「また、この夢か…」(88)

暑い…いや、熱い

私は熱い部屋の中、ただ立ち尽くす

目に見える物すべてが燃えている

目には見えない空気さえも焼けついている

視線の先には一つの扉

幸いにも扉は空いていて、外に出ることはできる

しかし、私の足は一歩も動かない

熱くなった空気は身体の外だけでなく内側まで焼いている

何かに縛り付けられているわけではない

それでも、私はピクリとも動かない

部屋の外に出ても無駄なのだろうか

それとも死にたいのだろうか

今となってはもうわからない、なぜなら ―――――

「……唯一の記憶が、こんなものか」

――――― 私には、記憶が無いのだから

目覚ましが鳴る5分前だった

私は以前も朝に強かったのだろうか?

「さて、起きて支度をするか」

冷蔵庫から食パンを取りだし、トースターに入れる

パンが焼けるまでに手早く着替えを済まし、程よく焼けたパンを頬張る

「さて…行くか」

ガチャ

「おお、おはよう、剛君」

「おはようございます、大さん」

ドアを開けると大家の大さんがアパートの前を掃除していた

「そうか、今日から学校か…しかし、出るには少し早くないかのう?」

「先生に早めに来るように言われているんですよ」

「なるほどのう。まあ、気負わず行って来ればええ」

「ありがとうございます。では、行ってきます」

「いってらっしゃい。気を付けての」

大さんに軽く礼をしつつ歩き出す

その足取りは思っていたより軽い

「一か月…か」

一か月前、私の家が火事になったらしい

そして両親をなくし、記憶喪失になった

私が目を覚ましたのはすべて終わった後、病院のベッドの上だった

両親の葬儀だとか、これからの生活だとか、その他もろもろ面倒な話がいっぱいあったはずなのだが、私が起きたときには本当にすべてが終わっていた

「おはようございます、剛くん」

「おはよう、姉さん。来なくていいって言ったのに」

「別に学校について行ったりしませんよ。剛くんの顔を見に来ただけですから」

私が起きたときベッドの横にいたのがこの人、本城 庸子だ

そして、面倒事をすべて終わらせた人でもある

自称、私の姉なのだが、血縁はないらしい

なんでも私が小学生の頃に義姉弟の契りを交わしたのだとか

そんな人がどうやって面倒事を終わらせたかは知らない

聞いても教えてくれなかったし、頑張って聞き出そうとも思わなかった

しかしその手腕は大したもので、私の手元には両親の残したお金が残っている

さらに、姉さんのつてで大さんのアパートにタダで住まわせてもらっている

「そう。では、いってきます」

「いってらっしゃい。頑張って」

「姉さんも頑張って。何をするかは知らないけど」

「ふふ、ありがとう」

私は姉さんの素性をほとんど知らない

年齢も、仕事も、どこに住んでいるかも知らない

知っているのは、名前と、武術の達人であることくらいだ

普通ならそんな人を信頼していいのかと思うだろう

しかし、姉さんを頼らざるを得なかったというのが真実である

「ここの交差点を…こっちか」

私の通っている高校は電車通学の生徒が大半らしいのだが、大さんのアパートは徒歩圏内にあった

人混みの中にいると気持ち悪くなってしまう私にとって、ありがたいことだった

通勤ラッシュなどに巻き込まれてしまったら、精神的に参ってしまうだろう

「着いた…さて、職員室を探さないと」

私の記憶についてだが、一般常識などは覚えているようだ

忘れているのは、自分を含めた身近なことの記憶

歴史上の人物などは、一応覚えている

一応というのは、私が社会科の科目が苦手であったらしいということである

その代わり、数学の概念や公式などはよく覚えていた

「ここか…失礼します。押塚 渉先生はいらっしゃいますか?」

「おお、きたか。まあこっち来いよ」

「どうも、はじめまして。未城 剛と申します」

「おいおい、お前は初めてかもしれんが俺は覚えてるからはじめましてじゃねーぞ」

「確かにそうですね。失礼しました」

「しっかしまあ、お前の姉さんに言われたとおりだな。印象が全然違う」

「姉さんが?」

「ああ、何も聞いてないか?」

「ええ…姉さんは『記憶をなくしても相変わらずですね』と言っていましたが」

「俺は『明るくて活発な子でしたけど、ずいぶん落ち着いた雰囲気になっています』って言われたな」

「…以前はどんな感じだったんでしょうか?」

「『押塚先生ちわーっす!今日も冴えない顔してますね!』とかだったよ」

ブフォッ

思わず吹き出してしまった

「それはまた…なんというか…衝撃ですね」

「だろ?そんな感じのやつがこんなまともになっちゃって。まあ、どっちが良かったかなんて言えねえけどな」

「まあ…そうですね」

「しかし、これだと問題だよなあ」

「問題とは…なんでしょうか?」

「お前は入学してから約一か月、『ちわーっす!』キャラで通してきたんだ。それが大きく変わったらどうなるかって話だ」

「……」

確かに、これはキャラが変わりすぎだろう

私の突然の豹変にみんな戸惑い、疎遠になる人も多いだろう

「ま、あとは自分で何とかしろー」

まあ、それを抜きにしても人間関係に関してはほぼ諦めている

入学して二か月も経ったのならグループができているだろう

「ふあーぁ。早起きしたからねみい」

今更そこに入り込むことは正直難しいだろうし、そこまでのやる気も起きない

学校に戻ってきた理由のほとんどは、中卒ではまともに生きていけないと感じたからである

「んじゃ、俺はタバコ吸ってくるから、テキトーに待っててくれ」

概算だが、高校生活は両親の残してくれたお金で何とかなる

先延ばし作戦と言われればそれまでだが、私に時間が必要なのは確かだ

「…おーい、聞いてるか?」

そういえば、どうして姉さんは私の性格について嘘をついたのだろう

この一か月で信用していたというのもあって、裏切られた気分だ

「オラッ、聞いてんのか」ペチッ

「いてっ」

先生からのデコピンだった

「タバコ吸ってくっからテキトーに待ってろ。考えたいこともいっぱいあるだろうが、先生の話くらい聞いとけ」

「す、すみません…」

「まあ5分くらいで戻ってくっから」

自分のことに無関心な私が言うのも変かもしれないが、あの先生、生徒に興味が無さすぎではないだろうか…

普通に考えて、両親を亡くして記憶喪失の生徒を職員室に独り残してタバコを吸いに行くものか?

まあ、あまり関わられても暑苦しいだろうから、この程度が私には都合がいいのかもしれない

「あっそうだ。今日の朝礼で事情を自分で説明してもらうからなんか考えとけ。んじゃ」

「……」

「先生、一つ聞いていいですか?」

「おう、いいぞ」

「クラスのみんなには私のことをどのくらい説明してあるんでしょうか?」

「なーんにも」

「……なんにも、ですか」

「もちろん心配になって聞いてくる奴はいたが、『俺から話すことじゃないからあいつが来るの待ってろ』としか言ってない」

まあ、何となく予想はついていた

「では、少し朝礼の時間をオーバーしてもいいですか?」

「そしたら1時間目は吉田先生だから自分で言ってこい。あそこにいる気のよさそうなおっさんだから」

「…わかりました」

言われたとおり、自分で説明して了承をとった

しかし、私の中で押塚先生の株は下がりっぱなしである

優しくしてほしいとは思わないが、雑だ

まあ、どうしようもないのも確かなので、諦めるとしよう

クラスの朝礼で先生とともにクラスに入った私は、みんなに説明を始めた

「まずは、みなさんにご心配をおかけしたことをお詫びします。そして、ありがとうございました」

それから私は、家が火事になったこと、両親が亡くなったこと、記憶喪失になったこと、今は別の場所で暮らしていることなどをざっと話した。

当然だが、クラスメイトはみんな唖然としていた

私のキャラの変貌ぶりも、現在の過酷な状況も、とても信じられるようなものではないのだろう

そんな中でも先生は

「じゃあそういうことだから、あとはお前らで何とかしろー。朝礼終わりー」

とだけ言って去って行った

入れ替わりで吉田先生が入ってきて何事もなかったように授業が始まったことで、クラスは一層動揺の色が強くなったようだった

1時間目が終わって休み時間になると、私の周りに人だかりができた

みんな、戸惑いながらも自己紹介をしてくれた

私はその一人ひとりに対して丁寧にお礼を言った

話しかけづらくて誰も話しかけてこないことも予想していたので、正直嬉しい部分もあった

一方で、突然詰め込まれる大量の情報にめまいがしていたのも事実であった

午前中はとにかくクラスの情報で頭がパンクしそうだった

それでもなんとか、クラスのだいたいは顔と名前が一致した

しかし、それによる弊害が私を襲っていた

「はぁ…気持ち悪い」

私は記憶喪失によって中身のない、空っぽな人間となった

一方、ここにいるみんなには中身がある

これまで十数年積み上げてきたものが、確かにある

その事実に、押しつぶされそうだ

人混みが苦手な理由もこれだ

みんなそれぞれ中身があって、それをもとに行動している

そんな中にいると、何もない自分が存在していることに気持ち悪くなってしまう

今日はみんなの自己紹介を聞いたのがよくなかった

それぞれの趣味、好物、部活…私にはないものをまざまざと見せつけられた格好だ

少し…一人になりたい

「先生、気分が悪いので保健室に行ってきます…」

「はぁ…」

クラスを出てくるとき、みんなの視線を強く感じた

もちろん、心配の眼差しなのだろう

しかし、今の私には追い打ちのように感じられた

「失礼します。気分が悪いので少し横に…」

誰もいない…

「しょうがない、勝手にベッドを借りるとしよう」

適当にベッドを選んで寝ころんだ

「記憶喪失…か…」

今の私には中身が無い、それは厳然たる事実なのである

「姉さんは昔のこと、何も教えてくれないしなあ…」

そう、姉さんは何も教えてくれない

何度聞いても『今はまだ早い。時が来たら話す』の一点張りである

「やっぱりまだ、現実を受け入れられてないのかな」

そんなことを言いながら、現実逃避するように私は眠りに落ちていった…

寒い…

こんな夢は初めてだ

今まで夢といったら熱いものだった

それがどうして、こんなにもさむ…

「ぶえっくしょい!!」

「うおっ!?」

「……」

「お、おはよう」

なんだこの状況は

私は上半身を露わにしていて、隣には見知らぬ男…

「そ、そう睨むなよ。俺は飛田 慎吾。お前と同じクラスだ」

「君…ホモなのか?それにしてもいきなり襲うとは…」

「いやいやいや!どーしてそーなんの!?」

「それ以外にどう説明がつく」

「ま、まあまあ、俺の話を聞けって」

「俺は大寝坊して昼休みに学校についたんだが、クラスの奴らがお前が一月ぶりに来たっていうもんだからよ」

そうか、もう昼休みになっていたのか

「顔を見に保健室まで来たら寝てるから起こすわけにもいかねえじゃん?」

だからといってなぜ脱がす

「んで、火事の中から奇跡的に助かったっていうから火傷の一つでもあんのかなー、と思ってだな」

「それで脱がすのはおかしい」

「ありゃ、やっぱり?すまんすまん」

気持ちのこもっていない謝罪を聞き流しながら着衣を整える

「奇跡には奇跡が重なるものでな。多少の火傷はあったらしいが、痕が残るような火傷はなかったよ」

「そうみたいだな。よかったじゃん」

……私にポジティブな言葉をかけたクラスメイトは彼が初めてだな

キーンコーンカーンコーン

「おっと、もう昼休みも終わりかあ」

「私はもう少し休んでから行くから先に行っててくれ」

「えー、もっと話しようぜー。俺もサボるー」

「いや、私には気を遣わなくていいから…」

「授業よりお前と話す方がぜってー楽しいもん。しかも大義名分付きでサボれるんだぜ?」

「……」

開いた口がふさがらなかった

「剛ってホントに何にも覚えてねーの?」

「あ、いや、一般常識とかはなんとか…」

つい勢いに流されて質問に答えてしまった

「へえー、じゃあテスト前はお世話になれそうだな!」

「いや、私は数学くらいしかできないぞ」

「よっしゃ!俺数学だけはできる気がしねーんだよ!」

そんな自信をもって言われても…

「剛のおかげで数学は安泰だな!」

いつの間にか名前で呼んでるし

流されっぱなしも悔しいから、何か聞き返すとしようか

「そういう君は何が得意なんだ?」

「うーん、社会科かなあ。覚えればいいだけじゃん、あれ」

「ほう、それはいいニュースだ。私は社会科が苦手みたいでな」

「おっ、じゃあ俺が教えてやるよ!これで貸し借りなしだな!」

「そうだな」

その後しばし世間話をした

といっても、私がいない一か月の間に何があったかを聞いただけなのだが

彼が最も激しく主張していたのは中間テストだった

なんと、数学で赤点をとってしまい、期末テストで挽回しないと夏休み返上とまで脅されたとか

陸上部である彼にとって、それだけは避けたいらしい

「赤点をとったのはきっと飛田君だけなのだろうな」

「なあ剛、赤点なんてどうでもいいからさ、『飛田君』なんてよそよそしい呼び方やめてくれよ。俺が剛って読んでんだから、そっちも慎吾でいいって」

「記憶をなくす前の私は君のことをそう呼んでいたのか?」

「いや?どっちも名字で呼んでた」

「そ、そうなのか」

てっきり以前から名前で呼び合うほど仲が良かったのだと思っていた

「別に昔の事なんてどーでもいいだろー。これから名前で呼んでほしいからそう言ってるだけのことだって」

「そうか…では、慎吾だけなのだろうな、数学で赤点をとったのは」

「わざわざ赤点のことを言い直さなくてもよかったよな!?」

「ははっ、さっきの仕返しだ」

「お、やっと笑ったな、剛」

……確かに、記憶を失ってから笑った記憶はない

いつの間にか気持ち悪さもきれいに無くなっている

「やっぱり人間、笑ってるといいことあるって。これマメな」

さっき慎吾が貸し借りはなしと言ったが、借りが一つできてしまったな

「ああ、そうかもな。…さて、そろそろ教室に戻るとするか」

「えー、もうー?」

「慎吾のおかげでだいぶ楽になったよ、ありがとう」

「じゃあお礼にもうちょっと話してから戻ろうぜー」

「まあそう言うな。話はまたいつでもできるだろう」

「いや、今じゃないとできない話があるはずだ!きっとそうだ!」

なんだ?いやに食い下がるな

慎吾はどうしても授業に出たくないらしい

「そういえば…この時間は数学だったな」

「うっ」

「はあ…そういうことか」

「な、なあー、一回くらいいいだろおー?」

「ダメだ。期末テスト直前に詰め込む身にもなってくれ」

今から期末テスト前が心配になってきたな…

「うぅ、急に気分が…」

「保健室で休むほどじゃない。私が保証しよう」

「お代官様ー、お情けをー!」

嫌がる慎吾を半ば引きずる形で、私たちは保健室を後にした

教室に戻る途中、気になっていたことを思い切って聞いてみた

「なあ慎吾。やはり、記憶をなくす前の私と今の私は、大きく違って見えるか?」

「クラスの奴らは変わったって驚いてたけど、俺はそんな感じしなかったなあ」

まあ、慎吾以外のクラスメイトの反応が普通だろう

「慎吾はどうしてそう思った?」

「んー、なんつーか、芯の部分が変わってないって感じ」

芯の部分…か

「ま、こんな少しで剛を語るのは剛に失礼だろうし、この辺にしようぜ」

「それもそうか。すまない、くだらない質問をした」

「いいっていいって。友達なんだからそんなこと気にすんな」

慎吾の考えを鵜呑みにするわけではないが、参考になった

姉さんが私のことを「相変わらず」と言った理由

私が昔、姉さんと暮らしていたときに何かあったのだろう

いや、何かがあったから姉さんと暮らすようになったと考える方が自然かもしれない

…今はこれ以上考えても仕方ないし、日々の生活に集中するとしよう

期待

>>20
ありがとうございます。
誰も読んでないんじゃないかと思ってモチベ下がり気味だったので助かりましたwww

あたしの名前は長野 楓

この春から高校生になって早二か月

学校生活にも慣れてきて、季節は梅雨に差し掛かってきている

各々が部活動などに精を出している放課後、あたしは何をしているかといえば…

「あー!もう!めんどくさい!」

押塚先生に押し付けられた雑用だった

「なんで日直だからってこんなのやらなきゃいけないのよー」

部活に入っていれば逃げる口実に使えたかもしれないけど、残念ながら帰宅部なのよね

「よりによってもう一人が休みのときに雑用させるなんて…」

雑用の内容は準備室の本の移動

先生の指示もテキトー極まりなく

『んじゃこの辺の本を俺の机に運んどいてー。俺タバコ吸ってくるから』

だけだった

「タバコ吸うくらいなら自分で運びなさいよ、っと!」

悪態をつきながらも雑用を終えたあたしは、荷物を取りに教室へと戻った

教室に戻ると、一人ぼっちで席に座って外を眺めている奴がいた

「あら、まだ教室に残ってる人なんていたのね」

「ん?ああ。傘を忘れてしまってね」

未城 剛。一月ほど欠席していたが最近また登校するようになった

なんでも、火事で両親をなくした上に記憶喪失になってしまったそうだ

「止むまで待とうってつもりなら無駄よー。この雨明日まで降るらしいから」

「まあ少し弱くなったら走って帰るとするさ」

そのときのあたしは、少なからず彼に同情していたんだと思う

「なんだったら、あたしの傘に入ってく?」

気づけば、こんな提案をしていたのだから

「長野さん…で合ってるよね?嬉しいけど気持ちだけ受け取っておくよ」

「あら、どうして?」

「私は徒歩通いだし、駅とは反対方向だからね」

「あら奇遇ね。あたしも徒歩通いで駅とは反対方向よ」

「……」

彼は少し考えた後

「えっと、じゃあ、お言葉に甘えるとしようかな」

と答え、立ち上がった

「あ、ちょっと待って。少ししたら弱まると思うから、それまで待ちましょうよ」

「そうか。ならそちらの方が君が濡れずに済むだろうし、そうしようか」

そう答えると、彼は座り直してまた外を見始めた

「ちょっとちょっと、そこであたしと話をしようって発想にはならないわけ?」

「ああ…それもそうだな。失礼した」

彼はこっちを向き、私も隣の席へと座った

「あなた、あんまり人と話そうとしないわよね」

「私も、みんなも、どう話せばよいかわからないのだろう」

「自分の事なのにまるで他人事ね」

「現実感が無い、と言った方が正しいのかもしれない」

「……やっぱり、つらいの?」

「特につらいというわけではないよ。つらいと感じるための材料すら私の中にはない、といった感じだ」

「ふうん…じゃあ一人称が『私』なのはなんで?男の人なら普通『僕』とか『俺』じゃない?」

「これは姉の影響だよ」

「お姉さんがいるの?」

「義理の姉だけどね。記憶を失ってからお世話になりっぱなしだ」

「義理の…」

「姉さん曰く、私が小学生のときに義姉弟の契りを交わしたらしい」

「なにそれ、一気に怪しさが増したわよ」

「ああ、私も怪しいと思う」

彼が笑うところを初めて見た…けど

「いや、笑いどころじゃないでしょ…」

「しかし、姉さんを頼るしかなかったのも事実だ。火事の後、初めて私が目を覚ましたときに隣にいたのは姉さんだったし、私が記憶喪失だと初めて知ったのも姉さんだ」

「へえ、その辺ちょっと詳しく聞かせてちょうだいよ」

「ああ、いいよ。あのときは…」


……
………

「ん…ここは…」

「あら、起きました?ここは病院ですよ、剛くん」

「病院…あの、あなたは…」

「言うと思いましたわ。本城 庸子ですよ、本城 庸子。雰囲気があなたと暮らしていたときとはだいぶ変わりましたから、わからないとは思っていましたけど」

「本城、庸子…さん…」

「ええ、そうですよ。懐かしいでしょう?」

「すみません、どちら様でしょうか…?」

「あら、私のことを忘れてしまったとでもいうのですか?剛くん」

「剛…それは、私の名前なのでしょうか…?」

「剛くん、あなた本当に、記憶が…」

「えっと…」

「すみませんが、そのまま少し待っていてください。お医者様を呼んできますから」

そうして医師による検査の後、姉さんは別室で医師に話を聞いて戻ってきた

「…ただいま、剛くん。やはり記憶喪失ですって。お医者様の判断で、とりあえず様子を見ましょうということになりました」

「そうですか…ありがとうございます。えっと…」

「本城 庸子です」

「ありがとうございます、本城さん」

「剛くん…あなたには話しておかなければならないことがあります」

「…はい。僕もどうしてここにいるのか、知っておきたいです」

「実は…」

そこで姉さんから、私が火事にあったこと、両親をなくしたこと、一週間眠り続けていたことなどを聞いた

「…そして、剛くんのこれからについては私に一任されることになりました」

「そうですか…あの、失礼ですが本城さんは私とどういった関係なのでしょうか?」

「私は、剛くんの義理の姉です」

「義理の…ですか」

「ただ、あなたの両親は離婚経験もありませんでしたし、養子をもらったこともありません」

「なら、あなたは一体…」

「今は詳しくは話しませんが、剛くんが小学生のとき、私と暮らしていた時期があります。そのときに、義姉弟の契りを交わしたのです。そのあとは連絡を取ることもありませんでしたけれど、剛くんが火事にあったという情報を聞いて、飛んできたんです」

「……」

「やっぱり、怪しいって思いますよね。でも本当なんです。とりあえずは私を信じてください」

「…わかりました」

「それと、これは私のわがままなんですけれど、剛くんさえよければ私のことは『姉さん』と呼んでください」

………
……


「そうしてこの一か月、火事の件で警察との窓口になってくれたり、親の遺産や暮らす場所を提供してくれたりしたんだ。感謝してもしきれないよ」

「そうなんだ…じゃあ今はお姉さんと暮らしてるのね」

「いや、一人暮らしだよ」

「えっ、じゃあお姉さんはどこに住んでるの?」

「聞いても教えてくれなかった。姉さんに関しては、年齢も、仕事も、住んでいる場所も、何にも知らないんだ」

「秘密にしなきゃいけない理由でもあるのかしら」

「姉さんは『あなたが思い出すべきことですよ』と言っていたけどね」

「ふーん…不思議な人ね」

「本当にね」

「…さて、なんだかんだで話し込んじゃったわね。雨も弱くなってきたみたいだし、そろそろ帰りましょうか」

「そうしようか」

「いろいろ聞かせてくれてありがとね」

「いや、私も楽しかったさ」

そんなことを言いながら、あたしたちは荷物を持って歩き始めた

「そういえば、少しは記憶戻ったの?」

「いや、全然だね」

「お医者さんはなんて言ってたの?」

「記憶が戻るとは限らないし、戻るとしても戻るまでの期間には個人差があるから気長にいきましょうって」

「そう…」

「どうして君が落ち込むのさ」

「むしろなんであなたはそんなに平気な顔してられるのよ」

「うーん、今の生活に不安が無いからかな。そういう意味ではとても幸せだと思う」

「幸せ、ね…」

幸せというより、悟ってる感じの顔をしてるのが気にくわないのよね

「困っていたらこうして助けてくれる人もいることだしね」

なんか、意地悪してやりたくなってきた

「あら、誰もタダでなんて言った覚えはないわよ?」

「えっ…」

しまった、って顔してるわね

思いのほか面白い顔してるからこのくらいにしてあげようかしら

「ほら、傘はあんたが持ちなさい」

「あ、ああ…それはもちろん」

「そしたらさっさと行きましょ」

「それで、君の家はどっちの方向にあるんだ?」

「なんであなたにそんなこと教えなくちゃいけないのよ。それに『君』って呼ぶのいい加減やめてくれない?私には長野 楓っていう立派な名前があるんだけど」

「いや、そうしないときm…長野さんの家に行けないだろう。それと、私にも未城 剛という名前があるのだが」

「…未城君が私の家に来てそのあとどうするのよ。傘に入れてあげるとは言ったけど貸すのは嫌よ」

「じゃあ…そこの交差点でお別れかな」

「はあ、ここまできて雨の中に放り出すとでも思ってるの?あなたの家まで行くに決まってるでしょう」

「いや、さすがにそれは悪いよ」

「何言ってるの。今日のお礼をもらうために家の場所を把握するに決まってるでしょ」

「……」

口を大きくぽかんと開けた顔も面白いわね

「ほら、傘はあんたが持ってるんだし、さっさと行きなさい」

こうして、あたしたちは未城君の住むアパートまでたどり着いた

「ふうん、ここが未城君が住んでる部屋なのね」

「今日は本当にありがとう。助かったよ」

「気にしなくていいわよ。ちゃんとお礼してもらうから」

「そういえばそうだった」

やっぱり、悟った顔より笑った顔の方が素敵ね

「しかし、女の子が一人で男の暮らす部屋に来るもんじゃないぞ」

「あら、未城君は私を部屋に連れ込んで何かするつもりなのかしら?」

「まったく…私の負けだよ。でも、一般論として覚えておくべきだ」

「わかってるわよ」

負けを認めたというより、呆れてる感じの表情ね…ちょっとムカつく

「それじゃ、あたしも帰るとするわ」

「そろそろ暗くなるし、足元に気を付けて」

「ありがとう。じゃあね、未城君。また明日」

「また明日、長野さん」

これが、あたしと未城君の関係の始まりだった

「さて、帰りましょ」

そう私に声をかけてきたのは長野さんだった

以前、長野さんには傘を忘れたときに傘に入れてもらい、一緒に帰ったことがある

それから、数少ない徒歩通いで家の方向も同じということもあって、よく一緒に帰るようになった

「すまない。今日はこの後予定が入っているんだ」

「あら、部活に入ってないあなたに予定なんてあったの?」

ひどい言われようだが、いわゆる帰宅部なのは事実である

だが、それは長野さんも同じであり、それがよく一緒に帰るようになった一番の理由かもしれない

「今日は慎吾と約束があってね」

「あら、そうなの。何するの?」

「べっつにー!」

「うわっ!」

「ただ剛とふらふらっと遊びに行くだけだよーん」

「ちょっと、飛田君。人の耳元でいきなり大声出さないでくれる?」

「あはは、ごめんごめん」

慎吾とは学校の中で行動を共にすることが多くなった

休み時間や昼食のときなども、だいたい慎吾と一緒である

しかし、彼は陸上部に所属しているので、今日のように放課後に一緒にいることは珍しい

「んじゃ、行こうぜ剛」

「ああ、そうだな。悪いね長野さん」

「別に未城君が謝るようなことじゃないわよ。じゃあね」

「ああ、それじゃ」

大さんのアパートに住むようになって以来、私の活動範囲は徒歩で行けるような範囲に限られていた

それを聞いた慎吾が『剛はもうちょっと高校生らしいことをしなきゃダメだ!』と言い出し、少し遠出して遊ぶことになった

なんでも、電車に乗って少し大きな駅まで行き、その周辺で遊ぶのだとか

「そうそう、気分が悪くなったら早く言えよ?」

「ああ、わかってるさ」

私は以前のように気分が悪くなる可能性があったので、この誘いを一度断った

しかし、慎吾の諦めが悪かったので理由を話したところ

『もし倒れたら救急車呼んでやるから大丈夫だ!だから行こう!』

という意味不明な説得に根負けしてしまい、行くこととなった

「さてさて、どこから攻めますかねー」

「お手柔らかに頼むよ」

同じ制服に紛れて駅に向かうのはこれが初めてだった

教室とは違い、普通の住宅地に大量に同じ服を着た人間がいるというのは何か変な感じだ

「どうした剛。なんか面白い顔してんぞ」

「ああ、いや、こうして大勢の中に紛れて帰るのが初めてだから変な感じがするだけだ」

「なるほどなー。確かに変な光景っちゃ変な光景だな。みんなおんなじ服着てるし」

しかし、みんな同じ服を着ているはずなのに、それぞれに個性が見て取れる

こういうことに気づく度、みんな中身をもっているんだと実感する

だが不思議と、気分は悪くならなかった

目的の駅に着いても、慎吾は未だ悩んでいた

「うーん、どこから攻めようか…無難にカラオケ?いや、ゲーセンからがいいかな…」

「前を見て歩け。人とぶつかるぞ」

「へーきへーk」ドカッ

「っと、すみません。大丈夫ですか?スマホいじってて…」

「ああ、大丈夫大丈夫。こっちも前見てなかった。ごめんねー」

まったく、言わんこっちゃない

そしてぶつかった人にタメ口か、慎吾よ…

「…ってあれ?未城じゃん。久しぶりだなあ」

「え…?」

「ほら、中三でクラスが一緒だった山本だよ」

「あ、えっと…」

完全に想定外だ

何をどう話せばいいのか…

「んー、山本くんだっけ?この後時間ある?」

私たちは慎吾の提案で、近くの喫茶店に入って話すことにした

「んじゃ、剛のペースでどうぞー」

「ああ、ありがとう。…山本くん、突然のことで驚くとは思うが、聞いてくれ。私はひと月ほど前から、記憶喪失になった」

「……は?」

ああ、やはりそうだ、かわいそうに

出会った直後から不可解な顔をしていたが、さらに混乱した顔をしている

「混乱するのも無理はない。だが、事実だ」

「え、いや、ちょっと待ってくれ。頭が追い付かない」

「そうだな、ゆっくり話していくとしよう」

そして私は、火事にあったこと、両親をなくしたこと、記憶喪失になったことを彼に話した

「だから、昔のことに関する記憶も、記録も、手元には残ってない。そして、申し訳ないが、君のことも覚えていないんだ」

彼は少しの間頭を抱えた後、落ち着いた顔をしてこちらに向き直った

「…なんて言ったらいいかわかんないけど、ご愁傷様。何かと大変だろう」

「いや、周りの人に良くしてもらっているから大丈夫だ。だからこうして遊びにも出かけられる」

「そうか、それは…良かった」

「びっくりさせてすまなかった」

「いやいや、未城が謝ることじゃないって。元はと言えば、俺が歩きスマホしてたからだしな」

「それを言えば、慎吾がよそ見をしながら歩いていたのも悪い」

そう言って、隣で聞こえないふりをしている慎吾の頬をつねった

「いててて!ご、ごめんなさい!」

「まったく、慎吾というやつは…」

「ははは…でも未城、雰囲気がだいぶ変わったね」

「ああ、それはよく言われる。しかし、以前の自分を覚えてないから実感はないが」

「あ…ごめん」

「そう気にするな。記憶もそのうち戻るかもしれない」

「早く戻るといいな」

「ああ、ありがとう」

「てかさー、山本君に剛の中学生時代の話聞けばいーじゃん」

「……確かに」

確かに慎吾の言う通りだ

彼は昔の私を知っているのだから、教えてもらえばいい

なぜこんな簡単なことにも気づかなかったのだろうか

「山本君、君さえ良ければだが、私の中学時代について教えてもらえないだろうか?」

「ああ、もちろん。といっても、未城とクラスが同じだったのは中三だけだったからあまり多くは知らないけど」

「それでもありがたい。中学三年生のときの私はどういう人間だったんだ?」

「そうだなあ、一言で言うと明るくて活発だった。誰にでも優しくてクラスメイトからも先生からも信頼されていたよ」

「いわゆるクラスの中心ってやつー?」

「まあ確かにそんな感じではあったけど、あんまりみんなの輪に入ろうとはしていなかった印象がある」

「というと?」

「いわゆるクラスの中心っていうのはみんなを引っ張っていくってイメージがあるけど、未城は縁の下の力持ちって感じだった」

「なるほど…部活などはやっていたのだろうか?」

「いや、部活には入ってなかった。以前どこかに入ってたって話も聞いたことが無いなあ」

「彼女とかいなかったのー?」

「断定はできないけど、たぶんいなかったと思う。未城に告白してフラれたって女子の話がときどきあったし」

「ほえー、剛ってばモテモテじゃーん」

「うるさい」

「ははは」

それからも彼はいろいろ話してくれた

気づけば、出会ってから二時間以上が経過していた

彼はもう帰らなくてはいけないらしいので、私たちは喫茶店を出た

「こんな遅くまで捕まえてしまってすまない」

「気にしないでくれって。そうだ未城、ケータイもってないか?連絡先を教えておこう」

「ああいや、あいにく持ってないんだ」

「そういや中学のときも持ってなかったな。じゃあちょっと待ってて」

そう言うと、彼はノートから一ページ破り、電話番号とメールアドレスを書いて私に渡してくれた

「これ、俺の連絡先。ケータイ買ったら連絡先教えてくれよ」

「わかった。ありがとう」

「それじゃ」

「ああ、それじゃ」

「じゃねー」

そうして彼は人混みの中へと消えていった

「いやー、当初の予定とは全然違ったけど、ラッキーだったなあ」

「そうだな。その点に関しては感謝してるよ。ありがとう」

「いやいやー、照れるなあー」

「ただし、これからはちゃんと前を見て歩くように」

「痛い痛い痛い!わかってるよー!」

「さて、私たちも帰るとするか」

「そーだな。また今度遊びに来ようぜ」

「ああ、そうしよう」

こうして、私たちもそれぞれの家路へとついた

それから約一週間、私は同じ中学出身の人を探して回った

慎吾や長野さんも協力してくれたため、一週間ですべての人に話を聞くことができた

……しかし、山本君に聞いた以上の情報は、ほとんど無かった

「まーそんなに落ち込むなって」

「そうよ。未城君と親しい人がいなかっただけじゃない」

「いや、別に落ち込んでいるわけではないんだ。ありがとう」

「じゃあ何よ」

「何か、変な感じがしてね」

「変な感じってー?」

「ふむ…言葉にできるほど自分の中でまとまってないな」

「何よそれー」

「はは、すまない。まあ、気長にいこうと決めているんだ。これくらいどうってことないさ」

そう、焦っても仕方ない

この違和感は気のせいかもしれないし、気のせいでなくともそのうちわかるだろう

今年の梅雨はどうも空梅雨みたい

だって、全然雨が降らないんだもの

「今日さ、未城君の家に行っていい?」

未城君への貸しを忘れるくらいには、ね

「別に構わないが、急にどうした?」

「傘に入れてあげたお礼、まだもらってないわ」

「ああ、確かにそうだった。でも、私の家に来てどうするんだ?」

「晩ごはんでも振る舞ってもらおうかと思ってたんだけど」

「大したものは作れないが、それでもいいかな?」

「ええ、そこまで期待もしてないわ。むしろ自炊してるの?」

「料理は大家さんに教えてもらっている」

「お姉さんは教えてくれないの?」

「料理を作ってるところすら見たことないよ」

「あらまあ」

ホントに不思議な人だなあ、未城君のお姉さんは

スーパーで買い物してから帰るというので、同行することにした

「そういえば、どうして今日来ようと思ったんだ?」

「そんなの聞いてどうするのよ」

「いや、突然だったから何か理由でもあるのかと」

「別に。なんとなくよ、なんとなく」

「そうか」

雨が降ったのを見て思い出したなんて言えるわけないじゃない

「それより、今晩のメニューは何にするの?」

「それはスーパーで何が安いかによる」

「あら、大事なお客様に安物を食べさせる気なのかしら?」

「そう意地悪を言わないでくれ…」

「冗談よ、冗談」

未城君に意地悪を言うのも板についてきたなあ

「さて、今日は何が安いかな、っと」

未城君の主婦っぽさも板についてきてる気がする…

「そういえば、未城君は何が好きなの?」

「それは食べ物についての質問かい?」

「そうよ、文脈くらい読みなさい」

「それはすまない。さらに申し訳ないことには、特に好き嫌いはない」

「何よ面白くない」

「ひどい言われようだな」

「食べ物の好みの記憶とかも全然なの?」

「残念ながらね。この前いろんな人に聞いて回ったときも特に話題にはならなかったし」

「それは残念。嫌いなものがあったら入れようと思ってたのに」

「言うと思ったよ」

むっ、先読みなんて生意気な

それに勝ち誇ったように笑っちゃって

ま、前に比べたらいい顔するようになったと思うけどね

「あとは、パンと牛乳がもう無いんだったな」

「あら、あなたパン派なの?」

「朝はいろいろと用意するのが面倒でね。毎日トースト一枚と牛乳一杯で済ましている」

「はあ!?そんなのでよくお昼までもつわね」

「別に問題だと思ったことはないね」

「はぁー、あたしはごはん派だし朝からしっかり食べないと一日が始まらないのよね」

「むしろ朝からそんなに食べられるのかい?」

「まあ毎朝ご飯の前に近所をランニングしてるしね」

「なるほど、健康的だ。しかし、なぜ運動部に入らなかったんだ?」

「運動は好きだけど部活って好きじゃないのよ。マイペースだから、あたし」

「なるほど。納得いった」

「ちょっと、それどういう意味よ」

「いや、傘に入れてくれた日のことを思い出してね」

あの日がどうしたっていうのかしら

「もしあのとき教室に現れたのが長野さんでなかったなら、傘に入れてもらうこともなかっただろうと思っただけさ」

「何よそれ」

「わからないならそれでいい。長野さんは、そのままが素敵だと思う」

「え?あ、ありが、とう…」

予想外の褒め言葉に少し動揺してしまった

なんか悔しい

「あとは…デザートとして果物とかか?」

「あたし、果物ならりんごがいい」

「りんごかあ。残念ながら私はりんごをむいたことが無いんだ」

「それならあたしがやってあげるわよ」

「そうかい?じゃありんごを買うとしようか」

「りんごと言えば、病院でむいてもらったとかはないの?」

「そういえばないな。姉さんは毎日見舞いに来てくれたが、そういうことはなかった」

「ふうん…」

あたしの中で、未城君のお姉さんは料理ができないという仮説ができた瞬間だった

「さて、買うものも買ったし帰るとしようか」

「そうしましょうか」

そして、あたしたちは未城君のアパートへと向かった

話がどこに向かうのかが全然わからなくて楽しみ

>>48
ありがとうございます

未城君のアパートに着くと、ちょうどおじいさんが部屋から出てきた

「おお、剛君、おかえり。ちょうど君の所に行こうと思ってたんじゃよ。お?そちらのお嬢さんはどなたかな?」

「ああ、こちらはクラスメイトの長野さん。これから晩ごはんをごちそうすることになっているんです」

「はじめまして、長野 楓です」

「こちらはこのアパートの大家さんの本田 大吾さん。みんな大さんって呼んでる」

「本田 大吾です、よろしく。お嬢さんも気軽に大さんと呼んでおくれ」

「わかりました、大さん」

大さんはこれぞ温和なおじいさん、という感じだ

いい人なんだろうなあ

「そうそう剛君。煮物を少し多めに作ったから、おすそわけじゃ。わしの部屋に来てくれんかの」

「わかりました。じゃあ長野さん、申し訳ないけどこの鍵で先に中に入っててくれ。何もないけど適当にくつろいでて」

「わかったわ。そしたら買ったやつも中に運んでおくから貸して」

「ああ、ありがとう」

そうしてあたしは未城君から荷物と鍵を預かり、未城君の部屋へと入った

――― のだが、あたしは玄関で固まっていた

「え…っと…」

確かに未城君の言う通り、部屋の中には最低限のものしかなかった

キッチンの横には冷蔵庫、少しの収納と壁に立てかけてあるミニテーブル、そして布団

「なんで、女の人が下着姿で寝てるの…?」

ただ一つ、下着姿で寝転んでいる女性を除いては

「どうした長野さん、そんな玄関で立ち尽くして」

「み、み、未城君…あれ…」

「ん?」

未城君が部屋の中を覗き込む

「……」

あ、固まった

「うぅーん…はぁ、よく寝ましたわー」

「ほら剛くん、あんまり開けたままにしていると寒いから…ってあら?」

あ、目があった

向こうもきょとんとしてる

あ、笑った

「剛くん、その女は誰なんですか!?私という人がありながら、なんでそんな女と…そんな女のどこがいいっていうんですか!?」

「えっ!?ちょっ、いや、あたしたちそんな関係じゃないです!!ほら、未城君も何か言ってよ!!」

「…何してるの、姉さん」

「えっ?」

ネエサン?ネエサンって姉さんよね?姉さんってSisterよね?

「おっ、お姉さん!?あんた、お姉さんとそんな関係だったの!?記憶喪失で傷ついた心を癒してくれたから!!?」

いくら義理の姉弟といってもそんなのってアリ!?

「そんなわけないだろう…姉さんを見てみろ」

「へ?」

……めっちゃ笑ってる

ゲラゲラという感じではないけれど、うつむいてこれでもかってくらい肩を震わせてる

「ほら、わかったら早く中に入ってくれ」

なんとか部屋に入ったものの呆然としているあたしをよそに、未城君は淡々と買ってきたものを整理している

そしてそのうち、ひとしきり笑い終えたお姉さんが話しかけてきた

「はじめまして。剛くんの義姉の本城 庸子です。よろしく。ふふっ」

あ、まだ笑いは抜けきってないみたい

「は、はじめまして。未城君のクラスメイトの長野 楓です」

「楓ちゃんね。私のことは庸子でいいですよ」

「姉さん、とりあえず何か着て」

「はあい」

そしてお姉さんは立ち上がり、そばに置かれていた服を着始めた

それにしても、スタイルいい人だなあ…

「楓ちゃん、そんなに熱い視線を向けられたら恥ずかしいわ」

「すっ、すみません!」

「姉さん、長野さんをからかうのもほどほどに」

「ごめんなさい。楓ちゃんがとっても可愛いものだから、つい」

「それで、今日はどうしたんですか?」

「特に用があるわけじゃないですよ。ただ、そろそろ学校にも慣れてきたでしょうし、どんな感じなのか見に来ただけです」

「そう。それじゃ姉さん、布団をたたんで机を出して。ほら、長野さんもいつまでもそんなところで立ってないで。どうぞこっちに来て座ってて」

「は、はい」

そうして、机とお茶が出され、未城君は晩ごはんの支度を始めていた

未城君はずっとお姉さんと話してて、あたしはお茶を飲むくらいしかやることがなかった

「それにしても驚きましたわ」

「何が?」

「もう彼女を家に連れ込むなんて、やり手なんですね、剛くん」

ブフォォ

「ちょっ、さっきも違うって言ったじゃないですか!それに、今日はあたしから来たいって言ったんです!」

「楓ちゃんから?あらあら、積極的なんですねえ」

「えっ、いやっ、そういう意味じゃなくて、えっと、あーもう!」

「ほら姉さん。からかうのもほどほどにって言ったでしょ」

「あら、これくらい良識の範囲内ですよ?ねえ楓さん?」

「いや、範囲外です、未城君のお姉さん…」

直感でわかる

あたし、この人には敵わない

「あら、そんなよそよそしい呼び方でなく、庸子と呼んでくださいな」

「わ、わかりました。庸子さん」

「姉さんも晩ごはん食べていくの?」

「いえ、私はこの後予定が入っていますので、そろそろお暇します」

「そう、わかった。気を付けて」

「ええ、ありがとうございます。剛くんが元気そうで安心しました」

その横顔は、息子を見守る母親のような顔だった

「楓さん、これからも剛くんのこと、よろしくお願いします」

「は、はい」

「それでは、また」

こうして、庸子さんは未城君の部屋を去っていった

「はあー、疲れた…」

「今日は長野さんへのお礼だというのに、悪かったね」

「いや、未城君が悪いわけじゃないから…庸子さんっていつもあんな感じなの?」

「うーん、今日はいつもよりはしゃいでいた感じがする。それに、下着姿も初めて見た」

なるほど、それで玄関で固まったのか

「未城君のエッチ」

「そう言ってくれるなよ…」

「ふふっ、冗談よ」

ちょっと八つ当たりしたかったのよ

「でもなんで庸子さんはこの部屋に入れたのかしら?大さんに開けてもらったとか?」

「いや、姉さんは昔からこの部屋の鍵をもってるんだよ」

「昔から?それどういうこと?」

「そもそもこの部屋は、姉さんの部屋なんだ」

「えっ、庸子さんってここに住んでたの?」

「住んでたと言ってもずっと昔のことらしいけどね。それ以来、この部屋は姉さんのための部屋なんだとか」

「へえー…」

「それで、いつ帰ってきてもいいように鍵をもっているということらしい」

「普通、そこまでして部屋をとっておいてあげるものかしら?」

「大さんにとって、姉さんは娘みたいなものらしいからね。姉さんも大さんのことをよく慕ってるよ」

「娘ねえ…」

「初めてこのアパートに来たとき、大さんはとても喜んでいた。あれ程はしゃいでいた大さんはあれ以来見ていないな」

「ふうん…そういえば、家賃はどうしてるの?」

「少なくとも私は払っていない。大さんは『ここは庸子ちゃんの部屋じゃから、剛君は気にせんでええ』って受け取ってくれないんだ」

「あら」

「姉さんに渡そうとしても受け取ってくれないし、困ったものだよ」

「ま、今は好意に甘えておけばいいんじゃない?」

「いつまでも甘えていられないからね、自立は早い方がいい」

「真面目ねえ」

そうこうしているうちに晩ごはんが完成し、食べ始めることとなった

「見た感じ、なかなかおいしそうじゃない」

「それはどうも。それじゃ」

「「いただきます」」

まずは未城君の作ったおかずを一口食べてみた

「あら、思ったよりおいしいわ」

「口に合うなら何よりだよ。でも、私の料理は大さんの劣化コピーと言ったところかな」

「そんな言い方しなくても…」

そう言いつつも、大さんの料理が気になったから一口食べてみた

「……おいしい」

「私の言っていることが嘘でもなんでもないことがわかったろう?」

「いや、まあ、言い方の良し悪しはあると思うけど、確かに未城君の料理よりおいしいわ…」

それどころか、今まで食べた煮物の中で一番おいしいかもしれない

「これは確かに、大さんに料理を教わりたくなるわねえ」

「大さんの事だから、頼めば喜んで教えてくれるだろう」

「そしたら今度教わろうかしら」

「ああ、そうするといい」

「そしたら今度はあたしが晩ごはん作ってあげるわよ」

「それでは楽しみにしておこう」

そうして、二人とも晩ごはんを食べ終わり、デザートのりんごを食べることになった

「さて、りんごのことならあたしに任せなさい」

いつも通りに切って、皮をむいていく

「慣れているな」

「いつもやってるからね」

「りんごが好きなのか?」

「ええ、そりゃもう。りんごを使ったものなら何でも好き!」

「へえ、それは筋金入りだな」

「はいできた。それじゃあ食べましょ」

あたしたちは机に戻って、りんごを食べ始めた

「うん、おいしい」

「当たり前よ。おいしくないなんて言ったら全部あたしが食べるところよ」

「本当にリンゴが好きなんだな」

「ええ、覚えておきなさい」

リンゴを食べ終えたあとは二人で片付けをして、片付けが終わるころには雨は止んでいた

「それじゃ、そろそろ帰るわね」

「そうか、もうこんな時間か。送るよ」

「別にいいわよ」

「夜道を女の子ひとりで歩かせるわけにはいかないさ」

「未城君って、変なところで紳士っぽいことするわよね」

「変なところって…まあどう思おうと勝手だが、送っていく」

「じゃあ妥協案として、途中まで」

「まあ…落としどころかな」

そうして、二人で未城君の部屋を出た

「今日はありがと。楽しかったわ」

「いやいや、こちらこそ」

「しかし、初めての来客が女の子だとは思いもしなかった」

「良かったわね、可愛い女の子で。光栄でしょ?」

「それを自分で言うのか」

「だって、こうして送ってもらえるんだもの」

「じゃあ送らない方がよかったか?」

「ひどいこと言うわねー」

「ははっ、冗談だよ」

「また行ってもいい?今度は飛田君とかも呼んで」

「いつでもいいぞ」

「ありがと、楽しみにしておくわ」

そのときには手料理を振る舞ってあげようかしら

「それじゃ、ここまででいいわ。ありがとう」

「そうか?じゃあ、また明日。おやすみなさい」

「ええ、また明日。おやすみなさい」

「はあ、めんどくさ」

「まあそう言うな。誰かがやらなければいけないことだ」

「よりによってめんどくさいときに当番なのがなんか嫌なのよ」

「運が悪かったと思って諦めるほかないさ」

「むー…」

私と長野さんは体育の授業の後片付けをしていた

長野さんの言う通り、少し運が悪いというのは事実だろう

普段なら授業時間中に片付けは終わるのだが、時間はもう昼休みになっていた

「あー、お腹すいたー」

「まあまあ、これで最後だから」

「これはこの辺に置いとけばいいで、しょっと!」ドサッ

そう言ってこちらを振り向いた長野さんの後ろで、何かがずれた

「長野さん!危ない!」

「えっ…きゃっ!」

ガラガラガラッ

「み、未城君!?未城君!!」

長野さんを突き飛ばすのが精一杯だったか…

長野さんは…無事みたいだな

「ちょっと待っててね!すぐに人を呼んでくるから!」

長野さんだけでも、助けられてよかった…



……

………

目を開けると、そこは火に囲まれた、あの部屋だった

この夢を見るのも、もう何度目になるだろうか

そしてこの夢を見る度、私は考えさせられる

なぜ、私は動こうとしないのか

しかし、この夢で得られることはもうほとんどない

身体が動かせるわけではないから、部屋を見渡すこともできない

なのに感覚だけは嫌にリアルで、私を苦しめる

まあ、現実の私に影響があるわけでもないから、どうでもいいといえばどうでもいいのだが…

――――― どうでもいい?

「ぐっ…!」

突然、頭痛に襲われた

動けないはずの夢で、私はうずくまる

「はぁっ、はっ…!」

漠然とした情報が、頭の中に流れ込んでくる

私がどういう人間だったか、刻み付けられていく

「がぁ、ぐああああああああ!!!」

そうか、私は ―――――

………

……

「お、起きたか未城」

「押塚先生…」

ここは…病院か

「何があったか覚えてるか?」

「私は…体育倉庫で備品の下敷きになったはずです」

「その通りだ。軽い打撲と捻挫。骨に異常はないそうだ。丈夫だな、お前」

辺りはもう暗くなり始めていた

「今日は様子見のためにこのまま入院だ。お前んとこの大家さんには連絡しておいた」

足元に目をやると、長野さんがベッドにもたれかかって寝ていた

「コイツがギャーピーギャーピー泣きわめいて大変だったぜ。今は泣き疲れて寝てるよ」

確かに、頬に涙の跡がある

「んじゃ、俺は医者に起きたことを報告して学校に戻る。あとは自分で何とかしろー」

「ええ、ありがとうございました」

そうして先生は病室を後にした

私は、夢で起きたことを整理することにした

完全ではないが、思い出したことについて…

以前、中学の同級生に聞いて回った情報には、違和感があった

どの情報も、どこか人間味に欠けていたのだ

その違和感に気づいたのは、つい先程のこと

夢の中での私、火に囲まれた私も、人間味に欠けていた

周りは火の海で、身体の中も外も焼けるように熱いのに、動こうとしていなかった…なぜなら

――――― すべてのことが、どうでもよかったのだ

それに気づいた瞬間、記憶が私の頭に流れ込んできた

物心ついたときから、私はどんなことにも興味をもてなかった

学校にも、友人にも、そして…両親にさえも

しかし私は、とりあえず生きていくことにした

面倒なことが無いように、優等生の仮面をかぶって

それでも、特に誰かと親しくなろうとはしなかった

両親とも、上辺では良い親子を演じてはいたけど、今となっては顔さえ思い出せない

そしてあの火事の日、気づいてしまった

――――― 私は、自分自身のことでさえ、どうでもよかったのだと

死にたいとは思わなかったが、生きたいとも思わなかった

ただそれだけのことだ

「どうでもいい…か」

私は記憶喪失になってから、自身の中身が空っぽなことに強い不安を抱いていた

しかし蓋を開けてみれば、昔の自分も、空っぽだった

「はっ…なんて人間だ、私は」

長野さんの涙の跡に、指を添える

私には長野さんの涙はもったいない

私にそんな価値は、無い

「ん…あれ、あたし…」

「あ、すまない。起こしてしまったか」

「…未城君!!」

そう言うやいなや、長野さんは私に抱きついてきた

おおお
支援

>>68
ありがとうございます

「良かった…!ホントに良かった…!」

長野さんは何かを確かめるように、私の体を強く抱きしめた

「あたし、すごく不安で、このまま目を覚まさないんじゃないかって…!」

「ありがとう。怪我も大したことないみたいだし、大丈夫だよ」

「それでも、ごめん。あたしのせいで、未城君が…」

また、泣きそうな顔をしている

「泣かないでくれ、長野さん。君の涙は私にはもったいない」

「…?それって、どういう…」

「あれ?もしかしてお邪魔だったかな?」

「!?」

入口に目をやると、慎吾がニヤニヤしながら立っていた

「と、飛田君!?ち、違うのこれは!!そんなんじゃなくて!!」

長野さんはとっさに私から離れ、顔を真っ赤にして慌てふためいている

「あっ、そうだ!のど乾いたでしょ!飲み物買ってくるね!」

そう言って、足早に病室を飛び出していった

「いやー、ごめんね剛。もうちょっとゆっくり来るべきだった?」

「大丈夫だ。私と長野さんはお前の考えてるような関係じゃない」

「ま、そーだろーね。俺、そういう雰囲気には目ざといし」

「まったく、それなら長野さんをからかってやるなよ」

「あははー、ごめんごめん」

まったく反省していないのがよくわかる返事だ

「んで、調子はどうよ?」

「怪我はたいしたことない。ただ、様子見のために今日は入院だそうだ」

「おー、良かったじゃん。こっちはいろいろ大変だったんだぜ?」

「そうか、どんな感じだったんだ?」

「長野は剛を救出するための人手集めと先生への連絡まではなんとかやったんだが、そのあとわんわん泣き始めてな。救急車が来た後も一緒に行くって聞かなかったんだよ」

「でも長野さんは制服だったし、一緒に来たわけじゃないだろう?」

「ああ、結局押塚先生だけが一緒に行くことになったんだが、教室でずっと泣いててな。見るに堪えなかったから『授業なんてサボっちゃえばいいじゃん』って言ったらすっとんでったよ」

「なるほど…慎吾、お前部活は?」

「親友が病院に運ばれたのにのんきに部活になんか出てられっか!…って言いたいとこだけど、今日の部活は全面的に中止だ」

「そうか。それは…悪いことをしたな」

「いや、剛は悪くないだろ。それに、部活があってもサボってたよ」

「そうか…」

長野さんも慎吾も、本当に優しい人たちだ

その優しさを、こんな私が…

コンコン

「失礼します。未城 剛さん、起きましたか?」

「あ、はい」

そうして、医師から怪我について詳しい説明を受けた

といっても、大した怪我ではなくて良かったですね、といった感じのことだけだったが

特に問題なければ、明日には退院できるらしい

「いやー、よかったよかった。大したことなくて」

「すまない。心配をかけた」

「んなこと気にすんなって」

「ああ…」

その優しさが、今はつらい…

だが、そんなことを言えるはずもない

「慎吾、すまないがまだ少し眠いんだ…寝ていいか?」

だからつい、嘘をついてしまった

「ん?……そうか。なら寝とけって」

「長野さんは…」

「いいっていいって。あとのことは任せとけ」

「…すまない」

怪我人であるという立場を利用して、人を遠ざける

それも、私に優しくしてくれている人の、その優しさにつけこむようにして…

私は……最低だ

「じゃあな」

慎吾が病室を出るのを見届けた後、何かから逃げるように、私は眠りに落ちた

「ん…」

起きると辺りは真っ暗だった

廊下も暗いところを見ると、消灯時間を過ぎているようだ

「はあ…」

昼間のことは、私にとってショックなことだった

友人も、家族も、自分でさえも、どうでもいいとしか思えない人間

そんなものが私の中身だったというのだ

……だが、それよりもショックなのは、その後のことだ

こんな私を心配してくれたあの心優しい人たちを、蔑ろにしてしまった

関わらないでくれと言わんばかりに、遠ざけてしまったのだ

慎吾はあれでいて、人の気持ちに敏感だ

私が嘘をついて彼を遠ざけようとしたことも察しているかもしれない

気づいたならば、きっと幻滅しただろう

これまでのようには、いかないかもしれないな…

「それも、当然か…」

これまで、ずっとそうだった

誰とも深くは関わらずに過ごしていく

記憶も少しは戻って、どのように過ごしていたかも思い出した

昔を再現することは、そう難しくないはずだ

この一か月がイレギュラーだったのだ

「そうだ、たかだか一か月じゃないか」

たかだか一か月の付き合い、どうでもいいと切り捨てることは容易だろう

だって、ずっと一緒に暮らしてきた両親さえ、どうでもよかったのだから

「前の自分に戻るだけだ。何を、躊躇する必要がある」

そう、自分に言い聞かせるように、言葉を絞り出していた

「あ…」

そのとき、闇に慣れた目にパンと紙パックらしきものが映った

目を凝らすと、焼きそばパンとりんごジュースだった

もしかして、慎吾と長野さんが…

そんなことを考えていると、パンの横に一枚の紙切れがあるのに気づいた

「これは…?」

それを手に取って、非常灯の方に向けると ―――――


『元気出せ!』
『元気出しなさいよ!』


―――― あの二人からの、メッセージだった

「……」

二人を遠ざけたことがどうしようもなく恥ずかしくて

こうして優しくされることがどうしようもなく嬉しくて

「私に…この優しさを受ける価値は、無い…」

そして、その優しさを受け入れられないのが、どうしようもなく苦しかった

「まーたそんなこと言ってんのか。変わんねえなぁ、ホントによぉ」

気づけば、病室の入り口に誰かが立っていた

「だ、誰ですか…?」

その姿は、暗くてシルエットしかわからなかった

「ふざけたこと言ってねえで、しっかり『自分』を見ろ。そう教えたろ?」

近寄ってきたが、顔はよく見えない

「ね、姉さん…?」

しかしその声は、姉さんの声にそっくりだった

「これでしっかり目ぇ覚ませ」

その人はそう言うと、手を私の顔の前に伸ばし

「がっ!?」

額にとんでもない衝撃を受けた私は、そのまま意識を失った



……

………

「おい…何見てんだクソガキ…見世物じゃ、ねえぞ…」

「だって、血を流して倒れてるんだもん。大丈夫?」

「てめぇには…げほっ!関係ねえだろ…どっか行け」

「とりあえず、こんな茂みからは出ないとね…立てる?」

………

………

「ってて…なあクソガキ、なんで救急セットなんて持ってんだよ。それにその大荷物は何だ?家出か?」

「いや、遠足。もう集合時間過ぎてるけど」

「おいおい、いいのかよ」

「別に。どうでもいいんだ」

………

………

「ふーん、何もかもどうでもいい、ねえ」

「うん」

「お前、これからどうすんだ?」

「まあ、とりあえず学校に行くよ」

「違う違う、そういうことじゃねえ。これからの人生だ」

「……」

「そんなんで、生きてて楽しいか?」

支援爆弾投下

「…別に」

「そんじゃ、あたしと遠足でも行くか」

「どういうこと?」

「テキトーに日本一周でもしてみるかってことだ。いろいろ見りゃ、楽しそうなことが一個くらい見つかんだろ」

「でも、学校…」

「おいおい、どうでもいいんだろ?」

「…それも、そうだね」

「んじゃ、決まりだな」

………

………

「剛、お前は『自分』が見えてねえ」

「なにそれ」

「お前の視点は、なんていうか、妙に俯瞰的なんだよ。自分がまるでそこにはいないような、そんな感じだ」

「……」

>>79
ありがとうございます

「だからお前には、あたしのとっておきを教えてやる」

「庸子さんのとっておき…?」

………

………

「身体から力を抜け。蛇になるイメージをもつんだ」

「蛇?」

「蛇は鞭のように相手を撃つこともできれば、絡めて縛り上げることもできる」

「蛇っていうよりかはひもだよね、それ」

「いいんだよ、蛇の方がかっこいいんだから」

………

………

「やっ!」

「よしよし、基本はできてきたな。じゃあ剛、かかってこい」

「えっ、でも…」

「おいおい、自惚れんのもたいがいにしやがれ。お前なんて片腕で充分だ」

………

………

「よっと」

「ぐあっ!」

「ほらほら、おねんねしてると追撃されんぞ?ほらよっと」

「うわっ!」

「いい反応だ。おら次だ次!」

………

………

「はっ!」

「よっと」

「てやっ!」

「おっ、いいじゃねえか。そろそろ片腕じゃ勝てねえか?」

………

………

「庸子さん、そろそろ教えてよ」

「ああ?何をだ」

「僕が喧嘩殺法を習ってる理由」

「喧嘩殺法っつーな。無手勝流って言え」

「どっちでもいいよ」

「あんだとお?」

「教えてくれないなら晩ごはん抜きだよ。自分じゃ作れないでしょ?」

「ぐっ…ったく……なあ剛、あたしたちは基本的には同じ動きをしてるのに、どうして決着がつくと思う?」

「そりゃあ、同じとはいっても庸子さんと僕じゃ全然違うもの」

「そうだな。剛とあたしじゃ同じ技でも差が出る。すると自然と、どこでどの技をどう使うかも、差が出てくる」

「うん」

「それは肉体的な話に限ったことじゃねえ。たとえ全く同じ能力で同じ状況になっても、剛とあたしじゃそのあとの行動は違うだろう」

「そうだろうね」

「その違いこそが『自分』ってやつだ。まずは相手と自分を見比べて、初めて『自分』ってやつがわかる」

「……」

「前に言ったよな、剛には『自分』が見えてないって。だから、これを通して『自分』ってやつを見せたかったんだよ」

………

………

「ねえ、庸子さん」

「何だよ、食わねえのか?」

「なんで、僕にここまでしてくれるの?」

「はあ?」

「僕が庸子さんにしたことといえば、茂みで倒れてた庸子さんを介抱したくらいなのに、庸子さんはこうして旅に連れてってくれてるし、無手勝流だって教えてくれた」

「ああ、そうだな」

「僕には、そこまでしてもらう価値なんてないよ…」

「はあ、くだんねえこと考えてんなあ……じゃああれだ、今からあたしはお前の義姉な。義姉なら別におかしくねえだろ」

「えっ…いや…」

「あんだよ、あたしが義姉じゃ嫌だってのか?ぶっとばすぞ」

「そ、そういうわけじゃないけど…」

「じゃあ決まりだ。ほれ、乾杯」

「あ、うん」

「義姉になったことだし、これからはそれっぽく呼べ」

「……姉貴?」

「それは舎弟みたいだからやめろ」

「じゃあ……姉さん」

「ん、それでよし」

………

………

「そろそろこの旅も終わりだなあ」

「うん…」

「何かどーでもよくないもんは見つかったか?」

「いや…」

「そうか…」

「でも、とっても楽しかった」

「そうか」

「だから、帰ってからも無手勝流を続けるよ。しっかり『自分』を見てれば、そのうちいい出会いがあるかもしれない」

「…そーだな」

「姉さんはどうするの?」

「なあに、剛と会う前の生活に戻るだけさ」

「また、会えるかな…」

「あたしはお前の義姉だぜ?お前が困ってるときは、助けてやるよ」

「うん、ありがとう…」

………

……

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