男「7年ぶりか……」 (34)

バスを降りた街は、あの頃と少しも変わっていなかった。
空気の香り、踏み締めるアスファルトの感触、小鳥の囀り、車の音……見上げた空の青いキャンパスには、一筋の飛行機雲が線を引く。町並みはいくつか見慣れない建物があるが、気にならない程度だった。

都会から少し離れたこの街は、まるで時間の流れから取り残されているようだった。

この光景を見てると、不思議な気持ちになってくる。
どこか不安に感じながらも、それでいて心のつっかえが取れていくような……思わず息を吐き出すような、そんな気分だ。

――これはきっと、“懐かしさ”と言うものだろう。

歩く道には、花が散り青々とした葉がところ狭しとぶら下がる街路樹が立ち並ぶ。
この道を歩くのもいつ以来だろうか。
都会でもないのに、視線が左右に泳いでしまう。

あの頃、僕はこの道を何も考えずに歩いていた。
毎日退屈で、歩き飽きたこの道には目もくれず、ただ見えない何かに向かっていた。
この年になって、改めて気づくこともある。
不細工な仏像、地面から盛り上がった木の根、日の光を反射して、無数の光の結晶を作り出す川……
その全ては、前にもあったものだろう。だけどなぜか、とても新鮮に思えた。

それは僕が大人になったせいなのだろうか。
それとも、ただ単に忘れていたことを思い出してるせいなのだろうか。
……どちらでもいい。
今はとにかく、緩やかに流れるこの景色を見ていよう。

そんなことを思いながら、その道を歩く。
肩にかけた膨らんだスポーツバッグは、足の動きと連動して、右に左に動いていた。

しばらく歩くと、そこには公園があった。
子供の頃、よく遊んでいた公園だ。
今日は休日ということもあり、土の上を大勢の子供たちが走り回る。そしてそれを見つめる親達。

よくある光景なのかもしれない。
だけど足は止まり、僕の視線は走る子供に向けられていた。

何かあるわけじゃない。
ただ何となく、昔の自分を投影していた。
何者にも縛られず、目の前のボールを追いかけていた日々。
いつも何かに夢中で、何をしても楽しくて、ただ笑っていた日々。

……あんな顔をしなくなったのは、いつからだろうか。
そう考えると、顔を伏せてしまいそうになる。

しばらく公園を眺めた後、横を通りすぎた車の音を合図に、再び足を踏み出した。

ふと、道の向こうから男が歩いてきた。
どこかで見たことのある風貌だった。

彼もまた、僕の顔を見返す。
お互いにチラチラと顔を見ながらすれ違おうとした時……

「……あれ?」

「……ん?」

彼は突然、僕の顔から目を離さなくなり、声を上げた。
咄嗟に僕も、声を溢す。

「もしかして……宗太か?」

男は、僕の名前を読んだ。その声を聞いた瞬間、僕の脳裏にも彼の名前が浮かび上がる。

「寛司?お前、寛司か?」

「おお!やっぱり宗太!久しぶりだな!帰ってきてたのか!?」

「今しがたね。……でも、本当に久しぶりだね」

僕と寛司は、道の真ん中で声をかけあう。

彼は小、中、高同じ学校に通った、いわゆる腐れ縁と呼ばれる男だ。
少しの間話した僕らは、そのまま横並びで歩き始めた。

「――まったく、帰ってくるなら連絡くらいしろよ」

「ごめんごめん。ふと思い立ってね」

歩きながら、寛司はそう言ってきた。
今回の帰省は、誰にも言っていない。正直帰省というほどのものでもないし、あまり長居をするつもりもない。
……強いて言えば、ケジメを付けに来た、といったところだ。

「いつまでいるんだ?」

「あ、ああ……すぐに帰るつもり。仕事もあるし」

「そうか……大変だな、宗太も」

「寛司ほどじゃないよ。親父さんの店、引き継いだんだろ?」

「まあな。嫌々ではあるけどな」

寛司の実家は、代々八百屋を経営している。
彼は長男であるがゆえ、学生時代から親父さんに店を継ぐことを言いつけられていた。

もっとも、学生時代の彼は、それに反発していた。
やりたいことも見つかってないのに、人の将来を勝手に決めるな――
それが、彼の口癖だった。

しかし、そんな彼も今や店を任されている。
最初は手伝いだけだったが、親父さんはあっさりと彼に店を継いだ。
きっと親父さんも、嬉しかったんだろう。

嫌々と彼は言う。それでもその表情は、まんざらでもないように見える。
それが彼の人生なのだろう。彼は立派に、自らの足で時計の針を進めている。

……片や、僕はどうだろう。自分の足で、歩けているだろうか。
考えるまでもない。それはきっと、“否”だ。

僕の時計は、あの日から止まったままだ。
それが自分でもよく分かるからこそ、握り締める手に、自然と力が入った。

「――じゃあ、僕はこの辺で……」

三叉路にさしかかったところで、僕は寛司が足を踏み出した方向とは別の方向を指し示す。

「あ?何でだよ。お前の家、こっちだろ?」

「そうなんだけど……こっちに、ちょっと……」

それ以上の言葉は、言わなかった。寛司はその方向に視線を送る。

「そっちって、確か……」

そして、何かを察した彼は、体の力を抜いた。

「……そうか。そうだよな」

「……うん」

「悪かったよ。それなら、一人の方がいいよな?」

「うん。そうしてもらえたら助かる」

すると彼は、足早にその場を去り始めた。

「……用件終わったら連絡してくれよ!飲みに行こうや!」

彼の言葉に、手を振って答えた僕は、再び一人で歩き始めた。

僕はとある場所に行き着いた。
住宅街から少し離れた丘の上に、そこはあった。人の姿は疎らにあった。
緑色の木々はそこを囲み、枝を揺らしながら風の到来を知らせる。
心なしか、鳥達の鳴き声も小さい。気を使ってるのだろうか。
段々となっているその一角を、僕は目指す。
片手には、途中で購入した花束。

心臓が少しだけ冷たく脈動するのを感じた。緊張しているのだろうか。
それでも足は歩みを止めない。ただ一直線に、体をそこへと誘っていく。

「……」

辿り着いた場所の前に、立ち止まる。
風は優しく頬を伝う。少し汗ばんだこともあり、とても涼しい。

未だ躊躇する僕の口は、ようやく動き始めてくれた。

「……久しぶりだね」

声を届けた相手は、何も答えない。
それでも、語りかけるのを止めることはなかった。

「来るのがずいぶん遅れたよ。もしかして怒ってる?」

答えない相手への言葉は続く。
これまで話したかったことの全てを、そこに置くつもりだった。
地元を離れてからのこと。仕事のこと。私生活のこと……
物言わぬ相手は、ただ僕の話を受け続けた。

しばらく話した話した後、ふと思い出した。

「――……そうだった。すっかり忘れてた。花束、持ってきてたんだよ」

一歩下がり花を添え、静かに合掌した。

――墓前に置かれた花びらは、返事をするように風に揺られていた。

墓地を出た後、僕は実家を目指す。
思いの外足は重い。独り暮らしを始めて以降、家に帰るのはこれが初めてだった。
連絡もロクに取らなかったこともあり、半ば家出同然の状態だった。

家が嫌なわけではない。これは単なる、僕のワガママだ。
いつの間にか実家を避けるようになったのは、全てを思い出したくなかったから。
その理由は、親には言ってない。
でもきっと、分かってるんだと思う。その証拠に、家に帰るような催促はされたことはない。

色々心配をかけていることに、申し訳なさを感じてしまう。

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