千歌「会ってみたいのっ! 伝説のポケモンマスター、高坂穂乃果さんに!」 (120)

千歌「――うぅ、話してみたいっ!! 伝説のチャンピオン綺羅ツバサさんとの、伝説の一戦!! 綺羅ツバサさんのエース、サザンドラが君臨した直後のあの攻防の時のことを……」パァ…


曜「そうだね」アハハ…

曜(またはじまった……)


梨子「――ふたりとも」

千歌「梨子ちゃんおはよー!!」

曜「おはよ」

梨子「おはよう、準備は出来てる? よく眠れた?」

曜「ばっちり!」


千歌「うぅ、ドキドキしてきた……つ、ついにポケモントレーナーになれるんだよね!?」

曜「千歌ちゃんね梨子ちゃんがポケモンと図鑑を持って帰って来てくれるのをずっと待ってたんだよ」


梨子「あはは……ごめんね、ちょっとお仕事が長引いちゃって」



梨子「――はい、この通り。オトノキ地方の西木野博士からポケモン図鑑と、ポケモンを預かってきたよ」

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 梨子は楽しそうに跳ねる千歌を見て微笑みながら、袋から赤い機械を取り出す。


梨子「はいどーぞ。千歌ちゃん」

千歌「あ、ありがとう!!」

梨子「曜ちゃんも」

曜「ありがとうっ」

梨子「そしてこれが預かってきたポケモンだよ」


 持っていたカバンを広げる。中には三つのモンスターボールが入っており、千歌と曜が興味深そうに覗き込む。


梨子「西木野博士の娘さんとは友達だからね、お願いしたらとっても良いポケモンを預けてくれたんだよ」


千歌「本当!? り、梨子ちゃんすごい……っ」


梨子「わ、私は全然だよ……はい、三種類から選んでね」

曜「三種類?」


梨子「炎タイプのアチャモ、水タイプのワニノコ、草タイプのツタージャ」


曜「な、なるほど……」


曜(やっぱり水タイプがかっこいいかも……)

千歌「曜ちゃんから選ぶ?」


曜「い、いいよ千歌ちゃんから選んで? ずっと自分のポケモンが欲しかったんでしょ?」

千歌「ぅ、い、いいの?」

曜「うんっ」

千歌「え、えーとね」

梨子「どれを選んでも、みんな強い子だから心配しないで」

千歌「り、梨子ちゃんが言うんだもんね間違いないよっ」

千歌「千歌はね――高坂穂乃果さんと同じ、炎タイプのこの子がいいっ!!」

梨子「ふふっ、そう言うと思った」

曜「わたしもそう思った」

曜「じゃあ私は……」

千歌「この、ワニノコでしょ?」

曜「あ、分かっちゃった?」

千歌「うん、絶対水タイプが好きなんだろうなって」

曜「えへへ、流石です」

梨子「じゃあモンスターボールのここのスイッチを押してみて」

千歌「う、うんっ」ポチッ

 ボゥンッ


『ちゃもッ……!」


千歌「おぉ……」

 恐る恐るスイッチを押し、中からヒヨコの形をしたポケモンが出てくる。

 くりくりとした丸い目を千歌に向けると、千歌も視線を合わせて答える。


千歌「ごく……っ」


 手を差し伸べると、とことこと小さい歩幅で距離を縮める。すぐそばまで近づいたアチャモは、千歌の手に、挨拶がわりとしてすりすりと顔を擦り付けた。


千歌「はわぁ……かわいい」

梨子「相性は、大丈夫みたいだね」

梨子「次は曜ちゃんだよ」

曜「ごくっ……」

ボゥンッ

『ワニィッ』


 モンスターボールが開き、飛び出して来たのはワニの子供の姿をしたポケモン。飛び出すなり威勢良く一鳴き。辺りをキョロキョロ見回し、親となる曜の顔を見つめる。


 納得したのか、ゆっくりと近づいて、ワニノコから手を差し出した。

曜「わ……よ、よろしくっ!」


梨子「うん、おめでとう。これでふたりはポケモントレーナーの仲間入りだね」


千歌「ドキドキしてきた……っ」

梨子「ふたりはこれからどうするの?」


千歌「ジムに行くっ! ポケモンジムでバッジを全部集めて……ポケモンリーグに出るのっ! でねでね、四天王と闘って、高坂穂乃果さんと同じ、チャンピオンになるんだ!」


梨子「そっか、うん」


曜「私はとりあえず千歌ちゃんに着いて行きながら、ジムに挑戦してみようかな。こんな生半可な気持ちじゃ通用はしないだろうけど」アハハ…


梨子「じゃあふたりともバトルをするジム挑戦がメインになるんだね」

千歌「うんっ、いつになるかわからないけど……梨子ちゃんにも勝ってみせるっ!!」


梨子「……その時まで、私も――四天王で居られるように、頑張るね」

 ポケモントレーナーの極みへと近づいた四人の称号、四天王を持つ梨子。史上三番目の若さでその地位についた天才は、未来を感じる二人に感慨深い瞳を向けた。

梨子「じゃあ、バトルの基本をおさらいして見よう?」


梨子「曜ちゃんと千歌ちゃん、今から闘ってみて?」


曜「え、ポケモンバトル?」

千歌「曜ちゃんとするの!?」

梨子「いずれは私ともするんでしょ? 相手が誰だって、関係なくしないと」

千歌「うぅ、そうだよね……」

梨子「ポケモン図鑑を確認すると、自分のポケモンの詳細なデータが見られるの。自分の手持ちポケモンを見てみて?」

曜「えっ、と」

曜(これが、使える技……にらみつけると、たいあたりか、ふーん)

千歌「ひっかくに、なきごえ……むむ」

梨子「ふたりとも、なんとなくポケモンバトルはわかるよね? 自分のイメージ通りでいいから、やってみて?」

千歌(テレビにも出るくらい強い、梨子ちゃんから教えて貰えるなんて……こんなに幸せなことってないよっ……よーしっ)

梨子「はじめっ」

千歌「いくよ曜ちゃんっ」

曜「う、うんっ」

 身構えるふたり、アチャモにワニノコ。幼馴染ふたりが、ぶつかる。


千歌「えっ、と、アチャモ、ひっかくだよ!」

 先に動いたのは千歌の方だった。シンプルな攻撃! いつもテレビで見ていた憧れのトレーナーもずっと、そうしていた!

曜「え、え!? ワニノコっ、右にかわして!」

 すかさず曜もワニノコに指示。曜の指示通りに動いたワニノコ。アチャモの片脚が空を裂く。

千歌「あ、あれ」

曜「おおっ」

千歌「もういっかいひっかく!」

曜(正面っ! それなら……っ)

梨子「……」

曜「ワニノコ、にらみつける!」

 直立不動のワニノコは、堂々とアチャモを見据える。曜は初めてのポケモンへの技の指示、それを攻撃技ではなく、補助技を選択した。

 ワニノコはそれに答えて、大きな瞳が放つ強い目力、それが眼光となって正面から向かってくるアチャモを捉えた!


『ちゃも……』


 ひっかくを繰り出す前のアチャモはその眼光にやられ、一瞬動きが鈍る。

梨子(にらみつける……これでアチャモの防御力は落ちた。曜ちゃんが有利になったね)

 梨子が戦況を見つめる中、アチャモが飛び上がった。ひっかく、唯一の攻撃技を当てることでしか勝利は得られない!

曜(動きが少し鈍いっ! これなら!)

曜「体勢を沈めて!!」

 透き通るような叫び声が、片田舎の風に乗ってどこまでも飛んで行く。

 ワニノコは動きの鈍くなったアチャモの動きを的確に見極め、脚が振り回される軌道を予測、そして指示通り――四つん這いに体勢を落として、ひっかくをかわしてみせる。


梨子(決まったかな……)

千歌「ぅぅ」


 アチャモは脚を振り回した反動で着地に失敗し、地面に叩きつけられる。体勢が整わない、次の千歌の指令が来るよりも早く――。

曜「たいあたりっ!!」


 四つん這いになりながらクルリと反転。クラウチングスタートの要領で、加速、加速! 体全体を使ったたいあたりは、体勢の崩れているアチャモにクリーンヒット! どん、と周りに聞こえる音を上げながら、アチャモは微かに鳴き、吹き飛ばされてしまう。

千歌「ああっっ!」


 よろよろと立ち上がろうとするアチャモだが……。

『ちゃも……』


 へなへなと、座り込んでしまった。

梨子「そこまで、曜ちゃんの勝ち」

千歌「ぅぅ、負けちゃったぁ……」

千歌「ごめんねアチャモ……大丈夫だった?」ナデナデ…

曜「お疲れっ、ありがとうっ!」


 申し訳なさそうに謝る千歌に対して、これまた申し訳なさそうに俯くアチャモ。当然ともいうような態度で胸を張るワニノコの手を取る、自信に溢れた曜。

 明暗は分かれている。

梨子(曜ちゃん、センスいいなぁ……本当に初めてなのかな)


 梨子の目に映ったのは、曜のポケモントレーナーとしてのセンスが光っていたことだった。


 ここウチウラタウンに引っ越して来て、千歌と出会い、ポケモンバトルが好きな千歌が勝つのだろうとばかり考えていた。曜は接する限りではそこまでバトルにこだわりがないように思えたし、千歌ほどバトルの映像を見ていたわけでもない。なんでも出来る曜ちゃん、という認識であったが、ポケモンバトルでもそうなのだ、意外である。


梨子(二つしか技がないなかで、いきなり攻撃をせず、きちんと状況判断をしてからの一点攻勢……基本だけど、初心者になかなかできることじゃない)

千歌(うぅ……やっぱり曜ちゃんはすごいなぁ……千歌の方がポケモンバトルのこととか色々話してたのに……)

 梨子から見れば千歌は普通の初心者、という印象だった。そう、それ以上でもそれ以下でもない。

梨子(まあここから努力すれば……)


 千歌の状態では、血の滲む努力をした結果で、目標にたどり着く可能性があるだろう。そう、そこまで到達出来るのは数いるトレーナーの中でも一握り、だ。


梨子「はい、千歌ちゃんきずぐすりだよ、使ってみて」

千歌「ほぇ?」

 手渡されたスプレー式のきずぐすり、千歌はそれを見てきょとんと目を丸くする。

千歌は 「このレバーを引けばいいの?」

梨子「そう、アチャモに吹きかけてあげて」


 言われた通りにレバーを引くと、癒しの力を含んだ霧状の水がアチャモに降りかかる。それを浴びたアチャモは見る見る瞳に力が戻り、二本の足で立ち上がった。

千歌「おおっ!」


梨子「ポケモンバトルで傷ついたら、きずぐすりみたいな道具で回復するか、ポケモンセンターへ行ってあげてね」

千歌「うんっ!」


梨子「ふたりはこれからオトノキ地方に行くんだよね?」

千歌「うんっ、こっちは田舎だからジムもないし……」

梨子「長旅になると思うけれど、応援してる」

曜「梨子ちゃんはしばらくこっちにいるの?」

梨子「そうしようかなって思ってるよ。ちょっとお仕事で疲れちゃって……しばらくのんびりしたいなって」

千歌「そっかあ、なんかお仕事って響きかっこいいね!」

曜「わかる!」

梨子「え、ええ……?」

梨子「こっちにいても千歌ちゃん達がいないし、寂しいんだけどね……」

梨子「またお仕事でオトノキ地方に行かなくちゃいけないこともあると思うから、その時は会ってご飯でも食べようね」

千歌「うんっ! 梨子ちゃんの故郷のアキバシティにも行ってみたいし!」

曜「都会なんだろうなー!!」

梨子「落ち着かないかもしれないね」

梨子「……そろそろ時間かな?」

千歌「そうだね! 乗り遅れたら一時間は電車ないし!」

曜「あはは……」

梨子「オトノキ地方に行って西木野博士の娘さんに会ったら、よろしく伝えておいて貰えるかな?」

千歌「もちろんっ! ポケモンと図鑑を貰ったんだもん!」

梨子「よろしくね」

曜「よしっ、じゃあいこーか! 全速前進、ヨーソロー!」

千歌「ヨーソロー!」ニシシッ

千歌「あ、待って! 果南ちゃんにもあいさつ!」


◇――――◇

果南「お、ポケモンを持ってきて、ついに向こうに行くの?」


千歌「うんっ!! ポケモンリーグに出るんだあ!!」

果南「そっかそっかぁ、千歌も向こうに行くんだね」

果南「大変だと思うけれど、頑張ってね応援してるから」


千歌「千歌がリーグチャンピオンになって、四天王を倒してチャンピオンも倒したら、果南ちゃん、そしたらそしたら、千歌と戦ってくれる!?」

果南「あはは……そんなになったらすぐ負けちゃうから」

千歌「じゃあどーしたら戦ってくれるのっ! 前はトレーナーになったらって言ってた!」


果南「うーん……とりあえず千歌が自分で納得して、旅を終えられたら、かな?」


千歌「えぇ……納得? さっき言ったことに加えて、高坂穂乃果さんを見つけて、サイン貰って……あとそれから」


果南「とにかく」ポンッ


果南「がんばってきなよ」ナデナデ

果南「――世の中には、信じられないくらい強いトレーナーがいる。自分の考えが全部ひっくり返されるくらい、そう、この世の者とは思えないくらいのね。でもね千歌、諦めちゃだめだよ。諦めたら、終わっちゃうからね」


千歌「……うんっ!」

千歌「ゲッコウガも、帰ってきた千歌の成長見て驚いちゃうんじゃないかなあ」ニシシ…ナデナデ


『ゲコ?』


果南「この子は厳しいからねー、ねえゲッコウガ?」


千歌「わたし、決勝でのテレビで見た時みたいな! 果南ちゃんのゲッコウガの、あのー、形が変わるやつ! それを出させてみせるっ!! それが本気なんだもんねっ!?」


果南「あはは……だってさ」

『ゲコ』


果南「前も言ったけどキズナ変化はもう――」


曜「――千歌ちゃーん! いこー!」

千歌「すぐ行くよー!!」

千歌「じゃあそういうことで……千歌、出航して参りますっ!!!」

果南「うん、行ってらっしゃい」


果南「……私の分も、がんばってね」

◇――――◇

オトノキ地方 ゲンカンタウン


千歌「なんか」

曜「うん」


千歌「普通だね!」


曜「だね!」


 ウチウラタウンより電車でしばらく、ヌマヅシティからリニアに乗り込み、オトノキ地方へ。ヌマヅからオトノキへ入り、一番最初のリニア停車駅で、千歌達は降り立った。


 そのまま梨子の故郷である、大都会アキバシティへと向かっても良かった。アキバシティはオトノキ地方の中央にあり、いきなりアキバシティへと向かうと、リニアで通り過ぎてしまう町が多く生まれてしまうことになる。


 千歌の目的であるジムはどこから挑戦しても問題はない。オトノキ地方の色々なところを見て歩きたい、という千歌の願望で、出来るだけヌマヅ地方から近い場所を選んだのだ。


 ヌマヅシティとほぼ同規模の、千歌達から見れば都会。オトノキ地方からすれば田舎、それが同規模ながらタウンとシティの違いである、ということをヌマヅ地方の雑誌で千歌達は読んでいた。


千歌「ほんとにヌマヅシティみたいな感じだなあ」

曜「でもでも、これでも田舎の方らしいよ? 私たち大丈夫かな……」

千歌「で、でも曜ちゃんは高飛びでカントーとかジョウトにも行ったりしてたじゃん! き、きっと平気だよ」

曜「う、うん、だといいんだけど」

千歌「ねね、この街にあるジムを見てみようよっ!!」

曜「うんっ!」

――

千歌「おお……これが、ジム……」

 ジム。ポケモントレーナーの技量を示すバッジを与えることの出来る施設。その管理者をジムリーダーと呼び、ジムリーダーが実力を認めた者にジムバッジが与えられる。

 ヌマヅ地方はジム、およびポケモンリーグが存在せず、千歌がジムを目にするのは初めてのことだった。

曜「ここって、ゲンカンジム……見学出来る場所じゃなかった?」

千歌「そういえばそうだよ!」

千歌「ふたりでジムの雑誌、買ったもんねー!」

 ふふっと、笑いあってジムの扉に近づいて行く。

 自動扉が開かれると、受付カウンターが見えてくる。


曜「あ、あのー……中を見学出来ると聞いたんですけど……」

 曜が恐る恐る尋ねると、受付のお姉さんはにこりと笑い、現在試合中です、とにこりと笑いながら、扉の方へと案内された。

千歌「試合って、ジムリーダーの人がですか?」

曜「ジムリーダーの試合が見られるんですか?」

「はい、中は小さなホールになっております。立ち見になりますが、モニターもありますので、問題なく見学をすることが出来るかと」


千歌「ほーる?」

 受付嬢の言葉がよくわかっていないまま、千歌は扉に手を掛けた。


「――きゃぁああああ!!!」

千歌「!?」


曜「わわ!?」


 別の世界の扉を開けてしまったのかと、考えてしまった。男女問わず、様々な人の声が辺りに鳴り響く。歓声だった。

 千歌の背後、曜が後ろ手に扉を閉めると、音は逃げ場を失い、より反響を強めていった。


千歌「……」


 ぱち、ぱち、と瞬きを何度かする千歌の目線の先には、四角いポケモンバトル用のコートが広がっている。千歌達が入ってきた場所を頂点として、傾斜になっており、自然とバトルコートに視線が向くような作りになっていた。加えて辺りは薄暗く、しかしバトルコートは照明で照らされている。前の方に行けば行くほど人の波が形成されており、その異様な光景に、ふたりはぽかんと口を開けてしまう。


曜「なに、これ?」

「きまったぁぁ!!!」

 野太い男の声が、スピーカーから鳴り響いた。少し上に目を向ければ大きなスクリーンが用意されており、バトルコートの様子を映し出している。先ほどから忙しなく聞こえている男の声は、実況か何かだろう。


千歌「――バトル、してる!!」


 バトルコートの両端には人がいて、中央付近では二体のポケモンが凌ぎを削りあっていた。

「ゴーリキー! ばくれつパンチ!」


にこ「エルフーン! ムーンフォースよ!!」


 千歌と曜は知っていた。ここ、ゲンカンタウンジムリーダー、矢澤にこのことを。


 二つに結い上げられた髪の毛を揺らし、自信を持ったジムリーダーの声がスピーカーを通じて会場内に木霊する。


 直後、エルフーンが力を解放。陰陽たる煌めきが頭上に出現、月の煌めきにも似た怪しい銀の光が、突進してきたゴーリキーのことを飲み込んだ。

 会場内に満ちていた銀の光が通常の照明に戻った頃には、ゴーリキーが地に伏していた。


千歌「すごい……」


「うぉぉおおお!!!!」

曜「わわ!?」

 会場が人々の歓声で揺れ動く。


にこ「――みんなー! 応援ありがとー!! これからも宇宙ナンバーワンアイドル、にこにーのことをよろしくにこ♡ にっこにっこにー!!♡」



 千歌達のいる観戦席に向かって、面白い手の形を作りながらパフォーマンスをするジムリーダー。その声に続いて、にっこにっこにー! と逃走された掛け声が響きわたる。

千歌「な、なにこれ」


にこ「じゃあ、今回のエキシビションは終了です! 皆さま足元にお気をつけくださーいっ!」


 ぺこりと深くお辞儀をすると、バックの方に姿を消して行った。鳴り止まぬ歓声の中、千歌は呆然と立ち竦むと、曜に引っ張られることでジムを後にした。


◇――――◇

千歌「エキシビションマッチ、かぁ」

曜「挑戦者とバトルをする間にそれをして、宣伝してるんだね」

千歌「じゃあちょっとでも見られたのはラッキーだったのかな」

曜「きっとそうだね!」

千歌「でもどうしてエキシビションマッチなんかするんだろうね? というかあのフリフリの衣装はなに?」

曜「ここに書いてあるよ、どれどれ」

 ふたりは観客達の波に飲まれる前に、ジムを後にしていた。その後にショップに入ると、ゲンカンタウンの紹介が書いてあるフリーペーパーがあったのでジムの情報が書いていないか、ということで持ってきていた。

 千歌はカフェのミルクたっぷりコーヒーで唇を濡らすと、聞き慣れた曜の言葉に耳を傾ける。

曜「要するに、経営難になるからああやって宣伝してるのかな?」


千歌「どういうこと?」


曜「ジムはポケモン協会の補助金で成り立ってるんだけど……それ以外にも色んなところからお金を貰ってるんだね。トレーナーからお金は貰わないでしょ? でもただじゃ経営は出来ない」

曜「ジムリーダーの矢澤にこって人は現役のアイドルなんだって。アイドルをしながら宣伝をすることで、ジムの経営を円滑にしてるんだね」


千歌「……難しいよ」


曜「まあ、色々ジム側もあるみたいだね? でもあの人のおかげでここの街も活気づいてるみたいだし、あのパフォーマンスが名物になってるんだね」

千歌「あそこにいた人たちはファン、かな?」


曜「私たちみたいな人もいただろうけどね」


千歌「すごかったよね! あのかっこいい技! うぅ、あれがジムリーダー! ここオトノキ地方の強い人かぁ!!」


千歌「ね、ジムに行こうよ! 闘うのっ!!」

曜「い、いやちょっと待ってよっ! 今の状態じゃ流石に……ポケモンを鍛えた方がいいんじゃないかな? バトルにも慣れないといけないし……」


千歌「そ、そうだよね早まった……」

千歌「じゃあじゃあっ! ポケモンを鍛えに行こうよ!」


曜「町を出ると森があるみたい、次の町へ行くためには超えなきゃいけない場所みたいなんだけど。そこなら野生のポケモンもたくさんいるだろうし、トレーナーの人たちもいるかも。どうかな?」


千歌「流石曜ちゃんだよ!! ありがと!!」


◇――――◇

三日後


梨子「もしもし、桜内です」

真姫「あー、もしもし真姫よ」

梨子「久しぶり、どうかしたの?」

真姫「いえ、あのねこの前あなたにポケモンを預けたでしょう?」

梨子「うん」

真姫「あの中にアチャモがいたと思うんだけれど……気をつけて欲しいの」

梨子「えっ……な、何かあったの?」

真姫「ホウエン産のポケモンの中でも、アチャモやキモリ、ミズゴロウはなかなか手に入らないポケモン」

真姫「幸い研究所には十分な数の個体がいたから、梨子の友達だし特別にってことでパパが譲ったの」

真姫「ごめんなさい、簡潔に言うわね。――研究所にいたポケモンが奪われたの」

梨子「え……?」

真姫「アチャモにミズゴロウ、キモリ……ポカブにモクロー。どれも強力なポケモンに進化するわ、ホウエン産のポケモン以外にもたくさん、奪われた」

梨子「それって、昔の……」


真姫「……実はあなたがそっちへ帰ってからね、こういう事件がオトノキで何十件も起きているのよ。この事態に、警察も動き始めているわ」

梨子「それって、強力なポケモンを奪ってるってこと?」

真姫「多分ね、進化前だと奪いやすいっていうのもあると思うの」

梨子「千歌ちゃんと曜ちゃんのポケモンも……危ないかもしれない……?」

真姫「そうね、あなたのお友達のポケモンも将来的には強力なポケモンになるわね」

真姫「気をつけて欲しいってことを、伝えようと思って」

真姫「トレーナー自身も、被害に遭ってるみたいだから」

梨子「!!!」

真姫「それだけ、お友達に伝えておいて。あと、こっちへ来たらご飯でも食べましょ」

プツッ…

梨子「……」

梨子「千歌ちゃんたち大丈夫、かな……連絡しよう」

◇――――◇

千歌「アチャモ、ひのこ!!」


 小さな嘴から放たれる鋭く凝縮された火の塊が、かたくなるだけの無抵抗なトランセルを焼き払う。

千歌「やったっ! あ、つつくっていうの覚えた!」

 ポケモン図鑑に新しい技が追加されるのを見てぴょんぴょんとその場で飛び跳ねる。

曜「結構レベル上がってきたねー!」


 千歌がアチャモをなでなでしているところに、マユルドを倒して意気揚々と近づいてくる曜。


 ゲンカンタウンの近くにある森に篭ってから三日が経とうとしている。


 最初は野生ポケモンのレベルが千歌達よりも高く苦労していたが、それを二人で協力して倒すことで経験値を分け合いながら少しずつポケモン達を磨いていった。


 次第に野生ポケモン達にも勝てるようになってくると、今度は一人で倒すようになり効率もどんどんと上がっていった。森の中にいたポケモン初心者とも戦いを重ね、千歌は少しずつ自信をつけ始めている。負けるときもあるが、勝った時の喜びが千歌を突き動かしている。


千歌「そろそろジムに行っても大丈夫かなあ!?」


曜「一番最初のバッジを手に入れるのはそう難しくないって聞くし……行ってみる?」

 

 がさりっ。


 ふたりの警戒が弱まったのを見計らってか身はからずか、草むらが揺れる。曜がそれに気がつくと同時、草むらから千歌に向かって、何かが飛び出してくる。


曜「千歌ちゃんあぶないっ!」

千歌「きゃぁっ!」

 曜が千歌に飛びついて、ふたりは地面に転がり込む。何事かと確認してみると……。


千歌「さっき倒したポケモン……なんだっけ、ヤヤコマ……?」

『こ、ま……」


 草むらから迅仁、千歌に向かってでんこうせっかを繰り出したのは、千歌が先ほど倒したはずだったヤヤコマであった。


 ヤヤコマは鳥ポケモンであり、本来ならば宙を羽ばたいているが、千歌の目に映るヤヤコマは羽を動かさず地面に突っ伏すようにしている。おそらく体力はもう残りわずかで、飛ぶ力も残っていないのだろう。それでも飛ぼうと羽を動かすが、状況は変わらない。


曜「危なかったね……この子、本当に速いね……」


 速い、そう、千歌はこの森で何匹ものヤヤコマを相手にしてきたが、ここまで速い個体は目の前の個体を除いていなかった。


 千歌の脳裏に、一つの考えが浮かぶ。


千歌「この子捕まえて、仲間にするっ!!」

曜「おー、いいかもっ!!」


 曜の同意を得られたことで、千歌はゴソゴソとカバンの中を漁り始める。

千歌「よしっ、買っておいたモンスターボールで!」

千歌「えいっ!」

 弱ったヤヤコマに向けて投げられたモンスターボールは見事にヒットし、ヤヤコマを包み込みながらボールが地に落ちる。

 二度三度と傾いて……。

カチッッ

千歌「やった……やった?」

曜「うんっ、おめでとう! ポケモンゲットだねっ!!」

千歌「やったやったー!! ヤヤコマさんよろしくっ!!」

 拾い上げたボールに頬を擦りつけて、曜に抱きついて喜びを表現する。千歌にとって初めてのポケモンゲットの瞬間に立ち会えたことに、曜も喜びを感じていた。



「――ちょっとー!!!」


 そんな二人を切り裂くかのように、茂みの奥から声が聞こえてくる。甲高い喉を閉めたような、若い女の子の声だった。

 がさがさ、とこちらへ歩みを進めて来ているのがわかる。


 人とわかっていながらも少しだけ身構える。


 茂みの奥から出て来たのは、一人の少女だった。見慣れない服装をし、青黒い艶やかな髪の毛には枝や木の葉がいたるところに引っかかっている。拳を握りしめながら、勝気そうなツリ目に涙を貯めるその少女は、千歌に鋭い視線を向ける。



善子「あなた達が叫ぶから、ポケモンを逃しちゃったじゃないっ!!」


千歌「え、え?」


 叫ぶ、さきほどヤヤコマに襲われた際のこと、だろうか。

 茂みから出て来た少女は指の腹をぴしっと向け、あなたのせいなんだからっ! と強く指摘を始める。

曜「ご、ごめんなさい、そんなつもりじゃなくて……」

善子「ぐす……ヤミカラス、せっかく見つけたのに……」


千歌「ヤミカラスを捕まえたかったの?」


 ヤミカラスは夜になると活動を開始するポケモンだ。千歌は特訓に夢中になって気がつかなかったが、森の中の暗さが増している。日が落ち始めているという証だ。

 少女は今にも泣きそうで、自分達のせいでそんな状況を作ってしまったことに罪悪感が襲う。


曜「えっとヤミカラスってこの辺りじゃ珍しいの?」

善子「え、ええ……この辺りじゃこの森にしかいないみたいで」


千歌「そ、そうだったんだ……ごめんね」

善子「いいわよ、別に。また探すから……」

千歌「――て、手伝おうか!?」

善子「え……」

千歌「私達はまだこの街にいるし、手伝わせて! ね、曜ちゃん?」

曜「え? まあ、千歌ちゃんが言うなら」

善子「い、いいの?」

千歌「うんっ! 今から探す?」

善子「ごめんなさい……今日は帰らなくちゃいけなくて……」

千歌「そ、そっか……」

善子「あなた達、まだゲンカンタウンにいるって言ったわよね? それなら明日はどう?」

千歌「明日? うん、明日でもいいよっ!」

善子「本当に? なら明日の19:00頃にゲンカンタウン入り口で待ち合わせ、しましょう?」

千歌「わかった!!」

善子「ぜ、絶対来なさいよっ!」

千歌「行くってばー」

千歌「私は高海千歌! こっちは渡辺曜ちゃん!」

曜「よろしくっ」

善子「津島ヨハネ、よ」シュビッ

千歌「ヨハネちゃん? かっこいい名前だね!」

善子「そ、そうでしょ!」キュゥウンッ

善子「じゃあ私はもう帰るから!!」

 一瞬恍惚そうな表情を浮かべた少女は、すぐにゲンカンタウンの方に向かって走っていってしまった。一緒に帰ろうと提案をしようとしたばかりだというのに。

千歌「ヨハネちゃん……面白い子だねえ」

曜「どうする? 明日ジムに行ってから森の前で待ち合わせよっか」

千歌「そうだね! うぅ、ついにジムかぁ……」ワクワクッ

千歌「勝てるように頑張ろうねっ!!」

曜「うんっ!」

プルルルルルッッ

千歌「梨子ちゃんからだ!」

千歌「もしもしっ!」

梨子『あ、千歌ちゃん元気?』

千歌「元気だよー! 梨子ちゃんも?」

梨子『ちょっと寂しけど、元気です』

梨子『ちょっと伝えたいことがあるんだけど、いいかな?』


千歌「うん?」


◇――――◇

曜(何話してるのかなあ……)


 真剣な話をしていた時もあったのだろう。しかしそれが終わってもなお、梨子と千歌は電話での会話をやめなかった。


 森を出ようと曜が合図を送ると、こくりと頷いて、通話をやめるかと思った。しかしそのまま森をでて街に差し掛かっている現在まで通話は続いている。

 真剣な表情から一転、常に笑顔の幼馴染には自分のことなど、何も目に入ってはいなかった。


 遠く離れた、強くて綺麗で、尊敬出来る友達のことを。頼りにしているのだ。


 横に歩いているというのに急な疎外感に襲われる。


曜「はぁ……」トボトボ…


 そんな曜の気持ちを千歌が知るはずはない。


千歌「うん、気をつけるからっ、じゃあねー!」



曜「なんだって?」

千歌「なんかね、西木野博士の研究所が襲われたんだって。ポケモンが奪われたらしいの。私たちのポケモンも西木野博士が特別にくれたものでしょ? この子達結構珍しいし強いみたいでさ、狙われる可能性もあるんじゃないかって」

曜「……なにそれ」

曜「そういえばポケモンが奪われる事件があるってポケモンセンターのテレビでやってたよ、もしかして、それのこと……?」

千歌「多分それ!」

千歌「うぅ、なんか物騒だねえ……梨子ちゃんも気をつけてって」

 四天王、梨子が忠告するということは他のどんな情報よりも信憑性が増してくる。千歌達が知らない裏事情にも詳しいだろう。

 
 日が完全に落ちた夜道、梨子の気をつけて、という言葉が二人の脳裏にべったりと張り付く。それは夜の不気味な雰囲気により増長され、そして。


曜「……早めにポケモンセンターに戻ろうか……」


千歌「……そうだね」


◇――――◇

ゲンカンジム



にこ「だー……なによ、私が間違ってるとでも言いたいの?」


ダイヤ「そうやってすぐに答えを出そうという姿勢が間違っている、と言いたいのですわ」


にこ「ほんとに頭かちかちね、それならお勉強が出来ない方がマシよ」


にこ「私はアイドルであり、ジムリーダー! それにほら、お金なら問題ないでしょスポンサーもついて、黒字転換よ」


にこ「あんた達"ポケモン協会"はそのことしか考えていないものね」


 黒いスーツを着たポケモン協会からの若き使者、黒澤ダイヤはにこが提出した書類に怜悧な瞳を走らせる。しなやかな指で用意された書類を捲り上げては、目にかかりそうになる艶やかな黒髪を手で払いのけた。


 ポケモン協会は各地のジムやリーグを統率する機関であり、ポケモン全体の法律にも携わっている。例えば先のグラードンカイオーガの事例でいえば、ポケモン協会の下、災害対策がなされた。ジムリーダーや四天王の招集もポケモン協会が行なうことが出来る。


 ダイヤがにこの前に訪れたのは、ジムが不正を行っていないか経営状況はどうか、など、いわゆる監査の役割を遂行するためであった。

 
ダイヤ「今のあなたの発言は否定しておきますが、とりあえずは問題ないようですわね」


ダイヤ「ひとついいでしょうか、矢澤さん」

にこ「なに?」

ダイヤ「ポケモン研究の権威、西木野博士の研究所の件はお聞きになっていて?」


にこ「まあ一応、それがなに?」


ダイヤ「それ以外にも、各地で起きている有望なポケモン達の強奪。おそらく計画的に、それも団体として動いている組織があることは、間違いないでしょう」


にこ「そうでしょうね。あの、研究街のポケモンをごっそり奪うんだから相当な規模でしょうし。……警察の人たちにも聞かれるけど、私は何も知らないわよ。幸いこの町じゃ事件は起こっていないし」

ダイヤ「前と同じ、ですわね」

にこ「……」

にこ「――そうね」


ダイヤ「わたくしがポケモン協会で働き始めてから約一年……あることを調べて来ましたわ」

ダイヤ「そのことで、今度お食事でもしながらいかが?」

にこ「あんたとご飯? どうしたの急に、あれ、私のこと口説いてる?」

ダイヤ「真剣な話をしているの」

にこ「……な、なによ」

にこ「話なら今ここで……」


ダイヤ「できれば誰にも聞かれない場所が嬉しいですわ」

にこ「一体なんなの……?」

ダイヤ「……」


「――失礼します」


にこ「なに? 監査中よ、誰も入れないで……って……」


ダイヤ「っ……!!」


にこ「――え」

 空気中に緊張の糸が、張り巡らされる。にこは入ってきた人物が視界に入った瞬間、言葉が、呼吸が詰まる。


 扉から入ってきたのは、にこよりも背の低い少女だった。ベージュの髪の毛を眉上で切り揃え、はっきりと見える大きな翡翠色の瞳には、確かな自信が見て取れる。

 にこはその少女に二度程ジムリーダー絡みの仕事で会ったことがある。同い年の彼女は、底など無い大きな器が少し話しただけで、恐ろしいほどに、感じ取れてしまう。その感じ取れる部分も彼女にとっては浅い場所なのかも、しれない。


にこ「綺羅、ツバサ……」



 ――神童、綺羅ツバサだった。



 現オトノキ地方チャンピオン、すなわちオトノキ地方のトレーナーの中で極みへと辿り着いている彼女は、にこに対して申し訳無さそうにする受付嬢にぺこりと頭を下げた。

ツバサ「ごめんなさい、無理を言ってしまって」


「い、いえ……」


 ありがとうとお礼を言うと、受付嬢を扉の外に導いた。

ダイヤ「あ、あなたは……」


ツバサ「どうも、ポケモン協会、黒澤理事のご息女、ダイヤさん、であってますよね」


ダイヤ「覚えてらしたのですね……大変光栄ですわ」


 ダイヤとにこはツバサに対して身構える。いくら同い年であるとはいえ、現役チャンピオン、その存在感の強さに身構えないという方がおかしい。


 しかしダイヤの身構え方は、それにしては少し異常な気さえした。


 にこもかつてはチャンピオンになる夢を抱いてはいたが、ツバサの戦いを見た次の瞬間にはその夢を諦めていた。それほど圧倒的であった。11歳という若さでチャンピオンに君臨し、現在まで約六年もの間王座を守っている。神童と呼ばれ、当時は様々な論争が巻き起こった、すぐに負けるなど、ふさわしくない等。そんな様々な周囲の声を断ち切ったのは、その圧倒的なポケモントレーナーとしてのセンス、そして達観したかのような、誰もが憧れ惹かれるカリスマ性……。どれも常人には持ち合わせていないものだった。


 ツバサは正確には一度、チャンピオンとして公式戦にて敗北をしている。少女同士の、ポケモンバトルの極みとも言えたその熱戦は、伝説の一戦と、呼ばれ今でも語り継がれている。制したのはツバサではなく、もう一人のトレーナーだったが、チャンピオン正式決定の直後に失踪。そのトレーナーに代わり、ツバサは現在もチャンピオンを続けている。


ツバサ「お世話になっていますから」


 にっこりと笑うと、美しい顔立ちをしているのがすぐにわかる。ずっと通った鼻筋、透き通るようなエメラルド色の瞳は目を合わせた者をことごとく魅了した。多数の場所で講演を行い多忙な彼女だが、ここまで成功を収めているのはその美貌がそこ支えしていると言っていいだろう。


 続けてにこに視線を移すと、ダイヤの時に見せた少し硬い笑顔から、ふわりと花が咲いたかのような柔らかい笑顔が浮かぶ。この笑顔に魅せられ、男女問わず人気を得ているのは、にことしては少し気にくわない。自分も、目の前の少女に少し胸が高鳴ってしまうのも……今となっては、気に食わなかった。


 にこは元々、綺麗ツバサのおっかけであり、ファンだった。実際に話してみて感動もしたし、かつてないほど胸が踊ったことを覚えている。しかし、今こうして話すことに抵抗があるのは……ツバサの底知れなさが、不気味になってしまっているからだ。表面上は何も問題がないのに、どこか深いところで、何かを考えているような、そんな感覚。それに飲み込まれてしまうような。


ツバサ「久しぶり」


にこ「……急にどうしたのよ、あなたアローラから帰って来てたの?」


ツバサ「ええ、中々充実していたと思うわ、色んなパイプも作れたつもりだし……」

ツバサ「面白いポケモンもたくさんいたし。少しずつこっちにもアローラ産のポケモンが入って来ているとはいえ。……本場はやっぱり――中々興味深いものね」クスッ

ダイヤ「ツバサさん」

ツバサ「呼び捨てでいいわよ、同い年でしょう?」

にこ「あー無駄よ無駄、この子頭がはがねタイプなの」

ツバサ「ぁぁ……なるほど」

ダイヤ「変なことを言わないで」

ツバサ「ジムリーダーに三人、四天王に二人、同世代の女の子が増えてくれて私だって嬉しいの。今度女子会でもする?」

にこ「……アローラの熱気にでもやられた?」


ツバサ「失礼ね、私だって彼氏の一人くらい居てもいいと思わない?」

ツバサ「数年前……海外の地方で初めて発現した――メガシンカ、それだけでも衝撃だったのに、同時期海外のポケモンリーグで男性トレーナーのゲッコウガにキズナ変化、と呼ばれる現象が起き、そしてここ日本でも三年前のポケモンリーグでそれを扱う者が現れた……」


ツバサ「次から次へと、全く勘弁して欲しいわよね」


にこ「でもどうせどんな人が来たって、あなたは手持ち一体で全抜きにかかるんでしょ」


ツバサ「当たり前でしょ、でもそうすると怒られるのよテレビのスポンサーとかから」


ツバサ「三年前のキズナ変化を使う女の子、あの時私が裏でどれだけ怒られたと思う? いくら試合時間が20分だったからって、納得できないくらいこっぴどく怒られたの」

ダイヤ「あの時は……新しい現象として、マスコミにも注目の的でしたから。どれだけの強さなのかそしてそれを使うのは若い女の子、注目しない訳がありませんわ。それをあなたは、一瞬で……」

ツバサ「あんな新しい現象を目の前で見せつけられて……燃えないわけないから、手加減なんてできなかったの」

ツバサ「こっちは真剣なの、挑戦者だって真剣でしょう? 手加減なんてしたら失礼だもの」

にこ「まあそうだけど……流石にあの時のはやりすぎよ、あのトレーナー、あなたにコテンパンにやられたのがショックで、もうポケモンバトルしてないって噂らしいけど」

ツバサ「……それなら、それまでだったというだけでしょう?」


ダイヤ「……」


ダイヤ「時に綺羅さん……近頃よくアローラへ行ってらっしゃるようですが……何か目的でも?」


ツバサ「目的? そんなの新しいリーグの視察よ」

ダイヤ「……そうですか」


ダイヤ「――ウルトラビースト」ボソッ…


にこ「?」


ツバサ「……」



ツバサ「なあにそれ? 映画?」


ツバサ「ちなみに、私のオススメの映画はね――」

にこ「それよりツバサ、あなたどうしてこんなところにいるの? 忙しいんじゃないの?」


ダイヤ「……」

ツバサ「まあ、忙しいけれど……今日はちょっとね」


ツバサ「監査の途中なのにごめんなさい。私はそろそろ失礼させて貰うわね、ワガママに付き合って貰ってありがとう」


ツバサ「また会いましょう、黒澤ダイヤさん」


 頭を少し下げると、扉の外へ出て行った。

にこ「嵐みたいな人ね、ほんとに。暇じゃないでしょうに……結局何しに来たのよ」

ダイヤ「……」

にこ「どうしたの?」

ダイヤ「いえ」

にこ「そういえば知り合いだったのね」

ダイヤ「親が協会の理事ですから……少しだけ話しただけなんですの」

にこ「ああ、パーティにはあなたも来ていたわね」

ダイヤ「ええ」

ダイヤ「先ほどの話に戻します、今日の夜……森にて落ち合いたいのです」

にこ「話がわからないわ」

ダイヤ「お願いです、あなたしかいないの」


にこ「……わかった、後で連絡するわ」


にこ「これからジムの予約が入っているの」

ダイヤ「そうだったのですね」

にこ「早く終わらせたかったとかじゃないんだから」

ダイヤ「本当だったら減点よ」

にこ「勘弁してよ」

ダイヤ「またあの趣味の悪い公開試合ですの?」

にこ「いいえ、今回は違うわ」

にこ「今日の相手は、ジムバッジゼロだから」


ダイヤ「ああ……なるほど。わたくし達も、そんな時代があったのも、懐かしく思えますわね」


にこ「そうね……」


にこ「私は好きなのよね、ジムリーダーになってそんなに日は経っていないけれど、ジムバッジゼロの挑戦者と対戦をするのがね」


にこ「目の輝きが、違うから」


ダイヤ「……そうなんですの」


 ジムバッジゼロの挑戦者用の棚に収められているいくつかのモンスターボールの中から二つを選んでポケットの中に放り込む。

 初のジムリーダーということで挑戦者へと与える影響は大きい。つまり最も責任がいる仕事であるとにこは自負している。昔の自分を思い出して、気を引き締める。

にこ「あー、このポケモンレベル上がりすぎてるわねー……ダイヤ、いる?」

ダイヤ「いりませんわよ、ちゃんと育てて二つ目のジムバッジ用ポケモンにしてください」

にこ「はぁ……わかってるって。もう、ほーら、帰った帰った。また夜ね」


ダイヤ「全く、そこまで急かす必要がありますの?」


にこ「あんたは裏方でしょ、主役は挑戦者、そうよね?」

ダイヤ「言いますわね、では……また夜に」


 夜。人気の無い森の中でしか話せない内容、おそらく、重要なことだろう。そしてその内容に、なんとなく気がついていた。自分が知らないはずだった世界を知らされる時が来たのかもしれない、と……過ぎ去ったことに想いを馳せる。


にこ「よしっ」


 気合を入れてイスに着座。タブレット型の端末にアクセスし、予約が入った挑戦者のデータに目を通す。


 トレーナー番号××××××××
 ジムバッジゼロ
 渡辺 曜(16)
 出身地 ウチウラタウン


 大きな瞳、毛先に緩くウェーブがかかった燻んだグレーの髪の毛の持ち主。快活そうな印象が写真からでも伝わってくる挑戦者であった。


◇――――◇


千歌「アチャモ! すなかけ!!」


 番人、矢澤にこが守るジムのバトルコートは土の上に細かい砂が敷き詰められている。ジム戦を終えた曜との話し合いにより、ここがその性質を持ったバトルコートであるということを知っていた。特に何も考えず感覚でポケモンバトルをするだけではジムリーダーは突破出来ない。そんな千歌の考えは、戦闘中の戦略を練るという結論に至った。


 千歌の指示が広い会場の中に木霊する。現在この会場の中にいるのは審判、千歌、にこの三人だけである。エキシビションマッチのように見世物にすることはなく、正確な力を計測するというジムリーダーの計らいらしい。それもジムバッジゼロのトレーナー限定で、バッジが増えていくとともに観客を解放していき、より厳しい環境、アウェイでのポケモンバトルで実力を見るという制度になっている、という説明を試合前に受けていた。


 この矢澤にこ、というジムリーダーは二つの面を持ち合わせているらしい。千歌が最初に見たときのように常にハイテンションかと思いきや、バトルの説明はきちんとしているし、本来はこっちの方が矢澤にこなのかも、しれない。



 アチャモは千歌の考えを汲み取り、にこの一体目、プリンに向けて砂を投げつける

にこ「目を閉じなさいっ」


 アチャモの両脚から放たれた小さな砂つぶのかけらは、プリンの閉じられた瞳に降りかかる。本来は命中率を下げる技だが、そのために使われることは少ない。目を閉じるだけで対策が出来てしまうし、他の技で簡単に振り払うこともできる。にこの豊富な経験からすれば、この最適解は目を閉じさせることではなく、命中率が下がらず、かつ物理攻撃に対する対策も出来る"まるくなる"だろう。そうしなかったのは、ジムリーダーとしてバッジ初心者がどれほどポケモンの心得を持っているかを見極めるため。


 にこのプリンと千歌のアチャモではレベル差があるが、それを覆すほどトレーナーとしての技量の差は大きかった。本気、を出してしまえば確実にジムリーダーのにこに軍配があがる。


にこ(どうくる……ここでひのこ?)
 

 次の動きを警戒。


千歌「続けて! ――空!!」


 千歌は天高く指を突き上げると、アチャモも連動するように宙へと飛び上がる。


にこ(近接攻撃!!)


 つつく、いや、ひっかく……爪か嘴か、その動向にプリンは大きな瞳を見開く。


にこ「迎え撃って! はたく!」


 まん丸の身体より小さく生えている腕をぐっと引きしぼり、真上より落下してくるアチャモへと狙いを定める。瞳を、大きく見開いて。アチャモは真っ逆さまに嘴から落下してきている、体勢の整わない空中でプリンのはたくをその小さな身に受ければ大きなダメージに加え、隙が出来てしまう。その隙が出来たら、プリンの歌がアチャモを襲う結果になる。にこはプリンの1番の武器を後に持ってくる選択をしたのだ。


『ぷりっ……!』


 プリンの歌を聴いた者は、ものの数秒で眠りについてしまう、という。必勝の子守唄への繋ぎ、迎撃の体制が万全であったはずのプリンがよろめく! 大きな瞳に、小さな手を当て、瞳への異常を訴えている。


にこ「なっ!」


 その隙は一瞬であった。しかし確実に視界が奪われ、判断出来なくなってしまった隙は生まれている。


 対する千歌は、それを狙っていた! 確信めいた指示が、勢いにのってアチャモへと伝えられる!


千歌「アチャモ! ひっかくで決めて!!」


 嘴から落下していたアチャモは器用にくるりと180度回転、空中からの位置エネルギーを利用した必勝のひっかく! 人間ならかかと落としに分類される打撃技は、アチャモの鋭い爪により、鋭撃へと変化する。


 くるりと回転した反動で放たれたその一撃は、よろめくプリンの眉間を切り裂いた!!



『ぷり……ん』

 
 眉間に大きな傷が出来たプリンはその瞳を驚愕の色に染め上げた後、静かにその場に倒れこんだ。


千歌「や、やった……!」


 きゅうしょにあたった!!

 アチャモは千歌の元に駆け寄り、ぴょんぴょんと飛び跳ねて喜んだ。


にこ「……お疲れ様、プリン」


 赤化の光線がプリンを包み込み、モンスターボールの中へと戻っていく。プリンのモンスターボールをホルダーに入れ直すと同時に、もう一つのボールを手に持つ。


 千歌もそれを察して、緩んでいた表情をぐっと引き締める。今のは一体目、次のポケモンが今のジムリーダーの切り札だ。

にこ(悪くない……)


 次のポケモンを出すこの間にこは、先ほどの一連の動きを考察していた。


 プリンがあそこでよろめいたのは、すなかけの影響。一撃目のすなかけは陽動として素直に受け取って、そのまま攻撃に移ってきたのだと思っていた。しかし、千歌は二撃目のすなかけを放っていた。


千歌『続けて! 空!!』


にこ(あの時か……)

 おそらく、「続けて」と「空に」という指示は独立した二つの指示だった。続けてと言った時にすなかけ用の砂を掴み、空へ飛び上がって攻撃の準備へと移った。砂は飛び上がって頂点へ達した時に上から落とすようにして既に放たれていたのだろう。

 すなかけという指示を出さずとも、一連の流れで暗号のように、プログラムされている。優れたトレーナーならば当たり前のように実行することだが、それにはポケモンとトレーナーとが通い合っていないと上手くはいかない。攻撃の度技の指示をしていたのではレベルの高いもの同士になるとどうしても読まれてしまう。そうさせない程ポケモンを鍛える、という荒技を行使する人間も中にはいる、が。


にこ(うん、このままくれば)


 プリンがやられたことに、少しだけ嬉しさ、そう、満足感とも言えるものを感じる。自分が一つの壁となって、それを乗り越えて行ってくれることの、達成感を。


千歌(よしっ!!)


 千歌の手持ちポケモンは一体。森で捕まえたヤヤコマはすぐに実戦投入するには連携が取れず、難しかったためだった。


 すなわちポケモン一体だけでの挑戦。アチャモが破られたら終わり、そんな状況で……エースとの対決だ。




千歌(大丈夫……曜ちゃんだってワニノコ一匹で勝ってみせたんだ。私だって……!)

 ジムの待合室でそわそわと結果を待つ千歌に対して、ホールから出てきた曜は、満面の笑みを浮かべて「勝ったよ!」と一言。新品のバッジを千歌の目の前で輝かせていた。曜の笑顔もいつもより輝いて見えて、千歌自身も心の底から祝福をした。

 小さい頃からの夢、それが身近になった気がしていた。


 舞い上がった砂塵が唇に付着し、乾燥が加速する。喉もからから、それは心理的な問題によるところだろう。真一文字に引き結ぶ唇から舌をちろりと覗かせて潤わせる。

 勝つ。

 勝つ。


 絶対勝つんだ。初めてのジム戦、きっと姉達も曜ちゃんも梨子ちゃんも果南ちゃんも応援してくれてる。散々わがままを言ってきた過去を思い出し、支えられて今、ポケモントレーナーの夢に挑戦している。



千歌(――こんなところで止まってられない!!)



にこ「お願い、エルフーン!」


千歌「!!」


『えるぅっ!!』

 モンスターボールから出現したポケモンは、一番最初にこのホールで見たポケモンと同じだった。大きな存在感をもふもふの綿を揺らしながら、宙をゆらゆらと彷徨ったあと、地にふわりと着地した。

千歌「エルフーン……よし、タイプ相性はばっちり……!」

 矢澤にこ、タイプフェアリーのエキスパート。炎タイプのアチャモはフェアリータイプの技が効きにくいため、有利に試合を運べるという予測だった。加えてにこのエルフーンは草タイプ、これ以上ない条件に、勝利の扉が、見えた気がした。


にこ「いくわよ!!」


にこ(どうでる……)


千歌「すなかけ!!」


にこ(おそいっ!!)


にこ「エルフーン――やどりぎのたね、しびれごな!」

千歌「!?」


 アチャモはその場で足を掴み、すなを投げつける。すなかけを陽動とするのは千歌のパターンであり、自信を持っている。ということは逆に――それしかパターン化されていないことはなんとなくわかっている。


 エルフーンは一度宙に向けて口から何かを吐き出す。そして間髪入れずに身体を左右に振ることで、綿をもふもふと揺らし始める。エルフーンの周囲には少し黄味がかった粉末がゆらゆらと炎のようにゆれている。

千歌「ここまで距離があるのに……それにやどりぎのたねはどこに……」


 アチャモのすなかけが発動するよりもさらに早く、エルフーンは指示された技を連続、かつ高速で繰り出してみせた。千歌はしびれごなに気を取られ、すでに一つ目の技に意識が向いていない。


 しびれごなは危険、千歌が修行を積んでいた森ではしびれごなやねむりごな等危険な粉を使うトレーナーもいた。それらを吸い込んでしまうと人間でさえも危機的な状況に追い込まれてしまうものだ。


 エルフーンが放ったしびれごなは空調に乗ってゆらゆらと辺りに舞い始めている。


 予想をしていたわけではないが、千歌はその対策をしていたつもりだった。すなかけを牽制にすることで、しびれごなの膜を砂が払い落とし、突破口を見出せる。


千歌(エルフーンは草、フェアリータイプ! つまり炎がよく効く! ひのこで……!)


 舞い上がった砂塵がしびれごなを包み込むようにして地面にはたき落とす。開いた、勝利への突破口が!!


千歌「ひの――」






にこ「――ようせいのかぜ!!」

 千歌の髪の毛がふわりと揺れる。空調はそこまでの強さで効いてはいない。だとしたらこの風は……。


 千歌が気がついた時には、瞬間の突風と化した空気が――アチャモの小さな身体を押し返していた。それがエルフーンの放ったフェアリータイプの技であると気がついたのは、アチャモが動こうとした時、そして痺れたような表情を浮かべた時だった。


千歌「しびれごな……!?」

にこ「……」

 にこの口角が、微かに上がったのを千歌は見逃さなかった。すぐにアチャモに視線を移すと、見るからに動きにくそうに脚を伸ばしている。


 有利であった状況が、一転して不利になったことを千歌は認識している。アチャモはしびれ状態になってしまっているのだ。しびれごなを多量に自分の周りに撒き散らし、エルフーン自身が吸い込む前に、ようせいのかぜによるリーチ無視のしびれごな。――油断した。

 今までのトレーナー戦ではこんなことをしてくるトレーナーはいなかった。いくらようせいのかぜがフェアリータイプの技で、ダメージが少ないとはいえ
危機的な状況になってしまったのには変わりない。これが……。



千歌「ジムリーダー……」

 一体目のプリンを下したことで、若干油断していたのは本人が一番わかっていた。だからこそ気持ちを締め直したつもりが、予想通りのエルフーン……タイプ相性ばっちりの組み合わせに、締めた兜の音がほつれてしまっていた。


 ごくっ……。嚥下する唾液すらも、今は重い。大丈夫、大丈夫だと、悪い意味で高鳴ってきている胸を落ち着かせる。ジムリーダー、にこの放つ重圧が、これまで経験したことのない千歌の精神を削っていく。


千歌(こっちは麻痺しただけ、体力はようせいのかぜを受けたくらい……ダメージも小さいはず)


にこ(さあ、どうくる……)


 じり、じりり……と両者が静かなホールの中で距離を縮めていく。

にこ(来ないなら!!)


にこ「エルフーン!! ようせいのかぜ!」


 ぷっ、とエルフーンは口を少し尖らせて宙に何かを解き放つ。しかしすぐに口を大きく開き、アチャモを襲った突風、ようせいのかぜを、吐きつける!!


千歌「ぐぅっ!」


『ちゃ、も……』


千歌「ふんばって!!」

 鋭利な爪を砂塵が敷きつめられる土のコートに食い込ませ、突風の中で体勢を保ち続ける。

 短い突風の中で千歌は状況の打開の為に思考をフル回転させていた。ようせいのかぜが吹かれる中で、ひのこで対抗するのは少し辛い。ダメージが大きくはないとはいえ、連続ダメージ、そしてリーチ無視であるからこれ以降も何発かは食らってしまうだろう。やはりアチャモが接近してひのこを放ち、それを致命傷とさせるしか、ない!

エルフーン『ふぅん……』


千歌「……?」


 突風が止むと、エルフーンはその場で小さな身体を全身で使って、空気を取り込む姿勢が見て取れた。それは息継ぎ、反動が少ない技とは言え、連続で使い続ければその限りではない。


 ぜえぜえと息を荒げるエルフーンを見て、千歌は叫ぶ。


千歌「思いっきり近づいて!」


 アチャモは動くたびに痺れが走る。それでも精一杯の力を持って、エルフーンとの距離を縮める。


にこ「ようせいのかぜ!」


 宙に何かを吐き出す、それに千歌は気がつかないが、ようせいのかぜ自体を打ち破る策略は完成していた。



千歌「ひのこ! 身体の中でめいっぱいためて!」

 突風が巻き起こる。砂塵でぎしぎしになった髪の毛が暴れるのを押さえ付けて、アチャモの様子を見守る。この場面を打開するには、同じく遠距離攻撃であるひのこに頼るしかない!


 ひのこを身体の中でめいっぱい貯めることで威力と速度を上昇、エルフーンの風が弱まったその時に――。


千歌「いっけぇ!!!」


 ぼぅっ、と空気を切り裂く烈火の塊。およそ小さなひよこの身体から放たれたとは思えない塊が、千歌の想いを乗せてエルフーンへと迫る!!

 ぜえぜえ、にこのエルフーンも状況はわかっていた。しかし、連発した技の影響で身体の中の空気が足りない、にこの叫ぶ声も、エルフーンの身体を動かすまでには至らない。


 そして千歌の想いは、エルフーンの綿を焼き焦がす。


 こうかはばつぐんだ!


にこ「くっ……」


にこ(速度と威力をあげたひのこ……っ、タイプ相性が悪いわ……っ)


 小さく叫んだエルフーンの鳴き声が、千歌の耳にははっきりと届いていた。その残響が残る中で……。


千歌「"つつく"!!」



 最後の一撃。綿が焼けこげている事態にパニックになってしまっているエルフーンは、もうにこの指示を聞いている余裕はない。アチャモが放つ"つつく"は、当たればこうかはばつぐん。同レベル帯に置いて、2度も相性の悪い技を直撃して、戦闘状態にあれるはずがない!


千歌(これで、勝ち!!)

 勝利の扉が見える、そして、開きかける。番人が斧を置き、身を譲る。横には親友の曜がいて、「勝てたね」なんて言って笑いあって、一緒にその扉の向こうへ……そんな、そんな光景が見えた――気がした。


 詰みの一手を放たれたはずのにこだが、その瞳では静かな炎を燃やしていた。状況を分析、その結果、瞳に映るのは――アチャモがしびれによって動けなくなっている、光景。



千歌「え……アチャモ!!」



 アチャモの脚は止まっていた。全身を襲う痺れがピークを迎え、ここにきて、技をも繰り出せなくなってしまったのだ。


 しかし千歌は動揺をすぐに吹き飛ばす!


 痺れが走っただけ、目の前のエルフーンはいまでもあわあわと綿を抱えながらジタバタとしている。動けないならば、狙いすましたひのこで――。





にこ「――お疲れ様」





『ちゃ、も……』バタッ…





千歌「……え?」

 にこが少し目を細めると、ふっとため息一つ。千歌は呆然失然、目と口をまん丸の形にしながら……アチャモが倒れ行くのを、見ていることしか出来なかった。


「アチャモ、戦闘不能! 勝者、ジムリーダー!」


 見えていた景色。その向こう側の景色は、番人によって、再び、閉じられた。向こうへ行ってしまった親友、取り残されてしまった自分。


 赤線が未だ慌てるエルフーンを包み込むと、そこに相手のポケモンはいない。審判の無情なる判定。


千歌「まけ、た?」


千歌「なん、で?」


 千歌には訳がわからなかった。序盤の主導権はにこにあったが、後半の攻撃で流れを一気に変えでやったつもりだった。


 負けた事実を受け取められないでいる千歌は、アチャモによたよた、と歩みを進めていく。



 近くにいってみると――。



千歌「これって」


 アチャモの脚、アチャモの背中、お腹、細く深い緑のツタが巻きついていることに気がついた。まるでそれは毛細血管のようにアチャモの身体に食い込んでおり、さしずめ、呪いのようでもあった。



にこ「――やどりぎのたね。ようせいのかぜを吐き出す時にほとんど同時に吐いていたのよ」


 奇しくもそれは、アチャモがプリンを破ったのと同じように、一連の動きとして記憶させていたものだった。最序盤にしびれごなで距離を取らせ、やどりぎのたねを吐き出しておき、それをようせいのかぜで相手に植え付ける。


にこ「最初からあなたのアチャモはじわじわと体力が削られていたって、わけ」

千歌「で、でもっ! そんなに早く技を出す余裕なんて……」


にこ「……とくせい、いたずらごころ……やどりぎのたね、しびれごなみたいな補助技の出が早くなるの。攻撃技よりもとにかく早いからセットで出していたのよ。しびれごなと違ってわかりにくいしね」


 千歌がアチャモの頭を抱き寄せると、アチャモの身体に巻きついているツルは3個の種が中心となって這い出て来ているようだった。


千歌「3個……」


千歌「ようせいのかぜを打つ度に、やどりぎのたねを……?」


にこ「ええ、私がジムバッチゼロの相手に必ずするパターンよ」


にこ「相手をよく見ること。それがポケモンバトルでは何よりも大切なの、だから私は最初にやどりぎのたね、と叫んだ。そこで気がつければ良かったんだけど……あなたには出来なかった」


 にこの言葉一つ一つが、刃のように突き刺さる。



にこ「――惜しかったわね。……出口はあちらよ、お疲れ様。またの挑戦を、待っているわ」

千歌「っ……」


 出口へ向かって手を差し伸べるにこを、千歌は溢れそうな涙を溜めた目で見据える。



千歌「――ありがとう、ございました!」


千歌「ぐす……」


 腰が折れそうな程頭を下げる千歌。そして出口へ駆けていく彼女の目からは、涙が溢れていた。

 時々、いるのよね、と想いを巡らせる。負けて当然と思える人が想像以上に多いこの世界、それでもああやって本気で悔しそうにする人もいるのだ。



 ああいう人がいるから自分はここで待っている、と結論を出してからにこは同伴していた審判にボールホルダーを預ける。


にこ「治療をしておいてください」


 審判が事務所へと戻っていく。


 あの少女は、また自分の所へ来るのだろうか。太陽のような輝きを見せてくれた少女、にこの記憶の中にある人物と、よく似ていた。ただ、その記憶の中の人物と決定的に違うのは、ポケモントレーナーとしてのセンスは並でしかない、ということだろう。


 高海千歌、それと……。


にこ「渡辺曜、だったかしら……友達らしいけど……あっちはすごいセンスね」

 千歌の前に闘った挑戦者である渡辺曜。四天王梨子同様、にこの目にも特別に映っていた。状況判断能力、空間把握能力、指示の的確さ……いずれにしても優れていると、きっぱり言える。


 曜と対峙した際のにこの手持ちは、先ほどと全く同じ。プリンはすぐに沈められ、エルフーンのやどりぎしびれごな戦法も、水を利用され、ほとんどが無意味に終わった。タイプ相性が何の意味を成さないまま、にこは敗れていた。


にこ「ああいうのも、時々いるのよねー」


 千歌と違った点は、とにかく勝つという欲望に、溢れていたこと、だろうか。誰でも持っているものだとは思うが、にこの目から見て、やはり少し異常染みていたように感じた。


ツバサ「――お見事」


にこ「は?」


 ホールの立ち見席の端の端、誰もいないはずの場所に、その人は居た。パチパチと手を叩きながら、バトルコートへの階段を降りてくる。


ツバサ「容赦ないのね、かわいそうに」


にこ「あなたには言われたくないんだけど」


ツバサ「それは傷ついちゃうわ」


ツバサ「さっきの子、ちょっと高坂穂乃果さんに似てると思わなかった?」


にこ「っ……そう、かもね」


にこ「まあセンスは、全然違うけど」

ツバサ「それはそうよ、流石に一緒だったら私が困っちゃうわ。また負けちゃうじゃない」

ツバサ「あの人が行方不明にならずに居てくれたら、何か変わっていたのかしら……」

にこ「……」



ツバサ「あと、その前の渡辺――」



にこ「いつからいたの?」

ツバサ「んー、最初からね。途中テレポートで抜けたりしてたんだけど……」

にこ「……勝手に入らないでよ全く」

ツバサ「たまたま空き時間が出来ただけなの、気にしないで」

にこ「今度は何をするの?」

ツバサ「オハラのご息女さんと会食なの、ちょっとテンションが合わないんだけど」

にこ「なるほど、大変ね」

ツバサ「ダイヤさんはもう帰っちゃった?」

にこ「ええ」

ツバサ「残念。あの人オハラのご息女さんとお友達らしいの、人間のタイプは正反対なのにね。今日は接し方をどうしたらいいか聞きに来たのに」

ツバサ「いないなら用はないわ……じゃあ、また今度、ちゃおーって、あ、これは練習ね」


にこ「……?」



にこ「勝手なやつね……」


◇――――◇


ポケモンセンター 個室



曜「そっか……」

千歌「あはは……まあ、仕方ないかな……」

千歌「ほ、ほら千歌だしっ……曜ちゃんみたいに、なんでもできるわけじゃ、ないし……さ」


 曜は千歌と同じように、ジムのホールで時計とにらめっこをしながらバトルが終わるのを待っていた。心配ではあったが、信頼をしていた、きっと勝って、最高の笑顔を見せてくれるのだ、と。


 しかし現実、ジムのホールから出てきた千歌の笑顔は、限りなく曇っていた。笑ってはいたのだ、それでも目に涙をいっぱいに溜めて真っ赤にしながら「負けちゃった」と微笑む姿は、痛々しいものだった。


 まさか負ける、だなんて。


 曜の知る限り、千歌は昔からポケモンのことが好きで絶対にトレーナーになってチャンピオンになるんだって、言って聞かなかった。千歌が本当に好きなことだと知っていたから、曜は自分だけが勝ってしまったことに、申し訳なくなってしまう。千歌と同じ、横一線で旅に出たはずだった。しかし、この最初の段階で既に――曜は千歌の前を、進んでしまった。二人で同じ景色を見るどころか、曜だけ、ジムバッチという新しい証でその先を照らし始めて、しまった。

 ポケモンセンターに戻った千歌は相変わらず元気が無く、曜への素直な賛辞と共に、自分への強い劣等感を募らせていた。何をやっても曜よりは出来ない自分、周りと比べて特別劣っているわけではなくても、そんな存在がすぐ近くにいる。かっこよくて、強くて、そんな存在が自分のために、余計な時間を使ってくれている。千歌は、そう考えてしまう。


 千歌は完敗、だったのだ。

 冷静になって考えてみると、あのやどりぎは最初から仕組まれていて、トドメを刺そうとしたつつくが当たっていたとしても、やどりぎの回復力により、敗北していただろう。


 対して曜は、完勝。その違いは、歴然たるものだ。



曜「……やめないよね?」


千歌「え?」


曜「挑戦、またするよね?」


千歌「あ、当たり前だよっ!! でも、さ……」


 千歌は俯くと、握りしめた拳にぽつ、ぽつと、涙を、落とし始めてしまう。


曜「え」


千歌「悔しいなって……一回負けただけ、なのにさ……っ」

 次の瞬間には、千歌は曜に抱きつき……嗚咽を漏らして、涙を流し始めた。何かが決壊してしまった。今までは乾いた笑いを出せば住んでいた心の安寧が、それだけでは済まなくなっていた。


 曜は驚きながらも、少し安心している。高飛び込みの代表クラスの彼女は、悔しさの重要性を誰よりも分かっているつもりだった。千歌の親友として、ここまでの悔しさが溢れ出ているのは初めてのこと。つまり。


曜(本気だったんだね……)


 バトルコートの砂が髪の毛に入り込んでしまったのだろうか、頭をなで付けるとぎしぎしと引っかかる。頑張った証だね、と柔らかい声色で語りかけると、千歌は泣き止むどころか、より勢いを増して、曜を抱きしめる。


千歌「ひっぐ……ぅぅぅ、ごめん、ね……わたし、ぜんぜん、だめ、でっ」


 共に悲しむのと同時に、曜の中に違う感情も芽生えていた。ここまで頼られるのが、嬉しい……こんなに自分のことを頼ってくれる……。半分歪んだ、固定された者への承認欲求が、顔を出し始めていた。本気の感情をぶつけられたことがとにかく、嬉しくてそして――心地よかった。


 思えば、千歌がポケモントレーナーになれるかもしれないという夢を吊り下げられてから、頼っていたのは自分ではない。自分より遥か天上の世界にいる、梨子や果南、曜のことを見ていたことは無かった。


 それならば、強くなれば。彼女達と同じ、それ以上に強く、なれば。


 横一線でなくてもいい。


 自分が誰にも負けないくらい強くなって、強くなって、強くなって……千歌より前へ行くことで、そうすれば、さらに千歌のことを支えられる、千歌に頼って貰える。


 曜が旅の初めに見出した答えは、千歌に依存する芽。


◇――――◇





善子「――おそいっ!」


曜「ごめんごめんっ! ちょっと色々あって……」

千歌「ほんと、ごめんねっ」


 時刻は20:00。待ち合わせ時間より一時間程も遅れて、昨日知り合った二人はやってきた。


 善子は一時間以上も森の入り口で待ち惚けていたのだ。目当てのポケモンが逃げてしまっただけでなく、待ち合わせにも遅れるという二重の罪を背負った彼女達が現れたら、どれだけ罵声を浴びせてやろうか考えていたら、一時間が経っていた。


 灰髪の少女が大きく頭を下げると、続けてみかん色の髪の毛の少女も、同じようにして謝罪を始める。

善子「ぅ……」


 真正面から言い訳もせずに謝られ、こちらが悪いことをしている気分になってしまう。


 別にいいからっ、とぶっきらぼうに言い放つとみかん色の少女……高海千歌が、ありがとう! とキラキラした笑みをぶつけてきた。


 大きくて愛らしい綺麗な目元付近が、腫れていたのに善子も気がついた。灰髪の少女、渡辺曜が言っていた、色々あって、というのは本当らしい。


善子(か、関係ないわよっ! 悪いのは向こうなんだから、とことん使ってやるっ!)


 いちいち相手のことを想ってしまうクセは本来の名前の由来か、善子は遠慮しかけた思考を振り戻す。


善子「浅いところよりも、深いところの方が見つかりやすいと思うのっ!」


曜「でもヨハネちゃん……戻ってこれる?」


善子「大丈夫よ流石にそこまで奥には行かないから」

◇――――◇



21:00


にこ「はぁ、なんで仕事終わりにこんな森の中に来なくちゃいけないのよ……」


ダイヤ「……この辺りでいいでしょうか」

にこ「せっかくこんなところまで来たの、それなりの話なんでしょうね」


ダイヤ「ええ……わたくしは、さきのオトノキ地方を揺るがせたポケモン大量誘拐。それに対抗したと言われている高坂穂乃果、およびその仲間達、その中にあなた、矢澤にこがいたのだと、確信を持っていますわ」


ダイヤ「犯人は当時の理事協会の長。表には出ず、裏で処理が行われた」

にこ「……」


にこ「……どこで調べたのかはわからないけど、残念ながら私はその中心にはいなかった。今より、弱かったから。当時の状況はほとんど知らない。誰と戦っていなかったのかもよく分かっていないわ」


ダイヤ「……なるほど」


にこ「これだけは言っておくけど、多分、私達みたいな子供が対抗していいようなことじゃない。あなたの正義感は分かるけれど、手を引いた方がいいわよ」


ダイヤ「……高坂穂乃果、神童と呼ばれた綺麗ツバサを破り、一躍時の人となった。しかし、その数日後、行方不明……あなたも知っている通り、裏では死んだ、という結論に至っている」


にこ「あの子のことは……あんまり話したくないからやめて」

ダイヤ「そう、その状況を作ってしまった人物は、おそらく――綺麗ツバサ」


 鬱蒼と茂った樹木の中心で、ダイヤの放った言葉は弾丸のようににこの耳を貫いていく。


 一瞬何を言ったかわからず、ダイヤに向けて大きな声で返してみせる。


にこ「そ、そんなわけっ……」


 そう、綺麗ツバサのファンであった過去は簡単には拭い去れない。今でこそ面と向かって話すことが億劫に、半ば恐怖となりつつあるにこだが、ツバサに対しての敬意だけは忘れていない。チャンピオンとして、あそこまで人を惹きつけることが出来るその才能は、誰もが羨むもの、そんな人が、高坂穂乃果失踪の原因、つまりポケモン大量誘拐の事件に関わっている、と?


 にこは当時の状況、二年前のことを思い返してみる。


 各地でポケモンの強奪が相次ぎ、結局どのポケモンも戻って来なかったその事件。ことの顛末は当時のポケモン協会理事の行いであるとされた。当時のポケモン協会理事は自殺をし、遺言にはポケモンを、兵器として改造し、出荷したのだと、記されていた。

 ポケモンの強力なエネルギー、機械より融通が利き、一つの兵器として十分な価値が認められているという。


 にこは旅の道中で出会った高坂穂乃果に巻き込まれる形で、いくつかの戦いをしただけ。聞いても何も言ってくれなかったし、それに対して話をしようかと思った時には、失踪してしまっていた。

 ただ、当時のツバサとのチャンピオン戦、かつてない程の鬼気迫るモノを感じたのを覚えている。




ダイヤ「わたくしがなぜこのようなことを言うのか、それは――」

 続けようとしたダイヤは、目を大きく見開き、勢いよく背後に振り返る。持っていた懐中電灯の灯りを、月明かりの届かない樹木の間へと向ける。


ダイヤ「!!」


 異音。光が照らされた先、そこに映し出されたのは――ダイヤの眼前に迫る、ポケモンの紅い棘。


 咄嗟に首を横に倒し、眉間を貫こうとしていた紅い"それ"は、頰の表面を擦りあげる。直撃を避けたのはその棘の攻撃、しかし次の瞬間には鳩尾に鉄の塊が落とされたような重く、鈍い衝撃が走っていた。


ダイヤ「がはっ……」


 衝撃により思わず崩れ落ち、膝を先日の雨で汚れた土に落とす。


 あまりの衝撃と何が起こっているのかわからないダイヤ、にこも同様で、崩れ落ちてしまったダイヤの方向に懐中電灯を向ける。





にこ「――ドクロッグ!?」




 闇夜に浮かぶ紫の影。あまりに不気味でそれを加速させるように、毒々しい赤い部位が複数存在している。


 ダイヤに向けて拳の棘を使った刺突"どくづき"を放ったのだろう、とにこはすぐに理解した。生身の人間がどくづきを受けたのだとしたら今頃は鮮血に染まっているはずだ。ダイヤの元に駆け寄ると鳩尾付近を抑えて苦しんでいたが、その兆候は見られない。


 咄嗟に避けたのだ、すなわち今苦しんでいるのはドクロッグが放った打撃によるもの。


 にこはボールホルダーに手をかける。

 しかし、おかしい。


 ドクロッグはダイヤのことを見つめるだけで、にこのことなど見向きもしない。それにダイヤに対しての次の行動を起こそうともしない。


にこ「なにこいつ……」


ダイヤ「ぐっ……にこ、さん……」


 きゅうしょを突かれたダイヤは呼吸もままならない様子で、掠れた声を上げる。


にこ「黙ってなさいっ、とりあえずこいつをなんとかする!」


 ドクロッグは明確な意思を持ってダイヤのことを襲った。野生のポケモンが襲ってくることがあるとはいえ、この森にそこまで危険なポケモンはいない。そう、目の前のドクロッグはこの森に生息していない。


にこ「誰!? いるんでしょう!?」

 ドクロッグが動かないことを確信。それは――トレーナーからの次の指示がないからだ。近くにトレーナーがいる。周囲に向けて荒げるにこにドクロッグは三白眼の瞳を向ける。


「よく躱してみせた、敬意を表するよ」


 樹木の向こう側、落ち着いた低音の女の声。ドクロッグはその声が聞こえた瞬間、勢いよく駆けていく。


 そしてにこの懐中電灯が捉えたのは、ドクロッグの喉元にある毒袋に手を添える女性。


 闇夜に紛れる黒いコート、センターに別れた前髪が、鋭い切れ長の瞳がよく見えるよう演出している。若い女、だ。


にこ「誰!?」


 懐中電灯の明かりに目を背けるように、地に息を落とす。


英玲奈「統堂英玲奈、名乗ることに意味があるとは思えないが。ジムリーダー、矢澤にこ、あなたに興味はないから安心して欲しい」


にこ「あんた! 誰だか知らないけど、ポケモンを使って――殺そうとしたでしょ!!」


 明確な敵意を持っての攻撃。トレーナーを狙うというご法度、それを目の前の女は実行したのだ。


にこ「警察に突き出すからっ……」


 にこのボールホルダーには二つのモンスターボールがセッティングされていた。いずれもにこが本気で戦う時のポケモンではない。普段なら問題ないが、今回は……。


にこ(あのドクロッグの動き……速かった……油断出来ない)

 ジムリーダーとなって約一年、様々なポケモンを見てきたにこは、英玲奈のドクロッグが普通ではない鍛えられ方をしているのがなんとなくわかってしまった。

 そう、レギュラーではないポケモン達で相手にするのは厳しいと判断せざるを得ないほどに。

 だからと言って見逃す訳には行かない。


英玲奈「適切な判断を願おう若きジムリーダー。そっちの女、よく見てみるといい」

にこ「え……?」

 にこのすぐ背後、うずくまっていたダイヤが、地に左頰をつけて、失神していた。

にこ「だ、ダイヤ!?」


英玲奈「おそらく――病院までは間に合わないだろうが」

 おかしい、鳩尾に打撃を受けただけのはず、それならばしばらく時間が経てば呼吸も出来るようになって……。様々な可能性が回転する頭の中で、にこはひとつの可能性を見つける。


にこ(もしかして……)

 英玲奈への意識はよそにして、懐中電灯の光をダイヤの陶器のように白い肌へと向ける。そうして見えたのは、白い頰からダラダラと鮮血が溢れでている瞬間だった。


にこ「!」


 衝撃により皮が裂け、その中の血管すらも切り裂いている。決して傷は深くないようだが、問題はそこではない。

にこ「ダイヤ! ダイヤ!」


 肩を揺するにこの行動虚しく、ダイヤの身体には異物が侵入してしまっている。ドクロッグの毒袋から生成されるおぞましき毒物は、人間だとかすってしまうだけで死の扉が見えてくるほどだ。

 ダイヤはどくづきを避けきれず、頰にそれを受けてしまったのだろう。


 つまり、この失神は死へのカウントダウンである、ということ。


にこ「くっ……」


 にこは英玲奈の方へと振り返るが、そこには既に先ほどまでと同じ闇の静謐。ダイヤに気を取られ動転しているうちに、逃してしまったのだと気がつく。


 逡巡の後の後悔、それをすぐに振り切って、今自分がすべきことを思い出す。


にこ「ダイヤ……がんばって!」


 ダイヤが危険だ、この森の中でもそこそこの深い位置に来てしまっている。力なく倒れこむ人をおぶろうとするも、にこは自分の力の無さを憂いてしまう。力を入れられない人間はただただ重い、現在のにこの手持ちポケモンではそういった力仕事が出来るものはいない。つまり、頼れるのは非力な自分だけ、ということになる。


 にこの狭い肩にダイヤの頰を乗せると、長い睫毛を伏せ、浅い呼吸が繰り返されている。


 おぶったままなんとか立ち上がり、来た道を戻っていく。


 向かうは病院、もう少し拓けたところまで戻ったら助けを呼ぶしかない。正規のコースから外れた現在の場所では、救助を呼ぼうにも呼べないでいた。



 物理的な重さでふらつく足取りを、命がかかっているという別の重さで塗り替える。そうしてなんとか進んで言った先に――。



にこ「え……」


 月光が降り注ぐ、拓けた空間。

 木々の合間から差し込むその光が照らしているのは――頭部から流血、樹木に背を預け倒れている少女。そして、そのすぐ前方で立ち塞がるように、これまた鼻血を吹き出しながらふらついている少女。倒れている人物をにこは知っていた。みかん色の、高海千歌、そしてその前にいるのは抜群のセンスが光った、渡辺曜。どちらも、今日のジム挑戦者である。そしてそのすぐ横には、ワカシャモとヤヤコマが臨戦態勢。


 渡辺曜がにらみつける先には、ポケモン界の演奏者コロトックル、黒き捕食者、レントラー。そのトレーナーであろう、にこに背を向けて曜と対峙している二人の少女がいる。揺れるツインテールとサイドテールの少女。



理亜「だれ……?」



聖良「ジムリーダー、助っ人ですか……」



 にこは予期せぬ最悪の事態に、汗が吹き出すのを止めることが出来なかった。



◇――――◇

20:30



善子「やったっ!!!」


 ヤミカラスの姿がモンスターボールの中に収まる。それを見た善子は大きくその場で飛び跳ねると、待望のポケモンが入ったモンスターボールを広いあげて、背後で見守っていた千歌達にとびきりの笑顔を向ける。

千歌「おめでとう善子ちゃんっ!」

曜「善子ちゃんおめでとう!」

善子「だからヨハネよっ!!」


 本来の名前で呼ばれてしまうことに怒りを感じながらも、ふたりには感謝していた。


 結局一時間半程森の中を彷徨い歩くことになってしまったが、こうしてヤミカラスを捕獲することができたのである。一人だったら見つからない苛立ちから、もっと奥の方まで進んでいって、戻って来られなくなっていたかもしれない。


 止めてくれたのは曜で、トレーナーカードを落として見られたことによる本名の追求が無ければもっと良かったのに、と悪かった点も思い出す。


千歌「でもさ、どうしてヤミカラスに拘るの? アブソル、持ってるんだよね?」


善子「昔、ママがヤミカラスを持っててね、私にも懐いてくれてて……でも死んじゃって」

千歌「あ……」


善子「だから今度は自分で捕まえて育てようって思ったの、不幸なことにこの地方じゃヤミカラスは珍しいし、なんてことって思ったんだけど」


曜「アブソルが言うことを聞いてくれればもっと楽だったのにね」

善子「ほんとよね」


 善子の手持ちポケモンはヤミカラスに加えてアブソルがいた。しかしそのアブソルも親から貰ったもので、レベルが高く、まともに善子の指示を聞かないのだ。指示というのはバトルの話で、普段の生活ではこれ以上無いくらいに指示を聞いてくれていた。

善子「この子、心配してくれてるのよ。私がバトルをするのを」


善子「だからバトルになると言うことを聞かないの、ママと一緒で、私にバトルをさせたくないのよねきっと」


 ヤミカラスの体力を減らすことが出来ない善子は10個ほどのモンスターボールを消費することによって、ヤミカラスを捕獲していた。


善子「んー……歩くの疲れた」


 後は帰るだけ。心底良い気分のまま、善子はアブソルをモンスターボールから外に出す。

善子「はー、乗っけてアブソルー」

 まるで乗り物のように扱う善子、アブソルはその指示に、善子が乗りやすいように伏せる形で答える。

曜「えー……ヤミカラスの体力減らす為に出した時は何にも言うこと聞かなかったのに……」

善子「だから言ったでしょ」

千歌「ずるいよぉー!」

善子「町に帰ったら何かお礼するから」

 アブソルの胴体に跨ると、千歌の羨望の眼差しが向けられていることに気がついた。

善子「じ、自分で何か育てなさいよっ」

千歌「うぅ、千歌も乗れるポケモン育てようかなぁ……」


 千歌は疲労に悲鳴を上げる足をぶらぶらと振り回して大きなため息をついた。ジム戦で疲弊仕切ったいたところに、どこにいるとも分からない野生ポケモンの捜索。立っている現在でも落ちてくる瞼を上げるので精一杯、とにかく早くポケモンセンターで眠りたかった。そんな眠気と格闘している様子を曜は微笑ましい光景として、見守っている。


千歌「よしっ、帰ろ!」

 振り絞った元気を声に乗せる。


「――あの、すみません」

 千歌がぐーっと伸びているその背後、サイドテールを揺らす少女が姿を現す。続いてツインテールを揺らす、強気そうな少女。二人の少女が突然声を掛けて来たことに千歌は素っ頓狂な声を上げて応えた。

 近づいてくる二人の少女、曜はそのなんとも言えぬ雰囲気に眼を細め、観察する。


聖良「鹿角聖良と言います、こっちは妹の鹿角理亞」


千歌「……え、えっと高海千歌です、 よろしく……?」


聖良「すみません、急に声をかけてしまって。妹が――そちらのアブソルを近くで見たいと言うもので」


理亞「ちょっ……姉さま」

善子「アブソルを? まあ、別に構わないけど」

理亞「いいの……?」

善子「ええ」


 恐る恐る善子の乗っているアブソルに近づいていく理亞。姉の聖良もそんな理亞を見て微笑みながら、千歌達に近づいてくる。


聖良「……アブソルは珍しいですからね。産地であるホウエン地方に行ってもなかなか見られないと聞きます」

千歌「へえ……じゃあ千歌達もラッキーだね?」


 のほほんと聖良との雑談を楽しむ千歌、アブソルに触れて嬉しそうにする理亞を見て自分も誇らしく感じている善子、その中で曜だけは……この鹿角姉妹の動向に気を配っていた。


 確かに近づいてくる理由としてアブソルは申し分ない、しかし突然すぎないだろうか。こんな夜にしかも奥の方で都合よく遭遇するだろうか。事実、奥に来てからは一人の人間にも会ってはいなかった。


 そして、姉の聖良の手が――ボールホルダーにかかる。

 一瞬の動作でボールをアブソルの方に投げ、理亞はバック宙を繰り返して聖良の近くまで戻ってきている。

 聖良が投げたボールは空中で炸裂し、コロトックが姿を現す!


 善子も千歌も何が起こったのかわからず、ぽかんと口を開けている。しかし曜だけは違った、ボールを投げる時に見せた明確な敵意を察知!

聖良「ねばねばネット!」


 いち早く異変に気がついた曜がワニノコを繰り出すよりも早く、コロトックへの指示がなされる。きぃんと刃のような両腕を擦り合わせたあと、口から白い網状のネットが射出され、アブソルと善子を包み込む。


善子「へ!?」


 ねばねばネット、その名の通り粘性の高い網が付着し、もがく善子はアブソルの背中でがんじがらめになりつつある。


聖良「おとなしくしてください」


曜「お願いワニノコ!」


理亞「させないっ」

 救出しようとした曜に対し、立ちはだかるは妹の理亞。モンスターボールが炸裂し、レントラーがワニノコに向かって煌めく牙を見せ、威嚇をしていた。



曜「くっ……」


聖良「!?」


 曜が善子の方に視線を戻すと、ぐちゃぐちゃになりかけていたねばねばネットが、パラパラと切り裂かれ、地面に張り付いていることに気がついた。

 秒間の出来事に聖良自身も動揺を隠しきれていない。善子のアブソルは、首元と尻尾から生えている刃をゆっくりと動かして聖良に鋭い眼光を浴びせている。

聖良「……粘性の高いネットを一瞬で切り裂くとは……驚きました」


 アブソルは動じず、それに対し善子はアブソルに捕まったまま、小さく震え、怯えている。コロトックが臨戦態勢に入り、負けじと両刃をきりきりと擦り合わせている。


 アブソルは態勢を低くし、両足で地面を噛みしめる。臨戦態勢、聖良はごくりと唾液を嚥下し、備える。


 そして――アブソルはその脚力を持って、跳んだ。


善子「ちょっ!?」

聖良「なっ!?」

 跳んだ方向は、聖良のコロトックではなく、明後日の方向。善子の待ってアブソル! という叫び声が遠くで、小さく聞こえた。

理亞「逃げた!? 姉さまっ」

聖良「……残念だけれど、追うのは無理ね。あのアブソルはかなり鍛えられているみたい」

 一瞬の跳躍により、逃げたアブソルの方向にしばらく視線を送り続けたあと、聖良は曜達に対峙するように位置を変える。

千歌「よ、曜ちゃん……」


 千歌も曜と同じく、アチャモを繰り出していた。しかし、目の前のレントラーにコロトックは自分達のレベルで敵う相手ではない、となんとなくわかってしまっていた。力なく曜の名前を呼ぶ千歌、曜は唇を噛み締め、姉妹の前に立ち塞がる。


 聖良はワニノコとアチャモを舐め回すように観察すると、口元に三日月を作って愉快そうに声を上げた。


聖良「――そちらも、珍しいポケモンですね」

 ぞくり。


 ヘビに狙いを定められたカエルの気分を曜は味わった気がした。ワニノコ、アチャモ、先ほどまではアブソルへと向けられていた敵意が今はこちら側に向けられている。

 ポケモントレーナー同士の戦いではまずありえない、本物の危険が迫っていることを察してしまう。

 千歌が言っていたことが脳裏をよぎる。近頃ポケモンを奪う事件が増えている、と。今まさしく、その現場に遭遇してしまっている。

理亞「奪う?」


聖良「アブソルを奪うために観察を続けて収穫無しでは――寂しいですからね」


曜「っ!! ワニノコっ! みずでっぽう!」


 確信。ワニノコの放ったみずでっぽう、牽制でもなんでもなく、レントラーへと向けられる。曜も千歌と同じく、レベル差があることはわかっていたし、だからこそ先制攻撃、相手を沈めることよりも、逃げる活路を見出すことに集中すべきという結論に至る。

理亞「かわして」


 たった一言の抽象的な指示。レントラーはワニノコの放った奇襲攻撃を、いとも簡単にかわし、そして態勢を整えると……地面を蹴って身体を飛ばしてくる。



 対象はワニノコでも、曜でもない、横にいる千歌。迅速、レントラーの動きに生身の人間は反応出来るはずがない、曜が危ない、と声を上げた瞬間には――千歌は小さな悲鳴を上げて、背後の樹木へと容赦なく吹き飛ばされていた。

曜「……」

 レントラーは気高く身を震わせると、トレーナーの危機に反応し、ひのこを勝手に吹き出したアチャモの攻撃をしっぽだけで振り払う。降りかかるひのこを払う、そのままの行為、実力の差が、ありすぎる。


曜「千歌ちゃんっ!!」


 声を荒げて駆け寄る。


 千歌は経験したこともないほどの、身体を襲った鈍痛に自然に涙を流してしまっていた。後頭部を樹木へと強打、視界がゆらゆらと歪み安定しない。立ち上がろうと力を込めることもままならず、四肢への神経が断ち切られてしまったような感覚に陥る。


 どんっと鈍い音が鳴り響いた衝撃、ポケモンと人とでは力が違いすぎる。それを一身に受けた千歌の痛みは想像を絶する物であったに違いない。


 目の前で虚ろな視線を泳がす幼馴染の姿に、


曜「千歌ちゃん……っ、どこが痛い? 大丈夫!?」

千歌「ぅ、ぅ……」



理亞「――スパーク」

 背後でパートナーであるワニノコの悲鳴、豪轟の激しい雷撃音。振り返ると、雷撃の残滓を纏ったレントラーが、倒れこむワニノコを見下ろしている。曜が千歌のことを心配している間に、無防備になったワニノコは一撃で沈められていた。

 曜の視界の中、飛びついたアチャモも赤子を捻るように吹き飛ばされる。


曜「そん、な」


 目の前の姉妹は、千歌のポケモンではなくトレーナー自身を狙った。それは殺意。先程から頭の中で警鐘が鳴り響いている。千歌は向けられた殺意にがたがたと身を震わせ、身体の痛みも相まって立つこともままならない。


曜「くっ」


 危険だ、どうにかして、千歌ちゃんだけでも逃さないと……っ。様々な可能性を考えるも、何も、思いつかない。


聖良「抵抗をやめれば、命は助けてあげますよ」


理亞「面倒、殺しちゃってもいいんじゃないの」


千歌「にげ、て……私のことなんかどうだって、いいからっ」


曜「そんなことできるわけないでしょ!?」


 そんなことを繰り返し言いながら、一歩、また一歩、と距離を縮めてくる。

理亞「レントラー」


 意識がまるで向いていなかった。正面から迫り来る、人の脅威にだけ目を向けていたせいで、真横にレントラーがいることには気がつけていなかった。理亞がレントラーの名前を呼んだその直後、曜に千歌と同じくレントラーの身体が叩きつけられる。


曜「うっぁ……」

 腕が軋むのを感じた。何メートルも吹き飛ばされるほどの衝撃を腕でもろに受け止めたため、激痛が走る。


 それでも千歌へと目を向ける。そう、この場で千歌を守れるのは曜しかいないのだ。自分のことよりも、千歌を逃がすために。

 姉の聖良は樹木にもたれかかりながら座り込む千歌の元に迫っていた。

曜「やめろぉ!!!」

聖良「良い友達を持っていますね」


 千歌を守らなくては!! 立ち上がろうとする曜だが、レントラーから受けた衝撃で視界が歪み、上手く立ち上がることもできない。

 その間にも聖良の言葉は続く。


聖良「そうですね、アチャモを渡して頂ければ……あの友達は見逃してもいいですよ」


千歌「え……そ、そんな……」

曜「だめだよ千歌ちゃんっ!!」


 叫び、ようやく立ち上がる曜。しかし理亞がそれを許さない。


理亞「黙ってて」


 ごんっと頰に鈍痛。理亞が拳を叩きつけて、再び曜は地面に突っ伏すことになってしまう。無情に――そのままローファーの、爪先を曜の顔面に向けて振り抜く。


曜「が、っぁ……」


 蹴り上げられた顔面、血の味で染まっていく口内に、どくどくと鼻血が溢れて来ているのが自分でもわかった。未だかつて経験したことのない、本物の、容赦ない暴力。


 理亞は歪んだ笑みを浮かべながら倒れる曜を覗き込むようにしゃがみ込み、右腕で曜の頰を地面に押し付ける。血の味に加えて土が入り込む口内、薄れていく意識を繋ぎ止めて、それでも見据えるは親友の安否。


千歌「曜ちゃんっ!!!」


 曜の方を叫ぶ千歌。

聖良「回答が遅いですよ」


 聖良はつまらなそうに侮蔑の目で千歌を見下ろしながら、ローファーのかかとを千歌の側頭部めがけて――叩きつける。


千歌「っぅっ!!!」


 樹木に叩きつけられた千歌の頭部からは出血が起き、声にならない小さな悲鳴が森の静寂の中に、吸い込まれていく。


曜「……千歌、ちゃん……」


 脳が揺れる。千歌の視界はぐにゃりと歪み、うわ言のように口元を動かした。混濁する意識の中で、助けを求める。


千歌「ひっぐ……なんで、こんな、こと……うぅ、ゆるじて……ください……」


 聖良は口元に歪んだ三日月を浮かべ、なんとか逃げようと這い蹲る千歌の髪の毛を掴んで無理やり木壁へと押し付けた。緋色の瞳は恐怖に染まりきり、聖良が覗き込んで目を合わせるだけで奥から涙が溢れでて来てしまっている。


聖良「くす……」


 聖良は立ち上がり、ローファーの踵を千歌の頰に押し付ける。聖良はそのまま体重を踵に掛け、千歌の頰の肉がローファーによって押し潰されていく。息をすることすらままならない。脳は変わらず揺れている、満足に動かない四肢を聖良のしなやかな筋肉に沿わせて抵抗を試みる。弱々しすぎる、抵抗。


聖良「汚い手で、触らないで――くださいっ!!」



千歌「あ゛あ゛あ゛っ!!!」

 土まみれの千歌の腕を払いのけると、そのままローファーの踵でもって――指を踏み潰す。悲痛な絶叫だけが、響く。


曜「千歌ちゃぁあん!!!」



千歌「梨子、ちゃん……果南、ちゃん……ぐすっ……」


 手を伸ばす。何も出来ない。千歌が無情な暴力にさらされ涙を流して助けを求めている。守ってあげられるのは自分、そう自分しかいない。それなのに……。


 千歌が助けを求めたのは、本当に強い友人だった。


曜(わたし、だめだめだ……)


 自分の無力さを痛感、このままでは千歌のことなど守れっこない。

聖良「諦めますか?」


千歌「……諦めない」

聖良「え?」



千歌「――ひっかく!!!!」

聖良「!?」


 千歌が叫ぶ。最後の力を振り絞ったかのような絶叫、千歌の指示は、背後に忍び寄っていたアチャモへのものだった。聖良が振り向くと同時、アチャモはトレーナーの危機に人に攻撃することを躊躇う様子はなかった。


 飛び上がりながら片脚をひきしぼるアチャモ。聖良の驚愕に変わった表情、咄嗟に両腕を出して防ぐが、その両腕をアチャモの鋭撃が引き裂く。

聖良「がっっ……」


 服を皮を血管を切り裂かれる、鮮血が聖良の手から噴き出す。だらりと力なく降ろされた手、アチャモへ憎悪の眼光。


理亞「姉さまっ! レントラー!!」


 再びレントラーが駆ける。驚異的な脚力を助走に使い、技ではない、突進でアチャモへと迫る。身体の小さいアチャモでは、技ではなくとも受けた瞬間には戦闘不能になってしまうだろう。


千歌「……」

 しかし、千歌は知っていた。


 アチャモの身体が眩い光に包まれ――それが無くなった次の瞬間には、大きく発達した腕でレントラーの一撃を食い止めていた。

千歌「やっ、た……」

曜「!?」

 ひと回りもふた回りも大きくなった身体、弱々しかった足は大きく太く、レントラーの攻撃を受け止めた衝撃から、力強く身体を支えている。

 森を彷徨う中、何体もの野生ポケモンを倒し経験を積んでいた。ジムリーダーに敗戦したことで曜は千歌に敵を譲り、アチャモは経験を積んでいたのだ。


 アチャモからワカシャモへと進化したのを見た千歌は、絶望的な状況の中、瞬時に次の指示へと移る。


千歌「にどげり!!」


 レントラーが態勢を立て直し切れていない、ワカシャモは着地しきっていないレントラーに二発の健脚を浴びせつける。アチャモの姿からは考えられない脚力の上昇、レントラーはたちまち衝撃により理亞の遥か後方まで吹き飛んでいく。


 動揺と予期せぬ事態への対応に対処しようと、行動が遅れている姉妹、それを見た千歌はもう一つのボールに手をかけ、未だ曜を地面に押し付けている理亞めがけて投げつける。


千歌「――でんこうせっか!!!」

 繰り出される千歌のもう一匹の手持ちポケモン、ヤヤコマ。小さな身体は疾風となって、理亞に向かって風を切る。


 善子とヤミカラスを探している道中、進化目前のアチャモと共に育成が行われていた。実践経験を経て連携も取れるようになったため、ヤヤコマも攻撃を躊躇わない!!


理亞「ぐぁっ!!」


 小さな身体は理亞の顎を的確に打ち上げ、仰向けになって地面に倒れこむ。曜は理亞から解放されたと見るやいなや、全身全霊を持って地面を蹴り、千歌の元へ。


曜「千歌ちゃん大丈夫!?」


千歌「えへへ……な、なんとか」


 頭から流血、力なく微笑む千歌はとてもではないが立てそうにない。憎しみが、生まれる。親友である千歌を、痛めつけたこと、心に生まれる黒い炎が、燃え上がる。


千歌「ぅぅ、いたい……」


曜「……壊してやる」ボソッ


千歌「曜ちゃん……?」


 壊す。壊す。

 千歌をこんな目に合わせた者への、制裁を。自分がどうなってでも、それを実行しなければ、炎は収まらない。


 曜の醜怨は瞳に現れ、千歌は見たことのない親友の姿に恐怖を覚える。


 千歌に背を向け姉妹と再び対峙する。曜のワニノコは戦闘不能、ポケモンはいない。しかし、あの姉妹が千歌を痛めつけたように、生身の身体がある。それだけで、十分だ。


 曜と呼応したかのようにワカシャモが横で臨戦態勢を取っている。

 一旦は形成を覆せたとはいえ、振り出しに戻ったに過ぎない。

 聖良はだらりと腕を降ろす。立ち上がった理亞は聖良の下へ。


聖良「やってくれましたね……」

理亞「ね、姉さま……傷がっ」


聖良「落ち着いて理亞、今はこの人達を処理することを考えなさい」


曜「ふーっ……ふー……」


 がさっ……。

 姉妹は背後で何者かが動いたのを察知、勢いよく振り返る。


にこ「え……?」

理亞「誰?」


聖良「ジムリーダー、助っ人ですか」

千歌「や、矢澤にこさんっ!!!」


 千歌の声が希望に満ち溢れる。待望の助っ人、それも近くの町で一番強いトレーナー! しかし、にこが誰かをおぶいながら大粒の汗を滲ませているのを見て、違和感を覚える。


 助けに来てくれたというよりは……巻き込まれた、という困惑の表情。


 その場に居たポケモン、人、視線が乱入者にこに集まる中、曜だけは違っていた。

 ふらつく足を叩いて力を注入、地面を蹴り上げ聖良へと迫る!


曜「うぉぉおおおっ!!!」

聖良「!?」


 怨。怨。怨。


 曜の頭の中はそれだけだった。千歌を傷つけた、千歌を蹴った、その傷を見て、どこかネジが吹き飛んだのを曜自身も感じていた。聖良への怒りと怨が極限に達し、求めるのは復讐だけ。


 聖良が振り返ると、曜の助走をつけた拳が振るわれる。手を出そうと咄嗟に防御反応を取ろうとするが――聖良の手はだらりと降りたまま上がってくることはなかった。


 曜の拳が聖良の頬骨を捉える。拳を頰に食い込ませる感覚になんとも言えない快楽を感じながら、聖良を地面に突っ伏させる。足りなかった、醜怨の炎がさらに燃え上がる。恐怖を与えるんだ、千歌が感じた恐怖を倍、三倍にして、2度と千歌に酷いことをしようだなんて、思わない程に!!!

曜「よくも、よくも千歌ちゃんを!!!」

聖良「くっ……」


 力尽きる寸前の曜。それでも曜の身体は動く。目を血走らせながら捉えるは、親友の仇。倒れ込んでいる聖良に乗りかかり、拳をふりあげ、再び――。

理亞「レントラー!!」


 レントラーが曜の身体を再び吹き飛ばす。吹き飛んでもなお、立ち上がる。痛みは消えた、怒りと怨み、それを瞳に乗せて眼光として姉妹を貫く。先ほどまでとはまるで違う曜の変貌に、理亞もおもわずたじろぐ。

理亞「こいつ、やばい……」


 聖良も肘から上を使って器用に起き上がると、曜に対しての警戒を強める。


聖良「コロトック……シザークロスっ!!」


 狙いは曜。研ぎ澄まされた両刃を開き、コロトックは背中の羽を羽ばたかせる。必殺の斬撃、人間が受けたら、真っ二つを予感させるものに――。


千歌「曜ちゃんっ!!!」

にこ「あなた、この子を頼むわ!」

千歌「へ!?」


 一連の騒ぎのうちに千歌のそばへ、千歌の隣にダイヤを寝かせ、ボールを曜の方へ投げる!


にこ「させるかっ!! クチート、てっぺき!!」


 ぎゃりんっ、と曜の目の前で火花が閃く。ジムリーダーにこが繰り出したクチートは、その身を鋼鉄の鋼そのものとし、コロトックの斬撃を受け止めた。羽ばたいた勢いすらも完全に弾き返し、コロトックは腹を見せて無防備に態勢を崩す。


にこ「かみくだく!」

 
 くるりと身を翻したクチートは、全身よりも大きい顎を全開まで開き、コロトックの身体を絶望の牙で圧っする。

 きゅうしょにあたった!


 みしみしと大顎に歪ませられていくコロトックの痩躯、小さな鳴き声とともに、クチートの顎の中で力尽きる。顎の中での抵抗が無くなったと判断したクチートは、持ち主の足元にコロトックを乱雑に投げつけた。


聖良「なるほど……流石はジムリーダー」

にこ「あなた達が誰だか知らないけどただの喧嘩ってわけじゃないみたいね? 一般人を襲うなんて、なにを考えてるの」

聖良「あなたち話すことは何もありません」

にこ「っ……でしょうね。ジムリーダーとして、あんた達を拘束するわ」


理亞「面倒そうなのが来たわね」



にこ「――こっちは急いでんの!! 誰だか知らないけど邪魔しないでっ!!」


 聖良はコロトックをボールに戻すと、何を思ったのか口元を緩める。


 にこが見たのは、腰付近に装着しているボールホルダーに、満タンの数六つのモンスターボールがセットされているところだった。


 理亞も同様で、にこはそれを見た瞬間に絶望する。レギュラーポケモンならいざ知らず、それとは大きく落ちる戦闘力のポケモンで、残り11体を相手にしなければならないことが確定している。これでは――ダイヤが保たない。




にこ(どうするっ、考えろ……)
 

 にこの焦りが顔に出てしまっているせいか、姉妹はそれを愉快そうに眺める。まだまだ状況は変わっていない。


「――サザンドラ! りゅうのはどう!!」


 突風が吹き荒れる。
 轟々と地の底から響くような咆哮、木々を揺らす雑音の中でも確かなもの。


 その咆哮と、女性の力強い声は……遥か上空から発せられていた。



千歌「あれは……」
 


 惚けたように上を見上げる千歌。月の真ん中で羽ばたく何か、そう、千歌はそのシルエットを見ただけで何かを把握した。何度も、何度も、録画したテレビを見返した、その中に映っていた圧倒的な存在感を持つポケモン!


 三首の、地獄よりの番竜、サザンドラ!!



 中央の口は大きく開かれ、背中に騎乗するは、神童綺羅ツバサ。手を宙にかかげ、振り下ろす。それが、合図であった。

 鹿角姉妹が異変に気がつき、宙へと視線を移したその瞬間――。


 薄紫の光線が、降り注ぐ。地面を抉り取る破壊の力が、地ひびきを巻き起こす。千歌が悲鳴をあげるが、それを全てかき消すほどに轟々たる破壊音。


 鹿角姉妹は後方に飛び込み、なんとかその一撃を凌ぐ。

 サザンドラの放ったりゅうのはどう、破滅の使者となって、鹿角姉妹の戦意を蹂躙してみせた。


 圧倒的、光線が照射された場所の土は大きく深く抉れ、底を確認することもままならない。鹿角姉妹とにこ達の間に境界線を作り出し、さしずめそれは地獄への入り口。


理亞「く、ぅ」

聖良「はっ……ぁ、なに……?」


 突然の来訪者、サザンドラはゆっくりと鹿角姉妹の前に姿を現す。


聖良「サザンドラ……それに――」

千歌「綺羅ツバサ!?」


 高坂穂乃果と同じく、千歌にとって憧れの存在である神童、綺羅ツバサ。現役チャンピオン。

 サザンドラの背から華麗に降り立つと、周囲を見渡し状況を確認、そして最後に視線を定めたのは鹿角姉妹へだった。

理亞「うそ……」

聖良「くっ……」

曜「え、ええ……?」


にこ「あんた……」


ツバサ「――様子を見に来たらこの調子、全くどういうことかしら」


にこ「あんたこそ、なんでここにっ……」

ツバサ「様子を見に来たと言ったでしょ?」



 にことツバサは会話を繰り広げているが、上手く噛み合っていない様子。


 想定外、この世で考えられる中で最も悪い可能性を引き当ててしまったことを実感する聖良。チャンピオンがこんなところに現れるだなんて、考えるはずもない、半ば冗談であるように思われるその状況だが、事実目の前で毅然たる表情でサザンドラの身体に手を沿わせている。


 鹿角姉妹は地面に突っ伏したまま。聖良は思考し、闘うことを放棄する。起こってしまった最悪の事態に、正面から対抗する手段を持ち合わせているはずがなかった。聖良だけではない、ここオトノキ地方にいる全てのトレーナーも同様。



聖良「理亞……左から2番目のモンスターボールを開けて」


理亞「わかった……姉さま」


 聖良の指示に従って、理亞はホルダーに手を伸ばす。


ツバサ「りゅうのはどう」

 躊躇いなく、無情の宣告。


 サザンドラの口元が薄紫に発行し、絶望の光で照らす。千歌達にとってはこの上ない希望の光、聖良達にとっては死の宣告。


理亞「ひっ……姉さまっ」


 理亞は恐怖に顔を歪ませ、姉へと助けを求める。姉は理亞よりも負傷しており、頼っていいはずがない、考えればわかることだが理亞の現在の精神状態ではそのようなことは考えられない。恐怖、恐怖。

 死を予感した絶望。一歩間違えれば死んでいた、先ほどの光は、理亞の心に大きな傷を植え付けていた。


聖良「理亞早くっ!!!」

理亞「くっ!!」


 姉の言うがまま、理亞はボールの開閉スイッチに指を食い込ませる。

ツバサ「さようなら」



聖良「――テレポート!!」


 放たれる二撃目の、絶望。薄紫に発光した眩い光は辺りを包み込む。木を土を、射線上に存在していたものを全て塵とし、無かったかのような状況を作り出す。


 サザンドラが照射を止めると、パラパラと周辺の樹木から葉が降り注いでいた。


千歌「……」

 目の前で起こったことに理解が追いつかない。チャンピオンである綺羅ツバサが助けに入り、あの姉妹は、どうなった……?

 不気味なまでに静寂が包みこの空間、千歌はその異様な雰囲気に言葉を発することができなくなっていた。

にこ「あんた……殺した、の?」

 にこは呆然と、何も無くなった森の空間を見つめる。サザンドラの放った攻撃は、姉妹を飲み込み、消し去った。跡形もなく、ほこりと同様に。

ツバサ「殺してない、テレポートで逃げたわ。そもそも[ピーーー]気なんてないに決まっているでしょう?」

 当たり前のように、にこに語りかける。[ピーーー]気がない、だとしたらここまでの大出力にする必要はない。技を放つ前のツバサ、それは何の躊躇いもなく……。


にこ「そ、そうだそれよりっ! ダイヤがっ!!」


 本当の目的を思い出したにこは、ツバサにすがりつく思いで状況を説明する。

 そしてツバサは少し考えた後、ボールケースから移動用の飛行ポケモンを繰り出した。


◇――――◇


 ツバサが携帯していた飛行用ポケモンで千歌と曜、それに加えてにこや黒髪の少女は病院へと運ばれていた。

 千歌は病院に着くなり、緊張の糸が切れたように気を失い、十二時間程も眠りについていた。


 全身に鉛を取り付けられたような感覚を感じながら目を覚ましたのはつい先ほどのこと。身を起こすと目の前のベッドでは曜がうつらうつらと意識を混濁させていた。観察してみると、腕にギブス、鼻に包帯、顔にもいくつか痣が出来てしまっている。痛々しい光景に思わず目を逸らしたくなってしまう。



千歌「……あれ、ここは……曜ちゃん?」


 千歌がその名を口にすると、曜の意識が覚醒する。


曜「――千歌ちゃんっ!?」


 ベッドから立ち上がろうとする曜だったが、苦痛に顔を歪ませ、力なくベッドの背もたれに身体を預けた。


曜「うぅ……目を覚ましたんだね、良かった……」

千歌「私たち、ツバサさんに連れられて……ここは病院?」

 千歌が記憶の海に飛び込むと、曜は病院に着いた後の状況を千歌に説明した。

千歌「そっか……」


 いくつかの質問を交えて、納得する。あの姉妹はポケモンを奪う事件の一端を担っている人物であること、トレーナーも狙われていて、命を落とすことが珍しくないということ。それにたまたま、巻き込まれたのだ。善子はおそらく、アブソルがどこか安全な場所まで連れていったのだろうり

 ツバサに助けられたことで急死に一生を得たが、身体に走る痛みと、包帯を巻かれている頭部が、争いの真実度合いを表しているようだった。


千歌(……あの人たち、千歌達のことを殺そうと、してた……)


 冷静に思い返すと、恐怖が身体を支配する。友達が目の前で嬲られ、自身もポケモンに吹き飛ばされ、人間に蹴りつけられ、尊厳など全て蹂躙されていた。


曜「……ごめん、私が守れなかったから」


 小さい声で呟く曜、曜はレントラーの打撃の影響で腕付近を何箇所か骨折してしまっていた。それはなにより、千歌のことを思ったってからである。自身の身を粉にしてでも親友を守ろうとしていた。


 千歌もそれを分かっていたから、曜と一緒で力の無さを恨んだ。


 最初にレントラーに攻撃されたのは千歌だった、少しでも反応出来ていれば逃げ出せる隙を作り出せたかもしれない。


千歌「わたしこそ、ごめん……」

千歌「私がいきなり立てなくなって……曜ちゃんはそれで逃げ出せなくなって……」


 怖かった。逃げてと曜に言うがまるで聞き入れられず、それでも立ち塞がってくれた親友のおかげで、千歌は今こうして生きていられるのだと涙を流す。

曜「そ、そんなっ!!」

曜「わたし、何も出来てない……っ」


 曜も同じく、涙を流す。

 弱い、弱い、弱い。


 守ると決めた友達の、全てを守れなかった。むしろ千歌の機転により守られてしまうことの方が多かった。


 許さない。再び燃え上がる聖良への憎しみの炎。もし次会った時には必ず、壊す。千歌が笑っていられるように、あんな風に恐怖に顔を歪ませなくていいように。

 これからも一番近くで、今度こそ守って見せると誓ったのだった。


 しかし。


千歌「曜ちゃん……次の町からさ、別々に旅、しよっか」



曜「――は?」

千歌「千歌ね、考えたんだ。私、今のままじゃ何も出来ない。曜ちゃんに頼ってばっかり、甘えてばっかり……こんなのじゃ、チャンピオンになれるわけない……ツバサさん、凄かったよね、あれに勝たなくちゃいけないんだよ」


曜「……」

千歌「強くなりたいっ……自分の身も守れないで……誰かに頼って、そんなの意味ないよっ……」

千歌「わかってるつもりだった。梨子ちゃんよりも強くて、あの果南ちゃんも……バトルやめちゃって、そんな人に勝つってこと、つもりだったのに」


 頭が真っ白になる。


曜「――私と一緒に旅するの、嫌、なの?」


千歌「っ、そうじゃないよっ……! 曜ちゃんと一緒がいいけど、曜ちゃん、私より凄いし、だから絶対別々の方がためになる……」


千歌「曜ちゃんのこと、これ以上縛りたく、ない……っ」

曜「なに、それ……」


 そう、か。弱かったから。

 あの場で千歌を守ることが出来ていれば、こんなことを言われる必要なんて無かったのだろう。 弱い自分など、必要がないんだ。千歌にとって、必要なのは強い曜、強い友達。その例になれなかったということは、千歌にとって必要がなくなってしまったのだろう。

 強く、なるしかない。

 誰の目にも疑わせないほどに強く、どのジムリーダーより、どの、四天王より、どのジムリーダーより。そして千歌が必要だと思ってくれるように。

 曜の心に根を下ろした一つの感情、膨らみ続けることで、どこかへと突き落とす。


 沈黙で満たされた一分間、ドアを開けて入ってきたのはジムリーダー矢澤にこ。


 千歌の隣で倒れていた少女、千歌はそのことが少し気になっていた。にこの口から明かされたのは、黒澤ダイヤの容態は昏睡状態、いつ目を覚ますかわからない状態にある、と千歌達に説明をした。


 災難だったわね、また明日色々説明しに来るから、と一言。


 そのにこの言葉は、曜にほとんど届いていない。そんなこと、いや、ほとんどのことが、どうでもよかった。

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