夕美「スーツケース」 (26)

また、倉橋ヨエコさんの曲を元にしてSSを書かせていただきました。

ヨエコさんの曲で、歌詞の中に「スーツケース」が入る曲は一つしかないと思いますが、知っている方も知らない方も楽しんでいただけたらと思います。

SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1459421499

・地の文あり

・アイドルがP以外の人間と恋愛関係になる描写あり

温かな陽気に誘われて、白一色だった街が色づき始める季節。

駅前では、つがいの文鳥のように仲むつまじく寄り添う男女がベンチに座っている。

一方では、今にも男の人に殴りかかろうと、大声で怒鳴り散らす女性の姿。

見るに堪えず視線をそらすと、季節外れの瞳がこちらを睨みつけていた。

こんなところに花屋なんてできたんだ……と、入口の前までやってきたところで、中で暇をしていたのだろうか、男性店員がドアを開けて話しかけてきた。

「お客さん、お買いもの?」

「あ、いえ……少し、見てただけです。珍しい花が売っているな、と思って」

そう言って、私は先程からこちらを睨みつけている瞳を見つめ返した。

「ああ、ジャノメエリカね。売れ残っちゃってさ。やっぱり、不気味だからかな」

薄紫色の花弁の中から、特徴的な黒い葯が顔を覗かせている。

見る人にとっては不気味な花に感じるかもしれない。けど、エリカ全般の花言葉には「幸福な愛」という言葉もあるくらい、素敵な花なのだ。

だけど今の私は、エリカの花言葉のもう一つの側面を知っている分、複雑な気分になってしまった。

そんな私を知ってか知らずか、店員さんは花苗を一つ手に取って目の前に差し出した。

「一本どう? 安くしておくよ。エリカの中では、育てやすい種類だと思うんだけど」

「……一度、枯らしてしまった事があるんです。だから、ごめんなさい」

そう控えめに笑いかけると、店員さんは「そっか。ごめんね」と言って花苗を元の場所にそっと戻した。

時計を見ると、あの人との待ち合わせの時間。店員さんに、軽くお辞儀をしてから、私は待ち合わせの花壇に向かった。

蛇の目は、いつまでも、私の背中を睨みつけていた。

「ごめん。荷物整理に手間取って。待ったか?」

「……ううん。待ってないよっ」

色とりどりのパンジーが咲き誇る花壇の前で待つこと数分、新調したスーツに身を包んだPさんがやってきた。携帯電話をポシェットにしまう。

彼が片手に持った今にもはち切れそうなスーツケースは、ガラガラとわずらわしい音を立てて近づいてくる。

手荷物が多いからと、普段からスーツケースを鞄のように使う人だったけど、あそこまで詰め込まれたのを今まで私は見た事がない。

それだけ、今回の移動は長距離になるという事だろう。

「それじゃ、歩こっか」

Pさんの左手を取り、ゆっくりと歩き出す。

最初は戸惑っていた様子の彼も、私が数歩踏み出したのを確認すると早足で横に並んだ。

周りから見たら、私たちはどう見えているんだろう。

恋人だろうか、それとも仲のいい兄妹?

元プロデューサーさんと、その元担当アイドルだなんて思いもしないよね。

賑やかに会話を交わす人々の波に乗って、私たちは駅前を離れていった。

途中で何回か私から話しかけたり、あの人から話しかけられたりもしたけど、全て人々の喧噪に吸い込まれた。

ようやく落ち着いて話せるようになったのは、駅前の並木道を抜けた当たり。

その頃には私もPさんも、疲れて足元がふらふらになっていた。

「少し休まないか?この近くで、コーヒーでも飲んでさ」

「うん、そうしよっか……」

周りを見回してみると、こじんまりとした喫茶店が並木道の外れでひっそりと営業していた。

名前は、「Yellow Tulip」。

赤でもなく、白でもなく、黄色のチューリップという店名は、私の目を引いた。

「なんで、黄色なんだろうね」

「さぁ……? あんまり混んでなさそうだし、ここで休憩しよう」

「うん。そうしよっか」

ドアを開けば、カウベルと香ばしいバターの香りや甘いミートソースの香りが優しく私たちを出迎えてくれた。

Pさんが言っていた通り、店内には数人の客がいるだけで、ゆったりとしたバックグラウンドミュージックがはっきりと聞こえてくる。

カウンターでは白髪交じりな初老の男性が、コーヒーカップを丁寧に磨いていた。

何より、各テーブルの中央や、カウンターの端に置かれた花瓶。

そこには店名にもなっている、黄色いチューリップが活けてあった。

「いらっしゃいませ。お好きな席へどうぞ」

男性はこちらに気づくと手を止め、笑みを浮かべながらしゃがれた声で私たちを促した。

その声に導かれるまま、私たちは窓際の二番目のテーブルに向き合って座る。

「それにしても人、多かったな。一番の見ごろだとニュースでも言っていたし、休日だから仕方ないけれどさ」

「そうだね……」

曖昧な返事をしながらも、私はメニューを支える彼の左手から目が離せなくなってしまっていた。

いつか向かい合わないといけないと目をそらしていたのに、面と向かえば目が離せなくなるなんておかしな話だ。

だから、今まで手を握って見ないようにしていたのに。

それを遮るように、私は両手で握ったメニューで顔を覆った。

「俺は決まったけれど、夕美は?」

「あたしは……あたしも、一緒ので大丈夫」

店員さんを呼んで、Pさんが「コーヒー2つ」と頼んだところで、私はメニューを置いて外を眺め始めた。

ガラスを一枚隔てて向こう側では、幸せそうな人々が楽しそうに笑って、通り過ぎていく。

会話がないなとPさんを見れば、彼もまた向こう側を見ているようだった。

この幸せそうな人々を見て、一体どんな事を思っているのだろう。

「お待たせしました。コーヒー二つです」

時間が止まってしまったかのような静寂にヒビを入れるかのように、私とPさんの前にコーヒーが並べられた。

私のコーヒーからは、カラメルのような甘い香りが白い湯気と共に漂っている。

対するPさんのコーヒーは、重厚でこうばしい香りを発散させていた。

彼もコーヒーが私のものと違うという事に気づいたらしく、首をかしげながらカウンターに声をかけた。

「申し訳ない。常連だとばかり思っていた」

そう言って深々と頭を下げる店員さん。

聞けば、この店の「コーヒー」は、常連さんの中では「お任せの豆で1杯頼む」という意味合いなんだそうだ。

メニューを見て見ると、確かに、その中に「コーヒー」の文字はなく、各コーヒー豆の名前が羅列されているだけ。

なので、私たちにも非があるとお互いに謝る事で、この話は終わった。

「なんだか悪いことしちゃったな」

そう言ってコーヒーを一口すするPさん。

私も角砂糖を一つ落としてから、控えめにカップに口をつけると、強い甘みが口の中いっぱいに広がった。

あまりコーヒーが得意でない私でも、これはとても飲みやすい。

おかげで気持ちが落ち着き、彼の顔を見て話せるようになった。

「……なんだか、久しぶりだね。こうやって二人で、喫茶店で話すのって」

「そうだな……事務所が大きくなってからは、喫茶店で打ち合わせする事もなかったからな」

まだ事務所が小さく、私以外のアイドルは数人しかいなかった時代。

事務所の中では、Pさん以外のプロデューサーさんがバタバタ忙しそうにしていて、落ち着いて打ち合わせをできないからと、よく事務所近くの喫茶店に誘ってくれたものだ。

その頃は、彼と同じコーヒーを頼んで、苦い思いをする時もあった。

「……アイドル辞めてから何か、変わった事はあったか?」

少し話しづらそうに、Pさんは切りだした。

きっと、負い目を感じているのだろう。私がアイドルを辞めるきっかけになったのが、彼の退社であるから。

「ううん。普通の、女の子として生きてるよ。たまに気づかれて、サインをねだられる事とかはあるけれど」

だから私は、冗談のように軽く告げた。

コーヒーを一口すする。口の中に広がる甘みは、安心感を与えてくれた。

「そっか」、と。そっけないながらも、安心したような口調でPさんはコーヒーをぐいと飲み干した。

空になった二つのカップと、黄色のチューリップが乗ったテーブル。

Pさんは会計を済ませるため、スーツケースを引いて先にレジへと向かっている。

椅子を引いて立ちあがろうとした時、カップの奥底に、何か文字が刻まれている事に気がついた。

「No regrets!」

驚いてPさんの会計をしている店員さんを見て見ると、こちらに気づいて彼はしわだらけの顔で笑った。

あの人は、この言葉の通りに生きてきたのだろうか。

いいや、きっと違うだろう。だって、この店の名前は黄色のチューリップなのだから。

「夕美、行こうか」

「う、うん」

通りすがり、店員さんに一礼して外へ。

その時、視線が下を向き、自然に彼の左手が目に入ってきてしまう。

カウベルが背中を押すように響き、Pさんを追ってに私は早足で歩きだした。

それからは何をするでもなく、ただ街中を歩いた。

一つ買い物をするだけでも、一人かそうでないかで時間の過ぎ方は全然違って。

私がいいなと思った服と、Pさんがそう思った服が実は一緒で、お互いに笑いあったりもした。

気がつけば辺りは夕暮れ色。私たちは、駅に向かって歩いていた。

駅までの道を桃色に染め上げる花びらが、ひらひらと一つ、私の肩に乗る。

「……やっぱ、このまま終わるのは嫌、だな」

繋いでいた右手を離し、Pさんに呟く。

突然離された手を所在なさげに少し動かし、彼はゆっくりと振りむいた。

空いた右手でポシェットから、予め用意してあった押し花の栞を一つ、取りだす。

飾られているのは、ナズナの花。

「Pさん」

例え、断られると知っていても、

あなたのスーツケースの中に、この栞はもう入らないのだとしても、

後悔は、したくなかったから。

「ずっと、ずっと前から好きでした。あなたが、結婚する前から」

「この想いが捨てきれません。だから、だから」

「私と、付き合ってください」

何度も練習した笑顔を貼りつけて、

悲しさなんて、とうに忘れて。

私は両手で大事に持ったナズナの栞を、彼に向かって差し出した。

また、時が止まったかのような沈黙。

「……ごめん夕美。夕美の想いには、答えられない」

「そっか、当たり前だよね。ここで答えてたら、私怒ってたよ?」

沈黙を破り、真剣な顔つきで言う彼に対し、私は茶化すかのように肩をすくめた。

だってこれはあくまで、私の清算なのだから。

ここで泣いて、Pさんに心配をかけるのなんて、もっての他だ。

「だけど、気持ちを伝えてくれたのは―――」

と、ここで余計な事を離そうとするPさんの口に、1歩踏み込んで、そっと栞を寄せる。

そんな言葉が聞きたくて、私はここに来たんじゃないから。

ただ一言、その一言を言いたくて。

「さよなら、Pさん。お幸せにね」

少し背伸びをして、栞越しのキスを交わす。

初めてのキスは、少し硬くて無機質な味。

唇に手を当てて、夕暮れに立ちつくす彼に手を振って。

私は、桜道を駆け上がった。

そしてまた春が来て。

庭に植えたジャノメエリカは、見事な花を咲かせて、私の部屋を見守っている。

新調した机の上には、新調する前から変わらず、「元気でね」とだけ書かれた便箋がペンと一緒に置かれている。

続く言葉が見つからないからと、一年前からずっと置いてあるなんて未練たらしくってありはしない。

「『lilac time』……かぁ」

ぽつり呟いて椅子に座り、アイドルを引退する時、事務所のみんなから送られたオルゴールを開く。

鳴り始めたのは、私のためだけに綴られた楽曲。

この曲のタイトルをつけた人は、どんな思いでこの名前をつけたんだろう。

何だか今の私への皮肉みたいで、少し可笑しい。

「……よし!」

一つ気合いを入れ直して、オルゴールをパチンと閉じる。

ライラックの時間は、もうお終い。

机の引き出しから、中身が分からなくなるほど枯れ果てた栞を取り出して、ゴミ箱へと投げ入れる。

そして私はユーカリが添えられた便箋の一行目を「元気ですか」に書き直した。

「ご、ごめん待たせた?」

「うん、待った」

駅前の花屋の前、入口から飛び出した店員さんに向かって不機嫌そうな表情を見せる。

途端に慌てだした彼に、「冗談だよっ」と軽く笑った。

彼が手にしている袋の中には、また売れ残っていたジャノメエリカの花苗が一つ。

「今からPさんに会いに行くんだから、ぴしっとしててね?」

「その、Pさんっていうのは夕美の元プロデューサーなんだろ? 俺が会う必要あるのかよ……?」

「いいからいいから」

渋る彼の手を引いて、今年もまた、大勢の人で賑わう並木道を歩きだす。

この人達には、この道はどう見えているんだろう?

過去の私のように、悲しい道? それとも、今の私のように、幸せな道?

満開な桜の下、見覚えのあるスーツケースが、視界の端でちらりと揺れた。

終わりです。

今回参考にいたしました曲は、倉橋ヨエコさんの「桜道」です。

是非、興味を持った方はお聞きになってください。

では、ありがとうございました。

倉橋ヨエコ「桜道」
https://www.youtube.com/watch?v=i4FI24mW86Q&noredirect=1

それともう一つ。物語内に散りばめた花にも、意味を持たせたつもりです。

お暇があれば、一つ一つ確認しながらお読みください。

まゆ「夜は、忙しい」原曲:夜な夜な夜な
まゆ「夜は、忙しい」 - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1458920604/)

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