拓海「アイドルになって、10年が経った」 (40)

・スレ立て、SS投稿共に初めてです。

・アイドルマスターの向井拓海がメインです。

・10年後という設定です。

SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1456069103

始まりは突然で、唐突で、理不尽だった。

でもそれ以上に新鮮で、過激で、愉快だった。

たくさんの仲間と、たくさんのファン。

それまでの自分が嘘みたいで、

キラキラしたステージに立ってる自分は、

自分が見てる夢なんじゃないかって何度も思った。

でも、夢なんかじゃなかった。

たくさんの思い出は、今も残ってる。

そして、今でも思い出す。

アタシがアイドルを引退してから、2年が経った。

「気を付けてな」

日曜の朝。
そう言って「彼」は、
玄関を出ようとするアタシを見送ってくれた。

「多分、昼過ぎには帰ってくるよ、プロ…」

思わず口に出しかけて、口を閉じる。
「彼」との関係が変わって2年が経っても、
この呼び方はなかなかアタシから離れてくれない。

「…じゃあ、行ってくる」

「ああ、行ってらっしゃい」

アイドルを引退して、1年が経って、

アタシは「彼」と結婚した。

「彼」に出会う前は、
アイドルみたいに華やかな世界なんかじゃなくて、もっと荒っぽくて、過激だけど、退屈な、
そんな日々を送っていた。

そこからアタシを見つけ出して、
半ば強引にアイドルの世界に導いてくれたのが「彼」だった。

そんな「彼」に惹かれたのはいつからだろう。
最初の印象は悪かった気がする。
今ではそんなこと、微塵も思いはしないが。

そうしてアタシは、
「特攻隊長『向井拓海』」は、

「アイドル『向井拓海』」になった。

「彼」との結婚は、
アイドルを引退する前から考えていたことだった。

それまでアイドルとして活動していたアタシは、
徐々に仕事を減らしていき、
世間の興味から外れた頃合いを狙って、
ひっそりと芸能界から姿を消した。

それから1年の交際を経て、
去年の今頃、「彼」と式を挙げた。

引退した後にも関わらず、
新聞に小さく取り上げられたりはしたが、
世間にそんなに騒がれなかったのは幸いだった。

過激で、華やかで、忙しい日々との別れ。

「彼」と結ばれた時、「アイドル『向井拓海』」は本当の意味でいなくなったのだと実感した。

「彼」との生活が始まって、そろそろ1年が経つ。

メールが届いたのは、先週のことだった。

送り主は、アタシも「彼」も知っている人物。

あのアイドル時代を一緒に過ごした大切な仲間の1人、片桐早苗だった。

要約すると、メールにはこう書かれていた。

『久しぶりに、会って話がしたいな』

『最寄りの駅で待ち合わせて、そこからオシャレな喫茶店にでも行って、語り合いましょ』

…顔文字やら絵文字やらで読みにくかった。

片桐早苗…アタシは「早苗さん」と呼ぶ。

早苗さんはアタシと「彼」の結婚に賛成してくれていて、アタシがアイドル活動を引退しようとして仕事を減らしていた時も、代わりに仕事を受けたりしてくれた。

なにより、アタシも早苗さんには会いたかった。
「彼」と結婚してからは1度しか会っていない。
それも半年程前のことだった。

女優として活躍する彼女のオフである今日、
アタシは半年ぶりに彼女に会うため、最寄り駅へと足を運んだ。

「久しぶり~、拓海ちゃん」

待ち合わせの時間より5分程早く、
最寄り駅には既に早苗さんがいた。

「ゴメン早苗さん、待たせちまったか」

「いいのよー別に。待ち合わせの時間より早く来たのは私の勝手だもの」

アタシは引退した身だが、早苗さんは違う。
女優として活躍中の彼女は、メガネをかけたりとちょっとした変装をしていた。

「それじゃ、さっさと落ち着ける場所に行きましょ。日曜日だから人も多いし」

そう言って早苗さんとアタシは、歩いて数分の場所にある喫茶店に向かった。

喫茶店はテーブルとテーブルの間に仕切りがあって、隣の席からも座ってる人は見えないようになっていた。
ここなら早苗さんも周りを気にしないで済む。

適当な席に座ると、早苗さんはかけていたメガネを外し、被っていた帽子を脱いだ。
それから2人でコーヒーを頼んだ。

「ふーっ…やっと落ち着けるわねー」

「久しぶりに会えて嬉しいよ、早苗さん」

「私もよ、拓海ちゃん。半年ぶりぐらいかしら?」

「ああ、そんぐらいになるかな」

「ふふ、元気そうでよかった」

そう言って早苗さんはニッコリと笑う。
昔からよく笑う人だったが、10年経ってもその優しそうな笑顔は変わらない人だった。

「さーて、何から話そうかしらねー…」

「今の事務所はどんな感じなんだ?」

「そうねぇ、また今年も若いコが何人か入ったわ」

早苗さんは今年で38歳…だったはず。
そんな彼女からすると大体の新人は「若いコ」になるんだろうなぁとか、少し失礼なことを考てしまった。

「皆エネルギッシュっていうか、若さに溢れてるっていうか…」

「ははは…」

「…あのコ達見てると思い出すわ。昔の拓海ちゃんとか、他の皆とか」

「………」

2年前、アタシがアイドルを引退した時。
それまでの仲間達…当時のアイドル達で今もあの事務所で活動しているのは、早苗さんを含めても数人しかいない。

「今度ね、楓ちゃん結婚するの」

「えっ」

突然出てきた知人の名前に驚いた。

「お相手は今のプロデューサー。本人は直前まで隠そうとしてたらしいんだけど、この前お酒の席でポロっとね」

「それじゃあ…」

「うん。楓ちゃんも今年でアイドル引退」

「マジか…」

「マジよマジ。また1人いなくなっちゃうわねー」

それは「同期が」なのか「飲み仲間が」なのかは聞かなかったが、そう言う早苗さんは少し寂しげな表情をしていた。

「はぁーっ…私も結婚したいなー…」

大きな溜め息を吐く早苗さん。
冗談混じりの口調で話すことが多い彼女だが、
結婚したいというのは本心のようだった。

「今のプロデューサーはどうなんだ?」

「彼ねー…真面目だしいい人なんだけど、ちょっと若すぎるかなー」

「はは…」

「まっ、歳が近いプロデューサーもいるにはいるけど、その人にはもう可愛い可愛いお嫁さんがいるんだものねー」

「うぐっ」

アタシが「可愛い可愛いお嫁さん」かどうかはともかく、早苗さんが言ったのは「彼」のことだ。
「彼」と早苗さんは歳が近い。

「どうなの?最近あの人とは」

「どうって…別に普通だよ、普通」

「ホントに~?なんか面白い話とかないの~?」

「ねーよホントに!ったく…」

新婚生活の甘い話でも期待してるのだろうが、
アタシはあんまりそういう話を人に話したくはなかった。…甘い話が無いわけではない。
特に、酒の席で誰にでもポロポロと話してしまいそうな早苗さんには。

「早く飲まねえと冷めちまうぞ」

「もー。つれないんだから~」

そうして誤魔化すようにコーヒーを啜っていると、

「…子供は?」

「ゴッフォッ!」

突然の話題に、思いっきりむせた。

「ちょっ、大丈夫?」

「ゲッホ、ゴホッ…あ、アンタなぁ!」

「ごめんごめん。まさかそこまで動揺するとは思ってなくて」

「…喫茶店で話す話題じゃねえだろ」

「えー。でも気になるじゃない。どう?あの人とは。結構シてるの?」

「だから喫茶店で話す話題じゃねえっての!」

早苗さんを怒鳴りつける。
昔からそういう話題が好きな人ではあったが、
こんな喫茶店でもされるとは思わなかった。

「酔っ払いのオッサンかよアンタは…」

「でも、もう結婚して1年でしょ?そろそろ…」

「いいんだよまだ!アイツもそういう話しねぇし」

「あら、そうなの?事務所ではいつも…」

「え?」

どうやら早苗さんは冗談で言っただけではなかったようだった。

「あの人、いつも事務所で言ってるのよ?『子供っていいですよねー』とか、『俺も父親になりたいなー』とか」

「それ本当か…?」

早苗さんが言ったことが信じられなかった。
「彼」と過ごして1年になるが、そんな話をまともにされたことはほとんど無かったからだ。

「へぇー…あの人拓海ちゃんにはそういう話しないんだー…」

「そんな素振りさえ見せたことねえぞ…」

割とショックだった。
「彼」のことは誰よりも知っているはずだったが、
早苗さんから話を聞いてその自信はどこかへ行ってしまった。

「拓海ちゃんはどうなの?」

「どうって…」

真剣に考えたことはなかった。
いつかは…とは思っていたが、今すぐにというわけではなかったし。

「…わからない」

「そりゃそうよねー。大事な話だもん」

「…今度しっかり話してみるよ」

「そうした方がいいわね。事務所で言ってたのもただの気まぐれかもしれないし」

そう言って、
ようやく早苗さんはコーヒーを飲み始めた。
そのあと、その話題が出ることはもう無かった。

そうして早苗さんの仕事の話やアタシの今の生活の話をしている内に、1時間程経った。
何杯かのコーヒーの他にも、ケーキを注文した。

「そういえば、拓海ちゃんあの人と結婚してそろそろ1年だけど、結婚記念日っていつだったかしら」

「結婚記念日?あー…」

そういえば忘れていた。
結婚してから1年の記念日。
早苗さんには笑われるかもしれないが、そんな大事な日は彼と一緒に過ごしたいなんて考えたりする。

「ケータイに結婚式の写真残ってるから、日付見てあげる」

「おう」

そうして早苗さんはケータイを取り出して、
アタシもケーキを食べようとスプーンを手に取って、

「………今日じゃない?」

スプーンを落とした。

「きょ、今日?」

「今日。TODAY」

「…………!!」

言葉が出なかった。
驚きすぎて、情けなさすぎて。

「本当に忘れてたの?」

「わ、忘れてた…」

「あの人は?」

「何にも言ってこなかったから、多分アイツも…」

「夫婦揃って結婚記念日忘れるって…」

早苗さんにも呆れられてしまった。
初めての結婚記念日に喫茶店でケーキ食べてる嫁と、それを普通に見送った夫。
その両方が記念日を忘れていたわけだ。

「ど、どうしよう」

「どうしようも何も、もう仕方ないんじゃない?」

「仕方ないって…」

「元々、お昼頃には解散する予定だったでしょう?早く帰って、あの人にも今日が結婚記念日だって思い出せてあげなくちゃ」

「そ、そうか。そうだよな」

早苗さんの言う通りにすることにした。

「じゃ、さっさと会計済ませちゃいましょうか。私が奢ってあげちゃおっかなー」

「えっ、それは悪いよ…早苗さんはわざわざ電車で来てくれたのに…」

「いいのよ別に。こーゆー時しかお金使わないし」

「でも」

「いーからほら!さっさと帰った帰った!」

「あっ、ちょ、押すなって!」

早苗さんに店の外まで追い出されてしまった。

ドアの向こうで手を振ってる早苗さんに深く礼をして、アタシは家に向かった。

家に帰る途中、近所の菓子屋でケーキを買った。
「彼」も仕事帰りによく寄って、シュークリームなどを買ってきてくれる店だ。
記念日だから…というのは後付けの理由で、
忘れていたことへの謝罪の為に買ったのかもしれない。

そうして、ようやくアタシは家に帰ってきた。

「た、ただいま」

「あれ?結構早かったな」

「お、おう」

「彼」はリビングで、PCに向き合っていた。
画面にはスケジュール表のようなものが映っている。
恐らく仕事をしていたのだろう。

「どうだった?早苗さん」

「…えっ?ああ、元気そうだったぞ…」

「どうかしたか?」

「いや、その…」

目を合わせにくい。
どうやって話を切りだそうかわからなかった。

そうして、自然と「彼」から目を反らすと…

テーブルの上に、アタシが持っているのと同じビニール袋に入った、ケーキの箱があった。

「それ…」

思わず自分が持っているビニール袋と見合わせる。
「彼」もその視線に気づいたようだった。

「あれ?拓海も買ってきちゃったのか、ケーキ」

「なんで…」

「なんでって…今日は結婚記念日じゃないか」

そう言うと、「彼」は笑いながらテーブルの上のケーキの箱を袋から取り出した。

「サプライズにしようと思ってな。拓海が出かけた後に、俺も買ってきたんだよ」

「え…あ…」

「拓海も買ってくるとは思わなかったけど…まあ俺のは事務所にでも持っていけばいいか」

「結婚記念日…忘れてるのかと思ってた…」

アタシがそういうと「彼」は不思議そうな顔をした。

「何言ってるんだよ。こんな大事な日、忘れるわけないだろ?」

「……っ!」

ポロポロと、涙が溢れた。

「彼」は今日を忘れてなんかいなかった。

忘れてたのは、アタシだけだったのだ。

「…落ち着いたか?」

「…………うん」

結局、大泣きしてしまった。

「彼」の胸に頭を押し付けて、
ずっとそうして、ようやく落ち着いた。

「そっか…忘れてたのか…」

「…………ごめん」

「いや、俺も思い出したのは最近なんだ」

「彼」はアタシを責めなかったし、気にしてる様子も見せなかった。

「久しぶりに見たよ、拓海の泣き顔」

「彼」とアタシの関係が「プロデューサーとアイドル」だった頃から、「彼」はアタシの失敗を責めたことは1度も無かった。

また、「彼」の優しさに甘えてしまった。

そう思うと、涙がどんどん溢れてきて、どうしようもなくなってしまった。

「ほら、もう夕飯作らないと」

「…アタシも手伝う」

「いいよ、拓海はゆっくりしてて」

普段夕飯を作るのは「彼」だ。
アタシも料理ができないわけではないが、
1人での生活が長かったからか、「彼」の方が料理が得意だった。

そうして「彼」が作った夕飯を食べながら、
アタシは今日のことを話した。

「楓さんが結婚!?」

「やっぱりアンタも知らなかったか」

「知らなかった…担当外れてるけど、同じ事務所なのに…」

早苗さんと話した話題を、彼とも話した。
…子供のこと以外。
まだ話を切り出すのは早いかと思った。
ただ、アタシが話題から逃げていただけなのかもしれないが。

「……でかいな」

「……ホールで買っちまったから…」

「…うん、美味しい」

「そ、そうか」

夕飯を食べた後、
アタシが買ってきたケーキを食べて、

「あ、これウチの事務所の新人」

「へぇー…」

その後、一緒にTVを見て、

「一緒に入る?」

「やだ」

それぞれ風呂にも入った。

そして、寝室に布団を敷いて…

「………」

「どうしかしたか?」

「…いや、結婚記念日なのに普通に過ごしちまってよかったのかなって」

「俺は別に、普通でよかったけど」

「でも…」

「結婚記念日だからって、特別なことをしなくちゃいけない理由にはならないよ」

「彼」は優しく笑う。

「朝起きたら拓海がいて、仕事して、帰ってきても拓海がいて、一緒にご飯食べて、寝て、また朝起きて…それで俺は充分だよ」

そう言って、「彼」はアタシの髪を撫でる。

「だから俺は全然気にしてないよ、だからそんな顔ないでさ、ほら…」

「え…」

いつの間にか、
アタシはまた泣いていたみたいだった。

その後、また彼の胸に頭を押し付けて、

その温もりに包まれたまま、眠りについた。

朝、起きると隣で「彼」はまだ寝ていた。

寝顔をしばらく眺めてる内に、昨日の早苗さんの話を思い出した。

「子供か…」

早苗さんから教えられた、「彼」の本音。

もし子供を持つことが「彼」の幸せなら、
それはアタシの幸せでもあるはずだ。

きっと「彼」ならいい父親になるだろう。
アタシもいい母親になるよう努力する。

それでも、今だけは。

今だけは、この寝顔を見るのはアタシだけの特権で合って欲しい。

そう思った。

アタシが「彼」に出会って、10年が経った。

アタシが「彼」と結ばれて、1年が経った。

きっとまた次の1年も、その次の1年も、
それらが積み重なって、10年経っても、

アタシは「彼」と…プロデューサーと。

どこまでも一緒に歩いていけるだろう。

「これからも『プロデュース』…よろしくな」

アタシがアイドルになって、10年が経った。

アタシがプロデューサーと出会って、10年が経った。

以上になります。
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