いろは「葉山先輩から遊園地のペアチケットを貰った」 (56)

いろは「葉山先輩、お疲れ様です!」

葉山「ああ、ありがとういろは」


スポーツドリンクの入ったボトルとタオルを受け取りながら、葉山先輩は今日も爽やかに笑う。

汗で瑞々しく潤う体、豪快にドリンクを喉に運び込む仕草、首にかけられた真っ白なタオル、そのどれもがクールで、かっこいい。

やっぱり、何をしても絵になるなぁ、この人。
他のマネージャーや部員にねぎらいの言葉をかけていく葉山先輩を見ながら、ぼんやりとそんなことを思う。

容姿端麗、文武両道。そして三年生になっても変わらず朝練に参加し部のモチベーションを保ち続けるそのリーダーシップ。

完璧超人とは、まさにこの人のことをいうのだろう。わたしの永遠の憧れ。叶わないと思っていても、願わずにはいられない。

だから生徒会長になった今でも、たまにこうしてサッカー部の朝練に付き合ったりしているのだ。

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制服に着替えた部員たちがぞろぞろと部室から教室へ向かう。
全員が部室から出たのを確認してから、部室を施錠し、職員室まで鍵を返すのがマネージャーの仕事だ。
……ま、正直学校がしまるまでは鍵なんて締める必要なんてないんだけど。なんとなく、葉山先輩が出るのを待ってから教室に帰りたいのだ。

そんなわたしの打算を見越してかそれともただの気まぐれか、葉山先輩はいつも帰るときわたしに声をかけてくれる。


葉山「いつも悪いね、いろは」

いろは「いえいえ。わたしが好きでやっていることなので」

葉山「それでも俺たちが助かっているのは事実さ。君たちマネージャーがいてくれているから、こうしてサッカー部がうまく回っているんだ」

葉山先輩は、本当に優しい。
ふった女の子にすら、こうして優しい言葉を投げかけてくれる。
……それが残酷だとは、少なくともわたしは思わない。

葉山「……そうだ」


そこで葉山先輩は、何かを思いついたようにポケットをまさぐり出す。
……なんだろう。少しわくわくする。


葉山「あった……ほら、いろは。これ」


そういって葉山先輩が差し出したのは、二枚の紙切れ。

そこには、「〇・遊園地ペアチケット」と書かれている。

………え、何これマジですか。ちょっと急展開すぎやしないですか。いや、これってアレですよね。そういう意味ですよね。どうしたんですか葉山先輩。あれですか。ふってみて初めてわたしの魅力に気付いたとかそういうアレですか、ねぇ。


葉山「貰い物なんだけど、俺には使い道がなくてさ……よかったら、貰ってくれないかな?」


はい知ってました知ってましたとも。葉山先輩が特定の女の子にそういうことしない人だってことも承知の上ですとも。それでも甘い言葉からのペアチケットのプレゼントってそりゃ少しは期待するでしょ……。それに一度ふった女の子に明らかにデート用のペアチケットをプレゼントするってどういう神経してるんですか……。

……まぁ、アテがない、ってわけじゃ、ないんだけどね……。

ああ文字化けしてる。
〇×遊園地です!

いろは「は、はぁ……ペアチケットですかぁ。ありがとうございます。ありがたく使わせてもらいますね!」

葉山「ああ。それ、期限今月末までだから急いで使ってね。……使わずに無駄にしちゃうのはもったいない、からね」


そういって、葉山先輩はわたしに軽く微笑みかける。
葉山先輩がいわんとしていることは、なんとなくわかった。
だからこそ、このチケットをわたしにあげようと思ってくれたのだろう。


いろは「……そうですね、使わないともったいないですもんね」


そう、そうだ。
使わないともったいない。だから、仕方なく。
ただそれだけの理由だ。それ以上の意味なんて何もない。あくまでわたしはペアは誰でもいいわけだし、これを渡す相手が何かしら特別な存在であるなんて、そんなことは絶対にない。

いつものように、かわいくあざとく、素の自分をぶつけるだけだ。

……えへへ、せんぱい、どんな顔するかなぁ?

× × ×
鍵を返しに職員室へ向かう。
これが結構遠い。部室があるのが南校舎で、職員室は北校舎の一番端っこ。
南校舎は運動部や文化部、様々なクラブの部室があつまるいわゆる部室棟だ。それなのになぜ鍵のある職員室から最も遠いのだと思う。どう考えても非効率だろう。ああ。この前せんぱいもそんなふうに愚痴ってたような気がする……。

でもわたしは、この距離は別に苦にはならなかった。こうやって一人でぶらぶら歩く時間というのもなかなか楽しいものだからだ。この時間が、わたしが纏っている仮面を外せる数少ない時間の一つというのも大きいのかもしれない。


いろは「春だなぁ……」


窓の外から目に飛び込んでくる薄桃色を眺めながら、ため息をつくようにそう呟く。

そう、今は春。学年が一つ上がり、わたしは"後輩"から"先輩"になる。

せんぱいたちのように、今度はわたしたちが下の子たちを引っ張っていかなきゃいけない。

正直なところ不安は山積みで、未だ定まらない将来のことを考えたら叫びたくなるけど。

それでも、高校二年生。人生で一番輝ける年。
精一杯、楽しんで、笑って、悩んで、泣いて。

全力で、いい一年にしよう。



いろは「………ん?」


そんな感じで。
えいえい、おー!と心の中で自分を鼓舞しながら晴れやかな気持ちで廊下を歩いていると。
向こうから、見知った顔が歩いてくるのがわかった。


本牧「…………はぁ」


そいつは何やらこの世の終わりのような顔をしている。
髪はボサボサ、目の下にはくっきりとしたクマ、青白い肌に淀みきった瞳。そして何よりも……普段の彼からは考えられないような猫背。
わたしが、その人こそ我らが生徒会副会長・本牧牧人であることに気付くのにはゆうに数十秒を要した。


いろは「……ど、どうしたんですか副会長」

本牧「…………あ、あぁ?」


わずかな硬直のあと、わたしを見上げた副会長の顔を見て、思わずわたしは「ひぃっ」と声を上げた。
……目がせんぱい以上に腐っている……。
しかもその腐りようはせんぱいの比ではない。
その瞳にはまるで生気が感じられない。
その風貌も相まって、まるでゾンビのようだ。
本当に何があったのこの人。

本牧「………あぁ、会長かぁ……どうも……」

いろは「どうも、じゃないですよ。いったい何があったんですか……」


基本他人には無関心・無干渉をモットーとしているのだが、さすがのわたしでもこれは放ってはおけなかった。


本牧「……なんのことです?」

いろは「………一度鏡を覗いてみてください。酷い顔してますよ、あなた」

本牧「………………マジでぇ」

いろは「どうしたんですか。書記ちゃんと喧嘩でもしたんですか」

本牧「…………………………」


副会長は一つ下の学年……わたしと同い年の、生徒会で書記を務めている女の子とお付き合いをしている。
見てるこっちが恥ずかしくなるくらいウブな二人だが、仲は大変睦まじく、特に副会長の書記ちゃんへの溺愛っぷりはもうわかりやすすぎて気持ち悪いの域にまで達している。

だから、この人がここまで落ち込むからには必ずそこには書記ちゃんが絡んでいるはず……

本牧「……いや、喧嘩っていうか、ね、ほら」

いろは「はぁ」

本牧「俺たち今週末に遊園地行くことになってたんですよ」

いろは「はぁ……遊園地、ですか」

本牧「一ヶ月くらい前から約束してて。二人とも結構いろいろと忙しくて、都合の合う日が明後日しかなかった」

本牧「俺もアイツも、結構楽しみにしてたんです。久々のデートだったし。顔合わせる度にデートの日付を確認したりしてたんだけど」


唾はいてもいいですか?


本牧「…………だけど、俺の都合でそれがポシャった」

いろは「うわぁ………」

本牧「めっちゃ楽しみにしてくれてたからこそ、許せなかったのかな………あのメールを送って以来、顔も合わせてくれないし、口も聞いてくれないんだ……」


ざまぁみやがれ。
そんな感想が浮かんでしまったわたしは心が歪んでしまっているのだろうか。

死んだ魚のような目をしながら副会長が語った内容は半分ノロケみたいなものだった。副会長の話をまとめると要は前々から計画していたデートがなくなって拗ねられて困ってるということ。なんという贅沢な悩みだろうか。このまま破局してしまえばいいのに。

でも本人は本気で悩んでいるみたいなんだよね。悩んで悩んで、悩みまくった末があの姿なのだろうから。

………仕方ないか。乗りかかった船だし、最後まで相談に乗ってあげよう。


いろは「それで、その用事ってなんなんですか?」

本牧「うっ………」


副会長はそれこそ「ぎくっ」と音を立て、わたしから一歩後ずさる。
……あれ?副会長ー?なぜ逃げるんです?


いろは「……副会長、まさかあなたは……」

本牧「いや、違う!お前が想像しているようなものじゃない!」


わたしのいわんとすることがわかったのか、慌てて否定を入れてくる副会長。
……ううむ、浮気ではない、のか?

いろは「……じゃあ、なんなんですか?」

本牧「ぐっ…………」


そこで、副会長は言葉をつまらせる。
心なしか目の腐り具合も増している気がする。
……本当に何をしたんだこの人?

さっきからずっと口を開きかけてはつぐみ、また口を開きかけてはつぐむのを繰り返している。見ているうちにだんだんと腹が立ってきた。「早くしろ」と目で促す。
副会長は一瞬びくっと怯えたのち、意を決したようにため息を一つ。


本牧「………………金欠なんですよ」

いろは「……は?」

本牧「今月自由に使える金がなくなった。だからまた小遣いが貰えるまで何も出来ない。だからデートもできないんだ」

いろは「………デートは一か月前から約束してたんですよね?なのになんでそんな事態に陥るんですか?」

本牧「ぐう………」


またしてもそこで副会長は言葉をつまらせるが、ここまで話してだんまりを決め込むわけにもいくまい。なんか吹っ切れた感じで喋り始めた。

本牧「………アイツが悪いんだ!アイツがこんなときに限って値引きなんてするから!三割引だぞ三割引!しかも期間限定!会長だったらどうよ!?前々から欲しいと思ってた靴が破格の値下げをしてたらそりゃ後先考えずに買うだろ!?」

いろは「完全なる自業自得じゃないですか…」


一切の同情の余地もない、すがすがしいまでに子供っぽい理由だった……。
結局財布の中身も確認せずその靴を買った結果、デートに行く費用がなくなってしまったと。
もしかしなくてもうちの副会長はアホなのかもしれない。


いろは「……ちなみに今の全財産は?」

本牧「300円です」

いろは「……それを彼女には?」

本牧「……いえるわけないでしょ情けない」

いろは「……書記ちゃんからしてみれば、ちゃんとした理由も話されずデートをドタキャンされちゃったわけか。そりゃ怒るよね」

本牧「う、うぅっ……」


副会長はもう半泣きだ。正直見てられないレベルで顔面崩壊を起こしている。……書記ちゃんなんでこんなやつと付き合ってるんだろう?

本牧「……会長ぉ、助けてくれ……」

いろは「救いようないですねあなた……」


本当になんで書記ちゃんはこんなやつと付き合ってるんだろう??
初めてこの副会長から頼られたが、なかなかどうして、何の感慨も起きない。

本心をいうとものすごくどうでもいい。
要はアホのアホがアホの身を滅ぼしたまでのことだ。それはなるべくしてなるものだし、こちらがそれに同情がわくことも、それを助ける必要も一切ない。

……でも、アホなのはこの男だけであって、書記ちゃんは何も悪くないんだよね。
いわば書記ちゃんも被害者である。書記ちゃんをこのままにしておくのは、どうにも良心が痛む。

………はぁ、しょうがないなぁ。


ポケットをまさぐり、副会長に紙切れを二枚差し出す。

葉山先輩から貰った、遊園地のペアチケットだ。

副会長はそれを見るやいなや、みるみる顔色が青から赤みを帯びていく。


本牧「…………これ」

いろは「貰い物です。よければ使ってください」

本牧「い、いいんですか!?」

いろは「わたしも使い道なくて持て余していたところですし、いいですよ」


副会長の家から遊園地までの交通費はわからないが、まぁ、当日のチケット代が浮くだけでもだいぶ助かりはすると思う。

本牧「ありがとう……!本当にありがとう!これで藤沢さんの機嫌も治すことが出来る!」

いろは「勘違いしないでくださいね、副会長のためではなく書記ちゃんのためですから」ニッコリ

本牧「………純度100%のツン」


これでせんぱいをデートに誘う口実はなくなっちゃったけど……まぁいいよね、だってせんぱいだし。また適当に理由をでっち上げればいいか。

……別に誰でもいいしね、暇を潰せれば。たまたま今気がねなく接せる相手がせんぱいくらいしかいないっていうだけだから。別にせんぱいが特別とか、そんなんじゃないから。

本牧「お礼といっちゃなんだけど、これあげます」

いろは「………?」


そういって副会長がポケットから取り出したのは……なにやら、白くて丸くて。ふわふわしてそうな……


いろは「………おまんじゅう?」

本牧「あいにく今は持ち合わせがこれしかなくて……金ができたらまたちゃんとお礼させてもらいますよ」

いろは「は、はぁ……ありがたくいただきます」


なんでポケットの中からおまんじゅうが……?
おやつに持ってきたということなのだろうか。そうだとしてもなぜおまんじゅう。ブラックサンダーとか他にもいろいろあるだろうに。


本牧「そうと決まればさっそく1年の教室に行ってくるよ!ありがとう会長!デート、絶対に成功させてみせます!」

いろは「はぁ……頑張ってくださいねー」


……なんというか、掴みどころのない人だなぁ。

とりあえずここまで

はい完全にこちら側のミスです。
一年→二年の間違いです。
いろはす高二の春という設定です。
すいませんでした

× × ×
副会長と別れ、おまんじゅう片手に一人廊下を歩く。
いろいろ事情があったとはいえ、遊園地のペアチケットと引換におまんじゅうを貰ったわけだけど……。
……あれ?なんかわたし、損してる?
いっそのこと何も貰わなければそんな気持ちにもならなかったのだろうが。
善意でやったこととはいえ、この結果だけをくり抜いて考えるとどうにも複雑な気持ちにはなる。

まぁいいか、後でまたお礼をするとも言ってたし、ここで恩を売ったから向こう3週間は仕事を副会長に押し付けられるね。
リスクリターンの計算はこなれたものだ。このリターンは将来的にみるといずれリスクを上回るでしょう。あ、なんか今の学者みたいでかっこいいかも。

なんだか気分もよくなり、鼻歌交じりで歩き出す。Just tell me why baby〜 They might call me crazy〜♪あれ次どんな歌詞だったっけ。


海老名「for saying I'll fight until there is no more〜♪」

いろは「あ、それですそれです」


そうそう、Theyからそこまでひと続きの文で「満足に戦い続けている俺をどうしてイカレてるというんだ」みたいな意味だったはず……。


いろは「ってうわぁっ!?」

海老名「はろはろ〜」


いつの間にわたしの背後に……!?
ていうかもしかしてさっきの鼻歌聞かれてたの?うわ、恥ずかしい……。

海老名「気持ちよさそうに歌ってたね」

いろは「わ、わああああやめてくださいやめてください!忘れてください!お願いします!」

海老名「うふふふ、どうしようかな〜」

いろは「意地悪いですね姫菜先輩……」


3年の、海老名姫菜先輩。
葉山先輩と仲がいいということで、バレンタインイベントで知り合い、今はこうやって廊下で出会ったら挨拶を交わすくらいの間柄になっている。


海老名「ていうか恥ずかしがることなんてないのに。鼻歌くらい誰でも歌うよ」

いろは「わたしそういうの聞かれるの嫌なんですよね……なんていうか、リラックスしているときの自分を見られたくないっていうか……」

海老名「……あー。なるほどね。素の自分が知られるのが怖いんだ」

いろは「……………っ!?」


何気ない調子で核心をついてくるなこの人。
確かに、わたしが人に隙を見せたくないのはそういう理由からなのかもしれない……。

いろは「……わたしは今のわたしが素ですよー。そういうんじゃないですー」

海老名「そっかそっか。いやいいんだけどね。敵を知り己を知れば、百戦して危うからずっていうじゃない?」

いろは「は………?」


なぜそこで孫子の言葉が……?
彼女は何と戦っているんだろう。


海老名「……こうやって自分の殻作っちゃう子は布教しにくいね……まずはその殻を少しずつ剥がして本当の自分というものを認識させなきゃ……」ブツブツ

いろは「何ぶつぶついってるんですか?」


いっている内容は聞き取れないが、なんだろう、背筋にぞくり悪寒が走る。
この先輩とはあまり深く関わるべきではないのかもしれない……。

いろは「先輩は何してるんです?」

海老名「ん?私?」


教室があるのも職員室と同じ北校舎だ。
ここ東校舎にあるものといえばせいぜい食堂や購買くらい……
今は朝だ。わざわざこんなところまで来る理由なんて思いつかないが。


海老名「ちょっと購買にね」

いろは「何を買いに?」

海老名「いやぁ、今日ちょっとバタバタしてて朝ごはん食べれてないから、とりあえずパンでもお腹に入れようかなって」


そこで姫菜先輩のお腹がぐうと鳴る。
わたしは両親が忙しいのでたまにしか朝食をとらない。正直、朝ごはんってそうまでしてとるものなの?と思ったりするけど……。

いろは「……やっぱり朝ごはんってないと辛いですか」

海老名「そうだね。あるとないとで、一日の集中力とか体力とか全然違うよ」

いろは「……ふうん」


……今度から朝ごはん作ってみようかなぁ。

確かに午前授業ってなかなか身が入らない。高校二年生で、受験もだんだん目に見えてきたし、そろそろ勉強もしなきゃいけない頃だ。
毎朝朝ごはんを食べる。
そういう小さなことから変えていくのもいいのかもしれない……。

どうせ三日坊主で終わるんだろうなぁと思いつつも、わたしは密かにそんな決意をした。

海老名「そういうわけだから、じゃあ、また今度ね!」

いろは「ええ、また今度……」


姫菜先輩は陽気に手を振り、歩き出した。
と、ここでわたしはある一つの事実に気付く。
……ええと、確か、購買って……。


いろは「……あの、姫菜先輩」

海老名「ん?どうしたの?」

いろは「いえ……購買、朝空いてません」

海老名「ええ!?」


朝練が終わり職員室へ鍵を返す間。
何度となく購買の前を通り過ぎたが……確か、そのときは無人だったような気がする。
基本購買が開くのは、先生全員が出勤し、勤務時間となる九時以降なのだ。少なくともわたしの高校では。

わたしがそれを教えてあげた途端、姫菜先輩は死刑を宣告された囚人のような顔を見せる。
本気で焦っている顔だ。たかだか朝ごはんを抜くくらいでなぜそんな表情ができるんだろう。
しばらくショックを受けた後、姫菜先輩は腕を組みぐぬぬと唸ると、ぶつぶつと何かを呟き始めた。


海老名「ええ……どうしようかなぁ。優美子や結衣にたかる?ううん、それ感じ悪いよねぇ。葉山くんなら快くカロリーメイトとかくれるかも……それがダメだったら……仕方ないから戸部くんに……」

いろは「………えっと、あの、よかったらこれ」


なんというか見てられなかったので、わたしは姫菜先輩におまんじゅうを差し出した。
副会長から貰ったアレだ。
腹の足しになるとはあまり思えないが、まぁないよりはマシだろう。頭を使う時は糖分が必要ともいうしね。


海老名「……いいのっ!?ありがとういろはちゃん!」


姫菜先輩はそれを受け取ると、花の咲くような笑顔を見せる。……結衣先輩や三浦先輩の前では霞んじゃうけど、やっぱりこの人相当な美人だよなぁ。

戸部先輩はこの人が好きらしいが、どう見ても高嶺の花だろう。さっきも「仕方ないから戸部くんに」なんて言われていたし。
あれ、なんだか涙が……。

いろは「別にいいんですよー。これも貰い物ですし。大したものじゃないので」

海老名「むしゃむしゃ……」

いろは「ってもう食べてるっ!?」


どれだけ腹減ってたのこの人。


海老名「はぁー、ごちそうさま!味は少し微妙だったけど……これで昼まで持ちそうだよ」

いろは「あはは……お役に立てたのなら何よりです」


味微妙だったのか。あげてよかった。
仕方ないね、だってあの副会長がくれたものだし。


海老名「そうだ、これあげるよ。おまんじゅうのお礼♪」

いろは「?」


そういって姫菜先輩が出したのは、…………なんだ、なんだこれ。パンダ?それにしては少し禍々しいな。
どこかで見たことあるデザインな気がするけど…。

海老名「なんかクレーンゲームしてたら間違えてとっちゃったんだよね。一緒にいた友だちからはかなりレア度の高いキーホルダーだって言われたんだけど、正直私には良さがわからないし、いろはちゃんにあげる」

いろは「はぁ……ありがとうございます……」


ごみを押し付けられたように感じるのはきっと気のせいだろう。……正直わたしにも価値はわからないが、レア度が高いというのならもしかしたら高値で売れるかもしれない。まぁ、貰っておくに損はない。


そんな感じで姫菜先輩からの唐突なプレゼントになんとも微妙な反応を返していると、その反応の意味を知ってか知らずか、姫菜先輩は急に話題を変えにかかる。


海老名「そういえばさ、いろはちゃんはこんなところで何してるの?」

いろは「マネージャーとして、サッカー部の朝練に付き合ってたんです。今は部室の鍵を職員室に返しにいくところです」

海老名「そうなんだ。じゃあ一緒に……」ピロリン


と、そこで姫菜先輩のスマホから軽快な電子音が鳴り響く。


いろは「………?LINEですか?」

海老名「そうみたい……えっと……結衣からだ」


白のXperia、カバーはベージュの手帳型。姫菜先輩らしい、シンプルなスマホだ。
手馴れた手つきでスマホを操作する姫菜先輩。すると、その顔色がみるみる青ざめていく。


海老名「うっそ………!?今日持ち物検査ぁ!?」

いろは「えっ」

海老名「ごめんいろはちゃん!私行かなきゃ!」

いろは「は、はぁ……」


あの人は一体学校に何を持ってきているんだろう……?

× × ×

北校舎についた。
人ごみをかき分け前に進んでいく。人ごみと表現できるほど人がいっぱいいるというわけでもないけど。
1階には三年生の教室や職員室や保健室といった部屋がある。東校舎から入る場合は、職員室に行くにはどうしても三年生の教室の前を経由しなければならない。
廊下にたむろする人達の喧騒が耳につく。三年生になり、文理もわかれ、本格的に受験ムードに突入するのかと思いきや、まだまだ先輩たちはほのぼのとしたものだった。なんだか、ちょっと安心。

まぁ、副会長は恋に勤しんでるし、姫菜先輩もゲーセン行ったりはしているみたいだし。進学校とはいえ、受験に対する意識はまだ低くてもいいのかもね。
姫菜先輩から貰ったキーホルダーを目の前でぷらぷらさせながら、そんなことを思う。
それにしても、これなんのキャラクターだったっけ。結構独特なデザインだ。一度見たら忘れないと思うんだけどな……。

雪乃「一色さん」

いろは「ふぇっ!?」


背後から急に声を掛けられ、びくりとする。
振り返ると、そこには艶やかな黒髪の美少女が立っていた。
……その頬はほんのりと上気しており、なぜだろう、少しそわそわしているように見える。
わたしはこの人のこんな表情を初めて見た。


いろは「……あ、雪ノ下先輩ですか。おはようございます」

雪ノ下「………ええ、おはよう」


3-Jの雪ノ下雪乃先輩。
性格にやや難があるものの、あらゆる才能に恵まれた完璧超人。
普段はすべてを凍てつかせるようなオーラを醸し出す、まさしく"雪の女王"とでも形容すべきような人だけれど。
目の前の雪ノ下先輩は……なんだろう、いつもの先輩からは想像もつかないほど……幼く見える。

挨拶を交わし、わたしは雪ノ下先輩の言葉の続きを待つ。
雪ノ下先輩はもじもじと、手で髪を弄りながら、ちらちらと視線をわたしと自分の手との間を往復させ、恥ずかしそうに一言一言言葉を紡いでいく。
……なにこれかわいい。女のわたしでも普通にときめいちゃうんだけど。


雪乃「………ええと、一色さん、その……それ」

いろは「?これですか?」


さっきまでぷらぷらとしていたパンダのキーホルダーを掲げる。相変わらずかわいくないデザインだなぁ。


雪乃「そ、そう!……それ、どこで買ったの?」


こくこくとうなずき、きらきらとした眼差しで"それ"を見つめながら、雪ノ下先輩はわたしに問いかけてくる。

その余りの必死さに、わたしは思わずたじろいだ。笑顔を作りきれず、曖昧な表情でそれに答える。

いろは「ええと……貰いました」

雪乃「誰に?」

いろは「姫菜先輩………から、です」

雪乃「………姫菜、海老名さんかしら?」

いろは「え、ええ……」

雪乃「なるほど……」


雪ノ下先輩は先ほどまでの幼い雰囲気からは一転、顎に手をやり、ものすごく真剣な表情で何かを考えている。
まるで推理小説の探偵のようだ。
たかがキーホルダーになにをそこまで考察する必要があるのだろう……。


雪乃「海老名さんからは……それをどこで手に入れたとか、そういう話を聞いたりしていない?」

いろは「たしか………」


さっきの会話を思い出す。確かこれを手に入れた経緯についても話していたような……。

記憶の海を彷徨いながらも、なんでわたしがこんなことを、という気持ちは少なからずあった。でもこんな真剣な眼差しで見つめられたら断れるものも断れない……。

いろは「……あっ、思い出しました!」

雪乃「本当!?」

いろは「クレーンゲームで手に入れたそうです!」

雪乃「…………………」


雪ノ下先輩わかりやすっ……。
ていうか、どんだけ欲しいんですかこのキーホルダー……。


雪乃「……そうよね、元は非売品だもの。オークションでも落とせないものがそう簡単に手に入るはずが……」ブツブツ

いろは「ええと……なんか、ごめんなさい」


なんだかわからないけどとりあえず謝っておく。


雪乃「……謝られることなんて何もないわよ。別に私は被害なんて被ってないもの」

いろは「いや、でもキーホルダー……」

雪乃「私はあなたの持っているキーホルダーがちょっと珍しいものだったから興味本位で聞いただけよ。別に私が欲しいわけじゃないわ。一色さんもそういうのを持つのかしら、どういうところでそういうのを買うのかしら、ということが気になっただけでそれ以上の意味は無いわ」

いろは「………………」


さすがにその言い訳は無理がありすぎる気がするんですけど………。
だってもうすでに半分泣いてるもん。すごく名残惜しそうにキーホルダー見つめてるもん。「なんでこんなこといっちゃったんだろ……」的な心の声が聞こえてくるもん。

雪乃「……話は以上よ。あ、ちなみに今日の部活はないから。部室は空いてないから生徒会に顔を出しなさい」

いろは「は、はぁ………」


ゲーセン行くつもりかこの人……。

そこまでほぼ一方的に言ってから、「じゃあね」といって言葉を切ると、雪ノ下先輩はくるりと方向を変え、自分のクラスへ戻ろうとする。

その足がふと止まる。

再び足を上げ動かそうとするが、見えない何かに引っ張られるようにして、雪ノ下先輩はその場にとどまり続けている。


………なにこれぇ(棒)

いろは「……あーちょっと待ってください雪ノ下先輩。このキーホルダーなんですけど」


芝居がかった声で、雪ノ下先輩を呼び止める。
その肩がぴくりと動く。


いろは「今まで隠してたんですが……わたしキーホルダーを五分以上見ていると吐き気をもよおす体質なんです」


我ながら酷い。
即興とはいえ、もう少しましな設定があっただろう。


いろは「だから貰ったはいいんですが、このキーホルダーも処分しなくちゃいけないんですが……捨てちゃうのはもったいないですよね」

雪乃「………つまり、何が言いたいのかしら?」

いろは「いやぁ、ちょうどいいので、雪ノ下先輩これ預かっておいてくれませんか?」

雪乃「…………………………」


なんというか、うん。
正直このキャラクターどうにも好きになれそうにないし。
何よりあんな目で見つめられ続けてそれを無碍にできるほどわたしは心が強くない。
雪ノ下先輩にとってもわたしにとってもこれは雪ノ下先輩の手にあるべきものなのだ。

雪乃「…………いいの?」

いろは「気にしなくていいですよ。それはわたしには必要ありませんので……」

雪乃「………………」


わたしから手渡されたそのキーホルダーを、撫で、見つめ、微笑みかける。
それはもう愛おしそうに。


雪乃「ありがとう……一色さん。大切にするわ」

いろは「……ああもう可愛いなぁ」ボソリ

雪乃「……?何かいったかしら?」

いろは「っ!いいえ!なんでもないですはい!」


あっぶな、声でてた……。
キーホルダーを愛でる雪ノ下先輩の破壊力マジ半端ない。

やっぱりこの人好きだなぁ。
普段は冷たい感じなのに、たまにこうやって普通の女の子っぽくなるのがたまらない。

なんというか、守ってあげたくなる。
……葉山先輩が惚れるのもわかるかもしれない。

いろは「……では、わたしはこれで」


この人とこれ以上一緒にいたら何か危険なものに目覚めそうで怖い。いろはす怖い。もっと話したい欲求はあるが、まぁそれはまた放課後にでも。

一言挨拶をいれ、職員室に向かい歩き出す。


雪乃「ああ、ちょっと待って、一色さん」

いろは「………?」


雪ノ下先輩はそんなわたしを呼び止めると、教室から何やら紙袋を持ってきて、それをわたしに手渡した。

大きさはそこそこあるが、重さはそれほどでもない。……なんだろう?


いろは「これは………?」

雪乃「ケーキを焼いたの。本当なら今日のお茶請けに出す予定だったのだけれど……キーホルダーのお礼よ。全部あげるわ」

いろは「ぜ、全部!?」


雪ノ下先輩特製のお菓子を……4人分……
こ、これは………太る。
断るんだ一色いろは!誘惑に負けちゃダメよ!
昨日体重計に乗ったばかりなのにもう忘れたの!?
ああ、でも、でも――――

いろは「………いただきます!」

雪乃「本当ならこれくらいじゃ全然足りないくらいなのだけれど……生憎今はこれしかなくて。ごめんなさい」

いろは「いえいえ!雪ノ下先輩のお菓子に勝る価値なんてありませんよ」

雪乃「そういってくれると嬉しいわ」

いろは「うっはぁ、味が四種類ある……本当にこれ一人で食べていいんですか……」

雪乃「大したものではないのだけれど。そこまで喜んでくれるなら作った甲斐があるわ」

いろは「いや本当にありがとうございます!また部室で会いましょう!」

雪乃「……生徒会にもちゃんと行きなさいよ?それじゃ、また放課後に」


笑顔で手を振り、別れの挨拶を交わす。

まさかあの変なキーホルダーが、こんなものになるなんて。
本当にものは貰っておいて損はない……。




……そういえば。

結局、あのキーホルダー、なんのキャラクターのだったんだろう?

とりあえずここまで。

原作と少し食い違うかもしれないけどそこはご愛敬で。

このSSまとめへのコメント

1 :  SS好きの774さん   2016年09月30日 (金) 08:52:22   ID: xAol8r8X

わらしべ、いろは?

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