モバP「ミッドナイト・ランナー」【モバマスSS】 (179)


諸注意


・車を題材にしたモバマスSSです。

・劇中劇の設定になります。

・舞台は1992年頃の東京になります。丁度、漫画湾岸ミッドナイトの1~3巻辺りの世界観です。

・モチーフは、福野礼一郎著『バンザイラン』です。

・各キャラクターの搭乗する車両は、個人的な主観が多々含まれています。似合っているかどうかは、ちょっと解りません。

・この作品の演出の様な走行は、絶対に真似しないで下さい。捕まりますし、下手したら死にます。


最後に。

日本全国フェラーリ党のプロデューサーの皆様、及びヘレンさん大好きのプロデューサーの方々。お待たせいたしました。

では、お楽しみください。




SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1443358218



モバP「ついに、試写会ですか。いやー、たのしみだなぁ」

千川ちひろ「制作会社の方から、完成品のDVDが送られてきたんですよ。だから、事務所で見られるんですよね」

今西部長「……懐かしいね。昔、首都高速トライアルというVシネマがあってだね。今の自分と同じ年齢位の車好きなら、皆知ってるんだ」

モバP「へぇ~……」

今西部長「第一作目は、俳優の大鶴義丹や的場浩司のデビュー作でもあったんだ」

千川ちひろ「そんな映画が、合ったんですね」

今西部長「まあ、昔の話だよ。では、見てみますか」

モバP「はい……タイトルは『ミッドナイト・ランナー』か……」


1.


 1992年、夏。まだ、バブル経済の余韻に浮かれていた頃。
 深夜の首都高速湾岸線、市川パーキングエリア。長距離輸送の大型トラックと、ドライブ帰りのマイカーが、数えられるほどしか停車していない中。
 パーキングの一角は、異様な雰囲気を作っていた。

 十数台のスポーツカーに占拠され、真面な神経なら間違いなく近づく気にはならない。丸で戦場の基地かと思う程、殺伐とした空気が漂う。

 毎週末の深夜。湾岸高速を舞台に、時速250kmオーバーのバトルが繰り広げられていた。遊び半分に命を賭ける、狂気の公道グランプリ。


 自動車雑誌編集部でアルバイトする向井拓海は、毎週の様に取材に訊ねていた。最初の内は、先輩編集部員に言われ渋々着いていくだけだった。

 しかし、その走り屋達と触れていく内、その熱狂、その魔力に取り憑かれていった。
 元々、地元ではワルだった拓海にしてみれば、反社会行為を犯す事に大した抵抗は無い。むしろ、その反社会行為に命を賭ける走り屋達に、尊敬の念さえも抱くようになっていた。



 毎週の様に、戦場に出向いていれば、自然と顔見知りになって行く人間も多い。

 たびたびギャラリーに出向くヘレンと言う女性も、拓海と自然と会話を交わす仲になっていた。海外出身の彼女もまた湾岸に魅せられた一人だ。
 仕事兼ギャラリーに来ていた拓海は、スチールカメラのフィルムを交換しながら、ヘレンに言葉を投げた。

「……なあ、ヘレン。今日は、何時に無く楽しそうじゃねぇか」

「フフ……。やはりあなたには解るのね」

 もったいぶるヘレンに、拓海は思わず呆れる。

「お前さぁ……。顔に出てるの、自分でわからねぇのか?」

「…………来週なれば解るわ。世界レベルにふさわしいマシンが拝めるわ」

 自信有り気にヘレンは断言した。




 その翌週。
 今週はプライベートで拓海が市川パーキングに顔を出すと、度肝を抜かれた。

「……お前……マジか?」

「……ええ。この私にふさわしいマシンでしょう」

 ピニン・ファリーナがデザインした、深紅に染まるグラマラスなボディ。それほど身長の無いヘレンでも、肘をかけられる低いシルエット。

 アイドリングだけでも響く咆哮は、今宵のパーキングで一番目立っていた。そのマシンの周囲を、走り屋達が興味深々で見つめる。無論、拓海もその一人。


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 フェラーリ・テスタロッサ。これが、ヘレンの言う世界レベルのアンサーだった。

「……どう?」

 得意顔のヘレンは、拓海に回答を求める。

「どうもこうも……答えようがねぇぞ」

 拓海は、開いた口がふさがらないと言った様子だ。

「拓海。一つだけ相談があるのよ。私の横に乗ってくれないかしら?」

「……別にかまわねぇよ。今日は、仕事じゃねぇし」

 二つ返事で了承した。





 時刻は1時を少し回った時。

 パーキング内に、数台のマシンのエキゾーストノートが響き出した。
 直6ターボにV6ツインターボ。ロータリーにフラット6ツインターボ。そして、バンク角180度の水平対向12気筒。鋼の野獣達が、雄叫びを上げる。

 テスタロッサの周囲をグルリと一周してから、拓海は助手席に滑り込んだ。

 横長のコクピットは、革張りの内装でイタリアらしく気品に溢れる。しかし、室内になだれ込むアイドリングの音は、対極的にけたたましい。
 ヘレンの右足が、小刻みにアクセルペダルを煽る。リズミカルにフリッピングすると、敏感なほどタコメーターが反応し、ケーニッヒ製のエキゾーストから快音が奏でられる。

 丸いシフトノブを握りしめ、フェラーリ独特のゲート式シフトをファーストギアに入れる。カチン、と金属音が鳴り、鼓動が高ぶる。

 丁寧にクラッチを繋ぎ、はやる気持ちを抑える様にゆっくりと。馬鹿でかい跳ね馬は動き出した。




 テスタロッサは、2番目に腰を据える。前を行くポルシェのテールランプを拝む。

(……最強のイエローバードね)


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 先陣は、ポルシェだがポルシェに非ず。その名を世界中に轟かす、ルーフCTR。イエローバードの異名を持つマシンだ。

(……こりゃ、言葉もねぇな。すげえ迫力だ……)

 右側のナビシートから、拓海は圧倒された。前方に広がる、だだっ広いアスファルトに。そして、迫りくる後ろからのプレッシャーの津波に。





 CTRがジワリと加速を始めると、ヘレンもそれに倣う。

 3速に入れてヘレンはアクセルを踏み込む。

 タコメーターは7000rpmを指した。ミュージックと称される、テスタロッサのエキゾーストノートが脳天からつま先までの細胞を刺激する。

(この音、たまんねぇわ……)

 拓海は、酔いしれていた。


 5リッターのNAエンジンは、甲高い咆哮を放ちながら、1600キロオーバーの巨体をグイグイと引っ張り上げる。メーターは220キロを超えた。

 しかしだ。

「どうなってるのよ……」

 ヘレンは思わず言葉を溢した。

「……」

 拓海は何も答えない。

 何せ、テスタロッサを嘲笑うかの様に、後続のマシンたちは次々に追い抜いて行く。
 時速は230キロ。スピードメーターはぐんぐん上昇していく。しかし、先行するテールランプの群れはあっという間に離れていく。他のマシンに置いて行かれる跳ね馬。

「……遊ばれてるのかしらね」

「先頭のルーフだけならまだしも……国産チューニングカーにここまでコケにされるとはな……」

 二人の口ぶりは、嘆きに近いものだった。

「……このままじゃ終わらないわ」

 ヘレンは、そう呟いた。


テスタロッサの画像が張れていなかったので、張り直します

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2.

 湾岸線で走り屋達が最高速を競い合う様になったのは、ごく自然な成り行きだった。

 70年代から80年代初頭にかけて。東名高速を舞台にして、走り屋達が最高速を競い合っていたと言うルーツが有る。現在では東名レースと呼ばれる、違法競争行為だ。

 当時はポルシェターボやパンテーラ等のスーパーカー。トランザムやコルベット等のアメリカンスポーツ。そして、SA22型RX-7やS130型フェアレディZを改造した国産チューニングカー達がしのぎを削っていた。

 80年代に入り、チューニングカーを取り扱う雑誌の企画で、最高速トライアルと言う物が有った。茨城県谷田部の自動車性能試験所において、チューニングされたマシンでの最高速に挑戦するという企画だ。

 日本のチューナー達は、夢の大台である300キロを目指した。
 特にターボチャージャーの搭載がポピュラーとなってから、最高速はとどまる事無く跳ねあがって行った。

 いつしか最高速300キロを超える様になってから、国産車のチューニングカーは凄まじい勢いで進化を続けていく。

 伝統の日産L28、トヨタの主力戦艦7M、唯一無二のマツダ13B等。チューナー達は、得意のエンジンを極限までチューンナップしていった。

 この頃になると、高価な外国産スポーツカーと国産チューニングカーの立場は逆転していた。



 その谷田部への試験場として、長い直線と広い道を持つ首都高速湾岸線は、格好の舞台だった。
 夜な夜な、チューニングカーを仕上げる為に湾岸をぶっ飛ばす。

 気が付けば、湾岸を走る為に皆チューニングカーを仕上げる様になっていた……。


 そして、1989年の秋。BNR32スカイラインGT-Rの登場。
 グループAレースで勝つ為に生まれたこのマシンは、チューナーにとっても走り屋にとっても、大きな衝撃をもたらしていた。

 軽くいじれば、400馬力を絞り出す強靭なRB26DETT。これまでの常識を覆すトルクスプリット4WDシステム、アテーサET-S。

 それまで首都高で優位を保ってきた、フェアレディZ、スープラ、RX-7を過去の物へしてしまった……。




 拓海は、湾岸を時折突っ走る程度だ。本気でやっている連中とタメを張れるような根性も金も無い。

 愛車のMZ20ソアラで、ベストは精々220キロ程度。競争ごっこで、後ろから眺めるのが関の山。

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 ただ、遅くとも湾岸ランナーの端くれになった事は、拓海にとっては大きな一歩だった。


 湾岸に通っていく内に、ギャラリーに訪れるヘレンとは、妙にウマが合った。

 ヘレン曰く、一番古い記憶で覚えているのは、横須賀ベース(横須賀米軍基地)の中だったそうだ。何を隠そう、拓海も横須賀で若気を至っていた。些細な事から、ヘレンとは奇妙な連帯感が生まれた。


 時々、湾岸ランナー達のケツ持ち代わりでソアラを走らす時は、ヘレンが隣に乗るようになった。

 ラリーの様にコ・ドライバーの役目は果たさない。ヘレンが「全開で走りなさい!!」と捲し立てれば、拓海は「とっくに全開だバカ!!」と罵る。

 強いて言えば、喋る重しが乗っかっている様な物。それを差し引いても、殆どノーマルの7M-GTUで、着いていける訳が無いのだが。

 ともかく、二人はスピードの持つ魔力に魅せられていった。





「ヘレンは、車買わないのか?」

 拓海はたびたびヘレンに聞く。

「いずれ買うわ。世界レベルにふさわしいマシンをね」

 そう返すのが、ヘレンの口癖だった。何を根拠に世界レベルと口走るのか、拓海には理解出来なかった。


 そして、購入したのがフェラーリテスタロッサ。1984年に発表された、フェラーリのフラッグシップモデルだ。しかも、89年の後期モデルで走行距離は2万キロを少し切る程度。3年落ちで、程度としては悪く無い。

 カタログでは、290キロと謳われている。
 が、その初陣は散々な結果だ。

 最高速342キロと言われるルーフCTRや、桁違いのスペックを誇るR32GT-R相手ならいざ知らず。谷田部で270キロ前後の国産チューニングカーにも置いてきぼりを喰らう始末。


 ヘレンは、テスタロッサで湾岸を極める決意を固める。

 とは言え、テスタロッサをこれ以上どうやって速くするのか。
 そもそも購入するだけで、貯金の全てを注ぎ込んだ上に、相当な額の借金も抱えてるに違いない。

 この跳ね馬で、最強の怪鳥に立ち向かう術は有るのか。答えは見えてこない。


 拓海は、古い先輩に知恵を借りる事にした。





 和久井留美という、拓海の大先輩にあたる人物だ。


 元々、横須賀で最大のレディースチームで特攻隊長を務めていた彼女は、当時の抗争で幾度と無く暴れ回った。勿論、警察の御厄介に何度もなった。

 現在は足を洗って、下町の自動車整備工場で働いている。


 しかし、留美は非常に研究熱心で勉強家の一面を持っていた。族時代から、バイクや車の整備やチューニングを独学で勉強しており、留美のいじったマシンは速いと評判だった。

 自動車の整備関係の書籍は勿論。自動車工学の専門書に、レーシングカーを取り扱う雑誌等も読み漁っていたそうだ。当時の後輩連中や顔見知りなどが、留美に整備やチューンナップを頼む事も有る。建前上は仕事と称して、引き受ける事も多い。

 拓海も現役の頃、バイクのチューンナップを留美に頼んだ事もあるが、同じ単車でも別物に変身を遂げていた事を良く覚えていた。


 だからこそ、留美に頼む事にしたのだ。




 コミゴミとした解体屋街の風景にマッチしないド派手なテスタロッサで、留美の勤務する整備工場に到着した。小汚い整備工場で、裏手には廃車の山が詰まれている。

「……ここなの?」

「ああ。あたしの大先輩が、ここで働いてんだ」

 そう言い放ち、拓海はテスタロッサから降りた。そして、ボロボロのシャッターを潜ると、留美はタウンエースのオイルを交換していた。

「ちわっす、向井です」

 拓海の挨拶に気が付いた様で、留美は視線だけ向けた。

「……少し待ってて」

 そう言うと、留美は視線をタウンエースに戻した。




 ものの数分で作業を終わらせ、留美とヘレンの視線が交わる。

「これが、電話で言ってた車ね?」

「そうっす」

 留美は切れ長の瞳をグッと細めて、食い入る様に真紅のマシンを見つめた。

「……お話にならないわね。チューニング以前の問題よ」

 バッサリと切り捨てた。

「……どういう事よ?」

 ヘレンは食い下がる。

「……こんなにアライメントが滅茶苦茶じゃ、試乗する気も起きないわね」

 留美の言葉に、拓海もヘレンもキョトンとした顔で固まっていた。

「あなた、行きつけの車屋とか無いの?」

「無いわ。この車も、知り合いの伝手で売って貰ったのよ」

「……呆れたわね」

 大きな溜息を吐き出してから、留美は次の指示を出した。

「だったら、ディーラーで整備マニュアルを貰ってきて頂戴。アライメントは、知り合いに頼む事にするわ」

 そう告げた。




 二日後。ヘレンと拓海は数十枚のコピー用紙を持って、再び留美の元へやって来た。

 中身はエンジン、サスペンション、ギアボックス、内装に至るまでの説明書を印刷した物だ。書いてあるイタリア語は、ヘレンが訳せるので問題は無い。
 ディーラーで、オーナーズマニュアルをコピーさせて貰ったらしいが、整備マニュアルは見せても貰えなかった。

「ま、そんな物よね」

 と、留美は淡々としていた。


 留美は、コピーされた用紙を一枚一枚丁寧に見ていく。

「……ストロークは有るけど、かなりキャンバー変化が大きわね。トーも直進安定性を最優先しているわね。リアヘビーだから、こうでもしないと真っ直ぐ走らないんでしょうね……」

 拓海とヘレンには、なんの暗号なのか解らなかった。ポカーンとした二人を見て、留美はまたも呆れ顔を作っていた。




「アライメントと言うのはね。タイヤの向いている方向の事を言うのよ。

 キャンバーはタイヤを前後方向から見た角度の事。トーは進行方向に向いているタイヤの角度の事。キャスターは、タイヤを軸にしたサスペンションの角度の事を言うわ。

 テスタロッサの左右のタイヤを、良く見てごらんなさい」

 留美に言われ、テスタロッサのリアタイヤ周りを良く見てみると、心なしか左右で微妙に角度が違っている気がした。

「……右と左でちょっと、ずれてる気がする」

 拓海は感じた事をそのまま言う。

「見た目で解るレベルなら、相当にずれてるわ。本来、ゼロコンマ何ミリで揃える物なのよ。1度単位で狂っていたら、完全に欠陥よ」

 留美は、そう解説した。

「そんな物も有るのね」

 あっけらかんとしたヘレンに、留美は何も言わなかった。

 今度は、留美はボールペンで広告の裏に手書きの地図を書き、その下にアライメントの最大値と最小値を書き写した。拓海にそれを渡し、一言。

「そこに頼んでおいたわ。今から行けば、夕方までには出来上がるでしょう」

 そう言われ、ヘレンと拓海はそのタイヤショップに向かった。




 そして、テスタロッサはそのショップでアライメント、及びホイールバランスの測定を行った。

 留美が一発で見抜いた通り、テスタロッサのアライメントは全て規定値を超えており、全てのタイヤが別の方向を向いていた。ここでアライメントを規定値に調整して貰い、さらにホイールバランスも取り直した。

 留美の工場に戻る頃には、日はかなり傾いていた。

 すっかり暗くなり、営業時間が終わってから、テスタロッサはガレージ内に収まった。


 留美の行ったのは、オイルと冷却水の点検と交換、エアーエレメントの清掃、プラグの点検、点火時期の調整、ファンベルトの張りの調整、ブレーキの摩耗のチェック、タイヤの溝の点検。

 基本的なメンテナンスをテキパキとこなす。




 全ての点検と整備を終え、留美は言った。

「車は生きてるのよ」

「……生きてる?」

 拓海はそう聞き返す。

「ええ……どんな車もバイクもね。

 人間だって、病気になったら病院に行って薬を貰うでしょ?

 それと同じ事よ。このテスタロッサは、買ってからロクに整備もせずに乗りっぱなしだったんでしょうね。

 このまま乗りつづければ、この車は死んでいたはずよ」

 そう断言した。

 拓海とヘレンの聞いたのは、歌声では無く悲鳴だっただろうか。

「チューニングする上で一番大事なのは、元の性能を知る事なのよ。ましてや、この手のスポーツカーはとても繊細に出来ているの。

 この整備内容だったら、間違いなく元の性能の七割も出ていないわ」

「……」

 ぐうの音も出ない拓海とヘレン。如何に自分達が無知だったかを、思い知らされた瞬間だった。


3.


 次の土曜日から、ヘレンは湾岸に行く事を止めた。まずは、テスタロッサの本来の性能に戻す為に、テストをしなければならないからだ。

 拓海は締め切り前で忙しく、合流するのは難しい様で、ナビシートには留美が座る。


 練馬から常盤自動車道へ。湾岸線ほどでは無いが、それなりに直線も有る。何よりも、交通量が少ない。テストするには、十分なロケーションだ。

 練馬から乗り、谷田部ジャンクションまでの往路は完熟走行を兼ねたコンディションチェック。

「……素晴らしく安定する様になったわ」

 ヘレンは舌を巻いた。

「当然よ。アライメントをチェックするのは基本中の基本だわ。それと、空気圧は規定値より高めにしておいたから、ステアリングの操作は慎重にね」

「……どういう事かしら?」

「テスタロッサは、車体重量が重いのよ。それに高速走行になれば、タイヤにかかる負担は通常より大きいわ。タイヤバーストの対策の一つよ」

「……そう」

 ヘレンは、今一つピンと来ていない様だ。



 そして、谷田部ジャンクションで一旦降りる。今度は東京へ戻る復路だ。


 高速道路に、他の車の気配は無い。街灯が、延々と道の先を照らしている。

「……全開」

 その一言を皮切りに、ヘレンはギアを5速から3速へ。アクセルをジワリと踏みつける。

 5500rpmから、ぐんぐんとタコメーターが上昇。3速6800rpmで、メーター読み160キロを少し超える。4速へシフトアップ。ドロップしたタコメーターは再びグイグイと上昇をする。

 180キロを超えても、テスタロッサの直進性は高い。国産スポーツカーとは、比べ物にならない程、どっしりと安定していた。

「4速で、200キロをキープして」

 留美はヘレンに、そう指示を飛ばした。

「……わかったわ」

 4速、6000rpm付近で、一定の速度を保つ。200キロでも、テスタロッサの直進安定性は、素晴らしい物だった。

 とは言え、法定の倍の速度で10分も走れば、ステアリング操作にもかなりの神経を使う。ヘレンは全神経をドライビングに集中させ、暗闇を切り裂くヘッドライトの光を睨み続ける。


 そして、復路のゴール地点。柏インターの手前の守谷サービスエリアに、テスタロッサは滑り込んだ。



 留美は自動販売機で買ったポカリスエットを、ヘレンに渡した。

「ありがと……」

 高速域のドライビングはただでも神経を使う。まして、テスタロッサの車幅は1980mm。普通車とは、比べ物にならない程広い。流石にヘレンは疲れた様子だった。

「…………」

 一方の留美は休憩を取らず、テスタロッサの巨大なエンジンフードを開いた。左手にはプラグレンチが握りしめられている。


 まだ熱を帯びているエンジンルームに手を突っ込み、手早く一本のプラグを外す。

 街灯にさらさせたプラグの頭は、白く焼けていた。

「……やっぱりガスが足りてないわね」

 プラグの頭を見つめて、留美は言った。

「……まだ問題が有るの?」

「問題だらけよ。山積みだわ」

 ヘレンには、死刑宣告に聞こえる様な台詞だった。




 翌日。どうにか仕事を終わらせて、拓海が整備工場に着く頃には、完全に営業時間を過ぎていた。もっとも、テスタロッサの整備自体は営業時間外に行うので、あまり問題にはならない。

「すいません、遅くなりました」

 そう言いながら、拓海はシャッターを潜った。
 乱雑に詰まれた廃タイヤに腰を掛けるヘレンに、工具類を整理する留美。そして、リフトで上げられたテスタロッサがそこに居た。

「問題無いわ。どの道、テスタロッサを仕上げるのは、かなり骨が折れそうよ」

 留美はポーカーフェイスのまま伝えた。

「一つ聞いておきたいわ。山詰みの問題って、単に整備が悪いだけじゃないのかしら?」

 ヘレンは、留美に聞きただす。

「それも、問題点の一つよ。だけど、それ以上に問題が多いのよ」

 一旦区切ってから、留美は言葉を続ける。




「湾岸線で最高速を出す事は、単純に馬力が有ればいい訳じゃないのよ。

 パワーを上げれば、それだけ他の部分の負担が大きくなるの。ミッションやクラッチ、デフにドライブシャフト。パワーを路面に伝える為の駆動系が、馬力に負けてしまえば壊れてしまう。それでは、馬力を上げる意味が無いでしょう。

 勿論、ボディを支えるサスペンションだって強化しなければいけないし、ましてやブレーキはノーマルじゃまるっきり役不足ね。

 これだけ重量がある車なの。加速もそうだけど、それ以上に減速する事が不得手だわ。トップスピードを出す以上、万が一の時に止まれない車に乗る事は、自殺行為に等しいのよ」

 留美の意見は、的を得ていた。車とは、走る、曲がる、止まる、と言う三つの要素を兼ね備えて、初めて成立する。それは、F1でも軽自動車でも変わらない。

「……姉御。他に良い方法は無いのか?」

 拓海は、思わず聞いてしまった。

「一番手っ取り早い方法は、このテスタロッサを売って、GT-Rに乗り換える事よ。
 この車なら、かなり高額で引き取って貰える筈よ」

 元も子も無い意見だった。

「…………」

 拓海は押し黙ってしまう。




「……嫌に決まってるわ。フェラーリじゃなきゃ、意味が無いのよ」

 ヘレンは、啖呵を切った。

「そこまで拘る理由、聞かせて貰えないかしら?
 どこぞの金持ち達みたく、変に見栄の為に買った訳じゃ無いんでしょ?」

 留美に言われ、ヘレンは口を開く。

「……私は二歳の時に、イタリア系の父親と日系の母親と、横須賀のベースに移住したらしいわ。空軍のパイロットだった父親は、大のF1好きで良くその事を話してたわ。

 父親の書斎には、マリオ・アンドレッティとジル・ビルヌーブの等身大のポスターが飾ってあった事を、良く覚えているわ。

 イタリア系移民だからかは知らないけれど、父親は熱狂的なティフォシだったわね。フェラーリチームが優勝するだけで、翌日はバーベキューだったわね……。何時も母親が呆れてた。

 だけど、8年前……。私がまだ横須賀のハイスクールに通ってた時だったわ。

 たまたま、本国に仕事で帰国していた時……強盗に撃ち殺されたのよ」

「…………」




「……父親は、何時かフェラーリで大陸を駆け抜ける事を夢見てた。その夢は、永遠に叶う事は無くなってしまったのだけれどね……」

「……そう」

 留美は、ポーカーフェイスのまま相槌を打つ。

「……私にとってのF1は、フェラーリなのよ。真紅のマシンが、一番最初にチェッカーフラッグを受ける事なの。

 また、跳ね馬は蘇ると信じているわ」

 そこまで語ると、ヘレンは少しだけ顔を伏せていた。

 拓海は、少しだけヘレンの事を勘違いしていた事を理解した。湾岸をフェラーリで走る事にこだわる理由に、考えもしなかった信念がそこに有ったから。只の酔狂じゃ無かったのだから。

「仮に、ポルシェやGT-Rと五分でテスタロッサを走らせるとして。時間もお金も、どれ位かかるかわからないわよ?
 それでもやるの?」

 留美は、真っ直ぐにヘレンを見つめた。

「……いくらでもやるわ。フェラーリは、ナンバーワンじゃ無ければいけないのよ」

 ヘレンは言い切った。

「解ったわ。だけど、少し時間を頂戴。テスタロッサの資料は、殆ど持ち合わせていないのよ」

 留美の口元が、少しだけほころんだ。

「……姉御」

 拓海は、何故だかはわからないが胸が熱くなった。




 それから、三人でテスタロッサのモディファイが日々が開始された。テスタロッサは裏の廃車置き場の隅に、シートをかぶせて保管した。

 毎日、営業時間が終る夜7時に集まって食事してから、深夜近くまで作業をする。
 拓海の仕事が抜けられない時は、ヘレンが。ヘレンがバイトで抜けられない時は、拓海が。どちらか一人が、必ず助手に付いた。

 留美は、黙々とテスタロッサの整備を行った。


 まずは、テスタロッサの本来の性能を引き出す為のメンテナンスだ。山積みの問題点の一番のネックは、元のコンディションが悪い事。元が悪いままチューニングした所で、性能は上がる訳が無いのだ。

 その中の問題点の一つで留美が指摘したのは、買った時から装着されていたケーニッヒのマフラーだった。

 レーシングマシン並みの快音を奏でるマフラーだけに、排気効率は高い。所謂、ヌケが良いと言われるマフラーだ。

「……ただ、ノーマルエンジンにこのマフラーだと、抜けすぎるのよ」

 テールからはみ出る、2本のマフラーを見ながら留美は言った。

「ヌケ過ぎる?」

 拓海は間抜けな顔で聞き返した。

「……元々の燃料噴射量を、ノーマルマフラーに合わせて調整しているんでしょうね。

 排気効率は上がっても、噴射される燃料の量が足りていないのよ。つまり、燃焼室内の混合気が足りなくなるって事なの。

 このマフラーのままじゃ、恐らくノッキング(異常燃焼)を起こすわね」

「……そんな事言っても、ノーマルのマフラー何て持って無いわよ?」

 ヘレンはそう言うが。

「……だったら、燃料を増量するだけよ。勿論、燃やす燃料が増えるなら、火花も大きくする必要があるかしらね」

 留美は人差し指で、丸い金属の筒をピンと跳ねた。




 水平対向12気筒のティーポF113Bユニットは、ボッシュ製KEジェトロニックの機械式インジェクションによって燃料を噴射している。機構自体は、80年代の車両として比較的オーソドックスだと言える。

 まずは点火系を一新。ディストリビューターとイグニッションコイルの交換、及びプラグコードの強化。イタリア製のマレリの純正新品も検討に入れたが、これだけで約30万円にも上ったため、アメリカ製のOEM品で我慢した。ただ、それでも20万円近くした。プラグはNGKの7番を12本揃えて、エアーエレメントは純正新品。

 決め手の燃調は、定評のあるレビックの燃調コントローラーを二機掛けで制御し、A/F系も取り付けた。F113Bユニットは、水平対向12気筒なのは周知のとおりだが、エンジンの全て左右対称に作られている。ECUも片バンクを一個で制御しているという、凝った作りなのだ。


 兎に角、部品の値段の高さに三人とも開いた口がふさがらなかった。

 しかし、一通りの作業を終え、もう一度テスト走行へ。




 二度目の常盤自動車道。前を走るテスタロッサを、後ろからソアラで追う。
 12気筒の咆哮は、以前よりも力強く聞こえた気がした。

 谷田部までの往路で、マシンをじっくり温める。そして、復路へ。

 今回も、4速で時速200kmをキープする。ただ一つ違うのは、留美がデジタル製のストップウォッチをぶら下げていた事だ。

 何度かタイムを測定し、そのタイムをメモ帳に走り書きしていった。


 テスタロッサが200kmで走る後ろを、ソアラで付いてていく。とは言え、ソアラでの200kmはかなりキツイのか。途中から、拓海はジリジリと離されていった。

 そして、守谷サービスエリアに到着。前回のテスト同様に、留美はプラグを一本外した。
 前回真っ白だったプラグは、今回は少し黒っぽい。

「……少し濃いわね。まだ薄く出来そうね」

 そう呟いて、留美はプラグを元に戻した。


 エンジンフードを閉めて、次に留美が行ったのは走行中にメモ書きしたタイムの計算だった。メモ帳の数字を睨みながら、電卓を叩く。

 ヘレンと拓海は、黙ってその動作を見ていた。




「時速200kmだと、200000メートル……。割る60の割る60で……秒速は55,5メートル。1キロ……1000メートル割る55,5は……約18秒。

 計測したタイムが……おおよその18秒6が平均ね。というと……1000割る18,6は、53,76で……かける60のかける60の割る1000は……193,536キロになるわね」

「姉御……何の計算してるんだ?」

 謎の計算式に、拓海は疑問を浮かべる。

「……単なる算数よ。距離と時間と道のりのね。小学校で習ったでしょ?」

「……覚えてないなぁ」

 拓海の反応に、留美は呆れた顔を見せる。

「……その計算に何の意味が有るのよ?」

 ヘレンはそう聞きただす。


「あくまで参考でしかないけれど、200kmの速度で1キロの区間を走ると、理論上は18,01秒になるわ。

 一定の区間の平均タイムを出す事で、どれ位の速度が出るのかの基準を作りたかったのよ。

 実際メーター読みだと、どうしても誤差は出やすいし、全開で飛ばしてる時にメーターを見ている余裕なんてないでしょう?

 ちなみに、今の200kmの巡航だと、実際の平均速度は193kmだったわ」

「……つまり、その計測した区間を全開で駆け抜ければ、このテスタロッサが何キロ出ているのかが正確に解るわけね」

 ヘレンは、ニヤリと笑った。

「その通りよ」

 対照的に、留美は相変わらずポーカーフェイスを保っていた。


本日は、ここまで。

何かわからない用語が有れば、別口で解説します。


テスタロッサと言う、愛しき駄馬。ヘレンさんに、似合う一台だと思っております。

ランエボは!? ランエボは出ないの!?
ライバルのインプレッサも走り屋って感じの車じゃないのかな

>>1
乙、ここの原田氏は10年後にリアフェンダーにカバーが付いた620馬力のFDを作って更にそのクルマを4ローターにしそうだな。


>>106
丁度この年に2台共発売されたばかりだからな、しかもインプは劇中ではまだ未発売とみた、エボとインプが首都高に出て来るまで後10年近くはかかるな。

ランエボやインプはまだ発売してないのか。スープラやRX-7って結構昔の車なんだなあとしみじみ思ったり

>>106
>>107の方の書いてある通りですね。ランエボは1992年の10月で、インプレッサは1992年の11月に発売してます。
ちなみに、ランエボとインプレッサはほとんどラリーベース車なので、最高速仕様に仕上げようとすると、逆にGT-R以上に手間と時間がかかります。一応、実例はあります。


>>107
スクートのFD、四十路sの小○さんですね。
書いてる途中で、スモーキー原田と、湾岸の木場くんって名前が頭をよぎりました。
原田Miyo次郎の大冒険は、流石にやりませんが……(V-OPT感)。


>>108
正直、昔あこがれた車が旧車の仲間入りすると……年齢を感じますね。
作中の70スープラやFC3Sは、昭和の車なので尚更そう感じます。


では、続きを投下します。

11.


 丸で、ジェット戦闘機が低空飛行を続けている様な轟音の群れは、街灯が照らす広いアスファルトを支配していた。

 市川パーキングを出発し、各車一団となり神奈川方面へ突っ走る。


 目前を走るコルベットのテールを、ヘレンは睨む。

(……いくわよ!!)

 3速全開。8200rpmまで引っ張って4速へ。

 片バンク6本の排気管は等長で1本に纏められ上げ、テールからはみ出る左右のマフラーから、F1マシンの如くソプラノの快音が放たれる。


(……例えようが無いわね)


 フェラーリミュージックに、助手席の留美も聞き惚れていた。

 巨体をグイグイと引っ張る12気筒は、これもまた横長なコルベットのテールに張りつく。スリップストリームを存分に効かせ、左車線からオーバーテイク。


 先を行く四台のテールランプが、互いを牽制しながら隊列を組んでいる。

「待ってなさい……」

 小さく呟いたヘレンは、ほくそ笑んだ。



 テスタロッサを意図的に先行させ、コルベットはディズニーコーナーに備える。

(……コルベットの本領は、これからさ。精々頑張りたまえ……木村君)

 百戦錬磨の真奈美は、トップ集団の動きを舐める様に観察する。さながら、獲物を狙う蛇の如く、静かにその瞬間を待つ。



 先陣を切って飛び出したGT-Rは、加速力も耐久性も優れる。しかし、夏樹は大きなミスを犯していた。

(……やべえな。焦ったか?)

 ルームミラーに反射する、追走車のヘッドライト達が、余計に焦りを増幅させる。

 GT-Rは、本来セダン車のボディがベースとなっており、他車に比べて全高も高く空気抵抗もかなり大きい。加えて、200kmオーバーでバトルする時は、スリップストリームが使える後追いの方が、有利に勝負を進められる。

 他のランナー達は、誰かが先に出る事を待っていたのだ。気がはやった夏樹は、追い立てるドライバー達に、まんまとハメられた訳だ。


 迫りくる、右に大きく曲がるディズニーコーナー。通常速度の走行では緩やかに弧を描いている様でも、200kmで飛び込めば箱根の山道かと思う位に、ステアリングを切らなければならない。

 夏樹は、軽いブレーキをかけてからインベタで進入。




 全員隊列を整えたまま、ならう様にしてインベタで飛び込む。

「……!?」

 四番手のスープラの左ミラーに、ヘッドライトが反射した。
 アヤと拓海は、横目で左のウインドウを一瞬だけ見る。

(テスタロッサか!!)

 ヘレンは、強引にアウトからスープラに並びかける。

「あの……バカ!!」

 アヤは罵った。スープラも1500キロオーバーの重量級だが、テスタロッサはそれに輪をかけてヘビー級だ。それにも関わらず、進入速度はスープラよりも速い。


 テールヘビーなテスタロッサは、コーナー立ち上がりで大きく膨らんで行く。瞬間的に頭をかすめたのは、外壁にへばりつく赤いフェラーリの姿だ。


 強くかかる横Gと格闘しながら、ヘレンは右にステアを切り、アクセルでマシンをコントロール。微妙な荷重変化を起こして、リアタイヤを踏ん張らせる。




 強くかかる横Gと格闘しながら、ヘレンは右にステアを切り、アクセルワークでマシンをコントロール。微妙な荷重変化を起こして、リアタイヤを踏ん張らせる。

 締め上げたサスペンションが、横Gに流される巨体を支えながらも、路面のうねりをしなやかに受け流す。
 アウト目一杯で持ちこたえ、左のリアタイヤが白線を踏んだ。

 一車線分横っ飛びしながらも、テスタロッサはアウトからスープラを抜き去った。

「サスも剛性、最高よ……」

 ヘレンは嬉しそうに呟いた。

 今度は、スープラがテスタロッサの馬鹿でかいテールを拝む事になった。

(……あの状態で持ちこたえやがった。車が良いのか? 馬鹿なのか?)

 アヤは苦々しく歯ぎしりしながら、ギアを5速へ叩き込んだ。

 テスタロッサがRX-7に並びかける時、スープラのテールにコルベットが張り付いていた。




 トップで粘るGT-Rは、5速6500rpmまで回っている。250kmで突っ走ると、前を行く一般車は丸で迫ってくるような錯覚をしてしまう。

(……車がいるな)

 湾岸のバトルで、鍵を握るのは一般車の群れだ。ここを如何に素早く切り抜けるかが、勝負の分かれ目。
 夏樹は右車線のまま、パッシングして自分の位置をアピールする。

 フェアレディZのステアリングを握り、あいはGT-Rの動きと一般車の流れを読む。

(……恐らく、右と真ん中が空く)

 ここで、ZはGT-Rのスリップを外れて並びかける。

 Zの動きを見て、美世は先を行く一般車の動きを予測する。

(……あいさんは動いたけれど、夏樹は動かない。
 恐らく真ん中と右なら大丈夫だけど……。テスタロッサはどう動くかな)

 サイドウインドウから、左端を突っ切るヘッドライトの光を見た。


 他者の動きを読んで、先手先手を取る駆け引きは、湾岸での走りに必要不可欠だ。一般車を如何に上手く避けるか否かで、その先のトップスピードに大きく影響してくる。




 これは、何も湾岸の走り屋だけのテクニックでは無い。

 ツーリングカーレース等、クラスごと速さの違うマシンが混走するレースは、周回遅れを利用してオーバーテイクする技も有る。


 こればかりは、経験値が物を言うだけに、ヘレンは如何にして一般車を切り抜けるのか。

(……こういうのはどうかな?)

 あいの動きに併せる様に、RX-7が真ん中のレーンへ。Zのスリップストリームを狙うと同時に、テスタロッサへの牽制も兼ねている。

 サイドバイサイドで並ぶ。跳ね馬の咆哮と、孤高のロータリーが共鳴し合って、空気の壁を跳ね返す。


 留美がRX-7の動きを見て、ヘレンに指示を飛ばす。

「RX-7の後ろに着きましょう。この車線じゃ、一般車に塞がれるわ」

 ヘレンは、首の動きだけで返事をする。200kmオーバーの世界で、口の方で答える余裕は無い。

 一瞬アクセルを抜いて減速。テスタロッサはRX-7の後方へ滑り込んだ。




 更にその前で、250kmで並走するZとGT-R。スリップストリームを効かせている分、速度の乗りはZが上回っている。横目でGT-Rをチラリと見て、並んだかと思うと、空気抵抗の少ないボディがジリジリと速度を伸ばしてトップを奪った。

 今度はミラーで後方を見る。

(着いてきているね……。仕上がりは想像以上か……)

 左後方に着いてきているテスタロッサ。その速さは、あいの予想を大きく上回っていた。

(……まだ、コルベットも来る筈だからな。ここは……美世くんと夏樹くんに頑張って貰おうか……)

 先を急いで、テスタロッサをGT-RとRX-7で押さえさせる狙いだ。


 先頭グループは葛西ジャンクションを通過。6台はほぼ等間隔のまま、更に速度を乗せていく。

 トップに出たZが、今度は集団を引っ張る。




 前方に一般車両が並んで走ってるのが見えた。空いているのは、一番右車線だけ。

(一列になるな……)


 一度左足を使って、何度かブレーキランプを点滅させてから、ウインカーを出して一番右にレーンチェンジ。先にブレーキランプを光らせたのは、一般車が増えたという合図と、一旦ペースをキープするという意思表示だ。

 後続も230kmで走っているので、突然減速したら追突されてしまう。先頭がクラッシュしたら、後続は全員巻き添えを食ってしまう。湾岸ならではのマナーの一つだ。


 ここからは、右車線で230km前後の速度をキープする。

 フェアレディZを先頭として、GT-R、RX-7、テスタロッサ、スープラ、コルベットというオーダーだ。




 あいは、ここで後続車を牽制している。

(……良い場面だ)

 一番先頭でペースをキープを出来るのは、あいに取って一番理想的な展開だった。

 後続がここで我慢しきれず加速して前に出てしまえば、スリップストリームの餌食になってしまい、東京湾トンネルを抜ける頃にはZの横長のテールランプを拝む羽目になる。空気抵抗の少ないZならば、トップスピードまで伸びてしまえば追いつく事は難しくなる。


 逆にゴールの大井ジャンクションまでの距離が短くなれば、ブーストを上げて一気に逃げる事も、フェアレディZなら十分に可能だ。

 あいが過去に、何度も女王にしてやられたテクニックだ。


 当然、他の走り屋もあいの狙いは解っている。読みを誤れば、相手の思う壺。手の内を読み、如何に自分のペースに引きずり込むかが、勝負の分かれ目だ。

 だからこそ、今は隊列を整えてチャンスを待つ。仕掛ける隙を見逃すまいと、前走車のテールランプを睨みつける。




 高速のクルージングの中、ステアリングを握るアヤの異変を、拓海は見逃さなかった。

(アヤさん……イライラしてるな)

 アヤがトップグループの中で勝ちきれない理由の一つは、アヤはこういう場面の駆け引きを苦手としている。

 助手席の拓海から見ても、焦ってるのが丸解りだった。

「……っ~」

 有明ジャンクションまで500メートルの看板の地点で、アヤの我慢は限界に達した。


 クラッチを蹴っ飛ばして、4速へシフトダウンし、右車線から飛び出てフル加速。テスタロッサ、RX-7を一気にまくった。

 7M-GTEのエキゾーストノートが高鳴ると、口火を切ったように全車フルスロットル。愛車に鞭を入れて、頭を狙う。


 ここで、ヘレンも真ん中へレーンチェンジ。スープラの後方にへばりついた。

「……勝負よ!!」

 ヘレンは、威勢よく叫んだ。




 この一瞬の駆け引きに後れを取ったのは、美世のRX-7だ。

 3ローターのビッグタービン仕様は、まだレスポンスが悪い上に、加速のタイミングがコンマ何秒か遅かった。低速トルクの細いロータリーエンジンで遅れを取ってしまうのは、致命的なミスだった。

(……しまった!!)

 そう思った瞬間には、時既に遅し。真横にコルベットの低いノーズが並んでいた。


 集団のしんがりを走っていたコルベット。真奈美は、虎視眈々とこのタイミングを狙っていた。

(……ここからが勝負所さ!!)

 桁違いにでかい排気量の生み出す強大なトルクで、加速力は随一。RX-7に並んだかと思えば、一気に抜き去って前方のテスタロッサのテールに近づいていく。

(……このまま、一気に行かせて貰おうか!!)

 前を行くマシン全てを、射程圏内に収める。




 しかし、今度は真ん中車線をふさぐタクシーがトロトロと走っている。

 右車線で先頭を走るZは車線を変えず、GT-Rもその真後ろのまま。だが、夏樹の真横にはスープラが居て、真後ろにはRX-7が走っている。

 テスタロッサとコルベットはいち早く、左車線へとレーンチェンジして加速を続けた。


(……行く所がねぇ!!)

 拓海は、タクシーのテールランプを見ながら硬直していた。このまま全開なら、タクシーに突っ込む以外考えられない。

 スープラはフルブレーキングする以外に、多重クラッシュからの逃げ道は無いとしか思えなかった。


「……のやろ!!」

 アヤはそう口走って、全開加速状態のまま右車線のGT-Rに幅寄せをかました。

 逃げ場が無い筈の車線に、強引に寄せてくるスープラ。

「正気かよ!?」

 夏樹は、声を荒げた。

 アクセルを踏みつけたまま、中央分離帯のガードレールギリギリまでGT-Rを寄せる。なおもアヤは幅を寄せて、GT-Rとスープラの間は10センチも無い。




 当然、3メートル50センチの車線に収まる筈も無く、両サイドが十何センチはみ出たまま突っ走る。

 タクシーの赤いテールが、そこまで迫り来ていた。

 ドン、と風圧が左サイドウインドウを叩いた。


 スープラは、タクシーをスレスレで避けていく。追い越すと同時に、アヤは中央車線へマシンを戻した。

 夏樹とアヤは時速240kmオーバーで、一車線の中を並走しながら全開でタクシーをオーバーテイクしてみせたのだ。

(……今のは怖ぇよ)

 スープラの助手席で、拓海は震え上がった。しかも、一番タクシーを近い位置で見ているから、ビビるのも当然だ。

(……勘弁しろよなぁ!!)

 ようやく左隣が空いて、夏樹はアヤに向けて左手の中指を立てる。間違いなく見てはいないだろうが、そうせずにはいられなかった。240kmで幅寄せされれば、ブチ切れるのも当然だが。

(……危ないってあれは)

 一番後ろでスタントを目撃した美世も、流石に焦った様だがアクセルは緩めていない。


 とは言え、この一悶着で夏樹、アヤ、美世の3台は若干遅れを取ってしまった。




 先に左車線へ移って、いち早く加速体勢に入ったテスタロッサとコルベット。逆車線から一気にトップのZまでオーバーテイク。ここでヘレンが、集団を引っ張る形となった。


 テスタロッサの後ろにコルベット。更にその後ろにフェアレディZが並んで、縦一列の隊列を組む。少し差を広げて、スープラ、GT-R、RX-7が編隊を組んで前の3台を追う。


 5速、6500rpm。メーター読み280kmでも、スピードメーターもタコメーターも、グングンと上昇していく。空気の壁を切り裂き、12気筒の咆哮が響き渡る。




 スリップストリームを生かして、コルベットがテスタロッサのテールに喰らい付いた。

(ここで前に出ないとまずいが……)

 真奈美は、センターコンソールに取り付けられた追加メーターで、水温と油温を見る。

(……水温も油温も上がってるか)

 既に追加メーターの針は、赤い文字盤にまで達していた。

 大排気量エンジンは強大なトルクを生み出す反面、エンジンの発熱量も半端無く大きい。

 油温が130度を超えてしまうと、レーシング用化学合成オイルであっても粘度が落ちてしまい、各メタルの油膜を保持しきれなくなる。

 加えて、スリップストリームで空気抵抗を減らす分、ラジエーターの風当たりは悪くなりオーバーヒートを招きやすい。

「……仕方ない」

 コルベットは一度スリップから外れて、ラジエーターに風を当てる。速度は落ちるが、エンジンブローをするよりはマシと言う、真奈美の判断だ。




 コルベットに変わって、テスタロッサの後方を捕えた、フェアレディZ。

(……残念だが、勝たせないよ)

 スリップストリームを効かせ、幅2メートル近いテスタロッサのテールに張り付いた。

 スピードメーターが290kmを指すと、東京湾トンネルが迫り来ていた。


 あいは、機械式ブーストコントローラーのダイアルを回した。更に過給圧を上げてパワーを稼ぐ。

 トンネル先の左コーナーを前で抜けて、最後の直線はパワーで逃げきる狙いだ。


 東京湾トンネルに入る。防音壁に反響する、12気筒の甲高いエキゾーストと、V6ツインターボの力強いエキゾースト。

 グイグイとテールに迫る、フェアレディZ。スリップストリームを生かして、テスタロッサを凌駕する伸びを見せる。

(……ここだ!!)

 メーターは300km指したと同時に、あいのフェアレディZが横に出た。

 視界が開け、一気にテスタロッサに並びかけた。




(……!?)

 同時に、フェアレディZのボンネットから白い煙が吹き上がった。風圧に負けて、ゆるゆると速度を落としていく。

「……何だ!? 何故……?」

 各追加メーターを見て、あいは状況を判断する。水温は正常。油温も問題無い。しかし、ブースト計は針がゼロを指したまま止まり、油圧も低下を始めていた。

(……まさか……タービンブローか!?)

 過給圧を高めた事で、メタル材質のタービンブレードと受け軸のメタルが悲鳴を上げたのだ。

 白煙を吐き出しながら、Zは惰性で走るしか無い。


 横目で見ながら、コルベットはZを追い抜いて行く。

 失速するZを何とかかわして、GT-Rはそのまま走り去った。


 スープラとRX-7はゆっくりと速度を落として、東京湾トンネル先の大井出口の路肩でハザードを焚いてマシンを停めた。




 Zのトラブルによって、レースにはレッドフラッグが振られた状態となった。

 スープラとRX-7に寄り添う様にZを停めると、あいはがっくりとうなだれるしか無かった。


 スープラから降りると、遠ざかるエキゾーストノートが聞こえた。聞き間違える訳が無いテスタロッサの咆哮は、勝利の雄叫びだったに違いない。

(……ヘレンの野郎、勝ちやがった)


 この状況でガッツポーズを出せる筈も無く、拓海は至極冷静を装っていた。


12.


 新参者のテスタロッサが勝ったと言う話は、湾岸ランナー達の大きな話題となった。瞬く間に噂は広がり、ヘレンとテスタロッサは注目の的になっていた。


 そして翌週。再び、湾岸へ。

 今度は、美世のRX-7と夏樹のGT-R、そしてアヤのスープラを交えて、4台の勝負となった。


 テスタロッサが終始トップを取り、初っ端から全開でぶっちぎった。ヘレンは、細かな駆け引きは一切しなかった。スタートからゴールまで、ただひたすら踏み抜いただけ。

 その結果は、他に5秒以上の差をつけて圧倒的な勝利をものにした。他を寄せ付けない、横綱相撲の走りだった。


 まぐれ勝ちは、何度も続かない。

 そうなれば、必然的に女王への挑戦権を得る事となった。最強の怪鳥に挑むのは、赤い跳ね馬。

 両雄が、湾岸で激突する日は近いと、誰もが思っていた。 





 当然、その噂は高峯のあの耳にも届いていた。


 そんな最中で、拓海は取材でのあの元を訪ねる事になった。

 若くして、高峯のあは高級外車を何台か保有している。自宅のガレージに並ぶBMWM5にメルセデスベンツE190等、庶民には縁の無い高級セダン。

 のあが最近お気に入りなのは、ジャガーのXJSのクーペ。5,4リッターV12搭載のモデルで、優雅に走るのにハマっているそうだ。


http://www.dotup.org/uploda/www.dotup.org537044.jpg.html


 自動車雑誌編集部員としての取材は、滞りなく終わった。

「……今日はありがとうございました。お蔭で、良い記事が書けそうです」

 拓海はそう伝える。

「それは、何よりですよ。だけど……あなたが聞きたい事は、まだ有るんでしょう?」

 のあの言葉に、拓海の顔付きは固くなった。

「……派手に走ってるそうね。彼女のテスタロッサ……随分と噂になってるわ」

 そう言いながら、のあはニヤリと笑みを見せた。





「そりゃそうでしょう。最近、どっかの誰かが湾岸に来ないお蔭でね。

 そのまま、フェードアウトなんて真似……しないよな?」

 拓海の言葉に、のあはフッと息を漏らした。

「……生憎ね。まだ、CTRは仕上がってないのよ。

 先日部品が来たから、もうすぐ出来上がるわ。良かったら見てみる?」

 自信に満ちていた。のあは、例えフェラーリでもGT-Rでも、勝てるつもりなのだろうか。


 ジャガーXJSで乗り付けたのは、高峯自動車。高峯グループの事業の一つで、外国車の販売や整備を行っている。

 とても車屋とは思えない綺麗な作りで、留美の勤める車屋とは似ても似つかない。


 豪華なショールームには今年出たばかりのポルシェ968のカブリオレと、数年前までグループCを戦っていたポルシェ956Cが展示してあった。

「……こちらよ」

 のあに案内されるがまま、ガレージの奥へと入っていく。




 ガレージの中で、ルーフCTRはリフトに乗せられていた。

 CTRの近くで、黙々と作業を進めるのは、以前紹介された相川千夏だ。

「へぇ……今度は何の工事を?」

 拓海はルーフの下回りを覗き見ながら、のあに聞く。

「ミッションを変更したわ。ルーフ社とZFが共同開発した、6速ミッションよ。今まで5速のままだったから、相当に効果が有る筈よ」

「……6速ねぇ。ミッションが壊れたついでって事ですかい?」

「残念ながら、外れよ」

 拓海の回答に、のあはそう告げた。


「……6速にギアを増やす事で、ギア比全体をクロスさせる事ができるのよ。

 例えば300kmまでの速度を出す時。5で割るより6で割った方が、一つのギアの加速力を上げる事が出来るという理屈になるわね。

 つまり、300kmまでの到達時間が速くすると言うのが、ミッションを交換する狙いなのよ。

 ちなみに、ロード&トラック誌で339kmをマークした時は5速仕様で、ドイツのアウトモーター&シュポルト誌で342kmは6速仕様だったのよ」


 千夏は、拓海へ向けてそう解説した。




「恐らく、トップエンドの伸びはフェアレディZ以上でしょうね。だったら、追い付かれる前に逃げ切るだけ。

 あなたも、一度味わってるもの。わかるでしょ?」

 のあは、そう宣告した。


 拓海は、CTRの加速力を思い出す。否、体に刻み込まれたと言った方が正しいだろう。

(……あの時以上の加速をするって事なのか)

 その恐れにも似た感覚が蘇った時、テスタロッサはCTRに勝てるのか、と一瞬だけ疑ってしまった。


「……とは言っても、新品のパーツなのよね。慣らしがあるから、まともに攻めるのは一ヶ月くらい後かしらね。

 ……少しの間は、いい気分に浸れるんじゃないかしら」


 のあが、そう言った時。その視線は、冷たく研ぎ澄まされていた。




「……高峯さん。一つだけ、聞かせてくれ。あんたは、何故湾岸を走るんだ?

 あんた程の人間なら、何不自由なく育ってきたんだろう?

 金だって不自由してないし、仕事も充実してる。まして、あんた位の美人だったら、男だって選びたい放題だろ。遊び半分で命を賭ける様なリスクを、わざわざ背負う必要が有るのか?」


 拓海は、そう聞いた。以前から、少し気になっていた事だった。


「何故かしらね……。

 確かに、私は恵まれた環境で育ってきたわ。子供の時から何も不自由していないし、その気になれば手に入れられない物は無いでしょう。

 だけどね……あなた達の様な湾岸ランナーと、根底は同じなのよ。

 視界が狭くなるほどのハイスピードで走るスリル。頭の中では、もう止めろって声と、もっと速く走れって声が混ざり合ってる。体が熱くなってるけれど、背筋は震えてる。

 そして、全身が震えあがる様な恐怖を、気持ちで凌駕したとき……生きてる実感を得る。


 その一瞬は、セックスするより何百倍も気持ちいいのよ」


 のあはそう答えた時、実に楽しそうだった。リスクを冒す事で、快感を得ているのか。


「……あたしもあんたと変わらないんだろうな。その気持ちは、あたしも……いや。あたし達も良く解るよ」

 拓海もその気持ちは良く解る。だからこそ、そう言葉を漏らした。




 少しの沈黙。千夏が、ガチャガチャと作業する音だけが、ガレージの中に響いた。

「彼女に伝えてくれるかしら……。首を洗って待っていなさいってね」

 のあは、そう伝える。拓海は、黙って首を縦に振るだけだった。




 仕事を終え、何時もの様に留美の整備工場に立ち寄る。特にテスタロッサをいじる必要は無いし、仕事で手伝える様な事も無い。

 ただ、何か月も立ち寄っているので、半ば日課になっていた。

「……こんちわ」

 シャッターを潜り、工場を覗く。何時もの様に、整備に勤しむ留美がそこに居た。

「いらっしゃい。少し待ってて……」

 何時もの様に留美が出迎えてくれる。


 ガレージの隅に積まれた廃タイヤに腰を下ろして、留美の作業をただ見つめる。一通りの作業が片付く頃には、日はすっかり落ちていた。

「……随分と暗い顔してるわね」

 拓海の表情から察したのか、留美はそう声をかける。

「ええ……まぁ。

 高峯のあを取材してきましてね。あちらさんは、随分とテスタロッサを意識してるみたいっすよ。

 今、CTRを6速ミッションに換えてる事を、わざわざ教えてくれたっす……」

 少しうんざりした様に、拓海はそう言った。

「……そう。6速仕様ねぇ……。

 あえて教えるのなら、余程自信が有るんでしょうね」

 留美は、ふぅと息を吐き出した。


「ところで、姉御。“アレ”は間に合うのか?」

「今日の昼に届いたって連絡が入ったわ。今日の内に、真奈美とヘレンが持ってくる予定よ。これで、カードは揃ったわね」

 留美は、ニヤリと笑った。




 予告通り、真奈美とヘレンは閉店間際に工場にやって来た。普段ならコルベットで来るところだが、今日は営業用のカローラバンに荷物を積んで到着した。

「またせたわね。これ、夕飯よ」

 ヘレンは、コンビニ袋を差し出しながら、カローラから降りてきた。

「おお、ナイスじゃねーか」

 真っ先に、拓海がコンビニ袋を受け取った。


「ご苦労様。所で、“アレ”は?」

「ああ。トランクに積んで来たよ」

 留美に向けて、真奈美は伝えた。


 満を持してカローラのリアハッチを開けると、対CTR用の秘密兵器とご対面だ。

 段ボールに包まれたホースや、金具に付属品。そして、このパーツのメインと言える、一見消火器にも見えてしまうボンベ。


「……これが“ナイトロオキサイドシステム”か」


 拓海は、マジマジと見ながら呟いた。

「フェラーリにナイトロチューンを組み合わせるのは、恐らく世界で初めてだろうな」

 真奈美は、したり顔で言った。




 ナイトロオキサイドシステム。元々は航空機用の技術だったが、アメリカのドラッグレース用に転用されたチューニングだ。

 瞬発的なパワーを出すには最高の物と言える。


 ナイトロオキサイドとは、日本語で亜酸化窒素化の事を言う。

 簡単に言ってしまえば、ボンベの中に酸素の塊が入っており、それをインテークパイプ内に直接噴射するというシステムだ。


 このシステムの大きなメリットは二つ。

 一つ目は、酸素の供給量が増える為、必然的に燃焼効率が大幅に上がる事。より多くの燃料を効率良く燃やせるという事は、パワーが飛躍的に向上する。

 二つ目は、亜酸化窒素の気化熱によって、吸入温度を下げる事が出来る。温度が低ければ空気の密度は高くなるので、これも燃焼効率の向上に繋がる。更に、副産物としてエンジン全体の冷却にも効果が出るのだ。


 理論上ナイトロシステム使用中ならば、1,5倍のパワーは上乗せ出来ると言われる。フルチューンのNAエンジンで、更にパワーを稼ぎ出すのはナイトロ以外の方法は無いだろう。



 ただし、パワーを持続するのは1分から2分だけ。ボンベの中のナイトロオキサイドが切れてしまえば、元のパワーに戻ってしまう。

 瞬発的な使い方しか出来無い為、使い所を見極めるのは難しい。下手に使いすぎれば、最後の直線でナイトロが切れてしまう事も考えられる。


「……とりあえず、食事を取ってから取り回しを考えましょう」

 留美は、そう言ってカローラのハッチを、一旦閉じた。




 食事休憩を終えて、早速4人がかりでテスタロッサにナイトロを搭載する作業に取り掛かった。


 ナイトロのボンベの搭載位置は、助手席の足元に取り付けた。フロントのトランクも考えられたが、ボンベのバルブを緩めなければならない為、車内がベストと結論付けた。

 圧力を安定させる為、ボンベヒーターを取り付け、プレッシャーゲージも装着。ナイトロ噴射のスイッチは、ステアリングの右側に赤いミサイルボタンを装備した。


 インテークパイプ周辺のフューエルホースに並んで、ナイトロ用の細いステンメッシュホースが、各気筒ごとに並んだ。

 ナイトロ用のノズルとインジェクターが並ぶ様に併設し、スロットルバルブからインテークバルブまでに、亜酸化窒素とガソリンが混ざり合って、燃焼室に混合気が送り込まれる。

 ドライショットと呼ばれる設置方法に決定した。


 フューエルパイプにノズルを噛ませ、ガソリンとナイトロを直接混合させるウエットショットと言う噴射方法に比べ、ドライショットの方はインジェクターからの噴射量に限界有る為、ウエットショットに比べてパワーは劣る。

 しかし、テスタロッサの場合は機械式のインジェクションになる。その為、エンジンの回転数をセンサーで感知して、インジェクターが燃料の噴射量をはじき出している。


 流入空気量を感知して燃料噴射量を決める電子式のインジェクターに比べ、機械式の方は細かく燃料の制御をする事が出来ない。レース等で使われるモーテック製のコンピューター等を使う事も考えたが、水平対向12気筒でのセッティングは前例が皆無だ。

 セッティングの時間や、ナイトロの搭載量を考えた末、ドライショットの方がメリットが多いと結論付けた。




 それでも、ナイトロ噴射の際に燃調に難が出ると考えた留美は、助手席に乗り込みナイトロ噴射時は燃調コントローラーを自ら制御すると言う作戦を考え付いた。


 セッティングを攻めすぎて爆発力が上がりすぎれば、レーシング用鍛造ピストンと言えど、熱でピストンが溶けてしまうデトネーションが起きてしまう。

 電子制御式のインジェクションならば、コンピューターの改造で対応出来るのだが、古典的な機械式インジェクションのテスタロッサでは致し方無い事だった。


 全てを取り付けた後は、最適な燃調を見つける為にセッティングしなければならない。


 3日後。仕上げは真奈美の輸入車専門店で、シャシーダイナモを借りて、仕上げの燃調セッティングを行った。


 ヘレンが自ら乗り込んで、助手席で留美が最適なセットを探り出す。




 ナイトロの噴射量と燃調コントローラーのダイアルを、A/F計とにらめっこしながら調整していく。少しずつ燃料を薄くし、ナイトロの噴射量を増やしていく。


 何度か目のトライ。

「……回して頂戴」

 留美に言われ、ヘレンは頷く。

 テスタロッサの極太のリアタイヤが、シャシーダイナモのローラーを蹴っ飛ばす。


 3速、4速とシフトアップ。そして、5速全開。F113Bがけたたましく唸りを上げ、計測器の針がグングン上昇していく。側で見守る拓海は両耳を手で押さえるが、それでも鼓膜がビリビリと震える。

 トップエンドまで回りきった時、計測機を見ていた真奈美は目を見開いていた。

「……どうかしら?」

「生憎だが、測定しきれていない……600ps以上だ。恐らく、650psは出ていると思う……」

 留美に聞かれ、真奈美はそう答える。

「グループAのGT-Rと、同じレベルかよ……」

 桁違いのパワーを手に入れたテスタロッサに、拓海は驚愕を通り越していた。

「……世界レベルにふさわしくなったわね」

 ヘレンは、得意げに答えた。


「とは言え、この噴射量だと使えるのは2回だけね。一回でも使うタイミングを間違えれば、勝機はないわね。

 本番では、私がそのタイミングを見極めるわ」

 留美はそう言いながら、ダイアルにマーキングを付けた。

「……頼むわよ、留美」

「ええ。任せて」

 留美は、テスタロッサの助手席から降り立った。


13.


 11月上旬、水曜日。日が落ちれば、随分と冷え込むようになった。天候は雲一つないが、都会の夜空に星は浮いていない。

 平日の市川パーキングの深夜は、週末とは比べ物にならないほど、静まり返っていた。

 高峯のあに指定されたこの日。時刻は天辺を過ぎた頃に、ヘレンと留美は、テスタロッサで。拓海は真奈美を乗せてソアラで。市川パーキングに辿り着いた。


 パーキングで待ち構えて居る2台のポルシェ。ルーフCTRイエローバードと、964ポルシェターボ。

(……相川千夏は、着いて来ただけだろうな。しっかし……この面子じゃ、あたしのソアラがみすぼらしく見えるぞ……)

 高級車の群れに、少し嫉妬する拓海だった。


 わざとらしく、CTRの隣に停車したテスタロッサ。乾いたフラット12の排気音が、静かなパーキングに響き渡る。そして、ソアラも隣に陣取った。

 マシンから降りると、高峰のあ、相川千夏の両名が出迎える。




「……ようこそ。最終ステージへ」

 のあは、おどけた様に言うが、冷たい視線のまま4人を見ていた。

「……ふふ。良い夜になりそうね」

 含み笑いを見せながら、ヘレンはのあと視線を交錯させた。

「まともに、挨拶するのは初めてね。高峯のあです」

「……ヘレンと呼んで頂戴」


 互いの自己紹介は、簡素だ。そんな能書きは必要ない。

 今ここで、お互いの波長を感じられるから。百の言葉を交わすよりも、きっと確かだと解るから。


「……行きましょうか」

「ええ」

 のあの言葉に、ヘレンは頷いた。


 2台の猛獣が、雄叫びを上げる。
 ツインターボのフラット6と、NAの水平対向12気筒。

 ドイツの英雄と、イタリアの誇り。世界を引っ張り続けてきた、スーパースポーツの両雄が、湾岸線を舞台に火花を散らす。

 CTRがゆっくりと動き出すと、テスタロッサもそれにならった。




「……行ったわね」

 千夏は、遠ざかる赤いテールを眺めながら呟いた。

「追いかけないのか?」

「10分後には、私のポケベルに連絡が入る筈よ。それを過ぎたとしたら……巡航速度で追いかけるわ」

 拓海の問いに答えた千夏は、どこか不安を隠せていない様だった。

「……今は信じようじゃないか。彼女達をね」

 真奈美は、願いを込めてそう言った。




 3,4リッターのフラット6に二つのターボチャージャーを組み合わせ、カタログデータは469psと記載されているが、実測では500psを超えるモンスター。加えて、CTRの重量はテスタロッサよりも400kg近く軽量な車体。


 3速全開。ヘレンの視界から、見る見る内にテールランプが離れていく。

 しかし、ヘレンは意外と冷静だった。

(……初めての時よりも、ついていけるわ)

 道の先を見据え、4速へシフトアップ。一度ドロップしたタコメーターが、旋律と共に上昇していく。


 200kmを超え、風を切り裂く音が一層大きくなる。テスタロッサは、ひたすら前へ前へ走ろうとする。
 走る事を宿命とする跳ね馬は、より速くとドライバーを攻め立てる様だった。

「……ディズニーコーナーを抜けてから、一回目を使うわ」

「オーケー……」

 留美の指示に、ヘレンは答えた。




 長く右旋回する、ディズニーコーナー。

 RRという古典的なレイアウトは、リア2本のタイヤに6割強の重量が乗っかる分、強力なトラクション性能を発揮する。

 しかし、2272mmのショートホイールベースかつ、トレッドの狭い930ボディの場合、長く旋回するコーナーでの安定感に難が有る。旋回中にリアタイヤが、ほんの僅かでもグリップを失えば、一気にテールが滑りコントロールは不可能になる。


 のあは、5速のままブレーキング。きっちり210kmまで落とし、ヒールアンドトゥを使って4速へシフトダウン。フロントに荷重を乗せて、ゆっくりとステアリングを切る。

 進入から、一定の舵角とブーストが落ち切らない程度のスロットル開度で、丁寧にクリッピングポイントを舐める。

 立ち上がりもアクセルは焦らない。ゆっくりとアクセルを入れて、少しづつリアに荷重を乗せていく。


 トラクションに優れるポルシェは、基本に忠実なスローインファストアウトを徹底する事で、もっとも速く走らせるマシンなのだ。




 立ち上がって全開。のあは、右車線にマシンを寄せてから、ミラーでテスタロッサのヘッドライトを確認した。

(……コーナーで詰められてる)

 その差は、縮まっていた。


 CTRに比べ、二回り以上に恰幅の大きいテスタロッサ。ノーマルボディの剛性不足を解消する事で、ワイドトレッドとロングホイールベースの利点を生かせる。つまり、より高速域の安定感を身に付ける事が出来たのだ。

 ストレートに入り、テスタロッサはCTRの後方を捕える。そして、5速へシフトアップ。


「……一回目。行くわよ!!」

 ナビシートの留美が声を張り上げた。燃調コントローラーのダイアルを捻った。

 同時に、ヘレンはステアリングのミサイルボタンを押して、ナイトロ噴射。




「……ッ!!」

 5速5500rpmまでドロップしたF113Bが、唸りを上げながらスピードを乗せていく。

 650psと真奈美が伝えた、最高出力。その加速Gで、ヘレンと留美の体はシートに押し付けられる。

 これまで、体感した事が無い位凄まじい力だった。以前が片手で押されてる位の感覚だったとすれば、今は両手両足を使って思いっきり押し出されている程、感じられる加速度が違う。


 急激に視界が狭く感じられる中、ヘレンはステアリングを握り、ルーフのテールランプを見据え続けた。


 CTRが6速へシフトアップ。しかし、ミラーに反射するする光が、グングンと迫り来ている。

(……近づいてくる!?)

 NAでありながら、ツインターボを凌ぐ加速力をみせるテスタロッサに、のあは初めて動揺を見せる。

(何故なの!?)

 相手のカラクリが解らない以上、のあには手の打ちようが無い。




 辰巳ジャンクションを、270kmで通過。ここでテスタロッサが、CTRのスリップストリームに入った。同時にナイトロのスイッチをオフ。

 280km。ヘレンは、ギリギリまでスリップを効かせて、速度を乗せる。

 290km。CTRの左に出て、テスタロッサが横に並んだ。

 300km。高周波と化した風切音を切り裂く様に、12気筒のNAのエキゾーストノートが、湾岸の闇夜に響き渡る。

(……仕方ないわ)

 のあは、アクセルを緩めて、一度テスタロッサを先行させる。


 今度は、テスタロッサの背後にCTRが喰らい付く。




 しかし、この時点では、のあが考えていた展開とかなり異なっていた。

(最高速の伸びはともかく、CTR以上の中間加速を見せたわ……。音を聞く限り、NAで間違いない筈なのに……)

 ぴったりと後ろに張り付いて、テスタロッサの動きの一つ一つを見極める。

(ま、いいわ……)

 まだ手は有るとばかりに、ヘレンを追い立てる。百戦錬磨の女王たる由縁は、最高速の速さもさることながら、いかなる状況でも冷静さを失わない事につきる。

(……一般車を、上手くかわせるのかしらね)

 のあは、じっくりと獲物を狙うハンターの様に、テスタロッサの一挙手一投足を見逃さない。




 赤いテールランプの群れが見えた。300kmから、一旦減速して速度は220km程度まで下がる。

 100kmで走る障害物を、縫う様に追い抜いて行く2台。テスタロッサの真後ろにぴったりと喰らい付いたまま、CTRが追いかける。

「……ッ」

 ヘレンは、チラチラとミラーで後ろを見る。

 走りの熟練度と言う部分では、ヘレンは未熟だ。


 以前のバトルでは、他のトップランナーを真正面から押し切れたとはいえ、駆け引きに関して言えばヘレンは素人同然。

 こういった接戦では、弱さを露呈する。

「……」

 ヘレンは、またもミラーを見た。出来る限り、CTRの動きをうかがっている。

 後ろに迫りくる、女王のプレッシャーは、並大抵では無い。


「大丈夫よ。……マシンを信じて走りなさい!!」

 留美は、ゲキを飛ばした。

「…………」

 ヘレンは何も答えない。

「……フェラーリが好きなんでしょ!? 世界レベルにふさわしいマシン何でしょ!? だったら……トップエンドまで踏み抜きなさい!!」

 そこまで言われ、ヘレンの口元が僅かに緩んだ。


「……ええ。任せなさい!!」


 そう答えた時、ヘレンはミラーを見るのを止めていた。




 有明ジャンクションを通過。

 まだ一般車は消えない。残すは、東京湾トンネルと、その先の左コーナー。

(……左コーナー先で、1,5までブーストを上げる。そうすれば、抜ける……)

 のあは、右手でコンソールボックスから生える、機械式ブーストコントローラーのダイアルの位置を確認。勝負所はそこしかないと見据えていた。


 それは、テスタロッサも同じだった。

「左コーナーを抜けたら、二回目を使うわよ」

「……オーケー!!」

 燃調コントローラーのダイアルに、留美の左手が伸びた。


 東京湾トンネルを抜け、左コーナーへ差し掛かる。

 230kmでの左旋回。一番左車線を走るトラックを追い抜けば、一般車は居ない。


 コーナーを立ち上がると同時に、一般車の姿が途絶えた。水銀灯とアスファルトだけが立ち並ぶ、ストレートがそこに広がった。


 オールクリア。




 テスタロッサがナイトロを噴射すると同時に、CTRもブーストを上げて勝負をかける。

(……6速へ!!)

 CTRは、左コーナーを5速で立ち上がり、6速へシフトアップ。


 一回分のシフトで、ゼロコンマ何秒だけ、ブーストの立ち上がりが遅れた。その一瞬のラグで、テスタロッサが半車身だけリードを奪った。

 5速のままコーナをクリアしたヘレン。アクセルを踏みつけ、目一杯の燃料と亜酸化窒素と空気を、燃焼室に送り込む。


 爆発した排気ガスが、12本のエキゾーストマニホールドを叩いて、ソプラノのミュージックを奏でる。

 流麗なボディは、風圧に負けじと加速を続ける。




 250km。

 260km。


 スピードメーターもタコメーターも、グイグイと上昇を続ける。


 270km。

 280km。


 大井ジャンクションを通過。

 僅かだが、CTRはジリジリと離されていく。

(……速い)

 のあは、ちらりと追加メーターで、エンジンのコンディションを確認。

(油温も油圧も問題無い……。ただ、排気温度が上がってるわ……ブーストも1,3までタレてる……)

 中速域でトルクの出るツインターボの特性は、200kmオーバーの速度域で強力な加速力を生み出すが、高回転域での伸びはテスタロッサに比べ少し劣っていた。

 エンジン特性の差が、ここで出てしまった。




 290km。


 295km。


 テスタロッサがジリジリとリードを奪う。黄色い怪鳥が、初めて後塵を拝んだ瞬間だった。


 300km。


 305km。


 ヘレンが叫んだ。

「……見えたわ!!」


 高速道路上を横切る、大井ふ頭の連絡道路。

 湾岸ランナー達が決めた、チェッカーフラッグだ。


 5速、8200rpm。時速310km以上。


 防音壁に響いた甲高いエキゾーストノートは、紛れも無く勝利の雄叫びだったに違いない。




 市川パーキングに待機する三人。テスタロッサとCTRを見送って、きっかり10分経ってからだ。

 千夏の持つポケベルのアラームが鳴り響いた時、まずは安堵の息を吐き出した。


(長い10分だったぜ……)

 拓海は、真っ先にそう思った。このまま連絡が無ければ、万が一の事態さえも考えられたのだから、無理も無いだろう。


「……彼女からは何と?」

 真奈美が聞くと、千夏は何も答えずに、ただポケベルに送られたメッセージを見せた。


“マケタ”


 そのメッセージを見た時、拓海と真奈美は反射的にハイタッチを交していた。




 2台は大井南ジャンクションを降りて、海浜公園の近くに車を停めた。のあは、先に公衆電話を使ってポケベルでメッセージを送った。


 無事だという事だけ報告し、のあは再びヘレン達と対峙する。

「テスタロッサの……あの加速力は一体、どんな秘密が隠されているの?

 あの音は、NAのままの筈よね?

 いくら5リッターだからと言って、あそこまでの加速力を生み出すのは、不可能なはずよ……」


 のあは、捲し立てる様な口調でテスタロッサの秘密を聞きただした。




「……ナイトロオキサイドシステムよ」

「……ドラッグレースで使うあれの事?」

「そうよ。勿論、一晩で使い切ったけれどね。NAでターボを上回る加速力を身に付けるには、ナイトロ以外に考えられなかったわ」


 留美に言われ、のあはフッと笑みを見せた。


「……呆れたわね。今日一晩だけ速ければ良いって事だったの?」

「そうなるわ……ね? ヘレン?」

「ええ、そうよ」


 話を振られ、ヘレンは得意顔を見せた。


「……今日の所は、私の負けね。だけど……また走りましょう。

 まだ、私は降りる気は無いから……」

 そう言い残し、のあはCTRに乗り込んだ。
 空冷フラット6のエキゾーストを木霊させて、夜の街へと消えて行った。


「……私達も帰りましょうか」

「……そうね」

 そして、テスタロッサに乗り込んだ。


エピローグ


 それから、三日後。土曜日。

 拓海は、仕事を終わらせてから、何時もの喫茶店で待ち合わせて湾岸に行く。そう決めていた。

 喫茶店のテーブル席で、コーヒーを飲みながら、走り屋達の騒ぎ立てる噂話を耳に入れよう。絶対に、ヘレンのテスタロッサが高峯のあのCTRに勝ったと言う話で持ちきりになってるから。その瞬間を、心待ちにしていた。


 しかし、昼前。一本の電話が入った。

「……はい、O誌編集部です。

 あ、姉御っすか。どうしてまた、電話なんか……」


 スピーカーの向こうから聞いた留美の言葉。

 拓海は、性質の悪い冗談にしか聞こえなかった。むしろ、信じたくない現実だった。


「ヘレンが……死んだ?」


 突然の訃報だった。




 無我夢中で仕事先から飛び出した。ソアラに飛び乗って、留美に言われた場所へ急ぐ。

 目的地は、目黒区の警察署だ。


 警察署に辿り着いた時、留美と真奈美が先に辿り着いていた。

 無言で、そこに保管されているテスタロッサに目を向ける。


 左側面。特に運転席の部分が、くの字に折れ曲がっていた。

 アルミ製のドアと鉄製のサイドシルが、電柱の形をトレースする様に丸く潰れていた。真横から、ぶち当たった事は容易に想像できた。




 警察の実況見分に寄れば、事故が起きたのは昨夜未明。

 ヘレンは、昨日の朝からテスタロッサで横須賀のベースに向かい、母親と共に父親のお墓参りに行ってた。


 その帰り道。目黒区の県道を走っていた時に、事故が起きた。

 事故現場は、飲み屋の立ち並ぶ歓楽街。道に飛び出してきた酔っぱらいを避けた時、コントロールを失って、左側面から思いっきり電柱にぶち当たった。

 当たり所が悪く、ヘレンは頭を打って即死していた。


 時速は、たったの50kmで起こった事だと。警察はそう伝えた。




 リアの重いテスタロッサは、一度でもテールが出るとコントロールが難しいと、以前に留美は言っていた。


「だからって……こんな速度で逝っちまうのかよ……」

 夢の残骸を見た時。拓海は、地面に膝から崩れおちていた。



―END


バッドエンドかよぉ!!



モバP「……凄いカーアクションでしたね」

今西部長「若い頃を思い出すなぁ……。昔あこがれた車が並んでると、年甲斐も無く……こう胸が熱くなるよ」

モバP「それにしても……。この作品の最後……よくヘレンさんが、脚本に納得しましたね……」

ちひろ「……確かにそうですよね」


今西部長「……随分昔の事だが。ある走り屋が乗っていたマシンがあってだね。オプション誌の最高速テストで、初めて300kmを超えたんだ」

今西部長「しかし、その記録を出した3日後に、彼は交通事故で亡くなってしまったんだ……」

今西部長「……恐らく、その伝説の走り屋に、脚本を重ね合わせたんだろうね。だからこそ、彼女も納得したんだと思うよ……」



モバP「へぇ……。それにしても、部長。随分詳しいですね」

ちひろ「もしかして、部長……ああ言う事やってたとか?」


今西部長「いや……そこまではしとらんよ?」

ちひろ(何で、疑問形?)

モバP(……RX-8を転がしてるじゃん。多分、このジジイやってたな……)


おしまい

 
以上になります。最後の部長の話してた内容は、実話です。


それと、1992年当時だと、湾岸線は東海JCTから羽田空港までが繋がってなかったそうです。

また、思いついたら車の話を書こうと思いますが……需要はあんまり無いかな?


もし、今後車関係のSSを書きたい人が居るのなら、一つだけアドバイスします。

イニシャルDと湾岸ミッドナイト以外の車知識を身に付けましょう。でないと、車知識が偏ります。


では、失礼します。

伝説は伝説のままで、だな
面白かったよ乙

ポルシェとZ以外全部同じ車に見えたのは秘密だw
昔のスポーツカーってカクついてたんだな

>>162
ちょっと、後味悪いかもしれませんが……。
300km走って死なない奴でも、50kmで死ぬ事があるっていう、皮肉めいたラストにしました。

モチーフにした小説だと、もっと後味の悪いなラストでした。


>>165
正直、カッコよく言えばそういう感じです。

正直、解らない人が見ると、そうかもしれませんね。今見ると、当時の車ってすごく空力の悪そうなデザインだけどwwww
自分が子供の時に憧れた車たちです。

乙!
読み応えあって面白かったぜ!

俺が知ってるスープラやRX-7はもっと丸っこいデザイン
だったが、次世代だったのかな?
>>1は40出てるんじゃないか?w

乙乙!

ラストはむしろすごくよかった
この手の漫画が流行ってた頃のいい意味での定番をやってくれた印象w

>>167
ありがとうございます。

>>168
その通りですよ。一応言っときますけど、安部菜々さんと(精神面は)同い年。体は、礼子さんと志乃さんとタメです。

>>169
まぁ、ありがちな展開ですが……。ただ、これが現実にあった話なのでねぇ……。
もし、気になったら「光永パンテーラ」で、検索すると良いと思います。

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