日本戦記 (281)

これは本来の歴史の流れが変わった日本の話

SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1419252550

時は1600年、関ヶ原の戦いまで遡る

名前の所、乗っ取り防止で酉(#と好きなワード)もいれた方がええで
分かってやってるのならスマン

天下を争うこの戦いで事件が起こった

当時、東軍の別働隊を率いていた徳川秀忠が真田昌幸の籠る上田城を攻撃しているときだった

一発の銃声が秀忠を撃ち抜き彼は討ち死にした

戦とか有るならメ欄にsaga入れた方がいいんでね?

>>3さん。ご指摘ありがとうございます

>>5さん。自分は始めて投稿したのでよくわからないことがあったので助かりました!

こんなかんじですか?

sengoku1582とは戦国時代1582年ってこと?

sageではなくてsagaですよー

それでは投稿します


関ケ原では徳川の東軍が勝利した

結局、秀忠の死は関ケ原の戦いの後に徳川家康に伝えられた。この時秀忠には嫡男がおらず家康を悩ませた。このことが徳川幕府の早期破滅の前触れだといわれる

1614年、突如徳川幕府軍は大阪の豊臣秀頼に対して攻撃をしかけた。当時の家康は秀忠の死もありかなり荒れていた

この大坂冬の陣は豊臣の勝利で終わる。秀頼はこの時ある人物と会談していた

ここは色々独自ルールがあるから、はじめてなら↓に貼ったスレを読んだほうがいいよ

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(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1417916619/)

>>8さん。はい!

>>10さん。そうでした。ありがとうございます!

>>12さん。ありがとうございます!

がんばって

それかまだ数スレだし……一旦このスレは依頼だして、一度>>12のルールや他スレを確認し理解出来たあと、また新しくスレ建てするのも一つの手
やるかやらないかは>>1次第

>>15
アカン、数スレじゃなくて数レスだった

>>14さん。ありがとうございます!

>>15さん。始めての投稿なので一応やれるところまではやりたいと思います!ご指摘ありがとうございます

少しですが投稿します。

会談の相手は後水尾天皇である

天皇は徳川の公家衆法度に怒りを覚えており。豊臣と同盟を結ぶことになった。

同盟の規約は

1.天皇は豊臣家に錦の御旗を授ける

2.戦後に豊臣家は天皇家に従い日本の繁栄に務める

3.日の本は天皇が統治する

この条約が後の大日本皇国の礎になる



大坂夏の陣は豊田が錦の御旗を手に入れたことにより戦意が高揚し、最終的には秀頼自らの出陣により幕府軍は敗走、家康は自害したのである。

翌年1616年、後水尾天皇が大日本皇国宣言をおこない、大日本皇国が誕生した。

しかし各地には幕府側の大名も多くおりそれらを討伐するのに3年を要した。

そして…


「ここに大日本皇国の建国を宣言する!」

万歳!皇国万歳!天皇陛下万歳!

改めて後水尾天皇の宣言した。このようにして皇国は誕生した。

皇国政府は海外との貿易を重要視し、次々と新たな兵器、文化を取り入れた。

特にプロイセン未来のドイツとは関係が深く後に同盟を結ぶ





投稿します。

相手とは後水尾天皇である。これにより豊臣と天皇家は同盟をむすび、豊臣は錦の御旗をてにいれる

投稿します。

相手とは後水尾天皇である。これにより天皇家と豊臣は同盟を結ぶ。豊臣はこれにより錦の御旗を手に入れて大坂夏の陣に勝利、家康を打ち取るのである。

一方、夏の陣の後に後水尾天皇は大日本皇国の建国を宣言することになる。豊臣はこれに賛同することになる

>>19>>20はミスです。すみません

歴史が変わったのは日本だけではなかった。

時はかなり経つが1890(歴史がかなり変わった)、統一したドイツ帝国とフランス帝国が戦った仏独戦争でドイツが敗北しフランスの植民地になる。

数十年もの間、ドイツ本国はフランス領プロイセンとなる

また日独同盟は自動的に解消された。しかし、アフリカやアジアのドイツ植民地ではフランス政府には従わずドイツ植民地連邦を建国し改めて日本と日独同盟を結ぶ

もっと書き溜めてから投下してよ
おもしろいんだからさ

期待

>>23さん。すみません。これからは気をつけます

>>24さん。ありがとうございます!

それでは少しですが投稿します


話は日本に戻るが1620年、豊臣政権が行った朝鮮出兵により国交を断絶していた李氏朝鮮と大日本皇国が再び交易を開始した

最初は拒否していた朝鮮であるが日本が謝罪したため交易ができたのだ。さらにその年、全ての大名家の解散が決まり新たに都道府県を設置した(正確には都府県であり北海道は1700年代に編入される)

大名家を解散させた為に国力の低下を恐れた政府は、改めて大日本皇国、陸軍、海軍を設立した。

指揮系統は
皇国政府

軍司令部

陸軍・海軍

となる(だが時代が変わるに連れ、変更されていく)

こうして皇国は清(明が崩壊した後の中国)、フィリピン(スペイン領として交流)、台湾(オランダが介入する前に皇国が統治した)などと貿易を開始し、数年後に明とは日明同盟を結ぶ

相変わらずの短さ

少しでも更新してくれた方がいいんじゃない?

>>28さん>>29さん。言い訳ですが現在、親戚の家にいるのであまり更新ができません。すみません。

本当に少しですが更新します。

各国との同盟することでより新しい技術を手に入れた皇国は軍事力の強化に務めた。

海軍に関しては皇国初の国産ガレオン船、大和型が誕生した。陸軍では、鉄砲が火縄式から火打式に変わった。

皇国の軍事力は大幅に上がっていったがそれを試す時がきた。

1780年、日本の交易船がイギリス海軍の軍艦により海賊と間違われて沈められた。これにより大日本皇国は大英帝国に宣戦布告した。

そして1798年、フィリピンの近くの海域で両海軍による大規模な海戦が行われた。

イギリス海軍としては極東にある島国が自分たちに勝てるとは思っていなくて油断していた。

一歩日本海軍は、復習に燃えていた。海戦の結果は日本の大勝利に終わった。それにより日本はマレーシアの領有権を獲得した。

しかし、日本からマレーシアまではかなりの距離があり植民地にしても住みたい日本人がいるはずもないので、独立させ貿易をすることにした。



>>29
せやな
おもしろいから続ける方が大事か
がんばって

おつかれさま!
更新楽しみにしてます。

>>35.>>36さん、ご支援ありがとうございます!

投稿の方は今は用事ができませんが、深夜あたりに投稿します。

まだかな・・・wktk

深夜に投稿できなかったのでその分を今投稿します。

これらの出来事をうけて、欧州では皇国と貿易しようする国が後を絶たなかった。一方、大英帝国の権威は衰え、その植民地で一時的に独立運動する起こった。

だがせっかく手に入れたマレーシアを皇国は植民地しなかったので変に思われたが、後にこれが皇国が各国から支持される理由となる。

話はアメリカ大陸になる。1861年から始まったアメリカ合衆国とアメリカ連合国との戦争は1865年になっても終戦することはなかった。

さらにその戦争中、差別を受ける黒人たちが蜂起。首都をサンフランシスコとするアメリカ共和国が建国された。

最初はアメリカ共和国の建国を認める国はなかったが大日本皇国のみが承認した。皇国は1800年に人種差別禁止法を世界初でつくったからだ。

結局、アメリカ南北戦争はアメリカ三国戦争と名を変えて1890年まで続いた。この間に、日本はハワイ王国と新たに同盟を結んだ。

後に起こる世界大戦で大きな役割となる。

アメリカ三国戦争はアメリカを一つの国とすることはなく、各国が疲弊しただけであった。

1900年の時点での主な国の様子を見てみる

大日本皇国…鎖国することがない為 軍事力は欧州列強ぐらいある。海外領土(皇国軍が進駐している所)は台湾、インドネシアなどがある。なおこれらは植民地ではない。


フランス領プロイセン(ドイツ)…仏独戦争でフランスに敗れた為に植民地となる。国内では反仏思想が高まり危険な状態。海外領土はドイツ植民地連邦を建国し日本と同盟を結ぶ。

フランス帝国…仏独戦争で勝利したのて今だに帝政。ドイツを手に入れた為、軍事力が大幅に上がり大英帝国に劣らない強さを持つ。皇国とは貿易をしている。

大英帝国…世界最強の国。皇国との戦争でアジア植民地を一部失うが、カナダ・インド・オーストラリア・アフリカに今だに多くの植民地を持つ。皇国とは敵対関係。

オーストリア・ハンガリー帝国…フランス帝国とは一応同盟を結んでいるが、殆ど属国扱い。この国でも反仏思想が高い。皇国とは比較的に友好関係。

ロシア帝国…領土は世界最大。さほど大きな戦争はしておらず国内は安定している。皇国とは貿易はしているものの、皇国の仮想敵国でもある。

清…領土は大きいが国内はあまり安定していない。香港を大英帝国に奪われた。日清戦争も起きてなく、皇国とは同盟を結んでおりかなり友好的である。

スペイン…フランスや大英帝国には劣るが列強である。フィリピン領をアメリカ合衆国・連合国・共和国が各自で攻めてきて、その殆どを奪われる。皇国とは友好関係。

アメリカ合衆国…アメリカ三国の中では最大領土を持つ。領土的野心からフィリピン四カ国戦争を起こし、フィリピンの半分を獲得する。皇国とは国交を結んでいない。

アメリカ連合国…アメリカ三国では二番目に領土が大きい。合衆国動揺に領土的野心がありフィリピンに攻め入る。フィリピンの一部を獲得。皇国とは国交を結んでいない。

アメリカ共和国…初の黒人による国。アメリカ三国では一番少ない領土を持つが西海岸の大半を領有する為海軍は強い。
フィリピンに関しては領土的野心はないがアメリカ2カ国に対抗する為に攻め入る。
しかし、皇国の思想、自分たちの境遇を考え、人種差別は禁止した。フィリピンの領土でも皇国動揺に植民地にはせず独立させ自らは進駐する程度にする。皇国とは同盟を結び友好関係である。

大韓帝国…朝鮮にある国家。壬午事変もなく親日国である。しかし半島北部では反日勢力がいる。皇国と同盟を結ぶ。

これが各国の状態である。

今日はこれで終わります。また明日投稿します。それでは

面白いスレ発見

今日は親戚が集まって色々疲れたので明日投稿します

これから投稿していく過程で、どんどん史実と違っていきます。おかしいところもあると思いますがご了承ください

ノロウイルスに感染したかもしれないんで投稿できないかもしれません。

すいません

ゆっくり休んだらいいよ

>>56さんありがとうございます。

だいぶ調子がよくなったので投稿します


1904年、大日本皇国とロシア帝国との間で日露戦争が勃発。皇国は大きな犠牲を払うも勝利する。

ここから世界は第一次世界大戦へと向かう。

1914年サラエボでフェルディナンド大公がサラエボ人の青年に暗殺しれた。オーストリア・ハンガリー帝国はすぐさまサラエボに宣戦布告、フランス帝国も同盟国として同じようにサラエボに宣戦布告した。

フランスはさらにベルギーに宣戦布告、侵攻し占領した。これをみた大英帝国とロシア帝国はフランスに宣戦布告、ここに第一次世界大戦が始まる。

この波紋はすぐさま欧州各国の植民地にも伝わり、各国の植民地同士での戦闘が始まる。ドイツ植民地連邦はこれをきっかけに本土解放を目指す為、フランスに宣戦布告した。

皇国は中立を宣言したが、ドイツ植民地連邦からの援軍要請や、同じく中立国であったスペインがフランスに侵攻された為に参戦を決意する。

この時点での主な参戦国とその陣営は…


同盟国

フランス帝国とその植民地
フランス領プロイセン
オーストリア・ハンガリー帝国
オスマン帝国
ブルガリア王国
アメリカ連合国


連合国

大英帝国とその植民地
ロシア帝国
イタリア王国
セルビア
アメリカ合衆国

亜細亜同盟

大日本皇国
大韓帝国
台湾
マレーシア
スペインとその植民地
ドイツ植民地連邦
中華民国(清が崩壊し中華民国となる)
アメリカ共和国

である。

皇国の属する亜細亜同盟の名前の由来は、加盟国の大半が亜細亜又は亜細亜に植民地がある国で構成されているからだ。

こうして始まった第一次世界大戦であるが欧州では、フランス領プロイセンとロシア帝国が激しく衝突し、フランス帝国は英本土上陸作戦を行おうとしている。

オーストリア・ハンガリー帝国もバルカン半島、イタリア半島、ロシア国境に多くの兵を配備している。

期待

>>65さん、ありがとうございます!

少しずつ投稿していきます


亜細亜でも、主に大英帝国の植民地軍がスペイン、ドイツ植民地連邦と激しい戦闘をしている。

皇国も海軍の加藤大将率いる第二艦隊を援軍として派遣した。陸軍も海軍の護衛をつけ欧州に派遣された。

欧州に派遣された皇国陸軍はスペインに上陸し、そのまま対仏戦線へと向かった。陸軍はそこで想像以上の地獄を味わうことになる。

鎖国がなく国力もあった皇国であるが欧州での戦闘は始めてであり、フランス陸軍の兵力、兵器の前に多くの兵士が倒れた。

派遣司令官の神尾大将は現地で装甲車など、皇国の兵器より性能の良いものを購入しそのまま戦闘に使用した。

この教訓から皇国陸軍の機械化が進む。海軍も大英帝国海軍との戦闘に明け暮れていた。世界最強の大英帝国海軍との戦闘は多くの犠牲を出し、既に戦艦を初めとする主力艦の三分の一が撃沈させられていた。

だがスペイン東洋艦隊、ドイツ東洋艦隊(この艦隊もドイツ植民地連邦に所属する)の助けもあり、少しずつであるが大英帝国海軍に勝利を重ねていった。

この教訓から皇国陸軍の機械化が進む。海軍も大英帝国海軍との戦闘に明け暮れていた。世界最強の大英帝国海軍との戦闘は多くの犠牲を出し、既に戦艦を初めとする主力艦の三分の一が撃沈させられていた。

だがスペイン東洋艦隊、ドイツ東洋艦隊(この艦隊もドイツ植民地連邦に所属する)の助けもあり、少しずつであるが大英帝国海軍に勝利を重ねていった。

1916年、大戦も2年目に入ると大きく情勢が変わった。

フランスの英本土侵攻軍が敗北したのである。一気に数十万の兵士を失ったフランスは少しの間、各戦線で敗北していった。

東部では、ロシア帝国の大攻勢で同盟国軍が各所で敗北し、特にプロイセン軍は大敗退の結果ベルリンまで100kmにロシア軍の侵攻を許した。

オーストリア・ハンガリー軍も各所に兵力を配置することで、各自の兵力が少なくなり敗北を重ねた。

皇国の欧州派遣軍もその60%を失い、戦闘継続が不可能になっていた。援軍を送ろうとしたが、北方でのロシア軍の不穏な動きがある為に行えずにいた。

1917年、ロシア革命により、ロシアが戦争から脱落した。そこで、同盟国は東部に派遣した軍を全て他の戦線に回した。

大英帝国軍はフランス本土のノルマンディーに上陸し戦闘を続けていた。フランスはそんな時にロシア革命の影響で戻ってきた兵力の大半をここに集めて攻勢を仕掛けた。

スペイン軍は塹壕でフランス相手に睨み合いを続けている。

1917年、ロシア革命により、ロシアが戦争から脱落した。そこで、同盟国は東部に派遣した軍を全て他の戦線に回した。

大英帝国軍はフランス本土のノルマンディーに上陸し戦闘を続けていた。フランスはそんな時にロシア革命の影響で戻ってきた兵力の大半をここに集めて攻勢を仕掛けた。

スペイン軍は塹壕でフランス相手に睨み合いを続けている。

同じ投稿すみません。


1918年、ロシア革命ででてきたソビエトに恐怖を覚えた、英、米合、伊などの連合国がシベリア出兵を開始した。11月、突如フランス帝国が戦争行為を放棄する宣言を発表。

中途半端な形で第一次世界大戦が集結する。この大戦の死者は1000万人を超えるものとなり、また戦車や戦闘機、潜水艦などの新型兵器が誕生した。

大戦が集結したことにより皇国の欧州派遣軍が撤退することになった。そこで皇国は、日本に行きたい外国人を募集した。

理由は、外国語の勉強を教えてもらうというものだが真実は定かではない。この話に乗った男がいた。

今日はここまでです。

第一次世界大戦は大雑把になりましたがこれからは兵器の性能とかも描いていきます。

おつかれさま!

>>78さん、労いの言葉ありがとうございます。投稿していきます

その名も、アドルフ・ヒトラー

彼は後にドイツ植民地連邦を率いて大戦を左右する男となる。この他にも数多くの人間、特に同盟国の軍人が多かった(さらにいうとプロイセン出身の人間)

この大戦で皇国は大きな教訓を得た。

主に陸軍で言えば、歩兵の突撃は時代遅れで、わこれからは戦車などの機甲部隊が必要となる。

海軍で言えば、大鑑巨砲主義から航空主兵への変革(これは南方での海戦で皇国海軍の飛行機がたまたま大英帝国の巡洋艦に爆弾を落とし沈めたことに由来する)をもたらした。

結果的には各国は疲弊しただけで特に得るものはなにもなかった。 あるとすれば新たな兵器の誕生だけであろう。

平和条約も結ばれずに大戦は曖昧に終わったが、オーストリア・ハンガリー帝国は数年間、各方面に兵力を無駄に配置し国力が低下していった。

しかし、フィリピンでは今だにアメリカ三ヶ国とスペインとの四つ巴での戦闘が継続されていた(スペインと米共和国は同盟国である)

今日は遅くても21:00には始めたいと思います

どうしたん?

>>84さん、すみません寝落ちしてました。これから投稿していきます。


そこで皇国はスペイン、アメリカ共和国両国から援軍要請が来たので武器援助と義勇軍の派遣を行った。

1919年、フランス領プロイセンで遂に反仏勢力による武装蜂起が起こった。その勢いはプロイセン各地に広がり大戦での傷が癒えてないのに、フランス帝国は軍を派遣、その討伐を行った。

それらの戦闘は翌年まで続き合計して15万人の命が消えた。

フィリピンでの戦闘も終わりを迎えようとしていた。結局、領土の変化もなくただ命が失われただけの戦争であった。

時系列は飛び1923年、皇国では世界で最初に完成した航空母艦、鳳翔が竣工した。この艦は史実と同じ設計である。

フランス領プロイセンではミュンヘンで一揆が勃発した。これの指導者は国家社会主義プロイセン労働者党(以後NS)の指導者であり、第一次大戦での撃墜王 ヘルマンゲーリングである。

しかし、フランス軍、プロイセン軍にすぐさま鎮圧された。この一揆の影の首謀者は、第一次大戦が終わり皇国が撤収する時に一緒に来日し、国家社会主義ドイツ労働者党の党首になったアドルフヒトラーである。

彼は極秘にゲーリングと連絡をとりあっていた。なお、両労働者党は後に併合される。

アドルフヒトラーはこの時、国家社会主義亡命ドイツ労働者党党首だけでなく、ドイツ植民地連邦とは別に皇国首都、東京で亡命ドイツ政府の首相をしていた。

1925年、フランスの帝政が崩壊、第三共和制となる。ロンドンで海軍軍縮条約が行われるがフランスを初めとする、旧同盟国が参加しない為に締結されなかった。

1932年、亜細亜地域初の東京オリンピックが行われる。皇国はオリンピックの為に壮大なパレードや祭を行った。

さらに皇国は軍事パレードも行った。特に海軍がすごく、鳳翔を初め
戦艦8.空母5などが披露された(史実と比べかなり技術が進歩している)

なお、扶桑型戦艦は旧式化しており近代化改装後、ドイツ植民地連邦・亡命ドイツ政府に提供するつもりである。伊勢型戦艦は航空戦艦に改装中であるため観覧できなかった。

特にこれからは兵器のスペックなどを投稿していきますがこの世界でのものなのでご了承ください




戦艦は金剛型4隻と長門型2隻と紀伊型2隻があり金剛型のスペックは

排水量…32000t
全長…232m
全幅…32.54m
主機…タービン4基4軸
最大速力…30ノット
兵装(主砲のみ掲載)…45口径41cm連装砲3基

であり、史実の改装後 強化された

長門型戦艦のスペックは

排水量…45000t
全長…238.9m
全幅…20.96m
主機…艦本式タービン4基4軸
最大速力…28ノット
兵装(主砲のみ掲載)…45口径41cm三連装砲3基

となる(見た感じは戦艦長門の主砲が三連装砲なったものと考えてください)

さらに極秘ではあるが、大和型戦艦三隻が就役予定であり既に1番艦の大和は就役しかけている。

紀伊型戦艦のスペックは

排水量…42600トン
全長…252.1m
全幅…32.49m
主機…艦本式タービン4基4軸
速力…29.75ノット
兵装(主砲のみ掲載)…45口径41cm連装砲5基

となる(見た感じはご想像にお任せします)。さらに紀伊型戦艦は後に大和型の46cm三連装砲を装備する(元々46cm三連装砲を装備できるように建造した)

期待

>>94さんありがとうございます。

投稿します。

1925年、フランスの帝政が崩壊、第三共和制となる。ロンドンで海軍軍縮条約が行われるがフランスを初めとする、旧同盟国が参加しない為に締結されなかった。

1932年、亜細亜地域初の東京オリンピックが行われる。皇国はオリンピックの為に壮大なパレードや祭を行った。

さらに皇国は軍事パレードも行った。特に海軍がすごく、鳳翔を初め
戦艦8.空母5などが披露された(史実と比べかなり技術が進歩している)

なお、扶桑型戦艦は旧式化しており近代化改装後、ドイツ植民地連邦・亡命ドイツ政府に提供するつもりである。伊勢型戦艦は航空戦艦に改装中であるため観覧できなかった。

戦艦は金剛型4隻と長門型2隻と紀伊型2隻があり金剛型のスペックは

排水量…32000t
全長…232m
全幅…32.54m
主機…タービン4基4軸
最大速力…30ノット
兵装(主砲のみ掲載)…45口径41cm連装砲3基

であり、史実の改装後 強化された

すみません>>95>>96は無視してください

ちゃんと投稿します

航空母艦は鳳翔型1隻、龍驤型1隻、天城型2隻がある。スペックは史実と一緒である。(天城型は関東大震災で被害が軽微であった為建造が続行された)

艦載機も九ニ式艦上戦闘機(史実の零戦)、九0式艦上攻撃機(史実の九七式艦上攻撃機)、九一艦上爆撃機(史実の九九式艦上爆撃機)など列強の中ではかなり進歩していた。

電磁カタパルトの制作も微小であるが進んでおり、後に雲龍型航空母艦や装甲空母・現役の正規空母に搭載される。


これらをみた列強各国は帰国後すぐさま戦艦の建造を始めた(空母に関しては重要性がわからない為に建造する国は少なかった)

ここまでみると皇国の軍事力は史実の大日本帝国を大幅に超えておりいかに進歩したかがわかる。

その一方で、オーストラリア・ハンガリー帝国は崩壊の危機にあった。反仏派、親仏派、その他様々な派閥があり一部では戦闘自体起こっている。

この時イタリア王国はオーストリア・ハンガリー帝国領に侵攻し、一部の領土を占領した。このことで国際連盟(連合国が中心に結成した、統一機構)に咎められ、国連を脱退し急速にフランスに近づいていった。

1934年、満州国建国 皇帝に溥儀が即位した。この建国には皇国が関与してはいたが、傀儡ではなく完全な独立国家となる。

久しぶりの投稿です。まっていた方がいましたらすいません。ではいきます。


しかし国連はこれを認めず、すぐさま解体するようにいった。その一方、亜細亜同盟各国は即座に承認し交易したいと申しでた。枢軸国はトルコのみが交易を申し込んだ。

翌年の1936年に、ソ連(ロシア帝国が崩壊し、新たにできた社会主義国家)が満州国に攻め込んだ。当初建国したばかりで混乱もあり、満州国は国内に10km攻め込まれたが皇国から供給された新型戦闘機、新型戦車を使い撃退した。

欧州方面では、イタリア王国がアフリカにあるチュニジア領に侵攻して、これを占領した。

1937年、亡命ドイツ政府とドイツ植民地連邦が併合し、ドイツ第三帝国と改称する。初代総統にはアドルフヒトラーが就任し、ドイツ本国奪還を宣言した。

ヒトラーは皇国にドイツ東洋艦隊の近代化改修を依頼した。皇国は現在各艦艇の近代化改修をしており、少しずつ行うことになった。

ドイツ東洋艦隊は主力の装甲巡洋艦の、シャルンホルスト・グナイゼナウは重巡洋艦に生まれ変わり、皇国から供給された扶桑(ベルリン)山城(ハンブルク)が加わり協力になった。

皇国は他にもスペイン東洋艦隊やアメリカ共和国東洋艦隊に旧式化した軽巡洋艦や駆逐艦は売却した。

1939年9月突如、フランス共和国がポーランドに宣戦布告をし攻め込んだ。兵力はフランス・仏領プロイセンの200万人で結果はわかりきっていた。さらに同年10月にソビエト連邦がポーランドに攻め込みポーランドは崩壊した。

9月に大英帝国がフランス共和国に宣戦布告をした。

さらにフランス領インドシナに駐屯するフランス軍が香港にいる大英帝国軍を攻撃し香港を占領した。大英帝国東洋艦隊は英領インド帝国に撤退した。


11月、アメリカ合衆国がアメリカ連合国とアメリカ共和国を攻撃し第二次アメリカ三国戦争が始まった(フィリピンでの戦闘は起こらず)

1940年8月平穏だった欧州戦線に嵐が起こる。フランス共和国及びその属国軍約30万人が英本土に侵攻を開始したのだ。

この時点での欧州における 大英帝国の味方はバルカン半島にあるギリシャ程度でとても同盟国としては頼りなかった。またたくまに本土上陸を許した大英帝国は首都のロンドン付近で大規模な戦闘を行っていた。

同月にフランス共和国は第三帝国領カメルーンに侵攻した。すぐさま第三帝国とその同盟国のスペイン(フランコ政権)がフランス及びその属国に宣戦布告をした

しかし皇国は欧州での出来事に介入したくないので最低限の兵器輸出以外で中立を保つことをした。

同年12月になってもロンドンの戦いは続いていたが、次第に大英帝国本国艦隊が反撃にでた為フランス英本土侵攻軍の補給が届かなくなった。



あら?名前を間違えたのか…

これかな

>>102から>>110まではすべて自分の投稿です。

第一次世界大戦は大まかにやりましたが、第二次世界大戦は月ごとに話を展開していきます。


なおこれからでてくる大日本皇国はからりチートです。電磁カタパルトやジェット戦闘機は開戦から保有しています。国家体制も帝国主義ではなく大英帝国型立憲君主制です。

史実では欧米列強よりも産業革命が遅いのに強力な軍隊をもっていました。この大日本皇国は欧米列強と同時期に産業革命がおこり、一部では列強よりも進歩していました。




アメリカ合衆国や大英帝国も史実よりは早くジェット機を使用します。ソ連はかなり強いです。

登場人物も架空の人物がでてきます。ストーリー構成がおかしいところもあると思いますがご了承ください。

それではいきます

1941年1月28日、ハワイ王国にある大日本皇国真珠湾泊地及びハワイ王国本国艦隊真珠湾基地に、キンメル大将率いる戦艦7隻を主力とするアメリカ合衆国太平洋艦隊が奇襲を仕掛けた。

この襲撃の1時間後に大日本皇国及びハワイ王国に対して宣戦布告が行われた。後に真珠湾攻撃と呼ばれる襲撃で大日本皇国太平洋艦隊の戦艦金剛・榛名巡洋艦3.駆逐艦8が沈没、戦艦紀伊・霧島が大破した。

ハワイ王国本国艦隊は、戦艦ハワイ・カホオラウェ・カウアイ・巡洋艦4隻(これらは被害が凄すぎて浮上させなかった)が沈没し事実上壊滅した。

幸運にも皇国海軍の空母赤城旗艦の機動部隊とハワイ王国空母ホノルル旗艦の機動部隊は合同演習中で基地外にいた為被害を受けなかった。

皇国海軍第一機動部隊の司令官である山口多聞中将は反撃にでようとしたがその時はまだ皇国が宣戦布告していない為にできなかった。

それでも戦艦を含む多くの艦艇を失った皇国とハワイ王国は怒りに燃えており、すぐさま両国はアメリカ合衆国に宣戦布告をした。

合言葉は「真珠湾を忘れるな」

攻撃を終えたアメリカ合衆国太平洋艦隊は本国には戻らずにフィリピンにある基地に帰還しようとしていた。この攻撃はすぐさまアメリカ合衆国の国民に知り渡り、野蛮な東洋人を駆逐したと宣伝をした。

大日本皇国政府は御前会議を開き現首相近衛文麿を退任させ、新たに大日本皇国海軍大臣である山本五十六大将を首相に任命し、戦時体制をつくることにした(山本はこの時に元帥に昇進した)

山本内閣の主な閣僚は

首相兼内務大臣…山本五十六海軍元帥

陸軍大臣…東条英機陸軍大将

海軍大臣…米内光政海軍大将

外務大臣…東郷茂徳

大蔵大臣…賀屋興宣
その他多数である。

山本は真珠湾で壊滅した皇国海軍の太平洋艦隊を本国に戻し、新たに本国に配置する第一艦隊を派遣することに決定した。

しかし、山口中将率いる機動部隊、第一機動艦隊はそのまま本国に帰国せずに、マレーシアに駐留する第五艦隊の支援に向かうことになった。

第一艦隊の艦船は

司令官…豊田副武大将

旗艦…戦艦大和

戦艦…武蔵・信濃・長門・陸奥

正規空母…加賀・土佐・薩摩

装甲空母…大鳳・黒鳳

軽空母(商船改装を含む)…飛鷹・隼鷹

巡洋艦…45

駆逐艦…60

潜水艦…20(その内2隻が伊400型潜水艦空母)

である。戦力は史実の連合艦隊を越えており、皇国を防衛する第二艦隊もこれぐらいの規模を持つ。

今回はここまでです。ご意見などあればお願いします。ではまた

ふむ
面白い

はよう

>>119さんありがとうございます!
>>120さんいまから投稿します


旗艦の戦艦大和を含む武蔵・信濃のスペックは

排水量…75000t
全長…267.0m
全幅…39.5m
主機…新艦本式タービン四基四軸
最大速力…28.5ノット
兵装(主砲のみ掲載)…45口径51cm砲連装3基6門

正規空母の加賀・土佐・薩摩はすべて加賀型航空母艦である。搭載機の数は90機である。

装甲空母の大鳳・黒鳳は世界初のアングルデッキおよび飛行甲板を全て装甲化した航空母艦である(形は史実のアメリカ海軍のミッドウェイ級に似ている)

そして唯一のジェット機を搭載できる。

こんなの規模を持つ皇国海軍は既に大英帝国海軍の遥か上におり、世界最強の艦隊である。

そして最強艦隊の一つである皇国海軍第一艦隊の司令官の豊田副武である。豊田は山本に見込まれ、横須賀鎮守府司令長官から移動したのである。

ハワイについた豊田大将は直ぐにハワイ王国カメハメハ13世に謁見、ハワイ王国軍に協力を求めた。カメハメハ13世はそれに応じた。

3月、激闘の末にロンドンが陥落しチャーチル首相や王室はスコットランドに亡命政府を樹立した。しかし同時期にフランス本国から遠征軍の為に送る為の商船艦隊が大英帝国本国艦隊に全滅させられた。

ロンドンを陥落させたが物資が底を突いた為にフランス軍はその先に進むことが出来なくなった。その後もフランス海軍は物資を送ろうとしたが大英帝国海軍に阻まれてできなかった。

>>123は自分です

しかしフランス領プロイセン海軍のUボートが少しずつだが、補給物資を送っていた。

さらに大英帝国本国艦隊やアメリカ合衆国から大英帝国に送られる補給物資を載せてる商船を手当たり次第に沈めており、50万t以上が被害にあっている。

その時のUボートエースであったギュンター・プリーンに時のプロイセンの国王であったヴィルヘルム・フォン・プロイセンから鉄十字勲章が授与されるぐらいだった。

このプロイセンという国王は大のフランス嫌いであり、影ではゲーリングのNSらと連絡をとりあっていた。

5月、突如オーストリア・ハンガリー帝国で大規模な反乱が起きた。主導者はエルンスト・レームという男である。実は彼は、ゲーリングと連絡をとりあい反乱を起こすのを決意した。

そしてプロイセンでも大規模な反乱が起こった。この反乱には現役兵も加わりなんと、首都のベルリンが無血開城され占領したのである。

ここで国王はゲーリングに政権を明け渡し、新たにドイツ国と名乗りフランスに宣戦布告をするのである。

オーストリア・ハンガリー帝国での反乱は国中ほぼ全ての所でおき、臨時政府の議会でドイツ国に編入されることにきまった。

オーストリア・ハンガリー帝国領のほぼ全てを手に入れたドイツ国であるが東方より赤い帝国が動き出したことには気づかなかった。

ソ連の指導者、ヨシフ・スターリンは当初満州国に侵攻するつもりでいた。その為、皇帝・満州国にバレないよう極東方面に100万人の精鋭を集していた。

しかし欧州での出来事があった為に急遽、極東方面軍をドイツとの国境付近に集結した。そして、旧オーストリア・ハンガリー帝国がドイツに編入された瞬間にドイツに宣戦布告、ワルシャワに侵攻を開始した。

わずか2週間程度でポーランド全域がソ連に併合され、ベルリン陥落も楽に済むと思われた。しかし、スターリンの誤算はここから始まる。

この前は寝落ちしてしまいました。すみません。投稿します!


6月、ソ連赤軍のドミトリー・パヴロフ中将率いる西部戦線が80万人がオーデル川にいたレーブ上級大将の守備隊20万人の戦線を突破、そのままベルリン方面に進撃した。

しかしパヴロフ中将の軍勢の北部からドイツ陸軍のロンメル中将、南部からグデーリアン中将それぞれの装甲部隊が奇襲を仕掛けた。

結果パヴロフ中将は戦死、西部戦線は崩壊した。ソ連赤軍20万人が戦死、40万人が捕虜になった。残りの10万人はソ連本土に敗残したが督戦隊に処刑またはシベリア送りにされた。

ここで大勝利をしたドイツであったがここから大敗北が始まる。

亜細亜では、フィリピンのスペイン東洋艦隊がアメリカ合衆国太平洋艦隊に壊滅させられた。同時にアメリカ共和国の艦隊もアメリカ連合国の艦隊に敗北した。

生き残った両艦隊は皇国領域にある台湾国に撤退した。

両艦隊の軍艦の大半は損傷があったので、台湾にある基隆港で修復することになった。それでも数が限られているので残りは皇国の佐世保鎮守府で受けることになった。

余談であるが、台湾は完全に独立し皇国の同盟国である。さらに海軍も協力で、亜細亜各国の中でBest3に入るぐらいである。

7月、ソ連赤軍はドイツ本国ではなく混乱がまだ続くオーストリア方面に進軍した。司令官はソ連の中で最も優秀なゲオルギー・ジューコフ元帥で役120万の兵を率いていた。

旧オーストリア・ハンガリーでは帝政崩壊後、ドイツに編入されたが一部はそれぞれ独立しようとして内乱をしていた。

その内乱の中で最も勢力が大きかったのがチトー率いる共産主義パルチザンであった。彼は直ぐにジューコフに協力した。

8月、ソ連赤軍はハンガリーの大都市ブダベストを占領した。西部戦線では、ドイツがフランスに宣戦布告したものの、侵攻することはなかった。

ドイツ側の理由はソ連相手にそれどころではないというものである(例外としてUボート部隊はフランスや大英帝国の輸送船団や艦隊に攻撃を仕掛けている)

フランス側の理由はロンドンにいる部隊の救出やイタリア・スペイン両戦線に大量の兵員を割いている為に攻撃能力がなかったのである。

この時点での各国の主な同盟関係は

枢軸国

フランス共和国とその植民地
ギリシャ
フランス領プロイセン(ドイツの独立に従わなかった一部の地域)
ノルウェー



連合国

大英帝国とその植民地
アメリカ合衆国
ソ連(正式には同盟国ではないがそれに近い)
ルーマニア
ブルガリア
チトーパルチザン
中国共産党(中華民国北部で活動している)

新興連合

ドイツ
旧オーストリア・ハンガリー(ドイツに編入)
イタリア
アメリカ連合国
メキシコ


亜細亜連合

大日本皇国
オランダ
スペイン
ドイツ第三帝国
アメリカ共和国
台湾共和国
タイ王国
大韓民国
中華民国
満州国


である。なおしばらくは亜細亜の情勢について書いていく。

はなしは同年7月にもどる。

投稿していきます


フィリピンでは皇国の同盟国艦隊が壊滅させられた。その為次々と亜細亜同盟の輸送船団が攻撃にあい沈められていた。

さらにマレーシアの沿岸部に対してアメリカ連合国艦隊が砲撃を加えて、民間人を含む多数の人間が死傷した。

この時に皇国海軍の第五艦隊・マレーシア艦隊の連合がアメリカ連合国艦隊と海戦を行った。

結果は不意をつかれた皇国・マレーシアの敗北に終わった。皇国海軍は第五艦隊旗艦の航空巡洋艦利根にいた司令官、志摩清英中将が戦死した。

皇国の第一機動艦隊もそこに向かっていたが間に合わなかった。第一機動艦隊の着いたのは海戦の2日後で司令官を失った第五艦隊はタイ王国に駐留する第六艦隊と合流し、後に第七艦隊となる。

投稿します。

第一機動艦隊は早速艦載機を使いアメリカ連合国艦隊を攻撃することに決めた。この時の第一機動艦隊の主な編成と艦載機は

旗艦空母赤城

装甲空母…天鳳・白鳳

正規空母…天城・高雄・愛宕

軽空母…龍驤・祥鳳・瑞鳳

巡洋艦…10

駆逐艦…15

潜水艦…3

である。艦載機は


艦上戦闘機

烈風二一型…烈風の最終形態。空戦は無論、急降下爆撃も行える。

震電一二型…対重爆用の40mm機関砲を外し空戦用に30mm機銃を据え付けたレシプロ機では最高傑作。

震電改…数は少ないが世界初のジェット艦載機。世界唯一のカタパルトを装備する皇国だけが使用できる。
最高時速は800kmを越える世界最強艦戦。

艦上爆撃機

彗星五二型…彗星艦爆の最終形態。速度は艦戦並みにあり、武装を変換すると艦戦にもできる。艦隊の艦爆は全てこの機体。

艦上攻撃機

流星二一型…史実の流星改よりも速度が上がった。急降下爆撃もできる優れもの。

流星五二型…震電改同様にジェット式。こちらも世界唯一でありカタパルトからでないと発艦できない。攻撃力
もあり空戦も行える。

天山六二型…廃棄処分まじかの雷撃機。流星二一型や流星改では数が足りない為に持ち込まれた。それでもかなり強力であり、ドイツ第三帝国を始め同盟国に輸出している。

艦上偵察機

零式艦上偵察機…速度がかなり早い偵察機。武装も20mm機銃を備えている為に空戦もできる。

なおこれらの爆撃機・雷撃機の装備する飛行爆弾や魚雷半分は短距離噴進弾(ロケット弾)であり命中率も悪くない。


しかしこれらの項目はあくまで装甲空母のに限ることであり、通常の正規空母では震電改・流星五二型は搭載していない。

さらに軽空母は上の二種類にプラスして流星二一型・震電二一型は搭載できない。烈風二一型は小型化しておりなんとか搭載できたが、これがダメなら皇国では一世代前の紫電五二が搭載されるようにされていた。

話はそれるが、皇国海軍は次期ジェット艦戦・雷火、ジェット攻撃機(爆撃と雷撃の両方が行える)神風などの開発計画を行っている。このジェット機の試作完成は1956年以降とされており、現在は新たなエンジンの開発を急いでいる。

レシプロ機でも艦戦・皇風や艦爆・天星なども製作中である。これらの新型機は編成途中の第二機動艦隊に搭載される予定である。

皇国は陸海軍の戦闘機が統一されており混乱を招くことはなかった。さらに空軍の創立に向けての検討すらしているのである。

山口は第一次攻撃隊に艦戦60、艦爆
80、艦攻85、ジェット艦戦10、ジェット艦攻10の計245機の大軍を送り出した。

この時のアメリカ連合国艦隊の司令官はスプルーアンス中将であった。彼は皇国艦隊が直ぐに攻撃隊を出すとは思っておらず索敵なども怠っていた。

彼の艦隊は

戦艦5、軽空母2、巡洋艦13、駆逐艦25であり機動部隊というより戦艦主力の打撃艦隊であった。

索敵を怠っていた結果、皇国艦隊の攻撃隊に不意打ちを喰らい戦艦2、軽空母2、巡洋艦8、駆逐艦5が沈没。戦艦2、巡洋艦3、駆逐艦10が中破以上の損傷を受けた。

>>145 ありがとうございます
それでは投稿します

皇国の攻撃隊はこれだけの戦果に関わらず損害は20機以内に収まった(ジェット機は流星五二型が一機操縦ミスで墜落した以外の損害は無し)

これはスプルーアンスの索敵ミスによる不意打ちの結果である。

この衝撃は世界中を巻き込んだ。それもそのはずで、戦艦主力の打撃艦隊が空母の艦載機で壊滅させたからである。

艦隊を壊滅させられたスプルーアンスはフィリピンにある基地に向かおうとしたが山口はそれをみすみす行かす訳がなく第二次攻撃隊を出した。

>>148 ありがとうございます。少しですが投稿します。


そしてスプルーアンス艦隊はさらに中破以上の艦船を全て失ったうえにその内の戦艦2隻が皇国に拿捕されてしまった。

彼はフィリピンの基地に逃げ込んだ直後、直ぐに解任された。その後任にはキンメル大将が就任した。

一方アメリカ連合国艦隊を壊滅させた山口艦隊であるが、拿捕した戦艦を駆逐艦の護衛で皇国の横須賀まで帰港した。

後にこの二隻は修理および改装の後にドイツ第三帝国海軍に引き渡され、艦名もアドラーとファルケと名づけられた。

この時期インド方面では、大英帝国がインドシナ半島に侵攻する兆しをみせた。その第一目標は、皇国の同盟国であるタイ王国であった。

>>151 ありがとうございます。


タイ王国は立憲君主制であり亜細亜でも屈指の強国であった。大英帝国植民地インド帝国だけでは攻略が難しそうであったがここで異変が起る。

フランス領インドシナでもフランス軍がタイ王国に侵攻する準備をしていたのである。列強2カ国の侵攻に耐えるだけの力は流石になく、タイ政府はすぐさま皇国に支援を求めた。

皇国は引き続き第七艦隊(第五・第六艦隊合同部隊)にタイ防衛を命令し、更に本国にある再編したばかりの皇国太平洋艦隊を援軍として送ることにした。

皇国太平洋艦隊の編成は

司令官…吉田善吾大将

旗艦戦艦紀伊

戦艦…霧島・比叡・尾張

正規空母…翔鶴・瑞鶴・慶鶴

巡洋艦…10

駆逐艦…18

潜水艦…5

である。空母の艦載機は第一機動艦隊とさほど変わらないがジェット機は積んでいない。

第七艦隊の編成は

司令官…南雲忠一中将

旗艦重巡妙高

重巡…足柄・那智・羽黒・最上・三隈・弥彦・英彦・雪彦

軽巡…8

駆逐艦…8

である。弥彦・英彦・雪彦は弥彦型重巡で利根型の次期重巡となっている。

この時の皇国太平洋艦隊および第七艦隊の敵は大英帝国東洋艦隊であった。フランスの艦隊は弱小ですでに中華民国海軍と台湾海軍の合同部隊に壊滅させられていた。

大英帝国東洋艦隊は香港から撤退したものの体した被害もなく現地で新たに建造された艦船もあり強力であった。

9月、吉田艦隊はタイ王国に向けての出港していたが途中で香港の基地およびフランス領インドシナの主要基地を爆撃した。

これは中華民国からの要請であった為に行った。爆撃の後、直ぐに中華民国陸軍が香港を奪還しフランス軍は中華民国国境まで撤退した。

またフランス領インドシナの基地も爆撃され、戦闘機・爆撃機の三分の一と生き残っていた少量の艦艇全てを撃破された。

これにより完全に制海権を失ったインドシナでは数少ない本国からの補給も受けられなくなったのでタイ王国侵攻作戦は中止になった。

航空部隊も皇国艦隊を警戒する為に沿岸部に中心的に配備された。

同月、大英帝国東洋艦隊と大日本皇国第七艦隊で海戦が行われた。アンダマン海戦と呼ばれる戦闘で、皇国艦隊は重巡足柄・羽黒・弥彦、駆逐艦3隻を大破され、重巡最上が中破した。

一方大英帝国東洋艦隊の編成

司令官…トーマス・フィリップス大将

旗艦戦艦プリンス・オブ・ウェールズ

戦艦(巡洋戦艦)…レパルス

正規空母…ハーミス・ヴィクトリアス・イラストリアス

巡洋艦…15

駆逐艦…21

潜水艦…14

で、戦闘後は駆逐艦3、潜水艦1が沈没。正規空母ハーミス戦艦レパルスが中破、その他一部小破である。

結果から見るように海戦は大英帝国の勝利であり皇国第七艦隊は沈没艦は無いものの甚大な被害を受けた。

大英帝国東洋艦隊も正規空母と戦艦を中破にされた為に駆逐艦の護衛をつけて二隻は撤退した。しかし他の艦艇は補給の為に戻ったが直ぐに攻撃してくると思われた。

10月、平穏であったハワイ王国に衝撃が走った。アメリカ合衆国太平洋艦隊が接近する報告があった。司令官はニミッツ大将で編成は

旗艦 戦艦カルフォルニア

戦艦…8
巡洋艦…8
駆逐艦…30
潜水艦…15
の戦艦主力艦隊である。戦艦は旧式型が多いが、対空兵装などを新式に変えたりと侮れないものとなった。

空母がない理由は合衆国大統領、フランクリン・ルーズベルトの政策と軍部の考えが大鑑巨砲主義のままであるからだ。

一部、航空主兵主義の軍人もいたが、異端者として更迭されたりした。その代表例がウィリアム・ハルゼー少将で、彼は基地司令官にさせられた。

投稿再開します。

一方ハワイ王国艦隊の編成は

司令官…パウラ元帥

旗艦戦艦オアフ

戦艦…1
正規空母…2
軽空母…5
巡洋艦…20
駆逐艦…40
潜水艦…10
となる。空母が多いのは皇国からの技術提供と大鑑巨砲主義の終焉を見越してのことであった。そして、この艦隊所属する艦艇はハワイ王国海軍のほぼ全ての戦力である。

ハワイ王国の艦載機は皇国からのライセンスのものが多くその種類は

艦上戦闘機

レップウ…皇国の烈風二一型のライセンス。名称は皇国にちなんカタカナ読みで烈風となる。

CB-3…ハワイアン航空が開発した国産戦闘機。兵装は20mm機関銃、12.7mm機銃であり強力である。史実の零戦みたいな形である。

艦上爆撃機

スイセイ…皇国の彗星五二型のライセンス。烈風同様にカタカナ読みで彗星となる。

HA-5…ハワイ王国の国産機。500kg爆弾を装備できる優れもの。

今日はひとまずここまで

乙!

投稿します。

艦上攻撃機

リュウセイ…皇国の流星二一型のライセンス。カタカナ読みで流星である。

OH-8…ハワイ王国の国産機。皇国からライセンスが許された噴進弾を装備している。

テンザン…皇国から購入した艦攻。カタカナ読みで天山である。

ハワイ王国の艦載機の半分近くが皇国の艦載機である為、合同演習などがやりやすくチームワークはとてもよかった。さらにハワイ海軍の航空隊の実力は皇国海軍の航空隊に匹敵するほど優秀であった。

話は戻るが、ハワイ海軍と皇国海軍はすぐさま合衆国太平洋艦隊の撃滅に向かった。

第一次攻撃機はハワイ・皇国両艦隊空母から計400機であった(そのうち皇国のジェット機が50機)

ニミッツは警戒はしていたがまさか400機もの攻撃隊が来ると思わず、戦艦部隊を全面にだして巡洋艦などは後方に配置していた。

そして攻撃隊は戦艦9隻に向けて一斉攻撃を仕掛けた。対空砲をつけていても皇国のに比べたらかなり劣っていたし、所詮制空権はハワイ・皇国にあったので簡単に攻撃ができた。

第一次攻撃で攻撃隊の被害は予想を上回る50機(そのうち三分の二がハワイ海軍)であった。

一方アメリカ合衆国太平洋艦隊は、戦艦アリゾナ・オクラホマ・ウェストバージニアが轟沈。旗艦のカルフォルニアを含む戦艦テネシー・メリーランドが中破以上の損害を出した。

ハワイ・皇国両艦隊はすぐさま第二次攻撃隊を出した。さらに潜水艦20(ハワイ10皇国10)が支援攻撃の為に出撃した。

>>173 ありがとうございます

投稿します


ニミッツもバカではなく敵が去ったあと直ぐに後方の巡洋艦・駆逐艦を戦艦の周りに配置し防御陣形をとった。

第二次攻撃隊は第一次を上回り500機(ジェット機は無し)であり、直庵隊と第一次攻撃隊を除くほぼ全ての艦載機を出した。

結果は、アメリカ合衆国太平洋艦隊は戦艦カルフォルニアを除く残りの戦艦が轟沈。巡洋艦5.駆逐艦12が轟沈、残りの艦船も殆どが何らかの損傷を受けていた。

第二次攻撃隊は40機以内の撃墜で済んだ。これは噴進弾の活躍があったのと攻撃隊が優秀であったからだ。さらに潜水艦の雷撃に合衆国側が気づかずほぼ全ての雷撃を直撃させられたからだ。

ニミッツ大将は大破した戦艦カルフォルニアを捨てて駆逐艦に旗艦を移し残存艦艇を引き連れ撤退した。

カルフォルニアは雷撃処分をしようとしたがその前にハワイ海軍の潜水艦に攻撃された為にできなかった。そして拿捕されハワイ海軍は2ヶ月の修理し自分の艦隊に組み込んだ。

この海戦はハワイ沖海戦と呼ばれ、のちに空母運用の基礎となった。

投稿します

インド方面でも新たな海戦が始まった。アンダマン海戦には間に合わなかった皇国太平洋艦隊であったがついにタイ王国に到着した。

同じ頃に補給を終えた大英帝国東洋艦隊がタイ王国にむけて再び侵攻を開始した。

11月上旬、皇国の空母の偵察機が大英帝国東洋艦隊を発見した。同様に東洋艦隊は皇国の艦載機を発見し偵察機を出した。

そして双方が270海里(500km)に近づいた頃に皇国の第一次攻撃隊と大英帝国の第一次攻撃隊が接触し空戦が始まった。大英帝国はフェアリーファイアフライなど強力な艦載機をもっていたが雷撃機がソードフィッシュなど複葉機であり皇国の敵では無かった。

皇国の攻撃隊は全艦載機の半分近くの110機を出し、大英帝国の攻撃隊は50機を出した。

性能・数からして皇国が優勢であり大英帝国はこの時点で攻撃隊の半分を失った。皇国も四分の一程度を失ったが双方とも攻撃を続行した。

大英帝国の攻撃隊は勇敢にも皇国艦隊に攻撃を仕掛けたが直庵隊や対空砲火が強力で全滅した。しかし空母慶鶴が中破し駆逐艦が一隻大破した。

皇国の攻撃隊は村田少佐の指揮する精鋭であり、さらに噴進弾も装備していた。結果、巡洋戦艦ハーミス・空母ハーミス駆逐艦5隻が沈没。旗艦プリンス・オブ・ウェールズが中破しフィリップス大将も負傷した。巡洋艦も複数損傷をだした。

>>180 ありがとうございます。少しですが投稿します。

こんなに戦果をあげた皇国の攻撃隊であるが村田少佐を含む指揮官を多数戦死し大きく士気が下がった。

その為、撤退した大英帝国東洋艦隊を追撃することなく損傷した慶鶴を引き連れタイ王国の海軍基地に戻った。

この時、大日本皇国海軍は八つの艦隊を保有していた。

第一艦隊…ハワイ方面に配属。皇国海軍の中で最強の打撃力をもつ。司令官は豊田大将


第二艦隊…本国に待機。主に日本海や北方方面を担当する。軽空母を中心とする。司令官は角田中将

第一機動艦隊…世界最強の機動部隊。マレーシア方面に配属される。装甲空母やジェット機を保有する最新鋭の艦隊でもある。司令官は山口中将


第二次機動艦隊…現在編成中の戦時特別艦隊。所属予定の艦艇は現在建造中である。ただし、本国に待機する飛龍と蒼龍はこの艦隊の指揮下に入る

その為、主な戦力は基地航空隊である。国内の基地の大半がこの艦隊の指揮下に配属されている。司令官は小沢中将

第三艦隊…潜水艦主力の艦隊。潜水空母(伊400型)を8隻、改潜水空母・伊600型を3隻配備されている。合計150近くの潜水艦を所有する。

この艦隊は主に艦隊単位ではなく潜水戦隊での行動をしており、西は紅海東はスエズ運河付近まで来たはソ連沿岸部南は南極までを担当する。
司令官は醍醐中将

乙!

>>185 ありがとうございます。これから投稿します。



第四艦隊…皇国の太平洋側の沿岸部を防衛する為の艦隊。主に軽巡が配備されており主力ではなく水雷戦などの支援雷撃を中心とする。司令官は田中中将


太平洋艦隊…ハワイ泊地を中心に活動していたが、真珠湾攻撃で壊滅近くまで追い込まれ本国に撤退。その後再編され現在はタイ王国付近に配備される。司令官は吉田大将

第七艦隊…第五艦隊と第六艦隊を合併した艦隊。タイ王国付近に配備されている。主に重巡を主力とする。司令官は南雲中将


第一護衛艦隊…輸送船団護衛の為の艦隊。主に旧式艦艇を対潜近代化したものを主力とし軽空母1を保有する。司令官は萩原少将

資源が取れない皇国は本来こんな大規模の艦隊を動かせるはずがないが、満州国や中華民国からの輸入やオランダ領東インドからの購入で賄っていた。

12月、皇国の第一機動艦隊はフィリピンにおける独立派を支援する為に出撃した。この出撃にともないスペインとアメリカ共和国に対応した

両国ともフィリピンに領土を持っていたからである。その対応は簡単にすんだ。両国は既にフィリピン領を完全に放棄(アメリカ共和国は暫定政権に全てを任せる)を決定していたからだ。

かくして第一機動艦隊はフィリピンに出撃できたのである。この情報はアメリカ合衆国・連合国にも知れ渡り両国は艦隊を派遣、皇合連の三つ巴の海戦が始まろうとしていた。

乙!

>>190 >>191ありがとうございます!

出かけるのでそれまで投稿したいと思います。

この海戦にはスペイン東洋艦隊とアメリカ共和国艦隊の残存艦艇が皇国側で参戦していた。両国の艦隊の規模は合わせても強力ではなかったが、アメリカ合衆国・連合国に煮え湯を飲まされたのでその復讐戦をしようとしていた。

>>190 >>191ありがとうございます!

出かけるのでそれまで投稿したいと思います。

この海戦にはスペイン東洋艦隊とアメリカ共和国艦隊の残存艦艇が皇国側で参戦していた。両国の艦隊の規模は合わせても強力ではなかったが、アメリカ合衆国・連合国に煮え湯を飲まされたのでその復讐戦をしようとしていた。

話は9月の欧州に戻る

9月、ソ連に支配されたハンガリーのブダベストでハンガリー社会主義共和国が建国されたのだ。同日に、ブルガリア・ルーマニアでも社会主義革命が起こり、ブルガリア社会主義共和国・ルーマニア社会主義共和国が建国された。

さらにチトー指導のユーゴスラビア社会主義共和国も建国された。これに危機を覚えたのが、バルカン半島で唯一の社会主義でない国のギリシャであった。

ギリシャは枢軸国に属していたがフランスからの支援も得られそうにない為、枢軸国を脱退しドイツ主導の新興連合に入った。

10月、ソ連赤軍のジューコフ元帥の部隊がベルリンに攻撃を開始した。この時もロンメル中将とグデーリアン中将の部隊が止めようとしたがシベリア軍団を中心とする精鋭の赤軍に歯が立たなかった。

赤軍は120万の大軍でベルリンを攻撃。一方のベルリン防衛軍はゲーリング首相直属の20万しかなくそれも新兵や民間人での構成が多かった。


原因は精鋭部隊は既に赤軍によって壊滅させられていたからだ。

アフリカ戦線では、ドイツ第三帝国や新興連合の領土は消滅し枢軸国と連合国が領土を巡って戦闘を繰り広げていた。

11月、遂にベルリンが陥落した。ゲーリング以下のドイツ国首脳は捕虜になる前に自決した。ゲーリングは遺言として海軍の潜水艦隊司令長官、カール・デーニッツ元帥を大統領に昇格されるようにした。

デーニッツ元帥はその遺言通りに暫定政権をハンブルクに置いてソ連と徹底抗戦することを宣言した。

またゲーリングは最新鋭のUボート艦隊をドイツ第三帝国に託した。このことはデーニッツも知らされておらず、知っているのはゲーリングと総統ヒトラー、皇国首相の山本とごくわずかな人間だけだった。

山本が知っているのは彼らを護衛する為に潜水戦隊を派遣する為だからだ。

英本土ではフランスの英本土侵攻軍がロンドンから撤退しドーバー海峡に追い詰められた。そして大英帝国はロンドンを奪還を宣言しフランス軍に追撃をくわえた。

またアメリカ合衆国陸軍が英本土に派遣されて同じくフランス軍に追撃をくわえた。

12月、フランスの英本土侵攻軍が英米連合軍に降伏した。その数は20万人にのぼる。ハンブルクに置いてあるドイツ政府にも危機が迫っていた。

ジューコフ元帥の部隊がベルリンの統治を後方部隊に任せて侵攻して来たのだ。ハンブルクを護る兵力はロンメル中将・グデーリアン中将の残存部隊、ハンブルク駐留部隊、海軍の歩兵で10万にも満たなかった。

ニュルンベルクでもルントシュテット元帥の第三軍にロコソフスキー大将の第一白ロシア戦線が攻撃を仕掛けており陥落は目の前だった。

ルントシュテットは増援を求めたがその他の場所でもソ連赤軍の侵攻が激しくてそれどころではなかった。

更に送れたとしても新兵や民間人部隊ばかりである。唯一の戦闘できる部隊はハンブルクの部隊かルントシュテットのニュルンベルクの部隊のみである。

今だにフランスからの攻撃は無いが、もし侵攻でもされたら…

1942年1月、太平洋方面

フィリピン レイテ沖で皇国・スペイン・アメリカ共和国の連合艦隊VSアメリカ合衆国太平洋艦隊VSアメリカ連合国艦隊で海戦が始まる。

兵力は

皇国・スペイン・アメリカ共和国合わせて

戦艦…5
装甲空母…2
正規空母…4
軽空母…4
巡洋艦…32
駆逐艦…40
潜水艦…15
である。
軽空母…4

アメリカ合衆国太平洋艦隊は

戦艦…2
正規空母…3
軽空母(商船改装空母)…10
巡洋艦…12
駆逐艦…35
である。皇国との海戦を経て空母の重要性に気付いたルーズベルトは海軍に空母の増加を命令した。

その結果、短期間でこれ程の艦艇を揃えられたのだ。

アメリカ連合国艦隊は

戦艦…4
正規空母…1
軽空母…2
巡洋艦…25
駆逐艦…12
である。これは連合国大統領のトルーマンは空母の重要性に気付かない為に戦艦の増加を引き続き行ったのだ。

空母もあくまで戦艦の支援という理由である。 その為、空母の艦載機の80%が艦爆・艦攻で残りが艦戦になった。

戦いの火蓋は皇国側の艦載機によるアメリカ連合国艦隊に対しての攻撃であった。これに対してアメリカ連合国艦隊は迎撃に向かうが、なんせ艦戦が20%しかなく練度も皇国側に比べるとかなり劣っていた。

乙!

>>209 ありがとうございます。


明日あたりに投稿を再開します。ご意見などあればよろしくお願いします。では

>>209 ありがとうございます。


明日あたりに投稿を再開します。ご意見などあればよろしくお願いします。では

すいません。今日は疲れたのでとうこうできそうにありません。

おつかれさま!

力作だよね!

>>213 >>214 ありがとうございます。

更新できなかったのは申し訳ありません。今から再開したいと思います。


結果、迎撃隊は壊滅し艦隊に対して攻撃を許した。戦艦1.軽空母1.巡洋艦3.駆逐艦5が轟沈、戦艦2.正規空母1.軽空母1.巡洋艦8.駆逐艦2が中破以上の損傷を受けた。

皇国はアメリカ連合国だけでなく、合衆国太平洋艦隊に対しても攻撃隊を出した。これにはジェット機も投入していた。

この時の合衆国太平洋艦隊の司令官は過去に更迭されたハルゼー中将であった。ハルゼーは皇国の攻撃隊が来ると思いその前に自分の空母からも攻撃隊を出した。

この二つの攻撃隊はすれ違いになり気づいたのは互いに相手の艦隊を補足したくらいであった。

そして、攻撃は皇国側の攻撃隊対合衆国太平洋艦隊の空母直掩隊の空戦から始まった。ジェット機を多数持つ皇国側の攻撃隊に合衆国の直掩隊は翻弄された。


しかし勇敢に戦い、20機余りの皇国側の艦爆・艦攻を撃墜した。だが奮戦もここまでである。

数も多く歴戦の搭乗員がいる皇国側に合衆国の直掩隊は翻弄された。そして雷撃・急降下爆撃の結果、合衆国は軽空母3.巡洋艦2.駆逐艦10が撃沈、戦艦1.正規空母1.軽空母.2巡洋艦1.駆逐艦1が中破以上の損傷を受けた。

駆逐艦に被害が多いのは多数の駆逐艦が戦艦や空母の身代わりになる為前面に突出し攻撃を受けたからである。

攻撃の30分後、合衆国攻撃隊も皇国側の艦隊に攻撃を開始した。この時皇国側は知らなかったがアメリカ合衆国は烈風二一型に世界でほほ唯一対抗できるP-61を所有しており、艦隊の艦戦は全てこの機体であった。


皇国側には多少の慢心があった。そしてP-61の性能を理解していない為に直掩隊の三分の一が撃墜された。

油断はしていたものの、その後対空噴進弾などで対抗し合衆国の攻撃隊は壊滅した。

戦闘から2時間が経つ頃、アメリカ連合国艦隊は突如撤退を開始した。そしてスリガオ海峡に逃げ込んだ。

しかしそこには、ドイツ第三帝国第一艦隊が隠れていたのだ。独第一艦隊の司令官はマクシミリアン・フォン・シュペー提督の甥、アルフレート・シュペー海軍元帥であった。

彼は皇国海軍の海軍兵学校にも入っていた経歴がありかなり優秀だった。それをヒトラー総統に見込まれ、第三帝国の海軍に入隊した。

そして再編された第一艦隊の司令官に任命されたのだ。第一艦隊の全容は

旗艦戦艦アドラー

戦艦…ベルリン(扶桑).ミュンヘン(山城).ライヒ
装甲空母…ドイッチュラント
軽空母…ヒンデンブルク.他2
巡洋艦…15
駆逐艦…8
潜水艦…5
である。戦艦ライヒと戦艦アドラーは皇国の紀伊型戦艦をモデルに建造され、紀伊型を超える性能をもつ。

装甲空母ドイッチュラントは大鳳の派生型として建造されジェット機も搭載できる。

なお第三帝国海軍はこの第一艦隊以外にも、第一潜水遊撃艦隊・第二潜水遊撃艦隊がある。

独第一艦隊に奇襲を受けた米連合国艦隊は壮絶な砲撃戦を開始した。既に壊滅しかかっていた連合国艦隊は少数だがジェット機を保有する独艦隊に翻弄された。

独第三帝国のジェット機はイェーガー社の最新機種、De206(史実のMe262)である。このイェーガー社はアルベルト・イェーガーが作った航空機会社で、本社は皇国首都東京にある。

海戦の結果、司令官のキンメル大将は戦死し残存艦は独艦隊に降伏した。一方、合衆国太平洋艦隊はこのまま戦闘を続ける案と一時的に撤退する案で論議が交わされていた。

司令官のハルゼー大将は戦闘を続けようとしたが主に航空隊の将校が意を唱えたのだ。この航空隊の将校は壊滅した攻撃隊の生き残りであった。

その為、皇国側の艦載機や対空砲の威力を身で感じたのであるから撤退するべきと主張した。しかし、ハルゼーに脅され仕方がなく攻撃することになった。この判断が合衆国艦隊を危機に追い込む。

こうして攻撃隊を出すことになったが既に熟練と呼べる搭乗員は第一次攻撃隊で戦死しており第二次攻撃隊は新人ばかりで期待できなかった。

案の定、攻撃隊は皇国の攻撃隊と出くわし壮絶な空戦の末、一部が撤退し壊滅した。

ハルゼーもこの時に撤退を決意したが既に遅く、皇国側の艦隊に包囲されていた。最初は自決しようとしたハルゼーであるが副官などに説得され、仕方がなく降伏した。

後にレイテ沖海戦と呼ばれた戦闘は2月まで続き、各国計五千名以上の死者を出し、皇国側の勝利で終わった。

3月、皇国大本営は新たな作戦「い号作戦」を皇国太平洋艦隊に命令した。い号作戦とは自由インド代表のチャンドラ・ボース率いる自由インド軍5千と栗林忠道大将の皇国陸軍第五軍を英領インド帝国のコルカタへの上陸させるのである。

皇国太平洋艦隊は、その時に上陸支援することになった。さらにタイ王国が二個師団、大韓民国が一個師団を派遣することになった。

同時にインド北部からは中華民国陸軍三個軍が攻撃することになった。独第三帝国も第一潜水遊撃艦隊を派遣しインド洋の制海権を奪う作戦を立てていた。

これ程の数の同盟国での侵攻作戦はアジア初となる。

フィリピン解放作戦も立案されており、作戦名「ふ号作戦」。参加部隊は皇国海軍第一機動艦隊・皇国陸軍第3軍・アメリカ共和国艦隊・ハワイ王国艦隊・フィリピン解放軍などである。

話はい号作戦に戻るが、大英帝国も黙ってみている訳がなかった。インドで徴兵を行い、約50万もの兵士を集めた。

しかし兵力は集まったものの、武器弾薬は全くたりなかった。本国から輸送してもらおうとしても、皇独潜水艦部隊に妨害されできなかった。

今日はここまでとします。

乙!

支援

>>232 >>233ありがとうございます

久しぶりに投稿します


結果、満足に武器弾薬を保有する兵士は10万にも満たず、あとは農具などで補うしかなかった。

5月、中華民国陸軍三個軍がチベット方面からインドに侵攻した。武器は皇国からライセンスしたものも多く強力な部隊であった。

一方英軍は、インド人部隊を含めても僅か5個師団強しかなく結果は見えていた。僅か一週間で国境を突破した中華民国陸軍は一気に首都ニューデリーを目指した。

皇国海軍も大英帝国東洋艦隊の残存艦を粉砕し、見事皇国陸軍と自由インド軍をコルカタに上陸させた。

この事態に驚愕を覚えたのは大英帝国のインド方面総司令官のマウントバッテン大将である。彼は二方面からくる敵の精鋭と制海権もない状態で戦わないといけないのだ。

既に一部のインド兵は反乱又は勝手に軍を離脱しており(僅かだが英国人部隊も)、インドにおける大英帝国軍はインド軍を含めて、40万を切っていた。

本国のチャーチル首相からは最後の一兵まで戦えとの命令があり降伏することはできなかった。

考えている間に、中華民国陸軍がニューデリーに攻撃を開始した。皇国陸軍と自由インド軍も軍を半島沿いに下る部隊とニューデリーに向かう部隊に分けた。

乙!

本当に久しぶりに投稿します。

ニューデリーを守備する英軍は機械化部隊を含む精鋭であり、中華民国陸軍は翻弄された。しかし精鋭がニューデリーに集まっている為、他の守備隊はそれほど強力でなかった。

5月25日、皇国陸軍と自由インド軍も攻撃を開始した為ついにニューデリーが陥落した。マウントバッテンは降伏し全英軍に降伏命令を出した。

本当に久しぶりに投稿します。

ニューデリーを守備する英軍は機械化部隊を含む精鋭であり、中華民国陸軍は翻弄された。しかし精鋭がニューデリーに集まっている為、他の守備隊はそれほど強力でなかった。

5月25日、皇国陸軍と自由インド軍も攻撃を開始した為ついにニューデリーが陥落した。マウントバッテンは降伏し全英軍に降伏命令を出した。

結果、インドは大英帝国から解放されチャンドラ・ボースがニューデリーに新政府を樹立した。ボースは直ちにインド軍の統一化を始めた。そして亜細亜連合に加盟した。

一方捕虜となったマウントバッテンを含む英軍20万人はどうなったかというと、本国に見限られたこともあり自由イギリス軍として亜細亜連合に加わった。自由イギリスの代表はマウントバッテンである。

本当に久しぶりです。

彼らは後にスリランカになる島に駐屯することになり、武器などは皇国から供給されることになった。

ここまでで1月の欧州戦線に戻る。

ソ連のスターリンはここにきてある行動を始める。それは赤軍の大粛清である。史実における粛清はこの時に始まったのだ。

理由としては、ベルリンを占領し東欧を制圧した為余裕ができた。そしてKGB(ソ連国家保安委員会)から赤軍の一部の将校が自分を殺し、ソ連を支配するという話を聞かされた。

大粛清は赤軍元帥から少尉までの将校、さらに政治家・著名人に及んだ。最初の犠牲者は、ベルリンを陥落させたソ連赤軍一の英雄、ジューコフ元帥である。

彼は英雄である為、簡単に粛清するわけにはいかなかった。よってジューコフは反スターリン派によって襲撃されたことにして粛清を始めた。

ジューコフはシベリアにある収容所に厳重に隠居させ、他の将校の粛清を開始したのだ。

当時元帥は10人いたが、チャイコフスキーを除く(ジューコフも)全ての元帥を粛清、将官も1000名以上いたが生き残ったのは100名にもみたなかった。

佐官・尉官も三分の二が粛清されて大きく赤軍の戦力は減少した。

2月、フランスがイタリア北部のミラノを占領した。同時期にスペインのバルセロナを占領した。

イタリア王国国王・ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世はまだ戦争を続けようとしたが、ベニート・ムッソリーニのファシスト党がクーデターを起こした。

結果、ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世は退位しムッソリーニが首班とするイタリア社会共和国を樹立した。ムッソリーニはすぐさまフランスと講和し連合国・新興連合・亜細亜連合に宣戦布告した。

その時、大英帝国はアメリカ合衆国と共にフランスへの上陸作戦を計画していた。既にドーバー海峡は連合国の勢力圏となっており時々連合国艦隊がフランス沿岸部に砲撃することもあった。

そんな中、皇国に出発したUボート艦隊が皇国潜水艦部隊の護衛の中、無事到着した。

3月、スターリンの大粛清は終わった。被害者は2ヶ月で民間人も含め一500万人以上にのぼった。この短期間でこれ程の死者を出せたのは、赤軍に訓練と称して街を攻撃させたり航空機の爆撃で空爆を行ったりしたからだ。

投稿します。

そんな中スターリンはソ連赤軍四個軍に対し、中東に侵攻するように命令した。

司令官は大粛清を乗り越えたアンドレイ・クラフチェンコ上級大将である。彼は元少将であったが大粛清で高級将校の大半が死亡したので後釜として上級大将に昇進させられたのだ。

そして一個機甲軍と三個軍でグルジアからトルコを経由してシリアに侵攻した。この時既にトルコはソ連に無条件降伏して衛星国化していた。

シリアに入ったクラフチェンコはシリアにあるハタイ共和国を攻撃し占領した。その時に中東にある小国などががソ連と同盟を結ぼうと交渉してきた。

クラフチェンコの独断で決めるわけにはいかず、クレムリンのスターリンに打診した。スターリンは石油の輸出と引き換えに同盟と武器の援助の約束を命令した。

よってソ連は中東の石油地帯をほぼ無傷で手に入れる。これは世界に衝撃を与え、特にアフリカに大きな植民地を持つ大英帝国は危機を覚えた。

既に欧州におけるソ連の地位はかなり上にあり、既に戦線を広げすぎたフランスなどはソ連に対抗する能力を失っていた。

しかしスターリンは赤軍に西欧に侵攻させようとしなかった。理由は後に分かることになる。

同月、アフリカ大陸のフランス領モロッコにアメリカ合衆国陸軍5万人が上陸した。既にフランス植民地軍の大半が大英帝国植民地との国境に配置されていた。その為、最低限の兵力しかなく簡単に上陸をゆるした。

4月、スターリンが動いた。新たに赤軍西部方面の司令官についたのはセルゲイ・バクーニン元帥である。彼もクラフチェンコ同様に大粛清によって死んだ高級将校の後釜として昇進した男だ。

この時期にジューコフの代わりの司令官がつくということは、やることは一つ。スターリンは彼に200万の兵をもってドイツ最大、そして最後の大都市ハンブルクへの侵攻を命令した。

1月に大粛清の開始で中断されたハンブルク侵攻がここにきて再開されたのだ。ドイツ軍もただ数ヶ月を過ごしたのではなく各地での敗残兵集め、結果50万近くの陸海空軍兵が集まった。

更新楽しみですら

>>255ありがとうございます!では多少ながら再開します。

将校もロンメルやグデーリアンのほかにミルヒ空軍大将・ヴァルツェハ海軍大将・グライム空軍中将などが集まった。

兵器も強力になり、戦車は二号パンター・三号ティーガー。対戦車無反動砲パンツァーファウスト。機関銃
MG41などがある。

これ程の短期間で強力な兵器が揃えられたのは、ある意味フランスのおかげといってよい。

ドイツ国はフランス領プロイセン時代にフランスの兵器製造や開発の大半を担っていたのだ。特に中心だったのがハンブルクとルール地方であった。これらの兵器は1月に一部が試作としてUボートに載せられ皇国に出発した。

対独戦が始まった中、スターリンは驚きの行動をした。なんと連合国に宣戦布告したのだ。連合国は最初冗談と捉えていたが後の出来事で後悔することになる。

それは中東のクラフチェンコと新たに同盟を結んだ中東の小国を加えた約100万を超える兵力がスエズ運河に攻撃を仕掛けた。

大英帝国は兵力が配置されてるとはいえ油断しており、まさかソ連赤軍が攻撃してくると思わなかった。そして僅か5日でスエズ運河は陥落し大英帝国植民地軍と地中海艦隊はカイロに撤退した。

スエズ運河を占領したソ連であるが、黒海艦隊は少し前の英地中海艦隊との海戦で壊滅し、残ったのは駆逐艦数隻と水雷艇のみであった。

英地中海艦隊は空母や戦艦を保有する艦隊である為、すぐに反撃が行われるとソ連側は予想した。

現に空母艦載機が毎日のようにスエズ運河に空襲を行い、残ったのは黒海艦隊や赤軍に深刻なダメージを与えた。

5月、今だハンブルクの戦闘は終結の兆しをみせない。200万の兵をもつ
ソ連赤軍に対し、ドイツ軍は新兵器と兵の士気の高さによってハンブルクは今だドイツのものであった。特に対戦車部隊は善戦し、所々でソ連戦車部隊に勝利していたのだ。

ソ連赤軍はドイツだけを攻撃しているわけではなかった。中立宣言をしていたフィンランドは既にソ連が大きな犠牲を出しながらも占領していた。

そしてスターリンは北方方面軍司令官ミハイル・コワリョフ大将に50万の兵でスウェーデン及びノルウェーのスカンジナビア半島の攻略を命令した。

4月5日、ソ連に宣戦布告されたスウェーデンは本国に上陸される前にソ連に降伏した。ノルウェーは降伏するつもりはなくソ連との戦争が始まったが、同月21日に赤軍の圧倒的な力の前に降伏した。

これでソ連バルト海艦隊は北海に進出が可能となった。だが北海には英本国艦隊や今だ健在の独(ここではドイツ国のこと)主力艦隊がいる為、装備で劣るバルト海艦隊が勝てないのは明白であった。


おもしろいじゃん

>>264 ありがとうございます!

これを見越していたのかスターリンはドイツがフランスから独立した時から戦艦の建造を命令していた。ソビエツキー・ソユーズ級戦艦は5隻建造中であり、1番艦のソビエツキー・ソユーズは既に就役し北方艦隊に所属する。2番艦のソビエツキー・ウクライナも就役間近であった。

5月4日大英帝国の北部・スコットランドで大規模な反戦デモが起こった。一部の軍人もデモに参加し政府の建物を占拠した。

さらに英陸軍のロバート・オーデン大佐とその部下・政治家の一部が陸軍基地を占拠しスコットランド共和国の建国を宣言した。

現在大英帝国は仏本土に反攻作戦を実施しようとしており大半の陸海空の将兵は南部に配備されていた。その為反乱の制圧も行えない状況であった。

オーデン大佐の反乱はスコットランド全域に広がり、反攻作戦を中止して反乱の制圧を開始させる事態に至った。反乱は軍人・政治家・市民など多くのイギリス人が加わり国内は不安定化した。

同月25日、反乱制圧に参加していた英陸軍将兵5000名が任務を放棄、反乱に参加した。理由は反戦思想が一部の英軍の将兵でも広がっており、この部隊は特にその思想が強かったのだ。

これからアジア方面に話を戻す

6月、満州国に中国共産党軍が侵攻した。満州国は皇国からの武器援助などがあったが、敵の数が予想を大きく上回った。しかし、中華民国陸軍の支援があり中国共産党軍は撤退した。この際中華民国陸軍上将の張作霖が戦死した。

インドではチャンドラ・ボース首相が率いるインド連邦共和国が大軍備拡張を開始した。目標は海軍で戦艦1.軽空母3.巡洋艦10.駆逐艦20.潜水艦5輸送艦などその他100余り。

それまではアジア各国からの艦艇購入を行う予定でる。陸軍でも大英帝国の残存戦車を改装して量産するつもりでいた。小銃は皇国のものをライセンス生産することに決定した。

ここで改めて各国の同盟関係をみてみる

エースパイロットの撃墜数が凄い事になってそうですね

>>270。皇国の航空隊で激戦をしている部隊はかなりエースパイロットをだしています。投稿します。


枢軸国

フランス共和国とその植民地
仏領プロイセン(ドイツ独立に賛同しなかったドイツ西部地域)
イタリア社会共和国

連合国

大英帝国とその植民地
アメリカ合衆国とその植民地
自由ポーランド
カナダ
オーストラリア
その他の亡命したバルカン半島諸国

新興連合

ドイツ国
ギリシャ王国
イタリア王国残党
アメリカ連合国とその植民地


大東亜連邦圏(亜細亜同盟から改名)

大日本皇国
ドイツ第三帝国
マレーシア
自由フィリピン
インド連邦共和国
中華民国
大韓民国
自由イギリス
台湾共和国
タイ王国
ハワイ王国
アメリカ共和国
スペイン王国
満州国
ベトナム民国

大ソビエト共栄圏

ソビエト社会主義共和国連邦
中国共産党
ドイツ社会主義共和国
ルーマニア社会主義共和国
ブルガリア社会主義共和国
スカンジナビア社会主義連邦国(ノルウェー・スウェーデン・フィンランドの共同国家)
ポーランド社会主義共和国
ユーゴスラビア社会主義共和国
中東の多数の小国

投稿します

新たにできた大ソビエト共栄圏はソ連が指導し他の傀儡国家で構成される共同体である。

大東亜連邦圏は亜細亜連邦からより強化された同盟で欧米から独立した国家も多数加入していた。趣旨は変わっておらず、亜細亜解放・世界新秩序である。

枢軸国は既に力が殆どなくなっており各同盟の中では最弱である。

連合国は同盟の数こそは少ないものの物量が半端なく強力である。さらに新型兵器の開発も進んでいる。

新興連合はリーダー格のドイツが国土の大半をソ連に占領されており、政府の重要人も大方死亡していて防戦一方である。アメリカ連合国は合衆国程では無いが工業力は高い。ギリシャ王国は孤立しており、ソ連に占領されるのは目に見えている。

大きくみると世界は大東亜連邦圏と大ソビエト共栄圏と連合国との三極構造である。特に勢いがあるのは大ソビエト共栄圏で中東の油田地帯は既に彼らの手にある。

さらにスエズ運河を占領し進出しようと思えばインド洋さらには亜細亜にいくことができる(進出する為の艦隊は無いが)

連合国も近々仏本土に上陸作戦を行おうとしている。だが、英本土での反乱鎮圧の為、予定が狂うことが予想される。

さらにアメリカ合衆国軍が英本土から撤収するという噂が流れている。その1番の理由としては隣国のアメリカ連合国の攻略というのが有力である。

7月、インド攻略から余り動きがなかった皇国が遂にふ号作戦を発動した。

参加部隊は皇国海軍第一機動艦隊・皇国陸軍第3軍、第1機甲師団・アメリカ共和国艦隊・ハワイ王国艦隊・フィリピン解放軍にさらに自由イギリス軍と台湾共和国陸軍の計20万人以上が参加する。

7月3日、皇国陸軍第3軍の主力がルソン島のサンタアナに皇国海軍第一機動艦隊の支援を受けながら上陸した。

来た!
そういえばこの作品って現実世界で言う所の何年頃までを執筆される予定ですか?

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