【オリジナル】自殺したら僕だけを誉めない有名絵師の彼氏になった件 (71)

紅い鮮血が、激しく吹き出した。
全身から力が抜け、ばたりとその場に崩れ落ちる。

「アシカ太郎さんっ!?」

茶髪のショートで小柄な彼女が、自身の愛と努力の結晶が載ったテーブルを迂回して。
信じられないことに、僕の下へ駆け寄ってきたんだ。

「どう……して……」

指で引っ掻いた時の痛み、それを何百倍にも何千倍にもしたような激痛が、僕の喉笛を走る。
そりゃそうだ、百均で買った果物ナイフで、スパッと自分の喉笛を切り裂いたばかりなのだから。

「前にお伝えした通り……ですよTERIA、さん。げふっ、がふっ……僕がどれだけ苦しかったか……がふっ、悲しかったか……ごほっ、がふっ」

そう、前にもTwwitterのダイレクトメッセージで伝えていた。
人気アイドルアニメ「アイドルチャンス!!」(略してアイチャン!!)の主要カップリングの一つ「りかりほ」。
それを推している文字書きの中で、唯一僕だけが「Pixivへ投稿しました」のツイートへ一年半近くもの間、何一つ反応して貰えなかったから。
リツイートや感想のリプライなんて夢のまた夢、いいねの一つすら貰えない。
六人ほどの他のりかりほ推しの文字書き全員が、どんな作品を投稿してもお誉めの三点セットが頂けているのに。
それ以前に、僕のアカウントだけフォローされていないんだけどね。

SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1587770220

「もう、喋らないでっ!」
「嫌、ですよ……がはっ。僕は……TERIAさんに僕の痛みを、わかってもらわなくちゃ……がふっ、がふっ」

喀血が止まらない。肺に空気が入ってこないせいか、呼吸が段々と苦しくなる。
脳の機能が低下しているせいか、視界がぼやけ呂律も回らなくなってきた。

「早くっ、早く救急車をっ!」
「心配して、くれるんですね……げふっ、がはっ。ずっと、僕だけ除け者にしてきたのに……仲間外れに、がはっ」
「そんなつもりは……」

喉元へ、何かが強く押し当てられる。
TERIAさんの右手……何作もの、素敵なりかりほイラストを描いてきた白くて細い手。

「死んじゃ駄目です! 命を粗末にしちゃ、駄目ですっ!」

ああ、そうか。ハンカチかタオルかで、傷口を押さえてくれているのか。
人間扱い、してくれているというのか。

「ずっとぼくなんか……あいてにしなかったクセに……ひとなみに、がふっ。あ、あつか……って」

痛みが薄れ、意識が遠のいてゆく。
おしまいだ、これで。僕アシカ太郎こと佐藤等の、空っぽな二十四年の人生も。
いいんだ、せめて最期に大きな爪痕を遺すことができれば。
もう誰一人、僕が味わった孤独と絶望を味わうことがなくなれば。

「アシカ太郎さんっ! アシカ太郎さんっ!!」

眠りへ落ちる時のように、僕の意識はすっと途絶えた。



スマホの電源を入れて、大きな不安とほんのちょっとの期待を抱いて。
Twwitterを起動させて、通知欄を確認すると。

「嘘っ……信じられない」

『TERIAさん他二十八名が、あなたのツイートをいいねしました』と。
『TERIAさん他十三名が、あなたのツイートをリツイートしました』の通知。
そして『過去のトラウマを必死で乗り越えようとする里歌ちゃんに、健気に寄り添う梨穂ちゃんの優しさ。とても素敵な作品でした。成長しましたね』という、丁寧な感想リプライ。

いいや、これは夢なんだ。
夢に決まっている。
りかりほの小説を書いて、Pixivへ投稿し始めてから早や一年半。
今の今まで一度とて――いや、正確にはこちらから「こんな作品を書いたので、読んでいただけたら嬉しいです」とリプライした時と。
TERIAさんが主催した、とあるTwwitter企画へ参加した時と。
今年の一月に初めて個人誌を刊行して、アイチャン!!のオンリーイベントで本を手に
取って頂けた時――あれ?
意外とあるな、作品の感想を頂けたこと。

だけど、これらはある種の「例外」みたいなものだ。
普通に、何も特別な事情がない投稿に関しては、一度だってこんなことあり得なかったんだから。

創作活動を始めたのが、アニメの二期が終わって寂しくなったから。他の人達は皆一期の頃から書いていた上、TERIAさんが絵師として駆け出しの頃から応援していたんだし。
高木里歌ちゃんと桜井梨穂ちゃんの関係性に、若干の解釈違いがあるから。TERIAさんを始めほとんどの方が「里歌× 梨穂」に対し、僕はいわゆる逆カプだし……普段の関係性に於いて。
(いや、ベッドの上なら僕も「梨歌× 梨穂」派ですよ。あの人、えっちなのも大好
きだし)
そもそも誰かへ恋なんてしたことがなくって、よくあるテンプレを組み合わせただけの薄っぺらい恋愛描写しか描けてないから。二人きりの朝食タイムとかで、エモさ全開の描写を一万文字なんてどうやったら書けるのやら。

自分が一番よくわかってるんだよ、僕だけがハブにされてもおかしくない理由なんてさ!
それでもさ、僕以外全員が無限にちやほやされている中、僕だけが何一つ誉めて貰えないのって辛いじゃん。苦しいじゃん、寂しいじゃん、悲しいじゃん。
段々とりかりほ小説を書く理由を、動機を、目的を見失っていった。
どうせどんなに頭を捻ってプロットを組んでも、里歌ちゃんと梨穂ちゃんの幸せに満ちた
やり取りをイメージしながら書いても……意味なんかないんだって。

アイチャン!!の劇場版の上映も終わって、ファンの興味だって薄れている現在。
Pixivへ投稿された小説を読んでくれる人だって、目に見えて激減しているんだから。
五万人以上ものフォロワーを抱える、自宅で飼っているヨークシャーテリアからアカウント名を決めた女性絵師。
彼女から作品をリツイートして頂けるか否かで、閲覧数が二百五十人以上も変わるんだよ。
彼女のフォロワー達のほとんどはさ、彼女のリツイート任せで自分からりかりほ作品を検索したりなんてしないんだよ。
つまりTERIAさんのお眼鏡に適ったりかりほ作品しか、大多数のファンの視界には入らないってことなんだよ。

みっともないってわかってる。
浅ましいって、乞食根性だって、他人の力に依存しているってわかってる。
『精神的に向上心の無い馬鹿だ』って、彼女のお気に入りの一人から罵られたって当然だって。
それでも除け者にされるのが嫌だった。
自分の努力を、好きを認めて貰えなくて悔しかった。

どんなに頑張ったって現状が変わるなんて、変えられる訳ないんだって絶望している。
有名な百合小説を読みまくって、女の子同士での恋愛のいろはを叩き込もうとも。
類語辞典や受けがいい比喩表現の書き方を調べて、読みごたえのある文章にしようとも。
自身の解釈を捻じ曲げて、どうにかTERIAさんの解釈へ合わせようとしても。
もうどれもこれも、意味があるなんて思えないんだ。
一年半も創作活動を続けても、結果は芳しくなかったんだから。

だから、これは夢なんだ。
今さら僕が書いたりかりほ小説が、他のみんなと同じようにTERIAさんから絶賛されるなんて。
ぶっちゃけ、今から一年以内に第三次世界大戦が起こる以上にあり得ないんだよ。
ノストラダムスの大予言に出てくる恐怖の大王が「ごめん、遅刻しちゃった」って二十一年遅れでアンゴルモアの大王を目覚めさせに来る方が、まだ可能性があるほどなんだよ。
それほど極端な喩えと比べちゃうほどに、僕はすっかり自信を失っていたんだ。



「嘘だっ!!」

そう声を上げつつ、がばっと上半身を起こすと。

「えっ!? あれっ!?」

何かが……いや、何もかもがおかしいと気付いたんだ。
まず第一に、ここはどこだ?
畳六畳ほどの部屋は、カーテンも壁も床も清潔感溢れる白で満ちている。
僕の右腕には点滴が打たれていて、僕自身も薄緑色の病人服を着ていて。
となると、ここはどこかの病院の個室ということか。それはわかった。

第二に、僕の身体は今どうなっている?
喉元をそっと触ってみたけれど、ガーゼで覆われてもいなければ大きな瘡蓋にだってなってはいない。
というかそもそも、僕の喉から出た声が「僕の声」ですらなかったのだ。

「あーあー、ただ今マイクのテスト中。マイクのテスト中です……低いな」

右手を握ってマイクに見立てて、試しに声を出してみたけれど。
やっぱり僕本来のテノールの声じゃなくって、もっと低いバスの音色。
となると、今現在「佐藤等の魂」は「どっかの誰かさんの肉体」へ宿っている……ということか?

いやいや、おかしいでしょ!
漫画やアニメじゃないんだから、そんなこと起こる訳ないっての。
いや、TERIAさんから作品を誉めて貰えるよりかは……さすがに冗談が過ぎるか。

頭の中がパニックでおかしくなりそうになるも「すぅ~、はぁ~」と深呼吸して。
どうにか平静を取り戻そうと、両手で胸の辺りを押さえた。
認めよう、ひとまずこの不可思議な現状を。
とりあえず「この身体」が誰のものなのか。それを知るのが先決だ。
その答えは、すぐに得られた。

「おお、ようやく目覚めたか」

ガラッと引き戸が開かれて、四十代ぐらいの男性看護師さんが入ってきて。
「白井凛くん、で合っているね?」と問われたからだ。

「はっ、はい。白井……凛です」

咄嗟にオウム返ししたけど、なるほど。「この身体」本来の持ち主は白井凛さんというのか。

「うむ、この様子なら明日のお昼には退院させても問題なさそうだな」

さっとこちらの全身を見渡した後、お医者様が告げた。

「ああ、ありがとうございます」

反射的に、こちらもお礼の言葉を返した。

「ところで、私はどうして入院していたんですか?」

目覚めてからずっと気になっていたことを尋ねてみる。
少なくとも、知り合いの女性絵師の目の前で喉笛を掻き切った……のではないのは確かだが。

「急性アルコール中毒だよ。日曜の朝からヤケ酒とは、よっぽど嫌なことがあったのは察するけど。隣の部屋の人が電話してくれなかったら、どうなっていたか……もう二度としちゃ駄目だよ」
「は、はい。すみませんでした」

おいおいこの「身体の持ち主さん」、貴方も相当病むような出来事があったんですね。同情します。

「入院費や治療費については、後で話すよ。まだ寝起きだろうしね」
「わかりました。ところで、今日は何日ですか?」

もう一つ、ついでに確認してみた。
他にも知っておきたいことはあったけど、お医者様が首から掛けたネームプレートでわかったし。
ふむふむ、ここは東京の神田にある総合病院なのね。となると「これからの僕」が暮らす家も神田にあるってことかな……ってな具合に。

「八月三日。月曜日だよ」
「三日の月曜……ありがとうございます」

お医者様が退室してから、さっそく僕はスマホで情報収集を始めた。
パジャマや財布なんかが入った袋の中へ、充電器とセットで詰め込まれていたのだ。
調べるのは二件。
「白井凛さん」の人となりと。
「佐藤等」が自殺した後、どうなったかだ。

「ロックの類はなし、か。良かった。んでTwwitterにLINEもあるね」

ひとまず入れてあるアプリを確かめてから、まずはTwwitterを起動させた。
タイムライン上にいるのは、当然ながら僕とは縁もゆかりもない「白井凛さん」の知人ばかり……かと思いきや。
たった一人、よく見知った人が。
というより、どうしてこの人が?

@Terianoww『設営完了しました。既刊・新刊ともに部数は十分あります。【アイ十
三】にてお待ちしております』八月二日、十時三十五分

「TERIA……さんの告知ツイート?」

そう、あの五万人以上ものフォロワーを抱え、昨日僕が自殺を図った時に「死んじゃ駄目ですっ!」と悲しんでくれたあのTERIAさんではないか。

「ってことは、もしや……」

凛さんのアカウント【バニラアイス】を開いて、自身をフォローしているユーザーを調べると。

「……そんなっ」

そこには予想通り、TERIAさんのアカウントがあったのだ。

「ぐっ……」

嫉妬の炎が、胸を焦がした。
彼もまた、TERIAさんから「認められた」二百五十人ほどのフォロワー達の一人なのか、と。
僕がどんなに焦がれても得られないものを、既に持っている特別な存在の一人なのか、と。

スマホを叩きつけたい衝動が込み上げるも、ぐっと堪えて凛さんのツイートを遡ると。

@Banira―ICE『ヤケ酒なう』
@Banira―ICE『まだ怒ってるよな、ほんと馬鹿だよ俺って』
@Banira―ICE『明日来るなって?いっつも手伝ってたのにさ』

「あっ、まさかこの人……」

凛さんの素性について思い当たる節があったので、一度スマホの画面を切ってみて。
真っ暗なディスプレイに映る、自分の顔をしっかり覗き込んでみたら。

「やっぱり、何度か見たことある人だ」

そう、オンリーイベントの会場でいつもTERIAさんの近くにいた、取り巻き達の一人の端正な顔だったのだ。
聞き耳を立てて彼らの話を聴いた限り、彼らはどうやらTERIAさんが通っていた芸術大学の友人らしい。
(ちなみに今年の三月で卒業されました。おめでとうございます)
りかりほはもちろん、アイチャン!!関係の創作活動は一切していないらしくて。
あくまで彼女の親友として、会場設営やら代理の買い出しやらを請け負っているみたい。
「僕の魂」はよりにもよって、とんでもない御方の身体へ宿ってしまったようだ。

っていうか「この身体」の本来の持ち主である「白井凛さんの意識」はどうなったの?
セカイ系アニメの終盤でありがちな、真っ白な心象世界へ移行して彼と一対一で対話……に呼ばれる気配だって、今のところないんだし。
まさか、アルコールにやられて凛さんの魂だけが消えてしまった……なんてことないよね?
嫌だよ、困るよ。
誰かの肉体を乗っ取ってまで、生き続けるだなんてさ。
しかもそれがさ、つい昨日「貴女から誉めて貰えなくて悔しかった」なんて理由を掲げて、目の前で自殺した人の友人だなんてさ。

「……痛い」

試しにほっぺたをつねってはみたものの、夢から目覚めることはなくって。
ふふふ、あははははっ……と狂気へ堕ちるのも許されなくって。
そう、逃げちゃ駄目なのだ。
調べなくちゃ、僕が、アシカ太郎が、佐藤等が引き起こした事件の顛末を。

単語検索をしようと検索欄を開くと、そこには見慣れた単語の数々がトレンド入りしてい
た。
「TERIA」「アシカ太郎」「自殺」「りかりほ」「イベント中止」……それと「オールマイナス1」なる謎めいた言葉も。

「まずはこれから調べてみるか、うん」

「オールマイナス1」の枠をタップして、話題のツイートの一番上を目にすると。
それもまた、僕がよく知っている有名なりかりほ絵師さんのツイートだったのだ。

@AKI―YAMAMOTO『数千~万単位のフォロワーを擁する絵師が、ファンへ取るべき対応は「オールオアナッシング」です。すなわち「全員を誉める」か「誰一人誉めない」か。対して、あの人がしたのは「オールマイナス1」、つまりある一人を除いて全員を誉め続けたのです。続く』

「あっ……」

感謝の念とか、強い喜びとか、自分が置かれていた状況を再認識した悲しさとか。
色々な感情が一気に噴き出して、上手く言葉が出せなかった。

彼女、山本あきさんはりかりほ界隈の中で、ナンバー2に位置する絵師さんだ。
僕自身、初めて個人誌を出した際には「緊張されると思いますが、どうか肩の力を抜いて楽しんでくださいね」と心温かい励ましの言葉を頂いたりもしていた。
ただ、Twwitter上で彼女が他のりかりほ推しの人が投稿した作品を、いいねしたりリツイートしているのを目にしたことは一切なくって。
まさかこんな形で、その理由というか信念のようなものが、はっきり提示されるだなんて。
言うまでもなく「ある人」とはTERIAさんを、そして「ある一人」とは僕のことで間違いあるまい。
淡々とした物言いの中に、あきさんの確かな憤怒の炎を感じ取った。

「まあ、TERIAさんとあきさんって、今は険悪だって噂だし……」

TERIAさんが里歌ちゃん役の声優さんのイベントで、ちょっとしたマナー違反をしたのをあきさんが注意したとか。
TERIAさんがアイチャン!!の聖地となった函館へ行った際、前から約束していたあきさんを誘わず他の絵師さんとお泊りしたとか。
僕がTwwitterを本格的に使うようになる以前に、何件かの揉め事があって。
それ以来、二人は積極的に絡むことがなくなったそうだ。
相互さんではあっても、もう友人ではない。
なんか悲しくなるなぁ、元々同じカップリングが好きで親しくなったはずなのに。
第三者の余計な心配であるのは承知しつつ、件のツイートの続きを読んだ。

@AKI―YAMAMOTO『学業でも仕事でも、あるいは兄弟姉妹の間でも構いません。想像してみてください。もし自分だけが先生なり上司なり、お母さんなりから誉められない日々を。きっと生き地獄のように辛くて、悲しい気持ちになりませんか?』

それはまさしく、僕がずっと抱いていた心の痛みを、これ以上ないぐらい的確に示したものだった。
あきさんは彼女なりに、僕のことを案じてくれていたんだ。
それがはっきりして、頬を熱い涙が伝うほど心が温かくなったんだ。

「ありがとう、あきさんっ……ううっ」

三万いいね、一万九千リツイート。
この数字もまた、彼女の思いやりと憤りへそれだけの人が共感した証なのかな。

ところが、この温かい心持ちはそう長くは続かなかった。
あきさんのツイートの下に並ぶ、醜悪なツイート群を目にしたからだ。

@MATOME―SYUGI『アイドルチャンス!!の有名絵師さん、内輪揉めでファンの一人を自殺へ追い込む「オールマイナス1」』

アイチャン!!そのものへ敵意を抱く、ある大手まとめサイト。
そこを始め大小いくつものまとめブログが、類似のタイトルで昨日の事件をまとめた記事の宣伝ツイートをしていたのだ。

いや、気持ちを落ち着かせるんだ僕よ。
これは全然、予想していた範疇じゃないか。
僕が思い描いていたTERIAさんへの「復讐」、その筋書き通りじゃないか。
だって僕は自殺の動機をはっきり示すため、ネット上の何か所かへ遺書をアップロードしていたんだ。
自身のTwwitterアカウントへ、Pixivへ新作という形で、数年前に作ったまま放置していた個人ブログへ、そして「アイドルチャンス!!板」なる匿名掲示板へ。
手書きした遺書の写真を、一人でも多くの人の目に留まるように。

さっそく例の大手まとめサイトを覗いてみると、最初にその写真がでかでかと貼られていて。

「やっぱりかりほ推しは民度最低だわ」
「うわぁ……えげつねぇ」
「同情するわ、その自殺した文字書きに」
などという罵詈雑言の数々が、下へ行けども行けども並んでいたんだ。

もちろん読んでいて、心苦しくなることはあった。
「別に全員誉めてやる義理なんてないだろ」
「ゴミみたいな駄文しか書けなかったんでしょ? その文字書き」
「誉めて貰えないから自殺しましたって、どんだけお豆腐メンタルなんだよソイツ」

僕を責め立てる意見が噴出するのだって、無論想定の範囲内だ。
というより僕だって、自分が無能でヘタレのゴミカス野郎だってのは、百も承知なんだから。
承知の上で、もう精神的に参ってしまったから、自殺という道を選んだんだって。
お前らに僕の痛みがわかるのかよ……同じ分野で頑張っている者達の中で、唯一仲間に入れて貰えない者の苦しみがわかるのかよ……。

でも問題はそっちじゃない。
というか「アシカ太郎」なり「佐藤等」なりは死んだんだし、もうどうでもいいんだ。

「アイチャン民は仲間を自殺させる虐めっ子なんだな、最低」
「これを機に公式が二次創作を禁止したら良くね?」
「やっぱアイチャンよりラブモアだよね、ファンの民度からして」

そう、アイチャン!!そのものや、そのファンの人達が一括りにして叩かれていること。そっちの方へ胸を痛めたんだ。
オンリーイベントだって、あのまま中止になったみたいだし。

「……わかっていたさ、こうなるってのも。わかっていたけど……」

創作活動で行き詰って無力感に打ち拉がれていた僕だけど、決してアイチャン!!そのものや里歌ちゃんや梨穂ちゃん、それにりかりほが嫌いになった訳ではない。
また数はそう多くはないながらも、日頃からTwwitter上で色々やり取りしていた友人達のことだってそう。僕の場合は推しキャラや推しカプ、創作活動を始めた時期や作品の評価とか諸々関係なく、幕の内弁当みたいに多様な価値観の持ち主達と親しくしていたのだ。
その中には、TERIAさんのお気に入りだって何人かいて。
『私はアシカ太郎さんの作品が好きですよ。だからあの人から評価されるかどうかを気にしないで、自分の世界観を大切
にしてほしいです』と励ましてくれた方だっているのだ。
一緒に創作活動に励んで、一年半喜びも悲しみも分かち合ってきた「仲間達」。
そんな「仲間達」が自らの努力と愛を詰め込んだ同人誌、その即売会で自[ピーーー]るということ
がどんな意味を持つのかだって十分理解していた。
理解した上で、僕は僕の努力と愛を認めなかった一個人への「復讐」を敢行したのだ。
九十九人から肯定されるよりも、たった一人から否定され続けた痛みを延々引きずって。
他人からの好意や善意を無下にした、最低最悪の大馬鹿野郎。
そうなるとわかっていても、僕はりかりほ推しの代表とも言うべき人から誉められないのが悔しかったのだ。

まとめブログを閉じてTwwitter上で情報収集してみたけど、思っていた以上に賛否両論の意見が入り乱れていた。

『あーわかるわー、自分から死んだ人の気持ち。私も中学の頃、バスケ部の部長からシカトされてたし』
『そのTERIAって絵師以外からは結構ウケが良かったんだろ? だったら気にするなっての』
『お世辞でもいいし、五回に一回ぐらいでもいいから、作品の感想ぐらいパパッと送ってやれば良かったのに』
『作品の出来とか関係なくってさ、個人的に嫌われてたんじゃないの? 嫌ってる奴が書いた作品なんて、意地でも誉めてやるもんかって思うよ』
『ブロックはされてなかったんでしょ? だったら一応応援はされてたんじゃないの? 作品の好みや出来はともかくとして』
『そのアシカ太郎って奴の作品読んだことあるけど、普通にいいお話だったよ。これのどこが気に入らないんだか、私にはさっぱりだわ』

擁護の声と非難の声が渦巻いて、混沌のるつぼと化していた。
そう、Twwitterとは、SNSとはそういうものなのだ。
ただ、想定していた以上にアシカ太郎側の肩を持つ意見が多かったのは、正直涙が出そうになるほど嬉しかった。
それだけ努力が結果を結ばなくて、辛酸を嘗め続けている人がいたり。
人間関係のトラブルで、胸を痛めている人からの共感を得られたということだろう。

「……ところで、TERIAさんはどうなったんだろう?」

ざっと単語検索を済ませたところで、何より気になっていたことを調べることにした。
いや、調べる覚悟を決めたと言うべきか。
極端な話、無関係の第三者達からどう思われようがどうでもいい。
一番大事なのは、あの人が僕だけをずっと誉めないでいたことを、今現在どう思っているかなんだもの。

『気に入らない作品を評価しないことを、責められる謂れはありません』という風に鬼が出るか。
『彼の頑張りやりかりほが好きな想いを、無下に続けてすいません』という感じに蛇が出るか。

怖い、心臓が万力で絞め上げられたかのように苦しくなる。
でも、勇気を振り絞って。
「TERIA」と単語検索へ打ち込んで、彼女のアカウントを覗いたんだ。
その結果は。

@Terianoww『設営完了しました。既刊・新刊ともに部数は十分あります。【アイ十三】にてお待ちしております』八月二日、十時三十五分

「更新……されてない?」

先ほどタイムライン上にあった、オンリーイベントの告知ツイートが一番上にあった。
となると、TERIAさんはかれこれ一日近くTwwitterを覗いていないか、あるいは何かツイートするのを警戒しているか……だよね?
現に告知ツイートには二百を超えるリプライが来ていて、その中には「事情を説明しろよ人殺し」「虐めっ子だったんですね、失望しました」などと彼女を攻撃するものが大半を占めていたのだから。
また、フォロワー数も三万八千人と、昨日と比べ一万人以上も激減していた。
自分が命を賭した行為が、これほどまで多くの人の義憤を駆り立てたのか。
もしくは前々からTERIAさんのことが気に入らなくて、今回の件で攻撃する大義名分を得たことで動いたのか。
だけど個々人の腹の内まで、いちいち調べる気力は湧いてこなかった。
それと、生前(一度死んだ以上、そう言うべきか)に交流があった人達のツイートも。
というより、TERIAさんがどう思っているかよりも、そっちの方が怖かった。
裏切り者が、どの面下げて顔向けなんてできようか。

小一時間ほどの情報収集に疲れたので、スマホを枕元に置いてトイレへ向かった。
時刻は夕方五時半、オンリーイベントが開場した昨日の十一時にすぐTERIAさんのスペースへ向かったので、かれこれ自殺してから三十時間も経ったのか。
トイレから戻ってから三十分ほどは、凛さんの個人ブログやTwwitterを遡って彼の素性調査の時間にした。
明日のお昼にここを退院してから、僕が凛さんとしてどう振る舞うべきか考えておかなくては。
眠ったままの彼の意識が、ふと目覚める可能性だってまだあるんだ。
私的な理由で自ら命を絶った僕が、何の罪もないこの人の人生を滅茶苦茶に……いや。
この人の交際相手の人生へ禍根を残した時点で、もうある程度は影響を与えてしまった訳だけど。

凛さんとTERIAさんがお付き合いをしているんだと、LINE上のやり取りを見てはっきりした。
やたらとハートや顔文字を多用した、Twwitter上とは別人としか思えない彼女。
時折『今日、欲しい♡』だの『昨日は気持ちよかったね♡』などと明らかにアレなこと関係のやり取りなんかあったりして……目のやり場に困ります。

「永瀬悠さんは、TERIAさんとは別人だ。そうだ、うん」

ついでに彼女の本名も知ってしまったが……案外可愛い名前だったんですね。

夕方六時に点滴が外された後、運ばれてきた晩ごはんを頂いた。

「んん~っ! ハンバーグ美味しいっ!」

病人向けのカロリー控えめお豆腐ハンバーグからは、ジュワーっと肉汁が溢れてきたりはしなかったけど。
それでもデミグラスソースたっぷりな熱々ハンバーグの味は、僕に再び生きている実感を与えてくれた。
やっぱり、自ら命を絶つべきじゃなかったな……この不思議な現象が起こらなかったら、僕はもう二度とこんな幸せを噛みしめるなんてできなかったんだし。
心からそう感じられるほど、後悔の念が胸の内から溢れてきた。

「そういえば、どう報道されてるんだろう」

SNS上での反応はもう十分わかった。
そうでない従来のメディアは、この一件をどう捉えているのか。
それが気になって、さっき大型の液晶テレビが置かれてあるのを目にした、談話スペースへと足を運んだ。
自分の部屋にも百円を入れれば三十分だけ観られる小型テレビがあったが、節約できるところは節約したいし。

四人ほどは座れそうな横長のソファーが二台置かれた談話スペースには、年齢も性別もバラバラな七人の先客がいた。
「失礼します」と一言告げて、僕も空いているスペースへ腰を下ろした。
テレビに映っていたのは、見知った顔の美人キャスターだった。

我が家でも毎晩食卓で観ている、全国区のニュース番組は。
ちょうどいいタイミングで、僕が観たかったニュースを報道し始めた。

『次のニュースです。昨日の十一時、大田区のイベントホールで青年が自ら命を絶った事件。その全体像が、徐々に明らかになってきました』

画面が切り替わり、僕が各サイトへ投稿した遺書が映る。

『自殺した苫小牧市出身の佐藤等さん二十四歳は、複数のサイトへ手書きの遺書の写真をアップロードしていました』
「わざわざ北海道から東京まで自殺しに来たとは……ご苦労なことだねえ」

湯気が立った緑茶を飲みながら、ふくよかなおばさんが呟いた。いや、まったくですよ。
遺書の概要は、女性キャスターではなく声の低い男性キャスターによって読み上げられる。

『私は「アイドルチャンス!!」というアニメ、その主人公である高木里歌と桜井梨穂を中心とする小説を日々執筆しております。が、同じ分野で創作活動をしている人達の中で、私だけが××××× さんという方からPixivへ投稿した作品の宣伝ツイートを、ずっといいねやリツイートされず、また感想を頂けたりもしませんでした』

さすがにTERIAさんの名前のところは黒く塗りつぶされて、読み上げたところもピー音で伏せられていた。
しかし、遺書の本文はほぼ原文のまま放送された。
アイドルチャンス!!という作品名や、Pixivというサイト名は伏せられていないけど大丈夫なのかな?

「おお、そうか。村八分にされたんじゃな、その子は」

今度は皺くちゃのおじいさんが呟いた。特に抑揚のない、感情の乗らない物言いで。

『なので、私は私の痛みと悲しみを理解して頂くため、八月二日に開催される「アイドルチャンス!!」のオンリーイベントにて、私を仲間として認めてくれない×××××さんの目の前で、自ら命を絶ちます』

「絶つつもりでいます」みたく曖昧に濁したりせず、きっぱり「絶ちます」と言い切る辺り、
これを書いていた時の僕の本気度が窺える。
そして、僕は本気でやり遂げてしまった訳だ。

「えっ!? ヤバくないその人……死ぬなら自宅ですればいいのに」
「トラウマ植え付ける気でいたんだね……自爆テロする奴と同じメンタリティだよ」

二十代前半ぐらいの男女が、顔をしかめながら意見を述べた。まあ、そう考えますよね。
だとしても、僕はTERIAさんの前で死ななくちゃ……という意識に囚われていた。
そうでなくちゃ、あの人は自分がどれほど僕を踏みにじってきたのかわかってくれないに決まっているから。

『いやはや、昨日も言いましたけど、これもまたSNS社会が生んだ現代の闇なんでしょうかね?』
『確かにSNS世代の若者を中心に、こうしたネット上での虐めはもう何年も前から問題視されていましたからね』

これまた清々しいほどの正義の味方っぷりだね、マスメディア様は。
お前らが敵視しているのは虐めなどの行為そのものではなく、若い世代の情報源がテレビからSNSが中心になっていること。そっちが気に食わないだけのクセに。
というより、そもそも最初から虐めと断定しているのがまた、ね?
自分の味方的な意見を発しているにもかかわらず、心の中でそう罵った。

「LINEグループに呼んでもらえなくて、それが原因で自分から命を絶ったした女の子もいたよな? アレと似たようなものか」
「まあ、えすえぬえすーなんてものがなくっても、仲間外れなんてワシの若い頃からありましたけどねぇ」

小太りのおじさんとしわしわなおばあさんがそう語った。

『これはアレですね。その五万人ものフォロワーを有する彼女が、仲間内へ見せしめをしたんでしょうね』
『見せしめ、ですか?』

SNSと虐めの関連性について研究している専門家、そう名乗る妙齢の女性が述べた意見へ女性キャスターが尋ねる。
その意見については、かなり興味があった。

『自分が気に入らない作品を投稿したり、自分が描いたイラストを絶賛しない奴は、彼みたいに除け者にするぞ。それが嫌なら、もっと私を喜ばせるよう励むんだなって。私も以前は創作活動をしていたのですが、やっぱり同じ分野の代表から誉めて貰えることってモチベーション向上に繋がりますからね。逆もまた然り、ですが』
『なるほど。自殺した青年は、忠誠心を試すための生け贄に選ばれてしまったんですね』
『ええ。思春期の若者にはよくあることです』

SNS世代の若者に、思春期の若者ね。相変わらずだよ、僕の死を若い世代を非難する旗印にしちゃうなんてさ。
マスコミの偏向的な報道が大嫌いな僕だけど、TERIAさんを一貫して悪者にしようとしたことは評価した。
そうでなければ、僕の死は無駄になってしまうのだから。

でも、その専門家が語った意見については、妙に腑に落ちた。
そうか、僕はTERIAさんとお気に入り達の結束を深めるため、見せしめにされていたのか。
お気に入り達がより良い作品を生むモチベーション維持のための、生け贄にされていたのか。
僕を人間扱いせず、供物同前に扱った彼女への憎しみが沸々と湧き上がってきた。
こんなところで泣き出してはなるまいと、すっと立ち上がって右腕で目元を押さえながら談話スペースを離れた。
そして自室のベッドへうつ伏せになって、枕に突っ伏して声を殺して泣いた。

その晩、おかしな夢を見た。
地平線の彼方まで、ただただ真っ白なだけの世界。そこには客観的な僕と、俯いてめそめそ泣いているだけの僕と、怒りで我を忘れた僕の三人しかいなかった。

「酷いよ、不公平だよ……僕だってりかりほが大好きなのに、それを形にしようと頑張ってるのに……僕だけが、僕だけがっ」
「だからアイツを許さない。僕が受けた痛み、倍にして返してやる。自分がやってきたこと……いいや、やらないできたことを後悔させてやる!」
「仕方ないじゃないか……解釈違いだし、下手糞だし、そんなにイチャイチャしてないし、始めた時期だって遅かったし」

対等に扱って貰えなかった哀しみも、それに対する激しい憎悪も、至らなさを実感して劣等感に苛まれているのも、全部が僕に内在する感情なんだ。

「わかってるよ、そんなこと。でもさ、あの人だって僕が何に悩んでいたのかわかっていたんでしょ? だったらさ……お情けでもいいから、みんなと同じに扱ってほしかった」
「アイツはその報いを受けねばならない。他人の痛みを想像できぬ者へ、情けをかける必要がどこにあるっ!」

哀しみの僕も、怒りの僕も、我ながら頑固者だ。
長い時間を掛けて育った被害者意識と怨恨感情は、決して自分の主張を曲げるつもりはない。

「TERIAさんはただでさえ少ないりかりほ推しの中で、コンスタントにイラストを描き続けた方だ! 彼女がいなかったら、りかりほの二次創作は壊滅寸前だった」

素敵なイラストを多数描かれたことは、感謝している。
向上心に溢れ日々研鑽を忘れぬ姿勢へ、尊敬だってしている。
僕の作品だけを誉めてくれないことへの諸々のマイナス感情とは別に、一クリエイターへ向けるプラスの感情だってあるのだ。
でもそれ以上にマイナス感情の奔流が激しくなって。もはや、手のうちようがなかったのだ。

「あの人の解釈が絶対的になって、それ以外の解釈を持っている人達の肩身が狭くなって……段々と引退する人が増えていったってのに?」
「お気に入りとそれ以外とで、神とゴミレベルで扱いを変えるような奴へ感謝も敬意も必要ない。ましてや、推しカプ以外の悪口を平気で吐き出す輩などっ!」

そう、残念ながらTERIAさんは聖人君子ではない。
直接名前を挙げないながらも、遠回しに里歌ちゃんや梨穂ちゃんを含む他カプそのものや、他カプ押しを貶すような言動だってしてきたのだ。
だけどみんな、目を瞑ってきた。
他のりかりほ絵師の投稿頻度が、彼女と比べて低いから。
あるいは彼女からちやほやされ放題の、特権的な立場を捨てたくないから。
当然だ、古今東西の権力を握った者はみんながそうしてきた。
誰かが犠牲になろうと、そんなの知ったことかの精神なんだ。

「わかってる……わかってるよ。でも……」
「じゃあ僕の哀しみは、どこへ吐き出せばいいの?」
「怨みは? 憎しみは? それらが限界に達したから、僕は僕の命と引き換えにアイツを呪うと決めたんだろ?」

もはや、僕の世界が真っ黒に塗り潰されてゆくのを止められはしなかった。



「はぁ、はぁ……嫌な、夢っ」

冷房機器をフル稼働させて、院内は適温に保たれているはずなのに。
目覚めたら寝汗びっしょりで、全身が気持ち悪かった。
スマホの電源は切ってから寝る主義な上、腕時計も目覚まし時計も持って来てはいなかったようで。
灯りが消え真っ暗闇の中、現在時刻がわからないのがモヤモヤする。
それでもカーテンの隙間から差し込む月明かりを頼りに、個室から抜け出して。
廊下をぼんやり照らす常夜灯に従って、トイレで用を足した。

昨年の八月末以来、一年近くずっと寝起きは最悪だった。

「僕だけが認められていない」
「僕だけが除け者にされている」
「僕を仲間外れにしないで」

意識が覚醒した瞬間、悲観的な感情が堂々巡りして。
仕事中は注意散漫になって、何度も上司から叱られたりカウンセリングを勧められた。
食事中は味覚が消失して、好きだったから揚げやチョコレートを食べても「美味しい」と感じられなくなった。
休日に自転車に乗って駅前までショッピングへ行っても、新商品に心躍ったり風を切る心地よさを忘れてしまった。
佐藤等から人間らしい心は、とうの昔に失われてしまったのかな……感受性がボロボロと剥がれ落ちて、最後にはフレームを残すのみになってさ。

りかりほ推しにとっての特別な日、アニメの一期で梨穂ちゃんが里歌ちゃんへ「大好きだよ」と告げた話が放映された日。
通称「大好きだよ記念日」に投稿されたりかりほ作品が、ある一人を除いて全てTERIAさんからリツイートされた。
もちろんその「ある一人」とは、僕ことアシカ太郎の小説で。
あの日受けた精神的ショックが、僕の心に決して癒えることのない深い深い傷を負わせたのだ。
トイレから戻って布団に入っても、自己否定のループで二度寝なんて不可能だった。
だけど今夜は脳の回路が変わったためか、すっと眠りに落ちることが出来た。



白いごはんにアジの開きと納豆、わかめとお豆腐の味噌汁にたくあん。
ごくごくオーソドックスな日本風の朝ごはんなのに、なぜだかとても美味しかった。
それほどまでに、僕は長きに渡り味わう楽しみを忘れていたのだ。

「隣のコンビニかゆうちょで、お金を下ろしてくればいいんですね?」
「はい、それでお願いします」

お医者様から治療費と入院費の支払い方法を教えられ、TシャツとGパンへ着替えて。
袋に入っていた通帳を持って、近くのゆうちょへ向かった。

東京の八月は、苫小牧と比べて信じられないほどカラッと暑かった。
口座には、大学時代からバイトをしていたのか、かなりまとまった額が入っていた。
必要な金額を引き下ろして、急いで病院まで戻ろうとしたら。
『りっほちゃ~ん、りっほちゃ~ん』とポケットに入れたスマホから、里歌ちゃんの脳トロボイスが鳴り響いた。

「着信音っ!? いったい誰から?」

立ち止まってスマホを取り出すと、画面には『メールを受信しました』の通知が。

「ふぅ。電話じゃなくて良かった」

もう少し凛さんの素性を調べておかなければ、知人の前でボロが出ないとも限らないし。
問題は、その差出人だった。
いつか来るのは想定していた。
想定していたが、まだ覚悟ができていなかった。

「うっ……TERIAさん、もとい永瀬悠さんか」

そう、今誰よりも会いたくない相手からだった。

でも『件名:今日、会えない?』のメールが届いたからには。
逃げるな、ということか。
自分が引き起こした事件から。

『今日の夕方六時、アキバのUDX前で待ちます』

何の飾り気もないそのメールへ、僕も『了解』と二文字だけで返した。



神田区の住宅街にある古いアパート、そこが凛さんのお住まいだった。
退院の手続きを済ませて、部屋を整理して、髭を剃ってシャワーを浴びて身なりを整える。

「みかんブックスの店員やってるのか……やれるかな……」

接客業は未経験だったが、どうにかやってゆくより他あるまい。
今後「白井凛」として生きてゆくための身辺調査をしているうちに、時刻はもう五時半。
太陽は西へ傾き始め、遊び疲れた子供達のお喋りが聞こえてきた。

「おっと、急ごっか」

秋葉原のUDX前に着いたのは五時五十五分、約束の時間の五分前だった。

「あっ、来た来た」
「TERIAさん……いや、悠さんか」

オンリーイベント以外の場で、彼女と会うのはもちろん初めてだ。
だが現在の僕は、底辺文字書きではなく彼氏さんだ。
「別人の魂が宿っている」なんて非科学的なことが起こっているだなんて、彼女は想像もしないであろう。
だとしても「何か普段と違う」と悟られないようにしなければ。

「ギリギリになって悪いな」

柄にもないなと内心自嘲しつつ、プレイボーイな物言いを意識する。

「ううん、平気」
「そっか。つーか、そんな格好で暑くないのか?」

TERIAさんは肌の露出が少なくて、ボディラインもはっきりしない黒のコートを纏っていた。どう見ても冬物ではないのか、それ。

「……暑いけど、大丈夫」
「……そうかい」

額には玉のような汗が滲んでいて、痩せ我慢しているのは明白だった。
加えて、目の下には黒い隈まで出来ていて、明らかに疲れた顔をしているではないか。

「ねえ凛、この間はごめん」
「なんで謝る?」

TERIAさんと凛さんが何か喧嘩したのはわかっている。
わかっていないのは、その原因だ。

「まだ怒ってるの?『手伝いなんか要らないっ!』って怒鳴ったこと」
「ああ、そのことか。んで、俺は何て言ったんだっけ?」

とぼけたフリをして、喧嘩の原因を尋ねてみた。

「やっぱ怒ってるんじゃん。『オンリーが近いからって最近無理し過ぎだぞ。ちょっとは休め』って心配してくれたのに……凛は何も悪くなかったのに……」
「だろ。可愛い顔が台無しだ」

うわぁ、僕の中で凛さん株が急上昇したんですけど。めっちゃ優しい人じゃないですか!
いいなぁ……僕も彼みたいになれてたら、高校の時とかすっごくモテたんだろうなぁ。
などと羨望を抱きつつ、キザな感じを意識して恋人を誉めてみせた。

「もう俺は怒ってねーよ。だけど、マジで無理はするなよ」

まあ「僕」は貴女への怒りで腸が煮えくり返りそうですけどね。

「うん、ありがと。凛の方こそ、もうヤケ酒なんてしないでね」
「悪かった。約束する」

ひとまず、この二人のわだかまりは解消できたと言っていいか。

それから僕はTERIAさんと二人で、ブラブラ秋葉原を散策した。
アニメグッズのリサイクルショップを覗いてみたら、里歌ちゃんや梨穂ちゃんのぬいぐるみが山のように積まれていて。
コンテンツが終わコン化しつつある現実を、否応なしに感じずにはいられなかった。

「……安いな」
「……うん、安いね」

コンテンツの黎明期からこの二人を愛してやまなかった彼女としても、色々と複雑な心境らしい。

「一組だけ、お迎えするわ」

そういえば凛さんの部屋には、一体もぬいぐるみがいなかったなあ……と思い出して。
一抹の寂しさを覚えたから、買っておくことにしたのだ。

「そう……ありがと、一緒に買ってあげて」
「そりゃ里歌ちゃんと梨穂ちゃんは、運命共同体だからな。まあ、梨穂ちゃんと良江ちゃんでも良かった――」
「凛のバカ……」
「冗談に決まってるだろ、悪かった」

TERIAさんにとって、梨穂ちゃんと島津良江ちゃんのカップリング「よしりほ」はいわゆる地雷カプだ。
二期の終盤、学園祭で梨穂ちゃんが里歌ちゃんの誘いを断って、良江ちゃんの出し物を手伝いに行ったのが大層気に入らなかったそうで。
それを段々拗らせていった結果、りかりほもよしりほもイケる梨穂ちゃんカプ雑食の知り合いを、どんどん縁切りしているらしいが。
有能なお気に入りとイエスマン以外、自分の周りには必要ない。それが彼女のスタンスなのだろう。
そんなんだから、敵が多いってのに。
りかりほにだって、嫌悪感や敵意を抱く人が増えたってのに。

「……」

同人誌コーナーをチラリと覗いたら「新入荷」のコーナーにTERIAさんの本が平積みになっていたのは黙っておこう。
なんとなく、理由は察したから。

当てもなくしばらく歩き回った後で、僕達はベンチへ腰掛け小休止することにした。
時刻はもうすぐ七時、夜の帳が空を覆い始めていた。

「ほい、オレンジティー」
「ありがと」

自販機で飲み物を買って一息入れたところで、TERIAさんがぽつぽつと語り始めた。
それは、僕が何よりも気になっていたことだった。

「知ってるかもだけど……知り合いが目の前で首を切ったの」
「オンリーイベントでだろ? 知ってる、ニュースで観た」

正確には、その前にスマホで調べたんだけどね。

「私、どうすれば良かったのかな……」
「どういうことだ?」

顔を俯け、沈んだトーンで尋ねるTERIAさん。
「僕」を自殺へ追い込んだ張本人なのに、気にしたりでもするものなのか?

「『私を仲間として認めてくれないから』って、遺書に書いてあったみたい。っていうか、イベント会場でも『僕だけ除け者にされた』って言われたし」
「まあ、みたいだな」

書いたり言ったりした本人ではあるものの、現在はもう別人。なので、第三者的な物言いをしてみせた。

「ニュースとかではさ『仲間内への見せしめ』だとか『生け贄にした』とか決めつけられてさ……そんなつもり、なかったのに……」

ブチッと、脳の血管が切れる音が聞こえた気がした

なんで彼女は被害者ぶっているんだ?
全部「事実」だろうに……この期に及んで知らぬ顔を決め込むのかよ。
だから、僕は冷たく言い放った。

「そうか。だがな、お前がどう思おうと、ソイツはそう感じたんだろうな。んでもって、メディアもそう分析した訳だ」と。
「でも私は伝えたんだよ、ダイレクトメッセージで。『貴方の悔しさは、ちゃんと努力して成長に繋がっています』ってさ。彼が書いた話だって、ちゃんと全部読んでたんだよ」

正直、彼女が個人誌の感想と一緒にそう評価してくれたのは、すっごく嬉しかった。
それこそ涙が出るほど嬉しかった。
僕が拙いなりに書いたお話なんて、まともに読んでくれちゃいないんだ……って思い込んでいたから。

でもその後に投稿したホワイトデーの作品が、いいねも何もされなくて。
それらの言葉全部が、薄っぺらい虚言にしか思えなくなったんだ。

「ならさ、伝えてやれば良かっただろ。取った行動が全てなんだから。わかってるだろ?自分だけが一切誉められない辛さなんて」
「大好きだよ記念日」に僕だけがいいねされなくて、僕は『嫌われたのかな……』とか『嫌だな、無視されたみたいで』と落ち込むツイートを何回かしてしまって。
どうやら知り合いの一人が気を遣って、TERIAさんへ『アシカ太郎さんが落ち込んでいますが、彼のことが嫌いになったのですか?』とダイレクトメッセージで教えたらしい。
内心ありがた迷惑であったし、これが発端となって僕はどんどん精神的に病んでいってしまったのだ。

その後で、彼女から僕へ『私も大学の実習で、たびたび私の作品だけが先生からOKを貰えないことがあります。なのでアシカ太郎さんの気持ちは、わからなくはないんですよ』と告白されたりもしたんだけど。
だからこそ、彼女が信じられなくなった。
自分が受けた辛い思いを、他人へ平気でさせられる人なんだな……って。

「あきにも同じこと言われた。それでひっぱたかれた……二回も」
「だ、だろうな」

マジですか、ありがとうございます……普段温厚な人ほど、怒らせると怖いってことなんだろうな。

「意地悪だね……怒ってる?」

両目を細め、軽く頬を膨らませたTERIAさんへ、僕は怒りの丈をぶつけた。
もちろん、あくまで「恋人の過ちを正す彼氏」の皮を被せて。

「怒ってるっていうより、呆れてる。『人を死へ追いやったんだ』って自覚、ないのかな……ってな」

声のトーンを下げて、言葉の一つ一つを強調しながら冷たく言い放った。

「そんな……ことは……」

声が震えようが、目尻に涙を浮かべようが関係ない。

「お前にとっちゃ、ソイツは虫けら以下の――」
「そんなことないっ!!」
「うおっ!?」

彼女がいきなり大声を発したので、怯んでしまった。

「解釈は違ったけど、フォローだってしてなかったけど……バカになんてしてないっ! 凛こそっ、彼の何がわかるってのっ!!」

両の拳を爪が食い込むほど強く握って、涙ながらに訴えるTERIAさん。
夢にも思わぬ言葉が彼女の口から飛び出し、僕は咄嗟に言い返すことができなかった。
ただ「そうかい、そうですね」としか、言えなかった。
ついさっきまで『貴女のせいで僕の心はボロボロになったのに……被害者を気取るなよっ!』という憤りでいっぱいだったのに。
こうもはっきり意思表示されたら、どうすればいいのか戸惑ってしまったのだ。
ただし、ちょっとした反撃だけはしておくことにした。

「だが一つ言わせてほしい。もし彼へ本気で『悪いことをした』って思ってるなら、これからは……わかるな?」
「うん……明日にはTwwitterも再開する」

本当に僕を陰ながら応援していたのなら。
僕を自殺させたことへ、少しでも罪の意識があるのなら。
口先だけでなく、行動で示してほしい。
それこそが、僕の願いなのだから。

「了解。それと……俺も言い過ぎた。ごめん」
「……うん」

凛さんの意識が戻る可能性が0でない以上、彼女との関係を破綻させる訳にはいくまい。

「奢ってやるよ、回転寿司でも行くか」
「うん、ありがと」

「遠慮なんかいらないぞ」と促しこそしたものの、TERIAさんは「食欲が沸かないから」とたったの五貫しか食べなかった。
かくいう僕だって、七貫でもう食べる気力を失ってしまったんだけどね。

わかってるんだよ、本当に「被害者ぶってる」のは僕の方なんだって。
誰を誉めて、誰を誉めないかなんて、当人の自由なんだから。
お気に入りとそれ以外とで、露骨に態度を変えたからって名誉棄損罪になるなんて、民法のどこにも記されちゃいないんだから。
彼女の立ち振る舞いが許せないという気持ちよりも、彼女のお気に入り達の足元にも及ばない評価するに値しない駄文しか書けない自分。劣等感からくる自己嫌悪の方がよっぽど強かったんだ。
自分の浅ましさをはっきり自覚していたから、僕は冷徹になり切れなかったんだ。
クリエイターだから、僕を評価しない彼女ではなく、無能で生きている価値の無い僕を消すことを選んだんだ。

時刻はもうすぐ夜の八時、そろそろアニメグッズの専門店が店じまいする時間だ。
今日はもうお別れにしようかという頃になって、TERIAさんはあるお願いをしてきたのだ。

「ねえ、凛」
「どうした?」
「……慰めて」

食事中も羽織ったままだったコートのボタンを、ぷちんぷちんと上から二つ外して。
チラリと肩のラインを見せつける彼女へ……正直エロスは感じられなかった。
というか、亡くなるまでずっと自分を無下にしてきた人となんて、したいと思えるものか。
生憎と僕にはエロゲーにありがちな、お仕置き調教プレイなんて趣味は微塵もないし。
いや、さすがに彼女とてそんなの望んじゃいないだろうし。
(性癖というか、凛さんとどういうプレイをしているのかは、四月に出したR―18本の中身で把握しているけどさ)。

「……すまん、そういう気分じゃない」
「そっか……ごめん」
「いや、俺こそ今日は全然彼氏らしいことしてやれなくて、ごめんな」
「いいっての」

最後に「色々大変だと思うけど、お互い無理し過ぎないで頑張ろうな」とエールを送って、僕はTERIAさんと別れた。
これでいいんだ……他人の身体を借りている人間が、本人の許可なく彼女さんと性交渉なんてしたら。
僕は、僕が二度と許せなくなるから。



「先日は心配かけて、すいませんでした」

翌朝の九時半、勤め先である秋葉原のみかんブックスへ向かった僕が真っ先にしたこと。
それは職場の先輩方へ、入院して数日間休んだのを謝ることだった。

「そうだな。こっちも心配したんだぞ、何かプライベートでやなことがあったんだな……ってな」

三十代前半ほどの先輩は、そこまで怒鳴ったりはしなかった。

「とにかく、悪いって思ってんなら、その分きっちり取り返せよ。お前が頑張ってるって、みんなわかってるからな」
「はい、ありがとうございます。頑張ります!」

恵まれているんだなぁ、人望に。
だったら、僕は凛さんが築いてきた信頼を壊さないようにしなくちゃ。
そう決心して、午前の業務へ取り組んだ。

「返品ですか? 買った時のレシートは取っておいてありますか?」
「そんなの、いちいち取っておいてないわよ。嫌なのよ、虐めっ子が描いた本なんて持ってるの」

午前中、こんな風に先輩は何人ものお客さんからのクレーム対応に追われていた。
その女性客が返品を要請しているのは、あろうことかTERIAさんの本だった。

「いや、でしたらリサイクルショップの方でないと――」
「もういいです、二度とここでは買いません」

乱暴に吐き捨てて、女性客は踵を返して店を後にした。

「これで十三件目、ですか」
「うんにゃ、日曜から合わせて六十六件だ。『人殺しの本なんて読めない』ってな」
「そんなにですかっ!?」

イベント会場であれ、店舗委託であれ、同人誌が一冊売れるたび作者は言葉で言い表せないほど感激するもの。
そんな愛と努力の結晶が、作者の人間性を理由に読まれなくなる。
それがどれだけクリエイターにとって恐ろしくて、悲しいことかよくわかっている。

「店長からも言われてんだよ。『今後は彼女との委託契約も切る可能性があると「上」が話
してる』ってな」
「……そう、なりますよね」

繰り返しになるけど、僕はあくまでTERIAさんの「作品」の大ファンではある。
また彼女が多くの人達から「人柄」についても好かれているのだって理解している。
それらを承知の上で、僕は彼女の前で命を絶ったのだ。
それだけ、僕の作品だけが誉められない精神的苦痛は大きかったのだから。
彼女の悪いところだって、前々から色々知っていた。
知っていたけど、ずっと他のファン達同様に見て見ぬフリをしてきたんだ。

「彼氏として辛いよな。彼女さんが作った本がさ、こうやってゴミみたいに扱われるのは」
「……はい、辛いです」

僕が成した「復讐」は、僕が想定していた以上に大きなものとなっていた。
鳥肌が立って、身震いが止まらなかった。

一時半からの一時間、僕と先輩のA班の昼休みになった。
僕らはロッカールームへ移動して、ゆっくりお昼ごはんを頂いた。

「おっ、美味そうな玉子焼きにタコさんウインナーじゃないか」
「一つ頂きますか?」
「……オレとりかりほごっこがしたいのか?」
「私、そっちの気はないっすよ」

アイチャン!!はマルチメディアコンテンツであり、アニメ雑誌でもアニメ版とは別の世界線という設定で特集が組まれている。
特に毎月人気絵師によって描かれたペアイラストは、どれもこれも評判が高いのだ。
ちなみにその企画で最初に描かれたのが、梨穂ちゃんが里歌ちゃんへお弁当のおかずを「あ~ん♡」させてあげている微笑ましいものだ。
まさかこの先輩、僕が「あ~ん♡」してあげるとでも思っていたんですかね?

「冗談だ、気にするな」

……冗談ってことにしておきますね。
先輩へ午後の業務について確認した後は、Twwitterを開いて彼女の動向を調べた。
『明日にはTwwitterも再開する』と宣言した以上、何かしらツイートはしているはずだ。
何よりも気になるのは、彼女が「事件」についてどう思っているのかを、公の場でどう話すのか。
だが、その前にタイムライン上に起こった大きな変化に、僕は動揺を隠せなかった。

「いや、なんでこんなに……」

「んっ、どうした?」
「いや、すっごい数のりかりほ小説がリツイートされているんですよ」

そう、もちろんTERIAさんによって。
しかもそれらの一つ一つへ、彼女は丁寧な感想リプライを送っているではないか。

「えーっと、これで十三作目……たった三日で十三も!?」
「あり得ないよな、今までを考えたら」
「ええ、そうなんですよね」

りかりほをメインで書いている文字書きなんて、僕を含めて七人ほどしかいなかったのに。
みんな概ね二週間に一度、三千~一万文字程度の作品を投稿するだけだったのに。
たまに雑食の人が興味本位でりかりほ小説を上げることはあるけど、それだって滅多にあるものではない。
(もちろんそれらのほとんどが、よっぽどの解釈違いが無い限りTERIAさんから三点セットを頂けている訳で)。
ただし、よくよく調べると中には『感想は晩までお待ちください』とだけのリプライもあった。

「悪いって思ってるんだろうな、その自殺した青年に対して」

横からスマホを覗き込みながら、先輩が意見を口にした。

「ほら見ろよ、この作品『アシカ太郎』って奴が書いたものだろ?」
「えっ!?」

自分でも驚くほど、素っ頓狂な声が出てしまった。

@Terianoww『寝ている里歌ちゃんの頬を弄る梨穂ちゃんが可愛かったです。また「秘密の場所」へ案内して、梨穂ちゃんを「仲間」と認める里歌ちゃんもいい子だと感じました。お日様の下で/アシカ太郎(以下Pixivへのリンク)』

「オレさ、自殺した青年がどんな奴か気になってさ。試しにソイツが書いたお話を読んでみたんだよ」

「ええっ!?」

もう一発、大声を出してから「やってしまった」と後悔が襲ってきた。

「それってソイツの処女作だろ?」
「確か……そのはずです」

確かも何も、紛れもなく「僕」が初めて書いたりかりほ小説だ。
今はもう引退してしまったけど、一年半前にあるりかりほ推しの絵師さんが企画した「りかりほフェスティバル」にて、下手糞なりに自分のりかりほ像を描いたお話。
もちろん大していいねはされなかったけど、僕の中にあるりかりほ観は、未だ完全には揺らいだりしてはいない。

「『償い』のつもりなんだろうな、彼女なりの」
「……かも、しれませんね」

今後投稿される、ありとあらゆるりかりほ小説と。
生前に僕が投稿していた、全てのりかりほ小説を。
余すところなく紹介して、残った四万人近いフォロワー達の視界へ入れるようにする。
それが、ただ一人を除け者にして死へ追いやった彼女なりの「償い」だというのか。
となれば。

「試されてるんですかね? 色んな人から」
「……かもな」

このタイミングでりかりほ小説を投稿した他カプ推しの人達は、TERIAさんが「本気」かどうか試しているんだ。
一人の文字書きの生命を、文字通り絶ったこと。
彼に対して罪の意識を持っているのか、もう二度と彼のような犠牲者を出さないよう尽力できるのか、と。

「でなくちゃ、感想は晩まで待ってなんて言えねーよ」
「……でしょうね」

「生きているうちに、感想貰いたかっただろうな。そのアシカ太郎って奴も」
「はい……きっと、そう思います」

先輩の気遣いに泣き出しそうになるも、どうにかぐっと涙を堪えた。
彼は見ず知らずの誰かの苦しみに、心を痛めることが出来る人なんだって。

「取引先が一つ潰れるかもしれないのはムカついてるが、みんなが誉められてるなかシカトされるのはきっついからな」

まあ、その点は怒りますよね。すみません、そこまで考えが及ばなくて。

一通りタイムラインを上った後、TERIAさんのアカウントを覗いた。
フォロワー数は、更に減って三万二千人にまでなっていた。

@Terianoww『皆さん、ご心配をお掛けしてすみませんでした。私は平気です。今後もりかりほちゃんのイラストをどんどん投稿していきますので、よろしくお願いします』

「固定されたツイート」には、極めて当たり障りのない挨拶が。
そしてそのセルフリプには、こうあった。

@Terianoww『日曜日のオンリーイベントで起こったことにつきましては、今は発言を控えさせてください。個別の回答もしません。私としても、まだ気持ちの整理がついていないので』

僕としても、そのツイートへ何かしらの意見を送るつもりはなかった。
たとえ二百人以上もの人達が「説明」なり「謝罪」なりを求めていたとしても。

「下手したら、職場にもクレームが殺到してるんじゃないのか?『お宅の会社は人殺しを雇っているのか?』ってな具合に」
「うっ……あり得そうですね」

返本の件を踏まえれば、そのような実害だって出てもおかしくはあるまいか。



午後の業務もどうにかこなして、晩の八時にみかんブックス秋葉原一号店は閉店。
シャッターを下ろしてから三十分ほどの店内掃除を終えて、私服へ着替えて、今日のお勤めはおしまいとなった。

「お疲れさん。でも伝票整理のやり方は、ちゃんと思い出しとけよ」
「すみませんでした、何とか思い出しますね」
「とにかく、もう飲み過ぎるなよ」
「はい、お疲れ様でした」

先輩と別れて、アパートに近いスーパーで半額シールが貼られた弁当を買って。
やっとこさ僕は新しい「自宅」へ帰宅した。

「ふぅ~。里歌ちゃん、梨穂ちゃん、ただいま~」

寝室に飾ってある、昨日買った手のひらサイズのぬいぐるみ達へ挨拶して。
パパッとパジャマへ着替えて、晩ごはんを頂いた。
シャワーから出てスマホを確認すると、LINEには通知が来ていた。

「えーっと、TERIAさんからか」

交際相手ですし、自分が想像している以上にやり取りするものか。

『一日で二十六作読んで、感想送るのは疲れた』
『お疲れ様。だろうな』

公式スタッフ――特に原作とアニメの総監督、里歌ちゃんと梨穂ちゃんの声優さん――を除けば、誰よりもりかりほを愛してやまない人気絵師さん。
そんな彼女であろうとも、未だかつてない大量の作品供給があればパンクしてしまうのはやむなしか。

『っていうか、なんでこんなに投稿されてるの? 今までずっと、三日か四日に一本読めたらいい方だったのに』
『さあな』

さすがに『みんなりかりほ書けば、お前が確実にいいね&リツイート&リプライしてくれるからだろ?』とまでは送れなかった。
いや、送れるものか。

『んで、これがお前なりの「償い」か?』

そう尋ねると、少し時間を置いてから『うん』と返信がきた。

『きっとそのアシカ太郎も、生前のうちにそうしてもらいたかっただろうな』

「だろうな」もなにも、こうなっていたら心を病んだりなんてしなかったんだから。

『まだ七作、読んでないし感想も送ってない』
『そうか、でもあまり無理するなよ』

「復讐」を望んでいる僕ではあるが、別にTERIAさんが死ぬことまで望んでいる訳じゃない。
僕の痛みをわかってくれれば、もう誰にも僕のような思いをさせなければいい。
それこそが、僕の願いなのだから。
眠くなるまでの間に、僕もTERIAさんがリツイートしたりかりほ小説を四作ほど読んだ。
長らく「不公平だ」「惨めな気持ちになる」と他の人が書いたりかりほを読めなくなっていた僕だけど、久しぶりに劣等感とか嫉妬心とか抜きに楽しむことができた。

「はぁ~、尊い♡」

そして、僕の中で消えずに燻っていた小さな灯が、再び激しく燃え上がるのを感じた。
罪悪感はある。
であっても、りかりほを愛する想い、自分のりかりほ観を形にしたいという欲求には抗えなかった。



生前の僕が、どれだけ必死に求めても得られなかったもの。
それがこうも容易く得られるだなんて……
「いや、嘘でしょ?悪い冗談でしょ?」などと休憩室で零してしまい、先輩から心配されてしまった。

「どうしたよ? オレに背後霊でも憑いてたか?」
「いや、違いますって。あの、これ見てください」

Twwitterの通知欄には、確かにこれらの三点セットが表示されていた。

『TERIAさん他三十三名が、あなたのツイートをいいねしました』
『TERIAさん他二十一名が、あなたのツイートをリツイートしました』
@Terianoww『美味しそうにショートケーキを食べる里歌ちゃんと、それを笑顔で見守る梨穂ちゃん。ようやく結ばれた二人が幸せそうで私も心癒されました。また、喫茶店内の描写がとても丁寧に感じられました』

そう、幾度となく夢にまで見たTERIAさんから「他のりかりほ推し達と対等な扱いを受ける」こと。それが叶ったのだ。
早朝の三時半に目が覚めて、三時間ほどでさらっと書いた三千字ほどのりかりほ小説。
Pixivへ投稿した「バニラアイス」としての処女作もまた、この数日間に一斉投稿された作品群と同様の好待遇が成された。

「って、泣くほど嬉しいのかよっ!?」

佐藤等改め白井凛、思わず男泣き。
きっとナチスドイツが連合国へ敗北したことでホロコーストから解放されたユダヤ人や、長年に渡り白人達から奴隷として扱われていたけどようやく人権を得られた黒人達も、今の僕と似たような心境だった……は大袈裟か。
でもそれぐらい「僕だけがずっとフェアネスな扱いをされてこなかった」という被害者意識は、心の奥に深く根を張っていたんだ。

改めて、心の傷がどれだけ深かったのかを痛感した。
ついでにTERIAさんからダイレクトメッセージまで来ていたので、そちらも確認した。

『凛も小説書くの始めたんだね、楽しみにしてるから頑張ってね』
『でも、なんていうか……どっかで見たような文体だね。句読点の使い方といい、里歌ちゃんと梨穂ちゃんの台詞回しといい』

温かい応援メッセージの後に続いたのは、ちょっとした疑問。
不思議に思うのは当然だろう。
何せ僕は生前のスタイルそのままで、今回の作品を手掛けたのだから。

『ありがとな。あのアシカ太郎って奴が遺した作品を一通り読んでから書いたし、ソイツのクセが移ったのかもな』

とりあえず、そうぼかしておいた。

『……なるほど、そっか』

数分後に来た返信は、それだけだった。
本当なら『いいのか? 俺はりかりほにわかだし、解釈だってアイツの影響を受けてるかもしれないんだぞ? それでも、これからも俺が書く作品を読んでくれるのか?』と尋ねてみたかった。
でも、そうはしなかった。
なんていうか、夢が叶った以上はちょっとだけ当たりを緩めてもいいのかな……って思ったから。
ああ。どうせ僕は少し誉められただけで調子に乗っちゃうし、他人の評価だってくるっと手の平返ししちゃうチョロい野郎ですよーだ。

土曜日にもこれよりもう少し長めのりかりほ小説を投稿したけど、それもまた同等に扱われた。
僕以外のみんなにとって、ずーっとこれが「当たり前」だった。
僕が、人間一人が犠牲となって、ようやくその「当たり前」が誰にとっても行き渡る優しい世界になった。
言い換えてみると、ほんとどこまでもフォロワー数が多い人から気に入られるかが全てなんだな、Twwitterってヤツは。
そう痛感せずにはいられなかった。



僕が白井凛さんの肉体へ宿ってから、一週間が経った。
アパートの窓から外を眺めれば、灰色の雲がどんより東京の空を覆っていた。
けれどその間、一度とて「凛さんの魂」が出てくるような出来事はなかった。
例えば職場へ着いたと思ったら、瞬きした直後には一日のお仕事が終わっていたとか。
例えば深夜アニメのオープニングでやたらと多用されている、ウユニ塩湖みたいな謎の空間で全裸の僕と凛さんが対話するとか。
認めるしかないのかな、もう「凛さん」は亡くなってしまったんだって。
TERIAさんと言い争いになって、ヤケ酒で急性アルコール中毒を起こした凛さんも凛さんだけど。
まだ「TERIAさんに僕の痛みをわかってもらう」ため、彼女の目の前で自分の喉笛を掻き切った僕なんかよりは全然マシだ。
善人が死んで、ゲス野郎がこうしてのうのうと生き永らえている。
その事実に、やるせなさを覚えた。

待ち合わせの時間、朝の十時に秋葉原のUDX前で会ったTERIAさんは、心なしか火曜日の晩よりやつれて見えた。
目の下の隈は相変わらずだし、頬も少しほっそりしたし、何より顔が土気色だ。
しかも今日だって、前回のデートと同じ黒いコート。

「大丈夫か? 色々無理が祟ってるんじゃないか?」

そう声を掛けずにはいられなかった。

「ううん、大丈夫。いっぱいりかりほ読めてるし」

ぎこちなく微笑むTERIAさんが痩せ我慢しているのは、火を見るよりも明らかだった。
彼女の大好きなりかりほ小説が、毎日二十作品近くも投稿される異常事態。
それは未だ、収束を迎える気配がなかった。
そしてそれらの作品を一つとて余すことなく読んで、一つ一つへ丁寧な感想を送る。
もし漏らしがあれば、きっとその作者へアシカ太郎と同じ絶望をもたらしかねない……という強迫観念。
それもまた、彼女を苛んでいるのは明白だった。
まあ、それだけじゃないってのも何となく察しはつくけど。

小一時間ほど電車に揺られ、着いたのは都内の某所にある集合墓所だった。

「ここにアイツが眠ってるのか?」
「うん。お医者様がそう教えてくれた」

元々の「僕」の肉体、つまり「佐藤等の遺体」は、ここで火葬され埋葬された。

「アシカ太郎さんのお父さんがね、受け取りを断ったんだって。『人様に迷惑かけるような馬鹿息子、ウチにはいない!』って」
「あはは……だろうな」

すまない、親父。こんな馬鹿息子で……と心の中で謝った。
この集合墓所は「僕」のような親族から引き取られなかったり、身元不明な遺体――つまり「無縁仏」を埋葬するための霊園らしい。

「永瀬悠さんに、白井凛さんですね。どうぞお入りください」

受付でノートへ名前を記入して、施設へ案内された。
施設内は僕がよく知るごく一般的な霊園のように、無数の墓石が規則正しく並んでいたりはしていなくって。
ただ巨大な墓石が一つ、真っ白な部屋に鎮座しているだけだった。

そこには二人、先客がいた。
二人とも、生前僕が特にお世話になった大切な人だった。
そして、あまりにも意外性のあるペアだった。

「パプリカさんに、レンさん?」
「レンさんは知ってるけど、あっちの彼も知り合い?」
「ううん、名前と顔を知ってるだけ」

思わず二人の名前を呟いてしまい、どうにか誤魔化した。
でも当人らにとって、そうはいかなかった。

「って、どうしてアンタがこんなとこに……」

嫌悪感を隠そうともせず唸り声を上げたのは、スクエアの眼鏡が目印のパプリカさん。
創作活動初心者向けの企画を幾つも企画し、ゆる~い雰囲気を大事にするナイスガイだ。
ある意味TERIAさんと正反対の理念で、リーダーシップを発揮していた人と言えよう。

「一月のオンリー以来、ですね。TERIAさん」

顔を逸らし、目を合わせることなく小声で挨拶したのは、七三分けが紳士的なレンさん。
推しカプこそ違えど親しくしていた一人で、落ち込んでいた時に何度も相談に乗ってもらったり、逆にこちらから相談に乗ったりもした「同志」とも呼ぶべき人だ。
互いに名前こそ知ってはいたものの、Twwitter上でのノリの違いなどから関わりを持たないできた二人。
それがまさか、こんな形で顔を合わせることになるだなんて。
更にそこへりかりほ推しを代表する、三万人ものフォロワーを擁する神絵師と。
その彼氏(中身は先週の日曜日に自殺した、パプリカさんとレンさん双方と親しくしていたアシカ太郎だけど)の四人がかち合ってしまうだなんて。

真っ先に動いたのは、パプリカさんだった。

「なあ、どうしてアイツは……アシカ太郎は死ななくちゃならなかったんだよっ!」

相手が女性であることなどお構いなしに、TERIAさんヘ怒鳴りつけるパプリカさん。

「そ、それは……」
「アンタはさ、アイツがどんな奴か知ってるのか? 知らねえだろっ! ちょっとネガティブ気味なりかりほ推しの文字書きだってことしか、アイツのことわかってねえだろうがっ!!」

尊敬する方であり、ある意味「親友」とでも言える彼が、本気でキレていた。

「そんなことないですっ! 彼は努力してました、成長だってしてましたっ!『作品』を評価しないことと『人間性』を評価しないことは、ちゃんと切り分けてましたっ!!」

売り言葉に買い言葉、あのTERIAさんが僕に対する見方を決め付けられたことへ憤り、負けじと怒鳴り返した。

「だったらなんで、アイツへそう伝えてやらなかったんだよっ!」
「伝えましたっ! 伝えたけど……伝えたけどっ……」

その先が続かなかった、いや続けることができなかったのか。
僕はてっきり「聞き入れて貰えませんでした」とでも続くものだと恐れていた。
だって僕はその後に書いた五作のりかりほ小説が、どれ一ついいねすらされなくて「あの言葉は嘘だったんだ」と、彼女を逆怨みするようになっていったのだから。
僕がTERIAさんの気持ちを勝手に「こうだ」と決め付けて、嫌な思いをした。
だから自分は同じように、他人の気持ちを勝手に決め付けてはならない。
彼女は彼女なりに、自分がされて嫌なことを他人へしないを実践しているのかな。

「……わかってるよ。アンタは別にアイツの保護者でも、上司でもないってことぐらい」

苦虫を噛み潰したような顔で、パプリカさんが吐き捨てた。

「オレだってアイツへ何度も伝えたんだよ。『他人の評価なんて気にするな』って。『お前を認めない奴からどう思われようが、別にいいだろ』ってな」
「いい友人だったんですね……彼と」
「当たり前だろっ! オレの企画を盛り上げようと何度もTwwitterで訴えてくれたし、アイツ自身オレを見習って何度も企画立ててたんだよ……『自分の頑張りや好きが認められない辛さは、誰よりもわかっているから』ってな」

ああ、そんなことも言ってたなあ、うん。

確かに僕は推しカプであるりかりほ以外のカップリングに対しても、何回かTwwitter企画を開催したことがあった。
僕は読む分には雑食であり、どんなペアであってもそれなりに楽しむことができたから。
そしてそれら人気度や公式からの扱いが、今一つ良くない中堅~マイナーなどと呼ばれるカップリング。
その魅力を発信して、興味を持つ人が増えてくれれば。
その気持ちに、嘘偽りはなかった。
まあ『このような企画を立ち上げていただき、ありがとうございました』とお礼を頂けるのは、こちらとしても感謝感激ではあるのだけど。

「僕が彼女と揉めて落ち込んでた時、真っ先に気に掛けてくれたのは彼だったんです」

ずっとパプリカさんとTERIAさんの口論を見守っていたレンさんも、(自分で言うと恥ずかしいが)亡き友との思い出をぽつりぽつりと語り始めた。

「僕、何回も愚痴を吐き出しちゃって。そしたら彼が『悩みがあったら、何でも聴きますよ』ってダイレクトメッセージを送ってくれて。それで色々と、相談に乗ってもらって。まあ、ここ数か月は逆でしたけど」
「逆って……私とのこと、ですか?」

さすがに話の流れから、TERIAさんとしても察することができたようだ。

「はい。『同じりかりほ推しの中で、僕だけが作品を誉めて貰えない』って。『それで彼女を逆怨みしてしまって……そんな自分に嫌気が差す』って」
「……逆怨みされていたんですか、私……いや、仕方ないですよね」

目をぱっちり見開いて驚くも、すぐに細め直す彼女。
僕と同様に、彼女もまた強い自責の念に囚われているのだろうか。

「そうだよ、アイツ自身わかってたんだよ。『一番許せないのは、あの人がいいねと思えるようなりかりほが書けない私自身なんだ』ってな。『人間扱いされなくても仕方ないんだ』って――」
「いや、人間扱いはしてましたって! でなかったらブロックしてますからっ!」
「……そこまで病んでたんですね、彼」

ちょっとちょっと……公開処刑みたいになっているんですが?
いや、まあ「人間扱いされてない」は、我ながら極端だったとは思うけど。
僕を含め、この場に居る四人全員がわかっているのだ。
悪いのは、愚かなのは他ならぬアシカ太郎なんだって。

創作活動とは、趣味とは、本来「楽しくやる」ものである。
自分が理想とする作品が生み出せず、技術面で苦悩したりはしても。ある意味それさえも「楽しみの一つ」なのが、クリエイターという生き物なのだ。
ただ僕の場合、段々と「特定個人から認められたい、誉められたい」という欲求ばかりが肥大していって、それが叶わないことで「自分が否定された」と嘆くようになって。
その特定個人が、自分以外の同業者全員を誉める様に堪えられなくなって「自分だけが除け者にされている」と被害者意識と学習性無力感で心が壊れていって。
挙げ句の果てに「復讐」のために自殺して、たくさんの人へ多大な迷惑を掛けた。
その愚行は、どう見繕っても擁護のしようがないんだ。

「一応アンタなりに、アイツのことを気に掛けてはいた。それはわかったよ」
「……わかっていただけて、良かったです」

パプリカさんもTERIAさんも、握手を求めはしなかった。

「でもアンタのこと、好きになれそうにはない。友の仇とか関係なく、考え方が違い過ぎる」
「そう、ですね」
「一握りのエリートと、お気に入りの作ったものだけが世に広まればいい。そんな考え、オレは絶対認めないからなっ!」
「……」

選り好みの激しかったりかりほ推しの代表は、肯定も、否定もしなかった。

「その考えに関しては……すみませんが、僕も同意見です」

レンさんもまた、初心者や結果が伴わない人擁護派であることを示した。

「僕の書いた作品を、誉めて頂けたことは嬉しいですよ、もちろん。でも僕だって神絵師さんから僕だけが誉められなくって、すっごく凹んだことはあるので」
「そんなことが、あったんですね」
「はい。だから彼の痛みはわかるんです」

言うべきことを言い終えたのか、先客二人は「失礼します」と頭を下げて退室した。

「愛されていたんだね、彼」

墓前に手を合わせ、亡くなった(厳密には隣でピンピンしている)アシカ太郎へ黙祷して。
その後で初めて、TERIAさんがそう口にした。

「みたいだな」

あくまで他人のフリをして、卑劣な僕が返した。

「……だから、私は彼と距離を置いていた。よしりほや他の梨穂ちゃんカプだって、積極的にリツイートしてたから」
「だろうな。その辺はさすがにアイツだってわかってただろ」
「うん、そう言ってた」

別にフォローされることまでは、求めてはいなかった。
(もちろん万が一フォローされたらされたで、発狂しそうなほど喜んだのは間違いないだろうけど)

TERIAさんは案外多趣味だから、アイチャン!!以外のことで色々お話しできるとも考えていなかった訳だし。
ぶっちゃけるなら、本気で彼女と親しくなりたいのであれば、もっと彼女がハマっている他のコンテンツにも手を伸ばすべきだったけど。
それこそ「彼女のお気に入りになれれば、僕だって対等に作品を評価して貰える」って下心丸出しになってしまう。
自制心が働くぐらいには、僕は僕なりに創作活動を真摯に行ってきたつもりだ。
段々と「楽しむ気持ち」が消えていって「辛い」「苦しい」「悲しい」しか思えなくなっていったのは、紛うことなき事実ではあるが。

「私、どうすれば良かったのかな……ずっと、そう考えてる」

火曜日のデートの際も、口にした疑問。
それは一週間近く経った今も、彼女を悩ませていた。

「あのね、私、何回も夢を見るの。アシカ太郎さんが喉笛を切る瞬間の」
「えっ!?」

一週間経った今も、知り合いが自殺した場面がフラッシュバックしている?
それが原因で、睡眠不足に陥っている?
僕の死は、彼女の心にも深い傷を刻んだとでもいうのか。

「もしタイムマシンがあったなら、彼が亡くなる前に戻りたい。そして前の私へ『多少の解釈違いぐらい、気にしちゃ駄目っ!』って、強く言ってやりたい」
「そうか、きっとアイツも喜ぶだろうな」

心に巣食っていた深い深い憎しみが、少しずつ氷解してゆくのを感じた。

タイムマシンが欲しいとずっと願っていたのは、他ならぬ僕自身だった。
アニメの一期が放映されていた頃から、りかりほ小説を書き始めていれば。
早い段階からTERIAさんの解釈に合わせ、りかりほ観を作り上げていれば。
交流用のアカウントと、りかりほ専用のアカウントを分けて運用していれば。
ネガティブな発言を控え、もっと「一緒にいて楽しい」と思われるよう振る舞っていれば。
アイチャン!!以外のコンテンツにも、積極的に手を伸ばしていれば。
ずっとずっと後悔してばかりの一年半を過ごして、挙げ句の果てに自殺なんてしなければ。

僕も僕が思い描く「理想のアシカ太郎」になれていたのかな?
「TERIAさんから認められる、りかりほ推しのエリート文字書き」と「推しカプを問わずワイワイ楽しむ、心優しいクリエイティブな人」という、相反する二つを両立させられる人に。
どこかの平行世界には、そんなカリスマ的な佐藤等も存在するのかな。
存在するとしたら、間違いなく彼は「この世で一番幸せな人」だろう。
この日の晩も、僕と彼女が体を重ねることはなかった。


自殺者が出たことで開催が危ぶまれていたアイチャン!!のオンリーイベント。
それでも来年の一月にも行われるのが決まったのは、ひとえにファン同士の地道なイメージ向上活動の結果であることは間違いない。
アシカ太郎とTERIAとの一件を機に、他カプ界隈でも大手絵師達が「もっと他人の作品を誉めよう!例えそれが解釈違いであっても」という機運が生まれ始めたのだ。
「私はあなたの努力と、好きを認めます」と大手のお墨付きを得たことで、花開いた才能は数知れず。
また今まではずっと「フォロワー数の過多」「作品の平均点数」「創作活動を始めた時期」等といったもので個々人の「序列」のようなものがあったが、そんなものを問わず「もっと色んな立場の人と仲良くしよう」と考える人が増え始めたのも、いい傾向なのかも。
「僕」の死が、世界を優しい方向へ導いたのであれば、望外の幸せだ。
それはともかく、僕もまた努力と好きを肯定されたことで、上達を始めた者の一人だと言えるのかな?
そればかりは、TERIAさんへ感謝している。

『アンタ、ホントにあのTERIAの彼氏なんだな?』
『一応は。それがパプリカさんの「誰でも合同2」に参加する資格を得られない理由になりますか?』
『そこまでは言ってないだろ。オレが気になるのは、アンタがまるであのアシカ太郎の生き写しに思えるからだよ』

りかりほ小説を書いているうちに「バニラアイス」のアカウントは、今や三百人を超えるフォロワーを得た。
また僕自身「アシカ太郎」だった頃に親交があった方からフォロワーされた場合、きちんとフォロバして彼らとも積極的に交流していたのだ。
もちろん前世(?)での反省を踏まえ、創作用のアカウントと交流用のアカウントは、きちんと分けてあったし、愚痴や弱音を吐き出す鍵垢も作っておいた。
とはいえ、TERIAさんや他のりかりほ推し達から除け者にもされず、作品の平均的な評点もぐんぐん上がっていったので、使うことはほとんど無かったが。いい傾向である。

以前とさほど変わらない振る舞いを続ければ、パプリカさんのような深い親交があった方が疑念を抱くのは必然だった。

『レンさんからも言われましたよ。「どうしてこんな親身に悩みを聴いてくれるのですか? 貴方はアシカ太郎さんみたいですね」って。そんなに似ていますか? 俺と彼』
『似てるさ。言葉遣いとか、推しカプもフォロワー数も関係なく誰にでも優しいところとか』
『慕われていたんですね、彼』

意外な形で、旧友達が内心僕をどう思っていたのか。
それを知れたのはいい意味で衝撃の連続だった。

『だからオレ、何回も言ったんだよ。「お前を仲間外れにする酷い奴からの評価なんざ、気にしたら駄目だ」ってな。でもアイツはアイツで、りかりほ推しとしてのプライドがあったのはわかってた』

申し訳ありませんでした、心配ばかり掛けて。
ほんと、口に出さずに謝ってばかりだな、僕ときたら。

『参加するからには、アンタが思い描く最高の作品を出してくれよ……まあ、あまり肩肘張り過ぎないで、ゆる~い気持ちでな』
『ありがとうございます。わかりました』

「誰でも合同2」への参加を表明したことで、一気に前回参加者三十名近くからフォロワーされたのはたまげるより他なかった。

。それとは別件で、TERIAさんから『次のりかりほ合同誌に参加してほしい』というお誘いもダイレクトメッセージで受けていた。
加えて彼女から『アシカ太郎さんの妹さんと、どうにかコンタクトが取れないものか』という相談も。

『どういうつもりだ?』
『次の合同誌へ、もし彼の遺作があるなら載せたいって考えてる』
『罪滅ぼしのつもりか?』
『……一応。家族の人が私をどう思っているのかはわからないけど』
『そっか、了解。アイツのフォロワーから「妹」と思しき存在の見当は付いている。俺の方でコンタクトを取ってみるよ』

妹もTwwitterを利用しているが、お互いわざわざそっちで会話はしなかった。
同じ屋根の下で暮らしているんだ、当然だろう。
ちなみに、TERIAさんが考える遺作の類は存在しない。
なので、今更「妹」と話をするつもりもない。
ましてや今の「僕」は、アイツにとって「兄の仇の彼氏」でしかないのだから。
不幸中の幸いなのは、オンリーイベントを中止にせざるを得なくなったことへの慰謝料、それが遺族へ請求されていないことか。

そして、僕自身も「また個人誌を出したい!」という想いが強くなっていった。

「となると誰でも合同2、TERIAさんの合同、アシカ太郎としての遺作、個人誌の原稿の四つか。ふふっ、やってやるぞー!」

もう何も怖くはなかった。
ずっとずっと僕だけが誉められず、除け者にされてきたことで出来た深い深い心の傷。
それがどんどん癒えてゆくのを実感していた。

『ところでさ、もし「表紙イラストを描いてほしい」って言うなら、なんぼでも描くからね』
『えっ!? ああ、ありがと』

これだって、生前の僕がどんなに願っても叶わなかったことの一つだ。
まあ彼氏ですし、尽してあげたいと思うのは当然か。

『でも、出来ることは自分でやりたいんだ。だから今回は遠慮しておくよ』

ただイラストも下手糞なりに描ける身として、やんわり断っておいた。
千載一遇のチャンスを棒に振る辺り、僕はどこまでもプライドだけが肥大した大馬鹿野郎なのだろう。

『そっか……わかった』
『きっとアイツだって、お前にそう言ってもらいたかっただろうな』

最後に戒めの言葉を一つぶつけて、パプリカさんやTERIAさんとのダイレクトメッセージのやり取りを終えた。



翌年一月の日曜日。
大田区のイベントホールには、手荷物検査を済ませた三百を超える同人作家達が集まっていた。
その誰もがアイチャン!!への、推しキャラや推しカプへの愛情をたっぷり詰め込んだ同人誌を製作した「仲間」だ。
本来なら、そんなみんなの祭典を「私的な復讐」のため中止へ追い込んだ人間の屑が、のうのうと参加する資格などないのはわかっている。
わかっていても、胸の内に溢れる愛を留めておくことはできなかった。

時刻は午前の十時半。交流用アカウントで『設営完了しました』の告知ツイートを済ませた僕は、さっそく挨拶回りへ向かった。

「バニラアイスさん、おはようございます」
「レンさん、おはようございます。先日は良江ちゃんと千花ちゃんの解釈について、色々教えて下さりありがとうございます。それとこれ、お土産です」
「ああっ、わざわざありがとうございます! いえいえ、こっちこそ里歌ちゃんと梨穂ちゃんの関係性について、色々参考になっているのでお互い様ですよ」

レンさんとは生前の頃のように、また深い関係が生まれていた。
お互い様の関係、あの人と繋がりたいと思う上でとても大切なこと。
もう一度彼とそんな関係になれたことが、心から嬉しかった。

「うわっ、来やがったな! TERIAの彼氏めっ! リア充死すべしっ!!」
「ええっ!? パプリカさん、冗談キツいですって!」

彼のサークルでは、こんな風にゆる~い感じのやり取りもした。
というか「彼女がいる=リア充」という古い価値観、もう卒業しませんか?

「オレは冗談のつもりはないぞー! うがー!! ……それはともかく、ほい、誰でも合同2!」
「ああ、ありがとうございます!」

無料献本された百人近くもの参加者の愛が詰まった合同誌は、物理的に重かった。

「ほんと、お疲れ様です」
「だろ? オレは『居場所』を作るのが、みんなでワイワイやるのが楽しいんだよ」

恩人二人の下を巡った後は、彼女のスペースへ足を運んだ。

「おっと、彼氏さんのお出ましみたいだね」
「じゃあまた後で来るわね」

TERIAさんの周りには、同じりかりほ推しの友人達がいたが、二人とも僕の姿を見るや否や自分のスペースへ戻っていった。
リーファさんに、メイさん。どちらも彼女のお気に入り達だ。

「頑張ってるみたいだね。これからもよろしく」
「はい、こちらこそ」

アシカ太郎時代から親しくしていた、スラリと背が高いリーファさんとがっしり握手。
生前は彼にも何度か愚痴ってしまったけど、それでも最期まで見限らないでいてくれたことは感謝せずにはいられない。
『私はアシカ太郎さんの作品が好きですよ。だからあの人から評価されるかどうかを気にしないで、自分の世界観を大切にしてほしいです』そう励ましてくれたのは、彼なのだから。

「アンタ、なんであのクソ野郎の真似事なんてしてるのよ?」

対照的にメイさんからは、そこまで好意的には評されていなかった。
彼女は前々から生前の僕を軽蔑していた一人で……僕自身、ソリが合わないのは理解していた。色んな意味で。
『精神的に向上心の無い奴は馬鹿だ』と罵ったのは、何を隠そう彼女だし。

「俺が望んでいるから。それでいいだろ?」
「はいはい。まあ、初のサークル参加、頑張りなさいよ」

とはいえ、エールぐらいは送ってくれるのか。
なら「メイさんこそ」と返すのは礼儀というものだ。

「おはよ、凛」
「おはよう、ゆ、悠……」

TERIAさんを本名で呼ぶのには、凛さんになって五か月経った今でも慣れそうになかった。

「大丈夫? 緊張してる?」
「ま、まあそれなりにな。お手伝いとサークル参加とじゃ、また別だしな」

いいえ、全然緊張していませんが。
なんだかんだでサークル参加は、アシカ太郎時代を含めて二回目。そこまでドキドキしちゃいない。

「はい、合同。凛と……彼のもちゃんと載ってるから」

先ほどの誰でも合同2ほど分厚くはないが、ずっと夢にまで見た品を手渡されて。
また男泣きしてしまった。

「ううっ……悪いな、情けない彼氏でさ」
「いいっての……きっと彼も、喜んでくれるよね……」

人の噂も七十五日とは違うが、人は徐々に死の痛みさえ忘れる生き物だ。
TERIAさんにとっては、アシカ太郎こと佐藤等を自殺へ追いやったことを。
僕にとっては、TERIAさんの彼氏である白井凛さんの身体を乗っ取ったことを。
それでも、犠牲になった人を悼む気持ちは、ずっと心の奥底にあって。
それが僕達を人間たらしめている核なのかもしれない。

「……たぶん、な」

佐藤等の心に巣食っていた、彼女やそのお気に入り達へ抱いていた数多の黒い感情。
それらはもう、どこかへ消えてしまっていた。

一通り知り合いのスペースへ挨拶回りを終え、僕は自分のスペースへ戻った。
その直後で、彼女があるツイートをしたのだ。

@Terianoww『昨年八月のオンリーイベントにおいて、痛ましい事件があったこと。私は決して、忘れてはいません。参加者の皆さん、どうか他の参加者への思いやりの気持ちを忘れないで下さい。みんな、同じ作品が大好きな仲間なのですから』

「ありがとう、TERIAさん」

誰にも聞こえないほどの小さな声で、そう独り言ちた



「まさか……完売するとは……」

僕の中にあるりかりほ愛を詰め込んだ個人誌三十冊は、なんと一冊残らず売れてしまった。
『完売しました。皆さん、ありがとうございます!』のツイートには、知り合いの多くから『おめでとうございます!』の心温かいリプライが送られた。
生前からの友人、誰でも合同2参加を機に知り合った方、TERIAさんのお気に入り。
立場を問わず、多くの方の応援に感謝せずには……いけない、また涙が出てきた。
ほんと、泣き虫だなぁ、僕。
もちろん僕自身も、立場を問わず知人達の愛の結晶で、鞄がホクホクなのですけどね。

時刻は午後二時五十分。オンリーイベントが終わるまであと十分。

「ふぅ~。お疲れ様、凛」
「そっちこそ、お疲れ様」

大手の壁サークルであるTERIAさんも、無事完売したそうで。
(冊数はなんと個人誌と合同誌合わせて三百冊!! 僕の十倍ですか……)。

この後でりかりほ推しみんなで二次会があるため、迎えに来てくれたみたいだ。
もちろん、今回は誰も除け者にされていない……はずだ。
元々解釈違いにも寛容だった僕が、どうにかTERIAさんと対立気味だった方々にもコンタクトを取って、どうにか実現した親睦会。
なんとあの山本あきさんも「彼女が変わったか、この目で確かめたい」と参加を表明してくれたという嬉しいサプライズもあった。
これもまた、生前の僕がどんなに願っても叶わなかったことの一つ。
もう誰にも、僕が受けた痛みを味あわせたくない。
その想いは、今も揺らぐことはない。
だからこそ、僕はこの選択をしたのだ。

「じゃあ行こっか。みんな首を長くして待ってるし」
「だな」

使っていた長机とパイプ椅子を片付けて、重たくなった鞄を背負って。
彼女と二人、イベントホールから出た。

刹那。

「お兄ちゃんの仇ぃ、覚悟ぉっ!!」
「危ないっ!!」

出刃包丁を持って、TERIAさんの下へ突撃してきたのは……彼女と同い年の「僕」の妹だった。
後先を考える余裕はなかった。
ただ、さっとTERIAさんの前に仁王立ちしただけだった。

ざしゅっ。

「ぐはっ……」

胸の中心、恐らく心臓がある辺りに深々と出刃包丁が突き刺さった。
久しぶりだな……この痛み……。
刺された箇所からは、ぶしゃぁと鮮血が溢れ出す。

「なっ……邪魔、しないでっ!」

妹がすかさず手提げ鞄から別の包丁を取り出した。
何が何でも、兄の仇を仕留めるつもりか!

「させ、るかっ!」

佐藤家の家計は、父の年金と妹のアルバイト、そして僕のお仕事で何とかやりくりしていた。
故にメインの稼ぎ手がいなくなったことで、苦しい生活を強いられているかもしれない。
ほんと、想像力が足りていなかったよ、家族の一員としても。
であっても、妹を人殺しにはさせたくなかったし、TERIAさんを死なせたくもなかった。

「うおおっ!!」
「きゃっ!?」

ごめん、こんな屑野郎が兄貴でさ……そう思いながら、力の限り妹へタックルをかました。
背中を思いっきり壁へ打ちつけた妹は、すぐさま警備スタッフに取り押さえられた。
その様子に安堵した僕も、力を失ってその場に倒れ込んだ

「凛っ、凛っ!!」

TERIAさんが、僕の下へ駆け寄って膝立ちになる。
五か月前の昨年八月、「僕」こと佐藤等へしたように。

「ははっ……ごめんなさい。また……ごほっ、ごほっ……TERIAさんを悲しめることに、なって」

喀血が止まらない。
脳から血が抜けて、段々と正常な判断が出来なくなってゆく。

「『また』って……どういうこと?」

彼女が気付いてしまったのなら、もう隠す必要なんかないや。
そう思い、僕は仮面を脱ぎ捨てることにしたんだ。

「僕はね……がはっ、がふっ……凛さんじゃ、ないんだ」
「凛じゃ……ない? どういうこと?」
「僕はね、アシカ太郎……がふっ」

そう、五か月前にこのイベントホール内で自殺を図った大馬鹿野郎その人なんだ。

「まさか……いや、でも……確かに、うん」

彼女としても、やはり時々違和感を覚えてはいたらしい。

「僕は、もう……がはっ、げふっ……TERIAさんのことを、恨んでは……がふっ」
「もう……喋らないでっ……」

大粒の涙が、ぽとりぽとりと僕の頬へ零れ落ちた。
それでも僕は、彼女へ告げなくちゃならない。
それこそが、一度彼女へ「呪い」を掛けた者の償いだ。

「TERIAさんはもう、誰も除け者に……がはっ……ぼく、みたいなおもいを、だれにも……ぐはぁっ」

胸の痛みが段々と薄らいでゆく。
ああ、もう時間が無い証拠だ。
意識が遠のいてゆく……今度こそ、僕の魂は消滅して死を迎えるんだ。
死にたくないなぁ、今は。
やっと努力が報われるようになったのに。
やっと僕のりかりほ観が認められるようになったのに。

でも、仕方ないよね。
これは、TERIAさんを始め、数え切れないアイドルチャンス!!を愛する人達へ迷惑を掛けた「罰」なんだから。

「しないって約束するっ! だから、だからっ!!」

違う、そうじゃない。
貴女はもう、誰一人除け者にしようとなんてしちゃいない!
動け、僕の声帯。
動いてくれ、僕の口よ。

「もう……じぶんを……がはっ……せめ、ないで」
「うっ……うわあぁぁぁっ!!!」

TERIAさんの悲痛の叫びが耳朶を打って、僕の意識は再び途切れた。



「TERIAさんっ!!」

ガバッと上体を起こすと、そこは清潔感溢れる白で覆われた病院の個室だった。
真っ先に目に入った壁掛けのカレンダーは、今年の一月のものだった。

「えっ!? 僕は今度こそ、死んだはずじゃ……って、声高いな」

つい先ほどまでの「白井凛さん」の低いバスの声じゃなくて、今度は女性の高いソプラノボイス。
まさか、いや、そんなことあり得るのか?
両脚をベッドから下ろして、すっと立ち上がって。
カーテンをずらして、ガラスに映る自分の顔を確かめた。

「ああ、やっぱり女性だ」

しかも今度は心当たりがない人だった。
しかし、これはいったいどういうことだ?
五か月前、本来の身体である「佐藤等」で一度目の死を迎えて。
まだ何日前かははっきりしないけど、恐らく数日前に「白井凛」として二度目の死を迎えた僕は。
次は見ず知らずの女性の身体を乗っ取って、執念深く生き永らえているとでもいうのか。
これじゃあまるで、タチの悪い悪霊じゃないか。
もしかしたらこの女性も凛さんのように、急性アルコール中毒か何かで本来なら死んだはずの人かもしれない。
だからといって、精神は消えたけどまだ動ける肉体へ憑依し続けるなんて……自分が怖くなった。
もはや僕は、人間ですらないんだって。

プルルルル、プルルルル。

頭が混乱している中、足下からスマホの着信音が鳴った。

「スマホはあるんだ……誤魔化せるかな……」

無駄に律儀な僕は、ついそれを取ってしまった。
それが新たな悲劇を招くとも知らずに。

『もしもし、京子?』
「TERIA……さん?」
『えっ!? いや、私はそうだけど……どういうこと?』

しまった!?
つい聞き慣れた彼女の声へ反射的に答えてしまった。
っていうか、またしても彼女の知人だったなんて……そんなの想定できるものか。

「ううん、何でもないわ。あたしは平気」
『「あたし」っ!? ねえ、「あなた」は、誰?』

つい最近、自分の彼氏が別の存在に憑依されていたことを知ったTERIAさんは、さすがに鋭かった。

『京子……佐倉京子はね、自分のこと「ウチ」って呼ぶし、関西弁なの』
「そっか、そうなんだ」

そんなの、わかるものか。

『あなた……もしかしてアシカ太郎さん?』

彼女がピタリと正解を言い当てた。
であれば、もうどんなに言い繕っても無駄だろう。

「……はい、そうみたいです」

二度目の死で終わっていれば、ある意味大団円だった。
だけど神様は、大罪人である僕をまだ赦すつもりはないらしい。

『どうして……どうしてっ! 凛だけじゃ足りないのっ! 今度は京子を乗っ取ってまで、私がしたことが許せないっての!!』

激しい怒声が、スピーカー越しに僕を責め立てた。

「僕だってわからないですよっ……僕だって、あれで終わりだって思ってたんですからっ!!」
『何なのっ! あなたは悪霊か何かなのっ!!』

自分が考えていたおぞましい想像、それを突かれて胸が苦しくなる。

「僕はもうっ……TERIAさんを恨んじゃいないのに……誰かの身体を奪ってまで、生きていたくないってのに……うっ、ううっ」
『アシカ太郎さん……ごめんなさい』

彼女からの初めての「ごめんなさい」は、僕が望んでいない形だった。

自殺したら僕だけを誉めない人気絵師の彼氏になった件、了

これで終わりです。

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