遊び人♀「おい勇者、どこ触ってんだ///」 (107)


チェリーボーイ諸君

巷に溢れる未経験の男達よ、知っているか

人の頭ってのは扱いが難しい

比喩表現ではない、そのまま字面通りに受け取ってくれ

当然のことながら、頭には大事なものがいっぱい詰まっている

脳みそとか、神経とか、そういう諸々の物だ

そうだな、いわば宝石箱だ

うん、わかっている。やっぱり俺は比喩表現を使うべきではないようだ

だが、そのまま聞いてくれ

宝石箱は大事に扱わないといけない

雑に扱って、大事な中身を零れ落とすわけにはいかないだろう?

かといって、力を籠めなければ箱は開かないんだ

その力加減が、実に難しい

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勇者である俺が、何でこんな話をしているかわかるか?

それは、胡坐をかく俺の太ももの上に、遊び人♀の頭が据わっているからだ

正直に言おう、初めての体験だ

いま俺の鋼の精神は、恐慌状態へと陥っている

泣き叫び、助けを乞いたいがそういうわけにもいかない

なに「初めて」は誰もが経験することだ、その名に恥じぬ勇気をもって事にあたろうではないか

ふむ、力を籠めたら、砕けてしまいそうだ

実際、俺の膂力ならそうすることができるだろう

そうならないように細心の注意を払い、遊び人の頭をなでてみる

綺麗な髪が、指の間をするりと通る

驚いた、女の髪の毛ってのはみんなこうなのだろうか

こんなに柔らかく、艶めいているのか

俺の髪の毛は、たわしみたいに硬いぞ

いや恥じているわけじゃないさ、だって男の髪ってのは、みんなそうだろ?

たまに、女みたいな髪を持ったオッサンがいるが

あれは特殊な例だ、まあその話は関係ないし置いておこうか

ところで後姿女オッサンって、なんか極めて特殊な性癖持ってそうだよな


さて諸君、俺が勇者であるが故、かどうかはわからんが

俺の髪の毛は、男の中でもひと際硬い気がするんだ

太く、硬く、そして多い

俺の頭でなら、銀の皿を鏡みたいにピカピカに磨き上げることができるだろう

とは言ったものの、現実的に俺の頭で皿を磨くなんて無理だ

何でかって?

だって俺の頭には、強くたくましい胴体が繋がっているんだもの

俺の頭で皿を洗うなら、胴体を持ち手にしてゴシゴシやるしかない

そんなことできるのは、巨大なゴレムぐらいだろうさ

もしくは屈強な男たちが数人がかりでもできるだろうが、そんなことするぐらいなら

素直にたわしを使えよって思うよ



では彼女の頭なら、どうだろうか?


その髪に、劣ることのなかった美しい胴体と切り離されて

俺の膝に据わっている、遊び人の頭なら

立派にたわしとしての仕事を果たせるのではないだろうか

少なくとも、俺の頭よりは使いやすいはずだ


ふむ、何を馬鹿なことを考えているんだ、俺は

我ながら正気では無かったようだ

なにせ胴から切り離された頭を膝に乗せるなんて初体験なのでな、許してほしい

さて、そろそろ、物語の本筋に移ろうか

そうだな……タイトルは『酒と魔王と男と女』

勇者である俺が、何故こんな状況に置かれているのか諸君に説明して差し上げようではないか

とは言うものの、何から説明したものか

いつからか酒に酔うことができなくなったはずなのに

まるで泥酔しているかのように頭痛が響き、思考が定まらないんだ

頭を降ってみよう、目が覚めるかもしれない

うん、灰色の脳みそが壊れたラジオのようにカラカラとなったな

聞こえただろう?何か大事な部品が取れてしまったのかもしれないな

よし次は、思考のチューニングをしてみよう、砂嵐のような記憶から明瞭なものに焦点をあわせていくんだ

お、見えてきた見えてきた

なんだ母さん、まだ買い替える必要なんてないじゃないか


さあ、諸君

物語のはじまりはじまり

どうして、俺が頭だけになった彼女を膝に抱いているのか

是非、最後まで聞いていってくれ





「彼女と初めて会ったのは、出会いと別れの季節。春だった」


勇者が重い口を開くと同時に

ぬるく、粘った液体が彼女の頭から滴った

――――――

1杯目 カクタル思いで、君にエールを送る

――――――

――――――

枕が固い、宿屋の外では冬眠から覚めたカエルがゲコゲコ鳴いている

過ごしやすい季節になってきたと人々は言うが、俺にはそうは思えない

ブランケットを羽織れば汗がにじみ、無ければ何と無しに心もとない

春は、そういう中途半端な季節だ

それならいっそ寒いほうがましだ



日は沈み、すっかり夜更け

俺は、早々に宿屋のベッドに横になるがどうにも眠りにつくことができないでいた

だがそれは、今日に限ったことではない

どういうわけだろうか、眠ろうと床についた途端に俺の思考はぐるぐると回り出す

得体のしれない恐怖感が、俺に思考を止めることを許さないのだ

魔王を倒しきれなかった、あの日からそれはずっと続いていた



だが不眠との戦いも半年を過ぎれば、慣れたものだ

俺が見つけた最善手、「眠れないのであれば、眠らなければいい」

無理に寝ようとするからいけないのだ、そんな時は自然に眠くなるまで時間を使うのが一番

そんなわけで、俺は日課に取り掛かる

ブーツの紐を結び、剣を腰にぶら下げる

そしてそれを隠すようにクロークを纏う、さあ準備は万端だ

仕事に取り掛かろうじゃないか

向かうは酒場

アウトロー達が集う、イリーガルなフィールドだ



――――――

酒の匂いと荒くれ達の喧騒が立ち込める、街外れの酒場

顔を赤めたオッサン共が、周囲に気を配ることなく子供の用に声高らかと笑っている

いい大人が歯をむき出して笑い転げている様は、はっきり言って異常だ

俺は、どうもこの酒場の独特な雰囲気が苦手だ


周囲を見渡し、話が通じそうな人間を探す

これは決して、俺が寂しさ余って話し相手を探しているというわけではない

そもそも、俺は酒を飲みに来たのではないのだ


そう、俺の日課とは酒場で情報を集めること

土とコケにまみれた非常に古典的な手法ではあるが、こと魔王の情報に関して言えば

その効果は絶大であると俺は踏んでいる

それに、日課に精を出せば精を出すほど肉体は疲労し

俺は気を失うように床に就くことができる

まさに一石二鳥というわけだ


「おい、兄ちゃん!そんなところに突っ立ていたら邪魔だろうが」



酒場に似合う荒い言葉とは裏腹に、可愛らしい声が脳天に響いた

と同時に、尻にも鈍い衝撃が響く

どうやら、俺は尻を蹴り上げられたらしい

振り向くと可愛らしい声に見合った可愛らしい一人の少女が、腰に手を当て俺を睨みつけている

美少女に尻を蹴り上げらたという事実が、何故かはわからないが俺の頬を赤くそめる


「聞いてる?それとも、酔っぱらって耳が遠くなってんの?」


白と黒のチェック柄の派手なワンピース

ブロンドの美しい髪は、肩に届かない程度で切りそろえてある

首には真っ赤なストールが巻かれている

その鮮やかな赤は、まるで首から血を流しているようだ

そう、これから起こる何かを暗示するかのように


「す、すまない」


俺は慌てて、彼女に道を譲る

だが、彼女は俺の顔を訝し気に眺め続けている



「あんた、勇者様でしょ?」


「そ、そうだけど……」


「すごい!こんなところで会えるなんて!ちょっとアンタ、面貸しなさいよ!」


「え、なんで……?」


「アンタの冒険譚は最高の酒の肴になるって言ってんの!ほら、付き合ってよ!」


なるほど、これは逆ナンというやつだ

魔王を窮地にまで追い詰めた俺の活躍は、どうやらこの田舎町にまで広まっているらしい

正直、悪い気はしない

それに、彼女から魔王に関する情報を引き出せる可能性もゼロではない

ならば、気晴らしもかねて彼女と会話を楽しむことやぶさかではないではないか


「あたしは、遊び人!袖触れ合うもなんとやら、一晩よろしくね!」


「ひひひ、一晩!?」



脳天に稲妻が落ちる

ひひひひひ一晩よろしくだって!?

男と女が、一晩よろしくするだって!?

つまり、ああ、これこそ俗に言うアバンチュール!!

春なのに一夏の過ち、危険な恋!

これまで、魔王討伐に励むばかりに女性経験の一切なかった俺の

初めて手にしたチャンスが、こんな大冒険になろうとは!


『恐れることはない勇者よ!勇気をもって臨むのだ!』


王都を旅立ったあの日の、祖父の言葉が脳裏をよぎる



――――――

「ほら、アンタも何か頼みなよ!あ、お姉さーん、私はビールね!」


「俺は、酒は飲まない。それに、この国では飲酒及び酒類の販売は禁じられているのを君は知らないのか」


5年前、俺は魔王を半殺しにこそしたがトドメを刺す前に逃亡を許してしまった

勇者に課せられた使命を達するため、俺は必死に後を追った

しかし、魔王の動きは迅速かつ巧みで俺の追撃の手を悉くかわし

遂には生き残った幹部、魔物達をまとめ上げ地下に潜ってしまったのだ

そうして、表向きには世界はつかの間の平和を手に入れた


それまで国防に費やされていた資金は、魔物によって蹂躙された各地の再建・発展へと使われ

その軍事的利用の為、国が包括的に管理していた魔法使いや錬金術師たちの知識が市民へと解放されたことで

世界は大きく変わった


魔法と科学がもたらす奇跡は、産業を巨大化させ人々の生活水準は飛躍的に高めた

「王国建国以来1000年の発展を全て足しても、このたった5年の変革には及ばないであろう」

とある歴史家にそう言わしめたほどの急激な変革は、特に商人たちに大きな力をもたらす結果となり

絶対王政という権力構造にまで変革の手が及ぶことを恐れた執政府は、商人たちを新たな法で縛ることで保身を図った


禁酒法も、そうした混乱の中で作られた一つの法であった



「もちろん知ってるさ。だから私たちは、こんな窓もない倉庫みたいなスピークイージーで飲んでるんだろうが」


「スピークイージー?」


「もぐり酒場のことだよ。だいたい、酒場まで来ておいて酒を飲まないなんて何を言ってんのよ」


「俺は、酒を飲みに来たわけじゃない」


「ははあ、さてはナンパ目的だねお兄さん」


ナンパしてきたのはお前じゃないか

そんな言葉が口から出そうになるが、グッとこらえる

これは、初めてのチャンスに水を差したくなかったわけではなく

万が一ではあるが、俺の勘違いだった事態を警戒してである


慣れない女の子との会話で、表情が緩みそうになるのを必死にこらえ

なんとか落ち着きのある男の風格を漂わせながら、言葉を絞り出す


「魔王の行方を追っているんだ」


「なるほど、それで酒場で情報収集ってわけね。この悪法の中、ムーンシャインを店に卸してるのは魔王の一味って噂だしね」

「さすが勇者様、目の付け所がいいね」



そう、禁酒法が制定されたからといって世間が「はいそうですか」と素直に受け入れるわけが無かった

魔王健在の頃、酒は人々から不安を拭い、恐怖から目をそらしてくれた

人々の生活に根差した酒を、完全に法で禁止するなど無理な話だったのだ


現在、酒造りは地下に潜り、秘密裏に製造されラムランナーと呼ばれる密輸業者によって

(彼女の言葉を借りるところの)スリープイージーこと、もぐり酒場へと流されている

禁酒法制定前まで多くの真っ当な商人によって支えられてきた巨大な酒の卸売市場は、法を犯すことを厭わない者達の手へと渡った

そして、その新しい裏市場の担い手の中でも最たる組織こそが、酒造りと同じく地下に潜った犯罪集団魔王一味である

これが、俺が長年続く日課の中で得ることのできた全てだ


「君は、何か知らないか?どんな情報でも構わない」


「それに答える前に一つだけ言わせてくれ。アンタは、酒を注文するべきだ」

「魔王の行方が知りたいなら、なおさらな」


そう言いながら彼女は、ウェイトレスの手によって届けられたビールを口にした

液体が喉を通る音が、ゴクッゴクッと聞こえてくる


「なぜだ?」


思わず、俺の喉が鳴る

なんていい音をさせてやがる



「酒場で一番信用でされない奴。それは、素面の男さ」

「そんな奴に、誰も情報は渡さない。もちろん私もさ」


「……」


彼女の言い分は、尤もらしく聞こえた

現に、5年を費やし必死の探索を行ったにもかかわらず

俺が得た情報は、酒場の噂程度のものだった


俺は、今年で22歳になる

この国では、禁酒法制定前から未成年の飲酒を禁じていた

そして俺は、齢17で禁酒法を迎えて以来、一滴も酒を口にしたことが無かった


俺の喉が、再び鳴った


「そういえば、喉が渇いたな」


「へえ、なら声を張って注文するといいさ」


「君は、酒に詳しそうだな。俺は初めて酒を口にする、何を飲むべきだろうか」


「へえ、初体験ってわけか、そいつはいいや!」

「そうだなあ……ん、そう言えば喉が渇いたと言ったね」


「ああ」



「それなら決まりだ!喉の渇きを癒すならビールに限る!」


――――――


「黄金色の酒だ」

錫製のジョッキを傾け喉を潤す、初めて摂取するアルコールに全身が奮え、舌の上で炭酸の刺激と苦みが踊っている。

その強烈さに、不眠もあってか薄ぼんやりとしていた意識が覚醒していく。

胃は拒絶反応を起こし今にも逆流しそうだが、霞が晴れるようなその快感に俺はジョッキを傾けるのを止められない。

そして、遂にはジョッキの中のビールを全て飲み干してしまっていた。

その様子を、遊び人は満足げに眺めていた。


「……苦い、はっきり言うとあまりおいしくない」


「いい飲みっぷりだったけどね。まあ、初めてはそんなものよ」

「しかし、黄金色の酒ね……なかなか洒落たことを言うじゃないの」


勇者が持っているのは、剣と魔法の腕だけではないということさ。

俺は、自分で言うのもなんだがあらゆる可能性を秘めている。魔王を倒したら吟遊詩人になってもいいかもしれないな。


「麦色」


「私は、初めてのビールに畑一面に広がる麦を連想したものよ。まあ麦酒なんて言うくらいだしね」


「そうか、この苦みは麦のものか」



そういえば魔王討伐の旅の中、手持ちの食糧が尽きかけ、鞄の底に残っていたわずかな麦をそのまま齧ったことがあったが。

この苦みは、あの時感じた麦のそれと似ているかもしれない。


「いや、ごめん。感じ入ってるところ悪いけどビールの苦みは麦のものじゃないわよ」


「すいませーん。ビールおかわり!」


恥ずかしさを誤魔化そうと、俺は新たなビールを注文した。


「ビールの苦みはホップに由来するものなのよ」


「ホップ?」


「そ、ホップステップジャンプのホップ」


遊び人のにやけ面からするに、これは冗談を言っているのだろう。

これだから、酔っ払いの相手をするのは嫌なんだ。下らない冗談を、得意満面に話すなんて恥ずかしくないのだろうか。

どうせ言うならもっと洒落た冗談を言って欲しいものだ。例えば、そうだな……。

ホップ……モップ……コップ……いや、やめておこう。このままだと碌なことを言いだしかねない。


「ホップか……聞きなれない名前だ。どういうものなんだ」


「噛むと、むちゃくちゃ臭い植物。もし機会があっても止めておきなさい、小半時はもがき苦しむことになるわよ」



その時を思い出しているのか、遊び人の表情は酷く強張ったものになっている。

この女は、内面が表情に全て出るタイプらしい。もしくは、酒のせいなのか。


「このビールは臭くなかったが、どういうわけだ?」


「貴方がそれを知る必要は無いわ……」


今度は、遠い目をして誤魔化そうとしている。


「なによ、その目は。いやらしい。あーいやらしい」

「ホップには、防腐剤の効果があるのよ。それに、ビールに独特な風味や香味を付け足してくれる」


「ビールには欠かせないものなのか」


「そうね、とある侯爵は領内で栽培されているホップを他国に持ち出したものを死刑にしたぐらいよ」

「あそこのビールは特に美味しくて有名だからね。それぐらい、ビール造りにおいてホップは重要ってことよ」


ウェイトレスが新しいジョッキを、机にドンっと置いていく。

今度は、その苦みを意識しゆっくりと味わってみる。やっぱり、まずい。


「そうね、こんな話もあるわよ」


聞きもしないのに、語り口を続ける。これも酔っ払いの特徴だ。酒は人を自己中心的にさせる悪魔の飲み物だ。

だが、どういうわけか俺はついつい彼女の話に耳を傾けてしまっていた。



「とある異教の国の司教が、死んだ時の話なんだけどね。彼は、仁徳深い人で葬式にも大勢の人が参列したの。それで、埋葬しようと彼の遺体を運んでたんだけど、まあとある町で人々は休憩をとったわけよ」

「みんな喉も乾いてて、喉が渇いたときに飲むのはビールでしょ?ビールを飲もうとするんだけど、残念なことにマグカップ一杯分しかビールが無い」

「ところがあら不思議。マグカップのビールは飲み干しても飲み干しても、まるでマグカップから湧き出るように無くならないの。遂には、参列していた人々全員の喉を潤してしまった」

「その事件をきっかけに、その人は教会から聖人として認定されて。今でも、ビールの守護聖人として崇められているのよ」


随分、俗的な奇跡だった。だが、宗教絡みの話となると直接的に批判するのも憚られる。

それに、酒は宗教的儀式においてしばしば用いられていること鑑みるに、宗教と酒は切っても切れない関係なのかもしれない。


「なんとなく、酒絡みの奇跡というとワインが出てくる気がするが」


「ワインの歴史には負けるけど、ビールだって同じくらい古い歴史があるのよ」

「まあ、私の歴史に比べればどっちも浅いけどね。って、女の子に年齢の話をさせるもんじゃないわよ!」


何がおかしいのかわからないが、遊び人はケタケタと笑っている。

何だこの女は。話に脈絡が無く、たいして面白くも無いのによく笑う。

普段なら忌避したい典型的な酔っ払いの姿ではあるのだが、彼女の笑う姿を見ていると釣られて俺も表情が緩んでしまう。


「そういえば、エールってあるよな。あれはビールとは違うのか?」


「あー、エールね」


「味は知らないが見た目はよく似ている。製法や材料に違いが?」


「アンタね、私を何だと思っているの。醸造家か何かと勘違いしてるんじゃない?」



『遊び人』彼女はそう自称していたが、その派手な恰好はどちらかというと道化だ。

当然、口には出さない。道化と言われて喜ぶ女がいないことぐらいは、経験の少ない俺にでもわかる。

まあ彼女が普通ではない、道化と言われて感極まる異常者である可能性は完全には拭えないが、彼女の機嫌を損ねる危険を冒してまで試すことはないだろう。

……あれ、俺はなんで彼女の機嫌なんかに気を配っているんだ。


「私は、遊び人よ!」

「付け加えるとしたら、勇者様が魔王軍を壊滅状態に追いやったがために職を失った。元騎士の現遊び人」

「そんな私が、ビールとエールの違いなんて知るわけないでしょう。酒は語るもんじゃない、飲むものよ!」

彼女の感情の起伏の激しさには目を見張るものがある。つい先ほどまで、ビールのあれこれを語っていたのは自分だというのに。

酔っ払いとはみなこうなのか。ん、これさっきも言ったな。

もしかしたら俺も酔っているのかもしれない。

しかし、元騎士の遊び人か……。


―――軍事組織としての魔王軍が壊滅して以来、王国の軍事費は縮小傾向にあった。

争いが完全になくなったわけではないものの、対魔物用に整えられた装備は人間を相手にするにはあまりに強力すぎており。

その絶大な威力と同様に、維持費もまた莫大なものであったためだ。


なにより、人々は新たな争いよりも生活の再建を望んでいた。

結果として、戦乱に乗じて乱立された多くの騎士団が解散される結果となった。

彼女も、そんな解散した騎士団の中で路頭に迷うこととなった一人なのだろう。



遊び人の言いぶりからすると、俺は多少恨まれているのだろう。面識のない俺に、突然声をかけたのも恨み節を聞かせるのが目的かもしれない。

そんな推測が、酒の効能もあってか少しお花畑になっていた俺の思考を急激に冷ましていく。

しかし、そのおかげで俺は場の空気に押され頭の片隅に追いやられていた自身の目的を思い出すことができた。


「もうそろそろ良いんじゃないか」


「なにが?もしかして、ベッドインに誘ってるの?血気盛んなのは嫌いじゃないけど、ちょっと焦りすぎじゃない」


「そそそ、そうじゃない!お俺もこうやって酒を口にしたのだから、これで晴れて酔っ払いの一員だ。この酒場で、魔王に関する情報を持っている者を知らないか?」

「もしくは、君自身が何らかの情報を持ってはいないか?」


俺は、息継ぎをする間もなく一気にまくし立てた。声は少し震えつつ、普段より半オクターブほど上がってしまっていた。

全くなかったとは言えない下心を見透かされたようで、俺は明らかに動転してしまっていたのだ。

俺が、この短い逢瀬で彼女の中に築き上げた俺のハードボイルド像は音を立てて崩れ去ったことであろう。


「勇者様は、せっかちだなあ」


「初めてのビール、俺にはあまり美味しく感じられなかった。ビールをまずいと言っているわけではないが……」

「俺の舌は、酒を楽しめる術を持っていないようなんだ。だから、遊びは休憩して本来の仕事をすることにしたんだよ」


「遊びを休憩?『遊びを休憩して』って言った……?はっ、勇者様は遊び人の才能があるようだ!」

「だいたい最初から、酒を美味しく飲める奴なんていないわよ。みんな、少しずつ舌をならしていくんだ」

「時に失敗し、時に後悔し。人はそうやって、酒の楽しみ方を覚えていくもんだよ。女を抱くのと同じさ」



こいつ、なんだかんだ俺を誘っているんじゃないか。いやまて、それこそ判断をするには早すぎる。

万が一、俺の勘違いだった時のことを考えてみろ恥ずかしさのあまり隠された真の力を開放しかねないぞ。

いや、そんなものないけど。少なくとも今現在、彼女の言葉に俺の顔は間違いなく真っ赤に染まっているだろう。


「あらら、そっちも初心だったか。ごめんごめん」


「ば、馬鹿にするなよ、俺は勇者だぞ。恐れる者なんて何もない」


「まあ、なんにしても初めてってのはいいことだよ勇者様。何事も、一番最初が一番楽しいもんさ」


「初めての酒は、そんなに旨くなかったがな!」


「ふむ、そんなこと言われたら。私のプロデュースが悪いみたいじゃないか」


「そうは言っていないけど」


「ふむ……それじゃあ罪滅ぼしをさせていただきましょうかね」


先ほどまで、無防備に振舞われていた天真爛漫を一切消し去り。彼女は丁寧で重苦しく言葉を紡ぎ出した。

罪滅ぼし。一体、何を何で返してくれると言うのだ。


「魔王の元に辿り着ける、やもしれぬ魔法を教えて差し上げると言ったらどうかな?」


「なんだと!?」



『やもしれぬ』という部分が半端でなく気がかりではあるが、俺は魔王の居場所に関する一切の情報を得られていない。

この5年間、俺は藁にも縋る必死の思いで酒場を回ってきたのだ。そんな俺にとって彼女の言葉は、絶望の中の一筋の光。僥倖としか言いようのないものであった。

少なからず感じていた酔いもぶっ飛ぶ気持ちで、俺は慌てて立ち上がった。


足が多少ふら付くのは、酔いのせいか興奮しているせいなのか俺には判別がつかない。

俺は、ふらつきながらも遊び人に詰め寄った。


「お、教えてくれ!いや、教えてください!」


遊び人の口角が、にやりとあがっていく。


「おやおや、勇者様にはその魔法を使う資格があるようですね」


「資格がいるのか!?俺は、既にそれを持っていると?」


遊び人が、こくんと頷く。その表情は、またもや一転して明るいものとなっている。本当に、ころころと表情が変わる女だ。

……いや待て、落ち着くんだ勇者よ。

彼女は、騎士団解体の件で俺に対して少なからずの恨みがあるはずだ。罠の可能性もあるのではないか。


「初めて会った俺に、何故そんな魔法を教えてくれるんだ。罪滅ぼしと言ったが、君には罪の意識なんて一切ないんだろう?」


「まあ、そうだね。そうだなあ……勇者様は遊び人の仕事って知ってるかな」


「あ、遊ぶことか?」



「そう、私の仕事は遊ぶこと。時に、石を拾ってお手玉をし、大声で歌い、指をぐるぐる回し、ダジャレを言ったり、足がもつれて転んだり」

「酒を飲んだり、紙に火をつけて投げつけたり、くしゃみをしたり」


「そんなの仕事とは言えない。ただの役立たずじゃないか……」


「そう、遊び人の行動の多くは無駄なことばかり。しかしだね、遊び人は時に誰かを励ますという仕事も持っているんだ」

「さて勇者様、これは恐ろしく強大な魔王のみならず、禁制である酒にすら挑まれた猛々しい勇者様へ。私から贈る、僅かながらのエールでございます!」


罠かもしれない……いや、知ったことか。例えそうだとしても、俺が乗り越えてきた苦難に比べれば。

女の子一人の仕掛ける罠なんてたかがしれている。それに対して、魔王の情報は千金に値する。

これは、俺にとってノーリスクハイリターンも同様ではないか!


「頼む!俺は今度こそ魔王を……!」


「それじゃあ、肩につかまってくださいな」


彼女の肩をつかむ。それは、俺の物とは違い酷く柔らかく感じられた。

女の身に触れるのも初めてのことだった。力を籠めれば、肩を砕いてしまいそうだ。


「生きますよ勇者様」


「千鳥足テレポート!」


視界がぐるぐると回る。

まるで世界が混沌に包まれたかのようだった。

北の氷海、南の孤島、東の王都、西の砂漠、その鳥は、世界中のどこにでもいた。
丸い頭と大きな目、頭から首にかけては特徴的な黒色の帯。さほど大きくない体に、バランスを欠くように長く細い足。
集合性が強く、数千にも及ぶ群れを成すことから、彼らは千の鳥。チドリと呼ばれている。

特に水辺に多く生息する彼らは、その長い足を左右に踏み違えながらよく歩き、餌となる虫を探す。
酔っ払いのふら付いた足取りの事を「千鳥足」と呼ぶのは、その彼らの習性になぞらえてのことある。


「ここは……?」


「さあ、どこだろうね」


酷いめまいに襲われ、世界が暗転した先に俺を待ち受けていたのは、山積みの木箱と木箱に腰を掛けた少女。遊び人だけだった。
周囲を見渡す、天井に据え付けられた照明のおかげで視界は易々と通る。木箱の数からみて相当な広さの倉庫なのであろう。
ここには、言いようのない違和感があるが、鈍く重い今の頭では明確な答えは出てきそうにない。
すっきりしない気持ち悪さが残るものの、今、目を向けるべきは木箱に据わって笑みを浮かべている彼女だ。
テレポートを利用した待ち伏せも警戒したが、周囲には人の気配がない。遊び人の復讐という線は、杞憂だったのかもしれない。

めまいは、まだ続いていた。なんとなく頭をさすろうとしたところで、俺は自身が未だビールジョッキを握りしめていることに気が付いた。
持ってきちゃってたのか。後で返しに行かなくちゃ。


「何をしたんだ……?普通のテレポートとは、少し感覚が違ったが」


「千鳥足テレポート。簡単に言うと、ランダム性の高いテレポートだよ」


「つまり……」


「そう、酔っ払いと同じでさ。何処に行きつくかは、私にもわからないのさ」


俺に怒りがフツフツと湧き上がっていく。


「つまり、なにか。魔王の元に辿り着けるやもしれぬってのは運任せってことなのか!?」


期待を煽られ、裏切られた。その事実が、俺から理性を奪っていく。
確かに、『やもしれぬ』と言ったけども!それにしたって、酷い落差じゃないか!こんなの詐欺だ!
俺は、怒りに任せ近くの木箱を蹴飛ばした。木箱は転がり、大きな音が、倉庫中に広がっていく。


「まあ、落ち着きなよ勇者。まだ外れと決まったわけじゃないさ。ほら、ちょうどいいから木箱の中身を改めてみなよ」


「くそっ、酔っ払いの戯言に付き合うんじゃなかった……ん、これは……」


悪態をつきながら、俺は木箱の中をさらう。中から現れたのは、大量のおが屑と液体の詰められた瓶。おが屑は、梱包用だろう。
問題は、瓶の中身だ。遊び人が手を伸ばしてきたので、俺は瓶を彼女に渡す。
彼女は、何処に隠し持っていたのかナイフを取り出し栓を抜き匂いを嗅いだ。


「ビールだ」


「ここは、密輸業者の倉庫か」




「誰が、居るのが!?」


酷く低くしわがれた声が、倉庫に響く。言葉を発するに適していない声帯、そしてその音圧、声の主が人間では無いことは明らかだった。
迂闊だった。違和感の正体はこれだ、何故倉庫の照明はつけられていた。それは、誰かが作業を行っているから。
人の気配がしなかったのは、奴らが人ではないから。窓もなく閉ざされた倉庫で、木箱に詰められた密造酒。
魔王の一味が、ラムランナーとして活動しているという噂。
間違いない、ここは魔王一味の拠点。もしくはそれに類する何かだ。


「大当たりじゃないか……」



俺は、持っていたジョッキをそっと木箱の上に置き。代わりに剣を抜く。
こんなことなら、軽装で来るべきでは無かったな。せめて皮の鎧だけでもあれば。
代わりに防御魔法を自身にかける。だが、魔法が巧く発動しない。酔いのせいか、呪文が巧く紡げない。


「なんだあ!人間の匂いだ!」

「おい!全員出でごい!人間が紛れごんでるぞ!」


倉庫の奥から、魔物達の気配がゾロゾロと出てくる。思っていたより、魔物の数は多いようだ。
それに統制がとれている。奴らが、俺と遊び人を包囲する形で布陣をとろうとしているのが木箱越しに感じられる。
久方ぶりの魔物との戦闘。しかも奴らの拠点で。こちらは、軽装な上に酒が入っている。
遊び人をチラリと見る。彼女に至っては、ワンピースにナイフ一本、しかも職業は遊び人。誰の目から見ても、劣勢だな。


「お前は、隠れていろ。俺が遊撃に出る」


「いらぬ心配だね、元騎士だって言ったの忘れた?それと、殺しちゃだめだからね」


「魔物をか?何故だ」


「魔王の情報が欲しいんでしょ?それに―――」


「それに」


「密輸業者が全滅しちゃったら、誰が酒を運ぶのよ!」



木箱の陰から、魔物が数体躍り出る。人の倍はある身の丈に、牛の頭。ミノタウロスだ。
ミノタウロスは、その手に握られた斧を振り下ろす。
斧が起こす風を頬に感じるほどの距離で、かろうじて躱す。

ミノタウロスは勢いあまって、地面に斧を突き立てている。
その一瞬の隙を逃さず、奴の角を斬り落とす。俺の腕に掛かれば、鋼に劣らぬ強度をもつミノタウロスの角などチーズと同じだ。
ミノタウロスの表情は、恐怖に歪む。臆したな、こいつがこの戦闘中に立ち直ることはないと判断し。剣の鞘で、顎を打つ。
ミノタウロスは仰向けに倒れた。

どうだ、これが勇者の実力だ。と言わんばかりに、遊び人に視線を送る。
彼女は、敵の懐にもぐりこみナイフを奮っている。まるで踊り子のように、くるくると回り、ミノタウロスを翻弄している。
彼女が回るたびに、短いスカートがひらひらと浮き上がる。



「おい、よそ見するな!後ろだ!」


俺の視線に気づいたのか、彼女が声を張る。俺は、慌てて振り返る。ミノタウロスの横薙ぎ。
足元がふら付く。十分に避けられる速さだ、ただし俺が酒に酔っていなければの話だった。
狙いは首。咄嗟に左腕で庇う。俺の首は、左手ごと寸断――――とはいかなかった。激しい金属音とともに、ミノタウロスの斧は左手の薄皮一枚で止まっている。


「鎧でも仕込んでやがっだが!?」


ミノタウロスが叫ぶ。残念ながらそうではない。奴の斧を止めたのは間違いなく、俺自身の左腕。
これこそ、俺が勇者として魔王に立ち向かうことができた理由。女神よりの祝福。耐性の力。
俺の左腕は、魔王討伐の旅で幾度となく斬り落とされた。幾度の失敗に学んだ俺の肉体は、女神より与えられし力をもってして学んだ。
そうして出来上がったのが、何者も。例え魔王であろうと、斬り落とすことができない絶対の斬撃耐性がついた左腕なのだ。

ミノタウロスは力を更に籠める。俺の左腕がじりじりと押されていく。
残念なことに、俺は首を落とされた経験がない。つまり首にまで斬撃耐性があるわけではないのだ。
右手の剣で……いや、踏ん張りがきかないうえに片腕だけで剣を振ったところで、ミノタウロスの厚い皮は破れないだろう。
剣を手離し、その手で左腕を支える。力比べと行こうじゃないかミノタウロスさんよお!


「ミノタウロスと力比べなんて、ばっかじゃないの!」


遊び人の投げたナイフが、俺と対峙していたミノタウロスの右目に刺さる。ミノタウロスは斧を落とし、泣き喚いている。
馬鹿はお前だ!一本しかないナイフを投げるなんて―――何処から取り出したのか、遊び人は両手にナイフを構えている。
何処にしまってたんだ、そのナイフ。まさか、スカートの中か?


「敵は、そいつ一匹じゃないんだからね。ほら、手伝ってよ!」


魔物達は刻一刻と数を増し、その数は10数体にも及んでいた。背中合わせの俺たちを中心にして、完全に囲まれてしまった。
普段の俺ならば、まず間違いなく隙を見て逃げ出す状況だ。もしくは、耐性の力をフルに発揮してのごり押し。
魔物から尻尾を巻いて逃げる勇者。もしくは、ズタボロになった衣服で、魔物達の流した血の池の中に佇む勇者。
どちらの結果だろうと、傍目から見たらとても美しいとは言えない状況に陥っていたことだろう。

だが今日の俺は、そうはならなかった。
まず、遊び人にその気がない以上、逃走は論外。かといって、耐性を使ってのごり押しという状況にはなっていない。
四方八方からの魔物による攻撃は、背中を任せる遊び人によって的確にいなされていく。
正直に言って、彼女の目は異常だ。正面の敵にだけ集中している俺とは違い、敵全体の動きを把握している。



「次、左奥の奴が、飛び掛かって来るよ!右の奴は、後でいい!」


俺に、背を向けているはずの彼女が的確に敵の動きを教えてくれるのだ。まるで、背中に目が付いているかのように。
そして、彼女の指示に従うと、面白い様に敵を捌くことができる。これが孤独な勇者と、組織で戦う騎士団の違いなのか。
もしかすると、彼女は騎士団においてもそれなりの地位にあるものだったのかもしれない。


「そっち、数は減ったでしょ!こっちと交代して!ナイフじゃ倒しきれない!」


彼女の声に合わせて、正面の敵を無視して振り返る。その隙を、敵が逃すはずもないが耐性の力で致命傷にはならないだろう。
だが、俺の隙を埋めるかのように遊び人がナイフを投擲する。俺は、背後からの攻撃を気にすることなく正面の敵を切り伏せる。
膝から崩れ落ちた魔物は、まだ息がある。普段の俺なら、確実にトドメを刺すがそうはしない。
「殺すな」という彼女の言葉もある。だが何より、今日の俺には魔物を殺さないでいる余裕があるのだ。

切り付けられ、殴られ、焼かれ。どんな痛みにも耐えながら、戦い抜いてきた今までとは違い。
今日の俺は、酒に酔って本来の力が出せていないにもかかわらず普段の何倍も素早く的確に魔物を倒しきれている。
間違いなく、仲間、遊び人の助けによるものだ。初めての仲間との共闘に、俺の心臓は高鳴り血が上り興奮冷めやらぬ状態だ。


「すごい、すごいぞ遊びんん!まるで、腕が4本、足も4本、目も4つ!体が二つあるようだ!」


「馬鹿じゃないの!実際に二つあるんだよ!」


戦いの決着まで、それほど時間はかからなかった。
周囲には動けなくなった魔物達がウンウンと唸っている。
一体だけ、明らかに体の大きい奴に詰め寄る。右目にナイフが刺さっている。俺と力比べをした奴だ。
他の魔物と違い、腰巻が少し豪華だ。間違いない、こいつがここの親玉だろう。


「魔王は何処にいる?」


「知らん……」


右目のナイフを抜き、足に突き刺す。
ミノタウロスの叫び声が、倉庫に轟く。



「おい、何をやってるんだ!そんなことする必要はないだろ!」


遊び人が詰め寄ってきた。
無視して、足に刺したナイフを捻る。魔物の親玉は、再びうめき声をあげた。


「やめろって言ってるんだよ!」


遊び人が、俺を押しのける。邪魔をするなと睨みつけるが、遊び人はひるまない。


「お前には、任せてられない。向こうへ行ってろ、私が聞き出す!」


「魔物に慈悲をかけるのか?」


「冷静さを失ってるぞ勇者。酒だけじゃなく、血にも酔ってしまったのか?」
「聞き出す方法は、拷問に限らない。いいから向こうに行ってろ」


遊び人の目には、怒りが宿っている。
騎士団は、戦う技術以上に心の在り方を重んじる。彼女も、退役したからと言ってその道徳心を捨てることは無かったのだろう。
手段を選ばない俺とは大違いだ。
だが、彼女を説得するのは非常に難しそうだった。仮に拷問を続けたとしても、魔物が洗いざらい吐くとも限らない。
今回は、彼女の意見を尊重し黙って引き下がることとしよう。

俺は、彼女に「任せる」とだけ伝え一人と一体から距離をとる。
そして、倒れている魔物達が全て視界に収まるよう積み上げられた木箱の上に腰を下ろす。
これなら、仮に魔物達が遊び人に飛び掛かろうとすぐに対処できるだろう。
遊び人は、ミノタウロスの耳元になにやら語り掛けているが俺の位置からは、何を話しているかは聞こえない。

遊び人の語り掛けに、魔物は意外にも素直に応じている。
何を答えているのかは、わからないが魔物の表情をみるに嘘を言っているようには見えない。
「聞き出す方法は、拷問に限らない」彼女の言は正しかったようだ。

二人はしばらくの間、話し込んでいた。

話が終わると彼女は立ち上がり、なにやら呪文を唱えた。しばらくすると、魔物達がうめき声を寝息へと変えていく。
睡眠魔法をかけたのであろう。彼女も多少は酔っているだろうに、器用なものだ。
更に、彼女は魔物達の傷の手当てを始めた。全く、騎士団の博愛精神にはあきれてものも言えない。
だが、俺はその様子を黙って見つめるにとどめおく。少なからずではあるが、彼女の機嫌を悪くしたくないという気持ちもあった。

しばらくすると、彼女は俺のところへ戻ってきた。



「終わったよ。奴らは、魔王の居所までは知らなかった」


「収穫は無しか……」


「いや、そうでもないさ。組織の連絡員の情報を引き出せた。次は、そいつから辿っていけばいい」


「……なあ、何故ここまで手伝ってくれる?それに『千鳥足テレポート』とは何なんだ?」
「いくら、ランダム性のテレポートだからと言っても、ここまで的確に俺の求めていた場所へたどり着くなんて都合が良すぎる」


「まあ、それはおいおい説明するよ」


俺の矢継ぎ早の質問に、彼女は素知らぬふりで続ける。


「それより、私と手を組まないかい?実は、私も魔王を追っているんだ」


ここにテレポートで飛んできた時点で、何となく予想はできていた。
彼女は、俺が魔王を追っている勇者であることを知ったうえで接触してきた。そのうえ、都合の良すぎるランダムテレポート。
ならば、彼女もまた俺と目的を同じにしていることは明らかだろう。


「それにさ、アンタはちょっと危なっかしいよ。頼りになる仲間が一人ぐらい居たほうがいいと思う」


「いいだろう」


俺は、即答した。
彼女が使う謎の魔法「千鳥足ルーラ」、そしてその高い戦闘力、更には魔物から情報を引き出す巧みさ。
彼女の能力は、魔王を追うのに必要な全てを兼ねそろえていた。



「よし、これからよろしくね勇者」


彼女が、右手を伸ばしてきた。俺は、その手を握る。


「あ……ああ、よろしく頼む」


俺の手は、微かに震えていた。
戦闘の興奮が冷めたせいか、隠れていた俺の羞恥心がひょっこり顔を出しはじめていた。

よく考えると、今日は初めてだらけだ。
初めて逆ナンされ。初めて酒を飲み。初めての共闘。初めての女の手を握った。
まあ、逆ナンは俺の勘違いだが……。


「というか、酒場に金払ってないよな。俺達、戻ったら食い逃げ犯になってるんじゃないか」


「大丈夫、あそこには顔がきくんだ。つけててくれてるよ」


「ビールジョッキも返しに行かないとな……」


「お、良いもの持ってるじゃん。それ貸して」


彼女は、そう言って俺からビールジョッキを受け取ると、近くの木箱からビール瓶を取り出しそれに注ぎだした。
そうして、満杯になったジョッキを俺に差し出してきた。顔は少しにやついている。何か企んでいる、そういう表情だ。


「ほら、喉が渇いたろ。これでも飲みなよ」



彼女の言う通り、激しい戦闘で俺の喉はカラッカラに渇いていた。
俺は、ビールジョッキを受け取り喉に流し込んだ。

うまい。

店で飲んだそれと、同じものとは到底思えない清涼感だ。
胃が拒否反応を起こすことも無く。まるで干からびた砂漠のように、流れ落ちていくビールを受け入れていく。
気が付くとと、ジョッキの中身は既に空になってしまっていた。
俺が驚いている様子に、彼女はしてやったりの笑みを浮かべている。


「ほら、ジョッキを渡しな」


「そうだな、もう一杯もらおうかな」


「そうじゃないわよ。まったくもう、ビールの守護聖人の話を忘れちゃったの?」


「……人々は、奇跡のマグカップで喉を潤した」


「そういうこと」


ジョッキを手渡しビールを注いでやる。
彼女は喉を鳴らし、一気に飲み干してしまう。


「な?喉が渇いたときはビールが一番さ」



俺と彼女は、一つのジョッキにビールを注ぎ代わる代わるに飲み干した。
魔物達の寝息による合唱が音量を増していく。ひょっとすると、酒場の喧騒よりも騒がしいかもしれない。
だが不思議と気にはならない。ましてや良いBGMじゃないか。そう思えるほどだ。

俺の意識は薄らぎ、世界がぐるぐると回っていく。もう何度、ジョッキを空にしただろうか。数も数えられない。
目の前の彼女も、少しではあるが呂律が回らなくなってきている。ぐへへ、このまま宿に連れ込んじまおうか。
そういえば、俺は今日逆ナンされたのだった。ぐへへ、文句はあるまいよ遊び人さん。正義は我にありだ。

さてここで問題です、俺は今日何杯のビールを飲んだのでしょうか。正解は乾杯です。
さてこんなところだね勇者。今日はもう、お開きにしようか。
ん?いま喋ったのは誰だ、俺か?いや、彼女か?


ぱんぱん


突然鳴った、手を二回叩く音。それと同時に、正常性を失いつつあった俺の意識は完全に途切れた。


気づくと俺は、宿屋のベットに寝転がっていた。剣やクロークは床に投げ出され、俺は下着一枚となっている。
枕元には、空になったビールジョッキが転がっている。
どうやって俺は帰ってきたんだ。自問自答するも、記憶があやふやで思い出せない。

まさかと思い、周りを見渡すが遊び人の姿も見当たらない。どうやら、初めてのベッドインとはならなかったようだ。
ため息をつきながらも、むしろ記憶の無い初めてにならなくてよかったとホッとする。

窓を開けると、お日様が傾きかけ真っ赤に染まっている。なんていうことだ、もう夕方じゃないか。
二日酔いで頭痛は酷いが、久しぶりの長時間睡眠のおかげか、いつになく頭がすっきりしている気がする。
いったい、俺はどれくらい寝ていたのだろうか。

大きく伸びをし、外の空気を目いっぱい吸い込む。
さて、やることはいっぱいあるぞ。新しい仲間の行方も探さなくちゃいけないし、昨晩の店に金を払いに行かないといけない。
ビールジョッキも返さないとな。

彼女のことを100%信用したわけではない。千鳥足テレポートなる魔法の秘密。
それに、彼女が騎士団を退役しながらも魔王を追っている理由。謎は多いし、それに伴う不安も多い。


ただ確実に言えることが、一つだけある。


日課のひとつに、一杯のビールを付け加えるのもいいかもしれない。


――――――

2杯目 ここは、ワインに任せて先に行け

――――――




「勇者様、一緒に寝ないのかい?」



月明りが部屋を照らす。それほど広くはない部屋には、粗末なベッドがひとつ。されど、人影は二つ。

ベッドにもぐりこんだ遊び人が、声をかけてくる。



「その間、誰が見張りを続けるんだよ……」



揶揄われていることは分かりきっているのに、抗いがたい誘惑の言葉に必死に感情を抑え理屈を押し通す。

そんな俺の心情を察してか、遊び人がくっくっくっと笑いをこらえている。


ここは教会の二階。普段は、旅人を迎える客室として使われている質素な部屋だ。そんな狭い部屋に、俺と遊び人は互いの息が頬をなでる程の距離で見つめ合っていた。

嘘だ。というより、そうだったらいいなという願望だ。実際のところ、遊び人はベッドに横になっているし、俺は窓際に置かれた椅子から外を眺めている。ランプに火は灯していない。

教会の向かいには、それこそ狼が息を吹きかければ飛んでしまいそうなボロ屋が一軒。俺の視線は、そのあばら家に向けられ離れることはない。


先日の一件で、俺たちは闇に潜む魔王軍の情報を得た。かつては、表舞台で暴れまわった彼らは今や一犯罪組織として王国の裏側で暗躍している。

その手口は非常に巧妙で、俺はこの5年間、奴らに関する情報を一切得られていなかった。そんな闇の中を手探りで歩くような困難の中で、俺は遂に一筋の光明を得る。

秘密裏に活動する魔物達と魔王とのつなぎ役、魔王軍の連絡員の所在。遊び人によって、引き出された魔王に辿り着く唯一の情報だ。


合流を果たした俺と遊び人は、その日のうちに旅支度を調えこの宿場町まで馬を走らせた。旅に同行者がいるのは、初めての事だった。

別に一人が好きというわけではない。これまで、一人旅立ったのは信頼のおける仲間を持ち得なかったからだ。もちろん、魔王討伐の中で旅に同行したいという者は数多いた。

だが俺は、慎重で疑り深い男なのだ。旅の同行者が、どういう人物なのか。情報を集め、当人と話をし、信頼関係が築けると確信できるまで俺は気を許さなかった。俺の事を臆病だと嘲る者もいたが、その使命が故に、常に魔物達から命を狙われていたのだから仕方がないだろう。

まあそういうわけで、俺には仲間ができなかった。こいつなら、という奴も何人かは居たが、俺の執拗な身辺調査に嫌気が差したのだろう。翌日には姿を消していた。

遊び人に関して、俺は何も知らないに等しい。元騎士で、ナイフ使い、魔王を追っているということ以外は年齢も本名すらも聞いていなかった。

いつもの手順を踏まなかったのは、あの晩に襲撃した秘密倉庫から、俺たちの情報が出回る前に連絡員に辿り着く必要があったからだ。致し方が無かった。



食事も休憩もとらず丸一日走り通しの強行軍、この町に辿り着いた時には這う這うの体だった。ミノタウロスの情報は正確だった。

連絡員の潜んでいるはずの小屋はすぐに見つかった。よりにもよって教会の前に魔王軍の拠点を建てるとは肝が据わっているとは思ったが、俺たちにとっては都合がよかった。

俺たちは、秘密裏に教会の神父様に接触し部屋を借り受け拠点を見張ることにした。



「勇者はからかいがいがあるなー」


「そんな暇があったら、確り休んでてください」



遊び人は返事を返さなかった。

つい出てしまう敬語が、信頼関係を築く間もなく同行することとなった俺たちの距離感を物語っている。

俺の感情や、本心は敬語でもって覆い隠されているのだから、楽しい会話が続くはずも無いのは道理だろう。


昼は遊び人、夜は俺。見張りを行ううえで決めたシフトが、唯一俺たちの間で交わされた約束事だ。

この部屋に入った時、一つしかないベッドに淡い期待をよせもしたが、交代で眠るため何の問題も過ちも起きるはずもない。残念なことに。

残念なことに……そう、それが本心なのかもしれない。

成り行きでできたとは言え初めての旅の同行者、新しい仲間と仲良くなりたいと考えるのはごく自然の事ではないだろうか。そこにあるのは、下心だけではないはずだ。


酒は、あれから一滴も飲んでいない。魔王の少ない手掛かりを、酔いのせいで不意にしたくはなかった。

おかげで、俺の不眠はあの一日を除いて続いている。昼と夜で、シフトを組んだもののほとんど一日中起きている俺にはあまり意味がない。

疲労の為か、俺の集中力が僅かに乱れてきていた。


集中力が乱れると、急に恥ずかしさが湧いてきた。若く、可愛い女の子と、二人っきりで……っ、ベッドが一つしかない部屋に!

一体この状況は何なのだ!魔王を追うという使命感だけで抑えられていた、俺の若く逞しいリビドーがひょっこりと顔を覗かせ始めたのだ。


そうすると、沈黙が酷く気まずく感じられてくる。

俺は、遂に緊張に耐え切れず、言葉を漏らした。




「……いい天気ですね」



俺は、とんでもない馬鹿だった。月が、お前は馬鹿だと語り掛けてきても不思議ではないほどに。



「……ぷっ、あははははは。三日も部屋を共にして、初めて勇者様から話しかけてきたと思ったら―――」


「そうだねえ、いい月夜だね勇者様!」



頬に熱がのる。見張っているのがばれないよう火を灯していなくて良かった。月明りだけでは、俺の顔が赤くなっているのもばれていないだろう。

だがこれは、いい機会だ。緊張も解れて、自然と会話ができそうな気がする。さて、どうしたものかと次の話題を考える。予想に反して、話題はいくらでも思い浮かんだ。

俺は彼女の事を知らなすぎだ。聞きたいこと、聞かねばならぬことが沸騰したスープよろしく頭からあふれ出てくる。よく3日も一緒に入れたもんだ。



「なあ、いろいろ聞いていい……ですか?」


「敬語を辞めてくれるならね」

「それなら、私の何もかもを教えてあ・げ・る」



その可愛らしい姿に似合わない艶やかさを、声に込めている。彼女は、冗談抜きでは会話の出来ない質なのだろう。



「千鳥足テレポート、あれはどういう魔法なんだ」


「真っ先に出るのがそれ!?もっと私に、興味は無いの!?こんなに可愛い子が、同じ部屋でベッドに転がっているって言うのに?」



窓の外、あばら家に向けた視線はずらさない。というか、ずらせない。彼女の怒気が、冗談ではないのは比較的鈍感な俺にもわかるものだった。

うん、質問するにしても順番が大事だったな。俺は、つい本質をついてしまうきらいがあるからな。人から見れば、すこし性急にに見られるかもしれない。

ならば、順序良く行こうではないか。なに、あばら家に動きはない。時間はたっぷりある。



「じゃ、じゃあ名前は……?」



「千鳥足テレポートってのはね、使用者の願いが強く影響するランダムテレポートなの」



ええええ……はぐらかされた……?



「酔っ払いの事を指して、千鳥足ってのはわかるでしょう?あっちにフラフラ、こっちにフラフラ。右足を左に、左足を右に」


「俺はまだ、経験したことは無いが。まあイメージは湧くよ」


「出来の悪いダンスみたいに、右に左に体を大きく揺らしながらも前に進む。それが千鳥足。そして、その奥義こそが千鳥足テレポートよ」


彼女は、完全に説明モードに入ってしまった。隠しようがないほどの話題逸らしから考えられることは、『名は聞くな』そういうことなのだろう。
ならば聞くまい。というか聞けない。いや、なんか名前を聞いたり素性を聞いたりってのは下心が見え吸えてそうで恥ずかしい。
それに、名を名乗らないってのもちょっと秘密をもっているようで格好いいじゃないか。ならば俺も名乗るまい。


「ねえ、聞いてる?つまりね、ランダムであらぬ方向へ飛んでしまうこともあるけど、少しずつ目的地に近づけるってことなの」


「そんな、都合のいい魔法だったのか」


「そうでもないわよ。最終目的地にいつたどり着けるのかはさっぱりわからないし、なによりこの魔法は場所と使用者を選ぶ」


「そういえば、そんなことを言っていたな。貴方には資格があるとか」


「その通り。この魔法は酔っ払いにしか使えない」


魔法は、常に対価を必要とする。自然の理を超越し、奇跡を為すため。つまるところ、世界への捧げものだ。
大抵の場合、それは術の使用者が自身に内在する魔力によって支払うこととなり、魔法の効果が強大になる程、その勘定は跳ね上がっていく。

テレポートは、一度訪れたことがある場所に飛ぶことができる魔法だ。行ったことも無いうえに、そこが何処であるかもわからないにも関わらず、目的地へとたどり着くことができる。そんなことができる魔法ではない。
だがそれを可能とするならば、それ相応の対価が必須。つまり千鳥足テレポートを行うには、膨大な魔力が必要となるはずだ。そうだな、それこそ国を一つ滅ぼすほどの魔力が要るだろう。

だが、彼女に歴史に名を遺すほどの大魔導士と同様の魔力を有しているようには到底見えない。



「ランダム性をもたすことで、対価の支払いを格安に抑えている……?」


「そ。それと、酔っぱらった状態で飲み使用可能というリスクを設けることで、そのランダム性に一定の指向性をもたせるってわけ」


魔力の代わりに、リスクを背負うというわけか。
人は、リスクを負うことで通常以上の力を発揮することができる。火事場の馬鹿力、命を懸けた特攻、そして足元がふら付くほど酔った状態で使うテレポートというわけだ。


「やっぱり、都合がいい魔法じゃないか……」


俺と遊び人は一発で魔王の手掛かりとなり得る密造酒の貯蔵庫に飛ぶことができた。
遊び人が、どの程度の魔力を使ったかはわからないが酔っぱらうというリスクに対してあまりに大きいリターンだ。


「そりゃうまく行ったからね。下手すると川のど真ん中にポチャンなんてこともあり得るのよ、それも酔っぱらった状態でね」


「泳げばいいさ。もしくは、改めて普通のテレポートで飛びなおすか」


「……私、泳げないのよ」

「それに、この魔法で飛んだ先からテレポートを使うのは不可能なのよ。決められた儀式を行わないと帰れないの」


「なんだか頭がこんがらがってきたぞ」


手をこめかみにおく。テレポート先からの帰還に、専用の儀式が必要なんて魔法は聞いたことがない。だが、それもまたリスクの一つなのかもしれない。面倒な条件を付与することで、対価の支払いを抑えているのだ。
ふと窓の外に、意識を向ける。この数日で、見飽きた光景に変わりはない。呆れるほど静かで、閑散としている。


「そういえば、先日の俺はいつのまにか宿屋に帰っていたな。その儀式を、君がやってくれたことで帰還できたということか」


「そうよ。この魔法はランダムで飛んだあとに自宅に帰るまでで一セットになっているの」


「それも、魔力を抑えるための条件なんだな」


「違うわよ」


「どういうことだ?」


「だから、酔っ払いが千鳥足で目的の店に辿り着くでしょ。でも酔っ払いだから、自分がどこにいるかもわからないし、帰れない」

「そしたら、お店が迷惑するじゃない。だから、この魔法は一度テレポートして帰還の儀式で自宅に帰るまでが一セットなの」


まったく理解できないのは、俺が魔法に疎いからであろうか。いや、そうではないはずだ。というか、そもそも俺は魔法に疎くはない。
しかし、テレポート先から、自宅までに戻るまでが一セットの魔法にどういう意味があるというのだ。彼女は、わかりやすく例え話で説明してくれているのだろうが、それが余計に話をわかりにくくしている。



「だーかーらー、この魔法は酔っ払いが二件目を探すための魔法だって言っているのよ。その人の嗜好を読み取り、お好みの店へたどり着けるかもしれない」

「本来は、そういう遊び人御用達の魔法なの。だから千鳥足テレポートが成功して飛べる先は、必ずある程度のお酒が置いてある場所でなければならないの」


なんで、そんな魔法が存在しているんだよ……。というか、誰がこんな魔法を作ったんだ。
―――いや、『遊び人御用達の魔法』なんて阿呆な魔法を作るのは、それこそ遊び人しかいないではないか。


「ということは、帰れないと店の迷惑になるってのは―――」


「そう、例え話でもなんでもなくて。実際に、店に迷惑がかかるといけないからってとられた措置。この魔法を作った、とあるバーのマスターの心遣いってわけよ」


それは心遣いというより、千鳥足テレポートで自分の店に飛んできた酔いどれを追い返すための措置なのではないだろうか……。
しかし、なるほど。俺は、この魔法を魔王の元に辿り着くためのものと捉えていたが実のところそうではない。新生魔王軍あるところにアルコールあり。その点に、目を付けた遊び人が魔王を追う術として身に着けたのだろう。……もしくは、純粋に遊び目的で身に着けていたのか。
いや、彼女は元騎士団員。職務に忠実だったからこそ、職を辞し遊び人になってまでこの魔法を習得したに違いない。

背後から、ごそごそと音がする。どうやら、遊び人がベッドから這い出てきたようだ。交代の時間ではないはずだが。
彼女の気配は、俺のすぐ後ろまで来ている。どうやら俺の頭越しに、外を眺めているようだ。


「この間の一件から推測したんだけど。千鳥足テレポートは、おそらく二人でやると成功率があがるんじゃないかと思うの」


彼女の声が、俺の耳をくすぐる。常に、あばら家に目を向けていて彼女の正確な位置はわからないが、予想以上に俺の近くにいるようだ。
その事実に、心臓がドクンっドクンっと脈打ちだす。落ち着け心臓。そんなに荒ぶっては、彼女に感づかれるぞ。……何を?何かをだ!


「この間のは、俺にとってはビギナーズラックだったということか」


「そうそう。これまでの経験上、一発で屋内に飛べたことは無かったわ。ゴミ捨て場の上空に飛んだり、どぶの中にひっくり返ったり、散々な目にあってきたんだから」

「まあ、検証したわけではないんから。あくまで仮説だけどね」


「……それで、俺と組む気になったというわけか」


なんだな。ちょっと複雑な気持ちだ。



「まあ、それだけじゃないわよ。目的が同じ仲間が欲しかったてのもあるかな。……一人は寂しいもの」


ほんの少しだけではあるが、彼女の声に陰があった。普段の俺ならば、見逃す。いや、聞き逃すほどの些細な感情の翳り。なぜ、気づくことができたのか自問自答するが答えは出ない。


「俺は、そう思ったことはないけど」


「だって勇者は、ずっと一人旅でしょ」


「そうだな」


「私には、たくさんの仲間がいたんだもの。急に一人になって寂しいって思うのはしょうがないことでしょう?」


そうだった。彼女は、俺が魔王を追い落したことで職を失った元騎士だ。多くの仲間と同じ釜の飯を食い、血や汗を流して魔物達と戦う、そうやって長い時間を信頼できる仲間たちと過ごしてきたのだろう。
不可抗力ではあるが、彼女の孤独の遠因に俺がいることに一抹の責任を感じてしまう。彼女の、戦闘力から見れば。いやそれだけではない。彼女の、魔王が放つ漆黒の闇のオーラさえ眩く照らしてしまいそうな明るさから鑑みても。彼女が仲間たちに慕われていたであろうことは明らかだ。

もしかすると、彼女が酒を飲むのは孤独から逃げたいがためなのかもしれない。俺が、酒の力で不安を取り除いたように。


「ああ、なんだか飲みたくなってきちゃった」


「……酒を飲んで油断なんてしたらどうする、細い縄なんだ手放すわけには行かない」


「酒を飲んだぐらいで油断する玉じゃないでしょ」


「ケガでもしたら大変だ」


その愛らしい顔に傷でも付いてしまったら俺は。


「その時は、貴方が守ってよ」


その声には、光が戻っていた。出会ってまだ短いが、常に彼女が纏っていた明るさが蘇っていた。
そうか、彼女は常に輝いていた。だからこそ、僅かな翳りにも俺は気づくことができたのか。



「……いざとなったら、命を懸けてでも守ってやる。勝てないと思ったら、俺を置いてでも逃げろ」


「うーん、気持ちは嬉しいけど命まで懸けるのはごめんよ。それに仲間は絶対に見捨てない。それが私の騎士道よ」


「だが、勇者とはそういうものだ」


しばしの沈黙、どうやら彼女を困らせてしまったらしい。だが同時に、俺の事を気にかけてくれていると思うと少しうれしい。


「そうね、本当にその時が来たら『ここは俺に任せて先に行け』とでも言ってみたらどう?」

「それこそ物語に出てくる勇者みたいにね。そしたら考えてあげるかも」


「考えておこう」


だれが、そんな臭い台詞をはくもんか。


「さて、それじゃあ私はお酒でも仕入れてこようかしら」


どうやら俺の忠告は無視されたらしい。だがまあ、夜は俺の担当だ好きにするがいいさ。


「だがどこで酒を手に入れるんだ。この町には来たばかりだし、到着してから此の方ほとんど探索もしていない」

「スピークイージーの場所に検討でもついているのか?」


「何を言ってるんだい勇者様。私たちが居座っているココが何処だかわからないのかい?」


「窓際?」


「そう、ここは教会だよ。教会があるならそこには必ずワインがある!」



どうやら、今晩のオトモはワインに決まったようだった。


教会とワインは、切っても切れない関係だ。それは、禁酒法制定化においても例外ではない。


ワインの紫を帯びた赤は、古来より血の色に見立てられ。神の血として、宗教的儀式において欠かせないものとなっており、教会があるところには必ずブドウ畑がある。

むしろブドウの栽培が可能かどうかが宣教先の選定において重要な位置を占めていたとも言われるほどだ。大きい声では言えないが、かつて神と相まみえた聖人たちはワインで酔っぱらって幻でも見たんじゃないかと疑いたくなるほど教会とワインは深くつながっている。

この国において、国民の多くは女神正教の敬虔な信者だ。故に、教会は強大な権力を有している。

そんな教会の、ワイン醸造の一切を禁ずることは国王をもってしても為すことができなかったのは当然と言えよう。


では、女神正教の信者たちはワインだけは自由に手にすることができたかというとそうでもない。

意外なことに、禁酒法推進派には教会の人間も数多く含まれていたのだ。酒におぼれた信者たちを嘆く者達と、酒市場の独占を狙う者達の二つの派閥だ。


急激な工業革命によって、人々の手に様々な酒が届けられるようになると社会に一つの問題が浮き上がった。

より強く、より安価な酒が気軽に手に入れられるようになり、酒場の喧騒は一段と大きくなり。さらには、酒場の外にまで波及するに至った。

路地裏では、酔っ払いが所かまわず用を足し。飲み込んだアレコレを吐いて回り。気が大きくなった小心者が乱暴に振舞い。元々、粗暴だったものはより傲岸となった。

そんな堕落した人々の姿を見せられた教会は、即座に泥酔は背徳であると触れを出したものの。魔王という脅威がなくなり浮かれに浮かれていた人々の乱痴気騒ぎを鎮めるには至らなかった。

なれば、より強力な手段をもって取り締まるべきだと主張した教会の一派は、国王へと禁酒法制定の陳情を行った。



本来であれば、禁酒法は個人的な道徳の問題であると国も取り合わなかったであろう。しかし、酒市場の独占を狙う一派の画策があわさり自体は混迷を極めていく。


ワインは、ブドウの果汁を発酵されることで作ることができるが、その工法は同じ醸造酒であるビールに比べて酷く時間がかかり、更に穀物として各地で大量に生産される麦に比べてワインの原料となるブドウの収穫量は少ない。

故に、ビールに比べて価格も高く上流層に好まれる酒であった。畑仕事を終え、人々が口にするのは圧倒的にビールの方が多かったのだ。

工業革命による、大量生産はビールの価格低下に拍車をかけた。更には、アルコール度数の高い蒸留酒の台頭である。酒市場におけるワインの量は年々減っていき。ワイン醸造において利権を貪っていた一部教会一派は窮地に立たされる。


その打開の一手こそ、禁酒法制定であった。市場における優位性を確保するべく、蒸留酒、ビール業界を貶めようと画策したのだ。

だが、蒸留酒業界とビール業界が黙って指をくわえていたかというと全くそうではない。彼らは、業界内対立をそっくりそのまま禁酒法案制定に持ち込んだのだ。

自身の業界により有利な禁酒法を制定すべく、彼らは競い合った。もし蒸留酒業界とビール業界が手を組み組織的に禁酒法に反対を唱えていれば、禁酒法が制定されることはなかったであろう。


結果として、他業界は地下に潜ることとなり現在に至る。


ただし、教会においても宗教的儀式で必要な分のみ醸造が容認されたため大々的に醸造を行うことはできなくなってしまい、自分で自身の首を絞めた形になる。

とはいえ、明らかな逃げ道をつくることができたためワインは密に作られ続けている。


なぜ、つい先日まで酒を口にしたことが無かった俺が教会とワインの関係についてこれだけ詳しいか疑問に思うかもしれない。

しかし、魔王軍が密造酒を運搬するランナーとして活動している以上、どうしても必要な情報だったのだ。



ワインの流通は、現在は教会のみに認められている。儀式で使う分だけ購入できるということだから、それも当然だ。

即ち、そこに魔王軍が介入する術はないと俺は見ている。あばら家を見張るうえで、教会を選んだのはただ単に立地が良かったわけではないのだ。


まあそのおかげで、遊び人がこの部屋を離れることなくワインを飲めるわけなのだが。


「だからと言って、全ての教会にワインがあるわけではないと思うんだが」


「ふふん。私は、この教会に入った瞬間に匂いでわかったよ」


遊び人の手には、既に陶器製の水差しが握られている。彼女の行動は実にすばやい。

ドタバタと階下に降りて行ったかと思えば、あっという間に獲物を抱えて戻ってきたのだ。


陶器の中身は、調べるまでも無い。樽から移されたばかりのワインに決まっている。


「匂いか、うーん……、わからんなあ」


「あおーん!」


どうやら鼻が利くことのアピールらしい。どこか子供っぽいおどけ方に、実はもう酔っているのではないかと疑ってしまう。



「しかし案外、簡単に譲ってくれたもんだな。いくら抜け穴があるといっても禁制品だぞ」


「教会は、そこら辺緩いからねー。それでは、勇者には悪いけどお先に一口!私の瞳に乾杯!」


水差しからグラスへとワインが注がれる音が部屋に響き渡る。

そして、ワインが喉を通っていく音。聞くことしかできないが、ワインが彼女の喉を滑り落ちていく姿が俺の中で再生される。

すると想像の効果だろうか、どこからか強く芳醇な香りが漂ってきたような気がする。いや、これは想像ではない。現実だ。

俺の鼻は、確かにワインの匂いを嗅ぎつけた。


「ブドウの。いや、煮詰めたブドウが腐ったような匂いがする……」


「ぷひー。そりゃそうだよ。煮詰めてこそはいないけど、発酵と腐敗は同じことなんだから」


「よく考えると、よくそんなものを飲もうと考えたもんだな」


「そうね、偉大なる先人。ワインを初めて口にした人間に感謝しなくちゃ」


遊び人の言葉に、俺は雄大なる歴史をさかのぼり。ワインの起源を想像する。

口ひげをたくわえた一人の男が、清らかな水が静かに流れる川の辺で、石に腰を掛けブドウの甘味を楽しんでいる。

おや?もう無くなってしまったか……と思いきや、足元に一粒のブドウを見つける。ほほっ、ラッキーじゃわい。

ブドウを川の水で洗い土を落とす。おや?これは、儂が落とした奴ではないな。妙に柔らかいぞ。

しかも他のブドウに比べて、匂いの強さが一段だ。よし、食べてみるか……。



こんなところだろうか。

彼の偉業を、ただの食い意地からの偶然と見るか、好奇心からくる勇気ある行動ととるかは人次第だろう。

ただ世界的娯楽の発見という結果から見れば、彼こそが勇者と称されるに一片の疑いもない。

まだ何も成し得ていない、俺よりは彼は遥か高みにいる……。


「ほれ、一口だけ飲んでみ」


遊び人が、窓枠の上にコトンとグラスを置いた。

グラスの半分に満たない程度のワインでも、俺の鼻孔を膨らますには十分の香りを立ち上がらせている。

薄い月明りでは、ワインの鮮烈な赤も黒く濁った血の色に見えた。



「いや、まて。俺は、酒を口にするわけにはは……」


違和感が走る。意識を、外の世界へと向ける。

窓の外に動きはない。まるで世界が丸ごと寝静まっているかのようだ。

では、俺が感じたものは何か。外では無ければ―――部屋の中か。そこに答えがあるはずだ。



この僅かな時間に起きた事象を、ひとつひとつ噛みしめるように遡っていく。


グラスの半分にも満たないワイン

彼女の鳴らした喉の数

グラスにワインを注ぐ音……


そうか……答えは窓枠の上に、添え置かれたワイングラスだ!


俺の手が微かに震える。武者震いではない、俺は恐れている。

いま、俺の目の前に置かれているワイングラス。これは、彼女が先ほど使用したばかりのものではないのか!?

そして、グラスの中のワインの量がその事実を確固たるものとしている!


なんという魔性の女だ……このようなことをされて、抗えるわけがないではないか。

いや、落ち着け勇者よ。お前が成すべきことを思い出すのだ。この程度の誘惑に心踊らされて如何とする。


「ま、まあ一口だけなら……」


大丈夫だ。落ち着け、俺の理性よ。

ただの一口だけなら、酒に酔うこともあるまい。そのうえで、俺の猛きリビドーを抑制させるにはこの手段しかなかったのだ。

許せ。



ワイングラスに手を伸ばす。手が、微かに震えている。

勇者と呼ばれ魔王に一人立ち向かった俺が恐れているだと?いや、これは武者震いだ。


自分を奮い立たせるも、手の震えは止まらず、グラスがカチンと音を鳴らした。


「おいおい、飲む前から酔っぱらっているの?」


「そそそんなわけ、あるか。ずっと同じ姿勢をとっていたから手が痺れちゃったんだよ」


言い訳にしてはちょっと苦しかったかもしれない。


「……いいかい?これは良いワインだから、絶対に顔にひっかけたりしちゃだめだよ!」


顔にひっかける?いったいどんなアクロバットな飲み方をしたらそんなことになるんだ。

いや、手の震えが収まらない状況を鑑みるに。ありえないこともないか。


俺は、ワインの香りを楽しむふりをして何とか手の震えが収まる時間を稼いでからグラスを口へと運ぶ。

ゆっくりと落ち着いて、ワインを口に含み。その味を確かめる。


強烈に口内に広がる渋みと酸味が、意識を覚醒させる。その刺激のせいか、目からは少しだけ涙がこぼれおちた。

な、なるほど、ワインは香りに見合った強い味を持っているのだな。

なんとか喉を通すと、その強烈なインパクトが喉や、胃の中にも広がっていくのが感じられる。



「ビ、ビールよりきつい。ワインを飲んだ後だとビールが水に感じられるくらい、とにかく味が濃い……」


「ビールが水ねえ、お酒初心者にしてはなかなか言うじゃない」


「味だけじゃない。香りもだ。これはもうブドウの域を超えている。ブドウを煮詰めて腐らせた香り?前言撤回だ、まるで香水を煮詰めたかのような匂いだ」


「香水を煮詰めたような匂いねえ。ねえ勇者、知ってる?ワイン通って、ワインの香りを何かしらに例えようとするんだよね」


「じ、じゃあ、俺も立派なワイン通だな」


「あはは、そうかもね。流石、魔王を追い詰めるほどの才能をもった勇者様だ。たった一口で、その領域に立ってしまわれるとは」


才能ねえ……。

人々は、いつも俺の才能を褒めたたえる。俺自身の努力ではなく、俺の持つ「勇者」という才能をだ。

女神より「耐性」という恩恵を受けているのは確かだ。そこは認めよう。だが、それだけでは到底魔王を追い詰めることなどできなかった。

それができたのは、俺が「耐性」に甘んじることなく自らの剣を磨き続けたからだと自負している。

彼女からすれば、本の冗談だったのだろうが。どうにも気を重くしてしまう。


そうだな、話題を変えよう。


「……例えば、どんな風に例えるんだ」


「そうねえ、こんなのはどうかしら。濡れた犬が暖炉で乾かしてる匂い」


「は?」



「こんなのもあるわよ。猫のおしっこに、腐葉土!」


「ワインの香りの話をしているんだよな?」


「信じられない?全て、ワインの香りを指した言葉なのよ」


到底、信じられない話ではあったが。ワインの強烈な香りを、具体的に表現するにはそれくらいの語彙を扱わないといけないのかもしれないと妙に納得してしまった。

もしくは、酔っ払いの戯言と思うべきなのかもしれないが。


「なんとも……阿呆らしいな」


言葉を選ぼうとするが、ついストレートに言ってしまう。


「そうね、私から言わせれば酔っ払いの戯言よ」


うん、そこは少し同意するかな。


「そういえば、このワインには何か名前があるのか?」


「知らないわよ」


「知らないのか」


「そうよ。私ね、何処産の云々というワインがいいだとか、どこどこの蔵の何年物しか受け付けないだとか。そういう気取った酒の飲み方は大嫌いなのよ」


どうやら、彼女の琴線に触れてしまったらしい。



「名前じゃなくて中身を見てほしいものだわ!中身を!」


俺には、彼女が単に酒の話をしているようには聞こえなかった。それほどに、彼女の言葉から強い語気が感じられた。

彼女は、俺に名を教えてくれなかったという事実が更にその考えを後押しした。

「名前ではなく中身を見てほしい」この言葉は、彼女自身のことを言っているのではないだろうか。

少なくとも、俺にはそう聞こえた。


彼女がどういう境遇で、そういう考えに至ったかはわからない。

だが、俺も「勇者」という名ではなく「俺」という中身を見てほしいという願望を強く持っている者だからこそ、彼女の気持ちに寄り添うことができた。

まあ、考え過ぎの勘違いかもしれないが。


何にしても、彼女から無理に本名を聞きだすのはよしておこう。

普段の俺なら、本名を確認しないなど有り得ない。だがまあ、千鳥足テレポートと魔物から魔王軍の情報を引き出したという功績を鑑みて、それぐらい許容してもいいではないか。



「うんうん、そうだな。俺も、君の中身のほうを楽しみたいものだ」


ん……?なんか、彼女の気持ちに寄り添おうとしたあまり、変なことを言った気がするが……いや、気のせいだろう。

どことなく、部屋の中が静まり返った気がした。いや、見張りを行っているという状況もあって俺も遊び人も元々、声を潜めていたのだから当たり前か。

だが、ほんの少しだけ。ほんの少しだけ、部屋に静けさが降りてきているような。


俺は、その静けさに耐え切れず。再び声を開く。



「し、しかし、さっきからワインの事をぼろくそに言っているな」


少しの逡巡。


「そういうわけじゃあないけど……」


これまで、歯に衣着せぬ物言いをしてきた遊び人にしては歯切れ悪い。

再びの逡巡を得て、やっと話始めた。


「……気取って酒を飲む連中が嫌いなのよ。『酒は飲むものであって語るものではない』ってのが私の持論なのよ。ねえ、アンタもそう思うでしょ?」


「どうかな、時と場合によるかな。王侯貴族と同席しているとか、特に良い酒を飲む時はそれでもいいんじゃないか」


「そう……」


「けどまあ、二人で飲むのに気取る必要はないかな」


「そう!」


非常にわかりやすい反応だ。まるで、年端もいかない少女じゃないか。

酒瓶を片手にした朗らかな少女。なんか背徳的だ。


さて、彼女の好感を勝ち得たところでここはもう一押しと言ってみようじゃないか。


「―――まあ、二人で飲むってのはいいかもな」



「なんで?」


「そりゃあ、二人なら一瓶開けるのに丁度いいからさ」


どうやら、俺には言葉選びのセンスも備わっているらしい。

これまで一人旅立ったがために埋もれていた、俺のセンスがここにきて光輝くとは誰が予想しえただろうか。

この一連の流れで、冗句を差し込むこのセンス。全く、俺って奴は末恐ろしい男だぜ。


「私は一人でも、一瓶開けられるわよ?」


「い、いや、そういう話じゃなくて―――」


「ねえ、勇者」


彼女は、俺の話を遮って続けた。


「そろそろ、結末を見越した方がいいと思うんだけど」


物語の結末、それは魔王を倒し、世界に平和が訪れること。


それは即ち、遊び人と俺との一時的なパーティーを解散するということ。


まだ当分、先の話だと考えていた俺は完全に虚を突かれ、思わず彼女の方を振り返ってしまっていた。



「そろそろ結末を見越した方がいいと思うんだけど」


「そ、それはちょっと気が早いんじゃないか?」


「そう?そんなことは無いと思うけど」


「さいでございますか」


突然の彼女の言葉に、俺は完全に動揺してしまっていた。
声はあからさまに震え、少し上ずってしまっている。

しかし、ほんの数日の間、時を同じくしただけで、こんなにも彼女に心を寄せてしまっているという事実を認めるのは非常に抵抗がある。
それだとまるで、俺がチョロい男みたいじゃないか。それは、どうも、男としての沽券に関わる。

これまでだって、一時的ではあるが女性とパーティーを組んだことはあった。
確かに、その都度、女性と二人きりという状況に心ときめいたこともあった。
だが、別れに際して、ここまで心を揺り動かされたことがあっただろうか、いやないはずだ。

もしかすると、当時は未だ魔王のもとへとたどり着いていなかったがために、俺に多少の緊張感があったということだろうか。
その緊張感が、彼女たちと親密な関係になりたいという俺のリビドーを抑えていてくれたのかもしれない。
だとすれば、今の俺はなんだ。魔王をとり逃してしまうという大失態を犯しながら、仮初の平和に気を緩めてしまっている軟弱者ではないか。

……ならば、これは、男の沽券云々の問題ではない。
俺の勇者としての在り方の問題だ。

正直に言おう、彼女といるのは楽しい。
だが、それに甘んじ魔王を倒すという使命が揺らぐくらいなら初めから勇者の仕事など引き受けてはいない。
だから、これは自分への戒めとして、俺たちの旅の結末について確りと考えておくべきなのだ。

なに、今すぐ旅が終わるというわけではないし、俺たちの関係が今後どのようになるかはわからない。
あくまで、色欲に杭を打ち込んでおくというだけのこと。自身に、その覚悟を再認識させるだけの話なのだ。


「だってさあ。路銀だって限られてるんだし。いつまでもこの教会の屋根裏部屋に間借りしているってわけには行かないでしょ?」


「ん?」


ん?


んんっ?


「あれ?話が通じてない?いや、確かにちゃんとした宿に比べたら教会に間借りするのは安くついてるわよ。でも、無限の収入減が無い限り路銀は減る一方でしょ」

「ミノ達が言っていた、約束の期日はとっくにすぎているし。いつまでも、ここであそこを見張っているわけにもいかないでしょ?」


あー、あー、あー、そういうことね。
これは恥ずかしい。俺は、重大な勘違いをしていたようだ。つまり、彼女の言う『結末』とは、あくまで見張りをいつまで続けるかという話だったらしい。
だ、だがしかし、俺の気が緩んでいたのは事実だ。
今後は、確り気を張っていかねば。


「いやいや、うん。確かに、遊び人の言う通りだ」


「大丈夫?私の言ったこと、ちゃんと理解できてる?」


「もちろんさ!何を突然!わかっているさ、それぐらいのこと!俺は勇者だぞ!あなどるなよ!」


「えぇ……本当に大丈夫?」


彼女の言葉に、手を振ることで答え。(答えられていないかもしれないが。)
俺は、魔王軍の連絡員を押さえようと、見張りを続けている現状について改めて思考を巡らす。

確かに、俺たちはミノタウロスから情報を引き出した後、強行軍でこの村まで飛ばしてきた。
それは、連絡員に密造酒倉庫の強襲を悟られる前に動く必要があったわけなのだが。

しかし、現状、ランナー達と連絡員の接触場所である、あのあばら家に人の出入りは一切ない。
連絡員は危険に敏いのが必須スキルだと聞いたことがある。
それは連絡員が敵性の組織に捕まってしまった場合、連絡員が取り扱っていた情報はもちろんのこと、その連絡網自体から組織の体系が漏れてしまう可能性があるからだ。
もし、魔王軍がそういった危険性を知っていたとするならば、当然、連絡員である魔物は特に危険を感知する力に長けている魔族が担当するであろう。

いや、そうに違いない。そうでなければ、この半年の間、俺が一切の情報をつかむことができなかったことは、俺が単なる無能だと世に知らしめることになってしまう。
残念なことに、もしくは喜ばしいことに、勇者たる俺が無能であることなどありえない。だからこそ、俺たちが押さえようとしていた連絡員は、もう逃げたと考えるべきだ。
連絡員が自身で危険を察知できなかったとしても、俺たちが襲撃したミノタウロス達に他の緊急用の連絡手段があった可能性もある。

こんなことなら奴らを殺しておくべきだったと、後悔と苛立ちの念がむくむくっと起き上がる。
例え、遊び人が不殺主義の甘ちゃんだったとしても、俺は俺の勇者としての役目を確り果たすべきだった。

だいたい、彼女に指摘されるまで、この程度の考えに今の今まで至らなかった事にも心底腹が立つ。
これも、彼女と少しでも長く一緒に居たいという俺の欲望が目を濁らせていたのかもしれない。

落ち着こう。今は冷静に、判断を下すべきだ。

……仮に、連絡員に逃げられていたとしたら、時間の経過は痕跡の風化を招く可能性もある。
何処かのタイミングで見切りをつけて、乗り込むべきだ。



「……日の出まで動きが無ければ、乗り込もう」


もし、今日まであのあばら家に人の出入りが無かったのが、連絡員がずっと中に潜んでいるからだとしたら、この強襲はきっとうまくいくだろう。
長時間、あの小さい小屋に身をひそめるというは、肉体的にも精神的にも相当きついはずだ。どんなに強い魔物だろうと、体調が悪ければ力を発揮できない。
それに明け方というのは、生物が最も油断する時間だ。魔物とて、例外ではあるまい。

そうだな、裏の窓を遊び人に押さえさせ、俺が扉から……
俺は、拙いながら少しでも強襲の成功率を上げようと、ふと、あばら家へと視線を向けた。


「……あ」


「どうしたの?」


「あばら家に灯りが灯っている」



――――――


扉から、小屋の中の気配を探る。
絹のこすれる音、床がきしむ音、息遣い、何者かが潜んでいれば必ず発生するであろう事象を全神経を研ぎ澄ませ耳をたてる。
俺の全感覚が、小屋の中には誰もいないことを告げていた。もう既に、逃げたのだろうか?

あばら家には扉の向かいに小さな小窓があった。
そこは既に遊び人が回り込んでおり、仮に何者かが潜んでいたとしても、取り逃がすことはないだろう。

俺は、扉を蹴飛ばし中に押し入った。
机の上に置かれた、蝋燭の火がまるで驚いた童のように体を揺らした。
―――中には誰も居なかった。

警戒を怠らないで、部屋の中を探る。
あるのは質素なベッドと、机のみ。

机の上には、羽ペンと1冊の本。


「ちょっと拝見させてもらうよ」


不在の小屋の中で、誰に許可をとるでもなく俺はページを開く。


突然、光が俺を襲った。
光は、開いた本のページから放たれている。


「罠か……っ!?」


手のひらで、光を遮り目を凝らす。
光っているのは、ページに記載された多数のルーン文字と共につづられた円形の図面。
これは、召喚術の魔法陣だ。


光は、その奔流を止めることなくページからあふれ出ている。
家が、きしきしと音を鳴らしはじめる。その音は、次第に轟音となり地面を揺らし始めた。

俺は、慌てて外に出た。


「遊び人!離れろっ!」


「え?あ、うん!」


俺が、小屋から出ると同時にそいつは、あばら家の屋根を突き破り巨大な体躯を現した。
高さは小屋の倍ほど、月の光に照らされたそれは土色の肌をもち、巨大な手を月へと掲げ、咆哮をあげる。


「ぐおおおおおおおおおおおおおおおお」


その巨大さ最大を武器とする魔道兵器。
ゴーレムだ。


「うわあ、なにこのゴーレム!こんなにでかいのは初めて見たわ!」


遊び人が、緊張感の声をあげる。


「あの蝋燭の灯り自体が罠だったんだ!中には誰も居なかった」


「なるほどね!連絡員が一定期間来なかった場合に蝋燭が灯り、侵入者を誘い込むよう仕組んであったわけね」


ゴーレムが巨大な手を、地面に叩きつけると、まだ辛うじて残っていた小屋の柱が全て砕け散った。
俺は、飛んでくる木材の破片を、両腕で防ぎながらゴーレムの足元へと迫る。
腰に下げた剣を一閃。ゴーレムの足へと刃を滑らせる。
粘土のような手ごたえ、確かに俺の刃は奴の膝から下を切り離したが、切り離した先から順に繋がり、何事も無かったようにくっついてしまった。


「土のゴーレムだ!斬撃は効かない!」


「そんなの、見りゃわかるわよ!氷結魔法フリーズ!」


遊び人の魔法が、ゴーレムの右腕を完全に凍らせる。
ゴーレムは気にする様子もなく、その右腕を遊び人のいる方向へと振るう。


「うわぁ、あぶないなぁ!」


やはり、どこか緊張感の抜けた声だ。
遊び人は、難なく攻撃をかわしゴーレムから距離をとる。
ゴーレムの攻撃は、地面に大きな穴を開けていた。流石に、あれを直に食らったら俺でもまずいな。


「遊び人!ゴーレムの倒し方は知っているか?」


「馬鹿にしないでよ!真理を死へ!」


そう、斬っても斬れず、粉々に砕いても土さえあれば再生してしまう泥人形ゴーレムは、一見無敵にも見えるが唯一つだけ弱点がある。

それは、額に書かれた「emeth(真理)」の文字から「e」を削り取ることで「meth(死)」へと書き換えてやるというものだ。
ただそれだけのことで、ゴーレムは動きを止め土くれに還る。

なんともまあ、先に弱点から考えられたのではないかというほど出来過ぎた弱点ではあるが。
その実際は、それを安全性の担保とすることでしかゴーレムの運用が困難である、ということなのだろう。

だが、今回の場合は……


「あったよ勇者!やっぱり、額の上に『真理』がある!」


今回の相手は、小屋の倍ほどの高さがある、巨大ゴーレムだ。
どう考えても、剣は『真理』に届かないんだよなあ……。あ、なんか名言っぽい。


「私に、任せて!」


遊び人が、相変わらず何処から出したかわからないナイフをゴーレムの額めがけて投擲した。
しかし、それは『真理』に辿り着く前にゴーレムの左腕で弾かれてしまった。



「あちゃー、距離が遠すぎて、ナイフの軌道を読まれちゃってる!」


「不意をつけないか!?」


「後ろから狙えっての!?馬鹿言わないで!『真理』は額、つまりゴーレムの正面にあるのよ!」


なるほど。確かにその通りだ。背後から、額の上を狙うなどできるはずもない。
だが、やりようはある。


「数秒でいい、奴の足を止めてくれ!」


「氷結魔法フリーズ!」


返事をすることなく、遊び人は行動に移る。
即断即決、やはり彼女は強い。相当な修練、もしくは戦闘の経験を積んでいるのだろう。
そして何より、俺の事をパーティーの仲間として信頼してくれているのだ。

ゴーレムの足が、たちまち凍り付き動きが止まる。
俺は、遊び人の魔法とほぼ同時にゴーレムの背後へと回り込んでいた。


「来い!遊び人!」


片膝をつき、両手を空へと向けて組む。
俺の意図を察した、遊び人がゴーレムを迂回しその俊足をもって駆けてくる。
彼女の足が止まる気配はない、全速力で向かってくる。

いまだ!


「いっけええええええええええ!」


遊び人の右足を組んだ両手で支え、彼女を天高く放りあげた。
俺の鼻先を、彼女の体がかすめた。


「あーっ!いま、おっぱいに触った!!!」


彼女の声が、夜の町に響き渡った。


不可抗力だ。
わざとじゃない。
触ったんじゃなくて、鼻先が当たっただけだ。

誠実さをもって、幾百の言葉をもって弁明をすべきだということはわかっていた。
だが、俺にはそれができなかった。それができない理由があったのだ。

俺は、自身の脳に、かつてないほどのオーバーワークを強いていた。
今見ている光景を、一切の欠落なく記憶するためにだ。
魔王を倒すという使命を忘れ、俺は今、新たなる使命に目覚めてしまっていた。それはすなわち語り部となること。
今見ている光景を、俺は後世へと語り継がねばならない。世界に溢れる、チェリーたちに勇気を与えなくてはならない。

空高く放り上げられた彼女。
月と並ぶ彼女の肢体は、さながら月夜に舞い降りた天使のような荘厳さをもち、薄い月明りが、彼女の清廉さをより研ぎ澄ましている。
短く黄金に輝く髪は、草原を疾走する獅子の鬣のように猛々しく揺れている。
そして何より、あのはためくスカートな中から垣間見える、彼女の滑らかな肌に直接触れている白い布地の聖性さの何たることか。
かつて、聖人の遺体を包んだとされる聖骸布。彼の物ですら、あれほどの聖性は宿していなかったであろう。

俺は、この美しき一枚絵のような光景を独り占めするつもりはない。そのような狭量な男ではない。
この喜びを、猛りを、共有するのだ、全ての仲間たちと。
真面目に生きていれば、きっと出会えると。拝めると。相まみえると。あの白き布地と。


聖なるパンツは、軽々とゴーレムを飛び越え、何事かを叫びながらゴーレムの額へとナイフを投げつけた。
背後からの完璧な奇襲、そして近距離からのナイフの投擲に、ゴーレムはナイフを防ぐことができず『死』へと誘われた。

ゴーレムは、体制を崩し仰向けに倒れていくと同時に、形を保つことができなくなったのか、ただの土くれへと戻っていった。
当然のことながら、ゴーレムの背後にいた俺は、土へと戻った巨体を頭から浴びる羽目となってしまった。

我にかえり、破壊されたあばら家と、崩れた土に視線を移す。
何かしらの手掛かりがあったとしても、土に埋もれてしまっていることだろう。それに月明りの下の探索は、困難極まりない。
探すのは日が昇ってからにしよう。とりあえず、水を浴びたい。

風呂にゆっくりつかる自身を想像しながら、体についた土を叩き落としていると、見事な着地を見せた遊び人が寄ってきた。
彼女の顔は、とても険しい。眉間にしわが寄っている。もしかして怒ってる?


「おっぱい触ったでしょ」


「鼻先が当たっただけです。決して、故意ではありません」


これは、うそではない。だいたい、戦闘のさ中にそんな器用なマネができるものか。


「パンツ見たでしょ」


「……覚えてません」


「うそつき」


うそだ。克明に覚えている。更に言えば、俺は人々にこの光景を伝え歩く愛の伝道師となるであろうことが確定している。


「責任取ってよ」


彼女の声は、どこか震えていた。怒りに震えるという言葉がある。つまるところ彼女の怒りは、それほどのものであるのだ。
目は微かに潤み、頬に紅が指しているのも怒りのあまり故ということであろう。

謝罪の言葉を述べるべきなのだろうか?しかし、故意ではないというのは事実であり、それに対して謝るというのも何だか理不尽な気がする。
しかしながら、彼女が怒りを覚えており、それについて債務を果たすよう主張している現況を見るに、俺が彼女の言うところの責任をとらないというのは悪手であろう。
ならば、二人とも面目が立つ提案をするのはどうだろうか。そう、俺が謝罪の意を明確に示すことなく、かつ彼女が機嫌を取り戻すための提案だ。


「それじゃあ、酒でも奢るよ」


彼女からの返答はない。恐る恐る、彼女の顔を覗いてみる。
なんだあの顔は。あれはどういう顔なんだ。彼女は、その愛らしい口と目を全開にし、そのまま表情筋が突然死してしまったかのように、固まってしまっている。
いや、口が徐々に閉じていく。頬の紅潮が、顔全体へと広がっていく。あ、これはまずい。


「いや、今夜一晩!お好きなだけワインをお召し上がりください!」


「……あがが」


その表情は、爆発寸前の火山そのものであった。足りないのだ、彼女にとって一晩飲み放題のワインなど腹ごなしにしかならないのだ。


「朝まで!朝まで!好きなだけ!ワインを!驕ります!」


火山の噴火に一瞬身構えるが、彼女は代わりにため息をひとつだけ漏らすだけだった。


「……わかった。それで手を打つわ」



ふう、見たか諸君。これがネゴシエーション、勇者の交渉術というものだ。
女性の乳に触れ、パンツを拝むという最大のリターンを、酒を驕るという僅かなコストだけで成し得てみせたぞ。
なんだ、女と言うものは意外にチョロいもんだな。勇者の職を辞したら、第二の人生をナンパ師として送るのもいいかもしれない。


「それじゃあ、ワインを仕入れて部屋に戻ろうか」


「いえ、行くのは教会のワイン蔵よ」


え?


「水差しが空になるたびにワインを貰いに行く気?面倒だから、ワイン蔵の中で飲もうって言ってるの」


「じゃあ、水差しを二人で二つずつ貰っていけばいいんじゃないかな。それだけあれば足りるだろう?」


「あら、それなら一人二つずつワイン樽を運んだ方が早いわよ」


彼女は、眩しいばかりの笑顔を俺に向けている……どうやら、俺は見誤っていたようだ。
社会はうまくできている。いくら小賢しいネゴシエーション術を使おうとも最大のリターンには、最大のコストを支払わなくてはならないというわけだ。
俺は、これからも続く長い人生の中でも類を見ない大散財をこれから経験するであろうことに、ただ怯えることしかできなかった。


――――――


「ねえー、勇者ぁー。起きてよー」


ああ、なんと心地の良い声だろう。その声は、俺の頭の中で二重三重と響き渡り、折り重なって、まるでサンドイッチだ?
いや層の重なり具合から鑑みるに、ミルフィーユ、もしくはバームクーヘンかもしれない。


「ねえ、勇者ってばー。おきてってー」


おはよう、マイハニー。もう朝なのだろうか。
しかし予想に反して、部屋は暗い。微かに揺れる蝋燭のみによって部屋は照らされている。


「朝か?いや、部屋は暗いしそれはないか……」


「ワインぐらに陽が指すわけないでしょー。それにまだ、日がのぼるには早い時間よー」


ふむ、どうやら、俺はワインを飲みすぎて寝てしまっていたらしい。どうにか、頭を捻るが記憶があやふやとなってしまっている。
思い出せない。俺には、何か大事な使命があったはずだ。遍く世界へ、伝えなければならないことがあったはずだが、寝起きのためか頭が回らない。

水を一杯飲もう。少しは目も覚めるだろう。
ワイングラスへと手を伸ばす。すると、グラスからは鼻を刺すキツイ匂いが漂ってきた。どうやら、グラスにはまだワインが残っていたらしい。
そういえば、ワインの楽しみ方の一つに『匂いの形容』があると遊び人は言っていたな。ならばこれも一興。このワインの匂いを、俺なりの言葉で表してみようじゃないか。


「このワインは、犬のゲロみたいな匂いがする」


「犬のゲロも何も、そのグラスに入ってるのは君のゲロだからねえー」


……忘れよう。この記憶こそ、アルコールの力を借りて今夜という過ぎ去る時の中に置いていこうではないか。
頭を起こし、遊び人に目を向ける。酔いつぶれた俺に比べて、彼女の様子は普段と変わらないようにも見える。いや、少しだけ口元の角度があがっているかもしれない。
それに、少し呂律も回っていない。彼女も、だいぶ酔っているようだ。


「約束は、朝までだ。好きなだけ飲むといいよ」


「そのことなのよ、勇者ぁ……」


声に翳りがある。どうも妙だ。
なにか、嫌な予感がする。とてつもなく、嫌な予感が。


「あの、その……このワイン蔵に、もうワインはないの」


「はい?」


目が覚める。ワイン蔵のワインがなくなった?つまり、全て飲み干したということか?
いったい、どんな膀胱と肝臓を持っていればそんな事態が起きうるというのだ。いや、問題なのはそこではない。
頭の中のソロバンが、パチパチと音を立て始める。音は一向に止まらない、それどころか万来の拍手が如くパチパチパチパチと折り重なり鳴り響いていく。
その様は、まるでスタンディングオベーションだ。


「あの、その……ついキミと飲むのが楽しくて。はどめが効かなくなっちゃって……」

「わ、わたしも、それなりにお金は持ってるからあ!き今日は、わたしが払うからっ!」


……なんだ、いい娘じゃあないか。彼女が神妙な理由は、俺の懐を心配しているからなのだ。

俺は、彼女の唇に、人差し指をスッと伸ばす。
ふふっ、可愛らしい唇じゃないか。それ以上、俺に恥をかかせるのは止めておくれ。
君は何も心配する必要は無いんだ。だが、例えそう言っても君は俺の懐を心配せずにはいられないだろう。

だから送ろう。君自身が俺に教えてくれた。この言葉を。


「ここは、俺に任せて……先に行け……」


ソロバンの音は、まだ止まらない。

――――――

ここは、ワインに任せて先に行け 
                
                おわり

――――――


―――――――


「いらっしゃいませ……おや、久しぶりだねえ」


「マスターも元気そうで何よりだわー」


「しかも、こんな時間に来るなんて。全く、なんて不良娘だ」


「相方が、酔いつぶれちゃったのよ。でも、なんだか飲み足りなくってさー」


「ははは、大抵の奴は君より先に酔いつぶれるだろうさ」


「そうだっ!今度、そいつをココに連れてきてもいい?」


「もちろん構わないよ。お前のお友達なら、何人でも大歓迎さ。それで、どんな友達だい」


「すごい面白い奴なのよ。いい年して、私と出会うまで一滴も酒を飲んだことが無いって言うのっ!」


「へえ、真面目な子なんだねえ」


「しかもね、そいつはなんと、あの勇者なの!魔王を追い詰めた、世界最強の男!」


「……勇者、ね」


「マスター……どうかした?」


「なに、その男。是非、連れてきなさい」


お前には悪いが、世界最強の男……是非とも我の手で、葬ってくれよう。


――――――

つづく

――――――


母さん、俺、今日こそ男になります。


俺と遊び人との旅がはじまり、どれだけの年月が流れただろうか。
初めての出会いは既に、悠久のかなたのように思えるが、今日という記念すべき一日までの出来事は遍く脳内に書き記してある。

いや、懺悔しよう。全て覚えているとは言ったが、本当に全てを覚えているわけではない。
だが安心してほしい。時に男は、忘れる生き物だと聞くし。人は、失うことで前に進めることもある。俺の記憶の喪失も、そういった何かしらの尤もらしい理由に則ったものだ。
もっと具体的に言えば、さすがの勇者といえど酩酊した際の記憶は明確ではないということだ。勇者から記憶を奪うとは、酒の力は実に恐ろしいものだ。

ふと目が覚めたら、教会の地下で身ぐるみはがされていたこともあった。
街のゴミ捨て場で、汚い麻袋を枕としていたこともあった。身に覚えのない、痛みを感じることもあった。
もう一度、声を上げよう。だが、安心してほしい。全ての恥は、その記憶とともに嘗てありし夜に置いてきた。俺に恥じることは何もない。

かつての俺は、溢れんばかりの道徳意識を王より譲り受けた宝剣とともに腰に携えていた。
だが、いまやこの体たらく。夜になれば彼女とともに酒を飲み、道端に戻した胃袋の中身よろしく、記憶と強き道徳意識を土に還してしまう。
勇者として、俺は多くの物を失ってしまった。

しかし、人は時として失うことで前に進めることもあるって、さっきも言っただろう?
そういうことだから、安心してくれ。


ゴーレムとの一戦以来、俺と遊び人は魔王に関する大した情報を得ることが出来なかった。
別に、俺たちに落ち度があったわけではない。俺と遊び人によって、立て続けに拠点を強襲されている魔王軍としても情報の秘匿に力を入れているのだろう。

だがしかし、いくら魔王軍が影に潜み隠れようとも。こちらには魔王軍にからしてみればチート以外の何物でもない「千鳥足テレポート」がある。
俺と遊び人は、魔王捜索に行き詰まると酒を飲み、そして千鳥足テレポートで飛んだ。もちろん飛んだ先々では、魔物たちと剣を交え魔王の居場所を問い詰めるのだ。
情報が得られなければ、また日を改めて酒を飲み千鳥足テレポートだ。

そんなこんなを、俺たちは半年ほど続けてきたが未だ魔王の居場所に関する情報は一切得られていない。
だが、情報を得られなくとも。テレポートで飛び続ければ、いつか必ず魔王のもとへとたどり着ける。俺は、そう信じ今日もエールを流し込む。


「勇者さん勇者さん、そろそろご都合はいかがでしょうか」


「おやおや、遊び人さん。俺が、もうそんなに酔っぱらっているよおに見えるのですかな」



「見えますとも、見えますとも。いまの勇者様は、まるで地獄の赤鬼のような赤ら顔ですぜ」


「それを言うなら、遊び人さんは。地獄のサルの尻のように顔が赤い」


「女性の顔を、エテ公の尻に例えるたあ、勇者様のデリカシーのなさに磨きがかかってきましたなあ。というか、地獄のサルって何よ……」


「いや、なんとなくだから深堀しないで」


「……もっと可愛いものに例えなさいよ」


サルの尻より可愛いものときたか。いや待て、考えるまでもなくそんなものは世に数多あるわ。
ありすぎて逆に、回答に困るやつだわ。


「はよしろ。あほう勇者」


焦らすなよ。
そうだなあ。かわいいもの、かわいいものねえ。うん、そうだ。
例えば、今俺の目の前で頬を染めて酒を飲んでいる黄金色の髪をもった女の子とか。
あ、これはだめだ。これじゃあ、可愛いものの例えじゃなくて可愛いそのものではないか。


「 ちどりあしてれぽーとおおおおおおおお!! 」


狭く薄暗く、街の酔いどれ達で溢れかえっていた秘密酒場中に、彼女のその澄んだ声が響き渡った。


――――――

3杯目 カクタル思い

――――――

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