もこっち「モテないし、フィギュアスケーターになる」(335)

※わたモテ×アイレボのクロスSS

※初投稿なので、生暖かく見守ってくれると嬉しい。もこっちのゲス度は一年生の夏前なので低め(?)
 対人スキルが極端に低いだけの女の子と化してる。

※書き溜めは少ないけど速い頻度で投下していく予定。



もこっち「……ん?」
もこっち(スポーツ雑誌か……普段読まないけど、ゆうちゃん来るまでこれ立ち読みして時間潰すか。
     アニメージュとかキモヲタですって自己紹介してるようなもんだしな……
     これ読んで爽やかなスポーツファンの女子高生装おう)スッ

【NHK杯はこれでバッチリ!フィギュアスケート完全特集】

もこっち(……フィギュアか……お母さんがたまに見てる、審査員席に向かって股開いて胸突き出す公開AVの事か)ペラッ

注:イナバウアーしか見たことないもこっちの偏見です

【日本男子の華.橘カオル 今シーズンは四回転の安定度が飛躍的にアップ!】

もこっち(うお、三次元でこのイケオーラって、こいつ本当に人間か!?
     高3か、2歳違いでこの差は何なんだ……)ペラッ

【世界女王.片倉沙綾 世界を魅了したステップに磨きをかける】

もこっち(見た目は完全に悪役令嬢じゃねーか。絶対普段ぼっちだろこいつ)ペラッ

【圧倒的ジャンプ力.大沢真崎 トリプルアクセル成功率100%は金メダルへ一直線!】

もこっち(……何だよ、フィギュアスケートって美人しかやっちゃいけないルールでもあんのかよ!)ペラッ

【大沢選手は常葉アイススケートリンク所属。14歳からという遅咲きながら、その競技人生は
 すでに輝かしい功績に彩られ……】

もこっち(常葉……って、うちの近所にあるドームっぽい建物か!?)ペラッ

【なお、常葉アイススケートリンクでは、元全日本男子シングルチャンピォン.西園寺太郎コーチによる
 無料体験レッスンを開催中。スケートに興味のあるあなた、ちょっと運動不足かなというあなた、
 お気軽にお立ち寄りください!西園寺コーチが懇切丁寧に指導します、 ※予約不要、ジャージの着用が必須です】

もこっち(…………)パタン
もこっち(フィギュアスケート、か……)

――以下、もこっちの妄想劇場をお楽しみください――

ワーワー キャーキャー

実況『さあ、ついに始まりましたNHK杯女子シングル。注目のトップバッターは黒木智子選手!
   今シーズンはガラッと印象を変えてきました』

キャーキャー(もこっち LOVEと書かれた派手な垂れ幕をかかげた女ファンが映る)モコッチー!キャー!

(もこっち、コーチに背中を押されてリンクへ滑り出る。着ているのは胸元に大きなピンクのリボンがついた、
 白い透け感のあるノースリーブのワンピース。頭は同じ色のリボンでツインテールにして、小さなティアラが乗っている)

実況『黒木選手、クールなイメージから一転。まさに"氷上のヒロイン"にふさわしい、キュートな衣装。
   プログラムも今までのジャンプ主体から、ステップを活かしたものに変わりました』

(もこっち、リンクの真ん中で止まる。呼吸を整え、体を抱きかかえるようにした腕の中で、目を閉じて集中する)

実況『曲は、チャイコフスキー作曲、バレエ"くるみ割り人形"より、"花のワルツ"』

~~♪??

シャーーッッ、シャーッ

実況『前半最初のジャンプは、トリプルサルコウ』

シャーーーッッ……ザッ、クルクルクル……ストンッ

実況『決まりました!』ワァァァァァ……

――妄想劇場、終わり――

もこっち(私の乏しい知識じゃここまでが限界だ)
もこっち(フィギュアスケート……そこまで大変なスポーツじゃなさそうだな……何よりチームプレイじゃないのが
ぼっちに優しい仕様になってる……いやいや、私はそんなプロぼっちじゃないぞ!校外とはいえゆうちゃんがいる。
     私ごときがぼっち名乗ったら、真のぼっちを汚す事になる!)パタン
もこっち(でも、周りでフィギュアスケートやってる奴なんて見たことないな……)

モワワーン……

モブA  『えー、黒木さんフィギュアやってるの?すごーい!』
モブB  『ねえねえ、大沢選手ってどんな人?』
モブA  『今度の試合観に行くね!学校みんなで応援してるから!』

モワモワ……

もこっち(なーんて……)

   
もこっち(……無料なら、ちょっと行ってみるか)

翌日、常葉アイススケートリンク

もこっち(……来てしまった)
もこっち(学校終わりに何やってんだ私は……汗水垂らして運動とか、非効率的だろ……第一、人間の一生の
     呼吸数は決まってんだぞ、それを運動で消費するとか、バカの極みじゃねえか)
西園寺 「お、見ない子だな」ヒョコッ
もこっち「ひゃっ!?」
西園寺 「ああ、悪い悪い。ビックリさせちまったか……もしかして、無料体験レッスンに来たのか?」

そこにいたのは、軽くウェーブのかかった黒髪に眼鏡の、ジャージを着た男性だった。
智子は男性の気さくそうな雰囲気にひかれて、つい頷いた。

もこっち「は、はひ……」コクコク
西園寺 「本当か!?いやー、嬉しいなあ。雑誌に広告は出してたんだけど、皆気後れしちまうのかな。
     誰も来てくれなくてさあ」ニコニコ

もこっち「あ、あの……」
西園寺 「ああ、自己紹介がまだだったな。俺は"西園寺太郎"元、全日本男子シングル1位。
     無料体験レッスンは俺との一対一だけど、肩の力抜いてくれよ。
     あ、まだ君の名前聞いてなかったな、そのジャージ原幕だろ?何年生?」ズイッ
もこっち「く、くろき、ともこ……い、いちねんしぇい、でしゅ……(グイグイ来るなこの人)」
西園寺 「OK、じゃあ早速リンクの方に行こうか、智子」クイクイ
もこっち「ひぇっ!?」(なんだこのイケメン……いきなり名前呼びとか逆にハードル高すぎだろ!)

廊下を歩く間、西園寺の話を少し聞いた。いわく、名古屋から来た片倉沙綾、次に大沢真崎の才能を偶然見出し、
去年までここで指導していたらしい。が、世界を目指すには西園寺は力不足とのことで、
二人はもっと実績のある外人コーチのもとへ行くことになった。
意気消沈していた西園寺に、このリンクのオーナーが無料体験レッスンを提案したという。


西園寺 「よし、じゃあここ入ってくれ」ガチャッ
もこっち「へっ?こ、ここって……」

そこは、リンク近くの控え室だった。ロッカーが並んだ狭い部屋に、スケートの道具や長椅子が置かれている。

モヤモヤ……

西園寺 「……全く、無防備すぎんだろ」ドサッ
もこっち「へっ!?」
西園寺 「個人レッスン、まずはストレッチからな」グッ
もこっち「あっ、そんなとこ……」カァァ

モヤヤン……

もこっち(的な!?)
西園寺 「おい、聞いてるか?」
もこっち「は、はひっ!」ピーン
もこっち(やばい、完全に妄想モード入ってた)ズーン
西園寺 「いきなりリンク行っても、その靴じゃ滑れないからな」スッ(ローファーを指さす)
もこっち「あ……なるほど」
西園寺 「じゃあここで問題!」
もこっち「えっ!?」
西園寺 「ここに2色のスケート靴があります。片方は白、もう片方は黒。さて、女子はどっちでしょうか」チッチッチッ…
もこっち「えっ、えっと……(そんなの知らねえよ!)……白?」
西園寺 「正解!」ピンポーン
もこっち(当たっちゃったよ!適当だったのに!)
西園寺 「スケート靴の色は、公式ルールで決められているんだ」
もこっち「そ、そうなんですか……」(話なげえなこの人)
西園寺 「と、いうわけで……サイズを選んで履いてくれ。あ、ちなみに靴下はそのままでいいぞ」
もこっち「はい……」(あれ、何かすんなり話せてきてるぞ?)
西園寺 「足を入れたら、紐をしっかり結ぶんだ。あともう一つ注意。エッジには今カバーがついてるけど、
     実際リンクに立ったら外すからな。転んだ拍子に手をついて、そこにちょうど来たスケート靴で
     指をスッパーンなんて事故も昔……」ニヤニヤ
もこっち(ひぃぃ!)ガタガタブルブル

実際やってみた方が早い、ということで。
スケート靴を履いた西園寺と智子は、いよいよリンクにやってきた。
高く開放的な天井、そこから降り注ぐ日光できらきら光る、幾筋もエッジの痕が走る氷。
そこはまるで別世界だった。

もこっち「うわあ……すごい、広い!」パァァ
西園寺 「お、ちょうど誰もいないな。じゃあ智子、俺が先に見本を見せるから、よく見てろよ」
もこっち「はい……」プルプル

言うなり西園寺は、さっとリンクに踊り出た。壁に手をついてなんとか体を支える智子と違い、さすがに慣れている。

西園寺 「いいか、スケートで一番大事なのはバランス感覚。足で前に進むんじゃない。
     氷を蹴って、その反動で前に進む。だから体重は常に、進行方向に向かって移動するわけだ。
     ちなみに、一流の選手ほど氷を蹴る回数が少ない。まあお前は初心者だから、まずはふらつかないで
     滑れるのを目標にしよう。というわけで、まずはお手本」ガッ

シャーーッッ……シャー……キュッ、ピタッ。

西園寺 「どうだ?スケート、楽しそうだろ」ハハハ
もこっち(……すげえな。1回のキックで向こう側まで行ったぞこの人……)

西園寺 「普通は手すりにつかまりながら練習すんだが、案外やれば出来るもんだからな……」ウーン
もこっち(そのやれば出来るうちに入ってないのが私なんだよ!)
西園寺 「よし、智子!途中で転んでもいいから、とにかくこっちに来てみろ!」サッ(もこっちに向かって手を広げる)
もこっち「えぇ!?む、むりです!」
西園寺 「バランス感覚さえあればできるから!」
もこっち「…………」プルプル
西園寺 「大丈夫だ、初心者は誰だってこうなんだ。転んだって絶対に笑わない」
もこっち「ほ、ほんとですか……」プルプル
西園寺 「俺だって滑れるようになるまで3日かかったんだぞ。大丈夫だ、ちゃんと受け止めてやるから、俺を信じろ!」

瞬間、智子は氷を蹴っていた。
体重がぐいっとエッジにかかって、体がふらりと傾く。が、なんとか立て直す。

もこっち「お、おっ、おっ!?」フラ~
西園寺 「智子、体に一本の芯が通るのをイメージしろ!竹馬の要領だ!」
もこっち「し、芯?」フラッ
西園寺 「よし、体勢が直った!……すごいな……本当に運動経験ないのか?」

オーイ……コーチー……

もこっち「あれ、誰か来t……???「おーい、コーチ!!」「……へぶっ!」ビターンッ
西園寺 「智子ォ!大丈夫か!?」シャーーッッ
???  「おーい、コーチー!……あれ、もしかしてあたし邪魔だった?」
もこっち「うぅ……」グスグス
西園寺 「立てるか?よし、怪我はないな……おい真崎!もっと静かに入って来いっていつも言ってただろ!」アセアセ
もこっち「あ、あれ……この人、もしかして」

そこにいたのは、短い金髪をピンで留めた、華やかな美少女だった。
白地に青ラインのジャージを着て、リンクに片膝をついて、靴紐を結び直している。

???  「悪い悪い、びっくりさせるつもりなかったんだけど」
もこっち 「い、いえ……あの、私が勝手に転んだだけなんで……」ボダボダ
???  「あ!鼻血出てんぞ、ちょっとそのまま!」シャーーッッ

真崎はあわててポケットからハンカチを取り出すと、智子の鼻に当ててくれた。
大丈夫か?といたわりの言葉をかけながら背中をさすってくれる手は優しく、
卑屈な性質の智子でも、素直に感謝の気持ちが生まれるほどだった。

??? 「よし、血ィ止まったな」ホッ
もこっち「あ、ハンカチ……」
??? 「いーんだ、今のは確かにあたしが悪い。んで、この子誰?見ない顔だけど」

西園寺 「ああ、この子は体験レッスンに来た子なんだ。智子、こいつは大沢真崎。
     俺が中学2年の時から指導してた、今年の世界女王だ」
もこっち「へっ!?お、おおさわ、せんしゅ!?あ、あの……」
西園寺 「この子は黒木智子。高校一年」
もこっち(コーチ……!なんとさり気ないフォロー!)
真崎  「真崎でいいぜ。よろしくな、智子!」
もこっち「えっと……じゃあ、まさき、さん……」モジモジ
真崎  「よろしくなー」ニコニコ
もこっち(サインとか普通にくれそうだな……後でカバンにでも書いてもらって、弟に自慢しよう)
もこっち「あ、あの……真崎さん、って……雑誌で見たのより……なんというか、
     気さく、ですね……」
西園寺 「こいつのはガサツ、って言うんだよ」
真崎  「おい、余計な事言うなっての!」アハハ
もこっち(ゆうちゃんがスポーツやってたら、こんな感じだったのかな……)

西園寺 「で、何しに来たんだ。お前の新しいコーチは何してる」ハァー
真崎  「アメリカに2週間ぐらい里帰りするって言うからさ、もー暇で暇で、つい来ちゃった」テヘッ
西園寺 「やめろ、似合わなすぎて気持ち悪いぞ……でも、俺は見てやれないしな……
     そうだ、お前も一緒に滑るか?」
もこっち「えっ」
真崎  「ああ、いいぜ」サラッ
もこっち「で、でも……実力が、違いすぎるんじゃ……」
西園寺 「だからいいんだ。クセがない初心者と一緒に滑ることで、真崎にもいい影響があるだろうし」
もこっち「そ、そういうもの、なんですか……?」
真崎  「うっし、じゃあ決まり!俺、ジャンプ得意だし、簡単なやつならちょっと教えられるぜ?」
西園寺 「智子、こいつの言うことは真に受けるなよ。いきなりジャンプ出来るやつなんてほとんどいないからな」
もこっち「……が、がんばります……(シナリオが予想外の方向に……軽い気持ちで来たのになんだこれ……)」

真崎はリンクの真ん中まで出ると、智子をちょいちょいと手招きした。

もこっち「…………」シャーーッッ、キュッ

真崎  「なあコーチ、智子ってホントに初心者なのか?」

西園寺 「ああ。スケート靴初めて履いて、まだ15分しか経ってないぞ」

真崎  「マジで!?うわあ、すげえなお前!」

もこっち「え、そ、そんな……普通じゃ……」

真崎  「だって、ずーっと空手やってたあたしでもそんなすんなり滑れなかったぜ?なあコーチ」

西園寺 「教えてないのに、ちゃんとブレーキも方向転換も出来てるしな」ウンウン

もこっち「お前、結構運動神経いいっていうか……フィギュア向いてんじゃないのか?」

その一言に、智子は雷に打たれたような衝撃を覚えた。
フィギュアスケート。
ついさっきまで、ちょっと出来ればいい、自慢の種になるとしか思っていなかったそれが、
智子の心のなかでしっかりと形を持った気がした。

もこっち「うっ……」ポロッ

真崎  「え、どうした!」ビクッ

もこっち「だって……そんな、スポーツで褒められたこと……なかったから……」グスッ

台詞ごとに改行入れるつもりだったのに忘れてた…
やり直すのもなんだし、ここまでのレスが読みづらくなってるのはすまん

いつも、スポーツでは足を引っ張る存在でしかなく。
チームプレイのバスケやバレーでは、一緒にプレイするメンバーに白い目で見られるのが常だった。
それが、お世辞かも知れないが褒められている。それは智子にとって初めての経験だった。

真崎と西園寺は、顔を見合わせる。
下を向いて涙をこぼす智子には見えなかったが、西園寺は確かに見た。
真崎の顔がニヤーッ、と悪い笑顔に変わっていくのを。

真崎  「よーし、じゃあ智子。あたしがお手本見せてやるから、ちょっと見てな」ポンポン

智子  「えっ?」

西園寺 「おい真崎!まさかお前、いきなり……」

真崎は聞く耳持たず、シャッと氷を蹴って走る。

もこっち「わあ……(すげーな、綺麗だ……)」

風のように滑るその姿に、智子の目は釘付けになった。
スケート靴の刃が『ガッ』と氷面をえぐるように蹴る。パッと飛び散った氷の欠片が舞い上がる中、
真崎ははるか上空に舞い上がり、くるくると回転しながら放物線を描いて着地した。
着地の勢いを殺すため、シャーッと半円形に滑る真崎は、智子の視線に気づくと「にひひ」とVサインを作る。

真崎  「これがアクセル。一番簡単なジャンプな」ニシシ

もこっち「えっ……簡単、って……」

真崎  「初心者のお前でも今日中には飛べるぜ?」

西園寺 「おい真崎!」

もこっち「そ、そうなんですか……?」

真崎  「おう、ちょっとやってみろよ!左足に重心乗っけて、右足でサッカーボール蹴るみたいに踏み切って、
     空中でクルクルーッて回る。そんだけだから」

もこっち(聞いていると、たしかに簡単そうだ……ぴょーんって跳んだし……)

智子は見よう見まねで、シャーッと滑りだした。

もこっち(左足に重心を乗っけて……)グイッ

もこっち(右足で踏み切る……サッカーボール……って、前にドーンでいいのか?)ガッ

もこっち(で、跳ぶ!)ザシャッ

西園寺 「!!」

真崎  「おぉー」

2人が見上げる前で、智子の体は宙を舞った。
といっても高さは1メートルにも満たず、滞空時間は3秒ほどだった。
空中で斜めに一回転した智子は、右足から着氷する。が、跳んだ衝撃を殺しきれず、
足はザッと前に出た。

もこっち「いった!」ベシャッ

もこっち「うぐぐ……(嘘だろ、すげえ痛いぞ!……くそっ、なんて日だ!なんて日だ!)」ヒリヒリ

尻餅をついた智子に、真崎が「痛いの痛いのとんでけー」をやっている。
その後ろで、西園寺は言葉もなく立ち尽くしていた。

西園寺(……素人、のはずだ。筋肉もない、体は硬い、運動神経も特に優れているわけじゃない)

西園寺(なのに、一回見ただけのアクセルを、跳んだ……回転不足でシングルにすらなってない上に、
    転んでいる。エッジの方向も違ったから、完全に成功というわけではないが……)

西園寺(最高難度のアクセルを、まぐれでも形にしたのか……スケート歴20分で……)

まだヒリヒリ痛むのか、尻をおさえてよろよろと立ち上がる智子に、
西園寺は意を決して近づいた。

西園寺「智子……その、お前さえよければ、なんだが」

西園寺「フィギュアスケート、やってみないか?」

尻餅をついた智子に、真崎が「痛いの痛いのとんでけー」をやっている。
その後ろで、西園寺は言葉もなく立ち尽くしていた。

西園寺(……素人、のはずだ。筋肉もない、体は硬い、運動神経も特に優れているわけじゃない)

西園寺(なのに、一回見ただけのアクセルを、跳んだ……回転不足でシングルにすらなってない上に、
    転んでいる。エッジの方向も違ったから、完全に成功というわけではないが……)

西園寺(最高難度のアクセルを、まぐれでも形にしたのか……スケート歴20分で……)

まだヒリヒリ痛むのか、尻をおさえてよろよろと立ち上がる智子に、
西園寺は意を決して近づいた。

西園寺「智子……その、お前さえよければ、なんだが」

西園寺「フィギュアスケート、やってみないか?」

今日はここまで。

おつ
できればで良いから表記を智子かもこっちかどっちかにしてくれ

>>17ありがとう、『智子』に統一しといた。『もこっち』だと何か締まらないね。


翌日、学校にて――。

智子  「はあ……」コテン

西園寺 『返事は今すぐじゃなくてもいい。少しでも興味があるなら……明日もリンクに来てくれ』

智子  (……某アゴBLゲー並の超展開だぞこれ……)スッ

智子  (このままフェードアウトっていうのもアリだけど……)カチカチ

真崎  『お前、結構運動神経いいっていうか……フィギュア向いてんじゃねえのか?』

智子  (これっていわゆる"逃げちゃダメだ"って状況なのか)カチッ

智子  (学校でも家でも、あんな風に褒められたことなかったな……怒られたりバカにされたりはあったけど……
     世界女王と全日本チャンピォンがああ言ったんだ、もしかして私本当に)カチッ

智子  ("超高校級のフィギュアスケーター"になれちゃったりするのか?)カチッ

智子  (今ここで逃げたら、私はどうなるんだ?昼休みの教室で一人ゲームしてる今みたいな日々が、
     ずっと続いて、大学行っても、仕事についても、ずっとこんな……あっ)カチッ

デデーン ―MISSION FAILED―

智子  (…………)

智子  (行って、みるか)

―放課後、常葉アイススケートリンク―


西園寺 「智子、来てくれたのか!」パァァ

智子  (滅茶苦茶喜んでる……うっ、一瞬でもサボろうとした罪悪感が……)

西園寺 「どうした、具合悪いか?」

智子  「い、いえっ、大丈夫です!」

西園寺 「そうか、じゃあ早速リンクに行くか」


―リンクにて―


真崎  「おーい、智子ー!」ブンブン

智子  「!!」

西園寺 「……お前、学校はどうした」ハァ

真崎  「んなもん、授業終わったらダッシュよ!」ニシシ

智子  「……あの」

真崎  「お?智子今日は髪の毛まとめてんのか?」

今日の智子Style…学校指定のジャージに前髪をピンで留めた、低い位置のポニーテール

真崎  「顔出てるほうが可愛いな」

智子  「へっ!?そ、そんなことは……(この人、お世辞スキル高すぎだろ!)」ブンブン

真崎  「またまた、お前謙遜上手いなー、そういうとこ可愛いぞ~?」グリグリ

西園寺 「…………」

真崎  「コーチ、今日はなんだっけ?」

西園寺 「あ?ああ、コンパルソリーダンスを、ちょっと」

智子  「こんてんぽらりー……?」

西園寺 「違う違う、コン.パル.ソリー。フィギュアの基礎練習の一つで、
     氷の上に図形を描いて滑るんだ。ジャンプやスピンといった要素が出てくるまでは、
     これがオリンピックの正式競技だったんだぞ」

智子  「図形って……丸とか、三角とか……?」

西園寺 「そういうのもあるけど、基本は8の字とか、半円だな。まず、"フィギュア"という語源の元になったのが、
     "図形"って意味のコンパルソリーなんだ」

智子  「えっ……てっきりあのフィギュアと同じだと……(ハッ、ついオタク趣味の片鱗が!)」

西園寺 「ああ、多分あのフィギュアも同じ語源だと思うぞ?あれも"図形"を立体化してるもんだろ?
     とにかく、このコンパルソリーが、ステップの基本になる。バッジテストの課題にもなっているから、
     本格的にフィギュアやるんなら、しっかりマスターしとかないとな」

智子  「な、なるほど……地道にってことですか……あれ、ところでバッジテストって」

西園寺 「まあ、あまり構えなくていい。智子はいいバランス感覚持ってるし、すぐ出来るようになるだろ」ポンポン

智子  (無視かよ!まあ今は関係ない話なのか……別にやるって言ってないしな私)

西園寺 「じゃあ、まずは8の字……"サークルエイト"から行ってみようか。俺がお手本見せるから、
     続けてやってみろ」シャーッ

智子  「何でわざわざ言い直して……」

真崎  「フィギュアスケートの用語って、たいてい英語なんだよ。今のうちに慣れとけってことだろ」

智子  「なるほど……」

西園寺 「コンパルソリーは、基本的に片足だ。滑り出しから図形を描いて、戻ってくるまでずっと片足。
     だから、しっかりバランスを取れているか、体を使えているか、エッジをさばいているか、が
     これで見れる」シャーッ

西園寺 「フィギュアで一番要求されるのが、この"エッジさばき"だ。得点にも大きく関わる、基本中の基本。
     じゃあ行くぞ、よーく見てろよ……まずは左足で滑り出して」

シャーーッッ……キュッ 西園寺「エッジを傾けて、ターン」

シャーーッッ……   西園寺「そのまま円を描いて……今度は右足に組み替える」キュッ

シャーーッッ     西園寺「右足で円を描くと……ほら、8の字ができた」ピタッ

智子  「おお……」

西園寺 「じゃあついでにもうひとつ、"ロングアクシス"もやってみるか。これはもっと簡単、8の字の中心同士を、
     直線で結ぶ。だから、まっすぐ滑るだけでいい」シャーーッッ

西園寺 「よし、じゃあここまでやってみるか。俺が作った図形と重ならないようにな」キュッ

智子  (本当に出来るのかな……)プルプル

真崎  「大丈夫だよ、智子はもうちゃんと滑れてるし、ターンもブレーキも覚えてるだろ?」ポンポン

智子  「は、はい……」スッ

シャーーッッ、シャーッ 智子(えーと、最初は左足でターンして、円を描いて……)クルッ

シャーーッッ    智子(次に右足で円を描く……なんだ、余裕じゃねえか)キュッ

智子  (で、最後は直線……これで本当にフィギュアできるようになんのか?全然簡単だよ)シャーーッ……ピタッ

智子  「えっと……どうですか?」

そこには、西園寺の8の字より一回りほど小さな8の字ができていた。
2つの円は直線で結ばれ、ふらつきがなかったおかげで美しいラインが引かれている。

西園寺 「……よし、じゃあどんどん行くか」

智子  「えぇ!?」

西園寺 「セミサークル……はできてるな。じゃあ次、サーペンタイン行ってみるか。
     エッジの方向を変えて滑るだけだから、もっと簡単だぞ。左右にウネウネ~って感じの図形ができる」


智子  「なんだ、それなら……」

西園寺 「ただし、速い間隔でエッジを動かすから、バランス感覚が問われるぞ……まあ、お前なら大丈夫か」

智子  「?」

智子は訳が分からない、という顔をしながらも、滑り出した。
それを遠目に見ている真崎が、西園寺の肩をちょんちょん、と突く。

真崎  「なあ、コーチから見た智子の才能って……バランス感覚、だろ」

西園寺 「惜しいな、半分正解だ」

真崎  「えっ?」

西園寺 「バランス感覚がいいということは、骨格がしっかりしていて、骨が動くってことだ。
      実のところ、筋肉のあるなしとか、運動神経よりも大事なのが、この"骨"なんだよ」

真崎  「じゃあ、智子ってその骨が強いってのか?」

西園寺 「見たところ、しっかりした骨格を持ってるし、骨自体もかなり可動域がある。
     体は硬いし身長も低いけど、かなり不規則な生活を送ってるのは目が濁ってるので分かる。
     バランスの良い食生活と運動、後は適切なトレーニングであっという間にフィギュアの体になるだろ」

真崎  「そういう子って少ないのか?」

西園寺 「少ないどころか、見たことないな。お前だってどちらかと言えば筋肉に比重が偏ってる。
     智子が今までどのスポーツにも素質を見いだせなかったのは、仕方ない話だ。
     学校の体育っていうのはだいたい、筋肉任せだからな」

真崎  「ふーん……じゃあ後は、智子のやる気次第ってことか」

西園寺 「それならもう出てるだろ」

智子はサーペンタインを描き終えると、次の指示がないので好き勝手に滑り出した。
基本片足で、時々前向きに踏み切って跳ぼうとする。が、あえなく失敗して尻餅をつく。

真崎  「あ、立った!偉いぞ智子!」

西園寺 「昨日は痛い痛いって泣いてたのにな……」

真崎  「なあコーチ、智子を正式にうちの所属にしようぜ!そしたらあたし、色々教えてやるからさあ」

西園寺 「……いきなりアクセル跳ばした奴が何言ってる。それに、智子一人の問題じゃないんだ」


――練習後――

智子  (結局、あの後色々描かされた……NTTマークだの3の字だの……最終的にはハートマークまで……)

智子  (うぅ、もう一歩も動けない……)ガチガチ

西園寺 「いやあ、悪い悪い。智子があんまり器用なもんで、つい」ハハハ

真崎  「でもすげえな、今日一日で大体マスターしちまって」

智子  (このコーチ鬼だ!最初は優しそうだと思ったのに、笑顔でバンバン課題出してきやがって!)ギロッ

智子  (……でも、楽しかったな……)ニマー

西園寺 「…………」ギュッ

西園寺 「なあ、智子。今日これから、お前の家にお邪魔してもいいか?」

智子  「ああ、はい」

智子  「…………」

智子  「えっ!?」


テクテク……

智子  (うぅ、反射でハイって言っちゃったけど、正直きまずい……)チラッ

西園寺 「…………」

智子  (なんでこの人、全然喋んないんだよ!アレか、"お嬢さんを僕に下さい"の前で緊張してる男かアンタは!
     真崎さんは"あたしトレーニングあるから"って帰っちゃったし……)

テクテク……

智子  「えと、あの……こ、ここです……」

西園寺 「あ、ああ。立派な家だな。じゃあ、頼む」

智子  「は、はい」ピンポーン

智子  「ただいまー」

母   「おかえりなさい……って、……どちら様?」ジー

智子  「え、っと……なんというか」チラッ

西園寺 「…………」コホン

母   「え?あら、まあまあ……あなた、もしかして……西園寺選手じゃない?昔全日本で金メダルだった!」

西園寺 「覚えてくださっていたんですか」

母   「ええ、だって私の若いころなんかあなた、氷の王子様って言われてたじゃないですか」カァァ

智子  (うわあ、お母さんが発情期のメスの顔になってる……)ドンビキ

西園寺 「少し、お邪魔してもよろしいですか?智子さんのことで、大事な話があるんです」

母   「え、ええ……どうぞ……」

脳内母 (キャー!西園寺選手がうちに……!お客様用の布団出したほうがいいのかしら!?
えっ、さっきこの人"智子さんのことで"って言ったわね、ということは……まさか、まさか!
     ダメよ、まだお嫁にやるなんて!……で、でも2人が愛し合っているならそれはそれで……)

智子  (お母さん、絶対変な勘違いしてる……)

□ □ □ □ □ □

智貴  「!!?」クチアングリ

智子  「お帰り、今日遅いなお前」モグモグ

西園寺 「ああ、もしかして君が智貴くん?はじめまして、俺は西園寺太郎。
     すぐそこの常葉アイススケートリンクで、コーチをしているんだ」

智貴  「は、はじめまして……」ペコッ

智貴は手を洗って席につこうとしたところで気づいた。
いつもの自分の席が、客人の西園寺に占領されている。
図にするとこんな感じだ。

□智子 □西園寺
□母  □父

智貴  (……部屋から椅子持ってきて座るか)

西園寺 「本当にありがとうございます、夕飯まで図々しく頂いてしまって……
     美味しくてつい食べすぎちゃいますよ、お母様の愛情が詰まっているんですね」ニコッ

母   「あらー、本当にお上手なんだから~、いっそ明日から毎日食べに来てもいいんですよ~」キャピキャピニコニコ

智子  (……西園寺さん……褒めて伸ばすタイプなんだな……)
智貴  (母さんが恋する乙女のように……!!)

父   「お前今日は20歳くらい若返ってるなあ」ハハハ

椅子を持ってきた智貴が食べ始めると、西園寺は箸を置いて茶を一口飲んだ。

母   「それで、智子についての大事なお話って……」ソワソワ

西園寺はテーブルにバンッと両手をついて、「お願いします、智子さんを僕に下さい!」と頭を下げた。
突然の行為に、ほろ酔い加減の父は「ブッ!」とむせて、智貴はご飯を気管につまらせ咳きこむ。

母   「…………」ポカーン

智子  「ち、違うってお母さん!これは、スケートの話で……」アワアワ

西園寺 「絶対に世界を狙う選手に育て上げます!
     なので、智子さんにフィギュアスケートをやらせてあげてください!!」

しばらく、リビングはシーンと静まり返る。
やがて、いち早く正気に戻った智貴が「フィギュアスケート……?」とつぶやく。

智貴  「姉ちゃん、いつの間にフィギュアなんか……」

西園寺 「昨日からだ。うちのリンクで開いている無料体験レッスンに、来てくれた」

智貴  「あの、姉は本当に運動が苦手なんですけど……」

西園寺 「知ってる。でも、俺の目に狂いはない。今からでも地道なレッスンを積めば、
     世界選手権も、オリンピックも夢じゃない。智子にはその素質がある」

智子  (……せかいせんしゅけん?おりんぴっく?なに、私のこと喋ってるんだよな?)グルグル

母   「ねえ智子、あんたはどうなの?西園寺さんはこう仰ってるけど……」

智子  「ひっ!?あ、あの……」

母   「あんたの意見が聞きたいの、ねえ智子。お遊びに出せるお金なんかうちにはないのよ、
     本気でやりたいの、どうなの?」

智子  「う……」

母   「はっきりしなさい!もう高校生でしょ、どうしてあんたはそう……」

つい問い詰めるような口調になった母に、西園寺が「ゆっくり待ってあげて下さい」と助け舟を出す。

西園寺 「実のところ、僕も智子さんの意思をハッキリ聞いたわけじゃないんです。ただ、僕は
     "少しでも興味があったら、明日リンクに来てくれ"と言っただけだったんです」

西園寺 「でも、智子さんは学校が終わってすぐ来てくれました。しかもちゃんとジャージに着替えて、
     邪魔な髪もきちんとまとめて……やる気がなかったら、そんな事しません」

母   「……智子、もしかしてあんた、本当に?」

西園寺 「智子さんは、教えていないのにすぐ滑れるようになりました。コンパルソリーもほとんど完璧ですし、
     1日でもう、ステップを練習するところまで来ています。普通の子なら一ヶ月かかるところを、彼女は
     2日で達成しているんです。確実に才能がある」

智子はしばらく、黙って下を向いていた。やがて意を決したように顔を上げて、
ぽつり、ぽつりと話しだす。

智子  「……私……フィギュアスケート、やりたい」

母   「!!」

智貴  「姉ちゃん……」

智子  「昨日、言われたんだ……フィギュア向いてんじゃないのか、って……今まで、習い事とか
     したことないし、何がやりたいのか、全然分かんなくて、学校もつまんないし、
     何やってもうまく行かなくて、でも」

智子  「そんなの言われたの初めてで……もっと、言って欲しいって、褒めてもらいたいって、思ったのっ、
     そしたら、どんどん楽しくなって、滑ってるうちにもっと滑りたいって思って、
     4時間もぶっ続けで滑ったのに、全然つらくなくてっ、だから、頑張れると思うから、」

智子  「だから……」

そこで、言葉が止まった。普段はクラスメイトへの罵倒か二次元キャラへの独り言ばかり出ている口から出た
まっすぐな言葉に、母と智貴はどう答えるべきか分からず、顔を見合わせている。

父   「……いいんじゃないか?」

そこで、ずっと黙っていた父が口を開いた。

父   「あの智子が、初めて自分から何かしたいって言ったんだ……やらせてやるのが、親の義務だろう」

母   「あなた……」

父   「なあに、可愛い娘のためなら残業くらい屁でもないさ。智貴は早々にサッカーに打ち込んでいたから
     安心していたんだが……そうだな、智子には色々試す機会すらあげていなかったな……」

母   「……ッ、何、のんきなこと言ってるのよ!」

父   「智子、お前はちょっと部屋に行ってなさい」

智子  「えっ……」

父   「大丈夫、お父さんが悪いようにはしないから。な?」

智子はしばらく迷っていたが、立ち上がって西園寺にお辞儀すると、2階へ上がっていった。

母   「智貴、あんたも……」

智貴  「いや、俺は聞くよ。大事な話だから」

母   「そう……」

2階でドアが閉まる音が聞こえると同時に、西園寺が話しだした。

西園寺 「常葉アイススケートリンクでは、一時間の練習で3万円のレンタル料が必要です」

西園寺 「世界を目指すなら、1日に5時間の練習を、ほとんど毎日欠かさず行わないといけません。
     つまり3万×5の6日分として、単純計算で週に90万円……ですが、僕がなんとかオーナーにかけ合うので、
     多少は安くなります。それでも月々50万近くは払っていただく事になるかと」

智貴  「スケートリンクってそんな高いんですか!?」

西園寺 「当たり前だよ。あれだけの大きな敷地に氷を張っているんだ……維持費だけでかなりかかっている。
     これぐらいのレンタル料を取らないと元が取れない。人工芝のフットサルコートとはわけが違うんだよ」

ゴクリ、とつばを飲み込む家族に、「さらに衣装代」と続ける。

西園寺 「僕は"つて"を持っていますが……それでも一着10万はくだりません。
     さらに智子さんはこれから、日本スケート連盟の実施しているバッジテストを受ける必要があります。
     遠征費、宿泊費、飛行機代……さらにコーチ代。僕は実績も全日本止まりですし、ふっかけるつもりはないので……
     それでも、年に300万はいただきます。片倉選手、大沢選手のご両親も、同じ値段を支払っています」

西園寺 「振り付けは僕が行いますので、無料。スケート靴もつてのある洋品店で買えますから、多少は安くなります。
     それでも一足12万円、厳しい練習と成長する足に合わせて、年5足は買い換える必要がある」

西園寺 「結論から申しますと……智子さんをフィギュアスケーターにするためには…… 
     最低でも、3000万円。最高で8000万円ほど、かかります」

思わぬ金額に、智貴は思わず箸を取り落とす。

智貴  (はっ……8000万円……都内に庭つきの豪邸が建つ金額じゃねえか!)チラッ

智貴  (母さん……やっぱりすごい顔になってる……)

父   「西園寺さん」

西園寺 「……はい」

父   「私は、智子が可愛い」

母   「あなた……」

父   「だから、この家を売り払ってでも……毎日残業してでも……そのお金を用意してやりたいと思ってます。
     あなたがそこまで言うということは、智子にはきっと才能があるんでしょう。親に金が無いばかりに
     それを諦めることになったら可哀想だ」

父   「どうか、うちの智子を……お願いします」

母   「……そうね……あの子がやりたいことを見つけた、それだけで十分ね……」

母   「私からもお願いします。私がパートに出れば少しは足しになるでしょうし」

西園寺 「あ……ありがとうございます!……絶対に、一流の選手にします!」

母   「"氷上の王子様"が迎えに来たんだもの……きっと、大丈夫ね……」

ぐすっと涙をぬぐう母の隣で、智貴は黙って下を向いていた。

一旦投下切ります。

ちなみに西園寺の言ってる金額はガチです。
フィギュアスケートはおリッチなスポーツなので、もこっちの家では多分ギリギリだと思います。

ヒエッ........
これは是非とも挫折せずにプロになって欲しい
いや1回は挫折したほうが良いけどした場合の家のアレが怖いわ

俺たちのもこっちがこんなにも輝いている!

>>35 それだけお金をかけても元が取れない可能性の方が高いのは、恐ろしい話ですね。
   黒木家では高校受験を控えた弟と家のローン、生活費もあるので…
もこっちはちゃんと一人前にはする予定です。
   

>>36 そう言っていただくと、嬉しい半面挫折させるのが恐ろしくなります。
   フィギュアでプロ目指すには遅い年齢だし、完璧チートではないから、セーフか……?
   

その頃、智子は部屋で一人、パソコンの前に座っていた。
Google検索して知ったのは、自分が跳ばされたアクセルが、本当は一番難しいジャンプだということ。
そしてもう一つ。フィギュアスケートは、莫大な金のかかるスポーツだということ。

智子  「……言っちゃった……言っちゃったよ、私……」ギィッ

智子  「なんだよ、こんな金かかるって知ってたら……」

智子  (知ってたら……諦めたのかな、私)

智子  (…………)

智子  (……無理だよな、楽しすぎるし)ポフン

母   『何、のんきな事言ってるのよ!』

父   『お父さんが、悪いようにはしないから』

階下ではまだ、西園寺と両親の話しあう声が聞こえてくる。足音がしない所を見ると、
弟も聞いているようだ。自分のワガママで一家を振り回しているようで、智子の上がっていた気持ちが
段々と下がってくる。

智子  (……アクセル、って一番ムズいのか……でも私、一応跳べるようにはなって来てるよな?
     5回に1回しか跳べてないし、まだ回れないけど……)

智子  (ということは、私……やっぱり、才能あんのか?世界70億のモブの一人でしかなかったはずの私に、そんなものが?)

智子  (……やめよ。考えたら頭グルグルしてきた)

智子  (…………)スー、スー……


――翌朝――

チチチ…チュンチュン……

智子  「…………」ドヨーン

智子  (あんまり寝れなかった……おかげでいつも以上に酷い顔になってる……
     昨日汗かいたのに、風呂入んないで寝たから体クサいし)ズーン

智子  (歯磨いたらシャワー浴びよう……黒木菌なんてあだ名ついたら終わりだ)シャコシャコ

西園寺 「ふわあ……あー、よく寝た」ガチャッ

西園寺 「おはよう、智子。顔洗ったらランニング行ってみるか」

智子  「あ、はい……おはようございます……」

智子  「…………」シャコシャコ

智子  「って、ええ!?」ポロッ

西園寺 「いやー、ご両親と話しこんでたら遅くなってな。お母さんのご厚意につい甘えちまった」ハハハ

西園寺 「でもおかげで、お前の練習メニューが出来たぞ!」

智子  「と、いうことは……」グジュグジュ…ペッ

母   「あら智子、起きてたの?早いじゃない」ガチャッ

智子  「お母さん!」

母   「あらー、西園寺さんおはようございます~、顔洗い用のタオルなかったでしょ?持ってきておきましたからね~」ウフフ

脳内母 (こんな時のために、新品のタオルストックしておいてよかったわ~、
     いつお泊りになっても大丈夫なように、着替えも用意しとかなくちゃ……)ヒヒヒ…

智子  (お母さん……やっぱりあんたは私のお母さんだ……)ゾワッ

智子  「って、なんで普通にしてんの!?昨日の話は…… 母「智子、そのことなんだけど」

母   「あんたの、好きにしなさい」

智子  「……えっ?」

母   「その代わり、途中でやめたら許さないわよ。やるからにはしっかり、金メダル目指しなさい。
     お母さんもお父さんも、あんたのためなら何だってできるんだから」

脳内母 (そしたら西園寺さんともお付き合いできるし……何より娘がフィギュアスケーターだなんて、
     お母さんも鼻が高いわ~、智子が生まれた時、宝塚スターかアイドルにでもなってくれたらって思ったけど、
     これはこれで……)ウヘヘ

智子  (何でだろう。お母さん見てると、みんなに自慢しようとか考えていた自分がアホらしく思える)マガオ


――通学路にて――

西園寺 「まずは体力作りと、柔軟性を上げていこう」テクテク

智子  「は、はい……(なんでこの人ついて来てるんだ……ちゃっかり朝飯も食ってったし……
     つーかこの人どこ住んでんだ?)」テクテク

西園寺 「ああ、俺の家はバスでちょっと行った先なんだよ」テクテク

智子  (こいつ直接脳内を……!?)ギクゥ

西園寺 「今度お前にも合鍵渡すから、何かあったら遠慮なく来いよ」テクテク

智子  (いきなりお宅訪問!?ダメだ、まだスポーツマンのたくましい肉体を満足させられるような女じゃない……
     せめてあと5年、いや10年待ってくれたら今よりはマシなわがままボディに……)モヤモヤ

顔洗いが済んだ後、西園寺は自分も愛飲しているという酵素飲料を智子に飲ませた。
甘くスッキリした味わいのそれは、代謝を高めて、運動効率を上げてくれるという。

それが終わると、ジャージに着替えて、家の周りを30分のウォーキング。
ただしこの間、必ず守るべき2つのルールを西園寺は提示した。

いわく、「腹に力を入れて引っこめる」もうひとつは「中指に体重をかけて歩く」

腹に力を入れると自然と背筋が伸びる。そして、中指に体重をかけると体が自然と前に引っぱられるようになる。
確かに、『親指に体重をかけて』歩くより、体が楽に動くような感覚があるので、
智子は半信半疑ながらもトレーニングを続けることにした。

西園寺 「……と、俺は駅に行くから、ここで一旦サヨナラだな。
     じゃあ智子、1日学校がんばれよ。終わったらリンクに集合!昼飯はしっかり食べとけよ?」

智子  「は、はい……西園寺さん……」

西園寺 「……違うだろ?」デコピンッ

智子  「西園寺……コーチ」

西園寺 「おう、一緒に頑張ろうな。智子!」スッ

智子  (えっと……これって多分……)スッ

コツンッと合わせた拳の向こう、西園寺はニコッと笑って「ありがとな」と言った。
一昨日までの智子なら、『青春気取った脳筋バカの儀式』と一蹴していた行為は、
思いの外温かい、心に響くものだった。


――放課後、常葉アイススケートリンク――

時刻:午後16時55分

西園寺 「おう智子、早いな」

智子  「コッ……コーチがっ、言ったんじゃ、ないですっ……か……」ゼーハーゼーハー

西園寺 「ん?何のことだ?」

とぼける西園寺に、智子はスマホの画面をズイッと見せる。
そこには、『17時までに来るべし コーチより』と簡潔な文面のメール。

西園寺 「いやあ、悪い悪い。1分でも無駄にしたくないと思ったらつい」ハハハ

智子  (やっぱり暗黒微笑系だこいつっ……HR終わって猛ダッシュしてもギリギリだったぞ!
     ロッカーで着替える時間、正味1分しかなかったし!)

西園寺 「よし、じゃあ早速始めるか。その前に……練習する上で、当面の目標を決めよう」

智子  「目標……オリンピックじゃなくて……?」

西園寺 「それは最終目標だろ?まずは目の前の壁を1つずつ乗り越えていかないとな。
     じゃあここで問題!」ババン!

智子  「えっ、また!?」(フリップ持ってるパントマイムとか、芸が細かいな!)

西園寺 「フィギュアスケートには4つのクラスがあります。その中で、今の智子はどれに属するでしょうか!
     ①ノービスB
     ②シニア
     ③ジュニア
     ④どれでもない  さあどれ?」チッチッチッ…

智子  「えーと……④?」

西園寺 「正解!」ピンポーン

智子  (また当たった!)

西園寺 「フィギュアスケートは、下から順番にノービス→ジュニア→シニアのクラスに分けられて、
     自分が属するクラスのライバルと競い合うんだ。クラスは年齢と、これから説明するバッジテストの
     取得級によって決まる」

智子  (バッジテスト……昨日言ってた例のあれか。直接聞いたほうが分かりやすいと思ってググんなかったんだよな)

西園寺 「まず一番下のノービスBが、小学校3年から4年で、バッジテスト3級以上。
     その上のノービスAが、小学校5年から6年で、4級以上。
     
     ジュニアは中学から高校までで、6級以上。ここから、世界選手権やGPシリーズが開催される。
     最後がシニア。これがテレビで一般的に見れるフィギュアスケートの世界だ。
     シニアに上がる条件は、15歳以上で、なおかつバッジテスト7級以上」

智子  「(JubeatのStep機能みたいなもんか……)じゃあ……私の目標って、シニア?」

西園寺 「いや、それは無理だ」スバッ

西園寺 「まず、お前は15歳という、フィギュアでプロを目指すには遅すぎる年齢だ。他の選手が10年かけてじっくりやるところを、
     お前は体を壊さないようじっくり、なおかつ最短距離で行かなきゃならない」

智子  「うっ……」ナルホド

西園寺 「つまり、お前の目標はその下のジュニアクラス。まずはここで試合慣れして、経験を積もう」

智子  「ジュニア、って18歳までなんですよね……」

西園寺 「ああ。だが、試合に出るなら、今年中に3級ぐらいまではとっておかないとな。
     バッジテストは初級から8級まで。だが、シニアになるなら7級までで十分だ。
     テスト内容はステップからジャンプ、スピンからシークエンスまで、フィギュアの総合的な技能を見る」

智子  「もし、落ちたら……」

西園寺 「再試験まで数週間、時間を空けるのがルールだ。つまり、一度落ちたらその分時間がなくなる。
     だが、このバッジテストは1回までやり直しが許されるんだ。もちろんすんなり成功するに越したことはないが、
     それを知ってれば楽になるだろ?それに、お前なら初級は楽々受かる」

智子  「?」

西園寺 「バッジテストの初級は、昨日やったコンパルソリーなんだ」

智子  「マジですか!(やっぱ余裕じゃねーか!こりゃあっという間にマスt「おーっと、そうは問屋がおろさないぞ」

西園寺はチッチッチッ、と指を左右に振る。

西園寺 「いいか、自信を持つのはいいが、自分を過信するのはやめろ。理想と現実に差をつけると、つまずいた時に立ち直れないぞ」

智子  「うぐっ……」グサッ

西園寺 「お前はバランス感覚がずば抜けてるから、ステップは問題なくクリアできるというだけの話なんだ。
     大体、忘れてないか?一番下のノービスBで3級なんだぞ。初級は、小学校低学年の子でも取れる子がいるんだ」

智子  「し、消防レベル……」ズーン

西園寺 「まあ、小1で初級合格するような子たちは、幼稚園の頃からやってるからな。スタート地点が違うだけだ。
     焦らずゆっくり、一級ずつ上に行けばいい。こっから先はウォーミングアップも兼ねて、滑りながら話すか」

智子  「は、はい……」ガッ

シャーーーッ…シャーー…

西園寺 「問題はこっから上だ。ジャンプとコンビネーション、さらにスピンといった要素が入ってくる。
     しかも級が上がるごとに難しくなるから、死ぬ気で覚えないとな」シャーー

智子  「あ、あの……コーチ……」シャーー

西園寺 「ん、なんだ?」

智子  「練習時間、って……どんぐらい、なんですか……」オソルオソル

西園寺 「基本的には週6日。月曜から土曜まで。
     明日から放課後はみっちり3時間、さらに朝練2時間の、合計5時間を予定してる」シャー

智子  「……えっ?……」タラー

智子  (嘘だろ、5時間!?えっ、朝練あるってことは、朝5時ぐらいからずっと練習?
     いつゲームすんだよ、自由時間ほぼ0じゃねーか!)ブルブル

智子  「こ、コーチ……やっぱり、その……」

西園寺 「ん?」クルッ

智子  (いっ、いい笑顔だ!まずい、本能が告げている、神は言っている、ここで死ぬ運命だと!)

智子  「そ、その……がんばります……」ニヘー

西園寺 (……怖がらせてるつもりはないんだがな?……智子は褒めて伸ばす方がいいか)

西園寺 「……ゲームは、昼休みにやればいい」

智子  「へっ、な、何で私がゲーム好きだって……」

西園寺 「カバンのチャック開いてたから、PSP丸見えだったぞ。……なあ、智子。いいとこ取りすればいいじゃないか。
     お前はフィギュアもやりたいし、ゲームもやりたい。なら、上手いことスキマ時間見つけて、どっちも
     フルに楽しめばいい」シャーー

智子  「…………」

西園寺 「初級のバッジテストは俺の方で申しこんどく。今からだったら、最短で2週間後だ。
     その間に、簡単なジャンプやスピンから練習して、出来ることを増やしていこう」

智子  「はい……」

なるべくサクサク進めたいのに、
フィギュアのルールが細かいので、解説入れるの大変(´・ω・`)
チートじゃないからサッと上達してくれないし…

一旦投下切ります。

わたモテssだ
嬉しい

>>50ありがとー。
  アイレボでSSは見たことない…もしかしてこのSSが初なんだろうか。


西園寺は、得意な分野から伸ばして自信とやる気を引き出すタイプの指導者だった。
なのでその日は、智子の得意なコンパルソリーから、リンクを大きく使ったステップを教えた。

西園寺 「よし、じゃあ今日はここまで!……明日からジャンプの練習が始まるから、
     今日はしっかり飯食って、ぐっすり寝て、体力を回復させておけ」

智子  「は、はひ……」グッタリ

よろよろとリンクを出てロッカーへ向かう智子を見送って、西園寺はため息をついた。
智子は体力がないのと地道なスポーツが初めてなせいで、やる気にムラがありすぎる。

西園寺 (……こういうのは、無理に引き出しても意味がないからな……本人が自信をつけて
     練習に臨むのが一番なんだが)ウーン

西園寺 (こういうのは、自然に任せるしかないか)

その日の午後21時……遅い夕食を終えて自室に上がった智子は、
ベッドの上でスマホを耳に当てていた。

プルルル…プルルル…

智子  (……ゆうちゃん、いるかな……)ソワソワ

特に何か話したいというわけじゃない。ただ、今は無性に優の声が聞きたい気分だった。

プルルル…プッ、

優   『もしもし、もこっち?』

智子  「ゆうちゃん!……今、いい?」

優   『えっと、ちょっと待ってね。今パジャマ着ちゃうから』

智子  「えっ、お風呂あがりだったの!?
    (全裸……ということはまさか、彼氏としっぽりお泊りってわけか。
     クソ、こっちが死ぬ気で練習してる間にビッチはズコバコ……中絶不可能な週になってから妊娠に気づけ!
     高校中退して劣性遺伝子のクソガキ抱えてソープ嬢にでもなっちまえ!)

優   『……もこっち?どうしたの?』

智子  「ハッ!?え、いやっ、ごめん!ちょっと疲れてて……」アハハ…

優   『……もしかして、何かあった?』

智子  「へっ…なんで?」

優   『だって、もこっちが夜に電話してくる時って、必ず何かあった時だもん。……大丈夫?私でよければ聞くよ?』

智子  「……うん……」

智子  (ああ、何で私ってこうなんだ……優ちゃんはいつも純粋に心配してくれるのに、私はこんな酷い事考えて……)

智子  「あ、あのね……」

優   『うん』

智子  「私……フィギュアスケート、始めたんだ……」

優   『えっ、それって、あの……氷の上でくるくるーってやる?』

智子  「うん、それ……」

優   『すごいね、じゃあ、もこっちもテレビで見れるんだ……!』パァァ

智子  「い、いや……それはまだ、かなり先というか……地道にやんなきゃ、ダメらしい……んだけど……」

智子  (……やっぱ優ちゃんは天使だ……)

優   『心配いらないよー、もこっちは頭もいいし、地道にコツコツって、もこっちはそういうの得意じゃない』

智子  「そ、そう?」

優   『得意じゃなかったら、あんなに頭いい高校行けないよ。私なんかいっつも一夜漬けしちゃう方だったし』アハハ

智子  「……練習、いっぱいあるんだ……その、毎日5時間ぐらい……」

優   『5時間!?うわー、うちの高校の野球部より長いね……』

智子  「すごいお金もかかるから……頑張ろうって……頑張らなきゃ、って思うんだけど……なんか、どうしても……怖くて」

優   『大丈夫だよ。もこっちは絶対に、大丈夫』

智子  「優ちゃん……なんで、優ちゃんはそんなに私の事『だって』

優   『友達だもん』

智子  (そっか……私が優ちゃんで酷い事考えるのって、
     優ちゃん見てると、自分のダメさを思い知らされるみたいだからなんだ……フィギュアやってるって言って、
     ちょっと優越感に浸りたいとか思ってたし)

智子  (多分、こういうとこ優ちゃんには微妙にバレてるかもしれない。私意外と中身ダダ漏れだし。
     それでも、変わらないで接してくれんだよな……私はメスブタとか言いながらも友達としてキープしてるのに……)

智子  「……ありがとう」

優   『んーん、どういたしまして。あはは』

智子  「だから、これからはあんまり遊べないというか……」

優   『そっか……寂しくなるね……あ、でもっ、その分いっぱい電話してね、メールも!』

智子  「ん、分かった」

優   『約束だよ!あ、あと試合とか出る時は言ってね、私絶対応援しに行くから!』

智子  「その日デートでも?」

優   『デートなんて行ってらんないよ!もこっちの晴れ姿のほうが大事でしょ!』プンスカ

智子  「それでいいの、優ちゃん……?」(ドンマイ、優ちゃん's彼氏)

その時、階下から呼ぶ声がした。

母   「智子―!明日も早いんでしょ、お風呂入っちゃいなさーい」

智子  「はーい!……じゃあ、私そろそろ……」

優   『ん……おやすみ、もこっち。またね』

プー、プー、プー…

智子  「…………」

智子  「…………」

智子  (優ちゃんが応援してくれるんだもんな……いいとこ、見せたいな……)

西園寺 『自分に自信を持つのはいいが、自分を過信するのはやめろ』

智子  (……そうだ。まずは初級からコツコツ上がってこう。そうすれば、いつか……)

智子  (いつか……優ちゃんに心から感謝できる日が来るんだろうか……)


――翌日――

西園寺 「おっ、もう準備できてたのか」

西園寺 (……昨日はどうなるかと思ったが、上手く立ち直ったみたいだな)

智子  「よっ…よろしく、お願いします!」ペコッ

智子  (うぅ、この体育系のノリ、ついていきづらい……)

西園寺 「よし、じゃあ今日はジャンプを一通り練習してこう。まずは1級の必須要素、スリージャンプから練習してみよう」

智子  「……それって、難しいんですか……」

西園寺 「いや?これさえマスターすれば全部のジャンプの基礎は完成するといえる、簡単なやつだ。
     まずはお手本見せるから、続けてやってm???「コーチーーッ!智子ー!!」西園寺「うおっ!?」ツルッ

西園寺 「いてて……」スリスリ

真崎  「智子ー!会いたかったぜ―!」ムギュウ

智子  「ま、ましゃきさ……くるしっ……」ゴボゴボ

真崎  「うわ、ごめん!ついやっちまった!」パッ

真崎  「それよりコーチ!なんで智子が正式に訓練生になったって教えてくんねえんだよ!」

西園寺 「お前が邪魔しに来るだろうが!初心者ってのは段階踏んで行かないと上達しないんだよ!」

真崎  「うぐっ……」

西園寺 「お前はそりゃ、体で覚えるタイプだからいいだろうけどな……まあいい、邪魔しないんだったら」

真崎  「サンキュー、コーチ!」パァァ

西園寺 (……あれ、俺もしかしてこいつに誘導された?)

真崎  「そんじゃ早速、一緒に滑ろうぜ智子!えーと、何やんだ今日?」

智子  「あっ、あの……スリージャンプ……とかいう……」

真崎  「何だそれ」

西園寺 (そうか。真崎は運動神経が鬼だったから、基礎練とか全部すっ飛ばして教えたんだった)アチャー

西園寺 「基礎練習に必要なジャンプだ。……いいか智子、俺だけを見てろよ!」(真崎なんか参考にさせたらヤバい!)

智子  (えっ、今俺だけを見てろって……まさかこいつ、コーチの立場を利用してロッカールームで夜の延長レッスンする気か!?
     2人の秘密のアイスダンスはエキシビジョンに突入ってか!)モンモン

シャーーッッ……シャーーッ 西園寺「やり方は簡単だ。まずは、右足を後ろから前に振り上げる」ブンッ

クルッ       西園寺「そのまま空中で1/2回転して、右足から下りる」ジャーッ

真崎 「要するに、アクセルの基礎みたいなもんか?」

西園寺「まあ、そういうことだ。これが飛べれば、アクセルを練習する下地にもなるな」ウンウン

西園寺「というわけで、行ってみようか智子」

智子 「は、はひ……」(いきなり尻もちついたらどうしよう、このクソ簡単なジャンプで失敗したら……)ガクガク

モヤモヤ…

西園寺『ハア……期待外れだな……』

真崎 『もうちょっと頑張れると思ったんだけどなー』

モヤモヤ…

智子 (あああああああ!!)

智子 「…………」シャーー------ッッ!!(猛スピードand頭真っ白)

西園寺(……メンタル面のケアも必要だな)

智子 (右足を振り上げて)ブンッ

智子 (空中で半回転して、下りる!)クルッ

智子 「で、できたーっ!」ザシャーーッ

真崎 「いいぞ、智子ー!」パチパチパチ

西園寺(智子のバランス感覚は天性のものだが……この調子だと、アクセルもわりとすぐにマスターできそうだな。
    問題は体力か……朝のウォーキングを、時期を見てジョギングに変えていこう)

西園寺「よし、じゃあ次トゥループ行ってみるか!」

智子 「はい!」

西園寺「こいつは6種類のジャンプで一番簡単なやつだ、今日中にマスターするぞ!」

智子 「ひえ!?お、お手柔らかに、お願いします……!」

真崎 「お前もだいぶコーチに慣れてきたな~」

その後2週間、みっちり練習した成果でトゥループと、2番目に簡単なサルコウジャンプはなんとか形になった。
といっても軸はぶれている上、まだ一回転半くらいしかできない。
西園寺によると、この2つにアップライトスピンを加えたのが、1級の必須要素だという。

智子 (スピンの練習は初級を受けてからか……私胃腸弱いのに大丈夫なのか?あんなグルグル……
    うっ、やばい。想像したら胃液が)

つま先で氷を蹴る→跳ぶ→着氷するという一連の流れは、真崎が手でリズムを取ってくれたので、
それに合わせて体を動かすことで覚えた。

西園寺「いいか智子、6種類のジャンプは、つまるところ2つのパターンに分かれる。
    トゥで氷を蹴って跳ぶか、エッジで踏み切ってそのまま跳ぶか、その違いで覚えるんだ」

真崎 「ちなみに、トゥで跳ぶのがトゥループ、フリップ、ルッツ。
    エッジで跳ぶのがサルコウ、ループ、アクセルな。ちょうど3:3だから分かりやすいだろ?」

西園寺「お前は見たところ、リズム感がかなりいい。ジャンプは流れが一番大事だからな」

智子 (音ゲーで鍛えたのが、まさかこんな役に立つとは……)

西園寺「ああ、ダメだ智子!力まかせに跳ぶな、サルコウはフリーレッグの遠心力を利用して、その勢いで跳ぶんだ!」

智子 「フッ、フリーレッグって、何……」シャーーッ

西園寺「踏み切らない方の足だ!……要するに、右足のことだ!」

智子 「だったら最初っからそう言えっ…いたっ!」ツルッ、ザシャーーッ

真崎 「あはは、智子のやつ、素が出てんぞ」

そして迎えた6月20日、バッジテスト初級試験日――。

母  「はい智子、お弁当」サッ

智子 「!?あの、お母さん……なんでお弁当が5段もあるの……まさか、これコーチの分も?」

母  「当たり前じゃない!あんたは下2段、西園寺さんは上3段。真ん中の1個だけ色違うのには、デザートが入ってるわよ。
    あ、あと水筒も持って来なさい!中にお味噌汁入ってるから」

智子 「あ、ありがとう……(BBA張り切りすぎだろ……まあコーチは私生活も男子シングルだからな、
    たまにはこうやって夢見せてやるか)」ズシッ

母  「間違ってもテスト前に食べちゃダメよ、お腹いっぱいになったら力が出ないから」

智子はその後も「トイレはちゃんと済ませて」だの「ハンカチ持った?」だの言ってくる
母を無視して、何気なくテーブルに目を向けた。

母  「あああそれダメ!!」サッ

智子 「……お母さん、その背中に隠した本、何?」

母  「なっ、ななななんでもないわよ、いいから早く行きなさい」ブンブンブン

智子 (……表紙チラッと見えてるし)

智子 ("メジャーリーガーを作ったレシピ100"……?)

なんということでしょう。
健康雑誌やダイエット本で埋まっていたはずの、黒木家のリビングの本棚が。
プロスポーツ選手のレシピや、国立スポーツ科学センター発行の料理本で埋め尽くされているではありませんか。
まったく隠すつもりのない親心に、智子さんも思わず……

智子 (って、なんだよこのナレーション!ウルッと来たのは認めるけど!)

智子 「……お母さん」

母  「なっ、なあに?」

智子 「ありがと……絶対、受かるね」タタッ

ガチャッ…パタン…

母  「……さて、早速初級合格祝いのご馳走作らなきゃ」

今日はここまで。
明日はいよいよ初級バッジテストです。

バッジテスト初級の会場は、いつもどおり常葉アイススケートリンクだった。
西園寺曰く、「ここらへんで大きいリンクはウチしかないからな」とのこと。
ただし、級が上がると別の地域で受ける場合も多いという。


智子 (見事にガキばっかじゃねえか…うわ、あそこのケバいババアも受けんのか。コーチは"初級は趣味でやる人への入門編だ"って
    言ってたけど…趣味ならソロプレイしてりゃいいだろが、ババアのフィギュアとかどこに需要があんだよ)

西園寺「お前の滑りは美しいからな。きっと満点だぞ」


やがて、日本スケート連盟の審査員が全員を並ばせ、番号を振り分けた。智子の滑走順は真ん中あたりだったので、
ゆっくりと他の受験者が滑るのを眺める。小学校低学年くらいの子供が大半を占めるのもあって、その動きはたいていぎこちない。

西園寺「よしよし、うちの智子が一番だ」ニコニコ

智子 (……意外と皆、ガタガタした滑りしてんだな……あのババアなんて尻もちついてんじゃねえか)

審査員「次、15番。常葉アイススケートリンク.黒木智子さん」

智子 「はっ、はい!(やばい、声裏返った!)」

西園寺「大丈夫だ。落ち着いていけ」ポンポン


耳元で囁かれた声に、すっと背筋が伸びる。智子は審査員の前に滑り出て、ピタッと止まった。


審査員A「……書類によると、まだ2週間の初心者だとか」

審査員B「見た感じ、姿勢はしっかりしてるな」

智子 (最初は、ハーフサークル……)ザッ

審査員A(軸がぶれていないのは、すごいな……バレエ経験者ならよくある事だが……)カキカキ

智子 (エッジを前に出して、体を外側に倒す……ちゃんとできてんのか?……まずい、氷見る余裕が無い……!)シャーーッ、クルッ

初級の試験は、コンパルソリーとステップがメインである。
エッジを内側、外側と倒し、時には後ろ向きに滑りながら、半円を描く。それが終わると、音楽に合わせたステップを見られる。

~~~♫♪

智子  (うわっ、音楽始まってる!てことは……ええと、前向きに氷を蹴って、膝を曲げて、足をクロス……)シャーー

審査員A(……初心者の焦りが出てるな。滑りは美しく、姿勢もいいが……音楽のテンポと微妙にずれている)カキカキ

智子 (えーと、次は……あっ、スパイラル!)バッ

西園寺(よし、順調だぞ!)グッ


智子はまだ、180度の開脚が出来ない。エッジテスト初級の必須要素であるスパイラルをクリアするため、
西園寺が教えたのは、フリーレッグを腰より高く上げる『ファン』と足を後方に伸ばして上体を倒す『アラベスク』だった。


智子  (うっ、腰が…ていうか、背骨がっ…背骨が痛い!)シャーー…グキッ、ゴキッ

審査員A(……体が硬いのは残念だが、スパイラルの姿勢はできている。減点対象になるほどではないか)カキカキ

審査員A「はい、ありがとうございました」

智子  「うう……」ヨロヨロ

西園寺「よかったぞ、智子。後は結果を待つだけだな」


全員の滑走が終わると、赤い手帳が配られた。上の級を受けるときには必ず持参するように、と審査員が叫んでいる。
智子も名前を呼ばれて、『日本スケート連盟』と金文字が刻まれた赤い手帳をもらう。


智子 (……ぬか喜びするな、多分もうすぐ"すいません、間違いでした"って手帳取り上げられて)オソルオソル…パカッ

智子 「……!!」

西園寺「お、合格だ!しかもここ見てみろ、"ぶれがなく、美しいステップです。いいものを見せてもらいました"だと……」

智子 「ご、ごうかく……?」ポロッ

西園寺「お、おい智子、どうした!泣いてるのか!?」オロオロ


この日、智子は大きな一歩を踏み出した。
しかし、まだまだ先は長い!一人前のスケーターになるまでは、超えなければならない壁がある。
テスト翌日の朝。最高のモチベーションで練習に突入した智子に、最初の壁が立ちふさがった!


智子 「げえっ、うぶ……お゛、ごっ……」

真崎 「……おーい智子、大丈夫か……?」コンコン

智子 「だっ、だいじyうごぉぼろろろろろ」ビチャビチャ

真崎 「……あたし、酔い止めの薬持ってるけど……後で試してみるか?」

智子 「あ、ありがとッ……ぜ、ございまっ、ひゅ……」ピチャッ


胃腸というのは、一朝一夕には強くならない。少しの緊張や自分の顔を直視しただけで吐くほど繊細な智子の胃腸は、
5回スピンを回っただけで食べ物を逆流させ、神聖なリンクの氷を吐瀉物で汚す。
しかし西園寺は嫌な顔ひとつせず「ゆっくりやってこう」と智子の体調を気遣い、片付け始めた。


智子 (その優しさが辛い……くそ、どうせ腹ン中じゃ笑ってんだろ、胃腸の中身なんて皆あんなもんだ!)フラフラ

西園寺「……悪かった、智子」

智子 (あ、リンク綺麗になってる……)ショボン

西園寺「プロのフィギュアスケーターでも、ジャンプやスピンで目が回ることはあるんだ。
    これはもう仕方ない、慣れで克服するしかない部分もある。だが、いちいち吐いてちゃお前が辛いだろ?
    今からコツを教えてやるから、ちゃんと覚えろよ」ナデナデ

智子 ("練習にならない"とか言わないのか……やっぱ、優しいなこの人……)

西園寺「智子、あそこの時計見えるか?」スッ

智子 「あ、はい」

西園寺が指さしたのは、観客席の一番上、後ろの柱にかかっている、セイコー社の壁掛け時計だった。

西園寺「あれから目を離さないようにして、もう一回やってみろ」

智子 「はい……(うっ、あの感覚思い出したらまた吐き気が)」シャーーッ…ザッ、クルクルクル…

智子 「おっ!?」

智子 (なんだ、さっきより全然楽になったぞ!)クルクル…ピタッ

西園寺「どうだ、楽になったろ?体のふらつきもほとんどないはずだ」

西園寺「これは"スポッティング"といってな、回転の多いバレエダンサーが使う、酔い止めの方法なんだ。
    最初に、目印になるものを探して、そこから目を離さないように回り続ける。
    フィギュアの場合は、ジャンプやスピンが途切れなく続くから、あまり有効な方法じゃないんだが……」

西園寺「何百回、何千回と回るうちに、三半規管が慣れて、目が回りづらくなっていく。
    それまではこの"スポッティング"を使って練習しろ。このリンクの場合は、あの時計を使うといい」

智子 「はい……」

西園寺「声が小さいぞ!」

智子 「はい!(前言撤回、やっぱ鬼だ!)」ピーン


その後の2ヶ月間、智子は1日の大半を氷の上で過ごした。食べて、寝て、練習して、また食べて、寝ての繰り返し。
気がつくとパソコンはホコリをかぶった状態で放置され、ゲーム機もベッドの上に放り出されたまま沈黙していた。
そんなある日――。


智子 (……あれ?今日って何月何日?)ガバッ

6月にしては蒸し暑く、パジャマが汗でべったりと皮膚にはりついている。
智子はベッドから抜け出て、スマホの電源を入れた。

智子 「えっ、8月20日……嘘だろ、もう夏休み!?いつ終業式あったんだよ!」

そこで、机の上に置かれた赤い受験者手帳が目に入る。寝ぼけた頭も、段々と昨日までの記憶を思い出してきた。

智子 (そうだ、学校ない夏休みの間に3級合格を目指そうってコーチが言って……毎日死ぬ気で練習して……
    で、一昨日2級に受かったんだった……)

智子はハアーッと溜息をついて、再びベッドにぼふんっとダイブした。

智子 「あ、そういや今日……日曜だから練習休みか」

智子 「…………」

智子 「落ち着かねえよ!」ガバッ

リビングへ下りると、「ふんふーん♪」と上機嫌で料理している母がいた。

母  「あら智子、おはよう」キラキラ

智子 「……おはよ。バ……智貴は?」

母  「あら、聞いてないの?サッカー部の練習試合で朝のうちに出てったわよ。たしか埼玉だって」

智子 「……あいつも大変だな……」

母  「そりゃ、あの子推薦狙ってるからね……智子、ご飯まだでしょ?そうめん作ったけど食べる?」

智子 「……食べる」

母が準備している間、リビングを見回す。壁にかけられた額の中、日を浴びて燦然と輝く2つのバッジ。
初級に合格した証の赤、1級のオレンジ、一ヶ月もすれば、2級のバッジも隣に加わるのだろう。


智子 (お母さん、浮かれてんな……初級に合格した夜にはもうあったもんな、この額。
    チェストの上もいつの間にか、トロフィー置きやすいように整理されてるし……)

智子 (智貴は色々賞状とか貰ってたけど……まさか、私がこんなもの貰えるようになるとは……
    ま、あのバカ弟には一生縁なしのバッジだけどな、希少度なら私の方が上だから、
    せいぜい作文コンクールだの地区大会だので浮かれてろ)ウヘヘ

智子 (……はっ!久々に優越スイッチが……)

母  「はい、どうぞ」コトッ

智子 「うわっ!すごい具沢山……」

母  「鶏ササミは筋肉にいいのよ?あとはビタミンたっぷりのかいわれ大根と……」

智子 「いただきます」ズズーッ

母  「…………」シューン

智子 「……美味しい」

母  「でしょ?お母さん、智子がフィギュア始めてから色々レシピ見て研究してるの」

智子 (レシピ本が付箋だらけだ……すごいな、お母さん)

母  「でも、よかった……」ガタッ

智子 「?」

母  「智子、フィギュア始めてからどんどんよくなってる。気づいてない?」ホオヅエ

智子 「よくなってる……って?」

母  「練習があるから早寝早起きになったし、部屋に引きこもってないし、前みたいに変なゲームと会話してないし」

智子 (気づいてたのかよ!)

母  「何より、ちゃんと話せるようになってくれたのが、昔に戻ったみたいで嬉しいの。
    智子……小学生の時は自分の思ってることとか、すらすら話してくれたけど……
    中学からは本当、何考えてるのか分かんなくて、お母さんもお父さんも不安だったから」

智子 「……智貴も?」

母  「もちろんよ、あの子昔は作文に書くほどあんたのこと大好きだったじゃない」

智子 「……そうだっけ」

智子 (そういや、いつの間にかクマも消えてたな……)ブーン

智子 「あれ、コーチからだ」

母  「西園寺さんから!?何何、ちょっと見せて!」グイッ

智子 「おい、私のスマホ……おっ?」

母智 「「"大事な話を忘れてた、悪いがすぐ来てくれ、西園寺"……?」」


――15分後、常葉アイススケートリンク――


西園寺「本当にすまん。夏休み始まった時に言うつもりだったのが、すっかり忘れてた」ズーン

西園寺「実はな、うちのリンクでアイスショーが開かれるんだ。一番下のノービスBの子たちから、
    シニアまで、超豪華なメンバーが揃い踏みだ。お前も2級まで合格したことだし、
    観客の前で滑るというのに慣れておいたほうがいいと思ってたんだが……」

智子 「へ、へえ……それ、すごいですね……(なんか嫌な予感がする)」

西園寺「実を言うと、もうポスターとかHPでお前が出るのは宣伝してあるんだ……
    やってるうちについ悪ノリしちまってな……"スケート歴2ヶ月の天才美少女、現る!"ってキャッチコピーつけて……
    うちのリンクも経営厳しいから、こうやって少しでも客を呼ばないと……」

智子 「あの、コーチ……それ、いつなんですか……?」

西園寺「……」タラー

智子 「コーチ!」

西園寺「明後日、22日だ」

智子 「……」

西園寺「とりあえず、今日中に曲とプログラムを決めて、明日までに振り付けを覚えて……」

智子 「できるかーーーっ!!」


とはいえ、もう出演が決まっているのは仕方がない。
休日を犠牲にして駆けつけてくれた真崎は、「あたしのお古でよければ、衣装貸すぜ!」と頼もしい一言をくれた。

真崎 「お古って言っても、アイスショーで1回着ただけだから綺麗だぜ?コーチ、あたしのプログラムを
    ちょっと簡単にして、智子に使ってやれよ」

智子 (おお、なんと頼もしい……コーチよりキビキビ動いてるし……)ジーン

真崎 「これ、あたしが去年ここで滑った時のプログラムなんだけど……」スッ

見せられた紙には、トリプルフリップ→ステップ→トリプルアクセル→スパイラル→キャメルスピン→
トリプルトゥループ+ダブルトゥループ→ステップ→コンビネーションスピンと順番が書いてあった。

西園寺「最初のトリプルフリップは、ダブルルッツに変更しよう」

智子 「わっ、私2回転も怪しい、んですけど……ていうか、ルッツって一番苦手……」


ちなみに、智子がルッツを苦手な理由は、その跳び方にある。
ルッツは、6種類のジャンプの中で2番めに難しい。また唯一、滑走と踏切りのエッジ方向が反対になる。
遠心力を利用できない、パワーで跳ぶタイプのジャンプだからだ。

西園寺「大丈夫だ、シングルになってもいいから、とにかく跳べ。
    一番苦手なジャンプを最初に持ってくれば、気が楽だろ?次のステップは問題なし……
    トリプルアクセルはダブルサルコウにして、スパイラル。キャメルスピンからのダブルサルコウ、ダブルトゥループ」

西園寺「最後はステップ.シークエンスからのシット→アップライトのコンビネーションスピンで、フィニッシュ」

真崎 「おい、ダブルジャンプが4つもあんぞ。智子でついていけんのか?まだ1分のしか滑ったことないんだろ」


智子はその言葉に、コクコクと激しく頷く。
バッジテスト2級からは、1分間のフリー演技が加わる。3つのジャンプが必須要素のこの試験、
智子は汗だくになって、肩で息をしながらクリアした。


西園寺「そこがネックなんだ。智子もだいぶ滑れるようになったが、曲に合わせて、しかも失敗の許されない
    観客の前で滑るとなると、話は別だ。圧倒的に体力が追いつかない」

西園寺「まあ、智子は持久力があるからな。これから級が上がって、大会で滑るようになったら、
    そんなことは言ってられないんだ。審査のないアイスショーで慣れておく必要がある」

真崎 「まあ、それもそうか……んじゃ智子、早速衣装合わせてみようぜ!この中で気に入らなかったら、
    ウチにまだまだあるからな!」ドサッ

智子 「う、うわっ……可愛いのばっか……」タジタジ

真崎 「だろー?あたし女の子っぽい方が好きだからさ」テレッ

智子 「……こんなの、私が着たって……」ポロッ

真崎 「……お前、今なんつった?」ガシッ

智子 「(ひいい!)だって……だって私、真崎さんみたいに美人じゃないしっ…自分で見ても吐くぐらい酷い顔だし……
    弟にすっげーブスって言われたような奴が着たって、似合うどころか七五三以下に決まってるんです……」

真崎 「いいか智子、もっと自分に自信持てよ!あたしだって……あたしだって、フィギュア始める前は
    ブスどころか女ですらなかったんだぞ、コーチだってあたしの事、しばらく男だって思いこんでたぐらいだからな!」

智子 「えっ…真崎さんが?」

西園寺「おーい……それは悪かったからもう引っぱり出さないでくれ……」


真崎 「……まずは合わせてみろよ。お前が一番可愛いって…一番着たいって思うやつを選べ」スッ

智子 「は、はい……(なんだろ、真崎さん……ちょっと、悲しそうな目してた……)」

智子 (あ、これなんか可愛いかも……)

最初に取り出したのは、右肩に蝶のような飾りがついた、黒のワンピース。

真崎 「……地味だな」

西園寺「ああ。智子の可愛さを引き出すには、もっとポップな方がいい」

智子 「(何でお前らが駄目出ししてんだよ!)……じゃあ、こっち……」

次に引っ張りだして合わせたのは、背中に天使の羽がついた、白とピンクの半袖コルセットワンピース。
さっきのものよりは段違いで少女らしいデザインだが……

真崎 「……うーん、分かった。これ第2候補な」シブシブ

智子 (可愛い系ならいいってわけじゃねえのか!)

その後も、2人はあれもダメ、これも可愛くないとダメ出しを繰り返し……
結局、ファッションショーが終わったのは1時間後だった……。

智子 「ど、どうでしょう」

胸元に赤いリボンをあしらった、フリルたっぷりのホワイトワンピース。
レースのガーターリボンと、ハートの模様がついた白手袋がセットになっている。

智子 (じっと見んなよ恥ずかしい!……こんな二次元でしか許されないデザイン、どうせ……)

真崎 「うん、いいんじゃねーの?」

西園寺「かなり少女趣味なデザインだからな……智子の体格にはぴったりだ」ウンウン

真崎 「よしっ、そうと決まれば善は急げだ!ついて来いよ、智子」グイッ

智子 「え、ちょっ、どっ……どこに?あのっ……」

ズルズルと引きずられていく智子を見送る西園寺は、「真崎系か?いや、顔から言って沙綾かな……」と
早速智子の変身後を妄想して楽しんでいた。


――30分後.都内某所――

真崎 「着いたぜ、ここがお前を変身させてくれる魔女のアジトだ」クイッ

智子 「Soyez amoureux……嘘だろ、ここってあのカリスマ美容師の!?」

真崎 「へへっ、びっくりしただろ。あたしを生まれ変わらせてくれたのが、ナオさんなんだよ」ガチャッ

真崎 「ナオさーん!」

真崎の大声に、店内の客と美容師がビクッと一斉に振り向く。
やがて奥から、気だるげな声と共に、派手な服装の女性が出てきた。

???「その声は、真崎ね……?まったく、世界女王がこんなはねっ返りで大丈夫かしら」

真崎 「悪い悪い。でも今日はあたしじゃなくって……」

???「あら、だあれその子?」

智子 「へ、あ、あの……」

真崎 「こいつ、明後日初めてアイスショーに出んだよ。だからちょっと、ナオさんのテクで
    パパパーッて変身させてやってくんねえかな」

???「簡単に言ってくれるわね……まあいいわ、素材は悪くないし。ついてらっしゃい」

店に入ると、彼女が指さしたのは奥のカーテンだった。言われるがままにくぐると、
小さな椅子と鏡、メイク道具がずらりと並ぶ、明らかにVIP用の個室だ。

智子 (……やばい、もう限界だ。1000円カットですら入れない私に、このオサレな美容室は敷居が高すぎた……)フラッ

気圧されている智子を無視して、彼女はてきぱきとカットの準備を進める。
そこで、ふと思い出したように振り向いた。

???「ああ、ごめんなさい。自己紹介がまだだったわね。私はナオ。真崎のショーメイクを担当してるわ。あなたは?」

智子 「く、くろきともこ……でひゅ」

ナオ 「智子、ね。座って。……ずいぶん緊張してるみたいだけど、こういう美容室初めて?」パサッ

智子 「は、はひっ……」

ナオ 「そう。じゃあ……目をつぶって。次に目を開けるときには、きっと別人が鏡に映ってるから」

智子 「こ、こうですか……?」スッ

ナオ 「そう。それでいいわ。……あら、あなたずいぶん前髪が長いわね…つむじも滅茶苦茶だし……
    これじゃ、髪がバサバサになるのも頷けるわ。水素で毛穴洗浄して、トリートメントしちゃいましょ。
    その前にカットね。毛の量も多すぎるから、梳いていくわ」チョキチョキ

智子 (……怖えよ!ハサミの音だけが聞こえるのって逆に不安だよ!目開けたら波平カットか、それとも聖子ちゃんか!?
    ……本当に大丈夫なんだろうな、この人……)

ナオ 「ここからは独り言だから……別に聞き流してくれていいわ」

ナオ 「私ね、こんな格好してるけど……実は男なの」

智子 (!!)

ナオ 「体は男で、心は女。だからあんたぐらいの時はずいぶん苦しんだわ。自分の感情のやり場がなくって、
    親や周りに当たり散らして……本当に、沢山の人を傷つけた」

ナオ 「でもね、この世界に入って私、やっと自分の心に正直に生きられるようになったの。
    その時気づいたわ。私は周りに疎外されてるわけじゃない……私が、自分の周りの世界を拒絶してただけなんだ……って」シューッ

ナオ 「だから、私みたいに世界と分かり合えない人がいたら……その手助けをしたいって思った。
    真崎もその一人よ……私はあくまで背中を押すだけ」カチャカチャ

ナオ 「智子……見た目をいくら変えても、あんたが心に自信を持たなかったら何にもならないわ。
    だから……次に目を開けたら、もう二度と……自分を卑下しないで。
    前を向いて、歩いて行きなさい」スーッ、チョキチョキ

智子 「…………」

カットが終わると、今度は顔を整える。
その間も智子はずっと目を閉じたままで、ナオの指や眉カッターが肌の上を滑る感触しか分からない。

ナオ 「智子、あんたメイクしたことある?」キュッ

智子 「い、いえ……」

ナオ 「やっぱりね。道理で肌がきれいだと思った。高校生ぐらいの子って肌をいじり倒しちゃうから、
    年に似合わず肌の汚い子が多いのよ。……お願いだから、そのままでいてね。普段から可愛いようにしてあげるから」

その言葉通り、智子がぼんやりと想像していた『メイク』とはかなり違った。
目にライナーも引かれないし、つけまつげもつかない。ただ、唇にだけはリップとグロスが重ねづけされた。

ナオ 「……はい、完成。……まだダメよ、カーテンをくぐってから……はい、開けて」

智子 「……ん……」パチッ

目を開けた智子が最初に見たのは、こちらを見て「あ」と声をあげる客と美容師達。
次に、「えっ、智子……だよな?」と確認してくる真崎。その手からパサッと雑誌が落ちた。
立ち尽くす智子の前に、お団子頭のスタッフが「はいっ」と鏡を差し出す。

智子 「んん……?誰だこいつ……」ペタッ

智子 「…………」

智子 「うっ…うわあああああ!!顔が!顔が変わってる!!」

智子 「……って、あれ?よく見るとそれほどでも……」

ナオ 「落ち着いた?普段から自分の顔しげしげ見てないから、そうなるのよ」ハァーッ

鏡に映っていたのは、骨格と顔立ちこそ自分だが、まるで別人のような少女だった。
右目を覆い隠していた前髪は眉が隠れるぐらいの長さまで切られ、
ボサボサの長髪はツインテールにまとめられている。毛量も減っているおかげでかなりスッキリして見えた。

智子 (こっ……これが……私……!?)ポカーン

不健康な色だった唇には、桃色のリップとグロスが重ねづけされて、ぷるぷるに輝いている。
いつか自分でやってみた時とは大違いの出来だ。顔の産毛は剃られ、手の入っていなかった眉は薄いアーチを描いている。
たったそれだけで、人間の顔の印象はここまで変わるかと、智子は恐れおののいた。

真崎 「いや、すげーよ……なんか、智子なのに智子じゃない感じだ」

智子 (褒めてんのかけなしてんのかどっちだよ!)

真崎 「やっぱ可愛いぜ、お前」ニッ

ナオ 「あ、智子。ちょっとこっち来て」スマホロックカイジョ

智子 「……?」トコトコ

ナオ 「これ、見てごらんなさい。誰か分かる?」スッ

智子 (うわ、ドンキとかでたむろしてるDQN系……)

ナオ 「これね、3年前……初めて会った時の真崎なの」

智子 「……えぇっ!?」

ナオ 「しーっ。これ真崎には内緒よ?」

智子 「あの人、こんなんだったんですか!?
   (性別まで変わってんじゃねーか!少なくとも女に見える私の方がマシなレベルだ……)」

ナオ 「……人間、変わろうと思えば何にだってなれるわ」

智子は黙って頷いた。

ナオ 「さ。もう夜も遅いし帰りなさい。……次はリンクで会いましょ」

智子 「あっ、お代は……」

ナオ 「いらないわ。その代わり、もっと可愛く滑る姿を見せてちょうだい。私はそれで十分」チュッ

智子 「……!!(ほ、ほっぺに…)」カァァ

真崎 「じゃナオさん、またなー!」ブンブン


□ □ □ □ □ □ □

テクテク…

真崎 「いやー、旨かったなあのラーメン!こう、塩がピリッときいてて、麺もチュルチュル~って感じで……」ホワーン

智子 「焦がし味噌って、苦いかと思ったけど……なんか、すごく深みがあって……」ホワーン

智子 (はっ!これってまさか、部活仲間と買い食いって例のアレか!?
    ……ふふふ、すごいぞ私!今日一日で一気に進歩してるぞ!)ウヘヘ

真崎 「また行こうなあそこ。替え玉無料券貰ったし」~♫

テクテク…

真崎 「お、ここか智子ん家」

智子 「は、はい。あ、あの、今日は……ありがとうございました……」

真崎 「いーってことよ」ヒラヒラ

智子 (……最初も思ったけど…やっぱり、真崎さんとゆうちゃんって似てんな……優しいのに、全然苦にしてないとことか……)

真崎 「なあ、今度遊び来ていいか?」

智子 「……へっ、真崎さんがうちに!?」

真崎 「ダメか?」

智子 「う、うちには思春期の弟と、恋愛脳の母親がいるので、こんな美少女が来たら刺激が強すぎるかと……」アタフタ

真崎 「あははっ!なんだよそれ、面白え事言うなお前!」

智子 (……弟はもう寝てるか……しゃーねえな、明日自慢してやろう)

真崎 (あ、そういやカオル紹介すんの忘れた。ま、いっか。カオルは人当たりいいし、人見知りの智子でも大丈夫だろ)


それぞれの思惑を胸に、夜が明けて――
いよいよ、アイスショー当日の朝がやってきた。

一旦投下切ります。
気が向いたら今日中にアイスショーまで行けるかも。

おっつん
進化したもこっち絵におこすとどんな感じだろうな

――アイスショー当日――

優   「うーん……」キョロキョロ

優   「スマホで地図見て来たのはいいけど……入り口どこ!?」

優   「もー、早く行かないといい席取れないよ……どうしよ……」

??? 「あの……」

優   「ひゃっ!?」ビクーッ

??? 「ご……ごめん!驚かすつもりはなかったんだけど……」

??? 「エントランスなら向こうだよって教えようと思って……」スッ

優   「あ、ありがとうございます!」ペコー

??? 「どういたしまして。じゃあ、楽しんでいってね」スタスタ

優   「あれ、あの人はエントランスから入んないのかな?……ま、いっか。最前列キープしなきゃ!」ダッ


優がこの日のために買った一眼レフを手に走っていった頃。
ロッカールームで着替えた智子は、姿見とにらめっこしながら髪をとかしていた。

真崎  「とーもーこっ。ツインテ作りたいんだろ。あたしがやってやってもいいぜー?」

智子  「こ、これぐらい……出来ます!」

真崎  「左右で高さ違ってるじゃねえか……いいから貸してみ、今日はお前の初舞台なんだぞ。ちゃんと可愛くしねえと」

真崎はブラシを取り上げると、毛先から丁寧にとかして艶を出していく。

智子  (そういえば、真崎さんって髪の毛短いのによくこういうの出来るな。女子力って才能だったのか……)

真崎  「はいっ、完成!横の髪はちょっと残しといたぜ」パチパチ

智子  「お、おぉ……」

真崎  「後はヘアゴムの上からリボン結んで、ピンで前髪留めるだけ。お前つむじ右なんだな」シュルシュル

智子  「……なんか、夢みたいだ」

真崎  「ん?」

智子  「私……こんなの、一生着ないと思ってました」

智子は、胸のリボンとお揃いの赤で結ばれた髪束を指でつまんで、ぱらっと放した。
鏡に映った自分はまるでアイドルのようだ。

真崎  「氷の上は別世界。そこは、なりたい自分に会える場所」

智子  「……なんですか、それ」

真崎  「あたしのモットーだ」

智子  「……なりたい、自分……」

智子  (皆にちやほやされて、すごいって言われて……そんな、恥ずかしい妄想がちょっとずつ形になってる)

智子  (……よくここまで、弱音吐かないで練習できたな、私……)

智子はスケート靴の紐をしっかり結んで、エッジカバーの上からそっと刃をなぞった。
まだ2ヶ月のお付き合いだが、厳しい練習でだいぶ潰れて、形が崩れてきている。あと1ヶ月もしないうちに買い換えることになりそうだ。

西園寺 「おーい、そろそろ出番だぞ。リンク横にカーテン張ってるから、そっちに詰めとけ!」ガチャッ

――観客席――

優   「よしっ、ちゃんとフイルム入ってる……任せてねもこっち、可愛い姿は私がバッチリ撮っとくから!」サッ

智貴  「あの、成瀬さん……姉ちゃん出てくんの、多分まだ先ですよ?」

優   「ベストショットのためには、努力は惜しみません……ああっ、三脚が……」ガチャガチャ

優   「それにしても、すごい偶然だね!智貴くんと隣同士だなんて。やっぱり智貴くんも?」

智貴  「……別に、たまたま暇だったから見に来ただけですよ」プイッ

優   「ふーん、"たまたま"最前列をリュックでキープしてたんだ~」フフフ

智貴  「い、いいでしょ俺の話は!誰があんな残姉ちゃん…『レディース・アンド・ジェントルメーン!』

『ウェルカム・トゥ・ザ・ネバーランド・イン・アイス……フロム・トコハァァァ、アイススケート・リィィンク!』

ワアアアアッ……パチパチパチ……

智貴  「やけにテンション高いな……」

ダラララッ、とドラムロールが入る。と同時に、無人のリンクにスポットライトがパンッと当たった。
軽快な音楽と共に、縦横無尽に動きまわる照明。お揃いのシニョンに青いワンピースの少女たちが出てくる。
体が小さい所を見ると、どうやらノービスBに満たない、低学年の子どもたちのようだ。

優   「わあっ、すごい!あの子たち、手繋いでダンスしてるー!」

智貴  「へえ……前座もなかなか凝ってますね」

少女たちがリンクを去ると、音楽も止んだ。しーんと静まり返ったリンクに、再び甲高い声が響き渡る。

司会  『さあ、ついに始まりました。常葉アイススケートリンク主催、サマータイム・アイスショー!
     下は小学3年生、上は……40歳?ノービスからシニアまで、総勢25名が揃い踏みだぁ!
     それでは皆さんお待ちかね。トップを飾るのは……この選手だ!』

カーテンをバサッと持ち上げて、リンクに踊り出た人影。
それを視認した瞬間、会場のボルテージが一気に高まる。

優   「あ、さっき道教えてくれた人!」

司会  『GPファイナル3連覇、ソチ五輪銀メダリスト!日本男子の華はまさにこの人にふさわしい!
     橘ァァァ、カオルゥゥゥ!!』

カオルは観客席の最前列にいる優を見つけると、笑いながら軽く会釈した。
袖の広がったドレスシャツにボウタイ、黒ベストを合わせたクラシカルなスタイルで、髪をオールバックにしている。
智貴にとっては、名前しか知らない選手だったが、その装いは彼の個性を存分に引き出しているように思えた。

カオル (……久しぶりだな、このリンクも……)シャーーッッ、ザッ

カオル (……懐かしむのは後だ。今は全力で滑ろう……)

リンクの真ん中で、両手を広げ天を仰ぐカオル。

~~♫♪

優   「……なんだっけ、この曲」

智貴  「待って下さい」

スマホの音声認識をONにすると、すぐに『The Pantom of the Opera』と答えが出た。

カオルはゆっくりと滑り出したかと思うと、一気にスピードを上げた。
そのまま前向きに踏み切って、軽々と回って着地する。

ワアアアッ……

智貴  「すごいのか、あれ……?」

優   「あれはトリプルアクセルっていうの、アクセルは前向きに踏み切って
     跳ぶから、半回転余計に回んなきゃいけないの。だから、一番むずかしいジャンプなんだよ……って、ネットに書いてあった」

テヘッと笑う優に、「簡単そうに見えるけどなあ」と智貴は首をかしげる。

ワアアア…

司会  『橘カオルさんの演技でした!』

観客席から投げこまれる花束やぬいぐるみを、前座の少女たちが再び出てきて拾い集める。
優によるとこれは『キスアンドクライ』というらしいが、智貴にはさっぱり意味がわからない。
その後も小学生や中学生の選手が何人か、ぎこちないながらも演技を終える。

優   「もこっち、もうすぐかな……」ソワソワ

その時だった。

モブA  「ねえ、この"天才美少女"って誰かな」

???  「さあ……まあ、期待しないで待っとこうぜ」

聞こえてきた声に、優はなりげなく振り向いた。

優   「……こみちゃん!?」

琴美  「あ、ゆうち……成瀬さん!(くそう、タイミング逃した……自然にゆうちゃん呼びするチャンスを……)」ギリギリ

智貴  「誰?」

優   「この子はこみちゃん。もこっちと私の中学時代のお友達だよ」

琴美  「小宮山琴美です、よろしく」ペコッ

智貴  「あ、弟の黒木智貴です。(成瀬さん以外にも友達いたのかあいつ)」ペコッ

優   「その子、高校の友だち?」

琴美  「えっ?ああ。同じクラスの奴。アイスショーのチラシ配ってたの駅前で貰ったらしくてさ。
     夏休みも後半になると暇だから、付き合って来たんだ」

優   「そうなんだー。私てっきり、もこっちを見に来たんだと思ったよー」

琴美  「は?……っていうか、あいついつからフィギュアなんか『それでは皆さんお待ちかね!』

司会  『スケート歴2ヶ月の天才……少女!目指すはもちろん金メダル!未来のスターの、今日がその第一歩だァ!
     ……黒木ィィィ、智子ォォォ!』

智子  (……やばい、来た、来ちゃった!私の番!)バサッ

ワァァァ…

カーテンをあげて出てきた智子に、琴美は「マジか!?」と叫び、優は「もこっち、可愛い…!」と口をおさえて、智貴は。

智貴  「……」クチアングリ

優   「とっ、智貴くん!?どうしたの、すっごい白目になってるよ!」ガクガク

琴美  「大丈夫かおい、水飲むか!?」キュポッ

会場の期待値は、かなり高い。だが智子は、案の定というべきか、その空気に気圧されていた。

智子  (嘘だろ……このリンクって、こんなに人入ったのか!?)

人、人、人。知らない人達が、自分を見ている。最前列で手を振る優と、智貴が見えた。
そこだけがスポットライトが当たったように光って、後は全部灰色の、同じ顔ばかりに見える。

智子  (……妄想してたのと全然違うじゃねーか!足震えるし、胸がぞわぞわするし、……怖え!!)

助けを求めるようにリンク横を見ると、西園寺が両手で丸を作って、「がんばれ」と口を動かした。

智子  (そうだ……待ってたはずだろ、この瞬間をよぉ……!)

智子はリンクの真ん中に滑り出て、止まる。瞬間、ぴたっと会場の拍手が止んで、静寂があたりを包み込んだ。

智子  (……落ち着け、落ち着け私。あれは全部ジャガイモ、あれは全部ジャガイモ、あれはジャガイモ…)

ぎゅっと拳を握りしめて、鼓動を抑えようとするが、智子の耳にはやけに大きく聞こえる自分の呼吸音だけが届く。

智子  (ハーッ、ハーッ……ハァ……)ドクン、ドクン

~~♪♫

ガーシュウィン作曲『ラプソディー・イン・ブルー』智子は『のだめのアレ』としか知らなかったが、
西園寺によるといくつかのメロディーパターンが繰り返されるらしく、2日間エンドレスで聴いてなんとか覚えられた。
クラリネットの、低いグリッサンドが響く間、智子は直立のまま立っている。そして。

タタタタラタタ タラタタ タラタタ…♫

智子  (最初は……ダブルルッツ!)シャーー…ザッ

西園寺 「ああっ!(軸がななめに…)」

タラタタタラタタ タラタタ…♪

智子  「――っ!」ベシャッ

観客  「あああー……」

智子  「うぅ……」ヨロヨロ

タラタタン…

智子  (あ、曲が進んでる!やばい、次ステップ……あ、ダメだリズムがずれて……)シャーーッ、シャーー

~タララン…♪

智貴  「あーあ、しょっぱなから……」

優   「しっ、しょうがないよ。ルッツってすごく難しいジャンプなんだもん」アセアセ

琴美  「つーかあいつ、表情硬くね?(微妙にキモい……なんだよあのニヤケ面……)」

智子  (笑顔、笑顔!この曲はとにかく笑顔!)シャーー、シャーー

冒頭のダブルルッツは失敗したが、その後のステップはさすがに得意なだけあって、
白けかけた会場の空気も、徐々に温まっていく。

ターラララ…タラタタン…♪

智子  (今度こそっ……)シャーーッ…ザッ

智子  (ぐっ、回転が足りない!でも転ぶわけには……)クルク…スタッ、シャーー…

優   「決まったー!」パチパチ

琴美  「ふう…危なっかしいなあいつの滑り」

シャーー…シャーー

智子  (よし、なんとか持ちこたえた!)

西園寺 (あっちゃー、スッポ抜けちまった……実際の試合なら、回転不足で減点だ……)

智子  (次はアラベスク…)グッ

両手を水平に広げて、足を高く上げる。毎日股関節をゆるめるストレッチをしていたおかげか、
初級バッジテストの時よりはすんなり上がった。

智子  (くっ…足痛い…特にふくらはぎのあたりと、股が痛いっ…)プルプル

智子  (で、次は……)シャーーッッ

キャメルスピン。それは片足を軸に体を横向きに倒し、もう片方の足を水平に上げて
T字型になって回る、スピンの基礎の一つである。しかし、まだ体の硬い智子には…

智子  (イッ…痛いイタイイタイ!!)グルグル…

優   「わー、綺麗だねー」

琴美  「顔引きつってっけどな」

西園寺 (しょっぱなで転んだせいで、テンパっちまったのがまずかったか。
     一つ一つの要素の繋ぎが悪い……正直、ガタガタだ。でも)

西園寺はちらっと観客席を見た。
ダブルルッツを転んだ時の失望感はすでになく、今はただ、一生懸命に滑る一人の少女を見守っている。

西園寺 (智子の根性が、客席を惹きつけてるんだ)

2分30秒に編集された曲は、いよいよ最後の盛り上がりに入った。
智子はやっと大人数の視線を浴びるのに慣れてきたのか、最初と比べて動きが軽快になっている。

智子  (ダブルサルコウ……!)ザッ、クルクル…スタッ

智子  (着地すると同時に、トゥループ……)ガッ、クルクル…

西園寺 『いいか智子、コンビネーションジャンプは、流れが一番大事なんだ。2本目のジャンプは間を空けるな。
     空中にいる間に、次のジャンプの準備をしろ』

智子  (決まった!)ザーーッ

ワアッ…パチパチパチ…

優   「もこっちー!」キャーッ

琴美  「おお、いいじゃん今の!」

智貴  「姉ちゃん……」

トランペットに合わせての、ステップ。エッジを右、左と軽快に動かし、氷の上に複雑なパターンを描く。
時々ぱっと両足を広げてバレエのように跳んだり、トトトッとエッジで歩いたりと、バリエーションをつける。

西園寺 (最後だ。きれいに決めろよ、智子――!)

智子  (シットからの……)クルクル

智子  (アップライトスピン!)クルクルクル…

タラタタ…ジャンッ♪

智子  (終わった……!)ピタッ

ワアアアア…パチパチパチ…ヒューヒュー

司会  『黒木智子さんの、演技でした!』

終わった。
智子の頭の中にあったのはそれだけ。ゼー、ハーと呼吸を整えて汗だくの額をぐいっとぬぐう。
段々聞こえてくる、拍手と大歓声。

西園寺 「智子、お辞儀だお辞儀!」パクパク

智子  「えっ?あ……」ペコッ

西園寺 「笑顔で!あと、全方向に!」パクパク

智子  「細けえよ!」ペコッ、ニタァ……

リンクを去って、エッジカバーをつけながら。ちらっと観客席の最前列を見る。
一眼レフを構えたままの優が大きく手を振った。振りながら、隣で顔をそらしている智貴の腕をぐいっとあげて、無理矢理左右に振らせる。

智子  (優ちゃん……ほんとに来てくれたんだな……)ブンブン

智子  (ありがと……)

真崎  「うっし、じゃあ次あたしか」スッ(エッジカバー外す)

智子  「あ、あの……」

真崎  「ん?」

智子  「がんばって……下さい……」

真崎  「うん、お疲れ」ニコッ

ワァァァ…

ロッカールームに続く廊下を歩く間も、智子の耳の中でその大歓声が止むことはなかった。

□ □ □ □ □ □

初めての大舞台を終えた後。
ロッカールームでジャージに戻った智子に、西園寺は待ちに待った一言を告げた。

西園寺 「えー、2学期が始まるまでの、11日間は……レッスンお休みにします!」

智子  「いやっほおおおう!!」グッ

西園寺 「ただし!トレーニングはちゃんと毎日続けるように!」

智子  「うへえ…」ゲンナリ

西園寺 「夏休みが明けたら、また厳しいレッスンに入るからな…今だけはゆっくり遊んどけ」ポンポン

真崎  「フィギュアのシーズンって、10月からなんだよ。シーズンに入っちまえば、遠征してバッジテスト受けたり、
     ジュニアの大会を見に行ったり、レッスン以外も忙しくなっからな。コーチの言うとおり、 
     今はちゃんと遊んどけ」

智子  「は、はい」

西園寺 「というわけで、今日は解散!…と、言いたい所だが……このリンクで学んだ先輩をもう一人、紹介するのを忘れてた」

西園寺 「……カオル!」

はい、と爽やかな返事があって、ロッカールームのドアが開く。
今までリンクの片付けを手伝っていたのか、衣装の上にジャージを羽織った青年。

カオル 「橘カオル、17歳。クラスはシニアだから、一緒の大会には出られないけど、よろしくね」ニコッ

智子  「ふぁ、ふぁい!よろしく、お願いしまふっ…」ペコー

カオル 「これから一緒の時間帯に滑ることも多くなると思うから、その時はお互い頑張ろうね。ええと……
     智子ちゃん、どうしたの?具合悪い?」

真崎  「こいつ、人見知りなんだよ」

カオル 「そっか……ちょっと距離感近すぎたかな。ごめんね」

智子  「い、いえっ!大丈夫です……(スー、ハー…すげえ、男子なのにいい匂いする……こんなイケメンと合法的に
     お近づきになれるとか、フィギュアスケート様様やでえ……)」

カオル 「さっきの演技、とてもよかった。2ヶ月であんなに滑れるんなら、これからが楽しみだよ」ニコニコ

智子  (ああ……なんて心洗われる笑顔なんだ……)ポーッ

西園寺 「さて、今度こそ解散にするか。じゃあ皆、また夏休み明けに!」

真智カ 「「「ありがとうございましたー!」」」


□ □ □ □ □ □ □

アイスショー翌日。
撮り溜めていたアニメを見終わった智子は、スマホ画面を見つめてゲスい笑い声を漏らしていた。

智子  「むふふ……へへっ、うへへ……」ニタニタ

智子  (ついにっ…ついに、私のスマホに男子の番号が!弟とお父さん以外の番号がアップデートされた……!
     全国の喪女の皆さんごめんなさい!フィギュアヲタのBBAども涙拭けよ!)

智子  (橘カオル様の番号とメアドだぞーっ!ひゃっほーう!)ゴロゴロジタバタ

智子  「ふふ…しかも向こうから"赤外線出る?"だぞ……」

智子  「……まあ、真崎さんの彼氏なんですけどね……」ズーン

智子  (……あんな美少女でフリーとかありえねーしな……なんかもう、罵る気も起きねえ……)

智子  「……ゲームでもするか」ムクッ

それから2学期が始まるまでの10日間。智子はリンクで軽く滑って調整したり、
家の周りをジョギングする以外はほとんど外出せず過ごした。
そして迎えた始業式当日――。

智子  「……ふっふっふ、ついにこの日がやってきた……」

智子  (一学期までの冴えない私とはサヨナラだ。クラスのアイドルとして、今日からモテモテリア充ライフが始まる……!)

智子  「あっ…あれ?上手くリボン結べないぞ……あ、そっか。まず最初に髪束分けて……」アセアセ

母   「智子―!朝ごはんできたわよー!さっさと食べちゃいなさい!」

智子  「……な、なんとか形になったけど……なんか、形崩れてる……」ヘローン


智子  「しかも、クマが微妙に復活してきてる!……最近またちょっと夜更かしだったせいか!?」ガーン

智子  「……」

母   「智子―、まだ支度できないのー?」

智子  「これが、4歩進んで3歩下がるというやつか……ふふ、ふふふ……」ズーン

―リビングにて―

智貴  「あ、姉ちゃん髪型変えたんだ」モグモグ

智子  「へっ?ま、まあな……」

智貴  「……いいじゃん」

智子  「えっ?」

智貴  「前のボサボサ頭よりはいいじゃんって、言ってんだよ。カタムツリ並の速度でも、進歩してたらそれで上等だろ」モグモグ

智貴  「んじゃ、俺今日日直だから」ガタッ

智子  「……」モグモグ

智子  「一歩ずつ……か」ゴクン

―校門前―

ハヨーザイマース オハヨウ オハヨウゴザイマース…

先生  「おはよう!」 

智子  「おっ…おはようございます!」

智子  (ふふふ…確かに進歩している…一学期までの私がいわば修行開始前の桑原だとすれば、今は智子100%といった所か……)ガラッ

モブA  「でさー、夏休み海行ってきたわけよ」

モブB  「へー。それで焼けてんだ。いい感じじゃん」

智子   (……準備はできている。こうして頬杖をついていたら、"あれ、黒木さんなんか一学期と違わない?”とか言い出す奴いて……)ガタッ、ストン

モブC  「はよーっす!」

モブD  「お前朝から元気だな―。俺なんてまだ7月気分だぜ」

智子  ("えー、知らないの?黒木さんフィギュアやってんだよー。アイスショーで見た―"とか言う奴が……それでクラスメイトに囲まれて、
     質問攻めにあって、私は顔を真っ赤にして、あたふたしながら"そ、そんな……まだ始めたばっかだもん"とか言っちゃって……)

キーンコーンカーンコーン

先生  「皆廊下に背の順で並べー。体育館まで移動するぞー」

ザワザワ…スタスタ

智子  「……」ガタッ

モブA  「あ、そーいやこの前アイスショー見たんだけど。常葉スケートリンクってとこで」

智子  「……!」ピクッ

モブA  「なんかー、スケート歴2ヶ月の天才美少女とか出てた」

モブB  「えー、どんな感じだった?」

モブA  「うーん、覚えてない。つーか名前も忘れた」

智子  (……その天才美少女、お前らの隣にいるよ!気づけよクソども!)ドンッ 智子「いたっ」

モブA 「あ、ごめん。えーと……」

モブB 「黒木さんだよ」

モブA 「あ、そーだった。黒木さんごめんねー」

智子  「い、いや……別に平気……」

智子  (……そうか。そもそも私という存在がクラスで認識されてないから、結びつかないのか……)

智子 (……チクショーーーッ!!)

今日はここまで。
そう簡単に行くわけがなかろうという話。

>>93
誰か竹村絵で描いてくれと願望を抱きつつ。
個人的には、アニメのツインテもこっちをイメージしてます。

西園寺(智子が本格的にフィギュアスケートを始めたのが、6月。そしていまは10月…
    4ヶ月の間に2級まで取得できた。ジュニアに上がるためにはあと4級)

智子 (……)シャーーッッ、シャーッ、ガッ、クルッ

智子 「いたっ!」ベシャッ、ザザーッ…

西園寺「回転が遅いぞ、軸もぶれてる。もう一回!」ピーッ

智子 「てて……」ヨロヨロ

西園寺「アクセルの形はできている。お前の場合、上半身が弱いから回転不足になって転ぶんだ。
    ついでにいうと、前を向くタイミングも合ってない!」

西園寺(むしろ今までが順調すぎたのか……真崎は一発で跳べたのに……ん、真崎……?)

西園寺「そうだ、真崎だ!」ポン

智子 「!?」ツルッ、ザシャーーッ

―翌日―

智子 (昼休みにコーチからメール来たと思ったら、"今日の練習はここに行け"って住所だけ書いてやがった…)トコトコ

智子 (……ここか?……ここじゃないよな……でも住所は合ってるし……)

目の前にそびえたつ、大きな木の門。看板には『大沢流空手道場』と仰々しい文字が刻まれている。

真崎 「おう智子、来たのか!」ギィッ

智子 「え!?え、え、なんでましゃきさんがこんな、オスの巣窟に…」

真崎 「落ち着け、まずは深呼吸。ビックリしただろ、ここあたしの家」クイクイ

真崎 「オスの巣窟ってのは当たってるぜ?母さんはちっさい頃に死んじまったから、男所帯なんだよ。
    女はあたし一人。門下生も男ばっかだしな。ま、とりあえず入れよ」

真崎の案内で門をくぐり、道場の方へ向かう。広々とした敷地内に広がる日本庭園を歩いているうち、
「えいっ」「やあ!」と野太いかけ声が近づいてきた。

智子 (……ダメだ、孕まされる。筋骨隆々とした毛むくじゃらの腕におさえつけられて集団レ)ガクガク

真崎 「親父!ちょっと邪魔するぜ―!」ガラガラッ

真崎の大声に、練習していた門下生が一斉にこちらを見る。
その中から、ひときわ立派な体躯の中年男が、のそっとこちらにやってきた。

???「ん~?」ズイッ

智子 (ひィ!)ガタガタブルブル

???「なんだ、女の子じゃねえか!お前、どこでこんな可愛い子さらってきたんだ」ニカッ

智子 (あれ、見た目より怖くなさそう……ていうか、チョロそう……?)

真崎 「人聞きのわりい事言うな!最近常葉に入ってきた子だよ。西園寺コーチが教えてんだ」

???「へえ、あの西園寺がねえ……あいつが直々に教えてんだったら、確かだな」

大五郎「俺は大沢大五郎。真崎の父親で、この道場の師範だ。よろしくな、嬢ちゃん」スッ

智子 「えっ…え、と…あの、くろき……ともこ、でしゅ……よ、よろしくおねがい、しまふ……」

大五郎「智子ちゃんか、んで、智子ちゃんはいくつなんだ?……5年生ぐらいか?」

智子 「えっ…」ガーン

真崎 「親父、智子は高1だよ」

大五郎「えぇ!?嘘だろ、こんなにちんまいのに……」

智子 「ちんまい……」ズーン

ない胸に手を当てて落ちこむ智子に、無意識に罪を重ねた大五郎は「ごめん、本当にごめんな!」と平謝りしている。
その様子を見ていた門下生の中から「親父、デリカシーなさすぎ」と呆れた声がした。

???「つーか原幕の制服着てんだから、高校生に決まってんだろ」

???「だよなあ…つーか原幕!?すげーな、あそこって、偏差値70ぐらいのとこだろ!?はー、お前よく姉貴と話合うな」

真崎 「うっせー!」ドゴッ

???「おごっ…」

智子 (チャリで来そうなDQNキター!!…あれ、よく見ると真崎さんに顔似てるような……)

智子 「あ、あの…もしかして、真崎さんのご兄弟…」

大翔 「正解!俺は弟の大翔、高2。んで、こっちが兄貴の荒野!三兄弟の一番上で、空手は…2番目」

荒野 「ぐっ…」プルプル

大翔 「姉貴は全日本で優勝してっけど、兄貴はたしか…10位にもかすってないんだよなー」ニヤニヤ

真崎 「おまけにここだけの話……」コソッ

荒野 「やめろ、それだけは!」

真崎 「彼女いない歴=年齢の、喪男だぜ」

智子 「!」ピクッ

荒野 「あああ…」ガクーン、サラサラ…

膝から崩れ落ち、灰化していく荒野を見て、智子は不思議な親近感が沸いていた。

智子 (喪男か…こんなビッチ釣れそうなスペックでも喪男なのか…なんか、元気出るな)

真崎 「さて、じゃあそろそろ始めっか!とりあえず智子、これ着ろ」スッ

智子 「へっ、道着!?」

真崎 「今からお前に、アクセル習得の極意を教えてやるよ」ニッ


□ □ □ □ □ □


真崎 「いーち!」シュバッ

智子 「い、いーち!」バッ

真崎 「にーい!」シュバッ

智子 「にー!」バッ

道着(一番小さいサイズ)に着替えた智子は、真崎と一緒に正拳突きの練習をしていた。
真崎いわく、幼い頃から空手をやっていた自分は、ごく自然にアクセルの動きができていたという。
そのヒントがこの前蹴りと、回転蹴りにあるというのだが……

智子 (なんで空手やってんだ私!……こんなんで本当にアクセル跳べるようになんのか!?)

荒野 「うっし、じゃあ次、前蹴り100発!行くぞォ!いーち!」シュッ

智子 「(ひぃぃ!)いーち!」シュッ

―2時間後―

智子 「うう、……もう一歩も動けない……」グター

真崎 「だ、大丈夫か智子!つい…」アセアセ

荒野 「お前根性あんなあ、普通の奴なら30分でヘバってんぞ」グビグビ

智子 「…だって、上手くなりたいから……」ボソッ

荒野 「……そっか。智ちゃんも好きなんだな、フィギュア」

智子 「好き……かあ(考えたことなかったな…褒められて嬉しいとか、自慢したいとか、そっちばっかで……)」

荒野 「んでも、前蹴りと回転蹴りは形になったし、これでもうアクセルはバッチシだと思うぜ?」

智子 「バッチシ…」

荒野 「まあ、それを確認するのは明日のお楽しみにして……とりあえず」

真崎 「風呂と夕飯、食ってけ!……覗くなよ」

荒野 「もうしねーよ!」カァァ

智子 ("もう"ってことは、前覗いたのか……)

□ □ □ □ □ □ □

大五郎「はっはっは、んじゃ、智子ちゃんの前途を祝って……カンパーイ!」

全員 「カンパーイ!」

ワイワイ…ガヤガヤ

真崎 「悪いな、無理矢理引き止めちまったみたいで」

智子 「い、いや…その……お、お風呂までいただいちゃって……そ、それに…」カチャッ

真崎 「うまいだろ、うちの特製チャンコ鍋」ニヘヘ

智子 「は、はい……(味なんかしねーよ!落ち着かねえ……)」

真崎 「遠慮しないでどんどん食えよ、お代わりいっぱいあっからな」ズズッ

大翔 「なあ、智ちゃんって最近フィギュア始めたの?」ヒョイッ

真崎 「だから、さっき言っただろ!まだ4ヶ月目だよ」

大翔 「ふーん。なんか、姉貴がフィギュア始めた頃思い出すな」

智子 「えっ!?い、いえっ、私ごときが真崎さんなんか…」アセアセ

大翔 「いや、こいつ今でこそ世界女王だけどよ?始めたばっかの頃はそりゃもう、酷いもんだったぜ。
    動きなんてガッタガタだし、女らしさの欠片もない滑りだったし、初めてのアイスショーでしょっぱなからコケたし!」

智子 「えっ…(真崎さんも、同じ失敗を……)」

真崎 「ひ~ろ~と~」グイーーッ

大翔 「ひでででっ!いひゃい、いひゃい!」ジタバタ

荒野 「ま、あれだ。智ちゃんはこっからどんどん上手くなっから、気にすんなってことだ」ストンッ

智子 「お兄さん……」

智子 (あれ、なんでこいつごく自然に隣座ってんの?)ダラダラ

荒野 「明日、俺もリンク行くわ。今日一日の特訓の成果、見てやんよ!」グッ

智子 (……やめろおおお!嫌だ、もし跳べなかったらリンチだ……公衆便所に連れこんで個室で集団リンチだあああ!
    お前らDQNの思考回路なんて読めてんだよ!絶対来んじゃねえ、朝の卵で下痢して寝込め!)

智子 「そ、そうですか……がんばり、ます……」ダラダラ

荒野 (……奥ゆかしい子だなあ……真崎とは大違いじゃねーか)ホワーン

真崎 (我が兄ながら、見る目のなさに泣けてくる)

―翌日―

西園寺「じゃ、早速行ってみるか!」

智子 「はい!……よし、あいつ来てないな」キョロキョロ

シャーーーッ…シャーーーッ

荒野 『いいか、体を軸にして、足を半月形に回すんだ』

荒野 『俺は滑れないから、そっちの方は智ちゃん任せだけど…この回転蹴りの動きをそのまま応用すれば、
    多分タイミングもばっちり合うんじゃねーのか?』

智子 (……行ける!)ガッ

回転蹴りの要領で足を動かすのと同時に、離氷。

智子 (すごい……引っ張られるみたいだ!)

体は軽々と跳び上がり、遠心力でくるくると回った。

智子 「……できた!」ザーーーッ

パチパチパチ…

聞こえてきた拍手に振り向くと、観客席の所から荒野が手を振っている。

智子 (あいつマジで来たよ……)

とりあえず振り返すと、笑顔で親指をグッと立てた。

智子 (ま、まあよかった……リンチは回避したしな……変なフラグは立てないで済んだ…)シャーーッ

智子 (ん?そういやあいつ、私と真崎さんの後に風呂入ってたな……)シャーーッ、キュッ

智子 「~~~!?」ボンッ

西園寺「どうした智子!?」

その後の2ヶ月で、智子は無事3級、1回は落ちたものの、なんとか4級に合格した。
西園寺いわく「驚異的なスピード」とのことだが、4級の試験内容は今までの総復習なので、特に苦ではなかった。
そして12月――。

西園寺「智子、来週の5級バッジテストなんだが……」

智子 (なんだ、なんで渋い顔してんだ……やめろよ、不安になるだろうが!)

西園寺「……名古屋で、受けることになった。学校の方は悪いんだが、休んでくれ」

智子 (そんな顔で言うことじゃねえだろ!大体、学校でもソロプレイだから私が休んでも何も起きねえよ!)

西園寺「すまんが、そういうことだ。名古屋に1泊することになるから、費用の面が、ちょっとな……」

智子 「あ……」

西園寺「ま、お前は気にしなくていい。万全の状態でテストを受けて、一発合格しちまえ!」ポンポン

智子 「は、はい……」

智貴 「おはよ……姉ちゃんは?」

母  「今頃、名古屋行きの新幹線の中よ。名古屋のリンクで次の級を受けるんですって」

智貴 「ふーん……」ガタッ

母  「あんたの願書、駅前のポストに出してくれるって言ってたから。帰ってきたらちゃんとありがとう言いなさいよ?」

智貴 「何、姉ちゃんが出しに行ったのかよ」

母  「ついでよ……トーストは2枚でいい?」

智貴 「ん」

母の朝食を待っている間、智貴は頬杖をついてリビングの壁を眺めていた。
額の中に飾られたバッジが、いつの間にか増えている。チェストには、優が現像してくれたアイスショーで滑る智子の写真。

智貴 「母さん、皿は俺が洗うから」

母  「何言ってるのよ、家事は主婦の仕事じゃない。あんたは受験勉強……」

智貴 「勉強なんて手伝いながらでも出来るよ。だって母さん、最近働いてんだろ、姉ちゃんは全然手伝いしないし……」

母  「嫌ねえ、あの子にも練習帰りにお使いとか頼んでるわよ。願書出してもらったのもそうじゃない。
    それに私、お家で校正のお仕事してるだけよ。外に出てないんだし、全然楽……」

智貴 「母さん、ずっと主婦だったじゃねーか。姉ちゃんに金がかかるから――」

その言葉が出た瞬間、母はガチャンと調理器具を置いた。怒りをこめた表情で振り返り、智貴を睨みつける。

母  「……そんなこと、二度と言わないで」

くるりと背中を向けて調理に戻った母の背中を見つめながら、智貴はテーブルの上の拳を握りしめた。

□ □ □ □ □ □ □

一方その頃、名古屋へ向かう新幹線の中では。

西園寺「智子、お弁当買ってきたぞ!お前の大好きな回鍋肉丼と、俺の大好きな鯖の押し寿司…」~♫

智子 「コーチ……まさか、ホテルって二人部屋ですか……?」

西園寺「まさか!」

智子 「……」ホッ

西園寺「10人部屋だ」

智子 「……は?」ポロッ

西園寺「スケート連盟が持ってる宿舎があるんだ。露天ありの大浴場つき、朝夕は食堂で30種類のバイキング、男女別の宿泊棟……
    あ、部屋にモーニングコールがついてるから、安心しろ!」

西園寺「それと、5級テストでは3分半のフリー演技があるんだが、曲は自由だからお前の好きに選んで……」

智子 「だからそれを、もっと早く言えーーっ!!」

波乱の予感を含みながら、新幹線は名古屋への線路をひた走っていった。

______

とりあえず、大沢兄弟とイベントを起こしてみた。
打ち切りになった時一番悲しかったのは真崎の家族があんまり見れなかったことです。

名古屋駅からタクシーで15分。
リンクに併設された宿舎は、智子の『60年代あたりに建った白いコンクリートのボロい建物』という予想に反して、
近代的で清潔なデザインだった。案内されたのは和室の40畳で、布団がひとつだけぽつん、と敷かれている。

智子 「えっ…ここって、マジで10人部屋かよ!私しかいねえじゃねえか!」ドサッ

智子 「ひゃっほーーい!自由だ、私は自由だあああ!!」ゴロゴロゴロ

智子 「はっ…そうだ、明日バッジテスト受けて、終わったらすぐ帰るんだ……」ピタッ

智子 「じゃあいつ名古屋観光すんだよ!?シャチホコ見てえよ、手羽先食いてえよー!!」ゴロゴロゴロ

智子 「その前に、これ覚えないといけないんだったな…」カサッ

取り出した紙には、プログラムの要素が矢印で結ばれて書かれている。新幹線の中で、30分で決めた振り付けだ。
しかもステップシークエンスに至っては『好きにしろ』と丸投げされている。

智子 「椿姫か……」

―回想―

西園寺『好きな曲をやるのはまだ先の話だ。バッジテストの審査員は全員クラシック信仰持ってると思え。
    公式戦に出るようになっても、ショートはクラシックにしとくのが無難だ』

智子 『えっ…でも、つべで見た動画ではヤマトとか、ルパンとかやってましたけど……』

西園寺『それはアイスショーか、もしくは審査がないエキシビジョンだろ?公式戦やテストでは受けのいい曲を選ぶのが常識だ』

智子 『マジですか…』ゲンナリ

西園寺『じゃあ、こうしよう。ジュニア大会では好きな曲を選んでいい。ただしバッジテストは俺が選ぶ。
    これを期にクラシックに詳しくなるのもいいんじゃないか?』

智子 『うー…』

―翌朝―

智子 (緊張してあんま眠れなかった…)ドヨーン

西園寺「大丈夫か?なるべく後ろの方だといいんだがな…」

5級バッジテストは、宿泊施設に併設されたリンクで行われる事になっていた。
常葉のリンクより天井が高く、客席も多い。

智子 (中学生っぽいのが多いな……)キョロキョロ

すっかりお馴染みになった赤い受験者手帳を提出して、
審査員が滑走順を決めるのを待つ。西園寺の願いに反して、智子は2番目だった。

智子 「げっ、2番!?」

西園寺「あちゃー…くじ運が悪かったな…ま、当たったもんは仕方ない。トップバッターよりはいいさ」

トップバッターは、背の高い中学生男子だった。地元クラブの選手らしく
無難な滑りだったが、2番めのジャンプコンビネーションを失敗。満足いかないという顔で演技を終えた。

西園寺「よし、だいぶ気持ち楽になったろ」

智子 「……あんな、上手そうな子でも失敗、するんですね…」

西園寺「俺の言ったの、覚えてるか?バッジテストは1回までならやり直しが許される。だから、
    コケても手ついても、とにかく滑り切る。それが大事だ」ポンポン

審査員「次、常葉アイススケートクラブ、黒木智子さん」

智子 「は、はい!」

西園寺「頑張れよ、ここを通過したらいよいよ6級だからな」ポンッ

西園寺に背中を押されて、審査員の前に進み出る。
緊張をほぐすために、真崎に教わった腹式呼吸を3回繰り返して、目を開けた。

智子 (最初は、スピンか……えーと、スポッティングのポイントは…こいつらでいいか)シャーーッ、ガッ

審査員を目印にして、くるくる回転する。腕を水平に広げてピタッと止まると、
間髪入れずに次の要素が始まる。

智子 (次が、ダブルルッツ…うげ、一番苦手なジャンプだ…)シャーーッ、ガッ

微妙によろけたが、なんとかこらえた。

智子 (ダブルフリップ、からの……コンビネーション)シャーーッ、ガッ、クルクル…ザーーッ

智子 (そしたら、またスピン)クルクルクル…

智子 (6回転したら、チェンジエッジ…そうすると、回転方向が変わるから…うぷっ、なんか喉上がってきた!)ガッ、クルクル

西園寺(よし、ここまでは順調だぞ、智子!)グッ

智子 (うう、回りすぎて頭が痛い…でも、スピンは確かこれで最後だ……ここさえ乗り切れば…!)シャーーッ、シャーッ、ガッ

最後のスピンは、フライングキャメルだ。
これは、キャメルスピンに入る際、フライング(跳び上がり)して入るもので、
ステップから入る通常のスピンよりやや難易度が高い。

智子 (あっ、やべっ……)クルクルクル

審査員(足が水平になってない……微妙に下がってる…フライングは出来ていたが…うーん)カリカリ

西園寺(智子もだいぶ股関節柔らかくなってるんだがな……スパイラルのレッスンを増やすか)

智子 (やっとステップか……もう回るのはこりごりだ……)シャーーッ、ガッ、シャーー

エッジを左右外内に細かく動かし、リンクを縦横無尽に滑る。
そのステップに、審査員からも「おお…」と思わず感心したようなため息が漏れた。

智子 (ここからは延々ステップか……バリエーションはあるけど、結構キツいな……)シャーーッ

~~♫♪

智子 (音楽来た!あれ、BPM結構ゆっくりだな、やりやすいかも)シャーーッ、ガッ、クルクル…

西園寺(テンポは合ってる。鍛え始めたとはいえ、智子はまだまだ体力値が低いから、
    速い曲だとついていきづらいからな、いい選曲だった。しかし…)

審査員「……」

智子 (あれ、審査員がなんか渋い顔してる!…何でだ!?私まだコケてないぞ!)シャーーッ

西園寺(智子には重大な欠点がもう一つある……)

その後も、審査員は終始厳しい表情ながらも、冷静にジャッジしていった。

審査員「はい、お疲れ様でした」

智子 「うう…精神的にキツかった…」ヨロヨロ

西園寺「頑張ったな、智子。合計で10分近く滑って、よくノーミスにとどめた。偉いぞ!」ポンポン

西園寺(まあ、ジャッジに響くほどじゃない……この問題点は、帰ってからにするか)

その後も20人ほどの受験者が滑り……1時間近くかけて、全員の演技が終わった。

審査員「はい、合格です。おめでとう」スッ

智子 「よかった…名古屋まで来て不合格だったら殺されるとこだった…」

審査員「ころ…」

西園寺「気にしないでください。じゃ、智子。そろそろ帰るか」

智子 (やっぱり手羽先は食えない運命なんだな)ガックシ

西園寺「……と、言いたいとこだが……お家におみやげが必要だろ?新幹線の時間まであと3時間ある。
    短いが、存分に楽しんでこい」

ご褒美だ、とウィンクする西園寺に、智子は「やったー!」と万歳した。

□ □ □ □ □ □ □

智子 「ただいまー!」

母  「おかえり智子、遅かったわね」

智子 「お母さん、これおみやげのういろうと手羽先!」

母  「まあ、美味しそう……で、バッジテストは?」

智子 「えへへ」パラッ

母  「あらっ、しっかり合格してるじゃない。おめでとう!お母さんますます鼻が高いわ~」ニコニコ

智子 「まだだよ、今年中に6級取って、ジュニアに上がんないと」

智子 (ああ、お母さんにこういう顔させられるようになったのは、素直に嬉しいな…)

母  「無理しないの。西園寺さんだって言ったでしょ?毎日の積み重ねが…あら、智貴おかえり。
    じゃ、母さんすぐにご飯準備するからね」タタッ

ガチャッ

智貴 「ただいま…姉ちゃん、帰ってたのか」

智子 「出してきてやったぞ、お前の願書」フフン

智貴 「そんなエバることじゃねーだろ……」

智子 「お前なんで原幕受けなかったんだ?あれか、頭足りないのか。我が弟ながら可哀想な奴だな―」プププ

智貴 「……」

智子 「なんなら姉ちゃんが勉強教えてやってもいいぞ、私今機嫌いいからな」

智貴 「……のんきなもんだな」

智子 「へっ?」

智貴 「姉ちゃんがスケートなんてお遊び始めたせいで、俺はこんな時間まで学校で補習受けてんだよ!」

智子 「お前、何言って…」

智貴 「姉ちゃんに金かかってんのに、俺まで私立行けるわけねえだろ!」ガンッ

智貴 「くそっ…」ガシガシ

智子 「あ、お前飯は…」

智貴 「いらねえよ!」タンタンタン

智貴はわざと大きな音をたててドアを閉めた。ドアを閉めた振動で家がぐらぐらと揺れて、
キッチンで調理していた母が「何なの今の!?」と顔を出す。

智子 「……智貴……」

とりあえず今日はここまで。
受験ストレスで当たり散らしたりしなかった原作智貴は偉いと思う

智子 「……」シャーーッ、シャーーッ、ガッ

智子 「!」ザシャーーッ

西園寺「おい智子、大丈夫か!?」

智子 「だ、だいじょ…いたっ」グキッ

西園寺「!……足ひねってるじゃないか、今冷やすもの持ってくるから、そのまま待ってろ!」タタッ

真崎 「お前らしくないぜ、ステップで転ぶなんて」

智子 「……」

真崎 「なあ、なんかあったのか?」

智子 「別に、何も……」

真崎 「嘘つけ。そんな泣きそうな顔してて、何が別にだよ。いいからお姉さんに言ってみ?」ポンポン

西園寺「スプレー持ってきたぞ!」タッ

真崎 「さんきゅ、コーチ。んじゃちょっと、あっち行っててくれよ」

西園寺「なぬ!?」ガーン

真崎 「女同士の話なんだよ!ほら、さっさと行った行った!……で、何あったんだ?ゆっくりでいいから、話してくれよ。
    スケートのことなら、あたしが何でも相談乗ってやるからさ」

智子 「えっと…」

智子 (バカ弟の受験ストレスとか私の知ったことじゃねえよ……ていうかなんだよあいつ、
    こっちは週六日もレッスン入れられて、毎日死ぬ気でやってるってのに……)

真崎 「……」

智子 (……もう言っちまうか?)

智子 「あの……実はですね……」

―翌日―

智貴 (はあ…日曜だってのに補習か……ほぼ毎日学校行ってるせいで制服洗ってる暇がねえよ……)

ピンポーン

智貴 (…また姉貴が着払いでグッズでも買ったのか)

智貴 「はい」ガチャッ

真崎 「よっ」

智貴 「……えっ?……あの、大沢……選手?」ピシッ

真崎 「へー、智子から聞いてたけど、マジで全然似てねえな」ジロジロ

真崎 「お前が智貴だろ?ちょっと面貸せ」グイッ

智貴 「へっ!?お、俺今から補習…」

真崎 「んーなもん、1日ぐらい休んだって死なねえだろ。ほら、いいから来いっての!」

□ □ □ □ □ □

智貴 「いって!」ズルッ、ザシャーーッ

真崎 「あっちゃー、軸がぶれてんのに手離すからだろ」

智貴 「くそ…」ヒリヒリ

真崎 「いきなりは無理だって、まずはスケート靴をハの字に…そう、そうやって、バーにつかまって……」

真崎が智貴を引きずっていったのは、智子がいつも練習しているリンクだ。
当の智子は、貴重な練習休みを満喫するべく部屋で爆睡しているので、
リンクには智貴と真崎しかいない。

智貴 (なんで俺は補習サボってこんなこと…)

真崎 「つまんなそーな顔すんなよ。世界女王が気分転換に付き合ってやってんだぜ」

智貴 「……」グッ

シャーーッ

真崎 「おっ、段々安定してきたな。さすがサッカー部」

智貴 (……なんだ、簡単じゃねーか…)シャーーッ

真崎 「やっぱ姉弟だな。バランス感覚いいじゃん2人とも。
    お前もさ、高校から趣味で始めてみたらいいだろ」

智貴 「趣味って…」ガッ、キュッ

真崎 「大学から始めてプロになってる奴もいんぜ。アイススケートで滑ったり、人に教えたりすんだ。
    世界で戦うんじゃなきゃ、大学からでも遅くないし、むしろ遅く始めたほうが
    選手生命も長くなって、どうかすると一生現役で滑れるらしいぜ」

智貴 「そんなの、できるわけっ…」

真崎 「できるよ。そんぐらいなら、そこまで金かかんないからな。やろうと思えば、姉弟でフィギュア選手だって夢じゃねえぞ」

智貴 「……」

真崎 「お前、智子に言ったんだってな。"スケートなんてお遊び"って」

真崎 「たしかに、フィギュアって見てる分には綺麗だし、楽しそうに見える。でもさ、
    10代のうちからジャンプ跳ばされて、冷たい氷の上で重いスケート靴履いて無理な動きばっかして、
    フィギュア選手なんて20代で皆体ボロボロだぜ」

智貴 「……大沢さんも?」

真崎 「あたしは元々丈夫だから、まだ大丈夫だけど。でも腰はいてえし、膝もガタが来てっから、
    23ぐらいで限界くっかもな。スポーツってのは多かれ少なかれ、そういうもんだ。遊びで出来るスポーツなんてほとんどねえよ」

智貴 「……」

真崎 「お前が受験で不安なのは分かる。でも、高校受験ってのは皆が通過しなきゃいけないポイントだろ。
    落ちたって滑り止めに行きゃいいじゃねえか。そこもダメなら通信でも定時制でも行けるじゃねえか。
    ……高い金出してもらって、後がない智子とは違うだろ」

智貴 「それは……分かってるんです」

真崎 「うん」

智貴 「でも……」

真崎 「今すぐとは言わない。でもいつかは、智子の頑張りが形になるから。その時は智子を思いっきり褒めてやれよ。
    お前が辛いって気持ちは、あたしが受け取ったから。これからもなんかあったらあたしに言えよ。
    智貴一人分ぐらいのスキマは空いてるぜ」

□ □ □ □ □ □ □

―翌日―

智子はスケート靴を履いて、長い髪を後ろでまとめながら考えていた。

智子 (……真崎さん、"あたしに任せとけ"って言ったけど…)

智子 (何したんだ?今朝になってバカ弟のやつ、"この前は悪かった、俺もイライラしてた"なんて言ってきやがって…)

西園寺「よしっ、じゃあ今日から6級に向けてビシバシ特訓してく予定だが…行けるか?」

智子 「……はい!」

智子 (あいつ、私立は併願しないのか……そういえば、願書出してた学校……)シャーーッ

智子 (あれ、優ちゃんが行った、偏差値低いとこじゃねえか……)シャーーッシャーーッ



優  『そういえば、智貴くんにうちの学校のこと色々聞かれたんだけど、もこっちなんか知らない?』

智子 『えっ?いや、なんも…』

優  『なんかね、偏差値どれくらい?とか、大学進学率とか…すごく現実的だったよ』

智子 『あの…実際、どんぐらいなの?』

優  『うーん、偏差値は平均だと55ぐらいかな。滑り止めにする人が多いよ。大学はスポーツ推薦が多いし。
    智貴くんはサッカーだっけ?』

智子 『えっ、あ、うん』

優  『そっかー。うち、サッカー部は強いからそれで聞いてきたのかなあ。でも、
    智貴くんなら、もっと頭いい学校行けると思うんだけど、なんでだろ…』


智子 (あいつ…偏差値15も下げて、確実に受かるとこを選んだんだ…)グスッ

智子 (バカじゃねーの。当たり散らすぐらいなら気遣うなよ……)ガッ、クルクル

ザシャーーーッ

西園寺「よーし、いいぞ智子!その調子だ!」パチパチ

智子 (……がんばろう)

>>148

×アイススケート
○アイスショー

誤字すんません。もこっちの家は子供二人を私立にやれているので、
お父さんの年収はおそらく1000万円台だとは思いますが、
家のローンもあるので、智貴には公立に行っていただこうかと。

アイレボ知らなかったけどこのSS面白いな
続き楽しみにしてます

原作とは異なる選択をした故のその後の展開の違い
二次創作の醍醐味やな

>>153
ありがとー。
アイレボは打ち切り漫画だから駆け足なのが残念だけど、絵も可愛いしおすすめだよ。
フィギュア漫画のテニヌことブリアクも出したかったけど、そうなるとダブルクロスだな…どうしようか…

>>154

原作の時は真面目に「優ちゃんの後輩になるのかー」と予想していましたが、
普通に考えてあんだけ賢そうな子がアホな高校行く訳ありませんでした。
_______________________________

厳しい練習をこなすうちに、智子にとって受験に匹敵する難関だったクリスマスが過ぎ、
正月が終わって、冬休みが明けた。西園寺は「万全の状態で、一発合格を目指す」と目標をかかげ、
6級への挑戦は春休み中に行うことになった。

智子 「順調に行けば、2年生が始まる頃にはジュニアに上がってんのか…」

智子 「ふふ、うへへっ……1年でジュニアまで上がるとか、ヤバいぐらいの才能やでえ…」

智子は自宅で靴のブレードを磨きながら妄想に浸った。

智子 (いつもクラスの窓際で外を眺めている、目立たない女子。しかしその正体は華麗なる氷上の舞姫……)

智子 (韓流ドラマかっ!!)ガンッ

久しぶりの妄想があまりにこっ恥ずかしいので、壁に頭を打ちつけてツッコミを入れる。

智子 (ロリ体型で一見地味だけど髪の毛下ろすと途端に美少女に変身して、料理とお菓子作りはプロ級で
    家事を一通りこなす、実はモテモテだけど気づいていない天然ボケ夢主かっ!)ガンッガンッ

智貴 「うるせーぞ!単語が頭に入んねーだろ!」ゴスッ

壁越しに怒鳴られ、智子はようやく止まる。

智子 (……でも、一番ヤバいのは……)

智子 (それが現実、ってことなんだよな……)ハァーッ

智子は部屋の鏡に映った自分を眺めた。前は思わず吐いてしまったほど酷かった顔面が、
規則正しい生活と運動のおかげで、だいぶマシになっている。

智子 (眉毛整えてもらって、目の濁りとクマ取って、顔出してるだけ……)

智子 (私って、実は美少女だったのか……いや、美ってのは言いすぎだな。
    お直ししなくてもAKBで20位以内ぐらいには入れるレベルだったのか……)ウヘヘ

―翌日―

廊下を歩いていた智子に、手を拭きながらトイレから出てきた女子が気づいて「お」と声をあげた。

琴美 「久しぶり」

智子 「……お、おお……」

琴美 「……」

琴美 「あのさ、もしかしてなんだけど」

琴美 「私の事、忘れてねえかお前」

智子は、漫画なら『ギクッ』という擬音がつくレベルで動揺した。

智子 「えっ!?わ、わわわ忘れてないよ、もちろん」ブンブン

琴美 (……記憶力と偏差値って比例しねえんだな)

琴美 「じゃあヒント。お前中学時代はいつも3人でつるんでたろ。成瀬さんと、あと1人は誰だっけ?」

智子 「えーと……」

琴美 「こ」

智子 「こ……あ!こみちゃんか!?こみちゃんだろ!」

琴美はハァーッとため息をついて、ハンカチを四折にしてポケットにしまう。

琴美 「お前にそう呼ばれるのはなんか嫌だから、覚えなおせよ。小宮山、琴美」

智子 「小宮山さん……琴美ちゃん……」

琴美 「まあどっちでもいいけど。夏休みにアイスショーあったろ?あれ、実は私も見に行ってたんだよ」

智子 「え?」

智子はそこでやっと、優の後ろにチラッと見えたショートカットの女子を思い出す。
記憶の中の顔が、目の前の呆れ顔と重なった。

智子 「そ、そうなんですか…それはどうも……」

琴美 「(なんで敬語?)結構よかったよ。私も思わず応援しちゃったぐらいだし」

智子 「あ、ありがとう……こ、こみ……やまさんも、同じ高校だったん、だね……」

琴美 「まーな。クラス違うから会わなかったけど。もしかしたら来年は一緒になるかもしんないな」

智子 「えっ、あ、あはは……」

キーンコーンカーンコーン

琴美 「あ、チャイム鳴ったから戻るわ。じゃ、私いつも図書室いるから、気が向いたら来いよ」タッ

智子 「あ、ちょっと…」

智子 (これも縁なのか……)

―放課後、常葉アイススケートリンク―

西園寺「そういえば、真崎。沙綾から連絡来てないんだが、お前はなんか知らないか?」

6級のバッジテストのため、ショートとフリーの振り付けを決めようと
ホワイトボードを出していた西園寺が、ふと思い出したように聞く。
ウォーミングアップをしていた真崎は、「知らねえけど」と答えた。

西園寺「そうか……」

智子 「あの…サーヤ、って?」

西園寺「ああ。お前も知ってるだろうが、片倉沙綾。去年まで俺が指導していた選手で、
    元世界女王。実力は確かなんだが、周りとぶつかりやすい性格でな……まあ、
    孤高の天才っていうのか。アメリカに行ったんだが、今のコーチと上手くやれてるのか……」

真崎 「ていうか、コーチに連絡来てないんだったら、あたしに来てるわけねーだろ」

西園寺「まあ、それもそうか。沙綾はあれで、メンタルがそこまで強くないから……心配だな……」

真崎 「片倉を心配すんのはいいけどさ、コーチは今智子と二人三脚なんだぜ?
    智子に集中しろよ」

西園寺「あ、ああ…そうだな」

智子 (片倉沙綾…あの悪役令嬢か。写真ではそんな風に見えなかったけど……)

西園寺「よしっ、じゃあいよいよ始めるか!受かればジュニア昇格。
    本格的に試合に出て、ライバルと競い合うことになる。
    この6級は一発合格を目指すぞ!」

真崎 「おー!」グッ

西園寺「……お前は新しいコーチの方に帰れよ」ハァー

真崎 「だってあいつ、教えるのは上手いけど女の子と遊んでばっかなんだもんよー」

西園寺「クビにしろそんな奴!……じゃあまずは、曲からだな。
    6級は、2分30秒のショートプログラムと、3分30秒のフリープログラムを続けて滑る。
    5級の時は俺が決めたが……今回は特別な級だから、お前が決めていいぞ」

智子 「えっ!?ま…まじですか…!?」

西園寺「ああ。だが、あまりにも長い曲は編集が難しいから勘弁してくれ」

智子 「でも、審査員ってクラシックの方が受けいいとか……」

西園寺「受けの良し悪しがあるとはいえ、最終的には技術だからな。しっかり練習してノーミスに抑えれば、
    まず大丈夫だ。ルール改正で、歌詞入りの曲も使えるようになったから、何でもありだぞ」

智子 (うっひょおおお!マジかよ、私の妄想現実にktkr!)

智子 (何にしようかな…巫女みこナースとかは狙い過ぎだよな……ちゃんと滑れて、なおかつ
    あまり不興を買わないレベルの……うーん……)

いざ自由な曲でいい、と言われた智子は考えこんでしまった。
頭のなかでいくつか候補が上がるが、どれも決定打に欠ける。

智子 (うう…フィギュアの曲決めってこんな難しかったのか…アニソンだと使えそうなのがほとんど思いつかねえし……)

西園寺「大丈夫か?決められないようだったら、ショートを前と同じ椿姫、フリーをラプソディ・イン・ブルーでもいいぞ」

真崎 「智子、とりあえずノリがいいやつ選んどけよ。疲れっけどリズムに乗るの楽だし、滑ってて楽しいぜ?」

悩む智子に、2人が助け舟を出す。

智子 「2分30秒……スムーチ……」ボソッ

真崎 「あ、あたしそれ知ってる!あのちっさいキャラがぴこぴこ踊るやつだろ?」

智子 (はっ!つい思いつきを…)

真崎 「でもあれ、結構速い曲だよなあ……げっ、BPM177…こりゃ人間の限界超えちまうぞ。
    おまけに秒単位で時間足りねえし……」

スマホで曲情報を調べた真崎は、「あたしでも無理」と首を左右にブンブン振った。

智子 (うーん……パッと思いついたノリノリな曲、がこれだったんだけどな……
    滑ってて楽しい…ノリがいい……)

智子 「あ」

真崎 「ん、なんか思いついたか?」

智子 「あの、中学の体育祭で踊らされたやつなんですけど……
    オーミキラブミキペコリミキー、ってやつ…あれ、なんでしたっけ」

真崎 「ああ、あれゴリエの……なんだっけ?」

西園寺「Mickeyだろ?元はイギリスのバンドの曲で、ゴリエのはカバーVerだ」

智子 「それ、いいかな……なんて……」モジモジ

西園寺「ああ、ちょっと待て。Youtubeで曲出してみよう」ピッ

西園寺がスマホで検索する。動画では、アメリカンスタイルのチアガール達が
一斉に並んで足を上げる、カンカンダンスを踊っていた。

~♫ Oh Mickey Love Mickey ペコリMickey
恋する乙女のおまじない  ~♪

智子 「あ、なんか見てるうちに段々思い出してきた……(このゴリエの人、今何してんだろ)」

真崎 「これもう15年近く前なのかー。衣装はチアで決定だな!小道具…はたしかダメだったよな……」

~♬Come on! Do Mickey Do Mickey
Don't break my heart Mickey~♪

西園寺「うん、BPMもちょうどいいし、素直な譜面だから振り付けも組みやすい。
    ただ、どっちかというとフリーに回したほうがいいな」

智子 「?」

西園寺「ショートで落ち着いた演技を見せて、フリーでバーンッと弾ける!
    そのギャップは点数高くなるぞ。"あ、この子こんな演技もできるんだ!"って感じになるからな。
    お前は体つきも小柄で華奢な方だし、この前の椿姫みたいに、大人っぽく静かな演技の方が
    それっぽく見えるんだ」

智子 「(大人っぽい!?そんな評価始めて貰ったぞ……)じゃあ、フリーはこれで」

西園寺「よし、フリーは"Mickey"だな。振り付けはジャンプとステップ主体で、
    弾けるような元気な感じに仕上げよう。その前座になるショートは、体力を温存する意味でも、おとなしい印象の曲を選ぶか」

智子 「大人しい……」ウーン

だいぶ範囲が決まったものの、やはり難しいものは難しい。
ゲーセン通いのおかげで智子の音楽のジャンルは幅広い。だが、そのほとんどがゲーム性をつけるためかBPMが高めで、
いうなれば『アゲアゲ』な曲ばかりだ。しっとりしたバラードなどもいいが、そうなると逆に合わせづらかったりする。

智子 「……あ、これなんかいいかも…」スッ

~~♫♪

真崎 「ん?……マミさんのテーマ?……なんだ、アニメのBGMにしちゃフツーというか、
    クラシカルな曲だなー。賛美歌みたいで」

正式な曲名は『Credens Justitiam』
ト長調のイントロから、変イ長調のメインメロディー。

西園寺「全体的に優美な印象のアレンジだな、『大人しい』という条件からはやや外れるが、
    チアダンス風のフリーに続く曲としては悪くない。オーケイ、じゃあショートはこれでいこう。
    ただ、間を引き伸ばして2分30秒に編集するぞ」

智子 「はい!」(ああ、これがやりたくてフィギュア続けてたんだよ私は……!振り付けにはぜひ
         ティロフィナ(ry)

真崎 (……智子のやつ、すげえイキイキしてんなー。あたしは音楽とか聴かないし、結局いつも
    コーチに選んでもらってるから、羨ましいな)ポワポワ

それから2週間は、苦手な要素を徹底的に特訓することになった。

西園寺「軸がブレてるぞ、もう一回!」ピーッ

智子 「は…はひ…」ゼエゼエ

智子の苦手なジャンプは、まず最高難度のアクセル。それと、踏みきるタイミングでエッジの向きが変わるルッツの2つ。
6級からはダブルアクセルが必須になる。智子はどうしてもアクセルの苦手意識が抜けないせいで、
回転不足になる傾向が強いため、西園寺はアクセルを集中特訓させた。

西園寺「上半身をもっと傾けろ!レイバックは下半身でしっかり回転を支えるんだ!」

智子 「うぶっ…」グルグルグル

スピンでは、体の柔軟性が要求されるキャメルや、そこから派生するレイバックが苦手。
股関節を半年かけてゆるめたおかげで、なんとか180°開脚はできるようになったが…

西園寺「次はビールマン……ああ、ダメだ智子!もっと足を上げろ!そう、骨盤を意識して……
    それじゃ非常口だろ!もっとしっかり上に!」ピーッ

智子 (ひぃぃ!鬼コーチ降臨!?)ググーッ

なまじステップが完璧なせいか、小さな欠点が大きく目立つのが智子の弱点でもある。
本番ではジャッジに響く危険性が高いため、西園寺はいつもより5割増しで厳しく教えた。

智子 (うぅ…だいぶ慣れてきたと思ってたけど、やっぱりスポ根は向いてないな私…)ヨロヨロ

□ □ □ □ □ □ □ □

―昼休みの教室―

ワイワイ…ガヤガヤ…

智子 「……」チーン

智子 (疲れた…もう髪の毛まとめる気力もない…おかげで頭が入学当時に逆戻りしてる……)

連日の猛特訓で活動限界を迎えている智子は、昼休みは机に突っ伏して寝るのが定番になっていた。
最近では授業中でもこっくり、こっくりと居眠りしているが、元々影が薄いのが幸いしてか、
あまり注意されることはない。

智子 (あー、気持ちいいな……)ウトウト

モブA 「そういえばさ、昨日すっごい人見た!」

モブB 「えー、だれだれ?」

モブA 「あのね、フィギュアの片倉選手!」

智子  「!?(今片倉っていったかこいつ)」ピクッ

モブA 「駅前のスポーツ用品店にいたんだけどさ、足とかスラーッって長くて、すっごい美人!」

モブB 「マジで!?すごいじゃん!で、で、サインとか貰った?」

モブA 「それがさー。"プライベートでは話しかけないで、マナーよ"とか言っちゃって、スーッっていっちゃってさー」

モブB 「うわー、感じ悪…」

智子 (写真通りじゃねーか…何が"メンタル弱い"だコーチ…出来損ないの切原みたいな頭して…)

―その頃の西園寺―

西園寺「くしゅんっ!?」

智子 「って、今こっち来てんのか!?」ガバッ

モブA 「うわっ、びっくりした!」ビクッ

モブB 「黒木さんフィギュア好きなの?意外だねー」

智子 「えっ、あ、いや…その、うん…まあ……ごめん、続けていいよ」ススス

智子 (リンクに顔出すかも……つーか、確実に来るよな……まあ、適当に挨拶だけして、後はなるべく関わんないでおこう……
    どうせすぐアメリカ帰るんだろうし……)ガタッ

しかし、智子の願いは最悪な形で裏目に出ることになる。

その日の放課後。智子はロッカールームでジャージに着替えて髪をまとめていた。
襟足で1つに縛ってみたが、鏡に映ったのは片倉選手リスペクトStyleの自分だった。

智子 (……いつも通りにしとこう)

ゴムを口にくわえて、高い位置でまとめ直す。
だいぶすんなりできるようになったが、これも自分の成長の1つと考えると、自然と顔がほころぶ。

ガタッ

智子 「あ、真崎さん?今鏡空けます……」クルッ

振り返った先にいたのは、いつもの人懐っこい笑みではなく、冷たい無表情。

智子 「か……片倉、さん」

言い直したのは、いつか真崎が『試合以外で大沢選手って言われると、なんか疲れんだよな』と言っていたのを思い出したから。
しかし、すでにジャージに着替えて準備万端の沙綾は、智子を上から下まで見て言った。

沙綾 「……小さい」

智子 「は?(ちゃんと喋れよ悪役令嬢!主語抜きは綾波にしか許されない高等テクだろーが!)」

沙綾 「中学の頃の私より小さいじゃない。……本当にあんたが、西園寺コーチの言っていた"金の卵"なの?」

智子 (あのコーチ、何勝手に人のハードル上げてんだ!)

智子 「あの、片倉さんは何を……」

沙綾 「……準備が終わったんなら、早くリンクに来て」スッ

智子 「……やっぱ、感じ悪い奴……よくイジメらんないなあいつ」

腹はたつが、行き先は同じなのでさっさと髪をまとめてリンクに向かう。
ウォーミングアップで滑っている沙綾はすらりと背が高く、3つ違いとは思えないほど大人びている。
滑りも、だいぶ上手いと自負している智子を凹ませる程度に美しい。

智子 (うっ、考えてみりゃこの人、世界一になったことあるんだもんな……
    それに比べて私は……)

智子 (まだ、ジュニアにすら上がってない……)

西園寺「沙綾!お前、いつ日本に帰ってきて…」

沙綾 「……昨日です」

西園寺「じゃあ、時差ボケもあるだろ。今日はゆっくり休んだほうが……」

沙綾 「問題ありません」シャーーッ

西園寺「あーあ……智子、沙綾のことは気にしないでいいからな。お前はお前の練習をしろ」

智子 「あ、はい…」


西園寺「よし、じゃあ今日は音楽かけて通しでやってみよう」

~♫

音楽が鳴り出すと、リンクを大きく使って滑っていた沙綾はサッと隅っこにどいた。

智子 (暗黙のルールってやつか……)シャーーッ

荘厳なメロディを歌い上げる、聖歌にも似た女の高い声。
いきなりのダブルアクセルだが、曲がわりとゆっくりなおかげで、落ち着いて踏み切れる。

智子 (よしっ、決まった!)クルクルッ、ザシャーーッ

智子 (すごい、すごいぞ私!一年足らずでこれって、天才なんじゃねーの!?)ウヘヘ

沙綾 「……」

ノーミスでショート、続いてフリーも滑り、天上天下唯我独尊ポーズ(智子命名)で〆る。
西園寺は「いいぞー!」と拍手していたが、一通り見た沙綾はぷいっと横を向いた。

沙綾 「……なんだ、この程度」

智子 「なっ…」カチンッ

西園寺「沙綾、一応智子はお前の後輩なんだぞ。それだけで済ませたらただの悪口だ。
    改善点があるならしっかり言え」

沙綾 「……そんなことも分からないんなら、やるだけ無駄だと思う」

智子 「えっ……」

沙綾 「あんた、空手でもやってるつもり?……フィギュアはただのスポーツじゃない。
    あんな滑りでよく世界を目指すなんて言えるわね」

沙綾 「はっきり言って、全然美しくない。ジャンプもスピンも、ただの技になってる。
    女らしさの欠片もないし、動きが硬すぎて、見ていてイライラしてくる」

智子 「……」

西園寺(くっ……普段の指導で少しずつ言っていたのに、こんなビシバシ言っちまうと……)

沙綾 「あんな滑りじゃ芸術点はつかない。ただ曲に合わせて動いてるだけにしか見えない。
    ……あんたのそれは、フィギュアスケートじゃない」

西園寺「あ、智子!」

後ろから西園寺の声が追いかけてきたが、智子は構わずエッジカバーをつけて、靴を脱ぎ捨てた。
泣きながら走っていく智子とあやうくぶつかりそうになった真崎は、「おい片倉、テメー何しやがった!」と
鬼の形相でリンクに滑り出る。

西園寺「……最悪のタイミングだ」

リンクを飛び出した智子は、足が赴くままトボトボと歩いていた。

智子 (ゲーセンか……)

気がつくと、中学時代から通っていたゲームセンターの前に来ていた。
ポケットを探ると、小銭が何枚か入っていたので、とりあえず音ゲーのフロアに向かってみる。

智子 (……あ、筐体変わってる)

智子 (……)チャリンッ

『Welcome to Jubet Qubell』

智子 (……今更な新曲が多いな……とりあえずLv9の逆詐称で肩慣らしすっか)タカタカタカ

『Clear B』ドーン

智子 「嘘だろ!?」ガーン

智子 (たった半年やんなかっただけでこんな下手くそになってんのか……)

ベンチに座った智子は、何の気なしにあたりを見回した。
と、カードトレード掲示板を見ていたガラの悪い男がくるっと振り返って、「あ」と声を上げる。

荒野 「智ちゃん?何してんだこんなとこで」

智子 「えっ、あの……」

西園寺「……お前のいらだちと、智子の問題は何の関係もない」

沙綾 「……」

西園寺「でも、お前の口からあんな言葉が飛び出した理由ってのはあるはずだ。
    元コーチのよしみで、教えてくれないか。お前は考えなしに人を罵るような子じゃないだろ」

真崎 「……片倉……」

沙綾 「……間違いだったの」

真崎 「?」

沙綾 「月刊スポーツの記者が……謝ってきたの。"フィギュアスケート完全特集"で、
    私の肩書を"世界女王"って書いちゃったって。本当は"元"がつくのにすいませんって」

沙綾 「世界女王から転落した瞬間、嫌がらせが多くなって……"あの採点は疑わしい"とか
    "芸術点なんて不明瞭な基準だから、加点してもらったんだろ"とか
    酷いことばっかり言われて……全然、楽しく滑れなくなって……」

沙綾 「だから……羨ましかったのかもしれない……あんなガタガタな滑りで、それでもがんばってるのが……」

真崎 「……」

真崎 (そっか…こいつを天才美少女って持ち上げてた奴らなんて…2位になったらあっという間に興味なくすような
    バカばっかだったって事か……)

西園寺「そうか。自分の気持ちに整理がついたんならそれでいい。ただ、後で真摯に謝るんだぞ。
    それに…智子の欠点は、はっきり指摘しなかった俺も悪い。智子が自分で乗り越えなきゃ意味ないからな」

西園寺「最後はやっぱり、自分次第なんだ。沙綾もちゃんと、それを分かっただろ」

□ □ □ □ □ □ □

一瞬逃げようかと考えた智子に構わず、荒野は隣に座って「で、何してんだ?今日は練習ねえの?」と聞いてきた。

荒野 「ふんふん、片倉ね……って、あの片倉紗綾か!?」

智子 「えっ、しし…知ってるんですか!?」

荒野 「知ってるも何も、真崎のライバルだっつーの。……いやー、しかしあいつなら言うよなあ」

荒野 「あいつ、親父に金的蹴りかましたんだぜ。真崎がフィギュア始めるって言い出した時、
    猛反対した親父が"フィギュアなんてお遊び"って言ったのにブチギレて」

智子 「ひょっ!?き、きんてきっ…」

荒野 「……真剣にやってる事バカにされたら、まあ……誰だってそうなるだろうなとは思った。
    でも、智ちゃんのそれとは別だよなあ」

智子 「……」シュン

荒野 「智ちゃんだって、片手間にやってるわけじゃないんだからさあ。そんな言い方ねえよなあ。
    せめてどこが悪いかぐらい、教えてやったっていいじゃねーかよ。先輩なんだからさ」

智子 「……私、どうすれば、い、いいんでしょうか……」

荒野 「とりあえず今日は遊ぼうぜ!俺も付き合うからよ!」スクッ

智子 「えっ!?あ、遊ぶって…」

荒野 「パーッと遊んで、飯食って、寝る!ほんで明日、片倉に謝らせて、コーチに教えを請う!」

一気に言い切った荒野のニコニコ笑う顔を、智子はあっけにとられながら見た。

荒野 「片倉のそれは八つ当たりだけど、智ちゃんに問題点があるのは本当なんだろ?
    だから、それはコーチに聞く!なんてたって、プロだから!
    今はとにかく、前向きになること!」フフン

智子 「……」

ごめん、一文抜けてた。

>>174

仕方なく、さっきの出来事を話す。
全部聞き終わると荒野は「ほうほう」と頷いた。

智子 「……はい、わかり……まし、た…」コクン

荒野 「うっし、んじゃ、さっき智ちゃんやってた奴教えてくれよ!」

智子 「お兄さん、さっきポップンやってたじゃないですか…」

荒野 「え?わかんねーからとりあえずボタンテキトーに押してたらクリアできたぜ」

智子 「…!!」

それから2時間、2人は小銭が無くなるまで遊び倒した。
疲れたらベンチで他人のプレイを眺め、遅くなったのでファーストフード店で夕食をとる。

智子 (も、もしやこれはデートというやつでは!?…ふふふ、喪男の素人童貞なんて妄想だけで生きてるような  
    人種だからな…黙ってるだけで好感度バク上げやでえ…)

荒野 「智ちゃんセットでいいんだっけ」

智子 (DQN系も悪くねーか…なんてったってスクールカーストの最上位はDQNか優等生だからな… 
    頭空っぽな分こっちで動かせそうだし……こいつ、ちょっと突けば貢ぎそうだし)

荒野 「おーい?」

智子 「はっ!」

荒野 「セットで大丈夫?」

智子 「は、はひ…」コクコク

荒野 (緊張してんのかあ…可愛いなあ…)ホワーン

智子 (なんだ、使えるじゃねえか…ギャルゲーの法則)グヒヒ

―翌日―

智子 「……」ゴクリ

智子 「お、おはようございm ???「おはよう」

智子 「へっ!?」クルッ

沙綾 「……」

智子 (やっ…やっべええ!!いきなりラスボスがっ…)

沙綾 「…昨日は、ごめんなさい」

智子 「えっ」

沙綾 「私も、イライラしてて……だからって、八つ当たりしていい理由には、ならなかったわね。
    ……本当に、ごめんなさい」

智子 「えっ、あ、あの…その、か、顔上げてっ…」アワアワ

西園寺「お、二人とも早いな」ガチャッ

智子 「あの、コーチっ、昨日は…」

西園寺「大丈夫だ」

智子 「……」シューン

西園寺「……だが、このままというわけにもいかんしな……沙綾にはちょっと、頼みたいことがあるんだが」

沙綾 「……分かりました」

西園寺「よし、じゃあ二人ともついて来てくれ。今日のレッスンは別の場所でやるから」

智子 「え?」


―リンク近く.バレエスタジオ―


智子 「……って、バレエスタジオかよ!」

沙綾 「……まさかと思ったけど、ここまで何も知らないとは思わなかったわ。怒鳴った自分がバカみたい」ハァ…

智子 「なっ!?」ガビーン

沙綾 「フィギュアスケートが、ただのスポーツじゃないってことぐらい知ってるでしょ?
    氷の上で、自分なりに広げた音楽の世界を、スケーティングで表現する。つまり、
    スポーツ的側面が、ジャンプやスピンといった要素。芸術的要素が、その他の身のこなしに現れるってこと」

紗綾の説明は一見長いが、的を射ていた。続けて「ただのスポーツなら、スピードスケートでいいでしょ」と溜息をつく。

西園寺「その通り。そして、智子に一番欠けているのがこの…"芸術性"なんだ」

智子 「だから、昨日"フィギュアスケートじゃない"って…」

西園寺「ああ。沙綾の言い方はキツかったが、ここまでバッジテストの審査員が誰も指摘しなかったのが不思議なくらいだ。
    智子。お前のスケーティングは、力任せで、曲を表現する段階まで至ってない。
    ただ、曲に合わせて滑っているだけなんだ」

智子 「えぇ!?」ガーン

西園寺「ちょこちょこ指摘してきたんだが、お前は気づかなかったからな…」

智子 「もし、実際の試合だったら…」

西園寺「芸術点が大幅に低くなって、表彰台が遠ざかる」

智子 (……なら、指摘してもらっただけでもありがたいじゃねえか……飛び出した自分がバカみたいだ…)ズーン

沙綾 「あんた、バレエとかやったことある?」

智子 「い、いえ…」

沙綾 「じゃあ、日本舞踊とか、茶道は?」

智子 「と、とととんでもない!」ブンブン

西園寺「一流の選手は、ほとんど全員がバレエと両立してレッスンを進めている。
    演技に取り入れることで、優美な動きになるんだな。だが、お前は未経験だから…とりあえず」

西園寺は、トゥシューズとレオタードを取り出した。

西園寺「論より証拠!まずは、俺が基礎から教えていくから、真似してやってみろ」

―30分後―

智子 「……くっ、キツ…」ゼエゼエ

西園寺「がに股になってるぞ!あと、背筋は伸ばして!」

智子 「の、伸ばすって……言って、も…」ピーン

沙綾 「……」

西園寺「やっぱり、一朝一夕には行かないか……真崎の時も苦労したっけなあ…」ウーン

沙綾 「……ちょっと、いい?」スッ

智子 「へっ?…ひゃ!く、くすぐった…」

沙綾 「暴れないで。体で覚えてもらう方が早いから」グッ

レッスンの成り行きを見守っていた沙綾は、バーにつかまった智子の内股に手をかけ、
片足をグッと上げる。さらに背中が弧を描くように伸ばし、天井に向けた右手首を内側に返す。

沙綾 「……審査員は指先まで見てるの。……一瞬でも、気を抜かないで。
    でも、体の力は抜いて。骨だけで立つのをイメージするの」ググッ

揃えさせた右手の指のうち、人差指と中指を残した指を、すっと自然に落とさせる。

沙綾 「……はい、完成。どう?」

智子 「うわっ…!すっご…」

全面鏡に映ったのは、腰と水平に片足を上げた、アティチュードのポーズ。
指も美しく広げられて、まるでしなやかな鳥のようだ。

智子 「わあ……」

沙綾 「この感覚をしっかり覚えて滑れば、多分、大丈夫……」

沙綾 「私も、6級は1回落ちてるから…」

智子 「え、片倉、さんも?」

沙綾はこくんと頷いて、「6級からは、この芸術性が足りないと駄目なの」と答える。

智子 「だから、昨日…」

西園寺「よかったじゃないか!これで6級はバッチリだな!」

沙綾 「……じゃあ、私もう帰るから」クルッ

西園寺「おう!智子の試験日が決まったら、連絡するからな!今日はありがとう!」

沙綾 「……」

智子 「あ、あの!」

沙綾 「なに?」

智子 「そ、その……」

智子は口ごもった。別に何かあるというわけでもないのに呼び止めてしまったので、言葉が出ない。

沙綾 「……頑張って」

智子 「え?今…」

バタン…

智子 「行っちゃった…何なんだあの人…」

西園寺「まあ、らしいっちゃらしいな」ハハハ


かくして、自身の最大の弱点ともいえる『芸術性の欠如』を自覚した智子。
しかし、6級試験は、彼女が想像している以上にプレッシャーのかかるものだった!

今日はここまで。明日は6級バッジテスト編。



スケートに釣られただけでわたもてすら殆ど知らないんだが、面白いな

>>186
ありがとう。なるべくスケートの方は分かりやすくに留めたいんだが、
どうしてもクドくなる…ルール細かいよ……

作者都合でルールを変えてる部分がありますので、ご容赦下さい。

_________________


6級バッジテストの試験日は、奇しくも始業式の前日に決まった。

西園寺「すまん…新学期が始まる前に休みを確保してやりたかったんだが……」

智子 「(チッ、結局春休みは練習漬けかよ……)で、試験会場は…」

西園寺「今回は横浜のリンクだ。当日は朝9時に駅で一旦集合して、俺と一緒に現地入りだ」

智子 「一人で…」

西園寺「だめだ。万が一乗り換えが分からなくて遅刻とかになったら困るからな。
    不測の事態があっても、一緒にいれば俺がリンクの方に連絡できるだろ?」

智子 「ま、まあ…それは、そうですけど…」

智子 (なんだろう。この人、全体的に私を子供扱いしている気がする)

―試験当日―

智子 「コーチまだ来てないのか…」ピロンッ

智子 「ん?ゆうちゃんからメールだ」

優  『もこっち、おはよー!もうリンクには着いた?今日はこみちゃんと応援に行くから、がんばってね!』

智子 「……こみちゃん……あ、小宮山か」

琴美 『結構良かったよ。私も思わず応援しちゃったくらいだし』

智子 (……あいつも来んのか、確かあいつライトヲタだったし、休日はどうせ予定ないか)

西園寺「おーい、智子―!来る途中でお母さんに会ってな、お前に渡すの間に合わなかったお弁当預かってきたぞ―!」ブンブン

智子 (……6段、だと……!?……花見か!)

一旦都心に出て、そこから東海道線に乗り換える。
たまたま快速が捕まったので、ボックス席をキープして、ゆったりと車窓の景色を楽しみながら行くことにした。

智子 (……どんどん、のどかになるな……海見えねえかな)ソワソワ

西園寺「なあ、智子」

智子 「はい?」クルッ

西園寺「去年の今頃はお前、スケートやるとか考えらんなかっただろ」

智子 「それは、まあ…」

西園寺「そっから1年で、お前はここまで来たんだ…」

西園寺「すごいことだよ、本当に」

智子 「……」

西園寺「だから、今までの力を全部出し切って、ジュニアの舞台に殴りこみだ」

な?とウィンクする西園寺に、智子は「はい」と頷いた。

智子 (今日、合格すれば…いよいよ、ジュニアクラス!)

智子 (そしたら…そしたら、今度こそ…!)

モヤモヤーン…

モブA 『すごーい、黒木さんフィギュアやってたの!?なんで言ってくれなかったのー?』

モブB 『ウチのクラスにそんなすごい人いるなんて…』

モブC 『ねえねえ、今度の大会は出るの?クラス皆で垂れ幕作ろうかと思うんだけど……』

キャーキャー

モヤモヤ…

智子 (う、うふふ……うへへ…)ニマー

西園寺「智子は想像力が豊かだなあ」

智子 「はっ!え、そ、そうぞ…(恥ずっ、バレてた!)」アワアワ

西園寺「イメージトレーニングは存分にしろよ!人間はな、頭で考えてるとおりに運命が動くもんなんだ。 
    俺もよく、インタビューに来た女子アナと結婚する妄想してたなあ……」ジーン

智子 (実現してねえじゃねーか!)

智子 (まあ、妄想がコーチ公認になったのはありがたいけど…) 

横浜までは、一時間ほどで到着した。タクシーでリンクに向かうと、常葉とたいして変わらない、やや古い建物だった。

西園寺「俺はちょっと手続きをしてくるから、お前は先にロッカーで着替えとけ。もちろん、衣装にな」

智子 「…!(いよっ、っしゃあああ!キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!)はい!」

意気揚々とロッカールームに入った智子は、中学生の受験者たちの間に場所を確保する。

智子 (チラッと見た限りでは…結構顔面偏差値低いな、向こうの女なんてエラ張ってるし…
    親は自分の子供の容姿見てから習わせろよwww顔面凶器じゃねえかw
    うん、ノーメイクでも私が一番マシだ)ムフフッ

モブ女(何この人、一人で笑ってる。気持ち悪…)

智子 (えーと、ショートの衣装は…真崎さんのお古っと)ガサゴソ

無印良品の紙袋を漁って、丁寧に畳まれた衣装を取り出す。
透け感のある、半袖Aラインワンピース。色はサックスで、裾と袖口、襟ぐりには
少し深い青のレースがあしらわれている。

智子 (贅沢を言えば、マミさんコスで滑りたい所だったけど、まあ、いっか)ゴソゴソ

智子はジャージを脱いで、肌色のストッキングの上からレースのニーソックスを履いた。
髪は迷った末、左に寄せてひとまとめにする。なぜか沙綾が貸してくれた花のヘアゴムで結んだ後、
いざワンピースを着ようとしたところで、智子は真崎の重大な見落としに気づいてしまった。

智子 「ん!?」ピタッ

智子 「胸が…足りない……」ペターン

智子 (……どうしよう、胸のあたりがパフパフして気持ち悪いし、袖がずり落ちるし……)ズーン

???「あの」

智子 「へっ!?」クルッ

振り返った先に立っていたのは、おっとりした雰囲気の少女だった。
髪を後ろでひとまとめにしていて、胸元に3本のラインが入ったジャージを着ている。

???「胸、足りないんでしょ?私のでよければ、詰め物貸してあげる」スッ

智子 「あ、ありがとう……あれ?でも、どうやって…」

???「ふふ、こうやるんだよ」ギュッ

智子 「ひゃあっ!?む、胸に……」ビクッ

???「んっ…と、胸を寄せて……よしっ、入った!後はピンで固定して、っと……あ、この羽飾りもつけるの?」

智子 (可愛い顔して、大胆な奴だな……こんなボディタッチ、百合漫画でしかお目にかかれねえぞ…!)

???「これもつけとくよ。背中って大変だもんね」パチンッ

???「わあ、すっごく可愛い衣装だねー!」

智子 「おっ…おお、谷間が…!」ジーン

???「よかった、衣装着れなかったらテンション下がっちゃうもんね」ニコニコ

智子 「ありがとう、えっと…」

小雪 「桜田小雪、高校2年。今日は後輩の子が滑るのを応援に来たの。
    ……常葉FSCの西園寺コーチと一緒に来た子だよね?」

智子 「は、はい…あの、もしかして私の名前……」

小雪 「知ってるよ。黒木智子ちゃん。まだ始めて1年しか経ってないのに、すごい子がいるって、
    私のクラブでもちょっと話題になってたんだよ」

智子 「えっ!?い、いつのまに……」

小雪 「だって、うちの…白帝FSCのオーナーと常葉の西園寺コーチは、昔からの知り合いだから」

小雪 「ねえ、智子ちゃんって呼んでいい?」

智子 「あ、それはもうお好きなように…(智子ちゃん…女子にそう呼ばれるの、生まれて初めてだ…)」アワアワ

智子 「こ、小雪さん……」

小雪 「うん、よろしくね!」パアッ

智子 (可愛い……あやうくロリコンに目覚めそうな可愛さや……)ホワーン

ガチャッ

審査員「6級バッジテストを受験する方は、リンクに集合して下さい!」

小雪 「じゃあ、がんばってね智子ちゃん。私も観てるから」

智子 「はい……一発合格、目指します!」

小雪 「ん、その調子だよ!」

智子 (小雪さんはもうとっくにシニアなんだろうな……いや、上がっちまえば全員同じだ、
    ここまで来て、失敗できっか!絶対に一発で受かる!)ギュッ

―リンクにて―

西園寺「……智子。お前のくじ運、前回より悪化してないか?」

智子 (……あばばばば)チーン

滑走順は、「せめて真ん中、ダメでも後半」と願っていた智子の意に反して、堂々のトップバッターだった。

西園寺「ま、まあポジティブに考えろ。トップということは、早く終われるしな」

智子 「あれ、そういえばショートとフリーの滑走順が決まってないような…」

西園寺「ああ、それは全員の必須要素試験が終わった後に決めるんだ。今は何も考えず、一つ一つの課題を丁寧に滑ろう」

智子 「……」

西園寺「大丈夫だ。もし再試験になったとしても、その時は落とした必須要素だけを滑る。
    ……着実に、上がっていこう」

審査員「ではこれより、バッジテスト6級の試験を始めます!」

審査員「1番、常葉FSC、黒木智子さん!」

智子 「は、はひっ!」

クスクス…

智子 (やっべ、声裏返った…)カァァ

西園寺「智子、お前なら大丈夫だ。毎日の練習が証明してる。……お前はもう、去年の6月のお前じゃない」

智子 「…!」

西園寺「じゃあ、行って来い!」ドンッ

いつか妄想した時のように、西園寺に背中を押されて真ん中へ滑り出る。
智子はそこでやっと、周りを見回す余裕ができた。

智子 (あ、みんな大会用の衣装着てる……観客席は……ゆうちゃん!と、小宮山も!)

観客席で、『もこっち Fight!』とマジックで書かれただけの応援垂れ幕を持った小宮山が手を振っている。
その横でカメラを構えた優も、両手でハートマークを作って左右に揺れて、「がんばってー」と声をあげた。

智子 「……うん、頑張る」

小さくつぶやいて、智子は姿勢を整えた。

智子 (最初は、ダブルアクセル……くそ、しょっぱなから一番苦手な奴だ……!)シャーーッ、シャーーッ…ガッ

智子 (――あっ、微妙にタイミングが…)クルク…

智子 「あっ!」ベシャッ、ザーーッ

優  「ああっ…」

琴美 「……あいつ、苦手な奴はとことん苦手なんだな…」

審査員(ダブルアクセル、転倒……と)カキカキ

西園寺「智子、もう一回だ!」

智子 「うう…」フラッ

シャーーッ、シャー…ガッ

智子 (うっ、尻が痛いっ…)クルクル…ザシャーーッ

審査員(手をついている…が、減点ほどではない。……ただ、一回目の失敗もある。再試験項目だな)カキカキ

智子 (えーと、次は…うっ、たしか三連続ジャンプ…尻も足も痛いけど、ここは失敗できない…)シャーーッ

女子の場合は、2回転を3連続跳ぶのが課題となる。
ルール上、着氷する際にエッジの向きを変えたり、足を入れ替えたりといった行為は認められない。
つまり、バックアウト(後ろ向き外側)に踏み切れるジャンプしか、コンビネーションには使えないのだ。

智子 (最初は、ダブルルッツ…くそ、もっと練習しとくんだった……何でこんなジャンプがあんだよ、
    ルッツとアクセルの考案者、絶対ドSだ……いたいけな女の子で777つ道具試すような奴だったに違いない…)グッ

クルクル…ザシャーッ

智子 (で、すぐにループ…)ガッ、クルクル…

た、回転方向が逆になるのも認められないため、
2回目以降のジャンプは、自動的にトゥループかループということになる。

智子 (よし、最後のトゥループは余裕だ!)ザッ、クルクル…ザシャーーッ

西園寺「よしっ!」グッ

優  「はあ……」ホッ

次の課題は、バックエントランスによるスピン。
西園寺は「簡単なクロスフットで行け」とアドバイスをした。

智子 (う、上がってきた…スピンっていつになったら慣れるんだ…)ガッ、クルクル…

バックエントランス、とは。通常は左足を軸に反時計回りに回転するのを、
右足を軸にして、内側に深く踏み込んだ状態からターンしてスピンに入ることを言う。(ただし、回転方向は同じ)

優  「普通のスピンより難しい動きなんだって」

琴美 「ふーん…級が上がるとさすがにレベルも高くなんだな…つーか、成瀬さん勉強してんの?すごいじゃん」

優  「えへへ、もこっちが始めてから、いろんな選手の動画見て研究してるんだー」テレッ

優  「あ、スピン終わった……と思ったら、またスピン?」

次は、フライング(跳び上がって)入るシットスピン。

智子 (……お、ちょっと薄目にしてると吐き気がおさまるぞ!…すごい、私大発見した!)クルクルクルクル

智子 (で、次は…ステップからのジャンプ。たしか、種類選べないんだったよな……)シャーーッ、キュッ、シャーッ

智子 (サルコウでよかった…アクセルだったら死んでた……)ガッ、クルクル…ザーッ

審査員(うん、エッジさばきは綺麗だな。これだけなら今すぐ世界ジュニアに出ても通用するレベルだ。
    ……さすがは、ステップの片倉を指導したコーチなだけはある)カリカリ

審査員(ただ、表情は硬いな…こればっかりは、慣れか)

審査員「はい、では必須要素はこれで終わりです。ショートの滑走順は全員の試験が終わり次第決めますので、
    しばらくお待ちください」

智子 「うう…最初のアクセルで打った尻がまだ痛い…」ヨロヨロ

西園寺「よかったぞ、最初のDアクセルは再試験になるだろうが、それ以外はよくノーミスにおさえた。
    気持ちの切り替えがうまくなったな」ポンポン

西園寺「じゃあ、ショートが始まるまで時間もあるし…弁当にすっか」

智子 「あ、じゃあ優ちゃんたちも一緒でいいですか?」

西園寺「ゆうちゃん?」クルッ

―リンク外のベンチにて―


琴美 「なんか、すみません。昼食はどっかで食べるつもりだったんですけど、私たちまで頂いちゃって…」

西園寺「いやあ、いいんだよ。どうせ2人じゃ食べきれなかったしな。それに、俺も智子の友達には興味あったし」シュルシュル

優  「うわっ…すごい、6段もあるよ!こっちはお味噌汁!もこっちのお母さん、料理上手なんだねー」

智子 (お母さん…あなたは一体どこに行こうとしてるんだ…)

ショートが始まるまで2時間ほどかかるということで、西園寺は観客席にいた2人も呼んで昼食にした。
いわく「必須要素もショートもトップというのはない」というので、正味3時間ぐらいは時間がある。

西園寺「腹一杯になると動きづらいから、8分目ぐらいにしとけよ。あと、水分をがぶ飲みすると疲れがとれないから、
    味噌汁とほうじ茶は一杯までにしとけ」

智子 「は、はい」モグモグ

西園寺「……で、2人は智子の友達か?たしかアイスショーに来てくれてたよな」

優  「あ、はい。私は成瀬優っていいます」

琴美 「小宮山琴美です。いや、私たちは友達というか…中学からの腐れ縁というか」

智子 「くさっ…」ゴフッ

琴美 「モノの例えだっつ―の!ちゃんと飲み込めよ汚えなあ」パクッ

智子 「ご、ごめん…でも、小宮山…さんが来るとは、思わなかったというか…」

琴美 「いや、私野球しか観ないからさ。たまには違うスポーツも行ってみようかなって思っただけだよ。
    あとは単純に、お前のフィギュアがどんなもんか興味あっただけ」

西園寺「琴美は野球ファンなのか…どこの球団が好きなんだ?」

琴美 「ち、千葉ロッテ…毎週末通ってるんで、サポーターかな」テヘヘ

智子 「ロッテって、あのたけし軍団でも余裕で勝てそうなとこだろ?」

琴美 「てめっ…野球を何だと……」

西園寺「たけし軍団って、昔阪神の二軍に勝ってたよな」ハハハ

琴美 「マジで!?阪神終わってんな……」パクッ、モグモグ

智子 (そんなオワコンスポーツ毎週観るとか、どこに金落としてんだこいつ。ま、人の自由だけどな)モグモグ

優  「でも、スポーツやる人って皆すごいと思うよ。こっちからだと楽そうに見えるけど、
    実はすっごく頑張ってるんだって分かると、なんだか見方が変わっちゃうよね」

智子 「え、えへへ……そう?」モグモグ…ゴクン

優  「うん。もこっちのおかげなんだよ?こういう風に考えられるようになったの」ズズーッ

琴美 「おい、やめとけよ。こいつ調子に乗るとヤバいぞ」パクパク

智子 「お前さっきから、なんか私に恨みでもあんのかよ!」

西園寺「……」

西園寺(……智子にも、支えになってくれる友達がいるんだな……本音で話し合える相手がいるんなら、
    きっとそれは武器になる。……世界を目指す、武器に)

―再び、リンクにて―

審査員「ではこれより、6級バッジテストのショートプログラムを始めます!」

智子 「よかった……後ろの方だ……」ホッ

西園寺「25人中、20番……うん、気持ちを整えるにはいい順番だな」

審査員「1番、白帝FSC……」

智子 「はくてい……小雪さんの所だ!」

西園寺「お、もう小雪と知り合ったのか。白帝は日本でも古参に数えられる、名門FSCだからな…
    バンクーバー五輪で、ペアとシングルの2冠を達成した、北里吹雪もあそこの出身だったはずだ。
    金やコネが一切通用せず、純粋に才能のある子しか所属させない。……卒業すれば金メダルが約束されるクラブとまで、言われている」

智子 (……希望ヶ峰学園みたいなもんか……)

~♪

白帝FSCの生徒は、中学2年生の男子だった。
とはいえ、西園寺によると「その年でまだ5級だったということは、白帝では落ちこぼれだ」とのことで、
動きには伸びやかさがなく、途中のジャンプで転倒するなど、上手だがどこか精彩を欠いた演技だった。

智子 「あれ、白帝であんなもんか?」

西園寺「ああ、だから自信持っていいぞ。お前はもう6級に挑戦できるほど上手になってるんだ」

その後も何人かの演技が終わり、いよいよ智子の番が来た。

審査員「20番。常葉FSC、黒木智子さん!」

智子 「あ、はい!」

西園寺「よし、太郎パワー注・入!」ドンッ

がんばれーと手を振る西園寺に背中を押されて、リンクの真ん中に滑り出る。

智子 (観客がいない分、気が楽だな……実質、審査員だけ見てりゃいいようなもんだし)

優  「もこっちー、がんばってー!」ブンブン

琴美 「コケんじゃねえぞ、根性で踏ん張れ!」ブンブン

智子 (あいつ、応援に来たのかけなしに来たのかどっちなんだよ)

ヒソヒソ…

審査員A「曲はCredens Justitiam……アニメのBGMだそうで」

審査員B「こういう色物な曲を選ぶ子は大体、実力が伴ってない場合が多いからな…」フン

審査員C「でも、容姿は悪くない。フィギュアは敷居が高いせいか、容姿の粒が揃わないのが残念ですからね。
    アジア人だというだけで芸術点が下げられた時代は過ぎたとはいえ、やはり心証というものはある。
    日本女子は他国に比べて容姿が劣ると言われて久しいですからなあ」

審査員A「……まあ、後は静かに演技を見ましょう。色物かどうかは、ここで決まる」

~♪♪

智子 (――絶対に、受かる!)シャアッ

一旦切ります。明日はショートとフリーにいけるかも。


マミさんだけに胸が足りなかったかwww


銀盤カレイドスコープだっけか、ドレミの歌とかシンデレラとかで滑るの
あれは読んでて楽しかったな

まあ本人らには悪いが、実際アジア人というか名の知られた日本人女性スケーターの容姿が格別に良いかというとそうじゃないよな
昔であれば伊藤みどりや、最近なら「ミニラ」と揶揄される鈴木明子とか

乙 おもろい!

>>206あれは「ミニラ」だったんか。「どやさ」だと思ってた

>>205
分かってもらえて嬉しいw
銀盤カレイドスコープは面白いですよね、女子フィギュアの漫画が恋愛メインだったのに対し、
人間ドラマを主軸に置くのはよかったです。

>>206 >>207

個人的に一番美人だと思うんですが、鈴木選手…
審美眼は人それぞれですね。海外だとやっぱりグレイシー・ゴールド選手が
アメリカンな顔立ちで好きです。

静かになったリンクに、柔らかいソプラノが響き渡る。

~Solti ola i amaliche cantia masa estia~♪

智子 (……今度こそ、Dアクセル…!)シャーーッ…ガッ

クルクルッ…ジャーーッ

智子 (よしっ、決まった!)

西園寺「ふーっ、まったく、危なっかしいな智子のアクセルは」

~e sonti tolda i emalita cantia mia distia~♪

智子 (短くステップ踏んで……キャメルスピン)

軽く跳び上がり、Tの字になって回転する。

西園寺『いいか、智子。スピンというのはつまるところ、一箇所で小さく円を描く技だ。
    つまり、なるべく小さな円を描けば描くほど、回転数は上がって、速くなる。
    昔話題になった村主選手の高速スピンも、要はこの原理だな』

智子 (うえっ、ぷ…終わったらすぐトイレ行こう)シャーーッ

~a litia dista somelite esta dia...

智子 (Dルッツからの……Dループ、Dトゥループ!)クルクルッ…ザッ、クルクル…

a ditto i della filloche mio sonti tola...♪

智子 (決まった!……すごい、私どんどんルッツ上手くなってる!)ザシャーーッ

曲は最大の盛り上がりに入った。西園寺のアドバイスにより、ここはあえてステップのみ。
エッジを前、後ろと動かして、幾何学的な模様を描く。審査員の目が変わった。

智子 (もっと……もっと、見て欲しい)キュッ、シャーーッ、ザッ

~a lita della mailche sonta dia...

智子 (もっと、褒めて欲しい!)シャーーッ

mia sonta della i testa mia testi ola solti ola...♪

智子 (…多分、それでいいんだ……それで十分なんだ……)シャーーッ、ガッ

最後は、足を交差させたスタンドスピン。
声が切れる瞬間、バッと両手を広げて天を仰ぐ。

ワアッ…パチパチパチパチ…

智子 (ああ……最っ高!やっぱりこの瞬間が最高!)ゼーハー

優  「もこっちー、こっち向いてー!」パシャパシャ

琴美 「成瀬さん、恥ずかしいからちょっと座って!頼むから!」

智子は観客席に向かって手を振ると、審査員に一礼して西園寺の方へ帰った。

西園寺「おつかれ。沙綾のアドバイスが生きてたな」スッ

渡されたエッジカバーをつけながら「?」と首をかしげる。

西園寺「お前、今までは手を無視してたんだが…今回は指先がきちんと上を向いていたぞ。
    だいぶフィギュアの真髄に近づいてきたな」ポンポン

智子 「はあ…」

西園寺「さて、じゃあフリーの滑走順決めまでこれを飲んで休め。ただし、がぶ飲みすると疲れが出るから半分までだぞ」スッ

智子は渡されたスポーツドリンクをぐびぐびと飲んで、フーッと息をつく。

智子 「……げっ、そうだった……まだフリー残ってんだった」

西園寺「大会だったら間が空くし、滑走順も開会式の後に決められるから……バッジテストの方が、
    心の準備が出来ないって意味では過酷だな」

その後、残った5人の演技が終わり……いよいよ、フリーの滑走順決めが始まった。
箱の中に入った紙を、選手1人1人が抜いていく。

智子 「えーと……4番」

西園寺「速いほうだが、悪くないな。とりあえず、衣装を替えてこい。……お前の前に滑る選手は、正直そこまで見る価値ないからな」ボソッ

智子 「は、はい(コーチ、段々ハッキリ言うようになったな)」

―ロッカールームにて―

智子 「……つっても、時間あんまりないし、さっさと着替えないと」ゴソゴソ

智子 「えーと、こっちか?」

紙袋を漁って、チアの衣装を取り出す。ピンクを基調とした生地に白いラインが入ったノースリーブ、ミニスカート。

智子 「さっむ!…ヘソ出てるし、太ももむき出しだし…(そういやチアって、こんな衣装で大股開きして跳んでんだよな。
    高校球児になるだけで合法的にJKの生足見れるとか、童貞には優しくない環境だな…)」ゴソゴソ

智子の頭からは、自分も今からそれをやることはスッポ抜けている。
髪はゴリエスタイルと迷ったが、結局いつもどおりに高い位置でツインテールにした。

智子 「よし、準備完了。智子、いっきまーす!」バターン

智子 「……よかった、誰もいなくて」

意気揚々と廊下を歩き、リンクへ向かう。
ちょうど3番めの選手が演技を終えたところで、衣装を替えた智子を、審査員は口をあんぐりさせて見ている。

西園寺「お、なかなか似合ってるじゃないか。スポーティーなスタイルは新鮮だな」

優  「……」パシャパシャパシャ

琴美 「成瀬さん、フイルム勿体無い」スッ

審査員「4番、常葉FSC、黒木智子さん!」

智子 「……あ、はい!」シャーーッ、キュッ

どうやら智子の前3人は全員クラシックだったらしく、審査員はいささか退屈しているようだった。

西園寺(最初が夜想曲、次が白鳥の湖、花のワルツと来れば、そりゃあ、な……
    ショートでもほとんどがクラシックで、似たりよったりの選曲だったし)

審査員A「選曲は"Mickey"。トニー・バジルのVerなら安藤選手がエキシビジョンでやってましたが…
     ゴリエとは、懐かしいというか何というか…世代の違いを感じますなあ」

審査員B「ショートとはグッと印象を変えてきましたね。私は楽しみですよ?」

審査員C「チアの人気曲だから体力が求められる。果たして3分30秒保つか……フィギュア歴1年未満にはいささか厳しいプログラムだな」

智子 (……このプログラムは、終始笑顔。で、なるべく動きは大きく、キビキビ……)

審査員席の前に滑り出た智子は、下を向いて真崎からのアドバイスを反芻する。

ゴロロロ…

智子 (!始まった…)

両手を脇の下で締めたクラスブのポーズから、ドラムロールが終わると同時に、顔を上げる。

~♪Oahu its so fine its fo fine my Waikiki Mickey!

両手に持ったボンボンを振って、右手を腰に当てて左腕を伸ばす。

~♪Oahu its so fine its fo fine my Waikiki Mickey!

歌詞に合わせてボンボンを振りながら、伸ばした左腕を斜めに落とし、『Mickey!』でMの字を作り首をかしげる。

智子 (これ、"ウッキー!"ポーズだ……恥ずかしい……)カーッ

~♪Oahu its so fine its fo fine my Waikiki Mickey!Hey!Hey!
  Hey! Mickey! hey!hey!~♪

智子 (フリーも、最初はDアクセル…曲が速いから、回転も速く…)シャーーッ、ガッ

クルクル…

智子 (…っとと、なんとか転ばないで済んだ!えらいぞ私!)ザーーッ

Hey Mickey!で一旦止まって、胸の前でボンボンを合わせてから、大の字に開く。
それが終わったら、再びステップ。

智子 (くっ、これ…練習でも思ったけど、結構キツいっ……!)

~恋するチャンスは無限大 ボヤボヤしてたら負け犬だワン♪

カンカンダンスのように足を上げたり、両足を揃えて軽くジャンプしたりしながら、
リンクを大きく使ってステップを踏んでいく。その間もボンボンは絶え間なく動かして、笑顔も消せない。

~チョーSEXYよ 振り向いてMickey♪

智子 (腰をくねらせて、投げキッス……あああ、うっかり審査員にやっちまった!)カァァ

想像なんかじゃYou don't know forever
Love is bodyでEverytime kiss♪

智子 (ここで、足を交差させてスピン……)ガッ、グルグルグル…

智子 (からの、レイバック!……う、おぶっ…反った拍子に舌にゲロがっ!……ここは飲み込んで後で出すしか…)グルグル…

Oh Mickey Love Mickey ペコリMickey 恋する乙女のおまじない ~♪

西園寺『サビは、お前の体力も考えてステップを主体にしてこう。足はしっかり上げろ、腕もちゃんと、氷と水平になるように)

Come on! Do Mickey Do Mickey Don't break heart Mickey ~♪

智子 (やっと半分まで来た……もう息上がってる、大丈夫か私)バッサバッサ

智子 (審査員席の前に出て、その場で止まる)シャーーッ、キュッ

松浦ゴリエと申します ~♪

ペコリ、のところで両手を後ろに伸ばし、尻を突き出すポーズ。

普通の可愛い巨乳です(ボイン) ~♪

智子 (うう、こんな公衆の面前でボインポーズする日が来るなんて…やっぱりフィギュアなんて公開ストリップだ!)カァァ

『V』を逆さにしたような体勢から、「うで、ワキ、ヘソ毛」に合わせて腕を交互に上げ下げする。
歌詞もあいまってか、厳しい目をしていた審査員がだいぶ和んできた。

My name is Joahn from Hawaii ~♪

Ja Ja Ja jasmine my blond in cute!

『Cute!』で両足を揃えてジャンプ…が。

智子 (!!…詰め物がズレてきてる!ヤバい!…あっ)パサッ

ずる、とリンクに落ちた詰め物を見て、青い顔になった西園寺が『蹴飛ばせ!』と腕を斜めに動かす。

智子 (くそー!やっぱ作ってもらえばよかった…!)シュッ

跳ぶ前の勢いのまま蹴飛ばすと、重量感のある詰め物はクルクルと回転しながら、控えている選手たちの方へ滑っていく。
それを見た琴美は「吉本新喜劇かよ!」と笑い転げ、
優は「もこっちには、もこっちの良さがあるんだよ…」となぜか自分の胸をおさえて頷く。

Oh Mickey Love Mickey ペコリMickey 恋する乙女のおまじない ~♪

智子 (ダブルトゥループ……からの、シングル!)ガッ、クルクル…クルッ、ストンッ

西園寺『ジャンプは最低限の要素だけにして、後はステップを主体にしていこう。
    チアダンス風の振り付けだから、ボンボンを激しく振って、最後まで気を抜くな』

Oh Mickey Love Mickey ペコリMickey 私だけを見て ~♪

智子 (軽くステップ、からの)

Come on! Do Mickey Do Mickey Don't break heart Mickey ~♪

智子 (トリプルサルコウ……うう、私3回転ほとんど成功しないんだよな……)ガッ

クルクルクル…

西園寺(ああっ、微妙に回転が足りてない…1/5回転ぐらい足りてない!)アチャー

智子 (うう、体力残ってない所に跳んだから、ダブルになっちまった……やっぱ、前半に跳んどくべきだった…)シャーーッ

審査員(回転不足1、と。ここまでノーミスだから、得点には響かないが)カリカリ

Oh Mickey Love Mickey ペコリMickey 恋する乙女のおまじない 
Oh Mickey Love Mickey ペコリMickey 私だけを見て ~♪

智子 (まだか……まだ、終わんないのか……)ゼエゼエ

智子 (もう、自分がどんな動きしてんのかすら分かんねえ……音楽もなんかぼんやり聞こえるし、頭痛いし喉乾くし
    見られてるって思うと、なんでこんなに疲れんだ!?)ゼエゼエ

Come on! Do Mickey Do Mickey Don't break heart Mickey! ~♪

智子 (ここさえ、ここさえ乗り切ればっ……)クルクルクルクルクル…

シット、からのY字スピン。伸ばした足を支える右手は止まっているが、自由な左手でボンボンをシャカシャカ振る。

西園寺『最後だ、バッチリ決めろよ智子……!』グッ

智子 (よし、最後……)バッ

再び腰に右手を当て、左腕を伸ばすパンチアップの姿勢から、
音楽が鳴り止むと同時に、足と両腕できれいなVの字を作り、ボンボンを振る。

智子 (決まった……)ゼーハー

パチパチパチ…

西園寺「いいぞ智子!アクシデントもあったが、よくやった!」パチパチパチ

優  「……ああっ、最後のポーズ撮り忘れた!」ガーン

琴美 「コジマで買ってきたフイルム1回で使い切って、まだ足りないか」

智子はボンボンを持った両手を腰に当てて、西園寺の方へ帰った。
疲れがピークに達したので、椅子に座ってエッジカバーをはめてもらう。

西園寺「……あっ」

智子 「!」

そこで、ボロッと右のエッジが取れた。正確には、半分外れて靴底からぶら下がった。

西園寺「……お前、毎日良く頑張ったな……」ナデナデ

靴に対してか、それとも智子に対してかは不明瞭だが、西園寺は嬉しそうだ。

智子 (これで3足目もダメになったか……私、自分じゃ実感してないけど、結構頑張ってんだな……)

智子 (打ち込めるものが出来たって考えれば、悪くないかも)ニマー

その後、全員のフリーが終了した後に、受験者手帳が返された。
取りに行った西園寺は「Dアクセルが再試験だ」と笑う。

智子 「……再試験……」ズーン

西園寺「でも、それ以外は全部オッケーだったぞ。5月にはお前もジュニアだ」ポンポン

智子 (ジュニア……いい響きだな……へへ、うへへへっ…どうせ次の再試験は
    Dアクセルだけだし、私も来月には……どぅふ、ふ…)ニヘニヘ

こうして、ジュニア昇格のかかった6級バッジテストは、1番目の必須要素、Dアクセルのみ
再試験という、フィギュア歴1年未満には十分すぎるほどの結果に終わった。
そして――不純な思惑を抱えたまま、一夜が明けた。

今日はここまで。

一般的に美人と言われる顔立ちではないわな、鈴木選手
グレイシー・ゴールドはオードリー・ヘプバーンっぽい

それはそれとして乙

>>211

なるべく偏りすぎず、そして万人に知られている曲を選んでいるつもりです。
フィギュアは意外と使える曲少ない…orz

>>222

ヘプバーン…確かに、クラシックな美人ですね。
丈の長いドレスにボンネットとか合わせているのを見てみたい。

―翌日、昇降口―

ザワザワ…ペチャクチャ…

智子 (あー、昨日の今日でもう始業式かよ……体のあちこち痛えし、眠いし…)ガコッ

智子 (ま、どうせこいつら春休みはネズミの国とか出かけて、くっそ不味いパンケーキだの
    すぐ綿出る低クオリティのぬいぐるみだの、あそこでしかつけらんない
    カチューシャという名の不燃ゴミに金落としてきたんだろうしな…
    そんな資本主義社会の豚どもと比べれば、私の春休みは有意義だったはずだ……)ハキハキ

モブA 「なあなあ、今日帰ったらゲーセン行かね?」

モブB 「いやー、俺金欠だからさあ」

モブA 「いい加減パセリにしとけよ!リニューアルで弐寺の筐体が増えてたんだよ」

智子 (ぷっ、学校行ってテキトーに遊ぶしか能のない奴らは可哀想に……
    何の才能もない凡人の日常って感じだな、まあ、世の中はこの90%の凡人で回ってんだからしょうがないか…
    10%の私がこんな奴らを気にかける必要なんてないな)

???「あ、黒木さんおはよー」タタッ

智子 「お、おはよっ…」ビクッ

???「黒木さん、髪型おそろだね、可愛いよー」ピコピコ

智子 「えっ、あ、ありがと…」

智子 (誰だっけこの草食系ビッチ…確か…ネモ船長みたいな名前の…ネモ…ネ…
    あ、陽菜……根元陽菜だ、思い出した!)

智子 (大人になっても"ヒナ"とか一生出世できなそうな名前だな……少しは出世魚見習えよ……)テクテク

―教室にて―

ザワザワ…ガヤガヤ…

陽菜 「隣の席だねー、よろしく」

智子 「よ、よよよよろしく…」

智子 (ま、まあこいつしか私を覚えてる奴いなそうだしな…0からスタートという意味ではいい滑り出しだ…)

陽菜 「そういえば黒木さん、去年の自己紹介で面白いことやってたよね。
    ほら、あの白紙持って話すやつ」

智子 「へっ?あ、あれっ…あれは、その…」

陽菜 「あれすっごく面白かったのに、なんでみんなスルーしたんだろ?鉄板でしょああいうの」


智子 「さ、さあ……(痛いと思われたんだろうか…いや、それはない。ヤッターヤッターヤッターマンとか
    最後にくっつけたアイツよりはマシなはず…つーかこいつ、細かいモノボケ見逃さないあたりお笑い好きなのか?)」

陽菜 「今年は、そういうのないの?」

智子 「えっ、あ…その、考えて、たんだけど…準備が……えっと…(話なげえよ!いい加減開放してくれネモ…)」

陽菜 「あ、そっか。黒木さん忙しいもんねー」

智子 「へっ?」

すっとんきょうな声をあげた智子の耳元で、陽菜はそっと囁いた。

陽菜 (夏のアイスショー、かっこよかったよ)ヒソヒソ

智子 「!!」

陽菜 (黒木さん、学校終わってすぐ練習行くから、スケート靴持ってたでしょ。
    あれ見てたから、スケート歴2ヶ月の、って黒木さんじゃないかって思ってたんだ)ヒソヒソ

陽菜はそっと体を離して、「自己紹介でこれ言ったら、多分みんなびっくりだよ」と笑った。

智子 「……そんなの、覚えてたの……?」

陽菜 「えっ?あ、あー…」

陽菜 「実は、さ。黒木さんのことちょっと気になってたんだー。
    普段みんなとお弁当食べたりしないし、帰りも一人でまっすぐ帰っちゃうし、なんというか…ミステリアスで」

智子 (素直にコミュ障と言え、ネモよ)

陽菜 「だから、2年で隣の席になれてよかったなって思ってるの。こうやってお話できたし」

智子 「根元、さん…」

ガラッ

荻野 「はーい、みんな席ついてー」パンパン

智子 (うわ、体育会系…苦手なタイプだ…暑苦しいおっさんならまだ分かりやすいのに、こういう女子に人気出そうな
    部活の先輩系って、一番厄介なタイプじゃねえか!こいつ教師としては失k…)

荻野 「とりあえず私が担任の…」カッカッカッ

荻野 「荻野です。みんな、一年間よろしくね!」

荻野 「さて、それじゃ待ちに待った自己紹介だけど……廊下側の方からいこっか」

智子 (……でも、ない…か。西園寺コーチも似たようなもんだしな……)ボー

智子 (なんか、1年の時より冷静に物事見れるようになってる気がする…武器商人としての適性が育まれつつあるというか…
    これも一種の成長なのか、コーチ)ボー

陽菜 「もうすぐだよ」チョンチョン

智子 「はうあ!?」ビクッ

荻野 「そこ、どうしたの?」

智子 「い、いえ!何でもないです!」

クスクス…

智子 「……」カァァ

陽菜 「ご、ごめんね…びっくりさせちゃって。でもみんな、バカにしてるわけじゃないから大丈夫だよ?」

智子 (こいつ直接脳内を…!?)

智子 (あ、私の番だ)ガタッ

智子 「く、黒木智子…です」

荻野 「それだけ?……もうちょっと何か欲しいかな」

『自己紹介でこれ言ったら、多分みんなびっくりだよ』

荻野 「なんでもいいよ、趣味とか特技とか、あとは今年の目標とか」

智子 「趣味……は、ゲーム、です。音ゲーが、すごく、得意です…あとは、アニメも…見ます……」

アニメ、のところで近くの席のオタクっぽい男子がぴくんと反応した。
それ以外にもインドア趣味の男子たちがいい反応を示す。

智子 「……」グッ

智子 「特技…じゃ、ないんですけど……去年から」

智子 「フィギュアスケートを、やってます」

その一言が出た瞬間、教室は一瞬だけシーンと静まり返った。そして。

モブA「えー、嘘、フィギュアスケート!?やってる人初めて見た!」

モブB「じゃあ、去年アイスショー出てた天才美少女って、黒木さんなの!?」

清田 「おい、何だよそのアイスショーって、俺にも分かるように言えよ!」

蜂の巣をつついたように騒がしくなった教室中の視線が、小さな智子に集中する。

智子 「えっ、あ、あの…」

陽菜 「はいはい、黒木さんへの質問は私を通して!はい、座って!みんな座って!」

まるで熱愛報道を受けてマスコミに取り囲まれているアイドルと、そのマネージャーだ。
陽菜が手を振って黙らせようとするが、止まらない。

陽菜 「ご、ごめんね!こんなことになるなんて思わなくて…」アタフタ

荻野 「はい、みんな静かにして!まだ終わってないでしょ!」パンパン

智子 (おお、意外とこいつちゃんと担任やってんぞ!)

智子 「えっと……今年の、目標は……」


智子 「学校、生活を……た、たの…楽しく、送りたい……です」

智子 「……以上です」ストン

荻野 「はい、いい自己紹介だったね。じゃあ次、いこっか」

騒がれすぎた智子に気を遣ってか、荻野は当たり障りない自己紹介の時と同じように流した。
……が、智子は気づいた。フィギュアスケート、と聞いた瞬間、
荻野の中のスポーツウーマンの血が目覚めていたのを……。

___________________________

繋ぎ回。
自己紹介がなんとか無事に通過、できたのか?

最初に書くのを忘れていましたが、このSSは「もこっちに何か打ち込めるものをあげたい」というのがテーマです。

まあ原作のもこっちはその……まあ……うん……



原作は…うん…あんな出来た友人がいるだけで勝ち組ではあるんだよな…

西園寺「……いいか、せーので開けるぞ」

智子 「は、はい」

西園寺「せーのっ」

ペラッ

智子 「!!」

西園寺「いっ……」プルプル

西園寺「いやったあああ!これでお前も、ジュニアだーーっっ!」グイッ

智子 「わっ!」

始業式から3週間後。智子は無事に残りの必須要素だったDアクセルをクリアし、6級に合格した。
西園寺は喜びのあまり智子を抱き上げると、そのままぐるぐると回転する。審査員の中でノリのいい男性がパチパチと拍手してくれた。

西園寺「よく頑張ったなあ、お前」グシャグシャ

智子 「……なんか、信じられねえ……」ポーッ

西園寺「多分明日あたりにドカンと来るぞ……ん?お前のスマホ、鳴ってんぞ」

智子 「?」スッ

母  『合格したんならさっさと帰ってきなさい!』

タクシーの絵文字つきで送られてきたメールに、智子は思わず苦笑する。
「あの、コーチ…」という前に、西園寺はもうムースを取り出して、髪のセットを始めていた。

智子 (……私がこんな妄想ガールになったのは、なるべくしてだったのか)ムー

□ □ □ □ □ □ □

母  「はい、今日は智子の大好きな回鍋肉と、中華フルコース!どんどん食べて、
    あ、西園寺さんビール飲めます?智子は烏龍茶とジュースあるけど、どっちいい?」テキパキ

智貴 「うっわ、ご馳走だな……あ、姉ちゃん。合格おめでと」トクトク

智子 「えっ?あ、ありがと……」

飲み会における「まあまあまあ」の要領でオレンジジュースを注いでくれる智貴の気持ちを、
戸惑いながらもありがたく受け取る。

智子 「あ、そういやお前高校もう慣れたのか?」

智貴 「姉ちゃんじゃあるまいし、平気だよ」

智子 「……」イラッ

智子 「クラスで友達出来なくても気にする事ないからな、いざとなったらゆうちゃんに頼んどいてやるぞ」

智貴 「なっ…いいか、絶対にやんなよ、今度友達連れて来て証明してやるから!」

ギャーギャー

西園寺「いやー、いい姉弟ですね……」パクパク

母  「?」

西園寺「智子さんの方にお金がかかるとなれば、弟さんの方はおざなりになってしまう。
    メダリストの家族でも、一家全員がスケーターでもない限り、平等にするのは難しい。
    人間、世間体が大事ですから……莫大な金を捻出して、才能ある子をみんなで支える温かい一家というストーリーを作ってしまう」

母  「……」

西園寺「私は、選手本人もそうですが……ご家族にも、その子のスケーティングを見て、心から応援できるような……
    そんなふうになって欲しいと思ってるんです。外に向けて取り繕ったり、誰かが我慢したり、そんな中で
    取った金メダルには、何の価値もありません」

西園寺「ですから、お母さんは智貴くんを気にかけてあげてください。これから智子さんが注目されるにつれて、
    色々と複雑な想いも出てくるでしょうし、その時はご家族で受け止めてあげないと」

母  「はい……」

母  (そういえば、智貴はこっちが何も言わないでも公立に入ってくれたから、安心してたわ……
    最近は3杯食べてたご飯も2杯に減ってるし……西園寺さんの言うとおり、それとなく見ていないと)

こうして、智子は約1年でジュニアクラスに昇格。
いよいよ本格的に試合に出て、ライバルと切磋琢磨する時期に入った。

智子 (2年生に上がって、小さな変化があった……)

陽菜 「あ、黒木さんおはよー」ポンッ

智子 「お、おはよう……」

岡田 「おはよー!黒木さんもおっはー」

智子 「(も、って何だよ!"おっはー"なんてもうおはスタでしか聞かねえぞ……)おはよう」

智子 (1年の時は学校じゃほとんど喋らなかったのが、今はネモという話し相手が出来た。
    これはもう友達にカウントして大丈夫なのか?いや、動かざること山の如し。今はまだその時じゃないかもしれない)

清田 「はよっす、あれ?今日は髪やってないんだ?」

陽菜に続いて下駄箱に来た清田が、頭の横に両手をやるジェスチャーをしながら言ってくる。

智子 「えっ、あ、あれはその……」

陽菜 「黒木さん、水曜日から先は髪結ばないよねー」サッ

智子 「そ、そんなとこ見てるの!?……すごい、ね……」

清田 「あー、忙しいもんな練習。俺も最近坊主にしようか悩んでるわ」

智子 「きっ……きよた、は……そのままの、方が……いいっ、と思う……」


清田 「そっかー、じゃあ頑張ろっかな。洗うのマジでめんどいんだよ」

智子 (コイツは清田。男女問わず人気があってそこそこ顔もよく、成績も悪くない、
    ハーレム主人公の要素をすべて兼ね備えたような男子。……ネモの友達だが、
    私にもちょっとそのおこぼれをくれる。……ふふふ、まさかこんな形でスクールカースト上位と交流が生まれるとは……)テクテク

智子 (そうだ、攻略法さえ分かればハードモードでもなんとかクリア可能なはず。
    もう1年までの私じゃない。黒木智子は生まれ変わった!)テクテク

荻野 「おはよう黒木」

智子 「お、おはようございます」

荻野 「今日声ちっさいねー、練習忙しいの?」

智子 「い、いえ……昨日、6級に、あがった、ので……」

荻野 「じゃあ一段落ついたんだ。よかったじゃない」

智子 「は、はい……8月、にたいかい……ある、ので……今日から、ちょっと」

荻野 「ああ、衣装とか曲とか決めるの?大変だね、フィギュアは色々細かくて」

智子 (この脳筋教師とも、どうにかこうにか上手くやってる……つもり、ではある。

    フィギュアは素人らしいが、色々とアドバイスくれたり、クールダウンの方法を教えてくれたり、
    まあ……多少ウザいけど、役には立つ)ガラッ

智子 (……問題は、ネモ達以外と全く会話が出来ないことなんだけどな……)パタン

智子 (最初のうちこそ囲まれたけど、私がまともに会話できなかったせいか、2週間でこんな感じに落ち着いた。
    休み時間の過ごし方は今までどおり。大体一人でゲームして、本読んで……その間、ネモは気を遣ってあまり話しかけてこない。
    進歩具合が病気のカタツムリ並だ……カタツムリって風邪引くのかよ!)

智子 (ま、まあこれぐらい想定の範囲内だ。最強主人公とか想像するだけでゲロ吐きそうなぐらい忙しいし、
    むしろ静かな方が休み時間に邪魔されないで堂々と遊べるし)

智子 (……)

智子 (あれ、1年の時と大して変わってなくね?)ガーン

_____________________________

一旦切ります。
>>231 >>232
原作もこっちは、うん……コメントを控えさせていただこう……って感じですよね。
見てるこっちが辛くなる。一応スペックは悪くないだけに。

―その日の放課後、リンクにて―

西園寺「うーん、いきなり全日本は無理だろうし、ここはやっぱり地方大会で…」ブツブツ

真崎 「あたしの時はいきなり全日本だったじゃねえかよー」

西園寺「だから、お前は特別製だと何度言ったら……まあ、挑戦してみるのもいいか……智子。これから
    フィギュアスケートの大会について簡単に説明するから、よく聞けよ」

智子 「はい……(大会か……賞金貰えるとか優勝したら才が貰えるってんならやる気出るけどな……)」

西園寺「まず、大会は国内開催と国際大会に分かれる。お前はまだ国内大会で腕を磨く時期だから、そっちだけ説明するぞ。
    お前が目指すのは全日本ジュニア選手権。フィギュアにおける甲子園みたいなもんで、予選を勝ち抜いた選りすぐりの選手が競い合う」

智子 「……(うっひょおおお、1年でここまで来るとか私やっぱ天才だろ!?ま、まあいきなり甲子園はキツいし、
    予選で上位ぐらいなら行けるかも……なんで自分でハードル下げてんだ私)」ゴクリ

西園寺「予選は、日本全国を6つのエリアに分けて行われる。東北、北海道、新潟ブロック。次に東京を除いた関東ブロック、
    東京ブロック、中部ブロック、近畿ブロック、最後が沖縄を含む中国四国、九州ブロック。
    そこで上位に入った選手が進むのが、次の東日本、西日本大会。さらにそこでも上位に入れば……」

真崎 「いよいよ、全日本ってわけだ」

西園寺「俺の台詞……」ズーン

真崎 「んでも、あんま気張らなくて大丈夫だぜ?1年で全日本はかなり無茶することになるし」

智子 「……」

智子 「や、やります!」

真崎 「えぇ!?お前、マジで言ってんのか!全日本はそれこそ、よちよち歩きの頃からスケート靴履いてたような奴ばっか来んだぞ!?」

智子 (……ここで全日本に行けたら、クラス内での地位がもっと上がるかもしれない……
    今のところは、認めたくないが下の上。しかし、ここで頑張れば一気に上の中ぐらいには食い込めるはず……)

智子 (もう、フラグが立つのを待っていた去年までの私じゃない……モテモテ学校生活は、自分の手で勝ち取る!
    イベントは自分の手で起こしてこそ、何度もアーカイブで見る価値があんだよ……)

西園寺(うーん、動機は不純なんだろうが、せっかくやる気になってるのを摘み取るのもな……)

西園寺「よし、お前の熱意は分かった。やらない後悔よりやる挫折だ。全日本に向けて、頑張ってこう!」

真崎 「コーチ、正気か……?」

真崎 「まあ、智子が頑張るってんなら、あたしも協力するよ」

智子 「ま、真崎さんにはもう沢山の借りが……」

真崎 「いーって。……なんか、お前見てると思い出すんだよ」


智子 「?」

真崎 (カオルが好きってだけで突っ走ってた、中2の頃のあたしを、さ……)

かくして、フィギュア歴1年で全日本選手権を目指すという暴挙に出た智子。
1年間でバッジテストも平行して受験していた真崎よりは遅いものの、それは十分に無謀な挑戦であった。

―翌日―

陽菜 「あのさ、智子って呼んでいい?」

智子 「……」ボンッ

陽菜 「わー!黒木さんがー!」アワアワ

清田 「水持って来い、水!!」ワーワー

荻野 「落ち着きなさい」

□ □ □ □ □ □ □

―土曜日―

『ふーしぎなくすりのーまされてー おーもいどーりになっちゃうの~♪』

智子 (あ、ネモからだ)ピッ

陽菜 『あー、もしもし。今みんなで駅前のカラオケに集合してるんだけど、今日大丈夫?これから来れない?』

智子 (どうする、アイ○ル)

智子 「ご、ごめん……練習、日曜日しか休みじゃない、んだ……」

陽菜 『そうなんだ、こっちこそごめんね!じゃあ今度、日曜に予定あったら一緒に遊ぼ?』

智子 「う、うん……ありがとう……」

ピッ

智子 「断ってしまった……ギャルゲーの定番イベントを……」ズーン

智子 (しかしこれも計画のため……ダメだまだエタるな、こらえるんだ)

―ロッカールーム―

智子 「お、おはようございます!」

西園寺「おおすごい気合だなお前…」

西園寺「まあ、やる気があるのはいいことだ。じゃあまず、東京夏季ジュニア大会を目指して頑張ろう!」

智子 「夏季…ジュニア…?」

西園寺「8月下旬ごろにある、初級から7級までのジュニア年齢までの選手が集まる大会だ。
    全日本よりは規模も小さいし、この大会の上には何もないから、まずはここで審査されるスケートに慣れたほうがいい」

智子 「な、なるほど……(練習試合みたいなもんか)」

西園寺「この夏季ジュニアが終われば、あとは10月のシーズンまで大会はない。
    ひとまず、ここで良い結果を残せるように努力してこうか」

真崎 「おーいコーチ!ホワイトボード持ってきたぞ―!」ガラガラ

西園寺「……お前、まさか……」

真崎 「おう、あたしの知り合いの空手の先生寝取ったから、ボッコボコにしてクビにしてやったぜ!あー、スッキリしたー」

智子 「……」

西園寺「……」

真崎 「しかも40代男」

智子 「まさかの両刀使い!?」

真崎 「いやー、あれは参ったな。まさかロッカールームで夜のエキシビジョンに突入してるとは思わなくてさ」

西園寺「待て、お前それ見たってことは、そいつら女子のロッカールームで!?」

真崎 「じゃ、あたしの話はこんぐらいにして……」

西&智「「超気になる!!」」

真崎 「夏季ジュニアではプログラム変えてくのか?」

智子 「?」

真崎 「ああ、いや…その、今まで使ったプログラムをそのまま演るのか、それとも新しいプログラムに
    チャレンジすっかって事だよ」

智子 「……新しいので」

真崎 「おお、チャレンジャーだな智子は」

西園寺「じゃあまずは曲決めだな。この前は賑やかな曲だったが、今回はどうする?」

智子 (うーん……この前はアニソン→バラエティと来たから、次はボカロあたりから選ぶか?)←音ゲー脳

智子 「えーと、これ…」スッ

~ぽっぴぽっぴぽっぱっぴぽー♪ ぽっぴぽっぴぽっぱっぴぽー♪

真崎 「……」

西園寺「……」

智子 「あ、あのっ、BPMもちょうどいいし、可愛い曲だから…」

西園寺「いい、んじゃないか?」

真崎 「お、おう…」

智子 「……」ズーン

西園寺「いや、別に責めてるわけじゃなくてだな!なんかその、斬新…というか」

真崎 「振り付け組みやすいだろうし、これで行こうぜ」

西園寺「よし、じゃあショートはこの"ぽっぴっぽー"で決まり!なんか気の抜ける曲名だなあ」

智子 (フリーはどうしよう…ショートが歌詞入りだし、フリーはインストでいくか……うーん…歌詞なしで、いい感じの曲…)

真崎 「智子、智子。これなんかどうだ?」チョンチョン

~♪ 

智子 「おお、すげーチャイナ感…」

西園寺「せめてオリエンタル、と言えないか」

智子 (やべーな、なんだこの中毒性…しかもノリいいし)

智子 「あの、じゃあフリーはこれで…」

西園寺「分かった。お前が演りたい曲にしよう」

真崎 「あ、ところで今回衣装はどうすんだ?さすがに公式戦デビューはあたしのお古じゃ可哀想だぜ」

智子 「……」ゴクリ

西園寺「今回は、オーダーメイドにします!というわけで真崎軍曹、さっそくナオさんに連絡するように!」

真崎 「アイアイサー!」ビシッ

智子 (くぅ~っ、夢にまで見た専用衣装!……最っ高!やっぱりコーチは最高!)グフフフ…

こじらせてんなぁって感じでゾワゾワしつつほっこりする


相変わらずもこっち周りは本人以外大体良い人だなw


斬新www

フリー曲は何だろ、女子十二楽坊…は今でもたまにBGMに使われてるし、映画音楽かガチの民族音楽なのかな

―翌日―

ナオ 「で、どんな感じのプログラムなの?それによってデザインも変わるわよ」カリカリ

智子 「え、えっと…ショートはさっきコーチが説明した通りで…フリーは、チャ…オリエンタルな感じの」

ナオ 「なるほどオリエンタル、ね……なら話は早いわ。民族衣装をちょっと加工して、あんたの体型に落としこむだけだもの」カリカリ

西園寺「そういえばお前、オリエンタルとひとくくりに言ってるが……中国の美意識って分かってるか?」

智子 「それって、プログラムになんか関係あるんですか…」

西園寺「おおありだ。沙綾の言ったのを忘れたか?フィギュアは芸術作品でもあるんだぞ。
    ヒントは"自然と人工"」オデココツン

智子 「……」ウーン…

西園寺「まあ、知らないし答えようがなかったな。正解はな、"自然体を凌ぐ人工美"だ」

智子 「……?」

西園寺「今回お前が演じるのは、この中で自然体を凌ぐほどの人工美をあらゆるものに求め続けた、中国の曲なんだよ。
    分かりやすい例で言えば纏足。あれも、ありのままの足を不自然に改造し、愛撫する。
    おぞましいまでの、人工美に対する好奇心と愛情。それが、中国の歴史の中に深く横たわる美意識だ」

智子 「分かるような、分からんような…」

ナオ 「女がどうして、足が痛いのにハイヒールを履くのか……どうしてバレリーナは、つま先に全体重をかけて立つのかってこと。
    自然のままが一番ラクだけど、誰でもそれが美しいと感じるわけじゃないのよ」

智子 「ああ、それならなんとなく…」

ナオ 「始まりはどれも一緒なの。美意識なんて時代や地域で変わるのだから、私たちの価値観で測るのが無意味ってだけ」カッ…

西園寺「つまりは、あれだ。それを意識して滑れば、自ずと曲の世界観も伝わるだろうって事だ」

智子 「曲の、世界観……難しいな……」

ナオ 「はい、こんな感じでどう?」ペラッ

智子 「お、おおお…」

ナオ 「現物は出来上がってみないと分かんないけど、あんたがいいならデザインはこれで出しちゃうわよ。
    今は5月中旬だから…大会は8月の……」

西園寺「20日」

ナオ 「…だから、10日ぐらいには上がるわ」

智子 「お、お願いします…」

ナオ 「じゃ、ちょっと一緒に来なさい。大会までにちゃんと整えるから。
    あんたまた髪の毛伸びてるじゃない、ケアできないんならショートにしなさい。自分で勝手に眉毛いじるのもダメ。それと…」クドクドクド

智子 (うぅ…)

□ □ □ □ □ □

それからの2ヶ月間は、ひたすらリンクと学校、家の3点を行き来する生活だった。

智子 (なんだこの数学の問題みたいな日常!薄ッ、私の一学期薄っ!)

陽菜 「智子って図書委員の小宮山さんと仲いいの?」テクテク

智子 「えっ!?あ、うん!一応…ひ、陽菜ちゃんも、あいつのこと、知ってたんだ…」テクテク

智子 (いい、って言うのか…?普通オタク系キャラが2人集まったら趣味は大体かぶってるもんだろ…
    あいつ微妙に夢厨入ってるからめんどくせーんだよな…やけに弟のこと聞いてくるし…人の弟オナネタにしてる奴と
    よく話せるな私…)

陽菜 「よく喋ってるもんねー、あ、私こっちだから」

智子 「う、うん。ばいばい…」

陽菜 「また明日ね。あ、予定決まったらメールしとくから」ブンブン

智子 「うん。多分…大会、の後…だから、大丈夫…」

陽菜 「ばいばーい」

智子 「……」

智子 「よっし!」グッ

智子 (少なくとも一緒に帰る相手がいる時点で、あいつよりは上位に立ってる…後はよりスペックを高めて、
    自動でイベントが起こるレベルまで上げるだけだ…)

そして、8月――。

智子 (夏休みか…去年は練習漬けでほとんど遊びに行けなかった…今年も同じ運命をたどるのか…)

智子 (途中で野球部の応援に動員されたけど、全力で断った。貴重な週一の休みをそんなんに使ってたまるか。
    あんなん、学年中にアンケート取って、上位の美少女たちをまとめて連れてけば、
    童貞野球部員の士気も上がるし、一石二鳥だろ…)

□ □ □ □ □ □ □

智子 (……で、今日がその大会当日なわけだが)

ザワザワ…ガヤガヤ

智子 「人、多すぎだろ!」

西園寺「全部で300人ぐらい参加するからな。あ、でも6級は15人ぐらいしかいないから、楽だぞ?」

智子 「15人…それなら私でも表彰台行けそうな気g「だから、自分を過信するなって言っただろ?」チッチッチッ

西園寺「お前の悪い癖だ。自己評価が高すぎると、上手く実力が出ないぞ」

智子 「…ぐっ…(どうしてコイツはいちいち上げて落とすのが上手いんだ…)」

西園寺「だから、怒ってるわけじゃないって!今の実力を受け入れないと成長がないって意味だよ。さて、行くか」

カオル「コーチ、遅くなりました!」タタッ

智子 「……えぶっ!?な、なんでカオルしゃんが…」

カオル「ごめん、びっくりさせちゃったかな。ジャッジの中に僕の仲良くしている先輩がいてね、
    その人のお手伝いで来たんだ」

智子 「そ、そうなんで、すか…」

カオル「僕のことは気にしないで、のびのび滑ってね」

智子 「は、はひっ…が、がんばります…」プルプル

西園寺(……智子は一度意識すると、それがとことん足を引っ張るからな。順番が来るまでに
    ゲームでもさせてリラックスさせるか…)

―ロッカールーム―

ナオ 「ハーイ、智子久しぶり」

智子 「ナオさん!?(うわ、ド派手な毛皮…IK○Oかよ!)」

ナオ 「西園寺に頼んだの。これから公式試合でのメイクは、全部私が担当させてもらうわ」カチャカチャ

智子 「あ、あの…お見積りは…」

ナオ 「あんたがより高みへ昇ること。それで十分」チョンップニプニ

智子 「ほ、ほっぺやめてくださ…(うおおお憧れのほっぺプニプニ!…だがオカマですから、残念!)」

ナオ 「濃い方が観客席から見やすいけど……大体は薄い方が映えるから、あまりいじらないわよ。
    さ、まずはショートの衣装に着替えて」サッ

智子 「……」ドキドキ

智子 「お、おおお…お?」ペラッ

中から出てきたのは、へそ出しのジャージとミニスカートだった。
白地に緑のラインが入ったジャージは、胸元にキャベツのアップリケが縫いつけられている。

ナオ 「あんたの選んだ曲をYoutubeで見て、なるべくイメージに近づけたの。あ、髪は1つにまとめる予定だけど、いいわね?」

智子 「は、はい…もう、お任せします」ゴソゴソ

ナオ 「じゃ、軽く梳かして、後ろで半分だけシニョンにするから」シュルシュル

智子 (美容師ってこんな仕事もすんのか)

智子 (…そういや、キャバクラってプロの美容師が常駐してるらしいし…美容師って意外と仕事の幅広いんだな…)

その頃、観客席最前列。
三脚にカメラをセットしながら、優は口をとがらせていた。

優  「こみちゃんはコミケで来れないし、智貴くんはサッカー部の合宿行っちゃってるし」ムー

優  「試合前に会いたかったのに、滑走順決めで忙しいって西園寺さんに断られちゃったし」ムムム…

優  「……でもいいもん、この大会終わったら3人でどっか遊びに行くんだもん」

司会 『ただいまより、東京夏季ジュニア大会、バッジテスト6級、男子ショートプログラムを開催いたします』

ワーワー キャーキャー

優  「あ、あれ?女子のほうが後なの?…うう、早く来すぎたかも…」

□ □ □ □ □ □ □

西園寺「お、いいじゃないか。元気な感じで」ガチャッ

智子 「そ、そうですか…?」カチカチ

西園寺「今、男子がショートを滑ってるから…あと5分ぐらいしたら、控室の方に移動だ。
    軽くストレッチでもして、体をゆるめとけよ」

智子 「……」グッ、グッ


ゲーム機を置いて、こわばった骨をゆるめる。動くたびにグキッ、ゴキッと音がして、
骨格が元ある位置にはまるような気がした。

コンコン…

西園寺「お、意外と早いお出ましだな」

審査員「6級女子の皆さんは、私の後について移動してください」ガチャッ

智子 「こ、コーチは…」

西園寺「もちろん一緒だ。じゃ、ナオさん。フリーでまた」

審査員「飲料用のペットボトル、携帯電話、スマートフォン以外の私物は持ち込み不可です。
    日本スケート連盟の番号の控えを必ず…」

叫んでいる審査員の声が、どこか遠く聞こえる。

智子 (……初めての試合だ……大丈夫か私、しょっぱなでコケて"ああ~"とかなったらもう死ぬぞ)

床を向いて深呼吸している智子の肩を、ナオがちょんちょん、と突く。

ナオ 「あんたなら根性あるんだから大丈夫よ。がんばって」チュッ

智子 「!」

ナオ 「私、あんたのこと買ってるんだからね。……それに、初めての試合なんだから、コケてナンボぐらいの
    気持ちで行きなさい。あんたは理想が高すぎるのよ。……失敗したって、誰も責めたりなんかしないわ」

智子 「……はい」

西園寺「よし、じゃあ行くか!」ポンポン

智子 「あ、あの…滑走順って」

西園寺「30人中10番。いい位置だろ?俺のクジ運を舐めてもらっちゃ困るな」ドヤァッ

智子 「いや、何も言ってませんけど…(段々、コーチのウザさが増してきたような気がする)」
_____________________

一旦切ります。今日はショートまでは行きたい。

>>247
ほっこりしてもらえて嬉しい。
こじらせ具合が足りないかと思っているので、もっと増やしたほうがいいかな。

>>248
そうです。もこっちがちょっとばかり気づけばいいだけなのに、それがないのがもどかしいのです。

>>249
さあ、なんでしょう。女子十二楽坊だとベタなので…

控え室から、同じ級に出る少女たちが次々に消えていく。

智子 (つーか、見事に全員お団子頭だな……おかげでブスが際立ってるし。…よし、これをフィギュアテロと名づけよう)ウンウン

緊張をほぐすために周りを見回すと、智子と同じポニーテールの女子が、イヤホンで曲を聴きながら
プログラムの流れを再確認していた。その場でくるっと一回転して、腕を伸ばしたり、足を上げたりと、
なめらかな動きには一分の狂いも見られない。

智子 (あ、美少女だ……珍しいな。しかも上手いし…これが真崎さんの言ってた"よちよち歩きからスケート靴"組か…)

彼女は智子の視線に気づくと、イヤホンを外して「にこっ」と微笑んでくる。

???「ねえ、もしかしてだけど。夏季ジュニア…初めてなの?」

智子 「えっ!?(話しかけてきた!)あ、あの…実は、試合自体初めてというか…あの、6級上がったばっかで…」

???「よかったー、私だけじゃなくて」ホッ

???「実は私、夏季ジュニア出るの今回が初めてで…うちのクラブからは私だけだから、もう心臓バクバクで。
    来年にはシニアに上がるから、最後に思い出作りで出てみる事にしたんだ」

智子 「へ、へえ…そうなんだ…(思い出作りとか随分余裕あるなこいつ…)」

???「あ、ごめんね。自己紹介してなかった。私、北原雪。中学3年生。あなたは?」

智子 「わ、私は……」

西園寺「智子、そろそろお前の番だぞ!」

雪  「あ、ごめんね…大事な演技の前に話しかけちゃって」

智子 「う、ううん。私も緊張してたから、むしろ話しかけてもらえて嬉 西園寺「智子ー!」

智子 (タイミングわりいな畜生!)

智子 「じ、じゃあまた後でね」

雪  「うん。頑張ってね、智子ちゃん」ヒラヒラ

バタン…

雪  (智子ちゃん、どこのクラブなんだろ……多分同い年だろうし、終わったらまた声かけてみよっと)~♫

□ □ □ □ □ □ □

テクテク…

西園寺「さっきの子、かなり上手かったな」

智子 「あ、やっぱり…なんというか、すごい…しなやかで」

西園寺「お前もだいぶ、他のスケーターを見る余裕が出てるみたいでよかったよ。
    確実に表彰台に上るレベルだろうし、さっきの子の動きをイメージして滑るといいと思うぞ」

ワァァァ…

西園寺「そういえば、パンフレットに全員のショート、フリーの曲名が載ってるんだが…お前だけ異彩を放ってるな」ペラッ

智子 (外した…これって、自己紹介で芸人のギャグ言って滑るバカと同レベルだ…ノリで選ばなきゃよかった…)ズーン

見せられたパンフレットには、"チャイコフスキー作曲『白鳥の湖』"と
"パコ・デ・ルシア作曲『Entore dos aguas』"(智子は知らない曲だったが、多分フラメンコか何かだ)の
間に挟まれて、"ラマーズP作曲『ぽっぴっぽー』"と印刷されていた。

智子 「……うう、なんで私はこんなのを……」

西園寺「おい智子、卑屈になることないぞ。お前はこの曲で、観客の皆さんを楽しませればいいじゃないか」ポンッ

智子 「楽しませる?」

西園寺「フィギュアってのは結構保守的でな、ボーカロイドなんて俺が知るかぎりお前が初だぞ。
    ……お前はお前なりのスケーティングを見せればいい。結果は後からついてくる」

智子 「……」

智子 「そう、ですね…あれ?」

西園寺「どうした?」

"神南FSC所属 北原雪 プッチーニ作曲『蝶々夫人』"

智子 (あいつ私のすぐ後なのか…よかった、先に見てたら自信なくすとこだった)


ワァァァ…

西園寺「智子、お前の体力を考えて、ジャンプは前半にまとめてある。最後のDアクセルを通り過ぎたら、
    後は得意のステップで会場の度肝を抜いてやれ」ギュッ

智子 「は、はい」

リンクでは、智子の前に滑った選手が、四方に礼をして手を振っている。
入り口の所に立った智子は、西園寺に両手を握られて最後のアドバイスを受けていた。

西園寺「……よし、じゃあ俺が言えるのはここまでだ。行って来い!」ドンッ

背中を押されて、リンクに滑り出る。
今までとは毛色の違うジャージ風の衣装に、会場が少しざわめいた。

智子 (……そうだ。私は毎期に必ず1本はある、美少女が無個性主人公囲んでイチャつくだけの中身スカスカな学園アニメのヒロインじゃない…)シャーーッ

智子 (巻頭でカラー4P一挙掲載される、スポーツ漫画の主人公なんだ)シャーーッ、ザッ

智子 (学園アニメのキャラって何が楽しくて生きてんだろう…特に何かに打ち込みもせず勉強で一番になるでもなし…
    あれよりは全日本、いや全世界で注目されるスポーツ漫画の主人公のほうが
    最終的なスペックでは勝ってるはずだ…イケメンの中から恋人選べるし、受験しないで大学入れるし…)

西園寺「お、智子の奴案外落ち着いてるな」

リンクの真ん中に出て、その時を待つ。

~ぽっぴぽっぴぽっぽっぴっぽー、ぽっぴぽっぴぽっぽっぴっぽー♪

ザワッ

優 「え、何この曲?」ポカーン

会場を流れるミクの声に合わせて、動き出した智子を見ていた観客の中から「うおお、マジか!?」と声があがった。

~ぽっぴぽっぴぽっぽっぴっぽー、ぽっぴぽっぴぽっぽっぴっぽー♪

智子 (最初は手を後ろで組んで、その場で軽くステップを踏む)ガッ、ザッ

観客A「き、聞き間違いじゃねえよな、これぽっぴっぽーだよな!?」

観客B「フィギュアにも長島自演乙が出るとは…」

ぽぴ~♪

智子はガッと氷を蹴って、ビールマンの体勢でリンクを大きく回る。
声が途切れると、エッジを細かく動かしながらステップに入った。

さあ飲め お前好きだろ?野菜ジュース♪

智子 (ここで、3フリップ…)ガッ、クルクルクル…

私が決めた 今決めた♪

智子 (いよっ、っしゃあ!)ザーッ

だから飲め 私の野菜ジュース 価格は200円♪

200円、の文字を指で作りながら滑る。
その後のそいやそいや、どっせーどっせーに合わせて、観客席から軽い手拍子が起こった。

西園寺(よし、ともすれば色物な選曲でいい滑りだぞ!……お?)

雪  「智子ちゃん……」

ぽっぴぽっぴぽっぽっぴっぽー ぽっぴぽっぴぽっぽっぴっぽー♪

智子 (Tルッツからの、Tトゥループ…)クルクル…ガッ、クルクルクル…

智子 (よし、ここもノーミス!次、たしかドーナツスピン…行けるか?)ガーーッ

ベジタブルだ あああああああ

智子 (ちょっと腰痛いけど、大丈夫っ…!)グルグルグルグル…

ぽっぴぽっぴぽっぽっぴっぽー ぽっぴぽっぴぽっぽっぴっぽー♪

智子 (Dアクセル…一番苦手なジャンプだけど…)ガッ、クルクル…

智子 「おっ!?」

智子 (軸が微妙にずれたけど、なんとか転ばずに済んだ…)ザーッッ

野菜ジュースが 好きになる ~♫

音楽が終わると同時に、片手を腰に当て、伸ばした方の指でグーサインを作る。

ワアッ…

司会 『黒木智子さんの、演技でした!』

パチパチパチ…

智子 (2回目なのに、よく出来たよ私っ…)ゼーゼー、ハーハ-

西園寺(智子、お辞儀お辞儀!)パクパク

智子 (そうだ…手振らないと…)ペコッ、ヒラヒラ…

公式試合が初めての智子にはファンもいないからか、花束やぬいぐるみが投げられることはなかった。
戻ってエッジカバーをはめると、西園寺が「上出来だ」と背中を叩く。

智子 「あ、雪ちゃん…」

雪  「…智子ちゃんは、すごいね…」

智子 「?」

雪  「お客さん、みんな楽しそうな顔してたよ。…私も負けてらんないね」

それだけ言うと、雪はエッジカバーを外して入れ違いにリンクへ出て行く。

智子 (何だ今の…もしかしてライバル宣言という奴なのか?)ウーン

西園寺「おい智子、早くこれ羽織れ」サッ

智子 「?」

西園寺「得点発表だよ」  ピー、ガガッ…

司会 『黒木智子さんの得点……90・36』

ワァッ…

西園寺「き、きゅうじゅう!?おい、聞き間違いじゃないよな…」

智子 「90って言ったら…」

西園寺「今の段階で、1位だ!……2位は75だから…ぐっと表彰台が近づいたぞ…
    やったな智子!初めての試合で90叩きだすなんて、さすが俺の智子だ!」ギューッ

智子 「く、ぐるじっ…」バンバン

雪  (…やっぱり、智子ちゃんすごいな…私もノーミスで滑れば100は超えるだろうけど、
    他の子達じゃ追いつけないかも……頑張らないと)グッ

西園寺「さて、じゃあ早くロッカーに戻って着替えよう」

智子 「え、でも雪ちゃんの演技…」

西園寺「フリーまで時間がない。たしかに雪の演技はためになるだろうが…帰ってから録画したやつを見ろ。
    今は万全の状態まで整えて、フリーに備えるんだ」

智子 「は、はい…」

優  (あ、もこっち戻るのかな?…会いに行っても大丈夫かな…)

―ロッカールームに行く途中―

優  「もk… 陽菜 「智子ー!」

優  (えっ、誰!?)

智子 「陽菜ちゃん!」

陽菜 「ごめんねー、お母さんが夏風邪ひいちゃって、薬局行ってたら遅くなっちゃった」

智子 「う、ううん。そ、それよりお母さんは、大丈夫……だった、の?」

陽菜 「ありがと。でも熱冷まシートつけたげたら、だいぶよくなったよ」

岡田 「私、審査員側にいたんだけど気づいた?」

智子 「うん、手…振ってたよね」

岡田 「やっぱ気づいてたんだー!」

智子 「よかった、あれやっぱり岡ちゃん、だったんだ……間違ってたら、どうしようかと…」

岡田 「あはは、間違っててもいいじゃん。手振ってもらえたその人は役得だよー」

優  (あ、もしかして学校の友達なのかな)ズキン

優  (あれ、なんで胸が痛むんだろ?高校でちゃんと友達出来てるんだから、いいことのはずなのに)

優  「……」クルッ

スタスタスタ…

___________

今日はここまで。
漫画のお約束『精神的ケアの必要なキャラが定期的に出る』


優ちゃんと言えどもJKであって天使や聖母では無いんだよな…



あんな曲が流れたら最初こそドン引きするかもしれないけど
見てるうちに確かに楽しくなりそうな気はする

もこっちが頑張ってる姿は心にくるのう

陽菜たちが観客席に行くのを見送って、ロッカールームに入る。

智子 「……!!」ガサゴソッ、フワッ

紙袋から出てきたのは、白地に赤い牡丹があしらわれた、袖なしのミニチャイナだった。
胸は隠れているものの、ぴっちりと体にフィットするデザインで、へそのあたりは丸見え。

智子 「さ、さぶっ…」ブルブル

おまけに、フリルが何段も重なったスカートはアシンメトリーなデザインで、
右の太ももと黒いアンダーウェア、ソックスと繋ぐガーターベルトがちらりと見えるようになっている。

智子 (ブログでマ○コ出してた豚レイヤーが喜びそうなデザインだな……こんなピチピチのドレス民族衣装にして
    世界中に下ネタ発信するとか、中国人エロすぎんだろ…)ゴソゴソ

ナオ 「あら、いいじゃない?オリエンタルな衣装のほうが似合うわね」

智子 「え、えへ…そ、そうですか…?」

ナオ 「さ、じゃあ髪型直すわよ」

智子は勝手に、頭の両側でお団子にされるのかと想像していたが、ナオは意外にも後ろでひとつにまとめて、髪束を3つに分けた。
横の髪だけを少し残して、鏡と睨めっこしながら細かく調節し、分けた髪束をヘアアイロンで立体的に巻いて、編んでいく。

智子 (高橋留○子のヒロインみたいだな……一度そう思ったら、そうとしか見えねえ!)

ナオ 「あとは前髪を揃えて…はい、完成」フー

智子 「か、可愛い…!自分じゃなかったら即ハボやわ…」プルプル

ナオ 「フフフ、もっと褒め称えなさい私の仕事を」ドヤッ

ガチャッ

審査員「着替えの終わった選手から私についてきてください。なお、私物の持込はショートと同じく…」

ナオ 「じゃ、頑張って。観客席のほうからじっくり、私の仕事の成果を見せてもらうから」ヒラヒラ

智子 「しっ、…死ぬ気で、滑ります……」カチコチ

ナオ 「……」

ナオ 「…あんたが精一杯やった結果なら、きっと後悔しない未来が待ってるわ」チュッ

智子 「……はっ、はい…」

―控え室―

雪  「あ、智子ちゃん!」

智子 「雪ちゃん…(こいつショート1位で通過してんだよな。しかも120点とかもう金メダル確定したようなもんだろ…)」

喜びに踊り狂う西園寺から、自分が2位通過だと聞かされたのはすっかり忘れている智子だった。

雪  「…すごい衣装だね…なんか、ショートよりぐっと大人っぽいよ」

智子 「あ、ありがと…ゆ、雪ちゃん、も…すごく、きれい…だよ…(何言ってんだ私、くせーよ!)」

雪の衣装は、ショートでの紫を基調とした絹の姫袖から一変して、背中が大きく開いたエジプト風の
丈の短い白のワンピースだった。腕にはまった金の輪が、蛍光灯を反射してきらきら光っている。

雪  「ありがとう、髪は一応そのままだけど、下ろしたほうがいいかな?」

智子 「う、うん…エジプト、だし…そっちの方が、いいかも…」

雪  「じゃ、そうするね」シュルッ

智子 (ふごっ!…髪解いた瞬間、シトラスのいい香りが…)スンカスンカ

審査員「北原選手、そろそろリンクの方へ…」

雪  「あ、はい」

智子 「あれ、雪ちゃんのコーチは…来てないの?」

雪  「聞いてよ、コーチったらひどいんだよ!"君の試合は見る必要がない"って言うの、
    大会の手続きだけしてくれたけど、ここまでも一人で電車に乗って来させられたんだよ、リンクの人たち誰も応援きてくれないし…」

智子 (そりゃ、優勝確定してるようなもんだしな)

雪  「これって私がまだまだ期待はずれだってことなのかな……練習頑張ってるのに…もしかして、
    この大会にエントリーされたのって、まだシニアに上がるのは早いから、自覚しろって事だったり…」ショボン

智子 (違う、そうじゃない)「た、たぶん…信頼してるって事じゃない、かな…」

雪  「!」

智子 (ハッ、なんで私は敵に塩を送ってんだ…!)

雪  「そう…かな。……うん、そうかもしれない……なんで私、変な方向に考えちゃったんだろ」

雪  「ありがと、智子ちゃん。私、がんばるね」ニコッ

智子 「……うん」

雪  「手加減とかなしだよ、お互い精一杯頑張ろ?」

智子 「……当たり前」

雪  「ふふ、そうだね。なんか智子ちゃん、ジュニア上がりたてなのに、私よりずっと大人だね」

審査員「北原選手!」

雪  「はーい、……じゃあ、またリンクで」

控え室を出る雪の背中を見送って、智子は少しだけ、自分が変わったことを知った。

智子 (……精一杯、か…前の私からは想像つかなかった言葉だな…)

―リンク―

智子の滑走順は、雪から二人挟んだ、8番目だった。

ワァァァ…

智子 (すげえ歓声だな…サッカーより熱いんじゃねえのか、このスポーツ)テクテク

廊下を歩く間、一歩ごとに歓声が大きくなる。リンク横でまっていた西園寺は智子の姿を認めると、
にま~っと笑って「芸術点バク上げだな」と励ましてきた。

西園寺「気張ることないぞ。何せショートは2位通過、3位との点差は8.3。
    ジャンプ全部失敗でもしない限り、表彰台はほぼ確実。後はどこまで自己ベストを伸ばせるか…」

智子 「……表彰台、確実…?え、私そんな点数高かったの…?」

西園寺(あちゃー、変に意識させちまったか…)

西園寺「だからな、もう何も考えなくていいってことだよ。お前の持ってる力を出し切れば、メダルは目の前だ」ポンポン

エッジブレードを外して、胸に垂れていた髪束を後ろへ流した智子の肩を、西園寺は優しく叩いた。

西園寺「最初にDアクセルが入ってる。テンポが速いから、一度失敗すると焦りが出るだろうが…
    常に次の要素のことだけを考えて滑るんだ。いいな?」

智子 「はい」コクコク

西園寺「よし、じゃあ行ってこい!」ドンッ

観客A「お、さっきの子だ!」

観客B「髪型変わるとちょっと大人っぽいな…今度はあれか、いーあるふぁんくらぶとか?」

観客A「さすがにフリーもボカロはねえだろ…でも楽しみだな」

智子 (あ、陽菜ちゃんたち真ん中あたり取れてる…すげえな…ゆうちゃん…は、今日も最前列か。当然だな)ヒラヒラ

優  「……」

智子 「?」

智子 (…ちゃんと見とけよ!…まあいいか、どうせ表彰式になったら嫌でも見るんだし)

リンクの真ん中に滑り出て、足を肩幅に広げた状態で右腕だけをぴんと横に伸ばし、音楽が始まるのを待つ。
やがて、静まり返ったリンクに、哀愁を帯びた音色が響く。智子は伸ばした腕で体を抱きかかえるようにして、滑り出した。

~♪

智子 (……最初はゆっくり…)ガッ、シャーーッシャーーッ

観客A「ん?なんだこの曲」

西園寺(黄海懐作曲『賽馬』…内モンゴルの遊牧民たちが競馬に熱狂する様子を、二胡のみで表現した近代中国の名曲。
    真崎がこの曲に辿り着いたのは関連検索の結果だが、智子が気に入ったのは意外だったな)

智子 (最初からクライマックス、って感じなんだよな…この曲。最初は馬が位置について…)ガッ、

智子 (走り出すのを表現してる…から、それに合わせて、Dアクセル)クルクル…

智子 (ああっ、回りきれない…)ザシャーーッ

西園寺(!回転不足か、-0.5だ)

~♪

智子 (くそー、回転足んなかったせいで微妙にテンポずれてる…早く修正しねえと…)シャーーッ、シャーーッ

弦はどんどん速くなる。それに合わせて細かくエッジを動かすサーペンタインで、氷上をくまなく動き回った。
最初の小さなミスは取り返せたものの、速いテンポについていけず、動きが硬くなっている。
審査員の目が微妙に厳しくなった。

ピッ、カラカラカラキュルキュルキュイーン… ♪

智子 (……あ、ピチカートっていうんだっけ、これ)

弦を指で弾き、馬のひづめの音を表現する、この曲最大の特徴。
智子はアラベスクスパイラルの体勢で滑りながら、ちらっと審査員席に視線を向けた。

智子 (やっぱ難しい顔してんな…ここはあのBBA審査員に世代の違いを見せつけるべきか…)クルッ

西園寺(智子!?客席側でやるんじゃなかったのか!?)ガタッ

審査員席の前に滑り出た智子は、その勢いのままぐっと腰を落として、ジャンプの準備体勢に入った。

智子 (練習では、一回だけまぐれで跳べたけど…)

審査員(予定ではダブルトゥループか…ここは簡単なジャンプで様子見する作戦だな)カリカリ

―去年―

西園寺『いいか、智子。ジャンプは筋肉で跳ぶんじゃない。全身の骨格をしならせて、骨を動かして跳ぶんだ。
    その感覚さえつかめれば、アクセルだって安定して跳べるし、怪我することもない…といっても、俺もまだこのノウハウは未完成だがな』

智子 『じゃあ…それさえ覚えれば、四回転とk 西園寺『ハハハ、そいつは無理だ』

西園寺『あの安藤選手だって、四回転サルコウへの挑戦は諦めざるを得なかった。
    女子で四回転なんて夢のまた夢。Tアクセルだってそうだ。猛練習の末にようやく浅田選手だけがモノにした、いわば必殺技さ』

智子 『えっと…』

西園寺『お前は体も小さいし、そこまでは無理だろ。芸術性を磨いて、Dの安定度を高める方がいいさ。
    選手一人ひとりに、向き不向きってのがあるんだ』ポンポン

智子 『……』

―現在―

智子 (コーチはああ言ったけど…四回転が跳べたら…)

智子 (女子の中では優位に立てる!)ガッ

審査員「!」

智子 (そのためにフィギュアやってんだ、スポーツやるのにそれ以外の理由なんてねーだろ!)クルクルクル…

明らかに予定されていたダブルより力のこもった蹴りに、審査員が驚きの表情に変わる。

ザワッ…

審査員「まさか」バッ

クルッ

審査員「やっぱり、四回転トゥループだ!」ガタッ

西園寺「!?」

審査員「が…惜しむらくは、回転が…」

智子 「ちっ!」ザッ…ガッ、クルッ…

いらだちも手伝ってか、次に予定していたDループは、シングルになってしまった。

雪  (…もし、今の四回転が成功してたら…私、追いつかれてたかも…)グッ

智子 (くそっ!…ここで成功してたら、明日のスポーツ紙一面に"隠し玉美少女・覚醒"とでも
    見出しがついたのに…!)シャーーッ、ガッ、クルクルクル…

ピチカートが終わり、キャメルからのドーナツスピンに入る。ピチカートが終わり、再び弓が弦の上を滑りだした。

智子 (……よし、ここからは後半…)

パンッパンッパンッパンッ

智子 「?」

風を切る音、エッジで氷が削れる音に混じって聞こえてくる手拍子に、智子は薄く開いていた目を開けた。

智子 (すげえ…みんな拍手してるよ…)シャーーッシャーーッ

智子 (……)

智子 (中学に入ってから、イジメってほどじゃないけど…認めたくないけど、ハブられるようになって…そんな私がこんな応援されてんだ…
    バカ男子にはクソ木だのゲロ木だの…あれ、これって言葉のイジメじゃね?)ガッ、クルクル…

キュイイーーーン…

馬のいななきを、弓と弦で表現する、この曲最大の見せ場。
智子はそれに合わせて、Tフリップを跳んだ。

智子 (よっし、決まった!これで全部ジャンプ終わり!)ガシャーーーッ

智子 (あとはひたすらステップ…これだけならお前は天才だってコーチも言ってたし、さっきの分は取り戻してやんよ…)

実のところ、フィギュアスケートの採点システムはやや不公平だ。
転倒して尻餅をつくより、着氷はしたが回転不足だった選手のほうが多く減点される。
ゆえに、『転んだ選手のほうが、転ばなかった選手より点数が高い』といった現象がしばしば起こるのだ。(某女子選手しかり)

智子 (――来た、最後!)クルクルクル…

渦巻くような高音が場を支配する。
智子は軽く跳び上がって、T字型のキャメルスピンからビールマンの体勢になった。

智子 (遅い…もっと、もっと速く回んねえと……これが私の公式戦デビューなんだからよ…!)ギュルルルルルル…

回転軸をいつもの半分の細さにして、スピードを上げる。
『ピンッ』と鋭い音が止まると共に、回転を止めて空に左手を掲げた。

ワアッ…

司会 『黒木智子さんの、演技でした』

パチパチパチ…

智子 「……」ゼーハーゼーハー

智子 (あ、やべっ…お愛想タイムだった)ヒラヒラ

四方の客席に手を振っているうち、どこかからぽいっと花束が投げ込まれた。
どうやら、さっきの智子のショートを見てあわてて用意した客がいるらしい。

智子 「えっ?な、何あれ」

間もなく、お揃いの青い衣装をつけた子供たちが出てきて、花束を拾い集めていく。

見ると、西園寺が「帰って来い」と手を振っていたので、入り口のほうへ滑っていった。

西園寺「よく頑張った、お前の体力から言って無茶な選曲かとヒヤヒヤしてたが…
    初の公式戦でこの演技はよかったぞ」ポンポン

智子 「あの、あれって…」

西園寺「ああ、あれはフラワーガールって言ってな、地元クラブのノービスの子供たちが選ばれるんだ。
    投げられた花束やらぬいぐるみやらは、あとで貰えるから安心しろ」

智子 (どうせなら現金でも投げりゃいいのに…)

ピーッ、ガガッ…

西園寺「さて、得点はどうなるかな…」

司会 『黒木智子さんの、得点』

智子はジャージを羽織って、ごくりと唾を飲み込んだ。

智子 (雪ちゃんよりは高くならないかもしれないけど…私の容姿から言ってその他の、
    ノン○タ石田並みに頬骨出てるブスどもは突き放してていいはずだ…)

司会 『103・56…現在時点で2位となります』

ワアッ…

西園寺「ひ、ひゃくさん!?こりゃ、フィギュア歴1年じゃありえない点数だぞ!?」ワナワナ

司会 『なお、Dアクセルの回転不足により-1.5、四回転トゥループの回転不足により、基礎点はTトゥループと同じ
    4・0で計算されます…その後のDループも回転不足によりシングル…合計で、減点は-3となりました』

智子 「ぐっ…結構引かれてやがる…」ガーン

観客A「お、おい…今、四回転つったよな!…なんだよあの子、バケモン?」

観客B「女子で四回転なんて単語、安藤以来聞いたことねえぞ…ましてジュニアなんか、Dアクセルがやっとだろ…」

ザワザワ…

西園寺「と、智子。すぐ戻ろう…喉乾いたろ?」アセアセ

智子 「えっ?あ、は、はい…(何かコーチ、焦ってる…)」

―ロッカールーム―

ナオ 「とーもーこっ!」ムギュウ

智子 「ぐえっ、ぐるじぃ…」ジタバタ

ナオ 「あんたやるじゃない!衣装が喜んでるわよ、頑張りの成果が出たって…」

ガチャッ

選手A「うっ…うええ、ぐすん…」グスグス

智子 (あ、あいつ確かぶっちぎりで最下位になってた奴だ。確か私とは…50点ぐらい差があったよーな…)

選手B「大丈夫だよ、次があるじゃない」

選手A「だって、だってあたし…もう高3だもん…やっぱ無理だったんだよ…」

智子 「?」

選手B「何見てんのよ!」キッ

智子 「へっ!?い、いや、なんも…」

選手B「ふんっ、いいよね。注目される人ってのは」

智子 「えっ、あ、あの…」

ナオ 「ねえ、あんた今なんていったの?」ズオオ…

選手B「ひっ!」

ナオ 「…どうせ15歳になる前には大体の子が限界感じてやめるスポーツでしょ?ここまでズルズルやってきて、結果が出なかったんなら
    才能が足りないだけの話よ。人に八つ当たりする前に、自分を見つめなおしたらどうなの」

選手B「うっ…何よ、あたし別にそんなつもりじゃ…「もういいの!」

選手A「もう、いいよ…あたし、分かってるもん…世界を目指すほどじゃないって分かってたもん…」

選手B「……」

選手A「せっかくの演技の後に、いやな思いさせて、すみません……」ペコッ

ほら行くよ、と促され、噛み付いたほうの少女もしぶしぶ出て行った。

パタン…

ナオ 「ふうっ、まったく。物分り悪い友達持つと大変ね。善意のつもりだからタチが悪いわ」

智子 「……」

ナオ 「何落ち込んでるのよ」バシバシ

智子 (いままで、自分は残り10パーの選ばれし人間だと思ってた。それは今も大体変わらないけど…)

智子 (そうだ…90%は、ああやって泣くしかないんだ…)

智子 (……10%のままでいたい。いや、その中でも一番になりたい)

智子 (…あんな惨めなかませ犬にはなりたくねーな…)グッ

西園寺(おっ、やる気が出たみたいだな。智子も成長してるんだなあ)シミジミ
_____________
>>269
原作だとめちゃくちゃ気を使ってますけどね。

>>270
フィギュアにも、もっと見ていて楽しい選曲をしてほしいと思います。いつも映画音楽とクラシックで飽きてきました…

>>271
もこっち、原作では頑張ってはいるけど方向性があまりにもアレすぎて、努力不足に見える点が多いんですよね。


大変長らくお待たせしました。再開します。
かなり間が空いてしまったので忘れられているかもしれませんが、
保守してくださった皆様には感謝多謝です(ドゲザ)
今回は遊び回。砂浜での下りは「小さな恋の物語」もこっちVer。


□ □ □ □ □ □

実況 『北原、雪さんの得点』

智子 「……」ドキドキドキドキ

西園寺「……」ドキドキドキ

実況 『……108.09!』

ワアッ

実況 『総合得点、229.97!』

西園寺「四位か……あと0.8で得点台行けたんだがな。ショートの芸術点が
    足引っぱったか。フリーでチャレンジしたのはよかったが……
    追いつけなかったな

智子 「うう……」グサー

西園寺「ま、初めての大会にしちゃ上出来だ。今日は帰ってゆっくり休め」ポンポン

―ロッカールーム―

智子 (うわああああ!!四位!四位だぞ!?ドブスな厨房スケーターと
    エラ張った顔面凶器のま~ん(笑)押しのけて初級者が四位!!幼稚園から大金払った
    奴らざまあwwwww交際発表した時に真崎さんのアンチスレ伸ばしてたスケオタババア
    息してっか?wwww)ガンガンガン

智子 「ふう……やっと落ち着いた……」

智子 「……ふふ、ふへへへ、へへへへへっ……」ニマー

雪  「……」キィー

雪  「あの……智子ちゃん」

智子 「ふべっ!?ゆ、雪様、いつからそこに……い、いらせられて……」

雪  (……様?)

雪  「表彰式終わったから、早く着替えたくて」ゴソゴソ

智子 「そ、そうで、す……か。はあ……」

雪  「おめでと」ゴソゴソ

智子 「へっ?」

雪  「四位入賞、おめでとう。ジュニア上がったばっかりですごいね」キュッ、シュルシュル

智子 「そ、そんな……き、金メダルに、比べたら……あー……」オドオド

智子 (はっ、これはまさか、こういう意味か!)

モヤモヤーン…

雪  『おーほっほっほっ、あなたごとき私様の敵ではなくってよ!
    せいぜい四位でぬか喜びしてなさい初心者!では、私は一足先に
    シニアへ上がるけど、あなたは永遠にそこにいなさいな!あーはっはっはっ!』

モヤモヤーン…

雪  「私、勘違いしてた。同い年でずっとやってきたんじゃなくて、去年始めた
    ばっかりなんだね。……バカみたい、私」ゴソゴソ

雪  「だから、私もまだジュニアで頑張る」

智子 「……えっ!?」

雪  「コーチは怒ると思うけど、もう決めたから。まだシニアには行かない。
    ジュニアで智子ちゃんと戦う」

智子 「……」カチーン

雪  「今日は楽しかったよ。じゃ、また全日本でね」ヒラヒラ

ガチャッ、バタン…

智子 「……」

智子 「……はっ、あまりの出来事に脳がフリーズしてた!」

【回想】

西園寺『北原雪?ああ、小学生でトリプルアクセル跳べるって話題だった子か。
    札幌出身だったかなあ。軸も細くって、おまけに成功率100パー』

智子 『?』

西園寺『だから、トリプルアクセルを。練習じゃ四回転もバンバン跳んでんぞあの子』

智子 (うわあああ跳べないのにアホなチャレンジした私氏ね!!上手で美人でスタイル抜群って……もう私どんなキャラで生き残れば
    いんだよ!もう全部枠埋まってるし)

西園寺『色物枠は残ってるぞ』ヒョコッ

智子 (脳を読むな劣化切原ァァァァァ!!)

【現在】

智子 「うう、穴があったら入りたい…つーかそこらへんに掘って埋まりたい…」トボトボ


こうして、智子は初めての大会、東京夏季ジュニアを四位で終えた。
しかし翌日。智子はアホなチャレンジの代償を払うことになる。


智子 「うう、いだいぃぃぃ、筋肉がっ…特に関節の辺りが死ぬほど痛いっ…!」

智子 「はあ、ゲームでもして何とかやり過ごそう……っ、だ、あーっ!」

母  「サロンパスいる?それともアンメルツにする?」ガチャッ

智子 (ババア!ノックしろよ!!……でも今は神の助け!)

智子 「ど、どっちでもい……いだああああ!」

母  「はいはい、どこら辺が痛いの?」ペラッ

智子 「肩甲骨……つーか肩と腰と背中と足全部……っだああああ!」ゴロゴロ

母  「もー、こんなんでどうやってオリンピック行くのよ」ブツブツ

―そのころの西園寺―

西園寺「智子、大丈夫かな。四回転は異常な負荷がかかるし、女子の体格じゃ
    どのみち無理なんだよな。回転さえすりゃ跳べないことはないけど、
    問題は着氷だし……アクセルの成功率上げるほうが現実的だって
    教えた方がいいか」ポリポリ

西園寺「ここまで全力で滑ったことはないから、智子の奴今ごろ凄い筋肉痛だろーな。
    後で電話してみっか」ポリポリ

西園寺「あ、ポテチ切れた。……しゃあない、買いに行くか……」スッ

西園寺「~~~!!?」ゴロゴロゴロ

西園寺「こ、腰が……ギックリ……」ズキズキズキ
________________

陽菜 「夏だ!」

岡田 「海だ!」

清田 「水着だ!……の、はずでしたが。皆さんに悲しいお知らせがあります」

陽菜 「?」

清田 「なんと、黒木選手。サーフィンの聖地、湘南江ノ島にスクール水着での登場です!」パチパチパチ

智子 「うぐっ……」プルプル

清田 「紺色のスクール水着(Mizuno.学校指定)!胸元にマジックで書かれた苗字!
    髪の毛は白い帽子に全入れでトラッドにまとめて、さらにビート板でアクセント!
    レトロな海水浴スタイルは今のトレンド?」バァァァン

智子 (もうやめろおおおお!!)

智子 (弟以外の男を交えて海に行く……その緊張だけが理由ではない。
    百貨店に行けば買えないことはなかった…だがその理由まではこいつでも読めまい)

智子 (なぜなら、リア充丸出しな店員が怖いから!!)ドギャアアアン

智子 (……自覚するとキツいな)ズーン

陽菜 「ちょっとー、その言い方はないじゃん。落ち込んでるよー」プルンプルン

岡田 「そうだよー。別に泳げりゃいいじゃない、ねー」プルプル

清田 「それがよくないんですな」チッチッチッ

他三人「……」イラッ

清田 「見ろ、向こうの豹柄ビキニを!そして波打ち際に横たわるFカップ美女を!」

岡田 「……」

陽菜 「はあ」

清田 「どこを見回しても胸、尻、太もも!ビキニのパンツから覗くハミ尻、
    処理の甘いムダ毛がうっすらと残る太もも!合法的な露出、解放された扇情、
    それがビーチ!それが江ノ島!俺はここで思い出を作r……」ポン

ライフセーバー「君。ちょっと、いいかな?」ニコニコ

清田がずるずると引きずって行かれるのを、三人は皇室のごときお手振りで見送った。

陽菜 「どうする?最初だし、ボール使う?」

岡田 「時間あんまないし、まずは泳ごうよ」

陽菜 「そだねー。智子ちゃん泳げる?」

智子 「わ、私は…あんまり…」

陽菜 「顔つけれる?」

智子 「そ、それなら何とか……」

岡田 「じゃあビート板もあるし、練習しよう!私25メートル泳げるし、教えたげるよ!」ドヤアッ

【数分後】

智子 「……」ブクブクブクブク

陽菜 「わー!!」

岡田 「浜!浜上がって!」

_________________

智子 「……沈んだ」ズーン

清田 「……学校名バレた」ズーン

智子 (お前は自業自得だろ!)

清田 「あーもうやる気なくした。こうなったら砂を極める。俺は砂浜のガイアになる」ゴソゴソ

智子 (お前のガイアはもっと落ち着けと囁いてるよ)

清田 「あ、そっち手伝って。もうちょっと砂かけて俺に」

智子 「……あ、うん…」ザッザッ

清田 「お嬢さん筋いーねー。俺の店で働かないかーい」フウ

智子 (わけわかんねえよ!つーか自分でやれ!)ザッザッ

清田 「あー気持ちいい。熱くて気持ちいーわー。このまま寝ちゃいそう」グー

智子 「って、マジで寝るのかよ!」

智子 「……顔にかけてやろう」ザラザラザラ

ギャルA「あー、砂遊びしてる……ぷっ、何これー、砂で巨乳作ってるよー」

ギャルB「見て見て、結構イケメンじゃね?」

智子 (……リア充の聖地と我慢もしてやったが、接触を持てば話は別だ……
    河口付近で溺れろアバズレども!とっとと海上がって江ノ島のクラブで
    男漁ってろ!)フギギギギ

ギャルA「あ、怒った怒ったー」ケラケラ

ギャルB「大丈夫だって、お父さん取らないから。ごめんねー」ニコニコ

智子  (……清田も考えようによっちゃ可哀想だな。老け顔で)

自分が子供に見えるという発想はないようだ。

__________________

智子 「ただいま……」ガチャッ

母  「あら、早いわね。海どうだった?」

智子 「ま、まあまあ…楽し、かった」

母  「あ、そういえば」ポン

母  「あんたが海出かけたすぐ後にね、なんて言ったっけあの子…あの、
    髪の毛くるくる巻いてる女の子」

智子 「ゆうちゃん?」

母  「あ、そうそう。その子が来たんだけど。学校の子と遊びに行ったって
    言ったら、帰っちゃったわよ」

智子 「ふーん……」

智子 (ゆうちゃん、何の用事だったんだ……?家まで来たって事は
    緊急か?)プルルルルー

智子 (……出ない)プッ

智子 (まあ、後でメールしとこう)

とりあえず今日はここまで。
かなり前の一緒に帰ってる所でネモが出してた「あの話」というのは
この海行きのことです。
次回は健康診断回。

智子 (ついに…ついに来たッ……!健康診断という名の悪夢……!!)

智子 (胸っ……圧倒的洗濯板っ……だが今年の私は一味違う、きっと……!)

校医 「はい、158cm」カコーン

智子 「……えっ?ひ、ひゃくごじゅっ……えっ?」

校医 「去年より7cm伸びてるよ、おめでとう」カリカリ


【一方その頃、隣の体重計】


陽菜 「えっ?嘘だよね、55キロって嘘だよね?きっとそうだよ、この体重計壊れてるんだよ、
    だって私、ご飯のお代わり半年もガマンしてたんだから」ガタガタ

校医 「こら、体重計揺らさない!」

智子 (うわ、あんな見事なレ〇プ目、受験日のゆうちゃん以来だわ……
    つーか50キロの私にケンカ売ってんのかネモ)

陽菜 「ねえ智子、スケートってすごい筋肉つくんだよね。前言ってたの覚えてるんだよ私」グリンッ

智子 「!?」ゾワッ

陽菜 「私たち友達だよね?苦しみも楽しみも半分ずつのはずだよね?付き合ってくれるよね、ね?」ズォォ

智子 「えっ、えーっと……」クルッ

岡田 「」サッ

智子 (脆いものなんだな、友情って……)

__________________

【シーズン開始前のステータス】

【名前】黒木智子

【身長】150cm→158cm

【体重】36kg→50kg

【得意】ステップシークエンス、トゥループ

【苦手】芸術表現、スピン全般、アクセル、ルッツ

【目標】全日本GPに出たい。そして下駄箱をラブレターで埋め尽くしたい。

―放課後、常葉アイススケートリンク―


西園寺「えー、今日は2016年9月10日です……」

智子 (とっくに旬過ぎてんだよ、キ〇タクネタは)

西園寺「そして、関東ブロック選手権大会が、9月30日から10月4日だ。
    ちなみに女子ジュニアは、お前の他に40人エントリーしてるらしい」

智子 「よっ……よんじゅっ……」

西園寺「まあ、ジュニアのほうが人数多いからな。ジュニアのSPが30日、1日あけて10月2日がFP。
    上位3名とシード2名が、東日本ブロック大会へ進出。そこを勝ち抜けば、全日本!ってわけだ」

智子 (ふへっ…ふへへっ……全日本からはテレビ中継が入る……
    私は氷上の天使として生まれ変わる!過去はもう)

西園寺「で、だ。妄想はそれくらいにして……早速SPの曲決め行くぞ。時間ないからな」

智子 (腐りかけのワカメみてえな頭しやがってよおーー!!テメエがもっと早く言ってりゃ
    時間はあったんだよおおーー!!)

ショートプログラムは、2分50秒まで。
2回転または3回転のアクセル、ステップシークエンスなど、7つの要素を含んだプログラムを行う。

ボーカロイド、アニメソングなどいくつか候補が上がったが、どれもしっくり来ず。

西園寺「まあ、音源の許可は取りやすそうだし……じゃ、SPはこれで行くか」ハハハ

智子 (2ちゃんソースだとクソだったらしいけど……一応中身把握しとくか)


【その夜】

チャーンチャチャチャーン

?? 『わしはこんな所、来とうなかった!』

?? 『戦は嫌にござりまする!』

智子 (10枚1000円……!ジャ〇プ1か月分の値段でこんなクソドラマ借りちまった……!
    なんでVeohの動画削除しやがったんだクソがぁぁー!!タダで見れたら金出して
    借りねーんだよぉぉーー!!)

智子の失敗をよそに、運命の日――9月30日はやってきた。

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お久しぶりです。就活が一段楽したので再開。
できれば明日にはSPにいきたいです。SPの曲はバレバレでしょうが…

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