モバP「15年ぶりの鷺沢文香」 (45)

登場キャラ……鷺沢文香、プロデューサー

※鷺沢文香
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http://i.imgur.com/acQrAA8.jpg


※地の文あり
※独自設定多め



SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1451754190






――プロデューサーさんは……私をアイドルにしたこと、後悔していますか。








「モバPさん。最近、鷺沢文香と連絡取りました?」

ある日の仕事中、別事務所のプロデューサーと顔を合わせている時、
彼から不意に、かつての担当アイドル・鷺沢文香の名前を聞かされた。

「いいえ。鷺沢が引退して、地元の長野に戻ってから、それきりです。
 10年以上は話していないですよ。鷺沢が、どうかいたしましたか」



何事か、と俺が問うと、彼は何故か得意気にペラペラ喋り出した。

「もうすぐ、古書ブームが来るでしょう。
 新田次郎とか、向田邦子とか、横溝正史とか、大物がそろそろ著作権切れますから。
 それに合わせて、昔に鷺沢文香が主演で当てたアレ――古書店ミステリの映画をリメイクするんです」

「その企画、部外者の私へ漏らしていい話なんですか」
「んー、大丈夫ですよね。モバPさん、口が堅いでしょうから」
「はぁ」



鷺沢文香は、俺が昔――プロデューサーとして最前線にいた頃――担当していたアイドルの一人だ。

当時、文学部の女子学生だった文香が、神保町の古書店で店番をしていたところを、
俺が直接スカウトし、担当アイドルとした。

文香は当初、ライブを中心としたアイドル活動を行っていたが、
既に勢いに乗っていた渋谷凛や神崎蘭子と比べると、人気は物足りなかった。

さて、どうしたものかと思っていたところ、俺はあるベストセラー小説の映画化の企画を知った。
その小説は、古書店の女店主が主人公であった。

「それにしても、古書店シリーズとは懐かしい。そんなもの、やらせましたね。
 鷺沢は古書店の本棚が似合う珍しいアイドルだったので、ハマるかと思いまして」



古書店で実際に店番をやっていた文香なら、その主演にうってつけだ――と思った俺は、
プロダクションのツテで、女優経験のなかった文香を強引にオーディションへねじこんだ。

結果、文香は主演を勝ち取った。
演技力は未熟だったが、文香自身が役柄のイメージそのままだったのが幸いした。
映画もヒットを飛ばし、文香は一躍時の人となった。

「リメイクとなると、鷺沢版とも言うべき前の客を引っ掛けたいじゃないですか。
 だから、彼女を宣伝に使おうと声をかけたんです。でも、色よい返事がもらえなくて」
「鷺沢は、芸能界を引退して随分経ちますからね」



だが、文香の芸能生活は長く続かなかった。

あの映画が、あまりに鮮やかに人々の印象に残った。
以降の文香は、どのドラマに出しても、
劇中の――物静かで清楚な古書堂の女店主――イメージから脱皮できなかった。




「アレは鷺沢の代表作で……取ってきた直後は、私も担当Pとして鼻高々でした。
 しかし今振り返ると、アレが女優生命を縮めてしまったんじゃないか、と思います」

映画でもドラマでも、あのイメージ――素の文香――のようなニッチな役は、需要が少ない。
その上、アイドルからいきなり女優という転向で、演技の経験も不足していた。
演じられる役の幅が狭く、すぐに馬脚を露わしてしまい、仕事がどんどん減ってしまった。



「最初はステージで歌って踊るアイドルをやらせていたのに、
 下積みも無しでいきなり女優にしてしまって。彼女には、苦労をかけました」

仕事が減っていくに連れて、文香の芸能活動に対する意欲も冷めていった。
無理もなかった。俺の無茶振りに付き合わされて、それに必死でついていったら、あの有様だ。



ならば、文香をアイドル路線へ戻してやれば良かったのか。
それも、なかなかできない相談だった。

アイドルから女優へ、ヨソの部門のパイを強引に荒らしてからシレッと路線を戻す……
もし文香が女優として完全に失敗していれば、そんなマネしても臆面は無かった。

が、曲がりなりにもヒットさせてしまった。女優路線ならもっとうまくいくんじゃないか。
俺を含めた文香の周囲がそう思って、『あの当たりをもう一度』と、守株に傾いてしまった。

つまりは、プロデュースする側の都合だった。



あの映画から数年後、文香は引退を申し出た。
俺は引き止めた――今思い出すと、見苦しく思えるほど――が、文香を翻意させられなかった。

『もう私は、貴方の期待に応えるのが難しいと、そう思いますから……』

この言葉から、文香が包んでくれたオブラートを剥がしたら、
『もうついて行けない』ということだろう。



文香は東京を離れ、地元・信州の大学に戻ったと聞いた。

俺が文香について知っているのは、そこまでだった。





「実はね、モバPさん。今更になって、鷺沢文香の話を切り出したのは訳がありまして」

彼が口にした『今更』という響きが、妙にチクチクと刺さった。
彼にとって文香は、『あの人は今』に出るような過去の存在らしい。

確かに、かなり前の話だから、一般的には彼の感覚が正しいのだろう。

「リメイク版の女店主、うちのプロダクションの子がやるんです。
 だから、たった一日でもいい。鷺沢文香を長野から引っ張り出したい」
「彼女の説得を、俺にやれ、と」

俺の問いに、彼は頷いた。



「今の彼女は大学勤めで、連絡先を調べるのは簡単だったのですが、
 私が交渉したら断られてしまって。そのとき、彼女から気になることを聞いたのです」

彼はしばらく黙りこくった。
なんだよ。口が軽いくせに、勿体つけて。


「彼女は『モバPさんが来てくれるなら、話だけは聞きます』って言ったんです」



オススメスレに挙がってたの読んだよ。
あんたの作品が一番好きだ。期待




彼との会話が終わって数日後。
俺は、文香が勤めている大学の職員名簿を調べた。

文香の肩書には『准教授』とついていた。専門分野は日本の古典文学らしい。
論文のタイトルを流し見してみた。いつの時代の日本文学かさえ分からなかった。

文香は芸能界から遠く離れた世界へ進んだのだ――その事実が、俺の内心を鈍く打ち据える。

文香にとって、俺の元でアイドルをやった経験に、何か意味はあったんだろうか。
文香の名前にくっついている肩書は、何も答えてくれない。
この教員紹介の欄だけを見た人は、まさかこの教官が元・アイドルとは思わないだろう。



俺は躊躇(ためら)った末に、文香が教鞭を執る大学へ連絡を取った。



文香と直接話すことはできなかった。俺は、自分の連絡先だけ伝えておいた。
すると半日ほど経ってから、俺の端末へメッセージが届いた。

『時間の都合がつけば、ですが――』

たったこれだけの枕詞のあとに、面会可能な日時だけが淡々と列記されていた。

文香は、俺に何か話すことがあるらしい。
そしてそれを聞くには、膝を突き合わせる必要があるようだ。
年配でもテレビ電話に抵抗がなくなった今の時代に、ゆかしいことだ。

俺は自分のスケジュールを、目を皿にして眺めた。
文香は何を話すつもりなのか。



端末越しのやり取りで日時を取り決める。
面会の日、俺は無理を利かせて仕事を切り上げ、東京から長野へ向かった。

信濃路へ向かう特急は、半世紀前のあずさ2号よりだいぶ早くなっていて、
文香とのことを思い出し切る前に、俺を長野まで届けていた。



特急を降りると、すっかり日が暮れていた。これは予定通りだ。
大学の先生は、時間に融通が利かないらしく、
文香が面会の候補に上げた時間帯は、どれも夕方か夜だった。



長野駅前には、噴水に囲まれて高々と立つ女性の立像がある。
名前は『如是姫』と言って、当地の名刹・善光寺にちなんだ像と聞いている。
『如是』は、是(これ)の如(ごと)く――望みのままこのように、という意味らしい。

文香が指定した待ち合わせ場所は、その像の前。

チョイスに皮肉めいた響きを感じるのは、
俺が文香に対して後ろめたさを背負っているせいだろうか。





「プロデューサーさんですね……お待たせいたしました。
 お久しゅうございます。鷺沢です」

俺が像のある広場で立ち尽くしていると、背中から声をかけられた。

「文香……こちらこそ、ご無沙汰で」
「私が東京から長野へ戻って、それ以来ですから……15年ぶり、でしょうか」



15年ぶりに見た文香の姿は、一目見たところ、さほど変わっていないようだった。

髪型は黒のセミロングでストレートのまま。前髪だけは歳相応に額を出していた。
夜の薄暗い中だから判然としないが、肌は記憶にある色より生白かった。
地味なスーツにやや大きめの鞄を抱えているのを見るに、大学から直行したのだろうか。



「こちらから呼び立てておきながら、遅参して申し訳ございません……」
「仕事だったんだろう、それなら仕方ない。学生か誰かが、質問に来たりとかしたのか。
 そうしたら文香の性格的に、きっちり納得するまで説明するだろうし」

文香はこちらを見つめたまま微苦笑した。

「図星かな。鷺沢先生は講義が終わるたびに、教壇に列ができる人気者だったり……。
 俺の学生時代に文香みたいな先生がいたら、何も無くてもムリヤリ絡みに行ったかも知れない」
「……おかげさまで、学生にもそれなりに構ってもらっておりますよ」
「お、文香の手前味噌とは珍しい」



俺の視線を避けるように、文香はくるりと向きを変えた。

「……お忙しいプロデューサーさんに、せっかくご足労いただきましたから。
 駅から少し歩きますが、いいお店をとっておきましたよ」
「では、お任せ致しますよ。鷺沢先生」
「……もう」

俺はどんな店に行くかわからなかったので、先導して歩く文香の後をただ追随した。
少し歩いて、駅前の繁華街が途切れたあたりで、文香が足を止めた。





文香に合わせて足を止めると、そこから古色蒼然とした日本家屋が見えた。
暖簾(のれん)がなければ、店と分からなかっただろう。

その暖簾をくぐってみると、室内では、ぼんやりとした闇と明かりが揺らめいていた。
和紙に包まれた灯明――骨董屋以外ではとうに消え失せた蝋燭の行燈が、照明に使われているらしい。



「今時、こんな店があるのか。まるで『陰翳礼讃』の世界だ」
「普段、眩しいステージをご覧じるプロデューサーさんには、物足りないかも知れませんが」

明と暗の境界が朦朧とした空間を、文香はしずしずと進む。
おそらく、彼女のお気に入りの店なのだろう。



「いや、このお店は好きになれそうだ。
 最近、スポットライトの光線が網膜にきつくて、
 かえってこういう趣が分かるようになってきたところなんだ」

俺も少しは繊細になったのかな、と呟くと、文香は口元を隠した。
なんだ、笑われてしまったのか。そんなに面白い諧謔だったとも思えないが。







書院を模した個室へ、文香と一緒に通される。

「お酒は召し上がられますか。翌日のご都合も、あるでしょうから……」
「是非ともいただこう。ただ、昔みたいにザルのマネはできないが」

文香との話が長くなると思って、俺はあらかじめ駅近くの宿をとっていた。
それで、いい雰囲気の店に連れて行ってもらったのだから、飲まない法はない。

「プロデューサーさんは、志乃さんや楓さんに酒量で張り合っておりましたね」
「最近は、もうさっぱりだ。スタドリとかで長年腎臓をいじめてきたのが祟って、
 いろいろな意味で無理の利かない体になってしまったから」



若かりし頃は――文香がそばにいた頃は――俺も無茶をしてきた。

そういえば、俺はアイドル時代の文香しか知らないが、文香もその頃の俺しか知らないのだった。
あちこちガタの来てる俺の姿を見て、年食ったなぁとか思ってるんだろうか。



「プロデューサーさんは、今もご活躍のようで。詳しくは存じませんが、お噂は伺っておりますよ」
「そうかな。あの頃のように、たくさん担当して馬車馬やってた頃に比べると、大人しいもんだよ」

俺の返事に、文香は小首を傾げた。

「そうでしょうか? 私、映画リメイクを知らせてくださったあの方から、ご教示いただいたのですが。
 プロデューサーさん、もうじき美城プロのアイドル部門のトップに就かれるそうですね」

俺は、映画リメイクの話を知らせてきた彼の顔を思い出した。

「美城プロの次期部門責任者を、長野くんだりまで呼びつけるなんて……だとか。
 ここまで露骨な言い方ではありませんでしたが、あの方には呆れられましたよ」
「他人のことだからって、勝手にペラペラしゃべって……」

俺は、彼との付き合いを考え直すことを決めた。




「長野まで押しかけてきて言うのもなんだが、仕事の話はさほど重要じゃないんだ」

文香は、意外そうな目つきになった。

「貴方が、私の素っ気ない返事にもかかわらずお越しになったので……
 もしかしたら、重要な案件かと思ったのですが」
「いいや。口が軽い彼は困るかもしれないけど、俺や文香が困ることは無いだろう」

文香が気を遣ってきたので、俺はその点について心配無用と断言した。
あくまで、文香はかつての映画版がヒットした時の主演女優。
宣伝する側としては、来れたら来て欲しいぐらいの勢いだろう。



「だいたいこの話は、文香も乗り気じゃないだろう。顔に『嫌だ』って書いてあるよ」
「私、そんな顔をしておりましたか……?」

文香は顔を俯けて、目だけでこちらを見上げてきた。

「顔はよく見えない。けど、文香が見せてくれないから、分かるんだよ。
 業界人が懲り懲りなのか、単に俺のツラが見るに堪えないのかは知らないが、
 今更、まともに顔を合わせたくないんじゃないか」



俺の言葉は、半分ハッタリで半分本気の推測だった。

文香は駅であったときからずっと、暗がりに半ば身を沈めて、まともに顔を見せてくれない。
お店の個室に入った今だって、部屋が行燈による薄暗がりのヴェールに包まれているから、
お互いの表情がなんとなく分かる程度の明るさしかない。

俺を相手するつもりがないのか。

あるいは、単に文香が谷崎潤一郎みたいな趣味になった可能性もある。



――が、文香は、俺の予想外の答えを返してきた。

「いいえ……私、貴方に含むところが……ということはございません。
 ただ私、大学帰りしか時間がとれなくて、貴方に会うのに、十分な身繕いもできず……」
「――あ、いや、わかった。もういい、もういいから、文香」



「今は、明るいところで貴方の目に晒すのが、憚られるのです……」
「……すまない、忘れてくれ」

俺は心底から文香に頭を下げた。
歳歳年年人同じからず、というのはお互い様だったようだ。





「貴方から連絡があって、それで返信を考えている時……
 貴方が来てくれれば、と思いました。来てしまったらどうしよう、とも思いました」
「面白い言い回しだな」

文香にしては、いやに引っかかる呟きだった。
文香は雄弁ではないが、言葉はしっかり選ぶ方だ。
こんな要領を得ない台詞を口にするとは、珍しい。



「お忙しい貴方が、東京から長野まで私のために来てくださる……ということは、
 未だに貴方が、私のことを気にかけてくださっている証……けれども」

燭台の明かりで揺らめく書院の光闇。
俺はその向こうに、滲み出るような文香の眼差しを見た。

眼光紙背――すぐれた読書家の目は、紙の裏まで見通すというが、
今の文香の目は、俺の顔の裏側まで見通してくるようだ。

「……けれども、それがポジティブな意味かどうかは、別ですから」
「つまり、何が言いたいんだ」

俺が文香に続きを促すと、文香はおずおずと言葉を続けた。



「プロデューサーさんは……私をアイドルにしたこと、後悔していますか」

何年アイドルやってたのかは知らんが、30半ば~40手前のふみふみか
問題ないな

ごめんなさい中断です

話も文量もこれで折り返しです
今日の夜には終わります

>>6
ありがとうございます
自薦した甲斐があったぜ!

乙です


この雰囲気すごい好き、続き楽しみにしてる

今の寂しい環境のせいか恋愛事情ばかりが気になる

これは期待

え、何なのこの圧倒的な文章力
初めて読むけどすごく文章に引き込まれる
続きが来るまでに過去作を探して読まないと

陰翳礼讃か
現代文の教科書に載ってたなぁ

この人エロとか台本書きも多いんでそこ注意な>19

幸せに慣れればそれでいいんだが不安だ…

とてもすばらしい
だがまゆの事は許さないゾ(鋼鉄の意志

(再開します)





俺は文香の問いに、口をもごつかせることしかできなかった。



文香をアイドルにしたことは、間違いだったろうか。

俺にスカウトされた当時、文香は19歳の女子大生だった。
そこから、一生でもっとも心身の瑞々しい数年を、
芸能活動のため、文香に捧げてもらった。



「申し訳ないが……後悔は、ある」



俺がやっと絞り出した声へ、文香は静かに応じた。

「貴方と出会った当時の私は、紙魚(しみ)のように、ただ紙にかじりついている本の虫でした。
 そんな私を、貴方は、ステージや銀幕へ導いてくださいました。
 長くは、続けられませんでしたが……胸を張れる結果を出せたと、そう思います」
「……そうか」



「そしてその結果は、偏(ひとえ)に、貴方のプロデュースの賜物です。
 それでも、貴方は……後悔しているとおっしゃるのですか」

文香の言うことは、妥当かもしれない。

鳴かず飛ばずのまま埋もれていくアイドル候補生が多い中、
文香は短い間とはいえ、芸能界の最前線で輝いていた。

「俺も、文香が東京を去って数年ぐらいは、プロデュースに成功したと自負していた」

文香の芸能活動は、商業的な成功か失敗かでいえば、確かに成功といえるだろう。

詮のない話だが、もし失敗していたら、
もっとすぐに素直に謝って、こんなにこじらせることはなかったかも知れない。



「でも、文香が大学で文学を続けてると聞いてから、
 俺はもっと根本的な問題を無視してたんじゃないか、という気がしてならない」

文香が、アイドルとして成功したかどうか――それよりも。
そんな皮相的な話ではなく、もっと本質的な話。



「俺が鷺沢文香を、神保町の古書店から芸能界へ連れ出したのは、
 果たして正しかったのか……そういう話だ」





「文香、君は活動の最後の方、明らかにやる気をなくしていた。
 その原因は、俺のプロデュース方針が迷走したのもあったろうが、
 『アイドルなんてやらず、きちんと大学へ通ってればよかった』と思ったからじゃないか」

文香は、芸能人として商業的には成功を収めていた。
だから、それからくる多忙さやなんやらのせいで、学業に支障があったはずだ。



「引退してからだって、例えば文筆業やるとか、出版社に勤めるとか、そういう転身だったら、
 『元アイドル・女優』ってレッテルが役立ったはずだが……」

しかし文香は、文学を究めるため大学へ戻った。
芸能活動で得た知名度が、無用の長物どころか足枷になりかねない分野だ。



「俺は、文香の才能を使い倒して、一時の美味しい成功だけもらって、
 そのために文香が本当にやりたかったことを、邪魔してしまったんじゃないか」

俺は今、とても情けない顔をしている。
それが、鏡も無いのに分かった。

「俺があの時、文香に声をかけたのは……文香のために、ならなかったんじゃないか、って」

行燈のぼやけた明かりが、有り難かった。
もし部屋が薄暗くなかったら、もっと酷い様を文香の目に晒していたから。





「……プロデューサーさんは、あの時も、今でも、本当にお優しい方ですね」

俺が言葉を詰まらせると、文香が口を開いた。



「プロデューサーさんが声をかけてくださった当時……確か、私は19歳でしたね。
 学生だったとはいえ、自分の選択へ責任を持たなければならない年齢です。
 ……私がアイドルになって、それで人生設計がどうなったとしても、それは私の責任でしょう」

だから、俺が『それ』を気に病むことはない、と。
文香のいうことは、たぶん正論なんだろう。

少なくとも、正論に聞こえる。



「……文香、その理屈は、アイドルが言うならともかく……
 アイドルの責任者たる担当プロデューサーが言っちゃあ、おしまいだ」

でも、心の底までそうやって割り切れるなら、
こちとら15年前のことなんか引きずっちゃいない。



文香は黙ってしまった。俺は沈黙に肺腑を締め上げられて、息もできない。
すぐに耐え切れなくなって、もう楽にしてくれ――と、文香に言葉を投げつける。

「逆に聞くが、文香は……アイドルになったこと、後悔していないか」

俺の問いに、文香は眉根を歪めた。
まるで、胸の病に苦しむ西施の顰(ひそ)みだった。





「貴方は、私に問われましたね。『アイドルになったこと、後悔していないか』と」

文香の舌は、ミステリの探偵役が推理を披瀝するように、重々しく言葉を紡いだ。

改めて『鷺沢文香はアイドルになるべきだったのか』と聞かされると、
この疑問に延々とこだわる俺が、まったくのダメプロデューサーにしか思えなくなってきた。

少なくとも、これはプロデューサーがアイドルに訊いていい質問じゃない。

でも俺はその疑問を、今日まで拭い切れていない。
だから、文香の名前を聞いて、俺の足は東京から長野まで衝き動かされた。



「プロデューサーさん。私の方を、向いてください」

文香の声に視線を引き上げられた。
文香が俺に向かって身を乗り出していたのに気づいた。
古書の紙がふわりと漂わせる、ほのかな甘さの匂いを感じた。



「15年もかかりましたが……今なら、言えます。その問いの答えを。
 顔を上げて。前を向いて。貴方の目を見て」

俺と文香は、プロデューサーとアイドルだった頃より近い距離にいた。
それを実感した一瞬、俺の心臓は年甲斐も無く跳ねた。

「貴方に応えてアイドルになったこと、一片の後悔もありません、と」



俺が至近で文香の瞳を見つめ返すと、文香はハッと色を変えて、
乗り出していた身を引っ込めてしまった。どうやら、勢いで前に出てきたらしい。



「……せっかくですから、私にも思い出話をさせてください。
 何から話せばいいのか、整理はついていませんが……聞いていただきたいことが、あります」

今も人前で話す職業なのに、この有様は恥ずかしい――と、文香は含羞を滲ませた。

俺はその様で、文香がアイドルになったばかりの頃を思い出した。





「冗長になってしまいますが……デビュー当初のことから、お話を。

 当時の私は、アイドルを目指すのが正しいのか?
 という核心的なことまで、考える余裕がありませんでした」



「ただ、活動そのもの……貴方とともに、アイドル・鷺沢文香の物語を綴(つづ)ること、
 その物語を通して私自身が変わっていけたこと、それらに何物にも代え難い喜びを覚えていました。
 古書に埋もれて、空想の世界に沈んでいた私が、アイドルですから……変わりもします。

 今になっても、ステージに立った時のことを夢に見ます。失敗も、成功も。

 そして、女優としては……貴方のプロデュースがあって、作品に恵まれ、
 15年経っても人が覚えていてくださるほどの、身に余る実績を残すことができました」



「私は、そんな自分に満足していたんです。してしまったのです。
 私が女優としてやっていけるよう貴方が東奔西走していた時に、
 私はここで安住したいと思ってしまったのです。

 私は、貴方の期待に応えるのが難しいと、そう思いました。
 だから、私から引退を切り出しました。私だけの貴方ではありませんから……」




「引退してからしばらくは、まだ皆さんが覚えていてくださって……
 貴方がお察しした通り、色眼鏡で見られるなど、やりにくいこともありました」



「それでも、私は私なりに、懸命に学問へ打ち込みました。
 アイドル時代に負けないぐらい真剣に取り組みました。

 ……貴方と歩む物語を捨ててまで選んだ道。物にならなければ、私の気が済みません」



「……それも、なかなか上手く行きませんでしたが。

 芸能活動が多忙だった頃、私は大学を休学していて、ただでさえほかの人より数年遅れていました。
 その上、今言った通り……動機が不純でしたから。

 文学は、先人の残した言葉――その意を推し量る学問なのに。
 私は、自分の功名心を先人の言葉に押し付けていたのです」



「それで私は、何年か遅れて院を出ました。さて、どうしたものか」



「このご時世、文学で糊口をしのぐというのは、よほどの実績が無ければ叶いません。
 私にそんなものがあるはずもなく……私は、貴方のもとで稼いだ蓄えを切り崩しながら、
 大学でうだつの上がらない時間講師を続けておりました」




「先の見通しを立てられない状況が、とても不安でした。

 芸能活動をしていた頃は、貴方が導いてくださったから、不安も乗り越えられました。
 しかし、引退してからは、もう貴方は道を指し示してくれない。

 そんな日々が続くと、私の心根もなんだか拗(ねじ)けてきて……

 お分かりになられますか。
 貴方の元を離れて何年も経って、私もいい年になったのに、
 経済的にも精神的にも、過去の貴方に頼りっぱなしだったのです。
 貴方に、合わせる顔がありませんでした」



文香の声も姿態も、俺が今まで見たこと無いほど痛ましく、
俺の堪え性のなくなった涙腺が、じりじりと騒ぎ出した。



「……お笑いくださっても結構です。
 笑えないなら、せめて詰(なじ)っていただければ幸いです。
 私の都合で、貴方に長い間、不義理を致しましたから……」

俺は口元を無理に広げようとして、表情筋を引き攣らせてしまった。
さぞ滑稽な表情だったろう。
これじゃ、笑うんじゃなくて笑わせに行ってるみたいじゃないか。




「……あれ、文香、ちょっと待ってくれないか」

笑うのを諦めて一呼吸置いた瞬間、俺に一つ疑問が湧いた。



「大学へ連絡取る時に気づいたんだが、今の文香って准教だから、専任だよな」

卒業以来、とんと縁のない大学について、俺の知識は心許無かったが、
確か准教授や教授は専任しかなれなかったはずだ。



「ポストを得て、研究者として道筋がついたから、俺に会う気になったということか?」

俺の疑問を聞いて、文香は少し声を高くした。

「それもあるのですが……それに付け加えて、貴方に伝えたいことがありまして」




「准教ポストは公募で、私より業績が上の方も応募されていたのですが、採用されたのは私でした。
 それが不思議だったので、私は担当のうちのお一方に、採用してくださった理由を聞いてみたのです。

 すると、その先生から、こんなお言葉をいただきました。



『先人の言葉から、それに込められた思いを汲んで、
 現代人に活かしてもらう――その橋渡しが、古典文学の意義です。

 しかし原文そのままでは、現代人に先人の思いが届きません。
 そのギャップを埋めるためには、人にものを伝える力が必要です。

 その力が一番すぐれていたのが、あなただった。それが理由です、鷺沢先生』



 ……と」


文香の目が笑った。それに引っ張られて、俺の頬も緩んだ。
今度は、痙攣しなかった。



「人にものを伝える力。
 立ち居振る舞い、声や呼吸の使い方、視線の受け止め方、ほかにも……
 私のそれは、貴方の元で教えていただいたことではありませんか?」




「貴方に教えていただいたことを活かして、私なりの道を拓くことができたんだ、と。
 私が貴方の下で過ごした美城プロでの日々は、ただ私が楽しかっただけの徒花ではない、と。

 15年も経って、初めて誰かに認めてもらいました。
 
 それが嬉しくて、貴方に伝えたくなったのです」



本当に文香の言う通り、俺がアイドルや女優を文香へやらせたことが、
今の文香の地歩の、人生の、礎となっているのか。

そう信じられたら、そりゃあ俺だって悪い気分はしない。
ただ、なんだか、文香が俺に気を遣って、俺の功績を大袈裟に言ってる気がしなくもない。



そんな俺の内心を見通したのか、文香はさらに追撃を見舞ってきた。

「大学経由で貴方から連絡があって、それで返信を考えている時……
 貴方が来てくれるか、来てくれないか……どうかなと思いながら、返事を書きました。

 どちらでも構いませんでした。
 来てくれないなら、御礼は私の自己満足ですから、一筆書いて済ませるつもりでした。


 けれど、貴方は来てくださった。
 それは貴方が、未だに私のことを、東京から長野まではるばるやってくるぐらい、気にかけてくださっているということ。

 それは嬉しいのです……が、その『気にかける』というのが、
 負い目とか、後ろめたさとか、おそらくそういう感情なんだろうと、
 それを抱えて、貴方は長野にやってくるだろうと……そう思っていました」



鮮やかに、図星を指された。
こうまでピシャリとやられると、もう文香には敵わない気がしてくる。
文香の言い様が大袈裟だ……なんて疑問を差し挟むのが、くだらないと思えてくる。

アイドルだった頃は、俺の後ろをヒヨコみたいにくっついて歩いてたのに。
いつの間にか立派になって、俺より早く過去と向き合っていた。



「だから、そんな貴方に、15年間、申しそびれていた言葉を、改めて……
 貴方の下でアイドルとして活動できたこと、本当に感謝しています」



文香の、目遣いが、首や手の角度が、吐息が、言い回しが、間が、伝えてくる。
女優であった頃の流儀を残しつつ、おそらく教壇の上でさらに磨かれた文香の所作が、伝えてくる。
文香の伝えんとする心を、俺に伝えてくる。







「さて、改めてお聞きいたします。
 プロデューサーさんは……私をアイドルにしたこと、後悔していますか」









――あ……急な連絡すみません。美城プロのモバPです。
――先日伺った……例の映画で、宣伝に鷺沢を使えたら? という件です。

――昨日、長野に行って、久しぶりに鷺沢と話しました。残念ながら、断られてしまいました。



――顔色が悪い? 声もひどい?

――ああ、これは……ご心配されずに。ただの二日酔いです。

――鷺沢と会ったら昔話に花が咲いて、気分まで昔に戻って、
――つい若い頃の勢いで呑んだら、この有様ですから……。




(おしまい)





※『Bright Blue』歌:鷺沢文香(試聴)
https://www.youtube.com/watch?v=67bgK3LMkD4

CD好評発売中 みんな買おう聞こう!
あと先日募集していたjewelrysのカバーも何になるか楽しみですね



新年早々、文香Pのものすごく熱心な営業にほだされ、つい一本

書いてる途中、伝える力(性的な意味で)って電波が降りてきました
が、ほかで供給ありそうなんで無視しました




●過去作(文香) 今回とつながりはないですが、よろしければ

鷺沢文香「百薬の長でも草津の湯でも」
鷺沢文香「百薬の長でも草津の湯でも」 - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1426413589/)

文香「もしも美嘉さんが」志希「あたし達のおねえちゃんだったら!」
文香「もしも美嘉さんが」志希「あたし達のおねえちゃんだったら!」 - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1436714850/)

文香「包容力が欲しい?」志希「うん!」美嘉(えっ?)
文香「包容力が欲しい?」志希「うん!」美嘉(えっ?) - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1439724231/)





良かった


心の底から乙

朝このスレを見つけてから過去作を探して
今オススメスレで挙げられていたのを読んでいた最中だけど、心にじんわりと染み渡る良作ばかり
俺もSS書いてるけど嫉妬するを通り越して羨望するレベル
読んでたら文香メインのSSを書きたくなってしまった


流石書き慣れてるなww
ついでに紙魚ってキモいよね!

>>36
これの一つ目もだけど、文体が文香の雰囲気にあっていて、素晴らしかったです
余韻がたまらんー



とても良かった(伝える力のない感想)
文香感溢れるなあ


語彙力高杉ィ!

西尾っぽい構成だな

おつ
このままちゃっかり結婚しないかなあって思っちまったよ

おっつ

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