いろ鬼 (オリジナル百合) (49)

何があっても大丈夫な人向け百合
勢いのまま





『いろ鬼』という遊びがある。
鬼ごっこの一種みたいなものだ。まず、鬼役は色を一つ決める。他の参加者は、その色を探し出して、
その色の何かに触れていれば捕まらない。触れていない人は、永遠に追いかけっこ。
みんな、誰かの服にタッチする。でも、私だけ例外。原因は、服の色が男っぽいから。
言うなれば、地味。カッコよく言えば、アースカラー。
鬼が選ぶ色は赤とかオレンジとかで、私はいつもかやの外。
一緒に遊ぶ女の子達が好きそうな色の服を、私は持っていなかった。


私、当時、5歳の時の事。
とあるショッピングモールで衣料品を見ていた時だ。
可愛い服達が積み重なったバベルの塔に、一瞥をくれる。
母親が手を引いて、その塔に足を踏みいれさせようとしている。
スカートもワンピースも、柔らかそうで甘そうで、私をクラクラとさせた。

「ミラちゃん、おいで」

子どもながらに、自分にはピンク色が似合うと思っていた。
しわがれた手が私に差し出したのは紫のイモ臭いジャージみたいなスカート。
よりにもよって、なんでこれなの。

「やッ」

それはペシンと払いのける。
母親は困ったように笑った。
じゃあ、何がいいの? と顔を傾げる。
ピンクよ! ピンク!
どうして分かってくれないの。
私は群がる女子児童達をかいくぐり、ピンクのワンピースを引っ掴んで、

「これ」

と、母親に見せた。
すると、

「え、全然似合ってない。やめなさい、やめなさい。あんたには、やっぱり地味な方が似合うわ」

私の中の少女像が、がらがらと音を立てて崩れ落ちたような気がした。

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みてるぞ

あの日から、可愛いものは可愛い人が着るべきだと思うようになった。
そして、それを見ることも一種癒しだと感じるようにもなった。
高校生になり、より一層、頑なに、意固地に、分厚く、もはや自分ではどうしようもないくらい、異常に。
私は女の子ではなくなった。

「委員長、ちょっと」

振り向きざま、眼鏡がずり落ちそうになったので、かけ直す。

「なんでしょうか」

「引きこもってる男の子がいるって前、話したの覚えてるかい?」

「はあ、そう言えば」

2年生に上がった時に、担任に言われた事を思い出す。

「これ、クラス新聞持って行ってくれないかな」

「あの、私、一応女子なんですけど?」

「え、関係ないでしょう?」

イラッとしたので、笑ってやった。

「ひえッ、ミラちゃん怖いよぉ」

「おっさん、女子高生の真似するのキモいですから止めてください」

「仮にも担任に向かって、おっさんはないでしょう?」

「はいはい。持っていくのは構いませんよ。ナニが起こっても知りませんけどね」

担任は一瞬キョトンとした。
それから、あっはっは! と腹を抱えた。

「ごめん、それはないわ!」

禿げかけたてっぺんをライターで炙ってうやろうかしら、この男。

残念ながら、担任にも女の子扱いされていないらしい。

「で、見返りは?」

「委員長なんだから、ノーギャラでしょお?」

「それ、いっつも言われてますけど、こちとらボランティアじゃありませんので。もし、無ければこの件は白紙に」

「待って、待って! あ、ほら、委員長可愛い物好きでしょー?」

「なんで、知ってるんですか?」

え、学校でそんなこと言ったっけ。

「見てたら分かるよ。そこで、僭越ながら私めが着ぐるみを着て、登校するというのは」

「……ノーギャラでいいですよ」

「待って、可愛いのが手に入っあ、まって、行かないでよッ。あ、見捨てないで、ねえ、ミラちゃん?」

担任から預かった新聞を鞄に入れて、そこから足早に離れる。
うちの担任はどこかおかしいと思っていたけれど。

「あ、住所聞いてない……先生!」

呼ぶと、嬉しそうに顔を上げていた。

「住所!」

>>2
ありがと^^

担任が私を選んだもう一つの理由が判明した。
同じマンションの住人だった。
だけど、引きこもりの男の子の話なんて聞いたことない。
噂になりそうなものだけど。
放課後、制服のまま行くのもはばかられたので、いったん部屋に戻って私服に着替えた。

「ちょっと、出かけてくる」

「どこに? 勉強はちゃんとした?」

「したわよ」

「遊んでる余裕なんてないんだからね」

「分かってる」

「あんたをもらってくれるような人いたら別なんだけど」

また、始まった。
この人は、私がずっと独り身になるとでも思っているみたい。
昔から自分の身を自分で守れるようにって話ばかり聞かされてきた。
男に負けないようにとか。
父さんみたいになるなとか。
父さんみたいな男と一緒になるなとか。
そりゃ、仕事に行かずにパチンコ屋に娘を連れていって、そこで母さんの作った弁当を食べる男が好きなんて言わないけど。

タバコ臭い爆音量のあの建物は、未だに大嫌いな場所の一つ。
父さんはストレスが溜まるといつもパチンコ屋でお金をすっていた。
会社からある日電話がかかってきて、ついに母さんにばれた瞬間。
母さんは父さんの顔面を、思いっ切り殴った。

「行ってきまーす」

黒のスニーカーに履き替えて、玄関を閉める。
まだ何か後ろから聞こえる。気のせいかな。
母さんの手は、案外ともろく、傷だらけになった。
今もそれは残っていて、だから、彼女の右手は年寄りもびっくりなしわくちゃの手をしている。

エスカレーターに乗って、4階上に。
そう言えば、なんでこの男の子は引きこもってるんだろ。
1年の時に何があったのか。
そんな苛めがあったなんて、聞いたことない。
そんな事件があれば、だいたい、クラスの情報通が流してくれるはず。
まあ、でも、引きこもるくらいだから何かしら癖の強い人間なんだろう。

「ここか」

部屋番号を確認。
多少は緊張するけど、出てくるとしてもきっと両親のうちのどちらかだと思う。
ふっと息を吐く。
指でボタンを押した。

今日はここまで。
寝ます。

閉ざされている扉のドアスコープにぎりぎり確認できる位置で立つ。
あちらからは見えるという状況があまり好きじゃない。
というか見られているという感覚が単純に苦手。
ロックが外されて、中から男の子が出て来た。
背丈は私よりもうんと小さい。可愛らしい。
私は鼻を抑えた。

「……ッ」

「あの、お姉さん? どうかしたの?」

奇跡的に、声までウイスパーボイスである。
ダメだ、動悸がしてきた。
やばい。犯罪者ってきっとこの高揚のまま、児童を連れ去っていくんだろう。
私は、違う。
落ち着け。
目の前の少年が怯えていたので、安心させようと笑顔を繕う。
余計に怯えていた。
酷いね、少年。

「あの、お兄さんいますか?」

たぶん、弟さんなんだろう。
そう思い彼に尋ねると、

「兄はいません」

「あ、いつ頃戻るか分かる?」

引きこもりのくせに、外出とはいい度胸じゃんか。

「あ、えっとここには僕一人しか住んでないって意味で」

どういうことなの。

「それは、ご両親とかご兄弟とかもいないってこと?」

少年は顎を下げた。
オー。
どういうこと。
どういうこと。
あの担任、部屋番号間違えてるんじゃなかろうか。
と、少年が私の手に持っているものに視線を転じ、

「クラス新聞持ってきてくれたんだよね? ありがとう、お姉さん」

彼は紅葉のような愛くるしい手を差し出して、にこりとえくぼをつくり、泡立てたクリームのようなふさふさの短髪を揺らしてお辞儀した。
それに数秒見惚れて、はっとして叫んだ。

「え、あなたが引きこもりの男の子!?」

声が廊下を駆ける。

「わああ!? お姉さん!」

私は慌てた様子の彼に勢いよく口元を抑えられた。

「そうだけどッ、叫ばないで!」

「こ、こんなに可愛いなんて、思ってなくて……」

「うん、よく言われる。でも、男だから」

最高にハッピーとはきっと今この時だ。神様ありがとう。
この世に同世代のショタ顔がいるなんて諦めていました。
ありがとう。ありがとう世界。

「お姉さん、息荒いけど、風邪?」

心配そうに首を傾け、下からこちらを覗き込む。
その仕草、もはや犯罪に近い。

ずり落ちかけた眼鏡を戻して、私は涙を拭く。
彼の紅葉のような手を握りしめようと手が勝手に伸びていたので自制。
落ち着いて。今、ここで彼に危険人物と思われたら、一生お近づきできなくなる。

「せっかくプリント届けてもらったから、良ければ飲み物でもどう?」

なんてこと。
羊が狼をもてなそうとしている。
ダメよ、何考えてるの。
少年、こういう時はさっさと帰ってもらわないと。
私は唾を飲み込んだ。

「喜んで」

欲望に負けた。

部屋に入ると、一人では広すぎるんじゃないかと突っ込みたくなるくらい簡素だった。
ソファに座り、じわりと噴き出した汗を手のひらで拭って、私は彼の持ってきてくれた紅茶に口づける。

「あ、お菓子もあるからね」

キッチンに向かう彼のお尻は、桃みたいだ。
食べてしまいたい。ぷりぷりしているからしょうがないね。
涎が出てきた。
やばい。

「クッキー、どうぞ」

嬉々として、彼は大皿に大量にクッキーをぶちまける。
こんなには食べれないぞ。

「あ、ありがとう」

「ううん、誰かが部屋に来るのは久しぶりで、僕すっごく嬉しいんだ」

そう語る彼の笑顔が眩しくて目を開けてられない。
紅茶をこぼしそうになりつつ、

「あの、そう言えば名前聞いてなかったけど、日下ミラって言うんだけど、あなたは?」

「僕は、天野ヨシツキ。ヨシツキでいいよ、委員長」

先生の根回しか。

「私も、ミラでいいって」

「でも、女の子を呼び捨てにするのは」

君には言われたくない。

「どうせ、ヨシツキは学校に来ないんでしょう? なら、いいじゃない……あ」

しまった。
失言だった。

「どうしたの? 気にしないでいいよ。本当のことだから……うん、ミラ。珍しい、可愛い名前だね」

「名前負けでしょ?」

「そんなことないよ。ミラは可愛い女の子だよ」

なんでだろう。
この子が言うと、本当にそんな気さえしてしまう。
そんな訳がないのに。
けど、こんな風に人に優しい彼がどうして閉じこもっているんだろうか。
特に、彼の性格に問題があるようにも思えない。

「何か、聞きたいことあるみたい」

ヨシツキが言った。
まあるい瞳に吸い込まれて、言葉に詰まる。

「いや……なんにも」

「いいよ、気にしない」

知りたいとは思う。
でも、他人にどうこう言えるような人間じゃない。
きっと、女性として扱ってくれる彼が心地いいのかもしれない。
最初から、彼はどこかフェミニストかと思うような、幼くも甘いマスクをつけていた。
王子様を傷つけると分かっている質問はすべきじゃないし、彼の幸せな楽園を踏み潰すこともすべきじゃない。
そのマスクは私を気分の良いものに変えてくれる。
そのままでいいじゃない。
私も彼も、今日はたまたま会った。
たまたまそんな気持ちになっただけだ。

「ううん、ヨシツキの方が女の子みたいよ」

彼の表情が少し陰る。

「僕、もっとカッコよく生まれたかった。背が高くて、筋肉むきむきで、勉強できて、あ、あと、あごもがっしりした感じの」

「背が高くて、筋肉があって、勉強ができてもモテないわよ」

当事者が言うのだから、間違いない。
あごは知らないけど。
まあ、たぶんモテる要素じゃないと思う。

「モテたいわけじゃないよ。僕は男になりたいんだ」

「男じゃない」

「そうだけど、そうじゃない。あ、ううん、ごめんね変な事言った」

はぐらかしているのか、彼の意図していることがふっと会話から逃げた。
私は首を捻る。腕時計が視界の隅に止まる。
ああ、そろそろ勉強に戻らないと。
それに気づいてか、彼は立ち上がった。

「もう時間? 残念だなあ、せっかくお話しできたのに」

とたとたと私に歩み寄る。
幼児が大きなぬいぐるみを抱きしめるように、私の体をぎゅっと抱き寄せた。

「また、来てね、ミラ」

部屋を出た時、頬っぺたは真っ赤だったと思う。

いったんここまで

それが彼との最初の出会い。
次の日。高校の正門の前で、

「やあやあ、ミラちゃんおはよう」

担任が肩を叩いた。
他にも自分のクラスメイトがいる中で、私を呼び止める。
用件はお察し。

「なんです?」

目を細めて睨み付ける。

「なんで睨むの。怖いよ」

「眼鏡調整中で、裸眼なんです。先生がいつもより定まらない」

「いつもより? あ、そんなことより、彼には会えた?」

「会えましたよ」

天使に。

「新聞もしっかり渡したので、じゃ」

踵を返す。

「いやいや、どんな様子だったかくらい聞かせてよぉお」

腕を掴まれる。
おっさんと天使に掴まれるのとでは訳が違う。

「はあ、元気そうでしたよ。そんなに気になるなら、自分で見に行ってください」

「そうはしたいんだけどねえ」

渋り顔で眉根を寄せる。

「彼、男の人苦手なんだよ」

少し驚いて、先生の話に耳が傾いた。
先生やっと話を聞いてくれると思ったのか、

「彼、とっても愛らしい容姿だっただろ? 周囲からね、その、色々あるんだなあこれが」

「色々って」

「それは先生に聞いても」

「そうですね」

担任はウインクする。

「興味湧いた?」

「いえ」

私は今度こそひるがえす。

「別に、興味ありませんし。だいたい、自分のことくらい自分でなんとかすればいい」

「冷たい事言わないでさあ」

同情を誘う様な声音で、担任がぶつぶつ言っていた。
それに構わず、私は教室へ向かった。
ショタがショタであることで迷っているのだとしたらもったいない話である。
ショタは世界の宝だと言うのに。
まあ、あのショタが死のうが生きようが関係ない。
目の保養にはなるけど。
それだけの価値しかなかった。
可愛い物は、それだけの価値しかない。
それだけの価値があればいい。
十分だ。

1限目、クラスメイトの一人が遅刻したので、遅刻届を提出するように促さなければならなかった。
斜め隣の席にいたので、懇切丁寧に紙にしたためて放り投げてやった。
そいつは、紙を開いて、坊主頭をぐるぐる回し、私と目が合うや、『めんどくさい』と口パクで教えてくれた。
私は切れ気味に、舌打ちして、前の席の男子生徒の椅子を蹴り上げる。

「あ、あの?」

男子はびくびくして、振り返った。

「ちょっと、隣のやつに遅刻届け出すよう言っておいて」

図書委員の彼は小さく『ええ~ッ』と悲鳴じみた声を出したが、素直に従ってくれた。
彼はまた私に午前の平安を脅かされないようにするため、友人を説得するのに必死になってくれるだろう。
力こそ正義。
ルールに従わない奴が悪い。

『委員長、こわーい……』

『別に蹴らなくてもねえ……』

聞こえてるから、女子。
1年の時に学んだ事がある。
この時期に必要なのは体の良い女子同士の馴れ合いではない。
自分を捻じ曲げずに、堂々としていられるかだ。
でなければ、進学や試験のための勉強なんてクソ真面目にやっていられない。
そして、委員長の仕事を全うすること。
そんな面倒くさい仕事も、内心が有利になるから以外に請け負う理由はなかった。
さっさと推薦をもらって、一足先に勝ち組にさせてもらえればそれでいい。
そう言えば、彼は―――あのショタは、将来どうするんだろう。
思い出すと鼻の中が熱くなったので、すぐに妄想を止めた。

3限目前の小休憩。

「おい、宿題やったか?」

「やってねえよ」

「おい、担任の奴HRで、やってないやつは昨日の小テストの点数を読み上げるって言ってたぞ」

「違う違う。連帯責任で、一人でもいたら全員読み上げるって話だ」

「まじかよ」

汗臭い男子共が、作戦会議めいたものをしている。
女子は女子で、諦めたように机に突っ伏する者、友人に尻尾を振る者もいる。
優等生グループは恋愛話をカラスよろしくカアカア喚いていた。
今さら焦る奴らの気が知れない。
前日にでもやっておけばいい話だ。
それで、わざわざ授業を潰すのか。
先生もいい迷惑だ。
何より、真面目な奴らの時間泥棒だと思わないのか。
下らない言い訳合戦に、一体いくら払ってくれると言うんだろか。
溜息。
窓の外を見て、飛行機雲の軌跡がぼんやりとだが青空に細い筋をつくっていた。

「委員長」

「ん?」

目を細めた。

「あのね、あ、ごめんね。今、機嫌悪かった?」

私は獰猛なケモノか何かか。
と、ああ、睨んでいるように取られたのか。
誤解を解くのもかっこ悪いので、そのまま何事か尋ねた。

「宿題さ、良かったら写させてくれない? この通り」

「いや」

「え?」

その女子は、曲がりなりにも頭を下げてお願いした内容が二言で断られたという実感が無かったのか、

「えっと?」

と、頭の悪そうな顔で繰り返した。

もう一度『いや』とお伝えした。

「あ、あー、そっか、はいはいはーい、ごめんねー」

なんだ、それ。
あんまりにも軽い返事にいらっとした。

「それで、よく頼み事しようと思ったね」

ぶつかりたい奴には、喜んでぶつかるよ。
私は。彼女の胸倉を掴んだ。

「委員長!」

声の主がすぐに分かった。
指を離す。
目の前の女子は、かなり怯えていた。
すぐに私の傍を離れていく。

「みんなを席につかせてくれよー?」

「はいはいはーい」

「なにそれ」

担任が笑う。
大人め。

「流行の返事」

私も、心臓を抑えるように胸を撫でた。
可愛くない。
彼はそう言うけど。
そんなことは全然ないの。

どこまでも、可愛くない生き物。
そして、醜くて、どんな色も私を着飾ってはくれない。
自分に一番似合う色なんて、この世にはない。
探したって見つけられない。
いつまでも、逃げ続けるのも窮屈な生き方。
そんなに急いでどうする。
周りに同調して、染められた奴らを羨ましいとも思えない。
だったら、鬼に捕まってしまった方が楽なんだ。
ひっくり返って、鬼になった方が簡単なんだよね。

「じゃあ、テスト返しますねー」

担任はクリアファイルを私に手渡した。

「はい、お願いします。あ、ちなみに、まだ宿題してる人がいるのでペナルティです。委員長は、全員の点数を読み上げてくださいね」

そこかしこでブーイングが起こる。誰かがノートを放り投げ、それが、机にばさりと落ちた。
黒板の前に立たされた私は、もらったクリアファイルから答案を引っ張り出す。
どうして、こちら側になってこの野次を受けなければならないのか。
この容赦のない担任、どうしてくれようか。

「はあ……テスト、返しまーす。2秒以内に取りに来なければ、読み上げます」

「あら、ミラちゃん優しい」

「赤坂ー……50点!」

答案を天井に舞い上がらせた。

「はや!?」

呼ばれた赤坂は、立ち上がりから急に素早く動いて、跳躍して答案をキャッチ。

「遅いッ、青木、67点!」

「鬼はやッ!」

「なんだ、この点数は、お前らふざけてんのか。勉強しろ、宿題なんて今やったって意味ないんだよ。理解できてる内にやれ! 写すくらいなら、やらない方がマシだ! どうせ人間は忘れるようにできてるんだから、授業が終わった後に、すぐにやれ! 分かったか!」

私は教室の真ん中をゆっくりと歩きながら叫ぶ。

「井原、89点!」

「わああッ」

可愛らしい悲鳴が上がる。
クラス一可愛い女子の点数だったようだ。
憎しみが募るまま、私はどんどん点数を読み上げていくのだった。

やたら息の荒い授業が始まり、なぜかいつもよりもノートを書き写す音が多く感じた。
気のせいかもしれないけど。
急に、授業中に話し出す奴もおらず、いたって平穏な3限が終わった。
お昼休み、うっかり、クラス一可愛い女の子――井原とトイレが一緒になってしまった。
鏡に向かって、井原が話しかける。

「日下さん、今日の啖呵カッコよかったよ」

「え、ああ、どうも」

嫌味の無い彼女の鏡越しの微笑みに、仏頂面で返す。
井原――井原カザリ。ポニーテールにホテルの高級タオルのようなアンティーク柄のシュシュをつけていた。よく似合っている。
恐らくどこかのブランドだと思う。彼女はこの辺りにいくつか点在する井原ビルのオーナーの一人娘だから。

「委員長は、ちなみに何点だったの?」

「満点」

「すごいね」

「あれくらいできて当たり前でしょ。井原さんこそ、どうしてあそこで間違えたのよ」

彼女が、あんな初歩的な計算ミスをするとは思えなかった。
そして、一度消した痕があった。
綺麗に消されていた。
まるで、元々あった正当な解答を白紙に戻したかのように。

彼女は黙ってしまう。
追いつめたような気分になった。

「井原さん?」

「うっかり、してたの。あの数秒でそこまで見てたんだ。委員長は将来先生になるのもいいかもね」

「あの担任を見て、先生になりたいなんて思う奴いるかしら」

「でも、私、先生好きだなあ。憎めないでしょう?」

「……まあ」

それは、あのおっさんの良い所ではあった。

「満点だと、先生にも質問できなくなっちゃうし」

冗談めいた彼女の言葉は、実際、少し熱っぽかった気がした。

井原を狙う男子は多い。
クラスの情報通は言う。
情報通――担任の話だ。
本人は全く気付いていない。
あの唐変木にはもったいない相手だと思う。

「先生さ、もう少し真面目に生きた方がいいよ」

正門で待ち伏せしていた担任に言った。

「いたって、真面目だ」

「何?」

「送っていく」

「警察と救急車どっち呼べばいい? 両方?」

かばんの中から、英和辞典を取り出してみる。

「わわわ?! 待ってくださいっ、お助けっ!」

「今日、眼鏡取りにいくから邪魔しないで」

「そこをなんとか」

「なんとかって、何を」

「彼に、夕食を作りに行ってあげて欲しい」

「無理」

早口で言った。

「ですよね。どうしたらしてくれる?」

「無理なものは無理。まず、私は帰って勉強をしなければならないので、そういった余裕はありません」

辞典を高く掲げる。
先生は、腕で顔を庇う。

「お母さんに怒られるから?」

「……そうですね」

私の逆鱗に触れようとしたって無駄だ。
その手には引っかからない。

「母を怒らせると、先生もただではすみませんよ」

「たまには、君の意思で放課後を過ごしてみないか」

腕を降ろし、先生は優しく提案する。

「勉強することを選ぶなって? 仮にも教師が何言ってるんですか」

「ほらー、ミラちゃん十分頭いいから、多少サボったって大丈夫だよー」

「仮にサボっても、それはもう先生の意思に従っていて、私の意思ではないんですけど」

「それは、違うよ。私の提案に、君が乗ったんだ。それは、乗り掛かった船に近い」

「母は、そんな船すぐに沈没させますよ」

「では、バレない様に言い訳を考えればいいさ」

「言い訳?」

「先生に、任せなさーい」

裏声で、彼はダブルピースしたので、仕舞おうとした辞書をなんとなく顔に投げつけた。

先生に料理のレシピ本をもらい、しおりの挟んでいる料理を作って欲しいと頼まれた。
お金は後払いで、ヨシツキに貰えとのこと。
また、ヨシツキには話を通しているのか。
少し、曇っていて雨が降りそうだ。
マンションの裏階段を上がり、母親にバレないように彼の部屋へ向かう。
何やってるんだろう。
彼とは関わらない所で生きていた方がいいに決まってるのに。
もう、担任のせいにできない。

インターホン越しに、ヨシツキを呼ぶ。

「もしもし、ヨシツキ?」

『ミ、ミラ……どうしたの』

「夕飯、作りにきた」

『え、ええ、えええ!? え、えと、えと、開けます』

「ん」

お腹空いたな。
いや、待て、今、すっごく驚いていなかったか。
ちょっと、話通してないのかよ!

「うそでしょ……あのアホ」

これじゃあ、通い妻みたいじゃんか。
仮にも男の子に変な期待させてどうするのかしら。
私は知らないよ。

数分後、彼がキッチンの側でウロウロと私の周りを俳諧する姿が見られた。

「ヨシツキ、気が散るからじっとして」

「は、はい!」

ああ、すぐ後ろに天使がいると思ったら俄然やる気が出てきた。
おいしー!って言ってもらえたら、嬉し過ぎて昇天する自信がある。
分かっていた。気づいていた。
この天使にもう一度会いたいと、心の奥では声が枯れんばかりに主張していた自分の存在に。
キャベツを剥して、洗っていったん据え置く。
玉ねぎをみじん切りにして、フライパンで炒めていく。

「あの、僕、何か手伝うよ。何でも言って」

「じゃあ、そこのお鍋のお湯が沸騰したらキャベツ入れて、芯が柔らかくなるまで煮てくれる?」

「任せて、ミラ!」

一品目、ロールキャベツ。キャベツがゆで上がるのを待つべし。
タネに取り掛かろうとした所で、ここの冷蔵庫や棚には調味料らしい調味料がないことに気が付く。

「さすがに、塩コショウくらいはあると思ってたけど……」

「ごめんねえ、こういうの苦手で。いつも、買ってきてばかりなんだ」

「しょうがないわね。家から取ってくるから」

あー、でも家に帰らない理由を先生が取り繕ってくれてるんだっけ。
面倒だな。

「あの、僕、買ってくるよ」

「いいの?」

「全然問題ないよ? だって、ミラが作ってくれたの食べたいし、僕、もうお腹ペコペコ」

そうじゃなくて、そうやって外に出たりすることに抵抗はないのかと言うことだったのだけど。
まあ、気にしてないのなら構わない。

「じゃあ、お願い。コンビニの方が近いから、そこで買ってきて」

「うん」

短パンに、パーカーというショタファッションで彼はお遣いに行った。
あの幼児体型は奇跡の産物だ。
ちょっとつつくと、転がってしまいそう。
そんな彼と、私は、今二人きり。
理性がやばい。
喰ってしまいかねない。
そんなことしないけど。
ああ、よしんば一時の気の迷いだとしても、彼に抱きしめられた感触が今も胸を躍らせている。
あの高級絹豆腐のような頬に指を突き立てたい。

「はっ……」

雷が鳴った。
耳をそばだてると、かすかに雨粒がガラスを叩きつける音。
ベランダを覗くと、洗濯物干してあった。
お鍋の火を止める。

「今日の天気予報見てないのかしら……」

仕方ない。
それこそ乗り掛かった船だ。
私は、鍋の火を止めた。

>>28
鍋の火は止まっていました

帰る頃にはびしょ濡れになっているのだろう。
となると、必然お風呂に入らなければならない。
すると、私も一緒に入れるかもしれない。
いやいや、それはない。
ないわー。
洗濯物を仕舞いつつ、妄想に浸る。

「あ、これ」

女用のブラ。
いや、ブラはどうしたって女用しかないけども。

「まさか……他にも、女の子を連れ込んでるわけ?」

冷水をぶっかけられた気分とはこのことだ。
ネバーランドに飛んでいた思考が冷静になっていく。
母親?
でも、独り暮らししてるらしいし。
ここ数日のうちにこの部屋に、私以外に来たとしか。
それか、あんなに可愛いから、女装癖が――。
似合うから、許せる。
ううん、彼のやることすること全て応援できる領域に、私は存在していると言ってもいい。
ブラをそっと、ポケットに入れそうになって、慌てて洗濯かごに放り入れた。

畳み終わって、二品目が完成したくらいに、彼は案の定濡れネズミとなって帰って来た。
可愛い。

「うひゃああっ……ミラアァ」

情けない声で、私の名前を呼ぶ。

「タオル、取ってきてあげるから」

「洗濯機の上にある、お願い……うううっ」

見つけたバスタオルを彼の頭に被せ、

「じっとしてて」

「ええっ、できる、できるから」

「いいから」

私のタオル術でいいようにされるヨシツキ。
可愛い。

「はっ、はい、おしまい」

「ぷはっ」

ヨシツキの頭にぐるぐるとタオルを巻きつける。

「お風呂入ってくれば?」

「いいよ、ご飯作るの手伝う! あ、それと、洗濯物取り入れないと」

「ああ、入れといたわよ」

袋から塩コショウを掴み、ピリピリと包装部分を剥いでいく。
紙の蓋をぺりぺりと剥し、ゴミ箱に捨てて、ミンチ肉に振りかけた。

「ねえ、ヨシツキ、キャベツを」

「見た?」

「何を?」

ヨシツキの方を振り返る。

「だから……洗濯物」

小さな彼から、放電じみた緊張感が放たれる。
何のことを言っているのか、察してしまった。
恐らく、ブラのことを言ってるんだろう。

「ごめんけど、見た」

嘘を吐いても特にならなさそう。
彼はしゃがみ込んで、

「変だよね……男のくせに」

「……」

私はミンチ肉をゆっくりとこねた。
彼は項垂れている。

「軽蔑するよね」

「しない」

私は短くそう伝えた。

「しないの……?」

床に向かって、か細く彼は聞いた。

「少なくとも、私は君が言った言葉に同意はしない」

彼は顔を上げた。
とても、先ほどまで明るくお猿のようにはしゃいでいた人には見えない。
一瞬で、彼のアイディンティーを崩壊させてしまうようなものだったのか。
信じられないけれど。
私は、彼を勇気づける言葉を探す。
変だね。
それこそ、変だ。
コンプレックスをなんとかしたいのは、彼だけではないのに。
でも、彼を哀しませたくない一心で考える。
私は、きっと、彼にどうしようもなく恋をしてしまったんだ。
こんな彼に――。

「聞かなくていいんだよ。そんなこと。変とか変じゃないとか、どうでもいいことじゃない」

彼は瞳にうっすら涙を浮かべている。
きっと、苦労したんだろう。

「ミラ……」

「ヨシツキ、その判断はさ、議論にもならないくらいなの。確かに、ヨシツキは普通の人達が考える普通からははみ出したのかもしれないけど、ヨシツキが生まれて来た時に持ってたものなんだから、変もへったくれもないって。ただ、それでね、その自分以外の人の評価が、ヨシツキを将来どういう道に連れて行くのかは分からないけど、他人の評価なんてものは、その道を左にしたり右にしたり、歩いた道がどっちだったかを後で教えてくれたりもするけど、どっちでもいいんじゃない?」

彼は、少し言葉を噛みしめているようだった。
ミンチ肉のついた手で彼を抱きしめることができたら、どんなに良かったか。

「君が、いいなと思った方でいいんだよ。他人の意見があるから、ヨシツキは自分のあるべき姿を考えることができた。それだけ。だから、そこまで人の目を気にしないで」

自分でも驚くくらい舌が回った。
よし、これで彼のハートをわし掴みだ。
後は胃の方もわし掴めば完璧だわ。

「ミラ……あ、ありがとう」

白い雪兎のような頬が赤く染まっていく。
照れたのかしら。可愛い。
人に言うべき言葉が、自分に跳ね返って辛い所もあるけど。
彼が少しでも勇気づけられたらいいな。

「その、もう一つ、ミラに……知っておいて欲しいことが」

「うん、なに?」

彼が心を開いてくれたことが素直に嬉しかった。

「じ、実は……僕、女の子なんだ」

前言撤回。
やはり、ちょっと考えないといけない議題にぶち当たった。

今日はここまで

思いがけないその一言で、持っていたタネを握りつぶしてしまい、ミンチ肉がシンクにべちゃっとくっついた。

「はあ?!」

大声を出すと、ヨシツキの肩がびくりと跳ね上がった。

「ふええ?!」

股関節の構造上、男性がほぼできないとされる女の子座りでひよこのように鳴いた。
ぷるぷると震える様は、ああ、なんで気づかなかったんだろうか、まさに女子そのものである。

「はあああ?!」

「ふええええ!?」

部屋に互いの声がこだまする。

「うそでしょ……そんな」

「体は女の子だけど、僕は男として生まれたんだ」

「あんたが男であることを否定するつもりはないから……この際、問題なのは、あんたの体が女の子だってこと」

彼は目を丸くする。

「え、あの、どういう?」

「だって、女の子だとセックスできないじゃんか?!」

「ふえええ?!」

彼は――彼女は? 否、ヨシツキは壁際まで勢いよく後ずさって、ドンと背中を打ちつけていた。

「おそ、襲わないで……」

「し、しないから」

同性だと分かったのに、欲情するわけない。
瞳を潤わせるヨシツキに呆れかけて、今一度彼のことをまじまじと見つめた途端、
鋼のようだった心臓が、ミンチ肉みたいに押しつぶされる。

「あれ……」

「ミラ?」

今しがた初恋が奇妙な終焉を迎えた、はずっだったのに。

「でも……僕、ミラみたいな、女性なら……そうだよね、本当に男になってしまいたいと思うよ」

小さな口から呟かれた台詞に、私はやはりときめいていた。
あろうことか、男だと言い張る少女に。

「う……」

落ち着け。
状況についていけない。

「照れたの?」

「ち、違う! 変な事言わないで」

「変でもいいって」

「もおっ」

ヨシツキがにこりと笑い、目元を拭った。
その笑顔がたまらない。
ショタでないとしても。

「なんで、そんなに可愛いのよ……」

彼は遺憾だとでも言いたげ。
私も私だ。
気持ち悪いなんて思えなくて。
思ってしまえば楽だったのに。

暫くして、お互いに夕飯の支度のことを思い出した。
もちろん先程のことをなかったかのように装える程、大人でもない。
二人黙って、リビングで食事を取った。
このままずっと沈黙が続くかと思われた。

「ロールキャベツ、美味しい。すっごく美味しい」

「ありがと」

眠すぎるので、ここまで

一口口に含んだ途端、彼は満面の笑みでそう言ってくれた。
ずるい。
しばらく、彼の感想を聞いていたおかげか、多少気持ちに余裕が生まれた。
そして、この際なので地雷のような質問を口にする。

「どうして、男になりたいって思ったの? そんな可愛い容姿で」

彼はご飯を喉に詰まらせた顔で、

「言わなきゃだめ?」

加えて、唇をすぼめてさらに破壊力のある顔で問い返す。

「うーん、そういうわけでは」

言いたくなさそうだ。

「言って、怒らない?」

「怒る?」

「えっと、怒るって言うか、何て言うか、そう、馬鹿にしないで欲しいんだ……僕こう見えて繊細だから」

「大丈夫、そんな感じにしか見えない」

「そ、そうなの」

「うん」

肩を落としたように見えた。

「どうして、男にこだわる?」

「こだわってるというか、まず、前提として……さっきも言ったけど、僕は男として生まれたんだ。それは、もう、ありのまま受け入れて欲しい」

「わかった……」

「あと、僕、好きになる人がみんな女の人だったの」

「男って言う自覚と、好みのタイプが女性ってことで、自分は男として生きていこうと思った?」

「もう一つある」

「何?」

彼は姿勢を正す。
私の目を見て、これは譲れないとでも言いたげに。

「僕は、僕を男として見てくれる人や男として必要としてくれる人を好きになるし、傍にいたいと思うんだ。だから、僕は男であり続けたい」

なんだろ。
自分は男じゃないから、必死に男を繋ぎ止めているようにも聞こえる。

「逆説的な理由だね」

「うん……っていうのも、小さい頃に何度か両親に女の子らしく振舞うよう強要されたことがあってね、数か月くらい経った頃から……僕、どんどん変な行動をとる様になったらしいんだ。頭を壁に打ち付けたり、夜中に家中を歩き回ったり。最初は悪霊でも出たのかって話しだったんだけど、ついに母さんを殴ったんだ。その時の記憶は覚えてる。怖いくらいに。どうしてか、このままだと、僕は死んでしまうって思ってしまったのかもしれないね。身体じゃなくて、心がボロボロになっちゃうって。心が死んだら、もう楽しくないよね」

私は率直に、ヨシツキは女の子として生きた方がもっと幸せな人生が待ってるんじゃないかと思った。
大多数が彼に対してきっとそう思うし、願う人もいるかもしれない。
実際、いたわけだ。
なのに彼はあえて、自分と相容れないものを自分だと言い張っている。
それはつまり、自分を否定して、宇宙空間にでもいるような自分こそが自分だと言っているようにも聞こえる。
違うのかしら。
そういった問題には疎いから、よく分からない。
仮に、彼が女の子として生きる人生を捨てたのであれば、その女の子は可哀相なんだろうか。
そうであるかないかは、ヨシツキ自身が感じ考え結論付けるべきだろう。

「羨ましい……」

私は思ったことを口に出していた。

「嘘だぁ」

彼は笑った。
子どものような無邪気さがあった。

「そんな生き方をしてみたいもの」

「まだ、僕は生きている実感もないよ。だって、認めたくないけど、未だに僕は男であり女なんだもの。この二つは本当の意味で決着はついてない。だから、生き方なんて分からない。分かったのは、僕は女じゃなくても死にはしないけど、生きた心地はしないってこと」

ほんの少しだけ、見えてきた。
彼の影。
ほんの少しだけ。


眠ります。
また明日の夜に

「ヨシツキは男になるまで、この部屋を出ないつもり?」

「そんなことはないよ」

嫌な質問ばかりしてしまう。
ボロは出ないかと、同じように弱い人間だと証明させたいみたい。
酷い女。

「男の恰好で、うろうろしたらみんな迷惑でしょ? 男だからと言っても、トイレはどうしたって女子トイレに入らなくちゃならないし……体育の時に、普通に着替えようとして止められた。それも、男子に……それから、学校行ってないんだ」

「裸見られるの平気なんだ」

「うん」

ほお。
うんと言いなさった。

「じゃあ、ちょっとここで脱いでみよっか。あ、あのけしてやましい気持ちとかはなくてですね?」

「目が、恐いよぉ……っ」

「へへへ……」

彼の上着に手をかける。

「やめ、やめてっ」

「いいだろ? 減るもんじゃないんだろう?」

「無理矢理脱がされる趣味はないもんっ」

やっぱり。
そうだ。
うん。

「あのさ、致命的にヨシツキが男っぽくない所があるんだけど」

「え、なに?」

彼はびくりと目を見開く。

「容姿とかは置いておいて、その反応がもはや女の子」

「え」

自分でも気が付いてなかったのか、小さく声を上げた。

「男って色々あるけど、もっと、調子に乗った感じでさ、逆に喜んで脱がされるくらいにならないとダメじゃん?」

「そんな変態みたいなことできないよ」

蔑んだ目で見られた。

「違う違う、女の子に脱がされるなら嬉しいはずじゃんか」

もし、私が男だったらきっとそう思う。

「うーん」

腕を組んで、彼は唸る。

「君はさ、あれだ、性欲が足りない」

「そ、そうなの?!」

「うん」

私は至極真面目ぶった顔で頷いた。

「そ、それって必要かなあ?」

「いるでしょ。バカか君は」

「そこまで言う?」

「好きな子には色々したくならないの?」

「……なる」

「ほお」

意外。
それから、まるで女子と会話している錯覚を覚えるようなトークを彼と私は繰り広げた。
世の中って複雑なんだな、と身も蓋もない感想を抱いたのはヨシツキには内緒だ。

「というか、ミラさっきより毒舌になってない?」

好みの男の子に変わりはないけど、女と分かってから、私の性欲も減退したみたい。

「もともとそんなに優しい方じゃない」

食べ終えた食器を二人で洗って、ふっと一息ついてテレビを見た。

「あー、ヨシツキが本当に男の子だったら良かったのに」

ソファの隣にいるヨシツキは、体ごと私の前方に乗り出す。

「ほんと?」

嬉しそうにしおって。可愛すぎて鼻血出る。
鼻を抑えて、頷く。
彼の目線がやや泳ぐ。
どうした?
体を元の位置に戻して、体育座りして顎を膝に埋めた。
このポーズはR18指定してもいい。

「ねえ、僕もミラが女の子で良かったって、改めて感じた……」

「ありがと。女の子っぽくはないけどさ」

「……それ、ミラのコンプレックス?」

「勘がいいね」

「僕、何かの本で、自分に足りないものを持ってる人が惹かれ合うんだって書いてたの思い出した」

つけていたテレビをぼんやりと眺めて、彼は言った。

「皮肉な話」

私と彼、外装と内装を入れ替えれば今よりは良くなるんじゃなかろうか。
結局、自分の選べる色と選びたい色は違うのだ。それを、認めてしまえってこと。

「でも、僕、君といればもっと近づけるような気がするんだ。求めてるものに」

近づくまで、ずっと追いかけていなきゃならない。
やっと一番欲しい色にたどり着いても、もしかしたらまた違う色を要求されるかもしれない。

「それは、私の彼氏になりたいってこと?」

「……ダメ?」

上目遣い。
彼は、女の子。
男の子と言い張る、女の子。
あまりも不釣り合いなその欲求を、誰が許してくれると言うんだろうか。
この先、誰が――。

誰もいない。
先生だって、彼を彼として受け入れることが難しい立場だ。
あの、クラス一女の子らしいカザリと双肩を並べれる容姿だし。
私の母に知られたら、ばっさりと切り捨てようとするだろう。
誰もいない。
私と彼はずっと鬼に追いかけられ続ける。
誰かの色を恨めしく思いながら、縋るしかないんだ。
本当の自分なんて、どこにあるんだろうか。
それをずっと探す苦悩にとりつかれて。
せっかく切り替えて生きていこうとしていたのに。
思い出してしまった。

私は彼の肩に頭を乗せた。
背が小さいから、態勢がきつい。

「いいよ……」

私たちは、いつか鬼の縛りから抜け出せるだろうか。





おわり

毛色違うのに読んでくれた方、ありがとう。

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