遊び人♀「おい勇者、どこ触ってんだ///」 (296)


チェリーボーイ諸君

巷に溢れる未経験の男達よ、知っているか

人の頭ってのは扱いが難しい

比喩表現ではない、そのまま字面通りに受け取ってくれ

当然のことながら、頭には大事なものがいっぱい詰まっている

脳みそとか、神経とか、そういう諸々の物だ

そうだな、いわば宝石箱だ

うん、わかっている。やっぱり俺は比喩表現を使うべきではないようだ

だが、そのまま聞いてくれ

宝石箱は大事に扱わないといけない

雑に扱って、大事な中身を零れ落とすわけにはいかないだろう?

かといって、力を籠めなければ箱は開かないんだ

その力加減が、実に難しい

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勇者である俺が、何でこんな話をしているかわかるか?

それは、胡坐をかく俺の太ももの上に、遊び人♀の頭が据わっているからだ

正直に言おう、初めての体験だ

いま俺の鋼の精神は、恐慌状態へと陥っている

泣き叫び、助けを乞いたいがそういうわけにもいかない

なに「初めて」は誰もが経験することだ、その名に恥じぬ勇気をもって事にあたろうではないか

ふむ、力を籠めたら、砕けてしまいそうだ

実際、俺の膂力ならそうすることができるだろう

そうならないように細心の注意を払い、遊び人の頭をなでてみる

綺麗な髪が、指の間をするりと通る

驚いた、女の髪の毛ってのはみんなこうなのだろうか

こんなに柔らかく、艶めいているのか

俺の髪の毛は、たわしみたいに硬いぞ

いや恥じているわけじゃないさ、だって男の髪ってのは、みんなそうだろ?

たまに、女みたいな髪を持ったオッサンがいるが

あれは特殊な例だ、まあその話は関係ないし置いておこうか

ところで後姿女オッサンって、なんか極めて特殊な性癖持ってそうだよな


さて諸君、俺が勇者であるが故、かどうかはわからんが

俺の髪の毛は、男の中でもひと際硬い気がするんだ

太く、硬く、そして多い

俺の頭でなら、銀の皿を鏡みたいにピカピカに磨き上げることができるだろう

とは言ったものの、現実的に俺の頭で皿を磨くなんて無理だ

何でかって?

だって俺の頭には、強くたくましい胴体が繋がっているんだもの

俺の頭で皿を洗うなら、胴体を持ち手にしてゴシゴシやるしかない

そんなことできるのは、巨大なゴレムぐらいだろうさ

もしくは屈強な男たちが数人がかりでもできるだろうが、そんなことするぐらいなら

素直にたわしを使えよって思うよ



では彼女の頭なら、どうだろうか?


その髪に、劣ることのなかった美しい胴体と切り離されて

俺の膝に据わっている、遊び人の頭なら

立派にたわしとしての仕事を果たせるのではないだろうか

少なくとも、俺の頭よりは使いやすいはずだ


ふむ、何を馬鹿なことを考えているんだ、俺は

我ながら正気では無かったようだ

なにせ胴から切り離された頭を膝に乗せるなんて初体験なのでな、許してほしい

さて、そろそろ、物語の本筋に移ろうか

そうだな……タイトルは『酒と魔王と男と女』

勇者である俺が、何故こんな状況に置かれているのか諸君に説明して差し上げようではないか

とは言うものの、何から説明したものか

いつからか酒に酔うことができなくなったはずなのに

まるで泥酔しているかのように頭痛が響き、思考が定まらないんだ

頭を降ってみよう、目が覚めるかもしれない

うん、灰色の脳みそが壊れたラジオのようにカラカラとなったな

聞こえただろう?何か大事な部品が取れてしまったのかもしれないな

よし次は、思考のチューニングをしてみよう、砂嵐のような記憶から明瞭なものに焦点をあわせていくんだ

お、見えてきた見えてきた

なんだ母さん、まだ買い替える必要なんてないじゃないか


さあ、諸君

物語のはじまりはじまり

どうして、俺が頭だけになった彼女を膝に抱いているのか

是非、最後まで聞いていってくれ





「彼女と初めて会ったのは、出会いと別れの季節。春だった」


勇者が重い口を開くと同時に

ぬるく、粘った液体が彼女の頭から滴った


全く訳わからんけどまあ>>1の書くモノだから期待してる

――――――

1杯目 カクタル思いで、君にエールを送る

――――――

――――――

枕が固い、宿屋の外では冬眠から覚めたカエルがゲコゲコ鳴いている

過ごしやすい季節になってきたと人々は言うが、俺にはそうは思えない

ブランケットを羽織れば汗がにじみ、無ければ何と無しに心もとない

春は、そういう中途半端な季節だ

それならいっそ寒いほうがましだ



日は沈み、すっかり夜更け

俺は、早々に宿屋のベッドに横になるがどうにも眠りにつくことができないでいた

だがそれは、今日に限ったことではない

どういうわけだろうか、眠ろうと床についた途端に俺の思考はぐるぐると回り出す

得体のしれない恐怖感が、俺に思考を止めることを許さないのだ

魔王を倒しきれなかった、あの日からそれはずっと続いていた



だが不眠との戦いも半年を過ぎれば、慣れたものだ

俺が見つけた最善手、「眠れないのであれば、眠らなければいい」

無理に寝ようとするからいけないのだ、そんな時は自然に眠くなるまで時間を使うのが一番

そんなわけで、俺は日課に取り掛かる

ブーツの紐を結び、剣を腰にぶら下げる

そしてそれを隠すようにクロークを纏う、さあ準備は万端だ

仕事に取り掛かろうじゃないか

向かうは酒場

アウトロー達が集う、イリーガルなフィールドだ


みてるぞ



――――――

酒の匂いと荒くれ達の喧騒が立ち込める、街外れの酒場

顔を赤めたオッサン共が、周囲に気を配ることなく子供の用に声高らかと笑っている

いい大人が歯をむき出して笑い転げている様は、はっきり言って異常だ

俺は、どうもこの酒場の独特な雰囲気が苦手だ


周囲を見渡し、話が通じそうな人間を探す

これは決して、俺が寂しさ余って話し相手を探しているというわけではない

そもそも、俺は酒を飲みに来たのではないのだ


そう、俺の日課とは酒場で情報を集めること

土とコケにまみれた非常に古典的な手法ではあるが、こと魔王の情報に関して言えば

その効果は絶大であると俺は踏んでいる

それに、日課に精を出せば精を出すほど肉体は疲労し

俺は気を失うように床に就くことができる

まさに一石二鳥というわけだ


「おい、兄ちゃん!そんなところに突っ立ていたら邪魔だろうが」



酒場に似合う荒い言葉とは裏腹に、可愛らしい声が脳天に響いた

と同時に、尻にも鈍い衝撃が響く

どうやら、俺は尻を蹴り上げられたらしい

振り向くと可愛らしい声に見合った可愛らしい一人の少女が、腰に手を当て俺を睨みつけている

美少女に尻を蹴り上げらたという事実が、何故かはわからないが俺の頬を赤くそめる


「聞いてる?それとも、酔っぱらって耳が遠くなってんの?」


白と黒のチェック柄の派手なワンピース

ブロンドの美しい髪は、肩に届かない程度で切りそろえてある

首には真っ赤なストールが巻かれている

その鮮やかな赤は、まるで首から血を流しているようだ

そう、これから起こる何かを暗示するかのように


「す、すまない」


俺は慌てて、彼女に道を譲る

だが、彼女は俺の顔を訝し気に眺め続けている



「あんた、勇者様でしょ?」


「そ、そうだけど……」


「すごい!こんなところで会えるなんて!ちょっとアンタ、面貸しなさいよ!」


「え、なんで……?」


「アンタの冒険譚は最高の酒の肴になるって言ってんの!ほら、付き合ってよ!」


なるほど、これは逆ナンというやつだ

魔王を窮地にまで追い詰めた俺の活躍は、どうやらこの田舎町にまで広まっているらしい

正直、悪い気はしない

それに、彼女から魔王に関する情報を引き出せる可能性もゼロではない

ならば、気晴らしもかねて彼女と会話を楽しむことやぶさかではないではないか


「あたしは、遊び人!袖触れ合うもなんとやら、一晩よろしくね!」


「ひひひ、一晩!?」



脳天に稲妻が落ちる

ひひひひひ一晩よろしくだって!?

男と女が、一晩よろしくするだって!?

つまり、ああ、これこそ俗に言うアバンチュール!!

春なのに一夏の過ち、危険な恋!

これまで、魔王討伐に励むばかりに女性経験の一切なかった俺の

初めて手にしたチャンスが、こんな大冒険になろうとは!


『恐れることはない勇者よ!勇気をもって臨むのだ!』


王都を旅立ったあの日の、祖父の言葉が脳裏をよぎる



――――――

「ほら、アンタも何か頼みなよ!あ、お姉さーん、私はビールね!」


「俺は、酒は飲まない。それに、この国では飲酒及び酒類の販売は禁じられているのを君は知らないのか」


5年前、俺は魔王を半殺しにこそしたがトドメを刺す前に逃亡を許してしまった

勇者に課せられた使命を達するため、俺は必死に後を追った

しかし、魔王の動きは迅速かつ巧みで俺の追撃の手を悉くかわし

遂には生き残った幹部、魔物達をまとめ上げ地下に潜ってしまったのだ

そうして、表向きには世界はつかの間の平和を手に入れた


それまで国防に費やされていた資金は、魔物によって蹂躙された各地の再建・発展へと使われ

その軍事的利用の為、国が包括的に管理していた魔法使いや錬金術師たちの知識が市民へと解放されたことで

世界は大きく変わった


魔法と科学がもたらす奇跡は、産業を巨大化させ人々の生活水準は飛躍的に高めた

「王国建国以来1000年の発展を全て足しても、このたった5年の変革には及ばないであろう」

とある歴史家にそう言わしめたほどの急激な変革は、特に商人たちに大きな力をもたらす結果となり

絶対王政という権力構造にまで変革の手が及ぶことを恐れた執政府は、商人たちを新たな法で縛ることで保身を図った


禁酒法も、そうした混乱の中で作られた一つの法であった



「もちろん知ってるさ。だから私たちは、こんな窓もない倉庫みたいなスピークイージーで飲んでるんだろうが」


「スピークイージー?」


「もぐり酒場のことだよ。だいたい、酒場まで来ておいて酒を飲まないなんて何を言ってんのよ」


「俺は、酒を飲みに来たわけじゃない」


「ははあ、さてはナンパ目的だねお兄さん」


ナンパしてきたのはお前じゃないか

そんな言葉が口から出そうになるが、グッとこらえる

これは、初めてのチャンスに水を差したくなかったわけではなく

万が一ではあるが、俺の勘違いだった事態を警戒してである


慣れない女の子との会話で、表情が緩みそうになるのを必死にこらえ

なんとか落ち着きのある男の風格を漂わせながら、言葉を絞り出す


「魔王の行方を追っているんだ」


「なるほど、それで酒場で情報収集ってわけね。この悪法の中、ムーンシャインを店に卸してるのは魔王の一味って噂だしね」

「さすが勇者様、目の付け所がいいね」



そう、禁酒法が制定されたからといって世間が「はいそうですか」と素直に受け入れるわけが無かった

魔王健在の頃、酒は人々から不安を拭い、恐怖から目をそらしてくれた

人々の生活に根差した酒を、完全に法で禁止するなど無理な話だったのだ


現在、酒造りは地下に潜り、秘密裏に製造されラムランナーと呼ばれる密輸業者によって

(彼女の言葉を借りるところの)スリープイージーこと、もぐり酒場へと流されている

禁酒法制定前まで多くの真っ当な商人によって支えられてきた巨大な酒の卸売市場は、法を犯すことを厭わない者達の手へと渡った

そして、その新しい裏市場の担い手の中でも最たる組織こそが、酒造りと同じく地下に潜った犯罪集団魔王一味である

これが、俺が長年続く日課の中で得ることのできた全てだ


「君は、何か知らないか?どんな情報でも構わない」


「それに答える前に一つだけ言わせてくれ。アンタは、酒を注文するべきだ」

「魔王の行方が知りたいなら、なおさらな」


そう言いながら彼女は、ウェイトレスの手によって届けられたビールを口にした

液体が喉を通る音が、ゴクッゴクッと聞こえてくる


「なぜだ?」


思わず、俺の喉が鳴る

なんていい音をさせてやがる



「酒場で一番信用でされない奴。それは、素面の男さ」

「そんな奴に、誰も情報は渡さない。もちろん私もさ」


「……」


彼女の言い分は、尤もらしく聞こえた

現に、5年を費やし必死の探索を行ったにもかかわらず

俺が得た情報は、酒場の噂程度のものだった


俺は、今年で22歳になる

この国では、禁酒法制定前から未成年の飲酒を禁じていた

そして俺は、齢17で禁酒法を迎えて以来、一滴も酒を口にしたことが無かった


俺の喉が、再び鳴った


「そういえば、喉が渇いたな」


「へえ、なら声を張って注文するといいさ」


「君は、酒に詳しそうだな。俺は初めて酒を口にする、何を飲むべきだろうか」


「へえ、初体験ってわけか、そいつはいいや!」

「そうだなあ……ん、そう言えば喉が渇いたと言ったね」


「ああ」



「それなら決まりだ!喉の渇きを癒すならビールに限る!」


スリープじゃなくてスピークだよ

期待


――――――


「黄金色の酒だ」

錫製のジョッキを傾け喉を潤す、初めて摂取するアルコールに全身が奮え、舌の上で炭酸の刺激と苦みが踊っている。

その強烈さに、不眠もあってか薄ぼんやりとしていた意識が覚醒していく。

胃は拒絶反応を起こし今にも逆流しそうだが、霞が晴れるようなその快感に俺はジョッキを傾けるのを止められない。

そして、遂にはジョッキの中のビールを全て飲み干してしまっていた。

その様子を、遊び人は満足げに眺めていた。


「……苦い、はっきり言うとあまりおいしくない」


「いい飲みっぷりだったけどね。まあ、初めてはそんなものよ」

「しかし、黄金色の酒ね……なかなか洒落たことを言うじゃないの」


勇者が持っているのは、剣と魔法の腕だけではないということさ。

俺は、自分で言うのもなんだがあらゆる可能性を秘めている。魔王を倒したら吟遊詩人になってもいいかもしれないな。


「麦色」


「私は、初めてのビールに畑一面に広がる麦を連想したものよ。まあ麦酒なんて言うくらいだしね」


「そうか、この苦みは麦のものか」



そういえば魔王討伐の旅の中、手持ちの食糧が尽きかけ、鞄の底に残っていたわずかな麦をそのまま齧ったことがあったが。

この苦みは、あの時感じた麦のそれと似ているかもしれない。


「いや、ごめん。感じ入ってるところ悪いけどビールの苦みは麦のものじゃないわよ」


「すいませーん。ビールおかわり!」


恥ずかしさを誤魔化そうと、俺は新たなビールを注文した。


「ビールの苦みはホップに由来するものなのよ」


「ホップ?」


「そ、ホップステップジャンプのホップ」


遊び人のにやけ面からするに、これは冗談を言っているのだろう。

これだから、酔っ払いの相手をするのは嫌なんだ。下らない冗談を、得意満面に話すなんて恥ずかしくないのだろうか。

どうせ言うならもっと洒落た冗談を言って欲しいものだ。例えば、そうだな……。

ホップ……モップ……コップ……いや、やめておこう。このままだと碌なことを言いだしかねない。


「ホップか……聞きなれない名前だ。どういうものなんだ」


「噛むと、むちゃくちゃ臭い植物。もし機会があっても止めておきなさい、小半時はもがき苦しむことになるわよ」



その時を思い出しているのか、遊び人の表情は酷く強張ったものになっている。

この女は、内面が表情に全て出るタイプらしい。もしくは、酒のせいなのか。


「このビールは臭くなかったが、どういうわけだ?」


「貴方がそれを知る必要は無いわ……」


今度は、遠い目をして誤魔化そうとしている。


「なによ、その目は。いやらしい。あーいやらしい」

「ホップには、防腐剤の効果があるのよ。それに、ビールに独特な風味や香味を付け足してくれる」


「ビールには欠かせないものなのか」


「そうね、とある侯爵は領内で栽培されているホップを他国に持ち出したものを死刑にしたぐらいよ」

「あそこのビールは特に美味しくて有名だからね。それぐらい、ビール造りにおいてホップは重要ってことよ」


ウェイトレスが新しいジョッキを、机にドンっと置いていく。

今度は、その苦みを意識しゆっくりと味わってみる。やっぱり、まずい。


「そうね、こんな話もあるわよ」


聞きもしないのに、語り口を続ける。これも酔っ払いの特徴だ。酒は人を自己中心的にさせる悪魔の飲み物だ。

だが、どういうわけか俺はついつい彼女の話に耳を傾けてしまっていた。



「とある異教の国の司教が、死んだ時の話なんだけどね。彼は、仁徳深い人で葬式にも大勢の人が参列したの。それで、埋葬しようと彼の遺体を運んでたんだけど、まあとある町で人々は休憩をとったわけよ」

「みんな喉も乾いてて、喉が渇いたときに飲むのはビールでしょ?ビールを飲もうとするんだけど、残念なことにマグカップ一杯分しかビールが無い」

「ところがあら不思議。マグカップのビールは飲み干しても飲み干しても、まるでマグカップから湧き出るように無くならないの。遂には、参列していた人々全員の喉を潤してしまった」

「その事件をきっかけに、その人は教会から聖人として認定されて。今でも、ビールの守護聖人として崇められているのよ」


随分、俗的な奇跡だった。だが、宗教絡みの話となると直接的に批判するのも憚られる。

それに、酒は宗教的儀式においてしばしば用いられていること鑑みるに、宗教と酒は切っても切れない関係なのかもしれない。


「なんとなく、酒絡みの奇跡というとワインが出てくる気がするが」


「ワインの歴史には負けるけど、ビールだって同じくらい古い歴史があるのよ」

「まあ、私の歴史に比べればどっちも浅いけどね。って、女の子に年齢の話をさせるもんじゃないわよ!」


何がおかしいのかわからないが、遊び人はケタケタと笑っている。

何だこの女は。話に脈絡が無く、たいして面白くも無いのによく笑う。

普段なら忌避したい典型的な酔っ払いの姿ではあるのだが、彼女の笑う姿を見ていると釣られて俺も表情が緩んでしまう。


「そういえば、エールってあるよな。あれはビールとは違うのか?」


「あー、エールね」


「味は知らないが見た目はよく似ている。製法や材料に違いが?」


「アンタね、私を何だと思っているの。醸造家か何かと勘違いしてるんじゃない?」



『遊び人』彼女はそう自称していたが、その派手な恰好はどちらかというと道化だ。

当然、口には出さない。道化と言われて喜ぶ女がいないことぐらいは、経験の少ない俺にでもわかる。

まあ彼女が普通ではない、道化と言われて感極まる異常者である可能性は完全には拭えないが、彼女の機嫌を損ねる危険を冒してまで試すことはないだろう。

……あれ、俺はなんで彼女の機嫌なんかに気を配っているんだ。


「私は、遊び人よ!」

「付け加えるとしたら、勇者様が魔王軍を壊滅状態に追いやったがために職を失った。元騎士の現遊び人」

「そんな私が、ビールとエールの違いなんて知るわけないでしょう。酒は語るもんじゃない、飲むものよ!」

彼女の感情の起伏の激しさには目を見張るものがある。つい先ほどまで、ビールのあれこれを語っていたのは自分だというのに。

酔っ払いとはみなこうなのか。ん、これさっきも言ったな。

もしかしたら俺も酔っているのかもしれない。

しかし、元騎士の遊び人か……。


―――軍事組織としての魔王軍が壊滅して以来、王国の軍事費は縮小傾向にあった。

争いが完全になくなったわけではないものの、対魔物用に整えられた装備は人間を相手にするにはあまりに強力すぎており。

その絶大な威力と同様に、維持費もまた莫大なものであったためだ。


なにより、人々は新たな争いよりも生活の再建を望んでいた。

結果として、戦乱に乗じて乱立された多くの騎士団が解散される結果となった。

彼女も、そんな解散した騎士団の中で路頭に迷うこととなった一人なのだろう。



遊び人の言いぶりからすると、俺は多少恨まれているのだろう。面識のない俺に、突然声をかけたのも恨み節を聞かせるのが目的かもしれない。

そんな推測が、酒の効能もあってか少しお花畑になっていた俺の思考を急激に冷ましていく。

しかし、そのおかげで俺は場の空気に押され頭の片隅に追いやられていた自身の目的を思い出すことができた。


「もうそろそろ良いんじゃないか」


「なにが?もしかして、ベッドインに誘ってるの?血気盛んなのは嫌いじゃないけど、ちょっと焦りすぎじゃない」


「そそそ、そうじゃない!お俺もこうやって酒を口にしたのだから、これで晴れて酔っ払いの一員だ。この酒場で、魔王に関する情報を持っている者を知らないか?」

「もしくは、君自身が何らかの情報を持ってはいないか?」


俺は、息継ぎをする間もなく一気にまくし立てた。声は少し震えつつ、普段より半オクターブほど上がってしまっていた。

全くなかったとは言えない下心を見透かされたようで、俺は明らかに動転してしまっていたのだ。

俺が、この短い逢瀬で彼女の中に築き上げた俺のハードボイルド像は音を立てて崩れ去ったことであろう。


「勇者様は、せっかちだなあ」


「初めてのビール、俺にはあまり美味しく感じられなかった。ビールをまずいと言っているわけではないが……」

「俺の舌は、酒を楽しめる術を持っていないようなんだ。だから、遊びは休憩して本来の仕事をすることにしたんだよ」


「遊びを休憩?『遊びを休憩して』って言った……?はっ、勇者様は遊び人の才能があるようだ!」

「だいたい最初から、酒を美味しく飲める奴なんていないわよ。みんな、少しずつ舌をならしていくんだ」

「時に失敗し、時に後悔し。人はそうやって、酒の楽しみ方を覚えていくもんだよ。女を抱くのと同じさ」



こいつ、なんだかんだ俺を誘っているんじゃないか。いやまて、それこそ判断をするには早すぎる。

万が一、俺の勘違いだった時のことを考えてみろ恥ずかしさのあまり隠された真の力を開放しかねないぞ。

いや、そんなものないけど。少なくとも今現在、彼女の言葉に俺の顔は間違いなく真っ赤に染まっているだろう。


「あらら、そっちも初心だったか。ごめんごめん」


「ば、馬鹿にするなよ、俺は勇者だぞ。恐れる者なんて何もない」


「まあ、なんにしても初めてってのはいいことだよ勇者様。何事も、一番最初が一番楽しいもんさ」


「初めての酒は、そんなに旨くなかったがな!」


「ふむ、そんなこと言われたら。私のプロデュースが悪いみたいじゃないか」


「そうは言っていないけど」


「ふむ……それじゃあ罪滅ぼしをさせていただきましょうかね」


先ほどまで、無防備に振舞われていた天真爛漫を一切消し去り。彼女は丁寧で重苦しく言葉を紡ぎ出した。

罪滅ぼし。一体、何を何で返してくれると言うのだ。


「魔王の元に辿り着ける、やもしれぬ魔法を教えて差し上げると言ったらどうかな?」


「なんだと!?」



『やもしれぬ』という部分が半端でなく気がかりではあるが、俺は魔王の居場所に関する一切の情報を得られていない。

この5年間、俺は藁にも縋る必死の思いで酒場を回ってきたのだ。そんな俺にとって彼女の言葉は、絶望の中の一筋の光。僥倖としか言いようのないものであった。

少なからず感じていた酔いもぶっ飛ぶ気持ちで、俺は慌てて立ち上がった。


足が多少ふら付くのは、酔いのせいか興奮しているせいなのか俺には判別がつかない。

俺は、ふらつきながらも遊び人に詰め寄った。


「お、教えてくれ!いや、教えてください!」


遊び人の口角が、にやりとあがっていく。


「おやおや、勇者様にはその魔法を使う資格があるようですね」


「資格がいるのか!?俺は、既にそれを持っていると?」


遊び人が、こくんと頷く。その表情は、またもや一転して明るいものとなっている。本当に、ころころと表情が変わる女だ。

……いや待て、落ち着くんだ勇者よ。

彼女は、騎士団解体の件で俺に対して少なからずの恨みがあるはずだ。罠の可能性もあるのではないか。


「初めて会った俺に、何故そんな魔法を教えてくれるんだ。罪滅ぼしと言ったが、君には罪の意識なんて一切ないんだろう?」


「まあ、そうだね。そうだなあ……勇者様は遊び人の仕事って知ってるかな」


「あ、遊ぶことか?」



「そう、私の仕事は遊ぶこと。時に、石を拾ってお手玉をし、大声で歌い、指をぐるぐる回し、ダジャレを言ったり、足がもつれて転んだり」

「酒を飲んだり、紙に火をつけて投げつけたり、くしゃみをしたり」


「そんなの仕事とは言えない。ただの役立たずじゃないか……」


「そう、遊び人の行動の多くは無駄なことばかり。しかしだね、遊び人は時に誰かを励ますという仕事も持っているんだ」

「さて勇者様、これは恐ろしく強大な魔王のみならず、禁制である酒にすら挑まれた猛々しい勇者様へ。私から贈る、僅かながらのエールでございます!」


罠かもしれない……いや、知ったことか。例えそうだとしても、俺が乗り越えてきた苦難に比べれば。

女の子一人の仕掛ける罠なんてたかがしれている。それに対して、魔王の情報は千金に値する。

これは、俺にとってノーリスクハイリターンも同様ではないか!


「頼む!俺は今度こそ魔王を……!」


「それじゃあ、肩につかまってくださいな」


彼女の肩をつかむ。それは、俺の物とは違い酷く柔らかく感じられた。

女の身に触れるのも初めてのことだった。力を籠めれば、肩を砕いてしまいそうだ。


「生きますよ勇者様」


「千鳥足テレポート!」


視界がぐるぐると回る。

まるで世界が混沌に包まれたかのようだった。

なろうでやれ

北の氷海、南の孤島、東の王都、西の砂漠、その鳥は、世界中のどこにでもいた。
丸い頭と大きな目、頭から首にかけては特徴的な黒色の帯。さほど大きくない体に、バランスを欠くように長く細い足。
集合性が強く、数千にも及ぶ群れを成すことから、彼らは千の鳥。チドリと呼ばれている。

特に水辺に多く生息する彼らは、その長い足を左右に踏み違えながらよく歩き、餌となる虫を探す。
酔っ払いのふら付いた足取りの事を「千鳥足」と呼ぶのは、その彼らの習性になぞらえてのことある。


「ここは……?」


「さあ、どこだろうね」


酷いめまいに襲われ、世界が暗転した先に俺を待ち受けていたのは、山積みの木箱と木箱に腰を掛けた少女。遊び人だけだった。
周囲を見渡す、天井に据え付けられた照明のおかげで視界は易々と通る。木箱の数からみて相当な広さの倉庫なのであろう。
ここには、言いようのない違和感があるが、鈍く重い今の頭では明確な答えは出てきそうにない。
すっきりしない気持ち悪さが残るものの、今、目を向けるべきは木箱に据わって笑みを浮かべている彼女だ。
テレポートを利用した待ち伏せも警戒したが、周囲には人の気配がない。遊び人の復讐という線は、杞憂だったのかもしれない。

めまいは、まだ続いていた。なんとなく頭をさすろうとしたところで、俺は自身が未だビールジョッキを握りしめていることに気が付いた。
持ってきちゃってたのか。後で返しに行かなくちゃ。


「何をしたんだ……?普通のテレポートとは、少し感覚が違ったが」


「千鳥足テレポート。簡単に言うと、ランダム性の高いテレポートだよ」


「つまり……」


「そう、酔っ払いと同じでさ。何処に行きつくかは、私にもわからないのさ」


俺に怒りがフツフツと湧き上がっていく。


「つまり、なにか。魔王の元に辿り着けるやもしれぬってのは運任せってことなのか!?」


期待を煽られ、裏切られた。その事実が、俺から理性を奪っていく。
確かに、『やもしれぬ』と言ったけども!それにしたって、酷い落差じゃないか!こんなの詐欺だ!
俺は、怒りに任せ近くの木箱を蹴飛ばした。木箱は転がり、大きな音が、倉庫中に広がっていく。


「まあ、落ち着きなよ勇者。まだ外れと決まったわけじゃないさ。ほら、ちょうどいいから木箱の中身を改めてみなよ」


「くそっ、酔っ払いの戯言に付き合うんじゃなかった……ん、これは……」


悪態をつきながら、俺は木箱の中をさらう。中から現れたのは、大量のおが屑と液体の詰められた瓶。おが屑は、梱包用だろう。
問題は、瓶の中身だ。遊び人が手を伸ばしてきたので、俺は瓶を彼女に渡す。
彼女は、何処に隠し持っていたのかナイフを取り出し栓を抜き匂いを嗅いだ。


「ビールだ」


「ここは、密輸業者の倉庫か」




「誰が、居るのが!?」


酷く低くしわがれた声が、倉庫に響く。言葉を発するに適していない声帯、そしてその音圧、声の主が人間では無いことは明らかだった。
迂闊だった。違和感の正体はこれだ、何故倉庫の照明はつけられていた。それは、誰かが作業を行っているから。
人の気配がしなかったのは、奴らが人ではないから。窓もなく閉ざされた倉庫で、木箱に詰められた密造酒。
魔王の一味が、ラムランナーとして活動しているという噂。
間違いない、ここは魔王一味の拠点。もしくはそれに類する何かだ。


「大当たりじゃないか……」



俺は、持っていたジョッキをそっと木箱の上に置き。代わりに剣を抜く。
こんなことなら、軽装で来るべきでは無かったな。せめて皮の鎧だけでもあれば。
代わりに防御魔法を自身にかける。だが、魔法が巧く発動しない。酔いのせいか、呪文が巧く紡げない。


「なんだあ!人間の匂いだ!」

「おい!全員出でごい!人間が紛れごんでるぞ!」


倉庫の奥から、魔物達の気配がゾロゾロと出てくる。思っていたより、魔物の数は多いようだ。
それに統制がとれている。奴らが、俺と遊び人を包囲する形で布陣をとろうとしているのが木箱越しに感じられる。
久方ぶりの魔物との戦闘。しかも奴らの拠点で。こちらは、軽装な上に酒が入っている。
遊び人をチラリと見る。彼女に至っては、ワンピースにナイフ一本、しかも職業は遊び人。誰の目から見ても、劣勢だな。


「お前は、隠れていろ。俺が遊撃に出る」


「いらぬ心配だね、元騎士だって言ったの忘れた?それと、殺しちゃだめだからね」


「魔物をか?何故だ」


「魔王の情報が欲しいんでしょ?それに―――」


「それに」


「密輸業者が全滅しちゃったら、誰が酒を運ぶのよ!」



木箱の陰から、魔物が数体躍り出る。人の倍はある身の丈に、牛の頭。ミノタウロスだ。
ミノタウロスは、その手に握られた斧を振り下ろす。
斧が起こす風を頬に感じるほどの距離で、かろうじて躱す。

ミノタウロスは勢いあまって、地面に斧を突き立てている。
その一瞬の隙を逃さず、奴の角を斬り落とす。俺の腕に掛かれば、鋼に劣らぬ強度をもつミノタウロスの角などチーズと同じだ。
ミノタウロスの表情は、恐怖に歪む。臆したな、こいつがこの戦闘中に立ち直ることはないと判断し。剣の鞘で、顎を打つ。
ミノタウロスは仰向けに倒れた。

どうだ、これが勇者の実力だ。と言わんばかりに、遊び人に視線を送る。
彼女は、敵の懐にもぐりこみナイフを奮っている。まるで踊り子のように、くるくると回り、ミノタウロスを翻弄している。
彼女が回るたびに、短いスカートがひらひらと浮き上がる。



「おい、よそ見するな!後ろだ!」


俺の視線に気づいたのか、彼女が声を張る。俺は、慌てて振り返る。ミノタウロスの横薙ぎ。
足元がふら付く。十分に避けられる速さだ、ただし俺が酒に酔っていなければの話だった。
狙いは首。咄嗟に左腕で庇う。俺の首は、左手ごと寸断――――とはいかなかった。激しい金属音とともに、ミノタウロスの斧は左手の薄皮一枚で止まっている。


「鎧でも仕込んでやがっだが!?」


ミノタウロスが叫ぶ。残念ながらそうではない。奴の斧を止めたのは間違いなく、俺自身の左腕。
これこそ、俺が勇者として魔王に立ち向かうことができた理由。女神よりの祝福。耐性の力。
俺の左腕は、魔王討伐の旅で幾度となく斬り落とされた。幾度の失敗に学んだ俺の肉体は、女神より与えられし力をもってして学んだ。
そうして出来上がったのが、何者も。例え魔王であろうと、斬り落とすことができない絶対の斬撃耐性がついた左腕なのだ。

ミノタウロスは力を更に籠める。俺の左腕がじりじりと押されていく。
残念なことに、俺は首を落とされた経験がない。つまり首にまで斬撃耐性があるわけではないのだ。
右手の剣で……いや、踏ん張りがきかないうえに片腕だけで剣を振ったところで、ミノタウロスの厚い皮は破れないだろう。
剣を手離し、その手で左腕を支える。力比べと行こうじゃないかミノタウロスさんよお!


「ミノタウロスと力比べなんて、ばっかじゃないの!」


遊び人の投げたナイフが、俺と対峙していたミノタウロスの右目に刺さる。ミノタウロスは斧を落とし、泣き喚いている。
馬鹿はお前だ!一本しかないナイフを投げるなんて―――何処から取り出したのか、遊び人は両手にナイフを構えている。
何処にしまってたんだ、そのナイフ。まさか、スカートの中か?


「敵は、そいつ一匹じゃないんだからね。ほら、手伝ってよ!」


魔物達は刻一刻と数を増し、その数は10数体にも及んでいた。背中合わせの俺たちを中心にして、完全に囲まれてしまった。
普段の俺ならば、まず間違いなく隙を見て逃げ出す状況だ。もしくは、耐性の力をフルに発揮してのごり押し。
魔物から尻尾を巻いて逃げる勇者。もしくは、ズタボロになった衣服で、魔物達の流した血の池の中に佇む勇者。
どちらの結果だろうと、傍目から見たらとても美しいとは言えない状況に陥っていたことだろう。

だが今日の俺は、そうはならなかった。
まず、遊び人にその気がない以上、逃走は論外。かといって、耐性を使ってのごり押しという状況にはなっていない。
四方八方からの魔物による攻撃は、背中を任せる遊び人によって的確にいなされていく。
正直に言って、彼女の目は異常だ。正面の敵にだけ集中している俺とは違い、敵全体の動きを把握している。



「次、左奥の奴が、飛び掛かって来るよ!右の奴は、後でいい!」


俺に、背を向けているはずの彼女が的確に敵の動きを教えてくれるのだ。まるで、背中に目が付いているかのように。
そして、彼女の指示に従うと、面白い様に敵を捌くことができる。これが孤独な勇者と、組織で戦う騎士団の違いなのか。
もしかすると、彼女は騎士団においてもそれなりの地位にあるものだったのかもしれない。


「そっち、数は減ったでしょ!こっちと交代して!ナイフじゃ倒しきれない!」


彼女の声に合わせて、正面の敵を無視して振り返る。その隙を、敵が逃すはずもないが耐性の力で致命傷にはならないだろう。
だが、俺の隙を埋めるかのように遊び人がナイフを投擲する。俺は、背後からの攻撃を気にすることなく正面の敵を切り伏せる。
膝から崩れ落ちた魔物は、まだ息がある。普段の俺なら、確実にトドメを刺すがそうはしない。
「殺すな」という彼女の言葉もある。だが何より、今日の俺には魔物を殺さないでいる余裕があるのだ。

切り付けられ、殴られ、焼かれ。どんな痛みにも耐えながら、戦い抜いてきた今までとは違い。
今日の俺は、酒に酔って本来の力が出せていないにもかかわらず普段の何倍も素早く的確に魔物を倒しきれている。
間違いなく、仲間、遊び人の助けによるものだ。初めての仲間との共闘に、俺の心臓は高鳴り血が上り興奮冷めやらぬ状態だ。


「すごい、すごいぞ遊びんん!まるで、腕が4本、足も4本、目も4つ!体が二つあるようだ!」


「馬鹿じゃないの!実際に二つあるんだよ!」


戦いの決着まで、それほど時間はかからなかった。
周囲には動けなくなった魔物達がウンウンと唸っている。
一体だけ、明らかに体の大きい奴に詰め寄る。右目にナイフが刺さっている。俺と力比べをした奴だ。
他の魔物と違い、腰巻が少し豪華だ。間違いない、こいつがここの親玉だろう。


「魔王は何処にいる?」


「知らん……」


右目のナイフを抜き、足に突き刺す。
ミノタウロスの叫び声が、倉庫に轟く。



「おい、何をやってるんだ!そんなことする必要はないだろ!」


遊び人が詰め寄ってきた。
無視して、足に刺したナイフを捻る。魔物の親玉は、再びうめき声をあげた。


「やめろって言ってるんだよ!」


遊び人が、俺を押しのける。邪魔をするなと睨みつけるが、遊び人はひるまない。


「お前には、任せてられない。向こうへ行ってろ、私が聞き出す!」


「魔物に慈悲をかけるのか?」


「冷静さを失ってるぞ勇者。酒だけじゃなく、血にも酔ってしまったのか?」
「聞き出す方法は、拷問に限らない。いいから向こうに行ってろ」


遊び人の目には、怒りが宿っている。
騎士団は、戦う技術以上に心の在り方を重んじる。彼女も、退役したからと言ってその道徳心を捨てることは無かったのだろう。
手段を選ばない俺とは大違いだ。
だが、彼女を説得するのは非常に難しそうだった。仮に拷問を続けたとしても、魔物が洗いざらい吐くとも限らない。
今回は、彼女の意見を尊重し黙って引き下がることとしよう。

俺は、彼女に「任せる」とだけ伝え一人と一体から距離をとる。
そして、倒れている魔物達が全て視界に収まるよう積み上げられた木箱の上に腰を下ろす。
これなら、仮に魔物達が遊び人に飛び掛かろうとすぐに対処できるだろう。
遊び人は、ミノタウロスの耳元になにやら語り掛けているが俺の位置からは、何を話しているかは聞こえない。

遊び人の語り掛けに、魔物は意外にも素直に応じている。
何を答えているのかは、わからないが魔物の表情をみるに嘘を言っているようには見えない。
「聞き出す方法は、拷問に限らない」彼女の言は正しかったようだ。

二人はしばらくの間、話し込んでいた。

話が終わると彼女は立ち上がり、なにやら呪文を唱えた。しばらくすると、魔物達がうめき声を寝息へと変えていく。
睡眠魔法をかけたのであろう。彼女も多少は酔っているだろうに、器用なものだ。
更に、彼女は魔物達の傷の手当てを始めた。全く、騎士団の博愛精神にはあきれてものも言えない。
だが、俺はその様子を黙って見つめるにとどめおく。少なからずではあるが、彼女の機嫌を悪くしたくないという気持ちもあった。

しばらくすると、彼女は俺のところへ戻ってきた。



「終わったよ。奴らは、魔王の居所までは知らなかった」


「収穫は無しか……」


「いや、そうでもないさ。組織の連絡員の情報を引き出せた。次は、そいつから辿っていけばいい」


「……なあ、何故ここまで手伝ってくれる?それに『千鳥足テレポート』とは何なんだ?」
「いくら、ランダム性のテレポートだからと言っても、ここまで的確に俺の求めていた場所へたどり着くなんて都合が良すぎる」


「まあ、それはおいおい説明するよ」


俺の矢継ぎ早の質問に、彼女は素知らぬふりで続ける。


「それより、私と手を組まないかい?実は、私も魔王を追っているんだ」


ここにテレポートで飛んできた時点で、何となく予想はできていた。
彼女は、俺が魔王を追っている勇者であることを知ったうえで接触してきた。そのうえ、都合の良すぎるランダムテレポート。
ならば、彼女もまた俺と目的を同じにしていることは明らかだろう。


「それにさ、アンタはちょっと危なっかしいよ。頼りになる仲間が一人ぐらい居たほうがいいと思う」


「いいだろう」


俺は、即答した。
彼女が使う謎の魔法「千鳥足ルーラ」、そしてその高い戦闘力、更には魔物から情報を引き出す巧みさ。
彼女の能力は、魔王を追うのに必要な全てを兼ねそろえていた。



「よし、これからよろしくね勇者」


彼女が、右手を伸ばしてきた。俺は、その手を握る。


「あ……ああ、よろしく頼む」


俺の手は、微かに震えていた。
戦闘の興奮が冷めたせいか、隠れていた俺の羞恥心がひょっこり顔を出しはじめていた。

よく考えると、今日は初めてだらけだ。
初めて逆ナンされ。初めて酒を飲み。初めての共闘。初めての女の手を握った。
まあ、逆ナンは俺の勘違いだが……。


「というか、酒場に金払ってないよな。俺達、戻ったら食い逃げ犯になってるんじゃないか」


「大丈夫、あそこには顔がきくんだ。つけててくれてるよ」


「ビールジョッキも返しに行かないとな……」


「お、良いもの持ってるじゃん。それ貸して」


彼女は、そう言って俺からビールジョッキを受け取ると、近くの木箱からビール瓶を取り出しそれに注ぎだした。
そうして、満杯になったジョッキを俺に差し出してきた。顔は少しにやついている。何か企んでいる、そういう表情だ。


「ほら、喉が渇いたろ。これでも飲みなよ」



彼女の言う通り、激しい戦闘で俺の喉はカラッカラに渇いていた。
俺は、ビールジョッキを受け取り喉に流し込んだ。

うまい。

店で飲んだそれと、同じものとは到底思えない清涼感だ。
胃が拒否反応を起こすことも無く。まるで干からびた砂漠のように、流れ落ちていくビールを受け入れていく。
気が付くとと、ジョッキの中身は既に空になってしまっていた。
俺が驚いている様子に、彼女はしてやったりの笑みを浮かべている。


「ほら、ジョッキを渡しな」


「そうだな、もう一杯もらおうかな」


「そうじゃないわよ。まったくもう、ビールの守護聖人の話を忘れちゃったの?」


「……人々は、奇跡のマグカップで喉を潤した」


「そういうこと」


ジョッキを手渡しビールを注いでやる。
彼女は喉を鳴らし、一気に飲み干してしまう。


「な?喉が渇いたときはビールが一番さ」



俺と彼女は、一つのジョッキにビールを注ぎ代わる代わるに飲み干した。
魔物達の寝息による合唱が音量を増していく。ひょっとすると、酒場の喧騒よりも騒がしいかもしれない。
だが不思議と気にはならない。ましてや良いBGMじゃないか。そう思えるほどだ。

俺の意識は薄らぎ、世界がぐるぐると回っていく。もう何度、ジョッキを空にしただろうか。数も数えられない。
目の前の彼女も、少しではあるが呂律が回らなくなってきている。ぐへへ、このまま宿に連れ込んじまおうか。
そういえば、俺は今日逆ナンされたのだった。ぐへへ、文句はあるまいよ遊び人さん。正義は我にありだ。

さてここで問題です、俺は今日何杯のビールを飲んだのでしょうか。正解は乾杯です。
さてこんなところだね勇者。今日はもう、お開きにしようか。
ん?いま喋ったのは誰だ、俺か?いや、彼女か?


ぱんぱん


突然鳴った、手を二回叩く音。それと同時に、正常性を失いつつあった俺の意識は完全に途切れた。


気づくと俺は、宿屋のベットに寝転がっていた。剣やクロークは床に投げ出され、俺は下着一枚となっている。
枕元には、空になったビールジョッキが転がっている。
どうやって俺は帰ってきたんだ。自問自答するも、記憶があやふやで思い出せない。

まさかと思い、周りを見渡すが遊び人の姿も見当たらない。どうやら、初めてのベッドインとはならなかったようだ。
ため息をつきながらも、むしろ記憶の無い初めてにならなくてよかったとホッとする。

窓を開けると、お日様が傾きかけ真っ赤に染まっている。なんていうことだ、もう夕方じゃないか。
二日酔いで頭痛は酷いが、久しぶりの長時間睡眠のおかげか、いつになく頭がすっきりしている気がする。
いったい、俺はどれくらい寝ていたのだろうか。

大きく伸びをし、外の空気を目いっぱい吸い込む。
さて、やることはいっぱいあるぞ。新しい仲間の行方も探さなくちゃいけないし、昨晩の店に金を払いに行かないといけない。
ビールジョッキも返さないとな。

彼女のことを100%信用したわけではない。千鳥足テレポートなる魔法の秘密。
それに、彼女が騎士団を退役しながらも魔王を追っている理由。謎は多いし、それに伴う不安も多い。


ただ確実に言えることが、一つだけある。


日課のひとつに、一杯のビールを付け加えるのもいいかもしれない。


なろうでは何で検索すれば良いんだ?

「N4689ET」で検索して頂ければ、出てきます。よろしくお願いします。

見てきたけど髪の毛がスルリと舞い落ちるって変な表現だな
ヒラヒラ(ハラハラ)とかならともかくスルリだと舞ってはいないでしょ

確かにおかしいですね、ご指摘ありがとうございます


――――――

2杯目 ここは、ワインに任せて先に行け

――――――




「勇者様、一緒に寝ないのかい?」



月明りが部屋を照らす。それほど広くはない部屋には、粗末なベッドがひとつ。されど、人影は二つ。

ベッドにもぐりこんだ遊び人が、声をかけてくる。



「その間、誰が見張りを続けるんだよ……」



揶揄われていることは分かりきっているのに、抗いがたい誘惑の言葉に必死に感情を抑え理屈を押し通す。

そんな俺の心情を察してか、遊び人がくっくっくっと笑いをこらえている。


ここは教会の二階。普段は、旅人を迎える客室として使われている質素な部屋だ。そんな狭い部屋に、俺と遊び人は互いの息が頬をなでる程の距離で見つめ合っていた。

嘘だ。というより、そうだったらいいなという願望だ。実際のところ、遊び人はベッドに横になっているし、俺は窓際に置かれた椅子から外を眺めている。ランプに火は灯していない。

教会の向かいには、それこそ狼が息を吹きかければ飛んでしまいそうなボロ屋が一軒。俺の視線は、そのあばら家に向けられ離れることはない。


先日の一件で、俺たちは闇に潜む魔王軍の情報を得た。かつては、表舞台で暴れまわった彼らは今や一犯罪組織として王国の裏側で暗躍している。

その手口は非常に巧妙で、俺はこの5年間、奴らに関する情報を一切得られていなかった。そんな闇の中を手探りで歩くような困難の中で、俺は遂に一筋の光明を得る。

秘密裏に活動する魔物達と魔王とのつなぎ役、魔王軍の連絡員の所在。遊び人によって、引き出された魔王に辿り着く唯一の情報だ。


合流を果たした俺と遊び人は、その日のうちに旅支度を調えこの宿場町まで馬を走らせた。旅に同行者がいるのは、初めての事だった。

別に一人が好きというわけではない。これまで、一人旅立ったのは信頼のおける仲間を持ち得なかったからだ。もちろん、魔王討伐の中で旅に同行したいという者は数多いた。

だが俺は、慎重で疑り深い男なのだ。旅の同行者が、どういう人物なのか。情報を集め、当人と話をし、信頼関係が築けると確信できるまで俺は気を許さなかった。俺の事を臆病だと嘲る者もいたが、その使命が故に、常に魔物達から命を狙われていたのだから仕方がないだろう。

まあそういうわけで、俺には仲間ができなかった。こいつなら、という奴も何人かは居たが、俺の執拗な身辺調査に嫌気が差したのだろう。翌日には姿を消していた。

遊び人に関して、俺は何も知らないに等しい。元騎士で、ナイフ使い、魔王を追っているということ以外は年齢も本名すらも聞いていなかった。

いつもの手順を踏まなかったのは、あの晩に襲撃した秘密倉庫から、俺たちの情報が出回る前に連絡員に辿り着く必要があったからだ。致し方が無かった。



食事も休憩もとらず丸一日走り通しの強行軍、この町に辿り着いた時には這う這うの体だった。ミノタウロスの情報は正確だった。

連絡員の潜んでいるはずの小屋はすぐに見つかった。よりにもよって教会の前に魔王軍の拠点を建てるとは肝が据わっているとは思ったが、俺たちにとっては都合がよかった。

俺たちは、秘密裏に教会の神父様に接触し部屋を借り受け拠点を見張ることにした。



「勇者はからかいがいがあるなー」


「そんな暇があったら、確り休んでてください」



遊び人は返事を返さなかった。

つい出てしまう敬語が、信頼関係を築く間もなく同行することとなった俺たちの距離感を物語っている。

俺の感情や、本心は敬語でもって覆い隠されているのだから、楽しい会話が続くはずも無いのは道理だろう。


昼は遊び人、夜は俺。見張りを行ううえで決めたシフトが、唯一俺たちの間で交わされた約束事だ。

この部屋に入った時、一つしかないベッドに淡い期待をよせもしたが、交代で眠るため何の問題も過ちも起きるはずもない。残念なことに。

残念なことに……そう、それが本心なのかもしれない。

成り行きでできたとは言え初めての旅の同行者、新しい仲間と仲良くなりたいと考えるのはごく自然の事ではないだろうか。そこにあるのは、下心だけではないはずだ。


酒は、あれから一滴も飲んでいない。魔王の少ない手掛かりを、酔いのせいで不意にしたくはなかった。

おかげで、俺の不眠はあの一日を除いて続いている。昼と夜で、シフトを組んだもののほとんど一日中起きている俺にはあまり意味がない。

疲労の為か、俺の集中力が僅かに乱れてきていた。


集中力が乱れると、急に恥ずかしさが湧いてきた。若く、可愛い女の子と、二人っきりで……っ、ベッドが一つしかない部屋に!

一体この状況は何なのだ!魔王を追うという使命感だけで抑えられていた、俺の若く逞しいリビドーがひょっこりと顔を覗かせ始めたのだ。


そうすると、沈黙が酷く気まずく感じられてくる。

俺は、遂に緊張に耐え切れず、言葉を漏らした。




「……いい天気ですね」



俺は、とんでもない馬鹿だった。月が、お前は馬鹿だと語り掛けてきても不思議ではないほどに。



「……ぷっ、あははははは。三日も部屋を共にして、初めて勇者様から話しかけてきたと思ったら―――」


「そうだねえ、いい月夜だね勇者様!」



頬に熱がのる。見張っているのがばれないよう火を灯していなくて良かった。月明りだけでは、俺の顔が赤くなっているのもばれていないだろう。

だがこれは、いい機会だ。緊張も解れて、自然と会話ができそうな気がする。さて、どうしたものかと次の話題を考える。予想に反して、話題はいくらでも思い浮かんだ。

俺は彼女の事を知らなすぎだ。聞きたいこと、聞かねばならぬことが沸騰したスープよろしく頭からあふれ出てくる。よく3日も一緒に入れたもんだ。



「なあ、いろいろ聞いていい……ですか?」


「敬語を辞めてくれるならね」

「それなら、私の何もかもを教えてあ・げ・る」



その可愛らしい姿に似合わない艶やかさを、声に込めている。彼女は、冗談抜きでは会話の出来ない質なのだろう。



「千鳥足テレポート、あれはどういう魔法なんだ」


「真っ先に出るのがそれ!?もっと私に、興味は無いの!?こんなに可愛い子が、同じ部屋でベッドに転がっているって言うのに?」



窓の外、あばら家に向けた視線はずらさない。というか、ずらせない。彼女の怒気が、冗談ではないのは比較的鈍感な俺にもわかるものだった。

うん、質問するにしても順番が大事だったな。俺は、つい本質をついてしまうきらいがあるからな。人から見れば、すこし性急にに見られるかもしれない。

ならば、順序良く行こうではないか。なに、あばら家に動きはない。時間はたっぷりある。



「じゃ、じゃあ名前は……?」



「千鳥足テレポートってのはね、使用者の願いが強く影響するランダムテレポートなの」



ええええ……はぐらかされた……?



「酔っ払いの事を指して、千鳥足ってのはわかるでしょう?あっちにフラフラ、こっちにフラフラ。右足を左に、左足を右に」


「俺はまだ、経験したことは無いが。まあイメージは湧くよ」


「出来の悪いダンスみたいに、右に左に体を大きく揺らしながらも前に進む。それが千鳥足。そして、その奥義こそが千鳥足テレポートよ」


彼女は、完全に説明モードに入ってしまった。隠しようがないほどの話題逸らしから考えられることは、『名は聞くな』そういうことなのだろう。
ならば聞くまい。というか聞けない。いや、なんか名前を聞いたり素性を聞いたりってのは下心が見え吸えてそうで恥ずかしい。
それに、名を名乗らないってのもちょっと秘密をもっているようで格好いいじゃないか。ならば俺も名乗るまい。


「ねえ、聞いてる?つまりね、ランダムであらぬ方向へ飛んでしまうこともあるけど、少しずつ目的地に近づけるってことなの」


「そんな、都合のいい魔法だったのか」


「そうでもないわよ。最終目的地にいつたどり着けるのかはさっぱりわからないし、なによりこの魔法は場所と使用者を選ぶ」


「そういえば、そんなことを言っていたな。貴方には資格があるとか」


「その通り。この魔法は酔っ払いにしか使えない」


魔法は、常に対価を必要とする。自然の理を超越し、奇跡を為すため。つまるところ、世界への捧げものだ。
大抵の場合、それは術の使用者が自身に内在する魔力によって支払うこととなり、魔法の効果が強大になる程、その勘定は跳ね上がっていく。

テレポートは、一度訪れたことがある場所に飛ぶことができる魔法だ。行ったことも無いうえに、そこが何処であるかもわからないにも関わらず、目的地へとたどり着くことができる。そんなことができる魔法ではない。
だがそれを可能とするならば、それ相応の対価が必須。つまり千鳥足テレポートを行うには、膨大な魔力が必要となるはずだ。そうだな、それこそ国を一つ滅ぼすほどの魔力が要るだろう。

だが、彼女に歴史に名を遺すほどの大魔導士と同様の魔力を有しているようには到底見えない。



「ランダム性をもたすことで、対価の支払いを格安に抑えている……?」


「そ。それと、酔っぱらった状態で飲み使用可能というリスクを設けることで、そのランダム性に一定の指向性をもたせるってわけ」


魔力の代わりに、リスクを背負うというわけか。
人は、リスクを負うことで通常以上の力を発揮することができる。火事場の馬鹿力、命を懸けた特攻、そして足元がふら付くほど酔った状態で使うテレポートというわけだ。


「やっぱり、都合がいい魔法じゃないか……」


俺と遊び人は一発で魔王の手掛かりとなり得る密造酒の貯蔵庫に飛ぶことができた。
遊び人が、どの程度の魔力を使ったかはわからないが酔っぱらうというリスクに対してあまりに大きいリターンだ。


「そりゃうまく行ったからね。下手すると川のど真ん中にポチャンなんてこともあり得るのよ、それも酔っぱらった状態でね」


「泳げばいいさ。もしくは、改めて普通のテレポートで飛びなおすか」


「……私、泳げないのよ」

「それに、この魔法で飛んだ先からテレポートを使うのは不可能なのよ。決められた儀式を行わないと帰れないの」


「なんだか頭がこんがらがってきたぞ」


手をこめかみにおく。テレポート先からの帰還に、専用の儀式が必要なんて魔法は聞いたことがない。だが、それもまたリスクの一つなのかもしれない。面倒な条件を付与することで、対価の支払いを抑えているのだ。
ふと窓の外に、意識を向ける。この数日で、見飽きた光景に変わりはない。呆れるほど静かで、閑散としている。


「そういえば、先日の俺はいつのまにか宿屋に帰っていたな。その儀式を、君がやってくれたことで帰還できたということか」


「そうよ。この魔法はランダムで飛んだあとに自宅に帰るまでで一セットになっているの」


「それも、魔力を抑えるための条件なんだな」


「違うわよ」


「どういうことだ?」


「だから、酔っ払いが千鳥足で目的の店に辿り着くでしょ。でも酔っ払いだから、自分がどこにいるかもわからないし、帰れない」

「そしたら、お店が迷惑するじゃない。だから、この魔法は一度テレポートして帰還の儀式で自宅に帰るまでが一セットなの」


まったく理解できないのは、俺が魔法に疎いからであろうか。いや、そうではないはずだ。というか、そもそも俺は魔法に疎くはない。
しかし、テレポート先から、自宅までに戻るまでが一セットの魔法にどういう意味があるというのだ。彼女は、わかりやすく例え話で説明してくれているのだろうが、それが余計に話をわかりにくくしている。



「だーかーらー、この魔法は酔っ払いが二件目を探すための魔法だって言っているのよ。その人の嗜好を読み取り、お好みの店へたどり着けるかもしれない」

「本来は、そういう遊び人御用達の魔法なの。だから千鳥足テレポートが成功して飛べる先は、必ずある程度のお酒が置いてある場所でなければならないの」


なんで、そんな魔法が存在しているんだよ……。というか、誰がこんな魔法を作ったんだ。
―――いや、『遊び人御用達の魔法』なんて阿呆な魔法を作るのは、それこそ遊び人しかいないではないか。


「ということは、帰れないと店の迷惑になるってのは―――」


「そう、例え話でもなんでもなくて。実際に、店に迷惑がかかるといけないからってとられた措置。この魔法を作った、とあるバーのマスターの心遣いってわけよ」


それは心遣いというより、千鳥足テレポートで自分の店に飛んできた酔いどれを追い返すための措置なのではないだろうか……。
しかし、なるほど。俺は、この魔法を魔王の元に辿り着くためのものと捉えていたが実のところそうではない。新生魔王軍あるところにアルコールあり。その点に、目を付けた遊び人が魔王を追う術として身に着けたのだろう。……もしくは、純粋に遊び目的で身に着けていたのか。
いや、彼女は元騎士団員。職務に忠実だったからこそ、職を辞し遊び人になってまでこの魔法を習得したに違いない。

背後から、ごそごそと音がする。どうやら、遊び人がベッドから這い出てきたようだ。交代の時間ではないはずだが。
彼女の気配は、俺のすぐ後ろまで来ている。どうやら俺の頭越しに、外を眺めているようだ。


「この間の一件から推測したんだけど。千鳥足テレポートは、おそらく二人でやると成功率があがるんじゃないかと思うの」


彼女の声が、俺の耳をくすぐる。常に、あばら家に目を向けていて彼女の正確な位置はわからないが、予想以上に俺の近くにいるようだ。
その事実に、心臓がドクンっドクンっと脈打ちだす。落ち着け心臓。そんなに荒ぶっては、彼女に感づかれるぞ。……何を?何かをだ!


「この間のは、俺にとってはビギナーズラックだったということか」


「そうそう。これまでの経験上、一発で屋内に飛べたことは無かったわ。ゴミ捨て場の上空に飛んだり、どぶの中にひっくり返ったり、散々な目にあってきたんだから」

「まあ、検証したわけではないんから。あくまで仮説だけどね」


「……それで、俺と組む気になったというわけか」


なんだな。ちょっと複雑な気持ちだ。



「まあ、それだけじゃないわよ。目的が同じ仲間が欲しかったてのもあるかな。……一人は寂しいもの」


ほんの少しだけではあるが、彼女の声に陰があった。普段の俺ならば、見逃す。いや、聞き逃すほどの些細な感情の翳り。なぜ、気づくことができたのか自問自答するが答えは出ない。


「俺は、そう思ったことはないけど」


「だって勇者は、ずっと一人旅でしょ」


「そうだな」


「私には、たくさんの仲間がいたんだもの。急に一人になって寂しいって思うのはしょうがないことでしょう?」


そうだった。彼女は、俺が魔王を追い落したことで職を失った元騎士だ。多くの仲間と同じ釜の飯を食い、血や汗を流して魔物達と戦う、そうやって長い時間を信頼できる仲間たちと過ごしてきたのだろう。
不可抗力ではあるが、彼女の孤独の遠因に俺がいることに一抹の責任を感じてしまう。彼女の、戦闘力から見れば。いやそれだけではない。彼女の、魔王が放つ漆黒の闇のオーラさえ眩く照らしてしまいそうな明るさから鑑みても。彼女が仲間たちに慕われていたであろうことは明らかだ。

もしかすると、彼女が酒を飲むのは孤独から逃げたいがためなのかもしれない。俺が、酒の力で不安を取り除いたように。


「ああ、なんだか飲みたくなってきちゃった」


「……酒を飲んで油断なんてしたらどうする、細い縄なんだ手放すわけには行かない」


「酒を飲んだぐらいで油断する玉じゃないでしょ」


「ケガでもしたら大変だ」


その愛らしい顔に傷でも付いてしまったら俺は。


「その時は、貴方が守ってよ」


その声には、光が戻っていた。出会ってまだ短いが、常に彼女が纏っていた明るさが蘇っていた。
そうか、彼女は常に輝いていた。だからこそ、僅かな翳りにも俺は気づくことができたのか。



「……いざとなったら、命を懸けてでも守ってやる。勝てないと思ったら、俺を置いてでも逃げろ」


「うーん、気持ちは嬉しいけど命まで懸けるのはごめんよ。それに仲間は絶対に見捨てない。それが私の騎士道よ」


「だが、勇者とはそういうものだ」


しばしの沈黙、どうやら彼女を困らせてしまったらしい。だが同時に、俺の事を気にかけてくれていると思うと少しうれしい。


「そうね、本当にその時が来たら『ここは俺に任せて先に行け』とでも言ってみたらどう?」

「それこそ物語に出てくる勇者みたいにね。そしたら考えてあげるかも」


「考えておこう」


だれが、そんな臭い台詞をはくもんか。


「さて、それじゃあ私はお酒でも仕入れてこようかしら」


どうやら俺の忠告は無視されたらしい。だがまあ、夜は俺の担当だ好きにするがいいさ。


「だがどこで酒を手に入れるんだ。この町には来たばかりだし、到着してから此の方ほとんど探索もしていない」

「スピークイージーの場所に検討でもついているのか?」


「何を言ってるんだい勇者様。私たちが居座っているココが何処だかわからないのかい?」


「窓際?」


「そう、ここは教会だよ。教会があるならそこには必ずワインがある!」



どうやら、今晩のオトモはワインに決まったようだった。

おつ?

おつおつ

まつよ

なろう投稿分に手を加えながら、少しずつ書き進めています。
盆が終わるまでには投稿できるかと思います。
あとsage進行でお願いします。

待ってるぞ


教会とワインは、切っても切れない関係だ。それは、禁酒法制定化においても例外ではない。


ワインの紫を帯びた赤は、古来より血の色に見立てられ。神の血として、宗教的儀式において欠かせないものとなっており、教会があるところには必ずブドウ畑がある。

むしろブドウの栽培が可能かどうかが宣教先の選定において重要な位置を占めていたとも言われるほどだ。大きい声では言えないが、かつて神と相まみえた聖人たちはワインで酔っぱらって幻でも見たんじゃないかと疑いたくなるほど教会とワインは深くつながっている。

この国において、国民の多くは女神正教の敬虔な信者だ。故に、教会は強大な権力を有している。

そんな教会の、ワイン醸造の一切を禁ずることは国王をもってしても為すことができなかったのは当然と言えよう。


では、女神正教の信者たちはワインだけは自由に手にすることができたかというとそうでもない。

意外なことに、禁酒法推進派には教会の人間も数多く含まれていたのだ。酒におぼれた信者たちを嘆く者達と、酒市場の独占を狙う者達の二つの派閥だ。


急激な工業革命によって、人々の手に様々な酒が届けられるようになると社会に一つの問題が浮き上がった。

より強く、より安価な酒が気軽に手に入れられるようになり、酒場の喧騒は一段と大きくなり。さらには、酒場の外にまで波及するに至った。

路地裏では、酔っ払いが所かまわず用を足し。飲み込んだアレコレを吐いて回り。気が大きくなった小心者が乱暴に振舞い。元々、粗暴だったものはより傲岸となった。

そんな堕落した人々の姿を見せられた教会は、即座に泥酔は背徳であると触れを出したものの。魔王という脅威がなくなり浮かれに浮かれていた人々の乱痴気騒ぎを鎮めるには至らなかった。

なれば、より強力な手段をもって取り締まるべきだと主張した教会の一派は、国王へと禁酒法制定の陳情を行った。



本来であれば、禁酒法は個人的な道徳の問題であると国も取り合わなかったであろう。しかし、酒市場の独占を狙う一派の画策があわさり自体は混迷を極めていく。


ワインは、ブドウの果汁を発酵されることで作ることができるが、その工法は同じ醸造酒であるビールに比べて酷く時間がかかり、更に穀物として各地で大量に生産される麦に比べてワインの原料となるブドウの収穫量は少ない。

故に、ビールに比べて価格も高く上流層に好まれる酒であった。畑仕事を終え、人々が口にするのは圧倒的にビールの方が多かったのだ。

工業革命による、大量生産はビールの価格低下に拍車をかけた。更には、アルコール度数の高い蒸留酒の台頭である。酒市場におけるワインの量は年々減っていき。ワイン醸造において利権を貪っていた一部教会一派は窮地に立たされる。


その打開の一手こそ、禁酒法制定であった。市場における優位性を確保するべく、蒸留酒、ビール業界を貶めようと画策したのだ。

だが、蒸留酒業界とビール業界が黙って指をくわえていたかというと全くそうではない。彼らは、業界内対立をそっくりそのまま禁酒法案制定に持ち込んだのだ。

自身の業界により有利な禁酒法を制定すべく、彼らは競い合った。もし蒸留酒業界とビール業界が手を組み組織的に禁酒法に反対を唱えていれば、禁酒法が制定されることはなかったであろう。


結果として、他業界は地下に潜ることとなり現在に至る。


ただし、教会においても宗教的儀式で必要な分のみ醸造が容認されたため大々的に醸造を行うことはできなくなってしまい、自分で自身の首を絞めた形になる。

とはいえ、明らかな逃げ道をつくることができたためワインは密に作られ続けている。


なぜ、つい先日まで酒を口にしたことが無かった俺が教会とワインの関係についてこれだけ詳しいか疑問に思うかもしれない。

しかし、魔王軍が密造酒を運搬するランナーとして活動している以上、どうしても必要な情報だったのだ。



ワインの流通は、現在は教会のみに認められている。儀式で使う分だけ購入できるということだから、それも当然だ。

即ち、そこに魔王軍が介入する術はないと俺は見ている。あばら家を見張るうえで、教会を選んだのはただ単に立地が良かったわけではないのだ。


まあそのおかげで、遊び人がこの部屋を離れることなくワインを飲めるわけなのだが。


「だからと言って、全ての教会にワインがあるわけではないと思うんだが」


「ふふん。私は、この教会に入った瞬間に匂いでわかったよ」


遊び人の手には、既に陶器製の水差しが握られている。彼女の行動は実にすばやい。

ドタバタと階下に降りて行ったかと思えば、あっという間に獲物を抱えて戻ってきたのだ。


陶器の中身は、調べるまでも無い。樽から移されたばかりのワインに決まっている。


「匂いか、うーん……、わからんなあ」


「あおーん!」


どうやら鼻が利くことのアピールらしい。どこか子供っぽいおどけ方に、実はもう酔っているのではないかと疑ってしまう。



「しかし案外、簡単に譲ってくれたもんだな。いくら抜け穴があるといっても禁制品だぞ」


「教会は、そこら辺緩いからねー。それでは、勇者には悪いけどお先に一口!私の瞳に乾杯!」


水差しからグラスへとワインが注がれる音が部屋に響き渡る。

そして、ワインが喉を通っていく音。聞くことしかできないが、ワインが彼女の喉を滑り落ちていく姿が俺の中で再生される。

すると想像の効果だろうか、どこからか強く芳醇な香りが漂ってきたような気がする。いや、これは想像ではない。現実だ。

俺の鼻は、確かにワインの匂いを嗅ぎつけた。


「ブドウの。いや、煮詰めたブドウが腐ったような匂いがする……」


「ぷひー。そりゃそうだよ。煮詰めてこそはいないけど、発酵と腐敗は同じことなんだから」


「よく考えると、よくそんなものを飲もうと考えたもんだな」


「そうね、偉大なる先人。ワインを初めて口にした人間に感謝しなくちゃ」


遊び人の言葉に、俺は雄大なる歴史をさかのぼり。ワインの起源を想像する。

口ひげをたくわえた一人の男が、清らかな水が静かに流れる川の辺で、石に腰を掛けブドウの甘味を楽しんでいる。

おや?もう無くなってしまったか……と思いきや、足元に一粒のブドウを見つける。ほほっ、ラッキーじゃわい。

ブドウを川の水で洗い土を落とす。おや?これは、儂が落とした奴ではないな。妙に柔らかいぞ。

しかも他のブドウに比べて、匂いの強さが一段だ。よし、食べてみるか……。



こんなところだろうか。

彼の偉業を、ただの食い意地からの偶然と見るか、好奇心からくる勇気ある行動ととるかは人次第だろう。

ただ世界的娯楽の発見という結果から見れば、彼こそが勇者と称されるに一片の疑いもない。

まだ何も成し得ていない、俺よりは彼は遥か高みにいる……。


「ほれ、一口だけ飲んでみ」


遊び人が、窓枠の上にコトンとグラスを置いた。

グラスの半分に満たない程度のワインでも、俺の鼻孔を膨らますには十分の香りを立ち上がらせている。

薄い月明りでは、ワインの鮮烈な赤も黒く濁った血の色に見えた。



「いや、まて。俺は、酒を口にするわけにはは……」


違和感が走る。意識を、外の世界へと向ける。

窓の外に動きはない。まるで世界が丸ごと寝静まっているかのようだ。

では、俺が感じたものは何か。外では無ければ―――部屋の中か。そこに答えがあるはずだ。



この僅かな時間に起きた事象を、ひとつひとつ噛みしめるように遡っていく。


グラスの半分にも満たないワイン

彼女の鳴らした喉の数

グラスにワインを注ぐ音……


そうか……答えは窓枠の上に、添え置かれたワイングラスだ!


俺の手が微かに震える。武者震いではない、俺は恐れている。

いま、俺の目の前に置かれているワイングラス。これは、彼女が先ほど使用したばかりのものではないのか!?

そして、グラスの中のワインの量がその事実を確固たるものとしている!


なんという魔性の女だ……このようなことをされて、抗えるわけがないではないか。

いや、落ち着け勇者よ。お前が成すべきことを思い出すのだ。この程度の誘惑に心踊らされて如何とする。


「ま、まあ一口だけなら……」


大丈夫だ。落ち着け、俺の理性よ。

ただの一口だけなら、酒に酔うこともあるまい。そのうえで、俺の猛きリビドーを抑制させるにはこの手段しかなかったのだ。

許せ。



ワイングラスに手を伸ばす。手が、微かに震えている。

勇者と呼ばれ魔王に一人立ち向かった俺が恐れているだと?いや、これは武者震いだ。


自分を奮い立たせるも、手の震えは止まらず、グラスがカチンと音を鳴らした。


「おいおい、飲む前から酔っぱらっているの?」


「そそそんなわけ、あるか。ずっと同じ姿勢をとっていたから手が痺れちゃったんだよ」


言い訳にしてはちょっと苦しかったかもしれない。


「……いいかい?これは良いワインだから、絶対に顔にひっかけたりしちゃだめだよ!」


顔にひっかける?いったいどんなアクロバットな飲み方をしたらそんなことになるんだ。

いや、手の震えが収まらない状況を鑑みるに。ありえないこともないか。


俺は、ワインの香りを楽しむふりをして何とか手の震えが収まる時間を稼いでからグラスを口へと運ぶ。

ゆっくりと落ち着いて、ワインを口に含み。その味を確かめる。


強烈に口内に広がる渋みと酸味が、意識を覚醒させる。その刺激のせいか、目からは少しだけ涙がこぼれおちた。

な、なるほど、ワインは香りに見合った強い味を持っているのだな。

なんとか喉を通すと、その強烈なインパクトが喉や、胃の中にも広がっていくのが感じられる。



「ビ、ビールよりきつい。ワインを飲んだ後だとビールが水に感じられるくらい、とにかく味が濃い……」


「ビールが水ねえ、お酒初心者にしてはなかなか言うじゃない」


「味だけじゃない。香りもだ。これはもうブドウの域を超えている。ブドウを煮詰めて腐らせた香り?前言撤回だ、まるで香水を煮詰めたかのような匂いだ」


「香水を煮詰めたような匂いねえ。ねえ勇者、知ってる?ワイン通って、ワインの香りを何かしらに例えようとするんだよね」


「じ、じゃあ、俺も立派なワイン通だな」


「あはは、そうかもね。流石、魔王を追い詰めるほどの才能をもった勇者様だ。たった一口で、その領域に立ってしまわれるとは」


才能ねえ……。

人々は、いつも俺の才能を褒めたたえる。俺自身の努力ではなく、俺の持つ「勇者」という才能をだ。

女神より「耐性」という恩恵を受けているのは確かだ。そこは認めよう。だが、それだけでは到底魔王を追い詰めることなどできなかった。

それができたのは、俺が「耐性」に甘んじることなく自らの剣を磨き続けたからだと自負している。

彼女からすれば、本の冗談だったのだろうが。どうにも気を重くしてしまう。


そうだな、話題を変えよう。


「……例えば、どんな風に例えるんだ」


「そうねえ、こんなのはどうかしら。濡れた犬が暖炉で乾かしてる匂い」


「は?」



「こんなのもあるわよ。猫のおしっこに、腐葉土!」


「ワインの香りの話をしているんだよな?」


「信じられない?全て、ワインの香りを指した言葉なのよ」


到底、信じられない話ではあったが。ワインの強烈な香りを、具体的に表現するにはそれくらいの語彙を扱わないといけないのかもしれないと妙に納得してしまった。

もしくは、酔っ払いの戯言と思うべきなのかもしれないが。


「なんとも……阿呆らしいな」


言葉を選ぼうとするが、ついストレートに言ってしまう。


「そうね、私から言わせれば酔っ払いの戯言よ」


うん、そこは少し同意するかな。


「そういえば、このワインには何か名前があるのか?」


「知らないわよ」


「知らないのか」


「そうよ。私ね、何処産の云々というワインがいいだとか、どこどこの蔵の何年物しか受け付けないだとか。そういう気取った酒の飲み方は大嫌いなのよ」


どうやら、彼女の琴線に触れてしまったらしい。



「名前じゃなくて中身を見てほしいものだわ!中身を!」


俺には、彼女が単に酒の話をしているようには聞こえなかった。それほどに、彼女の言葉から強い語気が感じられた。

彼女は、俺に名を教えてくれなかったという事実が更にその考えを後押しした。

「名前ではなく中身を見てほしい」この言葉は、彼女自身のことを言っているのではないだろうか。

少なくとも、俺にはそう聞こえた。


彼女がどういう境遇で、そういう考えに至ったかはわからない。

だが、俺も「勇者」という名ではなく「俺」という中身を見てほしいという願望を強く持っている者だからこそ、彼女の気持ちに寄り添うことができた。

まあ、考え過ぎの勘違いかもしれないが。


何にしても、彼女から無理に本名を聞きだすのはよしておこう。

普段の俺なら、本名を確認しないなど有り得ない。だがまあ、千鳥足テレポートと魔物から魔王軍の情報を引き出したという功績を鑑みて、それぐらい許容してもいいではないか。



「うんうん、そうだな。俺も、君の中身のほうを楽しみたいものだ」


ん……?なんか、彼女の気持ちに寄り添おうとしたあまり、変なことを言った気がするが……いや、気のせいだろう。

どことなく、部屋の中が静まり返った気がした。いや、見張りを行っているという状況もあって俺も遊び人も元々、声を潜めていたのだから当たり前か。

だが、ほんの少しだけ。ほんの少しだけ、部屋に静けさが降りてきているような。


俺は、その静けさに耐え切れず。再び声を開く。



「し、しかし、さっきからワインの事をぼろくそに言っているな」


少しの逡巡。


「そういうわけじゃあないけど……」


これまで、歯に衣着せぬ物言いをしてきた遊び人にしては歯切れ悪い。

再びの逡巡を得て、やっと話始めた。


「……気取って酒を飲む連中が嫌いなのよ。『酒は飲むものであって語るものではない』ってのが私の持論なのよ。ねえ、アンタもそう思うでしょ?」


「どうかな、時と場合によるかな。王侯貴族と同席しているとか、特に良い酒を飲む時はそれでもいいんじゃないか」


「そう……」


「けどまあ、二人で飲むのに気取る必要はないかな」


「そう!」


非常にわかりやすい反応だ。まるで、年端もいかない少女じゃないか。

酒瓶を片手にした朗らかな少女。なんか背徳的だ。


さて、彼女の好感を勝ち得たところでここはもう一押しと言ってみようじゃないか。


「―――まあ、二人で飲むってのはいいかもな」



「なんで?」


「そりゃあ、二人なら一瓶開けるのに丁度いいからさ」


どうやら、俺には言葉選びのセンスも備わっているらしい。

これまで一人旅立ったがために埋もれていた、俺のセンスがここにきて光輝くとは誰が予想しえただろうか。

この一連の流れで、冗句を差し込むこのセンス。全く、俺って奴は末恐ろしい男だぜ。


「私は一人でも、一瓶開けられるわよ?」


「い、いや、そういう話じゃなくて―――」


「ねえ、勇者」


彼女は、俺の話を遮って続けた。


「そろそろ、結末を見越した方がいいと思うんだけど」


物語の結末、それは魔王を倒し、世界に平和が訪れること。


それは即ち、遊び人と俺との一時的なパーティーを解散するということ。


まだ当分、先の話だと考えていた俺は完全に虚を突かれ、思わず彼女の方を振り返ってしまっていた。

くっそかわいいな
おつ

乙ー



「そろそろ結末を見越した方がいいと思うんだけど」


「そ、それはちょっと気が早いんじゃないか?」


「そう?そんなことは無いと思うけど」


「さいでございますか」


突然の彼女の言葉に、俺は完全に動揺してしまっていた。
声はあからさまに震え、少し上ずってしまっている。

しかし、ほんの数日の間、時を同じくしただけで、こんなにも彼女に心を寄せてしまっているという事実を認めるのは非常に抵抗がある。
それだとまるで、俺がチョロい男みたいじゃないか。それは、どうも、男としての沽券に関わる。

これまでだって、一時的ではあるが女性とパーティーを組んだことはあった。
確かに、その都度、女性と二人きりという状況に心ときめいたこともあった。
だが、別れに際して、ここまで心を揺り動かされたことがあっただろうか、いやないはずだ。

もしかすると、当時は未だ魔王のもとへとたどり着いていなかったがために、俺に多少の緊張感があったということだろうか。
その緊張感が、彼女たちと親密な関係になりたいという俺のリビドーを抑えていてくれたのかもしれない。
だとすれば、今の俺はなんだ。魔王をとり逃してしまうという大失態を犯しながら、仮初の平和に気を緩めてしまっている軟弱者ではないか。

……ならば、これは、男の沽券云々の問題ではない。
俺の勇者としての在り方の問題だ。

正直に言おう、彼女といるのは楽しい。
だが、それに甘んじ魔王を倒すという使命が揺らぐくらいなら初めから勇者の仕事など引き受けてはいない。
だから、これは自分への戒めとして、俺たちの旅の結末について確りと考えておくべきなのだ。

なに、今すぐ旅が終わるというわけではないし、俺たちの関係が今後どのようになるかはわからない。
あくまで、色欲に杭を打ち込んでおくというだけのこと。自身に、その覚悟を再認識させるだけの話なのだ。


「だってさあ。路銀だって限られてるんだし。いつまでもこの教会の屋根裏部屋に間借りしているってわけには行かないでしょ?」


「ん?」


ん?


んんっ?


「あれ?話が通じてない?いや、確かにちゃんとした宿に比べたら教会に間借りするのは安くついてるわよ。でも、無限の収入減が無い限り路銀は減る一方でしょ」

「ミノ達が言っていた、約束の期日はとっくにすぎているし。いつまでも、ここであそこを見張っているわけにもいかないでしょ?」


あー、あー、あー、そういうことね。
これは恥ずかしい。俺は、重大な勘違いをしていたようだ。つまり、彼女の言う『結末』とは、あくまで見張りをいつまで続けるかという話だったらしい。
だ、だがしかし、俺の気が緩んでいたのは事実だ。
今後は、確り気を張っていかねば。


「いやいや、うん。確かに、遊び人の言う通りだ」


「大丈夫?私の言ったこと、ちゃんと理解できてる?」


「もちろんさ!何を突然!わかっているさ、それぐらいのこと!俺は勇者だぞ!あなどるなよ!」


「えぇ……本当に大丈夫?」


彼女の言葉に、手を振ることで答え。(答えられていないかもしれないが。)
俺は、魔王軍の連絡員を押さえようと、見張りを続けている現状について改めて思考を巡らす。

確かに、俺たちはミノタウロスから情報を引き出した後、強行軍でこの村まで飛ばしてきた。
それは、連絡員に密造酒倉庫の強襲を悟られる前に動く必要があったわけなのだが。

しかし、現状、ランナー達と連絡員の接触場所である、あのあばら家に人の出入りは一切ない。
連絡員は危険に敏いのが必須スキルだと聞いたことがある。
それは連絡員が敵性の組織に捕まってしまった場合、連絡員が取り扱っていた情報はもちろんのこと、その連絡網自体から組織の体系が漏れてしまう可能性があるからだ。
もし、魔王軍がそういった危険性を知っていたとするならば、当然、連絡員である魔物は特に危険を感知する力に長けている魔族が担当するであろう。

いや、そうに違いない。そうでなければ、この半年の間、俺が一切の情報をつかむことができなかったことは、俺が単なる無能だと世に知らしめることになってしまう。
残念なことに、もしくは喜ばしいことに、勇者たる俺が無能であることなどありえない。だからこそ、俺たちが押さえようとしていた連絡員は、もう逃げたと考えるべきだ。
連絡員が自身で危険を察知できなかったとしても、俺たちが襲撃したミノタウロス達に他の緊急用の連絡手段があった可能性もある。

こんなことなら奴らを殺しておくべきだったと、後悔と苛立ちの念がむくむくっと起き上がる。
例え、遊び人が不殺主義の甘ちゃんだったとしても、俺は俺の勇者としての役目を確り果たすべきだった。

だいたい、彼女に指摘されるまで、この程度の考えに今の今まで至らなかった事にも心底腹が立つ。
これも、彼女と少しでも長く一緒に居たいという俺の欲望が目を濁らせていたのかもしれない。

落ち着こう。今は冷静に、判断を下すべきだ。

……仮に、連絡員に逃げられていたとしたら、時間の経過は痕跡の風化を招く可能性もある。
何処かのタイミングで見切りをつけて、乗り込むべきだ。



「……日の出まで動きが無ければ、乗り込もう」


もし、今日まであのあばら家に人の出入りが無かったのが、連絡員がずっと中に潜んでいるからだとしたら、この強襲はきっとうまくいくだろう。
長時間、あの小さい小屋に身をひそめるというは、肉体的にも精神的にも相当きついはずだ。どんなに強い魔物だろうと、体調が悪ければ力を発揮できない。
それに明け方というのは、生物が最も油断する時間だ。魔物とて、例外ではあるまい。

そうだな、裏の窓を遊び人に押さえさせ、俺が扉から……
俺は、拙いながら少しでも強襲の成功率を上げようと、ふと、あばら家へと視線を向けた。


「……あ」


「どうしたの?」


「あばら家に灯りが灯っている」



――――――


扉から、小屋の中の気配を探る。
絹のこすれる音、床がきしむ音、息遣い、何者かが潜んでいれば必ず発生するであろう事象を全神経を研ぎ澄ませ耳をたてる。
俺の全感覚が、小屋の中には誰もいないことを告げていた。もう既に、逃げたのだろうか?

あばら家には扉の向かいに小さな小窓があった。
そこは既に遊び人が回り込んでおり、仮に何者かが潜んでいたとしても、取り逃がすことはないだろう。

俺は、扉を蹴飛ばし中に押し入った。
机の上に置かれた、蝋燭の火がまるで驚いた童のように体を揺らした。
―――中には誰も居なかった。

警戒を怠らないで、部屋の中を探る。
あるのは質素なベッドと、机のみ。

机の上には、羽ペンと1冊の本。


「ちょっと拝見させてもらうよ」


不在の小屋の中で、誰に許可をとるでもなく俺はページを開く。


突然、光が俺を襲った。
光は、開いた本のページから放たれている。


「罠か……っ!?」


手のひらで、光を遮り目を凝らす。
光っているのは、ページに記載された多数のルーン文字と共につづられた円形の図面。
これは、召喚術の魔法陣だ。


光は、その奔流を止めることなくページからあふれ出ている。
家が、きしきしと音を鳴らしはじめる。その音は、次第に轟音となり地面を揺らし始めた。

俺は、慌てて外に出た。


「遊び人!離れろっ!」


「え?あ、うん!」


俺が、小屋から出ると同時にそいつは、あばら家の屋根を突き破り巨大な体躯を現した。
高さは小屋の倍ほど、月の光に照らされたそれは土色の肌をもち、巨大な手を月へと掲げ、咆哮をあげる。


「ぐおおおおおおおおおおおおおおおお」


その巨大さ最大を武器とする魔道兵器。
ゴーレムだ。


「うわあ、なにこのゴーレム!こんなにでかいのは初めて見たわ!」


遊び人が、緊張感の声をあげる。


「あの蝋燭の灯り自体が罠だったんだ!中には誰も居なかった」


「なるほどね!連絡員が一定期間来なかった場合に蝋燭が灯り、侵入者を誘い込むよう仕組んであったわけね」


ゴーレムが巨大な手を、地面に叩きつけると、まだ辛うじて残っていた小屋の柱が全て砕け散った。
俺は、飛んでくる木材の破片を、両腕で防ぎながらゴーレムの足元へと迫る。
腰に下げた剣を一閃。ゴーレムの足へと刃を滑らせる。
粘土のような手ごたえ、確かに俺の刃は奴の膝から下を切り離したが、切り離した先から順に繋がり、何事も無かったようにくっついてしまった。


「土のゴーレムだ!斬撃は効かない!」


「そんなの、見りゃわかるわよ!氷結魔法フリーズ!」


遊び人の魔法が、ゴーレムの右腕を完全に凍らせる。
ゴーレムは気にする様子もなく、その右腕を遊び人のいる方向へと振るう。


「うわぁ、あぶないなぁ!」


やはり、どこか緊張感の抜けた声だ。
遊び人は、難なく攻撃をかわしゴーレムから距離をとる。
ゴーレムの攻撃は、地面に大きな穴を開けていた。流石に、あれを直に食らったら俺でもまずいな。


「遊び人!ゴーレムの倒し方は知っているか?」


「馬鹿にしないでよ!真理を死へ!」


そう、斬っても斬れず、粉々に砕いても土さえあれば再生してしまう泥人形ゴーレムは、一見無敵にも見えるが唯一つだけ弱点がある。

それは、額に書かれた「emeth(真理)」の文字から「e」を削り取ることで「meth(死)」へと書き換えてやるというものだ。
ただそれだけのことで、ゴーレムは動きを止め土くれに還る。

なんともまあ、先に弱点から考えられたのではないかというほど出来過ぎた弱点ではあるが。
その実際は、それを安全性の担保とすることでしかゴーレムの運用が困難である、ということなのだろう。

だが、今回の場合は……


「あったよ勇者!やっぱり、額の上に『真理』がある!」


今回の相手は、小屋の倍ほどの高さがある、巨大ゴーレムだ。
どう考えても、剣は『真理』に届かないんだよなあ……。あ、なんか名言っぽい。


「私に、任せて!」


遊び人が、相変わらず何処から出したかわからないナイフをゴーレムの額めがけて投擲した。
しかし、それは『真理』に辿り着く前にゴーレムの左腕で弾かれてしまった。



「あちゃー、距離が遠すぎて、ナイフの軌道を読まれちゃってる!」


「不意をつけないか!?」


「後ろから狙えっての!?馬鹿言わないで!『真理』は額、つまりゴーレムの正面にあるのよ!」


なるほど。確かにその通りだ。背後から、額の上を狙うなどできるはずもない。
だが、やりようはある。


「数秒でいい、奴の足を止めてくれ!」


「氷結魔法フリーズ!」


返事をすることなく、遊び人は行動に移る。
即断即決、やはり彼女は強い。相当な修練、もしくは戦闘の経験を積んでいるのだろう。
そして何より、俺の事をパーティーの仲間として信頼してくれているのだ。

ゴーレムの足が、たちまち凍り付き動きが止まる。
俺は、遊び人の魔法とほぼ同時にゴーレムの背後へと回り込んでいた。


「来い!遊び人!」


片膝をつき、両手を空へと向けて組む。
俺の意図を察した、遊び人がゴーレムを迂回しその俊足をもって駆けてくる。
彼女の足が止まる気配はない、全速力で向かってくる。

いまだ!


「いっけええええええええええ!」


遊び人の右足を組んだ両手で支え、彼女を天高く放りあげた。
俺の鼻先を、彼女の体がかすめた。


「あーっ!いま、おっぱいに触った!!!」


彼女の声が、夜の町に響き渡った。


不可抗力だ。
わざとじゃない。
触ったんじゃなくて、鼻先が当たっただけだ。

誠実さをもって、幾百の言葉をもって弁明をすべきだということはわかっていた。
だが、俺にはそれができなかった。それができない理由があったのだ。

俺は、自身の脳に、かつてないほどのオーバーワークを強いていた。
今見ている光景を、一切の欠落なく記憶するためにだ。
魔王を倒すという使命を忘れ、俺は今、新たなる使命に目覚めてしまっていた。それはすなわち語り部となること。
今見ている光景を、俺は後世へと語り継がねばならない。世界に溢れる、チェリーたちに勇気を与えなくてはならない。

空高く放り上げられた彼女。
月と並ぶ彼女の肢体は、さながら月夜に舞い降りた天使のような荘厳さをもち、薄い月明りが、彼女の清廉さをより研ぎ澄ましている。
短く黄金に輝く髪は、草原を疾走する獅子の鬣のように猛々しく揺れている。
そして何より、あのはためくスカートな中から垣間見える、彼女の滑らかな肌に直接触れている白い布地の聖性さの何たることか。
かつて、聖人の遺体を包んだとされる聖骸布。彼の物ですら、あれほどの聖性は宿していなかったであろう。

俺は、この美しき一枚絵のような光景を独り占めするつもりはない。そのような狭量な男ではない。
この喜びを、猛りを、共有するのだ、全ての仲間たちと。
真面目に生きていれば、きっと出会えると。拝めると。相まみえると。あの白き布地と。


聖なるパンツは、軽々とゴーレムを飛び越え、何事かを叫びながらゴーレムの額へとナイフを投げつけた。
背後からの完璧な奇襲、そして近距離からのナイフの投擲に、ゴーレムはナイフを防ぐことができず『死』へと誘われた。

ゴーレムは、体制を崩し仰向けに倒れていくと同時に、形を保つことができなくなったのか、ただの土くれへと戻っていった。
当然のことながら、ゴーレムの背後にいた俺は、土へと戻った巨体を頭から浴びる羽目となってしまった。

我にかえり、破壊されたあばら家と、崩れた土に視線を移す。
何かしらの手掛かりがあったとしても、土に埋もれてしまっていることだろう。それに月明りの下の探索は、困難極まりない。
探すのは日が昇ってからにしよう。とりあえず、水を浴びたい。

風呂にゆっくりつかる自身を想像しながら、体についた土を叩き落としていると、見事な着地を見せた遊び人が寄ってきた。
彼女の顔は、とても険しい。眉間にしわが寄っている。もしかして怒ってる?


「おっぱい触ったでしょ」


「鼻先が当たっただけです。決して、故意ではありません」


これは、うそではない。だいたい、戦闘のさ中にそんな器用なマネができるものか。


「パンツ見たでしょ」


「……覚えてません」


「うそつき」


うそだ。克明に覚えている。更に言えば、俺は人々にこの光景を伝え歩く愛の伝道師となるであろうことが確定している。


「責任取ってよ」


彼女の声は、どこか震えていた。怒りに震えるという言葉がある。つまるところ彼女の怒りは、それほどのものであるのだ。
目は微かに潤み、頬に紅が指しているのも怒りのあまり故ということであろう。

謝罪の言葉を述べるべきなのだろうか?しかし、故意ではないというのは事実であり、それに対して謝るというのも何だか理不尽な気がする。
しかしながら、彼女が怒りを覚えており、それについて債務を果たすよう主張している現況を見るに、俺が彼女の言うところの責任をとらないというのは悪手であろう。
ならば、二人とも面目が立つ提案をするのはどうだろうか。そう、俺が謝罪の意を明確に示すことなく、かつ彼女が機嫌を取り戻すための提案だ。


「それじゃあ、酒でも奢るよ」


彼女からの返答はない。恐る恐る、彼女の顔を覗いてみる。
なんだあの顔は。あれはどういう顔なんだ。彼女は、その愛らしい口と目を全開にし、そのまま表情筋が突然死してしまったかのように、固まってしまっている。
いや、口が徐々に閉じていく。頬の紅潮が、顔全体へと広がっていく。あ、これはまずい。


「いや、今夜一晩!お好きなだけワインをお召し上がりください!」


「……あがが」


その表情は、爆発寸前の火山そのものであった。足りないのだ、彼女にとって一晩飲み放題のワインなど腹ごなしにしかならないのだ。


「朝まで!朝まで!好きなだけ!ワインを!驕ります!」


火山の噴火に一瞬身構えるが、彼女は代わりにため息をひとつだけ漏らすだけだった。


「……わかった。それで手を打つわ」



ふう、見たか諸君。これがネゴシエーション、勇者の交渉術というものだ。
女性の乳に触れ、パンツを拝むという最大のリターンを、酒を驕るという僅かなコストだけで成し得てみせたぞ。
なんだ、女と言うものは意外にチョロいもんだな。勇者の職を辞したら、第二の人生をナンパ師として送るのもいいかもしれない。


「それじゃあ、ワインを仕入れて部屋に戻ろうか」


「いえ、行くのは教会のワイン蔵よ」


え?


「水差しが空になるたびにワインを貰いに行く気?面倒だから、ワイン蔵の中で飲もうって言ってるの」


「じゃあ、水差しを二人で二つずつ貰っていけばいいんじゃないかな。それだけあれば足りるだろう?」


「あら、それなら一人二つずつワイン樽を運んだ方が早いわよ」


彼女は、眩しいばかりの笑顔を俺に向けている……どうやら、俺は見誤っていたようだ。
社会はうまくできている。いくら小賢しいネゴシエーション術を使おうとも最大のリターンには、最大のコストを支払わなくてはならないというわけだ。
俺は、これからも続く長い人生の中でも類を見ない大散財をこれから経験するであろうことに、ただ怯えることしかできなかった。


――――――


「ねえー、勇者ぁー。起きてよー」


ああ、なんと心地の良い声だろう。その声は、俺の頭の中で二重三重と響き渡り、折り重なって、まるでサンドイッチだ?
いや層の重なり具合から鑑みるに、ミルフィーユ、もしくはバームクーヘンかもしれない。


「ねえ、勇者ってばー。おきてってー」


おはよう、マイハニー。もう朝なのだろうか。
しかし予想に反して、部屋は暗い。微かに揺れる蝋燭のみによって部屋は照らされている。


「朝か?いや、部屋は暗いしそれはないか……」


「ワインぐらに陽が指すわけないでしょー。それにまだ、日がのぼるには早い時間よー」


ふむ、どうやら、俺はワインを飲みすぎて寝てしまっていたらしい。どうにか、頭を捻るが記憶があやふやとなってしまっている。
思い出せない。俺には、何か大事な使命があったはずだ。遍く世界へ、伝えなければならないことがあったはずだが、寝起きのためか頭が回らない。

水を一杯飲もう。少しは目も覚めるだろう。
ワイングラスへと手を伸ばす。すると、グラスからは鼻を刺すキツイ匂いが漂ってきた。どうやら、グラスにはまだワインが残っていたらしい。
そういえば、ワインの楽しみ方の一つに『匂いの形容』があると遊び人は言っていたな。ならばこれも一興。このワインの匂いを、俺なりの言葉で表してみようじゃないか。


「このワインは、犬のゲロみたいな匂いがする」


「犬のゲロも何も、そのグラスに入ってるのは君のゲロだからねえー」


……忘れよう。この記憶こそ、アルコールの力を借りて今夜という過ぎ去る時の中に置いていこうではないか。
頭を起こし、遊び人に目を向ける。酔いつぶれた俺に比べて、彼女の様子は普段と変わらないようにも見える。いや、少しだけ口元の角度があがっているかもしれない。
それに、少し呂律も回っていない。彼女も、だいぶ酔っているようだ。


「約束は、朝までだ。好きなだけ飲むといいよ」


「そのことなのよ、勇者ぁ……」


声に翳りがある。どうも妙だ。
なにか、嫌な予感がする。とてつもなく、嫌な予感が。


「あの、その……このワイン蔵に、もうワインはないの」


「はい?」


目が覚める。ワイン蔵のワインがなくなった?つまり、全て飲み干したということか?
いったい、どんな膀胱と肝臓を持っていればそんな事態が起きうるというのだ。いや、問題なのはそこではない。
頭の中のソロバンが、パチパチと音を立て始める。音は一向に止まらない、それどころか万来の拍手が如くパチパチパチパチと折り重なり鳴り響いていく。
その様は、まるでスタンディングオベーションだ。


「あの、その……ついキミと飲むのが楽しくて。はどめが効かなくなっちゃって……」

「わ、わたしも、それなりにお金は持ってるからあ!き今日は、わたしが払うからっ!」


……なんだ、いい娘じゃあないか。彼女が神妙な理由は、俺の懐を心配しているからなのだ。

俺は、彼女の唇に、人差し指をスッと伸ばす。
ふふっ、可愛らしい唇じゃないか。それ以上、俺に恥をかかせるのは止めておくれ。
君は何も心配する必要は無いんだ。だが、例えそう言っても君は俺の懐を心配せずにはいられないだろう。

だから送ろう。君自身が俺に教えてくれた。この言葉を。


「ここは、俺に任せて……先に行け……」


ソロバンの音は、まだ止まらない。

――――――

ここは、ワインに任せて先に行け 
                
                おわり

――――――


―――――――


「いらっしゃいませ……おや、久しぶりだねえ」


「マスターも元気そうで何よりだわー」


「しかも、こんな時間に来るなんて。全く、なんて不良娘だ」


「相方が、酔いつぶれちゃったのよ。でも、なんだか飲み足りなくってさー」


「ははは、大抵の奴は君より先に酔いつぶれるだろうさ」


「そうだっ!今度、そいつをココに連れてきてもいい?」


「もちろん構わないよ。お前のお友達なら、何人でも大歓迎さ。それで、どんな友達だい」


「すごい面白い奴なのよ。いい年して、私と出会うまで一滴も酒を飲んだことが無いって言うのっ!」


「へえ、真面目な子なんだねえ」


「しかもね、そいつはなんと、あの勇者なの!魔王を追い詰めた、世界最強の男!」


「……勇者、ね」


「マスター……どうかした?」


「なに、その男。是非、連れてきなさい」


お前には悪いが、世界最強の男……是非とも我の手で、葬ってくれよう。


――――――

つづく

――――――

乙乙

酒をテーマにしてるのか、期待

面白い乙

復活したのか?

復活しましたね。2か月放置に引っかからない程度に、ぼちぼち更新していきます。

まってます


母さん、俺、今日こそ男になります。


俺と遊び人との旅がはじまり、どれだけの年月が流れただろうか。
初めての出会いは既に、悠久のかなたのように思えるが、今日という記念すべき一日までの出来事は遍く脳内に書き記してある。

いや、懺悔しよう。全て覚えているとは言ったが、本当に全てを覚えているわけではない。
だが安心してほしい。時に男は、忘れる生き物だと聞くし。人は、失うことで前に進めることもある。俺の記憶の喪失も、そういった何かしらの尤もらしい理由に則ったものだ。
もっと具体的に言えば、さすがの勇者といえど酩酊した際の記憶は明確ではないということだ。勇者から記憶を奪うとは、酒の力は実に恐ろしいものだ。

ふと目が覚めたら、教会の地下で身ぐるみはがされていたこともあった。
街のゴミ捨て場で、汚い麻袋を枕としていたこともあった。身に覚えのない、痛みを感じることもあった。
もう一度、声を上げよう。だが、安心してほしい。全ての恥は、その記憶とともに嘗てありし夜に置いてきた。俺に恥じることは何もない。

かつての俺は、溢れんばかりの道徳意識を王より譲り受けた宝剣とともに腰に携えていた。
だが、いまやこの体たらく。夜になれば彼女とともに酒を飲み、道端に戻した胃袋の中身よろしく、記憶と強き道徳意識を土に還してしまう。
勇者として、俺は多くの物を失ってしまった。

しかし、人は時として失うことで前に進めることもあるって、さっきも言っただろう?
そういうことだから、安心してくれ。


ゴーレムとの一戦以来、俺と遊び人は魔王に関する大した情報を得ることが出来なかった。
別に、俺たちに落ち度があったわけではない。俺と遊び人によって、立て続けに拠点を強襲されている魔王軍としても情報の秘匿に力を入れているのだろう。

だがしかし、いくら魔王軍が影に潜み隠れようとも。こちらには魔王軍にからしてみればチート以外の何物でもない「千鳥足テレポート」がある。
俺と遊び人は、魔王捜索に行き詰まると酒を飲み、そして千鳥足テレポートで飛んだ。もちろん飛んだ先々では、魔物たちと剣を交え魔王の居場所を問い詰めるのだ。
情報が得られなければ、また日を改めて酒を飲み千鳥足テレポートだ。

そんなこんなを、俺たちは半年ほど続けてきたが未だ魔王の居場所に関する情報は一切得られていない。
だが、情報を得られなくとも。テレポートで飛び続ければ、いつか必ず魔王のもとへとたどり着ける。俺は、そう信じ今日もエールを流し込む。


「勇者さん勇者さん、そろそろご都合はいかがでしょうか」


「おやおや、遊び人さん。俺が、もうそんなに酔っぱらっているよおに見えるのですかな」



「見えますとも、見えますとも。いまの勇者様は、まるで地獄の赤鬼のような赤ら顔ですぜ」


「それを言うなら、遊び人さんは。地獄のサルの尻のように顔が赤い」


「女性の顔を、エテ公の尻に例えるたあ、勇者様のデリカシーのなさに磨きがかかってきましたなあ。というか、地獄のサルって何よ……」


「いや、なんとなくだから深堀しないで」


「……もっと可愛いものに例えなさいよ」


サルの尻より可愛いものときたか。いや待て、考えるまでもなくそんなものは世に数多あるわ。
ありすぎて逆に、回答に困るやつだわ。


「はよしろ。あほう勇者」


焦らすなよ。
そうだなあ。かわいいもの、かわいいものねえ。うん、そうだ。
例えば、今俺の目の前で頬を染めて酒を飲んでいる黄金色の髪をもった女の子とか。
あ、これはだめだ。これじゃあ、可愛いものの例えじゃなくて可愛いそのものではないか。


「 ちどりあしてれぽーとおおおおおおおお!! 」


狭く薄暗く、街の酔いどれ達で溢れかえっていた秘密酒場中に、彼女のその澄んだ声が響き渡った。


――――――

3杯目 カクタル思い

――――――

サブタイがが毎度のことうまい
おつおつ

おつ!

まつまつ

来年から本気だす



目を開けると、鼻先には地獄の赤鬼。で、あったらどれだけ良かったであろうか。
少し皺が寄り、黒く太い毛が大量に茂っているそれは。地獄のサルの「赤尻」。
でもなく、誰とも知れぬ汚い生尻であった。
その様相からして間違いなく、彼女の尻ではないことだけはわかる。彼女の尻が、こんなにオゾマシイものであるはずがない。


「きゃあああああああああああああああああああああああ!」


尻の持ち主が、まるで女みたいな悲鳴をあげる。あくまで「女みたいな」悲鳴である。その実、尻の雄々しさに違わぬ、酷く低いしわがれた声だ。
しかし無理もない。勇者たる俺であろうとも、突然尻の先に見知らぬ男が現れたら恥も外聞もなく黄色い声を上げるであろう。

というか、むしろ叫びたいのは俺のほうである。こちらからしてみれば、鼻先に突然見知らぬ尻が現れたのだ。
見知らぬ男と、見知らぬ尻なら間違いなく見知らぬ尻のほうが恐ろしいではないか。
かろうじて俺が声を上げずにいられるのは、この汚い尻を前にして口を開けることが至極恐ろしかったからである。

尻から距離を取るべく、足に力を入れるが徒労に終わる。
身動きがとれない。重力を頭上に感じる。どうやら俺は、ひっくり返っているらしい。


「あ、こいつ魔王軍幹部だ!捕まえろ勇者!」


どこからか、遊び人の声が聞こえてきた。
声の反響具合から、この部屋の大きさがおおよそに知れた。

狭い個室、尻を丸出しにした男、察するにここは厠だ。
できれば、察しないままでいたかったが。


「拘束魔法 フリーズ!」


「さ、させるか!反射魔法マジックミラー!」


「詠唱封印 サイレント!」


「効かぬわ!獄炎魔法 ヘルファイア!」


遊び人の詠唱を皮切りに、俺たちと魔王軍幹部との戦闘が始まった。

なんという場所にワープしてるんだ…不意打ち最強だな
おつおつ

――――――


「魔王はどこにいる!?」


体術の使えない狭い厠で二対一での魔法の打ち合いともなれば、結果は語らずとも明らかであろう。

縄で後ろ手に縛られた魔王軍幹部が、神妙に首を垂れている。
あまりに可哀そうだったので、ズボンだけは俺が手ずから上げてやった。


「……」


俺の問いかけに、魔王軍幹部はその面を上げる。
赤みがかった肌に、額に生えた日本の角からは東の国で語られる地獄の獄卒を彷彿とさせられる。
赤鬼の目がギョロっとこちらを向いた。その漆黒の瞳には俺に対する強い敵意がこもっている。

排泄中を急襲されたのだ、怒髪天になるのも無理もない。だがしかし、誰が好んでおっさんの排泄シーンを急襲するであろうか。
不可抗力である。責任の所在は、少なくとも俺のところにはない。


「勇者。こいつは、魔王軍四天王がひとり炎魔将軍。魔王の側近中の側近だよ。」


「こいつがそうなのか?」


再び鬼の顔を見る。なるほど、魔王軍残党の中でも極めて高い戦闘力を誇ると言われる炎魔将軍、別名『黒き炎』の人相書きにそっくりだ。


「お前の二つ名が『赤尻の男』なら、もっと早く正体が割れていたんだがな」


部屋の中が、冬の澄み切った朝のような静寂に包まれる。
どうやら、冗談の通じる相手では無いようであった。

赤鬼かわいそうすぎるだろこれ…


このタイミングなら魔王も楽勝じゃね?



「私が話すから勇者は少し離れていてくれないか」

遊び人の声は、いつになく冷ややかなうえに更には冷たい視線まで俺に送ってきている。
その原因に一切の見当もつかないものの、母親に叱られる子供のようについ「はい」と答えてしまっていた。

彼女と炎魔将軍から幾分か離れたところで俺は振り返った。
声は届かない。だが、会話の内容を読み取る方法なんていくらでもある。
俺は、目を凝らし彼女たちの唇を読む。

「ねえ魔王がどこにいるのか教えてよ」

「知っていれば教えているさ。本当に知らないんだ」

「うそね」

「本当さ」

二人の問答は、街角で出会った友人同士が交わすあいさつのように淀みないものだ。
その日常にあふれるような有様であるが、まったくもって異常だ。

これまでも、遊び人は魔物たちから巧みに情報を引き出してきた(情報の有益性は別としてではあるが)。
彼女の問いかけに、彼らは常に誠実に答える。少なくともはた目からはそのように見える。

俺が問いかけても無視をするか、罵詈雑言を浴びせてくる連中が彼女の前では尻尾を振る犬の如しである。

当然、彼女のことを疑った。
「魔王軍と何らかの関りがある」まではいかなくとも、禁じられた拷問魔法や自白剤の類を魔物たちに使用している可能性は十分にある。
できれば、そのような真似を彼女にはしてほしくない。

というわけで俺は、彼女と魔物たちとの会話を盗み聞くのが習慣となっていた。
残念なことに、もしくは喜ばしいことにその成果は一切にあがっていない。
いまのところは彼女はとてつもない聞き上手である。と自分に言い聞かせ無理やり納得している。

「しかし、胸もなかなかに膨らんでてしっかり大人の女の子だねえ」

エロ将軍がいやらしそうな視線で彼女を嘗め回す。

「……話をそらさないで」

右腕に力がこもる。気が付くと剣の柄に右手がかかっていた。
二人の間に割り込んでエロ親父を成敗してやりたい衝動に襲われる。



遊び人の厳しい目が、炎魔将軍に突き刺さる。
まるでその眼差しに耐えられなかったかのように、炎魔将軍がぽつりとこぼした。


「なあ、見逃してはもらえぬか?」


「魔王の居場所を教えてくれたらね」


「それはできん。殺せ」


炎魔将軍の表情は真に迫っている。ブラフではない、本当に死を覚悟している者の顔だ。
すると今度は、遊び人の表情に困惑が浮かんだ。


「そんな物騒なこと言わないでよ。だいたい、私のナイフは全部貴方に燃やし尽くされちゃったのよ」


炎魔将軍の目がギラリと妖しく光る。


「それに、魔力だってほとんど残っていないんだから」


そこからは一瞬だった。
炎魔将軍の輪郭が揺らいだかと思ったら、彼を縛り上げていた縄が燃え上がり彼の手には炎によって作り上げられた刀が握られていた。


「遊び人、離れろ!」


叫ぶと同時に俺は体当たりで、遊び人を吹き飛ばす。
つい数瞬前まで彼女の首があったところを、炎の刃が通り過ぎた。


「あ、ありがとう、勇者」


彼女の言葉には答えず、炎魔将軍の攻撃に備えて抜刀する。
しかし、黒き炎の影は既に消え去っていた。


「怪我はないか?」


彼女の顔を見た瞬間、俺の血が沸騰した。
右頬に一筋の黒い線。間に合わなかったのだ、黒き炎の刃は確実に彼女の右頬を切り裂いていた。

頬の傷からは血が流れていない。炎の刃故なのだろう。
切り裂かれたと同時に炎に焼かれ血が止まっているのだ。

彼女の顔から眼をそらす。彼女の事を見ていられない。
怒りが湧いてくる。


「―――いつか必ず報いを受けさせる」


「落ち着いて。勇者」


遊び人が、俺の口元に手を寄せる。
何事かと思えば、彼女は自身の袖口で俺の口を拭った。

どうやら、怒りのあまりに唇を噛んでしまっていたらしい。
俺の血で彼女の袖口を汚してしまっていた。



「逃げられたか」


「ありがとう、勇者。君の助けが無かったら、喉を切り裂かれてた」


再び、彼女の顔をみる。


「俺たちが相手しているのは、魔族だということを忘れたのか?迂闊にもほどがあるぞ」


「もう戦意はないと」


「君は魔族に優しすぎる。その結果がこれだ、見てみろ」


いや、見れるわけがない。見れるわけがないのだ。
俺としたことが冷静さに欠けている。


「来てくれ……回復魔法をかけるから」


「ありがとう」


彼女に、回復魔法をかける。頬の傷がみるみるうちに塞がっていく。
そう、傷は塞がるのだ。塞がっていくだけ。



「次に会ったら、絶対に殺す。」


思わず出た言葉に、自身が思っている以上に怒りに囚われていることにハッとする。

俺の口からつい出てしまった言葉が、遊び人に恐怖の表情を浮かばせていた。

これはいけない、かなり感情的になりすぎだ。


「ひとまず、宿でも取ろう」


部屋の小窓から差し込んでいる赤い夕陽が、俺たち二人の影を長く伸ばしていた。



――――――


千鳥足テレポートの帰還術式で酒場に戻った俺たちは、村のはずれにある宿屋へと向かった。


おそらく元は酒場だったものを改装したのだろう、扉を入ると机がいくつか並べてあり宿泊客らしき人達が食事をとっていた。
広間の奥には、カウンターがあるが本来酒が置いてあるはずの棚には代わりに部屋の鍵らしきものが並べてある。


机の隙間を抜け、カウンターの中にいる禿頭の大男へと話しかける。


「宿をとりたい」


禿頭の大男改め宿屋の主人がチラリと俺たちの様子を見る。
見慣れない旅人、飛び込みの宿泊客を見定めているのであろう。


「一部屋でいいな。二階の一番奥の部屋を使ってくれ」


そういう仲ではないと主人を制すると、遊び人が抗議の意思がこもった視線を飛ばしてくる。


「私は一部屋でも構わないけど」


「いや、できれば二部屋とりたい」


確かにこれまでの旅路の中、ほぼ毎日床を共にしている。
勘違いしないでほしいが、床を共にしたというのは至極直接的な意味であって。
残念なことに何か過ちが起こった夜など一夜としてない。


ではなぜ、俺たちが恋仲にあるでもなく部屋を一つしかとらなかったかといえば答えは単純で金欠であったからである。

俺たちは立ち寄った村々で剣の腕をつかい路銀を稼いできたが、そういった仕事も毎度あるわけではない。
そして何より俺と彼女の旅はその性質上、資金のほぼ全ては酒代へと消えていくのだ。

おのずと酒代以外の費用は節約するという習慣が俺たちには備わっていた。


「俺に少し時間をくれ遊び人。主人、二部屋で頼む」


しかし、今の俺には正直なところ彼女と同じ部屋で過ごす余裕がなかったのだ。
炎魔将軍を止められなかったという後悔の念、つい口走ってしまった言葉で歪んでしまった彼女の表情。
彼女の頬に振るわれた炎の刃が脳裏から一向に離れる気配がない。

様々な思考が、脳内を駆けずり回っている。
経験上、こういうときは一度冷静にならないと非常に危険だということを俺は知っている。
魔王討伐の旅は一歩間違えれば、簡単に命を落としてしまう辛い旅だ。一瞬の迷いが、死に直結してしまう。

悩みや後悔の種は、育つ前に摘み取らなくてはならない。
だからこそ、俺には一人で冷静になれるだけの時間が必要だったのだ。



大男が唸りながら宿帳をとりだした。


「うーん、実は今晩来る予定だった御者がまだ来ていないんだ。日を跨いでも、そいつが来なかったら一部屋空くかな」


「じゃあ、部屋が空いたら教えてくれそうしてくれ。だめなら諦める」


遊び人のほうを振り返ると、何がそんなに気に食わないのか彼女の眉間にしわが幾重にも寄っていた。
路銀を節約するのも大事だが、時には俺に一人になる時間をくれたっていいじゃないか。

それに路銀のことを言うなら、千鳥足テレポートを使わない日は休肝日にでもすればいいじゃないか。
魔王を探し出すための必要経費と言うならともかく、君は普段から酒を飲みすぎている。

とは口を避けても言わない、いや言えない俺がいる。
酒が、俺の不眠症への特効薬となっているということもあるが、なにより彼女と酒を酌み交わす時間がとても好きだからだ。
その楽しいひと時を失うことは是が非でも避けたい。


「ひとまず、荷物を部屋に置こう。それから夕食にしようじゃないか」


「だったら、私の荷物も置いてきてよ」


どこか険のある言い方だった。



「どうした、何が気に食わないんだ?」


「おじさん、ここの宿屋にある中で一番強いお酒を頂戴」


店主が困った表情で告げる。


「おいおい、こんな所で喧嘩は止めてくれよ。それにうちは真っ当な宿屋なんだ酒なんてあるわけないだろう」


彼からすれば、俺たちのやり取りは単なる痴話げんかに見えているのであろう。
遊び人が店主をにらみつけると、店主はたいした酒は置いてねえぞと呟きながらいそいそと店の奥へと引っ込んだ。


「おい、店主に八つ当たりすることは無いだろう」


「早く、荷物を置いてきてよ」


言葉を荒げているわけではない。
むしろ、とても静かで落ち着いたトーンであるがしかし。そこには一切の反論を許さない遊び人の強い意志がこもっていた。

かつて幼き日に母がヒステリーを起こした時をふと思い出す。
こういう時の女には逆らってはいけない、それは火に油を注ぐような愚かな行為である。

俺、いそいそと彼女の荷物を背負い宿屋の主人から告げられた二階の部屋へと上がった。



部屋に荷物を置き、階段を降りると遊び人が既に机の一角に陣取っている。
他の宿泊客は先ほどのやり取りを聞いていたのだろう、まるで演劇の一幕を楽しむがごとく奇異の目を向けている。


「話がしたいの」


「それは、こちらも望むところだ。だが、道化師の傍らを演じるつもりはないぞ」


彼女が何に怒っていて、俺に対して何を伝えたいのかはわからない。
しかし、話し合う必要があると考えていたのは俺も同様だった。

二度と同じ過ちを犯さないためにも、彼女の魔族に対する甘さを捨てさせる必要がある。


「じゃあ、これ飲んで」


「なんだこれ」


「さあ、店主の自家製らしいわ。いいから、飲んで」


グラスを傾け謎の酒を喉に通すと、喉がやけたような刺激に襲われる。なんだこれ、まっず。



「そうね貴方の言う通り、衆目にさらされるのは本意じゃないわ」


「そうだな」


「だから、静かに話の出来る場所に行きましょ」


彼女が、俺に手を差しのべる。
なんだ、なんだかんだ言いながら仲直りの握手というわけだ。

ならば、そのまま二人仲良く手を繋いで静かなスピークイージーへと繰り出すのも悪くないではないか。
なにより、この宿屋においてある酒は碌なものではない。まともな酒が飲めるなら、どこだっていい。


ウキウキと浮足立った俺は、何も疑問に思わず彼女の手を取った。


「千鳥足テレポート!」


「え!?」


毎度のごとく彼女の澄んだ声が部屋に広がるとともに、俺は俺の淡い期待が泡へと消えたことを察してしまった。

やっと来たか乙


待ってた



目を開けると、そこには俺の胸の高さほどのカウンターがあった。
そして、そのカウンター越しには壮年の男が一人。


「みぃぃぃつぅぅぅうぅけぇぇぇぇたぁぁあぁあ」


思わず歓喜の声が出てしまっていた。
それだけか、顔中の表情筋が全てにおいて緩んでいるのがわかる。
まさか俺がここまで表情豊かな男であったとは自分でも驚きだ。

目の前の男は、褐色の肌に銀色の髪を持ち。額からは二本の角が生えている。
その姿は、かつて剣を交えた魔王その人であった。

しかし、逃亡生活の疲れのせいか大分やつれてしまっている。
哀れには思わんぞ、今度こそトドメを刺してくれる。
俺はゆっくりと剣の鞘に手をかける。


「剣を離して」


遊び人が声をかけてきた。
珍しく声が震えている、きっと彼女も緊張しているのだろう。

……なんだって?遊び人は何と言った。
『剣を離して』だと?


「マスター、貴方もよ」


マスター……?目の前の男、魔王が『マスター』。すなわち『ご主人』であると言うのか?
ならば、彼女の正体は……魔物!?


俺の意識が、魔王から遊び人へ移ったその一瞬。
魔王の右腕が尋常ならざる速さで動く。
その手に逆手で握られているのは針状の武器。暗殺等に用いられる暗器だ。


「……っ!?」


なんとか反応し剣を引き抜こうとするが、剣は抜けなかった。
剣の柄を握った俺の手に、遊び人が手を重ね押さえつけてきたからだった。

俺は、死を覚悟した。


しかし、暗器が俺に向けられることはなかった。
魔王は満足そうにニンマリと笑うと、何処から取り出したのか左手の上に氷をのせ、その暗器で砕きだした。

かっかっかっと刻みよく氷が削られていく。
呆然として魔王を眺めていると、見る見るうちに綺麗な球体がその手の上に作り上げられていった。

魔王ができあがった氷の球体を、透明なグラスへと放る。
氷がグラスを叩く乾いた音がカランカランと鳴った。その音を福音とし、俺は正気を取り戻した。


「ど、どういうことだ?」


遊び人に問いかけるが、彼女は答えずにカウンターに並べられた椅子へと俺を促した。
魔王はひとまずのところ、俺を殺しにかかってくる様子はない。ならばと、俺は椅子に腰を下ろす。


「ここは?」


再び遊び人に問いかけるが、答えは正面から返ってきた。


「いらっしゃいませ。ここは、バー『ゾクジン』でございます」



独特の低さを持ちながらも透き通った力強く優しい声。


違う……姿かたちはよく似ているが、声が違う。
あいつの、魔王の声はもっと威圧感に溢れ。まるで自らの力を誇示するかのようなものだった。

ならば目の前の、魔王によく似た男は魔王と同族。もしくは、近しい親類といったところだろうか。


「お前は何者だ……?」


「マンハッタン」


俺を無視して、遊び人が謎の呪文を呟いた。
隣を見ると、彼女は気だるそうに頬杖をつき指を一本立てている。


「『いつもの』ですね、畏まりました。それで、そちらは?」


こいつら、俺の質問に全然答える気がないんじゃないかという怒りもあるが、状況を理解していないのはどうやら俺一人であることを考えるに。
今は、状況に流されるのが正解への近道だろう。
というか、『マスター』って店の主人のほうかよ……!

勘違いからくる若干の恥ずかしさに頬を染めながらも、俺は男の言葉を無視して部屋をぐるりと見渡す。俺たちがいる部屋は、それほど広くなくカウンターに席が6つほど。俺の後ろには、小さな丸机と椅子が二つ。
席が埋まったとしても8名しか客が入らない。どうやら、かなり狭い店らしい。
足元すら怪しい暗さであるが、僅かな光によって作り出される影が妖しく室内を飾っているのを見るに意図的に照明の数を減らしているのであろう。

カウンターの向こう、魔王によく似た男の背には見たこともない多種多様な酒瓶が並んでいる。
そのほとんどは、見たことのない未知の言語で書かれたラベルが張り付けてある。

今まで、さまざまなスピークイージーを見てきたがこんな奇妙な店は初めてだった。



「彼、バーに来るのは初めてなの」


「おや、もしかして彼が……?」


「そう、例のお友達」


察するに、遊び人はここの常連らしい。
時折、魔王探索とは別に一人で千鳥足テレポートで飛んでいくことがあったが、ここに来ていたのだろう。

店の主人との親し気な具合が実に腹立たしいが、年齢的には爺さんと孫ぐらいだろうか。
実際のところ、そう言う関係とは到底思えない。

だが、それでも俺の知らない彼女を『マスター』が知っている様子にどうも嫉妬を禁じ得ない。


「そうでしたか。それでしたら、何か飲みやすいものでも如何でしょうか」


「俺を舐めるなよ。何か強い奴をくれ」


妬みからくる敵意むき出しな俺に、遊び人からの抗議の視線が届く。
が、俺は気づいていないふりをする。



「それでは、スクリュードライバーでもお作りしましょう。少し強めに致しますね」

「二杯目からは、さらにお好みに沿うようにお作りできるかと思います」


マスターの『作る』という言葉に、俺の頭上に再び疑問符が浮かび上がった。
酒を『出す』ではなく『作る』とマスターは言った。ここは、酷く狭い店に見えるが裏に醸造所でも兼ね備えているのだろうか。


「遊び人、ここは醸造所なのか?スピークイージーかとも思ったが、店主は酒を造ると言ったぞ?」


「ああ、ごめんね。説明不足だったわね。ここはカクテルバー」


「酒や果汁なんかを混ぜてつくる、カクテルを飲ませる店よ」


いい加減、俺の問いかけに一つにくらい答えてくれないだろうかという淡い願いを込めた質問に。

彼女は素っ気なくも、ようやく一つ答えを返してくれた。


カクテル初見殺しならマルガリータやカルーアミルクも危ない

氷で冷やした拳大のグラス
謎の小瓶から数滴
ベルモットが底を張る程度
カナディアンウイスキーでステア
最後に謎の柑橘を振る

氷で冷やした拳大のグラス
氷を抜かずに謎の小瓶から氷へ数滴
ベルモット、そしてジン
「これじゃあ、ストレートと変わりませんよ」

―――――

「カクテルってのはねえ、組み合わせによって無限の広がりをもつものなの」


逆三角形のグラスには、店のランプのせいだろうか少し赤みがかった琥珀色の液体で満たされている。
魔法薬だと言われれば信じてしまいそうな色彩だ。
酒の中でプカプカ浮いたり沈んだりを繰り返しているチェリーも、見ようによってはホルマリン漬けされた実験体みたいだ。


「まあ、論より証拠よ。飲んでみたら」


気づくと、俺の前にもすでにグラスが置かれている。
パッと見たところ、ただのオレンジジュースに見えるが、これが本当に酒なのだろうか。
幸いなことに、その疑いはたったの一口で晴らされた。

強いアルコールがガツンと脳を揺らす。これをジュースと呼ぶ奴がいたら、そいつは間違いなく素面ではないだろう。
オレンジジュースと何かしらの蒸留酒が混ぜてあるのだろう。慣れ親しんだ酸味が、その飲みやすさを助長している。


「うまい」


なにより飲みやすい。俺は、初めて酒を飲んだ日の事を思い出す。
ビールも、ワインもどちらの初めても最初の一口は、まるで異物を体内に取り込んだかのような拒絶反応が起きた。
胃が逆流してくるような強烈な嫌悪感に襲われた。

しかし、この飲み物はすんなりと喉を通る。体が何の拒絶を起こすことなく受け入れている。
起きるものといえば、せいぜいが清涼感ぐらいのものだ。
気づけば俺のグラスは既に空になってしまっていた。


「お気に召しましたか?」


答えは聞くまでもないという表情でマスターがニヤニヤ笑っている。



「ああ、えっと何だ。スクリュードライバーをくれ」


「かしこまりました」


まるで、必殺技みたいな名前だな。


「わたしも、初めての時そう思った」


遊び人は、謎の『マンハッタン』をちびちび飲んでいる。
どこか表情は緩んでいて、機嫌もよさそうだ。

さて、状況を察するに俺と仲直りをし仲良く飲みなおそうというのはあながち勘違いではなかったらしい。
そもそも、やらかした彼女に俺が怒るならともかく彼女が俺に怒るというのはお門違いであるし。
納得がいかない部分は大いにあるが、まあ彼女が機嫌がいいならそれに越したことは無い。


ふと遊び人と目が合う。


「なに?これが飲みたいの?」


遊び人が俺をおちょくるようにグラスをクランクランとまわして見せる。


「それは、どんな酒なんだ?」


「論より証拠」


遊び人が差し出したグラスを一口もらう。
そういえば、間接キス程度でドギマギしていたこともあったな。
それが、いまやこの程度じゃ動揺すらせんぞ。俺も、成長したものだ。

そんなことをツラツラと思いながら、マンハッタンに口をつける。



「なんだこれは」


なんだこれは。
スクリュードライバーとはまた違った衝撃だった。


「すごいでしょ?」


香ばしく濃厚な香りに、少しだけ果物特有の甘い香り。
それぞれが特色を持ちながら、もともとは一つとして生まれたかのような完璧な一体感。


「なるほどな。カクテルとは、例えるなら酒を使って酒をつくる料理というわけか」


「いいこと言うじゃない」

「私もねかつてこう思ったのよ。もうこの世には新しい酒なんて生まれてこないんじゃないかって」

「だってそうでしょう?ワインだってビールだって起源を辿れば何千年も前にできてたわけだし」

「最近の工業化で蒸留酒が出回るようになったときは、久々の新しい酒だってそりゃもう歓喜したものよ」

「技術革新による新製法なんてものは、そうそう考え出されるものじゃないしね」


遊び人の言葉が止まらない。酒の話になるといつもこれだ。



「そんな時に、このカクテルを私は知ったのよ。工業的な技術によらない、文化的革新」

「組み合わせ方によって、無限に広がっていく味・香り・風味!」

「酒の行きつく先、それこそがこのカクテルなのよ!」


ぱちぱちぱち。
思わず拍手してしまっていた。


「ちなみに、この世界にカクテルバーはここしかないわ」


さらっと新情報。


「じゃあ、ここが酒の文化的最前線というわけか」


「いえ、実はそういうわけではありません」


マスターが、新たにグラス注がれたスクリュードライバーを俺の下へと静かに寄越す。
俺は、魔王によく似た男をじっと見つめる。奴は、にこにことするだけで口を開く様子がない。
まるで、俺からの催促を待っているようだ。


「……遊び人、そろそろこの店とこの男のことを教えてくれ」


誰がお前に催促何かするものか。


「では、マスター。ご指名ですので」


遊び人がおどけて畏まると同時にマスターがしたり顔を寄越してきた。
ぶん殴ってやろうか。

おつおつ
魔王関係してるのだろうか


カクテルのレシピなんてもう忘れちゃったなあ…つか酒自体何年も飲んでないやww

おーい、まだかー!?



「お客様、いえ勇者様と呼ばせていただいてもよろしいですか?」


俺は言葉を発さずに頷く。


「では勇者様、先ほど貴方がおっしゃったことですが半分は正しいです」
「ここは、この世界においては酒の最前線と呼べるでしょう。しかし、更なる先が存在するのです」


どこに?


「異世界です」


話を聞き終えた俺の頬を一雫の涙が流れ落ちた。
悔しくても認めなくてはならない。
この酒場の主人はただものではないということを。
彼が語る物語は、実に雄大かつ繊細で聞く者を皆惹きつけてしまう魅力をもった物だった。
あまりの面白さに、小便を我慢しすぎて漏れてしまう寸前だったほどである。あるいはこの頬を伝った涙は心の小便なのかもしれん。
あぁ、自らの表現力の乏しさを皆さまに暴露してしまうのが実に恥ずかしいが彼の話を俺なりに要約しよう。

マスターは名門戦士家の嫡男として生を受けたが、その興味は剣や魔法だけではなく酒へも向けられた。
しかし、その家柄から若き日々はその鍛錬へと費やされマスターの酒への欲求は日々積もるばかりであった。
マスターは長き日を耐え続けた。そうして遂に、妻をとり子をなし自身の息子が成人を迎える日に至ってその欲望が爆発した。

成人したばかりの息子に、即座に当主の座を譲り自らは未だ出会わぬ酒を求めて旅に出たのだ。
マスターの旅は、この世界の隅から隅までを探索しつくし遂には異世界へと足を延ばすこととなる。
煌びやかな鉄の車が走り、地上に星が生えたかのよう明るさを持った街にたどり着いたマスターは遂にカクテルと出会う。

しかし、いつからかマスターは酒を飲むだけでは満足できなくなってしまっていた。
彼に沸いた新たな欲求は、故郷の酒飲み友達とともにカクテルを酌み交わしたいというものであった。
そうして一念発起したマスターは、異世界でカクテルの技術を修めこの世界へと舞い戻り店を開くに至ったのであった。



「おやおや、つい長話を……失礼いたしました」


マスターが手持無沙汰にグラスを磨く。
グラスからは、乾いた音がした。


「さて、仕事に戻りましょうか。お次は何にいたしますか」


「マスターに任せる」


「それでは、勇者様はお酒に強そうですので少し強めの物をご用意いたしましょう」


マスターの話を聞いたからだろうか、俺はマスターの仕事に少し興味が湧いたようだ。
俺は、カクテルが作られる様子を観察することにした。

マスターは少し大きめのグラスを用意し、その中に氷を敷き詰める。
その氷は、先ほど刻んでいた球形のものとは違い荒く大きく削られたものだった。
ふと、そこでマスターの手が止まる。
訝し気に、マスターに目を向けるとうっかり目が合ってしまった。
マスターはにっこりと笑顔を返してくる。


「しかし、こんなにうまい酒を出す店ならもっと大きくすればいいのに」


壮年の男と見つめあうことに耐えきれなくなった俺は、適当に話を持ち出した。


「でなくても、弟子をとって店を増やすとか」


「ええまあ……」


マスターの返事はどうにも歯切れが悪いものだった。
しかし、その言葉とは裏腹にマスターの手はよく動いている。
流れるような手つきで、棚から大小入り混じった酒瓶を取り上げてカウンターにならべる。
それらを少量ずつグラスへと放り込み、5寸ほどある金属の棒でかき回す。



「それね、私も言ってるのよ。この店って来るのが大変だから、ほかにもカクテルが飲める店が欲しいって」
「禁酒法下にあるこのご時世に酒の文化を一歩前進させるなんて反社会的で格好いいじゃない」


「まあ、これだけ画期的な酒なんだ。他には漏らしたくないという気持ちもわかる」


「いえ、カクテルを独り占めしたいというわけでは無いんです」


できあがったカクテルを静かにグラスへと移していく。
グラスにはオリーブの実が沈められている、美しい緑色がマンハッタンのチェリーとはまた違う雰囲気を醸し出している。
グラスの淵に盛り上がるほどカクテルが注がれていく。あんなに並々に注がれていては、持ち上げて飲むことなんてできないんじゃないだろうか。
ましてや、酔ったこの身ではなおさらだ。

溢れんばかりのグラスは、マスターによって一滴も零されることなく俺の手元へと運ばれてくる。
その手際からは、少しでも動かせば零れるのではないかという危惧を一切感じさせない。


「ドライマティーニです」


案の定、持ち上げようとして少しだけこぼしてしまった。
こういうところでスマートにこなせない自分が嫌になる。

マティーニを口に含むと、強く、しかし爽やかなアルコールがそんな嫌気を払ってくれるようだった。
この青臭さはオリーブだろうか?いや、それだけではない。僅かではあるが、何か他の香りが混じっている。


「ドライですので、ほとんどストレートに近いですよ。如何でしょうか?」


「うまい」


率直な感想しか出てこない。
酒を零してしまったことといい、どうも俺は気取った動きというのが苦手なようだ。
まあ、隣に座っている女はそんなこと一切気にしないのであろうが。



「私は、普通のマティーニがいいな」


「かしこまりました」


「そういえば、この店はどこにあるんだ?」


ふと浮かんだ疑問を遊び人にぶつけてみる。


「知らない」


「知らないってことは無いだろう。君はよくこの店に来るんだろう?」


「マスターに聞いてみたら」


なるほど、遊び人の言うとおりだった。
マスターを伺うと、忙しそうに遊び人のマティーニを作っている。


「残念ですが場所はお教えできません」


おやおや?なぜ店の場所を隠す必要があるのだろうか。
カクテルのあまりのおいしさに酔い沈んでいた勇者的直観がひょっこりと顔を出してくる。

いや、もちろん禁酒法下にある現在おおっぴらに営業することはできないのだろう。
故に、場所を明らかにしないというのは、まあわかる。
しかし、なぜ既に店にたどり着きカクテルを味わっている俺や遊び人にすら場所を隠すのだろうか。

その徹底的な秘匿主義に、マスターが魔王そっくりの男であることも加えて急に危機感が沸いて来た。
何をやっているのだ俺は、ついうっかりカクテルのうまさに流されていたぞ。

ここのところそればかりだ。
酒がらみになると、すぐに油断してしまう。

そもそもの話、ここは酒場なのだ。
ならば、酒の卸元である魔王一味とも何らかの関りがあるはずではないか。



「なぜ、場所を隠すんですか?」


俺の緊張を知ってか知らずか、マスターは眉一つ動かさず口を開いた。


「先ほどの話ともつながるのですが、わたくしは異世界でカクテルを学びました」

「それはいわばズルです。この世界の人々も日々研鑽し、進化し続けている。しかし、私はその過程をすっとばし進んだ異世界からカクテルを持ち込んだ」


声のトーンが少しだけ沈んでいる。
まるで懺悔を聞いているようだ。


「わたくしは、この世界が自らカクテルにたどり着くまで店の存在を公にするつもりはないのです」

「『Bar ゾクジン』は世界が進化するまでの繋ぎ、わたくしのズルに付き合って頂けるほんの僅かなお客様だけにカクテルを提供しています」


遊び人のほうを見ると「初耳」と声に出さず返してきた。


「じゃあ、俺はこの店に来たい時どうすれば―――」

いや、そもそも俺はどうやってこの店に来たんだったか……
そうか、この店は。


「そう、ここは千鳥足テレポートでのみ来店が可能な店なのです」


かつて、遊び人から千鳥足テレポートの仕組みを聞いたことがあった。
「この魔法は酔っ払いが二件目を探すための魔法」「遊び人御用達の魔法」「とあるバーのマスターが作った」


「もしかして、千鳥足テレポートを作った大賢者って」


「大賢者だなどと恥ずかしいですが……」


酒好きここに極まれりといったところか。
こんなヘンテコな魔法を作ったやつは、相当な変わり者だろうと踏んでいたが。
酒を求めて異世界を渡り、あまつさえ自分の店を開いてしまうほどの遊び人だとは思いもしなかった。

肩から力が抜けていく。
マスターの言には嘘偽りがあるようには思えない。
少なくとも、俺が勇者として葬り去らなければならない類の者ではないはずだ。

だがしかし、新しい魔法を作り出せるほどの大賢者であり、さらには名門の戦士の家系という事実が。
俺の勇者的直観が、ある結論を導き出していた。
ならば、俺は職責を全うしなくてはならない。確かめなくてはならない。


「マスター、あなたは魔王の……」


「父親です」


やはりそうだ。マスターは現魔王の父親、すなわち先代の魔王だったのだ。
というか、魔王にそっくりな時点でその可能性をまず追うべきだったのだろう。
どうも俺のポンコツ加減に磨きがかかっている。原因は、もちろん酒と……女……つまるところ遊び人にあるのだろう。

だが堕落に甘んじているわけにはいかない、俺は自身に気合を入れなおすために剣の柄に手を触れる。
抜くつもりはない。あくまで俺が何者であり、何を求めて旅をしているのかを思い出すための所作にすぎない。
遊び人がチラリとこちらに目を向けている。


「ここの酒は息子。つまり魔王から直接仕入れているんじゃないのか?」


仕事モードに入ったためか、自然と口調が強く問い詰める形になった。



「まさか、我が不肖の息子が卸す酒はこの棚に並べられた素晴らしき酒たちとは比べ物になりません」
「ここにある酒は、すべて異世界より持ってきたものです」


「では、魔王の行方は」


「全く存じ上げません」


マスターの目をじっと見つめる。
魔族特有の、マンハッタンのように赤い瞳は、静かにだが強く輝いている。

剣の柄から手を離す。やはり、そこには嘘はないと判断したからだ。
人目をはばからず、息をふーっと吐き出す。
限りなく僅かと言えど、先代魔王と一戦交える可能性すらあったのだ無理もないだろう。
それに、カクテルの味を知ってしまった身としてマスターに剣をかけずにいられてホッとしたことも大きい。


「くだらない質問はおわった?」


遊び人からの棘のある質問が届いた。
こっちは、どこかの誰かとは違い真剣なのだと少しムッとしてしまう。


「くだらなくはない。酒場で情報を聞いて何が悪い」


「馬鹿ね、酒場は魔王を探しに行く場所じゃないわ」


さんざん、一緒に千鳥足テレポートで魔王を探してきたというのに何を言っているんだ。


「じゃあ、なんだと言うのだ」


「お待たせいたしました。マティーニです」
「割り入って恐縮ですが勇者様、酒場は酒を楽しむところですよ」


なるほど、マスターが言うと説得力がある。
ならばしかたない。


「マスター。もう一杯頼む」


夜はまだまだ終わりそうにない。


打てば響くとは思わなんだ
マスター次は雪国をお願いします

言葉の選び方とかしゅごい
おつおつ


――――――


人間、酔っぱらうと本性がでるものである。

理性という名の鎧が、普段は身を潜め息を殺してきた溢れんばかりの衝動によって内からはち切れるのだ。

抑えるものが何もなければ、例え進む先が地獄だとしても迷わずに突き進んでこその酔っ払いである。

言いたいことをいい、やりたいことをやる。何を恐れるや。その姿、まさに勇者と呼ばれるにふさわしいのではないか。


では、女神からお墨付きを受けている唯一本物の勇者である俺が酔っぱらったらどうなるのであろうか。

残念なことに、みなの期待には応えられそうにはない。俺は勇者ととしての使命感からか、仮に酒に酔ったとしても何ら素面の時と変わらないのだからから。

まっこと残念なことである。まっこと。

だがしかし、それでも多少なりともほんの僅かであろうが口の滑りが良くなることはあるやもしれない。


さて、酔っ払いが二人。共に思うところあって、懐にのっぴきならぬ問題を抱えて、さらには口に酒を含んだらどうなるか。

行きつく先なんてのは、火を見るよりも明らかではなかろうか。


それは、ついつい初めての「カクテル」に興味心を引かれ昼間の険悪な雰囲気を忘れていた俺。

そして、ついついお気に入りのバーに来たことで大好きなカクテルで喉を潤すことに没頭してしまっていた彼女。

数多の酔いどれをして、「うわばみ」と称されるカップルと言えど酔いには逆らえないのが世の常。


夜も更け、俺たちはいつになく酒に酔っていた。

ワイン蔵を文字通り空けてしまったこともある俺たちをして、僅かなカクテルに酔わされるとは不思議なものである。

だがこのカクテルバーという独特の雰囲気を持つ場には、それを成す何物かが潜んでいるのだ。

つまるところ、俺と遊び人の間に何が起こったのかというと。良い雰囲気に流されて、男女がともにくんずほぐれつ汗をかく……なんてことが起こるはずもなく。

ごくごく酒場にあり触れた光景。腹を割ってのタイマンである。要は喧嘩である。



切り出したのは、彼女からだった


「ねえ勇者。キミは魔王にあったらどうするの?」


立ち上がりは静かなジャブから。

俺は、彼女の質問の意図を探るように回らない頭を回してみる。カランカランと音がする。まるで氷の入ったグラスのようだ。

結局は、回らないものは回らないと諦め、対外的にバツの悪くない答えを返す。


「魔王を倒すのが勇者の仕事だ」


「はぐらかさないでよ。倒すってのは殺すって意味?」


「場合によっては」


「じゃあ、魔王が人に無害になっていたとしたら殺さないでいてくれる?」


彼女は何を言いたいのだろうか。


「彼らは一度滅んだ。キミの手によってね。でも、今はただの酒の密売人組織じゃない」


「犯した罪は消えない。かつて魔王は世界を混乱に導いた」


「それって王国も同罪じゃない。所詮は国同士の戦争よ、魔王個人に罪を背負わせるなんて道理じゃない」


「元騎士の君がそれを言うのか」


「……少なくとも、キミに魔王を殺されるってのは許容できないかな」



「魔王を殺さないでいてくれる?」彼女は再び俺に問いかけた。それは既に質問というより懇願に近いものだった。

その問いに、俺は答えることができなかった。

なぜなら、そんなこと一度たりとも考えたことがなかったからだ。

魔王を殺さない選択だって?果たして、そんなものがありえるのだろうか。

……仮に選択肢の中にあったとしても、俺がその一つを選び取れるのだろうか。


この店に来て初めて魔王そっくりのマスターの姿を見た時。

俺の中から沸き上がったものは、遂に魔王を殺せるという喜びだった。


かつて深手を負わせたものの殺しそこなった男を。

長年にわたって追いかけてきた宿敵に、ようやくトドメを刺すことができると俺は歓喜に打ちひしがれていたのだ。

もしも、遊び人の静止がなければ俺は間違いなく剣を抜いていただろう。


全く情けないことに、あの時の俺に勇者としての使命感はほんの欠片すらなかった。

ただひたすらに、自身の感情、欲望に衝き動かされ剣の柄に手をかけたのだ。……そんなの、まるで酔っ払いではないか。

そんな俺が本物の魔王を相対して、どうなるのか。殺さないという選択を取ることができうるのか。俺にはわかりかねた。


「そう……」


沈黙する俺に、何かを察したかのように遊び人が呟いた。

何を察したのかはわからないが、おそらく何かしらの誤解が生じた気がする。



「魔王が……いえ、魔物がそんなに憎いのね?」


ほら生まれた。おんぎゃーおんぎゃー。


「そんなことはない」と、とっさに否定を試みる。


「そんなことなくはないでしょ。初めて出会ったあの夜のことを忘れたの?」


マスターの眉が片方だけピクリと動いた。

おいおい、「初めて出会ったあの夜」なんて艶めかしい言い方するから、マスターにもあらぬ誤解が生じたかもしれんぞ。


「変な言い方をするなよ。初めて、魔王残党の密造酒倉庫に忍び込んだ時の話だよな!」
「……何かあったっけ?」


「キミはミノタウロス達を躊躇なく殺そうとしたじゃない、あまつさえ拷問すらしようとした」


「そ、それは」


「それにさっきだって、私が止めてなければ君はマスターに切りかかっていたでしょ!」


「……そうだが」


ちがう、そうではない。いや、そうであるのだが事情が事情だ。



「それに関しては、何の説明もなく連れて来る遊び人が悪いじゃないか」
「突然、目の前に魔王によく似た男がいたんだぞ。俺が何年、魔王を追い続けてるか知っているのだろう?」


「一理あるわ」


一理どころか、百理も二百理もあるわ。

遊び人は、まるでそのことに考えが及ばなかったとばかりに一頻り頷いてみせた。


「もう一度だけ応えて。あなたは魔族が憎い?」


「ミノ達の件は、それが必要だったからだ。当時の俺には、魔物を殺さないでおく余裕も魔物たちから情報を引き出す術もなかった。決して魔族憎しで動いているわけじゃない」


「でも、彼らが人間だったとしたら殺さないし。拷問もしないんじゃないの?」


まあ、その通りだ。

魔族と人間の違いは、その膂力の大きさにある。

例え子供の姿をしていようが、俺を殺し得るポテンシャルをもっている。それが魔族だ。


「魔族は、人間とは違う。だから対応も違ってくるは当然だ」


「魔族は危険だってこと?だったらそれは人間だって同じじゃない」


「度合いが違うだろ」


「……」


「なあ、結局のところ何が言いたいんだ」


「私は、あなたに魔族を嫌ってほしくない」
「ごく普通に、人間とそうするように接してほしい」



譲歩はしている。

かつての勇者なら、理由がなければ出会った魔族に手心を加えるなんてなかった。

だが、遊び人が無益な殺生を嫌っている以上。そして俺が彼女に嫌われたくはない以上。

俺は彼女の意向に沿って、最大限の努力をしてきた。

そうでなければ、ここにたどり着くまでに俺たちは数多の魔族の死骸を積み上げてきたことだろう。


俺の「殺さない」努力を彼女は一切顧みていない。

これは一体どういうことだ。俺のかつての戦いぶりは、元騎士であるというのなら噂ぐらいは耳にしているはずだ。

勇者の通った後には草すら生えない。勇者のブーツは常に血の赤で濡れている。これまで散々なことを言われてきた。

そんな俺が、彼女と出会ってから今日という日まで命をひとつも奪っていないということがどれほどの事なのかをわかっていない。

惚れた弱み。そう惚れた弱みであるが、これほどまでに尽くしているというのに……。

その無関心には怒りすら覚えてしまう。


「遊び人、俺からも君に質問がある」


「なによ」


「君はなぜ魔王を追っている」


ほんのジャブ程度の質問のつもりだった。俺の努力を顧みない彼女に対してのほんの意趣返しだったのだ。

本当のところは、彼女が魔王を追っている理由などどうでもいい。

ただ、彼女がひた隠しにする目的を露わにせんとすることで少しでも彼女が嫌がる姿が見たかったのだ。


だが、俺は俺自身のことをよくは理解できていなかったらしい。

そのたった一つの質問を皮切りに、堰をきったように俺の中に溜め込まれていた疑問、いや欲望というべきものがあふれ出したのだ。


「君は、元騎士だと言っていたが何処の騎士団だ」

「なぜ、遊び人なんてやっているんだ」

「年はいくつなんだ」

「どこの出身」


今の俺には、彼女の返答を待つことすらできなかった。

こんなこと、本当なら初めて出会った夜に、初めて背中を任せられる仲間に出会たあの夜に聞いておくべきだったのだ。

だが、下心をさらしたくない一心がそれを妨げた。それでも、俺は聞くべきだった。

共有する時間が増えるにつれ、彼女のことを知らぬまま彼女への思いが募った結果がこれだ。


「一人の時は何して過ごしているんだ」

「俺のことをどう思っている」

「なぜ魔物にやさしくする」

「この店にはしょっちゅう来ているのか?」


……



彼女は黙ってそれを聞き続けた。

答える隙などなかったのだから、仕方あるまい。



「君の名は」


ようやく、俺の問いかけが尽き。しばしの沈黙が流れた。

遊び人は、最後の俺の問いかけに対してか何かを言いかけたものの息を吐きだすに留まった。


「私は、ただの遊び人よ」


彼女は、俺の心からの問いかけにそう答えた。

この期に及んで、秘密を明かすつもりは毛頭ない。そういうことなのだろう。

「いい加減にしろ」という言葉が喉まで出かかった。

だが、所在なさげに自身の頬を撫でている彼女を見てハッとした。


「痛むのか?」


「ちょっと痒いだけ」そう言って彼女は炎魔将軍にやられた傷を再びさすった。

俺は、彼女のその姿から目をそらさずにはいられなかった。


「もう終わりにしよう」


まるで恋人の会話みたいだな。


「まるで、恋人みたいな言いぶりね」


以前の俺なら、頬を染めていたに違いないであろう言葉も酒の助けもあってか今なら難なく言える。俺も成長したものだ。

……成長?本当に俺は成長したといえるのだろうか。



「千鳥足テレポートも覚えた。もう二人で飛ぶ必要はない」


そう、俺は成長した。

なんたって俺は勇者だ。誰よりも才能に溢れ、女神の加護を受けた俺は人一倍の成長力を有している。

現に見てみろ、かつて一杯のビールでふらついた足が今では浮つくことなく地面に確固としてその存在を主張している。


「魔王は俺一人で見つけ出す。そして生かしたまま君の前に引きずり出してやる。だから君は、酒でも飲んで待っていろ」


「私がそばにいるとまずいって言うの?初めて会ったときに行ったわよね、貴方は危なっかしいって。あなたを一人にするなんて無理よ」


「それは……俺ではなく魔物を気遣っての言葉だな」


隣席から、猛烈に沸き上がる怒りの波動を感じる。

ちょっとした嫌味のつもりだったが、その怒り様を見るに本当に俺のことを心配してくれているのだ。

それはそれで嬉しいし、自分の心無い言葉に猛省もする。だが、俺がそれに怯むことは無い。

彼女を如何に怒らせようと、たとえ嫌われることがあろうと、そう為さねばならない理由があるからだ。


「俺は今日見たいなことは二度とごめんだ」


「だから、それはごめんなさいって謝ったでしょ」


「謝る謝らないの問題じゃないんだ」


「そう!貴方はそんなに、炎魔将軍が大事なのね!」



彼女の怒りが頂上へと達するその瞬間、まるで「私のことを忘れていませんか」と言わんばかりにマスターがグラスを二つ差し出してきた。


「お待たせしました」


俺と彼女の前に、届けられたグラスにはそれぞれ透明の液体がなみなみと注がれていた。


「これは何だマスター?蒸留酒か?」


「中身はただの水でございます」


「誰がこんなの頼んだって言うの!ふざけないでよマスター!」


突如、全身に悪寒が走った。

手が震え、足が震え、視界が泳ぎ、歯がかみ合わずにガチガチとなりだした。

酔いではない、勇者の持つ耐性で酒に強くなった俺がこんなにわかりやすく酔うはずがない。

隣では、遊び人もまた同じ症状に襲われている。


「申し訳ありません。そろそろ店じまいしようかと」


マスターは、その笑みを崩すことなくグラスを磨き上げ続けている。

だが、言葉や表情とは裏腹に彼のオーラが「喧嘩は外でやれ」と雄弁に物語っていた。

流石、先代魔王と言ったところだ。この勇者である俺をして、ここまですくみあがらせるとは。

いや決して、決して恐れをなしたわけでは無いが俺は慌てて席を立つ。相変わらず、足がガクガク震えているがこれは酔いのせいだ。



カクテルが如何ほどするのかは知らないが、これだけあれば二人分の酒代は十分に賄えるだろう。

俺は、黙ってカウンターに銀貨を1枚おいた。

すると、それに対抗するかのように遊び人もまた自身の懐から銀貨を1枚取り出す。

あくまでも、今晩は俺に奢られるつもりはないという意思表示なのだろう。


「多すぎますよ」


マスターが困った表情で、俺と遊び人の顔を見つめる。


「マスターに」「マスターに」


期せずして、俺と彼女の言葉が被さった。

マスターはくっくっと頬を緩め、「では頂戴いたします」と銀貨を引っ込めた。


「また来るわ」


遊び人が、パンパンと手を二回たたき俺の体は再び光に包まれテレポートする。

「またお越しください」

光の中で、ただマスターの声だけが響き渡った。


――――――


「おや、兄ちゃん、どっから現れた!?」


大柄で禿頭の店主が、突然転移してきた俺を驚きの表情で出迎えてくれた。


「悪いが、部屋はやっぱり一つしか取れなかったよ」


最悪だ。

部屋が一つしか取れていないことを、俺はすっかり忘れていた。

この険悪な雰囲気のまま、彼女と一晩過ごすのはどんな強敵と戦うよりも困難を極めることだろう。


「あれ、あの可愛い姉ちゃんは一緒じゃないのかい」


店主の言葉に、俺は慌てて周囲を見回すがどこにも彼女の姿はなかった。

なに心配することはない、彼女は腕もたつし夜にふらっといなくなることはよくあることだ。

きっと、近くのスピークイージーになりへ行ったのだろう。

俺は、気まずい夜を過ごさないで済むと少しだけほっと胸をなでおろし床へ着く。

明日、どんな顔して彼女に顔をあわそうかと気に病む間もなく俺は意識を失うように夢の中へと落ちていった。


残念なことに、もしくは幸いなことにか。

翌朝、俺は気に病む必要などなかったことを思い知る。なぜなら、彼女は朝になっても戻ってこなかったからだ。


そしてその翌日も、そのまた翌日も。

彼女は帰ってこなかった。


痴話喧嘩だもんな
おつおつ

――――――

翌朝になっても、遊び人は帰って来なかった。
二人で酒を飲んだ後、夜の闇の中に彼女が一人ふらりと消えてしまうことはこれまでも何度かあった。
今にして思えば、俺と別れた後にあのカクテルバーに赴いていたのだろう。

だが、朝になっても姿を見せないなんてことは一度もなかった。
確かに、彼女は魔族との戦いにおいても一歩も引けを取らない実力を持っている。
たとえそれでも、俺が彼女の身の安全を案じない理由には決してならない。
彼女は一人前の戦士であると同時に、俺のハートを打ち抜いた類まれなる愛らしさを持っているのだから。

日が昇ると同時に、俺は宿屋を起点に彼女を探し回ることにした。
ここは、そう広くない村だ。そんな村を、彼女のような美人が、しかも白と黒のワンピースに、首元には赤いマフラーというまるで道化師のようないでたちをしていれば目立たないはずがない。
彼女を目撃していれば、その身目麗しい姿を己が眼に焼き付けていることであろう。
だが残念なことに、予想通りであったのは、この村はさほど広くないという事実のみであった。
日がてっぺんに上る前には、俺は全ての住民に聞き込みも終えてしまったのだ。

俺たちが千鳥足テレポートで飛んで以降、彼女の姿を見たものは誰一人としていなかった。


俺は、宿屋にひとり戻ってきた。どんな精神状態であろうと人間、腹は減るものである。
それに闇雲に探すだけでは、どうにも埒があかないと悟った俺は食事を済ませつつ状況を整理することにしたのだ。
宿屋の主人に、声をかけ、俺は広間の一角に陣取った。

これだけ探しても見つからないということから推測できることは2つだ。
まず一つ目は、酔った彼女が何者かによってかどわかされたという可能性。
だが、例え酔っていたといっても屈強な彼女を、しかも勇者である俺の目を盗んで攫って行くなんてことは不可能に近い。
ならば最も可能性が高いのは、彼女が自らの意思で俺の前から消えたという推測だ。

彼女が消える直前、俺たちは意見の相違にお互い歩み寄ることができなかった。
故に、彼女が俺に愛想をつかし身を隠してしまったというのは十分にありえるのではなかろうか。
であるならば、彼女の行方を捜すという行為は、振られた男が未練がましく女の尻を追いかけているという風に見えるのではないか。
なんともみっともない話である。

そんなことを考えていると、イライラがつのり、つい足が小刻みに震えてしまっていた。
宿屋の主人が、食事を運んでくる。それに、何の配慮か俺にあの謎の自家製酒をすすめてきた。
やはり、俺の姿は女に逃げられた情けない男に見えているのだろう。
だが、見栄を張ったところで恥の上塗りになると思い素直に礼を言って酒を受け取った。

謎の液体を、一息に胃に流し込む。相変わらず、きついだけで美味しさの欠片もない酒だった。
しかしどういうわけか、不思議と足の震えが止まっていた。なんだこれは、これではまるでアル中みたいじゃないか。
だがあらゆる毒ですら殺すことのできない、神耐性を保有する俺が中毒症状に陥るなんてことはありえない。

ならば、先ほどの震えはなんだ。
俺は何を恐れているというのだ。
あの魔王とすら、たった一人で対峙した。世界で最も勇気あるものである俺が、何を恐れるや。

答えは既にわかっていた。
俺が恐れているのは、彼女との別れだ。
生まれてこのかた、魔族と戦うことばかりに励んできた俺が初めてした恋だ。
例え世界で最も勇気があると謳われても、俺はたったひとつ彼女との別れに臆しているのだ。何が勇者だ。ただの臆病者ではないか。
だが、もう震えはとまった。あの謎の酒の力だ。たとえまずくても酒は酒。
アルコールが脳をかき乱し、その恐れをかき消してくれている。

そう酒の力を借りることで、俺は恋愛に関しても恐れなど知らない勇気ある者へと姿を変えたのだ。
例え、どんな結末になろうとも彼女ともう一度話をしなくてはならない。たとえコテンパンに振られようとも、俺は耐性の勇者。その経験を糧に、さらに強くなるのだ。


と、決意を新たにしたところで、この村には彼女の行方に関する手掛かりは皆無だった。
ならば、頼る先はこの村にはない。秘密主義の彼女を辿るには、それを知り得る人を頼るべきだ。
そう、バー『俗人』だ。
彼女が足しげく通うあの店のマスターなら。俺の知らない彼女の情報を、何かしら知っているかもしれない。
もう一度、あの店に赴く必要がある。

おつおつ!



俺は、出された食事を手早く腹に収め、再び宿屋の主人に声をかけた。


「あの酒をもう一杯くれ」


宿屋の主人は、機嫌よさげに「やっと俺の酒の味がわかる客が来た」と呟きながら店の奥へと消えていった。
誤解を生んではいるが……あえて否定することもないだろう。旨いか否かは、問題ではないのだから。
戻ってきた主人の右手には、水差しが握られている。中身は、推測するまでもなくあの酒なのだろう。


「このご時世だ、飲むなら自分の部屋で頼むよ」


礼を言い、俺は二階の自室へと足を向けた。
扉を固く閉じ、大きく息を吸い込む。なにせ一人で千鳥足テレポートを使うのは初めてだ。
遊び人の前では嘯いて見せたが、何事も初めてというのは恐ろしいものだ。

俺は、謎の酒を一息で飲み込んだ。
強い眩暈が起こり、足元がふらつく。胃が、「こんなものを流し込むな」と拒絶反応をおこしている。
昨日のカクテルに比べて、なんて飲みにくい酒だろうか。
だが出来の悪い酒のおかげか、酔いは一気に回った。
魔力を全身に巡らせ、呪文を唱える。


「千鳥足テレポート!」


足元に浮かび上がった魔法陣から光が放たれ、そのあまりの眩しさから視界を奪われる。
次の瞬間、俺は謎の浮遊感に襲われた。

慌てて目を開けると、どういうことだ、足元にはあるはずの地面がなかった。
足元を無意味にバタつかせてみるも、俺は重力に抗うだけの力はもっていなかったようだ。

ひゅー。
どぼーん。

俺の落ちた先は、水の中だった。しょっぱい水が、衝撃で鼻から入ってきた。
どうやらここは、どこかの海らしい。俺の鼻先を、魚たちが優雅に泳いでいく。
慌てて、水面へと浮上して周りを見渡す。見上げれば空が、見下ろせれば海が、俺の周囲に一面の青を形成していた。

やたらと、腰に付けた剣がやたらと重く感じられる。
それなりの旅装備のまま水の中に沈んだのだから、そりゃあそうだろう。


いつの日か、遊び人が言っていたが。
確かに金づちの彼女が、今の俺と同じ体験をする可能性を鑑みれば、この魔法のリスクは相当なものだ。
彼女からしてみれば、海に飛ばされるイコール死に直結するのだから。

初めての千鳥足テレポートは、大失敗だった。

俺は、必死に足をばたつかせ両手を頭の上に掲げ、そうして何とか、手を二回パンパンと叩いた。


再び光にのみこまれ、目を開けるとそこは先ほど旅立ったばかりの宿屋だった。
俺から流れ落ちた、水が足元に大きな水たまりをつくっている。
階下へと降り、宿屋の主人にタオルを借りる。


「うお、兄ちゃん、びしょ濡れでどうしたんだ。それになんだか、なまぐせえぞ」


「魔法に失敗したんだ」


「……ほどほどにな」


宿屋の主人に礼を言い、部屋に戻った俺は再び酒に口をつけた。
初めてワインを口にしたとき、そのあまりの渋みと強い香りに絶句したものの。
それでもなお、飲み進めるうちに、それらを楽しむ余裕が生まれてきたものだが。
幾度の邂逅を果たそうと、この自家製酒には慣れそうにもない。


「千鳥足テレポート!」


そこは、ゴミ捨て場だった。


早々に部屋へと帰還した俺は、訝しげな眼を向けながら鼻をつまんでいる店主に湯を借りた。
こざっぱりとしたところで、再度、酒を口に含み挑戦する。


「千鳥足テレポート!」


目の前に広がるのは、赤い海。否、ごうごうと泡を吹き上げているそれはマグマだ。
それに鼻をツンとつつく、卵の腐ったような臭い。間違いない、ここは南の山岳地帯、火龍の住まう火山だ。
ひどい熱気と、まずい酒のせいか頭がくらくらする。
少し休もうと、手ごろな岩に腰掛けると、あまりの熱さにズボンが発火してしまった。
慌てて、ズボンを脱ぎ火を消す。なんとか消火には成功したが、ズボンには大きな穴が開いてしまっていた。
長居してもしょうがないので、俺は再び部屋に帰還した。


度重なる失敗に俺がめげることなどなかった。
うまくいかないなら、うまくいくまでやるだけだ。

と、水差しから直に燃料を補給しようとするも当に空になっていた。
いったい今日一日で何往復したかであろう、宿屋の階段を降りていく。


「おいおいおいおい兄ちゃんよ。あんたの魔法ってのは、失敗するたびに臭くなるのかい?」


主人に言われて、自身の袖を嗅いでみる。
腐った卵のような臭い。いわゆる硫黄臭いというやつだ。


「悪いが、酒を追加でくれないか?」


「あのなぁ兄ちゃん。何があったかは知らねえが、酒に逃げるのはあまり褒められたことじゃあねえぜ」


「ありがとう。でも逃げてるんじゃないんだ、追いかけるために酒が必要なんだ」


主人は「ぬぅ」と喉の奥から声を出し、諦めたのか再び酒を持ってきてくれた。


「今日は、もうこれぐらいにしておけよ」


「あぁ」


俺は、再び階段を上っていく。
背後から「なんで尻に穴が開いてんだ」
そう呟く宿屋の主人の声が聞こえてきた。

剣錆びそう耐性つきそう
おつおつ

―――――


目が覚めると、朝日が昇っていた。
どういうことだ。俺は、千鳥足テレポートに失敗しすぎて遂に時空を超えてしまったのか。
なんてことはなく、酔っぱらっていることが条件の千鳥足テレポートの燃料補給にと酒をしこたま飲んだせいで酔いつぶれてしまったらしい。

結局、俺は一度たりとも千鳥足テレポートを成功させることができなかった。
遊び人曰く、二人でやると成功率があがる。とのことだったが、それにしたって10割失敗というのはどういうことだろう。
俺には、まだ千鳥足テレポートを使いこなすことができないのだろうか。

真っ先に思いつくのは、俺が呪文を間違っていた可能性だ。
だが、この魔法は妙な条件付けが為されている一方で呪文に関しては非常に簡易なものである。
俺は遊び人の隣で、幾度となくこの魔法の呪文を聞いて来た。一言一句違えていないはずだ。

二つ目に挙げられるのは、燃料不足。つまるところ酔いが足らないという可能性だが。
この点、俺は昨日酔いつぶれるほどに、しこたま酒を飲んだ。あれで燃料が足りないということは無いだろう。
いや待てよ。果たして、そうだろうか。

昨日の俺は、本当に酔っていたのだろうか?
そもそも、『酔い』を『摂取したアルコール量』と仮定するのは些か安直な気がする。
だって、酒に強い女もいれば下戸の男だっているんだ。どれだけ酒を飲んで酔っ払うかどうかなんて人それぞれなんだから。

ならば酔いとは何だろうか。
千鳥足テレポートは使用者に何を求めているというのか。

いや、そうではない。
求めているのは千鳥足テレポート自身ではない。
求めているのは、そう。このみょうちくりんな魔法を生み出した元魔王の大賢者。
バー『俗人』のマスターが、客を自らの店へ招き入れる条件だ。

昨日の自分の姿を、ふと思い出す。
酔っぱらって大暴れ、なんてことにはなってはいない。だが、床を水浸しにし、硫黄の臭いを宿に振りまき。
あまつさえ、主人に苦言をていされる始末。今になって思えば、昨日の俺はとても普段通りとはいいがたかった。
とにかく、早々に酔って千鳥足テレポートを試そうとやっきになっていた。
そんな状態で飲んだ酒は、まったく美味しく感じられなかった。いや、そもそもここの酒がまずいのは間違いないのだが。

だが、そんなまずい酒でも、俺と遊び人は素面の状態からたった一杯の酒でテレポートに成功した。
ふむ、なんとなく見えてきたぞ。

水差しに手を伸ばす。
中には、ほんのわずかではあるが昨日の酒が残っていた。
俺は、一息に酒を飲みほした。

遊び人と初めて出会った日のことを思い出す。
そうあれは春先のことだった。この村と似た辺境の片田舎だ。そこの秘密酒場で、彼女から声をかけてきたんだったな。
それから数日後には、二人で教会のワイン樽を全部開けてしまったこともあった。あの日見た、彼女の下着の白さを久しく忘れていた。
一気に飛んで、一昨日も酷い一日だったが。それでも、いいことだってあった。
そう、あの日は彼女が俺の手を引いて秘蔵のカクテルバーに連れて行ってくれたんだった。

俺は、あらんかぎりの彼女との思い出を引き起こす。
ワイングラスの関節キッス。純白のパンツ。彼女の小さく柔らかい手。
この部屋には、鏡がなくてよかった。おそらく今の俺は、とんでもない間抜け面をしていることだろう。
そうすると、僅かな酒しか体に居れていないというのに、不思議と頬が熱くなってくる。
俺は、成功を確信して呪文を唱える。


「ちどりあしてれぽーと!」


この魔法は、ネガティブな気持ちじゃ使えない。


若いって良いなあ

――――――


「いらっしゃいませ」


マスターの声に、俺は胸をほっと撫でおろす。
店の奥には、一人の女がカウンターに突っ伏している。
ブロンドの美しい髪、屋内でも決してとることのない赤いマフラー、そしてまるで道化師のような派手な服。
彼女は、そこにいた。


「あ……」


「こんなところにいたのか」


新たな客に、ふと顔をあげた彼女は、俺の姿を見ると再び机に突っ伏してしまう。
脇には、チェリーが入った逆三角形のグラスがひとつ。まるで、先日から彼女の席だけ時が止まっていたかのようだ。


「まさか、ずっと飲んでたのか?」


俺の問いかけに、彼女は答えない。


「ひとまず帰ろう。ずっといたらマスターも迷惑だろう」


やはり、返答はない。
だが、ここで彼女と押し問答をする気は俺にはなかった。
二の轍を踏んで、マスターを再び起こらせることもあるまいとの配慮からだ。


「マスター、会計は」


「先日、十分な量をいただきましたから」


俺は、黙ったままの彼女の横に立ち手を胸の前まであげる。
すると、遊び人が声を上げた。


「まって」


「……まだ、飲み足りないなんて言わないでくれよ」


「そうじゃないの」
「勇者、私帰れなくなっちゃった」

――――――


なんとか『千鳥足テレポートが成功しない』を解決したかと思えば、今度は『千鳥足テレポートの期間術式が発動しない』だ。
問題が発生したら、むやみやたらに試行錯誤を繰り返すよりも、まずは状況を整理する。一見遠回りに見えるが、これが一番いいことは既に経験済みだ。

そもそも、千鳥足テレポートとは、二つのテレポートによって構成されている。

まず1つ目のテレポート、これが成功すると、テレポートの行使者は酒のある屋内へとランダムテレポートする。
ただし、そのランダム性には行使者の嗜好、望む場所が影響を与える。
俺が、初めて飛んだのは、ラムランナーの秘密倉庫。
そして先日は、炎魔将軍の便……いや、思い出すのはよしておこう。
まあ、あそこは魔王軍の幹部の隠れ家だ、おそらく相当な量の酒をため込んでいたに違いない。

そして2つ目が帰還術式によるテレポートだ。
一つ目のテレポートが成功したにしろ、失敗したにしろに関わらず、テレポート先で手を二回叩くことで元の場所へと戻される。
そう言えば、ラムランナーの秘密倉庫から帰還した際は、俺はいつの間にか宿屋のベッドの中にいた。
初めての飲酒で、酔いが回っていたのだろう。
そして、炎魔将軍の下からは元居た酒場へと戻された。

今回は、この2つ目のテレポートに何らかの不具合が生じているのだろう。


「なあ、キミと俺が初めて出会った日のことなんだが。あの日、俺を宿屋のベッドに放り込んでくれたのはキミか?」


「……ちがうわよ。あのときはたしか、アタシはもといた酒場にもどされたけど。キミの姿は見えなかった」


「つまり、俺は宿屋のベッドに直接送り返されたということか?」


遊び人が、顎に手をあて黙り込む。


「そういえば、あんまり考えたことがなかったけど……アタシも、ベッドに直接飛ばされたことが何度かある」
「ヨっぱらって宿屋にかえった記憶がないだけかと思ってたけど、イマ思えばあれは転送先がベッドの中だったとしか思えない」


なるほど、確かに一人で千鳥足テレポートを使っていれば考えもしないことだろう。
なぜならば、この魔法の行使者はみな等しく酔っぱらっている状態だ。多少の記憶の祖語は、酔っぱらっていたで説明がついてしまう。
今回、俺たちがこの疑問にたどり着けたのは、俺たちが二人でこの魔法を使っていたからだ。

考えれば考えるほど妙ちくりんな魔法だ。千鳥足テレポートの行使者の状態によって、帰還先が変化するなんて、いったい何の意味があるというのだ。
だがしかし、どうやらこの辺りの条件付けに、問題が潜んでいそうな気がする。



……って、俺は阿呆か。なんて無駄な思案を巡らせていたんだ。
今、この場において問題は既に解決されたも同然ではないか。なんたってここには、千鳥足テレポートを開発した大賢者がいるのだから。


「ムダよ……アタシが何の手段も講じずに、ここでカクテルを楽しんでいたとでも思うの?」


表情から、俺が何を考えているのか察したのだろう。遊び人が、水を差してくる。
……いや、キミの場合、それが十分にありえるのだが。


「残念ですが。これはあなた方の問題でしょう。私が口出しするのは野暮ってものですよ」


遊び人の言葉を裏付けるように、マスターは俺に釘をさしてきた。
しかし、その口ぶりからは、マスターは問題の原因に既に思い至っていることが伺い知れた。


「ご注文はお決まりですか?」


正直、酒を飲みたいという気分ではなかった。
だが、バーに来て一杯も飲まないなんて選択肢はありえないだろう。
俺は少しだけ考えて、彼女と同じものを頼むことにした。


マスターが酒を作っている間、俺は何とかマスターから情報を引き出せないものかと考えた。
そうした気配を感じ取ったのか、マスターは先日とは比べ物にならないスピードでカクテルを作り上げてしまった。


「マンハッタンでございます」


やはり、なみなみに注がれたグラスが、その中身を一滴も零すことなく遊び人の隣の席へと運ばれる。
マスターの心遣いなのかもしれないが、どうにも面倒なことをしてくれる。
彼女の隣に腰を下ろしていいものか、俺が逡巡していると。
マスターが「おっと、これはしまった。氷を切らしてしまいました。少し出てきます」と、わざとらしいセリフを残して店を出て行ってしまった。


今しがた、マスターが店を出て行った扉に目をやる。
カウンターの向こう側、酒が並べられた棚の横に設置されたその扉は、俺の腰の高さほどしかない。
まるで、童話に出てくる小人たちが拵えたもののようだ。

帰還術式が使えないなら、この店から直接外に出ればどうなるのだろう。
店を改めて見回すと、カウンターのこちら側、すなわち客が座るであろうスペースには一つだけ扉が設置されていた。
マスターの使っていた扉とは違い、こちらはごく普通のサイズだ。
開けてみると、中にはさらに扉が一つ。さらにそれを開けてみると、中はただの便所だった。

マスターの言っていた言葉を思い出す。ここは、千鳥足テレポートでしか来れない店。
つまるところ、客が出入りする扉はそもそも設置していないのだ。そこに、マスターの店の秘匿性を徹底的に守るという強い決意が感じられる。
ならば、と俺はカウンターを乗り越え、今しがたマスターが出て行った扉に手をかける。
鍵がかかっているわけでは無い、だがどんなに力を入れようとドアノブはピクリとも動かなかった。
このドアノブの硬さは物理的なものではない、魔術的な何かだと考えるのが妥当だろう。

千鳥足テレポートは、その帰還術式以外での帰還は絶対にできない。そういうことなのだろう。



ふむ、手詰まりだ。
自身の魔法への知見が浅いとは思わないが、これだけ複雑の条件付けが為されているとお手上げだ。
少なくとも、酒が入っている状態で取り組むべき問題ではない気がしてきた。

俺は、再びカウンターを乗り越え客側へと戻った。
当然のことだが、俺の酒は彼女の隣に置かれたままだ。正直なところ、気まずさから席を一人分空けたい気分ではあるが。
それでは、俺が逃げたみたいで実に情けないではないか。
俺は、覚悟を決め彼女の隣へ座った。

彼女の手元にあるものと同じ、強い赤みを帯びた琥珀色の酒に口をつける。
マンハッタンといったか。いったいどういう意味なのだろうか。


「アタシは、マンハッタンが一番好き」

「甘くて、芳ばしくて。それに、最後に口に放り込むチェリーがたまらないの」


俺も、もともとはあまり甘いものが好きというわけでは無い。
だが、ウイスキーが放つ香りと混じり合っているせいか、このカクテルの甘さは俺にあっていた。


「たまには、甘い酒も悪くないな」


「あらあら、気取っちゃって」


横目に、彼女をチラリと見る。

彼女の頬は、いつになく赤く染まっていた。
彼女がこんなに酔っているのをみるのは初めてだった。

だが、そこには確かに更に赤黒い一筋の線が見て取れる。
モヤモヤとした薄暗い感情に、俺は視線を正面に戻される。


「キミがこんなに酔っているのは初めて見た。体調でも悪いのか」


「嫌なことがあったから飲みすぎちゃった」


「俺が、帰った後もずっと飲んでたのか?」


「たぶんそう」


先日とは打って変わって、彼女は素直に見える。これもまた、酒の力であろうか。
冷静に話をするなら、今がいい機会なのかもしれない。

この間の話の続きを、するべきなのであろう。
それは、魔王を見つけた時の取り扱いであり、彼女がひたすらに隠す彼女自身の素性についてであり。
そして、最も重要なのは魔王探索の最前線から彼女に退いてもらうことである。

彼女の説得の困難さを鑑みると、どうにも気が重くなってきて自然と眉に皺がよってくる。



「まだ怒ってる?」


顔中の皺という皺を眉に寄せ、口を真一文字に結び、腕を組んで正面を凝視する俺の様子を窺うように、遊び人が俺の顔を覗き込んできた。


「俺は、そもそも怒ってなんかいない」


「いや、怒ってたよ」


「何に対してだ、俺が怒る要因など何一つない」


「でも、私のせいで炎魔将軍を取り逃がしちゃったじゃん」


「それは、そういうこともあるさ」


「でもでも、二度とこんなのはごめんだって……」


ああ、誤解の原因はそこだったのか。
彼女は、俺が炎魔将軍を取り逃がしたことを怒っていると思っているのだ。
故に、その原因となった彼女を俺が旅から排除しようとしていると勘違いさせてしまっていた。
ならば、その誤解さえとければ、俺は彼女を納得させられるのではないだろうか。
彼女との協力関係を保ったまま、前線に一人で立つことができるのではないだろうか。


「二度とごめんだ」


彼女は悲しそうに「ほら」と呟いた。


「ちがう。そうじゃないんだ」


「じゃあなに?」


「……」


沈黙が流れる。答えに詰まったわけではない。
明確な答えは俺の中にある。だが、それを言うには相応の勇気が必要なのだ。
人々から、勇気あるものと称される俺をもってしても躊躇してしまうほど恐ろしい壁があるのだ。
目をそらしてはならない、俺は自身の罪へと向き合わなくてはならなかった。

カウンターの上に置かれていたウイスキーを無造作に取り上げる。
ラベルには、見たこともない角ばった文字らしきものがでかでかと書かれている。
気にせず、ビンを開け、一気に喉へと流し込む。所謂ラッパ飲みだ。

肺が空気をもとめ、胃が突然の強い酒の侵入に嫌悪感を示す。
えづきそうになるのを我慢して、俺はどうにかビンを全てからにすることに成功した。


「君の顔に、傷が残ってしまった」


彼女が驚いてこちらを見ていた。
俺もまた、彼女の目をそらすことはなかった。

彼女は、自身の頬に何げなく振れた。
そこには、炎魔将軍によってつけられた刃傷がありありと残っていた。
炎魔将軍の高温の剣は肉を切り裂くと同時に彼女の皮膚を焼いていた。血が出なかったのはそのせいだ。
そして、その傷は回復魔法をかけても跡が消えることはなかった。

俺は、美しく愛らしい彼女の顔をまっすぐ見ることができなくなっていた。
彼女を無防備にも魔王幹部に近づけてしまったこと。そして、あまつさえ彼女と連中のやり取りを盗み聞きし彼女の素性を探ろうとしていたこと。
彼女に一生ものの傷を負わせてしまったのは、自分であるという後ろめたさがそうさせたのだ。

絞り出すように、俺は懺悔をつづけた。



「かつて俺はキミに約束した。俺が君を守ると」


「いや、そんな約束した覚えがないけど」


「す、すまない、気のせいだったかもしれない」


あれ?気のせいだったか?俺の記憶違いなのだろうか。
いや、確かに以前そんな約束をした気がする。
景気づけに、カウンターから再び一本ウイスキーをとる。
あける。飲み干す。
実に燃費の悪い身体である。そうして、ドーピングを重ねないと本心を明かすことができないなんて。


「……君が傷つくのは二度とごめんだ」


我ながら思う。うすら寒い台詞だと。
照れのせいかどうにも鼻がむずかゆい。


「……そう……じ、じゃあ、次は君が守ってよ」


そう言って彼女は机に突っ伏してしまった。
どうやら、俺の説得は失敗したらしい。彼女は、俺が本心を明かしてもなお前線についてきて俺の隣に立つつもりでいた。

しかし、その挙動に一つまみ程の不振さを抱いた俺は、組んだ腕の中に自身の頭を納めこんでいる彼女を、その腕の隙間からのぞみこんでみた。
薄暗くてよく見えないが、頬が先ほどよりも更に赤くなっている気がする。呼吸もいくばくか、荒くなっている。
飲みすぎて気持ち悪くなったのかと、背中をさすろうと手を伸ばすと、彼女はゼンマイ仕掛けの玩具のようにバッと起き上がった。


「私の秘密、ひとつだけ教えてあげる」


その頬はやはり、赤い。というか、頬に限らず顔全体が赤く染まっている。


「お、おぅ」


「君さ。たぶん、自分では気づいていないようだけど」


「お、おぅ?」


「酔っているとき、心のモノローグがだだもれだよ」

~~~~~~

「ビールの苦みはホップに由来するものなのよ」


「ホップ?」


「そ、ホップステップジャンプのホップ」


遊び人のにやけ面からするに、これは冗談を言っているのだろう。

これだから、酔っ払いの相手をするのは嫌なんだ。下らない冗談を、得意満面に話すなんて恥ずかしくないのだろうか。

どうせ言うならもっと洒落た冗談を言って欲しいものだ。例えば、そうだな……。

ホップ……モップ……コップ……いや、やめておこう。このままだと碌なことを言いだしかねない。


「いい判断だね」


~~~~~~

~~~~~~


「うんうん、そうだな。俺も、君の中身のほうを楽しみたいものだ」


~~~~~~

~~~~~~



「それを言うなら、遊び人さんは。地獄のサルの尻のように顔が赤い」


「女性の顔を、エテ公の尻に例えるたあ、勇者様のデリカシーのなさに磨きがかかってきましたなあ。というか、地獄のサルって何よ……」


「いや、なんとなく旨い事言おうとして失敗しただけだから深堀しないで」


「……ならもっと可愛いものに例えなさいよ」


ふむ、サルの尻より可愛いものときた。さて、そんなものが現実に存在しうるのだろうか……。
いや待て、考えるまでもなくそんなものは世に数多あるわ。星の数よりあるわ。
ありすぎて逆に、回答に困るやつだわ。


「はよしろ。あほう勇者」


焦らすなよ。
そうだなあ。かわいいもの、かわいいものねえ。うん、そうだ。
例えば、今俺の目の前で頬を染めて酒を飲んでいる黄金色の髪をもった女の子とか。
あ、これはだめだ。
これじゃあ、可愛いものの例えじゃなくて可愛いそのものではないか。


「 ちどりあしてれぽーとおおおおおおおお!! 」


~~~~~~


かつての、自身の発言が走馬灯のように駆け巡っていく。
その光は、俺の全身を青白く照らした後、反転急上昇、今度は真っ赤に染め上げていく。


今度は、遊び人に変わって俺が机に突っ伏す番だった。
今ならわかる。彼女が、そうしたのはそういうことだったのだ。
俺は恥ずかしさのあまりに、顔をあげることができなくなってしまっていた。


隣では、彼女が「うえっへっへっへ」とそこいらの酒場に溢れる下品な親父みたいな、汚らしい笑い声を漏らしていた。


「おや、問題は片付いたようですね」


マスターが小人の扉を潜り、店の中へと戻ってくる。
氷を買いに行くと言っていたはずが、その手には何も握られていなかった。


「残念ながら、問題は解決していない。以前、彼女はこの店に捕らえられたままだ」


腕の隙間から、なんとか声を出す。


「いえいえ、もう邪魔な壁は取り払われているとお見受けします。全く憎らしいことに」


憎らしい?


「しかし、老いぼれが若い二人の邪魔をするのも無粋ですし、私からの餞です」

「いま、お二人が飲んでいる『マンハッタン』の由来をお教えしましょう」

「『マンハッタン』とは異世界のある都市の名前で、このお酒はその都市に沈みゆく夕日をイメージして作られたと言われています」


唐突なマスターの語りに、俺は埋もれた頭をもちあげていた。


「夕日が沈む前に人々は帰路につくべきなのです」

「まあ、お二人ぐらいならマダマダ宵の口と肩を並べて千鳥足で街を闊歩したいかもしれませんがね」



俺は、マスターの意図を探る。
いくら俺たちがマンハッタンを二人して飲んでいるからと言って、その由来を意味深に語る意味はなんだ。
そんなのは考えるまでもない、これはマスターからの餞。すなわち、俺たちが抱えている帰還できないという問題のヒントになっているのだ。

解決法を自身で見つけろと言いながらヒントを与える。
マスターが作り出した魔法が原因となっていることはさておいたとしても、なんともまあ、お人好しな好々爺ではないか。

夕日が沈む前に、人々は帰路につくべき……ね。


「つまり、足元が暗くなる前に帰りなさい」ということだ。
だが、果たして酔っ払いが日も変わらぬ前に家路につくか?いや、そんなことはありえない。
酔っ払いであればあるほど、その楽しいひと時を延ばしたいと家には帰りたがらない。
その結果、酔いつぶれて街の闇に沈んでしまう。

そして、千鳥足テレポートを使うものは総じて酔っ払い。
さらに言えば、その魔法を作り出したのはお人好しの大賢者とくれば答えはそう難しくない。
目の前のマスターなら、きっと酔いつぶれた客をそのまま何処とも知れぬ帰還先に放っておくことなどできないはずだ。


「酷く酔った千鳥足テレポート行使者は、帰還先が自宅へと変更される?」


マスターは、答えを返す代わりにニッコリと笑って見せた。


俺が宿屋に戻れて、彼女だけが店に取り残された合点がいった。

つまり旅の俺たちにとっては、自宅など存在しない。
それでもなお、俺が宿屋の部屋に直接帰還した経験を鑑みるに、俺たち旅人の自宅とは、その都度とった宿ということだ。

あの日、宿屋に彼女の部屋はなかった。
とれた部屋は一部屋だけで、彼女はその部屋に一歩もはいらなかったし、荷ほどきもしていなかった。
俺が同室を拒否したことも相まっているかもしれない。たとえ俺に、そのつもりがなかったとしても彼女はあの夜宿なしのまま酒を飲みにでてしまった。

そして、俺たちはマスターの前で醜態をさらすほどに酷く酔ってしまった。


原因は、既に解明された。……ならば、解決法に見当はつく。


「わかったようですね」


「あぁ……」


「どういうこと」と、遊び人が一人だけ頭上に疑問符を浮かべている。


「……すまない、マスター何でもいい。何か強い酒をくれ」


「……男なら」


「ん?」


「男なら、酒の力を借りずに為すべき時があります」



……マスターの言うとおりだ。
いったい俺はいつから、こんなにも弱くなってしまったのだろう。
例え初めての経験だろうと、その勇気をもって臨むのが勇者ではなかったか。
その名に恥じぬ男ぶりを見せないで、何が勇者であろうか。

俺は、覚悟を決める。


彼女の目に正面から向かう。
遊び人は相変わらず疑問符を頭上に浮かべたままキョトンとしている。


「今夜、俺の部屋に泊っていけ」


遊び人は、ポカーンと口を大きく開け固まってしまった。
そして、じわじわと時間をかけ口を閉じ、終いには俯いてしまった。


振られたか……?


彼女は面をあげる。
だが、目は開いていない。


「そ、それでは、宴もたけなわでございますが……」


急に改まった口調に、俺は彼女の意図を汲みかねる。


「たけなわ?」


「に、二本締めと行きましょう」


「二本締め?そんなの聞いたことないぞ……?」


「よぉお~~~!」


パンパン。
乾いた音が二回、店内に響き渡る。

有無を言わさない彼女の掛け声にあわせて、俺はつい手を合わせてしまっていた。
光が俺と彼女の体を包み込む。

つまるところ、これはそういうことなのだろう。彼女なりの承諾ととってしかるべきなのだろう。
なんだこいつ、人のことを初心だの何だの散々馬鹿にしておいて。

帰ったら、そのあたりをトコトン問い詰めてやる。

――――――


光が収まり、バーは再び間接照明の落ち着いた色に染まる。
静けさを取り戻した店内には、老いた店の主人の姿しかなかった。


「二人とも消えたということは、あの娘も彼を受け入れたとみて良さそうかな」


マスターは、店内に誰もいないことを確認すると、鼻をズズッとすすり、懐から出したハンカチで目元を拭った。


「まったく、世話の焼けるお客様だ」


そう独り言ちて、ふとカウンターに目を向ける。
そこには、異世界で仕入れてきたウイスキーが二本。
琥珀色の液体で満ちていたはずのそれらは、既に空き瓶とかしていた。


「……ツケにしといてあげよう」


マスターの声は、少しだけ怒りと悲しみに震えていた。


――――――

――――――

朝日が、カーテンの隙間から部屋に差し込んでくる。
大きなあくびを一つ上げ、ググっと伸びをする。

アルコールの強烈な香りが鼻をついてくるせいで、とても清々しい朝だとは言えなかった。
床には割れたワインの瓶が転がっている。昨晩、彼女と飲みなおそうと教会から貰ってきたものだ。
宿屋の主人には悪いが、あの自家製酒はもう口にしたくなかった。


「まだ、結構残っていたはずだ。勿体ないことをしたな」


シャツを脱ぐと、襟から胸元にかけて赤いシミがべっとりついていた。
どうやら、頭からワインを被ってしまったらしい。いったいどんな寝ぼけ方をしたのやら。


「おい、遊び人。朝だぞ」


この部屋にはベッドが一つしかない。
俺は、先ほどまで自分が潜っていたベッドに向けて声をかける。


「おーい、キミに限って二日酔いなんてことはないだろう?」


ブランケットの中を覗き込む。
だが、そこには誰もいなかった。


「またかよ」


思わず恨み節がでてしまった。



その日、遊び人は俺の前から姿を消した。

俺は当然のように再び、彼女を探す。
そうして、彼女が消えてから半年が過ぎた。



――――――

3杯目 カクタル思い

おわり

――――――

おつおつ
こっちが恥ずかしくなったわ!
これは読み直して二度面白い奴だな


勇気が有るって良いな…

 春の陽気のせいか、身にまとったクロークの下は汗でびっしょりだった。
 だが、これを脱いでしまうと、時折吹く冷たい風に誘われて身体が震えてしまう。これがいっそのこと、ひたすら暑ければ諦めもつくし、寒ければ身にまとう服の枚数を増やせばいいさ。だが、春は中途半端に過ぎる。だからこそ、俺は春が嫌いなのだ。

 この半年間、俺は酒を飲んでは飛び、酒を飲んでは飛びと、千鳥足テレポートを繰り返した。
以前の失敗から、千鳥足テレポートの要領は得ていた。ただ酒に酔うのではダメなのだ。陽気な気分で足を右へ左へ自由気ままに進め、まるでステップを踏むかのようにリズミカルに、それでもなお前のめりに。そういう心持ちでなくては千鳥足テレポートは成功しない。
 俺は、千鳥足テレポートを使うたびに、彼女との旅の思い出を呼び起こした。その短くも濃厚な時間は、俺の20数年積み上げてきた、どんな思い出よりも楽しく、鮮烈で、俺を千鳥足へと容易に誘ってくれた。そして、千鳥足テレポートの成功は、まるでその代償と言わんばかりに、彼女が消えてしまったという強い喪失感を俺に思い出させるのだった。

 最近は、魔王軍関連の場所にはあまり飛べなくなってきた一方で、知らない酒場へとたどり着くことが増えてきた。千鳥足テレポートは、行使者の願いと強く結びついた魔法だ。その名の通り、ふらふらと何処に飛ばされるかわからないというランダム性を持ちこそすれど、確かに前には進んでいる。すなわち、行使者が望む場所へといつかはたどり着く。そういう魔法だ。
 俺がたどり着いた酒場は、ことごとく彼女好みの旨い酒を出していた。……いつしか俺は、勇者としての使命を忘れ、憎き魔王の首よりも愛らしい彼女の尻を望むようになっていたのだ。

 今の俺は、果たして『勇者』と呼べる存在なのだろうかと、ふと疑問に思う。いや、ここにいるのはタダの間抜けだ。その身にかけられた使命を忘れ、国が禁じている酒を、毎晩浴びるように飲み、夜が明けぬ内にベッドの中から消えた女に思いを馳せるだけの男が、どうして勇者であるなどと呼べるだろうか。

 だが、安心してほしい。どうやら俺の酒浸りの毎日も、今日で年貢の納め処のようだ。もう、酒を飲む理由が無くなってしまったのだ。あの日から、日を追うごとに飲む酒の量が増えていった俺だけど、ついに許容量を超えてしまったらしい。

 俺の体は、アルコールに対する完全な耐性を手に入れてしまっていた。


――――――

4杯目 ブリューな気持ち

――――――



「ねえお兄さん。悪いけど、このまま飲み続けられると他のお客さんの分がなくなっちゃうよ」


 千鳥足テレポートを使うべく、一心不乱に酒を喉に流し込みつつ、彼女との楽しい思い出に耽っていた俺は、店主に声をかけられるその時まで、自分が周囲から奇異の目で見られていることに一切気づいていなかった。俺の机の周りには、既に空となった酒樽がいくつも転がっている。


「……妙だな」


 これだけ飲んだというのに、俺の足元はしっかり地面を踏んでいる。剣士として鍛えた体幹は、いっさい揺るぎない。まるで根を下ろした大木のような安定感だ。とても千鳥足を踏めるような状態ではない。


「妙なのはあんただよ、兄ちゃん。これだけ飲んで顔色ひとつ変わってねえんだから」


 俺が、勇者として魔物たちと戦ってこれたのは女神から授かった「耐性」の力があったからこそだ。だが、いつかはその力が、俺の敵として立ちふさがることはわかっていた。日を追うごとに、酒の量が増していったのも、なかなか酔えなくなっていたからだ。


「すまない……もう、今日はこれで帰るよ」


 俺は、店主に金を払い、宿へと戻った。
 ベッドの中に潜り込んだ俺は、今後のことを考える。

 酒に酔えなくなったということは、すなわち彼女を探すにあたって最も有効な千鳥足テレポートが使えなくなったということだ。ではどうするか、地道に行方を捜すか……?いや、正攻法の効率の悪さは、魔王捜索の件で身に染みている。だがしかし、それしか手段がないのなら……。いや、それよりも何とか千鳥足テレポートを使う手段を講じたほうがマシだ。工業用アルコールなら、いくら俺でも酔えるんじゃねえか……?だが、それとてアルコールであることには変わりない。単に度数の高い低いでは、俺の耐性を抜くことは到底不可能だ。

 ぐるぐると回る思考は止まることを知らず、俺は久しぶりに眠れない夜を経験する羽目となった。

 日が昇ると同時に、俺は身支度を整えた。たっぷり時間を使って考えた結果、俺は一つの結論へと達していた。


 「俺一人じゃどうにもならない」


 いざ口に出してみると実に情けない話ではあるが、俺に助けが必要なのは明らかだった。千鳥足ではない、普通のテレポートを使うべく俺は詠唱を始める。テレポートでは、行先を強くイメージすることが重要だ。そのイメージと現実との差異が少ないほどテレポートの成功率はあがる。

 俺は、魔王を取り逃した最終決戦後に一度立ち寄ったきりの久方の故郷、王都の街並みを思い浮かべていた。向かうのは、王都にある大聖堂。俺に力を与えた女神を主神とする、この国で最も力を持つ女神正教の総本山だ。


 久しぶりの故郷の空気を吸い込んでも、俺には何の感慨も沸き上がらない。俺は、そもそも孤児だったし、幼い頃から勇者としての厳しい訓練や教育を受けていたためか、ここには何の楽しい思い出もない。浮かぶのは、せいぜいが、勇者としての責務を果たしきれていないことへの罪悪感ぐらいのものだ。


「ほっほっほ、久しいのう勇者様。帰ってきたということは、遂に魔王を打ち取ったか? 」


 俺を出迎えたのは、女神正教の司教。かつて、俺に勇者としてのありよう、教会の戒律をしこたま教え込んでくれた人だ。


「申し訳ありません司教様。残念ながら、行き詰って助けを求めに帰って参りました」


 司教とは、特に親しいわけではない。だが、教会でも有数の情報通であると言われる彼なら、俺の抱える問題に一筋の光を差し込んでくれるかもしれない。俺は、差しさわりのない程度に俺の置かれている状況について説明をした。


「……ふぅむ、酒に酔うことが条件のテレポート。そのように面妖な魔法があったとは」


「国が定める法を犯していることは重々承知しております。しかし、魔王を見つけ出すにはこの魔法が有用であると私は考えたのです」


 正直なところ、俺は魔王を探すという建前だけでなく酒を楽しんでいたのだが、そこまで言う必要はあるまい。魔王をそっちのけで、遊び人を追っているという点も内緒だ。いい年をして、この老いた男に教鞭で叩かれるのはごめんだ。


「まぁ待て、酒が禁じられている世であるが、そのことを咎めるつもりはない。それよりも、耐性の力の話じゃったな……」


「はい。私が女神さまより授かったこの力を、どうにか抑えることはできないでしょうか」


 司教は顎に手をあて「ふむ」と呟いた。


「かつて、お主と同じように女神から力を授かった勇者はたくさんおる。不死の力、莫大な魔力、全てを見通す目、まあ力は様々じゃが、共通している点がひとつ……」


「そ、それは……」


 ごくりと唾を飲み込む。


「魔王を打ち倒した後は、力を失い平穏な日常を享受したということじゃ」


「魔王を……」


 本末転倒ではないか。建前上でも魔王を追うために、耐性の力を抑えたいというのに。そのためには、魔王を打ち倒さなくてはならないとは。見つけられないのに、どうやって魔王を倒せと言うのだ。


「ほ、他に手段はないんですかね……司教様」


「残念じゃが……」


 思わず、ため息がこぼれた。藁にもすがる思いだったが、どうにも事はうまくいかないようだ。諦めて、各地の酒場で地道に聞き込みを続けるしかないようだ。
 しかし、わざわざ王都まで出張ってきたのだ、手ぶらで帰るというのは何となく味気ない。そんな気持ちが、ふと口をついて出ていた。


「そういえば、ここにもワインはあるんですよね?」


 司教の目が、先ほどまでとは打って変わって鋭い物へと変わる。まずい、なにか地雷を踏んだか?


「……あるが、どうするのじゃ?」


「いえ、酔えなくはなったのですが、せっかくですからここのワインの味ぐらいは確かめて帰ろうかと……」


 もし、俺の言葉が司教の怒りに触れたのなら、その時は素直に鞭を受けよう。どうせ、耐性の力のおかげで、たいして痛くはないのだから。そう思った俺は、正直に本音をそのまま司教へと伝えた。

 司教は、目をつむり手を顎にあて「うんうん」と唸りだした。


「耐性の力を抑える方法はないが。魔王を見つける手段なら……実のところ……ある」


「実はな、魔王軍と思しき連中の拠点を一つ見つけての」


「あやつら、遂にこの王都にまで、その魔の手を伸ばしてきおったのだ。最近、ワインの売り上げが芳しくないと思って調べたらこれじゃ……まったくゴキブリのような連中じゃ」


 唐突に、俗的な口調で話し出した司教に、俺は言葉を失っていた。かつて、この俺に教会の戒律を叩きこんだ厳しい神父様と
、いま俺の目の前で、汚い言葉で魔王軍を罵る男が同じものだとは到底思えなかったからだ。
 しかし、司教の話はとても聞き流せる内容ではなかった。司教の変貌ぶりは重要なことではないと、頭を振って、司教へと向き直す。


「ちょっとお待ちください。どういうことですか?」


「じゃから、魔王軍の連中がこの王都に潜んでいるということじゃ」


「やつら、いまや我ら教会の最も強大な商売仇じゃからな。ちょっと行って、ぶっ潰してきてくれないか?」


「そこには魔王も?」


 そうだ、魔王さえ倒してしまえば、俺は耐性の力を失うのだ。そうすれば、また千鳥足テレポートを使えるようになり、遊び人を探しに行くとができる。しかも今度は、勇者としての責務も消え、罪悪感に悩まされることなどもない。大手をふって、彼女の尻を追いかけることができる。


「少なくとも、幹部級がいるとのことじゃ」


「なぜ、そのような情報をお持ちであったのに、もっと早く知らせていただけなかったのですか!?」

 
 俺の怒りの乗った言葉に、司教には一切悪びれる様子がない。それどころか、口をとがらせて口笛を吹く素振りまで見せている。


「儂が知っている勇者は、戒律どころか法律にも雁字搦めにしばられた男じゃった。そんな男に、こんな俗的な話を聞かせたら、逆に儂を鞭で叩きかねんかったからな。それどころか怒り狂って大聖堂内で綱紀粛正を叫びかねん」


「では、なぜその情報を伝える気になられたのですか?」


「お主が、ワインを所望したからの」


 ワイン……?


「おや、数多の酒場で既に経験済みかと思っておったが……知らなんだか」


「酒場では、素面の男は信用されんのじゃぞ?」


 この狸親父め、教会のことを酒場と宣いやがった。俺は、呆れながらも、かつて恐怖におののいた目の前の男に僅かながらの親近感を覚えていた。 

 しかし、参ったものだ。

 司教の様子を見るに、この国で一番の教会内部は拝金主義に目覚め、だいぶ腐りきっているようだ。しかし、なに。腐ることは何も悪いことだけじゃないさ。だって、彼女の愛した教会のワイン。ワインとて、ブドウが腐ったおかげで生まれたものなのだから。 

おつおつ


メチルはやめとけメチルはwwでも耐性有るから平気か

 魔王の秘密基地への奇襲攻撃は、十日後の深夜から明け方にかけて行われることとなった。司教の情報によると、基地内には魔王軍でも精鋭と呼ばれる魔物たちが溢れているらしい。当初は一人で乗りこむつもりだったが、司教の勧めもあって教会の僧兵たちを引き連れていくこととなった。その準備に日を要するとのことだ。手数が多ければ、魔物を逃がしてしまう恐れも少なくなる。断る理由はなかった。


 司教は、教会の宿舎に泊まれるよう手配すると申し出てくれたが、俺はそれを辞退した。久方ぶりに眠れない夜を過ごしたせいか、頭が割れるように痛く、重かったからだ。人の出入りが多い教会では、ゆっくり休むことは難しいだろう。俺は、街外れの安宿に部屋を取ることにした。

 
 宿のベッドに横になる。安宿だけあって、やたらに固いが文句は言うまい。今は、一刻も早く床につきたかった。宿に辿り着くころには、頭痛はさらに凶悪なものになっていた。


 そういえば、眠れない夜を過ごしたのはいつ以来だろうか。魔王を取り逃がし、一人で魔王を追っていた頃は、まともに睡眠をとれた日のほうが少なかった。そして、たとえ眠ることができたとしても、それは体力と精神が限界を迎えることで僅かな時間だけ意識が飛んでしまうもので、それは睡眠というよりも気絶に近かった。


 当時の俺は、そういう生活に慣れてしまっていた。魔王を取り逃がしてしまったことへの罪悪感や不安、焦燥感に苛まれることはあっても眠れないことは気にも留めていなかった。だが、こうして、たった一晩の徹夜だけで苦しんでいる自身の様子をみるに、それは勇者の耐性の力によるものではなかったのだろう。慣れることで、眠れない苦しみや痛みに鈍感になっていただけで、痛みは確かにそこにあったのだ。


 俺が、朝を清々しい気持ちで迎えられるようになったのは彼女と出会って、酒を飲むようになってからだ。


 酒には、俺の抱える不安や、のしかかる責任感を一時的に和らげる力があった。いや、今にして思えば、その力は彼女にこそ宿っていたのかもしれない。彼女と共に酒を酌み交わし語らう時間が、俺に安らぎを与えてくれていたのだ。


 ふと嫌な予感が頭の隅をよぎる。慌てて、教会からもらったワインを口に含む。。
 

 俺の鈍った感覚は、彼女と酒の力でどんどん鋭敏さを取り戻していった。これだけ聞けば、何か俺が強くなったかのようだが……。その結果がこれだ。わずか一晩徹夜しただけで、頭の中ではグアングアンと、まるでドラゴンの悲鳴のような重低音が鳴り響いている。俺はこの痛みと再び付き合っていかなくてはならないのだ。しかしまあ、恐れることは何もない。彼女だけでなく酒に酔うことすらも失った俺に、もう安息の夜など訪れることはないとしても。一度は慣れてしまったのだ、今度は二度目だもっと早く慣れるだろうさ。


 口の中一杯に、ワインの渋みと香りが広がっていく。
 


 そう、要は「慣れ」なのである。耐性の力に頼らずとも、慣れてしまえば俺は大丈夫なのだ。彼女に逃げられてしまった悲しみにだって慣れてしまえばいいのだ。……いやまて、俺は逃げられたのか? いや、そうじゃないはずだ。あの晩、俺たちは確かに愛し合った。不手際か?俺が、知らぬうちに何かをやらかしてしまっていたのか?突っ込む穴を間違えた?いやまて、だったら、彼女のことだ笑いながら許してくれる……はずだよな? いやいや、仮にそうだとしても。彼女が怒り心頭したとしてもだ。俺の前から、書置きすらなく急に消えることなんてことはないだろう。逃げられたというのは、妥当な推論から最も遠いところにあるはずだ。ならば、なぜ彼女は姿を消したというのだ。……第三者に攫われたとか? いや、いくら俺が女にうつつを抜かしていたといっても、寝ている隙に女を攫われて気づかないはずがない。伊達にも勇者なのだ、そこまで無能を晒すほどやわな男ではない。では、やはり、彼女は自身の意思で……。


 ああ、だめだ間に合わなかった。遂に、喧噪の夜が始まってしまった。そう、これだ。不安や不満、焦りや怒り。俺の中にあるありとあらゆる負の感情が、俺の意思とは関係なく思考の滑車をくるくるとまわすこの感じだ。止まらない思考から生み出される推測や、憶測は、更なる不安を呼び、その不安がまた思考を回させる。これが始まったら、もうおしまいだ。今晩もまた、俺は眠りにつくことはないだろう。


 慌ててワインを口に含んだところで、それを防ぐことなどできようがなかった。俺はもう、酒に酔うことはできないのだから。


 なんとか朝を迎えるが、疲れは一向にとれていなかった。それどころか、ドラゴンの悲鳴が魔王の断末魔にクラスアップしている。いつか聞きたいと願っていたが、こんなところで耳にすることができるとは実に僥倖僥倖。魔王の野太く響く声が実に心地いい。なんとなしに剣の鞘を抜くと、目の下に確りクマができていた。


 久しぶりの故郷ではあるが、散歩に出かけるような気は起きなかった。魔王の基地を襲撃するまであと六日。俺は、宿にこもり少しでも体力を温存することにした。


 五日目の深夜、俺は遂に限界を迎えていた。意識は朦朧とし、頭痛は常人なら殺しうるほどの鋭さを得、目の下のクマは顔全体を覆うほどに広がっていた。だが、それでもなお「気絶」ないしは「睡眠」に落ちることはできていない。

 ただ、俺は眠りたいだけなんだ。体を休めたいだけなんだ。どうして、こんな簡単なことができないんだ。かつての俺は、この苦しみに耐えきり、慣らしてしまったというのが信じられない。信じられないが、俺は成しえたのだ。為せば成る、為さねばならぬ何事も。……何が成しえただ。魔王討伐という勇者最大の責務を果たせない男が、何をもってして何事かを成しえたというのだ。笑える。実に滑稽な話だ。


 いつものように、回りだした思考が俺の眠りを妨げる。


 あぁ……こんな眠れない夜を……かつて俺はどう過ごしていたのだっけ……。
 この苦しみをどうやって乗り越えたのだったか……。


 ああ、そうか。


「……眠れないのなら、眠らなければいい」


 俺は、ベッドから這い出て、剣を腰に差し、クロークを身にまとっう。
 足元がふらつき、視界がぐるんぐるんと回っているが、これが酔いのせいではないことは確かだった。


「じゃあ、仕事にとりかかろうじゃないか」

おつおつ
勇者復活か


無粋でスマンが伊達を使うなら、伊達にも~じゃなく、伊達に勇者を名乗っている~とかにした方が良いかと

いえ、誤字や誤用の指摘は助かります。ありがとうございます。

 草木も眠る丑三つ時、俺は王都の南西、この国で最も広い流域を持つ大河の辺に立っていた。この地域には、背の高い倉庫がぎゅうぎゅうに敷き詰められており視界がまったく通らない。昼はともかく、夜間ともなれば人気もなくなり何かを隠すにはもってこいの場所なのだろう。巨大な川は、それだけで有用な交通路となる。王都に運び込まれる、もしくは持ち込まれる品の大半は、この倉庫街を経由するとも聞く。今回向かっている魔王軍の拠点も、他の地域から秘密裏に流れてきたムーンシャインを保管する秘密倉庫なのだろう。


 俺は、指先に熾した魔法の光で地図を確かめる。地図に従い、倉庫と倉庫の間の狭い路地を進んでいく。倉庫は、どれも似たような造りになっており地図がなければ完全に迷っていただろう。魔王軍の拠点は、そんな迷路のような道の一番奥にひっそりと建っていた。秘密なのはわかるが、こんな迷路の最果てに倉庫を設置して、いったいどうやって荷下ろしをしてるんだ……?

 正面の大扉も締まっているが、わずかに光が漏れている。近づくと、倉庫の中に多くの気配を感じた。俺は、中の様子を伺えないかと建物の周囲をぐるりと回ってみることにした。建物の側面に回り込むが、窓が一つもない。そのまま裏へと回ってみる。


「なるほどな、こんな所でもやっていけるわけだ……」


 倉庫の背後には、大河がひろがっていた。建物から直に伸びた桟橋が、河へと突き出ている。荷物の搬入搬出は、全て水路を利用しているというわけだ。偵察と呼べるほどの成果はなかったが、突入は実にやりやすくなった。出入口が二つしかないということは、つまり、敵を逃してしまう可能性が少ないということだ。

 俺は、普段より一際声のトーンを落として魔法の詠唱を始める。


「氷結魔法 ストロングアイシクル」


 全身から力が抜け、強い疲労感に襲われる。魔力切れの症状だ。片膝をつき顔をあげると、持っている魔力を全部つぎ込んだ甲斐あって、大河の一部を凍らせることに成功していた。これで半日は、船を出せない。敵の逃走経路は、正面の大扉に絞られた。


 大河の異変に、中の連中はまだ気づいている様子はないが時間の問題だろう。俺は、呼吸を整え正面大扉に向かった。


「久しぶりに、勇者らしく正面から堂々と行こう」


 誰に言うでもなく呟き、俺は大扉へと手をかけた。



 ごごごごご。大扉は、大きな音をたてながら少しずつ開いていく。すると、その音を聞きつけて倉庫の奥から男が出てきた。背が大きく、シャツの上からでもその屈強さが伺われるほど筋肉が張っている。なるほど、一見すると倉庫街で働く大男といったところだ。


「なんだぁ、おまえ?」


「……俺はただ眠りたいだけなんだ」


「じゃあ、家に帰って眠れば?」


 困惑する大男をしり目に周囲を伺っていると、更にもう一人やはり、同じような背丈の大男が異変を感じてやってきた。


「おいどうした?」


「いや、酔っ払いが入ってきちゃってるんだよ」


「いやまて、そいつどこかで……」


「おまえら、靴はどうした?」


 俺からの不意の質問に屈強な男二人は、はっとした顔で自分の足元を見る。彼らは、二人とも素足で妙なことにつま先だけで立っている。

 大男たちは互いの顔を見合わせ、次の瞬間、二人同時に俺の顔めがけて拳をふるってきた。しかし、そこには既に俺の顔はなく拳は空をきる。俺は身体の力を抜き、重力の助けを借りることで尋常ならざる速度でしゃがみ込み拳を回避したのだ。攻守交替と、俺は剣を鞘ごと腰から引き抜き、勢いそのままに最初に出てきた男の顎を剣の柄でくだく。そして、息つく暇もなく剣を純手にもちかえ、右の男の側頭部を振りぬいた。



「今度、人間に化ける時はしっかり靴を履いておけ」


 二人の大男は、地面に倒れ伏せ、しゅうしゅうと煙があげ魔物の姿へと変わっていく。変身魔法だ。大男たちの頭から二本の角が、尻からは尻尾が生え、つま先は蹄へと変わっていく。ミノタウロスだ。そりゃあ、蹄があるのだから靴をはく習慣はないだろうさ。
 
 しかし、こいつらいつかの倉庫で出会った連中じゃなかろうな。いや、俺に魔物の顔は見分けられないし、仮にそうだとしても再開を喜び合う関係ではない。

 倉庫の中には、信じられないほどの大きさの大樽が並んでいた。大樽からは、あちこちに俺の腕ほどの太さがある配管が伸びている。なんだこれは、ただのラムランナーの拠点とは到底思えない。ここは、何か別の目的を持った施設なのかもしれない。

 倉庫の最奥には、中二回になっているところが見える。そこには、倉庫の中だというのに更に小さな建物がぽつんと立っていた。一先ず、あそこを目指してみよう。


「そりゃあそうだよな」


 俺の行く手を、大勢の男たちがふさいでいた。入り口での物音を聞きつけてきたのだろう、その手には、斧やこん棒といった武器が握られている。彼らは、俺の背後に倒れている二頭のミノタウロスの姿を見ると、雄たけびをあげて突撃してきた。


 男たちは一歩進むごとに、その姿を魔物へと変貌させていった。顔が膨れ上がり、腕はさらに太く、足は更にたくましく。ミノタウロスはもちろん、オークにオーガまでいる。まるで魔物の見本市だ。

 対する俺も、歩を進める。少しずつ歩幅を広げ、最後には駆け足で魔物たちへと突撃する。今の俺の姿は、傍から見れば雪崩につっこむ小石の一つに過ぎないだろう。

 俺と魔物たちとがぶつかると、その衝撃が爆発のように倉庫に広がった。俺は、速度を落とすことなく剣をふるう。対する魔物たちも、同様だ。俺は、その身をもって彼らの剣を受ける。避ける必要など一切ない、彼らの斧が俺の肌を切り裂くことはないし、そのこん棒で血が流れることもない。だが魔物たちは別だ、俺が剣を振るごとにその巨体が崩れ落ち、吹き飛び、うめき声をあげる。とても美しいとは思わないが、俺が与えられた耐性の力を最も効率的に使える戦い方だ。

 大雪崩を抜け切ると、俺は踵を返し再び魔物たちの群れへと突っ込んでいく。それを繰り返すたびに、立っている魔物の数は減っていく。息が上がるが疲労感はない。極度の興奮状態で、神経がマヒしているのだろう。着ている服もズタズタにされているが、見た目ほど俺にはダメージはない。

 

 魔物たちの第二陣がやってきて、俺を取り囲んだ。先ほどの、戦いぶりをみて警戒しているのだろう。単なる力押しでは勝てないと踏んだのだ。しばしの膠着状態は、一人の男によって崩された。


「勇者め! ついにこんなところまで来たか!」


 その声は、倉庫の中二階から聞こえてきた。見ると、赤い褐色肌のオーガが立っている。その姿、誰が忘れようか炎魔将軍。

 あいつは、遊び人の顔に傷をつけた糞野郎だ。「手加減は抜きだ」と、剣を鞘から抜こうとしたその時、突然背中に激痛が走った。俺の体は宙に浮き、前方へと逆九の字で吹き飛ばされる。


「だめだ、やっばり刃が通らない」


 受け身を取って、振り返ると片目に眼帯をしたミノタウロスがいた。ミノタウロスは、自身の斧を不思議そうに眺めている。しゃがれた声に、他のミノタウロスより一回り大きい身体。魔物の顔は見分けられないといったが、こいつは覚えてる。


「あの時のやつか……っ!」


 ミノタウロスは、今度は俺のほうを不思議そうに見つめてきた。


「なんで、剣をぬいでいないんだ?」


「答える必要はないっ!」


 俺は、僅かに風を切る音を頭上に感じ、慌てて前転して避ける。中二階から飛び降りてきた炎魔将軍が、先ほどまで俺がいた地面を切り裂いていた。炎魔将軍がチッと舌打ちをする。


「耐性の勇者をなめるな。たとえ不意打ちだろうが、俺に二度の同じ失敗はない」


 憎き炎魔将軍を鼻で笑ったつもりだったが、奴は気にもかけず口角をあげた。


「いや、確かによく避けたものだ。流石は女神の力を受けたものだ。しかし避けたということは、私の剣なら貴様も切り裂けるということだろうか?」


「だったら試してみろ……っ!」


 ボス戦の始まりだ。

久々のバトルに興奮を隠せない
おつおつ


盛り上がってキタ!

 炎魔将軍の持つ刃から、ユラユラと揺らめく空気が昇っている。あの刃は、相当な熱を帯びているのだろう。その鋭さは、俺の骨すら断てるかもしれんと、思わず額から冷や汗が滴り落ちる。
 
 すると、まるで俺の恐怖を読み取ったかのように、炎魔将軍が先に動いた。地面を強く蹴り、一瞬で俺との間合いを縮めその炎の剣を横なぎに振るう。俺は、かろうじて後ろへ一歩退き剣をかわした。

 背後では、それを待っていたと言わんばかりにミノタウロスが斧を上段に構え待ち構えていた。無理な後退で体制を崩した状態では、斧を避けることは適わない。俺は、勢いそのままにミノタウロスに背中から突っ込む。懐に入られては、ミノタウロスも斧を振れまいという算段だ。

 案の定、ミノタウロスは斧を持て余してしまったようだ。せっかくの武器を放り投げ、その逞しい腕で俺につかみかかってきた。しかし、巨体ゆえかその動きは緩慢で俺を捕らえるには至らない。俺は、ミノタウロスの股の下を潜り抜け、その背後に回る。そして、まるで岩山を上るかのようにその背中を登り、遂にはうなじにまで到達し、その首へと手をかける。

 だが、その首はあまりに太く俺の腕では到底回りようがない。俺は、ミノタウロスの首に剣をあて、鞘の両端を持ち渾身の力で後ろへと引いた。呼吸ができなくなったミノタウロスは、俺を振り落とそうと体を揺らしにかかる。だが、こちらとて全力を込めているのだそう簡単には振り落とされない。


「ぐおおおおおおおおお」


 ミノタウロスの動きが、何かを決したかのようにピタリと止まる。その目は、まっすぐ炎魔将軍へと向いている。


「将軍! おでごと! 斬れっ!」


「応っ! 」


 ミノタウロスが、自身の背中を炎魔将軍へと向ける。その背に無防備に張り付いている俺は丸見えの格好だ。

 炎魔将軍は、一瞬の躊躇もなく右斜め上段から剣を打ち下ろしてきた。

 自身を犠牲にしろというミノタウロスと、それをいともたやすく受け入れる炎魔将軍。くそったれ、久しく忘れていた。こいつら魔族は戦いとあれば、死よりも敵を倒せぬことを恐れる連中だ。

 その判断の遅れが、俺がミノタウロスの背中から脱出するのをほんの僅かコンマ数秒だけ遅らせた。炎の刃は、ミノタウロスの背中と俺の脇腹を切り裂いた。

 俺は、片膝をつき炎魔将軍をにらみつける。傷はかなり深い、だがその燃える刃のおかげで肉が焼かれ傷は塞がっている。炎の刃で無ければ、はらわたが零れ落ちていただろうに、まったく炎さまさまだ。……いや、そもそも炎の刃だからこそ俺の肌を切り裂けたのか。久方ぶりの懐かしい痛みと己の阿呆さに、ふと笑みがこぼれる。



「やはり、私の剣なら貴様を切り裂けるようだな」


 隣では、ミノタウロスが俯きに倒れ、ぜはぜはと息を切らしている。背中には、真新しい一文字の傷がしっかり刻まれている。本当にとんでもない連中だ。

 俺は、立ち上がって剣を抜き炎魔将軍へ詰めよる。痛みと、冷たい汗が止まらないが、そんなことを気にしている場合ではない。
 
 ふらりふらりと近づいてくる俺に、炎魔将軍は勝ち誇った顔を見せている。そうやって油断していろ。俺は、細く長く息を吐きだし肺の中から古い空気を追い出していく。ついに空となった肺は、新しい空気を求め大きく息を吸い込んでいく。十分な内気の高まりを感じ、それが頂点へとたどり着いた瞬間、俺は弾かれたバネのように剣を突く。

 剣先は、まっすぐ炎魔将軍の喉へと向いていた。しかし、炎魔将軍はまるで俺の狙いがわかっていたかのように僅かな動きでそれをかわした。


「私と戦う奴は、みなそう考えるんだよ。だが正しい選択だ。私の剣は、お前の剣すら斬ってしまうだろうからな。武器を失いたくないなら、そうやって突いてくるしかないぞ!」


「くそっ……」


「なに、わかっていればお前だって突きを避けるなど造作もないだろうよ。それ、試してみろ!」


 炎魔将軍の鋭い突きが、続けざまに襲い掛かってくる。急所をかろうじてかわすが、腕とふとももに受けてしまった。歯を食いしばり、負けじと突き返すが、こちらの攻撃はまるで当たらない。こちらは、睡眠不足で魔物たちとの大乱闘を経てるんだ、そのうえ脇腹の深手を考えれば無理もないことだった。 


「だったら、こうだっ! 」


 俺は、自身の剣を投げ捨てる。



「おいおい、もう諦めたのか?」


「まさかっ! 」


 炎魔将軍は、俺を訝し気に眺めた後、再び剣を振るってきた。俺は、それらを皮一枚のぎりぎりでかわす。炎魔将軍が目を見張る。攻撃を捨てた、完全な受けの姿勢。普段の俺とは、対極に位置する戦い方だ。


「そんな芸当が、いつまで続くかなっ! 」


 目、喉、肩、腹、ありとあらゆる所に伸びてくる剣を、俺は必死にかわし続ける。一瞬のミスが死に直結する。俺は、全神経を炎魔将軍の手元と剣先に向け、奴の狙いを的確に避けていく。だが、皮一枚でぎりぎりだ。傷の数は、確実に増えていった。



 剣を振るう炎魔将軍も、それをかわし続ける俺も、完全に息が上がるまで相当な時間を要した。額からだらだらと汗を流し、互いに肩を揺らす。炎魔将軍は喉からは声にもならない高い音をヒィヒィと鳴らせている。対する俺も、似たようなものだ。大きく口を開け、ぜぇぜぇと息を吸い込んでいる。だが、大きく異なる点が一つ。満身創痍の俺に対して、炎魔将軍は完全な無傷だった。


「ヒィヒィ……さすがは勇者か……」


「も、もうそろそろいいだろう……」俺が呟く。


「ぞれば、ごっぢのゼリブだっ!」


 どうやら、動けるまで回復したらしいミノタウロスが、俺の背後から組みかかってきた。身体が、がっちりとホールドされ、抵抗を試みるが疲れのせいか力が出ない。


「よくやった、そのまま抑えておけ……ヒィヒィ……これでトドメだっ!」


 炎魔将軍が、息も絶え絶えに寄ってくる。やっとのことで、振り上げられた刃が俺の天辺へと打ち下ろされる。



 がっきーん。


 謎の金属音が倉庫に響く、まるで時間が止まったかのように沈黙が訪れた。


 剣が、皮すら切り裂くことができずに俺の額でピタリと止まってしまっていたのだ。


 炎魔将軍、さらにはミノタウロスすら、そのあまりの光景に空いた口がふさがらずに呆けてしまっていた。


「お前の炎の剣。ようやく俺の体が慣れたようだ」


 受けた傷の数だけ強くなる。俺の耐性の力が、炎の刃を受け続けることによって、それに完全なる耐性を手に入れていたのだ。

 俺は、肩の関節を自ら外し、ミノタウロスの拘束を抜け、阿呆面を晒している炎魔将軍の顎に飛び蹴りをかます。炎魔将軍は、何が起こったのかもわからないまま、激しく脳を揺さぶられ、あおむけに倒れた。

 遅れて、我に返ったミノタウロスが、拳をふりかぶって襲い掛かってくる。それを、落ち着いて半身で回る様にかわし、回しげりをやはりミノタウロスの顎にお見舞いする。その巨体が、地面へと崩れ落ちる。


 周囲を見回す。もう、どこにも、立っている者はいなかった。まるで魔物柄のカーペットが床一面へと敷かれたような死屍累々といった様だが、誰一人として命を奪われたものはいなかった。


 ああ、なんとか終わったぞ。

 両肩は外れ、装備はズタボロ、身体中傷だらけ、剣もどこかにいってしまった。襲い来る疲労感に、いまにも気を失ってしまいそうだ。


「今夜はぐっすり眠れそうだ……」


 目をつむり、倉庫の天井を見上げた俺に


「では、もうおやすみになられては如何です?」と、どこからともなく、力強く優しい声が囁かれた。

 
 独り言のつもりが、思わぬ返答に俺はぎょっとする。


 次の瞬間、後頭部に重い衝撃が走り、俺は振り向きざまに倒れこむ。


 幽かに薄れゆく意識の中で、俺の目に映っていたのは見覚えのある顔だった。


 マスター……なんでアンタがここにいるんだ……?


なん…だと?

耐性の勇者ならではだな並みの勇者なら死んでいた
おつ

 意識が戻った俺は頬に冷たさを感じた。身体を動かそうとするが身動きが取れない。それどころか、目は見えないし、声も出ない。どうやら、拘束された上に地面に放られているようだ。唯一、塞がれていない耳から二人の男の会話が聞こえてきた。


「いやあ、しかし遂に決心していただけたのですね。我々魔王軍に、先代が加わってくれれば百人力です」


「いえいえ、勘違いなさらないでください。今日は、見学に来ただけなのですから」


 声の主は、おそらくマスターと炎魔将軍だろう。俺は、目が覚めていることを気づかれないように息を潜める。


「まぁまぁ、そんなことおっしゃらずに」


「……おや?もう目が覚めたようですね」


 速攻でバレてしまったようだ。やはりマスターは侮れない男だ。

 
 身体を起こされ、目隠しが外される。光に目が慣れてくると、そこには白いタキシード姿のマスターが立っていた。俺は、マスターをしり目に周囲の様子を伺う。目の前には、デスクが並んでおり机の上には紙が雑多に置かれている。振り返ると、ソファーがあり炎魔将軍が腰かけ憎々し気に俺のほうを見ている。その腫れて膨れ上がった頬を見て、わずかに笑みがこぼれた。部屋の周囲は、窓ガラスが並べられていて奥には倉庫の壁が見える。ここは、倉庫の中二階にあった小部屋で様子から見るにどうやら事務所であることが知れた。


 俺は、マスターを向き直り抗議の声をあげる。


「もがもがもが」



 マスターを問い詰めたつもりであるが、猿ぐつわを噛まされているため喉を鳴らすのがやっとだ。


「……」


 マスターは、人声も発さずに俺の目をじっと見つめている。……どうも、マスターの様子がおかしい。マスターの目は、酷くくすんでいて生気がない。俺がバーで出会ったのは、綺麗な紅色の瞳を持ち、落ち着きこそあれど生気に満ち溢れた男であったはずだ。それだけではない。顔色も心なしか悪いように見える。それに、その背から立ち上るオーラは只ならぬ様相を呈している。


「将軍。彼と二人きりで話をさせてもらえますか?」


 焦った炎魔将軍が、ソファーから立ち上がりマスターに詰め寄ってくる。


「し、しかし、こいつは魔王様の片腕すら斬りおとすほどの危険な男で……」


「よろしいですね?」


 マスターの有無を言わさない態度に、炎魔将軍はゴクリと唾を呑んだ。しばしの沈黙が流れ、その強い意志に諦めたのであろう、炎魔将軍はすごすごと部屋を出て行った。


 マスターの手で、猿ぐつわが話されるや否や俺は今度こそ声をあげた。


「どういうことだマスター! 魔王軍とはかかわり合いがないんじゃなかったのか!?い、いや、今はそんなことはどうでもいい! 聞きたいことが……」


「質問するのはこちらです」


 俺の言葉を遮ったその声は、いかなる耐性を以てしても震えあがるほど冷たいものだった。また、声と同時に放たれたどす黒い殺気が俺を襲ってきた。俺は、歯を必死になって食いしばる。少しでも気を緩めれば、歯がガチガチとなってしまいそうだった。



「あの娘は……遊び人は、どうしていますか?」


 まったく予想外の質問に、俺は声を詰まらせてしまう。マスターは、そんな俺の様子をじっくりと伺っている。俺が何か、隠し事や偽りごとをしないか、僅かな動きから読み取ろうとしているのだろう。


 だが、そんな質問がなされるということは。


「マスターの店にも来ていないのか……?」


「にも?」


「ちょうど店で飲んだ日の翌朝だ。その時には、もう姿を消していた……それ以来、ずっと探しているのだが……」


「……私の店にも、あの日以来顔を出していません」


 マスターは、あからさまに大きな溜息を吐き出した。先ほどまで放たれていた、どす黒いオーラもそれと同時に一気に霧散してしまっていた。その口ぶりや様子から察するに、彼もまた遊び人のことを探しており、どうやら俺のことを疑っていたのだろう。疑いが晴れたのは喜ばしい、だがマスターの必死な様相には、彼女とマスターの間には、店の主人が常連客の安否を慮るものとは違う別種の関係があるように俺は感じた。


 しかし、事は予想以上に深刻なようだ。俺は、彼女は何らかの事情で自分の意思で姿を消したのだと踏んでいた。もし、その事情が俺にかかわりのないものだったら、俺は彼女の力になりたいし。逆に、その事情が俺への不満や不平だったとしたら。その時は、スンナリと退きさが……すんなりと……。いや、これは嘘だな。俺の本当の気持ちではない。もし、俺への不平不満だったとしたら……泣いて、詫びて、鼻水も流して、涎も垂らしながら、縋りついて捨てないで下さいと懇願しよう。……そういう腹積もりで、俺は彼女を追っていた。


 だが、あの無類の酒好きがマスターの店にすら顔を出さないとすれば話は別だ。仮に、店で俺と鉢合わせるのすら避けたいと彼女が思ったとしよう。それでもなお我慢しきれずに、店にフラフラと飲みに来る。それが、あの遊び人という女なのだ。ましてや、半年以上も自分の意思で酒を我慢するなど天と地がひっくり返ってもありえない。そこに、第三者の介入があると推測するのはもはや必然であった。


「いえね、貴方の様子を見て、そのような気はしていたのですが、確証はありませんでしたので。こういった形になり、とんだ失礼を致しました」


「……俺の様子を見ただけで、そこまでわかるのか。流石マスターだ」


「……?あぁ、勇者様は普段から鏡をご覧にならないのですね」


「どういう意味だ?」


「酷い顔をしてますよ」


「シツレイな」


「いえ、そういう意味ではありません。目は腫れて、クマがはっきりと出ていますし、顔色も真っ青でまるで腐ったゾンビのようですよ」


 人のことを言えた義理ではない。俺からしてみれば、マスターのほうこそ酷い顔だ。……いや、それだけ彼も彼女のことを心配しているということなのだろう。


「それに後頭部には大きなコブまで……あっ」


「コブ?」


 確かに、マスターの言葉通り、後頭部にずきずきと痛みがあった。手で擦ろうにも、手枷がはめられていてうまくいかない。俺が、もぞもぞとしている前で、マスターは、何やら口笛を吹く素振りで視線をそらしている。



「……と、なると今日ココに来たのは正解だったかもしれません」


 なんか、話を逸らされた気がする。


「どうでしょう。私と手を組みませんか?」


「手を組む?」


「もしかすると魔王のところに連れていってさしあげられるかもしれません」


「乗った」


 俺は、二つ返事で引き受けた。俺の、そもそもの旅の目的は魔王を見つけ出すことであるし、千鳥足テレポートを使って遊び人を探すにしても、耐性の力を失うには魔王を倒すしかない。今の俺にとって、魔王は二重に重要な存在となっているのだ。


「で、俺はマスターに何を返せばいいんだ?」


 マスターのことだから、憎き人間を殺せとか、貴族たちから金を巻き上げてこいといった、反社会的なことではないだろうが、魔王のところに連れて行ってもらえる代償ともなればそれ相応のものとなるだろう。命以外の物なら、なんだって差し出してやると、俺は人知れず覚悟を決めた。


「まあ、事と次第によっては邪魔な魔物達と戦っていただくかもしれません。しかし、とりあえずのところは私に同行してもらえればそれで十分です」


「この腕と足で?」


 俺は、マスターの目の前で手枷と足かせを揺らして見せる。マスターは、クスリと笑った後にゴニョゴニョと魔法を唱え、枷の鍵を解いてくれた。俺は、立ち上がり大きく伸びをする。どれくらいの時間、拘束されていたのかはわからないが肩や腰がガチガチに固まっていた。

 ふと窓の外をみると、手持無沙汰に事務所の周りをぶらぶらとしていた炎魔将軍と目が合ってしまった。炎魔将軍は、押っ取り刀で部屋に入ってきた。


「せせせせ先代っ! 無事ですか!?」


「やぁ、これはすみません。私が、枷を解いてあげたんですよ」


 「はい?」と疑問符を頭に浮かべている炎魔将軍に、俺はマスターの後ろからあかんべーを見舞ってやる。炎魔将軍は歯をむき出しに、何事かを言おうとするがマスターに遮られ「ぐぬぬ」と悔しそうな顔を見せた。ざまあみろ。


「いえね、彼にも見せてあげようと思いまして」


「こいつにですか……?」


 炎魔将軍は、露骨に嫌そうな顔をしている。俺は一体、何を見せられるんだろう?
 

 そんな俺の心を読み取ったかのように、マスターが続けた。


「おや、貴方が大立ち回りを演じた舞台がどこなのかご存じないのですか?」


「いや確かに、ラムランナーの倉庫にしては妙な造りだとは思っていたが……」


「ここは、魔王軍の酒造りの最前線。ビール工場なんですよ」


「魔物たちが? 酒造りだと……?」


「どうです勇者様、魔物の手による初めてのビールです。一緒に見学して、ついでに味見といきませんか?」


大方の予想を裏切ってまさかのドライ…な訳ねーか

冒険が終わるかと思ってヒヤヒヤした

 炎魔将軍が先頭に立ち、そのあとにマスター、そして俺が続く。階段を降り、大樽の間を進んでいくと背の高い円筒状の構造物が見えてきた。円筒状の先は円錐となっており、倉庫の天井を突き破りそうな勢いだ。


「ビールが何でできているかは知っているな?」


 炎魔将軍が前を向いたまま、唐突に声を発した。その口ぶりから察するに、マスターではなく俺に問いかけているのだろう。


「麦だ」


「まあ、その通りだ。正面向かって右手のサイロには大麦が、左手のサイロには麦芽が入っている」


 目の前に並ぶ円筒状の構造物は、サイロと言うらしい。たしか農村とかにある、穀物を貯蔵するための設備だったはずだ。


「なんで、建物の中にサイロなんか建てたんだ?」


「馬鹿かお前。外に建てたら目立つだろ」


 確かにその通りだった。ここは、禁酒法が定められているこの国にとって違法な設備以外の何物でもない。その程度のことにすら考えが及ばないとは、どうやら俺の思考はまだだいぶ鈍っているらしい。


「麦芽もここで作っているのですか?」


「いえ、ここでは手狭ですので。麦芽は、よその業者に任せてます」


 先ほどのやり取りからも伺い知れたが、炎魔将軍はマスターに頭が上がらないらしい。まあ、マスターは先代の魔王であるのだし当然と言えば当然か。


「ところで……麦芽ってなんだ?麦とは違うのか?」


 俺の質問に、炎魔将軍がため息をついた。


「麦芽は、麦に水を与えて芽を出させたものだ。そうすることで、麦の中の糖分が増すんだ」


「糖分を増やす?つまり、ここでは甘いビールを作るってことか?」


「そうじゃない、その糖分を原料に酵素がアルコールを作るんだ」


「酵素?」


「お前は、何だったら知っているんだ……要は菌のことだ」


 飲む専門で酒が如何に造られているかなど知る由もなかった俺としては、炎魔将軍の話は悔しくも興味をそそられるものだった。ついつい、敵地のど真ん中であることも忘れて話に聞き入ってしまう。


「次はこちらです」

 
 炎魔将軍につきしたがい、俺たちは再び大樽の間を抜け階段を上り中二階の通路を進む。物に溢れ死角だらけの一階も、上から見回せば、倉庫の最奥まで見渡せた。一階を覗いてみると、素足の人間たちがセカセカと働いている。その体つきは一様に大きく、力にみなぎっている。おそらく、俺が気を失っている間に魔物たちが再び人の姿に化けなおしたのだろう。


「ちょうど真下にある釜で、熱湯を沸かし麦と麦芽を加えた麦芽ジュースを作っています」


「甘い匂いがするな」



「さっき言った麦の中の糖分を取り出しているんだ、当然麦芽ジュースは甘い」


 大釜の横を、木箱を抱えて大男たちが通っていく。木箱の中には、緑色をした植物の芽のようなものが詰まっていた。 


「麦芽ジュースができたら、隣の釜に移してホップを加えます」


 なるほど、大男たちが運ぶ木箱の中身。あれがホップなのか。


「このご時世で、よくホップを入手できますね」


 マスターが感心そうに木箱に視線を送っている。


「まあ主に生薬として栽培されている物です。見てみますか?」


 炎魔将軍が片手をあげ、一階の大男たちに「おおぃ」と声をかけ身振りでそれを寄越せと伝えた。大男の一人が木箱の中からホップをつかみ、放り上げたものを、炎魔将軍は造作もなくキャッチする。マスターは、その様にパチパチと拍手を送っている。


「お前も見てみろ勇者。これがホップ、ビールの要の一つだ」


 炎魔将軍の掌の上に乗せられたホップをマスターと一緒に覗き込む。ホップは、淡い緑色の葉が折り重なるようにその形を作っていて、まるで花のつぼみみたいだった。

 その一つを手に取って、まじまじと眺めていると炎魔将軍が「食ってみろ」と促してきた。まあ、何事も挑戦と口に放り込んでみる。

 そのあまりの強烈さに、目から涙が零れ落ちた。口内に広がる青臭さが、ひたすらに嗚咽を誘う。慌てて口の外に吐き出しても、その強烈な香りと苦みは残ったままだ。俺が後悔の念を胸に、炎魔将軍をにらみつけると奴はケラケラと笑っていた。その隣では、マスターも笑いをこらえるように肩を揺らしている。


「くそ、いつかこの借りは返すからな」



 俺のもがき苦しむさまを、二人は一頻り笑ったのち、再び通路を歩きだした。しばらく進むと、倉庫の入り口付近、パイプの伸びた大樽のあたりにたどり着いた。


「この大樽の中には、先ほどの麦芽ジュースに酵母を加えたものが入っています」


「ほほう。つまり、この大樽の中で今まさにビールが作られているということですね」


「なんだ、大樽の中で魔物が作業しているのか? 酷い作業環境だ」


「いえいえ勇者様、働いているのは酵母。すなわち、菌達です。かれらが糖分をアルコールへと変えることでビールが出来上がるというわけです」


「菌が……?」


 俺は、素直に感心していた。目に見えないほど小さい細菌が、糖分をアルコールに変える? その実、マクロな話なのだろうに俺の理解を大きく超えるそれは、とても雄大で力強く感じられた。いままで、何も考えずに酒を飲んでいたのが少し恥ずかしく思えてきたほどだ。遊び人は、酒は語らずに飲めと宣っていたが、知っていて語らないのと、ただ知らないだけで語ることができないのとでは大違いだと今更に気づく。


「飲んでみるか?」


 俺は、寸秒もおかずにうなづく。マスターも、目を輝かせて「是非」と声をあげた。


「では、どうぞこちらへ。先ほどの応接室に出来上がったビールを用意させますので」



 ビールを飲めると聞くと、どうにも浮足立ってしまったのか俺たちは足早に応接室へと戻った。炎魔将軍に促され俺はソファに腰を下ろす、だがマスターはそれを固辞し、窓際で倉庫で働く男たちへ熱いまなざしを向けていた。


「勇者と命がけのやり取りをしたばかりだというのに、みなよく働くものですね」


「……幸い、身体だけは丈夫な連中ですので」


 俺は、フンと鼻を鳴らす。別に、俺が悪いことをしたとは思っていない。魔物と勇者が出会えば、剣を交えるのはごく自然なことなのだ。だが、ここでせっせと真面目に働いている連中を見た後だと、そんな連中をコテンパンに伸してしまったことに、僅かにではあるが罪悪感が浮かんできてしまう。


「しかし、勇者よ。腕が鈍ったのではないか?」


 俺は、顔をあげ正面の男に目を向けた。炎魔将軍の物言いに、罪悪感が薄れ、変わりに怒りが込みあがってくる。


「でなければ、甘くなったな」


「……もう一度、地面に這いつくばってみるか?」


 なるべく重く、そして冷たく声を出す。しかし、炎魔将軍に怯む様子はない。


「今日、この倉庫に死体が一つも転がっていないのはどういうわけだ。どうして、最後まで剣を抜かなかった? 」


「……それは」


 別に、不殺主義に目覚めたわけでも、魔物に情けをかけたつもりもなかった。そもそも、手を抜けるような余裕なんてものも今の俺にはない。だが、確かに今日の俺は剣を抜けなかった。いや、幾度となく抜こうとはしたのだ。しかし、その度に、まるで誰かに柄を抑えられているかのような不思議な感覚に陥り力が抜けてしまうのだ。

 そんな俺を、炎魔将軍は「甘くなった」と評した。その言葉は、かつて俺が遊び人に対して使ったものと同じものであった。

麦芽が甘いからさ!
おつおつ


甘いくせに苦いモノ飲みたいってんだから人はわからんものだわね



「しかし、妙ですね」


 窓の外を眺めていたマスターが、振り向くことなく、まるで自分に言い聞かすように呟いた。


「どうかされましたか?」


「いえね炎魔将軍、どうして魔物たちは人の姿に化けて仕事をしているのです?慣れない姿は大変でしょうに」


 俺は、立ち上がりマスターの隣へと歩を進める。マスターの視線の先には確かに、魔物の姿を保った者は一人もいない。確かに、魔物の巨大な体躯のほうが力は発揮しやすいだろう。ホップ入りの木箱だろうがダース単位で持ちは込めるんじゃなかろうか。


「ああ、それは、設備が人間用のサイズだからです。魔物の体だと大きすぎて、バルブ一つ閉めるのにも苦労しますので」


「ははぁ、そこまでは思い至りませんでした。なるほど、よく考えているものです」


「ですが、そこに少し問題もありまして……」


 炎魔将軍が横目に俺をチラリと見る。どうやら、俺にはあまり聞かせたくない話らしい。



「構いません。話してください」


「……人に化けているせいか、彼らの思考や性質が人間に寄ってきているようなのです」



「具体的には、どうなってきているのですか?」


「魔族とは、そもそもみな姿かたちが違えども一つの群れのようなものです。ミノタウロスもオーガもオークも等しく群れの一員であり、その頂点には魔王様が君臨しています。魔王様が黒を白と言えば、それは白になり。犬を猫だと言えば、それは猫となります。しかし、その絶対的な関係性が魔物たちが人間性を手に入れたことで薄れつつあるのです」


「人間性……?」


「所謂、アイデンティティを獲得したということでしょうか?」


「そのとおりです」


「俺には、貴様は元よりそれを持っていたように見えるんだが」


「強い魔物は、確かにアイデンティティを持ちうるものだ。だがそれが、下級魔族にまで広がりつつあるということだ」


「人に化けると人に近づくということですか。興味深いものです」


 そこへ、扉が勢い良く開けられ男が入ってきた。眼帯をつけたその男の肩には、その両方に樽が抱えられていた。


「ビール……持ってきたぞ……」


 大男は、樽を無造作に机の上に置いて去っていった。炎魔将軍は、棚からジョッキを持ち出しマスターと俺に渡してくれた。



「こういうのって、ジョッキに注いで持ってくるもんじゃないのか……?」


「どうせ、おかわりするんだ。こっちのほうが早いだろう?」


 俺は、若干呆れつつも「まあ、それもそうか」と妙に納得してしまっていた。

 炎魔将軍に促され、樽にジョッキを突っ込みビールをすくいあげる。魔族の造った酒か、如何ほどの物であろうかと早速口に運ぼうとするとマスターがそれを制してきた。


「せっかくですから」


 マスターはそういって、その手に握られたジョッキを俺たち3人の中央へと伸ばす。意図を察した炎魔将軍が、忌々しそうにしかしマスターに逆らうわけにもいかず同じようにジョッキを差し出してきた。ここで、それに抗うのも大人げないだろう。


「乾杯! 」


 俺たちは、マスターの掛け声に合わせてジョッキを重ねた。

 
  

いいなこういう雰囲気!
おつおつ


久しぶりにビール飲みたくなってきた


 んぐんぐんぐ。
 まるで乾いた砂地に染みこむかのように、俺の身体はビールを受け入れていく。気が付けば、ジョッキは空になっていた。俺は、当然の権利を行使するがごとく樽から二杯目のビールをすくいあげた。


「……どうだ?」


 炎魔将軍は、その強面に似合わぬ不安げな表情を浮かべている。とても先ほどまで命のやり取りをしていた者に向ける顔とは思えない。


「まぁ、普通だな」


「そ、そうか! 」


 たいした賞賛を与えたわけでもないというのに、炎魔将軍の顔からは陰りが消え明らかに胸をなでおろした様だ。「普通」の評価がよほどうれしかったのだろう。ならば、もっとけちょんけちょんに言ってやればよかったと少しばかり後悔の念が残る。

 実のところ、ビールの味は特にこれといって褒めるようなものではなかった。決してまずいというわけではない。ただ違法酒場でよく出されているビールより旨いかと聞かれると「同じぐらい」としか思えない程度のものだった。


「初めてにしては、なかなかのものだと思いますよ」


 マスターは空のジョッキを机に置き、「もう一杯頂いていいですか?」と炎魔将軍に尋ねた。


「ど、どうぞどうぞ!?」


 マスターの言葉に、炎魔将軍の喜びは有頂天に達したらしい。目じりが下がり、頬がゆるまり、口角がものすごい角度で吊り上がっていく。このまま放置していれば、小躍りしだしそうな勢いだ。そのあまりに嬉しそうな様子に、つい俺も微笑んでしまいそうになった。



 ……誰かと酒を酌み交わすのは久しぶりのことだ。認めたくないことではあるが、たとえその相手が忌々しい炎魔将軍だとしても一人で飲むより何倍も愉快だった。千鳥足テレポートの成功率が、複数人だと上がるという話は実のところそこに理由があるのかもしれない。


「しかし、すごい設備だな」


 酔うことのできなくなった身体ではあるが、その場の雰囲気に飲まれたのかつい本音が口をついて出てきてしまう。対する炎魔将軍は……こっちは、喜びのあまりか杯を重ね続け顔が真っ赤になりつつある。いや、もともと赤い顔をした男だったが、その赤さがより増している。


「ああ、ここまで辿り着くのに5年かかった……。お前に魔王軍を壊滅させられた後、各地に散っていた仲間を集めつつ、密造酒市場を武力で握り、少しずつ資金を貯め。ようやく、これだけの設備を手に入れた。おかげで、魔王軍はいますっからかんだ」


「すっからかんだと?……本末転倒じゃないか、それじゃあいつまでたっても魔王軍を再興できんぞ」


「魔王軍の再興? はっ、そんな夢はそもそもない」


 聞き捨てのならない言葉だった。魔王軍は、再興を図るために資金集めの手段として密造酒市場を牛耳っていたのではなかったのか? 俺の眉間には自然と皺が寄り、炎魔将軍の言葉を聞き逃すまいと前のめりになっていた。


「……そもそも魔王様の目的は、魔族をより繁栄させることだ。その手段としての魔王軍だったのだ」


「魔族の繁栄?」


「そうだ、私たちは繁栄を得るため魔物たちの国を作ろうとした。魔王軍の強大な力をもってして領土を得ようとしたが……まあ、お前の、勇者の力を前に、その夢は潰えたというわけさ」


「だから、資金を貯めて再興を図ろうとしているんじゃないのか? 」


「違うな、武力だけじゃあダメだと悟ったのさ。だから、私たちは手段を変えた。人間の社会に溶け込み、人間の繁栄に乗っかることにした。密造酒市場に手を出したのは、資金集めの一方で人間たちの胃袋を握るという側面もあるのだよ」


「……じゃあ、もう魔物によって人々が虐げられることはないのか?」



「少なくとも、現魔王様の支配下にある魔物たちは魔王軍壊滅以降そんなことはしていない。一部、魔王様の手を離れた魔物についてはあずかり知らぬがな。どうする……それでもお前は、魔王様を手にかけるのか?」


 言葉が出ない。俺は本来であれば猛き青春に捧げたであろう貴重な時間を、全て魔王探索へと傾けてきたのだ。だが、魔王はとっくの昔に王国と戦う手段を放棄していたとなれば、俺のこの6年間は何だったというのだ。決して誰かに強制されていたわけでは無い、ただ女神に力を授けられた勇者としての使命感に突き動かされていただけではある。だがそれでも、それがすべて無為なものであったとなれば。

 いや、そうではない。今の俺は、魔王を倒すためだけに旅を続けていたわけでは無い。旅のさなかに出会った彼女がいる。俺の旅は決して無為なものではなかった。少なくとも、彼女と出会い生まれて初めての恋をした。むしろ、俺の6年間はそのためにあったと言っても過言ではないではないか。

 炎魔将軍の言葉を反芻する。「それでもお前は、魔王様を手にかけるのか」。答えはYESだ。邪魔な耐性の力を捨て去るには、彼女を追いかけるには、それしか手立てがないのだ。


「俺は、魔王を倒す……」 


「それは、よく考えたうえでの言葉ですか? 魔王を倒すということがどういうことか本当にわかっていますか?」


 マスターが俺に質してきた。自然と、マスターと俺の視線が交錯する。その冷ややかな目に、俺は動揺を隠しきれず視線が揺らいだ。


「それは、どういう……? 」


「魔王を倒すということは、群れの頂点が変わるということです。つまり、現魔王が行っている人間社会に溶け込むという手段を新しい魔王も採るとは限らないということです。再び、王国と魔族による戦争が起こる可能性も考えなくてはならない。勇者様の言葉は、そこまで考慮したうえでのものなのですか? 」



 そんなこと考えもしていなかったさ。だがマスターの言い分は、至極尤もなものだ。魔王の代替わりによる再びの戦火。その可能性は十分に起こりうる。だが勇者としても、一個人としても魔王を打ち倒すことが許されないなんて。ならば、俺はいったいどうすればいいというのだ。魔王を倒すこともできず、千鳥足テレポートをつかうこともできずに俺はただ一人何をするでもなく呆けて立っていなくてはならないのか。

俺とマスターは先ほど同盟を結んだ。俺たちは、いま彼女を探すうえで協力関係にある。仮に、俺が役立たずに甘んじていたとしても、きっとマスターは彼女を見つけ出してくれるだろう。だが、いくらマスターが手を貸してくれるからといって、俺が指をくわえてそれを見ているわけにはいかない。マスターにはマスターの理由がある様に、俺には俺が彼女を探す理由がある。


 マスターの言葉に、俺は勇者としての使命と彼女に再び相まみえたいという一人の男としての葛藤に苛まれた。だが、この鈍った思考の中では、とても結論を出すことは適わないだろう。使命か恋情かの板挟みに置かれる中で、俺はほとんど無意識に「それでも、魔王は倒さなくちゃいけないんだ……俺は彼女に会わなくてはならないんだ……」と口に出してしまっていた。


「そんなに彼女に会いたいなら会わせてやる」


「はぁ?」


 目の前の赤ら顔の男が何を言っているのか、わからなかった。会わせてやる? 彼女に? 彼女とはいったい誰のことだ? いや、いやいやいや、今この場において俺が会いたいと思う女性なんて一人しかいない。炎魔将軍は言っているのだ、俺が会いたいのなら遊び人に会わせてやると。それ以外に解釈のしようがないではないか。だが何故だ。何故、こいつが俺が遊び人のことを追っていることを知っている。


「あの娘は無事なんですか?」


「ええああ、先代の目的も彼女だったのですね。引退した貴方が、我々に接触を図ってきたのはビールではなく彼女にあったわけですか……」


「私に、二度同じ質問をさせる気ですか?」


 マスターから、本日二度目の本気オーラが立ち上る。炎魔将軍の額から、汗がしたたり落ちた。



「……元気にしています」


「まさか監禁しているわけではありませんよね?」


「彼女は、自分の意思で帰ってきました。今は、魔物たちの為に自ら率先して働いています……」


「おいおいおい、その言いぶりだとまさか」


「なんだ、一緒に旅をしていて気づかなかったのか? 彼女は魔族だ」


 頭にドンガラガッシャーンと雷が落ちたがごとし衝撃が走る。変身魔法が解けた魔物たちの姿が思い起こされる。彼女が魔族だとすれば、彼女の正体はいったい……ミノタウロスやオーク、ゴブリン、ま、まさかスライム!? 粘着質で半透明な液体が人の姿に変わり彼女の姿をかたどっていく想像がよぎる。

 俺は、頭上に浮かんでいた想像の雲を頭を横にぶんぶん振り回すことで打ち消した。問題は、彼女の正体ではない。彼女がどのような姿であったとしても、俺は彼女に会いたい。ただそれだけが、俺の望みなのだ。


「……彼女に会わせてくれ」


「ただし、条件がある」


「聞こう」


 どんな条件だろうが、俺は飲むだろうさ。


「魔王様に、二度と手を出さないと誓え」


「誓う」


 検討の余地などない。魔王が人々に害をなさないというのであれば、俺が勇者として奴を打ち倒す必要もない。それに、耐性の力を失うことなく、千鳥足テレポートが使えないままでも彼女に会えるというのなら、それこそ魔王を打ち倒す理由が無くなる。


「俺は、二度と魔王に危害を加えない」


 宣言をした瞬間、俺は何かから解放されたような、繋がれていた鎖から解き放たれたような錯覚に陥った。長年、魔王を取り逃がしたことを悔いてきたのだ、そのうえそんな魔王を放って彼女を探し続けていたことへの後ろめたさ、俺を苦しめてきた勇者としての責任感から解放されたのだからさもあろう。もう何も余計なことを考えなくていい、ただ彼女に会いたいという意思だけで俺は前に進めるのだ。

 あまりに、同時にいろいろな事が起きすぎたためか、俺は少し眩暈を覚えていた。俺は、気付けとばかりにジョッキの中のビールを飲み干した。


「ふむ、勇者様。大変申し訳ありませんが、同盟はこれまでということでいかがでしょうか?」


「どうした? マスターも彼女を探していたのではないのか。会いに行かなくていいのか?」


「まあそうですが、あの娘が自分の意思で戻ったというのなら仕方ありません。勇者様から、あの娘にたまには店に顔を出すように伝えておいてください」


「わかった」


 マスターは立ち上がり、俺に歩み寄る。


「勇者様、最後に一つだけ確認をさせてください。貴方は、勇者の使命を捨てる。そういうことでいいですね?」


 俺は、改めて自分がやろうとしていること、やりたいことを考え、そこに一片たりとも迷いはないと頷いてみせた。


「どうやら、俺は勇者失格なようだ……かつて身に宿していた使命感は既に腐りきってしまった。もはや、自身のことを《勇者》だなどと名乗ることも憚られる」


「そうですね……それでしたら貴方は《ビール》とでも名乗ったらいかがです?」


「はぁ?」


「だってかつて《勇者》であった貴方は、《甘くなり》そして《腐って》しまったのでしょう。まるでビールではありませんか」


「ま、まぁ、そうかもな。そうだな、じゃあ今後は《ビール》と名乗るとするか……」


 マスターは少し酔っているのだろうか、もしくは彼女の無事が知れて気が緩んだのか。よくわからないことを提案してきた。酔っ払いのたわごとであろうが、楽しく酔っている人間に水を差すのも気が引ける。俺は、マスターの提案を受け入れることにした。炎魔将軍が、そいつはいいなと高らかに笑っている。憎々しい酔っ払いめ。張り手の一発でも食らわせてやりたい気分だ。


「さて、私は店の準備がありますのでそろそろ失礼します。《ビール》様、どんな困難が待ち受けているかはわかりませんが、必ず乗り越えて、また二人で私の店にお越しください。ツケもたまっているのですし」


「ツケ?」


「貴方が空けてしまったウイスキーは、銀貨二枚じゃ到底足りませんよ」


 マスターはそう言うと、千鳥足テレポートを使って飛んで行ってしまった。


 俺は、呆けている炎魔将軍に張り手を一発かまし「連れていけ」と促す。炎魔将軍は、機嫌悪そうに頬をさすり歩き出し、俺はそのあとを黙ってついていく。

 中二階を降り、大樽の間を進んでいくと地下に続く階段が姿を現した。周りには樽が敷き詰められており、近づかなければ全く気づきようがない。つまるところ、秘密基地の更なる秘密通路という奴だ。魔王城の玉座の後ろにある階段みたいなものだ。

 地下へ降り、少しだけ通路を進むと開けた場所に出た。四方には蝋燭が立ててあり、中央には不気味な魔法陣が描かれている。まるで悪しき儀式でも始まりそうな雰囲気だ。


「ゲートを起動する。お前は、魔法陣の中央に立て」


 俺は、警戒しながら魔法陣の中央に立つ。横目に魔法陣を読み取るが、どうやらテレポートゲートであることに間違いはないらしい。


「いまさら罠などしかけん」


 部屋の隅の蝋燭が、その灯を強めていく。魔法陣もそれに応じて、幽かに光を放ちだした。


「最後に、一つだけ教えてくれ。何故、俺を彼女に会わせてくれるんだ?」


「そうすれば、お前に魔王様を殺す理由がなくなると思ったからだ……それに」


「それに……?」


「いや何でもない」


 俺はおもむろに、懐から髪束を出す。この秘密酒造を襲撃するにあたって、司教から渡された地図だ。



「炎魔将軍、お前に借りは作りたくない」


 丸められた地図を炎魔将軍へと投げつける。


「教会の精鋭が、この酒造の襲撃を予定している。俺は、その先駆けだ」


「な!? 今更かよ!? もっと早く言え!」


「これで貸し借りなしだな」


 俺が、してやったりとニタリと笑うと同時に魔法陣が発動した。光の中に消えゆく俺に向かって、炎魔将軍がその怒りを隠すことなく喚き散らした。


「くそが! お前を、彼女に合わせる本当の理由を教えてやる!」




「彼女なら、おまえを縊り殺してくれるだろうからだ!」



 その言葉が、炎魔将軍の苦し紛れの最後っ屁なのか、はたまた真実なのかはわからなかった。
 だから俺は、「望むところだ」そう言い返し。炎魔将軍に、あかんべーと舌を出して見せた。







――――――

4杯目 ブリューな気持ち

おわり

――――――


――――――

 ラストオーダー
 最後の一杯  勇者根性スピリッツ

――――――

乙乙
いよいよか…

彼女に会える!
おつおつ


いいぞー

読み始めたときはまさかこんな熱い展開があろうとは思いもよらんかったわ
最終章期待④

 窓から差す月明かりが、舞い上がった埃を綺麗に照らしている。周囲を見渡すが、薄暗く部屋の全容を見渡すことはできない。

 唐突に、部屋の中にカツーンカツーンと乾いた音が広がった。音の反響具合を聞くに、相当に広い部屋だということがわかる。
 いや、いまはそれよりも、この乾いた音だ。一定の間隔で鳴り続けるこの音は、間違いなく何者かの足音であり。それも、少しずつ俺の方に近づいてきている。

 正面をジッと見据えていると部屋の奥から、黒い影が進んできた。 
 
 
「なんで来ちゃうのかなぁ」



 月明かりに照らされた彼女のあまりの美しさに、俺は息をのむ。赤いストールを首に巻き、黒白のチェック柄という派手なワンピース。まるで道化のようなその恰好は、姿を消したあの日から何一つ変わっていない。ただ、胸のあたりまで伸びた髪が彼女と離れ離れになった時間を如実に表している。  


「心配したんだぞ」


 声が震える。
 喜びと不安が混じり合い、言葉に詰まる。


「会いたかった」


 ようやく、その一言を絞り出すと彼女の瞳からは一筋の涙が零れ落ちた。


「だめだよ勇者……もう我慢できないじゃないか」


 彼女の声もまた震えていた。
 どうやら、俺と彼女は同じ気持ちを抱いているらしい。俺は、捨てられたのではなかった……みっともなく情けない心配は徒労に終わったのだ。
 彼女が、俺に向かって歩を進める。俺もまた、彼女をお迎えする準備は万端だとばかりに、両手を広げ一歩、また一歩と前へ進む。
 

 さぁ、力強く抱きしめ合おうというその瞬間、彼女の手元に月明かりで照らされたナイフが煌めいた。


 俺の手と彼女の手が重なる。
 ……ついロマンチックな言い方をしてしまったが、その実、彼女の手に握られたナイフを必死に抑え込んでいるだけである。ナイフの先は、まっすぐに俺の心臓を向いている。
 

「あの……遊び人。我慢できないってのは?」


「キミを殺さずにはいられないってことだよっ!!!」


 その手に込められた力が、それが冗談ではないことを物語っていた。

このモノローグが垂れ流されていたら其れはそれで面白そう
おつおつ

 

 彼女の膂力は、俺のそれを僅かにではあるが確実に凌駕していた。
 ナイフを逸らそうと、もしくは押し返そうと渾身の力を込めているというのに彼女は微動だにしない。

 ならばと、俺は自身の腕に全力を注ぎこむ。


「ぬおおおおおおおおおおお!」


 雄たけびをあげ、腕の力だけで彼女を持ち上げる。たとえどんな力を持っていようが、踏ん張りがきかなければ意味はない。持ち上げてしまえば、こっちのものだ。俺は、そのまま体を一回転させ遠心力を味方に彼女を放り投げた。

 宙に舞った彼女は、くるくると回転し、まるで最初からそういった演舞をしていたかのように見事な着地を見せた。その衣装も相まって、まるで本物の道化師のように見えた。

 間合いをとれたことに気を緩めるのも束の間、次はナイフの雨が俺に襲い掛かってきた。


「なんなんだよもう」


 沸き上がってくる感情のせいか、視界がにじむ。俺は、ごしごしと袖で涙をぬぐった。

 ナイフを避けるつもりは毛頭なかった。どうせ、刃物耐性を持った俺の肌にナイフがささるわけもない。それよりも今は、彼女の全てを感じたかったのだ。たとえ、それが明確な殺意をこめて放られたナイフであったとしても例外にはならなかった。ナイフは、吸い込まれるかのように俺の急所へと的確に当たり、そして俺の肌に弾かれ乾いた音をたてて地面に落ちた。

 その様子を彼女は呆然と眺めていた。
 

「なんで避けないのよ。刺さったら怪我するじゃない!」


 自分からナイフを放っておいて何て言い草だ。だが、彼女の目には輝くものが見て取れる。どうやら、心の底から俺のことを心配しているらしい。一体、今の彼女はどういう心境なのだろうか。見当もつかない。


「俺に、普通の刃物は通らない。だからもうやめてくれ」


 俺の言葉を無視し、彼女は地面に向けて手を振るう。何処に隠していたのか、何本ものナイフが地面に突き刺さった。
 そして、振るった右手をそのまま前へと伸ばす。すると、地面に映る彼女の影から漆黒の柄が浮かび上がってきた。彼女が、それを握ると柄はグネグネとうねり、見る見るうちにその形を大鎌へと変えていった。

 どうやら、彼女は俺の言葉の前半分だけ聞いていたようだ。
 

「ねえ、これが何でできているかわかる?」


 彼女が見せびらかすかのように、大鎌をクルクルと振るって見せる。月明かりの下でも、輪郭がはっきりとしないそれは、まるで影がそのまま実体化したかのように見えた。


「実は私も知らないの……だからお願い。これは受け止めようなんて思わないで」


 やはり妙だ。彼女の言動は、ちぐはぐ以外の何物でもない。

すごく好きだ!
おつおつ


wktkが止まらない

 だが、今考えるべきは彼女の心境よりも目の前の大鎌だ。さすがに、何でできているかもわからない刃物に俺が今持ちうる耐性で対抗できるとは思えない。

 かといって、手段がないわけでは無い。こちとら、この体で長年戦ってきているのだ。耐性のない物との戦い方は心得ている。すなわち、耐性がつくまで可能な限り攻撃を受け続ける。炎魔将軍との戦いの中で、燃える刃耐性を身に着けた手法だ。多少のダメージをもらう覚悟さえもって臨めば、100%これで勝てる。


 俺の覚悟を知ってか知らずか、遊び人は大鎌をゆっくりと構えた。左足を後ろへとひき、腰と腕を目いっぱい使って上半身を限界まで引き絞っている。その必殺の構えに、思わず冷や汗が頬をつたる。

 全身を使って引き絞ったその上体が、放たれたとき、振るわれる大鎌は間違いなく俺の体を両断することだろう。多少のダメージでは到底済まない。もらえば、一撃で絶命すること間違いなしだ。


「初めて会ったとき、俺に元騎士だって言ったよな。あれは嘘だったのか?」


 俺は、時間が欲しかった。少しでも時間を稼ぎ、次の手を考えなければならなかった。
 場繋ぎ的な質問を飛ばしたのは、そうした狙いがあってのものだった。


「魔王に仕える騎士だったのよ。嘘はついてない」


「暗黒騎士だったのかよ。魔族だってのも聞いてなかったぞ」


「……言うタイミングを逃しちゃったのよ」


 ダメだ。まったく、対策が思いつかない。
 これは、覚悟を決めるべき時なのかもしれない。ダメージをもらう覚悟ではなく、死ぬ覚悟を。


 じんわりと額に滲んだ汗を、腕で拭う。
 大きく息を吐きだし、目の前の可憐な少女をにらみつける。


「お願いだから……絶対に避けて」

 片膝をつき、前傾姿勢をとる。膝とつま先に、全神経を集中し力を籠める。あとは、死ぬ覚悟だけだ。
 覚悟を決めるまで、そう時間はかからなかった。

 籠められた力を、まるで爆発させるかのように一気に解き放つ。雑念を全て取り払い、ただ前に進むことだけを考え地面を蹴る。彼女にたどり着くまで、ただの一歩も無駄にできない。全ての歩みに、ありったけの力を籠め、俺は加速していく。

 遊び人が、俺との間合いを図り大鎌を振るう。遠心力によって浮き上がった刃が、月明かりに晒される。

 
 脇腹に重い衝撃が走った。肋骨のいくつかが砕かれ、メキメキと不快な音を鳴らす。肉が弾け、痛みに顔が歪む。


 俺の勝ちだ。

 
 俺は既に、遊び人の間合いの内側へと入り込んでいた。脇腹にめり込んでいるのは、大鎌の柄。たとえ圧倒的な力で振るわれようと、柄では俺を両断できまい。だが、大鎌はその速度を緩めることなく俺の体ごと振りぬいてくる。

 せっかく間合いに入ったのだ、吹き飛ばされてはたまらないと俺は彼女の肩をつかむ。俺の体は、つかんだ彼女の肩腕を軸に時計回りに回転した。彼女の背後に到達した俺は、その腕を彼女の首に巻き付けた。

 結局のところ、彼女を傷つけずに倒すにはこれしか方法はないのだ。俺は、彼女の首に回した腕にグッと力をいれた。


「やめて! 勇者!」


 彼女は大鎌を手放し、全力で俺の腕をほどきにかかってきた。その細い腕に見合わない強大な力が、彼女が間違いなく魔族であることを如実に語っている。だが、こちらも負けじと渾身の力で首を絞める。



「キミを傷つけたくないんだ。しばらく眠ってくれ!」


「いや! いや! いやああああああああああ!」


 ぶちっ。何処からともなく、糸が引きちぎれるような音が届く。以前、自分で繕ったズボンの穴だろうか。だが、この状況下でそんなこと気にしていられない。


 ぶちっぶちぶちっ。


「きゃああああああ……あっ……」


 唐突に、彼女の悲鳴がとまった。
 彼女の体が、前のめりに倒れる。俺は、その姿を呆然と眺めていた。


 思わず、俺は彼女の頭をギュッと抱きしめる。そう。倒れた体をよそに、彼女の頭は俺の腕に抱かれたままだった。
 あの、ぶちぶちという気味の悪い音は。糸や布ではなく、肉が、……皮が引きちぎれる音だったのだ。


 俺は、彼女の頭を、その体から、ちぎり取ってしまっていた。

 状況を理解するまで、少しばかり時間がかかった。俺は、自分自身の力を見誤っていたのだ。その膂力は、とうに人の域を超えていた。まさか、身体から頭をちぎり取るほどに増していただなんて思いもよらなかった。なにが「魔族は危険だ」だ。本当に危険なのは俺自身ではないか。

 驚きと、悔しさ、悲しさ、言葉に言い尽くせない様々な感情が俺の中でせめぎ合っている。俺は、どうすればいいのだ。俺、はどうするべきなのだ。この気持ちをどう表せばいいのか、俺にはわからなかった。そんなとき、どこからともなくすすり泣く声が聞こえてきた。

 ああ、そうだ。こんな時は、泣くしかないじゃないか。愛する人を、この手で殺してしまったのに涙の一つも流さないなんて、それこそ人ではない。……ん? ところで、泣いているのは誰だ?


「うぅ……」


 俺の腕に抱かれた、遊び人の頭が泣いていた。


「生きているのか……?」


「いやだよね、こんな女……身体から切り離れても喋る頭なんて……」


「キミは、デュラハンだったのか」


 デュラハン。首なし騎士。人の死を予言すると言われる妖精だ。


「……いやなことあるか、こっちはキミの正体がスライムやオークの可能性だって考えていたんだ。そのうえで、それでもキミを愛すと覚悟を決めていた。首がないぐらいなんてことない」
 

「じゃあ」


「だから、首がないぐらいで泣くな」

 俺は、彼女にまかれたマフラーで彼女の目じりを拭いてやった。ズビズビ言っていたのだ、ついでに鼻もかんでやる。まるで子供をあやしているような、自身の様にふと笑みが零れ落ちた。そんな俺を見て、彼女もまた笑顔を見せる。


「勇者! うしろ!」


 遊び人の声に、反射的に身体が反応した。彼女の頭を、懐深くに抱き、前方へと一回転する。片膝をつき、後方を振り返ると先ほどまで俺がいたところに大鎌の刃が突き刺さっていた。

 大鎌を振るったのは、頭を失った彼女の体であった。ああ、そういうことかと俺は一人納得する。俺を心配する素振りを見せる一方で、殺しにかかってくるという妙に言動が不一致であったのは。頭と身体で、考えが一致していないからだったのだ。


「とりあえず、身体を止めるにはどうすればいい?」

 
 地面に突き刺さった大鎌を抜くのにてこずっている身体をよそ目に、俺は遊び人の頭に問いかける。


「頭が気を失うなりすれば、体も止まるはずだけど……」


「締め落とそうにも首が無いんだぞ……どうすれば」


「そうだ! 勇者、壁まではしって!」


「壁? どっちの?」


「3時の方向! 早く!」


 遊び人に促され、俺は身をひるがえし駆け出す。
 ヒュンヒュンヒュンと風を切る音に、思わず身を伏せると頭上スレスレを大鎌が通り過ぎて行った。


「ひぃ!」


 思わず、叫び声が出る。早くどうにかしないと、今度は俺が首なしになってしまう。

 息を切らして全力で駆けていると、部屋の一角に薄暗くもランプの灯に照らされたカウンターが見えてくる。カウンターには椅子が並べられ、奥の棚には酒瓶が並べられていた。大部屋の中に突然現れたその区画は、まるであの店。カクテルバー《ゾクジン》にそっくりだ。


「あそこにある酒で、私を酔い潰して! それで体は止まるはず!」


「足りるのか!?」


 俺の財産のほとんどをワインと化し、その全てを胃袋に収めた彼女の姿が脳裏に蘇る。


「わからないけど、他に手はない!」


 背後からの気配に振り向くと、彼女の体は既にその大鎌を振りかぶっていた。だが、振るわれた鎌には、大雑把でキレもなかった。どうやら、頭を失ったせいで、間合いを見誤っているらしい。幾分か躱すのは楽であるものの、一撃で俺を殺しうる破壊力をもっていることには変わりない。

 俺は、カウンターを乗り越え無造作に酒瓶を手に取る。だが、右腕で彼女の頭を抱いている状態ではとても栓を開けられそうになかった。かといって、頭をカウンターに置きでもして彼女の体に取り返されることを考えると手放すわけにもいかない。

 カウンター越しに再び大鎌が振るわれる。上体をそらし大鎌を躱す。大鎌の軌道を見ていると、ふとアイディアが思い浮かんだ。俺は試しに、俺の首があった位置へと酒瓶を持ち上げてみる。案の定、奴が狙っているのは俺の首だったらしい、大鎌は俺の首の代わりに酒瓶の首を斬りおとして見せた。


「ほらよ。まず一本目だ!」


 彼女の小さい口に、無理やり酒瓶を押し込む。なんだか、あらゆる方面から怒られそうな扱いであるが緊急事態だ今は目をつむってくれ。彼女はもがもがと言いながら、のどを鳴らしている。



「おいおいおい。お前の大鎌は酒瓶の首を落とすのにちょうどいいじゃないか」


 彼女の体に向かって、あらんかぎりの嘲りを送る。


「それともただ見えていないだけか? 俺の首は、ここだぞ」


 空いた左手で手刀を作り、自分の首をチョンチョンと小突いて見せる。語る口を持たない身体であるが、立ち上るオーラで怒り狂っているのは見て取れた。

 体は、息つく暇もなく大鎌を振るってきた。俺は、それを片っ端から躱しながら棚に並ぶ酒瓶の首を落とさせていくと同時に遊び人の口に代わる代わる酒瓶を差し込んでいく。


「えっぐ……えっぐ……」


 彼女の頭が、涙を流していた。
 いや、これはさすがに俺が悪い。いくら、彼女を酔わさなくてはならないからといって無理やり口に酒瓶を押し込むのはやりすぎだ。俺は、慌てて彼女の口から酒瓶を取り上げ、体に向かって投げつけた。


「す、すまん遊び人。大丈夫か?」


「私の秘蔵の酒がぁ……せっかく溜め込んだ酒たちが……!」


 どうやら、俺の心配は杞憂であったらしい。


「言ってる場合か! さっさと酔いつぶれてしまえ!」


「大事に飲もうって思ってたのにぃ!!!」


 完全に油断しているところに、再び大鎌が襲ってきた。気を逸らしてしまっていたこともあり、俺はその一撃を躱すのに大きく飛び退るしかなかった。カウンターから飛び出た俺の前には、もう酒には近づけないぞと彼女の体が立ちふさがっていた。



 もう、彼女に酒を無理やり飲ますことはできそうにない。だが、俺にはまだ秘策があった。


「すまん、遊び人!」


「ふぇ?」


 彼女の赤いマフラーで、彼女の頭を包み込む。マフラーから彼女の頭が零れ落ちないように、念入りに固くしばりつける。


「どおりゃあああ!」

 
 マフラーの先を握り、彼女の頭を重しに腕をグルングルンと振り回す。


「ちょ! ちょっちょっちょとおおおおおおおおおおおお!!」


 彼女の悲鳴があがるが、お構いなしだ。俺は、その速度をどんどんと上げていく。ぐるんぐるんぐるんぐるん。
 彼女の身体の足元がふらつき始める。そりゃあそうだろう。たとえどんなに酒に強かろうが、酒が入った状態でこれだけ振り回されれば、彼女と言えどたまるまい。彼女の体は、諦めまいと一歩踏み出す。だが、右足と左足が交差してしまい転んでしまった。うむ、見事な千鳥足だ。



「あ、もう無理」


 腕の先から、何もかもを諦めてしまい生気の抜けきった彼女の声が俺の耳へと届いた。その声と同時に、何とか立ち上がろうと四つん這いで踏みとどまっていた身体が地に伏せる。そうして、体は微動だにしなくなった。


 俺は、歓喜の声をあげ腕を振るった。俺たちの勝利だ!


 空からは、喉を鳴らす彼女の声と共に虹色の雨が降り始めていた。

そりゃそうなるよね
綺麗な雨なんだろうな…
おつおつ


明日のジョーばりのゲ〇か…

 目を回している彼女の頭を、優しく俺の太ももの上にのせる。長年、如何なる目的も果たせなかった俺ではあるが、ようやく一つ成しえることができた気がする。

 久方ぶりに彼女の顔を拝むが、やはりとんでもない美少女だ。こんなに、幼く可愛らしい顔つきをした美少女の頭をふとももに載せるなんて、なんと扇情的で犯罪的なんだろうか。だが彼女は、立派な大人。そこに違法性は一切ない。というか、彼女の生い立ちを鑑みるに、とんでもない年上の可能性だってあり得る。

 彼女の頭の重みが、俺に歓喜の震えを与える。俺の鋼の精神は、恐慌状態へと陥り、あまりの喜びに泣き叫びたいほどだ。

 俺は、衝動に駆られ彼女の頭を撫でることにした。綺麗な髪が、絡まることなく指の間をスルリと落ちる。


「可愛いなぁ……」


 俺の口から、思わず心中がだだ洩れた。
 すると、まるでタイミングを図ったかのように、彼女の口からもぬるく、粘った液体が滴り落ちた。


「うわ、ばっちいな」


 彼女のよだれが、膝にかかってしまった。いくら愛おしい彼女の唾液だからと言って、それまで愛でるほど俺は変態ではない。俺は、彼女のマフラーで自身の膝を拭う。


「とんでもないやつだ」


 お返しとばかりに、彼女の頬をつねる。プニプニしている。まるでスライムみたいな柔らかさだ。


「……おい勇者どこ触ってんだ」


 目を覚ました遊び人が不満げな声をあげた。俺は、それを無視して頬をいじくる。これは、俺の膝に涎を落とした罰だから俺に何ら後ろめたいことはない。



「おい、やめおー」


「ははっ、変なしゃべり方」


 彼女の眉が少しだけ吊り上がる。まずい、やりすぎたか。俺は、慌てて頬をいじくるのをやめた。


「私の体は?」


 彼女の問いかけに、俺は答える代わりに彼女の頭を持ち上げ、部屋の片隅で倒れている彼女の体を見せてやる。


「ばか! 私の頭で、遊んでる場合じゃないぞ! 早く、体が起きる前に縛り上げて!」


 どうやら、頭が目覚めると体も動き出すらしい。俺は、部屋の隅にあったロープを持ち出し彼女の体を縛りにかかる。


「ほら、そっちのわっかに紐をを通して。そうそう、そのまま裏面に回して」


 やたらと、彼女が縛り方に口出ししてくるが、まあ別に逆らう必要もない。俺は、彼女の言うがままに従った。

 俺は、そのあまりの尊さに感動していた。彼女の指示通りに縛り上げられた彼女の体は、後ろ手に縛ることで身体の動きを制限すると同時に、胸をあえて強調するように縄が張り巡らされている。これは、実用性と芸術性(ある意味で実用性)を兼ねそろえた一個の芸術作品と呼ぶに値するものであった。


「こ、これは……」


 赤面する俺に、彼女はしてやったりの表情をみせている。


「どうだ! 恥ずかしいか勇者! 人の頬を好き勝手いじくったお返しだ!」


「いや……これ、縛られてるのキミの体だからね?」


 遊び人は、その事実に今更気づいたようで。見る見るうちに下から上へと真っ赤に茹で上がっていった。……どうやら、久々の再開で精神が恐慌状態へと陥っているのは彼女も同じらしい。


 俺たちは、目が覚めてジタバタもがいている身体をよそにバーカウンターに並べられた椅子に腰かけた。バーカウンターの上に据えられた彼女の指示で、俺はグラスに琥珀色の酒を注ぐ。独特な芳ばしい香りが鼻を衝く。


「水で割るか?」


「いや、ウイスキーはストレートが好きなんだ」


 グラスを傾け、彼女に一口だけ飲ませてやる。そうしてから、ようやく自分のグラスに口をつける。強いアルコールが喉を焼く。だが、耐性のおかげでちっとも酔えそうにない。


「なあ、今更だけどさ。教えてくれよ君のこと」

 
 こうやって、酒を酌み交わしつつ彼女と会話するのはカクテルバー《ゾクジン》以来のことだった。あの日、俺たちは語り合うべき話を語り合わずに終わった。俺には、それが彼女がいなくなった遠因に思えてならなかった。俺が、もう少しでも彼女のことを知っていれば、こんなに苦しい思いをしなくてもすんだはずだ。

 俺の強い意志が伝わったのか、彼女はぽつりぽつりと話し出した。


「私は、暗黒騎士でデュラハン。魔王軍の中でもそこそこの力を持つ魔族なの。魔王軍が壊滅した……キミに魔王を倒された時、私は単独で任務に就いていたんだ。そのせいで、姿を隠した魔王軍の残党たちと合流することができなくなってしまった」


「じゃあ、キミは魔王軍に合流しようとしていたのか?」


「いや違うの……まあ、最後まで聞いてよ。どんなに探しても魔王は見つからなかったの。その頃はまだ、千鳥足テレポートも知らなかったし私に魔王を探し出す手段はなかった。それで、私は諦めてしまった。そして私は、自分の頭と身体を糸で縫い付け、人に紛れ静かに暮らすことにした」

「そうして何年か経った頃、違法酒場で飲んでるときに魔王軍がラムランナーを始めたって噂を聞いたの。私は、再び魔王を探すことに決めたわ。でもそれは、元魔王軍の暗黒騎士として魔王軍に合流するためではなく、いち酔っ払いとして、ラムランナーなんてしている暇があったら酒造業界を取りまとめて天下の悪法『禁酒法』と戦えって物申してやりたかったからなの。それを決めたときは、変な気持ちだったわ。かつての私なら、魔王のやることに異を唱えるなんてありえなかったんだから」



 炎魔将軍の言葉を思い出す。「人に化けると、思考や性質が人間に寄ってしまう」。おそらく、彼女にもそれが起こったのだろう。魔王軍という群れを一人離れ、人間として日常をおくる中で魔王への忠誠心が薄らぎ、強い自我に目覚めたのだ。


「私は、まずマスターを頼った。先代魔王なら、何か知ってるかもって思ったの。だけど、マスターは何も知らなかった。でも、かわりに千鳥足テレポートを私に教えてくれた。千鳥足テレポートの恐ろしさはキミも知っている通り、私はかつての仲間たちとアッサリと再会を果たしたわ。でも、長らく魔王軍への合流を果たせなかったうえに人間として暮らしていた私は彼らに信用されなかった。誰も、魔王の居場所を教えてくれなかった。……悲しかったわ、本当は魔族だという負い目からか人間たちとは深く付き合えなかったし、そのうえ仲間だと思っていた魔族たちからも信用されなかったんだから。私に居場所なんてないって。その悲しさを紛らわすために、毎日お酒を飲んでたわ。そんなときよ、キミに出会ったのは」


「飲むか?」と、俺は彼女に酒をすすめる。彼女は何も答えなかったが、俺はグラスを口元まで運んでやる。動かない頭ではあるが、俺には彼女がコクんと頷いたように見えたからだ。彼女は、「ありがとう」と言ってウイスキーを喉に通した。

 
「相変わらずの人に化ける生活で、更には勇者に味方したことで余計に魔族たちにも信用されなかったけど、隣に同じ目的を持った人がいるってだけで私はすごくうれしかったの」


 俺は、彼女の頭を持ち上げ自分の前へと運ぶ。そして、そっと机の上に置いて彼女の目を正面から見つめた。


「じゃあ、なんで俺の前から消えた?」


 その質問は、俺が消えた彼女を追い続けた理由であった。


おつおつ
やっと最初のところにきたな
さびしい

そういやそんな始まりだったなと思って読み直してきたら遊び人の涎がすごいシリアスに書かれてて笑っちゃった
自然にミスリードを誘うこの描写力見事よなぁ


「半分はキミのせいでもあるんだよ」


「俺のせい?」


「こんな伝承を知っているかい? デュラハンは、死が近い者の前に現れタライ一杯の血を浴びせるんだ。私が死を予言すると言われる所以だね」


「それが、どうして俺のせいって話になるんだ」


「私が、《ゾクジン》から帰ることができなくなってキミが迎えに来てくれた日のことを覚えている?」


 忘れるものか、俺たちはあの日仲直りをして二人で宿屋へと帰った。そして、翌日の朝にはキミは姿を消していた。俺がこんなところまでキミを追ってこれたのは、あの日の二人の関係があったからこそだ。一人で国中をさまよっている間、それだけが俺の心の拠り所だった。


「宿屋に帰って……そのあと、私たちは酒を飲みなおすことにした。……キミは、私の為に酒をもらってくると言って部屋を出て行った。足元がふらついていて危なっかしかったけど、まあ勇者なんだし大丈夫だろうと見送ったの。ほどなくして戻ってきたキミは、その手に水差しを抱えてた。そしてその水差しは、私のグラスにその中身を注ぐ前に宙を舞った」


「宙を?」


「床に散らかっていたクロークに足を取られたキミは、水差しを宙に投げ出しすっころんだの。私はそれを見てケラケラ笑っていた。でも、それも長くは続かなかった。……キミは、水差しの中に入っていたを頭から被ってしまっていた。よりにもよって、水差しの中身は赤ワインだった。まるで血を浴びたかのようなキミの姿に、私は血をたぎらせてしまった。デュラハンとしての、魔族としての血を」


「でも、伝承じゃ浴びせるのは血なんだろ? なぜ、たかが赤ワインなんかで」


「たかがじゃないわ。教会だって、血の代わりにワインを儀式に使うじゃないの。ワインってのは、血の代替品でもあるのよ」


 血の代替品という言葉に、自身の血管を流れる赤ワインを想像する。



「魔族の血は、私に魔王に従順たることを求めた。失ったはずの忠誠心が、私の体から自由を奪った。……このままだと、魔王の天敵であるキミの寝首を掻きかねない、そう思った私はキミの前から姿を消した」


「体が俺を殺そうとするのはそういうわけだったのか……だが、キミはどうやって魔王軍に合流したんだ」


「キミの下を去ったあと、千鳥足テレポートを使ったらあっさりと魔王の下へとたどり着いたわ。多分、強い忠誠心が千鳥足テレポートに干渉したんだと思う」


 千鳥足テレポートは、行使者の思いを読み取る魔法だ。強い願いは、そのランダム性の振れ幅を抑えるのかもしれない。だが、俺とて本気で魔王を追い、そして遊び人の後を追っていた。それでもなお、たどり着けなかった。決して、自身の思いが弱かったのだとは思えない。だとすれば、魔族の魔王への忠誠心とは我々人類が計り知れないほどのものなのかもしれない。 


「じゃあ、キミは魔王に物申すという目的は果たしたのか。それで、魔王は説得できたのか?」


「説得は続けてるわよ、相変わらず魔王のやり方は気にくわないからね……でもね、頭はそうでも体は魔王の言葉に逆らえないの」


 俺を心配する素振りを見せながら、本気で殺しにかかってくるわけだ。俺はその様子を、頭と身体がチグハグだと感じたが、実際のところ、彼女にとって頭と身体は別個のものなのだ。


「君の体は、解き放てば、また俺を殺しに来るかな?」


「……たぶん」


「手段はないのか?」



 遊び人は、目をつぶってうーんと唸る。


「体は、魔王の言うことを絶対に聞くから、勇者を殺さないよう魔王に命じてもらうか。もしくは……」


「もしくは?」


「魔王をぶっ倒して、私が次の魔王になるってのはどう? そうすれば、自分の体を律することもできるかも」


 その時、俺の体に震えが走った。いや、震えているのは俺だけではない、俺の正面に据わっている彼女の頭も、グラスに注がれたウイスキーも、カウンターの向こう側に並んでいる酒瓶たちも。今この場にある、全ての物が突然震えだしたのだ。


「なんだ!?」


「まずいわ! アイツが来る!」


 アイツ? いや、そんなことは聞くまででもない。この徐々に大きくなる揺れに伴い、部屋を満たしていく禍々しいオーラ。俺は、こいつを経験したことがある。

 地面から立ち上るオーラは、ゆらゆらと地面を走り円陣やルーン文字を形どっていく。術式は、テレポート魔法。アイツがこの部屋にやってくるための通り道だ。完成した魔法陣は、ひときわ光を増し俺と遊び人の視界を一瞬だけ奪った。俺は、光を遮る自身の手の指の隙間からアイツが魔法陣から出てくるのを見た。光が収まっていくと同時に、その男の輪郭が明らかになっていく。

 全身から溢れる、禍々しいオーラ。クロークの上からでもわかる、その逞しい肉体。頭に生えた二本の角が彼が人間でないことを物語っている。そのシルエットは、彼を取り逃がしたあの日から全く変わっていないように思えた。

 だが全て同じかと言えばそうではない。長い年月は、アイツにも変化を与えていた。クロークの隙間から垣間見える金属特有の光沢をもった右手。より一層、凶悪となった表情がそれだ。俺が斬りおとした右腕は、どうやら機械仕掛けの義手へとすげ変わったらしい。だがあの表情はなんだ。目からは生気が失われ、顔全体に暗い影が落ちている。逞しい肉体とは裏腹に、その表情は痩せ衰えているように見える。

 
「魔王。いったい、お前に何があったというんだ……」


 そのあまりの変貌ぶりに、俺の口から思わず魔王を慮る言葉が漏れ落ちた。

体は嫌がっていても口はってやつか
おつおつ



「久しぶりだな勇者、いやいまは《ビール》と名乗っているらしいな」


 俺のことを《ビール》と呼ぶということは、ビール工場での一軒は既に魔王の耳へと届いているのだろう。ならば、俺が既に魔王と争うつもりがないということは炎魔将軍から伝わっているはずだ。


「ビール?」


「……後で説明する。一体何の用だ魔王」


 問いかけてきた遊び人を手で制し、俺は魔王へと向き直る。もう奴と戦うこと必要はないということはわかっているが、いざ魔王を前にすると肌を刺すような緊張感が全身を駆け巡る。


「なに、娘が惚れた男と話をしたくてな」


「娘!?」


 遊び人と魔王の顔を、何度も見比べる。……確かに面影は似ている、真っ赤な目の色も同じだ。俺が、遊び人の瞳をじっと見つめていると、彼女は気まずそうに斜め上へと視線をずらした。それでごまかしたつもりか。

 ……ということは、マスターは遊び人の祖父というわけか。どおりで、遊び人のことをやたらと気にかけていたわけだ。


 魔王が、ゆったりと歩をすすめこちらに近づいてくる。魔法陣の光は既におさまり、部屋は月明かりとカウンターの周りに置かれたランプだけがだよりだ。ランプに照らされた魔王の表情は、やはりどこかやつれていて酷く疲れているように見えた。


「酷い顔をしているぞ」


 そのあまりの変貌ぶりに、思わずかつての宿敵を案じてしまう。

 魔王は、まるで浮いた皺やクマを確かめるように自身の顔を撫でた。



「そうか……いやそうだな。我は疲れてしまったのかもしれん」


「……なにがあった」


「長年離れて暮らしていた娘が帰ってきて、喜んでいたのも束の間。我が娘は、魔王軍の一員として命令をしっかり聞くのは身体だけで、頭の方は、常に我へと罵詈雑言を投げつけてくる……。今は、娘がいなかった時より辛い……」


 遊び人を見ると、口笛を吹く素振りをしている。その様相に、魔王の言葉が真実であることを俺は確信する。なにが説得を続けていただ、実の父親に罵詈雑言を浴びせることはもはや説得とはいえないぞ。


「勇者、魔王を倒して! そうしたら、次の魔王には私がなる! そうなれば体の制御もきくようになるし魔王軍もよりよくなる!」


 魔王が深いため息をついた。


「娘の言うことは聞かないでくれ。我としても、もう人間たちと争うつもりはない。それに、娘がそう願うのであれば娘の体のほうも我が何とかして……」


 言葉に詰まる。


「我が娘よ……体はどうした?」


 あ……。


 魔王の問いかけに応じるかのように、部屋の隅でガタガタと物音が鳴った。まずいまずいまずいまずいまずい! いま、彼女の体を見られると非常にまずい! 勇者の直感が、全力で危険を知らせてくる。だが俺には、魔王の視線が物音の方へと向くのを止めることはできなかった。



「……」


 当然、そこには遊び人の体が捨て置かれていた。その芸術的かつ扇情的に縛り上げられたからだが、魔王へと助けを求めるように体を揺り動かしている。



「……えっと魔王、それは、その」


 俺は、助けを求めるように遊び人を振り向く。すると遊び人は、まるで悪戯が見つかった幼子のように舌をぺろりと出した。


「勇者がやりました……」


「ばっ!いや、ちが……」


「ゆうしゃああああああああああああああああああああ!!!」



 魔王の叫びに部屋が震える。魔王は、なりふり構わず俺へと身体をぶつけてきた。そのあまりの威力に、俺は部屋の壁に打ち付けられた。肺の中の空気が、衝撃で全て体の外へと吐き出される。俺は、片膝をつき何とか呼吸を整え、恐ろしいまでの黒いオーラを立ち上らせゆっくりと近づいてくる魔王へと呼びかけた。


「お、お義父さん! 誤解なんです!」


「お義父さんなどと呼ぶなあああああああああああああああ!」


 魔王のパンチを、とっさによける。その拳は、さも当然かのように壁にめりこむ。
 
 俺に、反撃に出るつもりは毛頭なかった。炎魔将軍との約束もあるが、なにより俺はもう魔王と争う理由がないのだ。だが、そんな俺の気持ちとは裏腹に魔王は遠慮なく俺の命を仕留めに来ている。

 魔王の研ぎ澄まされたフックが、ボディへと突き刺さった。骨がきしむ音が、脳天まで届いてくる。その破壊力は、女神から授かった耐性の力を以てしても凄まじいダメージを俺へと与えた。
 

「娘を! 亀甲縛りなんぞにして! いったい何をするつもりだったんだ! この変態め!」


 続けざまに、打ち放たれたパンチはその一つ一つが必殺の威力を有していた。俺は、それを辛うじて受け流す。もう一発でもダメージを受ければ、死に至らしめられる確信が俺にはあった。これまでの俺は、傷を受け、痛みに耐え、何度でも立ち上がり魔物たちとの戦いに勝利してきた。だが、魔王との戦いは別だ。傷を受ければ、痛みに耐えられるはずもなく、一度でも倒れればもう二度と起き上がれない。


 これまで、感じることのなかった死の恐怖で、思わず歯が鳴った。


 それは、一か八かの賭けであった。俺は、魔王から繰り出される鉄の拳を目で追う。これを捕らえられなければ、体勢を崩した俺は次撃で死ぬことだろう。そのあまりの緊張感からか、時間がやけに遅く感じられる。俺は、スローモーションの世界の中で魔王の機械の腕を半身で受け流し、そのまま伸び切った腕を脇で固めた。


「うおおおおおおお」


 片腕を、俺に抑えられた魔王が顔面にパンチを入れてくる。だが、腰の入らないパンチに、先ほどまでの威力はない。



「せりゃああああああ!!!」


 俺は、気合をいれ機械の腕をへし折った。鉄の部品が、ガチャンガチャンと音を鳴らしながら崩れ落ちていく。腕は、かろうじて魔王の体に繋がっているものの力が入らないのか振り子のように揺れていた。


「くっ……腐っても勇者ということか」


「もうやめよう魔王。俺に争う気はないんだ」


 俺は、害意がないことを示すために両手をあげて魔王に歩み寄る。


「寄るな変態! 今度は、我を変態的な技法で縛り上げるつもりだろう! そうはさせるか!」


 魔王は、そういうと床に転がっていあ遊び人の体に駆け寄った。


「せめて、我が娘の体だけは守って見せる」


「あ、頭はどうなってもいいのか?」


「……こ、この変態め! 娘の頭で何をする気だ!」


 思わず口にした疑問で、更なる誤解を魔王に与えてしまった。この場を納めるには、魔王の実の娘である彼女しかいない。俺は、僅かな希望を遊び人へと託すこととした。


「やれっ! 勇者! 殺さない程度にパパを痛めつけて! そしたら私が次の魔王だ!」


 もうだめだ……。


「我が娘よ、まだそんなことを!」


「うるさい! くそじじい! さっさと隠居して席をゆずれ! ばーかばーか!」


 魔王と目があう、その死んだ魚のような目に俺は何もかもを察した。ああ、ずっとこの調子で罵倒され続けていたのだな魔王よ……。

 魔王は、どこからともなくスキレットを取り出し口を付けた。その目はわずかに潤んでいるように見える。


「……っ。あ、頭は置いていく! だが、娘の貞操だけは我が守る!」


 魔王は、スキレットを懐にしまいこみ。遊び人の体を優しく抱え上げる。


「な、なにを……する気だ!?」


「貴様らの知る由も手段を用い、貴様らの知る由もないところへ逃げるまでよ!」


「勇者! 魔王を今すぐ捕まえて!」


「さらばだ勇者に我が娘よ! 千鳥足テレポート!」


 遊び人の言葉に、反射的に俺の体が動く。だが俺の腕は、空を切る。既に魔王の体は、光の粒子となって部屋の中から姿を消していた。よりにもよって、俺らが魔王を探すべく散々使ってきた千鳥足テレポートを使って、魔王は何処へと消えてしまったのだ。

 魔王も、千鳥足テレポートが使えるのか。だが何故、普通のテレポートではなく千鳥足テレポートを使ったのだろうか。そんな俺の疑問を察して、遊び人が間髪入れずに声をかけてくる。


「普通のテレポートじゃ、私に逃げ先を悟られると思ったんでしょ! 勇者! 私たちも千鳥足テレポートで追うよ!」


「だめだ……俺は、もう千鳥足テレポートはつかえないんだ」


「はい?」


「なあ、俺の顔を見てくれ。ウイスキーを飲んでも、ちっとも赤くなってないだろう?俺の中の女神の力が、俺を酒に酔えない身体にしてしまったんだ。魔王を倒さない限り、俺の体はこれからもずっと酒に酔うことはないんだ」


 遊び人は、驚きの表情を浮かべ固まってしまった。何かを必死に考えているのだろうか、時折「でも」とか「だって」と口に出しているがあとが続かない。


「酔えない俺に、千鳥足テレポートは使えない。つまり、もう魔王を追うことはできないんだ」


 俺は、再び言い聞かせるように遊び人に伝えた。


「だ、だったら、なおさら魔王を追わなくちゃ。キミはともかく私は酔っているんだから、二人でなら千鳥足テレポートはつかえるはずよ。それに魔王を倒せば、またお酒に酔えるようになるじゃない!」


 遊び人の提案は、確かに一考の余地のあるものだった。たしかに、二人でなら千鳥足テレポートが発動するかもしれない。だが、失敗したらどうなる。以前、遊び人が一度目の失踪を果たしたとき俺は幾度も千鳥足テレポートを試み、失敗した。あの時の、鼻をつんざく海水の痛みが思い起こされる。もし海にでも、川にでも落ちたりしたら頭だけの彼女はどうなる。自ら浮き上がる術も持たずに、暗い水の底へと沈んで行ってしまうのではないだろうか。


「無理だよ遊び人。……それに俺はもう勇者じゃない、俺は《ビール》なんだ。もう俺に魔王を倒す理由はない」


 俺は、彼女に千鳥足テレポートを使わせぬべく適当にそれらしい理由を並べ立てる。


「じゃあ、私の為に追ってよ。勇者に理由がなくても私にはあるの! 世界中の皆が普通に酒が飲める世界を作るのを手伝ってよ!」


 遊び人の声は、震えている。だが、俺にはその理由がわからなかった。



「手伝うさ。俺には教会にも頼れる伝手がある。なにも魔王軍を手中におさめる必要はない」


 そうだ、わざわざ自ら危険に飛び込む必要なんてない。もう、魔王のことなんて、俺のことを殺そうとする体のことなんて忘れて、二人でゆっくり暮らすのもいいじゃないか。


「そんな、つまんないこと言わないでよ!」


 遊び人は、その目に大粒の涙をためていた。
 何故だ。なぜキミはそこまで、魔王に執着しているんだ。


「頭だけの私には、どうにもならないの。お願いだから手伝ってよ勇者」


 今までみたこともない激昂ぶりに、俺はたじろぐ。以前の喧嘩でも、彼女はここまでの怒りは見せなかった。一体何が、彼女を突き動かしているというのだ。


「もう正直、私の目的なんてどうでもいい。……いや、どうでもよくはないけどどうでもいい!」


「お、落ち着けよ」


「落ち着いていられるわけないでしょ。なに!? 酒に酔えない身体になったってどういうこと!?」


「それは、女神からもらった耐性の力で……」


「もう、一緒にお酒をシコタマ飲んでも二人で酔って、笑って、馬鹿話に講じることもできないってこと!? そんなの私には耐えられない! 私は、酔っぱらって心中だだ洩れのそんな勇者が好きだったんだ!」


 そういうと、彼女は本格的に泣き出してしまった。うわああうわあああとまるで子供のように声をあげて泣いている。

 俺は、立ち上がり彼女の目をぬぐう。ああ、愛しい女を泣かしてしまうなんて俺は勇者として、いや男として失格だ。
 剣を腰に差し、クロークをまとう。彼女に一声かけ、彼女の頭をマフラーごと腰に結わえ付ける。


「勇者?」


 彼女は、心配そうに俺を見上げている。俺は、それに微笑み返しカウンターバーに並べられた酒瓶に向き合う。片っ端から手に取り、その琥珀色のアルコールを体に充填していく。空になったら、次を、それが空になったら更に次を。何杯も、何杯も、何杯も。

 だが、俺の体は一向に酔う素振りを見せない。悔しさに、視界がにじむ。だが、その手は緩めない。
 腰に結った頭が、声をあげる。「がんばれ」と。その声は、少しずつ大きくなっていく。遂には、部屋中に遊び人の声援が響き渡った。 


「がんばれ勇者! キミは、ビールなんかにとどまる男じゃない! そんなアルコール度数の、チェイサー程度の男じゃない! ぐつぐつぐつぐつと魂を燃やせ! 煮詰まった醸造酒は蒸留酒を生むんだ! そうだキミはビールなんかじゃない! その魂は、勇者という生きざまに染まったスピリッツだ!」


 酒瓶を握る手に力が入る。


 あまりに力を籠めすぎたせいか、思わず眩暈がする。足元がふらつき、全身の力が抜けていく。
 巡る思考はまわりすぎて、その複雑に絡み合ったシナプスをほどいていく。

 魔王を倒すのが勇者の役目。彼女の体に関する誤解。酒造業界で一丸となって禁酒法を無くしたいという遊び人の思惑。勇者の力を失い、再びアルコールに酔う身体を取り戻す。そのすべてが、今やどうでもよくなっていく。とりあえず、よくわからないが魔王を倒せばいいんだろう。酔っ払い特有の、短絡的結論にたどり着いたとき、俺は「飛べる」確信を得た。

 
「千鳥足!」


 遊び人の顔を伺う。彼女は動かない頭で、頷いて見せた。
 俺たちは、タイミングを合わせ二人同時に掛け声をあげる。



「てれぽおおおおおおおおおおおおおとおおおおおおおお!!!」

 日の光が僅かにさしこむ倉庫。その、両脇には木箱が高く積み上げられ少ない日差しを更に遮っている。どこか懐かしい香りのする場所だ。


 千鳥足テレポートは大成功だった。そこには、扇情的に縛り上げられた彼女の体を片手でほどくこうと苦戦している魔王がいた。


「魔王みいいいいいいいつうううううううううけええええたあああああああああああああ」


 今度は、こちらの番だとばかりに魔王にタックルをかます。俺と魔王は、組み付いたまま積み上げられた木箱に突っ込んだ。魔王は驚きの表情ながらも、突然の来襲に的確に対応した。片腕の力で、組み付く俺と自身の体に無理やり隙間をこじあけ、そこに膝を見舞ってきた。


 魔王の膝蹴りは、見事に俺の腹へとつきささり思わず俺の口から胃液が飛び出す。更に、その凄まじい衝撃は俺の体を倉庫の天井付近まで浮かび上がらせた。


 俺は、ぐうと喉を鳴らし痛みに耐える。そして浮かび上がったまま、踏ん張りの聞かない体勢ではあるが上半身をあらんかぎりの力で引き絞る。体が上昇するスピードは徐々に和らぎ、そしてこんどは重力に惹かれ自由落下を開始する。俺は、身を任せ全体重に自由落下の速度を上乗せし、さらには引き絞った上半身を開放し、魔王の頭上から全力の拳をお見舞いする。


 残念なことに、俺の拳は魔王に届くことはなく、地面に大きなクレーターを形作るにとどまった。その光景に、無様に身を転がし拳を躱した魔王の目は大きく見開いている。やつも俺の拳を恐れている、その事実が俺を勇気づける。


 だが、俺が次の攻撃に移る前に魔王は動いた。地面に突き刺さった拳を抜こうとしている俺へと、魔王の蹴りが襲う。何とか、ガードをするが衝撃で俺は木箱の山まで再び吹き飛ばされ埋もれてしまう。木箱の中から、身を乗り出そうともがいていると魔王の魔法詠唱が聞こえてきた。


「千鳥足テレポート!」


 魔王は、再び千鳥足テレポートを使ったのだ。


「追うよ勇者!」


 腰の頭が、俺に声をかけてくる。


「応っ!」


 俺は、彼女へと返事をし俺に覆いかぶさっている木箱の一つに腕を差し込む。そして、藁の緩衝材で敷き詰められた箱の中から緑色をした瓶を取り出す。ビンには魔王軍の紋章が刻まれている。間違いない、あの工場で作られているビールだ。俺は、ビンの頭を木箱でたたき割り、中の液体を無造作に口へと流し込む。


「いくぞ遊び人! 千鳥足テレポート!」


 魔王の驚いた表情を見るのは、今日だけで何度目であろうか。俺たちが、千鳥足テレポートを使えることを知らない魔王にとっては、俺たちがいかにして魔王を追ってこれるのか理解ができないのであろう。


 木箱の山のお次は、樽が大量に敷き詰められた石造りの部屋だった。部屋には冷たい空気が満ちていた。どうやら、何かの保管庫らしい。そこには、窓が一つもなく蝋燭の灯だけがゆらゆらと俺たちの姿を照らしている。

 
 魔王が、樽を抱え上げ俺へと投げつけてくる。樽の剛速球を、なんとか受け止め地面に置く。樽の中身が、ちゃぷんちゃぷんと液体特有の音をあげる。間髪おかずに、二個目三個目の樽が飛んでくるが、俺はそれを受け止めつつ魔王へと前進を続ける。


 足を止めない俺を見て魔王の表情に、恐怖が浮かぶ。


「こっちに来るなあああああああああ!」


 数えきれないほどの樽が、魔王によって放られた。俺は、その一つを受け止めきれずに顔にもらってしまう。だがチート耐性の頑丈な頭に、割れ砕けるのは樽の方だった。砕けた樽は、そのの中身を俺の全身へと浴びせた。頬を伝う液体をチロリと舐めると、それは質のいい赤ワインだった。


「おおおおおおおおおおおおおおおおおお」


 突然、何処に潜んでいたのか縄をほどかれた彼女の体が、頭がないはずなのに腹に響く重低音をまき散らしながら俺へと突進してきた。デュラハンの血が覚醒したのか、先ほど戦った時よりも幾分も力が増しているように感じられる。彼女の体は、俺の背後から組み付き俺の歩みをとめる。彼女の膂力に屈したわけでは無い、背中に当たっている何か柔らかいものが一瞬俺の思考を止めてしまったのだ。


「おい! 密着しすぎだ我が娘よ!」


 俺は、魔王の言葉に我を取り戻し、反動をつけ遊び人の体ごと前転をくりだす。俺の体を軸に、大きく円を描いた遊び人の体は地面にたたきつけられた。


「ぐえ」


 俺の腰のあたりから、カエルがつぶれたような声が届いた。む、彼女の頭が、その体とダメージを共有していることをすっかり忘れていた。だが今は、そんなことを気にしている余裕はない。俺は、倒れ伏せた遊び人の両足をつかみ思いっきりのフルスイングをかます。


「ぐえええええ」


 先ほどよりも、僅かだが確実に大きくなったうめき声が届いたところで俺は一気に手を離す。宙に舞った彼女の体は、魔王のほうへと飛んでいき、それを受け止めた魔王は勢いそのままに石の壁へと叩きつけられた。



「ち、千鳥足テレポート!」


 再び、テレポートで飛んだ魔王をしり目に俺はワイン樽に拳をたたきこむ。割れた樽から、流れ出るワインを手ですくって口へ運ぶ。


「おい! 私にも! 私にも!」


 腰で騒ぐ遊び人の口元にも、ワインを運んでやる。彼女は、俺の手ずからであることを気にする様子もなくワインを飲んで見せる。
 

「いくよ! 千鳥足テレポート!」


 そしてワイン蔵に元の静寂が訪れた。



 どうしてこの魔法を使った後は、みんな驚いた表情で出迎えてくれるのだろうか。いや、突然何もないところから腰から頭を吊り下げた男が現れたらそうなるのも仕方ないか。というわけで、大柄で禿頭の男は俺たちを見て開いた口がふさがらない様子を見せつけてくれている。

 その手には、酒をグラス注ごうと傾けられたビンが握られており、驚きで固まった大男は既にグラスが酒で満ち溢れているのに構わず注ぐ手を休めようとしていない。……って、この大男、いつかの宿屋の主人ではないか。


「ままままたかよ! 頭のない死体を担いだ片腕の男の次は、頭を腰に吊り下げた男かよ……って、兄ちゃんどこかで?」


 主人に構わず視線を動かすと、今まさに遊び人の体を担いだ魔王が更なる千鳥足テレポートで飛び立つ瞬間だった。


 俺は、落ち着いて懐から銀貨1枚を取り出し、主人の前に置いて見せる。


「こりゃなんだ?」


「酒代だ」


 俺は、主人の前に置かれたグラスを奪い喉に流し込む。
 やはり机に置かれていた酒瓶は、遊び人の口に直接差し込んでやる。

 懐かしい不味さに胃が拒絶反応を起こす。「まずいまずいまずい!」と「こんなものを流し込むな」と悲鳴をあげたのだ。だが、その不味さに不快さはない。それどころか、なぜか愉快な気持ちになってくる。二人で飲めば、こんなにまずい酒でも楽しいのか。その事実がまた、俺を愉快にさせる。


 視線を下に落とすと、遊び人が準備完了とばかりにウインクして見せた。



「千鳥足テレポート!!!」


 魔王、逃げても無駄だ。俺たちは、どこまででもお前を追い続けるぞ。



「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお」


 転移先は、実に騒がしいところだった。大樽や、パイプが張り巡らされたそこは死角が多く視線が通らない。だが、各所から沸き上がる雄々しい叫び声でそこに大勢の人や魔物たちが争っていることが見て取れる。


「魔王軍の秘密醸造所!? 戻ってきたのか」


 機材の間をかきわけ、中央の最も大きな通路へ出ると魔物たちと白装束の男たちが剣やこん棒を手に血と汗を散らしていた。


「魔王おおおおおおおおおおおおおおおお!!」


 人ごみの中に、意中の相手を見つけた俺はわき目もふらずにその中へと飛び込む。積もり積もったダメージで這う這うの体の魔王の足取りは重い。俺は、すぐに魔王に追いつきそのクロークを掴み無理やり引き寄せる。クロークはびりびりと音を立てて引きちぎれてしまった。

 魔王は、その反動か前のめりに倒れてしまって。魔王は、一歩でも前に進もうと左手を前へと伸ばす。


「ま、魔王様!」


 伸ばされた手の先では、ちょうど炎魔将軍と女神正教の大司教が剣を交えているところであった。軍配は既に炎魔将軍にあがっていたようで、大司教は肩で息をしている有様だ。魔王に気づいた炎魔将軍が、大司教そっちのけで魔王に駆け寄る。


「炎魔! 我が右腕よ! 頼むから予備の右腕を急ぎ持ってきてくれ!」


 魔王の懇願ともとれる指示に、炎魔将軍は涙を流しながら「御意」と駆けだした。


「おおっ! 勇者様が、魔王を追いつめているぞ!」


 どこからか、僧兵の一人が大声をあげる。俺たちに気づいた、周囲の魔物や僧兵たちが剣を打ち付け合うのを徐々にやめ中央へと集まってくる。彼らは、俺と魔王を取り囲み。自然と、人と魔物の屈強な肉体でリングが形成されていく。その中には、首から上のない彼女の体も見て取れる。


 
 魔王は、隻眼のミノタウロスに支えられ小さな樽に腰かけている。周囲の魔物たちが、これでもかと甲斐甲斐しく介抱し魔王は幾分かの体力を取り戻したようだ。

 
 俺は、決戦に備えクロークをぬぎ、剣をはずす。すると、頼みもしないのに僧兵の一人が恭しくそれを預かってくれた。


「勇者、ついに使命を果たす時がきたな」


 なんとか息を整えた大司教が、俺の背をポンと叩く。


「しっかりやってこい!」


 俺はコクりとうなずき、腰に吊り下げていた遊び人の頭を大司教に預けた。大司教は、「げっ」と顔をしかめながらも、彼女の頭を大事に受け取ってくれた。


 正面を見据えると、既に新しい義手を取り付けた魔王が腕をグルングルンとまわしている。こちらの視線に気づいた魔王は、先ほどまでの弱弱しい男とはまるで別人と思えるほど生気に満ち溢れている。なるほど、王として情けない姿は配下に見せられないということか。


「……さて勇者よ。もう追いかけっこはおしまいだ。憎き女神の使徒であり、超ド級の変態である貴様を倒して我が魔王軍の勝鬨としてくれる! 」


 魔王の後ろからは、炎魔将軍が憎々し気に視線を送ってくる。


「勇者! 約束を違えるとは見損なったぞ!」


 批難の声をあげる炎魔将軍に、俺はフンと鼻を鳴らす。そもそも、酒の席で約束をする方が悪いのだ。


 俺は、軽やかにステップを踏み身体の調子を整える。対する魔王は、付けたばかりの義手を相変わらずグルングルンとまわしている。


「合図が必要だな」


 焦れたミノタウロスが、そう呟き隣に立っていた僧兵から兜を奪い取る。そして、それを持っていた斧でカーンと打ちならした。

 
 魔王の右ストレートが、俺の左頬へと突き刺さる。あまりの速さに、俺は魔王の動きを全く捕らえられなかった。意識が転よりも高く飛びあがりそうなのを、歯を食いしばって耐える。


 俺は、お返しとばかりに拳をふりあげ、魔王の顎を砕いてやる。確かな感触があった。だがしかし、魔王は倒れない。

 
 ステップを刻む暇などない、超近距離のインファイトが続く。お互いが互いの急所へと必殺の一撃を見舞い合う、ただそれだけの戦略性から最も遠くかけ離れたただの肉弾戦だ。だがそれは、美しさからの欠片もないその戦いは男たちの血をを熱くたぎらせた。一歩も引かずに、拳の応酬をつづける両者に魔物達も人間達も変わりなく声援を送った。


「させ! カウンターだ! ほら今だ、させ! 勇者っ!」


 大司教の皺がれた声には、年不相応な熱がこもっていた。そして、その右手にはなみなみと注がれたビールジョッキが握られている。


「うひょおおお! なんですか今のアッパーは! あんなの食らって立ってられるとは流石魔王様!」


 炎魔将軍が、その姿に似合わず甲高い歓声をあげる。その右手には、やはりビールジョッキが、そして呆れることに左手には乾きものが握られている。


 一体何発のパンチを見舞い、何発のパンチをもらっただろうか。膝が震え、肩を揺らし、目は腫れ視界がかすむ。まともな人間、まともな魔族であれば幾百回の死を迎えるであろう威力を正面から受け止め俺と魔王はともに限界を迎えつつあった。


 白く霞んだ世界から、突然魔王の拳が目の前に現れた。精神が高まっているせいか、その拳はひどくゆっくりと俺に向かって飛んでくる。何とか交わそうと、上体を揺らすが力が思うように入らない。


 魔王の拳が、俺の額にあたった。乾いたパンという音に、限界を迎えた肉体と精神が同じくはじけ飛んだ。俺は、前のめりにゆっくりと崩れおちた。


 ミノタウロスが駆け寄ってきて、高らかに腕をあげカウントをはじめる。


「1、2、3……」


 あぁ、遊び人。やっぱりキミのお父さんは化け物のように強い男だ。長年の旅で身に着けた、如何なる耐性をもってしても奴の拳を耐えきることがついぞできなかった。

 
 声がきこえる。だが、その優しい声は猛々しい男たちの声援にかき消されてしまう。


4、5、6……


「ゆ……ひざ……ら!」


 ああ、気持ちいい。自身が不眠症であることが信じられないくらい、今日は安らかに眠れそうだ……。


「ひざま……らし…あげ……!」


 誰だ? それになんだ? 人の睡眠を邪魔するのは……。


7、8、9……


「魔王に勝ったら、今度は私が膝枕してあげるっていってるの!」


 俺の体は、まるで羽が生えたかのよう軽くなる。気づけば、俺は既に立ち上がっていた。



 ミノタウロスが、俺の顔を覗き込んでくる。


「やれるが?」


 俺は、目だけで肯定を伝える。


「よじ、やれ! ふぁいっ!」


 魔王が驚いた表情で俺の姿を見ている。なぜ、立ちあがれる。もう、お前は倒れたではないか。そういいたげな顔だ。


「もうっ、貴様の負けだっ……!認めろっ勇者ぁっ!」


 魔王の表情に再び恐怖が浮かび上がる。そうだ、お前は俺を恐れていたのだ。腕を斬りおとされ、徹底してその姿を地下へとくらましたのは、何より勇者が怖かったからだ。恐れは、剣を鈍らせる。お前は、このリングに立った時点でもう負けていたんだよ。


 俺の拳が、既にヘロヘロで、虫すら殺せない威力であったが、それは確かに魔王の頬へとたどり着いた。魔王の目からは、光が消え、そのまま仰向けに倒れこむ。


 ミノタウロスが、魔王へと駆け寄り。声をかける。そして、何かを悟ったかのように立ち上がり両手をクロスさせた。
 その瞬間、地鳴りのような大歓声が倉庫に響き渡った。後の世に、その声は遥か王城まで届いたと言われるほどの大歓声が、人も魔物も分け隔てなく勇者の勝利を称えた。



 翌朝、目が覚める。傍らには、遊び人の頭が転がっていた。すやすやと気持ちよさそうに、寝息を立てている。
 周囲を見渡すと、倉庫の地べたに魔物も僧兵たちも入り混じれて雑魚寝している。倉庫の中には血や汗、そしてビールの混じり合った酷い匂いが立ち込めている。どうやら、勇者の祝勝会と魔王の残念会が同時に、そして盛大に行われたらしい。


 ひどい頭痛に、思わず頭をおさえ唸り声をあげる。


「起きたか……勇者」


 大樽に寄りかかった魔王が、声をかけてくる。その腫れあがった顔が、昨日の激戦を思い起こさせる。だが、その程度気にもとめないばかりに、魔王の右手にはビールジョッキが握られていた。


「娘を襲った変態に負けるとはな……我は父親失格だ」


「お義父さん……」


 「お義父さん言うな」魔王はそういって、俺に手招きする。
 痛む身体を引きずるように、魔王へと近寄ると彼は俺にビール瓶を寄越してきた。


「グラスはないから、悪いが貴様は瓶だ。……乾杯といこうじゃないか」


「完敗? 俺の勝ちってことでいいんだな?」


 俺の軽口に、魔王はフッと笑って「どっちでもいいさ」と呟いた。
 俺は、魔王の隣に腰を下ろし瓶を受け取る。


「乾杯」


 今となっては、どちらが発声したのかはわからない。だが、俺たちは長年の因縁を乗り越え初めての乾杯を交わした。


 男たちの汚い寝息の中で、ぶつかりあったジョッキとビール瓶がカチンと乾いた音を響かせた。
 そして俺は、その日久方ぶりの酷い二日酔いに悩まさることとなった。

――――――

 ラストオーダー
 最後の一杯  勇者根性スピリッツ

 おわり

――――――

――――――

エピローグ

――――――


 目の前に置かれた逆三角形のグラスには、赤い液体で満たされ、更にその中にはチェリーがプカプカと浮かんでいる。


「マンハッタンでございます」


 マスターに、「ありがとう」と感謝の意を伝え、グラスに口をつける。


「ねえ、私の話きいてた?」


 白と黒のチェック柄のワンピースに、赤いマフラーをまとった、金髪の美少女が不満げに話しかけてくる。


「ごめん、聞いてなかった。なんだって?」


「もう!」


 彼女は、プリプリと頬を膨らませて見せる。


「まぁまぁ、ほらこっちもできたよ」


 マスターが、彼女の前に俺の物と委細同じカクテルを届ける。彼女は、打って変わって嬉しそうな表情をうかべ、それを一気に飲み干した。


「だからさ、教会と魔王軍が手を組んで酒造業界一丸となって禁酒法と戦う道筋はできたんだし。私たちも時間が空いたわけじゃん」


「ん」


「だからさ、また旅に出ようよって話をしてるの」


「旅だって?なんだって今更」


「だってパパは私たちのことを認めてくれたけど、勇者はまだママに会ってないじゃん」


「ママ?」


「そ、いつだったか仕事命のパパに愛想つかして出て行っちゃって、今は行方不明なの。今度は、そのママに挨拶に行こうってこと」


「行方不明のママねえ。俺は構わないが……」


 どこからかカチカチカチカチと音が鳴っている。


 ふと、音の先を伺うとマスターの手元がそれであった。白いナフキンを持ち、いつものようにグラスを磨くマスターの手は明らかに震え、その爪の先がグラスへと叩きつけられていたのだ。マスターを見上げると、その表情こそ変わらないが血の気が引き真っ青となっている。

 あのマスターが……まさか怯えているのか!?


 俺は、あわてて彼女を振り返る。


「ママは、パパより強いし頑固だから覚悟しててね勇者」


「ふん、望むところさ」


 どうにか精いっぱいの強がりを見せてみるが、どうにも酒は俺の心を丸裸にするらしい。
 マスターの手元と同様に、俺の強がった台詞は恐怖に駆られ酷く震えたものだった。



――――――

遊び人♀「おい勇者、どこ触ってんだ///」 

おわり

――――――

長らくお付き合いいただき有難うございました。
変なところがあれば指摘してもらえると助かります。頂いたご指摘は、小説家になろうに投降している同作品の方で修正していきます。

酔いどれ勇者は、今日も千鳥足で魔王を追っています!
https://ncode.syosetu.com/n4689et/

どうぞこちらのほうにも、感想評価をよろしくお願いします。
重ね重ね、ありがとうございました。

おつおつ
次も期待しているぞ!
魔王倒したから酔えるようになったのかなめでたい!

そういやなろうの方も有ったんだわな
もうガラケーから見れないから忘れてた
何はともあれお疲れ様

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