少年「僕は一人ぼっちで旅をする」 (20)




敵国最後の戦闘員の息の根をとめた瞬間、少年は突然ぶるりと震えた。
悲嘆、歓喜、恐怖、どれとも判別できない激情が喉にこみ上げ、哄笑として外に飛び出た。


「………やった!終わった!勝ったんだ……僕らが!」

「これで、これでやっと戦争が終わった。やっと家に帰れる……ははは!はは!」


笑いが収まらぬまま、手にもっていた銃を放り投げる。もう彼には必要なかった。
そうして今しがた彼が心臓を射抜いた最後の戦闘員——少女の元へ駆け寄る。

清々しい思いが彼の胸を今満たしていた。
長い長い間、彼と彼女は戦い続けていたのだ。飽きるほど長く。投げ出したくなるほど遠く。


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戦の終焉に泣きだしたいくらい安堵していた。いつもより饒舌に少年は話しかける。


「僕の勝ちだ。で、君の負けだ」

「別に君に恨みがあったわけじゃないけど……君を倒さないと戦争が終わらなかったんだよ。悪く思わないでくれ。僕は故郷に帰るよ」


少女は返答しない。当たり前だ。
虚ろな瞳が空の色を映している。

ふと彼女の胸元に光るものを見つけた。少年が屈みこんで目を細めると、細工が施された銀のペンダントだと分かる。


「……」

「弔いにこいつを僕の故郷に連れてってあげるよ。最後まで戦い抜いた、ライバルだからね、僕たち」

「僕の故郷はいいところなんだ。まあ、あんまりよく覚えてはないんだけどさ。長閑で人もみんな優しい。きっと君も気に入るさ!」



ペンダントを持ち上げると、それはずっしりと重く彼の掌にのしかかった。
人の命もこれくらい重ければいいのに。少年は思った。

誰にも奪われないくらい、ずっとずっと重いものだったならよかった。

少年の国が属する軍と、少女の属する軍による戦争は、本土から離れた孤島で、長い時を跨いでひっそりと行われていた。
戦争は少年が生まれるずっと以前から続いていて、そのきっかけも理由も彼は知らなかった。

ただ幼い頃に家族から引き離され、戦場へと投げ込まれたのだった。仕方ないので彼は家に帰るために戦い続け……今ようやくその努力が報われようとしている。


孤島を脱出して、本土の基地にいる上官に、戦争が終了したことを告げにいく前に、少年は仲間に会いに行くことにした。



彼がこれまでの人生を大部分を過ごした大きな古城は、崖の上にある。
鬱蒼と生い茂る樹木に囲まれており、窓から身を乗り出せば崖の断面に白波が打ちつけられる様がありありと見える。

バックに全く青空が似合わず、むしろ雷天や曇り空がしっくりくるような憂鬱な雰囲気を醸し出す城だった。



それでも少年はここが好きだった。
彼にとって、ホームと称してもいいくらいの場所だった。

いつも通り荒々しい波の音を背後に聴きながら、ランプ片手に地下室げの階段を下っていく。地下に彼の仲間たちは眠っている。





「なあ、みんな聴いてくれ。今日戦争が終わったんだ。僕が終わらせた」

「僕たち勝ったよ……。なあ、喜べよトカゲ」


トカゲは地面にひかれた麻布の上でまんじりともしない。ちぎれた腕からはもう血液はでていなかった。
彼が負傷したのは、昨日だったか。それとも一昨日だったか。


少年が一番初めにあだ名をつけたのは彼だった。
爬虫類のような、鋭い瞳孔をしているから。だからトカゲだ。
そう少年が彼に言った時の表情は、決して喜ばしいものではなかったけれど、半月も経たないうちに気にいって自分で名乗っていた。

少年には仲間に動物の名をもじってあだ名をつける癖があった。


「お前らの遺体は、僕一人じゃ本土まで運べないから、もう少し待っててくれ。本土に行って人を呼んでくるから」

「じゃあ、また来るから」


4人の仲間たちの遺体に、布をそっと被せると、少年は波止場に向かった。
あちこちで戦闘員だったモノが、呼吸と鼓動を止めて伏している。

孤島はどこもかしこも血だらけだった。大地も樹林も、空でさえ真っ赤に染まっていた。
……どうやらのんびりと歩きすぎたようだ。早く本土に行かないと日が暮れてしまう。

臭気に顔をしかめながら、少年は歩く速度を上げた。



「あれ、やっぱり誰もいないな。どこいったんだろう」


海から見た通り、本土には人っ子ひとり見当たらず、少年は戸惑いながらも軍基地のドアを開けた。

なぜか孤島にいた時に嗅いだ匂いがツンと鼻を掠める。

とりあえず、彼は上官室のドアをノックした。彼の直属の上司……この部屋の持ち主はたまに孤島に救援物質を届けてくれていた。
最後に会ったのは約2か月前である。


「上官。上官ー!いますか?開けていいですか?」

「……案の定いないな。みんなどこ行っちゃったんだろ?」


上官の部屋は、彼の几帳面の性格のせいかかなり小ざっぱりしていた。
数枚の書類がのった机、軍法や兵法の本がたくさん詰め込まれた本棚、歩くと僅かに軋む床。


部屋の持ち主が不在のそれらは、窓から差し込む紅色の光に照らされてどこか所在なさげだ。

少年は途方にくれてしまった。

何かがこの街に起こっているらしいが、事情を訊ける人もいないとなればどうすればいいのか分からない。
この次は商店街に足を運んでみようかと、適当に考えたところで、上官の机の引き出しがほんの少し開いていることに気づく。


「覗いたら怒られるかな。……まあいいか。誰もいないし」


躊躇の時間は5秒にも満たなかった。
引き出しの中には、茶色い表紙の日記が入っていた。

今度は躊躇なく彼はページをめくる。
トカゲが生きてた頃には、お前はデリカシーがなさすぎるとよく言われていた。


途中のページはどれも日常の些細なことが書かれているばかりだったが、最後のページのあたりには妙なことが書いてあった。


「日付は……今日から1カ月半前か」


———街に謎の病が流行し始めた。罹った者は3日で死にいたるという危険な病気だ。
聞いたところによると、病の初期症状は幻視らしい。現実には咲いていない花が視界の隅に映るらしい。

また病の特徴として、死体は跡形もなく消えてしまうのだそうだ。
墓場の近くの住宅地を中心にどんどん死者の数は増加している。
医者を呼んで対策を立てなければ……。


「流行り病?」


———先日医者を呼んだが治療法が全く分からないという。今日、彼も花が見えると言い始めた。見たことのない花だと述べる。
今日病で死んだ者を見た。命が潰えた瞬間、その体は蒸発するようにゆっくりと消えていった。我が目を疑った。
こんな病、聞いたことも見たこともない。

どうしたらよいのだろうか。
街は大混乱だ。もはや秩序も何もなくなりかけている。街を離れていく者もいる。
もし彼らが既に病に感染していたら、全世界にこの恐ろしい病が広がってしまうことになる。しかし、私たちは彼らを止めることができなかった。




「……」
次のページを無言でめくる。


———ああ。神よ。
軍人のほとんどが今は死んでしまった。基地に残っているのもあとわずか少数だ。
孤島にはこの病気は伝わっているのだろうか。私の部下たちは無事だろうか。
花が見え始めた……。私ももう終わりだ。


「……」
最後の日付だ。


———指先を動かすのも一苦労な状態だ。
恐らく今日私は死ぬだろう。
家族に申し訳が立たない。
妻と娘だけは、どうかこの病から逃れられますように。




日記はそこで終わっていた。
最後のページは文字が判別しにくいほど、筆跡がぶれていた。

少年はしばらく日記を開いたまま茫然としていた。


「うそだろ」

日記を机に叩きつけると、弾かれたように走り出した。
基地の扉という扉を蹴り開けていく。

「おーい。誰かいないの?」

食堂。トイレ。脱衣所。洗面所。

「なあ!」

中庭。裏庭。屋上。寮。

「なあ……」

静寂だけが彼の呼び声に応えた。



少年は基地を飛びだすと、街に向かう。
夕日が海と空の境目に沈みかけている。一番星が藍色のベールの隙間で必死に光っていた。
目を奪われるような美しい景色だったが、彼にはその情景を楽しむ心の余裕がなかった。



「だれかいるんだろ?」

花屋。肉屋。パン屋。服屋。


「戦争が……終わったんだよ」

広場。街灯。ベンチ。木立。舟。


「誰か僕のこと、褒めてくれよ。僕が終わらせたんだ……」

花壇が美しい小さな家のドアをけ破った。
誰もいない。誰もいない。誰もいない。



「全員殺したんだ!だってそうしないと、家族に会えなかったんだから」

「なんでみんないない?これじゃあ……僕は、なんのために」

「……なんのために」



…………応えはついぞ返ってこなかった。

きっと1カ月前には、この街は無人だったのだろう。そう少年は思った。
街灯も、戦争が終わるずっと前から、炎が宿されぬままだったのだろう。

少年は海の方を向いてベンチに座っていた。


「これからどうしようか」

「今、病はどこまで広がっているんだろう」

「故郷のみんなは無事だろうか。母さん、父さん、姉さん」

「……故郷に帰ろうか」

「そうだ。僕はそのために戦ってたんだから。帰ろう。ここと故郷は随分離れているし」

「きっと病もそこまで流行していないだろう。ああそうさ!」



少年はぼんやりと霞んでしまっている記憶の母と父と姉を思い出す。
手紙のやりとりはごくたまにしていたが、会うのは本当に久しぶりだった。
家族を思い出すと、心に忍び寄ってきていた心細さと虚無感が霧散した。

彼の体に疲労感はなかった。
一刻も早く故郷に向かおうと、馬小屋へと走り出す。


流行り病は動物には感染しないようだった。
馬を飼っていた人間が、自分が死ぬ前に馬たちを解放したようで、隅で草を食べている一頭以外の姿は見えない。


「君は逃げないんだな」

馬のつぶらな瞳が少年を見つめ返す。
何を考えているのか分からない瞳だったが、少年は微笑んだ。

暖かい皮膚や呼吸音に触れることができるのがとても嬉しかった。





少年はその日の夜、里帰りの旅を始めた。

誰もいない世界で、一人ぼっちで、血に濡れたマントを羽織って。

荷物もなく、言葉もなく、家族への思いだけを胸に秘めている。

海に浮かぶ一番星だけが彼のちっぽけな背中を見まもっていた。


>>4>>5の間抜けてた……ごめんなさい





本土に上陸するのは、一体何年ぶりだろう?
波に揺られながら、不思議と高翌揚した気持ちで考える。


「きっと故郷のみんなも国民も喜ぶだろうな」


しかし、波止場に近づくにつれ違和感を感じるようになった。

人が———いない。

不気味なほど人の気配がない。

波止場にはたくさんのヨットや舟が浮かんでいるのに、人の姿がない。
岸に面した大小様々な商店にも、人の姿がない。
奥の住宅街にも。波止場を降りてすぐある軍基地にも。


「……? 今日は何かあるのか? 嵐がくる気配もないのに」


少年の乗っている舟が軋む音だけがこの世界の全てのように思えた。
彼の後ろで真っ赤な夕日が笑っている。

夕日に追われるように少年は岸へと急いだ。


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