【モバマス】奏「サマーインザミラー」 (60)





      「ねえ、キスしてくれる?」



 彼女はいつものようにそっと近づいて。

 妖艶に囁いて。



 でも、唇が重なる事は無い。 

 俺の反応を見て、いたずらっぽく笑むだけ。

 それが、速水奏という子だ。



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 十七歳だが、その顔立ちは、とても高校生には見えない。

 スーツを着て並べば、俺と同い年に見られてもおかしくないだろう。



「……プロデューサー、何か失礼な事考えてない?」

 おまけに勘もいい。
 
「いや、そんな事はないぞ」

「どうだか」

 ソファーに座ったまま、こちらに振り返っていた奏は疑る様に見つめてくる。

 話題を逸らす為、テレビ画面を指差した。
 
 彼女は事務所でレンタルしてきた映画を観ている所だった。

「それより、映画は観終わったのか?」
 
「エンドマークが見えないのかしら」
 
 停止された白黒の画面の中央には大きくENDと浮んでいた。

 俺からも良く見える。事務所のテレビは大きいし。



 こちらを怪しむ視線が強くなる。

 なんとか誤魔化そうと俺は話題を探した。

「どんな内容の映画だったんだ?」

「同じ部屋にいたんだから、分かるでしょ」

「いや、俺は仕事してたし、音も小さかったからさ」

 気を利かせたのだろう、奏は音をかなり絞っていた。

 ……まあ、字幕だから音が聞こえなくても大体は分かるのだが。

 でも仕事をしていたから観ていなかったのは本当だ。

 奏はまだ疑っていたが、



「……そうね、しいて言えば私達にも大いに関係のある映画だったわ」

 話の乗って来てくれれば、こちらは一安心。



 奏も、映画の感想を語るのはやぶさかではないのだ。
 
 もちろん、聞いてる俺にしてもだ。
 
 別に話題を逸らす為だけに聞いた訳ではない。本当である。

「古い映画みたいだけど、アイドルに関係あるのか?」

「アイドルと言うより、芸能界全てね。いかにしてのし上がるか。のし上がった先に何があるかね」

 彼女は、少し寂しげに笑みを浮かべた。
 
「永遠に繰り返される事よ。栄枯盛衰。俳優もアイドルも」



 俺は画面に目を戻す。

 ENDと書かれた奥では、一人の女性が三面鏡の前に立っていた。

 鏡は万華鏡のように女性の姿を反射しあい、幾重にも像を映し出している。


「私が居なくなっても、また別の誰かが出て来るわ」

「馬鹿。まだ花盛りだろ?」

「もちろん。私の方はまだENDマークが出るには早いわ」





「仮にENDマークが出たしても、奏ならパート2、3と続いてくよ」

「あら、嬉しいことを言ってくれるわね」

「お世辞じゃないぞ?」

 本当にそう思ってるのだ。プロデューサーとして近くで見ているから分かる。

 彼女の魅力、輝きを、誰よりも理解しているつもりであった。




「……もし続編が出るとしても。私、監督はプロデューサーさんのままが良いわ」



 ドキリとする。

 意味深な言葉に、奏の顔を見ると。

 



 小悪魔の様に、不敵な笑みを浮かべていた。

 ……やられた。


「フフッ」

「からかうのもいい加減にしろよ……」


「監督に変わって欲しくないのは本当よ?
 監督が変わると、作品の雰囲気がガラっと変わってシラけることあるもの」

 俺に一杯食わせた事に、満足したように微笑み。


 これが、速水奏という子だ。



  (無難だな)


 最初に奏のプロフィールを見て思った事だ。


 趣味、映画鑑賞。

 極めて無難だ。


 これが読書だと、彼女ではちょっと堅苦しい。

 ショッピングだと、彼女ではちょっと軽すぎる。



 その点、映画は無難だ。

 映画と言っても色々ある。

 一体どんなものを良く観るのか、そこに想像の余地が生まれる。

 その余地がまた彼女の魅力になってくれるはずだ。

  
 実際に観ているモノは何でもいいのだ。

 例え下ネタ満載のコメディ映画だろうと、映画鑑賞である事には間違いない。



(おおかた、流行りの恋愛映画とかだろうな)


 そう、当たりをつけていたが。




「人生はチョコの箱。空けるまで中身は分からない、っていうでしょ?」



 いつかのイベントの最中、奏での口から洩れた言葉だ。

(その言葉って、確か)

 古い映画の中の、有名な台詞だったはずだ。



「そんなに古い映画じゃないわ。映画の歴史は長いのよ?」

 その事を聞くと、奏は不服そうに眉をひそめた。

「少なくとも、白黒映画じゃないんだから」

 その言葉で、自分がとんだ思い違いをしてるのを理解した。

 彼女は、流行りの恋愛映画を追いかけているだけの女子高生とは違っていた。

 それどころか。

「恋愛映画は苦手なの。見てて恥ずかしくなるし……」


 映画好きと言うのを、大っぴらに語る事は無い。

 それでも、インタビュー記事などから漏れだすその話題が彼女を一層ミステリアスに、

 そして同年代より大人という印象を強くさせていた。


 ただし映画は、彼女のいたずら心もくすぐる事があった。


 


「私ね、昨日ナンパされたの」

「はっ?」

 事務所のソファーで二人、向かい合ってお茶を飲んでいたら突然そんなことを言い出した。

 沢山は困るが、ナンパされるのは魅力があると言う事。アイドルとしては悪くない。口に出す気はないが。

 だが、よくナンパされると言うのは、奏からも以前、聞いていた。

 それなのに、なぜナンパされた事を報告するのか。





 奏は何か思いつめた表情で、事務所の中を見回していた。

「……ナンパってどこで?」
 
 彼女が告げたのは、事務所近くの駅の名前だった。

「で、無視したんだろ」

「それがね、普通とちょっと違った人だったの。
 目は鋭くて凄い体格のいい人で、ヤクザみたいに見た目は怖いんだけど、なんだか優しそうでね」
 


 彼女は上目づかいで、お茶を傾けている俺の方を見て来た。

「名前は、リンドーさんって言ったんだけど」

 どうやら外人さんらしい。それならヤクザではなくマフィアなのではないか。

「まさか、ついて行ったのか?」

「そうなの。馬鹿な事をしちゃったわ……」

「馬鹿な事って、なんだよ」

「それは……」

 奏が言葉を濁し、俺は背中に汗を流した。

 彼女は顔を背ける。

「その……狭い路地に連れていかれたと思ったら、三人の棒を持った男が立っていて、それで」

「それで、なんだよ?」

 奏では俯くと、怯えるかのように、小さく震え始めた。
 



「おい、奏……」
 
 俺は思わず彼女の側に寄るが、奏は離れる様に身を背ける。

「なあ、奏。一体何が……」

「……」

「オイ……オイ!」

「……」

「……オイ?」
 

 どうも、おかしい。


 こちらに気がつかれた事を悟ったのか、奏は堪えたモノを溢れ出した。


「フフフッ 騙された?」
 
 彼女は口元に手を添え、楽しそうに笑っていた。



「やっぱり嘘か……」

 最初からおかしいとは思っていた。

 ただ、奏の演技が余りにも迫真だったので、信じかけてしまったのだ。

「大体、リンドーなんて名前の人、いるのかしら?」

「おいおい、名前を出したのは奏の方だぞ。よくそんな名前を思いついたな。せめて日本人にしろよ」

「プロデューサー」

 今度はしてやったりという笑みを浮かべながら、俺の持っていたコップの底を叩く。

 なんなんだ……


『リンドー製』


「リンドーってこのコップのメーカーかよ!?」

 普段から使っていたが、どこのメーカーなのか、気にした事もなかった。

「映画であったのよ、嘘をつくトリックで」

 その映画でも、コップの底にあった名前を拝借して嘘をついたらしい。

 びっくり、半ば呆れている俺に、彼女は事務所の中を指示していく。


 窓の外。遠くに見えるのは最寄駅。


 慰安旅行の際に撮った写真には、ヤクザのように眼光が鋭く、体格のよい俺の先輩。


 俺と上司、先輩の三人が、釣り具を持っていた。



「見える範囲のもので、嘘を組み立てたのか……」
 
「ええ、そうよ」

 呆れる様に肩を落とした俺に、満足げな様子であった。


「コップの裏に名前があるのが見えて、ついやってみたくなっちゃったの」


「あのな、奏。いたずらは結構だが、今回のは行き過ぎだぞ」

「そうかしら? 私はただ、棒を持った男の人に囲まれたと言っただけよ」

 繁華街で釣り具を持ったオッサンどもにな。

「だけど、そんな言い方じゃあさ。分かるだろ。人を心配させる」

 もう少しちゃんと言った方がいいだろうか。

 だが、奏は素直に受け止めてくれた。

「そうね、ごめんなさい。やり過ぎたわ」

「まあ、分かってくれるならいいけど」



 それ以降、奏は度の過ぎた嘘をつく事は無くなった。

 この辺りのもの分かりの良さも、不思議と彼女を大人であると思わせた。
 
 最も、こちらをからかう事は、止める気もないようだが。
 


変わった予定と言うのが、写真集の発売であった。

その撮影の為に、ある離島に向かうことに。




「もしかしたら、恐竜や巨大なゴリラが待っているのかもしれないわね」


飛行機の中で、奏が嬉々とした様子で言う。

「そんな秘島じゃないから。ちゃんと人住んでるし」

「あら、残念」

「大体、その映画のチョイスはどうだよ?」

「あら、怪獣映画は嫌いかしら。男の子ってみんな好きなモノだと思ってたけど」

もう男の子って年じゃないけどね。

「嫌いじゃないけど……もうちょいリアリティのある映画とか思いつかないのか」

「島をテーマにした映画って、案外少ないのよ」

彼女は記憶の中を彷徨うように視線を泳がせてから、

「じゃあ、バレーボールを友達にしてみようかしら」

「四年間も島に取り残されるのは勘弁してほしいぞ」




奏のプロデューサーになってから、俺も良く映画を見るようになっていた。

俺がすぐに答えたからか、奏も声を弾ませる。

「無人島生活、楽しそうじゃない?」

「あの映画を見ても楽しそうには思えないかな」



「私が一緒でも?」

上目遣いで覗き込んでくる奏に、

俺は肩をすくめた。




「客がバレーボールだけじゃあね」


「無人島でもライブをする気?」

「ああ、アイドルとプロデューサーがいるんだからな」

「全く、仕事熱心だこと」

呆れるよう首を振りながら、奏は微笑む。

こちらだって、奏のからかいに一方的にやられてばかりではない。

ちゃんと対処の仕方は学んでいる。

まだ、勝率はそこまで良くないが……

「まあ、いいわ。四年とは言わなくても、無人島に三日は二人っきりだものね」

「だから無人島じゃないって……」

撮影スタッフさんもいるし。



飛行機を降りてから更に船を乗り継いで、目的地の島に着いたのはお昼頃だった。

まずは荷物を置くために、民宿へ。

島には民宿が二つだけあるが、いずれもスタッフ全員で泊まることは出来なかった。

その為、二つに別れて泊まることに。

奏と俺は、古い方の民宿に。


「なんだか、おばあちゃんの家って感じね」

「奏のおばあちゃん家って、こんな感じなのか?」

「一般的なイメージを言っただけ」


実際、此方を経営しているのは老夫婦であった。

泊まれる部屋は二つだけだが、両方ともそれなりに広い。

間取りは同じで、畳部屋。テレビに机。


そして、三面鏡のついた化粧ダンスが置いてった。



荷物を置くと、早速撮影に入った。

流石と言うべきか、奏は求められたポーズを次々とこなし、順調に撮影は進んでいく。

砂浜や人気のない島の風景、港などで撮影を続けていく。

時は進み、夕陽が空に美しいグラデーションを作り、奏の背景を彩る。

空に浮かんだ大きな雲が、その風景を飾っていた。



だいぶ暗くなった所で、今日の撮影は終了となった。

小さく息をついていた奏に近づく。今は水着の上にシャツを羽織っていた。


「お疲れ」

「あら、プロデューサー」



「ご苦労様、良かったよ」

「当然でしょ? 貴方より目の厳しいカメラマンさんがOKしてくれたんだから」

ごもっともである。俺は苦笑した。

「じゃあ、早く着替えてこいよ」

「その前に、少し散歩しない?」

断る理由はない。俺が頷いた。



奏を連れ添って、浜辺を歩いていく。

さざ波が耳を撫で、ときおり柔らかな風が二人の間を流れ過ぎていく。

風で乱れた髪を白く細い指で直しながら、奏は海に目を向けている。

「いいわよね、海って」

「清潔だからか?」

奏は首を傾げていたが、少しして、苦笑を漏らす。

「それは、砂漠で言うべきセリフじゃないかしら? 海じゃあちょっと違うわね」

「あら、そうか」

好きなセリフだったので上手く使えたと思ったが、奏の採点は厳しい。

うまく使うにも 、残念ながら砂漠での撮影の予定は今のところ入っていない。


浜辺を歩いていると、少し盛り上がった物が見えた。

近づいて見ると、砂の城が崩れかけていた。

少し前に別の観光客のグループが来ていたと聞いていた。

彼らが作ったものだろうか。


「懐かしいな、子供の頃に友達と海に来た時、俺も作ったよ」

傍にしゃがみ、崩れた砂を上に乗せ直す。

そんなことをしても、元の形とは程遠い。



「奏は小さい頃、砂の城とか作った事あるか?」

「さあ、どうだったかしら。遠い昔のことは思い出せないわ」

「遠い昔って、俺よりも近いだろ……」

「フフッ。いいじゃない。女に秘密はつきものよ」

「隠すような秘密でもないだろ」



奏は俺の傍にしゃがむと、微かに残っていた模様を指でなぞり出す。

「でもそうね。見るのは嫌いじゃないけど、作りたいとも思わないわ」

「立体作るの苦手なのか?」

「そういう訳じゃないけど、砂の城って……」

奏がなぞっていたので部分の砂が崩れてしまう。

「あっ……」

大きな欠片はそのまま砕け、ただの砂へと還っていく。

それから、奏はおどける様に肩をすくめ。

「下手に弄ると、簡単に壊れちゃうでしょ?」

浮かべた笑みは、日の加減のせいか、どこか寂しげに見えた。



奏は立ち上がると、大きく体を伸ばす。

「もう戻りましょう。お腹もすいてきちゃったし」

「そうだな。明日も撮影があるんだから、しっかり英気を養わなきゃ」

二人で元の位置へ戻ろうとしたとき。

「あら?」

海の方へ目を向けていた奏が言葉を漏らした。

「どうしたんだ」

「あの雲、さっきよりも大きくなってない」

彼女が指差した方向を見ると、先ほどの撮影中よりも、雲が大きくなっているようだった。

「本当だな」

「明日、雨が降らなければいいけど」

「大丈夫だよ、天気予報は晴れだったんだから」

口ではそう言いながらも、俺自身、ちょっとの不安を胸に抱えながら、二人で浜辺を歩いて行くのだった。



こういう時の嫌な予感は、当たりやすいもので。

翌日、小さな島には雨粒が隙間なく降り注いだ。

室内での撮影を幾らかこなしたが、午後からは休みということになった。

奏は部屋で宿題をし、俺も雑務をこなしていた。

それも、直ぐに終わる。

喉の渇きを覚えたので、俺は飲み物をもらうために一階に降りる。



広間では、奏が椅子に座って文庫本を読んでいた。

奏が本から目を上げる。

「あら、プロデューサーさん。お仕事はもういいの?」

「ああ。奏は宿題終わったのか?」

「ええ、とっくに」



「散歩に行こうにも、こう雨が強いとね……」

小雨程度なら未だしも、外は土砂降り。散歩を楽しむ余裕はない。

「なんなら、雨のうたれながら、一緒にタップダンスでもするか?」

「プロデューサーさんがやってるのを見るだけでいいわ」

奏は退屈そうに息をついた。


「それなら映画でも見ますか?」

経営してるおばあさんが提案する。お客さんが退屈しないようにと、映画のDVDがあるという。

早速、DVDの入った箱を見せてもらう。

品揃えは古めだが、奏にとっては関係ない。楽しそうに並んだパッケージを見ていたが。

「あら、これって」

彼女の手にとったのは周りのよりもひと回り大きなパッケージ。

「ビデオだな」


箱の底にはビデオが並んでいた。

今更ビデオとは……。

「じゃあ、今からこれを見ない?」

奏は手に持っていたビデオを揺らす。

「ええ……」

「あら、古い映画はお嫌い?」

そのビデオはかなり古い映画であった。

古いのは別にいいのだが……

「それ、前半って書いてあるぞ。って事は後半も」

「ええ、ここにあるわ」

箱の中から後半と書かれたものを取り出す。

「結構長いんじゃないか」

「いいじゃない、時間はたっぷりあるんだから」



結局、その二本組の映画を見ることに。

広間にもテレビがあったが、そこではDVDしか見ることが出来なかった。

古いビデオデッキを引っ張り出してもらったが、広間のテレビに繋ぐには、今のついてあるデッキを一度取り外さなければならなかった。

「なら、上の部屋にビデオデッキを持っていっていいかしら?」

「奏の部屋で観るのか」

「あら、女の子の部屋に入りたいの?」

と言うわけで、ビデオデッキを俺の泊まっている部屋に運び入れる。


ビデオデッキをセットしていると、 おばあさんがお菓子とお茶を持ってきてくれた。

ビデオデッキのセットも終え、映画の再生を始める。

デッキをの中でテープが動く音が聞こえ、画面に映し出された。



映画は本当に古いモノでアメリカの戦争を舞台にしたものであった。

まだカラーが出始めたばかりだから、人工的な色使いで、ビデオの画質のせいもありレトロに感じられた。

(しかし……)

畳に座りながらビデオで映画を観るというのも、なんだか不思議な気分だった。

何より、隣には奏がいる。彼女は姿勢を崩しながら、リラックスした態度で見ていた。

その横顔に目を向けると、彼女と視線が重なる。

「どうかした?」

「ああ、いや。なんでも」

「そう?」

首を傾げながらも、奏の口元には笑みが浮かんでいた。



長かったので途中で夕食を挟み、観終わった頃には、外はだいぶ暗くなっていた。

雨はまだ止む様子はない。

「有名な作品だけど、なかなか観る機会なかったのよね」

奏は座りながら、満足げに体を上に伸ばしていたが、そのまま後ろに倒れこんだ。

服がめくれて、ヘソまで露出していた。

「おい、お腹でてるぞ」

「お腹くらい、水着で散々露出したのに?」

「それはそれ」

「フフッ」

奏は楽しげに笑ってから、小さく息をつく。

「付き合ってくれてありがとう、プロデューサー」

「こちらこそだよ」


奏は目を丸くする。

「どうして貴方がお礼を言うの?」

「だって、奏とじゃなきゃ、この映画は観なかったと思うし」

奏の言うように有名なのだが古すぎる。その長さもあって、中々手が伸びないのだ。



「ああ、そういうこと」

奏の表情が少しだけ、かげった様に見えた。

「どうかしたか」

「別に、なんでもないわよ」


ゴロンと体を横に向けると、目をつぶって体を丸める。

「おいおい、寝るなら自分の部屋で寝ろよな」

「大丈夫、寝ないわよ」

それはフラグと言うものだ。


壁に掛けたジャケットが振動する。

ポケットの中に入れたままだった携帯を取り出すともう一つの宿に泊まっているスタッフからの連絡であった。

これから予定で少し話したいことがあるという。

「悪い、ちょっと向こうの宿に行ってくる」

奏は寝返りをうつようにこちらを見上げた。

「打ち合わせ?」

「ああ」

虚ろな視線を向けてきていた奏だが。

「………あたし、もう少しここに居ていいかしら?」

「寝るなよ?」

「寝ないわよ」

証明するかのように、奏は半身を起こした。


「お菓子がまだ残ってるから、食べてこうと思って」

「食べ過ぎて、今後に支障をきたすなよ?」

「そこまで食べないわよ」

呆れるように言った彼女に見送られ、俺は部屋を出ようとする。


「あーあ、こんな雨の日に、女の子を一人っきりで置いていくなんて」

「……」

振り返ると、いつものように奏は小悪魔な笑みを浮かべていた。

「罪な人ね、本当に」




土砂降りな夜の中を、傘を差しながら俺はもう一つの宿へ向かった。

跳ねる雨粒が身体にもぶつかり、体温を奪っていく。

(これなら、ジャケットを着て来ればよかったな)




半分ほどを進んだ所で、再び携帯がバイブする。

見ると、資料などを持ってきてほしいと書いてあった。

(勘弁してくれよ)

だからといって無視するわけにもいかない。


踵を返し、再び宿に戻る。

どこかの窓が開いているのか、室内にも強く雨音が響いていた。

(ジャケットも着てくか)

そんなことを考えながら階段を上がる。

奏の部屋の前を通ったが、明かりは灯っていないようだった。

(まだ俺の部屋にいるのか?)



まさか本当に寝てないよな……




奏が寝ていることを考え、足音に気を付けながら静かに進み。

扉の隙間から覗き見た。



「……!」



そこに奏の姿はなかった。

ただ、扉の向こうには、化粧台。取り付けられた三面鏡が、廊下から見えない死角を映し出していた。




一瞬、知らない人物といるのか思い驚いたが、違った。


見えたのは、壁にかかったジャケットと、奏。


彼女は俺のジャケットの片方の袖に腕を通し、その腕で自らを包み混んでいた。



まるで、誰かと抱き合っている様に。


愛おしげに、俺のジャケットに頭を傾けていた。




「……」


俺はワザと大きな音を立てて、扉を開く。

直ぐには入らず、間を置いてから部屋に踏み入った。



奏はジャケットから離れていたが立ったまま。戻ってきた俺に驚いていた。


「もう打ち合わせ終わったの?」

「いや、資料を持って来いって連絡入ってさ。だからさこの雨の中を引き返してきた訳」

「ああ、そういうこと」

「奏もまだ残ってたんだな」

「あたしも部屋に戻ろうとしていた所よ」


奏の白い頬が微かに紅潮していたことを、俺を気がつかないふりをした。



多分、それでいいのだ。

そうした方がいいのだ。


俺は資料の入った鞄ごと、手に取り。

「じゃあ、行ってくるよ」

「ええ」

部屋を出て。

そのまま、行けばよかったのだ。

でも、振り返ってしまった。

廊下から、自分の部屋を。

見えたのは化粧台の鏡。



その奥で、青ざめた顔でこちらを見る、奏の姿だった。








打ち合わせの内容は殆ど頭に入って来なかった。

民宿に戻ると、奏は自分の部屋に戻っていたようだ。

でも、彼女の部屋の電気は消えていた。

「奏?」

何度かノックをしたが、反応は返ってこなかった。

結局彼女とは話せず、俺も部屋に戻って寝ることにした。

布団に入っても、全く寝ることができず。


気がつけば日が昇り始めていた。

雨は、すっかり止んでいた。



朝、食事を取りに一階に降りると、既に奏が席に座っていた。

「おはよう、奏」

奏は返事も返さず片肘をついてそっぽを向いていた。

言葉を探すが、何を言ってもうまくいくようには思えず、逡巡していたが。

「フフッ」

不意に奏が漏らす。顔をこちらに向けるといつもの様な笑みを浮かべていた。

「焦った、プロデューサー?」

「……何がだよ」

「あたしが足音に気がつかないと思ったの?」

「……ああ、そういうこと」

俺は肩から力が抜ける。





「その様子だと、成功したみたいね」

「ああ、大成功だよ」

俺が降参したように小さく両手を上げると、満足げに微笑んだ。


「フフッ。プロデューサーはホント、からかい甲斐があるわね」



まさしく、お手上げというものだ。

奏には敵わない。

彼女の演技力は見事なものだ。いつも騙されてしまう。

他人の嘘を見分けるというのが、俺は苦手なのかもしれない。

でもな。

それでも、俺は奏のプロデューサーなんだ。

彼女が絶対に嘘をついていない時は、分かるつもりだ。



鏡に映ったあの顔は、嘘じゃないって。




そして奏も気がついているはずだ。

俺にその嘘が通じていないことを。

おたがいに気がつきながら、騙されたふりをしていた。



残りの撮影は朝から行われた。

何も問題はなかった、驚くくらいに。

撮影の合間にも、奏とたわいのない会話を交わす。

自然で、どこか空々しく心に響いた。



撮影は夕方と共に終わり、打ち上げということでバーベキューを行うことになった。

打ち上げでも、奏は笑い、俺も笑い。

でも、 互いに隣へ行くことはしなかった。




バーベキューも、終りに近づいた時。

浜辺に一人向かう、奏の後ろ姿に気がついた。


気がつけば、俺は奏の後を追っていた。




奏は佇んでいた。

周りには誰もおらず、波打ち際に一人。

波の音色に、身を委ねるように。

そのまま、海に消えるかのように。


「奏」

俺の声に、彼女が振り返る。

「プロデューサー。あなたも夜のお散歩?」

「まあ、そういう所かな」

俺は肩をすくめる。

「よかったら、一緒にどうだ?」

奏は僅かに躊躇したようだったが。



「ええ、いいわよ。喜んで」




初日のように並んで、奏と浜辺を歩いていく。

会話はなく、海の囁きが二人を包んでいた。

会話の糸口を探そうと、俺は思考して。



「あれだよな、夜の浜辺って事件の始まりって感じだよな」


「……何言ってるの、プロデューサー」

本当に何言ってるんだろうな、俺。



「いやあ、ほら。最近見た映画で、そういうのがあってさ。ゴーストライターの映画なんだけど」

「へえ、そんなのあるんだ?」

奏は知らない映画のようだ。なんだか珍しい。

「ああ。話の頭で主人公の前任者のゴーストライターが、遺体になって波打ち際に打ち上げられてるんだ」

「……その人は男の人、女の人?」

「前任者? は、男だけど」

「まあ……プロデューサー、残念ね」

意味深なため息を奏が漏らす。

「……いや、待て。俺はここで死ぬ気はないぞ!」

「でも、プロデューサーが死ななきゃ、映画が始まらないわよ?」

映画は始める為とはいえ、人生のエンドロールを流すつもりはない。




「他にないのか。浜辺で始まって、死ななない奴」

「そうねぇ……」

奏は口元に手を当てて、視線をさまよわせる。

「イギリス映画であるわ。オリンピックの陸上を舞台にしたのが」

「陸上ってことは、浜辺を走ってるのか」

「まあ、そうなるわね」

「それなら問題ないな」

「問題ないって、プロデューサーーー」



言うが早し、俺は全速力で浜辺を走り出した。

こう見えて、元陸上部なのだ。走りには自信がある。


「ちょっと、危ないわよ!」


奏の止める声を無視して、俺は走り続け。


何かに躓いた。

勢いもさることながら、足元に注意を全くはらっていなかったので、思いっきり砂浜を吹き飛んでしまった。


「プロデューサー!?」



俺は体を起こし、躓いたものに目を向ける。

それは、浜辺に残っていた砂の城跡であった。

雨で流され、もはや小さな山が残るだけだった。



駆け寄ってきた奏が、俺の側にしゃがみ込む。

心配そうに、俺の顔を覗き込んだ。

「プロデューサー、怪我は」

「あー、擦り傷くらいだな」

体の所々ヒリヒリと痛むが、動けない程ではない。

奏は、安堵の息を漏らす。

「もう、馬鹿なことをしないでよ」

「いいじゃないか。馬鹿な事は青春の基本だぞ」

「青春って歳?」

「青春に歳は関係ないさ。次は奏がやってみるか?」

「遠慮しとくわ。オリンピック選手さん」

皮肉るように言った奏に俺は思わず笑ってしまい、奏も笑いだした。




しばらく笑い合っていたが、それも止み。



気がつけば、奏の顔が俺の顔の前にあった。



クッキリとした鼻に、白い肌。


長いまつ毛に、まっすぐな瞳。


そして唇。


「……ッ」


吐息が漏れる。


瞳が揺れる。


頬が紅潮する。

「……ァ」

怯えるように、何かを求めるように、奏は唇を揺らし。





だが、奏は顔を背けた。







「奏……」

彼女は海の方を向きながら、髪を掻き上げる。



「あのね、プロデューサー。あたし、始まりはいつもバラ色なのよ」


奏は静かに呟いた。
俺はその言葉の意味を掴みかねていたが、見透かすように奏は微笑みかけてきた。

「あたし、何でも器用に出来るのよ。どんなことでも。だから、始まりは何でも上手くいくの」

奏は、目を細める。

「でも、始まりだけ。段々と、どこかで上手く行かなくなるの。うまくいっても、上辺だけに感じて。
何でも出来るって、何も出来ないってこと。
それで、辛くなることもあって」


「……アイドルもか?」

恐る恐る聞いたが、奏は慌てて否定する。

「まさか、そんなことないわ。そうじゃないから、あたし……」

彼女は膝を抱え、体を丸める。




「とってもやり甲斐があるわ。びっくりするくらい。それにみんないい人で。他のアイドルの仲間も、スタッフも

それに……」

奏は一瞬だけ、こちらに視線を投げかける。


「大事過ぎるの。だから、何かを変えようとしたら、全部が崩れてしまいそうで……」


俺は傍にあった、砂の城の残骸に目をやる。

奏が指でなぞると、脆く崩れてしまった砂の城。

奏にとって、大事なものとは、砂の城と同じなのかもしれない。


「そんなこと」

声に向き直ると、奏は膝に顔を埋めながら、こちらに顔を向け寂しげに言った。



「貴方の、知ったこっちゃないかしら」



それは、昨日見た映画のラスト、ヒーローが主人公である女性に言ったのをもじったものだ。

彼女を見捨てる際に、言い放った言葉。


俺は言葉を詰まらせる。

奏は顔を伏せ、また海に目を向けていた。





まっすぐに言うべきなのかしれない。

だが、もしそれを言ったら、その大事な何かが崩れ落ちてしまいそうで。

俺が必死に言葉を探していると、奏は立ち上がった。

「さあ、戻りましょう、プロデューサー」

「なあ、奏」

歩き出した奏を、俺は呼び止める。



「人生はチョコの箱。なんだろ」




残念ながら、俺は奏ほどボキャブラリーを持っていたない。

いつか言った、彼女の言葉を俺はくりかえした。


「奏は今、その中の一つのチョコに夢中なんだろう?」


「そう、かもしれないわね」

「だけど、箱の中には他にもチョコが入ってる。ただ、そのチョコが凄く美味くて、他のチョコに目がいかない」

「ええ、きっとそう。もう、一つを食べるので、あたしは精一杯」

「きっとこんなに大きいんだろうな」

俺は大きく両手を広げると、奏は笑みを零す。

「でも、その箱に入ってるのは、全部お前のチョコだよ。だから、もし今は食べる余裕がなくても、いつか気が向いたら、他のチョコも食べてみていいんじゃないか?」


「待ちすぎると、味が変わっちゃってそうね」



「どうだろうな。きっと一つだけ、味が変わらないのがあると思うぞ、保存料たっぷりでね」




「それって……」

「まあ、食べるなら出来るだけ早く食べた方がいいと思うけどな」

俺は静かに笑ってみせる。




「さあ、そろそろ戻らないとな。みんなを心配させちまう」

「そう、ね。そうしましょう」

そして二人で並んで、浜辺を歩いていく。

互いに頬を赤く染めていたことに、気がつかないフリをして。





「ねえ、プロデューサー」

「なんだよ」


「あたしは一つのチョコで精一杯だけど、プロデューサーはどうなの?」


「どうって」

「他のチョコを、つまむ余裕はあるのかしら」

奏は、上目遣いで見つめてくる。



「さあ、どうだろうな。もしかしたら、あるかもしれない」

「ふうん……」

静かに呟いた所で、視界にバーベキュー会場の喧騒が現れた。




ーー


打ち上げも終わり、それぞれの宿に戻っていく。

俺も飲み足りないスタッフに少し付き合ってから、宿に戻る。

奏の部屋の前を通るとき、開いた扉から光が漏れていた。

ふと覗き込む。部屋の構造は俺のと同じ。

三面鏡が死角を映し出す。

鏡の向こうでは、廊下側の壁際で、タオルケットをまといながら、膝を抱えている奏が見えた。

彼女と、視線が合う。

「奏、まだ起きてるのか?」

俺が彼女の部屋に入る。

すると、彼女は同じポーズであったが、目を瞑り、寝息を立てていた。

「奏」

声を掛けても、反応は返ってこない。


まるで、寝ているかのようだ。



俺は頭を掻く。

(さて……どうするか)


俺は寝息を立てる奏に近づく。

その頭に優しく触れる。

まだ、奏は起きる様子はない。

俺は彼女の前髪をどかし。



額に優しく、唇を当てた。



「……ッ」

吐息が漏れたように聞こえたが、きっと気のせいだろう。

「おやすみ、奏」



それを告げて、俺は部屋を後にした。



廊下で振り返ると、鏡の中で奏と目が合う。



微笑むと、彼女も照れくさそうな笑みを返してきた。





「おはよう、プロデューサー」

翌日、顔を合わすと、いつもと変わらぬ様子で奏は言った。

俺も変わらず、彼女に挨拶を返す。

二人とも、何事もなかったかのように。



きっと今はそれでいいのだ。今はこれで。


またいつか、その時が来るまで。


この夏の二人の視線は、鏡の中に置いてきて。




【モバマス】奏「サマーインザミラー」《終》

おしまいです。

暇な時間が出来たので、たまには書き溜め無しで気軽に書いてみようと思ったら、想像以上に苦労しました……
いつも書き溜め無しで書いてる人は、本当に尊敬します。
普段と違うマシンで書いた事もあって、色々……色々ミスしましたし。
……トリ、どうしよっかなー


読んでいただいた方、本当にありがとうございます。
楽しんで頂けたなら幸いです。

前に書いたものです。よろしければどうぞ。



友紀「美羽ちゃん。あたし、プロデューサーのこと――」

ゆかり「キューティーラジオ♡」杏「ラジ、オ?」

一ノ瀬志希「幼馴染と小さな嘘」《モバマス・エイプリルフール》

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