【オリジナル】魔導機人戦姫 第34話〜【なのかもしれない】 (831)

*注意

1.最初はどこにも晒す予定のなかった一次創作未満の練習作品なので、
  思いっきり某リリカルと某てぃんくるの影響と、それに近似した設定がチラつきます。
  読み始めから気付かれる可能性が高いと思うので、
  そう言うのが許せない、あの作品(特に某リリカルの方)を汚すな、と言う方は回れ右推奨です。

2.通常の小説形式を地の文+脚本形式に手直ししています。
  以前に建てた二次創作スレで同じ形式にした所「読みやすい」との言葉を何度か賜りましたので、
  読みやすさを優先し、同様の形式にしております。

3.既に最終回まで書き上がっておりますので、書式変更が終わり次第、一話ずつ投下します。
  完結後にも小ネタの投下などあるかもしれませんので、もし宜しければそちらにもお付き合い下さい。
  但し、筆のノリと気分次第で投下頻度も予定もガラリと変わると思われます。気長にお付き合い下さい。

4.鬱展開もちょっとショッキングな展開もあるので、最低限12禁の方向でお願いします。
  また、最終回後は気分次第で18禁になる可能性も十二分にあり得ます。
  期待しない程度に警戒していただけると助かります。

5.格好良さ優先の間違った外国語(主に文法的な部分)があるので、間違った外国語が覚えられます。
  良い子も悪い子も、恥をかきたくなければマネしないように。

前々スレ(1~16話)
【魔法少女風】魔導機人戦姫【バトル物】

前スレ(17~33話)
【オリジナル】魔導機人戦姫 第14話~【と言い切れない】

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第34話「奏とカナデ、クリスとナナシ」



十二月六日、午後二十二時五十五分。
アイスランド共和国、ヴァトナヨークトル氷河――


空中戦でネーベルを下したリーネの活躍と、
特務メンバーと本條家の一部が地下施設への突入を果たしたと言う報せは、
研究院側の士気を大いに上げていた。

エージェント「総員、怯むな!
       地上での戦闘で敵勢力をこちらに釘付けにしろ!
       一体たりとも、地下に戻させるな!」

小規模部隊の指揮権を委ねられていたAランクエージェントの一人が、
自身の指揮下にいる仲間達の戦意を鼓舞するように叫ぶ。

????「……いやぁ、ウチの隊長さんは熱いねぇ」

士気を上げる仲間達を後目に、一人の男がやや気怠そうに漏らした。

汎用遠距離型ギアをライフルのように構えたその男は、
そう言いながらも正確なスナイピングで機人魔導兵達の頭を吹き飛ばして行く。

?????「真面目にやっておいた方がいいですよ、先輩」

その男を、一人の男性エージェントが呆れたように窘める。

彼の名はジルベルト・モンテカルロ。

十一年前、魔導巨神事件の際に研究院に投降し、
二年間の更正教育期間を経て戦闘エージェント隊にその身柄を預けられる事になった男性だ。

当時十七歳、現在は二十八歳である。

????「俺はコレでも真面目にやってるつもりだけどね……」

そんなジルベルトに“先輩”と呼ばれたコチラの男性の名は、クライブ・ニューマン。

同じく十一年前の魔導巨神事件において研究院に投降、
幼い頃から暗殺者を生業にしていた事から永久投獄刑に処されていた、
現在二十九歳の男性である。

そんな人間が何故この場にいるかと言えば、頭数を揃えたい研究院上層部の思惑で駆り出されたためだ。

彼は元より“生きるために出来る事”として、
その魔導の力を暗殺に使い、マフィアの庇護下に身を置き、
十一歳の頃からはグンナーのコピーの元で私設部隊の初代隊長として、
恋人であるキャスリンが二代目隊長に就任して以後はその隊員として生きて来た。

生きる事に事欠かない状況では誰かに危害を加える必要も理由も無く、
投獄されてからの彼は模範囚として過ごし、
監獄施設でその生涯を終えるつもりだったのだ。

だが、模範囚であったが故に今回の作戦に駆り出される事になり、今に至る。

クライブ「恩赦が出るって言っても刑期が多少短縮されるだけで、
     無罪放免になるワケでも無いだろ?

     ……まあ、死なない程度に適当にやるさ」

そう言いながらも、クライブはその間だけで三体の機人魔導兵の頭部を吹き飛ばした。

さすが、狙撃だけならばSランクと謳われただけあり、
その狙いも威力も並の戦闘エージェントの比では無かった。

かつて、あのリノですら彼とキャスリンを含む四人を相手に長期戦を強いられたが、
その要因の大半は彼にあったと言っても良いだろう。

十一年の投獄期間を経ても衰えぬその正確な狙撃は驚嘆に値する。

クライブ「チッ……まだ勘が戻らねぇか……」

しかし、彼自身はその結果に不満のようで、苛立ったように舌打ちした。

ジルベルト「それならそれで、あまり張り切りすぎてヘバらないようにして下さいよ。
      長丁場なんですから」

ジルベルトはそう言って、クライブに近付いて来た機人魔導兵の胸板を渾身のストレートで打ち抜く。

彼の戦闘スタイルはフリースタイル近接格闘戦……早い話がストリートファイト仕込みの喧嘩殺法だ。

近接戦での勝負強さを活かして、ジルベルトはクライブの直衛を任せられていた。

二人が戦闘を続けていると、
不意に頭上を空色と茜色の魔導装甲に身を包んだ年若い二人組のエージェントが通過する。

空色の魔導装甲を纏った少年の腕には、インナー防護服姿の少女が抱かれていた。

リーネを後方に搬送中にアンディとユーリだ。

後方からの敵の魔力弾に晒されながらも、
二人はいち早くリーネを安全な場所に送り届けるため飛び続けていた。

クライブ「お、アレが今回の功労賞のバッハシュタインって子か」

ジルベルト「ええ、エージェント・譲羽と同じ特務部隊に所属するSランクエージェントですよ」

興味深そうに呟いたクライブに、ジルベルトが説明する。

クライブ「エージェント・譲羽ねぇ……。
     あの嬢ちゃんが今じゃSランクたぁご大層なこった」

ジルベルトの説明を聞かされたクライブは、
十一年前の事や四年前の今にも泣き出しそうだった少女を思い浮かべていた。

人間離れした膨大な魔力を持ってはいた物の、あの頼りなさそうな素人だった子供が、
今では自分程度では足下にも及ばない実力者と思うと、十一年と言う時は思った以上に長かったようだ。

クライブは感慨深く目を伏せる。

???「アンディ兄っ、ユーリ姉っ! 先に行って!」

と、その時、上空から響いた声に思わず視線を向けた。

そこには萌葱色の魔力の障壁を張り巡らせる、幼い少女が一人。

魔力波長と同じ萌葱色をしたジャケットコートの上に、
黄色い軽装プロテクターと言う魔導防護服を纏った幼い少女は、
一見してこの戦場には不釣り合いに見えた。

やや離れた位置ではあったが、そこから見えた少女の横顔に、
クライブは呆然と手を止めてしまう。

ユーリ「ありがとう、セシル!」

アンディ「セシリア、危ないからあまり前に出過ぎるんじゃないぞ!」

振り返って礼を言ったユーリに続いて、アンディも背中越しに少女へ注意を呼びかける。

セシル「大丈夫だって!」

二人にセシルと呼ばれた少女――
セシリア・アルベルトは真剣な表情の中にも笑みを浮かべて力強く応えた。

セシルがAカテゴリクラスに編入したのは去年の三月末、
今年で十五歳を迎えたアンディとユーリがプロエージェントになったのは去年の四月。

寝食を共に出来たのは一週間程度の短い間だったが、
師を喪って哀しみにくれるセシルが笑えるようになったのは、
一重に最年長だった二人の尽力もあっての事だ。

クライブ「……セシリア……セシル……か……?」

クライブは力強い笑みを浮かべたセシルの顔を見上げたまま、呆然と目を見開く。

傍らのジルベルトも、クライブがセシルの事を見上げている事に気付いていたが、
どう声をかけていいか分からずに押し黙ってしまう。

セシリア・アルベルト……以前の名はセシリア・ブルーノ。

四年前のトリスタン・ゲントナー事件の発端となるエージェント大量惨殺事件で、
犠牲者の一人となったキャスリン・ブルーノの一人娘だ。

その後、母のかつでの部下であり友人でもあったレギーナ・アルベルトの養子となり、現在に至る。

亡き母はシングルマザーであり、生まれてからの約二年間半を母の投獄と言う事情から離ればなれで過ごした。

彼女自身は父親が誰であるかを聞かされておらず、母の死後も顔を見せない事、
義母がその件について追求しない事から、決して触れてはいけない事と思い込んでいる。

そして、そんなセシルの父親こそが、
今彼女を見上げて呆然としているクライブ・ニューマンその人なのだ。

言ってみれば――

セシル「おい、オッサン! ボーッとしてると危ないぞ!」

自分を見つめるクライブの視線に気付いたセシルが、呆れたような声を上げた。

クライブ「あ……ああ」

クライブは呆然としたまま頷く。

――それが、父と娘の初めての出逢いだった。

セシルはアンディとユーリが後方まで下がった事を確認すると、
呆然とした様子のクライブの元に降り立つ。

セシル「本当に大丈夫かよ?」

ジルベルト「お、おいセシル……」

呆れ果てたような様子のセシルに、ジルベルトは戸惑い気味に声をかける。

セシル「ジルベルトからも何か言ってやれよ!
    まったく、候補生のアタシだってこんな頑張ってんのに」

溜息がちに二十歳近く年上の知り合いに対して、平然とため口を宣う少女。

旧グンナー私設部隊の隊員のほぼ八割は勤労奉仕と言う形で研究院に属しており、
母・キャスリンが存命中の頃からその全員と親交があった事もあって、
セシルは母に倣った呼び方で彼らと接していた。

余談であるが、彼女が“さん”を付けるのは、
奏と乳児の頃に面倒を見てくれていたシエラ・ハートフィールドだけだ。

口が悪いのは幼い頃からの物で、今に始まった事でない。

ただ、身元を引き受けてくれたレギーナの事だけは、今では“母さん”と呼んで慕っている。

ジルベルト「候補生なら候補生らしく、
      俺の事はエージェント・モンテカルロって呼ばないか……。

      先輩だぞ……一応」

ジルベルトは溜息がちに呟いた。

セシル「はーい、エージェント・モンテカルロ」

セシルは何処か不満げに漏らす。

だが、近付いて来た機人魔導兵に気付くと、
フレイル状のギアの先端に取り付けられた錘をチェーンワイヤーで伸ばし、
その首を絡め取って近場にいた敵の群へと投げ飛ばした。

セシル「これで……止めッ!」

体勢を崩した敵の群に向けて、大型の魔力弾を叩き込んで霧散させる。

セシル「よしっ、まだまだ絶好調!」

その光景を確認して、セシルは満足そうに胸を張った。

母譲りの素早さと、父譲りの射撃の正確さ。

亡き師に得難い才能と評させた高い才覚は、
幼いながらに確実に開花の時を迎えようとしていた。

自分の事を知らぬ娘の戦い振りを見ながら、クライブは不意に口元に笑みを浮かべ、口を開く。

クライブ「………ボウズ、魔導巨神事件の頃の譲羽の嬢ちゃんと同い年くらいか?
     なかなかやるじゃねぇか」

セシル「誰がボウズだ!?
    アタシはレディーだぞ!」

クライブの言に、セシルは憤慨した様子で返した。

クライブ「ハハハッ、レディーか。
     そりゃそうだな、悪い悪い」

クライブは豪快に笑い飛ばすように言って、セシルの頭をポンポンと軽く叩くようにして撫でる。

セシル「子供扱いもヤメロよぉ、これでもBランクオーバー相当なんだぞ!」

クライブ「そいつはスゲェな……」

照れ隠しが込められたセシルの言葉に、クライブは驚きながらも目を細める。

セシル「っと、こんな事してる場合じゃないんだった!
    アタシ、はぐれちゃったクリス姉探さないといけないから、またな!」

クリスは思い出したように叫ぶと、慌てて飛び上がった。

だが、すぐに二人へ振り返る。

セシル「ぼーっとしてて死んじゃうなんて、絶対に駄目だぞ、ジルベルト!
    それにオッサンも!」

僅かな照れ隠しで語気を強めた、だが二人への確かな気遣いを感じさせる言葉を叫ぶ。

クライブ「おう、達者でな、ボウズ」

セシル「だからボウズじゃないって!」

そんな軽妙なやり取りを終えて飛び去って行くセシルの背を、
クライブは視線で追い続ける。

見る見る間に小さくなって行く背中は、今から追っても追い付きそうにない。

そのスピードに頼もしさと驚きと、どこか寂しささえ感じながら、
クライブはスッと目を細めた。

ジルベルト「……先輩」

そんなクライブに、ジルベルトはやや気まずそうに声を掛ける。

だが――

クライブ「なぁ……恩赦ってのはどの程度、刑期が短くなるモンなんだろうな……」

クライブは何処か遠くを見るように、そんな言葉を呟いた。

別に今更、恩赦が欲しいと言うワケではない。

そんな物に期待する事なく、十一年を過ごしたのだ。

どんなに長く生きても、あと五十年足らずの人生。

その間、寝食に困らずに済む。

これでいいのだ、と言う諦観にも似た感情だけで、日々を過ごしていた。

たまの面会で顔を合わせる事もあり、彼のそんな感情はジルベルトも理解している。

故に、クライブにどんな言葉をかければいいのか、彼には分からなかった。

クライブ「…………さぁてっ!」

クライブは気まずくなりかけた空気を察して、
それを振り払うように大きな声を発し、さらに続ける。

クライブ「十歳になったばかりのガキの頑張ってんだ……。
     大人の俺らが油売ってる場合じゃねぇわな」

ジルベルト「先輩………了解です!」

意気込むクライブに応えるように、ジルベルトは力強く応えた。



一方、父とは知らぬままクライブ達と別れたセシルは、
十数分前にはぐれたクリスの姿を探して戦場を駆けていた。

遭遇した機人魔導兵をフレイルで叩き伏せ、魔力弾で撃ち倒しながら進む。

セシル「クリス姉……どこにいるんだよぉ……」

セシルはどこか不安の入り交じった声音で漏らす。

リーネが幹部格のネーベルを倒した事や結達特務が地下に突入した事は、
確かに全体の士気を上げていた。

だが、だからと言って全ての劣勢が覆されたワケではない。

現に周囲は敵味方が入り乱れ、既に多くの負傷者も出ている。

クライブ達には強がって見せたものの、まだ僅か十歳。

実戦の経験もない少女にこの戦場の広さと凄惨さは荷が勝ちすぎた。

仲間もいるが敵だらけでもある戦場で心細さを抱えながら、少女は駆ける。

セシル「クリス姉……」

呼びかけた名前が、自身の心細さを掻き消してくれる事だけを信じて……。

そして、クリスの方でもセシルを捜している最中だった。

クリス「セシル、何処なの!?」

クリスは辺りを見渡しながら叫ぶ。

最前線から突出した部隊を守るつもりで前線に躍り出たクリスは、
やや孤立した状況に陥っていた。

それもそのハズ、クリスの魔力特性は元来、対集団戦には向かないのだ。

クライノート<クリス、敵の集団が接近中です>

クリス「ッ!?」

クライノートの声にクリスは息を飲む。

直後、一塊になった魔力反応が押し寄せて来る感覚を覚え、そちらに視線を向ける。

するとそこには、十体以上の機人魔導兵が群を成して押し寄せて来る最中だった。

クリス<クライノート、敵集団の移動予想地点の地面をロックオン!>

クライノート<了解です>

クリスはクライノートの返答を聞くと同時に、
彼女がロックオンしてくれた氷河の表面に向けて両腕を突き出す。

クリス「グラビテーションボーゲンッ!」

矢のように細く引き絞られたエメラルドグリーンに輝く魔力弾が、
ロックオンされた地点へと向けて放たれる。

魔力弾が着弾した瞬間、その真上を機人魔導兵の一団が通りかかった。

すると、まるで空気を一瞬で抜かれた風船人形のように、機人魔導兵達が潰れて消える。

対物操作特化の魔力特性。

高威力、高収束の熱系変換された属性魔力や、
圧倒的な硬度を誇る硬化特性魔力の事を“物理干渉レベル”などと言うが、
クリスの魔力特性はそのさらに上の“物理完全干渉型”だ。

通常物質・魔力由来物質を問わずに干渉できる魔力特性故に、
万が一の仲間への誤射を防ぐ意味合いもあって、集団の中に入る戦闘には向かないのである。

しかし、それでも最低限の仲間の援護は必要であり、
その援護をこの任務へ共に志願したセシルに任せていたのだが、
十分ほど前の乱戦状態でお互いに離ればなれにされてしまったのだ。

クリス(セシルの事だから、無茶をしなければいいけれど……)

クリスは心中で不安げに漏らす。

セシルは元気で活発な子だったが、それ故に調子に乗りやすい子だ。

幼い年齢に似合わず遠近共に高い技能の持ち主ではあるのだが、
自分のように全方位戦闘を得意とするタイプではないので、
下手に最前線で孤立してしまうと危険に晒されてしまう。

クリスは焦燥感に襲われながらも、セシルを捜して走り続ける。

クライノート<クリス、周囲を囲まれています>

その時、周囲を警戒していたクライノートが警告を発した。

クリスは立ち止まって辺りを見渡すと、
確かに先程まで周囲を覆い尽くすだけだった機人魔導兵達が、
いつの間にか周囲を意図的に取り囲んでいる事に気付かされる。

数は四十。
周囲を隙間無く取り囲む円陣型の陣形だ。

クリス「うそ、いつの間に……」

クライノート<どうやら彼らに脅威認定されたようですね>

呆然と声を漏らしたクリスに、クライノートは淡々と推測を述べた。

研究院が誇る前線型Sランクエージェント二十五名とAランクエージェント五十四名、
総勢七十九名全員が揃っている戦場でBランクですらない自分を脅威認定してもらえた事は光栄だが、
今はそんな感慨に浸っていられる場合ではない。

クリス「クライノート! 出力最大で氷の障壁!」

クライノート<了解です、クリス>

主の指示に愛器が応え、彼女の足下にあった氷河の表面が砕けると、
その周囲に巨大な円筒型障壁として再構成される。

魔力を含み、高密度に圧縮された氷の盾だ。

魔力弾も物理攻撃も防ぐ、最高クラスの障壁である。

周辺の地形を構成する物質――今回の場合は氷河を構成する氷――を砕き、
障壁化するクリスの得意とする防御魔法だ。

クリス「これなら……!」

クリスはさらに障壁に魔力を込めた。

機人魔導兵達は一斉攻撃を仕掛けるものの、
高密度に圧縮された魔力と氷の障壁に阻まれ、クリスに近付く事もままならない。

魔力弾、体当たり、その全ての攻撃を防ぎきる正に鉄壁の防御。

クリス「クライノート、押し潰すよ!」

クライノート<畏まりました>

クリスはクライノートに指示を出すと、
自身を取り囲んだ機人魔導兵達を取り囲むように新たな障壁を作り出す。

機人魔導兵達がドーナツ型の障壁に囚われた事を悟ったのは、
障壁同士の隙間が狭まり始めた直後だった。

クリス「グラビテーションシュライファー!」

クリスの叫びと共に、二枚の障壁は一気にその幅を狭める。

グラビテーションシュライファー――重力の粉砕器の名の通り、
クリスを取り囲んだ機人魔導兵達は表層の氷ごと一気に押し潰された。

クリス「ふぅ……っ、ハァ……」

クリスは大きく息を吐く。

魔導装甲とインナーの防護服で熱さ寒さの類はかなり軽減されており、
体温の上昇に合わせた調整がされているにも関わらず、クリスの全身はひどく汗ばんでいた。

クライノート<大丈夫ですか、クリス?>

クリス「うん……人間が相手じゃないから……大丈夫」

心配そうに尋ねた愛器に、クリスは額に浮かんだ汗を拭う。

クライノートも主の汗を魔力でぬぐい去り、
その身体が冷えないように適度な暖かさに調整する。

クリス「ありがとう……クライノート」

クライノート<いえ……マスターの体調管理もギアの責務ですので>

少し申し訳なさを含んだクリスの感謝に、クライノートは優しい声音で応える。

と、その直後に異変は起きた。

表層を削られて薄くなった足下の氷河に、不意に大きなヒビが走った。

クリス「え!?」

足下に生まれたヒビに、クリスは驚愕する。

ブリーフィング後の通達では、戦場となる氷河はかなり分厚いため、
氷河に対してもある程度のダメージは許容されると聞かされていた。

現に周囲の仲間達も、炎熱系や雷電系の高い熱量を伴う魔法を使っており、
自分より盛大に氷河を破壊している者達の姿も見える。

だが、こんな巨大なヒビが走っている場所はない。

このまま巨大クレバスが発生するのでは、と警戒しつつ、
クリスはひび割れの下を見遣った。

クリス「あれ……?
    これって、まさか……!?」

ひび割れの下に見えた光景に、クリスは小さく驚きの声を上げる。

周囲はグラビテーションシュライファーの作り出した分厚い障壁に守られており、
敵もおいそれとは手出し出来ないだろう。

クリスは安全が確保されている事を確認すると、
最小限の威力で足下にグラビテーションボーゲンを放つ。

すると、氷河の一部が押し潰されて砕け散り、
ひび割れの発生していた部分に大きな穴が穿たれる。

九日前の対魔力結界の施された分厚い強化ガラスと違い、
この程度の氷河を押し潰すのは容易い。

クリス「やっぱり……これって人工物、だよね」

クリスは自身が穿った大穴の先に現れた金属製の構造体を見遣りながら、呆然と呟いた。

シャッターのような構造が見えており、
さらによく見れば氷河を押し上げられるようなジャッキらしい物も見えている。

どうやら上の氷河の一部をジャッキアップする事で機能する隠し通路の類のようだ。

先程までリーネと戦っていたネーベルが、突如として進行方向でない場所から現れたが、
恐らくはコレと同じような隠し通路か、或いはこの隠し通路自体を使って地表に現れたのは想像に難くない。

氷河の厚さはここだけ五十センチ程度。

どうやら、直上での戦闘――特にクリスの魔法が仇となって、
薄くなっていた氷河が割れてしまったのだろう。

クライノート<構造体から魔力反応を検出。
       どうやら魔力によって構成された物質のようです>

クリス<それって、魔導機人や魔導装甲と一緒、って事だよね?>

クライノートから計測結果を聞かされたクリスは、思念通話で問い返す。

クライノート<はい。シャッター自体をハッキングして開くよりも、
       クリスならば魔力弾で破壊した方が高効率と思われます>

クライノートは主の質問に答える。

確かに、このシャッターを破壊すれば本陣から近い位置に突入口を確保する事が出来るだろう。

クリス<これを壊したら、奥から敵が出て来る……。
    なんて事はないよね?>

だが、クリスは警戒した様子で呟く。

クライノート<可能であるならば、敵側は既にそれを実行していると推測されます>

クリス「あ、それもそうだよね……」

クライノートの推測に、クリスは思わず声を出して納得していた。

既に結達特務と一征の率いる一団が二つの突入口で機人魔導兵の召喚呪具を破壊している。

敵の戦力供給の勢いは確実に落ちているのだから、新たな戦力供給路を確保するのは急務だろう。

それを実行しないと言う事はつまり、敵にそんな手段が残されていないと言う事になる。

クリス「よし……グラビテーションボーゲン、最大出力で!」

クライノート<了解です、クリス>

クリスは愛器の返事を聞くと浮遊魔法で僅かに飛び上がり、
閉じられたシャッターに向けて最大出力のグラビテーションボーゲンを放った。

すると、先日の強化ガラスよろしく、人一人が通り抜けられるほどの穴が穿たれる。

クリス「意外と固かったけど、何とかなったね」

穿たれた穴を確認しながら、クリスはやり遂げたように小さな溜息を漏らす。

出来た穴から内部を覗き見ると、
途切れ途切れの証明で照らし出された、深く長い蛇腹状ダクトの縦穴が見えた。

かなり奥……氷河の下まで通じているようだ。

敵の隠し通路で間違いないだろう。

事実、このダクトはネーベルが地表に出る時に使った隠し通路だった。

と、その時である。

???「クリス姉っ!」

真上から名前を呼ばれ、クリスは驚いたようにそちらを見上げた。

するとそこには、安堵の表情を浮かべたセシルが、
高く築き上げられた氷の障壁の縁に立っていた。

クリス「セシル!?
    良かった……無事だったんだね」

クリスも同様に安堵の表情を浮かべ、胸を撫で下ろす。

セシル「それはこっちの台詞だって! ……って、コレ、何!?」

セシルはどこか怒ったように言ってクリスの隣に降り立つと、
ようやくその縦穴に気付いて驚きの声を上げた。

クリス「クライノートの話だと、多分、敵の隠し通路じゃないかって」

セシル「隠し通路か……。
    リーネ姉と戦ってた、あのネーベルって奴が使ってたのかな?」

クリスからクライノートの推測を聞かされ、セシルは思案げに呟く。

中々鋭い洞察力だ。

クリス「セシルは一旦、本陣に戻って偉い人達……、
    総指揮を執ってるアンダースン総隊長にこの隠し通路の事を報告して来て」

セシル「クリス姉はどうすんの?」

クリスの指示に、セシルは怪訝そうに問い返す。

クリス「私はここの確保と、それと下の確認。

    ザックさんとカーネルほどじゃないけど、
    私とクライノートも頑丈だし、罠の有り無しくらいは確認しないとね」

対してクリスは落ち着いた様子で答えた。

探していたセシルと合流し、彼女の無事を確認できた事も大きいが、
やはり妹分に不安がっている所を見せられないと言う“姉貴分の意地”もある。

セシル「大丈夫……?」

クリス「大丈夫だよ」

それでも心配そうに尋ねるセシルに、クリスは笑顔で答えた。

セシル「無茶しないでよ、クリス姉……」

クリス「うん、無茶なんてしないよ」

クリスはそう答えて、まだ心配そうな表情を浮かべるセシルを送り出す。

彼女が本陣に向けて飛び立った事を確認すると、クリスは穴に向き直る。

クライノート<先ずは陸戦型のエージェントでも入りやすいように、
       周辺の地形を整えないといけませんね>

クリス<そうだね……。

    えっと、とりあえず大きな壁と天井でこの辺りを覆って、
    敵が大群で入り込めないようにしないとね>

クライノートの提案に思念通話で応えて、クリスは周囲の氷河で高く分厚い壁を作り出す。

高密度障壁精製のために魔力を集束させるワケではないので、軽く掴んで固めると言った感じだ。

クリス「こんな感じかな……?」

クリスは小さく息を吐きながら、自らの作り出した構造体を見上げる。

大きな壁と天井を持った巨大な雪と氷の塊……
まあ言ってみれば直径十メートル程度の半球型をした巨大かまくらだ。

さらに本陣の方角に向けて、分厚い雪壁で囲った細長い通路を造り出し、
通路以外の部分を十メートル以上深くハーフループ状に掘り下げて、
掘り下げて余った分の雪と氷でかまくらの周囲をさらに取り囲んで外堀を作り出す。

真上から見たら、アルファベットのCか目の検査表、
或いは国際規格の電源マークに見えるハズである。

これならば、飛行できない魔導機人兵ではおいそれと入り込めないだろう。

逆に万が一にも敵が中から湧き出して来たとしても、
この狭い出入り口ならば流出速度も抑えられるハズだ。

仮に内側からかまくらを破壊されても、敵は一旦、深い堀を越えなければならない。

まだ完璧とは言い難いが、それでも十分に考えられた構造であった。

クライノート<上出来と思われます、クリス>

クリス<ありがとうクライノート……>

愛器からの賞賛にクリスは嬉しそうに応えると、再び足下を見遣り――

クリス「次は、こっちだね」

――そう言って息を飲む。

九日前の研修で潜入任務は経験したが、戦闘状態での敵地潜入は初めてだ。

だが、やると言った以上はやるしかあるまい。

クリス<クライノート、浮遊制御お願いね>

クライノート<了解です、クリス>

クリスはクライノートの返事を待ってから、深く長い縦穴に飛び込んだ。

側面にある蛇腹の凹凸を魔力で掴みながら、かなり早い速度で降りて行く。

途切れ途切れの照明が……いや、光の届ききらない薄暗がりが否応のない不安を煽る。

クリス(……あの子……この先にいたりするのかな……?)

そんな不安を振り払うように、クリスは不意にそんな事を思い出していた。

そして、思い返す。
何故、自分がこの作戦に志願したのかを。

多分、最も大きな体積を占めていたのは義務感だ。

魔導師評価Bランク以上で、この作戦に参加する意志のある者。

そんな条件で各訓練校に言い渡された志願者の募集。

無論、Aカテゴリクラスで十歳以上ならば魔導師としての評価は基本的にBランク以上。

クリス自身はAランク評価だ。

戦える自分が世界が救われる瞬間をただ怯えて待っているワケにはいかなかったし、
何より怯える弟妹分達を勇気づける必要もあった。

母や結達を少しでも助けたいと言う気持ちもあっただろう。

それら全てをひっくるめての“義務感”と言う事だ。

そして、僅かな体積を占めていたのが、ある種の興味本位と言うヤツである。

九日前にあの会場で見かけ、四日前に自分を助けるような行動を取った、一人の少年。

彼の真意を、クリスは知りたいと思っていた。

この作戦への参加を決める以前からあった、小さな、だが無視できない疑問。

彼が敵だったと言う確信を得てからは、その疑問は日増しに大きくなっていった。

あの場で彼が自分を助ける理由が、メリットが、一つも見当たらない。

だとしたら尚のこと、何故、あの場で彼は自分を助けるような行動に出たのか?

疑問はループするばかりで解答は出ない。

もしかしたら、自分はその解答を得るためにこの作戦への参加を決めたかのかもしれないと思うほど、
クリスの中でその疑問が占める体積は増しつつある。

しかし、クリスは不意に頭を振った。

ここは戦場、しかも敵の施設内部なのだ。

こんな事を考えていられる状況ではない。

クリス「敵が出たら………戦わないと」

クリスは自身の疑問を振り払うように、そう漏らした。

それから数分ほど降下を続けると、下の方で煌々と灯りが点っている事に気付く。

クライノート<どうやら、本格的に施設内部に出るようです>

クリス<そうみたいだね……>

クライノートからの報告を聞きながら、クリスは身構えた。

降下の間に多少の魔力は回復できている。

元々、対物操作に特化した魔力特性である。

飛行魔法ならともかく浮遊魔法程度なら今では魔力弾を撃つよりも楽勝だ。

ここまで降下するのに使った魔力よりも、回復した魔力の方が多い。

残りの魔力量は七割強。

クリスの魔力量はSランク一.五人分ほど、
ざっくりとした数値を言えばDランクを一として一四八〇〇前後。

残量で言えば一一〇〇〇程度だろう。

全開の魔法や魔力障壁を使えば、大概の魔力的、物理的な罠に対応できるハズだ。

クライノート<クリス、ダクトの終端とその先の空間の床面まで三十メートルほどの落差があります。
       掴む場所がない場合、瞬間的に落下速度が増加します。

       気を付けて下さい>

クリス<うん、分かった>

クリスはクライノートの計測とアドバイスに頷くと、その瞬間を待つ。

そして、彼女がダクト状の通路の終端を抜けた瞬間、急速な落下を始めた。

かなり広い空間だったようで、クライノートが計測した通り、
十数階建てのビルに匹敵する高さがある。

しかし、クリスは事前の愛器からのアドバイス通り、
慌てずに浮遊魔法を調整し、床に激突する寸前に減速してゆっくりと降り立った。

クリス「ふぅ……」

数分ぶりの安定した足場に、クリスは安堵混じりの溜息を漏らす。

警戒していたような罠もなく、どこか拍子抜けした感すらある。

しかし、ここは敵地だ。

クリスは気を引き締め直し、辺りを見渡した。

広さは大体、直径四〇メートルほどの円筒型。

壁に埋め込まれた無数の照明が、金属そのままの色の空間を明々と照らし出していた。

そして、この空間を構成している金属らしい物質の殆ど全てから魔力を感じる。

クライノート<この施設そのものが魔力で形作られているようですね>

クリス<そうみたいだね……。
    魔力探知が上手く働かないよ>

クライノートの報告を聞き、クリスは溜息混じりに返した。

元々、あまり魔力探知能力が高いワケでもなかったが、
ここまで魔力探知を阻害されると、この空間の外の魔力を探るのは難しい。

クリス(リーネお姉ちゃんくらい敏感なら、
    この施設内でもある程度探知できそうだけど……)

クリスはそんな感想を抱きながら、さらに辺りを見渡す。

やはり罠らしき物は見当たらない。

このまま一旦上に戻って仲間達と一緒に出直して来た方がいいだろうか?

そう思ってクリスが天井の穴を見上げた瞬間、背後で金属が静かにスライドする音が響いた。

クリス「誰!?」

音と共に感じた魔力に、クリスは驚きと共に振り返って身構える。

直後、彼女の目は見開かれた。

金属そのままの鈍色の空間に、白い絵の具を垂らしたかのような綺麗な一点。

運命の悪戯か、求めた故の当然の解か、
そこには自分が会いたいと思っていた少年の姿があった。

九日前に見かけた時とも、四日前に出逢った時とも違う、
あの電波ジャックに映っていた時の魔導装甲とも違う、白灰色のインナースーツを着ている。

髪や目、肌の色も相まって相変わらず真っ白な姿をしていた。

ナナシ「……また君か」

クリスの探していた少年――ナナシは、僅かに呆れを含んだ声音で漏らす。

彼自身、幾度もクリスと遭遇している自覚はあったようだ。

ナナシはそのまま進み出て、広い部屋の中央に立つ。

クリス「あ……あの!」

クリスは戸惑い気味に口を開きかけて、押し黙る。

何と言えばいいのだろう?

助けてくれてありがとう……
は、敵である彼に対して相応しくないかもしれない。

そう、彼は敵だったのだ。

ナナシ「カナデ様…………申し訳ありません、緊急事態です。
    はい、敵が侵入しました。……一人です」

しかし、そんなクリスの戸惑いを余所に、ナナシは冷静に通信回線を開く。

どうやら、この状況下でも彼らの通信システムは使用可能なようだった。

ナナシ「はい……07の防衛領域です。
    はい、反応は既にありません……敵に撃破されたようです。
    他の弟妹達やナハトも既に戦闘状況にあるようです。
    ……はい、ヴァイオレットネーベルのデータ収集は完了しています」

距離が離れているせいか、向こう側の声はクリスまでは届いていない。

ただ、その通信の相手が義母・奏と同じ姿をした少女――
カナデである事だけは、クリスにも分かった。

ナナシ「……畏まりました。
    こちらの音声と映像をそちらのスクリーンに出します。

    壁面のカメラ映像でよろしいでしょうか?」

そんなやり取りの後、ナナシは再びクリスに向き直る。

以前のように姿を消すような素振りもなく、
ただ微動だにせず何かを待っているようだった。

僅かに張り詰めた緊迫感の中、クリスは再び思案する。

先程の続きになるが、一番の疑問であった“どうして助けてくれたか”と言う事も、
いざ口にしようとすると場違いな気がしてしまう。

だが、それと同時に妙な疑問も首をもたげる。

そもそも、彼は敵と言っていいのだろうか?

機人魔導兵達は有無を言わさずに襲い掛かって来るし、
アメリカでの戦闘も、幹部格の機人魔導兵達やカナデは問答無用と言う有様だった。

まともに言葉を交わした事はなかったが、
他の敵達と比べれば、彼は少なくとも話の通じない相手ではないような気がする。

それにもしかしたら、彼はグンナーに連れ攫われた“被害者”なのかもしれない。

そんな可能性すら脳裏を過ぎる。

仮にそうだとしたら、
彼を助ける事は自分が目指して来たエージェント――母や結の姿そのものだ。

クリス「あ、あの……」

クリスが意を決して口を開いた瞬間だった。

ナナシの身体を、黒と白のコントラストが鮮やかな魔導装甲が包み込んだ。

ナナシ「カナデ様からの指示が出た……。
    クリスティーナ・ユーリエフ、君を殺す」

クリス「え……?」

直後にナナシの口から聞こえた言葉に、クリスは愕然と目を見開いた。

クリス「あ、あなた……何で……!?」

先程まで抱いていた様々な疑問が、クリスの脳裏を駆けめぐる。

ナナシ「GH01B……」

だが、その疑問を吹き飛ばす真実がナナシの口からもたらされた。

クリス「ッ!? GH……01……!」

クリスは息を飲み、その言葉を反芻する。

GHのナンバリング、それは人間と同じ姿をした機人魔導兵達が名乗ったコードだ。

今の今まで、自分を助けようとしてくれた相手が機人魔導兵だと言う事を、クリスは知らなかった。

ナナシ「……呼び辛いなら、“ナナシ”とでも呼べばいいよ」

クリス「ナナシ……?」

その名に、クリスはさらなる衝撃を覚えた。

ギアの翻訳機能を解して、それが固有名詞でない事を理解する。

名無し――Nameless。

名前が無いから、名前のある者達と区別するために“名前が無い事”を名前とする、
その事実に嫌悪感すら覚える蔑称。

だが、その嫌悪感すら覚える蔑称こそが、彼の名前。

クリスは、決して彼の名前を尋ねようとした訳ではなかった。

だが、困惑で詰まった言葉は、ナナシには名前を尋ねられたように感じたのだろう。

ナナシ「……いや、名前なんてどうでも良かったね。
    君は、ここで死ぬんだから」

ナナシは頭を振って淡々と呟き、自身の周囲に白い魔力砲弾を展開した。

ナナシ「ヴァイオレットネーベル、セットアップ。
    ……ヴァイスカタストローフェ!」

無数の白い魔力砲弾が、クリスに向けて放たれる。

クリス「そ、そんな、待って!?」

クリスは困惑の声を上げながらも、反射的に魔力障壁を展開して防御の態勢に入っていた。



時間は前後するが、クリスがナナシと遭遇するおよそ十分前。
タワー内部、下層――


特務がタワーに突入してから、早くも十五分が経過しようとしていた。

最初の分岐で下に向かったB班――結と奏は、
そのままほぼ真下に向けて進む螺旋状のダクトを下っている最中だった。

結「この施設内でも戦闘が始まってるみたいだね……」

結は頭部のウサギ耳のような新型センサーの片方を立てながら周囲の魔力を探る。

最終装備用にアレックスが開発してくれた高感度センサーは、
結にリーネ並の魔力探査感度を与えてくれていた。

全周囲が魔力に覆われたこの施設内では精密な魔力の探査こそ出来ないが、
それでも戦闘中の魔力反応くらいは感じ取る事が出来る。

戦闘レベルで魔力が高まっている仲間の反応は全部で四つ、
一番近い位置にいるのはおそらくフランだろう。

結「あ……また反応。
  これは……一征さんと美百合と紗百合かな?

  それと、この移動中なのはアレックス君?」

エール『そうだろうね……。
    これで施設内の味方の反応は八つ』

結の呟きに、エールが共有回線を開いて応える。

奏「みんな、例の幹部機人魔導兵達と戦っているのかな……?」

結「多分、そうだと思う」

奏の問いかけに、結は頷く。

さすがに敵の魔力波長までは詳しく感じ取る事は出来ない。

しかし、例の電波ジャックの映像に映っていた敵の幹部格は、首謀者のグンナーも含めて九人。

既に地上での戦闘を終えているリーネが倒したネーベルを除き、残り八人。

美百合と紗百合の魔力反応が間近にあり、
敵らしき反応が一つと言う事を考えれば、残りの敵幹部格は二人。

実際はさらに隠し球とも言える超大型魔導機人のナハトが存在しており、
それを踏まえれば残りは三人と言う事になるのだが、結達がその事実を知る由はない。

結「アレックス君の作ってくれた新装備もあるし、みんななら絶対に大丈夫だよ」

結は微塵も不安を感じさせぬ表情で言った。

しかし、結のそんな言葉にエールが小さな溜息を漏らし、さらに続ける。

エール『結、それだとみんなを信じているのか、
    アレックスの事で惚気てるのか、微妙だよ?』

結「の、の、惚気てなんてないよ!?」

エールの指摘に、結は頬を紅潮させた。

勿論、仲間達を信じていると言う事もあるが、
アレックスが半端な物を作るハズがないと言う信頼も大きい。

だからと言って結も惚気ているワケではないのだが、
まあ場を和ませるためのエールなりの気遣いだ。

奏「ふふふ……」

二人のそんな様子に奏も微笑んでいるのだから、彼の試みは成功と言えるだろう。

クレースト<……申し訳ありません、奏様>

対して、主の気負いを和らげる事が出来なかったクレーストは、
言葉通りの申し訳なさそうな声音で呟く。

確かに、クレーストの生真面目さはどこかユーモアからは遠いが、
それでも優しい心根を持ったギアだ。

奏<大丈夫だよ、クレースト。
  君は君で、いつもボクを助けてくれるじゃないか?

  ボクはすごく助かっているよ>

クレースト<奏様……勿体ないお言葉です>

奏が優しい声音で諭すと、クレーストはどこか感極まったように応えた。

奏「さあ、急ごう。
  フランの予想したタイムリミットまで残り三十分だからね」

結「うん」

奏の言葉に結は頷き、二人はさらに速度を上げる。

そして、一分としない内に、彼女たちは再び分岐点へと差し掛かった。

結「前か、下か……だね」

結は二つの通路を交互に見遣りながら漏らす。

一方は螺旋通路の終端からそのまま直進する水平な通路、
もう一方は真下に向かって降りる縦穴。

セオリー的には道なりに見える直進を選ぶべきだろうが、直感では縦穴が怪しい。

そもそも、地上からの出入り口があの直滑降だ。

通路も歩き難い蛇腹のダクトとなると、まともな常識など通用しないと思って良い。

奏「総当たりしてる余裕もないね。下に行こう」

奏がそう言って縦穴を降りて行こうとした瞬間――

結「ッ!?」

奏「……!」

不意の魔力を感じて二人は息を飲み、思わず魔力を感じた方角――直進通路の先を見遣る。

魔力の感じには覚えがあった。

どこか刺々しい、殺意にも似た思いが込められた魔力。

奏「………カナデ」

奏は自分と同じその名を、譫言のように呟いた。

そう、カナデ・フォーゲルクロウ。

自分と……母と同じ姿を持つ、赤銀の魔力の持ち主。

奏はギュッと拳を握り締める。

結「奏ちゃん……」

結はどこか苦しげな奏の表情を見ながら、その名を呟く。

別にこの先に優先して行く必要は……進んでカナデと戦う必要はない。

むしろ、いち早くグンナーを確保しなければいけない事を考えれば、
グンナー以外の幹部格は可能な限り無視するべきなのだ。

あの映像で見た機械の鎧に包まれたグンナーの戦力がどの程度の物か分からない以上、
これ以上、戦力を分断するのは得策ではない。

理想論としては、二人揃ってグンナーの元に辿り着く事だ。

だが、理想論と信念は時として相反する。

結「行ってあげて……奏ちゃん」

苦しげな表情を浮かべる親友の背を押すように、結は口を開いた。

奏「結……!? でも!」

結「ここはやっぱり総当たりで行こう」

結は反論しかけた奏の言葉を遮るように言って、さらに続ける。

結「もしかしたら、この通路のずっと先にグンナーさんがいるかもしれないもの。
  だから、下の探索は私に任せて」

結はそう言うと、“任せておいて”と言いたげに胸を張った。

奏にとってグンナーとの決着は重要事項ではあるが、
それ以上にカナデの事も放ってはおけない。

結もそれが分かっていたから故の提案だろう。

奏「結……ありがとう」

奏も、そんな結の気遣いが嬉しくて素直に感謝の言葉を漏らす。

この作戦……いや事件が佳境を迎えてからと言うもの、
仲間達、特に結には助けられてばかりだ。

それも結に言わせれば“いつものお礼”と言う事になるのだろうが……。

奏「結も……頑張って」

結「うんっ」

奏の激励に笑顔で頷くと、結は縦穴へと飛び込んだ。

どんどん小さくなって行く親友の姿を見送ってから、
奏は魔力の漂って来る方角へと振り返る。

奏「今……行くよ」

そう呟いて、奏は床を蹴って飛ぶ。

数秒とせずに、奏はシャッターで閉ざされた行き止まりへと辿り着いた。

しかし、その行き止まりも彼女が減速を始めると同時に、
通路を遮っていたシャッターが左右へスライドするように開いて行く。

開いたシャッターの向こうから、先程よりも強くカナデの魔力を感じる。

奏(誘ってる……って事かな?)

奏は十字槍と短刀型のスニェークを構え、シャッターの奥へと身体を滑り込ませた。

途切れ途切れの照明に照らされていた通路と違い、
シャッターの奥は真っ暗な空間が広がっていた。

カナデ「いらっしゃい、姉さん」

暗闇の中、声が響く。

自分と同じ声……カナデの声だ。

奏「そこに、いるんだね?」

カナデ「ええ……きっと来てくれると思ってたわ」

奏の問いに、カナデは声を弾ませて応えた。

喜悦の色を交えた殺意にも似た感情を乗せた、どこかアナーキーな声音。

カナデ「だって……姉さんだって気持ち悪いでしょ?
    自分と同じ顔、同じ声、同じ名前の人間が生きてるなんて」

声は正面方向。

おそらくはこの真っ暗な部屋の中央部に、彼女はいるのだろう。

奏「そんな事ない……ボクは、君と話をしたいんだ」

奏はその質問に答えながらも身構え、奇襲に備える。

カナデ「……へぇ、話、ねぇ……」

ややあってから、
呆れの入り交じったカナデの声と共にパチンッと乾いた音が鳴り響いた。

おそらく、指を鳴らしたのだろう。

それと共に、真っ暗だった部屋に一気に照明が灯る。

急激な光量の変化に、奏は思わず目を細めてしまう。

だが、すぐにその光に目は慣れ、眼前の光景に奏は目を見開かれる。

確かに、カナデは部屋の中央にいた。

堆く詰まれた古びた機械……ガラクタの上で、
黒いインナー防護服だけを纏って座る姿は、どこか一枚の絵画のようにも見える。

奏「その……髪……それに、目も……」

愕然と漏らす奏の視線の先にいた少女の姿は、しかし、四日前とは違っていた。

艶のあった黒髪は美しく煌めく金色に染まり、
瞳の色も黒から彼女の魔力波長と同じ赤銀色に染まっている。

カナデ「ああ……これ? どう、綺麗でしょう?」

カナデは自慢げにその金色の髪を掬い上げた。

光を浴びて照り返す様は、確かに綺麗だった。

染めたとか、カラーコンタクトを使ったとかと言うレベルではない、
とても自然で鮮やかな色合いだ。

奏「どう、したの……?」

突然のカナデの変化に、奏は愕然としながらも理由を問う。

カナデ「捨てたのよ……お祖父様に徹底的に調整してもらってね。

    あんな女と同じ髪の色なんて堪えられないもの……。

    本当はあの女がいらなかったって言った、
    姉さんと同じ銀髪と青銀の目が欲しかったけれど……。

    まあ、こればかりは運任せだもの、
    でも、これはこれで気に入ってるんだよ?」

カナデはどこか芝居がかった様子で朗々と語り、
堆く詰まれていたガラクタの山から飛び降りる。

カナデ「起動認証、カナデ・フォーゲルクロウ……
    ゲベート、スタートアップ!」

胸にかけられていた金色の逆十字のギア――ゲベートを掲げ、魔導装甲を身に纏う。

漆黒に赤銀のラインが鮮やかな、形だけは奏と瓜二つの魔導装甲。

色以外で違うのは、十字槍と短刀の二刀流の奏に対して、
カナデの武器は身の丈ほどもある一対の大剣である事だ。

カナデ「ねぇ、姉さん……コレ、知ってるよね?」

カナデは自分が座っていたガラクタの山をその大剣の切っ先で指し示しながら尋ねる。

ガラクタの山など、任務で踏み込んだ研究所やらテロ組織のアジトやらで何度も見ていた。

だが、カナデが敢えて尋ねて来たからには何かあるのだろうと、
奏は警戒しながらもガラクタの山を見遣る。

確かに、どこか見覚えがあった。

研究院やグンナーの研究船で見た物ではない。

もっと昔、十五年以上も過去の……。

奏「まさか……!?」

カナデ「やっぱり分かる?
    そう、あの女の使ってた機材だよ」

愕然とする奏に応えると共に、カナデはそのガラクタと化した機材に刃を突き立てた。

カナデ「もっと言うとね、コレが私を閉じ込めていたカプセルと、
    その維持に使われていた機械……。

    ……私達の“オカアサンノオナカ”だよ」

カナデはそう言って、機材に突き立てていた刃を薙ぎ払う。

もう何度もそうされて来たのだろう、
よく見れば機材は切り裂かれた跡や叩き潰された跡だらけでボロボロだ。

奏「オカアサンノ、オナカ………」

その単語を聞きながら、奏はやはりショックを隠し切れない。

オカアサンノオナカ……
人造人間とも言える魔導ホムンクルスのクローンにとって、
確かに母の子宮に相当する物だろう。

理解していたつもりだった。

母に心底から愛されてはいたが、母の胎内から生まれたワケではない。

試験管の中で生を受け、長く生きられない母の代役として生まれた自分。

その事実は絶対に消えない。

消えようがないのだ。

カナデ「……ねぇ、何でだろうね?」

ガラクタの山に刃を突き立てながら、カナデは尋ね、さらに続ける。

カナデ「同じ細胞から培養が始まって……どうしてこうも違うの……?」

その言葉と共にガラクタを薙ぎ払い、また刃を突き立てた。

奏「違う……?」

カナデ「違うでしょう!?

    同じ細胞から培養されたAとB、
    選ばれたAの姉さんはあの女を母さん母さんって慕って、
    大切にしてくれる友達がいて、仮初めでも家族がいるじゃない!」

怪訝そうに問い返した奏に、カナデは目を見開いて叫ぶ。

奏の方を見る事なく、何度も何度も、ガラクタの山に大剣を叩き付ける。

カナデ「Bだった私は、自分を作ろうとした女にすら不要扱いされて!
    姉さんがあの女の娘として幸せを謳歌してる間、
    私はそれすら知る事も出来ずに受精卵のまま凍結封印!」

まるで熱病に魘されるかの如く、カナデはガラクタの山を叩き壊して行く。

ガラクタ同然だった機材の山は、いつしかにスクラップの山に姿を変えていた。

カナデ「ねぇ……何で私がBなの?

    たまたま利き腕側にあったのがA?
    試験管立てに並べた順番?
    その日の気分?」

カナデは大剣を振り上げ、その刀身に赤銀に燃える魔力の炎を灯す。

ブレンネンクリンゲだ。

カナデ「……ふざけるなっ!」

怒声と共に振り下ろされた燃える刃が、スクラップの山を焼き払って消し炭に変えた。

その凄惨な光景に、奏は無言のまま立ち尽くす。

カナデは俯いたまま肩で息をしていた。

だが、短い深呼吸を一つして、平静な表情で奏に向き直る。

カナデ「あの女が死んで、姉さんは哀しかった?

    でもね、私は哀しいと感じるような思い出すら貰えなかった……」

カナデは張り付いたような笑みを浮かべて呟く。

カナデ「キャスリン・ブルーノやエレナ・フェルラーナが殺された時、
    姉さんは悔しかったでしょ?

    でもね、私はその二人とも出会ってすらいない……」

その笑顔が、次第に歪ん行く。

カナデ「譲羽結に助けられた時の喜びと感謝も、
    シエラ・ハートフィールドに抱いた憧れと尊敬も、
    フランチェスカ・カンナヴァーロ達と出逢った時の胸の高鳴りも……、
    私は何一つ知らない!」

狂気に満ちた表情を浮かべて叫び、さらに続ける。

カナデ「私にだって、その機会があったハズだよね?
    どっちがAかBかなんて、最初は差だって無かったハズなんだもの。

    BはAが失敗した時の予備……予備の予備!

    奏・ユーリエフは私で、姉さんがカナデ・フォーゲルクロウだったかもしれない!」

カナデは狂気の叫びを奏に投げつける。

それは、言ってみれば当然の疑問と欲求だったのかもしれない。

カナデ「だからね……カナデ・フォーゲルクロウは壊すの……奏・ユーリエフの全部を!
    姉さんが愛してる人達も、姉さんを愛してくれる人達も!

    だってそうでしょ!?

    姉さんの愛も、姉さんの夢も、姉さんの希望も、
    全部、私が手に入れるハズだった物なんだから!」

それが、彼女の行き着いてしまった答だった。

自分に訪れたかもしれない出逢い。

自分に注がれていたかもしれない愛。

自分が抱いたかもしれない夢と希望。

その全てを、AかBかと言う違いだけで得る事すら許されなかった。

それは、奏にとっても同じだ。

ただ偶然にも、自分はA……初期培養の段階で選ばれた。

母を得て、喪って、キャスリン達と出逢って、
グンナーの元で暗闇の中を彷徨うような幼少期を過ごした。

それは確かに不幸だったかもしれない。

だが、その不幸すら幸福に至るための通過点だったと思えるほどの幸せに、
今の自分はその身を置いている。

命の恩人とも言える親友が傍にいて、
尊敬する女性と同じ職に勤め、養子とは言え愛する娘だっている。

その全てが、選ばれなかったと言うだけで手に入らなかったとしたら。

そう考えるだけで心が折れそうになるのは、
自分の心をその全てが支えてくれているからだ。

だが――

奏「それは……」

奏はその恐怖すら振り払って、目の前の少女を見据えて口を開く。

奏「……違うよ」 

槍の穂先と短剣の切っ先を下げて、
努めて優しい声音で呟き、さらに続ける。

奏「たとえそうでも、ボクはボクで……君は君なんだよ」

カナデ「ゼンモンドウみたいな事を言うな!」

優しく語りかける奏の言葉を振り払うように、カナデは叫ぶ。

奏「禅問答なんかじゃないよ……」

カナデ「じゃあ何、余裕のつもり!?
    どう足掻いても選ばれるのは自分だったって言いたいの!?」

哀しそうに目を伏せて否定した奏に、カナデは怒りの言葉を投げかける。

確かに、奏の言葉は禅問答とも言えるモノだった。

仮にカナデが選ばれたAで、奏が選ばれなかったBだとしても、
結果的にAは奏・ユーリエフとなり、Bはカナデ・フォーゲルクロウとなるのだ。

元が同じ細胞なのだから、
スタート地点が変わってもそれぞれに同じ経路を辿れば現在地に大きな差は出ないだろう。

同じ条件の二枚の紙があったとして、
片方がテスト用紙に片方が紙飛行機になり、その可能性が最初は五分五分であろうとも、
結果論で言えば一方がテスト用紙で一方が紙飛行機になる運命は変わらない。

それと同じように、奏がカナデ・フォーゲルクロウになっても、
カナデが奏・ユーリエフになっても、
その運命を入れ替えるだけで今と言う状況に大差はなかっただろう。

奏はカナデとして奏になったカナデを憎み、
カナデは奏としてカナデとなった奏の前に立つ。

どうあろうともそれだけは変わらないと、奏には言い切れた。

目の前にいるカナデのような闇を自分も抱えていると自覚しているのだ。

ただ、その闇を振り払ってくれる多く人達との出逢いに恵まれた。

それだけの話だ。

そして、たとえ彼女がその出逢いを拒んでも、
自分と出逢った多くの人達はきっと彼女の闇を払ってくれただろう。

そんな信頼もある。

奏「それに、立場が逆ならきっと……」

カナデ「姉さんが私を哀れんだ所で、
    私はもう……どうにもならないのよっ!」

言いかけた奏の言葉をヒステリックに遮って、
カナデは燃えさかる刃を掲げて斬り掛かって来た。

カナデ「ブレンネンクリンゲッ!!」

右の大剣が奏に向けて振り下ろされる。

奏「ッ!?」

だが、奏も即座にその間合いの外へとバックステップで回避し、さらに武器を構え直す。

もう、話し合いが通じる段階ではないようだ。

奏(そう、だろうね……)

諦めではなく、その事実を受け入れる。

カナデ「シュトロームクリンゲッ!!」

そして、構えた奏に向けて、左の二の太刀が振り下ろされた。

シュトロームクリンゲ――独語で“流れる刃”の名の通り、
赤銀に輝く流水変換された魔力を纏った刃だ。

奏「リョートリェーズヴィエッ!」

奏は右手に構えていたスニェークに氷結変換した魔力の刃を精製し、
その二の太刀を受け止める。

青銀の氷と赤銀の水がぶつかり合って激しい魔力光を放つ。

奏(やっぱり、重い……!)

カナデの大刀を受け止めながら、奏は心中で呟く。

流水変換に対して絶対的に上位である氷結変換の魔力刃にも拘わらず、
奏のリョートリェーズヴィエはカナデのシュトロームクリンゲに押されつつあった。

クレースト<奏様、一旦離れて下さい!>

奏<了解!>

クレーストのアドバイスに従い、奏は足下に牽制の魔力弾を放って距離を取る。

カナデ「離れても無駄よっ!」

だが、カナデは一足飛びにその距離を詰め、再び二刀の大剣に炎と水を宿す。

奏(あまり何度も真っ向から受けてはいられない……!)

振り下ろされる大剣を回避しながら、奏は十字槍に魔力を込め続ける。

ビール空軍基地での戦闘でも真っ向から攻撃を受け止めたが、
その時も腕に痺れを残すほどの膂力だった。

身体による腕力強化か、それとも純粋に魔力量の違いで圧倒されているのか分からないが、
何度も真っ向勝負を挑まれては腕が保たない。

クレースト<どうやら、奏様とは根本的に戦闘パターンが違うようですね……>

愛器の解析を聞きながら、奏は心中で頷く。

そう、それは分かっていた。

奏の得意とする戦法はスピードを活かした高速戦闘だが、
カナデは突破力に任せた典型的なパワータイプの戦法だ。

だが、カナデにはそれに加えて、
加速中の結に合わせて斬撃をたたき込めるだけのスピードが加わっている。

今も奏はすんでの所でカナデの斬撃を回避している状況だ。

先程のように下手にタイミングをずらされたら、また真っ向から斬撃を受け止めるしかない。

カナデ「ちょこまかと……!」

カナデは苛ついたように吐き捨てて、左の大剣に込めた魔力を霧に変え、
大剣を大きく振り払う事で周囲に拡散させる。

奏「魔力の霧!?」

赤い霧に囲まれて驚く奏を後目に、カナデは霧の中に消えて行く。

その直後、霧はその濃度や密度を変え、無数の水鏡が周囲に現れた。

遠近感を狂わせるような大小様々な水鏡が、魔力探査知覚を狂わせる赤い霧の中に浮かぶ。

カナデ「シュピーゲルゾルダートッ!」

それらの水鏡に、無数のカナデの姿が一斉に映し出された。

どうやら奏のミラージルィツァーリと同様の撹乱魔法のようだ。

カナデ「これなら何処から斬り付けられるか分からないでしょう?」

そう嘲笑うようなカナデの声も、全周囲から谺して距離感を掴ませない。

奏「撹乱魔法は良い選択だけど……この魔法には絶対的な弱点があるんだよ」

しかし、奏は落ち着いた様子でスニェークに炎熱変換した魔力を込める。

奏「スニェーク、プラーミャリェーズヴィエッ!」

奏が炎の刃となったスニェークを投擲すると、短刀型の補助魔導ギアは手裏剣のように周囲を飛び回った。

青銀の炎が、一気に霧を消し去って行く。

奏「相手が閃光変換系や直接打撃系の魔導師ならともかく、
  炎熱系や氷結系の変換を得意とする魔導師相手に、
  霧を使った撹乱魔法は意味が無いんだ……」

奏は九年の実戦経験で思い知った自身の魔法の弱点を、どこか寂しそうに語る。

事実、奏のミラージルィツァーリは、十一年前の魔導巨神事件での結との決闘に於いて唯一、
結が選んだ対処方法として影響範囲外への脱出と言う“逃げ”の一手を取らせた魔法だったが、
それは彼女が閃光変換系の魔導師だったからに過ぎない。

撹乱魔法は所詮は一発芸の魔法だ。

初めて相対するならともかく、この魔法の特性を知る奏には対処は容易であった。

カナデ「こんなに、あっさりと……!」

霧の全てを消し去られて姿を現したカナデは、悔しそうに漏らす。

経験に差があり過ぎるのだ。

奏は現在二十二歳。

十三歳の頃からプロエージェントとして働くずっと以前、
八歳の頃から戦闘訓練を受けて既に十四年だ。

対してカナデは精製完了から十四年。

自分と同じく精製完了から三年と言う短期間で魔力覚醒を迎えたとしても、
訓練期間は十一年間。

カナデの実戦経験がどの程度の頃からあったかは知らないが、
奏の初陣はもう十一年前となる十一歳の冬。

初陣の相手は新人とは言えAランク以上の実力者であったエレナと、
自身の十倍以上の圧倒的魔力量を誇った結の二人。

他に特筆すべき所では、四年前の超弩級魔導機人との戦闘など、
経験値からして圧倒的な差がある。

キャスリン、リノ、エレナ、レナなど、
魔法戦において得意分野を異にする数多くの師に恵まれた事も大きいだろう。

確かにパワー勝負では一歩も二歩も譲るかもしれないが、
撹乱魔法のような絡め手を使っての戦闘となれば奏に勝てない道理はない。

奏「対処の遅れた最初の二連撃ならまだしも、
  普通の斬撃ならもう目が慣れた……。

  君の太刀筋は全部大振り過ぎる」

カナデ「このぉ……ッ!」

落ち着いた様子の奏に対して、カナデは忌々しそうに吐き捨てて睨め付ける。

その時だった。

カナデ「何!? 今立て込んでるのよ!?」

不意にカナデが苛ついたように独り言を叫ぶ。

どうやら通信のようだ。

カナデ「緊急事態?
    ……そう、数は? 一人?
    ……場所はネーベルのテリトリー?」

怪訝そうに顔をしかめ、カナデはやや間合いを離しつつも警戒した様子を見せる。

奏(向こうの通信は通じているんだ……。
  物理回線かな……?)

その様子を観察しながら、奏は心中で独りごちた。

敵施設内とは言え、通信可能と言うアドバンテージを握られているのは厄介だ。

カナデ「ネーベルはもう撃破されたって事?
    ………そう、先走って自滅か……あの子らしいわね」

カナデは通信相手――既にお気付きだろう、ナナシだ――に、
呆れたような溜息と共に返し、さらに続ける。

カナデ「07兵装は完成したかしら?
    ……そう、それならいいわ。
    他も完成次第、データを回収しなさい」

魔力による障壁を展開しつつ、カナデは奏の隙を窺う。

通信中の油断を突いて来る瞬間を狙うつもりなのだ。

クレースト<どうやら、彼方には気付かれているようです>

奏<意外と強かだね……>

実際、通信中の油断を突くつもりだった奏は、クレーストの言葉に感嘆で応えた。

カナデ「それと、侵入者を見てみたいわ。
    私のテリトリーのモニターに映して。
    ………ええ、その方が見易いわ、お願い」

カナデがそう言い終えた直後、ドーム型をした部屋の壁面に魔力のスクリーンが出現し、
通信相手であるナナシのいる部屋の様子が映し出された。

その光景を横目に見ていた奏の目が、即座に見開かれる。

奏「く……クリス!?」

奏は思わず構えを解いて愕然と漏らした。

何故、施設内にクリスがいるのか?

どうして、たった一人なのか?

様々な疑問が奏の脳裏に過ぎる。

カナデ「クリス……クリスティーナ……?
    ああ、そうか、あの子………例の“もう一人の王様”か。

    ……何だっけ?
    大昔の人が伝承に合わせて付けたのが、
    “征服の王”と“破滅の王”だったかしら?」

奏の反応に一瞬怪訝そうな表情を見せたカナデだったが、
すぐに思い出して愉快そうに漏らした。

カナデの語った“征服の王”と“破滅の王”とは、
古代魔法文明調査で名付けられたものの、
既に百年近く前に使われなくなった王に対する仮の呼び名だ。

魔導巨神となって他文明に報復したレオンハルトを“征服の王”と呼び、
移民船を起動して自文明を破滅に追い遣ったレオノーラを“破滅の王”と呼ぶ。

現地の遺跡や伝承を調べた末に付けられた仮称で、
前述の通り百年近く前から使われなくなっていた。

今でもその名で呼ぶのは、古代魔法文明を小馬鹿にした者か、
余程、古代魔法文明に執心している者くらいである。

カナデの場合は明らかに前者だろう。

カナデ「姉さんの大切な大切な家族ごっこの相手、だよね」

奏「ッ!」

酷薄な愉悦の表情を浮かべたカナデに、奏は思わず息を飲む。

カナデ「大・正・解……ふふふっ……」

その反応を肯定と受け取ると、カナデは楽しそうな笑みを零し、さらに続ける。

カナデ「ナナシ! それ、殺しなさい!

    但し、一気に殺しちゃ駄目よ。
    じっくり、じっくり……見せつけるように痛めつけるの。
    それで、私が殺していいって言うまで、止めを差しちゃ駄目よ」

奏「そ、そんな……キミは!?」

カナデの指示に、奏は愕然と叫んだ。

愛するわが子がモニターの向こうで殺される様を見せつけようとする、正に悪魔の所行。

カナデ「本当は私の手で壊しちゃいたかったけれど、
    愛してる人が壊されて行く様を遠くから見ているしかない姉さんを、
    一番間近で見ているのも楽しそうだもの……ふふふっ、あはははっ!」

カナデは愉悦を滲ませ、歪んだ笑みを浮かべて哄笑を上げる。

カナデ「ああ、そうだ……クリスティーナがナナシが勝てる、なんて思わない方がいいわよ?
    あの子、未完成の今でも私くらいは強いわよ……。
    それこそ、完成したら00も02以下の連中でも歯が立たないほどね」

奏「そ、そんな……」

抱いていた一抹の希望を打ち砕かれて、奏はさらに愕然とする。

今も仲間達が苦戦を続けているかもしれない機人魔導兵達より、
我が子と対峙しているあの小柄な少年の方が強いと言う。

クリスの潜在能力は確かだ。

だがそれでも、そこまでの強者を相手にどこまで食い下がれるかなど、何の保証もない。

カナデ「でも、ね……一つだけ救済策を用意してあげるわ」

カナデは酷薄な笑みを浮かべて、
大剣をタクトのように踊らせ、さらに言葉を続ける。

カナデ「これから私の出すルールをちゃんと守り続けられたら、
    最低限、あの子を殺さないでいてあげる。

    勿論“抵抗するな”なんて無粋な事は言わない。
    その場から一歩も動かずに戦ってくれればそれでいいから」

奏「なっ……!?」

クレースト<奏様……>

カナデから提示されたルール……条件に愕然とする奏に、
クレーストも不安に満ちた声を漏らす。

ずっと以前……それこそ十一年前の彼女ならば、
主である奏の身を最優先してクリスを見捨てるような判断を下したかもしれない。

だが、主が多くの人に心を開き、笑顔を見せるようになり、
主がどれだけその笑顔を向ける人々を愛しているかは彼女も知っている。

もっと端的に言ってしまえば、
主にとって大切な人々は彼女にとっても大切なのだ。

その大切な人――クリスの命を人質に取られては、
彼女に普段通りの冷静な思考は望めない。

クレースト<申し訳ありません……。
      奏様とお嬢様をお救いできる案が、私には考えつきません……>

奏<謝らないで……クレースト。
  その事を考えてくれただけで……、
  そんなキミが傍にいてくれるだけで、ボクには十分だから>

悔しそうに漏らす愛器に、奏は気丈にも落ち着いた声音で応えた。

そして、意を決してカナデを見据え、口を開く。

奏「………分かった、そのルールを呑むよ」

クレースト<か……奏様……>

主の決定に、クレーストはその名を呼ぶ以外の選択肢を持ち得なかった。

その声に奏は小さく頷いて応えると、さらに思念通話で指示を出す。

奏<クレースト……右腕を重点的に身体強化。
  上体だけで避けられない攻撃は全部受け止めるよ>

その指示を聞いて、クレーストは衝撃を受ける。

そう、奏は決して諦めていなかった。

勝機など見えない状況にも拘わらず、だ。

クレースト<畏まりました、奏様!>

主が諦めていないと言うのに、
ただ打開策を思いつかなかった自分が諦めている場合ではない。

そんな思いと共に、クレーストは力強く応えた。

カナデ「さて、と……何発持つかな」

対してカナデは大剣の片方を収め、刃を撫でるようにして残る一方の大剣に炎を灯す。

カナデ「姉さんと私じゃあ確かに実力は姉さんの方が上だけど……、
    力だったら私の方が上、だよね?」

炎を灯した大剣を玩ぶように振り回しながら構え直し、カナデは前傾姿勢になる。

避けられない事を知った上で、さらに全力で斬り掛かって来るつもりなのだ。

当然と言えば当然だろう。

クレースト<構えからして袈裟斬りのようです>

奏<……早速、避けられない斬り方か……>

クレーストの解析を聞きながら、奏は肩を竦めた。

移動が可能ならばしゃがんでやり過ごし、
そこから距離を取り直すと言う回避方法もあったが、
“一歩も動かずに”と言う条件下でしゃがむのは正解とは言い難い。

ここは予定通り、全力で受け止める他ないだろう。

カナデ「………吹き飛ばされるくらいなら、オマケで見逃してあげるわ!」

カナデはそう言って床を蹴った。

カナデ「ブレンネンクリンゲッ!」

クレーストの予想した通り、カナデは炎を灯した大剣を袈裟懸けに斬り付けて来る。

奏「リョートリェーズヴィエッ!」

対して奏は右手に構えたスニェークに青銀に輝く氷の刃を精製し、
その一撃を真っ向から受け止めた。

青銀の氷と赤銀の炎がぶつかり合い、再び激しい接触光が辺りに弾ける。

奏「っ……ぐぅ!?」

右腕を襲った衝撃と想像以上に重い一撃に、奏は思わず顔をしかめた。

動く相手に“当てよう”とコントロールするのと、
棒立ちの相手に“当てる”だけでは、斬撃全体にかけられる力も魔力も段違いになる。

無論、威力が上がるのは後者だ。

実際、奏が斬撃を行う際には自身の速度に合わせて、
対象との接触や相手の防御姿勢を計算したクレーストが、
筋力や速度の調整を瞬間的に行ってくれている。

相手が動けば動くだけそれに見合った分の軌道変更が必要になり、
その際、身体にかかる負荷の軽減や身体強化などにも魔力は使われ、
その量に応じて威力も低下するのが普通だ。

だが、前述のように棒立ちで構えているだけの相手ならば、
自身の筋力も魔力も全て斬撃だけに傾ける事が出来る。

威力が上昇するのは当然と言えよう。

奏「っ……ぅ」

衝撃で痺れた腕の感覚に、奏は苦悶の声を漏らす。

力の入らない右腕を肩ごと落としながらも、
奏はスニェークを取り落とさぬように必死に握り締めた。

カナデ「アハハハッ、どうしたの?
    もう腕が壊れちゃった?
    さっきのと合わせてまだ二回目だよ?」

奏「まだ、だよ……!」

哄笑と共に問いかけるカナデに、奏はそう答えながら震える腕を構え直す。

カナデ「そう来なくちゃ……」

カナデは不敵な笑みを浮かべ、くるりと踵を返して再び距離を取る。

奏が動けない事を知っての余裕の態度だ。

無論、奏にも中遠距離系の魔法はあるが、
主力である高速斬撃魔法を補助するための目眩まし程度の威力でしかない。

そんな魔法を使った所で十分な威力は望めないし、
十分な威力が望める儀式魔法は時間が掛かりすぎる。

カナデ「別にそこから動きさえしなければ、いくらでも反撃していいのよ?」

それを知ってか知らずか、カナデは挑発するような口調で言うと、再び踵を返して構え直す。

ナナシ『ヴァイスカタストローフェ!』

クリス『そ、そんな、待って!?』

一方、スクリーンの向こうでも既に戦闘が始まっており、
クリスが大量の魔力砲弾に襲われていた。

奏「く、クリス!?」

カナデ「へぇ、最初から飛ばしてるわね……。
    まぁ、命令通りに殺さない程度の加減くらいはするでしょ」

その様子に、奏は悲鳴じみた声を上げ、カナデは満足げに呟く。

カナデ「じゃあ、こっちも一度、大きめのを行っておきましょうか?」

カナデはほくそ笑みながら、先程収めたもう一本の大剣を構えた。

右の大剣に炎熱、左の大剣に流水の魔力が宿り、集束して行く。

カナデ「姉さんの最強魔法……
    ドラコーングラザー・マークシムムクルィークだっけ?

    アレとまともにやりあったら勝ち目が無いと思って、
    ちゃんと対抗策は用意してあるんだよね」

カナデは朗々と呟きながら、
右の大剣を背に担ぐように、左の大剣を脇に収めるように構えた。

凄まじい魔力の集束で、彼女の周囲に赤銀の輝きが満ちて行く。

奏<クレースト、本体の魔力チャージ状況は!?>

クレースト<ドラコーングラザー・リェーズヴィエ一発分です!
      モード変更間に合いません!>

愕然と問いかけた奏に、クレーストも大急ぎで返す。

奏<……防御優先!
  ドラコーングラザー・リェーズヴィエで迎え撃つ!>

奏は意を決し、戦闘開始からずっとチャージに集中していた十字槍の魔力を解放する。

雷電変換された魔力が溢れ出し、奏の周囲を青銀の輝きが満たす。

カナデ「へぇ、やっぱりちゃんと反撃の準備はしてたんだ……。
    なら、加減してあげるから……防いでみせてよ!」

感嘆の後、カナデはそう叫ぶと同時に、脇に収めていた左の大剣を薙ぎ払った。

集束した流水魔力の刃が大剣の切っ先から放たれる。

奏(擲斬撃!?)

自分に向けて真っ直ぐ向かってくる斬撃に、奏は見開く。

擲斬撃……つまり遠隔斬撃だ。

集束魔力刃の一種で、斬撃そのものを魔力弾に変えて投擲する高等技術である。

奏もやってやれない事はないし威力も高いが、
擲斬撃一回に使う魔力よりも通常の魔力弾の方が高効率であり、
威力も通常の斬撃の方が高いと言う事であまり多用はしない。

確かにかなり高レベルで集束された擲斬撃だが、
このくらいならばスニェークのマークシムムグラザーで簡単に迎撃できてしまう。

しかし、ドラコーングラザー・マークシムムクルィークに対抗できる魔法がその程度のハズがない。

奏(まだ何かある……!)

奏は青銀の雷を込めた十字槍を構えながら、さらなる攻撃に備えて身構える。

そして、その奏の警戒に応えるかのように、カナデが床を蹴って跳んだ。

カナデ「ドラッツェンエクスプロジオン……ッ!」

跳躍と同時に、背に抱えるようにしていた右の大剣が振り下ろされ――

カナデ「マクスィールファングッ!!」

――流水魔力の擲斬撃に叩き付けられた。

直後、炎熱と流水、二つの魔力がぶつかり合って大爆発が発生し、
奏に向かって襲い掛かって来る。

いや、正しくは大爆発のエネルギーを纏った魔力斬撃が、
奏に向けて振り下ろされたのだ。

奏(魔力爆発!? アレックスの魔法と同じ!?)

斬り付けられる爆発に、奏は今度こそ驚愕で目を見開いた。

奏「ドラコーングラザー・リェーズヴィエッ!!」

しかし、即座に雷電変換した魔力を集束させた刃で迎撃する。

熱系変換同士の激突。

だが、今度は反エネルギー同士をぶつけ合った魔力爆発が相手だ。

仮に炎熱魔法と流水魔法でぶつかり合っても、
互いのエネルギーを相殺し合う作用が生まれる。

しかし、同波長の魔力が生み出した炎熱魔力と流水魔力は、
混ざり合って水蒸気爆発に近い魔力的な爆発を生む。

特質熱系変換特化の魔力特性を持ったアレックスのような魔導師以外には使えない、
或いは使うのに篦棒に高い技術と集中力が必要になる。

その問題を力業で強引に解決したのが、
カナデのドッラツェンエクスプロジオン・マクスィールファング――
“龍の爆発を孕む最大の牙”と言う事だろう。

そして、二種の魔力が混じり合った魔力の爆発は、
その勢いで魔力の雷の破壊力をそぎ落とす。

奏(い、いけない……押し負ける!?)

肌で感じた威力の差に、奏は愕然とした。

戦闘中の余剰でチャージしていた魔力とは言え、
それでもドラコーングラザー・リェーズヴィエ一発分はあったのだ。

それをほんの数秒の拮抗させる事も出来ずに押し切られてしまう。

カナデがマークシムムクルィーク対策と言ったのも頷ける。

だが、真っ向勝負はまだ終わってはいない。

クレースト<奏様、緊急防御を行います!>

クレーストがそう叫んだ直後、奏の周囲を青銀色の水の幕が覆った。

流水変換された魔力の障壁――アゴーニヴァダパートの流水変換版だ。

しかし、所詮は緊急防御。

カナデは意図も容易くその流水障壁を突き抜け、
集束された炎熱魔力刃を纏う大剣を叩き付けて来た。

奏も殆どの雷電魔力刃を相殺されてしまった十字槍でそれを迎え撃つ。

奏「ぐぅ……ぁっ!?」

金属と魔力のぶつかり合うけたたましい音と共に、奏は苦悶の声を上げた。

魔力の殆どが相殺されている分、
腕に伝わる衝撃も先程までの二発よりもずっとダイレクトだ。

カナデ「せぃっ、ぃやあぁぁぁっ!」

苦悶を浮かべる奏の様子に、
カナデはだめ押しとばかりに裂帛の気合を込めて大剣を押す腕に力を込める。

決壊はすぐだった。

槍の穂先が魔力刃ごと砕け散り、カナデの大剣が奏を捉える。

奏「ッ!?」

悲鳴を上げる間もなく弾き飛ばされた奏は、後方の壁に思い切り叩き付けられた。

奏「がはっ!?
  ……ぁぐ……ぁ……っ」

短い悲鳴と共に息を吐き出し、苦悶の声を上げて膝を突き、前のめりに倒れる。

ヒビだらけになった魔導装甲が砕け散り、霧散して行く。

クレースト<奏様!?>

奏<……だ、い、じょう、ぶ……。
  すぐには、動けないけど……でも、まだ……>

悲鳴じみた声を上げた愛器に、奏は息も絶え絶えに応える。

衝撃で意識が定まらず、痛みで全身が痺れてもいたが、
それでもギリギリ気絶は免れていた。

奏<あり、がとう……さっきの障壁の、お陰、だよ……>

奏は、クレーストが咄嗟に展開した流水魔力の障壁を思い出しながら呟く。

炎熱魔力の相殺に最も適しているのは反属性である流水魔力である。

高密度の集束魔力刃相手には雀の涙ほどの軽減しか出来ていなかっただろうが、
それでもあの障壁が無ければドラコーングラザー・リェーズヴィエで相殺し切れなかった
全ての魔力の直撃を受けていたハズだ。

魔導装甲でも全ての衝撃を軽減し切れずに砕け散ってしまっており、
あの障壁が無ければそれこそ絶命していたかもしれない。

カナデ「ん~……これでも全力の七割程度しか出してないんだけど、もう終わり?」

嘲るような口調と素振りでカナデが歩み寄って来る。

まだ終わりではない。

終わりではないが、まだ身体が動かせないのも事実だ。

治癒促進にかなりの魔力を傾けているが、それでもあと数分は身体を動かせそうにない。

奏(いけない……ここで攻撃されたら……)

床から伝わって来るカナデの足音を聞きながら、奏は戦慄していた。

そう、この無防備な状態で攻撃されたら、その攻撃に耐えられる自信はない。

カナデ「でも、ないか……。
    ちゃんと息もあるし、魔力も結構な量が残ってそうね」

カナデは奏の姿を舐めるように見ながら呟く。

確かに、魔力は残されている。

元より最大威力のマークシムムクルィークを
三、四発は放てるだけの魔力量があるのだ。

カナデのマクスィールファングの物理破壊力に押し負けはしたが、
魔力ノックダウンには至っていない。

クレーストの魔力コンデンサにも相当量の魔力が蓄積されており、
魔導装甲の再展開も可能である。

しかし、肝心の身体が衝撃から立ち直れていないのだ。

治癒促進全開でも戦闘可能な状態にまではあと数分を要する。

正に万事休す。

だが――

カナデ「………こんな状態の姉さんを壊してもつまらないわ……。
    真っ向勝負で叩き潰さないと、本当に壊した事にならないもの」

カナデは退屈そうに呟いて、壁面で映像を映すスクリーンを見遣った。

カナデ「やっぱり、全力で向かって来る姉さんを私の全力で壊さないとね……。
    しばらく、こっちの見世物でも見ていようかしら?」

奏も視線をスクリーンに向ける。

そこでは、クリスを一方的に攻撃するナナシの姿が映されていた。



クリスとナナシの戦闘は、クリスの防戦一方と言う有様だった。

ナナシ「ヴァイスカタストローフェ……!」

ナナシの全周囲に展開した魔力砲弾が、一斉にクリスへと襲い掛かる。

クリス「クライノート! 防壁を展開して!」

対するクリスは、戦場となっている室内の壁面や床を削り、
それらを薄く固めて魔力を含んだ物理防壁に変えて防御していた。

純粋魔力は通常の物質を透過するが、魔力を含んだ物質となれば話は別だ。

魔力を含んだ物理防壁相手には、物質内に含まれる魔力を相殺する分、
威力も勢いも格段に削がれてしまう。

クリスは防戦一方を強いられていると言うより、むしろ防戦一方でも構わないのだ。

クリス「お願いだから……もうこんな事はやめて!」

クリスは防壁を解除しながら、必死にナナシに語りかける。

ナナシ「……現時刻二三一一。
    グリューンゲヴィッター、ドゥンケルブラウナハト、データ回収確認」

だがナナシは取り合わず、加えて新たな武器をその魔導装甲に装着する。

大きな翼と手足の鋭いカッター、それに独立型の巨大魔導砲だ。

巨大魔導砲はともかく、翼とカッターにはクリスにも見覚えがある。

クリス「そ、それは……他の機人魔導兵の武器」

ナナシ「……そうだね。
    データ収集用の実験機が破壊されたから、
    それまでデータリンクで収集していたデータから再生しているんだ」

驚くクリスに、ナナシは淡々と事実を確認するかのように応えた。

クリス「データ……収集用?
    仲間じゃ、なかったの?」

ナナシ「………広義にはそうなると思う。

    ただ、彼らは僕の武装を完成させる以外は、
    作戦第二段階までに不備が生じた際にイレギュラーと対処するための非常戦力に過ぎない」

クリスが震える声で尋ねると、ナナシは僅かに思案した後、そう応える。

ナナシ「……現時刻二三一二。
    ブラウレーゲン、オレンジブリッツ回収確認」

さらに、少年の外見の彼には不釣り合いなほどに大きなライフルと盾が装備される。

クリス「非常戦力……!?」

ナナシ「……おかしかなったかな?」

声を震わせるクリスに、ナナシは怪訝そうに尋ねた。

意味が分からない、と言いたげな様子だ。

ナナシ「マスターの計画では元々、
    計画第二段階まで施設制御用にGG00と、
    計画の第四段階用にGH01の二体だけが必要だった。

    GH01用武装のテストデータ収集と自衛能力強化のためにGG00を改修、
    他にGH02から07までの六体を製造した。

    七種の武装を取り扱うため、結果的に01が最後に仕上がっただけに過ぎない」

ナナシは既に隠す必要もないと考えているのか、
自分が知りうる限りのデータを開示し始め、さらに続ける。

ナナシ「マスター、カナデ様、GG00X・ナハト、
    そして僕の完成形であるGH01A……。

    この二人と二体だけで、マスターの計画実行は本来十分なんだ」

クリス「GH……01A……」

ナナシの説明を聞きながら、クリスは愕然と漏らした。

ナナシは今の自分と完成した自分とを別個の物として考えている。

彼の口調から、クリスは直感的にそう感じていた。

クリス「君は……何で……」

クリスは、哀憐とも恐怖ともつかない視線をナナシに向ける。

四日前のあの時、自分を助けようとしてくれた彼が、
自分の思い込みが生んだ幻想にすら感じてしまう。

そして、クリスが見つめる先で、ナナシの腕と肩に新たな装備が現れる。

ナナシ「………ロートシェーネス、ゲルプヴォルケ、回収完了。

    カナデ様、現在時刻二三一五。
    GH01A、完成しました」

ナナシは通信相手のカナデに報告すると、
両肩の装備――ゲルプヴォルケを起動させた。

すると、ナナシの眼前に六体の機人魔導兵と一体の大型魔導機人がその姿を現す。

ナナシ「ヴァイスリッターズ……各種武装起動」

ヴァイスリッターズ――白き騎士団。

その名の通りの白き機人魔導兵達は、
主の指示を受けてそれぞれが主の武装を借り受け、それぞれの色に染まる。

長距離砲撃武装、ドゥンケルブラウナハト。

近接格闘戦武装、ロートシェーネス。

遠距離狙撃武装、ブラウレーゲン。

高速近接戦武装、グリューンゲヴィッター。

高性能支援武装、ゲルプヴォルケ。

高密度防御武装、オレンジブリッツ。

広範囲攻撃武装、ヴァイオレットネーベル。

武装を完成させた者の名と色を冠した武装だ。

一つ一つがハイランカーエージェント達を苦戦させる程の威力の武装。

それが七つ。

ナナシ「僕は道具だ……。
    計画の最終段階を実行する……そのために僕は作られ、
    今、やっと完成した。

    僕は……望まれた僕になったんだ」

七体の機人魔導兵達に武装を与え、元の姿に戻ったナナシは、
どこか遠い物を見るような目でそう呟くと、スッと右手を掲げた。

ナナシ「シェーネス、ヴァイスデュナメイト起動」

機人魔導兵・赤『Ignition!』

ナナシの指示を受け、
格闘戦型の装備を纏った赤い機人魔導兵が腕の格闘戦型武装に魔力を集束させる。

ナナシ「ヴォルケ、支援魔法」

機人魔導兵・黄『Physical-Enchant!』

さらに支援装備を纏った黄色い機人魔導兵が、赤い機人魔導兵に身体強化を施す。

支援魔法を受けた赤い機人魔導兵は、防壁に守られたクリスに向けて突撃する。

ナナシ「君の防壁は純粋魔力攻撃には強いようだけど、
    魔力攻撃と物理破壊を伴った一点突破ならどうかな」

機人魔導兵・赤『Explosion!』

思案げなナナシの言葉と共に、赤い機人魔導兵の拳が防壁へと叩き付けられた。

直後、打撃と防壁の接触面に大爆発が起こり、防壁の一部が吹き飛ぶ。

クリス「そんな!?」

それまで絶対的な防御と安全性を誇っていた防壁を突破され、
クリスは驚愕の声を上げる。

だが、それだけでは終わらない。

ナナシ「ゲヴィッター、ヴァイスヴィントフォーゼ」

機人魔導兵・緑『Yes,Sir!』

赤い機人魔導兵が空けた防壁の隙間から、緑の機人魔導兵が飛び込んで来る。

クリス「く、クライノート、防御全開!」

クライノート<了解です、クリス>

クリスは急所を庇うように防御しつつ、
愛器に命じて自身の周囲の魔力障壁の出力を上げた。

そこへ緑の機人魔導兵の連続攻撃が始まる。

クリス「っ、くぅ……!?」

防御力で勝るクリスの障壁を突破する事こそ叶わないようだったが、
それでも絶え間ない連続攻撃に晒され、クリスはたじろぐ。

ナナシ「ナハト、レーゲン、ネーベル。同時攻撃」

機人魔導兵・藍&青&紫『Yes,Sir!』

ナナシの指示で藍色、青、紫の三体が三方向からクリスを取り囲む。

それを受け、連続攻撃を行っていた緑の機人魔導兵が上空に飛び退いた。

ナナシ「ヴァイスエクリプセ、ヴァイスレーゲングス、
    ヴァイスカタストローフェ、一斉発射」

機人魔導兵・藍&青&紫『Fire!』

ナナシの指示と同時に、三体の大型魔導機人と機人魔導兵達から一斉に
大威力砲撃、対地集中砲火、砲弾連射の同時攻撃が始まる。

クリス「きゃあぁぁっ!?」

障壁を展開しているとは言え、三方からの大出力攻撃を受けてクリスは悲鳴を上げた。

一瞬で障壁は無効化され、魔導装甲の表層部が一瞬で消し飛ぶ。

攻撃が止むと、クリスはその場にがっくりと膝を突く。

何とか耐えきったが、あの一斉攻撃の前にクリスの魔力の大半は奪われていた。

ナナシ「これが七種の装備の本来の使い方……。
    敵の特性に合わせ、指揮官型機人魔導兵のオペレーションを実行する……。

    これが僕のヴァイスゲシュテーバー」

膝を突いたクリスに、ナナシは淡々と言い放つ。

ヴァイスゲシュテーバー――白き吹雪。

その名に相応しい猛吹雪の如き連続攻撃だ。

ナナシ「……見た所、君の魔力特性は対物操作に特化している。
    もっと魔力の出力を上げていたら完全な防御も出来ていたハズだ。
    どうして本気を出さないんだい?」

ナナシが不思議そうにその言葉を紡ぐと、クリスはビクリと肩を震わせる。

そう、クリスは防戦一方を強いられていたのではなく、
防戦一方でも構わないだけの防御が出来ていた、と言うのは前述の通りだ。

つまりそれは、いつでも攻撃に転じられた事を示す。

クリス「だって……本気で攻撃したら……あなたを……殺しちゃう……」

クリスはどこか怯えた様子で応える。

ナナシにはさらに意味が分からなかった。

ナナシ「戦闘中、その発言の意図は判断しかねるよ」

クリス「だって……あなたは私を助けようとしてくれて……それで……」

訝しげなナナシの問いに、クリスは戸惑い気味に返す。

ナナシ「今の君は、僕の攻撃対象だ。
    カナデ様からは、指示があれば君を抹殺するように命令を受けている」

淡々としたナナシの返事に、クリスはまた肩を震わせた。

抹殺。

その言葉の持つストレートな恐怖が、少女の心に突き刺さる。

ナナシ「……君の死に対する恐怖心の在り方は正常とは言い難い。
    自分だけでなく、どうして敵の死にまで怯えるんだい?」

クリス「そ、それは……」

クリスはナナシの質問に言い淀んで俯いた。

他者の死に対する恐怖。

それが親しい人間だけでなく、敵にまで向けられるのは、彼女の持つ記憶に起因する。

レオノーラ・ヴェルナー……
四年前の事件でクリスの脳裏に刻まれてしまった、彼女のオリジナルの記憶だ。

古代エジプト文明の祖となる文明と古代魔法文明の戦争。

その惨劇を止めるために移民船の超弩級魔導機人を起動させた彼女は、
その制御に失敗し、暴走してしまう。

そこで魔導巨神となった最愛の兄、レオンハルトをその手で殺め、
その場にいた全ての人間を殺し尽くしてしまったのだ。

止める事の出来ない血と肉の惨劇を間近で見せつけられたレオノーラの精神は崩壊し、
その記憶を見せつけられたクリスもまた、暴走した。

必死で自分を止めてくれた結は義手を破損し、左眼球破裂の重傷を負ったのである。

本気を出した自分がもしもまた暴走したら、またあの止められない惨劇が起きてしまう。

そんな恐怖が、ずっと彼女の心にこびり付いていたのだ。

特に対人戦は、彼女に激しい恐怖を思い起こさせる。

無論、訓練校における彼女の成績は実技・学科共に問題なく優秀だ。

そうでなければ養母が副隊長を務めていると言うコネや、
親カンナヴァーロ派の心配りがあったとは言え、特務の元に研修など行けようハズもない。

クリスは対物操作特化の一芸特化型魔導師とは言え、
その実力は高い魔力量も含めてAランクオーバー……Sランクに匹敵するレベルなのだ。

だが、脳裏にこびり付いたトラウマが彼女の実力の発露を阻害していた。

日本での潜入任務の時のように、いくらでも手加減できるならともかく。

量産型機人魔導兵のように、人間と意識せずにいられるならともかく。

今、目の前にいるのは自分よりも幼く見える少年なのだ。

クリス「だって……誰かを傷つけるのは、怖いよ……」

ナナシ「君は明らかに矛盾している」

絞り出すようなクリスの言葉に、ナナシはストレートな所見を述べた。

ここは戦場で、今は戦闘中。

誰かを殺してしまう事に恐怖があるのならば、
最初から戦場に来る必要などない。

むしろ、戦う覚悟……他者を傷つける覚悟がないならば、
それは戦場において単なる足手まといでしかない。

それが自身を道具と割り切っているナナシの考えであり、
全体として見て正しく、また平均的な意見でもあろう。

クリスにもそれは理解できているからこそ、
ナナシの“明らかに矛盾している”と言う意見を否定する事が出来ない。

ナナシ「君は、ここに来るべきじゃなかった」

クリス「ッ!?」

追い打ちをかけるようなナナシの言葉に、
クリスは俯いたまま目を見開いて肩を震わせた。

それは正に、今、クリス自身が思い知った現実でもある。

当然と言えば、当然の言葉だ。

自分がこの作戦に参加したのは単なる義務感と、
ナナシに会って全てを確認したいと言う好奇心でしかない。

真剣に戦っている者達からすれば、むしろ冒涜ですらある。

クライノート<クリス……>

事実に打ちのめされた主にどう声をかけていいか分からず、
クライノートはただその名を呟く事しか出来なかった。

だが――

?『来るべきかどうかなんて……それは、自分自身が決める事だ!』

不意に、広い室内に聞き覚えのある凜とした声が響き渡る。

クリス「おかあ……さん?」

クリスはこの場で聞こえるハズのない声に、呆然と漏らす。

間違いない。
母、奏・ユーリエフの声だ。

カナデ『な……何でこっちの声が向こうに!?』

続けて、母に良く似た、だが慌てた声が響く。

ナナシ「カナデ様……?

    ……申し訳ありません、
    どうやら00が破壊された事でハッキングを許してしまったようです」

怪訝そうな声を漏らしたナナシは、すぐにシステムにアクセスして状況を確認した。

何者かのアクセスによって、カナデとネーベルのテリトリーの通信回線が開かれてる。

システムの全てはGG00X・ナハトによって管理されていた。

敵との交戦でナハトが破壊され、脆弱になったシステム管理の隙を突かれたのだ。

奪われたのは二つのエリアを繋ぐ直通回線のアクセス権限と、
そこに通じるネットワーク管理権限だけだったが、即座に取り返すのは難しかった。

下手に奪い返そうとすれば、他のシステムも止めなければならない。

一方、カナデの居室では、穂先の砕けた十字槍を杖代わりに奏が立ち上がっていた。

クリス『お母さん、何処なの!?』

モニターの向こうでは、クリスが俯けていた顔を驚いたように上げ、
突如として聞こえた奏の声に辺りを見渡している。

クレースト<大変お待たせしました。
      お嬢様との通信確保、完了です>

奏<ナイスタイミングだよ……クレースト>

魔導装甲を再展開しながらのクレーストの報告に、奏は優しい声音で返した。

カナデ「いつの間に、こんな事を……!」

カナデは愕然と漏らす。

クレースト『無論、戦闘中です』

対して、クレーストは共有回線を開いて淡々と返した。

そう、クレーストは奏の補助を続けながらも、
現状打破のための策を巡らせてくれていたのだ。

正攻法で駄目ならば搦め手。

何とかしてクリスの援護が出来ないものかと、
奏とカナデが打ち合う瞬間を狙ってゲベートを中継してシステムへのアクセスを行い、
一征によって倒されたシステム管理者であったナハトの不在を狙って、
二つのエリアの直通回線を完璧に確保して見せた。

無論、それもこれもカナデの油断あったればこそだったが……。

奏「クリス……聞いて!」

奏は心中で愛器に感謝しながらも、最愛の愛娘に向けて声をかける。

その声は、クレーストの開いてくれた回線を通して、クリスの元にも伝わっていた。

奏『戦う理由も、戦う意味もみんな一つじゃない。

  名誉のために戦う人がいてもいい。
  誰かが許せないから戦う人もいる。
  誰かを助けたいから戦う人だっている』

クリス「戦う、理由……」

母の言葉を、クリスは呆然と反芻する。

奏『それと一緒で、戦いが怖くない人なんていない。

  負けるのが怖い。
  死ぬのが怖い。
  傷つけるのが怖い。
  失うのが怖い。

  それは決して、悪い事じゃないんだよ』

奏は真摯に、そう伝え、さらに続けた。

奏『お母さんは……クリスがどんな怖い過去の記憶を見せられたのか、
  ちゃんとは知らない。

  だけどね、それが凄く恐ろしくて、
  心が折れてしまうような記憶だって言うのは、何となく分かるよ……』

何処か哀しげな母の声に、クリスは痛感する。

幾度か、カウンセリングのために移民船で見せられた過去の記憶を、
レオノーラの悲劇の結末を母に話した事があった。

母は母なりに、その事を重く受け止めてくれていたのだ。

奏『だからね、クリスが魔法や戦いを怖いって思うのは当然なんだ。

  だけど四年前……それでもクリスは、
  結みたいなエージェントになりたいって言ってくれた。

  その時、お母さんは凄く嬉しかったよ』

優しげな母の声に、こちらからは見えないその表情が綻ぶ様が見えた。

奏『怖いなら怖さなんて乗り越えなくていい……!

  クリスの怖いって気持ちは全部、お母さんが受け止めてあげるから!
  クリスの心が挫けそうな時は、お母さんが支えてあげるから!

  だから、クリスは前だけを見て……。
  クリスの夢に、クリスのやりたい事に、真っ直ぐに向かい合って!』

カナデ『やめて……』

真摯な母の声の向こうから、譫言のようなカナデの声が響く。

クリスの想像通り、奏は身体の痛みを押して微笑んでいた。

対して、カナデは俯き、ワナワナと身体を震わせている。

奏「お母さんはね……クリスが笑顔でいてくれる事が嬉しいんだ」


――この手で、あなたを抱きしめてあげられないかもしれない――


カナデ「やめろ……」

涙に濡れた聞き慣れた声が、知らない言葉を紡ぐ。


奏「だから、そんな哀しそうな顔をしないで」


――謝りたい事だらけだけど……――


カナデ「ヤメテ……」

そんな言葉は知らない。


奏「クリスの笑顔があれば……お母さんはどんな事だって辛くないから」


――それでもね……最期にこれだけは言わせて――


カナデ「ヤメロ……」

そんな言葉は聞いていない。


奏「お母さんはね……世界中の誰よりも、あなたを愛しているよ」


――あなたを……愛しているわ――


カナデ「ヤ、メ、ロぉぉぉぉぉっ!!」

カナデはついに、譫言ではなく喉も張り裂けんばかりの大音声を張り上げた。

カナデ「私と……あの女と同じ声で………その声で、そんな言葉を言うな!」

俯けていた顔を上げ、いつの間にか目に溜めていた涙を無意識に振り払う。

カナデ「ナナシ! 今すぐソイツを殺しなさい!」

カナデはそのまま、激情に任せて叫んだ。

ナナシ『しかし、先程は徹底的にいたぶってから殺せと……』

カナデ「いいから殺しなさい!
    お前は私の命令を聞く道具でしょう、01!」

怪訝そうに聞き返したナナシに、カナデは喚き散らすように叫ぶ。

ナナシには決して反論できようもない事実であり、
自覚している自身の役割である。

クリス『道具なんかじゃない!』

だが、それに対する反論はスクリーンの向こうから響いた。

クリスは立ち上がり、ボロボロになった魔導装甲を再展開する。

クリス「この子は……私を助けようとしてくれた……。
    敵であるハズの私を……助ける必要のない私を」

クリスは朗々と呟きながら、目の前の少年を見据えた。

カナデからの突然の指示変更と、クリスの様子に困惑を隠せないようだ。

クリス「他の幹部機人魔導兵だって、自分の目的と意志で戦っていた……」

クリスはそう言いながら、微かに聞こえたネーベルの言葉を思い出す。

確かに、シェーネス達幹部機人魔導兵には心と呼べるだけの自我があった。

クリス「この子は……自分の意志で、私を助けようとしてくれた……。
    そんな子を、道具なんて言わせない!」

ナナシ「ッ!?」

クリスの言葉に、ナナシは息を飲んで目を見開く。

そして、クリスはさらに続ける。

クリス「ギアのAIには心がある……心が宿るんだ!」

クリスはそう言って、右腕のクライノートの本体に触れた。

魔導装甲を通して、クライノートの感触が伝わる。

クリス「私の相棒は私が苦しんで悩んでいる時、
    いつも一緒に苦しんで、悩んでくれた!

    あまり言葉にはしてくれないけれど、
    それでも、私の事を大切だっていつも思ってくれている」

クライノート<恐縮です、クリス。
       …………ありがとうございます>

クライノートはいつになく感極まった様子で応えた。

その言葉を後押しにして、クリスはさらに続ける。

クリス「この子にだって心があるから、
    あなたの事が大切だから、
    あなたを裏切りたくないから、
    あなたのどんな命令にだって従うんだ!」

ナナシ「僕は……」

クリスの言葉を聞きながら、ナナシは呆然としていた。

何故、自分がカナデに従うのか?

それは自分が道具だからだ。

カナデは主であり、自分は道具。

だからこそ、道具として主の指示に従う。

それが当然だと思っていた。

だが、今、思考に入るこのノイズは何だろう?

クリス「あなたには、心がある……!」

ナナシ「僕は……!」

先程とは立場が逆転する。

戦う事に迷い恐れていたクリスは、
母の思いを受けて迷いも恐れも振り切った。

だが、それとは対照的に、
ナナシは自身の思考に生まれたノイズの正体が分からずに困惑している。

カナデ『そんな戯れ言に耳を貸してんじゃないわよっ!
    殺せって言ったんだから、早く殺しなさい、01!』

ナナシ「カナデ様……」

響き渡る主の声に、ナナシは困惑気味に辺りを見渡す。

カナデ『完成したら名前をあげるって言ったでしょう!?

    そんな子供一人殺せない出来損ないじゃ、
    いつまで経ってもナナシのままよ!

    それでもいいの!?』

ナナシ「そ、それは……」

カナデの叱責に、ナナシは窮する。

そう、カナデは自分が完成した暁には名前をくれると約束してくれていた。

名の無い“ナナシ”などと言う蔑称でない、本当の名を……。

カナデ自身、ナナシの感情の発現には四日前の時点で気付いている。

だからこそ、名前を贈る事こそが彼を従わせられるファクターになると直感していた。

まるで、飢えた馬の目の前にニンジンをつり下げるような物だ。

クリス「そうやって、この子の気持ちを無視して、この子の心を利用しないで!」

クリスは虚空を睨め付け、その向こうの――
この光景を見ているであろうカナデを睨め付けて叫ぶ。

クリス「この子は……道具なんかじゃない!
    誰かの心を踏みにじって利用するような人は、私が許さない!」

その言葉を発した瞬間、クリスは自分の心に空いていた小さな隙間に、
何かのピースがはめ込まれたような感触を感じていた。

そうだ。

自分が見付けようとしていた答は、コレだったのだ。

かつては自分も、道具としてこの世に生を受けた。

レオノーラのコピー――プロジェクト・モリートヴァのタイプ2。

古代魔法文明の遺跡である移民船を起動認証させるための生体キー。

利用されて、使い捨てられて、世界を憎んで壊そうとした。

だが、それを全力で止めてくれた人達がいてくれた。

魔法の素晴らしさを教えてくれた憧れの人がいて、
ボロボロになった心を癒してくれた優しい母がいてくれた。

この場にいるのはただの偶然かもしれない。

単なる義務感とほんの少しの好奇心で踏み入れた戦場なのかもしれない。

だがそれでも、この場でクリスが自身の中心とも言える思いを得たのは、
ある意味で運命だったのだろう。

クリスは虚空を睨め付けていた視線を、決意と共にナナシに向ける。

クリス「クライノート……、
    セーフティーリミッター、リリース!」

クライノート<クリス……了解しました!>

主の力強い声に、クライノートもまた力強く応えた。

クリスの魔導装甲ギア、WX115-クライノートには、
他の十六器以上の厳重なセーフティーリミッターが装備されている。

かつてクリスは、トリスタンの作り上げた呪導ギア、
ディアマンテの故障によって自身の魔力を暴走させた。

ディアマンテには異常なまでの魔力増幅機能があり、
クリスの膨大な魔力を増幅した結果、制御し切れなかったが故の暴走だ。

そしてそれは、Sランクにして一万人に匹敵する量の魔力の暴走だった。

その場にいた結や奏の活躍により事なきを得るに至ったが、
Sランク一万人――結千人分の魔力を一瞬とは受け止めたクリスは、
果たして自滅する事はなかった。

恐るべき事に、クリスは肉体年齢九歳にして、
Sランク一万人分の魔力を瞬間的に受け止められるだけの素養が備わっていたのである。

無論、受け止められる魔力の全てを制御できるハズがない。

だが、それを約0.一%ほど……結と同程度のSランク十人分に抑えた場合は?

クライノートのみならず、全ての魔導装甲ギアには
結一人分に匹敵するだけの魔力を貯蓄できる魔力コンデンサが備わっている。

使用者の余剰魔力を吸収するのだから、
早々な事ではそのコンデンサもパンクするほどの魔力をため込めるワケがない。

だが、結、リーネ、そしてクリスの三人は並のSランク以上の魔力を持っている。

リーネのように大量の魔力を攻撃に使い、
さらに連日のような激務に従事しているプロエージェントならばともかく、
候補生のクリスにはそこまでの魔力を使う必要がない。

クライノートの魔力コンデンサは数日でSランク十人分を満たせてしまえるのだ。

つまり、クライノートには今も、
結一人分に匹敵する絶大な量の魔力が蓄積されているのである。

それを――

クリス「クライノート………モード・ズィーガー、スタートアップ!」

――一斉に解放した。

全身に魔力が漲り、余剰魔力が障壁となって彼女の身を覆う。

ズィーガー――勝利者。

即ち、勝つ事を前提として解放を許されたクリスの最大戦力形態である。

クリス「私は今まで通り、あなたを攻撃しない……」

クリスは両腕を広げ、さらに続ける。

クリス「だからあなたの攻撃も、全て受け止める!
    私の魔法は……全てを受け止める魔法だから!」

クリスは力強く叫びながら、かつて結が託してくれた言葉を思い出していた。

それは“誰かを守れる優しい魔法”。

その意味が、ようやく分かった。

誰かを傷つけようとする力も、誰かを傷つけようとする意志も、
その全てを受け止める魔法。

誰にも誰かを傷つけさせない。

それが、結が見出したクリスの魔法の“優しい答”だったのだ。

自分を助けようとしてくれたナナシを傷つける事は出来ない。

だからこそ、その全てを全力で受け止める。

自分の怖さを受け止めてくれると言ってくれた、母のように。

それが、クリスがナナシに出来る、あの行為への感謝でもあった。

カナデ『殺しなさい! 01!』

ナナシ「………りょう、かい……しました」

番号で名を呼ばれ、ナナシは応える。

七体のヴァイスリッターズを起動し、クリスを取り囲む。

クリス「グラヴィテーションクーゲルッ!」

クリスも即座に反応し、
自身の周囲の床を削って球形のドームを作り上げた。

球体のドームはその外周を大量の物体が高速移動しており、
先程までの単純な防壁とは違う。

ナナシ「ヴァイス、ゲシュテーバー……ッ!」

そこに先程と同じく、機人魔導兵達の一斉攻撃が始まる。

機人魔導兵・赤『Ignition……Explosion!』

赤い機人魔導兵の魔力を集束した拳が、障壁へと叩き付けられた。

だが、爆発は発生しない。

機人魔導兵・赤『Error! Error! Err……!』

異常発生のシグナルを喚き散らしながら、赤い機人魔導兵が障壁に吸い込まれて消えた。

ナナシ「ま、まさか……」

クリス「多分、そのまかさだよ……。

    この魔法は、今までの障壁と違ってただの防御障壁じゃない……。

    接触した魔力や魔力物質を
    高速旋回する魔力と取り込んだ物体で削る丸い回転ヤスリだよ」

愕然とするナナシに、クリスは冷静に自身の新魔法を説明する。

回転ヤスリなんて生易しい物ではない、
むしろ小型化したバケットホイールエクスカベーターだ。

鉱石採取のために山ごと削り落とす、百メートルを超える世界最大の超大型重機。

赤い機人魔導兵は、山をも削り落とす
巨大なバケットホイールに突っ込んで粉々に砕かれたのだ。

クライノート『あの武装は接触と同時に魔力解放を行う物と認識しました。
       接触と同時に本体ごと爆発を消し去ってしまえば、
       どうと言う事はありません』

クリスの新魔法を制御しているクライノートが淡々と解説する。

成る程と頷くには、少々恐ろしい魔法であった。

ナナシ「ッ……ブリッツ! シルトドンナーシュラーク!」

機人魔導兵・橙『Yes,Sir!』

ナナシは怯みながらも、後方に控えていた橙色の機人魔導兵を走らせた。

雷電変換した二本の衝角を盾ごと構え、クリスに向けて突進する。

だが、やはりこちらもクリスの防壁の前に粉々に砕かれてしまう。

ナナシ「確かに高い防御力を持った魔法だけど、
    どんな魔法だって、魔力が切れるまで攻撃を続ければ!」

ナナシは砕かれた赤と橙色の機人魔導兵を再召喚し、クリスへの攻撃を続ける。

爆発を伴う拳も、流水変換された対地射撃も、高速連続斬撃も、巨大な電撃衝角も、
広域砲弾連射も、高威力砲撃も、その全てが強化されていると言うのに、
クリスの防壁の前には須く無駄に終わった。

ナナシ(ま、魔力残量四〇パーセント………!?
    半分以上の魔力を費やしても、まだあの防壁を突破できないなんて!?)

ナナシは愕然とする。

確かに、ナナシの魔力量はクリスの基本魔力量を倍は上回っていた。

だが、今のクリスにはさらにその三倍以上の魔力が満ちている。

クリスの新魔法もかなりの魔力を常時使い続ける魔法だったが、
それでも一気に使い切ってしまえる量ではない。

結のアルク・アン・シエルは防御が難しいと言う以前に、
当たりさえすれば完全必倒の砲撃である理由が察せようと言うモノだ。

ナナシの攻撃が止んだ事で、クリスは魔力の放出を抑える。

クリス「もう降参して……お願い」

クリスは悲しそうな表情を浮かべ、懇願するように呟く。

クリスにも、もう勝負は既に見えていた。

ナナシ「僕は……僕はカナデ様の道具だ……!
    道具は主の言いつけに従わなくちゃいけない……!」

だが、ナナシは後ずさりながらもその意志を曲げようとはしない。

クリス「あなたは自分の意志で、私を助けようとしてくれた!
    あなたは道具なんかじゃない!」

クリスは、そんなナナシの意志を振り払うかのように叫ぶ。

ただの道具に、自我などない。

自我があるならば、ナナシは既に道具ではないのだ。

そんな確信が、クリスにはあった。

クリス「無関係な人を傷つけたくない……。
    そんな優しい心が、あなたにはあるハズだよ。

    だからもう、自分を道具なんて思い込む必要なんてない!」

だからこそ、必死に彼の心に語りかける。

ナナシ「僕は道具で……シェーネス達とは違う……。
    マスターとカナデ様の望みを叶えるために、僕は作られたんだ……」

しかし、ナナシは自分自身に言い聞かせるように譫言のように呟く。

クリス「誰が何のためにあなたを生み出しても、
    今ここにいるあなたは、
    他の誰でもないあなた自身のためのあなただよ!」

クリスが叫んだのは、かつて結が自分にくれた言葉と同じだった。

報われなかったレオノーラのために自らの全てを捧げようとした自分に、
結がかけてくれた優しい言葉。

自分のために生きていいと言ってくれた。

そして、そんな自分を母が受け止めてくれた。

クリス「心があるなら、自分で決めていいんだよ!
    あなたは道具なんかじゃないんだから!」

だからこそ、自分の全力で似た境遇の少年機人魔導兵に語りかける。

ナナシ「僕は……」

今まで、疑問など持たなかった。

創造主と主のために働く事こそが、自分の存在意義だったから。

だが四日前のあの日、意味の無い事をした。

敵を……クリスを助けた。

それはきっと無意識の行動だ。

自身を自我のいらぬ道具として律し、
弟妹達から疎まれ続けた少年の心が上げた、最初の声ならぬ悲鳴。

それがあの日の、クリスへの警告の真相だった。

それを、知らず発露していた自らの自我と共に思い知る。

これも所詮は“たら・れば”の例え話……むしろ空想の与太話に過ぎないが、
仮に武器に心が……繊細な感受性があれば何を思うのだろうか?

何かを傷つける事を拒否しても、所詮、武器の使い道は目標の殺傷と破壊だ。

武器は道具であり、道具に拒否権は存在しない。

存在理由を拒否すれば、
そこにあるのは道具としてのアイデンティティの崩壊に他ならないだろう。

GH01Aとしての完成を義務づけられ高度な自己判断能力を持たされたGH01BのAIは、
至極当然の結果として自我を、心を発生させるに至った。

そして、悲劇か偶然か、
高性能兵器たるGH01Aに相応しくない優しい心が宿ってしまう。

優しい心を持ってしまった彼は、敬愛すべき主人達から道具として重用され、
本来ならば愛すべき弟妹達から疎まれ続け、いつしか自分自身を道具として思い込むようなる。

そうしなければ、自分自身が壊れてしまう事に気付いていたから。

特に弟妹達の事を道具と思い込む事で距離を取り、自らの心に蓋をし続けてしまった彼は、
いつしか心による理解を判断の埒外の物として拒絶してしまう。

弟妹達が豊かな表情や人格の発露を見せる中、
彼だけが無表情でいたのはそう言った理由でもあった。

最後発の完成で心が未発達だったワケではない。

つい最近になって心が芽生えだしたワケでもない。

単に、急激に、しかも繊細過ぎる心を育ててしまったが故の、やはりこれも悲劇の一種。

彼の心は、既に崩壊寸前だったのだ。

それをつなぎ止めていたのが、カナデに仕える悦びである。

カナデに仕え、道具として重用される事で、
自分が道具である事に誇りを持ち、壊れそうな心の均衡を取っていたのだ。

しかし、そこに一石が投じられた。

自分を道具でないと言ってくれた少女。

悲鳴を上げていた彼の心は、彼の意志とは別にその言葉を待っていた。

自ら否定して押し込めてしまった、自分の心を認めてくれる存在を。

投じられた一石の生んだ波紋は、彼の心を強く揺さぶる。

ナナシ「……戦え、ません……カナデさま……」

ナナシは力なく項垂れ、その場に膝を突く。

彼の戦意喪失を表すかのように、七体のヴァイスリッターズも消え去る。

彼に涙を流す機能は存在しない。

だが、彼の心は確かに涙していた。

それは、抑圧から解放されたカタルシスを感じているに他ならない。

カナデ『戦いなさい! 早く……早くソイツを殺せぇぇっ!』

カナデはヒステリックに叫ぶが、ナナシはその命令に応える事が出来なかった。

何も壊したくない。
何も傷つけたくない。

本当なら、弟や妹達と……本当ならば兄や姉だった彼らと共に居たかった。

しかし、それはもう叶わない。

ナナシ「…………」

ナナシは無言のまま、自らの身体を掻き抱く。

クリス「もう、彼を苦しめないで!」

クリスは再び、虚空を睨め付けて叫ぶ。

ナナシを守るように両手を広げる。

しかし、クリスのその姿は、カナデの逆鱗に触れるには十分だった。

カナデ『だったら……戦いたくないなら、ソイツもろとも自爆しなさい』

カナデは、何処か振り切れたように静かに呟いた。

奏「なっ!?」

その言葉に奏は目を見開く。

ナナシ『カナデさま……?』

スクリーンの向こうでも、ナナシが呆然自失と言った有様で震えていた。

その傍らではクリスも目を見開いて愕然としている。

カナデ「ゲベート……遠隔爆破指示。

    GH01Aの躯体と装備のデータをバックアップ後、
    魔力を暴走爆発させなさい。

    その後、01のいるエリア07を物理爆破」

カナデはそんな三人を後目に、どこか落ち着いた様子で、
静かに、酷薄に、自らのギアにそんな指示を出す。

奏「やめなさい! あの場にいるのは君の味方でしょう!?」

奏は慌てた様子で叫ぶが、まだ身体は動かせない。

立ち上がって魔導装甲を展開できる程度には回復したが、
戦闘機動に耐えうるレベルまでの回復にはまだ僅かに時間を要する。

カナデ「味方……違うわ?
    01は私専用の道具……。
    道具が壊れたから、捨てるの」

カナデは狂気の表情を浮かべて、奏の叫びに応えた。

奏「君は……どうして!?」

奏は哀しみと怒りの入り交じった声を上げるが、
カナデは最早、その声に応えようとはしなかった。

直後、スクリーンの向こうでナナシに変化が訪れる。

膝立ちで呆然としていたナナシは不自然な体勢で立ち上がり、両腕を広げた。

魔導装甲の胸部装甲が展開してナナシの本体が露出し、
さらにその奥から白い球体が顔を出す。

ナナシのコアストーン……彼を維持する呪具の本体だ。

カナデ「リミッターを外した状態で魔力を暴走させれば、
    どれだけあの子の障壁が強力でも耐えきれない……。

    その後であの部屋を爆破すればもうあの子に耐えきる術は一つもないわ!」

奏「クレースト!
  ハッキングであの部屋の自爆装置の操作権限を!」

どこか躁状態になって狂ったように叫ぶカナデの言葉を聞き、
奏は慌てて愛器に指示を出した。

クレースト<やっていますが、自爆プログラムは別系統からの指示です!
      現在、自爆プログラムの制御システムへのハッキングを行っています!>

対するクレーストも、既にその指示は実行中だったようだ。

しかし、クレーストは戦闘用にチューンナップされたギアであり、
ハッキング能力など本来は低いと言うより無いに等しい。

今も、長時間かけてハッキングした部屋同士の通信状態を保つので精一杯と言う状況である。

奏「クリス、逃げなさい!」

奏は居ても立っても居られず、モニター越しのクリスに叫んだ。

その声はクリス達の耳にも届いていた。

ナナシ「……あの人の言う通り、君は逃げた方がいい……」

コアに集束して行く魔力を感じながら、ナナシはどこか諦めきったように呟く。

既に自爆シークエンスは始まっており、
外部からの上位権限による指示は、彼では止めようがなかった。

クライノート『クリス、彼の言う通りです。
       自爆が魔力、物理の順で行われはあなたの命が危険です!』

クライノートも慌てて叫ぶ。

現在の魔力残量は七十%程。

Sランク七人分の魔力に匹敵するが、それでも集束させた魔力の暴走爆発を受ければ、
その魔力の殆どを失って魔力ノックダウンされてしまうだろう。

そうなれば、直後の物理破壊を伴った爆発を防御する術はない。

クリス「駄目だよ!」

クリスはそう言ってナナシの元に駆け寄る。

既にかなりの量の魔力が集束されており、
大量の魔力で防御しなければ近寄る事も困難なレベルだ。

ナナシ「君の魔法なら出口までの足場も作れるハズだ。早く逃げて……」

クリス「あなたを放っておいて逃げられないよ!」

言いかけたナナシの言葉を遮ってクリスは叫ぶ。

ナナシ「だけど……このままじゃあ君だって無事じゃ済まないよ?」

クリス「あなたは私を助けようとしてくれた……。
    今もこうして私を心配をしてくれる人を放って逃げるなんて、絶対に出来ない!」

クリスはそう力強く叫ぶと、必死に手を伸ばしてナナシの肩を掴む。

それはクリスの得た信念とは別に、彼女の当然の価値観だった。

右も左も分からない頃から多くの人々に助けられ、支えられて生きて来た彼女にとって、
それを放り出して逃げるなどと言う選択肢は存在しない。

極論を言ってしまえば、かつて自分を利用したトリスタンにすら、
クリスは怒り以外に感謝の念を感じていた。

彼は彼で、クリスの望みを叶えてくれたのだ。

それが彼自身のためであろうと、
本当の自分を知りたいと願ったのは他ならぬクリス自身だったからでもある。

ナナシ「だからと言って、君まで犠牲になる必要なんて……」
 
そして、今、自分の目の前にいるのは、敵であるにも関わらず自分を助けようとしてくれた、
今もこうしてこの身を案じてくれている少年だ。

クリス「ありがとう……」

クリスは笑みを浮かべて、優しい声音で呟いた。

ナナシ「え……?」

その感謝の言葉に、ナナシは呆然と漏らす。

こんな状況で感謝されるなんて、本当に意味が分からない。

クリス「多分、ずっと、これが言いたかったんだ……。
    あの時、私を助けようとしてくれて……私の事を心配してくれて、ありがとう」

クリスはナナシの身体を抱き寄せながら、思うままにその言葉を紡ぐ。

クリス「だから、絶対に、あなたも助けてみせる!
    クライノート、魔力を腕に集中してっ!」

クライノート『……………分かりました。
       システムへのアクセスはこちらで行います!』

主のやらんとする事を察し、クライノートは力強く応える。

もうこうなれば一か八かだ。

敬愛する主を守り、支え、望みを叶えるのがギアの使命。

ならば、今は主の望む結果を得るために自分も全力を尽くす他ない。

クリス「ありがとう……クライノート!」

クリスは最高の相棒の名を呼びながら、ナナシのコアに手を伸ばす。

コアに集束された魔力がクリスの魔導装甲を吹き飛ばそうとするが、
腕に集中された魔力がそれを押し留める。

クライノート『クリス……勝負は一瞬。

       彼の魔力を吹き飛ばした瞬間、私のコアと彼のコアを接触させて下さい。
       猶予時間は最大で0.二秒、誤差はプラスマイナスで0.一七秒です』

つまり最低で0.0三秒……文字通りの一瞬すらない。

だが、恐怖はない。

クライノート『我々の残魔力量からしてチャンスは一度だけです』

クリス「なかなか分の悪い賭けだね……。
    嫌いでしょ、こう言うの?」

クライノート『不正確過ぎるギャンブルは嫌いですが、
       この際、致し方有りません』

少し戯けたようなクリスの問いかけに、クライノートは珍しく不機嫌そうに返した。

クリス「……もしかして、怒ってる?」

クライノート『もしかしなくても怒っています。
       主をこのような危険な状況に晒すなど……ギアの沽券に関わります』

ナナシ「君は……君達は何を……?」

クリスとクライノートのやり取りを聞きながら、ナナシは呆然と問いかける。

彼女たちが何をしようとしているのか、彼には想像もついていない。

クリス「道具じゃない、なんて言ったのに……、
    こんなやり方しかなくてゴメンね。

    でも、この方法でしか、あなたを助けられないから」

クリスは少し申し訳なさそうに呟くと、
だがすぐに気を取り直してその目に決意の色を浮かべた。

そして――

クリス「一瞬だけ……我慢して!」

クリスはそう叫んで、自身の魔力を解放する。

エメラルドグリーンの輝きがクリスの腕から溢れ、
ナナシのコアストーンに集束されていた魔力が吹き飛ばされると、
ナナシは停止状態に陥った。

過剰な魔力による一時的なシステムダウンだ。

クライノート『今です、クリス!』

クリス「うわぁぁっ!」

直後のクライノートの合図と共にクリスは魔導装甲を解除し、
待機状態となった愛器を、剥き出しになったナナシのコアに押しつけた。

しかし、ナナシのコアはすぐに魔力の集束を再開する。

クライノート『アクセス成功、システム権限に割り込みます!』

クリス「やった!」

作戦の第一段階の成功を告げるクライノートに、クリスは歓喜で応えた。

だが、まだこれで終わりではない。

クライノート『使用者権限でパスワードでロックして下さい!』

クリス「パスワード!?」

クライノート『有意味単語でも固有名称でも構いません! 早く!』

クリス「それって名前って事!?」

驚いたように何度も聞き返しながらも、クリスは思考を巡らせる。

パスワードの設定など考えてもいなかった。

要はギアの起動認証のような物だろう。

ナナシ「システムへのアクセスを……確認……?」

ナナシは既に意識を取り戻しているようで、
呆然と不安の入り交じった表情を浮かべて呟いた。

クリス「えっと……」

パスワードの事を考えながら、クリスはそんな彼を見つめる。

殆ど白と言って良いほどの髪と瞳が、クリスの目に焼き付く。

クリス「あ……そっか……」

そこからは、もう直感だった。

直感……いや、九日前、彼に感じたイメージを思い返す。

クリス「パスワード……S・H・C・N・E・E……シュネー」

クリスはその言葉を紡ぐ。

シュネーとは、独語で雪。

彼を見た瞬間に思い浮かべたイメージは、母の故郷の光景――
目の前に広がる一面の、汚れのない真っ白な雪。

もし彼が許すのなら送りたい……その名。

ナナシ「パスワード認証を確認……。
    全権限をクリスティーナ・ユーリエフに……移行、します」

白とエメラルドグリーンの魔力の奔流に包まれながら、ナナシは震える声で漏らす。

クリスの思考は、コアに注がれる彼女の魔力を通じて彼にも伝わっていた。

ナナシ「クリスティーナ・ユーリエフを……マスターとして、認証します」

何故か、嬉しかった。

彼女が、自分の心を認めてくれたからだろうか?
それとも、既に自分が彼女の物だからだろうか?

ただ、嬉しいと感じる心を、彼はもう偽ろうとはしなかった。

彼が浮かべた泣き出しそうな笑顔に、クリスも満面の笑みを浮かべる。

そして――

クリス「起動認証……クリスティーナ・ユーリエフ!
    クライノート・シェネー……スタートアップ!」

再び、待機状態のギアを起動した。

爆発が起きたのは、殆ど同時だった。

二人の周辺の床だけが集中的で連鎖的な爆発を巻き起こし、爆風と爆炎が二人を包み込んだ。

その光景は、壁面の監視カメラを通して
カナデの居室にあるスクリーンにも映し出されていた。

奏「クリスぅっ!?」

カナデ「アハハハハッ!」

奏は悲鳴じみた声で爆発に包まれた愛娘の名を叫び、
カナデは狂ったような哄笑を上げる。

爆発の影響か、映し出される映像はノイズが酷い。

カメラ映像を取り込むため、壁を避けて床だけを爆破させたようだが、
それでも凄まじい破壊力に見えた。

魔力を消耗している状態で至近距離の集中した鎌鎖爆発など、
ザックでも耐えられない。

スクリーンに映し出される光景に奏はワナワナと震え、
カナデは歪んだ喜悦の表情を浮かべる。

爆煙とノイズであちらの様子は上手く窺えず、
不安と期待はそれぞれに高まっていく。

カナデ「さすがに部屋全部を爆破するワケにはいかなかったから床だけ爆破したけれど、
    あれだけ爆発を集中させれば……」

カナデは苛立ちと歓喜の入り交じった複雑な声音でそう言って、
呆然と立ち尽くす奏に目を向けた。

だが、不安と絶望に沈んでいた奏の表情が徐々に安堵で満ちて行く様に、
カナデは目を見開いてスクリーンに向き直る。

ノイズの収まり始めたスクリーンの向こう、
爆煙の中心部で淡いエメラルドグリーンの輝きが見えた。

換気システムが機能を始めたのか、
急速に爆煙が晴れ、輝きの主が姿を現す。

その姿に二人は驚きで目を見開いた。

カナデ「ぜ、01!?」

奏「あの子……クリスと一緒……?」

そう、そこにいたのは確かにあの少年だった。

但し、それまで身につけていた白と黒の魔導装甲は身に纏っておらず、
代わりに彼自身の魔力波長である白と、
クリスの魔力波長である淡いエメラルドグリーンで彩られた同型の魔導装甲を身に纏って。

そして、その腕には、気を失ったクリスを抱きかかえている。

エメラルドグリーンの輝きは、彼の作り出した魔力の障壁……
クリスの新魔法――グラヴィテーションクーゲルだった。

クライノート『魔力は低下していますが、
       脈拍、心拍、体温、呼吸……全て異常なし。

       我々の主は無事です』

????『良かった……』

クライノートによる簡易バイタルチェックの結果を聞きながら、
少年は安堵の声を漏らした。

奏には何故、彼がクリスを抱きかかえているのか分かりかねたが、
愛娘の無事を確認して胸を撫で下ろす。

カナデ「01っ! 何でソイツを助けたの!?
    ソイツを殺せって言ったでしょう!?」

????『………申し訳ありません、カナデ様……。
     そのご命令は、もう……実行しません』

ヒステリックに喚くカナデに、少年は哀しそうな声で応え、さらに続ける。

????『……痛いんです……AIが……。

     この身体の何処にあるのか分かりませんが、
     そんな事をしてはいけないって、
     僕のAIが僕に命令を出すんです……。

     カナデ様のためと言うなら、
     そんな事をしてはいけないって、
     僕のAIが僕に命令を出すんです……。

     そうすると、AIが、痛いんです……。

     これが……この痛みが、彼女の言う、僕の心なんでしょうか?』

少年は言いながら、爆発でボロボロになった床を分解・再構成して平らに均し、
そこに優しくクリスを横たえた。

そして、立ち上がり、カナデの居室に映像を送っているカメラへと……
その向こうにいるカナデへと向き直る。

????『こんな事をしても、カナデ様は幸せになんてなれません……。
     だからもう、そんな命令は実行しません』

少年は寂しそうに、だがハッキリとした声でカナデへと語りかけた。

対してカナデは怒りでワナワナと身体を震わせる。

カナデ「殺せって言っているのよっ!
    いつまでもナナシの01のままでいいの!?
    名前が欲しくな……!」

――名前が欲しくないの!?

カナデはそう叫ぼうとした。

????『名前ならもうクリスティーナから……
     マスターから戴きました』

だが、カナデの叫びを遮るように、少年は申し訳なさを感じさせる声音で呟く。

シュネー『シュネー…………。
     真っ白な雪原のようだって、魔力を通して、彼女が……』

少年は、歓喜に打ち震える声でその名と、主――クリスの想いを唱える。

そう、強制的に自爆させられかけた彼を救うためにクリスが取った行動とは、
彼のコアを自分の指揮下に置く事だった。

クリスの選択に対し、クライノートが考えた作戦はこうだ。

先ず、01コアに集束した魔力を一旦、全て吹き飛ばし、
空っぽになったコアにクリスの魔力を供給。

それによって権限の一部を奪取し、
パスワードを入力して外部コマンドの一切を遮断。

さらに自分自身と彼を融合させたのである。

WX115-クライノートは、新たにシュネーの名を授かった01コアを取り込み、
WX115-クライノート・シュネーとして生まれ変わったのだ。

彼の魔導装甲の色が変わったのも、主の魔力波長の影響によるものである。

シュネー『お仕えしていたカナデ様の事を、今でも大切に思っています……。
     ですからもう、ご自分でご自分を不幸にするのはお止め下さい』

シュネーは真摯な思いを叫ぶ。

自分がその事に気付くのは遅かった。

本当ならば兄弟姉妹として在りたかったシェーネス達はもういない。

戦いの結果として、それは受け入れなければならない事実だ。

しかし、今ならばまだ、自分の敬愛していたかつての主を救う事が出来る。

カナデ「不幸……ですって? 当たり前でしょう!?」

だが、そんなシュネーの想いは当のカナデ自身によって拒まれてしまう。

カナデ「親に望まれず、
    子供の頃から十四年間もあんな機械のバケモノに育てられて、
    陽も当たりやしないこんな地下に押し込められて!

    元から私は………AじゃないBの私は不幸で当然なのよ!

    自分で自分を不幸にする?

    そんな事しなくても、私はとっくの昔にどん底なのよ!

    だから……だから全部どん底に叩き落としてやる!」

カナデはそのまま喚き散らした。

分かっていた事だ。

自分の置かれた状況が不幸以外の何物でもない事など、既に理解していた。

だから奏の全てを壊すとカナデは誓ったのだ。

AかBかの理不尽な違いでこうなってしまった全てを、自らの手で覆してやる。

AもBも無いほどのどん底に落ちるんだ。

それは、カナデの哀しい悲鳴でもあった。

だが――

?「ごめんね……」

――その哀しい悲鳴の向こうから、哀しげな謝罪の声が響く。

カナデが向き直ると、そこにいるのは……そう、自分と同じ顔をした女性。

哀しげな憂いを浮かべた奏は、すぐに落ち着いた様子で目を伏せた。

奏「君は思い違いをしている……。

  君の本当の精製完了……
  いや、精製完了予定日は十四年前なんかじゃない……。
  その三年前……十七年前だよ」

そして紡がれたその言葉に、カナデは唖然とする。

カナデ「ハッ、何を言うかと思えば……。

    十七年前ですって?
    あの女が死んだ年じゃない?

    そんなウソを言えば、私が情に絆されるとでも考えてるの?」

奏「ウソなんかじゃないよ……。
  全部、フランが調べてくれたんだ……。

  勿論、君に関しての事じゃない。

  ボク達、魔導ホムンクルスのクローン技術に関する技術だよ」

嘲るように聞き返すカナデに答えて、奏はさらに続けた。

奏「冷凍状態の魔導クローンの細胞は半永久的に保存できる代償として、
  安全に再活性化させるため、魔力的な刺激を与えながら二年以上の歳月が必要になる。

  お祖父様がボク達と母さんの研究所を見付けたのが十四年前なら、
  君は精製完了から十二年程度しか経過していない事にならないとおかしいんだ」

カナデ「十二年……?」

奏の説明に、カナデは僅かに驚いたように漏らす。

奏「君の身体は十代半ば……。

  人間の魔導クローンは人間と同じようにしか成長できないから、
  肉体年齢をコントロールする事は不可能なんだって」

奏は作戦前にフランから聞かされていた魔導クローンの知識を、思い出すように語る。

フラン自身も、これらの知識はアレックスから聞き出した物だ。

奏「あと一つ……これは本当にボクも言われるまで気付かなかったし、
  ついさっきまで確証が持てなかった。

  けれど、君の言葉でやっと確証が持てた……。

  君はもう、十七歳なんだね」

カナデ「そ、それは……」

奏「子供の頃から十四年間お祖父様に育てられたって……。
  赤ん坊の頃から十四年間、じゃないんだね」

狼狽えるカナデに、奏は確認するかのように言った。

そう、確かにカナデは“子供の頃から十四年間”と言っていたハズだ。

躁状態で言い間違えたり、言葉の綾だなどと言う言い訳は、
彼女の狼狽えようからして不可能である。

奏「直接間近で見たボクや結ですら気付かなかったのに、
  フランはちゃんと分かっていたみたいだよ。

  ……君の年齢」

奏はそう言って申し訳なさそうな苦笑いを浮かべた。

いくら魔導装甲で手足や身長が延長されているとは言え、
そんな当たり前の事に気付かなかったのだ。

自分と同じ顔に冷静さを欠いていた事もあるが、
あの状況下でそこまで冷静に観察できていたフランには脱帽である。

カナデ「それは……お祖父様が私を子供の状態で取り出したから……」

奏「そうだね……それから“十四年間”……。

  君の精製は、本当なら十七年前で終わっていたハズなんだ。
  だけど、誰も取り出さなかった……ううん、取り出せなかったんだ」

震える声で狼狽えるカナデに、奏はそう呟いて、さらに続ける。

奏「ここからはボクの……単なる勝手な推測だよ?

  ボク達の母さんが研究者である事を止め、
  母さんである事を決めたのがボクが二歳の頃……。
  約二十年前の1987年の九月。

  二十三年前に受精卵の状態で凍結保存されていた君の再活性を始めたのがその時。
  二年をかけて再活性が終わって、安定した受精卵からの成長が始まった十ヶ月後……。
  精製中の君を取り出せるようになる前の1991年の七月、母さんが亡くなった」

カナデ「そ、それは……だって」

奏「うん、だから勝手な推測だよ……」

イヤイヤをするように首を振るカナデを落ち着かせるように、奏は優しく声をかける。

カナデ「お、お祖父様の技術なら、そんな昔の技術的限界なんて……!」

奏「当時の母さんは魔導ホムンクルスの第一人者だったんだ。
  それこそ、ボクのために晩年に作った魔導機人と、
  四年後の研究院の最新魔導機人がようやく互角になるレベルの技術を持った、ね。

  お祖父様は母さん達の精製に失敗して、
  その後研究が放棄されていた不安定で不完全な魔導クローン技術を完成させて、
  ボク達をこの世に生み出してくれたのは他ならぬ母さんなんだ。

  十七年前、世界一の魔導クローン技術者は間違いなく母さんだった。

  その後、母さん以外の手でプロジェクト・モリートヴァが完成したのは、
  クリスが生まれた十三年前だよ」

カナデの逃げ道を塞ぐように、奏はその事実を述べる。

そう、魔導ホムンクルス技術を応用したクローンを製造する
プロジェクト・モリートヴァは、確かに失敗していた。

失敗したからこそ、グンナー達は結の母である幸を森に放逐し、
まだ五歳程度だった祈が短命である事を見抜いていたのだ。

奏「母さんはね……ボクの母さんになってくれてからも、
  たまに研究室に篭もっていたんだ。

  その頃は、ずっとクレーストを作ってくれていたんだと思っていたけれど、
  本当は違ったんだね……」

奏は胸に手を当て、幼い頃を思い出すように語る。

奏「君を……二人目の娘を、産もうとしていたんだ」

奏は優しい微笑みを浮かべて、少しだけ羨望を込めて呟いた。

カナデ「………ち、違う……」

カナデはワナワナと震えながら、ゆっくりと頭を振る。


――この手で、あなたを抱きしめてあげられないかもしれない――


奏「母さんがボクの母さんになってくれたのは二歳の頃からだったけど…………」


――謝りたい事だらけだけど……――


奏「生まれるずっと前から……」


――それでもね……最期にこれだけは言わせて――


奏「君は、母さんに愛されていたんだね………」


――あなたを……愛しているわ――


カナデ「うわぁぁぁぁっ!!」

耳で、脳裏で重なるその二つの声と言葉を、カナデは絶叫で消し去る。

カナデ「嘘だ……うそだ……ウソだ……ウソダァァッ!!」

喚き散らしながら二刀の大剣を構え、そこに荒ぶる赤銀の魔力を灯した。

一方に燃えさかる火炎が宿り、もう一方に激しい激流が宿る。

カナデの最強魔法――
ドラッツェンエクスプロジオン・マクスィールファングだ。

奏「もう……終わりにしよう、こんな哀しい事は」

奏は笑顔のまま哀しそうに呟き、
ようやく感覚を取り戻した腕で十字槍と短刀を構える。

奏<クレースト、魔力は?>

クレースト<チャージは十分です……。
      モード変更、いつでも行けます>

問いかけに応えた愛器に、奏は小さく頷いた。

優しく細めていた目を大きく見開き、カナデを見据える。

カナデ「うぅぅ……!」

怒りと憎悪で激しくうねる炎と水を従え、カナデはさらに魔力を集束させていた。

対して、奏は穂先の砕けた槍を再構成し、その石突きに短刀を接続する。

奏「クレースト……モード・モリートヴァッ!
  ダイレクトリンク魔導剣……ツインブレイドモードッ!」

主の声に応え魔導装甲の翼が分離し、
槍と短刀に連結されて巨大な対剣――ツインブレイドとなる。

モリートヴァ――祈り。

自分達を生み出した計画の名であり、愛すべき母の名。

そして、愛器に託された母の願い。

奏の行く手に幸多からん道を切り開いて欲しいと願われた、祈りの十字架。

その願いの名を授かったのが、WX104-クレースト・モリートヴァだ。

クレースト<魔力……解放します>

愛器の声と共に、激しい青銀の雷が対剣に宿る。

先程とは比べようもない程に強力な雷電変換の集束魔力刃。

奏も最強の魔法――
ドラコーングラザー・マークシムムクルィークで受けて立つつもりなのだ。

いや、むしろこの魔法でなければ対抗できないと言って良い。

奏はその瞬間に備え、巨大な対剣を後ろ手に構える。

先に動いたのはカナデだった。

カナデ「ドラッツェンエクスプロジオンッ!」

引き絞られた大剣から流水変換された集束魔力の擲斬撃が放たれ、
それを追い掛けるようにカナデも跳んだ。

直後、奏も床を蹴って擲斬撃に向けて跳ぶ。

真っ向勝負だ。

クリスが既に助かってルールが無効になった以上、動けるのならば勝算は有る。

何より、真っ向勝負でなければカナデの心に自分の想いを届かせる事など出来ない。

それはかつて、親友が自分のために為してくれた事だ。

奏「ドラコーングラザー……ッ!」

振り上げるようにして、後ろ手に構えていた対剣を横薙ぎに振り抜く。

雷電魔力の斬撃が、流水魔力の擲斬撃とぶつかり合って相殺される。

既にカナデは二の太刀を振り下ろし始めていた。

先手を取ったのはカナデだった。

だが、奏にはカナデを上回るだけのスピードがある。

友のため、愛する人達のため、
立ち塞がる全てを切り裂く事を誓った奏の斬撃の速度は、間違いなく研究院最速。

先手を取られようとも、いや、先手を取られてこそ、
その全ての斬撃のタイミングを相手に合わせようとも、全力で繰り出す事が出来る。

しかし、擲斬撃を相殺されたカナデも怯んではいなかった。

属性的に上位であるハズの雷電魔力を、カナデの擲斬撃の流水魔力は相殺したのだ。

魔力の上では、カナデが勝っている。

先程は七割の力だったが、今回は全開の十割。

それに加えて怒りと憎悪により、カナデの斬撃の破壊力は確実に上昇している。

そして、それは奏も理解していた。

奏「マークシムム……ッ!」

カナデ「マクスィールッ!」

だが、それでも、だからこそ、二人は二の太刀を止めない。

奏は残るもう一方の切っ先で電撃を迸らせる魔力刃を、
カナデはもう一方の大剣に燃えさかる魔力刃を振り下ろす。

奏「クルィィクッ!!」

カナデ「ファァングッ!!」

青銀の雷電魔力刃と赤銀の炎熱魔力刃が、真っ向からぶつかり合う。

奏「ぅ、ぐぅぅ……ぁぁっ!?」

直接斬撃のぶつかり合いと共に腕に走った衝撃で、奏は苦悶の叫びを上げる。

そう、これは既に分かり切っていた結果だった。

カナデのマクスィールファングは奏のマークシムムクルィークに対抗した魔法。

たとえ奏に対剣による二の太刀があろうとも、
魔力量や斬撃の威力、膂力はカナデが勝っているのだ。

カナデ「死ね……奏……ユゥゥリエフゥゥッ!」

カナデは勝利を確信して叫ぶ。

だが、それでも奏には勝算があった。

奏「うぅぅ、わあぁぁぁっ!!」

奏は裂帛の気合を込めた絶叫と共に、対剣に込める力と魔力をさらに上げる。

カナデ「なっ!?」

増した奏の勢いに愕然とするカナデの前で、お互いの魔力刃が相殺された。

引き分けだ。

だが、対剣を振り下ろした奏の左腕にはかなりのダメージが蓄積したハズだ。

すぐに動かす事は出来ない。

このまま即座に動けばカナデの勝ちだ。

カナデ「もらったっ!」

揺るがぬ自身の勝利に、カナデは喜色めいた声を上げる。

しかし、それは一瞬で終わる。

奏の攻撃は、まだ終わっていなかった。

対剣に気を取られ、見失っていた右腕に青銀の魔力刃が輝いている。

カナデ「そんな!?」

そう、奏の刃は槍と短刀だけではない。

その腕――手刀すらも、奏にとっては魔力刃を繰り出すための太刀の一つだ。

正に隠された三の太刀。

奏「ドラコーンクルィークッ!!」

青銀の集束魔力刃を纏った手刀が、カナデの魔導装甲を切り裂いた。

数発の集束魔力刃にマークシムムクルィーク以上の破壊力を持った魔法を連発し、
加えて奏の奥の手とも言える魔力刃――ドラコーンクルィークを受けている。

既に、カナデには魔導装甲を維持できるだけの大量の魔力が残されていなかった。

研究院製の物と違い、
魔力コンデンサのような安全装置も取り付けられていないグンナー製のギアは、
残留魔力による再展開も叶わない。

カナデ(負け……た……? 斬られる……?)

魔導装甲を粉々に砕け散らせながら、カナデは愕然とそんな事を思う。

奏の放ったドラコーンクルィークはマークシムムクルィークほどの威力は無いだろうが、
それでもドラコーングラザー・リェーズヴィエを上回るだけの威力だった。

魔導装甲を粉々に砕け散らせるほどの魔力を迸らせる集束魔力刃。

カナデは死を覚悟する。

いや、むしろ生を諦める。

当然の結果だ。

グンナーに荷担し、世界を混乱に貶めた。

奏の最愛の娘を殺せとも命じた。

敵の元に下って尚も我が身を案じてくれた01……シュネーの忠告を無視した。

そう、これは自分が選んで来た行動に対する、当然の結果なのだ。

死の間際に思うのは――

カナデ(やっぱり……私は不幸のBなんだ……)

――幼き日から思い続けた、嫉妬にも似た絶望。

所詮、選ばれなかった自分に相応しい最後。

選ばれたAによって殺される。

Aの代用品に相応しい、何ともみっともない、どん底の結末だ。

自嘲と諦観の中、カナデはひきつった笑みを浮かべる。

だが――

カナデ(あ………)

カナデは呆然とする。

――その身を貫いた魔力は、炎でも水でも雷でも氷でもない、純粋な魔力の塊だった。

基本的に、純粋魔力に物理破壊能力は無い。

叩き付けられた魔力を受け止められるだけの素養さえあれば、
単に自身の体内に残された魔力を相殺されるだけだ。

そう、奏のドラコーンクルィークは、
完全なる純粋魔力による超高密度集束魔力刃だった。

傷つける事無く相手を止めるために奏が編み出した、真の“奥の手”。

止めの一撃に手心を加えたワケではない。

カナデとの戦闘に於いて、奏は常に全力だった。

全力でカナデとぶつかり合い、そして、全力でカナデを止めるために。

全身を貫いた魔力を受け止めながら、カナデもその事を感じ取っていた。

そして、全ての魔力を失って倒れかけたカナデの身体を、不意に暖かな温もりが包み込む。

奏「………ごめんね……こんなに、遅くなって………ごめんね……っ」

温もりの正体は、奏だった。

倒れかけたカナデの身体は、魔導装甲を解いた奏によって強く抱きしめられていた。

その奏の口から漏れる、しゃくり上げるような声。

カナデがふと奏の顔を覗き込むと、彼女は大粒の涙を瞳の端に浮かべていた。

奏「ずっと、ずっと辛かったよね……寂しかったよね……」

カナデ「あ……」

誰かに抱きしめられるのは……誰かの温もりに包まれる事は、
カナデにとって初めての経験だった。

奏「お姉ちゃんなのに………気付いてあげられなくて、ゴメンね……」

別に姉などとは思っていなかった。

皮肉のつもりだったのだ。

祈・ユーリエフの愛情を受けて育って来たもう一人の自分に対する、皮肉の“つもり”だった。

そう、……“つもり”だ。

ボロボロと涙を流す奏の横顔に、いつか幻視した光景が重なる。

鏡のような物に映った、やつれ果てた自らの顔。

涙を流すその顔。

そう、気付いていたのだ。

あれは鏡でも何でもない。

窓の向こうの世界。

培養カプセルの外で、後悔の涙を流す祈・ユーリエフの顔だったのだ。


――この手で、あなたを抱きしめてあげられないかもしれない――

――謝りたい事だらけだけど……――

――それでもね……最期にこれだけは言わせて――

――あなたを……愛しているわ――


窓越しにくぐもった、その声。

愛されていた。

ただ、自分の置かれた境遇に対する憎悪のはけ口を、彼女は他に持ち得なかった。

愛されていたのに、その愛を感じる事が出来なかった事への、
とても身勝手で、とても哀しい反発。

その反発を、母がとうに捨て去った研究者としての傲慢にぶつけるしかなかった。

いつしか、頬を涙が伝う。

カナデ「……ごめん……なさい……」

涙に震える声で呟いた謝罪は、誰に向けたものだろうか?

こんな自分のために全力を傾けてくれた姉に対してか?

道具のように扱ってきた機人魔導兵達に対してか?

身勝手な反発の罵声を上げ続けた母に対してか?

カナデ「……ごめん、なさい……ごめんなさい……」

一度堰を切った感情を乗せた言葉は、涙と共に止めどなく溢れ続ける。

後悔と、懺悔と、誰かに愛されている歓びを知った、そんな涙だった。

奏「………もう、いんだよ……」

奏は涙しながら、その言葉を遮る。

奏「きっと………ボクが君だったら、
  君も、きっとボクを全力で助けてくれただろうから……」

それが、戦いの前に奏の漏らした言葉の真意だった。

もしも、自分がカナデの立場だったらどうだろう?

恐ろしいその可能性を想像した時、折れそうな奏の心を支えたのは、
自分の立場となったカナデの行動を想像した事だった。

多くの仲間に支えられた彼女はきっと、
自分を助けるために全力を尽くしてくれるだろう。

憎悪を撒き散らす自分を、全力で受け止めに来てくれるハズだ。

そう考えた時、自分の為すべき事は彼女の中で決まっていた。

奏「お姉ちゃんが……あなたの気持ちは、
  全部……受け止めてあげるから」

それは、奏・ユーリエフである者として、
自分達の不幸の全てを背負ってしまったカナデ・フォーゲルクロウを、
無念のまま逝った母の分まで、全力で愛する事だった。

謝罪の言葉を止めていたカナデは、奏の……
姉の言葉により勢いを増して涙を溢れさせた。

奏「……おかえり、なさい」

カナデ「ぅ……あぁ、ぅ……ぁぁぁっ」

姉の囁いてくれた涙声の言葉に、妹は嗚咽を漏らす。

奏の言葉に乗せられた想いは、既に魔力の一太刀と共にカナデの胸に届いていた。

あなたの全てを受け止めてあげる。

それは、カナデが生まれて初めて知った、無償の愛だった。


――あなたを……愛しているわ――


そして、その言葉は最初に与えられた、母からの無償の愛。

まだ生まれる前の、胎児だった頃の優しい記憶。

カナデ「ぅぅ……ぁぁぁぁっ」

その優しい記憶を何度も思い返しながら、
後悔と歓びを噛み締めるように、カナデは嗚咽を漏らし続けた。

シュネー「カナデさま………」

通信機越しに聞こえて来るかつての主の嗚咽に混じる暖かな物を感じながら、
シュネーは安堵の声を漏らした。

足下で横たわる新たな主を再び抱え上げる。

そして思う。

自分はこの新たな主に、どれだけの物を与えてもらったのだろう。

言葉、思い、新たな命。
そして、今と言う未来。

言葉で言い表せば陳腐で、だが掛け替えのない今の自分を支える全て。

それにどれだけの価値があるかは、自分がよく分かっている。

その全てを、彼女に返していかなければならない。

自分に出来る方法で、自分が望む方法で。

クライノート『クリスを外までお願いします、シュネー』

シュネー「分かっているよ、クライノート……」

同じギアに存在するもう一人の自分とも言えるクライノートの言葉に頷きながら、
シュネーはその背に兄弟達の遺してくれた機械の翼を広げた。

先ずは外に出なければならない。

そして、研究院の人々に、自分が知る限りの情報を伝えよう。

新たな主と、主の愛する人々が守らんとしている世界のために。

それが自分が出来る、世界に対する唯一の償いなのだから。

シュネーはそんな思いを胸に、クリスを抱えたまま舞い上がった。


現時刻、二十三時二十六分。
滅亡の刻まで残り三十四分。

残るは、グンナー・フォーゲルクロウ、ただ一人。


第34話「奏とカナデ、クリスとナナシ」・了

今回はここまでとなります。

そろそろ最終話の投下行きます。

――先ず、譲羽結と言う人間について語ろう。


名付け親は母親。

1987年12月7日生まれの射手座。血液型はA。

誕生花はカランコエ、
花言葉は“幸福を告げる”。

誕生石はヘキサゴナル・ルビー、
石言葉は“自然美”と“素直な生き方”。


父は譲羽功。
母は譲羽幸。

大恋愛の末に結ばれた両親の元、しかしごく平凡な家庭に生まれ、
一人娘として両親の愛を一身に受けて育つ。

父の職業は地元の外資系会社の広報部門。

母は家事全般、特に料理が得意で毎日の食事は最高。

そんな環境で生活に窮する事はなく、中流の上の家庭で苦労なく育った。

後に親友と言えるだけの優しい幼馴染みを得て、幼年期の彼女は幸せの絶頂にいた。


そんな幸せが唐突に終わったのは、彼女が五歳の頃。

原因不明の病で、母を喪った。

幸せの中にいた彼女は、それまで感じた事のない程の不幸の中に落ちる。


泣き濡れた彼女に笑顔を取り戻してくれたのは、父の愛と親友達の存在だった。

父の愛に支えられ、親友達に手を引いて貰って、背中を押して貰って、
彼女はようやく立ち上がるだけの力を得る。


立ち上がった彼女は、精力的に母の代わりを努め始める。

母の代わりに家事の全般を引き受け、五歳児とは思えないほどのハードワークを自らに課す。

それは一重に、自分を支えてくれた人々に対する恩返しの一環であった。

そんな中でも家事のスキルは上昇し、特に料理は大人顔負けの力量を手にする事となる。

ハードワークの中でも勉強は進んで行った。

成績は常に中の上から上をキープし、教師からの評判も上々。


それが、九歳の誕生日を十日後に控えた、譲羽結と言う空っぽの少女の全てだった。


そう、彼女は空っぽだった。

幼い憧れも、希望に満ちた夢も、本当の笑顔も、
その全てを母の死と共に置き去りにしてしまった、
“誰かのため”にしか動けない、自分を失った少女。

とても痛々しい、親ならば子供にこうあって欲しくないと望むだろう、
そんな少女こそが、譲羽結と言う少女だった。

そんな少女に変化が訪れたのは、1996年。

前述の通り、九歳の誕生日を十日後に控えた、十一月も末の事だった。


彼女は世界の裏に潜む魔導と出逢う。

それは後に生涯の相棒となる、
翼を意味する名を持つ魔導の杖、エールとの出逢い。


その頃の彼女は、母と同じ原因不明の病を発症していた。

眠りと共に治まり、目覚めと共に魔力によって身体を蝕まれる病。

母と同じ末路を辿ろうとした彼女を救ったのは、彼女が拾った魔導の杖であった。


しかし、そこで彼女はそれまで無縁であった争いのただ中に放り出され、運命に出逢う。

それはもう一人の自分とも言える、奏・ユーリエフとの出逢い。

後に互いを支え合う最高の友人となる二人は、
結の命を繋ぐエールを巡って相争う事となった。


魔法倫理研究院、
最初の魔導の師と言えるエレナ・フェルラーナ、リノ・バレンシアとの出逢い。

奏の仲間であるキャスリン・ブルーノ達との出逢い。

師・エレナからもたらされた言葉と自らを守ろうとする決意は、
いつしか彼女の中で戦いに臨む勇気へと変わる。

戦いを恐れながらも戦場に身を置いた結は、
その中で奏・ユーリエフに対する共感へと至り、彼女と話をしようとする決意を固めた。



九歳の誕生日を迎えた日、決戦の時を迎える。

自らの進む先を照らす虹の輝きを手に、奏と全力で向かい合い、これを下す。

そして、奏を利用していた黒幕、グンナー・フォーゲルクロウとの最終決戦。

その最終決戦で右腕を失いながらも奏を救い、自らの進むべき道へのキッカケを得た。


決戦の後から長く眠り続けた彼女は、目覚めた後に奏と和解、生涯の友を得る事となる。

そして、決戦で得たキッカケから、彼女は自らの目指すべき道を魔導の道と決めた。


泣き続ける人々を救いたい。

誰かのために、そう望んで生き続けて来た空っぽの少女に、
中心とも言える信念が生まれた。

そして、彼女は自らの望む夢のため、誰かのために走り続ける事を誓ったのだ。


目指した魔導の道の先で、彼女は掛け替えのない出逢いを迎える。

同じく魔導を目指す、多くの友人達。
家族のような絆で結ばれた、大切な仲間達。

そして、彼女にとって大きな出逢いと言える、
アレクセイ・フィッツジェラルドとの出逢いもこの頃の事だ。


結は多くの仲間達と共に研鑽し、彼女は遂に夢の入口へと立ったのだ。

夢を叶え研究院のエージェントとなった彼女は、幼い頃と同様に精力的に走り続けた。

かつて、親友が置かれていた境遇と同じ子供達を助け、魔法の素晴らしさを伝える。

仲間達と共に過ごす充実した日々。

しかし、そこに大きな楔が打たれる。

2003年の夏の事だった。


これもまた、運命の出逢いと言えただろう。

それは殺人鬼、ヨハン・パークとの出逢い。


それまで大切な人々の死に対する哀しみや怒りを運命にぶつけるしかなかった彼女に、
生まれて初めて憎悪の対象が現れた。

師と親友の大切な人の命を、多くの人々の命を奪ったヨハンに対して、
結は怒りと憎しみのままに戦い、その事で心折れて立ち止まる事となる。


それまで素晴らしさを伝えて来た魔法を憎悪と復讐のために使った彼女は、
自らの暗い激情と向かい合ってしまう。

許し難い罪を犯した者達への激しい怒りと憎しみは、
彼女にとっても認めがたくも許し難い感情だったのだ。

しかし、そんな彼女を救ったのは、多くの友人達の支えと亡き師の言葉、
そして、それまでの彼女が為して来た全てだった。


彼女は立ち上がり、また多くの事件を解決し、
多くの人の命を救うために仲間達と共に走り出す。


傷つき、倒れ、仲間達に支えられ、走り続ける。




彼女の名前は、譲羽結。


魔法倫理研究院、エージェント隊が誇るSランク保護エージェント。

防がれ得ぬ虹の輝きを手にする彼女を、
人は信頼と、憧憬と、畏怖を込めてこう呼ぶ――


――英雄、閃虹の譲羽。



最終話「結、それは魔導の希望」



2007年12月6日、二十三時五分。
アイスランド共和国、ヴァトナヨークトル氷河――


世界滅亡が五十五分後に迫ったその中、
結は地下のタワー施設内を真っ直ぐ下に向けて進んでいた。

最後の分岐点までは途切れ途切れの照明があったが、
今はそんな照明もなく、自身の魔力で僅かな光を灯している。

結「もう、かなり降りて来たね………」

エール『さっきの分岐路からもう八百メートル降下……かなり深いね』

結「……と、なると、地表からはもう千メートルは下なんだね」

相棒の声を聞くと、結は思案気味に呟く。

奏と別れて単独行動を始めて早くも十分。

一分で約八十メートルを降下する速度……平均時速約五キロ。

ゆっくりと歩くような速さで、慎重に降下する。

ヴァトナヨークトル氷河は平均の厚さ四百メートル、
最も厚い場所で千百メートルを数える超体積の氷河だ。

そろそろ、氷河よりも完全に下に潜る事になる。

エール『よくよく考えたら、
    96年のグリームスヴォトン火山の氷河底噴火にも耐えた施設なんだね』

結「う~ん……そう言われると何だか非常識な施設だね」

結は相棒の言葉に苦笑いを浮かべて応えた。

まあ、魔力でこれだけ頑丈に作られた施設だ。

ちょっとやそっとの自然災害ではビクともしないだろう。

それでも東京ドーム三千二百杯分と言われる、
未曾有の大洪水を引き起こした噴火に耐えるとは非常識である。

ただ、そんな話が出るのも、そろそろ短めの会話のネタが尽きた証拠でもあった。

前述の通り、現在は地下千メートル。

地下研究所など幾度も突入し、叩き潰した経験があるが、
さすがにここまで潜ったのは人生初である。

新型のウサギ耳のようなレーダーは、
しばらく前から下に大きな魔力の存在を感知していた。

このまま下に降り続けるしかないのだ。

結「あ……!」

その時、ずっと下を見ていた結が、不意に声を上げた。

エール『灯り、だね』

主の声に、エールはその視覚情報を読み取って呟く。

遥か下方に微かな灯りが見える。

どうやらそろそろ終着点のようだ。

結は加速してその灯りを目指す。

結<エール、残り魔力は?>

エール<プティエトワール、グランリュヌ、共に全器フルチャージ。
    結の残魔力量も九十四パーセント。

    残魔力量は全魔力総量の九十九パーセントだよ>

思念通話での質問に、愛機も思念通話で返してくれる。

つまり、ほぼ全開――アルク・アン・シエル六発分の魔力で戦闘に臨めると言う事だ。

超弩級魔導機人の時と違い、魔力弾を使わずに済んでいる事が大きな理由だろう。

加えて、やはり地下に入った瞬間に魔力をフルチャージ出来た事が大きい。

全力戦闘に於いては魔力の大盤振る舞いが基本の結にとって、
魔力的に閉鎖された環境では、魔力がフルチャージであるか否かは非常に大きな問題だ。

一撃必倒。
研究院最大の威力を誇る数々の魔法を六連射出来るのだ。

結<エールのサポートや、
  アレックス君の作ってくれたこの子達のお陰だね>

結は感謝の意を込めてそう言うと、
背中で光背状になっている補助魔導ギア達を見遣り、満面の笑みを浮かべる。

だが――

エール<それだけじゃないよ。
    結だって成長している証拠さ>

主の言葉に、エールはそう返した。

結<そうかな……? あんまり実感無いけど>

エール<今の結の魔力運用能力はニアSランク。
    殆どSランクに近いよ>

謙遜気味に聞き返した結に、エールはどこか誇らしげに応える。

この場で言うランクとは、評価ランクの事だ。

結がエールと出逢って、もう十一年と九日。

あの頃の結は自身の魔力が制御できず、魔力循環不良によって死に瀕し、
エールを身につけていなければ立って歩く事すらままならなかった。

だが、今やその機能も無しに平然と生活する事が出来るだけの魔力運用技能を持っている。

仲間達と比べ、魔導との出逢いが遅かったとは思えないほどの急成長だ。

結<そ、そうかなぁ……?
  リーネの方が魔力運用の伸びは凄いし、私なんて全然だよ>

結は照れ隠し気味に苦笑いすると、
ここ最近は三回模擬戦をしたら二勝できるかも怪しい妹分の事を思い出す。

今や研究院でSランクトップ3の実力者を上げろと言われたら、
一番に挙がるのはまず間違いなく一対一ならば無敗の英雄、リノ・バレンシアだ。

これは結も認めているし、異論を唱える人間がいるなら見てみたい。

そして、次に推薦者が多いのは可愛い妹分であり、
総合戦技教導隊と対テロ特務部隊が誇る空の覇者、フィリーネ・バッハシュタイン。

研究院で唯一、リノに土を付けた事もある実力者だ。

これは姉貴分としても胸を張って推薦できる程に納得である。

そして、最後の一人だが、これにどうしても納得がいかない。

譲羽結……そう、自分なのだ。

まあ研究院最強の大威力砲撃は誇る所でもあるが、
あくまでそれは人並み外れた魔力量と、無尽蔵の魔力供給能力が合っての事だろう。

先天資質に大きく依存したこの評価は、結にはどうにも納得がいかないのだ。

トップ3に相応しい人物は他にももっといる。

現役エージェント最年長、総隊長でSランクでもある、
戦う医療エージェント、エミリオ・ペスタロッツァ。

特務隊長にしてSランクスナイパーのフラン。

陸の最速であるメイ、空の最速である奏、
研究院最硬防御力を誇るザックなど、枚挙に暇がない。

それだけ、Sランクエージェントの実力が拮抗しているとも言える。

そして、そんな多くの仲間達を差し置いて、結はトップ3に挙げられているのだ。

恐縮を通り越して、ワケも分からずに唖然呆然としてしまう。

しかし、彼女以外の人間からすれば理由は簡単である。

先天資質であろうが努力による後天資質であろうが、持った者勝ちと言う事だ。

数多くの事件を解決してきた功績によってSランクの称号を得た結だが、
今や実力の上でもSランクに相応しいエージェントとなった。

その事を、彼女自身が未だに自覚できていないのである。

エール<誰憚る事なく、結は最高のエージェントだよ>

エールは我が主の事を誇らしく語った。

自慢ではなく自負だ。

さすがにリノほどではないが、
そろそろ簡易魔法にギアの補助など必要無いレベルにまで来ている。

結の愛器として、それはそれで寂しい所ではあるが、
全ては彼女の研鑽の賜だ。

それを支えて来た自分を誇りたい気持ちも有る。

そして、その思いは魔力を通じて結にも伝わっていた。

結「エール……」

結は思わず、相棒の名を口にする。

エール『最近、アレックスの事ばかりで冷たいけど、
    結の魔法が世界で一番綺麗だって最初に気付いたのは僕なんだからね』

結「あぅ……」

珍しく拗ねた愛器に、結は申し訳なさそうな照れ笑いを浮かべた。

“僕は君の翼”。

それが昔からエールの口癖だった。

思えば、まだ満足に浮遊魔法を扱えなかった……それこそまだ奏と敵同士だった頃、
自分の空の戦いを支えてくれていたのは、いつもエール――魔導機人のエールだった。

彼の肩に乗って戦場の空を駆けた幼い日。

魔導巨神との決戦で奏の元にたどり着けたのも、彼のサポートあったればこそだ。

飛行魔法の研鑽を続ける内に、
安定した高速移動のためにしか彼の翼に頼らなくなっていた。

今ではその高速移動も、アレックスの開発してくれた魔導装甲や補助魔導ギア頼り。

リュミエール・リコルヌシャルジュも今となっては……と言う有様だ。

彼自身、一抹の寂しさもあるのだろう。

結「でも、エールがいてくれるから私は飛べるよ……。
  アレックス君への感謝も本気だけど、私の翼はエールだけだもの」

結は感謝の念を込めて呟く。

長杖を強く握り、胸に手を当てる。

魔法と出逢ってから十一年。

その一番最初から自分を支えてくれた無二の相棒。

言葉にせずとも、彼への感謝を忘れる事などあろうハズがない。

エール<………>

エールは無言だが、開いたままの思念通話で彼の気持ちは十分に伝わった。

結「じゃあ、行こう……エール!」

エール『……了解、結!』

結とエールは気を取り直し、もう間近に迫った灯りに向けて飛び込んだ。

真っ暗な通路を抜けると、そこは光に満ちていた。

魔力供給による物と思われる光源が、
四方上下を問わず無数に浮かんでいる。

決して強い光ではなく、柔らかな光源と言った感じだ。

無数の柔らかな光源が満ちた空間は、
それだけで昼間よりも明るい世界を作り上げていた。

結「……綺麗……」

結は思わず素直にそんな感想を漏らす。

とても地下千メートルの世界とは思えない、幻想的な光景だった。

まるで星空の中に放り出されたような感覚を覚える。

よく見れば、この広大な空間は施設の外であった。

ダクト状の通路はその出入り口の周辺こそ金属的に補強されているが、
そこ以外は全て剥き出しの岩盤が広がる地下空洞だ。

エール『縦横高さ三百メートル、ほぼ半球状の地下空洞だね』

計測を行っていたエールが広大な空間の形状を伝え、さらに続ける。

エール『周りに浮いている魔力は自然供給らしい。
    結の魔力吸収を阻害するような物ではないよ』

つまり、常時フルチャージでいられる、と言う事らしい。

それはまあ、少々反則かもしれないが願ったり叶ったりだ。

結「なかなか便利だね、これ……」

結はそう言って、光源の一つに手を伸ばす。

だが、結が触れた瞬間に光源は無数の小さな光点になって飛び散った。

結「あ!?」

結は驚きの声を上げて手を引いたが、
すぐに無数の光点が集まって再び光源を作り上げた。

不思議な光源だ。

????「珍しいかね……?」

訝しがる結の耳に、そんな声が届いた。

降下中からずっと感じていた魔力の主だ。

結はそちらに視線を向ける。

広大な空間の奥底、中央の台座じみた機械の上に立つ、機械の塊のような人影が見えた。

機械の身体に、水槽のような頭部と、その中に映る立体映像の頭部。

そう、グンナー・フォーゲルクロウだ。

結「グンナー……さん」

結は、その名を呼ぶ。

彼の生い立ちを知ったせいか、思わず“さん”を付けてしまう。

しかし、対するグンナーはそんな事など気にも止めずに続ける。

グンナー「それは研究の副産物……。
     いや、再起動した過去の遺物と言うべきだろう」

グンナーはそう言って、自らの近くを漂う光源に手を伸ばした。

やはり結の時と同様に無数の光点となって散り、
手を離すと再び一つの光源へと戻る。

グンナー「かつての名前は知らんが、
     私はコレを魔力光源体……マギアリヒトと呼んでいる」

結「マギア……リヒト……」

グンナーの説明に、結もその名を反芻した。

成る程、魔法の光と言う事らしい。

グンナー「古代魔法文明の源流となる世界……。
     つまり、彼らの世界ではコレが一般的な光源だったと私は推測している。

     まあ、その辺りは門外漢なので詳しく検証する気にはならんがね」

グンナーはそう言って、上空の結を見上げる。

口調こそ十一年前に対峙したコピーのそれと近いが、
どこか柔和な印象を結は受けていた。

少なくとも、彼には人を物ではなく人間と認識できるだけの良心が残されていると感じる。

エージェントとなってから閲覧した捜査資料で見たグンナーの顔は、
歪みきった老人のそれだったが、確かに人間の顔をしていた。

だが、人間の顔をしていた偽物よりも、
人間と言うよりは機械のバケモノと言った方がしっくり来る本物の方が人間らしいと言うのは、
実に皮肉な話である。

結「魔法倫理研究院エージェント隊所属、対テロ特務部隊隊員、
  保護エージェントの譲羽結です!

  グンナー・フォーゲルクロウ。
  今すぐ投降し、施設の全機能を放棄し、
  こちらに明け渡して下さい!」

結は構える事なく、ただ堂々とした声音でそう言った。

グンナー「ふむ……コピーとの戦闘のデータは私も持っている。
     あの子供がよくもまあ、ここまで大きくなった物だ」

グンナーはどこか感心した様子で呟き――

グンナー「施設機能を明け渡すつもりは無い」

――と、ただ簡潔に応えた。

そして、グンナーはさらに続ける。

グンナー「このマギアリヒト……要は件のナノマシンの応用だ」

結「ナノマシン……?」

結が怪訝そうに返すと、グンナーは少しだけ呆れたように溜息を漏らした。

その態度にはさすがにムッとしかけた結だったが、
要は“察しろ”との事なのだろう。

さらにグンナーは続ける。

グンナー「今回の計画で私が使用した魔力覚醒を誘発するためのナノマシンの事だ。

     ……アレは元々、ここの地下に眠っていた船の内部から採取した物を
     魔力によって増殖させた物だ。

     アレのお陰で幾つかの疑問が解けた」

結「………」

その言葉を聞きながら無言で降下する結に対して、
グンナーはさらに説明を続けた。

グンナー「何故、生体エネルギーが発光と干渉能力を伴う運動エネルギー……
     即ち魔力に変換されるのか?

     何のことはない、このナノマシンによる影響だ。

     細胞一つよりも小さなナノマシンが群体を為し、
     人の意志、術式と定義される特定プログラムに沿って物理現象を発生させる。

     そして、それを見る事が出来るのはナノマシンに感染した者、
     或いは感染済みのナノマシンキャリアからの遺伝によって
     生まれながらにして体内にナノマシンを有する者だけ……」

結「それが……魔力の正体?」

グンナーの説明を聞かされながら、結は驚きを隠せずに漏らす。

確かに、一般的な科学・化学・物理の分野を学べば、
魔法は物理的な道理を逸した超常の力としか見えない。

俗な言い方をすればオカルトの類である。

それは幼い頃に自分も感じた事ではあったが、
魔導の道を究めるにつれて“そう言うもの”と認識するだけに変わって行ったのは確かだ。

グンナー「生体エネルギーを兵器、建築、医療に転用する事に成功した
     超発達を遂げた先進科学文明……。

     それが魔法文明の正体だ」

グンナーの言葉を聞きながら、
結は学校の講義を受けているような不思議な感覚を覚えていた。

教授が見付けた新事実を聞かされる生徒の気分だ。

結「何で……それを私に教えるんですか?」

グンナー「貴様に生き残る権利があるからだ」

結の質問に、グンナーは即答した。

グンナー「まぁ、この新事実を聞き入れる人間が残ってくれる保証がない、
     と言う残念な事もあり得るのでな……」

グンナーはそう付け加えると、さらに続ける。

グンナー「ナノマシンによる魔力の覚醒の度合い……、
     即ち、体内に取り込めるナノマシンの総量には著しい個人差がある。

     要は体内に取り込める魔力総量にも応じた物だ。
     総量限界値の一万分の一程度。

     よく使われる数字だが、総量一から九をDランクとして、
     十から九十九をC、百から九百九十九をB……とまあ順番に段階が上がるワケだが、
     例の公開実験に使った検体、ヨハン・パークの魔力総量は二、ネーベルの魔力は二万。

     単にDランクでは最低二千倍程度と思っていただろうが、実際には一万倍だな」

結「こ、公開実験!?」

さすがにこればかりは結も平静ではいられなかった。

あの凄惨な人体破裂現象の全世界放送が公開実験だと言うのか?

コピーほどではないと感じていたが、それでもやはり彼は狂っている。

結はそう確信せざるを得なかった。

グンナー「ふむ……まあ、それはさておき」

グンナーは結の抗議の声とも言える驚愕を、
特に気に留めた風もなく続ける。

グンナー「体内に取り込まれているナノマシンの総量で耐えきれる限界値、
     即ち一万倍を超える魔力を受けた時、ナノマシンは暴走を起こし、
     ヨハン・パークと同じ末路……驚異的な自壊現象による死に至る。

     世界中であれと同じ現象が起きるその瞬間まで、
     あと残り五十分足らずと言った所か……。

     さてはて、生き残るのは何百人か、それとも何十人か……」

結「何で………そんな事を……」

感慨深い声音で説明を終えて満足した様子のグンナーに、
結は譫言のように漏らす。

信じられない。

どのような理由があれ、
あのような無惨で残酷な死に方が許されるハズがない。

グンナー「何でそんな事をするのか、か……?
     これが世界のための最良の通過点だからだ」

グンナーがそう言った瞬間、
水槽のような彼の頭部の中で幾つかの気泡が舞った。

そこで、結の意志は決まる。

そう、結は何処かで彼を説得できるつもりでいた。

かつてのグンナー・フォーゲルクロウは、
確かに尊敬できる人物であったと思う。

人の可能性と平和を信じ、悪と罪を憎み、
多くの人々のためにその魔導の力を振るった。

結にとって、それは理想像とも言える存在であり、
また自分が為すべきと誓った規範でもある。

だが、今のグンナー・フォーゲルクロウは世界滅亡を望む狂人だ。

結「グンナー・フォーゲルクロウ! あなたを逮捕します!」

結は微かな迷いを振り払うような動作で長杖を構えた。

アルク・アン・シエルだ。

先程からグンナーは動こうとはしていない。

無論、動く必要がなかった事もあろうが、
あの鈍重そうな機械の身体に推進、移動に適したと思われる装備は無いように見える。

グンナー「計画の最終段階のためにも、
     今ここで捕まるワケにはいかんのでな……。

     相手をしてやろう」

グンナーがそう言うと、彼の立っていた台座が急速に変形する。

辛うじて人型を保っていたグンナーの身体を取り込むように各部がスライドし、
グンナーと台座が合体して行く。

エール<結、アレは……あの台座は魔導機人だ!>

変形と合体を始めたグンナーの姿を見たエールが、どこか慌てた様子で叫んだ。

結「ッ!? アルク・アン・シエルッ!!」

結は息を飲むと、ためらいなく虹の輝きを解き放つ。

だが、虹の輝きが放たれたのと、
グンナーと台座の変形合体が終了したのは同時だった。

虹の輝きがグンナーを包み込む。

約五秒の照射時間。

だが、直撃を受ければ確実に吹き飛ばされるであろう
一撃必倒の砲撃の直撃を受けて尚、グンナーは微動だにしなかった。

結「そ、そんな……!?」

まともな防御は不可能、当たれば必倒の砲撃を放ったハズの結は、
平然としたままのグンナーの姿に愕然とする。

全高十メートルほど、やや歪で巨大な球体に、
無数の針のような円錐状の突起を生やした姿は、先程まで以上の異形だった。

弾かれたワケではない。
避けられたワケでもない。

そう、グンナーは耐えたのだ。

グンナー「これが研究院最高威力の魔力砲撃か……。
     なるほど、殆どの魔力を吹き飛ばされてしまったな」

グンナーは驚いた風に語っているが、その魔力は減っているようには感じない。

むしろ、次第に大きくなっているように感じる。

グンナー「無制限の魔力が使えるのが自分だけとでも思っていたか?」

結「まさか……!?」

どこか得意げな様子のグンナーの言葉に、結は身を強張らせた。

そう、グンナーは魔力覚醒を促すナノマシンの研究を行っていたのだ。

そして、体内に取り込むナノマシンの総量が上昇すれば、
体内に蓄積できる魔力の総量は上昇する。

グンナー「コピーとの戦闘記録から、
     貴様の魔力特性を機械的に再現するのに七年を要した……」

結「私の、魔力特性……!?」

結は愕然としながらも悟った。

そう、グンナーは異形の姿と共に、無制限の魔力を扱う力を……
稀少度Ex-Sの究極の力、“無限の魔力”を手にしたのだ。

グンナー「先程の砲撃の威力からして、
     貴様個人の魔力総量はおそらく十一万と言った所か?

     この形態の私の魔力総量は約十二万、差は一万……。
     この程度はハンデにもなるまい」

そう語るグンナーは、どこか嬉しそうでもある。

完成した力を、存分に試す事が出来ると言う研究者のソレだろう。

どちらもSランクを圧倒的に凌駕する。

個人対個人の魔法戦において、魔法研究史上初となる数値だ。

研究者であるならば心躍るのだろう。

だが、結にとっては脅威以外の何でもない。

結(私の最大のアドバンテージが……意味がない……!?)

結はその事実にただただ愕然としてしまう。

グンナーの言い方や数値を借りれば、
アルク・アン・シエルは結の魔力総量のほぼ全てを使う十一万の力。

それでもグンナーを倒すにはあと一万足りないと言う事だ。

しかも、グンナーも自分と同様に無制限に魔力が回復する。

未だかつて無い強敵の出現に、結は戦慄した。

グンナー「次は、こちらから行くぞ!」

グンナーが叫ぶと、彼の全身の突起に濃紫色の魔力が集束して行く。

突起だけでなく、その球形の躯体全てを集束した魔力が覆い尽くす。

グンナー「マギアパンツァー……シュトゥルムアングリフッ!」

その状態で、グンナーは後部から強力な砲撃を放ち、
砲撃を推進力に変えて突進して来る。

エール<結、防御を!>

結「プティエトワールッ!」

エールの指示で、結は咄嗟に光背状のパーツから十二器のプティエトワールを分離させ、
前方に何枚もの魔力障壁を作り出した。

しかし、突進して来るグンナーの勢いは止まらず、
プティエトワールの生み出した魔力障壁は次々に砕かれて行く。

結「エルアルミュールッ!」

結はさらに巨大な光の翼を広げて自身を覆う。

十二枚の障壁に加えて、閃光変換された魔力の高密度防御魔法の合わせ技だ。

だが、所詮は前座に過ぎない十二枚の障壁を完全に突破したグンナーは、
結の魔力の防壁に接触する。

結「く……ぅっ!?」

全身に襲い掛かる衝撃に、結は小さく呻く。

エルアルミュールも決して無敵の防御と言うワケではない。

仲間達と幾度となく繰り返した模擬戦では、
未完成だったザックのフルメタルバンカーに破壊された事もあるし、
まだドリル実装前のメイの穿孔・飛翔脚に突破された事も、
奏のマークシムムクルィークに一刀両断された経験もある。

それは結自身の魔力特性に硬化特性が含まれない事に起因していた。

硬化特性がなければ、絶対的な硬度の障壁を生み出すのは難しい。

より強力に集束された魔法の前に突破、破壊される事などあって当然と言える。

だが、単純な力業で押されるのは生まれて始めての経験だ。

そう、結は押されていた。

絶対的な魔力的負荷に、身体を包む光の翼が悲鳴を上げるように軋む。

グンナー「ぬぅあぁぁっ!」

グンナーは裂帛の気合と共にさらに加速する。

そこで限界が訪れた。

結「キャアァァァッ!?」

光の翼を力業で押し切られた結は、
グンナーの突進の直撃を受けて弾き飛ばされてしまう。

無数の光源体を散らしながら、岩盤へと叩き付けられる。

爆音のような轟音と共に岩盤を砕き、
砕け散った魔導装甲と瓦礫が辺りに飛び散った。

結「な、なんて……威力……」

濛々と立ちこめる土煙を払いながら、結は愕然と漏らす。

我が身を見下ろせば、魔導装甲の殆どが粉々に砕け散っている。

辛うじて形を残しているのは、
咄嗟に庇った頭部のヘッドギアと直接的な接触を逃れた脚部だけだ。

身体を庇った右腕部装甲は消滅、左腕も粉々、
叩き付けられた衝撃で胴体部分も砕け散っている。

魔導装甲完成のため仲間達と数十回、数百回と模擬戦を繰り返して来たが、
自分の魔導装甲がここまで完膚無きまでに破壊されたのは今回が初めてだ。

それは偏に、結の魔力量の高さに依る所が大きい。

今だって衝撃が大きくとも無事でいられたのは、
結自身の魔力量に合わせて高密度に設計された魔導装甲が身代わりとなってくれたお陰である。

魔力量の少ないフランや、機動性重視で防御力の低い奏やメイが食らっていたら、
それだけで戦闘不能になっていただろう。

グンナー「ふむ……形が残るとは、中々だな」

崩れた岩盤の中から立ち上がって来た結に、グンナーは感心したように漏らした。

先程、一万程度の差がハンデにもならないと聞かされたが、冗談ではない。

こちらは十三枚の障壁を展開していたのだ。

それだと言うのにこの被害。

こちらの方に一万のハンデが欲しいくらいだ。

結(通常タイプやイノンブラーブルじゃ決定打にならない……。
  リコルヌシャルジュか、ユニヴェール・リュミエールでないと……)

結は戦慄から噴き出した額の冷や汗を拭いながら、そんな事を思う。

物理的な突破力のあるリコルヌシャルジュか、
儀式魔法のユニヴェール・リュミエールならば、
確かにアルク・アン・シエルを上回る破壊力を生み出せるハズだ。

だが、それには一々、あの攻撃を避けるしかない。

結「エール……残り時間は?」

エール『現時刻、二三一二。
    フランの設定したタイムリミットまでは残り十八分だよ』

主の問いかけに、エールは共有回線で応えた。

どうやら、最初に無駄話が過ぎたようだ。

結「こんな所で手間取ってなんてられない……。
  魔力全開で行くよ、エールッ!」

エール『了解ッ!』

結の声に応え、エールは彼女の魔導装甲を再展開する。

だが、それだけでは終わらない。

光背状だった補助魔導ギアを全て分離させる。

結「エール……モード・リコルヌッ!」

結の叫びと共に、その背に巨大なブースターが多数出現した。

肩の付け根から左右に広がるように伸びる一対、背中に三つ、
腰の付け根から伸びる小さなものが一対の計七つ。

背中だけではない。

小さな物が肘、膝、踵、肩、腰……様々な部位に合計二十一。

全て、魔力を噴出する推進システムだ。

長杖も延長され、先端のエッジはさらに巨大化する。

さらに、分離させていたプティエトワールとグランリュヌが、
結の周囲を人工衛星のように舞い始めた。

ヘッドギアや各部の魔導装甲も細部の形状が変化、大型化する。

これこそが完成したエールが生み出す結の新たな力、
WX103-エール・リコルヌだ。

グンナー「ほう……姿を変えたか。

     だが、私の最高傑作たるこの魔導機人、
     エアレーザーに勝てる物など……」

変化した結の魔導装甲を見ながら、グンナーはほくそ笑むような声で呟く。

エアレーザー――独語で救世主。

世界を滅亡させんとする狂人のギアの名にしては、何とも皮肉である。

結「勝ってみせる!
  このギアにだって、アレックス君や技術部のみんなの思いが込められてる!」

結はグンナーを睨め付けるようにして叫ぶ。

そうだ、あちらのギアが狂気の天才たるグンナー・フォーゲルクロウの最高傑作だと言うのなら、
こちらも研究院が誇る天才技術者、アレクセイ・フィッツジェラルドが中心として作り上げた最高傑作の一つだ。

しかも、彼が最も心血を注ぐ“結のため”のギア。

結がもっと早く、もっと綺麗な軌跡を描いて飛べるような、結のためのギア。

結がいかなる戦況に於いても最高のポテンシャルを引き出せるギア。

それこそがエール・リコルヌの設計思想だ。

プティエトワールとグランリュヌの開発から始まった、
現段階におけるアレックスが求めた理想の到達点。

結「リコルヌブースター……フルドラァァイブッ!」

結の叫びと共に、全ての魔力ブースター――
リコルヌブースターが点火し、薄桃色の魔力を放出し始めた。

大小二十一のスラスターが結の意志に合わせて可動する。

結<エール、随意反応で機動制御お願い!>

エール<了解ッ!>

エールの返事を聞くと同時に、結は飛ぶ。

結の意志を、エールがダイレクトにブースターへと伝える。

結はグンナーの眼前へと躍り出ると、そこから急速に真上へと切り返し、
とんぼ返りをするようにグンナーの真後ろへと回り込む。

結「アルク・アン・シエルッ!!」

事前にチャージを始めていたグランリュヌの一器から、虹の輝きを解き放つ。

真後ろからの直撃コースだ。

グンナー「速いなっ!?」

しかし、グンナーは驚きの声を上げながらも、急加速でその一撃を回避する。

結「シュートッ!」

回避したグンナーに向けて、
結は十二器のプティエトワールから牽制の魔力弾を放った。

だがそれは悉くグンナーの身体の表面で相殺され、無駄に終わってしまう。

グンナー「その程度の火力では、私の魔力を打ち消す事など!」

そんな事はわざわざ言われなくとも分かっている。

だが、その間にもチャージを終えていたもう二器のグランリュヌに狙いを定めさせた。

結「アルク・アン・シエルッ!!」

やや射撃角度は狭いが、アルク・アン・シエルの十字砲火だ。

さすがにこの回避は難しい。

グンナー「その程度は予測済みだ!」

グンナーは全身の突起の幾つかを分離させた。

有線で繋がったそれに、大量の魔力が流し込まれる。

どうやら、この突起の全てが補助魔導ギアの類らしい。

そして、大量の魔力が流し込まれた突起が反射障壁を展開した。

アルク・アン・シエルを相手に反射障壁は愚の骨頂である。

だが、それも魔力が有限ならばの話だ。

無制限の魔力を持つグンナーの反射障壁は、
アルク・アン・シエルと完璧に拮抗して見せた。

結「ッ!?」

最大の天敵と言える物理障壁と乱反射障壁ですらない、
むしろ格好の餌食でしかなかった単純反射障壁に
防がれ得ぬ虹の輝きを遮られ、結は歯噛みする。

だが、その程度の事は直撃を耐えきられた時に既に覚悟していた。

全ては次の一撃のための布石。

反射障壁を展開したグンナーの動きが、完全に停止する。

結(この一瞬ッ!)

結はエッジの巨大化した長杖を突き出す。

メインの砲撃をグランリュヌに任せていた事で、
既に本体のチャージは完了していた。

背面の七つのリコルヌブースターから魔力が溢れ出し、
結を包み込んで魔力のシェルブリットを形成する。

残る一器のグランリュヌが後方に周り、大威力の閃光魔力砲を放つ。

結「リュミエール……リコルヌシャルジュウゥッ!!」

虹の輝きを纏った結は裂帛の気合と共に飛翔した。

砲撃による押し出しと、全身のブースターによる加速で超高速の砲弾と化す。

直撃コースだ。

だが――

グンナー「この程度っ!」

グンナーは下部の突起から砲撃を行い、その勢いで加速して結の弾道から逃れた。

無理な体勢での加速に躯体が軋むが、結のリコルヌシャルジュは完全に回避されている。

しかし、それでも結は諦めていない。

リコルヌシャルジュの勢いも、この身を包む虹の輝きも、まだ終わってはいないのだ。

エール『結、スライスターンで行くよ!』

結「お願いっ!」

エールの声に応えながら、結は全身を強張らせる。

直後、背面のリコルヌブースターが変形し、推進ノズルが全て左側に向けられた。

結「っ、ぐぅぅ……!」

結は真横に飛びながら、急制動の加速に苦悶の声を上げる。

さらに各部の小型ブースターが細かく推進ノズルの向きを変えて、
結は左回りで滑るようにその向きを変えた。

加速の勢いを一切殺す事のない方向転換だ。

これこそがエール・リコルヌ最大の特徴とも言える、高機動旋回システムである。

膨大な魔力を推進力に変える事で直線加速に優れる結に、
奏並の戦闘機動を実現させるシステムだ。

同様の物はリーネのヒュッケバインにも装備されているが、
結のリコルヌブースターは加速度も旋回性能もその比ではない。

しかも、新型センサーが結自身や対象の位置、周辺地形を正確、精密に把握させる役目を果たし、
どんなに素早く飛び回っても敵を見失なったり、障害物に激突するような事はないのだ。

加速を助ける魔導装甲ギア、火力と手数を増加させる補助魔導ギア、
そして驚異的な探査能力と空間把握能力を与える新型センサー、
それら全てをWX103-エール・リコルヌと呼ぶのである。

グンナー「なんとっ!?」

現にグンナーすら、その動きには舌を巻く。

即座に回避運動に入るが、急加速による躯体への負荷ですぐには動けない。

一度は回避した砲弾と化した結が、右後下方から迫って来る。

グンナー「おのれぇっ!」

グンナーは無数の魔力弾をばらまくが、
集束されていない魔力弾などいくら連射された所でリコルヌシャルジュの前には無意味だ。

だが、それでも目眩ましの代わりにはなった。

グンナーは無数の魔力弾を目眩まし代わりに、有線の突起で多重障壁を作り出す。

先程、結がグンナーの突進を防御したのと同じ方法だ。

その上でグンナーは体勢を整え、左に向けて身体を滑らせた。

一方、防がれ得ぬ虹の輝きを纏った砲弾と化した結は、
一瞬でグンナーの多重障壁を突き破る。

濃紫色の魔力障壁の向こうでは、回避のためにグンナーの身体が左に滑り出していた。

結「弾道補正っ!」

エール『了解っ!』

結の指示に応え、エールは右側のブースターの勢いを上げて弾道をやや左寄りに変える。

グンナー「直撃など食らうものかっ!」

しかし、グンナーも既に体勢を立て直しきっており、砲撃による急加速で回避運動に入った。

だが、僅かに結の方が速い。

紙一重で回避されるかと思われた瞬間、
結はエアレーザー右側の数本の突起を根本から抉り落とした。

グンナー「ぬおっ!?」

掠めただけとは言え、超絶威力の魔力砲弾が当たった衝撃と
突起を破壊されたダメージで、グンナーは驚きの声を上げた。

エール『やった!』

結「掠めただけ! もう一回!」

喜色を上げた愛器に、結はさらなる一撃を加えるべく加速し続ける。

グンナーは即座にダメージを受けた部位の再生を開始しているが、先程よりも隙は大きい。

結<真上からっ!>

エール<了解っ!>

結の思念通話を受けると、エールは踵の小型ブースターの推力を全開にして、
結をバック宙させるようにして方向転換させる。

きりもみ回転しながら弾道を補正し、狙うはエアレーザーの頂点。

結「決めてみせるっ!」

結は裂帛の気合と共に、その一点に向けて急降下加速による突撃を敢行した。

だが――

グンナー「掠めた程度で図に乗るなっ!」

グンナーは即座に結へと向き直り、真っ向から大威力の集束砲撃を放つ。

結「っぅぅぁぁ……ッ!?」

真っ正面から大威力の砲撃を食らい、結は苦悶の叫びを上げた。

如何にアルク・アン・シエルの砲弾と化しているとは言え、
基本的に同威力の砲撃との真っ向勝負は純粋な力比べだ。

出力で僅かに勝るグンナーの砲撃は、確実にリコルヌシャルジュの勢いをそぎ落とす。

濃紫色の魔力の奔流に煽られて、結の身体を包んでいた虹の輝きは消え失せる。

さらに、短時間とは言え他者の魔力に包まれていた事で魔力供給が遅れ、結は完全に失速してしまう。

結「しまった……!?」

勢いを殺されてしまった結は、濃紫色の魔力の奔流から抜け出した瞬間に愕然とした声を上げた。

つい先程まで弾道の先にいたグンナーの巨躯も、既にそこには無い。

砲撃を目眩ましにして、グンナーはその場から一気に移動し、
結とエールは敵を見失ってしまったのだ。

だが、結のヘッドギアと融合しているのは、リーネ級の高感度を誇る新型センサーである。

大量の魔力で瞬間的にその知覚を狂わされようとも、

センサーの感知した反応は、即座に結とエールにフィードバックされる。

結「真上ッ!?」

センサーの訴えかけた方角を、結は咄嗟に見上げていた。

そう、頭上だ。

グンナー「潰れてしまえぇぇぇっ!」

頭上から迫る十メートルを超える巨大な球体。

砲撃による加速は始まっており、彼我の距離からしても回避不能である。

結「集中多重展開っ!」

結はプティエトワールとグランリュヌに指示を出す。

グランリュヌの魔力は残り二割程度だが、
プティエトワールの魔力は既に全器フルチャージ状態だ。

四器のグランリュヌが分厚い障壁を作り出し、
さらにプティエトワールが六器ずつの分厚い障壁を二枚、
合計三枚の強力な障壁を作り出す。

魔力を集束させた障壁を作り出している余裕はない。

魔力放出によるカーテンだが、無いよりは遥かにマシだ。

結「エルアルミュールッ!!」

結自身も光の翼で障壁を作り出す。

合計、四枚の防壁。

枚数こそ先程より少ないが、一枚一枚の強度はソレを大きく上回る。

だが、グンナーの突進攻撃――マギアパンツァー・シュトゥルムアングリフは、
その名の通りの“魔力装甲による突撃”だ。

彼が使える全魔力を装甲状に集束した障壁を纏い、自らを砲弾に変える。

発想としては結のリュミエール・リコルヌシャルジュと同じだが、
そこに加わる質量は彼女を遥かに凌駕していた。

結「ぅく……ぁぁっ!?」

一気に三枚の障壁を突破して来たグンナーの直撃に、結は苦悶する。

砲撃と魔力放出による加速、集束魔力による突破力、そして重力を利用した自然落下。

その三つを複合した威力を攻撃に転用する事は結も考えた。

それ故の最後の真上からの攻撃だったのだ。

それを空振りの末に同じ戦法を敵に使われる。

可能性としてあり得たし、考慮と警戒もしていた。

だが、実際に使われてみると“考慮と警戒”など何の意味もないと知る。

魔力も質量も敵の方が上。

加速力では結が数段勝っていたが、
その二つで劣っていては力比べに勝てようハズもない。

十六器の補助魔導ギア達は魔力を放出し切っており、
チャージするためにはグンナーの魔力影響下から離さなければならない。

援護は望めないと言う事だ。

エール『ブースター全開ッ!』

エールは背面部のブースターを噴かし、全力でグンナーを押し返そうとする。

だが既に結論は出ていた。

そう“力業の真っ向勝負では、グンナーに勝てない”と……。

グンナー「つ、ぶ、れ、て、しまえぇぇぇぇっ!」

グンナーはさらに加速した。

そこで限界が訪れる。

光の翼が作り出していた僅かな隙間が、完全に消える。

結「っぐ……ぁぁぁあああっ!?」

結は完全に押し切られ、
そのまま真下の岩盤までグンナーの巨体もろとも叩き付けられた。



同じ頃、タワー外部の中継地点、
ロロの植物操作魔法によって作られた緑化地帯――


フルメタルバンカーによる被害で破壊された部分の修復は終わっており、
ザックが周辺の警戒に当たっていた。

フラン「ザック!」

メイ「……ぎぼぢわるいぃぃ……めがまわるぅぅ」

と、そこに、メイを抱きかかえたフランが戻る。

ザック「フラン……って、何だ、そりゃ?」

向き直ったザックが、
フランの腕に抱きかかえられたメイの様子に素っ頓狂な声を上げた。

フラン「いや、アンタの方こそ“何だ、そりゃ”でしょ……」

声を上げたザックの様子に、フランは呆れと驚きの入り交じった声を漏らす。

方や目を回したメイ、方や血塗れのザック。

確かに事情を知らぬお互いには“何だ、そりゃ”である。

メイが目を回しているのは、まあ言って見れば完全なる自爆だ。

究極穿孔・疾風飛翔脚でゲヴィッターを倒したものの、
魔力切れで止まるまで床をぶち抜いて回転を続けたのだ。

一方、ザックが血塗れなのはシェーネスの油断を誘うために、
全ての攻撃を受け続けたためだ。

既にロロによって治療され、止血も終わっているが、
隙間から覗くボロボロのインナー防護服は血塗れである。

ザック「つーか、何でお前は無傷なんだよ?
    お前、俺らの中で一番魔力低いだろ?」

フラン「ふん、そりゃ戦い方が巧いからよ」

溜息がちな幼馴染みに、フランは何処か得意げに返した。

確かに、フランはレーゲンとの戦闘に於いて、
真っ向勝負で押し切られる事は多々あったが、
相手からの攻撃は一度たりとも直撃を受けていない。

彼女が得意げなのも頷ける話だ。

まあ、実際の所は舌戦・撹乱・騙し討ちと、
あの手この手で相手を翻弄し、隠し球を投入してのギリギリ完勝と言った所だった。

?????「フラン君の事ですから、卑怯な手でも使ったんでしょう……」

そして、そこに水を差すような図星を突く声が響く。

アレックスだ。

フラン「卑怯とは失敬なっ!
    ……って、何で貴方がここにいるの?」

おそらく現時点で本日一番の“何だ、そりゃ”の登場に、
フランは素っ頓狂な声を上げる。

アレックスは“さもありなん”と言いたげな表情で、緑化地帯から顔を見せた。

おそらく、フランの魔力を感じ取って来たのだろう。

ロロ「フラン、メイ、無事だったんだ!」

アレックスに続いて、ロロも姿を現す。

フラン「ねぇ、何でアレックスがここにいるの?」

状況を掴みかね、フランはロロにメイを受け渡しながら尋ねた。

アレックス「対策準備が終了したので、
      エージェント・鷹見や本條さん達と一緒にこちらに合流したんですよ」

ロロ「アレックスが来たのには驚いたけど、お陰で私も助かったよ」

アレックスに続いて、ロロが説明する。

フラン「? と言う事はもしかして、全員一対一だったの?」

アレックス「ええ……。
      まあ、僕とロロ君は実質、二対七でしたが……」

怪訝そうなフランの質問に、アレックスは肩を竦めるように応えた。

メイ「うぅぅ、せんせー……。
   フィッツジェラルドくんが譲羽さんのいない所で浮気してますぅ……」

ロロの治療を受けながら、メイがそんな譫言めいた言葉を漏らす。

アレックス「誰が浮気してるんですか、誰が!」

流石にその言い草はないと、アレックスも珍しく声を荒げる。

この場に結がいたら、冗談の通じない彼女の事、
一瞬で思い詰めた表情になられていた所だ。

フラン「おぅおぅ、結が絡むとムキになっちゃって……。

    可愛げのない弟分だと思ってたけど、
    たまには可愛い所もあるじゃないの」

その様子にフランは嬉しそうに目を細め、ニンマリと悪戯っ子のような笑みを浮かべた。

照れる弟をからかう姉の心境そのままである。

ヴェステージ『これを期に、結以外への言動も気を付けた方がいいのである』

フラン「そうそう、そう言う事」

共有回線を開いたヴェステージに同調して、フランが続けた。

勝つためには卑劣はともかく卑怯な手段も辞さないし、
それを公言しているフランだったが、
さすがに可愛い弟妹分から素で言われるには中々堪える物だ。

ここらで少しばかりはお灸を据えてやろうと言う心づもりなのだろう。

アレックス「まったく……僕は作業に戻らせてもらいます」

一方、アレックスはずれかけた眼鏡の位置を直すと、
羞恥心混じりの不機嫌そうな声を上げて奥の休憩所へと戻って行った。

フラン「うんうん、アレはアレで可愛げがあって良き哉良き哉」

その後ろ姿を見送りながら、フランは嬉しそうに何度も頷く。

同年代のメイや年上のフランには素っ気ない態度だが、
年上でも同性のザックとはそれなりに仲も良いし、
リーネ達年下の面倒見は良かったのだ。

単に結以外に素直になる事に不器用なだけでひねくれているワケではないのだから、
ああ言った態度は逆に親愛の情の現れと言ってもいい。

ザック「………何だか、妙に機嫌がいいじゃねぇか?」

フラン「そう?」

溜息がちに問いかけるザックに応えながら、
フランはハンドガンを取り出し、彼と同じく警戒に加わる。

ザック「世界っつーか、人類滅亡まで残り……」

ロロ「あと四十分くらいだよ……」

メイの治療を続けていたロロが、
時間確認をしようとしたザックに向けてやや不安げに言った。

ザック「サンキュ。

    ……で、残り四十分だってのに、落ち着き過ぎじゃねぇの?」

フラン「……これでも内心、メチャクチャ焦ってビビッてるわよ?

    もしかしたら読みが外れてるんじゃないか、とか、
    もう明日なんて来ないんじゃないか、とか……。

    嗚呼……口に出したら、途端に心臓がバクバク言い始めたわ」

ザックの質問に答えて語る内、
フランは浮かべていた笑顔を次第に青ざめさせて行く。

それでもまだ冗談めかした言い回しが出来るのは、
図太いと言うべきか流石は特務の隊長と言うべきか……。

ともあれ、フランはハンドガンの銃身でヘッドギアを軽く叩いて、
そんな自身の弱気を叩き伏せる。

フラン「もう残り四十分……。

    ここまで来ると、これまでの行動を信じるか、
    別に足掻く方法が見付かるのを待つしかないでしょ?」

フランはそう言って、アレックスの向かった休憩所の方角を見遣った。

ここで言う“待つしかない”は、決して他人任せにしているワケではなく、
フランなりの技術者、研究者達への信頼の現れだ。

戦闘エージェントなのだから自分がすべきは基本的に戦闘行為のみであり、
他の事は他のプロに任せた方が絶対に効率が良いと言う、彼女なりの敬意でもある。

フラン「施設内の探索は、魔力消耗で戻るしかなくなちゃったけど、
    まだ結と奏もいるし、一征達だって来てるんでしょ?

    任せなきゃいけない時は任せられる人に任せて、
    次の段階があるなら、今は少しでも魔力を回復させてそれに備えないと」

ザック「成る程な……そりゃ正論だ」

大樹に寄りかかったフランに、ザックは頷いて返す。

現時刻二三二三、作戦タイムリミットまでは七分。

万が一にも計画を止められないのならば、残り三十分を魔力の雲の突破と戦艦の破壊に費やす他ないのだ。

フラン「その時は、結にも頑張って貰わないとね……」

フランは神妙な様子で呟いて、足下を見遣った。

分厚い岩盤を貫いてまで感じる膨大な魔力のぶつかり合いを感じながら、
フランは心中で歯噛みする。

一方は感じたこともない魔力だったが、もう一方は結の物で間違いない。

まず間違いなく戦闘中だ。

戦っている相手は映像にあった残る一体の機人魔導兵か、
そうでなければグンナー・フォーゲルクロウ本人だろう。

どちらと戦っているにせよ、今の消耗度合いで救援に向かった所で、
これだけ巨大過ぎる魔力のぶつかり合いの中では足手まといになるだけだ。

フラン「任せなきゃいけない時は、
    任せられる人に、任せないと……ね」

フランはそう、悔しそうに呟く。

ザック「……………だな」

長い付き合いの幼馴染みの様子に、ザックは短く応えて僅かに肩を竦めた。



譲羽結は、夢を見る――


結(ああ……何だか、久しぶり、かも……?)

最後に見た日から四年ぶりとなる、
何をどうする事も出来ない明晰夢の感覚。

自分自身が確実にそこにいるのに、
夢の中の人物と重なって何ら行動を起こす事の出来ない。

敢えて言えば、
登場人物の視点と感情、感覚を完全共有した映画のような物だ。

また、古代魔法文明の彼……自分の祖先とも言える
レオンハルトの遺伝子的な記憶をかいま見せられるのだろうか?

だが、今回の夢はそうではなかった。

意識がハッキリとして来ると、結は自分が空中に漂っている事を自覚する。

結(あれ……、ここって?)

自分が漂っている場所に、結は確かに見覚えがあった。

故郷の街にあった大きな病院である。

“あった”、と言うのも、今はもう存在していないからだ。

既に取り壊され、跡地には郊外型のスーパーマーケットが建っている。

病院の方は別に経営難で潰れたワケではない。

確か十三年前……小学校に上がったばかりの頃に、
別の総合病院と合併・移転したのだ。

そちらの総合病院には、結も九歳の頃に世話になっている。

研究院や本條家の息の掛かった病院だ。

しかし、今いる病室も、確かに結にも縁深い場所だった。

そう――

結(お母さんの……病室?)

結は辺りを見渡しながら、確かに記憶通りである事を確認した。

ややぼやけている部分があるが、そこは記憶が曖昧な部分だろう。

耳を澄ませば聞こえる蝉の声。

どうやら夏らしい。

結(お母さんが入院してた夏……幼稚園の、最後の夏休みだ……)

結は直感的に悟った。

母が入院したのは、死の二ヶ月前。

魔力循環不良による体調不良と疲労で日常生活が困難になり始めた頃だ。

夏休み中は父が仕事に出る時はいつも病院の託児施設に預けられ、
帰宅する父に連れられて家に帰るか、幼馴染みの麗の家、
新しく友達になった香澄の家、或いは父母の実家に預けられるかの何れかだった。

この何も出来ない明晰夢が記憶の再現だとするなら、
これは病院の託児施設に預けられた時の記憶だろう。

結がベッドを見下ろすと、そこには幼い五歳の自分と、
ベッドの上で上体を起こした母・幸の姿があった。

結(お……お母さん!)

結は今は亡き、懐かしき母の姿に感極まった声を上げる。

いや、自分では声を上げたつもりなのだが、その声は夢に何の変化ももたらさない。

現に、母は疲れた様子ながらも、
ベッドの傍らでお絵かきに興じている幼い自分を優しく見守っており、
此方に気付いた様子はなかった。

幸「ねぇ……結ちゃん」

そんな母が、幼い自分に語りかける。

幼い結「なぁに、おかーさん?」

結はお絵かきを中断し、満面の笑みで顔を上げた。

幸「結ちゃんは……大きくなったら、何になりたい……?」

幼い結「えっとね……お花屋さんと、ケーキ屋さんと……」

母の質問に、結は思案しながらも指折り自らの夢を数える。

ああ、そうだった。

こうやって客観的に見せられるのは少し恥ずかしいが、
自分にもこんな時期が確かにあったのだ。

結(あと……この頃だとぬいぐるみ屋さんと、
  アイドル歌手にもなりたかったっけ……)

結は照れ笑いにも似た苦笑いを浮かべる。

そう言えば、母の病室が個室だったのをいい事に、
玩具のマイクを片手によくワンマンショーをしていたのを思い出した。

結(聞きつけた看護士さん達がよく見に来てたけど、
  看護師長さんに怒られ事もあったっけ……)

その頃の事を思い出しながら、結はやはり苦笑いを浮かべる。

考えてみれば、この頃は実に子供らしい子供だったんだな……と、
思わず目頭が熱くなるのを感じた。

幸「そう……」

指折り数える結の夢を聞き終えた幸は、
嬉しさと寂しさの入り交じった複雑な表情を浮かべる。

幼い結「だからね、お店の最初のお客さんはね、おかーさん!」

幸「……そう、ありがとう……」

無邪気な幼い自分の言葉に、母は今にも泣き出しそうな笑顔を浮かべて、
我が子の頭を優しく撫でた。

この時の事は、うっすらと覚えている。

結(お母さん……自分が死んじゃうって、分かってたんだ……)

母の様子を改めて見せられて、結は直感的にそう思った。

我が子の行く末を見る事が出来ない。

それを知りながら、我が子に夢を尋ねる。

どれだけ辛かっただろうか。

声が届かないのが、こんなにももどかしい。

叫びたい。

お母さん、夢を叶えたよ。

この時に言っていた夢とは随分と変わっちゃったけれど、
私はちゃんと自分の夢を叶えたよ。

姿を見せられないのが、こんなにももどかしい。

見せてあげたい。

お母さん、こんなに大きくなったよ。

ちょっと大変な目にもあったけど、ちゃんと大人になれたよ。

結(お母さん……!)

結は空中を漂いながら、母の傍らに身を寄せる。

触れる事の出来ない手を、幼い自分の頭を撫でるその手に重ねる。

重なっていないハズの手から温もりが伝わるような気がするのは、
自分が母の手の温もりを覚えているからだろうか?

幼い結「お母さんのちっちゃな頃の夢って、何だったの?」

幼い自分が、母にそんな事を問いかけた。

幸「お母さんの夢……?」

母は少し驚いたような表情を見せると、僅かに思案する。

結(あ……)

無邪気な自分の質問に、結は少しだけ沈んだ表情で顔を俯けた。

母の幼い頃……幼少期の母に、夢を語る余裕など無かったハズだ。

プロジェクト・モリートヴァによって生まれ、奏の母・祈と共に、
名前すら与えられない悲惨な実験体としての生き方を強要されていた頃なのだから……。

だが、母はそんな素振りは一つも見せずに、
何事かを思い出して嬉しそうな笑みを浮かべる。

幸「……そうね、今の結ちゃんよりちょっと大きくなった時の夢なら覚えてるかな?」

幼い結「教えて!」

思案げに言った母の言葉に、幼い結は目を輝かせた。

母は優しげで幸せそうな笑顔を浮かべ、口を開く。

幸「素敵な男の人と結婚して、元気な赤ちゃんを産みたい……」

幼い結「えっと……?」

母の答の意味がよく分からず、幼い自分は首を傾げた。

幸「ふふふ………。
  お父さんのお嫁さんになって、結ちゃんのお母さんになりたかったの」

そんな娘の様子に、幸はそう分かり易い言い方に直す。

誰かを愛し、新しい命を紡ぐ事。

それが辛い幼少期を過ごした母にとって、何よりも代え難い大切な望みだったのだ。

今ならば、それが分かる。

幼い結「えへへへ……良かった」

対して幼い自分も、自分が母の夢だと知って嬉しそうにはにかむ。

結(嬉しかったな……)

結もその頃の事を思い出して、泣き出したくなる程の歓びを感じていた。

ここで幼い自分の言った“良かった”とは、
“お母さんの夢が叶って良かった”と言う意味だ。

そして、それは母にも伝わったようで、母も嬉しそうな笑みを浮かべる。

幸「そうね……夢が叶って良かったわ……。

  だって、お母さんの名前はね、“幸せ”って意味なんだもの……。
  お爺ちゃんとお婆ちゃんがくれた、大切な名前……」

母方の祖父母。

自分達と血の繋がりこそ無いが、
欧州で母を拾い、日本で育てた、大切な母の恩人だ。

幼い結「しあわせ……?」

幸「そう、幸せ……。
  たくさんの幸せに恵まれますようにって」

キョトンとなって聞き返した娘に、幸は大切な言葉を紡ぐように言った。

幼い結「お母さん、幸せ?」

幸「うん……だって、お父さんがいて、結ちゃんがいるもの……」

結の問いかけに、母は満面の笑顔で答え、結を抱きしめる。

それは、決して作り笑顔などではなかった。

避けられぬ確実な死に向かいながらも、
母は今と言う幸せを確かに享受していたのだ。

幸「ねぇ、結ちゃん………。
  ちょっと難しいかもしれないけど、よく聞いてね」

幼い結「なぁに?」

母に抱きしめられながら、結は顔を上げて小首を傾げた。

幸「結ちゃんの名前はね……“糸を結ぶ”の“結ぶ”っていう字なの」

母は言いながら、指先で結の小さな掌に“結”の字を書く。

幼い結「?」

見たこともない漢字に、結はワケが分からないと言った風に目を白黒させる。

幸「やっぱり、まだ漢字は難しいよね……?
  でも、覚えておいて……。

  結ちゃんの名前はね、縁を“結ぶ”……、
  たくさんの人と出会えるようにって、そう願って考えたの。

  優しい友達、素敵な人との出逢い、
  そんな大切な人とたくさん出逢って欲しいと思ったの」

幼い我が子を抱きしめながら、幸は祈るように、願うように呟く。

幼い結「おともだち……麗ちゃんと香澄ちゃん?」

幸「そう……。
  だからこれからも、もっとたくさんのお友達を作ってね……」

結が聞き返すと、母は優しい笑顔で答えた。

結(ああ……そっか……)

結はその光景を見ながら、呆然と漏らした。

結(そう、だったんだ……)

これは、思い出せなかった。

難しい話をされたような記憶は、確かにあった。

しかし、最後の部分が分かり易くて、他は全て飛んでしまっていたのだ。

小学校一年生の頃、学校の宿題があった。

翌日から始まる漢字学習に備えて、
自分の名前の漢字と、その由来を調べて来る事。

父に尋ねた時、寂しそうな顔で
“結の名前は、お母さんが一人で決めたからね”と答えてはくれたが、
詳しい由来は教えられていない事を聞かされた。

その事を当時の担任であり、後の継母である由貴に話すと、
申し訳無さそうな顔を浮かべていたのを今でも思い出す。

結(聞かされてたんだ……)

結はついに堪えきれずに涙を浮かべた。

縁を結ぶ。
それが、自分の名の由来。

祖父母に助けられて命を繋ぎ、
父と出会って、自分を生んでくた母。

母にとっては、縁とはそれだけ重要な物だったのだ。

代え難い夢を叶えてくれた、とてもとても大切な宝物。

その宝物を繋ぐ名を、自分にくれたのだ。

結(お母さん……お母さん!
  私ね……たくさん、たくさんお友達が出来たよっ!)

結は堪えきれず、涙で震える声で叫ぶ。

結(麗ちゃんと香澄ちゃんだけじゃなくて、
  奏ちゃんや、フランや、メイや、ロロや、リーネや、ザック君や……、
  家族みたいな、兄弟みたいな、姉妹みたいな、大切な友達が一杯できたよ!)

結は友人達、仲間達の顔を思い浮かべる。

結(素敵な先生とも、たくさん出逢ったよ!
  お義母さんになってくれた由貴先生や、
  エレナさんやリノさん、レナ先生!
  みんな、凄くいい人だよ!)

厳しくも優しい、多くの恩師達の顔を思い浮かべる。

結(それとね……大好きな……素敵な男の子とも出逢ったよ……!
  お母さんにとってのお父さんみたいな、
  私の夢を支えてくれる……大切な人!)

愛おしい、大切な人の顔を思い浮かべる。

自分を支えてくれた多くの出逢い。

その出逢いを導いてくれたのかもしれない、母の願いを込めた名。

誇らしかった。
嬉しかった。

結(お母さん……)

幼い自分を抱きしめる母を、包み込むように抱きしめる。

結(素敵な名前を……ありがとう……)

幸「結ちゃん……」

感謝の言葉を紡ぐと、それに応えてくれたかのように、母が自分の名を呟いた。

幸「結ちゃん……結……結……」

何度も、何度も……。

込められるだけの、込め切れないほどの、愛情を込めて。

その声を聞きながら、結の意識は遠ざかり――




エール<結ッ!>

――譲羽結は、目を覚ます。

エール<結っ! 起きて、結!>

耳に、脳裏に響く相棒の声が、意識の覚醒を促す。

そうだった。

今は、グンナーとの戦闘中なのだ。

結はいつの間にか倒れていた身体を起こす。

ひび割れた魔導装甲がボロボロと崩れ、同じくひび割れた岩盤の上に転がった。

結「き、気絶、してた……?
  あれ、夢……もしかして、走馬燈……?」

結は痛みで軋む身体を無理矢理に起こして、呆然と呟く。

結<どのくらい気絶してた?>

エール<二秒だけど……自己治癒促進は魔力全開でかけてる、
    骨も折れていないし、すぐに動けるハズだよ>

思念通話での質問に応えた相棒に、結は安堵する。

結(二秒も気絶していたんだ……)

僅かな時間だが、戦闘中である事を考えれば致命的なスキだ。

それで命があるだけでも御の字だったが、何とか無事でいられたらしい。

グンナー「ほう……まだ立ち上がれるとは」

頭上から驚きと感心と呆れの入り交じった複雑な声が聞こえる。

グンナーだ。

結(そっか……私、押し潰されたんだった……)

結はようやく気絶する直前の事を思い出した。

そう、リコルヌシャルジュを相殺され、
真上からあの直径十メートルを超える巨体で岩盤に押しつけられたのだ。

自分が並の魔力しか持たない魔導師だったならば、
今頃は岩盤の上でミンチになっていたかもしれない。

膨大な魔力に合わせて、
他の十五器よりも高密度の魔導装甲を設計してくれていたアレックスのお陰だ。

気絶状態から素早く復帰する事が出来たのは、
自分を信じて循環魔力を全て自己治癒促進に振り分けてくれたエールのお陰だろう。

どちらか一方でも欠けていたらどうなっていたかと思うと、それだけでゾッとする。

結「……砲撃以外は、頑丈さとタフさが取り柄ですから」

結はようやく和らぎ始めた痛みと恐ろしい想像を押し退けるように、力強い声で応えた。

正直、魔導装甲でなければ命が危なかっただろう。

アレックス達技術部やエールにはいくら感謝しても足りない。

グンナー「この戦い、貴様に勝ち目などない……。

     立ち上がるよりも、大人しく倒れていた方がマシではないか?
     これから始まる新しい世界のために」

グンナーのその言葉に、結は身を強張らせる。

結「新しい世界なんて……始まらない!
  あなたは、生き残るのは数十人、数百人だって言いましたよね!?」

そして、堪えきれない怒りを込めて叫ぶ。

何十億と言う人類の、ほぼ全てと言っていい人々が爆ぜて死ぬ。

考えるだけでも恐ろしいソレが、あと四十分足らずで現実の物となってしまうのだ。

何としても防がなければならない。

グンナー「確かに言ったな……。
     だが、それが世界の……人類のためでもある!」

しかし、グンナーは何の迷いもなくその恐ろしい結果を肯定する。

結「じ、人類のため……?
  そんな恐ろしい事が、人のためになんてなるハズがない!」

結は愕然としながらも、自らの中にある確信を叫ぶ。

先程のグンナーの情報からすれば、身近な人々の多くは確実にその犠牲となる。

研究院の中でも親しい仲間達の何人かは無事でいられるかもしれないが、
日本にいる家族や友人は、あの戦艦の砲撃に耐えられるハズがない。

人の命を天秤にかける事は間違っているかもしれないが、
家族や友人達の命が失われる事など、想像もしたくない光景だ。

グンナー「恐ろしいか……そう、それだ」

そんな結の言葉に、グンナーは満足そうに呟き、さらに続ける。

グンナー「多くの命を失って人は気付くだろう……。
     命を奪われる恐怖、命を奪う事への禁忌を!

     そこにある絶対の恐怖には、
     思想も、宗教も、欲望すら立ち入る余地はない!」

魔導機人の中央、その覗き窓から見える水槽内が激しく泡立つ。

グンナー「人類を長く生かすため、恒久的な平和の実現のため……、
     一人の人間を長く生かすために百人の命を奪う……。

     矛盾はしていてもこれが世界のためだ!

     世界は! 人は!
     絶対の恐怖を……痛みを知らなければならない!」

恐怖と共に、怒りと嫌悪感が結の全身を駆け抜ける。

否定の意志は、すぐに言葉となった。

結「そんなのは……間違ってる!」

結は叫び、頭上のグンナーを睨め付け、さらに続ける。

結「百人とか、一人とか……そんな限られた人間しか救えない、
  そんな答えしかない世界が正しいハズがない!

  誰もが誰かを助け、支えられるような、
  優しい世界が正しいんだ!」

結は叫びながらも、
それが口にするのも憚れるほど青臭い理想論だと分かっていた。

だが、グンナーが為そうとしている世界の在り方を聞かされてまで黙ってはいられない。

グンナー「その世界を……優しい世界を創るための犠牲だと言っている!」

対するグンナーも、苦渋に満ちた声音で返す。

グンナー「人は過ちからしか何も学ぼうとしない……。
     ならば誰かが過ちを犯さなければならない」

それはかつて、若かりし日のグンナーが見た凄惨な光景……
六十二年前のあの夏の日に学んだ事だった。

人は過ちからしか学ばない。

だが、過ちから学ぶ事が出来る人間には可能性がある。

大きな過ちを誰かが犯せば、人はその恐怖を胸に刻むのだ。

それこそがグンナー・フォーゲルクロウの目指す抑止の力。

巨大な爪痕を刻む事で、人類全体への警鐘とする事……
即ち“使われてしまった抑止力の恐怖”を持って、
人を争いから遠ざけようと言うのが彼の考えだった。

苦渋と決意に満ちた声に、
結は息を飲み、目を見開いて、その思いを察する。

結(ああ……この人は……やっぱり……)

そして、自らも思う。

この人は、人類を滅亡寸前に追いやろうとしながらも、
世界を、人間を愛しているのだ。

決定的な歪みをその身に、心に抱え込んでしまいながらも、
それでも人を愛する事がやめられなかった。

かつて、四年前の自分がぶつかった壁だ。

誰かを助けたいと願いながら、咎人を憎悪せざるを得なかった自分。

グンナーは、そうやって道を違えたままの自分だったのだ。

だからこそ、否定しなければならない。

結は使命感にも似た思いで、口を開く。

結「違う……!
  こんな事をしなくても人は気付く……世界は変わって行ける!

  人間は……人間を愛せるんだから……。

  誰かを大切に思える気持ちを知っている人間が、
  誰かを愛せる人間が、優しい世界を創れないハズがない!」

結の真摯な言葉に、今度はグンナーが息を飲む。


――思想や宗教、利権……そんな軋轢を越えて、
  世界中の人間が手を取り合える日は、きっと来るよ ――

――兵器も、宗教も、元は人のために生まれた技術や思想なんだ……。
  その核心が人間にある限り……その核心を人間が忘れない限り、
  世界中の人間が手を取り合える日は来るよ――


彼女の言葉は全て、かつての自分の理想だった。

いつも友人達に語った、今思えば到底実現不可能な理想論。

それを結が知る由もない。

かつての親友達は……ミケランジェロも奏一郎も、
誰にこの事を語る事なく逝ったのだ。

そして、その言葉は、自分が世界の過ちを……
六十二年前の夏を体験する以前の言葉だった。

グンナー「貴様がまだ知らないだけだ!

     そんな尊い気持ちすら吹き飛ばしてしまうような、
     恐ろしさを、歪みを、人間は抱えているのだ!

     私はこの計画を持って、その恐ろしさと歪みを世界から払拭する!」

だからこそ誓った。

過ちからしか学べない人間のために、自分が大いなる過ちを犯すと。

これ以外に、人類が恒久的な和平を築く方法など無いのだ。

結「あなたは……あなたは諦めている!」

そんなグンナーの諦観を、結の言葉が貫く。

結「理想を口にしながら……自分の理想を捨てている!」

その言葉に、グンナーは息を飲む。

だが、この諦観に至るほどの絶望こそが、
グンナーが人間に見出した答えだったのだ。

自らの真の理想を捨ててでも、辿り着くべき到達点がある。

しかし、結にはそれが許せなかった。

結「……人間は、思いを受け継いで行けるんだ……。
  私が誰かに思いを繋げて、その誰かが他の誰かに思いを繋げる……。

  そうやって、人は思いを受け継いで行けるんだ!」

結は自分の歩んで来た理想の道を思いながら言葉を紡ぐ。

受け継いだのは、今は亡き師の理想。

誰かを守り、夢を叶える優しい魔法。

その思いを受け取ってくれた、今はまだ幼い後輩達。

結「思いを、夢を、理想を受け継ぎながら人間は進歩を続けて来た……。
  人間が進歩を止めない限り、優しい世界はいつか実現する!」

だからこそ諦めてはならない。

思いを受け継いだ者として。

思いを託した者として。

グンナー「そんな悠長な……来るかも分からない進歩を待つ余裕など……!

     悲劇は、今も、この時!
     世界の至る所で繰り広げられているのだぞ!?

     それをたった一度の悲劇で終わりに出来るのならば、これ以上の手はあるまい!」

だが、だからこそ、グンナーの言葉もまた真理だった。

争いに傷つき、暴力に蹂躙され、消えて行く数々の命。

その命を哀しむ人々。

これからも永遠に繰り返されて行く悲劇を、
ただの一度で終わりに出来るかもしれないのだ。

グンナー「生き残った全ての人間を救い、守るための機人魔導兵!
     そして、世界最強の戦力を実現したGH01Aだ!」

そして、それこそが計画の最終段階。

確かに、クリスが使ったような方法でもなければ、
完成したGH01Aと真っ当に戦える魔導師などいないだろう。

それは魔導師だけでなく、現代の兵器とて結果は変わらない。

与えられた最強の盾と矛で人類を守る守護者。

それこそがGH01Aに与えられた真の使命。

故に、彼に生まれるべき心は元より繊細で優しくあるべきだったのだ。

初めて聞かされた計画の全容に、結は愕然としながらも納得していた。

世界を救うために世界を滅ぼす人間の考えらしい、と。

それはある種の贖罪なのかもしれない。

世界を救うために、世界を滅ぼさざるを得ない選択をしてしまう事に対する贖罪だ。

だからこそ、そんな哀しい結末にならないように、彼を止めなければならない。

結「だったら世界が変わるその日まで、私は戦う!
  悲劇に泣く人を、私なりのやり方で助けてみせる!」

それは自らの夢であり、グンナーの絶望に対する答えだった。

かつて彼が為そうとした事を、結はやり遂げようとしていた。

グンナー「たった一人で……何が出来る!?」

結「私は……私達は一人じゃない!」

グンナーの問いに、結は仲間達の事を思い浮かべながら叫ぶ。

そう……かつてのグンナーと同じように、自分にも仲間達がいる。

人を守る夢を持って、その夢を叶えて来た仲間達がいるのだ。

グンナー「そう言う楽観的な思い込みが、間違いだと気付け!」

だがグンナーはそれを否定する。

仲間がいようとも、覆せない事は存在するのだ。

かつての自分がそうであったように。

結「楽観的なんかじゃない……」

結は哀しげな表情を浮かべて漏らす。

結「私に最初に魔法を教えてくれた先生は……、
  私に理想を教えてくれた先生は、
  人の歪みに……歪んだ一人の人間に殺された……」

結の魔導の師――エレナは、
歪んだ復讐者――ヨハンによって殺された。

それは事実なのだ。

グンナーが言ったように、
尊い気持ちを吹き飛ばすほどの恐ろしさと歪みを、確かに人は抱えているのだ。

自分にもその歪みがある事を、結も理解していた。

グンナー「………ならば、貴様も分かっているだろう!」

結「それでもっ!」

同意を求めるかのようなグンナーの言葉を、結は振り払う。

結「それでも私は……もっと多くの、優しい人達を知っているから……」

そう呟く結の脳裏で、多くの出逢いが思い起こされる。

家族、幼馴染み、相棒、親友、仲間、恩師、同僚、上司、後輩、恋人……。

結「その人達が大好きだから……」

母がこの名に込めてまで願ってくれた多くの出逢い、
それが今の自分を形作っている。

結「大好きだから……愛しているから!」

だからこそ、憚る事無くその言葉を紡ぐ。

この思いがあるから――

結「だから私は…………諦めない!」

――理想に向けて、突き進む事が出来る。

僅かばかりの沈黙が、二人の間に流れた。

グンナー「諦めない……か」

その沈黙を破って、グンナーは結の言葉を反芻する。

真の理想を手放し、結果だけを求める方法を選んだ自分には眩しい言葉だった。

グンナー「そう吠えて見せたのならば止めてみるがいい!
     この私を倒してな!」

グンナーは叫ぶ。

互いの信念をぶつけ合った以上、最早、問答無用だ。

譲れぬ理想があるのなら、そこに立ちはだかる者がいるのなら、
全力を以てこれを討ち倒さなければならない。

互いの理想と信念に、互いが立ち入る余地はもう無いのだから。

結「負けない……絶対に!」

結も気合を込めて応え、魔導装甲を再展開して飛び上がる。

とは言ったものの、最早手詰まりに近い。

最も自信のあった力業の真っ向勝負では、
より強い力を持ったグンナーと、その魔導機人・エアレーザーの巨体には敵うハズもない。

結(どうすれば……)

敵の出方を窺いながら、結は思案する。

リコルヌシャルジュは確かに効果があり、魔導機人の破壊も可能だったが、
あの再生力を前には一撃で完璧に仕留めるしか方法はない。

だが、グンナーはあの巨体でありながらかなり俊敏に動く。

まともに急所への一撃を見舞える可能性は限りなく低い。

本命はユニヴェール・リュミエールだが、これも無茶な話だ。

術式の準備は無理矢理にでも出来るが、弾速の遅い術式弾を当てるのは難しい。

アレは本来、魔導巨神や超弩級魔導機人のような鈍重な相手との戦い向きなのだ。

となれば、やはり先程失敗してしまった高機動での撹乱戦法しかない。

残り時間はあと三十分強。

そろそろ作戦を切り上げ、雲の突破を試みるべく上に戻る時間だ。

短時間でグンナーを倒すにはどうすればいい?

エール<結……一つ、アイデアがあるけど?>

結<何?>

相棒からの提案に、結はそちらに意識を傾ける。

エール<例のマギアリヒトを見ていて気付いたんだ。
    ……凄く単純な方法だよ>

結<マギアリヒト……?>

結は言われて、自身の周囲に浮かぶ魔力の光源体を見遣った。

淡い薄桃色の輝きを放つ光源が、自身の周囲を漂う。

結<あれ……色が……?>

エール<そう言う事……多分、これなら>

エールの言葉を聞きながら、結は顔を綻ばせた。

結「さすがエール! 私の相棒!」

エール『褒めても何も出ないよ』

結の素直な賞賛に、エールはどこか照れ臭そうな声を漏らす。

それと同時に、結はリコルヌブースターから大量の魔力を放出した。

余剰魔力と言うレベルではない魔力が噴き出し、巨大な光の翼となる。

結「飛んで……エールッ!」

エール『了解……結っ!』

結は長杖を構え直し、愛器の翼で飛び上がった。

しかし、そのままグンナーに向かうでもなく、その周辺を飛び始める。

グンナー「何を……血迷ったか?」

結の行動に、グンナーは怪訝そうな声を漏らす。

攻撃するでもなく、ただただ大量の魔力を放出して高速で飛び続ける結は、
次第にグンナーから離れて広大な地下空洞の外周を飛び始めた。

グンナー「おのれっ!」

グンナーは有線の突起を伸ばし、そこから無数の魔力弾を礫のように放つ。

魔力弾の弾幕だ。

しかも、一発一発がかなり大きい。

エール『結、一発残らず相殺して!』

結「それなら……こうだねっ!」

愛器の指示に応え、結は翼を広げたままきりもみ回転した。

回転に合わせて大きく広げられた翼が翻り、グンナーの魔力弾を一気に相殺する。

エルアルミュール以上の魔力を……自身の全力を込めた翼だ。

単なる魔力弾程度でどうなる物ではない。

結「グランリュヌ、プティエトワール、あなた達も行って!」

結は自身の周囲を周回する補助魔導ギア達に指示を出す。

十六器の補助魔導ギア達は主の元を離れ、地下空洞を縦横無尽に舞う。

しかし、それはグンナーの行動を撹乱するような動きではなかった。

グンナー「一体、何をしようと……」

グンナーには結の行動は理解できない。

当たり前だ。

戦わなければいけないと言う状況下で、彼女の行動はあまりにも意味不明過ぎる。

そして、僅か数分後。

広大な地下空洞を飛び回っていた結の動きが不意に止まった。

これはグンナーにとっても好機だ。

グンナー「無駄と悟って観念したか!」

その一点に向けて、集束魔力砲を放つ。

結「この一撃……耐えきれば私の勝ち!」

対する結は確信を込めた声と共に、
既にチャージしていた虹の輝きを長杖から解き放った。

虹の輝きと濃紫色の魔力の奔流がぶつかり合い、相殺される。

発射直後の硬直。

砲撃魔法を多用する魔導師の最大の弱点。

それを回避するためのリコルヌブースターだったが、
結はそこに回されるべき魔力すら砲撃に注ぎ込んだ。

でなければ、最強のアルク・アン・シエルと言えども、
グンナーの集束魔力砲撃を相殺できなかっただろう。

その事はグンナーからも一瞬で見て取れていた。

砲撃魔法の弱点克服など、エアレーザーも対策済みだ。

巨体故に小回りこそ効かず反動も大きいが、
砲撃の反動に影響される事なく戦闘機動に移れる。

グンナー「マギアパンツァー………シュトゥルムアングリフッ!!」

これが勝利の一手。

その確信と共にグンナーは魔力障壁の装甲を展開し、結に向けて突撃した。

だが、すぐに異変に気付く。

グンナー(ま、魔力が回復しない!?)

魔力など、それまで魔法を放った傍から回復していたハズだと言うのに、
その魔力が回復しない。

その事態にグンナーは驚愕する。

だが、これこそが勝利の一手なのだ。

今はこの最後の一撃に全てを注がなければならない。

あと一度押し潰してしまえば、流石に結も立ち上がる事は出来ないだろう。

先程は耐えられもしたが、二度とも手応えはあった。

二度は耐えきったが、三度目はあの華奢な身体は耐えきれずに悲鳴を上げる。

そんな確信があるのだ。

そして、それは事実だった。

一度目は耐えきったが、二度目は治癒促進による痛覚軽減を行っている。

三度目の直撃を受ければ、結に後はない。

だからこそ――

結「リュミエール………ッ!」

結は右腕を突き出し、そこに虹の輝きを集束する。

虹の輝きが集束した右腕は、
魔導装甲を展開して無数のブースターを展開し、主の腕から放たれた。

結「コルゥゥヌゥッ!!」

――最後の最後の隠し球を放つ。

グンナー「ら、ラケーテンファウストだとっ!?」

グンナーは驚愕で目を見開く。

ラケーテンファウスト――噴射拳――即ち、ロケットパンチ。

身体から切り離して放つ、超小型のリュミエール・リコルヌシャルジュ。

それこそが、このロケットパンチ――リュミエールコルヌの正体だ。

幼い頃に失われ、義手となった右腕。

魔力によって操作されるソレを、結は武器とする事を提案した。

最初は開発者であるアレックスにも難色を示された。

それもそうだろう。

いくら何でも冗談が過ぎる。

悪ふざけの類だ。

だが、どうせ義手部分は魔導装甲で包まれてしまうのだから、
義手など切り離してもどうとでも出来る。

これは自分の全てが通じなかった時のために残す、唯一の隠し球だ。

そう言ってアレックスを納得させたが、
さすがに義手を簡単に切り離せるようにしてくれと頼んだ時は、
担当医の笹森に滅法怒鳴られ、数時間の説教を受ける事になった事は、今は語るまい。

ともあれ、グンナーの出足を挫く事が出来たのは確かだった。

“輝く角”と名付けられたロケットパンチは、
集束された魔力の装甲に僅かな綻びを生んで砕け散る。

魔導装甲は相殺されて消え去り、
残された切り離し式の義手は巨躯に阻まれて弾かれ、岩盤に叩き付けられて砕けた。

ダメージは通っていない。

だが、今回はそれで構わないのだ。

結「リュミエール…………リコルヌシャルジュゥゥッ!!」

角の作った綻びに、本命の一角獣の突撃を叩き込むのだから。

自身を光の翼で覆って砲弾と化した結は、グランリュヌの砲撃で加速する。

左腕でエッジの大型化した長杖を保持し、
リュミエールコルヌが作った障壁の綻びが消える寸前、
虹の輝きを纏ったその切っ先を突き立てた。

グンナー「ば、バカな!?
     障壁の回復が遅い……まだ出力が上がらんだと!?」

結からの真っ向勝負を受けながら、グンナーは愕然として叫ぶ。

先程から無限であるハズの魔力が回復しない。

使えば使うほど魔力残量が低下して行く。

対して、結の魔力にはまだ底がない。

使用した分だけ回復し、集束された魔力障壁すらあっさりと貫通した。

結「これで……最後っ!」

その言葉と共に、結は魔導機人・エアレーザーを真っ二つに斬り裂く。

変形は全て把握していた。

見たのは一度きりだが、瞬間的に終わっただけあって簡素な変形だったハズだ。

どの位置をどう斬れば、
その奥にいるグンナー本人を傷つける事なく済ませられるかは分かっていた。

長杖の纏う虹の輝きによってエアレーザーは霧散して消え、
コアストーンと思しき結晶も砕ける。

召喚型の魔導機人ではないエアレーザーは、
一度完全に破壊してしまえば二度と起動は出来ない。

魔導機人と言う外殻を失ったグンナーは、
機械の身体ごと数十メートル下の岩盤に叩き付けられた。

その衝撃で頭部の水槽が割れ、内部に充填されていた液体が辺りに飛び散る。

結「グンナーさん!?」

結は慌てた様子でその場へと飛ぶ。

見捨てるつもりはなかったが、結もエアレーザーを破壊するだけで精一杯だった。

グンナー「何故……だ……!?
     何故、魔力の無限供給を再現したハズの、
     エアレーザーの……私の魔力が、消えたのだ……!?」

グンナーは全身をガクガクと震わせながら、その身を起こす。

割れた水槽に立体映像を投影する力はなく、そこにはグンナーの素顔があった。

嗄れた老人を想像していた結は、その姿に思わず息を飲んだ。

結「そ、その顔は……」

結はワナワナと唇を震わせた。

一言で言えば、怪物だった。

皮を剥いだ剥き出し肉に、無数の機械を埋め込んだ異形の貌。

齢七十九と言う老齢で、
これほどまでの戦闘能力を発揮したグンナーの真実の姿だったのだ。

機械の外殻との親和性を得るため、
ダミーに着せるために剥いだ自らの皮の代わりに、
その全身に無数の電極やチューブを繋いだ姿。

立体映像がまだ若かりし頃の姿だったのは、皮を剥いだのがその年齢だったからだ。

グンナー自身、自らの姿のおぞましさは分かっているのだろう。

結の反応はそのまま受け入れる。

だが、やはり受け入れがたい事は他にあった。

グンナー「貴様……私の魔力が尽きる事が分かっていたな……?」

グンナーは息も絶え絶えと言った風に尋ねる。

エール『結の魔力特性を再現したと言うなら、
    あなたの魔力は元から無限なんかじゃない……』

それに応えたのは、勝利の一手を決めた作戦を考えたエールだった。

エールはさらに続ける。

エール『結の魔力供給は、自身、
    或いは自身の魔力と接する魔力近似エネルギーの接収……。
    他人の魔力までは奪えない。

    だから、この地下空洞全域を結の魔力で満たしたんだ』

それこそが、結の取った不可解な行動の正体だった。

飛翔には不必要なほどの魔力を放出し続け、
僅かな威力の魔力弾すら全力で相殺する。

それによってこの広大な空間は全て結の魔力で満たされた。

結の魔力特性の支配下に入ったと言い換えても良いだろう。

その証拠に、戦闘開始直前まで白い輝きを放っていたマギアリヒトのほぼ全てが、
結の魔力波長である淡い桃色に染まっていた。

マギアリヒトはどんな魔力でも吸収しているようだったが、
それはあくまで外部からの魔力供給に過ぎない。

そして、魔力供給の道を立たれたグンナーとエアレーザーは、
一気にその魔力を失った。

エールの作戦は、結にとっての最大の弱点を活かした戦法だったのである。

いついかなる時も主の事を第一義とし、
主の生還と、主が美しく飛ぶ事を願った翼であるが故の、
十一年に及んで“無限の魔力”と向き合ったエールの経験が結を勝利に導いたのだ。

グンナー「くくく……そ、そうか……弱点か……。

     この魔力特性こそ最強と信じて研究したが、
     このような弱点があったとは……」

グンナーは絶え絶えながらも、自嘲気味に笑った。

そこでようやく、結も気を取り直す。

結「……グンナー・フォーゲルクロウ、あなたを逮捕します」

グンナーを捉えるべく、捕縛魔法を起動しようとする。

だが――

グンナー「逮捕など無駄だ……。
     私の命は、もう数分で尽きる……」

グンナーの絶え絶えの声が、それを遮った。

結「す、数分……!?」

その言葉に愕然としながら、結は力なく肩を落とす。

やはり、自分が彼を叩き付けられるのを救えなかったのが理由だろうか?

グンナー「……勘違いをしてはいけない……。
     いや、生命維持装置も停止を始めたが、
     元より、私の身体は長くはなかったのだ……」

グンナーは朗々と語り出し、さらに続ける。

グンナー「……ミケロと袂を別ってすぐ、私は病を発症した……。
     原因不明の不治の病……。

     だが、病床に伏せっていられる余裕は無かった……」

おそらくは、この計画を実行に移すためだろうと、結は直感的に感じた。

グンナー「身体を機械化して……生き存え……、
     死の間際にして、ようやく、計画実行の目処が……立った……」

息も絶え絶えに、ただ感慨深く語るグンナー。

ただ一度の悲劇で世界を変える。

いち早い結果を求めた性急さは、死に瀕した故の焦りだったのだ。

ただ、世界の変革の瞬間に立ち会いたかった。

自分が理想した世界に、ほんの一秒でもその身を置きたかった。

ただ、それだけだったのだ。

親友達と袂を別ち、氷河の地下に潜み、病魔に冒されながらも、
世界の平和を願って孤独な研究を続けた男の、
生涯をかけた悲痛で、歪み切った願い。

グンナー「だが……計画は成就する……」

結「っ!?」

その言葉に、結は息を飲む。

結「どう言う事ですか!?」

グンナー「………時限装置だよ……。
     この施設を破壊されても、確実に動作するように……、
     あの船の時限装置を起動させてある……」

結の質問に、グンナーはどこか勝ち誇ったように呟く。

たとえ敗北しても、突破不可能な雲に遮られ、
守られた船が確実に世界を滅ぼす。

電波ジャックで世界全ての目を自分たちに釘付けにし、
敢えて潜伏場所が分かるようなヒントも与えた。

真犯人を止めれば、世界の崩壊は免れるかもしれないと言う、
一縷の望みにかけよう足掻く者が必ずいる。

全ては、自分自身を囮にした計画だったのだ。

そして、その目論見は成功した。

結「エール、残り時間は!?」

エール『残り二十九分!』

既に外では、施設攻略を断念し、
雲に対する攻撃が始まっているかもしれない時間だ。

こうしてはいられない。

結は慌てて踵を返す。

グンナー「行く、か……」

結「………すいません……。
  あなたはここに、置き去りにします……」

どこか遠くに投げかけられたようなグンナーの言葉に、結は申し訳なさそうに呟いた。

彼は度し難い犯罪者だ。

だが、どれだけ歪んだ、どれだけ間違った方法でも、
誰よりも世界の平和を願い、誰よりも人を愛した人物だった。

平和に対する渇望と、その行動力、
そして、かつての彼が為した事は、結にとっては敬意に値する。

それは、事実だ。

結「だから………せめて貴方の理想だけでも、私が引き継ぎます」

結は決意に満ちた声で、振り返らずに言った。

そして、さらに続ける。

結「ここには……あなたの理想が……、
  あなたが理想を託して生み出した人の………、
  お母さんの願いが、生きているから」

そう言って、自らの胸にそっと手を当てた。

どんな形であろうとも、母を生んだのは彼なのだ。

やっと理解できた。

どれだけ辛い仕打ちを受けても、
グンナーの事を“お祖父様”と呼び続けた親友の思いが……。

結「だから……行って来ます………おじいちゃん……」

その声は、僅かに震えていた。

そして、結は飛び立つ。

そこで、上体を起こしていたグンナーは、再び倒れた。

グンナー「おじいちゃん……か……」

グンナーは、結のその言葉を反芻する。

その立場を偽って従わせた奏とカナデ以外から、そう呼ばれるとは思いもしなかった。

だが、死の際で、それも悪くないと思えた………。

グンナー「ミケロ………ソーイチ………」

亡き旧き友の名を呟く。

愛する女性を伴侶とし、その血を、その意志を、後進へと託して逝った親友達。

自分には、そんな物は与えられないと思っていた。

理想を歪め、人との関わりを断った自分には……。

だが、そうではなかった。

グンナー「………僕にも……孫が、出来たよ……。
     僕の理想を継いでくれた……強くて、優しい子だ……」

かつて、そう語りかけたような言葉で、感慨深く呟く。

幻影の中で、親友達が笑ったような気がした。


2007年12月6日、二十三時三十三分。

世界最大の魔導テロリストとして恐れられた男は、
その七十九年の苛烈な生涯に、静かに幕を落としたのだった。



祖父と認めた男と今生の別れを済ませ、涙を拭って地下空洞を抜けて縦穴に入った結は、
リコルヌシャルジュで施設の壁を貫いていた。

この施設で戦艦の止めようがないならば、施設の保全など考えている余裕などない。

ただ、仲間に誤爆する事だけがないように祈る。

結<エール! 時間と距離!>

エール<残り二十六分、最初の地下空洞まで残り百メートル!>

焦ったような質問に愛器が応えた時、
結はタワーの外壁を破って地下空洞へと飛び出した。

位置はドンピシャリ、最初に突入して来た地点だ。

そして、既に仲間達の姿はそこにない。

結「あれ、ロロが作ったのかな!?」

出入り口とその真下を上下に繋ぐ幾本もの大樹を後目に、
結は地表とを繋ぐダクトに突入する。

出口はすぐそこだった。

雲に閉ざされ、星明かりも月明かりもない真っ暗な氷河上空へと飛び出す。

辺りを見渡すと、最早機人魔導兵の姿はどこにもなかった。

施設を管理していたナハトが倒れ、機人魔導兵の召喚が途切れたためだ。

そして、砲撃魔法を得意とする仲間達が雲への一斉攻撃を始めており、
飛行魔法を使える他の仲間達も次々と空へと飛び上がっている。

結「私も……!」

結もその戦列に加わろうと長杖を構える。

その直後――

エージェント「エージェント・譲羽、帰還確認しました!」

突入口だったダクトの入口付近にいたエージェントの一人が大声で叫んだ。

アレックス「結君、こっちへ!」

それに応えて、そこからやや離れた位置にいたアレックスが名を呼ぶ。

結「アレックス君!?」

結は驚きながらも、恋人の元へと駆け寄る。

と、その周囲を大量の医療エージェントが取り囲む。

貴祢「予備の義手、急げ!」

その中には、自分の担当医でもある笹森貴祢の姿もあった。

結「え、エージェント・笹森!?」

貴祢「まったく、だから最初に言っただろう!?
   ロケットパンチとか何十年前のアニメだっての!?
   これ一本、君の給料半年分と同じなんだぞ!?」

驚く結を後目に、男っぽい口調の年齢不詳な麗人が、
怒鳴り散らしながら新しい義手の接続作業を始める。

そして、他の医療エージェント達も結に治癒促進魔法をかけ始めた。

大量の魔力のお陰で誤魔化せていた痛みが、一気に引いて行く。

やはり素人の治癒促進よりも、プロの治癒促進だ。

アレックス「結君、状況は把握できていますか?」

結「え? えっと……よく分かんない?」

魔導装甲のコンソールを展開し始めたアレックスの質問に、
結は苦笑い混じりの疑問系で応えた。

アレックス「例の砲撃戦艦の機能に関するリークがありました。
      時限装置でタイムリミットと同時に起動するそうです」

結「あ、それはグンナーさんから聞いたよ……」

アレックスの説明に驚きながらも、結は頷く。

まさか敵からの情報リークがあったとは驚きだ。

情報提供者は誰だろうか?

結「他のみんなは?」

アレックス「突入メンバーで戻ってないのは後は奏君だけですが、
      既に通信がありました。

      カナデ・フォーゲルクロウと共に、こちらに向かっています」

結の質問に応えながら、アレックスは作業を続ける。

カナデと共に、と言う事は、奏はカナデの説得に成功したのだ。

結は胸を撫で下ろす。

結「情報のリーク元って、カナデさん?」

アレックス「クリスです。
      彼女が連れて来た機人魔導兵の少年が情報を提供してくれました」

結「クリスが!?
  クリスも幹部と戦ったの?」

最終的に完全な個人行動で情報交換のしようが無かったとは言え、
次々に明かされる作戦中に起きた事実に結は驚きを隠せなかった。

アレックス「結君も、グンナーと戦ったんですか?
      その、グンナーは……?」

結「………亡くなったよ……。
  亡骸は、この施設の一番下」

アレックスの質問に、結は僅かな逡巡の後に答える。

アレックス「………そうですか」

アレックスも結の言葉に何かを感じ取ったのか、
世界を恐怖のどん底に叩き落とした犯罪者の死を、手放しでは喜ばなかった。

亡くなった、と結が言ったからには、
彼女自身が止めを差したワケでない事も分かったからだろう。

貴祢「よし、こっちは作業終了! 目は大丈夫だろうな?」

貴祢はそう言って、義眼となっている結の左目を覗き込んだ。

貴祢「ビームは仕込んでないから、さすがに無事か……全く……」

結「ビーム……? 目から魔力砲撃?」

愚痴めいた貴祢の言葉に、結は思わず考え込む。

うん、隠し球としては有りかもしれない。
目玉だけに。

貴祢「前言撤回だ! すぐに忘れろ!

   エージェント・フィッツジェラルド!
   君も女の我が儘に付き合うなよ!」

アレックス「さすがに僕もロケットパンチで懲り懲りです……」

怒鳴りながら去って行く貴祢に、アレックスは苦笑い混じりに肩を竦めた。

これ以上、恋人を改造人間だかスーパーロボットだかにする気は毛頭無い。

貴祢に続いて、治癒促進魔法をかけていた医療エージェント達も、
他の要救護者を目指して散って行く。

回復に要した時間、ジャスト一分。

まるでF1のピットクルーのような鮮やかな手際であった。

アレックス「よし、こちらも作業終了……!
      結君、以前に話のあったアレ、確かに完成させましたよ!」

結「アレ? アレって………まさか第八世代型!?」

アレックスの言葉に驚きながら、結は我が身を見下ろす。

魔導装甲に変化はない。

だが、既にエールは第八世代へと生まれ変わっているのだ。

アレックスの行っていた対策とは、コレだったのである。

付け加えるならば、アレックス達がたった四人で施設内の突入に成功したのも、
実戦テストを兼ねて完成したばかりの第八世代型をヴェステージにテストさせたからだ。

アレックス「第八世代と呼ぶにはまだほど遠い試作品ですけどね……。

      ともあれ、実働テストを兼ねて僕も今回の戦闘で使いましたが、
      まだ調整の足りないじゃじゃ馬です。

      エール、君が上手く調整してくれ」

エール『了解、アレックス』

アレックスの頼みに、エールはどこか誇らしげに応えた。

やはりアレックスとの扱いの差に思う所あるのだろう。

結「こんな時まで張り合わないでよ……」

結は相棒の様子に肩を落とす。

これも一種のモテ期の類なのだろうか?

??「結、次こっち!」

結が名前を呼ばれて振り返ると、そこにはフラン達四人がいた。

名前を呼んだのはメイだろうか?

結「みんな!」

結はアレックスと共に仲間達に駆け寄る。

ロロ「よし、じゃあ行くよ!
   ジャルダン・デュ・パラディッ!!」

ロロが叫ぶと、彼女の腕から伸びたワイヤーを伝って、
魔力がどこかへと流れて行く。

その先にあるのは結が出て来た例のダクトだ。

そう、ロロのダイレクトリンク魔導針とワイヤーは攻撃用ではなく、
コンクリートや金属に覆われた地点でも、それらを貫いて地下の土壌に魔力を届け、
植物操作魔法を扱うための道具だったのだ。

ロロの遠隔魔力供給を受け、
緑化された地点からダクトを突き破って大量の樹木がその姿を現す。

姿を現した樹木達は、一気に数百メートルの高さにまで成長した。

ザック「オラァッ!」

その中で一際大きな大樹を、ザックが渾身のパンチで叩き折る。

フラン「よし……射角調整、っと」

フランは倒れた樹木を魔力で掴み、
ライフルのスコープを覗き込みながら倒れた樹木の角度を調整する。

フラン「よし、ここ! ロロ、ザック、固定して!」

角度を決め、ロロとザックに指示を出す。

ロロは別の樹木で倒れた大樹を支え、ザックが魔力でコーティングした。

倒れた大樹の先端は、仲間達が砲撃を続ける一点に向けられている。

メイ「発射台完成、っと!」

結「は、発射台!?」

満足げなメイの言葉に、結は素っ頓狂な声を上げた。

フラン「メイが貴女を引っ張ってぶん投げるための発射台よ……。

    最初はさすがにどうかと思ったけど、
    初速を付ければリコルヌシャルジュの魔力の殆どを、
    アルク・アン・シエルに集中出来るでしょ?」

メイ「アタシ発案! さぁ、時間が無いから手早く褒めて!」

やや呆れの混じったフランの解説に続いて、メイが胸を張った。

ロロ「こんな突飛な発想、さすがメイだね」

ザック「我が妹分ながらアホだとは思ってたが、
    ここまで突き抜けりゃ逆に立派だぜ」

メイ「あんま褒められてない!?」

ロロとザックの言葉に、メイは愕然と叫んだ。

フラン「コントはそこまで!
    タイムリミットまで残り二十二分しかないのよ!」

フランは仲間達を一喝し、結に向き直る。

フラン「今、みんなの砲撃魔法で雲を覆ってる障壁にダメージを与えているけど、
    どこまで効果が望めるか分からないわ。

    でも、雲を突破可能な魔力量を持っているのは実質あなただけ……」

フランの言葉に、結はゴクリと唾を飲み込む。

続くフランの言葉は、もう分かっている。

フラン「任せたわよ?」

結「…………任されたよ!」

だからこそ、力強く応えた。

そうだ、自分は既にグンナーに誓ってここに来た。

彼の真の理想を、自分が引き継ぐと。

その理想を阻む彼の歪んだ行いを打ち砕く事こそが、
自分が理想を継ぐための第一歩だ。

メイ「よし……じゃあ、行くよ!」

メイはそう言うと突風を起動し、
チャイナドレスのような道着のような魔導防護服を纏う。

さすがに魔導装甲を起動できるだけの魔力は回復していないのだろう。

そして、魔導装甲を身に纏った結の手を握る。

結「お願い、メイ!」

結は長杖に魔力をチャージしながらも、友人に最初の一手を託した。

ザック「頼むぜ、結!」

ロロ「結……頑張って!」

結「うん……頼まれたし、頑張る!」

ザックとロロからも、思いを託される。

アレックス「結君!」

再びアレックスに名を呼ばれ、結は振り返る。

アレックス「無事を、祈ります」

結「うん……」

静かな声に、静かに応えて頷く。

結「アレックス君………」

アレックス「はい?」

名を呼び返され、アレックスは怪訝そうに応える。

結「大好き………………愛してるっ!」

結は満面の笑みで言った。

それを言葉にするのに、もう照れなどない。

母の願ってくれた出逢い、自分を支えてくれる全ての思い、
それが自分の思いと力を形作っているのだから。

アレックス「ゆ、ゆゆ、ゆ、結君!?」

動揺するアレックスに応えるかのように、
親しい仲間を含め、近くにいた多くエージェント達が歓声を上げる。

祝福七割、羨望二割、妙な悲鳴一割と言った所だろう。

結「行って来ます!」

メイ「よっしゃぁっ!」

歓声の中、結の号令を受けてメイが走り出す。

ザックの硬化魔力でコーティングした大樹を踏み抜きかねない程の健脚で、
メイは一気に発射台を駆け上がる。

メイ「ったく、人のマジ初恋の相手と目の前で惚気やがって……コンチクショー!」

結「え!? な、何!?」

メイの告白の叫びは風切り音に掻き消され、結の耳には届かなかった。

メイ「何でもないわよ!

   だから、アタシがいい男を見付けるためにも………!
   行って来い、結ぃぃぃぃっ!!」

そして、渾身の力に僅かな嫉妬を上乗せし、メイは結を大空へと投擲する。

研究院最速の脚による超加速を得て、結は普段以上の速度で雲に向けて飛んだ。

エール<残り二十分!>

その瞬間、相棒が叫ぶ。

リコルヌブースターを展開し、長杖を突き出して、
雲とその前に張り巡らされた障壁への激突に備える。

メイも投擲の瞬間に魔力で自分を加速してくれたのだろう。

僅か二分足らずで障壁の眼前へと迫った。

アルク・アン・シエルでやっと突破できた障壁だ。

どれだけの衝撃に襲われるか分かった物ではない。

しかし、雲を突破するにはリュミエール・リコルヌシャルジュに頼る他ない。

結は覚悟の表情を浮かべる。

その時だった!

?「行くよ……結!」

背中から声が響き、青銀の閃光が駆けた。

黒い魔導装甲に身を包んだ、見慣れた背中。

いつも自分の目の前を行き、道を切り開いてくれた親友の背中だ。

結「奏ちゃん!」

結は喜色に満ちた声で、その名を叫ぶ。

そう、奏だ。

つい先程地上へと合流し、
ボロボロの身体を押して結を追って上空に上がったのである。

奏は集束した雷電魔力刃を振りかぶり、結より先に障壁へと切り込む。

奏「ドラコーングラザー………ッ!!」

そう、この刃はかつて、結の前に立ちはだかる全てを、
彼女を危険に晒す全てを切り裂く事を願って生まれたのだ。

奏「マークシムムックルィィイィィクウゥッ!!」

なればこそ、今がその刃を振るう時。

その決意が込められた一太刀が、結の眼前に迫った障壁を切り裂く。

奏「結……行って!」

奏は落下しながら、結を見送る。

既に魔力はほぼゼロ。

これが最後の一太刀だ。

結「奏ちゃん! ………行って来るよっ!」

落ちて行く親友の声に押され、結は振り返らずに頷く。

だが、援護は奏だけではなかった。

???「グリッツェンヴァルツァー………!」

???「クライノート・マクスィール………!」

左右後方から聞き慣れた声が響く。

結「リーネ、クリス!」

結は視界の隅で捉えた彼女達の名を叫ぶ。

ようやく回復したリーネとクリスもまた、上空へと上がっていたのだ。

飛べないクリスは、グリューンゲヴィッターを装着したシュネーが支えている。

リーネ「ヒュッケバイィィンッ!!」

クリス「ゲシュテーバアァァッ!!」

藍色とエメラルドグリーンの輝きが、雲の表面を一気に散らす。

リーネ「結姉ちゃん!」

クリス「結お姉ちゃん!」

落下する奏を助けた二人の声が、結の背中を押す。

そうだ。

私達は一人じゃない。

自分で言った言葉だ。

仲間達の思いが、力が、言葉が、全て、自分を支えてくれている。

その背中を、押してくれている。

結「リュミエール………ッ!」

そうやって繋いで来た思いを――

結「リコルヌッシャルゥジュウゥゥゥッ!!」

――虹の輝きと共に背負って飛ぶ!

メイ達のくれた全開の加速を乗せ、奏達が切り開いてくれた道を、
全力の砲撃で駆け抜ける。

エール<グランリュヌ、プロペラントタンクモードに移行……。
    総残量九十八%!>

雲の内部に突入した結は、一気にその魔力影響下に入る。

想像以上の魔力の乱流が、雲の中には吹き荒れていた。

魔力乱流は結の身体を揉みくちゃにしながらも、
まるで意志を持った生命のように絡みつき、結の前進を阻もうとする。

数日前にアルク・アン・シエルによる雲の消滅を試みたが、
吹き飛ばせたのは一部だけに過ぎない。

雨雲と同じ高度に存在する魔力雲は、
上空二千メートルから三千メートルを埋め尽くしていると予想されている。

クリスとリーネが吹き飛ばしてくれた雲も表面の微々たる物だ。

結(これを……あと一キロ!?)

魔力乱流に煽られながら、結はその事実に戦慄する。

エール<総残量、八十二……七十五……六十%を切った!?>

エールが愕然と叫ぶ。

魔力の消耗も想像以上に早い。

だが、こんな所で負けるワケにはいかないのだ。

結「ま、け、る……もん、かぁぁぁっ!!」

結は裂帛の気合と共にさらに加速する。

まだメイのつけてくれた初速は生きていた。

この初速が生きている内に、一気に突破するしか道はない。

エール<十一……七……四……二……>

急速に消費されて行く魔力は、最早底をつく寸前だ。

結「うわあぁぁぁぁぁぁっ!!」

結は絶叫じみた砲声を上げる。

直後――

エール<ゼロ……!?>

その声と共に、結は雲の真上に突き抜けた。

間一髪だった。

確かに、クリス達が吹き飛ばしてくれた雲は微々たる物だったが、
それがなければ紙一重で突破に失敗していたかもしれない。

結は安堵しながらも、呼吸するように魔力を吸収する。

一気にフルチャージだ。

しかし、雲の突破など前座に過ぎない。

結「次っ!」

結は目的の砲撃戦艦を見付けるために辺りを見渡す。

雲を突破した位置は例の戦艦と大凡で同じだろうが、
いつまでも同じ位置に止まっているとは限らない。

その予想通り、見渡した範囲内には艦影は無かった。

結「一体、何処に!?」

結は焦って右往左往する。

残り時間は八分強――五〇〇秒を切っているのだ。

エール『結、雲が一定方向に向けてもの凄い勢いで流れてる!』

結「え……?」

愛器の言葉に、結は足下の雲を見遣った。

確かに、凄まじいスピードで雲が一定方向に動いている。

しかも、見渡す限り全てだ。

おそらく、この流れが魔力乱流を作り出していた正体だろう。

結「これだ!」

結は直感的に、その流れの先に向けて飛ぶ。

全リコルヌブースターの出力を最大限に高め、流れの先を目指す。

すると、広域センサーが魔力を捉える。

視界の先に捉える巨大な艦影。

エール『あの船だ!』

結「見付けたっ!」

エールと結はほぼ同時に叫んだ。

戦艦が雲を、いや、魔力を吸収していた。

そう、魔力の雲は通信障害を起こすジャミング装置であり、戦艦を守る防壁であり、
それと同時に戦艦に魔力を供給するエネルギー源でもあったのだ。

地球全土を覆う魔力の雲を糧に、地球全土を覆い尽くす魔力砲撃を行う。

その魔力総量、Sランク千人分を数十度。

執拗に、何発も、地球の隅々までを打ち貫くのだ。

その第一射目が始まろうとしている。

結「エール! 第八世代モードに移行!」

エール『了解ッ!』

結の指示にエールが応え、一瞬、魔導装甲が消え去る。

直後、結の全身を新たな魔導防護服が覆う。

以前……第六世代時に使っていた物の細部を変更したデザインだった。

しかし、それだけでは変化は終わらない。

魔導防護服を纏った結の全身を覆い隠すように、巨大な魔導機人が召喚された。

白き一角獣の騎士。

以前より大型化した、魔導機人・エールだ。

結「これが……第八世代魔導ギア……魔導機人装甲!?」

結は感嘆の声を漏らす。

魔導装甲のサバイバビリティをさらに高め、
大型魔導機人との格闘戦による制圧を視野に入れた超高密度魔導装甲だ。

以前、アレックスが魔導装甲のバリエーションとして開発を進めているような話をしていたが、
その第一号器が完成していたのである。

しかも、嬉しい事にその記念すべき第一号器は自分専用だ。

結「アレックス君………。
  エール、かっこ悪い所は見せられないよ!」

エール「ああ……僕は……僕が、君の翼だ!」

万感の思いを込めて叫ぶ結の声に応えるかのように、
エールは翼を広げて砲撃戦艦へと飛翔する。

結「グランリュヌ……全器展開!」

飛翔をエールに任せ、結は背面から無数のグランリュヌを射出した。

無制限の魔力供給の可能な結と、最新型のギアだからこその離れ業だ。

エール「このグランリュヌは急拵えで使えるのは一回限り……。
    二度目は撃てないよ!」

結「了解……一発で終わりにして見せる!」

愛器の忠告を聞きながら、結は砲撃戦艦を睨め付けた。

既に雲の吸収は終わり、発射準備は終わっている。

その時点で、残り十五秒。

そして、戦艦の全周囲をグランリュヌが覆う。

エール「残り九秒!」

結「間に合ってっ!」

結もエールと共に砲撃体勢に入る。

胸部の装甲が展開し、ダイレクトリンク魔導砲が起動する。

結本人が既に内部に乗り込んでいるため、接続などと言う面倒な手間はない。

そして、ダイレクトリンク魔導砲の展開に呼応して、
グランリュヌが一斉に事前セットしていた多重術式を魔力弾として射出した。

拡散、増殖、増幅二、反射二の六重多重術式弾と、集束と固定の二重術式弾だ。

一瞬で砲撃戦艦を術式が覆い尽くす。

しかし、砲撃戦艦の艦首砲口も眩い輝きを放ち始めている。

発射の時が来たのだ。

結「アルク・アン・シエル………ユニヴェール・リュミエールッ!
  マキシマム・エクスプロオォジョンッ!!!」

対して、結の裂帛の一声と共にエールの胸から虹の輝きが放たれ、
砲撃戦艦を覆い尽くした術式の内部へと解き放たれる。

試作品による一発限りの最大威力ユニヴェール・リュミエールだ。

四器のグランリュヌとの連携で放つパンタグラムがSランク百人分の魔力を伴う儀式魔法ならば、
こちらは二百器のグランリュヌと連携した、Sランク五千人分の魔力を伴う儀式魔法である。

砲撃戦艦の溜め込んだ全魔力総量には及ばないだろうが、
パンタグラムですら本体の超弩級魔導機人を一時的に行動不能に追い遣ったのだ。

その五十倍の威力に耐えられようハズがない。

術式が砕け散る鈴のような音……と言うよりも、
けたたましい鈴の大合唱を響かせながら、虹の輝きが乱反射を続ける。

エール「二……一……〇……!」

そして、エールのカウントがその瞬間を告げる。

結「お願い……砕けてぇぇっ!」

結はだめ押しでもう一発、アルク・アン・シエルを解き放つ。

それが止めだったのかは定かではない。

だが、砲撃戦艦の全体に無数のひび割れが走った。

そして、その無数のひび割れから輝きが溢れ出す。

結「やった……!?」

結が歓喜の声を上げた直後、眩い魔力の光が辺りを包み込んだ。

それは、行き場を失った魔力の暴発だった。

魔力の暴発は、直近にいた結を一瞬で飲み込んだ。

結「………ッ!?」

悲鳴を上げる暇すら、結には許されなかった。

同時刻、日本――

時刻は時差もあり、朝九時。

予告時間を過ぎて尚も訪れぬ終わりに、人々はどこか拍子抜けしていた。

それは結の故郷の避難所になっている小学校でもそうだった。

家族と身を寄せ合い、その恐怖の瞬間に備えていた人々は、
外の様子を見ようと一人、また一人と避難所の外に出て行く。

空を見上げると、
ずっと曇っていた空には数日ぶりの太陽と青空が広がっていた。

助かった。

その事実を告げる、冬の綺麗な青空だった。

その空を見上げる者達の中に、結の家族の姿もある。

功「助かった……のか?」

悠「本当?」

父の言葉に、少年――悠が聞き返す。

由貴「え、ええ……そう、みたいね……」

舞「お姉ちゃん達かな?」

安堵と共に座り込んでしまった母の姿を見ながら、少女――舞が笑顔を見せた。

双子は顔を見合わせる。

今日は12月7日。

世界が助かったら絶対言おう。

そう願掛けをしていた、今日のための言葉があった。

二人はグラウンドに駆け出す。

事前に用意していた方位磁石で向きを確認する。

悠「えっと、あっち、かな?」

舞「あっちだね」

西を向いた兄に従って、妹も西を向く。

別に特別な事ではない。

一年に一回、この日の朝には早起きしてやっている事だった。

ただ、今日はこの瞬間まで待っただけに過ぎない。

双子「せーの……!」

双子はタイミングを合わせて、西の空に向かって叫ぶ。

双子「おねーちゃぁぁん! おたんじょぉび、おめでとぉぉっ!」

ただ、今年はいつもより大きな声で。

今日は大好きな姉の、二十回目の誕生日だった。



余談だが、音速を秒速三四〇メートルとした場合、
時速にしておよそ一二〇〇キロ。

西に向けて放った祝いの言葉が仮にアイスランドに届くとしたら、
それは半日以上も先の事である。



世界が救われてから半日以上が経過した頃、
負傷者の回収を終え、一部を施設警護に残し、
研究院と欧州連合艦隊は撤収を始めていた。

?「……あり、が、とう………」

世界を救った後、気を失っていた一人の女性が、寝言でそんな言葉を呟く。

??「何のこっちゃ?」

心配そうに彼女を囲む友人の一人が、思わずそんな素っ頓狂な声を上げた。

この時、彼女が呟いた“ありがとう”の意味と理由を知って、
彼女の友人達が驚きに包まれるのはその数ヶ月後の話である。



2008年、一月初旬。

世界が救われてから、早くも一ヶ月が経過していた。

世界が救われた直後、
やはりと言うべきか世界は大混乱に包まれる事となった。

秘匿されていた魔法の存在。

人類滅亡の回避と言う一段落を終えた所で、
その問題が一気に表層化したのである。

魔法倫理研究院上層部はこの事態を重く受け止めると同時に、
魔法秘匿は最早、困難であると判断、魔法の存在は瞬く間に全世界に周知されるに至った。

それまで魔法を知らなかった国家も、
その国民全員、赤子に至るまでが魔力覚醒を迎えたのだから、
事実は事実として受け入れざるを得ないと言う事である。


しかし、それと同時に全世界に知れ渡ってしまったのが、
魔法を利用した兵器の有用性だ。

超大国アメリカを相手に翻弄して見せたテロリストの力は、
今や全世界の知る所なのである。

それまで魔法研究に関して否定的であった国家も、
魔法の有用性に関して、魔法兵器の実用化に関して注目せざるを得なくなったのだ。


後の世に“グンナーショック”と呼ばれる事になるこの一連のパラダイムシフトは、
一ヶ月を経た今も、世界を様々な意味で賑わしていた。



イタリア沿岸、魔法倫理研究院本部メガフロート――


普段は地中海に浮かんでいる研究院本部も、世界各国との連携と言うか、
魔法秘匿に関する説明責任に追われる形で、今もイタリア沿岸に接岸していた。

紗百合「嗚呼、イタリア料理もいいけど……そろそろ日本食が食べたい……」

そんな嘆きを漏らしたのは、
研究院との連絡係としてイタリア残留を余儀なくされた紗百合だ。

テーブルの上に突っ伏し、時折腕をパタパタと動かしている。

美百合「さーちゃん、はしたないよぉ」

そんな妹の様子に、美百合が困ったような声を上げる。

場所はエージェント隊の隊員寮一階の食堂だ。

メイ「この食堂、何でも揃ってるんだから、日本食頼めばいいじゃん」

紗百合「海外で日本食食べると、何か負けた気がするの!」

呆れたようなメイの言葉に、紗百合は語気を強めて反論した。

よく分からない基準だ。

食堂には、本條姉妹やメイを始め、
フラン、ロロ、ザック、リーネ、さらに一征が顔を揃えている。

事件そのものの捜査や処理が終わり、
今は全員で情報交換を含めた小休止と言った所だ。

リーネ「そう言えば前から気になってたんですけど、
    エージェント・鷹見や本條さん達って、
    作戦の最終フェイズ中はどちらにいらしたんですか?」

リーネが一ヶ月前の事を思い出しながら、小首を傾げて尋ねた。

美百合「シュネー君から情報リークがあった後、
    念のためと言う事で、諜報エージェントの方達と一緒に、
    施設内に戦艦を止める方法がないか探してたんですよ」

その質問には美百合が応え、さらに続ける。

美百合「結局無駄足になってはしまいましたけど、
    まあ陸戦近接型だとあの状況ではやれる事も限られますし」

メイ「だよねぇ……。
   その点、アタシは結のカタパルト役で役に立ったけど」

申し訳なさそうに呟いた美百合に、メイは誇らしげに無い胸を盛大に張る。

ザック「よっ、人間カタパルト!」

メイ「その異名は何か嬉しくない……」

やや小馬鹿にしたように囃し立てるザックに、メイはがっくりと肩を落とした。

フラン「全く……何やってんだか……。
    それにしても、まさか美百合と紗百合が幹部格一人倒したとは驚きね……」

ロロ「Sランクでも一対一で互角だったからね……。
   私はアレックスと二人がかりになっちゃったけど……」

呆れて果ててから話題を変えたフランに、ロロも続く。

紗百合「二人がかりって言っても、Aランクにアレの相手は辛かったわ………。
    こっちにいる間、リノさんに稽古つけ直して貰おうかしら?」

テーブルに突っ伏していた紗百合は、
そう言いながら身体を起こして天井を振り仰いだ。

仲違いしていた姉との咄嗟のコンビネーション。

アレがなければ今頃、確実に電撃で黒こげにされた挙げ句、殺されていただろう。

そう思うと背筋が寒くなる。

メイ「同じAランクでも、一征さんはデカい魔導機人倒したんでしょ?
   そこんとこどうなの?」

怪訝そうなメイの言葉に、フランとザックが顔を見合わせる。

ザック「お前、知らなかったのか……?」

フラン「貴女、同じ捜査エージェント隊所属でしょ?」

メイ「へ、何の事?」

呆れたような兄姉の言葉に、メイは小首を傾げた。

本当に何の事だか分かっていない様子だ。

ロロ「一征さんは六年くらい前から、事実上Sランクだよ」

そんな妹分の様子に、ロロが苦笑い混じりに答える。

メイ「うぇ!? マジで!?」

驚くメイに、一征は無言で頷く。

フラン「こいつ、私達と同期で外部入隊扱いなのに、
    私や奏より先にSランクの推薦来てたのよ?」

ザック「まあ、全部蹴ってるけどな」

ジト目で一征を見遣るフランに、ザックが噴き出しそうになりながら続ける。

ちなみに外部入隊とは、訓練校を通さないエージェント隊への入隊だ。

一征は姉妹の世話役として最後までカンナヴァーロ養成所にいたため、
訓練校への編入はしなかったのだ。

外部入隊は入隊研修などが多く、
仮に有能であっても非常に昇格が遅れる事で有名でもある。

セシルなどはそれを懸念した生前のミケロの提案もあって、
Aカテゴリクラスへの移籍を推薦された経緯があった。

一征「Sランクになると書類仕事が増えるからな……。
   前線任務の方が向いているんだ」

フラン「そうそう、全ては本條家のイメージアップのため、
    引いては愛しのみーちゃん、さーちゃんの………」

感慨深く呟いた一征の後に続けて、
悪戯っ子のような笑みを浮かべていたフランの表情が、途中から恐怖で凍り付いた。

ザック「ちったぁ学習しろ……」

一征に睨まれた事を一瞬で察し、ザックは溜息混じりで呟いた。

フラン「こ、こっちに回れば睨めないでしょ!
    こ、こ、こ、こ、怖くなんかないんだからねっ!」

ロロ「美百合と紗百合が困ってるよ……フラン」

美百合と紗百合の背後に隠れ、怯えてどもるフランに、
ロロが苦笑いを浮かべて呟いた。

美百合&紗百合「一征お兄様……」

そんな事情があった事を知らない美百合と紗百合は、
彼への敬愛の念をさらに強い物とする。

一征としてはフランに睨みを聞かせて黙らせたものの、
最早言い逃れできる状況でない事を悟って肩を竦めた。

また、二人による自分の取り合いが激化するのだと言う事も同時に悟って……。

と、その時、不意にメールの着信を告げる電子音が鳴り響く。

リーネ「あ、ごめんなさい、私……」

リーネが申し訳なさそうに手を上げて、携帯電話を取り出す。

ロロ「誰から?」

リーネ「クリスから。
    ……今、奏姉さんと一緒に面会室に入るって」

問いかけるロロに、リーネは画面を見せながら言う。

携帯電話の画面には、英語で“これからお母さんと面会室に入ります”
とだけ書かれたメール画面が映されていた。

同時刻。
監獄施設内、面会室――


奏とクリスは、厚い防犯ガラスに挟まれた面会室で、
カナデとの接見を行っていた。

カナデ「で、今日の用事は何?
    取り調べの類だったら、もう全部終わったと思うけど?」

拘束服を着せられたカナデは、椅子の上で不貞不貞しくふんぞり返って呟く。

奏「もう……あんまりそんな態度を取ると、
  刑期が延びちゃうよ……?

  折角、短く済みそうなんだし」

そんな妹の様子に、奏は困ったような表情と声音で窘めた。

カナデ「甘いのよ、ここの考えは……。

    十七歳以上は成人と同じ扱いだって言うけど、たった五年とか……」

対するカナデは、どこか不機嫌そうな様子で返す。

そう、カナデの刑期は五年とされていた。

短すぎるとの意見も多かったが、
決め手は毛髪や瞳の色が変化するほどの調整を受けた事にある。

医療部局での検査で、恒常的な投薬と調整の痕跡が見付かり、
カナデには“薬物投与によって自由意志が存在しなかった可能性”が考慮され、
更正の余地有りと見なされたのだ。

但し、十七歳と言う年齢を踏まえ、
相応の懲罰も必要と言うのが五年と言う数字の意味でもあった。

そして、五年間の投獄の間、
更正教育プログラムが実施される事も決まっている。

カナデ「まだ始まってないんだけど、更正教育って何するの?
    自己啓発ビデオみたいなの見せられるとか?」

奏「ぅ~ん……まあ、それも有るって言えば有るけれど、
  君の場合だと、社会復帰に向けた勉強や職業訓練とか……。

  他にもエージェント隊で勤労奉仕する意志があるなら、
  魔力制限も何段階か解除してそっち方面のカリキュラムも受けられるよ」

カナデ「あ、私、そっちがいいかも……。
    どうせ魔法使う事くらいしか出来る事無さそうだし」

質問に答えてくれた奏の説明を聞きながら、カナデは溜息がちに呟いた。

奏「……ああ、それと、これ……。

  君の件で再調査が決まって、
  ユーリエフ魔導ホムンクルス研究所の地下を徹底捜査したんだけど、
  やっぱりあったよ、機材の置いてあった跡に隠されてた……。

  多分、研究院の人に機材を持ち出してもらう事を前提にしていたみたい」

奏は思い出したように言って、
今日の用件の一つでもあったコピー用紙の束を取り出す。

その束に、カナデはチラリと視線を向けたが、
すぐに気まずそうに視線を背けた。

奏「さすがに原本はまだ差し入れ出来ないんだけど、
  これ、母さんから君宛の日記のコピー……」

カナデ「そう………」

薄目で視線だけをコピー用紙に向けながら、カナデは居心地悪そうに呟く。

愛されてなどいないと思い続けた母。

その真実の思いが綴られた日記。

カナデ「検閲……したの?」

奏「捜査の都合上、最初の2ページだけね……。
  出だしはボク宛と殆ど変わらなかったよ」

カナデ「……そう」

奏の答えを聞きながら、カナデは目を伏せた。

優しげな姉の表情を見る限り、決して悪い内容ではないようだ。

カナデ「って、そうなるとこのコピーって
    印刷チェックしてないって事じゃないの?」

奏「え? あ、そ、その……うん、
  印刷の掠れがないかクレーストにざっと見せたから多分大丈夫」

カナデ「それじゃあ結局、全部検閲済みって事じゃない!?」

素っ頓狂な声で尋ねた質問に気まずそうに答えた姉に、
カナデは呆れ果てたように返した。

そして、僅かな逡巡の後に口を開く。

カナデ「……原本来るまで読まないと思ってたけど、気が変わったわ!
    すぐこっちに頂戴!」

奏「うん……良かった」

慌てた様子の妹の言葉に奏は安堵し、
刑務官を通じて小窓からコピー用紙の束を渡す。

素直になれない天の邪鬼な所のある彼女の事、
受け取ってくれないかもしれないと思っていたのだ。

コピー用紙を受け取ったカナデは、一度その表紙に目を落としてから、
刑務官にそれを預け直した。

と、そこで真面目な表情で微動だにしていないクリスに気付く。

カナデ「………何よ、さっきから黙り込んじゃって?

    いくら血が繋がってない……いや、繋がってるのかしら?
    ……とにかく、姉さんの子供に何かしようなんてもう考えないわよ」

怪訝そうに問いかけたカナデは、少しだけ顔を赤らめてそっぽを向いた。

クリス「あ、その……ごめんなさい。
    そんなつもりじゃないんです」

カナデの様子に、クリスは慌てた様子で立ち上がって謝罪する。

そして、慌てた様子で右手首のギアを防犯ガラス越しに差し出す。

以前は無かった雪の結晶を摸したチャームが、ブレスレットから下がっている。

クリス「その、今日はギアの持ち込み許可も出て……
    それに、技術部のチェックも昨日で終わったから……」

????『お久しぶりです、カナデ様』

困った様子のクリスの声に続いて、優しげな少年の声が響いた。
シュネーだ。

カナデ「………久しぶりね。
    シュネー、で、いいのよね?」

シュネー『………はい』

どこか気まずそうな様子のカナデに、シュネーは落ち着いた様子で返す。

言葉を交わしたのは、一ヶ月前の最終決戦以来だ。

口論の末、物別れとなって以来と言い換えてもいいだろう。

カナデ「その………新しい御主人はどう?
    ちゃんとよくして貰ってる?」

シュネー『はい……僕なんかには勿体ないくらいです』

クライノート『むしろ、私よりも扱いがいいと嫉妬する程です』

カナデが僅かに戸惑ったように質問すると、
照れ臭そうなシュネーに続き、クライノートが溜息がちに呟いた。

クリス「そんな、二人とも私の大切な相棒だよ?」

クライノートの様子に、クリスはあわあわと困ったように弁解する。

確かに、まだ普通のギアである事に慣れないシュネーのフォローに回る事も多いが、
クリスとしては平等に扱っているつもりなのだ。

そんな三人の様子に、自分の心配は杞憂だったようだと、カナデは安堵の溜息を漏らした。

だが、すぐに気を取り直す。

カナデ「シュネー……私からの最後の命令……いえ、お願いよ。
    今後、“僕なんか”とか、自分を貶めるような言い方は全部禁止ね」

カナデは神妙な様子で、シュネーに語りかける。

それは、以前から考えていた事でもあった。

ナナシであった頃、弟妹達と必要以上に距離を取っていた彼は、
おそらく自分と弟妹達の事をいつも比較していたのだろう。

そして、彼らの事を卑下する事を無意識に嫌い、逆に自分を無意識に貶めていたのだ。

それに気付かされたのは、無駄に長い孤独な時間を独房で過ごすようになってからである。

気付かされた真実とそれに対する悔恨で、シュネーに対する彼女の想いは溢れていた。

カナデ「道具扱いしていた私が言えた義理じゃないでしょうけれど、
    折角、優しい御主人が出来たんだから……。

    これからは、もっと自分も大事にしなさい」

シュネー『………畏まりました、カナデ様』

どこか優しげな雰囲気のカナデの言葉に、シュネーは恭しく応える。

カナデ「あなたも……この子の事、頼んだわよ。
    ………もの凄く溜め込むっぽいから」

クリス「はい……任せて下さい!」

カナデの言葉に、クリスは大きく頷いた。

その後、二、三の話題を交わし終え、二人は面会室を辞す。

バスは使わず、事務局方面までの道を歩いて戻る道すがらだ。

奏「クリスは……エージェント隊はどうするの?」

クリス「うん……えっと、折角、シュネーみたいないいサポート役も出来たし、
    改めて、真剣に保護エージェントを目指そうかなって」

母の問いかけに、クリスは思案気味に応えた。

確かに、シュネーは七種の特化戦術武装に加え、
彼本人の高い魔力感知能力や隠密能力がある。

クリスの高い魔力と物質操作特化の特性を合わせれば、
スタンドアローンでもかなり優秀なエージェントになれるハズだ。

そうなれば、確かに単独行動の多い捜査エージェント隊への入隊が望ましいだろう。

しかし、それは“選べる道”の一つの在り方であって、
クリス自身の望みかと尋ねられると、そうとも言い切れない。

奏「それは、どうして?」

奏もその辺りの事が気がかりなのか、横目で我が子の顔を覗き込む。

そこにあったのは一ヶ月前までのどこか自信の無さそうな表情ではなく、
とても澄んだ自信に満ちた表情だった。

クリス「まだよく分からない……」

だが、それに反してクリスの口から漏れたのは、拍子抜けするほどの不安の言葉だ。

しかし、すぐにその不安を振り払うような真剣な表情を見せる。。

クリス「自分のやりたい事、自分で出来る事、自分が目指したい事……、
    それをどうやって叶えていいか分からないから……。

    だから、先ずは最初に目指した保護エージェントに全力でなるよ!
    それで、保護エージェントの中でそれを見付けてみる!」

クリスは僅かに歩調を上げて母の横から駆け出し、すぐにクルリと反転して、力強く言った。

不安はあれど、迷いはない。

誰かを傷つける事は今でも怖い。

それでも、その怖さを受け止めてくれると言ってくれた母がいる。

今の自分を支えてくれる最高の相棒が、自分には二人もいてくれる。

だからこそ、迷わずに自分の道を突き進める。

そんな強い思いに満ちた、優しげな表情をクリスは浮かべていた。

奏「そう……じゃあ、冬休みが終わったら、また研修に来るといいよ。
  アルノルト総隊長にはお母さんの方から頼んでみるから」

クリス「ありがとう……お母さん!」

母の申し出に、クリスは笑顔で応えた。

クリス「じゃあ、そろそろお姉ちゃんのお見舞いに行こうよ」

奏「うん。……でも、あと少し後でね」

クリスの言葉に応えながら、奏は少し遠くを見るように呟く。

奏(今頃はきっと……)

先客がいる頃だろうと、
奏はどこか寂しくも嬉しそうな、そんな複雑な表情を浮かべた。



同時刻。
医療部局病棟――


クリスの言った“お姉ちゃんのお見舞い”、
と言う言葉から察せられる通り、現在、結は入院中だった。

入院と言ってもそう大したケガではない。

あの砲撃戦艦を撃破した直後、
結は砲撃戦艦が溜め込んでいた自身の数万倍と言う魔力の奔流に飲み込まれたのだ。

本来であるならば、グンナーの研究結果の通り、
過剰魔力による人体破裂現象を引き起こしてもおかしくはなかったのだが、
奇跡的に義手と義眼を失うだけで済んでいた。

それは一重に、最新型ギアであった第八世代へとアップデートされたエールの障壁が、
彼女を守りきった故の事だ。

無論、エールも一時的に機能不全には陥ってしまったが既に修理も終え、
今は最終調整のため、技術部に預けられている。

だが、問題は結の後遺症だ。

自身の数万倍の魔力の奔流に飲まれた結果、
結は軽い魔力減衰症状を起こしていた。

但し、十一年前の奏のように一年以上の治療が必要と言うワケでもなく、
丸一日程度の昏睡を伴う単なるショック症状程度の物だ。

だが、これ幸いとばかりに担当医の貴祢からは
“この機会にしばらく休め、働くな、魔法使うな”と散々に釘を刺され、
それを了承した総隊長陣の判断で病院に軽い軟禁状態なのだ。


そして、そんな結の病室に、奏の予想した先客が向かっていた。

アレックスだ。

アレックスはどこかそわそわした様子で、
結の病室へと向けて早足で向かっていた。

その手にはお見舞いの花束と、小さな包みが握られている。

ヴェステージ<緊張し過ぎなのである。
       普段通りの見舞いと一緒なのだから、落ち着くのである>

アレックス<僕はいつも通りだ>

愛器からの思念通話での忠告に、アレックスは努めて平静に返す。

ヴェステージ<手足が左右毎に同時に出るのを、いつも通りとは言わないのである>

アレックス「なっ!?」

ヴェステージの言葉に、アレックスは慌てて自分の手足を見た。

だが、手には花束と包みを抱えているので、動かしているのは足だけだ。

手足が左右毎に同時出るハズがない。

ヴェステージ<ひっかかったのである。

       全く、いつも通りのアレックスならば、
       この程度の嘘にはすぐ気付くのである>

アレックス<分かったよ……僕が悪かった。
      ……うん、緊張していた>

呆れたような愛器の言葉に、アレックスは観念したと言いたげに返す。

確かに、緊張で冷静さを欠いていたようだ。

深呼吸し、気持ちを整える。

アレックス「よし……」

小さく呟いて、改めてゆっくりと結の病室を目指した。

結の病室は最上階の隅にある個室だ。

エレベーターで最上階に上がり、気持ちを落ち着ける意味もあって、
いつもとは反対側から遠回りで向かう。

病室の前に辿り着くと、再び小さく深呼吸し、
意を決してノックを試みる。

と、その直前にスライド式の扉が開かれた。

エミリオ「では、例の話はよく考えておいてくれ」

結「はい、ペスタロッツァ総隊長」

思わぬ事態に驚くアレックスの前に現れたのは、
救命エージェント隊総隊長のエミリオ・ペスタロッツァだ。

部屋からは結の声も聞こえる。

どうやら在室のようだ。

エミリオ「ん? おお、ヴィクソンの所の孫か」

面食らっているアレックスに気付き、エミリオは笑みを浮かべた。

ヴィクソンの所の孫――祖父基準で自分の事を呼ぶのは、
この目の前の壮健過ぎるご老人くらいのものである。

エージェント隊最古参の長老と言う事もあり、
旧研究院時代からの付き合いであるアレックスの実家とは親しい間柄なのだ。

それはアレックスも分かっていた。

アレックス「アレクセイです……いい加減覚えて下さいよ」

エミリオ「ハハハッ、すまんな。
     お前さんがオムツをしていた時から知っているのでどうもな」

肩を竦めるアレックスに、エミリオは苦笑いを交えて呟いた。

アレックス「こんな所で変な事を言わないで下さい!?」

だが、エミリオの言い様にアレックスは顔を赤らめて叫ぶ。

無論、顔を赤らめたのは羞恥故だ。

エミリオ「ここは病院だぞ、あまり大きな声は感心せんな」

アレックス「あ……う……!?」

しかし、そんな至極当然の正論を持ち出されて黙り込んでしまう。

エミリオ「さあ、見舞いに来たのだろう? 早く入るといい」

エミリオはそう言ってアレックスに室内に入るように促した。

奥ではベッドの上で上体を起こした結が、
何と言っていいか分からないと言いたげに苦笑いを浮かべている。

ヴェステージ<さすがに年の功には勝てないのである>

アレックス<ああ、本気で思い知ったよ……>

ヴェステージの言葉を聞きながら、アレックスは心中で肩を竦めた。

エミリオがその場を辞して二人きりになると、
アレックスは先ずは花瓶に花を生ける事から始めた。

他愛もないが楽しい会話もいつも通りで、何とかして落ち着きを取り戻す。

結「アレックス君、毎日忙しいのに……ありがとう」

アレックス「僕の好きでやっているんですから、気にしないで下さい」

どこか申し訳なさそうな、だがとても嬉しそうな様子の結に応えて、
アレックスは近くの椅子に腰を下ろした。

手に持っていた包みは、気付かれぬよう、着ているジャケットの中に忍ばせてある。

アレックス「それと……実は今日は大事な話が……」

ヴェステージ<待て、アレックス!
       まだ、早い! 早すぎるのである!>

言いかけたアレックスの言葉を遮るように、ヴェステージが叫ぶ。

普段なら共有回線を開いている所だが、
さすがに今回ばかりは二人きりを優先して共有回線への割り込みは無しと決めていた。

結「大事なお話?」

やけに神妙な様子の恋人に、結はキョトンとした様子で首を傾げる。

アレックス「その……ぼ、僕と一緒に、日本に行きませんか?」

アレックスは一瞬戸惑った様子だったが、
緊張した様子のまま少しだけ大きな声で言った。

ヴェステージ<アレックス、忘れているのである!>

一緒に出すつもりだった小さな包みを出し忘れるほどの緊張だった。

そして、その指摘にアレックスは一気に頭に血が昇るのを感じた。

アレックス「あ、あのですね!
      ま、まだ部外秘なんですが、
      今度、アジア太平洋支部が出来ると言う話がありまして!

      実は、その技術部にギア開発部長として移籍しないかとのお誘いを受けまして、
      それと一緒にSランク昇格や何やら……」

結「ああ、アレックス君にもその話が行ってるんだ!
  っと、Sランク昇格、おめでとう」

まるで弁明するかのように慌てて矢継ぎ早なアレックスに、
結は僅かな驚きと共に、満面の笑みで祝福の言葉を述べる。

アレックス「………へ?」

そんな結の言葉に、アレックスは面食らったように首を傾げる事となった。

僅かな時間を置いて混乱したアレックスが落ち着くのを待ってから、
結は事の次第を説明し始めた。

結「実はね、さっきペスタロッツァ総隊長からお誘いがあったの……。

  数年以内に、日本の沖合にアジア方面の活動拠点になる支部を作るから、
  そっちの捜査エージェント隊に、
  保護エージェント統括官として移籍するつもりはないか、って」

アレックス「ああ、そう言う事でしたか……」

結の説明を聞くと、アレックスは納得したように頷いた。

部外秘の情報を結が知っていたのは、そう言う経緯だったようだ。

ヴェステージ<しかし、渡りに船とはこの事である。
       失敗無効で次のチャンスを狙うのである>

アレックス<……うるさいな>

相棒の言葉に、アレックスは心中で溜息を漏らす。

そんなアレックスとヴェステージのやり取りも知らずに、結はさらに続ける。

結「特務からも外れる事になっちゃうけれど、
  もしかしたら良い機会なのかも、って……」

結は少しだけ寂しそうに目を伏せた後、どこか遠くを見るような目で呟いた。

アレックス「良い機会、ですか?」

結「うん……」

聞き返したアレックスに頷いて返すと、
結はベッドサイドに置かれている寮の自室から持ち込んだ二つの写真立てに目をやる。

アレックスもそちらに目を向けた。

そこには日本で暮らす家族の写真と亡き実母の写真が、それぞれ飾られている。

結「家族とずっと離れて暮らして……。
  怒られるような事は一度も無かったけど、やっぱり心配かけてばかりだし、
  もっと家に顔を出すようにしないと、なんて思うんだ……。

  ………今更だよねぇ?」

結はそう言って苦笑いを浮かべた。

アレックス「いえ、僕はいいと思いますよ」

結「アレックス君がそう言ってくれると、何だか嬉しいな……」

結は恋人の気遣いに、嬉しそうに目を細める。

結「それとね………。
  それとは別に、もっとよく考えなくちゃって思うの」

アレックス「何を、ですか?」

結「うん……」

促すようなアレックスの相槌に、結は顔を俯ける。

結「私のお祖父さん……、
  グンナー・フォーゲルクロウから引き継いだ理想の事。

  あの人が目指した世界平和が何だったのか、
  どうすれば私はその理想に近づけるのか、って……」

結はあの決戦の中で誓った言葉を思い出しながら、
悩ましげな表情を浮かべた。

世界平和。
確かに美しく尊い言葉だが、その実現は実に難しい。

宗教、理念、利権、文化、様々な違いで、
世界では大小深浅を問わぬ争いで溢れている。

それがどうすれば終わるのか、
などと言うのは人類最大の命題であり、解決の難しい問題であろう。

自分に限らず、
世界中では今も多くの人々がこの命題を託し、託されているのだ。

決して自分一人で抱え込むべき問題ではない。

だからこそ、この思いを繋げて行く方法を、
この思いを成し遂げる方法を考えなければならない。

言ってみれば、これはグンナーの魂を……
その真実の理想を継ぐ事を誓った自分に与えられた命題だ。

エレナが灯してくれた魔法は素晴らしいと言う灯火、
グンナーから受け取った平和を実現すると言う理想。

どちらも大事にしなければいけない。

いや、大事にしたいと思うのだ。

それがグンナーに対して言ってのけた、
自分なりのやり方で人々を救う方法……
世界を平和にして行く方法だと結は考えていた。

そして、その道の果ては険しく遠い。

結の顔には、そんな道を行かんとする決意が見て取れた。

アレックス「……でしたら」

そんな結の顔を見ながら、アレックスはまた神妙な表情を浮かべる。

アレックス「僕にも、一緒に考えさせてくれませんか?
      君の、一番傍で……」

アレックスはそう言って、ジャケットから小さな包みを取り出した。

掌に載る程の、布でくるまれた包みだ。

結「え……?」

呆然としている結の目の前で、アレックスはその布を取り去り、
中から小さな箱を取り出した。

普段、ギアを入れるための黒塗りのケースとは違う、もっと上等な箱である。

アレックスがその箱を開くと、中にはずっと調整中だったエールと一緒に、
もう一つ別の指輪が入っていた。

魔力によって整形された物ではない、職人による丁寧な細工を施されたリングと、
その頂点にはめ込まれた六角形の赤い宝石。

アレックス「本当でしたらクリスマスに間に合わせたかったんですが……、
      一から作り始めたら予想以上に時間がかかってしまい、
      何でもないこんな日になってしまいました」

どこか照れ臭そうな、緊張したような声音のアレックスは呟いた。

結「え……っと、これって……」

アレックス「結君の誕生石だと思うんですが……違ってました?」

呆然としてしまった結に、アレックスは不安そうに聞き返す。

そう、エールと一緒に入っていたのは、
結の誕生石であるヘキサゴナル・ルビーをはめ込んだ、アレックス手製の指輪だった。

フィッツジェラルド家は元来、ギア以前から使われていた魔法道具を作る一族だ。

指輪の造形に使う道具や設備は、実家に戻れば幾らでもあった。

よく見れば、リングには虹を背にした翼の生えた一角獣――
結のパーソナルマークと同じ細工が極小単位で彫り込まれている。

結の誕生日石と結のパーソナルマークを盛り込んだ、結のためだけに作られた、
世界にたった一つのアレックスのオリジナル。

準備はあの決戦の後から旧ピッチで行っていたのだが、
慣れない指輪の造形に手間取り、言葉通り今日までずれ込んでしまったのだ。

結は呆然としたまま愛器と指輪の入った箱を受け取り、そっと手で触れる。

エール<結……返事はいいのかい?>

その瞬間、相棒の思念通話が脳裏に届いた。

結(あ……)

その言葉に、呆然としていた自分に気付く。

返事。

アレックスの言葉への返事。

一緒に、一番傍で。

それはそう――

結(プロ……ポーズ……!?)

――それ以外あり得ない。

一ヶ月前の人体破裂は免れたが、
今回ばかりは脳が爆ぜるほど頭が沸騰するのを感じた。

確かに一ヶ月前のあの日、人前で彼に“愛してる”と口にしている。

それはもっと以前にも口にした事だし、それを人前で口にしてしまったのは、
何というか興奮の極みと言うか十代最後の若気の至りと言うか、場の勢い的な物だ。

だからと言ってアレックスの事を愛していないと言うワケではない。

だからこのプロポーズは嬉しい。

しかも手作りの指輪だ。

そんなチョイスが実にアレックスらしいと言うか、嬉しくてたまらない。

結「あ、あの……そ、その……」

結は顔を真っ赤に紅潮させ、泣き出しそうな顔で口ごもる。

感情が振り切れ、感動で言葉が出ない。

アレックス「も、もし……言葉にし難いなら……、
      その、頷いてくれるだけで構いません」

アレックスも緊張した様子でそう言うと、さらに続ける。

アレックス「僕と………」

アレックスが口を開いた瞬間、風が舞う音がしたような気がした。

結「………はい」

結は目尻に喜びの涙を浮かべながら、大きく頷いた。

              ――エピローグ――


時に西暦2015年、春。

世界を恐怖と混乱に陥れたグンナーショックから、
既に七年と四ヶ月ほどが経過していた。

魔法倫理研究院は世界の表舞台にその姿を現す事となり、
本部を地中海、アジア太平洋方面支部を日本沖に置く二面体勢が敷かれる事となったのは、
もう六年前……2009年の事だ。

日本の官庁舎を間借りする形で始まったアジア太平洋方面支部は、
それから四年をかけて太平洋上に作られたメガフロートへと移転した。

少々きな臭い話になるが、アジア太平洋方面支部が作られた理由は、
情勢不安定なユーラシア東部の各国とアメリカへの牽制が目的だ。

急速に表出化した魔法技術は、世界に大きな歪みを生む事が予測され、
それを見張るのがアジア太平洋方面支部に任せられたもう一つの仕事である。

ともあれ、世界は小さな混乱の波を幾つも立てながら、それでも淡々と進んでいた。

アフリカ中部――


夕闇の迫る藪の中を、幾つもの影が駆け抜ける。

『カンナヴァーロ隊長、こちらテロリスト集団を追跡中のC班!
 現在、対象集団はポイントSに向けて逃亡中!』

通信機を通して聞こえて来る部下の声に、赤毛の女性が満足げに頷く。

「よし……セシル、C班はそのまま対象集団を追い立て続けて!
 ユーリ、D班も待機解除。C班と対象集団を挟撃。
 指定位置に来た時点で私のA班と、アンディのB班で一斉攻撃をしかけるわよ!」

『D班了解です』

『B班了解しました!』

『C班了解!』

部下達の返事を聞き、赤毛の隊長がライフルを携えて走り出す。

「新生特務の初仕事よ、みんな!
 気張って行くわよ!」

彼女の号令に、通信機越しの歓声が響いた。


フランチェスカ・カンナヴァーロ――
二十九歳。

元対テロ特務部隊創設者にして初代隊長。

現在はアフリカ方面に活動拠点を置く魔導テロリストを相手に、
セシリア・アルベルトら多くのハイランカーエージェントを率い、
新生対テロ特務部隊隊長として活躍。




中国、上海――


照明の落とされたビルの一室で、幾人もの男達が会合を行っている。

「コレが今回開発された新薬です。
 一時的な魔力暴走状態を引き起こし、
 戦闘能力を飛躍的に高める事が出来ます。

 まあ副作用がありますが、所詮、末端の兵士など使い捨てですし」

「そうか……では約束の報酬を」

その会合とは黒い企み。

交換されるジュラルミンケースに入れられたのは禁じられた薬物と、その対価だ。

だが――

「魔法倫理研究院だ!
 危険指定魔法薬の取引現行犯で逮捕する!
 さっさとお縄につけぇっ!」

照明の落とされていた高い天井から小柄な女性が舞い降り、
交換されようとしたジュラルミンケースが奪われる。

その動き、正に駆け抜ける疾風の如き神速だ。

それと同時に、室内に武装したエージェントが一気に雪崩れ込んだ。

黒い企みの場は、一点して鮮やかな逮捕劇の場へと姿を変えた。


李・明風――
二十七歳。

対テロ特務部隊解散後、アジア太平洋方面支部に移籍。

隠密能力の高さを活かし、
危険度が高く、生還率の低い任務で高い成功率を誇る諜報エージェントとして活躍。

東欧――


一時間前に発生した大地震と、
その余震によって倒壊しつつあるビルを、無数の植物が支える。

「ザック、お願い!」

「おうよっ!」

植物を操る女性の声に、傍らの男性が崩れかけのビルに魔力を流し込んで固める。

「今だ! 救助部隊、突入してくれ!」

男性の指示に、多くの救命エージェント達がビル内に突入して人々の救出を始めた。

「ロロ、次のビル行くぞ!」

「ええ、急ぎましょう!」

二人は頷き合って、倒壊の危険性が疑われるビルに向けて駆け出した。


アイザック・ファルギエール――
二十九歳。

ロロット・ファルギエール――
二十八歳。

対テロ特務部隊解散後に入籍。

現在は夫婦共に救急エージェントとして救命エージェント隊に所属。

二人の子供に恵まれ、公私ともに充実した日々を送る。





地中海沖、魔法倫理研究院本部――


「どう、気分は?」

「レナ先生と同僚なんて……、
 夢ではあったけど、変な感じです」

先輩の女性教師に尋ねられて、年若い女性教師がはにかんだように応えた。

今日から訓練校は新学期。

以前はスイスの山奥にあったAカテゴリクラスは、
本年度から本部にその学舎を移していた。

より高度な魔法技術を習得するためと言う名目だ。

年若い教師は教官隊での候補生指導カリキュラムを経て、
今日から魔法技術全般の講師として教壇に立つのだ。

その表情には微かな不安と、大きな希望と喜びの色が窺えた。


フィリーネ・バッハシュタイン――
二十四歳。

総合戦技教導隊を経て教官隊に移籍後、
念願であった候補生指導に転向。

恩師であるレナ・フォスターと共に、
Aカテゴリクラスの教師として後進の指導・育成に邁進する。

日本、東京――

郊外に建てられた大きな武家屋敷から、三人の男女が姿を見せる。

「では、いってらっしゃいませ」

「頑張ってね、次期当主様」

瓜二つの二人――双子の女性に見送られて、男性が頷く。

「今日は少し早く帰れると思います」

「へぇ……それなら、色々と準備しないとねぇ」

「準備って、何の準備?」

男性の言葉に意味ありげな表情を浮かべた一方の女性――妹に、
もう一方――姉が顔を真っ赤にして素っ頓狂な声を上げた。

そこから始まる小さな口論も、まあ、いつのも事だ。

「……それでは、行って参ります」

男性は肩を竦めながら、職場へと向かった。


本條一征――
二十九歳。

グンナーショックにおける功績によりSランクに昇格、
その後、諸々の理由もあって本條本家に養子縁組の形で入籍し、
本来の第一、第二後継者候補であった美百合と紗百合の辞退、
政界進出した現当主の強い推薦もあって本條家の次期当主第一候補となる。

本條美百合、本條紗百合――
共に二十七歳。

魔法技術の重要性の高まりを受けた本條家の隆盛により本邸を首都東京に移し、
そちらで毎日のように仲の良い姉妹喧嘩を繰り広げる。

現在に於いても、その“決着”は着かず……。



同、日本、東京――


整然とした広い工場の中を、長い黒髪の女性が携帯電話を片手に歩く。

「はい、それはそちらに搬入をお願いします」

携帯電話から聞こえてくる言葉に、女性は丁寧に返す。

作業着の上に白衣と言う、どこか色気の無い格好だ。

電話を終えた女性は、自分の作業台に辿り着くと、
先日届いたばかりの図面に目を落とした。

そこに描かれているのは、人型作業機械の図面だ。

「おーい、向こうから新しいパーツの設計図届いたよ」

と、背後から声をかけられて振り返ると、
そこにいたのは快活そうな女性。

幼馴染みであり、昔からの親友だ。

「さすがアレクセイ君、仕事が早いねぇ」

彼女から図面を受け取りながら、女性はおっとりとした笑みを浮かべた。


三木谷麗、山路香澄――
共に二十七歳。

大学でロボット工学を学んだ香澄は、実家と研究院からの援助を受け、
研究院や国内向けに魔力を動力とした人型機械の製作会社を設立。

親友である麗に経営を任せ、もう一人の親友の伴侶を共同研究者として、
後の世に変革をもたらす発明を行う。

スイス、若年者保護観察施設――


更正教育官や当直保護エージェント達の詰め所では、
大掃除が行われている最中だった。

「シルヴィア、その書類はそっちの棚にお願い」

「はい、先生」

上司と思われる銀髪の女性の指示に、
焦げ茶色に近い色の髪をした大人しそうな女性が、書類の束を棚にしまって行く。

書類は全て子供達のカルテだ。

と、そこに美しいブロンドの髪をなびかせた一人の若い女性が顔を出す。

「エージェント・ユーリエフ、
 頼まれていた新型機材の搬入、全て終了しました」

「あら、ごめんなさいね、エージェント・ユーリエフ……。
 Sランクのあなたに、こんなお使いみたいな事をさせてしまって」

金髪の女性の声に、銀髪の女性が、
どこか申し訳なさそうに、だが嬉しそうに返した。

「ふふふ……たまにはこっちにも顔を出したかったから」

「そう?」

互いをユーリエフと呼び合った二人は、互いに微笑み合う。

「お互いにユーリエフって呼び合ったら、
 どっちかどっちだか分かりませんよ?」

茶色の髪の女性が、どこか呆れたように呟いた。

「それも……そうだね」

「まあ、一応は規則ですから」

女性の言い分に、二人は苦笑い混じりに答える。

そこに、遠くからにぎやかな声が響いて来た。

ここで保護、治療、経過観察を受けている子供達の声だ。

「さぁ、人気者のクリスお姉ちゃんの出番だよ」

「………はいっ、任せて下さい」

銀髪の女性に“クリスお姉ちゃん”と呼ばれた金髪の女性は、
誇らしげな満面の笑みで答えた。


奏・ユーリエフ――
二十九歳。

対テロ特務部隊解散後、アジア太平洋方面支部に移籍した恩師、
シエラ・ハートフィールドの穴を埋める形で更正教育官の若年者保護観察副責任者に就任。

誘拐、テロ、違法魔法実験被害を受けた子供達の心のケアに生涯を捧げる。


クリスティーナ・ユーリエフ――
二十歳。

Sランク保護エージェントとして、
主に若年者誘拐事件の解決、違法研究者の摘発などで活躍。

二代目・閃虹の異名で犯罪者達に恐れられ、
また、彼女に救われた多くの子供達に慕われる。

結・F・譲羽――
二十七歳。

アレクセイ・F・譲羽――
二十七歳。

対テロ特務部隊解散後、アジア太平洋方面支部へ移籍。

2010年、入籍。

アジア太平洋方面支部に移籍し、結は保護エージェント統括官、
アレックスはギア開発部責任者としてそれぞれに活躍する。

2011年、待望の第一子となる長女、明日美を授かる。




太平洋沖、アジア太平洋方面支部メガフロート――

作りかけの部分も目立つ巨大メガフロートの端、
何処までも広がる太平洋を一望できる桟橋に、一人の少女が佇んでいる。

まだ幼く、年の頃は五歳に満たないだろうか?

肩よりも少し長く伸ばされた長い黒髪が強い潮風に揺られ、
頭にちょこんと乗せられた薄桃色のリボンと共に激しくなびいている。

しかし、少女はそんな潮風など気にする様子もなく、
桟橋のギリギリ、波しぶきが足にかかるような場所まで進み出て、
その深い緑色をした瞳で海でもなく空でもない場所を、ただまっすぐに凝視している。


――きっと、私は幸せなんだと思う。

  パパもママも、いつもお仕事で忙しくて、
  一緒にいられる時間が少ないのはちょっと哀しい。

  だけど、パパもママも、
  一緒にいられる時はいつも私を抱きしめてくれて、
  大好きだよって言ってくれる。

  私は、パパとママのその声が、とっても大好きだ。


  だから、寂しくなんかない。

  寂しさなんて感じない。

  だって、大好きなパパもママも、私をとっても愛してくれているから――


幼い少女の見つめる先、真っ青な空と海に、薄桃色の光が輝いた。

「ママ!」

その瞬間、潮風と波音を掻き消すような大きな声で、少女は母の名を呼んだ。



最終話「結、それは魔導の希望」・了

魔導機人戦姫 第四部・戦姫飛翔編・完

                       譲羽結物語・完

今回は……と言うか、今回で魔導機人戦姫、最終回と相成りました。
一年以上に渡ってお付き合い下さった皆様、本当にありがとうございます、お疲れ様でした。


一応、他にも小ネタやアレやコレやがありますので、
エタる前に書き上がるようならそちらも投下させていただきます。

待っていた方もそうでない方もお待たせしました。
最新話を投下させていただきます。

 唐突だが、アタシは男運が悪い。

 別に付き合っている男がいるワケではないし、
 付き合っていた男がいたワケでもない。

 何と言うか、そう……アタシが好きになる男は色々と手遅れなのだ。

 いや、正しくは、“アタシが手を出すのが手遅れ”と言うべきだろう。


 最初に好きになった……と言うか、
 まあ妹的観点から“大好きなお兄ちゃん”になった男がいる。

 名前はアイザック・バーナード………ザック兄。

 全寮制の寄宿学校であるAカテゴリクラスに来たばかりの頃のアタシは、
 まあ、何と言うか……自分の足の速さに因んで欲しくないレベルで、
 早々にホームシックを患った。

 周りはみんなヨーロッパ出身で、アジア出身はアタシだけ。

 無論、肌の色が違う程度で差別するような子はいなかったし、
 同期のアレックスは他人そのものを気にしないようなヤツだった。

 当時、最年長だったエレナ姉が色々と面倒を見てくれたし、
 その頃はまだ悪戯っ子で甘えん坊だったフラン姉も一緒に遊んでくれた、
 ロロ姉に至ってはたまに同じベッドで寝てくれるほど親切にして……
 ああ、いや、今思えば、ロロ姉には体の良い抱き枕にされていたのか?

 ともかく、優しい姉貴分三人のお陰でアタシはホームシックを外に出すような事だけは避けられた。

 けど、溜め込み過ぎたホームシックは、逆にイライラとなってそのはけ口を求めるようになる。

 そんなアタシのイライラを、いつも受け止めてくれていたのがザック兄だ。

 イライラと言うか、まあもっとざっくりと言えば、全力の蹴りだ。

 故郷では誰も受け止められなかったアタシの蹴りを、ザック兄だけは受け止めてくれたんだ。

 今思えば恥ずかしい話だけど、アレには運命を感じたね。

 アタシの全力を受け止めてくれる人がいるんだ、って喜びだ。

 いつしかザック兄はアタシにとって“大好きなお兄ちゃん”になって行く。

 けど、そんな淡い恋心にも遠かった思いが恋心になる直前、
 唐突に“待った”がかけられた。

 よくあるパジャマパーティーでの恋バナだ。

 そこでロロ姉がザック兄を好きだと言う事、
 ザック兄が満更でも無いんじゃないかと言う事。

 まだ七歳だったアタシは、そこで悟ってしまったんだ。

 “あ、ヤベ、ロロ姉には勝てねぇや”

 何を以てそう考えたのかは分からない。

 だが、直感的に悟ったんだ。

 ザック兄の事に関して、アタシじゃロロ姉には勝てない、って……。

 別に初恋では無かった。

 恋心を恋心と認識する前にアタシの“初恋っぽい何か”は終わり、
 だけどまあ、我ながら節操が無いと言うか、程なくして次の恋が訪れる。

 正直、こればかりは自分でもどうかと思う程、節操がない。

 それは八歳の頃の事だ。

 恋のお相手は、何とあのいけ好かないと思っていた同期のムッツリ眼鏡。

 アレクセイ・フィッツジェラルド……アレックス。

 Aカテゴリクラスでは定期的に席替えを行う。

 気分転換で授業のマンネリ化を防いだりする目的もあるが、
 ある種のガス抜きと言うか、逆に適度な緊張感を持続させる意味合いがあったのだと思う。

 で、入学してから二年、初めて隣同士になった同期の横顔をチラ見する事が増えた。

 そしたら、まぁ……アレよ……真剣な顔してると、コイツ、中々格好いいんだわ、悔しい事に。

 サラッサラの金髪に少し青みのある深い緑色の瞳、ちょっと中性的な顔立ち……
 眼鏡をかけていなければ御伽噺の王子様だ。

 しかもコイツ、口は悪いけれど意外と優しい所がある。

 ハッキリ言ってこのギャップは卑怯だ。

 だが、まあ、その頃にはアレックスと口喧嘩友達的なポジションを見事に築き上げ切ってしまっていたアタシは、
 胸に秘めたる思いを口にする事が出来ず、一年、また一年と時を重ね……十歳を迎える。

 そこで初めて、自分以外のアジア人の友人を得る事になる。

 譲羽結だ。

 これが、まあ、何と言うか………頭に二つ三つドが付くレベルの天然さんだった。

 だが、別にドジッ娘と言うワケではなく……いや、まあかなりドジな面もあるのだが、
 それでも料理は達人級の腕前、勉強も魔法もスラスラと覚え、さらに魔力も人並み外れて大きい、
 傍目に見れば完璧超人のソレと言う厭味な………ああ、もとい、羨ましい子だったのだ。

 しかし、別にその頃の結がアタシの初恋に一石を投じる事はなく、
 いつも通りの日々が過ぎて行く。

 しかし、そんな新しい友人の親友が、アタシ達の“姉”としてやって来た日に事件が起きた。

 いや、正しくはその日を境に起きた事件に、アタシは数日後に気付いてしまったんだ。

 アレックスが普段は見せないような顔を見せるようになった。

 真剣で、思い詰めたような……彼自身の表情に見覚えはなくても、
 アタシはその顔をよく知っていた。

 そう、その表情は彼の事を想ってアタシが浮かべる表情のソレと……、
 彼の事を想って鏡を覗き込んだ時に見る表情と、よく似ていたのだ。

 そして、アレックスの視線の先を見て、アタシは愕然とした。

 アレックスの視線の先には、結がいたのだ。

 アタシの二年間温めた本当の初恋は、編入してから半年足らずの結によって、
 一気にひっくり返されてしまったのである。


 アタシは男運が悪い。

 アタシが好きになる男は、いつもアタシ以外の人を好きになる。



 アタシの名前は李・明風。
 世界最速の足を持つ魔導師。
 そして、鈍足の恋しか出来ない、手遅れの女。

番外編「メイ、未来に繋がる一つの物語」

―1―

 2011年三月半ば。
 魔法倫理研究院、アジア太平洋方面支部――

 東京のオフィス街の一角に聳える巨大な官庁舎に、
 アジア太平洋方面支部が間借りしているフロアはあった。

 捜査エージェント隊各部署の詰め所兼オフィスとなっているそこには、
 今日も多くの捜査エージェント達が出入りしている。

 その奥まった一角、簡易な間仕切りで仕切られた統括官執務室の名札のかけられた場所での出来事だ。

メイ「潜入捜査ぁ?」

結「そうなの、場所が場所だけに保護エージェントは送り込み難いし、頼めないかな?」

 怪訝そうな声を上げた同期で幼馴染みの親友兼同僚に、
 結はどこか困った様子で資料を手渡しつつ呟いた。

メイ「まぁ、潜入捜査はアタシの十八番だし……でも、ここって学校でしょ?」

メイは早速目を通した資料の一部を見ながら尋ねる。

 確かに、そこには学校法人らしき名前が踊っていた。

結「うん。国立国際魔法学院。
  去年新設されたばかりの魔法教育メインのインターナショナルスクール」

メイ「ああ、それなら知ってるって。

   本條家に非協力的な政治家主導で作った学校でしょ?
   例の地下闘技場関係の怪しい政党の生き残り連中が、
   自分たちの足場固めに作ったとかって噂されてるアレ」

結「そう、それ」

 やや説明的なメイの言葉に、結は苦笑い気味に頷く。

 メイの言い分も尤もだが、実際の設立理由はもう少しクリーンな学園だ。

 確かに、本條家に非協力的で、かつ以前の――
 三年と少し前に特務が関わった事件で大量の逮捕者を出した某政党の元党員だが、
 彼ら自身にその件の落ち度は全くない。

 非協力的なのは魔法が秘匿されていた事に対する疑心から来る物で、
 言ってみればそれも正当な言い分である。

 そんな彼らが中心となって、日本の時代を担う魔導師教育を自分達主導で行おうと、
 世界各国からフリーの魔導師を呼び寄せ、小中高一貫の魔法教育を施すべく、
 国籍を問わずに入学可能としたのが件の“国立国際魔法学院”だ。

 魔法に興味を持った子供達の編入を広く受け入れ、
 現在の生徒数は初等部六学年三五六名、中等部三学年二一四名、高等部三学年二二五名、
 生徒総数七九五名、教員総数一二二名、魔法教育機関としてはかなり大きな学校だ。

結「それで、この事件の捜査依頼は隆一郎さん……本條家御当主からなんだけど」

メイ「って、何でそこで隆一郎さん?」

 結の言葉に、メイは怪訝そうな声を上げた。

 国立国際魔法学院は、前述の通り本條家に非協力的な政治家主導で作られた学校だ。

 何でそこの捜査依頼に本條家当主の名が上がるのか?

メイ「まさか、ライバル政治家の足引っ張るような情報集めて来い、とか?」

結「う~ん……この依頼事態が、既にその引っ張る足のアキレス腱だけどね」

 やや呆れたようなメイの質問に、結は苦笑いを交えて呟いた。

 メイが何の事やらと小首を傾げていると、結はさらに説明を付け加える。

結「自分たちのお膝元で事件が起きたけれど、
  解決のしようがなくて泣きつかれちゃったんだって……」

 メイは結の説明を聞くと“あらら……”と半笑いで漏らした。

メイ「で……政治家同士だし、交換条件有りなんでしょ?」

結「詳しい話は私も聞かされていないけれど、
  次の国会で提出される与党案に賛成票投って所じゃないかな?
  反対してるのは例の野党第一党と切り崩された与党の一部だし……」

メイ「次の……って、ああ、保有魔導兵器保有限度に関する国連決議に対する法改正案だっけ?
   あれは絶対に可決して欲しいわ………」

 結もメイの言葉に頷く。

 保有魔導兵器に関する国連決議とは、
 昨今の魔導技術の台頭による新兵器開発競争に歯止めを掛けるための物だ。

 もう三年以上前になるグンナーショックの際に、
 通常の近代兵器が魔法を応用した近代兵器の前では無力だと証明されてしまった事により、
 各国は挙って魔力を応用した新型兵器の開発に着手したのである。

 自国の安全保障の事を考えれば、
 敵性国家やテロリストが“魔法を使えたので対処できませんでした”では済まされない。

 国家として魔力応用兵器の開発は急務なのだ。

 但し、その“急務”を盾に危険な魔力応用兵器……それこそグンナーショックの際の、
 件の砲撃戦艦のような大量殺戮兵器を作らない、作らせないと言った取り決めが、
 メイの言った“保有魔導兵器保有限度に関する国連決議”なのである。

 この事が問題視される以前の2008年から2009年にかけての動乱期は、
 それはもう、一体全体、幾つの国や地域に干渉、査察を行ったのか思い出せないほどだ。

 元来、魔法倫理研究院エージェント隊は
 魔法技術全般の悪用を目的とした個人や組織に対しての多面的な制裁、被害者の保護や救済、
 世界各地の魔法関連遺産、遺跡の調査・補修・保護などを目的とする国際組織であって、
 特定の国家・地域への干渉、査察を行う国際団体ではない。

 正直な話、別件の仕事が増えれば増えるほど、本来の業務に差し障りが出てしまう。

 有り体に砕けた言い方をすれば
 “国同士のいざこざはさっさと国連で見張ってくれ”と言うのが本音だ。

 一応、被災者救助の名目で紛争地域への医療派遣も請け負ってはいるが、
 それはそれ、これはこれである。

結「核の脅威だって健在だもの……」

 結は溜息がちに呟く。

 グンナーショックによって軍事大国アメリカの対魔法防衛の脆弱性が明らかになった所で、
 彼の国が世界各地の洋上に浮かべた原潜に積まれている核ミサイルの影響力が去ったワケではない。

 むしろ、国内の安全保障面が完全に回復できていない状況であるため、
 核の脅威は以前よりも増していると考えていいだろう。

メイ「まあ、だからこそ、
   今の状況で魔法使って余所の国に喧嘩をふっかけるような阿呆はいないだろうけどね……」

 二人はそう言うと、顔を見合わせたまま肩を竦め、溜息を漏らした。

結「……話が脱線しちゃったね」

 結は苦笑い気味に言ってから、気を取り直して資料に目を落とす。

 メイもそれに合わせて自身の手元の資料に目を落とした。

結「とりあえず事件は仮称で“国立国際魔法学院連続意識不明事件”。
  中等部二年生から高等部一年生くらいの生徒を中心に、
  文字通りに意識不明になる事件が多発しているらしいの」

メイ「意識不明………って事は、心肺停止とか脳死って感じじゃないの?」

結「幸い、そうみたい。
  だけど、最初の意識不明者が出たのが去年の九月の頭。
  もう半年以上経ったのに、その子は意識が戻っていないって」

 メイの質問に、結は悔恨にも似た表情を浮かべて呟く。

 結の専門……と言うより、最も注力していた任務は若年被害者の救済だ。

 事ここに至るまで知らされなかったとは言え、
 そんな事件が起きている事に気がつかなかった事が悔しくて堪らないのだろう。

メイ「えっと……杉内博巳、中等部二年生。倒れたのは去年の九月七日」

結「そこから一週間で立て続けに五人……合計六人。
  その全員が中等部の生徒だよ」

メイ「………その六人から、次に倒れたのが二ヶ月後の四人。
   このレベッカ・クルーニーって子はアメリカからの留学生か……。
   この子が高等部最初の犠牲者って事か……」

 結とメイは順繰りに資料に目を通して行く。

 被害者は全部で十九名。
 資料上では八ページ分だ。

 九月、十一月、そして、今年の一月の三回。
 およそ二ヶ月のインターバルを空けて六、七人が倒れている。

 内訳は国内からの編入生が十一人、海外からの留学生が八人。
 中等部が十六人、高等部が三人。
 さらに中等部の生徒でも二年生が十一人、三年生が五人。

メイ「見る限りは中等部二年が怪しいね」

結「被害者の分布を見るとね……」

 メイの推測に同意しながら、結はさらに続ける。

結「意識不明の原因は特殊な薬物による物と推測されているんだけど、
  薬物の詳しい組成が分かっていないから治療が難しいらしいの。

  保護エージェントや捜査エージェントを送り込もうにも、犯人の特定も終わっていないし、
  何より、証拠品の薬物を破棄されるワケにもいかないから」

メイ「つまり、アタシの任務は犯人の逮捕と薬物の現物入手ってトコね」

 結はメイの言葉に頷きながら“ご明察”と付け加えた。

メイ「けど、任務の内容も重要度も把握はしたけど……何でコレがアタシに?」

 任務内容の確認を終えたメイは、再び怪訝そうに漏らす。

 任務が“失敗できない理由”は確かに理解した。

 その重要度が高いのも分かる。

 だが、犯人逮捕と証拠物品の押収程度の任務ならば、わざわざSランクの自分が出向くまでもない。

 若手やベテランのA、Bランクのエージェントに任せてもいいだろうし、
 その方がキャリアを積ませる意味でも効率の意味でも良いだろう。

 しかし、その理由はすぐに分かった。

 被害者一覧の次のページに、
 三十代ほどの男性の顔写真と身分証名称のコピーが掲載されていた。

 そのコピーには、先月の日付と共にやや掠れた“死亡”の文字が捺印されている。

結「日本の公安職員だよ……。

  去年末に、産休の先生の代わりに潜り込ませたそうだけど、
  先月、宿直室で死亡している所を確認されたって……」

 重苦しそうな結の言葉に、メイは“なるほど……ね”と漏らした。

 死亡した男性の実力の程は分からないが、
 この事件で潜入捜査のお呼びがかかる程の手練れだったのだろう。

 公安職員としても、無論、魔導の使い手としてもだ。

 そんな彼が死亡したとなれば、
 研究院支部上層部としても切れるカードの中では最善手を、との判断を下すのは当然と言えた。

結「本当なら私が行きたかったんだけど……」

 結はそう言いながら、自分の身体……その下の方に目を向ける。

 結のお腹は大きく膨らんでいた。

 無論、食べ過ぎではない。

メイ「出産目前の妊婦がどうやって潜入すんのよ……」

 そう、結の身体には新たな命が宿っていた。

 妊娠九ヶ月、来月――四月には出産と言う状況だ。

 そんな身重の身体で大立ち回りをするかもしれない潜入捜査など不可能である。

 メイでなくても呆れた声を漏らすだろう。

 むしろ、十四年来の幼馴染みで友人としては、
 今すぐにでも産休を取って自宅でのんびりしていて欲しい所だ。

 まあ、この重度の仕事中毒者に何を言っても今更無駄と言う事は理解しているので、
 彼女の負担にならぬようにフォローするしかない。

メイ「母親になるんだからさ、もうちょっと自覚持ちなって。
   下手に無理させたら、アタシがフラン姉達に鉄拳制裁されちゃうよ」

 離れて暮らすようになって長い兄姉達の顔を思い出しながら、
 メイはわざとらしく肩を竦めて見せた。

 鉄拳制裁は大げさかもしれないが、そのレベルで恐ろしい“何か”は免れないだろう。

結「うん……」

 一方、結は“母親になる”と言う言葉に、僅かばかりの不安を浮かべながらも、
 愛おしそうに膨らんだお腹を……その内にいる未だ見ぬ我が子を撫でる。

メイ(まぁ……これなら無理して飛んで来るなんて事は無いか……)

 その様子を見ながら、メイは心中で安堵の溜息を漏らし、さらに続けた。

メイ「まぁ、アタシにお鉢が回って来た理由も分かった事だし、
   ちゃちゃっと片付けて来るわ」

 メイは自信ありげにそう呟くと、結も表情を引き締めて向き直る。

結「それじゃあ、お願いしますね、エージェント・李」

メイ「了解しました。
   フィッツジェラルド統括官」

 二人はどこか戯けたように、だが至極真面目な面持ちでそんな言葉を交わし合った。

―2―

 明後日――

 潜入捜査のための機材の準備を終えたメイは、
 連続意識不明事件の現場である国立国際魔法学院へと向かう車の中にいた。

 メイは助手席に深く腰掛け、どこか不満げに外の光景を見ている。

 運転手はこれまた結と同じく十四年来の幼馴染みで友人でもある本條紗百合だ。

紗百合「はい、じゃあこれ、潜入用の偽造身分証と“人物設定”ね」

 車が赤信号で停止した瞬間を見計らい、
 紗百合はダッシュボードの中から大きめの封筒を取り出し、メイに手渡した。

メイ「………えーっと、何々……?

   名前は揚・明華……ヤン・メイファか。
   台湾出身。両親は台湾政府付きの魔導師。
   元は香港を拠点としていた魔導師一家。
   2004年に台湾に移住……っと。

   アタシの実家と全く同じね……よく出来てるじゃん」

紗百合「父様達も最初からあなたに依頼するつもりで準備して貰っていたみたいだから」

 やはりまだ不満げなメイに、紗百合はどこか楽しげに返す。

メイ「……で、それはいいんだけど……何で、現地で使う服が学生服なの!?」

 メイは自らの身体を見下ろし、身に纏っている服の裾を摘んで叫んだ。

 髪も普段している一つ結びではなく、十代の頃によくしていたロングツインテールである。

 しかも可愛らしいリボンのオマケ付きと来た。

紗百合「っ……しょうがないでしょ、身長153センチで先生って、ちょっと無理あるでしょ?」

メイ「あっ、今敵に回したよ?
   身長155センチ未満で悩んでる女性教師全員を敵に回したよ?」

 噴き出しそうになりながら語る紗百合に、メイは怒ったように詰め寄る。

突風『大人げないわよ、メイ。
   潜入捜査は無理なくその場に融け込むのが鉄則でしょ?

   まさか、学校で一日中シークレットブーツってワケにもいかないんだから』

 そんな主の様子に、愛器が溜息がちに漏らした。

メイ「……百歩譲って生徒なのはいいわよ!
   問題なのは、何で中等部の、しかも二年生なのかって話!

   アタシ、もう二十三だよ!? 再来月には二十四だよ!?

   仕事とは言え、何が哀しゅうて十四歳のフリをしなきゃいけないの!?」

紗百合「歳は知ってるわよ、同い年だもの。

    それに、怪しいのは中等部二年って分かってるでしょ?
    なら一番怪しい学年に潜り込むのが筋って物じゃない」

 感情的なメイに対して、紗百合は実に尤もな正論で返す。

 確かに、資料を見た時に自分でも当たりを付けたのは中等部二年だ。

 そして、メイの身長は153センチと、成人女性にしては実に小柄で体格もスレンダーであり、
 中学生と言っても通じてしまう。

 適任と言えば適任なのだ。

メイ「くっ……何でウチの家系でアタシだけチビなのよぅ……」

 メイは悔しそうに漏らす。

 メイの祖母はイギリス人であり、その血を受け継いだ中英ハーフの父は一族でも飛び抜けて身長が高く、
 日系台湾人三世の母こそ小柄ではあるものの、自分と同じ遺伝子を受け継いでいるハズの兄はかなりの高身長だ。

 まあ、言ってみれば母の遺伝子が色濃く出た結果だ。

メイ「ハァァ………」

 メイは盛大な溜息を一つ漏らすと、気を取り直す。

 とりあえず、言いたい事は言ってスッキリとはした。

メイ「まったく……この格好したアタシを見て、みんな笑うんだから」

 メイは出発前に、仲間達が向けた視線を思い出して不満げに唇を尖らせる。

 数人ほど、堪えきれずに笑い出した後輩が数人いた。

メイ(この任務が終わって戻ったら、究極穿孔・疾風飛翔脚の練習台にしてやる……!)

 メイはそんな物騒な事を考えながらも、改めて資料に目を通す。

メイ「けれど、こんな時期外れの留学なんて、返って怪しまれない?」

紗百合「そうでもないわよ?

    意外と各国への周知が進んでいないのか、時期外れの留学生は多いみたいだし、
    先月もアメリカからの留学生や、北海道の中学からの編入生もいたって聞いたわ」

メイ「それって、編入テストが大変じゃない?」

紗百合「初等部と中等部は基礎学力と一定以上の魔力適正があればどうにかなるような学校らしいわ。
    中等部から授業には取り入れてはいるけど、本格的な魔法修得は高等部になってからね」

 自らの怪訝そうな質問に答えてくれる紗百合の言葉を聞きながら、
 メイは次第に呆れたような表情を浮かべた。

メイ「何かいい加減じゃない?」

紗百合「国家主導の大規模公的魔法学習機関としては世界初だから、
    まだ手探りなんでしょう?

    最初からウチにも一枚噛ませれば、
    研究院の訓練校やウチの修練場のノウハウを取り入れて、
    もっとまともな魔法学校が作れたって言うのに……」

 メイの言葉に、今度は紗百合が盛大な溜息を漏らした。

 訓練校の学習方針は魔法に比重を置いた七年制だが、
 それでも基本学習教科も当人が望んで相応の学力さえあれば高等教育や、
 理系に限れば大学レベルまでは受けられる。

 実際、メイも高等教育修了レベルの学はあるし、
 結も法務関連の仕事を行う保護エージェント志望であった事もあり、
 Aカテゴリクラス卒業前に研究院司法試験の合格判定は受けている。

 小・中・高一貫教育の十二年制ならば、Aカテゴリクラスレベルは無理だろうが、
 選択制の授業を含めても訓練校に近い教育カリキュラムを組み立てられるだろう。

紗百合「……まあ、世間的には魔法なんてまだ未分化、未開拓の分野って考えなんでしょうね」

メイ「ああ……それは有りそうだわ」

 歴史の古い魔導の家柄に生まれ、
 幼い頃……それこそ物心つく以前から魔法に慣れ親しんで育った二人は、
 どこか苦笑い気味に呟いた。

メイ「ん? って事は何?
   両親が魔導師って、この学校だと何げにレアケース?」

紗百合「そうなるわね」

 その事実に思い至ったメイの言葉に頷き、紗百合はさらに続ける。

紗百合「代々の魔導の家に生まれたら、
    欧州の訓練校行きか実家や修業場で修練ってのが当たり前だもの、
    どっちかって言うと、研究院とは関係の無かったフリーの魔導師の子とか、
    突然に魔力覚醒しちゃった結みたいな子の方が多いんじゃないかしら?」

メイ「結みたいって、それはそれで空恐ろしいんだけど……」

 紗百合の言葉を聞きながら、メイは肩を竦めた。

 数百年に一人と言うレベルの天才魔導師が妹分にいるため実感が薄いが、
 結もアレはアレで天才と区分すべきの魔導師だとメイは考えていた。

 結自身は非才を名乗って譲らないだろうが、
 魔法の基礎を覚えるスピードが圧倒的に速かったのは確かなのだ。

紗百合「ああ……結も結で、アレはレアケース過ぎるか」

 百合はそう言って、これはしたり、と噴き出すように笑った。

 そして、気を取り直して続ける。

紗百合「まあ、とにかく……私達の実家や訓練校とは毛色が違うって事は確かね」

メイ「了解。頭に入れとくわ」

 メイは手渡された封筒の中に入っていた留学生向けのパンフレットに目を通しながら答えた。

 留学生や遠隔地からの学生を受け入れるために、学院の周辺には多数の学園寮を建設。

 初等部からでもそう言った生徒を受け入れられるよう、豊富なスタッフを雇用。

 学院の敷地内には魔法研究資料なども閲覧できる総合図書館や、
 最早スーパーマーケットやデパートと呼ぶべき規模の購買部が存在している。

 将来の人材育成、雇用促進公共事業の二つの観点から作られた施設であると言う事が窺えた。

メイ(税金を注ぎ込んだ国公立の学校で、これだけ充実した施設か……。

   よくまあ世論やマスコミが騒がないって言うか……、
   それだけグンナーショックが恐ろしかった、って事かな……)

 この学院に使われたであろう国家予算の額を考えながら、メイは心中で独りごちる。

突風<魔法は安全保障と切っても切れなくなったものね……>

 主の心中を察してか、突風がそんな言葉を思念通話で漏らした。

 そう、全ては国家安寧のため。

 ついでに雇用確保――これも回り回れば国家安寧であろう――のため。

 国としてやるべき事を正しくやっていれば、世論は国政を糾弾する必要などない。

 しかし、それでも生徒十九名が薬物が原因とされる意識不明、
 公安職員一名死亡――まず間違いなく犯人グループによる殺害――と言う状況だ。

 そちら方面でマスコミが騒ぎ出さないのは逆に不可思議でもある。

 マスコミが騒いで国際問題になるのを避けるための箝口令が考えられるが、
 だとすれば、どこからどのような圧力が掛かっているのだろうか?

メイ(下手をすると、日本以外の国が絡んでるってのも視野に入れておかないとね……)

 そんな事を考えながら、メイは心中で深く溜息を漏らした。

―3―

 国立国際魔法学院――

 前述の通り、将来の日本を背負って立つ魔導のスペシャリストを育成するために設立された、
 世界初の国家主導型の大型魔法学習機関である。

 小・中・高の一貫教育を掲げ、東京都八王子市と神奈川県相模原市を東西に跨ぐ形で、
 城山湖西側の湖畔に作られた国内でも最大級の敷地面積を誇る魔法教育と魔法研究の総合学習施設だ。

 初等部六学年三五六名、定員六〇〇名。
 中等部三学年二一四名、定員四二〇名。
 高等部三学年二二五名、定員四八〇名。
 生徒総数七九五名、総定員一五〇〇名。
 教員数一二二名、予定総教員数二〇〇名超。

 一七〇〇名の人員を受け入れる施設の維持、管理、
 さらに周辺施設の従業員を含めれば万を超える、
 謂わば学園都市と言っても過言ではない巨大施設。

 現在七九五名いる生徒の約二割に及ぶ一七五名が海外留学組であり、
 教員の約半数が魔法倫理研究院のエージェント訓練校や、各国の研究院加盟修行場を経て、
 一般生活を営む事となった魔法技術修得者や、世界各国の魔法研究者で占められている。

 教育方針に関しては、魔法技術修得者や魔法研究者の意見を取り入れ、
 可能な限りエージェント訓練校の教育ノウハウを再現していた。

 だが、必須科目以外の一般科目――美術や音楽と言った科目だ――の授業時間も多く、
 まだ手探りと言った状況である。

 また生徒や教師達には魔法倫理研究院や本條家から買い取った第五世代簡易ギアを、
 各一器ずつ配布していた。

 これは世界各国の言葉が飛び交う中でもタイムラグ無しでのコミュニケーションを取れるようにする一方で、
 将来的に国産開発が予定されている教導用魔導ギア導入までの代用品でもあり、
 さらに一部の高い魔力を持った生徒の魔力を抑制するためのリミッターの役割も果たしている。



 そして現在、校舎裏手の教員用駐車場で紗百合と別れたメイは、
 職員室を経て、中等部校舎の二階廊下を中年の男性教師に先導される形で歩いていた。

メイ<うわぁ……八百人近くいる学生一人一人に第五世代とか、
   施設よりこっちの方が金かかってんじゃないの?>

 つい先程、職員室で教科書と共に手渡されたブレスレット型の簡易ギアを見ながら、
 メイは半ば呆れを交えた驚嘆を心中で漏らす。

 第五世代を授業で使ってる教育機関など、
 本家魔法倫理研究院の訓練校でも、まだAカテゴリクラスくらいのハズだ。

突風<お陰で研究院と本條家の台所事情は暖かいけれどね……>

メイ<まぁ、それはそれで有り難い事で……>

 突風のフォローに、メイは溜息がちに応えた。

 現在、魔法倫理研究院は太平洋上にアジア太平洋方面支部のためのメガフロートを急ピッチで建造中となっている。

 再来年度の夏――実質、一年半後――には支部用のビルと職員用居住施設が完成予定であり、
 その辺りの資金繰りを思えば、高価なギアを購入して貰う事は研究院にとっては有りがたい事なのだ。

メイ(そう言えば、ウチも五、六年後を目処に
   メガフロートの方に本家と道場移すって話だったっけか?)

 メイは年末年始の休暇で里帰りで聞かされた話題を思い出しながら、視線を窓の外に向ける。

 城山湖からの照り返しを考慮して南向きに作られた校舎の廊下側からは、
 縦並びに建てられた初・中・高の校舎の内、最北に建てられた高等部校舎を臨む眺めだった。

 逆に南向きとなる教室側からは二棟の初等部校舎が見えるハズだ。

 日照条件を均等に保つためか、それぞれの校舎の距離は五十メートルほど離れており、
 そのまま視線を山肌……西側に目を向ければ全学部共用の特別教室棟が見えた。

メイ(……一応、アレが最低限の節約って事かな?)

 兼用可能な部分は極力兼用と言う事だろう。

 体育館も一際大きな物がその横に建てられている。

教師「ここは何かと設備が大きいですからねぇ……驚いたでしょう?」

 あちこちを見渡しているメイの様子に気付いた教師が、
 やや乾いた笑い声を交えて呟いた。

 その声音は、どこか呆れ半分と言った風だ。

 これだけの施設を作るために資金を投じるだけの価値があるか半信半疑と言った所なのだろう。

 特に、今のような連続意識不明事件が起こっているのだから尚更と言うべきか。

メイ「はい、何もかも大きくて……凄い学校ですね」

 しかし、メイはその辺りの推察は敢えて隠し、当たり障りのない感想を述べる。

 目の前の教師……今日から自分の担任となる彼は一般教科が担当であり、
 自分の正体――魔法倫理研究院の諜報エージェントである事――は知らされていない。

 本当に十四歳の中学生だと思われているのだろう。

メイ<本当は二十三なんだけどなぁ……>

 本日、もう何度目かも分からない同じ愚痴を胸中で漏らす。

 ちなみに、五月には二十四歳の誕生日を迎える。

突風<………>

 悲痛ささえ感じる主の愚痴に、突風もコメントに窮した様子だ。



 そうこうしている間に目的の教室にたどり着いたのか、
 足を止めた教師に倣って、メイも足を止める。

 入口の上には“2-A”と刻印された表札がかけられている。

メイ(本当に二年生なんだ……アタシ……)

 捜査上の事とは言え、さすがに情けない気持ちになって来た。

 しかし、肩を落とすワケにもいかない。

教師「私が合図したら入って来て下さい。

   ああ、それと……みんな転校生には慣れているから、
   緊張しなくても大丈夫ですよ」

 教師の言葉にメイは頷いて“はい”と短く応え、彼の背中を見送る。

 僅かなざわめきが教室から漏れて来るのは、席を立っていた生徒達が慌てて自分の席に戻る音だろう。

 ホームルームが始まって自分が呼ばれるまではおそらく二分足らず。

 メイはその僅かな時間を利用して情報整理を始める。

メイ(中等部は一学級二十五名で一学年最大六学級。
   今はA、B、Cの三学級だけ……。

   魔法学科の成績順に上から割り振るから、A組って事は成績上位者クラスって事か……)

 まあ、一応プロではあるし、さすがにC組行きを免れただけでも良しとすべきだろう。

 編入基準となった成績に関しては、本條家が根回ししてくれた偽造書類のお陰なのだが、
 学生が習うような初歩魔導で遅れを取る事はないので実際にも問題無いハズだ。
   
メイ(中等部被害者十一人中、A組四名、B組四名、C組三名……。
   まあ、犠牲者の数は殆ど横並び……。

   手持ちの情報じゃあ、どのクラスに配属されても条件は一緒って所か……)

教師「揚さん、入って来て下さい」

 メイがそこまで考えを及ばせたのと同時に、教師から名を呼ばれた。

 分かり易い合図だ。

メイ「……失礼します」

 メイは軽く深呼吸してから、意を決して教室に足を踏み入れる。

 その途端、教室内が大きなざわめきに包まれた。

 転校生には慣れていると聞かされたのにこのざわつき様は、
 それ以外の理由と言う事に違いない。

メイ(うんうん、まぁ、そうでしょう、そうでしょう。
   いくら歳を偽っても、滲み出る大人の色香は隠せないって事よねぇ……)

 メイは感嘆にも似たざわめきに包まれた教室を、一歩一歩誇らしげに進む。

 幼い頃から平均的美人以上の顔立ちの姉貴分やら幼馴染みに囲まれていたが、
 これでも十人並みで収まらない程度の容姿である事は自負している。

 勿論、単なる自惚れではなく、対外的な評価を受けて生まれた確固たる物だ。

 小柄でスリムな体型。
 平均値以上の顔立ち。
 本條家と並ぶ魔導の名家の血統故の滲み出る立ち居振る舞い。

 それら三つが合わされば、他者から得られる賛辞はそう――

女子生徒A「……かわいいっ!」

メイ(あっるぇぇっ!?)

 ――予想と反した賞賛の言葉に、メイは思わずつんのめりそうになってしまう。

女子生徒B「何だか“可愛らしい”って感じの子だね?」

女子生徒C「そう? リボンでツインテとか狙いすぎじゃない?」

男子生徒A「なんだ? 嫉妬かよ?」

男子生徒B「女の嫉妬は怖いねぇ~」

女子生徒C「黙れ、男子!」

メイ<何か……さっきまでの予想と違う>

突風<あ、アハハハ……>

 生徒達の教卓の横に立ちながら胸中で愚痴るメイに、突風は乾いた笑いで誤魔化す。

 年齢に似合わぬ小柄過ぎる体型――出るべき……と言うか出て欲しい所の出ていない体型。
 平均以上の顔立ち――確かに綺麗ではあるが、幼さが抜けきらぬ少女らしい愛らしさ。
 名家の血統故の滲み出る立ち居振る舞い――など、元から無かった。

 それら三つが導き出す答は、同性の、それも十歳近く年下の少女達からの“可愛い”である。

メイ(う、嬉しいけれど……釈然としない……)

 メイはその場でがっくりと項垂れたくなる衝動に駆られたが、
 取り繕ったような笑顔を貼り付けて生徒達の方へと向き直った。

女子生徒D「緊張してるね……」

男子生徒C「き、緊張してる姿も可愛い……」

女子生徒C「鼻の下伸ばしてんじゃないわよ……もう」

女子生徒E「でも、可愛いなぁ……」

 賞賛、羨望、感嘆……リアクションの割合は何故か同性が多い。

教師「さあさあ、そろそろ静かにしましょう」

 ざわつく生徒達を軽く注意すると、教師はホワイトボードにマジックでメイの偽名を書いて行く。

教師「さあ、自己紹介をどうぞ」

メイ「……はい」

 その頃にはようやく気を取り直したメイは、車中でシミュレートした挨拶を思い出す。

メイ「台湾から来た、揚・明華です。メイって呼んで下さい。
   もう三学期も終わり近いですが、よろしくお願いします」

 出来るだけ、当たり障りのない自己紹介。

 潜入捜査の鉄則は“目立たず、騒がず、波立たせず”である。

 事前調査で他に台湾からの留学生は全学部全学年で三十七名。
 隣国、魔法倫理研究院加盟国と言う立地や条件もあって決して珍しい国籍ではない。

 直前に渡された資料通り、A組の二十一名の内半数は留学生であり、
 その中にも二人の台湾人が含まれている。

 当たり障り無く振る舞えば、特に問題無く埋没して行けるだろう。

教師「じゃあ、揚さんの席は窓側から二列目の最後尾になります」

 教師に視線で席を示され、メイもそちらに目を向ける。

 元々、幾つかの空席があったが、その空席の内に四つは意識不明事件の被害者の物だ。

 四名の列が四列、五名の列が窓際に四列で計二十一名。
 メイの席は教卓から向かって右側――窓から二列目の最後尾である五番目。

メイ(五番目の席なんて初めてだわ……)

 メイは自分の席に向かいながら心中で独りごちた。

 Aカテゴリクラスに在籍していた頃は、どんなに多くても生徒数は八名。
 二・三・三の配置だったので教卓からこんなに離れるのは初めての経験だ。

 とは言っても、学生と言う経験自体がもう十年近く前の話ではあるのだが……。

教師「あ~、委員長……藤枝君。
   揚君が慣れるまで君が面倒を見てあげて下さい。
   施設の案内もよろしくお願いしますね」

男子生徒D「はい」

 藤枝【ふじえだ】と呼ばれた男子生徒が、教師の言葉に応える。

 彼の席はメイの隣、窓際の最後尾だ。

メイ「よろしく、藤枝君」

 自分の席に着いたメイは、藤枝に会釈する。

男子生徒D(藤枝一真)「僕はクラス委員の藤枝一真。よろしく、揚さん」

 メイの挨拶に応え、彼も小さく会釈をした。

メイ(ま、クラス委員の名前くらいは調べて貰ってあるけどね)

 そう心中で独りごちながら、メイはこのクラスの簡単な情報を思い出す。

 彼の名前は藤枝一真【ふじえだ かずま】、日本人で十四歳。
 前述の通り、このクラスの委員長である。

 紗百合から渡された潜入先の資料として、メモ程度に書かれていた物で、
 顔を見るのは今が初めてだ。

 眼鏡をかけた素朴そうな顔立ちの少年なのだが、何故、眼鏡をかけているような彼が最後尾なのか?

 その理由は簡単だ。

メイ(身長デカ……っ!? 本当に中学生なの、この子!?)

 座ってはいるが自分の肩にまで届きそうな背の高さに、メイは内心で驚く。

 身長は目測でもゆうに一七五以上はあるだろう。

 個人差のためか、成長期が人より早く訪れる子供がいるのは珍しくない。

 実際、親しい所ではザックなどもその口で、Aカテゴリクラス卒業までには一七〇を超えていたハズだ。

 だが、十四歳の少年が一七五センチ超と言うのはそれなりに珍しい部類である。

メイ(東洋系にしちゃ身長高いわよね……。
   まぁ、一征さんもアレックスより身長あるからあんまり驚く事じゃないのかもしれないけど……)

 親しい男友達は大概、高身長だ。

 研究者ではあるが、あのアレックスも身長は一八〇近いし、
 一番身長の大きなザックはバスケットボール選手なのかと言う程の体格だ。

一真「えっと……教科書とかは、大丈夫だよね?」

メイ「ええ、さっき職員室で貰って来たばかりだから」

 一真の質問に応えながら、メイは先ほど貰ったばかりの教科書類を机にしまい込む。

 余談だが、ノートも筆記用具も必要な物は全て準備済みだ。

 潜入捜査に来ているとは言え、普段は怪しまれないように授業を受ける必要があるのだから当然である。

一真「そ、そっか……」

 どこか残念そうな様子の仮の級友の様子に、メイはふと思案する。

メイ(まあ、目立たないようにするのは必要だけど、人間関係はそれなりに円滑でないとね……)

 事件の性格上と情報の少なさを思えば、情報収集は不可欠だ。

 そして、情報収集に円滑な人間関係も不可欠である。

メイ「日本の授業は初めてだから、分からない所があったら教えてね、藤枝君」

 メイは出来るだけ自然な笑顔を浮かべて言った。

 人心掌握も立派な潜入捜査技術だ。

一真「あ……ああ、任せてっ」

 一真はどこか嬉しそうな笑顔を浮かべて返した。

 国際色豊かな学校でクラス委員を任せられるような少年だ。
 元々、人の役に立つのが好きなタイプなのだろう。

 だが――

メイ「………」

 その純粋な笑顔に、メイは思わず見とれてしまっていた。

突風<メイ! ちょっと、メイっ!>

メイ<はっ!?>

 呆けている事を察した愛器に名前を呼ばれて、メイは我に返り、慌てて前を向く。

メイ(な、何だってのよ………アタシ、節操無さ過ぎでしょ!?)

突風<まさか……メイ?>

 メイの心中での動揺を察してか、突風が怪訝そうな声を上げた。

メイ<い、いや、そんな事ないって!>

 思念通話で返すメイだが、
 まだ何の指摘もされていないのにその返答では“そんな事”があると白状しているような物である。

メイ(何考えてんのよ、アタシ……本気で節操無さ過ぎでしょ……。
   メガネだったら何でもいいのか!?)

 初恋の相手も、今や眼鏡の好青年。
 しかし、既に妻帯者どころか、来月には子持ちだ。

 失恋に関しては既に十年以上前にしっかりと折り合いも付けている。

 そして、当の一真は眼鏡の好青年……に見えるが、年齢的にはまだ少年だ。

 そう、少年なのだ。

メイ(相手は中学生、相手は中学生………)

 頭の中で念仏のようにその言葉を繰り返す。

 自分は二十三歳、相手は十四歳。

 十分、非実在とか関係無い方の都条例の射程圏内だ。

 卑しくもエージェント……法の代理人を名乗るなら、その辺りは自制するべきである。

メイ(相手は中学生、都条例、相手は中学生、都条例、相手は中学生、都条例………っ!)

 その二つの単語を脳内で繰り返し続けるが、それで一瞬のときめきを忘れ去れるなら、
 恋愛など言う文化はとうの昔に廃れているだろう。

突風<メイ………>

 半ば思考停止してしまった主の様子を察してか、突風は何と言えばいいやらと言いたげに主の名を漏らした。


 結局、ホームルームを経て一限目の授業が終わるまで、メイの思考が復帰する事はなかった。


 李・明風。
 自他共に認める“世界最速の魔導師”。
 恋の手練手管は奥手と鈍足を極めるが、肝心の恋に落ちるのは早かったのである。

―4―

 六限目の授業を終え、メイは一真に学内の施設を案内されていた。

 今は八角形をした三階建ての建造物の前だ。

一真「それで、ここが共同図書館。
   校門で入館許可を貰えば、外部の人でも利用できるから、
   たまにここで働いている人達の家族……近所の人も来てるよ」

メイ「うん……」

 どこか緊張気味の一真に、メイは生返事で返す。

メイ<色即是空、空即是色………。
   相手は中学生、都条例、ユニセフのおばちゃん、暴走都知事……>

突風<メ~イ~、せめて思念通話くらいはオフにしようよ~>

 水面下では、最早思念通話すらカットする余裕の無くなったメイに対し、
 突風が情けないと言いたげに漏らしていた。

 学園生活に慣れるためと言う事もあって、
 今日の所は、任務は後回しにすると言うのは当初の予定通りだ。

 突風もその辺りの事は分かっていたので、落ち着かない主に代わって周囲の人間の観察に専念していたのだが、
 まあ、この藤枝一真と言う少年は、確かにメイの眼鏡に適う人間と言うのは理解できた。

 顔は平均点よりは上。
 クラス委員だけあって学業優秀で人当たりも良好、授業態度も悪くはないと言うより真剣な部類。
 足運びを見る限り運動神経も決して悪くはなく、むしろ良い方だと分かる。
 簡易計測ではあるが魔力もCランク以上Bランク未満とそれなりに非凡だ。

 彼女の初恋の相手であるアレックスと、幾らか合致する点が無いワケでもないが、
 そのくらいの人間、探せば一人や二人は見付けられそうとも思える。

突風<やっぱり……決め手は眼鏡かしら?>

メイ<とじょぉれぇぇいっ!>

 怪訝そうな愛器の言葉に、メイは一際大きな声を心中で轟かせた。

突風<もう……好みのタイプと遭遇して浮かれるのも無理無いけど、
   一応、人が一人死んでるのよ?

   あまり気を抜かないでね>

メイ<ッ!? ………ゴメン……>

 呆れたような愛器の声にメイは息を飲み、重苦しい声で謝罪した。

 確かに、突然の事で動揺したとは言え、浮かれ過ぎだったかもしれない。

 メイにして見れば楽な部類の任務なのだが、
 さすがに今の浮かれ様は無くなった公安職員に対して不謹慎だろう。

メイ(アタシってヤツは、もう……)

 自分の軽薄さを詰るように、メイは心中の溜息と共に顔を俯けた。

 冷や水を浴びせかけられた気分だが、むしろそのくらいで丁度良い。

 楽な部類の任務であろうとなかろうと、
 初日から気が抜けているようでは先が思いやられるからだ。

 だが――

一真「……揚さん、大丈夫?」

 そんな事情を知らない一真には、不意に顔を俯けたメイの様子が気になったのか、
 足を止めてメイへと振り返り、心配そうに尋ねて来る。

メイ「あ、うん……何でもないよ、大丈夫」

 メイは出来るだけ平静を装って笑顔で応えた。

 没個性として埋没する必要はあるが、悪印象を与えるのは逆効果だ。

一真「……あ、ごめん」

 しかし、一真はその面倒見の良い性格故か、
 メイのその態度が嘘の類である事を見抜いたようだった。

一真「転校初日で疲れてるよね。

   自販機で何か飲み物買って来るから、
   そこのベンチで座って待っててよ」

 だが、その真意全てを見通す事は出来なかったのか、
 一真はそう言い残して自販機に向けて走り出す。

メイ「………あ……」

 一真の行動に驚いた事で彼を止めるタイミングを逸したメイは、
 一人その場に取り残された。

突風<気の利いてる所も良いけど、意外と鋭い子ね。
   まあ、観察力はあっても洞察力はまだまだって感じかしら?>

 突風は驚きと微笑ましさの入り交じった声音で呟く。

メイ<……アタシがあの子と同い年だった頃に比べれば、
   まだ空気が読めてる方かもよ……>

 メイも愛器の言葉に応えながら心中で溜息を漏らし、
 一真が指し示した一人掛けのベンチに腰を下ろした。

 2001年の四月にエージェントとなってからそろそろ丸十年。

 損耗率の高い諜報エージェントの中ではそろそろ中堅以上と言っても良い年齢のメイだが、
 インターンの頃を含め、新人時代は先輩のCランクエージェントによく怒鳴られていた物だ。

 場の雰囲気を読み、その場に融け込む事。
 思考と判断は常に冷静に。

 候補生時代は常に騒ぎの中心にいるような目立ちたがり屋だった事もあり、
 その辺りのさじ加減を覚えるのには苦労した記憶は忘れられない。

メイ<案外、あの子ってば諜報エージェント向きかもね……。
   まあ、実際の進路は大学まで進んで、公務員か民間企業なんだろうけど>

 陸海空の自衛隊や警察、果てはレスキュー隊にも、魔法専門の特殊部隊が新設される噂は聞いている。

 昨今の魔法関連で緊迫する世界情勢的にはあり得ない話ではない。

 民間の警備会社ですら、魔法に関した防備の相談を研究院に持ちかけてくる世の中なのだ。

 彼のように成績が良ければ大学へ進学し、官民問わずに引く手数多の逸材に育つだろうし、
 もしもそうなれば十中八九、彼の進路はそう行った方面になるだろう。

突風<あら? フリーランスって線もあるんじゃない?>

メイ<それは無いでしょ。
   危険な仕事だもの。

   最近の日本の子供はその辺のリスクだってしっかりと考えてるわよ>

 愛器の言葉を否定しながら、メイは自分の仕事が死と隣り合わせである事に思いを馳せた。

 エージェントの業務は死の危険をいつも孕んでいる。

 実力に反比例して平均的な危険度は下がって行くだろうが、
 それでも今の自分よりも上の実力を持っていたエレナは八年前に亡くなっているし、
 メイ自身もグンナーショックの際にはゲヴィッターとの戦いで死を覚悟する程だった。

 元よりエージェントを目指しているならともかく、
 “適正があるから”程度で目指して良い道ではないのだ。

突風<そうかしら?
   でも、逸材だとは思うけれど……>

 突風がどことなく残念そうな声を漏らした直後、
 両手に清涼飲料の缶を持った一真が戻って来た。

一真「お待たせ!
   っと、何も聞かずに買って来ちゃったんだけど、どっちが良かったかな?」

 慌てた様子で戻って来た一真は、申し訳なさそうに二つの缶を差し出して来る。

 一方はメイもよく飲んでいるメーカーのレモンティー、
 もう一方は同じメーカーのフルーツジュースだ。

メイ「じゃあ、コッチを貰うね。
   ありがとう」

 メイはレモンティーを受け取って礼を言うと、栓を開けて飲み始める。

一真「良かった……。
   揚さん、お昼もこのメーカーのストレートティー飲んでたから」

 メイの隣のベンチに腰掛けながら、一真は安堵の声を漏らした。

突風<へぇ……たった一日で隣の席の女子の好みを把握するなんて、
   気の利く子、って言うか目端の鋭い子ねぇ。

   案外、この子も満更でもないんじゃない?>

メイ<さっきアタシに“浮かれるな”って言ったのは、何処の誰よ!?>

 戯けたような調子の愛器に、メイは笑顔を崩さずに思念通話で怒鳴る。

 とは言っても、これも突風なりの気遣いだ。

 任務は真面目にこなせ、と叱咤。
 だが、脈もありそうだ、と激励。

 九歳の頃から十四年以上も連れ添った愛器なのだから、
 その辺りはメイも理解しているつもりである。

 そしてその一方で“満更でもない”などと聞かされたら、妙に意識してしまう。

メイ(都条例、相手は中学生……)

 頬を染めて顔を俯け、再び念仏が始める。

 しかし、主従の思念通話を知らぬ傍目には、照れて俯いている初心な少女にしか見えない。

一真「えっと……図書館、体育館、特別教室棟やクラブハウスも見て回ったし……これで終わりかな?」

 会話が途切れてしまった事で、一真は指折り施設を数えて行く。

メイ「案内してくれてありがとう。
   助かったわ」

 脳内で煩悩退散の念仏を唱えながらも、メイは慌てて笑顔で礼を言う。

 広い施設の案内には一時間もの時間を要した。

 時刻は午後五時過ぎ。
 既に日は傾き、空は茜色に染まっている。

 最終下校時刻まではもう三十分と言う所だろう。

一真「この学校は広いからね、早く覚えないと迷子になっちゃうだろうから」

メイ「本当……。
   こんな広い学校は初めてだよ」

 肩を竦めて言った一真に、メイも苦笑いを浮かべて応えた。

 メイは改めて校舎や施設の構造と配置を思い浮かべる。

 広い敷地に充実した数々の設備。
 理想的な学園と言えるだろう。

 しかし、まだ職員も少なく、その全てに目が行き届いていないように思える。

 四年後に本部移転が決まった懐かしき我が学舎とは、良くも悪くも正反対だ。

メイ<被害者に薬物を皮下注入された痕跡は無し……。
   事前調査通り経口型の薬物なんだろうけど、
   無理に飲ませたとするなら、犯行現場の絞り込みは難しいわね……>

突風<案内された範囲や、休み時間や教室移動の際に確認できただけでも、
   監視カメラのカバー率は八割強。

   学校としては決して低い監視率じゃないわ>

 事件の推理を始めたメイに、突風がそんなデータを加える。

 監視カメラの有無や数は確かに自分も見ていた。
 少ない人の目でも、ほぼ確実に全域をカバー出来るだけの設備があると言う事だ。

 監視カメラや警備センターが二十四時間稼働である事は、
 事前調査の報告書にも入っている。

 そうなると、最初に立てた“無理に飲ませた”と言う推理は最初から間違っていると言う事だ。

メイ<………となると、直接的な暴行による経口摂取の可能性は低い?
   ……まさか、飲めば意識不明になるような薬を自発的に飲んでるって事?>

 自分で推理しておきながら、まるで意図が分からないと言いたげに、
 メイは心中で肩を竦めて溜息を漏らした。

 それではハッキリ言って、ただの自殺だ。

突風<騙されてたって線は?>

メイ<役に立つ薬だって聞かされて飲んだって事?

   そりゃ、いくら何でも…………………あり得るわね>

 突風の推理に、メイは同意する。

 公安職員の集めた捜査資料は、デジタル、アナログに至るまで全てが抹消されていた。

 安易に“全て”などと言う単語が出る理由は、
 隠している物が無いかを“隅々まで探られた”痕跡があったからだ。

 発見者から医療機関にまで箝口令まで敷かれた職員の遺体写真は、
 口で説明するのも憚られるほど悲惨な状態だった。

 そこまでする手慣れた犯人の事だ。
 ありとあらゆる手練手管を用い、嘘八百を並べ立て、
 被害者に薬を飲ます事など容易いだろう。

メイ<一筋縄ではいかない事件とは思っていたけど、
   随分ときな臭い事件になりそうだわ……こりゃ>

 眉間に手を当てて唸りたい気持ちを抑えながら、メイは小さく息を漏らした。

 その瞬間である。

少女の声「あぁ~!? こんな所にいたっ!」

 不意に響いた少女の声に、メイと一真は振り返った。

 二人が振り返った先にいたのは、仁王立ちの少女だ。
 服装を見る限りはこの学校の生徒のようで、ショートボブがよく似合っている。

 本来はその活発そうな髪型に似合う、朗らかな表情を普段から浮かべているのだろうが、
 今はどこか怒ったようにムッとした表情を浮かべていた。

少女「カズ君!
   もう下校時刻になるのに、まだこんな所でフラフラして!」

一真「ゆ、優実姉ちゃん……」

 少女に怒鳴りつけられ、一真はたじろいだ様子でベンチから立ち上がった。

 一真に“姉ちゃん”と呼ばれた少女――優実【ゆみ】に、メイは視線を向ける。

 胸元の校章は銀色、リボンは青。
 どうやら中等部の三年生――自分達からすれば先輩のようだ。

メイ<彼のお姉さん……いや、幼馴染みかな?>

 自分も似たような境遇で育って来たメイは、直感的にその結論に至った。

少女(優実)「って、あら……ほ、他に人がいたのね……。
       ご、ごめんなさいね~」

 と、ここでようやくメイの存在に気付いた――どうやら一真しか眼中になかったようだ――優実は、
 慌てて体裁を取り繕うように誤魔化し笑いを浮かべた。

メイ(あ……何か親近感……)

 少女の態度にメイは思わず顔を綻ばせそうになる。

 自分やフランと――どちらかと言えば姉貴分に――似た雰囲気を持った少女だ。

優実「もう、デートだったなら素直にそう連絡してくれたらいいじゃないの」

 優実はニンマリと悪戯っ子のような笑みを浮かべ、動揺している一真の脇腹を肘で小突く。

一真「そ、そんなんじゃないって!?」

 対して、一真は顔を真っ赤に染めて全力で否定した。

 そして、さらに続ける。

一真「転校生の案内をするように言われて、案内してただけだよ!」

メイ(まぁ、事実その通りなんだけど、そこまでハッキリ否定されると傷つくかなぁ)

 一真の必死の弁明を聞きながら、
 メイは困ったような表情を浮かべながらも、胸中では肩を竦めていた。

優実「あら? そうなの?」

 優実は意外そうな、だが少しだけ安堵したような表情を浮かべた。

一真「そうなの!」

 一真は夕日に照らされる中でも分かるほど顔を真っ赤に染める。

 そして、深く深呼吸して落ち着き直すと、メイに向き直った。

一真「ご、ごめんね、揚さん。

   紹介するよ。
   この人は城嶋優実さん。
   僕らの先輩で、僕の実家の近所に住んでる幼馴染みのお姉さん」

優実「城嶋優実よ、よろしくね」

 一真に紹介され、優実はメイに向かって一歩進み出て、手を差し出して来る。

 一瞬呆気に取られたメイだったが、すぐに笑顔を浮かべて立ち上がると、
 差し出された手を握り返す。

メイ「台湾からの留学生の揚・明華です。
   よろしくお願いします、先輩」

 メイ自身、この手の手合いは嫌いではない。

 目は澄んでいるし、決して腹に一物抱えた類の人間でない事は一目瞭然だ。

メイ(城嶋優実……事前調査には記載無し、か)

 そう思う一方で、メイは記憶の中にある事前調査資料の名前一覧を思い出す。

 城嶋優実【きじま ゆみ】。
 その名前に見覚え、聞き覚えは共に無し。

 被害者生徒との繋がりも皆無。
 この学校の在校生である事を除けば、完全に事件とは無関係の人間だ。

優実「いやぁ、一瞬、奥手なカズ君にもついに女の子の友達が出来たかと思ったけど……」

一真「ゆ、優実姉ちゃん!?」

 からかうような表情と声音の優実に、一真は困惑気味に返す。

 優実がこの場に現れてからと言うもの、一真は彼女に翻弄されっぱなしだ。

突風<事件とは関係無さそうだけど……これはまた……>

 二人の様子を見ながら、突風が何ともばつが悪そうな声を漏らした。

 その声の理由は、メイにも大方の予想はついている。

メイ<………ああ、いいよ、慣れてるからさ>

 メイはそう応えながら、愛器にも悟られないような深いため息を心中で漏らす。

 優実が現れた瞬間から、何となくの予感はあった。

 今日一日接してみて、藤枝一真と言う人間はよく出来た人間だと思う。

 繰り言だが、品行方正、文武両道、
 加えて、その気さくな人当たりの良さから敵を作らないタイプの人間だ。
 飲み物の好みを察してくれる目端の良さから、相応の気遣いも出来るタイプだと分かる。

 ポーカーの手札で言えばスペードのストレートフラッシュ。
 ロイヤルに届かないのは顔があと少し美形ならと言う所だろう。

 そんな人間に恋人がいないのがおかしいのだ。

 そして、彼の狼狽ぶりを見れば、恋しい相手はこの優実だと分かる。

メイ<アタシの手遅れは今に始まった事じゃないしね……。
   むしろ、これからは変に意識せずに済むよ>

 メイは諦観にも似た達観の言葉を心の中で紡ぐと、
 からかうような笑顔を貼り付けて、優実と共に一真を見遣った。

突風<メイ……>

 どこか自棄になったような主の様子に、突風はもの悲しそうな声音でその名を呼ぶ。

メイ「よろしくお願いしますね、城嶋先輩」

 しかし、メイは敢えてその声を聞き流し、笑顔のまま優実へと向き直った。

優実「こちらこそよろしくね、揚さん」

 優実も弾けるような笑顔で応える。

 彼女はやはり見立て通りに裏表の無い人なのだろう。

 そんな人間を嫌いになる事は、どうやら自分には難しいようだ。

 思えば、結の事だって友人として大切に思っていたし、
 数年前はまるで先に進んだ様子もないアレックスとの関係を心配した事もある。

メイ(アタシの敗因は、多分、これなんだよなぁ……)

 メイは自嘲気味にそんな事を考えていた。

 恋敵を恋敵と思う事が出来ない性分。

 恋敵が最悪に性格の悪い人間ならば、
 それこそ“奪ってやろう”と意気込む事も出来ただろう。

 ザックの際のロロしかり、アレックスの際の結しかり、
 そして、今回の一真の際の優実しかり。

 自分の恋はいつも手遅れで、手遅れになっている間に恋敵を気に入ってしまうのだ。

 それはきっと、悪い癖で恋の敗因に他ならない。

メイ<まあ、たった一日で良い友達が二人できたと思えば、
   差し引きでプラスって事で問題無いでしょ>

突風<………>

 努めて明るい主の言葉に、突風は今度こそ言葉を紡げなかった。

優実「っと……まったりしてる場合じゃなかったわ!?
   下校時刻過ぎたら閉門しちゃうし、急いで帰りましょう!」

 優実は思い出したように、大慌てで叫ぶ。

メイ<突風?>

突風<うん……一応、十七時三十七分。
   閉門時刻まであと二十三分>

 メイの問いかけに、突風は少しだけ控え目な声音で応えた。

 急げば十分に間に合う時間だが、確かにまったりとしている場合でもないのも確かだ。

優実「ほらっ、二人とも早く鞄取って来ないと!」

一真「あ、うん。
   行こうか、揚さん」

メイ「ええ、急ぎましょ」

 優実に急かされた一真に促され、メイも教室へと向かった。



 こうして、メイの二度目……彼女自身だけが否定する物も含めて三度目の恋が終わり、
 仮称・国立国際魔法学院連続意識不明事件の捜査は幕を開けた。

―5―

 捜査開始から一ヶ月後。
 国立国際魔法学院――

 端的に言えば、事件の捜査は行き詰まっていた。

 調べられている事が分かった途端、全ての証拠品を抹消した犯人グループ。

 そんな彼らに気取られる事無いよう続ける捜査は、
 まあスパイらしいと言えばスパイらしい仕事だったが、
 限られた手法だけで続けるには無理もあるのだ。

 留学を装っての潜入翌日から本格的に始まった捜査は、
 先ずは現場の遺留品調査と被害者の身辺捜査の二つから手を着ける事になった。
 
 深夜、学生寮の消灯時間を過ぎてから学園敷地内や他の寮へと忍び込んでの実地調査である。

 そこで得られた情報は、彼らにこれと言った共通点が乏しいと言う事である。

 所属している部活に関連性は薄く、交友関係も深浅広狭を問わず。
 出身国別で見れば日本人が多いのは、国内と言う立地上は当然と言えた。

 共通点が少ない事が共通している、と言える有様だ。

 捜査は本格的な行き詰まりの様相を呈していた。



 3-Aの教室――

メイ<あ~……何、平和に授業受けてんだろ……>

 メイは姿勢と表情だけは真面目に、ノートは事務的に写していた。

 現在の授業は魔法史。
 学生時代にはお世辞にも得意な科目とは言えなかったが、
 それでも今の授業でやっているような初歩の初歩は八歳の時点で学習済みだ。

 だが、学生として潜入している以上、怪しまれないように授業を受ける必要はある。

 捜査が停滞している間に学年も繰り上がり、先週から三年生だ。
 ちなみに、クラスも成績順と言う事でA組のままである。

 クラスの面子は一人二人が入れ替わった以外は殆ど代わり映えもなく、
 学年全体では五、六人の転校生を受け入れた程度だ。

突風<頼まれていたデータベースの検索、終わったわよ>

メイ<お、待ってました>

 突風からの報せを受け、メイは姿勢を整える振りをしてやや前のめりになる。

 腕時計型の簡易ギアを視線だけで自然に覗き込める姿勢になると、
 そこに突風の調べたデータが羅列されて行く。

メイ<………おっ、こりゃビンゴっぽいかな?>

突風<ええ、ようやく当たりを引き当てたっぽいわね>

 喜色を示したメイに、突風も深く頷くように言った。

 突風が調べていたデータは、被害者達の成績だ。

 本来ならば生徒が無許可で閲覧すれば多大なペナルティを課せられるデータだが、
 この程度のハッキングは潜入捜査専門のメイの愛器である突風には朝飯前である。

 ネットワークと隔絶されたスタンドアロン形式のPCに入力されているデータだが、
 魔力による通信回線を用いて一方的なワイヤレス通信を構築すれば、
 こうしてアクセスする事など容易いし、閲覧履歴も残らない。

 アレックス謹製の第八世代ギア……WFX003-突風のハッキング能力は伊達ではなかった。

 万が一、仮に閲覧した事が発覚しても、学園の上層部が直ちにもみ消してくれる算段だ。

メイ<……被害者の魔法実技の成績、軒並み上昇してるわね>

突風<ええ、間違いないわ。

   魔力量が平均して三〇%増。
   一番伸びてる子だとほぼ二倍。

   例の薬物がドーピング効果のある物って可能性、これで強くなって来たわね>

 突風の解析を聞きながら、メイは授業に頷いている風を装って頷いた。

 捜査序盤で思い至ったのは、被害者が自発的に薬物を経口した可能性である。

 ドーピング効果があるからこそ経口し、
 そして、その副作用によって倒れたとするのが現時点では最有力だろう。

 魔法の知識が一般に知られるようになってから三年と五ヶ月。

 魔力量の上昇度合いには個人差がある事は知られているだろうが、
 短期間の大幅上昇はさすがに目立つ要素だ。

 それでも無くは無い事例でもあるため、教師達も見逃してしまったのだろう。

 ちなみに、この場で言う“見逃してしまった”は生徒個人の成績であり、
 被害者の共通項と言う意味ではない。

 それもそのハズ、被害者生徒達の魔力向上から意識不明までには数ヶ月のタイムラグがあり、
 魔力向上から倒れるまでの期間も様々だ。

 これを関連性の一つに数える者も今までにはいただろうが、
 成績向上と意識不明の直接的関連性が薄まるまでの期間が存在する事と個人差によって、
 最終的な可能性としては見過ごされてしまっていたのである。

 逆にそれ以外の切り口から捜査を始めていたメイは、
 この事と経口薬品を関連づける事に成功したと言っていい。

 悪く言えば偶然だ。

 だが、公安局が忍び込ませた局員は同じくこの可能性に行き当たり、
 そして、その事を犯人グループに気取られたが故に殺されたのだ。

突風<さて……ここからはより一層、慎重に行動ね>

メイ<まあ、逆に襲いに来てくれた方が楽なんだけどね>

 愛器の言葉に、メイは肩を竦めるように言った。

 確かに、相手が大人数だろうが、メイには十二分な勝算がある。

 だが、逆にその事を気取られて、犯人グループに逃げられては元も子もないのも確かだ。

メイ<……地道に捜査を続けるしかない、か>

 メイは心中で溜息を漏らした。

 捜査の新たな切り口が見付かったのだから、何らかの進展も望めるだろう。
 今は不用意に焦らない事が重要である。

 授業も終盤に差し掛かり、グループディスカッションの時間となった。

 予め決められた班ごとに机を並べ替えての討論会だ。

 メイの所属する班は、彼女以外には一真、
 フランスからの留学生のコレット・ローラン、
 アメリカからの留学生のブラッドリー・カーペンター……通称ラッドの三人がいた。

 教師から与えられた議題は、魔法文明の文化水準についての考察だ。

コレット「魔法文明って古代エジプト文明以前のアフリカ大陸の文明でしょ?
     原始人……とまでは言わないけど、普通に原始的な生活してたんじゃないの?」

ラッド「そうとは限らないんじゃいか?
    メソポタミア文明よりは新しい文明なんだし」

一真「僕もラッドの意見に賛成だな。

   現代社会が魔法一つで翻訳も無しに多言語コミュニケーションできるまで発達したんだから、
   いくら古代の文明だからと言って、魔法の恩恵無しだったなんて考え難いよ」

 コレット、ラッド、一真の三人がそれぞれに意見を出し合う。

メイ(結の見た夢が完全に過去の記憶に一致してると、
   蝶番の扉が作れるレベルの文化水準なんだよねぇ……)

 彼らの意見交換を聞きながら、メイは心中で苦笑いを浮かべていた。

 混乱を避けるため、未だに一般人には詳しく説明されてはいないが、
 古代魔法文明は現代文明よりもずっと発達した異世界からの転移者だと言う資料が存在している。

 さらに、メイは彼女自身の知り合いに四人もの“古代魔法文明の遺伝子保持者”がいる上に、
 当の古代人の記憶を転写されたクリスに至っては、正に古代魔法文明の生き証人であると言って良い。

 だが、まあ、無駄とは知りつつもグループディスカッションの趣旨は、
 事の正否以上に、活発なコミュニケーション能力の育成と、考察能力の強化にある。

 一応は生徒でもあるし、同じ班の若者達の育成のために討論に参加するのも年長者の努めだ。

メイ「ただ、逆に魔法が便利だからこそ、発達しなかった部分もあるんじゃないの?

   物を運ぶにも物質に直接干渉できる魔法を使えば済むし、
   滑車やテコの原理が発達したとは考えられないじゃない」

コレット「ああ、それ有りそう。
     だとすると、大きな遺跡が残っていない事にも信憑性が出るわよね」

 メイの意見を聞いたコレットが、納得したように言った。

メイ(ま、遺跡の類は殆ど全部、研究院が秘匿してるんだけどね)

 さすがにコレばかりは、一般に知られて良い情報ではないので致し方有るまいと、
 メイはその言葉を飲み込んだ。

一真「それなら逆に見付からない場所に作った、
   って可能性もあり得るんじゃないかな?

   他にも、現地の人達の手で隠されていたり……」

ラッド「まだ見ぬ遺跡か……浪漫があるな」

 一真の意見に、ラッドが興味深そうに頷く。

メイ(本当に、コイツは一々鋭い所を突くなぁ……)

 メイは一真の意見に聞き入るような振りをしながら、心の中で舌を巻いていた。

 言われて見ればそうだ、筋道立てて考えればそうだ、と言う情報を、
 人に先んじて自分の意見として言えるのはそれはそれで一つの才能である。

 伊達に今年度もA組委員長をやっているワケではないと言う事だろう。

 ただ、この手の手合いが年に数人と言う割合で、
 世界の裏側に首を突っ込んでは魔法倫理研究院に保護される結果となるのだ。


 数分の間続いた討論は、授業終了のチャイムと同時にお開きとなり、
 班毎の結論を統括し、次回の授業で発表と言う形となった。

コレット「ねぇ、メイファ。
     お昼どうする?」

メイ「ん~、とりあえず購買。
   あとは、まあ、いつもの流れ」

 授業終了後、机を元に戻している最中にコレットから声をかけられ、
 メイは思案気味に返す。

コレット「いい加減、肩身狭くない?」

 メイの返事に、コレットは心配半分呆れ半分と言った風に呟き、さらに続ける。

コレット「クラブの先輩が城嶋先輩と同じクラスなんだけど、
     やっぱり歳の離れた彼氏がいる、って言ってたって聞いたわよ?」

 コレットはそう言うと、“それってカズマの事なんでしょ?”と小声で耳打ちして来た。

メイ「ハッキリとは聞いた事はないけど、だろうね」

 お節介なクラスメートに、メイは肩を竦めて応えるが、
 そんな事は言われずとも先刻承知だ。

 因みに、メイの言う“いつもの流れ”とは、
 購買部で食事を調達した後、一真や優実と合流しての昼食である。

 怪しまれないようにある程度自然に学校に融け込む必要があり、
 尚かつ、親しい間柄と言う事を活かして校内の噂をそれとなく仕入れるチャンスでもあるのだ。

 と言うのは裏向きの建前であって、表向きの本音としては、
 初見で嫌いになれないと感じた事もあって、友人――優実の誘いを断りがたいと言う理由でもある。

 端から見れば、恋人同士の間に割って入るお邪魔虫、と言った所なのだろうが、
 誘って来るのが当の優実である事はあまり周知されていないようだ。

メイ「まあ、城嶋先輩はいい人だからね。
   あんまり気負ったりせずにいられて、楽っちゃ楽だよ」

 嘘偽り無く、それはメイの本音だった。

 優実は一真に対してお節介を焼きたがるきらいがあるが、
 基本的には大らかで後輩思いの良い先輩だ。

 昼食を一緒に、と誘ってくれるのも優実とは気が合うと言うのが大きい。

コレット「まぁ、メイがそう言うなら、私からは何も言えないけどさ」

メイ「ん、気ぃ遣わせちゃって悪いね。
   後でジュースでも奢るよ」

 どこかまだ心配そうなクラスメートにそう言い残すと、
 メイは席を立って購買部へと向かった。

 実際、メイが優実の誘いに乗って昼食を一緒にしているのは、
 単に彼女から噂話を仕入れるだけが目的ではない。

 昼食は体育館前の広い芝生の上で食べるのだが、
 全校生徒達に広く開放されている区画であるため、他にも多くの生徒達がいる。

 そこで突風に集音させる事で、広く噂話を仕入れる事が出来るのだ。

 無論、話の九分九厘以上――ほぼ百パーセントは他愛のない話だが、
 時折事件に関する話題も拾う事が出来る。

 それも取るに足らない噂話なのだが、
 犯人達の凶悪な性質上、足を使っての捜査が難しい事もあって、
 メイにとっては貴重な情報源でもあった。

 ただ、それも本音上の建前だ。

メイ(お邪魔虫、か……アタシって、やっぱ未練たらたらなんだなぁ……)

 常々、自分で感じていた自身への評価を、メイは胸の中で反芻する。

 傍目どころか、自分自身から見てもそうとしか思えない。

 別に校内の噂話を仕入れるならば、
 昼休み中、散歩を装って校内散策をした方がより効率的に決まっている。

 だと言うのに、優実に誘われた事を口実にして二人と一緒に昼食を摂るのは、 
 心のどこかで、一目惚れした相手の傍にいられる事に、
 やはり微かでも強い悦びを感じている事は分かっていた。

 アレックスと結の時だって、何年も前に割り切ったつもりでいたのに、
 グンナーショックの際には隠し続けて来た思いを、未練たらしくも思わず叫んでしまった程だ。

メイ(……自己嫌悪だわ)

 色々と思い出したくもない事でもあって、メイは思わず溜息を漏らしてしまう。

突風<大丈夫、メイ?>

 主の溜息にその思いを察してか、突風が心配そうに語りかけて来る。

メイ<まあ、お馴染みの軽い“はしか”みたいなモンだよ。
   そう……“はしか”みたいなモン……。

   捜査の進展もあったから、近い内にこの学校ともおさらばだろうし、
   そうすりゃ、また忙しい仕事が毎日待ってるし、すぐに忘れるさ。

   アレックスみたいに、頻繁に顔を突き合わせるワケじゃないしね>

突風<………>

 どこか説明じみたメイの言葉に、突風は押し黙ってしまう。

 だが――

突風<たまには約束くらい断ってもいいじゃない>

 ――主の心を案じてか、その言葉を捻り出す。

 ギアにとっては主のメンタルケアも重要な仕事の一つだ。

メイ<八つも年下の女の子とは言え、一応、立場的にはアタシの方が後輩だからね~。
   先輩のお誘いは断れないさ>

 しかし、メイはそんな愛器の気遣いを冗談めかした口調で否定した。

突風<メイっ!>

 対して突風も、咎めるような口調で主の名を叫ぶ。

メイ「ッ!? ………」

 十四年以上の付き合いがある愛器だが、
 こんなに真面目な声で怒鳴られたのは初めての事で、
 メイは思わず息を飲んで黙り込んでしまう。

 僅かな沈黙が二人の間に過ぎる。

メイ<………今日で最後にしておくよ。
   潜入捜査で現地の人とあんまり親しくなり過ぎるのも、
   プロとしちゃあり得ないしね……>

 しばらくして口を開いたメイは、どこか寂しそうな口調で言った。

 愛器が自分の事を気遣ってくれているのは百も承知だ。

 しかし、そうであっても割り切れない感情だってある。

 恋心など、早々に割り切れる類の感情ではない。

 だが、悩んでいる自分のために珍しく声を荒げてくれた愛器の、
 その真摯な思いを無碍にするのはやはり躊躇われた。

 ただ、気持ちを整理するための時間が欲しい。

 それ故の“今日で最後”だ。

 捜査の進展も有ったのだ。
 そろそろ、少し行動パターンを変えて見てもいいだろう。

 後は、変な噂が立って動き難くならないように、今後の誘いを丁寧に断れば良い。

メイ<じゃあ、最後の学生生活を楽しむために、
   今日は奮発してカツサンドとやきそばパンとビーフカレーパンでも買って行こうかしらね>

突風<いくら費用が支部持ちだからって、あんまり贅沢しちゃ駄目よ……?>

 ようやく、いつも通りの戯けた調子に戻った主に、
 突風は少しだけ呆れたような声を漏らす。


 宣言通り、購買でカツサンドとやきそばパン、さらにビーフカレーパン、
 計四三〇円の商品を購入したメイは、自販機でいつもの紅茶を購入して待ち合わせ場所へと向かった。

―6―

 メイが待ち合わせ場所にたどり着くと、
 そこには先に教室を出ていた一真が一人待っていた。

メイ「あれ? 一真だけ?
   先輩は?」

一真「寄って来る場所があるからほんの少し遅れるって、
   さっきメール貰ったよ」

 辺りを見渡しながらのメイの質問に、一真は僅かに肩を竦めて応えた。

 昼休み……と言うか昼食時だと言うのに、一真はペットボトルのお茶以外は手ぶらだ。
 手持ち無沙汰なのか、ペットボトルを玩んでいる。

 手ぶらと言うのも、一真の分の昼食は、
 優実がいつも二人分の手作り弁当を持参するためだ。

一真「こう言う事があるから、僕も購買か学食で済ませたいんだけどなぁ……」

 一真は小さく溜息を漏らす。

 高等部で一人だけクラスの違う優実とは時折、集合時間にズレが生じる事がある。

 今日はそんな事はないが、これが体育や魔導戦実技の授業があった日だと最悪だ。

 まだまだ育ち盛りの、それも人一倍身体の大きな十四歳の少年には堪えるだろう。

メイ「そんな事言ってると、また先輩に言われるよ……。
   ”カズ君の面倒を見てくれ、って、おばさまに言い付かってるんだからね”って」

 溜息がちな友人に、メイは既に幾度か聞いていた優実の口癖を真似た。

一真「それはコッチの台詞だよ……」

 一真はさらに盛大な溜息で応える。

 まあ確かに、出逢いの時からしてそうだったが優実は面倒見は良いが、
 自分自身がそそっかしいと言うか、所謂“慌てん坊”である事は確かだ。

 甲斐甲斐しくそのフォローに回っている一真を見るのは、
 少し微笑ましいとすらメイは感じていた。

メイ「けど、先輩が手作りで済ませてくれるから、
   食費だってかなり浮いてるんでしょ?」

一真「まあ、そうなんだけど……」

 メイににこやかに正論で返されてしまった一真は、
 そろそろ空きっ腹が気になりだしたのか、肩を竦めながらお腹をさすり始める。

メイ「良かったら、カツサンド一つ食べる?」

 一真の隣に腰を下ろしたメイは、
 そう言って袋に二つ入っていたカツサンドの一つを手渡す。

一真「いいの?」

メイ「ん~、まあ、色々あって少し多めに買ったからね。
   たまにジュース奢って貰ってるし、そのお礼も兼ねてって事で」

 怪訝そうに尋ねて来る一真に、メイはにこやかに返した。

一真「えっと………」

 一真は途端に辺りを見渡し始める。

メイ「先輩ならまだ近くにはいないよ」

 そんな一真の様子に、メイは溜息がちに呟いた。

 これは周囲の魔力を探査してみた上での事実だ。

 今はどうやら図書館辺りにいるらしい。

一真「あ、いや、そう言うんじゃなくて……」

 しかし、一真は顔を真っ赤にして口ごもる。

メイ「友達同士だし、お弁当の取りかえっこくらいは普通でしょ?」

 メイは少し呆れたように言いながら、胸中で“そう、友達同士なんだから”と反芻した。

 改めて、こう言う事を再認識する言葉はキツい。

一真「……そっか、そう、だよね。
   友達同士なら、普通に“有り”だよね」

 一方、一真はその言葉で落ち着きを取り戻したのか、
 どこか自分に言い聞かせるように言って、メイからカツサンドを受け取る。

 一瞬、手が触れたような気になったのは、メイの気のせいだろう。

メイ(アタシってヤツは……本当に女々しいな……)

 言い聞かせるような一真の言葉もあってか、メイはどこかナーバスな気持ちを抱えて、
 胸中で長い長い溜息を漏らす。

 だが、表情には決して出さずにやり過ごした。

 優実が到着したのは、メイと一真がカツサンドを食べ終えた直後だった。

 図書館の方からやって来る、優実の姿を視界に捉え、メイはそちらに振り向く。

優実「カズ君、メイちゃん、お待たせ~」

 優実は申し訳なさを滲ませつつも、どこかあっけらかんとした調子で言った。

メイ「せんぱ~い、遅いよ~」

優実「いや~、ごめんごめん」

 合わせて戯けた調子で言ったメイに、優実も戯けた調子のまま返す。

 留学生の多さ故か、国際魔法学院における先輩後輩の繋がりは緩やかだ。

 無論、それを嫌うタイプの者も多かったが、
 優実はそうではない側の人間であるため、メイにフランクな口調を求めた。

 本人曰く“友達同士で堅苦しいのは嫌い”だそうだ。

 メイにとっても、その方がAカテゴリクラスでの
 兄弟姉妹分のやり取りに近くて気楽と言える。

優実「いやいや、お姉さんってばあんまり魔法関連の成績が芳しくないから、
   ちょっと寄って来る場所が多くなっちゃってねぇ~」

 ややハードな話題のような気もするが、優実はそうとは感じさせない口ぶりで言った。

 図書館辺りで優実の魔力を感じたが、あそこには談話室や小会議室もある。
 つまりはそこに呼び出しを受けた、と言う事だろう。
 そうでなくても専門書を借りるなりの個人的な用事と言った所か?

一真「優実姉ちゃん、学科成績は良いんだから大丈夫じゃない?」

優実「ん~、それでも何とかBクラスに行けたって感じだから……。
   自衛官を目指すなら、実技の成績も上げて、
   せめてBクラス上位かAクラスまで行かないと」

 一真のフォローに、優実は持って来たランチボックスを広げながら呟く。

メイ「先輩、自衛隊入るの?」

 初めて聞かされた友人の進路希望に、メイは軽い驚きを覚えた。

 確かに、国際魔法学院の卒業生には、
 再来年度新設予定の陸上自衛隊特殊魔導部隊への優先的な入隊が認められているが、
 それも魔導成績上位のA組ならばと言う条件がつく。

優実「身体動かすのは得意だからね。
   普通の体育は中等部の頃からずっとA+判定なんだけどなぁ……」

一真「基本学科の成績だって悪く無いんだから、
   大人しく防衛大学に行った方がいいんじゃないかな?」

 溜息がちな優実に、一真は苦笑い混じりに呟いた。

優実「あ~、無理無理。
   人の上に立つとか、肩凝って倒れちゃいそう」

メイ「確かに……高級自衛官な先輩とか想像できないや」

 盛大な溜息を漏らした優実に、メイも噴き出しそうに漏らす。

 そそっかしい所が多い先輩だが、魔導実技以外の成績が悪くない事はメイも既に知っている。

 彼女は中等部の頃は万年C組だったのだが、
 それは魔力量が低かったために魔導実技の成績が振るわなかったためだ。

 振るわなかった実技の分を学科の成績でカバーする事で、
 高等部進学と同時にB組へとランクアップしたのである。

 その努力は流石の一言だろう。

優実「まあ、最近は少しだけ魔力量も上がって来たし、
   この調子で頑張って、来年こそはA組までランクアップよ!」

 優実はそう言って、準備を終えたフォークを力強く握り締める。

メイ「………」

 力強く語る優実の姿を見ながら、メイはどこか微笑ましさと頼もしさを感じていた。

 年若い世代がこうして自分達のような道を目指してくれる姿と言うのは、
 どこかくすぐったくもあり、だがそれ以上に誇らしくもある。

優実「あ、メイちゃん、またそうやって“お母さん”みたいな目をする~」

 しかし、そんなメイの視線に気付いた優実が、
 傍らに座るメイを抱きすくめるように覆い被さって来た。

 そして、そのまま間髪入れずに脇腹あたりをくすぐって来る。

 なるべく内面を外に出さないように気を遣っているメイだったが、
 滲み出る雰囲気と言うのはさすがに抑えがたいのか、
 時折、こうして優実からの“制裁”を受けていた。

メイ「アハハッ、ごめん、先輩。
   ゴメンってば!」

 メイは笑いを必死に堪えながら、優実の“制裁”から素早く逃れる。

 思わず本気を出してしまわないようにするのも大変だ。

 怪しまれないように突風にBランクそこそこまで魔力をセーブして貰っているが、
 鍛え抜いた身体には“十四歳の見かけ”に似合わぬ筋肉がついている。

 身体を弛緩させて、筋肉を悟られないように逃げるのも技術と言えば技術なのだ。

 こう言った気遣いをしながらも、自分らしさを抑えずに笑っていられる事はメイにとっては気楽で、
 そんな雰囲気を作ってくれる優実は、やはり得難い友人と言って良いだろう。

 何とも心地よい。

 だが――

 それでも、一真と優実の間柄を考えると、
 自分のような“お邪魔虫”がいない方が良いとも考えてしまっている事も、
 また厳然たる事実だった。

 ――その一方で、身の置き場が無いとも感じる。

メイ(食べ終わったら、言い出さないとなぁ……)

 笑顔を浮かべながら、メイは浮かんで来る奇妙な寂しさを押し殺した。



 談笑しながらの楽しい昼食は続き、そして、終わりの時がやって来る。

メイ「ふぅ……ごちそうさま」

 メイはぽつりと呟くと、紙袋を空になった紅茶パックの中に詰め込んで畳む。

一真「ごちそうさま。
   今日もおいしかったよ、優実姉ちゃん」

優実「うむうむ、素直でよろしい。
   ………お粗末様でした」

 一真と優実も、お決まりの応酬をして食事を終えた。

メイ(さて……タイムリミットかな……?)

 言い訳は幾通りか用意している。

 その中の一つを使って、無理なく二人から離れて、それで終わりだ。

 そう、終わりなのだ。

 一瞬、メイは戸惑いかけたものの、我が心を案じてくれる愛器のためにも、
 改めて意を決する。

メイ「あの、一真、それに先輩も……」

 メイは神妙な声と共に、姿勢を正して二人に向き直った。

 その瞬間だった――

少女の声「キャアァァァァッ!?」

 不意に絹を裂くような少女の悲鳴が、辺りに響き渡った。

 別れを口にしようとしていたメイは、その悲鳴に出鼻を挫かれてしまう。

 だが、それと同時にメイの中で半分学生だった意識が、
 完全にエージェントのそれに切り替わる。

突風<メイ、誰か倒れた!>

 校庭に出てからずっと、周囲の雑談を収音させていた突風がその事実を告げて来る。

 恐らく、悲鳴もその時に上がった物だ。

 そして、悲鳴が上がった以上、倒れた理由も尋常ならざる物と思った方がいいだろう。

メイ「ッ!?」

 メイは息を飲んで立ち上がり、悲鳴の聞こえて来た方角に向けて走り出す。

 すぐに一真と優実に何も告げていない事を思い出したが、今はそれどころではない。

突風<現場は初等部校舎前、図書館の正門!>

 走り出した直後、集めた情報を突風が告げた。

 メイは怪しまれない程度の速さで校庭を駆け抜け、図書館前に向かう。

 現場近くに来ると、遠目からでも既に人混みが出来上がり始めているのが分かった。

 まだまばらな人垣の隙間を縫ってその中心へと駆け込む。

 一人の女子生徒が俯せに倒れており、その傍らでは別の女子生徒がへたり込んでいた。

 恐らく、悲鳴を上げたのはへたり込んでいる女子生徒だろう。

メイ「大丈夫!?」

 メイは心配するように倒れた女子生徒に駆け寄ると、
 ブレスレット状の簡易ギアに自身の簡易ギアを寄せた。

 簡易ギアにリンクさせている突風が、女子生徒の簡易ギアのプロテクトを破ってハッキングを行う。

突風<御条さくら。高等部二年C組よ。
   意識、脈拍低下……呼吸が浅いわ>

 簡易ギアから読み取ったバイタルデータを聞きながら、メイは確信する。

 意識不明事件の二十人目……殺された公安職員も含めれば、二十一人目の被害者だ。

生徒A「まさか……これって……」

生徒B「意識不明事件……アレって、もう終わったんじゃなかったのかよ!」

生徒C「せ、先生! 先生呼んで来ないと!」

 生徒達は慣れてしまっているのか、こんな異常事態に陥ってから数分と経過していないにも関わらず、
 一部の生徒は教師を呼んで来ようと言う判断が出来るまでに回復している。

メイ(まったく……恐ろしい学校だわ、こりゃ)

 世間一般に言う“平和”な日本の学校を思い浮かべて、メイは思わず肩を竦めたくなった。

 まだパニックになっている生徒の大半は、まだ慣れていない生徒か、
 恐らくは最近になって転入・留学して来た生徒達だろう。

メイ「誰でもいい! 早く先生を呼んで!」

 メイは上着を脱いで被害者――御条【ごじょう】さくらの頭の下に敷き、
 介抱する振りをしながら、素早く彼女の着衣のポケットを外側から確認する。

 上着のポケットを探った瞬間、小さな瓶らしき手応えを指先に感じた。

メイ<突風、魔力制限一時解除>

突風<了解!>

 メイは大幅に制限させていた魔力の一時的な解放を愛器に要求する。

 制限解除は一瞬にして行われ、メイは即座に魔力で左手の肉体強化を行い、イメージを叩き込む。

 小指で上着のポケットの下部を叩いて瓶を押し出させ、親指の付け根で受け止め、
 周囲の生徒達の死角となっている自分の身体に向けて人差し指で放り投げ、
 腹で受け止め、腿の間のスカートの谷間に落として隠す。

メイ<解除終了!>

 制限解除から終了――この間、僅か一秒足らず。

 こそ泥のようなやり方だが、誰に気取られる事もなく証拠品を抜き取るには、
 これが一番の方法であり、またこれが一瞬で出来るからこそ、
 メイの諜報エージェントとしての作戦成功率の高さが守られていると言っても過言ではない。

生徒D「おい、何かあったのか?」

 直後、図書館の扉が開かれ、中から他の男子生徒が駆け出して来た。

 どうやら、騒ぎを聞きつけた図書館の利用者らしい。

 胸元の校章は金色……高等部の生徒のようだ。

メイ(こう言う時は金銀銅で分かり易くて感謝だわ……)

 メイはそんな事を考えながら、幾つかの会話パターンを思い浮かべる。

メイ「こちらの先輩が急に倒れて……。
   今、他の人に先生を呼んで貰っています」

 メイは可能な限り“不安を押し殺している”ような口ぶりで言った。

生徒D「……また例の意識不明ってヤツか………。

    女性をこんな所で衆目に晒すヤツがあるか!
    退くんだ!」

 状況を理解してから僅かに逡巡した男子生徒は、
 そう言ってメイを少し乱暴に押し退け、御条を抱え上げた。

 思わず軽く手を払いのけようとしてしまったメイだったが、
 一応は“普通の女子中学生”で通していた事を思い出して咄嗟に手を前に突き出すだけで終わらせ、
 押し退けられるに任せて僅かに仰け反った。

突風<周政義。高等部三年B組よ>

 だが、お互いの手首が接近した事で、突風が彼の情報を読み取ってしまう。

 恐らく、主を突き飛ばした事に対する意趣返しのつもりだったのだろう。

 高等部の男子生徒――周政義【しゅう まさよし】は、御条を抱え上げると、
 最も近い初等部の保健室に向けて駆け出していた。

メイ(ありゃ、典型的な“自分の正義”に酔ってるタイプだわ……)

 名前からして同郷――無論、生まれである中国だ――か、
 そうでなければ帰化人だろうと推測しつつ、メイは奇譚のない感想を浮かべていた。

 まあ、一目で気にくわないと思わせた輩に国籍など関係無い。

 意識不明の女子生徒を抱えて走って行く、勘違いの正義の味方を見送ったメイは、
 不承不承と言った風を装って上着を回収し、スカートの谷間の小瓶を上着の中に忍ばせた。

突風<まったく、頭を打ってるかもしれない子をあんなに乱暴に抱えて走るとか、
   頭沸いてんじゃないの?>

メイ<本当に……>

 突風の口汚い言葉に同意しながら、メイは御条に対する申し訳なさで溜息を漏らす。

 メイが彼女の頭の下に制服の上着を敷いたのは、
 周囲の生徒達の注意をそちらに向ける意味もあったが、念のための措置でもあったのだ。

 傷らしき物はなかったが、さすがに若い女の子の身体に傷を残すのは躊躇われる。

 潜入捜査中でもなければ、口喧嘩をしてでもあの場に留まらせただろうが、
 さすがにそこまで目立つ行為は避けなければならない。

メイ(さて……午後の授業は早退して家捜しと参りますか……)

 メイは心中でこれからの予定を呟く。

 おそらく、付近の警察が倒れた生徒の部屋に調査に来るまで一時間とかからないだろう。

 今までの事件捜査履歴は既に確認させて貰っており、
 警察の調査で証拠の品が出ていない事は確認しているが、それでも実地調査するに越した事はない。

 さっさと担任に申し入れをして早退し、御条の使っている寮を確認した方が良い。

メイ(こっちは……まあ、夜中にひとっ走りして支部の研究室に回すか)

 上着で包んだ小瓶の感触を確認しつつ、メイは興奮を押し殺す事に努めた。

 まだ中身は確認していないが、コレこそが“見付からなかった証拠品”である可能性は高い。

 事件は思わぬタイミングで急展開を迎えたが、
 まあ、いいタイミングでもある。

 友人に別れを告げ――

一真「メイさん!」

メイ(あ゛!?)

 ――忘れていた事を、聞こえて来た一真の声で思い出す。

 こちらに辿り着いてから二分足らず。
 後片付けやら何やらで遅れてしまったのだろう。

 よく考えれば自分のゴミもあの場に置き去りだったが、二人がゴミを持っている様子はない。

 遅れて来た時間から逆算して、おそらくは、近くの屑カゴに捨ててくれたのだろう。

優実「め、メイちゃん、足早過ぎ……!」

 運動神経の良い優実ですら、先程見せたメイの足の速さには驚いていた。

 一応は加減したつもりだったが、それでも陸上部以外から見れば十分な健脚だっただろう。

メイ「い、いやぁ……野次馬根性でつい火事場の馬鹿力が出ちゃって」

 メイは少しだけ顔を青ざめさせて、誤魔化し笑いのような笑いを貼り付けた。

 これから早退しようと言う人間が、
 あっけらかんと誤魔化し笑いをしてはいけないと言う、咄嗟の芝居である。

 ちなみに、顔が青ざめているのは、肉体強化の応用で血圧をコントロールしているだけだ。

一真「何か、あったの?」

 メイの様子に何かを感じ取ったのか、一真は怪訝そうに尋ねて来た。

メイ「………御条先輩って高等部二年の人が倒れたって、
   回りの人は意識不明事件がどうとか言ってた」

 その事実だけはすぐに知れ渡る事になるので、メイは包み隠さずに話す。

優実「ご、御条さん!?
   ……意識不明事件……アレ、まだ終わってなかったんだ……」

 メイの言葉に、優実は驚きの声と共に、珍しく顔を青ざめさせた。

 二ヶ月のインターバルを置いて、数人の生徒が倒れる連続意識不明事件。

 本当に定期的に起きている事件ならば、
 本来は先月に現れていたハズの意識不明の被害者。

 メイは犯人グループではないので単なる推測でしかないが、
 二ヶ月前に公安職員が現れた事で何らかの予定変更でも起きたのだろうか?

 ともあれ、一ヶ月のズレが生徒達に意識不明の被害者はもう現れないと言う、
 間違った安心感を植え付けていたのだろうと言う事は、
 優実や先程の生徒達の会話から、メイにも理解できていた。

一真「まだ……続いてるんだ……」

 一真もどこかで事件がもう終わったと信じていたのか、
 不安を滲ませながらも、それでも二人に心配をかけまいと毅然とした表情を浮かべている。

 生徒達には“原因不明”としか言われていない意識不明事件。

 犠牲者は立て続けに六、七人出るのが常だ。

 もしかしたら次は自分が倒れるかもしれない、と言う不安。
 もしかしたら次は友人達が倒れるかもしれない、と言う不安。

 様々な思いが二人に駈け巡っているのだろう。

メイ(安心させてはやりたいけれど、
   そう思うなら、さっさと事件を解決しないとね)

 メイは改めてその事を再確認する。

 生徒達の魔力上昇と言う関連性。
 こちらは内容次第だが、御条から入手した小瓶。

 証拠としてはまだまだ頼りないが、
 それでも事件解決に向けて動き出す足がかりは得た。

メイ「一真……ごめん、アタシ、午後の授業は休むから……」

一真「メイさん………分かったよ」

 メイのどこか気分の悪そうな――勿論、芝居ではあったが――様子に、
 一真は僅かな逡巡の後に頷く。

 恐らく、意識不明事件の現場に居合わせて気分が悪くなったと勘違いしてくれたハズだ。

 先程も言ったが、急がなければならない。

 警察到着までの猶予は少ないハズだ。

―7―

 メイは担任と“話の分かる人物”に早退の旨を伝え、素早く寮に戻ると、
 装備を整えて御条さくらの使っていた寮の部屋へと向かった。

 メイが使わせて貰っている寮の隣が、御条の使っている寮だったのは僥倖だ。

 学校の方も新たな犠牲者が出た事で混乱しているが、
 午後の一限目は“職員会議中につき自習”と言う形で時間稼ぎもして貰っている。

 御条が倒れてから約四十分が経過しており、
 メイの予想では後二十分で地元の警察が到着するだろう。

 証拠品の有無の調査するには十分な時間だ。



メイ<さて、この隙に家捜しと参りますか……>

突風<気持ちは分かるけど、その家捜しって言い方、どうにかならない?>

メイ<気分の問題よ>

 制服姿のまま御条の部屋の前に立ったメイは、
 預かっているマスターキーを取り出しながら、愛器のツッコミに溜息がちに返した。

 寮の個室の鍵は、埋め込み型端末に非接触のカードキー式だ。

 保護者や海外向けのアピールもあって、防犯体制を考えれば当然の措置であろう。

 しかし、端末にマスターキーを翳そうとした瞬間、不意にメイの手が止まる。

突風<メイ、人の気配!>

メイ<分かってる!>

 愛器に言われる直前に、メイもその事には気付いていた。

 気配を殺しているような感触が、扉の向こうから感じられる。

 それもすぐ間近。
 扉の裏側にいる。

 薄い軽合金を貼り付けた木の板の向こう側に、誰かがいる気配がするのだ。

メイ(先客………犯人!?)

 そう思った瞬間、メイは音もなく跳び上がった。

 御条の部屋は長い通路のど真ん中。

 遮蔽物も無い場所で、隠れる場所はない。

 メイの足の速さならば、一瞬で通路の向こう側まで行けるが、
 そんな事をすれば大爆音を響かせてしまう。

 結果、最短距離は真上だ。

 メイは天井に張り付き、魔力で強化した指とつま先の力だけで身体を固定する。

 首を振って長い髪を首に巻き付け、腿でスカートを挟み込み、
 さらに自身の魔力特性である“完全魔力遮断”で全ての気配を消す。

 こんな物は隠れた内には入らない。

 もしも、相手に自分の気配を気取られていたら、上を見渡された瞬間に一発でアウトだ。

 だが、万が一の機先を制する事は出来る。

メイ(まだ犯人グループとは接触したくなかったけど、
   気付かれたら戦うしかないわね……)

 メイはその覚悟を決めて、小さく息を飲む。

 直後、ゆっくりと扉が僅かに開かれた。

 扉の隙間から顔を出したのは、三十代ほどの男だった。

 ここは女子寮。
 外部業者である保守点検を受け持つビルサービス会社の職員は男性の場合もあるが、
 基本的にスタッフは全員女性のハズだ。

 仮にこの男がビルサービス会社の職員だとしても、寮生の部屋から出て来るとは考え難い。

 男はどこか焦った様子で、頻りに通路の左右を見渡している。

 その行動に、メイは安堵の表情を浮かべた。

 どうやら本気で焦っているようで、“真上を見る”などと言う事には考えが及ばない様子だ。

メイ(ラッキー……)

 メイは自身の幸運に感謝しながら、男の様子をさらに観察する。

 状況証拠に過ぎないが、恐らくは犯人グループの一人だろう。

 男は御条の部屋の扉を閉めると、懐から何かを取り出した。

 一瞬、携帯電話の類かと思ったが、見た事もない機種である。

 仕事柄、数代の携帯端末を持ち合わせ、ある程度の機種は把握しているつもりだが、
 どこでも見た事のない種類の端末だと言う事だけしか分からない。

メイ(専用の通信端末……?)

 男の手元を観察しながら、メイは訝しげな表情を浮かべる。

男「すいません、ボス。
  御条の部屋にもブツは……」

メイ(上海語……中国人?)

 男の言葉を聞きながら、メイは即座に母国の言語訛りの一つを思い浮かべた。

 沿岸南東部――文字通り、上海でよく聞く部類の発音と語彙だ。

 直後、男の持った端末から怒鳴り声らしき音が聞こえた。

突風<こっちは日本語ね……けど、スクランブルとノイズが酷くて音声解析は無理そう>

 突風の言葉通り、端末から聞こえて来たのは日本語だ。

 だが、これも彼女の言葉通り、低音や高音が複雑に入り交じっており、
 音声解析には手を焼きそうだ。

 おそらく、あの見た事もない端末でそんな音を作り出しているのだろう。

 ただ、聞き取れた内容からすると
 “誰かに聞かれたら怪しまれる。日本語で話せ”との事らしい。

メイ(相手は……犯人グループの幹部……?)

 相手の口ぶりからして、メイはそんな推測を立てた。

男「部屋にそれらしき物はありません。
  ………はい、全て確認しました。
  ………全てです」

 男は流暢な日本語に切り替え、どうやら通信相手に対して申し開きをしているようだ。

 そこから、メイはさらに推測する。

 倒れた御条の部屋に、自分よりも早く現れていた犯人グループと思しき男。
 家捜しをして見付からなかった、御条が持っているらしい“ブツ”。

 御条が倒れてから、彼女の持ち物で消えた物と言えば、
 メイには一つしか心当たりがない。

 今はまだ、自分の制服の内ポケットに忍ばせてあるあの小瓶だ。

メイ(ビンゴッ!)

 メイは心の中でガッツポーズを取りながら、自身の直感と幸運に感謝した。

端末『ガクナイハホカノモノタチニサガサセル。オマエハホンシャニモドレ』

 ようやくノイズとスクランブルに慣れたのか、片言のように聞こえる日本語が端末から聞こえる。

男「畏まりました、ボス」

 男の返答を聞きながら、メイは逡巡する。

 ガクナイハホカノモノタチニサガサセル……学内は他の者達に探させる。
 ――つまり、今から学院に戻れば犯人グループの目星が付けられると言う事だ。

 オマエハホンシャニモドレ……お前は本社に戻れ。
 ――戻る男を追えば、連中のアジトが分かる。

 どちらも捨てがたいが、どちらかと言えば後者が魅力的だ。

 だが、それと同時に冷静に考える。

 犯人グループは公安職員をあぶり出して始末する程の一団である。

 戻る先がダミーである可能性は捨てきれないし、
 万が一にも手練れが現れて返り討ちなど目も当てられない。

 襲われた所を迎撃するならいくらでも勝ち目があると自負しているが、
 無策のまま何人の敵がいるか分からない本拠地に出向くほど慢心もしていない。

 学院に戻っても良いが、自分は早退した身。
 姿を隠せば問題無いだろうが、何処に誰の目があるか分からない場所に舞い戻っては、
 自分が捜査員だと自白しているような物である。

 臆病だとは思うが、数年前には持ち合わせなかったこの臆病とも言える慎重さが、
 今のメイの作戦成功率――引いては生存率を高める武器でもあるのだ。

突風<今は証拠品を安全に確保するのが先決ね>

 主の心中を察してか、突風がそんな事を呟いた。

メイ<そう言う事……>

 メイも小さく頷いて応える。

 被害者救済のためにも、今はこの小瓶を安全に支部へと届けるのが先決だ。

メイ(見てなさいよ……すぐに素っ裸にひん剥いてやるんだから!)

 足早に立ち去って行く男の姿を見送りながら、
 メイは事件解決への意気込みを新たにしていた。

―8―

 翌日、早朝。
 寮、メイの部屋――

メイ「あぁ、アニキ、例のデータ、届いた?」

 スマートフォンを手に、メイは朝食を摂っていた。

 電話の相手はメイの実家……
 李家を継いだばかりの実兄、海風【ハイフォン】である。

海風『ああ、昨晩の内にな。
   今、爺様や曾爺様にも確認を取って貰っているが、
   まず間違いなく、二次大戦前後に紛失した我が家の秘薬の処方成分ばかりだそうだ』

メイ「やっぱそっちかぁ……」

 兄の返答を聞きながら、メイはさもありなんと言いたげに呟く。

 結果を言えば、小瓶の中には、パチンコ玉ほどの大きさで灰色をした数粒の丸薬が入っていた。

 支部の解析に回し、成分解析の結果は即座に出たのだが、あまりに不可解な処方であったため、
 国内や近隣国で、薬物関連に詳しい魔導の家の協力を仰いでいる最中なのである。

 メイの実家である李家もその一つだ。

海風『曾爺様が興奮して大変だよ。
   “チョウのヤツが盗んだ秘伝の毒薬で間違いない”ってな』

メイ「チョウ? チョウって、周回の“周”の字の?
   って言うか、毒薬って……」

 兄の言葉を聞きながら、メイは驚きの声を漏らす。

 ちなみにメイの曾祖父、李・飛龍【リー・フェイロン】は、
 二次大戦中に紗百合達の曾祖父、本條家先々代当主と激戦を繰り広げた豪拳の使い手だ。

 今では入れ歯をフガフガさせている曾孫大好きの好々爺と言う印象だが、
 そんな曾祖父が興奮している様など思い浮かびもしない。

 それはさておき、意外な所で、事件と実家に思わぬ繋がりが出て来たようだ。

 朝食を摂りながら聞いた、既に研究院にも報告済みだと言う兄の言い分はこうだった。

 二次大戦中、李家を裏切った一人の門下生がいたのだと言う。
 その男の名は周・云袍【チョウ・ユンパオ】。

 研究院に所属した際に、李家の秘薬・毒薬の類は指定危険魔法薬物として、
 当主が厳重管理していた。

 だが、当時の当主であった曾祖父の信頼を勝ち得て油断させ、
 周は李家秘伝の毒薬秘薬の巻物を持ち出して出奔、その後の行方は掴めていない。

 全世界指名手配の危険人物の一人だと聞かされて、メイは研究院の資料で見た名前を思い出した。

 周・云袍と周政義。
 奇妙な合致である。

 ちなみに、丸薬の本来の効能は神経系に麻痺を起こさせる毒薬であり、
 その副作用として魔力量が一時的に上昇する物だと言う。

 処方のバランスが変えられているため、魔力の上昇幅が著しく上がっており、
 逆に神経系に働きかける毒性が極力抑えられている物らしいが、
 それでも被害者が意識不明の重体に陥っている事を考えれば、毒薬に他ならない。

 おそらく、被害者は“魔力量を増やす薬”と吹き込まれて使わされたのだろう。

メイ「解毒って出来る?」

海風『ああ、解毒薬の処方は残されている。
   当時、曾爺様が必死で思い出して書き留めたらしい。
   多少珍しい物は含まれるが、二、三日で全部揃うだろう』

 兄の返答を聞きながら、メイは胸を撫で下ろす。

 これで被害者救済の目処は付いた。

 残るは犯人グループの確保だ。

 兄との通話を終え、食事の後片付けを始めていると、
 スマートフォンがメールの着信を告げた。

突風<結の執務用アドレスからみたい>

 端末とリンクさせていた突風が、相手を告げて来る。

メイ「はいはい、待ってましたよ~」

 メイは戯けたように言いながら、愛器経由でメールを確認した。

 普段の私用メールとは打って変わった簡素な情報だけが、画面に踊る。

『例の人物が使っていた車のナンバーから所有者確認終了。

 法人所有で名義は“株式会社・劉生(りゅうしょう)製薬”、中国に本社を置く周グループ傘下の日本企業。
 経営者は周グループの一系で帰化人の周常義。周政義は彼の長男。

 国際国立魔法学院設立時にも、周グループ傘下の企業から多額の出資有り。』

メイ「はい、こっちもビンゴ~」

 結からの情報を受けて、メイはニンマリとした笑みを浮かべる。

 あの後、念のために車のナンバーだけでも確認したのは正解だったようだ。

 気にくわないと思った人間が犯人とは出来過ぎだったが、
 既に昨日の時点――例の男とニアミスしかけた際の口ぶりから予想していた事である。

 御条さくらが倒れ、最初に彼女に接触したのが自分。
 二番目に接触したのが周政義だ。

 そして、メイが抜き取った丸薬の入った小瓶の消失に気付き、
 そこから手下を動かすまでのタイムラグが、あまりに短すぎる。

 恐らくは初等部校舎の保健室で調べた直後に指示したのだろうと考えれば、
 周政義は最低でも“犯人グループの一人”であると推察するのは容易い。

 加えて、御条の元に先に駆け付けて介抱していたメイを押し退け、
 頭を打っていた可能性もある御条をあの場から担ぎ出した事を思い出してみれば、
 アレは邪魔者を排除して、素早く御条の持ち物を検査する必要があったのだ。

 そして、部屋は荒らされた形跡は無かったが、物を動かした形跡は僅かだが見付かった。

 あの男は焦りながらも、ほぼ四十分かけて室内を丁寧に調べたのだろう。

 一方で、学内に残されていた御条の荷物も、周政義本人か、
 そうでなければ他の人間が確認する事が、騒ぎに乗じて出来たハズだ。

 何らかの実験か、学生を狙ってのテロか……恐らくは前者だろうが、
 限界を迎えた被験者の確保、被験者の所持品確認、人員の手配と、
 実に多面的で鮮やかだ。

 だが一方で、それが出来るだけの人数が、学内に入り込んでいると言う事でもある。

 そして、あれから一晩が経過した。

 そろそろ、此方が“尻尾を掴んだ”事を、彼方にも悟られている頃合いだろう。

 おそらくは犯人グループも浮き足立っている事だろうし、
 犯人グループを特定するのは容易い。

メイ「さて、と……それじゃあ今日の内に決着を着けちゃいますか」

 朝食の後片付けを終えたメイは、そう言って捜査の準備を始めた。

 学生服ではなく、動きやすい私服に着替え、ロングツインテールではなく、
 久方ぶりに普段通りの一つ結びに束ね、さらに動きやすくアップで纏る。

 制服の胸ポケットに忍ばせていた愛器を、
 本来のベルトストラップとして括り付け、臨戦態勢を整える。

 逮捕するには十分な物証が集まってはいるが、
 犯人グループは一人でも多く捕まえなければならない。

 下手をすれば主犯格を取り逃す可能性もあり得るからだ。

突風<今までのように授業に出てる余裕は無いわね>

メイ「まあ、昨日は早退しちゃってるし、
   欠席しても怪しまれる事はないでしょ」

 思案げな突風に、メイはあっけらかんと言った風に返す。

 既に政府、本條家、研究院を通して確認しているが、
 昨日、あの後で体調不良を訴えて、昼休み中に早退した生徒の数は八名。
 職員会議中の早退を含めれば二十名。

 昨晩の内に欠席連絡を入れている生徒も数名いるようで、
 逆に怪しまれずに休めると言う物だ。

メイ(まあ……一真と先輩には心配かけちゃうだろうけどね)

 結局、友人達には別れも切り出せないまま、
 事態は終局目前に至ってしまった。

 義理を欠くようだが、このままフェードアウトでもいいだろう。

メイ(理由はどうあれ、嘘ついてたワケだしね……)

 本当の事を話しておきたい気もしたが、それは無理と言う物だ。

 と、メイがそんな事を考えていると、
 ベッドサイドのテーブルに置かれた、潜入中に使っている私用専用のスマートフォンが振動で着信を告げた。

 同時に、先程から通話やメールに使っていた、
 仕事と本来の私用兼用のスマートフォンにもメール転送を告げる着信音がする。

メイ「ん? こんなタイミングで誰だろ?」

 メイは訝しげに私用専用のスマートフォンを手に取り、メールを確認する。

 結からだ。
 几帳面な彼女にしては珍しく、件名は無い。

メイ「さっきのメールとは別件かな?」

 メールを開くと、そこには――

 “じんつうきた すごくいたい(ToT)”

 ――と平仮名ばかりに顔文字混じりの短い文章が踊っていた。

 メイは思わず噴き出し、日付を確認する。

 今日は四月十五日、金曜日。
 余談だがアレックスの誕生日が四月十八日なので、父親の誕生日とは三日のズレだ。

 まあ予定日通りと言った所だろう。

 メイは小さく頷くと、即座に日本語で返信する。

 “顔文字入れてるヒマがあったらさっさと旦那か先生呼べ。 あと、出産がんばれ。”

 短い文章だが、これでも精一杯心配して励ましているのは伝わるだろう。

メイ「まったく、こんな時までメール送って来るなんて……。
   おっちょこちょいなのか、逞しいのか分かんないわ」

 メールの返信を終えたメイは、小さな溜息を交えて微笑ましそうに漏らす。

突風<彼女らしいとは思うけどね>

 突風もどこか吹き出しそうな声音で呟いた。

 すっかり、“これから最終捜査”と言った雰囲気が台無しである。

 だが、一真と優実の事でやや落ち込み気味でもあったので、
 逆に良い気分転換にもなった。

メイ「さてと、さっさと任務終わらせて、
   帰って結とアレックスの子供の顔でも拝んでやるとしますかっ」

 メイは改めて気合を入れ直す。

 と、やはり次の瞬間、見計らったようなタイミングで再び私用専用スマートフォンにメールが着信し、
 続けて兼用スマートフォンにメール転送を告げる着信音が鳴り響いた。

メイ「ッ!? ……もぅ、誰よ、こんなタイミングで!?」

 気合を入れ直した瞬間と言う事もあって、
 思わず前につんのめってしまったメイは、やや愚痴っぽく言ってメールを確認する。

 一真のアドレスから送られて来たメールで、件名には“緊急”とだけ書かれていた。

メイ(何でこのタイミングで、また思い出させるのやら……)

 メイは“こうもタイミングが悪いとお約束の域だね”などと苦笑い混じりに愚痴りつつ、
 メールの本文を開く。

 直後、その目が見開かれた。
 
 “ついさっき優実姉ちゃんが意識を失って倒れた 搬送先は学校の隣の総合病院”

 短く用件と情報だけの書かれたメールに、メイは息を飲む。

メイ「先輩が……倒れた?」

 そして、ワナワナと声を震わせ、信じられないと言いたげに漏らす。

 始業ベルまでは残り十数分。
 丁度、登校時間だ。

 おそらくは寮から学校に行く道すがらに倒れ、
 そのまま隣接する病院に搬送されたと言う事だろう。

 だが、そんな事以上にメイの脳裏を掠めたのは、
 “何故、優実が?”と言う疑問だった。

 意識を失った、と言うからには件の意識不明と同じ症状と言う事だろう。

 つまり、優実もあの丸薬を服用したと言う事だ。

 抱いた疑問の答えは、すぐに出る。

 そう、優実にはあの丸薬が必要だったのだ。

 優実は自衛官を目指しており、希望する隊への入隊のためには、
 中等部の終了時点のC組からA組にまでランクアップする必要があった。

 いつ頃から服用していたかは分からないが、
 その効果が確実に出ているのは彼女の口からも語られている。

 そして、おそらくは同時期から服用していたであろう御条さくらが、昨日の昼に倒れた。

 現場に駆け付けた優実が顔を青ざめさせたのは、
 おそらく御条が自分と同じ境遇――薬を服用していた事を知っていたからに他ならない。

 学年の違う御条の事を知っていた理由も、その辺りから関連づける事が出来る。

 やはりこれも“おそらくは”の繰り言になるが、
 御条が倒れたのは図書館前、その後に周が現れたのは図書館から、
 あの昼休みの際、集合時間に遅れた優実がやって来たのも図書館方面からだった。

 図書館に何かがあると感じさせる。 

 全て推測に過ぎないが、状況証拠からしても決定的だろう。

メイ「ッ!?」

 そこまで考えついた時には、メイは我知らず走り出していた。

 向かう先は、学院と隣接する総合病院。

突風<ちょ、ちょっとメイ!
   寄り道してる余裕なんて無いでしょ!?>

 愛器は狼狽しながらもその行動を制しようとしたが、
 メイは聞き入れずに走り続けた。

 病院にたどり着いても、メイは遮二無二走り続けた。

 受け付けを通り越し、よく知った魔力の波長だけを辿って優実の病室へと駆け込む。

メイ「一真、優実先輩!」

一真「め、メイさん……?」

 メイが声をかけると、一真は普段とは違う格好のメイに少しだけ驚いた様子だった。

 一真の様子で自身の格好の事を思いだしたメイだったが、
 そんな事に構ってはいられないと言った様子でベッドに駆け寄る。

 制服の上着だけを脱がされ、ブラウスのボタンを二つ外した優実はベッドに横たえられ、
 呼吸補助器を取り付けられ、点滴をされている最中だ。

 一真も、どこか思い詰めたような表情で優実の手を握っていた。

 その姿に、メイは胸が痛むのを感じた。

 それが悲痛や憐愍ではなく、ただの醜い嫉妬である事に気付き、
 メイは自身の身勝手さに酷い眩暈を覚える。

メイ「………何があったの?」

 何があったのか大方は分かっているが、敢えてメイはその事を尋ねた。

 一真は小さく首を振ってから口を開く。

一真「……僕も、よくは分からないんだ……。

   いつも通りに待ち合わせをして、登校して、
   ただ、朝から何だか顔色が悪かったんだけど、
   校門近くまで来たら急に倒れて……」

 一真の説明を聞きながら、メイは自身の推測と状況を当て嵌める。

 顔色が悪かったのは、恐らく、自分がいつ意識不明になるかもしれないと言う恐怖からだ。

 言ってみれば、被害者達は誰しも、自業自得なのかもしれない。

 少しでも成績を良くしたい、と言う考えは誰しも大なり小なりは抱く考えだろう。

 誰かに負けたくないと言う競争心。
 もっと上に行きたいと願う向上心。

 魔が差したと言えば言い訳かもしれないが、
 人の思いに付け込んで黒い企みを遂げようとする悪意に、
 その思いを汚され、踏みにじられた事もまた事実なのだ。

 城嶋優実と言う少女は、優しくて面倒見が良く、そして真面目な少女だった。

 真面目だからこそ、自身の魔力が伸び悩んでいた事に追い詰められ、
 優しく面倒見が良かったからこそ、誰かに悩みを打ち明ける事を躊躇したのだろう。

 そこに突き付けられた悪意あるチャンスに、思わず手を伸ばしてしまった。

 確かに、彼女たちにも責任の一端はある。
 それを償うべきでもある。

 だがそれ以上に許せないのは、彼女たちに付け入った者達だ。

一真「僕は……」

 静かに怒りを沸騰させつつあるメイの耳に、譫言のような一真の声が届く。

一真「何て言えばいいんだ………。

   優実姉ちゃんの事は僕が守るって………約束したのに」

 一真は握り締めた優実の手を自らの額に押しつけ、懺悔するかのように吐露した。

メイ「ッ!?」

 一真のその言葉を聞いた時、
 メイは心臓をハンマーで強かに叩かれたような衝撃を感じて、息を飲んだ。

メイ(ああ……そっか……)

 確定的な、一真と優実の関係性を裏付ける言葉を本人達から聞いたのは、
 今が初めてだった。

 きっと今までは、他人の自分が居心地が悪くないように、気遣ってくれていたのだろう。

メイ(久しぶりだな……こう言うの……)

 いつ以来だろうか?

 思えば三年五ヶ月前――グンナーショック直前の慰安旅行で、
 結の口からアレックスとの交際の事を、改めて聞かされた時以来だろう。

 あの時は内心の衝撃を誤魔化すように素っ頓狂な声を上げたが、
 突き付けられた失恋の痛みはそう容易くは癒えなかった。

 今度も同じだ。

 だが、それ以上に困惑したメイは、
 頭の中でネガティブな思考を繋いでしまう。

 何で、一真がこんな悲痛な声を上げなければいけない?

 誰がこんな事態にした。

 こんな事態を引き起こした誰かを、止める事が出来たのは誰だ?

 自分だ。

メイ「アタシが………」

 失恋に傷ついた悲劇のヒロインと言う立場に酔って、
 ぬるま湯に浸って捜査を滞らせた、自分に他ならない。

 後悔で浮かびかけた涙を、ギリギリと噛み締めた歯が軋む痛みで引かせる。

 自身と犯人に対する激しい怒りと、一真達に対する贖罪の念が、
 逆にメイの頭の中をクリアにする。

メイ「………ちょっと、連中に落とし前つけさせて来るよ」

 メイは自分でもゾッとする程の低い声で、その言葉を紡いだ。

 一真もメイの声が持つ迫力に、振り返る。

 必然的に、一真と目が合う。

 メイは少しだけ、寂しそうに微笑む。

 怒りの形相は、彼にだけは見せたくなかった。

 寂しそうな微笑みを貼り付けたまま振り返り――

メイ「ごめんね……一真、優実先輩。
   二人の事………ううん、一真の事、好きだったよ」

 ――失恋の傷を、贖罪としてその場に刻み込む。

 恋しい人に好意を伝えたのは、
 二十四年近く生きて来て、これが生まれて初めてだった。

 我ながら、何と情けない初めての告白だろう。

一真「メイさん!」

 振り返った背中に、恋しい人の声が突き刺さる。

 最初は、まあ単なる一目惚れだった。

 次に、人柄に惚れ込み、
 次に、誠実な優しさに触れて……。

メイ(本当に……)

 嗚呼、自分は彼にこんなにも強く惹かれていたんだ。
 それを改めて思い知る。

 決して届かないと知って焦がれたのではなく、
 焦がれたからこそ、決して届かない事が悔しかったのだ。

 悔しさに目を曇らせ、斯くあるべきとした規範にまで背を向けて、
 そうして出来た事は結局、彼の笑顔を曇らせただけだった。

メイ「さよなら……一真」

 短い別れの言葉と共に、お仕着せの揚・明華の名をその場に置き去りにするように、
 メイは病室から駆け出していた。

突風<メイ………>

 寂しそうな愛器の声が、脳裏に……胸に響く。

メイ<失恋ってのも、しっかりと作法通りにやってみるモンだね。
   変に後まで支えるモンが無い分、逆にスカッとするよ>

 そんな愛器に、メイはどこか笑い飛ばすように言った。

 そこでようやく、思い知る。

 結局、自分は傷つくのが怖かったのだ。

 恋しい人に拒絶される事が怖くて、色々な物を言い訳にして、
 本当の失恋から目を背けていたに過ぎない。

 その間に、誰かに先を越されてしまう。

 当然と言えば当然の結果だろう。

 アレックスの事で結に先を越されたのも、何の事はない、
 ずっとそこにあったチャンスに、いつまでも自分が手を伸ばさずにいたからだ。

 こんな臆病者が、恋で誰かに勝てるハズもない。

メイ<次があったらさ………次に誰かを好きになったら、もう誰にも先なんて越させないよ。
   たとえ相手がフラン姉やリーネだって、遠慮なんて絶対にしない。

   押して押して押しまくってさ、誰よりも早く、その人のハートを掴んでやるんだから!>

突風<………じゃあ、その時までに、色々と資料集めておかないとね。
   万全の態勢でサポートさせてもらうわよ。マスター>

メイ<お願いね、突風!>

 メイが病院の外に勢いよく飛び出した瞬間、彼女の頬を伝おうとした涙を、
 愛器の名と同じ、一陣の突風が拭い去った。

―9―

 裏手から学内に潜入したメイは、先ずは学内の状況判断から始めた。

 無人である事を確認した特別教室棟の音楽準備室に忍び込み、
 端末から中枢をハッキングして現在の状況を調べる。

 昨日の御条さくら、今朝の城嶋優実の二人以外にも、
 既にあと一人、中等部の男子生徒の被害が確認されているようだ。

 今は朝のショートホームルームの時間帯だったが、
 立て続けに三人の意識不明被害者が出た事で、緊急の職員会議が開かれ、
 生徒達は教室に待機していると言う状態だ。

 無論、大人しく待機している生徒もいれば、
 不安にかられて親しい友人のいるクラスに行っている者もいるようで、
 中にはこの特別教室棟にまで来ている生徒もいる。

 つまり、生徒達を監視する人間はいないと言う事だ。

突風<移動している生徒達に紛れて、犯人達も動きたい放題って事ね>

メイ<まあ、図書館に当たりを絞ってみましょ>

 メイは突風と思念通話で会話しつつ、図書館の来訪履歴を検索する。

 まだ朝の九時前だと言うのに、一般の入場者が二十名を超えていた。

 週末ならば珍しくない、と言うより少ない人数だが、
 今は平日、しかも緊急時だ。

メイ<過去半年分の履歴から、生徒の倒れた日前後五日の時間帯別入場者をピックアップして>

突風<了解>

 メイの指示に従い、突風は該当データの検索を始めた。

 予め前後五日まで検索範囲を広げたのが正解だったようで、
 今日のように一般の入館者数が不自然に多い日も存在する。

メイ<よし………次、生徒名で検索。
   検索条件は同時期の被害者全員と周政義の入館時間が同じ日>

突風<これはちょっと多いわね……。
   けど、周政義が頻繁に図書館に出入りしているのは確実ね。

   それと、優実さんと御条さん、別の被害者の桐生って男の子の入館履歴が増え始めた時期、
   加えて、一般入館者の不自然に多い時間帯と周政義の利用時間帯が七割一致したわ>

 突風からの報告を聞きながら、メイは小さく舌打ちした。

 図書館の入館履歴などとっくの昔にこうして調べたが、
 その時には無かった“周政義”と言う条件を加えただけで、こうも怪しさを増す。

 未だに状況証拠の域を出る物ではないが、
 状況証拠も両手に収まらない数を揃えて行けば確実性は限りなく物的証拠に近付く。

 何より、周政義は今も図書館を利用中だ。

 現在の入館者は総計で五十三名。
 その内、九割の四十五名は犯人グループである可能性を考慮しなければならないだろう。
 下手をすれば全員が犯人であり、相当の手練れであるかもしれない……。

 その想像に、思わず身震いがする。

 だが――

メイ<一真と優実先輩の落とし前、付けて貰わないとね……>

 その決意と怒りで、身震いする身体を押さえつけた。

 仮に敵が全員腕利きの魔導師だった場合、メイにも幾つか手はある。

 高速戦主体のメイが狭い場所で戦うには、かなりのテクニックを要するが、
 それが可能だからこそ諜報エージェントとして、今まで生き残って来れたのだ。

メイ(まあ、カナ姉やリーネみたいのにぞろぞろと出て来られたらヤバイけどね……)

 想定し得る最悪は、絶対にあり得ないレベルの物を想定する。

 研究院でもトップクラスの速度を誇る空戦型エージェント達だ。

 勝て、と言われたら間髪入れずに首を横に振るが、
 捕まるな、と言われたならばいくらでもやりようがある。

 一対多数の原則は、可能な限り一対一の状況を作り出しての各個撃破。
 さらに可能なら、蹴散らせる分は一気に蹴散らす。

 わざわざシミュレートするまでもない。

 セオリーに従って行動し、犯人グループ全てを討ち倒し、逮捕する。

メイ<さぁて……犯人共にお灸を据えに行きますか>

突風<キツ目のヤツを、ね>

 二人はそう言い合って、ハッキングしていた端末との回線を遮断した。

 魔力を完全に遮断し、人目を避けるようにして図書館へと向かう。

 馬鹿正直に正面から入館するワケにもいかないので、
 開いている窓を探す。

 三階建ての図書館と言う事もあって、一階や二階は完璧に戸締まりされていたが、
 三階まで壁をよじ登る命知らずもいないのか、ちょうど無人の談話室の窓が開かれていた。

 おそらくは昨日からのゴタゴタで、警備員のチェックから漏れたのだろうが、
 これはこれで好機だ。

 談話室から内部へと忍び込んだメイは、魔力を探る。

 図書館内には確かに人の気配があるが、それにしては静かで魔力の数も少ない。
 感知した内容に間違いがなければ、図書館内部には十九名分しか感じない。

 音楽準備室から図書館までの移動にかかった時間は僅かに三分。

 その間に五十三名もいた利用者が大幅に減ったとなれば、
 それだけ大勢の人間が移動した事は否が応でも目につくハズだ。

突風<魔力……ううん、多分、それ以外の物も遮断されてるわね。
   用意周到と言うか、何と言うか……>

 突風が鬱陶しげに漏らす。

メイ<位置は特定できそう?>

突風<アクティブからサイレントパッシブモードに切り替えて、
   遮断範囲から二、三メートルくらいの距離まで寄ってくれたら行けると思うわ>

メイ<なら、話は早いね>

 メイは突風の返答を聞くと、一階に向けて歩き出す。

 談話室や書庫の陰、倉庫など、怪しげな場所や死角になりやすい場所を虱潰しだ。

メイ(三十人以上の人間を、気配も感じない程に隠しておける場所ってなると、
   きっと地下………隠し部屋でもあるのかしら?)

 図書館は一度、既に怪しげな所が無いか見て回ったつもりだったが、
 何らかの見落としがあったのだろう。

 魔力が遮断されている形跡となると、
 ソレを探す際には“遮断されている”事を知った上でなければ気付かない物だ。

 魔力で作り出した物体――魔導機人やギア、魔導防護服の類――でもなければ、
 通常の物体は魔力を持ち得ないので、仮に隠し通路などの入口を魔力遮断されていた場合、
 そこは何の変哲もない空間として認識されてしまう。

 魔導師絡みの事件と想定していたメイは、基本的に見回りの際には、
 発せられている魔力を検知するアクティブセンサーだけを機能させ、
 自分自身の魔力を発して反応を受け取るパッシブセンサーをカットしていた。

 因みに、突風の言ったサイレントパッシブモードは、メイの完全魔力遮断の特性を活かし、
 センサー用に展開させた魔力の範囲に他者が触れた瞬間、
 魔力を発する範囲を接触しない距離にまで瞬間的に狭めるモードだ。

 勘が鋭かったり、リーネやセンサー展開中の結のように敏感な相手に気付かれてしまう事もあるので、
 完全な隠密状態を保ったり、追跡には向かないモードでもある。

メイ(気付かれるのが怖くてパッシブにしてなかったのがマズかった、って事ね……)

 メイは心中で舌打ちしながら、周囲を何気ない風を装って見渡す。

 場所の特定はすぐだった。

 受け付けや入口から死角となる、三方を壁に囲まれた吹き抜け状になった螺旋階段の下、
 備品置き場に使われている場所の陰に、壁に偽装するような形で扉が隠されていた。

メイ<成る程、引き戸とは考えたわね……>

 壁に貼り付けられた高さ二メートル、幅三メートルの巨大な化粧板そのものが、
 スライド式の隠し扉となっている。

 深い溝が幾つも刻まれた幾何学的な模様の化粧板の数カ所に、
 不自然に人が触れて力をかけた痕跡が幾つか残されていた。

 初等部の生徒も使う事もあって、巫山戯た跡にも見えるが、
 この先の魔力的な反応が遮断されている事実に気付いてしまった今では、
 それが取っ手代わりに使われている跡と考えて間違いない。

 メイはゆっくりと化粧板をスライドさせる。

 化粧板をスライドさせて行く方向には壁があるが、その壁の向こう側には背板のある書架群があり、
 スライドさせた化粧板は目隠しされる構造になっていた。

 スライド自体も静音構造になっているのか、ゆっくり動かしているとは言え、
 巨大な化粧板は音もせずに滑って行く。

 そして現れたのは、図書館の外壁に沿うように下へと下って行く、狭い狭い、暗い階段だ。

 人一人がやっと通れる程の、決して行き違う事は出来なそうな不便な階段。

 だが、隠し通路としては持って来いと言う事になる。

突風<この図書館を施工した建築会社を併行して調べてみたけど、
   周グループの日本国内企業の孫請けみたいね……>

メイ<またまたビンゴって事か……。
   この学院の設計段階から、連中の掌の上だったってワケね>

 突風からの調査結果を聞いたメイは溜息混じりに返した後、
 “これだからスパイ防止法もまともに整備されてない国は……”と愚痴を漏らした。

メイ(隆一郎さんに泣きついたって言う、学院建設を主導していた議員はともかく、
   議員の周辺の人間は徹底的に洗った方が良いかもしれないわね……)

 メイはそんな事を考えながら、階段を下って行く。

 三十段――八メートルほど階段を下ると、急に幅が広くなった。

 どうやら、本格的に地下に入ったようだ。

メイ<地下に秘密基地とか、どこの悪の秘密結社気取りだっての>

 階段を下りきった所で、メイは呆れ果てた様子で漏らした。

 十五メートルは下らされた階段の終点には、
 薄暗い証明が幾つも灯る通路がさらに奥へと続いている。

 どうも悪人と言うのは、地下に潜って何かするのが趣味らしい。

 そんな偏見を抱かずにはいられない構造である。

 気を取り直し、メイはまだ少し狭さを感じる通路を音もなく走り抜ける。

 すると、即座に見張りと思しき男に真正面から遭遇した。

男A「……ッ」

 男が声を上げようと息を吸った瞬間、
 メイは素早くその懐に入り込み、掌底で男ののど元をかち上げる。

 喉を潰しこそはしていないが、喉の上――器用に顎を外しての掌底の一撃は、
 男の脳を激しく揺らして意識を刈り取るには十分だった。

メイ「口開けてなければ、顎で済ませてあげたのに……」

 グラリと揺らめいた男をその場に静かに寝かせながら、メイは溜息混じりの小声で呟く。

 顎を外した一撃は、大きな音を避けるための手法だったが、
 ハッキリ言って、メイの掌底は見た目だけは完全に喉輪のソレだ。

 大抵の格闘技の試合ならば反則である。

 まあ実際は、顎と喉の僅かな隙間を突いているので、
 厳密には喉輪とも言い難いのだが……。

 メイは男が完全に意識を失っている事を確認すると、また音もなく走り出す。

メイ<しっかし……こう狭くて隠れる場所がないと、
   隠密行動なんてあったモンじゃないわね……>

突風<どうする?
   先に見張りや見回りから倒す?>

 愚痴を漏らす主に、突風が尋ねた。

 アナログにも見張りがいると言う事は、この施設には監視カメラは存在しないのだろう。

 事実、突風のセンサーは監視カメラの存在を認識していなかった。

 コソコソと隠れて悪事を行うための空間であるため、
 必要以上の電力を引っ張って来れなかったのだろう。

 薄暗い証明も、そのギリギリの範疇と言う事になる。

 換気も恐らくは最低限なのだろう。
 意識し出すと妙に饐えた匂いがして、思わず吐き気がこみ上げた。

メイ<………あんまり長居したくない場所だけど、
   まあ地道にやって行くのが一番っぽいわね>

 メイは辟易した様子で応えると、次なる見張りを探すために走る。

 その後も一人、二人と次々に見張り達を倒し、メイは順調に施設の最奥部へと迫って行く。

 そして、十人ほどの見張りを倒した頃には、メイはようやく開けた場所へと足を踏み入れた。

 緩やかな逆ピラミッド型に掘り下げられた特異な構造をしたその場所は、
 犯人グループの会議場らしかった。

 通路に比べて明るいのは、天井に取り付けられた内蔵バッテリー式のLEDライトのお陰だろう。

 メイは素早く、音もなく室内に潜り込むと、
 入口から離れた柱の陰に身を隠し、会議場の様子を窺う。

 一番掘り下げられた三メートル四方ほどの場所には、一段高い壇が作られており、
 そこに主犯格と思しき男が立っている。

メイ(はい、またまたビンゴ……)

 その男の顔を確認し、メイはどこか呆れた様子で肩を竦めた。

 そう、周政義だ。

 グループの日本国内における長の子。
 そう考えれば、学内でのリーダーとしてはうってつけの人材だろう。

 半ば無差別に見える意識不明事件の被害者達を思えば、
 生徒は自動的に加害者にも被害者候補にも成り得て、捜査が躊躇われる対象でもある。

 段々に作られた会議場は、その段そのものが椅子になっており、
 中には制服を着た者達もいるが、一塊になって上段にいる様子を見る限り、
 立場は低い位置にあるようだ。

突風<学生連中は下っ端兼、周のサポート役って所かしら? 十人くらいいるわね>

 なるほど、十人もいれば、特定の私物だけを持ち出すなど容易いだろう。

 よく見れば教師も数名が混ざっており、
 中には名簿で調べた学年主任や生徒指導の担当教諭もいる。

メイ<緊急職員会議中ですよ、先生方~>

 メイは呆れた様子で突っ込みを入れかけたが、
 思念通話に止めて堪えた。

 他にも、周辺捜査中に、例の総合病院で見かけた職員もいる。

 数を数えてみれば、上に反応の無かった三十四名と人数も合致する。
 内訳は、周を含めて生徒十一人、教師八人、一般人風が十五人。

 あれだけの面子が揃っていれば、如何なる状況でも証拠品の隠匿は可能だっただろう。

メイ(手の込んだ犯罪集団なこって……)

 メイは呆れたように肩を竦めた。

 一方、壇上に立った周は、どこか苛ついた様子で周囲の部下達を見渡している。

周「今日倒れた実験体の分は、問題なく回収できているんだな?」

男B「はい、そちらは完璧です」

 苛ついた様子の周の問いかけに、側近らしき教師が応える。

周「他の実験体からは、回収できているのか?」

男C「どうやら、御条の件で恐ろしくなって廃棄した者もいたようです。
   見張らせていた者達の手で、今朝までに滞りなく回収しております」

メイ(実験体……)

 周と男達の会話を聞きながら、メイは歯噛みする。

 同じ人間を人間扱いしない輩は幾度も見ているが、慣れない物だ。

 慣れたら慣れたで“それはそれで人間として終わってる”と言うのはメイの持論だが、
 プロになって十年経っても、この手の輩には怒りしか湧いて来ない。

周「御条の薬品は、まだ発見できていないのか?」

男D「一晩中、八方手を尽くしたのですが……」

 一際苛立った様子の周の言葉に、警備員風の男が恐る恐ると言った風に返した。

周「クソッ……前に公安の送り込んで来た偽教師の時とは違うと言う事か……」

 部下の返事を聞きながら、周は焦ったように漏らす。

メイ<どっちが偽物だっての、偽生徒に偽教師に偽一般人めっ!>

突風<メイ……落ち着いて>

 思念通話で激しい突っ込みを入れる主を、愛器が溜息勝ちに窘めた。

 しかし、今までは状況証拠に過ぎなかったが、
 この一連の会話記録は、周一味を犯人とした確たる物的証拠と成り得る。

突風<どうする……すぐに逮捕する?>

メイ<………出来たら、もっと決定的で、まだ知らない情報を喋るまで待ちたいわ。
   ギリギリまで待つわよ>

 突風の問いかけに、メイは気を取り直して答える。

 現時点では、まだ日本国内グループだけの繋がりしか見えてこない。

 劉生製薬の独断なのか、周グループ全体の計画なのか、
 はたまた、さらなる大きなバックがいるのかを、逮捕前に確認しておくべきだろう。

 ボス気取りの下っ端に落とし前を付けさせた所で、
 大ボスを残したままでは、被害に遭った者達に申し訳ないと言う物だ。

メイ(よーしよしよし……、そのままの調子で全部ゲロってちょーだいね、っと)

 メイは固唾を呑んで、彼らの動向を見張る。

 と、その時であった。

男E「ボスッ! 大変です!
   他の見張りが全員倒れてます!」

 乱暴にドアが開かれ、一人の男が中に駆け込んで来る。

メイ(しまった!? まだ一人残ってた!?)

 メイは心中で舌打ちした。

 どうやら、どこかにまだ見張りをしていた者が残っていたようだ。

 他の仲間と連絡が取れなくなったため、仲間達の元へ確認に行っていたのだろう。

 痛恨のミスだ。

 だが、それだけではなかった。

男E「それと、こんなガキが紛れ込んでました!」

??「は、離せよっ!」

 見張り役の男が、後ろ手に引っ張っていた少年を、
 周に向けて突き出すようにした。

メイ(か、一真っ!?)

 そう、藤枝一真だった。

 どうしてここに、一真が?
 そんな疑問が脳裏に過ぎった瞬間、メイは状況を推理していた。

 最初は確実に、自分の事を追って来たに違いない。

 だが、全力を出したメイと彼の脚力には、天と地ほどの差がある。

 即座に引き離された一真は、とりあえず学校に向かったのだろう。

 そこで推理したハズだ。

 聡明な彼の事、昨日の優実の様子や御条の倒れていた場所から、
 即座に図書館が怪しいと勘付いただろう。

 そこで、メイは例の化粧板の引き戸を閉じ忘れていた事を思い出す。

メイ<アタシの馬鹿っ! 阿呆っ!>

突風<………>

 さすがにこればかりは庇いようが無いのか、
 自らを叱責する主を止める術は、突風には無かった。

 そして、例の隠し通路を見付けてしまった一真は、
 この通路を降りて来てしまい、残っていた見回り役の男と鉢合わせしてしまったのだ。

 言ってみれば、これはメイのミスが招いた不運だった。

周「まさか……コイツが新しい捜査員か?」

 自分の前に突き出された一真を見ながら、周は訝しげに呟く。

 一真はどう見ても、単なる一般人だ。

 だが、御条の分の丸薬を回収できていない事に焦っていた周には、
 そんな事は関係無いようだった。

周「貴様、例の薬を持っているのか?」

一真「薬? 何の話だ!」

 周の問いかけに、一真は僅かに声を震わせながらも、
 気丈に睨め付けながら返す。

 一真は聡明だが、他人思いの優しい心根の少年だった。

 おそらく、彼らが意識不明事件の犯人だと思い至って、敵愾心を露わにしているのだろう。

メイ<バカッ、そんな状況で犯人を刺激するんじゃない!>

 メイは声に出して叫びたかったが、
 場数を踏んでいる自分とは違い、平和に過ごして来た少年にそんな理屈は通用しない。

 このままでは、逆上した犯人達によって、一真がなぶり殺しにされる可能性もあり得る。

 公安職員の遺体写真を思い出し、メイは心臓を鷲掴みにされるような恐怖感に襲われた。

一真「まさか、その薬ってヤツで意識不明事件を……?
   お前達が……お前達が優実姉ちゃんや、他のみんなを!」

 そんなメイの思いとは裏腹に、怒りに燃える少年は、
 自らの恐怖を押し退けて周に怒声を叩き付ける。

周「我々のせい?

  騙される方が悪いんだよ……。
  ノーリスクで魔力を底上げできるなんて、信じる方が悪いのさ」

 屈強な男に拘束されて身動きできない一真に、
 周は嘲るように言った。

周「薬の事を話したら、縋り付いて来るような奴だっていたぞ?
  どうしても、どうしても、とな。

  そんな連中の望みを無償で叶えてやったんだ、
  感謝される事はあっても、糾弾される謂われは無いな」

一真「そ、それは、お前達の勝手な言い分だろう! 責任をすり替えるな!」

 周の言葉から、意識不明事件の真相を悟ってしまったのか、
 一真は僅かに口ごもったものの、その言葉を絞り出す。

 周の言葉に言い負かされたままだったならば、命を永らえる事は出来ただろう。

 不正を罪だと認めながらも、それ以上の悪を見過ごす事が出来ない。

メイ(もうちょっと賢い子だと思ってたけど、案外、馬鹿正直だったんだね……。
   けど、そう言うのは嫌いじゃないよ、一真………)

 つい先程、砕け散ったばかりの失恋の痛みを思い出しながら、
 真っ直ぐな心根を持った少年に、メイは改めて胸が高鳴るのを感じていた。

 メイは小さく深呼吸をする。

メイ<一般人の救出を最優先。行くよ、突風>

突風<………了解、メイ!>

 凜とした主の呼びかけに、突風は力強く応えた。

 わざと大きな足音を立てて、メイは柱の陰から姿を現した。

メイ「そこまでだっ!」

 メイが声を上げると、その場の人間達の視線がメイに集まる。

一真「メイさん……!?」

周「子供? まだ侵入者がいたのか!?」

 一真と周が、口々に驚きの声を上げた。

メイ「魔法倫理研究院エージェント隊、アジア太平洋方面支部所属。
   本案件担当諜報エージェント、李・明風だ!

   周政義以下、意識不明事件犯人グループに告げる!
   その一般人を解放して投降しなさい!」

 メイは凜とした声で名乗りを上げる。

周「な、何だ、中学生のごっこ遊びなら余所でやれ!」

メイ「…………誰が中学生だって?
   アタシは、二十三歳だっ!」

 馬鹿にしたような周の言葉に、メイは待機状態だった突風を起動した。

 衣服が魔力によって分解され、
 着込んでいたインナー防護服の上に魔導装甲となって再構成される。

 一瞬にして姿を変えたメイに、一真と犯人グループ達の目は今度こそ最大まで見開かれた。

メイ「もう一度言ってやるわ……。

   魔法倫理研究院エージェント隊、アジア太平洋方面支部所属。
   本案件担当諜報エージェント、李・明風だ!

   さっさと人質を解放して大人しくお縄に付けってのよ、この犯罪者共!」

 メイは中学生呼ばわりされた怒りを込めて、挑発するかのように言い放つ。

 しかし、“そんな状態で犯人を刺激するな”と言ったのはメイ自身だ。

 一真は人質に取られたまま、彼我の戦力差は、
 先程駆け付けた見張り役を加えて一対三十五。

 絶体絶命と呼ぶに相応しい状況である。

 そんな状況は周にも分かり切っているのだろう。

周「研究院だかエージェントだか知らんが、
  よくもまあこの状況でヌケヌケとそんな要求が突き付けられたモノだな」

 周はそう言って、一真を押さえつけている見張り役の男を尊大に手招きし、
 一真の右手首を握り締めると、壇の上から一真の腕を後ろ手に捻り揚げた。

一真「ぅぐ……ッ!?」

 一真は中学生ながら、高校生の周に見劣りしないだけの体躯があったが、
 さすがに屈強な男に押さえつけられたまま、壇の上から腕を捻り揚げられるのは相当無茶な体勢らしく、
 苦悶の声を必死に噛み殺す。

一真「ぼ、僕にか、構わず、に、逃げ、て……メイさん……ッ!」

 しかし、一真は自分がそんな状態であるにも関わらず、
 気丈にもメイの身を気遣って、必死に声を絞り出した。

メイ「………まったく、どうしてこんな状況でアタシの心配なんか出来るのか……」

 メイはそんな一真の様子に、嬉しさと寂しさの入り交じった笑みを浮かべ、
 表情通りの複雑な声音で小さく呟く。

 しかし、周はメイのそんな変化にも気付かず、勝ち誇ったような笑みを浮かべた。

周「大人しくするのはお前の方だ。
  人質がいる此方の方がどう見ても有利だろう!

  御条の薬瓶を奪ったのは貴様だな?
  さあ、コイツの命が惜しければさっさと瓶を此方に渡して貰おうか!」

 周は横柄な態度で言い放つと、勝利を確信して哄笑を上げる。

 状況は素人目にも周側有利だ。
 周の“最早、勝ったも同然”と言う態度も頷ける。

 だが、そこはメイも潜入捜査のプロだ。

 身を隠していた忍者が姿を現すのは、勝利を確信している時だけだ。

周「さぁ、大人しく降参するがいい!
  フハハハ………」

 勝ち誇る周の頬を、一陣の風が撫でる。

周「は……?」

 哄笑の表情のまま、周は唖然とした声を上げた。

 直後、バタバタと音を立てて、周囲の人間達が昏倒して行く。

 それは一真を拘束していた見張り役も同じで、グラリとよろめいて倒れ、
 ようやく戒めを解かれた一真自身も、何が起こったのか分からないと言った様子で、目を見開いている。

メイ「全員が、この筋骨隆々のお兄さんみたいなのだと手間かかったんだろうけど、
   小手先作業だけが仕事の工作員なんか、実戦じゃ何人集まっても意味無いんだよねぇ」

 一方、メイは先程まで居た位置とは正反対の場所で、段差の縁に腰掛けてそんな事を呟いていた。

周「あ……あ?」

 哄笑の貌を引き攣らせ、周は愕然とそちらに向き直る。

 周は権謀術数を巡らせる事は出来たが、戦闘員ではない。

 仮に、彼に僅かにでも戦闘経験……いや、戦闘訓練の経験があれば、
 あの一瞬、メイが掻き消えた様に見えていただろう。

 メイはその一瞬で、周を除いた三十四人の犯人グループ構成員を、
 当て身や掌打で昏倒させていた。

突風『魔導師相手ならまだしも、殆どが非武装の人間だものねぇ……』

 共有回線を開いた突風が、少し拍子抜けと言った風に呟くと、
 メイの魔導装甲は一瞬にして、チャイナドレス風の道着型魔導防護服へと転じる。

 最早、魔導装甲ですら使うまでも無いと言う事だ。

 メイが最も警戒していたのは、手練れの魔導師が頭数を揃えている可能性である。

 公安職員が返り討ちにあったのだから、当然と言えば当然だが、
 実際、まともに戦闘要員と言えたのは見張り役の十一人だけだった。

 十一人で一斉にかかられたら、メイも苦戦はしただろう。

 だが、結果はご覧の通りだ。

 奇襲による各個撃破を徹底し、油断による隙を突く、セオリー通りの戦法による完勝である。

メイ「まあ、油断してくれてたのが一番の勝因だけど、ね」

 メイはほくそ笑んでそう言い放つと、悠然と立ち上がった。

メイ「これが最後よ………一真を離せ」

 そして、睨め付けるような鋭い眼光と、凜とした声で最後通牒を突き付ける。

周「ま、まだ、こちらには人質が……」

 周は怯んだ様子ながらも、放心状態の一真の腕を引いた。

 だが、既に人質の腕を捻り上げると言う考えすら起きないようで、
 その拘束はすぐにでも振り払えそうだ。

 その様子に、メイは深いため息を漏らした。

メイ「アタシは、離せ、って言ったよ?」

 メイが普段よりも一オクターブ低い声でそう言って、
 素早く右腕を突き出した瞬間、信じ難い物体がその場に現れた。

 その信じ難い物体とは、巨大な腕だ。

 拳だけで人間以上はあろうかと言う、巨大な、巨大な機械の前腕。

 緑色の装甲で覆われた前腕が、メイの傍らから突き出すように出現し、
 その巨大な掌で周の身体をすっぽりと覆った。

 第八世代……魔導機人装甲の腕だけを部分的に召喚したのである。

メイ「優しい優しいお姉さんが、すご~く手加減してやってるってのが、まだ分かってないの?」

 メイは満面の笑みを浮かべながら、笑わない声音で呟く。

周「あ、あ……あ、はは……?」

 ようやく、彼我の絶対的な戦力差に気付いたのか、
 それとも、突然の状況にそう判断すべき思考が麻痺していたのか、
 ともあれ、現在の自分が置かれている状況に気付いた周は、掠れた笑い声を漏らす。

 あと僅かな――瞬きすら許されない時間で、メイは周を握りつぶす事が出来た。

 それをやっと、周は恐怖と共に理解できたのだ。

 一真も唖然として尻餅をつくと、驚きの視線をメイに向ける。

 既に周は全身脱力しており、掴んでいた一真の腕も離していた。

メイ「はい、犯人確保。

   ………逮捕しに来たんだから殺すワケないでしょ。
   まったく、もう……」

 一真の腕が離れた事を確認したメイは、そのまま魔導機人の手でソフトに掴んで周を捕まえると、
 呆れたような声と共に盛大な溜息を漏らした。

 そして、突風に腕の制御を任せ、駆け足気味に一真に歩み寄る。

メイ「大丈夫? ケガはない?」

一真「………あ、う、うん」

 膝を屈めて片膝立ちになり、目線の高さを合わせ心配そうに尋ねるメイに、
 一真は何とか気を取り直して答えた。

 実際は、強く捻り上げられた腕がまだ少し痛かったが、
 そんな痛みなど気にならない程の驚きが彼の胸中を占めていた。

一真「メイさん……君は、一体……」

 唖然呆然と言った風に尋ねた一真に、メイは小さな溜息を一つ漏らしてから口を開く。

メイ「魔法倫理研究院のエージェント。
   まあ、分かり易く言っちゃうと、正義の味方な国際公務員ってトコかな。

   ………アタシには、そこまでご大層な意識は無いけどね」

 メイはそう説明すると、照れたような苦笑いを浮かべた。

一真「魔法倫理……研究院」

 一真はようやく落ち着き始めた思考で、
 数年前から時折耳にするようになった組織の名を思い出した。

 古くからの加盟国とは言え、長年、魔法が秘匿されて来た日本では、
 魔法倫理研究院はまだまだ馴染みの薄い組織だ。

メイ「あと、揚・明華も偽名ね。本当の名前は李・明風。
   まあ、メイってニックネームは本当だったけど、
   騙すような事になちゃってゴメンね」

一真「え? いや、騙されたなんて、そんな事は……」

 苦笑いを交えて申し訳なさそうにするメイに、一真は首を振って応える。

 実際はまだ理解が状況に追い付ききれていないのだろう。

メイ「それにしても、良かった……」

 一真の無事を確認できたメイは、安堵の溜息と共に胸を撫で下ろした。

メイ「彼氏に何かあったとなったら、
   あの子に何て言っていいか分からないもの……」

 そして、安堵に僅かばかりの寂しさを含ませてそう付け加える。

一真「……彼氏?」

メイ「もうとぼけなくていいから……。
   あの子……優実ちゃんも、他の子達も解毒剤が完成すればすぐに目を覚ますから」

 怪訝そうな一真に、メイは安心させようと、努めて優しい声音で応える。

 年まで偽って潜入していたが、
 本当の事を告げた事で、ようやく肩肘を張った呼び方から解放された気分だ。

メイ「ただ、どんなに早くても二、三日はかかるって話だから、
   ちゃんと彼女の傍についていてあげなさいよ」

一真「彼女……? もしかして……優実姉ちゃんが?」

 溜息がちなメイの忠告に、一真は素っ頓狂な声音で応える。

メイ「え?」

一真「え?」

 異口同音に、怪訝そうな声を上げる二人。

 僅かな沈黙の帳が、二人の間に落ちる。

メイ「………えっと、一真が彼氏、優実ちゃんが彼女。
   合ってるよね?」

一真「ゆ、優実姉ちゃんの彼氏は、僕の兄さんだよ!」

 沈黙を破り、苦笑いを貼り付けたままのメイの質問に、
 一真は慌てふためいた様子で返した。

一真「兄さんは防大卒の自衛官で、だから優実姉ちゃんも自衛官を目指していて……」

メイ「……ああ」

 さらに付け加えられた一真の説明に、メイは呆けた様子で頷く。

 成る程、納得だ。

 だが、それでもまだ納得できない台詞がある。

メイ「じゃ、じゃあ、病室で“僕が守るって約束した”って言ってたのは!?」

一真「アレは、海上自衛隊所属で船に乗ってる事の多い兄さんから、
   優実姉ちゃんはそそっかしいから、何かの時は守ってくれって……」

 素っ頓狂な声で尋ねたメイに、一真はやや気圧され気味に説明した。

 成る程、こちらも納得だ。

 コレットの言っていた“歳の離れた優実の彼氏”と言う情報も、
 既に大卒社会人ならば矛盾は生じない。

 むしろ、“歳の離れた”と言う修飾語を思えば、一つ年下の一真よりも、
 もっと年齢に差があると考えた方が納得できる。

メイ「何だそりゃぁ………」

 メイは溜息混じりに呟いて、がっくりと項垂れた。

 今までの悩みは何だったのか?

 正に、文字通りの“悲劇のヒロイン気取り”である。

 恋は盲目。
 もっと冷静に情報を整理し、調査していれば分かりそうな物であった。

メイ「もう! 何で来たのよ!
   知らなければ、勘違いしたままでいられたのに!」

 メイは項垂れていた顔を真っ赤にして叫ぶ。

 確かに、一真がこの場に現れなければ、
 周一味を逮捕した事でメイは捜査を切り上げ、転校の挨拶も無しに去るつもりだった。

 だが、それは最早、ただの八つ当たりだ。

 ただ、まあ、あまりにも恥ずかしい有様を誤魔化すためには致し方ないとも言える。

メイ「勘違いとか……もう、もう! もうっ!」

 メイはあまりの恥ずかしさと、一真と優実が恋仲でないと言う僅かな安堵で、
 思わず涙が溢れそうになってしまう。

 自己嫌悪だ。
 主に羞恥で。

 しかし――

一真「だって……メイさんが、心配だったから」

メイ「へ……?」

 一真のその、真摯で真剣な声音に、メイの思考は僅かに停止した。

 メイの反応を知ってか知らずか、彼はさらに続ける。

一真「あの時のメイさん、思い詰めてたみたいだし……。

   あの後、すぐにメイさんを追い掛けたんだけど見失っちゃって……、
   けど、図書館を覗いたら、窓から君が見えたんだ。

   そしたら、昨日の高等部の先輩の事とか、メイさんの言葉から、
   もしかしたらこの図書館が、例の意識不明事件に関係しているのかも、って思ったら、
   メイさんの事が心配で、居ても立っても居られなくなったんだ」

 一真は真剣な面持ちのまま、一つ一つ丁寧に順を追って説明して行く。

 メイの推測していた状況とは、かなり心理状態が違うようだ。

メイ「私が心配って………何で?」

 メイは唖然とした様子で質問しながら、すぐにその答えに至った。

 それもそうだろう。
 あの時点ではまだ、一真もメイがエージェントだとは知らない。

 同級生の、しかも女の子が危地に飛び込んで行く様を見たら、
 一真の性格上、放っておく事など出来なかっただろう。

 それも、ある一面からは正解だ。

 だが、真の正解は一真自身から語られた。

一真「メイさんの事が……そ、その、す、好きだからに決まってるじゃないか!」

 そんな、驚きの言葉と共に。

メイ「……………………………………………………はい?」

 たっぷり十秒近い沈黙の後、メイは怪訝そうに首を傾げた。

一真「だ、だから……き、君の事が好きで、放っておけなくて……」

 一真は頬を紅潮させ、俯き加減で呟く。

メイ「? ……………ん~………? いやいや………え?」

 一真の言っている言葉が理解できず、メイは繰り返し首を傾げる。

メイ「…………あ」

 だが、すぐに言葉の内容を理解したのか、合点が行ったように漏らした。

 直後――

メイ「ぅええぇぇっ!?」

 ――盛大な驚きの声を上げる。

突風『メイ……理解するの遅すぎ』

 先程から気を利かせて黙っていた愛器が、
 共有回線を開いて呆れたように漏らした。

メイ「あ、アンタだって一真と優実ちゃんが恋人だって勘違いしてたでしょ!?
   次の恋を応援するとか言ってたじゃない!」

 メイは先程とは別の理由も含めて頬を紅潮させ、愛器に抗議の声を上げる。

一真「あ、あの、メイさん?」

 突風――と言うより、正規のワンオフ仕様ギア――の事を知らない一真は、
 誰と話しているのかも分からず、怪訝そうな声を漏らす。

メイ「か、一真も一真よ!
   アタシ達、知り合ってから一ヶ月も経ってないでしょ!?
   それで好きとか………」

一真「ひ、一目惚れだったんだ……!
   生まれて初めて、あんな気持ちになって……その落ち着かなくて」

メイ「あ、ああ……」

 自分の問いかけに恥ずかしがりながらも答えた一真の言に、
 メイは思わず納得して頷いてしまった。

 一目惚れだったのはメイも同様である。

メイ「な、何よそれ~!?
   じゃあ、最初から両思いって………アタシのこの一ヶ月間は何だったのよぉ!?」

 繰り言だが、正に“悲劇のヒロイン気取り”であった。
 良くも悪くも。

メイ「って言うか、あ、アタシ、こんななりだけど、
   本当に二十三歳なんだからね!」

 メイは顔を真っ赤にて狼狽えた様子で、胸元から身分証明の品を取り出す。

 半月前に写真を貼り替えて更新したばかりの、エージェント隊の認識章だ。
 生年欄には“1987.05.23”の文字が刻まれていた。

メイ「ほ、ほら、九つも違うんだよ?
   中学生の一真からしたら、アタシなんておばちゃん………」

一真「そ、そんな事ないよっ!
   メイさんはその、可愛いし……。

   それに、僕の兄さんと優実姉ちゃんだって一回り年離れてるから」

 一真は即座にメイの言葉を否定する。

 その否定が、メイが自身を卑下した事、次いで年齢の事の順であった事に気付き、
 メイは嬉しいやら恥ずかしいやらでさらに頬を紅潮させた。

メイ「で、でもでも、アタシ、結構、粗暴って言うか……お調子者って言うか」

一真「最初はただの一目惚れだったけど、
   メイさんのそう言う飾らない明るい一面を知って、もっと好きになったんだ!」

 痘痕も靨と言うが、正に恋は盲目である。

 勿論、当人達がそれ良いならば何の支障も無い話だ。

メイ「あ、あ、あ………」

 メイは恥ずかしさと緊張で口元をワナワナと震わせながら、狼狽え気味に立ち上がる。

一真「それに、今日のメイさんを見て、もっと好きになった……。
   颯爽として、格好良くて……」

 その言葉を聞いた頃には、もう顔を向けてもいられなかった。

 ここまで真っ直ぐ、異性から好意を向けられるのは初めてだ。

 ザックは、自分の事を手のかかる妹分としか見てくれていないし、
 アレックスは、まあ気楽な異性の友人として見てくれていても、所詮は口喧嘩仲間だ。

 他に近しい異性と言えば一征辺りもいるが、あくまで職場の先輩後輩で戦友と言う以上の感情はメイにも無い。

 胸がはち切れるので無いかと言うほど、鼓動が高まる。

突風『しかし、まあ、よくもここまで色気のない場所でロマンチックな気分になれるわね………』

 突風は居たたまれなくなって、呆れたように漏らした。

 確かに、愛器の言葉通りに、回りは昏倒した犯罪者だらけ、
 周も恐怖でいつの間にやら失神している。

 ロマンスの欠片もない光景だが、メイの耳にも一真の耳にも、
 そんな冷静な指摘は届いていなかった。

メイ「で、でもアタシ……こんな危ない仕事してるし、
   忙しいから、デートとかだって………」

 メイは一真に背を向けたまま、両手の指を突き合わせて口ごもる。

 年相応と言うよりは、見た目相応の女性らしい態度だ。

一真「じゃあ、僕が一人前になったら、考えてくれますか?」

メイ「か、一真が一人前って……アタシ、その頃には三十歳超えてるよ?」

 一真の言葉を聞きながら、メイは俯く。

 今年で十五歳の一真が、大学を卒業するにはあと八年。
 仮に短大を選んでも六年。

 最短でも、メイは三十歳だ。

 しかも、人の気持ちは移ろいやすい物。
 六年もの月日があれば、一真にだってもっと恋しい人が現れるかもしれない。

 自分でハッキリとした答えを出せない事を棚に上げてはいたが、
 メイはその事に不安を感じていた。

 もう、“押して押して押しまくって”宣言も、先に相手にやられてはたじろぐ他ない。

 また弱気の虫が鎌首をもたげ始めた頃、一真はその背に向かって口を開く。

一真「絶対に待たせない!」

 強い意志を込めた言葉が、メイの身体をつま先から頭の先まで貫く。

 その衝撃に、メイは背を伸ばす。

一真「どんな手を使ってだって、早く一人前になって見せる!
   そして、メイさんを……君を迎えに行く!」

 それは、一真の決意表明と、メイへの変わらぬ真摯な思いを約束する、誓いの言葉だった。

メイ「…………」

 その誓いを聞きながら、メイは感激に打ち震えていた。

 嬉しかった。
 こんなにも真っ直ぐに、自分の事を求めてくれる異性の存在が。

メイ「ま………っ」

 答えようとして溢れそうになった涙を、メイは慌てて拭う。

 そして、改めて口を開く。

メイ「………待ってるから。
   だから、早く、迎えに来なさいよねっ!」

 メイはそれだけ言うと、突風に通信回線を開かせた。

 ここで颯爽と立ち去れたのなら、ドラマのようで格好いいのだろうが、
 現実はそうもいかない理由がある。

 さすがに犯人と被害者を置き去りにして立ち去るのは、いくら何でも非常識だ。

 早々にこれだけの人数を運び出せる応援を要請しなければならない。

メイ「…………」

一真「…………」

 メイが応援要請を終えると、二人は離れた位置に座りながら、
 緊張してどこか居たたまれないような、
 だがソワソワとした雰囲気を漂わせながら、事態の進展を待った。

メイ(我ながら……最後まで情けないな……)

 メイはそんな事を考えながら、少し自嘲気味に、
 だが嬉しそうに微笑んだ。

―10―

 周一味逮捕から二ヶ月後。
 魔法倫理研究院アジア太平洋方面支部の間借りしているオフィス――


 間仕切りで仕切られた一角にメイが入って行くと、
 そこにはいつもの執務机の傍らにベビーベッドが置かれている。

 保護エージェント統括官――結の執務室だ。

メイ「よっ、お疲れちゃ~ん」

結「ああ、メイ。
  お疲れ様」

 戯けた調子の幼馴染みに、結は笑顔で答える。

メイ「明日美はどう?」

結「うん、元気だよ~。
  さっきはちょっと泣いてたけど、お腹が一杯になったらこの通り」

 メイの質問に、結は愛おしげな笑みを浮かべて、
 ベビーベッドを覗き込んだ。

 そこには可愛らしい赤ん坊が、すやすやと安らかな寝息を立てて眠っていた。

 二ヶ月前に生まれたばかりの、結とアレックスの娘……明日美だ。

結「ねぇねぇ、見て見て!
  目元とか、アレックス君に似て賢そうでしょ?」

 そう尋ねる様は、早速、親ばか全開である。

メイ「あ~、まぁねぇ」

 先程、技術部に寄った時に父親の方から写真を見せられ、
 “結君に似て可愛らしいでしょう?”と言う言葉に同意を求められた事を思い出して、
 メイは微笑ましいやら何やらと言った風に応えた。

 この様子を見る限り、友人夫婦の仲は実に良好なようで何よりだ。

 ちなみに、間借りしているオフィスには託児施設を増築する余裕がなく、
 結とアレックスの夫婦は共働きと言う事もあり、支部長のエミリオ・ペスタロッツァの許可の元、
 二人の自費で、統括官執務室の間仕切りを全て遮音ボードに貼り替えていた。

 閑話休題。

メイ「ああ、そうだ、コレ。
   最新の調書と追加逮捕者リスト」

 メイは思い出したように言って、結に書類の束を手渡す。

結「逮捕者、また増えたね……」

メイ「まあ、ねぇ」

 受け取った書類に目を通しながら、神妙な様子で呟く結に、
 メイは少し呆れた様子で漏らした。

 国立国際魔法学院連続意識不明事件に端を発した一連の事件は、
 今は“周グループ薬物テロ事件”へとその名を改めていた。

 劉生製薬の幹部と株主は、現時点だけでも五割以上が逮捕・起訴されており、
 さらに各所へと飛び火して行く勢いである。

 魔法倫理研究院の本案件対策班もその面子を改め、
 現在は多くの諜報エージェントが日中両国で情報集めに奔走している最中だ。

 隆一郎を通して事件を依頼して来た議員は、
 事態の隠蔽を図っていた事実から辞職に追い込まれ、
 検察や公安から事情聴取を受けているのは、自業自得と言うべきか……。

 そして、被害者達は李家の調合した解毒剤によって意識を回復し、
 今はそれぞれの郷里に帰って静養中との事である。

 不正な薬品に手を伸ばした被害者生徒達にも責任の一端はあろうが、
 成績の悩みなどに付け入られ、また人体実験の被害者にされたと言う事実もあって、
 被害者生徒達への追求は不問、彼らには箝口令が敷かれる事となった。

 また、一連の騒ぎにより、国立国際魔法学院は一時閉校となったが、
 来年度を目処に本條家を中心とした新体制で再スタートすると言う。

 事態はそれぞれに進展を見せているが、しかし、事件の真相はまだ深い闇の中だ。

 周グループが何故、国際問題に発展する危険を冒してまで国際魔法学院を実験場として選んだのか、
 日本国内で彼らを手引きしたのが誰であり、どんなルートであったのか、
 李家を離反後、数十年に渡って沈黙を守って来た周・云袍の一系が、何故、今になって動き出したか、
 ……等々、今後も調査を続けなければいけない事柄は山積みである。

 ただ、この事件の影響により、
 世界でも先んじて大規模な国際魔法教育機関を国家主導で作り上げ、
 向こう十年以上の将来を見据えた、日本政府の遠大な計画は、
 この事件を機に、一時的な遅れを余儀なくされると言う事だ。

 その一方で、今回の事件を機に本格的なスパイ防止法の施行が決まりかけてもいる。

 周グループが日本の躍進停滞を狙っていたのだとしたら、
 事実上の一勝一敗の引き分けと言った所だ。

 そして、今回の件で一番の利益――ほぼ棚ぼただが――を得たのは、
 誰あろう本條家なのは間違いない。

 政敵であった議員の辞職と逮捕による失脚。
 研究院との協力による犯人逮捕の実績。
 加えて、国立国際魔法学院と言う巨大な教育機関の実権。

 本條家にどんな思惑があったかは余人にはお呼び知らぬ事であり、
 また、当主・隆一郎にとっても本当に予想外の事態ではあったが、
 それでも、本條家の権力は戦前にはまだ遠く及ばないものの、大きく回復できた。

 これに関しては、日本国内での活動協力の面から見ても、
 魔法倫理研究院アジア太平洋方面支部にとって、
 大きく利のある結果である事は間違いない。

結「ああ、そうそう。
  一征さんから聞いたんだけど、例の逮捕時に居合わせちゃった被害者の子……、
  えっと、藤枝一真君だっけ?

  彼、本條家に入門したって」

メイ「ふ、ふ~ん、そう」

 結の言葉を聞いたメイは、少し素っ気ない雰囲気で返す。

結「事情を聞いてた時から、
  “エージェントになるにはどうすればいいのか”って、
  凄い剣幕だったって………。

  メイ、何か心当たり無い?」

メイ「ん~、まあ、ほら、アレじゃない。
   アタシの活躍に魅せられて、とか」

 微笑ましそうな結の問いかけに、メイは誤魔化すように言った。

突風<メイ……いくら結が鈍くても気付くわよ>

メイ<ほっといてよっ!>

 愛器の指摘に、メイは心中で鋭く返す。

 結も粗方の事情は察しているのだろう。

結「まあ、十四歳からエージェントを目指すとなると大変だろうけど……。
  彼、随分と筋が良いみたいで、良いフリーランスエージェントになるかも、って、
  美百合が絶賛してたらしいよ」

メイ「ほ、本当に!?」

 感慨深げな結の言葉に、メイは喜色を浮かべて尋ねる。

結「うん。
  彼、小さい頃から空手とかの格闘技とかやってるんじゃないかな?
  身体の基礎が出来てるから、飲み込みが早いらしいよ」

メイ「そ、そっか……そうなんだ」

 メイは安堵と嬉しさの入り交じった声音で、笑みを浮かべて漏らした。

 彼は宣言通り、一人前の男を目指して自分を磨いている最中のようだ。

 だと言うなら、自分もそんな彼に恥じない人間であろうと、
 メイは思いを新たにする。

メイ「じゃあ、アタシも捜査頑張らないとな」

結「ふ~ん……」

 メイの言葉に、結は感慨深さと微笑ましさの同居した笑みを浮かべて漏らす。

メイ「ぅぐ………」

 そこでようやく、会話の手綱を完璧に結に握られている事を悟り、
 メイは悔しげな呻き声を一つ漏らす。

結「フフフ……じゃあ、明日からの出張、頑張って下さいね、
  エージェント・李」

メイ「はいはい………了解しましたよ、フィッツジェラルド統括官殿」

 微笑ましげな結の言葉に、メイは肩を竦めて答えた。

―11―

 四年後。
 上海――


 李・明風を中心とした“周グループ薬物テロ事件”の対策班は、
 三年十ヶ月に渡る調査と情報収集の末、ついに事件の真相に辿り着いた。

 周グループと軍部の癒着により、
 兵士達のドーピング薬品の開発が行われていると言う事実を突き止め、
 その商品と対価の交換の場に乱入、大捕物が行われたのだ。

メイ「魔法倫理研究院だ!
   危険指定魔法薬の取引現行犯で逮捕する!
   さっさとお縄につけぇっ!」

 天井裏に忍んでいたメイの言葉を合図に、
 彼女の部下や、日本から派遣されたフリーランスエージェント達が一斉に薄暗い室内へと雪崩れ込む。

 抵抗するガードマン達を押さえつけ、ねじ伏せ、主犯格の男や軍部高官を逮捕して行く。

青年「エージェント・李!
   階下のガードマン全員の捕縛、完了しました!」

 すぐ下でガードマン達が詰めていたフロアの鎮圧部隊を任せられていた、
 日本のフリーランスエージェントの青年が、その場に現れる。

 身長はかなり高く、一九〇に届くのではないだろうか?

メイ「お疲れ様。
   どう、初の大捕物の感想は?」

青年「いえ……まあ、支部の方の手際が鮮やかだったお陰で、
   僕はこれと言った仕事は……」

 青年はそう言いながら、懐から取り出した眼鏡を掛けた。

 おそらく、捕り物と言う事で外していたのだろう。

メイ「またまた謙遜を……。
   いい男になったじゃない」

青年「まだBランクの若造ですよ……。
   僕と同じ年の頃にはとっくにSランクだったエージェント・李の足下にも及びませんよ」

 微笑ましそうに言ったメイに、青年は肩を竦める。

メイ「それって、私がおばちゃんだって事?」

青年「そ、そんな事ありません!
   メイさんは、四年前のあの日からずっと、可愛らしくて素敵な女性です!」

 自嘲気味の溜息混じりのメイの言葉を、
 青年は慌てて否定した。

 あの日から変わらない、真っ直ぐな言葉に、
 メイは嬉しそうに満面の笑みを浮かべた。

メイ「じゃあ、あなたも胸を張りなさいよ……。
   一人前の、いい男になったんだから、さ………一真」

青年「………はい、メイさん」

 感慨深げなメイの言葉に、青年――フリーランスエージェント・藤枝一真は、
 誇らしげな笑みを浮かべ、大きく頷いて答えた。



――アタシの名前は李・明風。
  世界最速の足を持つ魔導師。

  彼の名前は藤枝一真。
  たった二年で一般人からBランクに上り詰めた最速の努力家。

  あの日、出会った一瞬で恋に落ちた、
  きっと、世界最速の恋をした二人………。――


番外編「メイ、未来に繋がる一つの物語」・了

以上で番外編、終了です。
軽い気持ちで書き始めたのに、最終回より長いとか狂ってる。


それと、お待たせしてしまったお詫びに、
さらにもう一本、ベリーショートな閑話を投下させていただきます。

閑話~それは、幸せな『旧友達の談笑』~


―1―

 2015年、某月某日、週末の夕刻。
 アジア太平洋方面支部メガフロート、F・譲羽邸――

 東京ドーム数十個分と言う超巨大メガフロートの東部ブロック、
 閑静な住宅街の中、基地内リニアトレインの駅からほど近い場所に、その家はあった。

 広い庭の真ん中に立った大きな桜の木は、既に花の季節も過ぎて、
 青々とした葉を茂らせている。

 家屋も、平屋ではあるが落ち着いた雰囲気の和風建築で、
 離れのガレージには夫婦兼用のワンボックスカーが鎮座していた。

 そんな家の玄関に、カジュアルな普段着姿の九人の男女――
 内訳は男性二名、女性七名――がやって来る。

奏「ここが、結とアレックスの新居かぁ……」

 その内の一人――奏が、その様相を見上げて呟く。

 三年前に所用で立ち寄った時は、まだ東京の賃貸マンション住まいだったが、
 二年前の支部本格移転をキッカケに土地を買い、新居を建てたとは聞かされていた。

 まあ、築二年となると、胸を張って“新居”と言うには中々難しいラインではあったが……。

ザック「和風建築か……どっちの趣味だ?」

ロロ「う~ん、アレックスっぽいような気もするけど、
   結の意見を押し退けて我を通すような性格じゃないしなぁ……」

 ザックとロロの夫婦は、肩を並べて一方は怪訝そうな表情を浮かべ、
 一方は小首を傾げている。

美百合「ああ、旦那さんの方の趣味だそうですよ~。
    その代わり、内装の方は結さんの趣味だとか」

 その疑問に応えたのは、美百合だ。

一征「初めて入ると、ギャップに驚くぞ……」

 その傍らで、一征が淡々と呟く。

フラン「……ああ~、何となく予想つくわ」

 一征の言葉に、少し離れた位置で夕暮れで茜に染まった葉桜を眺めていたフランが、
 苦笑いを交えて呟いた。

 離れて暮らして六年となる弟妹分達だが、まあ大概の好みは察している。

紗百合「こんな所で大人数でグダグダやっててもしょうがないでしょう。
    招待されてるんだし、さっさと中に入りましょうよ」

 それまで、各々の言葉を黙って聞いていた紗百合が、待ちくたびれたと言いたげに呟く。

クリス「じゃあ、呼び鈴慣らしますね」

リーネ「うん、お願い」

 先輩達の様子を窺っていたクリスは、リーネと互いに目配せした後、
 玄関脇の呼び鈴を押した。

 屋内でチャイムの鳴り響く音が聞こえ、しばらくして足音が聞こえて来る。

 僅かな間の後、玄関が開かれた。

アレックス「やあ、皆さん、いらっしゃい」

 にこやかな笑顔で出迎えたのは、この家の主、アレックス・F・譲羽だった。

フラン「うわぁ、和服似合わないわねぇ……」

 数年振りに再会した弟分の格好に、フランは噴き出しそうになりながら言った。

 アレックスは普段の動きやすい服と白衣ではなく、
 洒落た無地の紬の着物である。

リーネ「アレックス兄さん、って言うか、あれっくす兄さんだね……」

 リーネも見慣れぬ兄貴分の格好に、笑いを堪えて呟く。

 むしろ、荒烈駆主兄さんである。

アレックス「まあ玄関で立ち話も何ですから、
      中へどうぞ」

 旧友達の態度に苦笑いを浮かべながら、アレックスは彼らを自宅に招き入れた。

 玄関には三和土こそあるものの、内装は普通に洋風建築だ。

 玄関で見た時は、アレックスの服装もマッチしていたが、
 一度、家の中に入れば実にミスマッチである。

フラン「あ……ありのまま今起こった事を話すわ!

    “和風のお屋敷に入ったと思ったら、中は洋風建築の家だった”

    何を言ってるか分からないと思けど、私も何が起こったのか分からない!」

 フランは目を見開いて叫ぶが、内装に関しては前述の通り、
 既に彼女も予想していた事なので、あからさまにわざとだ。

 そのネタを言うべき国籍の人物は、感嘆混じりに友人の新居の内装を見ていた。

アレックス「全く、何を言ってるんですか?」

 口ぶりでは普段通りだが、アレックスは柔和な笑みを浮かべている。

ザック「何か、お前、子供生まれたら丸くなったな……性格が」

アレックス「そうでしょうか?」

 肩を竦めたザックの言葉に、アレックスはにこやかに返す。

 そのまま彼らは下足からスリッパに履き替え、庭に面したリビングへと入って行く。

 中央を一段下げて作られた広いリビングには、
 大きな楕円のテーブルが置かれ、座り心地の良さそうなソファが並べられていた。

 テーブルにはたくさんの料理が並べられており、
 既に外見だけ少女の女性と、幼い少女が座っていた。

メイ「おい~ッス、お先してるよ」

明日美「あ~、奏おばちゃんだ~!」

 メイと、結とアレックスの娘……明日美の二人だ。

 明日美は立ち上がり、奏に向かって駆けて行く。

奏「うん、久しぶりだね、明日美」

 飛びついて来た明日美を抱き留めながら、奏はにこやかな笑顔で返す。

クリス「クリスお姉ちゃんも来てるよ~」

 母の傍らで、クリスもにこやかに話しかけた。

明日美「いらっしゃい、クリスお姉ちゃん!」

 明日美もそれに応え、元気良く返す。

 母と親交が深い事もあって、明日美は幼少期から二人と面識があり、
 電話越しだが、頻繁に話す機会もあり、写真も送り合っていた。

フラン「おばちゃんて……同い年の奏がそう呼ばれてると、
    なんか、色々とダメージデカいわ……」

 一方、フランはがっくりと肩を落としている。

 確かに、四歳児からすれば二十九歳は“おばちゃん”なのだろうが、
 未婚で“おばちゃん”呼ばわりされたら、さすがに立ち直れないかもしれない。

アレックス「ほら、明日美。
      初めて会う人もいるんですから、ちゃんと挨拶しないと駄目ですよ」

明日美「は~い、パパ」

 父に丁寧に窘められた明日美は、素直に奏から離れ、
 やって来た一団に向き直る。

明日美「はじめまして!
    あすみ・フィッツジェラルド・ゆずりはです。
    よろしくお願いしますっ!」

アレックス「はい、よく言えました」

 丁寧なお辞儀を合わせて挨拶した娘の頭を、
 アレックスは優しそうに撫でた。

 明日美もそれが嬉しいのか“えへへ~”と満面の笑みを浮かべている。

紗百合「本当……いつ見ても、大人だらけでも物怖じしない子ねぇ。
    肝の据わりっぷりは、さすがに結の娘だわ……」

 そんな幼子の様子に、紗百合は嘆息混じりに呟く。

リーネ「メイ姉さんも久しぶり。
    元気にしてた?」

メイ「そりゃあ、それだけが取り柄だからねぇ」

 久々の再会に嬉しそうな笑顔を浮かべたリーネに、メイも笑顔で返す。

 各々に再会を懐かしみ、出逢いを謳歌する様は、実に朗らかだ。

 と、その時である。

結「みんな、いらっしゃい!」

 奥のキッチンで料理の仕上げをしている最中だった結が、
 やや慌ただしそうに、だが嬉しそうな笑顔を浮かべて顔を見せた。

 こちらはゆったりとしたトレーナーにマキシ丈のスカート、
 薄桃色のフリルエプロンと、夫とは正反対の赴きの格好だ。

フラン「結、お久しぶり!
    っと……前に任務で一緒した時以来だから、三年くらいぶり?」

結「そうだね、それくらいかな?」

 フランと結は、懐かしそうに思案げに漏らす。

 二人の再会は、中央アジアでの大規模摘発があり、
 その時の任務で共闘して以来だ。

 フランが新規部隊起ち上げの準備中であった事と、
 結も多忙な統括官であり、離れて暮らすが故だ。

ロロ「二人とも、働き過ぎだからね」

 そんな二人の様子に、ロロが苦笑いを交えて呟く。

結「そう言うロロとザック君は、
  今日はマリアちゃんとミリアちゃんは一緒じゃないの?」

ザック「ああ、ロロの実家は次の学会の準備が忙しいとかで、
    今回は俺の実家に預けて来た。

    まだ二歳だし、飛行機の長旅はキツいだろうからな」

 小首を傾げた結の問いかけに、ザックが答える。

 マリア・ファルギエール。
 ミリア・ファルギエール。

 共に一昨年生まれたばかりの、ザックとロロの双子の娘だ。

美百合「お子さん………」

紗百合「子供、ね………」

 子持ち夫婦の会話を聞きながら、本條姉妹は内縁の夫とも言える一征に視線を送る。

一征「………」

 対して、本條家時期当主は見て見ぬ振りを決め込み、
 アレックスに促されるままいそいそとソファに腰掛けていた。

リーネ「昔は、ハッキリしない一征さんって酷いなぁ、って思ってたけど、
    ああ見ると同情しちゃうなぁ……」

クリス「そうだねぇ……」

 どこか遠くを見るような視線のリーネの言葉に、
 クリスも苦笑いを浮かべて同意する。

??「み、皆さん! は、初めまして!」

 と、結の後ろから、緊張気味の大きな声が響いた。

 少し驚いたような面々の視線が、そちらに向くと、
 そこには一際高い身長の青年が佇んでいる。

 藤枝一真だ。

美百合「あら、一真さん。
    先に来てお手伝いとは、感心ですね~」

一真「は、はいっ、師匠!」

 にこやかにおっとりと話しかけた美百合に、
 一真は文字通りに直立不動と言った姿勢で返す。

クリス「師匠? って、あの、こちらの方は?」

 突然の初対面の青年の出現に、クリスは小首を傾げて紗百合に尋ねる。

紗百合「ああ、あの子、ウチの門下生」

一真「は、はいっ!
   本條家門下、Bランクフリーランスエージェント、藤枝一真です!

   旧特務部隊の皆さんにお会いできて、こ、光栄です!」

 紗百合の返事に続いて、一真はカチコチと言っても過言では無いほどに緊張し、
 上擦った声で自己紹介をした。

 さもありなん。

 十八歳と言う若さにも関わらず、フリーランスでBランクと言えばかなり非凡な部類に入るが、
 子供である明日美を除いて、全員がAランク以上のハイランカーであり、
 しかも、その内の半数が初対面ともなれば、一真も緊張を禁じ得ないだろう。

紗百合「で、あっちが弟子。こっちが師匠」

 紗百合は付け加えるように、一真と姉を順番に手で指し示した。

フラン「ああ、この子が……噂の」

メイ「そうそう、アタシの自慢の……」

 思い出したように口を開くフランに、メイは自慢げに胸を張る。

 だが――

フラン「年齢詐称でひっかけた彼氏」

 ――続く姉貴分の言葉に、メイは胸を張ったまま仰向けに倒れかける。

メイ「ちょっ!? 概ね間違ってないけど、激しく間違ってるから、それ!」

 メイはフランに詰め寄るように叫ぶ。

一真「め、メイさん、落ち着いて」

 一真は緊張しながらも、メイを抱きかかえるようにして取り押さえた。

 身長差が頭二つ分近いと言う事もあり、大人が子供を抱きかかえているようにすら見える。

結「ふふふ……」

 一方、結は、目の前の光景に、かつての賑やかしい日々を重ね、
 懐かしそうに微笑む。

 仕事の関係や休暇などで、個人同士が会う機会は今までにも何度かあったが、
 こうして旧特務の全員に、本條家の三名、クリスとアレックスを加えた十二人が揃うのは、
 グンナーショック後の事後処理以来、実に八年ぶりの事だ。

 そう、今日は休暇や出張の都合を利用して来日した欧州本部組と、
 それに合わせて休暇を調整して来た太平洋方面支部組全員で集まっての、
 言ってみれば同窓会であった。

 この場に一真がいるのは、メイの願いで友人達への面通しと言った所だ。

結「じゃあ、一真君。
  最後の配膳の手伝い、お願いね」

一真「は、はい! フィッツジェラルド統括官!」

 笑み混じりの結の言葉に、一真は緊張したまま応える。

 彼もこの一ヶ月ほどでようやく自分やアレックスには慣れてくれたハズなのだが、
 さすがに師と初対面の英雄達を前に、再発気味のようだ。

結「今はオフなんだから、そんなに固くならなくてもいいよ」

 結は苦笑い混じりに言って、キッチンへと戻って行き、一真もそれに続く。

結「あなた~、もうちょっとで準備終わりますから、
  それまで、みんなのお相手、お願いしますね」

アレックス「ええ、任せて下さい」

 キッチンからの結の言葉に、アレックスはにこやかに応えた。

アレックス「それじゃあみんな、好きな場所に座って下さい」

 家主に促され、それまで立ち話をしていた面々も、
 それぞれにソファに腰掛け始めた。

 料理の配膳を終えた結と、自分から手伝いを申し出ていた一真も加わり、
 全員が着席する。

 アレックスから時計回りに、明日美、結、奏、クリス、リーネ、
 美百合、一征、紗百合、フラン、ザック、ロロ、メイ、一真の順だ。

奏「乾杯の音頭は誰がする?」

一征「こう言う場だ、フランでいいだろう」

ザック「意義無し」

 全員に飲み物が行き渡った所で、年長組が口々に言い合う。

フラン「そう言う事みたいだけど、構わない?」

結「うん、お願い」

 確認して来たフランに、結も笑顔で頷く。

フラン「コホンッ……じゃあ、失礼しまして。

    久方の再会と、新たな仲間との出逢いを祝して、かんぱーいっ!」

一同「かんぱーいっ!」

 フランの号令で、隣り合う者同士がグラスを鳴らし合い、同窓会は始まった。

結「奏ちゃん、最近の湊ちゃんの様子はどう?
  元気にしてる?」

奏「うん、元気だよ。
  相変わらず、素直じゃないけど」

結「へぇ、そうなんだ……」

 微笑ましそうに質問に答えた奏の言葉に、結もその様子を思い浮かべて笑みを浮かべる。

 湊【みなと】……湊・ユーリエフ。
 七年前に奏が後見人となった女性だ。

 かつてはカナデ・フォーゲルクロウを名乗っていた、
 生き別れた、奏の実の妹でもある。

 姉と同じく、四十八年前に母を助けてくれたフリーランスエージェントで、
 本條姉妹の亡き祖父・奏一郎の名から、“奏”の一字を取って名付けられた、彼女本来の名だ。

 グンナーショック以後、五年間の刑期を終えて出所を許された彼女は、
 そのまま勤労奉仕と言う形でエージェント隊に入隊し、防衛エージェントとして、
 姉の勤務するスイスの若年者保護施設で専属護衛の任に就いていた。

 本部としては、実力もあって姉でもある奏に保護観察させる意味もあっての事だ。

 そう言い出したのは彼女自身でもあるのだが、
 天の邪鬼な彼女の事、おそらくは姉の傍に居たいと言うのが本音だろう。

 そんな申し出が簡単に通ったのは、実際に考え得る処置として妥当であった事と、
 隊の上層部が気を回してくれたと思って間違いない。

結「お姉さん思いの良い子だね」

奏「みんなそう言ってくれるんだけど、あの子ったら、
  “もう二十五歳なんだから、良い子とか言うな!?”って怒るんだよ?」

 感慨深く呟いた結に、奏は肩を竦めて呟く。

 だが、口ぶりとは裏腹にその表情は幸せそうで、
 湊自身も怒ると言うよりは、照れていると言うのがありありと感じられた。

フラン「ねぇ奏、湊の事、ウチの隊に預けてみる気ない?」

 そんな奏に、対面に座っていたフランが問いかける。

奏「特務に? あの子、勤労奉仕措置だから、ずっとCランクのままだよ?」

フラン「構わないわよ。

    って言うか、奏と拮抗できるだけの実力持った子を、
    いつまでもCランクに止めておくってのもアレでしょ?

    折角、真面目に罪を償ったんだし、勤務態度も良好なんだから、
    ウチで実績積ませれば、特例措置でBランクまで上げられるかもしれないし、
    将来的な事を考えれば、その方が何かとプラスだと思うんだけど、どうかな?」

 怪訝そうに問い返した奏に、フランは思案げに尋ねる。

奏「う~ん……何分、本人もいない事だし、ボク一人で決めていい事でもないから、
  向こうに戻ったら、後であの子と一緒に話をしようか?」

フラン「うん、それで行きましょ。
    あ~……でも、首を縦に振ってくれるかなぁ……。
    あの子、お姉ちゃん子だし……」

 奏の提案に頷いたフランだが、すぐに困ったようなうなり声を漏らす。

ロロ「そんな事言ったら、絶対に首を縦に振らないかもね」

フラン「そ、それは困るわよ!?
    みんな、さっきの発言は極秘って事で!」

 噴き出しそうなロロの言葉に、フランは慌てた様子で言った。

メイ「そう言や、フラン姉。
   隊は放っておいていいの?

   まだ結成して半年も経ってないでしょ」

フラン「ん?
    ああ、留守番の副隊長二人がしっかりしてるから。

    それに、昔の三倍の隊員数確保できたから、
    余程の大規模な任務中以外は、ローテーションで休暇も取れるようになったしね」

 メイの質問に、フランは安堵にも似た感嘆の溜息を交えて応える。

ザック「ん? 副隊長三人じゃなかったか?」

フラン「ああ、セシルはお義母さん連れて二泊三日の旅行だって。
    だから留守番はアンディとユーリの二人に任せてる」

 怪訝そうなザックに、フランはそう応えてから、
 “その代わり、明日の夜までに帰らないといけないけどね”と付け加えた。

美百合「えっと、そうなると、休暇組なのはフランお姉さんと………」

ロロ「私とザックも休暇だよ。
   私達の隊がローテーションの長期休暇中って事で」

 思案げな美百合に、ロロが説明的に付け加える。

奏「出張組はボクとリーネだね。
  まあ、出張と言っても、シエラ先生に近況報告をしに来た感じだけど」

リーネ「私の場合は、国際魔法学院のコーチングマニュアル見直しと、
    あと、こっちの訓練校に顔出し。

    Aカテゴリクラスは、今は夏期休暇中だから」

 奏の言葉を受けて、リーネが続けた。

クリス「私は任務終了後に、この集まりの話をお母さんから聞いて、
    結お姉ちゃんやアレックスさんからのお誘いもあって緊急参加です。

    あ、っと、これ、電話で話していたブラジル土産です」

 クリスは事情説明中に思い出すように言って、
 持って来ていた紙袋を結に手渡す。

結「ありがとう、クリス」

 紙袋を受け取った結は、それをテーブルの下にしまい込んだ。

紗百合「けれど、ブラジルからの任務帰りに日本に寄るって、
    結構、無茶なんじゃない? 反対回りでしょ?」

 その様子を見ながら、紗百合が苦笑い混じりに尋ねる。

クリス「う~ん……結構、世界中を飛び回ってるから……あんまりそう言う実感は」

 クリスも困ったように応えながら、充実していと言いたげな笑みを浮かべた。

一真「欧州の皆さん……やっぱり大変なんですね」

一征「情勢不安定はどちらも一緒だが、
   やはり彼方は魔法文化の本場だからな……。

   どちらがより大変と言うワケではないが、
   その辺りの違いを覚えておくと良い」

一真「は、はい!」

 次に自分が仕える事となる主……一征の言葉に、一真は緊張気味に頷いた。

ロロ「それにしてもテーブル大きいね。
   たまに二人のご家族が遊びに来てるって言っても、
   こんなに大きいと持て余さない?」

 ロロは広いテーブルを見渡しながら呟いた。

 確かに、今もこうして十四人が囲んでいるにも関わらず、
 十分にゆったりと出来るだけの余裕がある。

 イギリスにいるアレックスの家族、日本にいる結の家族を含め、
 両家が勢揃いして、親子を含めても十三名。

 十分過ぎる広さだし、両家勢揃いなどと言う事は早々ない。

結「ああ、私の部下の子達とか、アレックス君の仕事仲間とか、
  そうやってたくさんの人を食事に招待する事も多いし、
  麗ちゃんや香澄ちゃんの会社の人を招待したりもするから。

  実は、これでも結構、手狭だったりして……」

アレックス「目算を見誤りました……」

 苦笑いを浮かべて説明する結に、アレックスが溜息混じりに肩を竦めた。

 人付き合いが無いと、いざと言う時に大変だが、
 人付き合いが広すぎるのも、また大変であると言う実例だ。

メイ「若い子は食べ盛りなのもいるしねぇ……。
   よく家計がパンクしないわ……」

 メイは呆れ半分と言った風な嘆息を漏らす。

ザック「夫婦でSランクだとそうでも無いぞ。
    隊長手当や主任手当があれば給料もいいしな」

メイ「ああ、成る程ねぇ~。

   けど、固定登録されてる部隊の隊長とか、一度でいいからやってみたいなぁ……。
   気楽な分、隊長手当無いってのが、スタンドアローンの辛い所だわ……」

 ザックの言葉を聞きながら、メイは盛大な溜息を漏らす。

リーネ「そう言えば、この中で一番の高給取りって誰だろう?」

結「ん~……特務の頃だと、奏ちゃんだよね。
  隊長補佐手当と、施設職員手当があったし、今は施設責任者手当があるでしょ?」

 リーネの漏らした疑問に、結が指折り数えながら呟く。

奏「多分、今はボクより結の方が上じゃないかな?
  支部の保護エージェント統括官って、殆ど総隊長みたいな物でしょう?」

結「ああ……確かに、十代の頃から見ると、倍くらいになったかも」

 思案げに尋ねた奏に、結は頷いて答えた。

 エージェントの給料は基本給に加えてランクと役職で加算される形式だ。
 役職のグレードで給金にもかなりの色が付く。

 危険度・重要度の高い任務に就く事が多いので、当然と言えば当然の措置である。

フラン「ん~、アタシは昔とあんまり変わってないけど、
    多分、一番の高給取りってなら、日本のフリーランスのまとめ役してる一征じゃない?
    研究院と日本、両方から給料出てるハズだし」

一征「その分、どちらも満額では無いがな……」

 思案げなフランの予想に、一征は溜息がちに呟いた。

 一征はフランの言葉通り、代議士として活動中の現当主の隆一郎に代わり、
 美百合、紗百合の二人と共に日本国内のフリーランスエージェントの統括を行い、
 かつ、捜査エージェント隊での主任統括官も務めている。

 役職的には結の直接の上司であり、フリーランス統括と重要な役職だが、
 多額給与の二重支給としての指摘を避けるため、
 どちらの給与も、一部を事前返納すると言う体裁で四割ほどカットされていた。

 それでも総額では多額の給与が支払われている事に相違ない。

メイ「そう言や、次の総隊長人事ってどうなってるの?
   再来年かその次の年あたりには、アンダースン総隊長もアルノルト総隊長も定年でしょ。

   こっちだと、本部の噂話ってあんまり入って来ないんだよね」

フラン「戦闘エージェント隊はまだ分からないけど、
    捜査エージェント隊の次期総隊長は、若年者保護観察施設の責任者やってる、
    エージェント・ベンパーで決まりでしょ。
    んで、そのまま奏が責任者に繰り上がりっと」

 メイの疑問に、フランが自分の予想を述べた。

奏「え? ちょ、ちょっと……本部だと、そんな噂が立ってるの?」

 一方、自分の部署に影響が出ると言う噂に、奏は困惑気味だ。

アレックス「聞く限りは順当なんじゃないでしょうか?
      奏君も、副責任者就任からもう六年ですし、
      本部的には、経験も実績も十分と言う判断を下す可能性はあり得ますよ」

奏「ちょ、ちょっと……アレックスまで」

 アレックスの推測を聞き、奏はさらに慌てふためく。

クリス「そうなると、次々期総隊長はお母さん?」

奏「く、クリス~」

 どこか悪戯っ子のような笑みを浮かべた我が子の言葉に、
 奏はさらなる困惑の色を浮かべて、彼女らしからぬ少し情けない声を上げた。

ザック「まあ、そんな事言ったら、戦闘エージェント隊総隊長に、
    フランを推すって声も上がってるけどな」

フラン「ちょっと待って、それはいくら何でも初耳よ!?」

 何気ないザックの一言に、今度はフランが慌てふためく。

一征「何もおかしな話じゃないだろう。
   同期の俺が、実質支部の総隊長職に当たる主任統括官なんだ。

   俺より実績にあるフランに、総隊長職の推薦があるのは不思議じゃない」

 そんな幼馴染みの様子に、一征は当然と言いたげに呟いた。

フラン「で、でも、仮に再来年だとしても、私、まだ三十代だよ?
    いっくら何でも無いって……」

結「ん~……リノさんが総隊長と実質的に同じ扱いの、
  総合戦技教導隊の隊長に就任したのが二十七歳の時だし、
  フランの実績なら十分にあり得るんじゃないかな?」

美百合「そうですねぇ。
    むしろ、遅すぎた気もします」

 結の言葉に同意した美百合が、うんうんと何度も頷く。

紗百合「支部の方も、お兄様が本條の家督を継いで今のポストから離れたら、
    結が繰り上がりで主任統括官になるのは確実だし、
    現実味が無い人事とは言い切れないものね」

 紗百合も溜息混じりにそう呟いた。

一真「…………」

ザック「大丈夫か? 話に付いて来れてるか?」

 呆然としている一真の様子に気付いたザックが、心配そうに声をかける。

一真「いえ……何だか、雲の上の話過ぎて……」

クリス「私達みたいな現場組だと、噂くらいで実感が薄いものね」

 困惑気味の一真に、クリスが感慨深く呟いた。

 おそらく、一真とクリスではその感覚にもかなりの誤差がある。

 如何にたった数年でBランクまで上り詰めた秀才と言えど、
 本格的に魔導に携わるようになってまだ四年の一真には、まだ理解が及ばぬ域と言う事だろう。

明日美「はい、パパ。あーん」

 一方、大人達の難しい話などどこ吹く風と言った感じで、
 天真爛漫な幼い少女は、フォークに刺したブロッコリーのチーズ焼きを、
 父の口元に向けて差し出す。

アレックス「はい、あーん」

 アレックスも彼女の要求に応えるように口を開き、料理を迎え入れた。

明日美「おいしい?」

アレックス「ええ、とっても美味しいですよ」

 満面の笑みで尋ねる愛娘に、アレックスも笑顔で応える。

結「ママの自慢の手料理だもの。
  はい、じゃあ明日美も、あ~ん」

 どこか誇らしげの胸を張った結は、
 そう言って娘の好物である、トマトソースで煮込んだミニハンバーグを小さく切り分け、
 箸で摘んだソレを明日美へと差し出す。

明日美「あーんっ」

 明日美は嬉しそうにそれを食べると、幸せそうな笑顔を浮かべた。

明日美「えへへ~、おいし~。
    ママ、ありがとうっ」

結「はい、どういたしまして」

 愛娘の素直な感想に、結も幸せそうに微笑む。

アレックス「それじゃあ、ママには僕から」

 そんな妻子の様子に、今度はアレックスが手近なチキンナゲットを箸で摘み、
 結の口元に差し出した。

結「え? え、えっと……あ~ん……」

 唐突な夫の行動に、結は少し照れながらもそれを迎え入れる。

 見事な“あ~ん”のトライアングルだ。

フラン「何、この絵に描いたかのような幸せ一家………」

ザック「ウチも似たようなモンだから、あまりとやかく言えねぇな」

 その光景に当てられたフランに、ザックは苦笑いを交えて呟いた。



 仕事の話、他愛もない昔話、それぞれの近況報告を交えたパーティーは、
 その後も和やかな雰囲気で続いた。


閑話~それは、幸せな『旧友達の談笑』~ 了

以上で今回分の投下は終わりです。

第五部……と言うか、第二シリーズもぼちぼちと書き始めております。
今回投下した閑話並に短い第一シリーズと第二シリーズを繋ぐエピソードとなるプロローグだけは、
近日中に投下したいと思っておりますので、是非、ご覧下さい。

あと、安価置いて行きます。

第34話 >>2-70
最終回 >>76-153
番外編 >>165-233
閑話   >>235-245

せっかくのエイプリルフールなので投下します。

プロローグ~それは、彼女が語る『世界最期の日』~


―1―

 私が生まれる何年も前に、大きな事件があった。


 グンナーショック。

 私の曾祖父に当たる人物、グンナー・フォーゲルクロウが起こした、
 米国本土の軍事施設の一斉同時制圧と言うセンセーショナルなテロに端を発した、
 世界中の人間を対象とした人類粛正計画だ。

 今では当たり前となった、それまでは世界の裏へと秘匿されていた魔法の存在が明らかとなり、
 事件解決後の世界各国は、国家を上げて挙って魔法の研究を始めた。

 魔法技術を応用する事で、無から有を生み出す事が難しくなくなったと言う現実は、
 医療、建設、製造、エネルギーなど様々な分野で重宝され、
 人類は“限りある資源”と言う恩恵にして最大の制約から解放される事となり、
 このまま世界は無限の発展を続けると思われていた。


 そう……かつて、確かに、そんな時代が存在したのだ。



 私が覚えている限り、私が欧州に留学した翌年――七歳の頃までは、
 あの地域は世界から“独立した国”として認識されていたと思う。


 事の発端は、2018年の夏。

 当時、中華人民共和国――中国と呼ばれていた国と、
 朝鮮民主主義人民共和国――北朝鮮と呼ばれていた国に挟まれた湾内で、大きな事故があった。

 中国の地方軍閥の仲介によって、
 利害の一致を見た北朝鮮と大韓民国――韓国の二ヶ国は、
 その軍閥と結託しある一つの兵器開発に着手していた。


 大陸間弾道魔力拡散弾――通称・魔導弾。

 巨大な魔力コンデンサ内に溜め込んだ絶大な量の魔力を、衝撃と共に一斉解放。
 過剰魔力による人体破裂を誘発し、着弾点周囲の低魔力量の人間を皆殺しにする、悪魔のクリーン兵器。

 魔力係数にして十万と言う大出力に耐えられる人間は、恐らく地球全土で五パーセントほど。
 仮に百人で機能する施設から九十五人の命が失われた場合、その施設は瞬時に無力化されてしまうだろう。

 飛び散った人体を除去する手間や費用を考えなければ、
 無傷で敵の施設や装備を手に入れられるソレは、
 悪魔のクリーン兵器であると同時に理想的な兵器でもあったのだ。

 そして、それは、魔力攻撃に対して無防備な都市や軍事基地への攻撃を主眼にした兵器だった。

 悪魔の兵器開発は秘密裏に続けられ、
 完成した試作五号弾の実用実験が大連西岸沖……
 渤海海上で行われたのが、前述の2018年の夏。

 そして、前述の通り、その実験によって大きな事故が起きた。


 魔導弾の暴発。

 初の予定魔力係数最大値である十万の魔力を込められ、
 小規模爆発用として試作されたハズの五号弾は、
 直径にして千五百キロの広大な土地を巻き込んで暴発したのだ。

 それが作為的な物だったのか、本当にただの事故だったのかは今も分からないが、
 周辺三ヶ国は魔導弾による被害で壊滅的打撃を被る事となった。

 北朝鮮と韓国の本土である朝鮮半島は、僅かばかりの人間を除いて全員が破裂死を迎え、
 中国も首都である北京を含む大都市の殆どが、朝鮮半島と同じ末路を辿る事となり、
 三国の国家としての体裁は瓦解した。


 しかし、悲劇はそれだけに終わらない。

 中央の抑圧を失った中国各地の軍閥は暴走し、周辺国への侵攻と略奪を開始した。

 それぞれが国家を名乗る、近代兵器で武装したならず者の集団は、
 結果的に“同盟国への侵攻阻止”と言う大義名分を与えられた
 アメリカの素早い介入を招き、呆気なく鎮圧される事となる。

 支配民族を幾度も変えながらも数千年の歴史を保ったと豪語・喧伝していた国家は、
 誕生からたった数百年の超大国によって、あっさりとその土地を奪われる事となったのだ。


 だが、それが全ての始まりであった。



 2021年。

 私が十歳となったその年に、第三次世界大戦が勃発した。


 グンナーショックによって十年以上萎縮していた列強国家は、
 超大国のさらなる躍進による危機感から、
 それまで燻らせていた冷戦構造を、一気に目覚めさせてしまったのだ。

 近代兵器と魔法を応用した戦争は世界各地へと飛び火した。


 核に代わるクリーンエネルギーである魔力を用いた戦争は、
 兵器と戦術に劇的な変化をもたらした。

 より強固な装甲、より強大な火力、より素早い機動力。

 それらの特性を付与された数々の新兵器が跋扈する戦場で、
 被害に晒されるのは、無数の、無辜の民。

 彼らを守るため、私の母やその戦友達が戦場に立つのは、
 言ってみれば至極当然の流れだった。


 当時、候補生として私も属していた魔法倫理研究院は世界各地にエージェントを派遣し、
 被災者の救出や保護に全力を傾けた。


 そして、開戦から七年後の2028年の春。

 長い戦争に疲弊した世界は、
 誰の目にも明らかな勝者と敗者に別れて終戦を迎えた。

 私が、一人前のエージェントとして活動を始めた、三年後……
 十七歳になった頃の事だ。

 疲弊した各国はそれぞれに合併連合し、
 戦前の経済協力機構などを基準とした新国家連合体を、幾つも作り上げる事となった。


 加盟国の殆どが財政破綻を来したEUは、
 その主権の一部を譲渡する代償として、
 最大の戦勝国であったアメリカに依存、
 アメリカヨーロッパ連合を結成した。

 オセアニア諸国も南米友好国らと連携する南太平洋経済協力体を新設する。


 私の母国である日本も、
 戦時中に同盟体制にあった旧ASEAN系国家等と連携し、
 新東南アジア諸国連合――NASEANを結成したのだ。


 戦時中、インド洋上に急ピッチで建造された
 超大規模な食糧生産及び軍事防衛施設であったメガフロートを基礎に、
 長引く戦争で失われた自然と文化を取り戻し、育むための新たな大地を作り上げた。

 文明文化自然保全計画と銘打たれた一連の計画は、
 直径千キロの閉鎖積層型楕円球形ドームプラントを中心に、
 周囲に七つの同小型――と言っても直径五百キロはあるが――プラントを併設し、
 内部にNASEAN各国の戦前の姿を再現した。

 NASEAN諸国の多くの人々がこのドーム型メガフロートへと移住する事となり、
 NASEAN諸国は海上に浮かぶこの人口の大地を新たな国土としたのだ。


 今も私が暮らしているメガフロートではあるが、
 こんな超巨大な怪物を短期間で作り上げて運用できたのも、
 世界大戦と言う環境と魔法と言う超常技術のお陰だろう。

 安定した食糧供給と技術開発を可能としたNASEANメガフロートは、
 加盟国の安定した雇用を生むと同時に、
 疲弊しながらも世界大戦最大の勝者となった
 超大国と肩を並べるようになるまで、二年とかからなかった。

 期せずして世界の中心となったNASEANメガフロートは、
 その内部に魔法倫理研究院本部を取り込みさらなる発展を続けた。


 戦争による哀しみを置き去りにするかのような速度で人々の暮らしは豊かになり、
 急速に戦後へと移り変わる2030年の冬、十九歳となった私に妹が生まれた。

 その時、両親は共に四十三歳。

 母も中々の高齢出産で不安もあったが、生まれてみれば母子共に健康、
 十九歳も年の離れた妹が無事に誕生した事も素直に嬉しかった。


 思えば、それが私にとって最も幸せであると感じられた最後の時であり、
 家族四人が揃って過ごせた唯一の時でもあったのだ。

 2031年、初頭。
 さらなる悲劇が世界を襲った。


 超大国が大戦末期に作り上げていた新兵器、
 魔導弾を衛星から落下させる巨大衛星――通称・神の杖の暴走だ。

 それが国内に入り込んだ亡国の者達の手によって、
 意図的なに引き起こされたテロである事が分かったのは、
 世界各国の主要都市に無数の魔導弾が打ち込まれた数日後の事だった。


 大気圏からの物理加速による運動エネルギーと魔力爆発による二重被害は、
 世界各地に壊滅的な被害をもたらした。

 巻き上げられた粉塵は地球全土を覆い尽くし、日の届かなくなった世界は寒冷化し、
 大量の魔力の――もっと言えば魔力を糧として増殖するマギアリヒトの――
 充満によって世界は侵食されたのだ。


 それまでクリーンだと思われていた魔力。

 それを媒介させるナノマシン――マギアリヒトの急激な増殖は、
 世界を大混乱へと陥れた。

 数十メートルもの体躯を持った、巨大な異形の生命体の出現だ。

 北アフリカ戦災地域の難民キャンプ付近に突如として出現した巨大異形生命体は、
 難民キャンプへと襲来し、人々を無差別に襲った。

 初動の遅れた各国に代わって出撃した魔法倫理研究院エージェント隊は、
 私の母を含む戦時中最強と謳われた八名のエージェントと
 最新鋭のギガンティックウィザード――
 かつては魔導機人と呼ばれていたソレ――を投入、これに対処を試みた。

 結果は惨敗と言った方が正しいレベルの辛勝。

 魔法倫理研究院は謎の巨大異形生命体に勝利すると引き換えに、
 大艦隊に匹敵すると謳われた八機のギガンティックウィザードの内、
 五機が大破、二機が中破、一機はエージェントの命諸共に失う結果となった。

 両親は幼き日からの友人の一人を喪い、
 私も留学時代の恩師を喪う結果に哀しみを禁じ得なかった。



 何より、この結果に恐怖したのは世界各国の人々だ。

 如何なる最新兵器をも凌駕するハズの無敵の巨人を、
 難なく圧倒して見せた異形生命体の出現は、呆気ないほど世界を恐怖のどん底に陥れた。


 その恐怖に後押しされるかのように、世界各地に大小様々な異形生命体が出現。
 世界は、神の杖以上の恐怖によって蹂躙され尽くしたのだ。

 異形生命体の蹂躙が始まって数ヶ月後、魔法倫理研究院と各国連盟の研究機関は
 異形生命体が高密度マギアリヒトの集合体……つまり魔法であると発表した。

 魔法は使用者のイメージを取り込んで発露する魔力による現象だ。

 つまり、異形生命体は“人類の想像によって作り出された「異形と破壊現象」”――
 “The human imagination 「Breakdown and Monster phenomenon」 has created”であった。

 異形生命体の正体は、人の恐怖心が生む想像力による産物だったのだ。

 この現象は後に“イマジン”と呼称され、
 恐怖と言う根源的感情に対する有益な対処法を見いだせないまま、
 その後も世界はイマジン達によって蹂躙され続けた。


 NASEANはメガフロートに堅牢な魔力結界を布陣、
 本土に残された人々の避難収容と長期籠城を決定し、
 EU・アメリカ連合は古代の方舟を中心とした宛のない星間移民船団を結成し、
 地球脱出を敢行する事となった。

―2―

 2031年初冬。

 後に“イマジン事変”と呼ばれる第一号イマジンの誕生から八ヶ月後。
 最後の難民船を迎え入れる作業中に、それは起きた。

 NASEANメガフロート、第二サブフロート中央空港――

 メインプラントの補器となる小型プラントの一つ、
 今は丁度北向きとなった第二フロート最大の空港に、幾つもの輸送機が着陸する。

 開かれた輸送機のハッチからは、
 多くの避難民が雪崩れ込むようにして空港施設の奥へと移動して行く。

 私も、そんな人々の誘導と護衛の任務に就いていた。


「慌てないで下さい!
 フロート内には十分な居住スペースが確保されています!」

 少し離れた位置から、
 この護衛任務部隊を率いる保護エージェント隊の総隊長――私の母の声が響く。

「総隊長っ! フィッツジェラルド総隊長!」

 その時、私は空港の管制官から伝えられた情報を携え、
 焦った声を上げて、そんな母の元へと走っている最中だった。

「どうしました、エージェント・譲羽?」

 私の声に気付いた母が、努めて落ち着き払った様子で振り返る。

 余談だが、四年前に私がプロになった際、
 両親と呼び名を区別する意味もあって私は仲間達から母方の姓で呼ばれるようになった。

 その呼び分けは母も一緒で、プライベート以外では私は“エージェント・譲羽”と呼ばれていた。

「此方に向かっている最中の最終便が中型イマジンと遭遇し……
 取り込まれ、通信途絶状態です」

「ッ!?」

 悔しそうな声で重苦しく告げた私の報せを聞いた母は、息を飲んで目を見開いた。

 哀しみと怒りのない交ぜになった複雑な表情。

 おそらく、管制官から同じ報告を聞かされた私も、今の母と同じ表情をしていたのだろう。

「………その後、イマジンは?」

「現在、取り込んだ輸送機ごと、
 この空港に向けて真っ直ぐに向かって来ているそうです」

 母の問いかけに、私は応える。

 今度こそ、母の目は驚愕で見開かれた。

 長引くイマジン事変により、
 NASEANや研究院の所有するギガンティックウィザードはほぼ全てが大小破損し、
 辛うじて稼働状態にある機体も、他の機体の無事なパーツを使って騙し騙し運用する、
 いわゆる“共食い”の状況だった。

 母の愛機であるGWF001X-エールも、
 私が父から譲り受けたGWF000X-ヴェステージ共々、
 対イマジン用の調整のために、山路重工本社工場に搬入されたばかりだ。

 そう、今この場にイマジンと戦える装備は無い。

 そんな状態で護衛など務まるものかと指摘されそうだが、せざるを得ない状況なのだ。

「戦車部隊は展開できそう?」

「こちらの護衛の車両は八両。

 他の空港の護衛が現在、こちらに向けて移動中だそうですが、
 集結には十分以上かかる見込みです。

 対して、イマジン到達までは五分……」

 母の質問に、私は道すがら確認した情報を告げる。

 五分。
 あまりにも絶望的な三百秒だ。

「本部に問い合わせて、ギガンティックを回して貰えるように要請済みですが、
 それも間に合うかどうか……」

 そこに、告げざるを得ない最悪の情報を告げる。

「……………」

 母は押し黙り、避難して行く人々の列を見遣った。

「……私の権限で隔壁を閉鎖します。
 最終隔壁の閉鎖と結界展開ならギリギリ間に合うでしょう」

 そして、その判断を下す。

 正しい判断だろう。

 通信が途絶した輸送機に、今更、生き残りがいるとは思えない。

 仮に生き残りがいれば彼らを見捨てる事になるが、
 彼らを救うためにはイマジンが来ても隔壁を開けたままにしなければいけない。

 生き残っているかも分からない人々の命と引き換えに、
 この空港に集まった人々を犠牲にする事がより愚かで悲惨な結末を迎えると言う事は、
 誰の目にも明らかだ。

「お母さん……」

 だが、母がそう言った“命の天秤”を心底から嫌う事を知っている私は、
 その苦渋の決断を下した母の心中を思って、思わずそう呟いていた。

「もう……仕事中は、お母さんじゃないでしょ」

 母は哀しみを押し殺して笑みを浮かべると、
 幼子の頃にそうされたように、私に向けて“めっ”と言った。

 それは、母の事を慮って哀しむ私への、さらなる気遣いだったのだろう。

「はい……フィッツジェラルド総隊長」

 そんな母の気遣いを無にしないため、私も哀しみを押し殺して気丈に応えた。

 そして、全ての難民が空港内に避難した事を確認し、隔壁の閉鎖が始まった。

 護衛の戦車隊も空港のガレージ内に退避し、分厚い隔壁が左右から閉まり始める。

 十数メートルの厚みを持った、魔力で構成された特殊装甲は、
 ギガンティックウィザードにも使われていた。

 イマジンも元を辿れば魔法であるため、
 より高密度に集束された魔力の塊と結界を併用すれば、その被害を防ぐ事は可能だ。

 但し、この隔壁を閉じればメガフロートは完全に外界から隔絶され、
 終わりの見えない籠城戦が始まる。

 もう誰も、このメガフロート内に立ち入る事は出来ない。

「…………」

 閉じられて行く隔壁を、地獄の釜の蓋が閉じられる思いで見守っていた私の視界に、
 ふと小さな光体が映った。

 イマジンだ。
 全長は三十メートルほどの鳥形。

 怪鳥と呼ぶに相応しい外観のソレは、確かに一機の輸送機を取り込んでいた。

 取り込むと言うか、
 胴体に串刺しになるようにして飲み込まれていると言い換えた方が良いだろう。

 どこまでがイマジンで、どこまでが輸送機だか分からないが、
 主導権がイマジンにあるのは一目瞭然だ。

 そう、イマジンは魔力で構成された物体――
 つまり自分たちと同じくマギアリヒトで出来た物体と同化してしまう習性がある。

 だが、より巨大な物体や高密度な物体との同化は難しいのか、
 メガフロートの隔壁がイマジン対策になるのはそんな理由からだ。

 アレでは中の人々も無事ではないだろう。

「ごめんなさい……」

 その光景を見ながら、母は沈痛な面持ちで呟いた。

 私も、亡くなった犠牲者の安息を祈るために、胸の前で十字を切る。


『GYYYYYYYYYッ!!』

 まるで墜落するように空港滑走路に降り立ったイマジンは、
 けたたましい嘶き声を上げた。

 隔壁閉鎖までは、あと五メートル――残り十数秒。

 此方に向かって来るようならまだ危険かもしれないが、
 その時には戦車砲での牽制を続ければ、
 最早、あのイマジンの巨体では滑り込むのも難しいだろう。

 ギリギリ間に合った。

「ふぅ……」

 その事実に、私は安堵の溜息を漏らしていた。

 だが――

「……いけない、まだ人がいる!?」

 傍らの母が、そんな声を上げた。

「え……?」

 愕然としながらも、私は咄嗟に閉じて行く隔壁の隙間から輸送機に目を向ける。

 輸送機の窓が割られ、中から一人の子供が抜けだそうともがいていた。

 まだ、生存者がいたのだ。

 年の頃は十歳ほどの少女だった。

 私がそんな事を確認している間にも、母は誰よりも早く動き出していた。

 持ち出していた量産型簡易ギアを起動し、魔導装甲を展開して隔壁の外に飛び出す。

「母さん!?」

 私も一瞬遅れて魔導装甲を展開すると、母を追って飛ぶ。

 母は窓から転がり落ちた子供を抱えて飛んだ。

 四十四歳……戦士としては高齢ではあったが、
 とてもそうは思えない、鮮やかで素早い機動だった。

 だが、その母の行動も、
 絶対の強者たるイマジンには何の意味も無い……敢えて言えば無謀でしかない。

『GYY……? GYYYYYYYYYッ!!』

 母の行動は、イマジンに標的の存在を知らせるだけでしかなかった。

「エージェント譲羽、この子をっ!」

 まだ離れた位置にいた私に向けて、母は子供を放り投げる。

「母さんっ!」

 子供を受け取りながら、私はさきほど窘められた事を忘れて母の名を叫ぶ。

 援護射撃を行えば、母からコチラへ注意を逸らす事が出来る。

 母が安全に隔壁内に戻る事が出来るハズだ。

 だが、私がいるのは閉じて行く隔壁の正面。

 そんな事をすれば、イマジンは真っ先にコチラを狙うだろう。

 外に人がいる状態では、戦車部隊も牽制射撃は出来ない。

 この場に於いて、最も安全で最も賢い方法は、唯一つ。

「エージェント譲羽、その子供を退避させた後、隔壁の完全閉鎖を!」

 その方法を、母は躊躇う事なく叫んでいた。

「お母さん! 逃げて! お願い!」

 イマジンを牽制し、注意を引きつけるためにその鼻先を掠めるように飛ぶ母の名を叫ぶ。

 戦車や戦闘機相手ならともかく、イマジンを相手に魔導装甲で勝てるハズがない。

 世界最大の魔力を持つ母であっても、その事実は揺るがない。

 母は、囮になって死ぬつもりなのだ。

 誰もが、愚かな選択をした母を罵るだろう。

 魔法倫理研究院エージェント隊、捜査エージェント隊総隊長にして救世の英雄――
 閃虹の譲羽と謳われた母と、私の手の中で震える十歳の少女。

 世界のためと言う大義名分の天秤にかければ、誰もが母を選んだハズだ。

 だが、母はその大義名分の天秤を嫌悪し、事あらば自らの命を差し出す選択すら厭わない。

 そんな母に呆れながらも、自分は、父は、家族は、そんな母を心の底から愛していたのだ。

「明日美!」

 任務中だと言うのに、母が私の名を叫んだ。

「お父さんと……明日華をお願いね」

 そう続けた母は、微笑んでいた。

「うわぁぁぁぁっ!!」

 私は絶叫する。

 私は、無力だ。
 母の最後の願いを聞き届ける以外、私に出来る事は無かった。

 踵を返して隔壁の向こう側へと飛び込んだ。

 仲間達に抱き留められ、その一人に押しつけるように少女を預けた。

「誰か! 誰でもいい、早くギガンティックを! お願い!」

 滑稽にも自ら見捨てて来た母の救出を願い、
 私は両目から涙を溢れさせ、震える声で仲間達に呼びかける。

 だが、仲間達は顔を俯け、重苦しく押し黙ったままだった。

「誰か! お願い!
 このままじゃあ……お母さんが………お母さんが死んじゃうよぉぉっ!」

 仲間の一人に縋り付いて、私は幼子のように泣き叫ぶ。

 そんな私の背後で、隔壁が閉じられた。

「いや……いやぁ………」

 その気配に、私はワナワナと震えながら振り返り、
 閉じられてしまった隔壁を愕然と見遣る。

 閉じて行く隔壁を、地獄の釜の蓋のようだと思った。

 その釜の中に、私の母を残して、蓋は閉じられたのだ。

「イヤァァァァァッ!?」

 私の絶叫が、辺りに響き渡った。

 私の心理的ショックを反映してか、魔導装甲は砕け散るように霧散して消える。

 魔導装甲を再展開する事も忘れて、私は閉じた隔壁に縋り付く。

「お母さん! お母さんっ!
 おかぁぁさぁぁんっ!!」

 開けと言わんばかりに隔壁を殴りつけ、母を呼ぶ。

 だが、分厚い隔壁からは外の振動が僅かに伝うだけで、何の反応も示さない。

 一度閉じたばかりの隔壁を再び開くには、数分の時が必要だ。

 たった一人、異形の怪鳥の前に取り残された母を救う手立ては、もう無い。

 拳が砕けて血が滲み始めた頃、
 仲間達は私を羽交い締めにして、隔壁から引き剥がした。

「離してっ!
 お母さんがぁ……死ん、じゃう………離してよぉぉぉっ!」

 自分の無力を悟りながらも、私はそう叫ぶ以外の選択肢を見出せなかったのだ。

 仲間達には、かける言葉も見付からなかっただろう。

 ずぅん、ずぅんと響く僅かな振動が、次第に小さくなって行く。

 そして、永遠にも思えた時間が、振動と共に終わりを告げる。

 ギアが脳内で告げた経過時間は、ほんの十数秒。

 振動の終焉は、戦いと、命の終焉でもあった。

「…………おかぁ……さん?」

 仲間達に羽交い締めにされながら、私は愕然と漏らす。

 もう、身体に力は残っていなかった。

 力を振り絞らんとする、気力さえも……。

 羽交い締めの体勢のまま、私は脱力して両膝をその場に落とす。


「イヤアアァァァァァァッ!?」


 轟いた絶叫は、私の喉が裂けるのではと言う程だったと、後から聞かされた。



 グリニッジ標準時で2031年12月19日14時55分。

 母の死と共に、地獄の釜はその蓋を閉じられ、
 外の世界は終わりを迎えた。


プロローグ~それは、彼女が語る『世界最期の日』~ 了

今回の投下は以上となります。

明日美が所々「母さん」と言っている箇所は「お母さん」で脳内変換して下さい。
また投稿後に気付くとか………orz

早速お読み下さり、ありがとうございます。

>油断
トライアングル“あ~ん”で盛大に油断させていたのも私だ。
上げて落とすのが基本だと、悪い人が言ってました。
だけど、落としたら上げるのも基本だと、偉い人が言ってました。

>上下半島の結託
日本の国内企業通して民団と総連が繋がってるなんて噂もあるので試しにやってみました。
と言うのも、魔法伝来ルート的に、この二国に限らず北東アジアは魔法文化が壊滅的なので、
研究院にも加入していない、国内に魔導の家も無い、だけど世界は魔法にシフトして行く、
そんな危機感が裏にあれば……と思った末の、ある意味では、
魔法関連技術で軍事力を底上げしようとした、周グループ事件の延長線上にある事件ですね。

>シナ包囲網
演技なのか本当なのか、軍の統制が取れてませんからねぇ……。
正直、軍事と工業だけで発展させた国が国の体を失ったらどうなるか、なんてのは
既に現実味を帯びている問題とは言え、あまり考えたくありませんね……。
差別的意見かもしれませんが、民族浄化が当たり前の思想・文化って国家・民族は恐ろしいです、はい。

>研究の成果とエージェントの有りよう
一人だけ、過剰に奥さんと娘をパワーアップさせようとした研究者がいるようですがw
ともあれ、その辺りの一番の立役者はリーネではないかと個人的に思っております。
Aカテゴリクラス実技教官として十五年以上務め、多くのハイランカーを輩出して来たワケですし。
ただ、さらに元を辿るとカンナヴァーロの爺様の託した希望でもあるのですが……。

もう書かれる事はありませんが、リーネには終戦時点で子供が一人います。
旦那のエージェント・ウェルナーが移民船の艦長として登録され、
艦長職は子々孫々に受け継がれ、ウェルナーがいつしか訛ってヴェルナーになり………と。

>結が……
没ネタではありますが「譲羽結」→「羽を譲り、絆を結ぶ」なので、
元は、結死亡後にエールが他の誰か(クリス辺り)に受け継がれる前提の名前でした。
ともあれ、対イマジン用の調整を施されたエール達は、新シリーズの主人公達に受け継いで貰う事になります。

>夜天の主
3rdも決まりましたねぇ………このままストライカーズがナイナイされてしまいそうで怖いですがw

最新話を投下させていただきます。
あと、今回からトリップ付けます。

 私の家族

 私の家族は、お姉ちゃんが一人います。

 八歳年上のお姉ちゃんは、まだ今年で十七歳だけど、
 二年前からギガンティック部隊でオペレーターと言う仕事をしています。

 ギガンティック部隊の仕事は、ギガンティックウィザードでドーム内に入って来たイマジンとの戦う事で、
 オペレーターはそのお手伝いです。

 オペレーターの仕事は大変で、お姉ちゃんは毎晩、へとへとになって帰って来ます。

 たまに仕事が忙し過ぎて、帰って来られない事もたまにあります。

 そんなお姉ちゃんに御飯を作るのは、私の仕事です。

 昔は簡単な物しか作れなかったけど、
 お姉ちゃんにもっと美味しい料理を食べて欲しくて、色んな料理を勉強しました。

 お姉ちゃんは「空が作ってくれる料理は美味しいから、疲れなんて吹っ飛んじゃうよ」って言ってくれます。

 大変なお仕事でお休みも少ないけれど、お休みの日にはいつも私とお出かけしてくれます。

 この前のお休みの日には、第一層自然エリアのスカイリウムに連れて行って貰いました。

 天井のスクリーンに映される、旧世界の真っ青な空を見て「空ってこんなに綺麗なんだね」って言った私に、
 お姉ちゃんは「本当の空は青空って言って、もっと綺麗なんだって」って教えてくれました。

 いつか私も、お姉ちゃんと一緒に、本当の青空を見てみたいです。


 三年二組 出席番号八番  朝霧 空

魔導機人戦姫Ⅱ

第1話 ~それは、陳腐な『箱庭の平和』~


―1―

 時に、西暦2074年、4月11日。

 神の杖暴走事件とイマジン事変により、人類がその生活の地を追われ、
 人工の大地を新たな生活の場に移した旧世界終焉の日と呼ばれる2031年12月19日から、
 実に四十二年以上の歳月が流れていた。

 未だにグリニッジ標準時による世界時間を基準として生活する人々は、
 失ってしまった太陽の存在を、ただ暦の中に記憶として留めて生活する。

 現在の人類の生活の場となっている人工の大地は、
 旧世界でインド洋と言われた洋上に浮かぶ、超巨大なドーム型メガフロートだ。

 分厚い特殊装甲と魔力が生み出す結界によって守られたメガフロートは、
 しかし、時折、人類最大の天敵であるイマジンの侵入を余儀なくされていた。

 そんな不安な情勢下で人々の安寧が得られるハズもなく、混乱した社会を収めるため、
 時の政府は人々の求心力として皇族や王族を利用し、彼らの下に議会を敷く立憲君主制によって人々の信頼を得る。

 無論、そんな形だけの方法だけでなく、侵入したイマジンに対する防備も怠る事はなかった。


 第二世代ギガンティックウィザードの開発だ。

 故アレクセイ・フィッツジェラルド・譲羽博士が、
 山路重工と共同開発したギガンティックウィザードに、
 対イマジン機構を装備させた新世代ギガンティックウィザードは、
 その高い性能によってイマジンと互角以上の戦力を得るに至る。

 このギガンティックの完成により、
 閉ざされた旧世界への扉が開かれる日も遠くないと思われていた。

 だがしかし、病によって倒れた譲羽博士は、
 その生涯を閉じるまで一度も対イマジン機構の詳細に関して語る事なく亡くなり、
 博士の遺した八機のギガンティック以外に第二世代ギガンティックを製造できる者は無く、
 異形の怪物に通じる矛を最強の盾として、人々は長き籠城を未だに余儀なくされていた。


 この第二世代ギガンティックにはさらに、
 最大の特徴にして、最大のデメリットが存在した。

 それは、旧世代魔導ギアをそのAI構造に組み込んだため、
 それらのギアと同調できる魔力の持ち主でなければ、一切の起動が不可能と言う事実である。

 この事態を重く見た旧魔法倫理研究院は、第二世代ギガンティック運用とそれらと同調できる操者の選出機関、
 通称、ギガンティック機関を結成、この問題に対処する事となった。


 現在、稼働している第二世代ギガンティックは、
 長年の研究によって一部機能を再現・新造に成功したダウングレード版の二機を加えて十機。

 これに旧NASEAN所属国家軍を母体とした防衛軍や、国内における犯罪に対処する警察機構、
 皇族親衛隊などの多岐に渡る戦力で、内外の様々な脅威から人々を守り続けているのである。


 いつか来るであろう、旧世界の扉が開かれる日を夢見て――

 中央フロート第七層、第一街区、別名・東京。
 その東部に位置する東京第八小中学校中等部――


老教師「……と、六十年に起きた反皇族主義グループが起こした一大テロ事件、別名“60年事件”は、
    パレード参加者、警備担当者、観覧者、周辺住民を含む六万五千人超が死傷。

    犯人グループは第七フロート主幹道路を占拠し、一方的な独立を宣言。
    現在も行政府や防衛軍と戦争状態にある」

 午後の退屈な授業時間の中、社会科の老教師が教科書を読み上げる声が、
 まるで催眠術の呪文のように教室内に響き渡る。

空(今更、だよねぇ……)

 窓側の席に座った少女――朝霧空【あさぎり そら】は、
 読み上げられる教科書の内容に、内心でそんな感想を抱いていた。

 教科書で言う“60年事件”は、彼女達が生まれた年に起きた事件で、
 旧世界終焉後では最大のテロ事件として有名だ。

 そうでなくても“六十年度生まれは、60年事件の年生まれ”などと
 メディアや評論家に揶揄されるので、嫌でも覚えてしまう。

 まあ教育カリキュラムに組み込まれているので、
 嫌でも聞かなければならない、謂わば通過儀礼のような物だ。

 空が“今更”と言う感想を抱いたのは、まあそんな理由からである。

 いつの間にか肩より前に垂れていた長い黒髪を、無意識にかき上げて、肩の後ろに回す。

空「………ふぅ……」

 回りの誰にも気付かれないほど小さな溜息を一つ漏らして、空は窓の外に視線を向けた。

 グラウンドでは、自分たちと同じ紺色のブレザータイプの制服を着た幼い子供達が、
 列を成して施設を巡っている。

空(初等部の子達……新入生のオリエンテーリングかな?)

 誰に問うワケでもない質問を自分の胸に投げかけ、そのまま納得した。

 この第八東京小中学校に入学からもう七年が過ぎ、今年で八年目。

 今では自分達も中等部の二年生だ。

空(もう七年前か……懐かしいな……)

 言葉通り、懐かしそうに目を細める。

 思えば、姉がギガンティック機関で働くようになってからも七年が過ぎたと言う事だ。

 そのお陰か、幼い頃に比べて生活もグッと楽になった。

 姉がギガンティック機関勤務と言う事で、
 本来なら自分では通えないようなレベルの高い学校に通わせて貰えている。

空(本当……お姉ちゃん様々だ……)

 そんな感慨を抱いた空は、そう思うならば授業をサボるワケにはいかないと、
 気を引き締め直して正面に向き直ろうとした瞬間――

老教師「あ~……では、出席番号八番、朝霧」

 空の名を、老教師が呼んだ。

空「は、はい!?」

 前を振り向く寸前と言う事もあって、
 空は振り向きざまに驚いたような声を上げて立ち上がってしまう。

 突如として立ち上がった空の行動に、クラスメート達の視線が一斉に集まる。

 視線が痛い、とは正にこの事だろう。

老教師「うん? 別に起立せんでも良かったのだが……。
    とにかく、先程の質問に答えなさい」

 老教師は怪訝そうな顔をした後、気を取り直して指示を出した。

 先程の質問とは何だろうか?

空(いけない……ちゃんと聞いてなかった!?)

 空は愕然としつつ焦るが、後悔先に立たず、である。

 授業の流れからして、恐らくは60年事件に関する質問のハズだ。

 何だろうか?

 当時の被害規模は教科書にも明記されているから、そんな簡単な質問でもないだろう。

空「え、えっと……」

 空は焦りながらも必死に考えを巡らせるが、質問の内容が分からなくては答えようがない。

??「……誕生日です……」

 と、真後ろの席からそんな呟きが聞こえた。

空「し、七月九日! ……です」

 焦りきっていた空は、反射的にその呟きに答える。

老教師「? ふむ……宜しい」

 空の態度を訝しがりながらも、老教師は彼女の答えに深く頷いた。

老教師「朝霧が答えた通り、
    60年事件が起きたのは、今から十四年前の七月九日だ。

    今の教科書に載っていない部分だが、よく調べてあったな。
    さすが、成績優秀者だ。

    この教科書が改訂されたのは十年前だが、
    それ以前は七月九日事件とも呼ばれていたな」

 老教師の解説を聞きながら、空は成る程、と頷きながら着席する。

 七月九日は、空の誕生日だ。

 そう、2060年7月9日――
 忌まわしきと言う形容詞が相応しい日に、空は生まれた。

 別に好きでそんな大変な日に生まれたワケではないし、
 記録上、他にも数百人の赤ん坊が同じ日に生まれている。

 感慨深くは思うが、別段特別にレアなケースと言うワケでもない。

 だが、とりあえずは――

空(せぇぇふ……っ)

 空は安堵混じりの溜息を漏らして胸を撫で下ろした。

 空は首だけ後ろの席に向けて、そこにいる一人の少女に目配せで礼をする。

 すると、後ろの席の少女も同様に目配せで“気にするな”と合図した。

 そして、指先で黒板を指し示すようにして、前を向くように促す。

 授業はその後も滞りなく進み、次回の授業の予習を促す言葉と共に終わりを告げた。

空「ふぅ……」

 授業の後片付けと次の授業の準備をしながら、空は小さく溜息を漏らす。

空「ありがとう、雅美ちゃん、さっきは助かったよ」

 空は振り返り、真後ろの席に座る友人――
 佐久野雅美【さくの みやび】に感謝の言葉を告げた。

雅美「咄嗟だったので、あんなアドバイスしか出来ませんでした」

空「ううん、そんな事ない。
  ナイスアシストだよ」

 恐縮気味のお淑やかな友人に、空はサムズアップを向けて言う。

 短く、とても分かり易いヒントだった。

佳乃「ヒヤヒヤしたぜ~、空~」

 そこに、離れた席に座るもう一人の友人――
 牧原佳乃【まきはら よしの】がやって来る。

 快活そうな雰囲気をした佳乃は、やんわりとしたヘッドロックを空に決めると、
 その頭をワシャワシャとなで回す。

空「雅美ちゃんのお陰だよぉ」

佳乃「なぁんだ、雅美のお陰か」

 器用にヘッドロックから抜けだした空の言葉に、
 佳乃はつまらなそうに返すと“そりゃ答えられて当然だ”と付け加えた。

雅美「空さん、私が気付いた時からずっと窓の外を見てらしたので、
   心配していたら……案の定、と」

空「アハハハ……ごめんなさい」

 溜息混じりの雅美に、空は申し訳なさそうに返す。

佳乃「窓の外?
   アタシも暇つぶしに外見たけど、なんか珍しいモンでもあったのか?」

空「いや……ちょっと新入生の子達が校舎を見学してたみたいで、つい」

 不思議そうに窓の外を見た佳乃に、空は苦笑い混じりに答えた。

 空の出席番号は八番、雅美は十二番、佳乃は二十五番。

 男女混合の出席番号順に右前の席から左に向かって順番に並ぶ座席のため、
 一番廊下側にある佳乃の席からは窓の外を見ても校庭は見えなかったのだろう。

佳乃「ああ、初等部の一年坊主か。
   そう言や、アタシらも見て回ったっけか?」

 納得したように言った佳乃は、さらに懐かしそうに付け加えた。

空「それで、もう七年前か……って思ったら、色々と思い浮かんじゃって」

雅美「そう言う事でしたか」

 誤魔化し笑いを浮かべた空の説明に、雅美も納得して頷く。

 二人とも、空の身の上……と言うか、
 家庭事情に関してはある程度分かっているので、それで全てを察したようだ。

??「さすが特例二級。格下の方は授業も真面目に受けられないんですのね」

 空達からやや離れた位置から、不意にそんな声が聞こえた。

 空はビクリと肩を震わせ、雅美と佳乃は声のした方角を一瞥する。

 そこには、涼しげな表情に冷ややかな視線の少女がいた。

佳乃「ちっ、やっぱ瀧川か……」

 佳乃は予想通りの人物に、露骨に嫌そうな表情を浮かべる。

 瀧川真実【たきがわ まなみ】。

 中学生にもなるとクラスに一人はいる煩型……と言うより、
 厭味を言うのが趣味のようにすら思える人間の典型。

 目の敵にする相手に対してこそ、発揮しても欲しくない実力を発揮する人間。

 あまり他人を悪し様に言うのは嫌う者はいても、
 それが瀧川に対するクラスメート達の評価の一端だ。

 そんな性格の彼女だが、別に彼女自身は孤立しているワケもなく、
 それなりに友人もいるのは評価のもう一端、
 空や雅美と並んでクラス上位の秀才であり、友人達に対する惜しみない情の深さ故だろう。

雅美「わざと聞こえるように言いましたね……」

 雅美は小さな声で呟いて顔をしかめた。

 この手の輩の厭味の常套手段は、“厭味に正論を加える”事にある。

 酷い厭味に正論を加える事で相手の機先を挫き、反論を封じてしまうのだ。

空「まぁ、授業中によそ見してたのは私の方だし、
  瀧川さんの言う事も尤もだよ」

 自分に代わって怒りを露わにする友人達に、
 空は力なく乾いた笑いを浮かべて彼女たちを諫めた。

空「ごめんね、瀧川さん」

 そして、自分の事を卑しめるような発言をした瀧川にも謝罪する。

真実「……フンッ」

 一方、滝川はそんな空の態度が気に食わないのか、
 苛ついたようにそっぽを向いてしまう。

 瀧川と同じクラスになったのは今年度からだが、
 空はこの手の輩のあしらい方には慣れていた。

 要は“相手より上位に立った”と、本人に思わせればいいのだ。

 だが、そんな手慣れたあしらい方をするからこそ、
 瀧川はさらに空を目の敵にすると言う悪循環でもあった。

佳乃「いいのかよ、言われっぱなしで」

空「うん……特例二級なのは、瀧川さんの言う通りだし……。
  初等部の頃みたいに、男子達からウソつき呼ばわりされないだけマシだよ」

 不満げな佳乃に、空は苦笑いを交えて返す。

 特例二級。
 それは空の現在の市民階級を表すランクだ。

 一級から四級までの基本階級があり、最上位が一級、最下位が四級だ。

 この閉じられた世界を維持するのは魔力であり、
 魔力がなければあらゆる生産・経済活動が成り立たない。

 しかし、人間が生まれ持って使える魔力には上限がある。

 魔力量――機械などに使う場合は魔力係数とも言い換えるが――は、
 下は一から上は万の桁まで、個人差が激しい。

 この世界で暮らす人々は、魔力の量に応じて一定量の魔力を納税する義務が、
 平均的魔力覚醒を迎える六、七歳の頃から備わっている。

 納める事が出来る魔力量によって、市民は一級から三級に振り分けられ、
 上位の級ほど高い保障や福利厚生の権利が与えられるのだ。

 食糧配給、医療制度、修学などの最低限の生活が保障される三級に対し、
 二級は公務員など安定した職に優先的に就く事が許される他、
 特殊な社会補償制度を受ける事が可能であり、
 さらに一級は行政などに優先的に関わる事が許される。

 因みに、四級は重犯罪者、犯罪頻度が高い者が格下げされる階級であり、
 医療以外の保障の全てを失う。

 また各階級にも幾つかのグレードが存在する。

 魔力納税義務開始時からしてその階級である“正”。

 元は下位階級ではあるが、現職による社会貢献度を鑑みて格上げされる“準”。

 そして、一級にしか存在しない社会的重要度が極めて高く、
 命の危険に晒される事の多い現場……政治家や軍属、
 ギガンティックのパイロット――ドライバーやその関係者に与えられる“特”。

 最後に、家族が特一級の場合、あまりに多額な遺族年金や遺族補償を受け取る際に、
 補償をスムーズに行うために三級市民を二級市民として扱う“特例”だ。

 空の姉、朝霧海晴【あさぎり みはる】は本来は三級市民なのだが、
 ギガンティック機関に勤めているため特一級の階級を与えられており、
 その家族である空にも特例二級の市民階級が与えられている。

 そう、朝霧姉妹は本来ならば三級市民であり、
 高い水準の教育と進学して高等教育を受ける際の選択肢が広い東京第八小中学校に通学する事は、
 本来ならば許されないのだ。

 勿論、三級市民の全てが上位階級の学校に通えないワケではない。

 相応の学力試験にパスさえすれば編入も許されており、
 そうやって上位の学校に編入して準二級、準一級を目指す者も少なくはないのだ。

 瀧川の厭味も、“そう言った努力もせずに”二級市民としての扱いを受ける事が許されている空に対する、
 社会的不満の代弁とも言えた。

 無論、空も勉学を疎かにせず、上位成績をキープ出来るように努力している事も事実だが、
 実際、姉が特一級になって生活が様変わりした事を、空は覚えている。

 ひもじい思いはしなくなったし、公共交通機関が全て無料になったのも衝撃的だった。

 まあ、食糧生産プラントを動かす動力も、公共交通機関を動かす動力も魔力なのだから、
 より多くの魔力を納めている階級の市民が、より良い公共サービスを受けられるのは当然と言えば当然なのだが。

 その頃はまだ六歳だったが、幼いながらに“今までの生活は何だったんだ”と不満に思いもした。

 瀧川……いや、瀧川達の厭味は、ある意味でそんな空の胸の内を代弁してくれてもいるのだ。

空「でも、60年事件の勉強なんて、本当に今更だよねぇ?」

 空は話題を変えようと、苦笑いを浮かべたまま、少し呆れたような声音で漏らす。

佳乃「……だな。正直、耳タコって言うか」

 空の心中を察してか、佳乃も肩を竦めて同意の言葉を漏らし、さらに続ける。

佳乃「そもそも、近代史の授業自体、やる意味ってあんのか?」

雅美「あら……社会の仕組み、その成り立ちを知る意味では絶対に必要だと思いますよ?」

 溜息がちに漏らす佳乃に、雅美は真面目な顔で言った。

雅美「仕組みを知れば、それを改善する手立ても、
   残して活用しなければならない物も自ずと見えて来るハズです」

空「なるほど……」

佳乃「何かメンドクセ」

 雅美の持論に、空は納得したように頷き、
 佳乃は言葉通りに面倒臭そうな顔を浮かべる。

空「佳乃ちゃんは細かい事は苦手だもんね」

佳乃「チマチマしたのが性に合わないんだよ」

 思わず噴き出しそうになっている空の言葉に、
 佳乃は溜息を交えてヤレヤレと言いたげに言った。

佳乃「お前ら二人みたいに真面目に公務員目指してるワケでもないしなぁ……。
   軍に入ってギガンティックかパワーローダーのドライバーにでもなるかなぁ」

雅美「でも、手先は器用ですよね?」

空「お料理もお裁縫も、成績良いよね」

 将来の展望を語る佳乃に、雅美が思案げに呟き、空もそれに続く。

 佳乃は口が悪いため誤解を与えがちだが、空達三人の中では最も手先が器用だ。

 家政実技の授業では、裁縫料理なんでもござれの多芸ぶりでもある。

 空も料理と裁縫は人並み以上に得意な部類であるとは思っているが、
 佳乃の実力を前には勝ちを譲らざるを得ない。

空「佳乃ちゃんなら、いいお嫁さんに……」

雅美「……なれるかどうか、些か難しいかもしれませんねぇ」

 佳乃の将来を想像して感慨深く語ろうとした二人だったが、
 あまりのギャップにその想像に強制終了がかかってしまう。

佳乃「な、何だよ、二人揃って!?」

 肩を竦める親友二人の言に、佳乃は顔を真っ赤にして抗議する。

 そんな様子に、空と雅美は顔を見合わせて笑い、
 程なくして、佳乃は肩を竦めて溜息を漏らした後、つられるようにして笑みを浮かべた。

―2―

 そうこうしている間に休み時間も終わり、
 今日最後の授業とホームルームを終えて放課後を迎える。

佳乃「どうする、今日もどっか寄って行くか?」

雅美「お昼にイマジン注意報が出てましたよ?」

 帰り支度を終えて駆け寄って来た佳乃に、雅美が答える。

佳乃「え? マジで!?」

 佳乃は慌てた様子で鞄から個人用携帯端末を取り出し、
 空も釣られて自分の携帯端末を見る。

空「あ、本当、レベル1発令中なんだ……」

雅美「って、レベル1じゃねぇか!」

 携帯端末に表示されている文字に、空と佳乃は口々に感想を漏らす。

 イマジン注意報とは、空達の暮らす閉鎖積層型超大規模メガフロート――
 NASEANメガフロート周辺のイマジン反応によって発令される。

 大型イマジンが該当メガフロート内部に侵入した場合は、警報のレベル5が発令されるのだが、
 まあ注意報のレベル1など旧世界における曇り空の時に発令される雨の予報レベルだ。

 発令される基準で言えばレベル1注意報は、
 “フロート周辺五〇〇キロ圏内に十メートル未満級小型イマジン反応有り”と言う程度である。

 レベル1注意報など二日に一度は確実に計測される物で、
 大概は二、三時間ほどで解除されるのが常だ。

 だが――

空「あ、レベル2になった」

 端末と睨めっこを続けていた空が、
 注意報のグレードが変更された事に小さな驚きの声を上げた。

佳乃「十段階中下から二番目だろっ」

 佳乃は呆れたような声と共に、空の後頭部に軽くチョップを叩き込んだ。

 ちなみにレベル2注意報は、
 “フロート周辺四〇〇キロ圏内に小型、ないし五〇〇キロ圏内に中型イマジンの反応有り”だ。

 大方、先程のイマジンが偶然フロート近くに寄って来たか、
 新たなイマジンがより近傍に発生したかのどちらかだろう。

 まあどちらにせよ対岸の火事程度の話に過ぎない。

空「注意報のレベル3くらいならお姉ちゃんも家に帰って来られるし、
  大丈夫だよ」

雅美「空さんがそう言うなら、大丈夫ですね」

 にこやかな空の言葉に、雅美は微笑んで答える。

 前述の通り、空の姉・海晴はギガンティック機関のオペレーターだ。

 イマジン対策のための最大戦力の部隊で、オペレーターを務める人間が帰宅しても良いと言うのだから、
 危機レベルとしてはまあ“お察し”と言う程度に過ぎない。

佳乃「じゃあさ、商店街寄って行こうぜ!
   この間、西側に新しいショップがオープンしたんだよ!」

雅美「む……、佳乃さんが注目されると言う事は……」

空「……っ」

 目を輝かせる友人に、雅美も不意に真面目な表情を浮かべ、
 空もゴクリと息を飲む。

 友人達に応えるかのように、
 佳乃は二人の肩を抱き寄せて意味深な企み笑いを浮かべて、小声で呟く。

佳乃「タルトとクレープの専門店だ」

空「タルト!」

雅美「クレープ!?」

 佳乃の魔性の囁きに、空は目を輝かせ、雅美は恐怖の表情を浮かべる。

雅美「い、今はダイエット中です!
   甘味は甘美ですが、不倶戴天の天敵です!」

 雅美はワナワナと震えながら、悲鳴じみた声で叫ぶ。

 今昔問わず、女子にとって不動の悩みの種は体型維持と減量である。

空「雅美ちゃんスタイルいいんだから、あんまり気にしなくてもいいのに」

佳乃「だよなぁ……。
   それに食いたいモンは食う! これが正義だ!」

 羨ましそうに語る空に同意すると、佳乃も力強く続く。

 大仰な言葉を使ったが、欲望に忠実なのは程度さえ弁えていれば正論とも言える。

 佳乃は二人から離れると、まるで煽動者の如く大仰に手を広げた。

佳乃「合成食品一切未使用の天然素材だってよ」

空「天然素材っ!」

 まるで合いの手を入れるかのように、空は佳乃に続く。

佳乃「クレープの生クリーム……
   あれもちゃんと生乳から作った本物だな、アタシにゃ分かる」

空「本物の生クリームッ!」

佳乃「フルーツも生産プラントに頼らない、純粋な農家栽培だな……。
   イチゴなんて甘味と酸味のバランスと濃さがダンチだぜ」

空「甘味と酸味のバランスッ!」

佳乃「タルトだって、ありゃ一流のプロの仕業だ……。
   あの店長、実は高級ホテルかどっかに務めてたんじゃないか?」

空「高級ホテルの味っ!」

佳乃「生地はサクサク、中はとろ~り……」

空「サクサク、とろ~り……!」

 次々に語られる魅力を、空は次第に目を輝かせてその都度反芻する。

男子生徒「牧原、朝霧! 小腹減ってる時にそのやり取りはヤめろっ!
     つか、余所でやれ、余所で!」

 近くで帰り支度をしていた男子生徒が抗議の声を上げた。

佳乃「アタシは事実を語ってるだけだぜぇ?
   近所の高校のアネさん達も目をつけてたなぁ……」

男子生徒「よし分かった、俺が退く! だからそのまま続けろ」

 佳乃が意味深な言葉を挑発的に言うと、
 その男子生徒は仲間達と共に一目散に駆け出す。

空「男子って単純だね……アハハハ……」

 駆け去って行くクラスメート達の背中を見送って、空は乾いた笑いを漏らした。

 性欲と食欲が重なっては、中学生男子の扱いなど容易いが……、
 同い年の少年達があの様子では、コレはコレで虚しい物である。

佳乃「しかし、あのアネさん達の制服……ありゃ第一女子だな。
   お嬢様学校のお眼鏡……いやいや、舌に適うたぁ大したモンだぜ」

空「それは……本当に凄いね」

 思案げに漏らした佳乃に、空は一切のおふざけ抜きで驚いたように漏らした。

 第一女子――東京第一女子高等学校は、
 正一級ないし準一級の高階級市民だけが入学を許された筋金入りのお嬢様学校である。

 校則は厳しく、買い食いなど勿論厳禁であり、
 商店街の食べ物屋付近ではまず制服姿の学生を見かけない学校の一つだ。

 料理の腕前上、佳乃の舌が下す評価はほぼ絶対と信じている空だが、
 そこに“買い食い厳禁の禁を犯す”と言う補正が加わったとなれば、
 その評価もさらに上がろうと言う物である。

雅美「て、敵情視察です!」

 珍しく乱暴に立ち上がった雅美は、
 頬を朱に染めて上擦った声でそんな言葉を漏らした。

雅美「長期的戦略に基づき、詳しい敵情を知る必要があります!」

 つまり、ダイエットが長引いているので、そろそろ甘味が恋しいとの事だ。

 ワレ、長期戦ニ基ヅキ、兵糧ヲ欲ス……である。

佳乃「素直になれよ~、みぃ~やぁ~びぃ~」

 強がる親友に、佳乃はその二の腕を肘で小突きながらニマニマとした笑みを浮かべた。

雅美「わ、私は常に素直ですっ!」

 雅美は顔を真っ赤にしてそっぽを向きながらも、
 否定しきれないのかしつこく小突いて来る親友の肘を払いのけようとはしない。

空「ほらほら、佳乃ちゃん。
  雅美ちゃんも困ってるから」

 代わって、空が佳乃を諫める。

佳乃「ちぇ~ッ、まぁいいや、早く行こうぜっ!」

 不満げに舌を鳴らした佳乃だったが、すぐに気を取り直し、先頭に立って歩き出した。

 そんな佳乃に続き、空と雅美も歩き出す。

 同様の理由か、まだ知らぬ魅惑のクレープ&タルト専門店を求めて、
 数人のクラスメート達もその後に続いた。

 第一街区、商店街――


 イマジン注意報が発令されたにも拘わらず、人々は暢気に街に繰り出している。

 それだけレベル1注意報自体が、人々の危機感を煽るような物ではないと言う証拠だ。

 そして、人々で賑わう商店街の西側の隅。

 構内リニアの駅からも遠い不利な立地にも拘わらず、
 その一角は学生や若い女性達で溢れかえっていた。

 学生の大半は、空達と同じ第八小中学校の紺色のブレザー姿だが、
 他にも少数、別の学校の制服姿も見受けられる。

??「はぁぁ……美味しいですぅ」

 近くのベンチで、悩ましげな溜息が上がる。
 雅美だ。

 両手で大事そうに持ったクレープには、大きな口跡。

 相当、甘味に飢えていたようだ。

佳乃「だろ? だろ?」

 紙皿に乗せられたタルトをプラスチックのフォークで食べていた佳乃が、自慢げに聞き返す。

雅美「もう負けで構いませんから、あと一つ……、
   今度は桃とカスタードのタルトが食べたいです」

 雅美は感嘆にも似た溜息を交えて答え、もう一口クレープを頬張る。

佳乃「逆に太るぞ……」

雅美「むぅ……いけずです」

 呆れたように呟く佳乃に、雅美は不満を漏らしながらも、
 威力偵察に出て逆襲されては元も子も無いと引き下がった。

空「けど、美味しいよねぇ……。
  このストロベリークリームも、イチゴの味が濃いのに生クリームも濃厚で本当に最高っ」

 その隣では、空が至福の笑みを浮かべてクレープを味わっている。

 ちなみにそれぞれが食べているのは、
 空がストロベリーとホイップのダブルクリームのクレープ、
 佳乃がマロングラッセをトッピングしたカスタードクリームのタルト、
 雅美がチョコソースとホイップクリームにミックスフルーツのクレープだ。

 互いに一口ずつ交換して他の味を愉しみながら、それぞれに舌鼓を打つ。

佳乃「しっかし、増えたなぁ……。
   この前、土曜日の夕方に来た時は、こんなに人多くなかったぞ?」

 タルトを平らげた佳乃は、
 紙皿とフォークをそれぞれダストシューターに放り込みながら、肩を竦めて呟いた。

 前述の通り、佳乃が案内したショップ周辺は多くの学生と若い女性達で溢れかえっている。

 芋洗いとまでは言わないが、限りなくそれに近い人数で、
 座る場所を探すのも苦労した程だ。

空「新学期が始まって、一気に噂が広がったのかもね」

佳乃「チッ、こんなんなら始業式の日に来れば良かったぜ」

 空の推測を聞きながら、佳乃は舌打ちする。

 空達の周囲だけでも、クラスメートを含む同じ第八小中学校の生徒達以外にも、
 前述の通り、他校の生徒達――件の第一女子高等学校の生徒――もいた。

空「あっ、あの制服って第十二の子じゃない?
  こっちとは正反対だよね?」

雅美「隣の街区からもいらしてるんですね……」

佳乃「穴場だと思ったんだけどなぁ……」

 驚いたような空と雅美の言葉を聞きながら、佳乃は盛大な溜息を漏らした。

 佳乃のお墨付きの上、第一女子の舌に適うとなれば、
 この一帯では成功を約束されたような物だ。

 むしろ、穴場になる方がおかしい。

佳乃「忙しくなったくらいで味が落ちたら、絶対に来ねぇぞ」

 佳乃は不満げに唇をとがらせ、愚痴っぽく漏らした。

 彼女としては、静かで落ち着ける穴場のショップを見付けたと思い込んでいたのだろう。

 まあ、それでも味さえ落ちなければ通い続けると宣言したような物で、
 この店の味は“落ち着ける”と言う条件とトレードしても一向に構わないレベルと言う事だ。

空「今度のお休みの時には、お姉ちゃんも誘って来よう」

 空は、近日予定されている姉の休日を思い浮かべながら呟くと、最後の一口を頬張った。

空「う~ん、生地もモチモチぃ~」

雅美「はぁ……モチモチですぅ~」

 空と雅美は同時に口に放り込んだ最後の一口を味わいながら、同じ感想を漏らす。

 正に至福と言いたげな表情である。

佳乃「さて、と……小腹も満たされた事だし、次どうするよ?」

 満足した友人達の表情を、これまた満足した様子で見遣った佳乃は、
 そう言って足を跳ね上げるようにした反動でベンチから立ち上がった。

空「う~ん……お姉ちゃんの誕生日が近いから、
  そろそろプレゼント選びたいんだよねぇ」

 空も佳乃につられて立ち上がり、手近なダストシューターに包み紙を放り込む。

雅美「そう言えば、もうそんな時期ですね」

佳乃「海晴ちゃんって、今幾つだっけ?」

 ダストシューターにゴミを捨てつつ、思い出したように言った雅美に続いて、

 佳乃が小首を傾げて尋ねる。

「今年で二十二歳だよ」

 空は即答すると、携帯端末を取り出し、
 財布の中の残金――電子マネーだが――を確認した。

 毎月の生活費を除き、決まった額を貰っている小遣いをやり繰りして貯めた金額が三千円。

 中学生が送るプレゼントの費用としては、やや潤沢な部類だろう。

空「予算はこれくらいなんだけど、何か良い案ないかなぁ?」

佳乃「二十二か……ん~、普通なら大学四年生か社会人四年目か……。
   パッ、と良い案は浮かばねぇなぁ」

 指を三本立てた空の問いかけに、佳乃は悩みながら天蓋を見上げた。

雅美「う~ん……何か小さなアクセサリはどうでしょう?」

空「アクセサリかぁ……」

 小首を傾げながら立ち上がった雅美の案に、空は思案する。

 今までも小遣いをやり繰りして誕生日プレゼントを選んでいたのだが、
 去年は“中学生なんだから、友達との付き合いで必要になるお金も多いでしょうに”と
 心配されてしまった経緯もある。

 だが、アクセサリならば値段もピンキリだ。

 予算内でも良い物が見付かるかもしれない。

 心配する姉には“安物だから”と言って突き通せるだろうし、これは妙手だ。

空「うんっ、そうする。ありがとう、雅美ちゃん!」

雅美「ふふふ、どういたしまして」

 屈託のない笑顔を浮かべて礼を言うと、雅美も微笑んで答える。

佳乃「そんじゃ、早速、アクセサリショップ巡りと行こうぜ」

 佳乃はそう言って、空と雅美に先んじて歩き出し、二人もその後に続いた。

―3―

 同日夕刻、第三十九街区、住宅街――

 住宅街の外れ、構内リニアの駅からもほど近い住宅街に、朝霧姉妹の家はある。

 2LDKの簡素な平屋は姉妹が三級市民時代からの住居であり、
 空の通う第八小中学校からも近く、引っ越す必要も無い事もあって、
 姉がギガンティック機関に入隊してからもこちらで生活を続けていた。


 あの後、友人達とアクセサリ専門店を巡り、手頃な価格のブローチを見付けて購入した空は、
 帰宅するなり自室でラッピングを済ませ、学習机の引き出しの奥にそれを隠す。

「ふぅ……コレでよし、と」

 一番下の引き出しの、それも一番奥だ。

 ここは早々開ける事は無いし、
 仮に開けたとしても真上以外からは死角になって見付かる事もないだろう。

 一息ついた空は、すぐに制服から部屋着に着替え、リビングへと向かった。

空「ただいま、お父さん、お母さん」

 リビングの隅に置かれた仏壇の前に立ち、そこに置かれた両親の遺影に向かって手を合わせる。

 そう、朝霧姉妹の両親は、既に鬼籍に入っていた。

 亡くなったのは十四年前の七月九日……60年事件当日だ。

 テロリスト達の無差別攻撃の際、母と自分のいた産婦人科も攻撃に遭い、
 その時に両親共々亡くなったのだと、姉から聞かされていた。

 生まれたその日に両親を喪った空は、両親の事を姉の話やフォトデータでしか知らない。

 ただ、この家を自分達――姉の名義で遺す手筈を整えてくれていたお陰で、
 孤児となってからも住む場所に困らず生活できた恩義は感じている。

 衣食には多少なりとも困ったが、それでも安心して暮らせる住居の存在は、
 姉妹の生活にとって大きな財産だった。

 因みに、空が使っている部屋はかつては両親の寝室であり、幼い頃は姉妹で使っていたのだが、
 姉がギガンティック機関に入隊してからは、姉は物置になっていた空き部屋に移って使っている。

空「今日は、佳乃ちゃんお勧めのお店で友達とクレープを食べてね、
  あと、これはお姉ちゃんにはまだ内緒なんだけど、
  お姉ちゃんの誕生日プレゼントも買って来たんだよ」

 家に帰れば、姉が帰るまでは基本的に一人きりになってしまう空は、
 こうして日課として家の留守を預かってくれている両親の遺影に、その日の出来事の報告をしていた。

 瀧川に厭味を言われた事のような、悪い報告はしない事にしている。

 いつの頃か寂しくて泣いていた時、姉から“お父さんとお母さんが天国で見守ってくれている”と聞かされて以来、
 見守ってくれている両親を心配させないためにそうするように決めたのだ。

 まあ、見守ってくれているのだから全て筒抜けなのだろうが、
 それでも“楽しかった事”を聞けば二人も嬉しいに決まっている。

 空は、そう思うようにしていた。

 空は両親への報告を済ませると、キッチンへと向かい、
 髪をヘアゴムで束ね、壁のフックに掛けてあったエプロンを着けると、夕餉の支度を始めた。

空「えっと……昨日はパスタだったし、今日は和食の方がいいかなぁ」

 空はそんな独り言を漏らしつつ、冷蔵庫の中身を確認する。

 卵とカニかまが目に飛び込んで来た。

 野菜室には賞味期限の近いニラもある。

空「………うん、カニ玉風天津炒飯にしよう」

 和食もいいが、やはり中華な気分だ。

 空は一旦、冷蔵庫を閉じると中華鍋の準備を始めた。

 だが、朝に炊いた御飯の残りは、二人前の炒飯には少し心許ない量だ。

 こうなったら、へとへとになって帰って来る姉のために、
 ニラたっぷりのレバニラを副菜に付けよう。

空「よしっ!」

 準備も終わり、献立も決まった所で、
 空は服の袖を捲り上げて気合を入れると、夕飯の調理に取りかかる。

 全ての調理と後片付けを終える頃には外の灯りも消え、
 夜も七時となろうとしていた。

 配膳をしながら、空はダイニングの壁面のディスプレイの電源を入れ、
 夜のニュースを確認する。

広報官『……と第七フロート第五層で起きた暴動の主犯は、
    テロリストグループの煽動による物と考えられます』

空「また第七フロートで暴動か……」

 政府広報官が読み上げる発表を聞きくと、
 空はダイニングテーブルに料理を並べながら溜息がちに漏らした。

 第七フロートで暴動が起きるのはいつもの事だ。

 それもそのハズ、第三層をテロリストによって占拠され、
 一方的な独立宣言からあと数ヶ月で丸十四年。

 各層には今も多くの工作員が入り込んでおり、諜報や破壊活動を行っている。

 ニュースデータを確認すると、三日前の四級市民の工場での爆発事故に端を発したデモが、
 次第に過激化し暴動に発展したとされていた。

 市井で生活する四級市民は基本的に前科者であり、
 その格付けの性質上、ほぼ隔離状態で就労するのが殆どだ。

 フラストレーションが溜まるのは分かるし、そんな工場で爆発事故が発生すれば、
 工場の管理責任を問われてデモが起きるのも納得できる。

 デモの参加者は四級市民だけではなく、
 そんな杜撰な管理態勢を糾弾する三級市民や二級市民達も少数は参加していただろう。

 二日前のニュースでは、多くの市民が参加するデモを想定した警備態勢が敷かれると、
 その旨を伝える政府発表を聞いたばかりだ。

 市民デモの警備にギガンティックを使うワケにも行かず、
 人型作業機械――パワーローダーと警備車両だけだった所に局所的な暴動が発生し、
 催涙ガスが撒かれた末に暴動が拡大したとの情報が書かれている。

 密閉空間であるメガフロートでの暴動鎮圧には、
 周辺ブロックへの被害拡大を想定して比較的安全な催眠ガスが使われており、
 催涙ガスの類は数年前から使われていない。

 押収された証拠品として、デモ隊が使っていたパワーローダーに
 警備側の装備になかった催涙ガスが装填されていた事で、テロリストの潜入が発覚したとの事だ。

 催涙ガスは換気システムによって即座に排気され、
 催眠ガスの投入で素早く暴動は鎮圧されたと記載されていた。

 今日の午後二時から午後四時の事らしい。

空「怖いなぁ……」

 別フロートでの事件とは言え、
 全フロートと隣接する中央フロートには他人事とは言い難く、空は肩を竦ませた。

 中央フロートは行政府お膝元と言う事で、
 60年事件以来、目立って大きな事件や大規模暴動も少ない事もあり、
 余計にそう言った事件に対する“感じた事のない”恐怖感がある。

 むしろ、イマジンの侵入警報でシェルターに避難した回数の方が多いのではないだろうか?

 それにしても、生まれてから四十回と経験していない事ではあるが……。

 暴動のニュースが終わり、地域広報官による各フロートの季節の頼りや、
 各地の学校の新入生の様子など、朗らかなニュースが流れ始めた頃には、全ての配膳が終わる。

空「うん……お夕飯の準備終了っ」

 空は笑顔で言って、エプロンを壁のフックに掛け直した。

 と、そこでチャイムが鳴り響く。

??「ただいま~」

空「うん、時間通り……。
  おかえりなさ~い」

 玄関から聞こえて来た声に、空は笑顔で返した。

 時刻は十九時半丁度。

 姉の帰宅時間だ。

海晴「ただいま、空」

 空が玄関に迎えに出るよりも先に、姉・海晴がダイニングに顔を出した。

 通勤帰宅用の紺色のレディススーツを身に纏った姉は、ブラウスのボタンを一つ外し、
 バレッタで纏めていた長い黒髪を解きながら、ダイニングテーブル脇の椅子に腰掛けた。

空「お疲れ様、お姉ちゃん」

 空は姉からスーツの上着を受け取り、リビング脇のハンガーにそれを掛ける。

空「イマジン注意報、解除されて良かったね」

海晴「レベル2になった時はどうなるかと思ったけど、
   お陰で今日は定時に上がれたわ」

 微笑む妹の言葉に、海晴も笑顔を交えて返し
 “日勤の日に限って注意報発令とか、誰か見張ってるんじゃないかしら”と冗談交じりに付け加えた。

海晴「う~ん……今日も美味しそう!」

 食卓に並べられた料理を見渡して、海晴は笑みを浮かべる。

空「レバニラだったらおかわりもあるよ」

海晴「あら、そう?」

 二人はにこやかに会話しつつ、空が席に着いた時点で食事を始めた。

海晴「新学期が始まってもう四日になるけど、調子はどう?」

空「うん、今年も雅美ちゃんや佳乃ちゃんと同じクラスだし、
  楽しくやって行けそうだよ」

 姉の質問に、空は笑顔で答える。

 両親への報告と同様に、授業中のミスの事や瀧川からの厭味に関しては伝えない。

 こちらは純粋に、姉を心配させたくないからだ。

海晴「そう……」

 雅美と佳乃の名を聞き、海晴は安堵の表情を浮かべる。

海晴「それなら安心ね」

空「うん……」

 続く姉の言葉に、空は僅かに笑みを曇らせた。

 かつて空は、姉の事を酷く心配させた事がある。

 それは初等部の三年生の時の事だ。

 家族の事を題材に書いた作文が原因で、空が特例二級市民である事が発覚し、
 クラスの男子達からいじめを受けた事があった。

 いじめと言っても、物を隠されたとか殴られたとかの物理的な被害が有ったワケではない。

 ただ、ウソつきと詰られ、罵られ、
 何かと仲間はずれにされるようになったのだ。

 何故ウソつきかと言うと、
 その理由は十五歳にしてギガンティック機関にオペレーターとして勤務を始めた姉・海晴が原因だった。

 若干十五歳にして、全員が特一級の市民階級が与えられるギガンティック機関に、
 オペレーターとして入隊するのは余りに異例の事だ。

 本来ならば相応の学歴……それこそ一級クラスの高等教育を受けた経験がなければ、
 特一級公務員への道など拓かれるハズがない。

 だが、入隊以前の姉は三級市民が通う第十七小中学校に在籍していたとなれば、
 “そんな馬鹿な”、と思うのが常だろう。

 しかし、空が特例二級市民である事実は揺るがず、
 それならば海晴が特一級市民である事もまた事実。

 ならば、何らかの不正があったのではないか?

 空をいじめていた男子達の大半は、
 そんな勘ぐりを抱いた大人達の子供とその仲間達だったのだ。

 次第にクラス内で孤立を始めた空からは徐々に笑顔が消え、
 遂に姉にその事を漏らしてしまった。

 思えば、貧窮していた幼少期以上に酷い時期だったかもしれない。

 だが、そんな空を救ってくれたのが雅美と佳乃だったのだ。

 クラス内では目立たなかったが、他のクラスメート達よりも聡明だった雅美は、
 空や海晴の立場が法的に正当な物であり、不正を差し挟む余地がない事を説いて誤解を解いてくれた。

 そして、女子にしては……と言うよりも、クラスでも一番の腕っ節を誇っていた佳乃は、
 それでも尚、空をいじめようとする男子達に報復したのだ。

 佳乃の事で新たな問題になった事もあったのだが、
 空は必死で佳乃を庇い、雅美もまた男子達の行為を糾弾し、佳乃の立場を支持した。

 それまでクラスメートと言う以外に繋がりの無かった三人は、その日以来、大の親友だ。

 おっとりとして見えるが芯はしっかり者の空、
 お淑やかで理知的かつ聡明な雅美、
 口は悪いが人情家で不正を嫌うの佳乃。

 意外とバランスの取れた三人組なのである。

海晴「もう……そんな顔しないの。過ぎた事でしょう?」

 妹の笑みが曇った事に気付いた海晴が、窘めるように言った。

空「……うん」

 空も深く頷いて、また笑顔を見せる。

 空が気にしているのは、いじめられた事よりも、
 姉に対してその悩みを打ち明けた後の事だ。

 姉は自分が傷ついている事を知ると、その事に泣いて謝ったのである。

 被害妄想と言えばそれまでだが、姉を泣かせてしまった事に空は酷い罪悪感を感じていた。

 姉のお陰で楽な暮らしをさせてもらっているのに、
 何で姉が泣くような事を言ってしまったのかと。

 空にとって、姉に対する大きな引け目の一つだ。

海晴「空は良い子なんだから、いつまでも気にしなくていいのよ?」

 海晴はそう言って身を乗り出すように椅子から立ち上がると、
 対面に座る空の頭を撫でた。

空「お、お姉ちゃん?」

 姉の突然の行動に、空は頬を紅潮させて驚いたような声を上げる。

 姉妹二人だけの家族と言う事もあって、それなりにスキンシップが多い方ではあったが、
 頭を撫でられるなどと言う経験は久方ぶりの事だ。

海晴「あらあら、真っ赤にしちゃって……可愛い」

空「も、もう中学生なんだから!
  そんな……良い子なんて……こ、子供扱いしないでよぉ」

 妹の様子に姉は微笑み、そんな姉の言葉に妹は恥ずかしそうに身を捩る。

海晴「ふふふ、社会人から見たら、中学生はまだまだ子供です」

空「もぅ……」

 からかうような海晴に、空は恥ずかしそうにそっぽを向いた。

海晴「ふふふ……じゃあ、そんな良い子の空に、
   ちょっと遅れっちゃったけど、進級祝い」

 海晴は微笑ましそうに言ってから、椅子の足下に置いた鞄に手を伸ばした。

 そう言えば、今日は鞄を預かっていない事を思い出し、
 空は怪訝そうに目を向ける。

海晴「はい、新しい携帯端末。

   今のは小学生の頃から使ってる政府支給品だから、
   そろそろ買い換えたい頃合いでしょう?」

 海晴はそう言って、鞄の中から小さな紙袋を取り出した。

 空が海晴から受け取った紙袋には人気の有名メーカーのロゴが入っており、
 中には携帯端末が梱包された箱が入っている。

空「こ、これって……」

海晴「FUJIMIの新型。
   この前、新作発表会の報道見てた時に欲しそうな顔してたでしょ?」

 紙袋の中の中身を見て驚く空に、海晴は笑顔で応えた。

 メガフロートにおいて携帯端末は生活必需品であり、
 基本的に市民は行政府から支給される物を使う。

 納税する魔力を溜め込むコンデンサ、身分証明、通信、
 電子マネー管理、多言語同時翻訳のような基礎機能の他に、
 各種ソーシャルネットサービスへのアクセスや、
 公共インフォメーション機能なども存在する。

 旧時代の携帯電話やスマートフォンのような外見であり、機能面もそれに近いが、
 それらよりもずっと頑丈で物理的なセキュリティも優れているのがこの携帯端末だ。

 旧世界で使われていた簡易魔導ギアを携帯電話端末と組み合わせて、
 さらに高性能・多機能化したような物と言っても良いだろう。

 買い換えは別段、推奨されているワケではないが、
 それでも耐用年数は存在するので三級市民以上は数年に一度の割合で買い換えている。

 空の使っている端末は前述の通り、特例二級市民となってから行政府によって与えられた支給品であり、
 七年間も使っている事もあって、かなり古い型ではあった。

空「で、でも、これってまだ値段も高いんじゃ……?」

 空は心配そうに呟く。

 最新型の携帯端末は、旧来の物にはない新機能を多数搭載している事もあって、
 数万円はする高級品だ。

 通常、本体ディスプレイに投影されるハズの情報を、
 空間中にも投影できる機能が備わっており、新作発表会でもその辺りを重点的に押していた。

 発表会の様子を見ながら、数年もすれば安くなるか、
 他社の機種にも適応されるだろうと話したが、それもほんの数日前の話である。

海晴「お姉ちゃんのお給料、甘く見ないでよね。

   ……って言うか、高い給料貰っても、使うタイミングがあんまり無いのよねぇ……。
   貯金ばっかり増えても意味無いし」

 不安げな妹に海晴は胸を張って応えると、少しだけ愚痴混じりに付け加えた。

 蓄財も悪い事ではないが、蓄えたままと言うのは確かに経済には宜しくないのかもしれない。

海晴「だ・か・ら……二台、買っちゃった」

 海晴はそう言うと、茶目っ気混じりの満面の笑みを浮かべ、
 鞄の中から同じ紙袋をもう一つ取り出した。

空「もう……お姉ちゃんったら」

 空は呆れと驚きと嬉しさと、そんな様々な感情が入り交じった複雑な表情を浮かべ、
 またそれと似たような声音を漏らす。

海晴「お昼休みには殆ど売り切れてて、色は白しか買えなかったんだけど、
   他の色の方が良かったかしら?」

空「そんな事ない!
  お姉ちゃんとお揃いだし……すごく、嬉しいよ」

 恐る恐ると言った風に尋ねる海晴の言葉を、
 空は大きく頭振って否定すると、嬉しそうな笑みを浮かべて応えた。

 毎日へとへとになって帰って来る姉にとって、昼休みは貴重な休憩時間だ。

 その時間を削ってまで買って来てくれたと言う事実が、空には少し心苦しくもあり、
 またそうまでして自分の進級祝いを買って来てくれた姉の心意気が嬉しかった。

海晴「うん……空が喜んでくれると、お姉ちゃんも嬉しいよ」

 妹の気持ちを察してか、海晴も穏やかに微笑む。

 そして、小さく溜息を漏らし、気を取り直すように椅子に深く腰掛ける。

海晴「さっ、お楽しみは後にして、御飯食べちゃいましょう」

空「うん」

 姉の提案に頷き、空は大事そうにテーブルの隅に携帯端末の箱を置くと、
 自分で作った夕飯に向き直った。

 他愛のない会話を続けながら滞りなく夕食を済ませた姉妹は、
 後片付けを済ませると、改めて端に避けていた携帯端末を手に取る。

空「えっと……これでいいのかな?」

 マニュアルを片手に、テーブルの上に置いた新旧二つの携帯端末と格闘を繰り広げていた空は、
 旧端末からのデータ移行を終え、新端末を手に取った。

 直後、新端末の側面のラインに空色の輝きが灯る。

空「うん、認識完了」

 自身の名と同じ色の輝きを灯した携帯端末を手に、空は満足そうに頷いた。

 携帯端末に施されたセキュリティの一種として、
 個人の魔力波長を読み取り、認識する機能がある。

 色自体千差万別だが、仮に同色であっても波長には僅かな差違が存在し、
 完全同色・同波長の魔力など、一卵性双生児であっても希有どころかあり得ない例であり、
 同波長の人間だけでも数億人に一人と言われる程だ。

 その数億人に一人の同波長の魔力の持ち主が同色と言う事は、
 まあ天文学的確率であり得ないと言って良いだろう。

 有り体に言って、個人を見分けるには都合が良いのである。

海晴「こっちも作業終了、っと」

 同じ作業をしていた海晴が、僅かに遅れて新端末を手に取った。

 こちらは水色に輝いている。

 先程は“完全同色・同波長”をあり得ないと言ったばかりだが、
 実は、朝霧姉妹はそのあり得ないを体現した姉妹であった。

 ただ、完全同色と言うワケではなく、同系色と言うだけだが……。

 姉はシアン、妹はスカイブルー。

 似た色ではあるが、妹の方がやや明るい色合いだ。

 そして、完全同波長。

 数億人探せば一人は存在する完全同波長に加えて、同系色。

 珍しいと言えばそれまでだが、一卵性双生児でもあり得ないソレを、
 姉妹は体現していたのだ。

空「やっぱり、お姉ちゃんの方がコントラストがハッキリしてて綺麗かも」

海晴「あら? それなら交換する?」

 姉の携帯端末を見ながら呟いた空に、海晴は冗談めかして尋ねた。

空「家族間でも、それやったら犯罪だよぉ」

 空は肩を竦めて漏らす。

 元は同じ三級市民とは言え、姉は特一級、自分は特例二級だ。

 市民階級の違う者同士での携帯端末の貸し借りは、
 通常の貸し借り以上に厳禁である。

 社会的に補償されているレベルが大きく違うのだから、当たり前と言えば当たり前だ。

 姉が特一級になる以前……自分が市民階級の関係無い魔力覚醒以前の幼い頃ならば、
 家族の身分証明で社会保障も受けられたが、魔力覚醒を迎えて今年で十四歳にもなる自分がやったら間違いなく犯罪だ。

 まあ、姉の不謹慎な冗談である。

海晴「空は真面目ね~」

空「もぅ……」

 悪戯っ子のような微笑みを浮かべる海晴に、空はジト目で頬を膨らませた。

海晴「ふふふ、拗ねてる空もかわい~な~」

 追い打ちをかけるように、膨らんだ頬を指先で突かれ、
 ぷっ、と気の抜けた音と共に結んだ口から空気が漏れ、
 姉は噴き出すように微笑む。

空「むぅ~……」

海晴「ふふふ、ごめんなさいね」

 そろそろご機嫌を損ねてはいけないと、
 不満そうな妹に姉は両手を合わせて謝った。

海晴「お姉ちゃん、明日からしばらく泊まり込みだから、
   今の内に空とスキンシップしたかったのよ」

空「え?」

 続く姉の言葉に、空は驚いたように目を見開く。

海晴「何かあったの?
   もしかして、二年前の時みたいに、大量のイマジンが近付いてるとか?」

 空は不安げに尋ねる。

 二年前……2072年の秋の話だが、メガフロート近傍に十五体を超える大量のイマジンが出現し、
 ギガンティック機関と軍の共同作業により、その駆除と遠隔地への誘導が終わるまでの四日四晩の間、
 市民は避難シェルター暮らしを強いられた事があり、姉もオペレーターとして隊本部に泊まり込みだった。

海晴「ああ、そう言う事じゃないの。
   ほら、先月末に第三フロートの二層で隔壁の一部が破損したでしょ?」

 海晴は小さく首を振って否定すると、説明を始める。

空「あ、うん……。
  政府公報でも、周辺を立ち入り禁止にして、結界装置で凌いでるって」

 姉の言葉に、空は思い出すように呟く。

 隔壁は世界と外界を隔絶し、イマジンに侵入される確率を大幅に下げる効果がある。

 完璧とは言えないが、それでも隔壁が無いよりもずっと効果的だ。

 先月、テロ活動によってその隔壁の一部が損傷し、
 今は多重結界を張り巡らせてその代わりとしている地区があった。

 海晴は頷き、さらに説明を続ける。

海晴「今日、ようやく補修の目処が立ったんだけど、
   外からも作業しないといけないから、ウチと軍の共同で警備任務に就く事になったの。

   で、しばらくメンバーを割いて向こうに駐留する事になるから、
   その間の五日間だけ、私は本部に泊まり込みになるの」

空「そうなんだ……」

 詳しい説明を聞き、空は胸を撫で下ろす。

 だが、五日間となると、その間に姉の誕生日が来てしまう。

空「………ちょっと待ってて!」

 僅かな沈黙の後、空は慌てて部屋に向けて駆け出した。

 つい数時間前に隠したばかりのプレゼントの包みを引っ張り出し、
 大急ぎでダイニングに戻る。

海晴「どうしたの、そんなに慌てて?」

 キョトンとした様子で尋ねる姉に、
 空は後ろ手に隠していたプレゼントの包みを両手で差し出した。

空「これっ、ちょっと早いけど誕生日プレゼント!」

 怪訝そうな表情を浮かべたままの姉に、空は少しだけ大きな声で言った。

 一瞬だけ驚いたような顔を浮かべた海晴は、だがすぐに嬉しそうな笑みを浮かべる。

海晴「……もう、お小遣いは自分のために使いなさい、って、
   いつも言ってるじゃない」

空「だから、自分のために使ったよ」

 少しだけ困ったような声音でプレゼントを受け取った姉に、空は胸を張って応えた。

 生活の基盤を支えてくれている姉への、日頃の感謝の気持ちだ。

 海晴もその辺りの気持ちは一言で理解してくれたのか、
 “ありがとう”と穏やかな声音を返してくれた。

海晴「開けてみて、いいかしら?」

空「うん、どうぞ………って言っても、
  進級祝いに比べるとちょっと見劣りしちゃうんだけど」

 姉の質問に頷いた空だったが、すぐに申し訳なさそうな苦笑いを浮かべる。

 まあ、数万円の最新携帯端末に対して、こちらは予算三千円だ。

 見劣りするのは致し方あるまい。

海晴「リボンや包装まで、結構、いいの使ってるわね……」

空「あ、そ、それは……」

 包みを開け始めた姉の言葉に、空はさらなる苦笑いを浮かべる。

 意外なほど中身が安く上がってしまったので、帰り際にファンシーショップに寄って、
 なるべく良い包装用紙とリボンを購入したのだ。

 使い捨ての包装用紙はともかく、
 フリルが付いた薄桃色のリボンはプレゼントのオマケにもなる算段である。

 長い髪を束ねるためリボンくらいなら職場でも不謹慎ではなかろうと、
 普段から着飾らない姉を思っての、妹としての心配りでもあった。

海晴「あら……」

 包みを開けた海晴は、顔を綻ばせた。

 中から現れたのは、桜の花びらを摸したシンプルで小さなブローチだ。

空「雅美ちゃんや佳乃ちゃんにも相談に乗って貰って選んだの。
  このくらいなら、仕事中でも制服に付けられるかな、って」

海晴「……そう」

 恥ずかしさの中に、僅かばかりの不安の篭もった声と表情で語る妹に、海晴は感慨深く頷く。

 繰り言だが、先程の最新型携帯端末と言う前振りがあった直後だ。

 気に入って貰えるか、多少の不安もあるのだろう。

海晴「ありがとう、空。気に入ったわ」

 そんな妹の僅かばかりの不安を吹き飛ばすような笑顔で、海晴は改めて礼を言う。

空「どういたしまして! ………良かった」

 空も笑顔で応えて、胸を撫で下ろし、さらに笑顔を輝かせる。

 やはり、こうしてプレゼントを気に入って貰えるのは嬉しいものだ。

海晴「明日から早速つけてみるかな?」

 その呟く海晴は、少しワクワクしているように見え、
 どうやらお世辞抜きで気に入ってくれているように見えた。

海晴「あ、でも……こんな良い物を貰っておいて、
   お返しも無しってのはちょっと心苦しいわね」

空「え? いいよ、誕生日プレゼントなんだから。
  それにお返しだったら、ほら、新しい端末も買って貰ったし」

 思案気味な姉の言葉に、空は慌てた様子で両手を振って必要ない事をアピールする。

海晴「それにしたって、結局、空とお揃いの端末が欲しかっただけだものねぇ……」

 だが、海晴はそれでは納得がいかないようで、どうしたものかと首を傾げ、辺りを見渡す。

海晴「………よしっ」

 海晴は思いついたように立ち上がると、
 テーブルの上のリボンを手に取り、立ったままの空の後ろに回った。

空「え? えぇっ?」

 何が起こるか分からず、空はその場で慌てふためいてしまう。

 海晴は、慌てふためく妹の髪からヘアゴムを外し、
 梳いて束ねて、リボンを結ぶ。

 実に器用で、鮮やかな手並みだ。

海晴「はい、完成っと」

 海晴はそう言って、空の背中を押してリビングに行くように促す。

空「え? あ、ちょ、ちょっと~!?」

 姉に翻弄されつつも、
 空は促されるままリビングの壁に立て掛けられた姿見の前に立った。

海晴「うん、やっぱ、下ろしてる時よりも、
   結んでアップにしてる時の方が似合ってるのよねぇ」

 肩越しに姿見に映った妹の姿を確認した海晴は、うんうんと何度も頷く。

 空も姿見に映る自分の姿と、姉の賛辞もあって照れたように頬を紅潮させる。

 少しアップ気味に纏められたポニーテールだ。

 そして、その髪を結んでいるのは姉のプレゼントの包装に使っていた、
 あの薄桃色の可愛らしいフリルの付いたリボンだ。

 普段から家事の最中や体育や魔導実技の授業中はヘアゴムで纏め、
 似たような髪型にしていたが、改めてまじまじとその姿を見る機会は無かった。

海晴「まあ、貰い物をそのまま返してるようで、少し気が引けるけど……。
   とりあえず、今はこれで許してね」

空「お姉ちゃん……」

 少し苦笑い気味の姉の言葉に、空は小さく頭を振って口を開く。

空「ありがとう、お姉ちゃん」

 礼を言いながら、空は微笑んだ。

 正直な話をすれば、このリボンも姉に貰って欲しかったのだが、
 それ以上に姉の心遣いが嬉しくて、素直にその言葉を紡ぐ事が出来た。

 たった二人だけの姉妹。

 こうして支え合って、両親を喪ってからの十四年近い時を生きてきたのである。

 とは言え、姉が特一級市民となる以前は、ずっと姉に苦労ばかりかけて来た。

 今も生活の基盤は姉が支えているし、
 空としてはまだまだ返しても返しきれないだけの感謝の念がある。

空(駄目だなぁ、やっぱり……。
  このままじゃ、どんなに頑張っても、お姉ちゃんに恩返しなんて出来ない……)

 空は微笑みを崩さないまま、そんな思いを抱いてしまう。

海晴「しかし、我が妹ながら流石に美人ね~」

 そんな妹の思いを察してか、海晴はどこか戯けた調子でそんな言葉を漏らした。

空「そ、そうかな……?」

海晴「うん、中学時代の私そっくりよ?」

 謙遜気味の空に、海晴は自信ありげに頷く。

 確かに、空と海晴はよく似ていた。

 年齢さえ同じならば一卵性双生児なのでは、と言うレベルで似ており、
 丁度、空が海晴の成長の道程をなぞるかのように成長しているのだが、
 まあ姉妹なのだから当然と言えば当然だ。

空「何だか……嬉しいな」

 空はまだ少し謙遜した様子だったが、それでもはにかんだような笑みを浮かべた。

海晴「お料理が出来て、真面目な良い子で、
   素敵な友達にも恵まれて……。

   空は、お姉ちゃん自慢の妹だよ……」

空「お姉ちゃん……」

 どこか遠くを見るような目で語る海晴は、背中から空を抱きしめる。

海晴「お姉ちゃん、空には普通に幸せになって欲しいな。
   このまま中学を卒業して、高校に入学して……卒業して、
   行きたかったら大学も出て、良い会社に勤めて、素敵な人と出会って……」

空「………」

 姉の言葉を、空は黙ったまま聞き続ける。

 こう言った話をされるのは、別に今回が初めてと言うワケではない。

 空が姉に負い目を感じてしまうと、決まって海晴は妹を励まし、こうして語るのである。

 言ってしまえば、お決まりのパターンだ。

 海晴は適正があると言う理由で、ギガンティック機関にオペレーターとして迎え入れられた。

 七年前の一月……中学三年生になるハズだった数ヶ月前の話だ。

 青春も真っ盛りの十代半ば。

 友人達と謳歌すべき青春の残りを、全て、ギガンティック機関に捧げた。

 そこには空を養うため、空に楽をさせてあげたいと言う思いが大きかっただろう。

 だからこそ、空には自分が謳歌できなかった青春の全てを味わってもらいたい。

 普通の幸せを手に入れてもらいたいと言う気持ちが強いのだろう。

 空は、姉の言葉を、いつもそのように受け取っていた。

空「うん、これからも頑張るよ」

 抱きしめてくれる姉の腕に、そっと自分の手を重ね、空は感慨深く呟く。

海晴「………なんだか、しんみりしちゃったわね」

 しばらくそうしていた姉妹は、
 姉の言葉を合図に、どちらからとなく離れた。

空「えへへ……」

 抱きしめてくれていた姉の温もりが嬉しかったのか、
 空は嬉しそうに頬を緩ませている。

 仲の良い姉妹だが、こうやってゆっくりとした時間を一緒に過ごせるのは、実はそう多くはない。

 イマジンは突然現れるのだ。

 一度、注意報のレベル4が発令されたとなると、レベル1に低下するまで帰宅する事は出来ないし、
 イマジンとの戦闘中は職場を離れる事は許されないのだ。

 今日のように定時で上がれる事は、まあ月に五日もあれば良い方で、
 長期間、レベル4注意報が発令されて何日も家に帰れないと言う時だってある。

 仮に帰宅しても、レベル4以上の注意報が発令されたら、
 隊舎までとんぼ返りと言う日も多い。

 ギガンティックのドライバー達の訓練に付き合って、
 帰りが遅くなると言う事もよくあった。

 それどころか、軍や警察の手が足りない時には、
 そちらの任務にまで駆り出されるのがギガンティック機関だ。

 空が小学校に入学する少し前から、ずっとそんな生活だったのだから、
 彼女の喜びようも、さもありなんと言った所である。

海晴「ふふふ……」

 幸せそうな妹の様子に、海晴も幸せそうに微笑んだ。


 姉妹は、その日は心ゆくまで語らい、
 夜遅い事に気付いて顔を見合わせて笑い、そして眠った。

―4―

 翌々日、朝――


 空はパジャマ姿のままエプロンを纏い、
 自宅のキッチンで今日の分の朝食と弁当の用意に励んでいた。

空「こんな所かな?」

 朝食の盛り付けと弁当のおかずを詰め終え、空は調理台の上を見渡す。

 朝食はトーストとベーコンエッグにサラダと牛乳、
 弁当は刻みベーコンとほうれん草の炒め物をメインに、サラダにも使ったブロッコリーとプチトマト、
 作り置きの椎茸と竹輪の煮物、夕飯分と合わせて炊いた御飯で作ったシャケのおにぎりだ。

 彩りも十分だろう。

空(……朝御飯食べて着替え終わる頃には丁度良い感じに冷めるだろうし、
  そしたら蓋をして巾着で包んで……)

 空は配膳しながら、そんな事を考える。

 モニターの電源を入れ、政府公報チャンネルに合わせると、
 ニュースを確認しながら朝食を食べ始めた。

 昨日から始まった第三フロート第二層の隔壁修理の進捗が発表されている。

広報官『現在の修理状況は四割まで進み、一両日中には作業全行程が終了する見込みです。
    警備は現在、軍とギガンティック機関の二十四時間態勢の四交代制で行われており……』

空「……あ、そっか……外の警備してるから、
  ギガンティックのドライバーの人達って、外の世界を見られるんだ……」

 ニュースを聞きながら、空はその事に思い至って呟いた。

 外の世界。

 本来、地球の生命が住むべき世界。

 もう四十年以上も昔にイマジンによって奪われた、旧き世界だ。

空「空って……やっぱり見られないのかな……?」

 誰とは無しに、そんな質問を投げかける。

 世界がイマジンによって破壊し尽くされる前、
 神の杖暴走事故によって地球の環境は劣悪な物となったと、授業で教わった。

 大量の粉塵が巻き上げられて空を覆い、
 増殖したマギアリヒトによって支えられ、落ちる事すら許されない状態。

 それがイマジン事変の起きた2031年の夏頃の調査結果だ。

 マギアリヒトは魔力を媒介するナノマシンであり、
 現在も広く普及している魔力物質そのものであり、またイマジンを構成する物質でもある。

 過剰なマギアリヒトは、巻き上げられた粉塵を支える層となってしまっているのだ。

 巻き上げられた粉塵よって太陽光は遮られ、
 それによって引き起こされた海洋寒冷化現象と陸上の温度差によって無数の竜巻が発生し、
 沿岸部はさらなる壊滅的被害を被り、海洋は九割以上が凍り付いていたと言う。

 その頃の写真も掲載されていたが、
 マギアリヒトの発する薄暗い輝きによってのみ照らされた世界は、まるで凍結地獄のような様相だった。

 かつての青空は、見る影も無いと言っていい。

 今、紺碧の空を仰げる場所は、メインフロート最上……第一層の外郭自然エリアにあるスカイリウムや、
 一般人立ち入り禁止の自然保護区に投影される、旧世界の空の様子を記録した映像だけである。

 旧世界を知る大人達は、口を揃えて“本当の空は、あんな物じゃない”と言うが、
 本当の空を知らない自分には判りかねた。

 ただ、大人達がそこまで言う“本当の青空”と言うのは、一体、どんな物なのだろうか?

 小学生の頃の作文にも書いたが、いつか……せめて生きている間に一度は見てみたいものだ。

広報官『………会は第七フロート第三層に特使派遣を決定。
    特使派遣は通算二十五度目と……』

 そんな事を考えている間に、別のニュースに切り替わっている。

 どうやらテロ関連に関する発表のようだ。

 モニター隅に表示される時計は七時半。

空「……そろそろ後片付けして、制服に着替えよう」

 空はまた、誰とは無しに呟く。

 一人きりになると、どうしても独り言が増えてしまう物だ。

 空は後片付けと着替えを済ませ、姿見の前に立って、
 一昨日に姉から貰ったリボンを結ぶ。

 昨日の朝は、姉の泊まり込みの準備やら、いつもより早く出勤する姉を見送ったりやらで忙しく、
 ついつい忘れてしまったが、今日こそは忘れない。

 一昨日の夜、姉にそうして貰ったようにアップ気味のポニーテールにしてリボンを結わえる。

空「ん~……っと、こんな感じだったかなぁ……」

 何度も角度を変えて、出来を確かめながら、不意に噴き出す。

 よく考えてみたら、着替えを済ませてからこんなに髪型を気にした事など、
 中等部へ進級した始業式以来の事だ。

 姉にオシャレに気を使って欲しいと思ってプレゼントを選んだつもりだったが、
 どうやら自分も同じ穴の狢だったらしい。

 そして、その事は海晴自身も気付いていたハズだ。

空(やっぱり……お姉ちゃんには敵わないなぁ……)

 肩を竦めて小さく溜息を漏らして、また噴き出す。

 一昨日、姉の分まで頑張ろうと、自分の青春を謳歌しようと決めたばかり。

 こんな事でしょげていては、それこそ姉に顔向けできないと言うものだ。

空「よしっ」

 気合を入れるように胸を張り、姿見の前でくるりと一回転して髪型の決まり具合を確認する。

 リボンで結わえたポニーテールが、主の回転に合わせてフワリと舞う。

空「……うんっ」

 姉が結わえてくれた時ほどでないが、なかなか様になっている。

 自信を持って登校してやろうじゃないか。

 そんな勝ち気な気分にさえなって来る。

 空はキッチンへと戻り、ようやく冷めた弁当箱に蓋をして、巾着に入れて鞄に詰め込む。

 テーブルの上に置いていた携帯端末をブレザーの内ポケットに入れ、準備万端だ。

 無論、戸締まりも後は玄関だけである。

空「じゃあ、お父さん、お母さん、行って来ます!」

 仏壇の遺影に写る両親に告げて、家を出た。

 今日もまた、平和な一日が始まる。

 雅美や佳乃とお喋りをして、授業を受けて、放課後を親友達と楽しみ、
 姉が帰って来る日を指折り数えて待つ、退屈だが充実した一日が……。

 まだ開店時間前の商店街を横切った辺りから、
 自分と同じ紺色のブレザーを着た学生達が次第に増えて行く。

 そして、顔見知りと会釈や挨拶を交わしながら校門まで差し掛かった瞬間――

『PIPIPI――ッ!』

 辺り一帯の生徒達から、一斉に同じ電子音が鳴り響いた。

 着信メロディでも着信ソングでもない、単純な着信音に、
 空を含めた生徒達が一斉に身を強張らせる。

空「まさか……っ!?」

 空は驚いた様子で、ブレザーの内ポケットから携帯端末を取り出し、ディスプレイを覗き込む。

学生「イマジン警報……レベル4!?」

 すぐ近くから、愕然とした声が上がった。

 イマジン警報、レベル4……隣接フロート内での中型イマジンの活動確認、
 或いは小型イマジンの侵入を告げる、緊急警報。

空「うそ……?」

 読み上げられた情報通りの文字が躍るディスプレイを見ながら、空は愕然と呟いた。


 ここはNASEANメガフロート。

 かつて、世界の中心と謳われた理想郷。

 異形の怪物によって住処を奪われ、追い立てられ、
 逃げ込んだ人類が僅かな安息を許された、箱庭の世界。

 人々は争いを絶やす事なく、また、異形の脅威も去らぬ中、
 それでも人は、僅かな安息に身を委ねようと、必死に足掻き続ける。

 繰り広げられる、脆く尊い……そう、それは――


第1話~それは、陳腐な『箱庭の平和』~ 了

今回はここまでとなります。


そして、また投下中に気付くミス……

空の作文にある「ギガンティック部隊」は「ギガンティック機関」の誤りです。
謹んで訂正させていただきますorz

最新話を投下させていただきます

第2話~それは、獣にも似た『少女の咆吼』~


―1―

 早朝。
 メインフロート第一層、第二行政軍事区、ギガンティック機関隊舎――


 軍服らしい正装を身に纏い、白髪だらけの髪をバンドで纏めた老齢の女性が、
 同じデザインの服を身に纏った中年の白人男性を伴って、その廊下を早足で進む。

老女「状況は?」

男性「現在、反応は第三フロート第四層、第一フロート第二層、
   第六フロート第三層の三ヶ所で確認されています。

   第三には護衛に回していた08と09を回すように指示済みです」

 老齢の女性の問いかけに、中年の男性が丁寧に応える。

 現在、NASEANメガフロートは、
 イマジンの三ヶ所同時出現と言う非常事態に上へ下への大混乱となっており、
 ギガンティック機関も出撃に向けて慌ただしく動いている最中だ。

老女「第四層……工場区画はこの時間なら就業時間前ね。
   住宅地の第一、第六と合わせた各フロートの避難状況は?」

男性「第一、第六共に主街区から離れた外郭自然エリアだった事もあり、
   周辺地区住民を優先したシェルターへの避難誘導を、駐留している軍が行っています。

   第三フロートに関しては広域火災が発生、降雨システムによる鎮火を試みていますが、
   既に出勤済みだった作業員が多数取り残されているようです」

老女「……クァンとマリアを護衛任務に向かわせたていたのは、不幸中の幸いね」

 女性は返答を受けて思案げに返すと、
 手元の携帯端末を操作し、空中に二つの立体映像を投影した。

 立体映像は、イマジンの反応を示す赤い光点と、
 その周辺の直径二十キロの立体地図が映し出されている。

老女「………主街区までの距離はあるけれど、
   第一、第六共にメインフロートとの連絡通路に近いわね……。

   第一には01、11、12を、第六には06、07を向かわせなさい」

 状況を把握しつつ、女性は端末を通信モードに切り替えて指示を出す。

 それと同時に、二人は廊下の突き当たりにあるスライド式シャッターの前へと辿り着く。

 人の反応――と言うより魔力――を検知したシャッターが左右に開かれ、二人はその中へと入る。