せる『小芝居』で使う『道具』なのだろう。


ゲーチス「残念なことに……ある方面から圧力があったのですよ」

アクロマ「ほう」

ゲーチス「それゆえ、私は研究の中止を命じました」


プロジェクト中止の話は、アクロマも聞いていない。

中止になったのならば、人員の再配置も行われたはずだ。

そんな話さえ、噂にも聞こえてはこなかった。

そこまで自分のプロジェクトに熱中していただろうか、とアクロマはふと思う。


アクロマ「それは……実に残念ですね」

ゲーチス「残念なのは私も同意ですが、どうにも逆らえないところからの横槍ですから、仕方ない」

ゲーチス「ラボは閉鎖、研究員も全てほかの部署に異動させました」

ゲーチス「……と、いうことにしてあります」


そう言いながら、ゲーチスはアクロマを意味ありげにちらりと見た。

アクロマはかすかに目を見開き、声を漏らした。


アクロマ「ほう」

アクロマ「……なるほど、それは賢明な判断です」

ゲーチス「くだらない理由で、せっかくの研究を潰されては、たまりませんからね」

アクロマ「さきほど、『逆らえないところからの横槍』……と仰っていませんでしたか?」

ゲーチス「言った……かもしれませんが、まぁ、本当に解散させる必要はないわけです」

ゲーチス「あと一歩でモノになりそうな武器を、手放す道理などありませんよ」

アクロマ「異議はありません」

アクロマ「いずれわたくしにも、見せていただきたいものです」

ゲーチス「ええ、もちろんです。いずれ……」

ゲーチス「こちらの研究と組み合わせれば、更なる成果が期待できるでしょうからね」


アクロマの目に社交辞令の気配はなかった。

ゲーチスが策を弄して生き残らせた『研究』に、科学者として純粋に興味を抱いている。

一方ゲーチスも、科学者であるこの男に対して、無意味な嘘をつく気はなかった。

協力を願い、無理強いでなくそれが得られているのが現状である。

ならば下手に嘘で丸め込むよりも、ある程度事実を伝えておいた方がいいと判断していた。

騙して参加させればそれだけ、仰げる協力の範囲も狭まってしまう。


アクロマ「あなたの判断は、正しいと思いますよ」

アクロマ「現在は倫理的にボーダーライン上にあり、研究することそのものが“物忌み”の対象となる」

アクロマ「しかし化石の復元とその改良など、原理的にはそう難しくない」

アクロマ「成功すれば……カントーで噂された、かの“都市伝説”に匹敵するものすら、実現できるではありませんか」

ゲーチス「……都市伝説?」


アクロマが見上げると、ゲーチスは不思議そうな顔をしている。

ゲーチスのその反応自体が、アクロマにとっては少し意外だった。


アクロマ「おや、ご存知ではありませんでしたか」

ゲーチス「寡聞にして」

アクロマ「あなたなら、そういう分野に多少お詳しいかと」


皮肉めいて聞こえるアクロマの言葉も、ゲーチスにはあまり響かない。

実際、アクロマも皮肉を言うつもりで発した言葉ではなかったが。


ゲーチス「私が調べ上げたのは、この地方を中心とした『伝説』や『伝承』ばかりで」

ゲーチス「現代的なものには、それもカントーほど離れた地域のものには、あまり詳しくないのです」

ゲーチス「よろしければ、お聞かせ願えますか」


ゲーチスの言葉を受け、アクロマは眼鏡を押し上げた。


アクロマ「……ある研究者の、噂ですよ」

アクロマ「ポケモン研究に携わるものの、まぁまさに都市伝説とでもいいましょうか」

アクロマ「研究者だけがまことしやかに伝える、真偽の怪しい、巷説」

ゲーチス「それは、面白い」

アクロマ「興味がおありですか」

ゲーチス「ええ」


そう短く答えると、ゲーチスは目を細めた。

本当に興味があるのかどうか、アクロマにも判断しきれない。


アクロマ「ある研究者……いえ、科学者がいたんです」


アクロマはそう言うと、静かに話を始めた。



森の中を、青い影がとぼとぼと歩いている。

足取りは重くないが、水浴び帰りに雨に降られ、彼の気分は少しだけ沈んでいた。

自分を含めた『よそ』のポケモンがこの森で居場所を失わないために、考えることがたくさんあった。

そうした『仕事』とは関係なく、友人たちの関係や自分のことについて、考えたいこともたくさんある。

若草色の預言者に言われたことも、じっくり反芻しなければならない。

次に会った時にミュウツーに何を教えてもらうか、それも整理しておきたかった。


なぜ、あんなことを言われたのか。

なぜ、友人がわざわいを呼ぶと言われなければならないのか。

なぜ、それをぼくに伝えたのか。


こんなふうにものを考え、あれこれと悩むようになったのは、いつからだったか。

頭の中で拙い語彙をこねくりまわし、湧き続ける『なぜ』の答えを求め始めたのは、いつからだろうか。

……昔はこんなに、色々と『考えて』いただろうか。

もちろん、頭を使っていなかったわけではないはずだ。

森で生活していた頃も、人間と旅をしていた間も、その後も、それは変わらない。

けれども、人間と過ごす前と後では、明らかに考える量も時間も増えている。

思考の幅も広くなっているのだろうし、深さもおそらく違うだろう。


幾度となく繰り返してきた疑問への回答は、自分でもわかっている。

だからこれは、意味のない、進歩のない堂々巡りの思考だ。

けれども、やめられない。


無意味な“迷路歩き”をするようになったのは、あの人間と過ごす日々が始まってからだ。

決して尊敬できるような、一緒にいることに希望を持てるような人間ではなかった。

けれど、発展性のないそれまでの日々と比べれば、やはり彼との道行きは無意味ではなかった。

それまでのように、考えること、意志を持つこと自体を放棄していた日々に比べれば。


さまざまな言葉を使って、指令が出される。

さまざまな会話を、すぐ近くで交わされる。

さまざまな意図を潜ませた声が、頭上で飛び交う。

じっくりと学ぶことができたのは、いわば彼のおかげだ。

人間と共に暮らす幸せなポケモンたちも、そうやって言葉を憶えているのだろう。

だから人間の言葉がわかる。

命令を理解できる。

向けられた愛情を知ることができる。


人間の手持ちになったからには、一度くらい大切にされてみたかった。

彼らがポケモンに向ける“情”というものを、もっと早くに受けてみたかった。

その願いが叶っていたら、今とは違う自分になることができていたかもしれない。

今とは全く違う考え方、全く違う世界の見え方を持っていたかもしれない。

と、今になって思う。


『考える』とは、なんなのだろうか。

そう『考え』始めると、自分自身が暗い沼の中へと沈んでいくようだった。

透明度の低い、思考の迷路に落ち込んでいく。

そうした前進のない作業は、唐突に中断された。


ダゲキ「……?」


茂みの向こう、重々しい木々の向こうに誰かの気配がした。

ダゲキが立ち止まり目を向けると、気配の主もまた応じるように彼を意識する。

気づかれたことに気づいた、とでもいうような変化だった。

言葉を使わずに会話が成立したような、妙な按配だった。

がさがさと低木の枝葉を掻き分け、森の影が形を得たような塊が姿を見せる。


ヨノワール「……」

ダゲキ「……あぁ」


ぼんやりとした目つきで漂いながら、ダゲキの前にヨノワールが現れた。

いつものように何かに怯え、いつもと変わらずおどおどしている。

これほど明るい時間帯に、この相手と顔を合わせるのは久々だった。

降り注ぐ陽射しと反比例するかのように、ヨノワールの周囲は陰に沈んでいる。


ダゲキ「……」

ヨノワール「……まだ、です」

ダゲキ「そう」


一言ずつ言葉を交わしただけで、ヨノワールは軽く頭を下げた。

ダゲキはその様子に、静かに目を向けている。


ヨノワール「ありがとう、ござい……ま……す」


頭を下げる、お辞儀をする。


ダゲキ(……『ありがとう』……)


礼を言う。


頭を下げるという行為そのもの、その示す意味はダゲキも知っている。

あの人間がやっているところを、見たことがないわけでもない。

とはいえあの人間をいくら観察したところで、最後までこの動作が身につくことはなかった。

どうして身につかなかったのか、本当の答えはわからない。

理由は、見本にした人間にあったのではないか、とダゲキは予想するだけだ。

おそらくだが、この