高野ハジメ「その舌の裏側で」 (16)



準決勝が終わった時点で、いける、という確信があった。
指の動きは最高にキレているし、読み上げ係のおっさんの声もばっちり聞こえている。
テンションはいい具合に高まっていて、しかもアガってるわけじゃない。
これなら、今なら、どんなやつが相手だとしても負ける気がしない。優勝はいただきだ。



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「いいからそのままつづけたまえ」


「しかし舌でタマをはじくのはルールに違反しませんか?
 ここはびっくり人間ショーじゃないんですぞ」


「珠算コンクールの規定には舌でタマをはじくなとは書いてない!
 読み上げをつづけるんだ!」



隣のやつがなにか思いがけないことを始めたらしいことは
会場の空気が変わったことで気づいていた。
だけど一瞬だってそっちを見るような余裕はない。

耳から入ってくる数字と目の前のタマ、ぱちぱちと鳴り続ける軽快なリズム、
それが今のおれの世界のぜんぶだ。



……よし、できた!
相変わらず最高にキレてる、これはいける!

すぐさま答えを解答用紙に書き込んで、おれはようやく隣のやつを見た。
そして目が点になった。



なんだ、こいつ。

どうして手を椅子の横にたらしてるんだ。

どうしてこいつ、そろばんにかぶりつくみたいな姿勢になってるんだ。




その、舌の動きは、いったい、なんなんだ。



隣のやつのつきそいだとかいう、眼鏡をかけた先生っぽい女の人がなにかしゃべっている。

隣のやつは生まれたときから腕にショーガイがあったんだそうだ。
だからずっと舌でそろばんのタマを弾いてたんだそうだ。

でも、それをやるとからかわれるって理由で、人前でそろばんをやりたがらなかったそうだ。
まあ、そりゃそうだろう。おれだってきっと、こいつと同じ立場だったらやりたくないと思う。



で、手術で腕を移植したとかで、この大会でもさっきまでは指でタマをはじいてたけど、
体力的な問題で腕が使えなくなった、と。たしかに結構、頭だけじゃなく力も使うもんな。

なので、こっから先の問題に関しては昔みたいに舌を使ってタマを弾くことを認めてほしい、云々。



会場中が女の人の演説に応えて拍手している。
なかには拍手だけじゃなく、立ち上がってワーワー叫び出すやつまでいる。

読み上げ係のおっさんや、さっきそのおっさんに
読み上げを続けるように言ってたもっとえらそうなおっさんも、
はっきり拍手したりしてるわけじゃないけど、なんだかわかったような顔をして聞き入っていた。



さっきまでの"いける"という熱っぽい感じが、うそみたいに一気に冷えていくのがわかった。
どう考えてもこれ、今この瞬間から、
「隣のやつ+審査員とか含めた全会場 VS おれ」って構図になったじゃないか。

審査員のえらそうなおっさんたちが何人か、顔を合わせて話し合いをしている。
でも、この流れでやっぱりルール違反だから舌は使うな、なんてことになるもんか。


ここで万一おれが勝とうもんなら、「無慈悲な相手」「血も涙もない奴」だと言われるだろう。
生まれつきのハンデを乗り越えて戦ってきた少年、
奮闘むなしく決勝戦でついに力尽きる、みたいな感じで。



いつのまにかこの会場で行われているのは、全国青少年珠算コンクールじゃなくなっていた。
大手術を経てやっと腕を得たのに、その腕すら使えなくなった少年が、
いかに劇的に優勝杯を獲るかのスペクタクルだ。

そこにはスポットライトを当てられてる隣のやつの苦労以外、なにも存在しちゃいけない。

おれがこの大会に出場するまでにどんな努力をしただとか、
どんな相手と戦って決勝まで勝ち残ってきただとか、
それらすべてはいまこの瞬間、会場のだれひとり注意を払わないただのゴミ情報になった。
タマをはじいた瞬間におれの脳裏からふっとんでいく、読み上げ係のおっさんの声ほどの価値もない。



ああ、こんな精神状態でいれば、ミスをしないで済むわけがない。
そのときがおれの全国大会の終わりで、そしてこの会場にいる全員が待ち望んでる瞬間だ。

みんなはわっとさっき以上の歓声を上げて、隣のやつをほめたたえるだろう。
ハンデがあるのによく頑張った、腕がダメでも舌を使ってすばらしい、って口々に言うんだろう。



そしてその横でおれは、まるで空気みたいな扱いを受けるだろう。
隣のやつと決勝戦を戦った相手と見てもらえるならまだいい方で、
今まで負けて消えていった、その他大勢の参加者みたいに扱われるだろう。
ああ君いたの誰だっけ、なんで帰らないの? ってなもんだ。



たぶん、おれはミスをする。しかもそれはそう遠い話じゃない。
自分のことだ、自分がいちばんよくわかる。もってあと1問ってとこだろう。



でも、それまではなんとしても、おれは全力でこの隣のやつに食らいついてやる。
みんなが待ち望んでるとおりに負けることになるとしても、それまで全力で抵抗してやる。



「出題四! 用意!」


読み上げ係のおっさんがしたり顔をして、問題用紙を手に叫ぶ。
隣のやつが涙すら浮かべて、うれしそうにそろばんの上にかがみこむ。






「ねがいましては――」


元ネタ→ブラック・ジャック「なんという舌」



いきなり完全アウェーに豹変した会場でひとり戦わなきゃいけなかった高野君がとても可哀想だ、と
このエピソードを初めて読んだときになぜか思ったのを思い出しました

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