ミュウツー『……これは、逆襲だ』 第二幕 (434)



夢を見た。

空が見える。

海が見える。

どちらも深く、高く、青い。

どちらも同じように青いのに、その境界線は実にはっきりしている。


『私』は、『私』ではない誰かの目を通して、そんな夢の世界を見ていた。


いつの間にか『私』は、海に囲まれた地面の上に立っている。

あたりには瓦礫が散乱していた。

焼け焦げ、ねじれ、崩れ、朽ちている。

夢だからだろうか。

音はなにも聞こえない。

風の音も、波の音も。

まるで、耳に厚い膜を張られている。

さもなくば、誰かに耳を塞がれている。


『私』の入り込んだ誰かが、おのれの立っている足場の周囲を、ぐるりと見渡した。

当然だが、この悍ましい景色の中に『私』以外は誰もいない。

それはとても残念なことだ、と『私』はこっそり思う。

せめて気心の知れた誰かでもいれば、こんな場所でも不快にならずに過ごせるだろうに。

もっとも、この景色を実際に見ていた頃は、そんなことを思いもしなかっただろうが。

実際に?

……そうだ、知っている。

ここがどこなのか、どんな場所なのか、『私』はよく知っている。

『私』が造られた場所だ。

そして――『私』が棄てた場所だ。




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・赤緑からXYの本編ゲーム世界+『逆襲』+首藤要素+独自設定+妄想を詰め込んだ世界です

・ミュウツーが名無しの洞窟からヤグルマの森に飛び出し、出会ったポケモンや人間とのんびり暮らします

・ゲーム世界ベースなので、ミュウツー以外にアニメ出典のキャラはほとんど登場しません

前スレ: ミュウツー『……これは、逆襲だ』 - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1373648472/)




そうか。

これは『私』の古い記憶なのか。

記憶にある、切り取られた時間の流れが、ただ思い出されているだけだ。

ならば、知っていてもなんら不思議はない。

ここが炎に包まれていた瞬間のことならば、今も憶えている。

ゴムや金属、生体組織やよくわからない薬品の焼ける匂いは、決していいものではなかった。

その不快な炎も匂いも、夢の中でさえ、もうとっくに消えて久しいようだ。


夢の中の私は、次第に『私』の意思と無関係な動きを始めた。

私は嘆き、憤り、決意している。

『私』は、これほど穏やかな心持ちで眺めているというのに。


……決意?

なんの話だ。


この感情はなんだ。

違う。

知らない。


私は……何をしている。

いや、『お前は』、何をしようとしている。

ぐねぐねと、何かが迫り上がる。

何かが、形作られていく。

“それ”は……やってはならないことだ。

『私』だけは、やってはならないことではないのか。

『私』だけは……。


なんだ。

なんだ、これは。

その生き物は誰だ。

『お前は、誰だ』。

ここはどこだ。

これは……こんなものは……『私』の記憶にはない!




溜め込んでいた重い息を吐き出しながら、若いレンジャーは歩みを止めた。


レンジャー「ふう」


一度立ち止まってしまうと、再び歩き出す気には、なかなかなれないものだ。

賑やかなポケモンセンターの中で、ぽつんと佇む。

これでも仕事中だった。

そのうち受付カウンターから声がかかるはずだ。

それまで時間を潰さなくてはならない。


仕方なく、目の前にあった簡素で年季の入ったソファに、どっかりと腰を下ろした。

数人が座れる幅のものを背中合わせに並べた、どこにでもある待ち合い用のソファだ。


外と違い、センターの中は空調がよく効いている。

にも関わらず、無意識に帽子を脱いで顔を扇ぐ。

エアコンの風では抑えられない、いやな汗をかいていたからだ。


検査が終わったのは、ほんの少し前のことだった。

最後の手続きが終われば、コマタナを返してもらえるはずだ。


予定していたよりずいぶんと日数も時間もかかったが、それは誰に原因があるわけでもない。

コマタナにとって何がストレスとなるのか、はっきりしていなかったのだ。

医師相手だとしても、人前に連れ出していい状態なのか判断は難しい。

せめてもの救いとして、自分には慣れてきてくれている、という程度だった。


結局、あくまで近場へ遊びに行くような調子で検査に連れ出し、疲れたら切り上げることにした。

だがこれでようやく、コマタナを連中の元に帰らせることができる。

放送で声がかかるまでは、おとなしくここで待つことにしよう。


レンジャー(結局、ピンチヒッターも頼まずに済んじゃったしな)


周囲には、ざわざわとした雑多な音が満ちている。

行き交う足音。

ポケモンの鳴き声。

人間の話し声。

その中に混じって響く、事務的な呼び出しの声。

どれも、ポケモンセンターではごく普通のものばかりだ。


――二十三番でお待ちの方、三番窓口までお越しください

――では、検査の申し込みはこちらへ記入を


ベンチの背もたれに頭を放り出し、もう一度、溜息をつく。

弛緩し、それでも耳だけは館内放送を意識しておく。


レンジャー(とりあえず今のところ、問題らしい問題もなかったみたいだし)

レンジャー(ダゲキたちには、大丈夫って言っちゃっていいかな)

レンジャー(足は『無理させるな』って言えば、あいつらなら十分わかるだろうし)

レンジャー(あとは……)


本来の持ち主との関係をどうするか、だった。

彼らがどういう流れでコマタナを保護したのかは、レンジャーにもわからない。

おおかた、捨てられたか逃げ出して弱っていたところを、連中が保護したのだろう。

あのコマタナも、森にもともと住んでいたポケモンではないことがはっきりしている。


ヤグルマの森には、そもそもコマタナなど生息していないからだ。

つまりは本来、トレーナーを名乗り所有していた人間が、どこかにいたはずなのだ。

コマタナをここまで連れまわし、痛めつけ、そして置いていった人間が。

それがコマタナにとって、どんな持ち主であるにせよ。


もし、コマタナの所有者が現れ、かつ本人が望めば……。

問題ありと判断されない限り、正当な手続きを経た上で“返却”しなくてはならない。

人間が、人間の中で生きようと思うなら、人間の法には従わねばならないからだ。


悪法も法だ。

それがいかに悪法であったとしても。

悪法か否かを判断することは、また別の話だ。

ある誰かがコマタナのトレーナーであるか否かと、その誰かがトレーナーとして適格かどうか。

そのふたつが、似ているようで全く別問題であることと同じだ。


いい加減にしてくれ、と心の中で毒突く。

いい加減にしよう、と頭を切り替えるべく努力する。

自分ひとりがこうして悩んだところで、どうしようもない。



あるいは、人間とポケモンが一切の関わりを捨ててしまえば。

そうすれば、こんな悩みも、可哀想なコマタナも生まれずにすむのかもしれない。



不意に、背中合わせに設置されたベンチの向こう側に、人の気配が降ってきた。


??「……きっと みつかるもん」


降ってきた“気配”の主は、消え入りそうな声でそう言った。

レンジャーは思わずベンチに預けた頭を捻って、気配の主にそれとなく目を向ける。


少年が俯いて座っているのが、かろうじて視界の隅に見えた。

背中を丸めているせいで、少年の顔はよく見えない。

だが落ち込んでいるらしいことは、声の調子や背中から十分以上に感じられた。

かばんか何かを抱えているのはわかるが、それが何なのかまでは視認できない。


一方、隣に座る大人はどうも母親らしい。

体が傾いているところを見ると、肘掛けに腕を載せて頬杖をついているようだ。


母親「あんまり期待しない方がいいわよ」


母親らしき女性は、あまり興味のなさそうな声で、溜息混じりに返事をする。

レンジャーは、なんとなくその会話に耳を傾けた。

あまり褒められた行為ではなかったが、手持ち無沙汰であることもまた事実だった。


少年「いるもん」


わずかに、少年の語気が強くなった。


少年「ぜったい、もりに いるもん」

母親「……あれだけ毎日、勉強もしないで探してたのに、見つからなかったじゃない」


母親の声は、対照的なまでに冷めている。

単に興味がないというよりも、むしろあまり快く思っていない。

『勉強もしないで』というフレーズに滲む苛立ち。

そこから、母親の関心がどこにあるのかは明白だった。


少年「……もりの、もっとおくのほうに いったら、いたかもしれないのに」

母親「言ったでしょ」

母親「ポケモンも持ってないのに、そんな奥まで行くなんて、許すわけないじゃない」

少年「おとうさんも そういってた」

少年「でも、おとうさんは てつだって くれなかったじゃないか」

少年「おやすみのひ も、つかれてるから いやだ、って」

母親「お父さんが仕事で忙しいのは、知ってるでしょ」

母親「わがままばっかり言わないの」


細かい経緯はわからない。

だがどうやら、この少年は何かを、いや『誰か』を探している。

その探している『誰か』とは、おそらく少年のポケモンだろう。

どこか、ヤグルマの森近辺で“はぐれて”しまった、ということなのだろうか。


レンジャー(そんな報告があったら、私たちに連絡が来ないはずないんだけど)

レンジャー(あれ? でも今、その話をしてるってことは……まだ何も申請してないってことか)


そして残念なことに、両親は捜索に協力的とは言いがたい。


母親「もう、野性化しちゃってるんじゃないの」


くたびれた調子で母親が言う。

面倒くさいと思っていることを、隠そうともしない。

盗み聞きするレンジャーは、少年に同情を禁じ得なかった。


少年「でもね、おかあさん」


少年が思いがけず低い声を出した。


少年「ぼく、このあいだ テレビで みたんだ」


母親「なにを?」

少年「ポケモンは、うまれた ところじゃないと、なかまはずれに されるんだって」

母親「それがどうしたっていうの?」


レンジャー(あ、このあいだのドキュメンタリーか)

レンジャー(でも、あれって子供が観てもわかるのかな)


少年「ねえ、おかあさん……おとうさんが、どこで つかまえたか、わすれちゃったの?」

母親「……」

少年「はやく さがしてあげないと、いじめられちゃうよ」


母親が、組んでいた足を組み直すような音をさせた。

ウウンとかすかに唸っているところを見ると、母親も答えに窮しているようだ。

ここで言い淀むだけ、まだいい方なのかもしれない、とレンジャーは思う。

盗み聞きしている方としては、よけいに居心地悪く、身悶えするしかない。


母親「でもね、そのチラシを貼ってもらったからって、見つかるわけじゃないんだからね」


レンジャーの位置と向きからでは見えなかったが、少年が抱えていたのはチラシの束だったようだ。

おそらく、そのポケモンを見掛けなかったか尋ねるものだろう。

そうした種類のチラシは、さほど珍しいものではない。


少年「わかってる……」

母親「第一、逃げられたのは森の端っこ、って言ってたんでしょう?」

母親「お母さんそう聞いたけど」

母親「だったら、森にはいないかもしれないじゃない」

少年「あいつ ぼくには、そんなこと いわなかった」

母親「そもそも、一匹のポケモンに拘って宿題もしないなんて」

母親「いつまでも根に持つんじゃないの」

母親「また新しいポケモン、捕まえればいいじゃないの」

母親「お父さんに頼んでみたら?」


少年が、袖で顔を拭うしぐさを見せた。

ポケモンセンターの中は、今も冷房が効いて涼しい。

拭わなければならない汗をかく環境とは思えなかった。


レンジャー(……)


二人にそれと悟られないように、小さく“ごくり”と喉を鳴らす。


子供「……それは やだ」

母親「わかったわよ。チラシでもなんでも、貼ってもらいなさい」


母親の声には情というよりも、諦めや呆れが滲んでいる。

本音としては、息子にさっさと諦めてもらいたいのだろう。


母親「ただし、一ヶ月たっても見つからなかったら諦めなさい」

母親「それから、貼ってもらったからには、ちゃんと勉強するのよ」

母親「スクールをサボって探しに行くのは、もうお終いにしなさい」

母親「高い月謝払ってトレーナースクールに通わせてるのに、これじゃ意味ないじゃない」

子供「……ごめんなさい」


ヤグルマの森には確かに、“迷い込んだ”ポケモンがいる。

自分が把握できているだけでも“時々”なのだ。


――三十五番の方


トータルでは、もっともっと数が多いはずだった。

考えれば考えるほど、好きなだけ憂鬱になれる。


レンジャー(ううん……あとで念の為、一枚もらっておくかなぁ)


こうした“いやな”話について考える時の心境は、妙なものだ。

罪悪感にわざわざ踏み込んでいく、マゾヒスティックな感覚にも似ている。

肋骨の内側をまさぐられるようだ。

緩く締めつけられ、ぞくぞくするほんのわずかな快感を伴う。

あまりいい気分ではないのに、そうしていれば……。


――三十五番で会計お待ちの****さん!


レンジャー「……はッ、はい!?」


若いレンジャーは弾かれたように立ち上がり、素頓狂な声を上げた。

あの声の調子では、こちらが気づくまでに何度も呼んでいたのだろう。

悪いことをした気になる。


レンジャー(ひょっとしなくても、これ凄く格好悪い……)


実際にはこちらが思うほど、誰も気にしていないのだろうが。


レンジャー(恥ずかしいやら情けないやら)


ありもしない周囲の嘲笑を妄想して、挙動不審になる。

もちろん、本当は誰も『私』のことなんて、見ていない。

『私』と誰かを比べて嗤ってる暇なんて、誰にもない。

頭ではわかっているつもりだ。


ソファから離れる瞬間、少年がこちらに視線を向けていたことがわかった。

こればかりは妄想ではない。

うっすらと目に涙を堪えた少年と、目が合った気までした。


まさか、自分の名前に覚えがあったわけではあるまい。

裏返った妙な声の主に、思わず目を向けてしまっただけに違いなかった。


レンジャー「い、今、行きます!」


自分でも情けないほど、ばたばたと騒がしくカウンターへと向かう。

なんとも滑稽だ。


だっこ布に包まれたコマタナを盗み見て、レンジャーはまた溜息をつく。

『返却』されてきたコマタナは、ぐっすり眠っていた。

ナースの話では、連日の検査疲れだろうという。

寝顔は、比較的穏やかだ。


レンジャー(どこでどう暮らすのが、こいつにとっては幸せなんだろうなぁ)

レンジャー(あんなふうに懐いてるってことは、まあ上手くやってくれてるんだろう)

レンジャー(だったら今のまま、みんなと森にいるのがいいのか)

レンジャー(……けど、それって本当に正しいことなのか?)

レンジャー(私たちがこのまま、何もしなくていいとは思えないけど)

レンジャー(でも、じゃあ私に何が出来るっていうんだ)


受付に背を向け、レンジャーは緩めの歩調で進む。


元々の持ち主と暮らしていた頃、このコマタナはどんな生活をしていたのだろうか。

運び込まれた時の姿を見れば、持ち主が“いいトレーナー”でなかったことだけは確かだ。

だったら、こんな目に遭わせるトレーナーが持ち主だと仮に判明したとして……。

その人物の手元に戻ることが、本当に、こいつのためになるんだろうか。

それならば、いっそのことこのまま――


目の前で、薄いガラスドアが音もなく開く。

途端に、身体全体を毛布のような熱気が包む。

土砂を落とすための玄関マットが足の裏でじゃりじゃりと音をたてた。

自転車をどこに停めたかをゆっくりと思い出しながら、レンジャーは足を踏み出す。


背後で、ガラスの自動ドアが閉まっていく。

眩しさに目を細めながら、空を見上げた。

いらいらするほど晴れ渡っている。

確かに暑いが、この思いきりのいい季節は嫌いではなかった。


レンジャー「よォーし!」


自分で自分に気合を入れる。

その声に反応して、抱えただっこ布の中身がもごもごと蠢いた。

聞き慣れた見窄らしい声が漏れてくる。


コマタナ「うぉ、あ……?」

レンジャー「わぁっ、なんだよ」

コマタナ「うー……」

レンジャー「起きちゃったの? ご、ごめんよ……」


声は相変わらず哀れなものだったが、目覚めたコマタナは至極ご機嫌のようだ。

ほっと息をつく。


レンジャー「検査、よく我慢したね」

コマタナ「う!」

レンジャー「よし……じゃ、帰ったら美味しいもの食べて寝よう」

レンジャー「明日になったら、みんなのところに帰してやるぞ」

コマタナ「うあー!」


無邪気に身を捩る哀れな姿に、レンジャーは強い同情心を抱いた。

森に帰れることをこんなに喜ぶのだから、きっとこのまま森にいることが幸せなのだ。

この子にとっては。

実に独り善がりな考え方だ。

それはともかく、今は買い物をし、森に戻ることが最優先だ。

そんなことを考えながら、若いレンジャーは意気揚々と進んでいった。







少年は、やけに勢いづいて出ていくレンジャーの後ろ姿を、黙って見送っていた。

大声を出して気合を入れている。


もうずっと、首の後ろのあたりがちりちりしている。

後悔と罪悪感で頭がおかしくなりそうだった。

あらん限りの勇気を振り絞って、あの図体の大きな餓鬼大将に『返せ』と言いに行ったのに。


あいつは涼しい顔をして、『知らない』と言ったのだった。

問い詰めると、『勝手にいなくなった』と答えが変わった。

自分のいないところで、『弱っちいから森に捨てた』と吹聴しているのを聞いた。


自分はトレーナー失格だ、と少年は思う。

やはり、なにを置いても相棒を奪われることだけは、許すべきではなかったのだ。

見詰めていた自動ドアが閉まる。

レンジャーの後ろ姿が見えている。

ひょっとして、あのレンジャーにも尋ねてみた方がよかったのだろうか。

そう思いながら、今度は自分の抱えた荷物に目を落とす。

かばんの中には、自分がいわば“見捨てた”ポケモンの行方を尋ねるチラシが入っている。

これから掲示を頼む予定だった。

センターには、色褪せた同じようなポスターが掲示されていたからだ。


母親の言うことももっともだった。

チラシがあればポケモンが見つかる、帰ってくる、という保証はない。

それでも、渋る母親を説得して、ようやく手に入れたチャンスだった。

少年はかばんを開け、中身を取り出す。

溜息が出る。


お世辞にも上手い絵ではないが、描いた少年自身、それはいやというほどよくわかっている。

その拙いコマタナの似顔絵を見つめ、少年はもう一度、大きな溜息をつく。


ふと、遠くからコマタナの声が聞こえたような気がした。

少年は、はっとして顔を上げる。

外から聞こえたようだ。

だが、少年の座る位置から外を見ても、それらしい姿はない。

空耳だったに違いない。


――三十八番でお待ちの……


母親「ほら、行くわよ」

少年「う、うん」


少年は生返事を吐き出しながら立ち上がった。

顔を上げた頃には、自分の母親は既に受付に向かって歩き出している。

そんな程度のことは慣れているから、少年も今更どうとは思わない。

いつも通りのことだ。

だから、少年もいつものように立ち上がる。






不意に視界が薄暗くなった。

誰かの影が、自分に覆い被さってきたのだ。

もっとも、誰なのかまったく予想がつかない。


????「おや、それは」

少年「えっ?」


どう考えても、これは自分に向けられた声だ。

当然、母親の声ではない。

男の声だ。


????「その絵のポケモンは……」

少年「あの、ええと……ぼくの、ポケモン……です」

????「ほう、なるほど」


声の主を見上げる。

衣服のせいだろうか、やけに大きな影に見えた。

だから、自分に話しかけてきた男は、本当に背が高いのだろう。

首が痛くなるほど見上げて、ようやくその頭が目に入ったほどだ。


????「いなくなってしまった、ということですか?」

少年「は……はい」

????「さぞ、心配でしょう」


威圧感のある人物が、やわらかい物腰でそう口にした。

不思議な笑顔を浮かべている。

なぜかわからないが、その声が頭の上からじわじわと染み込んでくるような感覚に陥った。


少年「はい、あの……はやく さがしてあげないと……」

????「はて……本当に、そうなのでしょうか」

少年「え……」


少年は目を見開き、再び男を見上げる。




????「そのコマタナを見つけ出すことが、本当に、正しいのでしょうかね」


何を言っているのだろう。

この男は、何を言いたいのだろう。


マントに大きく描かれた不気味な目玉と、男の視線。

合わせて四つの目玉全てが、自分を睨んでいるような気がした。


今回は以上です

相変わらずな皮切りで相変わらずな内容ですが、
今スレもよろしくお願いします
引き続き、楽しんでいただければ幸いです

あと>>9でうっかり「子供」としているところは「少年」の間違いです

それではまた

歴代の悪の組織のボスの中でもトップクラスのクズだよなゲーチスって
それ以前の悪の組織の活動がまともだとは口が裂けても言わんが
少なくとも歴代最悪レベルの人道に反する行いをしたボスだわ
その代わりトップクラスの小物でもあるけど

レンジャーならキャプチャしろよ

それでは始めます!


画面には、ニコニコと微笑む、長髪の女が映っていた。

機械を通して、通信相手のかすかにくぐもった声が聞こえてくる。

音質が低下していてなお、相手の声には明るく聡明な響きがあった。


???『……そうねぇ、今年も早く、あの娘の別荘行きたいな』

???『イッシュもそろそろいい季節でしょう? 今年も暑くなりそうだもんね!』


向こうの女は、いかにも楽しみだと言わんばかりの表情を見せる。


???「テレビで『海水浴シーズンです』なんて言ってるのを聞くと、ねー」


頬杖を突き、アロエは日中の天候を思い出した。


アロエ「そうだねぇ。確かに、こっちはだいぶ日射しが眩しくなってきたよ」

???『あぁー! それ聞くと我慢できなくなりそう! 早く泳ぎたいなー!』

???『春も行く予定だったんだよ!? 本当は!』


『彼女』と、こうして話をするのは久しぶりだった。

アロエもこの時間が楽しみではあったが、多忙なのはどちらも同じだ。


アロエ「……あれ、そういえば、今年はまだ、こっちに来てなかったんだ?」

???『だって、ジョウトの遺跡調査が長引いちゃったんだもの』


向こう側で、口を尖らせているのが見えた。


アロエ「なに言ってんのさ。いつでも、暇な時にこっち来ればいいじゃないか」

アロエ「カトレアだって『いつでも来い』って言ってくれてるんだし」

???『でもさ、また水着で荷物が膨れ上がっちゃうじゃない?』

???『で、しかも振り返れば、片付いてない部屋がいる! キャーッ……っていう』

アロエ「……『ある』じゃなくて『いる』なんだ」

???『そこは譲れませんね!』

アロエ「やれやれ……ねえシロナ、なんでそういうところだけ子供っぽいんだろうねえ」

シロナ『へへへ……』


多少、ばつが悪そうな笑い声が聞こえた。

研究者としての実績でいえば、年若くても彼女の方が名は通っているかもしれない。

だが、そんなに立派な経歴や業績があるにも関わらず、気取ったところもない。

こうして話をしていると、やはり年相応の若い女性にしか思えない。

アロエは彼女に対して、妹か娘に対するような気安さを覚えずにはいられないのだった。


アロエ「……まあ、もしこっち来ることにしたら、声かけとくれよ」

アロエ「積もる話も、たっくさんあるからさ」

シロナ『あはは、そうね』

シロナ『積もる話なら、こっちもいっぱいあるんだ』

アロエ「へえ?」

シロナ『ふふふっ』


シロナが含むところのありそうな声で笑った。

こういうところは、年相応にさえ見えない。

少女、女性、学者と、アンバランスな複数の顔が、不思議なバランスで同居している。


シロナ『ちょっとね、壮大な話。世界救っちゃうレベル』

アロエ「壮大?」

シロナ『うん。まあ、それは今度、会った時に……あっ』

シロナ『ヤーコンさんも一緒に、呑みながらってのは、どうですかね?』

アロエ「はいはい」

シロナ『あっ! ヤーコンさんと言えば!』

アロエ「なに?」

シロナ『ヤーコンさんが、またなんか企んでるって話は聞いてる?』

アロエ「……あ、ホドモエの計画のことかい?」


彼女の言う話には覚えがあった。

ホドモエシティ南部に広がる交易港に手を加え新たな施設を作る、という計画だった。

現在はまだ港が稼動しており、その移転も含めてかなり大規模な開発事業になると目されている。


シロナ『そうそう! なんだ、やっぱり知ってるんだ』

アロエ「そりゃあね。このあいだ、化石を持ち込んできた時に聞いたよ」

シロナ『こっちにはそういう施設あるけど、イッシュにはなかったもんね』

アロエ「バトルフロンティアのこと?」

シロナ『そう。ま、あれはあれで癖が強いけど』

アロエ「……ヤーコンも飽きないねえ」


思わず、溜息まじりになる。

すると、向こう側からも苦笑いの滲む声が返ってきた。


シロナ『そこはほら、バイタリティがあるって言ってあげなよ』

アロエ「街の発展に寄与したいってのはわかるんだけどね」

シロナ『シンオウのあたしにも話が来るくらいだし、もちろん「アロエねえさん」にも声はかかってるわけでしょ?』

アロエ「まあね。最初に聞かされた時、きっちり誘われたよ」

シロナ『……で、どう思う? あたしは、楽しそうだと思ったかな』

シロナ『色んなタイプのトレーナーに出会えそうかな、とは思う』

シロナ『専属でずっとあそこにいてくれ、とかだとちょっと無理だけど』

アロエ「ショービジネス自体には興味ないけど、悪くはないと思うよ」

アロエ「ただ、こっちは本業と家事とジムリーダーと回してる上で、ってことになるからねえ」

シロナ『そっかぁ』


どれかひとつを手放すとすれば、迷わずジムリーダーの肩書きを譲るだろう、と自分でも思う。

ジムリーダーという職務を軽んじる気はなかった。

とはいえ、ものごとには優先順位をつけなければならない。


アロエ「あんただって二足の草鞋なんだから、大差ないでしょうに」

シロナ『本当は三足です!』

アロエ「はいはい」


ジムリーダーを辞して、研究に専念する自分の姿を想像する。

少し寂しいような気もするが、だが充実はしているのだろう。


シロナ『じゃあ、あたしもそれの視察ってことで、頑張ってババーンとスケジュール空けちゃおうかな』

アロエ「ババーンって……いつもなんだかんだで、長々と滞在してるじゃないか」

シロナ『まあそうだけど』


いたずらっこのような顔でシロナが笑っている。

彼女がイッシュに遊びに来るというのなら、いつでも大歓迎だ。

画面越しであれば、こうしてよく話をする。

とはいえ、やはり対面して話す方がずっと楽しい。


シロナ『あ……じゃあ、そろそろ。いつまでも独占してると、旦那さんに嫉妬されちゃうし』

アロエ「こら、そういうこと、若い娘が言うんじゃないよ」

シロナ『あはは』

アロエ「……あ、そうだ」

シロナ『なに?』

アロエ「ずいぶん前の話だけど、うちの子に絵本いっぱいくれたじゃない?」

シロナ『……あー、うん、また本当にずいぶんと前の話だね』

シロナ『いらなくなったら捨てちゃってもいいよー』

シロナ『あれはもう、アロエさんちにあげちゃったわけだし』

アロエ「いや、そうじゃないんだ」

アロエ「事後承諾になっちゃうんだけど……あれ、ひとに貸したんだよ」

シロナ『なんだ、そんなの全然気にしなくていいのに』

シロナ『そんなに何度も役に立てるなら、絵本も本望だと思うよ』

アロエ「そう言ってもらえると、助かるね」

アロエ「一応『貸した』ことにしてるんだけど、もしシロナがいいなら、そのままあげちゃおうかなって」

シロナ『全然。あんなボロボロでも欲しがってくれるなら』

アロエ「そりゃあ、よかった」


それから間もなく、アロエは通信を切った。

ほんの一瞬、部屋に静寂が訪れる。

途端に、こちらには夫がいたことを、今更ながら思い出した。


アロエ「……ごめん、長電話。うるさかったでしょ」


くるりと振り返って夫に声をかける。

夫であるキダチはソファに腰掛けて、紙の束に目を落としていた。

声をかけられ、キダチは読んでいる書類から、ちらりと顔を上げる。

彼が読んでいたのは、機関誌のゲラ刷りだったはずだ。

だが、ここは仕事場ではない。

夕食もとうに終え、自宅の居間でのんびりと過ごしているところだった。


キダチ「ううん、大丈夫」

キダチ「ママが楽しそうだから、ちっとも気にならなかったよ」

アロエ「ありがとう」

キダチ「シロナさんて、研究の話をしてない時は、あんなふうなんだね」

アロエ「そうだねぇ」


アロエは思わず苦笑いを浮かべる。

シロナの『年齢相応』な姿は、表向きの振る舞いしか知らない人間にとっては奇妙かもしれない。


アロエ「考古学の話になると研究者の顔になるけど」

アロエ「ああやって、くだらない話をしてる時は、やっぱり若い女の子だよ」

キダチ「それじゃ、ママが若い女の子じゃないみたいだよ」

アロエ「……なんたい、そりゃあ」


思わず素頓狂な声を上げると、キダチは恥ずかしそうに目をそらした。

アロエは呆れて溜息をつく。

気弱な夫のその姿を見ていると、何か言う気も薄れてしまう。


アロエ「照れるんなら言うんじゃないの」

キダチ「ごめん、ごめん」


中途半端な笑い顔を浮かべたまま、キダチはテーブルのコーヒーカップに手を伸ばした。

おぼつかない手つきで、カップに口をつける。


キダチ「……あ」

アロエ「?」

キダチ「今、シロナさんに言ってた本って」

アロエ「……うん、例の『内緒』の相手に貸したんだよ」

キダチ「やっぱり『内緒』なんだ」

アロエ「そりゃあね」


笑顔を浮かべようと努力していることはわかったが、彼が不安を覚えているのは確実だった。

どれほどの信頼があったとしても、気になるものは気になるのだろう。


ポケモンに文字や言葉を教える手助けをしているだけ、ではある。

だが、当の『生徒』がそれを秘密にしてほしいと言う以上、秘密にする他ない。

夫を心配させたくはなかったが、仕方ない。


アロエ「……心配?」

キダチ「心配はしてないけど……どんなことをしてるのかは、気になるよ」

キダチ「『生徒』って言ってたよね」

キダチ「大丈夫?」

アロエ「うーん……そう言われると怪しいねぇ」

キダチ「えっ」

アロエ「冗談」

アロエ「……あっちが……『生徒』くんが、真っ当な動機でいる限りは、ね」

アロエ「大丈夫だと思うんだけど」


断言はできなかった。

夫が不思議そうな顔をする。

『生徒』にとっても同じだろうが、アロエにとっても初めての試みだ。

あの理解力を考えれば、一定の成果が出ることに疑いの余地はない。

問題は、その結果として、どんなことが起きるか、だ。


アロエ「あたしは……」

アロエ「前例がないことを、やってみようとしてるんだ……と思う」

アロエ「だから、それが正しいことであるにせよ、間違ってることであるにせよ……」

アロエ「あたしがやったこと、やってること、やろうとしてることの結果がどうなるか」

アロエ「正直なところ、あたしにもわからない」

アロエ「ただ……」

キダチ「ただ?」

アロエ「その『生徒』は、今のところ、とても真摯な姿勢でいることは間違いない」

アロエ「もちろん、こっちも出来る限り、誠実に相手をしてるつもり」

アロエ「だから、っていうわけでもないけど……」

アロエ「たぶん、大丈夫だ、とあたしは思ってるよ」

キダチ「そうなんだ……」


約束に違反しない程度に、言葉を選んだつもりだ。

キダチは小さく唸って、カップを見つめた。

アロエの言葉を、キダチはじっくりと噛み締めているようだった。


キダチ「……ママが大丈夫だって言うなら、もう心配はしないよ」

アロエ「ありがとう」

アロエ「そうやって見守っててもらえると、嬉しいよ」

キダチ「で、でも……」

キダチ「困ったら、ちゃんと相談してほしいな」

アロエ「……もちろん」


控えめな夫の気遣いがありがたかった。

アロエはそれだけで、心配が矮小なものであるように思えてくるのだった。


あとは互いに敬意を払い、真摯に向き合うことを、忘れないようにすればいい。

結果がどうなるか、正直なところ本当に検討もつかない。

双方が真剣に挑もうとすることの結末が、そうそう酷いものになろうはずがない。

せめて、そう思いたかった。





気怠げな人影が、ログハウスのステップに腰を下ろしていた。

降り注ぐ熱い太陽光は、レンジャーとしての制服がおおむね遮ってくれている。

とはいえ、さしもの制服も、照り返しや地表から攀じ上ってくる熱気までは防ぎきれないようだ。

さしずめ、あたりの空気がまるごと温泉の湯になっており、そこに身を沈めているような具合なのだった。


そんな湯船の中で膝に腕を載せて頬杖をつき、頭を傾けて目の前の光景を眺めている。

錆びた自転車のような声を上げながら、コマタナがダゲキに駆け寄る。


レンジャー(『感動的な場面』だなー)


コマタナの両手には、レンジャーが与えた手袋が今も被せてある。

運のいいことに、その手袋の意味はコマタナ自身が理解してくれているようだ。

預かった夜からずっとつけさせている。

邪魔そうにしてはいるものの、外してしまう気配はなかった。


コマタナは両腕を広げ、よたよたと頼りない足取りで走っている。

やっとのことで全面的に安心できる相手に会えたのだから、その喜びようも理解できる。

人間と過ごす時間は、やはりコマタナにとって緊張を強いられるものなのだ。

別離を惜しむそぶりさえ見られなかったことが、その証拠なのだろうと思う。


子が親に縋るが如く、コマタナは『保護者』に抱きつく。


一方、出迎える相手の方は、一見していつもと変わらない様子に見えた。

鳴き声は、唸っているだけなのか、それとも何か伝えようとしているのか人間にはわからない。

ダゲキはそんな唸り声に耳を傾け、じっとコマタナを見下ろしていた。

嫌がっているようすは、当然ながらない。

そのわりに、頭を撫でたり、抱き締めてやったりするわけでもない。

どうしていいかわらない、とでも言いたそうに佇んでいた。


レンジャー(よく見るといつもよりげっそりしてるような)

レンジャー(うーん……?)

レンジャー(疲れてるのかね)


今日の彼はいつもと違い、どこか心ここにあらずだ。

かすかに違和感を覚えないでもない。


……『いつも』より?

『いつも』は、どうだったというのか。

いや、『いつも』などと偉そうに言えるほど、彼が親密に姿を見せてくれるわけではない。

最近が、やけに多いだけだ。


レンジャー「元気そうでしょ。足は問題ないってさ」

レンジャー「でも、声はどうしようもないとさ」


話している内容は当然、理解できているはずだ。

はたして、彼はこちらの言葉を吟味でもするように、上げていた視線を下ろした。

人間であれば、『ふうん、そうなんだ』とでも言いそうな顔だ、とレンジャーは思う。


レンジャー「相変わらずだね」


自分に向けて声が発せられたことに気づいたのか、ダゲキが顔を上げた。

『何を言ってるんだ』とでも言いたげだ。


意外そうな、あるいは心外そうな。


彼の顔には、そうした表情が浮かんでいる。



表情があったのだ。





抱きついたコマタナがおろおろしながら、あたりを見回していた。

あの人間ならば、コマタナを困らせたり、怖がらせるようなことはなかっただろう。


コマタナは生木の折れる音にも似た声で、ひっきりなしに鳴いている。

それからダゲキを見上げ、首をかしげた。

何かを探しているようにも見える。

今ここにはいない、誰かを探している。


レンジャー「相変わらずだね」


『家』の前の階段に腰掛けた人間がそう言った。

何がどう『相変わらず』なのか、ダゲキにはわからない。

人間は、頬杖をついて笑顔を浮かべている。


レンジャー「おい、変な顔するなよ」


とりわけ、変な顔をしていた覚えはなかった。

心外だという意思表示のため、眉間に皺を寄せて首を横に振る。


レンジャー「いや、十分、変な顔だよ」

レンジャー「まあいいや。そんなことは」


自分で始めたくせに、人間は自分で話題を切り上げた。

勝手なものだ。


ダゲキは、その時点でようやく気がついた。

この人間は、他の人間がよくやるように、何か別のことを話したいと考えているのだ。

そういう、よくわからない人間の習慣についてはよく知っている。


けれども、それは結局、卵の殻を撫でまわすことにしかならない。

中身を見たいのならば、叩き割るしかないというのに。


その尻込みする気持ちは、わからないでもないのだが。


意を決して叩き割ってみたところで、誰かが卵の中身を保証してくれているわけではないからだ。

空っぽかもしれない。

とうに腐りきっているかもしれない。

運が悪ければ、飛び出した中身に噛みつかれてしまうかもしれない。

手出しせずに済むのなら、その方がずっと楽だ。

正しいかどうかは別として。


レンジャー「ううん……と」


見ると、いつの間にか人間は頬杖をやめていた。

グローブをはめた両手を擦り合わせ、言いにくそうに視線を泳がせている。

ダゲキの足元では、コマタナが跳ねていた。

手を繋いでほしいのか、あるいは抱き上げてほしいようだ。


レンジャー「……みんなは、元気にしてる?」


拳を握る。

卵の殻を叩く。


キィッ、と背後の森で鳴く声がした。


あの金切り声には覚えがあった。

ヤナップ、バオップ、ヒヤップのうちの誰かだ。

残念ながら、その中の誰なのかまでは判別できない。

もっと親しく関わりがあるポケモンなら、声だけでわかるのかもしれないが。

ダゲキと彼らは違いすぎた。


レンジャー「前にさ、ジュプトルを連れて来たことがあったよね」

レンジャー「へろへろで、最後までほとんど懐かなかった」

レンジャー「あれっきり、顔見せてくれないけど、元気かなって、気になってたんだ」


ダゲキは頷いてみせる。

この人間に対して自分の意思を伝える手段は、それしかない。

むろん喋ってしまえば、どう元気なのかをきちんと伝えることもできるだろう。

それは、はなから選択肢に入ってもいないが。


レンジャー「そう、元気なんだ。それはよかった」


人間は、眉を広いハの字に曲げた。

元気であることを知って、いくらか安心しているようだ。

嬉しそうではあるけれど、少し拗ねた声にも聞こえる。


レンジャー「あそこまで衰弱したジュプトルは、なかなか見ないから……よく憶えてるんだ」

レンジャー「元気なら、それがなによりだよ」


ダゲキに向けてではなく、まるで自分に言い聞かせているような言い方だった。


レンジャー「今でも時々、思い出すんだ」

レンジャー「お前がハハコモリを連れて来た時のこととか、イーブイの時のこととか」

レンジャー「ハハコモリはだいぶトシだったけど、今でも元気にしてるのかな?」


ダゲキ(……ハハコモリ は……)


レンジャー「けっこう経つし、怪我は治ってるんだろうなあ」

レンジャー「イーブイは……今もこの森にいるなら、そろそろリーフィアにでも進化しててもおかしくないかな」

レンジャー「お前からさ、みんなによろしく伝えといてよ」


懐かしむ目をして、レンジャーは次々とポケモンを挙げた。

どれも自分たちでは対応しきれない事態に、仕方なく人間を頼った時の話だ。


レンジャー「遊びにも来てくれないじゃないか」

レンジャー「チュリネとかマメパトなんかは、この森に普通にいる奴だしなあ」

レンジャー「お前みたいに、たまに来てくれればいいのに」


困ったような笑顔のまま、ダゲキやポケモンたちの不義理を茶化して責めた。

まあそう思うだろう、とダゲキも内心では同意する。


レンジャー「そのコマタナは、ちょっと仲良くなれたような気がするけどね」


コマタナが人間を見た。

ダゲキも反射的に、ちらりとコマタナを見る。

頭上で交わされる会話の中身は、どうやら理解しているようだ。


コマタナ「うー……?」

レンジャー「そうだよー、お前の話してるんだよ」


自分の言葉に反応があったことに気をよくしたのか、人間は嬉々としてコマタナに声をかけた。


レンジャー「お前が連れて来て、ここらで遊ばせるだけでも、私はいいんだけどな」


ダゲキ(みんな……ううん)


やはり、伝えるべきなのだろうか。


レンジャー「やっぱり、人間ってだけで、そんなに嫌なものなのかな」


これは、人間から自分への問いかけだろう。

しぐさでは、そう複雑なことは伝えられない。

ならば言葉で答えてしまえばいいのだろうか。

おそらく驚かれるだろうが、言いたいことは言える。

少しずつとはいえ、以前よりは遥かに『言える』ようになっているはずだった。

友人が太鼓判を押してくれている。


なにより、この人間と今以上に“仲良く”なれるかもしれないではないか。

かつて、自分を“使って”いた人間と自分自身が、わずかなりともそうしたかったように。

この人間なら、反抗しない自分を飽きるまで殴るようなことはない。

金属バットで殴ることも、捨てることも、ないだろう。

『それでも』。


逡巡はそれほど長く続かなかった。

最終的に、ダゲキは無言で首を横に振ることを選んだのだった。


レンジャー「そうか……みんな、会いたくないか」


視線は人間の目から逸らさずに、首だけを動かす。

レンジャーは残念そうに両手を握って、下を向いた。

少なくとも現時点で、こちらは今以上に仲良くなることを望まない。

人間の表情には、その意思を過不足なく受け取った色が窺えた。


レンジャー「嫌われたもんだなあ」


はははと気の抜けた笑いを上げ、レンジャーは大きな溜息をついた。


レンジャー「でも、しょうがないか」

レンジャー「私たち人間は、それだけのことをお前たちにしたんだからさ」


悪いことをした、と思っていた。

むしろ、今もなお悪いことをしている、と思う。

意思の疎通が叶っても、これでは気持ちが通うことなどあるまい。

ダゲキはこの人間に対して、ひどい裏切りを働いているように思った。


レンジャー「あっ、そうだ」


人間が素頓狂な声を上げた。


レンジャー「じゃあさ、このあいだの、あいつはどうしてる?」


ダゲキ(……あいつ?)


レンジャー「ほら、あの……なんていうかな、何回か来てたでしょ」


無意識に首を傾げる。

誰のことを言っているのか、すぐには思い当たらない。


レンジャー「前にコマタナを見せてくれた時とかにも、あっちの茂みに隠れてた奴」

レンジャー「白っぽくて、尻尾が長くて、けっこう背が高かったあいつ」

レンジャー「私は見たことない種類のポケモンだったけど」


ダゲキは合点がいく。

人間が指しているのはミュウツーのことだ。

『何回か』という言葉から察するに、実は初めて行った夜にも気づかれていた、ということなのだろうか。


だが今回は、まだミュウツーがどこにいるのか、わからないらしい。

初めての日は建物の陰だった。

二回目は茂みの中。

今日は、また違う場所に隠れている。


友人が何故、そう頑なに身を隠そうとするのか、ダゲキは知らない。

ここでこの人間に姿を見せることについては、なかなか積極的にならないようだ。

その割には、ひとりでこっそり街へ行き、誰とも知れぬ人間と何度か会っているそうだが。


レンジャー「……元気ならそれでいいんだけど、今日は来てない?」


ダゲキは、ちらっと視線を上げる。

腰掛けた人間のかなり上方、建物の屋根の、更に向こう。

眩しさに目を細めると、白く飛んでいた屋根が少しだけ見えるようになった。


来てはいるのだ。


レンジャー「え?」


自分の動きに反応して、人間が腰を浮かすべく前屈みになる。

確かに、さきほどの動作では悟られてしまってもおかしくない。


あとで文句を言われ、もうここへは来なくなってしまうだろうか。

それとも、観念して人間の前に姿を見せたりするようになるのだろうか。

結果がどちらに転ぶにせよ、またいつものようにがみがみと怒り出すことは間違いない。


『怒られる』などというのは、ダゲキが一番、されたくないことだ。

それなのに、まるでいたずらでもしているような気分が、胸の中にふつふつと湧く。

少し楽しい。


もう一度、ダゲキは人間を見る。

そして指をまっすぐ伸ばし、迷わずログハウスの屋根を指差した。

今回は以上です

>>23,26-27
ゲーチスは衣装が素頓狂だけど、一貫してゲスで外道なところが素晴らしい

>>29-30
ぐぐった
「ポケモンレンジャー」だとグルグルして一時的に捕まえるのか…

ポケモン本編ゲームにおける「レンジャー」というと、森林保護官・動物管理官・自然保護官を
足して3で割った職務内容を、ポケモン連れてやる、みたいなのだと思ってた
BWのレンジャーさんのコスチュームが凄く好きなんだよ…

それではまた!

投下来てたのね乙
そしてミュウツー様スマブラ参戦おめでとう

BW要素を入れながらもあのくっさいストーリーをなぞったりNマンセーしたりしない所が読ませるな

乙乙

それでは始めます
今日は6~7レスくらいの予定



屋根の上は思いのほか暑く、思っていた通り居心地は悪かった。


ミュウツー(……正直、『暑い』と『熱い』の両方だ)


頭上からの日差しと、屋根が溜めた熱に挟み撃ちにされている。

ある種のポケモンであれば、日光やその熱を遮る毛皮があるのかもしれない。

だがあいにく、それほど遮熱性の高い体毛など持ち合わせていなかった。


ミュウツー(頭が……少しぼーっとする)


ときおり吹くぬるい風がなければ、もっと苦しかっただろう。

そう考えながら、ミュウツーは周囲に目を向ける。

空を飛んでいる時ほどではないものの、人家の屋根の上という場所は、周囲がよく見渡せた。

広い視界の下半分に、鬱蒼とした森の緑色が満ちている。

やや開けた地面、俯いている友人、そして彼に駆け寄るコマタナが見えた。


残る上半分は、濃い青空で息苦しいほどだ。

無闇に自己主張の強い形状の雲。

首を絞めてくるような熱気。

空気の匂いまで強まっている。


レンジャーが寝起きするログハウスの屋根の上。

眼下の友人たちのやりとりや風景を眺めながら、ミュウツーはぐったりと寝そべっていた。

ミュウツーがそんな場所に身を潜めているのには、それなりに考えた上でのことだ。


ミュウツー(前回は茂みに隠れたが、なぜかバレていたからな)

ミュウツー(思うに、あれは茂みの奥で身を屈めていただけだから、まずかったのだろう)

ミュウツー(ニンゲンの目線では、私も丸見えだった……ということだ)

ミュウツー(私の身長とニンゲンの身長の相性を考えるべきだったのだ)

ミュウツー(あのニンゲンがいかに鋭くとも、ここなら、まさか見つかることはあるまい)


所詮は人間など、ポケモンの力を借りなければ、空を飛ぶことさえままならない生き物なのだ。

こんな場所に誰かが隠れていることなど、想定すらしていないはずだった。


ミュウツー(しかも、この位置へは、物音ひとつさせずに着地することができた)

ミュウツー(その上、ずっと息を潜めているのだから、おそらく万全だ)


太く長い尾をゆらゆらと機嫌よくくねらせながら、ミュウツーは悦に入っていた。

胸の内をくすぐる、くだらない優越感が心地いい。


じっと耳を澄ますばかりで話に参加しないのは、それはそれで暇でしかたなかったが。

軽々しく人間の前に出て行ける友人が羨ましいと思う瞬間さえある。

実際に出て行く気があるかというと、それはまた別の話だ。

『ミュウツー』は、人間にその存在を悟らせてはならないのだ。


レンジャー「あっ、そうだ」

レンジャー「じゃあさ、このあいだの、あいつはどうしてる?」

レンジャー「ほら、あの……なんていうかな、何回か来てたでしょ」


ミュウツー(『何回か』? 誰の話だ)


ミュウツーは特徴的な形の雲を視線でなぞりながら、人間の声を聞いていた。

何度聞いても、どこか軽薄そうな声をしていると思う。


軽く下を見下ろしてみるものの、見えるのは見知ったポケモンがふたりだけだ。


人間のあの帽子を見るためだけに身体を伸ばすのも億劫だ。

だから下を覗き込むのは諦め、ミュウツーは空に浸ることにしたのだった。


離れた樹木のてっぺんから、何羽かの鳥ポケモンが飛び立った。


ミュウツー(何か飛んでいるな……知らないポケモンだ)


ちょうどミュウツーに尾羽を向けて飛んでいるらしく、次第に姿が小さくなって消えていった。

そのずっと向こうに、山脈のように大きな雲が浮いている。


ミュウツー(あの雲は、なぜ上だけ大きく盛り上がっていて、底の方だけ平らなのだろうな)

ミュウツー(ここに来た頃は……あんな形の雲など、木の間から空を見上げても浮いていなかった)

ミュウツー(これほど暑くもなかったし、太陽はもっと早く沈んでしまっていた気がする)

ミュウツー(やけに強い雨も、最近になって急に増えた…ような)


雲の中で何がしかの物理現象が起き、それを経て雨が降る、という知識はある。

それなりの理屈があって稲光が輝き、雷鳴が轟くということも知っている。


ミュウツー(だが、そんなものは『知識がある』というだけのことだ)

ミュウツー(きのみの味を知っていることも、『知る』という意味では同じか)

ミュウツー(……だが、同じ『知る』でも、だいぶ違うように思う)


遥か遠いところで、ごろごろと揺らすような音が聞こえた。

ここのところ増えている、強い雨がまた降るのかもしれない。

雨が降ると、地面が濡れる。

それが理由で、夜の焚き火をしないこともある。

腹立たしい……とは言わないまでも、そんな時は、なんとなく“残念”だ。


ミュウツー(雨……雷……嵐……ん?)


――指を振るだけで、島を覆い尽すほどの嵐を

――越えることさえ困難な嵐を起こすことなど、造作もない


ミュウツー(いや……そんなことを出来るかどうか、考えたこともないがな)

ミュウツー(やる意味もないしな)


それでも、ぐるぐると手を繰り、いともたやすく嵐を呼ぶ自分の姿を夢想した。

今のところ、そんなことをするつもりはない。

が、やれば出来てしまうかもしれない。


不思議な気分だった。


肉体は熱気に包まれた屋根の上にいる。

にも関わらず、精神だけがふらふらと彷徨っていた。


レンジャー「前にコマタナを見せてくれた時とかにも、あっちの茂みに隠れてた奴」

レンジャー「白っぽくて、尻尾が長くて、けっこう背が高かったあいつ」


再び、人間の言葉が耳を刺す。


ミュウツー(そんなポケモン、この森にいたか?)


森で出会ったことは、今までに一度もなかったように思う。


レンジャー「私は見たことない種類のポケモンだったけど」


ミュウツー(ん? ちょっと待て……)


慌てて背筋と首を伸ばす。

だが、この位置からでは帽子がわずかに見えるだけだ。

一方で、寄り添うダゲキとコマタナの姿はよく見える。

落ち着かないようではあるが、コマタナも元気そうだ。


ミュウツー(それは、私のことか?)


自分のことを話しているのかもしれない。

どうもそうらしい。

そう思うと、にわかにうろたえた。

あの日、不本意にも人間に見られていたことは忘れていない。

だから今日は、こんなにも神経を使って隠れているのだ。


レンジャー「……元気ならそれでいいんだけど、今日は来てない?」


声の調子からすると、少し期待が外れたとか、残念だとか、そう感じているようだ。

前回この人間が口にした願望を思えば、落胆するのも理解できる。

もっともこちらとしては、そう易々と姿を見せてやるつもりはない。


ミュウツー(第一、私に会って何をするつもりだ)

ミュウツー(ニンゲンのくせに……)

ミュウツー(……そうだ)

ミュウツー(ニンゲンなど、せいぜいおのれの無力を噛み締めて地団駄を踏んでいれば……)


ダゲキと目が合った。


ミュウツー(!?)


ほんの一瞬前まで、ダゲキは人間の方を向いていたはずだ。

にも関わらず目が合ったということは、彼が人間からミュウツーに視線を移したということに他ならない。

それも、人間を前にして。


ミュウツー(お……おい馬鹿が、い、今こっちを見るんじゃない)

ミュウツー(そんなタイミングでこっちを見上げたら……)


わざわざ人間に居場所を教えるようなものだ。

そんなことは、彼ならば少し考えれば――考えずともわかるはずだった。


レンジャー「え?」


案の定、衣服の擦れる音が聞こえた。

彼の些細な動きを捉えて、人間が視線の意味に気づいてしまったようだ。

『こちらを見るな』という意思の伝達も、残念ながら間に合わなかったらしい。


ミュウツー(おい、ちょっと)

ミュウツー(ほれみろ、言わんこっちゃ……)


ダゲキは視線を人間に戻した。

どうやら、ステップに腰掛けていた人間が立ち上がったようだ。

前屈みになっているのだろう。

屋根の縁から、オレンジ色の帽子がちらちらと見え始めた。


ミュウツー(あ……)


人間の帽子から肩までが見えるようになると同時に、ダゲキが動いた。

腕を掲げ、長い指でこちらをまっすぐに指している。


ミュウツー(待て、おい待て)


人間が振り向こうとしている。

このままでは見えてしまう。

見られてしまう。


だから、その瞬間が訪れる、ほんの一瞬前に、全力で身体を仰け反らせた。

頭で考える前に、身体が勝手に動いたように思う。

無意識のうちに、両腕で力いっぱい屋根を突き放していた。


ぐるりと景色が回転する。


ミュウツー(太陽だ)


目を焦がすほどの鋭い光が、視界を焼いて通り過ぎた。


人間が何か言っている。

声は聞こえるのに、何を言っているのか、よく聞こえない。

それでもあのタイミングなら、なんとか姿は見られずにすんだはずだ。


そう思った瞬間、今度は目の前に火花が散った。


ミュウツー(!?)


ゴンという硬い音と共に、鼻の奥につんとした感触が走る。

と同時に、ミュウツーは自分が頭を打ったのだと認識した。


続いて、バタンバタンという平たい音が響く。

足と尾、後頭部に痛みを覚える。

屋根の縁から滑り落ち、地面に向けて空中に放り出された。


そして――


あたりに響いた音は、それで全部だった。

今回は以上です
SSの中だけ初夏でいいな…寒い…

>>51-52
スマブラのことはよくわからないけどミュウツーさんオメデトウ!
amiiboとか発売されたらいいなー

>>53
やっぱりなんだかんだ言ってBWが好きなんだよね
そりゃ色々と評判悪いところもあるかも知らんが
イッシュ特有のバラエティ豊かな感じとか、曲とか、ヤグルマの森とか、ヤグルマの森とか

ではまたー

ミュウツー案外アホの子や

トラブルがなければ、明日…というか今夜か、21日の夜に投稿します
その頃はみんなORASやってるかもしれないけど

ORASはポケセンで配送予約したんで到着待ちだけど
アートブックともども楽しみだなあ

キモリにキモリってNNつけるのあるあるww

それでは始めまっす


腕を組み、ミュウツーはこれでもかというほど眉間に皺を寄せていた。

自分としては、今までにないほど凶悪な顔になっているはずだ。

理由は極めて単純で、ただ単に腹を立てているからだ。


ミュウツー(……というか、冗談ではない)


彼の行動は悪ふざけにもほどがあるし、まったくもって理解不能だった。

ミュウツーは忌々しく息を吐き出し、何度か目を瞬かせた。


風景は逆さまだ。

頭上から雑草が生え、眼下には青い空が見える。

木は上方に根を張り、下方へと葉を伸ばしている。


ミュウツー(……逆さまというのも、なかなか斬新な光景だな)


滑り落ちたその先で、ミュウツーは音もなく浮いている。

頭から地面に激突する直前、自分がそうと望めば空中で静止できることに思い至ったのだった。

その瞬間になってから、自分には色々と選択肢があったことを思い出した。

慌てふためく必要なんて、どこにもなかったのだ。


身体のあちこちをぶつけ痛い思いをせずとも、浮いて姿を隠すことだって出来た。

あの人間を操ってしまうことだって出来たではないか。

どちらも、楽で確実だったはずだ。


ミュウツー(別に、忘れていたわけでは……)

ミュウツー(……い、いや、怪しいものだな、今思うと)


腑抜けもここまで来るか。

私は何をしている。

思わず、そう自嘲したくもなる。


いずれにせよ、頭を下にして落ちる途中だったから、今の体勢もまた頭を下にしたままだ。

実に間抜けな光景だった。


無様にも、ログハウスの屋根から滑落しかけたのだ。

空を飛ぶすべを持たない人間や、他の連中と同じように。

おかげで、危うく自尊心まで砕けるところではあった。

それに関してはぎりぎりのところで回避され、今のところ怒りの方が上回っている。


もっとも、傍から見れば、頭で着地しなかっただけで落下したことに違いはない。

今になって、自分の心臓が凄まじい速さと音量で跳ねていたことに気づく。


冷静になってみると、再び人間の声が耳に入った。

人間はどうやら笑っているようだ。


ミュウツー(わ、笑われているということか)


レンジャー「……えっ、えーと……『あれ』は、大丈夫なの?」


ひとしきり笑ったあと、いまだに笑いを堪えながらレンジャーがそう口にした。

ミュウツーが浮いている場所からは、レンジャーはおろかダゲキやコマタナの姿も、当然ながら見えない。

どんな様子なのか、想像する以外になかった。


ミュウツー(『あれ』というのは、私のこと……なのだろうな)

ミュウツー(ああ……もう……)


だんだん、頭と顔が熱くなってきたような気もする。

ひょっとすると理由は、逆さまに浮いているから、というだけではないのかもしれない。


自分で自分が情けなかった。

こんな思いをするくらいなら、やはり操るべきだったに違いない。

この人間を操って、なにもかも思う通りにしてしまえばよかった。

そう後悔していてもいいはずなのだ。


だが不思議と、その種の感情が湧いてくることはなかった。

あるのはただ――


レンジャー「よく見えなかったけど、転がって落ちてったよね」


ただ、無闇に胸を掻き毟りたくなる恥ずかしさだけだった。


レンジャー「ってことは……」

レンジャー「……お、おお、今のが、あの時のあいつなんだ?」

レンジャー「逆光で全然見えなかったけど」


ダゲキは何かしらの“しぐさ”で返答したのだろう。

聞こえてくるのは、間抜けそうな人間の声だけ。

呻くようなコマタナの鳴き声はかすかに聞こえているが、それだけだ。


ミュウツー(それはともかく……見られずに済んだことだけは、確かなようだ)


それだけが不幸中の幸いだった。

かろうじて自尊心を保っていられたのも、そのおかげだ。


レンジャー「さすがに心配なんだけど……向こう側、見に行くのは……」

ミュウツー(く、来るな! こっちに来るんじゃない!)

レンジャー「だめかな? ……あ、やっぱだめ?」


ミュウツーがテレパシーを使うまでもなく、その提案はダゲキに拒絶されたようだ。


ミュウツー(う、うむ……それでいい)

ミュウツー(いいんだが、じゃあなんであんなことをしたんだあいつは……)


レンジャー「でも、どっかで引っ掛かってたりしない?」

レンジャー「地面に落ちた音は聞こえなかったんだよね」

レンジャー「……」

レンジャー「……それは、大丈夫ってこと? そう……ならいいんだけど」


人間の希望は再び却下されたらしい。

あからさまに意気消沈した声が、更に小さく消えていった。

どうやら、あの人間がこちら側を見に来る、という展開だけは未然に防がれたようだ。


ミュウツー(会話の片側しか聞き取れない状況というのは、意外とストレスが溜まるものだな)


レンジャー「この森じゃあ、見たことのないポケモンだよなあ……あいつ」

レンジャー「いつもみたいに、よそから迷い込んできたってことかな?」

レンジャー「……そう」

レンジャー「それで、お前がここに連れてこなかったってことは、怪我も病気もしてないのか」

レンジャー「……なるほどね」


ここから聞いている限り、ミュウツーには、レンジャーが独り言を大声で呟き続けているようにしか思えない。

実際には、しぐさで返答する話し相手がいるのだが。

人間が『離れた所にいる相手と話をする機械』を使っている時の光景に、少し似ているように思った。


レンジャー「私に会いたくはないけど、コマタナのことは心配……ってところかな」

レンジャー「様子見されてるってわけか」


テレパシーさえ使えないとは、人間とは不自由なものだ、とその時は思ったものだ。


レンジャー「お前さぁ……喧嘩しないで、そいつと仲良くやれてんの?」


やけに穏やかな声音で、人間がダゲキに問いかけた。

質問というよりは、世間話の気軽さを敢えて出しているようだ。

いたわる響きがあるように感じられるのは、おそらく気のせいではないのだろう。


ミュウツー(私と奴は……特にトラブルなくやれていると思う)

ミュウツー(腹の立つことは多いし、最近は奴もだいぶ生意気になってはいるが)

ミュウツー(……さっきのもだ!)


レンジャー「そいつと……っていうか、まあ他の奴らともだけどさ」


ミュウツー(他の連中も……騒々しいが、特段、問題になるほどではないな)

ミュウツー(結局、森のポケモンたちとは、基本的に互いの接触を避け合っている状態だ)

ミュウツー(おかげで、無為に衝突することもないわけだが)

ミュウツー(……)


ざざざ、と葉が風に揺れた。

ミュウツーは耳を傾けている。


人間が言葉を発してから、予想よりもだいぶ間が開いていた。

ダゲキがあの人間の前で喋ることはないから、次に聞こえるべきなのもまた、人間の声だ。

つまり、ダゲキの方がなかなか返事をしないということなのだろう。


ミュウツー(そんなに答えづらい話だったか?)


しばらくして、人間が長くゆっくりと息を吐いた。

呆れ混じりの溜息にも、安堵に胸を撫で下ろしたようにも聞こえる。


レンジャー「やっぱり変な顔」

レンジャー「そんな顔、お前と出会って以来、初めて見たよ」


笑い声を出しているわけでもないのに、笑っていることがわかった。


レンジャー「でも……そうかあ」


人間の問いに対して彼がなんと答えたのか、ミュウツーにはわからなかった。

どんな顔をしているのかも見えない。


レンジャー「そりゃあ……ほんとによかった」

レンジャー「ずっとさ、お前のことも気にしてたっていうか、心配してたんだ」

レンジャー「私のところに来たポケモンの、その後も気になってたけど」


レンジャーの声を聞きながら、ぐるりと身体を回転させ、ミュウツーは自身の天地を元に戻した。

着地はせず、地面から少し浮いたところで静止する。

頭に溜まった熱い液体が、一気に首から下へと流れていった。

妙な汗が吹き出したが、これは暑さによるものではなさそうだ。


ミュウツー(うっ)

ミュウツー(き、気持ち悪い……)


後頭部を冷たいものが撫でていった。


レンジャー「思わぬ収穫だよ」

レンジャー「え? だってさあ、お前のそんな顔が見られるとは思ってなかったし」

レンジャー「……いいなあ」


レンジャー「……それじゃ、じき暗くなるだろうし、気をつけて帰りな」

レンジャー「暑いから水分ちゃんと摂れよ」


ミュウツー(む……帰るのか)


レンジャー「困ったらいつでも、ここに来てくれていいんだからな」


能天気な声を聞きながら、ミュウツーは音もなく移動を始めた。

吐き気も妙な汗も、少しずつ収まりつつある。


今のうちに森に潜ってしまえばいい。

以前隠れていた場所は、あの家の入口付近から丸見えだったらしい。

ならば、それを考慮して、待つ場所を考えればいいだけのことだ。


あちらを常に意識したまま、音を出さないよう、ふわふわと漂って移動する。

ここで気づかれてしまっては元も子もない。


コマタナの声が聞こえた。

木々の隙間をすり抜けながら、ゆっくりと家の周囲を迂回する。

人間、コマタナ、ダゲキと、少しずつ姿が見えるようになっていく。


レンジャー「はいはい、じゃあね」


コマタナはあの人間に向かって、手を振っていたようだ。

ちらりと目を向けると、笑顔を浮かべた人間が、手を振り返しているところが見えた。


ミュウツー(あのニンゲンと過ごすことは、コマタナにとって悪い記憶ではない……ということか)

ミュウツー(ずいぶんと懐いたものだ)


レンジャー「お前の『ともだち』にも、伝えといて」


人間の言葉に対し、下を向いたまま頷くダゲキが見えた。


レンジャー「……うん、よろしくな」

レンジャー「あ、裏口の奴には、追加で『お大事に』って」


明らかににやけた顔で、家の裏手を指差しながらレンジャーが言う。


ミュウツー(馬鹿め。もうそこに私はいない)

ミュウツー(……いや、そんなことで勝ち誇っても全く意味はないんだが)


今度こそ死角になりそうな位置に、そっと足をつけた。

身を屈め、会話に耳を傾けながら様子を伺う。


小さな声で何か言い、レンジャーは手を振りながらログハウスに入っていく。

ミュウツーはまだ動かず、じっと待った。

ここで気を抜くのはシロウトなのだ。


はたしてミュウツーの予想通り、こちらに面した窓からレンジャーが顔を覗かせた。

うっかり動いていれば、今度こそ見られていたに違いない。


窓ガラス越しにもう一度手を振り、今度こそ人間は姿を消した。

ようやく肩の力を抜き、ミュウツーは深く息を吐いて弛緩する。


視線を移すと、手を引かれてよたよた歩くコマタナと、難しい顔のダゲキが目に入った。

ゆっくりとこちらに近づいてきている。


こうして改めて観察しても、あの人間が笑いながら言うほど、奇妙な顔には見えない。

困っているような、悲しんでいるような判りにくい表情をかすかに浮かべている。

ように見える。


彼を心配しているのか、奇異に感じているのか、コマタナもダゲキを見上げていた。

こちらは、不安を感じていることがよくわかる表情だ。


ミュウツーは仕方なく、彼らの進行方向に立ち塞がってみせた。

わざとらしく足音を立て、視界に踏み入る。


ダゲキは下を向いていたが、行く先に圧迫感を覚えたらしく顔を上げた。

ぼんやり開いたた口から、『あ』とも『う』ともつかない呻き声が漏れる。

どちらかといえば、初めの頃に聞いた鳴き声に近い響きだった。

油断していたのかもしれない。


ダゲキが歩みを止めると、コマタナも同じく立ち止まった。

コマタナは首を傾けながらこちらを向く。


コマタナ「お゙ぉあ! み゙ー!」


ミュウツーの姿を認め、コマタナがダゲキに向かって何ごとか叫んだ。

やはり、何を言っているのかはわからない。

だが何を言いたいのか、嬉しそうな表情から推測は難しくなかった。


みるみるうちに、ダゲキの顔色が悪くなっていく。


ミュウツー『何か、私に言うことがあるだろう』

ダゲキ「……ごめん」


視線を逸らされることはなかったが、うしろめたさは感じているようだ。

どうしていいかわからないという顔で、コマタナがふたりを見上げている。

コマタナにしてみれば、ふたりが急に喧嘩を始めたように見えるのかもしれない。

あるいは、ミュウツーが急にダゲキを怒り始めたようにも見えるだろう。


ミュウツー『そう言うとは思っていた』


おおげさに溜息をついてみせる。


ミュウツー『そうやってすぐに謝るのは、お前の悪い癖だ』

ミュウツー『だがまあ……今のは、そうするのが筋だろうな』

ダゲキ「そう……だね」

ミュウツー『……どういうつもりで、あんな真似をした』


努めて穏やかな話し方で尋ねることにした。

本当は、頭を一発はたいてやりたいくらいなのだが。


ミュウツー『私がニンゲンに見つかりたくないという話は、前からしてあったはずだ』

ダゲキ「……うん」

ミュウツー『見つかればどういうことになるかも言ったと思うが、それも憶えているな?』

ダゲキ「おぼえてる」

ダゲキ「ごめん」

ミュウツー『自分で言うのは癪だが、そうなれば私が怒ることもわかっていただろう』

ダゲキ「うん」

ミュウツー『言い訳はしないのか』


こちらがそう言うと、ダゲキはそこで初めて考え込むようすを見せた。

そうとわかるような顔をすること自体、考えてみれば進歩だ。


ミュウツー(ああ……あのニンゲンの言う話を深読みするなら……)

ミュウツー(どちらかといえば、恢復してきた、というところか)


人間との関わりによって本来の性質や性格が歪められてしまったというのなら、そうだ。

それがこうして、徐々にとはいえ取り戻されていくのは、喜ぶべきことだ。

喜ばしいことであるはずだった。


ミュウツー(まあもっとも、私はこいつの素の状態を知らんのだがな)

ミュウツー(元々は天真爛漫で……などと言われたら、逆に不気味……)

ミュウツー(……)

ミュウツー(……想像するんじゃなかった)


ダゲキ「おこられる のは、わかってた……けど」

ダゲキ「でも、やってみたくなった」

ミュウツー『……』

ミュウツー『お前にしては、理屈の通らないことを言う』


今度は、困ったように眉間に皺を寄せた。

何かしら釈明しようと苦労しているのはわかる。

しばらくして彼は、元から落ちている肩を更に落とした。

釈明については諦めてしまったらしい。


ダゲキ「ごめん」

ダゲキ「じぶんでも、よく わからない」

ミュウツー『そうか』

ダゲキ「ほんとうに ごめんなさい」

ミュウツー『いや、もういい』

ミュウツー『……今日のところは、これくらいにしておく』


自身がやったことの何が悪かったか、についてはわかっているのだろう。

それをやってしまったからこうして責められている、ということも十分に理解できているはずだ。

それがわからないほど、彼も愚かではない。

ならばこれ以上、くどくど責めたところで大した意味はない。


ダゲキ「……」

ミュウツー『? なんだ?』


こちらを見上げる視線に、様子を伺う色が見えた。


ダゲキ「もっと、すごく おこると、おもった」

ミュウツー『お前ふざけてるのか!?』


思わず腕を伸ばして、片手で力任せに彼の頭を掴む。

力の調節など考えてもいない、半分無意識の行動だった。


ダゲキ「うっ」

ミュウツー『この……!』


叩きつけた指先に、これでもかというほど力を込める。

腹立ちまぎれに、掴んだ頭を前後左右に揺さぶった。


ダゲキ「い、いたい、いたい」

ミュウツー『なんなんだお前は!』

ダゲキ「ごめんなさい! ごめんなさい!」

ミュウツー『怒られたくてやったのか!?』

ダゲキ「そ、そうじゃない けど!」

コマタナ「ゔ! うァ゙!」


ミュウツーが足元を見ると、さっきまでダゲキと手を繋いでいたコマタナがまとわりついていた。

青ざめた顔で、必死に首を横に振っている。


コマタナ「イダァ! ヤ!!」


自分がダゲキをいじめている、と判断したのだろうか。

よくわからないが、『止めてくれ』と言っているらしいことだけは確実だった。


突き放すように手を離すと、彼はたたらを踏んで、一二歩後退した。

聞き取れないほど小さな声で呻くのも聞こえた。

『ワァ』とか、『ウッ』とか言っていたように思う。


ダゲキ「め……めのまえが、いろんな いろになった」

ミュウツー『知るか!』


馬鹿馬鹿しくなって、また深い溜息をついた。

自分が幼稚な行動をしているように思えて、必要以上に腹が立った。


ミュウツー『おいコマタナ、私は、こいつを、いじめているわけではないぞ』

コマタナ「う?」

ミュウツー『こいつはな、私の、嫌がることをしたから、怒られていただけだ!』

コマタナ「……ゔぅぅ??」


困り果てたかのように、コマタナがダゲキを見上げる。

いかにも、『今の話は本当なのか』と真偽を質しているかのようなしぐさだった。

こちらの話は、今のところ問題なく理解しているようだ。


ダゲキ「……うん」


硬い表情でダゲキが答えた。

コマタナは幾分、しょんぼりとした顔を見せる。


そんなふたりを放置して、ミュウツーは歩き始めた。

うしろから、慌てたようについて来る足音が聞こえる。


ダゲキ「……あたまが つぶれるかと、おもった」

ミュウツー『力を入れすぎた』

ミュウツー『まあ……これ以上、お前を怒鳴りつけたところで大した意味はないのも事実だ』

ミュウツー『どうも、以前から私の姿は見られていたようだし』

ミュウツー『そうだったな?』

ダゲキ「うん」

ミュウツー『あの人間の口ぶりから考えて、今のところ他の人間に私の存在は伝わっていないだろう』

ミュウツー『そこは、運がよかったと考えて差し支えないはずだ』

ミュウツー『仮に見られていたとしても、なんだその……』


肩を竦めながら言う。


ミュウツー『最終的に私が、奴の記憶を弄ってしまえば、どうにでもなるしな』


事実、話が広がりさえしなければ、個別に対処のしようはある。

今のところ、自分の存在を明確に認識している人間は二人だ。

どちらもぺらぺらと喋ることだけはなさそうだった。

その上、正確な正体を知っている人間は、一応いない。


ミュウツー(これも運がいい、といっていいのだろうな……)


がさがさ、と風もないのに葉が揺れた。

風が撫でるように揺らす時とは、少し音が違う。

ならば、誰かが樹上を飛び回っているとでもいうのだろうか。


ダゲキ「『きおく』……いじる って、なに?」

ミュウツー『ん? ああ、そうだな……ううむ』

ダゲキ「いいたく ない?」

ミュウツー『……ああいや、なんと説明しようかと』


無意識に、友人たちでも理解できる表現を模索していた。

今となってはもはや癖のようなものだ。


ミュウツー『要は、頭の中の、憶えていることを、思い出せないようにしたり、消したりするだけだ』

ミュウツー『洞窟にいた頃は、必要に迫られてよくやったが……あまり好きではない』

ミュウツー『自分以外の誰かの頭の中など、覗いて楽しいものではない』

ミュウツー『こうやって一方的に伝えるのとは、わけが違う』

ダゲキ「……そうなんだ」

ミュウツー『そうなのだ』

ミュウツー『頭の中を覗いて、あのぐちゃぐちゃした海みたいなものを見るのは、正直、疲れる』

ミュウツー『記憶を消すだの弄るだの、やらずに済むならその方が……』

ダゲキ「おぼえたこと わすれる の、も、できるんだ」

ミュウツー『ああ、まあ……そういうことだ』

ミュウツー『私を捕まえるために洞窟に来たこと、洞窟で見聞きしたもの、どこで私の噂を聞いたか……』

ミュウツー『そういう話は、憶えていられると困るからな』


脳裏に嫌な風景が甦る。

その記憶は意外に遠く、色彩の薄いものになっていた。

あのトレーナーたちの声も、耳を塞いだその向こうから聞こえてくるようだ。

今の自分と途切れる場所のない、確かに地続きの記憶であったはずなのだが。


ミュウツー(……こちらへ来てからの方が、刺激が多いからか?)


とはいえ、あのまずい苔の味を忘れるには、もう少し時間が必要そうだ。


ミュウツー(あの味は……そう簡単には忘れられん)

ミュウツー(きのみが美味いから、余計にあのまずさが際立つんだ)


ダゲキ「すごいなあ」


友人の呑気な賞賛が聞こえる。

その声に、妙な羞恥と苛立ちを覚えた。


ミュウツー『……別に、そんなこと、好きで出来るわけではない』


自分が、なぜ、どこにそう感じたのか、おざなりにせず考える。

それはここに来てからの習慣になっていた。

考えてはみるのだが、背中を這う据わりの悪さばかりが先に立った。

褒められてムッとするというのも、奇妙な話だと自分でも思う。


ダゲキ「ぼくは できないよ」

ミュウツー『だからなんだ』

ミュウツー『まったくどいつもこいつも……そうやって卑屈ぶることに、なんの意味がある』

ミュウツー『そんなことばかり言っていると、またさっきのように』

ダゲキ「あ、それ は、いや」

ミュウツー『……だったら?』

ダゲキ「わ……わかった。そういうこと、いわない」

ダゲキ「ヒクツブルって……あ、なんでもない!」


思わず口を突いて出たのだろう。

彼は、はっとして慌て、質問を取り消した。

そのくせ、なんとも残念そうな顔をしている。

自分で引っ込めておいて、それはそれで後悔しているらしい。


ミュウツー『……』

ミュウツー(空気は読めるじゃないか)

ミュウツー(まだ文字は満足に読めないくせに)


ミュウツー『そういう質問は、別に構わない』

ダゲキ「いいの?」

ミュウツー『……まあ、うん』


少し、それでも目に見えて嬉しそうにしている。


ダゲキ「あのさ……きみの、そのちから」

ダゲキ「しゃべるのも わすれる できるの?」


質問の意図が読めない。

そういう使い方をしたこともなければ、考えたこともなかった。


ミュウツー『どうだろう』

ミュウツー『……おい待て、せっかく憶えたのに忘れたいのか?』

ミュウツー『お前、何を考えて……』


ダゲキ「ううん」

ダゲキ「そうじゃ ないけど」

ミュウツー『それなら、なぜそんなことを尋くんだ』

ダゲキ「あのね……」


がさっ、と真上の葉が音をたてる。

さきほどの音と、原因は同じようだ。


ミュウツー『なんだ?』


立ち止まって枝を見上げる。


ダゲキ「あれ たぶん……」

ミュウツー(まさか、ずっと私たちの頭上にいるのか?)


ミュウツーがそう考えた瞬間、何かが、同じく立ち止まったダゲキの背中に降ってきた。


?????「よっ!」

ダゲキ「びゅッ!?」

ミュウツー『あ!?』


ダゲキの背中に降ってきた『塊』と一緒に、飛び散った葉があたりを舞う。

地面から伝わる振動で判断するに、それなりの大きさと重さだ。

『塊』はぎゅるぎゅると葉や金属を擦り合わせるような、耳障りな音で唸っている。


?????「おれだよ、おれ」


ダゲキの背中にべったりとへばりついた『誰』かが声をあげた。

非常に、聞き覚えのある声だ。

よく見ると、しがみついているのは尻尾をくるくると振り回すジュプトルだった。

呆気にとられたミュウツーは、目の前の光景を声もなく見ている。

落ちてこられた側のダゲキは必死にバランスを保ち、ようやく安定したところだった。


ジュプトルはふたりの反応がよほど気に入ったらしい。


ジュプトル「なに はなしてるの?」


ダゲキの頭に顎を載せ、嬉しそうに目を細めた。

傾斜のきつい肩に足の爪をひっかけ、前脚で後頭部にしがみついている。


コマタナ「! ゔ! ゔ!」

ジュプトル「お! げんき だな、おまえ」


足元――正確には自分が乗ったダゲキの足元――で跳ねるコマタナを見下ろし、ジュプトルは嬉しそうに目を細めた。

対するコマタナも、三度、見知った顔を見て喜んでいるようだ。


コマタナ「うぁー!」

ミュウツー『お前……なんで上から……』

ジュプトル「ひなたぼっこ」

ダゲキ「……おもい」


顎の下から響く抗議の声を、ジュプトルは一瞥しただけで受け流した。

ジュプトルは機嫌よくダゲキの頭を叩く。


ジュプトル「きのみが いっぱい、なったから、おれは しごと してたの」

ジュプトル「で、ひまになった」

ジュプトル「ひなたぼっこ してたら、こえ きこえたんだよ」

ジュプトル「うるさくて、ねて られなかった」

ジュプトル「おまえの こえ、ちょー おもしろかったな」

ダゲキ「……」


ダゲキは納得いかない顔で口の端を歪めた。

多少は同情しないでもないが、どちらかといえば――


ミュウツー(いい気味だ、まったく)


ダゲキ「びっくり した」

ジュプトル「うん、おまえの、しゃべるのじゃない こえ、ひさしぶりに きいた」


邪魔くさそうに頭を振っていたが、取り付いたジュプトルが落ちる気配はない。


ダゲキ「おりてよ」

ジュプトル「やだ」

ダゲキ「なんでさ」

ジュプトル「ここ、やっぱり すわりごこち いいもん」


ジュプトルは快適そうに目を閉じて、一向に意に介しない。

しばらくして溜息をつき、ダゲキは諦めたようにぽつんと言った。


ダゲキ「じゃあ……ひっかくなよ」


返事をするかわりに、ジュプトルは一声鳴いた。


ミュウツー(あれは邪魔だろうな……色んな意味で)


降ってきたのが自分の上でなくて本当によかった、と思う。


ダゲキからは、望む反応を十分に引き出して満足したのだろう。

今度はミュウツーの方を見て、ジュプトルはまたにやにやと笑った。


ジュプトル「びっくりしただろー」

ミュウツー『……十分びっくりした』

ジュプトル「そう? やったね」


責められているはずなのに、ジュプトルは嬉しそうだった。

いたずらが上手くいって御満悦、といったところだ。

得意げに爪で鼻先を引っ掻いている。


ダゲキ「くび、おれるかと おもった」

ジュプトル「どこが くびなの?」

ミュウツー『……ぶふっ』


ジュプトルがダゲキの頭の上で声を上げて笑っていた。

見れば見るほど機嫌がよさそうだ。

こんな……。


ミュウツー(こんな奴だったか?)


どうにも拭えない違和感があった。


ミュウツー(……ううむ)


ジュプトル「あと、オオタチが テッシード、ひろってた」

ダゲキ「どんなやつ?」

ジュプトル「えーと、コマタナみたいに、きらきらしてて」

ジュプトル「まるくて、じめんの うえで、シュルシュル まわってた」

ダゲキ「……???」

ダゲキ「あとで みにいくよ……」

ミュウツー『また捨てられたポケモンか』

ダゲキ「たぶん」

ジュプトル「まあいいや。はやく たきび、いこうよ」

ダゲキ「たきび?」

ジュプトル「ほら、あるけー」

ダゲキ「えっ、じぶんで あるいてよ」

ジュプトル「えー やだやだ! チュリネ、ここがいいー」

ダゲキ「……なにそれ」

ミュウツー『……全然似てない』

ジュプトル「ちぇー」

ダゲキ「……なんなんだよ」


ミュウツー(なんだか……子供っぽくなっているような気もする)


文句を言いながらも、ダゲキはジュプトルを背負ったまま歩き始めた。

ダゲキの動きに合わせて、ジュプトルの頭と尾の葉が揺れている。


ジュプトル「とくとうせきー」

ミュウツー(……禿頭席……)

ダゲキ「……はぁ」


コマタナだけが、ふたりに続かずまだミュウツーの足元で留まっていた。

手を振り回し、潰れた声で喚いている。

傍目にはそうとしか見えないかもしれない、とミュウツーはぼんやりと思う。

むろん、コマタナが自分を見上げて、『早く行こう』と促しているのだということはわかっていた。


ミュウツーは頷いてみせる。

コマタナは目を輝かせ、嬉しそうに駆け出す。

軽く肩を竦め、彼らに続いて森の奥へと進んだ。


ミュウツー『この陽気では、焚き火も必要なさそうだな』


ゆるゆると吹く風は、もったりと暑く、べったりとまとわりついている。

慌てて焚き火に暖を求める必要はないように思う。

むしろ、こんな中で焚き火など、余計に暑くて不快なだけではないだろうか。

そう言うと、前を行くダゲキにへばりついたジュプトルが振り返った。


ジュプトル「ちがうよ チュリネ」

ミュウツー『ああ……』

ジュプトル「すごく はりりって、バシャーモに たのんだ」

ミュウツー『「はりきって」だ』

ジュプトル「おう」

ジュプトル「おれ、やること ないから、ひなたぼっこ」

ミュウツー『なるほど……それは想像がつく』

ジュプトル「でしょ? てつだおうと しても、チュリネがやる! って、うるさいし」


コマタナが帰ってくるにあたり、盛大に出迎えてやりたいのだろう。

迎えに行ったのがダゲキだという意味でも、よけいに気合いが入っているのかもしれない。


ダゲキ「きのみ あるかな」

ダゲキ「ぼくは、きのみが あれば、いいや」

ジュプトル「いっぱい あったよ」

ダゲキ「クラボは?」

ジュプトル「んー、あった とおもう」

ダゲキ「やった」

ミュウツー『お前は本当に、あの辛いのが好きだな』

ダゲキ「おいしいから」

ミュウツー『それにしたって……』

ジュプトル「イアのみも あったよ」

ミュウツー『よし』


日が傾き、森は少しずつ暗くなっていく。

同じ場所を目指して歩く友人たちの姿も、だんだん見辛くなっていった。

光沢のあるコマタナの刃の部分だけが、にぶく夕日を反射している。

その後ろ姿を見ていると、不意に頭の中で、何かが引っ掛かった。


ミュウツー『……ん? チュリネ……?』

ダゲキ「どうしたの」

ミュウツー『いや、チュリネの名を、さっきどこかでも聞いたな、と思ってな』


どこかで、比較的はっきりした発音で聞いたはずだ。

当のチュリネの口からでも、友人たちの口からでも、ましてや自分でもない。

どこで『耳にした』のだろう。

聞き慣れた声であれば、とりわけ印象に残ることもないはずなのだが。


ダゲキ「あっ」

ダゲキ「さっき、あのニンゲンが、いってた」

ミュウツー『あのレンジャーか……そういえばそうだな』

ダゲキ「うん、いって……た……け、ど……あれ?」


前を歩くダゲキが首を捻った。

その動きに付随して、頭にしがみつくジュプトルの上半身も左右に大きく揺れた。


ジュプトル「うおお ゆれる」

ミュウツー『なんだ』

ダゲキ「チュリネも……あのニンゲンの『イエ』に、いってるのかな」

ジュプトル「えっ」

ミュウツー『さあ……それはわからない。直接、見たわけではないし』

ミュウツー『お前は、奴をあそこに連れて行ったことはあるか?』

ダゲキ「ううん、ない」

ミュウツー『……そうか……』


話が見えず耐えきれなくなったのか、ジュプトルが地表に飛び降りた。

快適な席が揺れて、それが耐えられなかっただけなのかもしれない。


交互にふたりを見上げながら、ぺたぺたと軽い足音をさせてついて来る。


ジュプトル「なに、どうしたの」


頭が軽くなったダゲキが立ち止まり、一瞬ミュウツーを見た。

少し困っているようだ。


ジュプトル「チュリネ、なにか したのか?」

ダゲキ「チュリネ、って……ニンゲンが いってた」

ジュプトル「???」

ミュウツー『……話の中でな、チュリネがあそこに近づいていると思える言い方を、あのニンゲンがしていた』

ジュプトル「あいつ、ニンゲンのところに、いってるの!?」

ミュウツー『さあ、それはなんとも判断がつかなかった』

ミュウツー『お前たちがなかなか顔を見せない、とあのニンゲンが文句を言っていたのだ』

ミュウツー『その上で、チュリネやマメパトは森に普通にいるポケモンだから……ということを言っていた』

ミュウツー『見掛けはするが、それでは「顔を出した」ことにはならないような口振りだった』

ミュウツー『よく見るが、お前たち……私たちの「仲間」ではないと考えているのだろうな』

ミュウツー『チュリネは「外来種」ではないからな』

ジュプトル「よく、わかんないな……」

ダゲキ「チュリネも、マメパトも、あの『イエ』にくる ってこと……だとおもう」

ミュウツー『直接的に「チュリネが遊びに来る」とまでは言っていなかったが』


ジュプトルが鼻筋に皺を寄せ、機嫌の悪そうな顔をした。

友人たちについて、具体的に何がどう不遇だったのかまではわからない。

だが、それぞれがそれぞれに、人間に対して思うところがある。

だからこそ、誰もチュリネに勧めないし、快くも思わない。


ミュウツーは最近、少しだけ麻痺していた。

『自分だけは』、節度をもって関わっている、と思っていた。

適切な距離と関わり方を維持できている、と思い込んでいた。


ジュプトル「でも、ニンゲンは、みわける とか、へただよ」

ジュプトル「ばんごうとか、つけるし」


慌てて取り繕うかのように、ジュプトルが言う。


ジュプトル「……だ、だから、ほかの チュリネかも しれないじゃん」

ジュプトル「……しんぱい するな、って」


さらに言い募った。

『心配するな』と言いながら、心配しているのはジュプトル自身も同じだ。

だが、自分で自分の発言に説得力がないことは、よくわかっているようだ。

ふたりを交互に見上げ、低く呻きながら下を向いた。


ミュウツー『いや、だが、いつものチュリネ以外のチュリネが、あそこに近づくとも……』

ジュプトル「うん……」

ジュプトル「マメパトは……ニンゲンが、エサくれるから、よってくしな……」


ダゲキがウウンと唸った。

もっとも心中穏やかでないのは、彼かもしれない。

チュリネの『気持ち』を、彼がどう受け止めているのかにもよりそうだ、と思う。

少なくとも、責任は感じているに違いなかった。

彼に責任が『ある』のかどうかまでは、安易に判断できないが。


ミュウツー『困ったものだな』

ジュプトル「ニンゲンのポケモンに なりたいのは、いいけど」

ミュウツー『それは、いいのか』

ジュプトル「おれは もう、ぜったい いや!」

ジュプトル「チュリネが、いいなら、おれが ダメ、って いうことじゃ ない」

ジュプトル「うれしくない けど」


吐き捨てるようにそう言うと、ジュプトルはまた歩き出した。


ミュウツー『なるほど、筋は通っている』

ジュプトル「すじ?」

ミュウツー『お前の、話が、「その通りだ」、と言っているんだ』


自分も追従する。

不意に、肌を撫でた風が今までよりも、かすかに冷たく感じた。

いつの間にか、涼しくないながらも夜の匂いが漂い始めている。

焚き火の暖かさこそ必要ないものの、焚き火が欲しい気分だった。


ジュプトル「あ、……あー、そう」


わかったのかわかっていないのか、ジュプトルははっきりしない返事を零している。

今も鼻筋に皺が寄っている。

こちらの言い方が抽象的で、よくわからなかったようだ。

少し離れた後方で、コマタナに先導されながらダゲキがやって来た。

さきほどのジュプトルよりもなお一層、複雑な顔をしている。


ダゲキ「でも、チュリネは、ぼくのまね したいだけ、なんだよ」

ダゲキ「たびを したいんじゃない」

ダゲキ「つよく なりたい、と おもってない」

ダゲキ「たたかいたい、とも おもってない」

ダゲキ「いっしょにいたいニンゲンを、みつけたのとも、ちがう」


彼にしては珍しく、次から次へと言葉を吐き出した。

口調に強い焦りのようなものを感じ、少し息をのむ。

左目の下あたりが、わずかに引き攣っている。

これを見るのは、考えてみればあの夜以来だった。

感情面のありさまとあの『癖』は、連動しているようだ。

ダゲキ自身が、それを意識しているとも思えないが。


ミュウツー『……そうか』

ダゲキ「こまったな……」

ジュプトル「よくないなあ……」

ミュウツー『よくは、ないな……』

ダゲキ「ちゃんと、いわないと」

ミュウツー『お前以外が言っても、聞かないだろうしな』


嗅ぎ慣れた、焦げくさい匂いが鼻を掠める。

あれこれと喋っているうちに、いつもの場所に近づいていたようだ。

誰かが口にしたわけではなかったが、その認識は皆が同じくするものであったらしい。


ジュプトル「おなか すいた。はやくたべたい」

ダゲキ「……ぼくも」

ミュウツー『おい、今日はこいつの快気祝いのようなものだ』

ミュウツー『今日くらいは、こいつに一番に選ばせてやろう』

ダゲキ「『カイキ』って、げんきに なることかな」

ミュウツー『そんなところだ』


そう言いながら、近くにいたコマタナの頭を撫でてやる。


コマタナ「うー!!」


すると、話がわかっているのかいないのか、コマタナは手を振り回して喜んだ。


ミュウツー『……そんなに喜ぶことか?』

コマタナ「おぁ!!」


なんだか気恥ずかしかった。


ジュプトル「けが なおったんだな」

ダゲキ「うん、けが もう、だいじょうぶ だって、あのひとは いってた」

ジュプトル「へー、よかったな」

ミュウツー『そういえば、あのレンジャーはお前が来た時のことも憶えていると言っていたぞ』

ジュプトル「おれ!?」

ダゲキ「うん」

ジュプトル「……な……なんて いってたの?」


見ると、ジュプトルは妙な具合に目を細めている。

それがジュプトルにとっての『訝しげな顔』なのだろう。


ダゲキ「……ううーん……」

ミュウツー『へろへろだったと言っていたぞ』

ジュプトル「えー」

ミュウツー『あんなにボロボロなジュプトルは見たことがない、とか』

ミュウツー『それきり顔も見せないとは、なんと不義理なとか、そんなことも言っていたな』


ジュプトル「あー……えー」

ミュウツー『……ああ、「不義理」とはな、わからなければ「失礼」と似たようなものだと思っていいぞ』


わざとらしい態度で、わざとらしいまでに大仰に言う。

ちらっと視線を向けると、ダゲキが苦笑いを浮かべているように見えた。

ふざけていることは、それなりに伝わったようだ。


ジュプトル「……なんかさぁ、おまえ……それ、ほんと?」

ミュウツー『さあ?』

ミュウツー『気になるなら、自分であのログハウスに行って、自分で尋けばいいではないか』

ジュプトル「えー、えー、いや! それは いや!」


そう叫びながら、ジュプトルは両手の爪で鼻っ柱を覆った。

よくわからないが、面白い。


ふと前を見ると、コマタナが誰よりも前を歩いている。

もう、どこを目指して進んでいるのか、コマタナもわかっているようだ。

そのうしろを、大きさも色も種類もちぐはぐなポケモンたちが、のろのろ追っている。


陽はいつの間にか落ちていた。

にも関わらず、互いの姿が支障なく見えているのは、木々の向こう側から届く灯りのおかげだ。

自分でも気づかないうちに、胸が高鳴る。

取り立てて珍しくもない、毎日のように目にしているものであるはずなのだが。


チュリネ「おかえり!」


甲高い声が耳に突き刺さる。

目の前には、予想した通りの光景が広がっていた。

期待通りの、いつもの、いつもと同じ風景だ。


ゆらゆらと不規則に揺れる炎の向こうに、小さな誰かがいる。

その誰かが、自分たちに気づいて立ち上がった。

意外に素早い動きで、ぐるりと焚き火を大きく迂回し、こちらへ走ってくる。

迂回がやけに大回りだが、チュリネ自身もそれを意識はしていないようだ。


ミュウツー(ジュプトルと同じように、チュリネも本能では炎を恐れて然るべきだ)

ミュウツー(そう考えれば、無意識に大きく火をよけるのも当然だろう)

ミュウツー(だが、ああして火を扱えるのは、理性と彼女自身の努力によるものだ)

ミュウツー(本能と、理性……)


ミュウツーは、彼女の何気ない動作に、その鬩ぎ合いを垣間見たような気がした。


ミュウツー(ダゲキへの強い執着は、どちらに起因するものなのだろうな)


チュリネ「チュリネ、たきび まってたよ」

チュリネ「きのみ いっぱい あるの」


こういう場合、『弾けるような』、という表現が適切なのだろう。

弾けるような笑顔を、チュリネは見せている。

何気なく傍らの友人たちを盗み見た。

ふたりとも、それぞれに複雑な顔をしていた。

それを見ている自分もまた、きっと『複雑な顔』をしているのだろう。




男が、まだ朝日もない町を静かに歩いていた。

もはや深夜といえるほど暗くもなく、うっすらと白んでいる。

男は少し大きな荷物を引き、更にサックも肩にかけていた。

彼なりに気を使い、そろそろと早朝の町を歩いている。


男は、ある家屋の前で立ち止まった。


???「……同居人はいなかったはずだな」


そう小さく独り言を漏らすと、男は躊躇なく呼び鈴を鳴らす。

しんと静まり返っている町に、その鋭い音は思いがけず響いた。


近所迷惑なものだと男は思う。

が、よく考えてみればこんな時間に押す男の方が悪い。

もっと考えてみれば、この家の家主はこの家を空けていることが多い。


???「残念だが……船の時間があるからな」


何度か呼び鈴を押したものの、反応はない。

これだけ鳴らしても起きてこないということは、よほど眠りが深いか、不在なのだろう。

男は、内心とてもがっかりしている。


???「幸運の女神には、後ろ髪がない」

???「……まあ、決めるのは彼だ」


ごろごろとカートを転がし、男は戸口に背を向けた。

男は『それはそれで仕方ない』と頭を切り替え、背筋を伸ばして歩き始める。


視線には気づかない。

たった今、男が訪ねた家の窓から、こっそりと彼を覗き見る視線。

息を潜め、害意を潜ませ、様子を伺う視線。


男が立ち去ったのを確認すると、その視線は窓から消え、町は日の出を待つ静けさを取り戻した。




ジュプトルは、うとうとしていた。

チュリネの用意したきのみを食べて、腹も適度に膨れている。

眠くて当然の時間でもあった。

見回してみると、周囲にいる友人たちも大差ないようだ。


ミュウツーは心ここにあらずという顔で、炎を見つめていた。

いつもと同じように、うっすらと眉間に皺を寄せている。

見慣れていなければ、怒っているように見えるかもしれない。

今は怒っているのでもなければ、特に機嫌が悪いわけでもないようだ。


よほど焚き火を見ているのが好きなようだ、とジュプトルはなかば呆れている。

そう思って観察してみると、極めて上機嫌であるようにも見えた。

話をまったく聞いていないというわけでもないらしく、たまにこちらの会話に口を挟んでくることもある。


その脚のあたりで、コマタナが身を丸くして、うたた寝している。

時折、びくりと体を震わせて跳ね起きるところを見るに、こちらもすっかり眠っているわけではないらしい。


チュリネは、ダゲキに語りかけている。

いつもならもっと大声になるはずが、いくらか声をひそめている。

コマタナが眠りかけていることを、彼女なりに考慮しているようだ。

イーブイがどうしたとか、昼間に何をして遊んだとか、そういう話が聞こえていた。

そこに、思いがけないタイミングで『それは「跳ぶ」じゃなくて「踏む」だ』とミュウツーが割り込む。

やけにだらだらとした、締まりのない時間が漂っている。


一方、相槌を打つばかりのダゲキは、話を聞いているのかどうかも定かでない。

話し相手であるチュリネの顔を、まじまじと見ている瞬間はある。

そのわりに、生返事ばかりしているように、ジュプトルには思えるのだった。


チュリネ「――だからね、イーブイちゃんと やくそくしたの」

チュリネ「あした また、かげふみ して、あそぼう、って」

チュリネ「だって、あしたも おひさま、きっと、いっぱいだもん」

ダゲキ「……」


ダゲキは返事をしない。

チュリネは返事を待っている。


ダゲキ「……ねえ、チュリネ」

チュリネ「なあに?」


急に、ダゲキが押し殺した声を出した。

生返事ではない。

むしろ、会話の流れから考えれば『返事』にすらなっていない。

だが、その話しぶりに妙な空気を感じて、ジュプトルはふたりに目を向ける。

ふと視線を移すと、ミュウツーもまた、ジュプトルとふたりを交互に見ていた。


ミュウツーと目が合う。

空気が変質したことを、それぞれに感じ取ったのだと理解した。

だが、どちらも質す機を逸してしまい、何も言えずにいる。


チュリネもまた、ダゲキが何を言おうとしているのか図りかねていた。

目をぱちぱちと瞬かせて、真意を探ろうとしている。


ダゲキ「ちょっと、きて」


そう言うと、ダゲキは立ち上がって輪を離れた。

『来い』と言ったはずのチュリネを振り返ることもなく、焚き火に背を向けた。

そのまま、灯りの届かない森の奥へ、ひとりさっさと入っていく。

まどろむコマタナ以外の全員が、その背中を目で追った。


チュリネ「にーちゃん?」


チュリネはぽつんと言葉を漏らすと、そのまま黙ってダゲキの後を追った。

ジュプトルは喉を鳴らして口を開く。


ジュプトル「あれ なに?」

ミュウツー『ううむ……あれは……』


言いづらそうにミュウツーが目を細めた。

それを見て、ミュウツーも事情を理解していそうだ、とジュプトルは確信する。

シュウと唸って、ジュプトルは腰を浮かせた。


ジュプトル「……なんで あっちいくんだよ」

ジュプトル「ここで いえば いいじゃん」


そう尋ねながら、また自分が拗ねた声になっていることに気づいた。

あれ以来、うまく自分をコントロールできないような気がしている。

かわりに得たものが、この御しがたい自分自身だった。


すぐに拗ねる。

駄々を捏ねる。

臍を曲げる。

ぞわぞわ、きりきりする。


ミュウツー『彼女の名誉のためか』

ジュプトル「めいよ?」

ミュウツー『よりによってあいつに叱られるところを、私たちに見られたくはあるまい』

ミュウツー『それでは、あまりに「かわいそう」だろう』

ジュプトル「……ああ」

ジュプトル「おれたち、もう しってるけどなあ」

ミュウツー『まあ、でも……そういう問題ではないんだろう』

ジュプトル「ふうん」


息を潜めれば聞こえてしまうのだが、それも『そういう問題ではない』というやつなのだろう。

ジュプトルは浮かした腰を下ろし、息を吐いて耳を澄ました。


チュリネ「にーちゃん……どうしたの?」

ダゲキ「チュリネは……ニンゲンのところ、いった?」

チュリネ「……」


なかなか返事がない。

ジュプトルはミュウツーと顔を見合わせた。


チュリネ「どうして? どうして きくの?」

ダゲキ「いったの?」

チュリネ「……だめ?」

チュリネ「あの ぼうしの ニンゲンのひと、いいひと……でしょ?」

ダゲキ「やっぱり、いったんだ」

チュリネ「!?」


ミュウツー(……馬鹿)

ジュプトル(ばかだ)


小さく、キィと呻く声が、こちらのふたりにも聞こえた。

確かめるすべはないが、おそらくチュリネの声で間違いないだろう。


ダゲキ「いかないで、って いったのに」

チュリネ「……ごめんなさい」


ミュウツー(それは、いかんな)

ジュプトル(おれも それ、しってた)

ミュウツー(いかんな)

ジュプトル(いかんね)


チュリネ「あ……あのね、にーちゃん」

チュリネ「チュリネは、ニンゲン……と、おしゃべり してないよ」

チュリネ「みつかったこと、ないよ」

チュリネ「ちゃんと、とおい とこから、みる……だけ……だよ……」


消え入りそうな声だった。

ミュウツーにもジュプトルにも、彼女の気持ちはよくわからない。


ミュウツー(喋ってたら大問題だ)

ジュプトル(おおさわぎ とか、なってるよな)


人間など、憎くて、嫌いで、唾棄すべき宿敵でしかない。

関わったことのある『チュリネ以外』にとって、そんな相手に自分から関わろうとする気が知れない。


ダゲキ「それでも、もう、だめ」

ダゲキ「もう、チュリネは、ニンゲン ところ いくの、だめ」


言葉をひとつずつ踏み締めるように、ダゲキは言う。

ここからでは、チュリネはおろかダゲキの顔も見えない。

ジュプトルはあたりを見回し、ミュウツーに目をつけた。


火にあたっているミュウツーは、椅子がわりの倒木に身を預けている。

が、それでも『座高』はジュプトルが思いきり背伸びをしたよりもずっと高い。


ミュウツー(……?)


するするとミュウツーの身体をよじのぼる。

ジュプトルはあっという間に頭の上まで辿り着いた。

実際に登ってみると、ダゲキの肩の上の方が居心地はやや良い。

第一、ダゲキと比べると首が細くて頼りない上、この首の後ろの『もう一本の首』が邪魔くさい。


ジュプトル(やっぱり、ここでも よくみえないや)

ミュウツー(重い)

ジュプトル(ダゲキと おなじこと、いってる)

ミュウツー(……実はそこまで重くない)

ジュプトル(なんだそれ)


チュリネの返事は、なかなか聞こえてこない。

それはそれで、仕方ないことではある。


褒められているわけでも、認められているわけでもない。

隠れてやった行動を叱られ、責められている。

それも、おそらくは、一番叱られたくない相手に。

誰よりも一番、認めてほしいはずの相手にだ。


チュリネ「……どうして?」

チュリネ「どうして、にーちゃん は、いいの?」

チュリネ「みーちゃん も、ニンゲンのところ いくの、いいの?」

チュリネ「どうして、チュリネは だめなの?」

ダゲキ「……チュリネは」

チュリネ「チュリネ、こども だから?」


ミュウツー(これでは、どちらが叱られているのか、わからんな)

ジュプトル(かっこわるい)


むろんダゲキも、元々弁が立つわけではない。

語彙や話術がどうのという話ではなく、単に勢いと熱意の問題なのだろう。


チュリネ「それなら チュリネ、やっぱり、おとな なりたい」

チュリネ「おとな なって、にーちゃんと、いっしょ、するの!」

チュリネ「にーちゃんと、みーちゃんと、ジュプトルちゃん ばっかり」

チュリネ「いつも、いっしょ」

チュリネ「いっつも、おはなし たのしそう」

チュリネ「みんなの おはなし、チュリネ ぜんぜん、わからない」


ジュプトル(あれっ……おれたちのせい なの?)

ミュウツー(それはそれは、悪いことをしたな)


ダゲキ「チュリネは、はなし わかるのが、いいの?」

チュリネ「うん」

チュリネ「チュリネは……にーちゃんたちと もっと、おはなし したい」

ダゲキ「……」

ダゲキ「チュリネは、ぼくが どうして、はなしするか、しってるの?」


ジュプトル(お、ダゲキの ふくしゅうか?)

ミュウツー(……どちらかというと、反撃というのではないか)

ジュプトル(ふうん)

ミュウツー(こいつ……)


ダゲキの頭が、ふっと見えなくなった。

どうやら、チュリネに何か言うためにしゃがんだか、膝をついたようだ。


チュリネ「……みんなの ためでしょ?」

チュリネ「けんか しないのと、あと……えーと……」


ミュウツー(……そろそろ降りろ)

ジュプトル(いやだね)

ミュウツー(お前……)

ジュプトル(おまえさ、のっぽじゃん。たってよ)

ミュウツー(……お断りだ)


ミュウツーの頭の上によじのぼっても、話し合うふたりはもうよく見えない。

チュリネの頭など、はじめから葉の先端しか見えていない。

今となってはダゲキもしゃがんでしまった。

こちらとしても、伸ばせる首に限界があるのだった。


ジュプトル(うーん……)


ダゲキ「ぼくは、ニンゲンのところに いたから、わかる」

ダゲキ「みんなに、はなしを するときに、だいじだから……はなすよ」

チュリネ「……うん」

ダゲキ「でもチュリネは、ニンゲンと、いたことは ないよ」

ダゲキ「だから、ほんとうは わかるのも、はなすのも、だめなんだ」

ダゲキ「わからないほうが、いいんだよ」


ジュプトル(……)

ミュウツー(まあそうだな)

ジュプトル(そうだけど……)


ダゲキ「チュリネは、この もりの……」

ダゲキ「ニンゲンのじゃない、ポケモン……だから」

ダゲキ「そんなに、ニンゲンに ちかづいたら」

ダゲキ「そんなに、しゃべるのが できたら」

ダゲキ「もりの ポケモンじゃ、なくなる」


ジュプトル(でも……)


ジュプトルは内心、腹を立てていた。

彼が言っていることは、事実だ。

事実であり、本当のことであり、ジュプトル自身もそこに該当する話で――

自分では、如何ともしがたい枷だ。


ジュプトル(……おれも、あいつも、おまえも さ)

ミュウツー(言わなくていいぞ)


彼も理解しているからこそだ。

『言われなくても、そんなことはわかっている』、と反発したくもなる。


チュリネ「わかんない。チュリネ、もりの ポケモンだよ」

ダゲキ「うん。チュリネは、もりのポケモンだよ」

ダゲキ「まだ、だいじょうぶ」

チュリネ「だから」

ダゲキ「だから、だめ」

チュリネ「どうして?」

ダゲキ「チュリネ」

ダゲキ「ニンゲンのポケモンに なったら」

ダゲキ「かえる ところ、なくなるよ」

チュリネ「……」


頭の葉が、激しく揺れているのが見えた。

チュリネが首を横に振っているようだ。


チュリネ「にーちゃんは?」


チュリネ「みーちゃんも、ジュプトルちゃんも、みんなも」

チュリネ「みんな……は ここ、おうち じゃないの?」

チュリネ「チュリネ、おかえりなさい いうよ」

チュリネ「かえるところ、なくなってないよ」

チュリネ「それから、チュリネは もりのポケモンじゃ なくなっても……」

ダゲキ「……」


返事は聞こえない。

ジュプトルはぐるぐると喉を鳴らした。

自分の乗っているミュウツーも、どうやら喉を鳴らしたらしい。


誰かが、ぼそぼそと何かを囁いている。

誰が何を言っているのかもわからない。

森が静まり返っているわけでもない。

にも関わらず、ふたりには、どんな雑音よりもその声が強く耳に届いた。


それから、鳴き声というよりは嗚咽のような音が聞こえた。


葉を踏み締める音。

紛れるようにして、かすかに鳴き声も聞こえる。

どちらも、少しずつ小さく、遠ざかっていっている。

誰かが、幼い悲鳴をあげながら走り去っていったのだ。


足音がすっかり聞こえなくなると、今度は深く長い溜息が聞こえた。

それが途切れると同時に、げっそりとくたびれた顔のダゲキが姿を見せた。


ダゲキ「つかれた」

ジュプトル「チュリネは?」

ダゲキ「……はしって いっちゃった」

ミュウツー『何を言ったら、そんなことになるんだ』


ミュウツーがそう問うと、ダゲキはとてつもなく嫌そうな顔をした。

黙って焚き火のそばに座り込み、何かを考えている。

それきり、ジュプトルたちは一言も口をきかないまま解散した。

今回は以上です。

>>63-65
確かに、だんだん精神年齢が下がってきているような気はする
森の生活が長引いて平和ボケしてるのか

>>69
ツイッター見てる人いると思わなかった
ニックつける画面に入っちゃったあと、どう終わらせていいかわからなくて
ラプラスにラプラスってニックつけた切ない思い出があるよ!

ORAS、やっぱりXYと変わらず3Dにしてると戦闘画面がカックカクだな

ではまたー

そのまま決定すればデフォルトネームなるやで
キモリって名前つけたらキモリって名前のジュカインが出来上がってしまうね

>>111
流石にRSE遊んでた時代には、デフォルトネームに戻せてたやで
初代青やっとった頃はホンマモンの子供やったわ

乙ー
面白いですね!待ってます

本当にほんのちょっとですけど、始めます





――どういうことよ、これ!

――どうして!? どうしてこんなことに……




――あんたたち、ボサッと突っ立ってないで、早く手当て!

――ちょっと、しっかりしなさいよ!




――ねえ、死ぬの? あたし死ぬの?

――痛い、痛い、痛い、痛いよ、痛いの、こんなに血が




――こんな程度の怪我で、死ぬわけないでしょ!

――止血すればどうってことないから!

――いいから、怪我人は黙って手当てされてなさいってば!




――ち、ち……違うの! 違うの!

――あ……あ……あたしのことなんかどうでもいいんだから!

――ねえ、どこなの!? どこに行っちゃったのよ! ねえ!




――ちょ……ちょっと、じっとしてなさいってば

――そんなんじゃ、血が止まらな……ちょっと!




――ねえ、どういうことなの!

――あんたたちの……あんたたちのせいよ!

――あんたたちさえ、邪魔しな……け……れ、ば……こんな……




――ほら、言わんこっちゃない……

――じっとしてなさいって言ったでしょ




――い、いいから……いいから、早くなんとかしなさいよ!

――ぼ……ぼさっとしてないで、助けなさい! 助けてよ!

――助けなさいよ……た、助けて……ねえ……お願い……




――見ればわかると思うけど、今ちょっと……錯乱してるわ

――無礼は、少しだけ見逃がしてもらえるかしら

――そう……悪いわね




――ねえ……ねえ……どこ行っちゃったのよ……ねえ……

――あたしたちの……ねえ、どうしてこんなことになったの?

――素晴らしい世界が……手に入るんじゃなかったの?

――ねえ、腕が……痛いの、これ、どうしたらいい?




――あなたたちのせいにする気はないけど……

――『こんなはずじゃなかった』のは本当よ




――あたし、あたし……助けようとしたの!

――真っ黒いのに、引っ張られて、飲み込まれてたから!

――でも、できなかった

――あたしの、腕まで、あっちに行っちゃった




――痛み止め……持ってないわよね?

――でしょうね

――いいえ、気にしないで

――ほらマーズ、とりあえずここから離れましょ




――ねえジュピター、あたしたちのアカギ様はどこに行ったの?



ホントに短いけど今回は以上です

>>114
ありがとうございます!

乙でした
ギンガ団がどう関わってくるのか

短いんですが始めます


記録されている音声は、一件です。

音声記録を、再生しますか?


記録の再生を、開始します。


『――そうですね。

円周率はご存知ですね。

ええ、そう、数学の、です。

……いえ、まさかそんな、そんなつもりはないです。

単なる例え話ですよ。


(引き攣ったような笑い声)


はい、例の鉱石でしたね。

もちろん、その話に関係はありますよ。

現地で色々と調べたことがあります。

いえ、あなたがお好きな分野とは、あまり関連がないようですね。

同じ“石”を軸にした話では、ありますが。

ええ……むろん、利用はできるでしょう。

ええ、ええそうでしょうね。

仰ることは、もっともだ。


話を戻しましょう。

なかなか、興味深いものでした。

特定の……ええ、そうです。特定のポケモンと。

……いえ、少し違いますか。

特定のポケモン“が”、強い反応を示すのです。


何故だと思いますか?


わかりません。


ええ、そうですよ。

わたくしにも、わかりません。

あちらでは、『何故』の部分は、あまり重視されていないのです。

科学的に踏み込むことも、あまり好まれていないようでした。

石は、あくまでも媒介だと、そう考えられているようです。

重要なのは、その先の話である、と。

さきほどお話しした『反応』においても、石には変化がありませんから。

はい。

それで媒介です。

いえいえ。


全身麻酔のようなものですよ。

仕組みを理解することは、極端な話、後回しでいいのです。

使い方をきちんと理解して、問題なく運用できればいいわけで。

ただ……想像してみたことはあるのです。

『何故』の部分を。


(手を擦り合わせる音)


ポケモンの……ああ、わたくしたち人間も、ですが。

ポケモンの遺伝子配列を十桁の数字の羅列で表現した、としましょう。

はい、想像してみてください。

そしてその鉱石にも……あらゆる数字の羅列が。

ええ、何億桁も刻まれている、と想像してください。

まるで円周率のように、ですよ。


もちろん、そうです。

その仕組みはまだ解明されていないんです。


(カタカタと靴を鳴らす音)


だからこそ、想像するんです。

遺伝子の羅列と、石に刻まれた羅列が一致した時。

正確には、切り出された状態の石に含まれる羅列と一致した時。

最後の要素を引き金に、反応を生じるのではないか、と。


(机上のペンが転がる音)


いえいえ、まったく的外れである可能性もありますよ。

研究してみたいのはやまやまですが。

まあ、もう少し余裕があれば。


……いえ、催促ではないです。


ああ、はい。

そうですね……。

いわば……トレーナーとポケモンの精神的な繋がり、とされています。


ええ、感傷的な文言で言うならば、それです。

しかし……はたして、どうなのでしょうかね。

いえ、懐疑的、というのとは……少し違いますよ。


仮に、今お話ししたような反応が、そんな引き金で現象を起こすのだとしましょう。

実際に、傍目にそう思える現象や反応が見えているのでしょうから。

ある特定のトレーナーと、ある特定のポケモン。

精神的な繋がり。

その繋がりが引き金に値するとして……。

誰が、どんな判断基準で、値するか否かを決めるのでしょうね。



(ぱちん、と手を叩く音)


……なるほど、神ですか。

あなたらしい、的を射た概念だ。

何を仰いますか。

まさか。


本質を言い表している、と言えるかもしれませんよ。

本気ですとも。

実際、“神”が決めているのです。

いえいえ、それはもちろん、概念を擬人化した言い方です。


神とは、いわばこの世の理の、ある一側面だ。

因果関係を裏付けるのが、“神”の御業。

因果関係に理由を与えるのが、“神”の機能。

閾値を設定するのが、“神”の御業。

閾値がそこに設定されている理由を与えるのが、“神”の機能……というわけです。


あとは、我々の知る理論と合致するか否か、でしかありません。

そういう意味で、神は実在する。


……あなたには、今更ですね。


……え?

そうです、そういうことです。

可能性は十分にあると思いませんか。

ええ、さきほどお話しした仮説……いえ、想像が仮に正しければ、ですが。

そうでないと、面白くありません。

期待は出来ると思いますよ。

はい、では、また進展があれば。


(歩き去る足音)


……。

期待もします。


(コロコロと硬いものを転がす音)


……百聞は一見に如かず……。

わたくし自身が、実際に見ている以上……。


(呼び出し音)


もしもし。

……そうですか!

それはよかった。

ええ、お待ちしていますよ。



はい。


……え?

それは……本当ですか?

いや、でもまさか。

ええ、ええ……そうですか。

本人である確証も?

……同一人物であると、判断できたのですね?

なんと……。

まさか生きていたとは。


いえ、正直、期待していませんでした。

いえいえ、そうではありませんよ。

あなたがたは、実に有能だということです。


……なんですって?

それは誰の指示……ああ、ゲーチスの。

いえ、問題ないですよ。

むしろ、最善であると言えるでしょう。

そのまま、彼の指示に従っていただいて構いません。

まったく抜け目のないことで。


楽しみにしていますよ。

ええ、本当に楽しみで――ブチッ』


再生を終了しました。削除しますか?


今回は以上です

やっとオメガルビーを一回クリアしてTHE ENDまで行ったー!
とはいえそこから、なかなか出てこないダゲキを捕まえるのに必死になってたんで
クリア後のエピソードはまだ全然進められてないんだけど

>>120
実は前スレの時点でギンガ団は出てたんだぜ!

それではまたー

神の機能とか面白い

デルタの内容があまりにヒドすぎたから、もうこっちに期待するしかない
癒されに来た
でもカイナのBGM聞くと切なくなるわ

>>132
「神は…永遠に…幾何学する」
ってプラトンの言葉、意味わからんけどな…

>>134
なんでやカイナ明るくていい曲やないか
それはともかく、こっちもデルタ終わった
謝罪行脚は行ったのかな…って心配になった


なお>>130でオメガルビー終わったって言ったけど嘘で
やったのはアルファサファイアの方だった

そろそろ物語的に(やっと)後半戦に差し掛かってきてる(と思う)ので
投稿は年内あと1回を目標にして、
あとはちゃんと風呂敷畳む準備します

待ってる…

イノセンス思い出した

>>135
ははあ……きっとプラトンさん幾何学が大好きやってんな

楽しみに待ってます

>>136
ありがとう!頑張るッピ!

>>137
イノセンス好きやで
上のセリフはイノセンスでバトーさんが言った奴やで

>>138
レス書いたあとに改めて調べたけど
やっぱり意味不明だったわプラトン

このSSでは、そんな難しい話は(自分がわからんから)ないです
最後まで悪人らしい悪人はほとんど出ないと思うし
森で平和ボケしていくミュウツーを暖かい目で見守ったってください

>>139
やっぱりそうか
バトーさんとミュウツーの共演とか個人的にとても燃えると思うんだがどうだろう

>>140
どういう会話するか想像もつかんなw
こんな感じか…?↓(出典:イノセンス)


ミュウツー「『子供』は常に、人間と言う規範から外れてきた。

        つまり、『確立した自我を持ち自らの意思に従って行動するもの』を人間と呼ぶならば。
        では、人間の前段階としてカオスの中に生きる子供とは何者なのか。
        明らかに中身は人間とは異なるが、人間の形はしている。
        女の子が子育てごっこに使う人形は、実際の赤ん坊の代理や練習台ではない。
        女の子は決して育児の練習をしているのでなく、
        むしろ、人形遊びと実際の育児が似たようなものなのかもしれない」

バトー「人間と機械、生物界と無生物界を区別しなかったデカルトは、

     五歳の年に死んだ愛娘にそっくりの人形を『フランシーヌ』と名づけて溺愛した。
     そんな話もあったな」

トグサ「一体何の話をしてるんです…」


ダゲキ(ききとれねぇ…)

ジュプトル(ファーwwwww)プシュー プスンプスン


宣言した通り、今年最後の投稿です
それでは始めます


木の葉の隙間から、きらきらした光が降ってきている。

暑いのは確かだが、この風景を見ていれば暑さもあまり気にならなかった。


森の中を歩いていると、傍らの友人が思い出したように声を上げた。


チュリネ「にーちゃん、なにしてるかなぁ」

ジュプトル「……そりゃあ、シュギョー だろ」


チュリネの方を振り返らないまま、ジュプトルは答える。

自分でも溜息をついているのか、返事をしているのか怪しいものだった。


もう、朝から数えて通算三回目だ。

三回目の全く同じ質問であり、全く同じ答えでもある。

よく飽きないものだ。


チュリネ「チュリネは、シュギョー できない かな?」

ジュプトル「できると おもう?」

チュリネ「……できないー」

ジュプトル「だよなー……」


このやりとりも三回目だ。

ジュプトルは、二回目の時点でこの問答に飽きている。

チュリネは同じ質問に同じ答えが返ってくることを期待しているのではないか。

そろそろ、ジュプトルもそう考え始めた頃だ。


何日か前に、宣言通りダゲキは姿を消した。

それは、これまでも時々あったことだ。

どこでどう『修行』をしているのかは、ジュプトルも与り知るところではない。

それも、これまでと一貫して変わらない。

もっとも、知ろうとしないことの内訳はおおいに異なるのだが。


ミュウツーも、特に根掘り葉掘り聞き出そうとはしなかったようだ。

イーブイは、いつものこととしてあまり興味を持たなかったように見える。

フシデには、最近あまり会えていなかった。


彼女が自分たちに接触しないのは、どちらかといえば『いいこと』だ。

だからそれを疑問に思ったり、心配することはない。

正直、少し寂しい、とは思うが。


フシデにも、本来属するべきコミュニティがあるはずだ。

そこに溶け込み、本来あるべき生活をできるのならば、それが彼女にとっては最良だ。

自分たちのように、居場所が存在しないよりはずっといい。

根付く場所も、帰る場所もないより、遥かにいい。


そう思うのだが、それでも近寄ってくる者はいる。

ジュプトルはそこまで考えて、少し前を歩くチュリネに目を向けた。

チュリネは蔓の端を輪にして身体に掛け、引き摺っている。


チュリネがこちらを振り返った。

まさか、彼女を見ていたことに気づいたわけではないだろうが。


チュリネ「ジュプトルちゃん、ヌクニンちゃんは」

ジュプトル「『ヌケニン』だろ」

チュリネ「うん」

チュリネ「ヌケ……ニンちゃん」

ジュプトル「うん、ちゃんと いえてるぞ」

チュリネ「……」


褒めたのに、あまり喜ばなかった。

ダゲキに褒められるのでなければ喜ばないのか。

嫌味でも言ってやろうとしたが、どうもそういう話ではなかったようだ。

何か別のことを考えていたらしい。


チュリネ「ヌケニンちゃんは、どうして いたのかな」

ジュプトル「すてられた……んだと おもうけど」


この森にヌケニンはいない。

ならば捨てられたか、逃げたかの二択しかない。

このヌケニンの場合は、前者しかあり得なかった。


チュリネ「どうして かな」

ジュプトル「やくに たたなかったから だろ?」

ジュプトル「……そんなの、しらないよ、おれ」


自分が捨てられた時のことを考えるのは、気分のいいものではない。

ましてや、別の誰かが『なぜ捨てられたのか』など、考えたくもなかった。

そう思いながら、ジュプトルは後ろを振り返る。

チュリネの引き摺る紐の先には、物言わぬ新たな来訪者がくくりつけられていた。


乾いた土の色をした、『ヌケニン』だ。

脚を固く縮め、じっと眠っているように見える。

だが声をかけても反応がないし、よく見れば息もしていなかった。


叩くと、軽くて中身のなさそうな音がする。

地面から少し浮いているが、背中にある羽はまったく動いていない。

背中、羽の付け根らしい部分を中心に、粘着テープが何重にも乱暴に貼りつけられている。

人間に貼られたのだろう。

そこにどんな意味があるのか、よくわからないが。


これが『ヌケニン』であることは、すぐわかった。

昔、どこかで、見聞きしたことがあったからだ。

当然、闘った経験はあるはずもない。


意思の確認が取れない以上、いつものように連れて行くことにした。

どう見ても、自力で歩いてくれそうにはない。

『逃げてきた』可能性を除外したのは、このためだ。


すると、チュリネが『自分が連れて行く』と言う。

予想していた展開だ。

何でもいいから役に立ちたいという心意気は買う。

だから特に気にすることもなく、近場から適当な蔓植物を見繕ってやった。

ふたり揃って、つるのムチが使えない。

ふだんはあまり意識しないが、こういう時には面倒だ。

見つけてきた蔓を結んでやると、チュリネは大喜びで身体に引っ掛け、運び始めた。

そうして、現状に至る。


道すがら何度か声をかけてみるも、やはりヌケニンからの反応はない。


ジュプトル(……ほんとうに しんでたりして)


何か、もうひとつふたつ、このポケモンについて知っていたような気がする。

見たことがあるとすれば、自分が今の姿に進化するよりも前だ。

つまり、船で海を渡る前にいた頃ということになる。

記憶が遠すぎて、なかなか思い出せない。


――覗くと……


ジュプトル(なにを のぞくと……なんだっけ?)

ジュプトル(でも、しんでる においは……しないもんなあ)


あの匂いは、しばらく嗅いでいない。

ヨノワールのことも探しているのに、相変わらずどこにいるかわからない。

なんとなく、ダゲキなら知っているかもしれない、とは思う。

尋ねたら負けのような気がして、出来なかったが。


チュリネ「……あっ ヨノワールちゃん」

ジュプトル「え」


チュリネの声に驚いて、ジュプトルはあたりを見回した。

進行方向の少し離れた木陰に、黒っぽい大きな影が佇んでいるのが見えた。

チュリネは蔓を引き摺り、声をかけながら近づいていっている。

警戒する気配は微塵もない。


ジュプトル「お、おい」


強い日光に負けて、ヨノワールの目の輝きは、うすぼんやりしている。

奴は『やこうせい』ではなかったのか。


ヨノワール「その……ポケモン……」

チュリネ「ヌケニニちゃん!」


チュリネの返事に虚を突かれたのか、ヨノワールは言い淀んだ。


ヨノワール「あ……はい」

ヨノワール「そのヌケニン……を、どうするんですか」

チュリネ「チュリネが、みんなの ところ、つれてって あげるの」

チュリネ「これ ジュプトルちゃんが むすんでくれたの」

ヨノワール「ジュプトル……あ」


目が合った。

反射的に逸らす。

なんだか、まっすぐに相手の目を見ることができない。

さんざん犯人呼ばわりしてきた手前、それはもう、ばつが悪かった。


ジュプトル「あ、ああ……」

ヨノワール「ど……う、も……」


直視できず、相手を横目で盗み見るような格好になってしまった。

ヨノワールはというと、こちらから目を逸らさないまま軽く会釈している。


ジュプトル「あ、うん……」

チュリネ「ヨノワールちゃんは、おひるは ねんねじゃないの?」

ヨノワール「……え?」

チュリネ「『やこーせー』って、いってた」

ヨノワール「……『やこうせい』?」

ヨノワール「ああ……わたしは ひるも、よるも、ないです」


不思議な響きの声で、ヨノワールはそう言った。

これまでの遭遇が夜ばかりだったのは、偶然ということなのだろうか。


チュリネ「そうなんなー!」


こいつは、本当にわかっているのだろうか。

ジュプトルは、呑気に相槌を打つチュリネを見ながら、そんなことを考えた。

気楽で羨ましい。

ごくりと喉を鳴らし、チュリネの後方からふたりを見ていた。


今までの癖で、わけもなく警戒していた。

よくわからないが、今のヨノワールには害意も悪意も感じない。

なのに、一挙手一投足を見逃すまいとしてしまう。


ヨノワールの視線が、時々チュリネから外れていた。

それがやけに気になる。

その視線の先には、蔓でぐるぐる巻きにされたヌケニンが浮いている。


ジュプトル(ヌケニンを……みてるのか?)


視線の意味するところはわからない。

とはいえ、なにか不吉なものを感じる。

根拠はない。


こちらもしげしげとヌケニンを見てみる。

が、何度も視線を投げかけるほどの違和感は見受けられなかった。

強いて言えば、背中に滅茶苦茶に貼られた粘着テープだろうか。


ジュプトル(あれ はがすと、つめが べたべたになるんだよなぁ……)


人間の使う粘着テープなるものの、用途は知っている。

物をくっつける、隙間を埋める、壊れそうなものを固定する、それから――


――封をする


仕方なくもう一度、ヨノワールの方を見る。

また、ヨノワールと目が合った。

ジュプトルが目を向ける前から、ずっとこちらを見ていたらしい。


ジュプトル「……な、なに?」

ヨノワール「あの……きを つけて」

ジュプトル「きを つける? なにに?」

ヨノワール「ヌケニンの せなか」


ジュプトルは『あっ』と叫んだ。

まさに『堰を切ったように』、古い記憶が湧き出してくる。


ヤグルマの森に行き倒れる前にいた、海辺の街。

海辺の街に来る前に乗った、大きな船。

大きな船に乗る前にいた、賑やかな港町。

賑やかな港町に居つく前に彷徨っていた、いくつもの街。

いくつもの街々を彷徨う前に、自分を所有していたトレーナー。

……トレーナーが自分を手持ちに入れていた頃。


ずるずると、紐を引き抜くように次から次へと。


ある日のことだ。

自分を所有していた人間が、図鑑を読んでいた。

そこに、このポケモンが載っていた。

字はもちろん読めなかったが、人間が読み上げていたのを聞いた。

もちろん、読み聞かせてくれたわけではない。

そんな関心は、最後まで向けてもらえなかった。


――背中に穴が

――覗き込むと

――魂を抜かれ


ずいぶんと昔のことのようだ。

だが、こうして思い出してしまうと、昨日のことのようでもある。


ジュプトル「……そのはなし、たぶん……おれも しってる」

ヨノワール「そう ですか」


だから塞がれていたのだ。

そう考えると、口もきかず瞬きひとつしないヌケニンが、急に厄介な存在に思えてくる。

人間が手放すのも、わからないではない。


ジュプトル「せなかは、のぞいちゃ いけない……って」

ジュプトル「ずっとまえに ニンゲンが、いってたよ」

ヨノワール「……」

ジュプトル「……」


懸命に口を開いても、それ以上声が出ない。

どうやっても、そこから先が言葉にならない。

言わなければならないことは、それこそ山ほどあるはずなのに。


ジュプトル「……ち……」

ヨノワール「?」

チュリネ「?」

ジュプトル「チュリネ」


前方のチュリネが振り返った。


チュリネ「なーに?」

ジュプトル「おまえ、そのヌケニン つれてって」

チュリネ「チュリネだけで?」

ジュプトル「うん、チュリネだけで」

チュリネ「いいの?」

ジュプトル「……うん」


少し驚いているように見える。

無理もない。

これまで散々、子供扱いし、半人前扱いしている。


チュリネ「あ……え……」

ジュプトル「ダゲキとか、ミュウツーとか」

ジュプトル「いまの こと、おしえて やって」

チュリネ「せなか だめのこと?」

ジュプトル「そう、それ」

ジュプトル「すごく、だいじなことだから……たぶん」


チュリネ「……チュリネ、わかった!」

ジュプトル「せなかも、さわっちゃ だめだからな」

チュリネ「うん! チュリネは、ちゃんと おぼえた!」

ジュプトル「……」

ヨノワール「……」


くるりと身軽そうに踵を返し、チュリネはこちらに近づいてきた。

ヌケニンと彼女を結ぶ蔓が、ずるずると地面を這う。


自分の視線は、ずっとヨノワールの足元のあたりに向けられている。

といっても、奴に足はないのだが。

そこから、視線を動かせない。


自分の真横を、チュリネが走り抜けていった。

そちらには目を向けない。

少しして、誰かが背後の茂みに突入する、ひとつめの音が聞こえた。

それからまたしばらくして、ふたつめの音が聞こえた。


ジュプトル「……やっと、しずかになったな」

ヨノワール「しずかな……ほうが、すき です」


顔も声も変わらないはずなのに、少し感じが違う。

苦笑しているとようでもあり、自嘲しているようでもある。


ジュプトル「あ、そう……」

ジュプトル「おれは、ににやかなの、すきだけどな」

ヨノワール「あなたたちは、いつも……たのしそうです」


優位に立っているのはどっちだ。

無意識にそれを気にしていた。

別に、これから闘おうというわけでもないのに。

そんな考えが習慣づくほど、戦わされていたわけでもない。


自分以外の誰かのせいにする時に、必要な考え方だっただけだ。

まず第一に、生き残るために必要な発想ではある。


ジュプトル「……」


ほんのわずかに陽が翳り、下草の色がよくわかるようになっていた。

ジュプトルの身体がきらきらと太陽の光を反射している。

少し暑いが、暖かい方が身体はよく動く。

対照的に、ヨノワールは日光を避けるように、木陰に身を潜めている。


何を話そう。

いや、何を話せばいいかなど、とうにわかっている。

なかなか、きっかけが掴めないだけだ。


ジュプトル「き……」


喉が膨れ上がって、息がしづらい。

病気になった時のように腫れ上がって、声を出せない。

けれども、そんなものは気のせいだ。

気のせいだと自分でわかっているのに、まだ苦しい。

困ったものだ。


気のせいではないことにしておいた方が楽“だった”。


ジュプトル「ききたいことが、ある」

ヨノワール「ハハコモリの こと、ですか?」


間髪を入れずに返事があった。

少し、いやそれなりに驚いた。


ジュプトル「そ、それと……ペンドラーのことも」

ジュプトル「おまえ……おぼえてる?」


ヨノワールが、ひとつしかない目を少しだけ細めた。

ひょっとして、笑っているのか。

それとも、こちらを馬鹿にしているのか。

見ようによってはどちらにも見える、わかりづらい顔だ。


ヨノワール「おぼえて、ます」

ヨノワール「とても よく……おぼえてます」

ジュプトル「……あ、そう」

ヨノワール「あの ペンドラーは、いつも、あなたと いた」


それは、ヨノワールの言う通りだ。

赤くて大きなペンドラーは、いつも自分といた。

『一緒にいてもらった』。

彼女の背中はあたたかくて、あまり柔らかくないのに、座り心地がよかった。

彼女に、ずっと面倒を見てもらっていたようなものだ。


ジュプトル「そう、うん」


忘れられていたら、殴りかかっていただろうか。

案外、『そんなものか』と納得していたかもしれない。

自分でも意外なほど冷静に、ジュプトルはそう思った。


にゅう、と、ヨノワールが木陰から身を乗り出した。

わずかに距離が詰まり、光が当たる。


ヨノワールは、見上げるほど大きい。

自分が『ジュプトル』の中で大きい方なのか、それとも小さい方なのか。

そんなことは、比較対象がいないからわからない。


だが、目の前に佇むヨノワールは、とにかく大きい。

高さだけなら、ミュウツーと変わらないか、それ以上かもしれない。

全体的に丸い身体を、今は余計に丸く縮めている。


ヨノワール「……それが」

ジュプトル「おまえ なのか?」

ジュプトル「おまえが、やったの?」


ヨノワールは、仄かに発光する目をゆるゆると震えさせている。

どこにあるのかもはっきりしない口から、低い声が流れ出た。


ヨノワール「わたしは、だれも ころしてないです」

ヨノワール「よばれる……だけ……」

ジュプトル「よばれる?」

ヨノワール「なにも、できて ない」

ヨノワール「なにも……わかって ない」

ヨノワール「おもいだすことも……できない」


ジュプトルに向いていた視線が、少しずつ下がっていく。

嘘をついているようにも、騙そうとしているようにも見えない。

悪いことをしているような気さえしてくる。


ジュプトル「わかんない」

ジュプトル「おまえが なに いってるか、ぜんぜん わかんねえ」


弱々しく情けない声が震えている。

よく考えてみれば、それは自分の声だった。

今にも泣き出しそうな声だ。

目を閉じ、下を向いて首を振りながら絞り出している。


『何も出来ていない』、『わかっていない』とは何だ。

『思い出せない』とは何だ。


本当は、もっと何かするつもりだったと?

出来なければならないことがあったと?

わかっていなければならない?

思い出せていなければならないことがあると?


それは、どういう意味だ。


ジュプトル「でも……おれ、たぶん……」

ジュプトル「おまえが……いってることは、わかんないけど」

ジュプトル「“やっぱり”、おまえじゃないのか」


ヨノワールがこちらを見た。

質したいことはいくらでもあるが、一番重要なことはどれだ。

しなければならないことのうち、最優先なのはどれだ。


ジュプトル「まえは、おもわなかったけど」

ジュプトル「いまは……よく、かんがえてるんだ」

ジュプトル「おまえは、ほんとは、どんなやつ なんだろう、って」

ジュプトル「ほんとは……」


目を見る。

ヨノワールは、反応らしい反応も示さない。

このまま話を続けていいものか、ほんの一瞬だが迷った。

だが、意を決して再び口を開く。


ジュプトル「おまえが、みんなを ころしてて」

ジュプトル「だから、ハハコモリのとき、あそこに いたんだって」

ジュプトル「おれは、そう おもってた」

ヨノワール「……しっています」


あっさりとした返事だ。

疑いをかけられて怒っている気配も、悲しんでいる様子もない。


ジュプトル「でも、それ ちがうんだな?」

ヨノワール「ちがいます」

ジュプトル「じゃあ……おれが、きめつて……きめつ、けてたんだな?」


すると、ヨノワールは大きな手を片方だけ頭にあてがい、かすかに首を横に振った。


ヨノワール「……わたしは、だれも ころしてない」

ヨノワール「それは、ほんと……う……です」

ヨノワール「わかるだけ……なんです」

ジュプトル「そうなのか」

ヨノワール「はい」


ぎゅっと目を閉じ、また開く。

『自分は誰も殺していない』。


嘘をつくな、と激昂していたかもしれない。

詰め寄り、知っている僅かな罵詈雑言を投げつけただろう。

少し前の自分だったら、やりかねない。


だが、そんな考え方に凝り固まった仮面は、とうに埋めてしまった。

ぱちんぱちんと音をたて、細かく割れて自分の中に溶けてしまった。

あの日、自分に還ってしまった。


ジュプトル「じゃあ、おれ あやまらないと」

ヨノワール「……え?」

ジュプトル「おまえに」


ヨノワールは少し驚いたような顔をした。


なんと言おうか、ずっと前から準備していたはずだった。

どう言えばいいかは教えてもらったし、頭の中で練習もしてある。

にも関わらず、いざ言う場面になってみると、言葉に詰まった。


ジュプトル「ごめん」

ヨノワール「……」

ジュプトル「あ、えーと……」


もっと、丁寧に言う言い方もあった気がする。

今、自分が言った言葉と、とてもよく似ていたはずだ。

最近、ダゲキが口にしていたような記憶がある。

たしか、ミュウツーに叱られていた時に。

ジュプトルはその光景を、木の上から見ていた。


ジュプトル「あっ」

ジュプトル「ご……ごめんなさい」

ヨノワール「……」


なかなか返事はない。

不安になって、ちらちらとヨノワールの顔を見た。

ジュプトルの言ったことをゆっくり咀嚼しているようにも見える。

ややあって、ヨノワールはかすかに首を横に振った。


ヨノワール「あなたが、わたしを うたがったのは……おかしくない」

ヨノワール「しかたなかった」

ジュプトル「……そう かな」

ヨノワール「けど……わかりました」

ヨノワール「こちらこそ……いやな おもいを、させました」

ヨノワール「やっぱり、わたしは まちがっている」

ヨノワール「すみません」


逆に謝られてしまうと、かえって困るものだった。

しかも、相手の方がよほど丁重で畏まっている――ように思える。

ヨノワールの方が、人間と過ごしていた時代の『環境』がよかったのだろう。

自分とは全く違う『環境』で生活していたに違いない。

人間由来の習慣がどう身につくかなど、結局はそこに依存する。

自分たちが、人間ではない以上。


ジュプトル(なんだろ……ちょっと うらやましい)


まったく同じ過去を持つ者はいない。

どの過去の方がいい、悪いと言っても仕方のないことだ。

だが、現状に至る要因の中で、少なからぬ部分を担うはずだった。


ジュプトル(……)

ジュプトル(やべえ……おれ やなやつ!)


こっそり笑う。

羨ましいものは仕方がない。


ジュプトル「……でもさ、よばれる……って、どういうこと?」

ジュプトル「しぬとか、しなないとか……」

ジュプトル「そんなの、どうして わかるんだ?」


少なくともジュプトル自身に、そんなことを知る力はない。


ジュプトル(あと……『やっぱり まちがってる』って、なんのことだろう)


もう一方の手も頭に当て、ヨノワールは唸った。

木のうろの中から聞こえるような、膨らんだ声だ。


ヨノワール「きこえるんです」

ヨノワール「だれかの、こえではない こえで」

ヨノワール「だれかが……」


目玉がぐるぐると揺れる。

腹についたもうひとつの目玉と口が、うっすらと光っている。

とぎれとぎれに零れるヨノワールの声は、ジュプトルの顎と首筋を轟々と震わせた。








さて、次もまた大きな岩が飛んでくるはずだ。

そう考えてダゲキは身構えた。

ところが、少し離れたところに立つ影は、それきり動きを止めてしまった。


ダゲキ「……?」


影の主は、自身と大差ない大きさの岩を片手で掲げていた。

丸い岩と丸い影は、おおざっぱに言えば丸さという点で形も似ている。

岩は、あくまでこちらへ投げるために持ち上げたものだ。

だがいつまで待っても、岩が投げられる様子はない。


影は背後に、いずれ昇ってくるだろう太陽の気配を負っている。

影が影になっているのは、そのためだった。


ダゲキ『なんで、投げてこないんだよ』


質の悪い模倣に過ぎない人間の言葉ではなく、自分自身の鳴き声でそう伝えた。

返事は返ってこない。

少し首をかしげてみる。


???『……』


すると影の主は、唸りとも溜息ともつかない声を出した。

次に、持ち上げた岩を横にひょいと投げる。

振動はそれなりに響いたが、思ったよりも音はしなかった。


日が昇る前だから、と彼なりに森の生き物に配慮したのかもしれない。

少しずつ、周囲は明るくなってきている。

周辺に散らばる『成果』も、ぼんやり見えるようになってきたところだ。


ダゲキと影の主――ナゲキの周囲には、数センチから数十センチほどの石塊が散乱していた。

転がる石塊はいずれも断面がざらざらしており、丸みはなく縁も尖っている。

どれも、ついさきほど割れたばかりだ。

正確には、修行の一環として投げ飛ばされ、叩き割られたものだが。


そうして生まれた小石が、ふたりの立つ場所に点在している。

ここは、ダゲキがいつも『山に籠る』時に使っている場所だった。

この森を離れる、ずっと以前から使っていた場所だ。

人間の手から逃がれた折、最終的に逃げ込んだ場所でもある。

普段の行動範囲とは適度に距離があり、邪魔が入る恐れが低い。

このナゲキの群れの行動範囲とも近い。


ナゲキ『やっぱりやめた。群れに帰る』


低く野太い鳴き声で、ナゲキがそんなことを言った。

ダゲキが呆気にとられていると、ナゲキは黙って背を向け始める。

返事や反応など、はじめから待つ気はないようだった。


ダゲキ『なんだよ、まさかもう疲れたのか』


挑発するような物言いになってしまった。

だが、やはり返事はない。

動かしづらそうな体型に反し、散らばる小石を器用に避けて、ナゲキは歩いている。


一晩休みなく修行に励んだところで、そこまで疲れることはない。

石を投げて叩き割るだけでいいなら、あと数十個は余裕だった。

自分たちは、そういう生き物だ。


ナゲキが歩みを止めて振り返った。

振り返って、こちらを指差す。


ナゲキ『お前が上の空だから、修行にならないんだよ』

ダゲキ『身が入ってないっていうのか』

ナゲキ『……あの変な連中が、この森に来た頃から、お前、変だよ』

ナゲキ『俺が闘った赤くて小さいのと』

ナゲキ『あと、お前が拾った白くて大きいの』


それは紛れもなく、コマタナとミュウツーのことだろう。

なるほどコマタナを助けてからは、レンジャーの元を訪れる機会は増えた。

ミュウツーを迎え入れてからは、色々と変化があったことも確かだ。

だがそれを、修行に身が入っていないとか、おかしいと言われるのは不本意だった。


ナゲキ『お前、どうしたんだ』

ダゲキ『どうもしてないよ』

ダゲキ『何も変わってないし、怠けたりもしてない』


変われないのが悩みどころなのだ。

まわりばかり、どんどん変わって前進していく。

自分は、いつまでたっても足踏みしている。

それが苦しいのに。

こんな風に言われるのは、不本意もいいところだった。


ナゲキ『あ、そう』


だが、そう訴えても、ナゲキは『何を言っているんだ』と言わんばかりの顔をしている。

何かが噛み合っていないことだけは確かだった。


ナゲキ『お前と、つるんでる「よそもの」がどうなっても、それはお前たちの勝手だけど』

ナゲキ『ちゃんと、境目、はっきりさせておけよ』

ダゲキ『?』

ナゲキ『小さい緑のと、赤い奴は、いったいどうするつもりなんだ』

ダゲキ『チュリネと、フシデか……』

ナゲキ『このままだと、本当に群れに戻れなくなるぞ』

ナゲキ『特に、緑の小さい奴』


そう言い残すと、ナゲキは去ってしまった。

ぽつんとその場に残される。


ダゲキ「……そんなの わかってるよ」


なんだか、白けてしまった。

いや白けたのはナゲキの方であるはずだ。


ナゲキが投げ捨てた岩に近づく。

改めて見ると自分より少し丈が低く、本当にナゲキと同じくらいだった。

手を当てると、ひんやりしている。


ダゲキ(……でも、ほんとうに そうだな)


自分は、ここからどう変化しようとも、いずれ大きな違いはない。

それぞれの内部で何がどう変化するにせよ、対外的には同じだ。


自分たちには、所属しているべき群れがそもそも森に存在しない。

『最後に帰る』べき居場所も、はじめから存在しない。

存在しないはずのところを、無理に捩じ込んでいるだけなのだ。

だがチュリネやフシデは違う。


本当は、チュリネ同士、フシデ同士の群れがあるはずだ。

フシデはそれでも、ジュプトルと関わりがあるから仕方がない面もある。

いつもこちらにいる、というわけでもない。

こちらと関わる『節度』を、彼女なりに弁えているように感じる。


だが、チュリネは比べものにならないくらい厄介だ。

あらゆる意味において無防備で、積極的すぎる。

一日のほとんどを、自分たちと過ごしている日も少なくない。

ナゲキが懸念を示すのも無理からぬことだ。

『このままでは』などという考え方も生温い。

それが実態だと自分でも思う。


これ以上は『よくない』のではないか、と思ったこともある。

だが、彼女のしたいようにさせてきた。

自分をはじめ、誰ひとり彼女に言うべきことを言わなかったのも事実だ。

その結果が現状だ。


ひょっとすると――


ダゲキ(……やっぱり、まずい かも)


今となっては。

あのチュリネにも帰るべき群れなど、もう存在しないのかもしれない。

だとすれば、それはあまり良くないことだ。

はじめから無いならばともかく。

いびつなことではないのか。

彼女の在り方は。

勿体ない。

そうまでして、なぜこちらにいようとする。

寂しいことだ。

なんと寂しいことだ。


ジュプトルやイーブイのように、人間に捨てられた闖入者ではない。

ミュウツーやヨノワールのように、人間から逃げた来訪者でもない。

自分のように、森へ『帰って』きたわけでもない。

森から出たことも、ましてや森を捨てようとしたこともない。


にも関わらず、彼女は森から切り離されようとしている。

それも、どちらかといえば積極的に。

誰ひとり望まなくても、このままでは確実にそうなる。

よくて、自分と同じ立場でしかない。


どうしてだ。

どうして、そんなことになった。

彼女なりに何かきっかけや、理由があったのだろうか。

思い出さなければ。


ダゲキは地面を睨んだ。

土と、草と苔と、石塊が見える。


――あれは、いつのことだ。

――雨は降っていなかった。

――身体が重かった。とても疲れていた。

――憶えている。

――森に帰って来て、そんなに経っていなかった頃のことだ。


はっと顔を上げる。

あたりを見回すと、休憩所がわりの木がある。

中身はすっかり抜け落ちて、なかばトンネルのようになっている。

あの時、そこに、自分がいた。


――手を伸ばした。

――なのに、届かなかった。

――腹が空いていた。とても空いていた。

――憶えている。

――もうちょっとで届くのに、身体に力が入らない。


そこに、誰かがやって来たのだ。

小さな誰かが。

小さな誰かは、こちらを覗き込み、不思議そうな顔をしていた。

そして、このぼろぼろの誰かが何をしたいのか察した。


――小さな誰かが、きのみに駆け寄った。

――駆け寄って拾い、そのままこちらへやって来た。

――目の前に落とされたきのみに、ようやく手が届いた。

――憶えている。

――やっぱり、この辛いところがいいんだ。


だんだん頭がはっきりしていった。

似たような光景を体験したことがあった。

だから、同じようにしなければいけなかった。

だから、手を伸ばした。


――小さな誰かは、すぐそばで、こっちを見上げている。

――その頭の上に、手を翳す。

――そのまま手を載せ、撫でてやった。してもらったのと同じように。

――憶えている。

――その時のチュリネは、本当に嬉しそうだった。


ダゲキ「……なんだ」


岩の冷たさに腹が立った。

怒るなんてのは、やっぱりいいものじゃない。

不愉快なだけだ。


ダゲキ「まさか あんなことで……」


岩に額をぶつける。

目の前が、いろんな色にぐるぐると変わる。

もう一度、ぶつける。

今度は目の前が、ぐねぐねと白黒に歪んだ。

頭の奥が、つんと痛む。


理解してみれば、なんてことはない。

彼女が足を踏み外したのは――



引きずり下ろした誰かがいたからだ。







ジュプトルは、ヨノワールと対峙しながら、ぼうっと考えていた。


やっぱり大変だし、めんどくさい。

『こいつが悪い』、『こいつのせい』と思ってた時は、本当に楽だった。

凄く怒ることになるから、あいつの言う通り、疲れるけど。

でも、もし本当はどうなのか考え始めたら……大変だ。


こうして目の前で苦しそうに喋っているヨノワールを見ると、それでも同情心が湧く。

不思議なもの、というよりも、自分の単純さが恨めしかった。


ヨノワール「あなたは しりませんか」


不意にジュプトルの上に黒い影が覆い被さり、視界が遮られた。

同時に、ヨノワールの声が真上から聞こえる。


慌てて見上げると、いつの間にかすぐ目の前に、ヨノワールが立っていた。

音はしなかった。

さっきまでいた場所からここまで、一瞬で来られる距離でもない。


ジュプトル「……な、なにを?」

ヨノワール「だれの こえなのか」

ジュプトル「さ、さあ……わかんない……」


そう答えると、ヨノワールは目に見えて悲しそうな目つきをした。

苦しそうにあとずさる。

やはり答えは得られなかった、と落胆しているようだ。


ヨノワール「……で、す、よね」


嘘をついているようには、とりあえず見えない。


確かに自分は流されやすく、単純だ。

とはいえ、チュリネほど能天気でもない。

安寧な森の生活しか知らない、あいつとは違う。

ごく限られた一時期とはいえ、それなり以上に荒んだ生活をしていた。

いつもぴりぴりと緊張し、だらけている暇はなかった。

チュリネと一緒くたにされるほど、おちぶれてはいないつもりだ。


それでも、目の前のヨノワールが自分を騙そうとしているようには思えなかった。

どこかから聞こえる、声ならぬ声に苦しむ姿。


その苦しみは、わかる。

そんな声が聞こえる時は、頭を掻き毟り、胸を引き裂きたくなる。

何度、黙れと叫んでも、黙ってくれない。

耳を塞いでも、声は途切れない。

自分の場合、出所は自分の内側にあった。

その辛さも知っている。


ジュプトル「……どんな こえ?」

ジュプトル「しってる ニンゲンのこえとか……じぶんのこえじゃ ないのか」


だから、切り捨てることはやはりできない。


ヨノワール「ちがいます」

ヨノワール「ニンゲンの こえではない」

ヨノワール「じぶんの こえでもない」

ヨノワール「あたまのなかに……きこえてくるだけで」

ヨノワール「どんなこえ、と、いえない」

ヨノワール「だから……こわいのです」

ヨノワール「こわくて こわくて、しかたない」


そうだろう。

そんな風に聞こえてくる声は、恐ろしいものだ。

食べるものを見つけられず、空腹なまま迎える夜のように恐ろしい。

害意を持った人間が、いつやってくるかわからない眠りのように恐ろしい。

よく知っている。


ジュプトル「おれも……こえは きこえた」

ヨノワール「あなたも?」


驚いたらしく、目を開いてこちらをまじまじと見ている。


ヨノワール「こわいですか?」

ジュプトル「こわい……っていうか、いやだった」


自分の、本当の姿を教えてくれる声だったからだ。

忘れるべきでないことを、忘れさせまいとする。

忘れていたいことを、忘れさせまいとする。


ジュプトル「もう、おれは きこえない……けど」

ヨノワール「きこえなく……なった、んですか」

ジュプトル「ああ、うん」


それは、忘れるのをやめたからだ。

だが、それを自分以外の誰かに説明するのは、あまりに難しい。


ヨノワール「そうですか」

ヨノワール「……こえ は、わたしに いうのです」


ヨノワールは両腕を広げた。

自分の掌を交互に見つめ、再びジュプトルを見た。

瞼を歪めたその目は、助けを求めているように見える。


いや、そう見えるだけだ。

きっと自分の思い込みに違いない。

そう思いながら、ジュプトルは喉を鳴らした。


ヨノワール「だれかが しぬ」

ヨノワール「これから しぬ」

ヨノワール「もうすぐ しぬ」

ヨノワール「とおからず いのちが つきる」


声の調子は変わらない。

なのに、ヨノワールの声がずいぶん遠くから聞こえる。

切迫した響きが減り、呪文でも唱えるような調子が少しずつ声に混じり始めた。


ヨノワール「だから おしえなければ ならない」

ヨノワール「しらせなければ ならない」

ヨノワール「のこされた じかんは、すくない」

ヨノワール「のこされるものに つたえる、さいごの、ゆうよ」


暑いはずなのに、背筋をひやりとしたものが這う感覚があった。

身体の前半分だけが熱い。


ひょっとすると、とジュプトルは思う。

今、この瞬間に喋っているあの声は、ヨノワールの意思ではないのかもしれない。

誰かに言わされていると考えれば、少し納得できる。

そういう違和感があった。


ジュプトル「『ゆうよ』って なに?」


ヨノワールの視線がジュプトルからかすかにずれた。

どこを見ているのかわからない。

わからないが、その目を開けるだけ開いている。

怯えるような、卑屈そうな目つきではなくなっている。

あれでは、顔や目が痛いだろうに。

ジュプトルはヨノワールの声に耳を傾けながら、そう思った。

それでも、ヨノワールは妙な響きの声を発し続けている。


問い掛けに対する返事は、結局、返ってこなかった。


ヨノワール「みれんは、まよい」

ヨノワール「まよいは、うしろを ふりむくこと、あゆみを にぶらせること」

ヨノワール「よこみちに それる、すすむべきを たがえる」

ヨノワール「まよいは、みちを みうしなう」

ヨノワール「だから、だから……みれんを のこさないため」

ヨノワール「さまようことの、ないように」

ヨノワール「さまよえる たましいは……いずれ、やぶれた……あ」


ぴたりと声が止む。

声に聞き入っていたジュプトルは、ほんの数秒ほど反応が遅れた。

相手の目に戸惑いを含んだ驚きが見える。


ヨノワールは何度か目を瞬かせた。

はっと気付いたように、辺りを見回している。

ジュプトルには、その動きを経てヨノワールが『我に返った』ように感じた。


ジュプトル(『みれん』とか『さまよう』とか、よくわかんないや)

ジュプトル(……あとで、ミュウツーとかに きいてみよう)


ヨノワール「わたしは……」

ジュプトル「ずっと、しゃべってたよ」

ヨノワール「やっぱり……」


憎々しげに吐き捨てる。


ヨノワール「……はじめての ときは、わからなかったんです」

ヨノワール「あのこえに、なんの いみが あるのか」

ヨノワール「しんじたく なかった」

ヨノワール「だから……どうしても、しらせる ことが、できなかった」

ヨノワール「……ニンゲンに、つたえる ほうほうも、なかった」

ジュプトル「おれが きいたのと、ちがう こえみたいだな」


目つきこそ、さきほどのようにおかしくなっているわけではない。

だが、ジュプトルの反応も見ず返事も待たず、ヨノワールはただ喋っていた。


ヨノワール「だから……だから、わたしは、いえなかった」

ヨノワール「ちがう……ちがう!」

ヨノワール「わたしは、いわなかった」

ヨノワール「……いわなかったから」

ヨノワール「……」

ジュプトル「……?」

ヨノワール「あなたは……ニンゲンのじ……よめますか?」

ジュプトル「い、いや……あんまり……その……」


まったく読めない、という一言を放つのが憚られた。

がっかりさせてしまいそうだった。

考えてもみれば、読めないのが普通なのだが。


ジュプトル「ミュウツー……は よめるよ、いっぱい」

ジュプトル「あいつは、すごく くわしい」

ヨノワール「おお」

ヨノワール「で、では……みてもらいたい……ものが あります」

ヨノワール「おねがい したい……ことも」


本当に、今の返事が理解できているのだろうか。

そこからして心配になるほど、ヨノワールの様子は必死さが勝っていた。


ヨノワール「きて もらえますか」

ジュプトル「あ、うん……いい、けど」


ジュプトルはそのまま、ヨノワールについて行くことにした。

勢いに負けただけとも言える。

脳裏には、チュリネのことがかすかに引っ掛かっていた。


ジュプトル(まあ……だいじょうぶだろ)


うっかり粘着テープを剥がしてしまえば面倒だが。

だが、テープの件を伝えることも、大切な『お使い』に入っている。

その状況でテープを剥がしてしまうほど、チュリネも愚かではないはずだった。

そう考えながら、ジュプトルはヨノワールの後を追った。










辿り着いた先は、森の中でも薄暗い場所だった。

ジュプトルもあまり近寄ったことのないところだ。


ジュプトル(……こんなところ、ねぐらに してたのか)


万が一、ヨノワールが悪意を持って罠にかけようとしていたとする。

だがここは森の中で、見たところ木も多いし、遮蔽物も多い。

ここならば、万が一にも遅れを取ることはないはずだ。


ヨノワール「あの……」

ジュプトル「?」


一本の木の前にやって来ると、ふたりは立ち止まった。

ヨノワールは少しそわそわしているようだ。

ジュプトルの機嫌を伺うように視線を寄越し、木の上の方を指差しながら言った。


ヨノワール「ちょっと まっていて ください」

ジュプトル「う、うん」


ヨノワールはふわふわと浮上していった。

その先には、小型のポケモンが巣にしそうな、小振りの穴が開いている。

ヨノワールが樹上の穴に手を伸ばした。


ちゃりん、ばさばさ、と硬いものと柔らかいものの触れ合う音が聞こえた。

ずるずると何かを引き出す。

その何かを大事そうに抱えて、降りてくる。

ジュプトルは、その姿を終始、何も言わずに見ていた。


ヨノワールには、切羽詰まった雰囲気こそあるものの、悪意も害意も感じられない。

それはこちらも同じで、警戒心は徐々に薄れつつあった。

だからうっかり、言われるままに従っている。


音もなく降りてきたヨノワールは、地面の上に黒っぽい何かを置いた。

よく見ると、年季の入ったリュックサックだ。

元々は鮮やかな青色だったのだろうが、今は沈んだ灰色に近い。


これは、人間の持ち物だ。

少し膨らんでいるところを見るに、荷物が色々と入っている。


ジュプトル「これ……だれの?」

ヨノワール「これは わたしの、トレーナーだったひとの……でした」

ヨノワール「そのひとは、もう いません」

ジュプトル「いないのか」

ヨノワール「はい」


あっさりとした返答だった。

トレーナーは死んだ、ということなのだろうか。

まさか、この期に及んで『自分が殺した』などということはないだろうが。

とはいえ、ただ捨てられた、ただ逃げたという話には聞こえなかった。


ヨノワール「あのひとが つかった、ノートが はいって います」

ジュプトル「……ノート?」

ヨノワール「ニンゲンが、じを かくための、ほん……です」

ジュプトル「……へえ」

ジュプトル「で、なにが、かいてあるの?」


すると、ヨノワールは肩を落として首を振った。


ヨノワール「わたしには、よめません」

ヨノワール「あんまり、ちゃんと みたこと ないです」

ヨノワール「ニンゲンのじは……わからないし」

ヨノワール「……わからなくても、みようとすると、かなしく なります」

ジュプトル「あ……そう」


その気持ちはわからないでもない。

自分だって、モモンのみを食べる時に、昔を思い出してしまうことはある。


ジュプトル(なんていうか……)

ジュプトル(こいつも、たいへん……だったんだな)


油断すると、うっかり素直に同情してしまう。

気をつけてどうにかなるものではない。


『悲しくなる』と話すヨノワールの姿は、哀れなものだ。

図体は自分よりもずっと大きいのに、その大きさには説得力がない。

大きいのは、どこかに映った影だけで、実体はもっと小さく弱々しい。

そんなふうに思う。

悍ましさ、恐ろしさ、嫌悪は微塵も感じられなかった。


ジュプトル「……で、これが なんだっての」

ヨノワール「いろんな ばしょで、むかしのことを しらべていました」

ヨノワール「わたしと、いっしょに」

ヨノワール「いせきに はいったり、どうくつを しらべたり」

ヨノワール「しらべたことを……ノ、ノートに、かいて いました」


昔のことを調べる。

たしか、ミュウツーが本を借りた人間というのも、昔のことを調べていたのではなかったか。

そういう職業のことを、なんと呼ぶのかは知らないのだが。


ヨノワール「でも、もう できない」

ジュプトル「しんだから?」

ヨノワール「そうです」

ヨノワール「わたしは、にもつを もって……ここに きました」

ヨノワール「……」

ヨノワール「あのひとの そばに、わたしは……ずっといたかったけど」

ヨノワール「でも、ニンゲンから はなれれば」

ヨノワール「そうすれば、こえは もう きこえない かもしれない」

ヨノワール「……と おもいました」


トレーナーだった人間が『どう死んだか』に、ヨノワールは触れようとしなかった。

言いたくなかったのだろう。

自分だって、かつての『妹』たちについて、無闇に話すことはない。


ヨノワール「だめ……でした、けど」

ジュプトル「……」

ヨノワール「でも、もりでも こえがきこえて……やっと わかったんです」

ヨノワール「だいじな ことだった……と わかったんです」


リュックサックの口を開き、ノートを取り出す。

角が磨り減って丸くなり、表紙のへりもぼろぼろだ。


ヨノワール「しんでしまう まえに、のこすことが ないように」

ヨノワール「いなくなる まえに、おわらせることが できるように」

ヨノワール「わたしは、しらせなければ……ならない」

ヨノワール「たぶん それは、わたしの やくめ……なんです」

ヨノワール「だから……ペンドラーにも、ハハコモリにも」


虚を突かれた。

知っている名前を聞いて、ワンテンポ遅れながらもジュプトルは身構える。


ジュプトル「だから、おまえ……あいに いってたのか?」

ジュプトル「じゃあ……ハハコモリは……」

ヨノワール「もうすぐ しぬ……ことに、なっていました」

ヨノワール「あたえられた いのちは もうすぐ つきると、いいました」


考えたこともない。

死ぬことに『なっていた』。

『与えられた命は間もなく尽きる』。


……もうすぐお前は死ぬ、あとに未練を残さないようにしろと。

そんなことを言われて、どうしろっていうんだ。

言われたところで、受け止められるものなのだろうか。


ジュプトル「ハハコモリは……びっくり してたか」

ヨノワール「いいえ」

ヨノワール「もう、わかっていた ようでした」

ヨノワール「とっくに しっていた ようでした」

ジュプトル「そうか……」


自分なら、どうするだろう。


まず怒るだろうか。

嘘をつけ、と怒り狂って喚くだろうか。

ひとしきり当たり散らしてから、考え込むのだろうか。


自分がいなくなれば、自分が担っていた部分を誰かが引き継ぐだろう。

たとえば見回りは、イーブイやコマタナが成長すればやれる。

何に気をつければいいかだけ、教えればいいだろう。


フシデのこととて、誰かにあとを頼めるのなら、そうするだろう。


それから、きのみ作りでも自分が手伝っている部分がある。

育て方となるとよくわからないが、手入れは教えられたからわかる。

身体は小さくても、力仕事だって自分が分担していた。

ハハコモリの頃はそうだった。

今も、ハハコモリのかわりにチュリネが――


ジュプトル(あ……だから、あいつ、チュリネに)


ジュプトル「……そう……だったんだ……」


気づかないところで、『引き継ぎ』は粛々と行なわれていたようだ。

事実、ハハコモリがいなくなってから、きのみのことはチュリネが引き受けている。

不慣れだからと手間取っていることも多いが、意外なほど問題なく回っている。


ヨノワール「しぬまえに、やりのこした ことを、おわらせる」

ヨノワール「……あのひとは、それが、できなかった」

ジュプトル「『いえなかった』……んだもんな」

ヨノワール「はい」

ヨノワール「だから、おねがいが……あるんです」

ジュプトル「……あ、その ノート?」

ヨノワール「はい」


人間よりもずっと大きな手で、ヨノワールはノートを持っている。

小さすぎて、どう扱っていいかわからない。

そんなしぐさで、ノートの表紙を撫でている。


ヨノワール「わたしは、このノートの なかを しりたい」

ヨノワール「あのひとが……やれなかった ことを、しりたい」

ジュプトル「それは……ミュウツーに たのんでみたら、いいと おもう」

ヨノワール「そうですね……」


少し不安そうに、ヨノワールは言った。


ジュプトル「いっつも、すごく おこってる……みたいなやつだけど」

ジュプトル「べつに、ぜんぜん おこってないよ」

ジュプトル「むずかしい ことばっか、いうけど……おしえて くれるし」

ジュプトル「けっこう やさしい」

ヨノワール「なか……いいんですね」


ジュプトルは目を丸くした。

考えたことはなかったが、外からはそう見えるのか。


ジュプトル「そ……そうかな……」

ヨノワール「いつも、たのしそうです」


ヨノワールが笑っている。

不思議な気分だった。

その声に、羨む響きが感じられたからだ。


ジュプトル「お……おまえだって、くれば」

ヨノワール「それも……いままで こわかった」

ジュプトル「……?」

ジュプトル「……あ……なるほど……」


ヨノワールは、理解を得られたことが嬉しかったらしい。

目をぱちぱちと瞬かせ、照れ臭そうに、大きな手で頭を掻いた。

その姿に、別の誰かのシルエットがだぶって見えた。

ほんの一瞬、猛烈な郷愁が胸の内を通り過ぎる。


ジュプトル「……」

ヨノワール「それに、わたしには……まだ なにか、やるべきことが あったはず」

ヨノワール「それを おもいだしたい……のです」

ヨノワール「……だれかが しぬまえの、こえ」

ヨノワール「しぬことを、おしえるため……それは、わかります」

ヨノワール「でも……わたしは、しぬ そのときも よばれる」

ジュプトル「……ああ」

ジュプトル「そういえば、ハハコモリが『しんだとき』に、いた……もんな」


考えてみればそうだ。

なんのために?

伝えるべきことは、もう伝えてあるはずだ。

ならば、そこにも何か、担うべき役目があるはず……ということか。


ヨノワール「でも……わからないのです」

ヨノワール「おもいだせない」

ヨノワール「なにを すれば いいのか」

ヨノワール「なにを しなければ いけなかったのか」

ヨノワール「それを かんがえると……こわくて こわくて、しかたない」


ヨノワールは空を仰いだ。

ジュプトルもつられて空を見る。

長いこと話し込んでいたようだ。

昼間が終わり、短い夜が近づいてきていた。

胸が苦しくなった。


ヨノワール「やれなかったことがあって」

ヨノワール「そのために、しんだ だれかが……くるしむのか」

ヨノワール「みれんを……のこして、かなしむのか」

ヨノワール「わたしを……うらんで いるのではないか」


知ろうとすることは、大事だ。

知りたいと思うことは、大切だ。

ただし、その向こう側にあるものを受け止める覚悟が必要だ。

それごと飲み下す勇気があれば、問題はないが。


ヨノワール「だから、わたしは しりたい」


こいつは、その勇気を持てたということか。

ならば自分だって同じだ。

少なくとも、持とうと努めた。


ジュプトル「……わかった」


ジュプトルは溜め息をつきながら答える。

その返事を聞いて、ヨノワールは嬉しそうに目を見開いた。

悪い気はしないが、正直に言ってしまうと照れ臭い。


ジュプトル「だから、えーと……」

ジュプトル「じゃあ……こんどは おれと、こいよ」

ジュプトル「いやじゃ なかったら、みんなに はなしてみれば」

ジュプトル「そしたら……なにか、わかるかも しれないし」


ヨノワールは、ノートを抱えてしゃがみこんだ。

リュックサックを見つめ、じっとしている。


しばらくして、ヨノワールは大きな手をリュックサックに伸ばした。




ともだち?

……だったのかもしれない。

名前は知らない。

種族の名前は、ニンゲンが口にするから知ってたけど。

今になってみれば、ともだちになりつつあった……というやつだと思う。

ひんやりとして薄暗い、せまい部屋。

まともに顔を合わせたことは、最後までなかった。

それでも、ふたりはちゃんと通じ合ってたところがあったと思う。


ある時、なんの前触れもなく、目の前にきのみが転がってきた。

向こうに見えた白っぽい爪が、ぼくの持っているきのみを指している。

少し考えて、取り替えてほしいんだ、ってことがやっとわかった。

だから、ぼくは取り替えた。


応じてもらえたことが、よっぽど嬉しかったのかもしれない。

低い唸り声が聞こえて、こっちもなんだか楽しい気分になった。

軽く手を振って、交渉成立を喜ぶ。

話はできないから、やりとりなんて最後までそんな程度だった。

ずっと『当たらないでほしい』なんて、思ったりもした。


そんなことが、何回かあった。

人間に見つからないように、こっそりきのみを交換する。

そのうち、いちいち確認しなくても、きのみの好みを憶えた。

人間に見つかるか見つからないか、ギリギリのところで渡す。

ぼくたちは、そういう、よくない遊びもした。


ある時、そいつが消えた。

人間は何も言わない。

何も言わない理由は、そのうち理解できるようになった。


けれど今でも、知りたいと思うことがある。

あいつは、誰と闘って死んだのか。





今でも、ときどき思うことがある。

どうにかならなかったのか、って。

もちろん、おれが悪かったってことは、ちゃんとわかってる。

今となっては、そりゃあ、もう、いやってほど、ちゃんと。


けど、もしも、やりなおせるなら?


暗く、臭く、じめじめとした場所に、ひとりだけ残される。

誰かに襲われても、返り討ちにするだけの力なんてない。

そんな力がないから、捨てられたんだし。

だから、たしかに、とても不安だろうと思う。

凄く怖いだろうと思う。


ひとりきりになった時に、誰かが来たのだろうか。

その誰かに、連れて行かれてしまったのだろうか。

それとも、誰かから逃げるために、別の場所へ行ったのだろうか。

今となっては、どっちだったのかもわからない。


目の前で仲間が殴り殺されそうになっている。

その隙に逃げさえすれば、自分は助かる。

そう思ってくれれば、今ごろ、死んでるのはおれで、生きてるのはあいつだった。

でも、実際には、あいつが死んで、おれは生きてる。


もしも、あそこで足が竦んだりしなければ?

もしも、おれだけ逃げてしまわずに、ふたりで人間を撒いていれば?

そうしたら、ひょっとしたら、もしかしたら。

ふたりとも助からなかったかもしれない。

でも……ふたりとも、助かったかもしれない。

今となっては、確かめようもない。


けれど今でも、知りたいと思うことがある。

あの時、別の行動をしていれば、誰かが助かったのか。





そうだ。

これはあくまで、たとえば、の話だ。


誰でもいい。

誰かが私を、暖かな声と腕にいだき、


生きていていいと。

ここにいていいと。

生まれてきてくれてよかったと。


そのいずれかの言葉でも、

幼い私に――投げかけていたら。

何がどう、違っていただろうか。

いずれ、確かめようのないことだ。


これはあくまで、たとえば、の話だ。


燃えさかる炎の中。

憎しみと怒りが我が身を満たし、


我が命の尊厳は、生を受ける前から奪われていた。

ならば、奪い返さねばならぬ。

我が精神と肉体は、耐えがたき苦痛を与えられた。

ならば、同じく与えねばならぬ。


そうした渦に、

力ある私が――寄り添う者なく飲み込まれていたら。

何がどう、違っていただろうか。

いずれ、確かめようのないことだ。


けれど今でも、知りたいと思うことがある。

私は今、なぜ、こうして、ここにいるのか。





初めて声を聞いたのは、あの人の死を予告するものだった。

信じられなかった。

今こうして、わたしの前を元気に歩いているあの人を、直視できなかった。

信じたくなかったから、伝えなかった。


もし、あの時、声に従っていたら?

あの人を困らせていたかもしれない。

だけど、そのかわり、わたしは苦しまなくてすんだかもしれない。

何をなすべきか、理解することができたかもしれない。

でも、そうしなかった。

だから、わたしは逃げるしかなかった。


次に声を聞いたのは、森に住む者の死を予告するものだった。

またか、と怖くなった。

声のことを伝えたのに、相手は怒ることも、怖がることもなかった。

それが、どうしても理解できなかった。


怖くて、怖くて、仕方なくなった。

何かが足りていないのに、声だけが降り注ぐ。

そのうち、忘れてしまっていることも、忘れてしまいそうだった。

何かが足りていないことも、わからなくなってしまいそうだ。

いつか思い出せるはずだ、とただ耐える。

逃げたのだから、当然の報いだ。


けれど今でも、知りたいと思うことがある。

あの人と出会わなかったら、こんなに苦しまずにすんだのだろうか。





あの時、彼は私を睨んで森に消えた。

少なくとも、私にはそう見えた。

私を恨んでるんだろうか。

私にもっと力があれば、彼は苦しまなくて済んだんだろうか。


言葉は通じているはずだ。

それなのに、彼は私のある範囲の言葉に応えない。

私のことなんて、本当は忘れているのだろうか。

それなのに、彼は私に協力を求めてくる。


引き渡しの日、彼は不安そうな目をしていた――ように思う。

見捨てられる絶望を、今一度味わわせてしまったのだろうか。

元気で暮らせよ、という私の言葉を、彼はどんな気持ちで聞いていたのだろう。


贖罪。

赦し。

ごめん。

あの時、やっぱり無理にでもお前を引き取るべきだった。

もう今更、どうしようもないけどさ。


けれど今でも、知りたいと思うことがある。

私に、レンジャーを続ける資格なんか、あるのかってこと。


今回は以上です

1年間お付き合いありがとうございました
来年も宜しくお願いします!
来年には完結できたらいいなあ…と思います

それではよいお年を!

大量投下乙
レンジャーさんの性別ってどっちだったっけ?

>>192
…どっちがいい?

それは冗談として、そもそも読んでくれてる人には、どっちに見えてるんだろう?
あ、衣装は断固としてイッシュのレンジャーです。ここは譲れない
ユニフォームもカウボーイハットもかっこよすぎる

なお今後活躍・登場しない奴らの性別は以下の通りでした
レンジャー先輩→男、レンジャー上司→女
ハハコモリとサボネア→♀、ガブリアス→♂

なんとも緊迫感のあるやり取りだ……
乙!

レンジャーさんは男と思って読んでたよ

すごい文章力だ

明けましておめでとうございます
もう三が日終わりますが、今年も宜しくお願いします

>>194,196
「どっちだと思う?」と尋いといて言うのもなんだけど
どちらでも構わないつもりで書いてます
私がどちらかに決めたくなるまでは、好きな方で想像してください

>>195
うおおありがとおー!

別スレでオススメとして名前を挙げてもらって
凄く嬉しかったです。ありがとうございました

書き溜めがある程度溜まったら投稿します
ではまた

それでは始めますぞ


季節のわりに、適度に過ごしやすい昼下がりだった。

日射しはやはり強く、あちこちにある影も濃く鋭い。


アロエは買い物の袋を下げ、博物館への近道をのんびりと歩いていた。

袋には、ずっしりとした重さがある。

買い物といっても夕食の材料やアイスを買ったわけではない。

だから、そう急ぐこともない呑気な道のりだった。


袋をがさがさと揺らし、彼女は上機嫌だ。

進む足取りも心なしか軽い。


袋の中身は、新品のクレヨンや色鉛筆、自由帳などといった画材だった。

自分の子供のために買ったわけでも、自分のためでもない。

最近になってできた友人と、いまだ見ぬ新しい友人たちのためだ。


アロエは先日の約束――宿題が、どういう形で実るのか楽しみにしていた。

薄汚れたシーツを頭から被り、正体を隠し、それでも訪ねてきてくれる。

向学心と知識欲に溢れた『生徒』に出した宿題だった。


知らないことを知りたいと思い、知ろうとする。

わからないことを、それでもわかろうとする。

それは、とても大切なことだ。

あの『生徒』が当たり前に示す愚直な好奇心。

アロエはそれが嬉しくてしかたなかった。


友人たちを、みごと説得することができただろうか。

一度でいいから彼らに会ってみたい、という願いは本心だ。

実現が難しいだろうということも、十分に理解できる。

話を聞いた限りでは、それぞれに、人間に対して思うところがあるらしい。


アロエ(実際……来てくれるかねえ)

アロエ(あの子の友達ひとりでも来てくれたら、万々歳ってところかな)


買い物袋の中身は、彼らとの邂逅に備えて買い揃えたものばかりだ。

『ひょっとしたら』、『きっと』、『どうせ』、などと考えもした。

彼らに使ってもらえるかどうかわからない。

実現がいつになるのかもわからない。


だが、店で品物を選んでいる時は、それでも妙にうきうきしてしまったものだ。

仮に誰か来てくれたとして、どんなふうに、彼らと触れ合えるだろうか。

どんなふうに、これを使うのだろうか。

人間の子供のように、目を輝かせてクレヨンを走らせるのだろうか。

彼らとの意思疎通は、どれほど刺激的なものになるだろうか。


アロエ(さて……と、買い忘れたものは、特にないか)

アロエ(それじゃあ、やっぱり家には寄らないで直接、仕事場に……)


――     ですか     、ワタクシは……


アロエ「……?」


期待に胸を躍らせながら歩いていると、不意に誰かの声が聞こえ始めた。

男の声だ。

少し反響しているようだが、出所は広場の方だろうか。

会話というよりも、演説をしているような調子だ。


アロエ(なんだろう?)


アロエは背筋を伸ばして、周囲を見回した。

予想した通り、街の広場の方から響いてきているようだ。

なんとなくそちらへ足を向ける。

少しずつ、聞こえる声が大きくなっていく。


――本日は、     さまに、是   とも聞いてい    たく


アロエ(へぇ……こんな場所で演説なんて、珍しいね)

アロエ(こう言っちゃあなんだけど、もっと大きな街でやればいいのに)

アロエ(ヒウンとか、ライモンとか)

アロエ(そういえばヒウンアイス、キダチが食べたがってたっけ……)


あまり関係のないことを考えながら、それらしい方向に目を向ける。

見ると、同じ方向を向く人だかりが出来ていた。

もやもやした陽炎の向こう側の集団と、不気味に反響して響く演説の声。

どちらも、確かにそこに存在しているはずなのに、あまり現実味がなかった。


アロエ(……ああ、ヒウンといえばアーティは元気かねぇ)


――我々      と、ポケモン      かかわり      ししたい、と……


ポケモン、という単語が耳に飛び込んできたことで、アロエは急に興味を覚えた。


アロエ(……別に、急いでいるわけじゃないし、少し通りがかってみるか)


館長が帰らず、博物館でおろおろする夫の姿が脳裏に浮かぶ。

アロエは好奇心を優先した。


陽炎を突き抜けてもう少し近づくと、ようやく声の主の姿が見えた。

ずいぶん背の高い男だ、というのがアロエの印象だ。

もちろん、演説のための壇に上がってはいるのだろう。

だがそれを差し引いてもなお、周りの人間よりも頭ひとつ抜けて見える。


????「……暑い中、皆様のご傾聴、感謝いたします」


うやうやしく頭を下げた長身の男は、薄い笑顔を浮かべている。

確かに、比較的過ごしやすいとはいえ、今日も暑い。

にも関わらず、男は顔と手以外がすっぽりと隠れる、やけに鬱陶しい格好をしている。

暑苦しいマントまで羽織っているわりに、男はどこか涼しい顔だ。

妙というよりは、なんとも表現しにくい違和感があった。

どこでなのか思い出せないが、似たような衣装を見た覚えがある。


よく見ると、周囲には何人もの取り巻きが立っている。

やはり一風変わった、灰色の衣装で統一された集団だ。

こちらには、少し時代錯誤な印象を受けた。

歴史の教科書で見るような、大昔の宗教的礼装を思わせる。

具体的にいつの、どこの、と明確に言えるわけではないのだが。

チラシの束を持っている者もいれば、募金箱のようなものを掲げている者もいる。


頭を上げた男は、ゆっくりと人だかりを見回す。

まだ多少、ざわざわと人の声が聞こえている。

だがそれでも十分に聴衆を引き付けたと判断したのか、男が口を開いた。


????「改めて、自己紹介をさせていただきます」

????「ワタクシは、プラズマ団という組織でさまざまな活動をしております」

????「ゲーチスと申します」


よく通る声で、男はゲーチスと名乗った。


アロエ(あ……思い出した)

アロエ(資料で見たんだ)

アロエ(いつの会議だっけ……この人じゃないけど、似たようなのが来てたね)


見た目にこれほどインパクトがあるなら、一度会えば忘れることはない。

それなのに、『見たことがある』という程度の記憶だった。

それというのも、会議に来たのはこの男の『同志』を名乗る人間だったからだ。

彼の写真が載った資料を配り、ポケモンの保護と解放について訴えていた。


アロエ(確か、『志ある指導者を助ける同胞七人と、偉大な……』)


ゲーチス「ワタクシどもの活動理念をご存知の方も、いらっしゃるかもしれません」

ゲーチス「ある方の理想を皆様に知っていただくため」

ゲーチス「そして、その理想の実現を目指すため」

ゲーチス「ワタクシを含めた七人の仲間や、志を分かち合う、たくさんの有志と共に」

ゲーチス「日々こうして、皆様にお話をさせていただいております」


物腰はあくまで柔らかく、声も威圧的ではない。

やや親しみに欠ける物言いだが、表情も口調も穏やかだ。

事実、暑さのわりに聴衆はそこそこいる。

さくらがどの程度紛れているのかまでは、アロエにもわからない。


ゲーチス「皆様」

ゲーチス「我々人間は、とても長い間、ポケモンと生活を共にしてきました」

ゲーチス「互いに助け合い、支え合い、必要とし合う、いわばパートナーだ」

ゲーチス「そう思っていらっしゃる方も、多いことでしょう」


そこまで言うと、ゲーチスは言葉を切る。

人だかりには、ちらほらとだが、彼の言葉に頷く姿が見えた。


ゲーチス「……本当にそうなのでしょうか?」

ゲーチス「アナタは、いかがですか?」


不意に、ゲーチスは少し屈み、目の前にいた男を指し示した。

男は当然だが狼狽え、あたりをきょろきょろと見回す。


男「……わ、私?」

ゲーチス「はい」

男「ええと……パ、パートナー……だと思ってます」

ゲーチス「ありがとうございます」


背筋を伸ばしたゲーチスは、いくぶん嬉しそうな顔をしている。

『そうであってほしい』回答だったのだろうか。

それとも、『望んでいた』回答だった、ということなのだろうか。

アロエは、人だかりの後方から、その様子を黙って見ていた。


ゲーチス「……では、そちらのアナタ」


今度は、マリルを抱えた女性に視線を合わせる。


ゲーチス「アナタが生まれて以来、『親の言うことに従え』と言い聞かされてきたとしましょう」

ゲーチス「きちんと親の言う通りにすれば、生活も安全も保証されます」

ゲーチス「周囲を見てもどうやら、どの家も同じように親に絶対服従“らしい”」

ゲーチス「しかも親の要求に十分に応えれば、食事も豪華になり、褒めて愛情を示してもらえる」

ゲーチス「ただ命令に従い成果を示す限り、アナタは必要とされ続けるのです」

ゲーチス「アナタは、それを『愛情』と解釈し、盲目的に従い、外の世界を知らない」

ゲーチス「……アナタはその環境で、敢えて親に逆らおうなどと考えますか」

ゲーチス「そもそも、逆らうという発想そのものが、生まれ得るのでしょうか」


女性の顔は、ここからでは見えない。

だが首を傾げ、回答に困っているのはこの位置からでもわかった。


ゲーチス「……そうでしょうね」

ゲーチス「ですがアナタは、本心ではきちんとわかっておいでだ」

ゲーチス「その環境が極めていびつで、どれほど異常なものであるか」

ゲーチス「自由意志とは、命の尊厳とは何なのでしょう」

ゲーチス「……ワタクシがお伝えしたいのも、実はそこなのです」


女性から顔を逸らすと、ゲーチスは再び背筋を伸ばして聴衆を見渡した。

言っていることが何もかもおかしい、というわけではない。

だがどういうわけか、アロエは男の話を手放しで受け入れる気になれなかった。


ゲーチス「アナタがた……いえ、我々人間は彼らをパートナーだと認識しています」

ゲーチス「ポケモンたちと、対等な友人であると思っていることでしょう」

ゲーチス「……」

ゲーチス「実は、そう思っているのは人間の方だけかもしれません」


ほんの一瞬、聴衆の中に戸惑いが生じる。

ゲーチスはざわざわした聴衆の困惑をある程度、泳がせてから、続きを話し始めた。


ゲーチス「人間は彼らに好き勝手に命令し、従わせ、疑問を抱くことさえない」

ゲーチス「それが、我々人間にとっては、当たり前だったからです」

ゲーチス「ポケモンもポケモンで、人間に従うのが当然のことだと思っている」

ゲーチス「それもまた、人間に所有されるポケモンにとっては、当たり前だった」

ゲーチス「そして現状に対し、疑問など、誰も持たない」

ゲーチス「人間とポケモン、どちらに明確な悪意があるわけでもない」

ゲーチス「双方がいびつな関係を、それしか知らないがために、誰も、なんとも思わない」


ぐるりと見回す。

ゆったりとした動きは、さながら舞台上の俳優のようだ。


ゲーチス「お互い、意識のあるなしに関わらず、我々は……ポケモンからの搾取を許している」

ゲーチス「言い方を変えれば、ポケモン自身もまた、無知によって搾取に加担している」

ゲーチス「そう考えることもできるのです」

ゲーチス「我々は人間を、そしてポケモンたちを、無意識の搾取から解き放たねばならない」


聴衆は黙り込んだ。

ゲーチスはそこで言葉を切る。

演説の客たちを見回し、じっくり反応を確かめているようだ。

アロエは反対に、そんなゲーチスの行動を観察し続けた。


沈黙はそれほど長くもたなかった。

少しずつ、思考を取り戻した聴衆が、小声で話し始める。

彼の演説に好意的な者、異を唱える者とさまざまらしい。


すると、ゲーチスは近くにいた取り巻きの一人に目配せした。

合図を受けた取り巻きが、一団から離れる。

少し距離のある場所に立っていた少年に駆け寄り、声をかける。


人だかりに向けて何か示したわけではないが、何人かはその動きに注目しているようだ。

少年がこちらへ向かうのを確認すると、ゲーチスはひときわ張りのある声で、聴衆に言った。


ゲーチス「……一人、皆様に紹介したい少年がいます」


ちょうどそのタイミングで、取り巻きに伴われ、少年がゲーチスの隣まで進み出た。

これもまた、彼による意図的な“演出”ということなのだろうか。


ゲーチス「彼は……“元トレーナー”です」


少年のことを、ゲーチスはそう紹介した。

紹介された少年は、背中を押されるようにして一歩前に歩み出る。

だが、人前で衆目を集めることには慣れていないらしい。

やや怯えた表情を見せ、傍らのゲーチスを仰ぎ見ている。


ゲーチス「心配ありません」


優しそうな声音で、少年を気遣う。


ゲーチス「彼の体験は、皆様にとって極めて重要な示唆を含んでおります」

ゲーチス「また彼の決断は、その勇気が称えられて然るべきだと」

ゲーチス「ワタクシは、そのように認識しております」

少年「……あの……えっと……」


大袈裟な説明に戸惑ったのか、少年がゲーチスを見上げて言った。

するとゲーチスは少し屈み、少年に“ほんの少しだけ小さな声で囁いて”みせる。


ゲーチス「大丈夫ですよ、何も緊張する必要はありません」


アロエ(これも“演出”ってわけ?)


少年「あの……ぼ、ぼくは……」

ゲーチス「アナタと、アナタのポケモンの話を、皆様にしてさしあげましょう」

少年「あ、はい……」

ゲーチス「あの決断がアナタにとって、とても辛いものだったこと」

ゲーチス「ワタクシは、重々承知しております」


ゲーチスに励まされ、少年は前を向いた。

深呼吸をひとつし、口を開く。

その姿に、アロエは意味のわからない不安を覚えた。


少年「ぼくは……ポケモンを もつのを……やめようと、おもいます」


アロエは、思わず目を瞠った。

だが周囲の反応を見て、アロエはもう一度驚いた。

聴衆がいつの間にか、ゲーチスと少年の言葉にすっかり集中している。

『劇場』は、すっかりこの男が掌握しているということらしい。


ゲーチス「アナタがそう決意するに至ったのは、何故ですか?」

少年「……ぼくは」


アロエ(あの男、子供になに言わせてるんだ)


少年「もう あんなの、いやだ……」


苛立ちを覚えながら、アロエは周囲を伺う。


アロエ(……?)


すると、ひとりだけ動きの違う人間がいることに気づいた。

鍔の広い、深いオレンジのカウボーイハットを深く被った、若いレンジャーだ。

さすがにこの陽気では暑いからか、ジャケットを脱いで腕に抱えている。


レンジャーは少し困ったような顔で、ゲーチスと少年を見ていた。

所在なげなようすから察するに、自分と同じく、通りすがりで足を止めただけなのだろう。

アロエと同じように、聴衆から一歩下がったところに立っている。

奇しくもアロエは、このレンジャーにも見覚えがあった。


少年「ぼくは、おとうさんに、ポケモンを……つかまえて もらいました」

少年「い……いっしょに、あそびに いったり……しました」

少年「……」


そこまで言うと、少年は口を噤んだ。

一文字にきつく口を閉じ、目を開いて、やや下を向いている。

涙を堪えているように見えた。


ゲーチス「アナタがたは、とても仲がよかったのですね」

少年「……はい」

少年「でも、きんじょの、***くんに……」


すかさずゲーチスが声をかけ、少年の背中をさすっている。

ここからでは初めの一言以外、何を言っているかわからなかった。

だが、少年を励ます言葉を吐いているのだろう。


少年「か……かえして、って……いったのに……あいつ……」

少年「あいつ、ぼくのポケモンを、いじめて……もりに すてたんです」


少年が、袖で涙を拭っている。

聴衆は、しんと鎮まり、少年による涙ながらの告白に聞き入っていた。

残念ながら、こんな話はそう珍しいことではない。


少年「ヤグルマに すてた、っていうから」

少年「さがしに いったけど……みつからなくて」

少年「おかあさんにも……もう あきらめなさい、って……いわれました」

少年「ぼくは、もっと……いっしょに、いたかったけど……」

ゲーチス「アナタは、十分に頑張りましたよ」

少年「で、でもちがうんです!」


ゲーチスの慰めに、少年は顔を赤くしながら言い返している。


ゲーチス「どう違うのでしょうか」


いかにも『残念だが仕方ない』という顔を作り、ゲーチスは溜め息をついて見せた。


少年「ぼくが……」

少年「……ぼくが、おとうさんに たのまなければ」

少年「コマタナも、ぼくも、こんなきもちに ならなくてすんだんです」

少年「ぼくの コマタナは、いじめられたり、すてられたりしなかった!」

少年「だから……ぼくは よわいから、とりもどせないし……」

少年「ほくなんかの、ところに こなければ……」


少年「ぼくのせいなんです」

少年「だから、もう、ポケモンなんか」

少年「……もう、あんな」

ゲーチス「辛い思いをされましたね」


少年の頭を撫で、ゲーチスは不気味なほど優しい声を出した。

集まっている人間たちに聞こえるよう、わざと大きな声で言っているようだ。


ゲーチス「……あとは、ワタクシがお話ししましょう」


おそらく、意図的に使い分けているのだろう。


さきほどの様子から見て、この少年まで彼らの小芝居に加担しているとは思えない。

だがアロエには、ゲーチスがこの少年を『利用している』ことがよくわかった。


ゲーチス「彼はこの年にして、自身の行いに責任を感じています」

ゲーチス「彼だけが責められるべきでないことは、皆様にも当然、ご理解いただけるはずですが」

ゲーチス「それでも責任を感じ、無知による罪を、罪と知らずに犯していた罪を悔いているのです」

ゲーチス「自分が欲しがったりしなければ、自分自身もそのポケモンも、不幸になることはなかったと」

ゲーチス「人間とポケモンが触れ合うことで生まれるわずかな自己満足」

ゲーチス「それと引き換えに生まれるのは、大きな、あまりに大きな不幸でしかない」

ゲーチス「両方にとってのよりよい幸せのために、どうするべきなのか」

ゲーチス「我々人間が、安易にポケモンを所持することの是非」

ゲーチス「この場の皆様は……もう理解していらっしゃるはず」


あのレンジャーは、今の話にどう反応しているだろうか。

アロエはそれがやけに気になって、レンジャーを盗み見た。


アロエ(……?)


レンジャーの顔から、困ったような表情は消えている。

そのかわり、別の感情を思わせる顔つきになっていた。

あの表情はなんと表現したものだろうか。


アロエ(怒ってる? 驚いてる? ……それも少し違うか)


目を見開き、ゲーチスと少年を睨みつけている。

いや、睨んでいると思えるわりに、それほど怒りは感じられない。


アロエ(まあ……このハナシだもんね)

アロエ(どう思ったのかは、ちょっと聞いてみたいけど)


壇上には、少年に代わって再び熱弁を振るうゲーチスがいた。

話はいつのまにか、不法遺棄にシフトしている。

アロエにとって目新しい話ではなかったが、聴衆にとっては違ったらしい。


ゲーチス「より強いポケモンを求める考え方があることも、理解できます」

ゲーチス「ですが、そのために引き起こされる悲劇は、あまりに残酷だ」

ゲーチス「……少し前にも、テレビで放送されていましたが」

ゲーチス「不法に捨てられるポケモンたちについて、警鐘を鳴らす番組でしたね」

ゲーチス「この中で、あの番組をご覧になった方は?」


人だかりの半分以上が手を上げた。

アロエは手を上げず、黙っている。

アロエが様子を伺うレンジャーも、大きな反応は示さない。

もちろん、手を上げることもない。

取り巻きに促されてパイプ椅子に腰掛けた少年も、俯いたままだった。

レンジャーの視線は、その少年に向いている。


ゲーチス「……なるほど、たくさんの方がご覧になったのですね」


『驚いた』というしぐさを見せつけ、ゲーチスはそう言った。


ゲーチス「大変失礼な話ですが、これほど多いとは思いませんでした」

ゲーチス「以前、こうしてお話しさせていただいた所では、ご存知でない方が多かったのです」

ゲーチス「皆様の問題意識が高く、ワタクシは大変喜ばしく思います」

ゲーチス「では、改めて詳しくお話しするまでもありませんね」

ゲーチス「……おや」


少し『わざとらしい』くらいトーンを上げ、ゲーチスは何かに目を向けた。

聴衆の向こう側、アロエも思わずそちらを見る。


ゲーチス「そちらにいらっしゃるのは、地元のレンジャーの方でしょうか」

レンジャー「……」

レンジャー「……えっ」


レンジャーが驚いて目を剥いた。

集まっている人間たちも、レンジャーを振り返る。

本人は、予想外の出来事に顔が引き攣っていた。

恐る恐る自身を指し、自分なのかとゲーチスに問い返している。


ゲーチス「はい、アナタです」

ゲーチス「もし宜しければ、近辺の……そうですね、ここですとヤグルマの森ですか」

ゲーチス「あの森では、どのような問題があるでしょう」

ゲーチス「アナタ個人の所見で結構ですよ」


にこやかな表情を浮かべ、ゲーチスが促している。

一方でレンジャーは、当然のことながら戸惑っていた。

集まった視線に戦いているようだ。


レンジャー「わ……私の?」

ゲーチス「いかがですか」

レンジャー「……い、いきなりですね」

ゲーチス「ええ。現場にいる方が一番、実態をよくご存知でしょうから」

レンジャー「実態ですか……あなたは」


恥ずかしそうに目を泳がせていたレンジャーが、再びゲーチスを見た。

その途端、レンジャーは妙なものを見たかのように、言葉を切って眉間に皺を刻む。

真上から注ぐ日光に、レンジャーの顔は帽子の下で暗く沈んでいる。

アロエもゲーチスを見る。


レンジャー「先にお尋ねしてもいいですか」

ゲーチス「どうぞ」

レンジャー「あなたは……私に、なんて答えてほしいんですか?」


ゲーチスがほんのわずかに目を見開くのを、アロエは見逃がさなかった。

慈善団体代表とはまた違った、別の顔が見えたように思う。

正体は見えないが、『より親しみの湧かない』顔だった。

だが、それもアロエが考えを巡らせている間に消えてしまった。

虚を突かれたと表現するにはあまりに小さな、針穴のようなものだ。


じっと見ていたアロエを除けば、その穴に気づいた者はほとんどいないようだ。

レンジャーもまた、ゲーチスを睨むように見つめている。

だが、気づいたかどうかまではわからなかった。


ゲーチスは、何事もなかったかのように口を開いた。

さきほどの『別の顔』は、もうすっかり彼の顔から消えている。


ゲーチス「これはこれは、大変な失礼を……」

ゲーチス「現場の方を試すような真似をしてしまい、申し訳ない」

ゲーチス「なんとも、ワタクシの配慮が足りなかったようです」


わざとらしいほどに殊勝な態度を見せ、ゲーチスは軽く頭を下げた。

一見すると、きちんと無礼を詫びているように見える。

だがアロエには、引き際を弁えているだけのように思えた。

不利な勝負には乗らないという、ただそれだけのことだ。


レンジャー「い、いえいえ」


対するレンジャーもまた、不自然なくらいの笑顔を顔に貼りつけている。


ゲーチス「……皆様も既にご存知のように、無為に捨てられるポケモンの数は計り知れません」

ゲーチス「一昼夜に解決することは、不可能でしょう」

ゲーチス「森などに分け入っての保護活動も度々おこなっておりますが……」

ゲーチス「まだまだ、十分とは言い難い」

ゲーチス「近隣のヤグルマも含め、今後も回数を重ねていく予定ではありますので」

ゲーチス「お騒がせすることもあるかとは思いますが、何卒ご容赦ください」


ゲーチスが、『実に残念だ』という顔を作る。

演出過剰ぎりぎりのところで、彼のパフォーマンスが行なわれていた。


ゲーチス「プラズマ団はこうした問題の解決に向け、他にも様々な活動を行なってきました」

ゲーチス「捨てられたポケモンの保護、治療、カウンセリングにも実績があり……」

ゲーチス「保護したポケモンを、確実に野生に戻すためのノウハウも確立されています」

ゲーチス「さきほどの話にあったような、不法なポケモンの遺棄を防ぐことにも繋がりますね」

ゲーチス「さまざまな形での寄付や援助のお申し出は、もちろん歓迎いたしますが……」

ゲーチス「それよりも、『ポケモンとどう向き合うべきか』と皆様が改めて考える機会」

ゲーチス「そちらをより多く持っていただける方が、ワタクシとしては嬉しいのです」

ゲーチス「もし、どう向き合うべきかについてお悩みであれば……」

ゲーチス「当方では専門の相談窓口を設置し、経験豊かなスタッフを配しておりますので」

ゲーチス「興味を持たれた方は、団員までご相談ください」


彼が言葉を尽くすほど、アロエは不信感を募らせる。

伝えたいことがあるから言葉を重ねるのではない。

見せてはならないものを覆い隠すためだ。

元々あるべき姿を、別のものに見せかけるためだ。

この男は、欺瞞の塊だ。


ゲーチス「それでは、本日はご静聴ありがとうございました」


最後まで芝居がかった話しぶりで、ゲーチスは頭を下げた。

再び顔を上げると、すっかり善良な慈善団体代表の顔に戻っている。

さきほど見せた『顔』など、はじめからなかったかのようだ。

ゲーチスは二言三言、取り巻きに耳打ちすると、そのまま引っ込んでしまった。

すかさず取り巻きが動く。


ゲーチスがあっという間に姿を消すと、人だかりは自然に消えていった。

取り巻きの数人だけが、見せびらかすようにのんびりと撤収を続けている。

広場に残った聴衆は、ほんの数人だ。


近所の知り合いが声をかけてきたので、アロエは軽く挨拶を交わして別れる。


ふと後ろ、つまり壇があった方を振り返ると、少年とレンジャーが立っていた。


レンジャーは少年に話しかけている。

なぜか知らないが、やけに熱心に話をしているようだ。

屈んで少年の両肩を掴み、必死に何かを訴えている。


だが、少年は俯いている。

レンジャーの話を一方的に聞かされているだけ、という風に見えた。

時々、悲しそうな顔で首を横に振る。


何を話しているのか、ここからでは聞こえない。

嫌な感じがした。


しばらくして、レンジャーは肩を落とした。

最後に何か言うと、くるりと踵を返して大股で立ち去った。

少年は、迎えに来た母親らしい人物に連れられ、どこかへ消えていった。

アロエは、もう人通りもまばらな広場に、たったひとり残されている。


不愉快だった。

なんとも言い表せない不快感が胸に渦巻いている。

悪くないと思っていた暑さも急に気に障る。


ゲーチスと名乗った、あの胡散臭い男の演説のせいだろうか。

少年が泣きながら訴えた話のせいだろうか。

それとも、不意に覗いた、ゲーチスの別の顔のせいだろうか。

手元の袋に目を落とす。

真新しい文房具、画材。


あの男が訴えたのは、人間とポケモンが生む営みすべての否定だ。

異なる者たちが傍らにあって生きることも、手を携えて歩くことも否定する。

自分とは違う誰かを、自分の世界に受け入れることも。

『生徒』の真摯さも。

何かを学ぼうとする尊い意思も。

アロエ自身の、自分勝手な親切心まで否定されたようだ。


無性に腹が立つ。

『ポケモンとどう向き合うべきか』。

あの男たちが、どんなことを目論んでいるのかは知らない。

だが、要はポケモンなど手放してしまえといっているだけだ。


アロエ「そんなこと、させるもんかい」


たしかに、関係を一切断ってしまえば問題は起こるまい。

不幸なことも、誰かが悲しむことも、辛い思いをすることもない。


だがそんなものは、一見正解に見えても、ただの思考停止だ。

怪我をしたくなければ家から出るな、と言っているようなものではないか。

傷つきたくなければ、傷つけたくなければ、誰とも関わるな、と。

そんなことは――


アロエ「そんなことは、絶対に間違ってる」


アロエの声は誰にも届くことなく、午後の熱気に溶けていった。

今回は以上です
ではまた!

ゲ(ーチ)ス

おお……切り込むなあ
少年は手放すほうを選んじゃったかな

乙!

番外編行くよ


~番外編~


ダゲキ「おたんじょうび……って、なに?」

ジュプトル「なにそれ?」

ミュウツー『唐突になんだ』

ダゲキ「いま よんだ、ほんに かいてあった」

ミュウツー『……誕生日というのはだな……ああ、生まれた日のことだ』

ミュウツー『正確には……毎年一回だけ来る、生まれた日と同じ日付のことだが』

ダゲキ「『お』は?」

ミュウツー『……それは、丁寧に言うとそうなる、というだけだ』

ジュプトル「むつかしー」

ダゲキ「……じゃあ、たまごから でた とき?」

ミュウツー『ニンゲンは知らないが、ポケモンはそう考えればいいだろうな』

ジュプトル「そんなの、おぼえて ないよ!」

ダゲキ「うん」

ミュウツー『怒るな』



ジュプトル「……たんじょうび だと、なんなの?」

ミュウツー『さあ?』

ジュプトル「あ、ほん みせて」

ダゲキ「うん、いいよ」

ジュプトル「……『うたを うたって、けーきを たべました』?」

ダゲキ「けーきって、なに?」

ミュウツー『ニンゲンの食べ物だ』

ダゲキ「この、まるい やつ?」

ミュウツー『いや……知らない』


ジュプトル「おれ、しってる」

ジュプトル「しろい べたべたと、きいろい ふわふわだから、これだよ」

ダゲキ「へえ」

ミュウツー『なんでお前が知ってるんだ』

ジュプトル「ニンゲンが、すてた けーき、たべたこと あるよ」

ジュプトル「たべもの つくってる、みせの ごみばこに あった」

ミュウツー『……』

ダゲキ「おいしいの?」

ジュプトル「あまい、すごく あまい」

ミュウツー『……すっぱい「けーき」はないのか』

ダゲキ「からいの けーきは?」

ジュプトル「そこまで しらないよ、おれも」



ミュウツー『……で、誕生日は「けーき」を食べて、歌を唄うのか』

ミュウツー『ニンゲンは、妙なことをするのだな』

ダゲキ「うた?」

ジュプトル「ねむくなる やつだ」

ダゲキ「それ、ちがうと おもう」

ミュウツー『……「おたんじょうび おめでとう」?』

ミュウツー『なにがどう「おめでとう」 なんだ』

ダゲキ「『おめでとう』?」

ミュウツー『……いいことがあって、それを喜ぶ時に言う言葉だ』

ダゲキ「『たんじょうび』は、いいことなんだ」

ミュウツー『……』

ジュプトル「でも、おれ おぼえてない」

ダゲキ「ぼくも、『たんじょうび』、わからないよ」

ミュウツー『……そうだろうな』



ダゲキ「きみは?」

ミュウツー『……』

ダゲキ「しってるの?」

ミュウツー『……』

ジュプトル「あっ! しってるんだ、こいつ!」

ミュウツー『……』

ジュプトル「いいなー」

ダゲキ「じゃあ、この『おたんじょうび』みたいに、『おめでとう』の、しようよ」

ジュプトル「あ、いいね」

ダゲキ「ぼくも、ジュプトルも、わからないし」

ジュプトル「いいこと なんだろ? やろ、やろ」

ジュプトル「どんな うた、うたう?」

ダゲキ「それ、ミュウツーが あう、ニンゲン、きいたら」

ジュプトル「すげえ! おまえ あたまいい!」

ミュウツー『……私が生まれた日……』

ダゲキ「うん」

ジュプトル「『おめでとう』しよ!」

ダゲキ「けーきは、ないから……きのみで いい?」

ミュウツー『めでたくなんかない、そんなものは』

ジュプトル「?」

ダゲキ「?」










ジュプトル「……あ、いっちゃった」

ダゲキ「いや だったのかな」

ジュプトル「へんなの」

ダゲキ「いいこと じゃないの?」

ジュプトル「……えほんだと、たのしそう だけど」

ダゲキ「でも、ぼくたちは ニンゲンじゃないからなあ」

ダゲキ「おこらせちゃった?」

ジュプトル「まいとし、いっかい くるんだろ?」

ジュプトル「もう、ことしの『おたんじょうび』、おわっちゃったのかもよ」

ダゲキ「じゃあ……こんどの『おたんじょうび』しか、できないんだ」

ジュプトル「だから おこったのかぁ?」



ダゲキ「いまからだと、もう だめかな」

ジュプトル「きのみの みずやり じゃないし、いいんじゃない?」

ダゲキ「チュリネに いえば、いっぱい きのみ、くれるよ」

ジュプトル「けーきの かたちに したら、いいな」

ジュプトル「おれも、『おめでとう』いいたい。たのしそう」

ダゲキ「……ほんとは?」

ジュプトル「いわれたい!」

ダゲキ「おたんじょうび なかったら、どうなるの?」

ジュプトル「そりゃ……うまれて ないだろ?」

ジュプトル「おれも、おまえも、わからないだけ だし」

ダゲキ「そうか……じゃあ、やっぱり いいことだ」

ジュプトル「うん」

ダゲキ「うまれたから いるんだもんね」



ジュプトル「ミュウツーは うまれたの、いやなのか?」

ダゲキ「ぼくは うれしいよ」

ジュプトル「おれも」

ダゲキ「……やっぱり 『おめでとう』、したいね」

ジュプトル「したいね」

ジュプトル「あいつ だけじゃなくて、みんなの 『おめでとう』」

ジュプトル「……じゃない、『おたんじょうび』したい!」

ダゲキ「いっしょに やっても、いいのかな?」

ジュプトル「わかんない」

ダゲキ「ヨノワールも、しってるかな」

ダゲキ「……きいて みる?」

ジュプトル「それは……ううーん……」










ダゲキ「……あれ、もどって きた」

ジュプトル「わあ、ねたんじゃ なかったの?」

ミュウツー『……』

ダゲキ「……?」

ジュプトル「?」

ダゲキ「あ、このほん? ごめん、もう しまって いいよ」

ミュウツー『いや……そうじゃない』

ミュウツー『本は、明日でいい』

ミュウツー『明日は……降るか?』

ジュプトル「うーん……このかんじ、あめ ふらないかな」

ミュウツー『なら、急がなくていい』

ミュウツー『お前たちの会話がうるさくて、眠れなかった』

ジュプトル「あ、ごめん」

ダゲキ「ご、ごめん」



ミュウツー『……』

ミュウツー『二月六日だ』

ミュウツー『二月六日に、私は生命活動を始めた……と、記録に書かれていた』

ミュウツー『……私は話で聞いただけだが、とても寒い季節だったそうだ』

ミュウツー『まだ、ずいぶん先だな』

ジュプトル「……!」

ダゲキ「……!」

ミュウツー『……今度こそ寝る』

ミュウツー『少しだけ、声を抑えてくれると助かるんだが』

ダゲキ「うん、わかった」

ジュプトル「ごめんごめん」

ミュウツー『……おやすみ』


ダゲキ「……また、いっちゃった」

ジュプトル「よかったな」

ダゲキ「よかったね」

ジュプトル「うれしい?」

ダゲキ「うれしい」

ジュプトル「うれしいな」



ジュプトル「……おれも、ねるよ」

ダゲキ「うん」

ジュプトル「おまえも、がんばって ねろよ」

ダゲキ「むり」

ジュプトル「……じゃあな」





瓦礫の下に 日記の切れ端 がある

爆発の勢いで ちぎれ飛んだもの らしい▼

読んでみますか?▼

|>はい
  いいえ




『……二月六日   外*温:*** 湿度:*** 天候:*り


  ついに、第***内で生命活動を確認。


  とうとう生まれた。


  私をはじめとした仲間たちが、この日をどれほど**望んだことか。


  手が震え*。


  これで、*の**を、取り戻***が**る。


  私たちは、この**を ミ**** と******* *****』




ここから先は 焼け焦げていて 読めない

もう一度 読みますか?▼

|>もう一度読む
  焼き捨てる

番外編終わり
今日は、そういう日なんですね
はたして、森のメンツでお誕生日会が出来るのだろうか?
良識的人間たちに助けてもらえば、なんでも出来そうだけど

>>221,224
ゲーチスは悪役としてきちんと一貫してたからね、ブレてなかったからね
どうしてあんなゲス大人になったのか…
超長身と古代の城云々で、今にして思うとAZ及びフラダリの親戚か何かだったのか?
そのへんはよくわからない

>>222,225-226
ゲーチスは初登場からして、プレイヤーから見たら胡散臭いことしか言ってないから、
もうちょっとだけ、一見すると慈善事業やってる人っぽさを
演出してあげてもよかったと思うんだ…あれじゃ最初からラスボスにしか見えない

それでは、また

メガシンカ次元で、王家がAZフラダリ
非メガシンカ次元で、王家がハルモニア
こう考えたこともあった



ポケモンの誕生日...?厳選...うっ、頭が...

あんなスカウターみたいなもん装備してるオッサンが慈善事業とかシュールやん?

では始めます



翌日の夕方。


ヨノワール「あの……」


うしろから弱々しい声が聞こえた。

森を埋め尽くす木々の枝から枝へ、ジュプトルは軽快に移動していたところだ。

振り返らずに、やや低めの枝を見繕って飛び移る。


ほんの一瞬で次に移動すべき枝を見極めることにかけては、自信がある。

誰よりも優れている、と断言できる、唯一の能力だった。

少なくとも、友人たちの誰よりも。


薄汚れた、悪臭漂う路地裏で、文字通り命懸けで磨いた技術だ。

人間はおろか、どんなポケモンとやりあっても負ける気はない。

たとえ森の中だったとしても、状況判断で遅れを取る気は微塵もなかったが。

むしろ、本来はこんな森で培われるべき技術であるはずだった。

人間のところに生まれることさえなかったら、の話だが。

自分は、そういう生き物だったはずだ。

きっと、おそらく、そうに違いない。


振り返ると、少しだけ離れたところで、ヨノワールがゆっくりと漂っていた。

地面から少し浮き、汚れたかばんを後生大事そうに抱えている。

昨日こっそりと見せられた、あの古ぼけたリュックサックだ。


ジュプトル「ん?」


ジュプトルは、見るたびに物寂しくなるのだった。

そのリュック、あるいはリュックを抱えるヨノワールを見るたびに。


この同伴者の図体は、自分よりも遥かに巨大だ。

この期に及んで、何か危害を加えてくるということは考えにくい。

だが、まだ落ち着かない。

ヨノワールの足元にいると、小さなジュプトルには大層な圧迫感があった。

視界を確保できれば、とりあえず安心できる。

樹上を選んだのはそんな程度の、実に弱気な発想によるものだった。

情けなくて口が裂けても言えない、と自分で思う。


ジュプトル「……あぁ、おれ はやすぎた?」

ヨノワール「い、いえ」


そう言いながら上を向き、風の匂いを確かめる。

空には満遍なく雲が広がっており、なんとなくどんよりしていた。

おかげで、森の緑も自分の体色も、普段より彩度が低く感じられる。

灰色がかったヨノワールの姿は、それ以上だ。

もはや、色という色をどこかに置き忘れて来たかのようだった。


ジュプトル(……けっこう、のろいんだな)


これまで目にしていた緩慢な動きは、意図的なものではなかったらしい。

どうやらヨノワールは、本当に素早く動けないようだった。

素早く移動するジュプトルに、なんとか追いつこうとしている。

だから、枝をひとつかふたつ移動するごとに、ジュプトルが立ち止まることになる。

いちいち立ち止まり、ゆっくりついてくるヨノワールを待つ。


ジュプトル(むずかしいな、こういうの……)


自分以外の誰かが歩く速度に気を配る。

ちらちらと様子を見ながら、速さを合わせて自分も進む。

そんなふうに神経を使ったことなど、ついぞない。

たいていは得手勝手に走るだけで、誰かがいても気にしたことはなかった。


ヨノワール「……いつも、どんな はなし、してるん……ですか」

ジュプトル「おれたち?」

ヨノワール「はい」

ジュプトル「ううん……」

ジュプトル「そんな ちゃんとした はなし、してない」


足場の枝に尾を絡めながら、ぼんやりとした返事をする。

友人たちと火を囲んで、どんな話をしただろうか。

ジュプトルは、暖かくて恐ろしい焚き火の炎を思い起こした。


昔の話もするときはするが、普段はしない。

言い始めればいくらでも言える人間への恨み言も、あまり言わない。

きのみがどうの、火の加減がどうの、天気がどうの。

最近では、友人が人間から借りてき本の内容について。

思い返してみれば、中身のある話などほとんどしていない気がした。


ジュプトル「おなか すいたら、きのみ たべて」

ジュプトル「ほん、よんだり……」

ジュプトル「ねむくなったら、かってに ねる」


大したことは話していない、という意味でそう言った。

だが自嘲ぎみに言ったジュプトルの返事に、ヨノワールはなぜか肩を落とした。


ヨノワール「わたし……は、そこに はいって、いいんですか」

ジュプトル「え、いや……なんで?」

ジュプトル「おまえが わるいこと、しないなら、いいとおもうけど」

ヨノワール「それは、しません」

ジュプトル「……じゃあ、いいんじゃない」


なんだか間抜けな会話だ、とジュプトルも思う。


肩の荷がなくなったからか、頭の中がふわふわしている。

凝り固まっていた頭に血が急に巡り、目の前がちかちかする。

昨日あたりからずっと、そんな調子だった。


ヨノワール「みんな、いやだ、と いいませんか」

ジュプトル「いわない とおもう」

ジュプトル「おまえのことは……おれが ひとりで、いってただけで」

ジュプトル「ダゲキもミュウツーも、おまえのこと きらってないもん」

ヨノワール「そう……なんですか」

ジュプトル「あいつら、あたま いいからな」

ジュプトル「おれと ちがって」

ジュプトル「……ああ、そんなに はなしたこと、ないか」

ヨノワール「ダゲキさん……とは、たまに はなします」

ジュプトル「……」

ジュプトル「えっ、そうなの?」


思わず、素頓狂な声が出た。

自分のように毛嫌いしているわけでもないのだから、話をしていてもおかしくはない。

だが、なぜか意外だったし、考えたこともなかった。

第一、このヨノワールとあのダゲキで、何を話すのだろう。


ヨノワール「……かばんの ばしょ、ダゲキさんの、しゅぎょうのばしょと ちかいです」

ジュプトル「あ、そうなんだ」

ジュプトル「じゃあ……きのう、はなし すればよかった、かな……?」


だが、ヨノワールは小さく首を振った。


ヨノワール「しゅぎょうは、じゃま されたくないです」

ジュプトル「へえ」

ジュプトル「……あいつと、おまえだと……どんな はなし、するの?」


これは純粋な疑問だった。

陰鬱そうなふたりが、頭を突き合わせて談笑する光景。

ジュプトルには内容も様子も、全く想像がつかない。


ヨノワール「こんにちは、とか……こんばんは……とか……」

ジュプトル「ふうん……」

ヨノワール「わたしは、はなすのが へたなので……」

ヨノワール「あまり たくさん……はなし、ません」


枝の上でひらりと身を翻し、ジュプトルは次の枝へ跳んだ。

それを追い、ヨノワールも漂う。

間違いなくついて来ているのに、足音も何も聞こえない。

いつもそうやって移動しているようだが、相変わらず不思議なものだと思っている。


ヨノワール「このあいだ……も、はなしました……けど」

ジュプトル「……けど?」


今度は、移動した先の枝にぶら下がってみせる。

目に見える世界が逆さまになった。

かばんを抱きかかえ、ヨノワールがこちらを『見上げ』ている。

ジュプトルもまた、首を伸ばしてヨノワールを『見上げ』る。


ヨノワール「なんだか……すごく へんでした」

ジュプトル「いつも へんだけどな、あいつ」


自分のことは棚に上げる。


ヨノワール「そうでは なくて」


それも含めて笑ってくれるものと思ったが。

だが残念なことに、ヨノワールはそれらしい素振りも見せなかった。

いわゆる空振りだったようだ。

面白いと思うポイントが、自分とは違うのだろうか。


ヨノワール「ダゲキさんが、わたしに、じょうだんを いいました」

ジュプトル「?」


ジュプトルは枝の上に戻ってヨノワールを見下ろした。

枝の上に座り、後ろ足をぶらぶらと揺らしながら、鼻先に皺を寄せる。


ジュプトル「じょうだん……?」


ヨノワールは一度だけ大きく瞬きしてから、のんびりと頷いた。


ジュプトル「じょうだん、って……おもしろいこと、だよな」

ヨノワール「はい」

ジュプトル「……おまえを、わらわせること……した、ってこと?」

ジュプトル「あいつが?」

ヨノワール「わかりません」

ヨノワール「でも、『おもしろくないか』と きかれました」

ジュプトル「……」

ジュプトル「あいつ、そういうこと するかな?」


『そういうこと』からは、もっとも縁遠いと思っていた。

やはり、想像しにくい。


ヨノワール「いいえ……はじめて でした」


まるで人間がするように腕を組み、首を捻ってみせる。


ヨノワール「なにか かんがえて、いるみたいでした」

ヨノワール「へん……では、ないですか?」

ジュプトル「……」


事実、変であることは間違いないのだった。

森のため、捨てられたポケモンのため、と甲斐甲斐しく動く。

にも関わらず、森のポケモンとも、捨てられたポケモンとも親しくなろうとしない。

必要な連絡だけ交わして引っ込んでしまう。

面白いことなど、この世にはないと言いたげな無表情。

弱虫と断じたのは、そうやって常に『わざわざ』肩身も狭そうにしていたからだ。


それが、今はどうだ。


ジュプトル「そういえば……そうだな」

ヨノワール「?」


こちら側の輪に混じるようになった。

よく話をするようになった。

何を考えているのか、前よりもわかるようになった。


ジュプトル(やっぱり、『へん』は、『へん』だけど)


ジュプトル「ことし、さむく なくなったころ……かな?」

ジュプトル「コマタナと、ミュウツーが きて、ちょっと したころから、だ」

ジュプトル「……ちょっと、その……ちがうかんじ」

ヨノワール「ミュウ……ツー?」


するすると枝一本分をよじ登り、次の木に飛び移る。

背伸びしながら、再び眼下のヨノワールを見下ろした。

少し眠い。


ジュプトル「みたこと、ない? おまえくらい おおきくて、しっぽが ながいの」


両手をめいっぱいに伸ばし、友人の大きさを表現した。

むろん、自分が広げた程度では、到底その大きさには至らない。


ヨノワール「あの、しろい……?」

ジュプトル「うん、そう、そいつ」

ジュプトル「あんまり、はなしたこと ない?」

ヨノワール「はい」

ジュプトル「へんなやつ なんだ」

ジュプトル「ダゲキより へんかも」

ジュプトル「おれとか ダゲキみたいに、くちで しゃべらない」

ジュプトル「おまえみたいに、くちがない わけじゃないのに」

ジュプトル「あの ビリ……なんとか、ってやつと おなじ」

ジュプトル「あたまの なかに、こえで いうんだ」


話をしているうちに、ジュプトルは妙な焦りのようなものを、かすかに覚え始めた。

口から言葉が漏れてきてしまうような、落ち着かない気分だ。


ジュプトル「おれとか、しらないこと いっぱい、しってるし」

ジュプトル「むずかしいこと、ばっかり いうけど」

ジュプトル「たきびのこと、なんにも しらないんだ」


体温を上げるのに最適な、日当たりのいい場所を共有したくなるときの気持ちに似ている。

あるいは、楽しかったことを、誰かに話したくて仕方ないときの気持ちにも似ている。


ジュプトル「あいつ、たきび すきなんだって」


ジュプトルは目を細め、しゅるしゅると笑った。

ヨノワールは瞬きしながら、そんなジュプトルを静かに見ている。


ジュプトル「なんか、すごい いっぱい べんきょうしてる」

ジュプトル「ダゲキも、しらない ことばとか、いっぱい きいたり」

ジュプトル「じ、おしえて もらうとか、してるんだよ」

ジュプトル「おれも、いっしょに おしえて もらってるし」

ヨノワール「じゃあ」

ジュプトル「おまえも おしえて もらえば」


ヨノワールが、かばんとジュプトルを交互に見ている。

よくわからないが、なんだか嬉しそうだ。

ひょっとすると、自分自身であのノートの中身を読み解くことができるかもしれない。

だから嬉しくなったのだろう、とジュプトルは想像した。


ジュプトル「あとさ、すぐ おこるのに、やさしい」

ジュプトル「はなし へたも、ちゃんと きいてくれれんだ」

ジュプトル「こんな へたなのに」


話せば話すほど、不思議な高揚感が生まれた。

自分でも理由はさっぱりわからない。

浮き足立つような、頭の中を焦らせる気持ちが滲み出してくる。

腹の底から体液が溢れ出してきそうなくらいだった。

今にも、耳の下あたりが弾けそうだ。


ジュプトル「いいやつ だ、ふたりとも」

ヨノワール「……」


なんだかどきどきしている。

自分がとても素晴らしいことを話しているような気がしていた。

ただ、自分の友人について説明しているだけなのだが。


ジュプトル「だからさ、おまえ」


ジュプトルは目を細め、ごくりと何かを飲み下した。

何がどう大丈夫なんだ。

言った自分も、さっぱりわからない。


ジュプトル「お、おまえも……だいじょうぶだよ」


思いきり自慢をしてしまったあとのようで、無性に気恥ずかしかった。


ヨノワールは相変わらず、後生大事にかばんを抱えている。

樹上のジュプトルを見上げ、羨ましげに目を瞬かせた。

それから、かすかに肩をすくめながら視線を地面に落とした。


ヨノワール「とても いいなと、おもいます」

ジュプトル「……な、なにが?」

ヨノワール「あなたは いま、とても うれしそうに いいました」

ヨノワール「いっしょに いると、うれしい……のは、しあわせです」

ジュプトル「……しあわせ っていうのかな、そういうの」


――いつまでも、シアワセに、暮ら……


照れくさくなって、ぽとん、とジュプトルは地上に降りた。

今度は自分がヨノワールを見上げることになる。

自分の倍以上ある相手に、今はもう威圧感を覚えなかった。


当のヨノワールは、少し寂しげに首をかしげて、笑顔のようなものを作った。

その顔には口もなく、目もひとつしかない。


ヨノワール「わたしの トレーナーは」

ヨノワール「いっしょに いて、きもちが うれしいニンゲン、でした」

ヨノワール「だから、わたしは しあわせでした」

ヨノワール「もう、そんな うれしいきもちは、ずっと おもってなかった」

ヨノワール「また おもいたい」

ヨノワール「いまの、あなたが うらやましい」

ジュプトル「……」


こっちはお前が羨ましいよ。


ジュプトルはそう言ってやりたかった。

そんなに大事に、大事に抱える、お前の大事なかばんとノート。

そこまで思えるような、そんな人間がいた。

どんな人間のところにいたら、そんなふうに思えるようになるのだろう。

ジュプトルには、想像することしかできない。


ヨノワール「……やっぱり、あなたに いっ……て、よかった」

ジュプトル「そ、そう……よかったな」


ヨノワールが遠いところを見ている。

きっと、その『一緒にいて幸せだった』人間のことを思い出しているのだ。

ジュプトルは当然、その人間に会ったことはない。

そんなふうに思える人間に出会えたことも、一度としてない。


もっとも、もう期待はしていないのだが。

今のところ、二度と人間について行く気はなかった。


ヨノワール「ダゲキさんは……あなたの ともだちですか」

ジュプトル「ええと……うん、たぶん」

ジュプトル「たぶん、ともだち……かな」

ジュプトル「まあ……あいつが こまってるなら、たすけてやるよ」

ジュプトル「ともだち、って そういう こと?」

ヨノワール「わかりません」

ジュプトル「おれも わかんないや」


細い溜息をつく。

わからないということは、なんとつまらないことなのだろう。


ヨノワール「?」

ジュプトル「なんでもない」

ジュプトル「でも、あいつは ばかじゃないから」

ジュプトル「おれじゃあ、やくに たたないかも しらないけど」

ヨノワール「そんなこと ないですよ」

ジュプトル「いいの。やくに たたないよ、おれは」


ヨノワールは不服そうだった。

自分が、自分からそんなことを言うとは、想像もできなかった。

これもまた、自分にとっての『変化』ということなのだろうか。

よくわからないが、そうであってくれればいい。

ヨノワールに背を向け、ジュプトルは不意に悲しくなった。


ヨノワール「だいじな……『ともだち』のため、なら」

ヨノワール「わたしは、なんでも したかった」

ジュプトル「ともだち……ねぇ」

ヨノワール「あなたもきっと、そうなんです」

ジュプトル「ふうん、そういうもの?」

ヨノワール「きっと そうです」


気のないような返事を返しながら、ぺたぺたと歩く。


いつものことだが、視点が低い。

ジュプトルは精一杯に首を伸ばし、辺りに聞き耳を立てながら進む他ない。

自分より一回り、倍以上、三倍近く大きい友人たちが恨めしかった。


もう話すことがないのだろう。

ヨノワールは黙って、後ろについて来ている。

もともと、共通する話題は多くない。


ざあっ、と葉が一斉に翻った。

風向きが変わったらしい。


やはり木の上にいた方がよかったか。

ジュプトルがそう思い始めた時、ふっ、と何かの匂いが鼻を掠めた。

頭の奥の方で、匂いに反応したイメージが瞬く。


ジュプトル(……なんだ? このにおい)

ジュプトル(しってる におい……だな)


鼻先を上に向け、方向を探ろうとする。


ジュプトル「ああもう!」


どの方角から来る匂いなのか、なかなかはっきりしない。

痺れを切らしたジュプトルは、手近にあった木に物凄い速さで攀じ上った。


ヨノワール「ど……」


『どうしたのか』、とヨノワールは尋こうとしたに違いない。

だがそれを遮り、ジュプトルは耳障りな声を上げた。


ジュプトル「このにおい」

ヨノワール「におい?」

ジュプトル「わかんない?」

ヨノワール「いいえ……」


首を横に振る。

どうやら自分の方が、嗅覚に関しては敏感らしい。


ジュプトル「……わかった」

ジュプトル「ニンゲンの におい」


低く静かにそう言った。


ヨノワール「……こんな ところで?」

ジュプトル「おれの はな」


大切な道具だ。


ジュプトル「はな だけは、『やくに たつ』んだ、ちゃんと」


人間の匂い。

やはり、好きになれない。

いつか変わる時が来るのかもしれないが、少なくとも、今はまだ無理だ。


ヨノワール「……」


何も言わないが、ヨノワールもどこか嫌そうな目つきをした。

より一層、後生大事にリュックサックを抱き締める。


おそらく、人間は一人だけだろう。

それ以外にも、嗅ぎ慣れないポケモンたちの匂いが混じっている。

そちらは複数いるようだ。

ポケモンを引き連れたトレーナーがいる、と考えるのが自然だった。


風は、今まさにこれから進もうとしていた方角から流れてきている。

向かう先にあるのは――


ジュプトル「たきびの ところ」



ダゲキがよく会っている、この森のレンジャーだろうか。

だが彼によれば、レンジャーが連れているポケモンはココロモリだけだったはずだ。

くだんのレンジャーとココロモリの姿は、遠巻きに見たことがある。

彼らの匂いとは違う気がした。


ならば、いったい誰が、こんな森の奥にわざわざやってくるのだろう。

ポケモンを鍛えるため、捕まえるため人間が来ることもある。

だがそれは、森の外周に近い部分が主だ。


それに、人間は夜になれば、ほとんどがそれぞれの家に帰る。

そこは人間もポケモンも同じだ。

夜に出歩くのは、夜でなければ足りない、特定の目的がある者だけだ。


ジュプトル「ポケモンも いっぱい、いそう」

ジュプトル「……なんで、こんな おくに」


人間が踏み込んでこないから、とあの場所を選んだはずだった。

少なくとも、そう聞いている。

事実、今までは問題らしい問題も起きていなかったのだ。


ヨノワール「いつも どうするんですか」

ジュプトル「みにいく」

ジュプトル「みはったり……する」

ヨノワール「わたしは……」

ジュプトル「……あっ」


もうひとつ、別の匂いを鼻が感じ取った。

こちらは、馴染みのある匂いだ。


ジュプトル「……ミュウツーが、あっちから くる」


別の方角から同じく、広場を目指してやって来るところのようだ。

このままでは、ややこしいことになりそうだった。

人間の正体を掴むことも大事だ。

だが、人間がいることをミュウツーに伝えることも必要だろう。


ジュプトル「……おまえ は、そのまま ゆっくり こい」

ジュプトル「おれ、さきに みにいく」

ジュプトル「……で、あいつに おしえにいく」

ヨノワール「わ、わかりました」


ヨノワールの返事をろくに待たず、ジュプトルは枝を力いっぱい蹴り、びゅうと跳ねた。

まずは広場へ行かねばならない。

人間の姿を確かめ、それをミュウツーに伝える。

その上でどうしたいかは、ミュウツー自身に任せればいい。


ダゲキがいないことが、少しだけ不安材料ではある。

彼なしで人間に対処することなど、今までに一度もなかった。

本当は、連絡した方がいいのかもしれない。


ジュプトル(……おれだって)


なにかひとつくらい、きちんとやり遂げることができる。

できるはずだ。






おお、とやけに芝居がかった口ぶりで、誰かが顔を上げる。

その日のヤグルマの森には、見慣れない妙な男の姿があった。

声を出したのは、他でもないその男だ。

男はザックを背負い、暑苦しい風にポンチョをなびかせている。

裸足にサンダル、ポンチョの下は半袖、と森に入るにしては軽装だった。

だが、男が自身の装備について気にしているようすは微塵もない。


いつの間にか空は赤く染まり、あたりも暗くなり始めている。

森に、夏の短い夜が訪れようとしていた。

男が声を上げたのは、それに気づいたためだ。


大柄な男「さすがに暗くなってきたな……あちこち寄り道をしすぎたか」


自身の空腹具合や季節から考えて、さしずめ七時を少し回った頃といったところだろうか。

男はそんなことを考えながら、ポンチョの下に抱えた荷物を撫でる。


大柄な男「そろそろ……かもしれんからなあ」


そう言いながら、男は相好を崩す。


大柄な男「このままウロウロするのは、あまり気が進まんな……」

大柄な男「……ま、お前の方は、お前の都合がいい時でいいんだぞ」


男は顔を上げ、誰に言うともなく独り言を漏らした。

見ようによっては、荷物そのものに対して話しかけているようでもある。


大柄な男「……まあ、それはいいとして……ううむ……」


早いうちに引き返していれば、今頃は街に辿り着けていたかもしれない。

街まで行けば、安全で清潔な宿泊施設はいくらでもあった。

目的地のない旅路にはよくあることだったが、いまだに今夜の寝床の目星さえついていなかった。


男の内心などお構いなしに、ヤグルマの森は少しずつ暗くなっていく。

野宿するならするで、さっさと場所を定めなければならない。

きょろきょろと見回す影は、低く鼻歌を唄いながら変わらず森の奥へと進んで行ったのだった。


今日は以上です

>>237
DPPt→BW/BW2→XYで繋がってると思ってたわ…
ORASも含めちゃうと、なんとも言えないけど

>>238,242
誕生日が未来…だと…?

>>239
そのギャップがええ。時代はギャップや

それではまた

緊張感があるなあ
ジュプトルの卑屈っぷりが、なかなかもどかしい……

乙ー


相変わらず素晴らしい。感動した。


しばらくして、男は立ち止まった。

やはり困ったように唸りながら、あたりを見回している。


大柄な男「多少、開けた空き地があれば、それで十分なんだが」

大柄な男「さすがにこの暗さで、ここより奥に入り込むのは気が進まんしな」

大柄な男「それにお前たちも、さっさと腰を落ち着けたいだろう」


顎をさすり、誰かに話しかけている。

だが、男はさきほどまでと同じように、ひとりで歩いていた。

周囲に『お前たち』などと呼べるような人影は見受けられない。


大柄な男「やれやれ、さすがに暑苦しいわ」

大柄な男「……もっとも、お前たちは暑くも寒くもないんだろうが」

大柄な男「ボールの中というのは、そんなに快適なのか」

大柄な男「一度でいいから、わしもその中に入ってみたいもんだ」


見えない話し相手は全員、鳴き声さえ発することなく、ボールの中で静かにしている。

男の語りかけに対しても、明確な反応はない。

だが、首や腰に鈴なりに覗くボールの中には、自分の声が届いているはずだった。

ボールの詳しい構造や仕組みなどよくわからないが、そうに違いないと常日頃から男は考えている。


大柄な男「……まずい、本格的に暗くなってきた」

大柄な男「おまけに老眼で足元がよく見えん!」

大柄な男「いやそれは冗談だが」


道らしい道など、実際には森の周辺部にしかない。

少しでも奥へ踏み込めば、人間が整備した『道』はすぐにうやむやになる。

男は歩みを進めるだけでなく、それとなく周囲を観察していた。


どうやら、このあたりは何者かが日常的に行き来しているらしい。

舗装など当然ないが、繰り返し踏み締められた道がさりげなく広がっている。

もっとも、それが人間によって為されたものであるとは、男も思ってはいない。


人間の領分から、ポケモンをはじめとした『人間以外』の領分へと踏み込みつつあるようだ。

その境界線を行き来するのが、男はたまらなく好きだった。


いつしか、道なのか、木々の隙間でしかないのか、はっきりしなくなっていた。


大柄な男「それにしても……やっぱり、いい森だな」

大柄な男「人間の手が無闇に入っていないというのは、いいものだ」

大柄な男「お前たちも、そう思うだろう?」


問いかけに返事はない。

男は気にすることもなく、潰れた下生えを踏み、歩き続けた。

踏み締めたサンダルの下から、森の甘い湿気が立ちのぼってくる。

この匂いはいつも、森の生命力のようなものを感じさせてくれた。

ヤグルマはいまだ林でも里山でもなく、あくまで『森』なのだった。


大柄な男「待っとれよ。いい場所を見つけたら、みんな出してやるからな」

大柄な男「そうしたら、のじゅ……キャンプだ!」


あちこちに目をやりながら場所を見繕う。

それなりに広さがあれば、あれこれと注文をつけるつもりはなかった。

今夜は雨も降らないだろうから、そこを考慮する必要もない。


ふと、男は暗い茂みの向こう側に空間を感じた。

木々が立ち並ぶ向こうに、圧迫感のない『広さ』が存在しているような気がする。

よく見えないが、どうやら少しばかり開けた場所があるようだ。


大柄な男「こりゃいい!」


無理やり茂みを乗り越えると、男が予想した通りの空き地があった。


大柄な男「広さも申し分ないし、ああ、向こうには小川もあるのか」

大柄な男「これはまた、キャンプを張れと言わんばかりだな……おお」


広場を見回していると、その一部に、そこだけ沈み込むように色の暗い部分があった。

もとより陽はだいぶ落ちているがそれでも、陰の中でなお黒い。


大きなシルエットの男は躊躇なく歩み寄り、屈んで覗き込んだ。

どうやら、地面の一部が黒く煤けているらしい。

黒く染まった地面には、焼け残った枝らしい欠片もまばらに残っている。


大柄な男「誰か先客がいた、ということかな」

大柄な男「まあ、これだけ条件のいい場所だ。他にここで野宿する奴がいてもおかしくはない」


よく見れば、煤けた地点の真上に、やや低く立派な枝が張り出している。

葉が幾重にも茂り、この場所で焚き火をすれば煙は葉で散るだろうことが予想できた。

転がる倒木も、誰かが火を囲む目的で誂えたかのように『ちょうどいい』。

やはり、誰かがここで繰り返し焚き火を行なっている、と考えて差し支えないようだ。


大柄な男「素人が考えなしに火を起こしている、というわけではないようだ」

大柄な男「きちんと後始末もされている」

大柄な男「……この森のレンジャーが犯人か?」

大柄な男「ああいや、レンジャーなら、わざわざ野宿はしないかもしれんな」

大柄な男「ふむ……」

大柄な男「なにはともあれ、今日はわしらがここを使わせてもらうことにしよう」

大柄な男「早い者勝ちだ、早い者勝ち」


そう言いながら、男は荷物を地面に放り投げる。

男から少し離れた樹上で、がさがさと葉の揺れる音が聞こえた。


大柄な男「……?」


今のところ、野生のポケモンはそれほど見ていない。

とりあえず息を潜め、様子を伺う。


だが、それきり音も気配も消えてしまった。

あちらも警戒してしまったのか、さっきの音で立ち去ってしまったのか。

それは判断できなかった。


ふう、と長く息を吐き出して、男は肩の力を抜いた。


大柄な男「森の侵入者を監視でもしておったのかな」

大柄な男「出て来ないということは、挑んでくる気はないということだろうが」

大柄な男「まあ、こちらも迷惑はかけんようにするから、それで勘弁してもらおう」


これだけの広さがあれば、自分のポケモンたちをボールから出しても窮屈ではないだろう。

首に下げたボールを手に取り、男は次々とポケモンたちを呼び出した。


赤みがかった森の中で、ポケモンたちがそれぞれに鳴き声をあげる。

うち一匹はボールから飛び出した勢いのまま、頭上を飛んでいる。

ややあって、優雅に旋回していたそのウォーグルが着地し、一声鳴いた。

夕陽の中にあってなお、その立派なとさかが目立つ。


顔ぶれを確認した男は満足げに頷いた。

みな体調も機嫌もよさそうだ。


大柄な男「お前たち、今日はここでキャンプだ!」


ポケモンたちが、それぞれの鳴き声で嬉しそうに吠えた。

興奮したらしいクリムガンは腕を振り回し、力任せに地面を叩いている。


大柄な男「おいおい待て、そう騒ぐほどのことではないだろうに」

大柄な男「あのなぁクリムガン、ここの森にもたくさんポケモンがおるんだから」

大柄な男「無闇やたらと騒いだら迷惑だぞ」


叱責されたと思ったのか、クリムガンはその太く長い腕で頭を抱えた。

少しばかり申し訳なさそうな目つきで、男を上目遣いに見上げる。


大柄な男「こら、そんなに落ち込むな」


頭を撫でられ、クリムガンはぐるぐると喉を鳴らした。


大柄な男「よしクリムガン、そんなに元気が有り余ってるというなら」

クリムガン「?」

大柄な男「お前とわしで、薪を探しに行くぞ」

クリムガン「!」


重そうな羽をばたつかせ、一層嬉しそうにクリムガンが喚いた。

指名されたことを喜んでいるようだった。


大柄な男「だから興奮するなと言うとるだろうに」


困ったように言いながらも、男はにこにこしている。

クリムガンの言動が、いちいちいじらしいのだった。


大柄な男「お前たちは、ここでのんびり待っててくれ」

大柄な男「そこらの枝を拾っておいてくれると助かる」

大柄な男「野生のポケモンとハナシをつけられるというなら、有り難いが……」

大柄な男「だが、喧嘩を売られても、無闇に買うんじゃないぞ」

大柄な男「わしらは、あくまで場所を借りとる側だからな」

大柄な男「迷惑をかけちゃあいかん」


男の言葉に応えるように、ポケモンたちがもう一度鳴く。

威勢のいい返事を聞き、男は笑いながら軽く手を振った。


さて、と呟きながら男は振り返る。

ぐるぐると機嫌よく喉を鳴らすクリムガンを従え、男は歩き出した。

あまり拠点から離れないよう気をつけている。


大柄な男「ん?」

大柄な男「なんだ、気に食わんことでもあるのか」


どうやらクリムガンには、何か言いたいことがあるらしい。

少なくとも男にはそう見えた。

男はその意思表示を込めて、クリムガンの羽の付け根を掻いてやった。

クリムガンは歩きながら、気持ちよさそうに目を細める。


大柄な男「まったく、お前たちに気を使わせてしまうようでは、わしもトレーナー失格だな」


すると、クリムガンがおおげさに首を振り、男の手を振りほどいた。

男にとっては、まるでクリムガンが『お前はわかっていない』と憤慨しているようにも見えた。


大柄な男「なんだ、それも違うのか?」


男が立ち止まって問い返しても、クリムガンは立ち止まらずに進んでいく。

仕方なく腕を組み、小さく溜息をついて男は再び歩き出した。


大柄な男「まったく……どいつもこいつも、わしの心配ばかりしおって」

クリムガン「……」

大柄な男「……」


やはり何か言いたげに、クリムガンはこちらに目を向けている。


大柄な男「ああ、もう、わかったわかった」


その視線に耐えられなくなり、男は少し大きな声を出した。


大柄な男「お前たちが心配してくれるのは、そりゃあ……ありがたいがな、わしはこうして元気だ」


嘘ではない。

今のところ、元気ではある。


大柄な男「そんなにな、揃いも揃ってわしの顔色を伺うようなことばかりせんでくれ」

クリムガン「……」

大柄な男「そりゃあ、『あいつ』のことも」

大柄な男「……ああそうだ、当たり前だ。なくはない」

大柄な男「わしだって、そんなことくらい自覚できておるわ」

大柄な男「お前たちだって……」

大柄な男「……いや、お前たちは、わかっている」

大柄な男「『こいつ』は『あいつ』じゃない」


自分は何を言っているのだろう、と男は内心、ぞっとする。

そんなことを、自分はいつの間に考えていたのだろうか。

今こうして抱えている命は、あくまでこの命であって、誰かの代替品ではない。

そんなことは、誰よりもわかっているはずだ。

誰よりも、わかっていなければいけないはずだ。

『そう』だと思ってしまえれば、どれほど楽だろうか。


詫びることができる。

償うことができる。

続けることができる。


それも、『こいつ』が『あいつ』であったら、の話だ。


わかっている。

そんなことはありえない。

男はぐるぐると考える。


大柄な男「……枝を探すぞ」

クリムガンがひときわ低い声で、やや抑えた声量で吠えた。


大柄な男(やれやれ)


深い深い溜息をつく。


隣に寄り添うクリムガンは、鼻を鳴らしながら歩いている。

地面をあちこち見ては、使えそうな枝を探してくれているらしい。


大柄な男(ずいぶんと威勢のいいことを言ったものだが)


男は自嘲する。


大柄な男(『お前』がいなくなってから、焚き火は自分で火をつけなけりゃならんのだ)

大柄な男(野宿をすると、それを毎度のように思い出すわ)


無意識のうちに、視線は下へと流れていく。

お世辞にも元気とは言えない男を、クリムガンが心配そうにちらりと盗み見る。

男は、それに気づかない。






あのね、お……おしえて もらったの

ううん ちがうよ! ニンゲン ちがう

うん


にーちゃん

うん ポケモン

およそ だよ……たぶん


あッ

すっごく、すっごく つよいの

いちばん つよいの

きっと いちばん なの!

ほんとだもん!


あとね、いっぱい しってるの

とっても、とっても しってるの

いちばん、いちばん だいすき

うん、いちばん だもん




……どうして?

ニンゲン、きらいだよ

ほんと? いじめない?

いたいの こと、しない?

おはなし するの だけ?

けんか しない?




ううん、ちがうよ


……えっ?

どうして?

なんで、しってるの?

なかよしなの?

うん、なかよし

にーちゃんも、なかよしだよ

でも にーちゃんは、いちばん……


ううん……たぶん、ちがうの

いっしょが いいのに

ううん、うやまましく ないよ


……ほんと?

うん、そうなったら うれしい

すっごく、うれしいよ

でも……


そうなの?

うん




……ほんとに?




今回は以上です

>>264
吹っ切れたから逆に全力で卑屈できるんですよ
あとは自分に自信が持てればいいんだけど

>>265
ウェヒヒ///

ペース落ちててすみません
それではまた

乙乙

>>275
うん、ジュプトルのそういう難儀なとこが、なんか好きだ
幸せになってほしいわあ

それでは始めます



ミュウツー(……いない?)


蒸し暑い森の中を、ミュウツーは静かに見回している。

真上から注ぐ、分厚く重い熱気が鬱陶しい。

以前のように、さっさと日が落ちてほしいものだと思う。

目の前には、色とりどりのきのみが実る木々が並んでいた。


ミュウツーはさきほどから、あるポケモンを探している。

そのために畑の周囲をぐるりと一周し、きょろきょろと見回していた。

見落としたのかもしれない、と反対周りにも探した。

だが、やはりそれらしい姿はない。


何度となく訪れた、あるいは連れて来られた場所だから、いまさら見落としがあるとも思えない。

この森に来て間もない頃、小さなチュリネに導かれ訪れたきのみ畑だ。

かつてはハハコモリが主導していたが、今はチュリネが中心になって世話をしているはずだ。


統率者の交代があったのは、取りも直さず、ハハコモリが死んでしまったからだ。

いったい、いつの間に『習った』のだろう。


ミュウツー(“あの”チュリネがここにいないとは、珍しいな)

ミュウツー(昼間は大抵ここにいるものと思っていたが)


もっとも、別に大した用があったわけではない。

あくまで散歩の途中で立ち寄っただけだ。

ミュウツーの想定では、チュリネがせわしなく木々の周囲を動きまわっているはずだった。

脇目も振らず、あるいは甲高い鳴き声をあげながら。

そんなイメージを持っていた。

そこに登場し、頑張りぶりを褒めてやる。

そういう『予定』だった。


ハハコモリからこの役目を引き継いで以降、チュリネは意外なほど、きちんと任務をこなしていた。

ダゲキに褒められたい一心なのか、彼女なりの責任感によるものなのかは、判別のしようもない。

このために、ずいぶんとダゲキと過ごせる時間が減ってしまっているらしい。


反動なのか、夜になって焚き火を囲む頃になると、これまで以上にやかましいのだった。

誰が来た、花がいくつ咲いた、などと事細かに教えてくれる。

積極的に聞く気がなくても、やけに事情に詳しくなってしまう程だ。


ダゲキは相変わらず、それほど嫌そうな顔もせず彼女の相手をしていた。

熱心な聞き手とはいえないが、邪険にもしない。

妙に淡々とした様子だけは、表情に動きが出るようになっても不思議と変わらない。

その無駄な辛抱強さは、ある種の尊敬に値すると思わないこともない。


ミュウツー(あるいは、今となってはあれが生活の一部と化している、ということか)

ミュウツー(どちらにとっても、だな)


仮に、自分があの『報告』の矛先になった場合を考えてみる。

もちろん、それが現実になる可能性は限りなく低い。

だが、自分ならばもっと早いうちに、相手をすること自体が面倒になるだろう。

ぶっきらぼうに扱うまいと努めても、限界は彼よりよほど早く訪れるに違いない。

考えただけで、眉間に皺が寄ってしまいそうだった。


ミュウツー(あのチビが無意味に怠けるとも思えないが……残念だ)


――ああ、頑張っているな

――それなら『誰かさん』にも、褒めてもらえるんじゃないか


そう言って励ますつもりだったのに。

多少、足りないところがあったとしても、そう言ってやる予定だったのだ。

『そうすれば彼女が喜ぶだろう』と思ったからだ。


ミュウツー(気分がいいからと慣れないことをしようとすれば、この空振りか)

ミュウツー(『らしくない』ことなどするな、ということだなァ……)


はぁ、と長く深い溜息をつく。

これ以上、ここを探してもチュリネを見つけることはできないようだ。

ならば、と顔を上げる。


一番近いところにある木の枝から、瑞々しい赤色のきのみがぶら下がっていた。

丸く小振りな、赤くからいきのみ。

友人がとりわけ好む味だが、どうにも慣れない。


ミュウツー(別にあの味が嫌い、というほどではないのだが……)

ミュウツー(まあ……たまには)


木の根元を見る。

クルミルがざわざわと寄り集まり、葉を食べていた。

その隅の方で、クルマユで全体を見渡している。

なるほど、この個体がクルミルたちを統率しているようにも見えた。


ミュウツー(……統率? 監督か? なにか違うな)

ミュウツー(あ……保護者……なるほど)


そのクルマユは他のクルミルと比べると、全体的にくすんだ色をしている。


そういえば、彼らを目にすること自体、ずいぶんと久しぶりだ。

あの色合いの違うクルミルは、今どうしているだろうか。

そう思いながら、なんとはなしに、くすんだ色のクルマユを眺める。


視線に気づいたのか、クルマユがこちらに顔を向けた。

しばらく訝しげにミュウツーを見て、眠そうな目を少し見開いた。

ぱたぱたと触覚を揺らしながら、ミュウツーの足元へ這ってくる。


ミュウツー『?』


生木を擦り合わせたような声で、明らかにミュウツーに向けて鳴いている。

どうやら、何かを訴えているらしい。


ミュウツー『悪いが、何を言っているか、全くわからないのだ』

ミュウツー『もっとも貴様も貴様で、私が言っていることは理解できないんだろうが』

ミュウツー『やむを得ないか……』


あまり好きではないのだが、とミュウツーは内心で零す。

チュリネという通訳がいない以上、このままでは、クルマユとは会話が成り立たないままだ。

何が言いたいか知るには、相手の心を読む以外にない。

少なくとも、ミュウツーにはそれしか思いつかなかった。


ミュウツー(物に働きかけるだけなら、大して苦労はないのだが)

ミュウツー(……それも……いや、どちらも同じだ)

ミュウツー(能力をどの方向に発揮するかの違いでしかない)

ミュウツー(あの男も、『あれ』を……いや違う)

ミュウツー(私自身が精神的に安定していれば、『あんなもの』は必要ないのだ)

ミュウツー(そうであってくれなければ困る)


濁流の中へ、クルマユの中へ、意識の焦点を合わせる。

せいぜいが、何かしらの物体に視線を向ける程度の集中だった。

全神経を集中しては、今の自分では、他が疎かになってしまうからだ。


ミュウツー(……あ)


このクルマユは、私のことを知っている。

ハハコモリの元、この場所を初めて訪ねた日。

ハハコモリの一件があったあの夜。

その場には何匹ものクルミル、クルマユがいた。

だから、私を知るクルマユがいてもおかしくはない。


だがこのクルマユは、『バシャーモと共にいた私』を知っている。

あの場に居合わせたクルマユといえば――


ミュウツー『まさか貴様は……あの時の、口の赤い奴か?』


このクルマユは、クルミルだったのだ。

これまでたびたび目にしていた、色合いの違うクルミル“だった”クルマユだ。


ミュウツー『なるほど……』


クルマユが首をかしげる。

今の問いかけを、このクルマユが理解できたとは思わない。


クルマユがふたたび鳴いた。


ミュウツー『……なに? 水?』


ミュウツーはクルマユの目を見る。

『これから、お前の言ったことを繰り返す』ということが伝わってくれれば御の字だった。


ミュウツー『ううむ……』


まず、彼らのそばに立つ木を指し示し、


ミュウツー(この木に、水をやれと?)


それから視界の隅に映る小川を指差し、


ミュウツー(向こうの小川から……)


次に木の生えている根元の地面を指す。


ミュウツー(ここに、ということだな?)


そして最後に、自分の顔を指差してみせる。


ミュウツー(……それを私にやれ、と言っている……のだな?)


ジィジィと鳴きながら、クルマユが頷いた。

正確に伝わっているかどうか怪しいが、『なんとなく』意思疎通は成立したように感じる。

今回は不足なく伝えることができたからいいようなものの、少しでも複雑な内容になれば用は足りなくなる。


ミュウツー(そういえば……どこまでできるのか、考えたことはなかったな)

ミュウツー(伝える、読み取るにせよ、なにか『する』にせよ……)


蘇る記憶の断片は、自分の前に立つスーツの男だった。

片方の手をポケットに入れ、もう片方の手を動かしている。

ときどき強く握ったり、こちらを指差したりしている。

口元がもごもごと大きく動いているのに、声は聞こえてこない。

記憶の中の自分は、身体のさまざまな部分に圧迫感を覚えていた。

視界も何かでうっすらと覆われている。


ミュウツー(限界? が、どうとか……ううん)

ミュウツー(……ニンゲンたちはごちゃごちゃと言っていたか)

ミュウツー(フジも、サカキも、暴走だ、制御だ、抑制だ、とそんなことばかり言っていた)

ミュウツー(暴走? この私が暴走などするものか)


青ざめた、たくさんの顔。

慌てふためく白衣。

目に恐怖を浮かべた人間たち。

がちゃん、と嫌な音をたてて、何かが倒れた。

いや、天井から落ちてきたのかもしれない。

どん、と圧力のある音が耳を掠めた。

何かが爆発したようだ。

それから――


ミュウツー(なぜ、そんなものを生み出そうと思ったのだろう)

ミュウツー(生み出したニンゲン自身にも制御できないものを)

ミュウツー(『制御できない超能力に振り回されるなら、ない方がマシ』……か?)

ミュウツー(連中にとっては、そうだったかもしれないが)

ミュウツー(……私も? まさかな)


自分で自分の能力をコントロールできない、などといことはあり得るのだろうか。


ミュウツー(さすがに、そうは思わないし、思いたくもない)


『だから』などという、そんな理屈は、『方便』でしかない。


ミュウツー(……ではその力、何ができる)


ミュウツーは背筋を伸ばし、わずかに顎を動かして目だけを小川に向けた。

流れる小川の表面に、ざわざわとさざなみが生まれ、次第に大きな凹凸が生まれる。

なぜか思い描いたのは、昇ってくる太陽だ。

透明な水の塊が丸く揺れながら、少しずつ水面に顔を出した。


ミュウツー(この力は……何のためにある)


塊がざぷん、と川面を離れた。

ひとかかえもあろうかという大きさに膨れ上がっている。

球体の向こう側の景色は著しく歪み、強い陽射しを受けている。


視線を木に移す。

その動きに連動して球体が空中を漂い、木の幹に当たった。

ぱちゃん、と涼しげな音をさせ、球体が弾ける。

撒き散らされた水はクルミルたちにかかりながら、地面に吸い込まれていった。

もちろんクルマユにもミュウツー自身にも、水は盛大に撥ねている。

当たった瞬間は冷たさを感じたものの、あっという間に生温くなった。


ミュウツー(こんなことをするためにあるのか?)

ミュウツー(ううむ……)


クルミルたちはさすがに驚いたのか一瞬動きを止めたが、すぐにキィキィと声を上げ始めた。

浴びた水が光って眩しい。

クルマユもまた、ミュウツーを見上げて鳴いている。


ミュウツー『それは何よりだ』


ミュウツーは促すように樹上のきのみに視線を移動させる。

クルマユもまた、引き摺られてそのきのみを見上げた。


ミュウツー『おい』


声をかけ、注意を引く。


ミュウツー(かわりといってはなんだが……あれを)


再びクルマユを見て、真ん中の指を一本だけ伸ばす。


ミュウツー(ひとつ)

ミュウツー(ひとつでいい)


そして最後に、自分の鼻先を指差す。


ミュウツー(私にわけてくれ)


意味は伝わっただろうか。

そう思ってじっと待つ。

すると、クルマユはオーバーな動きで何度も頷いた。


ミュウツー(……よし)


どうやら、最低限の用は足りたようだ。


ミュウツーがめいっぱいに背伸びをし、

その上で攣るほど足を伸ばし、

更に手を伸ばしても届かない高さのきのみが見えている。

そのきのみを、かつてここに来た時と同じように摘み取り、手元に落とした。

約束した通り、ひとつだけ。


赤く小振りなきのみに齧りつく。

ぎょっとするほど辛い。

だが、決してまずいということはないし、気分も悪くなかった。


ミュウツー(イアのみほどではないが、これはこれで目も覚める)

ミュウツー(まあまあ、といったところだ)


クルマユはひとしきり鳴くと、満足げにクルミルの群れの中へと戻っていった。


ふう、と息をつき、ミュウツーは肩を落とした。

もうこの場で、ミュウツーに注目している者はいない。

つまらないような、ほっとするような気分だ。


チュリネに会えなかったのは残念だった。

そのかわり、思いがけずやれたことはあるが。


少し目を細め、今しがた摘み取った枝を見上げる。




ミュウツー(こんなものは……決して、望んで手に入れた力ではない)







――お前は、人間に作られたポケモンだ




ミュウツー(だが……力を手に入れたということは……)

ミュウツー(力がある、ということは)




――人間のためだけに、その能力を揮えば、それでいい




ミュウツー(私には、だからこそできることがある……ということでもある)

ミュウツー(……か?)




――他に何の価値がある?




ミュウツー(黙れ)




――他に何の価値がある、などと思える?





ミュウツー(……)

ミュウツー(この森でも守ってみせれば、それが証明できたことになるか?)




――敵を倒すこと

――相手から奪うこと

――人間に使役されること




ミュウツー(……そんなことをしても、意味などあるのだろうか)

ミュウツー(……意味……)




――お前には

――それ以外




ミュウツー(くだらない)




――何もないではないか




ミュウツー(亡霊め)




――『生きているって、きっと、とっても楽しくて……』




              なんで……おまえ なんかが、ここに きたんだろうな



――その醜い姿



            ぼく、さみしかった



――『……だって、わたしのために、ながしてくれたんだもの』



       あ、裏口の奴には、追加で『お大事に』って



――お前は、自分の姿を見たことがあるか?










――『あなたは、生きて』









ミュウツー(……やはり、からいものはからい)









ミュウツーはへたを放り投げ、苦労して果肉を飲み込んだ。






今日はここまでです!

>>280
どいつもこいつも難儀な奴だけどな!
改めて見返すとナデポだし病んでるしツンがデレ始めるし…

なんか投稿後の「終わりました」レスって
話すこと思いつかなくてレス返すくらいしか出来ないっすわ

それではまた

それでは、始めます



ざざざ、と何者かが周囲を駆け巡る音が聞こえた。

木の葉を激しく揺らす『誰か』が、自分の頭上を走り回っているらしい。


ミュウツーは、夜が少しずつ迫り来る中、どちらかといえば気分よく歩いていた。

向かう先は変わりばえしない、いつもの場所だ。

みしみしと地面を踏み締めてから、ミュウツーは立ち止まった。

音をたてる『誰か』が誰なのか、見当はついている。


ミュウツー(この動きは……)





ジュプトル「……おいッ!」


葉の擦れる音と、耳打ちするような声が聞こえた。

かと思うと、次の瞬間、目の前にジュプトルが降ってきた。


ミュウツー『やっぱりお前か』


音もなく着地したジュプトルは、きょろきょろと周囲を窺っていた。

それから改めて声を抑え、眉を顰める。


ジュプトル「やばいの!」


そのさまを見て、ミュウツーは吹き出しそうになった。

なにも面白くはない。

ジュプトル自身は、その動作をいたって真面目にやっている。

それが余計に滑稽でおかしいだけだ。


ミュウツー『何が「やばい」んだ?』

ジュプトル「ニ……ンゲン! ニンゲンがいる!」

ミュウツー『……ニンゲン?』


『こんな時間に?』と更に問おうとして、ミュウツーは問いを飲み込んだ。

人間が来るにしても、大半は森の外周部を舐める程度の範囲にしか踏み込まない。

来たなら来たなりに、理由もあった。


自分たちが普段から居着く場所は、それよりも更に奥だ。

人間が来ることなど、まずない。

それは、知識ではなく経験で理解していた。

レンジャーのような者もいるが、それも来訪は稀だった。

それに、ジュプトルもレンジャーの顔は知っているはずだ。


時間帯の問題ではない。

ここに人間がいること自体、おかしいのだ。


ミュウツー(来ないはずのニンゲンが、いるはずのない場所にいる)


『よほどの理由』があれば、話は別だ。


ミュウツー(とうとう……)


ジュプトル「そ、そう! ニンゲ」

ミュウツー『どこに?』

ジュプトル「……ま、まって、いま」


ミュウツー(……とうとう来た、ということか)


追っ手の見当もつく。

自分は追われる身だ。

本来ならば、注意を払って払いすぎるということはなかったはずだ。

それを、誰も捕えに来ないからと、不用意に動きすぎたのに違いない。

腑抜けていたのだ。

油断していた。


それでも重く柔らかな足音をさせ、ミュウツーは再び歩き始めた。

立ち止まっていても、事態はよくならない。


ミュウツー(だが、そのわりには森の中が静かだ)

ミュウツー(……ふむ)


とりわけ不審人物が侵入したらしき『ざわめき』はない。

いたって平穏だ。

ある意味、いつもと同じだった。

せいぜいが、森の端にトレーナーがやってくる程度の日常と同じ。


足元を見ると、ジュプトルはよたよたと歩きながら、自分の鼻柱をがりがり引っ掻いていた。

どうにも落ち着かないらしい。


ジュプトル「あ、た、あと……デ……ちがう、ダ、ダゲキ!」

ミュウツー『いちいち忙しい奴だな、ゆっくり喋ればいいだろう』

ジュプトル「だ、だげど……」


焦ると、こうなってしまうのだろうか。

自分でも上手く言えずに困っているようだ。


ミュウツー(そういえば、ヨノワールに怒鳴っていたときもそうだったかな)


皮肉にも、いかに慌てているか、ということだけは十分に伝わってくる。

呆れを通り越して、どちらかといえば同情や哀れみに近い感情が湧く。


ジュプトル「ダゲキ“が”? “は”? わ、わかんない」

ミュウツー『……“が”、じゃないか?』

ジュプトル「ギィッ、……そう なの?」

ミュウツー『さあ?』


ジュプトルはくるくるとせわしなく視線を動かしている。

友人なりに、必死に頭を回転させているのだろう。

まずは落ち着いてもらわなければ、まともな話のしようもない。


ミュウツー『……それで、あいつがどうした』

ジュプトル「そ……そうそう! あのね」

ジュプトル「た、たきびの におい、するだろ?」

ミュウツー『いや、まったくしない』


それは本当だ。


ジュプトル「えええ!」

ミュウツー『いいから落ち着け』

ジュプトル「おつち……あ、……うん、えっと……わかった。おちつく」

ミュウツー『目を閉じて深呼きゅ……ゆっくり長く息を吐いて吸え』

ジュプトル「お、うん」


言われるまま、ジュプトルは目を閉じた。

ご丁寧に、両手で目を覆っている。

まだ何か呻きながらだが、努力して深い呼吸を心掛けているようだ。


ミュウツーはそんな姿に少し驚いた。

意外なほど素直に従うジュプトルを、まじまじと見る。

近頃、妙に幼稚さが目立つように思えて仕方がない。


ミュウツー(素直というか……幼いというか)


ジュプトル「……だいじぶ、たぶん、おヅついた」

ミュウツー『……』

ミュウツー『いや……まあ、いいか』

ミュウツー『なんにしても、焚き火の匂いなんてしない』

ジュプトル「なんで!?」

ミュウツー『なんでと言われても……』


はっとして、ジュプトルは再び喚き出した。


ジュプトル「と、とにかく、ダゲキ いた!」

ミュウツー『「いた」? 「いる」?』

ミュウツー『今はもういないなら、「いた」だ』

ジュプトル「……い、いま いる、のほう」

ジュプトル「それくらい わ、わかるよ」


小声でそう怒鳴ると、ジュプトルが喉を鳴らした。

さすがに、そこを確認されたことは心外だったらしい。

地団駄を踏むが、体重がないせいか大した音はしない。


ミュウツー『そうか。悪かったな』

ジュプトル「う……ううん、いい」

ミュウツー『……ということは、あいつは「修行」から帰っていたのか』

ミュウツー『その割には、チュリネも騒いでいないな』


彼女が彼の帰還を知れば、空か脳天にまで突き抜けるような声で触れ回るはずだ。

森の隅々まで伝わる残響さえ想像できそうだった。


ジュプトル「……あ……そういえば、チュリネ、みてない」

ジュプトル「って、そうじゃない!」


そう喚きながら地面を走り、ミュウツーの尻尾に飛び乗った。

ジュプトルは背中をするするとよじ登って、不安定な頭の上に陣取る。

まだ二度目の登頂にもかかわらず、慣れたものだった。


ミュウツー『……言っておくが、別に重くはないからな』

ジュプトル「わかってるよ」

ミュウツー『それにしても……不義理な奴だ、まったく』


ミュウツー(戻ったなら、一声かけるくらい、すればいいものを)


溜め息と一緒に、愚痴を吐き出して歩く。

頭は、さきほどまでよりだいぶ重い。

しかも、その重い原因が頭の上でぐねぐねと重心を動かしている。

いちいち頭が傾いて、いずれ首を傷めてしまいそうだった。


ジュプトル「こっち! こっぢ!」


視界の隅から、ジュプトルの細い腕が突き出ているのが見える。

それと同時に指差すために身を乗り出したらしく、がくんと首が前方に傾いた。


ミュウツー(やはり、こういうのは……首がない奴に任せた方がいい)

ミュウツー(そういえば、こうやって誰かの身体や頭に乗ったり……)

ミュウツー(やけに接触してこようとするのも、以前はあまりなかったな)

ミュウツー(どういう『心境の変化』だ?)


指し示す先は、ミュウツーの行こうとする、まさにその方角だ。


ミュウツー『そうせっつくな』

ミュウツー『言われなくても、焚き火の場所には行くんだ』

ミュウツー『それで? ニンゲンがどこにいると』

ジュプトル「そうそう、そっち!」

ミュウツー『いや、わかったと言っているだろう』


ミュウツー(ん?)

ミュウツー(なにか、話が噛み合っていないような)


ジュプトル「き……き、つけろよ!」

ミュウツー『気をつけるって、何に?』

ジュプトル「だ だって そいつ、いっぱい……」


焦げ臭い風が、ミュウツーの鼻をつんとかすめた。

いつもの焚き火を思い出させる、愛着と親しみのある匂いだ。

くべる薪の乾燥が足りないのか、匂いが少し生っぽいところまで同じだった。


ミュウツー『なんだ……あいつめ、もう始めているのか』

ジュプトル「え?」

ミュウツー『焚き火の匂いがわかった』

ジュプトル「やっと!?」

ミュウツー『「やっと」で悪かったな』

ミュウツー『だが……お前はあの場所から、この匂いがわかっていたのか?』

ジュプトル「う、うん」

ミュウツー『大したものだな』

ジュプトル「す……すごい……のかな」

ミュウツー『さあ? 私はじゅうぶん凄いと思うがな』

ジュプトル「そ、そう? すごいの……?」

ジュプトル「あっ、だ……だから、あれ ダゲキじゃ ないの!」

ミュウツー『……さっきから、話があちこち飛んで支離滅裂だぞ』

ジュプトル「い……いいから、どっか、かくれて みてみろよ!」

ジュプトル「たきびの とこ!」

ミュウツー『だから、ニンゲンがどこにいるんだと尋いているだろうが』

ミュウツー『そうすれば私がすぐにでも……』

ミュウツー『……』

ミュウツー『……まさか、あそこに?』

ジュプトル「……」


返事はなかった。

ジュプトルの爪が頭に少し食い込んで、くすぐったい。

ややあって、やっと理解したかと言わんばかりの溜息が聞こえた。

要は消極的な肯定だ。


ミュウツー『……冗談だと言ってくれ』


つまり、ほんの目と鼻の先にロケット団の手先がいる、ということになるようだ。

だとすれば、事は一刻を争う上、慎重さも要求されてくる。


ミュウツー『それにしても、どうしてロケット団が……どうやってここを』

ジュプトル「ろけっとだん? なにそれ?」

ミュウツー『……なんでもない』


気がはやる。

じわじわと首筋から滲み出してくるのは、汗ではなく焦りと不安だ。


どうしてここが知られた。

あのアロエという人間の女からか。

あるいは、軽薄そうなあのレンジャーから漏れたか。

いや、あの二人に、ロケット団との繋がりがあるようには見えない。


ならば、二人の周囲にいる人間だろうか。

だが、二人に正体を明かしていない以上、それも考えにくい。

それに、あの二人が約束を違えて、自分の存在を誰かに漏らしたとは思えない。

なんら確証があるわけでもないが。

そんなことをする人間たちだと、思いたくはなかった。


いや、そんなことはどうでもいい。

今は、どうするか、だ。

ロケット団を相手にして、どう対応するのが最善なのだろう。


どうする。

どうすればいい。

どうすれば、自分の身を守ることができる。

どうすれば、私自身と、この快適な生活を守ることができる。

どうすれば、自分とその周囲のささやかで容赦ない世界を守ることができる。

どうすれば、友人たちとこの森に危害を加えられずにすむ。


連中は、この私を再び手中に収めるためなら、森ひとつくらい何とも思うまい。


どうすれば、誰にも迷惑を――


ミュウツー(……そうか)


洞窟を思い出す。

水と苔の匂い。

視線。

来訪者。

異物。

異物とは、誰のことだ。

簡単な話だ。

答えは最初から、わかっている。

わかっていた。


ミュウツー(私が、ここにいなければいいのか)

今日はここまでです

ジュプトルがテンパって方言出てる地方出身者みたいだなと

間隔も開いてるのに短くて申し訳ない
次回はもうちょっと長いはず

字数だけでいえばそこそこ書き溜めはできてるんだけど
ひとまとまりをちゃんと書き上げて全体を見直さないと
ひどいミスをしがちなので、そこは勘弁してください

それでは、また次回

気になるところで切るなぁ
乙乙

ミュウツー早まるなぁあ

乙です

それでは始めます



考えてもみれば、当然の結論であるような気はする。

焦り、狼狽、罪悪感。

実際にはそのどれとも少しずつ違うような、ややこしい気分だ。


ミュウツー(しょせん異物は異物以外の何かになど、なれないというわけだ)

ミュウツー(……そんなことは、はじめからわかっていた)

ミュウツー(ここに来たときに、私が自分でそう言っていたではないか)

ミュウツー(……)

ミュウツー(……本当に、わかっていた)


さしあたり、まずは当面の問題を解決しなければならない。

それとて、ただ撃退すればいいわけではない。

その人間を殺してしまえば話がすむ、というわけでもない。


追い返すなら、洞窟でやっていた頃と同じように、すべて忘れさせなければならない。

殺すなら、ここに自分がいることを知る人間もできるだけ把握し、消さなければならないかもしれない。

それからだ。

それから、その上で、私は、この森に――


ミュウツー『とりあえず……ぎりぎり見られないところまで行くが、いいか?』

ミュウツー『そのニンゲンの目的は、私かもしれない』


『それ』については、この件が落ち着いてから、ゆっくり考えればいい。


ジュプトル「う……うん」


不安そうなジュプトルだが、ミュウツーの苦悩など知る由もない。

それも無理からぬことだ。


片方の脚を持ち上げ、ゆっくりと降ろす。

すると地面から十センチほど高い場所で、足は音もなく空中に『接地』した。

もう片方は、更に十センチ、上の位置で止まる。

上体を斜めに倒して、最後に着地した脚で空を蹴る。

すると、ミュウツーの身体は音もなく浮いて前に進み始めた。


ジュプトル「うひぇ」

ミュウツー『うるさいぞ』

ジュプトル「……だ、だって、なんか こわい』


滑るように飛ぶと、頭の上でジュプトルが喚いた。

爪が頭に食い込んできたが、やはり痛いというよりは、くすぐったい。


ミュウツー『お前、いつも木の上を飛び回っているだろう』

ジュプトル「……うん」

ミュウツー『高さは、それと大して変わらないだろうに』

ジュプトル「い、いつもとは ちがうの!」

ミュウツー『ふうん』


しばらく低空を漂うと、匂いが少しずつ強くなった。

木々の間から、ちらちらと光が漏れてくる。


その風景に被さるようにして、べろりと妙な色が見えた。

赤いような、青いような、滲みが見えたような気がした。

ほんの一瞬のことだ。

気になった頃には、もういつもの視界に戻っていた。

だから、自分でも気に留めなかったのだ。


留めたところで、何かが違ったかというと、それも怪しい。


『いつもの場所』が見える場所。

そこまで辿り着くと、たしかに誰かがいた。

間もなく、どんな人間なのか見えるようになるはずだ。


ジュプトル「た、たすけなきゃ」

ミュウツー『誰を』

ジュプトル「ダゲキ だってば」

ミュウツー『……いったい、どういう状況なんだ』


人間と、その周囲のポケモンたちが見え始めた。

人間が胡座をかき、地面に座り込んでいるのが確認できる。

周囲には、人間が連れてきたと思われる大きなポケモンが複数いるらしい。


やや距離を残して静かに着地し、ミュウツーは太い木の陰に身を沈めた。

こういうときだけは、自分の図体が少し恨めしい。


同時に、頭に乗っていたジュプトルが木に飛び移る。

淀みなく樹上に登り、広場を見渡せそうな枝にしがみついた。


ミュウツー『……なんだあれは』


赤毛でかなり体格のいい、人間の男だ。


ミュウツー(本当に、ロケット団……なの……か?)


途切れ途切れに声が漏れ聞こえている。

男が、周囲のポケモンたちに話しかけているようだ。

何を言っているのかまではわからないが、どうやら笑っている。


ミュウツー『あれが、お前の言っていたニンゲンか?』

ジュプトル「うん」

ミュウツー『ロケット団……には見えないな』

ジュプトル「だから、その ろけっと」

ミュウツー『こんな森の奥に、どうしてあんな……』


男が身を包んでいるのは、白衣でもスーツでもない。

もちろん、レンジャーのユニフォームでもない。

おかげで、どういった組織に属している人間なのか、まったく判別できなかった。


自分のマントほどではないにせよ、広い布で上半身を覆っている。

裸足にサンダルを履き、周囲に荷物らしいものを放り出している。

身軽で、暑い地域を旅するのに適した装いということらしい。


ジュプトル「だから、そーだ って、いったた だろ」

ジュプトル「いっぱい、でっかい ポケモンも、いるよな?」

ミュウツー『ああ、見える……といっても、私は見たことのないポケモンばかりだがな』

ミュウツー『どれも、この地方の種類ということか』

ジュプトル「おれも みたこと、ない」

ジュプトル「おれがいた ところには、みたこと、ないよ」

ミュウツー『どんなニンゲン、どんなポケモンであるにせよ……』

ミュウツー『私たちの場所を乗っ取られていることに違いはない』


ミュウツー(……向こうに乗っ取りの意思はないかもしれないな)


ミュウツーは男たちを観察し続けた。

目立つのは、男が首から下げているいくつものボール。

腰に取り付けているものと合わせると、ずいぶん多い。

それから、脇に放り投げているものとは別に、男が抱えている大きな荷物。

胡座をかき、その上に大切そうに載せている。


ミュウツー(こちらに害のあるものでければいいが……)


連れているポケモンたちと共に焚き火を囲み、男は『談笑』している。

緊張感はなく、やけに弛緩した、のんびりとした空気が漂っている。


とてもではないが、犯罪集団の手先や下っ端には見えない。


ミュウツー(関係ないのなら、それはそれで助かる)


ロケット団ではないというのなら、話はもう少しだけ簡単になるからだ。

最悪、相手が立ち去るのを待てばいい。


ミュウツー『……ちょっと待て』

ジュプトル「ん?」

ミュウツー『お前、さっき「ダゲキもいる」と言っていなかったか』

ジュプトル「いった」

ミュウツー『どこに?』

ジュプトル「ほら、あっちの ニンゲンの、となり!」

ミュウツー『……あっ』


目をこらすと、たしかに見覚えのある丸い頭が転がっている。

頭の向こうには、もちろん胴体も手足もきちんとくっついている。

うずくまり、俯せで倒れているか、寝ているような格好だ。

すぐ隣にいる、とさかの大きなポケモンに、ときどき嘴でつつかれている。

そんなことをされているにもかかわらず、反応する気配はない。

もちろん、『談笑』にも参加していない。


ミュウツー『何をやっているんだ、あいつは』

ミュウツー『死んでいるわけではないようだが……寝てるのか』

ジュプトル「わかんない……でも」

ミュウツー『「でも」?』

ジュプトル「……ねてるの、はじめて みた」

ミュウツー『は?』


ジュプトルがぽつりと呟く。

ちらっと見上げると、ジュプトルは目を細めて焚き火の方を見ていた。


ミュウツー『睡眠をとらないわけではないんだから、見たことくらいあるだろう』

ジュプトル「ない」

ジュプトル「あいつ、いっつも ねない じゃん」

ミュウツー『いやそれは、修行をしている間の話……だろう?』

ジュプトル「ううん」

ミュウツー『……』

ジュプトル「けど、でも だから、なんだっけ……しんばい」

ミュウツー『……「心配」か』

ジュプトル「うん、シンパイ」

ミュウツー『あのニンゲンのポケモンと闘って、負けて昏倒、ということだろうか』

ジュプトル「……あいつ たたかうの、するかな」

ミュウツー『確かに、それは』


たとえ挑まれても、さっさと逃げてしまうような気がした。


???「そこにおるのは誰だ?」


突然、大きな声が辺りに響いた。




ミュウツー『!』

ジュプトル「!?」


ふたりが驚いて固まる。

息を飲み、押し黙って思わず顔を見合わせた。


再び、闖入者たちを見る。

いつの間にか、男が自身のポケモンたちではなく、周囲の茂みに顔を向けている。

張りのある声はやはり、あの人間が発したものらしい。


ミュウツー(居場所もばれていると思うか?)

ジュプトル(ううん)


ミュウツーとジュプトルは息を潜め、男による次の言葉を待つ。

だが、誰も声を発することがないまま、押し殺したような時間が流れた。

当然といえば当然だったが、男の方もこちらの反応を待っているようだ。


???「人間……ではないな」

???「……だとすれば、この森のポケモンか?」


男は、大きすぎる独り言のような、さもなくば遠回しな問いかけのような声を出した。


ミュウツー『……』

ジュプトル「……」


ミュウツーもジュプトルも、どう返したものか悩んでいる。

まさか、返事をしてしまうわけにもいかない。


???「ふむ……警戒されとるのだな」

???「まあ、そりゃあそうか」


こちらから具体的な反応がないことを、あの男はそう解釈したようだ。

その判断は、大筋では間違っていない。


ジュプトル「え……どうしよ」

ミュウツー『いや、ううむ……』


すると、男はきょろきょろと辺りを見回しながら、両手をおおげさに振った。


???「……ひょっとして、ここはお前さんたちの縄張りだったか?」


ジュプトル「な、あ、ば、り?」

ミュウツー『な、わ、ば、り』


???「だとしたらすまんなぁ……ちょっとばかり、使わせてもらっとるぞ」

???「あまりにちょうどいい場所だったんでな」

???「本当は、シッポウシティまで行く予定だったんだが」


男は、申し訳なさそうに頭を掻いた。

聞き覚えのある地名に、ミュウツーは一瞬、どきっとする。

それほど深い関わりがあるわけではないが。


ミュウツー『シ……シッポウシティ、か』

ジュプトル「どこ?」

ミュウツー『この森から一番、近くにある街だ』

ミュウツー『……いくらなんでも、それくらい知っておけ』

ジュプトル「わ、わるかったな! おれは もう」


ごうん、と低い音が空気を揺らした。

ふたりは反射的に、音のする方にゆっくり首を捻る。


頭部だけが赤く、屈強そうな前脚のポケモンが、こちらをまっすぐ睨みながら唸っている。

どうやら、あのポケモンに見つかってしまったようだ。


威嚇し続けるポケモンを宥めながら、男はふたりの隠れている辺りに顔を向けた。


???「お前たちに迷惑をかける気はないから、今晩だけ勘弁してくれんか」

???「わしもこいつらを闘わせる気はないし、誰かを捕まえる気もない」


ジュプトル「……どう しよう」

ミュウツー『あの男のポケモンと目が合った』

ジュプトル「それ、やばい じゃん」

ミュウツー『わからない』


ミュウツーは、ごくりと喉を鳴らした。

こういう時、いつもはどう対応しているのか、と質したいところだ。

聞く相手があそこで突っ伏していなければ、の話だ。


ミュウツー『ロケット団ではないようだから……』

ジュプトル「だから、その ろけっとだん って?」

ミュウツー『なんでもない、気にするな』


判断に迷う。


ミュウツー(……おそらく本当に、ロケット団とは無関係なのだろうな)


ジュプトル「あのニンゲン、わるいやつ かな」

ミュウツー『なんとも言えない』


とはいえ、あの男が忌むべき人間であることに違いはない。

どんな種類の人間であるかということよりも、人間であるか否かの方が重要だ。

少なくとも、この森の中では。


ミュウツー『仮にロケット団と無関係だとしても、だ』

ミュウツー『この状況は、歓迎できるものではないぞ』

ジュプトル「ね、はやく ダゲキ たす、けなきゃ」


ジュプトルが再びそわそわし始めた。

ひっきりなしに、顔のどこかを掻いている。


ミュウツー『わかっている。少し落ち着け』

ジュプトル「け、けど……ほんとに、わるい ニンゲンだったら」

ジュプトル「ダゲキ、あのニンゲンが つれてく……とか?」

ミュウツー『そういうことをする気はない、とさっき言っていたと思うが』

ミュウツー『それが本心かどうかはともかく』

ジュプトル「……」


ぐずぐずと言い合いを続けていると、男がふたたび声を張り上げた。


???「うーむ……」

???「返事がないということは、ヨシということかな」


ミュウツー(……ああ……)


???「だとしたら……すまん、感謝する」

???「わしは見ての通り、旅のトレーナーだ」


男は喋りながら、地面に置かれたナップザックに手を伸ばしていた。

顔は迷うことなく、こちらを向いている。

さすがに、どの辺りに隠れているかは絞り込めてきたらしい。


???「場所を借りるかわりに、といってはなんだが」


ふたまわりほど小さな袋を取り出すと、それを掲げた。

どこかにいる森の住人からよく見えるように、との配慮であるようだ。


???「謝礼として、少ないが食料を提供する用意があるんだが」

???「その……もしよければ、姿を見せ……痛っ」

???「こらウォーグル、怒ってもお前にはやらんぞ!」

???「これは最初からお前の分ではない、と言っとるだろうが」


ガァガァと鳴きながら、ウォーグルと呼ばれたポケモンが大きくはばたいた。

頭に大きなとさかがあり、黄色い嘴をがちがち鳴らしている。

察するに、あの袋には、きのみか何かが入っているということらしい。

『ウォーグル』は、それが自分の口に入らないことを抗議しているようだ。


ミュウツーは俄に、この男に対する興味が湧いた。

あのポケモンは、自身のトレーナーであるはずの男に威嚇していたのだ。


男は空いた片手で、『ウォーグル』の顎を押し退けている。

『ウォーグル』も負けじと翼をばたつかせていた。


ジュプトル「しょくりょう……?」

ミュウツー『「食べ物」だ』

ミュウツー『……欲しいか?』

ジュプトル「ううん、ち ちがう」


もぞもぞと歯切れの悪い口調でジュプトルが言った。


ジュプトル「た……たべもの くれるのは、いいやつ……なのかな」

ミュウツー『いやいや、そうとは限らないぞ』

ミュウツー『……まったく、お前は』


――お前は何を考えているんだ


そう尋ねようとした瞬間。

べちゃっ、と音がしたような気がした。

実際には音などしていない。

あたかも、そんな音が聞こえそうな具合に、妙な映像が視界を撫でた。


ミュウツー(……)

ミュウツー(なんだ、今のは)


見えたものが何なのか、自分でもまったくわからない。

人間の『写真』が目の前を通りすぎたような按配だった。


ミュウツー(……)

ミュウツー(今は……こっちが優先だ)


その映像は、とうに消えている。

世界ももう歪んではいない。

それきり、映像がぶり返してくる様子もない。

ならば、考えるのはあとでいいと思う。


ジュプトル「どうしたの?」

ミュウツー『いや、なんでもない』

ジュプトル「……おまえは、あいつ、しんぱい しないの?」

ミュウツー『心配というか……』


彼を心配したところで、事態は変わらない。

もちろん、心配していないわけではないが。

『謝礼』にも特に関心はない。

興味を覚えるのは、どちらかといえばあの人間の方だ。

人間と、その人間が従えるポケモンの関係だ。


ミュウツー(……あのポケモンが、人間に対してとった行動は、いわば反抗だ)

ミュウツー(トレーナーとそのポケモンという立場で言うなら、反逆といってもいい)

ミュウツー(一般的な両者の関係というものを、私が正しく知っていれば、の話だが)


――その人とポケモンは本当に信頼し合っていて


ミュウツー『私が気にしているのは、あいつの安否だけではない、ということだ』

ジュプトル「う、うん?」


ジュプトルは少し怪訝そうな視線を向けてきた。

いかにも煙に巻かれたという、不信感の滲む顔をしている。


ジュプトル「じゃあ……どうするんだよ」

ミュウツー『お前は、あのニンゲンの前に出たければ、出てもいいぞ』

ジュプトル「なんで?」

ミュウツー『お前や「あれ」は、そこいらにいても問題にならない種類らしいからな』


その言い方は納得しかねる、とジュプトルの目が言っている。

睨まれたところで事実は変わらないが。


ジュプトル「……じゃあ、おまえは?」

ミュウツー『私はこれでも一応……』

ジュプトル「そのテント みたいなの あっても、だめなの?」

ミュウツー『テントではない、マントだ』


ミュウツー(……本当はただのシーツだがな)


シーツと言い張るには少々、年季が入りすぎていた。

姿を覆い隠すという役目には足りていても、ものとしての寿命が近いことは確かだ。


ジュプトル「なんでも いいけど」

ミュウツー『む……』


頭の中で、さまざまな要素を天秤にかける。

自分の存在を明確に認識している人間は、今の時点で二人もいる。

これ以上は危険に違いない。


だが姿を見せているとはいえ、正体が露見したわけではない。

手の内も知れてはいないし、切り札も温存してある。

何よりあの人間に対して、今は興味もある。


ミュウツー『問題があれば、記憶を消せばいい……か』

ジュプトル「やったこと ある?」

ミュウツー『……こ……この森に来る前はよく……』

ジュプトル「じゃあ、いい、いこ」

ミュウツー『ううむ……』


嘘ではないのに、信じてもらえなかったような感触だ。

言うが早いか、ジュプトルはすかさず枝を蹴って飛び出していった。


ミュウツー『……気楽に言ってくれるな』


ミュウツーは何度目かの溜め息をついた。

友人を案じるジュプトルの心境も、わからないではない。

自身の懸念が、正しく伝わったかも極めて怪しい。

容易に共有できるたぐいの感情ではないこともよくわかっていた。


ありていに言えば、これまで歩んできた道が違いすぎる。

自分の抱く危機感には、友人に見せられる顔がない。

ないこともないが、本音を言うと見せたくない。

自分と彼らとの間に、改めて深い溝を生むことになる気がした。


最後に、羽織るマント――シーツに致命的な綻びがないか確かめる。

改めて目深に被り直し、胸の前でぐっと重ねて引き締めた。


ミュウツー(だいぶ、ぼろぼろになってきた)

ミュウツー(人間ならば、こんな状態のシーツでも修繕することができるのだろうか)


ほつれないように処理されていたはずの縁も、とうに擦り切れている。

被るときの癖で布地は不均等に傷み、地面に擦るところは千切れていた。

元々、外套として作られた生地ではないのだから、それはやむを得まい。


ミュウツー(まあ、姿を覆ってくれるなら、今はいいんだが)

ミュウツー(直そうにも、直し方はわからないし)

ミュウツー(……あの女に尋くわけにもいかないからなあ……)


深く息を吐く。

頭の芯が少しぼやけ、目の前の事態に集中する。


ミュウツー(ともかく、今は奴を追わなければ)


このままでは、ジュプトルが単独で人間と対峙することになってしまうからだ。


ミュウツー(それにしても……さっき見えたものは、なんだったんだ)

ミュウツー(薄暗いところで、誰かと向き合って座っていて……)

ミュウツー(箱かコンテナの中にいるような感じだった)

ミュウツー(……壁が、やけに汚かった)

ミュウツー(姿はよく見えなかったが、目の前にいた『誰か』は、きのみを持っていた)

ミュウツー(ピンク色のきのみ……)

ミュウツー(……それも、あとで考えることにしよう)


ミュウツーは意を決し、重い脚を踏み出した。


今回はここまでです

>>308
ふふふ…そんなに劇的な展開はないのさ!
話は一応、ちょっとずつ動いてるけど

>>310,312
最初の頃はあんなこと言ってたのにね!


次回は字数が今回の倍くらいになる予定です
お楽しみに…というか推敲頑張ります
それではまた

だいぶ馴染んだというか、いいコンビになってきたww

そんでまたいいところで切るなぁー
多めに期待乙


プラズマな人たちかと思ったら爺様か

スレタイがスレタイだしなぁ……いつまでもこのままとは行かないだろうな

ミュウツーには未来永劫平和ボケしてて欲しいものだが

保守保守
推敲頑張って下さいな

それでは、始めます
たぶん30レス前後かなと



冷静になってみると、奇妙な構図だった。


ミュウツー(……どうして、こうなってしまったんだ)


ミュウツーはジュプトルと共に、侵入者と向かい合っていた。

自分たちの定位置だった場所には、見覚えのない男が陣取っている。


その人間が連れているポケモンたち。

人間の好奇心溢れる視線と、ポケモンたちの不安げな視線。

ふたりは夜の森を背に、彼らの注目を浴びている。

ミュウツーは、ちりちり、ひりひりと皮膚に妙な引きつりを覚えていた。

首筋のあたりも、うすぼんやりと痺れている。

なんだか現実感がない。


まだこの状況を頭の方が処理しきれずにいるのかもしれない。

だから『現実感がない』などと呑気にしていられるのだ。

目の前の出来事だとわかっているのに、それでもまだ希薄だった。


居心地はあまりよくない。

まるで自分たちの方こそが、場を乱す闖入者であるような気分だ。

実際にその通りなのだが。


もう何歩か進めば、いつも腰を下ろしている丸太が転がっている。

だが、そのすぐそばには見慣れないポケモンたちと、見慣れない人間とがいる。

その『輪』には、いったいどういう経緯でそうなったのかわからないが、ダゲキも含まれていた。

足元のジュプトルが不安そうに、うずくまっているダゲキの方を何度も見ている。


ぱちん、ぱちんと断続的に弾ける音が響く。

おかげでかろうじて、身動きの取れない沈黙には陥らずにすんでいた。


???「……ほう、珍しいな!」


目の前の男が、とても独り言とは言えない音量でそう呟いた。

顎をさすり、こちらを観察している。


???「ジュプトルか。久しぶりに見た気がするぞ」

ジュプトル「?」


ジュプトルが、自分の話題に素早く反応し、男を見た。

男は、少し首を捻っている。


???「ううむ……ジュプトルにしては、ちと小さい気もするが」

ジュプトル「??」


今度はジュプトルが首を捻っている。


ミュウツー『なんだ、お前もお前でチビなのか』


人間には聞こえないようにそう言うと、ジュプトルがぎょっとして振り返った。

予想通りの反応だ。

男は、ぴくりと眉を動かした。

ジュプトルは一瞬だけこちらを睨んでから、ぷいと顔を背ける。


一連の動きを見たためか、人間の男は慌てたように声を少し潜めた。


???「ああいや、こんなものだったかな……いやいや、すまん、気にしないでくれ」

???「そっちの図体がでかい方は、もっとよくわからんが」


男がミュウツーの顔のあたりに視線を向けた。

こちらの姿は、ごく一部しか見えていないはずだ。


???「ううむ……お前さんは……」


ミュウツーは、かすかに首をかしげてその呼びかけに応じた。


???「なかなか個性的な風貌だな」

???「それは、わしのような人間に顔を見せたくない理由がある、ということか」


今度はミュウツーとジュプトルを交互に見ている。

男の言葉を肯定するべく、ミュウツーははっきり頷いた。


???「そうか」

???「……すまん、姿を見せてくれて感謝する」


申し訳なさそうな声で、男が軽く頭を下げた。

トレーナーであるこの人間に、敵対の意思はないようだ。

ポケモンたちの方は、まだそれなりに警戒しているそぶりを見せている。

それはこちら側も同じだ。


???「……何か非礼があったら、謝る」

???「わしも含めて、『こういう状況』は……さすがに慣れちゃおらんのだ」

???「こいつらも、今はちょいとばかり驚いてるが、まあそれだけだろう」


男は、自身のポケモンたちが見せるやや無礼な態度を、そう釈明した。


彼らの視線を受けて、ミュウツーはむしろ少し拍子抜けしていた。

もっと本能的な拒絶を向けられる覚悟をしていたのだが。

彼らが向けてきた感情は、遥かに単純なものだった。


単に見知らぬ誰かへの警戒心という、ただそれだけだ。

得体の知れぬ悍しい存在への特別な恐怖、嫌悪、敵意などではない。

彼らにとって『ミュウツー』は、どんな存在に見えているのだろうか。

『マントを羽織った見知らぬポケモン』に見えているのだろうか。


ミュウツー(そのままではないか)

ミュウツー(……洞窟の連中も、そうだったのかもしれないな)


男の大きな声が、考え込むミュウツーの耳に突き刺さった。


???「……それで……」

???「ここは、お前さんたちがいつも使っているところなのだな?」

???「それを、わしらが横取りしてしまった形になるわけか」


黙って頷いてみせる。

これまでで一番、確信をもって答えることができた気がする。

そう考えると、なんとも格好のつかない話だ。


???「ふうむ」

???「そういうことならば、わしらは結果的にとはいえ……」

???「お前さんたちから間借りしている状態というわけだ」

???「ならば、やはりきちんと筋は通しておかねばな」


男は居住まいを正すと、演説でもするかのように声を張り上げた。


???「わしの名は、アデクという」

アデク「さっきも言ったように、ただの……うむ、さすらいのトレーナーで」

アデク「こいつらは、その旅の友というわけだ」


両腕を広げ、人間の男は自身の引き連れているポケモンを示した。

紹介された側のポケモンたちは、なんとも言いがたい顔だ。

男に『旅の友』と表現されたことへの誇らしさが見える。

だが少しばかり、現状に納得しかねているようにも見えた。

『なんとなく』、拗ねているようでもある。


ジュプトルが横目でこちらを見上げ、肩を竦めていた。


アデク「全員が揃えば、本当はもっと、ずっと賑やかなんだが」

アデク「火が苦手な連中はボールの中で休んどるんで、挨拶は勘弁してやってくれ」

アデク「今晩、一宿一飯の……あ、いやわかりにくいか」

アデク「とにかく一晩、世話になる」


地面に両手を突き、深々と頭を下げた。

アデクと名乗った男のポケモンたちが不安そうに、その姿を見ている。

彼らの困惑は、ミュウツーにも理解できる気がした。


ややあって、男が顔を上げた。

にこやかな笑顔のままだ。

悪意はないようだが、こちらの反応を探ろうとする目をしている。


正直なところ、どう反応したものか、ミュウツーも少し悩んでいた。

『はい』とも『いいえ』とも答えにくい。

了承を表明すべく頷くのも、何かそぐわないような気がする。

だが、気にするなと首を横に振るのも、それはそれで違うように思う。

自分に、その決定を下す権限はあっただろうか。


少し困って友人を見やると、ジュプトルも困ったように首を傾けていた。

俯せのダゲキは、何の反応も見せない。


諦めて正面に向き直る。

アデクがふたりの挙動に苦笑しているように見えた。

ミュウツーの胸中に、むずむずした恥ずかしさが込み上げてくる。

仕方なく、肩を竦めた。

そうすることで心情が伝わってくれることを願う。

これで、『どちらとも答えづらい』という選択肢が増えたことになるはずだ。


アデク「まあひとつ、よろしく頼む」


これでひとまず、互いに敵意のないことは確認できたはずだ。

誰にも気付かれないように、ミュウツーはそっと息を吐いた。


アデク「……ところで」


アデクが傍らを指差し、こちらに問いかけてきた。


アデク「こいつは、お前さんたちの知り合いかな」


彼が指し示しているのは他でもない、醜態を晒すダゲキだ。

ミュウツーは今度こそ、間髪を入れずに頷く。


アデク「ああ、やはり知っているのか」

アデク「少し安心した」


ミュウツー『……情けないな』

ミュウツー『あいつは、修行で山籠りをしているんじゃなかったのか』


ジュプトルに向けてそう呟く。

足元で、ジュプトルがこちらを見上げて不安そうな顔を見せた。

やはり心配で落ち着かないということらしい。

今にも駆け出しそうな具合だ。


視線を移すと、アデクがこちらを見ていた。


アデク「いや、さっきな……こいつと、辺りを調べとった時にな」


『こいつ』と言いながら、アデクは横に座るポケモンを指した。

さきほど唸り声を上げていた、頭部の赤いポケモンだ。


アデク「ここからだいぶ歩いたところで倒れとったのを見つけた」

アデク「といっても、見つけたのはわしじゃなく、このクリムガンだが」


身体が青く、トゲと頭の赤いポケモンは、『クリムガン』というらしい。

当然、今までに見たことも聞いたこともない。

確認のしようもないが、おそらくは個体ではなく種の名前だろう。


『クリムガン』は自慢げに鼻を鳴らした。

自分の貢献に正当な評価を得て満足している、といったところのようだ。


アデク「野生のポケモンが寝こけとるにしては、妙に無防備だと思ったんだが」

アデク「修行中に限界が来た……ということなのだな」

アデク「まったく、精の出ることだ」

アデク「昔のあいつ……ああ、なんというか、知り合いを思い出したわ」


アデクはそう言って笑った。

『あいつ』とは、誰のことだろうか。


不穏な経緯はなかったようだ。

男が嘘をついているようにも思えない。


彼の話を聞いて、ミュウツーはマントの下で顔を顰める。

同時にやれやれ、と長い溜め息をつく。


これでは、心配した自分たちが馬鹿みたいではないか。

足元のジュプトルなど、それを聞いてもなお気にかけているというのに。

無事だったことに安堵してしまった自分にも、呆れるばかりだ。


溜め息を契機にしたのか、ジュプトルがミュウツーの足元を離れた。

そろそろと歩き始め、ダゲキに近づいていく。

ポケモンや人間の視線を浴び、苦手なはずの火の横をかすめながらだ。


アデク「ははは、まあ、怪我や病気というわけではなさそうで、よかった」

アデク「ひょっとすると、助けたのも……余計なことだったのかもしれんが」


ダゲキの元に辿り着いたジュプトルが、小さな爪で彼の頭をはたいた。

気の抜けるような硬い音がする。

アデクは、そんなジュプトルの一挙手一投足をしげしげと眺めている。

そして顎を擦り、小さく唸った。


アデク「お前さんは、こいつのともだちか」


ジュプトルは一瞬、きょとんとして動きを止めた。

何度か瞬きし、それから耳障りな声で一声鳴くと、転がるダゲキの背中によじ上った。

アデクに向けて胸を張り、ジュプトルは喉のあたりを掻く。

そのようすを見て、アデクはやけに嬉しそうに何度も頷いた。


アデク「ははは……いや、言いたいことは、なんとなくわかる」

アデク「仲良しだぞというわけか、それはいいことだ」

アデク「……お前さんもかな?」


こちらを振り向きながら、男が言った。

ミュウツーは肩を竦める。

無意識のうちに、口を歪めて笑っていた。

嘲笑ったわけでも、ましてや面白かったわけでもないのだが。

ここは一笑に付すべきだと思った。


アデク「いやいや、わしは本気で言っておるんだ」

アデク「お前さんたち若いもんは……ああ? 若いのかな?」

アデク「まあいいか……そうやって鼻で笑うがなあ」

アデク「仲良きことは美しき哉、といってな」

アデク「誰が言ったか忘れてしまったが、とてもいいことなのだぞ」


笑いながら、アデクはどこか神妙で滑稽な言い方をした。

おどけてみせた、という方が近いかもしれない。


彼の言葉に、ジュプトルは首を少し伸ばして妙な顔を見せた。

大きな目をぱちぱちと瞬かせている。


ミュウツー(あの顔は……)

ミュウツー(言われていることが理解できなかったのだな)


アデク「それにな、ダゲキというポケモンのことは、わしも知らんではない」

アデク「寝る間も惜しんで修行をする、というのは、まあよくあることらしい」


ジュプトルがアデクの顔を見た。

今度は、言っていることがきちんと理解できた、という顔だ。

アデクは愉快そうに、その姿を見て笑っている。


アデク「そうか、こいつもか」

アデク「やはり、そういう“たち”ということなんだな」

アデク「実はわしの知り合いにも、ダゲキを連れとる奴がおるんだが」

アデク「まあトレーナーがトレーナーなら、ポケモンもポケモン、というやつでなぁ」

アデク「ふたりして飽きもせずに、いつまででもトレーニングしとるんだわ」

アデク「さっき『思い出した』というのは、そのトレーナーの方だ」


ぎぃぎぃとジュプトルが鳴いて、アデクに何か言っている。

人間がいるから当然なのだが、ジュプトル本来の鳴き声で、だ。

何を言っているのか、ミュウツーにもさっぱりわからない。

しかし、どうやら普段のダゲキについて懇々と訴えていることは理解できた。


アデク「ははは、そうか、そうか」

アデク「いやいや、何を言っとるかは、わしにもよくわからんが」

アデク「仲がいいことだけは、もう十分わかったわ」


アデクはミュウツーに向き直った。

表情は笑顔のままだが、目は笑っていない。


ミュウツーは不意に、マントを剥ぎ取られたような感覚に陥った。

見せていないはずの顔を、覗かれていないはずの目の奥を見透かされた。

そんな感触だ。

人間たちが見せるあの視線は、やはり少し苦手だった。


アデク「お前さんは、無口だな」


頷く。


アデク「……だが、お前さんもジュプトルくんも、わしらの言葉が理解できるようだ」


また頷く。


アデク「ということは、お前さんたちは、みんな……」


少し考え、頷く。


アデク「……そうか」


男は渋い顔をした。

何か考えているらしい。

揺れる炎を眺め、それから顔を上げた。


アデク「人間は、嫌いか?」


深く頷く。

ジュプトルの、吐き捨てるように喚く声が聞こえる。


アデク「……だろうな」

アデク「いや、すまんな……」


ふたたび考えこむようなしぐさをして、アデクは顰め面になった。


アデク「話には聞いとるし、ここに限った話ではないこともわかっとるが」

アデク「実際に面と向かって頷かれるとなあ……」

アデク「わしの前になぞ、本当は出たくはなかっただろう」

アデク「悪かったなぁ……」


ジュプトルがなお一層、きりきりとやかましく喚いた。

あの顔ならば、『気にしていない』と言っているのだろう。

いや、『お前が気に病むことではない』だろうか。



――にんげんは すき じゃない

――でも おまえは なにも



ミュウツー(……?)


はっとして見回す。

そうだ。

きっとジュプトルはそう言ったのだろう。

奴の言いそうなことだ。

だが、今の声は……。


ミュウツー(誰が言った?)

ミュウツー(……ジュプトルか?)


水の中から外を眺めたように、風景が歪んで――間もなく元に戻った。

やはり、何かがおかしい。


ちょうどそのとき、アデクとジュプトルが揃ってこちらを見た。

更に、馴々しさを滲ませてジュプトルが一声鳴く。

明らかにミュウツーに向けて声を発している。

要は『お前も何か返事をしろ』と言いたいらしい。


ミュウツー(い、いちいち面倒な)


とはいえ、無視するわけにはいかない。

ジュプトルと同じく『気にしていない』と伝えるため、ミュウツーも首を横に振る。

もう風景は歪んでいない。


アデク「そうかぁ」


眉尻を下げ、アデクはまた頭を掻いた。


アデク「ははは、なんだか、すまんな」

アデク「自分のポケモンだけでなく、お前さんたちにまで気を使わせてしまったような気がする」

アデク「……腑甲斐ないものだ」


ミュウツー(すぐに謝るところが、奴と似ている)


得体の知れない卑屈さが垣間見える、という点でも似ているように思えた。

どちらも、好ましいものではない。

目の前でそんなふうに振る舞われると、いらいらするのだ。

ほんの少しだけ。


しばらくして、ぱちん、とアデクが自分の膝を叩いた。


アデク「いやしかし、通じるとなれば話は早い」

アデク「お前さんたちの縄張りを侵してしまったわけだが」

アデク「そうまでしてキャンプ地を確保したかったのには、一応のわけがある」


ミュウツーは首をかしげる。

話を続けろ、という意思表示だった。

改めて『縄張り』と形容されると、実感が伴わなかったが。


アデク「うむ」

アデク「こいつがいてな」


そう言いながら、アデクは視線を下げた。


ミュウツーは改めて、アデクが抱える『何か』に目を向けた。

人間の男が両手で抱えるほどの大きさの、『何か』。

楕円に近い丸型で、表面は見たところ、すべすべしているようだ。

色はぼんやりと白っぽく、薄い柄が散らばっている。


ミュウツー(……あれは)


アデク「卵だよ」


考えを見抜いたかのようなタイミングで、アデクが答えた。

『卵』は揺らめく炎を受け、浮かび上がって見えている。


アデク「もうすぐだ、と言われた」


何かを待ち望むように、アデクは言った。

彼にとってこの卵は、よほど大切なものらしい。

少し目を細め、卵を優しく撫でている。

『嬉しい』とも『悲しい』とも違う、不思議な表情を浮かべている。


アデク「わしはブリーダーでも研究者でもないから、詳しいことはわからん」

アデク「だから、ただの『なんとなく』……なんだが」

アデク「たしかに、もうすぐ、出てきてくれそうな気がする」


ミュウツー(それはつまり、孵化が近いということだろうか)


わずかに身を乗り出し、ミュウツーは卵を眺める。


知っている。

知らないが、知っている。


アデク「こんなことなら、無茶はしないでホドモエに一泊すればよかったわ」

アデク「まあ、そんなこと言ってもしかたない」


男は自嘲した。

ミュウツーはそれを聞き流す。

意識のほとんどは卵に向けられていた。


知っている。

あれはゆりかごなのだ。

それも、金属やガラス、合成ゴムではない。

もっと違う材質でできている。


その中に、何かがいる。

いまだ生まれていない誰かがいる。

まだこの世界に『存在するだけで、生まれてさえいない』。

だが、その何者かは、確実にそこにいる。

蠢いている。

脈打っている。


自分には、ついに縁のなかったものだ。

考えれば考えるほど、不思議な物体に、目は釘付けになっていく。

あれは、抱えるとどんな感触なのだろうか。


アデク「お? どうだ、お前さんも抱えてみるか?」


そう言われて、ミュウツーは我に返った。

どうやらアデクは、ミュウツーの何かを見てそう提案したようだ。


ミュウツー(……?)


手元に目を向ける。

すると、自分では思ってもみなかった光景が見えた。


ミュウツー(……あ)


マントの袖口から、白っぽい両腕がはみ出している。

見慣れた自分の手。


これはなんだ。

何をしている。

私は、いったい何をしようとしていた。


ミュウツーは何度も自問する。

自分自身と、以前より少し逞しくなった自分の腕を問い詰める。


ミュウツー(私は……手を伸ばそうとしたのか)


いつのまにか。

男の持つ卵に向けて。


慌てて両手を引っ込めた。

どきどきしている。


何をしようとしていたのか、自分でもはっきりしない。

いや違う、それはわかっている。

そうではなくて、なぜそんなことをしようと動いたのかだ。


完全に無意識の行動だった。

空腹に苛立ち、思わずきのみを目で追ってしまったときの気分に似ているような気がした。

まさかにも今は空腹ではないし、『あれ』の中身をそういう対象だと思っているわけでもない。


ミュウツー(たしかに……興味はあったが)


アデク「ははは、そう緊張せんでもいいぞ」


笑いながらそう言うと、アデクは立ち上がった。

もう、すべて見抜かれているような気がする。


アデク「ほれ」


なんのことはない、という表情で、アデクは卵を差し出してきた。

そんなふうに、誰かに預けてしまって大丈夫なのか。

そんなに、大事なものを。

こちらが心配になる。


もう手や腕は見られてしまっただろうし、足先も男の目に触れてしまっていることだろう。

だが、男は怖気づくこともない。

『見たこともない手足の持ち主』が何者かなど、気にもしていないのか。


ミュウツーは次の動作を『意識』した。


アデク「……おお」


男は目を見開き、わかりやすい驚きの声を上げた。

というのも、卵が音もなく男の手から離れていったからだった。

同じ高さを保ったまま、ゆっくり宙を漂っている。

くるんでいた毛布が地面に滑り落ちた。

だが、毛布の行く末を気にしている者はいない。


卵を浮き上がらせたのは、他ならぬミュウツーだ。

自分が歩くよりも少し遅い速度で、少しずつ卵を引き寄せている。

もっとスピードを出してもいいものなのかもしれない。

だが、何かあっては困る。

どの程度の強度や耐衝撃性があるのかもわからない。


アデク「これは、マントのお前さんがやっとるのか」

アデク「……便利なものだ」


うっかりすると聞き逃しそうな音量で、アデクが呟いた。

ミュウツーの耳は、幸か不幸かその声を拾っていた。


ミュウツー(『便利なもの』か)

ミュウツー(今となっては、なんとも味わいのある言葉だ)


ほんのささやかな音と共に、大きな卵がミュウツーの腕の中に収まった。

思いのほか温かく、思ったより重い。


ミュウツー(……殻は予想したよりも厚そうだな)


そっと顔を上げアデクを盗み見ると、彼は満足げに頷いていた。


アデク「うむ。わしの『見る目』に狂いはなかった」


ミュウツーはわずかに首をかしげた。

言語を介さない会話がそれなりに成立している。


アデク「ははは、まあ気にせんでくれ。独り言だ」


少し気になったが、今は手中にあるものの方が大事だ。

うっかり手を滑らせてしまっては大変だ。


不意に、何か重いものにシーツの裾を引っ張られる感触を覚えた。

背中から頭上へと、重みが移動していく。

最終的に、頭の上から、ぎりぎりという耳障りな鳴き声が聞こえた。


アデク「そこの方が見やすいか! そうか、ははは!」


笑って膝を叩くアデクに、頭の上から誰かが鳴いて応じた。

ジュプトルがまたよじ登ってきているようだ。

アデクは何がおかしいのか、実に愉快そうに笑っている。


ミュウツー『……マントがずれるだろうが』

アデク「まあまあ」


ミュウツーの心配をよそに、ジュプトルは喉を鳴らしている。

これは笑っているときの声だ。

声の調子から考えて、だいぶ機嫌がいいようだ。

腑甲斐ない友人のことを心配するのは、もうやめてしまったのだろうか。


ミュウツー(まったく、うまいこと『ただのポケモンのふり』をするものだ)

ミュウツー(あとで、奴にもその話を聞かせてやろう)

ミュウツー(というか、そろそろ目を覚ましたのではないか)


そう考えてダゲキの方に意識を向けようとした。

その瞬間のことだ。


ミュウツー(……!?)


不意に腕の中で、わずかにだが、卵がぐらっと揺れたような気がした。

反射的に、思いきり頭を動かす。

すると、きぃ、という無様な声と共にジュプトルが地面に転げ落ちたのが見えた。


ミュウツー(う……動いた?)


ただの勘違いかもしれない。

どちらかといえば、勘違いであってほしいくらいだ。

ジュプトルが頭の上に乗っているからバランスが崩れて、そう感じただけの可能性も高い。


ミュウツー(いや、だが、たしかに今……)


ジュプトルのやかましい声が聞こえる。


アデク「ははは、喧嘩するんじゃないぞ」

アデク「まあ……喧嘩するほど仲がいい、とはいうがな」


確かめるべく、卵を抱えたままじっとする。

だがそれきり、揺れ動く気配はなかった。


ようやく肩の力を抜く。

すると、ジュプトルが不満げにこちらを見上げていた。

振り落とされたことが気に入らないのだろう。

とはいえ、そんな抗議など今は些細なことだ。


ミュウツー(……やはり、気のせいだったのか?)


アデク「卵の中にいるのは、わしの相棒の……いわば忘れ形見だ」


アデクはボキボキという不穏な音をさせて、腰を伸ばしていた。

たった今の出来事に、彼は気付かなかったようだ。


ミュウツー(わすれがたみ?)


アデク「意味は、わかるか?」


ミュウツーは躊躇した。

語義は知らない。

にも関わらず、言わんとしていることはわかるような気がする。


忘れる、置き忘れる。

形見。

それからアデクの話しぶり、声の調子、表情、しぐさ。

そうした『言葉そのもの以外』によって齎される情報が存外に多い。

それらを総合して、今、自分は意味を理解したらしい。

自分で自分を分析してみると、そういう結論になった。


だからミュウツーは、少しの間を開けてから頷いた。

ゆっくりと、不安そうな動きで、多少ぎこちなく首を動かす。


アデクは相変わらず笑っている。

どこが、かわからないが、自分の反応をいたくお気に召したようだ。


アデク「……年寄りの世迷い言だと思って、少しばかり話に付き合ってくれるか?」

アデク「お前さんたちが聞かされても、困るだけかもしれんが……」

アデク「珍しく、誰かに聞いてもらいたい気分なのだ」


似たようなフレーズを聞いた記憶がある。

ミュウツーが頷くと、アデクは眉根を寄せた。


アデク「そうか、すまないな」


かしゃん、という乾いた音と共に、くべられた枝の一部が崩れた。

その音に反応し、ジュプトルがびくりと痙攣した。

ジュプトルの方は恐る恐る、といった動きで、火の方を見ている。


ミュウツー(なんだ、やはり怖いものは怖いのか)


ぼんやりと、そんなことを思う。


アデク「わしには、『相棒』がいた」


アデクは、それまでに比べるとだいぶ小さな声で話し始めた。

赤い頭のクリムガンは、男の近くで眠そうにしている。

立派なとさかの目立つウォーグルも、目が半分に閉じつつある。


アデク「お互いを信頼し、どんなときも力を合わせてきた相棒だった」

アデク「それは、なにも闘わせる場面に限った話ではない」

アデク「人生を共に過ごし傍らにある者として、誰よりも通じ合っていた……はずだ」

アデク「わしは少なくとも、あいつのことをそう思っていた」

アデク「向こうもそう考えてくれていた、と思いたいが」


蹲っていたクリムガンが、にわかに首をもたげた。

ぐるぐると唸り、アデクを睨んで鼻筋に皺を寄せる。

口を大きく開け、ごう、と低い声で鳴いた。

彼の何かに『抗議』しているらしい。


その光景を、ミュウツーは黙って見ている。

ポケモンが自分のトレーナーの発言に異を唱える。

今となっては驚きもないが、それでもどこか不思議に思えた。


アデク「すまん、すまん、わかっとるよ」


アデクは慌てたようにクリムガンの首筋を撫で、機嫌をとった。


アデク「そういう言い方は、しない約束だったなぁ」

アデク「……こいつはな、こんなふうに少しばかり強面だが、心根は優しい」

アデク「今もこうやって、わしを元気づけようとしてくれる」

アデク「本当に優しい、いい子だ」


クリムガンは、どこか誇らしげに身をよじった。

アデクの言葉をきちんと理解しているらしい。

かすかにだが、彼らの関係がどういうものなのか、窺い知ることができた気がした。

もっともあの唸り声では、とても元気づけているようには聞こえないのだが。


アデク「他の連中もみんな、そうだ」


そう言い放つアデクの声には、自信とも確信とも少し違う響きがあった。


アデク「すまんな、せっかくお前さんたちに聞いてもらっとるのに」

アデク「話……そうだ、あいつの話だったな」


アデクはポケットに手を入れ、何かを取り出した。


アデク「わしは今日、マッチを持っていたんだ」


唐突に、アデクはそう言った。

彼の手には、小さな紙の箱が握られている。

人間の手にすっぽりと収まるほどの大きさで、やや平たい。

中から、かたかたと乾いた音がしていた。


それが何のための道具なのか、ミュウツーは知らない。

どこかで見たことがあるような気もするが、はっきりした記憶はなかった。

その『マッチ』が、どう関係するのかもわからない。


アデク「だから、今日のところは、こうして自分で火を起こすことができたわけだが」


ミュウツー(あれはニンゲンが火を起こすために使うものなのだな)

ミュウツー(火、か……)


火と言われて思い出すのは、焚き火ともうひとつ、あの蝋燭だった。

壁に設置され、音のしない鈴で消されていく、あの灯りだ。


繋がった鎖を引き寄せていくように、あの夜の記憶が次々に甦った。


窓のない、暗い部屋。

弱々しい灯りに照らし出された本棚の壁。

知識の詰まった無数の本。

本に書かれた、たくさんの知らない言葉。

人間の女が喋る、たくさんの声。


アデク「もし、忘れていたら、こんなふうに火を起こすことも……」

アデク「まあ不可能ではないが、よほど面倒で時間がかかっていただろう」

アデク「あいつがいた頃は、そんな心配はしなくてすんだのだ」

アデク「あいつはな、そういうのも担当してくれていた」


かたかたと小箱を弄び、アデクは懐かしんでいるようだった。

彼が言う『あいつ』とは、その『相棒』のことなのだろう。


ちらっ、とジュプトルの様子を窺う。

ジュプトルは地面に尻をつき、静かに、まっすぐにアデクの方を見ていた。

意外なほど行儀よく、男の『世迷い言』に耳を傾けている。

少し傾いている背中に、いじらしささえ感じた。


ダゲキの方は、相変わらず動かない。

ひょっとすると覚醒はしているのかもしれないが、顔は見えない。

一向に起き上がってくる気配はなかった。


ミュウツー(いつまで寝ているつもりだ)


しかたなく、目の前の人間に視線を戻そうとする。

その瞬間、視界がほんのわずかにぶれた。

同時に、ぼそぼそと耳元で囁くような声も聞こえた。


ミュウツー(……?)


音もぶれも、それきりだ。


アデク「たかが火種のことと思うだろう」

アデク「道具さえあればいいのだから、実際、大した問題ではない」


男の声に意識を引っ張られた。


アデク「だがな、わしにとってはその些細な違いこそ、何よりも堪えた」

アデク「それこそ、堂々と悲しんでいたときよりも、身に沁みていたかもしれない」

アデク「なのに、いつまでも、向き合うことができなかった」

アデク「相棒が死んだことを、わしはなかなか……受け入れることができなかった」


アデクは、片手でマッチの箱を開けては閉め、それをただひたすら繰り返している。

そのたびに、箱の中から軽いものが擦れ合う音が聞こえている。

横に中身を押し出して開閉するのが意外だった。


アデクの口元は変わらずに引き上げられている。

にもかかわらず、よく見ると目はもう笑っていなかった。


アデク「……病気というものを、甘く見ていたわけではないつもりだ」

アデク「だが、わしの相棒は病気で死に、もうわしの傍らにはいない」

アデク「そればっかりは、変えようのない過去だ」


アデクは言葉を切る。

ウォーグルが、かかかと唸ってから、かつんと嘴を鳴らした。

あくびをしたようだ。


アデク「わしは……あいつに置いて行かれてしまった」

アデク「あいつは、この世界から消えてしまった」

アデク「そういう思いが、どうしても頭から離れなかった」

アデク「その現実に、どう対処すればいいかわからなかった」


眉根に深く皺を刻みながら、アデクは呻くように言った。

少しずつ俯き、目はそれでも見開いている。

見慣れない表情だった。


アデク「もっと、してやれることはなかったんだろうか」

アデク「まだ何かできることがあったんじゃないか」

アデク「わしは……」


例えるなら、何かに耐えている。

さもなくば何かを我慢している。

口や目から流れ出してしまいそうな何かを、必死に食い止めているようにも見えた。


アデク「か……悲しむばかりでは、皆に、迷惑がかかる……と思ったこともある」

アデク「もちろん、面と向かって、わしにそんなことを言う輩はいない」

アデク「知り合いも弟子も、気を使ってくれているのは、さすがにわかったよ」

アデク「だが、そうやって、不自然に、いつもと同じようにされると……」


苦笑いを浮かべて、アデクは一瞬、言葉を切った。


アデク「余計に、欠けたものの大きさが浮き彫りになる……こともある」


アデク「わしのことを思って、やってくれる皆の心遣いも苦しい」

アデク「……ははは」

アデク「やはり、こんなこと、当人たちの前では、なかなか言えるものではないな」


そこまで言うと、アデクは目をきつく閉じて頭を振った。


視界の隅で、ダゲキが身じろぎしたような気がした。

彼の存在だけは、常に意識の片隅に留めてある。

うっかり、この人間の見ている前で喋られては困るからだ。


アデク「……わしの相棒は、もうこの世界のどこにもいない」

アデク「どれほど会いたいと思っても、二度と会えない」

アデク「撫でてやることもできない」

アデク「わしが他愛ない話をして、笑わせてやることも」

アデク「楽しさや、辛さを共有することも、もうない」


みゅうみゅう、きゅうきゅうと細い音が聞こえている。

ジュプトルがうなだれていた。

今まで聞いたこともないような、情けない鳴き声だ。


アデク「……ジュプトルくんもか」


アデクがジュプトルに話しかけた。

こころなしか、彼の声も優しい。

ジュプトルは囀るのをやめて黙り込んだ。


アデク「それは、ジュプトルくんにとって、大事な誰かだったか」


ジュプトルは少し間を置いてから、その問いかけに応じた。

なんともいえない、哀れっぽい声で。

そんな声は、この森で暮らすようになって、初めて耳にしたと思う。


アデク「……それは……」


彼は一瞬、何かを躊躇したようだ。

だが、ゆっくりと背を丸め、アデクは目線を下げた。

ジュプトルに問いかける。


アデク「……それは、わしら人間が原因なのか」

ジュプトル「……」


ジュプトルが下を向いた。

それが肯定なのか、否定なのか、ミュウツーにもわからない。

何を考えているのだろう、と思った途端、視界に薄いもやがかかった。

それも、やはりほんの一瞬だ。

そのもやの向こうに、風景のようなものが見えた。


ミュウツー(……川……?)


もちろん、今いる森の景色ではない。


はっきりとした像を結ばないまま、目の裏の残像のようなものは薄れていった。


ミュウツー(……なんだ、今のは)


アデク「そうか」


アデクは、ジュプトルの返答に何がしかの意味を見出したようだ。


アデク「……ジュプトルくんも、ずいぶん苦労してきたようだな」


ミュウツー(……ん?)


突如として、ミュウツーはぞわぞわと背中を撫でられる感覚を覚えた。

視線だ。

もやが綺麗になくなるのと入れ替わりに、ちくりと視線が刺さった。

誰かが、明確な意志をもって我々を見ているらしい。

自分へか、この場そのものへかはわからないが、意識を向けてくる気配がいくつか。

ちょうど真後ろから、視線を注がれている。


実を言えば、これまでにも、いくつもの気配は行き来している。

もっともそれらは、いずれも留まることなく去っていく。

要は、いつもと違う気配を察した森の連中が様子を窺いに来ただけだ。

さもなくば、ただの通りすがりだ。

だから近づいては離れるのも当然で、いちいち気に留める意味はなかったのだ。


だが、いくつかの気配は立ち去ることなく、意識を向けつづけている。

木々の間に紛れ、こちらを覗き、注視している。


ひとつは、それほど離れていない背後の森。

もうひとつは、もっとずっと距離があるようだった。

どちらも、近づいてくる様子はない。


知っている中の誰かだろうか。

いつから注がれていたのだろうか。


ミュウツー(意図がよくわからないが……まあ、いいか)


アデク「誰かを失ったときから、その心はいつまでも、そのままだ」

アデク「暗い悲しみの形に抉られて、変わり果てたままなのだ」

アデク「引き千切られた傷が元通りに治ることもない」


笑ってみせてから、アデクは肩を竦めた。


ミュウツー(……)

ミュウツー(抉られたら、抉れたまま……か)


ミュウツーは胸のあたりに、粟立つものを感じた。

この感触もまた、初めてではない。

決して嫌な感じではないのだが、落ち着かないから苦手だ。


ミュウツー(私は、それが何だったのかさえ、もうわからない)


卵を抱える両腕に、少しだけ力が入った。

卵は『どうにか』なってしまうこともなく、今のところ腕の中で静かにしている。


アデク「ジュプトルくんが苦しんでいるのは……」

アデク「失った相手がジュプトルくんにとって、とても大切だったからだ」

ジュプトル「……」

アデク「大切であればあるほど、傷は深い」

アデク「血も流れ続けて、なかなか止まらない」


アデク「どうしてこんな思いをしなければならないのか、とずいぶん悩んだものだ」

アデク「どうでもいい相手なら、こんなに苦しむことはないんだろうが……」


彼は、胸元を掻き毟るようなしぐさを見せた。


アデク「もちろん、傷口から血が流れなくなる日は、いつか来る」

アデク「だがな、それはいわば『傷が癒えた』といえるだけのことだ」

アデク「傷がなくなるわけでも、なかったことになるわけではない」

アデク「悲しいのも、寂しいのも、なくならない」

アデク「やっとのことで血が止まった傷口を、掻き破りたくなることもある」

アデク「とても、長い時間がかかるんだ」

アデク「あいつが、わしの中に生きているとわかるまで」

アデク「……ずいぶんかかった」


ミュウツー(……)


男が静かに語るのは、彼自身のことだ。

ミュウツーの足元で、ジュプトルが力なく首を振るのが見えた。


アデク「それを理解しているかどうか」

アデク「その違いは小さいようでいて、とても大きいと思う」

アデク「気分のいい誘惑も、多い」

アデク「……なんにしても、まだ『業務』に戻れる状態ではなかったからな」

アデク「だから、わしは旅に出てみたんだよ」


ミュウツー(旅? なぜ? なんの為に?)


ミュウツーは、ゆっくりと首を傾けた。


アデク「ん? ……ああ、いや、なんでだろうな」

アデク「何かを伝道してやろうとか、そういうつもりもなかったよ」

アデク「ただ、時間が欲しくなった」

アデク「いろんなものを見て、いろんな相手と出会って」

アデク「……まあ、いろいろ考えてみたくなったんだろうな」


――もちろん……バトルで死なせたわけじゃ


――病気


ミュウツー(あれ、なんだか、この男の話には……)

ミュウツー(聞き覚えがあるような気がする)


――旅に出ちゃったのよ、その人


ミュウツー(……そういえば、あの女の話に出てきた『あの人』とかいう人物も)

ミュウツー(『旅に出た』とか、い……言っていなかったか)

ミュウツー(……え?)


アデク「?」

アデク「なんだ、どうかしたのか?」


ミュウツーは、慌てて首を振った。

とっさの動きだった、と自分でも思う。


なぜか、急に罪悪感が湧いてきたのだ。

ひょっとすると、いやほぼ確実に、自分はこのアデクと名乗った人間を知っている。

それも、アロエに聞かされた話で、だ。

直接的にではない。

この人間自身の、それなりに個人的な話を、本人以外の口から聞いて知っていた。

それがにわかに、申し訳ないことだったように思えたのだ。

なにか、話を知る順序についてルール違反をしてしまったような。


ミュウツー(まさか、あの話の当人と顔を合わせることになるとは)


アロエの行動を責める気にはなれない。

自分も彼女も、それは互いに想定外だった。


不審な動きを見せるミュウツーに、さすがのアデクも妙な顔をしていた。

だが、追及するのは諦めたようだ。

問い質されたところで説明はできない。


アデク「……わしのような人間が今の地位に居座り続けること自体」

アデク「そろそろ、無理があるのかもしれんなあ」

アデク「ははは、レンブにもいらん苦労をかけて、これでは師匠失格だな」

アデク「……ああ、レンブというのは、わしの弟子を自称している男だ」

アデク「イッシュリーグで四天王をやっとってな」

アデク「このダゲキくんを見ていたら、やけにそいつの『昔』を思い出した」

アデク「今はもう、ずいぶん落ち着いてしまったが」

アデク「……最初の頃は、こんな感じで、危なっかしい奴だったなあ」

アデク「崖の縁を目隠しして全力疾走して、やっと生きている実感を持てるような、無茶な奴だった」

アデク「ダゲキくんがそういう奴かどうかはわからんよ」

アデク「だが、なんとなく……な」


ミュウツーは男の話に耳を傾けながら、ふたたび『卵』を浮き上がらせた。

そろそろ限界だった。


ミュウツー(この男が、やはりアロエの言っていたニンゲンなのか)

ミュウツー(……本当に出会えてしまうとはな)


卵はゆっくりと空中を漂っていく。

アデクも、もう卵が浮遊した程度では平然としている。

静かに浮いて近づいてくる卵を、ただ注視するだけだった。


アデク「よしよし、おかえり」


受け取った卵に声をかけ、アデクはすべすべした表面を優しく撫でた。

自分たちに『思い出話』をしているときとは、まったく違う声で。


アデク「な? わしが睨んだとおり、悪い奴じゃなかっただろう」


優しく、穏やかで、思いやりに満ちた声で、卵に語りかける。


アデク「お前にも、早く世の中を見せてやりたいものだ」

アデク「……まあ、出てくるのは、お前がそうしたくなったら、でいいんだぞ」


父親というものが自身の子供に語りかけるとき、こんな声音になるのだろうか。

ミュウツーは、胸の内側か腕の皮膚を掻き毟られた気になった。


目の前の光景に、怒りや憤りを覚えたわけではない。

羨ましいなどとはこれっぽっちも思わないし、嫉妬でもない。

それだけは自信を持って否定することができる。

決して、見栄でも強がりでもない。



そうではなくて――




――……お …… と、お …… さ、ん……




ただ無性に、大声で叫びたくなった。


今回は以上です
長かった…
卵の大きさに関してはトゲピーの卵しか記憶がなかったんで
そんなイメージでお願いします
文中にある通り、ジュプトルは普通よりチビでガリです

>>330
ズッコケ三匹組、なんちって

>>333
はい、パソコン使えないからボールじゃらじゃら下げてる爺さんです!
アデク、好きなんだけどなあ

>>334
さて、どうなってしまうんでしょうねえ…

>>335
保守ありがとうございます!

そういうわけで、多ければいいわけじゃないにしても
1700行くらいありました
ちょっと疲れたけど今月中に投稿できてよかった

ではまた来月

       _

      /  │       /´´ヽ    夏休み? それは何だね?
     /  -───  /   │          
      ´         /   │          ´;:;:;:;:;:;:;:;:;:ヽ
   /              │        /;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:丿
   /                │        /;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:/
    \      /       │    /;:;:;:;:;:/´´´´´
  ヽ ●      ●      │   (;:;:;:;:;:;:(

   ⊃        ⊂⊃    /   /⌒ヽ;:;:;:;:ヽ
   /    、_,、_,       丿ヽ /   /ヽ;:;:;:;:ヽ
   \___ゝ._)___/‐‐/   /   │;:;:;:;;::
       /  ヽ     イ´   /     │;:;:;:;:│
      │      ´   ヽ  イ│       │;:;:;:;:│
      へ           /    |丿      /;:;:;:;:;:;:│
    /  /`────-   │     /;:;:;:;:;:;:;:丿
  /  /    \        \   /;:;;:;:;:;:;:;:/

気づいたら月末も目の前だったので念の為保守
しかもよく考えたら投稿始めもう丸2年もたってた

それでは始めます



ミュウツー(……う……)


目の裏を駆け巡る衝動をなんとか抑え、ミュウツーは『うわべ』の平静を保った。

ずいぶんと長い時間、そうしていたような気がした。

が、実際には数秒もたっていないらしい。


表向きは息ひとつ乱れていない。

おそらく、そんな衝動に駆られたことさえ、誰にも知られずにすんだはずだ。

頭の中には、今この瞬間も、言葉にならない意味不明な叫び声が反響している。


具体的にどんな感情なのか、うまく自分でも言い表せない。

だが、名前のないものがすなわち存在しないことになるわけではあるまい。


初めて何かを『美味しい』と感じた時も、そうだったと思う。


友人たちもまた、あの男の表情を見て、何かを感じただろうか。

自分が感じたように、叫びたくなるような思いに囚われてくれただろうか。

……それは、少しだけ気になる。


だから、ミュウツーは彼らの顔を盗み見ようとした。

そうやって『余計なこと』をして、一刻も早く平常心に戻りたかった。


運の悪いことに、ここからではどちらの表情もよく見えない。

残念なはずなのに、むしろ少しほっとしていた。


そうこうしているうちに、少しずつ胸の中の騒々しさは収まっていく。

時間がたったからかもしれない。

『余計なこと』をした効果なのかもしれない。


アデク「……ああ、そういえば」


はっきりしない頭に、冷水のように男の声が流れ込んできた。

よくよく響く大声だと思う。


アデク「『謝礼』は、どうする」


思い出したかのようにアデクが尋ねてきたのは、当初の提案だ。

露骨に声を潜め、もう眠ってしまったはずのウォーグルを横目で見ている。

ウォーグルを意識する男の動作には、少しわざとらしさが垣間見えた。


ミュウツーはすかさず首を横に振った。

今はそんなもののために、この場にいるわけではない。

もとより謝礼が目当てでもない。


アデク「そうか」


どうやら彼は、こちらの返事を見越していたようだ。

驚くふうでもなく、残念がっているわけでもない。

『やっぱり』とでも言いたそうに、少し笑っている。


アデク「……まあ、だろうな」

アデク「それは、はじめからわかっとった」

アデク「じゃあ、お前さんたちは、どうしてわしの前に姿を見せたのだろう」


少しだけ首をかしげ、アデクは『疑問』であることを明示した。

ジュプトルがこちらを見上げる。

アデクが、その言葉としぐさをミュウツーに向けて発したからだ。

何の話をしているのか、問い質したいのかもしれない。


ミュウツー(こいつには、少しわかりにくいかもしれないな)


アデク「ダゲキくんがわしの手元にいることも、理由にはなる」

アデク「友達が人間に捕まっていると見れば、助けようと思うだろう」

アデク「が、大きい方のお前さんなら、このダゲキくんを取り戻すのは簡単だ」

アデク「さっき、わしの卵にやったのと、同じようにすればよかったんだからな」

アデク「そうすれば、わしにまったく気づかれずに連れ去ることもできた」

アデク「わしの存在が気に食わないなら、追い出すこともできただろうな」

アデク「だが、お前さんは、そうしなかった」

アデク「それはいったい、どうしてだろう」


なるほど、言われてみればその通りだ。

はじめに不穏な対処ばかり考えていたことが、今更ながら滑稽に思える。

マントの濃い陰の中で、ミュウツーは口を歪めて笑った。

対照的に、アデクは余裕たっぷりに笑っている。


アデク「さしずめ、『興味が湧いた』……といったところか」

アデク「お前さんは、わしと話をしてみたくなったのではないかな」


今度は肩を揺らして、ミュウツーは笑った。

実際にその通りなのだ。


だからひとしきり笑ったあと、ミュウツーは大きく頷いた。


アデク「そんな気がしていたよ」

アデク「少なくともわしは、お前さんたちと、こういう形で出会えたことを喜ばしく思う」

アデク「いわば、これも一種の奇跡だ」

アデク「こうしてわしらが集い、ひとつの炎を囲む」

アデク「それも険悪ではない、いやむしろ友好的に対峙している」

アデク「この瞬間に辿り着くためには、たくさんの偶然が必要だからな」


この男の言い回しは、友人たちには理解しきれないかもしれない。

ミュウツーはそう考えて苦笑いした。

そしていつものように、訊かれたら教えてやろうと思うのだ。

いつものことで、何度となく繰り返してきたことで――


これからも、同じように重ねていくはずの営みだ。


アデクは掌を自分の方に向け、一番太く短い指をゆっくり曲げた。

わざとらしいまでに眉間に皺を寄せ、いかにも『難しい顔』を作ってみせている。


アデク「わしが慎重を期して、ホドモエに留まってしまっては、もういけない」

アデク「そうしていたら、わしは明日、この森を通ってシッポウに到着できてしまう」

アデク「日中に抜けられれば、キャンプはせんでいいからな」


ミュウツーたちを見ながら、さらにもう一本曲げる。


アデク「それから……」

アデク「お前さんたちの方が慎重を期して、姿を見せないままでもいけないし」

アデク「もちろん、このダゲキくんが修行で『自制』してしまってもだめだった」


男の指は、既に三本が曲げられている。

自分の手では、ここまでしか数えられない。

ミュウツーはそのことに気づいた。

なぜか、意味のわからない無力感を覚える。


アデク「この三つの選択肢だけ見ると、互いにそこまで関係ないのが面白いな」

アデク「そうは思わないか?」

アデク「それぞれは、その場において最善であったり、最適であったり、そうでなかったり、色々だ」

アデク「だが、選択の積み重ねと収束していくその結果には、何者かの意図を感じるほどだ」

アデク「……ふむ、なるほど」


そう言うと、アデクは頬杖をついて笑った。

面白いことを思いついた、という目をしている。


アデク「そう考えると、ひょっとしてこの世界には、偶然などというものは」


ぱきん


ミュウツー(……?)


アデク「?」

ジュプトル「!」


音が聞こえた。

小さな、硬そうな音だったと思う。

くべた枝がはぜた音ではない。

その音を耳にしたのは、ミュウツーだけではなかったようだ。

目の前のアデクもまた、少し意外そうに目を見開いてこちらを見ている。


ぱり、ぱき


二度目の音がした。

今度はジュプトルがくるくると鳴いた。

その鳴き声で我に返ったアデクが、背筋を伸ばして視線を下げる。


かりかり

ぱき

ぽき、ぽき


アデクの抱える卵にひびが入っていた。

裂け目の中はよく見えないが、ちらちらと動くものが覗いている。

ぽりぽりと硬く軽い音を響かせながら、あたりに乳白色の破片が転がった。


ミュウツーも、ジュプトルも、アデクも、無言でその光景を見ている。

アデクの膝の上で、少しずつ球体が崩れていく。

まるで、卵の表面に巨大な『くち』が生まれつつあるようだ。


中で何かが動きつづけている。

ひびは卵の殻を両断するほどに広がり、赤い触覚が垣間見えた。

しめりけを含み、本体にぺったりとはりついた体毛が光っている。


しばらく揺れていた卵がぴたりと止まった。

触覚と体毛の持ち主が割れ目から顔を出し、ぐいと首をもたげてアデクを見上げる。


その場に居合わせた全員が固唾を飲む中。


ぶひゅん、と間抜けな産声が聞こえた。









――はい

――あー、はい、お疲れさまです

――いえいえ、ヤグルマはいたって平和なもんです

――……いや、ですから、ギリー先輩の居場所なんか知りませんって


――え? ……いや、まだ来月の休みの希望は出してません

――来月の? 特に変わった予定はないですよ

――いえ、そこなら定例会議なんかも一段落してるはずですけど

――そこで出勤しろってことですか?


――……?

――そのあたり、ピンポイントで連休取れ、ってことですか?

――どういうことですか

――いや、どうしてもその週に出勤したい、ってわけでも

――はあ……別に、構いませんけど……

――……

――……


ガチャン


――うーん……予想もしてない休みになっちゃったな

――まあ、いいか……

――いっそヒウンアイスでも食べに行くか

――……

――あー……、ダゲキも、コマタナも、ジュプトルとか、ハハコモリとか……

――それから、あの白くてでっかいのっぽの奴とか

――図鑑には載ってなかったもんなあ、ああいうやつ

――みんな、どうしてるんだろうな

今回は以上です

暑いです
ほんと暑いです
作中の季節とやっとリンクした感じです

何か連絡事項があった気もしたんですけど
思い出せないんでたぶん大したことじゃないはずです

それでは、また

9秒…だと…?

(いちおう保守)

ご無沙汰してます
推敲してたらこんな時間になっちゃったけど
始めます


それからほどなくして、彼らはアデクの元を離れた。


ミュウツーは機嫌もやや悪く、押し黙って歩いている。

動作は普段より雑で、必要以上に音がするのも気にしていない。

自分でもわかっているが、足取りが少しおぼつかない。

理由はなんとなくわかっている。

とりあえず目指す先は、自分の寝床だ。


というのも、なによりもまず眠かったからだ。

疲労も少しずつだが、抗いがたいほど重くなっていた。


そういえば、あの『視線』たちは今も注がれ続けている。

ひとつは変わらず遠くからだ。

もうひとつは、思ったよりずっと近いところから。


近い方の『何者か』は、自分たちのあとを尾けてきている。

足音が聞こえてこないところをみると、そこまで接近しているわけでもないのか。

なんとなくだが、気配の主は人間ではないような気がする。

人間でないというのなら、それはすなわち……。


ミュウツー(この『近い方の気配』がポケモンだというなら)

ミュウツー(今はそこまで気にすることではないか)


頭の上から、くるくると弱い振動が伝わってきた。

今もなお頭の上に陣取るジュプトルが、呑気に喉を鳴らしている。

音から判断するに、機嫌は悪くないようだ。

重いこと以外は、何も問題はない。


別の『ジュプトル』だったら、もっと巨体で重かったのだろうか。

それは、何が違うから違うのだろう。

ふと、あの人間が何気なく呟いただろう言葉が脳裏をよぎった。

だんだんと首が疲れてきたからだ。


だが、『自分の脚で歩け』と叱咤する気にはなれなかった。

あのめそめそした、情けない声を思い出してしまう。

そうすると、重さを理由に振り落とす気も失せてしまうのだった。


そんなことはどうでもよかった。

重いといっても、永遠に載せているわけではない。

小脇に抱えた『荷物』だって、腕が痺れるほど重いわけではない。

気がかりというか、考えがまとまらないのは別に原因がある。


森に、いつもはいるはずのない人間が侵入してきた。

その人間と、ほんの少しだけ話をした。

どちらかといえば、こちらが彼の話を聞くばかりだったが。

それから、彼が抱えていた卵が、自分たちの目の前で孵化した。


それだけだ。

起こったことといえば、それだけなのだ。

それにしては、手元に残る整理のつかない材料が多すぎた。


自分が何を懊悩しているのか、自分でもよくわからない。

誰かに怒りを覚えているのだろうか。

それとも、何かに焦りを感じているのだろうか。

誰か、あるいは何かに苛立っているのだろうか。

そのどれも、少しずつ合っていて、少しずつ外れている。


ミュウツー(……だめだ)

ミュウツー(今の私は、不安定すぎる)

ミュウツー(こうして自覚できるだけ、冷静ではある……と思うが)


不安定で冷静な自分は、自分自身についてそう判断した。

誰かに話を聞いたり、誰かと話すたびに、こんな思いをするのか。


ミュウツー(『知る』とは、もっと楽しいことではなかったのか?)

ミュウツー(新しい物事を見聞きして、知るほど……)

ミュウツー(何ひとつ、明瞭な答えが出せなくなるばかりではないか)


あの場を去ると決める直前のことだ。

孵化したポケモンを前にして、男は笑っていた。

声をあげ、明るく笑っているのに、泣いていた。

目から涙をぼろぼろと流し、ときおり袖で拭いながら。

『よく来た』とか、そんなことを口にしていた。


ミュウツーが帰ることを決めたのは、その姿を見たからだ。

目の奥がちりちりと痛んだ。

帰るという提案に、友人たちは誰も反対しなかった。


ミュウツー(あの男は、なぜ涙を流していたのだろう)

ミュウツー(待ちに待った卵の孵化を見て、喜んでいるはずなのに)

ミュウツー(悲しくなどないはずなのに)


あれ以上、あの場にいつづけるのは憚られた。

『いたたまれない』とも、『見ていられない』とも少し違う。

どうにも耐えられなくなった、としか言いようがない。


ミュウツー(ニンゲンが涙を流すのは……悲しいとき、だったと思うが)

ミュウツー(……?)

ミュウツー(どうして、私はそんなことを知っているんだ)


彼らの、あの空間を妨げてはいけないような気もした。

誰の領域だとか、『なわばり』だとか、そんなことはどうでもよくなっていた。


ミュウツー(……もともと、縄張りを主張するために姿を見せたのではないからな)


ジュプトル「ねむ」

ミュウツー『だろうな』

ジュプトル「おそく おきてるの、い いつもは……しないし」

ミュウツー『お前は、特にそうだろう』

ジュプトル「くらい、ねむい、ねぁい」


声や話しぶりには、濃い疲れが滲んでいた。

口調は少しおどけている。

不満を口にできる状況に、ようやくなったということだ。


ミュウツー『そうか。眠いか』

ジュプトル「うん」

ミュウツー『それは、いったい誰のせいかな』

ジュプトル「……え? あっ……ううーんと」


ミュウツーの言葉に、ジュプトルが一瞬遅れて反応した。

眠いとは言いながらも、その一瞬で意図を汲み取ったようだ。


溜息をつきながら、小脇に抱えたダゲキを一瞥する。

間抜けな背中と、間抜けな後頭部が見える。

両手両足をぶらぶらと放り出し、されるがままに運ばれている。


ジュプトル「はーい、ダゲキ でーす」


少し楽しそうではあるが、気の抜けた声だ。

本当に眠そうだ。


ダゲキ「……ごめん」


予想通り、愛想のない返事が聞こえてきた。


ジュプトル「うおっ おきた」


きりきりした声とともに、ぐい、と重心が動いた。

ジュプトルが身を乗り出して下を覗き込んだのだろう。


ミュウツーは立ち止まって、深く溜息をつく。

無造作に腕を解き、振り向きざまにダゲキを投げ捨てた。


着地、というよりは落下した重そうな音と共に、小さく呻く声が聞こえた。

叩きつけられるよりは痛くないはずだ。


ジュプトル「……い、いたそう」

ミュウツー『当然の報いだ』


もぞもぞと蠢いて、ダゲキは唸りながら身体を起こした。

頭をさすり、ふらふらと立ち上がる。


ダゲキ「いたかった」

ミュウツー『そうかそれは残念だったな』


こちらも意識して、機嫌の悪そうな態度を示した。

アデクの言っていた通り、どこかを怪我しているということはないようだ。

痛さを訴えているが、これは投げられたことへの抗議だろう。


そうして改めて観察していると、妙なことに気づいた。


口は閉じているが覇気もなく、目だけでこちらを見上げている。

出会った当初のようで、どこか苛立つ。

最近は、こんな顔をしていないときの方が多かったはずだ。


いつからだろうか。

なんだか、とてもいやな感じがした。

とてもいやな、とてつもなくいやな印象を受けた。


ミュウツー(何かあったには違いないのだろうが)

ミュウツー(……こちらから無闇に詮索はしない方がいいか)

ミュウツー(こいつももう、言いたくなれば言うだろう)

ミュウツー(言わないのは、言いたくないからだ)


明日は雨が降ることがもうわかっていて、今から憂鬱になる。

空気が時々刻々と湿気を増していくが、それは止めようがない。

そういうときの、明確に形を成さない不安を連想させた。


ジュプトル「ほんとうに、ぐあい わるく ないの?」

ダゲキ「うん、だいじょうぶ」


声を投げかけられて、ダゲキはミュウツーの頭上を仰ぎ見た。

その顔は、またいつものように、口の端を引き攣らせている。


ミュウツー『とても大丈夫には見えないがな』

ジュプトル「うん」

ミュウツー『まあ、見ての通り怪我もないし死んでもいない』

ジュプトル「……うん」

ミュウツー『あのニンゲンは、お前のことを「修行のしすぎだ」と言っていた』

ダゲキ「そうかもしれない」

ジュプトル「ばかだなあ」


そう断じられて、ダゲキはしおらしく俯いた。


ミュウツー『お前は、自分の限界を理解していなかったということのようだな』

ミュウツー『チビや他の連中の面倒を見るのはいい』

ミュウツー『……見るなとは言わない』

ミュウツー『お前がそれを自分の役割だと思っているなら、それは別にいい』

ダゲキ「……」

ミュウツー『だがそれ以前に、お前自身はどうなんだ』

ジュプトル「ま、ほら、いいよ、だいじょうぶ だったし」


いつの間にか、ジュプトルが仲裁をしている。

一番心配していたに違いないのに。


ミュウツー『……お前、なんだか、言うことがあのチビに似てきてないか』

ジュプトル「えっ、やだ!」

ミュウツー『お前もそう思わないか?』


急に追及ではなく質問が飛んできたためか、ダゲキは面喰らった。


ダゲキ「……えええ……」

ジュプトル「そ、それは いやだぁ」

ミュウツー『……心から嫌そうに言うんじゃない』


けけけ、と短く笑って、ジュプトルは頭の葉を振り回した。

嫌がっているのに、なぜか楽しそうに笑っている。


ジュプトル「いやだよ、あんなのと にてる、って」

ミュウツー『……そうか』

ジュプトル「おれは、しんぱい しただけ」

ジュプトル「でも チュリネは、ダゲキが……」


そこまで言っておいて、ジュプトルははっとして口を噤んだ。

ダゲキは少し怪訝そうにそれを見上げている。


ダゲキ「……チュリネ?」


自分でも呟き、妙な表情を見せた。

ぼんやりとした腹痛にでも耐えているような顔だ。


すっかり痛んだ『きのみ』を食べて苦しんだときのことを思い出した。

もちろん、それもこの森に来てからの苦い記憶だ。


ミュウツー(今度はこいつがおかしい、と)

ミュウツー(なんなんだ、まったく次から次へと)

ミュウツー(とはいえ……おかげであのニンゲンと話をできてしまったから)

ミュウツー(まあ、これも怪我の功名というやつだな)


『怪我の功名』だから、褒めてやる気は少しもない。

どちらかといえば、こうして説教を受けて然るべきなのだ。

と、ミュウツーは思っている。


ミュウツー『こいつはずいぶん、お前のことを心配していたんだ』


ジュプトルを指差す。

指された当のジュプトルは、納得しかねる、という顔をしている。


ジュプトル「おまえも しんぱい、してた」

ミュウツー『……それはそうだ』

ミュウツー『私は』


ダゲキを睨む。

彼は、『次は何を言われるか』、と萎縮している。

怯えられるのは気に入らないが、この状況で涼しい顔をされるよりはいい。


ミュウツー『お前を見習って、あとあとのことまで考えていたからな』

ミュウツー『可能な限り「穏便に」、お前を救助しなければならなかった』

ミュウツー『私が言っていることは、理解できるな』

ダゲキ「わかる」

ミュウツー『我々が支払ったその労力に、深く感謝することだ』

ダゲキ「うん」

ミュウツー『返事は「はい」だ』


最近、どこかで誰かに言われたようなフレーズだ。

受け売りの、借り物でしかない言葉であることはわかっている。


ミュウツー『……』

ミュウツー『あとな、というか……まず心配させるんじゃない』

ダゲキ「う……はい」


口の端を歪めて、彼は下を向いた。

居心地はとても悪そうだが、はにかんでいるようにも見える。


ミュウツー(多少はいつもの顔が出たわけだ)

ミュウツー(まあ、ああなっていた原因はわからないままだが)


ダゲキ「し……しんぱい させて、ごめん」

ジュプトル「だいじょうぶなら、いいよ。な?」

ジュプトル「おまえ も、だいじょうぶだから、いいって おもうだろ?」


ミュウツーはジュプトルを一瞥した。

それから腕を伸ばし、ダゲキの頭を掴む。

三本の指がぎちぎちと頭部を捉えた。


ミュウツー『そうだな』

ミュウツー『無事で何より、と言ってやりたいところだ……が』


その手に、少し力を入れる。

このまま際限なく力を込め続けたら、どうなるのだろう。

自分が腕力を出しきれば、彼の頭蓋は難なく割れてしまうかもしれない。


ミュウツー『これからは、こんなことにならないよう気をつけろ』

ダゲキ「うん」

ダゲキ「あ、え……はい」

ミュウツー『必ずしもああいう、「話の通じる」ニンゲンが相手とは限らない』

ミュウツー『毎度、うまいこと波風立てずに助けてやれるとも限らないんだ』

ダゲキ「……わ、わかった、ってば」


掴んだ頭を、やたらめったら揺さぶる。

さぞ気持ち悪いことだろう。

だからだろうが、ダゲキは、ミュウツーの手を外そうとしている。

足場が安定しないからか、上手くいかないようだ。


滑稽だ。

私も、彼らも。

この滑稽な芝居を、私は嬉々として続けている。

それもまた、滑稽と言わざるを得ない。


ミュウツー『それから』

ミュウツー『「助けられたら、まず礼を言え」』


ダゲキが、はっとして動きを止め、ミュウツーを見上げた。

大きな目を大きく開き、心から驚いたような表情を見せている。


ミュウツー『おかしいではないか』

ミュウツー『以前、私は誰かにそう説教された気がするぞ』

ミュウツー『お前の口から、まだ聞こえてこないのだが』

ミュウツー『「ありがとう」はどうした』


目がかすかに震えている。


ダゲキ「う、うん……うん」


とはいえ言いたいことはおおむね言いことができた。

その点で、ミュウツーはじゅうぶんに満足している。


ぽん、と突き放すと、ダゲキがよろめいた。


それとほぼ同じタイミングで、ぱちぱち、と目の奥で火花が散る。


まただ。

現実の風景に重なって、何かがまたたいて見えた。





ひそひそと聞こえるたくさんの声。

何かの鳴き声が飛び交う、暗く深い光景。

世界はぼんやりと薄暗く狭い。

視界は固定された監視カメラのように動かない。

そこに、ちらちらと鋭い光が差し込んできた。


この光は、よく似たものを私も知っている。


それから光の中に見える、逆光を浴びる誰かの姿。


そして、その誰かが、視界の主に声を――




ミュウツー(……!)


写真のようでいて、映像の断片のようでもあった。

わかるのは、見えたのがどうやら過去の光景であること。

そして、それが自分ではない誰かの記憶であること。


はっとして我に返ると、ちょうどダゲキが後ずさりし終えたところだった。

ほんの一瞬前に、ミュウツーが突き放したからだ。

なんとか転ばずに持ち堪えたらしいが、まだ呆然としている。


ダゲキ「あ……ありがとう」


声を絞り出して、ダゲキがようやく礼を言う。


ミュウツー『……あ、ああ、そうだ、それでいい』

ミュウツー『今日のところはな』


ミュウツーはふたたび前を向いた。

今しがた見えた映像がなんなのかは容易に想像がつく。


だから、あまり深く考えないよう努めるしかない。

にもかかわらず、意に反して、そう思うほどに映像は鮮明になるばかりだった。


ミュウツー(……つまり、さっき見えたのも……)


あのとき、ジュプトルに見たものもまた同じなのだと思う。

どちらも血腥く、暗く、不愉快でいやな記憶ばかりだ。

見てしまったこちらが言うのもどうかと思うが。


強い執着や、色濃い感情を伴う濁った記憶。

まるで、頭の中に吹き溜まり、行き場を失ったヘドロだ。

勝手に蓋を開き、覗き込んだ拍子にそれが飛び散った、ということなのかもしれない。


ミュウツー(そんなことをするつもりはなかった)

ミュウツー(本当に、そんな気はなかったんだ)

ミュウツー(それは本当だ)


ミュウツーは黙って歩き出した。

マントを翻し、頭の上の友人が振り落とされるのも気にかけずに速度を上げる。

なんとかして、脳裏に残る他者の記憶を振り払いたかった。

忘れた方がいいのかもしれない。

その方がいいと思う。

忘れたい。


ぎゅう、と醜い声が後方から聞こえたような気がした。


ダゲキ「あああ」

ジュプトル「いッ……おちた!」

ミュウツー『……そろそろ自分で歩け』


いちいち振り向かずとも、誰かが振り落とされたことくらいわかっていた。


ミュウツー『私は乗り物じゃあないぞ』

ジュプトル「けち」

ジュプトル「……あれ? だれか いる」

ミュウツー『?』


ミュウツーが振り返ると、足元にはジュプトルがいた。

既に体勢を立て直し、身体を捻っている。

その近くには、ダゲキも立っている。


ふたりとも、今まで進んできた道を見ていた。

彼らの視線に倣って、ミュウツーも後方に目をやる。

そこにあるのは、吸い込まれそうな夜の茂みだけだったはずだ。

少なくとも、さきほどまでは。


ダゲキ「ヨノワール?」


ところが、今は違うらしい。

全員が視線を向ける茂みの中に誰かがいる。

よく見ると、暗い陰の中にぽつんと明るい灯が浮いていた。


ヨノワール「……」

ジュプトル「あー」

ミュウツー『……あ』


すっかり暗くなった森の奥から、音もなく鬼火が進み出る。

近寄ってきたのが誰なのか、その目玉を見ただけでわかった。


目が慣れるにしたがって、目玉以外の輪郭も浮かび上がっていく。

とても大きい。


佇んでいるのはヨノワールだった。

ゆるゆると近づいてくる。

身体を縮め、あちらの方がずっと身の丈はあるのに、上目でこちらを見ていた。


ミュウツー(『ひとつめ』の視線は、こいつだったのか)


それがわかると、ミュウツーは足元のジュプトルを意識した。

今は、細い背中と葉と、あとはわずかに横顔が見えるだけだ。


ジュプトルは、声を荒げることも暴れることもない。

どう表現するのが適切なのかわからないが、『普通に』している。

普通であることが、意外なほど不可思議に思えた。


ヨノワール「あ、あの」

ジュプトル「おまえさあ、どこ いってたんだよ」

ヨノワール「……え、あ……そ、そこの……」

ミュウツー『私たちを、ずっと見ていたな?』


ヨノワールは一瞬、身体を震わせてミュウツーを見た。

その意味するところはわからない。

ここに至るまで、ヨノワールが視線を送りつづけていたことはたしかだ。

その行動に、なにかやましい気持ちがあるとでもいうのだろうか。


大きな目をゆっくりまたたかせている。


ヨノワール「……あの ニンゲンを、どう したのか、って」

ミュウツー『なぜだ? お前は、あのニンゲンとなにか関係があるのか?』

ジュプトル「こいつも いたんだよ」

ミュウツー『?』

ジュプトル「ニンゲン いるって、わかった とき」

ジュプトル「おれだけ、おまえに おしえに いったの」

ミュウツー『ああ、なるほど』

ミュウツー『それならそれで、なぜ隠れていたのだ』

ミュウツー『私たちがあのニンゲンと話し始めてから、ずっと出てこなかったではないか』

ヨノワール「……こ……こわくて、でられません でした」

ジュプトル「しょおがないよ」


ふたりは『普通に』言葉を交わしている。

敵対もしていない。

正確に言えば、ジュプトルが敵意を剥き出しにしていない。

まったくもって、『普通ではない』。


ミュウツー『……おい』


きょとんとした目つきで、ジュプトルが振り返った。

なぜ声をかけられたのか、わからないという目つきだ。

あれほど毛嫌いしていたのは誰だ。


ミュウツー『お前は……もういいのか?』


かすかに目を見開く。

それから周囲を気にするしぐさを見せて、ジュプトルは下を向いた。

照れているとか、恥ずかしがっているそぶりに近い。


ジュプトル「……う、うん」

ダゲキ「なかなおり、したの?」

ミュウツー『それは、話すべきことを、もう話したということだな』

ジュプトル「たぶん」


少し歯切れが悪かった。

首筋を爪で掻きながら、はにかんでいるようにも聞こえる。

ミュウツーは次に、ヨノワールを見上げた。

ジュプトルが嘘をつく理由はないが、確認を取りたかった。


ヨノワール「はい」


ミュウツーの問いかけに、ヨノワールは淀みも躊躇もなく答えた。

その動きに、疑わしいところはないように思う。


ミュウツー『……そうか』


どうやら、彼らなりに話はついている、ということらしい。

滞っていた課題がひとつ解決した……のだろうか。

自分には直接関係ない話でしかない。

それはわかっていても、ミュウツーはなんだか少しほっとしていた。


ミュウツー『なら、いい』


それだけ言うと、ミュウツーはふたたび友人たちに背を向けた。

ヨノワールも、今度はこっそりではなく、堂々と追従してくる。


ずいぶんと大所帯になったものだ。


ダゲキ「そうかー、よかったね」

ヨノワール「は、はい」


うしろでは、呑気な声が飛び交っている。


ミュウツー(……では、あの遠くからの視線は、いったい誰なんだ)


もうひとつの視線は、今も遠いところから向けられている。

あちらに関しては、正体も意図もよくわからないままだ。

どんな形であれ接触してこないのも謎だった。


視線には、敵意や害意こそないようだ。

だが好意や親しみのたぐいもまた、微塵も感じられない。


ミュウツー(我々を、もしくは私を観察している……ということか)

ミュウツー(気分のいいものではない)


冷たくも暖かくもない、突き放した観察者の目、ということだろうか。

うしろから友人たちの声が聞こえている。

彼らの会話まで覗き見られているようで、少し不愉快だった。


かすかに媚びを感じさせる声で、ジュプトルが何か言っている。

それに対しダゲキが、少しめんどくさそうに返事をするのも聞こえた。


ミュウツー(なんにせよ、我々の……何を見ている?)

ミュウツー(『先に動いた方が負ける』という境地だな、これは)


できるだけ、相手の出方を見たかった。

向こうも同じかもしれないが。


ジュプトル「あのさ」

ミュウツー『?』

ジュプトル「ヨノワール、よみたいもの あるって」


変われば変わるものだ、とある意味で感心しながら振り返る。

ジュプトルが、今度はダゲキの頭から背中にかけて、へばりついていた。


ミュウツー(……さっきの会話はこれか)

ミュウツー(ご苦労なことだ)


ミュウツー『お前、今度はそこに登るのか』

ジュプトル「ちょうどいい」

ダゲキ「おもい けどなあ」


自分で歩きたがらない、というにはどこか違う印象を受けた。

背中でも頭でも、とにかく誰かの身体にしがみつきたがっているようだ。


ミュウツー『読みたいもの? 本か?』

ジュプトル「そう」

ミュウツー『次にあのニンゲンのところへ行ったときに頼むことになる』

ミュウツー『だから、だいぶ先になってしまうが、それでもいいなら……』

ヨノワール「あの……ち、ちがうんです」


ヨノワールが、少し慌てた声を出した。

手をおおげさに振ってみせるしぐさも、なかなかに人間くさい。

そう考えると、人間とはずいぶん長く過ごしていたに違いなかった。


ヨノワール「もっている ほん、よみたいんです」

ダゲキ「どんな ほん なの?」


興味を持ったのか、ダゲキが歩きながら振り返ろうとしたらしい。

ジュプトルがやかましく鳴いている。


ジュプトル「おちる!」

ダゲキ「じゃあ おりてよ」

ジュプトル「やだ」

ダゲキ「……もう」


躊躇と思しき沈黙ののち、ヨノワールが言った。


ヨノワール「ニ……ニンゲンが かいた、ほんです」

ヨノワール「わたしの だいじな ニンゲンが か、かいたんです」

ダゲキ「……だいじな?」

ヨノワール「はい。だいじな ニンゲン、です」


念押しするヨノワールの言葉に、ダゲキの声がわずかに低くなった。

何を思ったのか、その変化だけではわからない。


ダゲキ「だ……だいじな ニンゲン……」


喜んでいるわけではないことだけは、たしかだ。


ヨノワール「そ、それに、いそがない です」

ジュプトル「でも、よめる に なりたいんだろ?」

ジュプトル「いってた じゃん」

ヨノワール「……」

ヨノワール「はい、よみたいです」


急いでいない割に、必死さや切迫感が妙に滲んでいる気がした。

むろんヨノワールの事情など、ミュウツーの知ったことではない。

だが、うっすらと伝わる熱意を邪険にする気にもなれなかった。


ミュウツー『読んでやりたいのは、やまやまだがなぁ』

ジュプトル「おまえなら、よめるでしょ?」

ミュウツー『そうでもない』

ジュプトル「でも、おれより ずーっと わかる」

ミュウツー『それは……五十歩百歩というか』

ジュプトル「ごじぅ……?」

ダゲキ「ごでゅ」

ミュウツー『あまり変わらないと言っているのだ』

ジュプトル「あ、そ」

ダゲキ「した かんだ」

ミュウツー『ばか』

ジュプトル「おれ、かんでない」

ミュウツー『それこそ五十歩百歩だ』

ジュプトル「……じゃあ だれも、よめない? ダゲキも?」

ダゲキ「ぜんぜん、よめない」

ジュプトル「えー、なんでぇ」

ミュウツー『なんでと言われてもな』


ジュプトルは不満そうだ。

どうやら、今の自分たちでは期待に沿えないらしい。

それは、とても残念なことであるように思う。


ジュプトル「だめ だって」

ヨノワール「……そうですか」


ヨノワールを落胆させてしまっただろうか。

ジュプトルも、『ミュウツーなら』と多少の期待を抱いていたに違いない。

それを、裏切ってしまったことになるのだろうか。

無力なものだ。


ミュウツー『私は読めないと思うが……』

ミュウツー『きっと読める奴を、ひとり知っている』

ヨノワール「?」

ミュウツー『お前も一緒に来れば、あの女も力になってくれると思う』

ジュプトル「おんな??」

ミュウツー『ニンゲンのところだ』

ジュプトル「ニンゲ……なに それ!」


ジュプトルの悲鳴じみた声を聞きながら、また前を向く。

途中から、ヨノワールの呻き声も混じっていたと思う。


ヨノワール「ニ、ニンゲン……の?」

ミュウツー『なにをそんなに驚くことがある』

ミュウツー『ニンゲンが書いたものだから、ニンゲンなら読めるだろう』

ジュプトル「あ……おまえ、ほん くれた、ニンゲンのとこ?」

ミュウツー『そうだ』

ミュウツー『前に言っただろう、連れて来いと言われたと』


――その友達を連れて来てもいいし

――次こそキミのお友達、連れて来て欲しいんだけどな


ダゲキ「まちの ニンゲン?」

ミュウツー『そうだ』

ミュウツー『初めて行った夜も、二度目に行った夜も、そう提案された』

ジュプトル「……」

ミュウツー『ああ、お前には言っていなかったか』

ジュプトル「しらない!」

ジュプトル「ダゲキは しってたの?」


ミュウツー(チュリネがこの場にいなくてよかった)

ミュウツー(いたら絶対に行きたがるだろうし、そうすれば誰もいい顔をするまい)


ミュウツー『こいつには以前に言ってある』

ダゲキ「うん」

ダゲキ「さいしょの とき、きいた」

ジュプトル「なんだよ! おれにも おしえてよ!」

ダゲキ「ぜったい いや、って いうと おもった」

ジュプトル「う、く……」


やかましく喚いていたジュプトルが言葉を飲み込んだ。

これも否定できないのだろう。


ミュウツー(自分で自分を、よくわかっているではないか)


ヨノワール「……どうして ニンゲンの、ところに いくんです」

ミュウツー『いろいろあってな』

ミュウツー『たまに、こっそり……その、話を聞きに……』

ミュウツー『はじめは、そんなことをするつもりはなかったんだが』

ミュウツー『そういうことになってしまった』

ヨノワール「そ、そうなんですか」

ダゲキ「べんきょう するんだって」


少し落ち込んだような声で、ダゲキが続けた。

さきほど表情が変わってから、ずっとこの調子だ。


ダゲキ「たのしいんだよ」

ジュプトル「……おれ、あんまり とくいじゃない」

ジュプトル「ぐにゃぐにゃ してて、むずかしい」

ダゲキ「でも、ミュウツーが ほん、よんでくれるの」

ダゲキ「きくの、たのしかった でしょ?」

ジュプトル「うん、それは おもしろかった」

ミュウツー『……そ、それは言わなくていい』

ダゲキ「なんで?」

ミュウツー『なんでもだ』


今の自分にできるのは、せいぜいあんな程度の『読み聞かせもどき』だ。

それを『読んでくれる』などと言われると、むしろ恥ずかしい。


ヨノワール「そのニンゲンは いいニンゲン……ですか」

ミュウツー『さあな』


小さく肩を竦めてみせる。

こういった動作の意味は、ヨノワールならば理解できるはずだ。


ミュウツー『いいニンゲンかどうか、私にも判断はできない』

ジュプトル「ほん、いっぱい くれたけど」

ミュウツー『それは、「いいニンゲンかどうか」の基準にはならないだろうが』

ジュプトル「わかってる」

ジュプトル「ニンゲン、かわいそうな やつ、すきだから ね」

ミュウツー『……なんだそれは』


思わず聞き返してしまった。

ジュプトルの話しぶりはいつもと変わらない。

いつもの、なんでもないことを普通に話すときの調子だ。

にもかかわらず、その言いかたには不快で、醜く、軽薄な響きがあった。


ジュプトル「ききき」


ジュプトルは答えない。

答えないまま、あのいやな声で笑って、ダゲキを見下ろして言う。


ジュプトル「な?」

ダゲキ「え?」

ジュプトル「おまえも、わかる でしょ」

ダゲキ「……うん、ちょっと」


少し間があってから、ダゲキの応答があった。

同じように、あまり聞きたくない声だ。


どんな顔をしているのか、今の体勢では見えない。

振り返ればいいのだが、見たくない、と直感が言っていた。


ミュウツーには、彼らがなんの話をしているのか、わからない。

ジュプトルが何を言おうとしているのかも、見当がつかなかった。

だが、ダゲキには話が通じているようだ。


腕を伸ばせば届く程度の距離にいる。

尻尾を振り回せば当たる位置にいる。

にもかかわらず、今この瞬間、彼らがやけに遠く感じた。

以前にも覚えた、疎外感というやつだろうか。


いや、それだけではないかもしれない。

道徳的でない、露悪趣味というか、自虐的というか。

不穏当な表現ばかりが思い浮かぶ。

彼らの口振りには、そんな後ろ暗さがあるように思えた。


そうだ。

違うのか、彼らと私は。

いや彼ら同士も、それぞれに少しずつ。

もしくは、大きく、明らかに。


人間に何をされたか。

人間をどう憎んでいるか。

その過程で、彼らが肉体や自尊心をどう傷つけられたか。

出発点が違う。

だから、到達点が違うのも当然だ。


わからないものは、わからない。

それはお互い様だ。


ミュウツー『いいニンゲンなど、いないと思ったほうがいい』


ヨノワールを振り返る。

ジュプトルとダゲキを視界に入れないように振り向くのに、無駄な苦労をする。


表情はよくわからないが、困っているらしい。

大きな目玉の上に被さるまぶたが、不思議な皺を刻んでいる。

心許ない明かりだけでもわかるくらいには、暗さに目が慣れてきていた。


ヨノワール「……」

ミュウツー『あの建物に住んでいるわけではないのかもしれないが』

ミュウツー『広い部屋に、やけに本がたくさんあった』

ヨノワール「としょかん ですか」

ミュウツー『知っているのか。そうだ』

ミュウツー『正確には、少し違うらしいが……私にはよくわからない』

ミュウツー『自分のことを、研究者だとか言っていたな』

ヨノワール「け、ケンキュウシャ」


音もなく、それこそ滑るようにヨノワールが横に顔を出してきた。

近寄られると、よけいに大きく見える。

ミュウツーは少しのけぞりながら、唐突に食いついてきたヨノワールを『見下ろし』た。


ヨノワール「が、ガクシャとは……いって ません、でしたか」

ミュウツー『ガクシャ……、ああ……どうだったかな』

ヨノワール「……わたしも、いきます」


ヨノワールは、改めて近くで見ると迫力がある。

目玉もことさらに大きく感じる。

いつも身を縮めていたから意識したことがなかっただけなのか。


ミュウツー『……か……構わないが』

ヨノワール「あ、ありがとう、ございます」


よくわからないが、とにかく必死だ。

それだけはよくわかる。

たかが人間の書いたものを、そんなに読みたいのか。

そう思わないでもない。


ヨノワールにもまた、ヨノワールなりの関わりがあったに違いない。

自分とも、ふたりの友人たちともまるで違う在り方の関係だ。

ヨノワールは、どんな人間と共に過ごしていたのだろうか。

『大事なニンゲン』だったらしいではないか。

それもまた、自分には到底わかり得ない執着だ。


ジュプトル「え、じゃ じゃあ、おれも いく!」

ミュウツー『お前も? お前は別に用などないだろうが』

ジュプトル「おれも そのニンゲン、みたい」

ミュウツー『ううむ……』

ミュウツー『別に……来るなとは言われないと思うが』

ミュウツー『行くのはニンゲンのところだぞ、わかっているのか』

ジュプトル「うん」

ジュプトル「ニンゲンは、きらい だけど、きになる」

ミュウツー『……』

ミュウツー『好きにしろ』

ジュプトル「よし! じゃあ、いく!」


嬉しそうに手を叩く音が聞こえた。


ダゲキ「ぼくも いきたい」

ミュウツー『好きにしろ』

ミュウツー『……ここまできたら、お前だけ連れて行かないというのも妙だしな』

ダゲキ「ほんと?」


ダゲキもヨノワールと同じく、横に並んだ。

ジュプトルを載せたまま、少し歩きにくそうに寄ってくる。

こちらを見上げ、期待を込めた視線を向けてきていた。

彼らの顔を見るのは、まだ気が進まなかったが。


ミュウツー『なんだ、私が信じられないのか?』

ダゲキ「ううん」

ミュウツー『というかお前、そんなに興味があったのか?』

ミュウツー『てっきりお前も、できれば二度と関わりたくないものかと』

ダゲキ「……」

ダゲキ「あ、あのね」

ダゲキ「た、たくさん しりたい」

ダゲキ「もっと ほん、みたいし」

ダゲキ「……じ、かける ように、なりたい」


ミュウツー『手紙か』

ダゲキ「うん」

ミュウツー『……わかった』


そう答えると、ダゲキは引き攣った笑顔らしいものを見せた。

こういう奴だと知らなければ、とてもこれが笑顔だとは思うまい。


ミュウツー(こいつの場合、顔に怠け癖がついたに違いないがな)


ジュプトルが上から覗き込み、爪のある手でダゲキの頭を叩いていた。


ミュウツー『では、お前たちは、みんな行くと』

ミュウツー『そういう話でいいんだな?』

ヨノワール「はい」

ジュプトル「うん」

ミュウツー『お前は、このあいだ渡した絵本を忘れるなよ』

ダゲキ「わ……わかった、ちゃんと もっていくよ」


長く数の少ない指を一本ずつ折りながら、何かを算段している。


ジュプトル「……あ、チュリネは? どうする?」

ダゲキ「あ……」

ミュウツー『そういえば最近あまり顔を見ないが』

ミュウツー『こんな話を知れば、行きたがるだろうな』

ダゲキ「でも、ぼくは いかないほうが いい……とおもう」

ジュプトル「……おれも、そう おもう」

ミュウツー『きっと怒るぞ』

ダゲキ「……」


ダゲキはめんどくさそうに顔を顰めた。

何を想像したのかは、容易に予想がつく。


ミュウツー『あとになって知られたとき、置いていった理由を言えるか?』

ミュウツー『私は言わないぞ』

ダゲキ「……ぼくが いう」

ミュウツー『相当の覚悟をしておけよ』

ダゲキ「う……うん」


なにやら、ダゲキが覚悟を決めている。

想像するだに、あのチュリネをなだめるのは苦労しそうだ。

先に言えば連れて行けとうるさいだろうし、あとで知ればそれはそれで怒るに違いない。


ミュウツー『……なら、今回はここにいる者だけで行こう』

ミュウツー『正直、どういうことになるか私にもわからない』

ミュウツー『自力で空も飛べない連中を連れて行くだけでも重労働なのだ』


おまけに子守りの頭数がこれ以上増えては、身がもたない。

そう言いかけて、ミュウツーは危ういところで言葉を呑み込んだ。


ジュプトル「ほんのニンゲンは、どんなやつ? あの もりの ニンゲンと、にてる?」

ミュウツー『レンジャーか? いや、そういえば似てないな』

ダゲキ「そうなんだ」

ダゲキ「ヨノワールは、あったこと ないよね」

ヨノワール「ないです」

ミュウツー『森で助けた連中は、みんなあの小屋に連れていくわけではないのか』

ダゲキ「ちがうよ」

ヨノワール「わたしは、けが しなかった です」

ミュウツー『……ああ、そういうことか』

ダゲキ「ジュプトルは……たいへん だったよ」

ジュプトル「……なんのこと?」

ミュウツー『?』

ダゲキ「えええ……おぼえて ないの?」


ぐったりしたような顔で、ダゲキが溜め息まじりに言う。


ジュプトル「えっ えっ えっ」

ダゲキ「……おぼえて ないなら、いいや……」

ヨノワール「?」

ジュプトル「な、なんだよ、いえよ」

ダゲキ「いや」

ミュウツー『その話、詳しく話してもらおうか』

ダゲキ「あとで みんなにだけ おしえる」

ダゲキ「あんまり、おもしろく ないけど」

ジュプトル「えええええ」


きいきいと喚きながら、ジュプトルはダゲキの頭を引っ掻く。

ふくれっつらと言えなくもない顔で、ダゲキはそれを払い除けようとしていた。

ヨノワールはふたりの横で困っている。

ミュウツーは、そんな友人たちを見て、小さく溜息をついた。

今回はここまでです

大変ご無沙汰しておりました
ざっくり言うと8~9月に生活環境で大きな変化があって
それに少し慣れるまで凄く時間がかかってしまった感じです
もうまったく書けなくて、自由になる時間はひたすら無心にゲームしてました
ここからどうペースを戻せるかはっきりしませんけど
とりあえず生存報告です

ではまたー

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