友紀「姫川友紀のパーフェクトクローザー教室!」拓海「!?」 (180)

注意

モバマス×野球
KOTYは関係ありません。
文字通りクローザーをメインとしたリリーフ投手の話

SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1398690216

友紀「さぁ始まりました姫川友紀のパーフェクトクローザー教室!この番組は千川製薬の提供でお送りいたします」

拓海「ちょっと待て」

友紀「どうしたの拓海ちゃん、ノリが悪いよ?」

拓海「何も聞かされずに連れてこられたのにノリが悪いもクソもねーだろ!」

友紀「簡単に言うとクローザーなどのリリーフ投手について学ぶ私の看板番組だよ!」

拓海「よくこんな企画が通ったな…」

友紀「私が頑張って通したよ!私は野球のためだったらなんだってするよ(キリッ」

拓海「その熱意をもっと別のところに向けろよ…」

友紀「突然ですが拓海ちゃん!」

拓海「なんだよ」

友紀「クローザーってどういう意味かご存知かな?」

拓海「おもに9回に投げる抑え投手のことだろ?」

友紀「その通り!クローザーとはリリーフの一種で接戦リードの9回によく投げる投手だよ」

※抑え投手に関してはクローザー、ファイヤーマン(消防士)、守護神などいろいろある。
 なおストッパーは和製英語。

友紀「じゃあ日本初のリリーフ専門投手って誰かわかる?」

拓海「えーっと…あのゆで卵のおっさんじゃねーのか?」

友紀「あー年代は近いね。正解は元巨人の宮田征典投手だよ」

拓海「アタシは知らねーな」

友紀「8時半の男って聞いたことない?」

拓海「あー…なんか聞いたことあるな」

友紀「この人のおかげで当時のリリーフ投手=二線級という評価は一考の余地ができたんだよ!」



※宮田征典…1965年に20勝(リリーフで19勝)を挙げ、防御率はリーグ4位。
 金田正一の後を投げるロングリリーフの仕事が多かった。コーチとしても優秀なお方。

友紀「さっき拓海ちゃんが言った坂東英二もリリーフ投手の草分けの一人なんだよ」

拓海「リリーフってのはあってたんだな」

友紀「坂東投手がリリーフをメインに活躍したのは1966年だから1年遅いんだよ」

拓海「この人たちの活躍は今考えてみればすげぇことだな」

友紀「だね!」



※坂東英二…今でこそゆでたまごおじさんだが、リリーフとしてオールスターに出場したりしてるすごい人。
 夏の甲子園の1大会奪三振記録保持者。
 燃えよドラゴンズ初代歌手。あまりバカにしてはいけない。

拓海「こんだけ先人たちが活躍してるんだからリリーフ投手の普及もすぐだったんだろ?」

友紀「…そうも上手くいかなかったんだよね」

拓海「えっ?」

友紀「70年代まではエース級投手がセーブポイントの付く場面で投げさせられてたんだよ」

拓海「はぁ!?日本シリーズじゃねーんだぞ」

友紀「先発して勝利を挙げた翌日にリリーフ登板なんて珍しくもなかったみたいだね」

拓海「そんなことしたらぶっ壊れちまうだろ…」

友紀「リリーフ投手を専門としていた選手も、ロングリリーフだけにとどまらず谷間の先発までしてたんだよ」

拓海「結局リリーフ投手の地位はほとんど上がってねーのか…」



※鈴木孝政(中日)などの連投の効きやすい投手は谷間の先発まで勤めていた。
 そのせいでリリーフをメインに置く投手でも規定投球回数に達することもあった。
 今でもリリーフの酷使はよくあるけど、この時代は特にひどかった模様。


友紀「でもね、一人の男が歴史を変えたんだよ」

拓海「えっ?





友紀「江夏豊。球界最強の左腕だよ!」

拓海「江夏っていうと…あの一人でノーヒットノーランを達成した人か?」

友紀「先発時代の方が印象の強い人がいるかもしれないけど、この人はリリーフに革命を起こしたんだよ」



江夏豊…阪神タイガースの歴史に残る大投手。
    シーズン最多奪三振(401個。環境は違うがノーランライアンより上)
    延長11回まで一人で投げ、その裏にホームランを自ら放ち、ノーヒットノーランを達成。
    オールスター9者連続奪三振。
    軽く偉業を挙げてもこれだけ上がるすごい人。

友紀「1979年日本シリーズ第7戦。9回裏無死満塁。リードはたった1点」

拓海「サヨナラのピンチ、良くて同点止まりって場面か」

友紀「江夏はそのピンチを無失点で切り抜けたんだ!これがのちに語り継がれる江夏の21球だよ!」

拓海「たいしたリリーフだったんだな…そりゃ革命も起こるわ」

友紀「ワンヒットで最悪サヨナラ負け。常人だったら心臓が潰れちゃうほどのプレッシャーだよ」

 江夏の21球…1979年日本シリーズ9回裏の江夏の投球のこと。21球でイニングを終えたことにちなんで名づけられた。

 ちなみに3人のランナーは自分で出した。しかし味方の悪送球がらみで無死三塁になったことを考えると自作自演という言葉は控えたいところ。

 19球目に運命を分けた1球(近鉄のスクイズに対してボール球のカーブを投じ、スクイズ失敗を誘う)があるが、それについては意図して外したのか、すっぽ抜けたのかが当事者の意見が食い違っているので割愛。

※山際淳司 「スローカーブをもう一球(角川文庫)」より抜粋。

友紀「ちなみにこの江夏の21球には続きがあるんだよ!」

拓海「え?」

友紀「1980年オールスター第3戦、9回裏無死満塁。リードは1点」

拓海「さっきと全く同じシチュエーションか」

友紀「そのピンチに江夏は登板したんだ」

拓海「今度は他人の作ったピンチを救援するのか」

友紀「そしてレロン・リー、有藤というロッテ中軸打者と山内バーーーローーを全員三振で仕留めたんだ!」

拓海「すげぇな…オールスターでやれることじゃねーよ」

友紀「この1イニングの活躍で江夏はオールスターMVPを獲得したんだよ」

拓海「革命を起こす奴ってのはいつだって規格外だな」

※山内バーーーローーは投手。この時点で、全パは控え野手をすべて使い切っていた。


>>14
× 山内バーーーローー
○ 山内新一

やらかした…


友紀「どうかね拓海ちゃん。リリーフ投手についてわかったかな?」

拓海「なぁ…これってクローザー教室じゃなかったのか?」

友紀「リリーフ投手の歴史について話しておかないとクローザーは語れないからね」

拓海「つーことは次回はクローザーについて本格的に触れていくって訳か」

友紀「おやおや拓海ちゃんもすっかりクローザーについて知りたくなっちゃった?」

拓海「そこまで頻繁に見るわけじゃねーけど興味は沸いてきたな」

友紀「というわけで来週は阪神日本一から2000年代までやっていくよ!」

拓海「アタシが閉めるのか?それではまた見てください、さようならー」

おわり。

野球についてちょっとでも興味をもってくれたらこれ幸い。
続くかどうかは未定。
仮に続くのであればそのうち劇場型ストッパーや俺達まで発展するかも。

HTML化依頼出してきます。

え、終わりなの???
続ける気が少しでもあるなら
このまま置いておいても良いんじゃ・・・

>>19
残した方がええかな?
ちょっと依頼取り消してきますわ。

1です。
今後の主な流れは

1 85年阪神タイガースダブルストッパー+福間
2 93・94年長嶋巨人
3 大魔神佐々木
4 死神岩瀬
5 藤川球児
番外編1 俺達
番外編2 劇場型 の予定

メジャーはあんまり詳しくないんや…
ちょいと調べていけそうやったらやるわ

武田寿司は気になる
何で寿司屋なのか全然わからんwwww

もうすぐ投稿してくわ

>>26
縁起スレの一つ。
清原が武田に寿司をおごった(シュート投げないでくれ的な賄賂)ことに由来

なお清原はシュートを封印した武田も打てなかった模様

今回から今井ちゃんが活躍します。
というか地の文が入るけど許してね

友紀「姫川友紀のパーフェクトクローザー教室第二回!この番組はヨミウリ新聞の提供でお送りします」

拓海「えらい提供が豪華になったな…」

友紀「プロデューサーが頑張ってくれたみたいだよ!」

拓海「…今度ねぎらいの言葉でもかけてやるか」

友紀「というわけで今回はゲストがいるので早速呼びたいと思います。今日のゲストはこの方です!」


笑美「どうも~、難波笑美です」

友紀「今日のゲストは難波笑美ちゃんです!」

拓海「この番組ってゲスト呼ぶんだな…アタシはどういう立ち位置なんだ?」

友紀「拓海ちゃんは生徒役だよ!あたしは講師役です」



【今井メモ①】
講師…姫川友紀
生徒…向井拓海
ゲスト…おもに取り上げられる選手と関係がありそうなアイドル
メモ係…今井加奈

笑美「ウチがゲストっちゅーことは…つまりアレやな?」

友紀「そらそうよ!」

笑美「そらそうなるわな!」

拓海「なんだよその会話は!ワケわかんねーぞ」

友紀「えー拓海ちゃん、どん語を知らないの?」

笑美「野球関係者には必須の語学やで?」

拓海「知っててたまるか!」


【今井メモ②】
どん語…元阪神・岡田彰布の口調のこと。
愛称のどんでんにちなんで名づけられました。
そら()そう()なるわな、などのように括弧内の要旨を飛ばして喋ることが日常茶飯事です。
記者は翻訳能力が求められますよ!

笑美「冗談はさておき、ウチが呼ばれたってことは」

友紀「そう、今日の主役は阪神タイガースだよ!」

拓海「阪神っていうと…藤川球児くらいしかわからねえな」

笑美「アカンで拓海はん、阪神の全盛期はそれよりもっと前や!」

友紀「阪神タイガースは1985年に日本一になったんだ」

笑美「バース・掛布・岡田のクリーンアップは最高や!って親父にさんざん聞かされたわ」

友紀「この年の阪神打線は本当にすごかったんだよ」

今井ちゃんが活躍って聞いて感じたトキメキを返すんだ!

【今井メモ③】
1985年阪神 基本オーダー

9真弓 率.322(497-160) 34本 84打点
8弘田 率.296(223-66) 5本 22打点
3バース 率.350(497-174) 54本 134打点 MVP 首位打者 本塁打王 打点王 最高出塁率 最多勝利打点 最多安打
5掛布 率.300(476-143) 40本 108打点
4岡田 率.342(459-157) 35本 101打点
7佐野 率.288(375-108) 13本 60打点
6平田 率.261(402-105) 7本 53打点
2木戸 率.241(295-71) 13本 32打点

攻撃的1番打者真弓に加え、破壊力抜群のクリーンアップ。
長いプロ野球の歴史の中でも屈指の打線ですね!

>>33 すまぬ…すまぬ…

拓海「バースってこんなすごい選手だったんだな…そりゃ神様って呼ばれるわ」

笑美「オトンは酒が入るとバースの話が止まらなくなるねん。ホンマやかましかったわ」

友紀「阪神が優勝できた理由の一つだよね。バースがいるから掛布と勝負せざるを得なくなる。掛布が打てなくても後ろに岡田がいる」

拓海「バースのワンマンチームじゃなかったんだな…」


友紀「そして優勝できたもう一つの理由が、今回のテーマだよ!」

拓海「ストッパーがいたからか?」

友紀「大体正解!阪神は他球団と比較してリリーフ陣が厚かったんだよ」

笑美「ストッパーはストッパーでもダブルストッパーやで」

友紀「この年の阪神はストッパーを二人起用してたんだよ」

【今井メモ④】 
ダブルストッパー…文字通り抑えを二枚体制で回すことです。

登板間隔・相手打者によってどちらが投げるかを変えるんですよ!

阪神のほかには、1994・95年の千葉ロッテマリーンズの成本年秀・河本育之がダブルストッパーを務めています。

ちなみに成本は右の技巧派、河本は左の剛腕(ムービングファストの使い手)だそうです!

2003年のダイエーホークスも篠原・岡本のダブルストッパー制を用いてましたね。

拓海「アタシは抑えって一人が務めるもんだと思ってたぜ」

友紀「確かに現代だと抑え投手は絶対的な選手一人に任せることがほとんどだね」

拓海「ところでダブルストッパーの長所ってなんだ?」

友紀「単純に抑えが二人配置されるから、本来受けるはずの疲労が理論上だいたい半分になるね」

笑美「ストッパーって本来は接戦なら毎日準備せなアカンから、それだけでもしんどいわ」

拓海「準備しなくても済む回数が増えるわけか」

友紀「そして相手打者に右打者が多いかどうかでどちらが投げるかも変えられるね」

笑美「代打を送られたらしゃーないけどある程度は絞れるわな」

拓海「こうしてみると長所が結構あるな。なんで現代では流行らねーんだ?」

笑美「柔軟性がある起用法と言えば聞こえはええけど、要は確固たる抑えがいません言うてるもんやからな」

拓海「た、確かに…」

友紀「そして最大の理由が、どちらかのストッパーが結局登板過多になっちゃうんだよね」

拓海「えっ?疲労を分け合えるんじゃねーのか?」

友紀「それは机上の空論なんだよ。どちらかのストッパーの調子が上がると、そっちばっかり登板させるようになっちゃうんだよ」

笑美「パワプロで先発が強いチームでペナント回すとリリーフは抑えばっかり登板する現象と同じやな」

友紀「さらに言っちゃうと、ダブルストッパー制を採用するチームって基本的にリリーフが薄いチームなんだよね」

拓海「選手層が厚くないからごまかすって訳か」

友紀「結局二人で一つの仕事を分け合うより、それぞれに別の仕事を与えた方が効率はいいってことだね」

拓海「なかなか上手くいかねーもんだな…」

【今井メモ⑤】
1985年タイガースのダブルストッパー
山本 和行 33登板(アキレス腱断裂で離脱)
中西 清起 63登板

1994・95年の千葉ロッテダブルストッパー
   94年  95年
成本 47登板 44登板
河本 49登板 40登板

2003年 ダイエーホークス(成功例?)
篠原 30試合 10セーブ
岡本 54試合 2セーブ

これはかなりレアケースみたいですね。
ロッテの96年以降は成本がストッパー、河本がセットアッパーを務めました。
これ以外の成功例が見当たらないところを見ると、ダブルストッパーの運用は難しいみたいですね!

拓海「なんかさっきから話聞いてると、悪いところ多くねーか?なんで優勝できた理由になるんだよ」

友紀「ダブルストッパーっていうことは、単純に言うと使えるレベルのリリーフが二人いるってことだよね?」

拓海「まぁ…そうだろ」

笑美「さっき言うとったけど他球団と比べたらリリーフ陣が優秀やったんやろ?」

友紀「分業制が昔より進んだといっても、計算できるリリーフ陣を整備するのはどの球団も苦戦してたんだ。そんな中阪神は二人も計算できるストッパーを用意できた」

拓海「明暗を分けたのがかつて二線級扱いされてたリリーフ陣だったわけか…」

【今井メモ⑥】
1985年のセリーグの主なストッパー(一番セーブを挙げた投手を抑えとみなしてます!)

阪神 中西 清起 63登板 11勝3敗19セーブ 防2.67(最優秀救援投手)
巨人 斎藤 雅樹 41登板 12勝8敗7セーブ 防2.96
広島 小林 誠二 45登板 4勝5敗7セーブ 防3.88
大洋 斉藤 明夫 55登板 9勝5敗18セーブ 防2.13
中日 牛島 和彦 38登板 6勝8敗8セーブ 防3.48
ヤク 尾花 高夫 40登板 11勝8敗7セーブ 防4.39

巨人とヤクルトはエース格がストッパーまでやったんですね。
それほどまでに計算できるリリーフを育てるのは難しかったのでしょうか?
そしてこの時代が打高だったことを考えると斉藤明夫さんってすごいですね!

友紀「今でこそストッパーっていうと、球が速くてゴリ押しがある程度きくピッチャーであることが多いね」

笑美「せやけどこの中西投手は技巧派やったんで」

友紀「球速不足をコントロールと変化球、そして緩急でカバーしたんだよ」

拓海「恵まれてない点は技術でカバーしてたのか」

【今井メモ⑦】
中西清起…パームやスローカーブ、シュートやスライダーといった変化球を駆使するリリーフ投手。
今でいう武田久投手みたいなタイプですね!

今は阪神の投手コーチを務めています。

友紀「そしてもう一人のストッパーが」

笑美「山本和行!フォークボールのスペシャリストや」

友紀「笑美ちゃん詳しいねー」

笑美「ウチフォークボーラーがめっちゃ好きやねん!三振取りに行くスタイルがかっこええやん」

拓海「具体的にどのくらいすげーんだ?」

笑美「山本和行を語るエピソードとして、投球モーションの途中で握りを変えるってのがあるんや」

拓海「…ん?」

友紀「グラブの中ではストレートの握りにしておいて、左腕を下げるときに握りをフォークにするんだよ」

拓海「はぁ!?そんなのできるわけねーだろ」

笑美「それを平気でやってたんや。大したピッチャーやでホンマ」

【今井メモ⑧】
チームの後輩だった岡田彰布さんが失敗してマウンドでボールを落としていたのを2、3度見たことがあると証言してます!
同じことをやった選手として、村田兆治選手がいますよ。
上原選手は高校時代補欠で浪人からの大学入学だったりと、フォークボーラーはエピソードが欠かせませんね! 


友紀「そしてもう一人、タイガースのブルペンを支えた男がいるんだよ!」

拓海「まだいるのかよ!」

友紀「福間納、阪神タイガース屈指の鉄腕だよ!」

拓海「アタシは知らねー選手だな」

笑美「ウチは親父から聞いたわ。藤川球児の前に登板記録を塗り替える寸前までいった投手やろ?」

友紀「そう、この福間投手は本当によく投げる投手だったんだよ」

【今井メモ⑨】
福間納…78年にロッテにドラフト1位で入団。81年でトレードで阪神へ移籍。
70年に阪急から7位指名を受けるも拒否。プロの世界へ入るのは遅い選手だったんですね!



友紀「気が付いたら福間が投げてる!だったらしいね」

笑美「谷間の先発までやってたらしいで」

拓海「チームに一人いると助かる投手だったんだな」

友紀「…でもこの福間投手には悲しいエピソードがあるんだ」

福間納が現役時代に記録した最多登板は1984年の77試合だった。

その時は「谷間・福間・谷間・福間」と言われるほどで、気が付けば福間が投げている。

福間はそれほどに阪神タイガースにとって重要な存在だった。

決して球速は速くなかった。

コントロールと豊富な変化球で勝負するサイドハンドのサウスポー。

それが福間納だった。




84年は、昨年記録した69試合を上回るペースで投げていた。

このままいけば日本記録の更新も間違いないと思われていた。




―しかし福間が日本記録を更新することはなかった。






「中継ぎが神様の記録を破るとは何事だ」

「稲尾の記録は400イニング以上投げて作られた中身のある記録」




阪神フロントに届いた一通の手紙。

それは中継ぎ投手である福間が日本記録を更新することに対する抗議の手紙だった。



シーズン78試合登板。これは「神様」稲尾和久が持つ大記録である。

同年に記録した42勝と同様、稲尾を語るうえで外せない数字である。

それは当時、アンタッチャブルレコードと化していたのだ。




触れてはならない記録に触れようとした福間に、登板の機会は与えられることはなかった。



阪神は一枚の手紙に、世論に屈したのだ。






翌年、同じ悲劇は繰り返されることになる。

ランディ・バースは王貞治の記録に並ぶことすら許されなかった。

達成を目の前にして抵触を拒む。

日本プロ野球の忌まわしき、記録の呪縛である。




拓海「なんだよそれ…同じピッチャーだろうが」

友紀「当時の中継ぎに対する評価は先発よりはるかに低かったからね。中継ぎ専門の投手が記録を破ることは鼻持ちならなかったんだろうね」

拓海「ふざけんなよ…頑張ってきた投手に対する仕打ちじゃねーだろ!」ポロポロ

笑美「ホンマ、しょーもないことやで。下らんプライドで記録を守って、何の価値があるんや」

友紀「あたしは王さんのシーズン最多本塁打の記録が破られてホッとしてるよ」

笑美「なんでなん?」

友紀「だってプロ野球が前に進んでる証拠だよ。いつまでも昔の記録を抜けないんじゃダメだよ。記録は破るためにあるんだから!」

笑美「せやな…記録を破ることは喜ばしいことやな」

拓海「ヘッ…たまにはいいこと言うじゃねーか」

友紀「むー、私は常に優等生だよ!」



拓海「えっ」

笑美「えっ」

友紀「何その反応!?あたしだって傷つくんだよ!」

拓海「友紀が優等生とか…むーりぃー」

笑美「さすがにそれはないんですけど…」

友紀「二人して乃々ちゃんのモノマネ!?味方がいないよー!」ウワーン!

友紀「とにかく!福間・山本・中西のリリーフ陣を擁した阪神タイガースは、終盤で広島を引き離しリーグ優勝を成し遂げました!」

笑美「2位とゲーム差が7しかなかったんやな。もっとぶっちぎっとるかと思ったわ」

友紀「この年のセリーグは夏場まではどこが優勝してもおかしくなかったんだよね」

拓海「終盤まで気の抜けない試合が多かったから、そのまま日本シリーズでも勝てたのか?」

友紀「そうとも言えるね!」

【今井メモ10】
1985年のセリーグは7月25日時点でカープが首位でした。
このままカープが振り切るかと思われたんですが8月に首位の座を明け渡してしまいます。
そのままずるずると負けを重ね、優勝を逃しました。
一方の阪神はリーグ優勝の勢いをそのままに日本シリーズでも4勝2敗で勝利し日本一に輝きました!
 

例の試合(バックスクリーン三連発)のスコア(4月17日 2回戦)

チーム 1 2 3 4 5 6 7 8 9 R H E
巨 人 2 0 0 0 0 0 1 0 2 5 9 0
阪 神 1 0 0 0 0 0 5 0 x 6 9 1

勝利投手 工藤(1勝0敗)
敗戦投手 槙原(0勝1敗)
救援投手 中西(1S)

HR
巨人 クロマティ1号(工藤)2号(福間)、原2号(福間)
阪神 バース1号(槙原)、掛布2号(槙原)、岡田1号(槙原)





友紀「さぁ番組も終了の時間になりました」

笑美「いやーホンマ野球の話しかしてへんけどこれでギャラもらえるん?」

拓海「そういう番組だからな」

友紀「そーいや拓海ちゃんはどこのファンなの?」

拓海「アタシはセリーグはベイスターズファンだぜ」

笑美「横浜と言えば…姫川はん、次回はもしかして?」

友紀「うん…あれ、なにこれ…次回の台本?」ペラペラ

拓海「次は大魔神かぁ!収録が待ち遠しいぜ」

笑美「映像見せてもらったけどあれはすごいわ」



友紀「あーごめん、二人とも。次大魔神じゃないみたい」

拓海「」

笑美「拓海はんが松山の悲劇のスタンリッジみたいな顔になっとる!?」

友紀「次はあの終身名誉監督のチームだよ!それでは今週はここまでです」

笑美「みなさん、さよーならー」

拓海「ウォーウウォーウォーウォ、ヨーコハマベイスターズ」

友紀「拓海ちゃんが壊れた!?」

おわりー。

>>59
案外いるんだよな
記録は目指すもので超える物ではないとか言う労害

Q.なぜ長嶋巨人について触れるのか
A1.今当り前に使われてる言葉の生みの親だから。
A2.90年代初期の佐々木は勝ち星ドロボー(やくみつる談)だから。

というわけで今日はここまで。
私は中継ぎ降格という言葉が大嫌いです。
中継ぎに命かけてる人だっているんですよ?配置転換と言いなさい!

>>66
そんな風潮もだいぶ風化してきたからね。
これは喜ばしいことやと思うよ。

現在最高峰と呼び声高いウイハーラサンはやらないんです?

できたら3人しかいない名球会入りクローザーの一人高津の話題もして欲しいです……

>>75
上原さんは先発の方が印象強いねん…

>>76、77
その二人はやっぱやるべきかなぁ

なんか皆の挙げてる投手全部回収したら
終わりが見えなくなってきた…

ちょっと落としどころ考えなアカンな
ネタスレしか建てたことのない自分には荷が重いぜ

wiiのゲームの話じゃなくてよかった

1です。
もうすぐ投稿してくよ。

>>86
センター前キャッチャーゴロができる作品なんて知りませんよ?(すっとぼけ)

友紀「姫川友紀のパーフェクトクローザー教室!この番組は猪狩コンツェルンの提供でお送りします!」

拓海「…」ムスー

友紀「いやー拓海ちゃん、前回は期待させちゃってごめんねー」テヘペロ

拓海「大魔神だと思ったのに…アタシの時代が来たと思ったのに」

友紀「まあいずれにせよやることは確定してるから安心してよ」

【加奈メモ】
猪狩コンツェルン…パワプロ99に登場した社会人野球の強豪。
猪狩兄弟を擁するこのチームは強敵でしたね!
このチームでプレイする時の最大の敵は「そこのお前」ですね。

拓海「で、今回のゲストって誰なんだ?」

友紀「ジャイアンツ枠はあたしだからね。今回はこの子に来てもらったよ!」



李衣菜「どーもー!多田李衣菜です!ウッヒョー!」

拓海「あぁ…クローザーって言葉に釣られて来たのか」

李衣菜「クローザーってロックですよね!」

拓海「ほう、クローザーのどの辺がロックなんだ?」

李衣菜「えっ!?えーっと…接戦の試合で勝利を手繰り寄せるために投げる姿がすごくロックだと思うよ!」

友紀「李衣菜ちゃんの中では誰が一番ロックなクローザーなの?」

李衣菜(クローザーの名前なんて覚えてないよ…なんかそれっぽい名前は…)



李衣菜「えーっと、えーっと…ヤマグチ!」

拓海「どのヤマグチだよ…」

友紀(どすこいか鉄也かで全く違うんだよねー)

【加奈メモ】
山口で該当する代表的なリリーフ投手は

①山口和男…158キロ男。典型的なノーコン速球派。
②山口鉄也…鉄腕
③山口俊…どすこい!

①だとなかなかロックですが、にわかの李衣菜さんは多分知らないですね。
②ならロックと言っても間違いないでしょう。
③だとロックどころかデスメタルですね!

友紀「さあ気を取り直して今日のテーマを発表します!」

李衣菜「今日はどんなテーマなんですか?」



友紀「今日は第二次長嶋ジャイアンツだよ!」

拓海「今日はミスターなのか」

李衣菜「ミスター!?なんかすごくロックなあだ名だね!」

友紀「正しく言うと『ミスタープロ野球』なんだよね。現代プロ野球の礎を作った男と言っても過言じゃないね」

拓海「トンデモ発言のイメージしかねえけどそんなすごい人だったのか」

友紀「いまだに語り継がれる伝説が多いからね。展覧試合のサヨナラホームラン、ベース踏み忘れでトリプルスリーを逃すとか」

拓海「何人分の野球人生歩んでんだよ…」

李衣菜「と、トリプルスリー?」

友紀「李衣菜ちゃんはトリプルスリーは知らないか」

李衣菜「も、もちろん知ってますよ!すごい記録のことですよね」

拓海「じゃあトリプルスリーを達成できそうな現役選手を言ってみろよ」

李衣菜「えっ!?えーっと、えーっと…」

李衣菜(トリプルスリー…3が三つだから、たぶんすごく打てる選手のことだよね…3割30本…)

李衣菜「阿部選手!」



友紀「えっ」

拓海「ぶっ!」

李衣菜「あれ?トリプルスリーって3割30本300打点じゃないの!?」

拓海「」ブハッ

友紀「多田さんにはあとで話があります」

李衣菜(もしかして…やっちゃったー!?)

拓海「は、腹がよじれる…」ヒーヒー

【加奈メモ】
トリプルスリーとは、3割・30本塁打・30盗塁を同じシーズンに達成することです。
巧打・長打力・俊足を兼ね合わせた選手しか達成することができない難しい記録です!

現役選手で一番近いのはオリックスの糸井選手やジャイアンツの坂本選手ですね(この例に挙げた選手でもなかなか厳しいです…)。

李衣菜さんの挙げた阿部慎之介選手は鈍足ですから絶対無理ですね!

ちなみに300打点を達成するまでのペース
バレンティン…4年
松井秀喜…大体5年

李衣菜「うぅ…はやく本題に入ろうよ!」

友紀「じゃあはじめていくよ!」



1992年10月12日。

読売巨人軍第13代監督、長嶋茂雄が就任した。

第1次監督政権以降、川上哲治との険悪説もあり監督復帰はないと思われていた。

しかしその川上哲治との和解、渡辺恒雄の読売新聞社社長の就任が追い風となり、第二次政権は誕生した。

※前社長の務臺光雄(むたいみつお)は反・長嶋派だった。



同年11月、ドラフト会議。

競合でドラフト1位の当たりくじを引き当てる。

監督に就任して初の仕事で大偉業をやってのけた。

なぜここまで大げさに言うのかは、この選手がのちに海を渡ってストライプのユニフォームに袖を通すからだ。



読売ジャイアンツ・松井秀喜の誕生だった。

就任早々に流れを引き寄せたように思われたが、シーズンの方は芳しくなかった。



主砲・原辰徳の大不振、それに引っ張られるように他の選手も軒並み低調であった。



今でこそ信じられないが、この年の巨人はスタメン級選手に3割打者がわずか1名しかいなかった。

【加奈メモ】

1993年 ジャイアンツ 基本オーダー

1 中 緒方耕一 率.234(338-79) 2本 17打点 盗塁王
2 遊 川相昌弘 率.290(462-134) 5本 35打点
3 二 篠塚利夫 率.337(208-70) 4本 23打点
4 三 原辰徳 率.229(336-77) 11本 44打点
5 左 吉村禎章 率.270(311-84) 8本 43打点
6 右 バーフィールド 率.215(344-74) 26本 53打点
7 一 駒田徳広 率.249(437-109) 7本 39打点
8 捕 村田真一 率.236(258-61) 6本 28打点

オマケ
松井秀喜 率.223(184-41) 11本 27打点
長嶋一茂 率.216(134-29) 1本 12打点

………。
ど、どうコメントしたらいいですか?プロデューサーさん?
え?笑えばいいと思うよ?それ全然アドバイスじゃないですよー!?

投手陣も貯金を作ったローテ投手が槙原と香田のみという低調ぶり。

特にこの年の桑田は大きく負け越した。

そうなってくると勝利を勝ち取るには、継投策しかなかった。

【加奈メモ】
1993年巨人 主な先発投手
槙原 寛己 28登板 13勝5敗 防2.28
桑田 真澄 26登板 8勝15敗 防3.99
斎藤 雅樹 23登板 9勝11敗 防3.19
木田 優夫 35登板 7勝7敗2セーブ 防3.35
香田 勲男 22登板 8勝7敗 防3.51
宮本 和知 26登板 5勝8敗 防3.40

1993年の巨人は5割を下回る3位に終わったが、失点はリーグ2位であった。

そのジャイアンツで奮闘したリリーフエースが二人いた。





石毛博史と橋本清。

ドラフト外最後の入団選手とPL黄金時代のダブルエースの一角。

『勝利の方程式』と呼ばれた男たちだった。

石毛博史は1988年にドラフト外で入団した。

中学時代の練習の影響からひじの故障(肘が曲がったまま)を抱えていた為、長いイニングを投げることができなかった。

連投に耐えうるタフな体を生かし、入団当初からストッパーとしての道を歩むことを命ぜられた。



荒れた速球とフォークを生かし、三振を取るスタイル。それが石毛のピッチングだった。

そのピッチングスタイルが代償として与四球が多かったが、30セーブを挙げる活躍。

チームは3位に終わったものの、石毛は最優秀救援投手のタイトルを獲得した。



翌年も高津臣吾(ヤクルト)と同じ1位タイの19セーブを挙げ、最優秀救援投手のタイトルは高津に持って行かれたが活躍を見せた。

ストッパーとしての境地を開拓し、まさにこれからという野球人生である。





しかし、これが石毛の選手としての絶頂期だった。

1994年 10月8日。

いわゆる勝った方がリーグ優勝と成る「10・8」である。

この試合の9回のマウンドに上がったのは、石毛ではなく桑田だった。



ストッパーではあったものの、絶対的ではなかった。

ブルペンで待機していた石毛に、出番は与えられなかった。

ここから石毛の野球人生は、下り坂に差し掛かる。

信頼感は年々薄れていき、それと同様に与四球も増加。97年に近鉄にトレードされ、そこでも思うような活躍は出来なかった。

そして2002年オフ、自由契約となった。



後に阪神にトライアウトで合格し、最後の輝きを放つこととなるがそれはまた別の話

橋本清はPL学園出身の投手である。

当時のPL学園は歴代PL学園の中でも最強軍団と称されている。

それもそのはず。キャプテンは立浪和義(元中日)、主軸には片岡篤史(元日ハム・阪神)、左のエース野村弘樹(元横浜)

さらに1学年下に宮本慎也(元ヤクルト)がいた。

後にプロ入りして活躍を収める選手が5人いた。それが春夏連覇という繁栄を極めたPL学園というチームだった。



橋本はそのPL学園の右のエースとして背番号10を背負い、チームに貢献した。

1987年オフに読売ジャイアンツから指名を受ける。


当初は本田技研への内定が決まっていた為、入団するか不透明だった。


巨人フロントの粘り強い複数回の交渉を経て入団に至った。


しかし入団してからはなかなか芽が出ず、同期において行かれていた。


しかし、入団6年目の1993年に転機が訪れる。

150キロ前後の速球とフォークボールを生かし、短いイニングを抑えるセットアッパーの役職を任された。

橋本・石毛の継投リレー。

これが後にプロ野球で当り前のように使われるようになる、元祖「勝利の方程式」だ。

命名親は長嶋茂雄。やはりこの男、独特のセンスを持っている。

【加奈メモ】
1993年 勝利の方程式
橋本清 52登板 6勝4敗3セーブ 防1.83 whip 1.05
石毛博史 48登板 6勝5敗30セーブ 防2.96 whip1.19 最優秀救援投手

劇場型ストッパー代表
小林雅英(2005)2勝2敗29セーブ 防2.58 whip1.28 最多セーブ
武田久(2012)4勝4敗32セーブ 防2.32 whip1.38 最多セーブ

Whipとは1イニング平均どれだけのランナーを出すかという指数です。
ミスター4凡でしょうか?

2年続けて好成績を収めたが、その後は急激に劣化。

1993年がキャリアハイとなり、2001年にはホークスのテスト入団を受けたが、度重なるひじの手術の影響で思うような投球は出来なかった。

2001年限りで、橋本清は引退した。

実働わずか6年、PLの右のエースの選手人生は線香花火のようだった。

石毛は実質ドラフト6位以下のドラフト外入団。

橋本は華々しいドラフト1位入団。



しかし実働年数は石毛の方14年、橋本はたった6年。



「勝利の方程式」として同じチームで同じ時期にゲームを締める役割を担っていた二人が、これほど対照的なプロ野球人生を送ったのだ。



これもまた、プロ野球の面白さであるといえよう。

李衣菜「へぇー勝利の方程式ってミスターが生みの親なんだ!」

友紀「本来は間違った使い方なんだけど、語感がいいから今でも使われてるね」

拓海「ミスターってホント名言(迷言)多いよな…」



【加奈メモ】
長嶋語録
迷言(?)
・魚へんにブルー(サバのこと)
・メークドラマ(1996年に最大11.5ゲーム差を逆転したときに生まれた言葉)
・失敗は成功のマザー(長嶋イングリッシュの代表格)
・I live in Edo.(私は東京に住んでいますの過去形)

名言
・野球というスポーツは人生そのものです
・読売巨人軍は永久に不滅です

友紀「というわけで今回は勝利の方程式についてでした。この二人ってドラフト時の境遇が全く違うんだね」

李衣菜「いやーこうしてみるとプロ野球って面白いね!」

拓海「上位指名選手が必ずしも大成するわけじゃねーからな」

友紀「イチローも下位指名だったからね。ダイヤの原石はどこに転がってるかわからないよ」

李衣菜「球場に行きたくなったよ!今度みんなで行こうよ!」

拓海「その前に野球の知識を最低限つけないとな」ケラケラ

友紀「あたしが教えるから大丈夫だよ」ニコニコ

拓海(コイツ…洗脳する気満々だな)

友紀「そして次回の内容ですが…拓海ちゃん、おまたせしました」

拓海「まさか…」

友紀「待望の大魔神佐々木ですよ、佐々木!」

拓海「大魔神キター!」

李衣菜(大魔神…?なんかすごくロックな気がする!)

拓海「アタシサイン入りユニフォーム持ってるんだよ!栄光の背番号22!」

友紀「あ、マジなファンだ」

友紀「というわけでお別れの時間となりました」

拓海「また次回をお楽しみに!」

李衣菜「バイバーイ!」



友紀「ところで拓海ちゃん。どすこいについて一言」

拓海「顔も見たくない」

李衣菜「真顔!?」



「勝利の方程式」おわり。

リリーフ投手って結構短命だなーと改めて思った。
岩瀬とか一握りの選手が異常なだけだってはっきりわかんだね。

おはよう。東京から今帰ってきた。

今日の夜に投稿します。

もうすぐ投稿始めてく。

【お詫び】
今回は佐々木主浩の予定でしたが、大幅に予定を変更してお送りします。
理由としては
①佐々木の代名詞のフォークについての(私の持ってる)情報量の少なさ
②佐々木本人についての情報量の少なさ
書いててあまりにひどかったので書籍を読んできます…

姫川友紀のパーフェクトクローザー教室 番外編



「俺達総帥 大沼幸二」

友紀「姫川友紀のパーフェクトクローザー教室!この番組は西武鉄道の提供でお送りします」

拓海「大きな声で休みましょう、ってか?」

友紀「あのCMの女優さんがかわいいってちょっと評判だったね」

拓海「アタシもCMの仕事やってみてえな」

友紀「プロデューサー頑張って!」

【加奈メモ】
あのCM
https://www.youtube.com/watch?v=2rOuLDpjrT0

友紀「さぁ今回は番外編です」

拓海「番外編?」

友紀「今まではいいストッパーだけに焦点を当ててきてたでしょ?」

拓海「まあ…そうだな」

友紀「なので今回はダメストッパー特集です!」

拓海「…」

友紀「どうしたの拓海ちゃん?顔色が悪いよ?」

拓海「アタシのカンだと…ゲスト次第じゃヤバい気がする」ブルブル

友紀「それじゃゲストを呼んじゃうよ!この人です」



留美「こんばんは。和久井留美よ、よろしく」

拓海「やっぱり留美さんじゃねーか!もう帰りてーよ!」

留美「私の顔を見るだけで帰りたいなんて…失礼ね」

友紀「そーだよ、拓海ちゃん酷いよ」

拓海「あ、いやそうじゃなくて…留美さんの苗字って『ワクイ』だろ?」

友紀「そうだね」

拓海「ワクイってことは…今回は西武の中継ぎじゃねーのか?」

友紀「大正解!今日のテーマは西武の中継ぎだよ!」

拓海「…」ドヨーン



友紀「もしかして拓海ちゃん。セリーグは横浜でパリーグは…?」

拓海「ら、ライオンズ…」ズーン

友紀「…ドンマイ!」ニッコリ

拓海「笑いながら言うんじゃねぇ!」

留美「まぁその…何?強く生きなさい」

拓海「胃だけはこちとら頑丈だよ!」ウワーン!

友紀「それじゃVTRはじまるよー!」

俺達。

それは二軍で好投し、一軍で炎上するというループを繰り返し

一軍の壁に阻まれるという言葉では到底片付かないため

一軍と二軍の壁に取り込まれるという表現を用いられた

西武の若手投手たちのことである。

構成員の名前はほとんど○○者という表記が用いられる。

それはもはや西武だけの問題にとどまらず

他球団にまで飛び火する始末。

素質を見出された者たちは

もれなく熱烈歓迎の祝福を受けることになる。

ネット界隈でよく用いられる「俺達」だが

その初出は実ははっきりしていない。

2ch外部板にて流石兄弟AAを改変した俺達のAAが作られ

定期的に投稿されていたネタスレから広まっていった説が有力である。

そして俺達という言葉で最も勘違いされやすいのが

燃えれば皆「俺達」とひとくくりにされやすいことだ。

俺達はあくまでも接戦や重要な試合で炎上するのだ。

そして敗戦処理では神ピッチを披露する。

そして信頼を積み重ねて再び炎上する。

3年抑えて俺達卒業、3日燃えて俺達入会。

来る者は拒まず、去る者は追いかける。

当会は誰でもウェルカム…!

初代総統・大沼幸二

2000年ドラフト1位である。

プリンスホテルから西武へと入団した。

エリート街道をひた行くピッチャーだった。

廃部の決まったプリンスホテル最後の星。

周囲の期待の高さは相当なものだった。

しかしこの大沼、コントロールが絶望的に悪かった。

挨拶代りのツーボール、息を吐くようにフォアボール。

そんなわけで一軍での登板機会もほとんどなかった。

二軍ではタイトルを獲得し、順調に経験を積んだ。

ルーキーイヤーから既に、俺達の片鱗を見せていた。

転機が訪れたのは2004年。

5月7日、日本ハム戦。

初勝利を挙げた相手から、今度は初完投・初完封を挙げたのだ。

ドラ1ルーキーがついに開花!

松坂・大沼で西武も安泰。

そう思ったファンもいたことだろう。



―だがその期待は裏切られた。

【加奈メモ】
この大沼投手の完封試合はパワプロのシナリオにもなりました!
試合の動画は見当たりませんでした…残念ですね。

注:ニコ動
http://www.nicovideo.jp/watch/sm4712997


翌年2005年も相変わらずのコントロールの悪さを露呈。

防御率も6.20と前年よりも悪化した。

しかもたちが悪いことにこの防御率で5勝を挙げている。

リードでもビハインドでも構わず失点。もはや俺達ですらない。

2006年と2007年は一軍のマウンドから遠ざかる。

もうファンからもほとんど期待されない存在になっていた。

しかし2008年、大沼は1軍のマウンドで躍動する。

ビハインドでの仕事が多かったが、それでも当時の一軍ブルペンからすると貴重な存在だった。

相変わらず、俺達の仕事を全うする沼者の姿があった。

そしてチームはリーグ優勝、日本一に輝いた。

若手の躍進によるリーグ優勝。西武黄金期の到来を誰もが確信した。






その翌年、伝説が創られることも知らずに。

【休憩中】

友紀「そういえば留美さんは好きな球団はどこなの?」

留美「カープよ。最近の一押しは丸くんよ」

拓海「へぇ。野村や堂林じゃないんですね」

留美「確かにイケメンだけど、私純朴な好青年の方がタイプなのよね」チラッ



モバP(収録見に来たけど…楽しそうだなー)ニコニコ

拓海(姉御の視線…あっ)

友紀(Pさん逃げて!超逃げて!)

2009年9月16日

千葉マリンスタジアム 9回裏 2-2の同点

ピッチャー大沼がコールされた。

先頭打者・福浦。フルカウントからフォアボールを選ぶ。

無死一塁。まだあわてるような状況じゃない。

続く井口。カウント2-2からデッドボールを受ける。

痛い手首を抑えながら一塁ベースへ歩いた。

無死一二塁。

サヨナラのランナーが得点圏へ進んだ。


5番大松。高めのストレートをきっちり転がし、ランナーを進塁させる送りバント。

一死二三塁。一打サヨナラのピンチである。

ここで西武ベンチは敬遠策を取る。

塁を埋めてホームゲッツーを狙うプランだ。



一死満塁。逃げ場は無くなった。




そして7番・ベニーに対する初球だった。

投げたのはアウトコースのスライダー。

ベース手前で大きく弾む。



キャッチャー上本のミットにボールは収まらず

三塁走者早坂がサヨナラのホームを踏んだ。

ノーヒットのサヨナラ負け。

2009年の西武を象徴する敗戦だった。

【加奈メモ】

※閲覧注意(特に西武ファン)

https://www.youtube.com/watch?v=8jsAwldp0js

た、大変です!拓海さんが泡を吹いてます!
誰か、誰か助けてください!



   _、_
( ,_ノ` )待たせたな

加奈「帰れ」ニッコリ


この試合を境に大沼の野球人生は変わってしまった。

翌年は目立つ成績を残せず、シーズンのほとんどを二軍で過ごした。

そして翌年、トレードで横浜に移籍した。

長年の登板過多も相まって、肩の故障が隠せなくなっていた。

満足なピッチングができないまま、2011年に自由契約となった。

そしてその後、大沼は行方をくらませている…

友紀「…拓海ちゃん、大丈夫?」

拓海「わぁい炎上、たくみ炎上大好き」ドンヨリ

留美(テレビで見せていい顔じゃないわね…)

友紀「大丈夫?タミフル持ってこようか?」

拓海「もう大丈夫だ…って何飲ませようとしてんだ!?」

友紀「いやー元気になるかなって思って」

拓海「テンション振り切れるだろうが!」

友紀「で、拓海ちゃんや。この大沼について語ることは何かある?」

拓海「ビハインドで好投、接戦リードで炎上。まさにそんなピッチャーだった」

留美「防御率を見る限りそこまでひどいわけではないわね…」

拓海「見た目だけですよ。いわゆる防御率詐欺の類です」

友紀「一番許されないタイプって訳か…」

拓海「でもいなきゃ困るというジレンマなんだよな…」

【加奈メモ】
他球団における沼者タイプの投手は中日の田島投手ですね。
リード、同点、ビハインドの隔てなくとにかく投げるタイプです。
ストッパーとしてみた場合はご察しですが、便利屋としてみた場合はいいピッチャーなんですね。

比較的良かった年
2004 36登板 4勝6敗3セーブ 防4.42
2008 52登板 2勝4敗1セーブ 防3.69
2009 54登板 4勝7敗1セーブ 防3.14

留美「いいところは何かないのかしら」

拓海「投げてる球だけは本当にすごかったです。それこそエース格のようなボールでした」

友紀「でもコントロールがダメダメと」

拓海「あれだ。横浜の北方みたいなピッチャーだ」

留美「あっ…(察し)」

友紀「留美さんも察しちゃったよ…」

拓海「大沼や北方を見てるとコントロールは才能だってつくづく思うぜ…」

友紀「さてダメストッパー列伝第1弾でした!」

拓海「第1弾?今回で最後でいいんじゃねーの?」メソラシ

友紀「拓海ちゃん、胸に手を当てて。心当たりが他にあるはずだよね?」ニッコリ

拓海「やめろぉ!これ以上アタシのトラウマをえぐるんじゃねぇ!」

留美(いったい何があったのかしら…)

友紀「まぁでも炎上するストッパーは西武に限らないからね」

拓海「…ほかの球団もやるってことか?」

留美(顔が怖いわよ拓海ちゃん…まるでどこかのガンマンのような眼よ)

拓海「そう思ったら気が紛れてきたな!」

留美(いささか単純すぎないかしら?)

友紀「それでは今回はここまで!次回もまた見てくださいね」




友紀「ところで拓海ちゃん。西武で一番好きな選手は?」

拓海「金子(侑司)」

留美「さわやか系がタイプなのね」

拓海「スイッチヒッターが好きなんだよ。早くスイッチに戻せよ金子」

留美「そっちなのね…」



「俺達総帥 大沼幸二」 終わり

Q1.なんで拓海をライオンズファンにしてるの?

A1.浜ファンはパリーグにもひいき球団を持ってることが多い(私的体感)
  .拓海「稼頭央がアタシのヒーローなんだよ!」

沼者は防御率詐欺とノーコンじゃなければいいピッチャーなんですよ!


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