MILLION D@YS! 恋人海美と海へ行く編 (52)

===

その少女は寝巻で元気よく部屋に押し入るなり、
驚き顔で自分を見上げる男の隣に陣取って。

「おっはよプロデューサー! 好きって十回言ってみてっ!」

「おはよう海美。好き好き好きすきすきすきすき――」

「じゃあコレは?」と頬に接吻。

「キス」

「あったりー!! 正解したからもう一回っ☆」

そしてそのまま、流れる動作で男の唇に吸い付いた。

その余りといえば余りに傍若無人な暴れっぷりに朝の食卓の空気が凍りつく。

ダイニングテーブルの真ん中にデーンと置かれたお鍋から、
人数分の味噌汁をすくっていた我那覇響などは「またか」と心底うんざりした顔で。


「ちょっと、二人とも朝から何してんの?」

水を差すのだが聞いちゃいない。

どころか男は愛しい少女を膝に乗せ、その背中に腕を回す始末。

まだ寝ぐせの残る髪を乱し乱し、朝から食欲を無くすようなイチャつきっぷりを見せる原因達、
高坂海美とその恋人となった男の熱々ぶりにやってられんと嘆息した。

すると、そんな響の心情に心から同情するように。

「真、これほどの熱愛っぷりを見せられると、どうにも朝から胸やけが」などと同席する四条貴音が首を振る。

さらに彼女は、空にしたばかりの丼茶碗を持ち上げると。

「ですからおかわりを所望します。この胸のつかえは食物と絡めて落としませう」

「胃の中にね。……まっ、自分も慣れなきゃいけないと思ってるけど」

炊飯器の蓋を開きながらしゃもじを手にした響が言う。

もはやすっかりお馴染みとなった高木宅における朝の一幕。

居候の身である同居人達の嘆きの声から物語は幕を開いたのだ。

===
・前書き

今作は「彼女は最後まで駆除したい」及び「彼女はその手を繋ぎたい」等と
設定を同一としたif、いわゆる海美ルートのイチャコラ話になります。

Pの名前はデフォルト名みたいなものなので、気に入らなければ脳内変換してください。

では、以下本編

===

そもそも765プロのプロデューサーである高木裕太郎と、
その担当アイドルである海美の二人が付き合い始めたのは、まだ雪もチラついていた昨年の冬まで遡る。

当時、様々な行事イベントの企画を進めるため、劇場に泊まり込むことが
多かった高木の身の周りを世話をすることを目的とした、

佐竹美奈子を中心とする『プロデューサーをお世話し隊』が結成されたことは記憶に新しい。

そのメンバーの中に海美もいた。

彼女らは持ち回りで高木に差し入れを持ってきたり、
家に帰れない彼の為に着替えを準備して持ってきたり。

そんな毎日がいくらか続いた頃、海美は唐突に熱を出した。
しかし、彼女は自分のお役目を他のメンバーに代わってもらったりしなかった。


けだるい体を無理やり動かして、それでもどうにか劇場についた海美は、
高木の顔を見るなり安心してその場に崩れ落ちた。


次に彼女が意識を取り戻すと、そこは事務室ではなく救護室であった。

寝そべるベッドの上で視線をふわりさ迷わせれば、
自分をここまで運んで来たであろう男の姿が目に入った。

「……プロデューサー」

弱々しくも声かけると、救護室内に置かれた机で仕事を進めていた高木はすぐさまベッドまで飛んで来た。

「気がついたか?」自分を見下ろす表情がどれほど心配させたか語っている。
海美はそれが嬉しくも感じる一方で、確かな心苦しさも感じており。


「ごめんね、私、ドジッちゃった。……今日の差し入れが上手に作れたから、どうしても食べてもらいたくって」

そうだ。彼女は自分にお役目が回ってくるこの日の為に、いくつもの失敗作を重ね、
苦心の末に完成させたとっておきのマドレーヌを高木に手渡そうとしていたのだ。

その努力の結晶を入れておいた可愛らしい模様の紙袋を、彼女は男が座っていた机の上に発見した。

「……食べてくれたの?」

体はベッドに横たえたままで、海美が高木に問いかける。
するとそんな彼女の反応に、大事ではないと理解した男はホッとその胸を撫で下ろすと。

「いいや、まだ手は付けてないよ。大切な物だと思ったから、ここまで持っては来たけれども」

「うん、大切。凄く大事……。えへへ、一緒に持って来てくれてありがとう」

微笑み返す海美だったが、その顔は体温の上昇で赤く染まっていた。

それが単なる風邪のせいか、胸の奥より聞こえるドキドキの為かは分からない。

ただ、一つだけ確かに言えることは。


「……だけど、迷惑になっちゃった。プロデューサーの仕事も邪魔したみたいだし」

ごめんなさいと小さく謝る。そんな彼女に「気にしなくていいさ」と高木はすぐさま首を振った。

実際、彼にとってこの程度のアクシデントは取るに足らない出来事である。

連日のお世話し隊の活動によって仕事の方も順調に進み。

本音を言えばそろそろ一度骨休みするつもりだったことを、高木は正直に海美へと打ち明けた。


……それよりもだ。

幾人ものアイドル達を取りまとめる高木の立場からしてみれば、

ある種自業自得の結果ともいえる現在のハードワークに
彼女らを巻き込んでしまっているんじゃないか? という自責の念さえ覚えるもの。

「だからこっちこそ君に謝りたい。すまない海美、無理をさせて」

すると海美は、すぐさま「そんなことない!」と反論し。

「プロデューサーは悪くないよ。私が、熱も出してるのに、家で大人しくしてなかったから……」

すん、と小さく鼻を鳴らす。眦がジワリと涙でにじむ。

海美はベッドシーツの端に指をかけると、
みっともない顔を隠すようにしてボソボソと言葉を続ける。


「……嫌いになるよね。こんな勝手な事してちゃ」

途端、少女は胸の奥にツンとした鈍い痛みを覚えた。

"嫌いになる"――自分の言ったその言葉が、
思っていた以上のショックとなって自らの感情に傷をつける。

それはしっかりと堪えていたハズの涙腺を容易く決壊させるもので。

目の前で小さな肩を震わせるように、
しくしくと声を殺して泣きだした海美に一瞬だが狼狽える高木。

だがすぐに、彼はその手を少女の頭に乗せてやると。

「まさか、そんなワケないだろう? 嫌いになったりするものかよ。
……そうだ! ようやく起きたんだし、飲み物でも飲もう、飲み物。なっ?」

わざとらしいほどに明るく振舞って、高木は海美の頭をくしゃくしゃと撫でた。
シーツの陰で涙を拭い、少女が男と目を合わせる。

「んもぅ、そんな風にしたら……。髪の毛、ぐちゃぐちゃになっちゃうから」

「おっと! そうだな、そう――悪い。ついつい嬉しくなっちゃってさ」

「……嬉しく?」

「何ともなかったみたいだから」


高木は質問に答えると、ポンポンとその頭を撫でた。
そうしてスッと離れていく男の手の平に、海美が「あっ」と名残惜しむような声を上げた。

「ど、どうした?」とドギマギしながら返す高木。

「う、ううん。なんでもないの、なんでも」

そんな彼の問いかけをへたくそに誤魔化すと、
海美は目だけを出す高さまでシーツを引き上げた。

それから思い出したように「私スポーツドリンク飲みたいな。
廊下にある、自販機のやつ」と高木にお願いするのだった。

===

それからしばらくの時間が経った。二人きりの救護室は随分と物静かなもので、
高木に買って来てもらったドリンクで水分補給も終えた海美は今、軽いまどろみの中で男のことを見つめていた。

そんな少女の視線を感じながら、カタカタとノートパソコンのキーボードを叩く高木。

その机には封の開いた缶コーヒーと、紙袋から取り出された、
透明なラッピング袋をお皿にしたマドレーヌが一つ置かれている。

色よく焼けた生地には一口分の歯形。

高木はキリの良いところで作業を一度ストップすると、
食べかけのマドレーヌを口に含み、それを飲み込んでから今度はコーヒーを口元へと持っていく。


「プロデューサー。マドレーヌ美味しい?」

ベッドに横になった海美は枕に頭を乗せなおすと、
先ほどから胸に抱いていた質問を彼へと投げかけた。高木の視線がこちらを向く。

「ああ旨いよ。いつぞや食べさせられた石みたいなクッキーと比べりゃ上等だよ」

だが海美は、不満げに頬を膨らませると。

「それってクッキーよりはマシってこと? きちんと食べれる硬さだとか」

「味にしたって申し分ないさ。いつだったかほら、歌織さんが劇場に持ってきたマドレーヌ」

「……お母さんが焼いたって言ってたやつ?」

「それそれ。アレと比べても遜色の無い味だ」

笑って答える高木だが、彼はそれが誉め言葉になっていないことに
気づかない程度には迂闊でお人よしな人間である。

どうせ比べるなら誰かの手作りお菓子よりも、お店の味と比較してほしい。

お菓子作りに注がれる手間と好意というやつは、
それだけでプライスレスな勝ち点を持っているのだから。


――だいたいお母さんが作ったって言ってたけど、それもどれほど信じられることか!

そう言った方が変な遠慮もせずに受け取ってもらいやすくなるじゃん……などと
海美が悶々とした思考の迷路を解いているうちに、高木の方はマドレーヌを完食してしまった。

再び缶コーヒーに口をつける。

その様子をジッと眺めながら、次に海美は「そうだ。コーヒーなら美味しいの淹れてあげれる。
前にお仕事で練習もしたし」と新しい妄想の風呂敷を広げだした。


まず、彼女が思い描いたのは、仕事中のプロデューサーにコーヒーを差し入れる自分の姿だった。

彼は「ありがとう」とカップを受け取ると、湯気と共に立ち上る豆の香りを楽しんで。

「うーん。やっぱり海美の入れてくれたコーヒーが一番いい匂いだ」

「ホント? じゃあじゃあ味の方はっ!?」

「落ち着けって。勿論コーヒーの味にしても」

一口飲んで大きく頷く。

「朋花のよりは甘味が強くて、琴葉のよりも風味が濃いな。でも苦味の旨さに関しては
たまにエレナが入れてくれる方が。いや待てよ? そもそも量は美奈子の一人勝ちだし――」


次の瞬間、海美は悲鳴と一緒に体を跳ね起こした。

まどろみは悪夢を見せたらしい。
激しく鼓動する心臓の音を聴きながら汗で張り付いたシャツの胸元を引っ張る。

そしてそのままパタパタと大きく扇ぐようにしている最中に、
海美は自分へと向けられた高木の視線に気づいたのだ。


先ほどとはまた違った理由から上がる悲鳴。

慌てて胸元を隠す海美に、男は「安心しろ、見てないから!」と、ちっとも安心できない返事を投げた。

「突然大きな声を出したから、何事かと思っただけだってば」

「う、うぅ……でもでもでもぉ……!」

「誓うさ! 俺は決して邪な視線で君を見たりなんかしていない」

胸を張る高木の言葉が海美に刺さる。

確かに、油断した姿を見られたことは赤面するほど恥ずかしいが、
だからといって意識される事自体を完全否定したいワケじゃない。

……彼女は彼を嫌っていない。
むしろ口にして伝えていいのならば、少なくない好意を相手に抱いている。

ただそれを形にしてしまうことによって、
今の関係性を壊したくないと少女は思っているだけだ。


実際、海美と同じような思いで彼と接するアイドル達の多いコト。

しかし中には積極的に想いをオープンにしている者もいるにはいる。

実家から上京してきたという大義名分で、
彼と一つ屋根の下という羨ましい環境を手にした者達だっている。

しかし、それについて考えれば考えてしまうほどに、
海美は言い知れぬ不安を覚えるのだ。

誰かがふとしたきっかけで、抜け駆けてしまえば崩れかねない脆い均衡――。

===

だからだろうか? わざわざ座っていた椅子から立ち上がり、
心配なのか傍までやって来た高木を見上げて海美は言った。

「……ううん、見たかどうかは別にいいよ。ただ、その、言いたいのは……」

考えが素直にまとまらず、言葉が上手に繋がらない。

それでも少女は、半ば無意識のうちに伸ばした右手で男が着ているシャツの裾を掴み。

「見るなら私だけにしてくれた方が、嬉しい」

直後、とんでもないことを言ってしまったと海美の顔色は青くなった。
ところがシャツを握った指にはますます強く力が入り、震える少女は泣き出しそうな顔のままで。


「……だって、だって、私あのね……プロデューサーが好きなんだもん」


これがもし、もしも普段の彼女だったならば。
体調もしっかりと万全で、風邪による心細さを感じていないいつもの高坂海美だったならば。

恐らくはこんな弱音をこぼしたりすることは無かっただろう。
想いもその胸に秘めたままでいたことだっただろう。

けれども今回はそうでは無かったのだ。

アイドルとプロデューサーという垣根を越えて、
友情を育んできた仲間達を裏切るような行為であったとしても。

人を好きになるという気持ち。
純粋な恋心の上手な諫め方を海美は知らない。

その心に閉じ込めていられなくなった恋心は、外に吐き出すしか扱い方も分かっていない。


「好き、なの。……ずっと前から好きだった。アイドルだし、皆もいるし、今まで隠したままにしてたけどね、
私、私、プロデューサーのことが好きっ!

――多分、愛してるってやつだと思う。誰にも取られたくないの。
できれば渡したくないんだもん。いっつも傍にいて欲しくって、いっつも私を見ていて欲しくって……!」


とめどなく溢れ始めてしまった告白が、
目の前の男にどう受け取られているかを考える心の余裕など海美にありはしない。

ただ、ただ、高鳴る気持ちが、うるさいぐらいの鼓動に押し出されて口から外へ飛び出すだけだ。

そのうちに語彙も衰えてしまった海美は、
何度となく「好き」と「愛してる」をたどたどしく繰り返すだけの存在となった。

今や彼のことを離すまいとする手の数だって二つに増え、堪えていた涙もポロポロ頬を伝っている。


それでも少女は想いを伝えることを止めはしない。

まるで、そうすることによってこの時間が永遠に流れるのだと言わんばかりに。
海美は夢中になって愛の告白をし続けたのだ。

……しかしそれも、相手がリアクションを返すまでの僅かな時間の内にしかない。


「海美」

名前を呼ばれると同時に彼女はそっと抱きしめられた。
それから泣いている子供をあやすように背中を優しくさすられる。

「君の気持ちはよく分かった。好きだって言ってもらえて凄く嬉しい」

「プロデューサー……!」

だったらと、答えを急かしたくなってしまう。

だが海美はすんでのところで言いかけた言葉を飲み込むと、
代わりに彼の大きな体へ抱き着いた。

離したくない、離れたくない。
その思いは腕に込めた力となって伝わるだろうと考えた。

しかし高木は、戸惑ったように海美の背中をさする手を止めると。

「でも、だからこそすぐには答えられない。……返事を、待ってくれるかい?」

正面から見つめる眼差しは真剣なものだった。
それは海美が大好きな男の顔でもあった。

彼がこうした表情をする時は、いつだって本気で物事に当たる時だ。
それを海美は、これまでの付き合いの中で知っていた。


「……いや、ぁ……っ!」

ところが、口をついて出たのは相手を困らせるだけのわがままで。


「だけど海美、コトは簡単な話じゃないじゃないか。俺にだってその……色々つけたい気持ちの整理がある」

「でも、でもっ、その間を……。待ってるなんて私できない。不安なままでいらんないよぉ……!」

そう言って海美は、先ほどから何度も繰り返したようにありったけの力を腕に込めた。

高木が困ったように反応する。熱で浮かされた少女の行動に、
彼は彼女がテコでも動きそうにないことを理解すると。

「分かった。君がそんなに不安だって言うんなら――」

恐らく、それは最善の方法だっただろう。

まるで愛する我が子にするように、相手が祝福に包まれるのを祈るように。

高木は海美の小さな体を僅かに抱き上げると、
寝汗で張り付いた前髪を指でどかし、露わになったおでこへと軽く口づけした。

「ふぁっ……!?」

抱き上げた体がきゅっと強張る。
だがすぐに海美は、それを受け入れるような吐息を唇の隙間から吐き出した。

その証拠に彼女の腕からは力が抜け、今は高木の次の行動を待っている。


正直許されてしまうならば、このまま彼女を押し倒したい。

そんな邪な思いも高木の胸に沸き上がるが、しかし、その行動は多大なリスクを伴うのだ。

……自分にできることはなんだ?

海美に告白されてから今までずっと、彼の頭の中を占有し続けている問題は最優先処理事項となって、
今日まで手掛けたイベント企画の居場所すら完璧に取り上げてしまっていた。


おでこに二度目のキスをする。
海美の全身から完璧に力が抜けていく。

高木は彼女が泣き止んだことを確認すると、
「……今は、これで許してくれ。返事は必ず君に返す」腕の中にある海美の体をベッドへ横たわらせる。

……今度は抵抗されなかった。

代わりに海美は「絶対だよ」と、念を押すように小さく言った。


そうして、自分に背中を向けた少女の様子にホッと安堵の息をつくと、
高木は机まで戻り椅子に座り込んだ。

普段の仕事でも滅多に経験しないような緊張を味わったことで、
彼はとにかく何かを喉に入れたかった。

机の上の缶コーヒーを探して迷ったその視線が、
空っぽになった銀紙を見つけて思い出す。


十分美味しくなった味、彼女が成長した証。
男の齧ったマドレーヌからは、確かな愛情の味がした。

とりあえずここまで。

===

それから数日の時が流れた。

待っていると約束した手前、海美は自分から「どうなの?」と進展を問いただすような真似もせずに、
表向きはいつもと変わらない普段通りの生活を続けていた。

しかし、変化が無かったワケではない。
まず、高木とプライベートな内容の会話をする機会が減った。

女子力を磨くためにこんなことを今はしてるだとか、
最近はどういったトレーニングにこっているのだといった話をすることが無くなった。

いいや、もっと正確に言ったならば、
そうした会話を交わすほど、二人の時間を持てなくなったというのが正しいだろう。

顔をつき合わせて行う軽いやり取りでも、その空気に緊張してしまって海美が平静を保てないのだ。


さらに『プロデューサーをお世話し隊』が何の前触れもなく解散した。

報せを持ってきた美奈子曰く、「皆の都合がつかなくなった」から。
人手不足からの止む無く活動停止なのだという。

「それでも私は、個人的にお世話を続けるよ? だってそれが生き甲斐なんだもの!」

そう語る美奈子の瞳には決意以上の何かがあるようでもあったのだが、
幸いにも話を聞いた海美がそれに気がつくことは無かった。

そうしてさらに数日が経ち、あの告白から丁度一週間目となるある日のこと。

「海美、話したいことがある」

満を持して……と言うべきか。

とうとう高木が海美のことを、劇場資料室へと呼び出したのだ。

===

相手が待ち合わせに選んだ資料室は劇場施設の隅にあった。

そこはアイドル達はもとよりスタッフでも、用事が無ければまず立ち寄ることのない
奥まった所に存在している部屋であり、当然一般人など近寄らない。

故に、人には聞かれたくないような、内緒話をするにはうってつけの場所だと言えるだろう。

そうしてそんな秘密の小部屋を目的地に、
秘め事を持った海美が高木の後をついて歩く。

普段から落ち着きとは縁のない彼女であるが、
今回はコトがコトだけに普段の倍以上はそわそわそわそわと。

視線もキョロキョロキョロキョロと。

せかせかした足取りはすぐに、このままでは前にいる男を追い抜いてしまうと緩められ、
けれども、瞬く間にペースは上がっていき。


――どうしてこの人は普段通りに、平然と歩くことができるんだろう? 焦ったりとか、しないのかな。

と、些細な疑問まで抱えてしまう始末。

だから彼女は溜息をつくためによそ見をして、
前を行く高木の背中に思い切りぶつかってしまったのだ。


「った!」

「おっと!?」

二人の短い悲鳴が廊下に響く。
資料室の扉の前で立ち止まった高木は自分の背後を振り返ると。

「悪い、海美、怪我してないか?」

「……うぅ、う~、鼻ぶつけた……」

眉をしかめて鼻先を押さえ、
上目遣いで自分を見上げる海美に「見せてみろ」と言って顔を近づける。

途端、彼女は真っ赤になって後ずさった。

鼻頭を撫でていた手で自分の顔を覆い隠し、
海美は空いていた方の手を高木に向かって突き出して。


「ち、近い!? プロデューサー近いってばっ!」

その手が左右にブンブンともの凄い速さで往復する。
少女のあまりの取り乱しように彼も思わず頭を掻く。

「……そうか。なら、資料室は止めて別の場所に」

「べ、別の場所に?」

「狭いからさ、ココ。場所を変えよう」

だが高木が言い終わらないうちに、海美は高速で動かす手をもう一つ増やし。

「あっ……!? 待って、今平気になった!」

慌てて自分の意見をひるがえした。

恥じらいから困惑、そして狼狽へと目まぐるしく変わる
少女の豊かな表情に高木が思わずくすりと笑う。

「なら、話をするのはココでいいな」

「うん、うん! そうしようよ……!」

海美は語尾を小さくさせながらも、
コクコクと何度も頷き高木の意見に同意した。

期待と不安、そして恐れ。

今、複雑な心境の少女が見ている目の前で、扉がゆっくりと開いていく……。

===

海美の連れて来られた資料室は、高木が言う通り中々に狭い場所であった。

元々広さは十分にあるのだろうが、目を引く大きさの移動書架と、
閲覧の為に用意された机と椅子とで空間の半分以上が埋まっている。

電灯のスイッチを入れた高木が「入って」と海美を招き入れれば、
彼女はつい「失礼します」と返事をしてしまい、ここが学校では無い事を思い出すと頬を恥ずかしさで赤く染めた。

「海美も緊張してるんだな」

つい微笑ましくなるような小さなミスだ。高木は頬を緩めて笑いかける。
そうして、海美が咄嗟の言い訳をしようと口を開くよりも先に。

「実は、俺も緊張してる。……ははっ、こういうのに歳なんて関係ないな」


高木が海美へと向き直る。自分を真っ直ぐ見つめるその視線に、
少女の体が、意識が、全ての反応が釘付けとなってしまう。

高木が小さく息を吸った。その僅かな呼吸音でさえも、集中した海美には大音量に感じられた。

「んんっ!」気持ちを込めた咳ばらいを一つ。
男は反射的に"気をつけ"の姿勢を取った海美を前にして。

「この前の告白、受けさせてほしい」

瞬間、カチッと何かがハマったような音が鳴った
。部屋の壁掛け時計の針の音だ。

海美がその目を丸く見開かせて、桃色の頬に両手を添える。

「返事が遅くなってすまなかったね。色々とケジメをつけなきゃならんこともあって……。
海美も、美希や翼が俺のことを、前々から好きだって言ってきてたのは知ってるだろう?」

自身の首に手を当てると、高木はバツが悪そうに目を逸らした。
その態度に海美も"ケジメ"の内容を察して頷いた。

今名前があがった二人の少女以外にも、
彼に好意を寄せていた子は多いはずだ。

場合によっては"子"以外も……。


「もしかして、私のために?」

「……腹の底までは分からないが、案外ケロッとしてたもんさ。
海美が心配するような遺恨は残さなかったつもりでいる。……それにみんな、何て言うか」

「うん」

「悔しいけど、おめでとうってさ」

そんなのちっとも知らなかった! 言いかけた海美が口をつぐむ。

そもそも告白してから一週間、自分は返事の結果で頭がいっぱいで、
他人の様子を気に掛ける余裕が無かったことに気づいたからだ。

「つまり、えっ? プロデューサー? ……なんか、私一人だけ置いてかれてる?」

「置いてかれてる?」

「それってさ、要は私がす、す、すぅ……っ!」

そうして、少女は胸につかえたドキドキを短い深呼吸で追い払うと。

「好きだって、プロデューサーを……言った時にはもう、受けてくれてたってことだよね?」

確かめるような上目遣い。

問いかけた少女に「ちょ、ちょっと待て」と、男は制するように片手をあげた。


「いまさらそりゃあないだろう? 分かってくれたもんだから、俺は待ってくれてると思ってたのに」

「そんな、そんなの、分かるワケないよっ! 自慢じゃないけど私だよ!? ……もっと分かりやすく言ってくれなくっちゃ」

すると高木は自分の額を手でぴしゃり。

「分かりやすくって海美お前――。その気が無いなら抱きしめて……あまつさえキスなんてするか!」

しかし、説明不足だったことは事実なのだ。
キスという単語が出た途端に、海美は肩を強張らせるようにして固まった。

高木が、恥じらいながら視線を伏せた彼女の名前を優しく呼ぶ。

「……海美、いや、高坂海美さん」

「は、はいっ!? な、なんでしょうか?」

受け答える声も裏返ってしまっている少女に向けて。

「俺も、アナタのことが好きです。恋人になってもらえますか?」

訊き方はシンプルなぐらいが丁度いい。
その方が誤解を招くことは無いし、何よりとても分かりやすい。

「う、うん! うんうん、もちろんっ!!」

それに返事の仕方一つとってみても――。

「私もっ、プロデューサーが好きっ!!」

相手の胸に飛び込んでいって力の限りに抱きしめる。
そんな単純な愛情表現の方が、海美という少女にとても似合うからだ。

とりあえずここまで。

=・=

ここまで紆余曲折はあったものの、互いの想いを確認し終え、
色よい返事を受け取ることのできた海美は大きな幸福感に包まれていた。

今、この体を優しく抱きしめてくれている人のことを好きだと告白できる幸せ。
また、相手も自分のことが好きであると――身内限定のただし書きがつくとはいえ――堂々宣言できる事実。

これで浮かれるなと言うのは無理がある。

現に、海美は高木の体に抱き着いたまま十分ばかりそうしていた。

以前にも似たようなことはあった。

だがそれは、ライブが成功した嬉しさから衝動的に抱き着いたもので、
すぐにも照れ臭さを感じた彼女は「ん、ふふふ~」と誤魔化し笑いを浮かべながら、落ち着け~と体を離したものだ。


……が、今の二人はあの時とは違う恋人同士。

ここには第三者の視線も存在しない、遠慮をする必要なんてない。

むしろ好き合っていると言うのならば、
もっともっと相手のことをその腕に抱き、自分も抱かれていたくなる。

――どうやら抱きしめ合うという行為に、飽きが来るということは無いらしい。

海美は高木の胸元に頬をくっつけたままで、頭を擦りつけるように少しだけ動かしてみると。

「んん~……ん、プロデューサー」

「なんだ?」

「えっへへへー、呼んでみただけっ!」

締まりのない顔のままそう返して、体の密着を強くするのだった。
……これに困ってしまったのは高木の方だ。

いくら告白を受け入れたとはいえ、
狭い密室でうら若い少女と抱きしめ合うというシチュエーションには刺激の強いモノがある。

服越しでも伝わる乙女の体温に、
抱きしめる腕を僅かに押し返す柔らかで張りのある肉体。

おまけに海美は実りの方も申し分ない。

先ほどから理性をくすぐりおどけるのは、
彼女の付けているシャンプーの匂いかはたまた汗の良い匂いか……。


「……プロデューサー」

そんなことを考えていると、彼は再び海美から呼びかけられた。

「どうした?」と言って視線を落とす。
するとそこには、自分を見上げる少女の垂れた眉毛があり。

「確認するけど私たち、恋人同士になったよね?」

海美の問いについ頷く。

「なら、その、してもいーい? ……抱き合うよりもそれらしいコト」


刹那、男は雄たる本能のままに昂り始めた己の股間に戦慄した。
思わず遠ざけた腰が書架に当たる。

――待て、落ち着け、我が愚息よ。相手はたったの十六だ。
つい一年前は中学生だったような少女に盛ってしまうなどと……あり得る!!

そんな気持ちを持ったりしないように、
俺は今日まで保護者面して自分を律せる立場にいたんじゃないか!


だが、踏み台の上からは自ら降りてしまったのだ。

何てことだと男の目が泳ぐ。

袋から出したばかりの粘土を差し出されて、
「好きなように作品を作ってください」と言い渡されたような今の状況。

考えれば考えてみるほどに邪な気持ちがむくむく膨らんでいく。

いまだ小さな傷一つついていない、滑らかな果皮を持つ実を乱暴に木からもぎ取っては、
一心不乱に貪り食して口元を果汁まみれにしたくなる、そんな荒々しい男の欲望。

獣じみた加減を知らない腰使いで快楽だけを求めるセックスを叩きこむという楽しみ方だってある!

……恐らくは、そう恐らくだが。腕の中の少女は自分にそんなことをされたとしても、
大人しく従うほどには性に関しても無知なハズだ。経験だってあるようには見えない。

その証拠に、海美はキョトンとした眼差しで、
突如狼狽え始めた高木のことを見つめていた。

まるで「私、ヘンなこと言ったかな?」と質問しているようでもある。


そんな彼女の示した反応に、高木は今一度理性のタガを締めなおすと。

「海美、その、何て言うかな。俺も君から告白は受けたけれど、
そういうのはもっと時間がある時に、しかるべき場所で、キチンと準備もしてからだな」

「なら救護室に行けばしてくれるの?」

「あの部屋にはそんな物も用意してあるのかっ!? せ、精々生理用品ぐらいだと思ってたのに……」

素っ頓狂な声を上げた男を訝しそうに海美が見やる。
そうして、彼女は自らの持つ知識を疑うように眉をしかめ。

「プロデューサー。私もあんまり詳しくないんだけど……
キスと生理って何か関係あるの? その、そういう日にはしたくなる、とか」

尋ねる海美の困り顔の、なんといじらしく愛らしいことか。

それに比べて、欲望丸出しの自分は恥を知るべきだろう――
高木は安堵と無念の入り混じった複雑な溜息を一つつくと。

「キス? ああ、海美はキスが」

納得したと笑う彼に、「何だって思って――」と疑問符を浮かべた海美も次の瞬間、
彼の言わんとしていたことに思い当たったようで。


「あっ!?」

息を呑むように小さく口を開ける。
それから彼女は取り乱しながら、抱きしめていた腕を緩めて体を離した。

「つ、つつ、付き合うってそっか。そうだもんね!」

言いながら、彼女の脳裏にはキスより先の……
いずれは経験することになるであろうまぐわいの情景が靄にかかって浮かんでいた。

「……お姉ちゃんだって、してたもんなー……」

顔を赤らめた海美がポツリと呟く。高木は聞かなかった事にした。
とぼけるように頭を掻いて、「んっ、んん!」と喉を鳴らすような咳ばらいを一つ。

「海美」

名前を呼ばれた少女が期待と不安の入り混じった視線を彼に投げる。
高木は、そんな彼女の初々しさに頬を緩めながら両腕を広げて見せた。

「おいで」

その言葉で催眠術にかかったように、ふらふらと男のもとへ吸い寄せられていく少女。
高木は海美が十分に近づいたところで腕による檻を作り出すと。

「……よーし、良い子だ」

抱きしめた海美の耳元で囁きながら前髪を上げて、
いつかのように露わとなった彼女の額にキスをした。

とりあえずここまで。

=・=

相手の吐息が自身のおでこに触れた時、
海美はほのかな気持ちの昂りにそっと肩を震わせたが、
すぐにもそれを上回る程の不満を抱くことになった。

彼の背中に両手を回し、海美はご機嫌も悪く小さく呻く。

――キスはキスでもそうじゃないよ。

言いかけた言葉が喉元で止まる。
気恥ずかしさがおねだりすることに堰を置く。

だが、高木からすればその反応は予想通りだったようで。

「んっ、ん……っ!?」

額から離れ始めていた唇が不意打ち気味に求めていた場所へと重なった。

キスするという行為の"瞬間"には互いの気持ちを確かめるような、
事前の予告めいたものがあると勝手に思い込んでいた海美にとって、
それは脳が眠気から覚めるような強いショックを覚える事態だった。


口から外へ出した息が、すぐに元の場所へとはじき返されてくる。

行き場を塞いでいるのはもちろん相手の唇だが、その感触は柔らかくもあり固くもあった。

少なくとも彼女が以前、何気ないガールズトークの最中に
「キスするってどんな感じかなー」と徳川まつりに問うた時のような、

答えの代わりにマシュマロを口に押し付けられ、
「王子様のキスは、きっとこんな風にふわふわなのです」そう返された時とは全く別物の。

「んぅ……ん」

あの時のマシュマロはと言えば、甘く、
やわやわした感触を主張した後に海美の口の中へと消えて行った。

しかし、本物のキスはそうはいかない。

単に押し付けられるだけではなく、少女の言葉を借りるならば、ちゅうちゅうと吸い付かれもするのだ。


「……んぁ、ふっ……ぷろ、りゅーさぁ……!」

だから、海美も手本に従った。
肺から空気を出した分、外から取り入れるのは自然なこと。

――キスってそれの繰り返しだ。

背中へと回した両手に力を込め、
彼の着ている服に皺を作りながら海美は隙間から空気を探していく。

が、男が次に取った行動――舌を使って相手の唇の表面をなぞり、
歯と歯の間に僅かに生まれた隙間からその舌先を侵入させる行為――は容易く海美の思考を止め、
彼女を軽いパニック状態へと導いた。

それは少女がこれまで生きてきた中で初めて出会った未知の体験。

こちらの意思とは関係なく動き回る何かが、自分の口内(なか)に存在する。

「ふっ、う……!」空気穴はたちまち塞がれた。
しがみつく両手が引きつりを起こしたように戦慄いた。

ぴちゃ、ぴちゃという音がしそうなほど唾液まみれになった口は、
男のソレを食物と勘違いした彼女の体の反応で。


「う、んっ……はふ、あぅ……! んっ、んぅぅ、うろ、りゅっ……しゃ……!!」

頭が熱を持ったように、海美の意識はキスという行為一つに収束する。

悩ましい吐息を漏らす中で、言葉にしたい想いはいつの間にか、すべてが相手の名前に変わっていた。

そうして歯を、舌を、口蓋を。

男のするがままになぶられ続けているうちに、海美もようやく一つの対処法に思い当たったのだ。

「く、んぅ……!」

もう何度目になるかは分からない。

こちらの舌先へとちょかいをかけて来た相手の舌を、
お返しだと言わんばかりに舌尖を動かし受け止める。

さらにそのまま動きを止めた相手のベロを、
今がチャンスと上下の歯を使って軽く挟み込むと。

「えへ、へぇ……つぅかまえひゃ……!!」

にやり。海美は歯に加えて唇でも舌を押さえ込むと、
そのまま強く、強く息を吸い込むようにして相手の口元へと吸い付いた。

そして今度こそ幻聴ではない唾液の生み出す水音が、
ぐちゅくちゅとキスによって繋がれた二人の溝で音を立てる。

それは抱きしめ合うより遥かに刺激的で、
さらには動物の本能めいた興奮と高鳴りを燃え上がらせる、実に煽情的な行為だった。

とりあえずここまで。

=・=

昔から習うより慣れろと言ったもので、ファーストキスの余韻に浸るどころか攻め返してもみせた海美はその後、
高木も思わず舌を巻く(文字通りの意味で)程の積極性を発揮してキスの嵐を彼に浴びせていた。

それというのも、海美がやり返してすぐに訪れた一度目の息継ぎタイムにて。
紅潮した肌に新鮮な汗の球を浮かべ、ふぅ、ふぅと息する彼女が何気なく口にした一つの疑問。

「プロデューサーって誰かとキスしたことあるの? なんか、慣れてる感じだよね」

無垢なる眼で見据えられた男がうぐっとその喉を詰まらせる。

「彼女いたんだ!?」

「……学生時代に少し、な」

過去の事実が後ろめたくはあるのだろう。

苦々し気に口元を歪めた高木を見上げ、
しかし海美は裏切られたと思うよりも先にさもありなんと納得した。

なにせ劇場内での好かれっぷりを知っているのだ。
いまさら自分の知らない恋愛事情の一つや二つ、存在していても不思議じゃない。


「でもそれ、なんか悔しいかも」

「悔しい?」

「だって私は初めてだったもん」

言って、彼女は少しむすっとしてみせた。

「……一番が良かった」

「今はそうさ」

「順番の話。分かってるクセに」

理不尽に拗ねくる海美は高木の首に両腕を回すようにすると、
そのまま相手の体に体重をかけるようにして。

「……負けず嫌いなんだー、私」

資料室に敷かれたカーペットの上、
あぐらをかかせた男の膝にまたがりその口をキスで塞いだのだ。

最初の数回は鳥が餌をついばむように短く軽いキスだったが、
恥ずかしさにも慣れてくれば、重ねる時間と激しさも徐々に増やしながら。

「だからいっぱいキスしよ? とっくに知ってると思うけど、私体力だったら自身あるしっ!」

恐ろしく妖艶な笑顔を浮かべながらも、しかし、纏った雰囲気は晴天の青空のように清々しく。
自身を見下ろす少女に向け、男が「体力があったらどうなるんだ?」と訊けば。

「こんな風に沢山してあげれる☆」

大いに胸を張って宣言し、貪るような口づけを続行したのである。

=・=

……とはいえ情熱的ともいえる舌先の逢瀬を交わしていれば、
簡単には抑えがたい感情が好きを積み重ね合う二人に生まれてくるのも自然なことだ。

高木はしばらく前から自分の組んだ足の上、直接的に言えば股間で感じる少女の体重と、
汗だくの肌から立ち上る体臭に理性が蕩けかかっていた。

対する海美も言わずもがな、とっくにキスの虜である。

プロデューサープロデューサーと、馬鹿の一つ覚えもいい所に唇をねだる海美は確かに愛しい存在だが、
だからこそ彼は、彼女を心身共に慈しみ、大切にせねばならないのだ。

恋の手綱を握るが自分であるのだと言うならば、
その場の勢いという名の愚行を選ぶは言語道断。

高木は心を鬼にすると(心では悔し涙も流しながら)
数えで39回目となる海美からのキッスを初めて途中で遮った


彼女の口先が狙いを外れて男の頬肉に着地する。
少女はその一瞬で顔を背けられたのだと理解するやいなや。

「やだっ、なんで!?」

「大声を出すな!」

耳元で叫んだ海美に注意すると、
彼女は途端にしおらしく固まって、浮かび上がらせていた腰を落とす。

……そうして悲し気に眉を垂れさせると、
小さな子供がイヤイヤするように首を振った。

「私、なにか失敗した? 怒らせるようなことしちゃったかな?」

「してないしてない、大丈夫。……ただちょっと、二人ともここらで落ち着こう」

落ち着けって? 小首を傾げて海美も気づく。

疲れは感じていないのに、まるで激しいレッスンをこなした後のように自分は息を切らしている。

「……ホントだ。心臓がバクバクしてる」

言って、海美は呼吸を整えようと目をつむった。
彼女が多少落ち着いた様子になると、高木は面持ちに"しまり"を取り戻して。

「おまけに夢中にもなり過ぎた。名残り惜しいけど――」

「お仕事の時間?」

「分かってるじゃないか」


見つめ返す少女の髪をそっと撫でて、自分たちが二人きりとなってから
既に結構な時間が経っていることに気づかせる。

しかし海美は、きゅうと喉を鳴らすようにして高木の体にしがみつくと。

「うぅ~……やだ!」

「海美」

「離れたくない」

「海美」

「だってようやく好きって言ってもらえて」

「時間はこれからいくらでもあるさ」

宥められ、それでも不満な態度を隠すこともせずに。
海美は渋々と高木の上から降りると頬をぷぅっと膨らませてからこう言った。

「それってデートの約束、だよね」

すると高木も頬を指で掻きながら。


「まぁ、そういう事にもなるのかな?」

「いつするの? 明日? 明後日?」

一つ答えてもまたすぐ次の質問が返ってくる。
ランランとした瞳のせっかちな少女に苦笑すると、彼はゆっくり床から立ち上がった。

その際、少々前かがみ気味になっているのもご愛嬌といったところ。

「今すぐ答えてあげたいけど、スケジュールとの兼ね合いだってあるからな」

言って、高木は右手を顔の横へ移動させると電話をかける真似をする。

「分かった! 連絡くれるんだ」

そうしてそれを見た海美は目を輝かせ、彼の左腕に甘えるように抱き着くとこう続けた。

「私、今日ずっと起きてるから。夜更かししながら待ってるねっ!」

とりあえずここまで。

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