【オリジナル】魔導機人戦姫 第34話〜【なのかもしれない】 (831)

*注意

1.最初はどこにも晒す予定のなかった一次創作未満の練習作品なので、
  思いっきり某リリカルと某てぃんくるの影響と、それに近似した設定がチラつきます。
  読み始めから気付かれる可能性が高いと思うので、
  そう言うのが許せない、あの作品(特に某リリカルの方)を汚すな、と言う方は回れ右推奨です。

2.通常の小説形式を地の文+脚本形式に手直ししています。
  以前に建てた二次創作スレで同じ形式にした所「読みやすい」との言葉を何度か賜りましたので、
  読みやすさを優先し、同様の形式にしております。

3.既に最終回まで書き上がっておりますので、書式変更が終わり次第、一話ずつ投下します。
  完結後にも小ネタの投下などあるかもしれませんので、もし宜しければそちらにもお付き合い下さい。
  但し、筆のノリと気分次第で投下頻度も予定もガラリと変わると思われます。気長にお付き合い下さい。

4.鬱展開もちょっとショッキングな展開もあるので、最低限12禁の方向でお願いします。
  また、最終回後は気分次第で18禁になる可能性も十二分にあり得ます。
  期待しない程度に警戒していただけると助かります。

5.格好良さ優先の間違った外国語(主に文法的な部分)があるので、間違った外国語が覚えられます。
  良い子も悪い子も、恥をかきたくなければマネしないように。

前々スレ(1~16話)
【魔法少女風】魔導機人戦姫【バトル物】

前スレ(17~33話)
【オリジナル】魔導機人戦姫 第14話~【と言い切れない】

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第34話「奏とカナデ、クリスとナナシ」



十二月六日、午後二十二時五十五分。
アイスランド共和国、ヴァトナヨークトル氷河――


空中戦でネーベルを下したリーネの活躍と、
特務メンバーと本條家の一部が地下施設への突入を果たしたと言う報せは、
研究院側の士気を大いに上げていた。

エージェント「総員、怯むな!
       地上での戦闘で敵勢力をこちらに釘付けにしろ!
       一体たりとも、地下に戻させるな!」

小規模部隊の指揮権を委ねられていたAランクエージェントの一人が、
自身の指揮下にいる仲間達の戦意を鼓舞するように叫ぶ。

????「……いやぁ、ウチの隊長さんは熱いねぇ」

士気を上げる仲間達を後目に、一人の男がやや気怠そうに漏らした。

汎用遠距離型ギアをライフルのように構えたその男は、
そう言いながらも正確なスナイピングで機人魔導兵達の頭を吹き飛ばして行く。

?????「真面目にやっておいた方がいいですよ、先輩」

その男を、一人の男性エージェントが呆れたように窘める。

彼の名はジルベルト・モンテカルロ。

十一年前、魔導巨神事件の際に研究院に投降し、
二年間の更正教育期間を経て戦闘エージェント隊にその身柄を預けられる事になった男性だ。

当時十七歳、現在は二十八歳である。

????「俺はコレでも真面目にやってるつもりだけどね……」

そんなジルベルトに“先輩”と呼ばれたコチラの男性の名は、クライブ・ニューマン。

同じく十一年前の魔導巨神事件において研究院に投降、
幼い頃から暗殺者を生業にしていた事から永久投獄刑に処されていた、
現在二十九歳の男性である。

そんな人間が何故この場にいるかと言えば、頭数を揃えたい研究院上層部の思惑で駆り出されたためだ。

彼は元より“生きるために出来る事”として、
その魔導の力を暗殺に使い、マフィアの庇護下に身を置き、
十一歳の頃からはグンナーのコピーの元で私設部隊の初代隊長として、
恋人であるキャスリンが二代目隊長に就任して以後はその隊員として生きて来た。

生きる事に事欠かない状況では誰かに危害を加える必要も理由も無く、
投獄されてからの彼は模範囚として過ごし、
監獄施設でその生涯を終えるつもりだったのだ。

だが、模範囚であったが故に今回の作戦に駆り出される事になり、今に至る。

クライブ「恩赦が出るって言っても刑期が多少短縮されるだけで、
     無罪放免になるワケでも無いだろ?

     ……まあ、死なない程度に適当にやるさ」

そう言いながらも、クライブはその間だけで三体の機人魔導兵の頭部を吹き飛ばした。

さすが、狙撃だけならばSランクと謳われただけあり、
その狙いも威力も並の戦闘エージェントの比では無かった。

かつて、あのリノですら彼とキャスリンを含む四人を相手に長期戦を強いられたが、
その要因の大半は彼にあったと言っても良いだろう。

十一年の投獄期間を経ても衰えぬその正確な狙撃は驚嘆に値する。

クライブ「チッ……まだ勘が戻らねぇか……」

しかし、彼自身はその結果に不満のようで、苛立ったように舌打ちした。

ジルベルト「それならそれで、あまり張り切りすぎてヘバらないようにして下さいよ。
      長丁場なんですから」

ジルベルトはそう言って、クライブに近付いて来た機人魔導兵の胸板を渾身のストレートで打ち抜く。

彼の戦闘スタイルはフリースタイル近接格闘戦……早い話がストリートファイト仕込みの喧嘩殺法だ。

近接戦での勝負強さを活かして、ジルベルトはクライブの直衛を任せられていた。

二人が戦闘を続けていると、
不意に頭上を空色と茜色の魔導装甲に身を包んだ年若い二人組のエージェントが通過する。

空色の魔導装甲を纏った少年の腕には、インナー防護服姿の少女が抱かれていた。

リーネを後方に搬送中にアンディとユーリだ。

後方からの敵の魔力弾に晒されながらも、
二人はいち早くリーネを安全な場所に送り届けるため飛び続けていた。

クライブ「お、アレが今回の功労賞のバッハシュタインって子か」

ジルベルト「ええ、エージェント・譲羽と同じ特務部隊に所属するSランクエージェントですよ」

興味深そうに呟いたクライブに、ジルベルトが説明する。

クライブ「エージェント・譲羽ねぇ……。
     あの嬢ちゃんが今じゃSランクたぁご大層なこった」

ジルベルトの説明を聞かされたクライブは、
十一年前の事や四年前の今にも泣き出しそうだった少女を思い浮かべていた。

人間離れした膨大な魔力を持ってはいた物の、あの頼りなさそうな素人だった子供が、
今では自分程度では足下にも及ばない実力者と思うと、十一年と言う時は思った以上に長かったようだ。

クライブは感慨深く目を伏せる。

???「アンディ兄っ、ユーリ姉っ! 先に行って!」

と、その時、上空から響いた声に思わず視線を向けた。

そこには萌葱色の魔力の障壁を張り巡らせる、幼い少女が一人。

魔力波長と同じ萌葱色をしたジャケットコートの上に、
黄色い軽装プロテクターと言う魔導防護服を纏った幼い少女は、
一見してこの戦場には不釣り合いに見えた。

やや離れた位置ではあったが、そこから見えた少女の横顔に、
クライブは呆然と手を止めてしまう。

ユーリ「ありがとう、セシル!」

アンディ「セシリア、危ないからあまり前に出過ぎるんじゃないぞ!」

振り返って礼を言ったユーリに続いて、アンディも背中越しに少女へ注意を呼びかける。

セシル「大丈夫だって!」

二人にセシルと呼ばれた少女――
セシリア・アルベルトは真剣な表情の中にも笑みを浮かべて力強く応えた。

セシルがAカテゴリクラスに編入したのは去年の三月末、
今年で十五歳を迎えたアンディとユーリがプロエージェントになったのは去年の四月。

寝食を共に出来たのは一週間程度の短い間だったが、
師を喪って哀しみにくれるセシルが笑えるようになったのは、
一重に最年長だった二人の尽力もあっての事だ。

クライブ「……セシリア……セシル……か……?」

クライブは力強い笑みを浮かべたセシルの顔を見上げたまま、呆然と目を見開く。

傍らのジルベルトも、クライブがセシルの事を見上げている事に気付いていたが、
どう声をかけていいか分からずに押し黙ってしまう。

セシリア・アルベルト……以前の名はセシリア・ブルーノ。

四年前のトリスタン・ゲントナー事件の発端となるエージェント大量惨殺事件で、
犠牲者の一人となったキャスリン・ブルーノの一人娘だ。

その後、母のかつでの部下であり友人でもあったレギーナ・アルベルトの養子となり、現在に至る。

亡き母はシングルマザーであり、生まれてからの約二年間半を母の投獄と言う事情から離ればなれで過ごした。

彼女自身は父親が誰であるかを聞かされておらず、母の死後も顔を見せない事、
義母がその件について追求しない事から、決して触れてはいけない事と思い込んでいる。

そして、そんなセシルの父親こそが、
今彼女を見上げて呆然としているクライブ・ニューマンその人なのだ。

言ってみれば――

セシル「おい、オッサン! ボーッとしてると危ないぞ!」

自分を見つめるクライブの視線に気付いたセシルが、呆れたような声を上げた。

クライブ「あ……ああ」

クライブは呆然としたまま頷く。

――それが、父と娘の初めての出逢いだった。

セシルはアンディとユーリが後方まで下がった事を確認すると、
呆然とした様子のクライブの元に降り立つ。

セシル「本当に大丈夫かよ?」

ジルベルト「お、おいセシル……」

呆れ果てたような様子のセシルに、ジルベルトは戸惑い気味に声をかける。

セシル「ジルベルトからも何か言ってやれよ!
    まったく、候補生のアタシだってこんな頑張ってんのに」

溜息がちに二十歳近く年上の知り合いに対して、平然とため口を宣う少女。

旧グンナー私設部隊の隊員のほぼ八割は勤労奉仕と言う形で研究院に属しており、
母・キャスリンが存命中の頃からその全員と親交があった事もあって、
セシルは母に倣った呼び方で彼らと接していた。

余談であるが、彼女が“さん”を付けるのは、
奏と乳児の頃に面倒を見てくれていたシエラ・ハートフィールドだけだ。

口が悪いのは幼い頃からの物で、今に始まった事でない。

ただ、身元を引き受けてくれたレギーナの事だけは、今では“母さん”と呼んで慕っている。

ジルベルト「候補生なら候補生らしく、
      俺の事はエージェント・モンテカルロって呼ばないか……。

      先輩だぞ……一応」

ジルベルトは溜息がちに呟いた。

セシル「はーい、エージェント・モンテカルロ」

セシルは何処か不満げに漏らす。

だが、近付いて来た機人魔導兵に気付くと、
フレイル状のギアの先端に取り付けられた錘をチェーンワイヤーで伸ばし、
その首を絡め取って近場にいた敵の群へと投げ飛ばした。

セシル「これで……止めッ!」

体勢を崩した敵の群に向けて、大型の魔力弾を叩き込んで霧散させる。

セシル「よしっ、まだまだ絶好調!」

その光景を確認して、セシルは満足そうに胸を張った。

母譲りの素早さと、父譲りの射撃の正確さ。

亡き師に得難い才能と評させた高い才覚は、
幼いながらに確実に開花の時を迎えようとしていた。

自分の事を知らぬ娘の戦い振りを見ながら、クライブは不意に口元に笑みを浮かべ、口を開く。

クライブ「………ボウズ、魔導巨神事件の頃の譲羽の嬢ちゃんと同い年くらいか?
     なかなかやるじゃねぇか」

セシル「誰がボウズだ!?
    アタシはレディーだぞ!」

クライブの言に、セシルは憤慨した様子で返した。

クライブ「ハハハッ、レディーか。
     そりゃそうだな、悪い悪い」

クライブは豪快に笑い飛ばすように言って、セシルの頭をポンポンと軽く叩くようにして撫でる。

セシル「子供扱いもヤメロよぉ、これでもBランクオーバー相当なんだぞ!」

クライブ「そいつはスゲェな……」

照れ隠しが込められたセシルの言葉に、クライブは驚きながらも目を細める。

セシル「っと、こんな事してる場合じゃないんだった!
    アタシ、はぐれちゃったクリス姉探さないといけないから、またな!」

クリスは思い出したように叫ぶと、慌てて飛び上がった。

だが、すぐに二人へ振り返る。

セシル「ぼーっとしてて死んじゃうなんて、絶対に駄目だぞ、ジルベルト!
    それにオッサンも!」

僅かな照れ隠しで語気を強めた、だが二人への確かな気遣いを感じさせる言葉を叫ぶ。

クライブ「おう、達者でな、ボウズ」

セシル「だからボウズじゃないって!」

そんな軽妙なやり取りを終えて飛び去って行くセシルの背を、
クライブは視線で追い続ける。

見る見る間に小さくなって行く背中は、今から追っても追い付きそうにない。

そのスピードに頼もしさと驚きと、どこか寂しささえ感じながら、
クライブはスッと目を細めた。

ジルベルト「……先輩」

そんなクライブに、ジルベルトはやや気まずそうに声を掛ける。

だが――

クライブ「なぁ……恩赦ってのはどの程度、刑期が短くなるモンなんだろうな……」

クライブは何処か遠くを見るように、そんな言葉を呟いた。

別に今更、恩赦が欲しいと言うワケではない。

そんな物に期待する事なく、十一年を過ごしたのだ。

どんなに長く生きても、あと五十年足らずの人生。

その間、寝食に困らずに済む。

これでいいのだ、と言う諦観にも似た感情だけで、日々を過ごしていた。

たまの面会で顔を合わせる事もあり、彼のそんな感情はジルベルトも理解している。

故に、クライブにどんな言葉をかければいいのか、彼には分からなかった。

クライブ「…………さぁてっ!」

クライブは気まずくなりかけた空気を察して、
それを振り払うように大きな声を発し、さらに続ける。

クライブ「十歳になったばかりのガキの頑張ってんだ……。
     大人の俺らが油売ってる場合じゃねぇわな」

ジルベルト「先輩………了解です!」

意気込むクライブに応えるように、ジルベルトは力強く応えた。



一方、父とは知らぬままクライブ達と別れたセシルは、
十数分前にはぐれたクリスの姿を探して戦場を駆けていた。

遭遇した機人魔導兵をフレイルで叩き伏せ、魔力弾で撃ち倒しながら進む。

セシル「クリス姉……どこにいるんだよぉ……」

セシルはどこか不安の入り交じった声音で漏らす。

リーネが幹部格のネーベルを倒した事や結達特務が地下に突入した事は、
確かに全体の士気を上げていた。

だが、だからと言って全ての劣勢が覆されたワケではない。

現に周囲は敵味方が入り乱れ、既に多くの負傷者も出ている。

クライブ達には強がって見せたものの、まだ僅か十歳。

実戦の経験もない少女にこの戦場の広さと凄惨さは荷が勝ちすぎた。

仲間もいるが敵だらけでもある戦場で心細さを抱えながら、少女は駆ける。

セシル「クリス姉……」

呼びかけた名前が、自身の心細さを掻き消してくれる事だけを信じて……。

そして、クリスの方でもセシルを捜している最中だった。

クリス「セシル、何処なの!?」

クリスは辺りを見渡しながら叫ぶ。

最前線から突出した部隊を守るつもりで前線に躍り出たクリスは、
やや孤立した状況に陥っていた。

それもそのハズ、クリスの魔力特性は元来、対集団戦には向かないのだ。

クライノート<クリス、敵の集団が接近中です>

クリス「ッ!?」

クライノートの声にクリスは息を飲む。

直後、一塊になった魔力反応が押し寄せて来る感覚を覚え、そちらに視線を向ける。

するとそこには、十体以上の機人魔導兵が群を成して押し寄せて来る最中だった。

クリス<クライノート、敵集団の移動予想地点の地面をロックオン!>

クライノート<了解です>

クリスはクライノートの返答を聞くと同時に、
彼女がロックオンしてくれた氷河の表面に向けて両腕を突き出す。

クリス「グラビテーションボーゲンッ!」

矢のように細く引き絞られたエメラルドグリーンに輝く魔力弾が、
ロックオンされた地点へと向けて放たれる。

魔力弾が着弾した瞬間、その真上を機人魔導兵の一団が通りかかった。

すると、まるで空気を一瞬で抜かれた風船人形のように、機人魔導兵達が潰れて消える。

対物操作特化の魔力特性。

高威力、高収束の熱系変換された属性魔力や、
圧倒的な硬度を誇る硬化特性魔力の事を“物理干渉レベル”などと言うが、
クリスの魔力特性はそのさらに上の“物理完全干渉型”だ。

通常物質・魔力由来物質を問わずに干渉できる魔力特性故に、
万が一の仲間への誤射を防ぐ意味合いもあって、集団の中に入る戦闘には向かないのである。

しかし、それでも最低限の仲間の援護は必要であり、
その援護をこの任務へ共に志願したセシルに任せていたのだが、
十分ほど前の乱戦状態でお互いに離ればなれにされてしまったのだ。

クリス(セシルの事だから、無茶をしなければいいけれど……)

クリスは心中で不安げに漏らす。

セシルは元気で活発な子だったが、それ故に調子に乗りやすい子だ。

幼い年齢に似合わず遠近共に高い技能の持ち主ではあるのだが、
自分のように全方位戦闘を得意とするタイプではないので、
下手に最前線で孤立してしまうと危険に晒されてしまう。

クリスは焦燥感に襲われながらも、セシルを捜して走り続ける。

クライノート<クリス、周囲を囲まれています>

その時、周囲を警戒していたクライノートが警告を発した。

クリスは立ち止まって辺りを見渡すと、
確かに先程まで周囲を覆い尽くすだけだった機人魔導兵達が、
いつの間にか周囲を意図的に取り囲んでいる事に気付かされる。

数は四十。
周囲を隙間無く取り囲む円陣型の陣形だ。

クリス「うそ、いつの間に……」

クライノート<どうやら彼らに脅威認定されたようですね>

呆然と声を漏らしたクリスに、クライノートは淡々と推測を述べた。

研究院が誇る前線型Sランクエージェント二十五名とAランクエージェント五十四名、
総勢七十九名全員が揃っている戦場でBランクですらない自分を脅威認定してもらえた事は光栄だが、
今はそんな感慨に浸っていられる場合ではない。

クリス「クライノート! 出力最大で氷の障壁!」

クライノート<了解です、クリス>

主の指示に愛器が応え、彼女の足下にあった氷河の表面が砕けると、
その周囲に巨大な円筒型障壁として再構成される。

魔力を含み、高密度に圧縮された氷の盾だ。

魔力弾も物理攻撃も防ぐ、最高クラスの障壁である。

周辺の地形を構成する物質――今回の場合は氷河を構成する氷――を砕き、
障壁化するクリスの得意とする防御魔法だ。

クリス「これなら……!」

クリスはさらに障壁に魔力を込めた。

機人魔導兵達は一斉攻撃を仕掛けるものの、
高密度に圧縮された魔力と氷の障壁に阻まれ、クリスに近付く事もままならない。

魔力弾、体当たり、その全ての攻撃を防ぎきる正に鉄壁の防御。

クリス「クライノート、押し潰すよ!」

クライノート<畏まりました>

クリスはクライノートに指示を出すと、
自身を取り囲んだ機人魔導兵達を取り囲むように新たな障壁を作り出す。

機人魔導兵達がドーナツ型の障壁に囚われた事を悟ったのは、
障壁同士の隙間が狭まり始めた直後だった。

クリス「グラビテーションシュライファー!」

クリスの叫びと共に、二枚の障壁は一気にその幅を狭める。

グラビテーションシュライファー――重力の粉砕器の名の通り、
クリスを取り囲んだ機人魔導兵達は表層の氷ごと一気に押し潰された。

クリス「ふぅ……っ、ハァ……」

クリスは大きく息を吐く。

魔導装甲とインナーの防護服で熱さ寒さの類はかなり軽減されており、
体温の上昇に合わせた調整がされているにも関わらず、クリスの全身はひどく汗ばんでいた。

クライノート<大丈夫ですか、クリス?>

クリス「うん……人間が相手じゃないから……大丈夫」

心配そうに尋ねた愛器に、クリスは額に浮かんだ汗を拭う。

クライノートも主の汗を魔力でぬぐい去り、
その身体が冷えないように適度な暖かさに調整する。

クリス「ありがとう……クライノート」

クライノート<いえ……マスターの体調管理もギアの責務ですので>

少し申し訳なさを含んだクリスの感謝に、クライノートは優しい声音で応える。

と、その直後に異変は起きた。

表層を削られて薄くなった足下の氷河に、不意に大きなヒビが走った。

クリス「え!?」

足下に生まれたヒビに、クリスは驚愕する。

ブリーフィング後の通達では、戦場となる氷河はかなり分厚いため、
氷河に対してもある程度のダメージは許容されると聞かされていた。

現に周囲の仲間達も、炎熱系や雷電系の高い熱量を伴う魔法を使っており、
自分より盛大に氷河を破壊している者達の姿も見える。

だが、こんな巨大なヒビが走っている場所はない。

このまま巨大クレバスが発生するのでは、と警戒しつつ、
クリスはひび割れの下を見遣った。

クリス「あれ……?
    これって、まさか……!?」

ひび割れの下に見えた光景に、クリスは小さく驚きの声を上げる。

周囲はグラビテーションシュライファーの作り出した分厚い障壁に守られており、
敵もおいそれとは手出し出来ないだろう。

クリスは安全が確保されている事を確認すると、
最小限の威力で足下にグラビテーションボーゲンを放つ。

すると、氷河の一部が押し潰されて砕け散り、
ひび割れの発生していた部分に大きな穴が穿たれる。

九日前の対魔力結界の施された分厚い強化ガラスと違い、
この程度の氷河を押し潰すのは容易い。

クリス「やっぱり……これって人工物、だよね」

クリスは自身が穿った大穴の先に現れた金属製の構造体を見遣りながら、呆然と呟いた。

シャッターのような構造が見えており、
さらによく見れば氷河を押し上げられるようなジャッキらしい物も見えている。

どうやら上の氷河の一部をジャッキアップする事で機能する隠し通路の類のようだ。

先程までリーネと戦っていたネーベルが、突如として進行方向でない場所から現れたが、
恐らくはコレと同じような隠し通路か、或いはこの隠し通路自体を使って地表に現れたのは想像に難くない。

氷河の厚さはここだけ五十センチ程度。

どうやら、直上での戦闘――特にクリスの魔法が仇となって、
薄くなっていた氷河が割れてしまったのだろう。

クライノート<構造体から魔力反応を検出。
       どうやら魔力によって構成された物質のようです>

クリス<それって、魔導機人や魔導装甲と一緒、って事だよね?>

クライノートから計測結果を聞かされたクリスは、思念通話で問い返す。

クライノート<はい。シャッター自体をハッキングして開くよりも、
       クリスならば魔力弾で破壊した方が高効率と思われます>

クライノートは主の質問に答える。

確かに、このシャッターを破壊すれば本陣から近い位置に突入口を確保する事が出来るだろう。

クリス<これを壊したら、奥から敵が出て来る……。
    なんて事はないよね?>

だが、クリスは警戒した様子で呟く。

クライノート<可能であるならば、敵側は既にそれを実行していると推測されます>

クリス「あ、それもそうだよね……」

クライノートの推測に、クリスは思わず声を出して納得していた。

既に結達特務と一征の率いる一団が二つの突入口で機人魔導兵の召喚呪具を破壊している。

敵の戦力供給の勢いは確実に落ちているのだから、新たな戦力供給路を確保するのは急務だろう。

それを実行しないと言う事はつまり、敵にそんな手段が残されていないと言う事になる。

クリス「よし……グラビテーションボーゲン、最大出力で!」

クライノート<了解です、クリス>

クリスは愛器の返事を聞くと浮遊魔法で僅かに飛び上がり、
閉じられたシャッターに向けて最大出力のグラビテーションボーゲンを放った。

すると、先日の強化ガラスよろしく、人一人が通り抜けられるほどの穴が穿たれる。

クリス「意外と固かったけど、何とかなったね」

穿たれた穴を確認しながら、クリスはやり遂げたように小さな溜息を漏らす。

出来た穴から内部を覗き見ると、
途切れ途切れの証明で照らし出された、深く長い蛇腹状ダクトの縦穴が見えた。

かなり奥……氷河の下まで通じているようだ。

敵の隠し通路で間違いないだろう。

事実、このダクトはネーベルが地表に出る時に使った隠し通路だった。

と、その時である。

???「クリス姉っ!」

真上から名前を呼ばれ、クリスは驚いたようにそちらを見上げた。

するとそこには、安堵の表情を浮かべたセシルが、
高く築き上げられた氷の障壁の縁に立っていた。

クリス「セシル!?
    良かった……無事だったんだね」

クリスも同様に安堵の表情を浮かべ、胸を撫で下ろす。

セシル「それはこっちの台詞だって! ……って、コレ、何!?」

セシルはどこか怒ったように言ってクリスの隣に降り立つと、
ようやくその縦穴に気付いて驚きの声を上げた。

クリス「クライノートの話だと、多分、敵の隠し通路じゃないかって」

セシル「隠し通路か……。
    リーネ姉と戦ってた、あのネーベルって奴が使ってたのかな?」

クリスからクライノートの推測を聞かされ、セシルは思案げに呟く。

中々鋭い洞察力だ。

クリス「セシルは一旦、本陣に戻って偉い人達……、
    総指揮を執ってるアンダースン総隊長にこの隠し通路の事を報告して来て」

セシル「クリス姉はどうすんの?」

クリスの指示に、セシルは怪訝そうに問い返す。

クリス「私はここの確保と、それと下の確認。

    ザックさんとカーネルほどじゃないけど、
    私とクライノートも頑丈だし、罠の有り無しくらいは確認しないとね」

対してクリスは落ち着いた様子で答えた。

探していたセシルと合流し、彼女の無事を確認できた事も大きいが、
やはり妹分に不安がっている所を見せられないと言う“姉貴分の意地”もある。

セシル「大丈夫……?」

クリス「大丈夫だよ」

それでも心配そうに尋ねるセシルに、クリスは笑顔で答えた。

セシル「無茶しないでよ、クリス姉……」

クリス「うん、無茶なんてしないよ」

クリスはそう答えて、まだ心配そうな表情を浮かべるセシルを送り出す。

彼女が本陣に向けて飛び立った事を確認すると、クリスは穴に向き直る。

クライノート<先ずは陸戦型のエージェントでも入りやすいように、
       周辺の地形を整えないといけませんね>

クリス<そうだね……。

    えっと、とりあえず大きな壁と天井でこの辺りを覆って、
    敵が大群で入り込めないようにしないとね>

クライノートの提案に思念通話で応えて、クリスは周囲の氷河で高く分厚い壁を作り出す。

高密度障壁精製のために魔力を集束させるワケではないので、軽く掴んで固めると言った感じだ。

クリス「こんな感じかな……?」

クリスは小さく息を吐きながら、自らの作り出した構造体を見上げる。

大きな壁と天井を持った巨大な雪と氷の塊……
まあ言ってみれば直径十メートル程度の半球型をした巨大かまくらだ。

さらに本陣の方角に向けて、分厚い雪壁で囲った細長い通路を造り出し、
通路以外の部分を十メートル以上深くハーフループ状に掘り下げて、
掘り下げて余った分の雪と氷でかまくらの周囲をさらに取り囲んで外堀を作り出す。

真上から見たら、アルファベットのCか目の検査表、
或いは国際規格の電源マークに見えるハズである。

これならば、飛行できない魔導機人兵ではおいそれと入り込めないだろう。

逆に万が一にも敵が中から湧き出して来たとしても、
この狭い出入り口ならば流出速度も抑えられるハズだ。

仮に内側からかまくらを破壊されても、敵は一旦、深い堀を越えなければならない。

まだ完璧とは言い難いが、それでも十分に考えられた構造であった。

クライノート<上出来と思われます、クリス>

クリス<ありがとうクライノート……>

愛器からの賞賛にクリスは嬉しそうに応えると、再び足下を見遣り――

クリス「次は、こっちだね」

――そう言って息を飲む。

九日前の研修で潜入任務は経験したが、戦闘状態での敵地潜入は初めてだ。

だが、やると言った以上はやるしかあるまい。

クリス<クライノート、浮遊制御お願いね>

クライノート<了解です、クリス>

クリスはクライノートの返事を待ってから、深く長い縦穴に飛び込んだ。

側面にある蛇腹の凹凸を魔力で掴みながら、かなり早い速度で降りて行く。

途切れ途切れの照明が……いや、光の届ききらない薄暗がりが否応のない不安を煽る。

クリス(……あの子……この先にいたりするのかな……?)

そんな不安を振り払うように、クリスは不意にそんな事を思い出していた。

そして、思い返す。
何故、自分がこの作戦に志願したのかを。

多分、最も大きな体積を占めていたのは義務感だ。

魔導師評価Bランク以上で、この作戦に参加する意志のある者。

そんな条件で各訓練校に言い渡された志願者の募集。

無論、Aカテゴリクラスで十歳以上ならば魔導師としての評価は基本的にBランク以上。

クリス自身はAランク評価だ。

戦える自分が世界が救われる瞬間をただ怯えて待っているワケにはいかなかったし、
何より怯える弟妹分達を勇気づける必要もあった。

母や結達を少しでも助けたいと言う気持ちもあっただろう。

それら全てをひっくるめての“義務感”と言う事だ。

そして、僅かな体積を占めていたのが、ある種の興味本位と言うヤツである。

九日前にあの会場で見かけ、四日前に自分を助けるような行動を取った、一人の少年。

彼の真意を、クリスは知りたいと思っていた。

この作戦への参加を決める以前からあった、小さな、だが無視できない疑問。

彼が敵だったと言う確信を得てからは、その疑問は日増しに大きくなっていった。

あの場で彼が自分を助ける理由が、メリットが、一つも見当たらない。

だとしたら尚のこと、何故、あの場で彼は自分を助けるような行動に出たのか?

疑問はループするばかりで解答は出ない。

もしかしたら、自分はその解答を得るためにこの作戦への参加を決めたかのかもしれないと思うほど、
クリスの中でその疑問が占める体積は増しつつある。

しかし、クリスは不意に頭を振った。

ここは戦場、しかも敵の施設内部なのだ。

こんな事を考えていられる状況ではない。

クリス「敵が出たら………戦わないと」

クリスは自身の疑問を振り払うように、そう漏らした。

それから数分ほど降下を続けると、下の方で煌々と灯りが点っている事に気付く。

クライノート<どうやら、本格的に施設内部に出るようです>

クリス<そうみたいだね……>

クライノートからの報告を聞きながら、クリスは身構えた。

降下の間に多少の魔力は回復できている。

元々、対物操作に特化した魔力特性である。

飛行魔法ならともかく浮遊魔法程度なら今では魔力弾を撃つよりも楽勝だ。

ここまで降下するのに使った魔力よりも、回復した魔力の方が多い。

残りの魔力量は七割強。

クリスの魔力量はSランク一.五人分ほど、
ざっくりとした数値を言えばDランクを一として一四八〇〇前後。

残量で言えば一一〇〇〇程度だろう。

全開の魔法や魔力障壁を使えば、大概の魔力的、物理的な罠に対応できるハズだ。

クライノート<クリス、ダクトの終端とその先の空間の床面まで三十メートルほどの落差があります。
       掴む場所がない場合、瞬間的に落下速度が増加します。

       気を付けて下さい>

クリス<うん、分かった>

クリスはクライノートの計測とアドバイスに頷くと、その瞬間を待つ。

そして、彼女がダクト状の通路の終端を抜けた瞬間、急速な落下を始めた。

かなり広い空間だったようで、クライノートが計測した通り、
十数階建てのビルに匹敵する高さがある。

しかし、クリスは事前の愛器からのアドバイス通り、
慌てずに浮遊魔法を調整し、床に激突する寸前に減速してゆっくりと降り立った。

クリス「ふぅ……」

数分ぶりの安定した足場に、クリスは安堵混じりの溜息を漏らす。

警戒していたような罠もなく、どこか拍子抜けした感すらある。

しかし、ここは敵地だ。

クリスは気を引き締め直し、辺りを見渡した。

広さは大体、直径四〇メートルほどの円筒型。

壁に埋め込まれた無数の照明が、金属そのままの色の空間を明々と照らし出していた。

そして、この空間を構成している金属らしい物質の殆ど全てから魔力を感じる。

クライノート<この施設そのものが魔力で形作られているようですね>

クリス<そうみたいだね……。
    魔力探知が上手く働かないよ>

クライノートの報告を聞き、クリスは溜息混じりに返した。

元々、あまり魔力探知能力が高いワケでもなかったが、
ここまで魔力探知を阻害されると、この空間の外の魔力を探るのは難しい。

クリス(リーネお姉ちゃんくらい敏感なら、
    この施設内でもある程度探知できそうだけど……)

クリスはそんな感想を抱きながら、さらに辺りを見渡す。

やはり罠らしき物は見当たらない。

このまま一旦上に戻って仲間達と一緒に出直して来た方がいいだろうか?

そう思ってクリスが天井の穴を見上げた瞬間、背後で金属が静かにスライドする音が響いた。

クリス「誰!?」

音と共に感じた魔力に、クリスは驚きと共に振り返って身構える。

直後、彼女の目は見開かれた。

金属そのままの鈍色の空間に、白い絵の具を垂らしたかのような綺麗な一点。

運命の悪戯か、求めた故の当然の解か、
そこには自分が会いたいと思っていた少年の姿があった。

九日前に見かけた時とも、四日前に出逢った時とも違う、
あの電波ジャックに映っていた時の魔導装甲とも違う、白灰色のインナースーツを着ている。

髪や目、肌の色も相まって相変わらず真っ白な姿をしていた。

ナナシ「……また君か」

クリスの探していた少年――ナナシは、僅かに呆れを含んだ声音で漏らす。

彼自身、幾度もクリスと遭遇している自覚はあったようだ。

ナナシはそのまま進み出て、広い部屋の中央に立つ。

クリス「あ……あの!」

クリスは戸惑い気味に口を開きかけて、押し黙る。

何と言えばいいのだろう?

助けてくれてありがとう……
は、敵である彼に対して相応しくないかもしれない。

そう、彼は敵だったのだ。

ナナシ「カナデ様…………申し訳ありません、緊急事態です。
    はい、敵が侵入しました。……一人です」

しかし、そんなクリスの戸惑いを余所に、ナナシは冷静に通信回線を開く。

どうやら、この状況下でも彼らの通信システムは使用可能なようだった。

ナナシ「はい……07の防衛領域です。
    はい、反応は既にありません……敵に撃破されたようです。
    他の弟妹達やナハトも既に戦闘状況にあるようです。
    ……はい、ヴァイオレットネーベルのデータ収集は完了しています」

距離が離れているせいか、向こう側の声はクリスまでは届いていない。

ただ、その通信の相手が義母・奏と同じ姿をした少女――
カナデである事だけは、クリスにも分かった。

ナナシ「……畏まりました。
    こちらの音声と映像をそちらのスクリーンに出します。

    壁面のカメラ映像でよろしいでしょうか?」

そんなやり取りの後、ナナシは再びクリスに向き直る。

以前のように姿を消すような素振りもなく、
ただ微動だにせず何かを待っているようだった。

僅かに張り詰めた緊迫感の中、クリスは再び思案する。

先程の続きになるが、一番の疑問であった“どうして助けてくれたか”と言う事も、
いざ口にしようとすると場違いな気がしてしまう。

だが、それと同時に妙な疑問も首をもたげる。

そもそも、彼は敵と言っていいのだろうか?

機人魔導兵達は有無を言わさずに襲い掛かって来るし、
アメリカでの戦闘も、幹部格の機人魔導兵達やカナデは問答無用と言う有様だった。

まともに言葉を交わした事はなかったが、
他の敵達と比べれば、彼は少なくとも話の通じない相手ではないような気がする。

それにもしかしたら、彼はグンナーに連れ攫われた“被害者”なのかもしれない。

そんな可能性すら脳裏を過ぎる。

仮にそうだとしたら、
彼を助ける事は自分が目指して来たエージェント――母や結の姿そのものだ。

クリス「あ、あの……」

クリスが意を決して口を開いた瞬間だった。

ナナシの身体を、黒と白のコントラストが鮮やかな魔導装甲が包み込んだ。

ナナシ「カナデ様からの指示が出た……。
    クリスティーナ・ユーリエフ、君を殺す」

クリス「え……?」

直後にナナシの口から聞こえた言葉に、クリスは愕然と目を見開いた。

クリス「あ、あなた……何で……!?」

先程まで抱いていた様々な疑問が、クリスの脳裏を駆けめぐる。

ナナシ「GH01B……」

だが、その疑問を吹き飛ばす真実がナナシの口からもたらされた。

クリス「ッ!? GH……01……!」

クリスは息を飲み、その言葉を反芻する。

GHのナンバリング、それは人間と同じ姿をした機人魔導兵達が名乗ったコードだ。

今の今まで、自分を助けようとしてくれた相手が機人魔導兵だと言う事を、クリスは知らなかった。

ナナシ「……呼び辛いなら、“ナナシ”とでも呼べばいいよ」

クリス「ナナシ……?」

その名に、クリスはさらなる衝撃を覚えた。

ギアの翻訳機能を解して、それが固有名詞でない事を理解する。

名無し――Nameless。

名前が無いから、名前のある者達と区別するために“名前が無い事”を名前とする、
その事実に嫌悪感すら覚える蔑称。

だが、その嫌悪感すら覚える蔑称こそが、彼の名前。

クリスは、決して彼の名前を尋ねようとした訳ではなかった。

だが、困惑で詰まった言葉は、ナナシには名前を尋ねられたように感じたのだろう。

ナナシ「……いや、名前なんてどうでも良かったね。
    君は、ここで死ぬんだから」

ナナシは頭を振って淡々と呟き、自身の周囲に白い魔力砲弾を展開した。

ナナシ「ヴァイオレットネーベル、セットアップ。
    ……ヴァイスカタストローフェ!」

無数の白い魔力砲弾が、クリスに向けて放たれる。

クリス「そ、そんな、待って!?」

クリスは困惑の声を上げながらも、反射的に魔力障壁を展開して防御の態勢に入っていた。



時間は前後するが、クリスがナナシと遭遇するおよそ十分前。
タワー内部、下層――


特務がタワーに突入してから、早くも十五分が経過しようとしていた。

最初の分岐で下に向かったB班――結と奏は、
そのままほぼ真下に向けて進む螺旋状のダクトを下っている最中だった。

結「この施設内でも戦闘が始まってるみたいだね……」

結は頭部のウサギ耳のような新型センサーの片方を立てながら周囲の魔力を探る。

最終装備用にアレックスが開発してくれた高感度センサーは、
結にリーネ並の魔力探査感度を与えてくれていた。

全周囲が魔力に覆われたこの施設内では精密な魔力の探査こそ出来ないが、
それでも戦闘中の魔力反応くらいは感じ取る事が出来る。

戦闘レベルで魔力が高まっている仲間の反応は全部で四つ、
一番近い位置にいるのはおそらくフランだろう。

結「あ……また反応。
  これは……一征さんと美百合と紗百合かな?

  それと、この移動中なのはアレックス君?」

エール『そうだろうね……。
    これで施設内の味方の反応は八つ』

結の呟きに、エールが共有回線を開いて応える。

奏「みんな、例の幹部機人魔導兵達と戦っているのかな……?」

結「多分、そうだと思う」

奏の問いかけに、結は頷く。

さすがに敵の魔力波長までは詳しく感じ取る事は出来ない。

しかし、例の電波ジャックの映像に映っていた敵の幹部格は、首謀者のグンナーも含めて九人。

既に地上での戦闘を終えているリーネが倒したネーベルを除き、残り八人。

美百合と紗百合の魔力反応が間近にあり、
敵らしき反応が一つと言う事を考えれば、残りの敵幹部格は二人。

実際はさらに隠し球とも言える超大型魔導機人のナハトが存在しており、
それを踏まえれば残りは三人と言う事になるのだが、結達がその事実を知る由はない。

結「アレックス君の作ってくれた新装備もあるし、みんななら絶対に大丈夫だよ」

結は微塵も不安を感じさせぬ表情で言った。

しかし、結のそんな言葉にエールが小さな溜息を漏らし、さらに続ける。

エール『結、それだとみんなを信じているのか、
    アレックスの事で惚気てるのか、微妙だよ?』

結「の、の、惚気てなんてないよ!?」

エールの指摘に、結は頬を紅潮させた。

勿論、仲間達を信じていると言う事もあるが、
アレックスが半端な物を作るハズがないと言う信頼も大きい。

だからと言って結も惚気ているワケではないのだが、
まあ場を和ませるためのエールなりの気遣いだ。

奏「ふふふ……」

二人のそんな様子に奏も微笑んでいるのだから、彼の試みは成功と言えるだろう。

クレースト<……申し訳ありません、奏様>

対して、主の気負いを和らげる事が出来なかったクレーストは、
言葉通りの申し訳なさそうな声音で呟く。

確かに、クレーストの生真面目さはどこかユーモアからは遠いが、
それでも優しい心根を持ったギアだ。

奏<大丈夫だよ、クレースト。
  君は君で、いつもボクを助けてくれるじゃないか?

  ボクはすごく助かっているよ>

クレースト<奏様……勿体ないお言葉です>

奏が優しい声音で諭すと、クレーストはどこか感極まったように応えた。

奏「さあ、急ごう。
  フランの予想したタイムリミットまで残り三十分だからね」

結「うん」

奏の言葉に結は頷き、二人はさらに速度を上げる。

そして、一分としない内に、彼女たちは再び分岐点へと差し掛かった。

結「前か、下か……だね」

結は二つの通路を交互に見遣りながら漏らす。

一方は螺旋通路の終端からそのまま直進する水平な通路、
もう一方は真下に向かって降りる縦穴。

セオリー的には道なりに見える直進を選ぶべきだろうが、直感では縦穴が怪しい。

そもそも、地上からの出入り口があの直滑降だ。

通路も歩き難い蛇腹のダクトとなると、まともな常識など通用しないと思って良い。

奏「総当たりしてる余裕もないね。下に行こう」

奏がそう言って縦穴を降りて行こうとした瞬間――

結「ッ!?」

奏「……!」

不意の魔力を感じて二人は息を飲み、思わず魔力を感じた方角――直進通路の先を見遣る。

魔力の感じには覚えがあった。

どこか刺々しい、殺意にも似た思いが込められた魔力。

奏「………カナデ」

奏は自分と同じその名を、譫言のように呟いた。

そう、カナデ・フォーゲルクロウ。

自分と……母と同じ姿を持つ、赤銀の魔力の持ち主。

奏はギュッと拳を握り締める。

結「奏ちゃん……」

結はどこか苦しげな奏の表情を見ながら、その名を呟く。

別にこの先に優先して行く必要は……進んでカナデと戦う必要はない。

むしろ、いち早くグンナーを確保しなければいけない事を考えれば、
グンナー以外の幹部格は可能な限り無視するべきなのだ。

あの映像で見た機械の鎧に包まれたグンナーの戦力がどの程度の物か分からない以上、
これ以上、戦力を分断するのは得策ではない。

理想論としては、二人揃ってグンナーの元に辿り着く事だ。

だが、理想論と信念は時として相反する。

結「行ってあげて……奏ちゃん」

苦しげな表情を浮かべる親友の背を押すように、結は口を開いた。

奏「結……!? でも!」

結「ここはやっぱり総当たりで行こう」

結は反論しかけた奏の言葉を遮るように言って、さらに続ける。

結「もしかしたら、この通路のずっと先にグンナーさんがいるかもしれないもの。
  だから、下の探索は私に任せて」

結はそう言うと、“任せておいて”と言いたげに胸を張った。

奏にとってグンナーとの決着は重要事項ではあるが、
それ以上にカナデの事も放ってはおけない。

結もそれが分かっていたから故の提案だろう。

奏「結……ありがとう」

奏も、そんな結の気遣いが嬉しくて素直に感謝の言葉を漏らす。

この作戦……いや事件が佳境を迎えてからと言うもの、
仲間達、特に結には助けられてばかりだ。

それも結に言わせれば“いつものお礼”と言う事になるのだろうが……。

奏「結も……頑張って」

結「うんっ」

奏の激励に笑顔で頷くと、結は縦穴へと飛び込んだ。

どんどん小さくなって行く親友の姿を見送ってから、
奏は魔力の漂って来る方角へと振り返る。

奏「今……行くよ」

そう呟いて、奏は床を蹴って飛ぶ。

数秒とせずに、奏はシャッターで閉ざされた行き止まりへと辿り着いた。

しかし、その行き止まりも彼女が減速を始めると同時に、
通路を遮っていたシャッターが左右へスライドするように開いて行く。

開いたシャッターの向こうから、先程よりも強くカナデの魔力を感じる。

奏(誘ってる……って事かな?)

奏は十字槍と短刀型のスニェークを構え、シャッターの奥へと身体を滑り込ませた。

途切れ途切れの照明に照らされていた通路と違い、
シャッターの奥は真っ暗な空間が広がっていた。

カナデ「いらっしゃい、姉さん」

暗闇の中、声が響く。

自分と同じ声……カナデの声だ。

奏「そこに、いるんだね?」

カナデ「ええ……きっと来てくれると思ってたわ」

奏の問いに、カナデは声を弾ませて応えた。

喜悦の色を交えた殺意にも似た感情を乗せた、どこかアナーキーな声音。

カナデ「だって……姉さんだって気持ち悪いでしょ?
    自分と同じ顔、同じ声、同じ名前の人間が生きてるなんて」

声は正面方向。

おそらくはこの真っ暗な部屋の中央部に、彼女はいるのだろう。

奏「そんな事ない……ボクは、君と話をしたいんだ」

奏はその質問に答えながらも身構え、奇襲に備える。

カナデ「……へぇ、話、ねぇ……」

ややあってから、
呆れの入り交じったカナデの声と共にパチンッと乾いた音が鳴り響いた。

おそらく、指を鳴らしたのだろう。

それと共に、真っ暗だった部屋に一気に照明が灯る。

急激な光量の変化に、奏は思わず目を細めてしまう。

だが、すぐにその光に目は慣れ、眼前の光景に奏は目を見開かれる。

確かに、カナデは部屋の中央にいた。

堆く詰まれた古びた機械……ガラクタの上で、
黒いインナー防護服だけを纏って座る姿は、どこか一枚の絵画のようにも見える。

奏「その……髪……それに、目も……」

愕然と漏らす奏の視線の先にいた少女の姿は、しかし、四日前とは違っていた。

艶のあった黒髪は美しく煌めく金色に染まり、
瞳の色も黒から彼女の魔力波長と同じ赤銀色に染まっている。

カナデ「ああ……これ? どう、綺麗でしょう?」

カナデは自慢げにその金色の髪を掬い上げた。

光を浴びて照り返す様は、確かに綺麗だった。

染めたとか、カラーコンタクトを使ったとかと言うレベルではない、
とても自然で鮮やかな色合いだ。

奏「どう、したの……?」

突然のカナデの変化に、奏は愕然としながらも理由を問う。

カナデ「捨てたのよ……お祖父様に徹底的に調整してもらってね。

    あんな女と同じ髪の色なんて堪えられないもの……。

    本当はあの女がいらなかったって言った、
    姉さんと同じ銀髪と青銀の目が欲しかったけれど……。

    まあ、こればかりは運任せだもの、
    でも、これはこれで気に入ってるんだよ?」

カナデはどこか芝居がかった様子で朗々と語り、
堆く詰まれていたガラクタの山から飛び降りる。

カナデ「起動認証、カナデ・フォーゲルクロウ……
    ゲベート、スタートアップ!」

胸にかけられていた金色の逆十字のギア――ゲベートを掲げ、魔導装甲を身に纏う。

漆黒に赤銀のラインが鮮やかな、形だけは奏と瓜二つの魔導装甲。

色以外で違うのは、十字槍と短刀の二刀流の奏に対して、
カナデの武器は身の丈ほどもある一対の大剣である事だ。

カナデ「ねぇ、姉さん……コレ、知ってるよね?」

カナデは自分が座っていたガラクタの山をその大剣の切っ先で指し示しながら尋ねる。

ガラクタの山など、任務で踏み込んだ研究所やらテロ組織のアジトやらで何度も見ていた。

だが、カナデが敢えて尋ねて来たからには何かあるのだろうと、
奏は警戒しながらもガラクタの山を見遣る。

確かに、どこか見覚えがあった。

研究院やグンナーの研究船で見た物ではない。

もっと昔、十五年以上も過去の……。

奏「まさか……!?」

カナデ「やっぱり分かる?
    そう、あの女の使ってた機材だよ」

愕然とする奏に応えると共に、カナデはそのガラクタと化した機材に刃を突き立てた。

カナデ「もっと言うとね、コレが私を閉じ込めていたカプセルと、
    その維持に使われていた機械……。

    ……私達の“オカアサンノオナカ”だよ」

カナデはそう言って、機材に突き立てていた刃を薙ぎ払う。

もう何度もそうされて来たのだろう、
よく見れば機材は切り裂かれた跡や叩き潰された跡だらけでボロボロだ。

奏「オカアサンノ、オナカ………」

その単語を聞きながら、奏はやはりショックを隠し切れない。

オカアサンノオナカ……
人造人間とも言える魔導ホムンクルスのクローンにとって、
確かに母の子宮に相当する物だろう。

理解していたつもりだった。

母に心底から愛されてはいたが、母の胎内から生まれたワケではない。

試験管の中で生を受け、長く生きられない母の代役として生まれた自分。

その事実は絶対に消えない。

消えようがないのだ。

カナデ「……ねぇ、何でだろうね?」

ガラクタの山に刃を突き立てながら、カナデは尋ね、さらに続ける。

カナデ「同じ細胞から培養が始まって……どうしてこうも違うの……?」

その言葉と共にガラクタを薙ぎ払い、また刃を突き立てた。

奏「違う……?」

カナデ「違うでしょう!?

    同じ細胞から培養されたAとB、
    選ばれたAの姉さんはあの女を母さん母さんって慕って、
    大切にしてくれる友達がいて、仮初めでも家族がいるじゃない!」

怪訝そうに問い返した奏に、カナデは目を見開いて叫ぶ。

奏の方を見る事なく、何度も何度も、ガラクタの山に大剣を叩き付ける。

カナデ「Bだった私は、自分を作ろうとした女にすら不要扱いされて!
    姉さんがあの女の娘として幸せを謳歌してる間、
    私はそれすら知る事も出来ずに受精卵のまま凍結封印!」

まるで熱病に魘されるかの如く、カナデはガラクタの山を叩き壊して行く。

ガラクタ同然だった機材の山は、いつしかにスクラップの山に姿を変えていた。

カナデ「ねぇ……何で私がBなの?

    たまたま利き腕側にあったのがA?
    試験管立てに並べた順番?
    その日の気分?」

カナデは大剣を振り上げ、その刀身に赤銀に燃える魔力の炎を灯す。

ブレンネンクリンゲだ。

カナデ「……ふざけるなっ!」

怒声と共に振り下ろされた燃える刃が、スクラップの山を焼き払って消し炭に変えた。

その凄惨な光景に、奏は無言のまま立ち尽くす。

カナデは俯いたまま肩で息をしていた。

だが、短い深呼吸を一つして、平静な表情で奏に向き直る。

カナデ「あの女が死んで、姉さんは哀しかった?

    でもね、私は哀しいと感じるような思い出すら貰えなかった……」

カナデは張り付いたような笑みを浮かべて呟く。

カナデ「キャスリン・ブルーノやエレナ・フェルラーナが殺された時、
    姉さんは悔しかったでしょ?

    でもね、私はその二人とも出会ってすらいない……」

その笑顔が、次第に歪ん行く。

カナデ「譲羽結に助けられた時の喜びと感謝も、
    シエラ・ハートフィールドに抱いた憧れと尊敬も、
    フランチェスカ・カンナヴァーロ達と出逢った時の胸の高鳴りも……、
    私は何一つ知らない!」

狂気に満ちた表情を浮かべて叫び、さらに続ける。

カナデ「私にだって、その機会があったハズだよね?
    どっちがAかBかなんて、最初は差だって無かったハズなんだもの。

    BはAが失敗した時の予備……予備の予備!

    奏・ユーリエフは私で、姉さんがカナデ・フォーゲルクロウだったかもしれない!」

カナデは狂気の叫びを奏に投げつける。

それは、言ってみれば当然の疑問と欲求だったのかもしれない。

カナデ「だからね……カナデ・フォーゲルクロウは壊すの……奏・ユーリエフの全部を!
    姉さんが愛してる人達も、姉さんを愛してくれる人達も!

    だってそうでしょ!?

    姉さんの愛も、姉さんの夢も、姉さんの希望も、
    全部、私が手に入れるハズだった物なんだから!」

それが、彼女の行き着いてしまった答だった。

自分に訪れたかもしれない出逢い。

自分に注がれていたかもしれない愛。

自分が抱いたかもしれない夢と希望。

その全てを、AかBかと言う違いだけで得る事すら許されなかった。

それは、奏にとっても同じだ。

ただ偶然にも、自分はA……初期培養の段階で選ばれた。

母を得て、喪って、キャスリン達と出逢って、
グンナーの元で暗闇の中を彷徨うような幼少期を過ごした。

それは確かに不幸だったかもしれない。

だが、その不幸すら幸福に至るための通過点だったと思えるほどの幸せに、
今の自分はその身を置いている。

命の恩人とも言える親友が傍にいて、
尊敬する女性と同じ職に勤め、養子とは言え愛する娘だっている。

その全てが、選ばれなかったと言うだけで手に入らなかったとしたら。

そう考えるだけで心が折れそうになるのは、
自分の心をその全てが支えてくれているからだ。

だが――

奏「それは……」

奏はその恐怖すら振り払って、目の前の少女を見据えて口を開く。

奏「……違うよ」 

槍の穂先と短剣の切っ先を下げて、
努めて優しい声音で呟き、さらに続ける。

奏「たとえそうでも、ボクはボクで……君は君なんだよ」

カナデ「ゼンモンドウみたいな事を言うな!」

優しく語りかける奏の言葉を振り払うように、カナデは叫ぶ。

奏「禅問答なんかじゃないよ……」

カナデ「じゃあ何、余裕のつもり!?
    どう足掻いても選ばれるのは自分だったって言いたいの!?」

哀しそうに目を伏せて否定した奏に、カナデは怒りの言葉を投げかける。

確かに、奏の言葉は禅問答とも言えるモノだった。

仮にカナデが選ばれたAで、奏が選ばれなかったBだとしても、
結果的にAは奏・ユーリエフとなり、Bはカナデ・フォーゲルクロウとなるのだ。

元が同じ細胞なのだから、
スタート地点が変わってもそれぞれに同じ経路を辿れば現在地に大きな差は出ないだろう。

同じ条件の二枚の紙があったとして、
片方がテスト用紙に片方が紙飛行機になり、その可能性が最初は五分五分であろうとも、
結果論で言えば一方がテスト用紙で一方が紙飛行機になる運命は変わらない。

それと同じように、奏がカナデ・フォーゲルクロウになっても、
カナデが奏・ユーリエフになっても、
その運命を入れ替えるだけで今と言う状況に大差はなかっただろう。

奏はカナデとして奏になったカナデを憎み、
カナデは奏としてカナデとなった奏の前に立つ。

どうあろうともそれだけは変わらないと、奏には言い切れた。

目の前にいるカナデのような闇を自分も抱えていると自覚しているのだ。

ただ、その闇を振り払ってくれる多く人達との出逢いに恵まれた。

それだけの話だ。

そして、たとえ彼女がその出逢いを拒んでも、
自分と出逢った多くの人達はきっと彼女の闇を払ってくれただろう。

そんな信頼もある。

奏「それに、立場が逆ならきっと……」

カナデ「姉さんが私を哀れんだ所で、
    私はもう……どうにもならないのよっ!」

言いかけた奏の言葉をヒステリックに遮って、
カナデは燃えさかる刃を掲げて斬り掛かって来た。

カナデ「ブレンネンクリンゲッ!!」

右の大剣が奏に向けて振り下ろされる。

奏「ッ!?」

だが、奏も即座にその間合いの外へとバックステップで回避し、さらに武器を構え直す。

もう、話し合いが通じる段階ではないようだ。

奏(そう、だろうね……)

諦めではなく、その事実を受け入れる。

カナデ「シュトロームクリンゲッ!!」

そして、構えた奏に向けて、左の二の太刀が振り下ろされた。

シュトロームクリンゲ――独語で“流れる刃”の名の通り、
赤銀に輝く流水変換された魔力を纏った刃だ。

奏「リョートリェーズヴィエッ!」

奏は右手に構えていたスニェークに氷結変換した魔力の刃を精製し、
その二の太刀を受け止める。

青銀の氷と赤銀の水がぶつかり合って激しい魔力光を放つ。

奏(やっぱり、重い……!)

カナデの大刀を受け止めながら、奏は心中で呟く。

流水変換に対して絶対的に上位である氷結変換の魔力刃にも拘わらず、
奏のリョートリェーズヴィエはカナデのシュトロームクリンゲに押されつつあった。

クレースト<奏様、一旦離れて下さい!>

奏<了解!>

クレーストのアドバイスに従い、奏は足下に牽制の魔力弾を放って距離を取る。

カナデ「離れても無駄よっ!」

だが、カナデは一足飛びにその距離を詰め、再び二刀の大剣に炎と水を宿す。

奏(あまり何度も真っ向から受けてはいられない……!)

振り下ろされる大剣を回避しながら、奏は十字槍に魔力を込め続ける。

ビール空軍基地での戦闘でも真っ向から攻撃を受け止めたが、
その時も腕に痺れを残すほどの膂力だった。

身体による腕力強化か、それとも純粋に魔力量の違いで圧倒されているのか分からないが、
何度も真っ向勝負を挑まれては腕が保たない。

クレースト<どうやら、奏様とは根本的に戦闘パターンが違うようですね……>

愛器の解析を聞きながら、奏は心中で頷く。

そう、それは分かっていた。

奏の得意とする戦法はスピードを活かした高速戦闘だが、
カナデは突破力に任せた典型的なパワータイプの戦法だ。

だが、カナデにはそれに加えて、
加速中の結に合わせて斬撃をたたき込めるだけのスピードが加わっている。

今も奏はすんでの所でカナデの斬撃を回避している状況だ。

先程のように下手にタイミングをずらされたら、また真っ向から斬撃を受け止めるしかない。

カナデ「ちょこまかと……!」

カナデは苛ついたように吐き捨てて、左の大剣に込めた魔力を霧に変え、
大剣を大きく振り払う事で周囲に拡散させる。

奏「魔力の霧!?」

赤い霧に囲まれて驚く奏を後目に、カナデは霧の中に消えて行く。

その直後、霧はその濃度や密度を変え、無数の水鏡が周囲に現れた。

遠近感を狂わせるような大小様々な水鏡が、魔力探査知覚を狂わせる赤い霧の中に浮かぶ。

カナデ「シュピーゲルゾルダートッ!」

それらの水鏡に、無数のカナデの姿が一斉に映し出された。

どうやら奏のミラージルィツァーリと同様の撹乱魔法のようだ。

カナデ「これなら何処から斬り付けられるか分からないでしょう?」

そう嘲笑うようなカナデの声も、全周囲から谺して距離感を掴ませない。

奏「撹乱魔法は良い選択だけど……この魔法には絶対的な弱点があるんだよ」

しかし、奏は落ち着いた様子でスニェークに炎熱変換した魔力を込める。

奏「スニェーク、プラーミャリェーズヴィエッ!」

奏が炎の刃となったスニェークを投擲すると、短刀型の補助魔導ギアは手裏剣のように周囲を飛び回った。

青銀の炎が、一気に霧を消し去って行く。

奏「相手が閃光変換系や直接打撃系の魔導師ならともかく、
  炎熱系や氷結系の変換を得意とする魔導師相手に、
  霧を使った撹乱魔法は意味が無いんだ……」

奏は九年の実戦経験で思い知った自身の魔法の弱点を、どこか寂しそうに語る。

事実、奏のミラージルィツァーリは、十一年前の魔導巨神事件での結との決闘に於いて唯一、
結が選んだ対処方法として影響範囲外への脱出と言う“逃げ”の一手を取らせた魔法だったが、
それは彼女が閃光変換系の魔導師だったからに過ぎない。

撹乱魔法は所詮は一発芸の魔法だ。

初めて相対するならともかく、この魔法の特性を知る奏には対処は容易であった。

カナデ「こんなに、あっさりと……!」

霧の全てを消し去られて姿を現したカナデは、悔しそうに漏らす。

経験に差があり過ぎるのだ。

奏は現在二十二歳。

十三歳の頃からプロエージェントとして働くずっと以前、
八歳の頃から戦闘訓練を受けて既に十四年だ。

対してカナデは精製完了から十四年。

自分と同じく精製完了から三年と言う短期間で魔力覚醒を迎えたとしても、
訓練期間は十一年間。

カナデの実戦経験がどの程度の頃からあったかは知らないが、
奏の初陣はもう十一年前となる十一歳の冬。

初陣の相手は新人とは言えAランク以上の実力者であったエレナと、
自身の十倍以上の圧倒的魔力量を誇った結の二人。

他に特筆すべき所では、四年前の超弩級魔導機人との戦闘など、
経験値からして圧倒的な差がある。

キャスリン、リノ、エレナ、レナなど、
魔法戦において得意分野を異にする数多くの師に恵まれた事も大きいだろう。

確かにパワー勝負では一歩も二歩も譲るかもしれないが、
撹乱魔法のような絡め手を使っての戦闘となれば奏に勝てない道理はない。

奏「対処の遅れた最初の二連撃ならまだしも、
  普通の斬撃ならもう目が慣れた……。

  君の太刀筋は全部大振り過ぎる」

カナデ「このぉ……ッ!」

落ち着いた様子の奏に対して、カナデは忌々しそうに吐き捨てて睨め付ける。

その時だった。

カナデ「何!? 今立て込んでるのよ!?」

不意にカナデが苛ついたように独り言を叫ぶ。

どうやら通信のようだ。

カナデ「緊急事態?
    ……そう、数は? 一人?
    ……場所はネーベルのテリトリー?」

怪訝そうに顔をしかめ、カナデはやや間合いを離しつつも警戒した様子を見せる。

奏(向こうの通信は通じているんだ……。
  物理回線かな……?)

その様子を観察しながら、奏は心中で独りごちた。

敵施設内とは言え、通信可能と言うアドバンテージを握られているのは厄介だ。

カナデ「ネーベルはもう撃破されたって事?
    ………そう、先走って自滅か……あの子らしいわね」

カナデは通信相手――既にお気付きだろう、ナナシだ――に、
呆れたような溜息と共に返し、さらに続ける。

カナデ「07兵装は完成したかしら?
    ……そう、それならいいわ。
    他も完成次第、データを回収しなさい」

魔力による障壁を展開しつつ、カナデは奏の隙を窺う。

通信中の油断を突いて来る瞬間を狙うつもりなのだ。

クレースト<どうやら、彼方には気付かれているようです>

奏<意外と強かだね……>

実際、通信中の油断を突くつもりだった奏は、クレーストの言葉に感嘆で応えた。

カナデ「それと、侵入者を見てみたいわ。
    私のテリトリーのモニターに映して。
    ………ええ、その方が見易いわ、お願い」

カナデがそう言い終えた直後、ドーム型をした部屋の壁面に魔力のスクリーンが出現し、
通信相手であるナナシのいる部屋の様子が映し出された。

その光景を横目に見ていた奏の目が、即座に見開かれる。

奏「く……クリス!?」

奏は思わず構えを解いて愕然と漏らした。

何故、施設内にクリスがいるのか?

どうして、たった一人なのか?

様々な疑問が奏の脳裏に過ぎる。

カナデ「クリス……クリスティーナ……?
    ああ、そうか、あの子………例の“もう一人の王様”か。

    ……何だっけ?
    大昔の人が伝承に合わせて付けたのが、
    “征服の王”と“破滅の王”だったかしら?」

奏の反応に一瞬怪訝そうな表情を見せたカナデだったが、
すぐに思い出して愉快そうに漏らした。

カナデの語った“征服の王”と“破滅の王”とは、
古代魔法文明調査で名付けられたものの、
既に百年近く前に使われなくなった王に対する仮の呼び名だ。

魔導巨神となって他文明に報復したレオンハルトを“征服の王”と呼び、
移民船を起動して自文明を破滅に追い遣ったレオノーラを“破滅の王”と呼ぶ。

現地の遺跡や伝承を調べた末に付けられた仮称で、
前述の通り百年近く前から使われなくなっていた。

今でもその名で呼ぶのは、古代魔法文明を小馬鹿にした者か、
余程、古代魔法文明に執心している者くらいである。

カナデの場合は明らかに前者だろう。

カナデ「姉さんの大切な大切な家族ごっこの相手、だよね」

奏「ッ!」

酷薄な愉悦の表情を浮かべたカナデに、奏は思わず息を飲む。

カナデ「大・正・解……ふふふっ……」

その反応を肯定と受け取ると、カナデは楽しそうな笑みを零し、さらに続ける。

カナデ「ナナシ! それ、殺しなさい!

    但し、一気に殺しちゃ駄目よ。
    じっくり、じっくり……見せつけるように痛めつけるの。
    それで、私が殺していいって言うまで、止めを差しちゃ駄目よ」

奏「そ、そんな……キミは!?」

カナデの指示に、奏は愕然と叫んだ。

愛するわが子がモニターの向こうで殺される様を見せつけようとする、正に悪魔の所行。

カナデ「本当は私の手で壊しちゃいたかったけれど、
    愛してる人が壊されて行く様を遠くから見ているしかない姉さんを、
    一番間近で見ているのも楽しそうだもの……ふふふっ、あはははっ!」

カナデは愉悦を滲ませ、歪んだ笑みを浮かべて哄笑を上げる。

カナデ「ああ、そうだ……クリスティーナがナナシが勝てる、なんて思わない方がいいわよ?
    あの子、未完成の今でも私くらいは強いわよ……。
    それこそ、完成したら00も02以下の連中でも歯が立たないほどね」

奏「そ、そんな……」

抱いていた一抹の希望を打ち砕かれて、奏はさらに愕然とする。

今も仲間達が苦戦を続けているかもしれない機人魔導兵達より、
我が子と対峙しているあの小柄な少年の方が強いと言う。

クリスの潜在能力は確かだ。

だがそれでも、そこまでの強者を相手にどこまで食い下がれるかなど、何の保証もない。

カナデ「でも、ね……一つだけ救済策を用意してあげるわ」

カナデは酷薄な笑みを浮かべて、
大剣をタクトのように踊らせ、さらに言葉を続ける。

カナデ「これから私の出すルールをちゃんと守り続けられたら、
    最低限、あの子を殺さないでいてあげる。

    勿論“抵抗するな”なんて無粋な事は言わない。
    その場から一歩も動かずに戦ってくれればそれでいいから」

奏「なっ……!?」

クレースト<奏様……>

カナデから提示されたルール……条件に愕然とする奏に、
クレーストも不安に満ちた声を漏らす。

ずっと以前……それこそ十一年前の彼女ならば、
主である奏の身を最優先してクリスを見捨てるような判断を下したかもしれない。

だが、主が多くの人に心を開き、笑顔を見せるようになり、
主がどれだけその笑顔を向ける人々を愛しているかは彼女も知っている。

もっと端的に言ってしまえば、
主にとって大切な人々は彼女にとっても大切なのだ。

その大切な人――クリスの命を人質に取られては、
彼女に普段通りの冷静な思考は望めない。

クレースト<申し訳ありません……。
      奏様とお嬢様をお救いできる案が、私には考えつきません……>

奏<謝らないで……クレースト。
  その事を考えてくれただけで……、
  そんなキミが傍にいてくれるだけで、ボクには十分だから>

悔しそうに漏らす愛器に、奏は気丈にも落ち着いた声音で応えた。

そして、意を決してカナデを見据え、口を開く。

奏「………分かった、そのルールを呑むよ」

クレースト<か……奏様……>

主の決定に、クレーストはその名を呼ぶ以外の選択肢を持ち得なかった。

その声に奏は小さく頷いて応えると、さらに思念通話で指示を出す。

奏<クレースト……右腕を重点的に身体強化。
  上体だけで避けられない攻撃は全部受け止めるよ>

その指示を聞いて、クレーストは衝撃を受ける。

そう、奏は決して諦めていなかった。

勝機など見えない状況にも拘わらず、だ。

クレースト<畏まりました、奏様!>

主が諦めていないと言うのに、
ただ打開策を思いつかなかった自分が諦めている場合ではない。

そんな思いと共に、クレーストは力強く応えた。

カナデ「さて、と……何発持つかな」

対してカナデは大剣の片方を収め、刃を撫でるようにして残る一方の大剣に炎を灯す。

カナデ「姉さんと私じゃあ確かに実力は姉さんの方が上だけど……、
    力だったら私の方が上、だよね?」

炎を灯した大剣を玩ぶように振り回しながら構え直し、カナデは前傾姿勢になる。

避けられない事を知った上で、さらに全力で斬り掛かって来るつもりなのだ。

当然と言えば当然だろう。

クレースト<構えからして袈裟斬りのようです>

奏<……早速、避けられない斬り方か……>

クレーストの解析を聞きながら、奏は肩を竦めた。

移動が可能ならばしゃがんでやり過ごし、
そこから距離を取り直すと言う回避方法もあったが、
“一歩も動かずに”と言う条件下でしゃがむのは正解とは言い難い。

ここは予定通り、全力で受け止める他ないだろう。

カナデ「………吹き飛ばされるくらいなら、オマケで見逃してあげるわ!」

カナデはそう言って床を蹴った。

カナデ「ブレンネンクリンゲッ!」

クレーストの予想した通り、カナデは炎を灯した大剣を袈裟懸けに斬り付けて来る。

奏「リョートリェーズヴィエッ!」

対して奏は右手に構えたスニェークに青銀に輝く氷の刃を精製し、
その一撃を真っ向から受け止めた。

青銀の氷と赤銀の炎がぶつかり合い、再び激しい接触光が辺りに弾ける。

奏「っ……ぐぅ!?」

右腕を襲った衝撃と想像以上に重い一撃に、奏は思わず顔をしかめた。

動く相手に“当てよう”とコントロールするのと、
棒立ちの相手に“当てる”だけでは、斬撃全体にかけられる力も魔力も段違いになる。

無論、威力が上がるのは後者だ。

実際、奏が斬撃を行う際には自身の速度に合わせて、
対象との接触や相手の防御姿勢を計算したクレーストが、
筋力や速度の調整を瞬間的に行ってくれている。

相手が動けば動くだけそれに見合った分の軌道変更が必要になり、
その際、身体にかかる負荷の軽減や身体強化などにも魔力は使われ、
その量に応じて威力も低下するのが普通だ。

だが、前述のように棒立ちで構えているだけの相手ならば、
自身の筋力も魔力も全て斬撃だけに傾ける事が出来る。

威力が上昇するのは当然と言えよう。

奏「っ……ぅ」

衝撃で痺れた腕の感覚に、奏は苦悶の声を漏らす。

力の入らない右腕を肩ごと落としながらも、
奏はスニェークを取り落とさぬように必死に握り締めた。

カナデ「アハハハッ、どうしたの?
    もう腕が壊れちゃった?
    さっきのと合わせてまだ二回目だよ?」

奏「まだ、だよ……!」

哄笑と共に問いかけるカナデに、奏はそう答えながら震える腕を構え直す。

カナデ「そう来なくちゃ……」

カナデは不敵な笑みを浮かべ、くるりと踵を返して再び距離を取る。

奏が動けない事を知っての余裕の態度だ。

無論、奏にも中遠距離系の魔法はあるが、
主力である高速斬撃魔法を補助するための目眩まし程度の威力でしかない。

そんな魔法を使った所で十分な威力は望めないし、
十分な威力が望める儀式魔法は時間が掛かりすぎる。

カナデ「別にそこから動きさえしなければ、いくらでも反撃していいのよ?」

それを知ってか知らずか、カナデは挑発するような口調で言うと、再び踵を返して構え直す。

ナナシ『ヴァイスカタストローフェ!』

クリス『そ、そんな、待って!?』

一方、スクリーンの向こうでも既に戦闘が始まっており、
クリスが大量の魔力砲弾に襲われていた。

奏「く、クリス!?」

カナデ「へぇ、最初から飛ばしてるわね……。
    まぁ、命令通りに殺さない程度の加減くらいはするでしょ」

その様子に、奏は悲鳴じみた声を上げ、カナデは満足げに呟く。

カナデ「じゃあ、こっちも一度、大きめのを行っておきましょうか?」

カナデはほくそ笑みながら、先程収めたもう一本の大剣を構えた。

右の大剣に炎熱、左の大剣に流水の魔力が宿り、集束して行く。

カナデ「姉さんの最強魔法……
    ドラコーングラザー・マークシムムクルィークだっけ?

    アレとまともにやりあったら勝ち目が無いと思って、
    ちゃんと対抗策は用意してあるんだよね」

カナデは朗々と呟きながら、
右の大剣を背に担ぐように、左の大剣を脇に収めるように構えた。

凄まじい魔力の集束で、彼女の周囲に赤銀の輝きが満ちて行く。

奏<クレースト、本体の魔力チャージ状況は!?>

クレースト<ドラコーングラザー・リェーズヴィエ一発分です!
      モード変更間に合いません!>

愕然と問いかけた奏に、クレーストも大急ぎで返す。

奏<……防御優先!
  ドラコーングラザー・リェーズヴィエで迎え撃つ!>

奏は意を決し、戦闘開始からずっとチャージに集中していた十字槍の魔力を解放する。

雷電変換された魔力が溢れ出し、奏の周囲を青銀の輝きが満たす。

カナデ「へぇ、やっぱりちゃんと反撃の準備はしてたんだ……。
    なら、加減してあげるから……防いでみせてよ!」

感嘆の後、カナデはそう叫ぶと同時に、脇に収めていた左の大剣を薙ぎ払った。

集束した流水魔力の刃が大剣の切っ先から放たれる。

奏(擲斬撃!?)

自分に向けて真っ直ぐ向かってくる斬撃に、奏は見開く。

擲斬撃……つまり遠隔斬撃だ。

集束魔力刃の一種で、斬撃そのものを魔力弾に変えて投擲する高等技術である。

奏もやってやれない事はないし威力も高いが、
擲斬撃一回に使う魔力よりも通常の魔力弾の方が高効率であり、
威力も通常の斬撃の方が高いと言う事であまり多用はしない。

確かにかなり高レベルで集束された擲斬撃だが、
このくらいならばスニェークのマークシムムグラザーで簡単に迎撃できてしまう。

しかし、ドラコーングラザー・マークシムムクルィークに対抗できる魔法がその程度のハズがない。

奏(まだ何かある……!)

奏は青銀の雷を込めた十字槍を構えながら、さらなる攻撃に備えて身構える。

そして、その奏の警戒に応えるかのように、カナデが床を蹴って跳んだ。

カナデ「ドラッツェンエクスプロジオン……ッ!」

跳躍と同時に、背に抱えるようにしていた右の大剣が振り下ろされ――

カナデ「マクスィールファングッ!!」

――流水魔力の擲斬撃に叩き付けられた。

直後、炎熱と流水、二つの魔力がぶつかり合って大爆発が発生し、
奏に向かって襲い掛かって来る。

いや、正しくは大爆発のエネルギーを纏った魔力斬撃が、
奏に向けて振り下ろされたのだ。

奏(魔力爆発!? アレックスの魔法と同じ!?)

斬り付けられる爆発に、奏は今度こそ驚愕で目を見開いた。

奏「ドラコーングラザー・リェーズヴィエッ!!」

しかし、即座に雷電変換した魔力を集束させた刃で迎撃する。

熱系変換同士の激突。

だが、今度は反エネルギー同士をぶつけ合った魔力爆発が相手だ。

仮に炎熱魔法と流水魔法でぶつかり合っても、
互いのエネルギーを相殺し合う作用が生まれる。

しかし、同波長の魔力が生み出した炎熱魔力と流水魔力は、
混ざり合って水蒸気爆発に近い魔力的な爆発を生む。

特質熱系変換特化の魔力特性を持ったアレックスのような魔導師以外には使えない、
或いは使うのに篦棒に高い技術と集中力が必要になる。

その問題を力業で強引に解決したのが、
カナデのドッラツェンエクスプロジオン・マクスィールファング――
“龍の爆発を孕む最大の牙”と言う事だろう。

そして、二種の魔力が混じり合った魔力の爆発は、
その勢いで魔力の雷の破壊力をそぎ落とす。

奏(い、いけない……押し負ける!?)

肌で感じた威力の差に、奏は愕然とした。

戦闘中の余剰でチャージしていた魔力とは言え、
それでもドラコーングラザー・リェーズヴィエ一発分はあったのだ。

それをほんの数秒の拮抗させる事も出来ずに押し切られてしまう。

カナデがマークシムムクルィーク対策と言ったのも頷ける。

だが、真っ向勝負はまだ終わってはいない。

クレースト<奏様、緊急防御を行います!>

クレーストがそう叫んだ直後、奏の周囲を青銀色の水の幕が覆った。

流水変換された魔力の障壁――アゴーニヴァダパートの流水変換版だ。

しかし、所詮は緊急防御。

カナデは意図も容易くその流水障壁を突き抜け、
集束された炎熱魔力刃を纏う大剣を叩き付けて来た。

奏も殆どの雷電魔力刃を相殺されてしまった十字槍でそれを迎え撃つ。

奏「ぐぅ……ぁっ!?」

金属と魔力のぶつかり合うけたたましい音と共に、奏は苦悶の声を上げた。

魔力の殆どが相殺されている分、
腕に伝わる衝撃も先程までの二発よりもずっとダイレクトだ。

カナデ「せぃっ、ぃやあぁぁぁっ!」

苦悶を浮かべる奏の様子に、
カナデはだめ押しとばかりに裂帛の気合を込めて大剣を押す腕に力を込める。

決壊はすぐだった。

槍の穂先が魔力刃ごと砕け散り、カナデの大剣が奏を捉える。

奏「ッ!?」

悲鳴を上げる間もなく弾き飛ばされた奏は、後方の壁に思い切り叩き付けられた。

奏「がはっ!?
  ……ぁぐ……ぁ……っ」

短い悲鳴と共に息を吐き出し、苦悶の声を上げて膝を突き、前のめりに倒れる。

ヒビだらけになった魔導装甲が砕け散り、霧散して行く。

クレースト<奏様!?>

奏<……だ、い、じょう、ぶ……。
  すぐには、動けないけど……でも、まだ……>

悲鳴じみた声を上げた愛器に、奏は息も絶え絶えに応える。

衝撃で意識が定まらず、痛みで全身が痺れてもいたが、
それでもギリギリ気絶は免れていた。

奏<あり、がとう……さっきの障壁の、お陰、だよ……>

奏は、クレーストが咄嗟に展開した流水魔力の障壁を思い出しながら呟く。

炎熱魔力の相殺に最も適しているのは反属性である流水魔力である。

高密度の集束魔力刃相手には雀の涙ほどの軽減しか出来ていなかっただろうが、
それでもあの障壁が無ければドラコーングラザー・リェーズヴィエで相殺し切れなかった
全ての魔力の直撃を受けていたハズだ。

魔導装甲でも全ての衝撃を軽減し切れずに砕け散ってしまっており、
あの障壁が無ければそれこそ絶命していたかもしれない。

カナデ「ん~……これでも全力の七割程度しか出してないんだけど、もう終わり?」

嘲るような口調と素振りでカナデが歩み寄って来る。

まだ終わりではない。

終わりではないが、まだ身体が動かせないのも事実だ。

治癒促進にかなりの魔力を傾けているが、それでもあと数分は身体を動かせそうにない。

奏(いけない……ここで攻撃されたら……)

床から伝わって来るカナデの足音を聞きながら、奏は戦慄していた。

そう、この無防備な状態で攻撃されたら、その攻撃に耐えられる自信はない。

カナデ「でも、ないか……。
    ちゃんと息もあるし、魔力も結構な量が残ってそうね」

カナデは奏の姿を舐めるように見ながら呟く。

確かに、魔力は残されている。

元より最大威力のマークシムムクルィークを
三、四発は放てるだけの魔力量があるのだ。

カナデのマクスィールファングの物理破壊力に押し負けはしたが、
魔力ノックダウンには至っていない。

クレーストの魔力コンデンサにも相当量の魔力が蓄積されており、
魔導装甲の再展開も可能である。

しかし、肝心の身体が衝撃から立ち直れていないのだ。

治癒促進全開でも戦闘可能な状態にまではあと数分を要する。

正に万事休す。

だが――

カナデ「………こんな状態の姉さんを壊してもつまらないわ……。
    真っ向勝負で叩き潰さないと、本当に壊した事にならないもの」

カナデは退屈そうに呟いて、壁面で映像を映すスクリーンを見遣った。

カナデ「やっぱり、全力で向かって来る姉さんを私の全力で壊さないとね……。
    しばらく、こっちの見世物でも見ていようかしら?」

奏も視線をスクリーンに向ける。

そこでは、クリスを一方的に攻撃するナナシの姿が映されていた。



クリスとナナシの戦闘は、クリスの防戦一方と言う有様だった。

ナナシ「ヴァイスカタストローフェ……!」

ナナシの全周囲に展開した魔力砲弾が、一斉にクリスへと襲い掛かる。

クリス「クライノート! 防壁を展開して!」

対するクリスは、戦場となっている室内の壁面や床を削り、
それらを薄く固めて魔力を含んだ物理防壁に変えて防御していた。

純粋魔力は通常の物質を透過するが、魔力を含んだ物質となれば話は別だ。

魔力を含んだ物理防壁相手には、物質内に含まれる魔力を相殺する分、
威力も勢いも格段に削がれてしまう。

クリスは防戦一方を強いられていると言うより、むしろ防戦一方でも構わないのだ。

クリス「お願いだから……もうこんな事はやめて!」

クリスは防壁を解除しながら、必死にナナシに語りかける。

ナナシ「……現時刻二三一一。
    グリューンゲヴィッター、ドゥンケルブラウナハト、データ回収確認」

だがナナシは取り合わず、加えて新たな武器をその魔導装甲に装着する。

大きな翼と手足の鋭いカッター、それに独立型の巨大魔導砲だ。

巨大魔導砲はともかく、翼とカッターにはクリスにも見覚えがある。

クリス「そ、それは……他の機人魔導兵の武器」

ナナシ「……そうだね。
    データ収集用の実験機が破壊されたから、
    それまでデータリンクで収集していたデータから再生しているんだ」

驚くクリスに、ナナシは淡々と事実を確認するかのように応えた。

クリス「データ……収集用?
    仲間じゃ、なかったの?」

ナナシ「………広義にはそうなると思う。

    ただ、彼らは僕の武装を完成させる以外は、
    作戦第二段階までに不備が生じた際にイレギュラーと対処するための非常戦力に過ぎない」

クリスが震える声で尋ねると、ナナシは僅かに思案した後、そう応える。

ナナシ「……現時刻二三一二。
    ブラウレーゲン、オレンジブリッツ回収確認」

さらに、少年の外見の彼には不釣り合いなほどに大きなライフルと盾が装備される。

クリス「非常戦力……!?」

ナナシ「……おかしかなったかな?」

声を震わせるクリスに、ナナシは怪訝そうに尋ねた。

意味が分からない、と言いたげな様子だ。

ナナシ「マスターの計画では元々、
    計画第二段階まで施設制御用にGG00と、
    計画の第四段階用にGH01の二体だけが必要だった。

    GH01用武装のテストデータ収集と自衛能力強化のためにGG00を改修、
    他にGH02から07までの六体を製造した。

    七種の武装を取り扱うため、結果的に01が最後に仕上がっただけに過ぎない」

ナナシは既に隠す必要もないと考えているのか、
自分が知りうる限りのデータを開示し始め、さらに続ける。

ナナシ「マスター、カナデ様、GG00X・ナハト、
    そして僕の完成形であるGH01A……。

    この二人と二体だけで、マスターの計画実行は本来十分なんだ」

クリス「GH……01A……」

ナナシの説明を聞きながら、クリスは愕然と漏らした。

ナナシは今の自分と完成した自分とを別個の物として考えている。

彼の口調から、クリスは直感的にそう感じていた。

クリス「君は……何で……」

クリスは、哀憐とも恐怖ともつかない視線をナナシに向ける。

四日前のあの時、自分を助けようとしてくれた彼が、
自分の思い込みが生んだ幻想にすら感じてしまう。

そして、クリスが見つめる先で、ナナシの腕と肩に新たな装備が現れる。

ナナシ「………ロートシェーネス、ゲルプヴォルケ、回収完了。

    カナデ様、現在時刻二三一五。
    GH01A、完成しました」

ナナシは通信相手のカナデに報告すると、
両肩の装備――ゲルプヴォルケを起動させた。

すると、ナナシの眼前に六体の機人魔導兵と一体の大型魔導機人がその姿を現す。

ナナシ「ヴァイスリッターズ……各種武装起動」

ヴァイスリッターズ――白き騎士団。

その名の通りの白き機人魔導兵達は、
主の指示を受けてそれぞれが主の武装を借り受け、それぞれの色に染まる。

長距離砲撃武装、ドゥンケルブラウナハト。

近接格闘戦武装、ロートシェーネス。

遠距離狙撃武装、ブラウレーゲン。

高速近接戦武装、グリューンゲヴィッター。

高性能支援武装、ゲルプヴォルケ。

高密度防御武装、オレンジブリッツ。

広範囲攻撃武装、ヴァイオレットネーベル。

武装を完成させた者の名と色を冠した武装だ。

一つ一つがハイランカーエージェント達を苦戦させる程の威力の武装。

それが七つ。

ナナシ「僕は道具だ……。
    計画の最終段階を実行する……そのために僕は作られ、
    今、やっと完成した。

    僕は……望まれた僕になったんだ」

七体の機人魔導兵達に武装を与え、元の姿に戻ったナナシは、
どこか遠い物を見るような目でそう呟くと、スッと右手を掲げた。

ナナシ「シェーネス、ヴァイスデュナメイト起動」

機人魔導兵・赤『Ignition!』

ナナシの指示を受け、
格闘戦型の装備を纏った赤い機人魔導兵が腕の格闘戦型武装に魔力を集束させる。

ナナシ「ヴォルケ、支援魔法」

機人魔導兵・黄『Physical-Enchant!』

さらに支援装備を纏った黄色い機人魔導兵が、赤い機人魔導兵に身体強化を施す。

支援魔法を受けた赤い機人魔導兵は、防壁に守られたクリスに向けて突撃する。

ナナシ「君の防壁は純粋魔力攻撃には強いようだけど、
    魔力攻撃と物理破壊を伴った一点突破ならどうかな」

機人魔導兵・赤『Explosion!』

思案げなナナシの言葉と共に、赤い機人魔導兵の拳が防壁へと叩き付けられた。

直後、打撃と防壁の接触面に大爆発が起こり、防壁の一部が吹き飛ぶ。

クリス「そんな!?」

それまで絶対的な防御と安全性を誇っていた防壁を突破され、
クリスは驚愕の声を上げる。

だが、それだけでは終わらない。

ナナシ「ゲヴィッター、ヴァイスヴィントフォーゼ」

機人魔導兵・緑『Yes,Sir!』

赤い機人魔導兵が空けた防壁の隙間から、緑の機人魔導兵が飛び込んで来る。

クリス「く、クライノート、防御全開!」

クライノート<了解です、クリス>

クリスは急所を庇うように防御しつつ、
愛器に命じて自身の周囲の魔力障壁の出力を上げた。

そこへ緑の機人魔導兵の連続攻撃が始まる。

クリス「っ、くぅ……!?」

防御力で勝るクリスの障壁を突破する事こそ叶わないようだったが、
それでも絶え間ない連続攻撃に晒され、クリスはたじろぐ。

ナナシ「ナハト、レーゲン、ネーベル。同時攻撃」

機人魔導兵・藍&青&紫『Yes,Sir!』

ナナシの指示で藍色、青、紫の三体が三方向からクリスを取り囲む。

それを受け、連続攻撃を行っていた緑の機人魔導兵が上空に飛び退いた。

ナナシ「ヴァイスエクリプセ、ヴァイスレーゲングス、
    ヴァイスカタストローフェ、一斉発射」

機人魔導兵・藍&青&紫『Fire!』

ナナシの指示と同時に、三体の大型魔導機人と機人魔導兵達から一斉に
大威力砲撃、対地集中砲火、砲弾連射の同時攻撃が始まる。

クリス「きゃあぁぁっ!?」

障壁を展開しているとは言え、三方からの大出力攻撃を受けてクリスは悲鳴を上げた。

一瞬で障壁は無効化され、魔導装甲の表層部が一瞬で消し飛ぶ。

攻撃が止むと、クリスはその場にがっくりと膝を突く。

何とか耐えきったが、あの一斉攻撃の前にクリスの魔力の大半は奪われていた。

ナナシ「これが七種の装備の本来の使い方……。
    敵の特性に合わせ、指揮官型機人魔導兵のオペレーションを実行する……。

    これが僕のヴァイスゲシュテーバー」

膝を突いたクリスに、ナナシは淡々と言い放つ。

ヴァイスゲシュテーバー――白き吹雪。

その名に相応しい猛吹雪の如き連続攻撃だ。

ナナシ「……見た所、君の魔力特性は対物操作に特化している。
    もっと魔力の出力を上げていたら完全な防御も出来ていたハズだ。
    どうして本気を出さないんだい?」

ナナシが不思議そうにその言葉を紡ぐと、クリスはビクリと肩を震わせる。

そう、クリスは防戦一方を強いられていたのではなく、
防戦一方でも構わないだけの防御が出来ていた、と言うのは前述の通りだ。

つまりそれは、いつでも攻撃に転じられた事を示す。

クリス「だって……本気で攻撃したら……あなたを……殺しちゃう……」

クリスはどこか怯えた様子で応える。

ナナシにはさらに意味が分からなかった。

ナナシ「戦闘中、その発言の意図は判断しかねるよ」

クリス「だって……あなたは私を助けようとしてくれて……それで……」

訝しげなナナシの問いに、クリスは戸惑い気味に返す。

ナナシ「今の君は、僕の攻撃対象だ。
    カナデ様からは、指示があれば君を抹殺するように命令を受けている」

淡々としたナナシの返事に、クリスはまた肩を震わせた。

抹殺。

その言葉の持つストレートな恐怖が、少女の心に突き刺さる。

ナナシ「……君の死に対する恐怖心の在り方は正常とは言い難い。
    自分だけでなく、どうして敵の死にまで怯えるんだい?」

クリス「そ、それは……」

クリスはナナシの質問に言い淀んで俯いた。

他者の死に対する恐怖。

それが親しい人間だけでなく、敵にまで向けられるのは、彼女の持つ記憶に起因する。

レオノーラ・ヴェルナー……
四年前の事件でクリスの脳裏に刻まれてしまった、彼女のオリジナルの記憶だ。

古代エジプト文明の祖となる文明と古代魔法文明の戦争。

その惨劇を止めるために移民船の超弩級魔導機人を起動させた彼女は、
その制御に失敗し、暴走してしまう。

そこで魔導巨神となった最愛の兄、レオンハルトをその手で殺め、
その場にいた全ての人間を殺し尽くしてしまったのだ。

止める事の出来ない血と肉の惨劇を間近で見せつけられたレオノーラの精神は崩壊し、
その記憶を見せつけられたクリスもまた、暴走した。

必死で自分を止めてくれた結は義手を破損し、左眼球破裂の重傷を負ったのである。

本気を出した自分がもしもまた暴走したら、またあの止められない惨劇が起きてしまう。

そんな恐怖が、ずっと彼女の心にこびり付いていたのだ。

特に対人戦は、彼女に激しい恐怖を思い起こさせる。

無論、訓練校における彼女の成績は実技・学科共に問題なく優秀だ。

そうでなければ養母が副隊長を務めていると言うコネや、
親カンナヴァーロ派の心配りがあったとは言え、特務の元に研修など行けようハズもない。

クリスは対物操作特化の一芸特化型魔導師とは言え、
その実力は高い魔力量も含めてAランクオーバー……Sランクに匹敵するレベルなのだ。

だが、脳裏にこびり付いたトラウマが彼女の実力の発露を阻害していた。

日本での潜入任務の時のように、いくらでも手加減できるならともかく。

量産型機人魔導兵のように、人間と意識せずにいられるならともかく。

今、目の前にいるのは自分よりも幼く見える少年なのだ。

クリス「だって……誰かを傷つけるのは、怖いよ……」

ナナシ「君は明らかに矛盾している」

絞り出すようなクリスの言葉に、ナナシはストレートな所見を述べた。

ここは戦場で、今は戦闘中。

誰かを殺してしまう事に恐怖があるのならば、
最初から戦場に来る必要などない。

むしろ、戦う覚悟……他者を傷つける覚悟がないならば、
それは戦場において単なる足手まといでしかない。

それが自身を道具と割り切っているナナシの考えであり、
全体として見て正しく、また平均的な意見でもあろう。

クリスにもそれは理解できているからこそ、
ナナシの“明らかに矛盾している”と言う意見を否定する事が出来ない。

ナナシ「君は、ここに来るべきじゃなかった」

クリス「ッ!?」

追い打ちをかけるようなナナシの言葉に、
クリスは俯いたまま目を見開いて肩を震わせた。

それは正に、今、クリス自身が思い知った現実でもある。

当然と言えば、当然の言葉だ。

自分がこの作戦に参加したのは単なる義務感と、
ナナシに会って全てを確認したいと言う好奇心でしかない。

真剣に戦っている者達からすれば、むしろ冒涜ですらある。

クライノート<クリス……>

事実に打ちのめされた主にどう声をかけていいか分からず、
クライノートはただその名を呟く事しか出来なかった。

だが――

?『来るべきかどうかなんて……それは、自分自身が決める事だ!』

不意に、広い室内に聞き覚えのある凜とした声が響き渡る。

クリス「おかあ……さん?」

クリスはこの場で聞こえるハズのない声に、呆然と漏らす。

間違いない。
母、奏・ユーリエフの声だ。

カナデ『な……何でこっちの声が向こうに!?』

続けて、母に良く似た、だが慌てた声が響く。

ナナシ「カナデ様……?

    ……申し訳ありません、
    どうやら00が破壊された事でハッキングを許してしまったようです」

怪訝そうな声を漏らしたナナシは、すぐにシステムにアクセスして状況を確認した。

何者かのアクセスによって、カナデとネーベルのテリトリーの通信回線が開かれてる。

システムの全てはGG00X・ナハトによって管理されていた。

敵との交戦でナハトが破壊され、脆弱になったシステム管理の隙を突かれたのだ。

奪われたのは二つのエリアを繋ぐ直通回線のアクセス権限と、
そこに通じるネットワーク管理権限だけだったが、即座に取り返すのは難しかった。

下手に奪い返そうとすれば、他のシステムも止めなければならない。

一方、カナデの居室では、穂先の砕けた十字槍を杖代わりに奏が立ち上がっていた。

クリス『お母さん、何処なの!?』

モニターの向こうでは、クリスが俯けていた顔を驚いたように上げ、
突如として聞こえた奏の声に辺りを見渡している。

クレースト<大変お待たせしました。
      お嬢様との通信確保、完了です>

奏<ナイスタイミングだよ……クレースト>

魔導装甲を再展開しながらのクレーストの報告に、奏は優しい声音で返した。

カナデ「いつの間に、こんな事を……!」

カナデは愕然と漏らす。

クレースト『無論、戦闘中です』

対して、クレーストは共有回線を開いて淡々と返した。

そう、クレーストは奏の補助を続けながらも、
現状打破のための策を巡らせてくれていたのだ。

正攻法で駄目ならば搦め手。

何とかしてクリスの援護が出来ないものかと、
奏とカナデが打ち合う瞬間を狙ってゲベートを中継してシステムへのアクセスを行い、
一征によって倒されたシステム管理者であったナハトの不在を狙って、
二つのエリアの直通回線を完璧に確保して見せた。

無論、それもこれもカナデの油断あったればこそだったが……。

奏「クリス……聞いて!」

奏は心中で愛器に感謝しながらも、最愛の愛娘に向けて声をかける。

その声は、クレーストの開いてくれた回線を通して、クリスの元にも伝わっていた。

奏『戦う理由も、戦う意味もみんな一つじゃない。

  名誉のために戦う人がいてもいい。
  誰かが許せないから戦う人もいる。
  誰かを助けたいから戦う人だっている』

クリス「戦う、理由……」

母の言葉を、クリスは呆然と反芻する。

奏『それと一緒で、戦いが怖くない人なんていない。

  負けるのが怖い。
  死ぬのが怖い。
  傷つけるのが怖い。
  失うのが怖い。

  それは決して、悪い事じゃないんだよ』

奏は真摯に、そう伝え、さらに続けた。

奏『お母さんは……クリスがどんな怖い過去の記憶を見せられたのか、
  ちゃんとは知らない。

  だけどね、それが凄く恐ろしくて、
  心が折れてしまうような記憶だって言うのは、何となく分かるよ……』

何処か哀しげな母の声に、クリスは痛感する。

幾度か、カウンセリングのために移民船で見せられた過去の記憶を、
レオノーラの悲劇の結末を母に話した事があった。

母は母なりに、その事を重く受け止めてくれていたのだ。

奏『だからね、クリスが魔法や戦いを怖いって思うのは当然なんだ。

  だけど四年前……それでもクリスは、
  結みたいなエージェントになりたいって言ってくれた。

  その時、お母さんは凄く嬉しかったよ』

優しげな母の声に、こちらからは見えないその表情が綻ぶ様が見えた。

奏『怖いなら怖さなんて乗り越えなくていい……!

  クリスの怖いって気持ちは全部、お母さんが受け止めてあげるから!
  クリスの心が挫けそうな時は、お母さんが支えてあげるから!

  だから、クリスは前だけを見て……。
  クリスの夢に、クリスのやりたい事に、真っ直ぐに向かい合って!』

カナデ『やめて……』

真摯な母の声の向こうから、譫言のようなカナデの声が響く。

クリスの想像通り、奏は身体の痛みを押して微笑んでいた。

対して、カナデは俯き、ワナワナと身体を震わせている。

奏「お母さんはね……クリスが笑顔でいてくれる事が嬉しいんだ」


――この手で、あなたを抱きしめてあげられないかもしれない――


カナデ「やめろ……」

涙に濡れた聞き慣れた声が、知らない言葉を紡ぐ。


奏「だから、そんな哀しそうな顔をしないで」


――謝りたい事だらけだけど……――


カナデ「ヤメテ……」

そんな言葉は知らない。


奏「クリスの笑顔があれば……お母さんはどんな事だって辛くないから」


――それでもね……最期にこれだけは言わせて――


カナデ「ヤメロ……」

そんな言葉は聞いていない。


奏「お母さんはね……世界中の誰よりも、あなたを愛しているよ」


――あなたを……愛しているわ――


カナデ「ヤ、メ、ロぉぉぉぉぉっ!!」

カナデはついに、譫言ではなく喉も張り裂けんばかりの大音声を張り上げた。

カナデ「私と……あの女と同じ声で………その声で、そんな言葉を言うな!」

俯けていた顔を上げ、いつの間にか目に溜めていた涙を無意識に振り払う。

カナデ「ナナシ! 今すぐソイツを殺しなさい!」

カナデはそのまま、激情に任せて叫んだ。

ナナシ『しかし、先程は徹底的にいたぶってから殺せと……』

カナデ「いいから殺しなさい!
    お前は私の命令を聞く道具でしょう、01!」

怪訝そうに聞き返したナナシに、カナデは喚き散らすように叫ぶ。

ナナシには決して反論できようもない事実であり、
自覚している自身の役割である。

クリス『道具なんかじゃない!』

だが、それに対する反論はスクリーンの向こうから響いた。

クリスは立ち上がり、ボロボロになった魔導装甲を再展開する。

クリス「この子は……私を助けようとしてくれた……。
    敵であるハズの私を……助ける必要のない私を」

クリスは朗々と呟きながら、目の前の少年を見据えた。

カナデからの突然の指示変更と、クリスの様子に困惑を隠せないようだ。

クリス「他の幹部機人魔導兵だって、自分の目的と意志で戦っていた……」

クリスはそう言いながら、微かに聞こえたネーベルの言葉を思い出す。

確かに、シェーネス達幹部機人魔導兵には心と呼べるだけの自我があった。

クリス「この子は……自分の意志で、私を助けようとしてくれた……。
    そんな子を、道具なんて言わせない!」

ナナシ「ッ!?」

クリスの言葉に、ナナシは息を飲んで目を見開く。

そして、クリスはさらに続ける。

クリス「ギアのAIには心がある……心が宿るんだ!」

クリスはそう言って、右腕のクライノートの本体に触れた。

魔導装甲を通して、クライノートの感触が伝わる。

クリス「私の相棒は私が苦しんで悩んでいる時、
    いつも一緒に苦しんで、悩んでくれた!

    あまり言葉にはしてくれないけれど、
    それでも、私の事を大切だっていつも思ってくれている」

クライノート<恐縮です、クリス。
       …………ありがとうございます>

クライノートはいつになく感極まった様子で応えた。

その言葉を後押しにして、クリスはさらに続ける。

クリス「この子にだって心があるから、
    あなたの事が大切だから、
    あなたを裏切りたくないから、
    あなたのどんな命令にだって従うんだ!」

ナナシ「僕は……」

クリスの言葉を聞きながら、ナナシは呆然としていた。

何故、自分がカナデに従うのか?

それは自分が道具だからだ。

カナデは主であり、自分は道具。

だからこそ、道具として主の指示に従う。

それが当然だと思っていた。

だが、今、思考に入るこのノイズは何だろう?

クリス「あなたには、心がある……!」

ナナシ「僕は……!」

先程とは立場が逆転する。

戦う事に迷い恐れていたクリスは、
母の思いを受けて迷いも恐れも振り切った。

だが、それとは対照的に、
ナナシは自身の思考に生まれたノイズの正体が分からずに困惑している。

カナデ『そんな戯れ言に耳を貸してんじゃないわよっ!
    殺せって言ったんだから、早く殺しなさい、01!』

ナナシ「カナデ様……」

響き渡る主の声に、ナナシは困惑気味に辺りを見渡す。

カナデ『完成したら名前をあげるって言ったでしょう!?

    そんな子供一人殺せない出来損ないじゃ、
    いつまで経ってもナナシのままよ!

    それでもいいの!?』

ナナシ「そ、それは……」

カナデの叱責に、ナナシは窮する。

そう、カナデは自分が完成した暁には名前をくれると約束してくれていた。

名の無い“ナナシ”などと言う蔑称でない、本当の名を……。

カナデ自身、ナナシの感情の発現には四日前の時点で気付いている。

だからこそ、名前を贈る事こそが彼を従わせられるファクターになると直感していた。

まるで、飢えた馬の目の前にニンジンをつり下げるような物だ。

クリス「そうやって、この子の気持ちを無視して、この子の心を利用しないで!」

クリスは虚空を睨め付け、その向こうの――
この光景を見ているであろうカナデを睨め付けて叫ぶ。

クリス「この子は……道具なんかじゃない!
    誰かの心を踏みにじって利用するような人は、私が許さない!」

その言葉を発した瞬間、クリスは自分の心に空いていた小さな隙間に、
何かのピースがはめ込まれたような感触を感じていた。

そうだ。

自分が見付けようとしていた答は、コレだったのだ。

かつては自分も、道具としてこの世に生を受けた。

レオノーラのコピー――プロジェクト・モリートヴァのタイプ2。

古代魔法文明の遺跡である移民船を起動認証させるための生体キー。

利用されて、使い捨てられて、世界を憎んで壊そうとした。

だが、それを全力で止めてくれた人達がいてくれた。

魔法の素晴らしさを教えてくれた憧れの人がいて、
ボロボロになった心を癒してくれた優しい母がいてくれた。

この場にいるのはただの偶然かもしれない。

単なる義務感とほんの少しの好奇心で踏み入れた戦場なのかもしれない。

だがそれでも、この場でクリスが自身の中心とも言える思いを得たのは、
ある意味で運命だったのだろう。

クリスは虚空を睨め付けていた視線を、決意と共にナナシに向ける。

クリス「クライノート……、
    セーフティーリミッター、リリース!」

クライノート<クリス……了解しました!>

主の力強い声に、クライノートもまた力強く応えた。

クリスの魔導装甲ギア、WX115-クライノートには、
他の十六器以上の厳重なセーフティーリミッターが装備されている。

かつてクリスは、トリスタンの作り上げた呪導ギア、
ディアマンテの故障によって自身の魔力を暴走させた。

ディアマンテには異常なまでの魔力増幅機能があり、
クリスの膨大な魔力を増幅した結果、制御し切れなかったが故の暴走だ。

そしてそれは、Sランクにして一万人に匹敵する量の魔力の暴走だった。

その場にいた結や奏の活躍により事なきを得るに至ったが、
Sランク一万人――結千人分の魔力を一瞬とは受け止めたクリスは、
果たして自滅する事はなかった。

恐るべき事に、クリスは肉体年齢九歳にして、
Sランク一万人分の魔力を瞬間的に受け止められるだけの素養が備わっていたのである。

無論、受け止められる魔力の全てを制御できるハズがない。

だが、それを約0.一%ほど……結と同程度のSランク十人分に抑えた場合は?

クライノートのみならず、全ての魔導装甲ギアには
結一人分に匹敵するだけの魔力を貯蓄できる魔力コンデンサが備わっている。

使用者の余剰魔力を吸収するのだから、
早々な事ではそのコンデンサもパンクするほどの魔力をため込めるワケがない。

だが、結、リーネ、そしてクリスの三人は並のSランク以上の魔力を持っている。

リーネのように大量の魔力を攻撃に使い、
さらに連日のような激務に従事しているプロエージェントならばともかく、
候補生のクリスにはそこまでの魔力を使う必要がない。

クライノートの魔力コンデンサは数日でSランク十人分を満たせてしまえるのだ。

つまり、クライノートには今も、
結一人分に匹敵する絶大な量の魔力が蓄積されているのである。

それを――

クリス「クライノート………モード・ズィーガー、スタートアップ!」

――一斉に解放した。

全身に魔力が漲り、余剰魔力が障壁となって彼女の身を覆う。

ズィーガー――勝利者。

即ち、勝つ事を前提として解放を許されたクリスの最大戦力形態である。

クリス「私は今まで通り、あなたを攻撃しない……」

クリスは両腕を広げ、さらに続ける。

クリス「だからあなたの攻撃も、全て受け止める!
    私の魔法は……全てを受け止める魔法だから!」

クリスは力強く叫びながら、かつて結が託してくれた言葉を思い出していた。

それは“誰かを守れる優しい魔法”。

その意味が、ようやく分かった。

誰かを傷つけようとする力も、誰かを傷つけようとする意志も、
その全てを受け止める魔法。

誰にも誰かを傷つけさせない。

それが、結が見出したクリスの魔法の“優しい答”だったのだ。

自分を助けようとしてくれたナナシを傷つける事は出来ない。

だからこそ、その全てを全力で受け止める。

自分の怖さを受け止めてくれると言ってくれた、母のように。

それが、クリスがナナシに出来る、あの行為への感謝でもあった。

カナデ『殺しなさい! 01!』

ナナシ「………りょう、かい……しました」

番号で名を呼ばれ、ナナシは応える。

七体のヴァイスリッターズを起動し、クリスを取り囲む。

クリス「グラヴィテーションクーゲルッ!」

クリスも即座に反応し、
自身の周囲の床を削って球形のドームを作り上げた。

球体のドームはその外周を大量の物体が高速移動しており、
先程までの単純な防壁とは違う。

ナナシ「ヴァイス、ゲシュテーバー……ッ!」

そこに先程と同じく、機人魔導兵達の一斉攻撃が始まる。

機人魔導兵・赤『Ignition……Explosion!』

赤い機人魔導兵の魔力を集束した拳が、障壁へと叩き付けられた。

だが、爆発は発生しない。

機人魔導兵・赤『Error! Error! Err……!』

異常発生のシグナルを喚き散らしながら、赤い機人魔導兵が障壁に吸い込まれて消えた。

ナナシ「ま、まさか……」

クリス「多分、そのまかさだよ……。

    この魔法は、今までの障壁と違ってただの防御障壁じゃない……。

    接触した魔力や魔力物質を
    高速旋回する魔力と取り込んだ物体で削る丸い回転ヤスリだよ」

愕然とするナナシに、クリスは冷静に自身の新魔法を説明する。

回転ヤスリなんて生易しい物ではない、
むしろ小型化したバケットホイールエクスカベーターだ。

鉱石採取のために山ごと削り落とす、百メートルを超える世界最大の超大型重機。

赤い機人魔導兵は、山をも削り落とす
巨大なバケットホイールに突っ込んで粉々に砕かれたのだ。

クライノート『あの武装は接触と同時に魔力解放を行う物と認識しました。
       接触と同時に本体ごと爆発を消し去ってしまえば、
       どうと言う事はありません』

クリスの新魔法を制御しているクライノートが淡々と解説する。

成る程と頷くには、少々恐ろしい魔法であった。

ナナシ「ッ……ブリッツ! シルトドンナーシュラーク!」

機人魔導兵・橙『Yes,Sir!』

ナナシは怯みながらも、後方に控えていた橙色の機人魔導兵を走らせた。

雷電変換した二本の衝角を盾ごと構え、クリスに向けて突進する。

だが、やはりこちらもクリスの防壁の前に粉々に砕かれてしまう。

ナナシ「確かに高い防御力を持った魔法だけど、
    どんな魔法だって、魔力が切れるまで攻撃を続ければ!」

ナナシは砕かれた赤と橙色の機人魔導兵を再召喚し、クリスへの攻撃を続ける。

爆発を伴う拳も、流水変換された対地射撃も、高速連続斬撃も、巨大な電撃衝角も、
広域砲弾連射も、高威力砲撃も、その全てが強化されていると言うのに、
クリスの防壁の前には須く無駄に終わった。

ナナシ(ま、魔力残量四〇パーセント………!?
    半分以上の魔力を費やしても、まだあの防壁を突破できないなんて!?)

ナナシは愕然とする。

確かに、ナナシの魔力量はクリスの基本魔力量を倍は上回っていた。

だが、今のクリスにはさらにその三倍以上の魔力が満ちている。

クリスの新魔法もかなりの魔力を常時使い続ける魔法だったが、
それでも一気に使い切ってしまえる量ではない。

結のアルク・アン・シエルは防御が難しいと言う以前に、
当たりさえすれば完全必倒の砲撃である理由が察せようと言うモノだ。

ナナシの攻撃が止んだ事で、クリスは魔力の放出を抑える。

クリス「もう降参して……お願い」

クリスは悲しそうな表情を浮かべ、懇願するように呟く。

クリスにも、もう勝負は既に見えていた。

ナナシ「僕は……僕はカナデ様の道具だ……!
    道具は主の言いつけに従わなくちゃいけない……!」

だが、ナナシは後ずさりながらもその意志を曲げようとはしない。

クリス「あなたは自分の意志で、私を助けようとしてくれた!
    あなたは道具なんかじゃない!」

クリスは、そんなナナシの意志を振り払うかのように叫ぶ。

ただの道具に、自我などない。

自我があるならば、ナナシは既に道具ではないのだ。

そんな確信が、クリスにはあった。

クリス「無関係な人を傷つけたくない……。
    そんな優しい心が、あなたにはあるハズだよ。

    だからもう、自分を道具なんて思い込む必要なんてない!」

だからこそ、必死に彼の心に語りかける。

ナナシ「僕は道具で……シェーネス達とは違う……。
    マスターとカナデ様の望みを叶えるために、僕は作られたんだ……」

しかし、ナナシは自分自身に言い聞かせるように譫言のように呟く。

クリス「誰が何のためにあなたを生み出しても、
    今ここにいるあなたは、
    他の誰でもないあなた自身のためのあなただよ!」

クリスが叫んだのは、かつて結が自分にくれた言葉と同じだった。

報われなかったレオノーラのために自らの全てを捧げようとした自分に、
結がかけてくれた優しい言葉。

自分のために生きていいと言ってくれた。

そして、そんな自分を母が受け止めてくれた。

クリス「心があるなら、自分で決めていいんだよ!
    あなたは道具なんかじゃないんだから!」

だからこそ、自分の全力で似た境遇の少年機人魔導兵に語りかける。

ナナシ「僕は……」

今まで、疑問など持たなかった。

創造主と主のために働く事こそが、自分の存在意義だったから。

だが四日前のあの日、意味の無い事をした。

敵を……クリスを助けた。

それはきっと無意識の行動だ。

自身を自我のいらぬ道具として律し、
弟妹達から疎まれ続けた少年の心が上げた、最初の声ならぬ悲鳴。

それがあの日の、クリスへの警告の真相だった。

それを、知らず発露していた自らの自我と共に思い知る。

これも所詮は“たら・れば”の例え話……むしろ空想の与太話に過ぎないが、
仮に武器に心が……繊細な感受性があれば何を思うのだろうか?

何かを傷つける事を拒否しても、所詮、武器の使い道は目標の殺傷と破壊だ。

武器は道具であり、道具に拒否権は存在しない。

存在理由を拒否すれば、
そこにあるのは道具としてのアイデンティティの崩壊に他ならないだろう。

GH01Aとしての完成を義務づけられ高度な自己判断能力を持たされたGH01BのAIは、
至極当然の結果として自我を、心を発生させるに至った。

そして、悲劇か偶然か、
高性能兵器たるGH01Aに相応しくない優しい心が宿ってしまう。

優しい心を持ってしまった彼は、敬愛すべき主人達から道具として重用され、
本来ならば愛すべき弟妹達から疎まれ続け、いつしか自分自身を道具として思い込むようなる。

そうしなければ、自分自身が壊れてしまう事に気付いていたから。

特に弟妹達の事を道具と思い込む事で距離を取り、自らの心に蓋をし続けてしまった彼は、
いつしか心による理解を判断の埒外の物として拒絶してしまう。

弟妹達が豊かな表情や人格の発露を見せる中、
彼だけが無表情でいたのはそう言った理由でもあった。

最後発の完成で心が未発達だったワケではない。

つい最近になって心が芽生えだしたワケでもない。

単に、急激に、しかも繊細過ぎる心を育ててしまったが故の、やはりこれも悲劇の一種。

彼の心は、既に崩壊寸前だったのだ。

それをつなぎ止めていたのが、カナデに仕える悦びである。

カナデに仕え、道具として重用される事で、
自分が道具である事に誇りを持ち、壊れそうな心の均衡を取っていたのだ。

しかし、そこに一石が投じられた。

自分を道具でないと言ってくれた少女。

悲鳴を上げていた彼の心は、彼の意志とは別にその言葉を待っていた。

自ら否定して押し込めてしまった、自分の心を認めてくれる存在を。

投じられた一石の生んだ波紋は、彼の心を強く揺さぶる。

ナナシ「……戦え、ません……カナデさま……」

ナナシは力なく項垂れ、その場に膝を突く。

彼の戦意喪失を表すかのように、七体のヴァイスリッターズも消え去る。

彼に涙を流す機能は存在しない。

だが、彼の心は確かに涙していた。

それは、抑圧から解放されたカタルシスを感じているに他ならない。

カナデ『戦いなさい! 早く……早くソイツを殺せぇぇっ!』

カナデはヒステリックに叫ぶが、ナナシはその命令に応える事が出来なかった。

何も壊したくない。
何も傷つけたくない。

本当なら、弟や妹達と……本当ならば兄や姉だった彼らと共に居たかった。

しかし、それはもう叶わない。

ナナシ「…………」

ナナシは無言のまま、自らの身体を掻き抱く。

クリス「もう、彼を苦しめないで!」

クリスは再び、虚空を睨め付けて叫ぶ。

ナナシを守るように両手を広げる。

しかし、クリスのその姿は、カナデの逆鱗に触れるには十分だった。

カナデ『だったら……戦いたくないなら、ソイツもろとも自爆しなさい』

カナデは、何処か振り切れたように静かに呟いた。

奏「なっ!?」

その言葉に奏は目を見開く。

ナナシ『カナデさま……?』

スクリーンの向こうでも、ナナシが呆然自失と言った有様で震えていた。

その傍らではクリスも目を見開いて愕然としている。

カナデ「ゲベート……遠隔爆破指示。

    GH01Aの躯体と装備のデータをバックアップ後、
    魔力を暴走爆発させなさい。

    その後、01のいるエリア07を物理爆破」

カナデはそんな三人を後目に、どこか落ち着いた様子で、
静かに、酷薄に、自らのギアにそんな指示を出す。

奏「やめなさい! あの場にいるのは君の味方でしょう!?」

奏は慌てた様子で叫ぶが、まだ身体は動かせない。

立ち上がって魔導装甲を展開できる程度には回復したが、
戦闘機動に耐えうるレベルまでの回復にはまだ僅かに時間を要する。

カナデ「味方……違うわ?
    01は私専用の道具……。
    道具が壊れたから、捨てるの」

カナデは狂気の表情を浮かべて、奏の叫びに応えた。

奏「君は……どうして!?」

奏は哀しみと怒りの入り交じった声を上げるが、
カナデは最早、その声に応えようとはしなかった。

直後、スクリーンの向こうでナナシに変化が訪れる。

膝立ちで呆然としていたナナシは不自然な体勢で立ち上がり、両腕を広げた。

魔導装甲の胸部装甲が展開してナナシの本体が露出し、
さらにその奥から白い球体が顔を出す。

ナナシのコアストーン……彼を維持する呪具の本体だ。

カナデ「リミッターを外した状態で魔力を暴走させれば、
    どれだけあの子の障壁が強力でも耐えきれない……。

    その後であの部屋を爆破すればもうあの子に耐えきる術は一つもないわ!」

奏「クレースト!
  ハッキングであの部屋の自爆装置の操作権限を!」

どこか躁状態になって狂ったように叫ぶカナデの言葉を聞き、
奏は慌てて愛器に指示を出した。

クレースト<やっていますが、自爆プログラムは別系統からの指示です!
      現在、自爆プログラムの制御システムへのハッキングを行っています!>

対するクレーストも、既にその指示は実行中だったようだ。

しかし、クレーストは戦闘用にチューンナップされたギアであり、
ハッキング能力など本来は低いと言うより無いに等しい。

今も、長時間かけてハッキングした部屋同士の通信状態を保つので精一杯と言う状況である。

奏「クリス、逃げなさい!」

奏は居ても立っても居られず、モニター越しのクリスに叫んだ。

その声はクリス達の耳にも届いていた。

ナナシ「……あの人の言う通り、君は逃げた方がいい……」

コアに集束して行く魔力を感じながら、ナナシはどこか諦めきったように呟く。

既に自爆シークエンスは始まっており、
外部からの上位権限による指示は、彼では止めようがなかった。

クライノート『クリス、彼の言う通りです。
       自爆が魔力、物理の順で行われはあなたの命が危険です!』

クライノートも慌てて叫ぶ。

現在の魔力残量は七十%程。

Sランク七人分の魔力に匹敵するが、それでも集束させた魔力の暴走爆発を受ければ、
その魔力の殆どを失って魔力ノックダウンされてしまうだろう。

そうなれば、直後の物理破壊を伴った爆発を防御する術はない。

クリス「駄目だよ!」

クリスはそう言ってナナシの元に駆け寄る。

既にかなりの量の魔力が集束されており、
大量の魔力で防御しなければ近寄る事も困難なレベルだ。

ナナシ「君の魔法なら出口までの足場も作れるハズだ。早く逃げて……」

クリス「あなたを放っておいて逃げられないよ!」

言いかけたナナシの言葉を遮ってクリスは叫ぶ。

ナナシ「だけど……このままじゃあ君だって無事じゃ済まないよ?」

クリス「あなたは私を助けようとしてくれた……。
    今もこうして私を心配をしてくれる人を放って逃げるなんて、絶対に出来ない!」

クリスはそう力強く叫ぶと、必死に手を伸ばしてナナシの肩を掴む。

それはクリスの得た信念とは別に、彼女の当然の価値観だった。

右も左も分からない頃から多くの人々に助けられ、支えられて生きて来た彼女にとって、
それを放り出して逃げるなどと言う選択肢は存在しない。

極論を言ってしまえば、かつて自分を利用したトリスタンにすら、
クリスは怒り以外に感謝の念を感じていた。

彼は彼で、クリスの望みを叶えてくれたのだ。

それが彼自身のためであろうと、
本当の自分を知りたいと願ったのは他ならぬクリス自身だったからでもある。

ナナシ「だからと言って、君まで犠牲になる必要なんて……」
 
そして、今、自分の目の前にいるのは、敵であるにも関わらず自分を助けようとしてくれた、
今もこうしてこの身を案じてくれている少年だ。

クリス「ありがとう……」

クリスは笑みを浮かべて、優しい声音で呟いた。

ナナシ「え……?」

その感謝の言葉に、ナナシは呆然と漏らす。

こんな状況で感謝されるなんて、本当に意味が分からない。

クリス「多分、ずっと、これが言いたかったんだ……。
    あの時、私を助けようとしてくれて……私の事を心配してくれて、ありがとう」

クリスはナナシの身体を抱き寄せながら、思うままにその言葉を紡ぐ。

クリス「だから、絶対に、あなたも助けてみせる!
    クライノート、魔力を腕に集中してっ!」

クライノート『……………分かりました。
       システムへのアクセスはこちらで行います!』

主のやらんとする事を察し、クライノートは力強く応える。

もうこうなれば一か八かだ。

敬愛する主を守り、支え、望みを叶えるのがギアの使命。

ならば、今は主の望む結果を得るために自分も全力を尽くす他ない。

クリス「ありがとう……クライノート!」

クリスは最高の相棒の名を呼びながら、ナナシのコアに手を伸ばす。

コアに集束された魔力がクリスの魔導装甲を吹き飛ばそうとするが、
腕に集中された魔力がそれを押し留める。

クライノート『クリス……勝負は一瞬。

       彼の魔力を吹き飛ばした瞬間、私のコアと彼のコアを接触させて下さい。
       猶予時間は最大で0.二秒、誤差はプラスマイナスで0.一七秒です』

つまり最低で0.0三秒……文字通りの一瞬すらない。

だが、恐怖はない。

クライノート『我々の残魔力量からしてチャンスは一度だけです』

クリス「なかなか分の悪い賭けだね……。
    嫌いでしょ、こう言うの?」

クライノート『不正確過ぎるギャンブルは嫌いですが、
       この際、致し方有りません』

少し戯けたようなクリスの問いかけに、クライノートは珍しく不機嫌そうに返した。

クリス「……もしかして、怒ってる?」

クライノート『もしかしなくても怒っています。
       主をこのような危険な状況に晒すなど……ギアの沽券に関わります』

ナナシ「君は……君達は何を……?」

クリスとクライノートのやり取りを聞きながら、ナナシは呆然と問いかける。

彼女たちが何をしようとしているのか、彼には想像もついていない。

クリス「道具じゃない、なんて言ったのに……、
    こんなやり方しかなくてゴメンね。

    でも、この方法でしか、あなたを助けられないから」

クリスは少し申し訳なさそうに呟くと、
だがすぐに気を取り直してその目に決意の色を浮かべた。

そして――

クリス「一瞬だけ……我慢して!」

クリスはそう叫んで、自身の魔力を解放する。

エメラルドグリーンの輝きがクリスの腕から溢れ、
ナナシのコアストーンに集束されていた魔力が吹き飛ばされると、
ナナシは停止状態に陥った。

過剰な魔力による一時的なシステムダウンだ。

クライノート『今です、クリス!』

クリス「うわぁぁっ!」

直後のクライノートの合図と共にクリスは魔導装甲を解除し、
待機状態となった愛器を、剥き出しになったナナシのコアに押しつけた。

しかし、ナナシのコアはすぐに魔力の集束を再開する。

クライノート『アクセス成功、システム権限に割り込みます!』

クリス「やった!」

作戦の第一段階の成功を告げるクライノートに、クリスは歓喜で応えた。

だが、まだこれで終わりではない。

クライノート『使用者権限でパスワードでロックして下さい!』

クリス「パスワード!?」

クライノート『有意味単語でも固有名称でも構いません! 早く!』

クリス「それって名前って事!?」

驚いたように何度も聞き返しながらも、クリスは思考を巡らせる。

パスワードの設定など考えてもいなかった。

要はギアの起動認証のような物だろう。

ナナシ「システムへのアクセスを……確認……?」

ナナシは既に意識を取り戻しているようで、
呆然と不安の入り交じった表情を浮かべて呟いた。

クリス「えっと……」

パスワードの事を考えながら、クリスはそんな彼を見つめる。

殆ど白と言って良いほどの髪と瞳が、クリスの目に焼き付く。

クリス「あ……そっか……」

そこからは、もう直感だった。

直感……いや、九日前、彼に感じたイメージを思い返す。

クリス「パスワード……S・H・C・N・E・E……シュネー」

クリスはその言葉を紡ぐ。

シュネーとは、独語で雪。

彼を見た瞬間に思い浮かべたイメージは、母の故郷の光景――
目の前に広がる一面の、汚れのない真っ白な雪。

もし彼が許すのなら送りたい……その名。

ナナシ「パスワード認証を確認……。
    全権限をクリスティーナ・ユーリエフに……移行、します」

白とエメラルドグリーンの魔力の奔流に包まれながら、ナナシは震える声で漏らす。

クリスの思考は、コアに注がれる彼女の魔力を通じて彼にも伝わっていた。

ナナシ「クリスティーナ・ユーリエフを……マスターとして、認証します」

何故か、嬉しかった。

彼女が、自分の心を認めてくれたからだろうか?
それとも、既に自分が彼女の物だからだろうか?

ただ、嬉しいと感じる心を、彼はもう偽ろうとはしなかった。

彼が浮かべた泣き出しそうな笑顔に、クリスも満面の笑みを浮かべる。

そして――

クリス「起動認証……クリスティーナ・ユーリエフ!
    クライノート・シェネー……スタートアップ!」

再び、待機状態のギアを起動した。

爆発が起きたのは、殆ど同時だった。

二人の周辺の床だけが集中的で連鎖的な爆発を巻き起こし、爆風と爆炎が二人を包み込んだ。

その光景は、壁面の監視カメラを通して
カナデの居室にあるスクリーンにも映し出されていた。

奏「クリスぅっ!?」

カナデ「アハハハハッ!」

奏は悲鳴じみた声で爆発に包まれた愛娘の名を叫び、
カナデは狂ったような哄笑を上げる。

爆発の影響か、映し出される映像はノイズが酷い。

カメラ映像を取り込むため、壁を避けて床だけを爆破させたようだが、
それでも凄まじい破壊力に見えた。

魔力を消耗している状態で至近距離の集中した鎌鎖爆発など、
ザックでも耐えられない。

スクリーンに映し出される光景に奏はワナワナと震え、
カナデは歪んだ喜悦の表情を浮かべる。

爆煙とノイズであちらの様子は上手く窺えず、
不安と期待はそれぞれに高まっていく。

カナデ「さすがに部屋全部を爆破するワケにはいかなかったから床だけ爆破したけれど、
    あれだけ爆発を集中させれば……」

カナデは苛立ちと歓喜の入り交じった複雑な声音でそう言って、
呆然と立ち尽くす奏に目を向けた。

だが、不安と絶望に沈んでいた奏の表情が徐々に安堵で満ちて行く様に、
カナデは目を見開いてスクリーンに向き直る。

ノイズの収まり始めたスクリーンの向こう、
爆煙の中心部で淡いエメラルドグリーンの輝きが見えた。

換気システムが機能を始めたのか、
急速に爆煙が晴れ、輝きの主が姿を現す。

その姿に二人は驚きで目を見開いた。

カナデ「ぜ、01!?」

奏「あの子……クリスと一緒……?」

そう、そこにいたのは確かにあの少年だった。

但し、それまで身につけていた白と黒の魔導装甲は身に纏っておらず、
代わりに彼自身の魔力波長である白と、
クリスの魔力波長である淡いエメラルドグリーンで彩られた同型の魔導装甲を身に纏って。

そして、その腕には、気を失ったクリスを抱きかかえている。

エメラルドグリーンの輝きは、彼の作り出した魔力の障壁……
クリスの新魔法――グラヴィテーションクーゲルだった。

クライノート『魔力は低下していますが、
       脈拍、心拍、体温、呼吸……全て異常なし。

       我々の主は無事です』

????『良かった……』

クライノートによる簡易バイタルチェックの結果を聞きながら、
少年は安堵の声を漏らした。

奏には何故、彼がクリスを抱きかかえているのか分かりかねたが、
愛娘の無事を確認して胸を撫で下ろす。

カナデ「01っ! 何でソイツを助けたの!?
    ソイツを殺せって言ったでしょう!?」

????『………申し訳ありません、カナデ様……。
     そのご命令は、もう……実行しません』

ヒステリックに喚くカナデに、少年は哀しそうな声で応え、さらに続ける。

????『……痛いんです……AIが……。

     この身体の何処にあるのか分かりませんが、
     そんな事をしてはいけないって、
     僕のAIが僕に命令を出すんです……。

     カナデ様のためと言うなら、
     そんな事をしてはいけないって、
     僕のAIが僕に命令を出すんです……。

     そうすると、AIが、痛いんです……。

     これが……この痛みが、彼女の言う、僕の心なんでしょうか?』

少年は言いながら、爆発でボロボロになった床を分解・再構成して平らに均し、
そこに優しくクリスを横たえた。

そして、立ち上がり、カナデの居室に映像を送っているカメラへと……
その向こうにいるカナデへと向き直る。

????『こんな事をしても、カナデ様は幸せになんてなれません……。
     だからもう、そんな命令は実行しません』

少年は寂しそうに、だがハッキリとした声でカナデへと語りかけた。

対してカナデは怒りでワナワナと身体を震わせる。

カナデ「殺せって言っているのよっ!
    いつまでもナナシの01のままでいいの!?
    名前が欲しくな……!」

――名前が欲しくないの!?

カナデはそう叫ぼうとした。

????『名前ならもうクリスティーナから……
     マスターから戴きました』

だが、カナデの叫びを遮るように、少年は申し訳なさを感じさせる声音で呟く。

シュネー『シュネー…………。
     真っ白な雪原のようだって、魔力を通して、彼女が……』

少年は、歓喜に打ち震える声でその名と、主――クリスの想いを唱える。

そう、強制的に自爆させられかけた彼を救うためにクリスが取った行動とは、
彼のコアを自分の指揮下に置く事だった。

クリスの選択に対し、クライノートが考えた作戦はこうだ。

先ず、01コアに集束した魔力を一旦、全て吹き飛ばし、
空っぽになったコアにクリスの魔力を供給。

それによって権限の一部を奪取し、
パスワードを入力して外部コマンドの一切を遮断。

さらに自分自身と彼を融合させたのである。

WX115-クライノートは、新たにシュネーの名を授かった01コアを取り込み、
WX115-クライノート・シュネーとして生まれ変わったのだ。

彼の魔導装甲の色が変わったのも、主の魔力波長の影響によるものである。

シュネー『お仕えしていたカナデ様の事を、今でも大切に思っています……。
     ですからもう、ご自分でご自分を不幸にするのはお止め下さい』

シュネーは真摯な思いを叫ぶ。

自分がその事に気付くのは遅かった。

本当ならば兄弟姉妹として在りたかったシェーネス達はもういない。

戦いの結果として、それは受け入れなければならない事実だ。

しかし、今ならばまだ、自分の敬愛していたかつての主を救う事が出来る。

カナデ「不幸……ですって? 当たり前でしょう!?」

だが、そんなシュネーの想いは当のカナデ自身によって拒まれてしまう。

カナデ「親に望まれず、
    子供の頃から十四年間もあんな機械のバケモノに育てられて、
    陽も当たりやしないこんな地下に押し込められて!

    元から私は………AじゃないBの私は不幸で当然なのよ!

    自分で自分を不幸にする?

    そんな事しなくても、私はとっくの昔にどん底なのよ!

    だから……だから全部どん底に叩き落としてやる!」

カナデはそのまま喚き散らした。

分かっていた事だ。

自分の置かれた状況が不幸以外の何物でもない事など、既に理解していた。

だから奏の全てを壊すとカナデは誓ったのだ。

AかBかの理不尽な違いでこうなってしまった全てを、自らの手で覆してやる。

AもBも無いほどのどん底に落ちるんだ。

それは、カナデの哀しい悲鳴でもあった。

だが――

?「ごめんね……」

――その哀しい悲鳴の向こうから、哀しげな謝罪の声が響く。

カナデが向き直ると、そこにいるのは……そう、自分と同じ顔をした女性。

哀しげな憂いを浮かべた奏は、すぐに落ち着いた様子で目を伏せた。

奏「君は思い違いをしている……。

  君の本当の精製完了……
  いや、精製完了予定日は十四年前なんかじゃない……。
  その三年前……十七年前だよ」

そして紡がれたその言葉に、カナデは唖然とする。

カナデ「ハッ、何を言うかと思えば……。

    十七年前ですって?
    あの女が死んだ年じゃない?

    そんなウソを言えば、私が情に絆されるとでも考えてるの?」

奏「ウソなんかじゃないよ……。
  全部、フランが調べてくれたんだ……。

  勿論、君に関しての事じゃない。

  ボク達、魔導ホムンクルスのクローン技術に関する技術だよ」

嘲るように聞き返すカナデに答えて、奏はさらに続けた。

奏「冷凍状態の魔導クローンの細胞は半永久的に保存できる代償として、
  安全に再活性化させるため、魔力的な刺激を与えながら二年以上の歳月が必要になる。

  お祖父様がボク達と母さんの研究所を見付けたのが十四年前なら、
  君は精製完了から十二年程度しか経過していない事にならないとおかしいんだ」

カナデ「十二年……?」

奏の説明に、カナデは僅かに驚いたように漏らす。

奏「君の身体は十代半ば……。

  人間の魔導クローンは人間と同じようにしか成長できないから、
  肉体年齢をコントロールする事は不可能なんだって」

奏は作戦前にフランから聞かされていた魔導クローンの知識を、思い出すように語る。

フラン自身も、これらの知識はアレックスから聞き出した物だ。

奏「あと一つ……これは本当にボクも言われるまで気付かなかったし、
  ついさっきまで確証が持てなかった。

  けれど、君の言葉でやっと確証が持てた……。

  君はもう、十七歳なんだね」

カナデ「そ、それは……」

奏「子供の頃から十四年間お祖父様に育てられたって……。
  赤ん坊の頃から十四年間、じゃないんだね」

狼狽えるカナデに、奏は確認するかのように言った。

そう、確かにカナデは“子供の頃から十四年間”と言っていたハズだ。

躁状態で言い間違えたり、言葉の綾だなどと言う言い訳は、
彼女の狼狽えようからして不可能である。

奏「直接間近で見たボクや結ですら気付かなかったのに、
  フランはちゃんと分かっていたみたいだよ。

  ……君の年齢」

奏はそう言って申し訳なさそうな苦笑いを浮かべた。

いくら魔導装甲で手足や身長が延長されているとは言え、
そんな当たり前の事に気付かなかったのだ。

自分と同じ顔に冷静さを欠いていた事もあるが、
あの状況下でそこまで冷静に観察できていたフランには脱帽である。

カナデ「それは……お祖父様が私を子供の状態で取り出したから……」

奏「そうだね……それから“十四年間”……。

  君の精製は、本当なら十七年前で終わっていたハズなんだ。
  だけど、誰も取り出さなかった……ううん、取り出せなかったんだ」

震える声で狼狽えるカナデに、奏はそう呟いて、さらに続ける。

奏「ここからはボクの……単なる勝手な推測だよ?

  ボク達の母さんが研究者である事を止め、
  母さんである事を決めたのがボクが二歳の頃……。
  約二十年前の1987年の九月。

  二十三年前に受精卵の状態で凍結保存されていた君の再活性を始めたのがその時。
  二年をかけて再活性が終わって、安定した受精卵からの成長が始まった十ヶ月後……。
  精製中の君を取り出せるようになる前の1991年の七月、母さんが亡くなった」

カナデ「そ、それは……だって」

奏「うん、だから勝手な推測だよ……」

イヤイヤをするように首を振るカナデを落ち着かせるように、奏は優しく声をかける。

カナデ「お、お祖父様の技術なら、そんな昔の技術的限界なんて……!」

奏「当時の母さんは魔導ホムンクルスの第一人者だったんだ。
  それこそ、ボクのために晩年に作った魔導機人と、
  四年後の研究院の最新魔導機人がようやく互角になるレベルの技術を持った、ね。

  お祖父様は母さん達の精製に失敗して、
  その後研究が放棄されていた不安定で不完全な魔導クローン技術を完成させて、
  ボク達をこの世に生み出してくれたのは他ならぬ母さんなんだ。

  十七年前、世界一の魔導クローン技術者は間違いなく母さんだった。

  その後、母さん以外の手でプロジェクト・モリートヴァが完成したのは、
  クリスが生まれた十三年前だよ」

カナデの逃げ道を塞ぐように、奏はその事実を述べる。

そう、魔導ホムンクルス技術を応用したクローンを製造する
プロジェクト・モリートヴァは、確かに失敗していた。

失敗したからこそ、グンナー達は結の母である幸を森に放逐し、
まだ五歳程度だった祈が短命である事を見抜いていたのだ。

奏「母さんはね……ボクの母さんになってくれてからも、
  たまに研究室に篭もっていたんだ。

  その頃は、ずっとクレーストを作ってくれていたんだと思っていたけれど、
  本当は違ったんだね……」

奏は胸に手を当て、幼い頃を思い出すように語る。

奏「君を……二人目の娘を、産もうとしていたんだ」

奏は優しい微笑みを浮かべて、少しだけ羨望を込めて呟いた。

カナデ「………ち、違う……」

カナデはワナワナと震えながら、ゆっくりと頭を振る。


――この手で、あなたを抱きしめてあげられないかもしれない――


奏「母さんがボクの母さんになってくれたのは二歳の頃からだったけど…………」


――謝りたい事だらけだけど……――


奏「生まれるずっと前から……」


――それでもね……最期にこれだけは言わせて――


奏「君は、母さんに愛されていたんだね………」


――あなたを……愛しているわ――


カナデ「うわぁぁぁぁっ!!」

耳で、脳裏で重なるその二つの声と言葉を、カナデは絶叫で消し去る。

カナデ「嘘だ……うそだ……ウソだ……ウソダァァッ!!」

喚き散らしながら二刀の大剣を構え、そこに荒ぶる赤銀の魔力を灯した。

一方に燃えさかる火炎が宿り、もう一方に激しい激流が宿る。

カナデの最強魔法――
ドラッツェンエクスプロジオン・マクスィールファングだ。

奏「もう……終わりにしよう、こんな哀しい事は」

奏は笑顔のまま哀しそうに呟き、
ようやく感覚を取り戻した腕で十字槍と短刀を構える。

奏<クレースト、魔力は?>

クレースト<チャージは十分です……。
      モード変更、いつでも行けます>

問いかけに応えた愛器に、奏は小さく頷いた。

優しく細めていた目を大きく見開き、カナデを見据える。

カナデ「うぅぅ……!」

怒りと憎悪で激しくうねる炎と水を従え、カナデはさらに魔力を集束させていた。

対して、奏は穂先の砕けた槍を再構成し、その石突きに短刀を接続する。

奏「クレースト……モード・モリートヴァッ!
  ダイレクトリンク魔導剣……ツインブレイドモードッ!」

主の声に応え魔導装甲の翼が分離し、
槍と短刀に連結されて巨大な対剣――ツインブレイドとなる。

モリートヴァ――祈り。

自分達を生み出した計画の名であり、愛すべき母の名。

そして、愛器に託された母の願い。

奏の行く手に幸多からん道を切り開いて欲しいと願われた、祈りの十字架。

その願いの名を授かったのが、WX104-クレースト・モリートヴァだ。

クレースト<魔力……解放します>

愛器の声と共に、激しい青銀の雷が対剣に宿る。

先程とは比べようもない程に強力な雷電変換の集束魔力刃。

奏も最強の魔法――
ドラコーングラザー・マークシムムクルィークで受けて立つつもりなのだ。

いや、むしろこの魔法でなければ対抗できないと言って良い。

奏はその瞬間に備え、巨大な対剣を後ろ手に構える。

先に動いたのはカナデだった。

カナデ「ドラッツェンエクスプロジオンッ!」

引き絞られた大剣から流水変換された集束魔力の擲斬撃が放たれ、
それを追い掛けるようにカナデも跳んだ。

直後、奏も床を蹴って擲斬撃に向けて跳ぶ。

真っ向勝負だ。

クリスが既に助かってルールが無効になった以上、動けるのならば勝算は有る。

何より、真っ向勝負でなければカナデの心に自分の想いを届かせる事など出来ない。

それはかつて、親友が自分のために為してくれた事だ。

奏「ドラコーングラザー……ッ!」

振り上げるようにして、後ろ手に構えていた対剣を横薙ぎに振り抜く。

雷電魔力の斬撃が、流水魔力の擲斬撃とぶつかり合って相殺される。

既にカナデは二の太刀を振り下ろし始めていた。

先手を取ったのはカナデだった。

だが、奏にはカナデを上回るだけのスピードがある。

友のため、愛する人達のため、
立ち塞がる全てを切り裂く事を誓った奏の斬撃の速度は、間違いなく研究院最速。

先手を取られようとも、いや、先手を取られてこそ、
その全ての斬撃のタイミングを相手に合わせようとも、全力で繰り出す事が出来る。

しかし、擲斬撃を相殺されたカナデも怯んではいなかった。

属性的に上位であるハズの雷電魔力を、カナデの擲斬撃の流水魔力は相殺したのだ。

魔力の上では、カナデが勝っている。

先程は七割の力だったが、今回は全開の十割。

それに加えて怒りと憎悪により、カナデの斬撃の破壊力は確実に上昇している。

そして、それは奏も理解していた。

奏「マークシムム……ッ!」

カナデ「マクスィールッ!」

だが、それでも、だからこそ、二人は二の太刀を止めない。

奏は残るもう一方の切っ先で電撃を迸らせる魔力刃を、
カナデはもう一方の大剣に燃えさかる魔力刃を振り下ろす。

奏「クルィィクッ!!」

カナデ「ファァングッ!!」

青銀の雷電魔力刃と赤銀の炎熱魔力刃が、真っ向からぶつかり合う。

奏「ぅ、ぐぅぅ……ぁぁっ!?」

直接斬撃のぶつかり合いと共に腕に走った衝撃で、奏は苦悶の叫びを上げる。

そう、これは既に分かり切っていた結果だった。

カナデのマクスィールファングは奏のマークシムムクルィークに対抗した魔法。

たとえ奏に対剣による二の太刀があろうとも、
魔力量や斬撃の威力、膂力はカナデが勝っているのだ。

カナデ「死ね……奏……ユゥゥリエフゥゥッ!」

カナデは勝利を確信して叫ぶ。

だが、それでも奏には勝算があった。

奏「うぅぅ、わあぁぁぁっ!!」

奏は裂帛の気合を込めた絶叫と共に、対剣に込める力と魔力をさらに上げる。

カナデ「なっ!?」

増した奏の勢いに愕然とするカナデの前で、お互いの魔力刃が相殺された。

引き分けだ。

だが、対剣を振り下ろした奏の左腕にはかなりのダメージが蓄積したハズだ。

すぐに動かす事は出来ない。

このまま即座に動けばカナデの勝ちだ。

カナデ「もらったっ!」

揺るがぬ自身の勝利に、カナデは喜色めいた声を上げる。

しかし、それは一瞬で終わる。

奏の攻撃は、まだ終わっていなかった。

対剣に気を取られ、見失っていた右腕に青銀の魔力刃が輝いている。

カナデ「そんな!?」

そう、奏の刃は槍と短刀だけではない。

その腕――手刀すらも、奏にとっては魔力刃を繰り出すための太刀の一つだ。

正に隠された三の太刀。

奏「ドラコーンクルィークッ!!」

青銀の集束魔力刃を纏った手刀が、カナデの魔導装甲を切り裂いた。

数発の集束魔力刃にマークシムムクルィーク以上の破壊力を持った魔法を連発し、
加えて奏の奥の手とも言える魔力刃――ドラコーンクルィークを受けている。

既に、カナデには魔導装甲を維持できるだけの大量の魔力が残されていなかった。

研究院製の物と違い、
魔力コンデンサのような安全装置も取り付けられていないグンナー製のギアは、
残留魔力による再展開も叶わない。

カナデ(負け……た……? 斬られる……?)

魔導装甲を粉々に砕け散らせながら、カナデは愕然とそんな事を思う。

奏の放ったドラコーンクルィークはマークシムムクルィークほどの威力は無いだろうが、
それでもドラコーングラザー・リェーズヴィエを上回るだけの威力だった。

魔導装甲を粉々に砕け散らせるほどの魔力を迸らせる集束魔力刃。

カナデは死を覚悟する。

いや、むしろ生を諦める。

当然の結果だ。

グンナーに荷担し、世界を混乱に貶めた。

奏の最愛の娘を殺せとも命じた。

敵の元に下って尚も我が身を案じてくれた01……シュネーの忠告を無視した。

そう、これは自分が選んで来た行動に対する、当然の結果なのだ。

死の間際に思うのは――

カナデ(やっぱり……私は不幸のBなんだ……)

――幼き日から思い続けた、嫉妬にも似た絶望。

所詮、選ばれなかった自分に相応しい最後。

選ばれたAによって殺される。

Aの代用品に相応しい、何ともみっともない、どん底の結末だ。

自嘲と諦観の中、カナデはひきつった笑みを浮かべる。

だが――

カナデ(あ………)

カナデは呆然とする。

――その身を貫いた魔力は、炎でも水でも雷でも氷でもない、純粋な魔力の塊だった。

基本的に、純粋魔力に物理破壊能力は無い。

叩き付けられた魔力を受け止められるだけの素養さえあれば、
単に自身の体内に残された魔力を相殺されるだけだ。

そう、奏のドラコーンクルィークは、
完全なる純粋魔力による超高密度集束魔力刃だった。

傷つける事無く相手を止めるために奏が編み出した、真の“奥の手”。

止めの一撃に手心を加えたワケではない。

カナデとの戦闘に於いて、奏は常に全力だった。

全力でカナデとぶつかり合い、そして、全力でカナデを止めるために。

全身を貫いた魔力を受け止めながら、カナデもその事を感じ取っていた。

そして、全ての魔力を失って倒れかけたカナデの身体を、不意に暖かな温もりが包み込む。

奏「………ごめんね……こんなに、遅くなって………ごめんね……っ」

温もりの正体は、奏だった。

倒れかけたカナデの身体は、魔導装甲を解いた奏によって強く抱きしめられていた。

その奏の口から漏れる、しゃくり上げるような声。

カナデがふと奏の顔を覗き込むと、彼女は大粒の涙を瞳の端に浮かべていた。

奏「ずっと、ずっと辛かったよね……寂しかったよね……」

カナデ「あ……」

誰かに抱きしめられるのは……誰かの温もりに包まれる事は、
カナデにとって初めての経験だった。

奏「お姉ちゃんなのに………気付いてあげられなくて、ゴメンね……」

別に姉などとは思っていなかった。

皮肉のつもりだったのだ。

祈・ユーリエフの愛情を受けて育って来たもう一人の自分に対する、皮肉の“つもり”だった。

そう、……“つもり”だ。

ボロボロと涙を流す奏の横顔に、いつか幻視した光景が重なる。

鏡のような物に映った、やつれ果てた自らの顔。

涙を流すその顔。

そう、気付いていたのだ。

あれは鏡でも何でもない。

窓の向こうの世界。

培養カプセルの外で、後悔の涙を流す祈・ユーリエフの顔だったのだ。


――この手で、あなたを抱きしめてあげられないかもしれない――

――謝りたい事だらけだけど……――

――それでもね……最期にこれだけは言わせて――

――あなたを……愛しているわ――


窓越しにくぐもった、その声。

愛されていた。

ただ、自分の置かれた境遇に対する憎悪のはけ口を、彼女は他に持ち得なかった。

愛されていたのに、その愛を感じる事が出来なかった事への、
とても身勝手で、とても哀しい反発。

その反発を、母がとうに捨て去った研究者としての傲慢にぶつけるしかなかった。

いつしか、頬を涙が伝う。

カナデ「……ごめん……なさい……」

涙に震える声で呟いた謝罪は、誰に向けたものだろうか?

こんな自分のために全力を傾けてくれた姉に対してか?

道具のように扱ってきた機人魔導兵達に対してか?

身勝手な反発の罵声を上げ続けた母に対してか?

カナデ「……ごめん、なさい……ごめんなさい……」

一度堰を切った感情を乗せた言葉は、涙と共に止めどなく溢れ続ける。

後悔と、懺悔と、誰かに愛されている歓びを知った、そんな涙だった。

奏「………もう、いんだよ……」

奏は涙しながら、その言葉を遮る。

奏「きっと………ボクが君だったら、
  君も、きっとボクを全力で助けてくれただろうから……」

それが、戦いの前に奏の漏らした言葉の真意だった。

もしも、自分がカナデの立場だったらどうだろう?

恐ろしいその可能性を想像した時、折れそうな奏の心を支えたのは、
自分の立場となったカナデの行動を想像した事だった。

多くの仲間に支えられた彼女はきっと、
自分を助けるために全力を尽くしてくれるだろう。

憎悪を撒き散らす自分を、全力で受け止めに来てくれるハズだ。

そう考えた時、自分の為すべき事は彼女の中で決まっていた。

奏「お姉ちゃんが……あなたの気持ちは、
  全部……受け止めてあげるから」

それは、奏・ユーリエフである者として、
自分達の不幸の全てを背負ってしまったカナデ・フォーゲルクロウを、
無念のまま逝った母の分まで、全力で愛する事だった。

謝罪の言葉を止めていたカナデは、奏の……
姉の言葉により勢いを増して涙を溢れさせた。

奏「……おかえり、なさい」

カナデ「ぅ……あぁ、ぅ……ぁぁぁっ」

姉の囁いてくれた涙声の言葉に、妹は嗚咽を漏らす。

奏の言葉に乗せられた想いは、既に魔力の一太刀と共にカナデの胸に届いていた。

あなたの全てを受け止めてあげる。

それは、カナデが生まれて初めて知った、無償の愛だった。


――あなたを……愛しているわ――


そして、その言葉は最初に与えられた、母からの無償の愛。

まだ生まれる前の、胎児だった頃の優しい記憶。

カナデ「ぅぅ……ぁぁぁぁっ」

その優しい記憶を何度も思い返しながら、
後悔と歓びを噛み締めるように、カナデは嗚咽を漏らし続けた。

シュネー「カナデさま………」

通信機越しに聞こえて来るかつての主の嗚咽に混じる暖かな物を感じながら、
シュネーは安堵の声を漏らした。

足下で横たわる新たな主を再び抱え上げる。

そして思う。

自分はこの新たな主に、どれだけの物を与えてもらったのだろう。

言葉、思い、新たな命。
そして、今と言う未来。

言葉で言い表せば陳腐で、だが掛け替えのない今の自分を支える全て。

それにどれだけの価値があるかは、自分がよく分かっている。

その全てを、彼女に返していかなければならない。

自分に出来る方法で、自分が望む方法で。

クライノート『クリスを外までお願いします、シュネー』

シュネー「分かっているよ、クライノート……」

同じギアに存在するもう一人の自分とも言えるクライノートの言葉に頷きながら、
シュネーはその背に兄弟達の遺してくれた機械の翼を広げた。

先ずは外に出なければならない。

そして、研究院の人々に、自分が知る限りの情報を伝えよう。

新たな主と、主の愛する人々が守らんとしている世界のために。

それが自分が出来る、世界に対する唯一の償いなのだから。

シュネーはそんな思いを胸に、クリスを抱えたまま舞い上がった。


現時刻、二十三時二十六分。
滅亡の刻まで残り三十四分。

残るは、グンナー・フォーゲルクロウ、ただ一人。


第34話「奏とカナデ、クリスとナナシ」・了

今回はここまでとなります。

お前の姿勢が面白いよ

乙です

お読み下さり、ありがとうございます。

そろそろ最終話の投下行きます。

――先ず、譲羽結と言う人間について語ろう。


名付け親は母親。

1987年12月7日生まれの射手座。血液型はA。

誕生花はカランコエ、
花言葉は“幸福を告げる”。

誕生石はヘキサゴナル・ルビー、
石言葉は“自然美”と“素直な生き方”。


父は譲羽功。
母は譲羽幸。

大恋愛の末に結ばれた両親の元、しかしごく平凡な家庭に生まれ、
一人娘として両親の愛を一身に受けて育つ。

父の職業は地元の外資系会社の広報部門。

母は家事全般、特に料理が得意で毎日の食事は最高。

そんな環境で生活に窮する事はなく、中流の上の家庭で苦労なく育った。

後に親友と言えるだけの優しい幼馴染みを得て、幼年期の彼女は幸せの絶頂にいた。


そんな幸せが唐突に終わったのは、彼女が五歳の頃。

原因不明の病で、母を喪った。

幸せの中にいた彼女は、それまで感じた事のない程の不幸の中に落ちる。


泣き濡れた彼女に笑顔を取り戻してくれたのは、父の愛と親友達の存在だった。

父の愛に支えられ、親友達に手を引いて貰って、背中を押して貰って、
彼女はようやく立ち上がるだけの力を得る。


立ち上がった彼女は、精力的に母の代わりを努め始める。

母の代わりに家事の全般を引き受け、五歳児とは思えないほどのハードワークを自らに課す。

それは一重に、自分を支えてくれた人々に対する恩返しの一環であった。

そんな中でも家事のスキルは上昇し、特に料理は大人顔負けの力量を手にする事となる。

ハードワークの中でも勉強は進んで行った。

成績は常に中の上から上をキープし、教師からの評判も上々。


それが、九歳の誕生日を十日後に控えた、譲羽結と言う空っぽの少女の全てだった。


そう、彼女は空っぽだった。

幼い憧れも、希望に満ちた夢も、本当の笑顔も、
その全てを母の死と共に置き去りにしてしまった、
“誰かのため”にしか動けない、自分を失った少女。

とても痛々しい、親ならば子供にこうあって欲しくないと望むだろう、
そんな少女こそが、譲羽結と言う少女だった。

そんな少女に変化が訪れたのは、1996年。

前述の通り、九歳の誕生日を十日後に控えた、十一月も末の事だった。


彼女は世界の裏に潜む魔導と出逢う。

それは後に生涯の相棒となる、
翼を意味する名を持つ魔導の杖、エールとの出逢い。


その頃の彼女は、母と同じ原因不明の病を発症していた。

眠りと共に治まり、目覚めと共に魔力によって身体を蝕まれる病。

母と同じ末路を辿ろうとした彼女を救ったのは、彼女が拾った魔導の杖であった。


しかし、そこで彼女はそれまで無縁であった争いのただ中に放り出され、運命に出逢う。

それはもう一人の自分とも言える、奏・ユーリエフとの出逢い。

後に互いを支え合う最高の友人となる二人は、
結の命を繋ぐエールを巡って相争う事となった。


魔法倫理研究院、
最初の魔導の師と言えるエレナ・フェルラーナ、リノ・バレンシアとの出逢い。

奏の仲間であるキャスリン・ブルーノ達との出逢い。

師・エレナからもたらされた言葉と自らを守ろうとする決意は、
いつしか彼女の中で戦いに臨む勇気へと変わる。

戦いを恐れながらも戦場に身を置いた結は、
その中で奏・ユーリエフに対する共感へと至り、彼女と話をしようとする決意を固めた。



九歳の誕生日を迎えた日、決戦の時を迎える。

自らの進む先を照らす虹の輝きを手に、奏と全力で向かい合い、これを下す。

そして、奏を利用していた黒幕、グンナー・フォーゲルクロウとの最終決戦。

その最終決戦で右腕を失いながらも奏を救い、自らの進むべき道へのキッカケを得た。


決戦の後から長く眠り続けた彼女は、目覚めた後に奏と和解、生涯の友を得る事となる。

そして、決戦で得たキッカケから、彼女は自らの目指すべき道を魔導の道と決めた。


泣き続ける人々を救いたい。

誰かのために、そう望んで生き続けて来た空っぽの少女に、
中心とも言える信念が生まれた。

そして、彼女は自らの望む夢のため、誰かのために走り続ける事を誓ったのだ。


目指した魔導の道の先で、彼女は掛け替えのない出逢いを迎える。

同じく魔導を目指す、多くの友人達。
家族のような絆で結ばれた、大切な仲間達。

そして、彼女にとって大きな出逢いと言える、
アレクセイ・フィッツジェラルドとの出逢いもこの頃の事だ。


結は多くの仲間達と共に研鑽し、彼女は遂に夢の入口へと立ったのだ。

夢を叶え研究院のエージェントとなった彼女は、幼い頃と同様に精力的に走り続けた。

かつて、親友が置かれていた境遇と同じ子供達を助け、魔法の素晴らしさを伝える。

仲間達と共に過ごす充実した日々。

しかし、そこに大きな楔が打たれる。

2003年の夏の事だった。


これもまた、運命の出逢いと言えただろう。

それは殺人鬼、ヨハン・パークとの出逢い。


それまで大切な人々の死に対する哀しみや怒りを運命にぶつけるしかなかった彼女に、
生まれて初めて憎悪の対象が現れた。

師と親友の大切な人の命を、多くの人々の命を奪ったヨハンに対して、
結は怒りと憎しみのままに戦い、その事で心折れて立ち止まる事となる。


それまで素晴らしさを伝えて来た魔法を憎悪と復讐のために使った彼女は、
自らの暗い激情と向かい合ってしまう。

許し難い罪を犯した者達への激しい怒りと憎しみは、
彼女にとっても認めがたくも許し難い感情だったのだ。

しかし、そんな彼女を救ったのは、多くの友人達の支えと亡き師の言葉、
そして、それまでの彼女が為して来た全てだった。


彼女は立ち上がり、また多くの事件を解決し、
多くの人の命を救うために仲間達と共に走り出す。


傷つき、倒れ、仲間達に支えられ、走り続ける。




彼女の名前は、譲羽結。


魔法倫理研究院、エージェント隊が誇るSランク保護エージェント。

防がれ得ぬ虹の輝きを手にする彼女を、
人は信頼と、憧憬と、畏怖を込めてこう呼ぶ――


――英雄、閃虹の譲羽。



最終話「結、それは魔導の希望」



2007年12月6日、二十三時五分。
アイスランド共和国、ヴァトナヨークトル氷河――


世界滅亡が五十五分後に迫ったその中、
結は地下のタワー施設内を真っ直ぐ下に向けて進んでいた。

最後の分岐点までは途切れ途切れの照明があったが、
今はそんな照明もなく、自身の魔力で僅かな光を灯している。

結「もう、かなり降りて来たね………」

エール『さっきの分岐路からもう八百メートル降下……かなり深いね』

結「……と、なると、地表からはもう千メートルは下なんだね」

相棒の声を聞くと、結は思案気味に呟く。

奏と別れて単独行動を始めて早くも十分。

一分で約八十メートルを降下する速度……平均時速約五キロ。

ゆっくりと歩くような速さで、慎重に降下する。

ヴァトナヨークトル氷河は平均の厚さ四百メートル、
最も厚い場所で千百メートルを数える超体積の氷河だ。

そろそろ、氷河よりも完全に下に潜る事になる。

エール『よくよく考えたら、
    96年のグリームスヴォトン火山の氷河底噴火にも耐えた施設なんだね』

結「う~ん……そう言われると何だか非常識な施設だね」

結は相棒の言葉に苦笑いを浮かべて応えた。

まあ、魔力でこれだけ頑丈に作られた施設だ。

ちょっとやそっとの自然災害ではビクともしないだろう。

それでも東京ドーム三千二百杯分と言われる、
未曾有の大洪水を引き起こした噴火に耐えるとは非常識である。

ただ、そんな話が出るのも、そろそろ短めの会話のネタが尽きた証拠でもあった。

前述の通り、現在は地下千メートル。

地下研究所など幾度も突入し、叩き潰した経験があるが、
さすがにここまで潜ったのは人生初である。

新型のウサギ耳のようなレーダーは、
しばらく前から下に大きな魔力の存在を感知していた。

このまま下に降り続けるしかないのだ。

結「あ……!」

その時、ずっと下を見ていた結が、不意に声を上げた。

エール『灯り、だね』

主の声に、エールはその視覚情報を読み取って呟く。

遥か下方に微かな灯りが見える。

どうやらそろそろ終着点のようだ。

結は加速してその灯りを目指す。

結<エール、残り魔力は?>

エール<プティエトワール、グランリュヌ、共に全器フルチャージ。
    結の残魔力量も九十四パーセント。

    残魔力量は全魔力総量の九十九パーセントだよ>

思念通話での質問に、愛機も思念通話で返してくれる。

つまり、ほぼ全開――アルク・アン・シエル六発分の魔力で戦闘に臨めると言う事だ。

超弩級魔導機人の時と違い、魔力弾を使わずに済んでいる事が大きな理由だろう。

加えて、やはり地下に入った瞬間に魔力をフルチャージ出来た事が大きい。

全力戦闘に於いては魔力の大盤振る舞いが基本の結にとって、
魔力的に閉鎖された環境では、魔力がフルチャージであるか否かは非常に大きな問題だ。

一撃必倒。
研究院最大の威力を誇る数々の魔法を六連射出来るのだ。

結<エールのサポートや、
  アレックス君の作ってくれたこの子達のお陰だね>

結は感謝の意を込めてそう言うと、
背中で光背状になっている補助魔導ギア達を見遣り、満面の笑みを浮かべる。

だが――

エール<それだけじゃないよ。
    結だって成長している証拠さ>

主の言葉に、エールはそう返した。

結<そうかな……? あんまり実感無いけど>

エール<今の結の魔力運用能力はニアSランク。
    殆どSランクに近いよ>

謙遜気味に聞き返した結に、エールはどこか誇らしげに応える。

この場で言うランクとは、評価ランクの事だ。

結がエールと出逢って、もう十一年と九日。

あの頃の結は自身の魔力が制御できず、魔力循環不良によって死に瀕し、
エールを身につけていなければ立って歩く事すらままならなかった。

だが、今やその機能も無しに平然と生活する事が出来るだけの魔力運用技能を持っている。

仲間達と比べ、魔導との出逢いが遅かったとは思えないほどの急成長だ。

結<そ、そうかなぁ……?
  リーネの方が魔力運用の伸びは凄いし、私なんて全然だよ>

結は照れ隠し気味に苦笑いすると、
ここ最近は三回模擬戦をしたら二勝できるかも怪しい妹分の事を思い出す。

今や研究院でSランクトップ3の実力者を上げろと言われたら、
一番に挙がるのはまず間違いなく一対一ならば無敗の英雄、リノ・バレンシアだ。

これは結も認めているし、異論を唱える人間がいるなら見てみたい。

そして、次に推薦者が多いのは可愛い妹分であり、
総合戦技教導隊と対テロ特務部隊が誇る空の覇者、フィリーネ・バッハシュタイン。

研究院で唯一、リノに土を付けた事もある実力者だ。

これは姉貴分としても胸を張って推薦できる程に納得である。

そして、最後の一人だが、これにどうしても納得がいかない。

譲羽結……そう、自分なのだ。

まあ研究院最強の大威力砲撃は誇る所でもあるが、
あくまでそれは人並み外れた魔力量と、無尽蔵の魔力供給能力が合っての事だろう。

先天資質に大きく依存したこの評価は、結にはどうにも納得がいかないのだ。

トップ3に相応しい人物は他にももっといる。

現役エージェント最年長、総隊長でSランクでもある、
戦う医療エージェント、エミリオ・ペスタロッツァ。

特務隊長にしてSランクスナイパーのフラン。

陸の最速であるメイ、空の最速である奏、
研究院最硬防御力を誇るザックなど、枚挙に暇がない。

それだけ、Sランクエージェントの実力が拮抗しているとも言える。

そして、そんな多くの仲間達を差し置いて、結はトップ3に挙げられているのだ。

恐縮を通り越して、ワケも分からずに唖然呆然としてしまう。

しかし、彼女以外の人間からすれば理由は簡単である。

先天資質であろうが努力による後天資質であろうが、持った者勝ちと言う事だ。

数多くの事件を解決してきた功績によってSランクの称号を得た結だが、
今や実力の上でもSランクに相応しいエージェントとなった。

その事を、彼女自身が未だに自覚できていないのである。

エール<誰憚る事なく、結は最高のエージェントだよ>

エールは我が主の事を誇らしく語った。

自慢ではなく自負だ。

さすがにリノほどではないが、
そろそろ簡易魔法にギアの補助など必要無いレベルにまで来ている。

結の愛器として、それはそれで寂しい所ではあるが、
全ては彼女の研鑽の賜だ。

それを支えて来た自分を誇りたい気持ちも有る。

そして、その思いは魔力を通じて結にも伝わっていた。

結「エール……」

結は思わず、相棒の名を口にする。

エール『最近、アレックスの事ばかりで冷たいけど、
    結の魔法が世界で一番綺麗だって最初に気付いたのは僕なんだからね』

結「あぅ……」

珍しく拗ねた愛器に、結は申し訳なさそうな照れ笑いを浮かべた。

“僕は君の翼”。

それが昔からエールの口癖だった。

思えば、まだ満足に浮遊魔法を扱えなかった……それこそまだ奏と敵同士だった頃、
自分の空の戦いを支えてくれていたのは、いつもエール――魔導機人のエールだった。

彼の肩に乗って戦場の空を駆けた幼い日。

魔導巨神との決戦で奏の元にたどり着けたのも、彼のサポートあったればこそだ。

飛行魔法の研鑽を続ける内に、
安定した高速移動のためにしか彼の翼に頼らなくなっていた。

今ではその高速移動も、アレックスの開発してくれた魔導装甲や補助魔導ギア頼り。

リュミエール・リコルヌシャルジュも今となっては……と言う有様だ。

彼自身、一抹の寂しさもあるのだろう。

結「でも、エールがいてくれるから私は飛べるよ……。
  アレックス君への感謝も本気だけど、私の翼はエールだけだもの」

結は感謝の念を込めて呟く。

長杖を強く握り、胸に手を当てる。

魔法と出逢ってから十一年。

その一番最初から自分を支えてくれた無二の相棒。

言葉にせずとも、彼への感謝を忘れる事などあろうハズがない。

エール<………>

エールは無言だが、開いたままの思念通話で彼の気持ちは十分に伝わった。

結「じゃあ、行こう……エール!」

エール『……了解、結!』

結とエールは気を取り直し、もう間近に迫った灯りに向けて飛び込んだ。

真っ暗な通路を抜けると、そこは光に満ちていた。

魔力供給による物と思われる光源が、
四方上下を問わず無数に浮かんでいる。

決して強い光ではなく、柔らかな光源と言った感じだ。

無数の柔らかな光源が満ちた空間は、
それだけで昼間よりも明るい世界を作り上げていた。

結「……綺麗……」

結は思わず素直にそんな感想を漏らす。

とても地下千メートルの世界とは思えない、幻想的な光景だった。

まるで星空の中に放り出されたような感覚を覚える。

よく見れば、この広大な空間は施設の外であった。

ダクト状の通路はその出入り口の周辺こそ金属的に補強されているが、
そこ以外は全て剥き出しの岩盤が広がる地下空洞だ。

エール『縦横高さ三百メートル、ほぼ半球状の地下空洞だね』

計測を行っていたエールが広大な空間の形状を伝え、さらに続ける。

エール『周りに浮いている魔力は自然供給らしい。
    結の魔力吸収を阻害するような物ではないよ』

つまり、常時フルチャージでいられる、と言う事らしい。

それはまあ、少々反則かもしれないが願ったり叶ったりだ。

結「なかなか便利だね、これ……」

結はそう言って、光源の一つに手を伸ばす。

だが、結が触れた瞬間に光源は無数の小さな光点になって飛び散った。

結「あ!?」

結は驚きの声を上げて手を引いたが、
すぐに無数の光点が集まって再び光源を作り上げた。

不思議な光源だ。

????「珍しいかね……?」

訝しがる結の耳に、そんな声が届いた。

降下中からずっと感じていた魔力の主だ。

結はそちらに視線を向ける。

広大な空間の奥底、中央の台座じみた機械の上に立つ、機械の塊のような人影が見えた。

機械の身体に、水槽のような頭部と、その中に映る立体映像の頭部。

そう、グンナー・フォーゲルクロウだ。

結「グンナー……さん」

結は、その名を呼ぶ。

彼の生い立ちを知ったせいか、思わず“さん”を付けてしまう。

しかし、対するグンナーはそんな事など気にも止めずに続ける。

グンナー「それは研究の副産物……。
     いや、再起動した過去の遺物と言うべきだろう」

グンナーはそう言って、自らの近くを漂う光源に手を伸ばした。

やはり結の時と同様に無数の光点となって散り、
手を離すと再び一つの光源へと戻る。

グンナー「かつての名前は知らんが、
     私はコレを魔力光源体……マギアリヒトと呼んでいる」

結「マギア……リヒト……」

グンナーの説明に、結もその名を反芻した。

成る程、魔法の光と言う事らしい。

グンナー「古代魔法文明の源流となる世界……。
     つまり、彼らの世界ではコレが一般的な光源だったと私は推測している。

     まあ、その辺りは門外漢なので詳しく検証する気にはならんがね」

グンナーはそう言って、上空の結を見上げる。

口調こそ十一年前に対峙したコピーのそれと近いが、
どこか柔和な印象を結は受けていた。

少なくとも、彼には人を物ではなく人間と認識できるだけの良心が残されていると感じる。

エージェントとなってから閲覧した捜査資料で見たグンナーの顔は、
歪みきった老人のそれだったが、確かに人間の顔をしていた。

だが、人間の顔をしていた偽物よりも、
人間と言うよりは機械のバケモノと言った方がしっくり来る本物の方が人間らしいと言うのは、
実に皮肉な話である。

結「魔法倫理研究院エージェント隊所属、対テロ特務部隊隊員、
  保護エージェントの譲羽結です!

  グンナー・フォーゲルクロウ。
  今すぐ投降し、施設の全機能を放棄し、
  こちらに明け渡して下さい!」

結は構える事なく、ただ堂々とした声音でそう言った。

グンナー「ふむ……コピーとの戦闘のデータは私も持っている。
     あの子供がよくもまあ、ここまで大きくなった物だ」

グンナーはどこか感心した様子で呟き――

グンナー「施設機能を明け渡すつもりは無い」

――と、ただ簡潔に応えた。

そして、グンナーはさらに続ける。

グンナー「このマギアリヒト……要は件のナノマシンの応用だ」

結「ナノマシン……?」

結が怪訝そうに返すと、グンナーは少しだけ呆れたように溜息を漏らした。

その態度にはさすがにムッとしかけた結だったが、
要は“察しろ”との事なのだろう。

さらにグンナーは続ける。

グンナー「今回の計画で私が使用した魔力覚醒を誘発するためのナノマシンの事だ。

     ……アレは元々、ここの地下に眠っていた船の内部から採取した物を
     魔力によって増殖させた物だ。

     アレのお陰で幾つかの疑問が解けた」

結「………」

その言葉を聞きながら無言で降下する結に対して、
グンナーはさらに説明を続けた。

グンナー「何故、生体エネルギーが発光と干渉能力を伴う運動エネルギー……
     即ち魔力に変換されるのか?

     何のことはない、このナノマシンによる影響だ。

     細胞一つよりも小さなナノマシンが群体を為し、
     人の意志、術式と定義される特定プログラムに沿って物理現象を発生させる。

     そして、それを見る事が出来るのはナノマシンに感染した者、
     或いは感染済みのナノマシンキャリアからの遺伝によって
     生まれながらにして体内にナノマシンを有する者だけ……」

結「それが……魔力の正体?」

グンナーの説明を聞かされながら、結は驚きを隠せずに漏らす。

確かに、一般的な科学・化学・物理の分野を学べば、
魔法は物理的な道理を逸した超常の力としか見えない。

俗な言い方をすればオカルトの類である。

それは幼い頃に自分も感じた事ではあったが、
魔導の道を究めるにつれて“そう言うもの”と認識するだけに変わって行ったのは確かだ。

グンナー「生体エネルギーを兵器、建築、医療に転用する事に成功した
     超発達を遂げた先進科学文明……。

     それが魔法文明の正体だ」

グンナーの言葉を聞きながら、
結は学校の講義を受けているような不思議な感覚を覚えていた。

教授が見付けた新事実を聞かされる生徒の気分だ。

結「何で……それを私に教えるんですか?」

グンナー「貴様に生き残る権利があるからだ」

結の質問に、グンナーは即答した。

グンナー「まぁ、この新事実を聞き入れる人間が残ってくれる保証がない、
     と言う残念な事もあり得るのでな……」

グンナーはそう付け加えると、さらに続ける。

グンナー「ナノマシンによる魔力の覚醒の度合い……、
     即ち、体内に取り込めるナノマシンの総量には著しい個人差がある。

     要は体内に取り込める魔力総量にも応じた物だ。
     総量限界値の一万分の一程度。

     よく使われる数字だが、総量一から九をDランクとして、
     十から九十九をC、百から九百九十九をB……とまあ順番に段階が上がるワケだが、
     例の公開実験に使った検体、ヨハン・パークの魔力総量は二、ネーベルの魔力は二万。

     単にDランクでは最低二千倍程度と思っていただろうが、実際には一万倍だな」

結「こ、公開実験!?」

さすがにこればかりは結も平静ではいられなかった。

あの凄惨な人体破裂現象の全世界放送が公開実験だと言うのか?

コピーほどではないと感じていたが、それでもやはり彼は狂っている。

結はそう確信せざるを得なかった。

グンナー「ふむ……まあ、それはさておき」

グンナーは結の抗議の声とも言える驚愕を、
特に気に留めた風もなく続ける。

グンナー「体内に取り込まれているナノマシンの総量で耐えきれる限界値、
     即ち一万倍を超える魔力を受けた時、ナノマシンは暴走を起こし、
     ヨハン・パークと同じ末路……驚異的な自壊現象による死に至る。

     世界中であれと同じ現象が起きるその瞬間まで、
     あと残り五十分足らずと言った所か……。

     さてはて、生き残るのは何百人か、それとも何十人か……」

結「何で………そんな事を……」

感慨深い声音で説明を終えて満足した様子のグンナーに、
結は譫言のように漏らす。

信じられない。

どのような理由があれ、
あのような無惨で残酷な死に方が許されるハズがない。

グンナー「何でそんな事をするのか、か……?
     これが世界のための最良の通過点だからだ」

グンナーがそう言った瞬間、
水槽のような彼の頭部の中で幾つかの気泡が舞った。

そこで、結の意志は決まる。

そう、結は何処かで彼を説得できるつもりでいた。

かつてのグンナー・フォーゲルクロウは、
確かに尊敬できる人物であったと思う。

人の可能性と平和を信じ、悪と罪を憎み、
多くの人々のためにその魔導の力を振るった。

結にとって、それは理想像とも言える存在であり、
また自分が為すべきと誓った規範でもある。

だが、今のグンナー・フォーゲルクロウは世界滅亡を望む狂人だ。

結「グンナー・フォーゲルクロウ! あなたを逮捕します!」

結は微かな迷いを振り払うような動作で長杖を構えた。

アルク・アン・シエルだ。

先程からグンナーは動こうとはしていない。

無論、動く必要がなかった事もあろうが、
あの鈍重そうな機械の身体に推進、移動に適したと思われる装備は無いように見える。

グンナー「計画の最終段階のためにも、
     今ここで捕まるワケにはいかんのでな……。

     相手をしてやろう」

グンナーがそう言うと、彼の立っていた台座が急速に変形する。

辛うじて人型を保っていたグンナーの身体を取り込むように各部がスライドし、
グンナーと台座が合体して行く。

エール<結、アレは……あの台座は魔導機人だ!>

変形と合体を始めたグンナーの姿を見たエールが、どこか慌てた様子で叫んだ。

結「ッ!? アルク・アン・シエルッ!!」

結は息を飲むと、ためらいなく虹の輝きを解き放つ。

だが、虹の輝きが放たれたのと、
グンナーと台座の変形合体が終了したのは同時だった。

虹の輝きがグンナーを包み込む。

約五秒の照射時間。

だが、直撃を受ければ確実に吹き飛ばされるであろう
一撃必倒の砲撃の直撃を受けて尚、グンナーは微動だにしなかった。

結「そ、そんな……!?」

まともな防御は不可能、当たれば必倒の砲撃を放ったハズの結は、
平然としたままのグンナーの姿に愕然とする。

全高十メートルほど、やや歪で巨大な球体に、
無数の針のような円錐状の突起を生やした姿は、先程まで以上の異形だった。

弾かれたワケではない。
避けられたワケでもない。

そう、グンナーは耐えたのだ。

グンナー「これが研究院最高威力の魔力砲撃か……。
     なるほど、殆どの魔力を吹き飛ばされてしまったな」

グンナーは驚いた風に語っているが、その魔力は減っているようには感じない。

むしろ、次第に大きくなっているように感じる。

グンナー「無制限の魔力が使えるのが自分だけとでも思っていたか?」

結「まさか……!?」

どこか得意げな様子のグンナーの言葉に、結は身を強張らせた。

そう、グンナーは魔力覚醒を促すナノマシンの研究を行っていたのだ。

そして、体内に取り込むナノマシンの総量が上昇すれば、
体内に蓄積できる魔力の総量は上昇する。

グンナー「コピーとの戦闘記録から、
     貴様の魔力特性を機械的に再現するのに七年を要した……」

結「私の、魔力特性……!?」

結は愕然としながらも悟った。

そう、グンナーは異形の姿と共に、無制限の魔力を扱う力を……
稀少度Ex-Sの究極の力、“無限の魔力”を手にしたのだ。

グンナー「先程の砲撃の威力からして、
     貴様個人の魔力総量はおそらく十一万と言った所か?

     この形態の私の魔力総量は約十二万、差は一万……。
     この程度はハンデにもなるまい」

そう語るグンナーは、どこか嬉しそうでもある。

完成した力を、存分に試す事が出来ると言う研究者のソレだろう。

どちらもSランクを圧倒的に凌駕する。

個人対個人の魔法戦において、魔法研究史上初となる数値だ。

研究者であるならば心躍るのだろう。

だが、結にとっては脅威以外の何でもない。

結(私の最大のアドバンテージが……意味がない……!?)

結はその事実にただただ愕然としてしまう。

グンナーの言い方や数値を借りれば、
アルク・アン・シエルは結の魔力総量のほぼ全てを使う十一万の力。

それでもグンナーを倒すにはあと一万足りないと言う事だ。

しかも、グンナーも自分と同様に無制限に魔力が回復する。

未だかつて無い強敵の出現に、結は戦慄した。

グンナー「次は、こちらから行くぞ!」

グンナーが叫ぶと、彼の全身の突起に濃紫色の魔力が集束して行く。

突起だけでなく、その球形の躯体全てを集束した魔力が覆い尽くす。

グンナー「マギアパンツァー……シュトゥルムアングリフッ!」

その状態で、グンナーは後部から強力な砲撃を放ち、
砲撃を推進力に変えて突進して来る。

エール<結、防御を!>

結「プティエトワールッ!」

エールの指示で、結は咄嗟に光背状のパーツから十二器のプティエトワールを分離させ、
前方に何枚もの魔力障壁を作り出した。

しかし、突進して来るグンナーの勢いは止まらず、
プティエトワールの生み出した魔力障壁は次々に砕かれて行く。

結「エルアルミュールッ!」

結はさらに巨大な光の翼を広げて自身を覆う。

十二枚の障壁に加えて、閃光変換された魔力の高密度防御魔法の合わせ技だ。

だが、所詮は前座に過ぎない十二枚の障壁を完全に突破したグンナーは、
結の魔力の防壁に接触する。

結「く……ぅっ!?」

全身に襲い掛かる衝撃に、結は小さく呻く。

エルアルミュールも決して無敵の防御と言うワケではない。

仲間達と幾度となく繰り返した模擬戦では、
未完成だったザックのフルメタルバンカーに破壊された事もあるし、
まだドリル実装前のメイの穿孔・飛翔脚に突破された事も、
奏のマークシムムクルィークに一刀両断された経験もある。

それは結自身の魔力特性に硬化特性が含まれない事に起因していた。

硬化特性がなければ、絶対的な硬度の障壁を生み出すのは難しい。

より強力に集束された魔法の前に突破、破壊される事などあって当然と言える。

だが、単純な力業で押されるのは生まれて始めての経験だ。

そう、結は押されていた。

絶対的な魔力的負荷に、身体を包む光の翼が悲鳴を上げるように軋む。

グンナー「ぬぅあぁぁっ!」

グンナーは裂帛の気合と共にさらに加速する。

そこで限界が訪れた。

結「キャアァァァッ!?」

光の翼を力業で押し切られた結は、
グンナーの突進の直撃を受けて弾き飛ばされてしまう。

無数の光源体を散らしながら、岩盤へと叩き付けられる。

爆音のような轟音と共に岩盤を砕き、
砕け散った魔導装甲と瓦礫が辺りに飛び散った。

結「な、なんて……威力……」

濛々と立ちこめる土煙を払いながら、結は愕然と漏らす。

我が身を見下ろせば、魔導装甲の殆どが粉々に砕け散っている。

辛うじて形を残しているのは、
咄嗟に庇った頭部のヘッドギアと直接的な接触を逃れた脚部だけだ。

身体を庇った右腕部装甲は消滅、左腕も粉々、
叩き付けられた衝撃で胴体部分も砕け散っている。

魔導装甲完成のため仲間達と数十回、数百回と模擬戦を繰り返して来たが、
自分の魔導装甲がここまで完膚無きまでに破壊されたのは今回が初めてだ。

それは偏に、結の魔力量の高さに依る所が大きい。

今だって衝撃が大きくとも無事でいられたのは、
結自身の魔力量に合わせて高密度に設計された魔導装甲が身代わりとなってくれたお陰である。

魔力量の少ないフランや、機動性重視で防御力の低い奏やメイが食らっていたら、
それだけで戦闘不能になっていただろう。

グンナー「ふむ……形が残るとは、中々だな」

崩れた岩盤の中から立ち上がって来た結に、グンナーは感心したように漏らした。

先程、一万程度の差がハンデにもならないと聞かされたが、冗談ではない。

こちらは十三枚の障壁を展開していたのだ。

それだと言うのにこの被害。

こちらの方に一万のハンデが欲しいくらいだ。

結(通常タイプやイノンブラーブルじゃ決定打にならない……。
  リコルヌシャルジュか、ユニヴェール・リュミエールでないと……)

結は戦慄から噴き出した額の冷や汗を拭いながら、そんな事を思う。

物理的な突破力のあるリコルヌシャルジュか、
儀式魔法のユニヴェール・リュミエールならば、
確かにアルク・アン・シエルを上回る破壊力を生み出せるハズだ。

だが、それには一々、あの攻撃を避けるしかない。

結「エール……残り時間は?」

エール『現時刻、二三一二。
    フランの設定したタイムリミットまでは残り十八分だよ』

主の問いかけに、エールは共有回線で応えた。

どうやら、最初に無駄話が過ぎたようだ。

結「こんな所で手間取ってなんてられない……。
  魔力全開で行くよ、エールッ!」

エール『了解ッ!』

結の声に応え、エールは彼女の魔導装甲を再展開する。

だが、それだけでは終わらない。

光背状だった補助魔導ギアを全て分離させる。

結「エール……モード・リコルヌッ!」

結の叫びと共に、その背に巨大なブースターが多数出現した。

肩の付け根から左右に広がるように伸びる一対、背中に三つ、
腰の付け根から伸びる小さなものが一対の計七つ。

背中だけではない。

小さな物が肘、膝、踵、肩、腰……様々な部位に合計二十一。

全て、魔力を噴出する推進システムだ。

長杖も延長され、先端のエッジはさらに巨大化する。

さらに、分離させていたプティエトワールとグランリュヌが、
結の周囲を人工衛星のように舞い始めた。

ヘッドギアや各部の魔導装甲も細部の形状が変化、大型化する。

これこそが完成したエールが生み出す結の新たな力、
WX103-エール・リコルヌだ。

グンナー「ほう……姿を変えたか。

     だが、私の最高傑作たるこの魔導機人、
     エアレーザーに勝てる物など……」

変化した結の魔導装甲を見ながら、グンナーはほくそ笑むような声で呟く。

エアレーザー――独語で救世主。

世界を滅亡させんとする狂人のギアの名にしては、何とも皮肉である。

結「勝ってみせる!
  このギアにだって、アレックス君や技術部のみんなの思いが込められてる!」

結はグンナーを睨め付けるようにして叫ぶ。

そうだ、あちらのギアが狂気の天才たるグンナー・フォーゲルクロウの最高傑作だと言うのなら、
こちらも研究院が誇る天才技術者、アレクセイ・フィッツジェラルドが中心として作り上げた最高傑作の一つだ。

しかも、彼が最も心血を注ぐ“結のため”のギア。

結がもっと早く、もっと綺麗な軌跡を描いて飛べるような、結のためのギア。

結がいかなる戦況に於いても最高のポテンシャルを引き出せるギア。

それこそがエール・リコルヌの設計思想だ。

プティエトワールとグランリュヌの開発から始まった、
現段階におけるアレックスが求めた理想の到達点。

結「リコルヌブースター……フルドラァァイブッ!」

結の叫びと共に、全ての魔力ブースター――
リコルヌブースターが点火し、薄桃色の魔力を放出し始めた。

大小二十一のスラスターが結の意志に合わせて可動する。

結<エール、随意反応で機動制御お願い!>

エール<了解ッ!>

エールの返事を聞くと同時に、結は飛ぶ。

結の意志を、エールがダイレクトにブースターへと伝える。

結はグンナーの眼前へと躍り出ると、そこから急速に真上へと切り返し、
とんぼ返りをするようにグンナーの真後ろへと回り込む。

結「アルク・アン・シエルッ!!」

事前にチャージを始めていたグランリュヌの一器から、虹の輝きを解き放つ。

真後ろからの直撃コースだ。

グンナー「速いなっ!?」

しかし、グンナーは驚きの声を上げながらも、急加速でその一撃を回避する。

結「シュートッ!」

回避したグンナーに向けて、
結は十二器のプティエトワールから牽制の魔力弾を放った。

だがそれは悉くグンナーの身体の表面で相殺され、無駄に終わってしまう。

グンナー「その程度の火力では、私の魔力を打ち消す事など!」

そんな事はわざわざ言われなくとも分かっている。

だが、その間にもチャージを終えていたもう二器のグランリュヌに狙いを定めさせた。

結「アルク・アン・シエルッ!!」

やや射撃角度は狭いが、アルク・アン・シエルの十字砲火だ。

さすがにこの回避は難しい。

グンナー「その程度は予測済みだ!」

グンナーは全身の突起の幾つかを分離させた。

有線で繋がったそれに、大量の魔力が流し込まれる。

どうやら、この突起の全てが補助魔導ギアの類らしい。

そして、大量の魔力が流し込まれた突起が反射障壁を展開した。

アルク・アン・シエルを相手に反射障壁は愚の骨頂である。

だが、それも魔力が有限ならばの話だ。

無制限の魔力を持つグンナーの反射障壁は、
アルク・アン・シエルと完璧に拮抗して見せた。

結「ッ!?」

最大の天敵と言える物理障壁と乱反射障壁ですらない、
むしろ格好の餌食でしかなかった単純反射障壁に
防がれ得ぬ虹の輝きを遮られ、結は歯噛みする。

だが、その程度の事は直撃を耐えきられた時に既に覚悟していた。

全ては次の一撃のための布石。

反射障壁を展開したグンナーの動きが、完全に停止する。

結(この一瞬ッ!)

結はエッジの巨大化した長杖を突き出す。

メインの砲撃をグランリュヌに任せていた事で、
既に本体のチャージは完了していた。

背面の七つのリコルヌブースターから魔力が溢れ出し、
結を包み込んで魔力のシェルブリットを形成する。

残る一器のグランリュヌが後方に周り、大威力の閃光魔力砲を放つ。

結「リュミエール……リコルヌシャルジュウゥッ!!」

虹の輝きを纏った結は裂帛の気合と共に飛翔した。

砲撃による押し出しと、全身のブースターによる加速で超高速の砲弾と化す。

直撃コースだ。

だが――

グンナー「この程度っ!」

グンナーは下部の突起から砲撃を行い、その勢いで加速して結の弾道から逃れた。

無理な体勢での加速に躯体が軋むが、結のリコルヌシャルジュは完全に回避されている。

しかし、それでも結は諦めていない。

リコルヌシャルジュの勢いも、この身を包む虹の輝きも、まだ終わってはいないのだ。

エール『結、スライスターンで行くよ!』

結「お願いっ!」

エールの声に応えながら、結は全身を強張らせる。

直後、背面のリコルヌブースターが変形し、推進ノズルが全て左側に向けられた。

結「っ、ぐぅぅ……!」

結は真横に飛びながら、急制動の加速に苦悶の声を上げる。

さらに各部の小型ブースターが細かく推進ノズルの向きを変えて、
結は左回りで滑るようにその向きを変えた。

加速の勢いを一切殺す事のない方向転換だ。

これこそがエール・リコルヌ最大の特徴とも言える、高機動旋回システムである。

膨大な魔力を推進力に変える事で直線加速に優れる結に、
奏並の戦闘機動を実現させるシステムだ。

同様の物はリーネのヒュッケバインにも装備されているが、
結のリコルヌブースターは加速度も旋回性能もその比ではない。

しかも、新型センサーが結自身や対象の位置、周辺地形を正確、精密に把握させる役目を果たし、
どんなに素早く飛び回っても敵を見失なったり、障害物に激突するような事はないのだ。

加速を助ける魔導装甲ギア、火力と手数を増加させる補助魔導ギア、
そして驚異的な探査能力と空間把握能力を与える新型センサー、
それら全てをWX103-エール・リコルヌと呼ぶのである。

グンナー「なんとっ!?」

現にグンナーすら、その動きには舌を巻く。

即座に回避運動に入るが、急加速による躯体への負荷ですぐには動けない。

一度は回避した砲弾と化した結が、右後下方から迫って来る。

グンナー「おのれぇっ!」

グンナーは無数の魔力弾をばらまくが、
集束されていない魔力弾などいくら連射された所でリコルヌシャルジュの前には無意味だ。

だが、それでも目眩ましの代わりにはなった。

グンナーは無数の魔力弾を目眩まし代わりに、有線の突起で多重障壁を作り出す。

先程、結がグンナーの突進を防御したのと同じ方法だ。

その上でグンナーは体勢を整え、左に向けて身体を滑らせた。

一方、防がれ得ぬ虹の輝きを纏った砲弾と化した結は、
一瞬でグンナーの多重障壁を突き破る。

濃紫色の魔力障壁の向こうでは、回避のためにグンナーの身体が左に滑り出していた。

結「弾道補正っ!」

エール『了解っ!』

結の指示に応え、エールは右側のブースターの勢いを上げて弾道をやや左寄りに変える。

グンナー「直撃など食らうものかっ!」

しかし、グンナーも既に体勢を立て直しきっており、砲撃による急加速で回避運動に入った。

だが、僅かに結の方が速い。

紙一重で回避されるかと思われた瞬間、
結はエアレーザー右側の数本の突起を根本から抉り落とした。

グンナー「ぬおっ!?」

掠めただけとは言え、超絶威力の魔力砲弾が当たった衝撃と
突起を破壊されたダメージで、グンナーは驚きの声を上げた。

エール『やった!』

結「掠めただけ! もう一回!」

喜色を上げた愛器に、結はさらなる一撃を加えるべく加速し続ける。

グンナーは即座にダメージを受けた部位の再生を開始しているが、先程よりも隙は大きい。

結<真上からっ!>

エール<了解っ!>

結の思念通話を受けると、エールは踵の小型ブースターの推力を全開にして、
結をバック宙させるようにして方向転換させる。

きりもみ回転しながら弾道を補正し、狙うはエアレーザーの頂点。

結「決めてみせるっ!」

結は裂帛の気合と共に、その一点に向けて急降下加速による突撃を敢行した。

だが――

グンナー「掠めた程度で図に乗るなっ!」

グンナーは即座に結へと向き直り、真っ向から大威力の集束砲撃を放つ。

結「っぅぅぁぁ……ッ!?」

真っ正面から大威力の砲撃を食らい、結は苦悶の叫びを上げた。

如何にアルク・アン・シエルの砲弾と化しているとは言え、
基本的に同威力の砲撃との真っ向勝負は純粋な力比べだ。

出力で僅かに勝るグンナーの砲撃は、確実にリコルヌシャルジュの勢いをそぎ落とす。

濃紫色の魔力の奔流に煽られて、結の身体を包んでいた虹の輝きは消え失せる。

さらに、短時間とは言え他者の魔力に包まれていた事で魔力供給が遅れ、結は完全に失速してしまう。

結「しまった……!?」

勢いを殺されてしまった結は、濃紫色の魔力の奔流から抜け出した瞬間に愕然とした声を上げた。

つい先程まで弾道の先にいたグンナーの巨躯も、既にそこには無い。

砲撃を目眩ましにして、グンナーはその場から一気に移動し、
結とエールは敵を見失ってしまったのだ。

だが、結のヘッドギアと融合しているのは、リーネ級の高感度を誇る新型センサーである。

大量の魔力で瞬間的にその知覚を狂わされようとも、

センサーの感知した反応は、即座に結とエールにフィードバックされる。

結「真上ッ!?」

センサーの訴えかけた方角を、結は咄嗟に見上げていた。

そう、頭上だ。

グンナー「潰れてしまえぇぇぇっ!」

頭上から迫る十メートルを超える巨大な球体。

砲撃による加速は始まっており、彼我の距離からしても回避不能である。

結「集中多重展開っ!」

結はプティエトワールとグランリュヌに指示を出す。

グランリュヌの魔力は残り二割程度だが、
プティエトワールの魔力は既に全器フルチャージ状態だ。

四器のグランリュヌが分厚い障壁を作り出し、
さらにプティエトワールが六器ずつの分厚い障壁を二枚、
合計三枚の強力な障壁を作り出す。

魔力を集束させた障壁を作り出している余裕はない。

魔力放出によるカーテンだが、無いよりは遥かにマシだ。

結「エルアルミュールッ!!」

結自身も光の翼で障壁を作り出す。

合計、四枚の防壁。

枚数こそ先程より少ないが、一枚一枚の強度はソレを大きく上回る。

だが、グンナーの突進攻撃――マギアパンツァー・シュトゥルムアングリフは、
その名の通りの“魔力装甲による突撃”だ。

彼が使える全魔力を装甲状に集束した障壁を纏い、自らを砲弾に変える。

発想としては結のリュミエール・リコルヌシャルジュと同じだが、
そこに加わる質量は彼女を遥かに凌駕していた。

結「ぅく……ぁぁっ!?」

一気に三枚の障壁を突破して来たグンナーの直撃に、結は苦悶する。

砲撃と魔力放出による加速、集束魔力による突破力、そして重力を利用した自然落下。

その三つを複合した威力を攻撃に転用する事は結も考えた。

それ故の最後の真上からの攻撃だったのだ。

それを空振りの末に同じ戦法を敵に使われる。

可能性としてあり得たし、考慮と警戒もしていた。

だが、実際に使われてみると“考慮と警戒”など何の意味もないと知る。

魔力も質量も敵の方が上。

加速力では結が数段勝っていたが、
その二つで劣っていては力比べに勝てようハズもない。

十六器の補助魔導ギア達は魔力を放出し切っており、
チャージするためにはグンナーの魔力影響下から離さなければならない。

援護は望めないと言う事だ。

エール『ブースター全開ッ!』

エールは背面部のブースターを噴かし、全力でグンナーを押し返そうとする。

だが既に結論は出ていた。

そう“力業の真っ向勝負では、グンナーに勝てない”と……。

グンナー「つ、ぶ、れ、て、しまえぇぇぇぇっ!」

グンナーはさらに加速した。

そこで限界が訪れる。

光の翼が作り出していた僅かな隙間が、完全に消える。

結「っぐ……ぁぁぁあああっ!?」

結は完全に押し切られ、
そのまま真下の岩盤までグンナーの巨体もろとも叩き付けられた。



同じ頃、タワー外部の中継地点、
ロロの植物操作魔法によって作られた緑化地帯――


フルメタルバンカーによる被害で破壊された部分の修復は終わっており、
ザックが周辺の警戒に当たっていた。

フラン「ザック!」

メイ「……ぎぼぢわるいぃぃ……めがまわるぅぅ」

と、そこに、メイを抱きかかえたフランが戻る。

ザック「フラン……って、何だ、そりゃ?」

向き直ったザックが、
フランの腕に抱きかかえられたメイの様子に素っ頓狂な声を上げた。

フラン「いや、アンタの方こそ“何だ、そりゃ”でしょ……」

声を上げたザックの様子に、フランは呆れと驚きの入り交じった声を漏らす。

方や目を回したメイ、方や血塗れのザック。

確かに事情を知らぬお互いには“何だ、そりゃ”である。

メイが目を回しているのは、まあ言って見れば完全なる自爆だ。

究極穿孔・疾風飛翔脚でゲヴィッターを倒したものの、
魔力切れで止まるまで床をぶち抜いて回転を続けたのだ。

一方、ザックが血塗れなのはシェーネスの油断を誘うために、
全ての攻撃を受け続けたためだ。

既にロロによって治療され、止血も終わっているが、
隙間から覗くボロボロのインナー防護服は血塗れである。

ザック「つーか、何でお前は無傷なんだよ?
    お前、俺らの中で一番魔力低いだろ?」

フラン「ふん、そりゃ戦い方が巧いからよ」

溜息がちな幼馴染みに、フランは何処か得意げに返した。

確かに、フランはレーゲンとの戦闘に於いて、
真っ向勝負で押し切られる事は多々あったが、
相手からの攻撃は一度たりとも直撃を受けていない。

彼女が得意げなのも頷ける話だ。

まあ、実際の所は舌戦・撹乱・騙し討ちと、
あの手この手で相手を翻弄し、隠し球を投入してのギリギリ完勝と言った所だった。

?????「フラン君の事ですから、卑怯な手でも使ったんでしょう……」

そして、そこに水を差すような図星を突く声が響く。

アレックスだ。

フラン「卑怯とは失敬なっ!
    ……って、何で貴方がここにいるの?」

おそらく現時点で本日一番の“何だ、そりゃ”の登場に、
フランは素っ頓狂な声を上げる。

アレックスは“さもありなん”と言いたげな表情で、緑化地帯から顔を見せた。

おそらく、フランの魔力を感じ取って来たのだろう。

ロロ「フラン、メイ、無事だったんだ!」

アレックスに続いて、ロロも姿を現す。

フラン「ねぇ、何でアレックスがここにいるの?」

状況を掴みかね、フランはロロにメイを受け渡しながら尋ねた。

アレックス「対策準備が終了したので、
      エージェント・鷹見や本條さん達と一緒にこちらに合流したんですよ」

ロロ「アレックスが来たのには驚いたけど、お陰で私も助かったよ」

アレックスに続いて、ロロが説明する。

フラン「? と言う事はもしかして、全員一対一だったの?」

アレックス「ええ……。
      まあ、僕とロロ君は実質、二対七でしたが……」

怪訝そうなフランの質問に、アレックスは肩を竦めるように応えた。

メイ「うぅぅ、せんせー……。
   フィッツジェラルドくんが譲羽さんのいない所で浮気してますぅ……」

ロロの治療を受けながら、メイがそんな譫言めいた言葉を漏らす。

アレックス「誰が浮気してるんですか、誰が!」

流石にその言い草はないと、アレックスも珍しく声を荒げる。

この場に結がいたら、冗談の通じない彼女の事、
一瞬で思い詰めた表情になられていた所だ。

フラン「おぅおぅ、結が絡むとムキになっちゃって……。

    可愛げのない弟分だと思ってたけど、
    たまには可愛い所もあるじゃないの」

その様子にフランは嬉しそうに目を細め、ニンマリと悪戯っ子のような笑みを浮かべた。

照れる弟をからかう姉の心境そのままである。

ヴェステージ『これを期に、結以外への言動も気を付けた方がいいのである』

フラン「そうそう、そう言う事」

共有回線を開いたヴェステージに同調して、フランが続けた。

勝つためには卑劣はともかく卑怯な手段も辞さないし、
それを公言しているフランだったが、
さすがに可愛い弟妹分から素で言われるには中々堪える物だ。

ここらで少しばかりはお灸を据えてやろうと言う心づもりなのだろう。

アレックス「まったく……僕は作業に戻らせてもらいます」

一方、アレックスはずれかけた眼鏡の位置を直すと、
羞恥心混じりの不機嫌そうな声を上げて奥の休憩所へと戻って行った。

フラン「うんうん、アレはアレで可愛げがあって良き哉良き哉」

その後ろ姿を見送りながら、フランは嬉しそうに何度も頷く。

同年代のメイや年上のフランには素っ気ない態度だが、
年上でも同性のザックとはそれなりに仲も良いし、
リーネ達年下の面倒見は良かったのだ。

単に結以外に素直になる事に不器用なだけでひねくれているワケではないのだから、
ああ言った態度は逆に親愛の情の現れと言ってもいい。

ザック「………何だか、妙に機嫌がいいじゃねぇか?」

フラン「そう?」

溜息がちに問いかけるザックに応えながら、
フランはハンドガンを取り出し、彼と同じく警戒に加わる。

ザック「世界っつーか、人類滅亡まで残り……」

ロロ「あと四十分くらいだよ……」

メイの治療を続けていたロロが、
時間確認をしようとしたザックに向けてやや不安げに言った。

ザック「サンキュ。

    ……で、残り四十分だってのに、落ち着き過ぎじゃねぇの?」

フラン「……これでも内心、メチャクチャ焦ってビビッてるわよ?

    もしかしたら読みが外れてるんじゃないか、とか、
    もう明日なんて来ないんじゃないか、とか……。

    嗚呼……口に出したら、途端に心臓がバクバク言い始めたわ」

ザックの質問に答えて語る内、
フランは浮かべていた笑顔を次第に青ざめさせて行く。

それでもまだ冗談めかした言い回しが出来るのは、
図太いと言うべきか流石は特務の隊長と言うべきか……。

ともあれ、フランはハンドガンの銃身でヘッドギアを軽く叩いて、
そんな自身の弱気を叩き伏せる。

フラン「もう残り四十分……。

    ここまで来ると、これまでの行動を信じるか、
    別に足掻く方法が見付かるのを待つしかないでしょ?」

フランはそう言って、アレックスの向かった休憩所の方角を見遣った。

ここで言う“待つしかない”は、決して他人任せにしているワケではなく、
フランなりの技術者、研究者達への信頼の現れだ。

戦闘エージェントなのだから自分がすべきは基本的に戦闘行為のみであり、
他の事は他のプロに任せた方が絶対に効率が良いと言う、彼女なりの敬意でもある。

フラン「施設内の探索は、魔力消耗で戻るしかなくなちゃったけど、
    まだ結と奏もいるし、一征達だって来てるんでしょ?

    任せなきゃいけない時は任せられる人に任せて、
    次の段階があるなら、今は少しでも魔力を回復させてそれに備えないと」

ザック「成る程な……そりゃ正論だ」

大樹に寄りかかったフランに、ザックは頷いて返す。

現時刻二三二三、作戦タイムリミットまでは七分。

万が一にも計画を止められないのならば、残り三十分を魔力の雲の突破と戦艦の破壊に費やす他ないのだ。

フラン「その時は、結にも頑張って貰わないとね……」

フランは神妙な様子で呟いて、足下を見遣った。

分厚い岩盤を貫いてまで感じる膨大な魔力のぶつかり合いを感じながら、
フランは心中で歯噛みする。

一方は感じたこともない魔力だったが、もう一方は結の物で間違いない。

まず間違いなく戦闘中だ。

戦っている相手は映像にあった残る一体の機人魔導兵か、
そうでなければグンナー・フォーゲルクロウ本人だろう。

どちらと戦っているにせよ、今の消耗度合いで救援に向かった所で、
これだけ巨大過ぎる魔力のぶつかり合いの中では足手まといになるだけだ。

フラン「任せなきゃいけない時は、
    任せられる人に、任せないと……ね」

フランはそう、悔しそうに呟く。

ザック「……………だな」

長い付き合いの幼馴染みの様子に、ザックは短く応えて僅かに肩を竦めた。



譲羽結は、夢を見る――


結(ああ……何だか、久しぶり、かも……?)

最後に見た日から四年ぶりとなる、
何をどうする事も出来ない明晰夢の感覚。

自分自身が確実にそこにいるのに、
夢の中の人物と重なって何ら行動を起こす事の出来ない。

敢えて言えば、
登場人物の視点と感情、感覚を完全共有した映画のような物だ。

また、古代魔法文明の彼……自分の祖先とも言える
レオンハルトの遺伝子的な記憶をかいま見せられるのだろうか?

だが、今回の夢はそうではなかった。

意識がハッキリとして来ると、結は自分が空中に漂っている事を自覚する。

結(あれ……、ここって?)

自分が漂っている場所に、結は確かに見覚えがあった。

故郷の街にあった大きな病院である。

“あった”、と言うのも、今はもう存在していないからだ。

既に取り壊され、跡地には郊外型のスーパーマーケットが建っている。

病院の方は別に経営難で潰れたワケではない。

確か十三年前……小学校に上がったばかりの頃に、
別の総合病院と合併・移転したのだ。

そちらの総合病院には、結も九歳の頃に世話になっている。

研究院や本條家の息の掛かった病院だ。

しかし、今いる病室も、確かに結にも縁深い場所だった。

そう――

結(お母さんの……病室?)

結は辺りを見渡しながら、確かに記憶通りである事を確認した。

ややぼやけている部分があるが、そこは記憶が曖昧な部分だろう。

耳を澄ませば聞こえる蝉の声。

どうやら夏らしい。

結(お母さんが入院してた夏……幼稚園の、最後の夏休みだ……)

結は直感的に悟った。

母が入院したのは、死の二ヶ月前。

魔力循環不良による体調不良と疲労で日常生活が困難になり始めた頃だ。

夏休み中は父が仕事に出る時はいつも病院の託児施設に預けられ、
帰宅する父に連れられて家に帰るか、幼馴染みの麗の家、
新しく友達になった香澄の家、或いは父母の実家に預けられるかの何れかだった。

この何も出来ない明晰夢が記憶の再現だとするなら、
これは病院の託児施設に預けられた時の記憶だろう。

結がベッドを見下ろすと、そこには幼い五歳の自分と、
ベッドの上で上体を起こした母・幸の姿があった。

結(お……お母さん!)

結は今は亡き、懐かしき母の姿に感極まった声を上げる。

いや、自分では声を上げたつもりなのだが、その声は夢に何の変化ももたらさない。

現に、母は疲れた様子ながらも、
ベッドの傍らでお絵かきに興じている幼い自分を優しく見守っており、
此方に気付いた様子はなかった。

幸「ねぇ……結ちゃん」

そんな母が、幼い自分に語りかける。

幼い結「なぁに、おかーさん?」

結はお絵かきを中断し、満面の笑みで顔を上げた。

幸「結ちゃんは……大きくなったら、何になりたい……?」

幼い結「えっとね……お花屋さんと、ケーキ屋さんと……」

母の質問に、結は思案しながらも指折り自らの夢を数える。

ああ、そうだった。

こうやって客観的に見せられるのは少し恥ずかしいが、
自分にもこんな時期が確かにあったのだ。

結(あと……この頃だとぬいぐるみ屋さんと、
  アイドル歌手にもなりたかったっけ……)

結は照れ笑いにも似た苦笑いを浮かべる。

そう言えば、母の病室が個室だったのをいい事に、
玩具のマイクを片手によくワンマンショーをしていたのを思い出した。

結(聞きつけた看護士さん達がよく見に来てたけど、
  看護師長さんに怒られ事もあったっけ……)

その頃の事を思い出しながら、結はやはり苦笑いを浮かべる。

考えてみれば、この頃は実に子供らしい子供だったんだな……と、
思わず目頭が熱くなるのを感じた。

幸「そう……」

指折り数える結の夢を聞き終えた幸は、
嬉しさと寂しさの入り交じった複雑な表情を浮かべる。

幼い結「だからね、お店の最初のお客さんはね、おかーさん!」

幸「……そう、ありがとう……」

無邪気な幼い自分の言葉に、母は今にも泣き出しそうな笑顔を浮かべて、
我が子の頭を優しく撫でた。

この時の事は、うっすらと覚えている。

結(お母さん……自分が死んじゃうって、分かってたんだ……)

母の様子を改めて見せられて、結は直感的にそう思った。

我が子の行く末を見る事が出来ない。

それを知りながら、我が子に夢を尋ねる。

どれだけ辛かっただろうか。

声が届かないのが、こんなにももどかしい。

叫びたい。

お母さん、夢を叶えたよ。

この時に言っていた夢とは随分と変わっちゃったけれど、
私はちゃんと自分の夢を叶えたよ。

姿を見せられないのが、こんなにももどかしい。

見せてあげたい。

お母さん、こんなに大きくなったよ。

ちょっと大変な目にもあったけど、ちゃんと大人になれたよ。

結(お母さん……!)

結は空中を漂いながら、母の傍らに身を寄せる。

触れる事の出来ない手を、幼い自分の頭を撫でるその手に重ねる。

重なっていないハズの手から温もりが伝わるような気がするのは、
自分が母の手の温もりを覚えているからだろうか?

幼い結「お母さんのちっちゃな頃の夢って、何だったの?」

幼い自分が、母にそんな事を問いかけた。

幸「お母さんの夢……?」

母は少し驚いたような表情を見せると、僅かに思案する。

結(あ……)

無邪気な自分の質問に、結は少しだけ沈んだ表情で顔を俯けた。

母の幼い頃……幼少期の母に、夢を語る余裕など無かったハズだ。

プロジェクト・モリートヴァによって生まれ、奏の母・祈と共に、
名前すら与えられない悲惨な実験体としての生き方を強要されていた頃なのだから……。

だが、母はそんな素振りは一つも見せずに、
何事かを思い出して嬉しそうな笑みを浮かべる。

幸「……そうね、今の結ちゃんよりちょっと大きくなった時の夢なら覚えてるかな?」

幼い結「教えて!」

思案げに言った母の言葉に、幼い結は目を輝かせた。

母は優しげで幸せそうな笑顔を浮かべ、口を開く。

幸「素敵な男の人と結婚して、元気な赤ちゃんを産みたい……」

幼い結「えっと……?」

母の答の意味がよく分からず、幼い自分は首を傾げた。

幸「ふふふ………。
  お父さんのお嫁さんになって、結ちゃんのお母さんになりたかったの」

そんな娘の様子に、幸はそう分かり易い言い方に直す。

誰かを愛し、新しい命を紡ぐ事。

それが辛い幼少期を過ごした母にとって、何よりも代え難い大切な望みだったのだ。

今ならば、それが分かる。

幼い結「えへへへ……良かった」

対して幼い自分も、自分が母の夢だと知って嬉しそうにはにかむ。

結(嬉しかったな……)

結もその頃の事を思い出して、泣き出したくなる程の歓びを感じていた。

ここで幼い自分の言った“良かった”とは、
“お母さんの夢が叶って良かった”と言う意味だ。

そして、それは母にも伝わったようで、母も嬉しそうな笑みを浮かべる。

幸「そうね……夢が叶って良かったわ……。

  だって、お母さんの名前はね、“幸せ”って意味なんだもの……。
  お爺ちゃんとお婆ちゃんがくれた、大切な名前……」

母方の祖父母。

自分達と血の繋がりこそ無いが、
欧州で母を拾い、日本で育てた、大切な母の恩人だ。

幼い結「しあわせ……?」

幸「そう、幸せ……。
  たくさんの幸せに恵まれますようにって」

キョトンとなって聞き返した娘に、幸は大切な言葉を紡ぐように言った。

幼い結「お母さん、幸せ?」

幸「うん……だって、お父さんがいて、結ちゃんがいるもの……」

結の問いかけに、母は満面の笑顔で答え、結を抱きしめる。

それは、決して作り笑顔などではなかった。

避けられぬ確実な死に向かいながらも、
母は今と言う幸せを確かに享受していたのだ。

幸「ねぇ、結ちゃん………。
  ちょっと難しいかもしれないけど、よく聞いてね」

幼い結「なぁに?」

母に抱きしめられながら、結は顔を上げて小首を傾げた。

幸「結ちゃんの名前はね……“糸を結ぶ”の“結ぶ”っていう字なの」

母は言いながら、指先で結の小さな掌に“結”の字を書く。

幼い結「?」

見たこともない漢字に、結はワケが分からないと言った風に目を白黒させる。

幸「やっぱり、まだ漢字は難しいよね……?
  でも、覚えておいて……。

  結ちゃんの名前はね、縁を“結ぶ”……、
  たくさんの人と出会えるようにって、そう願って考えたの。

  優しい友達、素敵な人との出逢い、
  そんな大切な人とたくさん出逢って欲しいと思ったの」

幼い我が子を抱きしめながら、幸は祈るように、願うように呟く。

幼い結「おともだち……麗ちゃんと香澄ちゃん?」

幸「そう……。
  だからこれからも、もっとたくさんのお友達を作ってね……」

結が聞き返すと、母は優しい笑顔で答えた。

結(ああ……そっか……)

結はその光景を見ながら、呆然と漏らした。

結(そう、だったんだ……)

これは、思い出せなかった。

難しい話をされたような記憶は、確かにあった。

しかし、最後の部分が分かり易くて、他は全て飛んでしまっていたのだ。

小学校一年生の頃、学校の宿題があった。

翌日から始まる漢字学習に備えて、
自分の名前の漢字と、その由来を調べて来る事。

父に尋ねた時、寂しそうな顔で
“結の名前は、お母さんが一人で決めたからね”と答えてはくれたが、
詳しい由来は教えられていない事を聞かされた。

その事を当時の担任であり、後の継母である由貴に話すと、
申し訳無さそうな顔を浮かべていたのを今でも思い出す。

結(聞かされてたんだ……)

結はついに堪えきれずに涙を浮かべた。

縁を結ぶ。
それが、自分の名の由来。

祖父母に助けられて命を繋ぎ、
父と出会って、自分を生んでくた母。

母にとっては、縁とはそれだけ重要な物だったのだ。

代え難い夢を叶えてくれた、とてもとても大切な宝物。

その宝物を繋ぐ名を、自分にくれたのだ。

結(お母さん……お母さん!
  私ね……たくさん、たくさんお友達が出来たよっ!)

結は堪えきれず、涙で震える声で叫ぶ。

結(麗ちゃんと香澄ちゃんだけじゃなくて、
  奏ちゃんや、フランや、メイや、ロロや、リーネや、ザック君や……、
  家族みたいな、兄弟みたいな、姉妹みたいな、大切な友達が一杯できたよ!)

結は友人達、仲間達の顔を思い浮かべる。

結(素敵な先生とも、たくさん出逢ったよ!
  お義母さんになってくれた由貴先生や、
  エレナさんやリノさん、レナ先生!
  みんな、凄くいい人だよ!)

厳しくも優しい、多くの恩師達の顔を思い浮かべる。

結(それとね……大好きな……素敵な男の子とも出逢ったよ……!
  お母さんにとってのお父さんみたいな、
  私の夢を支えてくれる……大切な人!)

愛おしい、大切な人の顔を思い浮かべる。

自分を支えてくれた多くの出逢い。

その出逢いを導いてくれたのかもしれない、母の願いを込めた名。

誇らしかった。
嬉しかった。

結(お母さん……)

幼い自分を抱きしめる母を、包み込むように抱きしめる。

結(素敵な名前を……ありがとう……)

幸「結ちゃん……」

感謝の言葉を紡ぐと、それに応えてくれたかのように、母が自分の名を呟いた。

幸「結ちゃん……結……結……」

何度も、何度も……。

込められるだけの、込め切れないほどの、愛情を込めて。

その声を聞きながら、結の意識は遠ざかり――




エール<結ッ!>

――譲羽結は、目を覚ます。

エール<結っ! 起きて、結!>

耳に、脳裏に響く相棒の声が、意識の覚醒を促す。

そうだった。

今は、グンナーとの戦闘中なのだ。

結はいつの間にか倒れていた身体を起こす。

ひび割れた魔導装甲がボロボロと崩れ、同じくひび割れた岩盤の上に転がった。

結「き、気絶、してた……?
  あれ、夢……もしかして、走馬燈……?」

結は痛みで軋む身体を無理矢理に起こして、呆然と呟く。

結<どのくらい気絶してた?>

エール<二秒だけど……自己治癒促進は魔力全開でかけてる、
    骨も折れていないし、すぐに動けるハズだよ>

思念通話での質問に応えた相棒に、結は安堵する。

結(二秒も気絶していたんだ……)

僅かな時間だが、戦闘中である事を考えれば致命的なスキだ。

それで命があるだけでも御の字だったが、何とか無事でいられたらしい。

グンナー「ほう……まだ立ち上がれるとは」

頭上から驚きと感心と呆れの入り交じった複雑な声が聞こえる。

グンナーだ。

結(そっか……私、押し潰されたんだった……)

結はようやく気絶する直前の事を思い出した。

そう、リコルヌシャルジュを相殺され、
真上からあの直径十メートルを超える巨体で岩盤に押しつけられたのだ。

自分が並の魔力しか持たない魔導師だったならば、
今頃は岩盤の上でミンチになっていたかもしれない。

膨大な魔力に合わせて、
他の十五器よりも高密度の魔導装甲を設計してくれていたアレックスのお陰だ。

気絶状態から素早く復帰する事が出来たのは、
自分を信じて循環魔力を全て自己治癒促進に振り分けてくれたエールのお陰だろう。

どちらか一方でも欠けていたらどうなっていたかと思うと、それだけでゾッとする。

結「……砲撃以外は、頑丈さとタフさが取り柄ですから」

結はようやく和らぎ始めた痛みと恐ろしい想像を押し退けるように、力強い声で応えた。

正直、魔導装甲でなければ命が危なかっただろう。

アレックス達技術部やエールにはいくら感謝しても足りない。

グンナー「この戦い、貴様に勝ち目などない……。

     立ち上がるよりも、大人しく倒れていた方がマシではないか?
     これから始まる新しい世界のために」

グンナーのその言葉に、結は身を強張らせる。

結「新しい世界なんて……始まらない!
  あなたは、生き残るのは数十人、数百人だって言いましたよね!?」

そして、堪えきれない怒りを込めて叫ぶ。

何十億と言う人類の、ほぼ全てと言っていい人々が爆ぜて死ぬ。

考えるだけでも恐ろしいソレが、あと四十分足らずで現実の物となってしまうのだ。

何としても防がなければならない。

グンナー「確かに言ったな……。
     だが、それが世界の……人類のためでもある!」

しかし、グンナーは何の迷いもなくその恐ろしい結果を肯定する。

結「じ、人類のため……?
  そんな恐ろしい事が、人のためになんてなるハズがない!」

結は愕然としながらも、自らの中にある確信を叫ぶ。

先程のグンナーの情報からすれば、身近な人々の多くは確実にその犠牲となる。

研究院の中でも親しい仲間達の何人かは無事でいられるかもしれないが、
日本にいる家族や友人は、あの戦艦の砲撃に耐えられるハズがない。

人の命を天秤にかける事は間違っているかもしれないが、
家族や友人達の命が失われる事など、想像もしたくない光景だ。

グンナー「恐ろしいか……そう、それだ」

そんな結の言葉に、グンナーは満足そうに呟き、さらに続ける。

グンナー「多くの命を失って人は気付くだろう……。
     命を奪われる恐怖、命を奪う事への禁忌を!

     そこにある絶対の恐怖には、
     思想も、宗教も、欲望すら立ち入る余地はない!」

魔導機人の中央、その覗き窓から見える水槽内が激しく泡立つ。

グンナー「人類を長く生かすため、恒久的な平和の実現のため……、
     一人の人間を長く生かすために百人の命を奪う……。

     矛盾はしていてもこれが世界のためだ!

     世界は! 人は!
     絶対の恐怖を……痛みを知らなければならない!」

恐怖と共に、怒りと嫌悪感が結の全身を駆け抜ける。

否定の意志は、すぐに言葉となった。

結「そんなのは……間違ってる!」

結は叫び、頭上のグンナーを睨め付け、さらに続ける。

結「百人とか、一人とか……そんな限られた人間しか救えない、
  そんな答えしかない世界が正しいハズがない!

  誰もが誰かを助け、支えられるような、
  優しい世界が正しいんだ!」

結は叫びながらも、
それが口にするのも憚れるほど青臭い理想論だと分かっていた。

だが、グンナーが為そうとしている世界の在り方を聞かされてまで黙ってはいられない。

グンナー「その世界を……優しい世界を創るための犠牲だと言っている!」

対するグンナーも、苦渋に満ちた声音で返す。

グンナー「人は過ちからしか何も学ぼうとしない……。
     ならば誰かが過ちを犯さなければならない」

それはかつて、若かりし日のグンナーが見た凄惨な光景……
六十二年前のあの夏の日に学んだ事だった。

人は過ちからしか学ばない。

だが、過ちから学ぶ事が出来る人間には可能性がある。

大きな過ちを誰かが犯せば、人はその恐怖を胸に刻むのだ。

それこそがグンナー・フォーゲルクロウの目指す抑止の力。

巨大な爪痕を刻む事で、人類全体への警鐘とする事……
即ち“使われてしまった抑止力の恐怖”を持って、
人を争いから遠ざけようと言うのが彼の考えだった。

苦渋と決意に満ちた声に、
結は息を飲み、目を見開いて、その思いを察する。

結(ああ……この人は……やっぱり……)

そして、自らも思う。

この人は、人類を滅亡寸前に追いやろうとしながらも、
世界を、人間を愛しているのだ。

決定的な歪みをその身に、心に抱え込んでしまいながらも、
それでも人を愛する事がやめられなかった。

かつて、四年前の自分がぶつかった壁だ。

誰かを助けたいと願いながら、咎人を憎悪せざるを得なかった自分。

グンナーは、そうやって道を違えたままの自分だったのだ。

だからこそ、否定しなければならない。

結は使命感にも似た思いで、口を開く。

結「違う……!
  こんな事をしなくても人は気付く……世界は変わって行ける!

  人間は……人間を愛せるんだから……。

  誰かを大切に思える気持ちを知っている人間が、
  誰かを愛せる人間が、優しい世界を創れないハズがない!」

結の真摯な言葉に、今度はグンナーが息を飲む。


――思想や宗教、利権……そんな軋轢を越えて、
  世界中の人間が手を取り合える日は、きっと来るよ ――

――兵器も、宗教も、元は人のために生まれた技術や思想なんだ……。
  その核心が人間にある限り……その核心を人間が忘れない限り、
  世界中の人間が手を取り合える日は来るよ――


彼女の言葉は全て、かつての自分の理想だった。

いつも友人達に語った、今思えば到底実現不可能な理想論。

それを結が知る由もない。

かつての親友達は……ミケランジェロも奏一郎も、
誰にこの事を語る事なく逝ったのだ。

そして、その言葉は、自分が世界の過ちを……
六十二年前の夏を体験する以前の言葉だった。

グンナー「貴様がまだ知らないだけだ!

     そんな尊い気持ちすら吹き飛ばしてしまうような、
     恐ろしさを、歪みを、人間は抱えているのだ!

     私はこの計画を持って、その恐ろしさと歪みを世界から払拭する!」

だからこそ誓った。

過ちからしか学べない人間のために、自分が大いなる過ちを犯すと。

これ以外に、人類が恒久的な和平を築く方法など無いのだ。

結「あなたは……あなたは諦めている!」

そんなグンナーの諦観を、結の言葉が貫く。

結「理想を口にしながら……自分の理想を捨てている!」

その言葉に、グンナーは息を飲む。

だが、この諦観に至るほどの絶望こそが、
グンナーが人間に見出した答えだったのだ。

自らの真の理想を捨ててでも、辿り着くべき到達点がある。

しかし、結にはそれが許せなかった。

結「……人間は、思いを受け継いで行けるんだ……。
  私が誰かに思いを繋げて、その誰かが他の誰かに思いを繋げる……。

  そうやって、人は思いを受け継いで行けるんだ!」

結は自分の歩んで来た理想の道を思いながら言葉を紡ぐ。

受け継いだのは、今は亡き師の理想。

誰かを守り、夢を叶える優しい魔法。

その思いを受け取ってくれた、今はまだ幼い後輩達。

結「思いを、夢を、理想を受け継ぎながら人間は進歩を続けて来た……。
  人間が進歩を止めない限り、優しい世界はいつか実現する!」

だからこそ諦めてはならない。

思いを受け継いだ者として。

思いを託した者として。

グンナー「そんな悠長な……来るかも分からない進歩を待つ余裕など……!

     悲劇は、今も、この時!
     世界の至る所で繰り広げられているのだぞ!?

     それをたった一度の悲劇で終わりに出来るのならば、これ以上の手はあるまい!」

だが、だからこそ、グンナーの言葉もまた真理だった。

争いに傷つき、暴力に蹂躙され、消えて行く数々の命。

その命を哀しむ人々。

これからも永遠に繰り返されて行く悲劇を、
ただの一度で終わりに出来るかもしれないのだ。

グンナー「生き残った全ての人間を救い、守るための機人魔導兵!
     そして、世界最強の戦力を実現したGH01Aだ!」

そして、それこそが計画の最終段階。

確かに、クリスが使ったような方法でもなければ、
完成したGH01Aと真っ当に戦える魔導師などいないだろう。

それは魔導師だけでなく、現代の兵器とて結果は変わらない。

与えられた最強の盾と矛で人類を守る守護者。

それこそがGH01Aに与えられた真の使命。

故に、彼に生まれるべき心は元より繊細で優しくあるべきだったのだ。

初めて聞かされた計画の全容に、結は愕然としながらも納得していた。

世界を救うために世界を滅ぼす人間の考えらしい、と。

それはある種の贖罪なのかもしれない。

世界を救うために、世界を滅ぼさざるを得ない選択をしてしまう事に対する贖罪だ。

だからこそ、そんな哀しい結末にならないように、彼を止めなければならない。

結「だったら世界が変わるその日まで、私は戦う!
  悲劇に泣く人を、私なりのやり方で助けてみせる!」

それは自らの夢であり、グンナーの絶望に対する答えだった。

かつて彼が為そうとした事を、結はやり遂げようとしていた。

グンナー「たった一人で……何が出来る!?」

結「私は……私達は一人じゃない!」

グンナーの問いに、結は仲間達の事を思い浮かべながら叫ぶ。

そう……かつてのグンナーと同じように、自分にも仲間達がいる。

人を守る夢を持って、その夢を叶えて来た仲間達がいるのだ。

グンナー「そう言う楽観的な思い込みが、間違いだと気付け!」

だがグンナーはそれを否定する。

仲間がいようとも、覆せない事は存在するのだ。

かつての自分がそうであったように。

結「楽観的なんかじゃない……」

結は哀しげな表情を浮かべて漏らす。

結「私に最初に魔法を教えてくれた先生は……、
  私に理想を教えてくれた先生は、
  人の歪みに……歪んだ一人の人間に殺された……」

結の魔導の師――エレナは、
歪んだ復讐者――ヨハンによって殺された。

それは事実なのだ。

グンナーが言ったように、
尊い気持ちを吹き飛ばすほどの恐ろしさと歪みを、確かに人は抱えているのだ。

自分にもその歪みがある事を、結も理解していた。

グンナー「………ならば、貴様も分かっているだろう!」

結「それでもっ!」

同意を求めるかのようなグンナーの言葉を、結は振り払う。

結「それでも私は……もっと多くの、優しい人達を知っているから……」

そう呟く結の脳裏で、多くの出逢いが思い起こされる。

家族、幼馴染み、相棒、親友、仲間、恩師、同僚、上司、後輩、恋人……。

結「その人達が大好きだから……」

母がこの名に込めてまで願ってくれた多くの出逢い、
それが今の自分を形作っている。

結「大好きだから……愛しているから!」

だからこそ、憚る事無くその言葉を紡ぐ。

この思いがあるから――

結「だから私は…………諦めない!」

――理想に向けて、突き進む事が出来る。

僅かばかりの沈黙が、二人の間に流れた。

グンナー「諦めない……か」

その沈黙を破って、グンナーは結の言葉を反芻する。

真の理想を手放し、結果だけを求める方法を選んだ自分には眩しい言葉だった。

グンナー「そう吠えて見せたのならば止めてみるがいい!
     この私を倒してな!」

グンナーは叫ぶ。

互いの信念をぶつけ合った以上、最早、問答無用だ。

譲れぬ理想があるのなら、そこに立ちはだかる者がいるのなら、
全力を以てこれを討ち倒さなければならない。

互いの理想と信念に、互いが立ち入る余地はもう無いのだから。

結「負けない……絶対に!」

結も気合を込めて応え、魔導装甲を再展開して飛び上がる。

とは言ったものの、最早手詰まりに近い。

最も自信のあった力業の真っ向勝負では、
より強い力を持ったグンナーと、その魔導機人・エアレーザーの巨体には敵うハズもない。

結(どうすれば……)

敵の出方を窺いながら、結は思案する。

リコルヌシャルジュは確かに効果があり、魔導機人の破壊も可能だったが、
あの再生力を前には一撃で完璧に仕留めるしか方法はない。

だが、グンナーはあの巨体でありながらかなり俊敏に動く。

まともに急所への一撃を見舞える可能性は限りなく低い。

本命はユニヴェール・リュミエールだが、これも無茶な話だ。

術式の準備は無理矢理にでも出来るが、弾速の遅い術式弾を当てるのは難しい。

アレは本来、魔導巨神や超弩級魔導機人のような鈍重な相手との戦い向きなのだ。

となれば、やはり先程失敗してしまった高機動での撹乱戦法しかない。

残り時間はあと三十分強。

そろそろ作戦を切り上げ、雲の突破を試みるべく上に戻る時間だ。

短時間でグンナーを倒すにはどうすればいい?

エール<結……一つ、アイデアがあるけど?>

結<何?>

相棒からの提案に、結はそちらに意識を傾ける。

エール<例のマギアリヒトを見ていて気付いたんだ。
    ……凄く単純な方法だよ>

結<マギアリヒト……?>

結は言われて、自身の周囲に浮かぶ魔力の光源体を見遣った。

淡い薄桃色の輝きを放つ光源が、自身の周囲を漂う。

結<あれ……色が……?>

エール<そう言う事……多分、これなら>

エールの言葉を聞きながら、結は顔を綻ばせた。

結「さすがエール! 私の相棒!」

エール『褒めても何も出ないよ』

結の素直な賞賛に、エールはどこか照れ臭そうな声を漏らす。

それと同時に、結はリコルヌブースターから大量の魔力を放出した。

余剰魔力と言うレベルではない魔力が噴き出し、巨大な光の翼となる。

結「飛んで……エールッ!」

エール『了解……結っ!』

結は長杖を構え直し、愛器の翼で飛び上がった。

しかし、そのままグンナーに向かうでもなく、その周辺を飛び始める。

グンナー「何を……血迷ったか?」

結の行動に、グンナーは怪訝そうな声を漏らす。

攻撃するでもなく、ただただ大量の魔力を放出して高速で飛び続ける結は、
次第にグンナーから離れて広大な地下空洞の外周を飛び始めた。

グンナー「おのれっ!」

グンナーは有線の突起を伸ばし、そこから無数の魔力弾を礫のように放つ。

魔力弾の弾幕だ。

しかも、一発一発がかなり大きい。

エール『結、一発残らず相殺して!』

結「それなら……こうだねっ!」

愛器の指示に応え、結は翼を広げたままきりもみ回転した。

回転に合わせて大きく広げられた翼が翻り、グンナーの魔力弾を一気に相殺する。

エルアルミュール以上の魔力を……自身の全力を込めた翼だ。

単なる魔力弾程度でどうなる物ではない。

結「グランリュヌ、プティエトワール、あなた達も行って!」

結は自身の周囲を周回する補助魔導ギア達に指示を出す。

十六器の補助魔導ギア達は主の元を離れ、地下空洞を縦横無尽に舞う。

しかし、それはグンナーの行動を撹乱するような動きではなかった。

グンナー「一体、何をしようと……」

グンナーには結の行動は理解できない。

当たり前だ。

戦わなければいけないと言う状況下で、彼女の行動はあまりにも意味不明過ぎる。

そして、僅か数分後。

広大な地下空洞を飛び回っていた結の動きが不意に止まった。

これはグンナーにとっても好機だ。

グンナー「無駄と悟って観念したか!」

その一点に向けて、集束魔力砲を放つ。

結「この一撃……耐えきれば私の勝ち!」

対する結は確信を込めた声と共に、
既にチャージしていた虹の輝きを長杖から解き放った。

虹の輝きと濃紫色の魔力の奔流がぶつかり合い、相殺される。

発射直後の硬直。

砲撃魔法を多用する魔導師の最大の弱点。

それを回避するためのリコルヌブースターだったが、
結はそこに回されるべき魔力すら砲撃に注ぎ込んだ。

でなければ、最強のアルク・アン・シエルと言えども、
グンナーの集束魔力砲撃を相殺できなかっただろう。

その事はグンナーからも一瞬で見て取れていた。

砲撃魔法の弱点克服など、エアレーザーも対策済みだ。

巨体故に小回りこそ効かず反動も大きいが、
砲撃の反動に影響される事なく戦闘機動に移れる。

グンナー「マギアパンツァー………シュトゥルムアングリフッ!!」

これが勝利の一手。

その確信と共にグンナーは魔力障壁の装甲を展開し、結に向けて突撃した。

だが、すぐに異変に気付く。

グンナー(ま、魔力が回復しない!?)

魔力など、それまで魔法を放った傍から回復していたハズだと言うのに、
その魔力が回復しない。

その事態にグンナーは驚愕する。

だが、これこそが勝利の一手なのだ。

今はこの最後の一撃に全てを注がなければならない。

あと一度押し潰してしまえば、流石に結も立ち上がる事は出来ないだろう。

先程は耐えられもしたが、二度とも手応えはあった。

二度は耐えきったが、三度目はあの華奢な身体は耐えきれずに悲鳴を上げる。

そんな確信があるのだ。

そして、それは事実だった。

一度目は耐えきったが、二度目は治癒促進による痛覚軽減を行っている。

三度目の直撃を受ければ、結に後はない。

だからこそ――

結「リュミエール………ッ!」

結は右腕を突き出し、そこに虹の輝きを集束する。

虹の輝きが集束した右腕は、
魔導装甲を展開して無数のブースターを展開し、主の腕から放たれた。

結「コルゥゥヌゥッ!!」

――最後の最後の隠し球を放つ。

グンナー「ら、ラケーテンファウストだとっ!?」

グンナーは驚愕で目を見開く。

ラケーテンファウスト――噴射拳――即ち、ロケットパンチ。

身体から切り離して放つ、超小型のリュミエール・リコルヌシャルジュ。

それこそが、このロケットパンチ――リュミエールコルヌの正体だ。

幼い頃に失われ、義手となった右腕。

魔力によって操作されるソレを、結は武器とする事を提案した。

最初は開発者であるアレックスにも難色を示された。

それもそうだろう。

いくら何でも冗談が過ぎる。

悪ふざけの類だ。

だが、どうせ義手部分は魔導装甲で包まれてしまうのだから、
義手など切り離してもどうとでも出来る。

これは自分の全てが通じなかった時のために残す、唯一の隠し球だ。

そう言ってアレックスを納得させたが、
さすがに義手を簡単に切り離せるようにしてくれと頼んだ時は、
担当医の笹森に滅法怒鳴られ、数時間の説教を受ける事になった事は、今は語るまい。

ともあれ、グンナーの出足を挫く事が出来たのは確かだった。

“輝く角”と名付けられたロケットパンチは、
集束された魔力の装甲に僅かな綻びを生んで砕け散る。

魔導装甲は相殺されて消え去り、
残された切り離し式の義手は巨躯に阻まれて弾かれ、岩盤に叩き付けられて砕けた。

ダメージは通っていない。

だが、今回はそれで構わないのだ。

結「リュミエール…………リコルヌシャルジュゥゥッ!!」

角の作った綻びに、本命の一角獣の突撃を叩き込むのだから。

自身を光の翼で覆って砲弾と化した結は、グランリュヌの砲撃で加速する。

左腕でエッジの大型化した長杖を保持し、
リュミエールコルヌが作った障壁の綻びが消える寸前、
虹の輝きを纏ったその切っ先を突き立てた。

グンナー「ば、バカな!?
     障壁の回復が遅い……まだ出力が上がらんだと!?」

結からの真っ向勝負を受けながら、グンナーは愕然として叫ぶ。

先程から無限であるハズの魔力が回復しない。

使えば使うほど魔力残量が低下して行く。

対して、結の魔力にはまだ底がない。

使用した分だけ回復し、集束された魔力障壁すらあっさりと貫通した。

結「これで……最後っ!」

その言葉と共に、結は魔導機人・エアレーザーを真っ二つに斬り裂く。

変形は全て把握していた。

見たのは一度きりだが、瞬間的に終わっただけあって簡素な変形だったハズだ。

どの位置をどう斬れば、
その奥にいるグンナー本人を傷つける事なく済ませられるかは分かっていた。

長杖の纏う虹の輝きによってエアレーザーは霧散して消え、
コアストーンと思しき結晶も砕ける。

召喚型の魔導機人ではないエアレーザーは、
一度完全に破壊してしまえば二度と起動は出来ない。

魔導機人と言う外殻を失ったグンナーは、
機械の身体ごと数十メートル下の岩盤に叩き付けられた。

その衝撃で頭部の水槽が割れ、内部に充填されていた液体が辺りに飛び散る。

結「グンナーさん!?」

結は慌てた様子でその場へと飛ぶ。

見捨てるつもりはなかったが、結もエアレーザーを破壊するだけで精一杯だった。

グンナー「何故……だ……!?
     何故、魔力の無限供給を再現したハズの、
     エアレーザーの……私の魔力が、消えたのだ……!?」

グンナーは全身をガクガクと震わせながら、その身を起こす。

割れた水槽に立体映像を投影する力はなく、そこにはグンナーの素顔があった。

嗄れた老人を想像していた結は、その姿に思わず息を飲んだ。

結「そ、その顔は……」

結はワナワナと唇を震わせた。

一言で言えば、怪物だった。

皮を剥いだ剥き出し肉に、無数の機械を埋め込んだ異形の貌。

齢七十九と言う老齢で、
これほどまでの戦闘能力を発揮したグンナーの真実の姿だったのだ。

機械の外殻との親和性を得るため、
ダミーに着せるために剥いだ自らの皮の代わりに、
その全身に無数の電極やチューブを繋いだ姿。

立体映像がまだ若かりし頃の姿だったのは、皮を剥いだのがその年齢だったからだ。

グンナー自身、自らの姿のおぞましさは分かっているのだろう。

結の反応はそのまま受け入れる。

だが、やはり受け入れがたい事は他にあった。

グンナー「貴様……私の魔力が尽きる事が分かっていたな……?」

グンナーは息も絶え絶えと言った風に尋ねる。

エール『結の魔力特性を再現したと言うなら、
    あなたの魔力は元から無限なんかじゃない……』

それに応えたのは、勝利の一手を決めた作戦を考えたエールだった。

エールはさらに続ける。

エール『結の魔力供給は、自身、
    或いは自身の魔力と接する魔力近似エネルギーの接収……。
    他人の魔力までは奪えない。

    だから、この地下空洞全域を結の魔力で満たしたんだ』

それこそが、結の取った不可解な行動の正体だった。

飛翔には不必要なほどの魔力を放出し続け、
僅かな威力の魔力弾すら全力で相殺する。

それによってこの広大な空間は全て結の魔力で満たされた。

結の魔力特性の支配下に入ったと言い換えても良いだろう。

その証拠に、戦闘開始直前まで白い輝きを放っていたマギアリヒトのほぼ全てが、
結の魔力波長である淡い桃色に染まっていた。

マギアリヒトはどんな魔力でも吸収しているようだったが、
それはあくまで外部からの魔力供給に過ぎない。

そして、魔力供給の道を立たれたグンナーとエアレーザーは、
一気にその魔力を失った。

エールの作戦は、結にとっての最大の弱点を活かした戦法だったのである。

いついかなる時も主の事を第一義とし、
主の生還と、主が美しく飛ぶ事を願った翼であるが故の、
十一年に及んで“無限の魔力”と向き合ったエールの経験が結を勝利に導いたのだ。

グンナー「くくく……そ、そうか……弱点か……。

     この魔力特性こそ最強と信じて研究したが、
     このような弱点があったとは……」

グンナーは絶え絶えながらも、自嘲気味に笑った。

そこでようやく、結も気を取り直す。

結「……グンナー・フォーゲルクロウ、あなたを逮捕します」

グンナーを捉えるべく、捕縛魔法を起動しようとする。

だが――

グンナー「逮捕など無駄だ……。
     私の命は、もう数分で尽きる……」

グンナーの絶え絶えの声が、それを遮った。

結「す、数分……!?」

その言葉に愕然としながら、結は力なく肩を落とす。

やはり、自分が彼を叩き付けられるのを救えなかったのが理由だろうか?

グンナー「……勘違いをしてはいけない……。
     いや、生命維持装置も停止を始めたが、
     元より、私の身体は長くはなかったのだ……」

グンナーは朗々と語り出し、さらに続ける。

グンナー「……ミケロと袂を別ってすぐ、私は病を発症した……。
     原因不明の不治の病……。

     だが、病床に伏せっていられる余裕は無かった……」

おそらくは、この計画を実行に移すためだろうと、結は直感的に感じた。

グンナー「身体を機械化して……生き存え……、
     死の間際にして、ようやく、計画実行の目処が……立った……」

息も絶え絶えに、ただ感慨深く語るグンナー。

ただ一度の悲劇で世界を変える。

いち早い結果を求めた性急さは、死に瀕した故の焦りだったのだ。

ただ、世界の変革の瞬間に立ち会いたかった。

自分が理想した世界に、ほんの一秒でもその身を置きたかった。

ただ、それだけだったのだ。

親友達と袂を別ち、氷河の地下に潜み、病魔に冒されながらも、
世界の平和を願って孤独な研究を続けた男の、
生涯をかけた悲痛で、歪み切った願い。

グンナー「だが……計画は成就する……」

結「っ!?」

その言葉に、結は息を飲む。

結「どう言う事ですか!?」

グンナー「………時限装置だよ……。
     この施設を破壊されても、確実に動作するように……、
     あの船の時限装置を起動させてある……」

結の質問に、グンナーはどこか勝ち誇ったように呟く。

たとえ敗北しても、突破不可能な雲に遮られ、
守られた船が確実に世界を滅ぼす。

電波ジャックで世界全ての目を自分たちに釘付けにし、
敢えて潜伏場所が分かるようなヒントも与えた。

真犯人を止めれば、世界の崩壊は免れるかもしれないと言う、
一縷の望みにかけよう足掻く者が必ずいる。

全ては、自分自身を囮にした計画だったのだ。

そして、その目論見は成功した。

結「エール、残り時間は!?」

エール『残り二十九分!』

既に外では、施設攻略を断念し、
雲に対する攻撃が始まっているかもしれない時間だ。

こうしてはいられない。

結は慌てて踵を返す。

グンナー「行く、か……」

結「………すいません……。
  あなたはここに、置き去りにします……」

どこか遠くに投げかけられたようなグンナーの言葉に、結は申し訳なさそうに呟いた。

彼は度し難い犯罪者だ。

だが、どれだけ歪んだ、どれだけ間違った方法でも、
誰よりも世界の平和を願い、誰よりも人を愛した人物だった。

平和に対する渇望と、その行動力、
そして、かつての彼が為した事は、結にとっては敬意に値する。

それは、事実だ。

結「だから………せめて貴方の理想だけでも、私が引き継ぎます」

結は決意に満ちた声で、振り返らずに言った。

そして、さらに続ける。

結「ここには……あなたの理想が……、
  あなたが理想を託して生み出した人の………、
  お母さんの願いが、生きているから」

そう言って、自らの胸にそっと手を当てた。

どんな形であろうとも、母を生んだのは彼なのだ。

やっと理解できた。

どれだけ辛い仕打ちを受けても、
グンナーの事を“お祖父様”と呼び続けた親友の思いが……。

結「だから……行って来ます………おじいちゃん……」

その声は、僅かに震えていた。

そして、結は飛び立つ。

そこで、上体を起こしていたグンナーは、再び倒れた。

グンナー「おじいちゃん……か……」

グンナーは、結のその言葉を反芻する。

その立場を偽って従わせた奏とカナデ以外から、そう呼ばれるとは思いもしなかった。

だが、死の際で、それも悪くないと思えた………。

グンナー「ミケロ………ソーイチ………」

亡き旧き友の名を呟く。

愛する女性を伴侶とし、その血を、その意志を、後進へと託して逝った親友達。

自分には、そんな物は与えられないと思っていた。

理想を歪め、人との関わりを断った自分には……。

だが、そうではなかった。

グンナー「………僕にも……孫が、出来たよ……。
     僕の理想を継いでくれた……強くて、優しい子だ……」

かつて、そう語りかけたような言葉で、感慨深く呟く。

幻影の中で、親友達が笑ったような気がした。


2007年12月6日、二十三時三十三分。

世界最大の魔導テロリストとして恐れられた男は、
その七十九年の苛烈な生涯に、静かに幕を落としたのだった。



祖父と認めた男と今生の別れを済ませ、涙を拭って地下空洞を抜けて縦穴に入った結は、
リコルヌシャルジュで施設の壁を貫いていた。

この施設で戦艦の止めようがないならば、施設の保全など考えている余裕などない。

ただ、仲間に誤爆する事だけがないように祈る。

結<エール! 時間と距離!>

エール<残り二十六分、最初の地下空洞まで残り百メートル!>

焦ったような質問に愛器が応えた時、
結はタワーの外壁を破って地下空洞へと飛び出した。

位置はドンピシャリ、最初に突入して来た地点だ。

そして、既に仲間達の姿はそこにない。

結「あれ、ロロが作ったのかな!?」

出入り口とその真下を上下に繋ぐ幾本もの大樹を後目に、
結は地表とを繋ぐダクトに突入する。

出口はすぐそこだった。

雲に閉ざされ、星明かりも月明かりもない真っ暗な氷河上空へと飛び出す。

辺りを見渡すと、最早機人魔導兵の姿はどこにもなかった。

施設を管理していたナハトが倒れ、機人魔導兵の召喚が途切れたためだ。

そして、砲撃魔法を得意とする仲間達が雲への一斉攻撃を始めており、
飛行魔法を使える他の仲間達も次々と空へと飛び上がっている。

結「私も……!」

結もその戦列に加わろうと長杖を構える。

その直後――

エージェント「エージェント・譲羽、帰還確認しました!」

突入口だったダクトの入口付近にいたエージェントの一人が大声で叫んだ。

アレックス「結君、こっちへ!」

それに応えて、そこからやや離れた位置にいたアレックスが名を呼ぶ。

結「アレックス君!?」

結は驚きながらも、恋人の元へと駆け寄る。

と、その周囲を大量の医療エージェントが取り囲む。

貴祢「予備の義手、急げ!」

その中には、自分の担当医でもある笹森貴祢の姿もあった。

結「え、エージェント・笹森!?」

貴祢「まったく、だから最初に言っただろう!?
   ロケットパンチとか何十年前のアニメだっての!?
   これ一本、君の給料半年分と同じなんだぞ!?」

驚く結を後目に、男っぽい口調の年齢不詳な麗人が、
怒鳴り散らしながら新しい義手の接続作業を始める。

そして、他の医療エージェント達も結に治癒促進魔法をかけ始めた。

大量の魔力のお陰で誤魔化せていた痛みが、一気に引いて行く。

やはり素人の治癒促進よりも、プロの治癒促進だ。

アレックス「結君、状況は把握できていますか?」

結「え? えっと……よく分かんない?」

魔導装甲のコンソールを展開し始めたアレックスの質問に、
結は苦笑い混じりの疑問系で応えた。

アレックス「例の砲撃戦艦の機能に関するリークがありました。
      時限装置でタイムリミットと同時に起動するそうです」

結「あ、それはグンナーさんから聞いたよ……」

アレックスの説明に驚きながらも、結は頷く。

まさか敵からの情報リークがあったとは驚きだ。

情報提供者は誰だろうか?

結「他のみんなは?」

アレックス「突入メンバーで戻ってないのは後は奏君だけですが、
      既に通信がありました。

      カナデ・フォーゲルクロウと共に、こちらに向かっています」

結の質問に応えながら、アレックスは作業を続ける。

カナデと共に、と言う事は、奏はカナデの説得に成功したのだ。

結は胸を撫で下ろす。

結「情報のリーク元って、カナデさん?」

アレックス「クリスです。
      彼女が連れて来た機人魔導兵の少年が情報を提供してくれました」

結「クリスが!?
  クリスも幹部と戦ったの?」

最終的に完全な個人行動で情報交換のしようが無かったとは言え、
次々に明かされる作戦中に起きた事実に結は驚きを隠せなかった。

アレックス「結君も、グンナーと戦ったんですか?
      その、グンナーは……?」

結「………亡くなったよ……。
  亡骸は、この施設の一番下」

アレックスの質問に、結は僅かな逡巡の後に答える。

アレックス「………そうですか」

アレックスも結の言葉に何かを感じ取ったのか、
世界を恐怖のどん底に叩き落とした犯罪者の死を、手放しでは喜ばなかった。

亡くなった、と結が言ったからには、
彼女自身が止めを差したワケでない事も分かったからだろう。

貴祢「よし、こっちは作業終了! 目は大丈夫だろうな?」

貴祢はそう言って、義眼となっている結の左目を覗き込んだ。

貴祢「ビームは仕込んでないから、さすがに無事か……全く……」

結「ビーム……? 目から魔力砲撃?」

愚痴めいた貴祢の言葉に、結は思わず考え込む。

うん、隠し球としては有りかもしれない。
目玉だけに。

貴祢「前言撤回だ! すぐに忘れろ!

   エージェント・フィッツジェラルド!
   君も女の我が儘に付き合うなよ!」

アレックス「さすがに僕もロケットパンチで懲り懲りです……」

怒鳴りながら去って行く貴祢に、アレックスは苦笑い混じりに肩を竦めた。

これ以上、恋人を改造人間だかスーパーロボットだかにする気は毛頭無い。

貴祢に続いて、治癒促進魔法をかけていた医療エージェント達も、
他の要救護者を目指して散って行く。

回復に要した時間、ジャスト一分。

まるでF1のピットクルーのような鮮やかな手際であった。

アレックス「よし、こちらも作業終了……!
      結君、以前に話のあったアレ、確かに完成させましたよ!」

結「アレ? アレって………まさか第八世代型!?」

アレックスの言葉に驚きながら、結は我が身を見下ろす。

魔導装甲に変化はない。

だが、既にエールは第八世代へと生まれ変わっているのだ。

アレックスの行っていた対策とは、コレだったのである。

付け加えるならば、アレックス達がたった四人で施設内の突入に成功したのも、
実戦テストを兼ねて完成したばかりの第八世代型をヴェステージにテストさせたからだ。

アレックス「第八世代と呼ぶにはまだほど遠い試作品ですけどね……。

      ともあれ、実働テストを兼ねて僕も今回の戦闘で使いましたが、
      まだ調整の足りないじゃじゃ馬です。

      エール、君が上手く調整してくれ」

エール『了解、アレックス』

アレックスの頼みに、エールはどこか誇らしげに応えた。

やはりアレックスとの扱いの差に思う所あるのだろう。

結「こんな時まで張り合わないでよ……」

結は相棒の様子に肩を落とす。

これも一種のモテ期の類なのだろうか?

??「結、次こっち!」

結が名前を呼ばれて振り返ると、そこにはフラン達四人がいた。

名前を呼んだのはメイだろうか?

結「みんな!」

結はアレックスと共に仲間達に駆け寄る。

ロロ「よし、じゃあ行くよ!
   ジャルダン・デュ・パラディッ!!」

ロロが叫ぶと、彼女の腕から伸びたワイヤーを伝って、
魔力がどこかへと流れて行く。

その先にあるのは結が出て来た例のダクトだ。

そう、ロロのダイレクトリンク魔導針とワイヤーは攻撃用ではなく、
コンクリートや金属に覆われた地点でも、それらを貫いて地下の土壌に魔力を届け、
植物操作魔法を扱うための道具だったのだ。

ロロの遠隔魔力供給を受け、
緑化された地点からダクトを突き破って大量の樹木がその姿を現す。

姿を現した樹木達は、一気に数百メートルの高さにまで成長した。

ザック「オラァッ!」

その中で一際大きな大樹を、ザックが渾身のパンチで叩き折る。

フラン「よし……射角調整、っと」

フランは倒れた樹木を魔力で掴み、
ライフルのスコープを覗き込みながら倒れた樹木の角度を調整する。

フラン「よし、ここ! ロロ、ザック、固定して!」

角度を決め、ロロとザックに指示を出す。

ロロは別の樹木で倒れた大樹を支え、ザックが魔力でコーティングした。

倒れた大樹の先端は、仲間達が砲撃を続ける一点に向けられている。

メイ「発射台完成、っと!」

結「は、発射台!?」

満足げなメイの言葉に、結は素っ頓狂な声を上げた。

フラン「メイが貴女を引っ張ってぶん投げるための発射台よ……。

    最初はさすがにどうかと思ったけど、
    初速を付ければリコルヌシャルジュの魔力の殆どを、
    アルク・アン・シエルに集中出来るでしょ?」

メイ「アタシ発案! さぁ、時間が無いから手早く褒めて!」

やや呆れの混じったフランの解説に続いて、メイが胸を張った。

ロロ「こんな突飛な発想、さすがメイだね」

ザック「我が妹分ながらアホだとは思ってたが、
    ここまで突き抜けりゃ逆に立派だぜ」

メイ「あんま褒められてない!?」

ロロとザックの言葉に、メイは愕然と叫んだ。

フラン「コントはそこまで!
    タイムリミットまで残り二十二分しかないのよ!」

フランは仲間達を一喝し、結に向き直る。

フラン「今、みんなの砲撃魔法で雲を覆ってる障壁にダメージを与えているけど、
    どこまで効果が望めるか分からないわ。

    でも、雲を突破可能な魔力量を持っているのは実質あなただけ……」

フランの言葉に、結はゴクリと唾を飲み込む。

続くフランの言葉は、もう分かっている。

フラン「任せたわよ?」

結「…………任されたよ!」

だからこそ、力強く応えた。

そうだ、自分は既にグンナーに誓ってここに来た。

彼の真の理想を、自分が引き継ぐと。

その理想を阻む彼の歪んだ行いを打ち砕く事こそが、
自分が理想を継ぐための第一歩だ。

メイ「よし……じゃあ、行くよ!」

メイはそう言うと突風を起動し、
チャイナドレスのような道着のような魔導防護服を纏う。

さすがに魔導装甲を起動できるだけの魔力は回復していないのだろう。

そして、魔導装甲を身に纏った結の手を握る。

結「お願い、メイ!」

結は長杖に魔力をチャージしながらも、友人に最初の一手を託した。

ザック「頼むぜ、結!」

ロロ「結……頑張って!」

結「うん……頼まれたし、頑張る!」

ザックとロロからも、思いを託される。

アレックス「結君!」

再びアレックスに名を呼ばれ、結は振り返る。

アレックス「無事を、祈ります」

結「うん……」

静かな声に、静かに応えて頷く。

結「アレックス君………」

アレックス「はい?」

名を呼び返され、アレックスは怪訝そうに応える。

結「大好き………………愛してるっ!」

結は満面の笑みで言った。

それを言葉にするのに、もう照れなどない。

母の願ってくれた出逢い、自分を支えてくれる全ての思い、
それが自分の思いと力を形作っているのだから。

アレックス「ゆ、ゆゆ、ゆ、結君!?」

動揺するアレックスに応えるかのように、
親しい仲間を含め、近くにいた多くエージェント達が歓声を上げる。

祝福七割、羨望二割、妙な悲鳴一割と言った所だろう。

結「行って来ます!」

メイ「よっしゃぁっ!」

歓声の中、結の号令を受けてメイが走り出す。

ザックの硬化魔力でコーティングした大樹を踏み抜きかねない程の健脚で、
メイは一気に発射台を駆け上がる。

メイ「ったく、人のマジ初恋の相手と目の前で惚気やがって……コンチクショー!」

結「え!? な、何!?」

メイの告白の叫びは風切り音に掻き消され、結の耳には届かなかった。

メイ「何でもないわよ!

   だから、アタシがいい男を見付けるためにも………!
   行って来い、結ぃぃぃぃっ!!」

そして、渾身の力に僅かな嫉妬を上乗せし、メイは結を大空へと投擲する。

研究院最速の脚による超加速を得て、結は普段以上の速度で雲に向けて飛んだ。

エール<残り二十分!>

その瞬間、相棒が叫ぶ。

リコルヌブースターを展開し、長杖を突き出して、
雲とその前に張り巡らされた障壁への激突に備える。

メイも投擲の瞬間に魔力で自分を加速してくれたのだろう。

僅か二分足らずで障壁の眼前へと迫った。

アルク・アン・シエルでやっと突破できた障壁だ。

どれだけの衝撃に襲われるか分かった物ではない。

しかし、雲を突破するにはリュミエール・リコルヌシャルジュに頼る他ない。

結は覚悟の表情を浮かべる。

その時だった!

?「行くよ……結!」

背中から声が響き、青銀の閃光が駆けた。

黒い魔導装甲に身を包んだ、見慣れた背中。

いつも自分の目の前を行き、道を切り開いてくれた親友の背中だ。

結「奏ちゃん!」

結は喜色に満ちた声で、その名を叫ぶ。

そう、奏だ。

つい先程地上へと合流し、
ボロボロの身体を押して結を追って上空に上がったのである。

奏は集束した雷電魔力刃を振りかぶり、結より先に障壁へと切り込む。

奏「ドラコーングラザー………ッ!!」

そう、この刃はかつて、結の前に立ちはだかる全てを、
彼女を危険に晒す全てを切り裂く事を願って生まれたのだ。

奏「マークシムムックルィィイィィクウゥッ!!」

なればこそ、今がその刃を振るう時。

その決意が込められた一太刀が、結の眼前に迫った障壁を切り裂く。

奏「結……行って!」

奏は落下しながら、結を見送る。

既に魔力はほぼゼロ。

これが最後の一太刀だ。

結「奏ちゃん! ………行って来るよっ!」

落ちて行く親友の声に押され、結は振り返らずに頷く。

だが、援護は奏だけではなかった。

???「グリッツェンヴァルツァー………!」

???「クライノート・マクスィール………!」

左右後方から聞き慣れた声が響く。

結「リーネ、クリス!」

結は視界の隅で捉えた彼女達の名を叫ぶ。

ようやく回復したリーネとクリスもまた、上空へと上がっていたのだ。

飛べないクリスは、グリューンゲヴィッターを装着したシュネーが支えている。

リーネ「ヒュッケバイィィンッ!!」

クリス「ゲシュテーバアァァッ!!」

藍色とエメラルドグリーンの輝きが、雲の表面を一気に散らす。

リーネ「結姉ちゃん!」

クリス「結お姉ちゃん!」

落下する奏を助けた二人の声が、結の背中を押す。

そうだ。

私達は一人じゃない。

自分で言った言葉だ。

仲間達の思いが、力が、言葉が、全て、自分を支えてくれている。

その背中を、押してくれている。

結「リュミエール………ッ!」

そうやって繋いで来た思いを――

結「リコルヌッシャルゥジュウゥゥゥッ!!」

――虹の輝きと共に背負って飛ぶ!

メイ達のくれた全開の加速を乗せ、奏達が切り開いてくれた道を、
全力の砲撃で駆け抜ける。

エール<グランリュヌ、プロペラントタンクモードに移行……。
    総残量九十八%!>

雲の内部に突入した結は、一気にその魔力影響下に入る。

想像以上の魔力の乱流が、雲の中には吹き荒れていた。

魔力乱流は結の身体を揉みくちゃにしながらも、
まるで意志を持った生命のように絡みつき、結の前進を阻もうとする。

数日前にアルク・アン・シエルによる雲の消滅を試みたが、
吹き飛ばせたのは一部だけに過ぎない。

雨雲と同じ高度に存在する魔力雲は、
上空二千メートルから三千メートルを埋め尽くしていると予想されている。

クリスとリーネが吹き飛ばしてくれた雲も表面の微々たる物だ。

結(これを……あと一キロ!?)

魔力乱流に煽られながら、結はその事実に戦慄する。

エール<総残量、八十二……七十五……六十%を切った!?>

エールが愕然と叫ぶ。

魔力の消耗も想像以上に早い。

だが、こんな所で負けるワケにはいかないのだ。

結「ま、け、る……もん、かぁぁぁっ!!」

結は裂帛の気合と共にさらに加速する。

まだメイのつけてくれた初速は生きていた。

この初速が生きている内に、一気に突破するしか道はない。

エール<十一……七……四……二……>

急速に消費されて行く魔力は、最早底をつく寸前だ。

結「うわあぁぁぁぁぁぁっ!!」

結は絶叫じみた砲声を上げる。

直後――

エール<ゼロ……!?>

その声と共に、結は雲の真上に突き抜けた。

間一髪だった。

確かに、クリス達が吹き飛ばしてくれた雲は微々たる物だったが、
それがなければ紙一重で突破に失敗していたかもしれない。

結は安堵しながらも、呼吸するように魔力を吸収する。

一気にフルチャージだ。

しかし、雲の突破など前座に過ぎない。

結「次っ!」

結は目的の砲撃戦艦を見付けるために辺りを見渡す。

雲を突破した位置は例の戦艦と大凡で同じだろうが、
いつまでも同じ位置に止まっているとは限らない。

その予想通り、見渡した範囲内には艦影は無かった。

結「一体、何処に!?」

結は焦って右往左往する。

残り時間は八分強――五〇〇秒を切っているのだ。

エール『結、雲が一定方向に向けてもの凄い勢いで流れてる!』

結「え……?」

愛器の言葉に、結は足下の雲を見遣った。

確かに、凄まじいスピードで雲が一定方向に動いている。

しかも、見渡す限り全てだ。

おそらく、この流れが魔力乱流を作り出していた正体だろう。

結「これだ!」

結は直感的に、その流れの先に向けて飛ぶ。

全リコルヌブースターの出力を最大限に高め、流れの先を目指す。

すると、広域センサーが魔力を捉える。

視界の先に捉える巨大な艦影。

エール『あの船だ!』

結「見付けたっ!」

エールと結はほぼ同時に叫んだ。

戦艦が雲を、いや、魔力を吸収していた。

そう、魔力の雲は通信障害を起こすジャミング装置であり、戦艦を守る防壁であり、
それと同時に戦艦に魔力を供給するエネルギー源でもあったのだ。

地球全土を覆う魔力の雲を糧に、地球全土を覆い尽くす魔力砲撃を行う。

その魔力総量、Sランク千人分を数十度。

執拗に、何発も、地球の隅々までを打ち貫くのだ。

その第一射目が始まろうとしている。

結「エール! 第八世代モードに移行!」

エール『了解ッ!』

結の指示にエールが応え、一瞬、魔導装甲が消え去る。

直後、結の全身を新たな魔導防護服が覆う。

以前……第六世代時に使っていた物の細部を変更したデザインだった。

しかし、それだけでは変化は終わらない。

魔導防護服を纏った結の全身を覆い隠すように、巨大な魔導機人が召喚された。

白き一角獣の騎士。

以前より大型化した、魔導機人・エールだ。

結「これが……第八世代魔導ギア……魔導機人装甲!?」

結は感嘆の声を漏らす。

魔導装甲のサバイバビリティをさらに高め、
大型魔導機人との格闘戦による制圧を視野に入れた超高密度魔導装甲だ。

以前、アレックスが魔導装甲のバリエーションとして開発を進めているような話をしていたが、
その第一号器が完成していたのである。

しかも、嬉しい事にその記念すべき第一号器は自分専用だ。

結「アレックス君………。
  エール、かっこ悪い所は見せられないよ!」

エール「ああ……僕は……僕が、君の翼だ!」

万感の思いを込めて叫ぶ結の声に応えるかのように、
エールは翼を広げて砲撃戦艦へと飛翔する。

結「グランリュヌ……全器展開!」

飛翔をエールに任せ、結は背面から無数のグランリュヌを射出した。

無制限の魔力供給の可能な結と、最新型のギアだからこその離れ業だ。

エール「このグランリュヌは急拵えで使えるのは一回限り……。
    二度目は撃てないよ!」

結「了解……一発で終わりにして見せる!」

愛器の忠告を聞きながら、結は砲撃戦艦を睨め付けた。

既に雲の吸収は終わり、発射準備は終わっている。

その時点で、残り十五秒。

そして、戦艦の全周囲をグランリュヌが覆う。

エール「残り九秒!」

結「間に合ってっ!」

結もエールと共に砲撃体勢に入る。

胸部の装甲が展開し、ダイレクトリンク魔導砲が起動する。

結本人が既に内部に乗り込んでいるため、接続などと言う面倒な手間はない。

そして、ダイレクトリンク魔導砲の展開に呼応して、
グランリュヌが一斉に事前セットしていた多重術式を魔力弾として射出した。

拡散、増殖、増幅二、反射二の六重多重術式弾と、集束と固定の二重術式弾だ。

一瞬で砲撃戦艦を術式が覆い尽くす。

しかし、砲撃戦艦の艦首砲口も眩い輝きを放ち始めている。

発射の時が来たのだ。

結「アルク・アン・シエル………ユニヴェール・リュミエールッ!
  マキシマム・エクスプロオォジョンッ!!!」

対して、結の裂帛の一声と共にエールの胸から虹の輝きが放たれ、
砲撃戦艦を覆い尽くした術式の内部へと解き放たれる。

試作品による一発限りの最大威力ユニヴェール・リュミエールだ。

四器のグランリュヌとの連携で放つパンタグラムがSランク百人分の魔力を伴う儀式魔法ならば、
こちらは二百器のグランリュヌと連携した、Sランク五千人分の魔力を伴う儀式魔法である。

砲撃戦艦の溜め込んだ全魔力総量には及ばないだろうが、
パンタグラムですら本体の超弩級魔導機人を一時的に行動不能に追い遣ったのだ。

その五十倍の威力に耐えられようハズがない。

術式が砕け散る鈴のような音……と言うよりも、
けたたましい鈴の大合唱を響かせながら、虹の輝きが乱反射を続ける。

エール「二……一……〇……!」

そして、エールのカウントがその瞬間を告げる。

結「お願い……砕けてぇぇっ!」

結はだめ押しでもう一発、アルク・アン・シエルを解き放つ。

それが止めだったのかは定かではない。

だが、砲撃戦艦の全体に無数のひび割れが走った。

そして、その無数のひび割れから輝きが溢れ出す。

結「やった……!?」

結が歓喜の声を上げた直後、眩い魔力の光が辺りを包み込んだ。

それは、行き場を失った魔力の暴発だった。

魔力の暴発は、直近にいた結を一瞬で飲み込んだ。

結「………ッ!?」

悲鳴を上げる暇すら、結には許されなかった。

同時刻、日本――

時刻は時差もあり、朝九時。

予告時間を過ぎて尚も訪れぬ終わりに、人々はどこか拍子抜けしていた。

それは結の故郷の避難所になっている小学校でもそうだった。

家族と身を寄せ合い、その恐怖の瞬間に備えていた人々は、
外の様子を見ようと一人、また一人と避難所の外に出て行く。

空を見上げると、
ずっと曇っていた空には数日ぶりの太陽と青空が広がっていた。

助かった。

その事実を告げる、冬の綺麗な青空だった。

その空を見上げる者達の中に、結の家族の姿もある。

功「助かった……のか?」

悠「本当?」

父の言葉に、少年――悠が聞き返す。

由貴「え、ええ……そう、みたいね……」

舞「お姉ちゃん達かな?」

安堵と共に座り込んでしまった母の姿を見ながら、少女――舞が笑顔を見せた。

双子は顔を見合わせる。

今日は12月7日。

世界が助かったら絶対言おう。

そう願掛けをしていた、今日のための言葉があった。

二人はグラウンドに駆け出す。

事前に用意していた方位磁石で向きを確認する。

悠「えっと、あっち、かな?」

舞「あっちだね」

西を向いた兄に従って、妹も西を向く。

別に特別な事ではない。

一年に一回、この日の朝には早起きしてやっている事だった。

ただ、今日はこの瞬間まで待っただけに過ぎない。

双子「せーの……!」

双子はタイミングを合わせて、西の空に向かって叫ぶ。

双子「おねーちゃぁぁん! おたんじょぉび、おめでとぉぉっ!」

ただ、今年はいつもより大きな声で。

今日は大好きな姉の、二十回目の誕生日だった。



余談だが、音速を秒速三四〇メートルとした場合、
時速にしておよそ一二〇〇キロ。

西に向けて放った祝いの言葉が仮にアイスランドに届くとしたら、
それは半日以上も先の事である。



世界が救われてから半日以上が経過した頃、
負傷者の回収を終え、一部を施設警護に残し、
研究院と欧州連合艦隊は撤収を始めていた。

?「……あり、が、とう………」

世界を救った後、気を失っていた一人の女性が、寝言でそんな言葉を呟く。

??「何のこっちゃ?」

心配そうに彼女を囲む友人の一人が、思わずそんな素っ頓狂な声を上げた。

この時、彼女が呟いた“ありがとう”の意味と理由を知って、
彼女の友人達が驚きに包まれるのはその数ヶ月後の話である。



2008年、一月初旬。

世界が救われてから、早くも一ヶ月が経過していた。

世界が救われた直後、
やはりと言うべきか世界は大混乱に包まれる事となった。

秘匿されていた魔法の存在。

人類滅亡の回避と言う一段落を終えた所で、
その問題が一気に表層化したのである。

魔法倫理研究院上層部はこの事態を重く受け止めると同時に、
魔法秘匿は最早、困難であると判断、魔法の存在は瞬く間に全世界に周知されるに至った。

それまで魔法を知らなかった国家も、
その国民全員、赤子に至るまでが魔力覚醒を迎えたのだから、
事実は事実として受け入れざるを得ないと言う事である。


しかし、それと同時に全世界に知れ渡ってしまったのが、
魔法を利用した兵器の有用性だ。

超大国アメリカを相手に翻弄して見せたテロリストの力は、
今や全世界の知る所なのである。

それまで魔法研究に関して否定的であった国家も、
魔法の有用性に関して、魔法兵器の実用化に関して注目せざるを得なくなったのだ。


後の世に“グンナーショック”と呼ばれる事になるこの一連のパラダイムシフトは、
一ヶ月を経た今も、世界を様々な意味で賑わしていた。



イタリア沿岸、魔法倫理研究院本部メガフロート――


普段は地中海に浮かんでいる研究院本部も、世界各国との連携と言うか、
魔法秘匿に関する説明責任に追われる形で、今もイタリア沿岸に接岸していた。

紗百合「嗚呼、イタリア料理もいいけど……そろそろ日本食が食べたい……」

そんな嘆きを漏らしたのは、
研究院との連絡係としてイタリア残留を余儀なくされた紗百合だ。

テーブルの上に突っ伏し、時折腕をパタパタと動かしている。

美百合「さーちゃん、はしたないよぉ」

そんな妹の様子に、美百合が困ったような声を上げる。

場所はエージェント隊の隊員寮一階の食堂だ。

メイ「この食堂、何でも揃ってるんだから、日本食頼めばいいじゃん」

紗百合「海外で日本食食べると、何か負けた気がするの!」

呆れたようなメイの言葉に、紗百合は語気を強めて反論した。

よく分からない基準だ。

食堂には、本條姉妹やメイを始め、
フラン、ロロ、ザック、リーネ、さらに一征が顔を揃えている。

事件そのものの捜査や処理が終わり、
今は全員で情報交換を含めた小休止と言った所だ。

リーネ「そう言えば前から気になってたんですけど、
    エージェント・鷹見や本條さん達って、
    作戦の最終フェイズ中はどちらにいらしたんですか?」

リーネが一ヶ月前の事を思い出しながら、小首を傾げて尋ねた。

美百合「シュネー君から情報リークがあった後、
    念のためと言う事で、諜報エージェントの方達と一緒に、
    施設内に戦艦を止める方法がないか探してたんですよ」

その質問には美百合が応え、さらに続ける。

美百合「結局無駄足になってはしまいましたけど、
    まあ陸戦近接型だとあの状況ではやれる事も限られますし」

メイ「だよねぇ……。
   その点、アタシは結のカタパルト役で役に立ったけど」

申し訳なさそうに呟いた美百合に、メイは誇らしげに無い胸を盛大に張る。

ザック「よっ、人間カタパルト!」

メイ「その異名は何か嬉しくない……」

やや小馬鹿にしたように囃し立てるザックに、メイはがっくりと肩を落とした。

フラン「全く……何やってんだか……。
    それにしても、まさか美百合と紗百合が幹部格一人倒したとは驚きね……」

ロロ「Sランクでも一対一で互角だったからね……。
   私はアレックスと二人がかりになっちゃったけど……」

呆れて果ててから話題を変えたフランに、ロロも続く。

紗百合「二人がかりって言っても、Aランクにアレの相手は辛かったわ………。
    こっちにいる間、リノさんに稽古つけ直して貰おうかしら?」

テーブルに突っ伏していた紗百合は、
そう言いながら身体を起こして天井を振り仰いだ。

仲違いしていた姉との咄嗟のコンビネーション。

アレがなければ今頃、確実に電撃で黒こげにされた挙げ句、殺されていただろう。

そう思うと背筋が寒くなる。

メイ「同じAランクでも、一征さんはデカい魔導機人倒したんでしょ?
   そこんとこどうなの?」

怪訝そうなメイの言葉に、フランとザックが顔を見合わせる。

ザック「お前、知らなかったのか……?」

フラン「貴女、同じ捜査エージェント隊所属でしょ?」

メイ「へ、何の事?」

呆れたような兄姉の言葉に、メイは小首を傾げた。

本当に何の事だか分かっていない様子だ。

ロロ「一征さんは六年くらい前から、事実上Sランクだよ」

そんな妹分の様子に、ロロが苦笑い混じりに答える。

メイ「うぇ!? マジで!?」

驚くメイに、一征は無言で頷く。

フラン「こいつ、私達と同期で外部入隊扱いなのに、
    私や奏より先にSランクの推薦来てたのよ?」

ザック「まあ、全部蹴ってるけどな」

ジト目で一征を見遣るフランに、ザックが噴き出しそうになりながら続ける。

ちなみに外部入隊とは、訓練校を通さないエージェント隊への入隊だ。

一征は姉妹の世話役として最後までカンナヴァーロ養成所にいたため、
訓練校への編入はしなかったのだ。

外部入隊は入隊研修などが多く、
仮に有能であっても非常に昇格が遅れる事で有名でもある。

セシルなどはそれを懸念した生前のミケロの提案もあって、
Aカテゴリクラスへの移籍を推薦された経緯があった。

一征「Sランクになると書類仕事が増えるからな……。
   前線任務の方が向いているんだ」

フラン「そうそう、全ては本條家のイメージアップのため、
    引いては愛しのみーちゃん、さーちゃんの………」

感慨深く呟いた一征の後に続けて、
悪戯っ子のような笑みを浮かべていたフランの表情が、途中から恐怖で凍り付いた。

ザック「ちったぁ学習しろ……」

一征に睨まれた事を一瞬で察し、ザックは溜息混じりで呟いた。

フラン「こ、こっちに回れば睨めないでしょ!
    こ、こ、こ、こ、怖くなんかないんだからねっ!」

ロロ「美百合と紗百合が困ってるよ……フラン」

美百合と紗百合の背後に隠れ、怯えてどもるフランに、
ロロが苦笑いを浮かべて呟いた。

美百合&紗百合「一征お兄様……」

そんな事情があった事を知らない美百合と紗百合は、
彼への敬愛の念をさらに強い物とする。

一征としてはフランに睨みを聞かせて黙らせたものの、
最早言い逃れできる状況でない事を悟って肩を竦めた。

また、二人による自分の取り合いが激化するのだと言う事も同時に悟って……。

と、その時、不意にメールの着信を告げる電子音が鳴り響く。

リーネ「あ、ごめんなさい、私……」

リーネが申し訳なさそうに手を上げて、携帯電話を取り出す。

ロロ「誰から?」

リーネ「クリスから。
    ……今、奏姉さんと一緒に面会室に入るって」

問いかけるロロに、リーネは画面を見せながら言う。

携帯電話の画面には、英語で“これからお母さんと面会室に入ります”
とだけ書かれたメール画面が映されていた。

同時刻。
監獄施設内、面会室――


奏とクリスは、厚い防犯ガラスに挟まれた面会室で、
カナデとの接見を行っていた。

カナデ「で、今日の用事は何?
    取り調べの類だったら、もう全部終わったと思うけど?」

拘束服を着せられたカナデは、椅子の上で不貞不貞しくふんぞり返って呟く。

奏「もう……あんまりそんな態度を取ると、
  刑期が延びちゃうよ……?

  折角、短く済みそうなんだし」

そんな妹の様子に、奏は困ったような表情と声音で窘めた。

カナデ「甘いのよ、ここの考えは……。

    十七歳以上は成人と同じ扱いだって言うけど、たった五年とか……」

対するカナデは、どこか不機嫌そうな様子で返す。

そう、カナデの刑期は五年とされていた。

短すぎるとの意見も多かったが、
決め手は毛髪や瞳の色が変化するほどの調整を受けた事にある。

医療部局での検査で、恒常的な投薬と調整の痕跡が見付かり、
カナデには“薬物投与によって自由意志が存在しなかった可能性”が考慮され、
更正の余地有りと見なされたのだ。

但し、十七歳と言う年齢を踏まえ、
相応の懲罰も必要と言うのが五年と言う数字の意味でもあった。

そして、五年間の投獄の間、
更正教育プログラムが実施される事も決まっている。

カナデ「まだ始まってないんだけど、更正教育って何するの?
    自己啓発ビデオみたいなの見せられるとか?」

奏「ぅ~ん……まあ、それも有るって言えば有るけれど、
  君の場合だと、社会復帰に向けた勉強や職業訓練とか……。

  他にもエージェント隊で勤労奉仕する意志があるなら、
  魔力制限も何段階か解除してそっち方面のカリキュラムも受けられるよ」

カナデ「あ、私、そっちがいいかも……。
    どうせ魔法使う事くらいしか出来る事無さそうだし」

質問に答えてくれた奏の説明を聞きながら、カナデは溜息がちに呟いた。

奏「……ああ、それと、これ……。

  君の件で再調査が決まって、
  ユーリエフ魔導ホムンクルス研究所の地下を徹底捜査したんだけど、
  やっぱりあったよ、機材の置いてあった跡に隠されてた……。

  多分、研究院の人に機材を持ち出してもらう事を前提にしていたみたい」

奏は思い出したように言って、
今日の用件の一つでもあったコピー用紙の束を取り出す。

その束に、カナデはチラリと視線を向けたが、
すぐに気まずそうに視線を背けた。

奏「さすがに原本はまだ差し入れ出来ないんだけど、
  これ、母さんから君宛の日記のコピー……」

カナデ「そう………」

薄目で視線だけをコピー用紙に向けながら、カナデは居心地悪そうに呟く。

愛されてなどいないと思い続けた母。

その真実の思いが綴られた日記。

カナデ「検閲……したの?」

奏「捜査の都合上、最初の2ページだけね……。
  出だしはボク宛と殆ど変わらなかったよ」

カナデ「……そう」

奏の答えを聞きながら、カナデは目を伏せた。

優しげな姉の表情を見る限り、決して悪い内容ではないようだ。

カナデ「って、そうなるとこのコピーって
    印刷チェックしてないって事じゃないの?」

奏「え? あ、そ、その……うん、
  印刷の掠れがないかクレーストにざっと見せたから多分大丈夫」

カナデ「それじゃあ結局、全部検閲済みって事じゃない!?」

素っ頓狂な声で尋ねた質問に気まずそうに答えた姉に、
カナデは呆れ果てたように返した。

そして、僅かな逡巡の後に口を開く。

カナデ「……原本来るまで読まないと思ってたけど、気が変わったわ!
    すぐこっちに頂戴!」

奏「うん……良かった」

慌てた様子の妹の言葉に奏は安堵し、
刑務官を通じて小窓からコピー用紙の束を渡す。

素直になれない天の邪鬼な所のある彼女の事、
受け取ってくれないかもしれないと思っていたのだ。

コピー用紙を受け取ったカナデは、一度その表紙に目を落としてから、
刑務官にそれを預け直した。

と、そこで真面目な表情で微動だにしていないクリスに気付く。

カナデ「………何よ、さっきから黙り込んじゃって?

    いくら血が繋がってない……いや、繋がってるのかしら?
    ……とにかく、姉さんの子供に何かしようなんてもう考えないわよ」

怪訝そうに問いかけたカナデは、少しだけ顔を赤らめてそっぽを向いた。

クリス「あ、その……ごめんなさい。
    そんなつもりじゃないんです」

カナデの様子に、クリスは慌てた様子で立ち上がって謝罪する。

そして、慌てた様子で右手首のギアを防犯ガラス越しに差し出す。

以前は無かった雪の結晶を摸したチャームが、ブレスレットから下がっている。

クリス「その、今日はギアの持ち込み許可も出て……
    それに、技術部のチェックも昨日で終わったから……」

????『お久しぶりです、カナデ様』

困った様子のクリスの声に続いて、優しげな少年の声が響いた。
シュネーだ。

カナデ「………久しぶりね。
    シュネー、で、いいのよね?」

シュネー『………はい』

どこか気まずそうな様子のカナデに、シュネーは落ち着いた様子で返す。

言葉を交わしたのは、一ヶ月前の最終決戦以来だ。

口論の末、物別れとなって以来と言い換えてもいいだろう。

カナデ「その………新しい御主人はどう?
    ちゃんとよくして貰ってる?」

シュネー『はい……僕なんかには勿体ないくらいです』

クライノート『むしろ、私よりも扱いがいいと嫉妬する程です』

カナデが僅かに戸惑ったように質問すると、
照れ臭そうなシュネーに続き、クライノートが溜息がちに呟いた。

クリス「そんな、二人とも私の大切な相棒だよ?」

クライノートの様子に、クリスはあわあわと困ったように弁解する。

確かに、まだ普通のギアである事に慣れないシュネーのフォローに回る事も多いが、
クリスとしては平等に扱っているつもりなのだ。

そんな三人の様子に、自分の心配は杞憂だったようだと、カナデは安堵の溜息を漏らした。

だが、すぐに気を取り直す。

カナデ「シュネー……私からの最後の命令……いえ、お願いよ。
    今後、“僕なんか”とか、自分を貶めるような言い方は全部禁止ね」

カナデは神妙な様子で、シュネーに語りかける。

それは、以前から考えていた事でもあった。

ナナシであった頃、弟妹達と必要以上に距離を取っていた彼は、
おそらく自分と弟妹達の事をいつも比較していたのだろう。

そして、彼らの事を卑下する事を無意識に嫌い、逆に自分を無意識に貶めていたのだ。

それに気付かされたのは、無駄に長い孤独な時間を独房で過ごすようになってからである。

気付かされた真実とそれに対する悔恨で、シュネーに対する彼女の想いは溢れていた。

カナデ「道具扱いしていた私が言えた義理じゃないでしょうけれど、
    折角、優しい御主人が出来たんだから……。

    これからは、もっと自分も大事にしなさい」

シュネー『………畏まりました、カナデ様』

どこか優しげな雰囲気のカナデの言葉に、シュネーは恭しく応える。

カナデ「あなたも……この子の事、頼んだわよ。
    ………もの凄く溜め込むっぽいから」

クリス「はい……任せて下さい!」

カナデの言葉に、クリスは大きく頷いた。

その後、二、三の話題を交わし終え、二人は面会室を辞す。

バスは使わず、事務局方面までの道を歩いて戻る道すがらだ。

奏「クリスは……エージェント隊はどうするの?」

クリス「うん……えっと、折角、シュネーみたいないいサポート役も出来たし、
    改めて、真剣に保護エージェントを目指そうかなって」

母の問いかけに、クリスは思案気味に応えた。

確かに、シュネーは七種の特化戦術武装に加え、
彼本人の高い魔力感知能力や隠密能力がある。

クリスの高い魔力と物質操作特化の特性を合わせれば、
スタンドアローンでもかなり優秀なエージェントになれるハズだ。

そうなれば、確かに単独行動の多い捜査エージェント隊への入隊が望ましいだろう。

しかし、それは“選べる道”の一つの在り方であって、
クリス自身の望みかと尋ねられると、そうとも言い切れない。

奏「それは、どうして?」

奏もその辺りの事が気がかりなのか、横目で我が子の顔を覗き込む。

そこにあったのは一ヶ月前までのどこか自信の無さそうな表情ではなく、
とても澄んだ自信に満ちた表情だった。

クリス「まだよく分からない……」

だが、それに反してクリスの口から漏れたのは、拍子抜けするほどの不安の言葉だ。

しかし、すぐにその不安を振り払うような真剣な表情を見せる。。

クリス「自分のやりたい事、自分で出来る事、自分が目指したい事……、
    それをどうやって叶えていいか分からないから……。

    だから、先ずは最初に目指した保護エージェントに全力でなるよ!
    それで、保護エージェントの中でそれを見付けてみる!」

クリスは僅かに歩調を上げて母の横から駆け出し、すぐにクルリと反転して、力強く言った。

不安はあれど、迷いはない。

誰かを傷つける事は今でも怖い。

それでも、その怖さを受け止めてくれると言ってくれた母がいる。

今の自分を支えてくれる最高の相棒が、自分には二人もいてくれる。

だからこそ、迷わずに自分の道を突き進める。

そんな強い思いに満ちた、優しげな表情をクリスは浮かべていた。

奏「そう……じゃあ、冬休みが終わったら、また研修に来るといいよ。
  アルノルト総隊長にはお母さんの方から頼んでみるから」

クリス「ありがとう……お母さん!」

母の申し出に、クリスは笑顔で応えた。

クリス「じゃあ、そろそろお姉ちゃんのお見舞いに行こうよ」

奏「うん。……でも、あと少し後でね」

クリスの言葉に応えながら、奏は少し遠くを見るように呟く。

奏(今頃はきっと……)

先客がいる頃だろうと、
奏はどこか寂しくも嬉しそうな、そんな複雑な表情を浮かべた。



同時刻。
医療部局病棟――


クリスの言った“お姉ちゃんのお見舞い”、
と言う言葉から察せられる通り、現在、結は入院中だった。

入院と言ってもそう大したケガではない。

あの砲撃戦艦を撃破した直後、
結は砲撃戦艦が溜め込んでいた自身の数万倍と言う魔力の奔流に飲み込まれたのだ。

本来であるならば、グンナーの研究結果の通り、
過剰魔力による人体破裂現象を引き起こしてもおかしくはなかったのだが、
奇跡的に義手と義眼を失うだけで済んでいた。

それは一重に、最新型ギアであった第八世代へとアップデートされたエールの障壁が、
彼女を守りきった故の事だ。

無論、エールも一時的に機能不全には陥ってしまったが既に修理も終え、
今は最終調整のため、技術部に預けられている。

だが、問題は結の後遺症だ。

自身の数万倍の魔力の奔流に飲まれた結果、
結は軽い魔力減衰症状を起こしていた。

但し、十一年前の奏のように一年以上の治療が必要と言うワケでもなく、
丸一日程度の昏睡を伴う単なるショック症状程度の物だ。

だが、これ幸いとばかりに担当医の貴祢からは
“この機会にしばらく休め、働くな、魔法使うな”と散々に釘を刺され、
それを了承した総隊長陣の判断で病院に軽い軟禁状態なのだ。


そして、そんな結の病室に、奏の予想した先客が向かっていた。

アレックスだ。

アレックスはどこかそわそわした様子で、
結の病室へと向けて早足で向かっていた。

その手にはお見舞いの花束と、小さな包みが握られている。

ヴェステージ<緊張し過ぎなのである。
       普段通りの見舞いと一緒なのだから、落ち着くのである>

アレックス<僕はいつも通りだ>

愛器からの思念通話での忠告に、アレックスは努めて平静に返す。

ヴェステージ<手足が左右毎に同時に出るのを、いつも通りとは言わないのである>

アレックス「なっ!?」

ヴェステージの言葉に、アレックスは慌てて自分の手足を見た。

だが、手には花束と包みを抱えているので、動かしているのは足だけだ。

手足が左右毎に同時出るハズがない。

ヴェステージ<ひっかかったのである。

       全く、いつも通りのアレックスならば、
       この程度の嘘にはすぐ気付くのである>

アレックス<分かったよ……僕が悪かった。
      ……うん、緊張していた>

呆れたような愛器の言葉に、アレックスは観念したと言いたげに返す。

確かに、緊張で冷静さを欠いていたようだ。

深呼吸し、気持ちを整える。

アレックス「よし……」

小さく呟いて、改めてゆっくりと結の病室を目指した。

結の病室は最上階の隅にある個室だ。

エレベーターで最上階に上がり、気持ちを落ち着ける意味もあって、
いつもとは反対側から遠回りで向かう。

病室の前に辿り着くと、再び小さく深呼吸し、
意を決してノックを試みる。

と、その直前にスライド式の扉が開かれた。

エミリオ「では、例の話はよく考えておいてくれ」

結「はい、ペスタロッツァ総隊長」

思わぬ事態に驚くアレックスの前に現れたのは、
救命エージェント隊総隊長のエミリオ・ペスタロッツァだ。

部屋からは結の声も聞こえる。

どうやら在室のようだ。

エミリオ「ん? おお、ヴィクソンの所の孫か」

面食らっているアレックスに気付き、エミリオは笑みを浮かべた。

ヴィクソンの所の孫――祖父基準で自分の事を呼ぶのは、
この目の前の壮健過ぎるご老人くらいのものである。

エージェント隊最古参の長老と言う事もあり、
旧研究院時代からの付き合いであるアレックスの実家とは親しい間柄なのだ。

それはアレックスも分かっていた。

アレックス「アレクセイです……いい加減覚えて下さいよ」

エミリオ「ハハハッ、すまんな。
     お前さんがオムツをしていた時から知っているのでどうもな」

肩を竦めるアレックスに、エミリオは苦笑いを交えて呟いた。

アレックス「こんな所で変な事を言わないで下さい!?」

だが、エミリオの言い様にアレックスは顔を赤らめて叫ぶ。

無論、顔を赤らめたのは羞恥故だ。

エミリオ「ここは病院だぞ、あまり大きな声は感心せんな」

アレックス「あ……う……!?」

しかし、そんな至極当然の正論を持ち出されて黙り込んでしまう。

エミリオ「さあ、見舞いに来たのだろう? 早く入るといい」

エミリオはそう言ってアレックスに室内に入るように促した。

奥ではベッドの上で上体を起こした結が、
何と言っていいか分からないと言いたげに苦笑いを浮かべている。

ヴェステージ<さすがに年の功には勝てないのである>

アレックス<ああ、本気で思い知ったよ……>

ヴェステージの言葉を聞きながら、アレックスは心中で肩を竦めた。

エミリオがその場を辞して二人きりになると、
アレックスは先ずは花瓶に花を生ける事から始めた。

他愛もないが楽しい会話もいつも通りで、何とかして落ち着きを取り戻す。

結「アレックス君、毎日忙しいのに……ありがとう」

アレックス「僕の好きでやっているんですから、気にしないで下さい」

どこか申し訳なさそうな、だがとても嬉しそうな様子の結に応えて、
アレックスは近くの椅子に腰を下ろした。

手に持っていた包みは、気付かれぬよう、着ているジャケットの中に忍ばせてある。

アレックス「それと……実は今日は大事な話が……」

ヴェステージ<待て、アレックス!
       まだ、早い! 早すぎるのである!>

言いかけたアレックスの言葉を遮るように、ヴェステージが叫ぶ。

普段なら共有回線を開いている所だが、
さすがに今回ばかりは二人きりを優先して共有回線への割り込みは無しと決めていた。

結「大事なお話?」

やけに神妙な様子の恋人に、結はキョトンとした様子で首を傾げる。

アレックス「その……ぼ、僕と一緒に、日本に行きませんか?」

アレックスは一瞬戸惑った様子だったが、
緊張した様子のまま少しだけ大きな声で言った。

ヴェステージ<アレックス、忘れているのである!>

一緒に出すつもりだった小さな包みを出し忘れるほどの緊張だった。

そして、その指摘にアレックスは一気に頭に血が昇るのを感じた。

アレックス「あ、あのですね!
      ま、まだ部外秘なんですが、
      今度、アジア太平洋支部が出来ると言う話がありまして!

      実は、その技術部にギア開発部長として移籍しないかとのお誘いを受けまして、
      それと一緒にSランク昇格や何やら……」

結「ああ、アレックス君にもその話が行ってるんだ!
  っと、Sランク昇格、おめでとう」

まるで弁明するかのように慌てて矢継ぎ早なアレックスに、
結は僅かな驚きと共に、満面の笑みで祝福の言葉を述べる。

アレックス「………へ?」

そんな結の言葉に、アレックスは面食らったように首を傾げる事となった。

僅かな時間を置いて混乱したアレックスが落ち着くのを待ってから、
結は事の次第を説明し始めた。

結「実はね、さっきペスタロッツァ総隊長からお誘いがあったの……。

  数年以内に、日本の沖合にアジア方面の活動拠点になる支部を作るから、
  そっちの捜査エージェント隊に、
  保護エージェント統括官として移籍するつもりはないか、って」

アレックス「ああ、そう言う事でしたか……」

結の説明を聞くと、アレックスは納得したように頷いた。

部外秘の情報を結が知っていたのは、そう言う経緯だったようだ。

ヴェステージ<しかし、渡りに船とはこの事である。
       失敗無効で次のチャンスを狙うのである>

アレックス<……うるさいな>

相棒の言葉に、アレックスは心中で溜息を漏らす。

そんなアレックスとヴェステージのやり取りも知らずに、結はさらに続ける。

結「特務からも外れる事になっちゃうけれど、
  もしかしたら良い機会なのかも、って……」

結は少しだけ寂しそうに目を伏せた後、どこか遠くを見るような目で呟いた。

アレックス「良い機会、ですか?」

結「うん……」

聞き返したアレックスに頷いて返すと、
結はベッドサイドに置かれている寮の自室から持ち込んだ二つの写真立てに目をやる。

アレックスもそちらに目を向けた。

そこには日本で暮らす家族の写真と亡き実母の写真が、それぞれ飾られている。

結「家族とずっと離れて暮らして……。
  怒られるような事は一度も無かったけど、やっぱり心配かけてばかりだし、
  もっと家に顔を出すようにしないと、なんて思うんだ……。

  ………今更だよねぇ?」

結はそう言って苦笑いを浮かべた。

アレックス「いえ、僕はいいと思いますよ」

結「アレックス君がそう言ってくれると、何だか嬉しいな……」

結は恋人の気遣いに、嬉しそうに目を細める。

結「それとね………。
  それとは別に、もっとよく考えなくちゃって思うの」

アレックス「何を、ですか?」

結「うん……」

促すようなアレックスの相槌に、結は顔を俯ける。

結「私のお祖父さん……、
  グンナー・フォーゲルクロウから引き継いだ理想の事。

  あの人が目指した世界平和が何だったのか、
  どうすれば私はその理想に近づけるのか、って……」

結はあの決戦の中で誓った言葉を思い出しながら、
悩ましげな表情を浮かべた。

世界平和。
確かに美しく尊い言葉だが、その実現は実に難しい。

宗教、理念、利権、文化、様々な違いで、
世界では大小深浅を問わぬ争いで溢れている。

それがどうすれば終わるのか、
などと言うのは人類最大の命題であり、解決の難しい問題であろう。

自分に限らず、
世界中では今も多くの人々がこの命題を託し、託されているのだ。

決して自分一人で抱え込むべき問題ではない。

だからこそ、この思いを繋げて行く方法を、
この思いを成し遂げる方法を考えなければならない。

言ってみれば、これはグンナーの魂を……
その真実の理想を継ぐ事を誓った自分に与えられた命題だ。

エレナが灯してくれた魔法は素晴らしいと言う灯火、
グンナーから受け取った平和を実現すると言う理想。

どちらも大事にしなければいけない。

いや、大事にしたいと思うのだ。

それがグンナーに対して言ってのけた、
自分なりのやり方で人々を救う方法……
世界を平和にして行く方法だと結は考えていた。

そして、その道の果ては険しく遠い。

結の顔には、そんな道を行かんとする決意が見て取れた。

アレックス「……でしたら」

そんな結の顔を見ながら、アレックスはまた神妙な表情を浮かべる。

アレックス「僕にも、一緒に考えさせてくれませんか?
      君の、一番傍で……」

アレックスはそう言って、ジャケットから小さな包みを取り出した。

掌に載る程の、布でくるまれた包みだ。

結「え……?」

呆然としている結の目の前で、アレックスはその布を取り去り、
中から小さな箱を取り出した。

普段、ギアを入れるための黒塗りのケースとは違う、もっと上等な箱である。

アレックスがその箱を開くと、中にはずっと調整中だったエールと一緒に、
もう一つ別の指輪が入っていた。

魔力によって整形された物ではない、職人による丁寧な細工を施されたリングと、
その頂点にはめ込まれた六角形の赤い宝石。

アレックス「本当でしたらクリスマスに間に合わせたかったんですが……、
      一から作り始めたら予想以上に時間がかかってしまい、
      何でもないこんな日になってしまいました」

どこか照れ臭そうな、緊張したような声音のアレックスは呟いた。

結「え……っと、これって……」

アレックス「結君の誕生石だと思うんですが……違ってました?」

呆然としてしまった結に、アレックスは不安そうに聞き返す。

そう、エールと一緒に入っていたのは、
結の誕生石であるヘキサゴナル・ルビーをはめ込んだ、アレックス手製の指輪だった。

フィッツジェラルド家は元来、ギア以前から使われていた魔法道具を作る一族だ。

指輪の造形に使う道具や設備は、実家に戻れば幾らでもあった。

よく見れば、リングには虹を背にした翼の生えた一角獣――
結のパーソナルマークと同じ細工が極小単位で彫り込まれている。

結の誕生日石と結のパーソナルマークを盛り込んだ、結のためだけに作られた、
世界にたった一つのアレックスのオリジナル。

準備はあの決戦の後から旧ピッチで行っていたのだが、
慣れない指輪の造形に手間取り、言葉通り今日までずれ込んでしまったのだ。

結は呆然としたまま愛器と指輪の入った箱を受け取り、そっと手で触れる。

エール<結……返事はいいのかい?>

その瞬間、相棒の思念通話が脳裏に届いた。

結(あ……)

その言葉に、呆然としていた自分に気付く。

返事。

アレックスの言葉への返事。

一緒に、一番傍で。

それはそう――

結(プロ……ポーズ……!?)

――それ以外あり得ない。

一ヶ月前の人体破裂は免れたが、
今回ばかりは脳が爆ぜるほど頭が沸騰するのを感じた。

確かに一ヶ月前のあの日、人前で彼に“愛してる”と口にしている。

それはもっと以前にも口にした事だし、それを人前で口にしてしまったのは、
何というか興奮の極みと言うか十代最後の若気の至りと言うか、場の勢い的な物だ。

だからと言ってアレックスの事を愛していないと言うワケではない。

だからこのプロポーズは嬉しい。

しかも手作りの指輪だ。

そんなチョイスが実にアレックスらしいと言うか、嬉しくてたまらない。

結「あ、あの……そ、その……」

結は顔を真っ赤に紅潮させ、泣き出しそうな顔で口ごもる。

感情が振り切れ、感動で言葉が出ない。

アレックス「も、もし……言葉にし難いなら……、
      その、頷いてくれるだけで構いません」

アレックスも緊張した様子でそう言うと、さらに続ける。

アレックス「僕と………」

アレックスが口を開いた瞬間、風が舞う音がしたような気がした。

結「………はい」

結は目尻に喜びの涙を浮かべながら、大きく頷いた。

              ――エピローグ――


時に西暦2015年、春。

世界を恐怖と混乱に陥れたグンナーショックから、
既に七年と四ヶ月ほどが経過していた。

魔法倫理研究院は世界の表舞台にその姿を現す事となり、
本部を地中海、アジア太平洋方面支部を日本沖に置く二面体勢が敷かれる事となったのは、
もう六年前……2009年の事だ。

日本の官庁舎を間借りする形で始まったアジア太平洋方面支部は、
それから四年をかけて太平洋上に作られたメガフロートへと移転した。

少々きな臭い話になるが、アジア太平洋方面支部が作られた理由は、
情勢不安定なユーラシア東部の各国とアメリカへの牽制が目的だ。

急速に表出化した魔法技術は、世界に大きな歪みを生む事が予測され、
それを見張るのがアジア太平洋方面支部に任せられたもう一つの仕事である。

ともあれ、世界は小さな混乱の波を幾つも立てながら、それでも淡々と進んでいた。

アフリカ中部――


夕闇の迫る藪の中を、幾つもの影が駆け抜ける。

『カンナヴァーロ隊長、こちらテロリスト集団を追跡中のC班!
 現在、対象集団はポイントSに向けて逃亡中!』

通信機を通して聞こえて来る部下の声に、赤毛の女性が満足げに頷く。

「よし……セシル、C班はそのまま対象集団を追い立て続けて!
 ユーリ、D班も待機解除。C班と対象集団を挟撃。
 指定位置に来た時点で私のA班と、アンディのB班で一斉攻撃をしかけるわよ!」

『D班了解です』

『B班了解しました!』

『C班了解!』

部下達の返事を聞き、赤毛の隊長がライフルを携えて走り出す。

「新生特務の初仕事よ、みんな!
 気張って行くわよ!」

彼女の号令に、通信機越しの歓声が響いた。


フランチェスカ・カンナヴァーロ――
二十九歳。

元対テロ特務部隊創設者にして初代隊長。

現在はアフリカ方面に活動拠点を置く魔導テロリストを相手に、
セシリア・アルベルトら多くのハイランカーエージェントを率い、
新生対テロ特務部隊隊長として活躍。




中国、上海――


照明の落とされたビルの一室で、幾人もの男達が会合を行っている。

「コレが今回開発された新薬です。
 一時的な魔力暴走状態を引き起こし、
 戦闘能力を飛躍的に高める事が出来ます。

 まあ副作用がありますが、所詮、末端の兵士など使い捨てですし」

「そうか……では約束の報酬を」

その会合とは黒い企み。

交換されるジュラルミンケースに入れられたのは禁じられた薬物と、その対価だ。

だが――

「魔法倫理研究院だ!
 危険指定魔法薬の取引現行犯で逮捕する!
 さっさとお縄につけぇっ!」

照明の落とされていた高い天井から小柄な女性が舞い降り、
交換されようとしたジュラルミンケースが奪われる。

その動き、正に駆け抜ける疾風の如き神速だ。

それと同時に、室内に武装したエージェントが一気に雪崩れ込んだ。

黒い企みの場は、一点して鮮やかな逮捕劇の場へと姿を変えた。


李・明風――
二十七歳。

対テロ特務部隊解散後、アジア太平洋方面支部に移籍。

隠密能力の高さを活かし、
危険度が高く、生還率の低い任務で高い成功率を誇る諜報エージェントとして活躍。

東欧――


一時間前に発生した大地震と、
その余震によって倒壊しつつあるビルを、無数の植物が支える。

「ザック、お願い!」

「おうよっ!」

植物を操る女性の声に、傍らの男性が崩れかけのビルに魔力を流し込んで固める。

「今だ! 救助部隊、突入してくれ!」

男性の指示に、多くの救命エージェント達がビル内に突入して人々の救出を始めた。

「ロロ、次のビル行くぞ!」

「ええ、急ぎましょう!」

二人は頷き合って、倒壊の危険性が疑われるビルに向けて駆け出した。


アイザック・ファルギエール――
二十九歳。

ロロット・ファルギエール――
二十八歳。

対テロ特務部隊解散後に入籍。

現在は夫婦共に救急エージェントとして救命エージェント隊に所属。

二人の子供に恵まれ、公私ともに充実した日々を送る。





地中海沖、魔法倫理研究院本部――


「どう、気分は?」

「レナ先生と同僚なんて……、
 夢ではあったけど、変な感じです」

先輩の女性教師に尋ねられて、年若い女性教師がはにかんだように応えた。

今日から訓練校は新学期。

以前はスイスの山奥にあったAカテゴリクラスは、
本年度から本部にその学舎を移していた。

より高度な魔法技術を習得するためと言う名目だ。

年若い教師は教官隊での候補生指導カリキュラムを経て、
今日から魔法技術全般の講師として教壇に立つのだ。

その表情には微かな不安と、大きな希望と喜びの色が窺えた。


フィリーネ・バッハシュタイン――
二十四歳。

総合戦技教導隊を経て教官隊に移籍後、
念願であった候補生指導に転向。

恩師であるレナ・フォスターと共に、
Aカテゴリクラスの教師として後進の指導・育成に邁進する。

日本、東京――

郊外に建てられた大きな武家屋敷から、三人の男女が姿を見せる。

「では、いってらっしゃいませ」

「頑張ってね、次期当主様」

瓜二つの二人――双子の女性に見送られて、男性が頷く。

「今日は少し早く帰れると思います」

「へぇ……それなら、色々と準備しないとねぇ」

「準備って、何の準備?」

男性の言葉に意味ありげな表情を浮かべた一方の女性――妹に、
もう一方――姉が顔を真っ赤にして素っ頓狂な声を上げた。

そこから始まる小さな口論も、まあ、いつのも事だ。

「……それでは、行って参ります」

男性は肩を竦めながら、職場へと向かった。


本條一征――
二十九歳。

グンナーショックにおける功績によりSランクに昇格、
その後、諸々の理由もあって本條本家に養子縁組の形で入籍し、
本来の第一、第二後継者候補であった美百合と紗百合の辞退、
政界進出した現当主の強い推薦もあって本條家の次期当主第一候補となる。

本條美百合、本條紗百合――
共に二十七歳。

魔法技術の重要性の高まりを受けた本條家の隆盛により本邸を首都東京に移し、
そちらで毎日のように仲の良い姉妹喧嘩を繰り広げる。

現在に於いても、その“決着”は着かず……。



同、日本、東京――


整然とした広い工場の中を、長い黒髪の女性が携帯電話を片手に歩く。

「はい、それはそちらに搬入をお願いします」

携帯電話から聞こえてくる言葉に、女性は丁寧に返す。

作業着の上に白衣と言う、どこか色気の無い格好だ。

電話を終えた女性は、自分の作業台に辿り着くと、
先日届いたばかりの図面に目を落とした。

そこに描かれているのは、人型作業機械の図面だ。

「おーい、向こうから新しいパーツの設計図届いたよ」

と、背後から声をかけられて振り返ると、
そこにいたのは快活そうな女性。

幼馴染みであり、昔からの親友だ。

「さすがアレクセイ君、仕事が早いねぇ」

彼女から図面を受け取りながら、女性はおっとりとした笑みを浮かべた。


三木谷麗、山路香澄――
共に二十七歳。

大学でロボット工学を学んだ香澄は、実家と研究院からの援助を受け、
研究院や国内向けに魔力を動力とした人型機械の製作会社を設立。

親友である麗に経営を任せ、もう一人の親友の伴侶を共同研究者として、
後の世に変革をもたらす発明を行う。

スイス、若年者保護観察施設――


更正教育官や当直保護エージェント達の詰め所では、
大掃除が行われている最中だった。

「シルヴィア、その書類はそっちの棚にお願い」

「はい、先生」

上司と思われる銀髪の女性の指示に、
焦げ茶色に近い色の髪をした大人しそうな女性が、書類の束を棚にしまって行く。

書類は全て子供達のカルテだ。

と、そこに美しいブロンドの髪をなびかせた一人の若い女性が顔を出す。

「エージェント・ユーリエフ、
 頼まれていた新型機材の搬入、全て終了しました」

「あら、ごめんなさいね、エージェント・ユーリエフ……。
 Sランクのあなたに、こんなお使いみたいな事をさせてしまって」

金髪の女性の声に、銀髪の女性が、
どこか申し訳なさそうに、だが嬉しそうに返した。

「ふふふ……たまにはこっちにも顔を出したかったから」

「そう?」

互いをユーリエフと呼び合った二人は、互いに微笑み合う。

「お互いにユーリエフって呼び合ったら、
 どっちかどっちだか分かりませんよ?」

茶色の髪の女性が、どこか呆れたように呟いた。

「それも……そうだね」

「まあ、一応は規則ですから」

女性の言い分に、二人は苦笑い混じりに答える。

そこに、遠くからにぎやかな声が響いて来た。

ここで保護、治療、経過観察を受けている子供達の声だ。

「さぁ、人気者のクリスお姉ちゃんの出番だよ」

「………はいっ、任せて下さい」

銀髪の女性に“クリスお姉ちゃん”と呼ばれた金髪の女性は、
誇らしげな満面の笑みで答えた。


奏・ユーリエフ――
二十九歳。

対テロ特務部隊解散後、アジア太平洋方面支部に移籍した恩師、
シエラ・ハートフィールドの穴を埋める形で更正教育官の若年者保護観察副責任者に就任。

誘拐、テロ、違法魔法実験被害を受けた子供達の心のケアに生涯を捧げる。


クリスティーナ・ユーリエフ――
二十歳。

Sランク保護エージェントとして、
主に若年者誘拐事件の解決、違法研究者の摘発などで活躍。

二代目・閃虹の異名で犯罪者達に恐れられ、
また、彼女に救われた多くの子供達に慕われる。

結・F・譲羽――
二十七歳。

アレクセイ・F・譲羽――
二十七歳。

対テロ特務部隊解散後、アジア太平洋方面支部へ移籍。

2010年、入籍。

アジア太平洋方面支部に移籍し、結は保護エージェント統括官、
アレックスはギア開発部責任者としてそれぞれに活躍する。

2011年、待望の第一子となる長女、明日美を授かる。




太平洋沖、アジア太平洋方面支部メガフロート――

作りかけの部分も目立つ巨大メガフロートの端、
何処までも広がる太平洋を一望できる桟橋に、一人の少女が佇んでいる。

まだ幼く、年の頃は五歳に満たないだろうか?

肩よりも少し長く伸ばされた長い黒髪が強い潮風に揺られ、
頭にちょこんと乗せられた薄桃色のリボンと共に激しくなびいている。

しかし、少女はそんな潮風など気にする様子もなく、
桟橋のギリギリ、波しぶきが足にかかるような場所まで進み出て、
その深い緑色をした瞳で海でもなく空でもない場所を、ただまっすぐに凝視している。


――きっと、私は幸せなんだと思う。

  パパもママも、いつもお仕事で忙しくて、
  一緒にいられる時間が少ないのはちょっと哀しい。

  だけど、パパもママも、
  一緒にいられる時はいつも私を抱きしめてくれて、
  大好きだよって言ってくれる。

  私は、パパとママのその声が、とっても大好きだ。


  だから、寂しくなんかない。

  寂しさなんて感じない。

  だって、大好きなパパもママも、私をとっても愛してくれているから――


幼い少女の見つめる先、真っ青な空と海に、薄桃色の光が輝いた。

「ママ!」

その瞬間、潮風と波音を掻き消すような大きな声で、少女は母の名を呼んだ。



最終話「結、それは魔導の希望」・了

魔導機人戦姫 第四部・戦姫飛翔編・完

                       譲羽結物語・完

今回は……と言うか、今回で魔導機人戦姫、最終回と相成りました。
一年以上に渡ってお付き合い下さった皆様、本当にありがとうございます、お疲れ様でした。


一応、他にも小ネタやアレやコレやがありますので、
エタる前に書き上がるようならそちらも投下させていただきます。

乙でした。
大事な事なので二回言います。乙でした!
本当にもう、心の底から”乙!”としか言いようがありません。
なんだか言いたい事が色々ありすぎて、頭の中がグッチャグチャで、うまく纏める事が出来ません。
あえて言うなら、こんな正統派で素敵なお話をリアルタイムで見続ける事が出来て、本当に良かった。
ありがとうございました。
他にも色々おありのようですので、ワクワクして舞ってます。
それでは最後に恒例(?)の・・・・・・

結の、母となったあの子が多くの人から受け取った想いを継ぐ小さな娘さんの未来に、円環の女神と、白い魔王と黒い雷神の御加護のあらんことを!!

お読み下さり、ありがとうございます。

>正統派
女性主人公、その上、劇中で十一年もかけて子供から大人にまで成長する話は初でしたので、
そう言っていただけると有り難いです。

>リアルタイム
第一話からずっとお付き合い下さり、本当にありがとうございました。

>色々
とりあえず、現在書いているのがメイ主役の話です。
どんな話になるかは、まあ書き上がるかどうかも謎なのでお楽しみに、と言う事で。

他は「没設定座談会」みたいな楽屋オチのちょい寒めのネタや、
前にチラッと話した第五部がその間に纏まるかどうかって所ですね………。
第五部からは、まあ一人二人、第四部までのキャラが出るかもしれませんが、
基本的に主人公も舞台設定も大きく変化する予定ではあります。

エロい話はどうなるか分かりませんが……まぁ書くとしたら変態度高めのアレ×結ですw

>母となった~
こう言っていただけると、結の話をやり遂げたんだなぁ、と実に感慨深いです……。
初期構想からもう三年以上かと思うと感慨深さも一入です。

一年過ぎての完結乙
よくエタるこの板でよく完結させたものだ

お読み下さり、ありがとうございます。

自分もここまで(連載期間が)長く続くとは思ってませんでしたw
ともあれ、最後までお付き合い下さり、本当にありがとうございます。

一応、生存報告を………書いてますよ?

あれ?完結したからHTMLにしていいんじゃないの?

>>160
蝸牛の如き遅さではありますが、続きを書いておりますのでもう少々お待ち下さい

今の調子なら、早ければ今月中には……

>>162
おお、お待ちしてますよ~!

待っていた方もそうでない方もお待たせしました。
最新話を投下させていただきます。

 唐突だが、アタシは男運が悪い。

 別に付き合っている男がいるワケではないし、
 付き合っていた男がいたワケでもない。

 何と言うか、そう……アタシが好きになる男は色々と手遅れなのだ。

 いや、正しくは、“アタシが手を出すのが手遅れ”と言うべきだろう。


 最初に好きになった……と言うか、
 まあ妹的観点から“大好きなお兄ちゃん”になった男がいる。

 名前はアイザック・バーナード………ザック兄。

 全寮制の寄宿学校であるAカテゴリクラスに来たばかりの頃のアタシは、
 まあ、何と言うか……自分の足の速さに因んで欲しくないレベルで、
 早々にホームシックを患った。

 周りはみんなヨーロッパ出身で、アジア出身はアタシだけ。

 無論、肌の色が違う程度で差別するような子はいなかったし、
 同期のアレックスは他人そのものを気にしないようなヤツだった。

 当時、最年長だったエレナ姉が色々と面倒を見てくれたし、
 その頃はまだ悪戯っ子で甘えん坊だったフラン姉も一緒に遊んでくれた、
 ロロ姉に至ってはたまに同じベッドで寝てくれるほど親切にして……
 ああ、いや、今思えば、ロロ姉には体の良い抱き枕にされていたのか?

 ともかく、優しい姉貴分三人のお陰でアタシはホームシックを外に出すような事だけは避けられた。

 けど、溜め込み過ぎたホームシックは、逆にイライラとなってそのはけ口を求めるようになる。

 そんなアタシのイライラを、いつも受け止めてくれていたのがザック兄だ。

 イライラと言うか、まあもっとざっくりと言えば、全力の蹴りだ。

 故郷では誰も受け止められなかったアタシの蹴りを、ザック兄だけは受け止めてくれたんだ。

 今思えば恥ずかしい話だけど、アレには運命を感じたね。

 アタシの全力を受け止めてくれる人がいるんだ、って喜びだ。

 いつしかザック兄はアタシにとって“大好きなお兄ちゃん”になって行く。

 けど、そんな淡い恋心にも遠かった思いが恋心になる直前、
 唐突に“待った”がかけられた。

 よくあるパジャマパーティーでの恋バナだ。

 そこでロロ姉がザック兄を好きだと言う事、
 ザック兄が満更でも無いんじゃないかと言う事。

 まだ七歳だったアタシは、そこで悟ってしまったんだ。

 “あ、ヤベ、ロロ姉には勝てねぇや”

 何を以てそう考えたのかは分からない。

 だが、直感的に悟ったんだ。

 ザック兄の事に関して、アタシじゃロロ姉には勝てない、って……。

 別に初恋では無かった。

 恋心を恋心と認識する前にアタシの“初恋っぽい何か”は終わり、
 だけどまあ、我ながら節操が無いと言うか、程なくして次の恋が訪れる。

 正直、こればかりは自分でもどうかと思う程、節操がない。

 それは八歳の頃の事だ。

 恋のお相手は、何とあのいけ好かないと思っていた同期のムッツリ眼鏡。

 アレクセイ・フィッツジェラルド……アレックス。

 Aカテゴリクラスでは定期的に席替えを行う。

 気分転換で授業のマンネリ化を防いだりする目的もあるが、
 ある種のガス抜きと言うか、逆に適度な緊張感を持続させる意味合いがあったのだと思う。

 で、入学してから二年、初めて隣同士になった同期の横顔をチラ見する事が増えた。

 そしたら、まぁ……アレよ……真剣な顔してると、コイツ、中々格好いいんだわ、悔しい事に。

 サラッサラの金髪に少し青みのある深い緑色の瞳、ちょっと中性的な顔立ち……
 眼鏡をかけていなければ御伽噺の王子様だ。

 しかもコイツ、口は悪いけれど意外と優しい所がある。

 ハッキリ言ってこのギャップは卑怯だ。

 だが、まあ、その頃にはアレックスと口喧嘩友達的なポジションを見事に築き上げ切ってしまっていたアタシは、
 胸に秘めたる思いを口にする事が出来ず、一年、また一年と時を重ね……十歳を迎える。

 そこで初めて、自分以外のアジア人の友人を得る事になる。

 譲羽結だ。

 これが、まあ、何と言うか………頭に二つ三つドが付くレベルの天然さんだった。

 だが、別にドジッ娘と言うワケではなく……いや、まあかなりドジな面もあるのだが、
 それでも料理は達人級の腕前、勉強も魔法もスラスラと覚え、さらに魔力も人並み外れて大きい、
 傍目に見れば完璧超人のソレと言う厭味な………ああ、もとい、羨ましい子だったのだ。

 しかし、別にその頃の結がアタシの初恋に一石を投じる事はなく、
 いつも通りの日々が過ぎて行く。

 しかし、そんな新しい友人の親友が、アタシ達の“姉”としてやって来た日に事件が起きた。

 いや、正しくはその日を境に起きた事件に、アタシは数日後に気付いてしまったんだ。

 アレックスが普段は見せないような顔を見せるようになった。

 真剣で、思い詰めたような……彼自身の表情に見覚えはなくても、
 アタシはその顔をよく知っていた。

 そう、その表情は彼の事を想ってアタシが浮かべる表情のソレと……、
 彼の事を想って鏡を覗き込んだ時に見る表情と、よく似ていたのだ。

 そして、アレックスの視線の先を見て、アタシは愕然とした。

 アレックスの視線の先には、結がいたのだ。

 アタシの二年間温めた本当の初恋は、編入してから半年足らずの結によって、
 一気にひっくり返されてしまったのである。


 アタシは男運が悪い。

 アタシが好きになる男は、いつもアタシ以外の人を好きになる。



 アタシの名前は李・明風。
 世界最速の足を持つ魔導師。
 そして、鈍足の恋しか出来ない、手遅れの女。

番外編「メイ、未来に繋がる一つの物語」

―1―

 2011年三月半ば。
 魔法倫理研究院、アジア太平洋方面支部――

 東京のオフィス街の一角に聳える巨大な官庁舎に、
 アジア太平洋方面支部が間借りしているフロアはあった。

 捜査エージェント隊各部署の詰め所兼オフィスとなっているそこには、
 今日も多くの捜査エージェント達が出入りしている。

 その奥まった一角、簡易な間仕切りで仕切られた統括官執務室の名札のかけられた場所での出来事だ。

メイ「潜入捜査ぁ?」

結「そうなの、場所が場所だけに保護エージェントは送り込み難いし、頼めないかな?」

 怪訝そうな声を上げた同期で幼馴染みの親友兼同僚に、
 結はどこか困った様子で資料を手渡しつつ呟いた。

メイ「まぁ、潜入捜査はアタシの十八番だし……でも、ここって学校でしょ?」

メイは早速目を通した資料の一部を見ながら尋ねる。

 確かに、そこには学校法人らしき名前が踊っていた。

結「うん。国立国際魔法学院。
  去年新設されたばかりの魔法教育メインのインターナショナルスクール」

メイ「ああ、それなら知ってるって。

   本條家に非協力的な政治家主導で作った学校でしょ?
   例の地下闘技場関係の怪しい政党の生き残り連中が、
   自分たちの足場固めに作ったとかって噂されてるアレ」

結「そう、それ」

 やや説明的なメイの言葉に、結は苦笑い気味に頷く。

 メイの言い分も尤もだが、実際の設立理由はもう少しクリーンな学園だ。

 確かに、本條家に非協力的で、かつ以前の――
 三年と少し前に特務が関わった事件で大量の逮捕者を出した某政党の元党員だが、
 彼ら自身にその件の落ち度は全くない。

 非協力的なのは魔法が秘匿されていた事に対する疑心から来る物で、
 言ってみればそれも正当な言い分である。

 そんな彼らが中心となって、日本の時代を担う魔導師教育を自分達主導で行おうと、
 世界各国からフリーの魔導師を呼び寄せ、小中高一貫の魔法教育を施すべく、
 国籍を問わずに入学可能としたのが件の“国立国際魔法学院”だ。

 魔法に興味を持った子供達の編入を広く受け入れ、
 現在の生徒数は初等部六学年三五六名、中等部三学年二一四名、高等部三学年二二五名、
 生徒総数七九五名、教員総数一二二名、魔法教育機関としてはかなり大きな学校だ。

結「それで、この事件の捜査依頼は隆一郎さん……本條家御当主からなんだけど」

メイ「って、何でそこで隆一郎さん?」

 結の言葉に、メイは怪訝そうな声を上げた。

 国立国際魔法学院は、前述の通り本條家に非協力的な政治家主導で作られた学校だ。

 何でそこの捜査依頼に本條家当主の名が上がるのか?

メイ「まさか、ライバル政治家の足引っ張るような情報集めて来い、とか?」

結「う~ん……この依頼事態が、既にその引っ張る足のアキレス腱だけどね」

 やや呆れたようなメイの質問に、結は苦笑いを交えて呟いた。

 メイが何の事やらと小首を傾げていると、結はさらに説明を付け加える。

結「自分たちのお膝元で事件が起きたけれど、
  解決のしようがなくて泣きつかれちゃったんだって……」

 メイは結の説明を聞くと“あらら……”と半笑いで漏らした。

メイ「で……政治家同士だし、交換条件有りなんでしょ?」

結「詳しい話は私も聞かされていないけれど、
  次の国会で提出される与党案に賛成票投って所じゃないかな?
  反対してるのは例の野党第一党と切り崩された与党の一部だし……」

メイ「次の……って、ああ、保有魔導兵器保有限度に関する国連決議に対する法改正案だっけ?
   あれは絶対に可決して欲しいわ………」

 結もメイの言葉に頷く。

 保有魔導兵器に関する国連決議とは、
 昨今の魔導技術の台頭による新兵器開発競争に歯止めを掛けるための物だ。

 もう三年以上前になるグンナーショックの際に、
 通常の近代兵器が魔法を応用した近代兵器の前では無力だと証明されてしまった事により、
 各国は挙って魔力を応用した新型兵器の開発に着手したのである。

 自国の安全保障の事を考えれば、
 敵性国家やテロリストが“魔法を使えたので対処できませんでした”では済まされない。

 国家として魔力応用兵器の開発は急務なのだ。

 但し、その“急務”を盾に危険な魔力応用兵器……それこそグンナーショックの際の、
 件の砲撃戦艦のような大量殺戮兵器を作らない、作らせないと言った取り決めが、
 メイの言った“保有魔導兵器保有限度に関する国連決議”なのである。

 この事が問題視される以前の2008年から2009年にかけての動乱期は、
 それはもう、一体全体、幾つの国や地域に干渉、査察を行ったのか思い出せないほどだ。

 元来、魔法倫理研究院エージェント隊は
 魔法技術全般の悪用を目的とした個人や組織に対しての多面的な制裁、被害者の保護や救済、
 世界各地の魔法関連遺産、遺跡の調査・補修・保護などを目的とする国際組織であって、
 特定の国家・地域への干渉、査察を行う国際団体ではない。

 正直な話、別件の仕事が増えれば増えるほど、本来の業務に差し障りが出てしまう。

 有り体に砕けた言い方をすれば
 “国同士のいざこざはさっさと国連で見張ってくれ”と言うのが本音だ。

 一応、被災者救助の名目で紛争地域への医療派遣も請け負ってはいるが、
 それはそれ、これはこれである。

結「核の脅威だって健在だもの……」

 結は溜息がちに呟く。

 グンナーショックによって軍事大国アメリカの対魔法防衛の脆弱性が明らかになった所で、
 彼の国が世界各地の洋上に浮かべた原潜に積まれている核ミサイルの影響力が去ったワケではない。

 むしろ、国内の安全保障面が完全に回復できていない状況であるため、
 核の脅威は以前よりも増していると考えていいだろう。

メイ「まあ、だからこそ、
   今の状況で魔法使って余所の国に喧嘩をふっかけるような阿呆はいないだろうけどね……」

 二人はそう言うと、顔を見合わせたまま肩を竦め、溜息を漏らした。

結「……話が脱線しちゃったね」

 結は苦笑い気味に言ってから、気を取り直して資料に目を落とす。

 メイもそれに合わせて自身の手元の資料に目を落とした。

結「とりあえず事件は仮称で“国立国際魔法学院連続意識不明事件”。
  中等部二年生から高等部一年生くらいの生徒を中心に、
  文字通りに意識不明になる事件が多発しているらしいの」

メイ「意識不明………って事は、心肺停止とか脳死って感じじゃないの?」

結「幸い、そうみたい。
  だけど、最初の意識不明者が出たのが去年の九月の頭。
  もう半年以上経ったのに、その子は意識が戻っていないって」

 メイの質問に、結は悔恨にも似た表情を浮かべて呟く。

 結の専門……と言うより、最も注力していた任務は若年被害者の救済だ。

 事ここに至るまで知らされなかったとは言え、
 そんな事件が起きている事に気がつかなかった事が悔しくて堪らないのだろう。

メイ「えっと……杉内博巳、中等部二年生。倒れたのは去年の九月七日」

結「そこから一週間で立て続けに五人……合計六人。
  その全員が中等部の生徒だよ」

メイ「………その六人から、次に倒れたのが二ヶ月後の四人。
   このレベッカ・クルーニーって子はアメリカからの留学生か……。
   この子が高等部最初の犠牲者って事か……」

 結とメイは順繰りに資料に目を通して行く。

 被害者は全部で十九名。
 資料上では八ページ分だ。

 九月、十一月、そして、今年の一月の三回。
 およそ二ヶ月のインターバルを空けて六、七人が倒れている。

 内訳は国内からの編入生が十一人、海外からの留学生が八人。
 中等部が十六人、高等部が三人。
 さらに中等部の生徒でも二年生が十一人、三年生が五人。

メイ「見る限りは中等部二年が怪しいね」

結「被害者の分布を見るとね……」

 メイの推測に同意しながら、結はさらに続ける。

結「意識不明の原因は特殊な薬物による物と推測されているんだけど、
  薬物の詳しい組成が分かっていないから治療が難しいらしいの。

  保護エージェントや捜査エージェントを送り込もうにも、犯人の特定も終わっていないし、
  何より、証拠品の薬物を破棄されるワケにもいかないから」

メイ「つまり、アタシの任務は犯人の逮捕と薬物の現物入手ってトコね」

 結はメイの言葉に頷きながら“ご明察”と付け加えた。

メイ「けど、任務の内容も重要度も把握はしたけど……何でコレがアタシに?」

 任務内容の確認を終えたメイは、再び怪訝そうに漏らす。

 任務が“失敗できない理由”は確かに理解した。

 その重要度が高いのも分かる。

 だが、犯人逮捕と証拠物品の押収程度の任務ならば、わざわざSランクの自分が出向くまでもない。

 若手やベテランのA、Bランクのエージェントに任せてもいいだろうし、
 その方がキャリアを積ませる意味でも効率の意味でも良いだろう。

 しかし、その理由はすぐに分かった。

 被害者一覧の次のページに、
 三十代ほどの男性の顔写真と身分証名称のコピーが掲載されていた。

 そのコピーには、先月の日付と共にやや掠れた“死亡”の文字が捺印されている。

結「日本の公安職員だよ……。

  去年末に、産休の先生の代わりに潜り込ませたそうだけど、
  先月、宿直室で死亡している所を確認されたって……」

 重苦しそうな結の言葉に、メイは“なるほど……ね”と漏らした。

 死亡した男性の実力の程は分からないが、
 この事件で潜入捜査のお呼びがかかる程の手練れだったのだろう。

 公安職員としても、無論、魔導の使い手としてもだ。

 そんな彼が死亡したとなれば、
 研究院支部上層部としても切れるカードの中では最善手を、との判断を下すのは当然と言えた。

結「本当なら私が行きたかったんだけど……」

 結はそう言いながら、自分の身体……その下の方に目を向ける。

 結のお腹は大きく膨らんでいた。

 無論、食べ過ぎではない。

メイ「出産目前の妊婦がどうやって潜入すんのよ……」

 そう、結の身体には新たな命が宿っていた。

 妊娠九ヶ月、来月――四月には出産と言う状況だ。

 そんな身重の身体で大立ち回りをするかもしれない潜入捜査など不可能である。

 メイでなくても呆れた声を漏らすだろう。

 むしろ、十四年来の幼馴染みで友人としては、
 今すぐにでも産休を取って自宅でのんびりしていて欲しい所だ。

 まあ、この重度の仕事中毒者に何を言っても今更無駄と言う事は理解しているので、
 彼女の負担にならぬようにフォローするしかない。

メイ「母親になるんだからさ、もうちょっと自覚持ちなって。
   下手に無理させたら、アタシがフラン姉達に鉄拳制裁されちゃうよ」

 離れて暮らすようになって長い兄姉達の顔を思い出しながら、
 メイはわざとらしく肩を竦めて見せた。

 鉄拳制裁は大げさかもしれないが、そのレベルで恐ろしい“何か”は免れないだろう。

結「うん……」

 一方、結は“母親になる”と言う言葉に、僅かばかりの不安を浮かべながらも、
 愛おしそうに膨らんだお腹を……その内にいる未だ見ぬ我が子を撫でる。

メイ(まぁ……これなら無理して飛んで来るなんて事は無いか……)

 その様子を見ながら、メイは心中で安堵の溜息を漏らし、さらに続けた。

メイ「まぁ、アタシにお鉢が回って来た理由も分かった事だし、
   ちゃちゃっと片付けて来るわ」

 メイは自信ありげにそう呟くと、結も表情を引き締めて向き直る。

結「それじゃあ、お願いしますね、エージェント・李」

メイ「了解しました。
   フィッツジェラルド統括官」

 二人はどこか戯けたように、だが至極真面目な面持ちでそんな言葉を交わし合った。

―2―

 明後日――

 潜入捜査のための機材の準備を終えたメイは、
 連続意識不明事件の現場である国立国際魔法学院へと向かう車の中にいた。

 メイは助手席に深く腰掛け、どこか不満げに外の光景を見ている。

 運転手はこれまた結と同じく十四年来の幼馴染みで友人でもある本條紗百合だ。

紗百合「はい、じゃあこれ、潜入用の偽造身分証と“人物設定”ね」

 車が赤信号で停止した瞬間を見計らい、
 紗百合はダッシュボードの中から大きめの封筒を取り出し、メイに手渡した。

メイ「………えーっと、何々……?

   名前は揚・明華……ヤン・メイファか。
   台湾出身。両親は台湾政府付きの魔導師。
   元は香港を拠点としていた魔導師一家。
   2004年に台湾に移住……っと。

   アタシの実家と全く同じね……よく出来てるじゃん」

紗百合「父様達も最初からあなたに依頼するつもりで準備して貰っていたみたいだから」

 やはりまだ不満げなメイに、紗百合はどこか楽しげに返す。

メイ「……で、それはいいんだけど……何で、現地で使う服が学生服なの!?」

 メイは自らの身体を見下ろし、身に纏っている服の裾を摘んで叫んだ。

 髪も普段している一つ結びではなく、十代の頃によくしていたロングツインテールである。

 しかも可愛らしいリボンのオマケ付きと来た。

紗百合「っ……しょうがないでしょ、身長153センチで先生って、ちょっと無理あるでしょ?」

メイ「あっ、今敵に回したよ?
   身長155センチ未満で悩んでる女性教師全員を敵に回したよ?」

 噴き出しそうになりながら語る紗百合に、メイは怒ったように詰め寄る。

突風『大人げないわよ、メイ。
   潜入捜査は無理なくその場に融け込むのが鉄則でしょ?

   まさか、学校で一日中シークレットブーツってワケにもいかないんだから』

 そんな主の様子に、愛器が溜息がちに漏らした。

メイ「……百歩譲って生徒なのはいいわよ!
   問題なのは、何で中等部の、しかも二年生なのかって話!

   アタシ、もう二十三だよ!? 再来月には二十四だよ!?

   仕事とは言え、何が哀しゅうて十四歳のフリをしなきゃいけないの!?」

紗百合「歳は知ってるわよ、同い年だもの。

    それに、怪しいのは中等部二年って分かってるでしょ?
    なら一番怪しい学年に潜り込むのが筋って物じゃない」

 感情的なメイに対して、紗百合は実に尤もな正論で返す。

 確かに、資料を見た時に自分でも当たりを付けたのは中等部二年だ。

 そして、メイの身長は153センチと、成人女性にしては実に小柄で体格もスレンダーであり、
 中学生と言っても通じてしまう。

 適任と言えば適任なのだ。

メイ「くっ……何でウチの家系でアタシだけチビなのよぅ……」

 メイは悔しそうに漏らす。

 メイの祖母はイギリス人であり、その血を受け継いだ中英ハーフの父は一族でも飛び抜けて身長が高く、
 日系台湾人三世の母こそ小柄ではあるものの、自分と同じ遺伝子を受け継いでいるハズの兄はかなりの高身長だ。

 まあ、言ってみれば母の遺伝子が色濃く出た結果だ。

メイ「ハァァ………」

 メイは盛大な溜息を一つ漏らすと、気を取り直す。

 とりあえず、言いたい事は言ってスッキリとはした。

メイ「まったく……この格好したアタシを見て、みんな笑うんだから」

 メイは出発前に、仲間達が向けた視線を思い出して不満げに唇を尖らせる。

 数人ほど、堪えきれずに笑い出した後輩が数人いた。

メイ(この任務が終わって戻ったら、究極穿孔・疾風飛翔脚の練習台にしてやる……!)

 メイはそんな物騒な事を考えながらも、改めて資料に目を通す。

メイ「けれど、こんな時期外れの留学なんて、返って怪しまれない?」

紗百合「そうでもないわよ?

    意外と各国への周知が進んでいないのか、時期外れの留学生は多いみたいだし、
    先月もアメリカからの留学生や、北海道の中学からの編入生もいたって聞いたわ」

メイ「それって、編入テストが大変じゃない?」

紗百合「初等部と中等部は基礎学力と一定以上の魔力適正があればどうにかなるような学校らしいわ。
    中等部から授業には取り入れてはいるけど、本格的な魔法修得は高等部になってからね」

 自らの怪訝そうな質問に答えてくれる紗百合の言葉を聞きながら、
 メイは次第に呆れたような表情を浮かべた。

メイ「何かいい加減じゃない?」

紗百合「国家主導の大規模公的魔法学習機関としては世界初だから、
    まだ手探りなんでしょう?

    最初からウチにも一枚噛ませれば、
    研究院の訓練校やウチの修練場のノウハウを取り入れて、
    もっとまともな魔法学校が作れたって言うのに……」

 メイの言葉に、今度は紗百合が盛大な溜息を漏らした。

 訓練校の学習方針は魔法に比重を置いた七年制だが、
 それでも基本学習教科も当人が望んで相応の学力さえあれば高等教育や、
 理系に限れば大学レベルまでは受けられる。

 実際、メイも高等教育修了レベルの学はあるし、
 結も法務関連の仕事を行う保護エージェント志望であった事もあり、
 Aカテゴリクラス卒業前に研究院司法試験の合格判定は受けている。

 小・中・高一貫教育の十二年制ならば、Aカテゴリクラスレベルは無理だろうが、
 選択制の授業を含めても訓練校に近い教育カリキュラムを組み立てられるだろう。

紗百合「……まあ、世間的には魔法なんてまだ未分化、未開拓の分野って考えなんでしょうね」

メイ「ああ……それは有りそうだわ」

 歴史の古い魔導の家柄に生まれ、
 幼い頃……それこそ物心つく以前から魔法に慣れ親しんで育った二人は、
 どこか苦笑い気味に呟いた。

メイ「ん? って事は何?
   両親が魔導師って、この学校だと何げにレアケース?」

紗百合「そうなるわね」

 その事実に思い至ったメイの言葉に頷き、紗百合はさらに続ける。

紗百合「代々の魔導の家に生まれたら、
    欧州の訓練校行きか実家や修業場で修練ってのが当たり前だもの、
    どっちかって言うと、研究院とは関係の無かったフリーの魔導師の子とか、
    突然に魔力覚醒しちゃった結みたいな子の方が多いんじゃないかしら?」

メイ「結みたいって、それはそれで空恐ろしいんだけど……」

 紗百合の言葉を聞きながら、メイは肩を竦めた。

 数百年に一人と言うレベルの天才魔導師が妹分にいるため実感が薄いが、
 結もアレはアレで天才と区分すべきの魔導師だとメイは考えていた。

 結自身は非才を名乗って譲らないだろうが、
 魔法の基礎を覚えるスピードが圧倒的に速かったのは確かなのだ。

紗百合「ああ……結も結で、アレはレアケース過ぎるか」

 百合はそう言って、これはしたり、と噴き出すように笑った。

 そして、気を取り直して続ける。

紗百合「まあ、とにかく……私達の実家や訓練校とは毛色が違うって事は確かね」

メイ「了解。頭に入れとくわ」

 メイは手渡された封筒の中に入っていた留学生向けのパンフレットに目を通しながら答えた。

 留学生や遠隔地からの学生を受け入れるために、学院の周辺には多数の学園寮を建設。

 初等部からでもそう言った生徒を受け入れられるよう、豊富なスタッフを雇用。

 学院の敷地内には魔法研究資料なども閲覧できる総合図書館や、
 最早スーパーマーケットやデパートと呼ぶべき規模の購買部が存在している。

 将来の人材育成、雇用促進公共事業の二つの観点から作られた施設であると言う事が窺えた。

メイ(税金を注ぎ込んだ国公立の学校で、これだけ充実した施設か……。

   よくまあ世論やマスコミが騒がないって言うか……、
   それだけグンナーショックが恐ろしかった、って事かな……)

 この学院に使われたであろう国家予算の額を考えながら、メイは心中で独りごちる。

突風<魔法は安全保障と切っても切れなくなったものね……>

 主の心中を察してか、突風がそんな言葉を思念通話で漏らした。

 そう、全ては国家安寧のため。

 ついでに雇用確保――これも回り回れば国家安寧であろう――のため。

 国としてやるべき事を正しくやっていれば、世論は国政を糾弾する必要などない。

 しかし、それでも生徒十九名が薬物が原因とされる意識不明、
 公安職員一名死亡――まず間違いなく犯人グループによる殺害――と言う状況だ。

 そちら方面でマスコミが騒ぎ出さないのは逆に不可思議でもある。

 マスコミが騒いで国際問題になるのを避けるための箝口令が考えられるが、
 だとすれば、どこからどのような圧力が掛かっているのだろうか?

メイ(下手をすると、日本以外の国が絡んでるってのも視野に入れておかないとね……)

 そんな事を考えながら、メイは心中で深く溜息を漏らした。

―3―

 国立国際魔法学院――

 前述の通り、将来の日本を背負って立つ魔導のスペシャリストを育成するために設立された、
 世界初の国家主導型の大型魔法学習機関である。

 小・中・高の一貫教育を掲げ、東京都八王子市と神奈川県相模原市を東西に跨ぐ形で、
 城山湖西側の湖畔に作られた国内でも最大級の敷地面積を誇る魔法教育と魔法研究の総合学習施設だ。

 初等部六学年三五六名、定員六〇〇名。
 中等部三学年二一四名、定員四二〇名。
 高等部三学年二二五名、定員四八〇名。
 生徒総数七九五名、総定員一五〇〇名。
 教員数一二二名、予定総教員数二〇〇名超。

 一七〇〇名の人員を受け入れる施設の維持、管理、
 さらに周辺施設の従業員を含めれば万を超える、
 謂わば学園都市と言っても過言ではない巨大施設。

 現在七九五名いる生徒の約二割に及ぶ一七五名が海外留学組であり、
 教員の約半数が魔法倫理研究院のエージェント訓練校や、各国の研究院加盟修行場を経て、
 一般生活を営む事となった魔法技術修得者や、世界各国の魔法研究者で占められている。

 教育方針に関しては、魔法技術修得者や魔法研究者の意見を取り入れ、
 可能な限りエージェント訓練校の教育ノウハウを再現していた。

 だが、必須科目以外の一般科目――美術や音楽と言った科目だ――の授業時間も多く、
 まだ手探りと言った状況である。

 また生徒や教師達には魔法倫理研究院や本條家から買い取った第五世代簡易ギアを、
 各一器ずつ配布していた。

 これは世界各国の言葉が飛び交う中でもタイムラグ無しでのコミュニケーションを取れるようにする一方で、
 将来的に国産開発が予定されている教導用魔導ギア導入までの代用品でもあり、
 さらに一部の高い魔力を持った生徒の魔力を抑制するためのリミッターの役割も果たしている。



 そして現在、校舎裏手の教員用駐車場で紗百合と別れたメイは、
 職員室を経て、中等部校舎の二階廊下を中年の男性教師に先導される形で歩いていた。

メイ<うわぁ……八百人近くいる学生一人一人に第五世代とか、
   施設よりこっちの方が金かかってんじゃないの?>

 つい先程、職員室で教科書と共に手渡されたブレスレット型の簡易ギアを見ながら、
 メイは半ば呆れを交えた驚嘆を心中で漏らす。

 第五世代を授業で使ってる教育機関など、
 本家魔法倫理研究院の訓練校でも、まだAカテゴリクラスくらいのハズだ。

突風<お陰で研究院と本條家の台所事情は暖かいけれどね……>

メイ<まぁ、それはそれで有り難い事で……>

 突風のフォローに、メイは溜息がちに応えた。

 現在、魔法倫理研究院は太平洋上にアジア太平洋方面支部のためのメガフロートを急ピッチで建造中となっている。

 再来年度の夏――実質、一年半後――には支部用のビルと職員用居住施設が完成予定であり、
 その辺りの資金繰りを思えば、高価なギアを購入して貰う事は研究院にとっては有りがたい事なのだ。

メイ(そう言えば、ウチも五、六年後を目処に
   メガフロートの方に本家と道場移すって話だったっけか?)

 メイは年末年始の休暇で里帰りで聞かされた話題を思い出しながら、視線を窓の外に向ける。

 城山湖からの照り返しを考慮して南向きに作られた校舎の廊下側からは、
 縦並びに建てられた初・中・高の校舎の内、最北に建てられた高等部校舎を臨む眺めだった。

 逆に南向きとなる教室側からは二棟の初等部校舎が見えるハズだ。

 日照条件を均等に保つためか、それぞれの校舎の距離は五十メートルほど離れており、
 そのまま視線を山肌……西側に目を向ければ全学部共用の特別教室棟が見えた。

メイ(……一応、アレが最低限の節約って事かな?)

 兼用可能な部分は極力兼用と言う事だろう。

 体育館も一際大きな物がその横に建てられている。

教師「ここは何かと設備が大きいですからねぇ……驚いたでしょう?」

 あちこちを見渡しているメイの様子に気付いた教師が、
 やや乾いた笑い声を交えて呟いた。

 その声音は、どこか呆れ半分と言った風だ。

 これだけの施設を作るために資金を投じるだけの価値があるか半信半疑と言った所なのだろう。

 特に、今のような連続意識不明事件が起こっているのだから尚更と言うべきか。

メイ「はい、何もかも大きくて……凄い学校ですね」

 しかし、メイはその辺りの推察は敢えて隠し、当たり障りのない感想を述べる。

 目の前の教師……今日から自分の担任となる彼は一般教科が担当であり、
 自分の正体――魔法倫理研究院の諜報エージェントである事――は知らされていない。

 本当に十四歳の中学生だと思われているのだろう。

メイ<本当は二十三なんだけどなぁ……>

 本日、もう何度目かも分からない同じ愚痴を胸中で漏らす。

 ちなみに、五月には二十四歳の誕生日を迎える。

突風<………>

 悲痛ささえ感じる主の愚痴に、突風もコメントに窮した様子だ。



 そうこうしている間に目的の教室にたどり着いたのか、
 足を止めた教師に倣って、メイも足を止める。

 入口の上には“2-A”と刻印された表札がかけられている。

メイ(本当に二年生なんだ……アタシ……)

 捜査上の事とは言え、さすがに情けない気持ちになって来た。

 しかし、肩を落とすワケにもいかない。

教師「私が合図したら入って来て下さい。

   ああ、それと……みんな転校生には慣れているから、
   緊張しなくても大丈夫ですよ」

 教師の言葉にメイは頷いて“はい”と短く応え、彼の背中を見送る。

 僅かなざわめきが教室から漏れて来るのは、席を立っていた生徒達が慌てて自分の席に戻る音だろう。

 ホームルームが始まって自分が呼ばれるまではおそらく二分足らず。

 メイはその僅かな時間を利用して情報整理を始める。

メイ(中等部は一学級二十五名で一学年最大六学級。
   今はA、B、Cの三学級だけ……。

   魔法学科の成績順に上から割り振るから、A組って事は成績上位者クラスって事か……)

 まあ、一応プロではあるし、さすがにC組行きを免れただけでも良しとすべきだろう。

 編入基準となった成績に関しては、本條家が根回ししてくれた偽造書類のお陰なのだが、
 学生が習うような初歩魔導で遅れを取る事はないので実際にも問題無いハズだ。
   
メイ(中等部被害者十一人中、A組四名、B組四名、C組三名……。
   まあ、犠牲者の数は殆ど横並び……。

   手持ちの情報じゃあ、どのクラスに配属されても条件は一緒って所か……)

教師「揚さん、入って来て下さい」

 メイがそこまで考えを及ばせたのと同時に、教師から名を呼ばれた。

 分かり易い合図だ。

メイ「……失礼します」

 メイは軽く深呼吸してから、意を決して教室に足を踏み入れる。

 その途端、教室内が大きなざわめきに包まれた。

 転校生には慣れていると聞かされたのにこのざわつき様は、
 それ以外の理由と言う事に違いない。

メイ(うんうん、まぁ、そうでしょう、そうでしょう。
   いくら歳を偽っても、滲み出る大人の色香は隠せないって事よねぇ……)

 メイは感嘆にも似たざわめきに包まれた教室を、一歩一歩誇らしげに進む。

 幼い頃から平均的美人以上の顔立ちの姉貴分やら幼馴染みに囲まれていたが、
 これでも十人並みで収まらない程度の容姿である事は自負している。

 勿論、単なる自惚れではなく、対外的な評価を受けて生まれた確固たる物だ。

 小柄でスリムな体型。
 平均値以上の顔立ち。
 本條家と並ぶ魔導の名家の血統故の滲み出る立ち居振る舞い。

 それら三つが合わされば、他者から得られる賛辞はそう――

女子生徒A「……かわいいっ!」

メイ(あっるぇぇっ!?)

 ――予想と反した賞賛の言葉に、メイは思わずつんのめりそうになってしまう。

女子生徒B「何だか“可愛らしい”って感じの子だね?」

女子生徒C「そう? リボンでツインテとか狙いすぎじゃない?」

男子生徒A「なんだ? 嫉妬かよ?」

男子生徒B「女の嫉妬は怖いねぇ~」

女子生徒C「黙れ、男子!」

メイ<何か……さっきまでの予想と違う>

突風<あ、アハハハ……>

 生徒達の教卓の横に立ちながら胸中で愚痴るメイに、突風は乾いた笑いで誤魔化す。

 年齢に似合わぬ小柄過ぎる体型――出るべき……と言うか出て欲しい所の出ていない体型。
 平均以上の顔立ち――確かに綺麗ではあるが、幼さが抜けきらぬ少女らしい愛らしさ。
 名家の血統故の滲み出る立ち居振る舞い――など、元から無かった。

 それら三つが導き出す答は、同性の、それも十歳近く年下の少女達からの“可愛い”である。

メイ(う、嬉しいけれど……釈然としない……)

 メイはその場でがっくりと項垂れたくなる衝動に駆られたが、
 取り繕ったような笑顔を貼り付けて生徒達の方へと向き直った。

女子生徒D「緊張してるね……」

男子生徒C「き、緊張してる姿も可愛い……」

女子生徒C「鼻の下伸ばしてんじゃないわよ……もう」

女子生徒E「でも、可愛いなぁ……」

 賞賛、羨望、感嘆……リアクションの割合は何故か同性が多い。

教師「さあさあ、そろそろ静かにしましょう」

 ざわつく生徒達を軽く注意すると、教師はホワイトボードにマジックでメイの偽名を書いて行く。

教師「さあ、自己紹介をどうぞ」

メイ「……はい」

 その頃にはようやく気を取り直したメイは、車中でシミュレートした挨拶を思い出す。

メイ「台湾から来た、揚・明華です。メイって呼んで下さい。
   もう三学期も終わり近いですが、よろしくお願いします」

 出来るだけ、当たり障りのない自己紹介。

 潜入捜査の鉄則は“目立たず、騒がず、波立たせず”である。

 事前調査で他に台湾からの留学生は全学部全学年で三十七名。
 隣国、魔法倫理研究院加盟国と言う立地や条件もあって決して珍しい国籍ではない。

 直前に渡された資料通り、A組の二十一名の内半数は留学生であり、
 その中にも二人の台湾人が含まれている。

 当たり障り無く振る舞えば、特に問題無く埋没して行けるだろう。

教師「じゃあ、揚さんの席は窓側から二列目の最後尾になります」

 教師に視線で席を示され、メイもそちらに目を向ける。

 元々、幾つかの空席があったが、その空席の内に四つは意識不明事件の被害者の物だ。

 四名の列が四列、五名の列が窓際に四列で計二十一名。
 メイの席は教卓から向かって右側――窓から二列目の最後尾である五番目。

メイ(五番目の席なんて初めてだわ……)

 メイは自分の席に向かいながら心中で独りごちた。

 Aカテゴリクラスに在籍していた頃は、どんなに多くても生徒数は八名。
 二・三・三の配置だったので教卓からこんなに離れるのは初めての経験だ。

 とは言っても、学生と言う経験自体がもう十年近く前の話ではあるのだが……。

教師「あ~、委員長……藤枝君。
   揚君が慣れるまで君が面倒を見てあげて下さい。
   施設の案内もよろしくお願いしますね」

男子生徒D「はい」

 藤枝【ふじえだ】と呼ばれた男子生徒が、教師の言葉に応える。

 彼の席はメイの隣、窓際の最後尾だ。

メイ「よろしく、藤枝君」

 自分の席に着いたメイは、藤枝に会釈する。

男子生徒D(藤枝一真)「僕はクラス委員の藤枝一真。よろしく、揚さん」

 メイの挨拶に応え、彼も小さく会釈をした。

メイ(ま、クラス委員の名前くらいは調べて貰ってあるけどね)

 そう心中で独りごちながら、メイはこのクラスの簡単な情報を思い出す。

 彼の名前は藤枝一真【ふじえだ かずま】、日本人で十四歳。
 前述の通り、このクラスの委員長である。

 紗百合から渡された潜入先の資料として、メモ程度に書かれていた物で、
 顔を見るのは今が初めてだ。

 眼鏡をかけた素朴そうな顔立ちの少年なのだが、何故、眼鏡をかけているような彼が最後尾なのか?

 その理由は簡単だ。

メイ(身長デカ……っ!? 本当に中学生なの、この子!?)

 座ってはいるが自分の肩にまで届きそうな背の高さに、メイは内心で驚く。

 身長は目測でもゆうに一七五以上はあるだろう。

 個人差のためか、成長期が人より早く訪れる子供がいるのは珍しくない。

 実際、親しい所ではザックなどもその口で、Aカテゴリクラス卒業までには一七〇を超えていたハズだ。

 だが、十四歳の少年が一七五センチ超と言うのはそれなりに珍しい部類である。

メイ(東洋系にしちゃ身長高いわよね……。
   まぁ、一征さんもアレックスより身長あるからあんまり驚く事じゃないのかもしれないけど……)

 親しい男友達は大概、高身長だ。

 研究者ではあるが、あのアレックスも身長は一八〇近いし、
 一番身長の大きなザックはバスケットボール選手なのかと言う程の体格だ。

一真「えっと……教科書とかは、大丈夫だよね?」

メイ「ええ、さっき職員室で貰って来たばかりだから」

 一真の質問に応えながら、メイは先ほど貰ったばかりの教科書類を机にしまい込む。

 余談だが、ノートも筆記用具も必要な物は全て準備済みだ。

 潜入捜査に来ているとは言え、普段は怪しまれないように授業を受ける必要があるのだから当然である。

一真「そ、そっか……」

 どこか残念そうな様子の仮の級友の様子に、メイはふと思案する。

メイ(まあ、目立たないようにするのは必要だけど、人間関係はそれなりに円滑でないとね……)

 事件の性格上と情報の少なさを思えば、情報収集は不可欠だ。

 そして、情報収集に円滑な人間関係も不可欠である。

メイ「日本の授業は初めてだから、分からない所があったら教えてね、藤枝君」

 メイは出来るだけ自然な笑顔を浮かべて言った。

 人心掌握も立派な潜入捜査技術だ。

一真「あ……ああ、任せてっ」

 一真はどこか嬉しそうな笑顔を浮かべて返した。

 国際色豊かな学校でクラス委員を任せられるような少年だ。
 元々、人の役に立つのが好きなタイプなのだろう。

 だが――

メイ「………」

 その純粋な笑顔に、メイは思わず見とれてしまっていた。

突風<メイ! ちょっと、メイっ!>

メイ<はっ!?>

 呆けている事を察した愛器に名前を呼ばれて、メイは我に返り、慌てて前を向く。

メイ(な、何だってのよ………アタシ、節操無さ過ぎでしょ!?)

突風<まさか……メイ?>

 メイの心中での動揺を察してか、突風が怪訝そうな声を上げた。

メイ<い、いや、そんな事ないって!>

 思念通話で返すメイだが、
 まだ何の指摘もされていないのにその返答では“そんな事”があると白状しているような物である。

メイ(何考えてんのよ、アタシ……本気で節操無さ過ぎでしょ……。
   メガネだったら何でもいいのか!?)

 初恋の相手も、今や眼鏡の好青年。
 しかし、既に妻帯者どころか、来月には子持ちだ。

 失恋に関しては既に十年以上前にしっかりと折り合いも付けている。

 そして、当の一真は眼鏡の好青年……に見えるが、年齢的にはまだ少年だ。

 そう、少年なのだ。

メイ(相手は中学生、相手は中学生………)

 頭の中で念仏のようにその言葉を繰り返す。

 自分は二十三歳、相手は十四歳。

 十分、非実在とか関係無い方の都条例の射程圏内だ。

 卑しくもエージェント……法の代理人を名乗るなら、その辺りは自制するべきである。

メイ(相手は中学生、都条例、相手は中学生、都条例、相手は中学生、都条例………っ!)

 その二つの単語を脳内で繰り返し続けるが、それで一瞬のときめきを忘れ去れるなら、
 恋愛など言う文化はとうの昔に廃れているだろう。

突風<メイ………>

 半ば思考停止してしまった主の様子を察してか、突風は何と言えばいいやらと言いたげに主の名を漏らした。


 結局、ホームルームを経て一限目の授業が終わるまで、メイの思考が復帰する事はなかった。


 李・明風。
 自他共に認める“世界最速の魔導師”。
 恋の手練手管は奥手と鈍足を極めるが、肝心の恋に落ちるのは早かったのである。

―4―

 六限目の授業を終え、メイは一真に学内の施設を案内されていた。

 今は八角形をした三階建ての建造物の前だ。

一真「それで、ここが共同図書館。
   校門で入館許可を貰えば、外部の人でも利用できるから、
   たまにここで働いている人達の家族……近所の人も来てるよ」

メイ「うん……」

 どこか緊張気味の一真に、メイは生返事で返す。

メイ<色即是空、空即是色………。
   相手は中学生、都条例、ユニセフのおばちゃん、暴走都知事……>

突風<メ~イ~、せめて思念通話くらいはオフにしようよ~>

 水面下では、最早思念通話すらカットする余裕の無くなったメイに対し、
 突風が情けないと言いたげに漏らしていた。

 学園生活に慣れるためと言う事もあって、
 今日の所は、任務は後回しにすると言うのは当初の予定通りだ。

 突風もその辺りの事は分かっていたので、落ち着かない主に代わって周囲の人間の観察に専念していたのだが、
 まあ、この藤枝一真と言う少年は、確かにメイの眼鏡に適う人間と言うのは理解できた。

 顔は平均点よりは上。
 クラス委員だけあって学業優秀で人当たりも良好、授業態度も悪くはないと言うより真剣な部類。
 足運びを見る限り運動神経も決して悪くはなく、むしろ良い方だと分かる。
 簡易計測ではあるが魔力もCランク以上Bランク未満とそれなりに非凡だ。

 彼女の初恋の相手であるアレックスと、幾らか合致する点が無いワケでもないが、
 そのくらいの人間、探せば一人や二人は見付けられそうとも思える。

突風<やっぱり……決め手は眼鏡かしら?>

メイ<とじょぉれぇぇいっ!>

 怪訝そうな愛器の言葉に、メイは一際大きな声を心中で轟かせた。

突風<もう……好みのタイプと遭遇して浮かれるのも無理無いけど、
   一応、人が一人死んでるのよ?

   あまり気を抜かないでね>

メイ<ッ!? ………ゴメン……>

 呆れたような愛器の声にメイは息を飲み、重苦しい声で謝罪した。

 確かに、突然の事で動揺したとは言え、浮かれ過ぎだったかもしれない。

 メイにして見れば楽な部類の任務なのだが、
 さすがに今の浮かれ様は無くなった公安職員に対して不謹慎だろう。

メイ(アタシってヤツは、もう……)

 自分の軽薄さを詰るように、メイは心中の溜息と共に顔を俯けた。

 冷や水を浴びせかけられた気分だが、むしろそのくらいで丁度良い。

 楽な部類の任務であろうとなかろうと、
 初日から気が抜けているようでは先が思いやられるからだ。

 だが――

一真「……揚さん、大丈夫?」

 そんな事情を知らない一真には、不意に顔を俯けたメイの様子が気になったのか、
 足を止めてメイへと振り返り、心配そうに尋ねて来る。

メイ「あ、うん……何でもないよ、大丈夫」

 メイは出来るだけ平静を装って笑顔で応えた。

 没個性として埋没する必要はあるが、悪印象を与えるのは逆効果だ。

一真「……あ、ごめん」

 しかし、一真はその面倒見の良い性格故か、
 メイのその態度が嘘の類である事を見抜いたようだった。

一真「転校初日で疲れてるよね。

   自販機で何か飲み物買って来るから、
   そこのベンチで座って待っててよ」

 だが、その真意全てを見通す事は出来なかったのか、
 一真はそう言い残して自販機に向けて走り出す。

メイ「………あ……」

 一真の行動に驚いた事で彼を止めるタイミングを逸したメイは、
 一人その場に取り残された。

突風<気の利いてる所も良いけど、意外と鋭い子ね。
   まあ、観察力はあっても洞察力はまだまだって感じかしら?>

 突風は驚きと微笑ましさの入り交じった声音で呟く。

メイ<……アタシがあの子と同い年だった頃に比べれば、
   まだ空気が読めてる方かもよ……>

 メイも愛器の言葉に応えながら心中で溜息を漏らし、
 一真が指し示した一人掛けのベンチに腰を下ろした。

 2001年の四月にエージェントとなってからそろそろ丸十年。

 損耗率の高い諜報エージェントの中ではそろそろ中堅以上と言っても良い年齢のメイだが、
 インターンの頃を含め、新人時代は先輩のCランクエージェントによく怒鳴られていた物だ。

 場の雰囲気を読み、その場に融け込む事。
 思考と判断は常に冷静に。

 候補生時代は常に騒ぎの中心にいるような目立ちたがり屋だった事もあり、
 その辺りのさじ加減を覚えるのには苦労した記憶は忘れられない。

メイ<案外、あの子ってば諜報エージェント向きかもね……。
   まあ、実際の進路は大学まで進んで、公務員か民間企業なんだろうけど>

 陸海空の自衛隊や警察、果てはレスキュー隊にも、魔法専門の特殊部隊が新設される噂は聞いている。

 昨今の魔法関連で緊迫する世界情勢的にはあり得ない話ではない。

 民間の警備会社ですら、魔法に関した防備の相談を研究院に持ちかけてくる世の中なのだ。

 彼のように成績が良ければ大学へ進学し、官民問わずに引く手数多の逸材に育つだろうし、
 もしもそうなれば十中八九、彼の進路はそう行った方面になるだろう。

突風<あら? フリーランスって線もあるんじゃない?>

メイ<それは無いでしょ。
   危険な仕事だもの。

   最近の日本の子供はその辺のリスクだってしっかりと考えてるわよ>

 愛器の言葉を否定しながら、メイは自分の仕事が死と隣り合わせである事に思いを馳せた。

 エージェントの業務は死の危険をいつも孕んでいる。

 実力に反比例して平均的な危険度は下がって行くだろうが、
 それでも今の自分よりも上の実力を持っていたエレナは八年前に亡くなっているし、
 メイ自身もグンナーショックの際にはゲヴィッターとの戦いで死を覚悟する程だった。

 元よりエージェントを目指しているならともかく、
 “適正があるから”程度で目指して良い道ではないのだ。

突風<そうかしら?
   でも、逸材だとは思うけれど……>

 突風がどことなく残念そうな声を漏らした直後、
 両手に清涼飲料の缶を持った一真が戻って来た。

一真「お待たせ!
   っと、何も聞かずに買って来ちゃったんだけど、どっちが良かったかな?」

 慌てた様子で戻って来た一真は、申し訳なさそうに二つの缶を差し出して来る。

 一方はメイもよく飲んでいるメーカーのレモンティー、
 もう一方は同じメーカーのフルーツジュースだ。

メイ「じゃあ、コッチを貰うね。
   ありがとう」

 メイはレモンティーを受け取って礼を言うと、栓を開けて飲み始める。

一真「良かった……。
   揚さん、お昼もこのメーカーのストレートティー飲んでたから」

 メイの隣のベンチに腰掛けながら、一真は安堵の声を漏らした。

突風<へぇ……たった一日で隣の席の女子の好みを把握するなんて、
   気の利く子、って言うか目端の鋭い子ねぇ。

   案外、この子も満更でもないんじゃない?>

メイ<さっきアタシに“浮かれるな”って言ったのは、何処の誰よ!?>

 戯けたような調子の愛器に、メイは笑顔を崩さずに思念通話で怒鳴る。

 とは言っても、これも突風なりの気遣いだ。

 任務は真面目にこなせ、と叱咤。
 だが、脈もありそうだ、と激励。

 九歳の頃から十四年以上も連れ添った愛器なのだから、
 その辺りはメイも理解しているつもりである。

 そしてその一方で“満更でもない”などと聞かされたら、妙に意識してしまう。

メイ(都条例、相手は中学生……)

 頬を染めて顔を俯け、再び念仏が始める。

 しかし、主従の思念通話を知らぬ傍目には、照れて俯いている初心な少女にしか見えない。

一真「えっと……図書館、体育館、特別教室棟やクラブハウスも見て回ったし……これで終わりかな?」

 会話が途切れてしまった事で、一真は指折り施設を数えて行く。

メイ「案内してくれてありがとう。
   助かったわ」

 脳内で煩悩退散の念仏を唱えながらも、メイは慌てて笑顔で礼を言う。

 広い施設の案内には一時間もの時間を要した。

 時刻は午後五時過ぎ。
 既に日は傾き、空は茜色に染まっている。

 最終下校時刻まではもう三十分と言う所だろう。

一真「この学校は広いからね、早く覚えないと迷子になっちゃうだろうから」

メイ「本当……。
   こんな広い学校は初めてだよ」

 肩を竦めて言った一真に、メイも苦笑いを浮かべて応えた。

 メイは改めて校舎や施設の構造と配置を思い浮かべる。

 広い敷地に充実した数々の設備。
 理想的な学園と言えるだろう。

 しかし、まだ職員も少なく、その全てに目が行き届いていないように思える。

 四年後に本部移転が決まった懐かしき我が学舎とは、良くも悪くも正反対だ。

メイ<被害者に薬物を皮下注入された痕跡は無し……。
   事前調査通り経口型の薬物なんだろうけど、
   無理に飲ませたとするなら、犯行現場の絞り込みは難しいわね……>

突風<案内された範囲や、休み時間や教室移動の際に確認できただけでも、
   監視カメラのカバー率は八割強。

   学校としては決して低い監視率じゃないわ>

 事件の推理を始めたメイに、突風がそんなデータを加える。

 監視カメラの有無や数は確かに自分も見ていた。
 少ない人の目でも、ほぼ確実に全域をカバー出来るだけの設備があると言う事だ。

 監視カメラや警備センターが二十四時間稼働である事は、
 事前調査の報告書にも入っている。

 そうなると、最初に立てた“無理に飲ませた”と言う推理は最初から間違っていると言う事だ。

メイ<………となると、直接的な暴行による経口摂取の可能性は低い?
   ……まさか、飲めば意識不明になるような薬を自発的に飲んでるって事?>

 自分で推理しておきながら、まるで意図が分からないと言いたげに、
 メイは心中で肩を竦めて溜息を漏らした。

 それではハッキリ言って、ただの自殺だ。

突風<騙されてたって線は?>

メイ<役に立つ薬だって聞かされて飲んだって事?

   そりゃ、いくら何でも…………………あり得るわね>

 突風の推理に、メイは同意する。

 公安職員の集めた捜査資料は、デジタル、アナログに至るまで全てが抹消されていた。

 安易に“全て”などと言う単語が出る理由は、
 隠している物が無いかを“隅々まで探られた”痕跡があったからだ。

 発見者から医療機関にまで箝口令まで敷かれた職員の遺体写真は、
 口で説明するのも憚られるほど悲惨な状態だった。

 そこまでする手慣れた犯人の事だ。
 ありとあらゆる手練手管を用い、嘘八百を並べ立て、
 被害者に薬を飲ます事など容易いだろう。

メイ<一筋縄ではいかない事件とは思っていたけど、
   随分ときな臭い事件になりそうだわ……こりゃ>

 眉間に手を当てて唸りたい気持ちを抑えながら、メイは小さく息を漏らした。

 その瞬間である。

少女の声「あぁ~!? こんな所にいたっ!」

 不意に響いた少女の声に、メイと一真は振り返った。

 二人が振り返った先にいたのは、仁王立ちの少女だ。
 服装を見る限りはこの学校の生徒のようで、ショートボブがよく似合っている。

 本来はその活発そうな髪型に似合う、朗らかな表情を普段から浮かべているのだろうが、
 今はどこか怒ったようにムッとした表情を浮かべていた。

少女「カズ君!
   もう下校時刻になるのに、まだこんな所でフラフラして!」

一真「ゆ、優実姉ちゃん……」

 少女に怒鳴りつけられ、一真はたじろいだ様子でベンチから立ち上がった。

 一真に“姉ちゃん”と呼ばれた少女――優実【ゆみ】に、メイは視線を向ける。

 胸元の校章は銀色、リボンは青。
 どうやら中等部の三年生――自分達からすれば先輩のようだ。

メイ<彼のお姉さん……いや、幼馴染みかな?>

 自分も似たような境遇で育って来たメイは、直感的にその結論に至った。

少女(優実)「って、あら……ほ、他に人がいたのね……。
       ご、ごめんなさいね~」

 と、ここでようやくメイの存在に気付いた――どうやら一真しか眼中になかったようだ――優実は、
 慌てて体裁を取り繕うように誤魔化し笑いを浮かべた。

メイ(あ……何か親近感……)

 少女の態度にメイは思わず顔を綻ばせそうになる。

 自分やフランと――どちらかと言えば姉貴分に――似た雰囲気を持った少女だ。

優実「もう、デートだったなら素直にそう連絡してくれたらいいじゃないの」

 優実はニンマリと悪戯っ子のような笑みを浮かべ、動揺している一真の脇腹を肘で小突く。

一真「そ、そんなんじゃないって!?」

 対して、一真は顔を真っ赤に染めて全力で否定した。

 そして、さらに続ける。

一真「転校生の案内をするように言われて、案内してただけだよ!」

メイ(まぁ、事実その通りなんだけど、そこまでハッキリ否定されると傷つくかなぁ)

 一真の必死の弁明を聞きながら、
 メイは困ったような表情を浮かべながらも、胸中では肩を竦めていた。

優実「あら? そうなの?」

 優実は意外そうな、だが少しだけ安堵したような表情を浮かべた。

一真「そうなの!」

 一真は夕日に照らされる中でも分かるほど顔を真っ赤に染める。

 そして、深く深呼吸して落ち着き直すと、メイに向き直った。

一真「ご、ごめんね、揚さん。

   紹介するよ。
   この人は城嶋優実さん。
   僕らの先輩で、僕の実家の近所に住んでる幼馴染みのお姉さん」

優実「城嶋優実よ、よろしくね」

 一真に紹介され、優実はメイに向かって一歩進み出て、手を差し出して来る。

 一瞬呆気に取られたメイだったが、すぐに笑顔を浮かべて立ち上がると、
 差し出された手を握り返す。

メイ「台湾からの留学生の揚・明華です。
   よろしくお願いします、先輩」

 メイ自身、この手の手合いは嫌いではない。

 目は澄んでいるし、決して腹に一物抱えた類の人間でない事は一目瞭然だ。

メイ(城嶋優実……事前調査には記載無し、か)

 そう思う一方で、メイは記憶の中にある事前調査資料の名前一覧を思い出す。

 城嶋優実【きじま ゆみ】。
 その名前に見覚え、聞き覚えは共に無し。

 被害者生徒との繋がりも皆無。
 この学校の在校生である事を除けば、完全に事件とは無関係の人間だ。

優実「いやぁ、一瞬、奥手なカズ君にもついに女の子の友達が出来たかと思ったけど……」

一真「ゆ、優実姉ちゃん!?」

 からかうような表情と声音の優実に、一真は困惑気味に返す。

 優実がこの場に現れてからと言うもの、一真は彼女に翻弄されっぱなしだ。

突風<事件とは関係無さそうだけど……これはまた……>

 二人の様子を見ながら、突風が何ともばつが悪そうな声を漏らした。

 その声の理由は、メイにも大方の予想はついている。

メイ<………ああ、いいよ、慣れてるからさ>

 メイはそう応えながら、愛器にも悟られないような深いため息を心中で漏らす。

 優実が現れた瞬間から、何となくの予感はあった。

 今日一日接してみて、藤枝一真と言う人間はよく出来た人間だと思う。

 繰り言だが、品行方正、文武両道、
 加えて、その気さくな人当たりの良さから敵を作らないタイプの人間だ。
 飲み物の好みを察してくれる目端の良さから、相応の気遣いも出来るタイプだと分かる。

 ポーカーの手札で言えばスペードのストレートフラッシュ。
 ロイヤルに届かないのは顔があと少し美形ならと言う所だろう。

 そんな人間に恋人がいないのがおかしいのだ。

 そして、彼の狼狽ぶりを見れば、恋しい相手はこの優実だと分かる。

メイ<アタシの手遅れは今に始まった事じゃないしね……。
   むしろ、これからは変に意識せずに済むよ>

 メイは諦観にも似た達観の言葉を心の中で紡ぐと、
 からかうような笑顔を貼り付けて、優実と共に一真を見遣った。

突風<メイ……>

 どこか自棄になったような主の様子に、突風はもの悲しそうな声音でその名を呼ぶ。

メイ「よろしくお願いしますね、城嶋先輩」

 しかし、メイは敢えてその声を聞き流し、笑顔のまま優実へと向き直った。

優実「こちらこそよろしくね、揚さん」

 優実も弾けるような笑顔で応える。

 彼女はやはり見立て通りに裏表の無い人なのだろう。

 そんな人間を嫌いになる事は、どうやら自分には難しいようだ。

 思えば、結の事だって友人として大切に思っていたし、
 数年前はまるで先に進んだ様子もないアレックスとの関係を心配した事もある。

メイ(アタシの敗因は、多分、これなんだよなぁ……)

 メイは自嘲気味にそんな事を考えていた。

 恋敵を恋敵と思う事が出来ない性分。

 恋敵が最悪に性格の悪い人間ならば、
 それこそ“奪ってやろう”と意気込む事も出来ただろう。

 ザックの際のロロしかり、アレックスの際の結しかり、
 そして、今回の一真の際の優実しかり。

 自分の恋はいつも手遅れで、手遅れになっている間に恋敵を気に入ってしまうのだ。

 それはきっと、悪い癖で恋の敗因に他ならない。

メイ<まあ、たった一日で良い友達が二人できたと思えば、
   差し引きでプラスって事で問題無いでしょ>

突風<………>

 努めて明るい主の言葉に、突風は今度こそ言葉を紡げなかった。

優実「っと……まったりしてる場合じゃなかったわ!?
   下校時刻過ぎたら閉門しちゃうし、急いで帰りましょう!」

 優実は思い出したように、大慌てで叫ぶ。

メイ<突風?>

突風<うん……一応、十七時三十七分。
   閉門時刻まであと二十三分>

 メイの問いかけに、突風は少しだけ控え目な声音で応えた。

 急げば十分に間に合う時間だが、確かにまったりとしている場合でもないのも確かだ。

優実「ほらっ、二人とも早く鞄取って来ないと!」

一真「あ、うん。
   行こうか、揚さん」

メイ「ええ、急ぎましょ」

 優実に急かされた一真に促され、メイも教室へと向かった。



 こうして、メイの二度目……彼女自身だけが否定する物も含めて三度目の恋が終わり、
 仮称・国立国際魔法学院連続意識不明事件の捜査は幕を開けた。

―5―

 捜査開始から一ヶ月後。
 国立国際魔法学院――

 端的に言えば、事件の捜査は行き詰まっていた。

 調べられている事が分かった途端、全ての証拠品を抹消した犯人グループ。

 そんな彼らに気取られる事無いよう続ける捜査は、
 まあスパイらしいと言えばスパイらしい仕事だったが、
 限られた手法だけで続けるには無理もあるのだ。

 留学を装っての潜入翌日から本格的に始まった捜査は、
 先ずは現場の遺留品調査と被害者の身辺捜査の二つから手を着ける事になった。
 
 深夜、学生寮の消灯時間を過ぎてから学園敷地内や他の寮へと忍び込んでの実地調査である。

 そこで得られた情報は、彼らにこれと言った共通点が乏しいと言う事である。

 所属している部活に関連性は薄く、交友関係も深浅広狭を問わず。
 出身国別で見れば日本人が多いのは、国内と言う立地上は当然と言えた。

 共通点が少ない事が共通している、と言える有様だ。

 捜査は本格的な行き詰まりの様相を呈していた。



 3-Aの教室――

メイ<あ~……何、平和に授業受けてんだろ……>

 メイは姿勢と表情だけは真面目に、ノートは事務的に写していた。

 現在の授業は魔法史。
 学生時代にはお世辞にも得意な科目とは言えなかったが、
 それでも今の授業でやっているような初歩の初歩は八歳の時点で学習済みだ。

 だが、学生として潜入している以上、怪しまれないように授業を受ける必要はある。

 捜査が停滞している間に学年も繰り上がり、先週から三年生だ。
 ちなみに、クラスも成績順と言う事でA組のままである。

 クラスの面子は一人二人が入れ替わった以外は殆ど代わり映えもなく、
 学年全体では五、六人の転校生を受け入れた程度だ。

突風<頼まれていたデータベースの検索、終わったわよ>

メイ<お、待ってました>

 突風からの報せを受け、メイは姿勢を整える振りをしてやや前のめりになる。

 腕時計型の簡易ギアを視線だけで自然に覗き込める姿勢になると、
 そこに突風の調べたデータが羅列されて行く。

メイ<………おっ、こりゃビンゴっぽいかな?>

突風<ええ、ようやく当たりを引き当てたっぽいわね>

 喜色を示したメイに、突風も深く頷くように言った。

 突風が調べていたデータは、被害者達の成績だ。

 本来ならば生徒が無許可で閲覧すれば多大なペナルティを課せられるデータだが、
 この程度のハッキングは潜入捜査専門のメイの愛器である突風には朝飯前である。

 ネットワークと隔絶されたスタンドアロン形式のPCに入力されているデータだが、
 魔力による通信回線を用いて一方的なワイヤレス通信を構築すれば、
 こうしてアクセスする事など容易いし、閲覧履歴も残らない。

 アレックス謹製の第八世代ギア……WFX003-突風のハッキング能力は伊達ではなかった。

 万が一、仮に閲覧した事が発覚しても、学園の上層部が直ちにもみ消してくれる算段だ。

メイ<……被害者の魔法実技の成績、軒並み上昇してるわね>

突風<ええ、間違いないわ。

   魔力量が平均して三〇%増。
   一番伸びてる子だとほぼ二倍。

   例の薬物がドーピング効果のある物って可能性、これで強くなって来たわね>

 突風の解析を聞きながら、メイは授業に頷いている風を装って頷いた。

 捜査序盤で思い至ったのは、被害者が自発的に薬物を経口した可能性である。

 ドーピング効果があるからこそ経口し、
 そして、その副作用によって倒れたとするのが現時点では最有力だろう。

 魔法の知識が一般に知られるようになってから三年と五ヶ月。

 魔力量の上昇度合いには個人差がある事は知られているだろうが、
 短期間の大幅上昇はさすがに目立つ要素だ。

 それでも無くは無い事例でもあるため、教師達も見逃してしまったのだろう。

 ちなみに、この場で言う“見逃してしまった”は生徒個人の成績であり、
 被害者の共通項と言う意味ではない。

 それもそのハズ、被害者生徒達の魔力向上から意識不明までには数ヶ月のタイムラグがあり、
 魔力向上から倒れるまでの期間も様々だ。

 これを関連性の一つに数える者も今までにはいただろうが、
 成績向上と意識不明の直接的関連性が薄まるまでの期間が存在する事と個人差によって、
 最終的な可能性としては見過ごされてしまっていたのである。

 逆にそれ以外の切り口から捜査を始めていたメイは、
 この事と経口薬品を関連づける事に成功したと言っていい。

 悪く言えば偶然だ。

 だが、公安局が忍び込ませた局員は同じくこの可能性に行き当たり、
 そして、その事を犯人グループに気取られたが故に殺されたのだ。

突風<さて……ここからはより一層、慎重に行動ね>

メイ<まあ、逆に襲いに来てくれた方が楽なんだけどね>

 愛器の言葉に、メイは肩を竦めるように言った。

 確かに、相手が大人数だろうが、メイには十二分な勝算がある。

 だが、逆にその事を気取られて、犯人グループに逃げられては元も子もないのも確かだ。

メイ<……地道に捜査を続けるしかない、か>

 メイは心中で溜息を漏らした。

 捜査の新たな切り口が見付かったのだから、何らかの進展も望めるだろう。
 今は不用意に焦らない事が重要である。

 授業も終盤に差し掛かり、グループディスカッションの時間となった。

 予め決められた班ごとに机を並べ替えての討論会だ。

 メイの所属する班は、彼女以外には一真、
 フランスからの留学生のコレット・ローラン、
 アメリカからの留学生のブラッドリー・カーペンター……通称ラッドの三人がいた。

 教師から与えられた議題は、魔法文明の文化水準についての考察だ。

コレット「魔法文明って古代エジプト文明以前のアフリカ大陸の文明でしょ?
     原始人……とまでは言わないけど、普通に原始的な生活してたんじゃないの?」

ラッド「そうとは限らないんじゃいか?
    メソポタミア文明よりは新しい文明なんだし」

一真「僕もラッドの意見に賛成だな。

   現代社会が魔法一つで翻訳も無しに多言語コミュニケーションできるまで発達したんだから、
   いくら古代の文明だからと言って、魔法の恩恵無しだったなんて考え難いよ」

 コレット、ラッド、一真の三人がそれぞれに意見を出し合う。

メイ(結の見た夢が完全に過去の記憶に一致してると、
   蝶番の扉が作れるレベルの文化水準なんだよねぇ……)

 彼らの意見交換を聞きながら、メイは心中で苦笑いを浮かべていた。

 混乱を避けるため、未だに一般人には詳しく説明されてはいないが、
 古代魔法文明は現代文明よりもずっと発達した異世界からの転移者だと言う資料が存在している。

 さらに、メイは彼女自身の知り合いに四人もの“古代魔法文明の遺伝子保持者”がいる上に、
 当の古代人の記憶を転写されたクリスに至っては、正に古代魔法文明の生き証人であると言って良い。

 だが、まあ、無駄とは知りつつもグループディスカッションの趣旨は、
 事の正否以上に、活発なコミュニケーション能力の育成と、考察能力の強化にある。

 一応は生徒でもあるし、同じ班の若者達の育成のために討論に参加するのも年長者の努めだ。

メイ「ただ、逆に魔法が便利だからこそ、発達しなかった部分もあるんじゃないの?

   物を運ぶにも物質に直接干渉できる魔法を使えば済むし、
   滑車やテコの原理が発達したとは考えられないじゃない」

コレット「ああ、それ有りそう。
     だとすると、大きな遺跡が残っていない事にも信憑性が出るわよね」

 メイの意見を聞いたコレットが、納得したように言った。

メイ(ま、遺跡の類は殆ど全部、研究院が秘匿してるんだけどね)

 さすがにコレばかりは、一般に知られて良い情報ではないので致し方有るまいと、
 メイはその言葉を飲み込んだ。

一真「それなら逆に見付からない場所に作った、
   って可能性もあり得るんじゃないかな?

   他にも、現地の人達の手で隠されていたり……」

ラッド「まだ見ぬ遺跡か……浪漫があるな」

 一真の意見に、ラッドが興味深そうに頷く。

メイ(本当に、コイツは一々鋭い所を突くなぁ……)

 メイは一真の意見に聞き入るような振りをしながら、心の中で舌を巻いていた。

 言われて見ればそうだ、筋道立てて考えればそうだ、と言う情報を、
 人に先んじて自分の意見として言えるのはそれはそれで一つの才能である。

 伊達に今年度もA組委員長をやっているワケではないと言う事だろう。

 ただ、この手の手合いが年に数人と言う割合で、
 世界の裏側に首を突っ込んでは魔法倫理研究院に保護される結果となるのだ。


 数分の間続いた討論は、授業終了のチャイムと同時にお開きとなり、
 班毎の結論を統括し、次回の授業で発表と言う形となった。

コレット「ねぇ、メイファ。
     お昼どうする?」

メイ「ん~、とりあえず購買。
   あとは、まあ、いつもの流れ」

 授業終了後、机を元に戻している最中にコレットから声をかけられ、
 メイは思案気味に返す。

コレット「いい加減、肩身狭くない?」

 メイの返事に、コレットは心配半分呆れ半分と言った風に呟き、さらに続ける。

コレット「クラブの先輩が城嶋先輩と同じクラスなんだけど、
     やっぱり歳の離れた彼氏がいる、って言ってたって聞いたわよ?」

 コレットはそう言うと、“それってカズマの事なんでしょ?”と小声で耳打ちして来た。

メイ「ハッキリとは聞いた事はないけど、だろうね」

 お節介なクラスメートに、メイは肩を竦めて応えるが、
 そんな事は言われずとも先刻承知だ。

 因みに、メイの言う“いつもの流れ”とは、
 購買部で食事を調達した後、一真や優実と合流しての昼食である。

 怪しまれないようにある程度自然に学校に融け込む必要があり、
 尚かつ、親しい間柄と言う事を活かして校内の噂をそれとなく仕入れるチャンスでもあるのだ。

 と言うのは裏向きの建前であって、表向きの本音としては、
 初見で嫌いになれないと感じた事もあって、友人――優実の誘いを断りがたいと言う理由でもある。

 端から見れば、恋人同士の間に割って入るお邪魔虫、と言った所なのだろうが、
 誘って来るのが当の優実である事はあまり周知されていないようだ。

メイ「まあ、城嶋先輩はいい人だからね。
   あんまり気負ったりせずにいられて、楽っちゃ楽だよ」

 嘘偽り無く、それはメイの本音だった。

 優実は一真に対してお節介を焼きたがるきらいがあるが、
 基本的には大らかで後輩思いの良い先輩だ。

 昼食を一緒に、と誘ってくれるのも優実とは気が合うと言うのが大きい。

コレット「まぁ、メイがそう言うなら、私からは何も言えないけどさ」

メイ「ん、気ぃ遣わせちゃって悪いね。
   後でジュースでも奢るよ」

 どこかまだ心配そうなクラスメートにそう言い残すと、
 メイは席を立って購買部へと向かった。

 実際、メイが優実の誘いに乗って昼食を一緒にしているのは、
 単に彼女から噂話を仕入れるだけが目的ではない。

 昼食は体育館前の広い芝生の上で食べるのだが、
 全校生徒達に広く開放されている区画であるため、他にも多くの生徒達がいる。

 そこで突風に集音させる事で、広く噂話を仕入れる事が出来るのだ。

 無論、話の九分九厘以上――ほぼ百パーセントは他愛のない話だが、
 時折事件に関する話題も拾う事が出来る。

 それも取るに足らない噂話なのだが、
 犯人達の凶悪な性質上、足を使っての捜査が難しい事もあって、
 メイにとっては貴重な情報源でもあった。

 ただ、それも本音上の建前だ。

メイ(お邪魔虫、か……アタシって、やっぱ未練たらたらなんだなぁ……)

 常々、自分で感じていた自身への評価を、メイは胸の中で反芻する。

 傍目どころか、自分自身から見てもそうとしか思えない。

 別に校内の噂話を仕入れるならば、
 昼休み中、散歩を装って校内散策をした方がより効率的に決まっている。

 だと言うのに、優実に誘われた事を口実にして二人と一緒に昼食を摂るのは、 
 心のどこかで、一目惚れした相手の傍にいられる事に、
 やはり微かでも強い悦びを感じている事は分かっていた。

 アレックスと結の時だって、何年も前に割り切ったつもりでいたのに、
 グンナーショックの際には隠し続けて来た思いを、未練たらしくも思わず叫んでしまった程だ。

メイ(……自己嫌悪だわ)

 色々と思い出したくもない事でもあって、メイは思わず溜息を漏らしてしまう。

突風<大丈夫、メイ?>

 主の溜息にその思いを察してか、突風が心配そうに語りかけて来る。

メイ<まあ、お馴染みの軽い“はしか”みたいなモンだよ。
   そう……“はしか”みたいなモン……。

   捜査の進展もあったから、近い内にこの学校ともおさらばだろうし、
   そうすりゃ、また忙しい仕事が毎日待ってるし、すぐに忘れるさ。

   アレックスみたいに、頻繁に顔を突き合わせるワケじゃないしね>

突風<………>

 どこか説明じみたメイの言葉に、突風は押し黙ってしまう。

 だが――

突風<たまには約束くらい断ってもいいじゃない>

 ――主の心を案じてか、その言葉を捻り出す。

 ギアにとっては主のメンタルケアも重要な仕事の一つだ。

メイ<八つも年下の女の子とは言え、一応、立場的にはアタシの方が後輩だからね~。
   先輩のお誘いは断れないさ>

 しかし、メイはそんな愛器の気遣いを冗談めかした口調で否定した。

突風<メイっ!>

 対して突風も、咎めるような口調で主の名を叫ぶ。

メイ「ッ!? ………」

 十四年以上の付き合いがある愛器だが、
 こんなに真面目な声で怒鳴られたのは初めての事で、
 メイは思わず息を飲んで黙り込んでしまう。

 僅かな沈黙が二人の間に過ぎる。

メイ<………今日で最後にしておくよ。
   潜入捜査で現地の人とあんまり親しくなり過ぎるのも、
   プロとしちゃあり得ないしね……>

 しばらくして口を開いたメイは、どこか寂しそうな口調で言った。

 愛器が自分の事を気遣ってくれているのは百も承知だ。

 しかし、そうであっても割り切れない感情だってある。

 恋心など、早々に割り切れる類の感情ではない。

 だが、悩んでいる自分のために珍しく声を荒げてくれた愛器の、
 その真摯な思いを無碍にするのはやはり躊躇われた。

 ただ、気持ちを整理するための時間が欲しい。

 それ故の“今日で最後”だ。

 捜査の進展も有ったのだ。
 そろそろ、少し行動パターンを変えて見てもいいだろう。

 後は、変な噂が立って動き難くならないように、今後の誘いを丁寧に断れば良い。

メイ<じゃあ、最後の学生生活を楽しむために、
   今日は奮発してカツサンドとやきそばパンとビーフカレーパンでも買って行こうかしらね>

突風<いくら費用が支部持ちだからって、あんまり贅沢しちゃ駄目よ……?>

 ようやく、いつも通りの戯けた調子に戻った主に、
 突風は少しだけ呆れたような声を漏らす。


 宣言通り、購買でカツサンドとやきそばパン、さらにビーフカレーパン、
 計四三〇円の商品を購入したメイは、自販機でいつもの紅茶を購入して待ち合わせ場所へと向かった。

―6―

 メイが待ち合わせ場所にたどり着くと、
 そこには先に教室を出ていた一真が一人待っていた。

メイ「あれ? 一真だけ?
   先輩は?」

一真「寄って来る場所があるからほんの少し遅れるって、
   さっきメール貰ったよ」

 辺りを見渡しながらのメイの質問に、一真は僅かに肩を竦めて応えた。

 昼休み……と言うか昼食時だと言うのに、一真はペットボトルのお茶以外は手ぶらだ。
 手持ち無沙汰なのか、ペットボトルを玩んでいる。

 手ぶらと言うのも、一真の分の昼食は、
 優実がいつも二人分の手作り弁当を持参するためだ。

一真「こう言う事があるから、僕も購買か学食で済ませたいんだけどなぁ……」

 一真は小さく溜息を漏らす。

 高等部で一人だけクラスの違う優実とは時折、集合時間にズレが生じる事がある。

 今日はそんな事はないが、これが体育や魔導戦実技の授業があった日だと最悪だ。

 まだまだ育ち盛りの、それも人一倍身体の大きな十四歳の少年には堪えるだろう。

メイ「そんな事言ってると、また先輩に言われるよ……。
   ”カズ君の面倒を見てくれ、って、おばさまに言い付かってるんだからね”って」

 溜息がちな友人に、メイは既に幾度か聞いていた優実の口癖を真似た。

一真「それはコッチの台詞だよ……」

 一真はさらに盛大な溜息で応える。

 まあ確かに、出逢いの時からしてそうだったが優実は面倒見は良いが、
 自分自身がそそっかしいと言うか、所謂“慌てん坊”である事は確かだ。

 甲斐甲斐しくそのフォローに回っている一真を見るのは、
 少し微笑ましいとすらメイは感じていた。

メイ「けど、先輩が手作りで済ませてくれるから、
   食費だってかなり浮いてるんでしょ?」

一真「まあ、そうなんだけど……」

 メイににこやかに正論で返されてしまった一真は、
 そろそろ空きっ腹が気になりだしたのか、肩を竦めながらお腹をさすり始める。

メイ「良かったら、カツサンド一つ食べる?」

 一真の隣に腰を下ろしたメイは、
 そう言って袋に二つ入っていたカツサンドの一つを手渡す。

一真「いいの?」

メイ「ん~、まあ、色々あって少し多めに買ったからね。
   たまにジュース奢って貰ってるし、そのお礼も兼ねてって事で」

 怪訝そうに尋ねて来る一真に、メイはにこやかに返した。

一真「えっと………」

 一真は途端に辺りを見渡し始める。

メイ「先輩ならまだ近くにはいないよ」

 そんな一真の様子に、メイは溜息がちに呟いた。

 これは周囲の魔力を探査してみた上での事実だ。

 今はどうやら図書館辺りにいるらしい。

一真「あ、いや、そう言うんじゃなくて……」

 しかし、一真は顔を真っ赤にして口ごもる。

メイ「友達同士だし、お弁当の取りかえっこくらいは普通でしょ?」

 メイは少し呆れたように言いながら、胸中で“そう、友達同士なんだから”と反芻した。

 改めて、こう言う事を再認識する言葉はキツい。

一真「……そっか、そう、だよね。
   友達同士なら、普通に“有り”だよね」

 一方、一真はその言葉で落ち着きを取り戻したのか、
 どこか自分に言い聞かせるように言って、メイからカツサンドを受け取る。

 一瞬、手が触れたような気になったのは、メイの気のせいだろう。

メイ(アタシってヤツは……本当に女々しいな……)

 言い聞かせるような一真の言葉もあってか、メイはどこかナーバスな気持ちを抱えて、
 胸中で長い長い溜息を漏らす。

 だが、表情には決して出さずにやり過ごした。

 優実が到着したのは、メイと一真がカツサンドを食べ終えた直後だった。

 図書館の方からやって来る、優実の姿を視界に捉え、メイはそちらに振り向く。

優実「カズ君、メイちゃん、お待たせ~」

 優実は申し訳なさを滲ませつつも、どこかあっけらかんとした調子で言った。

メイ「せんぱ~い、遅いよ~」

優実「いや~、ごめんごめん」

 合わせて戯けた調子で言ったメイに、優実も戯けた調子のまま返す。

 留学生の多さ故か、国際魔法学院における先輩後輩の繋がりは緩やかだ。

 無論、それを嫌うタイプの者も多かったが、
 優実はそうではない側の人間であるため、メイにフランクな口調を求めた。

 本人曰く“友達同士で堅苦しいのは嫌い”だそうだ。

 メイにとっても、その方がAカテゴリクラスでの
 兄弟姉妹分のやり取りに近くて気楽と言える。

優実「いやいや、お姉さんってばあんまり魔法関連の成績が芳しくないから、
   ちょっと寄って来る場所が多くなっちゃってねぇ~」

 ややハードな話題のような気もするが、優実はそうとは感じさせない口ぶりで言った。

 図書館辺りで優実の魔力を感じたが、あそこには談話室や小会議室もある。
 つまりはそこに呼び出しを受けた、と言う事だろう。
 そうでなくても専門書を借りるなりの個人的な用事と言った所か?

一真「優実姉ちゃん、学科成績は良いんだから大丈夫じゃない?」

優実「ん~、それでも何とかBクラスに行けたって感じだから……。
   自衛官を目指すなら、実技の成績も上げて、
   せめてBクラス上位かAクラスまで行かないと」

 一真のフォローに、優実は持って来たランチボックスを広げながら呟く。

メイ「先輩、自衛隊入るの?」

 初めて聞かされた友人の進路希望に、メイは軽い驚きを覚えた。

 確かに、国際魔法学院の卒業生には、
 再来年度新設予定の陸上自衛隊特殊魔導部隊への優先的な入隊が認められているが、
 それも魔導成績上位のA組ならばと言う条件がつく。

優実「身体動かすのは得意だからね。
   普通の体育は中等部の頃からずっとA+判定なんだけどなぁ……」

一真「基本学科の成績だって悪く無いんだから、
   大人しく防衛大学に行った方がいいんじゃないかな?」

 溜息がちな優実に、一真は苦笑い混じりに呟いた。

優実「あ~、無理無理。
   人の上に立つとか、肩凝って倒れちゃいそう」

メイ「確かに……高級自衛官な先輩とか想像できないや」

 盛大な溜息を漏らした優実に、メイも噴き出しそうに漏らす。

 そそっかしい所が多い先輩だが、魔導実技以外の成績が悪くない事はメイも既に知っている。

 彼女は中等部の頃は万年C組だったのだが、
 それは魔力量が低かったために魔導実技の成績が振るわなかったためだ。

 振るわなかった実技の分を学科の成績でカバーする事で、
 高等部進学と同時にB組へとランクアップしたのである。

 その努力は流石の一言だろう。

優実「まあ、最近は少しだけ魔力量も上がって来たし、
   この調子で頑張って、来年こそはA組までランクアップよ!」

 優実はそう言って、準備を終えたフォークを力強く握り締める。

メイ「………」

 力強く語る優実の姿を見ながら、メイはどこか微笑ましさと頼もしさを感じていた。

 年若い世代がこうして自分達のような道を目指してくれる姿と言うのは、
 どこかくすぐったくもあり、だがそれ以上に誇らしくもある。

優実「あ、メイちゃん、またそうやって“お母さん”みたいな目をする~」

 しかし、そんなメイの視線に気付いた優実が、
 傍らに座るメイを抱きすくめるように覆い被さって来た。

 そして、そのまま間髪入れずに脇腹あたりをくすぐって来る。

 なるべく内面を外に出さないように気を遣っているメイだったが、
 滲み出る雰囲気と言うのはさすがに抑えがたいのか、
 時折、こうして優実からの“制裁”を受けていた。

メイ「アハハッ、ごめん、先輩。
   ゴメンってば!」

 メイは笑いを必死に堪えながら、優実の“制裁”から素早く逃れる。

 思わず本気を出してしまわないようにするのも大変だ。

 怪しまれないように突風にBランクそこそこまで魔力をセーブして貰っているが、
 鍛え抜いた身体には“十四歳の見かけ”に似合わぬ筋肉がついている。

 身体を弛緩させて、筋肉を悟られないように逃げるのも技術と言えば技術なのだ。

 こう言った気遣いをしながらも、自分らしさを抑えずに笑っていられる事はメイにとっては気楽で、
 そんな雰囲気を作ってくれる優実は、やはり得難い友人と言って良いだろう。

 何とも心地よい。

 だが――

 それでも、一真と優実の間柄を考えると、
 自分のような“お邪魔虫”がいない方が良いとも考えてしまっている事も、
 また厳然たる事実だった。

 ――その一方で、身の置き場が無いとも感じる。

メイ(食べ終わったら、言い出さないとなぁ……)

 笑顔を浮かべながら、メイは浮かんで来る奇妙な寂しさを押し殺した。



 談笑しながらの楽しい昼食は続き、そして、終わりの時がやって来る。

メイ「ふぅ……ごちそうさま」

 メイはぽつりと呟くと、紙袋を空になった紅茶パックの中に詰め込んで畳む。

一真「ごちそうさま。
   今日もおいしかったよ、優実姉ちゃん」

優実「うむうむ、素直でよろしい。
   ………お粗末様でした」

 一真と優実も、お決まりの応酬をして食事を終えた。

メイ(さて……タイムリミットかな……?)

 言い訳は幾通りか用意している。

 その中の一つを使って、無理なく二人から離れて、それで終わりだ。

 そう、終わりなのだ。

 一瞬、メイは戸惑いかけたものの、我が心を案じてくれる愛器のためにも、
 改めて意を決する。

メイ「あの、一真、それに先輩も……」

 メイは神妙な声と共に、姿勢を正して二人に向き直った。

 その瞬間だった――

少女の声「キャアァァァァッ!?」

 不意に絹を裂くような少女の悲鳴が、辺りに響き渡った。

 別れを口にしようとしていたメイは、その悲鳴に出鼻を挫かれてしまう。

 だが、それと同時にメイの中で半分学生だった意識が、
 完全にエージェントのそれに切り替わる。

突風<メイ、誰か倒れた!>

 校庭に出てからずっと、周囲の雑談を収音させていた突風がその事実を告げて来る。

 恐らく、悲鳴もその時に上がった物だ。

 そして、悲鳴が上がった以上、倒れた理由も尋常ならざる物と思った方がいいだろう。

メイ「ッ!?」

 メイは息を飲んで立ち上がり、悲鳴の聞こえて来た方角に向けて走り出す。

 すぐに一真と優実に何も告げていない事を思い出したが、今はそれどころではない。

突風<現場は初等部校舎前、図書館の正門!>

 走り出した直後、集めた情報を突風が告げた。

 メイは怪しまれない程度の速さで校庭を駆け抜け、図書館前に向かう。

 現場近くに来ると、遠目からでも既に人混みが出来上がり始めているのが分かった。

 まだまばらな人垣の隙間を縫ってその中心へと駆け込む。

 一人の女子生徒が俯せに倒れており、その傍らでは別の女子生徒がへたり込んでいた。

 恐らく、悲鳴を上げたのはへたり込んでいる女子生徒だろう。

メイ「大丈夫!?」

 メイは心配するように倒れた女子生徒に駆け寄ると、
 ブレスレット状の簡易ギアに自身の簡易ギアを寄せた。

 簡易ギアにリンクさせている突風が、女子生徒の簡易ギアのプロテクトを破ってハッキングを行う。

突風<御条さくら。高等部二年C組よ。
   意識、脈拍低下……呼吸が浅いわ>

 簡易ギアから読み取ったバイタルデータを聞きながら、メイは確信する。

 意識不明事件の二十人目……殺された公安職員も含めれば、二十一人目の被害者だ。

生徒A「まさか……これって……」

生徒B「意識不明事件……アレって、もう終わったんじゃなかったのかよ!」

生徒C「せ、先生! 先生呼んで来ないと!」

 生徒達は慣れてしまっているのか、こんな異常事態に陥ってから数分と経過していないにも関わらず、
 一部の生徒は教師を呼んで来ようと言う判断が出来るまでに回復している。

メイ(まったく……恐ろしい学校だわ、こりゃ)

 世間一般に言う“平和”な日本の学校を思い浮かべて、メイは思わず肩を竦めたくなった。

 まだパニックになっている生徒の大半は、まだ慣れていない生徒か、
 恐らくは最近になって転入・留学して来た生徒達だろう。

メイ「誰でもいい! 早く先生を呼んで!」

 メイは上着を脱いで被害者――御条【ごじょう】さくらの頭の下に敷き、
 介抱する振りをしながら、素早く彼女の着衣のポケットを外側から確認する。

 上着のポケットを探った瞬間、小さな瓶らしき手応えを指先に感じた。

メイ<突風、魔力制限一時解除>

突風<了解!>

 メイは大幅に制限させていた魔力の一時的な解放を愛器に要求する。

 制限解除は一瞬にして行われ、メイは即座に魔力で左手の肉体強化を行い、イメージを叩き込む。

 小指で上着のポケットの下部を叩いて瓶を押し出させ、親指の付け根で受け止め、
 周囲の生徒達の死角となっている自分の身体に向けて人差し指で放り投げ、
 腹で受け止め、腿の間のスカートの谷間に落として隠す。

メイ<解除終了!>

 制限解除から終了――この間、僅か一秒足らず。

 こそ泥のようなやり方だが、誰に気取られる事もなく証拠品を抜き取るには、
 これが一番の方法であり、またこれが一瞬で出来るからこそ、
 メイの諜報エージェントとしての作戦成功率の高さが守られていると言っても過言ではない。

生徒D「おい、何かあったのか?」

 直後、図書館の扉が開かれ、中から他の男子生徒が駆け出して来た。

 どうやら、騒ぎを聞きつけた図書館の利用者らしい。

 胸元の校章は金色……高等部の生徒のようだ。

メイ(こう言う時は金銀銅で分かり易くて感謝だわ……)

 メイはそんな事を考えながら、幾つかの会話パターンを思い浮かべる。

メイ「こちらの先輩が急に倒れて……。
   今、他の人に先生を呼んで貰っています」

 メイは可能な限り“不安を押し殺している”ような口ぶりで言った。

生徒D「……また例の意識不明ってヤツか………。

    女性をこんな所で衆目に晒すヤツがあるか!
    退くんだ!」

 状況を理解してから僅かに逡巡した男子生徒は、
 そう言ってメイを少し乱暴に押し退け、御条を抱え上げた。

 思わず軽く手を払いのけようとしてしまったメイだったが、
 一応は“普通の女子中学生”で通していた事を思い出して咄嗟に手を前に突き出すだけで終わらせ、
 押し退けられるに任せて僅かに仰け反った。

突風<周政義。高等部三年B組よ>

 だが、お互いの手首が接近した事で、突風が彼の情報を読み取ってしまう。

 恐らく、主を突き飛ばした事に対する意趣返しのつもりだったのだろう。

 高等部の男子生徒――周政義【しゅう まさよし】は、御条を抱え上げると、
 最も近い初等部の保健室に向けて駆け出していた。

メイ(ありゃ、典型的な“自分の正義”に酔ってるタイプだわ……)

 名前からして同郷――無論、生まれである中国だ――か、
 そうでなければ帰化人だろうと推測しつつ、メイは奇譚のない感想を浮かべていた。

 まあ、一目で気にくわないと思わせた輩に国籍など関係無い。

 意識不明の女子生徒を抱えて走って行く、勘違いの正義の味方を見送ったメイは、
 不承不承と言った風を装って上着を回収し、スカートの谷間の小瓶を上着の中に忍ばせた。

突風<まったく、頭を打ってるかもしれない子をあんなに乱暴に抱えて走るとか、
   頭沸いてんじゃないの?>

メイ<本当に……>

 突風の口汚い言葉に同意しながら、メイは御条に対する申し訳なさで溜息を漏らす。

 メイが彼女の頭の下に制服の上着を敷いたのは、
 周囲の生徒達の注意をそちらに向ける意味もあったが、念のための措置でもあったのだ。

 傷らしき物はなかったが、さすがに若い女の子の身体に傷を残すのは躊躇われる。

 潜入捜査中でもなければ、口喧嘩をしてでもあの場に留まらせただろうが、
 さすがにそこまで目立つ行為は避けなければならない。

メイ(さて……午後の授業は早退して家捜しと参りますか……)

 メイは心中でこれからの予定を呟く。

 おそらく、付近の警察が倒れた生徒の部屋に調査に来るまで一時間とかからないだろう。

 今までの事件捜査履歴は既に確認させて貰っており、
 警察の調査で証拠の品が出ていない事は確認しているが、それでも実地調査するに越した事はない。

 さっさと担任に申し入れをして早退し、御条の使っている寮を確認した方が良い。

メイ(こっちは……まあ、夜中にひとっ走りして支部の研究室に回すか)

 上着で包んだ小瓶の感触を確認しつつ、メイは興奮を押し殺す事に努めた。

 まだ中身は確認していないが、コレこそが“見付からなかった証拠品”である可能性は高い。

 事件は思わぬタイミングで急展開を迎えたが、
 まあ、いいタイミングでもある。

 友人に別れを告げ――

一真「メイさん!」

メイ(あ゛!?)

 ――忘れていた事を、聞こえて来た一真の声で思い出す。

 こちらに辿り着いてから二分足らず。
 後片付けやら何やらで遅れてしまったのだろう。

 よく考えれば自分のゴミもあの場に置き去りだったが、二人がゴミを持っている様子はない。

 遅れて来た時間から逆算して、おそらくは、近くの屑カゴに捨ててくれたのだろう。

優実「め、メイちゃん、足早過ぎ……!」

 運動神経の良い優実ですら、先程見せたメイの足の速さには驚いていた。

 一応は加減したつもりだったが、それでも陸上部以外から見れば十分な健脚だっただろう。

メイ「い、いやぁ……野次馬根性でつい火事場の馬鹿力が出ちゃって」

 メイは少しだけ顔を青ざめさせて、誤魔化し笑いのような笑いを貼り付けた。

 これから早退しようと言う人間が、
 あっけらかんと誤魔化し笑いをしてはいけないと言う、咄嗟の芝居である。

 ちなみに、顔が青ざめているのは、肉体強化の応用で血圧をコントロールしているだけだ。

一真「何か、あったの?」

 メイの様子に何かを感じ取ったのか、一真は怪訝そうに尋ねて来た。

メイ「………御条先輩って高等部二年の人が倒れたって、
   回りの人は意識不明事件がどうとか言ってた」

 その事実だけはすぐに知れ渡る事になるので、メイは包み隠さずに話す。

優実「ご、御条さん!?
   ……意識不明事件……アレ、まだ終わってなかったんだ……」

 メイの言葉に、優実は驚きの声と共に、珍しく顔を青ざめさせた。

 二ヶ月のインターバルを置いて、数人の生徒が倒れる連続意識不明事件。

 本当に定期的に起きている事件ならば、
 本来は先月に現れていたハズの意識不明の被害者。

 メイは犯人グループではないので単なる推測でしかないが、
 二ヶ月前に公安職員が現れた事で何らかの予定変更でも起きたのだろうか?

 ともあれ、一ヶ月のズレが生徒達に意識不明の被害者はもう現れないと言う、
 間違った安心感を植え付けていたのだろうと言う事は、
 優実や先程の生徒達の会話から、メイにも理解できていた。

一真「まだ……続いてるんだ……」

 一真もどこかで事件がもう終わったと信じていたのか、
 不安を滲ませながらも、それでも二人に心配をかけまいと毅然とした表情を浮かべている。

 生徒達には“原因不明”としか言われていない意識不明事件。

 犠牲者は立て続けに六、七人出るのが常だ。

 もしかしたら次は自分が倒れるかもしれない、と言う不安。
 もしかしたら次は友人達が倒れるかもしれない、と言う不安。

 様々な思いが二人に駈け巡っているのだろう。

メイ(安心させてはやりたいけれど、
   そう思うなら、さっさと事件を解決しないとね)

 メイは改めてその事を再確認する。

 生徒達の魔力上昇と言う関連性。
 こちらは内容次第だが、御条から入手した小瓶。

 証拠としてはまだまだ頼りないが、
 それでも事件解決に向けて動き出す足がかりは得た。

メイ「一真……ごめん、アタシ、午後の授業は休むから……」

一真「メイさん………分かったよ」

 メイのどこか気分の悪そうな――勿論、芝居ではあったが――様子に、
 一真は僅かな逡巡の後に頷く。

 恐らく、意識不明事件の現場に居合わせて気分が悪くなったと勘違いしてくれたハズだ。

 先程も言ったが、急がなければならない。

 警察到着までの猶予は少ないハズだ。

―7―

 メイは担任と“話の分かる人物”に早退の旨を伝え、素早く寮に戻ると、
 装備を整えて御条さくらの使っていた寮の部屋へと向かった。

 メイが使わせて貰っている寮の隣が、御条の使っている寮だったのは僥倖だ。

 学校の方も新たな犠牲者が出た事で混乱しているが、
 午後の一限目は“職員会議中につき自習”と言う形で時間稼ぎもして貰っている。

 御条が倒れてから約四十分が経過しており、
 メイの予想では後二十分で地元の警察が到着するだろう。

 証拠品の有無の調査するには十分な時間だ。



メイ<さて、この隙に家捜しと参りますか……>

突風<気持ちは分かるけど、その家捜しって言い方、どうにかならない?>

メイ<気分の問題よ>

 制服姿のまま御条の部屋の前に立ったメイは、
 預かっているマスターキーを取り出しながら、愛器のツッコミに溜息がちに返した。

 寮の個室の鍵は、埋め込み型端末に非接触のカードキー式だ。

 保護者や海外向けのアピールもあって、防犯体制を考えれば当然の措置であろう。

 しかし、端末にマスターキーを翳そうとした瞬間、不意にメイの手が止まる。

突風<メイ、人の気配!>

メイ<分かってる!>

 愛器に言われる直前に、メイもその事には気付いていた。

 気配を殺しているような感触が、扉の向こうから感じられる。

 それもすぐ間近。
 扉の裏側にいる。

 薄い軽合金を貼り付けた木の板の向こう側に、誰かがいる気配がするのだ。

メイ(先客………犯人!?)

 そう思った瞬間、メイは音もなく跳び上がった。

 御条の部屋は長い通路のど真ん中。

 遮蔽物も無い場所で、隠れる場所はない。

 メイの足の速さならば、一瞬で通路の向こう側まで行けるが、
 そんな事をすれば大爆音を響かせてしまう。

 結果、最短距離は真上だ。

 メイは天井に張り付き、魔力で強化した指とつま先の力だけで身体を固定する。

 首を振って長い髪を首に巻き付け、腿でスカートを挟み込み、
 さらに自身の魔力特性である“完全魔力遮断”で全ての気配を消す。

 こんな物は隠れた内には入らない。

 もしも、相手に自分の気配を気取られていたら、上を見渡された瞬間に一発でアウトだ。

 だが、万が一の機先を制する事は出来る。

メイ(まだ犯人グループとは接触したくなかったけど、
   気付かれたら戦うしかないわね……)

 メイはその覚悟を決めて、小さく息を飲む。

 直後、ゆっくりと扉が僅かに開かれた。

 扉の隙間から顔を出したのは、三十代ほどの男だった。

 ここは女子寮。
 外部業者である保守点検を受け持つビルサービス会社の職員は男性の場合もあるが、
 基本的にスタッフは全員女性のハズだ。

 仮にこの男がビルサービス会社の職員だとしても、寮生の部屋から出て来るとは考え難い。

 男はどこか焦った様子で、頻りに通路の左右を見渡している。

 その行動に、メイは安堵の表情を浮かべた。

 どうやら本気で焦っているようで、“真上を見る”などと言う事には考えが及ばない様子だ。

メイ(ラッキー……)

 メイは自身の幸運に感謝しながら、男の様子をさらに観察する。

 状況証拠に過ぎないが、恐らくは犯人グループの一人だろう。

 男は御条の部屋の扉を閉めると、懐から何かを取り出した。

 一瞬、携帯電話の類かと思ったが、見た事もない機種である。

 仕事柄、数代の携帯端末を持ち合わせ、ある程度の機種は把握しているつもりだが、
 どこでも見た事のない種類の端末だと言う事だけしか分からない。

メイ(専用の通信端末……?)

 男の手元を観察しながら、メイは訝しげな表情を浮かべる。

男「すいません、ボス。
  御条の部屋にもブツは……」

メイ(上海語……中国人?)

 男の言葉を聞きながら、メイは即座に母国の言語訛りの一つを思い浮かべた。

 沿岸南東部――文字通り、上海でよく聞く部類の発音と語彙だ。

 直後、男の持った端末から怒鳴り声らしき音が聞こえた。

突風<こっちは日本語ね……けど、スクランブルとノイズが酷くて音声解析は無理そう>

 突風の言葉通り、端末から聞こえて来たのは日本語だ。

 だが、これも彼女の言葉通り、低音や高音が複雑に入り交じっており、
 音声解析には手を焼きそうだ。

 おそらく、あの見た事もない端末でそんな音を作り出しているのだろう。

 ただ、聞き取れた内容からすると
 “誰かに聞かれたら怪しまれる。日本語で話せ”との事らしい。

メイ(相手は……犯人グループの幹部……?)

 相手の口ぶりからして、メイはそんな推測を立てた。

男「部屋にそれらしき物はありません。
  ………はい、全て確認しました。
  ………全てです」

 男は流暢な日本語に切り替え、どうやら通信相手に対して申し開きをしているようだ。

 そこから、メイはさらに推測する。

 倒れた御条の部屋に、自分よりも早く現れていた犯人グループと思しき男。
 家捜しをして見付からなかった、御条が持っているらしい“ブツ”。

 御条が倒れてから、彼女の持ち物で消えた物と言えば、
 メイには一つしか心当たりがない。

 今はまだ、自分の制服の内ポケットに忍ばせてあるあの小瓶だ。

メイ(ビンゴッ!)

 メイは心の中でガッツポーズを取りながら、自身の直感と幸運に感謝した。

端末『ガクナイハホカノモノタチニサガサセル。オマエハホンシャニモドレ』

 ようやくノイズとスクランブルに慣れたのか、片言のように聞こえる日本語が端末から聞こえる。

男「畏まりました、ボス」

 男の返答を聞きながら、メイは逡巡する。

 ガクナイハホカノモノタチニサガサセル……学内は他の者達に探させる。
 ――つまり、今から学院に戻れば犯人グループの目星が付けられると言う事だ。

 オマエハホンシャニモドレ……お前は本社に戻れ。
 ――戻る男を追えば、連中のアジトが分かる。

 どちらも捨てがたいが、どちらかと言えば後者が魅力的だ。

 だが、それと同時に冷静に考える。

 犯人グループは公安職員をあぶり出して始末する程の一団である。

 戻る先がダミーである可能性は捨てきれないし、
 万が一にも手練れが現れて返り討ちなど目も当てられない。

 襲われた所を迎撃するならいくらでも勝ち目があると自負しているが、
 無策のまま何人の敵がいるか分からない本拠地に出向くほど慢心もしていない。

 学院に戻っても良いが、自分は早退した身。
 姿を隠せば問題無いだろうが、何処に誰の目があるか分からない場所に舞い戻っては、
 自分が捜査員だと自白しているような物である。

 臆病だとは思うが、数年前には持ち合わせなかったこの臆病とも言える慎重さが、
 今のメイの作戦成功率――引いては生存率を高める武器でもあるのだ。

突風<今は証拠品を安全に確保するのが先決ね>

 主の心中を察してか、突風がそんな事を呟いた。

メイ<そう言う事……>

 メイも小さく頷いて応える。

 被害者救済のためにも、今はこの小瓶を安全に支部へと届けるのが先決だ。

メイ(見てなさいよ……すぐに素っ裸にひん剥いてやるんだから!)

 足早に立ち去って行く男の姿を見送りながら、
 メイは事件解決への意気込みを新たにしていた。

―8―

 翌日、早朝。
 寮、メイの部屋――

メイ「あぁ、アニキ、例のデータ、届いた?」

 スマートフォンを手に、メイは朝食を摂っていた。

 電話の相手はメイの実家……
 李家を継いだばかりの実兄、海風【ハイフォン】である。

海風『ああ、昨晩の内にな。
   今、爺様や曾爺様にも確認を取って貰っているが、
   まず間違いなく、二次大戦前後に紛失した我が家の秘薬の処方成分ばかりだそうだ』

メイ「やっぱそっちかぁ……」

 兄の返答を聞きながら、メイはさもありなんと言いたげに呟く。

 結果を言えば、小瓶の中には、パチンコ玉ほどの大きさで灰色をした数粒の丸薬が入っていた。

 支部の解析に回し、成分解析の結果は即座に出たのだが、あまりに不可解な処方であったため、
 国内や近隣国で、薬物関連に詳しい魔導の家の協力を仰いでいる最中なのである。

 メイの実家である李家もその一つだ。

海風『曾爺様が興奮して大変だよ。
   “チョウのヤツが盗んだ秘伝の毒薬で間違いない”ってな』

メイ「チョウ? チョウって、周回の“周”の字の?
   って言うか、毒薬って……」

 兄の言葉を聞きながら、メイは驚きの声を漏らす。

 ちなみにメイの曾祖父、李・飛龍【リー・フェイロン】は、
 二次大戦中に紗百合達の曾祖父、本條家先々代当主と激戦を繰り広げた豪拳の使い手だ。

 今では入れ歯をフガフガさせている曾孫大好きの好々爺と言う印象だが、
 そんな曾祖父が興奮している様など思い浮かびもしない。

 それはさておき、意外な所で、事件と実家に思わぬ繋がりが出て来たようだ。

 朝食を摂りながら聞いた、既に研究院にも報告済みだと言う兄の言い分はこうだった。

 二次大戦中、李家を裏切った一人の門下生がいたのだと言う。
 その男の名は周・云袍【チョウ・ユンパオ】。

 研究院に所属した際に、李家の秘薬・毒薬の類は指定危険魔法薬物として、
 当主が厳重管理していた。

 だが、当時の当主であった曾祖父の信頼を勝ち得て油断させ、
 周は李家秘伝の毒薬秘薬の巻物を持ち出して出奔、その後の行方は掴めていない。

 全世界指名手配の危険人物の一人だと聞かされて、メイは研究院の資料で見た名前を思い出した。

 周・云袍と周政義。
 奇妙な合致である。

 ちなみに、丸薬の本来の効能は神経系に麻痺を起こさせる毒薬であり、
 その副作用として魔力量が一時的に上昇する物だと言う。

 処方のバランスが変えられているため、魔力の上昇幅が著しく上がっており、
 逆に神経系に働きかける毒性が極力抑えられている物らしいが、
 それでも被害者が意識不明の重体に陥っている事を考えれば、毒薬に他ならない。

 おそらく、被害者は“魔力量を増やす薬”と吹き込まれて使わされたのだろう。

メイ「解毒って出来る?」

海風『ああ、解毒薬の処方は残されている。
   当時、曾爺様が必死で思い出して書き留めたらしい。
   多少珍しい物は含まれるが、二、三日で全部揃うだろう』

 兄の返答を聞きながら、メイは胸を撫で下ろす。

 これで被害者救済の目処は付いた。

 残るは犯人グループの確保だ。

 兄との通話を終え、食事の後片付けを始めていると、
 スマートフォンがメールの着信を告げた。

突風<結の執務用アドレスからみたい>

 端末とリンクさせていた突風が、相手を告げて来る。

メイ「はいはい、待ってましたよ~」

 メイは戯けたように言いながら、愛器経由でメールを確認した。

 普段の私用メールとは打って変わった簡素な情報だけが、画面に踊る。

『例の人物が使っていた車のナンバーから所有者確認終了。

 法人所有で名義は“株式会社・劉生(りゅうしょう)製薬”、中国に本社を置く周グループ傘下の日本企業。
 経営者は周グループの一系で帰化人の周常義。周政義は彼の長男。

 国際国立魔法学院設立時にも、周グループ傘下の企業から多額の出資有り。』

メイ「はい、こっちもビンゴ~」

 結からの情報を受けて、メイはニンマリとした笑みを浮かべる。

 あの後、念のために車のナンバーだけでも確認したのは正解だったようだ。

 気にくわないと思った人間が犯人とは出来過ぎだったが、
 既に昨日の時点――例の男とニアミスしかけた際の口ぶりから予想していた事である。

 御条さくらが倒れ、最初に彼女に接触したのが自分。
 二番目に接触したのが周政義だ。

 そして、メイが抜き取った丸薬の入った小瓶の消失に気付き、
 そこから手下を動かすまでのタイムラグが、あまりに短すぎる。

 恐らくは初等部校舎の保健室で調べた直後に指示したのだろうと考えれば、
 周政義は最低でも“犯人グループの一人”であると推察するのは容易い。

 加えて、御条の元に先に駆け付けて介抱していたメイを押し退け、
 頭を打っていた可能性もある御条をあの場から担ぎ出した事を思い出してみれば、
 アレは邪魔者を排除して、素早く御条の持ち物を検査する必要があったのだ。

 そして、部屋は荒らされた形跡は無かったが、物を動かした形跡は僅かだが見付かった。

 あの男は焦りながらも、ほぼ四十分かけて室内を丁寧に調べたのだろう。

 一方で、学内に残されていた御条の荷物も、周政義本人か、
 そうでなければ他の人間が確認する事が、騒ぎに乗じて出来たハズだ。

 何らかの実験か、学生を狙ってのテロか……恐らくは前者だろうが、
 限界を迎えた被験者の確保、被験者の所持品確認、人員の手配と、
 実に多面的で鮮やかだ。

 だが一方で、それが出来るだけの人数が、学内に入り込んでいると言う事でもある。

 そして、あれから一晩が経過した。

 そろそろ、此方が“尻尾を掴んだ”事を、彼方にも悟られている頃合いだろう。

 おそらくは犯人グループも浮き足立っている事だろうし、
 犯人グループを特定するのは容易い。

メイ「さて、と……それじゃあ今日の内に決着を着けちゃいますか」

 朝食の後片付けを終えたメイは、そう言って捜査の準備を始めた。

 学生服ではなく、動きやすい私服に着替え、ロングツインテールではなく、
 久方ぶりに普段通りの一つ結びに束ね、さらに動きやすくアップで纏る。

 制服の胸ポケットに忍ばせていた愛器を、
 本来のベルトストラップとして括り付け、臨戦態勢を整える。

 逮捕するには十分な物証が集まってはいるが、
 犯人グループは一人でも多く捕まえなければならない。

 下手をすれば主犯格を取り逃す可能性もあり得るからだ。

突風<今までのように授業に出てる余裕は無いわね>

メイ「まあ、昨日は早退しちゃってるし、
   欠席しても怪しまれる事はないでしょ」

 思案げな突風に、メイはあっけらかんと言った風に返す。

 既に政府、本條家、研究院を通して確認しているが、
 昨日、あの後で体調不良を訴えて、昼休み中に早退した生徒の数は八名。
 職員会議中の早退を含めれば二十名。

 昨晩の内に欠席連絡を入れている生徒も数名いるようで、
 逆に怪しまれずに休めると言う物だ。

メイ(まあ……一真と先輩には心配かけちゃうだろうけどね)

 結局、友人達には別れも切り出せないまま、
 事態は終局目前に至ってしまった。

 義理を欠くようだが、このままフェードアウトでもいいだろう。

メイ(理由はどうあれ、嘘ついてたワケだしね……)

 本当の事を話しておきたい気もしたが、それは無理と言う物だ。

 と、メイがそんな事を考えていると、
 ベッドサイドのテーブルに置かれた、潜入中に使っている私用専用のスマートフォンが振動で着信を告げた。

 同時に、先程から通話やメールに使っていた、
 仕事と本来の私用兼用のスマートフォンにもメール転送を告げる着信音がする。

メイ「ん? こんなタイミングで誰だろ?」

 メイは訝しげに私用専用のスマートフォンを手に取り、メールを確認する。

 結からだ。
 几帳面な彼女にしては珍しく、件名は無い。

メイ「さっきのメールとは別件かな?」

 メールを開くと、そこには――

 “じんつうきた すごくいたい(ToT)”

 ――と平仮名ばかりに顔文字混じりの短い文章が踊っていた。

 メイは思わず噴き出し、日付を確認する。

 今日は四月十五日、金曜日。
 余談だがアレックスの誕生日が四月十八日なので、父親の誕生日とは三日のズレだ。

 まあ予定日通りと言った所だろう。

 メイは小さく頷くと、即座に日本語で返信する。

 “顔文字入れてるヒマがあったらさっさと旦那か先生呼べ。 あと、出産がんばれ。”

 短い文章だが、これでも精一杯心配して励ましているのは伝わるだろう。

メイ「まったく、こんな時までメール送って来るなんて……。
   おっちょこちょいなのか、逞しいのか分かんないわ」

 メールの返信を終えたメイは、小さな溜息を交えて微笑ましそうに漏らす。

突風<彼女らしいとは思うけどね>

 突風もどこか吹き出しそうな声音で呟いた。

 すっかり、“これから最終捜査”と言った雰囲気が台無しである。

 だが、一真と優実の事でやや落ち込み気味でもあったので、
 逆に良い気分転換にもなった。

メイ「さてと、さっさと任務終わらせて、
   帰って結とアレックスの子供の顔でも拝んでやるとしますかっ」

 メイは改めて気合を入れ直す。

 と、やはり次の瞬間、見計らったようなタイミングで再び私用専用スマートフォンにメールが着信し、
 続けて兼用スマートフォンにメール転送を告げる着信音が鳴り響いた。

メイ「ッ!? ……もぅ、誰よ、こんなタイミングで!?」

 気合を入れ直した瞬間と言う事もあって、
 思わず前につんのめってしまったメイは、やや愚痴っぽく言ってメールを確認する。

 一真のアドレスから送られて来たメールで、件名には“緊急”とだけ書かれていた。

メイ(何でこのタイミングで、また思い出させるのやら……)

 メイは“こうもタイミングが悪いとお約束の域だね”などと苦笑い混じりに愚痴りつつ、
 メールの本文を開く。

 直後、その目が見開かれた。
 
 “ついさっき優実姉ちゃんが意識を失って倒れた 搬送先は学校の隣の総合病院”

 短く用件と情報だけの書かれたメールに、メイは息を飲む。

メイ「先輩が……倒れた?」

 そして、ワナワナと声を震わせ、信じられないと言いたげに漏らす。

 始業ベルまでは残り十数分。
 丁度、登校時間だ。

 おそらくは寮から学校に行く道すがらに倒れ、
 そのまま隣接する病院に搬送されたと言う事だろう。

 だが、そんな事以上にメイの脳裏を掠めたのは、
 “何故、優実が?”と言う疑問だった。

 意識を失った、と言うからには件の意識不明と同じ症状と言う事だろう。

 つまり、優実もあの丸薬を服用したと言う事だ。

 抱いた疑問の答えは、すぐに出る。

 そう、優実にはあの丸薬が必要だったのだ。

 優実は自衛官を目指しており、希望する隊への入隊のためには、
 中等部の終了時点のC組からA組にまでランクアップする必要があった。

 いつ頃から服用していたかは分からないが、
 その効果が確実に出ているのは彼女の口からも語られている。

 そして、おそらくは同時期から服用していたであろう御条さくらが、昨日の昼に倒れた。

 現場に駆け付けた優実が顔を青ざめさせたのは、
 おそらく御条が自分と同じ境遇――薬を服用していた事を知っていたからに他ならない。

 学年の違う御条の事を知っていた理由も、その辺りから関連づける事が出来る。

 やはりこれも“おそらくは”の繰り言になるが、
 御条が倒れたのは図書館前、その後に周が現れたのは図書館から、
 あの昼休みの際、集合時間に遅れた優実がやって来たのも図書館方面からだった。

 図書館に何かがあると感じさせる。 

 全て推測に過ぎないが、状況証拠からしても決定的だろう。

メイ「ッ!?」

 そこまで考えついた時には、メイは我知らず走り出していた。

 向かう先は、学院と隣接する総合病院。

突風<ちょ、ちょっとメイ!
   寄り道してる余裕なんて無いでしょ!?>

 愛器は狼狽しながらもその行動を制しようとしたが、
 メイは聞き入れずに走り続けた。

 病院にたどり着いても、メイは遮二無二走り続けた。

 受け付けを通り越し、よく知った魔力の波長だけを辿って優実の病室へと駆け込む。

メイ「一真、優実先輩!」

一真「め、メイさん……?」

 メイが声をかけると、一真は普段とは違う格好のメイに少しだけ驚いた様子だった。

 一真の様子で自身の格好の事を思いだしたメイだったが、
 そんな事に構ってはいられないと言った様子でベッドに駆け寄る。

 制服の上着だけを脱がされ、ブラウスのボタンを二つ外した優実はベッドに横たえられ、
 呼吸補助器を取り付けられ、点滴をされている最中だ。

 一真も、どこか思い詰めたような表情で優実の手を握っていた。

 その姿に、メイは胸が痛むのを感じた。

 それが悲痛や憐愍ではなく、ただの醜い嫉妬である事に気付き、
 メイは自身の身勝手さに酷い眩暈を覚える。

メイ「………何があったの?」

 何があったのか大方は分かっているが、敢えてメイはその事を尋ねた。

 一真は小さく首を振ってから口を開く。

一真「……僕も、よくは分からないんだ……。

   いつも通りに待ち合わせをして、登校して、
   ただ、朝から何だか顔色が悪かったんだけど、
   校門近くまで来たら急に倒れて……」

 一真の説明を聞きながら、メイは自身の推測と状況を当て嵌める。

 顔色が悪かったのは、恐らく、自分がいつ意識不明になるかもしれないと言う恐怖からだ。

 言ってみれば、被害者達は誰しも、自業自得なのかもしれない。

 少しでも成績を良くしたい、と言う考えは誰しも大なり小なりは抱く考えだろう。

 誰かに負けたくないと言う競争心。
 もっと上に行きたいと願う向上心。

 魔が差したと言えば言い訳かもしれないが、
 人の思いに付け込んで黒い企みを遂げようとする悪意に、
 その思いを汚され、踏みにじられた事もまた事実なのだ。

 城嶋優実と言う少女は、優しくて面倒見が良く、そして真面目な少女だった。

 真面目だからこそ、自身の魔力が伸び悩んでいた事に追い詰められ、
 優しく面倒見が良かったからこそ、誰かに悩みを打ち明ける事を躊躇したのだろう。

 そこに突き付けられた悪意あるチャンスに、思わず手を伸ばしてしまった。

 確かに、彼女たちにも責任の一端はある。
 それを償うべきでもある。

 だがそれ以上に許せないのは、彼女たちに付け入った者達だ。

一真「僕は……」

 静かに怒りを沸騰させつつあるメイの耳に、譫言のような一真の声が届く。

一真「何て言えばいいんだ………。

   優実姉ちゃんの事は僕が守るって………約束したのに」

 一真は握り締めた優実の手を自らの額に押しつけ、懺悔するかのように吐露した。

メイ「ッ!?」

 一真のその言葉を聞いた時、
 メイは心臓をハンマーで強かに叩かれたような衝撃を感じて、息を飲んだ。

メイ(ああ……そっか……)

 確定的な、一真と優実の関係性を裏付ける言葉を本人達から聞いたのは、
 今が初めてだった。

 きっと今までは、他人の自分が居心地が悪くないように、気遣ってくれていたのだろう。

メイ(久しぶりだな……こう言うの……)

 いつ以来だろうか?

 思えば三年五ヶ月前――グンナーショック直前の慰安旅行で、
 結の口からアレックスとの交際の事を、改めて聞かされた時以来だろう。

 あの時は内心の衝撃を誤魔化すように素っ頓狂な声を上げたが、
 突き付けられた失恋の痛みはそう容易くは癒えなかった。

 今度も同じだ。

 だが、それ以上に困惑したメイは、
 頭の中でネガティブな思考を繋いでしまう。

 何で、一真がこんな悲痛な声を上げなければいけない?

 誰がこんな事態にした。

 こんな事態を引き起こした誰かを、止める事が出来たのは誰だ?

 自分だ。

メイ「アタシが………」

 失恋に傷ついた悲劇のヒロインと言う立場に酔って、
 ぬるま湯に浸って捜査を滞らせた、自分に他ならない。

 後悔で浮かびかけた涙を、ギリギリと噛み締めた歯が軋む痛みで引かせる。

 自身と犯人に対する激しい怒りと、一真達に対する贖罪の念が、
 逆にメイの頭の中をクリアにする。

メイ「………ちょっと、連中に落とし前つけさせて来るよ」

 メイは自分でもゾッとする程の低い声で、その言葉を紡いだ。

 一真もメイの声が持つ迫力に、振り返る。

 必然的に、一真と目が合う。

 メイは少しだけ、寂しそうに微笑む。

 怒りの形相は、彼にだけは見せたくなかった。

 寂しそうな微笑みを貼り付けたまま振り返り――

メイ「ごめんね……一真、優実先輩。
   二人の事………ううん、一真の事、好きだったよ」

 ――失恋の傷を、贖罪としてその場に刻み込む。

 恋しい人に好意を伝えたのは、
 二十四年近く生きて来て、これが生まれて初めてだった。

 我ながら、何と情けない初めての告白だろう。

一真「メイさん!」

 振り返った背中に、恋しい人の声が突き刺さる。

 最初は、まあ単なる一目惚れだった。

 次に、人柄に惚れ込み、
 次に、誠実な優しさに触れて……。

メイ(本当に……)

 嗚呼、自分は彼にこんなにも強く惹かれていたんだ。
 それを改めて思い知る。

 決して届かないと知って焦がれたのではなく、
 焦がれたからこそ、決して届かない事が悔しかったのだ。

 悔しさに目を曇らせ、斯くあるべきとした規範にまで背を向けて、
 そうして出来た事は結局、彼の笑顔を曇らせただけだった。

メイ「さよなら……一真」

 短い別れの言葉と共に、お仕着せの揚・明華の名をその場に置き去りにするように、
 メイは病室から駆け出していた。

突風<メイ………>

 寂しそうな愛器の声が、脳裏に……胸に響く。

メイ<失恋ってのも、しっかりと作法通りにやってみるモンだね。
   変に後まで支えるモンが無い分、逆にスカッとするよ>

 そんな愛器に、メイはどこか笑い飛ばすように言った。

 そこでようやく、思い知る。

 結局、自分は傷つくのが怖かったのだ。

 恋しい人に拒絶される事が怖くて、色々な物を言い訳にして、
 本当の失恋から目を背けていたに過ぎない。

 その間に、誰かに先を越されてしまう。

 当然と言えば当然の結果だろう。

 アレックスの事で結に先を越されたのも、何の事はない、
 ずっとそこにあったチャンスに、いつまでも自分が手を伸ばさずにいたからだ。

 こんな臆病者が、恋で誰かに勝てるハズもない。

メイ<次があったらさ………次に誰かを好きになったら、もう誰にも先なんて越させないよ。
   たとえ相手がフラン姉やリーネだって、遠慮なんて絶対にしない。

   押して押して押しまくってさ、誰よりも早く、その人のハートを掴んでやるんだから!>

突風<………じゃあ、その時までに、色々と資料集めておかないとね。
   万全の態勢でサポートさせてもらうわよ。マスター>

メイ<お願いね、突風!>

 メイが病院の外に勢いよく飛び出した瞬間、彼女の頬を伝おうとした涙を、
 愛器の名と同じ、一陣の突風が拭い去った。

―9―

 裏手から学内に潜入したメイは、先ずは学内の状況判断から始めた。

 無人である事を確認した特別教室棟の音楽準備室に忍び込み、
 端末から中枢をハッキングして現在の状況を調べる。

 昨日の御条さくら、今朝の城嶋優実の二人以外にも、
 既にあと一人、中等部の男子生徒の被害が確認されているようだ。

 今は朝のショートホームルームの時間帯だったが、
 立て続けに三人の意識不明被害者が出た事で、緊急の職員会議が開かれ、
 生徒達は教室に待機していると言う状態だ。

 無論、大人しく待機している生徒もいれば、
 不安にかられて親しい友人のいるクラスに行っている者もいるようで、
 中にはこの特別教室棟にまで来ている生徒もいる。

 つまり、生徒達を監視する人間はいないと言う事だ。

突風<移動している生徒達に紛れて、犯人達も動きたい放題って事ね>

メイ<まあ、図書館に当たりを絞ってみましょ>

 メイは突風と思念通話で会話しつつ、図書館の来訪履歴を検索する。

 まだ朝の九時前だと言うのに、一般の入場者が二十名を超えていた。

 週末ならば珍しくない、と言うより少ない人数だが、
 今は平日、しかも緊急時だ。

メイ<過去半年分の履歴から、生徒の倒れた日前後五日の時間帯別入場者をピックアップして>

突風<了解>

 メイの指示に従い、突風は該当データの検索を始めた。

 予め前後五日まで検索範囲を広げたのが正解だったようで、
 今日のように一般の入館者数が不自然に多い日も存在する。

メイ<よし………次、生徒名で検索。
   検索条件は同時期の被害者全員と周政義の入館時間が同じ日>

突風<これはちょっと多いわね……。
   けど、周政義が頻繁に図書館に出入りしているのは確実ね。

   それと、優実さんと御条さん、別の被害者の桐生って男の子の入館履歴が増え始めた時期、
   加えて、一般入館者の不自然に多い時間帯と周政義の利用時間帯が七割一致したわ>

 突風からの報告を聞きながら、メイは小さく舌打ちした。

 図書館の入館履歴などとっくの昔にこうして調べたが、
 その時には無かった“周政義”と言う条件を加えただけで、こうも怪しさを増す。

 未だに状況証拠の域を出る物ではないが、
 状況証拠も両手に収まらない数を揃えて行けば確実性は限りなく物的証拠に近付く。

 何より、周政義は今も図書館を利用中だ。

 現在の入館者は総計で五十三名。
 その内、九割の四十五名は犯人グループである可能性を考慮しなければならないだろう。
 下手をすれば全員が犯人であり、相当の手練れであるかもしれない……。

 その想像に、思わず身震いがする。

 だが――

メイ<一真と優実先輩の落とし前、付けて貰わないとね……>

 その決意と怒りで、身震いする身体を押さえつけた。

 仮に敵が全員腕利きの魔導師だった場合、メイにも幾つか手はある。

 高速戦主体のメイが狭い場所で戦うには、かなりのテクニックを要するが、
 それが可能だからこそ諜報エージェントとして、今まで生き残って来れたのだ。

メイ(まあ、カナ姉やリーネみたいのにぞろぞろと出て来られたらヤバイけどね……)

 想定し得る最悪は、絶対にあり得ないレベルの物を想定する。

 研究院でもトップクラスの速度を誇る空戦型エージェント達だ。

 勝て、と言われたら間髪入れずに首を横に振るが、
 捕まるな、と言われたならばいくらでもやりようがある。

 一対多数の原則は、可能な限り一対一の状況を作り出しての各個撃破。
 さらに可能なら、蹴散らせる分は一気に蹴散らす。

 わざわざシミュレートするまでもない。

 セオリーに従って行動し、犯人グループ全てを討ち倒し、逮捕する。

メイ<さぁて……犯人共にお灸を据えに行きますか>

突風<キツ目のヤツを、ね>

 二人はそう言い合って、ハッキングしていた端末との回線を遮断した。

 魔力を完全に遮断し、人目を避けるようにして図書館へと向かう。

 馬鹿正直に正面から入館するワケにもいかないので、
 開いている窓を探す。

 三階建ての図書館と言う事もあって、一階や二階は完璧に戸締まりされていたが、
 三階まで壁をよじ登る命知らずもいないのか、ちょうど無人の談話室の窓が開かれていた。

 おそらくは昨日からのゴタゴタで、警備員のチェックから漏れたのだろうが、
 これはこれで好機だ。

 談話室から内部へと忍び込んだメイは、魔力を探る。

 図書館内には確かに人の気配があるが、それにしては静かで魔力の数も少ない。
 感知した内容に間違いがなければ、図書館内部には十九名分しか感じない。

 音楽準備室から図書館までの移動にかかった時間は僅かに三分。

 その間に五十三名もいた利用者が大幅に減ったとなれば、
 それだけ大勢の人間が移動した事は否が応でも目につくハズだ。

突風<魔力……ううん、多分、それ以外の物も遮断されてるわね。
   用意周到と言うか、何と言うか……>

 突風が鬱陶しげに漏らす。

メイ<位置は特定できそう?>

突風<アクティブからサイレントパッシブモードに切り替えて、
   遮断範囲から二、三メートルくらいの距離まで寄ってくれたら行けると思うわ>

メイ<なら、話は早いね>

 メイは突風の返答を聞くと、一階に向けて歩き出す。

 談話室や書庫の陰、倉庫など、怪しげな場所や死角になりやすい場所を虱潰しだ。

メイ(三十人以上の人間を、気配も感じない程に隠しておける場所ってなると、
   きっと地下………隠し部屋でもあるのかしら?)

 図書館は一度、既に怪しげな所が無いか見て回ったつもりだったが、
 何らかの見落としがあったのだろう。

 魔力が遮断されている形跡となると、
 ソレを探す際には“遮断されている”事を知った上でなければ気付かない物だ。

 魔力で作り出した物体――魔導機人やギア、魔導防護服の類――でもなければ、
 通常の物体は魔力を持ち得ないので、仮に隠し通路などの入口を魔力遮断されていた場合、
 そこは何の変哲もない空間として認識されてしまう。

 魔導師絡みの事件と想定していたメイは、基本的に見回りの際には、
 発せられている魔力を検知するアクティブセンサーだけを機能させ、
 自分自身の魔力を発して反応を受け取るパッシブセンサーをカットしていた。

 因みに、突風の言ったサイレントパッシブモードは、メイの完全魔力遮断の特性を活かし、
 センサー用に展開させた魔力の範囲に他者が触れた瞬間、
 魔力を発する範囲を接触しない距離にまで瞬間的に狭めるモードだ。

 勘が鋭かったり、リーネやセンサー展開中の結のように敏感な相手に気付かれてしまう事もあるので、
 完全な隠密状態を保ったり、追跡には向かないモードでもある。

メイ(気付かれるのが怖くてパッシブにしてなかったのがマズかった、って事ね……)

 メイは心中で舌打ちしながら、周囲を何気ない風を装って見渡す。

 場所の特定はすぐだった。

 受け付けや入口から死角となる、三方を壁に囲まれた吹き抜け状になった螺旋階段の下、
 備品置き場に使われている場所の陰に、壁に偽装するような形で扉が隠されていた。

メイ<成る程、引き戸とは考えたわね……>

 壁に貼り付けられた高さ二メートル、幅三メートルの巨大な化粧板そのものが、
 スライド式の隠し扉となっている。

 深い溝が幾つも刻まれた幾何学的な模様の化粧板の数カ所に、
 不自然に人が触れて力をかけた痕跡が幾つか残されていた。

 初等部の生徒も使う事もあって、巫山戯た跡にも見えるが、
 この先の魔力的な反応が遮断されている事実に気付いてしまった今では、
 それが取っ手代わりに使われている跡と考えて間違いない。

 メイはゆっくりと化粧板をスライドさせる。

 化粧板をスライドさせて行く方向には壁があるが、その壁の向こう側には背板のある書架群があり、
 スライドさせた化粧板は目隠しされる構造になっていた。

 スライド自体も静音構造になっているのか、ゆっくり動かしているとは言え、
 巨大な化粧板は音もせずに滑って行く。

 そして現れたのは、図書館の外壁に沿うように下へと下って行く、狭い狭い、暗い階段だ。

 人一人がやっと通れる程の、決して行き違う事は出来なそうな不便な階段。

 だが、隠し通路としては持って来いと言う事になる。

突風<この図書館を施工した建築会社を併行して調べてみたけど、
   周グループの日本国内企業の孫請けみたいね……>

メイ<またまたビンゴって事か……。
   この学院の設計段階から、連中の掌の上だったってワケね>

 突風からの調査結果を聞いたメイは溜息混じりに返した後、
 “これだからスパイ防止法もまともに整備されてない国は……”と愚痴を漏らした。

メイ(隆一郎さんに泣きついたって言う、学院建設を主導していた議員はともかく、
   議員の周辺の人間は徹底的に洗った方が良いかもしれないわね……)

 メイはそんな事を考えながら、階段を下って行く。

 三十段――八メートルほど階段を下ると、急に幅が広くなった。

 どうやら、本格的に地下に入ったようだ。

メイ<地下に秘密基地とか、どこの悪の秘密結社気取りだっての>

 階段を下りきった所で、メイは呆れ果てた様子で漏らした。

 十五メートルは下らされた階段の終点には、
 薄暗い証明が幾つも灯る通路がさらに奥へと続いている。

 どうも悪人と言うのは、地下に潜って何かするのが趣味らしい。

 そんな偏見を抱かずにはいられない構造である。

 気を取り直し、メイはまだ少し狭さを感じる通路を音もなく走り抜ける。

 すると、即座に見張りと思しき男に真正面から遭遇した。

男A「……ッ」

 男が声を上げようと息を吸った瞬間、
 メイは素早くその懐に入り込み、掌底で男ののど元をかち上げる。

 喉を潰しこそはしていないが、喉の上――器用に顎を外しての掌底の一撃は、
 男の脳を激しく揺らして意識を刈り取るには十分だった。

メイ「口開けてなければ、顎で済ませてあげたのに……」

 グラリと揺らめいた男をその場に静かに寝かせながら、メイは溜息混じりの小声で呟く。

 顎を外した一撃は、大きな音を避けるための手法だったが、
 ハッキリ言って、メイの掌底は見た目だけは完全に喉輪のソレだ。

 大抵の格闘技の試合ならば反則である。

 まあ実際は、顎と喉の僅かな隙間を突いているので、
 厳密には喉輪とも言い難いのだが……。

 メイは男が完全に意識を失っている事を確認すると、また音もなく走り出す。

メイ<しっかし……こう狭くて隠れる場所がないと、
   隠密行動なんてあったモンじゃないわね……>

突風<どうする?
   先に見張りや見回りから倒す?>

 愚痴を漏らす主に、突風が尋ねた。

 アナログにも見張りがいると言う事は、この施設には監視カメラは存在しないのだろう。

 事実、突風のセンサーは監視カメラの存在を認識していなかった。

 コソコソと隠れて悪事を行うための空間であるため、
 必要以上の電力を引っ張って来れなかったのだろう。

 薄暗い証明も、そのギリギリの範疇と言う事になる。

 換気も恐らくは最低限なのだろう。
 意識し出すと妙に饐えた匂いがして、思わず吐き気がこみ上げた。

メイ<………あんまり長居したくない場所だけど、
   まあ地道にやって行くのが一番っぽいわね>

 メイは辟易した様子で応えると、次なる見張りを探すために走る。

 その後も一人、二人と次々に見張り達を倒し、メイは順調に施設の最奥部へと迫って行く。

 そして、十人ほどの見張りを倒した頃には、メイはようやく開けた場所へと足を踏み入れた。

 緩やかな逆ピラミッド型に掘り下げられた特異な構造をしたその場所は、
 犯人グループの会議場らしかった。

 通路に比べて明るいのは、天井に取り付けられた内蔵バッテリー式のLEDライトのお陰だろう。

 メイは素早く、音もなく室内に潜り込むと、
 入口から離れた柱の陰に身を隠し、会議場の様子を窺う。

 一番掘り下げられた三メートル四方ほどの場所には、一段高い壇が作られており、
 そこに主犯格と思しき男が立っている。

メイ(はい、またまたビンゴ……)

 その男の顔を確認し、メイはどこか呆れた様子で肩を竦めた。

 そう、周政義だ。

 グループの日本国内における長の子。
 そう考えれば、学内でのリーダーとしてはうってつけの人材だろう。

 半ば無差別に見える意識不明事件の被害者達を思えば、
 生徒は自動的に加害者にも被害者候補にも成り得て、捜査が躊躇われる対象でもある。

 段々に作られた会議場は、その段そのものが椅子になっており、
 中には制服を着た者達もいるが、一塊になって上段にいる様子を見る限り、
 立場は低い位置にあるようだ。

突風<学生連中は下っ端兼、周のサポート役って所かしら? 十人くらいいるわね>

 なるほど、十人もいれば、特定の私物だけを持ち出すなど容易いだろう。

 よく見れば教師も数名が混ざっており、
 中には名簿で調べた学年主任や生徒指導の担当教諭もいる。

メイ<緊急職員会議中ですよ、先生方~>

 メイは呆れた様子で突っ込みを入れかけたが、
 思念通話に止めて堪えた。

 他にも、周辺捜査中に、例の総合病院で見かけた職員もいる。

 数を数えてみれば、上に反応の無かった三十四名と人数も合致する。
 内訳は、周を含めて生徒十一人、教師八人、一般人風が十五人。

 あれだけの面子が揃っていれば、如何なる状況でも証拠品の隠匿は可能だっただろう。

メイ(手の込んだ犯罪集団なこって……)

 メイは呆れたように肩を竦めた。

 一方、壇上に立った周は、どこか苛ついた様子で周囲の部下達を見渡している。

周「今日倒れた実験体の分は、問題なく回収できているんだな?」

男B「はい、そちらは完璧です」

 苛ついた様子の周の問いかけに、側近らしき教師が応える。

周「他の実験体からは、回収できているのか?」

男C「どうやら、御条の件で恐ろしくなって廃棄した者もいたようです。
   見張らせていた者達の手で、今朝までに滞りなく回収しております」

メイ(実験体……)

 周と男達の会話を聞きながら、メイは歯噛みする。

 同じ人間を人間扱いしない輩は幾度も見ているが、慣れない物だ。

 慣れたら慣れたで“それはそれで人間として終わってる”と言うのはメイの持論だが、
 プロになって十年経っても、この手の輩には怒りしか湧いて来ない。

周「御条の薬品は、まだ発見できていないのか?」

男D「一晩中、八方手を尽くしたのですが……」

 一際苛立った様子の周の言葉に、警備員風の男が恐る恐ると言った風に返した。

周「クソッ……前に公安の送り込んで来た偽教師の時とは違うと言う事か……」

 部下の返事を聞きながら、周は焦ったように漏らす。

メイ<どっちが偽物だっての、偽生徒に偽教師に偽一般人めっ!>

突風<メイ……落ち着いて>

 思念通話で激しい突っ込みを入れる主を、愛器が溜息勝ちに窘めた。

 しかし、今までは状況証拠に過ぎなかったが、
 この一連の会話記録は、周一味を犯人とした確たる物的証拠と成り得る。

突風<どうする……すぐに逮捕する?>

メイ<………出来たら、もっと決定的で、まだ知らない情報を喋るまで待ちたいわ。
   ギリギリまで待つわよ>

 突風の問いかけに、メイは気を取り直して答える。

 現時点では、まだ日本国内グループだけの繋がりしか見えてこない。

 劉生製薬の独断なのか、周グループ全体の計画なのか、
 はたまた、さらなる大きなバックがいるのかを、逮捕前に確認しておくべきだろう。

 ボス気取りの下っ端に落とし前を付けさせた所で、
 大ボスを残したままでは、被害に遭った者達に申し訳ないと言う物だ。

メイ(よーしよしよし……、そのままの調子で全部ゲロってちょーだいね、っと)

 メイは固唾を呑んで、彼らの動向を見張る。

 と、その時であった。

男E「ボスッ! 大変です!
   他の見張りが全員倒れてます!」

 乱暴にドアが開かれ、一人の男が中に駆け込んで来る。

メイ(しまった!? まだ一人残ってた!?)

 メイは心中で舌打ちした。

 どうやら、どこかにまだ見張りをしていた者が残っていたようだ。

 他の仲間と連絡が取れなくなったため、仲間達の元へ確認に行っていたのだろう。

 痛恨のミスだ。

 だが、それだけではなかった。

男E「それと、こんなガキが紛れ込んでました!」

??「は、離せよっ!」

 見張り役の男が、後ろ手に引っ張っていた少年を、
 周に向けて突き出すようにした。

メイ(か、一真っ!?)

 そう、藤枝一真だった。

 どうしてここに、一真が?
 そんな疑問が脳裏に過ぎった瞬間、メイは状況を推理していた。

 最初は確実に、自分の事を追って来たに違いない。

 だが、全力を出したメイと彼の脚力には、天と地ほどの差がある。

 即座に引き離された一真は、とりあえず学校に向かったのだろう。

 そこで推理したハズだ。

 聡明な彼の事、昨日の優実の様子や御条の倒れていた場所から、
 即座に図書館が怪しいと勘付いただろう。

 そこで、メイは例の化粧板の引き戸を閉じ忘れていた事を思い出す。

メイ<アタシの馬鹿っ! 阿呆っ!>

突風<………>

 さすがにこればかりは庇いようが無いのか、
 自らを叱責する主を止める術は、突風には無かった。

 そして、例の隠し通路を見付けてしまった一真は、
 この通路を降りて来てしまい、残っていた見回り役の男と鉢合わせしてしまったのだ。

 言ってみれば、これはメイのミスが招いた不運だった。

周「まさか……コイツが新しい捜査員か?」

 自分の前に突き出された一真を見ながら、周は訝しげに呟く。

 一真はどう見ても、単なる一般人だ。

 だが、御条の分の丸薬を回収できていない事に焦っていた周には、
 そんな事は関係無いようだった。

周「貴様、例の薬を持っているのか?」

一真「薬? 何の話だ!」

 周の問いかけに、一真は僅かに声を震わせながらも、
 気丈に睨め付けながら返す。

 一真は聡明だが、他人思いの優しい心根の少年だった。

 おそらく、彼らが意識不明事件の犯人だと思い至って、敵愾心を露わにしているのだろう。

メイ<バカッ、そんな状況で犯人を刺激するんじゃない!>

 メイは声に出して叫びたかったが、
 場数を踏んでいる自分とは違い、平和に過ごして来た少年にそんな理屈は通用しない。

 このままでは、逆上した犯人達によって、一真がなぶり殺しにされる可能性もあり得る。

 公安職員の遺体写真を思い出し、メイは心臓を鷲掴みにされるような恐怖感に襲われた。

一真「まさか、その薬ってヤツで意識不明事件を……?
   お前達が……お前達が優実姉ちゃんや、他のみんなを!」

 そんなメイの思いとは裏腹に、怒りに燃える少年は、
 自らの恐怖を押し退けて周に怒声を叩き付ける。

周「我々のせい?

  騙される方が悪いんだよ……。
  ノーリスクで魔力を底上げできるなんて、信じる方が悪いのさ」

 屈強な男に拘束されて身動きできない一真に、
 周は嘲るように言った。

周「薬の事を話したら、縋り付いて来るような奴だっていたぞ?
  どうしても、どうしても、とな。

  そんな連中の望みを無償で叶えてやったんだ、
  感謝される事はあっても、糾弾される謂われは無いな」

一真「そ、それは、お前達の勝手な言い分だろう! 責任をすり替えるな!」

 周の言葉から、意識不明事件の真相を悟ってしまったのか、
 一真は僅かに口ごもったものの、その言葉を絞り出す。

 周の言葉に言い負かされたままだったならば、命を永らえる事は出来ただろう。

 不正を罪だと認めながらも、それ以上の悪を見過ごす事が出来ない。

メイ(もうちょっと賢い子だと思ってたけど、案外、馬鹿正直だったんだね……。
   けど、そう言うのは嫌いじゃないよ、一真………)

 つい先程、砕け散ったばかりの失恋の痛みを思い出しながら、
 真っ直ぐな心根を持った少年に、メイは改めて胸が高鳴るのを感じていた。

 メイは小さく深呼吸をする。

メイ<一般人の救出を最優先。行くよ、突風>

突風<………了解、メイ!>

 凜とした主の呼びかけに、突風は力強く応えた。

 わざと大きな足音を立てて、メイは柱の陰から姿を現した。

メイ「そこまでだっ!」

 メイが声を上げると、その場の人間達の視線がメイに集まる。

一真「メイさん……!?」

周「子供? まだ侵入者がいたのか!?」

 一真と周が、口々に驚きの声を上げた。

メイ「魔法倫理研究院エージェント隊、アジア太平洋方面支部所属。
   本案件担当諜報エージェント、李・明風だ!

   周政義以下、意識不明事件犯人グループに告げる!
   その一般人を解放して投降しなさい!」

 メイは凜とした声で名乗りを上げる。

周「な、何だ、中学生のごっこ遊びなら余所でやれ!」

メイ「…………誰が中学生だって?
   アタシは、二十三歳だっ!」

 馬鹿にしたような周の言葉に、メイは待機状態だった突風を起動した。

 衣服が魔力によって分解され、
 着込んでいたインナー防護服の上に魔導装甲となって再構成される。

 一瞬にして姿を変えたメイに、一真と犯人グループ達の目は今度こそ最大まで見開かれた。

メイ「もう一度言ってやるわ……。

   魔法倫理研究院エージェント隊、アジア太平洋方面支部所属。
   本案件担当諜報エージェント、李・明風だ!

   さっさと人質を解放して大人しくお縄に付けってのよ、この犯罪者共!」

 メイは中学生呼ばわりされた怒りを込めて、挑発するかのように言い放つ。

 しかし、“そんな状態で犯人を刺激するな”と言ったのはメイ自身だ。

 一真は人質に取られたまま、彼我の戦力差は、
 先程駆け付けた見張り役を加えて一対三十五。

 絶体絶命と呼ぶに相応しい状況である。

 そんな状況は周にも分かり切っているのだろう。

周「研究院だかエージェントだか知らんが、
  よくもまあこの状況でヌケヌケとそんな要求が突き付けられたモノだな」

 周はそう言って、一真を押さえつけている見張り役の男を尊大に手招きし、
 一真の右手首を握り締めると、壇の上から一真の腕を後ろ手に捻り揚げた。

一真「ぅぐ……ッ!?」

 一真は中学生ながら、高校生の周に見劣りしないだけの体躯があったが、
 さすがに屈強な男に押さえつけられたまま、壇の上から腕を捻り揚げられるのは相当無茶な体勢らしく、
 苦悶の声を必死に噛み殺す。

一真「ぼ、僕にか、構わず、に、逃げ、て……メイさん……ッ!」

 しかし、一真は自分がそんな状態であるにも関わらず、
 気丈にもメイの身を気遣って、必死に声を絞り出した。

メイ「………まったく、どうしてこんな状況でアタシの心配なんか出来るのか……」

 メイはそんな一真の様子に、嬉しさと寂しさの入り交じった笑みを浮かべ、
 表情通りの複雑な声音で小さく呟く。

 しかし、周はメイのそんな変化にも気付かず、勝ち誇ったような笑みを浮かべた。

周「大人しくするのはお前の方だ。
  人質がいる此方の方がどう見ても有利だろう!

  御条の薬瓶を奪ったのは貴様だな?
  さあ、コイツの命が惜しければさっさと瓶を此方に渡して貰おうか!」

 周は横柄な態度で言い放つと、勝利を確信して哄笑を上げる。

 状況は素人目にも周側有利だ。
 周の“最早、勝ったも同然”と言う態度も頷ける。

 だが、そこはメイも潜入捜査のプロだ。

 身を隠していた忍者が姿を現すのは、勝利を確信している時だけだ。

周「さぁ、大人しく降参するがいい!
  フハハハ………」

 勝ち誇る周の頬を、一陣の風が撫でる。

周「は……?」

 哄笑の表情のまま、周は唖然とした声を上げた。

 直後、バタバタと音を立てて、周囲の人間達が昏倒して行く。

 それは一真を拘束していた見張り役も同じで、グラリとよろめいて倒れ、
 ようやく戒めを解かれた一真自身も、何が起こったのか分からないと言った様子で、目を見開いている。

メイ「全員が、この筋骨隆々のお兄さんみたいなのだと手間かかったんだろうけど、
   小手先作業だけが仕事の工作員なんか、実戦じゃ何人集まっても意味無いんだよねぇ」

 一方、メイは先程まで居た位置とは正反対の場所で、段差の縁に腰掛けてそんな事を呟いていた。

周「あ……あ?」

 哄笑の貌を引き攣らせ、周は愕然とそちらに向き直る。

 周は権謀術数を巡らせる事は出来たが、戦闘員ではない。

 仮に、彼に僅かにでも戦闘経験……いや、戦闘訓練の経験があれば、
 あの一瞬、メイが掻き消えた様に見えていただろう。

 メイはその一瞬で、周を除いた三十四人の犯人グループ構成員を、
 当て身や掌打で昏倒させていた。

突風『魔導師相手ならまだしも、殆どが非武装の人間だものねぇ……』

 共有回線を開いた突風が、少し拍子抜けと言った風に呟くと、
 メイの魔導装甲は一瞬にして、チャイナドレス風の道着型魔導防護服へと転じる。

 最早、魔導装甲ですら使うまでも無いと言う事だ。

 メイが最も警戒していたのは、手練れの魔導師が頭数を揃えている可能性である。

 公安職員が返り討ちにあったのだから、当然と言えば当然だが、
 実際、まともに戦闘要員と言えたのは見張り役の十一人だけだった。

 十一人で一斉にかかられたら、メイも苦戦はしただろう。

 だが、結果はご覧の通りだ。

 奇襲による各個撃破を徹底し、油断による隙を突く、セオリー通りの戦法による完勝である。

メイ「まあ、油断してくれてたのが一番の勝因だけど、ね」

 メイはほくそ笑んでそう言い放つと、悠然と立ち上がった。

メイ「これが最後よ………一真を離せ」

 そして、睨め付けるような鋭い眼光と、凜とした声で最後通牒を突き付ける。

周「ま、まだ、こちらには人質が……」

 周は怯んだ様子ながらも、放心状態の一真の腕を引いた。

 だが、既に人質の腕を捻り上げると言う考えすら起きないようで、
 その拘束はすぐにでも振り払えそうだ。

 その様子に、メイは深いため息を漏らした。

メイ「アタシは、離せ、って言ったよ?」

 メイが普段よりも一オクターブ低い声でそう言って、
 素早く右腕を突き出した瞬間、信じ難い物体がその場に現れた。

 その信じ難い物体とは、巨大な腕だ。

 拳だけで人間以上はあろうかと言う、巨大な、巨大な機械の前腕。

 緑色の装甲で覆われた前腕が、メイの傍らから突き出すように出現し、
 その巨大な掌で周の身体をすっぽりと覆った。

 第八世代……魔導機人装甲の腕だけを部分的に召喚したのである。

メイ「優しい優しいお姉さんが、すご~く手加減してやってるってのが、まだ分かってないの?」

 メイは満面の笑みを浮かべながら、笑わない声音で呟く。

周「あ、あ……あ、はは……?」

 ようやく、彼我の絶対的な戦力差に気付いたのか、
 それとも、突然の状況にそう判断すべき思考が麻痺していたのか、
 ともあれ、現在の自分が置かれている状況に気付いた周は、掠れた笑い声を漏らす。

 あと僅かな――瞬きすら許されない時間で、メイは周を握りつぶす事が出来た。

 それをやっと、周は恐怖と共に理解できたのだ。

 一真も唖然として尻餅をつくと、驚きの視線をメイに向ける。

 既に周は全身脱力しており、掴んでいた一真の腕も離していた。

メイ「はい、犯人確保。

   ………逮捕しに来たんだから殺すワケないでしょ。
   まったく、もう……」

 一真の腕が離れた事を確認したメイは、そのまま魔導機人の手でソフトに掴んで周を捕まえると、
 呆れたような声と共に盛大な溜息を漏らした。

 そして、突風に腕の制御を任せ、駆け足気味に一真に歩み寄る。

メイ「大丈夫? ケガはない?」

一真「………あ、う、うん」

 膝を屈めて片膝立ちになり、目線の高さを合わせ心配そうに尋ねるメイに、
 一真は何とか気を取り直して答えた。

 実際は、強く捻り上げられた腕がまだ少し痛かったが、
 そんな痛みなど気にならない程の驚きが彼の胸中を占めていた。

一真「メイさん……君は、一体……」

 唖然呆然と言った風に尋ねた一真に、メイは小さな溜息を一つ漏らしてから口を開く。

メイ「魔法倫理研究院のエージェント。
   まあ、分かり易く言っちゃうと、正義の味方な国際公務員ってトコかな。

   ………アタシには、そこまでご大層な意識は無いけどね」

 メイはそう説明すると、照れたような苦笑いを浮かべた。

一真「魔法倫理……研究院」

 一真はようやく落ち着き始めた思考で、
 数年前から時折耳にするようになった組織の名を思い出した。

 古くからの加盟国とは言え、長年、魔法が秘匿されて来た日本では、
 魔法倫理研究院はまだまだ馴染みの薄い組織だ。

メイ「あと、揚・明華も偽名ね。本当の名前は李・明風。
   まあ、メイってニックネームは本当だったけど、
   騙すような事になちゃってゴメンね」

一真「え? いや、騙されたなんて、そんな事は……」

 苦笑いを交えて申し訳なさそうにするメイに、一真は首を振って応える。

 実際はまだ理解が状況に追い付ききれていないのだろう。

メイ「それにしても、良かった……」

 一真の無事を確認できたメイは、安堵の溜息と共に胸を撫で下ろした。

メイ「彼氏に何かあったとなったら、
   あの子に何て言っていいか分からないもの……」

 そして、安堵に僅かばかりの寂しさを含ませてそう付け加える。

一真「……彼氏?」

メイ「もうとぼけなくていいから……。
   あの子……優実ちゃんも、他の子達も解毒剤が完成すればすぐに目を覚ますから」

 怪訝そうな一真に、メイは安心させようと、努めて優しい声音で応える。

 年まで偽って潜入していたが、
 本当の事を告げた事で、ようやく肩肘を張った呼び方から解放された気分だ。

メイ「ただ、どんなに早くても二、三日はかかるって話だから、
   ちゃんと彼女の傍についていてあげなさいよ」

一真「彼女……? もしかして……優実姉ちゃんが?」

 溜息がちなメイの忠告に、一真は素っ頓狂な声音で応える。

メイ「え?」

一真「え?」

 異口同音に、怪訝そうな声を上げる二人。

 僅かな沈黙の帳が、二人の間に落ちる。

メイ「………えっと、一真が彼氏、優実ちゃんが彼女。
   合ってるよね?」

一真「ゆ、優実姉ちゃんの彼氏は、僕の兄さんだよ!」

 沈黙を破り、苦笑いを貼り付けたままのメイの質問に、
 一真は慌てふためいた様子で返した。

一真「兄さんは防大卒の自衛官で、だから優実姉ちゃんも自衛官を目指していて……」

メイ「……ああ」

 さらに付け加えられた一真の説明に、メイは呆けた様子で頷く。

 成る程、納得だ。

 だが、それでもまだ納得できない台詞がある。

メイ「じゃ、じゃあ、病室で“僕が守るって約束した”って言ってたのは!?」

一真「アレは、海上自衛隊所属で船に乗ってる事の多い兄さんから、
   優実姉ちゃんはそそっかしいから、何かの時は守ってくれって……」

 素っ頓狂な声で尋ねたメイに、一真はやや気圧され気味に説明した。

 成る程、こちらも納得だ。

 コレットの言っていた“歳の離れた優実の彼氏”と言う情報も、
 既に大卒社会人ならば矛盾は生じない。

 むしろ、“歳の離れた”と言う修飾語を思えば、一つ年下の一真よりも、
 もっと年齢に差があると考えた方が納得できる。

メイ「何だそりゃぁ………」

 メイは溜息混じりに呟いて、がっくりと項垂れた。

 今までの悩みは何だったのか?

 正に、文字通りの“悲劇のヒロイン気取り”である。

 恋は盲目。
 もっと冷静に情報を整理し、調査していれば分かりそうな物であった。

メイ「もう! 何で来たのよ!
   知らなければ、勘違いしたままでいられたのに!」

 メイは項垂れていた顔を真っ赤にして叫ぶ。

 確かに、一真がこの場に現れなければ、
 周一味を逮捕した事でメイは捜査を切り上げ、転校の挨拶も無しに去るつもりだった。

 だが、それは最早、ただの八つ当たりだ。

 ただ、まあ、あまりにも恥ずかしい有様を誤魔化すためには致し方ないとも言える。

メイ「勘違いとか……もう、もう! もうっ!」

 メイはあまりの恥ずかしさと、一真と優実が恋仲でないと言う僅かな安堵で、
 思わず涙が溢れそうになってしまう。

 自己嫌悪だ。
 主に羞恥で。

 しかし――

一真「だって……メイさんが、心配だったから」

メイ「へ……?」

 一真のその、真摯で真剣な声音に、メイの思考は僅かに停止した。

 メイの反応を知ってか知らずか、彼はさらに続ける。

一真「あの時のメイさん、思い詰めてたみたいだし……。

   あの後、すぐにメイさんを追い掛けたんだけど見失っちゃって……、
   けど、図書館を覗いたら、窓から君が見えたんだ。

   そしたら、昨日の高等部の先輩の事とか、メイさんの言葉から、
   もしかしたらこの図書館が、例の意識不明事件に関係しているのかも、って思ったら、
   メイさんの事が心配で、居ても立っても居られなくなったんだ」

 一真は真剣な面持ちのまま、一つ一つ丁寧に順を追って説明して行く。

 メイの推測していた状況とは、かなり心理状態が違うようだ。

メイ「私が心配って………何で?」

 メイは唖然とした様子で質問しながら、すぐにその答えに至った。

 それもそうだろう。
 あの時点ではまだ、一真もメイがエージェントだとは知らない。

 同級生の、しかも女の子が危地に飛び込んで行く様を見たら、
 一真の性格上、放っておく事など出来なかっただろう。

 それも、ある一面からは正解だ。

 だが、真の正解は一真自身から語られた。

一真「メイさんの事が……そ、その、す、好きだからに決まってるじゃないか!」

 そんな、驚きの言葉と共に。

メイ「……………………………………………………はい?」

 たっぷり十秒近い沈黙の後、メイは怪訝そうに首を傾げた。

一真「だ、だから……き、君の事が好きで、放っておけなくて……」

 一真は頬を紅潮させ、俯き加減で呟く。

メイ「? ……………ん~………? いやいや………え?」

 一真の言っている言葉が理解できず、メイは繰り返し首を傾げる。

メイ「…………あ」

 だが、すぐに言葉の内容を理解したのか、合点が行ったように漏らした。

 直後――

メイ「ぅええぇぇっ!?」

 ――盛大な驚きの声を上げる。

突風『メイ……理解するの遅すぎ』

 先程から気を利かせて黙っていた愛器が、
 共有回線を開いて呆れたように漏らした。

メイ「あ、アンタだって一真と優実ちゃんが恋人だって勘違いしてたでしょ!?
   次の恋を応援するとか言ってたじゃない!」

 メイは先程とは別の理由も含めて頬を紅潮させ、愛器に抗議の声を上げる。

一真「あ、あの、メイさん?」

 突風――と言うより、正規のワンオフ仕様ギア――の事を知らない一真は、
 誰と話しているのかも分からず、怪訝そうな声を漏らす。

メイ「か、一真も一真よ!
   アタシ達、知り合ってから一ヶ月も経ってないでしょ!?
   それで好きとか………」

一真「ひ、一目惚れだったんだ……!
   生まれて初めて、あんな気持ちになって……その落ち着かなくて」

メイ「あ、ああ……」

 自分の問いかけに恥ずかしがりながらも答えた一真の言に、
 メイは思わず納得して頷いてしまった。

 一目惚れだったのはメイも同様である。

メイ「な、何よそれ~!?
   じゃあ、最初から両思いって………アタシのこの一ヶ月間は何だったのよぉ!?」

 繰り言だが、正に“悲劇のヒロイン気取り”であった。
 良くも悪くも。

メイ「って言うか、あ、アタシ、こんななりだけど、
   本当に二十三歳なんだからね!」

 メイは顔を真っ赤にて狼狽えた様子で、胸元から身分証明の品を取り出す。

 半月前に写真を貼り替えて更新したばかりの、エージェント隊の認識章だ。
 生年欄には“1987.05.23”の文字が刻まれていた。

メイ「ほ、ほら、九つも違うんだよ?
   中学生の一真からしたら、アタシなんておばちゃん………」

一真「そ、そんな事ないよっ!
   メイさんはその、可愛いし……。

   それに、僕の兄さんと優実姉ちゃんだって一回り年離れてるから」

 一真は即座にメイの言葉を否定する。

 その否定が、メイが自身を卑下した事、次いで年齢の事の順であった事に気付き、
 メイは嬉しいやら恥ずかしいやらでさらに頬を紅潮させた。

メイ「で、でもでも、アタシ、結構、粗暴って言うか……お調子者って言うか」

一真「最初はただの一目惚れだったけど、
   メイさんのそう言う飾らない明るい一面を知って、もっと好きになったんだ!」

 痘痕も靨と言うが、正に恋は盲目である。

 勿論、当人達がそれ良いならば何の支障も無い話だ。

メイ「あ、あ、あ………」

 メイは恥ずかしさと緊張で口元をワナワナと震わせながら、狼狽え気味に立ち上がる。

一真「それに、今日のメイさんを見て、もっと好きになった……。
   颯爽として、格好良くて……」

 その言葉を聞いた頃には、もう顔を向けてもいられなかった。

 ここまで真っ直ぐ、異性から好意を向けられるのは初めてだ。

 ザックは、自分の事を手のかかる妹分としか見てくれていないし、
 アレックスは、まあ気楽な異性の友人として見てくれていても、所詮は口喧嘩仲間だ。

 他に近しい異性と言えば一征辺りもいるが、あくまで職場の先輩後輩で戦友と言う以上の感情はメイにも無い。

 胸がはち切れるので無いかと言うほど、鼓動が高まる。

突風『しかし、まあ、よくもここまで色気のない場所でロマンチックな気分になれるわね………』

 突風は居たたまれなくなって、呆れたように漏らした。

 確かに、愛器の言葉通りに、回りは昏倒した犯罪者だらけ、
 周も恐怖でいつの間にやら失神している。

 ロマンスの欠片もない光景だが、メイの耳にも一真の耳にも、
 そんな冷静な指摘は届いていなかった。

メイ「で、でもアタシ……こんな危ない仕事してるし、
   忙しいから、デートとかだって………」

 メイは一真に背を向けたまま、両手の指を突き合わせて口ごもる。

 年相応と言うよりは、見た目相応の女性らしい態度だ。

一真「じゃあ、僕が一人前になったら、考えてくれますか?」

メイ「か、一真が一人前って……アタシ、その頃には三十歳超えてるよ?」

 一真の言葉を聞きながら、メイは俯く。

 今年で十五歳の一真が、大学を卒業するにはあと八年。
 仮に短大を選んでも六年。

 最短でも、メイは三十歳だ。

 しかも、人の気持ちは移ろいやすい物。
 六年もの月日があれば、一真にだってもっと恋しい人が現れるかもしれない。

 自分でハッキリとした答えを出せない事を棚に上げてはいたが、
 メイはその事に不安を感じていた。

 もう、“押して押して押しまくって”宣言も、先に相手にやられてはたじろぐ他ない。

 また弱気の虫が鎌首をもたげ始めた頃、一真はその背に向かって口を開く。

一真「絶対に待たせない!」

 強い意志を込めた言葉が、メイの身体をつま先から頭の先まで貫く。

 その衝撃に、メイは背を伸ばす。

一真「どんな手を使ってだって、早く一人前になって見せる!
   そして、メイさんを……君を迎えに行く!」

 それは、一真の決意表明と、メイへの変わらぬ真摯な思いを約束する、誓いの言葉だった。

メイ「…………」

 その誓いを聞きながら、メイは感激に打ち震えていた。

 嬉しかった。
 こんなにも真っ直ぐに、自分の事を求めてくれる異性の存在が。

メイ「ま………っ」

 答えようとして溢れそうになった涙を、メイは慌てて拭う。

 そして、改めて口を開く。

メイ「………待ってるから。
   だから、早く、迎えに来なさいよねっ!」

 メイはそれだけ言うと、突風に通信回線を開かせた。

 ここで颯爽と立ち去れたのなら、ドラマのようで格好いいのだろうが、
 現実はそうもいかない理由がある。

 さすがに犯人と被害者を置き去りにして立ち去るのは、いくら何でも非常識だ。

 早々にこれだけの人数を運び出せる応援を要請しなければならない。

メイ「…………」

一真「…………」

 メイが応援要請を終えると、二人は離れた位置に座りながら、
 緊張してどこか居たたまれないような、
 だがソワソワとした雰囲気を漂わせながら、事態の進展を待った。

メイ(我ながら……最後まで情けないな……)

 メイはそんな事を考えながら、少し自嘲気味に、
 だが嬉しそうに微笑んだ。

―10―

 周一味逮捕から二ヶ月後。
 魔法倫理研究院アジア太平洋方面支部の間借りしているオフィス――


 間仕切りで仕切られた一角にメイが入って行くと、
 そこにはいつもの執務机の傍らにベビーベッドが置かれている。

 保護エージェント統括官――結の執務室だ。

メイ「よっ、お疲れちゃ~ん」

結「ああ、メイ。
  お疲れ様」

 戯けた調子の幼馴染みに、結は笑顔で答える。

メイ「明日美はどう?」

結「うん、元気だよ~。
  さっきはちょっと泣いてたけど、お腹が一杯になったらこの通り」

 メイの質問に、結は愛おしげな笑みを浮かべて、
 ベビーベッドを覗き込んだ。

 そこには可愛らしい赤ん坊が、すやすやと安らかな寝息を立てて眠っていた。

 二ヶ月前に生まれたばかりの、結とアレックスの娘……明日美だ。

結「ねぇねぇ、見て見て!
  目元とか、アレックス君に似て賢そうでしょ?」

 そう尋ねる様は、早速、親ばか全開である。

メイ「あ~、まぁねぇ」

 先程、技術部に寄った時に父親の方から写真を見せられ、
 “結君に似て可愛らしいでしょう?”と言う言葉に同意を求められた事を思い出して、
 メイは微笑ましいやら何やらと言った風に応えた。

 この様子を見る限り、友人夫婦の仲は実に良好なようで何よりだ。

 ちなみに、間借りしているオフィスには託児施設を増築する余裕がなく、
 結とアレックスの夫婦は共働きと言う事もあり、支部長のエミリオ・ペスタロッツァの許可の元、
 二人の自費で、統括官執務室の間仕切りを全て遮音ボードに貼り替えていた。

 閑話休題。

メイ「ああ、そうだ、コレ。
   最新の調書と追加逮捕者リスト」

 メイは思い出したように言って、結に書類の束を手渡す。

結「逮捕者、また増えたね……」

メイ「まあ、ねぇ」

 受け取った書類に目を通しながら、神妙な様子で呟く結に、
 メイは少し呆れた様子で漏らした。

 国立国際魔法学院連続意識不明事件に端を発した一連の事件は、
 今は“周グループ薬物テロ事件”へとその名を改めていた。

 劉生製薬の幹部と株主は、現時点だけでも五割以上が逮捕・起訴されており、
 さらに各所へと飛び火して行く勢いである。

 魔法倫理研究院の本案件対策班もその面子を改め、
 現在は多くの諜報エージェントが日中両国で情報集めに奔走している最中だ。

 隆一郎を通して事件を依頼して来た議員は、
 事態の隠蔽を図っていた事実から辞職に追い込まれ、
 検察や公安から事情聴取を受けているのは、自業自得と言うべきか……。

 そして、被害者達は李家の調合した解毒剤によって意識を回復し、
 今はそれぞれの郷里に帰って静養中との事である。

 不正な薬品に手を伸ばした被害者生徒達にも責任の一端はあろうが、
 成績の悩みなどに付け入られ、また人体実験の被害者にされたと言う事実もあって、
 被害者生徒達への追求は不問、彼らには箝口令が敷かれる事となった。

 また、一連の騒ぎにより、国立国際魔法学院は一時閉校となったが、
 来年度を目処に本條家を中心とした新体制で再スタートすると言う。

 事態はそれぞれに進展を見せているが、しかし、事件の真相はまだ深い闇の中だ。

 周グループが何故、国際問題に発展する危険を冒してまで国際魔法学院を実験場として選んだのか、
 日本国内で彼らを手引きしたのが誰であり、どんなルートであったのか、
 李家を離反後、数十年に渡って沈黙を守って来た周・云袍の一系が、何故、今になって動き出したか、
 ……等々、今後も調査を続けなければいけない事柄は山積みである。

 ただ、この事件の影響により、
 世界でも先んじて大規模な国際魔法教育機関を国家主導で作り上げ、
 向こう十年以上の将来を見据えた、日本政府の遠大な計画は、
 この事件を機に、一時的な遅れを余儀なくされると言う事だ。

 その一方で、今回の事件を機に本格的なスパイ防止法の施行が決まりかけてもいる。

 周グループが日本の躍進停滞を狙っていたのだとしたら、
 事実上の一勝一敗の引き分けと言った所だ。

 そして、今回の件で一番の利益――ほぼ棚ぼただが――を得たのは、
 誰あろう本條家なのは間違いない。

 政敵であった議員の辞職と逮捕による失脚。
 研究院との協力による犯人逮捕の実績。
 加えて、国立国際魔法学院と言う巨大な教育機関の実権。

 本條家にどんな思惑があったかは余人にはお呼び知らぬ事であり、
 また、当主・隆一郎にとっても本当に予想外の事態ではあったが、
 それでも、本條家の権力は戦前にはまだ遠く及ばないものの、大きく回復できた。

 これに関しては、日本国内での活動協力の面から見ても、
 魔法倫理研究院アジア太平洋方面支部にとって、
 大きく利のある結果である事は間違いない。

結「ああ、そうそう。
  一征さんから聞いたんだけど、例の逮捕時に居合わせちゃった被害者の子……、
  えっと、藤枝一真君だっけ?

  彼、本條家に入門したって」

メイ「ふ、ふ~ん、そう」

 結の言葉を聞いたメイは、少し素っ気ない雰囲気で返す。

結「事情を聞いてた時から、
  “エージェントになるにはどうすればいいのか”って、
  凄い剣幕だったって………。

  メイ、何か心当たり無い?」

メイ「ん~、まあ、ほら、アレじゃない。
   アタシの活躍に魅せられて、とか」

 微笑ましそうな結の問いかけに、メイは誤魔化すように言った。

突風<メイ……いくら結が鈍くても気付くわよ>

メイ<ほっといてよっ!>

 愛器の指摘に、メイは心中で鋭く返す。

 結も粗方の事情は察しているのだろう。

結「まあ、十四歳からエージェントを目指すとなると大変だろうけど……。
  彼、随分と筋が良いみたいで、良いフリーランスエージェントになるかも、って、
  美百合が絶賛してたらしいよ」

メイ「ほ、本当に!?」

 感慨深げな結の言葉に、メイは喜色を浮かべて尋ねる。

結「うん。
  彼、小さい頃から空手とかの格闘技とかやってるんじゃないかな?
  身体の基礎が出来てるから、飲み込みが早いらしいよ」

メイ「そ、そっか……そうなんだ」

 メイは安堵と嬉しさの入り交じった声音で、笑みを浮かべて漏らした。

 彼は宣言通り、一人前の男を目指して自分を磨いている最中のようだ。

 だと言うなら、自分もそんな彼に恥じない人間であろうと、
 メイは思いを新たにする。

メイ「じゃあ、アタシも捜査頑張らないとな」

結「ふ~ん……」

 メイの言葉に、結は感慨深さと微笑ましさの同居した笑みを浮かべて漏らす。

メイ「ぅぐ………」

 そこでようやく、会話の手綱を完璧に結に握られている事を悟り、
 メイは悔しげな呻き声を一つ漏らす。

結「フフフ……じゃあ、明日からの出張、頑張って下さいね、
  エージェント・李」

メイ「はいはい………了解しましたよ、フィッツジェラルド統括官殿」

 微笑ましげな結の言葉に、メイは肩を竦めて答えた。

―11―

 四年後。
 上海――


 李・明風を中心とした“周グループ薬物テロ事件”の対策班は、
 三年十ヶ月に渡る調査と情報収集の末、ついに事件の真相に辿り着いた。

 周グループと軍部の癒着により、
 兵士達のドーピング薬品の開発が行われていると言う事実を突き止め、
 その商品と対価の交換の場に乱入、大捕物が行われたのだ。

メイ「魔法倫理研究院だ!
   危険指定魔法薬の取引現行犯で逮捕する!
   さっさとお縄につけぇっ!」

 天井裏に忍んでいたメイの言葉を合図に、
 彼女の部下や、日本から派遣されたフリーランスエージェント達が一斉に薄暗い室内へと雪崩れ込む。

 抵抗するガードマン達を押さえつけ、ねじ伏せ、主犯格の男や軍部高官を逮捕して行く。

青年「エージェント・李!
   階下のガードマン全員の捕縛、完了しました!」

 すぐ下でガードマン達が詰めていたフロアの鎮圧部隊を任せられていた、
 日本のフリーランスエージェントの青年が、その場に現れる。

 身長はかなり高く、一九〇に届くのではないだろうか?

メイ「お疲れ様。
   どう、初の大捕物の感想は?」

青年「いえ……まあ、支部の方の手際が鮮やかだったお陰で、
   僕はこれと言った仕事は……」

 青年はそう言いながら、懐から取り出した眼鏡を掛けた。

 おそらく、捕り物と言う事で外していたのだろう。

メイ「またまた謙遜を……。
   いい男になったじゃない」

青年「まだBランクの若造ですよ……。
   僕と同じ年の頃にはとっくにSランクだったエージェント・李の足下にも及びませんよ」

 微笑ましそうに言ったメイに、青年は肩を竦める。

メイ「それって、私がおばちゃんだって事?」

青年「そ、そんな事ありません!
   メイさんは、四年前のあの日からずっと、可愛らしくて素敵な女性です!」

 自嘲気味の溜息混じりのメイの言葉を、
 青年は慌てて否定した。

 あの日から変わらない、真っ直ぐな言葉に、
 メイは嬉しそうに満面の笑みを浮かべた。

メイ「じゃあ、あなたも胸を張りなさいよ……。
   一人前の、いい男になったんだから、さ………一真」

青年「………はい、メイさん」

 感慨深げなメイの言葉に、青年――フリーランスエージェント・藤枝一真は、
 誇らしげな笑みを浮かべ、大きく頷いて答えた。



――アタシの名前は李・明風。
  世界最速の足を持つ魔導師。

  彼の名前は藤枝一真。
  たった二年で一般人からBランクに上り詰めた最速の努力家。

  あの日、出会った一瞬で恋に落ちた、
  きっと、世界最速の恋をした二人………。――


番外編「メイ、未来に繋がる一つの物語」・了

以上で番外編、終了です。
軽い気持ちで書き始めたのに、最終回より長いとか狂ってる。


それと、お待たせしてしまったお詫びに、
さらにもう一本、ベリーショートな閑話を投下させていただきます。

閑話~それは、幸せな『旧友達の談笑』~


―1―

 2015年、某月某日、週末の夕刻。
 アジア太平洋方面支部メガフロート、F・譲羽邸――

 東京ドーム数十個分と言う超巨大メガフロートの東部ブロック、
 閑静な住宅街の中、基地内リニアトレインの駅からほど近い場所に、その家はあった。

 広い庭の真ん中に立った大きな桜の木は、既に花の季節も過ぎて、
 青々とした葉を茂らせている。

 家屋も、平屋ではあるが落ち着いた雰囲気の和風建築で、
 離れのガレージには夫婦兼用のワンボックスカーが鎮座していた。

 そんな家の玄関に、カジュアルな普段着姿の九人の男女――
 内訳は男性二名、女性七名――がやって来る。

奏「ここが、結とアレックスの新居かぁ……」

 その内の一人――奏が、その様相を見上げて呟く。

 三年前に所用で立ち寄った時は、まだ東京の賃貸マンション住まいだったが、
 二年前の支部本格移転をキッカケに土地を買い、新居を建てたとは聞かされていた。

 まあ、築二年となると、胸を張って“新居”と言うには中々難しいラインではあったが……。

ザック「和風建築か……どっちの趣味だ?」

ロロ「う~ん、アレックスっぽいような気もするけど、
   結の意見を押し退けて我を通すような性格じゃないしなぁ……」

 ザックとロロの夫婦は、肩を並べて一方は怪訝そうな表情を浮かべ、
 一方は小首を傾げている。

美百合「ああ、旦那さんの方の趣味だそうですよ~。
    その代わり、内装の方は結さんの趣味だとか」

 その疑問に応えたのは、美百合だ。

一征「初めて入ると、ギャップに驚くぞ……」

 その傍らで、一征が淡々と呟く。

フラン「……ああ~、何となく予想つくわ」

 一征の言葉に、少し離れた位置で夕暮れで茜に染まった葉桜を眺めていたフランが、
 苦笑いを交えて呟いた。

 離れて暮らして六年となる弟妹分達だが、まあ大概の好みは察している。

紗百合「こんな所で大人数でグダグダやっててもしょうがないでしょう。
    招待されてるんだし、さっさと中に入りましょうよ」

 それまで、各々の言葉を黙って聞いていた紗百合が、待ちくたびれたと言いたげに呟く。

クリス「じゃあ、呼び鈴慣らしますね」

リーネ「うん、お願い」

 先輩達の様子を窺っていたクリスは、リーネと互いに目配せした後、
 玄関脇の呼び鈴を押した。

 屋内でチャイムの鳴り響く音が聞こえ、しばらくして足音が聞こえて来る。

 僅かな間の後、玄関が開かれた。

アレックス「やあ、皆さん、いらっしゃい」

 にこやかな笑顔で出迎えたのは、この家の主、アレックス・F・譲羽だった。

フラン「うわぁ、和服似合わないわねぇ……」

 数年振りに再会した弟分の格好に、フランは噴き出しそうになりながら言った。

 アレックスは普段の動きやすい服と白衣ではなく、
 洒落た無地の紬の着物である。

リーネ「アレックス兄さん、って言うか、あれっくす兄さんだね……」

 リーネも見慣れぬ兄貴分の格好に、笑いを堪えて呟く。

 むしろ、荒烈駆主兄さんである。

アレックス「まあ玄関で立ち話も何ですから、
      中へどうぞ」

 旧友達の態度に苦笑いを浮かべながら、アレックスは彼らを自宅に招き入れた。

 玄関には三和土こそあるものの、内装は普通に洋風建築だ。

 玄関で見た時は、アレックスの服装もマッチしていたが、
 一度、家の中に入れば実にミスマッチである。

フラン「あ……ありのまま今起こった事を話すわ!

    “和風のお屋敷に入ったと思ったら、中は洋風建築の家だった”

    何を言ってるか分からないと思けど、私も何が起こったのか分からない!」

 フランは目を見開いて叫ぶが、内装に関しては前述の通り、
 既に彼女も予想していた事なので、あからさまにわざとだ。

 そのネタを言うべき国籍の人物は、感嘆混じりに友人の新居の内装を見ていた。

アレックス「全く、何を言ってるんですか?」

 口ぶりでは普段通りだが、アレックスは柔和な笑みを浮かべている。

ザック「何か、お前、子供生まれたら丸くなったな……性格が」

アレックス「そうでしょうか?」

 肩を竦めたザックの言葉に、アレックスはにこやかに返す。

 そのまま彼らは下足からスリッパに履き替え、庭に面したリビングへと入って行く。

 中央を一段下げて作られた広いリビングには、
 大きな楕円のテーブルが置かれ、座り心地の良さそうなソファが並べられていた。

 テーブルにはたくさんの料理が並べられており、
 既に外見だけ少女の女性と、幼い少女が座っていた。

メイ「おい~ッス、お先してるよ」

明日美「あ~、奏おばちゃんだ~!」

 メイと、結とアレックスの娘……明日美の二人だ。

 明日美は立ち上がり、奏に向かって駆けて行く。

奏「うん、久しぶりだね、明日美」

 飛びついて来た明日美を抱き留めながら、奏はにこやかな笑顔で返す。

クリス「クリスお姉ちゃんも来てるよ~」

 母の傍らで、クリスもにこやかに話しかけた。

明日美「いらっしゃい、クリスお姉ちゃん!」

 明日美もそれに応え、元気良く返す。

 母と親交が深い事もあって、明日美は幼少期から二人と面識があり、
 電話越しだが、頻繁に話す機会もあり、写真も送り合っていた。

フラン「おばちゃんて……同い年の奏がそう呼ばれてると、
    なんか、色々とダメージデカいわ……」

 一方、フランはがっくりと肩を落としている。

 確かに、四歳児からすれば二十九歳は“おばちゃん”なのだろうが、
 未婚で“おばちゃん”呼ばわりされたら、さすがに立ち直れないかもしれない。

アレックス「ほら、明日美。
      初めて会う人もいるんですから、ちゃんと挨拶しないと駄目ですよ」

明日美「は~い、パパ」

 父に丁寧に窘められた明日美は、素直に奏から離れ、
 やって来た一団に向き直る。

明日美「はじめまして!
    あすみ・フィッツジェラルド・ゆずりはです。
    よろしくお願いしますっ!」

アレックス「はい、よく言えました」

 丁寧なお辞儀を合わせて挨拶した娘の頭を、
 アレックスは優しそうに撫でた。

 明日美もそれが嬉しいのか“えへへ~”と満面の笑みを浮かべている。

紗百合「本当……いつ見ても、大人だらけでも物怖じしない子ねぇ。
    肝の据わりっぷりは、さすがに結の娘だわ……」

 そんな幼子の様子に、紗百合は嘆息混じりに呟く。

リーネ「メイ姉さんも久しぶり。
    元気にしてた?」

メイ「そりゃあ、それだけが取り柄だからねぇ」

 久々の再会に嬉しそうな笑顔を浮かべたリーネに、メイも笑顔で返す。

 各々に再会を懐かしみ、出逢いを謳歌する様は、実に朗らかだ。

 と、その時である。

結「みんな、いらっしゃい!」

 奥のキッチンで料理の仕上げをしている最中だった結が、
 やや慌ただしそうに、だが嬉しそうな笑顔を浮かべて顔を見せた。

 こちらはゆったりとしたトレーナーにマキシ丈のスカート、
 薄桃色のフリルエプロンと、夫とは正反対の赴きの格好だ。

フラン「結、お久しぶり!
    っと……前に任務で一緒した時以来だから、三年くらいぶり?」

結「そうだね、それくらいかな?」

 フランと結は、懐かしそうに思案げに漏らす。

 二人の再会は、中央アジアでの大規模摘発があり、
 その時の任務で共闘して以来だ。

 フランが新規部隊起ち上げの準備中であった事と、
 結も多忙な統括官であり、離れて暮らすが故だ。

ロロ「二人とも、働き過ぎだからね」

 そんな二人の様子に、ロロが苦笑いを交えて呟く。

結「そう言うロロとザック君は、
  今日はマリアちゃんとミリアちゃんは一緒じゃないの?」

ザック「ああ、ロロの実家は次の学会の準備が忙しいとかで、
    今回は俺の実家に預けて来た。

    まだ二歳だし、飛行機の長旅はキツいだろうからな」

 小首を傾げた結の問いかけに、ザックが答える。

 マリア・ファルギエール。
 ミリア・ファルギエール。

 共に一昨年生まれたばかりの、ザックとロロの双子の娘だ。

美百合「お子さん………」

紗百合「子供、ね………」

 子持ち夫婦の会話を聞きながら、本條姉妹は内縁の夫とも言える一征に視線を送る。

一征「………」

 対して、本條家時期当主は見て見ぬ振りを決め込み、
 アレックスに促されるままいそいそとソファに腰掛けていた。

リーネ「昔は、ハッキリしない一征さんって酷いなぁ、って思ってたけど、
    ああ見ると同情しちゃうなぁ……」

クリス「そうだねぇ……」

 どこか遠くを見るような視線のリーネの言葉に、
 クリスも苦笑いを浮かべて同意する。

??「み、皆さん! は、初めまして!」

 と、結の後ろから、緊張気味の大きな声が響いた。

 少し驚いたような面々の視線が、そちらに向くと、
 そこには一際高い身長の青年が佇んでいる。

 藤枝一真だ。

美百合「あら、一真さん。
    先に来てお手伝いとは、感心ですね~」

一真「は、はいっ、師匠!」

 にこやかにおっとりと話しかけた美百合に、
 一真は文字通りに直立不動と言った姿勢で返す。

クリス「師匠? って、あの、こちらの方は?」

 突然の初対面の青年の出現に、クリスは小首を傾げて紗百合に尋ねる。

紗百合「ああ、あの子、ウチの門下生」

一真「は、はいっ!
   本條家門下、Bランクフリーランスエージェント、藤枝一真です!

   旧特務部隊の皆さんにお会いできて、こ、光栄です!」

 紗百合の返事に続いて、一真はカチコチと言っても過言では無いほどに緊張し、
 上擦った声で自己紹介をした。

 さもありなん。

 十八歳と言う若さにも関わらず、フリーランスでBランクと言えばかなり非凡な部類に入るが、
 子供である明日美を除いて、全員がAランク以上のハイランカーであり、
 しかも、その内の半数が初対面ともなれば、一真も緊張を禁じ得ないだろう。

紗百合「で、あっちが弟子。こっちが師匠」

 紗百合は付け加えるように、一真と姉を順番に手で指し示した。

フラン「ああ、この子が……噂の」

メイ「そうそう、アタシの自慢の……」

 思い出したように口を開くフランに、メイは自慢げに胸を張る。

 だが――

フラン「年齢詐称でひっかけた彼氏」

 ――続く姉貴分の言葉に、メイは胸を張ったまま仰向けに倒れかける。

メイ「ちょっ!? 概ね間違ってないけど、激しく間違ってるから、それ!」

 メイはフランに詰め寄るように叫ぶ。

一真「め、メイさん、落ち着いて」

 一真は緊張しながらも、メイを抱きかかえるようにして取り押さえた。

 身長差が頭二つ分近いと言う事もあり、大人が子供を抱きかかえているようにすら見える。

結「ふふふ……」

 一方、結は、目の前の光景に、かつての賑やかしい日々を重ね、
 懐かしそうに微笑む。

 仕事の関係や休暇などで、個人同士が会う機会は今までにも何度かあったが、
 こうして旧特務の全員に、本條家の三名、クリスとアレックスを加えた十二人が揃うのは、
 グンナーショック後の事後処理以来、実に八年ぶりの事だ。

 そう、今日は休暇や出張の都合を利用して来日した欧州本部組と、
 それに合わせて休暇を調整して来た太平洋方面支部組全員で集まっての、
 言ってみれば同窓会であった。

 この場に一真がいるのは、メイの願いで友人達への面通しと言った所だ。

結「じゃあ、一真君。
  最後の配膳の手伝い、お願いね」

一真「は、はい! フィッツジェラルド統括官!」

 笑み混じりの結の言葉に、一真は緊張したまま応える。

 彼もこの一ヶ月ほどでようやく自分やアレックスには慣れてくれたハズなのだが、
 さすがに師と初対面の英雄達を前に、再発気味のようだ。

結「今はオフなんだから、そんなに固くならなくてもいいよ」

 結は苦笑い混じりに言って、キッチンへと戻って行き、一真もそれに続く。

結「あなた~、もうちょっとで準備終わりますから、
  それまで、みんなのお相手、お願いしますね」

アレックス「ええ、任せて下さい」

 キッチンからの結の言葉に、アレックスはにこやかに応えた。

アレックス「それじゃあみんな、好きな場所に座って下さい」

 家主に促され、それまで立ち話をしていた面々も、
 それぞれにソファに腰掛け始めた。

 料理の配膳を終えた結と、自分から手伝いを申し出ていた一真も加わり、
 全員が着席する。

 アレックスから時計回りに、明日美、結、奏、クリス、リーネ、
 美百合、一征、紗百合、フラン、ザック、ロロ、メイ、一真の順だ。

奏「乾杯の音頭は誰がする?」

一征「こう言う場だ、フランでいいだろう」

ザック「意義無し」

 全員に飲み物が行き渡った所で、年長組が口々に言い合う。

フラン「そう言う事みたいだけど、構わない?」

結「うん、お願い」

 確認して来たフランに、結も笑顔で頷く。

フラン「コホンッ……じゃあ、失礼しまして。

    久方の再会と、新たな仲間との出逢いを祝して、かんぱーいっ!」

一同「かんぱーいっ!」

 フランの号令で、隣り合う者同士がグラスを鳴らし合い、同窓会は始まった。

結「奏ちゃん、最近の湊ちゃんの様子はどう?
  元気にしてる?」

奏「うん、元気だよ。
  相変わらず、素直じゃないけど」

結「へぇ、そうなんだ……」

 微笑ましそうに質問に答えた奏の言葉に、結もその様子を思い浮かべて笑みを浮かべる。

 湊【みなと】……湊・ユーリエフ。
 七年前に奏が後見人となった女性だ。

 かつてはカナデ・フォーゲルクロウを名乗っていた、
 生き別れた、奏の実の妹でもある。

 姉と同じく、四十八年前に母を助けてくれたフリーランスエージェントで、
 本條姉妹の亡き祖父・奏一郎の名から、“奏”の一字を取って名付けられた、彼女本来の名だ。

 グンナーショック以後、五年間の刑期を終えて出所を許された彼女は、
 そのまま勤労奉仕と言う形でエージェント隊に入隊し、防衛エージェントとして、
 姉の勤務するスイスの若年者保護施設で専属護衛の任に就いていた。

 本部としては、実力もあって姉でもある奏に保護観察させる意味もあっての事だ。

 そう言い出したのは彼女自身でもあるのだが、
 天の邪鬼な彼女の事、おそらくは姉の傍に居たいと言うのが本音だろう。

 そんな申し出が簡単に通ったのは、実際に考え得る処置として妥当であった事と、
 隊の上層部が気を回してくれたと思って間違いない。

結「お姉さん思いの良い子だね」

奏「みんなそう言ってくれるんだけど、あの子ったら、
  “もう二十五歳なんだから、良い子とか言うな!?”って怒るんだよ?」

 感慨深く呟いた結に、奏は肩を竦めて呟く。

 だが、口ぶりとは裏腹にその表情は幸せそうで、
 湊自身も怒ると言うよりは、照れていると言うのがありありと感じられた。

フラン「ねぇ奏、湊の事、ウチの隊に預けてみる気ない?」

 そんな奏に、対面に座っていたフランが問いかける。

奏「特務に? あの子、勤労奉仕措置だから、ずっとCランクのままだよ?」

フラン「構わないわよ。

    って言うか、奏と拮抗できるだけの実力持った子を、
    いつまでもCランクに止めておくってのもアレでしょ?

    折角、真面目に罪を償ったんだし、勤務態度も良好なんだから、
    ウチで実績積ませれば、特例措置でBランクまで上げられるかもしれないし、
    将来的な事を考えれば、その方が何かとプラスだと思うんだけど、どうかな?」

 怪訝そうに問い返した奏に、フランは思案げに尋ねる。

奏「う~ん……何分、本人もいない事だし、ボク一人で決めていい事でもないから、
  向こうに戻ったら、後であの子と一緒に話をしようか?」

フラン「うん、それで行きましょ。
    あ~……でも、首を縦に振ってくれるかなぁ……。
    あの子、お姉ちゃん子だし……」

 奏の提案に頷いたフランだが、すぐに困ったようなうなり声を漏らす。

ロロ「そんな事言ったら、絶対に首を縦に振らないかもね」

フラン「そ、それは困るわよ!?
    みんな、さっきの発言は極秘って事で!」

 噴き出しそうなロロの言葉に、フランは慌てた様子で言った。

メイ「そう言や、フラン姉。
   隊は放っておいていいの?

   まだ結成して半年も経ってないでしょ」

フラン「ん?
    ああ、留守番の副隊長二人がしっかりしてるから。

    それに、昔の三倍の隊員数確保できたから、
    余程の大規模な任務中以外は、ローテーションで休暇も取れるようになったしね」

 メイの質問に、フランは安堵にも似た感嘆の溜息を交えて応える。

ザック「ん? 副隊長三人じゃなかったか?」

フラン「ああ、セシルはお義母さん連れて二泊三日の旅行だって。
    だから留守番はアンディとユーリの二人に任せてる」

 怪訝そうなザックに、フランはそう応えてから、
 “その代わり、明日の夜までに帰らないといけないけどね”と付け加えた。

美百合「えっと、そうなると、休暇組なのはフランお姉さんと………」

ロロ「私とザックも休暇だよ。
   私達の隊がローテーションの長期休暇中って事で」

 思案げな美百合に、ロロが説明的に付け加える。

奏「出張組はボクとリーネだね。
  まあ、出張と言っても、シエラ先生に近況報告をしに来た感じだけど」

リーネ「私の場合は、国際魔法学院のコーチングマニュアル見直しと、
    あと、こっちの訓練校に顔出し。

    Aカテゴリクラスは、今は夏期休暇中だから」

 奏の言葉を受けて、リーネが続けた。

クリス「私は任務終了後に、この集まりの話をお母さんから聞いて、
    結お姉ちゃんやアレックスさんからのお誘いもあって緊急参加です。

    あ、っと、これ、電話で話していたブラジル土産です」

 クリスは事情説明中に思い出すように言って、
 持って来ていた紙袋を結に手渡す。

結「ありがとう、クリス」

 紙袋を受け取った結は、それをテーブルの下にしまい込んだ。

紗百合「けれど、ブラジルからの任務帰りに日本に寄るって、
    結構、無茶なんじゃない? 反対回りでしょ?」

 その様子を見ながら、紗百合が苦笑い混じりに尋ねる。

クリス「う~ん……結構、世界中を飛び回ってるから……あんまりそう言う実感は」

 クリスも困ったように応えながら、充実していと言いたげな笑みを浮かべた。

一真「欧州の皆さん……やっぱり大変なんですね」

一征「情勢不安定はどちらも一緒だが、
   やはり彼方は魔法文化の本場だからな……。

   どちらがより大変と言うワケではないが、
   その辺りの違いを覚えておくと良い」

一真「は、はい!」

 次に自分が仕える事となる主……一征の言葉に、一真は緊張気味に頷いた。

ロロ「それにしてもテーブル大きいね。
   たまに二人のご家族が遊びに来てるって言っても、
   こんなに大きいと持て余さない?」

 ロロは広いテーブルを見渡しながら呟いた。

 確かに、今もこうして十四人が囲んでいるにも関わらず、
 十分にゆったりと出来るだけの余裕がある。

 イギリスにいるアレックスの家族、日本にいる結の家族を含め、
 両家が勢揃いして、親子を含めても十三名。

 十分過ぎる広さだし、両家勢揃いなどと言う事は早々ない。

結「ああ、私の部下の子達とか、アレックス君の仕事仲間とか、
  そうやってたくさんの人を食事に招待する事も多いし、
  麗ちゃんや香澄ちゃんの会社の人を招待したりもするから。

  実は、これでも結構、手狭だったりして……」

アレックス「目算を見誤りました……」

 苦笑いを浮かべて説明する結に、アレックスが溜息混じりに肩を竦めた。

 人付き合いが無いと、いざと言う時に大変だが、
 人付き合いが広すぎるのも、また大変であると言う実例だ。

メイ「若い子は食べ盛りなのもいるしねぇ……。
   よく家計がパンクしないわ……」

 メイは呆れ半分と言った風な嘆息を漏らす。

ザック「夫婦でSランクだとそうでも無いぞ。
    隊長手当や主任手当があれば給料もいいしな」

メイ「ああ、成る程ねぇ~。

   けど、固定登録されてる部隊の隊長とか、一度でいいからやってみたいなぁ……。
   気楽な分、隊長手当無いってのが、スタンドアローンの辛い所だわ……」

 ザックの言葉を聞きながら、メイは盛大な溜息を漏らす。

リーネ「そう言えば、この中で一番の高給取りって誰だろう?」

結「ん~……特務の頃だと、奏ちゃんだよね。
  隊長補佐手当と、施設職員手当があったし、今は施設責任者手当があるでしょ?」

 リーネの漏らした疑問に、結が指折り数えながら呟く。

奏「多分、今はボクより結の方が上じゃないかな?
  支部の保護エージェント統括官って、殆ど総隊長みたいな物でしょう?」

結「ああ……確かに、十代の頃から見ると、倍くらいになったかも」

 思案げに尋ねた奏に、結は頷いて答えた。

 エージェントの給料は基本給に加えてランクと役職で加算される形式だ。
 役職のグレードで給金にもかなりの色が付く。

 危険度・重要度の高い任務に就く事が多いので、当然と言えば当然の措置である。

フラン「ん~、アタシは昔とあんまり変わってないけど、
    多分、一番の高給取りってなら、日本のフリーランスのまとめ役してる一征じゃない?
    研究院と日本、両方から給料出てるハズだし」

一征「その分、どちらも満額では無いがな……」

 思案げなフランの予想に、一征は溜息がちに呟いた。

 一征はフランの言葉通り、代議士として活動中の現当主の隆一郎に代わり、
 美百合、紗百合の二人と共に日本国内のフリーランスエージェントの統括を行い、
 かつ、捜査エージェント隊での主任統括官も務めている。

 役職的には結の直接の上司であり、フリーランス統括と重要な役職だが、
 多額給与の二重支給としての指摘を避けるため、
 どちらの給与も、一部を事前返納すると言う体裁で四割ほどカットされていた。

 それでも総額では多額の給与が支払われている事に相違ない。

メイ「そう言や、次の総隊長人事ってどうなってるの?
   再来年かその次の年あたりには、アンダースン総隊長もアルノルト総隊長も定年でしょ。

   こっちだと、本部の噂話ってあんまり入って来ないんだよね」

フラン「戦闘エージェント隊はまだ分からないけど、
    捜査エージェント隊の次期総隊長は、若年者保護観察施設の責任者やってる、
    エージェント・ベンパーで決まりでしょ。
    んで、そのまま奏が責任者に繰り上がりっと」

 メイの疑問に、フランが自分の予想を述べた。

奏「え? ちょ、ちょっと……本部だと、そんな噂が立ってるの?」

 一方、自分の部署に影響が出ると言う噂に、奏は困惑気味だ。

アレックス「聞く限りは順当なんじゃないでしょうか?
      奏君も、副責任者就任からもう六年ですし、
      本部的には、経験も実績も十分と言う判断を下す可能性はあり得ますよ」

奏「ちょ、ちょっと……アレックスまで」

 アレックスの推測を聞き、奏はさらに慌てふためく。

クリス「そうなると、次々期総隊長はお母さん?」

奏「く、クリス~」

 どこか悪戯っ子のような笑みを浮かべた我が子の言葉に、
 奏はさらなる困惑の色を浮かべて、彼女らしからぬ少し情けない声を上げた。

ザック「まあ、そんな事言ったら、戦闘エージェント隊総隊長に、
    フランを推すって声も上がってるけどな」

フラン「ちょっと待って、それはいくら何でも初耳よ!?」

 何気ないザックの一言に、今度はフランが慌てふためく。

一征「何もおかしな話じゃないだろう。
   同期の俺が、実質支部の総隊長職に当たる主任統括官なんだ。

   俺より実績にあるフランに、総隊長職の推薦があるのは不思議じゃない」

 そんな幼馴染みの様子に、一征は当然と言いたげに呟いた。

フラン「で、でも、仮に再来年だとしても、私、まだ三十代だよ?
    いっくら何でも無いって……」

結「ん~……リノさんが総隊長と実質的に同じ扱いの、
  総合戦技教導隊の隊長に就任したのが二十七歳の時だし、
  フランの実績なら十分にあり得るんじゃないかな?」

美百合「そうですねぇ。
    むしろ、遅すぎた気もします」

 結の言葉に同意した美百合が、うんうんと何度も頷く。

紗百合「支部の方も、お兄様が本條の家督を継いで今のポストから離れたら、
    結が繰り上がりで主任統括官になるのは確実だし、
    現実味が無い人事とは言い切れないものね」

 紗百合も溜息混じりにそう呟いた。

一真「…………」

ザック「大丈夫か? 話に付いて来れてるか?」

 呆然としている一真の様子に気付いたザックが、心配そうに声をかける。

一真「いえ……何だか、雲の上の話過ぎて……」

クリス「私達みたいな現場組だと、噂くらいで実感が薄いものね」

 困惑気味の一真に、クリスが感慨深く呟いた。

 おそらく、一真とクリスではその感覚にもかなりの誤差がある。

 如何にたった数年でBランクまで上り詰めた秀才と言えど、
 本格的に魔導に携わるようになってまだ四年の一真には、まだ理解が及ばぬ域と言う事だろう。

明日美「はい、パパ。あーん」

 一方、大人達の難しい話などどこ吹く風と言った感じで、
 天真爛漫な幼い少女は、フォークに刺したブロッコリーのチーズ焼きを、
 父の口元に向けて差し出す。

アレックス「はい、あーん」

 アレックスも彼女の要求に応えるように口を開き、料理を迎え入れた。

明日美「おいしい?」

アレックス「ええ、とっても美味しいですよ」

 満面の笑みで尋ねる愛娘に、アレックスも笑顔で応える。

結「ママの自慢の手料理だもの。
  はい、じゃあ明日美も、あ~ん」

 どこか誇らしげの胸を張った結は、
 そう言って娘の好物である、トマトソースで煮込んだミニハンバーグを小さく切り分け、
 箸で摘んだソレを明日美へと差し出す。

明日美「あーんっ」

 明日美は嬉しそうにそれを食べると、幸せそうな笑顔を浮かべた。

明日美「えへへ~、おいし~。
    ママ、ありがとうっ」

結「はい、どういたしまして」

 愛娘の素直な感想に、結も幸せそうに微笑む。

アレックス「それじゃあ、ママには僕から」

 そんな妻子の様子に、今度はアレックスが手近なチキンナゲットを箸で摘み、
 結の口元に差し出した。

結「え? え、えっと……あ~ん……」

 唐突な夫の行動に、結は少し照れながらもそれを迎え入れる。

 見事な“あ~ん”のトライアングルだ。

フラン「何、この絵に描いたかのような幸せ一家………」

ザック「ウチも似たようなモンだから、あまりとやかく言えねぇな」

 その光景に当てられたフランに、ザックは苦笑いを交えて呟いた。



 仕事の話、他愛もない昔話、それぞれの近況報告を交えたパーティーは、
 その後も和やかな雰囲気で続いた。


閑話~それは、幸せな『旧友達の談笑』~ 了

以上で今回分の投下は終わりです。

第五部……と言うか、第二シリーズもぼちぼちと書き始めております。
今回投下した閑話並に短い第一シリーズと第二シリーズを繋ぐエピソードとなるプロローグだけは、
近日中に投下したいと思っておりますので、是非、ご覧下さい。

あと、安価置いて行きます。

第34話 >>2-70
最終回 >>76-153
番外編 >>165-233
閑話   >>235-245

久々乙です

久々の乙ですたー!
って、メイーっ、イイ男に恵まれてくれれば・・・・・・と思ってたら、まさかの年の差wwwww
アグネスがイチャモンつけてくるかもしれませんが、そこは「屁の突っ張りはいらんですよ!」と言うことで。
しかし、学校内部での犯罪と言うのは、現実でもシャレにならないものがありますからね。
今のところ表沙汰になっているのは、暴力沙汰と教育的指導の境界があやふや故のモノばかりですが、今回のような
組織犯罪とまではいかなくとも、イジメ絡みで結びつくような犯罪が今後表に出てこないとも限りません。
メイの活躍もそうですが、以前もお話した「スケバン刑事」はそうした点をいち早く突いていたとしか言いようが。
そしてメインメンバー大集合!
こうした同窓会的なエピソードは和んで良いですね。
登場していないメンバーのその後も分かるし、新シリーズへの複線とも見える情報もチラホラあって、お得な一篇でした。
近日中にも投下予定ということですので、楽しみに待たせていただきます!

お読み下さり、ありがとうございます。

>久々
別にサボっていたとか、ロックマンX全シリーズ耐久レースをやっていたとか、
十年ぶりくらいに懐ゲーをやり出したとか、天地神明に誓ってそう言うのではありませんとも(目逸らし

>年の差&アグネス
傍目には一真が女子中学生に手を出す成人男性にしか見えないのがなかなかアレですw
二人揃って常に身分証を携帯しないと危険な感じになってしまいますが、
それでも、未成年の一真を夜中に連れ回すと、メイが都条例でしょっ引かれる可能性がw

>学校内部での犯罪
隠匿が容易で麻薬の密売にはうってつけの環境だ、なんて話も聞きますねぇ。
空恐ろしいを通り越して信じられない話ではありますが……。
まあ、その辺りと、メイに年下の彼氏を、って事を鑑みて、
学校内部での非合法薬物の人体実験事件とさせていただきました。

>イジメ絡みの犯罪
恐喝とか暴行は完全に犯罪なんですけどねぇ……。
擁護派が少年法がどうこうと言い出した時点で、既に犯罪として成立していると認めているワケですし。

>メインメンバー大集合
十四人もいると台詞当番も大変です。
なので一真には初対面Sランク多数&“超”怖い師匠同席と言う状況で延々と固まってもらう事にw

>同窓会エピソード
それでも集まったら基本仕事絡みの話と言うのが、実にこの子らのブレなさですw

>未登場メンバー
カナデ……と言うか、湊の名前はここでしか出す機会が無さそうだったのでここになりました。
セシルは……まあ、まだ父親とはちゃんと再会できていないけど、彼女なりに幸せに生活していますよ、と。

本来ならこの後、シーン2で酒盛り&没設定暴露大会だったのですが、
次回更新するのが真面目な話と言う事で、割愛させていただきました。
結局、一番書きたかったのが『F・譲羽親子のトライアングル“あーん”』だったのでw

せっかくのエイプリルフールなので投下します。

プロローグ~それは、彼女が語る『世界最期の日』~


―1―

 私が生まれる何年も前に、大きな事件があった。


 グンナーショック。

 私の曾祖父に当たる人物、グンナー・フォーゲルクロウが起こした、
 米国本土の軍事施設の一斉同時制圧と言うセンセーショナルなテロに端を発した、
 世界中の人間を対象とした人類粛正計画だ。

 今では当たり前となった、それまでは世界の裏へと秘匿されていた魔法の存在が明らかとなり、
 事件解決後の世界各国は、国家を上げて挙って魔法の研究を始めた。

 魔法技術を応用する事で、無から有を生み出す事が難しくなくなったと言う現実は、
 医療、建設、製造、エネルギーなど様々な分野で重宝され、
 人類は“限りある資源”と言う恩恵にして最大の制約から解放される事となり、
 このまま世界は無限の発展を続けると思われていた。


 そう……かつて、確かに、そんな時代が存在したのだ。



 私が覚えている限り、私が欧州に留学した翌年――七歳の頃までは、
 あの地域は世界から“独立した国”として認識されていたと思う。


 事の発端は、2018年の夏。

 当時、中華人民共和国――中国と呼ばれていた国と、
 朝鮮民主主義人民共和国――北朝鮮と呼ばれていた国に挟まれた湾内で、大きな事故があった。

 中国の地方軍閥の仲介によって、
 利害の一致を見た北朝鮮と大韓民国――韓国の二ヶ国は、
 その軍閥と結託しある一つの兵器開発に着手していた。


 大陸間弾道魔力拡散弾――通称・魔導弾。

 巨大な魔力コンデンサ内に溜め込んだ絶大な量の魔力を、衝撃と共に一斉解放。
 過剰魔力による人体破裂を誘発し、着弾点周囲の低魔力量の人間を皆殺しにする、悪魔のクリーン兵器。

 魔力係数にして十万と言う大出力に耐えられる人間は、恐らく地球全土で五パーセントほど。
 仮に百人で機能する施設から九十五人の命が失われた場合、その施設は瞬時に無力化されてしまうだろう。

 飛び散った人体を除去する手間や費用を考えなければ、
 無傷で敵の施設や装備を手に入れられるソレは、
 悪魔のクリーン兵器であると同時に理想的な兵器でもあったのだ。

 そして、それは、魔力攻撃に対して無防備な都市や軍事基地への攻撃を主眼にした兵器だった。

 悪魔の兵器開発は秘密裏に続けられ、
 完成した試作五号弾の実用実験が大連西岸沖……
 渤海海上で行われたのが、前述の2018年の夏。

 そして、前述の通り、その実験によって大きな事故が起きた。


 魔導弾の暴発。

 初の予定魔力係数最大値である十万の魔力を込められ、
 小規模爆発用として試作されたハズの五号弾は、
 直径にして千五百キロの広大な土地を巻き込んで暴発したのだ。

 それが作為的な物だったのか、本当にただの事故だったのかは今も分からないが、
 周辺三ヶ国は魔導弾による被害で壊滅的打撃を被る事となった。

 北朝鮮と韓国の本土である朝鮮半島は、僅かばかりの人間を除いて全員が破裂死を迎え、
 中国も首都である北京を含む大都市の殆どが、朝鮮半島と同じ末路を辿る事となり、
 三国の国家としての体裁は瓦解した。


 しかし、悲劇はそれだけに終わらない。

 中央の抑圧を失った中国各地の軍閥は暴走し、周辺国への侵攻と略奪を開始した。

 それぞれが国家を名乗る、近代兵器で武装したならず者の集団は、
 結果的に“同盟国への侵攻阻止”と言う大義名分を与えられた
 アメリカの素早い介入を招き、呆気なく鎮圧される事となる。

 支配民族を幾度も変えながらも数千年の歴史を保ったと豪語・喧伝していた国家は、
 誕生からたった数百年の超大国によって、あっさりとその土地を奪われる事となったのだ。


 だが、それが全ての始まりであった。



 2021年。

 私が十歳となったその年に、第三次世界大戦が勃発した。


 グンナーショックによって十年以上萎縮していた列強国家は、
 超大国のさらなる躍進による危機感から、
 それまで燻らせていた冷戦構造を、一気に目覚めさせてしまったのだ。

 近代兵器と魔法を応用した戦争は世界各地へと飛び火した。


 核に代わるクリーンエネルギーである魔力を用いた戦争は、
 兵器と戦術に劇的な変化をもたらした。

 より強固な装甲、より強大な火力、より素早い機動力。

 それらの特性を付与された数々の新兵器が跋扈する戦場で、
 被害に晒されるのは、無数の、無辜の民。

 彼らを守るため、私の母やその戦友達が戦場に立つのは、
 言ってみれば至極当然の流れだった。


 当時、候補生として私も属していた魔法倫理研究院は世界各地にエージェントを派遣し、
 被災者の救出や保護に全力を傾けた。


 そして、開戦から七年後の2028年の春。

 長い戦争に疲弊した世界は、
 誰の目にも明らかな勝者と敗者に別れて終戦を迎えた。

 私が、一人前のエージェントとして活動を始めた、三年後……
 十七歳になった頃の事だ。

 疲弊した各国はそれぞれに合併連合し、
 戦前の経済協力機構などを基準とした新国家連合体を、幾つも作り上げる事となった。


 加盟国の殆どが財政破綻を来したEUは、
 その主権の一部を譲渡する代償として、
 最大の戦勝国であったアメリカに依存、
 アメリカヨーロッパ連合を結成した。

 オセアニア諸国も南米友好国らと連携する南太平洋経済協力体を新設する。


 私の母国である日本も、
 戦時中に同盟体制にあった旧ASEAN系国家等と連携し、
 新東南アジア諸国連合――NASEANを結成したのだ。


 戦時中、インド洋上に急ピッチで建造された
 超大規模な食糧生産及び軍事防衛施設であったメガフロートを基礎に、
 長引く戦争で失われた自然と文化を取り戻し、育むための新たな大地を作り上げた。

 文明文化自然保全計画と銘打たれた一連の計画は、
 直径千キロの閉鎖積層型楕円球形ドームプラントを中心に、
 周囲に七つの同小型――と言っても直径五百キロはあるが――プラントを併設し、
 内部にNASEAN各国の戦前の姿を再現した。

 NASEAN諸国の多くの人々がこのドーム型メガフロートへと移住する事となり、
 NASEAN諸国は海上に浮かぶこの人口の大地を新たな国土としたのだ。


 今も私が暮らしているメガフロートではあるが、
 こんな超巨大な怪物を短期間で作り上げて運用できたのも、
 世界大戦と言う環境と魔法と言う超常技術のお陰だろう。

 安定した食糧供給と技術開発を可能としたNASEANメガフロートは、
 加盟国の安定した雇用を生むと同時に、
 疲弊しながらも世界大戦最大の勝者となった
 超大国と肩を並べるようになるまで、二年とかからなかった。

 期せずして世界の中心となったNASEANメガフロートは、
 その内部に魔法倫理研究院本部を取り込みさらなる発展を続けた。


 戦争による哀しみを置き去りにするかのような速度で人々の暮らしは豊かになり、
 急速に戦後へと移り変わる2030年の冬、十九歳となった私に妹が生まれた。

 その時、両親は共に四十三歳。

 母も中々の高齢出産で不安もあったが、生まれてみれば母子共に健康、
 十九歳も年の離れた妹が無事に誕生した事も素直に嬉しかった。


 思えば、それが私にとって最も幸せであると感じられた最後の時であり、
 家族四人が揃って過ごせた唯一の時でもあったのだ。

 2031年、初頭。
 さらなる悲劇が世界を襲った。


 超大国が大戦末期に作り上げていた新兵器、
 魔導弾を衛星から落下させる巨大衛星――通称・神の杖の暴走だ。

 それが国内に入り込んだ亡国の者達の手によって、
 意図的なに引き起こされたテロである事が分かったのは、
 世界各国の主要都市に無数の魔導弾が打ち込まれた数日後の事だった。


 大気圏からの物理加速による運動エネルギーと魔力爆発による二重被害は、
 世界各地に壊滅的な被害をもたらした。

 巻き上げられた粉塵は地球全土を覆い尽くし、日の届かなくなった世界は寒冷化し、
 大量の魔力の――もっと言えば魔力を糧として増殖するマギアリヒトの――
 充満によって世界は侵食されたのだ。


 それまでクリーンだと思われていた魔力。

 それを媒介させるナノマシン――マギアリヒトの急激な増殖は、
 世界を大混乱へと陥れた。

 数十メートルもの体躯を持った、巨大な異形の生命体の出現だ。

 北アフリカ戦災地域の難民キャンプ付近に突如として出現した巨大異形生命体は、
 難民キャンプへと襲来し、人々を無差別に襲った。

 初動の遅れた各国に代わって出撃した魔法倫理研究院エージェント隊は、
 私の母を含む戦時中最強と謳われた八名のエージェントと
 最新鋭のギガンティックウィザード――
 かつては魔導機人と呼ばれていたソレ――を投入、これに対処を試みた。

 結果は惨敗と言った方が正しいレベルの辛勝。

 魔法倫理研究院は謎の巨大異形生命体に勝利すると引き換えに、
 大艦隊に匹敵すると謳われた八機のギガンティックウィザードの内、
 五機が大破、二機が中破、一機はエージェントの命諸共に失う結果となった。

 両親は幼き日からの友人の一人を喪い、
 私も留学時代の恩師を喪う結果に哀しみを禁じ得なかった。



 何より、この結果に恐怖したのは世界各国の人々だ。

 如何なる最新兵器をも凌駕するハズの無敵の巨人を、
 難なく圧倒して見せた異形生命体の出現は、呆気ないほど世界を恐怖のどん底に陥れた。


 その恐怖に後押しされるかのように、世界各地に大小様々な異形生命体が出現。
 世界は、神の杖以上の恐怖によって蹂躙され尽くしたのだ。

 異形生命体の蹂躙が始まって数ヶ月後、魔法倫理研究院と各国連盟の研究機関は
 異形生命体が高密度マギアリヒトの集合体……つまり魔法であると発表した。

 魔法は使用者のイメージを取り込んで発露する魔力による現象だ。

 つまり、異形生命体は“人類の想像によって作り出された「異形と破壊現象」”――
 “The human imagination 「Breakdown and Monster phenomenon」 has created”であった。

 異形生命体の正体は、人の恐怖心が生む想像力による産物だったのだ。

 この現象は後に“イマジン”と呼称され、
 恐怖と言う根源的感情に対する有益な対処法を見いだせないまま、
 その後も世界はイマジン達によって蹂躙され続けた。


 NASEANはメガフロートに堅牢な魔力結界を布陣、
 本土に残された人々の避難収容と長期籠城を決定し、
 EU・アメリカ連合は古代の方舟を中心とした宛のない星間移民船団を結成し、
 地球脱出を敢行する事となった。

―2―

 2031年初冬。

 後に“イマジン事変”と呼ばれる第一号イマジンの誕生から八ヶ月後。
 最後の難民船を迎え入れる作業中に、それは起きた。

 NASEANメガフロート、第二サブフロート中央空港――

 メインプラントの補器となる小型プラントの一つ、
 今は丁度北向きとなった第二フロート最大の空港に、幾つもの輸送機が着陸する。

 開かれた輸送機のハッチからは、
 多くの避難民が雪崩れ込むようにして空港施設の奥へと移動して行く。

 私も、そんな人々の誘導と護衛の任務に就いていた。


「慌てないで下さい!
 フロート内には十分な居住スペースが確保されています!」

 少し離れた位置から、
 この護衛任務部隊を率いる保護エージェント隊の総隊長――私の母の声が響く。

「総隊長っ! フィッツジェラルド総隊長!」

 その時、私は空港の管制官から伝えられた情報を携え、
 焦った声を上げて、そんな母の元へと走っている最中だった。

「どうしました、エージェント・譲羽?」

 私の声に気付いた母が、努めて落ち着き払った様子で振り返る。

 余談だが、四年前に私がプロになった際、
 両親と呼び名を区別する意味もあって私は仲間達から母方の姓で呼ばれるようになった。

 その呼び分けは母も一緒で、プライベート以外では私は“エージェント・譲羽”と呼ばれていた。

「此方に向かっている最中の最終便が中型イマジンと遭遇し……
 取り込まれ、通信途絶状態です」

「ッ!?」

 悔しそうな声で重苦しく告げた私の報せを聞いた母は、息を飲んで目を見開いた。

 哀しみと怒りのない交ぜになった複雑な表情。

 おそらく、管制官から同じ報告を聞かされた私も、今の母と同じ表情をしていたのだろう。

「………その後、イマジンは?」

「現在、取り込んだ輸送機ごと、
 この空港に向けて真っ直ぐに向かって来ているそうです」

 母の問いかけに、私は応える。

 今度こそ、母の目は驚愕で見開かれた。

 長引くイマジン事変により、
 NASEANや研究院の所有するギガンティックウィザードはほぼ全てが大小破損し、
 辛うじて稼働状態にある機体も、他の機体の無事なパーツを使って騙し騙し運用する、
 いわゆる“共食い”の状況だった。

 母の愛機であるGWF001X-エールも、
 私が父から譲り受けたGWF000X-ヴェステージ共々、
 対イマジン用の調整のために、山路重工本社工場に搬入されたばかりだ。

 そう、今この場にイマジンと戦える装備は無い。

 そんな状態で護衛など務まるものかと指摘されそうだが、せざるを得ない状況なのだ。

「戦車部隊は展開できそう?」

「こちらの護衛の車両は八両。

 他の空港の護衛が現在、こちらに向けて移動中だそうですが、
 集結には十分以上かかる見込みです。

 対して、イマジン到達までは五分……」

 母の質問に、私は道すがら確認した情報を告げる。

 五分。
 あまりにも絶望的な三百秒だ。

「本部に問い合わせて、ギガンティックを回して貰えるように要請済みですが、
 それも間に合うかどうか……」

 そこに、告げざるを得ない最悪の情報を告げる。

「……………」

 母は押し黙り、避難して行く人々の列を見遣った。

「……私の権限で隔壁を閉鎖します。
 最終隔壁の閉鎖と結界展開ならギリギリ間に合うでしょう」

 そして、その判断を下す。

 正しい判断だろう。

 通信が途絶した輸送機に、今更、生き残りがいるとは思えない。

 仮に生き残りがいれば彼らを見捨てる事になるが、
 彼らを救うためにはイマジンが来ても隔壁を開けたままにしなければいけない。

 生き残っているかも分からない人々の命と引き換えに、
 この空港に集まった人々を犠牲にする事がより愚かで悲惨な結末を迎えると言う事は、
 誰の目にも明らかだ。

「お母さん……」

 だが、母がそう言った“命の天秤”を心底から嫌う事を知っている私は、
 その苦渋の決断を下した母の心中を思って、思わずそう呟いていた。

「もう……仕事中は、お母さんじゃないでしょ」

 母は哀しみを押し殺して笑みを浮かべると、
 幼子の頃にそうされたように、私に向けて“めっ”と言った。

 それは、母の事を慮って哀しむ私への、さらなる気遣いだったのだろう。

「はい……フィッツジェラルド総隊長」

 そんな母の気遣いを無にしないため、私も哀しみを押し殺して気丈に応えた。

 そして、全ての難民が空港内に避難した事を確認し、隔壁の閉鎖が始まった。

 護衛の戦車隊も空港のガレージ内に退避し、分厚い隔壁が左右から閉まり始める。

 十数メートルの厚みを持った、魔力で構成された特殊装甲は、
 ギガンティックウィザードにも使われていた。

 イマジンも元を辿れば魔法であるため、
 より高密度に集束された魔力の塊と結界を併用すれば、その被害を防ぐ事は可能だ。

 但し、この隔壁を閉じればメガフロートは完全に外界から隔絶され、
 終わりの見えない籠城戦が始まる。

 もう誰も、このメガフロート内に立ち入る事は出来ない。

「…………」

 閉じられて行く隔壁を、地獄の釜の蓋が閉じられる思いで見守っていた私の視界に、
 ふと小さな光体が映った。

 イマジンだ。
 全長は三十メートルほどの鳥形。

 怪鳥と呼ぶに相応しい外観のソレは、確かに一機の輸送機を取り込んでいた。

 取り込むと言うか、
 胴体に串刺しになるようにして飲み込まれていると言い換えた方が良いだろう。

 どこまでがイマジンで、どこまでが輸送機だか分からないが、
 主導権がイマジンにあるのは一目瞭然だ。

 そう、イマジンは魔力で構成された物体――
 つまり自分たちと同じくマギアリヒトで出来た物体と同化してしまう習性がある。

 だが、より巨大な物体や高密度な物体との同化は難しいのか、
 メガフロートの隔壁がイマジン対策になるのはそんな理由からだ。

 アレでは中の人々も無事ではないだろう。

「ごめんなさい……」

 その光景を見ながら、母は沈痛な面持ちで呟いた。

 私も、亡くなった犠牲者の安息を祈るために、胸の前で十字を切る。


『GYYYYYYYYYッ!!』

 まるで墜落するように空港滑走路に降り立ったイマジンは、
 けたたましい嘶き声を上げた。

 隔壁閉鎖までは、あと五メートル――残り十数秒。

 此方に向かって来るようならまだ危険かもしれないが、
 その時には戦車砲での牽制を続ければ、
 最早、あのイマジンの巨体では滑り込むのも難しいだろう。

 ギリギリ間に合った。

「ふぅ……」

 その事実に、私は安堵の溜息を漏らしていた。

 だが――

「……いけない、まだ人がいる!?」

 傍らの母が、そんな声を上げた。

「え……?」

 愕然としながらも、私は咄嗟に閉じて行く隔壁の隙間から輸送機に目を向ける。

 輸送機の窓が割られ、中から一人の子供が抜けだそうともがいていた。

 まだ、生存者がいたのだ。

 年の頃は十歳ほどの少女だった。

 私がそんな事を確認している間にも、母は誰よりも早く動き出していた。

 持ち出していた量産型簡易ギアを起動し、魔導装甲を展開して隔壁の外に飛び出す。

「母さん!?」

 私も一瞬遅れて魔導装甲を展開すると、母を追って飛ぶ。

 母は窓から転がり落ちた子供を抱えて飛んだ。

 四十四歳……戦士としては高齢ではあったが、
 とてもそうは思えない、鮮やかで素早い機動だった。

 だが、その母の行動も、
 絶対の強者たるイマジンには何の意味も無い……敢えて言えば無謀でしかない。

『GYY……? GYYYYYYYYYッ!!』

 母の行動は、イマジンに標的の存在を知らせるだけでしかなかった。

「エージェント譲羽、この子をっ!」

 まだ離れた位置にいた私に向けて、母は子供を放り投げる。

「母さんっ!」

 子供を受け取りながら、私はさきほど窘められた事を忘れて母の名を叫ぶ。

 援護射撃を行えば、母からコチラへ注意を逸らす事が出来る。

 母が安全に隔壁内に戻る事が出来るハズだ。

 だが、私がいるのは閉じて行く隔壁の正面。

 そんな事をすれば、イマジンは真っ先にコチラを狙うだろう。

 外に人がいる状態では、戦車部隊も牽制射撃は出来ない。

 この場に於いて、最も安全で最も賢い方法は、唯一つ。

「エージェント譲羽、その子供を退避させた後、隔壁の完全閉鎖を!」

 その方法を、母は躊躇う事なく叫んでいた。

「お母さん! 逃げて! お願い!」

 イマジンを牽制し、注意を引きつけるためにその鼻先を掠めるように飛ぶ母の名を叫ぶ。

 戦車や戦闘機相手ならともかく、イマジンを相手に魔導装甲で勝てるハズがない。

 世界最大の魔力を持つ母であっても、その事実は揺るがない。

 母は、囮になって死ぬつもりなのだ。

 誰もが、愚かな選択をした母を罵るだろう。

 魔法倫理研究院エージェント隊、捜査エージェント隊総隊長にして救世の英雄――
 閃虹の譲羽と謳われた母と、私の手の中で震える十歳の少女。

 世界のためと言う大義名分の天秤にかければ、誰もが母を選んだハズだ。

 だが、母はその大義名分の天秤を嫌悪し、事あらば自らの命を差し出す選択すら厭わない。

 そんな母に呆れながらも、自分は、父は、家族は、そんな母を心の底から愛していたのだ。

「明日美!」

 任務中だと言うのに、母が私の名を叫んだ。

「お父さんと……明日華をお願いね」

 そう続けた母は、微笑んでいた。

「うわぁぁぁぁっ!!」

 私は絶叫する。

 私は、無力だ。
 母の最後の願いを聞き届ける以外、私に出来る事は無かった。

 踵を返して隔壁の向こう側へと飛び込んだ。

 仲間達に抱き留められ、その一人に押しつけるように少女を預けた。

「誰か! 誰でもいい、早くギガンティックを! お願い!」

 滑稽にも自ら見捨てて来た母の救出を願い、
 私は両目から涙を溢れさせ、震える声で仲間達に呼びかける。

 だが、仲間達は顔を俯け、重苦しく押し黙ったままだった。

「誰か! お願い!
 このままじゃあ……お母さんが………お母さんが死んじゃうよぉぉっ!」

 仲間の一人に縋り付いて、私は幼子のように泣き叫ぶ。

 そんな私の背後で、隔壁が閉じられた。

「いや……いやぁ………」

 その気配に、私はワナワナと震えながら振り返り、
 閉じられてしまった隔壁を愕然と見遣る。

 閉じて行く隔壁を、地獄の釜の蓋のようだと思った。

 その釜の中に、私の母を残して、蓋は閉じられたのだ。

「イヤァァァァァッ!?」

 私の絶叫が、辺りに響き渡った。

 私の心理的ショックを反映してか、魔導装甲は砕け散るように霧散して消える。

 魔導装甲を再展開する事も忘れて、私は閉じた隔壁に縋り付く。

「お母さん! お母さんっ!
 おかぁぁさぁぁんっ!!」

 開けと言わんばかりに隔壁を殴りつけ、母を呼ぶ。

 だが、分厚い隔壁からは外の振動が僅かに伝うだけで、何の反応も示さない。

 一度閉じたばかりの隔壁を再び開くには、数分の時が必要だ。

 たった一人、異形の怪鳥の前に取り残された母を救う手立ては、もう無い。

 拳が砕けて血が滲み始めた頃、
 仲間達は私を羽交い締めにして、隔壁から引き剥がした。

「離してっ!
 お母さんがぁ……死ん、じゃう………離してよぉぉぉっ!」

 自分の無力を悟りながらも、私はそう叫ぶ以外の選択肢を見出せなかったのだ。

 仲間達には、かける言葉も見付からなかっただろう。

 ずぅん、ずぅんと響く僅かな振動が、次第に小さくなって行く。

 そして、永遠にも思えた時間が、振動と共に終わりを告げる。

 ギアが脳内で告げた経過時間は、ほんの十数秒。

 振動の終焉は、戦いと、命の終焉でもあった。

「…………おかぁ……さん?」

 仲間達に羽交い締めにされながら、私は愕然と漏らす。

 もう、身体に力は残っていなかった。

 力を振り絞らんとする、気力さえも……。

 羽交い締めの体勢のまま、私は脱力して両膝をその場に落とす。


「イヤアアァァァァァァッ!?」


 轟いた絶叫は、私の喉が裂けるのではと言う程だったと、後から聞かされた。



 グリニッジ標準時で2031年12月19日14時55分。

 母の死と共に、地獄の釜はその蓋を閉じられ、
 外の世界は終わりを迎えた。


プロローグ~それは、彼女が語る『世界最期の日』~ 了

今回の投下は以上となります。

明日美が所々「母さん」と言っている箇所は「お母さん」で脳内変換して下さい。
また投稿後に気付くとか………orz

お、お、乙ですた!
油断した。油断しきっていた自分に絶望した!!
このシリーズ、どこぞの白い獣との契約以上に過酷な希望と絶望の相転移が発生することは、第三部前半で理解していたと言うのに!!
それにしても、上下半島の結託はともかく”事故”後のシナ地方軍閥の動きは、現実でも規模こそ異なるでしょうが有事にはあり得そうで恐いですね。
TPPの名を借りたシナ包囲網に対して人民の押さえが効かなくなった時、何が起きるかを考えると空恐ろしいものがあります。
そして大戦とその後。
まだしもこの状況で済んでいるのは、やはり研究院が長年培ってきた研究の成果と、結達が育んで来たエージェントの有りようのお陰なのでしょうね。
その結が・・・・・・orz
もう、ワンパターンと言われようがこの言葉しか出てきません。
明日美の行く道に、円環の女神と白い魔王、黒い雷神のご加護のあらん事を!
あ、おまけに夜天の主のご加護も追加で!!

早速お読み下さり、ありがとうございます。

>油断
トライアングル“あ~ん”で盛大に油断させていたのも私だ。
上げて落とすのが基本だと、悪い人が言ってました。
だけど、落としたら上げるのも基本だと、偉い人が言ってました。

>上下半島の結託
日本の国内企業通して民団と総連が繋がってるなんて噂もあるので試しにやってみました。
と言うのも、魔法伝来ルート的に、この二国に限らず北東アジアは魔法文化が壊滅的なので、
研究院にも加入していない、国内に魔導の家も無い、だけど世界は魔法にシフトして行く、
そんな危機感が裏にあれば……と思った末の、ある意味では、
魔法関連技術で軍事力を底上げしようとした、周グループ事件の延長線上にある事件ですね。

>シナ包囲網
演技なのか本当なのか、軍の統制が取れてませんからねぇ……。
正直、軍事と工業だけで発展させた国が国の体を失ったらどうなるか、なんてのは
既に現実味を帯びている問題とは言え、あまり考えたくありませんね……。
差別的意見かもしれませんが、民族浄化が当たり前の思想・文化って国家・民族は恐ろしいです、はい。

>研究の成果とエージェントの有りよう
一人だけ、過剰に奥さんと娘をパワーアップさせようとした研究者がいるようですがw
ともあれ、その辺りの一番の立役者はリーネではないかと個人的に思っております。
Aカテゴリクラス実技教官として十五年以上務め、多くのハイランカーを輩出して来たワケですし。
ただ、さらに元を辿るとカンナヴァーロの爺様の託した希望でもあるのですが……。

もう書かれる事はありませんが、リーネには終戦時点で子供が一人います。
旦那のエージェント・ウェルナーが移民船の艦長として登録され、
艦長職は子々孫々に受け継がれ、ウェルナーがいつしか訛ってヴェルナーになり………と。

>結が……
没ネタではありますが「譲羽結」→「羽を譲り、絆を結ぶ」なので、
元は、結死亡後にエールが他の誰か(クリス辺り)に受け継がれる前提の名前でした。
ともあれ、対イマジン用の調整を施されたエール達は、新シリーズの主人公達に受け継いで貰う事になります。

>夜天の主
3rdも決まりましたねぇ………このままストライカーズがナイナイされてしまいそうで怖いですがw

最新話を投下させていただきます。
あと、今回からトリップ付けます。

 私の家族

 私の家族は、お姉ちゃんが一人います。

 八歳年上のお姉ちゃんは、まだ今年で十七歳だけど、
 二年前からギガンティック部隊でオペレーターと言う仕事をしています。

 ギガンティック部隊の仕事は、ギガンティックウィザードでドーム内に入って来たイマジンとの戦う事で、
 オペレーターはそのお手伝いです。

 オペレーターの仕事は大変で、お姉ちゃんは毎晩、へとへとになって帰って来ます。

 たまに仕事が忙し過ぎて、帰って来られない事もたまにあります。

 そんなお姉ちゃんに御飯を作るのは、私の仕事です。

 昔は簡単な物しか作れなかったけど、
 お姉ちゃんにもっと美味しい料理を食べて欲しくて、色んな料理を勉強しました。

 お姉ちゃんは「空が作ってくれる料理は美味しいから、疲れなんて吹っ飛んじゃうよ」って言ってくれます。

 大変なお仕事でお休みも少ないけれど、お休みの日にはいつも私とお出かけしてくれます。

 この前のお休みの日には、第一層自然エリアのスカイリウムに連れて行って貰いました。

 天井のスクリーンに映される、旧世界の真っ青な空を見て「空ってこんなに綺麗なんだね」って言った私に、
 お姉ちゃんは「本当の空は青空って言って、もっと綺麗なんだって」って教えてくれました。

 いつか私も、お姉ちゃんと一緒に、本当の青空を見てみたいです。


 三年二組 出席番号八番  朝霧 空

魔導機人戦姫Ⅱ

第1話 ~それは、陳腐な『箱庭の平和』~


―1―

 時に、西暦2074年、4月11日。

 神の杖暴走事件とイマジン事変により、人類がその生活の地を追われ、
 人工の大地を新たな生活の場に移した旧世界終焉の日と呼ばれる2031年12月19日から、
 実に四十二年以上の歳月が流れていた。

 未だにグリニッジ標準時による世界時間を基準として生活する人々は、
 失ってしまった太陽の存在を、ただ暦の中に記憶として留めて生活する。

 現在の人類の生活の場となっている人工の大地は、
 旧世界でインド洋と言われた洋上に浮かぶ、超巨大なドーム型メガフロートだ。

 分厚い特殊装甲と魔力が生み出す結界によって守られたメガフロートは、
 しかし、時折、人類最大の天敵であるイマジンの侵入を余儀なくされていた。

 そんな不安な情勢下で人々の安寧が得られるハズもなく、混乱した社会を収めるため、
 時の政府は人々の求心力として皇族や王族を利用し、彼らの下に議会を敷く立憲君主制によって人々の信頼を得る。

 無論、そんな形だけの方法だけでなく、侵入したイマジンに対する防備も怠る事はなかった。


 第二世代ギガンティックウィザードの開発だ。

 故アレクセイ・フィッツジェラルド・譲羽博士が、
 山路重工と共同開発したギガンティックウィザードに、
 対イマジン機構を装備させた新世代ギガンティックウィザードは、
 その高い性能によってイマジンと互角以上の戦力を得るに至る。

 このギガンティックの完成により、
 閉ざされた旧世界への扉が開かれる日も遠くないと思われていた。

 だがしかし、病によって倒れた譲羽博士は、
 その生涯を閉じるまで一度も対イマジン機構の詳細に関して語る事なく亡くなり、
 博士の遺した八機のギガンティック以外に第二世代ギガンティックを製造できる者は無く、
 異形の怪物に通じる矛を最強の盾として、人々は長き籠城を未だに余儀なくされていた。


 この第二世代ギガンティックにはさらに、
 最大の特徴にして、最大のデメリットが存在した。

 それは、旧世代魔導ギアをそのAI構造に組み込んだため、
 それらのギアと同調できる魔力の持ち主でなければ、一切の起動が不可能と言う事実である。

 この事態を重く見た旧魔法倫理研究院は、第二世代ギガンティック運用とそれらと同調できる操者の選出機関、
 通称、ギガンティック機関を結成、この問題に対処する事となった。


 現在、稼働している第二世代ギガンティックは、
 長年の研究によって一部機能を再現・新造に成功したダウングレード版の二機を加えて十機。

 これに旧NASEAN所属国家軍を母体とした防衛軍や、国内における犯罪に対処する警察機構、
 皇族親衛隊などの多岐に渡る戦力で、内外の様々な脅威から人々を守り続けているのである。


 いつか来るであろう、旧世界の扉が開かれる日を夢見て――

 中央フロート第七層、第一街区、別名・東京。
 その東部に位置する東京第八小中学校中等部――


老教師「……と、六十年に起きた反皇族主義グループが起こした一大テロ事件、別名“60年事件”は、
    パレード参加者、警備担当者、観覧者、周辺住民を含む六万五千人超が死傷。

    犯人グループは第七フロート主幹道路を占拠し、一方的な独立を宣言。
    現在も行政府や防衛軍と戦争状態にある」

 午後の退屈な授業時間の中、社会科の老教師が教科書を読み上げる声が、
 まるで催眠術の呪文のように教室内に響き渡る。

空(今更、だよねぇ……)

 窓側の席に座った少女――朝霧空【あさぎり そら】は、
 読み上げられる教科書の内容に、内心でそんな感想を抱いていた。

 教科書で言う“60年事件”は、彼女達が生まれた年に起きた事件で、
 旧世界終焉後では最大のテロ事件として有名だ。

 そうでなくても“六十年度生まれは、60年事件の年生まれ”などと
 メディアや評論家に揶揄されるので、嫌でも覚えてしまう。

 まあ教育カリキュラムに組み込まれているので、
 嫌でも聞かなければならない、謂わば通過儀礼のような物だ。

 空が“今更”と言う感想を抱いたのは、まあそんな理由からである。

 いつの間にか肩より前に垂れていた長い黒髪を、無意識にかき上げて、肩の後ろに回す。

空「………ふぅ……」

 回りの誰にも気付かれないほど小さな溜息を一つ漏らして、空は窓の外に視線を向けた。

 グラウンドでは、自分たちと同じ紺色のブレザータイプの制服を着た幼い子供達が、
 列を成して施設を巡っている。

空(初等部の子達……新入生のオリエンテーリングかな?)

 誰に問うワケでもない質問を自分の胸に投げかけ、そのまま納得した。

 この第八東京小中学校に入学からもう七年が過ぎ、今年で八年目。

 今では自分達も中等部の二年生だ。

空(もう七年前か……懐かしいな……)

 言葉通り、懐かしそうに目を細める。

 思えば、姉がギガンティック機関で働くようになってからも七年が過ぎたと言う事だ。

 そのお陰か、幼い頃に比べて生活もグッと楽になった。

 姉がギガンティック機関勤務と言う事で、
 本来なら自分では通えないようなレベルの高い学校に通わせて貰えている。

空(本当……お姉ちゃん様々だ……)

 そんな感慨を抱いた空は、そう思うならば授業をサボるワケにはいかないと、
 気を引き締め直して正面に向き直ろうとした瞬間――

老教師「あ~……では、出席番号八番、朝霧」

 空の名を、老教師が呼んだ。

空「は、はい!?」

 前を振り向く寸前と言う事もあって、
 空は振り向きざまに驚いたような声を上げて立ち上がってしまう。

 突如として立ち上がった空の行動に、クラスメート達の視線が一斉に集まる。

 視線が痛い、とは正にこの事だろう。

老教師「うん? 別に起立せんでも良かったのだが……。
    とにかく、先程の質問に答えなさい」

 老教師は怪訝そうな顔をした後、気を取り直して指示を出した。

 先程の質問とは何だろうか?

空(いけない……ちゃんと聞いてなかった!?)

 空は愕然としつつ焦るが、後悔先に立たず、である。

 授業の流れからして、恐らくは60年事件に関する質問のハズだ。

 何だろうか?

 当時の被害規模は教科書にも明記されているから、そんな簡単な質問でもないだろう。

空「え、えっと……」

 空は焦りながらも必死に考えを巡らせるが、質問の内容が分からなくては答えようがない。

??「……誕生日です……」

 と、真後ろの席からそんな呟きが聞こえた。

空「し、七月九日! ……です」

 焦りきっていた空は、反射的にその呟きに答える。

老教師「? ふむ……宜しい」

 空の態度を訝しがりながらも、老教師は彼女の答えに深く頷いた。

老教師「朝霧が答えた通り、
    60年事件が起きたのは、今から十四年前の七月九日だ。

    今の教科書に載っていない部分だが、よく調べてあったな。
    さすが、成績優秀者だ。

    この教科書が改訂されたのは十年前だが、
    それ以前は七月九日事件とも呼ばれていたな」

 老教師の解説を聞きながら、空は成る程、と頷きながら着席する。

 七月九日は、空の誕生日だ。

 そう、2060年7月9日――
 忌まわしきと言う形容詞が相応しい日に、空は生まれた。

 別に好きでそんな大変な日に生まれたワケではないし、
 記録上、他にも数百人の赤ん坊が同じ日に生まれている。

 感慨深くは思うが、別段特別にレアなケースと言うワケでもない。

 だが、とりあえずは――

空(せぇぇふ……っ)

 空は安堵混じりの溜息を漏らして胸を撫で下ろした。

 空は首だけ後ろの席に向けて、そこにいる一人の少女に目配せで礼をする。

 すると、後ろの席の少女も同様に目配せで“気にするな”と合図した。

 そして、指先で黒板を指し示すようにして、前を向くように促す。

 授業はその後も滞りなく進み、次回の授業の予習を促す言葉と共に終わりを告げた。

空「ふぅ……」

 授業の後片付けと次の授業の準備をしながら、空は小さく溜息を漏らす。

空「ありがとう、雅美ちゃん、さっきは助かったよ」

 空は振り返り、真後ろの席に座る友人――
 佐久野雅美【さくの みやび】に感謝の言葉を告げた。

雅美「咄嗟だったので、あんなアドバイスしか出来ませんでした」

空「ううん、そんな事ない。
  ナイスアシストだよ」

 恐縮気味のお淑やかな友人に、空はサムズアップを向けて言う。

 短く、とても分かり易いヒントだった。

佳乃「ヒヤヒヤしたぜ~、空~」

 そこに、離れた席に座るもう一人の友人――
 牧原佳乃【まきはら よしの】がやって来る。

 快活そうな雰囲気をした佳乃は、やんわりとしたヘッドロックを空に決めると、
 その頭をワシャワシャとなで回す。

空「雅美ちゃんのお陰だよぉ」

佳乃「なぁんだ、雅美のお陰か」

 器用にヘッドロックから抜けだした空の言葉に、
 佳乃はつまらなそうに返すと“そりゃ答えられて当然だ”と付け加えた。

雅美「空さん、私が気付いた時からずっと窓の外を見てらしたので、
   心配していたら……案の定、と」

空「アハハハ……ごめんなさい」

 溜息混じりの雅美に、空は申し訳なさそうに返す。

佳乃「窓の外?
   アタシも暇つぶしに外見たけど、なんか珍しいモンでもあったのか?」

空「いや……ちょっと新入生の子達が校舎を見学してたみたいで、つい」

 不思議そうに窓の外を見た佳乃に、空は苦笑い混じりに答えた。

 空の出席番号は八番、雅美は十二番、佳乃は二十五番。

 男女混合の出席番号順に右前の席から左に向かって順番に並ぶ座席のため、
 一番廊下側にある佳乃の席からは窓の外を見ても校庭は見えなかったのだろう。

佳乃「ああ、初等部の一年坊主か。
   そう言や、アタシらも見て回ったっけか?」

 納得したように言った佳乃は、さらに懐かしそうに付け加えた。

空「それで、もう七年前か……って思ったら、色々と思い浮かんじゃって」

雅美「そう言う事でしたか」

 誤魔化し笑いを浮かべた空の説明に、雅美も納得して頷く。

 二人とも、空の身の上……と言うか、
 家庭事情に関してはある程度分かっているので、それで全てを察したようだ。

??「さすが特例二級。格下の方は授業も真面目に受けられないんですのね」

 空達からやや離れた位置から、不意にそんな声が聞こえた。

 空はビクリと肩を震わせ、雅美と佳乃は声のした方角を一瞥する。

 そこには、涼しげな表情に冷ややかな視線の少女がいた。

佳乃「ちっ、やっぱ瀧川か……」

 佳乃は予想通りの人物に、露骨に嫌そうな表情を浮かべる。

 瀧川真実【たきがわ まなみ】。

 中学生にもなるとクラスに一人はいる煩型……と言うより、
 厭味を言うのが趣味のようにすら思える人間の典型。

 目の敵にする相手に対してこそ、発揮しても欲しくない実力を発揮する人間。

 あまり他人を悪し様に言うのは嫌う者はいても、
 それが瀧川に対するクラスメート達の評価の一端だ。

 そんな性格の彼女だが、別に彼女自身は孤立しているワケもなく、
 それなりに友人もいるのは評価のもう一端、
 空や雅美と並んでクラス上位の秀才であり、友人達に対する惜しみない情の深さ故だろう。

雅美「わざと聞こえるように言いましたね……」

 雅美は小さな声で呟いて顔をしかめた。

 この手の輩の厭味の常套手段は、“厭味に正論を加える”事にある。

 酷い厭味に正論を加える事で相手の機先を挫き、反論を封じてしまうのだ。

空「まぁ、授業中によそ見してたのは私の方だし、
  瀧川さんの言う事も尤もだよ」

 自分に代わって怒りを露わにする友人達に、
 空は力なく乾いた笑いを浮かべて彼女たちを諫めた。

空「ごめんね、瀧川さん」

 そして、自分の事を卑しめるような発言をした瀧川にも謝罪する。

真実「……フンッ」

 一方、滝川はそんな空の態度が気に食わないのか、
 苛ついたようにそっぽを向いてしまう。

 瀧川と同じクラスになったのは今年度からだが、
 空はこの手の輩のあしらい方には慣れていた。

 要は“相手より上位に立った”と、本人に思わせればいいのだ。

 だが、そんな手慣れたあしらい方をするからこそ、
 瀧川はさらに空を目の敵にすると言う悪循環でもあった。

佳乃「いいのかよ、言われっぱなしで」

空「うん……特例二級なのは、瀧川さんの言う通りだし……。
  初等部の頃みたいに、男子達からウソつき呼ばわりされないだけマシだよ」

 不満げな佳乃に、空は苦笑いを交えて返す。

 特例二級。
 それは空の現在の市民階級を表すランクだ。

 一級から四級までの基本階級があり、最上位が一級、最下位が四級だ。

 この閉じられた世界を維持するのは魔力であり、
 魔力がなければあらゆる生産・経済活動が成り立たない。

 しかし、人間が生まれ持って使える魔力には上限がある。

 魔力量――機械などに使う場合は魔力係数とも言い換えるが――は、
 下は一から上は万の桁まで、個人差が激しい。

 この世界で暮らす人々は、魔力の量に応じて一定量の魔力を納税する義務が、
 平均的魔力覚醒を迎える六、七歳の頃から備わっている。

 納める事が出来る魔力量によって、市民は一級から三級に振り分けられ、
 上位の級ほど高い保障や福利厚生の権利が与えられるのだ。

 食糧配給、医療制度、修学などの最低限の生活が保障される三級に対し、
 二級は公務員など安定した職に優先的に就く事が許される他、
 特殊な社会補償制度を受ける事が可能であり、
 さらに一級は行政などに優先的に関わる事が許される。

 因みに、四級は重犯罪者、犯罪頻度が高い者が格下げされる階級であり、
 医療以外の保障の全てを失う。

 また各階級にも幾つかのグレードが存在する。

 魔力納税義務開始時からしてその階級である“正”。

 元は下位階級ではあるが、現職による社会貢献度を鑑みて格上げされる“準”。

 そして、一級にしか存在しない社会的重要度が極めて高く、
 命の危険に晒される事の多い現場……政治家や軍属、
 ギガンティックのパイロット――ドライバーやその関係者に与えられる“特”。

 最後に、家族が特一級の場合、あまりに多額な遺族年金や遺族補償を受け取る際に、
 補償をスムーズに行うために三級市民を二級市民として扱う“特例”だ。

 空の姉、朝霧海晴【あさぎり みはる】は本来は三級市民なのだが、
 ギガンティック機関に勤めているため特一級の階級を与えられており、
 その家族である空にも特例二級の市民階級が与えられている。

 そう、朝霧姉妹は本来ならば三級市民であり、
 高い水準の教育と進学して高等教育を受ける際の選択肢が広い東京第八小中学校に通学する事は、
 本来ならば許されないのだ。

 勿論、三級市民の全てが上位階級の学校に通えないワケではない。

 相応の学力試験にパスさえすれば編入も許されており、
 そうやって上位の学校に編入して準二級、準一級を目指す者も少なくはないのだ。

 瀧川の厭味も、“そう言った努力もせずに”二級市民としての扱いを受ける事が許されている空に対する、
 社会的不満の代弁とも言えた。

 無論、空も勉学を疎かにせず、上位成績をキープ出来るように努力している事も事実だが、
 実際、姉が特一級になって生活が様変わりした事を、空は覚えている。

 ひもじい思いはしなくなったし、公共交通機関が全て無料になったのも衝撃的だった。

 まあ、食糧生産プラントを動かす動力も、公共交通機関を動かす動力も魔力なのだから、
 より多くの魔力を納めている階級の市民が、より良い公共サービスを受けられるのは当然と言えば当然なのだが。

 その頃はまだ六歳だったが、幼いながらに“今までの生活は何だったんだ”と不満に思いもした。

 瀧川……いや、瀧川達の厭味は、ある意味でそんな空の胸の内を代弁してくれてもいるのだ。

空「でも、60年事件の勉強なんて、本当に今更だよねぇ?」

 空は話題を変えようと、苦笑いを浮かべたまま、少し呆れたような声音で漏らす。

佳乃「……だな。正直、耳タコって言うか」

 空の心中を察してか、佳乃も肩を竦めて同意の言葉を漏らし、さらに続ける。

佳乃「そもそも、近代史の授業自体、やる意味ってあんのか?」

雅美「あら……社会の仕組み、その成り立ちを知る意味では絶対に必要だと思いますよ?」

 溜息がちに漏らす佳乃に、雅美は真面目な顔で言った。

雅美「仕組みを知れば、それを改善する手立ても、
   残して活用しなければならない物も自ずと見えて来るハズです」

空「なるほど……」

佳乃「何かメンドクセ」

 雅美の持論に、空は納得したように頷き、
 佳乃は言葉通りに面倒臭そうな顔を浮かべる。

空「佳乃ちゃんは細かい事は苦手だもんね」

佳乃「チマチマしたのが性に合わないんだよ」

 思わず噴き出しそうになっている空の言葉に、
 佳乃は溜息を交えてヤレヤレと言いたげに言った。

佳乃「お前ら二人みたいに真面目に公務員目指してるワケでもないしなぁ……。
   軍に入ってギガンティックかパワーローダーのドライバーにでもなるかなぁ」

雅美「でも、手先は器用ですよね?」

空「お料理もお裁縫も、成績良いよね」

 将来の展望を語る佳乃に、雅美が思案げに呟き、空もそれに続く。

 佳乃は口が悪いため誤解を与えがちだが、空達三人の中では最も手先が器用だ。

 家政実技の授業では、裁縫料理なんでもござれの多芸ぶりでもある。

 空も料理と裁縫は人並み以上に得意な部類であるとは思っているが、
 佳乃の実力を前には勝ちを譲らざるを得ない。

空「佳乃ちゃんなら、いいお嫁さんに……」

雅美「……なれるかどうか、些か難しいかもしれませんねぇ」

 佳乃の将来を想像して感慨深く語ろうとした二人だったが、
 あまりのギャップにその想像に強制終了がかかってしまう。

佳乃「な、何だよ、二人揃って!?」

 肩を竦める親友二人の言に、佳乃は顔を真っ赤にして抗議する。

 そんな様子に、空と雅美は顔を見合わせて笑い、
 程なくして、佳乃は肩を竦めて溜息を漏らした後、つられるようにして笑みを浮かべた。

―2―

 そうこうしている間に休み時間も終わり、
 今日最後の授業とホームルームを終えて放課後を迎える。

佳乃「どうする、今日もどっか寄って行くか?」

雅美「お昼にイマジン注意報が出てましたよ?」

 帰り支度を終えて駆け寄って来た佳乃に、雅美が答える。

佳乃「え? マジで!?」

 佳乃は慌てた様子で鞄から個人用携帯端末を取り出し、
 空も釣られて自分の携帯端末を見る。

空「あ、本当、レベル1発令中なんだ……」

雅美「って、レベル1じゃねぇか!」

 携帯端末に表示されている文字に、空と佳乃は口々に感想を漏らす。

 イマジン注意報とは、空達の暮らす閉鎖積層型超大規模メガフロート――
 NASEANメガフロート周辺のイマジン反応によって発令される。

 大型イマジンが該当メガフロート内部に侵入した場合は、警報のレベル5が発令されるのだが、
 まあ注意報のレベル1など旧世界における曇り空の時に発令される雨の予報レベルだ。

 発令される基準で言えばレベル1注意報は、
 “フロート周辺五〇〇キロ圏内に十メートル未満級小型イマジン反応有り”と言う程度である。

 レベル1注意報など二日に一度は確実に計測される物で、
 大概は二、三時間ほどで解除されるのが常だ。

 だが――

空「あ、レベル2になった」

 端末と睨めっこを続けていた空が、
 注意報のグレードが変更された事に小さな驚きの声を上げた。

佳乃「十段階中下から二番目だろっ」

 佳乃は呆れたような声と共に、空の後頭部に軽くチョップを叩き込んだ。

 ちなみにレベル2注意報は、
 “フロート周辺四〇〇キロ圏内に小型、ないし五〇〇キロ圏内に中型イマジンの反応有り”だ。

 大方、先程のイマジンが偶然フロート近くに寄って来たか、
 新たなイマジンがより近傍に発生したかのどちらかだろう。

 まあどちらにせよ対岸の火事程度の話に過ぎない。

空「注意報のレベル3くらいならお姉ちゃんも家に帰って来られるし、
  大丈夫だよ」

雅美「空さんがそう言うなら、大丈夫ですね」

 にこやかな空の言葉に、雅美は微笑んで答える。

 前述の通り、空の姉・海晴はギガンティック機関のオペレーターだ。

 イマジン対策のための最大戦力の部隊で、オペレーターを務める人間が帰宅しても良いと言うのだから、
 危機レベルとしてはまあ“お察し”と言う程度に過ぎない。

佳乃「じゃあさ、商店街寄って行こうぜ!
   この間、西側に新しいショップがオープンしたんだよ!」

雅美「む……、佳乃さんが注目されると言う事は……」

空「……っ」

 目を輝かせる友人に、雅美も不意に真面目な表情を浮かべ、
 空もゴクリと息を飲む。

 友人達に応えるかのように、
 佳乃は二人の肩を抱き寄せて意味深な企み笑いを浮かべて、小声で呟く。

佳乃「タルトとクレープの専門店だ」

空「タルト!」

雅美「クレープ!?」

 佳乃の魔性の囁きに、空は目を輝かせ、雅美は恐怖の表情を浮かべる。

雅美「い、今はダイエット中です!
   甘味は甘美ですが、不倶戴天の天敵です!」

 雅美はワナワナと震えながら、悲鳴じみた声で叫ぶ。

 今昔問わず、女子にとって不動の悩みの種は体型維持と減量である。

空「雅美ちゃんスタイルいいんだから、あんまり気にしなくてもいいのに」

佳乃「だよなぁ……。
   それに食いたいモンは食う! これが正義だ!」

 羨ましそうに語る空に同意すると、佳乃も力強く続く。

 大仰な言葉を使ったが、欲望に忠実なのは程度さえ弁えていれば正論とも言える。

 佳乃は二人から離れると、まるで煽動者の如く大仰に手を広げた。

佳乃「合成食品一切未使用の天然素材だってよ」

空「天然素材っ!」

 まるで合いの手を入れるかのように、空は佳乃に続く。

佳乃「クレープの生クリーム……
   あれもちゃんと生乳から作った本物だな、アタシにゃ分かる」

空「本物の生クリームッ!」

佳乃「フルーツも生産プラントに頼らない、純粋な農家栽培だな……。
   イチゴなんて甘味と酸味のバランスと濃さがダンチだぜ」

空「甘味と酸味のバランスッ!」

佳乃「タルトだって、ありゃ一流のプロの仕業だ……。
   あの店長、実は高級ホテルかどっかに務めてたんじゃないか?」

空「高級ホテルの味っ!」

佳乃「生地はサクサク、中はとろ~り……」

空「サクサク、とろ~り……!」

 次々に語られる魅力を、空は次第に目を輝かせてその都度反芻する。

男子生徒「牧原、朝霧! 小腹減ってる時にそのやり取りはヤめろっ!
     つか、余所でやれ、余所で!」

 近くで帰り支度をしていた男子生徒が抗議の声を上げた。

佳乃「アタシは事実を語ってるだけだぜぇ?
   近所の高校のアネさん達も目をつけてたなぁ……」

男子生徒「よし分かった、俺が退く! だからそのまま続けろ」

 佳乃が意味深な言葉を挑発的に言うと、
 その男子生徒は仲間達と共に一目散に駆け出す。

空「男子って単純だね……アハハハ……」

 駆け去って行くクラスメート達の背中を見送って、空は乾いた笑いを漏らした。

 性欲と食欲が重なっては、中学生男子の扱いなど容易いが……、
 同い年の少年達があの様子では、コレはコレで虚しい物である。

佳乃「しかし、あのアネさん達の制服……ありゃ第一女子だな。
   お嬢様学校のお眼鏡……いやいや、舌に適うたぁ大したモンだぜ」

空「それは……本当に凄いね」

 思案げに漏らした佳乃に、空は一切のおふざけ抜きで驚いたように漏らした。

 第一女子――東京第一女子高等学校は、
 正一級ないし準一級の高階級市民だけが入学を許された筋金入りのお嬢様学校である。

 校則は厳しく、買い食いなど勿論厳禁であり、
 商店街の食べ物屋付近ではまず制服姿の学生を見かけない学校の一つだ。

 料理の腕前上、佳乃の舌が下す評価はほぼ絶対と信じている空だが、
 そこに“買い食い厳禁の禁を犯す”と言う補正が加わったとなれば、
 その評価もさらに上がろうと言う物である。

雅美「て、敵情視察です!」

 珍しく乱暴に立ち上がった雅美は、
 頬を朱に染めて上擦った声でそんな言葉を漏らした。

雅美「長期的戦略に基づき、詳しい敵情を知る必要があります!」

 つまり、ダイエットが長引いているので、そろそろ甘味が恋しいとの事だ。

 ワレ、長期戦ニ基ヅキ、兵糧ヲ欲ス……である。

佳乃「素直になれよ~、みぃ~やぁ~びぃ~」

 強がる親友に、佳乃はその二の腕を肘で小突きながらニマニマとした笑みを浮かべた。

雅美「わ、私は常に素直ですっ!」

 雅美は顔を真っ赤にしてそっぽを向きながらも、
 否定しきれないのかしつこく小突いて来る親友の肘を払いのけようとはしない。

空「ほらほら、佳乃ちゃん。
  雅美ちゃんも困ってるから」

 代わって、空が佳乃を諫める。

佳乃「ちぇ~ッ、まぁいいや、早く行こうぜっ!」

 不満げに舌を鳴らした佳乃だったが、すぐに気を取り直し、先頭に立って歩き出した。

 そんな佳乃に続き、空と雅美も歩き出す。

 同様の理由か、まだ知らぬ魅惑のクレープ&タルト専門店を求めて、
 数人のクラスメート達もその後に続いた。

 第一街区、商店街――


 イマジン注意報が発令されたにも拘わらず、人々は暢気に街に繰り出している。

 それだけレベル1注意報自体が、人々の危機感を煽るような物ではないと言う証拠だ。

 そして、人々で賑わう商店街の西側の隅。

 構内リニアの駅からも遠い不利な立地にも拘わらず、
 その一角は学生や若い女性達で溢れかえっていた。

 学生の大半は、空達と同じ第八小中学校の紺色のブレザー姿だが、
 他にも少数、別の学校の制服姿も見受けられる。

??「はぁぁ……美味しいですぅ」

 近くのベンチで、悩ましげな溜息が上がる。
 雅美だ。

 両手で大事そうに持ったクレープには、大きな口跡。

 相当、甘味に飢えていたようだ。

佳乃「だろ? だろ?」

 紙皿に乗せられたタルトをプラスチックのフォークで食べていた佳乃が、自慢げに聞き返す。

雅美「もう負けで構いませんから、あと一つ……、
   今度は桃とカスタードのタルトが食べたいです」

 雅美は感嘆にも似た溜息を交えて答え、もう一口クレープを頬張る。

佳乃「逆に太るぞ……」

雅美「むぅ……いけずです」

 呆れたように呟く佳乃に、雅美は不満を漏らしながらも、
 威力偵察に出て逆襲されては元も子も無いと引き下がった。

空「けど、美味しいよねぇ……。
  このストロベリークリームも、イチゴの味が濃いのに生クリームも濃厚で本当に最高っ」

 その隣では、空が至福の笑みを浮かべてクレープを味わっている。

 ちなみにそれぞれが食べているのは、
 空がストロベリーとホイップのダブルクリームのクレープ、
 佳乃がマロングラッセをトッピングしたカスタードクリームのタルト、
 雅美がチョコソースとホイップクリームにミックスフルーツのクレープだ。

 互いに一口ずつ交換して他の味を愉しみながら、それぞれに舌鼓を打つ。

佳乃「しっかし、増えたなぁ……。
   この前、土曜日の夕方に来た時は、こんなに人多くなかったぞ?」

 タルトを平らげた佳乃は、
 紙皿とフォークをそれぞれダストシューターに放り込みながら、肩を竦めて呟いた。

 前述の通り、佳乃が案内したショップ周辺は多くの学生と若い女性達で溢れかえっている。

 芋洗いとまでは言わないが、限りなくそれに近い人数で、
 座る場所を探すのも苦労した程だ。

空「新学期が始まって、一気に噂が広がったのかもね」

佳乃「チッ、こんなんなら始業式の日に来れば良かったぜ」

 空の推測を聞きながら、佳乃は舌打ちする。

 空達の周囲だけでも、クラスメートを含む同じ第八小中学校の生徒達以外にも、
 前述の通り、他校の生徒達――件の第一女子高等学校の生徒――もいた。

空「あっ、あの制服って第十二の子じゃない?
  こっちとは正反対だよね?」

雅美「隣の街区からもいらしてるんですね……」

佳乃「穴場だと思ったんだけどなぁ……」

 驚いたような空と雅美の言葉を聞きながら、佳乃は盛大な溜息を漏らした。

 佳乃のお墨付きの上、第一女子の舌に適うとなれば、
 この一帯では成功を約束されたような物だ。

 むしろ、穴場になる方がおかしい。

佳乃「忙しくなったくらいで味が落ちたら、絶対に来ねぇぞ」

 佳乃は不満げに唇をとがらせ、愚痴っぽく漏らした。

 彼女としては、静かで落ち着ける穴場のショップを見付けたと思い込んでいたのだろう。

 まあ、それでも味さえ落ちなければ通い続けると宣言したような物で、
 この店の味は“落ち着ける”と言う条件とトレードしても一向に構わないレベルと言う事だ。

空「今度のお休みの時には、お姉ちゃんも誘って来よう」

 空は、近日予定されている姉の休日を思い浮かべながら呟くと、最後の一口を頬張った。

空「う~ん、生地もモチモチぃ~」

雅美「はぁ……モチモチですぅ~」

 空と雅美は同時に口に放り込んだ最後の一口を味わいながら、同じ感想を漏らす。

 正に至福と言いたげな表情である。

佳乃「さて、と……小腹も満たされた事だし、次どうするよ?」

 満足した友人達の表情を、これまた満足した様子で見遣った佳乃は、
 そう言って足を跳ね上げるようにした反動でベンチから立ち上がった。

空「う~ん……お姉ちゃんの誕生日が近いから、
  そろそろプレゼント選びたいんだよねぇ」

 空も佳乃につられて立ち上がり、手近なダストシューターに包み紙を放り込む。

雅美「そう言えば、もうそんな時期ですね」

佳乃「海晴ちゃんって、今幾つだっけ?」

 ダストシューターにゴミを捨てつつ、思い出したように言った雅美に続いて、

 佳乃が小首を傾げて尋ねる。

「今年で二十二歳だよ」

 空は即答すると、携帯端末を取り出し、
 財布の中の残金――電子マネーだが――を確認した。

 毎月の生活費を除き、決まった額を貰っている小遣いをやり繰りして貯めた金額が三千円。

 中学生が送るプレゼントの費用としては、やや潤沢な部類だろう。

空「予算はこれくらいなんだけど、何か良い案ないかなぁ?」

佳乃「二十二か……ん~、普通なら大学四年生か社会人四年目か……。
   パッ、と良い案は浮かばねぇなぁ」

 指を三本立てた空の問いかけに、佳乃は悩みながら天蓋を見上げた。

雅美「う~ん……何か小さなアクセサリはどうでしょう?」

空「アクセサリかぁ……」

 小首を傾げながら立ち上がった雅美の案に、空は思案する。

 今までも小遣いをやり繰りして誕生日プレゼントを選んでいたのだが、
 去年は“中学生なんだから、友達との付き合いで必要になるお金も多いでしょうに”と
 心配されてしまった経緯もある。

 だが、アクセサリならば値段もピンキリだ。

 予算内でも良い物が見付かるかもしれない。

 心配する姉には“安物だから”と言って突き通せるだろうし、これは妙手だ。

空「うんっ、そうする。ありがとう、雅美ちゃん!」

雅美「ふふふ、どういたしまして」

 屈託のない笑顔を浮かべて礼を言うと、雅美も微笑んで答える。

佳乃「そんじゃ、早速、アクセサリショップ巡りと行こうぜ」

 佳乃はそう言って、空と雅美に先んじて歩き出し、二人もその後に続いた。

―3―

 同日夕刻、第三十九街区、住宅街――

 住宅街の外れ、構内リニアの駅からもほど近い住宅街に、朝霧姉妹の家はある。

 2LDKの簡素な平屋は姉妹が三級市民時代からの住居であり、
 空の通う第八小中学校からも近く、引っ越す必要も無い事もあって、
 姉がギガンティック機関に入隊してからもこちらで生活を続けていた。


 あの後、友人達とアクセサリ専門店を巡り、手頃な価格のブローチを見付けて購入した空は、
 帰宅するなり自室でラッピングを済ませ、学習机の引き出しの奥にそれを隠す。

「ふぅ……コレでよし、と」

 一番下の引き出しの、それも一番奥だ。

 ここは早々開ける事は無いし、
 仮に開けたとしても真上以外からは死角になって見付かる事もないだろう。

 一息ついた空は、すぐに制服から部屋着に着替え、リビングへと向かった。

空「ただいま、お父さん、お母さん」

 リビングの隅に置かれた仏壇の前に立ち、そこに置かれた両親の遺影に向かって手を合わせる。

 そう、朝霧姉妹の両親は、既に鬼籍に入っていた。

 亡くなったのは十四年前の七月九日……60年事件当日だ。

 テロリスト達の無差別攻撃の際、母と自分のいた産婦人科も攻撃に遭い、
 その時に両親共々亡くなったのだと、姉から聞かされていた。

 生まれたその日に両親を喪った空は、両親の事を姉の話やフォトデータでしか知らない。

 ただ、この家を自分達――姉の名義で遺す手筈を整えてくれていたお陰で、
 孤児となってからも住む場所に困らず生活できた恩義は感じている。

 衣食には多少なりとも困ったが、それでも安心して暮らせる住居の存在は、
 姉妹の生活にとって大きな財産だった。

 因みに、空が使っている部屋はかつては両親の寝室であり、幼い頃は姉妹で使っていたのだが、
 姉がギガンティック機関に入隊してからは、姉は物置になっていた空き部屋に移って使っている。

空「今日は、佳乃ちゃんお勧めのお店で友達とクレープを食べてね、
  あと、これはお姉ちゃんにはまだ内緒なんだけど、
  お姉ちゃんの誕生日プレゼントも買って来たんだよ」

 家に帰れば、姉が帰るまでは基本的に一人きりになってしまう空は、
 こうして日課として家の留守を預かってくれている両親の遺影に、その日の出来事の報告をしていた。

 瀧川に厭味を言われた事のような、悪い報告はしない事にしている。

 いつの頃か寂しくて泣いていた時、姉から“お父さんとお母さんが天国で見守ってくれている”と聞かされて以来、
 見守ってくれている両親を心配させないためにそうするように決めたのだ。

 まあ、見守ってくれているのだから全て筒抜けなのだろうが、
 それでも“楽しかった事”を聞けば二人も嬉しいに決まっている。

 空は、そう思うようにしていた。

 空は両親への報告を済ませると、キッチンへと向かい、
 髪をヘアゴムで束ね、壁のフックに掛けてあったエプロンを着けると、夕餉の支度を始めた。

空「えっと……昨日はパスタだったし、今日は和食の方がいいかなぁ」

 空はそんな独り言を漏らしつつ、冷蔵庫の中身を確認する。

 卵とカニかまが目に飛び込んで来た。

 野菜室には賞味期限の近いニラもある。

空「………うん、カニ玉風天津炒飯にしよう」

 和食もいいが、やはり中華な気分だ。

 空は一旦、冷蔵庫を閉じると中華鍋の準備を始めた。

 だが、朝に炊いた御飯の残りは、二人前の炒飯には少し心許ない量だ。

 こうなったら、へとへとになって帰って来る姉のために、
 ニラたっぷりのレバニラを副菜に付けよう。

空「よしっ!」

 準備も終わり、献立も決まった所で、
 空は服の袖を捲り上げて気合を入れると、夕飯の調理に取りかかる。

 全ての調理と後片付けを終える頃には外の灯りも消え、
 夜も七時となろうとしていた。

 配膳をしながら、空はダイニングの壁面のディスプレイの電源を入れ、
 夜のニュースを確認する。

広報官『……と第七フロート第五層で起きた暴動の主犯は、
    テロリストグループの煽動による物と考えられます』

空「また第七フロートで暴動か……」

 政府広報官が読み上げる発表を聞きくと、
 空はダイニングテーブルに料理を並べながら溜息がちに漏らした。

 第七フロートで暴動が起きるのはいつもの事だ。

 それもそのハズ、第三層をテロリストによって占拠され、
 一方的な独立宣言からあと数ヶ月で丸十四年。

 各層には今も多くの工作員が入り込んでおり、諜報や破壊活動を行っている。

 ニュースデータを確認すると、三日前の四級市民の工場での爆発事故に端を発したデモが、
 次第に過激化し暴動に発展したとされていた。

 市井で生活する四級市民は基本的に前科者であり、
 その格付けの性質上、ほぼ隔離状態で就労するのが殆どだ。

 フラストレーションが溜まるのは分かるし、そんな工場で爆発事故が発生すれば、
 工場の管理責任を問われてデモが起きるのも納得できる。

 デモの参加者は四級市民だけではなく、
 そんな杜撰な管理態勢を糾弾する三級市民や二級市民達も少数は参加していただろう。

 二日前のニュースでは、多くの市民が参加するデモを想定した警備態勢が敷かれると、
 その旨を伝える政府発表を聞いたばかりだ。

 市民デモの警備にギガンティックを使うワケにも行かず、
 人型作業機械――パワーローダーと警備車両だけだった所に局所的な暴動が発生し、
 催涙ガスが撒かれた末に暴動が拡大したとの情報が書かれている。

 密閉空間であるメガフロートでの暴動鎮圧には、
 周辺ブロックへの被害拡大を想定して比較的安全な催眠ガスが使われており、
 催涙ガスの類は数年前から使われていない。

 押収された証拠品として、デモ隊が使っていたパワーローダーに
 警備側の装備になかった催涙ガスが装填されていた事で、テロリストの潜入が発覚したとの事だ。

 催涙ガスは換気システムによって即座に排気され、
 催眠ガスの投入で素早く暴動は鎮圧されたと記載されていた。

 今日の午後二時から午後四時の事らしい。

空「怖いなぁ……」

 別フロートでの事件とは言え、
 全フロートと隣接する中央フロートには他人事とは言い難く、空は肩を竦ませた。

 中央フロートは行政府お膝元と言う事で、
 60年事件以来、目立って大きな事件や大規模暴動も少ない事もあり、
 余計にそう言った事件に対する“感じた事のない”恐怖感がある。

 むしろ、イマジンの侵入警報でシェルターに避難した回数の方が多いのではないだろうか?

 それにしても、生まれてから四十回と経験していない事ではあるが……。

 暴動のニュースが終わり、地域広報官による各フロートの季節の頼りや、
 各地の学校の新入生の様子など、朗らかなニュースが流れ始めた頃には、全ての配膳が終わる。

空「うん……お夕飯の準備終了っ」

 空は笑顔で言って、エプロンを壁のフックに掛け直した。

 と、そこでチャイムが鳴り響く。

??「ただいま~」

空「うん、時間通り……。
  おかえりなさ~い」

 玄関から聞こえて来た声に、空は笑顔で返した。

 時刻は十九時半丁度。

 姉の帰宅時間だ。

海晴「ただいま、空」

 空が玄関に迎えに出るよりも先に、姉・海晴がダイニングに顔を出した。

 通勤帰宅用の紺色のレディススーツを身に纏った姉は、ブラウスのボタンを一つ外し、
 バレッタで纏めていた長い黒髪を解きながら、ダイニングテーブル脇の椅子に腰掛けた。

空「お疲れ様、お姉ちゃん」

 空は姉からスーツの上着を受け取り、リビング脇のハンガーにそれを掛ける。

空「イマジン注意報、解除されて良かったね」

海晴「レベル2になった時はどうなるかと思ったけど、
   お陰で今日は定時に上がれたわ」

 微笑む妹の言葉に、海晴も笑顔を交えて返し
 “日勤の日に限って注意報発令とか、誰か見張ってるんじゃないかしら”と冗談交じりに付け加えた。

海晴「う~ん……今日も美味しそう!」

 食卓に並べられた料理を見渡して、海晴は笑みを浮かべる。

空「レバニラだったらおかわりもあるよ」

海晴「あら、そう?」

 二人はにこやかに会話しつつ、空が席に着いた時点で食事を始めた。

海晴「新学期が始まってもう四日になるけど、調子はどう?」

空「うん、今年も雅美ちゃんや佳乃ちゃんと同じクラスだし、
  楽しくやって行けそうだよ」

 姉の質問に、空は笑顔で答える。

 両親への報告と同様に、授業中のミスの事や瀧川からの厭味に関しては伝えない。

 こちらは純粋に、姉を心配させたくないからだ。

海晴「そう……」

 雅美と佳乃の名を聞き、海晴は安堵の表情を浮かべる。

海晴「それなら安心ね」

空「うん……」

 続く姉の言葉に、空は僅かに笑みを曇らせた。

 かつて空は、姉の事を酷く心配させた事がある。

 それは初等部の三年生の時の事だ。

 家族の事を題材に書いた作文が原因で、空が特例二級市民である事が発覚し、
 クラスの男子達からいじめを受けた事があった。

 いじめと言っても、物を隠されたとか殴られたとかの物理的な被害が有ったワケではない。

 ただ、ウソつきと詰られ、罵られ、
 何かと仲間はずれにされるようになったのだ。

 何故ウソつきかと言うと、
 その理由は十五歳にしてギガンティック機関にオペレーターとして勤務を始めた姉・海晴が原因だった。

 若干十五歳にして、全員が特一級の市民階級が与えられるギガンティック機関に、
 オペレーターとして入隊するのは余りに異例の事だ。

 本来ならば相応の学歴……それこそ一級クラスの高等教育を受けた経験がなければ、
 特一級公務員への道など拓かれるハズがない。

 だが、入隊以前の姉は三級市民が通う第十七小中学校に在籍していたとなれば、
 “そんな馬鹿な”、と思うのが常だろう。

 しかし、空が特例二級市民である事実は揺るがず、
 それならば海晴が特一級市民である事もまた事実。

 ならば、何らかの不正があったのではないか?

 空をいじめていた男子達の大半は、
 そんな勘ぐりを抱いた大人達の子供とその仲間達だったのだ。

 次第にクラス内で孤立を始めた空からは徐々に笑顔が消え、
 遂に姉にその事を漏らしてしまった。

 思えば、貧窮していた幼少期以上に酷い時期だったかもしれない。

 だが、そんな空を救ってくれたのが雅美と佳乃だったのだ。

 クラス内では目立たなかったが、他のクラスメート達よりも聡明だった雅美は、
 空や海晴の立場が法的に正当な物であり、不正を差し挟む余地がない事を説いて誤解を解いてくれた。

 そして、女子にしては……と言うよりも、クラスでも一番の腕っ節を誇っていた佳乃は、
 それでも尚、空をいじめようとする男子達に報復したのだ。

 佳乃の事で新たな問題になった事もあったのだが、
 空は必死で佳乃を庇い、雅美もまた男子達の行為を糾弾し、佳乃の立場を支持した。

 それまでクラスメートと言う以外に繋がりの無かった三人は、その日以来、大の親友だ。

 おっとりとして見えるが芯はしっかり者の空、
 お淑やかで理知的かつ聡明な雅美、
 口は悪いが人情家で不正を嫌うの佳乃。

 意外とバランスの取れた三人組なのである。

海晴「もう……そんな顔しないの。過ぎた事でしょう?」

 妹の笑みが曇った事に気付いた海晴が、窘めるように言った。

空「……うん」

 空も深く頷いて、また笑顔を見せる。

 空が気にしているのは、いじめられた事よりも、
 姉に対してその悩みを打ち明けた後の事だ。

 姉は自分が傷ついている事を知ると、その事に泣いて謝ったのである。

 被害妄想と言えばそれまでだが、姉を泣かせてしまった事に空は酷い罪悪感を感じていた。

 姉のお陰で楽な暮らしをさせてもらっているのに、
 何で姉が泣くような事を言ってしまったのかと。

 空にとって、姉に対する大きな引け目の一つだ。

海晴「空は良い子なんだから、いつまでも気にしなくていいのよ?」

 海晴はそう言って身を乗り出すように椅子から立ち上がると、
 対面に座る空の頭を撫でた。

空「お、お姉ちゃん?」

 姉の突然の行動に、空は頬を紅潮させて驚いたような声を上げる。

 姉妹二人だけの家族と言う事もあって、それなりにスキンシップが多い方ではあったが、
 頭を撫でられるなどと言う経験は久方ぶりの事だ。

海晴「あらあら、真っ赤にしちゃって……可愛い」

空「も、もう中学生なんだから!
  そんな……良い子なんて……こ、子供扱いしないでよぉ」

 妹の様子に姉は微笑み、そんな姉の言葉に妹は恥ずかしそうに身を捩る。

海晴「ふふふ、社会人から見たら、中学生はまだまだ子供です」

空「もぅ……」

 からかうような海晴に、空は恥ずかしそうにそっぽを向いた。

海晴「ふふふ……じゃあ、そんな良い子の空に、
   ちょっと遅れっちゃったけど、進級祝い」

 海晴は微笑ましそうに言ってから、椅子の足下に置いた鞄に手を伸ばした。

 そう言えば、今日は鞄を預かっていない事を思い出し、
 空は怪訝そうに目を向ける。

海晴「はい、新しい携帯端末。

   今のは小学生の頃から使ってる政府支給品だから、
   そろそろ買い換えたい頃合いでしょう?」

 海晴はそう言って、鞄の中から小さな紙袋を取り出した。

 空が海晴から受け取った紙袋には人気の有名メーカーのロゴが入っており、
 中には携帯端末が梱包された箱が入っている。

空「こ、これって……」

海晴「FUJIMIの新型。
   この前、新作発表会の報道見てた時に欲しそうな顔してたでしょ?」

 紙袋の中の中身を見て驚く空に、海晴は笑顔で応えた。

 メガフロートにおいて携帯端末は生活必需品であり、
 基本的に市民は行政府から支給される物を使う。

 納税する魔力を溜め込むコンデンサ、身分証明、通信、
 電子マネー管理、多言語同時翻訳のような基礎機能の他に、
 各種ソーシャルネットサービスへのアクセスや、
 公共インフォメーション機能なども存在する。

 旧時代の携帯電話やスマートフォンのような外見であり、機能面もそれに近いが、
 それらよりもずっと頑丈で物理的なセキュリティも優れているのがこの携帯端末だ。

 旧世界で使われていた簡易魔導ギアを携帯電話端末と組み合わせて、
 さらに高性能・多機能化したような物と言っても良いだろう。

 買い換えは別段、推奨されているワケではないが、
 それでも耐用年数は存在するので三級市民以上は数年に一度の割合で買い換えている。

 空の使っている端末は前述の通り、特例二級市民となってから行政府によって与えられた支給品であり、
 七年間も使っている事もあって、かなり古い型ではあった。

空「で、でも、これってまだ値段も高いんじゃ……?」

 空は心配そうに呟く。

 最新型の携帯端末は、旧来の物にはない新機能を多数搭載している事もあって、
 数万円はする高級品だ。

 通常、本体ディスプレイに投影されるハズの情報を、
 空間中にも投影できる機能が備わっており、新作発表会でもその辺りを重点的に押していた。

 発表会の様子を見ながら、数年もすれば安くなるか、
 他社の機種にも適応されるだろうと話したが、それもほんの数日前の話である。

海晴「お姉ちゃんのお給料、甘く見ないでよね。

   ……って言うか、高い給料貰っても、使うタイミングがあんまり無いのよねぇ……。
   貯金ばっかり増えても意味無いし」

 不安げな妹に海晴は胸を張って応えると、少しだけ愚痴混じりに付け加えた。

 蓄財も悪い事ではないが、蓄えたままと言うのは確かに経済には宜しくないのかもしれない。

海晴「だ・か・ら……二台、買っちゃった」

 海晴はそう言うと、茶目っ気混じりの満面の笑みを浮かべ、
 鞄の中から同じ紙袋をもう一つ取り出した。

空「もう……お姉ちゃんったら」

 空は呆れと驚きと嬉しさと、そんな様々な感情が入り交じった複雑な表情を浮かべ、
 またそれと似たような声音を漏らす。

海晴「お昼休みには殆ど売り切れてて、色は白しか買えなかったんだけど、
   他の色の方が良かったかしら?」

空「そんな事ない!
  お姉ちゃんとお揃いだし……すごく、嬉しいよ」

 恐る恐ると言った風に尋ねる海晴の言葉を、
 空は大きく頭振って否定すると、嬉しそうな笑みを浮かべて応えた。

 毎日へとへとになって帰って来る姉にとって、昼休みは貴重な休憩時間だ。

 その時間を削ってまで買って来てくれたと言う事実が、空には少し心苦しくもあり、
 またそうまでして自分の進級祝いを買って来てくれた姉の心意気が嬉しかった。

海晴「うん……空が喜んでくれると、お姉ちゃんも嬉しいよ」

 妹の気持ちを察してか、海晴も穏やかに微笑む。

 そして、小さく溜息を漏らし、気を取り直すように椅子に深く腰掛ける。

海晴「さっ、お楽しみは後にして、御飯食べちゃいましょう」

空「うん」

 姉の提案に頷き、空は大事そうにテーブルの隅に携帯端末の箱を置くと、
 自分で作った夕飯に向き直った。

 他愛のない会話を続けながら滞りなく夕食を済ませた姉妹は、
 後片付けを済ませると、改めて端に避けていた携帯端末を手に取る。

空「えっと……これでいいのかな?」

 マニュアルを片手に、テーブルの上に置いた新旧二つの携帯端末と格闘を繰り広げていた空は、
 旧端末からのデータ移行を終え、新端末を手に取った。

 直後、新端末の側面のラインに空色の輝きが灯る。

空「うん、認識完了」

 自身の名と同じ色の輝きを灯した携帯端末を手に、空は満足そうに頷いた。

 携帯端末に施されたセキュリティの一種として、
 個人の魔力波長を読み取り、認識する機能がある。

 色自体千差万別だが、仮に同色であっても波長には僅かな差違が存在し、
 完全同色・同波長の魔力など、一卵性双生児であっても希有どころかあり得ない例であり、
 同波長の人間だけでも数億人に一人と言われる程だ。

 その数億人に一人の同波長の魔力の持ち主が同色と言う事は、
 まあ天文学的確率であり得ないと言って良いだろう。

 有り体に言って、個人を見分けるには都合が良いのである。

海晴「こっちも作業終了、っと」

 同じ作業をしていた海晴が、僅かに遅れて新端末を手に取った。

 こちらは水色に輝いている。

 先程は“完全同色・同波長”をあり得ないと言ったばかりだが、
 実は、朝霧姉妹はそのあり得ないを体現した姉妹であった。

 ただ、完全同色と言うワケではなく、同系色と言うだけだが……。

 姉はシアン、妹はスカイブルー。

 似た色ではあるが、妹の方がやや明るい色合いだ。

 そして、完全同波長。

 数億人探せば一人は存在する完全同波長に加えて、同系色。

 珍しいと言えばそれまでだが、一卵性双生児でもあり得ないソレを、
 姉妹は体現していたのだ。

空「やっぱり、お姉ちゃんの方がコントラストがハッキリしてて綺麗かも」

海晴「あら? それなら交換する?」

 姉の携帯端末を見ながら呟いた空に、海晴は冗談めかして尋ねた。

空「家族間でも、それやったら犯罪だよぉ」

 空は肩を竦めて漏らす。

 元は同じ三級市民とは言え、姉は特一級、自分は特例二級だ。

 市民階級の違う者同士での携帯端末の貸し借りは、
 通常の貸し借り以上に厳禁である。

 社会的に補償されているレベルが大きく違うのだから、当たり前と言えば当たり前だ。

 姉が特一級になる以前……自分が市民階級の関係無い魔力覚醒以前の幼い頃ならば、
 家族の身分証明で社会保障も受けられたが、魔力覚醒を迎えて今年で十四歳にもなる自分がやったら間違いなく犯罪だ。

 まあ、姉の不謹慎な冗談である。

海晴「空は真面目ね~」

空「もぅ……」

 悪戯っ子のような微笑みを浮かべる海晴に、空はジト目で頬を膨らませた。

海晴「ふふふ、拗ねてる空もかわい~な~」

 追い打ちをかけるように、膨らんだ頬を指先で突かれ、
 ぷっ、と気の抜けた音と共に結んだ口から空気が漏れ、
 姉は噴き出すように微笑む。

空「むぅ~……」

海晴「ふふふ、ごめんなさいね」

 そろそろご機嫌を損ねてはいけないと、
 不満そうな妹に姉は両手を合わせて謝った。

海晴「お姉ちゃん、明日からしばらく泊まり込みだから、
   今の内に空とスキンシップしたかったのよ」

空「え?」

 続く姉の言葉に、空は驚いたように目を見開く。

海晴「何かあったの?
   もしかして、二年前の時みたいに、大量のイマジンが近付いてるとか?」

 空は不安げに尋ねる。

 二年前……2072年の秋の話だが、メガフロート近傍に十五体を超える大量のイマジンが出現し、
 ギガンティック機関と軍の共同作業により、その駆除と遠隔地への誘導が終わるまでの四日四晩の間、
 市民は避難シェルター暮らしを強いられた事があり、姉もオペレーターとして隊本部に泊まり込みだった。

海晴「ああ、そう言う事じゃないの。
   ほら、先月末に第三フロートの二層で隔壁の一部が破損したでしょ?」

 海晴は小さく首を振って否定すると、説明を始める。

空「あ、うん……。
  政府公報でも、周辺を立ち入り禁止にして、結界装置で凌いでるって」

 姉の言葉に、空は思い出すように呟く。

 隔壁は世界と外界を隔絶し、イマジンに侵入される確率を大幅に下げる効果がある。

 完璧とは言えないが、それでも隔壁が無いよりもずっと効果的だ。

 先月、テロ活動によってその隔壁の一部が損傷し、
 今は多重結界を張り巡らせてその代わりとしている地区があった。

 海晴は頷き、さらに説明を続ける。

海晴「今日、ようやく補修の目処が立ったんだけど、
   外からも作業しないといけないから、ウチと軍の共同で警備任務に就く事になったの。

   で、しばらくメンバーを割いて向こうに駐留する事になるから、
   その間の五日間だけ、私は本部に泊まり込みになるの」

空「そうなんだ……」

 詳しい説明を聞き、空は胸を撫で下ろす。

 だが、五日間となると、その間に姉の誕生日が来てしまう。

空「………ちょっと待ってて!」

 僅かな沈黙の後、空は慌てて部屋に向けて駆け出した。

 つい数時間前に隠したばかりのプレゼントの包みを引っ張り出し、
 大急ぎでダイニングに戻る。

海晴「どうしたの、そんなに慌てて?」

 キョトンとした様子で尋ねる姉に、
 空は後ろ手に隠していたプレゼントの包みを両手で差し出した。

空「これっ、ちょっと早いけど誕生日プレゼント!」

 怪訝そうな表情を浮かべたままの姉に、空は少しだけ大きな声で言った。

 一瞬だけ驚いたような顔を浮かべた海晴は、だがすぐに嬉しそうな笑みを浮かべる。

海晴「……もう、お小遣いは自分のために使いなさい、って、
   いつも言ってるじゃない」

空「だから、自分のために使ったよ」

 少しだけ困ったような声音でプレゼントを受け取った姉に、空は胸を張って応えた。

 生活の基盤を支えてくれている姉への、日頃の感謝の気持ちだ。

 海晴もその辺りの気持ちは一言で理解してくれたのか、
 “ありがとう”と穏やかな声音を返してくれた。

海晴「開けてみて、いいかしら?」

空「うん、どうぞ………って言っても、
  進級祝いに比べるとちょっと見劣りしちゃうんだけど」

 姉の質問に頷いた空だったが、すぐに申し訳なさそうな苦笑いを浮かべる。

 まあ、数万円の最新携帯端末に対して、こちらは予算三千円だ。

 見劣りするのは致し方あるまい。

海晴「リボンや包装まで、結構、いいの使ってるわね……」

空「あ、そ、それは……」

 包みを開け始めた姉の言葉に、空はさらなる苦笑いを浮かべる。

 意外なほど中身が安く上がってしまったので、帰り際にファンシーショップに寄って、
 なるべく良い包装用紙とリボンを購入したのだ。

 使い捨ての包装用紙はともかく、
 フリルが付いた薄桃色のリボンはプレゼントのオマケにもなる算段である。

 長い髪を束ねるためリボンくらいなら職場でも不謹慎ではなかろうと、
 普段から着飾らない姉を思っての、妹としての心配りでもあった。

海晴「あら……」

 包みを開けた海晴は、顔を綻ばせた。

 中から現れたのは、桜の花びらを摸したシンプルで小さなブローチだ。

空「雅美ちゃんや佳乃ちゃんにも相談に乗って貰って選んだの。
  このくらいなら、仕事中でも制服に付けられるかな、って」

海晴「……そう」

 恥ずかしさの中に、僅かばかりの不安の篭もった声と表情で語る妹に、海晴は感慨深く頷く。

 繰り言だが、先程の最新型携帯端末と言う前振りがあった直後だ。

 気に入って貰えるか、多少の不安もあるのだろう。

海晴「ありがとう、空。気に入ったわ」

 そんな妹の僅かばかりの不安を吹き飛ばすような笑顔で、海晴は改めて礼を言う。

空「どういたしまして! ………良かった」

 空も笑顔で応えて、胸を撫で下ろし、さらに笑顔を輝かせる。

 やはり、こうしてプレゼントを気に入って貰えるのは嬉しいものだ。

海晴「明日から早速つけてみるかな?」

 その呟く海晴は、少しワクワクしているように見え、
 どうやらお世辞抜きで気に入ってくれているように見えた。

海晴「あ、でも……こんな良い物を貰っておいて、
   お返しも無しってのはちょっと心苦しいわね」

空「え? いいよ、誕生日プレゼントなんだから。
  それにお返しだったら、ほら、新しい端末も買って貰ったし」

 思案気味な姉の言葉に、空は慌てた様子で両手を振って必要ない事をアピールする。

海晴「それにしたって、結局、空とお揃いの端末が欲しかっただけだものねぇ……」

 だが、海晴はそれでは納得がいかないようで、どうしたものかと首を傾げ、辺りを見渡す。

海晴「………よしっ」

 海晴は思いついたように立ち上がると、
 テーブルの上のリボンを手に取り、立ったままの空の後ろに回った。

空「え? えぇっ?」

 何が起こるか分からず、空はその場で慌てふためいてしまう。

 海晴は、慌てふためく妹の髪からヘアゴムを外し、
 梳いて束ねて、リボンを結ぶ。

 実に器用で、鮮やかな手並みだ。

海晴「はい、完成っと」

 海晴はそう言って、空の背中を押してリビングに行くように促す。

空「え? あ、ちょ、ちょっと~!?」

 姉に翻弄されつつも、
 空は促されるままリビングの壁に立て掛けられた姿見の前に立った。

海晴「うん、やっぱ、下ろしてる時よりも、
   結んでアップにしてる時の方が似合ってるのよねぇ」

 肩越しに姿見に映った妹の姿を確認した海晴は、うんうんと何度も頷く。

 空も姿見に映る自分の姿と、姉の賛辞もあって照れたように頬を紅潮させる。

 少しアップ気味に纏められたポニーテールだ。

 そして、その髪を結んでいるのは姉のプレゼントの包装に使っていた、
 あの薄桃色の可愛らしいフリルの付いたリボンだ。

 普段から家事の最中や体育や魔導実技の授業中はヘアゴムで纏め、
 似たような髪型にしていたが、改めてまじまじとその姿を見る機会は無かった。

海晴「まあ、貰い物をそのまま返してるようで、少し気が引けるけど……。
   とりあえず、今はこれで許してね」

空「お姉ちゃん……」

 少し苦笑い気味の姉の言葉に、空は小さく頭を振って口を開く。

空「ありがとう、お姉ちゃん」

 礼を言いながら、空は微笑んだ。

 正直な話をすれば、このリボンも姉に貰って欲しかったのだが、
 それ以上に姉の心遣いが嬉しくて、素直にその言葉を紡ぐ事が出来た。

 たった二人だけの姉妹。

 こうして支え合って、両親を喪ってからの十四年近い時を生きてきたのである。

 とは言え、姉が特一級市民となる以前は、ずっと姉に苦労ばかりかけて来た。

 今も生活の基盤は姉が支えているし、
 空としてはまだまだ返しても返しきれないだけの感謝の念がある。

空(駄目だなぁ、やっぱり……。
  このままじゃ、どんなに頑張っても、お姉ちゃんに恩返しなんて出来ない……)

 空は微笑みを崩さないまま、そんな思いを抱いてしまう。

海晴「しかし、我が妹ながら流石に美人ね~」

 そんな妹の思いを察してか、海晴はどこか戯けた調子でそんな言葉を漏らした。

空「そ、そうかな……?」

海晴「うん、中学時代の私そっくりよ?」

 謙遜気味の空に、海晴は自信ありげに頷く。

 確かに、空と海晴はよく似ていた。

 年齢さえ同じならば一卵性双生児なのでは、と言うレベルで似ており、
 丁度、空が海晴の成長の道程をなぞるかのように成長しているのだが、
 まあ姉妹なのだから当然と言えば当然だ。

空「何だか……嬉しいな」

 空はまだ少し謙遜した様子だったが、それでもはにかんだような笑みを浮かべた。

海晴「お料理が出来て、真面目な良い子で、
   素敵な友達にも恵まれて……。

   空は、お姉ちゃん自慢の妹だよ……」

空「お姉ちゃん……」

 どこか遠くを見るような目で語る海晴は、背中から空を抱きしめる。

海晴「お姉ちゃん、空には普通に幸せになって欲しいな。
   このまま中学を卒業して、高校に入学して……卒業して、
   行きたかったら大学も出て、良い会社に勤めて、素敵な人と出会って……」

空「………」

 姉の言葉を、空は黙ったまま聞き続ける。

 こう言った話をされるのは、別に今回が初めてと言うワケではない。

 空が姉に負い目を感じてしまうと、決まって海晴は妹を励まし、こうして語るのである。

 言ってしまえば、お決まりのパターンだ。

 海晴は適正があると言う理由で、ギガンティック機関にオペレーターとして迎え入れられた。

 七年前の一月……中学三年生になるハズだった数ヶ月前の話だ。

 青春も真っ盛りの十代半ば。

 友人達と謳歌すべき青春の残りを、全て、ギガンティック機関に捧げた。

 そこには空を養うため、空に楽をさせてあげたいと言う思いが大きかっただろう。

 だからこそ、空には自分が謳歌できなかった青春の全てを味わってもらいたい。

 普通の幸せを手に入れてもらいたいと言う気持ちが強いのだろう。

 空は、姉の言葉を、いつもそのように受け取っていた。

空「うん、これからも頑張るよ」

 抱きしめてくれる姉の腕に、そっと自分の手を重ね、空は感慨深く呟く。

海晴「………なんだか、しんみりしちゃったわね」

 しばらくそうしていた姉妹は、
 姉の言葉を合図に、どちらからとなく離れた。

空「えへへ……」

 抱きしめてくれていた姉の温もりが嬉しかったのか、
 空は嬉しそうに頬を緩ませている。

 仲の良い姉妹だが、こうやってゆっくりとした時間を一緒に過ごせるのは、実はそう多くはない。

 イマジンは突然現れるのだ。

 一度、注意報のレベル4が発令されたとなると、レベル1に低下するまで帰宅する事は出来ないし、
 イマジンとの戦闘中は職場を離れる事は許されないのだ。

 今日のように定時で上がれる事は、まあ月に五日もあれば良い方で、
 長期間、レベル4注意報が発令されて何日も家に帰れないと言う時だってある。

 仮に帰宅しても、レベル4以上の注意報が発令されたら、
 隊舎までとんぼ返りと言う日も多い。

 ギガンティックのドライバー達の訓練に付き合って、
 帰りが遅くなると言う事もよくあった。

 それどころか、軍や警察の手が足りない時には、
 そちらの任務にまで駆り出されるのがギガンティック機関だ。

 空が小学校に入学する少し前から、ずっとそんな生活だったのだから、
 彼女の喜びようも、さもありなんと言った所である。

海晴「ふふふ……」

 幸せそうな妹の様子に、海晴も幸せそうに微笑んだ。


 姉妹は、その日は心ゆくまで語らい、
 夜遅い事に気付いて顔を見合わせて笑い、そして眠った。

―4―

 翌々日、朝――


 空はパジャマ姿のままエプロンを纏い、
 自宅のキッチンで今日の分の朝食と弁当の用意に励んでいた。

空「こんな所かな?」

 朝食の盛り付けと弁当のおかずを詰め終え、空は調理台の上を見渡す。

 朝食はトーストとベーコンエッグにサラダと牛乳、
 弁当は刻みベーコンとほうれん草の炒め物をメインに、サラダにも使ったブロッコリーとプチトマト、
 作り置きの椎茸と竹輪の煮物、夕飯分と合わせて炊いた御飯で作ったシャケのおにぎりだ。

 彩りも十分だろう。

空(……朝御飯食べて着替え終わる頃には丁度良い感じに冷めるだろうし、
  そしたら蓋をして巾着で包んで……)

 空は配膳しながら、そんな事を考える。

 モニターの電源を入れ、政府公報チャンネルに合わせると、
 ニュースを確認しながら朝食を食べ始めた。

 昨日から始まった第三フロート第二層の隔壁修理の進捗が発表されている。

広報官『現在の修理状況は四割まで進み、一両日中には作業全行程が終了する見込みです。
    警備は現在、軍とギガンティック機関の二十四時間態勢の四交代制で行われており……』

空「……あ、そっか……外の警備してるから、
  ギガンティックのドライバーの人達って、外の世界を見られるんだ……」

 ニュースを聞きながら、空はその事に思い至って呟いた。

 外の世界。

 本来、地球の生命が住むべき世界。

 もう四十年以上も昔にイマジンによって奪われた、旧き世界だ。

空「空って……やっぱり見られないのかな……?」

 誰とは無しに、そんな質問を投げかける。

 世界がイマジンによって破壊し尽くされる前、
 神の杖暴走事故によって地球の環境は劣悪な物となったと、授業で教わった。

 大量の粉塵が巻き上げられて空を覆い、
 増殖したマギアリヒトによって支えられ、落ちる事すら許されない状態。

 それがイマジン事変の起きた2031年の夏頃の調査結果だ。

 マギアリヒトは魔力を媒介するナノマシンであり、
 現在も広く普及している魔力物質そのものであり、またイマジンを構成する物質でもある。

 過剰なマギアリヒトは、巻き上げられた粉塵を支える層となってしまっているのだ。

 巻き上げられた粉塵よって太陽光は遮られ、
 それによって引き起こされた海洋寒冷化現象と陸上の温度差によって無数の竜巻が発生し、
 沿岸部はさらなる壊滅的被害を被り、海洋は九割以上が凍り付いていたと言う。

 その頃の写真も掲載されていたが、
 マギアリヒトの発する薄暗い輝きによってのみ照らされた世界は、まるで凍結地獄のような様相だった。

 かつての青空は、見る影も無いと言っていい。

 今、紺碧の空を仰げる場所は、メインフロート最上……第一層の外郭自然エリアにあるスカイリウムや、
 一般人立ち入り禁止の自然保護区に投影される、旧世界の空の様子を記録した映像だけである。

 旧世界を知る大人達は、口を揃えて“本当の空は、あんな物じゃない”と言うが、
 本当の空を知らない自分には判りかねた。

 ただ、大人達がそこまで言う“本当の青空”と言うのは、一体、どんな物なのだろうか?

 小学生の頃の作文にも書いたが、いつか……せめて生きている間に一度は見てみたいものだ。

広報官『………会は第七フロート第三層に特使派遣を決定。
    特使派遣は通算二十五度目と……』

 そんな事を考えている間に、別のニュースに切り替わっている。

 どうやらテロ関連に関する発表のようだ。

 モニター隅に表示される時計は七時半。

空「……そろそろ後片付けして、制服に着替えよう」

 空はまた、誰とは無しに呟く。

 一人きりになると、どうしても独り言が増えてしまう物だ。

 空は後片付けと着替えを済ませ、姿見の前に立って、
 一昨日に姉から貰ったリボンを結ぶ。

 昨日の朝は、姉の泊まり込みの準備やら、いつもより早く出勤する姉を見送ったりやらで忙しく、
 ついつい忘れてしまったが、今日こそは忘れない。

 一昨日の夜、姉にそうして貰ったようにアップ気味のポニーテールにしてリボンを結わえる。

空「ん~……っと、こんな感じだったかなぁ……」

 何度も角度を変えて、出来を確かめながら、不意に噴き出す。

 よく考えてみたら、着替えを済ませてからこんなに髪型を気にした事など、
 中等部へ進級した始業式以来の事だ。

 姉にオシャレに気を使って欲しいと思ってプレゼントを選んだつもりだったが、
 どうやら自分も同じ穴の狢だったらしい。

 そして、その事は海晴自身も気付いていたハズだ。

空(やっぱり……お姉ちゃんには敵わないなぁ……)

 肩を竦めて小さく溜息を漏らして、また噴き出す。

 一昨日、姉の分まで頑張ろうと、自分の青春を謳歌しようと決めたばかり。

 こんな事でしょげていては、それこそ姉に顔向けできないと言うものだ。

空「よしっ」

 気合を入れるように胸を張り、姿見の前でくるりと一回転して髪型の決まり具合を確認する。

 リボンで結わえたポニーテールが、主の回転に合わせてフワリと舞う。

空「……うんっ」

 姉が結わえてくれた時ほどでないが、なかなか様になっている。

 自信を持って登校してやろうじゃないか。

 そんな勝ち気な気分にさえなって来る。

 空はキッチンへと戻り、ようやく冷めた弁当箱に蓋をして、巾着に入れて鞄に詰め込む。

 テーブルの上に置いていた携帯端末をブレザーの内ポケットに入れ、準備万端だ。

 無論、戸締まりも後は玄関だけである。

空「じゃあ、お父さん、お母さん、行って来ます!」

 仏壇の遺影に写る両親に告げて、家を出た。

 今日もまた、平和な一日が始まる。

 雅美や佳乃とお喋りをして、授業を受けて、放課後を親友達と楽しみ、
 姉が帰って来る日を指折り数えて待つ、退屈だが充実した一日が……。

 まだ開店時間前の商店街を横切った辺りから、
 自分と同じ紺色のブレザーを着た学生達が次第に増えて行く。

 そして、顔見知りと会釈や挨拶を交わしながら校門まで差し掛かった瞬間――

『PIPIPI――ッ!』

 辺り一帯の生徒達から、一斉に同じ電子音が鳴り響いた。

 着信メロディでも着信ソングでもない、単純な着信音に、
 空を含めた生徒達が一斉に身を強張らせる。

空「まさか……っ!?」

 空は驚いた様子で、ブレザーの内ポケットから携帯端末を取り出し、ディスプレイを覗き込む。

学生「イマジン警報……レベル4!?」

 すぐ近くから、愕然とした声が上がった。

 イマジン警報、レベル4……隣接フロート内での中型イマジンの活動確認、
 或いは小型イマジンの侵入を告げる、緊急警報。

空「うそ……?」

 読み上げられた情報通りの文字が躍るディスプレイを見ながら、空は愕然と呟いた。


 ここはNASEANメガフロート。

 かつて、世界の中心と謳われた理想郷。

 異形の怪物によって住処を奪われ、追い立てられ、
 逃げ込んだ人類が僅かな安息を許された、箱庭の世界。

 人々は争いを絶やす事なく、また、異形の脅威も去らぬ中、
 それでも人は、僅かな安息に身を委ねようと、必死に足掻き続ける。

 繰り広げられる、脆く尊い……そう、それは――


第1話~それは、陳腐な『箱庭の平和』~ 了

今回はここまでとなります。


そして、また投下中に気付くミス……

空の作文にある「ギガンティック部隊」は「ギガンティック機関」の誤りです。
謹んで訂正させていただきますorz

おお、乙ですた!
去年は帰省中、今年は友人と飲んでいた間に投下されるとは、やはりGWは鬼門っ!!
アレックス君、亡くなったのですね・・・・・・嘆くよりも、お疲れ様と言ってあげたいです。
世界の状況、個人的には今話題のアレよりも、古いSF少女漫画「ブレーメン5(佐々木淳子 作」でヒロインの一人が仲間に出会うまで置かれていた状況と
さらに古いSFディストピア映画「赤ちゃんよ永遠に(邦題)」を思い出しました。
後者の世界のような、出産禁止なんてムチャクチャな法令が無いのは、やはり魔道技術という下地が社会基盤を支えているからなのでしょうね。
そして、空の置かれた状況・・・・・・一見ゆるやかな日常ですが、常に危機に囲まれて、姉は常時その危機と対峙しているという、実に過酷。
これからこの姉妹がどんな運命と向き合っていくのか、楽しみにさせていただきます。
この世界にも円環の女神の祝福と、白い魔王、黒い雷神、夜天の主(←NEW!)のご加護がありますように。

PS・>艦長職は子々孫々に受け継がれ、ウェルナーがいつしか訛ってヴェルナーになり………と。
何と言う運命の皮肉と言うか・・・・・・「化石の記憶(たがみよしひさ作)」みたいに、歴史が事態を修正しようと何度も干渉して、それに気付いた結達は、みたいな話も出来そうですね!

お読み下さり、ありがとうございまーす。

>GWは鬼門
GW頃は年度末やら年度の始め頃に立ったスレが再活性化する時期ですからねぇ。
まぁ、このスレは月に一回活性化すれば良い方ですがww

>アレックス
生きていたら、結と同年代の面子は87歳ですから、さすがに無茶かと思いまして……。
因みに他の面子も生きていたら、奏達年長組は89歳、ロロは88歳、一番若い一真ですら78歳と高翌齢です。
…………まぁ、メイ辺りは腰が90度曲がっても軽快に跳ね回ってそうなイメージがありますけどww
ともあれ、劇中で活躍するF・譲羽、本條、藤枝の血統は、全員が孫世代となります。

>出産禁止
人類の総数が一気に減ってますので、さすがに人類の首を絞めるような法律はありません。
この状況で出産禁止とかになると、市民のフラストレーションが爆発してしまいますので。
ただ、産児管理はしないと、食料配給に無駄が出てしまいますので新生児数の把握だけはしっかりと行っております。

>ディストピア物
小学生の頃から色々書いてましたけど、実は初挑戦ジャンルで武者震いと言う名の恐怖の震えが止まらナイナンテコトハナインダカラネ(((orz)))

冗談はさておき、可能な限り秩序的にと考え、市民から回収した魔翌力で各種プラントを操業させ、
半自動・機械化された生産形態による食料供給を行う事で、最低限の生活基盤が確立されています。
フロートに乗っているドーム自体が異常なほど大きくて広いので、食料生産には十分過ぎる余裕があります。
エネルギーに関しては、魔翌力をそのまま利用する形です。
しかし、そのままだと今ある物を延々と消費するだけの不健全な社会になってしまうので、
贅沢したい人間は稼げ、と言う形にもなっております。

………階級の不平不満さえ何とか出来れば、意外とバランスの取れた世界なのかもしれません。

>空の置かれた状況
この状況に慣れてしまった市民の一人、と言った体ですね。
災害も頻繁に起きれば、対処方法や“慣れ”が出て来る物ですし。
案外、そう考えると日常シーンは世界が狂っている証拠のようにも思えます。
また、継続作品の主人公と言う事で、交友関係・髪型等も意識的に第一部の結と似せています。

>姉
隊舎が次回登場予定なのですが、オペレーター達は基本的に隊舎の司令室勤務ですね。
メカニックになると、キャリアで一緒に現場に出向く事もありますが………。

>姉妹がどんな運命と
この辺りは三話までを一つの話と捉え、大体の解説や“序盤の起承転結”が出来ればと思っております。
今回は起承転結の“起”と“承の一部”と言った感じです。

>白い魔王、黒い雷神、夜天の主
単行本の折り込みで見ましたが、25日にINNOCENTの1巻が出ますね。
連載未読・コミック待ち派なのですが、プレシアさんがえらくファンキーでホットなママンになっているそうで今から楽しみですww

>それに気付いた結達は、みたいな話
それはそれで楽しそうなのですが、
この辺りの設定、自分も今になって気付いた事なのですが、
繰り返していそうに見えて、実は何の繰り返しも起きていないのです!ww

リーネの遺伝子に視点を置くと、一見して全ては繰り返しているように見えますが、
リーネの遺伝子自体は一端、過去へと戻る事でレオンハルトやレオノーラに繋がり、
クローニングを経て結達に繋がる事で、明日美や明日華が生まれ、
さらに結の孫達、と未来に繋がるようになっています。
レオンハルトとレオノーラの血統は、クローニングされるまで完璧に途切れる事になるので、
この兄妹からリーネに繋がると言う形はあり得なくなります。

過去に戻る事がある種の繰り返しを感じさせるのですが、明日美達をリーネの遠い子孫と考えれば、
悠久の時を経ても確実にその血統は未来に受け継がれる事で、“一本の繋がり”として完成しています。
つまり、リーネの遺伝子は“未来に繋がるために、過去に戻る必要がある遺伝子”と考える事が出来るのです。

最大の問題である、未来がより良い物として開かれて行くか否かは、これからの空達の活躍次第、と言う事ですね。

最新話を投下させていただきます

第2話~それは、獣にも似た『少女の咆吼』~


―1―

 早朝。
 メインフロート第一層、第二行政軍事区、ギガンティック機関隊舎――


 軍服らしい正装を身に纏い、白髪だらけの髪をバンドで纏めた老齢の女性が、
 同じデザインの服を身に纏った中年の白人男性を伴って、その廊下を早足で進む。

老女「状況は?」

男性「現在、反応は第三フロート第四層、第一フロート第二層、
   第六フロート第三層の三ヶ所で確認されています。

   第三には護衛に回していた08と09を回すように指示済みです」

 老齢の女性の問いかけに、中年の男性が丁寧に応える。

 現在、NASEANメガフロートは、
 イマジンの三ヶ所同時出現と言う非常事態に上へ下への大混乱となっており、
 ギガンティック機関も出撃に向けて慌ただしく動いている最中だ。

老女「第四層……工場区画はこの時間なら就業時間前ね。
   住宅地の第一、第六と合わせた各フロートの避難状況は?」

男性「第一、第六共に主街区から離れた外郭自然エリアだった事もあり、
   周辺地区住民を優先したシェルターへの避難誘導を、駐留している軍が行っています。

   第三フロートに関しては広域火災が発生、降雨システムによる鎮火を試みていますが、
   既に出勤済みだった作業員が多数取り残されているようです」

老女「……クァンとマリアを護衛任務に向かわせたていたのは、不幸中の幸いね」

 女性は返答を受けて思案げに返すと、
 手元の携帯端末を操作し、空中に二つの立体映像を投影した。

 立体映像は、イマジンの反応を示す赤い光点と、
 その周辺の直径二十キロの立体地図が映し出されている。

老女「………主街区までの距離はあるけれど、
   第一、第六共にメインフロートとの連絡通路に近いわね……。

   第一には01、11、12を、第六には06、07を向かわせなさい」

 状況を把握しつつ、女性は端末を通信モードに切り替えて指示を出す。

 それと同時に、二人は廊下の突き当たりにあるスライド式シャッターの前へと辿り着く。

 人の反応――と言うより魔力――を検知したシャッターが左右に開かれ、二人はその中へと入る。

 二人が入った部屋は、やや薄暗い証明に照らされた広い部屋で、
 正面には巨大なモニターが一つと、他にも幾つものモニターが左右の壁面にも張り巡らされていた。

 巨大モニター上部のコンディションセンサーが赤く点灯し、
 現在が第一級警戒態勢――コンディションレッドである事を示している。

 固定型端末と一体になったシートに腰掛けた、
 十名以上のオペレーターが慌ただしく作業を行っていた。

 オペレーター達は、二人とはややデザインの違う軍服を着ている。

オペレーター1「01は市街戦を想定して装備変更して下さい」

オペレーター2「06ハンガー、07ハンガー、各種OSS、搭載と連結を確認。
        リニアキャリア二号、発進を許可します」

オペレーター3「11ハンガー、12ハンガー、リニアキャリア3号との連結を確認しました。
        01ハンガーの連結を急いで下さい」

 オペレーター達は各部署から上がってくる報告を読み上げ、指示を出す。

老女「タチアナ、発進状況は?」

 老齢の女性は部屋の中央に置かれたシートに腰を下ろしつつ、
 正面に座るプラチナブロンドの女性に声をかける。

タチアナ「はい、司令。
     ご指示通り、06、07共に標準装備で、二号キャリアにて発進。
     01、11、12は三号での発進準備中です」

 タチアナと呼ばれた女性は、簡潔に尋ねられた状況に応えた。

老女(司令)「三号の発進を急がせて」

 一方、報告を聞いた老齢の女性は、深くシートに腰掛け、小さく息を吐く。

 今までの状況、タチアナが呼んだ“司令”の名から、
 彼女がこのギガンティック機関の司令官で間違いないようだ。

司令「………まさか、三体同時に侵入されるとは思ってもいなかったわ……」

男性「ここまでの規模となると……二十五年ぶり、ですかね?」

 溜息がちに漏らした司令の傍らで、中年の男性が思案げに呟く。

司令「……正しくは二十六年ぶりよ、副司令」

 司令は中年男性……副司令の言葉を訂正する。

 二十六年前にも、メガフロートは三体のイマジンの侵入を許し、
 その際に九機しか存在していなかった第二世代ギガンティックの内、
 稼働状況にあった五機中、一機が完全破壊されると言う事態に陥った事があった。

司令「……あまり、そう言う失敗は思い出したくないものね……」

 司令は肩を竦めて、やや大きめの溜息を漏らす。

男性(副司令)「失言でした……」

 副司令は半歩下がって、深々と頭を下げる。

司令「気にしなくていいわ……事実なのだから」

 頭を下げる副司令に、司令は苦笑いを浮かべて諫めた。

 と、その時――

オペレーター3「01ハンガー、連結確認しました!」

 一番左端に座った女性オペレーターがそんな報告を上げる。

司令「よしっ、リニアキャリア三号、発進を許可!」

オペレーター3「了解、リニアキャリア三号、発進を許可します!」

 司令の指示を受け、オペレーターが当該部署に指示を伝達した。

オペレーター4「一号キャリア、現着確認!」

オペレーター5「二号キャリア、現着まで残り五分!」

オペレーター6「三号キャリア、下層移動に入ります!」

 司令から向かって左手前の三人のオペレーター達が、
 次々にキャリアの現状を告げる。

司令「二号キャリア、06と07に繋いで。メインは06へ」

オペレーター7「了解。コックピットとの直通回線を繋ぎます」

 司令の指示を受け、右側手前のオペレーターの一人が通信回線を繋ぐ。

女性『御用ですか、司令?』

 直後、司令の端末のディスプレイに二十台前半と思しき、
 大人しい雰囲気の女性の顔が映された。

司令「風華、OSSの接続を許可します。
   接続後、先行して軍と合流、瑠璃華が到着するまで時間を稼いで」

女性(風華)『了解しました』

 風華【ふうか】と呼ばれた女性は、司令の指示に頷いて応える。

 風華の返事を聞くと、司令は手元の端末を操作してメインを切り替えた。

司令「瑠璃華、聞こえていた?」

少女『聞こえてたぞ、ばーちゃん!』

司令「作戦中にばーちゃんは止めなさい」

 まだ幼さすら感じる元気そうな少女――瑠璃華【るりか】の返答に、
 司令は溜息がちに窘め、さらに続ける。

司令「あなたはそのままキャリアで移動。
   現着後、即座にOSSを接続して戦闘開始よ」

少女(瑠璃華)『はーい……了解しました~』

 窘められた事が癪に障ったのか、瑠璃華はどこか不満げに応えた。

司令「作戦中よ、真面目になさい」

瑠璃華『むぅ……了解ですっ!』

 立て続けに諫められたが、さすがに正論には反論のしようもなく、
 瑠璃華は気を取り直してやや乱暴に返事を返す。

司令「……まったく、あの子は……」

 通信回線を切ると、司令は盛大な溜息を漏らした。

副司令「手の掛かる“お孫さん”ですな」

司令「根は良い子なのだけどねぇ……」

 微笑ましげに呟く副司令に、司令は溜息がちに返す。

 しかし、すぐに気を取り直して右手に向き直った。

司令「三号キャリア、01に繋いで」

オペレーター7「了解しました。01直通回線、開きます」

 続く指示で、別のコックピットの様子がディスプレイに映し出される。

 だが、姿が見えない。

司令「? どうしたの? 隊長?
   コックピットにいないの?」

隊長『あ、司令、申し訳ありません。
   現在、起動最終点検中です。このままの態勢で失礼します』

 慌てた様子で尋ねる司令に、隊長と呼ばれた女性の声だけが聞こえた。

司令「そう……。
   第一フロートのイマジンの情報はまだ詳細が上がっていないわ。
   ドッキングは現場判断に任せます」

隊長『了解しました』

 司令の指示に隊長が応え、そこで通信が終わる。

司令「………ドライバーとオペレーター全員を泊まり込みにさせていたのは、
   どうやら正解だったようね」

副司令「ええ……、内心驚きを隠せませんが、
    いつになくスムーズに出撃できました」

 一旦の指示を出し終えた事で一息ついた司令に、副司令が同意の言葉を呟く。

 ドライバーとオペレーター全員を泊まり込みとは、
 一昨日、海晴が空に告げていた第三フロートの隔壁修理に関する宿直態勢の事だ。

 万が一に備えての非常勤務態勢だったが、
 それが功を奏すような事態が起きるとは、想定の範囲内でも勘弁願いたい所である。

司令「……ロイヤルガードは?」

タチアナ「02、10共に万が一に備えて待機するとの事です」

 司令が思い出したように尋ねると、
 既に先方からの連絡を受けていた事もあって、タチアナが応えた。

 司令は“そう……”と短く返し、思案気味に大型モニターに目を向ける。

 現在、稼働状況にある第二世代ギガンティックは、
 ギガンティック機関所属の七機と、皇族親衛隊であるロイヤルガード預かりの二機だ。

 ギガンティック機関発足後……いや、メガフロート籠城戦始まって以来の高い稼働率ではあるが、
 その九機全てにスクランブルがかかるような事態にだけはなって欲しくない物である。

司令「全機出撃の上、臣一郎や茜の手を借りる状況なんて、
   あまり考えたくはないわね……」

副司令「まあ、ロイヤルガードの最優先は皇宮警護ですからね……」

 僅かに身震いした司令の声に、副司令が続く。

 こんな状況でも、いや、こんな状況だからこそテロが起こる可能性はあり得るのだ。

 そうなれば、警察組織や皇宮警察を母体とするロイヤルガードの任務は、
 市民の安全と皇族の安全を優先し、テロと相対する事にある。

 今日くらいは、テロリスト達にも大人しくシェルターで震えていてもらいたい。

 司令がそんな事を考えた瞬間だった。

オペレーター8「第七フロート第二層でテロ発生!
        テロリストの物と思われる大型ギガンティックが確認されたそうです!」

 右手前にいるオペレーターの一人から上がった報告に、
 司令は眉間に指を押しつけて盛大な溜息を漏らす。

タチアナ「軍は各フロートの外郭部に展開して防衛中……手が足りないわ」

 戦況と情報を照らし合わせながら、タチアナが思案げに呟く。

オペレーター9「02のスクランブルを確認!
        緊急事態につき、10は皇宮にて待機警護に入るそうです!」

副司令「これで、こちらも、もう手が足りませんな……」

 続くオペレーターの報告を聞き、副司令が重苦しく呟いた。

司令「……止めなさい。噂をすればイマジンが出るわよ……」

副司令「ごもっともで」

 肩を竦めた司令の言葉に、副司令も肩を竦めて溜息がちに頷く。

 噂をすればイマジンが出る――噂をすれば影が差すから転じた言葉であろうが、
 成る程、人の感情……特に恐怖から生み出されたとされるイマジンへの、人々の警戒の深さが窺える。

司令「各フロートの避難状況は?」

オペレーター7「現在、全フロートの一級市民の避難は完了。
        二級市民の避難状況は全フロート平均で六十五パーセント、
        三級市民の避難状況は同平均で四十五パーセントとなっています」

 司令の問いかけに、右手奥のオペレーターの一人が応えた。

司令「……あまり芳しくないわね……」

副司令「何分、早朝でしたからね……。
    出勤、通学中の市民が多かったためと思われます」

 溜息がちな司令に、タチアナはシートに座ったまま振り返りながら応える。

 自宅を出た直後の警報に驚き、慌てて自宅に引き返した者も何割かはいたのだろう。

 結果的にそれが避難の遅れに繋がっているようだ。

オペレーター5「二号、現着確認しました!」

オペレーター4「三号、現着推定時刻まで残り二分!」

 左手前のオペレーター達が、ギガンティック運搬用リニアキャリアの現状を伝えて来る。

司令「………さて、何事もなく終わってくれればいいけれど」

 司令は眉間に皺を寄せつつ、神妙な様子で呟いた。

―2―

 同じ頃、メインフロート第七層、第一街区――


 空を含む東京第八小中学校の生徒達は、
 学校の敷地からそう遠くない距離にあるシェルターへと急いでいた。

空「雅美ちゃん、佳乃ちゃん!」

 シェルターへと向かう最中、親友達の背中を認めた空はそちらに駆け寄る。

佳乃「空!」

雅美「空さん!」

 背後から声をかけられ、二人は驚いて振り返った後に安堵の表情を浮かべた。

空「二人共、大丈夫? ケガとかしてない?」

佳乃「まぁな……。
   ったく、家出てすぐにコレだもんな、参るぜ……」

雅美「私も……。空さんは大丈夫でしたか?」

 二人は空の質問に答え、雅美はそう問い返す。

空「私も、校門くぐってすぐに警報が鳴ったから、
  パニックになった時に、ちょっともみくちゃにされたけど、ケガは無いよ」

 空は質問に答えながら、警報発令直後の状況を思い出していた。

 警報発令後、直ぐに複数体のイマジンが出現したとの報せが、
 全員の携帯端末へと届いたのだ。

 イマジンのメガフロート内への侵入は年に一、二度ほどなのだが、
 一度に三体ものイマジンが侵入したのは、二十六年前……2048年以来の事である。

 近代史の授業でも習う大事件であり、
 その際には二万人以上の死者が出たと言われていたが、正確な数字は不明だ。

 それほどの惨事となった状況と同じと言う事もあり、中にはパニックを起こした生徒もいた。

 空もその生徒の波に攫われかけたが、警察の避難誘導隊が間に合った事で何とかパニックも収拾され、
 こうして避難シェルターへと向かう事が出来たのだ。

佳乃「三体か……大丈夫かな……」

 佳乃は珍しく弱気な声で、不安そうに呟く。

空「昔と違って、今はギガンティック機関のギガンティックも七体いるし、
  ロイヤルガードにも二体いるって言うから、きっと大丈夫だよ」

雅美「空さんの言う通りです。
   それに、軍にもギガンティック部隊がありますし」

 励ますような笑顔で言った空に、雅美も落ち着いた様子で続ける。

佳乃「そ、そうだよな……大丈夫だよな」

 友人二人の言葉に、佳乃は次第に笑みを取り戻して行く。

 不安の全てが消えたワケではないが、
 少なくとも、不安を表に出さずにいられる程には安心できた。

 そうこうしている間に、シェルターの入口が見え始めた。

避難誘導隊員1「慌てないで、三列になって入って下さい!」

避難誘導隊員2「シェルターは十分な居住スペースと食糧、備品が確保されています!」

 入口周辺では、避難誘導隊の隊員達が人員整理を行っているようで、
 整然と並んだ市民達がシェルター内へと入って行く。

空「これ見る度に、避難訓練は重要だな、って思うよね」

佳乃「ああ、言えてらぁ」

 ぽつりと不意に漏らした空の言葉に、
 佳乃は同意の言葉を漏らし、雅美も頷いて同意した。

 三人は並んでシェルター内へと入ると、手近にあった空いているブースに入る。

 一家庭四人分まで一つ所に入れるように設計されたブースは、
 三人で使うには十分過ぎる広さを持っていた。

佳乃「やっと落ち着けるな……」

 佳乃は溜息混じりに呟くと、クッション性の高い在室で出来た床に腰を下ろす。

 雅美も彼女の近くに腰を下ろし、携帯端末を取り出して教科書アプリケーションを起ち上げる。

雅美「一時間目は数学ですね……」

空「雅美ちゃん、真面目だね……っと、私も予習しようかな?」

 感心したように呟いた空だったが、
 気を取り直して彼女も教科書アプリケーションを起ち上げた。

佳乃「………むぅ、何かアタシだけ不真面目みたいじゃん」

 既に暇つぶしの娯楽アプリケーションを起ち上げようとしていた佳乃は、
 親友二人が自習を開始してしまった事もあり、
 不承不承と言った風に教科書アプリケーションを起ち上げる。

空「まあ、授業時間中くらいは、流石にね」

 空は苦笑い混じりに言って、教科書に目を落とす。

空(お姉ちゃん、大丈夫かな……?)

 今日の授業で習う予定だった数式を眺めつつ、
 空は任務中であろう姉の事に思いを馳せた。

 任務中と言っても、姉・海晴の仕事はオペレーターだ。

 危地に向かうドライバーではないので、万が一と言う事は考えにくいが、
 それでも心配してしまうのは姉妹故と行った所だろう。

 と、不意にブースの入口で人の気配を感じて向き直る。

男子生徒「っと、朝霧、佐久野、牧原、いるな」

 そこにいたのはクラス委員長の男子生徒だ。

雅美「どうされました、委員長?」

 こちらも委員長の存在に気付いた雅美が、怪訝そうに尋ねた。

男子生徒「ああ、点呼だよ点呼。
     一応、普段なら学校の時間だから、ってさ」

佳乃「ふぅん、ごくろーさん」

 おそらく、口ぶりからして担任ないし、学校側からの指示なのだろうと察して、
 佳乃はどこか戯けた調子で激励する。

男子生徒「あいよ……。

     っと、そう言やお前ら、瀧川知らないか?
     アイツだけ見付からないんだけど」

佳乃「ハァ?
   委員長、アタシらと瀧川の折り合いが悪いのなんて知ってんだろ?」

 委員長の問いかけに、佳乃は呆れたような声音で返す。

男子生徒「だよなぁ……。
     ったく、何処行ったんだ、アイツ……」

 対して、委員長は深いため息を漏らしながらトボトボとブースから遠ざかって行く。

佳乃「カーテン閉めようぜ」

 委員長の背中を見送ると、
 佳乃はそう言いながらブース入口のカーテンを閉じた。

 二千人規模で入る事の出来るシェルターは、
 八百ほどのプライベートブースや、医療施設等からなる多目的空間だ。

 プライベートブースが存在するのは、状況如何では長期間の生活を強いられる事もあって、
 二十年ほど前から常設されるようになっていた。

 各ブース入室者の名前は、携帯端末がセンサーで検知される事で記名される方式であるため、
 今後はカーテンを閉じたままでも確認は出来るだろう。

空「瀧川さん、どうかしたのかな?」

佳乃「寝坊でもして、自宅近くのシェルターにでも入ったんじゃねぇの?」

 不安げな空の問いに、佳乃は僅かに溜息を交えて返した。

雅美「とりあえず、メインフロートにイマジンが出現したと言う話はないようですし、
   今すぐに何かがあるとは思いませんけど……」

 一方、雅美はインフォメーションを確認しながら答える。

 仮に事故か何かの類に巻き込まれたのなら、警察組織や救急隊の出番だろうし、
 本当に事故に遭っていたとしたら、今頃はシェルター内の医療施設にいるハズだ。

 だとすれば、佳乃の言う通り、瀧川は別のシェルターにいると考えた方がいいだろう。

??「ちょっと、非常時なんですのよ!?」

 と、不意に廊下から聞き慣れた声が聞こえて来た。

 どうやら、件の瀧川らしい。

佳乃「噂をすれば何とやらだな……」

 佳乃も気付いたらしく、どうやら間違いないようだ。

雅美「何やら不穏な雰囲気ですね」

 しかし、雅美は瀧川の声に何かを感じ取ったらしく、そんな言葉を漏らした。

空「ちょっと、見てようか?」

 空はそう言って立ち上がると、カーテンを少しだけ開き、
 隙間から頭だけを出して外の様子を見遣る。

 入口の方で、シェルター責任者と思しき大人と瀧川が言い争っているようだった。

責任者「そうは言ってもね……、もうここは定員一杯なんだよ。
    その子はまだ小さいからともかく、受け入れられる余裕はあと一人だけなんだ」

真実「ですから! ケガをされている方と、この子だけでも構いません!
   定員なのでしたら、私は別のシェルターに参ります!」

 困った様子の責任者に、瀧川が食ってかかる。

 瀧川の傍らには、ケガをした女性と幼い少女がいた。

 女性と子供は、見た所、親子のようだ。

 腕をケガして蹲っている母親に、
 幼い少女が不安そうに縋り付き、瀧川を不安げに見上げている。

 瀧川がシェルターを去ろうとすると、
 少女は彼女のスカートの裾を掴んで、必死に引き留める。

佳乃「何だ何だ?」

雅美「何かトラブルでしょうか?」

 いつまで経っても顔を引っ込めない空の様子が気になったのか、
 佳乃と雅美も顔を出す。

空「瀧川さん!」

 入口の様子を不安げに見ていた空は、遂に居ても立っても居られなくなり、
 ブースの外に飛び出し、駆け出した。

真実「あら……」

 空の姿を認めた瀧川は、驚いたようなばつが悪いような複雑な表情を浮かべる。

幼い少女「おねぇちゃん……」

 新たな人物の登場に、幼い少女は瀧川の後ろに身を隠す。

空「お姉ちゃん?」

真実「………母と妹です」

 怪訝そうに首を傾げた空に、瀧川は僅かに戸惑った後にそう答えた。

佳乃「お袋さん、ケガしてんのか?」

 空に僅かに遅れてその場に辿り着いた佳乃が、
 心配そうに蹲っている女性――瀧川の母の様子を覗き込んだ。

真実の母「ハァ……ふぅ……真実、こちらの方は?」

 腕を押さえて苦しそうに呟く瀧川の母は、空達に視線を向ける。

真実「………その」

 母に尋ねられ、瀧川は口ごもる。

 普段から仲の良くない相手なので、どう紹介して良いか躊躇しているようだ。

雅美「申し遅れました。
   私達、真実さんのクラスメートです」

 最後に駆け付けた雅美が、状況を察して答える。

真実の母「そうでしたか……いつも、娘がお世話に……ぅっ!?」

 丁寧に答えた雅美に挨拶を返す途中、瀧川の母の顔が苦悶に歪んだ。

真実「お母様!?」

 瀧川は慌てた様子で腰を下ろし、不安げに母の顔を覗き込む。

空「ケガ、酷いの?」

真実「ええ……。
   跳ねとばされた妹を庇おうとした時、壁にぶつけて、
   腕を折ってしまったようで……」

 空の質問に、瀧川は不安と焦燥の入り交じった声と表情で答える。

佳乃「じゃあ、早く医務室に運ばないとヤバいんじゃないか!?」

 母親の容態を聞かされた佳乃が、慌てた様子で言った。

 だが、既に搬送の手配はされているようで、ストレッチャーを持った医療局員が現れ、
 瀧川の母をストレッチャーに乗せて運んで行く。

 その様子を不安げに見送りながら、
 だが何とか一段落ついた事で、瀧川は僅かに胸を撫で下ろした。

 瀧川は膝を折り、妹と視線の高さを揃える。

真実「歩実、お姉ちゃんは別のシェルターに行くけど、
   一人で大丈夫ですわね?」

幼い少女(歩実)「おねぇちゃん……やぁ……」

 言い聞かせるような瀧川の言葉に、
 彼女の妹――歩実【あゆみ】はイヤイヤをすように何度も頭を振った。

真実「もう……我が儘を言わないで?」

 そんな妹の様子に、瀧川は困り果てたように溜息を漏らす。

 年の頃は四歳か五歳くらいだろうか?

 彼女たちの母親の容態からして、治療が終わるまでは出て来れないだろうし、
 それも数分で終わるような類の治療ではない。

 姉がこの場を離れたら、長い間、
 一人きりでいなければいけないと言う事は何となく理解しているのだろう。

 イマジン三体出現と言う状況で、周囲の大人達も半ば浮き足立っており、
 大人達の不安な様子は、幼い少女の心細さを助長するには十分だった。

空「あの、一人くらいどうにかならないんですか?」

 歩実の不安そうな様子を見かねた空が、責任者の男性に問いかける。

責任者「そうは言ってもね……。
    緊急用の食糧の備蓄には厳しい人数制限が……」

佳乃「別にいーじゃん、減るモンでもあるまいし」

 困ったように言いかけた責任者の言葉を遮って、佳乃が不満げに言った。

雅美「食糧は間違いなく“減る物”ですよ、佳乃さん」

真実「あなたって人は……」

佳乃「こ、言葉の綾だよ!」

 しかし、親友とクラスメートが盛大な溜息を交えてそう呟くと、
 佳乃は顔を真っ赤に染めて慌てて付け加える。

 佳乃の言い分も、確かに一理あった。

 いかに人数制限があるとは言え、
 シェルター内には二千人が一週間は食べていけるだけの食料が備蓄されている。

 だが、仮にイマジンとの戦闘が長期戦になった場合、
 その定量の食料で人数分以上を食べされて行けるだけの余裕はないし、
 一食分も腹一杯食べられるだけの量ではなかった。

 一人二人増えた程度で、と言う佳乃の言い分も理解は出来るが、
 万が一の事を考えれば、余分な人間を受け入れられる余裕も無い。

 そして、責任者には文字通り、そうなった際の責任があるのだ。

雅美「受け入れは難しいのでしょうか?」

責任者「うぅ~ん……」

 雅美の問いかけに、責任者は対応に窮したように唸る。

 彼としても、人情的には瀧川を受け入れたいが、規約上致し方ないと言った所なのだろう。

空「あの、それなら誰か一人が、
  代わりに別のシェルターに行けばいいんですよね?」

 二進も三進もいかなくなった状況に、空が意を決して声を上げた。

責任者「確かに、理論上はそうだが……。
    けれど、この回りで二級市民向けのシェルターに空きなんて……」

 一旦は頷いた責任者だったが、すぐに困ったような声を漏らす。

 しかし、空は携帯端末の画面に身分証名を表示し、責任者に見せた。

空「特例二級市民の朝霧空です。
  特例二級なら、一級市民向けシェルターにも入れますよね?
  だから、私が代わりに外に出ます」

真実「朝霧さん……!?」

 空の言葉に、最初に驚きの声を上げたのは瀧川だ。

佳乃「お、おい、空、何言ってんだよ!?」

雅美「空さん、何もあなたが出なくても!」

 続いて、佳乃と雅美が声を上げる。

 瀧川と同じクラスになってから、まだ五日目。

 その間、幾度となく厭味を言われたのは、他ならぬ空だ。

 瀧川にもその自覚はあるのだろう。

 困惑の余り、二の句が告げないと言った様子だ。

 空は瀧川の傍らで膝を屈め、歩実の顔を覗き込む。

空「歩実ちゃんは、お姉ちゃんの事、好き?」

歩実「……うん」

 見知らぬ人に問いかけられながらも、歩実はおずおずと頷く。

空「お姉ちゃんにもね、大好きな自慢のお姉ちゃんがいるんだ。
  だから歩実ちゃんの気持ちはよく分かるよ。
  お姉ちゃんと離れ離れになるのは、嫌だよね?」

歩実「うん……。おねぇちゃんと、いっしょがいいです」

真実「ちょ、ちょっと歩実!?」

 続く空の質問に答えた妹の言に、瀧川は窘めようと声を上げた。

 だが、それは空によって手で制される。

空「瀧川さん、代わりにシェルターに入ってよ」

真実「………恩を、売るつもりですの?」

 空の言葉に、瀧川は立ち上がって不機嫌そうに尋ねる。

空「えっと……そうなるの、かな?」

 一方、空は僅かに思案した後で、苦笑い混じりに答えた。

空「だから、これからは喧嘩はやめようよ。
  これから一年間、クラスメートとずっと喧嘩するなんて、嫌だし。
  来年も同じクラスだったら、二年間でしょ?」

真実「…………」

 続く空の言葉に、瀧川は少し顔を俯けて視線を逸らす。

 困ったような、怒ったような、そんな微妙な表情を浮かべて、
 何かを考え込んでいるようだ。

 空が言ったのは、半分は建前である。

 厭味を言われるのは哀しかったが、クラスメートと険悪な関係と言うのは、
 初等部三年生の頃に肩身の狭い思いをした――
 今でもそんな思いを抱えている――空には、やはりどこか耐え難い気持ちもあった。

 それに、今はまだ良くとも、そんな関係が続けば、いつかは誰か……
 おそらくは瀧川が孤立してしまう事は想像に難くない。

 友人達に情深い性格とは言え、
 あんな態度を続ければ彼女の友人達との関係にだってヒビが入るだろう。

 大勢の人間がいる教室で孤立する心細さは、空には痛いほど分かっていた。

 自分がそうなるのは二度と御免だし、
 他の誰かにだって、そんな思いを味わってなど欲しくない。

 関係が修復不可能になってからでは遅いのだ。

佳乃「喧嘩って、お前なぁ……」

 空の言葉に、佳乃は呆れたような声と共に溜息を漏らした。

雅美「佳乃さん」

 そんな親友の様子に、雅美は声をかけてその先を口にするのを制する。

 幼い子供が、それも当事者の妹がいる前で口にして良い話題ではないと、
 雅美にも分かっているのだろう。

佳乃「はいはい……。ったく、お人好し共め」

 佳乃は口では乱暴に言いながらも、
 その“お人好し共”に庇ってもらった事もあり、
 そんな二人だから自分の親友なのだと理解もしているため、
 どこか悟ったように穏やかなな表情を浮かべた。

 雅美も既に空の考えは理解しているのか、見守るような暖かい視線を向けて来る。

空「そう言うワケだから、安心して使って、瀧川さん」

 親友二人の同意を得て、空は笑顔で応えた。

真実「…………お礼は、言いませんわよ」

 瀧川はそっぽを向いたまま、苛つき半分と言った風に返す。

空「うん、いいよ。
  だって、クラスメートに……友達に親切にするのは、当然だもの」

真実「と、友達!?」

 どこか悪戯っ子のような微笑みを浮かべて返した空の言葉に、
 瀧川は素っ頓狂な声を上げた。

 だが、空は敢えてそんな瀧川を無視して、歩実に向き直る。

空「じゃあ、歩実ちゃん、お姉ちゃんの鞄の中にお昼のお弁当が入ってるから、
  お腹が空いたら、お姉ちゃんの代わりに食べていいからね」

歩実「はぁい」

 空が満面の笑顔を浮かべて言うと、
 その頃には歩実の警戒心も解け、穏やかに応えてくれた。

佳乃「よぉし! じゃあアタシらもコレで手打ちだな!」

 佳乃はそう言ってニンマリと戯けたような笑みを浮かべ、瀧川の肩に手を回す。

真実「え? な、何ですの、藪から棒に!?」

 突然肩を組まれた瀧川は、狼狽した様子で佳乃を見遣る。

佳乃「んじゃ、空、アタシと雅美とで、根掘り葉掘り色々聞いとくからな~」

 だが、佳乃はそんな瀧川の抗議の色を含む声に耳を貸した様子もなく、
 空に向けて手を振った。

真実「ちょ、ちょっと、牧原さん!?
   朝霧さんも、佐久野さんも、何とか言って下さい!」

雅美「では空さん、荷物はこちらでお預かりする、と言う事で宜しいですか?」

空「うん、走らなきゃいけない時に邪魔になるかもしれないし、お願いね。
  避難が解除されたら、取りに来るから」

 和解したクラスメートと親友の様子を微笑ましそうに見遣りながら、
 雅美と空は言葉を交わす。

雅美「それでは、歩実さん、私達と一緒に行きましょう」

歩実「はいっ」

 伸ばされた雅美の手を取って、歩実は元気よく頷いた。

 どうやら、少しは彼女の不安も晴れたようだ。

 そうして、歩実は雅美に手を引かれ、瀧川は佳乃に半ば強引に引っ張られるようにして、
 先程まで自分達の居たブースへと戻って行った。

空「じゃあ、そう言う事ですから」

責任者「あ、ああ……」

 笑顔を浮かべる空に、責任者の男性は呆気に取られたように頷く。

 二人はすぐにシェルターの退出手続きを始める。

 そして、手続きが終わる頃には、彼も何とか気を取り直し――

責任者「友達思いなんだね、君達は」

 ――と、声をかけて来た。

空「はい、自慢の友達です」

 空は少しだけ得意げな笑顔で応える。

 自分には勿体ないほどだと思えるほど、素敵な友人達だ。

 今日も、新しく一人の友人が加わった。

 今まで話さなかった事を、姉は怒るかもしれないが、
 出張が終わって戻って来たら、伝えよう。

 今まで険悪だったクラスメート……真実と、友達になれた事を。

 そんな事を考えながら、空は三重のシャッターをくぐり抜け、
 シェルターの外に駆け出した。



 シェルターの外――商店街に出た空は、
 立ち止まって携帯端末を取り出した。

空「さて、と……、二級か三級で空いてるシェルターは、っと……」

 緊急インフォメーションサービスにアクセスし、避難シェルターの空き状況の確認を始める。

 責任者にはああ言ったが、
 空に一級市民向けシェルターを使う気はさらさら無かった。

 特例二級市民には、確かに一級市民向けのシェルターを使っても良い権限がある。

 ギガンティック機関や軍関係者の身元保護プログラムの一環で、
 安心して任務に当たれるようにとの配慮による物だ。

 だが、本来は三級市民でしかない空は、
 二級市民向けのシェルターを使うのも憚られる思いだった。

 あの場でああ言ったのも、責任者を納得させるための方便だ。

 私服姿なら迷うことなく、自宅近くの三級市民向けシェルターに行っただろうが、
 二級市民向け学校の第八小中学校の制服姿と言う事もあって、
 他の三級市民の人々を刺激しないために二級市民向けシェルターを使ったに過ぎない。

 そう、上位階級の市民には、
 下位階級の市民向けのシェルターを優先して使う権利も与えられている。

 尤も、あくまで緊急避難的な措置であって、好んでその権限を使う人間もいない。

空(出来たら二級市民向けがいいんだけど、近所は三級向けも殆ど埋まってるなぁ……)

 いざとなったら自宅に戻って着替えて三級市民向けシェルターに、
 などと考えていた事もあって、外れた当てに空は肩を竦めた。

空「あ……」

 二級向けシェルターのリストに空きを見付け、空はそのシェルターの情報を確認する。

空(再開発地区のシェルターだ。空きは千人……。
  うん、これなら後から入っても誰も文句は言わないよね……)

 空は情報を確認しながら胸中で呟く。

 再開発移築は、今、自分がいる商店街とは、
 構内リニアの駅を挟んで反対側の地区だ。

 距離にして二キロほど。

 三〇分も歩かずに辿り着ける距離である。

 走ればもっと早く辿り着けるだろうし、途中で避難誘導隊の巡回車両に遭遇できれば、
 さらに短い時間で辿り着けるだろう。

空「よしっ!」

 空は意を決して、無人となった町を走り出した。

 十分後――


空「はぁ……はぁ……ふぅ……」

 こんな時ほど、楽観的な当てと言うのは外れてしまうものである。

 結局、再開発地区までの孤独なマラソンを満喫してしまった空は、
 肩で息をしながら辺りを見渡す。

 携帯端末のナビゲートシステムは、解体工事中のビル群の奥を指していた。

空「えっと………、こっち、だね」

 ようやく息を整えた空は、ナビゲートシステムに従って進む。

 この辺りは以前、メインフロート第七層第一街区の官庁街だったのだが、
 戦後の急造と言う事もあって早々とした老朽化に伴って去年までを目処に別区画へと移転し、
 総合アミューズメントパークの建設が予定されていた。

 マギアリヒトによって構築された建造物の解体はシンプルで、
 建材状に構築されたマギアリヒトを術式によって分解し、回収すると言った方法だ。

 作業中の見た目は、旧世紀、魔法を用いなかった頃と似ており、
 工業用の重機や大型パワーローダーを用いて、術式を打ち付けて分解して行くのである。

空「うわぁ……こんな大きなパワーローダーまで使ってるんだ……」

 空は間近に聳える三〇メートル級パワーローダーを見上げて呟く。

 パワーローダーは半世紀近くも前に、山路重工――その頃は山路技研工業だった――が、
 旧魔法倫理研究院の技術者達と共同で開発した、いわゆる魔導機人の一種だ。

 現場で再構築――即ち召喚――を使わず、やや取り回しは悪くなったものの、
 低魔力の人間でも扱える人型作業機械で、ギガンティックの原形とも言える存在である。

 その後、世界大戦などで軍事転用された事もあって山路技研工業は急成長を遂げ、
 現在の山路重工となり、今や軍と連携してギガンティック開発や製造も行う大企業だ。

 創業者は当時、二人の年若い女性だったと聞いているが、詳しい話は空も知らない。

 戦中や終戦直後は死の商人などと蔑まれた時期もあったらしいが、
 対イマジン防衛の基幹を担うギガンティックやパワーローダーの開発元と言う事もあって、
 現在では世界になくてはならない会社の一つとして挙げられる。

 閑話休題。

 まあ、要はパワーローダーとは多用途人型作業機械の事だ。

 この辺りは背の高いビルも多いため、
 目の前にあるような超大型パワーローダーも入っているのだろう。

 空が今までに見た事がある実物で最も大きかったパワーローダーは、
 初等部高学年の頃、社会科見学で行った軍演習場で見た十五メートル級の軍用機だった事もあり、
 サイズも赴きも違うパワーローダーに見入ってしまった。

空「ずんぐりむっくりで、案外、可愛いかも」

 巨大な体躯を支えるためか、身体の大きさや腕の長さに比べて足の短い――
 まるで超短足の相撲取りのような――黄色い巨体を見上げて、空は微笑ましそうに呟く。

 都市部ではそう何度もお目にかかれる物でもないしと、
 空は休憩がてら、記念としてフォトデータにその雄姿を記録した。

 撮影を終えた空は、我ながら暢気な物だな、と考えながら、改めて先を急いだ。

 まあ、こうして暢気でいられるのも、自分のいるメインフロートにはまだ被害が無い事も有り、
 市民に開示されている範囲では目立った被害の情報が入って来ていないと言う事、
 さらに姉も所属しているギガンティック機関や軍隊が何とかしてくれるだろうと言う、
 ある種の信頼が成せる業だった。

 しばらく走ると、空はようやくシェルターの入口に辿り着く。

 入口のシャッター側面のランプは、空きがある事を示す緑色に点灯していた。

空「良かった……大丈夫そう」

 まあ、こちらに向かう前から分かり切っていた事ではあったが、
 空は改めてシェルターの空きが確認できた事に、安堵の声を漏らす。

 空はシェルターに駆け寄ると、また少し乱れた呼吸を整えてから、
 シャッター脇に据え付けられた端末に自分の端末を翳した。

 これで内部の責任者を呼び出して、中に入れて貰えるハズだ。

 しかし、反応は無い。

空「あれ? ……どうしたんだろう?」

 空は怪訝そうな声を漏らし、再び携帯端末を翳す。

 認識音らしき電子音は鳴るが、一向に中からの反応は無い。

空「………? もしもーし」

 空は訝しげに小首を傾げると、通信回線が繋がっている事を確認して、
 携帯端末ごしに内部に呼びかける。

 だが、ザァザァとノイズだけが鳴り響き、返事は返って来ない。

空「……中の通信機が壊れてるのかな?」

 空は据え付けの端末の前に立って、指先でコンコンと叩く。

 その瞬間だった。

 バキンッ、と言うけたたましい音と共に、
 すぐ真横のシャッターが吹き飛んだ。

空「………え?」

 一瞬、何が起こったか理解できず、空は呆然とそちらを見遣った。

 五メートル四方、厚さ二メートルはあろうかと言う、
 マギアリヒトで組み上げられた特殊合金製、
 魔力遮断能力を持った頑丈過ぎるシャッターが、
 ひしゃげて真後ろの巨大なビルに叩き付けられている。

 ビルは二階部分までがひしゃげたシャッターの形に崩壊していた。

 空はそこでようやく、
 自分がシャッターが吹き飛んだ衝撃で大きく吹き飛ばされていた事に気付く。

 吹き飛ばされた時にアスファルトに打ち付けたのか、腰に鈍い痛みが走る。

空「ッ……くぅ……」

 痛みを堪えて立ち上がった空は、
 シャッターの吹き飛んだシェルターの入口に目を向けた。

 そこで驚くべき物を目にする。

空「ひっ……!?」

 シャッターがあった付近に、何かが転がっていた。

 その何かが本来は何であったか、何処にあるべき物で……
 いや、何“者”だったかと言う事に気付いて、空は短い悲鳴を上げる。

 そう、転がっていたのは千切れた人体の一部だったのだ。

 入口付近に叩き付けられてこびり付いた血や贓物の欠片が、
 びちゃりびちゃりと不快で不気味な音を立てて地面にしたたり落ちていた。

空「あ……あ、ひぁ……」

 この世の物ざると言うべき光景を目の当たりにし、
 恐怖で顔を引き攣らせる空の目の前に、肉塊とも違う異質な何かが姿を見せる。

 ニュルリ、と身体をうねらせるソレは、巨大な軟体生物の触腕のように見えた。

 いや、軟体生物そのもの。

 シェルターを内側から押し壊し、姿を見せたのは、
 軟体生物の如き外観を誇る、巨大な怪物であった。

空「い……いま、じん………」

 資料映像でも、フォトデータでも、模型でもない、
 初めて実物を目の当たりにした人類最大の天敵の姿に、
 空は本能的な恐怖に駆り立てられる。

 冷静になれば、その姿がどのような物かを理解する事も出来ただろう。

 倒壊して行くシェルターの上に建てられたビルの中から姿を現したのは、
 タコのような足に逆さまのクリオネのような身体を持った、赤黒い軟体動物型イマジンだった。

 全高は二十メートルほど、足の長さを含めればその倍以上の五十メートルはあろうかと言う巨体だが、
 サイズはいわゆる中型の部類だ。

 飛び散った人肉を、まるで拾い集めるように触腕で撫でて、その体内に取り込む。

 生命ですらない現象――魔法でしかないイマジンが、
 その体内に人間などの生物を取り入れ、吸収する理由には諸説あるが、
 一般的に有力とされているのは、生体に含まれるマギアリヒトや魔力を摂取するためだと言われている。

イマジン「QWOOOOOOOoooo……ッ!!」

 食事を終えたイマジンは、
 まるで地の底から響くような低いうなり声を上げて、前進を始めた。

空「あ……ああ……」

 恐怖で脱力した空の身体は、だがしかし、
 腰を落とす事すら忘れるほどに震え、主に逃げるように促す。

空「いや……」

 生存を訴える自らの身体を、空の意志は恐怖でねじ伏せ、竦んでしまう。

『Woooooo――ッ!』
『PIPIPI――ッ!』

 イマジンの該当フロートへの出現を示す、レベル5警報を告げるサイレンが辺りに鳴り響き、
 空の携帯端末も警報の電子音を鳴り響かせる。

イマジン「QWoo……?」

 そこでようやく、イマジンは空の存在に気付いた。

 落ち窪んだ眼窩の中に、瞳代わりの不気味な光体が現れ、空に向けられる。

空「ひ、ぁ……ああ……」

 蛇に睨まれたカエル、とでも言うのだろうか?

 空はビクリと全身を震わせ、身体を仰け反らせた。

 仰け反った身体はバランスを崩し、仰向けに倒れそうになる。

 だが、それが良かった。

 倒れそうになった瞬間、
 生存を訴える身体が、足を真後ろに踏み出させたのだ。

空「いやあぁぁっ!?」

 足が出た瞬間、空は金縛りが解けたように踵を返し、
 悲鳴を上げて走り出していた。

 生存者の姿に興味をそそられたのか、
 軟体生物型イマジンは巨体をうねらせてその後を追う。

空(何で……何で!?)

 イマジンに追い掛けられながら、空は脳内で自問する。

 何で、イマジンがこんな場所にいるのか?

 結界や隔壁の綻びから侵入したか、自然発生的に出現したかのどちかで間違いない。

 何で、自分を追って来るのか?

 空が逃げているからに他ならない。

 だが、そんな当然の答えを出せるほど、空は冷静でいられなかった。

空「助けて……助けて、お姉ちゃん! お姉ちゃあぁんっ!?」

 決死の全力疾走を続けながら、空は姉に助けを求める。

 しかし、その声が届くハズもない。

 それは空にも分かっていたハズだった。

 第七層から、遥か十キロも上にある第一層まで、声が届くハズがない。

 だが――

??『空あぁぁっ!』

 届くハズの無かった呼び掛けに、返るハズのない応えが返って来た。

空「お姉ちゃん!?」

 喜色混じりの驚きの声と共に振り返った空は、そこで目撃する。

 解体工事中のビルを突き破り、現れた白亜の巨人を。

 真っ白な身体の各部に金色の装飾を施され、
 全身に走るラインに鮮やかな水色の輝き宿した巨大な人型機械。

 その頼もしくも美しい姿に、先ほど見かけたパワーローダーなど、
 申し訳程度の人型でしかなかったと悟る。

 純白と金色の鎧を纏った……、そう、騎士を思わせる姿。

 頭部の一角獣の如き角飾りが、美しく煌めく。

 これこそが、ギガンティックウィザード。

 しかも、第二世代。

 世界にたった八機だけが現存する、
 アレクセイ・フィッツジェラルド・譲羽謹製の高性能オリジナルギガンティック。

 GWF201X-エール。

 旧世界を幾度となく救った英雄“閃虹の譲羽”の愛機の名と力を受け継ぐ、
 八機の中でも屈指の性能を誇る、それこそ近代史や魔法実技の教科書にまで載せられたギガンティックだった。

??『逃げなさい! 空!』

空「お……おねぇ、ちゃん……?」

 その最強のギガンティックから響く聞き慣れた声に、空は愕然とする。

 何故、姉の声がギガンティックから聞こえて来るのか?

 何故、このギガンティックは姉と同じ色の魔力の輝きを身に纏っているのか?

 何故、何故……。

 二転三転とする状況に、空の思考は混乱の極みに達そうとしていた。

 だが間違いなく、聞こえて来る声も、魔力の輝きも、
 そしてギガンティックを通して感じる気配も、姉・朝霧海晴の物で間違いない。

 あのギガンティックに乗っているのは、私のお姉ちゃん。

 それだけは、空は確信を持って答える事が出来た。

―3―

 時間は前後するが、およそ十五分前。
 第一フロート第二層、外郭自然エリア――


イマジン「Grrrr……rrr……」

 クマのようなトラのような、強いて言うなら二足歩行肉食獣型イマジンが、
 断末魔のうなり声を上げながら倒れて行く。

少女『やりましたね、隊長!』

隊長「ええ……」

 通信回線から聞こえて来た仲間の少女の声に、
 隊長と呼ばれた女性は息を整え、額に浮かんだ汗を拭いながら答える。

 それと同時に、倒れ伏したイマジンが光の粒子となって消えて行く。

 イマジンは現象であり、生物ではない。

 魔力ダメージが蓄積し、肉体を維持するだけの魔力が失われれば、
 こうしてマギアリヒトとなって消えて行く運命だ。

女性『対象イマジン消滅を確認、ミッションコンプリートです』

 同じく通信回線から、もう一人の仲間である女性の声が、淡々と響く。

隊長「こちら01、状況終了です。ほのかさん」

ほのか『はい、状況終了確認。
    お疲れ様、海晴ちゃん』

隊長(海晴)「ええ……」

 隊長……いや、海晴は通信機ごしに聞こえたオペレーターの声に、
 深く息を吐きながら応えた。

ほのか『レミィちゃんとフェイも、お疲れ』

少女(レミィ)『サポートありがとうございました、新堂さん』

女性(フェイ)『痛み入ります、新堂オペレーター』

 それぞれレミィ、フェイと呼ばれた少女と女性は、
 戦術支援オペレーターチーフの新堂ほのかにそれぞれに礼を返す。

海晴「他のみんなの状況はどうですか?」

ほのか『瑠璃華ちゃんと風華ちゃんの方は苦戦中。
    相手が飛行型で対応に苦慮しているわ。

    クァン君とマリアちゃんの方は救出活動優先で膠着状態って所』

 海晴の質問に、ほのかは状況報告を読み上げた。

海晴「……レミィ、フェイ、戦闘継続できそう?」

レミィ『はい、まだまだ行けます!』

フェイ『コンディションハーフグリーン。
    エーテルブラッド劣化率が四十まで進行していますが、
    支援戦闘だけなら十二分に行けます』

 僅かな沈黙の後、海晴の質問にレミィとフェイがそれぞれに答える。

海晴「よし、じゃあレミィとフェイはこのまま第六フロートの風華達の支援。
   私はブラッド浄化も兼ねて、第三フロートでクァン達の支援に入るわ。

   司令、それで構いませんか?」

司令『ええ。それで行きましょう』

 海晴の提案した作戦に、司令が頷くような声で返した。

 と、その時である。

オペレーター8『イマジン反応!?
        メインフロート第七層下部で新規のイマジン反応が検知されたそうです!』

 ほのかとは別のオペレーターが、慌てたような声でそんな情報を告げた。

海晴「メインフロート!?」

 自宅のある……妹のいる場所でのイマジン反応の検出に、
 海晴は愕然とした声を上げる。

司令『出現の兆候はあったの!?』

オペレーター8『それが、観測所では直前まで何も反応は無かったとの事です』

 驚いたような司令の質問に、同じオペレーターが答えた。

ほのか『こちらのレーダーにも感有り! 第七層第一街区!』

「ッ!?」

 ドンピシャリと言うべきか、ほのかの口から語られたよく知った町の名に、
 海晴は驚いたように息を飲んだ。

オペレーター6『座標特定!
        再開発地区の……これは……シェルター内!?
        シェルター内にてイマジンの反応があります!?』

 信じられないと言ったような声が、別のオペレーターから上がった。

副司令『入口以外は五重の障壁があったハズだ!?
    どうなっているんだね!?』

タチアナ『分かりません!?
     ただ状況から、高度な魔力遮蔽能力と同化能力を持った個体であると思われます!』

 愕然とする副司令に、タチアナがそんな推測を語る。

司令『警報はどうなっているの?』

オペレーター9『避難誘導隊も混乱しているようで、まだ警報は鳴っていません!』

 冷静さを取り戻して状況確認を行う司令に、オペレーターの一人が答える。

オペレーター6『イマジン近傍に生体反応!
        魔力コード………登録有り? え、コレって……』

ほのか『サクラ! 状況は正確に伝えなさい!』

 困惑気味の部下に、ほのかが怒ったような声音で窘める。

オペレーター6(サクラ)『す、すいません、新堂主任!
             イマジン近傍の生体反応から、当隊に登録されている魔力コードが検出されました。
             登録されているコールサインは01、朝霧海晴隊長の物と一致します!』

 窘められたペレーター――サクラは、ハッキリとそう告げた。

海晴「私と、同じコード………空!?」

サクラ『朝霧隊長と同一の魔力、イマジンに向けて接近中です!』

 告げられた情報に愕然とする海晴に、さらなる追い打ちがかけられる。

司令『警報は?
   メインフロートに展開中の軍はどうなっているの?』

 司令は冷静に、状況確認を急ぐ。

オペレーター9『警報、まだ鳴りません!』

オペレーター7『軍ギガンティック部隊、メインフロート外郭にて展開中。
        待機状態の部隊が移動可能になるまで、最低でも五分はかかるそうです!』

 オペレーター達の返答は、どれも絶望的だった。

 第一街区再開発地区と言えば、自宅から目と鼻の先だ。

海晴「ッ、すいません! 01、戦線を離脱します!」

 海晴はそう言い残すと、機体の背部にマウントされた増設式飛行ユニットを展開し、
 メインフロートとの連絡通路に向かって飛ぶ。

オペレーター2『待って下さい、朝霧さん!

        エールのエーテルブラッド劣化率は八十を超えています!
        朝霧さんの魔力量じゃ、二連戦なんて無理です!
        一度、カタギリさんと合流して浄化処理を行うか、
        キャリアに戻って、せめてバッテリーパックだけでも交換して下さい!

        朝霧さん!』

海晴「そんな余裕無いのよっ!」

 メカニック担当のオペレーターの制止の声を、海晴は鋭い声で撥ね付けるようにして加速する。

司令『11と12、01を追跡、援護しなさい!』

レミィ『は、はい!』

フェイ『了解しました、司令』

 通信機からは、そんな司令の指示に応えるレミィとフェイの声が響く。

 その事を耳に入れながらも、海晴はさらに機体を加速されていた。

 そして、現在。
 メインフロート第七層第一街区、再開発地区――


海晴「逃げなさい! 空!」

 海晴は球状のコックピットの中に立ちながら、
 外部モニターに映る妹に向けて叫んでいた。

 殴り飛ばしたイマジンを押さえつけ、必死に空から遠ざけようとする。

 だが、思うように出力が上がらない。

オペレーター2『朝霧さん、残魔力量五パーセント、
        エーテルブラッド劣化率九十五を突破、危険域です!
        即座に機体を停止して下さい!』

海晴「お願い……もう少しだけ保って、エール!」

 オペレーターの声を聞きながら、海晴は祈るような気持ちで叫ぶ。

オペレーター2『オプションの翼でリミッターオフの全速飛行なんて、機体もガタガタなんです!
        結界装甲の出力も落ちてます! そんな状態で近接格闘戦なんて無理ですよ!
        機体が停止できないなら、せめて遠距離戦に切り替えて下さい!』

海晴「足下にまだ空が……私の妹がいるの!」

 オペレーター達の指示は的確だったが、海晴にはその指示を聞き入れるつもりは無かった。

ほのか『サクラ、11と12……レミィちゃんとフェイの現着までの時間は!?』

サクラ『最短距離を準戦闘速度で高速移動中! 推定で、あと四分です!』

 ほのかの質問に、サクラが答える。

 あと四分……二四〇秒、それだけ耐えきればいい。

 一方、視線を外に空に向けると、空はようやく駆け出していた。

海晴「いいわ空……そのまま、もっと遠くへ逃げて!」

 僅かな安堵と共に、海晴は外部スピーカーを通じて叫ぶ。

 だが、その瞬間――

システム『Error! Error!』

 安堵の声を上げる海晴を嘲笑うかのように、ギガンティックのシステムがエラーを告げた。

海晴「ッ!? こんな状況で!?」

 海晴は咄嗟に、イマジンと空の間に入るように跳ぼうとするが、
 既にギガンティックは活動停止状態に入り、主の指示に従おうとはせず、
 イマジンを押さえつけたまま動きを止めてしまう。

オペレーター10『魔力残量二パーセント、エーテルブラッド劣化率九十八を突破。
        セーフティ作動です! 朝霧さん、脱出して下さい!』

 オペレーターのそんな声が届くと同時に、
 軟体生物型イマジンは動きを止めたエールの全身に触腕を絡め、
 手近なビルに向かって叩き付ける。

海晴「ッがふっ!?」

 機体が停止した事で、コックピット内の保護システムにも異常が出たのか、
 海晴はコックピットの内壁に叩き付けられ、濁ったような声で悲鳴を上げた。

 衝撃で肺の中の空気を強制的に吐き出さされ、海晴は目を白黒させる。

海晴「……ッ、ぐ、ぅぅ……!」

 しかし、海晴はその痛みと衝撃を気力でねじ伏せると、
 コックピット下部のコンソールパネルを開き、内側からコックピットハッチを強制開放した。

海晴「そ、空……!」

 白い量産型魔導装甲を展開し、外部に飛び出す。

 イマジンの興味は、既に自分たちには向けられておらず、
 逃げる空を追ってその巨体をくねらせていた。

オペレーター5『11、12、あと二分で現着します!』

海晴「……間に合わない!?」

 通信機越しの悲鳴じみた声を聞きながら、海晴は漏らす。

 既に空とイマジンとの距離はギリギリまで狭まっている。

 一方、空も足をもつれさせそうになるほど必死に駆けていたが、
 追跡するイマジンはゆっくりと躙り寄る程度の速度でジリジリとその差を詰めていた。

 後ろを振り返る度、イマジンの醜悪な顔が大きくなる恐怖に、
 空の精神は限界まで追い詰められる。

空「お姉ちゃん! お姉ちゃぁんっ!?」

 再び悲鳴を上げた空は、イマジンの触手で逃げ道を塞がれ、
 ビルの壁面へと追い込まれていた。

 振り返り、ビルの壁を押しやるように背中を押しつけ、
 少しでも距離を離そうと必死になる空だが、そんな事は無意味だ。

空「あ……あ……」

 ずるずると腰を落としかけながら、
 眼前に迫ったイマジンの顔に、恐怖で顔を引き攣らせる。

 最早、悲鳴を上げる余裕すら、彼女には残されていなかった。

 触手の一本が空へと迫り、空の周囲を取り囲む。

 完全に逃げ道を塞がれ、空は身を強張らせた。

 まるで獲物の姿を観察するかのように、イマジンは空の姿を覗き込んだ。

空「お……ねぇ……ちゃ、ん」

 引き攣った顔のまま、涙と冷や汗を噴き出しながら、空は絶え絶えの声で姉を呼ぶ。

 直後――

海晴「そぉらあぁぁっ!」

 ――魔導装甲を身に纏った海晴が、イマジンと空の間に飛び込んだ。

 その瞬間、イマジンは触手を振り上げ、海晴に向けて振り下ろした。

海晴「残存全魔力、障壁に集中!」

 海晴は叫ぶとイマジンに背を向け、
 放心状態の空を庇うように抱きしめ、球形の魔力障壁を展開する。

 だが、たかが人間の魔力障壁ではイマジンの攻撃の全てを防御する事は出来ず、
 触手の先端は魔力障壁を貫き、魔導装甲ごと海晴の背中を抉った。

海晴「ッアァッ!?」

空「っ!? お姉ちゃんっ!?」

 声ならぬ悲鳴を上げた姉に、ようやく我に返った空は姉の名を叫んだ。

 顔を上げると、姉の表情は苦悶に歪み、
 口元からは夥しい量の血が吐き出されていた。

 胃か肺か、或いはその両方が抉られたのだ。

 即死してもおかしくない程の重傷を受けながら、
 だが奇跡的に、海晴は意識を保っていた。

海晴「そ、そら………」

 海晴は残った息を吐き出すような声音で、呟く。

 どうやら、肺は無事だったようだ。

空「お姉ちゃん!? お姉ちゃん!?」

 だが、今の空にそんな事を理解する余裕など無く、空は必死で姉の名を叫ぶ。

 海晴は焦点の合わない瞳を、空に向ける。

海晴「いま、まで……ご、めん……ね……うそ、つい、てて……」

空「な、何言ってるの、お姉ちゃん……?」

 海晴はガクリと首を落とし、空の耳元で絶え絶えに呟く。

 だが、空には姉の言葉の意味が分からず、困惑気味に聞き返す。

 しかし、海晴は空の問いかけに応えず、機械の鎧に包まれたその右手を空の左手に重ねる。

海晴「あさ……ぎり、みはる……のけんり、を……、
   あさぎり、そら……に、すべ、て……へんかん」

 海晴がその言葉を紡いだ瞬間、重ね合わせた手に空色の輝きが灯り、
 空の左手の人差し指に銀色の指輪が現れた。

 薄桃色のクリスタルがはめ込まれた、
 羽のような飾り――チャームの付いた、銀色の指輪。

空「これ……!?」

 見たこともない指輪が突如として現れた事で、空は驚きの声を上げる。

 それと同時に、海晴の纏っていた魔導装甲が掻き消すように霧散した。

海晴「………さいご、まで………まもれ、なくて……ごめん、ね……」


 ――妹は、私が守ります!――


海晴「しあ、わせ……に、でき、なくて……ごめ、ん……ね」


 ――妹には、普通に幸せになって欲しいんです……だから、私が代わりに!――


 絶え絶えの言葉と共に、遠き幼き日に聞いた言葉が思い起こされる。

 声と共に吐き出された血が、空の頬を伝い、制服に赤黒い染みを広げて行く。

空「お姉ちゃ……」

 真意を問い質そうとした瞬間、姉の身体が引き剥がされた。

 一瞬の事だ。

 いや、本当に一瞬の事だったのか、その時の空には分からなかった。

 まるでスローモーションのように、姉の姿がイマジンの中に消えて行く。

 引きちぎられ、押し潰され、ひしゃげて、消える。

空「あ……?」

 何が起きているのかも分からず、空は呆けた声と共に手を伸ばす。

 だが、その手は姉に届くハズもなかった。

空「おねえ……ちゃん?」

 呆然と、姉を呼ぶ。

 カチャリ、と小さな音が響いて、足下に何かが転がる。

 反射的に、空はそちらに視線を向けた。

 そこには、一昨晩、空が海晴にプレゼントした、
 桜の花びらを摸したブローチが転がっている。

 消えた主の代わりに、主の血に塗れ、真っ赤に染まった桜の花びらが、転がっていた。

空「………おねえ、ちゃん?
  …………………おねえちゃん?」

 焦点の合わない瞳で、その花びらを見つめる。

 ああ、そうだ。

 今日は……四月十三日は、お姉ちゃんの誕生日だった。

 だから、桜の花びら型のブローチを選んだのだ。

 ネットで調べた、お姉ちゃんの誕生日花の桜に因んだプレゼントを贈ったのだ。

 お姉ちゃんは喜んでくれて、身につけると言ってくれて……だから、ここにあるんだ。

 じゃあ……それなら――

空「お姉ちゃん………どこ?」

 そんな分かり切った質問を、空は足下のブローチに投げかけた。

 空は呆然としたまま、眼前のイマジンへと向き直る。

 ほんの十数秒前と、事態は変わっていなかった。

 空はイマジンによってビルの壁面まで追い詰められ、触手で逃げ道を塞がれている。

 ただ、先程と違うのは、辺りには夥しい赤が飛び散っていた。

 姉の赤。

 命の、赤。

 その命の痕跡が、イマジンの顔にもこびり付いていた。

 ――ナンデ、オネエチャンハ、ココニイナイノ?

空「……………………ぅうわああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 空は目を見開き、喉が裂けんばかりの大絶叫を張り上げる。

 その絶叫に呼応するかのように、左手の指輪が空色の輝きを放つ。

 眩い空色の輝きは、光の柱となって天地を貫く。

 それは膨大な、魔力の輝き。

 三級市民レベルの空には、
 一生がかかりでも決して放つ事が出来ないほどの膨大な、魔力の放出。

イマジン「QWOOooッ!?」

 突然の輝きに、イマジンはたじろぐ。

 たじろぐイマジンを後目に、
 空の全身を白亜と紺青で塗り込められた機械の鎧が覆う。

空「オマエガァァァァァァッ!!」

 空は目を見開き、怨嗟の叫びを上げた。

空「オネエチャン、ヲ、カエセエエェェェッ!!」

 どこからともなく現れた長大なロッドを構え、
 ロッドの先端に取り付けられた鋭いエッジを、イマジンの醜悪な顔に突き立てる。

イマジン「QWOOOOッ!?」

 目も眩むほどの輝きの中、顔面に突き立てられた痛みに悲鳴を上げるイマジン。

 だが、ただ驚いているだけでダメージはない。

 むしろ、ダメージを受けているのは攻撃に使われたエッジの方で、
 先端は粉々に砕け散っていた。

 こんな物ではダメージを与えられない。

 こんな物では、コイツを殺せない。

 怨嗟の激流が押し寄せる思考の中で、空は場違いなほど冷静にその事を理解していた。

 それ故か、ビルに叩き付けられて沈黙していた鋼の騎士がゆっくりと立ち上がり、
 主の元へと吸い寄せられるように跳んだ。

 鋼の騎士――ギガンティックはイマジンを弾き飛ばし、
 空は本能的にギガンティックの内部へと飛び込む。

 コックピットハッチが閉じられた瞬間、
 ギガンティックの全身の輝きが鮮やかな水色から空色へと変わる。

オペレーター2『ま、魔力フルチャージ!?
        朝霧さん、何が起こったんですか!? 朝霧さん!?』

 知らない人の声が聞こえたが、空はそんな事に関わっている余裕は無かった。

空「オネエチャンヲカエセ………オネエチャンヲカエセ………オネエチャンヲ………」

 空は譫言のように呟きながら、目の前のイマジンを幽鬼のように睨め付ける。

 主の怨嗟に呼応し、ギガンティックがイマジンへと飛びかかった。

 拳を振りかぶって殴りかかり、
 防御しようとした触腕ごと押し千切って本体に拳を叩き込む。

イマジン「QWOOOッ?!」

 今度こそ、イマジンは苦悶の叫びを上げた。

 そこでイマジンは、今までに見せた事のない行動に出る。

 逆さまのクリオネのような頭――タコで言えば胴体に当たる部分だが――を展開し、
 花弁のようなヒレを広げて巨大な口を開けた。

 今までの行動からして、それが捕食のための口ではない事は分かっている。

 ならばこの巨大な口は武器だ。

 空は展開したヒレ状の口の端を咄嗟に握り締めると、一気に引きちぎった。

イマジン「QQQQWWWWOOOOッ?!」

 五枚あったヒレの内の二枚を引きちぎられ、イマジンは再び苦悶の叫びを上げる。

 引きちぎったヒレを投げ捨てると、ソレは魔力の粒子に代わって霧散した。

 口を閉じる事が出来なくなったイマジンは、
 たじろぎながらも、ズルズルと退こうとする。

空「ニゲルナアァァッ!!」

 だが、空はそれを許さない。

空「オネエチャンヲカエセ………
  オネエチャン、ヲ、カエセエエェェェッ!!」

 空は開いたままのイマジンの口の縁を掴むと、その体内に向けて拳を叩き込んだ。

イマジン「QQQQQWWWWWWOOOOッ??!!」

 現象に過ぎないイマジンが、どれだけの痛みを感じているのかは分からないが、
 三度の苦悶の叫びと共に触腕を遮二無二振り回してもがく。

 しかし、空はそんな事には目もくれず、幾度となく拳を叩き込む。

 その都度、魔力の粒子が飛び散り、返り血のようにギガンティックに降り注ぐ。

空「コロシテヤル………オマエエェェェェェッ!!」

 空は怒りの形相のまま、両目から滂沱の涙を溢れさせ、怨嗟の叫びを上げていた。


第2話~それは、獣にも似た『少女の咆吼』~ 了

今回はここまでとなります。

乙ですた~……ぁ……ああ……
もう、何が来ても驚かないぞ~、なんて思っていた。
そんな時期が、オレにもありました……お姉ちゃんェ……。
アクシデントに見舞われた主人公が、偶然出会った人物から力や能力を譲渡されるシチュエーションはグリーンランタンはじめ
アニメ版レンズマン、メジャー所ではガンダムもそうですね。
魔王さんやカードの捕獲者ちゃんもそれに該当するかもですが、よもやここまで凄惨な譲渡シチュになろうとは。
カミモホトケモナイモノカー!
とは言え、先のお返事でいただいた「状況に慣れてしまった市民の一人」の殻を空が破るためのイニシエーションと考えると
これだけの大きなショックはやはり必要だったのだろうな、と。
気になるのは、エールが今回一言も台詞を発していないことですね。
何か理由があのか、それとも……。
次回も楽しみにさせていただきます。

PS・エールのロッド先端のエッジ、今回も良い場面で使っていただいていて、描いた者としては非常に嬉しいです。
   ありがとうございます。

お読み下さり、ありがとうございます。

>何が来ても
落としたら上げる物だって、偉い人が言ってましたけど、
落としたらさらに落とす物だって、悪い人が言ってました。

>偶然出会った人物から力や能力を譲渡される
所謂、巻き込まれ型と言う展開ですね。
エルドランシリーズやTFの超人マスターフォースあたりが個人的にもスマッシュヒットな世代です。

>カミモホトケモナイノカー!
ワタシガカミダー! ………はい、十割ジョークです。

>イニシエーション
であると同時に、実は結との対比でもあります。
十五歳の結はすんでの所で拳を収めたけれど、十三歳の空は怒りのままに……と。
まあ、空の場合は、相手が人型ですらないので、一概に対比とは言い難い状況ですが……。

>エールが今回一言も
この辺りをしっかりと語る事が出来るのは、あと少しだけ先になりそうです。
ただ、まぁ、エールは結の愛器だった頃から、空気読んで一言も喋らないシーンどころか、
一言も喋らない話が幾つもあった事を、今更思い出しましたw

>次回
次回で初期導入編の前編が完結と言う感じですね。
出来るだけ早く投下したいと考えているのですが……まあ、多分いつも通り、間が空くかとorz

>エッジ
折角、描いて戴いたので、これからも有効活用して行きたいと考えております。

最新話を投下させていただきます。

第3話~それは、別れのような『旅立ちの日』~

―1―

 メインフロート第七層第一街区、再開発地区――
 そこでは今、凄惨な光景が繰り広げられていた。

 突如としてシェルター内に出現したイマジンは、
 シェルター内に避難していた千人以上の人々を吸収……食い荒らし、
 そのシェルターに向けて避難していた空へと迫った。

 逃げ惑う空を追い詰めたイマジンだったが、
 しかし、駆け付けたギガンティックによって阻まれる。

 そのギガンティックに搭乗していたのは、
 ギガンティック機関でオペレーターをしていると聞かされていた空の姉……海晴だった。

 姉の助力を得て逃げ出す空だったが、
 ギガンティックは魔力切れを起こして機能停止、イマジンは再び空へと迫る。

 妹を助けるため、魔導装甲を纏っただけの生身の海晴は傷つき、
 空に銀色の指輪を託し、イマジンの中へと消えた。

 そして、姉を失った哀しみと怒りとで、空は暴走を始めてしまう。


空「オマエガアアァァァッ!! オマエガアアァァァッ!!」

 空は握り締めた拳を、開け放たれたままのイマジンの口に、幾度となく叩き付ける。

イマジン「QWOOッ!? QWWWOOOッ!?」

 タコとクリオネを掛け合わせたかのような外見のイマジンは、
 その都度、苦悶とも取れる吠え声を上げた。

 五枚あった花弁のようなヒレの二枚を力任せに引きちぎられ、
 直接、体内を殴りつけられると言う凶行。

空「カエセエェェッ!!
  オネエチャン、ヲ、カエセエエェェェッ!!」

 涙を流し、怨嗟と憤怒の声を張り上げる空。

 主の怨嗟と憤怒に答えるかのように、ギガンティック――エールが拳を振り下ろす。

?1『ちょ、ちょっとあなた!? 誰なの!? 朝霧さんは!?』

?2『今の装備でそんな無茶な戦い方をしたら、躯体が保たない!
   早く離れるんだ!』

 コックピット内部の通信機から、知らない誰かの声が響き続けるが、
 空の耳には届かない。

 いや、届いていたとしても、聞き入れて
 “はい、そうですか”と引き下がれるだけの冷静さは、空から失われている。

?3『ブラッド劣化率が百に到達しました! 結界装甲ダウン、侵食来ます!』

 続いてそんな声が響いた瞬間、殴りつけていた右拳に激痛が走った。

空「ぁぐっ!?」

 冷静さを欠く程、イマジンを殴りつける事に集中していた空は、
 突然のその激痛に顔をしかめた。

 慌てて手を引き、確認する。
 無事だ。
 何ともない。

 だが、その先……本来の自分の手ではないギガンティックの拳が、
 ドロドロに溶けているのが“視え”た。

空「コレって……!?」

?3『早く退きなさい! 死にたいの!?』

?1『今ならイマジンも追撃できる余裕はないから、離れて!』

 愕然とする空に、知らない人達が怒鳴りつけるように叫ぶ。

 だが――

イマジン「Qoo……WWOOOOOOッ!!」

 それまで一方的に攻撃されていたイマジンは、敵の攻撃が止んだ事を察し、
 まだ残っている数本の触手でエール――空の身体を絡め取る。

空「ッ……アァァッ!?」

 全身に……特に触手に絡まれた部位を中心に起きる激しい痛みに、空は悲鳴を吐き出す。

?4『タチアナッ!』

タチアナ『……はっ!?
     だ、ダメージ部位の魔力リンク、切断急いで! 生命維持装置を全開起動!』

?5『もうやってますっ!』

?6『搭乗者のバイタル低下! 生命維持を最優先!』

 そんな声が響いて来た所で、空は知らない声の正体がオペレーター達だと気付いた。

 それと同時に、疑問が湧き上がる。

空(何で……そっちに、お姉ちゃんがいないの……?)

 何で、姉は……海晴はギガンティックに乗っていたのだろう?

 姉が最後に言い遺した、“嘘”とは、何だったのだろうか?

 そんな思いが脳裏に過ぎった瞬間。

?3(オペレーター1)『11、12、現着します!』

 別のオペレーターがそう叫んだ瞬間、
 空の身体は――エールは、轟音と共に大きく弾き飛ばされていた。

空「きゃあっ!?」

 空は悲鳴を上げ、ギガンティックは倒壊したビルの残骸の上に倒れ込む。

少女の声『すいません、隊長! 手荒になってしまいました!』

 聞き慣れない少女の声が耳元に届くと、空は驚きながらも顔を上げる。

 視線の先にいたのは、巨大な四足歩行の獣型のロボットだ。

 さらに、その傍らに巨大な鳥型のロボットが舞い降りた。

 獣型は全身に若草色の輝きを纏い、鳥型は山吹色の輝きを纏っている。

少女の声『こちら11。
     現着し、隊長とエールの救出、成功しました!』

女性の声『こちら12。現着致しました。
     指示をお願いします、朝霧隊長』

空「え……あさぎり、たいちょう……? わ、わたし……?」

 恐らく、そのロボットからと思われる声に、空は愕然と返した。

少女の声(レミィ)『隊長……? 違う、もっと幼い……? 誰だ、お前!?』

 11と名乗った少女――レミィが驚いたような声を上げる。

女性の声(フェイ)『司令室、状況説明を願います』

 12を名乗った女性――フェイは、冷静に状況確認を始めた。

?4(司令)『こちら司令室、01の詳しい状況説明は後に、
       今はそのイマジンの撃破を優先しなさい!』

レミィ『……? ……了解しました、司令!』

フェイ『了解、イマジン排除行動に移ります』

 司令からの指示に、レミィはどこか釈然としない様子で、
 フェイは淡々とした様子で応じる。

レミィ『ブラッドの余裕はコチラが上だ。フェイ、援護を頼む!』

フェイ『了解、上空からの援護射撃を行います』

 二人はそう言葉を交わすと、フェイの駆る鳥型は大空へと舞い上がり、
 レミィの駆る獣型はイマジンに向けて跳びかかった。

空「わ、私も……!」

 空も倒れた機体を立ち上がらせようとするが、
 自らは立ち上がる事が出来ても、機体は微動だにしない。

空「な、何で……何で動かないの!? さっきまで動いたのに……!?」

 詳しい動かし方は分からなかったが、この鋼の身体――ギガンティックは、
 自分が思う通りに、まるで本物の自分の手足のように動いてくれていたのだ。

 だが、今は先程まであった一体感のような物は無い。

?2(オペレーター2)『無理だ。

            エーテルブラッド劣化率百パーセント。
            魔力リンクも切断した状態じゃ、そのギガンティックは動かない』

 困惑する空に、オペレーターの男性が淡々と状況を告げた。

オペレーター2『結界装甲も使えない状態での戦闘なんて、死にに行くような物だぞ。
        後は二人に任せて、君は回収部隊が来るまでコックピットで大人しくしているんだ』

空「大人しく……って……じゃ、じゃあ、どうすればいいの!?
  あそこに……あそこに、お姉ちゃんの仇が!
  バケモノが……イマジンがいるのに!」

 続く男性の言葉に、空は喚くように叫んだ。

 空の言葉に、司令室がざわめく。

 どうやら、彼方は姉の死に気付いていなかったらしい。

オペレーター3『け、けど……朝霧さんの魔力コードは確認されて……!?』

 オペレーターの誰かが、愕然と叫ぶ。

司令『そのコードは本来、彼女の……朝霧空の物よ。

   今は戦況に集中しなさい。
   戦死者を増やしたいの?』

 しかし、その声を遮るかのように、司令の冷静な声が響いた。

 息を飲む音が通信機越しに聞こえ、空もまた息を飲んだ。

 戦死者。

 そう……姉・海晴の事である。

 分かり切っていた事だ。
 自分が“仇だ”と口にしたのだから当然だ。

 だが、改めて他の人の口から事実を語られると、
 胸に大きな杭を打ち込まれたような衝撃を覚える。

 その間にもレミィとフェイの駆る獣型と鳥型は連携し、
 獣型が素早いヒットアンドアウェイ戦法でイマジンの全身を切り刻み、
 反撃の触手攻撃を鳥型の射撃が阻む。

 実に鮮やかな連携だった。

 だが、空はその光景を悔しそうに見つめる。

空「だめ……ソイツは……私が……!」

 コックピットの壁面に、その光景が映るモニターに縋り付き、
 空は悔し涙を流しながら漏らす。

空「お姉ちゃんの……仇は……私が………殺すんだぁぁぁっ!!」

 空が怨嗟と悔恨の叫びを上げると同時に、ズタズタに切り裂かれたイマジンは霧散して消えた。

 一方、メインフロート第一層、軍事区のギガンティック機関司令室――


タチアナ「……各地、状況終了、確認しました」

 各オペレーターからの報告を受けたタチアナが、どこか浮かない表情で最終報告を行う。

司令「各員撤収作業を指示。
   01の現ドライバーに関しての説明は後で行います」

 報告を受けた司令は、それだけ言うと立ち上がる。

オペレーター3「後で、って……いつですか!?」

 左奥の左端に座っていたオペレーターが立ち上がり、怒ったような声を上げた。

 それは、その場にいたオペレーター達の大部分の疑問の代弁だ。

オペレーター3「朝霧さんが亡くなったばかりなんですよ!?
        司令は何で、そんなに冷静でいられるんですか!?」

オペレーター1「言い過ぎよ、アリス!」

 一旦、堰を切って止める手立てを失ったオペレーターの言葉を、
 その隣に座っていた上司の女性が諫める。

オペレーター3(アリス)「新堂主任! だって……だって……」

 顔を覆って泣き始めたオペレーター――アリスに、
 上司――新堂ほのかは立ち上がって、落ち着かせるように抱きしめた。

タチアナ「……申し訳ありません、司令、副司令。
     新人教育の不備は私の責任です」

 タチアナは立ち上がると、司令に向かって深々と頭を下げた。

司令「……いえ、今回は不問とします。
   ただ、説明するにも、少し時間をもらいたいの。分かって頂戴」

アリス「は、はい……」

 司令は努めて淡々と返し、アリスは僅かにしゃくり上げた後、深々と頷いた。

 司令はその姿を確認すると踵を返し、司令室を出る。

副司令「撤収作業を急がせろ。
    ……パブロヴァ君、後の指揮を頼む」

 副司令もそう指示を出すと、司令の後に続いて司令室を出た。

タチアナ「了解しました、副司令」

 指示を受けたタチアナ――タチアナ・イリイニチナ・パプロヴァは、
 副司令の背中に向けて返事を返す。

 背中で返答を受け、副司令は少し早足で司令の後を追う。

 先を行く司令の姿は、僅かに肩を落としているように見えた。

司令「………戦死者は、十二年ぶりだったわね」

副司令「ええ……前のチェーロのドライバーでしたから……、
    そう……アルバート君以来になりますね」

 司令の漏らした言葉に、副司令はどこか遠い目で答える。

副司令「あの頃は、まだパブロヴァ君も新人でしたね……」

司令「そう、ね……」

 続く副司令の言葉に、司令は僅かに震える声で返した。

副司令「あまり、ご無理をなされませんように……」

司令「ええ……悪いわね、アーネスト君」

 心配そうな副司令の言葉に、司令は振り返って、
 どこか無理をしているような表情で振り返った。

―2―

 メインフロート第七層第一街区。
 住宅街、朝霧家リビング――


 まだ避難警報も解除されていない中、空は軍用車の送迎で自宅へと戻されていた。

空「………」

 姉の返り血を纏った制服を着替える事も忘れ、脱力するかのようにリビングの畳に仰向けになり、
 無言のまま、焦点の合わない視線を天井に向ける。

 あれから一時間。

 未だに、起こった事に対する実感が薄い。

 いや、時間経過と共に実感が薄れて行っていると言った方が正しいだろう。

 イマジンの襲来と遭遇。
 姉の死。
 初めて乗ったギガンティック。

 そして、戦い。

 思い出すと、恐怖と怒りと、そして哀しみが湧き上がって来るが、
 その波もすぐに引いてしまう。

空(何で……だろう?)

 もうこの一時間だけで何度目になるかも分からない質問を、心の中で反芻する。

 あんなに怖かったのに、何で、今は怖くないんだろう?
 あんなに怒っていたのに、何で、今はこんなに落ち着いているんだろう?
 あんなに哀しかったのに、何で、今は涙も溢れてくれないんだろう?

 そんな疑問を自分に投げかけるが、答えを返す事も出来ない。

 まるで、心が壊れてしまったかのように、空の感情は希薄になっていた。

 ふと、仏壇に目を向けると、穏やかな顔の両親の遺影が見える。

 いつも通りだ。

空(ああ、そっか………)

 いつも通りの遺影に目を向けた時、空は一人納得したように身体を起こした。

 きっと、夢か何かを見たのかもしれない。

 そう言えば、警報発令した時に、校門近くで起きたパニックで一瞬、もみくちゃにされた。

 あの時、自分は倒れてしまったのだろう。

 倒れて気を失って、置き去りにされてしまったのだ。

 そこを軍関係者に発見されて、自宅に送り届けられた……。

 だから、倒れていた間に、夢か幻覚を見たに違いない。

 姉はきっと、今も仕事中なのだ。

 五日間の泊まり込みも、今日が二日目。

 何事もなければ、四日後には帰って来るんだ。

 いつもより疲れてフラフラになって、溜まった洗濯物を受け取りながら、
 その間に起きた事をお互いに話すんだ。

 仕事はどうだった?

 学校では、色々あったよ。

 しばらくは、今日のイマジン騒ぎの事で持ちきりだったよ。

 それとね、新しいお友達が出来たんだよ。

 ずっと喧嘩していたんだけど、その子とお友達に――

空「ッ!?」

 そこまで考えた瞬間、空は握った拳を畳に叩き付けていた。

 事実を……シェルターを出る前にあった出来事を思い出した瞬間、
 自分の行っていたソレが、単なる現実逃避だと気付かされてしまったのだ。

 叩き付けた拳……右手には、見慣れない銀色の指輪。

 魔力を込めると、眩い空色の輝きを宿すソレは、どうやら旧式のギアのようだった。

空「このギア……それにこの魔力……どうなってるの……?」

 新たな、それまで考えずにいた疑問に、空は思い至る。

 自分は本来、三級市民に過ぎない。

 魔力量は百以下……十に届くか届かないかと言うレベル。

 他の教科だけは頑張って上位をキープしていたが、特例二級扱いの自分は、
 魔導実技の成績はいつも落ち零れで、簡易ギアに魔力を灯す事すらままならなかった程だ。

 だが今は、軽く魔力を練るだけでこんなにも眩い輝きが灯ってしまう。

 これだけの魔力を練った日には、数日は魔力不足で倒れてしまっていただろう。

 だが、魔力が枯渇するような様子は無く、
 それどころか後から後から、魔力が湧き出して来るようだ。

 まるで、この身に無尽蔵の魔力が宿ったような、そんな感覚すら覚えていた。

空「私……どうなちゃったの……?」

 空はワナワナと震えながら、自分の手を覗き込む。

 だが、その疑問に答える者は、どこにもいない。

 空がそんな困惑の中にいると、不意に玄関のチャイムが鳴った。

空「え……?」

 まだ避難警報は解除されていないハズだ。
 客人など来れるハズもないのに、チャイムが鳴るハズがない。

 空は恐る恐る立ち上がると、玄関へと向かう。

 その間にも、もう一度、チャイムが鳴る。

 間違いない。
 誰かが訪ねて来たのだ。

空「は、はい……!」

 空は驚きながらも、玄関を開く。

 玄関から門までの僅かな間に、二人の人物が立っていた。

 一人は老齢の女性、もう一人は中年の男性だ。

空「あ、あの……どちら様、ですか?」

 困惑する空は、二人に問いかける。

老女「朝霧空さんね?

   私は、NASEAN統合政府直属対イマジン用特殊ギガンティックウィザード運用機関……
   通称、ギガンティック機関司令、明日美・フィッツジェラルド・譲羽よ。

   こちらは副司令のアーネスト・ベンパー」

アーネスト「紹介に預かった、アーネスト・ベンパーだ」

 老齢の女性――明日美【あすみ】に続き、中年男性――アーネストが頭を垂れる。

空「ギガンティック機関!?
  それに、フィッツジェラルド・譲羽って……」

 空は驚きの声を上げ、さらに聞かされた名に驚く。

 フィッツジェラルド・譲羽。

 このメガフロートに住んでいて………
 いや、この世界に生きていて、知らないハズがない。

 大昔の大規模テロ事件を幾つも解決した英雄、
 “閃虹の譲羽”の異名を持つ、結・フィッツジェラルド・譲羽。

 ギガンティック開発者の一人、アレクセイ・フィッツジェラルド・譲羽。

 そして、その二人の血を受け継ぎ、
 世界崩壊後から数年間、メガフロートをたった一人で守り続けた守護神と謳われる女性。

 生ける伝説と呼ばれるのが、この明日美・フィッツジェラルド・譲羽なのだ。

 教科書にすら載っている英雄を目の前にして、
 空は感激とも感動とも取れる驚愕の思いを抱く。

明日美「お邪魔しても、良いかしら?」

空「は、はい!」

 明日美の問いかけに、空は姿勢を正し、上擦った声で答えた。

 空は二人をリビングに通し、来客用の座布団を大慌てで敷く。

 普段から来客など友人しかいないので、碌なお茶請けがないが、
 とりあえず買い置きのクッキーとパックの紅茶を出す。

空「す、すいません……、お友達以外のお客さんが来る事って無いので……」

明日美「お構いなく」

 恐縮気味の空に、明日美は淡々と返す。

明日美「由嘉里さんが亡くなって……もうそろそろ十四年になるのね」

 明日美は仏壇に目を向けて、どこか感慨深く呟く。

空「お母さ……母の事、ご存知なんですか?」

 明日美の言葉に、空は驚いたように問いかける。

 由嘉里【ゆかり】とは、十四年前の60年事件で亡くなった、自分達の母の名だ。

明日美「ええ、よく知っているわ……。
    以前、私の運営する施設にいたから……。

    と言っても、十五歳までだったから、もう三十年も昔の話だけど」

 明日美は質問に応え、懐かしそうに語る。

 その言葉を聞いていると、空は何か奇妙な引っかかりを覚えた。

空「あ、あの……失礼ですが、以前、どこかでお会いした事……ありました?」

 空は恐る恐ると行った風に問いかける。

明日美「ええ……あるわ。
    と言っても、その時、あなたはとても眠たそうにしていたけどね」

 明日美は思い出すように語ると、その時の様子を思い出して僅かに笑みを浮かべた。

 だが、気を取り直して表情を引き締める。

明日美「……ごめんなさい。
    あんな事があったばかりで、不謹慎だったわね」

空「あ……」

 頭を垂れて謝罪する明日美の言葉に、空は姉の死を思い出す。

 忘れていたワケではないが、
 その事実を再び思い知らされてしまったと言うべきか?

空「………あの、お姉ちゃ……姉は、
  ギガンティック機関では、オペレーターをしていたんですよね?」

 空は、ずっと疑問に思っていた事を、明日美に問いかける。

 どうして、オペレーターだと言っていた姉が、ギガンティックに乗っていたのか?

 その問いかけに、司令である明日美なら、間違いなく答えられるハズだ。

明日美「……海晴は、あなたに何も話していなかったのね」

 一方、明日美は僅かに視線を下げ、小さな溜息を漏らした。

明日美「話す前に聞かせてもらいたいのだけれど、
    あなたは何処まで知っているのかしら?」

空「どこ、まで……?」

 質問で返された空は、怪訝そうにその言葉を反芻する。

 何処まで、とはどう言う意味だろう?

明日美「……今、話すべき事ではないかもしれないわね……。
    また、日を改めてお邪魔させて貰う、と言う事で良いかしら?」

 困惑している様子の空に、明日美はそんな提案をして来た。

 簡単な質問だと言うのに、明日美は何をそんなに躊躇っているのだろうか?

 自分はただ、姉がギガンティックに乗っていた理由を教えてもらいたいだけなのだ。

 空は、どこか苛つきにも似た感覚を覚えていた。

空「話して下さい! 何か隠しているんですよね?」

 空は身を乗り出し、明日美に詰め寄る。

空「言えない事なんですか!?」

明日美「………」

 怒ったような空の質問に、
 明日美は無言のまま、傍らのアーネストと視線を交わす。

 そして、僅かな沈黙の後、口を開く。

明日美「………そうね、話してもいいけど、
    それはとても残酷な事かもしれないわ。

    ……それでも構わない?」

空「…ッ!? ………か、構いません」

 淡々とした明日美の質問に、空は小さく息を飲んで口を噤んだ後、
 僅かに躊躇いながらも、意を決したように頷きながら答える。

明日美「では……先ず、これはあなたの質問に関してだけど、
    お姉さんはあなたに嘘をついていたようね」

 コチラも意を決した様子の明日美の返答を聞きながら、
 空はショックを受けながらも納得していた。

 やはり、今際の際に姉が遺した言葉は……“嘘”は、真実だったのだと思い知る。

明日美「あなたのお姉さんは七年前から今日まで、
    GWF201X-エールのドライバーを務めていたわ。
    役職としては前線部隊長、現場指揮官と言った所ね」

空「現場指揮官……」

 空はその言葉を反芻しながら、呆然としていた。

 現場指揮官と言うからには、最前線の責任者。

 それを、よりにもよって、何でオペレーターなどと嘘をついていたのか?

 その理由がよく分からなかったのだ。

明日美「オペレーターか……。
    確かに、あの子本来の魔力量では、
    それが関の山だったのかもしれないわね……」

 そんな疑問に答えるかのように、明日美はぽつり、と漏らし、さらに続ける。

明日美「あの子は七年前まで三級市民……。
    魔力量は最大値で七十五と言った所かしら。

    とても、ギガンティックに……
    しかも、第二世代オリジナルギガンティックに乗れるような魔力量じゃないわね」

 死んだばかりの姉の事を悪し様に言われながらも、
 空には何かを言い返す事が躊躇われた。

 明日美の声音は
 “そんな子を乗せていたのは、乗る事を許していたのは私だ”と如実に語っていたからだ。

 むしろ、姉の事を語るよりも、
 自分自身を罵っているようにさえ聞こえる。

明日美「……あなたと海晴には、同じ魔力が……
    完全同波長の魔力が流れているのは、知っているわね?」

空「……はい」

 気を取り直したような明日美の質問に、空は頷いた。

 完全同色ではないが、姉妹の魔力波長が同一なのは先述の通りだ。

明日美「……あなたの本来の魔力量は、十万八千五百よ」

空「じゅっ……!?」

 明日美から語られた数値に、空は目を見開き、思わず立ち上がりそうになる。

 正二級市民として認定されるのに必要な魔力量は百、
 正一級市民として認定されるのに必要な魔力量は五千。

 旧魔法倫理研究院時代で言えば、魔力量Bランク以上が二級、
 魔力量Aランクでも上位以上が一級の条件である。

 だが、明日美から語られた数値は、その二十二倍に届く程だ。

空「で、でも、それなら何で……、
  私は特例二級……三級市民扱いなんですか……?」

 空は呆然としながらも、行き着いた当然の疑問を口にする。

 それに答えたのは、明日美の隣に控えて口を噤んでいたアーネストだった。

 アーネストはタブレット型の端末を取り出し、空に画面を提示する。

 提示された画面には、幾つかの図面が映し出されていた。

 どうやら、魔力の流れに関する説明図のようだ。

アーネスト「君の魔力は、その殆ど全てを中央の魔力統合センターに回収されるよう、
      携帯端末の個人情報処理システムにプログラムが組み込まれている。

      回収した魔力はコンデンサに込めてバッテリー化され、
      戦闘時にGWF201Xの駆動魔力として使われていた」

空「それって……魔力の不正利用じゃないんですか!?」

 アーネストの説明を聞きながら、空は僅かに震える声で聞き返す。

 それが政府の判断だったとしても、
 犯罪者以外の個人魔力のほぼ全てを収拾する事は法によって固く禁じられているハズだ。

明日美「ええ……不正ね。
    ただ、一般には公表されていないけれど、対イマジン特例法と言う物があってね、
    オリジナルギガンティック運用に関して必要と認められる行為は、
    その法の下では、全て合法である物として扱われるの……」

 淡々と語る明日美に、空は呆れとも怒りとも取れる表情で押し黙る。

 特例法など初耳だが、そんな事を言い出したら何でもありじゃないか?

 空はそんな事を思う。

明日美「それと、これも質問の答えだけど、
    空さん……自分に六歳まで戸籍が無かった事は、ご存知?」

空「ッ!?」

 明日美の問いかけに、空は息を飲み、
 驚きのあまり二の句を告げる事が出来なかった。

 何を言っているのだろうか?

 戸籍など、産児管理法に基づいて、
 生まれた病院を通じ、即座に行政から発行される手筈だ。

 産児管理法とは、大戦やイマジン事変で減り過ぎた人口を管理し、
 食料生産や配給、魔力の納付に無駄を生じさせないための法律である。

 人口が増えすぎた場合には、生まれて来る人数を制限する
 産児統制法へと移行する予定の法律だが、それはまた別の話であろう。

 問題は、本来、この法律によって徹底されているハズの戸籍発行が、
 空が六歳まで……七年ほど前まで発行されていなかった事にある。

 戸籍が存在しないと言う事は、配給されるべき食料の配給すら受けられず、
 医療行為を受ける事も出来ないのだ。

 だが、そこまで思い至った瞬間、空は何かに気付いたように再び息を飲む。

明日美「海晴に配給された分だけの食料とご両親の遺産を切り崩しながら、
    姉妹二人で生きてきた、と彼女からは聞かされていたわ……。

    幸いにも、あなたも海晴も健康を害さずにいられたようだけど……」

 海晴自身から聞かされた事なのか、明日美は思い出すようにそう語る。

 そう、確かに貧しい思いをして来たのは事実だ。

 爪に火を灯すと言えば大げさだが、切り詰めるべき所は切り詰め、
 買い物は常に必要最低限、服の大半は姉のお下がりと言うのが、
 空が初等部に入学する前の朝霧家の常識だった。

 家計簿を預かるようになってから、姉が特一級になる以前の預金算高を見たが、
 姉妹の進学に備えてギリギリでやり繰りしていたのは間違いない。

明日美「あなたの戸籍が発行されたのは、八年前の十二月。
    あなたの存在が確認された半月後の事よ」

空「はちねん、まえ……」

 明日美の言葉を、空は愕然としつつも反芻した。

 八年前の十二月……確かに、自分はまだ六歳。

 それも第八小中学校初等部入学前だ。

明日美「多分、ほんの好奇心だったんでしょうね……。
    海晴は自分の携帯端末に、あなたの魔力を読み込ませた……。
    そして、魔力統合センターでの検査中、
    あなたの魔力は、我々の求める条件に合致した」

空「条件……?」

 明日美の言葉に、空は怪訝そうに返す。

明日美「世界に現状八機しか存在しない、
    オリジナルギガンティックのドライバーになれる。
    その条件よ」

アーネスト「オリジナルのギガンティックウィザードは
      通常のギガンティックウィザードと異なり、操者を選ぶ」

 明日美がそう言うと、アーネストがその後を継ぎ、さらに続ける。

アーネスト「その条件の内の一つと言うのが、本来の操者と同じ波長で高い魔力を持つ者。
      君はその条件に合致したんだ」

空「魔導ギアが……ギガンティックが人を選ぶって言うんですか?」

 アーネストの言葉に、空は驚きと不信を持って返した。

 魔導ギアと言う概念は、現代の世界にも存在する。

 広義には携帯端末も含まれており、魔力を使用する機械全般に使われる、
 まあ言ってみれば“機械”の類語のような物だ。

 その機械が人を選ぶと言うのは、どう言う意味だろうか?

明日美「学校でも習うだろうけれど、知っての通り、
    現存するオリジナルギガンティックは世界にたった八機。

    その全てが、旧世界に於いて英雄と呼ばれた、
    十人……いえ、八人のエージェントのギアを元にして設計されているの」

 明日美は空の質問にそう答えると、
 “つまり、本来の持ち主が他にいた、と言う事ね”と付け加えた。

明日美「携帯端末さえそうであるように、ギアの使用に厳しい個人制限があるわ。
    しかも、オリジナルギガンティックは制作者亡き今となっては、
    他者には理解できないブラックボックスの塊。

    分解して調査、再登録しようにも把握できていない構造が多くて
    基幹部はその周辺すら分解する事するのもままならない……」

空「何で……そんな面倒な物を使ってるんですか?」

 明日美の愚痴めいた説明を聞きながら、空はそんな疑問を口にする。

 確かに、対イマジン戦における主幹を担う兵器としては、実に不便な運用だ。

明日美「半分……いえ、九割方は私の父の責任ね」

 明日美は溜息がちに応え、さらに続ける。

明日美「対イマジン用装備の研究は、全て父を中心に行っていたのだけれど、
    対イマジン用システムは父のみがその設計と構造を把握し、
    その全てを誰に遺す事なく、三十九年前に亡くなった……。

    身内の事ながら、迷惑な話よね……。
    まあ、自殺同然に亡くなった母のせいで、壊れていたのよ……あの人は」

 明日美の口調は、自嘲を通り越して、自虐的だった。

 救世の英雄。
 世紀の大天才。

 そんな華々しい名として語られるフィッツジェラルド・譲羽の名とは正反対の言葉に、
 空は戸惑いを隠せなかった。

 アーネストもどこか心配そうな視線を向けているが、
 司令と副司令と言う上下関係故か、明日美を諫めるような事はしない。

 しかし、二人の様子を察した明日美は、小さく息を吐いて気持ちを切り替える。

明日美「とにかく、イマジンに真っ正面から対抗できるシステムを搭載した純正第二世代……
    オリジナルギガンティックは、今や、世界にたった八機だけ。

    その本来のドライバーの内、五名は米欧連合の地球脱出艦隊の護衛として地球を離れ、
    地球に残った三名は現役を退くか亡くなった……。

    オリジナルギガンティック完成直後から、
    政府は新たなドライバーを選出し、運用するための機関を設置した……。
    それがギガンティック機関よ」

アーネスト「何度も言うが、君はエールに選ばれたんだ」

 感慨深く語る明日美の後を継いで、アーネストが再びその事実を告げた。

空「け、けど、なら何で、お姉ちゃんがギガンティックに……」

 空は戸惑いながらも、その質問を口にする。

 運用に関する制限を聞けば聞くほど、自分ではなく姉が乗っていた事が疑問で仕方がない。

 選ばれたのが自分で、自分の魔力が十万もあったならば、
 無理をしてまで姉が乗る必要など無かっただろう。

 それは当然の疑問と言えた。

明日美「……やっぱり、覚えていないのね……」

 空の疑問に、明日美はどこか哀しげな表情を浮かべる。

アーネスト「君がギガンティックに乗る事を拒んだのは、
      他ならぬ君のお姉さん、朝霧海晴君なんだ」

空「お、お姉ちゃんが……?」

 アーネストから語られた事実に愕然としながら、空は必死に記憶を探る。

 明日美に“覚えていないのね”と言われたからには、
 覚えていないだけで、自分もその場にいたハズなのだ。

 人間は早々、記憶を失わないと聞いた事がある。

 覚えていないのではなく、忘れているだけ。

 そして、記憶に僅かな引っかかりを覚える。

 そうだ、自分はその時の言葉を、一度、思い出しているハズだ。

 今感じる記憶の引っかかりは、ほんの一時間ほど前に覚えた感覚に似ている。

 それは、そう……姉の死の間際。


――妹は、私が守ります!――

――妹には、普通に幸せになって欲しいんです……だから、私が代わりに!――


空「っぅ……」

 その言葉を思い出した瞬間、空はイマジンの中に消えて行った姉の最期の姿を思い出し、
 こみ上げてきた嘔吐感に口元を押さえた。

 だが、その嘔吐感もすぐに治まり、空は呆然とする。

空「お姉ちゃん……私の、代わりに……?」

明日美「………最終判断を下したのは私よ。
    ドライバーが少ない時期で即戦力が欲しかったとは言え、
    申し訳ない事をしたと思っているわ……」

 愕然と漏らした空に、明日美は申し訳なさそうに深々と頭を垂れた。

 いつもなら恐縮し、慌ててそれを止める空だったが、
 最早、そんな精神的な余裕すら残されていない。

アーネスト「我々は海晴君の決断を尊重し、君の魔力をバッテリー化する事で、
      君と魔力同調できる海晴君をエールのドライバーとした。

      これが、君のお姉さんがドライバーをしていた理由だ」

 アーネストが説明を終えると、空は自らの肩を抱くようにして身体を震わせる。

空「じゃ、じゃあ……お姉ちゃんは、ずっと、
  私の代わりに戦っていたんですか!?

  あんな……あんな、バケモノと……!」

 こみ上げて来るイマジンへの憎しみと恐怖を思い出しながら、
 空は姉への罪悪感に押し潰されそうだった。

 目にしただけで、恐怖に心臓を鷲掴みにされる思いだったイマジン。

 アレと真っ向から相対し、戦う。

 本来なら魔力の低い姉が、だ。

 いくらバッテリー化された魔力で嵩を増ししても、
 三級市民でしかない姉は最低限の魔力運用しか習って来なかったハズだ。

 恐らくは、厳しい戦闘訓練も課されたのだろう。

 本来ならば、イマジンと戦う恐怖も厳しい戦闘訓練も、
 負うべきは姉ではなく自分だったのに……。

空「お姉ちゃん……何で……何で、こんな……」

 幾つもの嘘で真実を隠し、それでも気丈に笑って仕事に向かう姉。

 そんな姉の背中を、憧憬と尊敬と、僅かな罪悪感と……
 そんな複雑な思いで見送っていた。

 だが、姉は自分が思うよりももっと辛い環境で、七年を過ごして来たのだ。

 そして、最期には自分を守るために身を呈し、命を落とした。

 何て、報われない人生だったのだろう。

 そう思うと、それまで枯れたようだった涙が、堰を切って溢れ出す。

明日美「………話を、続けさせて貰っても……良いかしら?」

 しばらくは静かに見守っていた明日美だったが、
 いつまでも落ち着く様子のない空に、少し躊躇いがちに口を開いた。

空「……っく、は、はぃ……」

 空はしゃくり上げながらも、何とか浅く頷く。

 酷い人だとは思わない。

 会って十数分だが、空は直感的に、
 明日美・F・譲羽と言う人間をそう思える人だと感じていた。

明日美「もう、ここまで話した以上、うっすらと理解はしてもらえていると思うけれど、
    あなたにギガンティックのドライバーになって欲しいと、私達は考えているわ」

 明日美は淡々と、その結論を述べる。

 彼女の言う通り、何となく理解していたつもりだったが、
 改めて聞かされた言葉に、空は僅かに肩を震わせた。

 ギガンティックのドライバー。

 つまり、戦えと言う事だ。
 あの恐ろしい、イマジンと。

 だが、それと同時に、こうも思う。

 お姉ちゃんの命を奪った、あのイマジンと戦う事が出来る。

 もしも、自分が明日美達に誘いに応じて戦いに赴いても、
 姉を殺したイマジンと同一の個体と戦えない事は理解していた。

 だが、イマジンと言う怪物を相手に、復讐を果たしたい。


――オネエチャン、ヲ、カエセエエェェェッ!!――

――オマエガアアァァァッ!!――

――オネエチャンヲカエセ……オネエチャンヲカエセ………――

――コロシテヤル………オマエエェェェェェッ!!――


 自分でも我を失っていたとしか思えない、
 あの言動は全て、自分の本音……いや、本質なのだろう。

 普段から押さえ込んでいる衝動、とでも言うべき本質。

 今まで、どんな事があっても外れた事のない“たが”が、
 完璧に吹き飛んでしまっていた。

 あれこそが、恐ろしくもおぞましい……自らの本性。

 そして、その事が分かっているからこそ――

空「……すみま、せん……」

 ――空は、深々と頭を垂れ、さらに続ける。

空「……戦え、ません……」

明日美「………そう」

 絶え絶え、と言った風にも聞こえる空の返答に、明日美は小さな溜息の後、短く応えた。

 失望か、諦観か、そのどちらとも取れる、だがどちらとも取れない、
 そんな不思議な声音だった。

明日美「副司令、残りの説明を頼めるかしら?」

アーネスト「……はい」

 明日美がそう言ってアーネストをチラリと見遣ると、
 彼は頷いてから背筋を伸ばすような仕草で姿勢を整える。

アーネスト「今後、我々が接収していた魔力は全て君に戻る事になる。
      それに際して、君の市民階級は正一級へと格上げされる。

      学籍を正一級向けの学校に移す事も許されるが、
      それに関しては先生や回りの大人達と相談してから役所で決めるといい。

      食料配給や社会補償制度についても変更があるが、
      それも後日、資料と言う形で……」

 アーネストは長々とした説明を始めたが、
 空はその話の内、半分も耳に入っては来なかった。

 空が半ば心ここにあらずと言った状態ながらも、アーネストの説明は終わり、
 それと同時に避難警報解除のサイレンが鳴る。

明日美「……必要な説明も終わったし、そろそろ失礼させて貰うわね」

 良い機会と思ったのか、そのサイレンを合図に、明日美はゆっくりと立ち上がった。

 アーネストもそれに続いて立ち上がる。

 無論、空の様子にも気付いてはいたが、気付きながらも敢えて無視していた。

空「はい……」

 空はその事にも気付かぬ様子で、どこか条件反射的に頷いている。

明日美「じゃあ、失礼させて貰うわね」

アーネスト「……」

 明日美はリビングを辞し、アーネストもその後に続く。

 空もやはり条件反射的に立ち上がって、二人を見送りに出た。

 そんな様子の空に、明日美は振り返って口を開く。

明日美「……もしも、気が代わったら連絡を頂戴」

アーネスト「先ほど渡した、君の方から役所に提出する海晴君の死亡届けの書類に、
      こちらの連絡先も入っている。

      必要ならいつでも連絡して来るといい」

 どこか冷淡にも感じるような物言いの明日美をフォローするように、
 アーネストが穏やかな声音で言った。

 書類は既に空の携帯端末に転送されており、役所の窓口で本人確認と共に提示すれば、
 その時点で受理される仕組みとなっている。

空「はい……」

 そんな二人にも、空はやはり心ここにあらずと言った感じで答える。

 明日美は踵を返し、アーネストと共に、待たせていた公用のリムジンの後部座席に乗り込む。

 二人を乗せて走り去って行くリムジンの後ろ姿を、空は呆然と見送った。

空「あ……」

 リムジンが遠くに消えた所で、空は気付いたように声を上げ――

空「お姉ちゃんがお世話になりました、って……言って、なかった、な……」

 ――自嘲気味に漏らす。

 先ほど別れたばかりで、そんな理由で連絡する気にもなれず、
 空は深い溜息を漏らした。

 一方、走り去ったリムジンの車中でも、深いため息が漏れていた。

 溜息の主は、明日美だ。

アーネスト「……あの様子では、色好い返事は期待できませんね」

明日美「それも、あるのだけどね……」

 溜息がちなアーネストに、明日美は外の光景を見遣って呟く。

 避難警報が解除された事で、歩道は多くの人々でごった返している。

 まだ壊滅したシェルターの事や、
 ギガンティックドライバー――海晴――が殉職した報せなどは入っていないのか、
 避難所から出て来た人々は安堵の表情を浮かべ、
 中には自分や知人達の無事を喜び合って笑っている人々の姿もあった。

明日美「……一番、大切な事は話せず終いだったのは、
    卑怯だったかも、と思ってね……」

アーネスト「……」

 自嘲気味な明日美の言葉に、アーネストは押し黙ってしまう。

 しかし、僅かな沈黙の後、口を開く。

アーネスト「…………さすがに、あの子があの状態では、告げられませんよ」

 アーネストの言葉通り、空は非常に情緒不安定な状態だった。

 怒り、哀しみ、疑問。
 何より、姉の死から一時間余りと言う状況。

 誰の目にも明らかなほど、彼女は混乱していた。

 様々な感情が押し寄せ、受け入れがたい事実に心が押し潰されてしまった状態だ。

 その事に気付いていないのは、おそらく彼女自身だけだろう。

明日美「………」

 明日美はその言葉に応えず、ただ窓の外を凝視していた。

アーネスト「やはり、心配ですか?
      ご両親のギアに選ばれた子は……」

明日美「否定は……難しいわね」

 アーネストの問いかけに、明日美は自嘲気味に答え、
 “依怙贔屓なんて、司令官失格ね”と付け加え、さらに続ける。

明日美「だけどね……依怙贔屓ついでではないけど、
    信じてもいるわ……。

    エールが選んだ、あの子の初めての正ドライバーだもの……」

 明日美が感慨深く呟いたその言葉とほぼ同時に、リムジンは構内リニア駅脇にある、
 車両用階層移動エレベーターへと入って行った。

―3―

 あれから、何時間が経過したのだろう?

空(何で、私……こんな所、歩いてるんだろう……?)

 空は、宛もなく町を……人々の行き交う雑踏の中を彷徨い歩いていた。

 夜の帳が落ちたかのように、天井から降り注ぐ人工太陽の証明は消え果て、
 街灯とネオンの灯りが辺りを照らしている。

空(何、してるんだろ……私……?)

 空は意味もなく、自問した。

 明日美達を見送った後、家の中に引き返す事が躊躇われた空は、
 鍵も掛けずに外出したのだ。

 足の向くまま、と言えば微笑ましいが、実際は重い足取りだった。

 どこかの街区のメインストリートなのか、
 街頭ビジョンの前に多くの人々が足を止め、驚いたようにその内容に見入っている。

 空がふと、そちらに視線を向けると、
 今日のイマジン襲撃やテロ事件の詳細情報を広報官が報告しているようだ。

 言っている内容は町の雑踏に掻き消されて聞こえないが、
 画面に流れるテロップや表示されるデータから、内容は十分に理解できた。

 そして、ある一文が空の目に飛び込んで来る。

『ギガンティックドライバー、朝霧海晴(22) 殉職』

 ざわめく雑踏に、空はビクリと全身を震わせた。

 ギガンティック機関のドライバーは任期中や、退役後であっても、
 その名前が公的に明かされる事は無い。

 例外的に、ドライバーの家族の口から漏れる事はあっても、守秘義務があるワケではない事と、
 親族が特例二級扱いになる事で、軍ないし隊の関係者だと察する事が容易であるためだ。

 一応、テロの対象とならないように要人保護プログラムは機能しており、
 不必要な情報の拡散は原則的に禁じられている。

 だが、ドライバー死亡の際はこの限りではない。

 任務中に殉職したドライバーは、
 それまで世界を守り続けた英雄であるとして、大々的に報じられるのだ。

 そして、姉の名前が報じられた事で、空は改めて、
 明日美達から語られた事が真実であると受け入れざるを得なくなった。

空「ッ!」

 空は顔を俯けて、雑踏の中を駆け抜ける。

 幾度も、幾人も、名も知らぬ誰かにぶつかり、
 その都度、悲鳴や怒号が行き交うが、空は耳を塞いで駆けた。

 まるで、自分の中に何かが入って来るのを嫌うように、自分だけを守るように。

空(お姉ちゃん……。お姉ちゃん……! お姉ちゃんっ!)

 心の中で、死んだ姉に助けを求める。

 だが、その求めに応える者は、もうこの世にはいない。

 受け入れ難くとも、最期の一瞬まで見届けてしまった自分自身が、
 その事を一番良く分かっている。

 そして、思う。

空(……お姉ちゃんが死んだのは……お姉ちゃんを殺したのは……私だ……)

 姉に守られている事も知らず、姉に全ての責任を押しつけ、
 最期まで姉に迷惑をかけ続けたまま、
 イマジンから助ける事も出来ずに、見殺しにしたのだ。

空(私は……私は……!)

 空は自責の念と共に走り続け、
 いつしか街区の外……外郭自然エリアへと飛び出していた。

 外郭自然エリアには、天候調整装置によって激しい雨が降っており、
 空はずぶ濡れになってもさらに走り続ける。

 雨でぬかるんだ泥と草に足を取られ、盛大に倒れ込む。

 元々びしょ濡れだったのに、泥まみれになってしまう。

空「っ……ぅぅ……」

 あまりの情けなさも手伝って、それまで堪えていた嗚咽が漏れた。

空「ぅ……ぁぁ……お姉ちゃんっ………おねえぇちゃぁぁぁぁんっ!」

 幼子のように、泣き叫ぶ。

 応えてくれる人もいない、その名を。

 だが、幼子のように泣き続ければ誰かが来てくれると思うほど、空も子供ではない。

 空虚な思いに胸を穿たれながら、空はヨロヨロと立ち上がる。

 泥まみれの水浸しの格好で、人気のない森の中を、再び歩き出した。

空「っ、ひっく……えぅ……」

 しゃくり上げながら、空は彷徨い続ける。

 そして、ふと、自分がいる場所がどこなのか気付く。

空「………こ、こ……」

 しゃくり上げながら、辺りを見渡し、天井を振り仰ぐ。

 メインフロート第一層、スカイリウム。

 人口の空を見上げるため、視界の端に人工物が映り込まぬよう、
 街区から外れた外郭自然エリアに、その区画は設けられていた。

 かつて、姉と共に訪れた思い出の地。

 どうやら、知らぬ内に階層まで移動していたようだ。

 階層移動に使う昇降自由のループ式高速エレベーターならば、
 十数分で最上層に辿り着けるのだから、無意識に乗っていたとしても何らおかしくない。

 だが、姉が死んで直ぐ、足の向くままに彷徨った果てがこの場所とは、偶然にしては出来過ぎだ。

空「………」

 降雨時間中のため、人のいる気配もないスカイリウム。

 おそらく、しばらく前から強い雨が降らされる事は予定されていたのだろう。

 そうでなければ、ぽつぽつと点在している背の低い屋根付きの休憩所には、
 雨宿りをしている人々がいるハズだ。

 空は無言のまま、無人のスカイリウムを歩き続ける。

 開けた場所に出ると、空を見上げる。

 天蓋一杯に映し出された星空から、大粒の雨が降る異様な光景。

 だが、外の世界を知らない空にとっては、
 雲一つない空から降る雨こそが“普通の光景”だった。

 盛大に降りしきる雨が、頬を伝う涙と混じり、
 体中についた泥も僅かに洗い流してくれた。

 だが、心の奥底から溢れる澱のような罪悪感と、
 胸に穿たれた空虚な哀しみまでは、洗い流しも埋めもしてくれない。


――本当の空は青空って言って、もっと綺麗なんだって――


 幼い頃に姉から聞かされた言葉が、脳裏を過ぎる。

 本当の空。

 それは本来、天の空を指しての言葉だったが、
 今の空には、まるで自分の事を言われているような思いだった。

 綺麗な青空ではなく、鈍色の曇天。

 物語の中や資料でしか知らない、その言葉と光景。

 重苦しい雰囲気や、気の滅入るような色合い。

 正に、自分の心理状態と、自身の本質そのものだと、空は考えていた。

 何かに対して嫌悪や憎悪を抱きながら、
 さもそれがないように振る舞う、薄っぺらな偽善者。

 姉に守られている事も知らずに生きて来た、恩知らずの卑怯者。

 嗚呼、それが自分の本質。

 本当の空は……朝霧空の本質は、そんな最悪の人間に過ぎなかったのだ。

空「っ……ぅぅ……」

 そう思うと、情けなさと悔しさでより一層、涙が溢れ出す。

 そんな時、不意に背後の気配を感じた。

??「……朝霧さん……!」

 名前を呼ばれて振り返ると、そこにいたのは瀧川真実だった。

 瀧川は息を弾ませ、傘を差しながらも僅かに濡れた肩を上下させている。

空「瀧川……さん……?」

 空は呆然と、その名を紡ぐ。

 何故、彼女がここにいるのだろう?

真実「……見付けましたわ。ええ、候補にもあったスカイリウムです。
   お二人共、すぐにこちらに来て下さい」

 瀧川は携帯端末を取り出すと、通話機能で誰かに連絡を取っている。

 口ぶりからして、空の事を探していたようだ。

 通話を終えた瀧川は、携帯端末を制服の上着に仕舞い込み、
 どこかバツの悪そうな顔で辺りを見渡す。

 だが、意を決した様子で視線を空に戻すと、普段通りの表情を顔に貼り付けた。

真実「…………まったく、降雨時間中の外郭自然エリアまで来た上、こんな汚れて……。
   しかも、佐久野さんや牧原さんの通話呼び出しにまで応じないなんて」

 当人は厭味のつもりで言っているのだろうが、
 その口ぶりはどう聞いても心配しているようにしか聞こえない。

 それもそうだろう。

 ギガンティックドライバーであった朝霧空の名前とその死の報せは、
 顔写真も合わせて、今やメガフロート中に知れ渡っている。

 そして、雅美や佳乃を通じ、瀧川も空の姉が亡くなった事を知った。

 瀧川なりに“いつも通り”に振る舞おうとしたのだろうが、
 傷付いたクラスメートを相手に鞭打つような行為は躊躇われたのだ。

真実「ほら、泥を払って……」

 瀧川はそう言って、スカートのポケットからハンカチを取り出すと、
 空の服についた泥を払い落とそうと歩み寄る。

 だが――

空「近寄らないで!」

 空は鋭い声音で、そんな瀧川を拒絶した。

空「……私、ウソつきだったんだ……!

  瀧川さんがいつも言ってたような、
  クラスの男の子達が言っていたような、ウソつきだったんだ!」

 空は自身の肩をかき抱き、喚き散らすように叫ぶ。

真実「朝霧さん……!?」

 対する瀧川は、愕然とクラスメートの名を呟く。

空「ウソをついて……、自分を誤魔化して……
  そんな、最低の人間だったの……私……」

 空はガックリと膝を付き、その場に腰を落としてしまう。

 最早、どう罵られても構わない。

 空は罪悪感のはけ口を……その断罪を、目の前のクラスメートに委ねる。

 だが、次の瞬間、瀧川の口から漏れた言葉は、空も予想だにしない言葉だった。

真実「私がいつ、貴女をウソつき呼ばわりしましたの!?

   クラスの男子のどなたがそう言ったかまでは知りませんし、
   私自身、貴女を格下呼ばわりした事はありましたけど、
   そんな事実無根の事を言った覚えはありませんわ!」

 瀧川は苛ついたような声で言うと、ズカズカと空に歩み寄り、
 尻餅をついたように蹲った彼女を乱暴に引き起こす。

 自分の制服が汚れるのもお構いなしだ。

真実「さあ! いつ、私がそんな事を宣ったのか、今すぐ言ってみなさいな!」

空「たきがわ……さん……」

 凄まじい剣幕の瀧川に、空は呆然としてしまう。

 確かに、瀧川は厭味を宣う煩型かもしれないが、ウソつきなどと言った事は一度も無かった。

 口では友達と言いながら、空はそんなあらぬ疑いを彼女にかけていたのだ。

 そう思い至った瞬間、すぐに感情の波が打ち寄せ、申し訳なさで嗚咽が漏れ出す。

空「っぐ、うぅ……うわああぁぁぁぁ……っ!」

 もうどうして良いか分からず、空は泣き喚く。

真実「………まったく……」

 泣き喚く級友の様子に、瀧川は盛大な溜息を漏らすと、
 彼女を連れて手近な休憩所へと入って行った。

 ベンチに座らせられ、怒ったような顔の瀧川に全身の泥を払われる。

真実「まったく……歩実より手がかかりますわ……」

 瀧川は愚痴めいた厭味を漏らすが、
 そうは言いながらも手を休める事は無かった。

 空も、瀧川によって泥の大半が払い落とされる頃には、
 ようやく僅かに落ち着きを取り戻していた。

真実「……………何があったのか、大概は承知しているつもりでしたけど、
   余人には計り知れない事情がありそうですわね」

空「っく……うっ」

 溜息がちに呟く瀧川の言葉に、空はしゃくり上げる。

 それを肯定と取ったのか、瀧川は盛大な溜息を漏らした。

真実「……その様子では、佐久野さんと牧原さんが来ても、
   事情は話し難いでしょうね……。

   お二人とも、例のニュースを聞いて、半ばパニックになっていましたし……」

 瀧川はそう言って空の隣に腰を下ろすと、視線を合わせる事なく森に目を向けた。

 例のニュースとは、海晴の死亡と、彼女がギガンティックドライバーだった事だろう。

 二人が来る、と言う事は、つまり、先程の通話の相手は雅美と佳乃だったのだ。

真実「…………フンッ」

 瀧川は不機嫌そうに鼻を鳴らすと、携帯端末を取り出して、
 何事か操作し、空に向けて乱暴に付きだした。

空「っ!?」

 驚いて息を飲みながらも、空は反射的にその画面を見てしまう。

 それは、瀧川の身分証明だ。

 そして、そこに書かれた市民階級欄には“準二級市民”の文字が躍っていた。

空「これ、って……」

 空はしゃくり上げながらも、驚いたような声を上げる。

真実「ええ、お察しの通り、私も格下……元三級市民ですわ」

 瀧川は自嘲気味に、どこか大仰な仕草でそう言うと、
 携帯端末を乱暴に仕舞い込んだ。

真実「実家は明治から代々続いた軍人の家柄で、
   メガフロートに篭もってからも、魔力も高い正一級市民。

   なのに私だけが出来損ないの三級市民。
   年の離れた妹だって、出来損ないの私の代わりに生まれた、本当の跡取り娘。

   魔力が低い人間なんて今のご時世、政略結婚の道具にもなりませんわ」

空「瀧川さん……」

 まるで舞台で語る役者のような口ぶりで語る瀧川だが、その事実は重苦しい。

 空もどうして良いか分からず、涙を止める事も出来ず、オロオロとするだけだ。

 魔力の量や質――体内に含まれるマギアリヒトの量は、遺伝に依存する事が多いとされるが、
 魔力が高い者同士の間に低魔力の子供が生まれたり、その逆がある事も知られている。

 瀧川の場合は前者と言う事だろう。

真実「………ふざけるな、と言いたくなりますわね。
   だから、出来損ないなりに、見返してやる事にしましたの」

 瀧川は遠くを見るような目をして、屋根の向こうに見える雨の星空を見遣る。

真実「必死に勉強し、魔力を絞り出して成績を上げ、
   中等部からは二級市民向けの第八小中学校に編入しましたわ。

   だから今度は、第一女子高等部に合格して準一級に……。
   いえ、軍に入隊して、お父様もお祖父様もなれなかったエリートに……、
   特一級になって見せますわ」

 そう語る瀧川の目は、闘志と希望に満ち溢れていた。

 だが、不意に肩を竦めて、瀧川は空に向き直る。

真実「……朝霧さん、正直に申しますと、
   私、貴女が羨ましかったんです………」

空「え……?」

 瀧川の突然の告白に、空は驚いたような声を上げる。

 しゃくり上げるほどだった涙も、いつの間にか僅かにその勢いを削いでいた。

真実「同じ三級市民だったハズのに、あなたは特例二級で私は準二級。
   貴女の成績を見れば、貴女がどれだけ努力しているか、
   分かってはいたつもりでしたけど……。

   それでも……理不尽とは分かっていても、嫉妬は止められませんでしたわ」

 瀧川はそう言うと、また溜息を漏らす。

 彼女の言い分も分からなくはない。

 自分が小学校の六年間をかけて必死に這い上がって来たと言うのに、
 空はそんな苦労もなく、最初から二級市民扱いで第八小中学校に通っていたのだ。

 空も瀧川も、どちらも成績はクラスでも上位だったが、
 空が成績で上回っている教科も幾つかはある。

 学期始めに行った新年度の学力考査や、
 それまでに掲示されている一年生の頃の考査結果で、大体の成績は把握できている。

 空自身は自分の成績がどの程度か気にはしていたが、
 瀧川の成績は“あ、近い順位にいるんだな”程度の認識でしかなかった。

 しかし、瀧川からして見れば、心中穏やかではいられなかった。

 彼女の言葉を借りれば、“同じ三級市民だったハズなのに”と言う事である。

 その上、スタート地点では空の方が恵まれていたのだから、
 彼女には複雑な思いもあっただろう。

真実「ああ……勿論、コレは一切、他言無用でしてよ?
   最初は小憎らしいと思っていた妹も、
   最近は可愛いと思える程度には……まあ、なって来ましたし」

 そう呟く瀧川は、どこか恥ずかしそうに見えた。

 彼女得意の厭味節だ。
 しかも、照れ隠し。

 それは、シェルターでの姉妹の様子を見ていても分かる。

 いくら姉と言っても、本当に自分の事を憎んでいる相手だとしたら、
 子供はああも懐かないだろう。

空「瀧川さん………」

 空は呆然としたような、だが僅かに心の澱が払われたような微笑ましい気持ちで、
 そんな複雑な感情そのままの声音を漏らす。

 そんな空の様子に、瀧川は肩を竦めながらも、
 肩の荷が下りたような清々しい顔つきを浮かべた。

真実「さて……、私は家族や友人にも、
   それどころか他の誰にも言っていない事を話したんですのよ?

   貴女も何か言うのが筋じゃありません事?」

 瀧川は意味深な言葉を並べ立て、空の顔を覗き込み、さらに続ける。

真実「お二人が到着するまで、あと小一時間はあるでしょう………。
   言ってスッキリする事もあるかもしれませんし、話してみなさいな」

 瀧川の物言いは僅かに高圧的だったが、だが確かな思いやりに溢れていた。

空「………」

 空は顔を俯け、押し黙る。

真実「まさか、無言で押し通そうなんて思ってませんわよね?
   私の事を“ウソつき宣い”呼ばわりしておいて」

 だが、そんな空に追い打ちをかけるように、瀧川は詰め寄って来た。

 それにしても、“ウソつき宣い”呼ばわり、とは初めて聞く言葉だが、
 さすがにコレばかりは瀧川に分がある。

 勝手に身の上話を始めたのは瀧川の方だが、
 それは自分に話しやすい環境……いや、話しても良い言い訳を準備してくれたのだろう。

 空にも、何となくだが、それは理解できた。

 努力家でプライドが高く、だが友人に対しては情が深い。

 成る程、彼女らしい気遣いだと思うと同時に、
 瀧川が自分の事を友人として認めてくれたのが、空には嬉しかった。

 そして、自分に対して怒ったような表情を浮かべながらも心配し、
 だがどことなく憑き物が落ちたような雰囲気の瀧川を見ていると、
 自分も話した方が楽になるのではないか、と言うような気さえして来る。

空「………っ」

 だが、すぐに姉の死に様が思い浮かんでしまい、空は身を強張らせた。

 思い出すだけで息が止まるような、
 胸に大穴を穿たれるような恐怖と、そして、怒り。

 そんな空の様子に、瀧川は視線を外す。

真実「……無理に、とは言いませんわ。
   さっきの事も忘れて下さって――」

 ――構いません。

 そう言いかけた瀧川の言葉を、空は彼女の手を握って制した。

空「……話す、よ……」

 空は躊躇いがちに、だが意を決して、絞り出すような声で呟く。

 その声からは、決断にどれだけの勇気が要ったのか、
 瀧川にもありありと感じられる程だ。

 だから敢えて、瀧川は無言のまま、空が話し始めるのを待った。

空「………私、ね……生まれてから六歳頃まで、戸籍が無かったんだって……」

 空はどこから語り初めて良いのか分からず、
 だから先ずは、一番最初から語り始める。

 自分がギガンティック機関のギガンティックに選ばれていた事。

 幼い自分を心配し、姉がその身代わりになってくれていた事。

 きっと、自分の事を心配してその事を黙ってくれていたのかもしれない、と言う推測。

 大好きな姉に、ずっと迷惑をかけ続けて来たんだと言う事。

 そして、そんな姉が今日、自分を守るために命を落とした事。

 姉になんの恩返しも出来なかったと言う事。

 そして、イマジンが憎くて憎くて、復讐したくて仕方がないと言う事。

 その事を話し始めた頃には、堪えていた涙がまた堰を切って溢れ出していた。

真実「………肩口のそれ、そう言う事だったんですのね……」

 しゃくり上げる空に視線だけを向け、瀧川は呆然としつつも呟く。

 空は言われて、しゃくり上げながらも自分の肩口を見遣った。

 広くべっとりとこびり付いたソレは、姉の返り血だ。

 そう言えば、家に帰ってからも着替えていなかった事を思い出し、
 空は目を見開いた。

 明日美とアーネストが来た時も、町を彷徨っていた時も、
 ずっとこのままだったのだ。

 町の雑踏で誰かにぶつかった時の悲鳴も、
 何割かはこの返り血のせいだったのかもしれない。

真実「それにしても……、無理矢理聞き出しておきながらこう言うのも、
   些か問題かもしれませんが……。

   言葉が、見付かりませんわ」

 瀧川はそう言って、深いため息を漏らす。

空「そう……だよね、困っちゃうよね……」

 空は涙ながらに、自嘲気味な苦笑いを浮かべた。

 だが――

真実「ただ……何と言って良いかは分かりませんけど………、
   朝霧さんのお姉さんが亡くなられた責任の一端は、私にもありますわね」

 ――瀧川がそう申し訳なさそうに呟くと、空は驚いたように目を見開く。

空「そ、そんな事……!?」

真実「大有りですわ!」

 慌てて否定しようとする空の言葉を、苛ついたような瀧川の言葉が遮った。

真実「聞く限りでは、朝霧さんのお姉さんが無茶をなさったのは、
   朝霧さんのためとしか思えませんもの……。

   妹が危険な時に平静でいられる姉なんて……」

 瀧川はそこまで言いかけて、
 自分自身の墓穴を掘っている事に気付き、僅かに言葉を濁す。

 だが、すぐに気を取り直して続けた。

真実「朝霧さんが危険な目に遭った大元の理由は、
   シェルターの利用権を私と代わってくれたため……。

   つまり、私のために危険な目に遭ったと言う事ですわ」

空「それは……その……そんな事、無い……」

 瀧川の言葉を聞きながら、空は弱々しく反論する。

 確かに、瀧川の意見も一理あると言えた。

 姉があれだけ無茶をした理由が、自分を助けるためだったと言う事は、
 彼女の性格や普段の言動を熟知している妹の自分ですら思うのだから間違いない。

 そして、再開発地区まで足を伸ばしたのは空自身の判断だったが、
 最初にいたシェルターの外に出たのは、瀧川に原因の一端があると言うのは、これも間違いない。

 だが――

空「うん……やっぱり、そんな事ないよ!」

 空は涙を拭い、強く否定した。

 瀧川にも原因の一端がある。
 瀧川の言にも一理ある。

 そう、一端と一理であって、全てではない。

空「瀧川さんは悪くない!
  だって、そんな事は全部、偶然で……!」

真実「ハァ……」

 言いかけた空の言葉を、瀧川の溜息が遮る。

真実「……そう言う事ですわ。
   不幸な偶然の取り合わせの全てを、
   朝霧さんが背負い込む必要なんてありませんのよ?」

空「あ……」

 言い聞かせるような瀧川の言葉に、空はハッと息を飲んだ。

真実「お姉さんが朝霧さんの身代わりとしてドライバーをしていた事は本当でしょうし、
   その事に朝霧さんが負い目を感じるのは、分からないでもありませんわ。

   だけど、そのせいで死んだ、と言う発想は、些かネガティブな方向で飛躍し過ぎです」

 驚く空を後目に、瀧川は淡々と自分の考えを並べ立てる。

真実「お姉さんは朝霧さんを命に代えてでも守りたかった。
   妹を持つ同じ姉として……その、分からないでも、ありません」

 冷静だった瀧川は、最後の言葉を僅かに上擦らせた。

 やはり、本音を言うのは恥ずかしいのだろう。

 だが、咳払い一つで気を取り直して、さらに続ける。

真実「コホンッ。

   ………とにかく、お姉さんを殺したのはイマジンであって、
   その事実だけは、他の誰の責任でもないでしょう」

空「……うん」

 空は瀧川の言葉に頷く。

 確かに、瀧川の言う通りだろう。

真実「無意味に自分の事を責め続けたら、お姉さんが草葉の陰で心配しますわよ」

空「そう……だよね」

 どこか呆れた様な瀧川の言葉に、空は、今度は躊躇いがちに頷く。

 あんな死に方をした姉を見たばかりで、
 草葉の陰と言うのもどこか納得がいかないからだ。

真実「………失言でしたわ、ごめんなさい」

 空の様子に気付いた瀧川は、すぐにそう言って頭を垂れようとする。

空「え、あ!? い、いいよ、謝らなくても!」

 だが、空は慌てて、そんな瀧川を止める。

真実「……少しは調子が戻って来たようですわね」

 そんな空の様子に、瀧川は少しだけ安堵の溜息を漏らす。

 空も言われて初めて気付いたのか、
 弱々しく……どこか苦笑いのように顔を綻ばせる。

 まだ、姉を失った哀しみも、イマジンに対する恐れや憎しみも晴れないが、
 それでも、何とか持ち直したような思いがするのは事実だった。

真実「それで……これからどうするか、決めているんですの?」

 瀧川は自分でも性急過ぎるとは思いつつも、そんな質問を投げかける。

 どうするか、とは、今後の身の振り方だろうとは空にも分かった。

空「…………分からない、って言うのは……多分、ウソになっちゃうと思う」

 空はしばらく考え込んでから、屋根の隙間から見える星空に目を向けて呟く。

 その瞳には、迷いと、だが僅かに燃える何かが灯っている。

 憎悪と恐怖、そして、僅かばかりの使命感。

 その三つをごちゃ混ぜにしたような、暗い感情だと、空にも理解できていた。

空「イマジンは怖いし、憎い……。
  お姉ちゃんの仇も討てなかった……。

  お姉ちゃんの仇は、もういないけど、私は……イマジンを許せない」

 空は正直に、その言葉を紡ぐ。

 あの時、明日美達には告げられなかった本音だ。

空「私ね……きっと、凄く酷い人間だと思う……。

  許せないとか、憎いとか、そう言う気持ちに蓋をして、
  自分にはそんな物は無いって思い込んでた……。

  でもね、今日、分かっちゃったんだ……。

  蓋をしなきゃいけないくらい、私は自分の中にある、
  そう言う部分が嫌いなんだって……」

 空は胸の内を吐露するように呟き、星の見えない天井を見遣る。

 灯りも何もない真っ暗な天井は、
 自分で語った蓋をされた気持ちそのもののようだと、空には思えた。

 何もしていなければ、
 あの向こうから伸びて来る何者かの手に囚われてしまうのではないだろうか?

 そんなあり得ない想像すら浮かんでしまう、真っ暗闇。

 心の奥底から黒い澱を溢れ出させ続ける、自分の心の中にある、暗闇。

 それは、イマジンよりも恐ろしい気がした。

 だが――

空「それでも、イマジンは許せない……!」

 再び、その言葉を紡ぐ。

 姉の命を奪ったイマジンを、その同類を許してはおけない。
 のさばらせてはいられない。

 自身の心に対する恐怖がイマジンへの恐怖を上回ったと気付いた時、
 イマジンに対する憎悪がソレを凌いでいた。

空「多分、お姉ちゃんは怒ると思う……。
  普通に幸せになって欲しいって、いつも、そう言ってたから……」

 空は顔を俯けて、思い出すように呟く。

 最後に共に過ごした夜も、姉はそう言って自分を抱きしめてくれた。

 きっと、姉は自分がギガンティックに乗る事を望んでいない。

 だからこそ、身代わりになってくれていたのだ。

 それが、空の迷いの中で、最も大きなウェイトを占めていた。

空「だけど、きっとこのままじゃ、幸せになんかなれない……。
  幸せになんか……なっちゃいけない」

 空は顔を上げると、確信と共に、そう言い切る。

 姉の犠牲の上に成り立つ幸せなど、自分には考えられないし、
 そんな物に身を委ねる自分を許せるとは到底、空には思えなかった。

 無論、不幸になるべきだ、と言う意味でもない。
 それは最も、姉が望まないだろうから……。

真実「………もしかして朝霧さんって、頑固な方、なのかしら?」

空「え? ……あ、ど、どう、なんだろう?」

 ふと問いかけた瀧川に、空は戸惑ったように答える。

 言われて見れば、思い当たらない節が無いでもない。

 姉には遠慮されていたのに、誕生日プレゼントを贈ったのも、まだ二日前の事だ。

 先程のように、自分で納得するように論破されなければ自分の考えを曲げる事もしない。

空「……頑固、なのかも」

 空はそう言って、苦笑いを浮かべる。

真実「そう……」

 瀧川は小さな溜息混じりに頷き、さらに続けた。

真実「でしたら、私がどう言おうとも、意見は曲げる気はないんでしょう?」

空「それは………そう、かも」

 自分の問いかけに頷きながら答えた空に、瀧川はまた溜息を漏らす。

 確かに、こればかりは納得できるように論破してくれる人物がいそうにない。

真実「それに、そうまで言うなら、分からないどころか、
   もう答えは出ているんじゃありません?」

空「………うん」

 呆れたように問いかける友人と視線を合わせて、空は小さく頷く。

 本当に気持ちを決めたのは、先程の言葉の最中だった。

 空はすっくと立ち上がり――

空「私……ギガンティックに乗る。
  ギガンティックのドライバーになって、イマジンと戦う」

 ――瞳の端に溜まっていた涙を拭って、その決意を口にする。

 今まで、自分の代わりに戦ってくれていた姉。
 その姉を殺したイマジン。

 姉の死に報いる方法は、イマジンと戦う他ない。

 そして、その決意を口にした空の瞳に、もう迷いの色は無かった。

空「ありがとう……瀧川さん……ううん、真実ちゃん」

 空は振り返って、今できる精一杯の笑顔を浮かべる。

 瀧川……いや、真実が自分の事を話してくれなければ、
 今、こうしてはいられなかっただろう。

 それどころか、罪悪感で押し潰されてしまっていたかもしれない。

 お礼の言葉は、素直な気持ちだった。

真実「っ!?
   ………ど、どう致しまして……その、朝霧さ……空……」

 一方、真実は一瞬、面食らったような顔を浮かべると、少し恥ずかしそうに返す。

空「? ………あ」

 一瞬、何故フルネームで呼び捨てにされたのか分からなかった空だが、
 それが言いかけて途中で言い直した物だと、僅かに遅れてから気付いた。

空「真実ちゃんって……友達の事は呼び捨てにするんだ」

真実「いっ、いきなりちゃん付けにして来る人にだけは、言われたくはありませんわっ!」

 ほんの少しだけ驚いたような空の言葉に、真実はそっぽを向いて怒ったように言った。

 しかし、もう彼女の本性と言うか、本来の性格は空にも分かっている。

 素直になれない彼女の事、コレは間違いなく照れ隠しだ。

 そして、そんな真実の様子に、空は思わず噴き出してしまう。

 後ろ姿でも分かるほど、真実が照れているのが分かった。

 と、その時だ。

??「空さぁん! 空さぁぁんっ!」

??「空あぁっ! 何処だぁ!?」

 ざあざあと降りしきる雨音に混じって、遠くから、
 自分の名前を呼ぶ声が聞こえ、空はそちらに向き直る。

 遠くからの声音からでもハッキリと感じる、
 自分を心配している声の主達は、空にはすぐ分かった。

空「雅美ちゃん……佳乃ちゃん……」

 聞き間違えようもない友人達の声に、空は安堵にも似た声を漏らす。

 自分を呼ぶ声は、次第に近付いて来る。

 そして――

佳乃「っ!? そ、空あぁっ!」

 最初に自分を見付けたのは、佳乃だった。

雅美「空さん!」

 僅かに遅れて、雅美が現れる。

 二人は驚いたように、空達のいる休憩所へと駆け込む。

 二人とも傘を差しておらず、この大雨でびしょ濡れだ。

佳乃「空……空ぁ……っ!」

雅美「空さん……遅くなって、ごめんなさい……!」

 二人は声を震わせながら、空を抱きしめる。

 気付けば、二人も涙で顔をぐしゃぐしゃにしていた。

 空を見付けて、気が緩んだのだ。

空「ごめんね、二人とも……、心配かけて……」

 親友二人の温もりに包まれながら、二日前の、姉の抱擁を思い出す。

 思えば、友人達も海晴とは浅からぬ関係である。

 メガフロート内で一斉に放送された事もあり、真実が知っていた以上、
 二人も海晴の死については既に知っているだろう。

 そこで真実の言葉を思い出したが、半ばパニックを起こしていたと言う。

 クラスで孤立していた自分を助けてくれたと話した時は、
 姉も心の底から二人に感謝していたし、妹である自分と同じように接していた。

 そして、二人もそんな海晴に懐いてくれていたからこそ、
 二日前に誕生日プレゼントを選ぶ時も親身に協力してくれたのだ。

 二人も、姉の死を悼んで……哀しんでくれていたのだろう。

 そして、そんな哀しみの中にありながらも、自分を探し回ってくれていたのだと思うと、
 二人の温もりに姉の温もりを思い出した事も重なって、空は涙を堪えきれなかった。

空「ぅ……っ、ひっく……みやびちゃん……よしのちゃん……」

 しゃくり上げながら、大切な友人達の名前を呟く。

 真実のお陰で、姉を死に追い遣った罪悪感から解放されても、
 イマジンと戦う決意を固めても、
 まだ、姉の死と言う事実を乗り越えられたワケではない。

空「おねぇちゃん……しん、じゃった………死んじゃった、よぅ……」

 姉の死を受け止めるべく、空はその言葉を口にした。

佳乃「ッ……ぅぅっ」

雅美「空さん……っくぅ」

 佳乃はブルブルと身体を震わせ、雅美もしゃくり上げる。

真実「………」

 その傍らで、顔を背けながらも、三人の様子を静かに受け止める真実。

 両親もおらず、姉を喪い、空は天涯孤独の身になってしまった。

 だが、一人きりになってしまったワケではない。

 哀しみを共有し、一緒に泣いてくれる友人がいる。
 本心をさらけ出して、自分を救ってくれた新たな友人がいる。

空(私は……一人じゃない……)

 心から、空はそう思えた。

空(お父さん……お母さん……お姉ちゃん……)

 今は亡き家族に、胸の中で語りかける。

空(私……一人じゃないから……一人なんかじゃないから……
  だから……頑張れる……頑張る、よ……これからも、ずっと……)

 誰にも聞こえる事のない、家族への宣誓。

空「………ぅあぁ……うわぁぁぁぁぁ……っ!」

 親友達に囲まれながら、空はまた、幼子のように声を上げて泣く。

 それは、これから先に踏み出すための、涙だった。


 そして、瞬く間に四日の日々が過ぎた。

―4―

 姉、朝霧海晴の死から四日。

 回りの大人達の協力もあって簡単な葬儀を済ませた空は、早々に忌引きを切り上げた。

 まあ、すぐに土日を挟んだため、忌引きも何もあった物ではなかったが、
 ともあれ、友人達と過ごせる最後の学園生活を楽しむ事にしたのである。

 そう、“最後”の学生生活。

 あのスカイリウムでの一件の直後、空はギガンティック機関の明日美司令に連絡を取り、
 ギガンティックのドライバーとなる事を承諾した。

 早々の連絡と言う事もあり、電話越しに面食らったようだった明日美は、
 だが快く空の申し出を受け入れ、空はギガンティック機関の訓練施設へと預けられる事になったのだ。

 その訓練施設に出向く日が、今日の正午なのである。



 第八小中学校、職員室――


 空は担任の元を訪れ、自主退学の届け出を行っている最中だ。

 空は制服を着用しておらず、
 トレーナーにスカートと言うカジュアルな格好だった。

担任「本当に……今日で最後なのね」

 退学届けを受け取った担任の女性教師が、溜息がちに呟く。

空「はい。………すいません、突然で」

 空は頷いてから、寂しそうな笑み混じりに漏らした。

 突然とは言うが、
 担任が葬儀に顔を出してくれた時に、自主退学する旨は伝えてあるし、
 ギガンティック機関からも役所を仲介する形で、
 退学届けを受理するよう、学校への指示も出されているハズだ。

 彼女の反応は、まだ信じられない、と言った驚きもあっての事だろう。

担任「お姉さんが、その……あんな事があったばかりなのに……。
   お葬式だって、一昨日の事でしょう?」

 担任は言葉を濁しがちに言って、顔を俯けた。

 この担任には、真相は知らされていない。

 自分がこれからギガンティックのドライバーとなる事。

 そして、今の自分が一級市民である事もだ。

空「けれど……もう、特例二級じゃありませんから」

担任「それでも規則では、試験の成績次第で学校に残る事も出来るのよ?」

 苦笑い気味の空に、担任は心配そうに訪ねた。

 空の言葉を、“もう二級市民の学校にはいられない”と言う意味で取ったようだ。

 確かに規則の上では、学力試験を受ける事で学校に残る事が出来る。

 彼女の言葉は、空の成績を鑑みての提案だったのだろう。

 しかし、実際の所、空は三級市民になったワケではなく、一級市民になったのだ。

 その場合、本人が希望するならば、無試験で学校に残る事が許される規則となっている。

 だが、空は親友達以外にこの件の真相を話さないと固く決めていた。

空「……短い間ですが、お世話になりました」

 空は一礼すると、端末内の学生証のデータや教科書アプリケーションを返却し、
 最後の退学手続きを終え、職員室を後にする。

 職員室を出て直ぐ、来客用玄関に向かう途中で空は三人の友人達と遭遇した。

 玄関に向かう通路を行く空を、三人が待ち受ける形だ。

空「みんな……来てくれたんだ」

佳乃「よっ、もう手続き終わったのか?」

 顔を綻ばせた空に、佳乃はどこか軽い調子で声をかける。

空「うん、終わったよ……」

 対して、空は少しだけ寂しそうに応えた。

雅美「空さんがいないと、寂しくなりますね……」

 空に呼応するかのように、雅美が哀しそうな表情を浮かべる。

真実「短い付き合いでしたわね……空」

空「そうだね……真実ちゃん」

 二人からやや離れた位置で、そっぽを向いたまま言った真実に、
 空は苦笑いを浮かべて呟く。

 真実とはやっと友人同士になれたのに、
 そうなってから共に教室で過ごせたのは、昨日のたった一日だけだ。

佳乃「真実はツンデレだからなぁ、素直に寂しいって言えよ~」

 佳乃は四日前にそうしたように、
 ニマニマとした笑みを浮かべて、真実の肩に腕を回す。

真実「ちょ、ちょっと、何を言ってますの!?」

 真実は狼狽し、頬を真っ赤に染めて反論する。

雅美「佳乃さん、“つんでれ”、って何ですか?」

佳乃「大昔のネットスラングだよ。
   ほら、風俗辞典にも載ってるぜ?」

 首を傾げた雅美に、佳乃は携帯端末の画面を見せた。

 空と真実も、雅美と一緒になって画面を覗き込む。

真実「えっと……、
   意中の男性に素直になれない性格の女性を示す、
   二十一世紀初頭前後の日本で多用された、サブカルチャー系ネットスラング……、
   何ですの、これ!?」

佳乃「何でも、誤用から発展した言葉らしいぜ?」

 素っ頓狂な声を上げる真実に、佳乃は笑み混じりに返した。

 無論、真実がそう言う意図の質問をしたのでない事は、
 全員が――勿論、佳乃もだ――分かっていた。

空「成る程……真実ちゃんはツンデレさんだったんだね」

雅美「つんでれ、ですか……」

佳乃「ツンデレ、ツンデレって……
   大昔のネットスラングって事は、死語でしょう!?
   それも半世紀以上も前の!

   そんな死語を人に向かって連呼しないで下さいまし!」

 どこか面白がっている様子の空と雅美に、真実は咎めるような口調で叫ぶ。

 だが、恥ずかしそうに頬を染めていては、その迫力も半減以下である。

佳乃「そうだよなぁ……
   真実は空の前じゃないと素直になれないもんなぁ……」

雅美「真実さん、私と佳乃さんの事は、
   名前で呼んで下さらないですからねぇ……」

真実「あなた達がそう言う態度だからですわっ!」

 わざとらしく達観する佳乃と、あからさまに落ち込む雅美に、
 真実は青筋を立てかねないほど怒った表情で、声を上擦らせた。

空「ぷっ……アハハハッ」

 友人達の様子に、空は噴き出す。

 しんみりとした別れを覚悟していた空だったが、
 まるで今までのやり取りの延長のような友人達の様子に、
 彼女達の気遣いを感じて顔を綻ばせずにはいられなかった。

空「みんな、ありがとう」

 そして、素直な気持ちで、そんな言葉を紡ぐ。

佳乃「……まぁ、これで二度と会えないってワケじゃないしな」

 佳乃は僅かに肩を竦めたが、すぐに気を取り直したように言う。

 彼女の言葉通り、これは今生の別れではない。

 休暇には会う事も出来るし、
 多少の検閲はされるがメールのやり取りも出来る。

雅美「一足早く社会人になる空さんを、笑って送り出しませんと」

空「社会人かぁ……あんまり、そんな実感は無いや」

 微笑む雅美に、空は苦笑い混じりに返す。

 ギガンティックのドライバーになると言っても、
 しばらくは訓練所預かり……つまりは訓練生だ。

 そう言う意味では、まだ学生と大差は無いだろう。

真実「今からそんな自覚の無い事でどうするんですの?
   もっとしっかりなさいな!」

 そんな空を、真実が一喝する。
 これも彼女なりの心配と激励だ。

空「………うん、頑張るっ!」

 空はそう応え、友人達の横を通り過ぎて、振り返る。

 それに合わせて、三人も空に向き直る。

 そう、これは別れではない。
 出発なのだ。

 だから――

空「行ってきます!」

 ――少女は笑顔で、友人達に言った。


第3話~それは、別れのような『旅立ちの日』~ 了

朝霧、学校やめるってよ
と言う事で、今回はここまでとなります。

あと、久しぶりに安価置いて行きます。


Ⅰ・結編
第34話 >>2-70
最終回 >>76-153
番外編 >>165-233
閑話   >>235-245

Ⅱ・空編
プロローグ >>251-260
第1話   >>265-295
第2話   >>300-327
第3話   >>332-366

乙ですた!
少女ギガンティック・ドライバーがマネジメントを読んだらですね。分かります。
さて今回、司令はやはり明日美でしたか・・・・・・彼女が生ける英雄と呼ばれている事で、G・Dの死亡率の高さが
何となく分かるような気が。
そして明日美の口から語られた空の出生の秘密・・・・・・ですが、コレまだ全部じゃないですよね??
色々と「?」と、ひっかかる発言もありましたし。
そしてアレックス君。やはり晩年は哀しいものでしたか・・・・・・。
それにしても悲しむ気持ちは当然ですが、脅威に立ち向かう術に余人の立ち入れない、理解出来ないほど手を加えるのは
やはり困ったものですね。
・・・・・・メンテとか大丈夫なんでしょうか??
さて、空。
ここで自分の中にある『醜さ』と対峙出来るというのは、強さの証です。
それを支えてくれる友人達との出会いがあったのも、勿論、空の心根の良さ故。
結の時とは違って希望に満ち溢れた旅立ちではありませんが、今後の空を待ち受けるのは・・・・・・次回も楽しみにさせて頂きます。

そうそう、イノセント。
マテ娘たちの立ち居地、特に星光さんのポジが良いですね~!


お読み下さり、ありがとうございます。

>マネジメントを読んだら
空がこの世界にイノベーションを………とまで考えた瞬間、何故かダブルオーネタが過ぎりましたw

>明日美が司令
引継で出すなら、空の師匠役か司令役かの二択だったのですが、
今のギガンティックの特性を考えたら、ギガンティック機関には無くてはならない人物かな、と、司令になって貰った次第です。
明日美の強さですが……両親譲りと言う部分も大きいですね。
Aカテゴリクラス出身と言う事もあって、魔導戦技の師もリーネですし。

>空の出生の秘密
全てを語るのは、もう少し先になりそうですね。
ただ、出自が特殊な子である事だけは間違いないです。

>アレックスの晩年
娘二人には泣きつけない、本條家の三人は多忙過ぎ、兄貴分・姉貴分と実家は軒並み宇宙行き、
親友のメイ、共同研究者の香澄、それに麗も似たような心境で相談も出来ず、どんどん詰め込んだ挙げ句に……と。
責任感の強さは、第一シリーズの第三部でも書いていましたが……夫婦揃って背負い込んでしまうタイプだったので……。

>余人の立ち入れない
アレックス自身が、グンナーですら開発できなかった補助魔導ギアを作り出した天才ですからねぇ。
プティエトワールとグランリュヌはファンネルでしたが、エアレーザーはインコムどころか可動砲台止まりでしたし。
ともあれ、その天才が任せられるまま、暴走するまま、当時のドライバー達の要望通り、
回りを置き去りにして作り出した………ある意味、カッシュ博士とアルティメットガンダムですね。

>メンテ
外装や一部の伝送系と内装、解析できる範囲のシステムは調整が効くのですが、
設計図の無いエンジンや基幹部ごと破壊されてしまうと、外観以外は修復不能と言う感じですね。
その辺りの詳しい事情に関しては、次回以降で少しずつ説明したいと考えております。

>『醜さ』と対峙出来ると言うのは、強さの証
この辺りが、第一部の基幹になると考えておりますので、
詳細なコメントは控えさせていただきます。

>結の時とは違って
続編と言う関係上、終始、結と比べられる宿命だろうと思い、意図的に対比になるようにしております。
次回からは、修業編と言う名の設定解説編となります。

>マテ娘たち
紫天の王と夜天の主が、実の姉妹(笑)のように仲良さそうで何よりですw
さらりと王様の料理スキルが高い事も、プロローグでアピールされていましたし。
シュテルんも、原作の頃からそうでしたが、より一層、王の片腕感が増していて良いですねぇ。
ただ、全国ランキング一位で眼鏡キャラと言うのは、かなり予想外でしたw

そろそろ最新話を投下します。

それと、さすがにトリップが余所様と被り過ぎている事に今更気付いたので、
投下開始と同時に新トリップに変更します。

やっぱり#ロリコンは無かったか……orz

第4話~それは、遠く遥かな『姉の背中』~


―1―

 第五フロート第一層、第七自然保護区――

 NASEANメガフロートでは、メインフロート第三、四層と各フロートの第一層、合計九層のエリアが、
 全て人工的に再現された旧世界の自然環境を保全とするエリアとして割り当てられている。

 商業区や行政区を含む市民街区のある層の外郭を構成する外郭自然エリアとは異なり、
 層全体が自然エリアとなっているため、旧世界から保護された動物達もおり、
 鳥類の生活や山岳地帯再現を考慮し、天井までの高さも五キロ以上と高い。

 但し、自然環境を再現し、保全すると言う性格上、
 自然保護官以外の立ち入りは原則禁止となっているエリアでもあった。

 メインフロートの階層移動用の高速エレベーターも、
 食料プラントの第五層を含むこれらの階層は覗き窓もなく素通りするため、見る事も出来ない。


 だからこそ、初めてこれらの区画に足を踏み入れた者は――

空「うわぁ……す、すごぉい………」

 大概、今の空のように、目を皿のように丸くする結果となる。

 透明な強化チューブ内を通る、構内運搬用リニアキャリアに増設された貨客車両の窓から見える光景を、
 空は食い入るように見入っていた。

 普段住んでいる市民街区よりも十倍以上は高い天井は霞んでおり、
 映像資料でしか見た事のない“雲”が浮かんでいる。

 さらに、メインフロートでも第一層外郭自然エリアにあるスカイリウムでしか拝めない青空が、
 辺り一面の天井に映し出されているではないか。

 上空だけでなく、地上も絶景だ。

 青々と茂る草原や森林地帯が広がり、山々が聳え、川が流れ、
 動物園や図鑑でしか見られない動物達が広々とした空間を闊歩している様は、
 正に別世界の光景だった。

明日美「自然保護区に来るのは初めてだったわね……」

 対面式のシートに座って目を輝かせている空を、
 微笑ましそうな表情で見遣っているのは、ギガンティック機関司令の明日美だ。

 今日は先日のスーツ姿ではなく、白を基調としたゆったりとしたデザインの軍服姿だった。

空「あ、は、はい……す、すいません……。
  つ、つい、はしゃいじゃって」

明日美「フフフ……気にしなくていいわ。
    ここに連れて来た子達は、みんな同じような反応をしてくれるもの。

    ………案外、老人のささやかな楽しみの一つなのよ」

 恥ずかしそうに姿勢を正し、顔を俯けてしまった空に、
 明日美は穏やかな表情で返し、さらに続ける。

明日美「人がいたり、簡単に出入りが出来る文化保護区と違って、
    あまり見る機会のある場所じゃないし、しっかりと目に焼き付けておくといいわ」

 明日美はそう言って、自分もまた窓の外に目を向けた。

 NASEANメガフロート内において、旧世界の自然を知る人間は四十代半ば以上の人々だけ。

 しかも、かつての戦争や神の杖暴走事件、直後のイマジン事変などで多くの人々が命を落としており、
 残された人々もイマジン被害やテロ被害でその数も年々少なくなっている。

 明日美などは、旧世界の貴重な生き証人の一人なのだ。

 そんな明日美が窓の外に向ける視線は、どこか懐かしい物を見ているようだった。

明日美「……第七自然保護区の中でも、この辺りの区画はね、
    旧世界の欧州……ヨーロッパ中部……
    スイス辺りの山岳地帯を模倣して作られた場所なの」

空「ヨーロッパ……スイス……」

 明日美の口から語られた、本や資料でしか名を知らない旧世界の地名を、
 空は感慨深く反芻する。

 旧世界の世界地図を初めて見たのは、初等部高学年で初めて世界史を習った頃の事だ。

 丸く区切られた世界しか知らなかった空は、
 ギザギザだかデコボコだかよく分からない形をした世界――
 大陸や国境――に、酷い違和感を覚えた事を思い出していた。

空「あ、あの、フィッツジェラルド・譲羽司令」

明日美「ああ……いちいちフィッツジェラルド・譲羽司令じゃ長くて言い難いでしょう。
    単に司令か、譲羽か明日美でいいわ」

 僅かに緊張して口を開いた空に、明日美は柔和な笑みを浮かべて呟く。

明日美「新人時代からずっと、現役の間は譲羽で通していたから」

 さらに、そう付け加えて来た。

空「えっと……じゃあ、譲羽司令、質問があります」

 英雄の思わぬ気さくさに拍子抜けしつつも、空は気を取り直して訪ねる。

明日美「ええ、何かしら?」

空「ギガンティック機関の隊舎はメインフロートの第一層にあるんですよね?
  何で、第五フロートに……?」

 明日美に促され、空は質問を口にした。

 空は姉の勤務先が何処にあるかくらいは把握していたし、
 この場所がそうでない事も把握できている。

 何より、自然文化保護区は一般人立ち入り禁止区画の一つだ。

 暫くは、自分も訓練施設預かりとなる事は知っていたが、
 まさかこんな場所に訓練施設があるとは思えない。

 だとすれば、まさかドライバーになるための訓練とは、想像を絶する程の苦行で、
 訓練施設に放り込まれる前に、最後の思い出作りとして、観光でもさせてくれているのだろうか?

 そんな、妙な想像までしてしまう。

明日美「………ああ、そう言えば説明がまだだったわね。
    ここなのよ、ウチの訓練施設があるのは」

空「ほ、保護区にですか!?」

 明日美の返答に、空は素っ頓狂な声を上げた。

明日美「うん……まあ、厳密には、機関を退役してから保護官に転任した子が、
    好意でやってくれている個人道場……みたいな物ね」

 空の反応もお決まりだったのか、明日美は驚いた様子もなく答え、さらに続ける。

明日美「ここは広いし、邪魔も入らない、
    空気も市民街区よりはよっぽど綺麗で美味しいわ。

    ……まあ、多少の不便はあるけど、
    集中して訓練するには持ってこいなのよ」

 明日美の説明を聞きながら、空はようやく気を取り直して、なるほどと頷いた。

 そう言えば、姉が自分の代わりにギガンティックのドライバーになった――
 当時は、オペレーターとしてスカウトされたと聞かされていた――ばかりの頃、
 長期研修でしばらく家を空けていた時期があった事を思い出す。

 その時はホームヘルパーが住み込みで世話をしてくれて、
 月に二、三度帰って来る姉の事を首を長くして待つ生活が、半年近く続いたのだ。

空(そっか……お姉ちゃん、あの頃はここに通ってたんだ……)

 空は長年の疑問……と言うか、謎が解けた事で、納得したように小さく頷いた。

明日美「書類上は保護官の宿舎へ研修目的のホームステイ、と言う形になるけれど、
    ここでマンツーマンでみっちりと鍛えて貰いなさい」

空「はいっ」

 明日美の言葉に、空は深く頷いた。

 イマジンと戦うための技術と知識が、自分には欠けている。

 それは空も痛いほど理解していた。

 初めてギガンティックに乗ったあの日、自分は姉の仇を討つ事が出来なかった。

 仇を他の誰かが討つ様を、ただ見ている事しか出来なかったあの瞬間。

 あんな悔しい思いは、もうしたくない。

 明日美の言う通り、ここで戦う術を身に付けよう。

 空は両拳を強く握り締め、決意を新たにした頃、
 リニアキャリアは目的地の駅へと到着した。

 空と明日美は駅で降り、積荷の搬出作業をしている作業員達を後目に
 ケーブルカーへと乗り継ぎ、山の中腹を目指す。

 二十分ほど揺られ、終点へと辿り着き、
 そこからさらに徒歩で山道を五分ほど進むと、やや拓けた場所へと辿り着いた。

空「……ここが……」

明日美「そう、今日からここが、あなたの訓練の場よ」

 驚いたように辺りを見渡す空に、明日美が何事かを促すように言った。

 目の前にあったのは、拓けた森の中に建てられた天然木造二階建ての、
 ログハウスのような建物だ。

 普段から目にしていた、マギアリヒトから成る疑似建材の建造物とは違う、
 暖かみのあるその外観を、人工の太陽光が照らし出している。

空「……何だか、ちょっと……懐かしいような感じですね」

明日美「あら、そう? この感覚、分かってくれるかしら」

 感慨深く呟いた空に、明日美は少し驚いたような声で嬉しそうに返した。

明日美「ここはね、この区画を担当した人の趣味で、
    旧魔法倫理研究院の訓練施設を摸して作ったそうよ。

    私もそこの卒業生なんだけど……、
    まあ、私が在籍していた頃は、施設も当時の本部施設に移転されていて、
    夏期の集中講習の頃しか使った事はないのだけれどね……」

 明日美はどこか遠くを見るような目をして呟く。

 旧魔法倫理研究院の訓練施設。

 中等部に入ってから近代魔法研究史の授業で習った、
 旧世界における魔導訓練校の事だろうと、空は思い至る。

 スイスにある訓練施設……幾人もの英雄と呼ばれた魔導師――
 エージェントを輩出した、Aカテゴリクラスと言うエリート養成校だ。

 知りもしない施設を懐かしいと感じたのは、
 ここがどこか旧世界の児童文学を思わせる光景だからだろうか?

 空は胸の内に生まれた郷愁にも似た強い感覚を、そう割り切る事にした。

 空がそんな事を考えていると、施設の玄関から一人の男性が姿を見せる。

 身の丈二メートルはありそうな、筋骨隆々の屈強な巨漢だ。

???「おお、明日美さん! もう来ていましたか!」

 男性は見かけ通りの大きく野太い声を上げると、やや早足でこちらに歩み寄って来た。

明日美「ええ、アルフ君。
    予定より少し早く到着したのだけれど、構わなかったかしら?」

アルフ「構いませんとも。
    いや、しかし、お久しぶりです。

    最後にお会いしたのは……
    そう、マリアの面倒を見て以来ですから、四年ぶりですか」

 明日美にアルフと呼ばれた男性は、嬉しそうな笑みを浮かべた。

 やや暗めの金髪に、いかにもベテランと言った風な皺を刻んだ、
 少し年老いた……だがその老いを感じさせない男性。

 どうやら彼が、明日美の言っていた、
 かつて機関に所属していた保護官……今日から自分の先生となる人なのだろう。

明日美「紹介するわ、空。

    彼があなたに戦闘の手ほどきをしてくれる教官。
    この区画の保護官を統括しているアルフレッド・サンダース統括官よ。

    二十六年前まで、GWF208X-カーネルのドライバーをしていたの」

アルフ「アルフレッド・サンダースだ。
    よろしく頼む」

 明日美に紹介され、アルフは空に向けて手を差し出す。

空「は、はい! あ、朝霧空です!
  よろしくお願いします!」

 空は緊張気味に自己紹介をしながら頭を垂れ、利き手を差し出したが、
 アルフが出していたのが左手だと分かると、慌てて左手を差し出し直して握手する。

アルフ「朝霧……そうか、朝霧海晴の妹だったな」

空「……はい。
  その……姉も、こちらでお世話に?」

 驚きと共に感慨深く呟いたアルフに、空は聞き返す。

 何となくの確信はあったが、勘違いではマズイと思っての質問だった。

アルフ「……ああ、いい生徒だったよ、彼女は」

 アルフは少し寂しそうな目をして答える。

 彼も、四日前の姉の訃報の事は聞かされているのだろう。

 死者を思ってのお世辞かもしれなかったが、
 そう聞かされて、空は素直に嬉しいと感じていた。

 ここにも姉の事を認めてくれた人がいるのだ。

 数年前、姉や自分の事を嘘つきと罵られた経験があったからこそ、
 こう言った言葉は嬉しくてたまらない。

空「……ありがとうございます。
  そう言って頂けると、姉も……喜んでいると思います」

アルフ「そうか……」

 最後だけ少し言葉を詰まらせた空に、アルフは感慨深く頷いた。

アルフ「………まあ、募る話もあるだろうが、
    それはこれから追々と言う事で良いだろう」

 アルフはそう言って気を取り直すと、視線を施設へと向ける。

 空もずっと握手していた手を離し、つられるように視線を向けた。

アルフ「あの二階の隅にある、緑色のカーテンの部屋、分かるな?」

空「はい、あの右端の部屋ですね」

 アルフの質問に、空は頷いて答える。

アルフ「あそこが今日から、お前の寝泊まりする部屋だ」

空「分かりました」

 空は頷きながら、日当たりの良さそうな部屋だと言う感想を抱く。

 だが――

アルフ「よしっ、荷物を持って部屋まで駆け足!
    動き易い服に着替えて玄関に出頭! 十分以内だ!」

空「へ? ………あ、はいっ!」

 続くアルフの……教官の指示に、空は一瞬だけ呆然とし、
 だがすぐに気を取り直して走り出した。

 そう、ここは自分の訓練の場。

 訓練はもう、始まっているのだ。

 空は荷物を抱えて走り出した。

 走り去って行く空の姿を、明日美とアルフは見守るような視線で見遣っている。

明日美「じゃあ、彼女の事、宜しくお願いするわね、アルフ君」

アルフ「了解です明日美さん……。いえ、譲羽司令」

 二人はそう挨拶を交わすと、明日美はアルフに見送られてその場を後にした。



 一方、空は、アルフの出て来た玄関に入ると左右を確認し、
 階段を見付けて一気に駆け上がる。

 指示された通り、右端……一番奥まった部屋を目指す。

 他の部屋にはネームプレートがかけられており、
 どうやら他の保護官もここで生活しているらしい事が分かった。

 中には“睡眠中”と書かれた札がかけられた部屋も有り、
 空は極力、足音を立てないように素早く駆け抜け、指定された部屋へと辿り着く。

 机と一体型になった下にタンスを備え付けたベッドが目に入る。

 他の荷物も既に届けられており、空は分かり易く目印のしてあったダンボールの中から、
 学校で使っていた運動着を取り出し、素早く着替えた。

 こう言う事に備えていたワケではないが、
 制服ではなくトレーナーとスカートと言う楽な服装だった事が幸いし、
 五分と掛からずに着替えが終了する。

 姉から貰ったリボンも外し、ヘアゴムで括り直してアップに纏め、準備完了だ。

 再び駆け足で玄関へと戻ると、そこにはアルフが立っていた。

アルフ「九分四十秒か……。荷解きする前の初回にしては、まあ上出来だな」

 腕時計型の端末を確認しながら、アルフは満足そうに頷く。

 どうやら時間内に間に合ったらしい。

空「良かった……」

 空は安堵の溜息を漏らす。

 だが、すぐに気を取り直し、授業を受ける思いで姿勢を正した。

アルフ「よし、初日の今日は基礎体力……特に持久力を見せて貰う。

    この坂を下った所に、石の転がっている荒れ地がある。
    そこにある石を取って戻って来るまでのタイムを計る」

空「はい! ………えっと、荒れ地って、どこですか……?」

 アルフの指示に対して、半ば反射的に返事をした空は、
 だが彼の指差す先に広がる森しか見えない光景に、怪訝そうに聞き返した。

アルフ「目標の荒れ地は、ここから真っ直ぐ下って森を抜けた先にある。
    ほんの十五キロ程度だ。
    デコボコの穴だらけになっているから、行けばすぐに分かる。
    途中で休憩しても構わんが、夜の六時を過ぎたら飯の時間に遅れるぞ」

空「じゅ、十五キロ!?」

 平然と語るアルフに、空は驚きで返す。

 つまり、往復三十キロ。

 しかも、坂を下ると言うからには、必然的に帰り道は十五キロの上り坂だ。

 その上、六時までは今から五時間もない。

 休憩が許される時間も僅かと言う事だ。

空「え、えっと……去年の私の一五〇〇メートル走のタイムが確か七分以内だから……
  行って帰って二時間二十分の……えっと」

 空は大慌てで計算する。

 行きも帰りも慣れぬ坂道、初の長距離マラソンと言う事もあり、
 休憩を挟んだとしたら、おそらくはギリギリだ。

アルフ「魔法に関しては素人だと聞いている。
    魔力も十分に使えない状態では肉体強化も難しいだろうが……まあ頑張れ」

 そんな空に、アルフはどこか他人事のように言うと、玄関先にどっかりと腰を下ろした。

アルフ「オンユアマークッ!」

空「は、はい!」

 野太く大きな声で合図を出され、空は反射的に走り出す態勢に入ってしまう。

空(あっ!?)

 抗議しても無意味だとは思っていたが、
 最早、逃げる事も叶わぬ状況に自分で追い込んだ事に気付き、
 空は胸中で素っ頓狂な声を上げていた。

アルフ「レディィ……ゴオォッ!」

空「は、はいぃっ!」

 怒鳴るかのようなアルフの出走の合図に、空は逃げるように駆け出す。

 坂道を転がり落ちぬように慎重に、だが、転がり落ちるかのような速度で駆けて行く。

アルフ「ふむ……速度はまずまずだが、体幹のバランスは良いようだな」

 坂道を駆け下りて行く空の後ろ姿を値踏みするように見ながら、アルフは感慨深く呟く。

アルフ(まともなウォーミングアップもせずに、いきなりのスタートダッシュに耐えられる身体か……。
    姉より鍛え甲斐がありそうだ)

 アルフはそんな事を思いながら、空の訓練メニューに思いを馳せていた。

 それからおよそ、四時間四十分後――

 道のりは険しかった。

 緩やかだが傾斜のついた下り坂を、木や草むらを避けながら、
 さらに転ばないようにしながら駆け下りる事、およそ一時間半。

 不自然な穴だらけになった荒れ地にたどり着き、
 そこで手頃なサイズの石を探し終え、約三十分の休憩。

 帰り道は、遠く森の向こうに見えた例のログハウスを目印に方角を決め、
 木々の向こうに辛うじて見えたロープウェイとの距離感を頼りに、
 往路とは逆の上り坂を駆け上る事、実に二時間半超。

 そろそろ日も暮れ、天井の映像が青から茜色に染まり始めた頃になって、
 空はようやく森を抜けた。

空「はぁ……ふぅ……はぁ……ひぃ……」

 空は握り締めた石を取り落としそうになりつつ、
 フラフラになりながら最後の草原を登る。

 数日前に魔力が一気に上昇した事で、著しく体力が向上した事は感じていたが、
 まさかこんな無茶をやり遂げられるとは思わなかった。

アルフ「ふむ、四時間三十八分十八秒……なかなかいいタイムじゃないか」

空「は、はひぃ……」

 帰って来るなり前のめり倒れた空を見遣りながら、アルフは満足そうに呟いた。

 対する空は、まともに答える気力もなく、持って来た石を弱々しく掲げている。

アルフ「山の中を走ってみた感想はどうだ?」

空「はぁ……ぜぇ……はっ、っはぁ……」

 アルフはそんな事を尋ねて来るが、即座に答える事は出来ず、
 空は乱れきった息を必死で整えようとしてから、何とか口を開く。

空「く、くぅ……くうきが……おいしかった……で、すぅ……」

 しかし、まだ呼吸は整い切らない。

 ちなみに、素直な感想だ。

 但し、途中からゴールする以外の思考を放棄していたので、
 それくらいしか感想らしい感想無いのが本音だが……。

 自分の質問に絶え絶えに答える空からその石を受け取ると、
 アルフは玄関先の灯りの下で石を確認する。

アルフ「確かにあの荒れ地の石だな……よし、合格、だっ!」

 アルフはそう言いながら立ち上がると、
 魔力を込めて強化した身体で、その石を力強く放り投げた。

 アルフの踏み込んだ左足と、石の放つ衝撃波が辺りを震わせ、
 放り投げられた石は、まるで砲弾の如く彼方へと飛んで行く。

空「っ!?」

 その光景に、空は呼吸の乱れも忘れ、息を飲んで目を見開いた。

 一方、アルフは、振り抜いたばかりの左腕を軽くストレッチさせつつ、
 目を細めて石の行き先を見遣っている。

 しばらくして、遠くから大きな音が響き、それに驚いた鳥達が一斉に飛び立った。

アルフ「よし……俺もまだまだ捨てたもんじゃないな」

空「あ、あの……きょ、教官?
  まさか、い、石を、投げた先って……」

 その様子に満足そうに胸を張ったアルフに、空は信じられない物を見るような目を向け、
 疲労と驚愕とで絶え絶えに震える声で呟く。

 石を取りに行かされた荒れ地には、無数の岩塊が転がっていたのを思い出していた。

 荒れ地と言うよりは、砲弾か何かを撃ち込まれたような、
 妙なクレーターだらけの岩場と行った風情だったのが不思議だったが、
 今、ようやく合点が行く。

 そう、あれらは全て、
 このアルフレッド教官が投げ返した石礫爆弾の痕跡だったのだ。

アルフ「ああ、例の岩場だ。
    あの辺りは昔、イマジンが出た事があってからどの動物も寄りつかなくなってな、
    都合がいいんだ。

    ちなみに、投げ方は魔力弾と肉体強化、
    それに対物操作を応用した……まあ魔法の一種だ。
    別に身体能力だけで投げているワケじゃないぞ」

 驚く空に、アルフは淡々と語る。

 本能的に予測していた答に成る程、と納得しかけて空は激しく頭を振った。

 高位魔導師など雲の上の存在と思っていたが、
 まさかこれ程の怪物とは思いもしていなかったのだ。

 同じ人間だと言うのに、格が違い過ぎる。

アルフ「なぁに、魔力適正次第だろうが、
    お前ほどの大魔力なら、二月とせずに同じ事が出来るようになるさ」

 アルフはそう言って豪快に笑った。

アルフ「お前の姉の時は基礎訓練や型稽古が主体だったが、
    お前は魔導師としても一人前に鍛えてやるから期待していろ!」

空「は、はぁひぃ……」

 豪快に笑う教官の言葉に、空は気の抜けた声で返事を返した。

 もう少し気合を入れて返事をするつもりだったのだが、
 しっかりと呼吸を整えきれていなかったためだ。

アルフ「もう立つ気力も無かろう……どぉれ」

 そんな新たな教え子の様子に、アルフはそう言って空の身体を抱え上げようとする。

空「きょ、教官!?」

 突然抱え上げらそうになり、空は素っ頓狂な抗議の声を上げた。

 だが、空は抵抗するだけの体力も残っておらず、されるがままに抱え上げられてしまう。

アルフ「軽いな?
    もっと筋肉をつけんと、戦闘訓練では話にならんぞ」

空「ぅぅぅ~……」

 豪快に笑う教官に、空は羞恥で顔を真っ赤にして唸る。

 そんな教え子の様子に、アルフはまた豪快に笑った。

―2―

 翌朝――

空「お、おはようございます……」

 激しい筋肉痛に苦しみながら一階の食堂に顔を出した空は、
 自然保護隊の面々に笑顔で迎えられる。

女性保護官「へぇ、この子が隊長の新しい教え子ですか?」

 昨夜、夕食の場にはいなかった赤毛の女性保護官が、
 自分達よりもずっと若い少女の姿を見るなり、嬉しそうな声を上げた。

 おそらく、夕食直後も“睡眠中”の札が掛けられたままだった部屋の主だろう。

空「は、はじめまして……空です……」

 空は何とか笑顔を浮かべながら、その女性保護官に自己紹介する。

 朝霧の名は、姉を連想させる事もあり、気を遣わせてしまう事が分かったので、
 敢えてフルネームでは名乗らない。

 聞かれた際にでも、追々、話せば良い話だ。

女性保護官(ユカ)「アタシ、ユカ。よろしくね、空ちゃん」

空「はい、よろしくお願いします」

 空は差し出された女性保護官――
 ユカの手を握り替えしながら答え、彼女の隣に座る。

ユカ「本当は昨日の内に挨拶済ませたかったんだけど、
   夜通しでやらなきゃいけない作業から上がったばかりで、ずっと寝ちゃっててねぇ……。

   他のみんなとは、もう挨拶済ませたの?」

空「はい、昨日、夕食の時に」

 空はユカの質問に答えながら、席に着いた人々を見渡す。

 今、この場にいるのは自分とユカ、それにアルフを含めて七名だ。

 あとの四人……男性二人と女性二人とは、既に自己紹介を終えている。

 正面に座るスキンヘッドで小麦色の肌をした中年男性、ジョー。

 その隣にいる黒髪の大人しそうな女性は、チャオ。

 自分の角隣に座っている白人男性、ビリー。

 その向こう、ビリーとアルフの間に挟まれている白人女性、レイチェル。

 顔と名前は一致している。

ジョー「隊長の教え子は、二年前のルリカ以来だな……懐かしいモンだ……」

レイチェル「それ、昨夜も言ってましたよ、ジョー先輩」

 感慨深く語るジョーに、レイチェルが少し呆れたように言う。

チャオ「ジョーさんはそろそろご年配だからねぇ、
    色々と懐かしんじゃうんだよ」

ビリー「…………」

 チャオが見た目の雰囲気にそぐわない茶々を入れ、ビリーが同意するように何度も頷く。

アルフ「そこまでにしろ、お前ら。
    飯の前に連絡事項行くぞ。

    ジョー、ユカとビリーを連れて、今日は東エリアの観測を頼む」

ジョー「アイサー」

ユカ「了解ッス」

ビリー「了解、ボス」

 アルフの指示に、ジョー、ユカ、ビリーがそれぞれ応える。

アルフ「チャオとレイチェルは、下で保護してる鹿の経過を見てやってくれ」

チャオ「いえっさ~」

レイチェル「分かりました」

 チャオとレイチェルも返事をして顔を見合わせて頷く。

アルフ「空は……」

 部下達の返事に満足げに頷いてから、アルフは空を見遣った。

 突然の三十キロマラソンの反動か、激しい筋肉痛で歩くのも辛いと言った有様だ。

アルフ「……今日の午前は座学だな」

空「は、はい……」

 苦笑い混じりのアルフの言葉に、
 空は申し訳なさ半分、情けなさ半分、
 さらにごく僅かな安堵を込めて返事をした。

 軽いブリーフィングを終えて朝食は始まり、
 パンとスープに目玉焼きと言う簡素な食事を手早く済ませ、
 後片付けを終えた面々は、それぞれの指示通りに動き始める。

 空も後片付けを終え、それぞれの仕事に向かう保護隊の面々を見送った。

―3―

 食事中に教えて貰ったブリーフィングルームへ向かう途中、
 空はどこか嬉しそうに微笑んでいた。

空(みんな、良い人達ばかりで良かった……)

 空は昨夜の事や、先程、最後に出会ったユカとのやり取りを思い出しながら、
 安堵混じりにそんな事を思う。

 フルネームを名乗らないように決めたのは、例のマラソンの最中だったが、
 その事に対して追求するような人物はいなかった。

 アルフを除けば、一番のベテランはジョーで、
 もう二十年以上、アルフの下で保護官を勤めていると聞かされている。

 おそらくは姉の修業時代の事も知っているだろうし、
 他の面々も事前に自分の名前も聞かされているハズだ。

 戦死した姉と同じ、朝霧の名。

 そして、修業時代の姉と瓜二つの顔。

 気付かれていないハズがないのだ。

 だと言うのに、気付かないフリをして、みんな明るく振る舞ってくれている。

 それが申し訳なくもあり、だが同時に、その優しさが心に滲みるほど嬉しかった。

 そんな思いを噛み締めながら、空はブリーフィングルームへと入る。

 そこは、巨大な壁掛け液晶スクリーンと幾つかの机が置かれた、
 会議室と言うよりは教室のような赴きの部屋だった。

 空はスクリーン正面の一番前の席に座り、アルフがやって来るのを待つ。

 数分ほど待っていると、二つのタブレット端末を持ったアルフが顔を出した。

アルフ「座学をやると言っても、最初の内はギガンティックの基礎機能や、
    大規模な魔力の運用についてだ。

    あまり小難しく考えなくても良いぞ」

空「は、はい」

 そう説明しながらアルフの差し出したタブレット端末を受け取り、
 空は緊張気味に返事をする。

アルフ「そうだな……今日はギガンティックに関して、軽く説明する所から始めよう」

 アルフは思案気味に言ってから、液晶スクリーンの脇に椅子を一脚置くと、
 そこに腰を下ろし、手元の端末を使って液晶スクリーンを起動した。

アルフ「知っての通り、ギガンティック……
    ギガンティックウィザードは旧魔法倫理研究院と山路重工が作り上げた、
    新世代型の大型戦闘用魔導機人の総称だ。

    魔導機人は本来、ギア内部にその構造データがインプットされており、
    使用者の魔力供給によってマギアリヒトを集積・構築する事で、
    その場で瞬時に展開する運用形態だった」

 空は姿勢を正し、液晶スクリーンに映った解説図を見ながら、アルフの説明に聞き入る。

 旧世界において旧世代型ギガンティック……つまり、魔導機人が使われていた事は空も知っていた。

 新世代型と比べ、旧世代型は取り回しが容易で高い汎用性を誇る反面、
 高位の魔力量が要求される他、構造的に非常に脆い事で知られる。

 硬化特性の魔力を持った人間が構築すれば、相応の硬度上昇は見込めるものの、
 それでも新世代型に比べるとかなり見劣りしてしまう。

アルフ「旧世代型は使用者の魔力に頼って召喚と呼ばれる構築を行うため、
    破損箇所は即座に補修が可能ではあるが、魔力切れを起こした際には消滅してしまう。

    また、ダメージを受けた際のフィードバックによる魔力ダメージも避けられない。

    そこで、堅牢な機械構造にマギアリヒトで肉付けした、パワーローダーが生まれた」

 アルフの説明に合わせ、スクリーンに映るフォトデータやグラフが次々と切り替わって行く。

アルフ「ここまでで、何か質問はあるか?」

空「えっと…………ありません」

 説明に区切りを付けたアルフに尋ねられ、
 空は僅かに考えた後、そう答える。

 アルフに説明された内容は、初等部の地理や歴史で習った範囲に、
 簡単な専門的知識を組み合わせた物だった。

 念のために手書き式テキストエディタでメモも取っているが、分かり易くて助かる程だ。

アルフ「なら、続けよう。

    ……パワーローダーをさらに発展させて生まれたギガンティックウィザードは、
    旧世界では実現不可能とされた超巨大人型ロボットの材質問題を、
    マギアリヒトで精製した特殊合金で解決した物だった。

    戦闘機に匹敵する機動力、ヘリコプター以上の運動性、
    戦車を数段上回る装甲、そして、駆逐艦並の火力と、
    軍用パワーローダーを圧倒する格闘能力。

    ……こんな超兵機がイマジン出現以前に作られた理由が分かるか?」

空「えっと………強い兵器が欲しかったから、ですか?」

 説明を終えて付け加えられたアルフの質問に、空は自信なさげに応える。

アルフ「理由としては半分正解だな。
    答えは抑止力のためだ。

    今現在、軍用を限定としたギガンティックだけでも千九百機、
    それ以外も合わせておよそ二千三百機が稼働しているが、
    これは対イマジンを想定してこの数十年間で増産された物に過ぎない。

    本来は核以上の強力な兵器として、紛争や戦争を押し留める目的を持って、
    大戦終盤に投入された兵器だ」

 アルフはそう言うと、端末を操作して液晶スクリーンに一枚のフォトデータを投影した。

 そこに写っているのは、八機のギガンティックの姿と、炎上して沈み行く大艦隊の姿だ。

アルフ「これは、旧アメリカの無人艦隊・無人戦闘機の大軍団を相手にした、
    初期の試作型ギガンティックによるデモンストレーションだ。

    旧日本や旧インドを含むASEAN連合は大戦初期から、
    中立・専守防衛を謳って旧魔法倫理研究院と同盟し、その活動援助を行っていた。

    研究者同士の個人的な交友関係もあったが、
    山路重工との技術提携で完成したギガンティックウィザードは、一機一機がそれぞれ、
    旧世代の物とは言え超大国の一個艦隊に匹敵する戦力を持っていた」

 アルフの説明を聞きながら、空は息を飲む。

 大陸間弾道弾が戦時や抑止力に有効と言われた旧世界。

 侵略や制圧目的でなく、焦土戦のような殲滅を目的とするだけなら、
 他のあらゆる兵器の射程外から、長距離ミサイルを撃ち合うだけのアウトレンジ戦争。

 その道理を覆したのが魔法の存在であり、
 旧世界を滅ぼすキッカケとなった魔導弾だったのだ。

 悪魔の兵器と謳われた魔導弾の直撃に耐え、尚かつ、
 戦闘機に匹敵する速度で一個艦隊並の戦力を投入できるギガンティックウィザード。

 空は以前、軍事情報に詳しいクラスの男子が、
 “旧世界のトップ魔導師は、魔導装甲を纏うだけで戦車大隊や戦闘機編隊に匹敵した”
 と話していたのを小耳に挟んだ事を思い出す。

 その時は信じられないと思っていたが、
 昨日、高位魔導師であるアルフの実力を見せつけられた今の空には、
 その魔導師達の身体を巨大化させたと言っても過言ではないギガンティックウィザードならば、
 抑止力として十二分過ぎる物だと、直感的に理解する事が出来た。

空「でも……そんなに強いギガンティックがいて、
  何で、旧世界はイマジンに滅ぼされてしまったんですか?」

アルフ「……良い質問だな」

 空の何気ない疑問に、アルフは口ぶりとは裏腹に溜息を交えて答え、さらに続けた。

アルフ「イマジンはマギアリヒトの集合体であり、存在そのもが高位の魔法と言える現象だ。
    生半可な魔力は全て吸収し、己の力としてしまう上、
    強固な対物理結界に阻まれ、旧世代兵器も一切が通用しない。

    魔法倫理研究院はNASEAN預かりにしていたGWF010と、
    未完成だったGWF004、試作機だったGWF000を除いた、
    この写真に写っている八機を全て投入、
    先生……フィリーネ・ウェルナー教導官の駆るGWF005を彼女ごと失いながら、
    辛うじて勝利するに至った」

 そう説明するアルフは、僅かに声を震わせている。

 その震えは、イマジンに対する恐怖と、
 僅かばかりの哀しみの色が混じっているだろうか?

空(フィリーネ・ウェルナーさん……、
  もしかして、教官の先生だった人なのかな?)

 空はふと、そんな事を思う。

 イマジン事変が起きたのは、今からおよそ四十三年前。

 アルフもまだ十代そこそこの学生と言った頃だろう。

 しかし、アルフはすぐに気を取り直し、説明を再開する。

アルフ「イマジンの本当の恐ろしさは、その戦闘能力の高さと、
    凄まじいマギアリヒトの吸収・融合能力にある。

    魔法は基本的にマギアリヒトを媒介にするため、
    イマジン周辺では魔法の効果が著しく低下し、
    マギアリヒトに頼った構造も脆くなってしまう。

    それを解決したのが対イマジン用機能を持った、
     第二世代ギガンティックウィザード……通称、オリジナルギガンティックだ」

空「オリジナル……ギガンティック……」

 数日前からよく聞くようになったその単語を、空は息を飲むような声音で反芻した。

アルフ「オリジナルギガンティックは、その名の通り、
    設計者が使用者のためだけに手ずから作り上げたオリジナルで、
    同じ物は二つと存在しない、ワンオフ仕様の機体だ。

    GWF200から203、206から210の九機が作り上げられたが、
    二十六年前の戦闘で200はエンジンが大破、修復不可能となってしまった。

    そして、六年前、ギガンティック機関の長年の研究成果と、
    山路重工に残されていた二基の試作品のエンジンを用い、
    限定的にオリジナルと同様の効果を発揮できるようになった、
    ダウングレード版とも言える211と212の二機を合わせて、
    現在は十機が存在している。

    稼働状態にあるのは今はドライバー訓練中の201と、
    ドライバー不在の203を除いた八機だ」

空「201……お姉ちゃんが使っていたギガンティックですね」

 自分の説明を受けてそんな言葉を呟いた空に、
 アルフは小さく頷いてから“今は、お前がドライバーだ”と付け加え、説明を続ける。

アルフ「現在では対イマジン用機能の備わった物をオリジナルギガンティックと呼び、
    それ以外の物を模造品や複製品……レプリカと言う意味で、
    レプリギガンティックと呼び分けている。

    211と212も、系統的にはレプリギガンティックだが、
    区分上はオリジナルギガンティックとなるな」

 アルフの説明を聞きながら、空は四日前の事を思い出していた。

 211と212。

 スクリーンにも映し出されていないそれらは、
 おそらく、四日前に窮地の自分を救ってくれた獣型と鳥型の事だろう。

アルフ「まあ、あの二機は特別過ぎてな……。

    搭乗者の魔力消耗が大き過ぎて、まともな人間では………
    ああ、いや……魔力量が一万を下回るの者には扱えないじゃじゃ馬に仕上がっている上、
    人型でない事もあって、オリジナルと呼ぶのは少々難しい所だがな」

 アルフは途中でバツが悪そうに言い直すと、そう苦笑い混じりに言った。

アルフ「……話を戻そう。

    オリジナルギガンティックをオリジナルたらしめている理由。
    それがハートビートエンジンとエーテルブラッドの存在、
    そして、それらが生み出す結界装甲だ」

空「結界装甲……!」

 これも四日前に聞いた単語の登場に、空は再び息を飲む。

アルフ「ハートビートエンジンは半ば原理と構造が不明のオーパーツだが、
    エーテルブラッドは超高密度のマギアリヒトの集合体を、
    液体の状態で固定した物だ。

    構造不明のハートビートエンジンはともかく、
    このエーテルブラッドだけは増産に成功している」

 アルフはそこまで言ってから
 “まあ、製造コストは篦棒に高いがな”と付け加え、さらに続ける。

アルフ「オリジナルギガンティックの全身には、
    このエーテルブラッドが文字通り血液のように循環している。

    そして、このエーテルブラッドが循環している経路を、
    ブラッドラインと呼んでいる」

空「ブラッドライン……血の通り道って言う事ですか?」

アルフ「その通りだ。

    まあ、エーテルブラッドも本来の血液と違うので、
    本来の血管を意味する“vessel”と区別するための造語だな。

    ともかく、オリジナルギガンティックの表面部にはこのブラッドラインが露出しており、
    この露出したブラッドラインから発せられる魔力干渉力場を結界装甲と呼んでいる」

空「干渉力場……」

 その単語に、空は首を傾げる。

アルフ「早い話がバリアだな。
    それも、イマジンからの干渉を防げるだけの強固な物だ。

    だが、その強固さを維持しているだけあって、
    エーテルブラッドは劣化速度も早くてな……。

    魔力が多い者なら劣化もある程度まで遅らせる事が出来るが、
    魔力バッテリーの補給やブラッドの交換や浄化を行わない場合、
    三十分が平均的な戦闘限界時間となる」

 つまり、バリアを保っていられる時間が、そのまま戦闘時間の限度と言う事だ。

空(そっか……私がギガンティックに乗った時は、
  直前までお姉ちゃんが使っていたから、
  エーテルブラッドも劣化していて、
  それですぐにバリアの限界時間が来たんだ……)

 アルフの説明に、空はようやくあの時の事を納得していた。

 エーテルブラッドの劣化によって結界装甲が限界を迎えたため、
 イマジンからの侵食を受けてダメージを負ったのだ。

アルフ「オリジナルギガンティックの戦闘は、
    近接攻撃は勿論、遠隔攻撃も結界装甲を延長する事によって行う。

    結界装甲は防御の手段であると同時に武器でもあるワケだ。

    戦闘に使えば使うほどブラッドの劣化は早まってしまう。
    その平均限界時間と言うのが三十分となるワケだ」

 アルフはそこまで言うと“まあ、個人差は大きいがな”と付け加えて来た。

アルフ「俺が最終的にお前に教えるのは、その三十分をどれだけ有効に使い、
    自在に戦えるようにするか、と言う事だな」

空「はい」

 空はアルフの言葉に深く頷く。

 空の返事にアルフも頷き、さらに続ける。

アルフ「お前自身の魔力は非常に高い。
    それこそ、歴史上でも五人といないレベルでな」

 アルフの言葉通り、空には十万を超える魔力がある。

アルフ「現状、オリジナルギガンティックを使っている
    ドライバー達の魔力量平均値は一万七千程度……。

    お前はその六倍以上。
    緊急駆動バッテリーの一万を合わせても、ほぼ四倍だ」

 改めて、自分の魔力が持つ常識外の数値に、空は息を飲む。

アルフ「俺がお前に教えようと思っているのは、有効戦闘時間を延ばす方法ではなく、
    他のメンバーの有効戦闘時間に合わせて、どれだけ全力を維持できるか、と言う事だ」

空「他のメンバーに合わせる……? ………あっ」

 アルフの説明に怪訝そうな顔を浮かべた空だったが、
 すぐに合点が行ったように声を漏らした。

 他のメンバーの有効戦闘時間に合わせての全力維持。

 それは、魔力量をギガンティックのスタミナとした場合、
 空のスタミナは平均値のほぼ四倍となる。

 即ち、同じ時間で四倍の動きが可能なのだ。

アルフ「稼働限界時間を超えた仲間を庇いながら、
    単機で戦うのは非常に危険だ。

    ならば……」

空「……仲間の限界時間と同じ時間内で、全力を使い切るつもりで戦って、
  イマジンを一気に倒した方が、仲間も自分も安全……。

  そう言う事なんですね」

 自分の言わんとした事に気付き、喜色混じりに言った空の言葉に、
 アルフは満足そうに頷き、さらに続ける。

アルフ「状況に依るが、概ね、その通りだ。
    特にお前の扱う201の装甲強度は、
    最も高性能の210、装甲強度だけに重きを置いた203、208を除いても、
    他のギガンティックと比べて段違いに固く、火力、格闘能力の面でも平均値以上の性能を持つ。

    装甲の薄い仲間を援護したり、
    状況によって火力支援や切り込み役を切り替えられる重要な機体だ」

 アルフはそこまで説明すると、
 “だからこそ、隊長機としても扱い易い機体なんだがな”と付け加えた。

 空は頷きながら、四日前に見聞きした状況や言葉を思い出す。

 そう、姉は前線指揮官を任せられており、
 あの場に来てくれた姉の仲間達も、姉の事を“隊長”と呼んでいた。

アルフ「新人のお前が全員を束ねる指揮官を任せられる事は、
    まずあり得ないだろう。

    だが、だからと言って、お前の機体の重要度が下がる事はない。

    他の仲間との足並みを揃える事が最重要だが、
    その上で全力を維持し続ける方法を叩き込んで行くから、そう思っておけ」

空「はいっ!」

 アルフの言葉に、空は力強く応える。

 仲間も自分も安全に戦える方法とは、つまる所、
 勝率……イマジンを倒せる確率を上げる方法と言う事だ。

 空はそう理解していた。

 そして、その起点として鍛えて貰えるなら願ってもない。

 元々モチベーションは高かった空だが、
 俄然、そのモチベーションも上がると言う物だ。

アルフ「よし……これで前置きは大体終わりだが、何か質問はあるか?」

 アルフは一段落したと言いたげに小さく息を吐くと、
 スクリーンの映像を切り替えてから、空に向き直って尋ねる。

空「………えっと、結界装甲が切れると、たとえオリジナルギガンティックでも、
  イマジンに吸収・同化されてしまうんですよね?」

アルフ「そうだが……そこは理解し辛かったか?」

 僅かに間を置いた空の質問に、アルフは首を傾げた。

 同じ事を説明した際には、結界装甲がバリアであると説明した時に理解したと思い、
 次の説明に移ってしまった事を思い出す。

空「あ、いえ……そこは分かったんですが……。
  ギガンティックが壊れたり、結界装甲がない状態で攻撃されると、
  何で、自分の身体が痛くなるのかなぁ……って」

 空は申し訳なさそうに答えてから、五日前の事を思い出しながら質問を続ける。

 姉を喰い殺したイマジンとの戦闘中、
 結界装甲がダウンした直後にギガンティックの拳は破壊され、
 全身を触手で絡め取られた際に負ったギガンティックのダメージは、
 そのままドライバーであった空にも痛みとして現れた。

 ギガンティックがダメージを受けたのは分かるが、
 何故、その痛みを自分が感じたのかは不思議でならない。

アルフ「お前……ギガンティックに乗った事があるのか!?」

 対して、アルフは心底驚いたと言った風な声を漏らす。

 どうやら、そこまでの報告は、アルフも受けていなかったようだ。

空「えっと……はい、その……事故みたいな物で……」

 アルフの驚きように、空もたじろぎ気味に答える。

アルフ「そうか……」

 アルフは戸惑ったように頷きながらも、考えを巡らせていた。

 ダメージを受けたと言う事は、おそらくは戦闘行動を行ったのだろう。

 イマジンと交戦したと言うニュースは、
 五日前の物が最新で最後の物だし、海晴の死亡も五日前の戦闘だ。

 となれば、空はその場に居合わせてギガンティックに乗った、と言うのはアルフにも理解できた。

アルフ「どう動かしたか、覚えているか?」

空「えっと………すいません、よくは覚えていません」

 アルフの質問に、空は僅かに考えた後に答える。

 ウソはついていなかった。

 ギガンティックは自分の魔力に反応して動いてくれたようだが、
 何故、あのように動いたのかは分からない。

 乗り込んだ後も適当に手足を振り回していただけで、
 ギガンティックがその通りに動いたのは分かるが、
 どうしてそのように動いてくれたのかも、空には理解できていなかった。

アルフ「そうか……だが、まぁ、こればかりは座学で習うだけでは、
    感覚としては今一つ分かり難いからな。

    まともな実戦経験とは言えなくとも、交戦経験……、
    しかも、ダメージを負った経験があると言うのは、これからする説明も分かり易いだろう」

 アルフは気を取り直したように言うと、スクリーンの端末を操作する。

 スクリーンに映ったのは、
 ギガンティックらしいシルエットと人間らしいシルエットだ。

 どちらも、同じ色のラインで囲まれている。

 また、ギガンティックの全身に走る同色の線は、おそらくはブラッドラインだろう。

アルフ「オリジナルギガンティックは、
    ギガンティックと魔力的に同調できるドライバーでしか動かせない。

    これは言い換えれば、
    ドライバーとギガンティックは魔力的に同調していると言う事だ。

    エーテルブラッドも同調中のドライバーの魔力光に合わせ、
    変色する特性を持っている」

 アルフがそう説明して端末を操作すると、
 スクリーンに映る図のラインとブラッドラインの色が、
 それぞれ同じ色へと次々に変化した。

 言われて見れば、姉と共にあの場に駆け付けたギガンティックのブラッドラインは、
 姉の魔力光と同じ水色に輝いていたが、
 自分が乗り込んだ際には空色に輝きだしたような記憶がある。

 アレは同調者が姉から自分へと代わった事を示す現象だったのだと、
 空はようやく納得していた。

アルフ「そして、この同調状態……魔力リンクは、
    ドライバーとギガンティックを密接に結びつけている。
    これは旧来の魔導機人とその使用者の関係に近いな。

    この魔力リンクによって、ギガンティックは自身の体内にあるコックピット……
    コントロールスフィア内のドライバーの思考や動作を感じ取り、
    それをスムーズかつ正確にトレースする事が出来る」

空「アレは、そう言う事だったんですね……」

 アルフの説明に、空は驚きながらも納得したように頷く。

 まるで自分の手足であるかのように動いたギガンティックのカラクリの正体は、
 つまり魔力リンクによる物だったのだ。

アルフ「ただ、この魔力リンクは厄介でな……。
    高い操作性を誇る反面、
    機体が受けたダメージを搭乗者は痛みとして感じてしまう……。

    譲羽博士も、このフィードバック現象ばかりは純粋に欠点として認め、
    完成直後から何とか取り除こうとしていたようだが、
    遂に取り除く事は出来なかったそうだ」

空「……それでも使って言う事は……?」

アルフ「その欠点に目を瞑っても余りあるほど高性能、と言う事だ」

 恐る恐る疑問を差し挟んだ空に、アルフは溜息がちに呟いて肩を竦める。

 だが、すぐに気を取り直して続けた。

アルフ「譲羽博士によって設計、製造されたオリジナルギガンティックは、
    通常のギガンティック以上に柔軟な動きが可能だ。

    人間に可能な戦闘動作は一通り可能なように作られているからな」

空「あの、通常の……レプリギガンティックはどうやって動かしているんですか?」

 空は挙手と共に質問する。

 先程からオリジナルばかりが取り沙汰されており、
 レプリギガンティックに関する説明は少ない。

 ただ、レプリギガンティックに関しては空自身にはこれからも縁の遠い事なので、
 当然と言えば当然かもしれないが……。

アルフ「パワーローダーのコックピットは見た事があるか?」

空「初等部の頃、社会科見学で何度か」

 問い返したアルフに、空は思い出すように答えた。

アルフ「あれと基本的に一緒だ。
    シートに座って、レバーやペダル、スイッチ類の併用だな。

    オリジナルでも、人型でない211と212は、
    それに加えて簡単な思考制御でも動かしている」

 アルフの説明を受けながら、空は納得したような表情で何度も頷く。

 空も、ギガンティックがドライバーの動きをトレースする事で動くとするなら、
 獣型と鳥型には致命的な欠陥がある――人型でないのだから当然だ――
 と感じていたが、その方法ならば納得である。

空「オリジナルは動作と思考制御、レプリはレバーやペダル……」

 頷きながら反芻する空に、アルフも抑揚に頷き“その通りだ”と付け加えた。

アルフ「柔軟性、反応速度共にオリジナルギガンティックは、
    レプリギガンティックを大きく上回っている。

    但し、それを十分に引き出せるかどうかはドライバーの能力次第だな」

空「能力次第?
  ………あ、そうか……そうですよね」

 アルフの説明からある事実に気付いた空は、
 ハッとしたように漏らし、納得して頷く。

 そんな新しい教え子の様子に、アルフはまた抑揚に頷き、
 “何に気付いたか、言ってみろ”と言って促した。

空「オリジナルギガンティックはドライバーの動きや思考をトレースするから、
  ドライバー自身の戦闘能力が高ければ、それだけギガンティックも強くなる……。

  そう言う事ですよね?」

アルフ「概ね正解だな。
    確かに武芸に秀でた者が乗れば、オリジナルギガンティックもそれ相応に強くなる。

    だが、それだけでは駄目だ」

 空の解答に、アルフは浅く頷いた後で軽く頭を振り、さらに続ける。

アルフ「先程も軽く触れた事だが、オリジナルギガンティックにはそれぞれ、
    “本来のドライバー”が存在し、
    ギガンティックも本来のドライバーに合わせたワンオフ仕様だ。

    その上、オリジナルギガンティックは機構も含めてブラックボックスが多く、
    多少の補修はともかく、作り直しが効かん。

    そんなオリジナル達の性能を限りなく百パーセント近くまで引き出すには、
    ドライバーが“本来のドライバー”と限りなく同じ戦法か、
    オリジナルギガンティックの特性に合わせた戦法を修得しなければならない。

    血縁者が受け継いでいる202、206、210の三機や、
    現ドライバーが実質的な初代ドライバーである211、212はともかく、
    それ以外の四機は本来のドライバーもその血縁者も地球には残っていない」

空「………あれ?」

 アルフの長い説明を聞きながら、空は奇妙な違和感を感じて首を傾げた。

 血縁者が受け継いでいると言う三機、現ドライバーがドライバーだと言う二機、
 本来のドライバーもその血縁者も存在しない四機。

 合計九機だが、それでは数が合わない。

 完成したオリジナルギガンティックは200から203と、
 206から210の九機に加え、
 後から開発された211、212の二機、合計十一機。

 その内、200は二十六年前に大破したため、
 一機減ったとしても、現在でも十機が存在するハズだ。

空「あの、教官……数が合いません」

 空は挙手しつつ、怪訝そうな表情で尋ねた。

アルフ「ああ……その九機に加え、直系の血縁者がいるにも関わらず、
    八年前まで誰一人として受け付けなかったギガンティックが、一機だけ存在する」

空「八年前……201、ですね?」

 アルフの返答を受けた空が、神妙な表情で再び尋ねる。

 八年前と言う、分かり易いヒントもあったが、
 空がその結論に至ったのは、ある種の直感だった。

 アルフは無言で小さく頷くと、さらに続ける。

アルフ「オリジナルギガンティックに選ばれる条件は、
    単にギガンティックの求める魔力の波長に合うだけではないんだ。

    ギガンティックのAI自身がその魔力の持ち主を拒めば、
    たとえ同調できても乗り込む事は出来ない」

空「それは……」

 自分の説明をどこか唖然とした様子で聞いている空に、
 アルフは肩を竦めて溜息を漏らした。

 それは否定か同意か、或いはその両方か、その答えは――

アルフ「まあ、呆れるのも無理もないだろうが、
    連中の気持ちも分かってやって欲しい」

 アルフは少しだけ寂しそうに呟く。

 ――どうやら、両方だったようだ。

 アルフは深いため息を漏らし、さらに続ける。

アルフ「確かに、世界の命運が賭かっているにも拘わらず、
    乗られる側が乗る側を選り好みするのはどうかと問うのは………、
    それはまあ、間違いなく、正しい意見だ。

    だがな……オリジナルギガンティック達のAIは、
    本来のドライバーが幼い頃から共に過ごしたギアのAIでもある。

    三十年以上、家族のように接して来た主と引き離され、
    新しい主が来たからそちらに鞍替えしろ、と言うのも、な……。

    感情論を持ち出している余裕がないのも承知している。

    ただ、少しばかりでいい……、
    ドライバーとして、相棒の事は理解してやってくれ」

空「……はい」

 朗々と語るアルフの言葉に、空は僅かな間を置いて頷き、
 自分の左手の人差し指に……そこに嵌められているエールに目を向けた。

 永らくドライバーを得ようとせず、八年前に、
 三十年以上の時を経て、自分の事を選んでくれたギガンティック。

 選んでくれたと見るべきか、選ばれてしまったと見るべきか。

 ただ、どちらにしても、“AI達がドライバーを選ぶ”事を理解する、
 と言うのは、空にはまだよく分からない感覚だった。

 アルフも、そんな僅かな間から、空が納得し切れていない事に気付いたのだろう。

アルフ「いつか分かる日も来る……」

 彼はそう言って、穏やかな笑みを浮かべた。

空(信頼……してくれてるのかな……?)

 アルフの様子に、空はそんな感慨を抱く。

 同じオリジナルギガンティックに選ばれたドライバー同士の直感なのか?

 それとも、単に年長者としての経験則から来る物なのか?

 空にはその辺りの感覚も、やはり未だ、よく理解できない領域だった。

アルフ「……っと、話が脱線したな……。

    旧世代魔導機人、パワーローダー、ギガンティックウィザードの開発、
    オリジナルギガンティック、対イマジンシステム・結界装甲、
    稼働限界時間、操作方法、本来のドライバーに関する事……。

    まあ現時点で必要な事項は大方説明できたか」

 そんな空の内心を知ってか知らずか、アルフは気を取り直したように、
 指折り数えながら説明して来た内容を確認する。

 初心者の空としては、他に何を聞いていないのか今一つ分からない気もしたが、
 現時点で知りたかった事、説明を聞いて生まれた新たな疑問の答は、おおよそ把握できた。

アルフ「しかし、かなり時間が余ったな……」

 アルフはそう呟きながら、壁掛け式の時計に視線を向け、
 空も彼に倣って視線を向ける。

 時刻は午前十時半を少し過ぎた辺り。

 スクリーンに投影される解説図を見ながら講釈を聞く流れだったが、
 九時少し前に授業を始めて、まだ二時間も過ぎていなかった。

アルフ「理解は……出来ているよな?」

空「はい。覚えるのは得意です」

 少し心配そうなアルフの問いかけに、空は頷いて応える。

 空は普段から大人しく振る舞っており、
 聡明な雅美や活発な佳乃との対比からもおっとりして見られる事が多いが、
 基本的には行動派で生真面目なしっかり者だ。

 暗記は得意だし、メモした内容は決して忘れない。

 公式や知識を覚えて応用する理数系や社会系の成績は軒並み上位であり、
 そちらの余裕もあってか、文系に関しても成績は決して悪くはなかった。

 今回の学科講習のように、知識を詰め込むような系統の授業は得意とする分野だ。

 もしも“今までに言った内容を最初から復唱しろ”と言われたら、
 それこそ取ったメモも見ずに諳んじる自信がある。

 まあ、勉学はともかく、実生活で役に立つ場面が限られる技能ではあるが、
 空にとっては立派な特技の一つだ。

アルフ「頼もしいな」

 自信ありげな生徒の様子に、アルフは満足げに応えた。

空「ただ、そうなると本当に時間が余るな……」

 しかし、彼はそう呟くと、困ったように首を傾げる。

 空の物覚えが良い事は悪い事ではないのだが、
 それで余りの時間が解消できるワケではない。

 しばらく考え込んでいたアルフだったが、すぐに何か思い至ったように立ち上がる。

アルフ「よし、物はついでだ。
    午後に回そうと思っていたカリキュラムを、一部前倒しでやってみるか」

空「午後のカリキュラムですか?」

 名案と言いたげな様子のアルフの様子に、空は首を傾げた。

―4―

 それから数分後。
 空はアルフに連れられて、宿舎の地下階へと足を踏み入れていた。

 最低限の照明だけの薄暗い通路を、空とアルフは奥に向かって進む。

アルフ「本家本元のAカテゴリクラスの旧校舎には、
    こんな地下施設は無いんだがな……」

 地下階の通路を視線だけで見渡しながら、アルフは苦笑いを浮かべて呟く。

 昨日今日で空が知った限りでは、
 二階は保護隊職員のプライベートルームと日用品物置、
 一階は食堂やブリーフィングルームの他は、
 シャワー室や作業用品置き場と言った風だった。

 朝の連絡事項を思い出してみれば、
 どうやら地下にも何らかの作業が出来る空間があるらしい。

空「あの、地下では何の訓練が出来るんですか?」

 空はまだ筋肉痛で痛む足を、たまに引きずりつつ、
 ヒョコヒョコと低く跳ねるようにしながら、アルフに続く。

アルフ「ここは本来、俺達が移動や作業に使うパワーローダーや、
    作業補助用の無人ドローンを格納できるスペースなんだが、
    ここで道場をする事にした時、ギガンティック機関で使っていた、
    旧いシミュレーターを無理言って引き取ってな。

    そのシミュレーターを使った訓練が出来るようになっている」

 アルフは空の質問に答えると、
 “まあ、普段は余暇の娯楽用に使われているがな”と付け加えた。

空「シミュレーター……ですか?」

アルフ「ああ、昔……大元はそれこそは戦前に試作された骨董品だが、
    何度もマイナーチェンジを施してあるから、中身は新品同様だ」

 怪訝そうな空の質問にアルフがそう答え終えると、
 二人は通路の一番奥まった位置にある部屋の前へと辿り着く。

 頑丈そうな鉄扉を開いて中に入ると、
 室内のセンサーが魔力反応を検知し、自動的に内部の照明が点灯した。

 証明に照らし出された部屋の中ほどには、
 三つのシートが部屋の中心を向くような配置で並べられている。

 やや時代がかった雰囲気の……どこか歯科治療で使われるような形状のシートだ。

空「これが、シミュレーター……ですか?」

 あまりに単純過ぎる構造に、空はどこか不安げに漏らした。

 さもありなん。

 座った瞬間、どこからともなく歯科医師がやって来そうにさえ見える。

 とてもではないが、シミュレーターとは思えない。

 事実、空はゲームセンターにあるような、
 レーシングゲームの筐体のような物を想像していたからだ。

アルフ「ああ、俺も始めて見た時は目を疑ったが、
    これもシンプルイズベストと言うヤツだ。

    魔力を媒介して使用者の意識を仮想空間に投影する物でな。

    作った本人曰く、日常生活から魔法戦までこなせる万能シミュレーター、だったそうだ」

 アルフはそう言うと、シミュレーターから離れた位置にあるコンソールへと向かう。

アルフ「仮想空間に設定できる環境の自由度は高いが、
    使っている当人の自由度は低いぞ。

    何せ、自分に出来る範囲の事以外は一切出来ないからな」

 アルフはコンソールを操作しながらそんな説明をしつつ、
 空にシートの一つに座るように促す。

 空も、半信半疑と言った様子で促されるまま、手近なシートに腰掛けた。

 座り心地は悪くない。

 背もたれもゆったりとした構造で、
 やや傾斜のついたベッドと言った座り心地……いや、寝心地だ。

 だが――

アルフ「試作段階の話だが、
    当時は二十代だったテスターの一人が、
    八歳くらいまで若返った事もあったらしいがな」

空「えっ!?」

 笑い話のように語ったアルフの言葉に、
 空は思わず飛び跳ね、シートから転げ落ちるように離れた。

アルフ「だから、試作段階の話だ。安心しろ。
    あくまで仮想現実内で若返っただけで、本当に若返ったワケじゃないぞ」

空「な、何だ……そうですか」

 苦笑いを浮かべるアルフの言葉に、
 空は胸を撫で下ろして、再びシートに腰掛ける。

 当人は笑い話のつもりだったのだろうが、話すタイミングが悪過ぎだ。

アルフ「それに、今はそう言った事故が起きないように安全装置も働いている。
    まあ、事故と言っても、本当に事故が起きるワケでもないんだが……」

 アルフも申し訳ないと思っているのか、
 空を安心させるようにそんな説明を付け加えた。

 そして、アルフが操作を一旦終了すると、
 シートの脇から保護用と思われる透明なカバーが迫り出し、空の身体を包み込んだ。

アルフ「動作中は動けなくなるからな、
    外部から使用者に危害を加えられないようにするための機能だ」

空「は、はい」

 突然の変化に、空は緊張気味に返事をする。

アルフ「深呼吸をして、目を閉じて気持ちを楽にしていろ。
    携帯端末やギアの機能を介して働きかけるからな」

空「はい……」

 アルフの指示に頷いて応えると、
 空はゆっくりと目を閉じ、数回の深呼吸を行う。

 深呼吸の度に気持ちは落ち着き、ゆったりとしたシートの寝心地も合わせて、
 すぐに気持ちは落ち着き始めた。

アルフ「今回はシミュレーターとギガンティックに慣れるための簡単なテスト……。
    まあ、少しリアルなゲームの類だと思えばいい」

 アルフの説明に、空は考えを巡らせる。

 説明内容からして、
 このシミュレーターを使ってギガンティックを操作する体感を味わうらしい。

空「……はい」

アルフ「よし、五秒後にスタートだ。
    ……三……二……一……スタート!」

 頷いて応えた空の返事に、アルフはコンソールを操作して、
 シミュレーターを起動させる。

 直後、空は全身に魔力が駆け抜ける感触と、突然の浮遊感に襲われた。

 目を閉じてシートの上で仰向けに寝転がっていたハズの空は、
 別の場所へと移動していた。

 そこは五日前にも足を踏み入れた、ギガンティックのコックピット内だ。

空「うわぁ……」

 そこがシミュレーターの作り出した仮想空間の中だと気付いた瞬間、
 空は思わず感嘆の溜息を漏らしていた。

 驚きよりも先に感嘆したのは、目の前の光景がリアルな……
 そう、現実そのものの質感と存在感を併せ持っていたからだ。

 全周囲をモニターとして外の景色を映し出すハズの内壁は、
 何も映っていない真っ暗の状態だったが、
 それだけにコックピット内の質感を直に感じ取る事が出来た。

アルフ『驚いたか?』

 耳元でアルフの声が聞こえるが、
 こちらは先程までの肉声と違い、通信機を介したように聞こえる。

空「はい。
  本当に本物と言うか……ただのARやVRとは違う感じがします」

アルフ『また、旧い言葉を知っているな、お前は』

 やや興奮した様子の空の言葉に、アルフは苦笑いを浮かべる。

 AR……拡張現実……オーグメンテッドリアリティと、
 VR……仮想現実……ヴァーチャルリアリティは、昨今では当たり前の技術となったため、
 戦前のように特筆してその名を呼ばれる事のない技術だ。

 無論、当たり前の技術と言うだけであり、廃れてしまっているワケではない。

アルフ『このシミュレーターは通常のVRよりも優れた代物だ。
    魔力とマギアリヒトを媒介して意識に直接的に仮想空間を認識させるから、
    脳が本物と錯覚し易くなっている』

空「本当に錯覚なんですね……」

 アルフの説明を聞きながら、空はコックピットの内壁に触れた。

 触った感触は、やはり本物そのものであるように感じる。

アルフ『実際、現実のお前の身体は微動だにしていないからな。
    この会話もシミュレーターを介した通信の一種だ』

 アルフがそう言うと、視界の端に小さなウインドウが開き、
 そこに先程の室内を映した監視カメラの映像が表示された。

 保護カバーで覆われたシートで自分が眠っており、
 別のウインドウには、コンソールに陣取ったアルフの姿も映されている。

 初等部高学年の頃、泊まりがけの課外学習に行った際、
 佳乃が悪ふざけで撮影した、自分の寝姿のフォトデータを見せられた事があったが、
 ソレに近いような、だが違うような、説明し難い奇妙な感覚を空は味わっていた。

 起きていると言う実感は確かにあるし、実際に身体も動かしている感覚はあるのだが、
 本来の自分が動いていない事が分かると、どちらが現実なのかと言う感覚がこんがらがってしまう。

 まあ、シートに寝転がっている彼方が現実なのだが、
 “彼方”等と言う感じ方をしている時点で、
 空の主観は既に仮想現実の中にあると言って良かった。

 ちなみに、仮想世界を意識だけが感じているためか、足の筋肉痛も感じない。

空「何だか、ややこしいですね」

アルフ『なぁに、このくらいはすぐに慣れる。
    機関に入隊したらこれより上の性能のシミュレーターを訓練で使うからな。

    コレは、訓練であると同時に予行演習だと思っておけ』

 苦笑いを浮かべ、手持ち無沙汰に人差し指で頬を掻く空に、
 アルフは落ち着いた様子で説明する。

 先程、旧いシミュレーターを引き取ったと聞かされたが、
 アルフの言葉通り、機関の本部にも同じ物が……だが、これよりも新しい物が存在するのだろう。

空「……はいっ!」

 空は気を引き締め直し、大きく頷いて応えた。

アルフ『いい返事だ。

    では、早速シミュレーションを始めるが、今回は軽い慣らしだ。

    イマジンとの戦闘は可能な限り市街地から離れた場所……
    外郭自然エリアやドーム外におびき出して行うのが基本だが、
    戦況は常にコチラに優位に推移するとは限らない。

    否応なく市街地での戦闘になる可能性も考慮し、
    周辺に被害を出さないように戦う技能も重要だ。

    ギガンティックの操縦中は魔力リンクによって、
    感覚をギガンティックに依存する事になるからな、
    その感覚に慣れるため、適当な市街地を歩行する訓練だ』

 アルフは満足そうに頷いて応え、説明しながらコンソールの操作を始めた。

空「はい、お願いします!」

 空が小気味良く返事を返すと同時に、コックピット内壁のモニターに外の光景が映り始める。

 足下から次第に広大な町並みが広がって行く様は、不自然ではあったが、
 建築企業か都市計画の壮大なプロモーション映像を見せられているようにも感じられた。

 だが、縮尺が何処かおかしい。

空「……何だか、ちっちゃい……」

 空は自分の頭ほどしかないビルや、
 足首程度までしかない街路樹に怪訝そうな声を漏らす。

 幼い頃に見た、カラフルなヒーロー達が活躍する幼児向けの娯楽特撮で、
 彼らが乗り込むカラフルなギガンティックが敵の巨大怪獣と戦っていた、
 撮影用の都市模型を思い起こさせる光景だ。

空(アレの撮影中って、こんな感じなのかな……?)

 空は不意にそんな感想を抱く。

 まあ、彼方は完全な着ぐるみなのだが。

アルフ『全体を見渡した感想はどうだ?』

空「はい……えっと……。
  この前は気付かなかったんですけど、
  回りが随分とちっちゃいですね……」

 アルフの質問に戸惑い気味に返しながら、
 空は心のどこかで“ああ、これが感覚を依存する、って事なんだ”と感じていた。

 五日前の戦闘では、冷静に周囲を気にする余裕など無かったのだから、
 この感覚も、言ってみれば初めての物だ。

アルフ『今、お前の身体の感覚は、
    GWF201X-エールそのものになっている。
 
    201の全高は三二.八メートル。
    中等部二年生女子の平均身長なら、約二十一倍と言った所だな』

空「二十一倍……」

 アルフから説明を聞かされ、空はその部分を反芻する。

 六日前に行った身体測定では、空の身長は一五六.二センチだった。
 確かに、ほぼ二十一倍だ。

 そして、アルフの説明はさらに続く。

アルフ『単に身長が二十一倍になったと思うなよ。
    全身全てが二十一倍に等倍されたと思え。
    体積の計算だ』

空「体積の計算……って事は……えっと、
  二十一かける二十一で四百四十一だから……、
  大体……九千倍って………事、ですか!?」

 あまりにも巨大な数字に、空は次第に驚いて行くかのように声を上げた。

 正確には九二六一倍だ。

アルフ『大凡、そのくらいだな。
    つまり、お前の周囲の光景は普段の二十一分の一スケール……、
    体積で言えば約九千分の一と言う事だ』

 アルフの説明を聞きながら、空はすぐ真横のビルを見遣った。

 オフィスビルの類だろうか?

 このビルも本来ならば三十二メートル。

 十階建てと思しきビルは、普段ならば見上げるサイズのハズだ。

空(本当に、大きくなった、って感じなんだ……)

 空は改めて、その実感を噛み締めた。

 そして、アルフの説明も再開する。

アルフ『身体のサイズだけでなく、気を付ける事は他にもある。

    先ずは肩。
    肩関節の保護のためや、体当たり攻撃も可能なように、
    プロテクターが大きく突き出した形になっているだろう?』

空「はい」

 アルフの問いかけに返事をしながら、空は自分の肩を見た。

 見かけ上は自分の肩だが、感覚として、そこに大きなプロテクターが存在している事が分かる。

 大体、両腕を大きく広げた際の肘辺りまでの幅だろうか?

アルフ『肩幅もプロテクターを含めれば十八メートルはあり、
    その分、周囲に当たり易くなっている。

    201に改装する前の001は、以後の機体の武装開発用テストベースでもあったから、
    201は専用のオプション武装が他の機体より多様だ。

    中には肩幅よりよっぽど長い魔導砲や実体剣や槍も存在する。

    下手に振り回せばどうなるか、分かるな?』

空「回りの建物に当たったり、壊してしまいます」

アルフ『その通りだ。

    ………補償は政府がやってくれるが、
    ギガンティック機関は何かと金食い虫だ。

    市街戦で被害ゼロなんてのは夢みたいな話だが、
    政府のお偉方の機嫌を損ねないためにも、
    何より、一般市民の生活を守るためにも、
    そう言った無用な被害を出さないような挙動を心がけろ』

 アルフの説明を聞きながら、空は幾度となく頷く。

 イマジンを倒す事も重要だが、市民生活を守るのも、
 これもまた重要な仕事と言う事だ。

 言って見れば、特一級としての義務である。

アルフ『よし、そろそろ訓練開始だ。
    先ずはこの五つ先にある角を右に曲がって大通りに出たら、そのまま直進し、
    八百メートル先にある階層移動エレベーターに向かってみろ』

空「はい!」

 アルフの指示に従って、空は歩き始めた。

 階層移動用のエレベーターは視界の隅に捉えている。

 ビルよりも巨大な階層移動エレベーターは、
 上層を支えるピラー――支柱の役割を果たしており、
 各階層に平均して百本近くが存在していた。

 勿論、自然保護区にも無数のピラーが存在している。

 一つの街区に一本の割合で存在するピラーは、
 全階層を貫いて聳える巨大なメインピラーと、
 上下に隣り合った階層同士を繋ぐだけの、比較的細いピラーの二種類だ。

 今、空が目指しているのは、メインピラーのようだった。

 故郷の第一街区にも存在するので、色などは違うが、サイズ的には見慣れた物である。

空(何だか、メインピラーもあんまり大きく感じないな……)

 普段から見慣れたサイズだった事もあり、小さく感じるピラーに、
 空は何とも言えない違和感を覚えていた。

 と、どうやら指示された曲がり角に差し掛かったようだ。

 空は普段そうしているように、角に向かって素早く曲がる。

 だが――

空「あっ!?」

 気付いた時には既に遅く、空――エールのプロテクターと衝突したビルが、
 盛大に砕け散ってしまった後だった。

アルフ『気を付けろと言ったばかりだろう!』

空「は、はい! すみません!」

 初めて聞く怒気を含んだアルフの声に、
 空は思わず肩を竦め、固く目を瞑って謝罪の言葉を紡ぐ。

アルフ『………これはシミュレーターだったからいいが、
    これが現実で、そのビルの中に……砕け散った場所に逃げ遅れた人がいたら、
    どんな結果になっていたか、分かるな?』

空「は、はい……」

 神妙な様子のアルフの問いに、空は俯き加減で俯く。

 もしも人間がいたら。
 そう考えるだけで、身の竦む思いだ。

アルフ『………少し前の位置に戻って、やり直しだ』

空「……はい!」

 空は気を取り直して、力強く返事をする。

 そう、これはまだやり直しの利くシミュレーターなのだ。

 現実で取り返しのつかないミスを犯さぬよう、訓練する場。

 イマジンを倒すためには、まだまだ覚えなければいけない事が沢山ある。

 空は決意も新たに歩き出した。

 再び曲がり角に差し掛かかると、
 今度は周囲の状況を確認しながら、ゆっくりと、慎重に曲がる。

 広い大通りに出ても安心は出来なかった。

 ビルの真横から突き出した看板、見易いように配置された道路標識。

 それらを避け、跨ぐようにして、慎重にメインピラーを目指す。

 最初に大きなミスを犯した事が功を奏したのだろう。

 時間はかかったが、最初の曲がり角で犯したミス以外、
 空は一切の被害を出す事も無く、目的地へと辿り着く事が出来た。

アルフ『よし……まあ少し時間はかかったが、ミスはあの一回だけ。
    ……まあまあ上出来と言った所だな』

 アルフも結果に満足したのか、口ぶりとは裏腹に、
 声音には先程までの強張りはなく、穏やかだ。

空「はい、ありがとうございます!」

 空も真面目な表情で、深々と礼をする。

 勿論、ギガンティックもそれに倣って動くが、
 咄嗟に周辺状況を考慮して動いたため、周囲のビルなどに被害はない。

アルフ『よし……上出来だ』

 その様子に、アルフはどこか嬉しそうに呟く。

 空も教官の雰囲気を感じて、安堵の溜息を漏らす。

アルフ『お手本代わりと言ったら何だが、
    シミュレーター内での戦闘記録を見てみるか?』

空「戦闘記録ですか?」

 怪訝そうに首を傾げる空に向けて頷くと、アルフはさらに続けた。

アルフ『ここでの訓練を終えて、機関に行く直前にやった最後の訓練データだ。
    近い物なら、二年前と四年前と五年前のデータがあるな』

空(二年前と四年前と五年前……)

 アルフの説明を聞きながら、空は黙考する。

 恐らく、これから出会うハズの“仲間達”が残した記録だ。

 一緒に戦う事もあるのだろうし、見ておいて損はない。

 だが――

空「あ、あの! お姉ちゃんの……八年前のデータはありますか!?」

 緊張で声を上擦らせながらも、空はその言葉を紡ぐ。

アルフ『!?』

 視界の端に映るウインドウの向こうで、
 アルフは面食らったような表情を浮かべ、息を飲んだ。

アルフ『……いいのか?』

 だが、すぐに気を取り直し、空の意志を確認するかのように問うて来た。

 そこには、どこか責めるような、
 それでいて心配するかのような声音が含まれている。

 興味本位なのか、それとも亡き姉の姿を探し求めているのか、
 どちらか分からないと思われているのだろう。

 だが、空は頭を振ってそれを否定した。

空「同じ機体のデータがあるなら、見てみたいんです」

 空は努めて平静を装いつつ、そう漏らす。

 表向きには否定して見せたが、
 後者――姉の姿を見てみたい――は否定し切れない。

 何故ならば、姉は自分の代わりに戦ってくれていたのだ。

 最期の一瞬しか見る事の出来なかったその姿を、たとえ仮初めの物とは言え、
 もっと目に焼き付けなければいけない義務が自分にあると、空は考えていた。

 そして、自ら口にした言葉も、これもまた偽らざる本心だ。

 同じ機体のデータがあるならば見るべきである。

空「お願いします、サンダース教官!
  お姉ちゃんの記録、見せて下さい!」

 空は深々と頭を垂れ、真摯な思いで懇願する。

 真剣な思いは、同じく真剣な思いの人間には通じる物だ。

アルフ『……分かった。
    だが、今のお前のレベルで参考になるかまで保証できんからな』

 僅かな沈黙の後、アルフは意を決したように頷き、コンソールの操作を始めた。

空「ありがとうございます、教官!」

 その様子に、空は顔を綻ばせて礼をする。

 しばらくすると、空の周囲に展開していたギガンティックの姿が消え、
 空の身体はそのまま宙へと浮いて行く。

 空中を浮遊する感覚は初めてだったが、
 その現実離れした状況が返って空を落ち着かせていた。

アルフ『状況は中型サイズの獣型イマジンとの市街戦。
    二年半前、207のパイロットへの模範例としてやらせた物だ。

    俺の手元にある朝霧海晴の……お前の姉のデータの中では最新の物になる』

 アルフの説明と共に、眼下の街の姿が変わって行く。

 住宅街と隣り合わせのオフィス街のようだ。

 そして、その光景の中央……広い八車線道路の上、二百メートルほど離れた位置で対峙する、
 水色の輝きを纏った白亜の巨人と、ネコ科の大型肉食獣を思わせる巨大な獣の姿。

 ブラッドラインを水色に輝かせたエールと、獣型のイマジンだ。

空「お姉ちゃん……」

 空は無意識に姉の名を呟き、息を飲む。

 それが合図だったかのように、戦闘が開始される。

 姉の駆るエールの武器は、西洋の騎士が持つような突撃槍――
 ランスを全体的に短くしたような物だった。

 そして、そのランスが二本……いわゆる二槍流だ。

 他にも両腰のラックには、マシンガンらしい武装が一丁ずつ提げられていた。

アルフ『早いからな、見逃すなよ』

 アルフがそんな事を呟くと同時に、先ず動いたのはイマジンだ。

 四つ足で一斉にアスファルトを蹴り、ビルの上を跳んでエールへと迫る。

空「早い……!?」

 驚きの声を上げる空の眼下では、イマジンは猛然と、だが軽やかな跳躍を続けた。

 一回の跳躍毎に左右のビルを跳び越えながら、
 まるで撹乱するようにエールの周囲を飛び回り続ける。

 イマジンもかなりの重量のハズだが、
 ビルを壊す事なく跳び回る様は、正に軽業師のソレだ。

 だが、姉のエールは二本のランスを構えたまま動かない。

 イマジンの意識が自分に集中していると判断し、
 またイマジンの跳躍がビルに被害を及ぼす物でないと、
 一度目の跳躍で判断しての物だと言う事に、空は僅かに遅れて気付く。

 獲物が反撃する様を見せないのを良い事に、
 ビルの屋上を足場にして好き勝手に跳び回るイマジンは、
 遂にエールの背後へと回り込んだ。

 無防備な背後から、頭部を狙って、凶悪な爪の一撃が迫る。

空「危な……い!?」

 思わず叫びかけた空の目の前で、信じられない事が起きた。

 エールは最小限の動きで右手のランスを逆手に持ち替えると、
 前傾姿勢になって爪の一撃を避け、無防備なイマジンの土手っ腹にランスを叩き込んだのだ。

 音声こそ無いが、イマジンは苦悶の表情を浮かべて上空へと跳ね上げられる。

 エールは振り返り、跳ね上げられたばかりのイマジンの身体を、
 さらに左のランスで上空高くへと弾き飛ばす。

 僅か二動作。
 時間にして三秒足らず。

 だが、そこでエール――姉の攻撃は終わったワケではなかった。

 二本のランスを背中のラックに収めると、今度は両腰のマシンガンを構え、
 空中で態勢を整えようとするイマジンに向けて、無数の魔力弾を放つ。

 イマジンは一瞬にして蜂の巣にされ、霧散して消える。

 戦闘時間は二分弱。

 その中で姉が戦闘したのは、僅か十秒も無い。

 行った動作は、前傾姿勢と共に初撃を叩き込み、
 振り返ると同時に二撃目で跳ね上げ、
 ランスを収め、代わりに構えたマシンガン斉射の僅か四動作。

 大胆に見えて計算し尽くされた動作により、
 姉が街を破壊した箇所は一つとして存在しない。

 一切の無駄を省いた、鮮やかな短期決戦での勝利だった。

空「す、すごい……」

 あまりの素早い決着に、空は呆然と漏らす。

 そこで、アルフの言った“早いからな、見逃すなよ”とは、
 イマジンではなく、姉の動きを指していた事に気付かされた。

アルフ『生意気過ぎた子供の鼻っ柱を折る目的もあったが、
    シミュレーターの難易度は上から二番目のB。

    イマジンも実戦レベルに比べれば弱いが……、
    まあ同ランクでは最高記録の一つだな』

 アルフも感嘆混じりに呟く。

 他にも幾つかの記録を見せられる。

 山岳地帯を想定した自然保護区画では飛行ユニットによる滞空戦術を用い、
 鳥型イマジンを遠距離戦で下す。

 ドーム外では、ドーム外壁に被害を出す事なく巨人型イマジンを遠方へと誘い出し、ランスで串刺し。

 再びの市街戦では、巨大な熊型イマジンを相手に、投擲したランスを囮にし、
 ギガンティックには狭いビル街の隙間を縫うように肉迫し、死角からの連続攻撃で決着。

 どれも被害を最小限に抑えるために計算された、鮮やかな戦闘だった。

空「これがお姉ちゃんの……戦い」

 空は呆然と呟くと、息を飲み、拳を固く握りしめる。

 普段の……生前の穏やかで優しかった姉からは想像できない、
 苛烈な戦闘記録の数々。

 仮想空間での出来事である事を忘れ、空は固唾を呑んで見守る。

 全ての記録が終わった頃には、空は言葉を発する事を忘れていた。

空「………」

アルフ『海晴は人一倍、魔力制限が酷かったせいで、戦闘可能時間も短かった。
    それだけに、最小限動作で戦う戦法が染みついていたんだろうな。

    これがギガンティック機関で前線指揮官を任せられる人間の実力の、ほんの一部だ』

 感慨深く語るアルフの言葉を聞きながら、空は思う。

 いつも、何気なく送り出していた姉の背中。

 まだ訓練中の候補生に過ぎない自分だが、同じギガンティックのドライバーとして、
 姉と同じ場所に立った今、なんと遠く感じる事だろう。

 姉を送り出す時に感じた、遠くに行ってしまう寂しさとは違う遠さ。

 それは、そう、ドライバーとしての、絶対にして圧倒的な実力差から来る距離感だ。

 イマジンを許せない。
 イマジンを倒したい。

 そう決意してドライバーになる事を志した空は、
 姉の辿り着いた遥か高みの領域に、まだその指先……爪先すら掠める事が出来ずにいる。

空「………教官!」

 そう痛感した時、空は我知らずに口を開いていた。

アルフ『どうした?』

 アルフも唐突に名前を呼ばれ、少し驚いたような様子で聞き返して来る。

空「お願いします……! 私を、強くして下さい!」

 この訓練期間でどこまで姉に迫れるか分からない。

 だが、強くなりたい。
 少しでも、姉のいた場所に近付きたい。

 そんな純粋な思いが、言葉となって口を突いたのだ。

アルフ『……元より、そのつもりだ』

 対するアルフの声音は、どこか暖かな物を感じさせる物だった。

空「はいっ、よろしくお願いします!」

 空は三度、深々と頭を垂れる。

 より固く、強く、決意を新たにした空の訓練は、まだ、始まったばかり……。


第4話~それは、遠く遥かな『姉の背中』~ 了

今回はここまでとなります。


まだスレの半分にも行っていないのに既に800KB越え……
こりゃスレが終わる頃には2MB越えるかもしれませんなw

乙ですた・・・・・・ぅおおおお、これは重い。
いや、容量の問題でなく、空の両肩に掛かる”モノ”の重量が。
自身の意思はもちろん、ドームの人々の暮らしや命、そしてこれから共に戦うであろう仲間の命と、何より”姉さん”の名前と埃・・・・・・超メガトン級ですよコレ。
勿論、コレに耐えられなければ"主人公”ではないワケですが・・・・・・これが、シリーズ二作目主人公のプレッシャーと言うものか・・・・・・。
そして、個人的にキたのはやはり、リーネぇ・・・・・・やっぱり凄絶な散り際でしたか・・・・・・。
いや、もうGDの死亡率の高さを想像した段階で覚悟はしていましたが。
それにしてもギガンティックの修復不可能な作りは、運用する側からすると困ったモノではないのかと。
もうこれはアレです。
某星団から天才マイスター改めGTMガーランドを連れて来るしかないんじゃないでしょーか!?
今なら嫁さんも付いて、対イマジン戦が有利になる事この上なしですし!!
山路さんの会社が、ダウングレードの二機に乗せたエンジンを上手く改良して量産可能にしてくれる事を期待するしかないのでしょうかねぇ。
さて、空の周辺ですが、訓練所で寝食を同じくするのが皆既にプロの人たちと言うのは、これも結との対比になっている雰囲気を感じました。
お姉さんの事を知りながらも、尋ねずにいてくれる気遣いも、プロであり、大人ならではのそれですね。
隆慶一郎先生の吉原語免状の中で描かれた、酒席で哀しい想いをしている人がいても、話しかけず、それでもその人と共にいて明るく呑み続けるのも優しさ。
そんな場面を思い出しました。
皆と共に学び、成長した結に対して、見守られながらも一人で努力しなければならない空が今後どうなっていくのか。
次回も楽しみにさせて頂きます。

お読み下さり、ありがとうございます。

>これは重い
前スレの途中から毎レス1.5K~3Kを目安に調整してますから~(違

>これは重い@空の両肩に掛かる
こればかりはアレですねぇ……気を付けないと今回みたくビルにぶつかりますから(超違

冗談はさておき、仰るとおりですね。
数億の人類の命運と平和のほぼ全てが、空達オリジナルギガンティックドライバーにのし掛かっております。
そんな状況だと言うに、朝霧夫妻も亡くなった60年事件のようなテロを起こす不埒な輩もいるワケですが……。
姉関連については、技量的な物に関してはともかく、精神的な物は機関のメンバーと合流してからが本番と言う事になります。

>リーネ散る
故の、結、奏、クリスのご先祖設定開示ですね。
加えて、仮にフリューゲルが残っていて、彼に同調できても
全射程全戦術完全万能型を扱える人材が育たないと言う、大きな問題もありますが……。

>ギガンティックの修復不可能な作り
これだけ強力な機体に乗れる人間を10~20歳の人物に限定するために、
誰でも乗れないようにする枷となる設定を色々と考えた結果、こうなったのですが、
登場人物に話しをさせればさせる程、実に面倒な物だと言う実感が湧いて来ますww
まぁ、パイロット以外が乗ったら水風船破裂を食らう某ヴヴヴよりはよっぽど使い易いかもしれませんww

>GMTガーランド
さすがのギガンティックさんも星間戦争上等な造りではないので過剰かとww
…………第3シリーズがあるなら星間戦争編もいいかなぁ(マテ

ともあれ、それまでの研究データが蓄積されている事が前提ではありましたが、
機関にもたった一人で211と212を作り上げた人がいます。
が……その人物の登場は次回以降ですね。

>山路さんの会社が量産可能に
この辺りが不可能になった理由も、後々に語って行こうかと考えております。
因みに、試作型エンジンも、結界装甲の再現以外はアレックス謹製です。

>空の周辺
空と職種は異なりますが、一応、全員が正一級か準一級の上級公務員ですね。
教官が五十代、ジョーが四十代、ユカが三十代、他が二十代と言う感じです。
一応、保護官と言う事でそれなりに腕の立つ面子ではあるのですが、
修業編を長引かせると今後の掲載順(笑)に響くので、
訓練編と言う名の設定語りは次回までとなります。

>空が今後どうなっていくのか
先ずは前述の通り、訓練編は次回で終了となります。
機関入隊後は、しばらく出番が無くなってしまうマナミン達も出す予定です。
そして、半年が経過し、空がどの程度成長したのかは次回のお楽しみ……と言うワケで、
次回もリリカルフィジカルがんばります(ぉぃ

最新話を投下します。

第5話~それは、必然の『最悪の出会い』~

―1―

 西暦2074年10月21日、日曜。

 空がギガンティック機関入隊に向けた訓練を開始してから、
 早くも半年が過ぎていた。

 持ち前の真面目さと飲み込みの早さもあって、空はメキメキとその才能を開花させ、
 遂に正式入隊を来月に控え、今は訓練の総仕上げの段階だ。


 メインフロート第七層第一街区、商店街――

 開業から半年以上が経過し、ようやく客入りも高い水準で落ち着き始めたクレープ店の前。

 折りたたみ椅子と丸テーブルが並ぶオープンカフェ風イートインの一角に、空達はいた。

空「はぁふぅ……やっぱりここのクレープが一番美味しいなぁ~」

 抹茶白玉クレープを一口囓った空は、
 幸せそうな表情を浮かべて溜息混じりに漏らす。

佳乃「和んでんなぁ……」

真実「和んでますわね」

 お互い空を挟んで対面に座っていた佳乃と真実は、
 そんな親友の顔を見ながら半ば呆れたような、それでいて微笑ましそうな溜息を交えて呟く。

雅美「嗚呼……アップルシナモンタルトも素敵です……」

 と、こちらは空と対面に座った雅美だ。

 言葉通り、彼女の目の前の紙皿には、
 焼きたてのアップルシナモンタルトが鎮座し、香ばしくも甘い香りを立てている。

真実「こっちもですわね」

佳乃「こっちもだなぁ……」

 視線を雅美に移してから、真実と佳乃は向き直って顔を見合わせ、やれやれと肩を竦めると、
 自分達もそれぞれ白ブドウクレープとパイナップルクレープを口に含んだ。

真実「雅美。あなた、ここに来る度、普段のキャラが崩壊してません事?」

雅美「ダイエット期間終了後の密かな楽しみですからぁ」

 溜息がちな真実の言葉に、雅美は幸せそうな……心ここにあらずと言うような表情で返す。

空「私も半月に一度の楽しみだよ」

佳乃「お前ら、ホントにストイックなのか何なのか分かんねぇなぁ」

 雅美に同意するかのような満面の笑顔の空に、佳乃もそう言って笑った。

 半月に一度。

 それは空の修業が当日の丸一日と、前後の日の午後と午前が休みとなり、
 故郷の第一街区へと戻る事が出来る数少ない日であり、今日がその半月に一度の休みなのだ。

 昨夜、着替えだけを持って遅くに帰宅した空は、
 今回は真実の家で宿泊し、今日は朝から友人達と街へとくり出していた。

佳乃「あっ、そうだ! 空、聞いてくれよ!

   コイツら二人で第一女子行くんだぜ!?
   アタシだけ置いてけぼりとか、酷くねぇか!?」

雅美「またその話ですか?」

 思い出したように不平を口にした佳乃に、
 雅美はタルトを食べる手を止め、肩を竦めた。

真実「しょうがないでしょう?
   私達の進路希望はどちらも、準一級でないと就職が難しいんですもの」

 真実も食べ終えたクレープの包み紙を丸めながら、溜息がちに呟く。

空「佳乃ちゃんだって、やれば出来るんだから、
  第一女子目指せばいいんじゃないかな?」

佳乃「うおっ、空までその意見かよ……。
   くそぅ、どいつもこいつも、そんなにアタシに勉強させたいのかっ!」

 満面の笑みを浮かべた空の言葉に、佳乃は僅かにたじろいでから、すぐに切り返す。

雅美「学生の本分は勉強です」

佳乃「雅美の言う通りですわ」

 しかし、成績優秀者二人の言葉は、実にぐうの音も出ない程の正論だった。

佳乃「りょ、料理人に学歴なんか必要ないやーい!
   栄養学と食材の知識があれば十分なんだーい!」

 反論の余地を奪われた佳乃は、
 駄々っ子のように両腕をブンブンと上下させて言い訳を始める。

 まあ、彼女の言い分も一見して尤もかもしれないが、
 世には高学歴の料理人とているので、彼女の言い分はやや偏狭と言う物だろう。

空「よ、佳乃ちゃん、落ち着いて」

 そんな親友を、空は必死に宥める。

 真実達三人は、中等部二年も折り返しを過ぎ、
 本格的に進路決定に向けて動き出す時期に差し掛かっていた。

 真実は兼ねてより特一級を目指していた事もあって、
 軍や警察でギガンティックに携わるオペレーターを希望し、
 先ずは東京第一女子高等学校への入学を目指す事となっている。

 雅美は教師達の進めもあって公務員になる事を本格的に決定し、
 どうせ目指すならば可能な限り上と言う事で、行政の各中央省庁への就職を目指し、
 第一種上級公務員資格取得のため、真実と同じく第一女子を志望する事となった。

 そして、佳乃は、以前は漠然としていた食の道を進む事を決め、
 六月からは料理研究部へ所属し、高校に進学しながらも、地道に料理人となる事を目指しているのだ。

 結果、真実と雅美は上級校への進学を目指して勉強に励んでいるが、
 まあ今の二人の成績ならば安泰だろう。

 佳乃は簡単な筆記と面接で済む近所の東京第五高等学校辺りへ進学する予定だ。

佳乃「くそぅ、アタシだけを二級に残して、みんなで一級行きかよぅ……。
   女の友情なんて儚いぜっ!」

 佳乃はそう吐き捨てるように言って、わざとらしくテーブルの上に突っ伏す。

 空達三人は、佳乃の様子に顔を見合わせて肩を竦める。

真実「まったく……調理師資格に加えて、準一級市民なら、
   どんな一流ホテルだって引く手数多ですのに」

 真実は盛大な溜息を交えて、そんな事を呟く。

 すると――

佳乃「……ッ」

 突っ伏した振りをしていた佳乃の身体が、ピクリと動いた。

 その瞬間をめざとく見付けた雅美が、
 “その調子です”と言いたげに、真実に目配せし、自らも口を開く。

雅美「そうですねぇ……。
   こちらのお店の御主人も、元は最高級ホテルのチーフパティシエだったと言う事ですし」

真実「さすが、一流を率いた真の一流が作る味ですわね……。
   こちらの店主の元で学んだ方達が作った物も、一度、味わってみたいものですわ」

 二人はアイコンタクトを取りながら、
 突っ伏したままの親友を無視して――無論、視線だけは向けていたが――語らい合う。

 最高級ホテルのチーフパティシエ。
 一流を率いた真の一流。

 気になる単語が聞こえる度、佳乃の身体がピクピクと震える。

 ちなみに、クレープ屋の店主が某最高級ホテルでチーフパティシエをしていたのは、
 常連になった伝手で、佳乃が本人から直々に聞き出した事実だ。

空「え、えっと……二人、とも?」

 空は苦笑いを浮かべて二人の様子を窺うが、彼女達は敢えてソレを無視して会話を続けた。

真実「ああ、そう言えば、こんな話も聞きますわね」

雅美「あら? 何でしょうか?」

真実「技術はいくらでも身に付けられても、味覚は経験が物を言う。
   舌が肥える、と言う言葉がありますけど、
   アレはそれだけ良い物を味わった……経験を積んだ証、
   と言う意味でもあるそうですわ」

雅美「成る程。
   一流シェフの元で修業するのは、それはそれで理に適った理由があるんですね」

真実「ええ、常に一流の味を知り、そして、その技術を学ぶ事が出来る。
   本当に“一流”の料理人を目指すなら……」

佳乃「ああ、もうっ!
   分かったよ! 分かりましたよ!
   勉強すりゃ良いんだろっ、勉強すりゃっ!」

 さすがに親友達の言わんとしている事の真意を汲んだのか、
 佳乃は勢いよく起き上がり、テーブルをバンバンと強かに叩きながら叫ぶ。

 だが――

真実「聞きましたわね?」

雅美「ええ、ハッキリと」

 真実と雅美は顔を見合わせ、ニヤリと笑う。

佳乃「え? あれ?」

 二人の様子に、佳乃は合点が行かぬと言いたげに怪訝そうに首を傾げた。

空「あ~……佳乃ちゃん……頑張って」

 一方、空は、一学期始業式の日に渡された年間行事予定表の内容を思い出し、
 二人の真意の奥に隠されていた本来の目的を悟り、力なく笑う。

 こう言う時、記憶力が良いと言うのは便利である。

真実「では、これを……」

 真実はそう言って、自分の携帯端末を佳乃に向けて差し出す。

佳乃「ん? んん?」

 佳乃は、ワケも分からないまま自らも携帯端末を取り出し、
 真実の方へと差し出した。

 真実の携帯端末は既に通信モードに切り替えられていたのか、
 佳乃の携帯端末も通信モードへの切り替え可否のメッセージが表示される。

 佳乃が顔を上げると、真実と雅美は無言で頷き、
 彼女は促されるままに通信モードを承諾した。

 すると、真実の携帯端末から佳乃の携帯端末に向けて、
 何らかのファイルが転送され、画面に展開する。

空「ああ、やっぱり……」

 横から端末画面を覗き込んだ空は、
 想像通りのその画面に苦笑い混じりに呟いた。

佳乃「こ、これって……」

真実「集中補習の参加申込書ですわ」

 頬を引き攣らせる佳乃に、真実は淡々と語る。

 集中補習とは、上級校への進学対策として実施される、
 まあ言って見れば、学校が主催する、塾代わりの試験対策補習の事だ。

 上級校に進学すると言う事は、
 それまで上級校で学んで来た正一級の生徒に混ざって授業を受ける事になる。

 そうなると、必然的に“授業についていけない”と言う生徒が出てしまうので、
 基礎教科だけでも、試験対策と合わせて正一級と同等の集中授業を行うのだ。

 中等部二年の秋までに提出すると、二年の冬休み、春休み、三年の夏休みを利用して行われるのだが、
 その様相は正に、旧世界における学習塾の受験合宿である。

 〆切がやや早いのは、人数分の教材と教室確保や、
 事前に集中補習を受けるに足る学力があるかどうかを、考査する必要があるからだ。

 まあ、考査と言っても、通常の学期末考査で確認されるレベルの物に過ぎない。

 空がその事を覚えていたのは、記憶力も去ることながら、
 半年前に何事も起こらず、ドライバーになる道を選んでいなければ、
 彼女も雅美と共に、この集中補習に参加する予定だったからでもある。

雅美「昨日時点で配布終了なのに、佳乃さんが申込用紙を受け取っていなかったようなので、
   真実さんが一人分、余分にダウンロードして下さっていたんですよ?」

佳乃「あ、有り難いような……余計なお世話なような……」

 佳乃は何と言って良いか分からない表情を浮かべ、そんな言葉と共に項垂れた。

 だが、しかし、小声で“あんがとよ……”と言っている所を見る限り、
 最終的には感謝の念が勝ったようだ。

真実「空もギガンティックのドライバーを目指して頑張っているんですから、
   あなたもここで頑張らないと、空に顔向け出来ませんわよ?」

佳乃「へーいへーい」

 真実の言に、不承不承と言った声音で応えた佳乃だったが、
 その表情には不安と、それよりも強い意志が満ちていた。

 佳乃にとっては、ある種の覚悟を決めるための踏ん切りだったのだろう。

佳乃「けど、もうあれから半年かぁ……。
   訓練期間もそろそろ終わるんだろ?」

空「うん、早ければ来週中に」

 気持ちを切り替え、感慨深そうに尋ねた佳乃に、空は頷いて応える。

 前述の通り、空の訓練期間も半年が過ぎ、
 来月にはギガンティック機関への正式入隊を控えていた。

真実「その……魔力十万って、自在に扱えるようになると、どうなんですの?」

 真実は、それが興味本位の質問と分かっているからか、控え目に尋ねる。

佳乃「あ、ソレ、アタシも気になってんだ」

 と、彼女に同調するように佳乃も手を挙げた。

雅美「失礼ながら、私も」

 最後に雅美が続く。

 真実の魔力は九十程度、雅美と佳乃も三千前後。

 自分達の数十倍から百数十倍と言う凄まじい量の魔力と言うのが、
 今一つピンと来ないのだろう。

空「どうって言われても………便利、かなぁ?」

 空は僅かに考え込んだ後、そんな感想を漏らし、さらに続ける。

空「最初は、前よりちょっとスタミナが増えたかなぁ、ってぐらいだったけど、
  肉体強化魔法とか、高位魔力運用とか教えて貰ったら、身体が軽いって言うのかな?
  うん、凄く動きやすくなったよ」

佳乃「身体が軽い、ねぇ。
   ……筋肉ついたのとはまた別って事か?」

 その答えに、佳乃は空の二の腕を揉みしだくように掴んだ。

空「ひゃぅっ!?」

 親友の突然の暴挙に、空は思わず上擦った短い悲鳴を上げて、
 跳び上がるように驚く。

雅美「佳乃さん……」

真実「あなたって人は……」

 雅美と真実も、どこか呆れたような溜息と共に肩を竦めた。

佳乃「おお、やっぱこの前より筋肉ついてね?」

 だが、佳乃は親友達のリアクションも何処吹く風と行った様子で、
 驚きの入り交じった声を上げる。

 空の腕には、年頃の少女らしい柔らかさと、その奥に、
 細くしなやかながら、硬く鍛え上げられた筋肉の感触が同居していた。

空「よ、佳乃ちゃん!
  きゅ、急に……その、揉んだりとか……」

 同性で気心の知れた親友同士ならではのスキンシップだったが、
 さすがに突然過ぎた事もあって、空は身を引くようにして、佳乃と距離を取る。

佳乃「アハハ、わりぃわりぃ。けど、本当に前より筋肉ついたな。
   ……力比べなんかしても、もう勝てる自信ねーや」

 佳乃はあっけらかんと笑い飛ばすように謝罪すると、
 どこか寂しそうな雰囲気を漂わせて呟いた。

空「佳乃ちゃん……」

 空は、そんな親友の様子に気を取り直すと、同じく寂しそうに漏らす。

 五年前、クラスで村八分にされていた自分を、
 手を上げてまで守ってくれたのは佳乃だった。

 その事を言えば、佳乃は
 “そんな無茶やった馬鹿を助けてくれたのは、お前と雅美だろ?”
 と言い出す事も分かっていたので、敢えて口にはしない。

雅美「そう言えば、格闘術も習っているんですよね?」

 微妙な空気を察してか、雅美はやや強引に、話題を元の路線に戻す。

空「うん。
  ……とは言っても、教えてくれる教官に、一度も勝てないんだけどねぇ……」

 空は頷いてから、溜息がちに答える。

 生徒が簡単に教官に勝てると言うのも烏滸がましい話だが、
 勝敗のルールは、空にとっては実に有利な物だった。

 そのルールとは、教官のアルフが回避と防御に専念する中、
 三十分の制限時間内に一撃でもクリーンヒットを当てる事。

 使用武器は自由。

 銃器の類も、目標に当たった瞬間に弾丸が霧散する特殊模擬弾を使用しているため、
 訓練中に扱う事を許されている。

 魔法も、肉体強化だけなら使用は自由と言う状態だ。

 だが、このルールで訓練を始めてから、もう二ヶ月が過ぎたが、
 空は未だ一勝たりとも出来ていなかった。

空「座学と教養や、基礎体術と単純な魔導戦は、
  もう合格だってお墨付き貰ってるんだけど……」

 空はそう呟くと共に、盛大な溜息を漏らす。

 別に空自信に油断があるワケでもなく、
 むしろ、アルフが手加減してくれていると言っても良い。

 空に戦闘の手ほどきをしてくれているアルフレッド・サンダースは、御年五十五歳。

 戦士としては、肉体の衰えも無視できない年齢だと自分で語りながらも、
 その体捌きと足運びは、正に熟練のそれだ。

 十年近く、208のドライバーとして前線に立っていたと言う経験もさる事ながら、
 その後も肉体の鍛錬は怠っていなかったと言うのだから、当然と言えば当然だろう。

 初期の頃は、姉を真似てショートランスの二槍流を目指していた空だったが、
 自分にその適正が無い事を嫌と言うほど思い知ってからは、自分に合った武具を模索している最中だ。

 ちなみに、前述の銃はいの一番に試したが、当てる事は出来るのだが、クリーンヒットにはほど遠い。

 アルフの基本戦闘スタイルは、防御を重視した典型的なパワータイプなのだが、この防御重視と言うのが厄介なのだ。

 硬化特性の魔力を持つアルフの防御は堅牢で、また、状況や武器に合わせて巧みに防御を変えて来る。

 砲撃魔法の訓練では、高い魔力量もあって目覚ましい成績を上げる空だが、
 殆ど威力の無い模擬弾の銃では、アルフの防御を抜く事は難しく、
 防御の隙を狙うような精密射撃は彼女の苦手とする所だ。

 最近は、何とか手に馴染む武器を探そうと、試行錯誤の日々である。

空「ハァ………」

 空は悔しさと困惑の入り交じった、複雑な溜息を漏らす。

 彼女のそんな様子に、真実達はそれぞれに顔を見合わせた。

佳乃「案外、煮詰まってんだな、空……」

 佳乃は、先程の和んだ様子の空を思い出しながら呟く。

 空にとって、この半月に一度の休暇は、休暇であると同時に、
 最近では煮詰まった訓練――特に格闘術の組み手に対する、気分転換の時でもあった。

 だが、空自身に気分転換をしようと思って休暇に来ている意識は無く、
 完全な無意識に因る物だ。

 良くも悪くも、空の考え方は一本気で真面目なのである。

真実「まあ、今日の所は楽しんで、夜はゆっくりと休みましょう。
   一度頭をスッキリさせたら、良い方法を思いつくかもしれませんわ」

 付き合いは短いが、空の人となりは理解している事もあって、真実はそう言って促した。

雅美「そうですね。
   難しい問題も、少し落ち着くだけで答えが見えて来るものですし」

佳乃「急がば回れってヤツだな」

 雅美と佳乃も、彼女に続く。

空「みんな……うん、ありがとう」

 友人達の気遣いに、空は笑顔を浮かべ、心底から礼を言った。


 四人は気を取り直し、食べ終えたゴミをダストシュートに放り込むと、
 空のための気分転換を始めた。

 ウインドウショッピングで商店街を巡り、
 新作の娯楽映画を楽しみ、商店街近くの自然公園へと出向き、
 夕方近くまで遊び歩いてようやく帰宅した頃には、時刻は六時を回っていた。

―2―

 翌日、午前十時。
 第五フロート第一層、自然保護区、スイス・エリアの貨物リニア駅――


 自宅で一泊した空は、始発列車と共に第五フロートへと移動し、貨物リニアへと乗り継いで、
 早々に訓練所でもある保護隊詰め所の最寄り駅へと戻って来ていた。

 休暇中の着替え等を入れたバッグを担ぎ、空は移動用の貨物リニアから降りると、
 すぐに近くの作業員用女子更衣室へと駆け込んだ。

 この半年で、既に付近の作業員達と顔なじみになっていた空は、
 更衣室程度は顔パスで使用できるまでになっていた。

 事前に用意していた運動着に着替え、バッグを背中に括り付けた空は、
 駅のホーム……その隅で準備体操を始める。

作業員「朝霧さん、お帰り。
    どうだった、半月ぶりの休暇は」

 準備体操中の空に、顔見知りの若い作業員が笑顔で声をかけて来た。

 彼もまだ作業中のようで、遠隔操作型の小型パワーローダーを使い、
 リニアの貨物室からコンテナを運び出している最中だ。

空「はい。今回は、友達お勧めの映画を見て来ました」

 空は屈伸運動をしながら、手短に答える。

作業員「映画かぁ……いいねぇ」

空「ファミリー向けの映画でしたけど、結構、色んな人が見に来てましたよ。
  恋人同士で来てる人もいましたし」

作業員「へぇ……なら僕も、彼女を誘ってみようかな」

 空は準備体操を続けながら、作業員も作業を続けながら世間話を続けた。

作業員「それはそうと、今日も徒歩で戻るのかい?」

空「はい。今回こそ、自己記録を更新してみせます!」

 作業員の質問に力強く応えた空は、そう言って準備運動を終える。

 徒歩で戻る、とは、この駅に併設されたロープウェイを使わず、
 十五キロ上にある保護隊の詰め所まで走って行こうと言うのだ。

 空は、もう三ヶ月ほど前から、例の修業初日に行った下山登山の往復三十キロマラソンを、
 訓練カリキュラムとしては行っていなかった。

 アルフ曰く、空にはもう十分な体力が備わり、
 肉体強化魔法も文句なしと言えるレベルで修得したためだからと言う。

 謂わば、コレは自主訓練の一環だ。

空「よし……っ!」

 空は小さく深呼吸してから、自分が登って行く道を見据える。

 森の中を越える登山コース。

 気合は十分だ。

空「じゃあ、行って来ます!」

作業員「はい、行ってらっしゃい!」

 空は作業員の声を合図代わりに、一気に走り出した。

 まだ肉体強化魔法を覚えていなかった頃と違い、空は軽快に山道を駆け上がって行く。

 一見して、長く険しいだけで意味の無いように見えるこの登山マラソンだが、
 実はギガンティックドライバーの特訓にとって重要で明確な理由がある。

 不安定な足場と、木々や藪、石などの障害物の多いコース。

 これはビル街や住宅地などで戦闘になった際、
 それらを避けて適切な足場を素早く見出すための訓練だのだ。

 空はシミュレーターを使っている際の、エールの肩や全身に突き出した部位を思い浮かべ、
 その部位が障害物にぶつからないように意識しながら走る。

 次の足場を見定め、周辺の幹や枝に気を配りながら、
 常に数メートルから十メートル先を見定めるようにして、跳ぶように走るのだ。

 しかし、決して高くは跳ばない。

 シミュレーションで思い知らされた事だが、
 建造物を避けて高く跳べば、それだけ危険に晒されてしまう。

 自由自在に飛行できれば、高く跳んでも構わないのだが、
 エールは本来あったハズの飛行能力を扱えないらしく、
 専ら、移動に使える程度の性能でしかない飛行オプションに頼る他ない。

 要は、不用意に高く跳べば、敵の攻撃に晒される事になるのだ。

 五度撃墜されて、その事を骨身に染みて思い知らされた空は、
 自分自身で飛行魔法を修練するのと並行して、
 高く跳ばずに素早く移動する訓練を自らに課していた。

 常に見据える点は、標的……イマジン。

 イマジンのいる位置を見失わないよう、
 死角から死角への移動を意識して、障害物を回避しながら走り抜ける。

 イメージの中の標的を攻撃したら、次の標的を意識して移動。

 この繰り返しで、十五キロ先にある詰め所を目指す。

 恐らく、走る距離も最短距離の一割から二割増しになってしまう。

 重心を低く、腰を落とし、左右へのステップを織り交ぜながら、
 その道程を軽快に走り抜けて行く。

 三日分の着替えと生活用品の入った荷物はおそらく四キロ前後。

 そのバッグを背中に括り付けての移動速度は、半年前の比ではなかった。

 一時間ほどかけて森を抜け、空はトップスピードのまま、第二の学舎の前へと辿り着く。

空「ふぅ………何とか、時間内かな?」

 荷物の中から携帯端末を取り出し、空は時間を確認する。

 汗をかき、息も乱れてはいるが、半年前のようにその場に倒れ込むような事はない。

 必要最小限につけられた筋肉と、十全なスタミナ、そして、肉体強化魔法。

 空の身体は、戦う者のソレとして急速に完成しつつあった。

 ともあれ、時刻は午前十一時二十分。

 着替えや準備運動の時間を含めれば、大体、一時間五分程度だろうか?

 記録的には文句なしだ。

空(えっと……シャワーを浴びてる間に運動着を洗濯しておけば、
  午後の訓練前に乾くかな?)

 空はそんな事を考えながら、詰め所の中に入って行く。

レイチェル「あら、空ちゃん、おかえりなさい。
      今日も走って来たの?」

空「ただいま、レイチェルさん。
  何とか一時間ちょっとで戻って来れるようになりました」

 玄関付近でレイチェルに迎えられた空は、笑顔で応える。

 レイチェルは食材庫の方から来たので、恐らく彼女が今日の昼食当番なのだろう。

レイチェル「やっぱり、魔力高い人って便利なのねぇ……。
      私も、もうちょっと魔力が高ければ、ビリー君みたいに広域作業も行けるのに」

空「アハハ……」

 羨むようなレイチェルに、乾いた笑いで応えて、空はシャワー室へと向かう。

空「お風呂、使いますね」

レイチェル「はい、どうぞ~。
      あ、ユカ先輩とチャオ先輩が先に入ってるから」

空「はーい」

 レイチェルに見送られて、空は女子シャワー室……の手前の更衣室へと入る。

 バッグの中から、事前に用意してあった替えの下着と、一時間ほど前まで着ていた服を除き、
 他は全て、今まで着ていた下着と運動着も、空いているランドリーマシンに放り込む。

 他にも二つのランドリーマシンが動いており、既に準備されている二組の着替えからして、
 レイチェルの言葉通り、ユカとチャオの二人がシャワーを使っている最中のようだ。

空「ユカさん、チャオさん、お疲れ様です」

ユカ「お帰り、空ちゃん」

チャオ「お疲れ~、って、まだ昼だけどね~、ニャハハ」

 シャワー室に入りながら挨拶すると、広いバスタブに浸かったユカとチャオから声が返って来る。

空「今日の午前中、機械作業だったんですか?」

ユカ「うん、古い方のパワーローダーの整備を、ね……」

チャオ「例の油圧ダンパーのご機嫌を伺おうとして、整備しようと思ったら、
    圧が下がりきる前に潤滑油が天井まで噴き出しちゃって、
    お陰でパンツまで油塗れだよ」

 少し疲れたようなユカに続いて、
 チャオがケラケラと笑い話のように言って、空の質問に答えた。

空「それは……災難でしたね」

 その様子を想像し、空は呟く。

 パワーローダーは多数の部位に、通常の機械部品を用いている。

 油圧ダンパーもその一つで、関節部の駆動や衝撃吸収のための重要な部位だ。

 ユカの言う古い方のパワーローダーは、森の間伐などに使っている機体で、
 数日前から調子が悪いと言う話が出ていた。

 整備用のパーツは申請済みなのだが、節約のため限界まで使うつもりだったのだろう。

ユカ「ま、森の中で噴き出さなかっただけマシって事だな……」

 ユカはそう言って、盛大な溜息を共に肩を竦めた。

 確かに、自然保護官が環境破壊など、洒落にもならなかっただろう。

チャオ「まぁ、隊長の雷は避けられないけどね……アハハ」

ユカ「言うな……気が重くなる」

 力ない苦笑いを浮かべたチャオに、ユカはガックリと項垂れた。

 そんな二人に同情しながらも、思わず噴き出しそうになった空は、
 慌てて冷水を頭から被る。

空「ッ……!?」

 運動して火照った身体を冷やすと共に、小さな笑いの発作をやり過ごす。

 そして、一気に湯温を適温まで上げ、今度はゆっくりと身体を温めて行く。

空「ふぅ……」

 何とか全てを誤魔化しきった空は、ボディソープで手早く身体を洗い、
 泡を洗い流してから、バスタブに浸かった。

 昼間から風呂とは、やはり少し贅沢だ。

 そんな贅沢な気分を味わいながら、足を限界まで伸ばす。

チャオ「あ、隊長と言えば、午後はまた組み手やるとか言ってたよ?」

 バスタブの縁に寄りかかるようにしながら、チャオがそんな事を呟いた。

 口ぶりからして、“大丈夫?”と心配しているのだろう。

空「友達に付き合って貰って、十分に気分転換して来ましたから、
  今日こそ一本取ってみせます!」

 だが、結は心機一転、気力充実と言った風に言って、グッと拳を握り締めた。

ユカ「ほうほう、そりゃ大した自信だ」

 そんな空の様子に、ユカが頼もしげに呟く。

 自然保護官は、密猟や密伐採目的で侵入して来た犯罪者の鎮圧も業務として行っている。

 その職業柄、保護官達はそれなりに戦闘訓練は積んでいるが、誰一人として、
 イマジン対策の最前線に立った経験もある隊長のアルフに、一撃を与えられた者はいなかった。

 空はその事を思い出しつつ、決意を新たに――

空「一本……! ……取れたらいいな」

 ――出来なかった。

 二人は“あらら”と、微笑混じりの呆れ顔で首を傾いだ。

 よくよく考えてみれば、気分転換一つでどうこう出来るほど、アルフは甘くない。

 だが、勢いは重要だ。

空「や、やります! やって見せます!」

 空は気を取り直し、再び両の拳を胸の前で握り締め、立ち上がって宣言する。

ユカ「よし、今度こそ頑張れ」

 ユカも気を取り直して激励した。

 だが――

チャオ「あ~、気合入ってるトコ悪いけど、空ちゃん」

空「はい?」

 チャオにどこか困ったような声で呼ばれ、
 空はそのままの態勢で首を傾げるようにして向き直る。

チャオ「女だけとは言え、ここ、一応、お風呂場だから。
    前くらい隠した方がいいよ?

    いや、私は別に気にしないんだけど……、
    ほら、空ちゃんもお年頃なんだから」

空「………?

  …………っ!

  ~~~~~ッ!?」

 苦笑いを浮かべたチャオの言葉に、
 空は疑問、驚愕、羞恥の百面相を始める羽目となった。

空「すっ、すいませんっ!」

 空は顔を茹で蛸のように真っ赤にして、
 大慌てで湯船にしゃがみ込み、鼻先まで沈んだ。

 入浴中と言うだけでは説明しきれないほど赤く染まった頬の理由は、
 まあほぼ百パーセント、羞恥である。

ユカ「空ちゃん、熱くなると回り見えなくなっちゃうからねぇ……。
   今のウチに、その癖は直した方がいいね」

空「はぁい……」

 微笑ましそうなユカの言葉に、空は俯き、気泡を立てながらくぐもった声で応えた。

 誕生日を迎えてから三ヶ月。

 十四歳の少女の前途は、まだまだ多難である。

―3―

 アルフの小さな雷が落ちた昼食を終え、
 乾いた運動着をランドリーマシンから引っ張り出した空は、
 着替えを済ませ、アルフと共に一階奥の道場へと来ていた。

 今日の訓練は、例の“アルフからヒットを奪う”格闘戦の組み手だ。

空「う~ん………軽いなぁ……」

 空は身の丈程もあるロッドを振り回しながら、小首を傾げる。

 ヒュンヒュンと風を切る音を鳴らしながら、
 空は自在にロッドを使いこなしていたが、どうやらしっくりと来ないようだ。

 例の組み手が始まってから二ヶ月。

 何となく長柄の武器が手に馴染む所までは掴んでいるのだが、
 どうにも納得がいかない。

空「もうちょっと先が重たい物があるといいんだけどなぁ」

 空はロッドを棚に戻すと、
 先端に小さな錘のついたスレッジハンマーを手に取った。

 先程のロッドと同じように振り回して見るが、
 やや重過ぎるようで、ロッドほど自由自在とは行かない。

空「これじゃあ、ないんだよね……やっぱり」

 空は小さな溜息を漏らし、ハンマーを元の位置に返す。

 長杖やハンマーと言うが、打撃する部位は柔らかく作られた模擬戦用の物だ。

 殺傷能力がある程の打撃力はない。

 アルフの拘りなのか、それとも多様な生徒の要求に応えるためなのか、
 模擬戦用の武器は、ショートソードから大砲まで、一通りの物が揃っていた。

 刀剣一つ取っても、短剣に長剣、片手剣に両手剣、細身に幅広、日本刀にショテルに、
 中にはフランベルジュのような特異な形状の特注品まで鎮座している。

 空がキッカケを掴みつつある長柄のポールウェポンも、
 長杖に槍、薙刀、斧、果てはハルバートなんて物まで並んでいた。

空「やっぱり……どっちも違うなぁ……」

 空は槍と薙刀を手に取りながら、それらを交互に見遣る。

 槍は柄の長さは十分なのだが、先端の重量がやや足りず、重心バランスは今一つだ。

 逆に、薙刀は先端の重量が作る重心バランスは理想に近いのだが、柄の長さがやや足りない。

 どちらも一長一短、空の望む武器にはやや足りなかった。

 だが、どちらか選ぶしかあるまい。

 空は重心バランスの取れた薙刀を選び、先程の長杖やハンマーのように振り回して見る。

空「これ………かなぁ」

 やや物足りなさを感じながらも、空は浅く頷く。

 因みに、前回の組み手で選んだのはハルバードだったが、こちらは外れだった。

 柄の長さ、重心バランス共に申し分無かったのだが、
 先端部分が大き過ぎて巧く扱う事が出来ず、アルフに敗北を喫したのだ。

アルフ「朝霧、そろそろ準備は良いか?」

 組み手の準備を終えたアルフが、促すように声を掛けて来た。

空「……はい!」

 空は少し戸惑った後、槍を持って応えると、アルフの元に駆け寄る。

アルフ「今日は槍か……」

空「はい」

 思案げに呟くアルフに、空は少し困ったような笑みで頷く。

 因みに、槍を使うのはこれで五度目。

 薙刀も既に五度使っている。

アルフ「まあ、有る物を使うと言う考えは正しいな」

 アルフも僅かな溜息を交えて返す。

 確かに、戦場で無い物ねだりなど、偶然や奇跡でもない限り叶えられる事はない。

アルフ「どうする、先ずは一戦、やってみるか?」

空「……はい、お願いします!」

 アルフの問いかけに、空は気を取り直すように言って構えた。

 右手で保持した槍の柄を、右脇に挟むように構え、
 左半身を前に出し、重心を僅かに低くした、杖術の構えの一つだ。

 空の気合に応え、アルフも構えを取る。

 右半身を前に出すかのような、少し崩したボクシングスタイルだ。

アルフ「よし……始めっ!」

空「はいっ!」

 アルフの号令と共に、
 空は彼の背中側に回り込むべく僅かずつ右へ跳びながら突進する。

 脇を締めて固定していた槍を解放し、
 斜め上段から袈裟懸けの一撃を、アルフの左膝の裏に向けて叩き込む。

 だが、アルフは左の裏拳で槍の一撃を弾き飛ばし、
 最小限の動きで正面に向き直り、バックステップで距離を取り直した。

アルフ「最初の打ち込みがワンパターン過ぎる!」

空「はい、すみませんっ!」

 アルフの一喝に答えながらも、
 空はまだ態勢を整え切れていないアルフに真っ正面から肉迫する。

 槍を旋回させながら、握る位置を僅かに短くしての突きの構えに移行し、
 敢えて正面からでなく横殴り気味に突きを放つ。

 樹脂製の穂先がアルフへと迫るが、彼は難なくスウェーバックの要領でその一撃を回避した。

 だが――

空(来た!)

 狙い通りに動いてくれたアルフに、空は内心で会心の笑みを浮かべる。

 そう、短く握り直した横殴りの突きはフェイク。

 防御と回避だけに専念する条件のアルフの選択肢は、基本的に三つ。

 その場で防ぐ、その場で避ける、距離を取る。

 空が想定していた対処も、それぞれに合わせて三つ。

 防がれたら、こちらはバックステップで距離を取る。

 身長一五〇センチ強の空では、二メートルを超えるアルフとの接近戦は不利だからだ。

 アルフからは一切の攻撃は無いと言っても、
 密着状態で圧倒的な体格差を覆せるだけの力も技術も空にはない。

 まあ、最悪のパターンだ。

 二つ目、距離を取られたら、そのままさらに追撃を仕掛ける。

 再び武器を持ち替えつつ、隙を狙う戦法。

 こちらは最悪ではないが、あまり好ましくない。

 そして、最後……今現在もアルフが行っている、その場で避けられた場合。

 これこそが空が狙っていたパターンである。

 整いきらない体勢のままの回避行動。

 絶好のチャンスだ。

空「てやぁぁっ!」

 空は気合の一声と共に、フックの要領で横殴りに振り抜いた槍の柄を……、
 敢えて穂先までを短く持って、普段よりリーチを長く取っていたソレを、
 無防備なアルフの左横っ腹に向けて横嘆きに叩き付ける。

 だが――

アルフ「狙いは良い……だが、まだまだ!」

 一瞬、感心したような声を上げたアルフだったが、
 鋭い一声と共に、肘当てでその横薙ぎの一撃を受け止めた。

空「ッ!?」

 テコの原理のお陰で、辛うじて槍ごと弾かれる事は避けた空だったが、
 右側にサイドステップを切って距離を取る。

空(やっぱり、一晩考えたくらいの戦法じゃ、教官には通じないよね……)

 胸中で悔しい思いを吐露しつつも、空は次なる一撃に向けて、再び槍を構え直した。

アルフ「良い調子だ! その勢いで来い!」

空「はいっ!」

 嬉しそうな声音で言ったアルフに向かって、空は大声で応え、彼の背後を取るべく駆け出す。

 しかし、いくらこの半年で実力を付け、体力も付いたとは言え、
 人生だけでも四十一年と言うキャリアの差はそうそう覆せない物だ。

 空のくり出す数々の攻撃は、丁寧に避けられ、防がれ、
 一撃もまともなヒットを奪う事も出来ず、タイムアップを迎えてしまう。

空「今回も、また駄目だった……」

 道場の床にへたり込みながら、空は嘆息を漏らす。

 肩を竦めながら、傍らに転がる槍に目を向ける。

 柄の長さは申し分無いのだが、やはり先端部の大きさが足りないと感じてしまう。

アルフ「そう気を落とすな。

    結果だけを見れば確かに不服だろうが、
    例のフェイクを加えたコンビネーションは中々だったぞ」

 気落ちした様子の空を気遣ってか、アルフはそんな言葉を述べる。

 空を元気づける意図はあったが、
 彼女の放ったコンビネーション……連続攻撃に対する評価は事実だ。

 コンビネーションを想定していなかったワケではなかったし、
 最近の空は、コンビネーションをよく取り入れるようになっていた。

 間合いを詰めた攻撃のために穂先近くを握ると言う扱い方は、確かに教えてあったが、
 それをコンビネーションに取り入れた、空の応用力を評価しての事である。

アルフ「お前は乾いた砂……いや、土壌だな」

空「えっと……それって、褒められているんでしょうか?」

 感慨深く語るアルフに、空は苦笑い気味に問い返す。

 まあ、十四歳になったばかりの少女を褒めるのに、
 砂場や土壌を喩えに出すのは些か、と言うべきだ。

アルフ「俺としては褒めているつもりなんだが……。

    教えれば教えるほど、学べば学ぶほど伸びてくれると言うのは、
    教える側としては楽しい物でな」

 アルフは少しだけ困ったような表情を浮かべたものの、
 すぐに口元に笑みを浮かべて言うと――

アルフ「まあ……、まるで、覚えておくべき部分に対して、
    最初から十分な余裕を持っていたようでもあるのが、
    興味深いと言えば興味深いがな」

 ――と、どこか不思議がるかのような雰囲気で付け加えてきた。

空「はぁ……」

 あまりに感覚的な、それもどちらかと言えばオカルティックな部類のアルフの物言いに、
 空はどうコメントしていいか分からずに生返事を返してしまう。

アルフ「まあ、お前の姉も良い筋をしていたから、両親からの遺伝かもしれんな」

空「それは……嬉しいです」

 そう言って、床に座り込んだままだった自分に差し伸べられたアルフの左手を取りながら、
 空は満面の笑みで返した。

 しかし、引き起こして貰った空は、また槍に目を向けて、ごく小さな溜息を漏らしてしまう。

アルフ「ふむ……」

 そんな教え子の様子に、アルフもどうした物かと、考え込むように腕を組んだ。

 ここ数週間ほど、空が武器の選定に悩んでいる事には勘付いてはいる。

アルフ「パルチザンや薙刀では、やはり違うのか?」

空「え? あ、はい。
  けれど、ハルバートは複雑過ぎて、
  何だか違うような気がしてしまって……」

 アルフの問いかけに答えて、空は顔を俯けた。

アルフ「もう少し力任せに使える……
    バルディッシュやブローバのような物がいいのか?

    取り寄せれば、二、三日で届くぞ」

 アルフは、数百年前の東欧やインドで使われていた斧状のポールウェポンを例に出す。

 どちらも長柄の先端に、巨大な斧状の刃を取り付けた大型武器だ。

 刃の重さと柄の長さに任せて、対象を叩き潰すように斬る事を主眼とした武器である。

空「あ、いえ……さすがに……。
  もうちょっと取り回し易い武器って無いですかね?」

アルフ「となると、後は方天戟の類だな」

 空の質問に、アルフは思案げに呟く。

 方天戟は宋時代の旧中国で使われていた、謂わば東洋版ハルバートだ。

 創作の世界では、三国志演義で広く知られる猛将・呂布の用いた武器として知られる。

 空自身、呂布や三国志演義はともかく、
 渡された武器の資料に記されている方天戟の存在は知っていた。

空「どちらかと言うと、偃月刀の方が近いみたいです」

 だからこそ、その武器を例に挙る事が出来た。

アルフ「偃月刀か……それなら準備できない事もないな」

 アルフはそう言って、武器の並べてある棚の方へと向かう。

 そして、槍を一本、手に取る。

アルフ「刃の形に、何か希望はあるか?」

空「へ? ……えっと、あの出来たら曲がっている刃があれば……、
  って、まさか特注って事ですか!?」

 アルフの質問に、キョトンとした様子で答えた空だったが、
 その事に思い至って驚きの声を上げた。

 有る物を使うのは正しい、と言ったのはアルフのハズだ。

 その事はアルフ自身も分かっていた。

 だが――

アルフ「有る物を有効活用するのも重要だが、
    無い物を有る所から調達し、準備しておく事も重要だぞ」

 アルフはニヤリと笑うと、槍の柄と穂先を握って引っ張る。

 すると、キュッポンッ、と言う小気味良い音と共に、穂先だけが外れた。

空「あ、あれ?」

 何か想像と違う展開に、空は呆然とした表情で小首を傾げる。

アルフ「曲がっている……湾曲している刃か。
    なら、ショテルでいいな」

 アルフは穂先を棚に戻すと、近くの棚から一本の湾刀……ショテルを取り出した。

 ショテルはアフリカで生まれた湾刀だ。

 先程の槍と同じように、柄と刃を取り外すと、
 柄だけを棚に戻し、槍の柄とショテルの刃を連結させる。

 即席の偃月刀……と言うか、変則槍の完成だ。

アルフ「これでどうだ?」

 アルフは空に向けて、それを放り投げる。

空「わっ!? っと……」

 空は驚いた様子でソレを受け取った。

 呆然としている所に突然のパスだったので、思わず取り落としそうになってしまう。

 だが、何とか身体で受け止めるように受け取ったソレは、
 確かに、空が求めている物に限りなく近い武器だった。

 柄は長く、重心も穂先寄り。

アルフ「刃の形が気に入らないなら、自分で調節するといい」

 アルフはそう言いながら、残った短い柄と穂先を連結させ、
 やや柄の長い変則ナイフを作り出す。

空「調節、ですか?」

アルフ「ああ、一応、マギアリヒトの塊だからな。
    魔力を加えて引っ張れば……」

 訝しげに問いかける空に、
 アルフはそう言いながら変則ナイフの刃に魔力を加えて引っ張った。

 すると、熱した飴細工のように刃が伸び、見る見る内に細剣になってしまう。

アルフ「……この通りだ」

空「コレって、こんなに簡単に形が変わっちゃう物なんですか……!?」

 少し得意げなアルフに、空は心底驚いたように呟く。

アルフ「まあ、さっきも言った通り、
    マギアリヒトを軟質樹脂のように固めた物だからな。

    多少、大きめの魔力が必要になるが……、
    それに、そこのフランベルジュ」

 アルフは説明しながら、背中の棚……その中にあるフランベルジュを親指で指し示す。

アルフ「あれも昔、チャオと瑠璃華が悪ふざけで作った物だからな」

 微笑ましいような呆れたような、
 そんな複雑な笑みを浮かべ、アルフは肩を竦めて見せる。

 空も見よう見まねで、手先に魔力を込めて刃の一部を引っ張ると、
 まるで粘土のようにぐにゃりと伸びた。

空「あ……こんなに簡単に……」

 あまりにも呆気ない変化に、
 空は愕然とも唖然とも取れない声を上げ、アルフに視線を向ける。

アルフ「ん?
    なんで、もっと早く教えてくれなかった、と言いたげだな?」

空「あ、いえ……さすがにそこまでは……。
  けれど、何で、今まで秘密にしていたんですか?」

 年甲斐もなくからかうような雰囲気を漂わせるアルフに、
 空は怪訝そうに尋ねた。

 アルフの訓練を受けられるのも、残り十日足らず。

 この組み手が始まってから二ヶ月。

 それ以前から各種の武器を使った訓練は行っていたが、こんな機能があると知らなかった。

アルフ「イマジンとの戦闘は、基本的にぶっつけ本番と言うヤツばかりだ。
    出現場所に合わせて、ある程度の装備変更も行うが、
    得意な武器ばかり使えるワケでもない」

空「あ……そう、ですよね」

 アルフの言葉に、空はその大前提を考えていなかった事に気付き、
 悔しそうに顔を俯ける。

 その表情の理由は、
 失念していた自責が二割、それ以外の後悔が八割と言った所だ。

 半年前……姉を喪ったあの日、エールの装備は徒手空拳だった。

 あの場への素早い到着を優先し、機体を少しでも軽くするため、
 姉は装備の殆どを放棄していたのだ。

 そのお陰で自分も助かったワケだが、似たような状況に陥れば、
 自分もそのように行動しなければいけない時が来るかもしれない。

 そうなった時、扱いやすい武器がないのでイマジンを倒せません、では話にならない。

アルフ「まぁ、そう落ち込むな……」

 真面目さ故に際限なく落ち込みかけた教え子に、
 アルフは穏やかな口調で声をかけ、さらに続ける。

アルフ「如何なる状況でも百パーセントの実力を発揮できると言うのは、
    ある種の才能を通り越して、天才や鬼才の域だ。

    ただ、実際にはそうあるべきであり、そうでなくてはいけないのだろうが、
    そんな能力が一朝一夕に……半年程度で身につく物でもない。

    だからこそ、訓練では様々な武器を使う機会を敢えて用意しているワケだな」

 アルフの言葉に、空は無言で頷く。

 そう、確かに今までの特訓は無駄ではなかった。

 様々な武器を使った型稽古や組み手も最初の頃は、
 槍や薙刀に限らず、ハンマーやナイフと言った武器も使った事がある。

 イメージトレーニングやシミュレーター訓練では、
 今後も使う事が無かったであろう武器達だ。

 だが、いざ実戦となれば、それらの武器を使わざるを得ない状況もあるだろう。

 訓練で出来なかった事が、いざ実戦と言う時に出来るハズもない。

 要は予行演習だ。

アルフ「訓練期間も残り僅か……、
    そろそろお前の扱い易い武器の訓練に移っても良い頃合いだ。

    何より、お前の武器の扱いも、合格とまでは言い難いが、及第点だ」

 アルフはそう言ったが、空には、彼が口ぶり以上に嬉しそうに見えた。

 合格点未満ではあるが、及第点以上と言う事だろう。

 そして、それは空の想像と言うだけでなく、アルフの真意でもあった。

空「教官……」

 空は感極まったように声を漏らす。

アルフ「とにかく、次の一本を始める前に、
    お前の望む通りの武器を用意してみるといい」

 アルフは少し照れ臭かったのか、そう言って道場の隅に向かい、
 休憩用に用意していたパイプ椅子に腰を下ろした。

 空は、そんなアルフの様子をどこか微笑ましそうに見送ると、
 すぐに表情を引き締め、彼の用意してくれた武器に向き直る。

 先ず、軽く振り回して見るが、先ほど手に持った時に思った通り、
 柄と刃の重量バランス、さらに穂先の大きさは絶妙だ。

 回転を止めた時、手に残る慣性に振り回されるような感触が、
 不思議と身体に馴染む。

空(ただ、やっぱりもうちょっと形が違うかな……)

 そんな事を思いながら、刃を見遣る。

 半円形に湾曲した刃は、確かに美しい曲線を描いてはいたが、
 自分が望んだ刃はコレではないような気がした。

 もっと直線的に屈曲した刃だ。

 空は、根本から三分の一ほどと切っ先を摘み、
 刀身の長さを引き伸ばしてしまわないように慎重に引っ張る。

 湾曲していた刃は真っ直ぐに伸び、
 さらに、根本の残り三分の一も真っ直ぐに伸ばし、
 かなり鋭角的なL字型をした形状を作り上げた。

 刃の付け根と刃の間に、
 握り拳大の物が挟まりそうな隙間が空いている程だ。

空「こんな感じ……かな?」

 空は改めて完成した武器を、再び、軽く振り回す。

 扱う感触が、より自分の望んでいた物の近くなったように感じる。

空「うん、この感じだ……っ!」

 完成した理想の長杖を、空はしげしげと見つめた。

 すると、何故かデジャヴュを感じる。

 かつて、コレを持った事があるような……。

空(………あ、そっか、半年前だ……)

 空は半年前の、あの姉を喪った日の事を思い出す。

 あの時、姉から自分へと返還されたエールの使用権利。

 その際、ほぼ無意識に展開した魔導装甲と共に現れた、
 あの鋭いエッジを持った杖に似ていたのだ。

 あちらの方が、もう少し華美な装飾があったが、
 刃の形状もかなり似ていると思う。

 一度だけ、しかも殆ど錯乱状態で握った武器だったにも拘わらず、
 不思議なほど手に馴染む。

空(何だかんだで、これもエールに選ばれた、って事なのかな……?)

 空は少し怪訝そうな表情を浮かべながらも、
 手に馴染む長杖の感触に次第に笑顔を取り戻す。

 ハルバートほど出来る事は多くなさそうだが、
 刺突と斬撃は無理なく使えそうだ。

 柄も身長ほどの長さがあるので、長杖としての打撃にも申し分ない。

空「教官、準備できました!」

 空は晴れ晴れとした笑顔で、アルフを呼ぶ。

アルフ「ん? もういいのか?」

空「はいっ、二本目、お願いします!」

 怪訝そうなアルフに、空は声を弾ませて答えた。

 アルフは立ち上がると、道場の中央へと向かう。

アルフ「気合が入っているな」

 教え子の様子に満足そうに呟き、アルフは構えを取る。

 空も先程の槍と同じように、右手と右脇を使って長杖を保持した。

アルフ「よし、始めっ!」

空「はいっ!」

 それを合図に、空は低い姿勢のままアルフに向かって跳ぶ。

 その直後――

空「あれ……?」

 空は素っ頓狂な声を上げて、宙を舞っていた。

 ドンッ、と言う音と共に、空は背中から道場の床に叩き付けられる。

 受け身を取り損なった痛みは、後から来た。

空「きょ、教官……?」

 空は痛む背中をさすりながら、身体を起こす。

 背中から落ちた事で、幸いにも首や腰を強打する事は避けられたようだ。

 加えて、肉体強化魔法も使っていたお陰で、痛み自体もそれ程ではない。

 だが、先程まで笑顔を浮かべていたハズのアルフは、
 どこか信じられない物を見たような表情を浮かべ、
 突き出したままの己が左拳を呆然と見つめている。

 そこで空は、自分がアルフの打撃で弾き飛ばされた事に気付いた。

アルフ「………す、スマン!? ケガはないか!?」

 アルフも自分が何をしたのか、一拍遅れで気付いたらしく、
 大慌てで空に駆け寄る。

空「あ……は、はい、大丈夫です」

 空は答えながら、長杖を支えにして立ち上がる。

 まだ少し背中が痛むが、やはり気にする程ではない。

空「攻撃して来るなんて、聞いてませんでしたよ……」

 空は少しだけ不満そうに漏らす。

 彼女はいつも通りの組み手と思っていたため、
 アルフの突然の打撃に対処し切れなかったのだ。

アルフ「す、スマン……手を出すつもりは無かったんだが……」

 アルフは狼狽した様子で、左手を見遣った。

 掌にはじっとりと汗が浮かんでおり、
 気がつけば、背筋にも僅かに汗が浮かんでいるようだ。

 アルフの言葉通り、彼もいつもの組み手のつもりでいた。

 だが、空に斬り掛かられた瞬間、不意に手を出してしまったのだ。

アルフ(……何だったんだ……あの感覚は……?)

 アルフは自分の左手をじっと見つめながら、先程の感覚を思い出す。

 すると、ぞわりと言う感触が全身を駆け抜け、背筋に大量の汗が噴き出した。

空「……大丈夫ですか、教官?」

アルフ「ん? あ、ああ……」

 心配そうな空の声に、アルフは気を取り直す。

 アルフが空に顔を向けると、彼女は心配そうにコチラを覗き込んでいた。

 何のことはない、目の前にいるのは、
 多少超人的な鍛え方をしたとは言え、十四歳の少女だ。

 アルフは小さく深呼吸をして気分を落ち着ける。

アルフ「もう一本、出来そうか?」

空「えっと……はい」

 アルフの問いかけに、空は背中の調子を確認してから答えた。

 会話の間も治癒促進魔法が働いていたので、もう痛みは感じない。

空「いつでも行けます!」

アルフ「……いい返事だ」

 気合十分と言った風な空の返事を聞く頃には、
 アルフも完全に落ち着きを取り戻していた。

 二人は再び十分な距離を取り、構え直す。

アルフ「よし………始めっ!」

空「はいっ、行きまぁすっ!」

 号令一声、防御の姿勢を取るアルフに向けて、空は跳ぶ。

 今度は大上段からの唐竹割だ。

アルフ「ふんっ!」

 アルフは右腕の手甲でその一撃を受け止めると、外に向けて弾くように受け流した。

空「まだですっ!」

 しかし、それも空が今までの組み手で受けて来た対処の一つに過ぎない。

 空は左肩の力を抜いて弾かれる反動を受け流すと、
 下がった穂先を床にぶつけて固定し、穂先までを短く持ち直す。

 そのまま突きか、先程のコンビネーションと同じく横薙ぎの一撃かと思われた瞬間、
 空はバックステップで僅かに距離を取り直し、柄の石突きでの突きに転じた。

アルフ「おぉっ!?」

 感嘆と驚きの入り交じった声を上げながら、アルフはその一撃を受け止める。

空(凄い……! 凄い、凄い! 凄い!)

 アルフも驚く一撃を受け止められながらも、空は興奮していた。

 繰り言になるが、やはり不思議なほど手に馴染む。

 今まで教えられて来た技や型が、すんなりと決まる。

 人馬一体ならぬ、人器一体の感覚を、空は味わっていた。

 突き、薙ぎ、払い、様々な攻撃を軽快なステップに取り混ぜて、
 空は一気呵成に攻め続ける。

 アルフも心なしか、積極的に弾くように防御する回数が増えているようだった。

 最初は驚いた様子のアルフだったが、今は冷静に攻撃を弾いている。

 普段よりは押しているのかもしれないが、それでもまだまだ、
 アルフに十分な余裕がある状況には違いない。

空(だったら……、その余裕の隙をつくしかない!)

 普段ならば思いも寄らない考えを、空は抱いていた。

 手に馴染む武器を……このエールの長杖にも似た武器を手に入れた余裕なのか、
 長い月日をかけた訓練の経験がそう思わせたのか……。

 とにかく、空はステップに微妙な緩急を付けながら、アルフの隙を窺って攻撃を続ける。

 アルフは基本、こちらの行動に対して受動的に対処を選択しているに過ぎない。

 だが、常に先手を取れる優位があるとは言え、
 防御と回避だけに専念できるベテランの隙を窺うのは、
 実は決して容易な事ではないと言う事に、空はまだ気づけないでいた。

 そうこうしている間に、やはりタイムアップはやって来てしまう。

アルフ「……そこまでっ!」

空「また……駄目だった……」

 時間切れを告げるアルフの声に、空はがっくりと肩を落とした。

 だが、先程のように……今までのように、その場にへたり込んだりはしない。

 手応えを掴めた、ような気がする。

 そんなハッキリと言い切る事は出来ないものの、
 どこか予感にも似た高揚感が、身体に満ちている事を、空が感じる事が出来たからだ。

アルフ「惜しかったな……。
    さすがに、今回は取られるかと思ったぞ」

 空の予感めいた自信を後押しするかのように、アルフは感嘆混じりに呟いた。

 五割は調子を上げて来た教え子への世辞だが、もう五割は偽らざる本音だ。

 制限時間内、空の攻撃を完璧に防ぎきったアルフだったが、
 もう少し組み手が長引けばボロを出していたかもしれない。

 そして、その寸前まで追い詰められたのは事実だった。

アルフ「これなら、組み手も合格だな」

空「へ……?」

 満足げなアルフの言葉に、空は唖然呆然と言った風な表情で固まる。

 正に“ポカーン”と言う擬音が聞こえて来そうな程の唖然呆然ぶりだ。

空「えっと……え? ゴウカク?」

 空は、ようやく思考が追い付いて来たのか、その音を発音しながら首を傾げた。

 応えて頷くアルフを見ながら、その音が自分の知る単語に一致する事を知って、
 空は困惑と共に、さらに目を白黒させる。

空「合格、ですか?」

アルフ「ああ、そうだ。
    たった半年の訓練とは言え、俺をここまで追い込めるようになったのだから、
    十分、合格点と言えるだろう」

 信じられないと言いたげに聞き返す空に、アルフは嬉しそうに語った。

 繰り言になるが、アルフはベテランだ。

 本格的な訓練を開始してからまだ半年の空では、
 到底、敵うハズも無いのも、既に何度も述べた通りである。

 事実、思わず手を出してしまったアルフの一撃を、
 受けたかどうかもすぐ理解できなかった程、空と彼の実力には開きがあった。

 そんなアルフが、防御と回避にだけ専念しているのだから、
 押し勝てようハズも無いのは、いざ冷静に考えてみれば当然だ。

空「えっと……じゃあ、この組み手の意味って……?」

 空は愕然と呟いて項垂れる。

 勝利条件が提示されているのにも拘わらず、決して勝つ事が出来ない、
 意味の無い組み手と言う事ではないだろうか?

 空は、そんな考えに行き着いてしまっていた。

アルフ「意味ならあるぞ」

 だが、そんな空のネガティブな思考を振り払うかのように、
 アルフはハッキリと言い切る。

アルフ「こんな言い方は誤解されるかもしれんが、
    俺は、あまりお前達を調子に乗せたまま送り出しくないんだ……」

 アルフはそう言うと、空を手招きしつつ道場隅のパイプ椅子へと向かう。

 空は気落ちした様子でアルフの後について行き、アルフの座ったパイプ椅子の前で立ち止まる。

アルフ「既に教えた事だが、
    ギガンティックがダメージを受ければ、ドライバーも痛みを受ける。

    腕や足をもがれるような事態ともなれば、それこそ想像を絶する痛みを味わう。

    そうならないよう、司令室ではオペレーター達が魔力リンクのカットや、
    生命維持装置を調整してくれている」

 アルフは淡々と呟きながら、稽古着の前をはだけた。

 突然、何をするのかと、空は面食らった様子で息を飲む。

 だが、直後、空の目は驚愕で見開かれた。

アルフ「オペレーターのバックアップに甘えて、
    調子に乗って自分を犠牲に攻撃を止めようなんて馬鹿野郎は、こうなる」

 アルフは自嘲気味に呟いて、はだけた右腕を掲げる。

 その腕には、無数の細いフレームがまとわりついていた。

 身体の欠損部や麻痺した部位を、魔力的に動かすための、サイバネティック手術の結果だ。

 さらに、ズボンの右裾をたくし上げると、右脚にも同様の手術が施された痕があった。

アルフ「右腕と右脚を失った中破ダメージによる一部システムダウンで、
    外部操作不能になった魔力リンクが切れるまでに五分……。

    手足は完全に麻痺し、フィードバックで神経はズタズタになった。

    二度と地力では動かせなくなった手足を動かすため、
    肉体強化魔法に反応する外骨格を取り付けて貰ったが……。

    結局、ドライバーとしては使い物にならなくなり、引退を余儀なくされた」

空「………」

 淡々と語り続けるアルフの言葉に、
 空は何と言っていいか分からず、鎮痛な面持ちで聞き続ける。

 アルフは左半身に重点を置いた動きや戦いをしていた事は、空も気付いていた。

 だが、単に左利きなのか、癖や得意戦法の類と思って気にも留めずにいたが、
 まさか、その事にこんな真実が隠されていたとは、思いもしなかった。

アルフ「俺の防御なら、どんな攻撃でも防げるハズだ。
    たとえ防げなくても、オペレーター達が俺を守ってくれる。

    そうやって調子づいた上に、責任を誰かに押しつけた油断の結果が、コレだ」

 アルフは自嘲気味に呟いて、天井を振り仰いだ。

 システムダウンは外部的な要因であるため、オペレーター達に落ち度は無い。

 強いて“誰か”に責任があると言えば、彼の油断だろう。

 苦虫を噛み潰したかのようなアルフの表情には、言外の自責が多分に含まれていた。

アルフ「結果……仲間達に哀しい思いや多大な負担を掛けてしまい、
    オペレーター達にも申し訳ない事をした……」

 アルフは視線を空に戻すと、
 後悔と自責の入り交じった重苦しい声で漏らし、さらに続ける。

アルフ「教え子には、そんな思いをして欲しくなくてな……。

    こうして、考える事を止めたような戦い方をしない癖が付くよう、
    全員に無茶な組み手をして貰う事にしている。

    ついでに、全課程を合格した生徒には、
    コレも見せておく事にも、な……」

空「教官……」

 隠しきれない寂しさのような物を漂わせるアルフに、空は感極まったように声を漏らす。

 確かに、アルフの思惑は正解だった。

 自分よりも格上のアルフと戦うために、空は幾度も工夫を重ねた。

 真っ向からの攻撃が無理なら、素早いステップを加えた。

 ステップを加えて無理なら、連携攻撃の技能を磨いた。

 そうやって、少しずつではあったが、アルフに認めて貰えるようになっていったのだ。

 ソレは正に、アルフの言葉通り“考える事を止めた戦い方”の対極であった。

アルフ「………正式入隊後も、また俺に挑戦しに来い。
    何度だって相手をしてやるからな」

 アルフは身なりを整えると、そう言って笑顔を浮かべる。

空「サンダース教官…………ありがとうございました!」

 空は感極まった声を上げて、深々と頭を垂れた。

 一瞬、面食らったように目を見開いたアルフだったが、すぐに破顔する。

アルフ「ハハハッ、今日で終わりみたいな言い方をするな。
    まだ来月まで日はあるんだ。じっくりと苦手を克服して行け」

 アルフはそう言って、豪快に笑った。

空「あ……」

 空もその事に気付いて、気まずそうに顔を上げて苦笑いを浮かべる。

 だが、すぐにアルフにつられるようにして、空も笑う。

空「……教官、残り少ない日数かもしれませんが、改めて、よろしくお願いします!」

 空は姿勢を正すと、再び頭を垂れる。

アルフ「ああ、任せておけ……。
    と言える程、教えるべき事も残ってはいないがな」

 アルフはそう答えた後、また豪快に笑った。


 空の訓練の総仕上げは、その後も滞りなく進み、
 十日後……ギガンティック機関に正式入隊する十一月一日の朝を迎えた。

―4―

 メインフロート第一層、第二行政軍事区、ギガンティック機関隊舎――


 早朝の、まだ人工太陽が点灯する前に隊舎に辿り着いた空は、
 隊舎横に併設された隊員向けの寮……そこで自分に宛がわれた部屋へと通された。

 部屋の中には、訓練所や自宅から移された私物や最低限の家具が運び込まれており、
 今は荷ほどきを待っている状態だ。

女性「それじゃあ、ベッドの上に制服があるから、
   それに着替えが終わったら、下の食堂まで来てね」

空「はい、ありがとうございます、笹森さん」

 ここまで案内してくれた、オペレーターの一人だと言う
 セリーヌ・笹森【――・ささもり】に、空は頭を垂れる。

セリーヌ「ああ、お礼なんていいって、これもお仕事の一環だからね。
     それと、お姉さんとしては、名前で呼んでくれると嬉しいかな?」

空「はい、セリーヌさん」

 気さくな様子のセリーヌに、空は安堵した様子で応えた。

 昨夜から緊張し通しだった空だが、
 隊舎に着くなり相手をしてくれたのがセリーヌで助かった。

 早朝である事を謝罪した時も、
 “いや、どうせ今日は非番だし、普段より遅いくらいだから”
 と笑って返されてしまった。

 お陰で緊張も解け、空は落ち着いて着替えを済ませる事が出来た。

空(これ、譲羽司令が着てたのとデザイン違いかな?)

 空は壁際に置かれた姿見の前で、くるりと一回転しながら首を傾げる。

 白を基調とした、ゆったりとしたデザインの軍服のような制服だ。

 裾の長い上着に、下は自前の紺色のスカート。

 裾の長さはかなりの物で、膝丈のスカートよりも長い。

 背中には、右肩から左脇にかけてマントが縫いつけられており、
 軍服と言うより礼服と言った方がしっくり来るデザインだ。

 もう一度、くるりと回ると、それに合わせて裾やマントが大きく翻る。

空「……後は、っと」

 着崩れやおかしな所が無い事を確認した空は、
 荷物の中に入っていたフリル付きの薄桃色のリボンを取り出し、
 慣れた手付きで手早くポニーテールに纏めた。

 首を軽く左右に振ると、それに合わせて結んだ髪が軽やかに跳ねる。

空「よしっ!」

 身だしなみを整え、制服の内ポケットに携帯端末やハンカチ、
 ティッシュを入れて準備万端だ。

 空は大きく頷くと、自室から外に出た。

 身だしなみの最中に人工太陽は点灯し始めのか、
 廊下の窓からは柔らかな朝の光が差し込んでいる。

 空は、ここに来る途中で案内された食堂へと向かった。

 朝も早いと言うのに、既に食堂は開いており、
 幾つかの席では早めの朝食を摂っている者もいる。

 セリーヌは出入り口近くの席に座り、携帯端末を覗き込んでいた。

空「セリーヌさん、お待たせしました」

セリーヌ「うん、平気平気」

 空に声をかけられると、セリーヌは携帯端末に落としていた視線を空に向けながら、
 あっけらかんとした様子で応えて立ち上がる。

 どうやらニュースの確認でもしていたようだ。

セリーヌ「今の時間でも食堂は開いてるけど、基本的に私達メインオペレーターとドライバーは、
     非番の時以外は早朝のブリーフィングに出席後、交代で朝食か、お弁当を注文って流れね。

     お昼は隊舎までデリバリーしてくれるから安心して」

 立ち上がったセリーヌは、そんな説明をしながら、手招きで空に着いてくるように促した。

 空も彼女の後に続き、食堂を後にし、さらにそのまま寮の外に出る。

セリーヌ「裏手から入るとギガンティックの置かれている、
     格納庫兼整備部詰め所のハンガーに直通。

     正面から入った場合は、
     ロビー奥にある受け付けの左脇にある階段から降りて行けばハンガー、
     右脇の階段を登ると司令室とブリーフィングルームよ」

 セリーヌの説明を聞きながら、正面玄関から隊舎に入ると、
 彼女の説明通り、ロビーの奥に受け付けが有り、
 その左右にはそれぞれ降りと登りの階段があった。

セリーヌ「ロビーの右手は応接室とかになってるけど、
     まあ、基本的に司令や副司令以外は使わないわね。

     左手にあるのがドライバーの待機室。
     訓練用シミュレーターとか簡単な娯楽設備もあるけど、
     まあ、そっちはドライバーの先輩から聞いた方がいいわね」

空「思ったより、充実しているって言うか……。
  何だか、明るい雰囲気の施設ですね」

 セリーヌの説明を聞きながら、空は感慨深く呟く。

 ロビーは掃除が行き届いており、観葉植物なども並べられていて、
 言葉通りに明るい雰囲気を醸し出していた。

セリーヌ「まあ、軍隊とも警察ともつかない微妙な組織だからねぇ、ウチって。

     基本、どっちの仕事にも駆り出される事もあって、
     色んなお偉いさんが顔出すんで、あんまり堅苦し過ぎる雰囲気にも出来ないのよ」

空「警察……ですか?」

 苦笑い気味のセリーヌの言葉に、空は首を傾げる。

セリーヌ「ん? ああ、まあ、手数の足りない時の最終手段ってヤツね。

     十四年前の60年事件の時も、ウチから応援出した事があったそうよ。

     そんな感じで、イマジン出現の兆候なんかがなければ、
     テロがギガンティックを持ち出した時なんかは、
     対テロ鎮圧にも駆り出されるのよ」

 セリーヌはそう言うと、
 “ま、私も当時の事は知らないんだけどね”と付け加えた。

セリーヌ「それに、逆にこっちの手数が足りなくなった時には、
     向こうにも協力して貰う互助関係でもあるから」

空「そう、なんですか……」

 セリーヌの説明を聞き終えると、空は少し顔を俯けるようにして頷く。

 ギガンティック機関は、表向きに言われれいる通り、
 イマジンと戦うための組織としか思っていなったので、
 そのために入隊した空にとって、これはある種の誤算であった。

 事実、NASEANメガフロートにおける軍と警察の区分は、
 軍が人類そのものの防衛、警察が市民の安全を担当と言う状況だ。

 避難誘導隊やレスキュー隊なども、
 広義には警察の管轄組織と言う事になっている。

 だが、ギガンティック機関は軍と警察のどちらにも属さず、
 それ故にどちらの仕事もこなす組織でもあった。

セリーヌ「まあ、あまり機能する事のない協定ではあるんだけどね」

 空の様子を、何か考え込んでいるように取ったセリーヌは、
 そう言って彼女の不安を取り払おうとする。

空「あ、いえ。ただ、ちょっと驚いただけです」

 セリーヌの気遣いに気付いたのか、空は慌てた様子で返した。

 二人は受け付けに座る女性スタッフ二人に挨拶すると、右脇の階段を登る。

セリーヌ「この通路の奥が司令室……なんだけど、
     まあ、ドライバーが仕事でそっちに行く事はあんまり無いかな?

     司令と副司令、それに私達メインオペレーターはそっちにいるから、
     何か用がある時は内線で呼ぶか、直接、こっちに来てくれたらいいわ」

 セリーヌが指し示す方向には、スライド式のシャッターがあった。

 よく見ると、シャッターの上に“司令室”と書かれたプレートがかかっている。

セリーヌ「んで、ここがブリーフィングルーム。
     イマジンの襲撃中でもなければ、毎朝八時にブリーフィングね」

 セリーヌはそう言いながら、ブリーフィングルームの入口脇にある端末に、自分の携帯端末を翳した。

 すると、スライド式の扉が音もなく開く。

セリーヌ「オペレーター、セリーヌ・笹森。
     ドライバー、朝霧空隊員を連れて参りました!」

 ブリーフィングルームに入るなり、先程までの気さくさはなりを潜め、
 セリーヌは姿勢を正してハキハキとした様子で報告する。

 空も、僅かに緊張を取り戻し、姿勢を正す。

???「笹森オペレーター、休日中、ご苦労でした」

 セリーヌの身体越しに、聞き覚えのある声が聞こえた。

 半年ぶりに聞く、ギガンティック機関司令、
 明日美・フィッツジェラルド・譲羽の声だ。

明日美「どうぞ、入って」

空「は、はい!」

 明日美に促され、空は道を空けてくれた笹森の傍らをすり抜けるように、
 ブリーフィングルームに入った。

セリーヌ「じゃ、私は司令室に顔出して帰るから、また後で。
     ……頑張ってね」

 すり抜ける瞬間、耳元でセリーヌがそんな言葉を囁く。

 空は小さく頷いて、さらに数歩、前に進み出る。

 ブリーフィングルームには、知った顔よりも知らぬ顔の方が多かった。

 全員、小さなテーブル付きの椅子に座って、空に視線を向けている。

 入口から真正面、狭い壇上の中央に座す二人は、
 半年前に会った明日美と、副司令のアーネスト・ベンパーの二人だ。

 他にも、左手側に大人の男女が五人、右手側に空と同じ制服を着た若い男女が六人、
 明日美達を合わせて計十三人が腰掛けていた。

明日美「訓練修了、ご苦労様、朝霧隊員」

 明日美が立ち上がってそう言うと、それに倣って他の十二人も立ち上がる。

空「は、はい!」

 動きにやや乱れはあったものの、その様子に圧倒されるように空は応えた。

アーネスト「そう硬くならなくていい。
      ここにいるのは皆、君の仲間だ」

 アーネストは空の緊張を解きほぐすように、穏やかな様子で呟く。

空「は、はい、よろしくお願いします!」

 だが、どう答えて良いのか分からず、空は慌てて頭を垂れた。

 緊張のぶり返した空の様子に、何人かが微笑ましそうな笑みを浮かべている。

 顔を上げた空は、羞恥で頬を染めたが、
 同時に、思ったよりも和やかな雰囲気を感じ取り、胸中で安堵していた。

明日美「それじゃあ、早速、自己紹介と行きましょうか……」

 明日美はそう言うと、空から見て左手側、大人達ばかりの五人へと視線を向けた。

 明日美の視線に頷くように応え、一人の女性が前に進み出る。

タチアナ「タチアナ・イリイニチナ・パブロヴァ。
     チーフオペレーターをしています。よろしくね、空さん」

 いの一番の自己紹介を始めたタチアナに続き、その隣の男性が進み出る。

春樹「僕の声に聞き覚えはあるかな?

   任務中、外部から機体コンディションをチェックする、
   メカニックオペレーターのチーフを任せられている、舞島春樹だ」

ほのか「私もちょっとだけ話したよね。
    ドライバーに戦況を伝えるタクティカルオペレーターのチーフ、新堂ほのかよ」

 自己紹介を終えた舞島春樹【まいじま はるき】に続いて、
 新堂ほのかがそう言って進み出た。

 確かに、この二人の声には聞き覚えがある。

 どちらも優しそうな雰囲気だ。

 そして、ほのかの隣にいる、少し生真面目な雰囲気の女性が進み出る。

メリッサ「メリッサ・エルスター。
     君を連れて来た笹森の上司に当たる、
     メディカルオペレーターのチーフをさせて貰っている。

     舞島チーフ達メカニックオペレーターが機体コンディションチェックなら、
     私達はドライバー自身のコンディションをチェックするのが仕事だね」

 メリッサの自己紹介を聞きながら、空はアルフの言葉を思い出していた。

 どうやら、彼女達が緊急時の魔力リンクの切断や、
 生命維持装置の調整を行ってくれるオペレーターのようだ。

 そして、最後の一人が笑顔と共に小さく会釈をする。

リゼット「リゼット・ブランシェよ。

     コンタクトオペレーターと言って……、
     まあ、みんなの通信回線や情報のやり取りを制御する縁の下の力持ちね。
     そこのチーフをさせて貰っているわ」

 リゼットが自己紹介を終えると、アーネストが進み出て、口を開く。

アーネスト「パプロヴァ君を筆頭とした、この五名に、
      各セクションのチーフに二名ずつサポート役、
      計八名を加えた十三人のオペレーター。

      そして、司令と私を含めた総勢十五名が、
      司令室から君らドライバーをバックアップする」

 アーネストの説明に、空は深々と頷いて応える。

 つまり、セリーヌを除けば、他に七名のオペレーターがいると言う事だろう。

空(早く名前と顔を覚えないと……)

 空はそんな事を考えながら、先ずは即座に五人の顔と名前を覚える。

 こう言う時、記憶力の良さは便利だ。

明日美「そして、この六人が、戦場であなたと共に戦う仲間……。
    オリジナルギガンティックのドライバー達よ」

 明日美はそう言って、空から見て右手側の六人を見遣った。

 こちらは大人から子供まで様々だ。

 そう、大人から“子供”まで。

 自分と似たような年齢の少年少女や、自分よりもずっと幼い少女もいる。

??「えっと……じゃあ、私から……」

 少し戸惑った様子で、六人の端に立つ、大人しそうな黒髪の女性が進み出た。

風華「現在、前線部隊の隊長をしています。
   206……突風のドライバー、藤枝風華です。

   よろしくお願いね、空ちゃん」

 藤枝風華【ふじえだ ふうか】を名乗った女性は、
 落ち着いた、大人しそう……と言うよりは、むしろ儚げな印象すら覚える女性だった。

 年の頃は、亡き姉と同じか、やや年下と言った所だろうか?

 隊長と言う事は、姉の跡を継いだのだ。

 空がそんな事を一人で納得していると、一際小さな少女が手を挙げた。

瑠璃華「天童瑠璃華!
    チェーロの……っと、207のドライバーだぞ!

    よろしく頼むぞ、空!」

 幼さすら残る少女――天童瑠璃華【てんどう るりか】は、胸を張って応える。

 これはまた、風華とは対照的な雰囲気の少女だった。

春樹「技術主任。そこはもっと丁寧に」

瑠璃華「むぅ? 春樹がそー言うなら仕方ないな……」

 苦笑い気味の春樹に諭され、
 瑠璃華は不承不承と言った風に漏らし、再び口を開く。

瑠璃華「207ドライバー兼技術開発部主任の天童瑠璃華だ。
    よろしくお願いするぞ、朝霧空」

 先程と同じく、胸を張ったまま自己紹介する瑠璃華。
 その様子に、明日美は眉間に手を当てて深いため息を漏らしている。

 だが、空はワケが分からないと言いたげに首を傾げた。

 どう見ても、瑠璃華は十歳前後の少女だ。

 ドライバーの選定は適正に左右される事もあり、
 年齢はマチマチだとアルフからも聞かされていたので、
 若すぎる年齢の事は、まあギリギリで納得できる。

 だが、そんな幼い彼女が技術開発部の主任とは、どう言う事だろう?

???「この子、こう見えても本当に技術主任だから」

 風華の傍らに立つ金髪の少女が、溜息がちに呟いた。

 年の頃は、自分よりも僅かに上だろうか?

瑠璃華「ふふんっ、私は“天才”だからなっ!
    もっと褒めてもいいんだぞ?」

 その少女の言葉に、瑠璃華は鼻も高々と言った風に、自慢げに胸を張る。

 だが、そんな瑠璃華を華麗にスルーして、金髪の少女が進み出る。

マリア「アタシ、マリア・アカタギリ。
    209、プレリーのドライバーよ。

    よろしくね、空ちゃん」

 金髪の少女――マリアは、腰に左手を当てて軽く右手を振り、
 気さくそうな雰囲気で自己紹介すると、
 自分の隣に立つ背の高い少年を右手の親指で指し示す。

マリア「で、アタシのオマケ」

???「誰がオマケだ」

 戯けた調子のマリアの言葉に、少年は盛大な溜息を漏らした。

クァン「阮黎光。
    208、カーネルのドライバーを務めている」

空「グェン・リー・クァン……さん?」

 手短な少年の自己紹介に、空は首を傾げる。

 聞き慣れない響きの名前に戸惑っているのだ。

クァン「出身は中央だが、地元は第三フロートのベトナムエリアになる。
    クァンで構わない」

 クァンはやはり簡潔に自己紹介を終えると、半歩下がった。

 208と言う事は、恩師であるアルフの後輩に当たる人物のようだ。

 これで四人、残るは二人だ。

 風華、マリア、クァン、瑠璃華と来て、奥に並んでいるのは、
 落ち着き払った無表情な女性と、大きなベレー帽を被った金髪の少女の二人。

 消去法からして、この二人が211と212のドライバー。

 つまり、半年前のあの日、自分を助け、姉の仇であるイマジンを倒した、
 獣型と鳥型のドライバーだ。

???「私は最後でいい」

???「了解です、ヴォルピ隊員」

 帽子を被った少女の言葉に、無表情な女性が頷いた。

フェイ「GWF212X-アルバトロス専属ドライバー、
    張・飛麗と申します。コールサインは12。

    よろしくお願いします、朝霧空隊員」

 女性――張・飛麗【チャン・フェイリー】は姿勢を正したまま、
 表情すら微動だにする事なく淡々と自己紹介を終える。

空「え、えっと……」

 その雰囲気に、空は戸惑い気味に小首を傾げた。

???「すまない、フェイは訳ありなんだ」

 最後に残ったベレー帽を被った少女が、肩を竦めながら苦笑い気味に言って、空に歩み寄る。

レミィ「211、ヴィクセンのドライバー。レミット・ヴォルピ……レミィだ。
    朝霧隊長……海晴さんには、よく世話になったよ」

 帽子を被った少女――レミィは、少しだけ寂しそうに笑いながら、手を差し出す。

空「あ……」

 一瞬、面食らった空だが、慌てて手を出そうとする。

 だが、そこで自分の自己紹介がまだだった事に気付く。

空「えっと、今日から201、エールのドライバーを務める朝霧空です!

  まだまだ未熟者ですけど、一日でも早く、
  お姉ちゃんの代わりを務められるよう、頑張ります!」

 空は大慌てで自己紹介をしながら、差し出されたレミィの手に自分の手を伸ばす。

 だが、不意にレミィの手が引っ込められた。

空「え……?」

 突然の事態に、空は愕然とレミィの顔を見遣る。

 その顔は――

レミィ「お前…………最低だ!」

 ――怒りと哀しみで、歪んでいた。


第5話~それは、必然の『最悪の出会い』~ 了

本日はここまでとなります。

ちなみに、光【クァン】と言う名前は、参考資料によると、
ベトナムでは男女兼用の名前としては割とポピュラーな部類だそうです。


あと、安価置いておきます。

Ⅰ・結編
第34話 >>2-70
最終回 >>76-153
番外編 >>165-233
閑話   >>235-245

Ⅱ・空編
プロローグ >>251-260
第1話   >>265-295
第2話   >>300-327
第3話   >>332-366
第4話   >>371-404
第5話   >>409-442

乙でしたー!
おお、手応えをつかんだかと思ったら、早くも実戦部隊の厳しい洗礼が!?
恐らく空としては、一歩謙りつつ、自身のやる気を示したつもりだったのでしょうが・・・あるんですよね、こういう事って現実にも。
初対面の職場の先輩達に、丁寧に挨拶をしたつもりが、言葉使いの端々に足払いを掛けられてその後延々イジられることになるとか・・・。
いや、空の場合はそういう扱いではないでしょうし、もっと部隊の人間関係やメンタルにも関わりそうな雰囲気と、姉さんという存在の
大きさに端を発している複雑な原因がありそうですが。
それにしてもエール、飛べなくなってるって・・・君、どんだけ結LOVEやねん!
いや、確かに「僕が君の翼だ!」って宣言しちゃう位でしたけど。
そして佳乃・・・頑張れ!
真実も空たちの輪に加わって、彼女の良い所がどんどん出てきているのが微笑ましいですね。
さて、初っ端から躓きかけている空ですが、どうなる事か・・・次回も楽しみにさせていただきます。

お読み下さり、ありがとうございます。

>早くも実戦部隊の厳しい洗礼が
空が泣いたり笑ったり出来なくなってしまう展開が! ……と言う事は多分ありませんw

>空の場合~~
仰る通りですね。
六人の中でもレミィが特にお姉ちゃんへの依存度が高かったのですが……
半ばお気付きかと思いますが、詳しい理由は次回をお待ち下さい。

>それにしてもエール
結が九歳の誕生日を迎える前から、ずっと彼女一筋で頑張って来たのに、アレックスに取られて拗ねてましたからねぇw
ともあれ、喋らない、飛ばない、と二重苦状態の主役ロボですが……生温かい目で見守ってあげて下さい。

>佳乃…頑張れ!
普段から連んでる友人二人が学年でもトップクラスの頭の良さと言う場違い感w
お嬢様学校の第一女子に進学したら、ワイルドの君(@恋愛ラボ)になってしまう事請け合いですw

>真実@彼女の良い所
最初は“市民の階級ってこんなの”を説明するためだけに、厭味を言って終わる使い捨てキャラだったのですが、
いざ、空がシェルターの外に出る理由を作ろうとしたら、再登場の弾みで妹が誕生し、
お姉ちゃん死亡のショックの中、空を立ち直らせる役は佳乃と雅美には荷が重いと再々登場し、
挙げ句に「実は準二級の三級市民でした」と言う美味しい設定が追加され、
あれよあれよと言う間に、「プライドは高いが、友達に対してはトコトンまでに親切なお嬢様」と言う良キャラにw

佳乃や雅美とは別の意味でキャラが立った良い子なので、機会があれば今後も再登場を狙ってみます。

>初っ端から躓きかけている空
ここも実は結との対比ですね。
Aカテゴリクラスに入学したばかりの結が、リーネやフランの件まであまり波風が立たなかったので、
空には波風を立てながらも、しっかりと仲間達との信頼関係を築いて貰おうかと考えております。

次回はようやく、まともなロボ戦になるかと思います。
………商業ベースだったら確実に怒られて打ち切られる話数ですねw

最新話を投下します。

第6話~それは、すれ違う「思いやりの心」~

―1―

 十年前……2064年6月初旬。
 第二フロート第一層、自然保護エリア外郭部、隔離研究施設――


 そこは本来、動植物の研究や保全を目的として建設された施設であり、
 “そのような目的”のために存在する物ではない。

 小高い丘にカモフラージュされた広大な施設の一角、分厚い覗き窓の外には、
 今では外の世界では見る事も叶わない、命溢れる草木や鳥獣達の息遣いを見て取る事が出来た。

 そんな光景をジッと見守る、一人の幼い少女。

 彼女は小さな身体には不釣り合いな、大きくて無骨なヘッドギアで頭を覆い、
 身に付けている真っ白な病衣も、脛まで届くほど大きな物だ。

 彼女だけでなく、その部屋には他にも、
 同じ格好をした、よく似た顔立ちの少女が二人いた。

 一人は部屋の隅で膝を抱えて縮こまっており、
 もう一人は積み木で高い城を造っている。

 彼女達は顔立ちと格好こそ同じだが、年齢はバラバラで、
 外を見ている少女を最年長として、膝を抱えている少女、
 積み木遊びをしている少女の順となっていた。

 それぞれ、十歳未満、五歳前後、三歳前後と行った年頃だろうか?

 彼女達は世間一般に言う姉妹とは違うが、
 確かに血の繋がりを持つ姉妹であり、家族だった。

少女A「…………あ、ウサギ!? ウサギが跳ねたよ!
    ほら、おいでよ、拾弐号、弐拾参号!」

 と、不意に年長の少女が嬉しそうな声と共に、他の二人を呼んだ。

少女B「どうしたの、伍号お姉ちゃん? ウサギさんがいるの?」

 積み木遊びをしていた少女が、怪訝そうに窓に歩み寄る。

少女A(伍号)「ほら、あそこだよ、弐拾三号」

 伍号と呼ばれた最年長の少女は、
 窓まで背の届かない妹のため、両手で抱き上げて窓の外を見せた。

少女B(弐拾参号)「わぁ、ホントだぁ!
          ウサギさん、ウサギさんがいるよ! 拾弐号お姉ちゃん!」

 姉に弐拾参号と呼ばれた最年少の少女は、草原を飛び跳ねるウサギの姿にしゃぎながら、
 まだ膝を抱えて縮こまっている、もう一人の姉――拾弐号を呼ぶ。

拾弐号「……ひっく……ぐすっ……」

 だが、拾弐号は応える事なく、ただただしゃくり上げるように啜り泣いた。

弐拾参号「拾弐号お姉ちゃん……」

 下の姉のそんな様子に、弐拾参号は心配そうな声を漏らす。

伍号「……拾弐号、どうしたの?」

 伍号も、拾弐号の様子を心配し、
 抱えていたままの弐拾参号を下に下ろすと、彼女の元に歩み寄る。

 だが、拾弐号は依然として、膝を抱えたまま啜り泣くばかりだった。

伍号「泣いていちゃ、分からないよ。
   ほら……話してごらん?」

 伍号は拾弐号の隣に座ると、優しい声で語りかける。

 弐拾参号も二人の元に駆け寄り、拾弐号の傍らに腰掛けた。

拾弐号「みん、な……みんな、いなく、なっちゃっう……」

 すると、姉妹の温もりに後押しされるようにして、
 拾弐号はしゃくり上げながら切れ切れに呟く。

 拾弐号の言葉に、弐拾参号はキョトンとした様子で首を傾げ、
 伍号は重苦しそうな表情を浮かべた。

 拾弐号の言う“みんな”とは、今、この場にいない姉妹達の事だ。

 壱号から弐拾睦号までの、二十六人の姉妹。

 一年間隔で六度に分けて生まれたが、今生きている中では末妹の二十三号が物心つく前には、
 その数も五人までに減り、この数ヶ月の間でさらに二人が減っていた。

 人数が減った原因は、衰弱や病、薬物投与による死亡。

 彼女達は生来、遺伝子的な脆弱性を併せ持ち、
 長く生きる事が出来ない者が圧倒的に多かった。

 ごく僅かな運動にすら極度の疲労に見舞われて衰弱し、
 乳飲み子の間にも一般的な人間以上に様々な病に冒され、
 それらを抑制する薬物の投与にすら耐えられない。

 今ここにいるのは、二十六人もいた姉妹の中で、
 そんな地獄のような環境を耐えた、たった三人だけの生き残りなのだ。

伍号「大丈夫だよ……拾弐号」

 俯く拾弐号の肩を優しく抱きしめ、伍号は優しい声音で囁く。

 頭を寄せると、ヘッドギア同士がぶつかり合って、カツン、と甲高い小さな音を立てた。

伍号「私も弐拾参号も、何処にもいかないよ……。
   ずっと、ずっと……拾弐号と一緒だからね」

弐拾参号「えへへ~、いっしょ、いっしょ!」

 伍号に続くように、弐拾参号も拾弐号に抱きつく。

拾弐号「お姉ちゃん……弐拾参号……ぐすっ………うん」

 姉と妹の温もりに包まれて、拾弐号はしゃくり上げながらも、弱々しい笑顔を見せて頷いた。


 だが、拾弐号のその笑顔が曇る事となったのは、
 それから僅か数日後の事だ。

 投与される薬品が変更され、
 拒絶反応を起こした伍号と弐拾参号は呆気なく倒れ、この世を去った。

 統合特殊労働力生産計画甲壱号。

 それが、彼女達を生んだ計画の名だ。

 第三次世界大戦、神の杖暴走事故、イマジン事変、地球外移民船団計画など、
 様々な理由から五億にまで激減した地球人口。

 限りある人的資源を温存するべく、
 ギガンティックのドライバーや命の危険を伴う肉体労働に従事させるため、
 人工生命を製造する計画の一つである。


 甲壱号計画は、人の遺伝子にマギアリヒトを介在させる事で、
 他種混合的に人体を改良する計画であり、
 肉体的に優れたポテンシャルを持つ人型生命体を作る事を目的としていた。

 だが、作り出された二十六体の実験体の内、
 最終的に生き残ったのは拾弐号だけ。

 それ以外の二十五体は、生まれながらにして脆弱な肉体しか持たず、
 肉体強化のために投与される薬物への拒絶反応によって次々と死滅した。

 十五年がかりで進行していた計画は、唯一の成功例を作り出したものの、
 失敗と言って良い結果に終わったのだ。

 計画は半ば放棄されるかのように中断し、後発の別計画へと比重が移りつつあった。


 こんな非人道的とも言える計画が明るみに出たのは、それから四年後の事だった。

 計画が明るみに……一部の人間の目に止まる事となった理由は、
 平均よりも遅い魔力覚醒が、拾弐号に起きた事に端を発する。

 サンプリングのために回収された魔力は、
 オリジナルギガンティックの適合者を探していた、
 ギガンティック機関が張り巡らせた監視の網に掛かった。

 拾弐号は、適合者だったのだ。

 対イマジン特例法により、研究機関は拾弐号に関する情報の全てを開示し、
 ギガンティック機関による査察を受ける事となる。

 2069年二月下旬。
 隔離研究施設、実験体観察室――

 二十五人の姉と妹を失った拾弐号は、万が一の自傷行為を考慮してベッドに括り付けられ、
 点滴によって最低限の栄養の摂取と投薬を受けながらの生活を強いられていた。

 それが二十六分の一……三.八パーセントの確率で完成した、
 唯一の成功例に科せられる義務であるかのような姿。

 生きる意味も悦びも知らない瞳に光はなく、焦点の合わない視線を呆然と天井に向け続ける。

 身じろぎしようとする気力さえ湧かず、ただただ死の瞬間に向かうだけの無為の生。

拾弐号(………これで………いいんだ………)

 もう何千回目かも分からない思考を、拾弐号は巡らせる。

 姉達も妹達もいない孤独な生は、姉妹以外に生きる意味を見出せなかった彼女にとっては、
 不要で無意味な物だった。

 いつ終わってもいいし、それとは逆に、いつまで続こうとも構わない。

 生きる事はおろか、死ぬ事にすら諦観した幼い少女は、
 いつ来るとも知れない死の瞬間を、ただただ待ち続けていた。

 そんな変わらぬ日々を享受し続ける少女の部屋に、一人の来客が訪れる。

 いつもの経過観察だろうと、拾弐号は気にも留めず、不動を貫く。

少女「ッ!? ……酷い……」

 だが、息を飲んだ後に発せられた声は、彼女の聞き慣れぬ少女の物だった。

 駆け寄るような音が響き、自分を拘束していたベルトが外される。

 慣れぬ手付きのためか、少し痛かったが、拾弐号は気にする事なく天井を見つめ続けた。

 だが、そんな彼女の身体を、暖かい物が包み込む。

少女「もう……大丈夫だよ……!」

 しゃくり上げるような声が耳元で聞こえた事で、
 拾弐号は初めて、声の主――少女に抱きしめられている事に気付かされた。

 僅かに抱き上げられ、覆い被さるような体勢で、
 だが体重をかける事なく抱き寄せられ、力強くも優しく慈しむように抱きしめられる。

拾弐号「……だ……れ……?」

 言葉を発するのも、いつ以来かすら思い出せない。

 久しぶりに聞いた自らの声は、かなり掠れていたように思う。

少女「大丈夫……大丈夫だから……心配しなくても、いいんだから……!」

 涙で震える声は、彼女の質問には答えてくれない。

 だが、会話らしい会話を交わす事のなくなっていた拾弐号には、
 自分の声の後に誰かの声が返って来ると言うのは、信じられない事だったのだ。

 そして、自分の身体を抱きしめてくれている暖かさが、
 かつて姉や妹がくれた温もりに似ている事に気付くのに、然したる時間は必要なかった。

拾弐号「う……ぁ……ぁ……」

 少女が与えてくれる温もりによって、拾弐号の中に眠っていた優しい記憶達が甦る。

 姉妹達と触れ合った日々。
 泣き虫だった自分を支えてくれた、姉妹達に愛された日々。

 温もりの中で、そんな掛け替えの無い記憶を思い出す。

 温もりと記憶が、拾弐号に思い起こさせる。

 それと同時に、後悔もした。

 この記憶を忘れていた自分に、忘れ去ろうとして自分に。

拾弐号(もう、忘れたく……ない……、覚えて、いたい……)

 姉妹達に愛された日々を、そして、自分も姉妹達を愛した日々を。

 そして、思う。

 この記憶を失わないために、生きたい、と。

 無為な諦観の中にいた拾弐号は急速に、だが、着実に生きる意味を見出していた。

拾弐号「あ……り、が……と……」

 拾弐号は、絞り出すようにそう呟く。

 忘れかけていた優しい記憶を呼び起こしてくれた、
 懐かしい温もりをくれた少女への、今の彼女に出来る、精一杯の感謝。

 だが、それだけで、拾弐号の思いは少女に伝わった。


 それが、人造生体拾弐号……後にレミット・ヴォルピの名を授かる少女と、
 まだ前線部隊長となる前の朝霧海晴の出会いだった。

―2―

 現在……2074年十一月一日。
 ギガンティック機関隊舎、ブリーフィングルーム――


レミィ「お前…………最低だ!」

 レミット――レミィは、その顔を怒りと哀しみで歪ませながら、
 目の前に立つ少女――空にそんな言葉を投げかけた。

空「え……? あ、え……!?」

 対する空も、レミィの突然の言葉にショックを隠しきれない様子だ。

 不安と期待に胸を膨らませ、今し方、はじめて顔を合わせたばかりの仲間達。

 その一人からかけられた辛辣な言葉を、どう受け止めて良いのか分からない、と言った所だろう。

風華「ちょ、ちょっとレミィちゃん」

 風華がオロオロとした様子で二人に駆け寄る。

瑠璃華「これだからレミィは短気だって……もがっ!?

マリア「ほらほら、余計な事は言わないの」

 呆れたように漏らす瑠璃華の口を、マリアが塞ぐ。

 その隣では、クァンがどうした物かと思案を巡らせ、フェイは黙して微動だにしない。

 オペレーター達も困惑しているようで、顔を見合わせている。

明日美「レミット!」

 そんな中、明日美が叱りつけるような声でレミィの名を呼ぶ。

 レミィは一瞬、ビクリと震わせるように身体を竦ませたが、
 すぐに何事も無かったかのように姿勢を正し、明日美とアーネストへと振り返る。

レミィ「……申し訳ありませんでした、司令」

 深々と一礼し、自分の元いた位置へと戻った。

 それに合わせて、他のドライバー達も整列し直し、空も戸惑いながら末席に加わる。

 発言の撤回も訂正も無い事には、その場にいた全員――無論、空も含む――が気付いていた。

 だが、敢えて誰もその事は口にしない。

 空も、その微妙な空気を感じてか、口を紡ぐ。

明日美「………まあ、いいでしょう。
    副司令、伝達事項を」

アーネスト「了解しました、司令」

 やや溜息がちな様子の明日美に促され、アーネストは粛々と前に進み出る。

アーネスト「本日は明け方から、レベル2注意報が発令されている。

      出動待機は06、07、11、12の四名。
      残りは準待機態勢。

      オペレーターはレベル3までは定常通りの勤務態勢。

      以上、質問がなければ解散とする」

 アーネストからの極めて事務的な伝達が終わると、ブリーフィングはそこで終わった。

 明日美とアーネストは“執務室にいる”と言い残して、ブリーフィングルームを去る。

タチアナ「では、改めて今日からよろしくお願いしますね、空さん」

 オペレーター達はタチアナが全員を代表して軽く挨拶を済まし、
 すぐにその場を辞した。

 空も会釈を返したが、先程の事もあって表情は晴れない。

レミィ「………すみません、藤枝隊長。
    先に待機室に行っています」

 明日美やオペレーター達の後に続き、
 レミィも足早にブリーフィングルームから出て行く。

風華「あ、あの、ごめんなさいね、空ちゃん。
   あの子、ちょっと頑固で気むずかしい所はあるけれど、根は良い子なの」

 その後ろ姿を見送ってから、まだオロオロとした様子の風華が声を掛ける。

 オロオロしている、と言うよりは、どこか恥ずかしがっている様だ。

空(あ……この人、恥ずかしがり屋なんだ……)

 空は直感的に、藤枝風華と言う女性をそう評する。

 そして、それはあながち間違いでは無かった。

 事実、風華は初対面の空に対する緊張と、先程のレミィの言動の両方とで困惑しており、
 今もどうして良いか分からないと言った所なのだろう。

マリア「まあまあ、隊長、ここからはアタシに任せて下さいよ」

 そんな風華の様子を察してか、マリアはそう言って彼女の背中を軽く叩いた。

風華「ひゃぁ!?」

 突然の事に、風華は素っ頓狂な悲鳴を上げてしまう。

クァン「お前、物事はもう少し丁寧にだな……」

 クァンは盛大な溜息と共に肩を竦めた。

マリア「うっさい、アタシにはアタシなりのやり方があるんだよ」

 マリアは苛ついたように言ってから、気を取り直してさらに続ける。

マリア「……そう言うワケだから、瑠璃華、フェイ!
    隊長連れて待機室にゴー!」

瑠璃華「あいさー!」

フェイ「了解しました、カタギリ隊員。
    藤枝隊長を待機室まで連行します」

 戯けた様子のマリアの指示に、
 瑠璃華は同様に戯けた様子で、フェイは淡々と真面目に応えた。

風華「え? あ? ちょ、ちょっと?」

 風華はオロオロとしている間に、左腕をフェイに絡め取られ、
 右側からは瑠璃華に腰を抱きしめられてしまう。

 振り払えって抜け出せるだけの技量は持っているのだが、
 仲間を振り払う事は風華には出来ず、そのまま“あらあらあら~?”と素っ頓狂な声を残して、
 二人によって連行されて行ってしまった。

空「えっと……?」

 その光景を見ながら、空は引き攣った笑顔を顔に貼り付ける。

 その表情は“こんな時、どうして良いか分からない”と、口より雄弁に語っていた。

マリア「まあ、アレが普段のアタシらのノリってトコかな?」

空「え、えっと……?」

 あっけらかんと言って笑顔を浮かべたマリアに、空は戸惑い気味に首を傾げる。

クァン「新人にウソを教えるな、ウソを」

 その様子を見かねてなのか、先程からの態度からして、
 単にマリアに対して怒っているのか、クァンは盛大な溜息と共に漏らす。

マリア「別にいーだろ! 軽いノリの時だってあるんだからさ」

クァン「ハァ……まったく……。

    俺はトレーニングルームに行く。
    用があったらカーネルか端末に通信を入れてくれ」

 苛ついたように返したマリアにやり込められたワケでもないのだが、
 クァンは肩を竦めてその場から立ち去る。

 マリアはその背中に向けて“あかんべー”をしたが、
 クァンもその事に気付いているのか、わざとらしく項垂れて見せた。

 だが、出入り口付近で姿勢を正すと、踵を返し、空に向き直る。

 マリアも直前に“あかんべー”を止めて、元の姿勢へと戻った。

クァン「レミィ君の事だが、藤枝隊長ほどで無いにしろ、
    初対面の人間との人付き合いが苦手なんだ。

    悪く思わないでやってくれ」

空「あ……はい」

 クァンのフォローに、空は戸惑いながらも頷く。

 その姿を見届けると、クァンは改めてブリーフィングルームを辞した。

 風華とクァンのフォローを聞く限り、
 レミィに対してはほぼ全員が同じ意見なのだろう。

 だとすれば、やはり問題があったのは自分と言う事になる。

マリア「まぁまぁ、あんまり深く考えない方がいいよ」

 空の表情が曇りつつある事に気付いたマリアは、
 空の背後に回り、そう言って彼女の両肩を幾度か軽く叩いた。

 そして、無理矢理に正面に向き直らせる。

マリア「まあ、みんなが言ってた事の繰り返しになっちゃうようだけど、
    基本、良いヤツばかりだから。

    関係修復したいって時にはアタシも協力するよ」

 マリアはそう言って、ニッコリと微笑んだ。

 決して勢いだけでないマリアの物言いに、空は少しだけ癒された気分だった。

 そして、気を取り直して深々と頭を垂れた。

空「お願いします、マリアさん」

マリア「ん~、呼び捨てでいいよ……って、まあ、隊長の性格なら、
    さん付けするように躾られてて当然か。

    うん、しばらくはさん付けでもいいや」

 空の懇願に、マリアはどこか照れた様な苦笑いを浮かべたが、
 すぐに一人納得した様に言って、さらに続ける。

マリア「任されたよ、空ちゃん」

 マリアは自信ありげに言い切ると、大きく胸を張った。

空「お、おっきい……」

 結果的に目の前に突き出される事になってしまった、
 マリアの年齢の割に豊かな――ストレートに言えば豊満な――胸に、
 空は思わず感嘆の声を漏らしてしまう。

マリア「アハハッ、大きくても肩凝るだけだよ。こんなの」

 マリアは空の感嘆を笑い飛ばすように応え、彼女を連れてブリーフィングルームを辞した。

 ブリーフィングルームから出た二人は、そのまま隊舎の一階へと向かう。

マリア「セリーヌさんから、施設の事はどのくらい聞いてる?」

空「えっと、隊舎内の大体の区画割りと、
  あと御飯はどうすればいいか、ってくらい、ですかね?」

 階段を下りつつ、空はマリアの質問に思案気味に応える。

 正面玄関奥にある受け付けの脇にある階段を、
 左に降りて行けばギガンティックのあるハンガー、
 対する右は、今下っている最中の司令室やブリーフィングルーム行きの階段だ。

 他にも、ロビーの左手側がドライバー達の待機室、
 右手側は応接室などがあると聞いている。

 あと、施設とは関係無い所では、
 組織に関する事……警察や軍と互助関係にあると聞かされていた。

マリア「御飯か……ん~、そう言えば、そろそろ朝御飯の時間か……。

    普段なら、寮の食堂でパンでも買うか、
    お弁当にして貰って待機室で食べるんだけど……。

    今日は直接食べに行こっか?」

 マリアはそう言うと、制服の内ポケットから携帯端末を取り出し、
 風華宛にメッセージを送る。

マリア「よし。隊長には連絡完了っと。
    んじゃ、御飯の前に、先にハンガー見て行こっか?」

空「ハンガー……ギガンティックですか?」

マリア「そう言う事」

 怪訝そうに問い返す空に、マリアは深々と頷いて応えた。

マリア「ま、ハンガー、ハンガーって言うけど、用は整備場兼格納庫だね。

    ハンガーってのはギガンティックを固定しておく装置の事なんだけど、
    それを置いたり、整備する場所って事で、
    いつの間にか格納庫の事をハンガーって呼ぶようになったらしいよ」

 マリアの説明を聞きながら二人は受け付けの前を横切りつつ、
 受け付け担当者に会釈し、階段を下りて整備場兼格納庫――ハンガーへと向かう。

 長い長い階段を下ると、急激に視界が開けた。

マリア「ここがギガンティックのハンガー。
    そして、アレがアタシ達の相棒……オリジナルギガンティックだよ」

 眼下に広がった光景を、マリアは視線で見るように促す。

空「わぁ……」

 一方、空はその光景に見入りながら、短い感嘆を漏らしていた。

 長い長い階段を十五メートル以上は降りたつもりだったが、
 それでもさらに下は四十メートル以上掘り下げられている。

 奥行き百メートル、幅は二百メートル、高さも五十メートルはあろうかと言う、
 正に途轍もない広さだった。

 空とマリアが立っているのは、一番下から四十メートルはありそうな位置に突き出した、
 鉄柵で囲われた通用路である。

 そして、母校である東京第八小中学校の校舎が、少なく見積もっても五つくらい、
 そのまま入ってしまいそうな広大な地下空間に立ち並ぶ、
 超弩級の巨人――オリジナルギガンティック達。

 さらに、その足下や壁面の通路を、整備員や整備用機械が忙しなく行き来している。

 巨大なギガンティックの傍らにいる人々の姿は、
 自分達がいる場所との距離も相まって小人のようで、
 ガリバー旅行記の小人の国の世界を目の当たりにしているようだった。

 何人か、こちらに気付いて手を振って来たので、
 空も小さく手を振り返す。

マリア「ほら、アッチ見て」

 マリアはそう言って、右手方向を指差し、空もそちらを向いた。

 そこにはギガンティックを固定している構造体――ハンガーに固定された、
 一体のギガンティックが佇んでいる。

マリア「右から順に209……アタシの相棒、プレリー」

 オレンジを基調とし、大量の大型シールドを全身にローブのように配置した姿だ。

マリア「で、その隣にいるのが208。
    クァンのカーネル」

 此方はイエローを基調とした、全身を分厚い装甲で覆った堅牢な姿をしている。

 二体はどちらもブラウンをアクセントカラーに使っており、
 ナンバリングが並んでいる以上の一体感を感じさせた。

マリア「元々のドライバーは夫婦だったらしくてね、
    それに合わせた連携戦専用の調整がされてるんだ。

    ………いい迷惑だけどね」

 マリアは大げさな溜息と共に、わざとらしく肩を竦めて見せる。

 だが、すぐに気を取り直して説明を再開した。

マリア「で、その隣が207。
    瑠璃華のチェーロ」

 こちらは赤を基調とした機体で、先の二体に比べて実に細身で小柄だ。

 だが、その脇に鎮座した同様のカラーリングを施されたライフル状の大型魔導砲が、
 チェーロ本体以上の異様な存在感を放っている。

 それも、単なるライフル型魔導砲と言うワケでもないようで、随分とゴテゴテとした外観だ。

 何にはともあれ、遠距離支援型らしい趣だった。

マリア「で、その隣にいるのが、藤枝隊長の207。
    現隊長機の突風」

 緑色を基調とした、こちらも細身の機体だ。

 だが、チェーロのように小型と言うワケでもなく、
 プレリーやカーネルと並んでも遜色ない高さを持っていた。

 しかし、打撃専門と思われる手足以外の装甲は薄く見える。

 一撃離脱型と言う事だろう。

マリア「で、212、アルバトロス。
    フェイの相棒ね」

 隣に目を向けると、白を基調とした色合いの鳥型ギガンティックがいる。

 半年前のあの日、救援に駆け付けてくれた一体だ。

マリア「続いて、211。
    レミィのヴィクセンね」

 そして、同じくあの日に見た獣型だ。

 ヴィクセン……雌狐の名の通り、よく見ればキツネに見えない事もない。

 こちらも、色は白を基調としている。

空「やっぱり、誰も乗ってないと、エーテルラインは暗い灰色なんですね」

 以前と印象の違う二体に、空はそんな感想を漏らす。

 空の言葉通り、以前は若草色と山吹色の輝きを放っていたヴィクセンとアルバトロスのエーテルラインは、
 今は暗い灰色の鈍い輝きを宿すだけだった。

マリア「まあ、コイツらのエンジンに火を入れるのも、アタシらの仕事だからね」

 マリアはそう応えながら、鉄柵から僅かに身を乗り出した。

マリア「昨夜からやってた点検が終わったみたいね。
    ほら、空もこっち来て」

空「は、はい」

 いつの間にか、ちゃん付けから呼び捨てに変わっていたが、
 おそらくはコチラがマリアの素なのだろう。

 そんな彼女に促され、空も恐る恐る、鉄柵から身を乗り出す。

 そして、マリアの視線の先を追って、その方向を見遣った。

 ハンガーの一番左奥。

 他のギガンティックを固定しているのと同じハンガーが、
 大きな駆動音を響かせながらゆっくりと立ち上がり始めた。

 そこに寝かされていたソレが、ハンガーと共に悠然と立ち上がって行く。

マリア「アレが、空の相棒……。

    四十三年前、世界に初めて現れたイマジンに止めを刺した、
    英雄、結・フィッツジェラルド・譲羽のギガンティック……エールだよ」

 感慨深く語るマリアの言葉が終わると同時に、白を基調とした巨人が姿を現す。

 一角獣を思わせる角飾りも美しい、白亜の重騎士。

 確かに、半年前のあの日、姉と共に自分の命を救ってくれた、あのギガンティックだ。

空「エール……」

 訓練中、幾度もその姿をシミュレーターやフォトデータで見たが、
 現実の姿をこの目で見るのは、姉を喪ったあの日以来となる。

 そして、ギガンティックを固定しているハンガーの脇に、
 見慣れた……と言うより、自分の求めた武器が立て掛けられていた。

マリア「へぇ、アレがそうなんだ……」

 マリアもその武器の存在に気が付いたらしく、それを見ながら幾度も頷いている。

空「アレって、何か曰く付きの物なんですか?」

マリア「うん………何でも、結界装甲対応携行武装、第一号って話」

 怪訝そうに問いかける空に、マリアは思い出すように答え、さらに続けた。

マリア「エールの本来のドライバー……
    さっきも言ったけど、司令のお母さんだね。

    その人が八歳かそこらから使っていた、
    魔導ギアの改良版を元に作られた複合武装らしいよ」

 マリアの説明を聞きながら、空は近代史の資料集の内容を思い出す。

 結・フィッツジェラルド・譲羽の生没年は1987年から2031年。

 八歳となると1995年から1996年頃……
 いわゆる魔導巨神事件が起きたとされる年代である。

 そして、結・フィッツジェラルド・譲羽が亡くなったのは、
 メガフロートへの籠城が始まった当日だ。

 その頃からエールのドライバーが姉――正確には自分――まで存在しなかった事を踏まえれば、
 確かに曰く付きの品で間違いないようだ。

 メガフロート籠城からとなると、四十三年近く、どこかに保管されていた事になる。

マリア「英雄、閃虹の譲羽が得意とした長杖に、刺突と斬撃が可能なエッジ、
    さらに魔力増幅が可能なクリスタル型魔導砲。

    打撃、刺突、斬撃、砲撃、これ一本って大業物らしいよ」

マリア「な、なるほど……」

 マリアの説明を聞きながら、空は彼女の背後で苦笑いを浮かべた。

 そんな大層な物を自分は欲していたのかと、空は自分に対する驚きを隠せない。

 おそらく、十日前に組み手の合格を言い渡された日の内に、
 アルフから機関への連絡が来たのだろう。

 マリアの様子からしても、この武器を見るのは――
 エールと共にハンガーに収められるのは――今日が初めてと言う事で間違いなさそうだ。

マリア「……空は、案外、吹っ切れてるんだね……」

 マリアは振り返りながら、そんな事を呟いた。

空「え……?」

マリア「朝霧隊長……お姉さんの事さ」

 何事か分からないと言った様子の空に、マリアは少し寂しそうに呟く。

 その事を指摘され、空も表情を曇らせる。

空「……吹っ切れたのかどうか………ちょっと、分からない……って、考えてます」

 だが、数秒の沈黙の後、口を開いた。

 正直、未だにどうして良いか分からない。

 吹っ切ったつもりではいるのだが、
 それは単に自己暗示のように言い聞かせているだけに過ぎないのだと、空は自覚していた。

 お姉ちゃんは死んで、もういない。
 お姉ちゃんの分まで、自分がイマジンを倒す。

 訓練期間中も、幾度もそう思い、歯を食いしばって鍛えてきたつもりだ。

マリア「ちょっと、分からないか……。
    まあ、アタシもそんな感じかな?」

 マリアはそう言って、どこか自嘲気味に笑みを浮かべ、さらに続ける。

マリア「本当なら海晴さんの事は、
    朝霧“前”隊長って呼ばなきゃいけないんだけど、
    未だに朝霧隊長って呼んでる……。

    みんなも……隊長やってる風華さんまでそんな感じでさ……。

    まあ、我ながら薄情な事に、朝霧隊長がいないって事自体には、
    もう慣れちゃったんだけどね」

 そこまで言ってから、マリアはヴィクセンに目を向けた。

 空も、促されるようにそちらに向き直る。

マリア「ただ、レミィはちょっとアタシらの中でも特殊でね……。
    朝霧隊長の事は特大の地雷なんだよね……あの子にとって」

 マリアは鉄柵にもたれかかり、溜息がちに呟く。

空「地雷って……?」

マリア「ん~……隊長と血の繋がった実の妹の空に、
    こんな事言うのもおかしいんだけど……。

    あの子にとって朝霧隊長は恩人で、それ以上の存在……。
    家族みたいなモンなんだよ」

 空の問いかけに、マリアは思案げに答えた。

 恩人で、それ以上の存在で、家族のような物。

 何となく、理解できないでもない。

マリア「ほら、よくあるでしょ?
    他の人にはちっぽけな事かもしれないけど、
    自分にとっては何よりも大事な事って」

空「……分かります」

 問いかけるようなマリアの言葉に、空は頷く。

 親友――真実が強い上昇志向の持ち主なので、
 そう言った物がある事は、客観的に分かっているつもりだ。

 そして、何より、彼女に礼を言うと否定されるが、
 姉を喪ったあの日に自分を奮い立たせてくれたのは、
 そのキッカケを作ってくれたのは間違いなく真実だった。

 恩人であり、それ以上の存在……親友。

 それは幼い頃に自分を助けてくれた雅美や佳乃もそうだ。

 自分にとっての親友達。

 レミィにとっては、それが姉・海晴だったのだろう。

マリア「あの子ね、根は凄く良い子なのに、
    人付き合いの匙加減が他の子より下手っぴなんだよ」

 マリアはそう言って振り返ると、
 微笑ましさの入り交じったような苦笑いを浮かべ、さらに――

マリア「……我ながら、あの子の事を手の掛かる妹みたいに言ってるけど、
    年下とは言え、レミィの方が一年先輩なんだけどね」

 ――と、これまた苦笑い混じりに付け加える。

空「マリアさん……」

 そんなマリアの様子に、空はどこか安堵感にも似た微笑ましさを感じていた。

 それと同時に、深く考える。

 どうすればいい?
 どう接すれば、レミィとのわだかまりを解ける?

 そう、先ずは――

空「あの……マリアさん、待機室待機室に案内して下さい」

 空は意を決して口を開く。

 ――先ずは、もう一度会おう。

 怒鳴られても、罵られても構わない。

 話す機会が無ければ、仲直りする事だって出来ないのだから。

マリア「ん~……と、あれから十五分……か」

 マリアは携帯端末を見ながら、時間経過を確認する。

 待機任務組は、そろそろ食堂か購買で食事を調達し、待機室に入っている頃合いだ。

 それに、血の上った頭が冷めるには、今暫くの時間が必要だろう。

マリア「……じゃあ、食堂で朝ご飯食べたら、早速行こうか?」

 マリアは僅かに思案した後、そう返した。

―3―

 一旦、隊舎から出た二人は、寮にある食堂で軽めの朝食を摂ると、
 僅かな休憩を挟んで隊舎へと舞い戻った。

マリア「で、こっちが待機室……って言うか、待機エリアね」

 マリアは言いながら、ロビーを左手方向に歩いて行く。

 空もその後に続きながら、ふと受け付けカウンターに視線を向けた。

 時刻は朝八時、受け付けは交代制なのか、早朝とは面子が変わっているようだ。

 空は受け付けに会釈を済ませ、
 改めて、マリアと共に進んでいる方向に視線を向ける。

 先に続く通路の入口には、透明な材質の壁によって区切られており、
 彼女達の行く手を阻んでいた。

マリア「司令室の扉と一緒ね。
    コードが登録されてる魔力の持ち主にだけ反応して通れるから」

 マリアがそう言って壁際の端末に形態端末を翳すと、透明な壁が左右に割れて開かれる。

マリア「あ、空も端末チェックしてね」

空「分かりました」

 思い出したように言ったマリアに、空は頷いて応え、
 制服の内ポケットから携帯端末を取り出し、マリアがやって見せたように壁の端末に翳す。

マリア「これやんないと、認証した人が通り終えた途端に壁が閉まって、
    ビターンッ、ってなるから気を付けてね」

 マリアはケラケラと笑いながら“年に二、三回あるんだけどね”と付け加えた。

 奥に向かって開いた扉の動きからして、
 元に戻る時には進行方向から押し出すよう閉まるのだろう。

 早い話が、往年の遊具――スマートボールやピンボールの要領である。

 ボールを二本のバーで弾きながら、得点の設定されている穴にボールを入れるゲーム。

 この場合、透明な壁がバーで、ボールは人間だ。

 そうなると確かに、“ビターンッ”は痛そうで仕方ない。

空「き、気を付けます」

 その様子を想像した瞬間、自分の鼻が潰れる光景を思い浮かべて、
 空は身震いしながら応えた。

マリア「で、施設の説明に戻るけど、ここが待機エリア」

 丁字路で立ち止まって、マリアは振り返る。

マリア「真っ直ぐ行くとドライバー向けのトレーニングルーム。
    右に曲がると待機室、で、そこからさらに奥に行くと、
    さっき見て貰ったハンガーへの直通通路。

    出動の時は特別な場合を除いてそこから、って感じね」

 マリアは説明しつつ、空に先に行くように視線と手の動きで促す。

 その先にあるのは、待機室だ。

空「………はい」

 空は短く深呼吸をすると、深々と頷いて応えた。

 丁字路を右に曲がりると、すぐに突き当たりの扉が目に入る。

 どうやら、あの扉の向こうが待機室のようだ。

 扉の前に立つと、僅かな躊躇いと恐れがその身に走る。

 だが、空はそれらをねじ伏せ、扉をノックした。

 コンコンと小さな音が響き、程なくして内から声が返って来る。

風華「はい、どうぞ」

 声の主は、風華だ。

空「……失礼します」

 空がそう声を発すると、扉を開く前から、
 室内の空気が張り詰める感覚が伝わって来た。

 扉を開くと、室内の光景が目に入る。

 遊戯台や大きな書架、大型モニターやミニキッチンまで据え付けられた、
 広々とした部屋だ。

 観葉植物も幾つか設置されている。

 だが、真っ先に空の視線が向かったのは、
 部屋の中ほどに設置された、大きなソファーだった。

 四人掛けのソファーが、コの字型に三つ設置されている。

 その中の一つに驚いた様子の風華と、そして、レミィが並んで座っていた。

 別のソファでは、ふんぞり返るように座っていた瑠璃華が、
 風華と同様に驚いたようにこちらを見ている。

 また、離れた場所……部屋の隅のミニキッチンでは、
 フェイがこちらに一瞥くれた後、近くの食器棚から新しいマグカップを二つ取り出した。

 そして、本題と言うべきか、反射的に視線を向けて来たレミィと、空の視線が絡み合う。

 やはり、まだ怒りと哀しみの入り交じった視線をコチラに向けて来ていた。

マリア「さ、空……」

 空が立ち竦んでいると思ったのか、マリアは促すように、その肩を優しく押した。

 空も促されるように前に進み出る。

 近付いて改めて視線を真っ向から受けると、怒りと哀しみだけでなく、僅かな後悔の念を感じた。

空(やっぱり……怒ってる、のかな……? ……怒ってるよね……)

 空は心中で独りごちるように自問自答し、僅かに目を伏せる。

 だが、それがいけなかったのだろう。

レミィ「ッ……お前は!」

 レミィは顔を俯け、怒りを絞り出すような声で口を開く。

 空はビクリと肩を震わせ、再び視線をレミィに向ける。

レミィ「……お前には、代わりがいるのか!?
    隊長の……海晴さんの代わりがいるのか!?」

 詰るようなレミィの言葉に、空は先ほど以上に全身を震わせた。

 どれだけの事を言ってしまったのか、頭では理解したつもりでいたが、
 そう言われて初めて、空は自分の言ってしまった言葉の重みを思い知る。

風華「れ、レミィちゃん!?」

 傍らに座っていた風華が、慌ててレミィの肩を掴もうとするが、
 彼女はその手をすり抜けるように立ち上がり、空達が来たのとは別のドアの前に立った。

 恐らく、あの扉がハンガーへの直通通路に繋がる扉だろう。

レミィ「ヴィクセンのコントロールスフィアの調整に立ち会って来ます」

 レミィはそれだけ言い残すと、逃げ去るように待機室を去った。

 気まずい沈黙の中、フェイが作業を続ける音だけが嫌に大きく響く。

瑠璃華「ハァ……さすがに、今のはレミィが悪いぞ」

 その沈黙を破って、仲間の立ち去った扉を見つめながら、
 瑠璃華が盛大な溜息を交えて呟いた。

風華「ご、ごめんなさいね、空ちゃん。
   本当に……本当に、悪い子じゃないの!
   ただ、あの子、今は気が動転していて……」

 風華は慌てて立ち上がると、どうして良いのか分からず、
 オロオロと慌てふためきながら弁明を始める。

 これでは、気が動転しているのは風華だ。

フェイ「藤枝隊長。深呼吸の実行を進言します」

風華「そ、そうね……。
   すぅ……はぁ……すぅ……はぁ……すぅ……はぁ……」

 トレイに人数分――レミィがいないので実質、一人分多いが――
 のコーヒーを持ったフェイに言われて、風華は深呼吸を繰り返す。

フェイ「朝霧隊員も、座って落ち着かれた方が良いと思われます」

空「………はい……」

 フェイに淡々と促されるまま、空は誰も座っていないソファに腰掛けた。

 しばらく深呼吸を続けていた風華も、ようやく落ち着きを取り戻して座り直す。

マリア「タイミング、間違えちゃったみたい……。
    ごめんね、空」

空「あ、いえ……レミィちゃんに酷い事を言ったのは私の方が先ですし、
  ここに案内して欲しいって頼んだのも、私ですから……」

 対面のソファ――瑠璃華の傍らに座ったマリアの申し訳なさそうな言葉に、
 空は俯き気味に応えた。

瑠璃華「さっきも言ったが、悪いのはレミィだぞ。
    あれじゃ“馬鹿”と言われて“馬鹿”と返す小学生の喧嘩だ」

 瑠璃華はそう言いながら、コーヒーに大量のガムシロップとミルクを注いでいる。

フェイ「シロップとミルクの過剰な投入は、
    カロリーの甚大な増加を招くと判断します」

瑠璃華「私は頭を使うから、このくらい甘い方がいいのだ!」

 その様子を咎めたフェイに、瑠璃華はそっぽを向くと、
 元の味などしなくなってしまった甘味液を美味しそうに飲み始めた。

 空も両手でマグカップを掴むと、コーヒーに口を付ける。

 既に砂糖が少しだけ入れられているのか、決して苦くはなかった。

 全員がソファに座り、フェイ以外の全員がコーヒーを飲み終えた頃、風華が口を開く。

風華「ごめんなさいね……空ちゃん。
   初日だって言うのに、こんな事になってしまって……」

 風華は申し訳なさそうに言って、深々と頭を垂れる。

 隊長として、責任を感じての事だろう。

空「謝らないでください、藤枝さん……。
  その……本当に悪いのは、私ですから……」

 空は肩を竦めながら、弱々しく頭を振った。

 レミィにああ言われて、改めて事の重大さを思い知ったのは前述の通りだ。

 そうだ、大切な人に代わりなどいない。

 誰も代わりになど、なれないのだ。

風華「隊長……海晴さん……お姉さんから、私達の事って、聞いてた?」

空「いえ……。
  お姉ちゃん、家じゃ仕事の話はあまりしてくれませんでしたから……」

 気を取り直して尋ねた風華に、空は思い出すように呟く。

 今思えば、身代わりでドライバーをしている事を悟られないようにしていたのだろう。

 だが、こうして姉の仲間達を会って、空は確信できる事があった。

 それは――

空「でも……良かった」

 空は少しだけ目を細めて、安堵の溜息を漏らす。

空「お姉ちゃん……ここで、皆さんと一緒に過ごしていたんですね……」

 ――姉がこの仲間達に慕われていた事だ。

 現隊長である風華すら、未だに姉の事を隊長と呼んでくれているのが、何よりの証拠だろう。

 少し言葉足らずではあったが、空の真意はその場にいた者達にも伝わったようだ。

マリア「そのせいか、お世話になりっ放しだったけどね」

クァン「お前は朝霧隊長に世話を掛け過ぎだ」

 苦笑うようなマリアの声に続いて、入口側から呆れたようなクァンの声がする。

 全員がそちらに向き直ると、
 クァンは大きめのスポーツタオルで濡れた髪を拭いながら入って来る所だった。

 どうやら、軽いトレーニングを終えて、汗を流してきたばかりのようだ。

マリア「朝霧隊長に世話かけた度合いは、アンタも似たようなモンでしょ?」

瑠璃華「どうどう」

フェイ「どうどう、です。カタギリ隊員」

 クァンに掴み掛からん勢いで立ち上がったマリアを、
 呆れたような瑠璃華と、淡々としたフェイが宥める。

クァン「………まあ、そう言う事だ。

    今いるドライバーは全員、
    大なり小なり隊長に世話になった人間ばかりだからな……。

    困った事があれば、いつでも頼ってくれて構わない」

マリア「空は現在進行形で困ってんだろ。
    アホかお前」

 気を取り直し穏やかな調子で言ったクァンに、マリアはジト目で呆れたように呟く。

風華「ほ、ほらほら、喧嘩しちゃ駄目だよ!
   空ちゃん、二人共、本当は仲が良いんだからね?
   気にしちゃ駄目だよ?」

 そんな二人を窘めるように、風華がオロオロとした様子で立ち上がる。

クァン&マリア「「誰と誰の仲がいいんですか!?」」

瑠璃華「おお、いつも通り、息ぴったりだな」

 風華の言葉だけでは納得できなかったが、瑠璃華の言葉通り、
 一言一句まで息ぴったりのクァンとマリアの声を聞かされては、納得せざるを得ない。

空「仲、いいんですね」

 空は、どこか胸を撫で下ろすような声音で呟いた。

 その表情には、微かだが、自然な笑顔が浮かぶ。

 この待機室に来て、初めての飾らない笑顔だった。

クァン&マリア「「いや、だから……」」

 慌てて弁明しようとするクァンとマリアの声は、再び重なってしまい、
 バツが悪そうな表情で違いを睨め付ける。

クァン&マリア「「別に仲が良いワケじゃ……」」
 視線で互いを牽制したつもりだったのだが、
 それでも三度、声は重なってしまう。

クァン&マリア「「ぐぬぬ………」」

フェイ「シンクロ率評価、良好。
    ……問題は無いと推測されます」

 互いを睨み付け合いながら唸る二人の様子を観察しつつ、
 フェイが淡々とした様子で語った。

瑠璃華「ぶっふぅ!?

    よ、良かったな、ふ、二人とも。
    そ、そのままで問題ないそうだぞ……キャハハハッ」

 瑠璃華は盛大に噴き出し、笑いながら囃し立てるように言う。

風華「もう、笑っちゃ駄目よ、瑠璃華ちゃん」

 さすがに二人の様子がおかしかったのか、
 風華はいつものようにオロオロとするのも忘れ、
 瑠璃華に釣られてクスクスと笑い出す。

 空もそんな仲間達の様子を見渡しながら、胸を撫で下ろした。

 最初はどうなるかと思ったが、
 レミィ以外のメンバーとは何とか打ち解ける事が出来たようだ。

 だが、それと同時にこうも思う。

 仲間達が自分にも優しいのは、彼らの性格や気の持ちようもあるのだろうが、
 やはり、自分が姉の……海晴の妹であると言う部分が大きい。

 きっと、それを言えば誰もが“そんな事はない”と否定してくれるだろう。

 だが、それでも、仲間達の言葉からはひしひしと姉の存在を感じた。

 感じさせて貰える。

 だからこそ――

空(レミィちゃんとの仲直りは……、
  私が、この人達の仲間になるための、最初の一歩なんだ)

 ――硬い決意を胸に、空はコーヒーを飲み終えたカップをテーブルの上に置いた。


 一方、レミィが走り去ったハンガー直通通路に通じる扉の外では……。

レミィ「…………」

 走り去ったハズのレミィが、扉に背をもたれさせながら、
 苦しげな表情を浮かべていた。

レミィ「……隊長……私は……」

 レミィは絞り出すような声で、それだけ呟き、ズルズルとその場に蹲ってしまう。

 結局、レミィはその場に蹲ったまま、その日を過ごす事となった。

 その日、イマジンは……現れなかった。

―4―

 空の入隊から、瞬く間に一週間が過ぎた。

 イマジンは注意報のレベル4が発令される事はあったが、
 それ以上まで危険度が上がる事はなく、
 テロ活動が起こる事もなく、日々は平穏に過ぎている。

 基本的に、ドライバーが出撃するのは警報レベル1以上――
 つまり、大型イマジンのメガフロート近傍五十キロ以内への侵入、
 或いは小型・中型イマジンがメガフロートへ接触された際だ。

 それ以外は、魔導弾による対処が成される手筈となっており、
 それも年に五十回も有れば多い方である。

 とどのつまり、ギガンティック機関が対イマジンで出撃する回数は、
 年に十回も有れば多い方なのだ。

 剣を抜かずに済めば天下太平とは言うが、正にその通りである。

 だが、当のギガンティック機関前線部隊――
 空達ドライバーは、天下太平とは行かなかった。



 早朝。
 ギガンティック機関隊舎、ドライバー待機室――

空「…………」

レミィ「…………」

フェイ「…………」

 空とレミィが無言で俯き、フェイは無言のまま淡々と食後のコーヒーの準備をしている。

瑠璃華<何だコレ、もの凄く気まずいぞ、風華>

風華<ご、ごめんね瑠璃華ちゃん……>

 瑠璃華と風華は、思念通話を交わし合う。

 本日の待機メンバーは、空、レミィ、風華、瑠璃華の四人。

 出撃の優先度は空とレミィがメイン、風華と瑠璃華がサブである。

 要は、何かあれば空とレミィが優先的に出撃し、
 万が一の際には風華と瑠璃華が出撃と言う事だ。

 ちなみに、待機メンバーでないフェイが待機室に篭もっているのはいつもの事である。

 ともあれ、このメンバーを選んだのは誰あろう風華だった。

 理由は簡単で、未だに仲直り出来ていない空とレミィの事を慮っての事だ。

 そう、二人は未だにわだかまりを解けずにいた。

 現在の二人の状態では、いざ出撃となった際に連携が取れない事を想定し、
 敢えてシフトをずらしていたのだが、それが現状を長引かせる原因となってしまった。

 空が待機任務の際には、レミィは延々とシミュレータールームに篭もり、
 逆にレミィが待機任務の際には、彼女はハンガーで整備の手伝いをして過ごした。

 待機任務中は、待機エリアかハンガーで過ごすのが絶対であるため、
 レミィ自身が規則に反しているワケではなく、理由が理由であるため正面切って咎める事も出来ない。

 そこで一計を案じた風華の発案で、無理を言って同じシフトにさせたのだ。

瑠璃華<と言うか、本当に今、必要な手段なのか、コレ!?>

風華<いや……でも、
   いつまでも二人のシフトをずらし続けるワケにもいかないし……>

 思念通話で怒声にも似た疑問の声を上げる瑠璃華に、
 風華はオロオロとした様子で返す。

 思念通話でなければ、普段通りにオロオロとする彼女が見られたハズだ。

 しかし、思念通話であるため、待機室には沈黙の帳が落ち続けるだけである。

瑠璃華「ああ、もうっ!
    私は我慢の現界だぞ!
    もう我慢しないからなっ!」

 その沈黙に耐えきれなくなった瑠璃華が立ち上がり、
 空とレミィを交互に睨め付けた。

空「ど、どうしたの、瑠璃華ちゃん?」

レミィ「瑠璃華……?」

 空とレミィは、戸惑った様子で瑠璃華の名を呼ぶ。

瑠璃華「お前ら、さっさと仲直りしろっ!
    この一週間、朝御飯と昼御飯が不味くてしょうがないぞ!」

 対して瑠璃華は、
 頭から湯気でも出してヤカンを沸騰させかねないほど顔を赤くして返した。

フェイ「この一ヶ月で統計して、
    食堂のレシピに大きな変化があったとは見受けられません。
    カロリー摂取上の問題は無い物と思われます」

瑠璃華「味覚とカロリーの問題じゃないぞ!
    気持ちの問題だぞ、気持ちの問題!」

 淡々としたフェイの言葉に、
 瑠璃華はタコでもこれ以上赤くならいと言うほど顔を真っ赤にして返す。

瑠璃華「と・も・か・くっ!

    気まずいならさっさとお互い謝れ!
    そうじゃないと、今度は私が怒るぞ!」

 もう怒っているじゃないか。

 と言う言葉は、全員が飲み込んだ。

 こんな時にマリアがいれば、“はいはい、あっちに行ってようね”と、
 ヒートアップするばかりの瑠璃華を別の場所に移動させたのだろうが、
 生憎、今日はクァン共々非番で、彼女は実家に帰省中である。

 ともあれ、そんな瑠璃華に促されるように、空とレミィはお互いに向き直った。

 タイミングが同じだった事もあり、視線が絡み合う。

レミィ「………っ」

 だが、レミィは直後に視線を外し、
 いつも被っている大きめのベレー帽を目深に被り直す。

空「あ、あの……レミィちゃん……」

 空は気まずそうに口を開く。

 だが、レミィは黙したまま、視線を背けたままだ。

 空も、思わず視線を俯けかけたが、すぐに踏み留まる。

空(駄目……こんな事で引き下がったら、
  もっと長引いちゃう……。

  折角、瑠璃華ちゃんがキッカケを作ってくれたんだもの)

 それでも、仲直りせねば、と言う使命感と思いが、
 空の中では強く渦巻いていた。

空「レミィちゃんの言いたかった事……分かるよ。

  私にも、お姉ちゃんの代わりなんていない……。
  誰も、お姉ちゃんの代わりなるなんて、思っていない……」

 空の言葉に、レミィは肩を震わせる。

空「でもね……お姉ちゃんの代わりにはなれないけど、私は私だから……」

 空は一言一言を大切に紡ぎ出すように、しっかりと口にし、さらに続けた。

空「だから……お姉ちゃんのいなくなった心の穴を埋められるような……
  そんな友達になりたい」

 空がそう言い終えると、レミィのみならず、風華も驚きで目を見開く。

 いや、驚きと言うよりは、むしろ驚愕と言った方が良いだろう。

空「えっと……あの?」

 さすがに二人の反応が予想外過ぎて、
 空は困ったように二人の顔を交互に見遣る。

 いわゆる所の“良い事”を言ったつもりはないが、
 空としては、一生懸命に正直な気持ちを伝えたつもりだった。

 それだけに、二人の反応が解せない。

レミィ「………っ!」

 空がしばらく戸惑っていると、不意にレミィが立ち上がる。

レミィ「お前は……っ!」

 そして、言いかけた言葉を飲み込むと、泣きそうな表情を浮かべて踵を返し、
 先日のようにハンガーへの直通通路への出入り口から飛び出して行ってしまった。

 半開きのままの扉が、寂しげに口を開けている。

空「れ、レミィちゃん!?」

 空も慌てて立ち上がり、レミィの追い掛けようとしたが、
 先ほどの彼女の表情が脳裏を過ぎり、思わずその足を止めてしまう。

 フェイは無言でレミィの出て行った扉を見遣り、
 先ほどまで怒っていた瑠璃華も、何が起きたのか分からないと言いたげに、目を白黒させている。

 ただ一人、風華だけは空に向き直り、どうした物かと考えあぐねているようだ。

 だが、すぐに意を決して口を開く。

風華「ね、ねぇ空ちゃん……。
   本当に、私達の事は、お姉さんからは何も聞いていないのよね?」

 風華に戸惑い気味に尋ねられ、空も戸惑ったように頷いた。

 前述の通り、姉から仕事仲間の事を聞かされた記憶はない。

 それどころか、明日美とアーネスト以外のメンバーの名前を、
 しっかりと聞いたのは一週間前が初めてだ。

風華「エールは……喋ってくれるワケがないだろうし……」

空「あ、あの……私、また何か酷い事を言ってしまったんでしょうか?」

 困ったように思案を続ける風華に、空は恐る恐ると行った風に尋ねる。

 そこで、風華ははたと気付き、すぐに頭を垂れた。

風華「ご、ゴメンなさい! ちょっと、私も気が動転しちゃって……」

 風華は戸惑いながらもそう言うと、さらに続ける。

風華「その、ね……空ちゃんがさっき言った言葉、
   お姉さん……海晴さんがレミィちゃんに言った言葉と、殆ど一緒なの……」

空「え……!?」

 風華から聞かされた事実に、空は愕然とした。

 確かにそう言われれば、
 あの姉ならあの様に言ったかもしれないとは思うが、まさかである。

フェイ「実際の朝霧隊員と朝霧前隊長との言葉に多少の差違はありますが、
    藤枝隊長の言葉は事実です」

 動揺する空に、フェイが淡々とした様子で言った。

 誰も誰かの代わりにはなれない。

 だからこそ、自分なりに頑張りたい、仲良くしたい。

 そう思っての言葉だったと言うのに、結果は裏目と出てしまった。

空「そんな……」

 空は愕然としたまま、その場に腰を落としてしそうになってしまう。

 だが、すぐに気を取り直して、その場で踏み留まった。

 ここで諦めたら、この一週間をまた繰り返す事になる。

 折角、瑠璃華が作ってくれたチャンスを、こんな事で不意にするわけには行かない。

空「追い掛けます!」

 空はそれだけ言い残して、半開きになっている扉からハンガーへの直通通路へと飛び出す。

風華「あ、そ、空ちゃん!?」

 背後から風華の声が聞こえたが、空は止まらなかった。

 長い通路を駆け抜けると、
 途中で夢遊病者のようなにフラフラの足取りで走るレミィを見付けた。

空「レミィちゃん!」

レミィ「ッ!? ……空……」

 背後から声をかけられ、思わず振り返ってしまったレミィは、
 最早振り切れない距離まで迫られた事を悟って立ち止まってしまう。

 そのまま力なく項垂れるレミィに駆け寄ろうとして、
 空はその数歩手前で立ち止まってしまった。

 たった数歩。

 振り切ろうと思えば振り切れる……だが、一足飛びで駆け寄れる距離。

 それが、二人の間の微妙な距離だった。

レミィ「何で……何でお前は!
    そうやって、いつもいつも、隊長を思い出させるんだ!」

 レミィは瞳の端に涙を浮かべて、全てを吐き出すような哀しい怒声を張り上げる。

レミィ「隊長と同じ顔で! 隊長と同じ声で! 隊長と同じ言葉で!」

 堪えきれなくなった涙は、怒声の勢いに合わせて溢れ、したたり落ちて行く。

レミィ「………これじゃあ……このままじゃあ私は、
    お前を隊長の代わりだと思ったまま、前に進めないじゃないか!?」

空「ッ!?」

 レミィの吐露した言葉に、空は息を飲む。

 彼女の言葉は、自分に対する怒り以上に、
 彼女自身を責め立てるような意志を孕んでいたからだ。

 そう、レミィが拒んでいたのは、海晴の代わりになりたいと言った空ではなく、
 空を海晴の代わりとして見てしまっていた、自分自身だった。

レミィ「お前があの時、隊長の代わりを務められるよう、
    って言った時……私は、納得しかけたんだ……!

    最低なのは………本当に最低だったのは私だ!」

 レミィは吐き出すように言うと、がっくりと膝を折って跪きそうになる。

 だが――

空「レミィちゃん!?」

 膝を突きかけたレミィを、空が咄嗟に支えた。

 だが、空も引き摺られるようにしてその場に膝を突き、
 二人ともその場にへたり込んでしまう。

空「もう……大丈夫だよ……!」

 しゃくり上げるような声が耳元で聞こえた事で、
 レミィは初めて、空に抱きしめられている事に気付かされた。

 力強くも優しく慈しむように抱きしめられる。

レミィ「……たい……ちょう……?」

空「大丈夫……大丈夫だから……!
  もう……自分を責めたりなんか、しなくていいから……!」

 呆然と問いかけるレミィに、空は涙混じりの声を掛け続けた。

レミィ「あ……」

 その声を聞きながら、レミィは何かを思い出したかのように、
 微かに目を見開く。

レミィ(そうだ………あの時も、こうやって……隊長は……)

 それは、もう五年半前にもなる海晴との出会いの記憶。

 海晴に抱きしめられて思い出した、姉妹達の温もり。

 そして、今、思い起こされたのは、あの日の海晴の温もりだ。

レミィ(……隊長と同じ……だけど、違うんだ……)

 忘れたくない、温もりと記憶。

 姉妹の代わりにはなれないけれど、空いた心の穴を埋められるような関係でありたい。

 そう言ってくれた、海晴の声と表情。

レミィ(隊長は隊長……空は空……なんだ、な……)

 空を前にして、海晴と彼女を重ねてしまう度に、
 心の中で必死に言い聞かせて来た言葉も。

 心に刻みつけるように繰り返した言葉だったが、
 今はすんなりと受け止める事が出来た。

 同じ温もりでも、かつてのソレとは違う。

 それと同じように、今、自分の目の前にいる人も、かつての人とは違う。

レミィ「……ぅぅぅ……っ!」

 それが哀しくて、けれども微かに嬉しくて、レミィは声を殺して泣いた。

 空も閉じた目の端から涙を零しながら、レミィが落ち着くのを待った。

 暫くして落ち着きを取り戻した二人は、どちらからとなく離れ、互いに顔を見合わせる。

 しかし、レミィはすぐに顔を俯けてしまう。

レミィ「………その……悪かった……。
    勝手な思い込みで、怒って……」

 レミィは申し訳なさそうに呟くが、空はすぐに頭を振って口を開く。

空「違うよ!
  先にレミィちゃんを困らせるような事を言ったのは、私だもの」

 最初は強く否定しようとした空だったが、申し訳なさそうに声のトーンを落としてしまう。

レミィ「いや、困らせたって言うなら、私だって!」

 そんな空の様子に、レミィもすぐに顔を上げてフォローを始めた。

 だが、そうやって再び顔を見合わせた時、二人は不意に噴き出す。

空「何だか、キリが無さそうだね……」

レミィ「ああ、本当だ……」

 廊下にへたり込んだまま、二人は泣き笑いの顔で頷き合った。

 空はハンカチを取り出すと、レミィの涙を拭う。

レミィ「あ、すまない……」

空「ううん、気にしないで」

 涙を拭われてから慌てて礼をするレミィに、空は頭を振って応え、自らの涙も拭った。

空「改めて……よろしくね、レミィちゃん」

 空は一週間前は拒まれてしまった手を、再び差し出す。

レミィ「……こちらこそ……その……よろしくな、空」

 差し出された空の手を、レミィはどこか気恥ずかしそうに握り返した。

 頑固だが、根は素直で優しい子。

 それが仲間達から聞かされた、レミィに対する仲間達の印象だ。

空(確かに……みんなの言う通りかもしれない……) 

 レミィの手の温もりを感じながら、空は心中で独りごちた。

 と、その時、待機室の側から足音が聞こえて来て、二人はそちらに振り返る。

風華「ふ、二人とも、こんな所に座り込んじゃって、どうしたの?
   何かあったの?」

 風華だ。

 いつものようにオロオロと狼狽えながら、心配そうに駆け寄って来る最中だった。

 心配をかけてしまったのは申し訳なかったが、
 全てが終わった後に駆け付けて来た風華の方がよっぽどただ事ではない様子なので、
 空とレミィは顔を見合わせ、申し訳ないと思いつつも声を上げて笑った。

風華「え? あ、あれぇ?」

 一方、何が起きているのかも分からず、風華はオロオロとしたまま二人を見遣る。

 傍目にもおかしなその光景が収束を迎えたのは、それからほんの数瞬後の事だった。

『PiPiPi――ッ!』

 けたたましい電子音が響き、全員に緊張が走る。

リズ『第五フロートにてイマジン反応有り!
   待機要員、整備班は出撃準備されたし!

   繰り返す、第五フロートにてイマジン反応有り!
   待機要員、整備班は出撃準備されたし!』

春樹『01ハンガー、11ハンガーのリニアキャリア一号への連結作業開始せよ。
   二次出撃に備え、06ハンガー、07ハンガーのリニアキャリア二号への連結作業開始せよ』

 イマジン出現を告げるリゼット・ブランシェ――リズの声に続けて、
 出撃準備を告げる春樹の声が辺りに響き渡った。

 イマジンの出現を予想していなかった事もあり、
 優先して出撃するのは、先ほどやっと蟠りが解けたばかりの空とレミィだ。

風華「………二人とも、行ける?」

 風華は普段のオロオロとした姿とは打って変わり、
 何かのスイッチが入ったかのように沈着冷静と言った雰囲気を漂わせ、二人に尋ねる。

レミィ「ご心配をおかけしました……。
    もう大丈夫です、藤枝隊長」

 レミィは立ち上がり、風華の目を見据えて応えた。

 空も立ち上がり、風華に向き直る。

空「行かせて下さい、風華さん……いえ、隊長!」

 力強い空の言葉に、風華は抑揚に頷く。

 その頃には、まだ待機室にいた瑠璃華も合流する。

風華「よし……っ、なら行きましょう!」

 それを確認して、風華の号令と共に四人はハンガーに向けて走り出した。

 ハンガーへの出入り口付近に置かれた、通路脇のロッカーの前で四人は制服を脱ぎ、
 予め制服の下に着ていた、サーフスーツのようなインナー防護服だけとなる。

 ロッカーに制服を放り込み、ハンガーへと入る。

 既にエールとヴィクセンのハンガーは横倒しにされ、
 運搬用リニアキャリア一号へと連結を終えていた。

 突風とチェーロのハンガーも、既に連結作業へと入っている。

レミィ「こっちだ、空!」

空「うん!」

 レミィの後に続き、空は作業用通路を駆け抜け、エールのコックピットハッチへと向かう。

整備員「初出撃だ! 緊張し過ぎんなよ、嬢ちゃん!」

空「ありがとうございます! 行って来ます!」

 ハッチから乗り込む瞬間、
 近場にいたエール担当のベテラン整備員の一人に声をかけられ、
 空は大きな返事をしながら乗り込んだ。

 横倒しになっていたコックピット――コントロールスフィア内に乗り込むと、
 一瞬にして重力が横向きになり、空は壁に立つような感覚でスフィアの床に浮く。

 重力制御などと言う大仰でSF的な物ではなく、
 対物操作魔力を作用させて重力が作用している方向を錯覚させているに過ぎない。

 だが、安定感は本当に一定方向に重力が存在しているかのような安定度だ。

 真っ暗なスフィアの内部に微かな灯りが点る。

ほのか『空ちゃん、聞こえる?』

空「はい、聞こえます、新堂チーフ」

 内部の通信機を通して聞こえたほのかの声に、空は落ち着いた様子で応えた。

ほのか『随分とスッキリした様子じゃない、安心したわ。
    ……っと、状況を伝えるわ』

 安堵混じりに言ったほのかは、気を取り直して続ける。

ほのか『イマジンの出現地点は第五フロート第二層、第十五市民街区の外縁部。
    出現したイマジンは、そのまま第十五街区の中心に向けて移動を開始。
    現在は駐屯していた軍のギガンティック部隊が遠距離から牽制中。
    到着後は高い確率で市街地での戦闘になるわ』

空「市街地……」

ほのか『一応、兵装コンテナは汎用二型を選択して貰ったけど、
    射砲撃戦は可能な限り避けて、格闘戦で目標を撃破して』

 市街地と言う言葉に僅かな逡巡を見せた空に、ほのかは戦闘指針を提示する。

 これもタクティカルオペレーターの仕事の一つだ。

空「了解です!」

 空が頷いた瞬間、微かな振動と共にリニアキャリアが走り出した。

 ギガンティック機関隊舎の地下から、旧輸送用ルートを使っての超高速運搬だ。

 魔導技術の導入により、旧世界における速度の限界を遥かに突破した超高速車両は、
 一気に最高速度に到達し、フロート外郭を通じて別フロートへと移動する。

 空のいるエールのスフィア内部にも、現在位置を示す半立体マップが提示されているが、
 発車から十分と掛からずに第五フロートへと突入していた。

空「……は、早い……。
  普通の構内リニアじゃ三時間はかかるのに……」

レミィ『フロート間移動用は時速五百キロが現界だからな。

    まあ、短距離ならこのキャリアより、藤枝隊長の突風や、
    ロイヤルガードで使われてるクレーストの方が早いんだが……』

 感嘆を漏らす空に、レミィが通信でそんな説明を入れて来る。

 今も超音速で駆け抜けているリニアキャリアより早いとは、一体、どんなスピードなのか?

タチアナ『現着二分前! 各員起動準備!
     なお、OSSの接続は現場判断に一任する!』

 だが、空がそんな疑問を口にする前に、
 司令室から明日美の指示を受けたと思われるタチアナの声が響いた。

空「オーエスエス?」

 耳慣れない単語に、空は起動準備をしながら首を傾げる。

ほのか『オプショナルサポートシステム……オプション式支援システムの略称よ。
    通常のオプション兵装より一段上のオプション装備だと思っていいわ。

    けど……あの様子じゃOSSの訓練なんてしてないわよね……。

    今回は無視していいけど、万が一の緊急時にはレミィちゃんの指示に従って』

 ほのかが説明してくれるが、
 おそらくは入隊初日に渡されたマニュアルにも載っているのだろう。

 訓練期間中には教えて貰えなかった情報であるため、
 かなり上位の機密事項に入ると考えて良いハズだ。

 言い訳をするワケではないが、
 レミィとの一件ですっかりとマニュアルの存在を忘れていた事を思い出し、空は肩を竦めた。

 しかし、すぐに気を取り直し、起動準備の最終段階に移行する。

 何もない空間中に投影式のコントロールパネルが浮かび上がり、
 空はそこに指輪型のギアを翳す。

 全てのシステムが起動し、暗かったスフィアの内壁に外の光景が浮かび上がる。

 既にリニアキャリアは目的地である第五フロート第十五街区へと到達しているらしく、
 背の低いビルの中を巨大なハンガーがゆっくりと立ち上がっている最中だった。

 腰部のラックに汎用二型兵装と呼ばれる、
 投擲近接併用型ダガーの入ったボックスとハンドガン型の魔導砲が接続され、
 ソフトとハード両面の起動準備が終わる。

 最終起動準備を終え、整備員がハンガー下部の退避エリアへと移動し、
 コンディション画面に“ALL GREEN”の文字が躍った。

空「……朝霧空、GWF201X-エール、起動します!」

 空の声を合図に、鈍い銀色の輝きを放っていたエーテルラインが、
 眩い空色の輝きを宿す。

 それと同時に、エールの肩や腰を固定していたアームのロックボルトが外れた。

 空が足を踏み出すと、それに応えるかのようにエールも足を踏み出す。

空(やっぱりシミュレーターとは違う……。
  コッチの方が、少し重たい感じがする)

 空はそんな感覚を覚えながらも、ハンガー脇から突きだした長杖を装備し、
 ハンガーから市街地へと降り立つ。

 十五街区はフロート外縁からも近いエリアで、
 いわゆる田舎の小都市だ。

 ビルは背が低く、一番高い物でも四十メートル程と、
 ギガンティックよりも頭一つ高い程度でしかない。

ほのか『現在、敵は、二人の正面方向……、
    後方十キロにあるピラーと二人のいる地点を結んだ延長の二キロ地点よ』

サクラ『軍からの情報提供によると、イマジンは中型サイズのカメレオン型。
    舌による刺突と斬撃を主体とした中距離陸戦タイプとの事です』

 ほのかに続いて、彼女の部下である、
 サクラ・マクフィールドがイマジンの情報を告げて来た。

空「カメレオン………爬虫類は苦手だなぁ……」

アリス『私も苦手だから偉そうな事は言えないけど、
    頑張ってね、空ちゃん、レミィちゃん』

 思わず漏らしてしまった空の本音に、ほのかのもう一人の部下――
 アリスことアリシア・サンドマンが激励の言葉を贈る。

 と、不意に正面方向にあったビルが崩れ落ちる光景が見えた。

レミィ『来たか!?

    ………空、私とヴィクセンが先行する。
    お前は後ろについて援護を頼む』

空「了解!
  ………改めてよろしくね、レミィちゃん!」

 空はレミィの指示に抑揚に頷いて応える。

レミィ『………行くぞ!』

 対するレミィは、少し照れたように声を上擦らせた。

 若草色の輝きを放つキツネ型ギガンティック――
 ヴィクセンの後に続き、空もエールを走らせる。

 二人が崩れ落ちて行くビルに接近すると、
 正面方向の魔力増大を知らせるアラームが鳴り響く。

レミィ『散会だ、右に避けろ!』

空「ッ!」

 言いながらヴィクセンを左に跳ばせたレミィの声に、
 空は息を飲みながら、彼女の指示通りに左へと跳んだ。

 直後、赤黒い長大な物体が空達のいた場所を突き抜ける。

レミィ『姿勢を下げろ!』

 レミィが言うよりも早く、空は直感的に膝を突いて頭を下げた。

 すると、赤黒い物体が横薙ぎに振り回され、ビルを切り裂く。

レミィ『チッ……これが情報にあった刺突と斬撃ってヤツか……』

 レミィの舌打ち混じりの声を聞きながら、
 空は切り裂かれて崩れ落ちてゆくビルを見遣る。

 どうやら、まだ本体の見えないカメレオン型の舌のようだ。

 空はビルの陰からエールの顔を出させ、イマジンの本体を確認しようとする。

 だが、濛々と立ちこめる煙――イマジンの魔力によって強制分解されたマギアリヒトの塵だ
 ――に阻まれ、姿を確認できない。

空(こんな状態じゃ、ハンドガンの狙いは付けられない……それなら!)

 空は即座に決断すると、左腰のラックに提げられたハンドガンを取り外し、
 それをビルの陰から上空に向かって放り投げる。

 すると、その直後、凄まじい勢いで再び赤黒い長大な物体――
 イマジンの舌――が飛び出した。

空「よし、今だよ、レミィちゃん!」

 上空で舌に貫かれて砕け散ったハンドガンの姿を確認すると、
 空はビルから跳び出し、イマジンに向けて駆け出す。

レミィ『悪くない判断だ!』

 レミィもそう叫ぶように応えると、ヴィクセンを駆けさせる。

 ハンドガンを囮に舌を誘導し、一気に接近戦に打って出る作戦だ。

 上空高くに伸びた舌を戻すか、それとも下に向けて振り下ろすか……。

 どちらにしろ僅かなタイムラグが生じる。

 接近には十分な余裕があるハズ………だった。

 そんな勝利を確信した空達を嘲笑うように、赤黒い物体が高速で迫り来る。

 間違いない、イマジンの舌だ。

 だが、その舌は先ほど、上空でハンドガンを貫いたばかり。

 その証拠に、ハンドガンを破壊した舌は今も上空へと伸びている。

空「ウソ、二本目!?」

レミィ『コイツ、二枚舌か!?』

 普通のカメレオンならばあり得ない二本目の舌の登場に、
 二人は愕然としつつも回避行動を取った。

 空はエールのブースターを噴かして上空へと跳び上がり、
 レミィのヴィクセンは再びビルの陰へと潜り込む。

 さらにイマジンの攻撃は続く。

 今度は上空へ飛んだ空――エールに向けて、さらにもう一本の舌が伸びた。

空「さ、三本目!?」

 空は驚愕しつつも、右腰のラックに収納されていたダガーナイフを投擲し、
 舌の軌道を逸らして事なきを得る。

 そして、レミィの隠れているビルの陰へと飛び込む。

レミィ『くそっ、三枚舌か……鬱陶しい!』

?????『三枚で済めばいいんですけどね』

 悔しそうに漏らすレミィに続けて、別の少女が溜息がちに呟く。

 レミィのギガンティックを制御しているAI……つまり、ヴィクセン本人の声だ。

 彼女の言葉を肯定するかのように、頭を下げた二人の上空では、
 三本どころか五本の舌が乱れ舞い、ビルを切り刻んでいる。

 それ以上増えない所をみると、どうやら五本で打ち止めらしい。

 だが、それで事態が好転する事はなく、
 むしろ五本の舌を相手にどう対処すれば良いかと言う問題が生まれたに過ぎなかった。

ほのか『このままじゃあ市街地の被害が広がる一方よ。
    必要ならサブの二次出撃行けるけど?』

 確認するかのようなほのかの言葉は、レミィに向けられているようだ。

 おそらくは、機動性重視型である、
 風華の突風を出撃させた方が良いと言う判断だろう。

 だが、現着までは約十五分かかる。

 その間、イマジンを好き勝手に暴れさせるワケにはいかない。

 それに、敵の舌による射程距離は約二キロ。

 あと十キロ進まれたら、階層を支えるピラーが射程範囲に入ってしまう。

 サブピラーの一本を叩き折られた程度でどうなる物ではないが、
 それでも倒壊したピラーが及ぼす被害は今以上に甚大な物となる。

空「今、この場で倒す方法って無いの?」

 空は頭上で暴れ回る舌を、長杖のエッジで弾きながらレミィに尋ねた。

レミィ『有るには有るが………空、お前、格闘戦の訓練成績は?』

空「サンダース教官の話だと中の上……。
  と言っても、向こうで訓練での話だけど」

 レミィの質問に、空は少し悔しそうに応える。

 シミュレーター訓練では自在に戦い、好成績を残した空だが、
 実戦さながらの再現とは言え、やはりシミュレーターはシミュレーターだ。

 実戦とはやはり違う。

レミィ『高速戦の適正は有るな?』

空「高速戦……一応、それっぽい事はやった事はあるけど……」

 確認するかのようなレミィの問いに、空は怪訝そうに返す。

 エールは高い汎用性を誇るギガンティックだが、
 高速型かと問われたら答はノーだ。

 事実、半年ぶりに動かしたエールの挙動は、
 半年間慣れ親しんだシミュレーターのソレよりもずっと重い。

レミィ『一回の訓練も無しに、本番でぶっつけか……。
    自分で撒いた種とは言え……』

 レミィは嘆くかのような声音で呟く。

 どうやら、何かを迷っているようだ。

空「レミィちゃん!
  イマジンに勝つ方法があるって言うなら、レミィちゃんの判断に従うよ!」

レミィ『空……!?』

 意を決した空の言葉に、レミィは驚いたように返す。

 二人の間に、僅かな沈黙が訪れた。

 だが――

レミィ『分かった……』

 抑揚に頷くかのようにレミィは返し、さらに続ける。

レミィ『お前の命、私が預かるぞ!』

空「へ!?」

 さすがにそこまで――命を預ける事――は想定していなかったのか、
 空は思わずキョトンとして素っ頓狂な声を返してしまう。

 だが、すぐに気を取り直す。

 命を預かる。

 レミィが……ほんの数十分前までは話す事すら出来なかった少女が、
 今はそう言ってくれるまでに自分の事を信じてくれている。

 空には、その事が素直に嬉しかった。

 だからこそ――

空「うんっ、分かったよ!」

 ――すぐにそう返事を返す事が出来た。

レミィ『ダガーの残り本数は?』

空「残り四本」

 レミィの質問に、空はラック内を確認しながら即答する。

レミィ『四本……一本足りないか……。

    なら、背中のオプションブースターも外せ。
    どうせ今から邪魔になる』

空「? ……了解だよ」

 思案気味なレミィの言葉に、空は小首を傾げながらも、
 背面に接続されたブースターを取り外した。

レミィ『ブースターとダガーを全て上空に放り投げたら、
    ビルの陰から正面の道路に飛び出せ。

    そうしたら、素早く音声で“モードS、セットアップ”を入力。

    後のタイミングはコチラで合わせるから、敵に向かって全力で突っ込め!』

 レミィの言葉からして、空が先ほど取った作戦を応用するつもりなのだろう。

 空が頷いて返事をすると、それに合わせてエールも抑揚に頷く。

レミィ『よし……行け、空っ!』

空「了解っ!」

 レミィの合図で、空は四本のダガーとオプションのブースターを大空高くにばらまいた。

 瞬間、五本の舌が一斉にそれらを狙って放たれる。

空「今だっ!」

 バラ撒いた囮が攻撃を受ける寸前、空はビルの陰から飛び出した。

空「モードS! セットアップ!」

 レミィの言葉通り、空はその言葉を叫ぶ。

 すると、コンディションを示すモニターに“MODE CHANGE”の文字が浮かび上がり、
 両前腕と両脹ら脛の一部装甲が弾け飛んだ。

空「ッ!? ……敵に、全力で、突っ込む!」

 一瞬、驚きで息を飲んだ空だったが、
 レミィの言葉を信じてスピードを落とさずに駆け抜ける。

 その頃には、囮のダガーとブースターは全て破壊され、
 突き出された舌は真っ正面から走り来るエール――空に向けて振り下ろされ始めた。

レミィ『空、そのままスピードを落とすな!』

 背後から迫るヴィクセン――レミィの声が、スフィア内に響き渡る。

 直後、ヴィクセンの各部から五条の光が放たれ、
 それらはエールの装甲が弾け飛んだ部位と背面を結んだ。

ヴィクセン『ガイドビーコン確認、仮想レール展開、ドッキングを開始します』

 ヴィクセンの言葉と共に、キツネ型ギガンティックの全身が五つに割れる。

 鋭い爪を持った前脚は前腕に、
 小型ブースターを搭載した後部パーツは脹ら脛に、
 そして、大型ブースターを搭載した胴体は背中に、
 それぞれがエールの各部に装着されて行く。

ヴィクセン『スラッシュクロー、フットブースター、フレキシブルブースター、
      全ユニットの接続を確認!』

レミィ「モードS、セットアップ!」

 全パーツの接続を確認するヴィクセンの声に続いて、
 レミィの声が妙にクリアな響きを持って聞こえた。

 空が思わず声のした方向を見遣ると、そこにはレミィの姿があった。

 レミィはバイクのような座席に跨り、ハンドルを握り締めている。

 どうやら、これがヴィクセンの操縦用インターフェイスのようだ。

空「れ、レミィちゃん!?」

レミィ「シミュレーターの機能を応用した立体映像だ!

    走行ルートの選定と細かい操作は私がやる!
    お前はあの五枚舌に接近して、ヤツをぶった切る事だけを考えろ!」

 驚愕する空に、レミィは大急ぎで応え、前を見据えた。

 空も慌てて前を向く。

 それは、巻き戻されたカメレオンの長大な舌が、
 再び自分達に向けて突き出される瞬間だった。

空(正面っ!?)

 ほぼ眼前にまで迫った長大な舌。

 機体を守ってくれる結界装甲も、決して万能ではない。

 頭部への一撃は致命傷になる。

レミィ「曲がれぇぇっ!」

 だが、レミィが気合の一声と共にハンドルを切ると、
 背面のブースターが一瞬にして真横を向き、
 急加速による軌道変更でその一撃を回避した。

空「す、凄い……!?」

レミィ「大推力フレキシブルブースターと、
    フットブースターの加速を利用した高速近接格闘戦形態。

    それがGWF201XX-エール・ソニックだ!

    敵の攻撃は私が全部回避してやる、安心して敵への攻撃に集中しろ!」

 驚く空に、レミィは自信ありげに言い切った。

 確かに、身体が……機体の挙動が軽い。

 噴かされた背中と足のブースターが、
 空の……エールのスピードを格段に上昇させていた。

 襲い来る五枚の舌をレミィの華麗なハンドル捌きで紙一重で回避しながら、
 空達はカメレオン型イマジンへと肉迫する。

レミィ「ビルの上を走るぞ!」

空「うん、分かったよ!」

 レミィの言葉に従って、空はビルの上へと跳び上がった。

 重量がかかる寸前に一気に加速し、
 空はビルを崩すことなく、エールを駈け巡らせる。

 ビル群の上に出た事で、イマジンの舌もビル上のエールを狙うようになり、
 ビル自体への被害は一気に減った。

空「真横からっ!」

 空は大きく弧を描くようにして、イマジンの右側に回り込む。

イマジン「Krrrrr……?」

 ようやく全貌をハッキリと見えるようになったカメレオン型イマジンは、
 舌の攻撃こそかなりのスピードを誇ったようだが、
 肝心の本体のスピードはイマイチのようで、
 今になってモタモタと身体の向きを変え始めたばかりだ。

 イマジンは方向転換をしながらも舌での攻撃を続けるが、
 十分な射角が取れなくなったのか、
 それとも方向転換で狙いを付ける余裕も無いのか、
 その攻撃の全ては空振りで終わる。

空「あと……ちょっとっ!」

 ビルの上を跳ね回るように駆け抜けながら、
 空は必殺の一撃を放てる位置へと肉迫を続けた。

 そして、遂に、その必殺の距離へと接近を終える。

空「来たっ!」

レミィ「ヴィクセン!
    スラッシュクローに魔力とブラッドを集中!」

ヴィクセン『了解、魔力とブラッド流入量を調整……
      スラッシュクロー、マキシマイズ!』

 空の声を合図に、レミィの指示を受けたヴィクセンの調整で、
 両腕の爪に魔力が集中した。

 すると、鋭い爪の先端から、巨大な魔力の刃が伸びる。

レミィ「ぶった切ってやれ……空ぁっ!」

空「うわああぁぁぁっ!!」

 レミィの声に後押しされるように、
 空は裂帛の気合と共に右腕の巨大な魔力の爪――スラッシュクローを突き出す。

 その時、ようやく向き直ったばかりのカメレオンが五枚の舌を一斉に伸ばした。

 真っ正面からぶつかり合う爪と舌。

 勝負は一瞬で決し、五枚の舌は爪に切り裂かれながら霧散する。

イマジン「Krrrrrrrrrッ!?」

 舌を失った痛みで、イマジンは珍妙な悲鳴を上げた。

空「もう……一撃ぃっ!」

 悲鳴を上げるイマジンの真横をすり抜け様、
 空は左腕のクローでイマジンの横っ腹を切り裂く。

イマジン「KRRRRRRRRrrrrrッ!?」

 さらに大きな悲鳴が上がり、空はイマジンの真後ろで方向転換する。

空「これで……止めぇっ!」

 大きく振り上げた両腕のクローで、空はイマジンを背中から一気に切り裂いた。

 切り裂く寸前、全魔力をイマジンの内部に叩き付ける。

イマジン「KRRRR――――………!?」

 切り裂かれながら魔力を流し込まれ、イマジンは断末魔の悲鳴を上げながら霧散した。

空「勝った……勝てた……」

 霧散して行くイマジンを見ながら、空は半ば呆然としながら呟く。

ほのか『ちょっと街への被害が大きかったけど、
    敵の攻撃パターンと戦場を鑑みれば何とか最低限って所ね……。

    ウチの戦闘じゃあビル街はともかく、
    住宅地には被害も出てないみたいだし』

春樹『ブラッドの平均劣化率四十二%………初戦にしては上出来だよ』

 勝利の余韻に浸る中、ほのかと春樹が現状を告げて来た。

 つまる所、良い勝ち方だった、と言う事だろう。

空「は、はい……ありがとうございます!」

 空は二人の声に向けて頭を垂れる。

タチアナ『すぐに回収の手配をします。
     二人とも、その場に待機していて下さい』

 そんな空の様子が見えているのか、どこか微笑ましげな声音でタチアナが告げた。

 回収班……と言うかリニアキャリアと整備班はすぐに到着し、
 空とレミィは各々の愛機をハンガーへと固定する作業を終えると、
 スフィアの外へと出る。

 作業通路の隅に佇み、ハンガーに寝かされた愛機を見ながら、
 空は少し頬を上気させていた。

空(勝った……勝てたんだ……あの、イマジンに……)

 空は半年前の事を思い出しながら、そんな事を思う。

 半年前の個体とは姿形も違うが、
 自分は確かに、あの恐ろしいイマジン達に一矢を報いたのだ。

 姉の仇……ではないが、その同類を屠ったと言う事実が、
 空の心の中で大きなうねりとなっていた。

 と、そこにインナー防護服の上にジャンパーを纏ったレミィが姿を現す。

レミィ「ふぅ……ぶっつけ本番だったが――」

 ――中々じゃないか。

 そう言おうとしていたレミィの言葉は、不意に途切れた。

 理由は簡単……。

空「レミィちゃん、ありがとうっ!」

 感極まった空が、レミィに飛びついたからだ。

レミィ「こ、こらっ!? いきなり飛びつくな!?」

 レミィは狼狽しながら態勢を整えようとしたが、
 その横でパサリ、と乾いた音が立つ。

レミィ「ん?」

 レミィは怪訝そうにそちらに顔を向けると、
 先ほどまで――それこそ戦闘中も――彼女が被っていた大きめのベレー帽が落ちていた。

レミィ「ああ!?」

 レミィは慌てて手を頭に回そうとしたが、既に空の視線はそれを捉えていた。

空「………耳?」

 そう、レミィの頭上でピョコピョコと震える、イヌ科の動物のような耳を。

 彼女の煌びやかなブロンドの髪と同じ、金色に輝く毛で覆われた耳が、そこにあったのだ。

レミィ「み、見るなぁっ!?」

 レミィは慌てて空から離れると、悲鳴じみた声を上げ、
 その場に蹲って頭を抱え込んでしまう。

 すると、今度はお尻の辺りからフサフサとした物が突きだしているのが見えた。

 こちらもやはり、彼女の頭髪と同じ金色をしている。

空「……尻尾?」

レミィ「ひゃあっ!?」

 怪訝そうな声を上げた空の言葉に、レミィは上擦った悲鳴を上げながら、
 今度はそのフサフサとした物……尻尾を隠す。

 出撃の緊張や戦闘中と言う事もあって今まで気付かなかった……と言うか、
 視界の端に捉えた時は何かの飾りかと思っていたが、間違いなく、動物の耳と尻尾だ。

レミィ「み、見るな……見ないでくれぇ……」

 レミィはジャンパーで頭を覆い、怯えるように震えながら呟く。

 動く所を見る限り、アクセサリの類で無い事――
 それがレミィ自身に生まれながら備わっている物である事――は、
 信じがたくはあったが、彼女の反応を見る限り疑いようが無かった。

 レミィを生み出した統合特殊労働力生産計画甲壱号。

 それは人間と動物の遺伝子を掛け合わせ、
 人間の知能と身体能力に動物の特性を持ち合わせた、
 所謂、半獣半人の強化生命体を作り出す計画だった。

 レミィ……拾弐号の含まれる第二ロットは、
 キツネの敏捷性を持ち合わせた獣人を作り出すための試作品だ。

 つまり、レミィはキツネの獣人だったのだ。

 人と獣を掛け合わせる……言うなれば神をも恐れぬ禁忌の計画。

 それも、人類の数を減らさぬための“消耗品の命”を作る悪魔の計画。

 レミィは生まれながらにして、その計画の被害者だったのだ。

 だが、そんな実態を知らぬ空には、そんな事はどうでも良かった。

空「か、可愛い……」

 空は、我が目に焼き付いた仲間の耳と尻尾を思い出しながら、呆然と呟く。

 フサフサしていた。

 あれに触れる事が出来たら、思うさま触れたら……
 有り体に言えば、思う存分と“モフモフ”出来たら、
 それは、どれだけ素晴らしい事だろうか?

 そんな欲求じみた物さえ感じさせる愛らしさを、
 空はレミィの耳と尻尾に感じていた。

レミィ「か、可愛い………?」

 レミィは蹲ったまま、まだ怯えながら空を見上げる。

 仲間達の事を悪く言うワケではないが、この耳と尻尾を見せると大半は驚き、
 数日の間は腫れ物に触るかのように距離を取った。

 それが当然の反応だと思っていたし、そうなる事は必然だと、
 レミィ自身も半ば諦めていた。

 今、こうしてレミィが怯えているのも、
 出撃直前まで一方的な諍いを起こしていた自覚があった事と、心構えも無いまま見せた事で、
 ようやく仲直りしたばかりの新たな仲間の奇異の瞳を警戒しての事だ。

 だが、空の反応は、他の誰とも違っていた。

 初めて人前でヘッドギアを外した時は、海晴でさえ驚いたソレを、
 好奇心よりも好意に勝る目で見ている。

レミィ「変じゃ……無いか……?」

空「変じゃない! 可愛いよ!」

 怖ず怖ずと尋ねるレミィの言葉に、空は半ば被せ気味な勢いで即答した。

 そして、空はすぐに笑顔を浮かべ――

空「触ってみて、いい?」

 少しだけ遠慮がちに、そう尋ねる。

レミィ「………あ、ああ……」

 レミィは唖然としつつ、戸惑いがちに頷いた。

 空はそっと手を伸ばし、レミィの耳に触れる。

 驚いたように耳が震えるが、空が優しく撫でると、
 すぐに落ち着いたように垂れ気味になった。

 続いて尻尾に手を伸ばすと、撫でる手に合わせて尻尾の先端が丸まる。

空「可愛い……」

 空は率直に、そんな感想を漏らした。

レミィ「空……」

 彼女の言葉を本心からの物と悟り、レミィは感極まったかのように漏らす。

 だが、直後に彼女の表情が凍り付く。

空「レミィちゃん……何だか、子犬みたい……」

レミィ「ッ!? こ、子犬……だと……?」

 うっとりとしたように漏らした空に、レミィは息を飲んで声を震わせた。

レミィ「わ、私は……キツネだぁっ!」

 直後、怒声を張り上げた主に合わせ、彼女の耳と尻尾が毛を逆立たせる。

空「あ……怒っても、何だか可愛い……」

 怒鳴られ怯みながらも、空は思わずそんな感想を漏らしてしまう。

レミィ「………お、お前……やっぱり、最低だぁぁぁっ!!」

 レミィは顔を真っ赤に紅潮させて叫んだ。

 誰が見聞きしても分かる程、それは照れ隠しの意を含んでいた。

 その照れ隠しの声は、まだ避難解除も終わっていない無人のビル街に、
 何処までも轟くのだった。


第6話~それは、すれ違う「思いやりの心」~ 了

今回はここまでとなります。

退っ引きならない私用でどうなる事かと思いましたが、
何とか一ヶ月以内に投下できましたw

次回はもう少し早く投下できたらいいなぁ……orz

退っ引きならない夏バテと、金曜の晩はアルコール摂取による爆眠で、大遅刻になりましたが乙ですたー!
毎回拝読するたびに思うのですが、このシリーズ、空気が良いです。
前半の重い空気は読み進めるのが苦しいくらい、しかし空とレミイが和解し、戦闘シーンに移ってからの澄んだ雰囲気と
ドンドン読み進められるテンポの良さ。
見習いたいです。
レミイはその出自から、自分を認められない部分があったのでしょうね。
それが一見過度な依存とも思える晴海姉さんへの傾倒となって”認められる”実感を得ていたのかも。
それが空と和解し、自身のコンプレックスになっていた身体的特徴を「かわいい」と言われた事で、変れたのでしょうか。
その証が前回ラストのそれとは違うニュアンスの「最低だぁぁぁああ!!」だったのかと。
しかし・・・・・・モフモフは正義です!モフモフしたものがあったら、モフるのは人類として当然の行為なのです!!
つまり、空の対応は正しいんですよ?
そしてエール。
おお、カッコ良いオプション&合体シーンが!
やはり、合体とモードチェンジで戦闘スタイルが変るのは男の子の夢とロマンですな。
エールがだんまりな状態で、レミイとの連携での戦いは、情報や指示のやり取りとあいまってテンポも良かったですよ。
今回のカメレオンイマジンが、本物のカメレオン同様に、本体は動きが鈍いというのもニヤリとさせられました。
さて、酷暑が続きますので健康には注意してくださいね。
次回も楽しみにさせていただきます。

お読み下さり、ありがとうございます。

>夏バテ
今年は異常気象か、と言うくらい、
関東一円は35度以上の日が長く続きましたからねぇ……。
西日本でも炎暑と呼べるような日が多かったですし……。
暑さ寒さも彼岸までと言いますし、ご自愛下さい。

>空気が良い
お褒め頂き、ありがとうございます。
落としてから上げる、の基本を踏襲しているだけなのですが、
個人的に“ピンチから逆転へのカタルシス”に魅せられて、
小学生時代からそればかり書いていたので、その影響かと思われますw

あと匿名掲示板と言う性質上、詳しい名前は控えますが、
二十歳頃に知った某個人小説サイトの影響も強いかと思います。

>レミィはその出自から
心はあるけど人間じゃない、人間扱いされないと言う幼少期ですからね。
人格形成に至る間に姉妹がどんどんと倒れて行き、
生死観が崩れかけた時に現れたのがお姉ちゃんで、
そのお姉ちゃんを否定したり忘れたりする事は、それが自分でも許せなかった、
でも、前に進まなければならない責任もあって、お姉ちゃんそっくりの空の一言が引き金になって、
半年間に渡って溜まりに溜まり続けた物が遂に爆発、当たり散らしてしまった結果、
謝って仲直りしようにも上手く切り出せず、と言う流れです。

>違うニュアンスの
九割五分照れ隠し、五分激おこですw
出自にコンプレックスはあっても、姉妹の数人が同じキツネな事もあって、
レミィもそれなりに“自分がキツネである事に誇りに思っている”ので、
可愛いと言われると嬉しい反面、子犬扱いされるのは複雑なのでしょう。
……犬ちっくなキャラを目指しているので、これからどんどん犬っぽくなりますがw

>モフモフは正義
キツネの気持ちになるですよ。(by某モフモフ系チャイドル)
キツネなんて、中々触る機会に恵まれませんからねぇ……。
嗚呼、あのふっさふさの尻尾を思う存分にモフりたい……。

二年前からウサギを飼っていながら何ですが、
個人的にキツネとフクロウがいれば、それだけで幸せになれます。
ただ、近所にふれ合い系の動物園も花鳥園も無いのですよ………
触れ合ったら確実に死ねる猛獣だらけのサファリパークはあるんですけどねっ!orz

>オプション&合体シーン
ガンダムと勇者シリーズ、エルドランシリーズ、スパロボをこよなく愛する、
スーパーロボット小説書きですので、本領発揮ですw
戦闘スタイルの変化も、今回は本体側が特に苦手な高機動近接陸戦を克服するコンセプトとなっております。

>カメレオンイマジン
往年のアクションゲームのボスキャラがピョンピョン跳ね回っていたので、
ある動物番組を見るまで長年、誤解していましたが、
本来のカメレオンはかなりのスローっぷりだそうですね。
保護色と合わせて気付かれ難くするための工夫なのでしょうが……。
ただ、獲物の少ない砂漠なんかに生息している種は、
貴重な獲物をいち早く捕らえるため、森林種とは逆にメチャクチャ早いとかw

>次回
次回は部隊中最年少キャラがお当番の予定です。
あと、チマチマと十三人のオペレーター達やバックヤードスタッフにも出番を回して行こうと考えております。

最新話………書き上がってません………と言うか、まるで進んでおりませんorz
もうしばらくお待ち下さい……

保守っとこう

ほしゅ

HO

ほ?

ho!?

大変長らくお待たせしました。
最新話、投下させていただきます。

>>490-494
保守、ありがとうございます。

第7話~それは、造られた『人形の在り方』~

―1―

 第五フロートにカメレオン型イマジンが現れた翌日。
 ギガンティック機関隊舎、ドライバー待機室――


 昨日までと違い、今日は初めて全員が揃っていたのだが、
 待機室は和気藹々とはほど遠い喧噪に包まれていた。

空「レミィちゃん、ごめんね……」

レミィ「昨日、お前から子犬呼ばわりされたばかりだって言うのに、
    その上、ずっと年下だと思われていたなんて知って……。

    素直に“はい、そうですか”と許せるか!?」

 申し訳なさそうに漏らす空に、レミィは顔を真っ赤にしてそっぽを向く。

 レミィが怒っている理由は、彼女の言葉通りだ。

 空は今まで、基本的に親しい年上には“さん付け”、
 同年齢年以下には“ちゃん付け”や“君付け”で通して来た。

 因みに、“さん付け”に関しては亡き姉の躾による物だったが、
 ともあれ、“年上にはさん付け”が空の中のルールだったのだ。

 一週間に及ぶ蟠りが解けたレミィが、
 不意に空の二人称に違和感を覚えたのが事の始まりである。

 二歳年上……十六歳のマリアに対してはさん付け、
 だが、十五歳……一歳年上のレミィに対してはちゃん付け。

 レミィも、最初は精神的な距離感による物かと思って、内心では喜んでいた。

 だが、不意に前述のルールに気付いてしまったのだ。

 そこで“何で私はちゃん付けなんだ?”と何の気無しに尋ねた。

 対する空の返答は“え? えっと……年下、だよね?”と怪訝そうな物言いだったのである。

 その時、空の視線は明らかに、自分の目線ほどの高さでしかない、レミィの頭頂を見ていた。

 無論、今も怒りにワナワナと震えている可愛らしいキツネ耳ではなく、
 耳と耳の間にある紛れもない頭頂部を、だ。

 確かに、レミィの身長は十五歳の少女にしてはやや低い部類ではあった。

 それも……重苦しい話を憚らずにすれば、幼少期に受けた苛烈な実験の結果だったのだが、
 ソレに限らず、レミィは自分の身長の低さを気にしていたのだ。

 早い話が、年齢相応の少女らしいコンプレックスの表れだ。

 話を戻して結果を言えば、朝食を終えたばかりの待機室には、
 レミィの錯乱気味の怒声が響き渡る事になった。

風華「レミィちゃ~ん、落ち着いて~」

 そんなレミィを、風華がオロオロと狼狽えながら宥める。

 以前、風華の事を“恥ずかしがり屋”と評した空だったが、
 どうやら“上がり症”とか“不安症”と言った方が正しかったようだ。

レミィ「むぅ……藤枝隊長がそう言うなら」

 ともあれ、さすがに直属の上司に言われては致し方ないのか、
 レミィはどこか不承不承と言った風に空に向き直る。

 昨日までの諍いとは違い、今回の場合は多分に照れ隠しあっての物だった。
 少し頭を冷やせば、すぐに許せる類の物でしかない。

 だが――

瑠璃華「レミィは背がちっちゃいからな、年下と間違えるのも仕方ないぞ」

 そんな鎮火しかけたレミィの怒りに、瑠璃華の余計な一言が油を注いだ。

レミィ「ち、ちっちゃいとは何だ!?
    一番背の低いお前にだけは言われたくない!」

瑠璃華「私はまだ十歳だぞ?
    成長期だから、これから身長だってグングン伸びるぞ~」

 いきり立つレミィに対して、
 瑠璃華は胸を張って、ニンマリと悪戯っ子のような表情を浮かべる。

 成る程、と言うまでもなく正論だ。

フェイ「天童隊員の身長は一四一.七センチ、ヴォルピ隊員の身長は一四八.三センチ。
    お二方の成長速度を加味すれば、最短であと二年以内に追い越される計算です」

レミィ「に、二年以内!?」

瑠璃華「ほほぅ、そんな物なのか……案外近いぞ」

 コーヒーの注がれたマグカップを配りながら淡々と語るフェイの言葉に、
 レミィは驚愕を、瑠璃華は感嘆混じりの喜びを込めた声で返した。

 火に油を注げば火力は強くなるかもしれないが、
 一度に大量の油を真上からぶちまければ、逆に熱と酸素を遮って消火してしまう物である。

 結果、レミィは茫然自失となり、ぐったりとした様子でソファに寄りかかった。

レミィ「あと二年……あと二年……あと二年で隊一番のチビッ子………」

 そして、部屋の何処でもない遠くを見るような目で、ブツブツと何事かを呟いている。

マリア「あ~………レミィ、牛乳飲んどく?
    気休めくらいにはなるかもしれないし」

クァン「死人に鞭を打つようなマネは止めておけ……」

 気まずそうに声をかけるマリアを、クァンが溜息がちに諫めた。

 確かに、年齢における平均値を色々と大きく上回るマリアに言われては、
 言葉通り、死人に鞭を打つような物だ。

レミィ「どうせ私はチンチクリンだよ……
    チ~ンチクリ~ン……チ~ンチクリ~ン……」

空「あぅ、何だかレミィちゃんがどんどんやさぐれて行く……」

 最早、譫言の域に達したレミィの奇妙なオリジナル自虐ソングに、
 空はどうして良いのか分からずに狼狽え気味に心配する。

風華「え、えっと……えっと……」

 一方、風華はそんな空とは比べ物にならないほどオロオロと狼狽し、
 何とか逸らすべき話題を考えている様子だ。

 だが、そんな便利な話題もすぐに見付かるハズもない。

瑠璃華「何か……さすがにすまなかったぞ」

 混迷を極める待機室の状況を見渡しながら、
 瑠璃華は申し訳なさ半分、呆れ半分と言った風に漏らした。

 やや呆れが勝っていたのは公然の秘密である。

 ともあれ、それからしばらくして落ち着きを取り戻した面々――
 と言うか、取り乱していたのは空、レミィ、風華の三人だけだが――は、
 なし崩しにそのままの話題で会話を続けていた。

風華「それにしても、身長かぁ……。
   私も、もうフェイの身長を追い越しちゃったのね」

 風華は遠い所を見るような目で感慨深く語る。

フェイ「現在の藤枝隊長の身長が一七七.一センチメートル。
    私の身長よりも六.二センチメートル上回っています」

 フェイも、風華の言葉を肯定するように言って頷いた。

空「風華さんもフェイさんも、思ったより身長高いんですね」

マリア「まぁ、ウチにはうすらデッカいのが一人いるからねぇ」

 驚いたような空に、マリアが笑み混じりに呟く。

 対して“うすらデッカい”と評されたクァンは、呆れたような溜息を漏らした。

 クァンの身長は十六歳の東洋人にしては大きく、
 一八〇センチはゆうに越えて、そろそろ一九〇センチに届く程である。

 ともあれ、フェイと風華の二人は、二十歳前後の見かけとは言え、
 東洋系の女性で身長一七〇センチ台は大きな部類だ。

 だが、クァンと比べると確かに見劣りもしよう。

風華「ウチの家系はお祖父様が二人共身長高いから……勿論、お父様も。
   兄さんや従兄も二十歳頃にはもう一九〇近くはあったし」

空「そ、そんなにですか!?
  何だか……もの凄く身長が高いご一家なんですね……」

 風華の話に、空は驚きの声を上げた。
 風華の兄と言うのも初耳だが、随分と身長の高い一系だ。

風華「そうでもないのよ?

   お母様も一応、一七〇センチ近いけれど、
   父方のお祖母様は一五〇くらいかな?
   十代半ばで伸びるのが止まったとかで……」

 驚いた様子の空に、風華は苦笑い混じりに応え、さらに続ける。

風華「お祖父様と出逢ったばかりの頃も、中学生に間違われて………あれ?
   中学生の頃だったのかな?」

 思い出しながら語る風華だったが、記憶があやふやなのか、
 次第にオロオロとしだし、首を傾げるばかりだ。

空<ねぇ、風華さんのお祖母ちゃんって……?>

レミィ<藤枝明風さん。
    地球に残ったオリジナルドライバーの中では、唯一ご存命の方だ>

 思念通話で尋ねた空に、レミィも思念通話で応える。

 因みに、本人の名誉のために事実を補足するならば、
 夫・藤枝一真との出会いは彼女が二十三歳の頃で、
 潜入捜査のため、彼の通っていた学校に学生と身分を偽って潜入した時の事だ。

 付け加えて、敢えて本人の名誉を貶める点があるとするならば、
 潜入捜査に全くの違和感が無かった事くらいであろう。

マリア「けど、フェイの身長が一七〇ちょっとって、
    アタシじゃあと八センチ以上伸びないと駄目か……。

    そろそろ伸びが悪いんだよねぇ……」

 マリアは溜息がちに呟いて、
 自分の頭スレスレの位置で動かす掌を上目遣いで見遣った。

 となると、マリアの身長は一六三センチ前後と言う事だろう。

 平均よりもやや高い部類だ。

 しかし、そんな面々に対して瑠璃華が渋い顔して口を開く。

瑠璃華「何で身長の高い低いが一々フェイ基準なんだ?
    いっくら伸び縮みしないからって、フェイは標準器か何かじゃないぞ?
    ちゃんと平均身長で比較した方が良いんじゃないか?」

空「伸び縮み、って……。
  縮むのはともかく、二十歳過ぎても個人差で伸びる事はあるよ、瑠璃華ちゃん?」

 呆れたような物言いの瑠璃華に、空は怪訝そうに尋ねる。

 因みに余談だが、身長が加齢と共に僅かに縮むのは十分にあり得る事だが、
 二十代前半で縮むと言う事はあまりない。

 だが、空がそう口にした瞬間、待機室内の空気が微妙に変化するのを、空は感じた。

空(あれ……? 私、また何か地雷を踏み抜いちゃったのかな?)

 空気の変化を敏感に感じ取った空は、内心で冷や汗を浮かべる。

瑠璃華「………お、そうか、色々とゴタゴタしていて、空には説明していなかったぞ」

 だが、その微妙な空気も、思い出したかのような瑠璃華の言葉で、すぐに軟化した。

風華「ああっ!?
   そ、そうよね、説明前よね……。
   もう、私ったら何てドジなのかしら……」

 むしろ、風華はようやく落ち着いたばかりだと言うのに、
 再びオロオロと慌てながらガックリと肩を竦めてしまう。

空<もしかして……風華さんって、イマジンが出てる時の方が落ち着いてたりする?>

レミィ<否定は………出来ないな……うん>

 思念通話で恐る恐る尋ねた空に、レミィは煮え切らない風に返した。

 風華が普段通りにオロオロとしている様子を見ていると、
 昨日の出撃直前に見せた、あの落ち着き払った立ち居振る舞いがウソのようだ。

マリア「まぁ、説明する雰囲気でも無かったしねぇ……」

 気まずそうに漏らすマリアに、クァンも無言で首肯している。

 そして、全員の顔を意思確認するように見渡した瑠璃華が、フェイへと向き直った。

瑠璃華「フェイ、技術開発部主任として確認するが、
    お前の素性を空に教えても大丈夫か?」

フェイ「何ら問題を生じる事象で無いと判断します」

 瑠璃華の質問に、フェイは淡々と答える。

瑠璃華「そうか……じゃあ、改めて自己紹介だ。
    普段は止めている方だぞ」

フェイ「畏まりました、天童技術開発部主任」

 瑠璃華に促され、フェイは空へと向き直った。

 空にはその時のフェイが、普段から瑠璃華を呼ぶ際の“天童隊員”ではなく、
 敢えて“天童技術開発部主任”と言い換えて答えた事に違和感を感じる。

 だが、その違和感も、フェイの口から語られた事実に対する驚きと共に氷塊する事となった。

フェイ「ヒューマノイドウィザードギア……
    量産評価用試作三型、YH03-B。

    初起動は2067年二月十日。

    コードネーム、張・飛麗。
    コードネーム付与者は明日美・フィッツジェラルド・譲羽司令と天童瑠璃華技術開発部主任。

    現在は第二世代ギガンティックウィザード、GWF212X-アルバトロスの……」

瑠璃華「ああ、そこまででいい。もう十分だぞ」

 放っておけば延々と続いたかもしれないフェイの説明を、
 瑠璃華は手で制するようにして遮る。

空「え、えっと……」

 半ば早口じみたフェイの自己紹介に、空は理解が追い付かずに呆然としてしまう。

 そして、開示された情報を元に自分で整理する。

 ヒューマノイドウィザードギアとは、
 旧世界では機人魔導兵と呼ばれていた魔導機人や魔導ギアの一種だ。

 2007年末の世界規模魔導テロ……グンナーショックに於いて、
 旧アメリカ本土の軍事基地を一斉制圧した事から、
 圧倒的な展開力の高さと運用の簡便さで知られている。

 その技術は自律型作業機械であるドローンにも応用され、
 汎用性と操作性の高さから危険作業に従事する光景をそこかしこで見る事が出来た。

 だが、人間と機械の境界を分ける物として、人型化が可能であるハズのドローンも、
 非人型のデザインが条例で指定、或いは奨励されている。

 ヒューマノイドウィザードギアは、今では企業の技術の高さを誇示するために、
 一点物で製作されるデモンストレーションモデルと言う意味合いが強い。

 また、それらも作業用人型機械と言うワケではなく、
 軽作業も可能で自律対話能力を搭載した等身大人型機械と言った分類だ。

空「え? ……じゃあ、あの……フェイさんって、その……、
  普通の人間じゃない、って事なんですか……?」

 空は戸惑い気味に確認する。

 思わず言葉を濁してしまったのは、レミィの事を慮る余りの無意識の物だった。

 いくら空がその事を気にしていないとは言え、
 レミィ自身は耳や尻尾を初対面の人間に見られるのを避けていた事を思い出したからだ。

フェイ「その発言には間違っている点が存在します。

    私は統合特殊労働力生産計画甲弐号に基づいて
    設計・製造された戦闘用ヒューマノイドウィザードギア。

    人間ではありません」

 統合特殊労働力生産計画。

 フェイが口にしたその単語と言葉、
 そして、人間である事に対するハッキリとした否定に、
 空はビクリと背筋を震わせ、身を固くする。

 昨日、戦闘から戻った後、レミィの耳と尻尾を見た件で風華から聞かされた計画。

 レミィを……仲間の事をもっとよく知るべきだと、
 昨夜の内にその計画について調べたばかりだ。

 殆どの情報は、空にも閲覧できる状態ではなかったが、
 特一級の権限で閲覧できた範囲だけでも、計画の概要は把握する事は出来た。

 激減した人口の損失を防ぐための代替労働力……
 要は“消費される事を前提とした労働力”を作り出す計画。

 それが統合特殊労働力生産計画だ。

 そして、彼女自身が語る“人間ではありません”と言う断定的な否定の言葉は、
 空の身体だけでなく心を萎縮させるには十分だった。

フェイ「私はGWF212X-アルバトロスを起動させるための自律行動型制御端末。
    そうお考え下さい、朝霧隊員」

 だが、フェイは淡々とした口調のまま、そう言い切ってしまう。

 自律行動型制御端末。

 要は手足の付いたAIと言う意味合いだろう。

クァン「……まぁ、初めて聞かされた時の対応には困るだろうな」

 最早、どう接して良いかも分からないと言った様子の空に、
 救いの手を差し伸べてくれたのはクァンだった。

 そう言った彼は、苦笑いを浮かべている。

マリア「癪だけどクァンに同意してやるわ。
    私も初めて聞かされた時は、レミィの耳や尻尾より面食らったもの」

 マリアは大げさに肩を竦めた後、そう言ってレミィの頭……と言うよりは耳を撫でた。

 口では驚いた事を蒸し返しつつも、今はそんな事は無いと言うアピールだろう。

レミィ「だ~か~ら~っ!
    子犬を愛でるように耳を撫でるなっ!」

 だが、レミィにとっては“そんな事がある”事もあるようだ。

瑠璃華「レミィ、どうどう、だぞ」

 マリアの手を振り払って怒り出したレミィを、瑠璃華が呆れ半分と言った風に宥める。

レミィ「人を暴れ馬か暴れ牛みたいに扱うな!
    私はキツネだ、キツネ!」

風華「ほ、ほらほら、みんな喧嘩は駄目よ、駄目なんだから~」

 さらにいきり立つレミィの様子に、
 風華は目を回しているのでないかと言うほどオロオロと狼狽えながら、仲間達を諫め始めた。

 最早、空の感じたショックなど何処へやら、だ。

空(ああ……そっか、気にするような事じゃないんだよね……みんなにとっては……)

 八日前にマリアから聞かされた“いつものノリ”で騒ぐ仲間達を見渡しながら、
 空はどこか“そう言うものなんだな”と納得していた。

 昨日、自分がレミィの耳と尻尾を受け入れる事が出来たように、
 仲間達もフェイがヒューマノイドウィザードギアである事を受け入れている。

 いや、受け入れている、と言うよりは、受け入れたからこその現在なのだろう。

 空がそんな結論に達しようとした瞬間、不意にレミィが立ち上がった。

レミィ「はぁぁ……空、気晴らしだ。
    シミュレーター訓練に付き合え」

 長い溜息を一つ吐いたレミィは、
 そう言って空を手招きしながら、正面出入り口へと向かう。

空「うん、私もこっちのシミュレーターは初めてだから、色々教えてね」

 空は即答して立ち上がり、レミィの元へと早足で駆け寄る。

レミィ「そうか?
    まあ、教えるほど大層な変化があるワケじゃないがな……。

    っと、ついでだ、フェイも来い。
    ぶっつけ本番の合体はもう御免だからな」

フェイ「了解しました、ヴォルピ隊員」

 少し気を取り直したレミィに呼ばれ、フェイも二人の後に続く。

 今日の出撃優先順はメインが風華と瑠璃華、第一サブにクァンとマリア、
 空達三人は第二サブのメンバーとなっていた。

 イマジンが出現すれば、再出現や敵との相性に合わせた増援要請に備え、
 サブメンバーも待機室で控える義務が存在する。

 だが、まあ、昨日の今日だ。

 ここ十数年の統計的に見ても、早々、新たなイマジンが出現するとは思えない。

 待機の必要はあるが、訓練をするなり身体を休めるなり、そこはドライバー達の裁量だ。

 ともあれ、空達三人はシミュレーターの置かれた部屋へと向かった。

 空達がシミュレータールームに足を踏み入れると、そこには既に先客達がいた。

 十台以上のシミュレーターが並ぶ部屋の片隅に設置されたコンソールに座り、
 何らかの作業をしているようだ。

 ちなみに、先客と言ってもドライバーではない。

 タクティカルオペレーターのサクラ・マクフィールドと、
 メカニックオペレーターのクララ・サイラスの二人だ。

空「サクラさん、それにクララさんも」

サクラ「あら? 三人共、今日は訓練?」

 少しだけ驚いたような空の声に、
 コンソールと向き合っていたサクラが顔を上げ、質問を投げかける。

レミィ「はい、戦闘中のモードD移行を想定した合体訓練を。お二人は?」

 レミィは質問に答えると、二人に問いかけた。

クララ「っと、これで設定終了っと」

 それと同時に、何らかの作業が終了したらしく、
 コンソールを覗き込んで何やら作業をしていたクララが大きく伸びをし、さらに続ける。

クララ「簡単なアップデートよ。
    昨日出現したイマジンのデータをちょいちょい、っとね」

フェイ「お疲れ様です、サイラスオペレーター、マクフィールドオペレーター」

 肩を解しながら言ったクララに、フェイが頭を下げながら二人を労う。

空「シミュレーターのアップデートも、オペレーターさん達の仕事なんですね」

サクラ「ええ。似たタイプのイマジンがいつ出て来ても良いように、
    ドライバーが対処訓練が出来るようにするのも私達の仕事よ」

クララ「ま、オペレーターと言うか、サクラ達の戦術解析部と私達の技術開発部の仕事ね」

 尋ねるような空の言葉に応えたサクラに続き、クララが付け加えるように言った。

 ギガンティック機関には幾つかの部署が存在する。

 先ず、空も所属している前線部隊。
 コレはオリジナルギガンティックを駆って、イマジンと戦闘を行う主力部隊だ。

 そして、オペレーター達の所属する戦術解析部、技術開発部、医療部、情報解析部の四部署。

 他にも寮を取り仕切る生活課、整備全般とリニアキャリアを任せられている整備課、
 受け付けなども兼任している庶務課、隊舎や寮を警備する警備課等、
 他にも多数の部署が存在している。

 空達前線部隊の隊員達は、そう言った多くの部署によって支えられているのだ。

 閑話休題。

空「じゃあ、昨日のカメレオン型イマジンのデータが入っているんですね?」

クララ「ええ、舌の動きの再現に手間取ったけれど、
    最大五本の舌がちゃんと出せるようになっているわ」

 空の質問に、クララは胸を張って応えた。

 確かにあの舌は厄介な攻撃だ。

 昨日の戦闘ではエールSの機動性と瞬発力の高さで、敵の弱点である旋回能力の低さを突けたが、
 合体できなければ、文字通り手も足も出なかっただろう。

クララ「ご要望とあらば、ちょっと旋回性能も高めに設定できるわよ?」

サクラ「クララ先輩、楽しそうですね……」

 そう言って悪戯っ子のような笑みを浮かべたクララの様子に、サクラは小さな溜息を漏らす。

空「是非、お願いします!」

 だが、対する空は至って真面目に……と言うか、むしろかなり乗り気な様子で応えた。

 前述の通り、昨日の戦闘はエールSの性能に助けられた形だ。

 これからもドライバーとして戦って行く上で、
 機体の性能に助けられるような勝ち方だけではいけない。

 むしろ、機体の性能を引き出してこそ、本当の勝利である。

 そんな空の意気込みは、周囲にも伝わったのだろう。

レミィ「難易度を上げた敵に挑むのもいいが、
    今日の所は先ずモードDのテストと習熟訓練からだ」

 レミィは呆れたような、それでいて微笑ましいような声音で言って、
 サクラ達に向き直り、さらに続ける。

レミィ「お手数ですが、難易度を上げたバージョンはレベルAA辺りに設定しておいて下さい。
    モードDでの訓練が終わったら、私と空で挑戦してみます」

 レミィはそう言って頭を垂れた。

クララ「はい、りょーかいっ。
    じゃあパラメーターを弄くるとしますか~」

サクラ「無茶な数値は設定しないで下さいね。
    後で新堂チーフに怒られるのは私なんですから」

 嬉々としてコンソールの操作を始めたクララを、サクラがジト目で窘める。

クララ「分かってるって~。
    サクラったら心配性なんだから」

 だが、クララは然して気にした様子もなく、あっけらかんと応えて作業を続けた。

 そんな二人を後目に、空達は本来の目的である訓練を始める。

レミィ「さてと、それじゃあ私達は訓練の再開だな。
    空、適当なヤツを使うといい」

空「うん。……じゃあ、これにしようかな」

 レミィに促され、空は手近なシミュレーターに座る。

 最新型らしいシミュレーターは、やはり歯医者の診察台のようだった。

 防護用のカバーが閉じられ、空は目を瞑る。

 型式が新しくなろうとも、訓練時代に慣れ親しんだシミュレーターそのものだ。

 意識はすぐに仮想空間へと導かれて行く。

 目を開くと、そこは既にエールのコントロールスフィアの中だ。

 空は周囲を見渡し状況を確認する。

 どうやら、どこかのフロートの市民街区層の外縁……外郭自然エリアのようだ。

 空――エールは拓けた平原に佇んでおり、傍らにはフェイのアルバトロスが滞空している。

レミィ『問題は無いみたいだな?』

空「うん。
  ……でも、何だか訓練所で使ってたシミュレーターよりも重い感じ……」

 通信機を通して確認するレミィに、空は腕を動かしながら応えた。

サクラ『ああ、それは仕方ないわね』

 空の声を聞きつけたサクラが、通信回線に割り込んで来る。

サクラ『サンダース統括官の所で使ってる旧型シミュレーターは、
    入力されたデータだけで動かしているんだけど、
    本部のシミュレーターはギガンティックのAIと繋いでいるから』

クララ『そそ、向こうじゃ設定を変えない限りはフルスペックだけど、
    こっちだと機体のコンディションそのままって感じかな?』

 サクラの説明に、クララが付け加えた。

空「機体のコンディションそのまま、ですか……」

 空はその言葉を反芻しながら、成る程と内心で呟く。

 確かに、この身体の重さは、昨日の戦闘の際に感じた挙動の重さそのままだ。

クララ『エールって無口なのよねぇ。
    他の子達と違って一言も喋らないし……。

    まあ、最低限の仕事はしてくれているんだけど』

 クララは愚痴っぽく言うと、肩を竦めて見せた。

クララ『話をしてくれないから、空ちゃんとエールの間に別のギアを通訳として仲介させてるの。
    挙動が重く感じるのもそのせいね。

    もっと詳しい事が知りたかったら、瑠璃華ちゃん主任に聞いてみて』

 クララはそう付け加え、サクラと共に通信を切る。

空「る、瑠璃華ちゃん主任?」

 真面目な……それも比較的“重い”部類の話題だったハズの中、
 不意に面白い呼び名を聞かされ、空は思わず噴き出してしまいそうになった。

 だが――

レミィ『ほらほら、その話は後だ。モードDの合体テストを始めるぞ』

空「……うん、お願い」

フェイ「了解です、ヴォルピ隊員」

 レミィに促され、空は気持ちを切り替え、フェイもまた準備に入る。

空(やっぱり、音声入力で“モードD、セットアップ”だよね)

 空はそんな事を考えながら、コンディションの最終確認を行う。

 オールグリーンだ。

レミィ『空、私が合体のタイミングを主導できたモードSと違って、
    モードDはフェイ側からだと合体の主導が難しい。

    だから、合体のタイミングはお前が取るんだ』

空「う、うん、了解だよ」

 レミィのアドバイスに、空は緊張気味に応える。

 確かに、昨日の戦闘でエールSに合体した時は、
 レミィのヴィクセンがこちらに追い付く形で合体していた。 

 合体を補助するためのガイドビーコンや対物操作魔法のガイドレールなど、
 機体側の支援も有ったが、合体成功の一番の理由は、ベテランのレミィが全体のタイミングを取れた事だろう。

レミィ『音声入力でモードDを起動したら、
    コンディション画面の近くにカウンタを配置する。

    そのカウンタのタイミングを見ながら背面のブースターを使ってジャンプだ』

 レミィの説明に合わせ、機体コンディションを表示している画面の下に、
 ゲージ式のカウンタが現れた。

 おそらく、このゲージが空になるタイミングで飛び上がればいいのだろう。

空「了解……じゃあ、始めるね」

 空は返答を終えると、短く深呼吸をした。

空「よし………モードD! セットアップ!」

 空がモードチェンジの指示を入力すると、
 腰の両サイドと肩の天板装甲の一部が弾け飛ぶ。

 弾け飛んだ装甲は、
 通常時はオプション接続用のジョイントを目隠ししている蓋に過ぎないと聞かされていた。

 昨日はさすがに驚いたが、事情を知る今回は驚かない。

 フェイが駆るアルバトロスも、
 ドッキング予定位置であるエールの頭上に向けて飛び込んで来る。

空(機体の挙動が重いから、気持ち早く飛び上がらないと)

 空はゲージが空になる寸前を狙い、ブースターを噴かす。

 そして、ゲージが空になった瞬間、空はエールをジャンプさせた。

 だが――

ギア『Error!』

 AIに接続されている簡易ギアが、エラーを告げる。

空「え!?」

 驚いた空が背後を確認すると、タイミングがズレていたのか、
 背中に激突寸前のアルバトロスの姿が見えた。

アルバトロス『タイミングエラーです!
       ドッキングシークエンスを緊急終了します!』

 通常ならば合体をモニタリングするハズのアルバトロスが、
 どこか悲鳴じみたようにも聞こえる声音で叫び、
 機体を急旋回させて上昇し、エールとの激突を回避する。

空「失敗……!?」

 空は愕然としつつ、地面に降り立つ。

レミィ『空のジャンプが少しばかり早かったみたいだな』

 状況の一部始終を観察していたレミィが、思案気味に漏らす。

 確かに、そう通りだろう。

 機体の挙動の重さを考慮して、ブースターを早く噴かせ過ぎたようだ。

空「レミィちゃん、フェイさん、もう一回、お願い!」

 空はすぐに気を取り直し、再び、合体の態勢に入る。

フェイ『了解です、朝霧隊員』

 フェイも問題無いようで、再びアプローチの態勢に入っていた。

空「モードD、セットアップ!」

 再度の音声入力で、エールのモードが切り替わり、カウンタ代わりのゲージが減って行く。

空(今度はゼロになったと同時にブースターを点火してジャンプだ!)

 空は失敗の原因を鑑みて、そのタイミングに向けて身構える。

 そして、ゲージが空になった瞬間、背面のブースターを点火して跳び上がった。

 だが――

ギア『Error!』

 再び、簡易ギアがエラーを告げて来る。

空「また!?」

 愕然とする空――エールの頭上を、アルバトロスが通り過ぎて行く。

 今度は遅かったようだ。

 飛び去って行くアルバトロスの後ろ姿を見ながら、空は再び着地する。

空「もう一回、お願いします!」

 だが、すぐに気を取り直して構え直した。

レミィ『よし……今度はさっきよりも少しだけ早く飛ぶんだ!』

 レミィも空の意気込みを受け、アドバイスをしてくれる。

空「うん! ………モードD、セットアップ!」

 空は抑揚に頷き、三度、エールのモードを切り替えた。


 しかし、そのチャレンジも僅かなタイミングのズレから失敗してしまい、
 その次も、そのまた次も失敗に終わってしまう。

 結局、十回に及ぶチャレンジは全て失敗に終わり、
 その日の訓練は早々に対カメレオン型イマジンとの模擬戦へと切り替わる事となった。

―2―

 その日の夜。
 ギガンティック機関隊員寮、女子棟――

空「ふぅ……」

 シャワーを済ませ、パジャマに着替えた空は、
 溜息を漏らしながらベッドの上に仰向けに寝ころんだ。

空(何が悪かったんだろう……?)

 そして、訓練の事を思い出して目を伏せる。

 失敗も十回を数えたとなると、さすがに何らかの問題があるとしか思えない。

 今回は訓練……それもシミュレーターだったから良いような物の、
 もしも実戦や実機を使っての訓練だったら、
 貴重なオリジナルギガンティックを破損させていた可能性もあった。

空(まだ慣れてない……って事は無いだろうし……)

 空はあの後の訓練で、レミィと行ったエールSへの合体は難なくこなせた事や、
 合体のタイミングに慣れてからは、レミィからだけでなく、
 自分からタイミングを合わせる形での合体も成功させた事を思い出しながら、怪訝そうな溜息を漏らす。

 シミュレーターとは言っても、
 身体に感じる――と錯覚している――感覚は実機そのものだ。

 実際、まだまだ完璧とは言い難いが、訓練時代のシミュレーターと実機の癖――
 機体の挙動の軽重――の差を見抜き、それに対応して見せた。

 自惚れではなく、機体の特性は掴めているハズなのだ。

 にも拘わらず、十回にも及ぶ失敗である。

 レミィやオペレーター達は此方を気遣ってか、
 “モードSのタイミングは完璧だし、すぐにモードDも使いこなせるようになる”と言ってくれたが、
 やはり気は重い。

空(お姉ちゃんは……やっぱりモードSだけじゃなくて、
  モードDも完璧に使いこなせていたんだよね……)

 空はベッドサイドのタンスの上に置かれた、
 姉のフォトデータを表示した小型ディスプレイを見遣りながら、そんな事を思う。

 風華の前に隊長を務めていた姉、海晴。

 半年前に訓練所のシミュレーターで見た姉の操縦技術に、まだ自分は追い付けていない。

 ドライバーとしてのキャリア六年目時点でのデータなのだから、
 訓練期間を含めてもまだ半年の自分では追い付けなくても、
 当然と言えば当然なのだろうが、それでも歯痒さは有る。

 昨日のカメレオン型イマジンとの戦いもそうだ。

 きっと姉なら、あんなに苦戦しなかっただろう。

 レミィと力を合わせて……いや、レミィの力も機体の力も最大限に引き出し、
 最小限の被害でイマジンを倒して見せたハズだ。

空「はぁ……」

 視線を天井に向け、空は深いため息を漏らした。

空(私は、まだまだなんだろうな……)

 レミィとの呼吸の合わせ方は初陣の経験もあって掴めたが、フェイとの呼吸が合わせられない。

 エールと合体が出来る都合上、今後もレミィやフェイと組む事は多くなるだろう。

 そう、レミィと、フェイと、だ。

 レミィとはしばらく気まずい関係だったが、今はそんな事は無いと思えるし、そう言えもする。

 だが、問題なのはフェイとの事だ。

空(フェイさんには他意は無いだろうし……。
  多分、私自身の問題だよね……)

 空はそんな事を思いながら、罪悪感で目を伏せる。

 ヒューマノイドウィザードギア。

 人で無いと聞かされた瞬間、確かに自分は驚きと共に、どこか彼女を拒んでしまった。

 拒む、と言うのも些か語弊はあるだろう。

 誤解を恐れずに、その時の感覚を言葉にすれば、
 “ああ、この人は人間じゃないんだ”と、そう感じてしまったのだ。

空(最低だ………本当に……)

 空は目を伏せたまま、自責の念で奥歯を噛み締める。

 空は自分の考えの矛盾に激しい怒りを覚えていた。

 見た目からして人間とは違うレミィの事は簡単に受け入れる事が出来たのに、
 フェイの事はヒューマノイドウィザードギアである聞かされただけで拒絶したのだ。

 それまでは大切な仲間の一人として思っていたのにも拘わらず、である。

 端的に言えば、手の平を返して拒んでしまったのだ。

 それは、空が今まで生きてきた十四年の間で、最も嫌悪する……こうはしたくないと思う行動の一つだった。

 当然だろう。

 かつて……小学三年生の頃、空はそうやってクラスメート達から疎まれたのだから。

 自分がフェイに対して感じた思いは、
 かつて、自分の事を仲間はずれにしたクラスメート達の行動と同じではないのか?

 そう思うと、空は胸を掻きむしりたくなる程の自責と後悔に苛まれる。

 そして、縋るような視線を、姉のフォトデータに向けた。

空(お姉ちゃんは……どうしたの?
  フェイさんの事、どう思っていたの……?)

 そんな質問を、無言のまま投げかける。

 無論、答が返って来るハズもない。

空「どうすれば……いいんだろう………?」

 空は天井を見上げ、消えそうな声で漏らす。

 一度抱いてしまった良くない感情は、キッカケでも無ければ忘れ難い物だ。

 ご多分に漏れず、空の自責の念も、
 フェイに抱いてしまった拒絶の感覚も、早々に消せはしない。

 空はどこか鬱屈した気持ちを抱えたまま、目を閉じる。

 訓練の疲れもあってか、眠りに落ちるのは早かった。

―3―

 二日後、十一月十一日、日曜日。
 ドライバー待機室――

 一回の非番を挟み、今日の待機メンバーは空、レミィ、フェイの三人。

 そして、三人以外のメンバーは待機室にはいない。

 今は寮の食堂から出前をしてもらった昼食を終え、
 空とレミィはソファで一息、フェイはいつも通り食後のコーヒーの準備中と言った所だ。

空「やっぱり、人数少ないと広いね……この部屋」

レミィ「まぁ、基本的に出撃最優先のメンバーだけが詰めていれば良い話とは言え、
    全員が寛げる広さがあるに越した事は無いらな……」

 待機室を見渡しながら呟いた空に、
 レミィは端末にダウンロードしたばかりの書籍を見ながら返す。

 待機室内には空達三人しかいないが、風華はトレーニングルームで格闘戦技の訓練中、
 瑠璃華は技術開発部の研究室に籠もっており、クァンとマリアはシミュレータールームと、
 隊舎内には一応、ドライバー全員が揃っている。

フェイ「どうぞ、朝霧隊員」

空「あ……どうも、ありがとうございます」

 フェイから差し出されたコーヒーのマグカップを戸惑い気味に受け取ると、
 空はそのまま自己嫌悪で顔を俯けてしまう。

レミィ<何かあったか……?>

 空の雰囲気を察してか、レミィが思念通話で声を掛けて来た。

 空は暫く躊躇ったものの、意を決して口を開く。

空<フェイさんの事で、ちょっと……>

レミィ<ああ……>

 空の戸惑い気味の返答に、レミィはすぐに納得したように返して、頷いて見せた。

レミィ<いきなり聞かされたら、そりゃ誰だって戸惑うさ……。
    私も一週間は余所余所しくしてたせいで、隊長から……海晴さんから叱られたからな>

 レミィは遠い目をして懐かしむように呟くと、口元に苦笑いを浮かべる。

 思念通話である事を考えなければ、本の内容に対するリアクションと見て取れない事もない。

 だが、レミィはすぐに気を取り直すと、空へと向き直った。

レミィ<付き合いが短いと分かり難いが、案外、人間臭い部分もあるぞ?>

空<人間臭い部分……?>

 レミィに言われて、空は怪訝そうに返す。

 そうは言うものの、フェイのこれまでの行動を思い返してみても、
 人間臭いと言う単語からは著しくかけ離れているように感じる。

 背筋を伸ばし、無表情で黙々と作業をこなす姿は、
 人間でないと聞かされれば、殊更に機械的に見えてしまう。

 言葉使いも妙に丁寧で、特に数値などを話題に出す際は、
 常に精確さを第一にしているように思えた。

 言い方は悪いが、正に機械その物と言って良い。

レミィ<まぁ、すぐは分からないと思うが……、分かるようになると楽しいぞ>

 レミィはそう言うと、悪戯っ子が浮かべるような笑みをフェイに向けた。

 空もつられるようにフェイを見遣ったが、やはり彼女は黙々と淡々と後片付けをしている。

空(………あ、そう言えば、フェイさんが御飯食べてる所って見た事無かったんだ……)

 その様子を見ながら、空はまた自己嫌悪で沈んでしまう。

 レミィとの事があったとは言え、
 十日以上もその事に気付か無かった事は、いくら何でも酷い。

空(………駄目!
  コレじゃあ、さっきから自分とフェイさんの粗探ししかしてないじゃない!)

 気落ちしかけた空は、大慌ててで軌道修正を図る。

 心の中で自らを怒鳴りつけ、頬を強く叩いて気持ちを強制的に切り替えた。

 対面に座っていたレミィは、面食らったような表情を浮かべていたが、
 空の気持ちを察してか、すぐに噴き出しそうな笑みを浮かべる。

 笑み……と言うより、笑っていると言った方が正しい。

 笑われている事に気付いた空は、少し怒ったような表情を浮かべる。

レミィ<少しは元気になったみたいじゃないか。その調子だ>

空<……もう……レミィちゃんの意地悪……>

 今にも噴き出しそうな声音で思念通話を送って来たレミィに、空は溜息混じりに返した。

 だが、お陰で自分で気持ちを切り替えた以上に勢いを取り戻せたのも事実だ。

 空は内心でレミィに感謝しつつ、再びフェイに視線を向ける。

 レミィはフェイの事を人間臭いと評していた。

 それはおそらく、他の仲間達も相違ない評価を下していると考えて良い。

 ならば――

空(フェイさんの人間臭い所を見付けてみよう……!)

 ――空は意を決して拳を握り締めると、フェイの観察に集中する事にした。

 それから瞬く間に二時間が経過する。

 空によるフェイの観察の結果は――

空(ど、どうしよう………何処が人間臭いのか、全然分からない……!)

 ――惨憺たる物だった。

 正直に言えば、人間臭い面など欠片も見付からなかったのだ。

 たったの二時間。
 されど二時間。

 一人の人間の人格を見るには短いが、
 一人の人間の立ち居振る舞いを見るには長すぎる時間である。

 その二時間をかけても、
 空には張・飛麗と言う人物が如何に機械的に振る舞っているかが見えただけであった。

レミィ<……スキが無いだろう?>

 先ほどから端末の電子書籍を見ているばかりだったレミィが、
 不意に顔を上げて、そんな思念通話を送って来る。

 その声音はどこか楽しそうに聞こえもしたが、
 不思議と自分の事を試しているようにも聞こえた。

空<隙が無さ過ぎだよ……>

 空はそう応えて、肩を竦める。

 事実、フェイの立ち居振る舞いには隙が無かった。

 女性の容姿や立ち居振る舞いを賞賛する故事成語に
 “立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花”とあるが、
 フェイの場合はソレを当て嵌めた上で、
 “立てば直立、座れば不動、歩く姿は歩行見本”とも言える有様だ。

 その立ち居振る舞いには、人間臭さの欠片も見付からない。

空(……本当に、何処に人間臭さがあるんだろう……?)

 空は、ソファに座って不動の姿勢を貫くフェイを見ながら、気付かれないように溜息を漏らす。

レミィ<さすが、軍用ヒューマノイドウィザードギア、だろ?>

 そんな空に、レミィは敢えて“軍用”の部分をより強調するように言う。

 普段の空ならば、そんな態度のレミィに苦言の一つも呈したのだろうが、
 そのレミィ自身が知るフェイの人間臭い面を見付けられない自分には、
 その言葉を真っ向から否定できるだけの権利は無いように思えた。

フェイ「………」

 二人のそんなやり取りを知ってか知らずか、
 フェイは相変わらず無言と言うか、ソファの上で不動の牡丹を貫いている。

 不動の牡丹はいつまでも不動の牡丹のままで、全く動こうとしない。

空(………あれ?)

 そこで、空はある事に気付いた。

 そう、まるで動いていないのだ。

 この二時間におけるフェイの行動は、食後のコーヒーの準備を終えたら、
 食器を洗って返却用のキャリーケースに積み、待機室内の掃除をルーチンワーク的にこなし、
 端末で現在のイマジン注意報のグレードを確認して以後は、ソファに座ったまま微動だにしていないのだ。

 ソファに座ってから三十分。

 空もずっとフェイばかりを注視して来たワケではない。

 実際の所は、端末にダウンロードした参考書を読みながら隙を窺いつつ、と言った風に観察していた。

 だが、フェイが動いた気配は微塵も無い。

 ヒューマノイドウィザードギアは機械だ

 だが、同時に“人間の生活に融け込んでも違和感が無い”ように、
 人間をベースとして総合的にデザインされた機械でもある。

 つまり、人間と同じように過ごす事が出来るハズ。

 にも拘わらず、フェイは実に機械的に動いているのだ。

 そこに、空は酷い違和感を覚えた。

 合っているようで、合っていない。

 そんな感覚だ。

 理由は、何となく理解できている。

 フェイは機械のように振る舞う必要が無いのに、実に機械然と動いていた。

 だが、人間らしく振る舞う必要が無いからこそ、
 機械として動いているとも考えられる。

 卵が先か、鶏が先かではないが、必要があって機械然として動いているのか、
 必要が無いから機械然として動いているのか。

 そこが分からない。

フェイ「長時間に及ぶ注視状態を観測しました。
    どうされました、朝霧隊員?」

 だが、そんな空の思考を遮るかのように、フェイが目を開き、顔を向けて来た。

 そう、考える事に集中していた結果、空は視線を外す事を忘れていたのだ。

空(あ……しまった……!?)

 心中で、コレはしたりと思うも、もう遅い。

 誤魔化すべきか、正直に言うべきか。

 誤魔化そうにも、取り繕う言葉は――

空「え、えっと……その……ふぇ、フェイさん!
  そ、その、ずっと動かずに座ってて、退屈じゃないですか?」

 ――思いつくハズもなく、また、正直な疑問を述べられる程の情報も無く、
 空は本来の疑問から僅かにズレた疑問を口にしていた。

 結果的に誤魔化すような聞き方になってしまったが、
 言ってみればこの疑問も正直な疑問の一部である。

 過程はともあれ、結果オーライだ。

フェイ「現在は待機任務中につき、省魔力状態にて活動しています。
    一部のセンサーを除き、機能を制限している状態です」

空「そ、そう、ですか……」

 フェイに淡々と説明されてしまい、
 空はどう返して良いか分からずに、すごすごと引き下がってしまう。

 だが――

空(………あれ……?)

 不意に違和感を感じ、空は首を傾げた。

 状況の説明はされたが、疑問に対する返事では無かったように思う。

 省魔力――旧世界の電化製品で言う所の省電力――状態ならば、
 確かに過度にエネルギーを消耗しないようにする事は出来る。

 だが、それは方法論の回答であって、
 “動かないと退屈ではないか?”と言う空の疑問からは遠い。

空「あ、あの……フェイさん……退屈じゃないですか?」

フェイ「待機任務中における省魔力状態につき、過度な活動は必要とされません」

 繰り言のような空の質問に、フェイも同じような回答を出す。

空「………えっと……?」

 空は苦笑いを貼り付けたような表情で、レミィに向き直る。

レミィ<やっと気付いたか………。
    まぁ、私も人の事を言えた義理じゃないが、コイツの頑固さはとにかく筋金入りだ>

 レミィは笑いを押し殺しつつ、思念通話でそう言った。

 筋金入りの頑固者。

 言われて見れば、先ほどから感じていた違和感の正体は、そこに根差す物に違いない。

空<えっと……それじゃあ、もしかして……>

レミィ<軍用ヒューマノイドウィザードギア、だからなぁ……。

    一応、訓練や戦闘なんかの実動任務以外だと、
    私達の身の回りの世話は率先してくれるが、それ以上の事はしないな。

    いや、するべきじゃない、って考えている、が正しいんだろうな。

    何せ“待機”任務だからな>

 空の言いたい事を察してか、レミィは呆れ半分と言った風に、溜息混じりで応えた。

空<あ……それは……確かに、人間臭い……かも>

 空は唖然呆然としながら頷く。

レミィ「日常動作は、普段の余剰分を貯蓄している予備バッテリーで賄っているんだろう?
    別に省魔力状態でいる必要は無いんじゃないか?」

フェイ「現在は待機任務中です。
    過度な活動は必要とされないため、省魔力状態を維持します」

 レミィは困っている空に助け船を出すように言ったが、
 フェイは語気を荒げる事なく、淡々と簡潔に応えた。

レミィ<な?>

空<あ……うん、凄い頑固……>

 同意を求めるようなレミィの思念通話に、空も驚き半分と言った風に返す。

 成る程、確かに彼女は軍用ヒューマノイドウィザードギアだ。

 いや、それたらんとする筋金入りの頑固者だった。

 先ほども言ったが、実に人間臭い。

 確かに、彼女の立ち居振る舞いは機械そのもので一分の隙もない。

 だが、それも前述の通り、軍用ヒューマノイドウィザードギアたらんとする結果だと思うと、
 また張・飛麗と言う女性が違って見える物だ。

 そこまで考えが纏まった所で、空はある事に気付く。

 そう、自分はいつの間にか、フェイを一人の人間……一つの人格として見ていた。

 現金な事だ、手の平返しだと言われるかもしれないが、
 空はフェイが頑固者なのかもしれないと言う違和感を抱き始める以前……
 それこそ彼女の行動を観察する内に、確かに彼女を一人の人間として認識し始めていたのである。

 それは恐らく、頭で考えるよりもずっと直感的な部分で、だ。

 去年、雅美から貸して貰った小説の一節に
 “人を人たらしめているのは、人らしくあろうとする意志そのもの”
 とあった事を、空は不意に思い出す。

 そう言う意味では、フェイの行動は機械であろうとする意志の表れではあったが、
 その考えは人間そのものとも言えた。

 それも、どちらかと言えば思春期にありがちな、ごっこ遊び的な思い込みだ。

 初起動が六十七年の二月ならば、今は七歳九ヶ月ほどと言う事になる。

 人間的な尺度を当て嵌めて考えて良いのかは分からないが、
 こうも人間臭いと逆に当て嵌めたくなってしまう。

 ともあれ、そう当て嵌めて見れば、“ごっこ遊び”と言う言葉が不思議と腑に落ちた。

空<……もしかして、フェイさんって意外と子供っぽいのかなぁ……?>

レミィ<た、確かに、そうとも言えるな……>

 空がその結論に至り、そう呟くと、レミィは噴き出しそうになりながら思念通話を返す。

 レミィにとってもその発見は新鮮だったのか、
 笑いを堪えるため、剥き出しの膝をつねり上げている。

フェイ「……ヴォルピ隊員。
    行動の自由は保証されるべきですが、
    自傷行動は看過できない行為であると判断します」

レミィ「ブッ……!?」

 そこに止めを刺すかのようなフェイの言葉に、
 レミィはついに堪えきれずに盛大に吹き出してしまった。

 どうやら、こちらの様子がおかしい事に気付き、
 省魔力状態を一時的に解除しているようだ。

 空もつられたように噴き出しかけたが、
 痙攣したかのように身体を震わせながらも発作をやり過ごす。

空(だ、駄目……ぜ、絶対に、わ、笑っちゃ駄目……。
  つ、ついさっきまでフェイさんを色眼鏡で見てた私が笑ったら、いくら何でも最低すぎる……っ!)

 とにかく、必死で、その発作をやり過ごすしか無かった。

 そう“人を人たらしめているのは、人らしくあろうとする意志そのもの”だ。

 人らしくあるとするなら、自分で最低だと思っている類の人間にだけはなってはいけない。

 そう思うと同時に、頭から冷水を被ったかのように笑いの発作は消え失せ、
 代わりにこみ上げて来たのは、ふとした疑問と酷い罪悪感だった。

空「あ、あの……フェイさんは、それでいいんですか……?」

 疑問と罪悪感に押し出されるように、空の口からそんな質問が飛び出した。

フェイ「質問の意図を理解しかねます、朝霧隊員。
    それ、とは何を示しての言葉でしょうか?」

空「その……」

 質問を質問で返され、空は一瞬、言葉に詰まってしまう。

 だが、不意に口をついた言葉とは言え、
 フェイの質問に答えられるだけの考えは出そろっていた。

空「フェイさんは……人間として振る舞う事も出来るんですよね?
  それだけの能力も権利もあるのに、どうして機械のように振る舞っているんですか?」

 空は一瞬の躊躇いの後、それを振り払うように本音を漏らす。

 そう、フェイは人間とそう変わらない容姿を持ち、
 立ち居振る舞いも機械然としていながら、それでいて不自然さを感じさせない。

 あくまで機械として振る舞っているだけであって、外見上は人間と変わらないのだ。

 そして、頑固に機械然として振る舞っている以上、思考も人間のそれに近い物だろう。

 空自身、二日前に教えられなければ、今も彼女の事を普通の人間と思い込んでいたハズだ。

レミィ「空……それは、さすがに……」

 今まで思念通話で通して来たレミィも、踏み込んだ空の疑問に苦言を呈そうと口を開いた。

 だが――

フェイ「ヴォルピ隊員、失礼します」

 丁寧にレミィの言葉を遮ったフェイは、
 会釈程度に軽く頭を下げて非礼を詫びると、空へと向き直る。

フェイ「朝霧隊員。
    私はヒューマノイドウィザードギアであり、人間ではありません。
    同じ作られた命であっても、ヴォルピ隊員達とは決定的な差があります」

空「………」

 淡々とした様子で答えてくれるフェイの言葉を、空は少し哀しげな表情を浮かべて聞く。

 確かに、彼女の言葉も分からないでもない。

 レミィもフェイも、有り体に言えば大きな括りでは人造人間だが、
 生物が基本のレミィと、機械と魔力の塊であるフェイには大きな隔たりがある。

 率直に言えば、“産み出された命”と“作り出された命”の差だ。

フェイ「量産評価試験のために作られた私は、
    本来の任務は量産型開発のためのデータ収集であり、
    それが終われば処分される事が決定されていました」

空「処分……」

 淡々としたまま語るフェイの言葉を、空は大きなショックを受けながらも反芻する。

 処分……つまりは、不要品として廃棄されると言う意味で間違いないだろう。

フェイ「同時期に製造された01、02、04の三機は既に処分されており、
    現在は最終試験型の四機がロールアウトしています。

    そして、YH03-Bとしての私の役目も、既に終わっています」

空「………フェイさん……」

 相も変わらず淡々と語るフェイの言葉は、どれも事実だけを並べ立てた物だ。

 だが、それだけに空が受ける衝撃も大きかった。

 役目が終われば処分されるだけの存在。

 それが、量産評価試験と言う役目を課せられたヒューマノイドウィザードギアの最期。

 しかし、フェイはその最期を免れた。

フェイ「人間には個々人が果たすべき多岐に渡る役割……本分が存在します。
    そして、ヒューマノイドウィザードギアである私の本分は、人間に奉仕する事。
    本来の役目を終えても、その事に変わりはありません」

 やはり変わらずに淡々と語るフェイだったが、
 その声音がどこか柔らかな物になったように、空は感じる。

 感覚的な誤差のような物なので明確に言い表す事は出来ないが、
 淡々とした語り口調に感じた柔らかさは、どこか彼女自身の意志を感じさせる物だった。

フェイ「私が朝霧隊員やヴォルピ隊員を含めた全ての隊員に奉仕するのは、
    私が私自身に科した新たな任務です。

    私の行動は、私を私自身と定義するための手段……そうお考え下さい」

空「……フェイさん」

 フェイの言葉を受け止めながら、空はその名をどこか哀しげに呟く。

フェイ「こんな私でも……」

 それを受けてなのか、フェイは再び口を開いた。

フェイ「……当時は悩みもしました。
    与えられた新しい任務以外にも、本来の製造目的とは違う目的に従事する事に」

レミィ「初耳、だな」

 静かに語るフェイに、レミィは驚いたように漏らす。

フェイ「ヴォルピ隊員が訓練所からこちらに移る前の話です」

レミィ「ああ……それでか」

 フェイの解答に、レミィは納得したように頷く。

 レミィとフェイは同期ではあるが、入隊日が同じと言うワケではない。

 機関の管轄に移ったのはレミィの方が圧倒的に早いが、
 フェイはそれから半年ほど遅れて機関へと管轄が移ったのだ。

 レミィが普通の生活に慣れて体力を取り戻すまでの間、二ヶ月間を機関に関係した施設で過ごし、
 その後、アルフの下で半年の訓練期間を経て入隊するまでに合計で八ヶ月間。

 差し引きで二ヶ月ほど、フェイはレミィよりも早く入隊しているのだ。

フェイ「当時の私に道を示して下さったのは、
    当時はまだ一隊員だった朝霧前隊長でした」

空「お、お姉ちゃんが!?」

 フェイの言葉に、今度は空が驚きの声を上げる。

 レミィもやはり初耳だったのか、驚いたように目を丸く見開いている。

フェイ「本来の任務から外れ、どう行動して良いか分からなかった当時の私に、
    朝霧前隊長はこう仰って下さいました。

   “どう動いて良いか分からないなら、自分で自分に任務を与えてみたらどうかしら?”と……」

空「お姉ちゃんが……そんな事を……」

 フェイから聞かされた姉の言葉に、空は驚きの表情のまま漏らす。

 自分で自分に任務を与える。

 つまり、自分でやりたい事を自分で決めると言う事だ。

 しかし、“どう行動して良いか分からない”と言う人間に対して、
 “自分で決めたら良い”と言うのは、何とも酷な話に聞こえる。

 空が驚いていたのはその事もあってだ。

 だが――

空(フェイさん……全然そんな事は無い、って感じだ……)

 フェイの様子から、空は直感的にそう感じる。

フェイ「そうして考えた末が、先ほども述べた“本分”と言う事です。
    朝霧前隊長の助言で、私は私自身の在り方を見出す事が出来たのです」

 そして、フェイ自身の言葉もその推測を否定して来た。

 フェイはさらに続ける。

フェイ「確かに、朝霧隊員の仰る通り人間らしく振る舞う事は、
    現在までに蓄積したデータを応用すれば、決して不可能ではありません。

    ですが、それは単に“人間らしい何か”であって、
    朝霧前隊長の示して下さった“私らしさ”からは外れてしまうのです」

 淡々としながらも、どこか訴えかけるようなフェイの言葉に、
 空は何か気付き、ハッとしたように目を見開く。

 そう、姉はフェイへの最適な態度や距離感を最初から心得ていたのだ。

 その事に気付かされた事で、空は自身の浅はかさを思い知らされる。

空(やっぱり……お姉ちゃんは凄かったんだ……)

 空は姉の大きさを……仲間達の中での存在感の強さを再認識し、顔を俯けた。

 だが――

フェイ「朝霧隊員。
    先日から朝霧隊員は大きな悩みを抱えているように思います」

空「!?」

 そんな空を慮っての事なのか、フェイは一気に核心を突くような言葉を漏らし、
 空はビクリと肩を震わせる。

 出来る事ならば、フェイにだけは気取られたくは無かった。

 まるで悪戯を見付かった幼子のような心境に、空は陥る。

 しかし、フェイはそれすら見越していたかのように、また口を開く。

フェイ「朝霧隊員は、もう少し楽に構えても良いと判断します」

レミィ「そうだな……まあ、少し前の私が言えた義理じゃないが、
    お前はいくら何でも溜め込み過ぎだ」

 フェイに続けて、レミィが呆れ半分と言った風に呟き、さらに続ける。

レミィ「まあ、あまり気楽に構え過ぎるのは逆に問題だがな……。
    瑠璃華くらいにはお気楽でいてもいいぞ?」

空「……レミィちゃん」

 軽く笑い飛ばすレミィの様子につられて、空は苦笑い気味の笑みを浮かべた。

 確かに、瑠璃華は底抜けに明るい性格だが、さすがにお気楽は言い過ぎだ。

 しかし、レミィのお陰で気持ちが少しだけ楽になる。

フェイ「先ほども述べましたが、隊員のサポートを公私に渡って行うのが私の本分です。

    悩みがあるのでしたら、それがたとえ私に起因する事であっても、
    打ち明けていただけるならば、全力でサポート致します」

 そのお陰か、続くフェイの言葉はすんなりと受け入れる事が出来た。

空「フェイさん……」

 空は感極まったような声を漏らす。

空(ああ、そっか……私が思っていたのとは、まるで違うんだ……)

 フェイが人間でないと……機械であると知らされ冷たいと言う印象を持ってしまった。

 だが、違うのだ。

 人間でなくても暖かい心を持ち、仲間のためには全力を尽くす。

 それが張・飛麗と言う女性であり、また彼女自身が目指す自身の在り方なのだ、と。

 繰り言ではあるが、
 “人を人たらしめているのは、人らしくあろうとする意志そのもの”である。

 彼女は確かに人間ではないかもしれない。

 だが、間違いなく彼女は自分達の事を思いやってくれる“仲間”であり、
 誰よりも自分らしくあろうとする“人”そのものなのだ。

 その事に気づけたお陰で、空の中にあった鬱屈とした気持ちは、
 風で煙が吹き飛ばされるように消え去ろうとしていた。

 少し遅かったかもしれないが。

空「ごめんなさい、フェイさん……」

 遅れてしまった謝罪も含めて、空は頭を垂れ、さらに――

空「……でも、フェイさんのお陰で、もう大丈夫です」

 ――演技でも苦笑いでもない笑顔を浮かべて、本心からそう伝える。

フェイ「? ……些か状況が不明瞭ですが、お役に立てたようで何よりです」

 対するフェイは、一瞬だけ怪訝そうな表情を浮かべかけて、すぐに無表情に戻って頭を垂れた。

レミィ「これで一件落着だな」

 レミィは安堵混じりにそう言うと、携帯端末を仕舞い、ソファから立ち上がる。

レミィ「………そろそろ三時か。
    今日はイマジン注意報も出ていない事だし、
    今からトレーニングルームで軽く運動でもするか?」

空「ここにいなくて大丈夫かな?」

 壁掛け時計を見ながらのレミィの発案に、空はソファに腰掛けたまま不安げに返した。

 そんな空の不安を紛らわせようと、フェイが立ち上がって口を開く。

フェイ「記録上、イマジンのフロート内出現後、
    次のイマジンが出現するまでには最短で十日、最長で一〇七日。

    統計的にも十五日間程度は出撃になる事は……」

 フェイがそこまで言いかけた瞬間――

『PiPiPi――ッ!』

空「イマジン!?」

レミィ「なッ…!? ぜ、前回からまだ三日なのに!?」

フェイ「データを大幅に更新しなければならないようですね」

 けたたましい電子音が鳴り響き、緊張に身体を強張らせた空以上に、
 レミィとフェイが――それでもフェイは落ち着いたように振る舞っていたが――
 愕然とした様子を見せた。

ルーシィ『メイン・第三フロート連絡通路内にイマジン出現を確認!
     待機要員、整備班は出撃準備されたし!

     繰り返す、メイン・第三フロート連絡通路内にイマジン出現を確認!
     待機要員、整備班は出撃準備されたし!』

雪菜『01、11、12ハンガーのリニアキャリア一号への連結作業開始。
   二次出撃に備え、08、09ハンガーのリニアキャリア二号への連結作業開始』

 空達と同じく本日の当直だったコンタクトオペレーターのルシア・アレジャーノ――ルーシィと、
 メカニックオペレーターの柊雪菜【ひいらぎ ゆきな】の声が響き渡る。

レミィ「モタモタしていられないな……急ぐぞ!」

 レミィはいち早く立ち直ると、ハンガーに向かうドアへと駆け出す。

 空とフェイもその後へと続き、三人は一路ハンガーへと向かう。

 脱いだ制服をロッカーに放り込み、
 連結作業を終えたばかりのハンガーに固定されている愛機へと乗り込む。

ほのか『三人共、揃ってるわね?』

 コントロールスフィア内に入るとすぐに、通信機からほのかの声が聞こえた。

空「はい、準備できています」

レミィ『こちらも準備完了です』

フェイ『出撃準備、完了しました』

 空達の返答を聞き終えると、ほのかは説明を始める。

ほのか『聞いての通り、イマジンの出現ポイントはメインフロート第五層と
    第三フロート第五層を繋ぐ構内リニア用連絡通路。

    発見者は定期搬送便の運転士。

    詳細な状況は未だ不明だけど、運転士の証言によると、
    外壁を食い破って巨大爬虫類の頭が突っ込んでるらしいわ』

空「第五層……食料プラントじゃないですか!?」

 ほのかの説明に、空は愕然とした声を上げた。

タチアナ『ええ、その通りです』

 空の声に応えたのはタチアナだ。
 タチアナはさらに続ける。

タチアナ『現在、軍の外郭駐留部隊が左右から挟撃するカタチで牽制していますが、
     万が一にもプラント内……特にメインフロート側にでも侵入され被害が出れば、
     食料供給率は一気に悪化する事になります』

空「……」

 タチアナの解説に、空は息を飲む。

 メガフロート内にはメインと第一から第六までの七つのフロートで、
 第五層にそれぞれ食料生産プラントを抱えている。

 現在の総人口の倍近い二十億の人間を飢える事なく食べさせて行けるだけの生産力を持つが、
 その機能の六割以上は広大なメインフロートで賄っている。

 最大全幅で一三〇〇キロを超える広大な食料生産プラントだが、
 イマジンがもたらす汚染の内容によっては数年から十数年、
 下手をすればさらに長期間、その機能を喪失する事になり兼ねない。

タチアナ『装備は狭所近接戦を想定し、基本装備に加え、
     エーテルブラッド用プロペラントタンクを内臓した大型シールドです。
     連絡通路の被害も可能な限り最小限に抑えて下さい』

 タチアナからの指示は、おいそれと了解と言える物ではなかった。

 だが既にリニアキャリアは走り出し、現場へと向かっている。

 今はただ、最善を尽くす他ないだろう。

 数分とせずにメインフロート第五層へと至ったリニアキャリアは、
 そのまま第三フロートとの連絡通路へと突入した。

―4―

 フロート間連絡通路、メインフロートより三キロ地点――


 軍の後方支援部隊と思しきリニアキャリアの横に、
 空達の乗る機関のリニアキャリアが停車する。

軍人1「オリジナルギガンティックだ!」

軍人2「ギガンティック機関が来てくれたぞ!」

 ハンガーごと立ち上がるオリジナルギガンティック――エール達の姿に、
 軍のリニアキャリア付近を忙しく立ち回っていた軍人達の一部が歓声を上げた。

空「……何だか、意外と人気なんだね」

レミィ『ミーハーはどこにでもいるからな……。まあ、悪い気分じゃないが』

 驚いたように呟く空に、レミィは言葉通り満更でも無さそうに応える。

 ハンガーとの接続が解除され、空達は各々の乗機を発進させた。

ほのか『イマジンはそこから八キロ先の地点よ。
    空ちゃん、主幹連絡通路はギガンティックの移動にも耐えられる構造になっているわ。
    そこからは徒歩で接近して』

空「了解です、新堂チーフ」

 ほのかの指示に、空はキャリア側面に据え付けられた長杖と大型シールドを受け取りながら頷く。

 確かに、通路は三十三メートルに迫るほどの巨躯を誇るエールが立ち上がっても、
 まだまだ余裕がある構造だ。

 高さも幅も五十メートルを超えているが、
 さすがにアルバトロスが安定して飛んで移動できるだけの幅は無い。

レミィ『フェイ、アルバトロスを背中に乗せろ。向こうまで運んでやる』

フェイ『ヴォルピ隊員、失礼します』

 レミィの提案に従い、フェイは愛機をヴィクセンの背に乗せて翼を畳む。

 スピード重視のヴィクセンとは言え、
 イマジンと近接戦闘をこなせるだけの出力と頑丈さは併せ持っている。

 寮機を背中に乗せての搬送など、苦もないのだろう。

レミィ『空、先行してくれ』

空「了解だよ、レミィちゃん」

 レミィに促され、空はエールを走らせる。

 そのまま六キロほど前進すると、
 巨大で分厚いシールドを構えた軍用ギガンティックの部隊が見えた。

 数は三機。

 この通路の横幅を完全に覆えるだけの最低数だ。

空「遅れてすいません!
  ギガンティック機関所属、朝霧空です」

パイロット『おお、来てくれたか騎兵隊!』

 軍用回線で声をかけると、ギガンティックのパイロットから喜色混じりの声が返って来た。

レミィ『同、レミット・ヴォルピです。状況を』

パイロット『現在、イマジンに動きは無し。
      対象は一定距離に接近された場合にのみ、遠距離攻撃を行って来るようだ。

      現在、その範囲は徐々に拡大しており、
      今はこの地点の十五メートル先が敵の知覚現界になっている。

      遠距離攻撃の被害を防ぐために防壁を展開しているが、
      このシールドもあと数回しか保たないだろう』

レミィ『だ、そうです、新堂チーフ』

 自分の問いに応えてくれたパイロットからの情報提供を受け、
 レミィは回線を繋げたままだった本部のほのかに報告する。

ほのか『こちら、ギガンティック機関タクティカルオペレーターの新堂ほのかです。
    遠距離攻撃の詳細をお願いします』

パイロット『了解した』

 続くほのかの質問に応え、パイロットから提供された情報は以下の通りだった。

 遠距離攻撃の正体は実体弾で、この先にいるティラノサウルス型イマジンの牙だと言う。

 攻撃は一定時間……最大十秒間連続して行われ、
 弾丸――つまり牙だ――が無くなると停止し、
 生え替わって補給が終了するまで五秒の猶予が存在する。

 牙は広範囲に拡散して飛び、シールド無しには近づけない程の威力も併せ持つ。

ほのか『モードSの速度なら、残り二キロの距離を五秒以内で接近できる可能性は高いけど、
    スラッシュクローじゃシールドは保持できないから、接近後の万が一を考えると無謀ね……。

    ここはモードDで行きましょう』

空「モードD……」

 ほのかの立案した作戦に、空は息を飲む。

ほのか『サクラ達からシミュレーターでの成績は聞かされているけど……。
    もし、無理だと言うならクァン君とマリアちゃんを出すわ』

 少し気まずそうなほのかの質問に応えたのはレミィだった。

レミィ『………今回ばかりはその方がいいな。
    被害が拡大する前に交た……』

 だが――

空「いえ、行けます! 行かせて下さい!」

 空はレミィの言葉を遮るように言い切る。

 そう、モードDへの合体訓練の失敗の原因は、
 全て自分の拒絶が生んでいた心の距離による物だ。

 今は、そんな物は無い。

 フェイの言葉が、行動が、彼女が示してくれた物がその拒絶の意志を振り払ってくれたのだから。

レミィ『今回も、結局はぶっつけ本番か……』

フェイ『成功の可能性は低いですが、作戦時間も短く、
    施設被害が最も少なく済む選択肢でもあります。

    また、三日前の実戦において、朝霧隊員はモードSへの換装を成功させています。
    依って、実戦状況下での朝霧隊員の成功率は訓練よりも高い物と判断します。

    以上の点から、私は朝霧隊員の選択を支持します』

 先日の戦闘の事を思い出しながら苦み走ったような声音で漏らすレミィに、
 フェイは淡々と支持理由を述べた。

 冷静に言葉を並べ立てられると思わず説得してしまいそうになるが、
 要は“訓練よりも実戦の方が成功確率が高そう”と言う事だけで、成功を保証する物では無い。

 危険な賭けだ。

 しかし――

明日美『その作戦を許可します』

 明日美の声が通信機から響いて来た。

 通信機の向こう……司令室がザワつく中、彼女はさらに続ける。

明日美『馴致訓練前と言う事を知らないとは言え、
    三日前にも同じような作戦に許可を出している以上、
    現場判断を撤回する理由には成り得ません。

    但し、作戦実行に際しては万全を期し、
    08と09は至急発進。後詰めに付いて貰います』

空「譲羽司令……!」

 司令としての責任を果たしながらも、自分達の事を信じてくれた明日美の言に、
 空は感極まったように漏らす。

ほのか『………了解しました、司令。

    ………じゃあ、レミィちゃんはその場に待機して、クァン君とマリアちゃんが来たら合流。
    空ちゃんとフェイはモードDに合体しつつ吶喊!』

 ほのかは僅かに戸惑った後に承服し、空達に指示を出した。

フェイ『では、朝霧隊員。先行して下さい』

空「了解、フェイさん!」

 フェイの合図で、空は正面方向に向き直る。

パイロット『頼んだぜ、オリジナルギガンティックの嬢ちゃん達』

 同時に、道を塞いでいた軍用ギガンティックの一機が、斜め後ろに移動して道を空けた。

空「………行きます!」

 軍用ギガンティックの空けてくれた道を、空はエールと共に駆け出す。

 直後、真正面から無数の弾丸が飛来した。

 それもただの弾丸ではない。

 一発一発が二メートル強のサイズを誇る、鋭い牙のカタチをした禍々しい弾丸である。

空「ッ!」

 空は一瞬を息を飲んだものの、即座に大型のシールドを前に突き出した。

 飛来した弾丸は、情報通りのイマジンの攻撃だ。

 まるで無数のマシンガンを一斉に向けられたかのような弾丸の嵐に、
 シールドを構える腕が軋みを上げる。

 けたたましい轟音が鳴り響き、シールドの表面がガリガリと削られて行く。

空「結界装甲の出力を上げなきゃ……!」

 空は突き出した腕に魔力を集中し、シールドにまで延伸した結界装甲の出力を上昇させた。

 すると、シールドの内側に内蔵されたエーテルブラッドが、凄まじい勢いで劣化して行く。

 盾のプロペラントタンクに入っているエーテルブラッドは、
 機体に流れている物と同質だが、機体内部と循環しているワケではない。

 あくまで、擬似的にシールド内を対流させる事で、
 機体側の結界装甲との親和性を上げるための“気休め”程度の物でしかないのだ。

空(これじゃあ、シールドは保って十秒ギリギリ……!

  こんな攻撃をシールド無しで直撃されたら、
  いくらエールの装甲でも蜂の巣にされちゃう……!)

 空はシールドが失われた直後の事を考え、恐ろしい想像に身を震わせる。

 凄まじい弾丸の嵐の中を行く足取りは、まるで向かい風の強風の中を進むように覚束ない。

 こんな攻撃を五秒間隔で撃たれてはひとたまりもないだろう。

フェイ『朝霧隊員、この通路内では通常のOSS接続シークエンスは使えません。
    ですので、五秒のインターバルを利用してOSSを接続します』

空「ぐ、具体的には……どうするん、ですか!?」

 自分の真後ろで、愛機の翼を畳んで付いて来るフェイの言葉に、空は絶え絶えになりながら返す。

フェイ『通路の天井付近まで飛び上がり、そのまま各部を分解し、
    適正な位置関係を保った状態で落下させます。

    五秒間で全てのパーツを手作業で合体させる余裕は無いので、
    朝霧隊員は最適なタイミングで後方に移動し、
    ドッキング用のコネクターで各パーツをキャッチ、そのまま接続して下さい』

空(む、無茶苦茶、難易度高い!?)

 いくら呼吸を合わせられなかったとは言え、正規の手順ですら十回も失敗した合体を、
 イレギュラーな方法で成功させなければならない。

 その事実に、空は愕然とする。

 しかも、どう考えても合体の主導権は自分にある。

 失敗すれば躯体をバラして無防備になったアルバトロスは、
 一瞬にしてこの弾丸の嵐の餌食になってしまう。

フェイ『最大限のサポートをさせていただきます』

 だが、そんな危険性は百も承知しているだろうフェイ本人は、臆することなく淡々と言い切った。

 フェイは、自分を信じてくれている。

 そんな安心感を、空は背中越しに感じていた。

空(絶対に失敗なんて出来ない………ううん、失敗なんて、するもんか!)

 空は決意を新たに、集中できるだけの魔力を盾に集め、攻撃が止むタイミングを待つ。

 そして、その瞬間はすぐに来た。

 けたたましい爆音がピタリと止んだのだ。

空「今だ! モードD、セットアップ!」

 空はこのチャンスを逃す事なく、すかさず音声入力で合体シークエンスを起動させる。

 即座に装着部位のコネクタハッチが弾け飛び、エールの合体準備が整う。

フェイ『通常シークエンスを強制中断、マニュアル接続を開始します』

 フェイはその言葉と同時に愛機を飛び上がらせ、即座に躯体を分割させた。

 胴体と二枚の長大な翼の、計三つだ。

アルバトロス『各オプションの座標軸固定、完了です!』

 アルバトロスが自身の合体準備が終えた事を宣言した。

 三つのパーツは絶妙な位置関係を保ったまま落下する。

空「ここ!」

 空はバックステップで落下するパーツの中に身体を――エールの巨体を滑り込ませた。

 アルバトロスから送られて来る座標データを頼りに身体を僅かに動かし、
 最適な位置へと身体を固定すると、その位置に向かって三つのパーツが落下して来る。

 両肩の上面に翼が連結され、胴体部から伸びたドッキングアームが両腰のサイドアーマーと連結され、
 アルバトロスの胴体は上向き俯せの状態で、エールの後部に固定された。

アルバトロス『シールドスタビライザー、テールバインダー、
       全ユニット接続、火器管制接続……各部正常稼働確認です』

フェイ「モードD、セットアップ完了しました」

 機体コンディションを読み上げるアルバトロスの言葉を受け、
 フェイがOSSの接続完了を告げた。

 モードS時のレミィと同様に、コントロールスフィア内には、
 戦闘機風のシートに身体を固定したフェイの姿が現れる。

 やはり、これもシミュレーター機能を利用した立体映像なのだろう。

 空がそんな事を考えていると再び、無数の弾丸が飛来する。

空「もう次が!?」

フェイ「朝霧隊員、魔力を込めてからシールドを投擲して下さい」

 愕然とする空に、フェイが早口で指示を出す。

空「は、はい!」

 支持を受けた空は反射的に、飛来する弾丸の雨に向けて、
 保持したままだったボロボロのシールドを投げ捨ててしまう。

 内蔵ブラッドは殆ど劣化してシールドとしての用を為さないとは言え、
 あのシールドは防御の要……命綱だ。

 言われた通りに魔力を込めたシールドは、一瞬だけ弾丸の雨に曝され爆発四散する。

 だが、魔力を含んだ爆発は劣化寸前のエーテルブラッドによって強化され、
 瞬間的な結界となって辺りを覆う。

 防御の用は為したが、これではシールドの寿命と然したる変わりは無い。

フェイ「時間稼ぎはこれで十分です」

 しかし、フェイは状況を冷静に確認するとコントロールグリップから手を離し、
 手元のコンソールを展開して指を走らせる。

フェイ「シールドスタビライザー、シールドモードへ移行。
    結界装甲前面へ集中」

アルバトロス『了解。シールドスタビライザーをシールドモードへ移行します』

 フェイのコンソール操作と音声指示に従い、アルバトロスが機体操作を始めた。

 両肩に水平に接続されていた翼が真正面へと向けられ、
 付け根から下向きに折れ曲がり、エールの前面を覆う巨大なシールドとなる。

 広狭様々な幅のエーテルラインが、ビッシリと表面を埋め尽くした巨大シールドは、
 フェイの魔力と同じ山吹色の輝きを放ち、シールドの正面に巨大な魔法陣――術式を展開させた。

 一方、魔力爆発の結界に阻まれていた弾丸の雨は、遂にその結界を突破し、
 今度こそエールへと……空達へと殺到する。

 だが、全ての弾丸は術式に触れると、途端に勢いを失い、
 エールの足もとに甲高い金属音を響かせて転がり、霧散して消えて行く。

空「ば、バリア……いや……これも結界装甲……?」

 眼前で繰り広げられる光景に、空は感嘆にも似た驚きの声を漏らす。

フェイ「モードD……ディフェンサーはその名の通りの防御重視の形態です。
    さすがに208ほどの頑強さはありませんが、結界装甲の出力でならば同機に匹敵します」

空「ディフェンサー………エール・ディフェンサー……!」

 淡々としたフェイの言葉に、空はその名を呟く。

 ソニックがエールの欠点である機動性と格闘能力の強化ならば、
 ディフェンサーは反対に長所である装甲強化を目的とした形態だ。

フェイ「朝霧隊員、このまま接近して下さい」

空「……はい!」

 空はフェイの指示に抑揚に頷き、エールを走らせる。

 その後も幾度となく浴びせられる弾丸の雨の中を、空は悠然とエールを歩ませた。

空「凄い……ブラッドの耐久力が、エンジン無しのシールドとは段違いだ……」

 三度の掃射を受けても、ブラッドの劣化はものの十パーセント程度。

 多少の歩きにくさはあるが、それを差し引いても余りあるほどの防御力だ。

 そうこうしている間にも、
 ようやくこの弾丸の雨の主……イマジンの姿を視界に捉える。

 確かに、連絡通路の分厚い壁を突き破り、
 巨大なティラノサウルスの頭が目の辺りまで突っ込まれていた。

 あまりに巨大な頭部は、その鼻先は連絡通路の半ばよりも奥にまで達している。

空「な、何だか、も、もの凄く……大きくありません?」

 空は恐怖と驚きの入り交じった声を漏らす。

 エールとイマジンの頭部の対比は、人間と通常のティラノサウルスの対比の倍近い。

 通常のティラノサウルスの全長は十一から十三メートル程度とされており、
 このティラノサウルスの全長は単純計算で二十二から二十六メートル程度の大型種を、
 さらに人間とエールの対比と同じ比率で大型化した物となる。

フェイ「頭部は推測全長七十メートル、全高四十メートル。
    頭部から推測される全体全長は四ひゃ……」

イマジン『GYAAAAAAAOOOO!!!』

 絶望的な数値を並べるフェイの言葉を遮るように、
 ティラノサウルス型イマジンは壮絶な雄叫びを上げた。

空「ひぅ……っ!?」

 空は、その雄叫びに身を竦ませる。

 いくらギガンティックに乗っていても、目の前にそれ以上のサイズの大物がいるとなると、
 恐怖感が勝ってしまうのは致し方なかった。

フェイ「先ずは外に押し出しましょう」

 しかし、フェイはまるで臆した様子も無く淡々と言い切った。

空「ふぇ、フェイさん!?」

フェイ「問題は有りません、正面へ移動して下さい」

 戸惑う空を後目に、フェイは背面オプションとテールバインダーのブースターを点火し、
 エールの巨躯をさらに巨大なイマジンの頭部の正面へと滑り込ませる。

 押し出せ、と言われて正面に移動したのだから、
 このまま本当に力業で押し出せばいいのだろうか?

 だが、此方を睨み付けて来る凶悪なイマジンの面構えは、
 押し出せるようには到底思えなかった。

空(さ、さすがにこんなに大きいのは無理だよ!?)

 弱音を吐くつもりはなかった空だが、
 圧倒的なサイズ差を前に、思わず胸中で本音を漏らしてしまう。

 そんな空の弱気を悟ってか、イマジンはニヤリと笑うように目を細め、
 巨大な口をさらに現界まで開いた。

 巨大な顎の奥……咽喉に真っ暗な闇が広がっているように感じる。

イマジン『GYAAAAAAAOOOO!!!』

 イマジンは再びの雄叫びと共に、
 禍々しくも夥しいほどに生えそろった大量の牙を一斉に飛ばす。

 空は咄嗟に退避しようとしたが、
 避けるヒマもなくゼロ距離から大量の牙の直撃を受けてしまう。

 思わず目を硬く瞑った空だが、襲い掛かる振動もダメージも感じない。

 そこで、空は思い出す。

空「あ……そっか……」

 そう、シールドモードとなったアルバトロスの翼に……
 フェイの力に、今の自分とエールは守られているのだ。

 先ほど、ここに来るまで同じ弾丸の雨の中を悠然と歩いてきた事を思い出し、
 空は安堵と同時に恥ずかしそうに頬を染めた。

フェイ「安心して下さい、朝霧隊員。
    私とアルバトロスが、朝霧隊員とエールには一切の傷を負わせません」

空「フェイさん……ごめんなさい……ありがとうございます!」

 淡々と、だが頼もしげな言葉をかけてくれるフェイに、
 空は仲間の協力を忘れていた事への謝罪と、
 自分を守ってくれている仲間の頼もしさに感謝の言葉を告げる。

空(そうだ……フェイさんが守ってくれている!
  怖がってなんて、いられない!)

 空は意を決して、再び生えそろい始めた牙に視線を向けた。

 牙は完全には生え揃ってはおらず、まだ二秒程度のインターバルが残されているようだ。

空「フェイさん、こちらから攻撃して牽制します!」

フェイ「了解、テールバインダーの魔導ランチャーを展開します」

 空の指示でフェイはコンソールを操作し、
 アルバトロス本体――テールバインダーの左右に格納されている大口径の魔導砲を展開した。

 展開した大口径魔導砲――魔導ランチャーは腰部の両端に固定され、
 大型シールドの両脇から迫り出して、ティラノサウルス型イマジンの喉奥に狙いを定める。

アルバトロス『魔力チャージ完了、トリガータイミングをメインパイロットに譲渡します』

空「魔導ランチャー……ファイアッ!」

 アルバトロスの声を受た空が音声入力を行うと、
 瞬時にランチャーの砲口に術式が展開し、大威力の魔力砲が放たれた。

イマジン『GYAAAAA………oooo……!!?』

 次の掃射準備を整えていたティラノサウルス型イマジンは、
 喉奥への魔力砲の直撃を受け、絶え絶えの絶叫を漏らす。

 イマジンは喉奥の痛みに悶絶し、不意に巨大な顎も閉ざされた。

フェイ「今です、朝霧隊員」

空「了解っ!」

 フェイの合図と共にシールド状の翼が再展開し、
 空はイマジンの顎の上にエールを多い被らせるように突撃する。

 顎が開かぬように押しつけつつ、全身のブースターを全開にして、
 巨大なティラノサウルス型イマジンの頭部を押し出して行く。

空「行けえぇぇっ!」

 裂帛の気合と共に、空はブースターに回す魔力をさらに上げる。

 全開になったブースターからは、凄まじい量の魔力が噴き出し、
 背後の壁面を構成するマギアリヒトをジリジリと弾き飛ばしてしまう。

 だが、その甲斐もあってか、巨大なイマジンの頭はズルズルと後退を始め、
 ようやく壁に空いた大穴の中に顔全体が埋まる。

フェイ「あと半分です」

空「まだ、まだあぁぁっ!!」

 そして、遂に、ティラノサウルス型イマジンの頭ごと、
 空達は四十メートルを超える分厚い壁の外へと飛び出した。

 即座にイマジンの頭から離れ、空はエールを上空高くへと飛び上がらせる。

 そこで空達は驚愕の光景を目にした。

空「ち…………ちっちゃい……?」

 視線の先にあった“ソレ”に、空は唖然と漏らす。

フェイ「全長百メートルほどでしょうか?」

 フェイは淡々としながらも、どこか呆れを隠しきれない声音で呟く。

 そう、肝心のティラノサウルス型イマジンだ。

 今は連絡通路と巨大なドーム型メガフロートの隙間にある、氷の大地の上で横たわっている。

 確かに頭部は巨大だった。

 だが、肝心の胴体は、つい数十秒前にフェイが口にしようとしてた推測とはまるで違っている。

 巨大な頭には不釣り合いな程に小さな身体が、首の根本に申し訳程度にぶら下がっているだけだ。

 いや、むしろ矮躯――と言っても、平均的なティラノサウルスよりはかなり大きいが――
 に不釣り合いな超弩級の頭がついているのか?

 どちらにせよ、通常の生物ではあり得ない、
 極端なデフォルメを施されたアンバランスな身体の造形だった。

アルバトロス『中々、愉快なカタチですね』

空「うん……そうだね」

 噴き出しそうな声で漏らすアルバトロスに、空も思わず頷いてしまう。

 フェイも特にコメントが思いつかないのか、無言のままだ。

 あんまりと言えばあんまりな造形に、空達は三者三様の反応を浮かべている。

 だが、態勢を整えた変則ティラノサウルス型イマジンは、
 そんな三人を嘲笑うように、その小さすぎる足を使って大空高くへと跳び上がった。

 超弩級の顎を限界まで開き、真下から水面の獲物を狙う肉食魚のような噛み付き攻撃だ。

空「うそっ!?」

 突然のイマジンの行動に、空は愕然としながらもさらに上空へと飛び、
 その一撃をすんでの所で回避する。

フェイ「跳躍力……脚力は中々の物のようですね。

    おそらく、連絡通路の壁面に飛び込んでしまい、
    そのまま身動きが取れなくなっていたのでしょう」

空「っ!?」

 驚異的な跳躍力に比して、あまりに喜劇じみた先ほどまでの状況を、
 しかもそれを淡々と語るフェイの予想に、空は思わず克明に思い浮かべてしまい、
 噴き出してしまいそうになるのを必死で堪えた。

空「ふぇ、フェイさん、戦闘中に笑わせないで下さい!」

フェイ「?」

 笑いの発作を堪えきれずに声を震わせる空に、フェイは何の事かと怪訝そうに首を傾げている。

 彼女に悪気は一切無いようだ。

 尤も、悪気が有るなら、それはそれで大いに困るワケだが。

イマジン『GYAAAAOOOOOO!!!!』

 緊張感を薄れさせつつある空達の様子に気付いているのか、
 単に攻撃を外した事に対する怒りなのか、イマジンは盛大な雄叫びを上げ、牙の弾丸を掃射する。

フェイ「その攻撃は、先ほどまでの状況ならまだしも、
    現状では然したる脅威とは言えません」

 フェイはコンソールを操作し、展開したままのエールDの翼から魔力を放出させた。

アルバトロス『姿勢制御システム良好。
       朝霧さん、存分に飛んで下さい』

空「……はい!」

 アルバトロスの言葉に空は気を取り直し、
 全身のブースターをフル活用して飛び、牙の弾丸掃射を軽やかに回避する。

 掃射された牙の弾丸は、何も無い曇天の上空へと消えて行く。

空「凄い……アルバトロスと合体しただけで、ここまで自由に飛べるなんて」

 モードSの時ほどの勢いは無いものの、
 だがより軽やかで滑らかな機動に空は感嘆を漏らした。

 これが両肩に接続されたシールドスタビライザーのもう一つの役割、
 スタビライザー――姿勢制御装置の本領だ。

 放出した魔力で機体を安定させ、出力的に心許ないオプションブースターでも、
 十全な機動力を確保する事が出来る。

 そして、フェイの言葉通り、イマジンの弾丸掃射も先ほどまでの狭い通路の中ならまだしも、
 自由に動き回れる空間が確保された今なら、いちいち防御する必要もない。

 加えて、ティラノサウルス型イマジンは驚異的な脚の強さで勢いよく跳び上がったのは良いが、
 空中では自在に動けないらしく、跳躍の限界高度に達した後は落ちるだけだった。

 まあ、足以外の移動手段があれば、最初からあんな場所で立ち往生などしていなかっただろうが……。

フェイ「全兵装、セーフティ解除。
    照準はこちらで行います」

アルバトロス『最大出力で真下に撃った場合、設備に被害が出るかもしれません。
       落下中のイマジン追い越し、真下から上空に向かって撃って下さい』

 フェイとアルバトロスが口々に指示を飛ばして来る。

空「了解ッ!」

 空は主武装である長杖を構えさせ、
 三度ブースターを全開にさせてイマジンの真下へと潜り込む。

 そのまま落下同然の速度で氷の大地へと向かって飛び、
 あわや激突と言う瞬間にスタビライザーから放出する魔力を全開にして、
 ふわりと静止して真上へと向き直る。

フェイ「魔導ランチャー再展開、魔導ガトリングガン展開……」

 淡々とコンソールを操作するフェイの言葉に合わせ、腰の魔導ランチャーに加え、
 シールドスタビライザーの下面に格納されていたガトリングガンが顔を覗かせた。

 翼の中心線と水平になっていた砲身が九十度旋回して、正面へと向けられる。

フェイ「主兵装、カノンモードに切り替えます」

 そして、長杖のエッジの内側に組み込まれていた仮想砲身となるクリスタルがせり出すと、
 ロッドの中ほどにフォアグリップが出現し、砲撃に適した形態へと変形を完了した。

アルバトロス『全砲門、魔力チャージ………マキシマム!』

 アルバトロスが魔力の充填完了を告げた瞬間、空も長杖を構えさえ終えた所だった。

 狙いは……驚愕で目を見開いて落下する、変則ティラノサウルス型イマジン。

空「ターゲット、インサイト! 全兵装………!」

 大空へと向けられた全火器の砲門それぞれに術式が出現し、
 それらが一つに合わさって、巨大な五重術式へと変化する。

 そして――

空「ファイヤッ!!」

 空の発した声と共に、空色と山吹色の混ざり合った極大の魔力砲が放たれた。

 二色の魔力の奔流は、一気にイマジンを飲み込み、
 霧散させながら曇天の空へと消える。

フェイ「………対象イマジンの反応消失を確認、戦闘終了です」

 その光景を確認したフェイは、各種センサーを確認しながらそう呟いた。

 空もセンサーの画面を確認するが、
 確かにセンサーで確認できる範囲にイマジンはいないようだ。

???『…らちゃ……、…ェイ、…つか……ま』

 安堵の声を漏らした空の元に、ノイズだらけの声が聞こえた。

 おそらく、ほのかなのだろうが、こうノイズが酷くては誰の声かも判然としない。

??『…こし、待…ててね』

 先ほどとは別の声が聞こえる。

 こちらは、おそらくリズの物だろう。

リズ『……と、これで少し…聞き取り易くなっ…かな?』

 まだノイズが混じるが、先ほどまでに比べるとずっとクリアだ。

ほのか『改め…お疲れさま、二人共。

    それで回収なんだけど、戦闘エリア付近のリニアレールがメチャクチャらし…から、
    別の場所にリニアキャリアを回す事にし…わ』

春樹『そこから最寄りだと、そこ…ら真っ直ぐ上に行った所にある、
   メインフロートの第二層外壁メンテナン…ハッチだ。
   ヴィクセンを回収したらそちら…向かわせるから、三十分ほどで到着するよ』

 ほのかに続いて、春樹が説明を行う。

 つまり、迎えに行けないから、迎えに行ける場所まで移動しろ、と言う事らしい。

 元来た道を使わせないのは、これ以上の被害拡大を考慮しての事だろう。

空「了解しました、メインフロート第二層の外壁メンテナンスハッチまで向かいます」

 空は何とか聞き取れた回収地点を復唱した。

 リニアキャリアは本来、ドーム外壁も走らせる事が出来る構造になっている。

 イマジン出現のため、外壁に通じる路線は全て廃線・閉鎖されているが、
 今回のような場合には輸送のために解放されるのだ。

フェイ「マーカーを提示しますので、それに従って移動して下さい」

 フェイはそう言ってコンソールを操作する。

 すると、空の目の前に、真っ直ぐ上を向いた小さな赤い矢印が現れた。

 これがマーカーだろう。

空「ありがとうございます、フェイさん」

 空は礼を言ってから、エールを飛び上がらせる。

 ゆっくりと上昇を続け、メインフロートの半ばを通り過ぎた辺りで、
 背面の景色が一変した。

 背を向けていた第三フロートの天井を追い越したのだ。

空「これが……外の世界」

 背後に広がった景色に向き直り、空は愕然と漏らす。

 フロートの壁同士に挟まれた狭い空間の中では気付かなかった、
 世界の本当の姿が、そこには広がっていた。

 巻き上げられた粉塵と魔力が作り出した分厚い曇天の雲の下、
 寒冷化した気温によって氷結したインド洋の大海原は大氷河へとその姿を変え、
 無数のマギアリヒトの集合体が作り出す光点が、辺りを不気味に照らし出す世界。

 四十年以上も昔に滅んだ、人の住めぬ世界だ。

空「何だか……学校の授業で習った通りだ……」

 寒々しくも不気味な世界の姿に、空は自嘲気味に呟いた。

 いつか、本物の青空を見てみたい。

 そんな夢物語を書いた作文を思い出し、空は虚しさと寂しさの入り交じった感覚に襲われる。

空(こんな場所じゃ……青空なんて……)

 空は顔を俯け、哀しそうに目を伏せた。

 こんな状態では、とてもではないが青空など望めそうにも無い。

 初めて見た、天井も壁もない空は、
 魔力雲と言う分厚く重苦しい第二の天井に遮られた、不気味な空だった。

 だが――

フェイ「…………朝霧隊員の精神的な安寧を最優先とします」

 不意にフェイがそんな言葉を漏らし、コンソールの操作を始める。

空「フェイさん……?」

 仲間の突然の行動に、空は怪訝そうにその名を呟く。

 すると、その直後にコントロールスフィア内に変化が起きた。

 全周囲を映していた半球型の壁面から、
 鬱屈とした不気味な世界が消え去り、真っ青な空間が浮かび上がる。

 真っ白な大氷河は紺碧に、薄暗い雲は真っ青に染まり、
 巨大な光源が大空に浮かぶ、見慣れぬ光景。

 大海原と、青空と、太陽。

フェイ「………申し訳ありません。
    過去の映像資料を使った合成であるためノイズが多く、
    完全再現には至りませんでした」

 淡々としながらも、どこか申し訳なさそうなフェイの言葉を聞きながらも、
 空は辺りに広がる光景に見入っていた。

 フェイの説明通りならば、今、目の前に広がっている光景は、
 かつての世界の映像資料を用いた合成なのだろう。

 きっと、海の映像も空の映像も、この場所からかつて見えていた物とは違うのかもしれない。

 先ほどまでの不気味な空とは違う、真っ青な空。

 コントロールスフィア内のシミュレーター機能を応用した、偽物の空。

 だが、それは幼い頃に空が願った本物の青空の、その記憶に他ならなかった。

フェイ「朝霧隊員?」

 一方、先に謝罪の言葉を述べていたフェイは、その後も無言のままの空に再び声をかける。

空「………あ、ご、ごめんなさい、フェイさん!
  つい、綺麗で夢中になってしまって……」

 空ははたと気付いて慌てて姿勢を正し、フェイに向かって頭を垂れた。

 そう、空はずっと、この“かつての青空”に声もなく見入っていたのだ。

 フェイが見せてくれた、青空に。

空「………ありがとうございます、フェイさん!」

 顔を上げた空は、満面の笑顔で感謝の言葉を漏らす

フェイ「……いえ、御満足いただけたようで、幸いです」

 フェイも淡々とした、だが、微かに嬉しそうな声音で返した。


第7話~それは、造られた『人形の在り方』~・了

今回の投下はここまでとなります。
長らく保守して下さった方々、本当にありがとうございます。


久しぶりなので、安価置いておきます。

Ⅰ・結編
第34話 >>2-70
最終回 >>76-153
番外編 >>165-233
閑話   >>235-245

Ⅱ・空編
プロローグ >>251-260
第1話   >>265-295
第2話   >>300-327
第3話   >>332-366
第4話   >>371-404
第5話   >>409-442
第6話   >>447-485
第7話   >>496-534

ああ・・・・・・またもや大遅刻とは不甲斐ない・・・・・・
何はともあれ、乙でした!
ロボット、アンドロイド、人を模して作られた存在の、存在する意義はシェリー夫人を始めいつの世も物語のテーマの一つですね。
最近では、人の形をしていなくても、意思あるものとの疎通も大きなテーマとして扱われますが。
”Good luck / Lt・Fukai”のように。
今回のフェイさんを見ていて思い出したのは、昔懐かし某ギャルゲの、緑の髪の小さなメイドロボさんです。
メイドロボとして存るからには、メイドロボとしての最善を尽くすと言うあの子には、当事非常に感銘を受けました。
そんなフェイさんを”人間臭い”と評するレミイの言葉は、なるほど深いですね。
そしてフェイさんの出自を知って、思わず心理的に拒否してしまった事を恥じる空。
晴海さんの偉大さは、隊での振舞いとして描かれている反面、空の考え方、自身への省みる姿勢にこそ、実は大きく現れているのではないでしょうか。
そんな空に、フェイさんと言う新たな”仲間”と同時に翼が付きました。
おーいエール、いつまでもふさぎ込んでると、翼役をフェイさんに盗られるぞー!!
次回も楽しみにさせていただきます。

お読み下さりありがとうございます。

>大遅刻
いや、まあ……、三ヶ月も間が空きましたしorz

>人を摸して作られた存在の
結編から通しても、人造人間の比率が高い話なのでそろそろ避けて通れない話題かと思いまして
フェイはその中でも、かなり狙った部類のキャラではありますが

>人の形をしていなくても
個人的に分かる範囲では、サイバーフォーミュラーのTV版における、
第9戦と第10戦の間における、ハヤトとアスラーダの確執なんかもその類ですね。

>メイドロボ
それ以前にも確実に存在したジャンルのキャラなのですが、
一人格としての取り扱いにおいてはパイオニア的存在ですよね、あの子のシナリオは。
あのシリーズでも、12と17Cがトップクラスにお気に入りなので影響無しとは言い切れませんorz
まあ、フェイのキャラはどう見ても13寄りですがw

>人間臭い
話の中でも書きましたが、やはり“ごっこ遊び”ですね。
自分を“こうだ”と規定して動くロールプレイなワケですし。
辛辣に言い換えると中二病とも言いますがw

>偉大なお姉ちゃん
空の中で大きなウェイトを占める存在ですからね。
何せ、姉であると同時に親代わり、さらに自分の身代わり、命の恩人と……、
姉がいなければ、姉の死がなければ入隊していないくらいですし。

>翼
モードD書いてる途中で思ったのは“あれ? 結と言うよりリーネじゃね?”でしたw
高旋回能力+砲撃って、どちらかと言うとリーネの領分ですし。
シールドの堅さは確実に結なのですがw

>フェイに盗られる
盲点だった!(ぉぃ

次回は隊長がお当番です。
………何でアレの血を引いておきながら、こんなに身長が高いのか! 加えてこんなに引っ込み思案なのか!w

正月休みまでに何とか出来たらいいなぁ、と思いつつ頑張って参ります。

乙乙!

>>538
お読み下さり、ありがとうございます。


では、そろそろ最新話を投下させていただきます。

第8話~それは、受け継がれた『忍者の血脈』~

―1―

 変則ティラノサウルス型イマジンとの戦闘から、五日後の朝。

 ギガンティック機関隊舎一階、正面ロビー――


空「えっと、そうなると……風華さんは、
  父方のお祖母ちゃんが使っていたギアを、
  お父さんから受け継いだ、って事ですか?」

突風『そうそう、そう言う事。

   本当ならお家的には家督を継ぐ一尋……ああ、風華のお兄さんね。
   その一尋がいいんだけど、一尋より風華の方が波長が合うのよ』

 首を傾げながら聞く空に答えたのは、
 風華のベルトストラップに付けられたギア――GWF-206Xの本体である突風だ。

 今、空は風華とフェイの二人と共に、朝食の買い出しから戻る途中だった。

 食事の必要のないフェイを除く六人分のホットサンドセットとスープの入った袋をそれぞれ両手に提げ、
 そろそろシフト交代で人の往来の増えたロビーを進む。

空「風華さんて……お嬢様なんですね」

風華「お、お嬢様なんて……そ、そんなに大層な物じゃないのよ?」

 ほぅ、と溜息混じりに呟いた空に、風華は恥ずかしそうに頬を染め、オロオロとたじろぐ。

フェイ「藤枝隊長、ホットサンドが崩れます」

 そんな風華を、フェイが淡々とした声で窘める。

 こう言った被害を想定してか、
 人数分のホットサンドの入った袋は風華が、揺れた際の危険度がやや高いサラダは空が、
 危険度の高さと被害が尋常でないスープはフェイが、それぞれ分担していた。

風華「あぅ……」

 風華は“またやってしまった”とばかりに、肩を竦める。

フェイ「藤枝隊長の否定は、些か謙虚すぎる物と判断します」

突風『そうね。
   曲がりなりにも本條家と李家、両方の血を引いてるんだから、
   もっと堂々とお嬢様していればいいのよ』

 そして、そんな風華に追い打ちをかけるように、フェイと突風が口々に呟く。

風華「そんな、堂々だなんて……どっちとも親戚ってだけだし……、
   私も兄様も本家の家督相続権の順位は低いし……」

空「本條家と李家……って、御三家じゃないですか!?」

 恐縮気味の風華に反して、空は驚きの声を上げる。

 空も驚く、“御三家”とは何か?

 単純に言えば、NASEANを構成していた国家群の中でも、特に抜きん出た魔法研究の大家の事だ。

 欧州系の魔導の家の殆どが星間移民船団の護衛として地球外に脱出した今、
 このメガフロート……即ち地球上に残った名家である。

 その名家とは、日本の本條家、台湾の李家、ベトナムの阮家だ。

 中でも本條家は皇宮警察を母体とする、
 皇家や王家の護衛を務めるロイヤルガードの総責任者でもある。

 李家は古くから旧魔法倫理研究院との結びつきが強く、
 魔法研究の要所や薬学に関連した部門に多くの人材を輩出していた。

 クァンの実家でもある阮家は、軍事部門に明るい家系であり、
 旧ASEAN所属国家唯一の魔導の家でもあり、NASEAN各国の魔法研究の家と結びつきが強い。

 規模、勢力、得意分野などは異なるが、
 歴史や家柄を考慮すれば、本條や李の二家の親類ともなればかなりの名門だ。

 しかも、当の藤枝家も軍事に携わる家としては、そこそこ名の知られた家である。

突風『えっとね、先ず、私の初代ドライバー、藤枝明風は李家現当主の叔母でしょ。

   明風の旦那の藤枝一真はフリーランスエージェントだった頃の伝手で、今も軍の相談役だし、
   その子供……風華達の父親の尋也は私の前ドライバーで、ロイヤルガードの上級幹部。

   お母さんの百合華は現当主の臣一郎の叔母で後見人、
   お兄さんの一尋だってロイヤルガードでギガンティック部隊の小隊長してるわ』

空「す、凄い……本当に名門じゃないですか!?」

 思い出すかのように突風の口から羅列される風華の家の面々に、空は驚きと憧れで目を輝かせて行く。

 空自身、世俗に疎いワケではないので有名所の名前を出されればすぐに分かった。

 本條家の若き当主、本條臣一郎【ほんじょう しんいちろう】と言えばニュースなどでも時折は目にする、
 その名を広く周知された唯一の現役オリジナルギガンティックドライバーだ。

 無論、秘匿義務は緩やかな物なのだから、報道やネット上の情報などの何かで目にする機会もあろうが、
 積極的に周知されているのは彼だけである。

 十四年前の60年事件の際、当時のGWF-210Xのドライバーであった父親が死亡し、
 十歳にして正式なドライバーとして選ばれてしまった悲劇のヒーロー。

 年齢に関しては、既に八歳の頃からドライバーを務める瑠璃華がいるため、大仰に驚くべき点ではない。

 だが、やはり父親をあの60年事件で失っていると言う点が、彼の“ドラマ性”を掻き立てるのだ。

 話がやや横道に逸れたが、風華の母である百合華【ゆりか】を叔母に持つと言う事は、
 風華と臣一郎は紛うことなくいとこ同士と言う事になる。

 さすがに有名人の血縁者と言うのは初めてだ。

 しかし、成る程。

 先日の話にあった背の高い従兄とは、件の本條臣一郎の事だったのか。

 確かに、ニュースなどで見る彼はかなりの高身長だった。

 空は“なるほど”と納得したように頷く。

風華「わ、私自身は大した事ないんだけどね……」

 目を輝かせる新人の憧憬の視線に、風華はたじろぎ気味に言って肩を竦める。

 因みに、彼女自身も世界に九人――最大でも十人まで――しかいない、
 オリジナルギガンティックの正ドライバーだ。

 それが“大した事ない”のなら、何が大した事になると言うのか。

 いくら何でも謙遜し過ぎである。

突風『本当……この子の引っ込み思案は成人しても治らないんだから……。
   奥ゆかしさは母親譲りかもしれないけど、この臆病は誰に似たのかしら?』

 空の気持ちの一部を、溜息混じりの突風の声が代弁した。

 と、その時だ。

???「やあ、風華」

 よく通る凜とした男性の声が、背後から響き、空達は振り返る。

空「あ……!?」

 突如として背後から声をかけて来た人物の正体に、空は驚きで目と口を大きく開く。

 そこに立っていたのは、黒い詰め襟の礼服――ロイヤルガードの正装をした、
 クァン以上に身長の高い青年だった。

 そう、先ほども話題に出た人物……本條臣一郎その人だ。

 噂をすれば、と言うが、正にその通りだ。

空「ほ、本條臣一郎、さん!?」

 空はようやく驚きの声を上げる事が出来た。

フェイ「お久しぶりです、本條隊長」

 フェイはスープの入った袋を揺らさずに、恭しく礼をする。

 ちなみに彼女が臣一郎を“隊長”と言ったのは、
 彼がロイヤルガードのギガンティック部隊で隊長職に任じられているからだ。

 無論、家柄の事もあるが、オリジナルギガンティックを使いこなす実力あっての役職である。

臣一郎「久しぶりだね、フェイ君。
    そちらの君は……初めましてかな?」

 爽やかな笑顔を浮かべて挨拶をした臣一郎は、空に向き直った。

空「あ……は、はい! し、新人の朝霧空です!
  え、エールの……に、201のドライバーをさせていただいています!」

 空は緊張した様子で大慌てでお辞儀をする。

 すんでの所で自制が働いたのか、サラダの入った袋を揺らさずに済んだ。

臣一郎「ああ……君が海晴君の妹の……確かに、昔の海晴君に瓜二つだ……。

    おっと……、所属は違えど同じオリジナルのドライバー同士なんだ。
    そう緊張しなくても良いよ」

空「は、はい……ありがとうございます、本條さん」

 にこやかな笑顔と穏やかな物腰の臣一郎の様子に、空は何とか気を取り直し、
 だが、まだほんの少し緊張した様子で返した。

臣一郎「さて……風華はどこかな?」

 臣一郎はそう呟いて、辺りを見渡し始める。

空「え? 風華さんなら、隣に……」

 空は怪訝そうに呟いて、傍らの風華に視線を移す。

 と、空は再び驚きで目を見開く。

 そこに風華の姿は無く、代わりに落書きの棒人間のような物体がいた。

 ご丁寧に風華の制服を着て、両手の先にはホットサンドの袋が微動だにする事なく提げられている。

空「ふ、風華さん!?」

フェイ「空蝉の術ですね。
    旧世紀では忍術とも呼ばれていた、撹乱魔法の一種です」

 素っ頓狂な声を上げた空に、フェイが淡々と語る。

 空蝉【うつせみ】の術とは、俗に言う身代わりの術だ。

 衣服の一部などを被せた丸太や石などを身代わりにし、
 術者本人はその場を脱する攻撃回避法の一種で、
 風華が行った物は衣服から抜け出した瞬間に身代わり人形を物質化し、
 本人は何処かへと消え去ると言った具合である。

 風華自身は“完全魔力遮断”の魔力特性の持ち主であるため、
 姿を消されて気配を断たれると、魔力を探る事が難しい。

臣一郎「相変わらず鮮やかな手並みだな……」

 臣一郎は苦笑い混じりに呟くと、何事も無かったかのように受付へと向かう。

 ロイヤルガード本部のある皇宮近傍の隊舎は、機関の隊舎とは二キロと離れていない程の近所だが、
 それでもこんな朝も早い時間から此方にいるのは珍しい事だ。

 おそらく、早急に済ますべき用があって来たのかもしれない。

 と言うか、風華の事は後回しで良いのだろうか?

美波「あ、臣一郎君、おぃーッス!」

順子「せ、先輩、失礼じゃないですか!
   い、いらっしゃいませ、本條さん」

 受付に座った二人……庶務課の市条美波【いちじょう みなみ】と、
 その後輩で新人の木場順子【きば よりこ】が挨拶する。

 美波は二十代後半と言う年齢に比して、子供のように背が低く、
 だがそれに反して大きな態度と気さくな性格故に、機関でも五指に入る名物職員だ。

臣一郎「お久しぶりです、市条さん、木場さん。
    ちょっと失礼しますね」

 臣一郎はやはりにこやかに挨拶を返しつつ、受付のテーブルに身を乗り出す。

 その様子を見守っていた空は、何事かと首を傾げた。

 直後――

順子「うっひゃぁぁっ!?」

 順子がロビー全体に響き渡る素っ頓狂な声を上げる。

 最早、悲鳴の類だ。

空「き、木場さん!?」

 空は、風華の身代わり人形からホットサンドの袋をひったくると、
 慌てた様子で受付に駆け寄った。

 フェイも、対物操作魔法で身代わり人形から風華の制服を脱がすと、
 それを肩に掛けて、静かに空の後を追う。

順子「あぅあぅ……」

 順子は受付の椅子から転げ落ち、陸に揚がった魚の如く口をパクパクと開閉させつつ、
 受付テーブルの下を見遣っていた。

美波「おぅおぅ、今回もここだったかー。
   連続三回は、そろそろワンパターン過ぎやしないかな~?」

 一方、何が連続三回なのか、美波はケラケラと楽しそうな笑い声を上げている。

 空も何事かと、横合いから受付テーブルの下を覗き込む。

 すると――

風華「うぅぅ~……」

 制服を脱ぎ去り、ドライバー用インナースーツ姿となった風華が、
 ロビーからは死角となる受付テーブルの下で、恥ずかしそうに震えていた。

空「ふ、ふ、風華さん!?」

 その姿に、空は再び素っ頓狂な声を上げる。

風華「は、恥ずかしいから、こっち見ないでぇ……」

 風華は消え入りそうな声で漏らす。

空(だったら何で脱いでるんだろう……?)

 空はその言葉を飲み込み、フェイから受け取った制服を手渡した。

 一応、説明するならば、風華は臣一郎から声をかけられた瞬間に空蝉の術を発動し、
 魔力を完全遮断して素早く……それこそ目にも止まらぬ早さで、受付テーブルの下に潜り込んだのだ。

風華「うぅぅ……」

 涙目になりつつも素早く着替えを終えた風華が、
 やはり涙目のまま受付テーブルの下から出て来る。

臣一郎「また一段と素早くなったね、風華。
    今回はさすがに最後まで目で追えなかったよ」

 にこやかに語る臣一郎は、まるで妹をあやかすかのように風華の頭を撫でた。

 風華もかなりの高身長だが、
 クァンよりもさらに背の高い臣一郎の隣では年相応の女性と言った風だ。

風華「はぅ……ひゅぅ……」

 一方の風華は、赤信号もかくやと言うほどに顔を紅潮させ、
 目を白黒させつつ奇妙な声を漏らしている。

 だが、ようやく立ち直り、半歩退いて上目遣いで臣一郎を見上げた。

風華「し、シンさんが、く、来るなんて、聞いてませんでした……」

 消え入りそうなか細い声を絞り出し、風華は抗議の声を上げる。

 それは拒絶していると言うよりは、
 自分へのアポイントメントが無かった事に対する抗議のようだった。

臣一郎「いつも通り、他の隊員を寄越すつもりだったんだけど、
    母上から伯母上の様子を見て来るように言い付かってね」

 対する臣一郎は、爽やかな笑みの中にどこか申し訳なさそうな色を浮かべて呟く。

空(シンさん?)

 二人のやり取りを聞きながら、空は胸中で首を傾げた。

 どうやら、風華は臣一郎の事を“シンさん”と呼ぶようだ。

臣一郎「カズからも昨日、家に顔を出さない妹の様子を見て来てくれ、って頼まれたから」

風華「うぅ……お兄ちゃんったら……昨夜、電話で話した時には教えてくれなかったのに……」

 苦笑い気味に付け加えた臣一郎の言葉に、風華は俯いたまま口を尖らせて小声で愚痴を漏らす。

 普段は名家のお嬢様らしく“お兄様”と言っているのだが、
 恥ずかしさからなのか、風華は素が出ているようだった。

 それと恐らく、臣一郎の言う“カズ”とは、
 先ほど名前を聞かされたばかりの風華の兄、一尋【かずひろ】の事だろう。

臣一郎「ハハハ、けれど、元気そうで僕も安心したよ。
    新しい後輩とも仲良くやれているようだし」

 臣一郎は、どこかいじけた様子の風華に笑顔でそう言うと、空に視線を向ける。

空「お、お世話になっています!」

 唐突に話題を振られた気分になって、空は慌ててそう返した。

臣一郎「うん、じゃあ僕からも、風華の事をよろしく頼むよ、朝霧空君。
    ………さて、挨拶も済んだ事だし、仕事に戻るとするよ」

 臣一郎は笑みを浮かべて満足そうにそう言うと、改めて受付に向き直る。

臣一郎「ロイヤルガードより伝令で来た、本條臣一郎です。
    譲羽司令への面会を希望します」

美波「はい、はい、おっけ~」

 真面目な態度で切り出した臣一郎に、美波は砕けた態度で返した。

順子「せ、先輩、真面目にやって下さいよ~」

 その横では、何とか立ち直ったばかりの順子が慌てた様子でインカムを取り出し、
 どこかに連絡を入れている。

順子「譲羽司令、お客様がお見えになっています。
   ……はい、先日に連絡のあったロイヤルガードの本條臣一郎隊長です。
   ……はい、すぐにお通しします」

美波「よりりんもしっかり仕事できるようになって、先輩は楽ちんだよ~」

 真面目に仕事をこなす後輩を横目に、美波はあっけらかんとした笑みを浮かべていた。

 彼女が名物職員として挙げられる理由のもう一つが、この珍妙なあだ名である。

 風華の“ふーちゃん”などは、まあ、優しい部類なのだ。

 ちなみに空も、彼女からは“空っち”と呼ばれている。

 これに関しても“みはりゅんの妹だから、そりゃりゃんがいいかな?”と、
 珍妙極まりない第一候補を辞退した結果だ。

 姉に因んでくれるのは嬉しいが、“そ”以外は何も残らないあだ名は勘弁願いたい。

臣一郎「ありがとう、木場さん」

 ともあれ、無事に受付を済ませた臣一郎は、
 取り次いでくれた順子に向かって礼を言うと、司令執務室に足を向けた。

 しかし、ふと思い出したように風華に向かって振り返る。

臣一郎「近い内に時間を作るから、
    その時は食事でもしながら、ゆっくりと話でもしよう」

風華「は、はい……!」

 優しく微笑む臣一郎に、風華は緊張と嬉しさと気恥ずかしさの入り交じった表情で、
 僅かに戸惑ったように応えた。

 空も会釈して去って行く臣一郎に丁寧にお辞儀をし、彼を見送る。

フェイ「……そろそろ待機室に戻らなければ、ホットサンドとスープが冷めてしまいますが?」

 そんな二人に、フェイが淡々とした様子で声をかけた。

風華「あ、いけない!?」

空「急ぎましょう、風華さん!」

 風華は思い出したように叫び、空も慌てた様子で彼女にホットサンドの袋を手渡す。

 二人は頷き合って小走りで待機室へと向かい、フェイも早歩きで二人の後を追う。

 これだけ急いでも袋を揺らさないのは、普段の訓練の賜であった。

 一方、三人と別れ、司令執務室に向かった臣一郎は――

臣一郎「伯母上、臣一郎です」

明日美「どうぞ」

 臣一郎が執務室の扉をノックすると、
 それに応えて、扉ごしにやや籠もった明日美の声が聞こえる。

 扉が音もなくスライドし、臣一郎が入室すると同時に、再び音もなく閉じられた。

臣一郎「お久しぶりです、伯母上、ベンパー副司令」

 臣一郎は執務室に入ると、姿勢を正して敬礼をする。

アーネスト「やあ、君が来るとは珍しいね」

 少し驚いた様子で立ち上がったアーネストは、
 執務机から離れた位置にあるソファに歩み寄り、臣一郎に座るように促した。

 臣一郎は“永らくご無沙汰していました”と言いながら、ソファに座る。

明日美「久しぶりね、臣一郎。お母さんの具合はどう?」

臣一郎「息災です。
    昨日、サンダース保護官の所に顔を出して来たそうです」

 立ち上がってソファに歩み寄って来る明日美の質問に、臣一郎は穏やかな調子で答えた。

 明日美が応接テーブルを挟んで臣一郎の対面のソファに座ると、
 アーネストも明日美の傍らに腰を下ろす。

明日美「そう……。昔から、あの子はアルフ君に懐いていたものね」

アーネスト「明日華君が彼に懐いていたのは……彼にある種の下心を感じますがね」

 明日美が感慨深く漏らすと、アーネストが珍しく皮肉めいた口調で呟く。

明日美「貴方達は……本当に仲が悪いわね」

アーネスト「申し訳ありません、司令……。こればかりは性分のような物でして」

 溜息がちな明日美の言に、アーネストは少しだけ申し訳なさそうに返した。

 そんな二人の様子に、臣一郎は微笑ましそうに微かな笑みを浮かべている。

 そして、執務室の上に置かれている小さな薬箱に目を向けた。

 小さな、と言っても縦横高さ十五センチはありそうな、それなりに嵩のある物だ。

臣一郎「お変わりないようですね……伯母上も」

明日美「まあ、この歳でこんな仕事をしていればね」

 優しい笑みの中、どこか寂しげな物を浮かべた臣一郎に、明日美は微かな苦笑いを交えて呟く。

 既にお気付きかもしれないが、臣一郎の母は明日美の妹にして、
 結とアレックスの第二子でもある、明日華【あすか】である。

 静かな物腰は父を通じて祖父・一征から、
 穏やかな性格は母を通じて祖母・結からの遺伝だと、よく言われていた。

明日美「……それで、今日は何の用だったかしら?」

 このままではただの世間話に終始しそうだったので、明日美は半ば無理矢理に本題を振る。

 臣一郎も気を取り直し、持って来た端末をテーブルの上に置く。

臣一郎「以前、こちらに依頼された資料を持って来ました」

 彼の言葉に反応するように、その端末から立体映像が浮かび上がる。

 NASEANメガフロートをワイヤーフレームで再現した立体マップだ。

 縮尺は百万分の一と言った所だろう。

 そこに無数の赤い光点が映し出されている。

臣一郎「光点がここ七ヶ月のイマジンの出現箇所と、一定以上の高い反応を示した地点です。
    より詳細なデータは別添ですが……」

 臣一郎は説明しながら、どこか釈然としない様子を抱えているようだった。

臣一郎「……伯母上、この手のデータなら、我々よりも此方の方がより良い物が揃っているのでは?」

 しばらく戸惑っていたようだが、臣一郎は思い切ってその疑問を口にする。

 確かに、ギガンティック機関は対イマジンの最前線だ。

 臣一郎の言葉通り、皇族と王族の警護を主任務とするロイヤルガードに比べて、
 そう言ったデータの質は大きく変わらないとまでは言わないが、それなりに優れた物になるだろう。

明日美「今は少しでも多くのデータが欲しいの。
    転ばぬ先の杖と言う所かしらね……。

    歳を取ると、どうしても臆病になってしまう物よ」

 明日美はどこか自嘲気味に呟いて、立体マップを閉じて端末を受け取った。

明日美「この端末、ウチの戦術解析部と情報解析部に回すけど、良いかしら?」

臣一郎「ええ、構いません。ただ、叔父上からはこの件は軍部には内密に、との事です」

 明日美の質問に応えた臣一郎は、小声で付け加える。

 それを受けて、アーネストが小さく溜息を漏らし、口を開く。

アーネスト「やはり、此方と其方の距離が近いのは、軍にとっては面白くないようですね……」

臣一郎「政治を気にする背広組だけですよ……。
    制服組には大叔父や阮家のシンパも多いですし」

 どこか愚痴めいたように漏らすアーネストに、臣一郎はどこか申し訳なさそうな苦笑いを浮かべて返した。

明日美「ウチは金食い虫だもの……、政治家としてはどうしても面白くないでしょう」

 明日美はそう結論づけて、盛大な溜息を漏らす。

 正直な話をすれば、ギガンティック機関に関連した施設や企業に回される資金やエネルギーは、
 非常に莫大かつ甚大であり、他の財政を圧迫する物だ。

 同じく防衛を司る軍部の、特に政治に携わる上層部の一部からは煙たがられているのも事実である。

 また、現状で十機しかないオリジナルギガンティックの内、
 二機がロイヤルガードに貸与されている事も気に食わないと感じている者も多い。

 こればかりは適正や戦力比の問題もあるので致し方ない部分も多いのだが、
 民衆の人気取りと言うやや俗な面で、痛くもない横っ腹を突かれなければならないのである。

 そして、その矢面に立たされるのは、ギガンティック機関司令と言う役職にある明日美の仕事なのだ。

臣一郎「次の機会には、大叔父も使っている李家から頂いた胃薬を持って来ますよ」

明日美「……ありがとう、臣一郎」

 困ったような笑みを浮かべる臣一郎に、明日美は申し訳なさそうな苦笑いを浮かべて礼を言った。

―2―

 それから僅かに時は過ぎて、ドライバー待機室――


風華「うぅ……もう、本当に突然来るんだもの……」

 風華は朝食を終えた後も、先ほどの事を思い出しながら頬を真っ赤に染めて俯いていた。

 どうやら、唐突に臣一郎が来訪した衝撃の余韻に浸っているようで、中々人心地つかないようだ。

 そんな風華を後目に、空達は食後のコーヒーに舌鼓を打っている最中である。

空「ロイヤルガードの人が来る事って、そんなに頻繁にあるんですか?」

マリア「ん~、二、三ヶ月に一回あるかないか、ってトコかな?」

 空の質問に、マリアが思案気味に答えた。

クァン「ロイヤルガードと言うよりも警察関係……もっと言ってしまうと、
    シェルターの管理や避難誘導を行っているレスキュー関連の組織からの訪問が多いかな。

    そちらとの連携も密にしていないと、僕らも動き難いからね」

空「なるほど……ためになります」

 マリアの後を継いで詳しい説明をしてくれたクァンに、空は感嘆混じりに頷いてからお辞儀する。

 確かに、市民の避難状況が確認できなければ、
 イマジンとの戦闘も上手く立ち行かない事もあるだろう。

 こちらが到着するまでイマジンの牽制や威力調査をしてくれる軍との連携も重要だが、
 そちらとの連携も重要なのだ。

 その事に、空がしみじみと納得していると――

??「にがぁっ!?」

 不意に悲鳴じみた声が上がり、全員の視線がそちらに集まる。

 するとそこには、両目を硬く閉じ、僅かに舌先を出して悶絶する風華の姿があった。

フェイ「藤枝隊長、砂糖を入れてらっしゃらなかったのですか?」

 フェイは淡々とした様子で尋ねながらも、素早く水の入ったコップを差し出す。

風華「うぇ……にがかったぁ……」

 ひったくり気味に受け取ったコップの水を飲み干した風華は、
 半泣きの表情で、やや絶え絶えに漏らした。

 ちなみに、フェイが用意してくれている食後のコーヒーには、
 ある程度の甘味料が加えられてマイルドにされているため、
 決してブラックコーヒーと言うワケではない。

 現に、“苦いのは苦手”と感じている空ですら、
 その日の気分でミルクかガムシロップを一つ加えただけで飲める程度だ。

瑠璃華「風華は砂糖無しじゃ飲めないからなぁ……子供舌すぎるぞ」

 メンバー内でも年少の瑠璃華は、どこか小馬鹿にしたように呟いて、
 ガムシロップとミルクたっぷりの甘味乳飲料と化したコーヒーを飲み干している。

風華「に、苦いのが駄目なだけで、渋いのは大丈夫なの……緑茶とか……、
   それに、フェイの煎れてくれるコーヒーは美味しいし」

 風華は気落ちした様子で呟きながら、
 テーブルの上に準備されていたケースからスティックシュガーを二本取り出し、
 コーヒーに加えてティースプーンで掻き回す。

 スティックシュガーを二本も入れたら、元の味など台無しである事は、
 この場では言うべきではないだろう。

レミィ「藤枝隊長……無理せずコーヒー以外を頼んでもいいんですよ?」

 どこか心配した様子のレミィが、そんな提案を持ちかける。

 だが――

風華「そうしたいけど、そんな事したらフェイが手間でしょう?」

 と、まだ実行にも移していないのに、風華は申し訳なさそうに返した。

フェイ「私は別に構いませんが?」

 フェイは淡々とした中にも、どこか怪訝そうな雰囲気で呟く。

 ちなみに、待機室での食後の一杯がコーヒーなのは、
 風華や前隊長である海晴が入隊する以前からの習慣だったそうだ。

 もっと遡れば、機関発足時の待機室メンバー――明日美の現役時代、
 さらに遡ればフィッツジェラルド・譲羽家の食卓――からの伝統である。

 父や伯父、伯母も辿って来た道であるため、
 安易にその伝統を崩すのも良家の子女としては躊躇われるのだろう。

 彼女にとっては、少々、難しい問題なのだ。

 フェイもその辺りの事情に気付いたのか、特にそれ以上の事は言わずに引き下がる。

瑠璃華「……ん、ごちそうさま。
    じゃあ、私は研究室に籠もって来るぞ。
    昼食も向こうで取るから出前の方にも言っておいてくれ」

 同じタイミングで、コーヒー味の甘味乳飲料を飲み終えた瑠璃華が立ち上がり、
 後ろ手に手を振りながら待機室を後にした。

フェイ「いってらっしゃいませ、天童隊員」

 フェイはその瑠璃華を丁寧に見送ると、彼女が置いて行ったカップの後片付けを始める。

マリア「じゃあ、暇つぶしでも始めるかな……」

 マリアもコーヒーを飲み終えたカップをフェイに預け、書架の前で電子書籍の物色を始めた。

 クァンもやれやれと言った調子で立ち上がり、
 手早く目当ての電子書籍を端末にダウンロードし、ソファに戻る。

 今日のシフトはマリアとクァンがメイン、空とレミィ、そして風華が第一サブ、
 第二サブにはフェイと瑠璃華と言った布陣だ。

 ちなみに、フェイと瑠璃華は先日から暫く第二サブに回されていた。

 理由は幾つかあるが、フェイがサブに回されている理由はアルバトロスの不調だ。

 五日前の戦闘で無茶な合体を行った上に全開機動まで行ったせいか、
 想像以上に接続部への負荷が掛かっていたようで、
 現在は合体時の空向きの調整も兼ねてオーバーホール中である。

 瑠璃華もその立ち会いや、普段から行っているオリジナルギガンティック――
 さらに言えばハートビートエンジン――の解析作業だ。

 そのため、本来の編成では空、レミィ、フェイの三人のチームと、
 風華と瑠璃華のチームで組むのが通例なのだが、ここ数日は前述の通りに入れ替えられていた。

空「さてと……じゃあ、私はトレーニングに行って来ますね」

レミィ「ん……なら、私も行こうかな」

 一息吐いて立ち上がった空に続き、レミィも立ち上がって尻尾まで軽く伸びをする。

風華「あ、そう言えば、空ちゃんとはまで一度も手合わせしてなかったわね……。
   私もご一緒しようかしら?」

 風華も思い出したように呟き、残っていたコーヒーを一気に飲み干す。

風華「んぶっ!? ……あ、あまぁ…い……」

 だが、どうやら砂糖が溶け残っていたらしく、一気に飲み込んでしまった風華は顔をしかめる。

空「だ、大丈夫ですか!? 風華さん……」

風華「う、うん、大丈夫……」

 慌てた様子で心配そうに尋ねる空に、風華は口元を押さえ、プルプルと肩を震わせながら答えた。

 人間、“大丈夫?”と尋ねられると、“大丈夫”と返してしまう物である。

マリア「アタシさ……油断し切ってる時の風華さんって嫌いじゃない。
    むしろ可愛らしくて好き」

クァン「……ノーコメントで」

 微笑ましそうな表情で淡々と語るマリアに、クァンはどこか溜息がちに答えた。

 溶け残り砂糖のダメージから立ち直った風華と共に、
 空とレミィは普段のトレーニングルームとは別の、
 寮に併設された全職員共用のトレーニングセンターへと足を運んでいた。

 普段ならドライバー向けのトレーニングルームを使うのだが、
 今日は専属の業者が清掃に入っていたため、こちらに向かった次第だ。

 職員の運動不足解消やスポーツリラクゼーションを専門とした施設だけあって、
 今も多くの職員達が利用している。

 時刻は朝の九時過ぎ。
 今の時間帯の利用者は、休日か深夜シフト空けの職員達だろう。

空「平日のこんな時間でも、使っている人は結構多いですね」

風華「空いた時間に身体を動かしに来る人もいるから、かしら」

 少し驚いたように辺りを見渡した空に、風華は思案気味に返した。

 デスクワークの多いオペレーターや、ソフト面を扱うシステムエンジニアなど、
 運動不足に事欠かない職員は多い。

????「おや、君達もトレーニングかい?」

 少し離れた位置から聞き慣れた声がして、空達はそちらに振り返る。

 するとそこにいたのは、メディカルオペレーターのチーフを務めるメリッサの姿があった。

 トレーニングウェア姿のメリッサはエアロバイクに跨り、
 素早くペダルを漕ぎながらも息一つ切らしていない。

風華「そう言うメリッサさんも、トレーニングですか?」

メリッサ「ああ、カンパネッラが運動不足だと言うので付き合ってやっている。
     メディカルオペレーターは基本的にヒマだからな」

 風華の問いかけに応えたメリッサは、最後は空に説明するように言った。

 確かに、メリッサの隣のエアロバイクには、
 彼女の部下であるジャンパオロ・カンパネッラ――ジャンが少し疲れた様子でペダルを漕いでいる。

 ブリーフィングが終わったのが八時、そのまま食事を済ませて此方に来たとすれば、
 単純計算で一時間はペダルを漕いでいる計算だ。

 事実その通りであり、食休みを挟む事なく二人はトレーニングセンターを訪れていた。

メリッサ「どうしたカンパネッラ、この程度を音を上げるな。
     運動不足解消を言い出したのはお前だろう?」

 しかし、彼女には疲れた様子の部下が不甲斐なく映ったのか、メリッサはジャンを焚き付けるように言う。

ジャン「あ、あれだけ食べた後にこれだけ運動して、
    何でチーフは、そんなに元気なんですか……!?」

メリッサ「医者は身体が資本だからな。
     食った直後で動けないなんて言い訳、患者にするワケにもいかんだろう?」

 呆れと驚きの入り交じるジャンの言葉を、メリッサはさも当然と言いたげに返した。

 成る程、正論だ。
 だが、状況次第では暴論である。

メリッサ「肉、開腹手術、肉くらいのローテーションが出来て初めて一人前だからな」

 よく分からない暴論めいた理屈を宣いながら、メリッサはさらにペースを上げた。

 肉を食べた後に他人の腹を開いて縫い合わせ、その後でも肉を食えるのは、
 おそらく相当な健啖家か太すぎる神経の持ち主くらいであろう。

 まあ、言ってしまえば彼女はそのどちらも当てはまる希有な人物ではあったが……。

空「成る程……」

 但し、それに納得しかけている少女が一人。

 空だ。

 空はメリッサの言葉を、そのくらいの気構えが必要と言う意味で取っているのだろうが、
 彼女の場合は何の含みのないストレートな意味であり、また、それが出来てしまう人物なのである。

風華「空ちゃん、メリッサさんは特殊過ぎるから真似しちゃ駄目だよ?」

レミィ「うぇぇ……」

 苦笑い気味にそんな空を諫める風華の傍らでは、
 レミィが心底気分の悪そうな表情を浮かべていた。

 おそらく、肉・開腹手術・肉のローテーションを想像してしまったのだろう。

 ご愁傷様である。

 ともあれ、空達は風華に連れられるようにしてその場を離れ、
 トレーニングセンターの一番広いフロアの、さらに一番奥へと向かった。

 そこは広い畳張りの運動場になっており、
 普段は格闘技や魔法戦技の訓練などに使われている。

 何故にギガンティック機関職員に戦闘訓練が必要なのかと問われれば、
 要はテロリストに本部や出動中のキャリアが襲われた時の応戦のためだ。

 今日は珍しく空いているようで、空達はこの広いスペースを貸し切りで使用できた。

空「私達の使えるトレーニングルームと、同じくらい広いですね」

レミィ「他の設備はコッチの方が断然良いけどな。
    ……っと組み手用の防具を見繕わないとな」

 感心した様に漏らす空を後目に、レミィは運動場の隅にある棚へと向かい、
 空が使えそうな模擬戦用の防具を選び始める。

 だが――

風華「あ、レミィちゃん。 
   今日は防具じゃなくて魔導防護服で行きましょう」

 そんなレミィを、風華が呼び止めた。

レミィ「本気の藤枝隊長の相手は、空にはまだちょっと酷じゃありませんか?」

風華「い、いきなり本気なんて出さないわ。
   エールに乗ってる時だと本来の動きが分からないし、
   他の隊員の能力を把握できていないのも隊長としては、ね」

 訝しがるレミィに、風華は少し困ったように返し、さらに続ける。

風華「だから、レミィちゃんにはウォーミングアップを手伝って貰いたいんだけど、いいかしら?」

レミィ「そう言う事でしたら」

 風華の提案に頷いたレミィは、彼女から少し離れた位置に立つと、
 制服の袖をたくし上げて星形のチャームが付けられたブレスレットを露出させた。

 このブレスレットが、彼女のギアであるヴィクセンの“ギアとしての本体”だ。

レミィ「起動認証、レミット・ヴォルピ………駆けろ、ヴィクセン!」

 レミィの起動のかけ声と共に、ギアから若草色の魔力が溢れ出して彼女を包む。

 魔力を受けたマギアリヒトは、レミィの制服を魔導防護服へと再構成して行く。

 魔力の輝きが止むと、インナースーツの上に動き易そうなノースリーブジャケットを羽織り、
 下はミニスカートに膝下丈の丈夫そうなレギンス、
 前腕、肘、膝、脛などに最低限のプロテクターを纏ったレミィが現れる。

風華「それじゃあ、私も……お願いね、突風」

 風華も中央に進み出ると、腰のベルトストラップに手を当てる。

風華「起動認証、藤枝風華……竜巻け、突風!」

 風華が魔力を解放すると、彼女の周囲を蒼色の竜巻状の魔力が巻き上がり、
 一瞬で制服が魔導防護服へと再構成された。

 チャイナドレスと道着をミックスしたような緑色の魔導防護服に、
 彼女の魔力色を示す蒼色のリボンを腰にあしらった、
 いわゆる“道着型”と呼ばれる魔導防護服だ。

 腕のプロテクターは最小限だが、脚のプロテクターは中々ゴテゴテとした印象を受ける。

 ちなみにレミィのような軽装に加えて、小さなプロテクターを持つ魔導防護服は、
 “ジャケット型”に分類されていた。

空「これが二人の魔導防護服……」

 魔導防護服を纏った二人に、空は魅入る。

 軍や警察で使われている量産型とは、明らかに一線を画したデザインの、
 いわゆる専用仕様の魔導防護服を目にするのは今日が初めてだ。

風華「私のはお祖母様のデザインを流用したお古だけどね」

 羨望に近い眼差しを向けて来る空に、風華は困ったような苦笑いを浮かべる。

 確かに、蒼色のリボンの色を黄色にすれば、
 彼女の祖母であるメイが二十代の頃に使っていた魔導防護服のデザインそのままだ。

レミィ「隊長の動きは早いからな、私と隊長のアップを見ながら目を慣らしておくといい」

 レミィはそう言いながら、両腕にかぎ爪付きの手甲を作り出す。

 どうやら、このモードSのスラッシュクローのようなかぎ爪付き手甲が、
 彼女の得意とする武器のようだ。

空(そうなると……やっぱり風華さんの武器は、足技かな……)

 空は風華の脚に装着されたプロテクターを見ながら、そんな事を考える。

 レミィとのゴタゴタが一段落してから、それなりに他のギガンティックの事も教えられていた。

 206――突風の主戦術は機動性を活かした蹴り技だと聞かされている。

 そうなれば、風華の戦法も蹴り主体の格闘戦と考えるのが普通だろう。

風華「空ちゃん、悪いけど開始の合図をお願い」

空「あ、はい!」

 風華の戦法を予想している途中、風華自身から声をかけられ、
 空は少し驚いた様子で答えた。

 空は、運動場の中央で相まみえた二人から、僅かに離れた位置に立つ。

空「構えて下さい!」

 空は右手を掲げ、二人に構えを促す。

 風華は僅かに腰を落とし、レミィは低く低く構える。

 三十センチ近い身長差もあって、元から大人と子供ほどの身長差のある二人だったが、
 レミィの構えはかなり低く、既に風華の腰よりも低い態勢だ。

 空は怪訝そうな表情を浮かべながらも、二人が構えを取った事を確認し、
 掲げた右手を振り下ろす。

空「始め!」

 空は開始合図と同時にその場から退く。

 直後、タンッと言う乾いた音が重なって聞こえたと思うと、
 即座に二人の左足甲と右手甲がぶつかり合った。

レミィ「はっ、せいっ!」

 レミィは僅かに打点をずらして風華の脚を払い、
 開いた胴に向けてもう一方……左手の手甲を叩き込む。

 しかし、風華はそれを見越していたかのように、払われた力に逆らわず、
 僅かに左に跳んでその一撃を回避する。

風華「せぃやぁっ!」

 風華はスキだらけになったレミィの背中に、着地した左足を軸とした後方回し蹴りを放つ。

 だが、レミィは殆ど俯せになるようにしてその回し蹴りを回避し、
 風華の脚が通り過ぎた瞬間を狙って跳ね上がるようにして立ち上がり、
 その反動を殺さずに後方に跳んだ。

 レミィが距離を取った事で、大振りな回し蹴りの隙を清算した風華は、
 再び元の構えに戻る。

レミィ「はあぁっ!」

 一方、両手両足を全て使って着地したレミィは、
 やはり四肢全てのバネを用いて、風華に飛び掛かった。

 空中で右腕を突き出し、狙うは真っ向からの爪の一撃。

 そこで空は合点が行く。

 そう、不自然なほどに低かったレミィの構えは、獣のソレだったのだ。

 レミィはキツネとの混合種の亜人とは言え、危険な牙や爪は持たない。

 だが、かぎ爪付き手甲と言う新たな爪を得たレミィの戦い方は、
 生来の柔軟なバネと、常識に囚われない態勢からくり出される攻撃は、野獣の戦法そのものだ。

 しかし――

風華「ふ、っと!」

 軽い呼吸と乾いた足音と共に風華は床を蹴り、最小限の跳躍でその一撃を回避する。

 そして、回避しながらもしなやかな左中段蹴りで、レミィの右横っ腹を狙う。

 レミィは咄嗟に腕を引き、肘のプロテクターでその一撃を受け、
 蹴り飛ばされる勢いのまま再び距離を取った。

風華「せぇいっ!」

 風華はそのまま、着地するレミィの隙を狙って一足飛びに跳び蹴りを放つ。

レミィ「っぅ!?」

 着地したばかりのレミィは、咄嗟に両腕を較差させ、その一撃を受け止めた。

 ――対する風華も、長身のバネと脚の長さ、
 それらを活かす技量の併せ持った、素早い足技の使い手だ。

 元来、彼女の祖父母の内、母方の祖母を除いた三名は誰しも格闘戦技を得意としていた。

 唯一格闘戦技を得手としなかった母方の祖母も、近接剣技の達人である。

 両親を通じて、連綿たる本條と李の才を受け継いだ風華は、
 正に近接格闘戦技に秀でたサラブレッドなのだ。

レミィ「ふぅ……参りました。やっぱり、藤枝隊長にはまだ敵いません」

 風華の跳び蹴りを受けて、完全に態勢を崩してしまったレミィは、
 溜息混じりに肩を竦めた。

 確かに、この態勢からの反撃は難しいだろう。

 実戦ならば諦めるべきではないが、
 これは模擬戦……しかもただのウォーミングアップなのだ。

 その事を思い出して、空は愕然とする。

 あの流れるような一連の攻防は、ほんの十数秒程度の出来事だったのだ。

風華「まだ、かぁ……。

   隊長になってからはデスクワークも多いし、
   うかうかしていたら、すぐにレミィちゃんに追い抜かれちゃいそうね」

 驚く空の目の前で、風華は呼吸一つ乱さずにレミィの手を取って、彼女を立ち上がらせる。

 ウォーミングアップなのだから二人とも本気ではないのだろうが、
 それでもあれだけの攻防の後で、呼吸一つ乱していないのはさすがとしか言いようがない。

風華「じゃあ、私は隅でもう少しだけ準備運動しているから、
   空ちゃんはその間にレミィちゃんとウォーミングアップしていて」

 風華はそう言い残すと、防具の置かれた棚とは反対側にある運動場の隅に行き、
 手足を伸ばす軽いストレッチを始めた。

 ウォーミングアップとストレッチの順番が逆なような気もするが、
 今朝も咄嗟にあれだけの動きを見せた風華だ。

 元より、半端な柔軟運動をするよりも、
 先ほどのように組み手型式で身体の実戦感を叩き起こす方が、よほど準備運動になるのだろう。

空「何だか、凄い人だね……風華さんって」

レミィ「ああ……、私達もそれなりに鍛えてはいるつもりだが、
    隊長と……海晴さんと藤枝隊長は別格だな」

 驚く空に、レミィは頷いてから感慨深く返す。

 そんなレミィに、空は“私からしたら、レミィちゃんも十分別格なんだけど”と苦笑いを交えて呟いた。

 それから空は、ほぼ実戦形式だった風華とレミィのウォーミングアップとは異なり、
 普通に軽い柔軟体操を済ませてから、レミィが構えた両肘と両膝に、
 時計回りで長杖を順番に当てる簡単なウォーミングアップを済ませ、改めて風華と相対する事となった。

空「えっと……模擬戦用のロッドに持ち替えた方がいいですか?」

 空は戸惑い気味に風華に尋ねる。

 ウォーミングアップの際、レミィに相手をしてもらった時は、
 軽くノックする程度にしか当てていなかったが、さすがに模擬戦ではそうもいかない。

 下手をすれば、けが人が出る騒ぎになってしまう。

 それが自分か風華であるかは別として、だが。

 加えて、いつぞやの訓練所での時と同じように、
 空のエッジ付きロッドは槍と剣さえあれば何処でも作れるのが強みだ。

風華「大丈夫よ。
   魔力さえ込めなければ、たとえギアでも魔導防護服を貫く事は出来ないから」

 風華はそう言って笑みを浮かべる。

 彼我の魔力量に天地よりも大きな隔たりがあれば別だが、魔導防護服の作り出す障壁は強固な物だ。

 如何にマギアリヒトが結晶化した武装であっても、
 それはあくまで“武器の形をした何かを形成する魔法”であって、攻撃魔法ではない。

 魔力を込めれば、途端に“武器攻撃に似た攻撃魔法”となるが、
 それもあくまで魔力を込めた場合である。

 ともあれ、余程の例外を除けば、魔力の込められていないギアによる攻撃は、
 常時魔力を纏っている“着込む障壁結界”である魔導防護服を貫ける物ではない、と言う理屈だ。

空「分かりました……えっと、それじゃあ……」

 空は頷いてから一歩退き、左手の指輪を掲げる。

空「起動認証、朝霧空……エール、スタートアップ!」

 指輪から溢れた空色の魔力が、空の制服を魔導防護服へと再構成して行く。

 空の魔導防護服は、かつて結・フィッツジェラルド・譲羽がグンナーショックの際、
 ギガンティックウィザードの前進とも言える第八世代ギア――
 魔導機人装甲を駆った時に身に纏った魔導防護服と同じ物だ。

風華「あら……」

 その姿を見た風華は、少し驚いたように目を見開いている。

空「あ、あの……何かおかしかったですか?」

 空は恥ずかしそうに頬を染めて、戸惑い気味に尋ねた。

風華「あ、いや、違うの!
   うん、子供の頃に見せて貰った、お祖母様の昔の写真とそっくりで……」

 風華は慌てた様子で、取り繕うように返す。

 昔の写真と言うのだから、今のようなフォトデータが一般的になる以前の物だろう。

風華「髪型やリボンの色が一緒だからかしら? きっとそうね」

 訝しがる空を傍目に、風華は一人で納得したように頷く。

 おそらく風華は、写真に写っていた人物と自分が似ていると感じたのだろうと、空は直感した。

 そして、今の自分のこの格好だ。

 空は、自身の魔導防護服の由来については詳しく知らないが、
 コレが英雄・閃光の譲羽の物である事くらいは承知している。

 おそらく、自分に似ている人物と言うのは、結・フィッツジェラルド・譲羽の事だろう。

 あくまで推測でしかないのだが、そう考えると空は少し落ち着かない気分に見舞われた。

風華「あ……でも、リボンは空ちゃんの方がオシャレかしら?
   フリル付きで可愛いらしいもの……」

空「…………ありがとうございます」

 風華の言葉に、空は一拍おいてから落ち着いた様子で返す。

 空が髪を結っているフリル付きのリボンは、元々は亡き姉のために買って来たプレゼントだったが、
 姉の手によって返され、結んでもらったあの日から、姉に最後に貰ったプレゼントでもあった。

 有り体に言えば、姉の形見と言う事になる。

 そんなリボンを褒めて貰うのは、空にとっては自分の事を褒めて貰う以上に嬉しい事だ。

風華「……それじゃあ、改めて、そろそろ始めましょうか?」

空「はい!」

 気を取り直した風華の提案に、空は頷いて応える。

レミィ「よし、じゃあ……構え!」

 二人の準備が終わるのを待っていたレミィは、そう言って右手を掲げた。

 風華は先ほどと同じく、僅かに腰を低くした姿勢となり、
 空も右手と右脇で長杖を保持する慣れた構えを取る。

風華「空ちゃん、最初の一分は杖だけを狙ってゆっくりと攻撃して、
   徐々にペースを上げて行くから、防御しながら目を慣らしていってね」

空「分かりました」

 構え終えてからの風華の指示に、空は頷いて応えた。

 そして――

レミィ「始め!」

 右手を振り下ろしたフェイの合図で、風華が飛び掛かって来る。

空「ッ!?」

 傍目に見ていたのは明らかに違う、風華の凄まじい瞬発力に空は息を飲む。

風華「右中段!」

空「は、はい!」

 だが、風華の鋭い声に、即座に気を取り直し、
 構えていた長杖を両手で広く持ち、右中段を防ぐように構える。

 直後、風華の中段蹴りが空の構えた長杖に直撃した。

風華「いい反応だわ! じゃあ、次は左上段!」

 蹴りを受け止められた風華は、素早く二歩退くと、
 今度も言葉通りに左上段から鞭のようにしなる上段回し蹴りが襲い掛かる。

空「はいっ!」

 空は油断する事なく、同じように構えていた長杖でその一撃も凌ぐ。

 正面からの蹴りを長杖で受け流し、下段の蹴りを床に石突きを突き立てた長杖で防ぎ、
 上段と中段のコンビネーションを旋回させた長杖で順序よく弾いて行く。

風華「あと二十秒したらもう何も言わなくなるから注意して! 下段と上段!」

空「はっ、はい!」

 段々と早くなる風華の攻撃を防ぎながら、空は何とか返事を返す。

 そろそろ喋っていては受けきれない。

 最後に下段・上段・中段の三段蹴りを受けた所で、遂に一分が経過する。

風華「空ちゃんから攻撃して来てもいいわ。
   相手の態勢を完全に崩すか、クリーンヒットを奪った時点で終了よ」

空「は、はいっ!」

 一旦、距離を取り直した風華の言葉に、空は何とか呼吸を落ち着けてから応えた。

 風華が退いたのは大きく五歩、おおよそ六メートル足らず。

 彼女の瞬発力と跳躍力なら、たった一度の跳躍で間合いを詰める事が出来るだろう。

 それどころか、自分の後ろを取る事だって、風華なら出来てしまう。

 ここはレミィのように、一気呵成に攻めるべきだ。

空(風華さんの足は長いし、蹴りも早いけど、
  リーチは杖を使っている私の方が断然上だもの!)

 空は確信を持って足を踏み出す。

 低い姿勢から横薙ぎの一撃だ。

 だが――

風華「うん、いい動きよ!」

 風華は賞賛の声をかけながらも、正面に跳んで長杖の内側に入り込む。

 槍を横薙ぎにした起点である手首より、やや内側……伸ばしきった腕の内へと。

 これでは長杖は当てられないし、咄嗟に持ち替える事も出来ない。

 彼女の技量と瞬発力あっての戦術だ。

 空は少し態勢を崩しながらも、
 右前方に転がるようにして十メートル以上距離を取り、即座に構え直す。

 本来は背後を取れるような動きだが、
 態勢を一切崩していない風華は悠然と向きを変えて構え直している。

空「前に跳んで回避……そう言うやり方もあるんだ……!?」

 小声で呟きながら、訓練所でアルフと組み手をした時とは違う回避方法に愕然としつつ、
 空は風華の隙を窺う。

 恐らく、風華の動く速度はレミィと組み手をした時と、そう変わらないハズだ。

 だが、いざ相対してみると前述の通り、体感の違いに舌を巻く。

空(岡目八目って、こう言う時の言葉だよね……)

 空は心中で独りごちる。

 当事者よりも無関係な者の方が物事の是非をよく理解できると言うが、正にその通りだ。

 風華やレミィのあのスピードは、傍目だからこそ目で追えたが、
 徐々に目を慣らして貰った今でも、直近での速度は傍目の時の倍以上に感じる。

空(私のスピードで当てるならフェイントを交えて……
  ううん、あの速さを相手にフェイントなんて……)

 空は対策を考えるが、到底、敵いそうにもない。

 せめて、傍目で見た時と同じ状況に、
 最低でも同じ感覚で風華を捉えられなければ、攻撃を当てる事など不可能だ。

 そこまで考えた瞬間、空の脳裏に一つの可能性が閃く。

 風華とレミィの組み手を見ていた際には、
 自分の視線……意識は二人の組み手に集中していた。

空(そうか……攻撃しながらだから、
  意識が自分の攻撃と風華さんに分散されちゃうんだ……。

  防御も、きっと同じ。

  それなら……!)

 空はそんな事を考えながら、長杖を固定するために締めていた右脇を僅かに開き、
 いつでも瞬時に動かせる態勢を作る。

 だが、決して脇を開き切りはしない。

 風華に、自分の目論見を完全に看破されるワケにはいかないのだ。

 そして、一定の構えを崩そうとしない空に痺れを切らしたのか、風華が動きを見せる。

風華「そう………動かないなら、私の方から行くわね!」

空(来てくれた!?)

 どこか納得したように頷いてから動き始めた風華に、空は僅かな驚きを交えて歓喜する。

 そう、空が狙っているのはカウンターの一撃だった。

 構えを緩め、風華の動きにだけ意識を集中する事で、彼女の動きを捉えようと言うのだ。

 事実、今の空には風華の動きは傍目で見ていたのと同じか、やや遅く見えていた。

 一定のリズムを保ったステップで、風華が近付いて来る。

 あと二歩。

 あと二歩近付いた所で、足技の瞬間に無防備になる軸足を払えば、
 風華の態勢を崩して自分の勝ちだ。

 これなら行ける。

 空はそんな確信を抱く。

 だが――

 たん、たん、と一定のリズムを保っていたハズの風華のステップが、
 彼女の気配共々、一瞬で掻き消えた。

空「ッ!?」

 一拍遅れて息を飲んだ空が、その瞬間に風華の姿を見失う。

 そして、その直後、首筋にトンッ、と硬い物が当たる感触がした。

??「はい、クリーンヒット」

 背後から聞こえる、聞き慣れた柔らかな声音。

 風華だ。

 首筋に当てられたのは、彼女の足甲。

空「………ま、参りました」

 数拍遅れて、風華に背後を取られた事を悟った空は、
 そう言ってその場にへたり込んでしまう。

 驚愕とショックの余り、軽く腰が抜けてしまったのだ。

風華「え……だ、大丈夫!? 空ちゃん!?
   も、もしかして変な所に当てちゃった!? 平気!?」

 途端、つい先ほどまで珍しく静かな雰囲気を保っていた風華が、
 普段通りのオロオロとした様子に戻って心配そうに声をかけて来た。

 正面に回り込み、慌てた様子で空の首筋を診る。

空「だ、大丈夫ですよ、ちょっと腰が抜けただけですから!
  ほら、首筋だって魔導防護服に覆われてますし」

 そんな風華の様子に、空も少し困ったような表情を浮かべて返す。

 首筋はドライバー用のインナースーツと魔導防護服で二重にガードされている。

 軽く触れるように当てた程度では、当てられた感触すらあれど、
 ダメージなど微塵もあろうハズがない。

レミィ「立てるか? ほら」

 こちらも心配そうにやって来たレミィが手を差し伸べてくれていた。

 空は“うん、ありがとう”と答え、レミィに手を引いて貰って立ち上がる。

 腰が抜けていたのはほんの一瞬の事で、問題なく立ち上がる事が出来た。

空「それにしても……凄いです、風華さん」

 空は感嘆混じりに呟き、さらに続ける。

空「カウンターを狙っていたのに、一瞬で見失っちゃいました」

 負けた悔しさも無いワケでもないが、
 それを上回る風華の妙技に、空は素直に感動していた。

 完璧に捉えたと踏んでいたのに、
 風華はあっさりとその上を行っていたのだから当然だ。

風華「あ、うん……目の付け所は凄く良かったと思うわ。
   その……思わず、本気出しちゃったし」

 対する風華は、少しだけ申し訳なさそうに返した。

 成る程、唐突にステップが切り替わって姿が掻き消えたのは、
 風華が本気を出したためだったのか。

空(確かに、訓練開始から数えても七ヶ月程度の私じゃ、
  本気を出した風華さんには、まだまだ敵わないよね……)

 空はその事に納得しつつも、心中で肩を竦めて項垂れる。

 風華は藤枝の……本條と李の傍系の生まれだ。

 家督の相続順位は低いと言っていたが、相続権は持っているのだから、
 それこそ物心つく前から文武の英才教育を施されて来たに違いない。

 そんな人物に本気を出されたら、一年足らずの経験で敵うハズもなかった。

空(サンダース教官の時といい、
  何で私って格上の人達に、急に本気出されちゃうんだろう……)

 そう、思えばアルフと初めて長杖で対峙した時も、突如として本気を出した――
 と言うか、単に手が出ただけだそうだが――彼の手で吹っ飛ばされたのだ。

 日頃の行いが関係しているのだろうか、と空は何処か居たたまれない気持ちに陥る。

 だが、そんな空の思いとは裏腹に、状況は進行して行く。

風華「隊長……海晴さんと同じ戦法に行き着くのも、やっぱり姉妹だからなのかしら?」

空「同じ戦法?」

 風華の言葉に、空は小首を傾げた。

風華「ええ、カウンター戦法……。

   六年前まで、モードSもDも無かったから……
   えっと、ほら、エールって動き難いでしょう?」

 風華は少しだけ躊躇いがちに呟く。

 目の前に、件のエール本人がいるのだから無理もないだろう。

 風華は気を取り直し、さらに続ける。

風華「だから入隊してからは、基本的に待ちの姿勢で後の先を狙う、
   カウンターを主軸に鍛えたのよ。

   ……と言っても、私も海晴さんの一年後輩だから、
   聞いた話でしかないんだけどね」

 風華の言葉に、空は成る程、と頷く。

 確かに、初めてシミュレーターで見た姉の戦いは、鮮やかなカウンター戦法だった。

 モードSとモードDならば、それ以外の戦法も十分に可能だが、
 姉は二年近く、基本状態のエールのみで戦って来たのだ。

 豊富な武装オプションがあるとは言え、あの重い挙動ではそれを扱いきるのは難しいだろう。

 そうして行き着いたのが、相手の攻撃を避け、受け止めた瞬間に出来る僅かな隙を狙う、
 徹底したカウンター戦法だったのは、想像に難くない。

 自分が見たのは二年前のデータ……六年前の姉だ。

 あの境地に、果たして六年で辿り着ける物か……。

 そんな事を考えている空の様子を察したのか、レミィが声をかける。

レミィ「だから、お前は気負い過ぎだ……。

    今のエールは私やフェイがヴィクセンとアルバトロスでサポート出来るんだ。
    無理をしてカウンター戦術を極めるよりも、もっと私達を頼って戦いやすいように戦ってくれ」

 レミィはどこか呆れ混じりに、
 だが、年上らしい寛容さと包容力を含ませた優しい声で言った。

空「うん、あり――」

 ――がとう、レミィちゃん。

 空がそう言いかけた瞬間だった。

『PiPiPi――ッ!』

エミリー『第六フロート第二層にイマジン出現を確認しました!
     待機要員、整備班は出撃準備に入って下さい!

     繰り返します、第六フロート第二層にイマジン出現を確認しました!
     待機要員、整備班は出撃準備に入って下さい!』

クララ『08、09ハンガーのリニアキャリア一号への連結作業開始!
    二次出撃に備え、01、06、11ハンガーのリニアキャリア二号への連結作業開始』

 けたたましい電子音が響き、
 続いてコンタクトオペレーターのエミーリア・ランフランキ――エミリーと、
 メカニックオペレーターのクララの放送が響き渡る。

 空達は身を強張らせ、同時にトレーニングセンター内にもざわめきど動揺が走った。

 待機要員はすぐさま待機任務に入るために動き出し、
 そうでない者達も“いくら何でも最近は多すぎるだろう?”、
 “異常出現の期間にでも入ったのか?”と口々に呟いている。

 空が最初に戦ったカメレオン型イマジンが現れたのは今月の八日、
 変則ティラノサウルス型イマジンが現れたのは十一日。

 そして、十六日――今日と、この九日間で実に三体のイマジンが出現していた。

 先日、レミィやフェイから聞かされた話の通りならば、
 以前のイマジンの出現期間で最も短かったのは十日間だったそうだが、
 今回はそれよりも一日短い期間で三体が出現している。

 確かに、異常と言って差し支えないだろう。

風華「急ぎましょう。
   二次出撃と言っても援護は必要になるかもしれないわ」

 イマジン出現時の冷静な立ち居振る舞いになった風華が、そう言って二人を促す。

 だが――

『PiPiPi――ッ!』

エミリー『だ、第一フロート第四層に新たなイマジンの出現を確認しました!
     待機要員、整備班は出撃準備に入って下さい!

     繰り返します、第一フロート第四層に新たなイマジンの出現を確認しました!
     待機要員、整備班は出撃準備に入って下さい!』

クララ『リニアキャリア一号は発進準備終了次第発進!
    01、06、11ハンガーのリニアキャリア二号への連結作業を至急完了されたし!』

空「に、二体同時!?」

 再びの警報音に加え、エミリーとクララの放送を聞き、空は愕然とした。

 二体同時が無いワケではないし、
 現に七ヶ月前には三体……いや、四体がほぼ同時に出現したのだ。

風華「っ……急ぎましょう!」

 さすがに僅かな戸惑いを見せた風華だったが、
 すぐさま気を取り直し、二人を連れ立ってハンガーへと向かった。

 空達がハンガーに辿り着くと、
 既に08、09ハンガーを接続された一号キャリアが発進する直前だった。

整備員『一号、発進準備よし!』

 整備員達が拡声器と誘導灯で発進準備が完了した事を告げると、
 長い警報音と共にリニアキャリアが走り出す。

空「外じゃ、ああやってるんだ……」

 インナースーツ姿になった空は、作業通路を走り抜けながら、ぽつりと呟く。

 起動前のギガンティックのコントロールスフィア内では分からない物だ。

 空はそのまま、二号キャリアに連結されたばかりの01ハンガーへと向かい、
 整備員に“ありがとうございます”と一言礼を言ってから、エールに乗り込む。

 普段ならば、ここでほのかから現場の状況が説明されるハズなのだが、
 今は先に発進した一号キャリアに乗っているマリアとクァンへの説明中なのだろう。

 空がそのまま起動準備を進めていると、通信回線が開く。

空「風華さん?」

 通信相手は、そう、風華だ。

風華『空ちゃん、一緒の出撃は初めてになるけれど、よろしくね』

 風華は落ち着いた様子ながらも、普段通りの口調で語りかける。

空「はい、よろしくお願いします、風華さん……いえ、藤枝隊長」

 丁寧に返した空は、今が作戦行動中である事を思い出して言い直す。

風華『そ、そう畏まらないで、いつも通りでいいわよ』

 一瞬だけ普段のオロオロとした様子に戻った風華は、慌てたように返した。

風華『隊長としては、まだまだ……だもの』

 そして、少しだけ気落ちしたような声音で呟く。

空「風華さん……」

 風華の様子に、空は心配したように漏らす。

 恐らく、亡くなった姉と自分自身を比較しての事なのだろう。

 空は、隊長としての海晴の人柄を人伝でしか知らない。

 戦いぶりに関しては、シミュレーター内のデータや資料などで知っているが……。

 風華も風華なりに、と言うと随分と偉そうな物言いではあるが、
 彼女なりに隊長らしくやっているように思う。

 空がそんな事を考えている間に、リニアキャリアが発進する。

ほのか『お待たせ。
    こっちは風華ちゃんに空ちゃんにレミィちゃんね、オーケー』

 そこでようやく、ほのかからの通信が入った。

ほのか『状況は直前の放送の通りよ。
    ただ、出現したイマジンは以前……七ヶ月前にも現れたのと同型と思われるわ』

空「ッ!?」

 ほのかの説明――七ヶ月前のイマジンと同型――に、空はビクリと肩を震わせる。

ほのか『軍から回って来た情報によると、形状は七ヶ月前、
    第六フロート第三層に現れたトンボ型に似ているわ。

    今、マリアちゃんとクァン君が向かっている最中の、
    第六フロート第一層に現れたイマジンも、
    前に第一フロート第二層に現れたトラとクマの混合型と同型と思われるわ』

レミィ『例のアレと同型、ですか……』

 微かに戸惑った様子で説明するほのかに、
 トラとクマの混合型との交戦経験のあるレミィが思案気味に漏らす。

 空も、例の軟体生物型を思い浮かべた事もあって、ようやく少しだけ肩の力を抜いた。

空(お姉ちゃんの仇とは、別のイマジン……当たり前だよね)

 そう、姉の仇は既にレミィとフェイによって討たれているのだ。

 仮に同型のイマジンが現れても、それはあくまで同型に過ぎない。

 空は頭の中でそう言い聞かせ、改めてほのかの説明に意識を向ける。

ほのか『相手は飛行型だけど、通常オプションのブースターじゃ相手にならないわ。
    到着後、すぐにOSSを接続、二体の機動性で撹乱して、
    工業プラントへの被害を避けるように攻撃してちょうだい』

風華『了解しました、ほのかさん』

 ほのかからの指示に、風華が代表して応える。

 その頃には、空達の乗ったリニアキャリアは目的の第一フロート第四層――
 工業プラントエリアに入ろうとしていた。

―3―

 第一フロート第四層、工業プラントエリア。

 各フロートに必ず一層以上存在する、工業製品の開発・生産エリアの一つだ。

 食料プラントと並び、市民の生活基盤を支える重要エリアでもある。


 そして、そのエリアの外郭港湾エリアに、リニアキャリアが滑り込む。

 事前にOSSを接続する余裕を取るため、
 イマジンのいる区画からは十キロほど離れた区画に陣取る。

 現在、イマジンの相手は軍の警備部隊が牽制中だ。

空「よし、起動完了っと……あれ、五両編成?」

 エールを起動させた空は、リニアキャリアの編成に首を傾げた。

 牽引車である先頭車両、二両目は自分のいる01ハンガー、
 三両目はヴィクセンの11ハンガー、四両目は突風の06ハンガーだが、
 最後の五両目は空も初めて見る車両である。

風華『ああ、それは私の……突風のOSSが入ったコンテナよ』

 同じく愛機の起動を完了した風華が通信機越しに応えた。

空「これが、突風のOSS……」

 風華の説明に、空はその単語を反芻する。

 寝かされた状態のハンガーよりも僅かに背の高いソレは、確かにコンテナ車両だ。

 空がコンテナを眺めていると、レミィのヴィクセンも起動を完了したようだった。

レミィ『空、こちらも起動完了だ。合体するぞ』

空「うん、レミィちゃん。
  ………モードS、セットアップ!」

 レミィの呼び掛けに応え、空はほのかから事前に指示された通り、
 OSSの接続準備に入る。

 だが――

警備部隊員『こちら工業エリア警備部隊! そちらにイマジンが行ったぞ!』

 軍との共通回線を通じて、
 前述の警備部隊からの悲鳴じみた通信が飛び込んで来た。

空「このタイミングで!?」

 既に合体態勢に入っていた空は、即座に迎撃態勢に移ることが出来なかった。

 先日、無茶な合体でアルバトロスを破損させた事の躊躇も、
 反応の遅れを後押しする。

イマジン『TiTiTiTiTi……ッ』

 そうこうしている間に、全身に装甲でも纏っているのかとでも言いたくなる、
 ゴテゴテした外観の巨大なトンボが現れた。

 トンボ――英名でドラゴンフライの名に相応しく、
 本来のトンボには無い巨大なかぎ爪の付いた腕と、
 うねる胴体の先には鋭い刃のような物がついていた。

 クリオネとタコを合成したような怪物や、五枚舌のカメレオンや、
 頭でっかちのティラノサウルスと言った異形を目にして来たが、
 これはまた、禍々しいながらも奇妙な風体のイマジンである。

レミィ『空、合体中断! 迎撃に……!』

 レミィが慌てた様子で叫ぶが、既にエール側のドッキングコネクターは解放されており、
 現状では戦闘行動も難しい。

 トンボ型イマジンは狙いを無防備な状態のエール――空に定めたようで、
 うねる胴体を鞭のようにしならせ、刃の切っ先から魔力の衝撃波を放つ。

空(直撃コース!?)

 空は咄嗟に腕を較差して防御の態勢を取るが、
 腕のドッキングコネクターが解放された状態では防御もままならないだろう。

 ドッキングコネクターの解放中は、その部位の結界装甲も出力が低減している。

 万事休すだ。

 しかし――

??『旋風ッ! 円ッ陣ッ脚ッ!!』

 エールと衝撃波の間を、蒼い輝きが横切った。

 突風――風華だ。

 祖母の代から受け継いだ魔力格闘と身体強化の合わせ技、
 高速旋回する回し蹴りによる魔力打撃――旋風・円陣脚が、
 イマジンの放った衝撃波を掻き消す。

風華『続けて――ッ!』

 態勢を整えた風華は、愛機に港湾部を蹴らせ、イマジンのいる上空へと跳び上がった。

風華『疾風ッ! 飛翔脚ッ!!』

 跳躍による加速度を込めた強力な高速跳び蹴り――
 疾風・飛翔脚が、イマジンの胴体のすぐ真横を掠める。

イマジン『TiTiTiTiTiii………ッ!?』

 攻撃を食らいかけたイマジンは、身を捩って上空へと逃れた。

 工業プラントエリアの天井高は千メートルほど。

 如何に跳躍力に優れる突風でも、
 そこまでの高さで必殺の一撃をたたき込めるほどの威力は出せない。

 最悪、攻撃を完全に回避されてしまうだろう。

 だが、それでも構わなかった。

風華『空ちゃん、レミィちゃん! 今のウチに合体を!』

 再び着地した風華は、無防備な状態にあった空達に指示を出す。

空「は、はい! レミィちゃん、今度こそ!」

レミィ『ああ、分かった!』

 何とか気を取り直した空は、再びヴィクセンとの合体態勢に入った。

 バラバラに分解したヴィクセンが、エールの背中と四肢に接続される。

ヴィクセン『スラッシュクロー、フットブースター、
      フレキシブルブースター、全ユニットの接続を確認!』

レミィ「モードS、セットアップ!」

 ヴィクセンとレミィの声と共に、モードSの合体が完了した。

空「風華さん! 今度は私とレミィちゃんが牽制します!」

レミィ「隊長はその間に合体を!」

 イマジンを牽制してくれていた風華と入れ替わるように、空とレミィは前衛へと躍り出る。

風華『了解! しばらく任せるわね、空ちゃん、レミィちゃん!』

 風華も一足飛びで後方に下がり、リニアキャリアの最後尾……コンテナ車両へと並び立つ。

 それを確認した空は、スラッシュクローに魔力を集中させつつ、
 上空のトンボ型イマジンを見遣る。

イマジン『TiTiTiTiTi………』

 トンボ型イマジンは顎を小刻みに鳴らしながら、
 先ほどと同じ位置でこちらの様子を窺っているようだった。

ほのか『空ちゃん、港湾施設に被害を出すワケにはいかないわ。
    そこから五キロ離れた位置にある、シェルターの無い外郭自然エリアまで誘導して』

 ほのかの指示と同時に、一枚のスクリーンが浮かび上がり、地図が提示される。

 工業プラントにおける港湾施設は、以前はフロート内外のアクセス手段の一つであり、
 現在は、陸運だけでは賄いきれないフロート間の大規模輸送のための設備だ。

 先日の食料生産プラントと同様、大きな被害を出すワケにはいかない。

空「レミィちゃん、ヴィクセン、イマジンの顔スレスレの位置まで飛べるかな?」

ヴィクセン『ええ、勿論いけるわよ』

レミィ「だ、そうだ……。
    細かい機動の調整は私がやるから、思う存分飛び跳ねてやれ!」

 空の質問に自信たっぷりと言った調子で答えた愛機の言葉を引き継いで、
 レミィはニヤリと自信ありげな笑みを浮かべて応えた。

空「よぉし! じゃあ、行くよ!」

 空は腰を低く落としてから、大きく跳躍する。

 すると、それに合わせて背面と脹ら脛のブースターが一斉に点火し、
 エールをイマジンのいる高度付近まで押し上げた。

レミィ「この、くらいか!」

 レミィはハンドルを微調整しつつ、エールをイマジンに向けて突進させる。

 モードDほど細かな挙動は出来ないし、持久力も無いが、
 それでも瞬間的な推力はモードSの方が上だ。

空「ヴィクセン、右をお願い!」

ヴィクセン『了解、スラッシュクローR、ハーフマキシマイズ!』

 空の合図と共に、右腕のスラッシュクローの魔力のかぎ爪が僅かに延長される。

空「はぁっ!」

 空はブースターの勢いのまま、
 トンボ型イマジンの顔面に向けてその一撃を見舞う。

イマジン『TiTiッ!?』

 しかし、直撃の寸前、イマジンは空中を素早く滑るようにしてその一撃を回避した。

空「やっぱり跳びながらじゃ当て難い……!?」

 回避されてしまう事は何となく予想していたし、元よりそのつもりの攻撃だったが、
 さすがに呆気なく回避されてしまった事に、空は悔しそうに漏らす。

 飛行魔法ではなく、単なる“もの凄い勢いのジャンプ”でしかなかった事もあり、
 エールは一気に勢いを失って工業エリアへと落ちて行く。

 地面に叩き付けられる寸前、再びブースターを点火して機体を軟着陸させた空は、
 すぐさま上空を見上げる。

イマジン『TiTiTi……TiTiTiッ!!』

 一瞬、何かを迷っていたようなトンボ型イマジンだったが、
 暗い輝きを宿す複眼をエールに向けて来た。

 どうやら、こちらを危険と判断したようだ。

 おそらく、合体直前で無防備だったエールを狙った時に、風華に邪魔された事もあってだろうが、
 今は無防備な敵を狙うよりも先に、動ける相手を狙った方が良いと判断したのだろう。

 イマジンは高度を下げ、胴体先端の刃から連続して衝撃波を放って来る。

空「ヴィクセン、両手でお願い!」

ヴィクセン『了解、スラッシュクロー、クォーターマキシマイズ!』

 空の指示で、両手のスラッシュクローのかぎ爪が魔力で包まれた。

 刃こそ大型化していないが、結界装甲の出力はグンッと増したハズだ。

 トンボ型イマジンの放つ魔力を含んだ衝撃波は、スラッシュクローの盾で相殺される。

空「よし、出力二十五パーセントでも十分防げる!」

 空は腰部のラックからハンドガンを取り出すと、
 上空に低出力の牽制射撃を放ちつつ、エールを後退させ始めた。

 トンボ型イマジンは衝撃波を放ちつつ、エールを追って来る。

レミィ「防げるが……ブラッドの消耗も考えないとな」

空「大丈夫、持久戦は得意だから!」

 心配した様子のレミィに、空は胸を張って言った。

 元々、空は全力でリミット一杯の時間を戦うよりも、
 安定して長時間戦闘する事に向いた大容量魔力の持ち主だ。

 カメレオン型イマジンの時のように何も出来ないのではジリ貧だが、
 指定のエリアまで誘い込む程度なら望むところである。

空「この調子で外郭エリアまで誘い出すよ、レミィちゃん、ヴィクセン!」

 空は二人を鼓舞しつつ、トンボ型イマジンを誘導して行く。

 一方、状況を窺っていた風華は、
 空達がイマジンを連れて離れて行くのを確認していた。

風華「敵は……十分に離れたみたいね」

突風『魔力量、ブラッド劣化率問題無し。
   ……いつでも合体可能よ、風華』

 深く頷いた風華に、突風が声をかける。

風華「よし。……雪菜さん、竜巻を発進させて下さい」

 愛機の声に、風華は司令室にいるメカニックオペレーターの雪菜に指示を出した。

雪菜『了解。コンテナハッチ開放、コントロールを206に譲渡』

 応答した雪菜の声に合わせ、コンテナ車両の後部が開いて行く。

 するとそこには、後部が異様に肥大化した、
 巨大なレーシングカーのような物体が鎮座していた。

 コックピットこそ存在しないが、全長二十五メートル、
 全高十メートルはありそうな、正に巨大レーシングカーだ。

 緑色の躯体に走る、鈍い銀色に輝くライン。

 オリジナルギガンティックと同じくエーテルラインを持った、
 巨大レーシングカーはそう……これこそが突風専用の装備。

 OSS206-竜巻【ロンジェンフォン】だ。

突風『アイハブコントロール、竜巻……ゴオゥッ!』

 突風の合図と共に、竜巻は凄まじい爆音を立てて走り出した。

風華「モード・竜巻、セットアップ!」

 風華もその後を追って走り出し、音声入力でOSS接続モードに入る。

 自身と機体のリンクが一時的に解除され、突風は自動で走り続け、先行した竜巻を追う。

 そのまま竜巻と併走状態に入った突風は跳躍すると、下脚部を腿の裏へと折り畳み、
 膝立ちになるようにして、上部のコネクターを解放した竜巻の上部へと飛び移る。

突風『脚部接続……ブラッドライン正常接続確認、変形開始!』

 竜巻と膝で接続された突風は、さらにそのまま竜巻を変形させ始めた。

 大型の後部がそのまま起き上がり、突風の上半身を包み込み、
 一回り巨大な上半身へと変形する。

突風『各部コネクタ接続――』

 そして、竜巻の前面が左右に割れて巨大な足となり、
 人型へと変形した竜巻が立ち上がった。

突風『――ブラッドライン、ハートビートエンジン、サブエンジン、正常稼働!』

 立ち上がった巨体に走る鈍色のブラッドラインに、突風と同じ蒼き輝きが宿る。

風華「突風・竜巻……合体完了!」

 魔力リンクが回復し、自身の体に戻って来た感触を確認しながら、
 風華は愛機の合体完了を宣言した。

 突風・竜巻【ツェンフォン・ロンジェンフォン】――
 かつて、グンナーショックの際に祖母が使った魔導装甲と同じ名を冠したギガンティックウィザード。

 新緑を思わせる鮮やかな緑に映える、蒼い輝きを纏った巨人が、
 踵に取り付けられたタイヤで滑るように走り出す。

 風華が向かう先では、既に外郭エリアまでイマジンを誘い出したエール――
 空達が、当のトンボ型イマジンとの戦闘を繰り広げていた。

 単発の衝撃波を防がれてムキになっているのか、
 トンボ型イマジンはさらに高度を落とし、遮二無二に衝撃波を連発している。

 空達は被害を拡大させないよう、全てを防御しているようだ。

風華「突風、最大加速……!」

突風『了解よ、風華!』

 風華の指示に応えた突風の声と共に、踵のタイヤがさらに回転を増し、
 突風・竜巻は一瞬にして戦場へと辿り着く。

 リニアキャリア以上の速度と言うのも、決して誇大広告などではなかった。

ほのか『風華ちゃん、ソイツ、戦闘能力は前に戦った同型よりも上がっているけど、
    行動パターンや思考はより単純化しているみたい。

    遠距離攻撃を潰すために、先ずは衝撃波の発生源を狙って!』

風華「了解です、ほのかさん!」

 ほのかの指示を受けた風華は、一瞬で距離を詰めた勢いをそのままに跳び上がる。

風華「突風、ブレードエッジ!」

突風『了解よ! ブレードエッジ、アクティブ!』

 鋭い声で叫ぶように言った風華の指示に、突風は機体の脚部を変形させた。

 脛のブラッドラインがせり出し、
 魔力とエーテルブラッドの流入量を制御され、巨大なエッジとなる。

風華「旋風ッ! 円ッ陣ッ斬ッ!!」

 巨大なエッジを取り付けられた回し蹴り――旋風・円陣斬【せんぷう・えんじんざん】が、
 イマジンの胴体先端にある刃を付け根から切り落とす。

イマジン『TiTiiiiiiiッ!?』

 イマジンは悲鳴を上げて、限界高度まで逃げる。

空『風華さん! それが、OSSを接続した突風の姿……』

 驚きの声を上げた空は、そのまま感嘆混じりに漏らした。

 エールの胸よりも下くらいだった突風は、今やエールを肩を並べるほどまで大型化し、
 フォルムもより攻撃的に変化している。

 だが、細部の意匠は突風そのままであり、
 正にそのまま“強化・大型化されている”と言う印象を受けた。

風華「話は後でゆっくりとしましょう。

   ……ともあれ、これであのイマジンも衝撃波は使えない……、
   となれば、別の遠距離攻撃か近接攻撃を仕掛けて来るハズね」

 風華はそう言って、上空で痛みを堪えて滞空し続けるトンボ型イマジンを見遣り、
 空達もそれに続く。

 ほのかの解析通り、トンボ型イマジンの思考は実に単純なようで、
 今は距離を取ってこちらの様子を窺っているようだ。

レミィ『アイツ、攻撃優先度が高い方を狙うと言うより、
    自分にとって危険な奴が最優先攻撃目標で、
    攻撃し易いかどうかは二の次って感じですね』

 レミィはこれまでの戦況を思い出しながら、思案げに呟く。

 確かに、最初の攻撃目標は無防備だったエール、
 次いでエールを庇って牽制していた突風、
 そのまた次は攻撃を仕掛けたエールSと攻撃対象が変化して行った。

 その間、攻撃し易い合体中のギガンティックには積極的に攻撃を仕掛けては来なかったのだ。

突風『攻撃して来る相手に優先して殴りかかって行く、って……。
   野生動物だったら、真っ先に死滅してるタイプね』

 その見立てを彼女も正しいと感じたのか、突風は呆れ気味に呟く。

 ともあれ、イマジンの攻撃優先度は、第一位が“攻撃を当てた者”、
 第二位が“攻撃して来た者”、第三位が“無防備な者”と言った所だろう。

 事実、イマジンの視線は風華の突風・竜巻に向けられており、
 ごく僅かな時間とは言え、風華の合流で隙を見せた空達に襲い掛かる事は無かった。

 攻撃の意志に対して敏感に反応していると言えば聞こえが良いが、
 突風の言う通り、野生動物なら確かに真っ先に死滅するタイプだ。

 まあ、今更イマジンの思考や生態に何を言っても、
 そう言う現象なのだから致し方ないとしか言えない。

ヴィクセン『単純明快だけど、それだけにちょっとややこしいわね……』

 ヴィクセンがそんな言葉を漏らすと、不意にトンボ型イマジンが新たな動きを見せる。

 ジグザグに不規則な軌道を描き、突風・竜巻に向かって突撃をしかけて来た。

風華「やっぱり、狙いは私ね」

 風華は冷静に敵の動きを見切り、その突撃を紙一重で回避する。

 だが、トンボ型イマジンはすれ違い様に胴体を激しくうねらせ、
 鞭のような一撃を突風・竜巻の横っ腹めがけて打ち込んで来る。

風華「っぐぅっ!?」

 横っ腹への鋭い一撃に、風華は苦悶の声を漏らしながら跳び退く。

 どうやら単調な衝撃波攻撃よりも、こちらの方が敵の真骨頂のようだ。

ほのか『風華ちゃん、竜巻の装甲と結界装甲の出力じゃ、
    あのイマジンの攻撃を完全には防御し切れないわ!

    せめて急所への攻撃を避けるように動き回って!』

風華「りょ、了解です!」

 すぐに態勢を立て直した風華は、ほのかの指示でタイヤを旋回させて走り出す。

 小刻みな旋回や緩急をつけたダッシュで撹乱し、トンボ型イマジンの攻撃を回避し続ける。

 だが、回避するだけで防戦一方だ。

空『風華さん!?』

 方や、敵に無視されるばかりの空は、困惑気味に風華の名を叫ぶ。

風華「空ちゃん、上手く敵に隙を作って!」

 しかし、風華は冷静な声音で空に指示を出す。

空『は、はい!』

 風華の指示に、空は躊躇いがちにだが、何とか返事をした。

 だが、いざ考えて見ると、どうやって隙を付けば良いのか、
 空はコントロールスフィア内で黙考する。

 敵の隙を突いたり作ったりするなら遠距離からの牽制が一番だが、
 最初から合体を前提としていたため、長杖はリニアキャリアに置いて来てしまっており、
 遠距離武装はオプションのハンドガンしかない。

 何より、ああも突風・竜巻に肉迫されては、流れ弾で彼女を傷つけかねない。

空『こうなったら………この区画の管理会社の人、ごめんなさい!』

 空はそう開き直ったように叫ぶと、スラッシュクローを地面に突き立て、
 盛大に地面を抉って吹き飛ばす。

 大量の土砂が巻き上げられ、ヒットアンドアウェイで飛び上がった瞬間のイマジンや、
 攻撃を回避したばかりの突風・竜巻の全身に降りかかる。

クララ『嗚呼、竜巻は防塵してないのにぃぃ!?』

 通信機を介して、司令室から悲鳴じみた声が上がった。

 おそらく、クララだろう。

 その声に、空は申し訳ない気分に襲われた。

 ともあれ、全身に土砂の降り注いだ突風・竜巻とトンボ型イマジンは、
 一瞬、その動きを止めてしまう。

 結界装甲や元々の魔力障壁に守られている事もあって、どちらもダメージは皆無だ。

イマジン『TiTiTi………TiTiTiiiッ!!』

 だが、トンボ型イマジンは泥まみれにされた事がえらくお気に召さなかった様子で、
 怒り狂って土砂“攻撃”を当てて来たエールSへと突進して来た。

風華「そ、空ちゃん!?
   ………そうか、なるほど、これなら確かに!」

 一瞬、空の行動に怪訝そうな声を上げた風華だったが、
 エールSに向けて突進して行くイマジンの姿に、合点が行ったように叫ぶ。

 一方、空は冷静に、突進して来るトンボ型イマジンの姿を見ていた。

空「レミィちゃん、私が動いた瞬間にフレキシブルブースター全開で!」

レミィ「あ、ああ、分かった!」

 空の指示に、先ほどまで唖然としていたレミィも気を取り直す。

空「ヴィクセン、スラッシュクロー、マキシマイズで!」

ヴィクセン『了解! 魔力、ブラッド流入量調整……
      スラッシュクロー、マキシマイズ!』

 ヴィクセンも指示通り、スラッシュクローの魔力の刃を精製する。

 そして、奇妙な軌道を描いていたトンボ型イマジンも、
 遂に狙いを定めて襲い掛かって来た。

空(まだ……まだ……!)

 襲い掛かって来るトンボ型イマジンの動きを、空は微動だにせずに見定める。

 あの日に見た姉の動き、そして、つい先ほどの風華との組み手の感覚を思い出しながら、
 最良のタイミングを計っているのだ。

空「……ここっ!」

 そして、イマジンが接触する寸前、空は右に向かって半歩動き出す。

 同時に、レミィもスロットルを回してフレキシブルブースターを点火した。

 直後、エールSは急加速でイマジンの左側へと回り込む。

イマジン『TiTiッ!? ……TiTiTiッ!』

 一瞬、驚きの声を上げたイマジンも咄嗟に切り返し、
 すれ違い様の一撃を加えようと胴体をしならせる。

 だが――

空「一度見せた攻撃なんかでぇ!」

 空は自身の操作でフレキシブルブースターの噴射を停止させ、
 その場に立ち止まると、思い切り右脚を蹴り上げた。

 フットブースターで加速された蹴りが、
 しならせたイマジンの胴体を真っ正面から捉える。

イマジン『Tiiiiii――――ッ!?』

 冷静さを完全に欠いていたのか、思いも寄らぬ攻撃に、
 イマジンは無数の複眼を明滅させながら跳ね上げられた。

 胴体への一撃に、あの奇妙な軌道を描いて飛ぶ事すら忘れているようだった。

空「風華さん、今ですっ!」

 空は風華に向かって叫ぶ。

 風華も既に、全ての準備を終えていた。

 コントロールスフィア内で、瞑想するように魔力を集中させていた風華が、
 その瞳を一気に見開く。

風華「ブレードエッジ……炎熱変換、マキシマイズッ!」

 風華の叫びと共に、突風・竜巻の脛に蒼い炎が灯る。

 いや、迫り出したブラッドライン――ブレードエッジが蒼い炎そのものとなる。

 彼女の祖父――本條一征が得意とした、属性体内集束の魔力特性。

 自らの身体に、属性変換された魔力の特性を宿す一撃。

 そう、風華は祖母・メイの完全魔力遮断の魔力特性に加え、
 炎熱に限定される代わりに、属性体内集束の技能をも体得していた。

 通常でさえ“斬れる”ブレードエッジに、さらに熱による破壊力を加える事で、
 その切れ味は通常時の数倍以上に高まるのだ。

風華「豪炎ッ! 飛翔ッ! 烈ッ風ッ脚ッ!!」

 蒼い炎と化したブラッドラインでよろわれた突風・竜巻の蹴りが、
 跳ね上げられたイマジンの身体を溶かし貫く。

 これぞ風華が編み出した最強の攻撃魔法。

 その名も豪炎・飛翔烈風脚【ごうえん・ひしょうれっぷうきゃく】だ。

 メイ譲りの肉体強化による格闘能力の高さ、
 一征譲りの属性付加による攻撃力……
 二人のSランク諜報エージェントの特性を併せ持った最強の一撃。

 その一撃の前には、並のイマジンなど悲鳴も上げる間も無く、
 消し炭となって霧散するだけだった。

風華「ふぅ………戦闘終了、ね」

 イマジンが消え去った事を確認した風華は、
 いつも通りの少し気弱そうな柔らかな笑みを浮かべて、溜息混じりに呟いた。

―4―

 戦闘後、一足先に機体のハンガーへの固定を終え、
 整備員から受け取ったジャケットを羽織り、
 回収作業中の他のギガンティックを見上げながらも、
 空はどこか落ち込んだ様子だった。

風華「あら? どうしたの、空ちゃん? 
   もしかして……どこか怪我でもしたの!?」

 そんな空の様子に気付いた風華が、慌てた様子で駆け寄って来る。

 どうやら、彼女も作業が終わったようだ。

空「ふ、風華さん!?

  いえ、大丈夫です……。
  ただ、すいません、竜巻を泥まみれにしてしまって」

 風華の剣幕に驚いた空は、すぐさま気を取り直し……と言うか、
 申し訳なさそうに頭を下げた。

風華「ああ、そっちの事だったのね……大丈夫よ。
   整備の人達には私からも謝るから」

 対する風華も、空に怪我が無い事を知って胸を撫で下ろし、すぐに笑みを浮かべて返す。

 本当なら、風華も愛機を泥だらけにされて怒る側なのだが、
 彼女はどちらかと言うと自身にも責任があると考えているようだった。

風華「隙を作ってくれ、って頼んだのは私だものね……」

 風華はそう呟いて、肩を竦める。

 どうやら、彼女の中での責任の比率は、空よりも自分の方が大きいようだ。

空「ふ、風華さん、そんな……あんな作戦を自分一人で勝手にやったのは私ですし……。
  それに、イマジンに止めを刺したのも風華さんですし」

風華「でも、空ちゃん達がいなかったら隙は作れなかったでしょう?
   カウンターのタイミングも完璧で、あのまま倒せたかもしれないし……。
   何だか、美味しい所だけ貰ってしまったみたいで、悪いわ……」

 空と風華は、お互いをフォローしながら自身を貶め合う。

 ネガティブ思考が二人寄ると、際限が無い。

突風『この子達……何でこんなに控え目なの……』

 主とその仲間の様子に、
 突風も控え目なコメントを選んで、呆れたように漏らす。

レミィ「何の話をしてるんだ?」

ヴィクセン『撤収準備、終わったわよ~』

 と、そこへ、撤収準備が長引いていたレミィが歩み寄って来る。

 ヴィクセンの言う通り、リニアキャリアには全ての機体が固定されていた。

風華「あ、そうね。整備の人達を待たせちゃ悪いわ。急ぎましょう」

 風華は慌てて気を取り直し、駆け足気味にレミィの元へと向かう。

 空も、その後を追って走り出す。

 そして、急々と走る風華の背中を見ながら、ふと考える。

 今、目の前にいる普段の“風華さん”と、
 訓練中や戦闘中の落ち着いた様子の“藤枝隊長”。

 どちらが本当の彼女なのだろうか、と。

 多分、“どちらも本当の彼女である”、と言う解答が模範例だろう。

 だが、自分の事を棚に上げてでも言ってしまえば、まだ二十歳の女性が、
 世界の命運を担うギガンティック機関の前線部隊長をしていると言うのは、
 どこか酷なような気もする。

 おそらく、自分は彼女を通して、姉・海晴の事を考えているのかもしれない。

 十五才で自分の代わりにギガンティック機関でオリジナルギガンティックを駆る事となり、
 生前は今の仲間達の中で隊長を務めていた姉。

 もしかすると、“藤枝隊長”は、そんな姉の跡を継がんとする、
 彼女の責任感の表れなのかもしれない。

 以前、早く姉の代わりを務めたいと考えていた、自分と同じで……。

空(風華さんは、そんな事をしなくても……、
  凄く素敵で、優しい隊長じゃないですか)

 つい先ほど、自分の事を大慌てで心配してくれたり、
 責任感たっぷりにフォローしてくれた風華を思い出し、空は不意にそんな事を思った。

 だが、自分は“隊長としての姉”も風華の想いの強さも知らない。

 その事を口に出来るほど、その言葉を口にして良いほどまでは、
 自分はまだ仲間達の事を知らないのだ。

 空は硬く口を噤んで、二人の後を追った。

 もう一人、自分と同じ表情を浮かべた仲間がこの場にいる事を、まだ知らずに。


第8話~それは、受け継がれた『忍者の血脈』~・了

今回はここまでとなります。

ついでに、設定と言うか家系図的な物を解説しますと、
一征と紗百合の間に生まれた子が60年事件で亡くなった勇一郎で、
結とアレックスの次女に当たる明日華の夫となります。

そして、勇一郎と明日華の間に生まれたのが、今回登場した臣一郎と、名前だけがチラッと出たもう一人です。


で、一征と美百合の間に生まれたのが百合華。
コチラはメイと一真の息子、尋也の妻です。

そして、尋也と百合華の間に生まれたのが、風華とこちらも名前だけの登場となった兄の一尋となります。


纏めると“一征もげろ”となりますw


次回は、また一ヶ月を目処に更新したいなぁorz



このSSも始まってから随分と経ちましたな、早いものだ.....
確か>>1の書いたSSは、この作品を書く前に立てたSSのスレから見てるはずだから、それを考えるとなんか歳をとった気がする。
まぁそれはともあれ今年も宜しくお願いします。


あと一征は壮大にもげろ

お読み下さり、ありがとうございます。

>随分と
このシリーズを始めたのが11年の9月半ばですからねぇ……。
その前の「ボクを信じてくれ、暁美ほむら」は同じ年の夏ですし。
その年に中学、高校に入学した学生さんは、この春で卒業と考えると長い物です。
当時は新社会人だった人も、早ければ新人教育を任せられる人も出て来るのでは、と言う頃合いかと。

>今年も
こちらこそ、よろしくお願いします。
もうしばらくシリーズが続くかと思いますので、気長にお付き合い下さい。
ダイサンシリーズナンテカンガエテナインダカラネ

>一征は
もげていいと思いますw

書き上がったので最新話を投下します。

第9話~それは、幸福たるべき『無垢なる天才』~

―1―

 トンボ型イマジンとの交戦から五日後、十一月二十一日、水曜日の夕刻。
 ギガンティック機関隊舎、ドライバー待機室――


 そろそろ待機時間――要は勤務時間である――も終わりに近付き、
 携帯端末で学習していた空は、ゆっくりと顔を上げる。

空「もう、こんな時間……。ん、ん~~」

 壁掛けの時計に目をやり時間を確認した空は、
 長らく同じ体勢だった事もあり、大きく伸びをして身体を解した。

空(ん、首の辺りがゴリゴリする……)

 空は首を重点的に解しながら、視線で室内を見渡す。

 待機室内には自分一人。

 風華は非番、サブのクァンとマリアは二時間ほど前にシミュレータールームに行ったきり、
 自分と同じくメインのレミィとフェイは、整備班に呼ばれて機体の調整に立ち会っている。

空(瑠璃華ちゃんは……今日は向こうか)

 空は学習用のアプリケーションを終了しながら、残るもう一人の仲間の事に思いを馳せた。

 彼女の素性について聞いたのは、今から四日前の事になる。

 その時は――

『ああ、そうだ。言い忘れていたので思い出した時に言っておくが、私も人造人間だからな』

 ――などと、何とも瑠璃華らしい、軽い口調で明かされた。

 後から詳しく聞くと、彼女を作り出したのも、やはりあの統合特殊労働力生産計画であり、
 瑠璃華は人工天才児育成計画とも呼ばれる乙弐号計画によって作られたのだと言う。

 一歳児の時点で難解な物理学・数学・工学の問題を、それこそ知育玩具のような物の代わりとして育ち、
 二歳の時点で数々の博士号に匹敵するだけの能力を備えていたそうだ。

 匹敵する、と言うのは、あくまでそのレベルまで知能や思考が発達していたと言うだけであり、
 実際にそれらの博士号を得たのはギガンティック機関に移されてからとの事らしい。

 彼女が政府お抱えの研究施設から、ギガンティック機関の預かりになったのは六年半前。

 彼女が三歳半と言う、異例の速さで魔力に目覚めた直後の事だ。

 それより八年半前――今から十二年前にパイロット死亡で長らく空席になっていた
 GWF-207X・チェーロが、彼女の魔力に感応したのである。

 それによって、初めて統合特殊労働力生産計画の一端が明らかにされ、
 その後、さらに過酷で非人道的であり、
 レミィ達二十六人の姉妹を生んだ甲壱号計画が白日の元に曝かれる事となった。

 尤も、統合特殊労働力生産計画は、その実態が公然と明らかになる事自体が民衆の不安と怒りを煽り、
 イマジン発生の原因になりかねない事もあって、
 特一級以上でも特別な権限がなければ全てを知る事は許されていない。

 ともあれ、三歳七ヶ月を迎えた彼女は、当時のギガンティック機関技術開発部主任である
 天童孝造【てんどう こうぞう】の養女・瑠璃華として新たな人生を歩み始めたのだ。

 そして、彼女の手によって幾つかのエール用オプション装備は、
 試作型ハートビートエンジンと共に二機のギガンティック、
 ヴィクセンとアルバトロスとして生まれ変わった。

 それから四年の間、四十五歳にして夭折した天童前主任の後を継いで技術開発部主任となった瑠璃華は、
 自身も身体を鍛えながら、チェーロのドライバーとなるべく努力を積み重ね、
 二年前に八歳と言う若さでオリジナルギガンティックのドライバーとなったのだ。

 空も姉共々、ごく平凡からは遠いハードな人生を歩んで来た自覚はあったが、
 それでも瑠璃華の波瀾万丈ぶりに比べればまだまだと言った所だ。

 ともあれ、レミィやフェイと言う前段階を踏んだ事と、
 そんな“重い話”とは無縁なほどに明るく泰然とした瑠璃華の姿も相まって、
 衝撃的な話から立ち直るのも二人の時よりもずっと早かった。

 空は勉強の後片付けを済ませ、
 フェイが置いて行ってくれた保温ポットから湯飲みに緑茶を注ぎ、喉を潤す。

瑠璃華「ただいま~。
    今、帰ったぞ~」

 噂をすれば、と言うか、彼女の事を考えていたからだろうか、
 今朝ぶりとなる瑠璃華が、正面出入り口から顔を出した。

 何というか、台詞が“お父さん”だ。

 ともあれ、瑠璃華は彼女の小さな身体には少し大きすぎる段ボール箱を抱えており、
 正面が見えないためか、やや不安定な足取りでテーブルまで近付いて来る。

 空は慌てて立ち上がり、瑠璃華が抱えているのとは反対側を持って支えた。

空「瑠璃華ちゃん、おかえり。
  ……っと、凄い荷物だね」

瑠璃華「まぁな………ん? 空だけか?
    他の連中はどうした?」

 驚くような空の言葉に、一度は自信ありげな不敵な笑みを浮かべた瑠璃華だったが、
 すぐに仲間達がいない事に気付いてキョトンとした様子で室内を見渡す。

空「みんな訓練や整備で留守にしてるの。
  今は私だけお留守番だよ」

瑠璃華「むぅ、そうか……折角、暇つぶしに作ってた物が完成したから、
    持って来たのだが……」

 空の返答に、瑠璃華はそう言うと残念そうに肩を竦めた。 

 どうやら、この段ボールの中身が件の品らしい。

空「何を作ってたの?」

瑠璃華「ん? 簡単な小型ドローンだ。
    十日ばかり前、アルバトロスのオーバーホール中に思いついてな」

 瑠璃華は空の質問に応えながら、段ボール箱を置きながら答え、さらに続ける。

瑠璃華「通販で買った山路重工の市販キットを流用して、
    休憩時間や就寝前のちょっとした時間でちょいちょい、っとな。

    八つほど……まあ、一つはお手伝いロボ代わりとして向こうに置いて来たから、
    ここには七つしかないが」

空「瑠璃華ちゃん、ドローンの自作なんて出来るんだ……」

瑠璃華「ふふ~ん、私は天才だからな! もっと褒めてもいいぞ」

 感心したように呟く空に、瑠璃華は胸を張って得意げな笑みを浮かべた。

 ドローンとは以前にも話題に出た、小型の作業機械だ。

 清掃業者の使っている清掃用ロボットから、
 ギガンティックやパワーローダーの整備に使われる大型の物まで、
 多種多様な物がドローンに分類される。

 中には、ホビー用の対戦ロボット玩具などもあるが、大まかには作業機械の括りと考えて間違いない。

 ただ、その多用途性と分類の大雑把さ故に、形状もコレと言った決まりがない物でもある。

 と、その時だ――

マリア「帰ったよ~っ!」

クァン「あれだけやって、なんでそんなに元気なんだ……」

 少し乱暴に開かれた正面出入り口からマリアとクァンの声がして、二人は振り返る。

空「マリアさん、クァンさん、おかえりなさい」

マリア「うん、ただいま、空。それに瑠璃華も」

クァン「ただいま。瑠璃華君もお疲れ様」

 空に出迎えられ、二人はそれぞれに返しながら、
 コの字型のソファの角に並んで腰掛けた。

マリア「なんか、随分とおっきい荷物だね?
    誰か、何か頼んだの?」

 そこで段ボール箱の存在に気付いたのか、マリアが怪訝そうな表情で覗き込む。

瑠璃華「あ、私が持って来た物だ。
    風華が非番の時に何だが、全員揃ったら中身は見せるから、少し待て」

 瑠璃華はそう言って、ソファに身体を預けるようにして座り込んだ。

 すると、程なくしてレミィとフェイがハンガー側出入り口から戻って来た。

レミィ「うん? 帰り支度か……っと、大きな箱だな?」

 先に入って来たレミィが、段ボール箱に気付いて驚いた声を上げる。

フェイ「幅五十センチ、奥行き四十センチ、高さ五十センチ。
    運搬に適した軽量強化段ボールの箱ですね」

 続くフェイが、淡々と段ボール箱の形状を解説した。

 寸法は寸分違わず彼女の言葉通りで、
 その気になれば子供くらいは簡単に中に入ってしまえる大きさだ。

 空は改めて、よくここまで持って来られた物だと、内心で感心していた。

 ともあれ、これで、非番の風華以外は全員が揃った事になる。

瑠璃華「まあ、そんな所だ。
    それじゃあ、早速……」

 瑠璃華は仲間達の顔を見渡しながら、段ボール箱の蓋に手を掛けた。

 その時だ――

風華「こんばんわ~。
   間に合って良かった~。

   里帰りがてらに、近所の美味しい中華まんのお店に寄って来たの。
   温めて、みんなで食べましょう」

 正面入口の扉が静かに開かれ、お土産らしい手提げ袋を持った私服姿の風華が現れる。

 突然の事に出鼻を挫かれた瑠璃華は、
 大きすぎる段ボール箱の上に覆い被さるようにしてつんのめってしまう。

瑠璃華「ぅぅ……」

風華「あ、る、瑠璃華ちゃん? ど、どうしたの!?
   うずくまって……もしかして、お腹痛いの?」

 タイミングを逸した事で気の抜けたうなり声を上げた瑠璃華に、
 風華が心配そうに駆け寄る。

瑠璃華「いや……何でもないぞ」

 瑠璃華は何とか気を取り直し、顔を上げた。

瑠璃華「結果論とは言え、風華をのけ者にしかけたからな……。
    全員揃った事だし、コレはコレでOKだ」

 そして、最初は渋った表情を浮かべていたものの、
 次第にどこか得意げな笑みを口元に浮かべ、うんうんと一人納得したように頷く。

フェイ「荷物をお預かりします、藤枝隊長」

風華「ありがとう、フェイ。
   それで……のけ者とか何とか、これの事かしら?」

 進み出たフェイに中華まんの入った手提げ袋を預けた風華は、
 そう言って段ボール箱を覗き込む。

空「ドローンだそうですよ、瑠璃華ちゃんお手製の」

 一人だけ、箱の中身を聞かされていた空が答えると、
 他のメンバーも口々に意見を述べ始める。

クァン「ドローンか。このサイズだと……軽作業用か?」

マリア「ここで使う軽作業用って、フェイのお手伝い用とか?」

 思案げなクァンに続いて、マリアが小首を傾げて呟く。

レミィ「だそうだぞ、フェイ?」

フェイ「待機室内の作業は私一人でも可能ですが、
    サポートが増えるのは吝かではありません」

 レミィに意見を求められたフェイは、淡々としながらも満更ではなさそうに返した。

風華「それで、本当にサポート用のドローンなの?」

瑠璃華「まあ、当たらずとも遠からずだな」

 怪訝そうな風華に、瑠璃華は意味ありげな笑みを浮かべて返し、
 改めて段ボール箱の蓋に手を伸ばす。

瑠璃華「それじゃあ、お披露目だ」

 瑠璃華が蓋を開くと、箱の中から小さな影が飛び出した。

風華「きゃっ!?」

 一番近くで箱を覗き込んでいた風華は、小さな悲鳴を上げる。

 そんな彼女の頭上に、影の一つが飛び乗った。

風華「え? な、何?」

??「相棒に、“何”は酷いんじゃないかなぁ?」

 狼狽する風華の頭上で、“それ”は聞き慣れた声を上げる。

風華「え? つぇ、突……風?」

突風「当ったり~、私だよ」

 風華は怪訝そうな声と共に、頭の上から“それ”を下ろす。

 目の高さまで持って来ると、それは二頭身半にデフォルメされた突風の、
 二十センチ弱ほどの小型ロボットだった。

 新緑色の鮮やかな機体の各部に、蒼い輝きを宿している。

 まさかブラッドラインなのか、と思いきや、どうやら携帯端末と同じく、
 単に所有者の魔力波長に合わせた色を発しているだけのようだ。

 どうやら、瑠璃華の作ったドローンとは、彼女の事らしい。

 そして、他のメンバーの元にも、それぞれの相棒が寄り添っていた。

プレリー「マリアお嬢様、こちらの姿でもよろしくお願いします」

マリア「ん、アタシの方こそよろしくね、プレリー」

 膝の上にちょこんと座ったプレリーの頭を、マリアは優しく撫でる。

プレリー「えへへ……」

 主に撫でられたのが嬉しいのか、
 プレリーはどこかはにかんだような仕草で、その手に自らを委ねた。

 こちらも橙色の躯体に、マリアの魔力波長である情熱的な火色の輝きを纏っている。

 その隣では、黄色の躯体に、クァンと同じ雄黄色の暖かな輝きを宿したカーネルが、
 彼の肩の上に腰掛けてふんぞり返っていた。

カーネル「やっぱ自由に動ける身体ってのは便利でいいな」

 生まれて初めて、動ける身体が手に入ったのが嬉しいのか、
 カーネルは楽しそうに言って伸びをする。

クァン「悪戯だけはしてくれるなよ」

カーネル「ガキんちょじゃあるまいし、そんな事しねぇよ」

 微笑ましそうな溜息を交えて呟くクァンに、カーネルも笑うような声で返した。

ヴィクセン「最初は動けるから何なの、って思ったけど、
      これも案外いいわね」

 布か何か、柔らかい素材で出来ている尻尾をぱたぱたと振りながら、
 ヴィクセンはそう言ってレミィの頭上で寛ぐ。

 機械的な白い躯体に若草色の輝きを宿してはいるものの、
 サイズも相まってか、仕草はイヌ科の動物のそれだ。

レミィ「素直に嬉しいって言えばいいじゃないか」

ヴィクセン「あら? 素直じゃないのは持ち主似よ?」

 耳と耳の間で寛ぐ相棒の反論に、レミィは肩を竦める。

 それでも耳をぴくぴくと震わせているのは、レミィなりのせめてもの反抗なのだろうが、
 ヴィクセンは意に介さずと言いたげに、両耳を交互に尻尾で叩く。

アルバトロス「何か手伝う事はありませんか、フェイ?」

フェイ「それでは、この袋をストッカーにしまって下さい。
    後で何かに使えるかもしれません」

 一人、離れたミニキッチンで中華まんを温める準備をしていたフェイの元で、
 アルバトロスがぱたぱたと忙しなく翼をはばたかせていた。

 彼女もやはり、白い躯体に山吹色の輝きを纏っている。

アルバトロス「かしこまりました。
       これからは少しずつお手伝いしますね、フェイ」

フェイ「感謝します、アルバトロス」

 手提げ袋を預かり、そう言って棚へと向かうアルバトロスに、フェイは深々と頭を垂れた。

チェーロ「うん、中々いい感じなんじゃないですか、マスター?」

瑠璃華「ふふ~ん、作った私が天才だからな」

 傍らに浮かび、周囲を見渡していたチェーロの言葉に、瑠璃華は胸を張って応える。

 真紅の躯体に瑠璃色の輝きを宿したチェーロは、
 そのまま主の回りを旋回してから、両手を出した瑠璃華の腕の中に収まった。

 だが――

空「えっと……瑠璃華ちゃん、エールは?」

 怪訝そうな表情を浮かべた空が、一人手持ち無沙汰に呟く。

 彼女の元には、相棒であるハズのエールの姿は無かった。

瑠璃華「何?」

 瑠璃華もその事に気付き、辺りを見渡すが、待機室内にエールの姿は見当たらない。

 二十センチ弱までスケールダウンされているとは言え、
 まん丸にデフォルメされた二頭身半の身体では、どこかの物陰に隠れる事は出来ないだろう。

 仲間達も異変に気付き、相棒達と辺りを探し始めてくれているが、やはりエールの姿は無い。

チェーロ「もしかして……」

 チェーロは瑠璃華の腕から飛び立ち、段ボール箱の縁に立つと、内部を覗き込んだ。

 空と瑠璃華も慌てて駆け寄り、蓋の開いたままの段ボール箱の中を見遣る。

 するとそこには、やはりと言うべきか、エールの姿があった。

 白い躯体に空色の輝きを宿したエールは、段ボール箱の隅に座り込んだまま微動だにしない。

プレリー「エールさん……」

 同じように段ボール箱を覗き込んだマリアに抱えられたまま、
 プレリーが彼の名を呼ぶが、反応は無い。

瑠璃華「まあ……ある程度、予想はしていたが」

 瑠璃華は溜息がちに呟いて、箱の中からエールを取り出す。

 途端、手足がだらりと垂れた。

 手足は極端に短くデフォルメされているため、それほど垂れた印象は無いが、
 力が入っていないのは一目瞭然だ。

瑠璃華「仕込んだ電飾が空色に光っている以上、電源も空の端末とのリンクも正常……。
    となると、やはりエール自身が拒否か……動作チェックくらいはするべきだったか。

    ……全く、フェイの方がよっぽど頭が柔らかいぞ」

 瑠璃華は肩を竦めて盛大な溜息を漏らすと、動かないエールを空に預けた。

瑠璃華「みんなも聞いてくれ、端末をドローンに翳せば、
    自動的にアプリケーションがダウンロードされるようになっている」

 瑠璃華の説明を受けて、空達は携帯端末を取り出し、ドローンに翳す。

 すると、自動的にダウンロードが始まり、
 一つのアプリケーションのインストールが終了する。

 “ドローンチェッカー”と銘打たれたそのアプリケーションを起動すると、
 画面にドローンの姿や幾つかの数値が表示された。

瑠璃華「ただのコンディションチェッカーだが、ドローンの自発移動距離や稼働時間、
    故障や異常箇所なんかが一目で分かるようになっているから、異常が出たら教えてくれ。

    それと、空は動いた形跡が出たら教えてくれ」

 先ほどまで得意漫然と言った風だった瑠璃華は、疲れた様子で呟くと、
 チェーロを胸に抱えたままソファに座り込んでしまう。

空「瑠璃華ちゃん……」

 空は、自分のギガンティックが迷惑をかけている事に、
 居たたまれ無さと罪悪感を感じながら瑠璃華の名を呟くと、
 起動したばかりのチェッカーに目を落とす。

 そこには、全身が真っ赤な“異常”を示した状態のエールのワイヤーフレーム画像と、
 “GearLink-Off”の表示が点滅するばかりだ。

瑠璃華「とりあえず、他は異常無いな?」

 瑠璃華はようやく顔を上げると、そう言って仲間達を見渡す。

 どうやら、エール以外に異常のあるドローンは無いようだ。

 元々、本体に問題のあるエール以外は正常稼働しており、先ほどの口ぶりからして、
 サプライズのために動作確認も行っていなかっただろうと推測すれば、
 瑠璃華が普段から自称している“天才”も、相応の自負あっての事だと思える。

瑠璃華「まあ、ドローン自体に問題は無いが、
    動かない以上、とりあえずはこちらで持ち帰って……」

 瑠璃華は気を取り直し、そう言って空からエールのドローンを預かろうとするが、
 空はそれを首を振って制した。

空「大丈夫だよ、瑠璃華ちゃん。
  エールが動く気になってくれれば、動いてくれるんだよね?」

 空はそう言うと、抱きかかえていたエールを高く掲げ、さらに続ける。

空「もし出来るなら、一番最初にこの子が動いている所を……
  エールが動かしている所を見てみたいから」

瑠璃華「ん~……まあ、空がそれいいなら、私もそれで構わないが」

 どこか決意じみた声音で漏らす空に、瑠璃華は少し釈然としない様子で漏らす。

 だが、すぐにまた気を取り直し、ミニキッチンで作業中のフェイへと向き直った。

瑠璃華「フェイ~、中華まん温め終わったか~?」

フェイ「はい、天童隊員」

 瑠璃華に呼ばれるようにして、
 皿に人数分の中華まんを盛り付けたフェイがテーブルへと戻って来る。

風華「えっと……じゃあ、気を取り直して食べましょう。ね?」

 風華の提案で、少し早めの夕食が始まった。

 風華の話を聞くと、フカヒレ饅で有名な行列店らしく、
 行きがけに予約して帰りに買って来た物だと言う。

 合成でない天然素材を使った高級品は、
 その名と人気に恥じない味で、空達は終始舌鼓を打っていた。

 まだ技術開発部の仕事があると言う瑠璃華と、自身の調整を受ける予定のあるフェイを残し、
 司令室に寄る用事のある風華と別れ、空達は寮への帰宅の途へと着いていた。

 昼用の照明が落とされ、街灯だけが照らす薄暗い道を歩きながら、
 瑠璃華からプレゼントされたドローンを、肩や頭の上に乗せ、或いは抱きかかえている。

マリア「う~ん……風華隊長のくれた中華まんだけじゃ、ちょっと物足りないかな?
    みんな、下で何か食べて行かない?」

 マリアは下腹部をさすりながら、思案気味に仲間達に提案した。

 少し大きめの中華まんではあったが、
 十四~六歳のまだまだ育ち盛りの身体には、やや物足りない量だったのだ。

レミィ「そうだな……サラダとスープくらいなら、私も付き合うよ」

クァン「俺もそうさせて貰おう……。
    空君はどうする?」

 レミィとクァンがマリアの提案に賛同し、空にも確認を求める。

空「はい、私ももうちょっと食べて行きます」

 空がそう頷いた瞬間、通話着信を告げる電子音が小さく鳴り響いた。

空「あ……っと私のです。
  後から行きますから、みんな、先に行ってて下さい」

 空は身体の前で抱きかかえていたエールを小脇に抱え直すと、
 制服の内ポケットから携帯端末を取り出す。

レミィ「そうか、じゃあ、先に行って席の確保しておくな。
    スープとサラダバーのセットでいいか?」

空「うん、それでお願い」

 レミィに返事をして、空は人通りの多い場所を避けて、
 敷地内の街灯下にあるベンチへと移動した。

 着信画面を確認すると、相手は雅美のようだ。

 ベンチに腰掛け、傍らにドローンを置き、急いで回線を繋ぐ。

空「雅美ちゃん? 久しぶり」

雅美『はい、お久しぶりです、空さん。
   お仕事の調子はどうですか?』

空「うん、ぼちぼち、かな……。
  まだ慣れない事も多いけど、先輩達が良くしてくれてるから」

 心配そうな、だが不安では無さそうな雅美の問いかけに、
 空は少しだけ楽しそうな声で返す。

 出動回数は多いが、仲間達のお陰で勝利を収める事は出来ている。

 聞いた話によれば、入隊から一ヶ月以内で撃破二、撃破補助一と言うのは、
 ギガンティック機関でも始まって以来の快挙だと聞かされていた。

空「雅美ちゃんの方は、勉強はどう?
  そろそろ期末考査の時期でしょ?」

 空は学生時代の予定表を思い出しながら、そんな事を尋ねる。

 来月の頭には、期末考査の時期が差し迫っていた。

 この期末考査の成績如何で、
 以前にも話のあった上位校進学に向けた集中補修への参加の是非が決まるのだ。

 上位校である東京第一女子高等学校を目指す親友達には、
 学生としてはこれ以上無いほど大事な時期だろう。

雅美『ええ、順調です。……私と真実さんは、ですけど』

 雅美はどこか苦笑うような声音で漏らす。

 と、その直後――

真実『佳乃、関数グラフの書き方が違ってますわよ』

佳乃『料理人に指数関数グラフなんて必要ねぇよ! ちっくしょーっ!』

 少し離れた位置と思しき音量で、真実と佳乃の声が聞こえて来た。

空「よ、佳乃ちゃん……」

 端末の向こうで繰り広げられている光景を思い浮かべて、空は苦笑いを浮かべる。

 通信教育で自主学習は続けている物の、
 受験戦争からは早々にドロップアウトしてしまった身であるため、
 妙な居たたまれ無さと言うか、罪悪感を感じてしまう。

佳乃『そぉらぁ~、y=x三乗と真実がいぢめるよぅ』

真実『人を指数関数と同類にしないで下さるかしら?』

 雅美が通話中である事に気付いたのか、
 普段からは想像も出来ないほどに弱り切った声音で助けを求める佳乃に、
 真実は盛大な溜息を交えて呟く。

 どうやら、佳乃の受験対策は非常に困難を窮めているようだ。

 元より文系は強い――曰く、料理本を見るための基礎知識だそうだ――
 佳乃の事、苦手な理数系に的を絞っているのだろう。

雅美『お二人と話されます?』

空「うん、お願い。

  ……真実ちゃん、佳乃ちゃんが分かり難い問題は料理に置き換えるといいよ」

 空は、雅美に端末を二人へと向けて貰うと、先ずは真実に語りかける。

真実『料理に……?』

 しかし、その話題に先ず食いついて来たのは佳乃だった。

空「うん、私じゃいい喩えが見付からないけど、
  真実ちゃんならそう言う考え方は得意だし。

  佳乃ちゃんも、理数系さえ出来れば受験も安心だから、勉強がんばってね」

真実『成る程……料理に喩えるのね……それなら佳乃の集中力も……。
   ありがとう空、気付きませんでしたわ』

佳乃『へーい……』

 空の言葉に、真実は感心したように、佳乃は不承不承と言った風に返す。

 空は習う方は得意だが、教える方は得意では無い。

 だが裏を返せば、どう習えば覚えやすいかはよく分かっているつもりだ。

 そして、自分とは逆に、真実は習うだけでなく、教える方にも長けている。

 適材適所……とは違うが、出来る範囲で協力するのも友人としての気持ちだ。

雅美『それで、煮詰まり気味の佳乃さんに発破をかけようと思いまして……。
   期末考査で規定の点数を取れたら、来月半ばにオープンする遊園地に、
   みんなで遊びに行こうと言う事でお電話したんですが』

空「遊園地?」

 改めて電話を替わった雅美の提案に、空は怪訝そうに返す。

雅美『ええ、その……例の再開発地区なのですが……、
   どうやらあの後、計画が幾つか潰れてしまったようで、
   アミューズメント企業が用地の大半を買い取って、
   大きな遊園地を作る事になったそうなんです』

空「ああ……あの駅向こうの」

 雅美の説明を受けて、空は再開発地区の事を思い出していた。

 七ヶ月前のイマジン出現の影響で、再開発の遅延が発生しているのはニュースなどで聞いてはいたが、
 まさか遊園地が出来るとは思ってもいなかった。

 七ヶ月前にイマジンが出現した再開発地区……そう、姉・海晴が亡くなった地でもある。

 最初、雅美が言葉を濁したのはそう言った事もあっての事だろう。

真実『雅美のお父様の知り合いに、そのアミューズメント企業の重役がいるらしくて、
   オープン前日の優待券を頂いたそうですわ』

 真実は少し慌てた様子で、雅美をフォローするように言った。

雅美『……もし、空さんが宜しければ、久しぶりに四人で遊ぼうかな、と思いまして』

佳乃『あ~、無理だったら別に他のトコでもいいぜ?
   補習前に一度、ゆっくりと羽さえ伸ばせれば』

 続けて、雅美と佳乃が気遣うように声を掛けた。

空「………」

 三人の親友の言葉を受けて、空は押し黙ったまま考える。

 姉の死は、既に受け入れていた。

 一周忌を前に、姉の死について気持ちを整理するのも良いかもしれない。

 これは、親友達がくれた機会と思っていいだろう。

空「うん。その日に非番が取れるか分からないけれど、みんなと行きたいな」

 空は快諾を口にして、すっかり照明の落とされた天井を見上げた。

 真っ暗で吸い込まれそうな、見慣れた天井だ。

 ふと思い出すのは、あの日に気付かされた自身の黒い感情。

 思えば、今までにあの黒い感情に支配されたのは、姉を喪った直後だけだ。

 イマジンと相対しても、あの時のような怒りはこみ上げて来ない。

 結果的には良い事なのだが、空はあの感情に対しても踏ん切りを付けられないでいた。

 だが、姉を喪ったあの場所に行けば、もしかしたらこの感情にも答えが出るかもしれない。

空「行こうよ、遊園地」

 空は少しだけ嬉しそうに言って、微笑んだ。


 それからしばらく、親友達との他愛も無い会話を楽しんだ空は、
 先に食堂に向かったレミィ達と合流し、仲間達と夕食を済ませ、
 “明日”に備えて、その日は眠りについた。

―2―

 翌日早朝、ブリーフィングルーム――

 その日のブリーフィングの内容は、通常とは少々異なっていた。

アーネスト「兼ねてより準備を進められていた、フロート間連絡通路の補修準備が、
      昨日にかけて整ったとの連絡が、運輸管理課から入った」

 ドライバーとオペレーターの面々は椅子に座って、
 緊張した面持ちでアーネストからの通達を聞いている。

 アーネストは一旦、明日美の方に視線を向け、彼女は頷いて続ける。

明日美「本機関からも護衛のため、三名のドライバーと三体のギガンティックを派遣するに当たり、
    本日から四日間は特別編成となります」

アーネスト「護衛メンバーは01、朝霧空。
      07、天童瑠璃華。12、張・飛麗の三名。

      随伴オペレーターは戦術解析部よりT2、アリシア・サンドマン。
      技術開発部よりMT、舞島春樹。医療部よりB2、セリーヌ・笹森。
      情報解析部よりC1、エミーリア・ランフランキの四名とし、
      現場指揮にはタチアナ・イリイニチナ・パプロヴァを随伴させる。

      出立時刻は二時間後の0930。

      本部残留組に関しては、メインは08と09、サブは06と11、
      以降は五日後まで交代制で行う。

      他のオペレーター各員は定常通りのシフトとし、チーフオペレーター代行は新堂ほのかとする」

 明日美の言葉に続いて、アーネストが派遣メンバーを発表した。

 要は、十一日前に出現した変則ティラノサウルス型イマジンの空けた穴を塞ぐ作業のようだ。

 七ヶ月前にも、似たような理由でしばらく泊まり込みになると、
 亡き姉から聞かされていた事を空は思い出していた。

 加えて、こう言った機会での出撃……と言うよりは出張がある事は、
 風華達から事前に聞かされていた事でもあるし、
 今日の派遣に関しても三日前のブリーフィングで通達されている。

 改めて今朝になって言い出したのは、あくまで確認とため、と言うワケだ。

アーネスト「本日の通達は以上。……何か質問は?」

 そんな理由もあってか、アーネストが挙手を促すように空達を見渡すが、
 特に誰も質問は無いらしく、挙手する様子は無い。

アーネスト「では、解散」

 アーネストの号令と共に、朝のブリーフィングは解散となった。

 すると、荷物を取りに寮に戻る準備を始めた空の元に、
 瑠璃華が少し急いだように駆け寄って来る。

瑠璃華「空、準備は終わっているのか?」

空「うん、洗い替え出来るように三日分の服と……あと、歯ブラシとかの生活用品だよね?」

瑠璃華「ああ、あとキャリアで待機中に出来る暇つぶしの道具だな」

 瑠璃華は、自分の質問に答えた空の回答に、さらに付け加えた。

空「暇つぶし道具はいつも通り、携帯端末があれば十分かな?
  勉強もしたいし」

 空は準備した物を頭の中で再確認しながら、思案気味に答える。

 昨夜、親友達と電話で話した事を思い出す。

 彼女達も勉強を頑張っているのだ。

 普通の学生の道には戻れないが、
 それでも亡き姉の願いに少しでも沿うために、勉強はしておきたい。

瑠璃華「真面目だな、空は。
    ……っと引き留めて悪かったな。

    私は研究室の方に取りに行く物があるから、先にキャリアに行っていてくれ」

空「うん、じゃあ、また向こうで」

 微笑ましげな溜息を一つ吐いて、自分の作業に向かおうとする瑠璃華と別れると、
 彼女の元にフェイと春樹が駆け寄る。

フェイ「お手伝いします、天童隊員」

春樹「僕もお付き合いしますよ、主任」

瑠璃華「すまんな、フェイ。
    春樹は……自分の荷物は大丈夫なのか?」

春樹「ええ、今朝までにキャリアに運び入れてあります」

 瑠璃華はフェイと春樹を連れて、そんな話を交わしながらそのまま研究室へと向かった。

 既に他の面子もシフト通りに動き始めており、残すは空と明日美、アーネストの三人だけだ。

空「お先に失礼します、司令、副司令」

明日美「ええ。派遣任務は初めてだけど、頑張りなさい」

アーネスト「質問があるなら今の内に私達か、同行するメンバーに聞くと良い」

空「はい! では、準備があるので改めて失礼します」

 空は明日美とアーネストに挨拶すると、二人の言葉を受けながらその場を辞し、
 改めて寮に向かって駆け足気味に向かった。

 と、駆け足になって、ふと思う。

空(もしかして……瑠璃華ちゃん、心配してくれたのかな?)

 まだ自分の用事が終わっていないのに、ああやって聞きに来てくれたのたは、
 おそらくはそう言う事なのだろう。

 自分の肩よりも身長の低い、まだまだ幼さの残る少女が、
 そうやって先輩らしい事をしてくれると言うのは、
 どこか頼もしいような微笑ましいような申し訳ないような、
 とにかく暖かな気持ちになって笑みを浮かべる。

空(……っと、急がなくちゃ)

 いつの間にか顔を綻ばせてゆっくりとした足取りになっていた事に気付くと、
 空はまた慌てた様子で駆け出した。

 食堂で朝食を済ませた空は、昨夜までに準備していた荷物の入ったキャリーバッグと、
 まだ動く様子を見せないエールのドローンを小脇に抱え、ハンガーへと向かった。

 既に他のメンバーも集まっており、乗り込み作業も始まっている。

空「遅くなりました!」

タチアナ「大丈夫よ、朝霧さん。
     まだ荷物を運び入れ始めたばかりで、出発まではまだ一時間以上は有りますから」

 慌てた様子で空が最後尾に着くと、それまで最後尾にいたタチアナが返す。

 よく見れば、まだ連結したハンガー上では専属の整備員達が作業をしている最中だった。

 どうやら、オペレーターや一部の整備員だけが、先んじて荷物の積み込みを始めたばかりのようだ。

空「今回は三号キャリアなんですね」

タチアナ「ええ。……まあ、整備ローテーションの兼ね合いで、
     その時に都合の良い車輌を使うだけなのだけれど」

 先頭車両の車体ナンバリングを確認しながら呟いた空に、タチアナは微笑み混じりに返した。

 今回のリニアキャリアは八輌編成となっており、
 牽引車輌の後ろに01、12、07、07OSSコンテナと来て、
 指揮車輌と少し背の高い三階建ての宿舎車輌が二輌と行った内訳だ。

 空達が乗り込もうとしているのは、その最後尾に繋がれた宿舎車輌である。

 長いタラップを登りながら車輌の側面を見ると、覗き窓らしき丸い窓が見えたが、
 かなり分厚い構造らしく中を窺う事は出来ない。

空「何だか、ちっちゃな校舎みたいですね」

タチアナ「あら? 田舎だとこれよりずっと小さな校舎もありますよ」

 感嘆混じりに漏らした空に、タチアナがそんな事を呟く。

空「田舎、ですか?」

タチアナ「ええ、私も第二フロートの田舎出身なのだけれど、
     小中学校の校舎は大体、この車輌の半分くらいだったかしら。

     一学年一クラスもなくて、下手をしたら二、三学年で一クラスだったわ」

 空がキョトンとした様子で尋ねると、タチアナは懐かしそうに言ってから
 “もう、二十年も昔の話ですけど”と苦笑い気味に付け加えた。

 空達はそんな会話をしつつ、宿舎車輌に乗り込んだ。

 内部も思いの外広く、
 一階にはレストスペース兼食堂やシャワールームまで完備されていた。

 内装自体も質素ではなく、軍用車輌と言うよりは、
 ちょっとした移動ホテルを思わせる程度には整っている。

タチアナ「個室にはシャワーが無いから、
     そこの共同シャワールームで我慢して下さいね」

空「いえ、何だか想像していたよりずっと設備が整ってるんですね」

 申し訳なさそうに呟くタチアナに、空は驚きで目を輝かせて返した。

 不便と思えるような要素は、今の所、無さそうだ。

タチアナ「じゃあ、空いてる部屋……ドライバーは必ず一階の部屋を使って下さい。
     緊急時にはすぐにハンガーまで行く事。
     それと、出発十分前には二輌前にある指揮車両まで来て下さいね」

空「はい!」

 タチアナから簡単な注意事項を聞かされると、
 空は荷物を持って近場の空き部屋へと入って行った。

 寮の部屋よりも手狭だが、それでも短期間の生活には十分な広さだ。

 ベッドも机も、小さいがタンスも揃っており、
 寝泊まりするだけの最低限の設備は整っている。

空(部屋も意外なほど豪華……)

 四日間も派遣と聞かされて、少々、不安を感じていた空だったが、
 共用設備も個室も十分過ぎるほど整えられており、不安とは無縁だと改めて理解した。

空(とりあえず、出発まではまだまだ時間もあるし、
  今の内に着替えを仕舞っちゃおう)

 空はベッドサイドにキャリーバッグを置くと、
 中身をベッドの上に並べてから、順序よくタンスに仕舞って行く。

 動かないエールのドローンと洗顔セットを机の上に置き、
 空になったバッグをベッドサイドに置くと、そこで作業は終わってしまう。

 空は端末を取り出し、時刻を確認する。

 時刻は八時五十三分。

 出発十分前に指揮車輌に集合とは言われたが、まだ三十分近い余裕がある。

空「……見学でもしようかな?」

 空はそう呟くと、携帯端末のアラームを二十分後にセットし、
 部屋の外……宿泊車輌の見学へと出掛けた。

 部屋の外に出ると、通路は多くの職員でごった返し始めており、
 空は改めて、リニアキャリアの出発が近い事を知る。

 顔ぶれの殆どは整備班や生活課で、今回の派遣任務を支えてくれる職員達だ。

 ミッドナイトシフト……所謂、深夜シフトの職員が大半であり、
 逆に日勤や遅番に当たるデイシフトやナイトシフトの職員は少ない。

 後から聞かされた話だったが、空も知るデイ・ナイトシフトを担当する十三名のオペレーター以外にも、
 ミッドナイトシフトのオペレーターがいるそうで、通常はそちらのメンバーが派遣任務に携わるそうだ。

 しかし、まだそんな事を知らぬ空は、見知った顔が無いか無意識の内に探し始める。

 オペレーター達は既に指揮車輌に出向いているのか、タチアナ達は見当たらない。

 と、不意に人混みの向こうで、巨大な段ボール箱のタワーが動いているのが見えた。

空(あれ……何かデジャヴュ……)

 不意に覚えた既視感に空が呆然としていると、
 人混みを縫って移動する段ボール箱のタワーが徐々に近付いて来る。

 空は何事かと警戒したが、すぐにその正体に気付いて破顔した。

 瑠璃華だ。

空「瑠璃華ちゃん!?」

 僅かばかり驚きを込めた声で瑠璃華の名を呼ぶ。

瑠璃華「おお、空か」

 瑠璃華も、空の姿を見付けて歩み寄って来る。

 その手には、一方にはキャリーバッグ、
 もう一方には段ボール箱のタワーが乗った台車が引かれていた。

空「何だか……凄い量の箱だね……」

 空は自分の頭よりも高く積まれた段ボール箱を見上げて、唖然としつつ呟く。

 昨日ほどの大きな箱は無いが、それでも瑠璃華の身体ほどもある大きな段ボール箱が、
 ぱっと見ただけでも八個は積まれている。

 大量の段ボール箱には全て同じメーカーのロゴが刻印されていたが、
 空には見慣れないメーカーの物だ。

空「エム……ジェイ……クラフト………M.J.CRAFT?」

瑠璃華「ああ、私のお気に入りの模型メーカーでな。
    四年前にニュースにも出た事があるが、覚えてないか?」

 メーカーロゴを読み上げ、やはり聞き覚えのないメーカー名に小首を傾げる空に、
 瑠璃華が怪訝そうに尋ねる。

 ニュースになった事があるなら記憶していそうな物だが、やはり思い当たらない。

 その時――

春樹「ニュースになった頃は、まだ昔の社名でしたからね。
   株式会社マイジマ模型なら、朝霧さんもご存知では?」

 不意に瑠璃華の背後から現れた春樹が、にこやかな表情でそう言った。

空「舞島チーフ!?」

 突然現れた春樹に、空は驚きの声を上げる。

瑠璃華「おお、春樹か。
    そう言えばそうだったな、社名を変えたのは三年前だったか」

春樹「はい。……それと、主任。
   言って下されば、私物の運び込みも手伝いましたよ?」

 驚く空を後目に、これはしたりとあっけらかんとした様子で頭を掻く瑠璃華に、
 春樹はにこやかな表情のまま、溜息混じりに言って肩を竦めた。

 と、そこで空はようやく、四年前のニュースを思い出す。

空「あ、マイジマ模型……確か、金型技術で革新的な特許を取った町工場ですよね?
  それで、倒産寸前から一気に業績がV字回復したって……あれ? マイジマって……」

 思い出したニュースの内容を口にしていた空は、聞き慣れた名前に再び首を傾げる。

春樹「ああ、実家ですよ、僕の」

 そんな空に、春樹が照れ笑いを浮かべて答えた。

―3―

 派遣任務三日目の午後、宿舎車輌一階のレストスペース――

 早朝から正午まで警戒任務を終えたギガンティック機関の隊員や職員達は、
 それぞれが明日の任務に備えて職務に従事し、或いは英気を養っており、
 このレストスペースも多くの職員達で賑わっていた。

 食堂スペースを支える生活課にしてみれば、今が職務時間中と言った所だろう。


 そして、その一角では、空達ドライバー三人と、
 タチアナ達オペレーター五人の計八人が並んだテーブルでそれぞれに寛いでいた。

 フェイの煎れたお茶に舌鼓を打ちつつ、読書やニュースを閲覧するオペレーター達の隣で、
 空は勉強、瑠璃華は模型作りにそれぞれ勤しんでいる。

空「ふぅ……」

 勉強に一区切り終えた空は、小さく伸びをしてから、
 フェイが用意してくれたコーヒーを口にした。

 頭を使っていた事もあってか、普段より甘めにして貰った糖分が、
 身体に染み渡って行くような気がする。

 そして、ふと瑠璃華の方に視線を向けると、
 休憩前に持ち出して来た堆い模型の箱の半分が、隣の空いたスペースへと移動していた。

 勉強しながら時折視線を向けていたが、積み上げた箱の山の上から取り出し、
 作り終えた模型は箱に戻して隣に積むの繰り返しである。

 十個ほど準備されていた模型の内、
 半分の五個が完成済みで、六個目は組み立てを開始した所だ。

 昼食を終えて二時間ほど勉強をしたが、
 一つの模型を二十五分以内で組み立てた計算になる。

 細かいパーツの多い複雑な部類の模型なのだが、瑠璃華は組み立て説明書を傍らに置きながら、
 時折視線を向けるだけでスラスラと組み立てていた。

空「瑠璃華ちゃん……模型組み立てるの早いね」

瑠璃華「ん? ああ……本当なら塗装や継ぎ目消しやら、色々とやりたい事はあるんだがな。
    こんな時くらいしか時間が取れないから、貰った分は全部素組みして、
    気に入った物だけ後で注文して、休日に作る事にしているんだぞ」

 感心したように呟いた空に、瑠璃華は作業の手を止めて、溜息混じりに呟く。

空「継ぎ目消し? 素組み?」

 一方、聞き慣れない単語の登場に、空は困ったような笑顔を浮かべて小首を傾げる。

 さすがに塗装は分かるが、他は字面から意味を察するので限界だ。

春樹「継ぎ目消しは、パーツ同士の継ぎ目に少量の樹脂状剤を流し込んでから、
   サンドペーパーのようなヤスリで削って表面を滑らかにする処理の事で、
   素組みは、そう言った処理を行わず、取り扱い説明書通りに組み立てる事ですよ」

 困った様子の空を見かねてか、
 携帯端末で見ていたニュースから目を離した春樹が、簡単な説明をしてくれた。

 空は“ああ、なるほど”と頷いて、改めて組み立て中の模型を見遣る。

 瑠璃華が今作っているのは、ギガンティックの足のようだ。

 無論、足その物の模型を作っているのではなく、
 ギガンティック全体の模型の足の部分と言う意味である。

 ともあれ、その足をよく目を凝らして見ると、僅かに継ぎ目のような物が見えた。

 魔力で視力を少しだけ強化すれば見える程度の、僅かな僅かな継ぎ目。

 これを消す作業と聞くと、門外漢にはどうにも眩暈じみた物を覚える拘りだ。

瑠璃華「まあ、素組みにして一気に片付けないと、
    秋雄が後から後から新作を送りつけて来るからな。

    たまにこうやって組み立てないと、
    積み挙げた手つかずの箱に圧殺されかねん」

空「新作を送りつけて来る、って?」

 溜息がちに肩を竦めた瑠璃華に、空は怪訝そうに尋ねる。

瑠璃華「ん~? ああ、M.J.CRAFTのパテントな、
    アレは私が秋雄に……春樹の父親に無償提供した物でな、
    そのお礼とか言って、新商品を開発する度に送って来てくれるんだぞ」

 意味が分からないと言った様子の空に、
 瑠璃華はそう言ってから“そう言えば、言ってなかったな”と、思案顔で付け加えた。

アリス「あ、それ、私も初耳です」

 空の傍らに座っていたアリスが、そう言って控え目に手を挙げる。

セリーヌ「あ~……私も、それっぽい事はクララから聞かされたけど、詳しい話は」

エミリー「私も、ウチのチーフから聞かされましたけど、あんまり要領は得ない感じです」

 後輩の様子に、セリーヌとエミリーも苦笑いや興味ありげな表情を浮かべて手を挙げた。

 フェイやタチアナは詳しい内容を知っているのか、手を挙げる様子は無い。

春樹「クララ君とブランシェ君か………あのお喋り共め」

タチアナ「ふふふ、あの二人にこの手の話題を秘匿させるのは難しいわよ。
     諦めなさい、舞島君」

 セリーヌとメアリーの情報提供者達――一人は部下、一人は同期――を思い浮かべ、
 苦笑いを貼り付けたまま肩を竦めた春樹に、タチアナが微笑ましそうに口元を押さえて言った。

フェイ「サイラスオペレーター、ブランシェチーフのお二方が、
    当機関に関する秘匿事項を他言した事は現在までにありません」

 フェイもクララとリズの事をフォローするが、そう言う問題では無く、
 その場にいたメンバーの中、春樹以外は噴き出しそうになってしまう。

春樹「はぁ……まあ、オペレーターやドライバーの半分以上が知ってる話題だし、
   隠し立てする事でもありませんね?」

瑠璃華「そうだな、小休止がてらに話してやるとしよう」

 諦めたような様子の春樹に確認するように問いかけられた瑠璃華は、
 そう言って思いを馳せるような視線を浮かべて呟いた。

 そして、朗々と語り出す。

瑠璃華「まだ、お父さんが……天童前主任が存命で、春樹達がまだ入隊三年目の頃で、
    ターニャがコンタクトオペレーターのチーフだった頃の話だ。

    その頃、ばーちゃんやお父さんに政府の研究施設から連れ出されたばかりだった私は、
    ヴィクセンやアルバトロスの開発中だったんだが、同時に娯楽に触れる機会が増えてな……」

 懐かしさと寂しさと、そして嬉しさの混在した、
 十歳の少女とは思えない複雑な表情と声音で瑠璃華が語ったのは、以下のような内容だった。

 政府の研究施設にいた頃と同様、研究と開発に明け暮れていた瑠璃華を心配し、
 明日美と天童孝造前主任は、瑠璃華が積極的に娯楽に触れられる機会を仕向けた。

 休憩中に子供達に流行っていたアニメを見せたり、発想の転換にとぬいぐるみを買い与えたり。

 そんな中で、瑠璃華が興味を示したのは、春樹が作っていた模型だったそうだ。

 列車や戦車と言う、なかなか渋いチョイスの模型達だったが、
 元から技術畑の瑠璃華はそれらに強く惹かれるようになり、遂には自ら通販で買うまでに至る。

 そんな中で、一番のお気に入りだったのが春樹の実家、
 マイジマ模型のスケールモデル……いわゆる縮尺模型だった。

 曰く――

瑠璃華「春樹の父親……社長の秋雄が作る模型は絶品だぞ。

    細部のディテールにまで徹底された再現度の高さを誇りながら、
    作り手の事を考えた組み立て易さを追求したパーツ配分。

    ただの自己満足で終わらない、正に芸術的な工業製品だ」

 目を輝かせて語る瑠璃華だが、
 身内を賞賛されている春樹は少し複雑な表情で肩を竦めている。

 そして、小さな溜息を一つ漏らして語り出す。

春樹「小さな町工場が、そんな凝った物を作り続けられるだけの企業的な体力は無く、
   商品が多少売れても、新商品を作り度に生産コストは嵩む一方。

   かと言って商品の価格をつり上げるワケにもいかず……。
   そんなワケで、昔から貧乏でしたよ、我が家は」

タチアナ「それでも、趣味が模型作りな辺り、
     お父様の事は昔から尊敬していたんでしょう?」

春樹「それは……まあ、職人気質で頑固な所もありましたけど、
   普段は子供好きな、いい親父でしたから」

 溜息がちに語っていた春樹だったが、
 タチアナの言葉に気恥ずかしそうに返して、さらに続ける。

春樹「ともあれ、そんな我が家の事情を聞きつけた主任が、
   当時持っていたパテントの一つを、親父に無償で譲ってくれたんです」

空「瑠璃華ちゃんの持っていたパテントって何ですか?」

 春樹の言葉が一区切りした所で、空が手を挙げて質問した。

 ニュースでは“画期的な手法”としか言っていなかった事と、
 詳しい事を報道している工業系ニュース専門チャンネルは見ていなかった事もあり、
 さすがの空も記憶にないのだ。

瑠璃華「ああ、マギアリヒトを分子単位で固着させる技術の新技法だぞ。
    従来の半分以下までコストダウンさせた上で精度と強度も増す、革新的技術なんだぞ」

 瑠璃華は胸を張って、“天才だからな”と自信満々に付け加えた。

 そして、その後を春樹が続ける。

春樹「様々な業種が喉から手が出るほど欲しがっていた技術だった事もあって、
   多額の特許使用料や、コストダウンによる資金改革で経営を立て直す事が出来、
   三年前に事業拡大で社名を変えて、今に至るワケです」

瑠璃華「恩だか何だか知らんが、それ以来、
    新商品を作る度に製品を送ってくれるようになったんだが……。

    元から秋雄の模型のファンだからな、私は。
    そんな事をしなくても自分で買うと言うのに……」

 思い出を語り終えて笑みを浮かべる春樹の傍らで、
 瑠璃華はどこか釈然としない様子で呟く。

 事実、瑠璃華がマイジマ模型にパテントを譲ったのは、
 マイジマ模型の製品の愛好者であった事が理由の一つなのだ。

 また、模型愛好家としては、店頭に買いに行けないまでも、
 通販を利用して自分で選んで買いたいと言う気持ちもある。

 その妥協ラインが、送りつけられた物は素組みで済ませ、
 気に入った物を追加で購入すると言う今の方法だった。

空「それでも……凄いね、瑠璃華ちゃん。
  好きな模型屋さんのために、そんな凄い特許を譲っちゃうなんて……」

アリス「うん……先輩達は“瑠璃華ちゃん主任”なんて言ってるけど、
    凄い拘りと度胸ですよね……。

    尊敬します、天童主任」

 驚いたように漏らす空に、アリスも頷くように同意して、尊敬の色で目を輝かせる。

 だが――

瑠璃華「将来の嫁ぎ先だからな、嫁として、そのくらいは当然だぞ!」

 ほんの少しだけ頬を朱に染めた、いつも通りの自身満々と言った風の瑠璃華の言葉に、
 空とアリスは異口同音に“へ?”と、唖然とした表情を浮かべた。

 そして、アリスは隣に座ったエミリーに何事かを耳打ちする。

エミリー「うん、そだよー。
     舞島チーフはペドフェリアだよー」

春樹「ランフランキ君、人を心の病気みたいに言わないでくれ!」

 あっけらかんとして言ったエミリーに、春樹は即座にツッコミを入れた。

フェイ「ランフランキオペレーター、
    この場合はペドフェリアよりもロリータコンプレックスの方が正しいと判断します」

 そこに止めとばかりに、フェイがフォローになっていないフォローを入れる。

 言い方はソフトになったが、本質は代わらない。

アリス「舞島チーフ……」

 一方、アリスは瑠璃華に向けたのとは真逆の眼差しを春樹に向けている。

 それは、やや汚れたシンクの三角コーナーを見る目に似ていた。

瑠璃華「そうだぞ、春樹はノーマルだぞ。
    それに私達はちゃんとプラトニックな付き合いだからな」

春樹「主任……ややこしくなるので、今は少しだけ発言を控えて下さい」

 不満気味に漏らす瑠璃華を、春樹は半泣き気味の声音で止めるが、時既に遅しだ。

空「プラトニックなロリコンさんて、何だろう……?」

 空も困り顔に怪訝な色を浮かべて、そんな疑問を呟いてる。

タチアナ「ランフランキさん、誰に吹き込まれたのかは知らないけれど、
     あまり誤解を招く言い回しは止めなさい。

     それと、その辺りの事情も知ってるらしい笹森さんは、
     そのいやらしい笑顔を止めて助け船を出してあげなさい」

 騒然とし始めた部下達の様子を見かねて、タチアナが溜息がちに漏らした。

 エミリーは舌を出し、“てへっ”と戯けて見せるが、
 春樹は何処か恨みがましい視線を向けたままだ。

セリーヌ「アハハ……ペドとかロリコンはともかく、
     舞島チーフと瑠璃華ちゃん主任が婚約してるのは確かだよ。

     チーフのお父さんが、主任を娘同然に可愛がってる内に、
     って流れだけどね」

 タチアナに諫められたセリーヌは、
 軽く苦笑いを浮かべてから、少しだけ真面目な表情で説明し直す。

春樹「ともかく、って……僕は至ってノーマルだ!」

 だが、否定して欲しかった部分が否定されていない事もあって、
 春樹は声を荒げて訴えかけるように叫んだ。

セリーヌ「主任本人がいる所で、それ言っちゃいますか……?」

エミリー「うわあ、まいじまチーフったら、ひどーい」

 セリーヌが苦笑い気味に漏らすと、
 それに続けてエミリーが正に棒読みと言った風に呟く。

 確かに、聞きようによっては“瑠璃華は対象外”と言っているような物だ。

 アリスも先輩二人の言葉でその事に気付いたのか、
 無言のまま、先ほどよりもやや蔑んだ視線を春樹に向けている。

 シンクの三角コーナーを見る目が、生ゴミを見る目に変わっていた。

 そして、いつまで経っても好転しない部下達の喧噪に、
 タチアナは眉間に指を手を当てて疲れ切ったような溜息を漏らす。

空「えっと……いいのかな? 瑠璃華ちゃん?」

瑠璃華「まあ、ああは言っておきながら他に恋人を作る様子も無いしな。
    歳も一回り以上離れているし、今の所は脈有りなら何の文句も無いぞ」

 心配そうに尋ねる空に、瑠璃華はどこか自信ありげに返した。

アリス「天童主任……大人ですね」

瑠璃華「まあ、天才だからな」

 気を取り直して、感心したように漏らしたアリスに、瑠璃華は胸を張って応える。

 空は普段から、瑠璃華が口癖のように言う“天才だからな”を、
 単なる子供らしい見栄の類と思っていたが、今と言う状況で耳にすると違って聞こえる物だ。

 瑠璃華は隣のオペレーター達の喧噪が気になるのか、静かに席を立つと、
 誰も座っていない空の隣――アリスの反対隣だ――に腰を下ろした。

 そして、空の傍らで模型作りを再開する。

 空もそれを受けて、小休止を終えて勉強を再開した。

瑠璃華「正直な話、私は幸せ者だぞ」

 不意に、傍らの瑠璃華がそんな事を呟き、空は隣に視線を向ける。

 瑠璃華の声は小さく、オペレーター達の喧噪の中では、
 ともすれば聞き逃してしまいそうなほどだ。

瑠璃華「生まれは試験管かもしれんが、レミィの姉妹のような扱いは受けずに済んだ。
    お陰で姉妹どころか家族すら知らずに乳幼児期を終えてしまったが、
    それでも、たった数年とは言え、私にはお父さんがいてくれた。

    最初のお父さんはもういないが、今は秋雄がお父さんみたいなものだしな。
    それに、後見人になってくれたばーちゃん……譲羽司令もいるしな」

 作業を続けながらも、瑠璃華は感慨深げに語り、さらに続ける。

瑠璃華「それもこれも、コイツが私を見付けてくれたからだ……」

 そう言って掲げられた白衣の袖から覗く右手首には、
 銃弾型のチャームの取り付けられた赤いブレスレット――チェーロのギアが嵌められていた。

 瑠璃華はチェーロを感謝と愛しみの入り交じった優しい表情で見遣ってから、
 空を含めて全員が見渡せるように視線を向ける。

瑠璃華「お陰で、仲間にも出逢えた……感謝してもし切れない」

 瑠璃華はそう言うと、再び視線を手元に戻す。

瑠璃華「この六年間で、離れてしまった仲間や、
    もう会えなくなってしまった仲間もいるが……。

    それでも私は幸せだ……幸せなんだ」

空「瑠璃華ちゃん……」

 そう語る瑠璃華の横顔を見ながら、空は感慨深くその名を呟く。

 確かに、一般的な尺度に立ち返ってみれば、
 天童瑠璃華と言う少女のこれまでの人生は、不幸と言って差し支えない物だろう。

 試験管の中で作られた命。

 レミィのような姉妹がいたワケでもなく、養父となってくれた人も、今はもういない。

 客観的に幸福かどうかと聞かされれば、不幸と言った方が正しいだろう。

 だが、それでも彼女にとっては、間違いなく幸せなのだ。

 空も、その考えは理解できる。

 彼女自身、生まれたその日にテロで両親を喪い、
 親代わりに自分を育ててくれた姉を喪ったのは、確かに不幸だった。

 しかし、その時の涙や哀しみを、共に受け止めてくれた親友達がいてくれたのだ。

 そして、瑠璃華の言葉を真似るワケでもないが、多くの新しい仲間達にも出逢えた。

 その事は、間違いなく幸せだと胸を張って言える。

瑠璃華「……まあ、柄にもない事を話したな。
    悪い、時間を取らせたぞ」

空「ううん、そんな事ないよ、瑠璃華ちゃん」

 申し訳なさそうな照れ笑いを浮かべた瑠璃華に、
 空は小さく頭を振って答えた。

 込み入った事情をあっけらかんと話された時よりも、今のように真面目に語ってくれた方が、
 仲間として認めてもらえているような気がして、空には嬉しかった。

 無論、瑠璃華があっけらかんと話すのは、それはそれで彼女らしさではあるのだが……。

 まあ、そこは空の主観の問題である。

空「何だか、本音が聞けたみたいで私は嬉しかったよ」

 空は、そんな気持ちを素直に伝えた。

瑠璃華「本音か……そうだな」

 対して瑠璃華は、どこか遠くを見るような目をして呟く。

空「……瑠璃華ちゃん?」

 一瞬、その呟きがどこか自嘲めいていたような気がして、
 空は怪訝そうな声を上げた。

 だが、瑠璃華はすぐに普段通りの自信ありげな光を瞳に灯し、
 口元に不敵な笑みを浮かべる。

瑠璃華「ああ、間違いないな……コレは、私の本音だ」

 瑠璃華は感慨深そう言うと、“ふふん”と胸を張った。

 そして、さらに小声で続ける。

瑠璃華「ばーちゃんや他の連中は怒るかもしれんが、
    いつぞやフェイと見せたあの無茶なモードDへの合体。
    私は嫌いじゃないぞ。

    自分の作った機体を、限界まで振り回して貰えるのは開発者冥利に尽きるからな。
    データを取る都合もあるから、これからもジャンジャン、無茶をしてくれ」

 耳元で囁かれた言葉に、空は一瞬、目を丸くして驚いたが、
 すぐに噴き出しそうになって破顔した。

空「もう、瑠璃華ちゃんったら……」

 気を抜けば噴き出してしまいそうになりながらも、空は笑顔で漏らす。

 瑠璃華も、そんな空を見て、歯を剥いて歳相応の溌剌とした笑顔を浮かべた。

 それから滞りなく空達は今日の分の勉強や作業を終え、
 そろそろ夕食時かと思われた、その時だった。

『PiPiPi――ッ!』

 不意に鳴り響いた警報に、レストスペースに緊張が走る。

オペレーター1『第三フロート外壁付近にイマジンが接近中!
        待機要員、整備班は出撃準備されたし!

        繰り返す、第三フロート外壁付近にイマジンが接近中!
        待機要員、整備班は出撃準備されたし!』

オペレーター2『五分後に宿舎車輌切り離しを開始する。
        待機要員各員は指揮車輌へ移動されたし!

        01、07、12ドライバーはコントロールスフィア内にて待機!』

 直後、交代要員だったミッドナイトシフトのオペレーター達の声が響く。

 午前の任務はあくまで見張りに過ぎず、
 実際にイマジンが現れた時の対処はギガンティック機関が中核だ。

 タチアナはポケットから小さなインカムを取り出すと、すぐに指揮車輌と通信を繋ぐ。

タチアナ「本部司令室と全回線接続、情報収集を急いで下さい!
     オペレーター各員は私と司令室へ、ドライバー各員は搭乗準備を急いで下さい!」

 タチアナは指示を出すと、春樹達を引き連れて指揮車輌へと向かう。

空「瑠璃華ちゃん、私達も急ごう!」

瑠璃華「ああ……全く、あと少しで最後の一体が作れたんだが……」

 空に促され、瑠璃華は愚痴混じりに呟きながら走り出した。

 空もその後を追い、フェイが無言で二人の後ろに続く。

 三人は先行したオペレーター達を追い越し、指揮車輌を抜け、
 コンテナ車輌やハンガー車輌の作業通路を駆け抜けて、それぞれの乗機へと向かった。

 瑠璃華、フェイと順番に別れ、前から二両目の01ハンガーへと辿り着いた空は、
 階段を駆け上がりながら制服を脱いで行く。

整備員「いつでも出せますよ!」

空「はい、整備ありがとうございます!
  あと、これお願いします!」

 コックピットハッチ近くにいた作業員に礼を言いながら、
 脱いだ制服を預けた空は、滑り込むようにしてエールに乗り込む。

 そして、空が機体の起動準備を始めると同時に、
 宿舎車輌を切り離したリニアキャリアが走り出した。

アリス『みんな、お待たせしました』

 指揮車輌も準備が整ったのか、アリスからの通信が入る。

アリス『目標は第三フロートから北西二百キロ地点の洋上を、
    第三フロートへ向けて移動中。
    あと十五分で外壁付近に到達すると予測されています』

タチアナ『本部からの指示は、外壁から離れた位置での迎撃となります。
     各機は現着次第、起動してOSSを接続。目標を撃破して下さい』

 アリスの説明を引き継ぎ、タチアナが指示を出す。

空「了解です!」

フェイ『了解しました、パプロヴァチーフ』

瑠璃華『外での戦闘は一年ぶりだな……。
    久しぶりにストレスのかからない戦闘が出来そうだぞ』

 真面目に返事をする空とフェイに続いて、瑠璃華が不敵な笑みを交えて呟いた。

 一方、指揮車輌内の指揮所では、オペレーター達がまだ慌ただしく動いている最中だ。

アリス「リニアキャリア、第三フロート外壁内移動開始。
    目標地点到達まで残り二分三十秒」

春樹「各機、ブラッド交換完了前でしたが、
   三機の平均劣化率は八パーセント、戦闘許容範囲内です」

エミリー「軍部観測所よりの情報提供から、
     イマジンは二百メートル級の大型との事ですが、
     魔力量は八十万と平均水準との事です」

タチアナ「何とか、ここのメンバーだけでどうにかなりそうですね……」

 アリス、春樹、エミリーからの報告を聞きながら、タチアナは頷きながら呟く。

 派遣任務中の出撃など珍しい事ではないが、準備が万全であるに越した事はない。

セリーヌ「………」

タチアナ「ん……?」

 不意に、自分の座る指揮シートの右手前に座るセリーヌの様子に気付いたタチアナは、
 そちらに目を向けた。

タチアナ「どうしました、笹森オペレーター?」

セリーヌ「あっ……すいません、パプロヴァチーフ。
     朝霧さんのバイタルパラメーターが少し……」

 タチアナに声をかけられ、セリーヌは少し驚いてから戸惑い気味に報告する。

タチアナ「情報伝達は明瞭にして下さい。
     それと、朝霧さんのバイタル情報をこちらに」

 タチアナは少しだけ呆れたように言ってから、指示を出す。

セリーヌ「了解しました」

 セリーヌはすぐに気を取り直して、
 タチアナの手元のモニターに自分が見ているのと同じ情報を転送する。

 セリーヌが見ている情報――空のバイタルパラメーターを見たタチアナは、
 思わず眉を顰めるようにして、僅かに顔をしかめた。

タチアナ(心拍が百三十まで上昇している……?
     何故……緊張、しているのかしら?)

 タチアナは心中で自問自答するが、回答など出るハズもない。

 空の出撃は、今日で四度目。

 入隊からまだ一ヶ月足らずの新人の出撃回数としては、かなり多い方だ。

 いや、むしろ多過ぎると言ってもいいだろう。

 万が一にも同じペースが今後も続けば、年間で五十回近く。

 仮にそうなってしまえば、
 ドライバーの中でも一番のベテランである風華の総出撃回数に迫る事になってしまう。

 仮定の話を間に挟んだが、それだけの勢いで出撃しているのだから、
 よもや緊張と言う事はあるまい。

 それまでの三度の出撃中、二度はイマジンに止めを刺し、
 先日は風華のサポートもして見せたのだ。

 問題があるとは思えない。

タチアナ(……初めての派遣現場から出撃だから……かしら?)

セリーヌ「朝霧さんのバイタルパラメーターチェックは、
     普段はエルスターチーフの管轄なので判断に窮してしまいまして……」

 自問自答を続けるタチアナに、セリーヌが申し訳なさそうに呟く。

 通常、メディカルオペレーター達は、チーフであるメリッサが空と風華、マリアの三人を担当し、
 唯一の男性であるジャンがフェイとクァンの二人を、セリーヌが残るレミィと瑠璃華の二人を担当していた。

 担当ドライバーが出撃していない場合は、他の二人のサポートに回るか、
 出撃の被っているメンバーを引き受ける事が多かったが、
 セリーヌが戦闘中の空のバイタルチェックをするのは今日が初めてだったのだ。

タチアナ「エルスターチーフは、この件に関して何か話は?」

セリーヌ「いえ……特に説明は受けていません」

 セリーヌの返答を受けて、タチアナは沈思する。

 今までにもこのような事があったとすれば、問題は無かったと言う事になる。

 だとすれば、この場だけで判断すべき内容ではないのかもしれない。

 タチアナはそう判断し、小さく頷いてから口を開く。

タチアナ「……この件は一旦、機密とします。
     笹森オペレーターは本部帰還後、再度招集しますのでそのつもりで」

セリーヌ「了解しました」

 タチアナの指示に、別件を言付けられたセリーヌが代表する形で返事を返す。

アリス「リニアキャリア、現着します」

 直後、アリスの声と共にリニアキャリアは減速を始めた。

―4―

 八枚もの分厚い隔壁を越えて、第三フロート外壁に飛び出したリニアキャリアは、
 そのままドームの側面に停車する。

 側面と言っても、しっかりと構内リニアキャリア用に設備されたレール上だ。

 ドーム自体も巨大であるため、勾配もやや急な斜面程度であり、
 ギガンティックが立ち上がるには十分なスペースは確保されていた。

空「よし、起動完了……フェイさん!」

フェイ『こちらも起動完了しています。
    合体タイミングは朝霧隊員にお任せします』

 エールを起動させた空は、同じくアルバトロスを起動させたフェイからの返答を受けると、
 背面のブースターを噴かして飛び上がる。

 辺りは猛吹雪のせいか視界は悪いが、
 センサーの反応ではイマジンとの距離はかなり離れているのは分かった。

 実際、距離はまだ百キロ以上離れている。

 今の自分達の居場所が攻撃可能範囲ならば、
 既に第三フロートの外壁が攻撃されているハズだ。

 遠距離攻撃の範囲外か、或いは単純に遠距離攻撃手段を持たないイマジンなのだろう。

空「よし、今なら安全に合体できる!
  モードD、セットアップ!」

 空のボイスコマンドに従って、エールの各部のドッキングコネクターが解放され、
 同時にその頭上へとアルバトロスが飛翔する。

 アルバトロスは主翼を分離させると、
 本体からドッキングアームを伸ばしてエールの腰部に接続された。

 そして、魔力によるレールを形成し、
 二枚の主翼をエールの肩部へと接続し、全パーツの接続が完了する。

アルバトロス『シールドスタビライザー、テールバインダー、
       全ユニット接続、火器管制接続……全ユニット及びシステム、接続確認です!』

フェイ「モードD、セットアップ完了確認しました」

空「やった、今度はマニュアル通り出来た!」

 アルバトロスとフェイの言葉を受けて、空は安堵と共に歓喜の声を上げた。

 既にシミュレーターで幾度か成功させたモードDへの合体だが、
 実戦でマニュアル通りに合体したのは今日が初めてだ。

 だが、機体はこの猛吹雪の中でも問題なく合体できている。

 訓練の賜だ。

瑠璃華『空、私達は足が遅い。
    先行して牽制していてくれ』

空「了解、瑠璃華ちゃん!」

 瑠璃華からの通信を受けて、空は肩の翼を広げて吹きすさぶ猛吹雪の中を飛ぶ。

 シールドスタビライザーの放つ魔力の力場により、飛行はかなり安定している。

アルバトロス『外部の平均風速、三十メートルから三十二メートル。
       姿勢制御に最大魔力の十パーセントをキープします。
       火力が低下するため、注意して下さい』

空「了解、アルバトロス」

 アルバトロスから報告受けながら、空はイマジンの反応に向かって飛び続けた。

 一方、チェーロを起動させた瑠璃華も、
 機体とほぼ同等のサイズを誇る巨大な専用ライフル――ジャベロットを右腕に装着する。

 赤を基調とした躯体の全身に、主の名を冠する瑠璃色の輝きを宿したチェーロは、
 ジャベロットの下部スラスターを噴かし、展開を始めた後方のコンテナ車輌へと移動して行く。

 そのコンテナ内部から現れたのは、巨大な砲塔を持つ暗い紅色をした巨大戦車だ。

 いや、それは戦車と呼べるのは形だけで、実際は小さな陸上戦艦と言った方が正しかった。

 砲塔を含む全高十三メートル、全長三十八メートル、全幅十八メートルの巨体だ。

 突風のOSS――竜巻も、レーシングカー型とは思えないサイズだったが、
 チェーロの戦車型OSS――アルコバレーノは、横に並ぶチェーロが二十五メートル級の小型と言っても、
 決して見劣りはしない……むしろより巨体である事が際だつ威容であった。

春樹『OSS207-アルコバレーノ、起動確認。
   コントロールを207に譲渡。………主任、御武運を』

瑠璃華「任せておけ、春樹!
    チェーロ、行くぞ!」

 春樹の激励に答えた瑠璃華は、
 意気揚々とアルコバレーノの甲板にチェーロを跳び乗らせた。

チェーロ『了解しました、マスター。
     アイハブコントロール、アルコバレーノ、発進します!』

 チェーロも瑠璃華の指示を受けて、
 巨大戦車――OSS207-アルコバレーノを発進させる。

 下部のスラスターが点火し、威容の巨大戦車が宙を舞う。

チェーロ『微速前進しつつ右回頭。
     安全域まで移動後に降下します』

 チェーロの言葉通り、外壁の最外周まで飛び出しアルコバレーノは、
 スラスターの出力を下げて降下を始めた。

 あわや眼下の氷原に叩き付けられる寸前、逆噴射で勢いを殺して軟着陸を果たすと、
 チェーロを載せたアルコバレーノは空達の後を追って走り出す。

 猛吹雪でもすぐには消せない程の深い轍を刻み、
 キュラキュラと小気味良い音を立てながら、紅の巨大戦車は氷原を進む。

 既に指揮車輌との直接通信圏内から外れ、
 今は断続的に長距離通信でデータが届くばかりである。

 視界最悪の猛吹雪の中、
 巨大なドーム型メガフロート以外はセンサーの感知する魔力だけが頼りだ。

瑠璃華「しかし、吹雪とはなぁ……。
    こう見通しが悪いと、逆にストレスが溜まりそうだぞ」

 瑠璃華は溜息がちに漏らす。

 遠距離攻撃を基本とするチェーロにとって、
 メガフロート内での戦闘は周辺建造物や内壁への被害を常に、
 仲間達以上に考慮しなければならない。

 ハッキリ言って、今回のように外で戦える状況は稀なのだ。

 半永久的に晴れる事のない外の世界だが、
 出来れば吹雪いていない視界良好の状況で戦いたかったのが本音だった。

チェーロ『仕方ないですよ、マスター……っと、五キロ前方で戦闘反応を検知。
     既に味方が交戦中のようです』

 苦笑い気味だったチェーロの声が、途端に緊迫した物へと変わる。

瑠璃華「フロートとの距離は……約五十キロか。
    迎撃の安全マージンは取れているな」

 各種データを参照しつつ、瑠璃華は思案気味に漏らす。

 その直後――

空『瑠…華ちゃん! 危な…っ!』

 通信機を介して、
 ノイズ混じりでもハッキリと分かるほどに悲鳴じみた空の声が聞こえた。

瑠璃華「ッ!? チェーロ、全速で左九十度回頭! 砲塔右旋回!」

 せっぱ詰まった様子の空の声に、瑠璃華は咄嗟にそんな指示を出す。

チェーロ『了解しました!』

 答えるが早いか、チェーロは巨大戦車を全速力で走らせつつ、
 左方向に曲がりながら、長大な砲身を持った砲塔を右に旋回させる。

 ほぼ真後ろまで旋回したアルコバレーノ砲塔に合わせ、
 巨大ライフルの銃身を後方に向けた。

 直後、先ほどまで瑠璃華達のいた場所に、巨大な物体が落下する。

 物体……いや、小山と言い換えた方が良いソレは、
 猛吹雪の中でもハッキリを見える程の巨大なイマジンだった。

 全長二百メートル、全高七十メートルを超える超巨大な、
 硬質な外観を持った節足動物の足が見える。

瑠璃華「バッタか!?」

 恐らく後ろ足と思われる、その特徴的な形状は、確かにバッタそのものだ。

 瑠璃華は驚いたように叫びながらも、冷静に敵の形状や状態を観察し、
 さらに牽制のための魔力砲弾をジャベロットと戦車砲から放つ。

イマジン『Kikikiki――ッ!!』

 横っ腹に魔力砲の直撃を受けたバッタ型イマジンは、
 苦悶に近い声を上げながら僅かに身を捩らせた。

瑠璃華「相手がデカ過ぎるか……魔力量は大した事は無いが、頑丈な奴だ」

 その光景を見ながら、瑠璃華は呆れ半分、驚嘆半分と言った風に呟く。

 咄嗟とは言え、それなりに魔力を込めたつもりだったのだが、
 さすがに大型イマジンを相手にしては、単発の魔力砲では揺るがすので精一杯だ。

空『瑠璃華ちゃん!』

 距離を取ろうとイマジンの右手方向に走り去ろうとする瑠璃華の元に、
 山吹色の翼を広げたエールが舞い降りて来る。

 空の声……通信の状態は、距離が近い事もあってかなりクリアだ。

瑠璃華「おう。
    ……初のまともな大型イマジンを目の当たりにして、どんな気分だ?」

空『ちょっと手こずりそうだね。ジャンプ力も凄いし』

 瑠璃華の質問に、空は焦り気味に漏らす。

 瑠璃華は改めて、イマジンの様子を見遣る。

 今はズルズルと足を引きずるようにして僅かずつ前進しているだけのようだが、
 移動速度は侮れない。

 跳躍力は先ほど見た通りだ。

 彼我の距離が五キロほどあったにも拘わらず、一跳びでその距離を詰めて来た。

 平均五キロの跳躍を、あと十回も繰り返されたらメガフロートまで到達されてしまう。

瑠璃華(エールDなら追い付けるだろうが、
    私とチェーロは確実に置いてけぼりを食らうな……。
    さすがにそれだけは避けないとな……。

    それに、どうせ置いてけぼりにされるなら、
    機動性よりも火力を重視していた方が賢明だな)

 瑠璃華は素早く思考を纏めると、深々と頷いてから口を開く。

瑠璃華「空、フェイ! 五十秒稼いでくれ!」

空『合体だね。了解だよ、瑠璃華ちゃん!』

フェイ『了解しました、天童隊員』

 空とフェイが瑠璃華の指示に応えると、
 それに合わせてエールDが再び猛吹雪の中を高く舞い上がり、
 バッタ型イマジンの鼻先で魔導ランチャーやガトリング砲での牽制を始める。

 瑠璃華はチェーロとアルコバレーノを十分にイマジンから引き離すと、
 即座に車体と砲塔を旋回させた。

チェーロ『距離一〇〇〇。
     十分ではありませんが一応は許容範囲です』

瑠璃華「だろうな……。
    どうせ一跳びされたらそこで終わりの博打なら、ここで十分だ!」

 チェーロから計測結果を聞きながら、瑠璃華は覚悟を決めたと言いたげに叫んで、
 右腕のジャベロットを雪原に向けて放り投げる。

 すると、ジャベロットはその場でスラスターを噴かして滞空を始めた。

瑠璃華「合体作業は私が全てマニュアルで行う!
    チェーロ、お前はジャベロットで空とフェイの支援だ!」

チェーロ『了解です、マスター』

 チェーロは瑠璃華の指示通り、ジャベロットを制御して空達への支援砲撃を開始する。

 元々、ジャベロットはチェーロが外部から操作が可能な、
 精密射砲撃装備と補助移動装置を兼ねた複合装備だ。

 初代のドライバーであるフランチェスカ・カンナヴァーロの
 “スナイピングに集中したいから、お任せで移動できる装備でヨロシク”と言う、
 実に面倒な注文を叶えたアレックスの怪作である。

 愛機が仲間達の支援を始めたのを見届けた瑠璃華は、
 コントロールスフィアの空間中に仮想コンソールを展開させ、
 チェーロ本体の操作を完全な思考制御へと切り替えた。

瑠璃華「モード・アルコバレーノ、セットアップ!
    OSS207-アルコバレーノを合体モードへ移行……、
    各種パラメータ誤差修正、変形用サーボ異常無し……合体開始!」

 瑠璃華は脳内に流れ込んで来る情報を精査しながら、コンソールを素早く操作する。

 すると、チェーロを載せたまま、アルコバレーノが変形を開始した。

 巨大な車体の前部と後部がそれぞれスライドするように延長され、
 元より前後で分割されていたキャタピラごと車体前部が起き上がる。

 前部が起き上がる瞬間、チェーロを載せていた砲塔が分離し、
 砲塔が接続されていた部分が展開すると、内部からドッキングアームが飛び出した。

 チェーロは手足を背中側に折り畳むと、ドッキングアームに固定され、
 アルコバレーノ内部へと取り込まれる。

瑠璃華「躯体接続、ブラッドライン接続開始……接続完了、オールグリーン!」

 瑠璃華のその言葉を待っていたかのように、
 アルコバレーノ車体の左右側面を腕部へと変形させ、下部を脚部へと変形させた。

瑠璃華「腕部、脚部……異常無し。胴体部変形開始」

 車体の前部が上下――現状では前後か――で開き、
 内部に格納されていたチェーロ本体の顔が覗く。

 そこに、砲塔後部に格納されていた無骨なヘルメットが装着され、
 チェーロの顔を覆い尽くす。

瑠璃華「ヘッドギア接続、各種センサー……オールグリーン!」

 そして、腰の後ろに横向きになった砲塔が再接続される。

瑠璃華「チェーロ! ジャベロットを此方に寄越せ!」

チェーロ『了解です!』

 瑠璃華の指示にチェーロが応えると、
 支援砲撃を行っていたジャベロットが飛来し、砲塔の後部に接続された。

チェーロ『ジガンテジャベロット、接続確認――』

 一対の巨大砲身が、同時に機体前方部に向けて基部から折れ曲がり、
 巨大で無骨な紅な巨人の両腰から覗き、二連装魔導砲となる。

チェーロ『――ブラッドライン、ハートビートエンジン、サブエンジン、
     コンディション・オールグリーン!』

瑠璃華「チェーロ・アルコバレーノ、合体完了だぞ!」

 真紅の無骨な躯体に瑠璃色の輝きが宿ると共に、合体完了を宣言した瑠璃華は、
 自らに戻って来た愛機の感触を確かめるように、右腕を大きく掲げた。

 チェーロ・アルコバレーノ――“空にかかる虹”の名を冠するには、
 あまりにも無骨な四十メートルを越す巨体を唸らせ、瑠璃華は前方のバッタ型イマジンを見据える。

 チェーロが支援砲撃を行っていた事もあり、
 空達は何とかバッタ型イマジンをその場に釘付けに出来ていた。

瑠璃華「空、こちらは合体完了した!
    弾幕で壁を作りながら、敵の意識を此方に向けさせてくれ!」

空『了…いッ!』

 僅かにノイズの混じる空の返事を聞くと、
 瑠璃華は自らもイマジンの意識を自分に向けるべく、
 両腰の砲身をイマジンの顔面へと向ける。

チェーロ『ジガンテジャベロット、魔力チャージ七十五パーセント』

瑠璃華「小手調べじゃないが、それで十分だぞ、チェーロ!」

 愛機の報告を聞きながら、不敵な笑みを浮かべた瑠璃華は、
 砲身の上に突き出たトリガー付きのグリップを握った。

 眼前にランチャーとガトリングの掃射の壁を作られたイマジンは、
 鬱陶しそうに身を捩っている。

 先ほどからの行動パターンを見ていると、
 どうやらこのイマジンは攻撃手段らしい攻撃手段を持たないようだ。

 前述の通り、驚異的な跳躍力こそ厄介だが、要はそれだけに過ぎない。

 とは言え、あの巨体で五キロ先まで届くような跳躍力で間近から体当たりを食らえば、
 ドームの外壁を破られる可能性は高いし、まだ修繕作業中の通路から侵入される可能性もある。

 そうなって内部であの巨体で跳ね回られたら、短時間でフロートは壊滅してしまうだろう。

瑠璃華「お前が次に跳ぶのは………コッチだ!」

 瑠璃華はそう言うと、二門の砲身から極大の魔力砲を放つ。

 瑠璃色に輝く極大魔力砲弾は、バッタ型イマジンの顔面と鼻先に直撃した。

 バッタ型イマジンは大きくよろめいたものの、倒れる寸前で踏ん張る。

イマジン『KiKiKiKiiii――ッ!!』

 だが、イマジンの怒りを買うにはそれで十分だったようだ。

 バッタ型イマジンは嘶くような音を立てて、
 巨体をうねらせるようにしてチェーロ・アルコバレーノに身体を向けて来る。

瑠璃華「よぉし……いいぞ、いいぞ! そのまま跳べぇ!」

 瑠璃華はその様子に、しめたとばかりに叫んだ。

チェーロ『楽しそうですね、マスター……』

瑠璃華「狙い通りな時ほど、アドレナリンの分泌が活発だからな!
    テンションが上がってもそれは生理現象だ!」

 苦笑い気味に漏らすチェーロに、瑠璃華は不敵な笑みを浮かべて応える。

 そして、瑠璃華の思いは天に通じたのか、
 イマジンはチェーロ・アルコバレーノに向かって跳躍した。

 チェーロ・アルコバレーノに向かって……と言っても、
 五キロを一跳びの跳躍力で、一キロを跳ぶのは逆に難しいのだろう。

 跳躍したと言っても、かなり高い放物線を描くようにして、
 瑠璃華達に向かって落ちて来るに過ぎない。

瑠璃華「魔力チャージは!?」

チェーロ『七十パーセントです』

瑠璃華「集束モードならそれで十二分だ!」

 チェーロの答えを聞いた瑠璃華は笑みを浮かべ、
 ややのけぞり気味になりながら、砲身を真上に向けて構えた。

瑠璃華「片脚でハチャメチャに跳ばれたら余計厄介だ……両足とも吹っ飛べぇっ!」

 瑠璃華の叫びと共に放たれた二つの集束魔力砲弾は、
 寸分の狂いなくバッタ型イマジンの強靱な後ろ足……その付け根へと直撃する。

イマジン『KiKiii――iッ!!?』

 イマジンは悲鳴にも似た声を上げて、落下しながら身を大きく捩った。

 いくら足そのものが強靱とは言え、その付け根は脆い。

 但し、それはあくまで実在のバッタの話だ。

 生物界でもまれに見るほど高い跳躍力を誇るバッタだが、
 その跳躍力を支える強靱な足の付け根は驚くほど脆い。

 実際、バッタの後ろ足を掴んだまま跳躍させると、
 バッタの後ろ足は自身の跳躍の反動でもげてしまうと言うのはよく知られた話だ。

 しかし、バッタ型と言えど、イマジンはイマジンだ。

 バッタではないし、後ろ足の付け根が脆いとは限らない。

 だが――

瑠璃華「そこが脆いのは……さっきの着地でお見通しだ!」

 一瞬は拮抗した様子の瑠璃華の砲弾とイマジンの足だったが、
 瑠璃華が勝利の確信を持って叫んだ言葉と同時に、
 イマジンの足の付け根付近で魔力爆発が発生した。

 爆発によって付け根周辺の肉――マギアリヒトを消し飛ばされたイマジンの後ろ足は、
 千切れ飛ぶようにしてもげて、猛吹雪の中で霧散して消える。

 そう、瑠璃華はつい先ほど、着地したイマジンの足の付け根を見ていた。

 生物は門外漢の瑠璃華だったが、幼い頃に次々と与えられた娯楽の中にあった、
 昆虫図鑑の知識くらいは覚えている。

 その知識があったからこそ、イマジンの姿を確認した瑠璃華の視線は、
 真っ先にその後ろ足の付け根へと向けられていたのだ。

 あの瞬間、瑠璃華の見た足の付け根はボロボロに劣化していた。

 先行して戦闘していた空の攻撃に因る物かと思ったが、
 そうで無いのは、その後の空の攻撃が前面に集中していた事からも明白だった。

 つまり、イマジンの足は空の攻撃とは無関係にダメージを受けていた事になる。

 何故、そんな足で跳躍したのか?

 考えられるのは、跳躍の反動で足の付け根にダメージを受けていた、と言う可能性だ。

 仮定の話を続ける事になるが、イマジンの跳躍には一定以上のリスクが伴い、
 そのリスク……足の付け根へのダメージを回復させなければ次の跳躍は不可能である、
 と言う結論に瑠璃華は至る。

 現に、一跳びするだけで一瞬の間に五キロの距離を詰められるなら、
 ものの数分で第三フロートまでやって来られたハズなのだ。

 イマジンは空の繰り出す弾幕を鬱陶しそうにしながらも、
 その驚異的な跳躍で退避しようとはしていなかった。

 それら二点も、瑠璃華の結論を後押しした。

 自らの予想に賭けた瑠璃華は、
 跳躍の反動でボロボロになったばかりの足の付け根に向け、
 炎熱変換と流水変換を仕込んだ魔力砲弾を放ち、
 魔力による水蒸気爆発で足の付け根周辺を一気に吹っ飛ばす。

 結果はご覧の通りだ。

 そして、空中で足を失ったバッタ型イマジンは大きくバランスを崩し、
 チェーロ・アルコバレーノの後方に顔面から落下した。

 吹雪の中、濛々と雪煙が舞い上がり、
 雪崩のようにチェーロ・アルコバレーノを覆い尽くす。

 だが、瑠璃華は素早く愛機の脹ら脛に格納されていたキャタピラを展開すると、
 雪煙の中から飛び出して反転する。

空『魔力弾が……爆発した!?』

 チェーロ・アルコバレーノの元に自機を飛ばしながら、空は驚いたように漏らす。

瑠璃華「見たか! これが稀少度Sの魔力特性、特質熱系変換特化だ!」

 瑠璃華は胸を張って自慢げに応える。

 決して珍しくはない、熱系変換と呼ばれる炎熱と流水の属性魔法。

 しかし、加熱と冷却と言う正反対に向かう炎熱と流水の属性を、
 同時に使いこなせる者はほぼいないと言っても過言でない程に少ない。

 その稀少な技能を生まれ持って持つのが、特質熱系変換特化の魔力特性だ。

 一つの魔法で同質の魔力による加熱と冷却を合わせる事で生まれるのは、
 温度の相殺ではなく、猛烈な温度差による大規模な魔力水蒸気爆発。

 ただの魔力弾を、物理的破壊力と魔力的破壊力を併せ持った兵器と化す脅威の魔力特性なのだ。

 そして、この魔力特性はチェーロと最高の相性を叩き出す物でもあった。

 元より、オリジナルギガンティックドライバーの中で、
 唯一総魔力量が一万を下回るのがフランチェスカ・カンナヴァーロと言う女性だ。

 彼女は戦術と効率化された魔導ギアを使いこなす事でSランクに達し、
 そして、対テロ特務部隊隊長の座に二代に渡って君臨した女傑でもある。

 対して、現四代目ドライバーたる瑠璃華の魔力量は一一二五〇。

 加えて、世界唯一の稀少魔力特性でありながら、
 属性無効化と言う攻撃に向かぬ魔力特性でなく、より破壊力に特化した特質熱系変換特化。

 攻撃に向かぬフランを戦闘エージェントたらしめていたチェーロを、
 より魔力が高く、より攻撃的な魔力特性を持つ瑠璃華が用いる。

瑠璃華「足こそ遅いが、火力だけなら誰にも負けないぞ。………天才、だからな!」

 その事実を自負している瑠璃華は強く言い切ると、
 ようやく横転し始めたバッタ型イマジンに向けて、腰のジガンテジャベロットを構えた。

瑠璃華「空、フェイ! 剥き出しになった足の付け根を狙う!
    最大出力で止めだ!」

空『了解! タイミングは瑠璃華ちゃんに合わせるよ!』

フェイ『朝霧隊員、十字砲火になるように射撃軸を調整します。
    指定座標に移動して下さい』

 瑠璃華の指示で、空とフェイもエールDを飛翔させる。

 一方、バッタ型イマジンは残る細い四本の足では満足に動けないのか、
 横転して再び雪煙を舞い上げてからは、後ろ足の再生に注力しているようだった。

 しかし、足の付け根の再生に数分の時間を要するだけあって、
 再生能力は大した事は無いようで、関節部の再生が始まっているのかも怪しいと言った所だ。

瑠璃華「デカさの割に大した事の無い奴だったが……。
    まあ、折角の外での戦闘だ、久しぶりに特大の大技で止めを刺してやる!」

 瑠璃華がそう叫ぶと、砲身が上下に展開し、内部から細い針のような物が顔を出す。

 それは、針状に加工されたブラッドラインだった。

 命中精度を重視して砲身型のカバーを施す事でライフルの概念に収められていた、
 ジガンテジャベロットの本来の砲身だ。

 針状の砲身同士を接近させると、瑠璃色の魔力同士が干渉し合って小さな魔力球が発生する。

チェーロ『外装パージ、仮想砲身展開、ブラッド流入率調整……
     魔力チャージ率、百三十五%!』

 チェーロが次々と報告を読み上げている間にも魔力球は一気に成長し、
 チェーロ・アルコバレーノの眼前に身の丈ほどの巨大魔力砲弾が完成した。

 結界装甲同士が干渉し合って生まれる、
 瑠璃華の魔力特性を併せ持ったまま砲弾化した結界装甲だ。

チェーロ『結界装甲魔力砲弾、精製完了!
     発射位置へ移動させて下さい!』

瑠璃華「おう!」

 チェーロの指示に従い、
 瑠璃華は砲身を掲げるようにして巨大魔力砲弾を頭上に掲げる。

 一方、エールDも複合術式を展開し、
 五つの銃口を全て瑠璃華が狙っているのとは反対側の足の付け根に向けていた。

瑠璃華「空、今だ!」

空『了解ッ! ターゲット、インサイト! 全兵装……ファイヤッ!!』

 瑠璃華の合図で、空はエールDの全火力を一斉に解き放つ。

 空色と山吹色の混ざり合った極大の魔力砲撃が、
 まだ再生しきれていないイマジンの足の付け根から入り込み、
 過剰な魔力の供給でイマジンの身体が膨張を始める。

 最早、バッタ型と言うよりはバッタの模様をしたラグビーボールのような外観だ。

瑠璃華「コイツで止めだ……! ジガンテスリンガーッ!!」

 瑠璃華は砲身で魔力砲弾を振りかぶると、
 膨張を始めたイマジンの後ろ足の付け根に向けて投擲する。

 狙いすまされた砲弾は、スリンガー――投石機の名の通り、
 やや緩やかな放物線を描いてイマジンへと直撃した。

 着弾の瞬間、巨大な水蒸気爆発が巻き起こり、膨張中のイマジンを巻き込んで霧散させる。

瑠璃華「空、私達を回収してくれ!」

 直後、瑠璃華は通信機越しに空へ向けて叫んだ。

 爆発の規模は凄まじく、氷原を支えていた大洋を閉ざす程の分厚い氷を叩き割り、
 チェーロ・アルコバレーノは割れた氷に巻き込まれて海中に没してしまう。

 だが、あわやと言う瞬間、駆け付けたエールDが伸ばされたチェーロ・アルコバレーノの手を握ると、
 大空高く舞い上がり、間一髪でその場を脱した。

 爆風が吹雪きを散らし、代わりに海水と雪煙を舞上げる。

 その中を突っ切り、チェーロ・アルコバレーノを抱えたエールDが吹雪の中に舞い戻った。

瑠璃華「ふぅ……さすがモードDだな。
    チェーロを抱えてもこれだけ早く飛べるんだからな。

    設計者として鼻が高いぞ」

空『もう、こんな事になるなら先に言ってくれたら良かったのに』

 得意げに語る瑠璃華に、空は溜息がちに呟く。

 機体同士が接触している事もあってか、その声は実にクリアだ。

瑠璃華「空の反応速度と、モードDのスペックは頭の中に入ってるからな。
    海に落ちる前ならどのタイミングでも十分に間に合うぞ」

 瑠璃華はそう言って楽しそうに笑った。

空『……もぅ』

 空は少し呆れたように、だがそれ以上に微笑ましそうに漏らした。

フェイ『イマジンの反応消失、付近にイマジンの反応ありません』

 周辺の状況を確認していたフェイが、淡々と報告して来る。

チェーロ『こちらでも確認しましたが、反応ありません。
     ミッションコンプリートです、マスター』

 チェーロもどこか満足げに漏らす。

瑠璃華「うん、いいストレス解消になったぞ」

 戦闘が完全に終わった事を確認すると、瑠璃華は満面の笑みを浮かべて脱力した。

 チェーロの操作を思考操作のみに切り替え、コントロールスフィア内に腰を下ろす。

瑠璃華「さっきの話に限った事じゃないが、
    空なら、ああ言えばすぐに駆け付けてくれるのも分かっていたしな」

空『え? ……えっと、その……ありがとう』

 唐突な瑠璃華の言葉に、空は何と返して良いか分からず、思わず感謝の言葉を口にしていた。

瑠璃華「海晴の妹だからな……あんないい奴の妹なんだから、当然と言えば当然か」

空『………うん、ありがとう』

 そして、続く言葉に、空は躊躇う事無く感慨深げに返す。

 やはり、姉の事を引き合いに出されて褒められると、
 どこかむず痒いような、気恥ずかしいような嬉しさが心の中で勝る。

瑠璃華「私は……また良い仲間に恵まれて幸せだぞ……。
    天才で、幸せで……正に完全無欠だな」

 そんな空の返答を聞きながら、瑠璃華は満面の笑みを浮かべたまま、
 どこか遠くを見るような目で呟く。

空『………さあ、早く通信可能領域まで戻ろう。
  みんなも心配しているハズだから』

 空は、どう答えて良いか分からず、
 だが少し気恥ずかしそうな声でそう答えて、エールDのスピードを上げた。

―5―

 バッタ型イマジン撃破から翌日の早朝。
 リニアキャリア宿舎車輌、一階のレストスペース――


 予期せぬイマジンの出現があったものの、昨日の工程の殆どは終わっていた事もあり、
 今日は残り工程の予定通りに進めれば、昼過ぎには撤収に入れる予定だ。

瑠璃華「あのバッタの登場は予定外だったが、
    最初の予定通りに今日中には本部に帰れそうだな」

空「うん。……イマジンは出たけれどあまり強くもなかったし、
  警備自体もギガンティックを立たせてるだけだったし……、
  何だかいい骨休めに来てた気分だよ」

 鼻歌交じりにサンドイッチを食べる瑠璃華の隣で、
 空はこの四日間の派遣任務を思い返して呟く。

 朝起きて、朝食を食べて一休みしたら、
 昼過ぎまで警備に参加して、昼食を食べたら自由時間だ。

 確かに、訓練が無い分、骨休めに来ていたと言っても間違いではないように思える。

瑠璃華「まあ、派遣任務の出張なんてそんな物だぞ……。
    何せ、普段から非番が少ない上にシフトのある日は丸一日拘束だからな、
    半休ばかりのコッチはサボりに来ているような物だぞ」

フェイ「派遣任務も立派な業務です、天童隊員」

 あっけらかんと言った瑠璃華を諫めるように、フェイが淡々と呟く。

 一方、空は“なるほど”と納得したように頷いていた。

 普段は身体が鈍らないように訓練、時間が空けば訓練、連携を高めるために訓練。

 この三週間ほどで、イマジンと戦った回数が四回しか――
 とは言え、近年でも稀に見る頻出ぶりだが――なかったため、失念していた。

 確かに、普段の勤務形態は、アレはアレで激務なのだろう。

 まあ、それに見合った給料は出ているし、福利厚生はしっかりしているので文句は一切無い。

 空は再度、納得したように深々と頷いた。

空「じゃあ、明日からまたいつも通り頑張ろうね、瑠璃華ちゃん、フェイさん!」

瑠璃華「ん? ………まあ、そうだな」

 気合十分と言った風の空に、
 瑠璃華は一瞬だけ肩を竦めたものの、すぐに気を取り直して答える。

 フェイも“了解しました、朝霧隊員”といつも通りに返す。

 三人は食事を終える――フェイは食事を必要としていないので、実質二人だが――と、
 既に先に待機しているオペレーター達を待たせてはいけないと、食器を持って立ち上がった。

 その時である。

『PiPiPi――ッ!』

 不穏な電子音が辺りに響き渡り、
 レストスペース全体に昨日の比ではない緊張が走った。

オペレーター1『第一、第三、第七フロートにイマジン出現を確認!
        待機要員、整備班は出撃準備されたし!

        繰り返す、第一、第三、第七フロートにイマジン出現を確認!
        待機要員、整備班は出撃準備されたし!』

オペレーター2『第一フロート、第七フロートへは既に本部からリニアキャリアが出撃、
        本リニアキャリアは第三フロートへと出撃する。

        五分後に宿舎車輌切り離しを開始する。
        待機要員各員は指揮車輌へ移動されたし!

        01、07、12ドライバーはコントロールスフィア内にて待機!』

 そして、予想通りのさらに斜め上を行く内容の放送に、
 緊張は一気に困惑のざわめきに変わった。

空「三体……同時!?」

 空も、信じられない事態に愕然とする。

 昨日のバッタ型イマジンの接近を“出現”にカウントしなければ、
 最後に出現したのは九日前の二体同時出現だ。

 この十八日間で、メガフロートのドーム内でのイマジン出現数は六。

 それが異常な数値だと言うのは、まだ新人の空でも分かった。

瑠璃華「そんな……いくら何でも、スパンが短過ぎるぞ……」

 愕然とする瑠璃華は勿論、フェイも無言のまま困惑の色をその目に浮かべている。

空「と、とにかく急ごう!」

 空は困惑を無理矢理にねじ伏せ、瑠璃華とフェイを促して走り出した。

瑠璃華「そうだな……行くぞ、フェイ!」

フェイ「了解しました、朝霧隊員、天童隊員」

 空の言葉に気を取り直した瑠璃華とフェイも、彼女の後に続く。

 まだ混乱するレストスペースを抜け、ハンガー車輌を目指しながら、
 空は不意に息苦しい物を覚えて、胸元を押さえる。

空(……何だろう……緊張とかじゃない……。
  凄く……嫌な感じ……)

 空は、どこか胸騒ぎにも似た予感を抱えながら、ただ遮二無二走った。


 この出撃の際に感じた胸騒ぎが、これから一ヶ月に渡って続く空の苦難の、
 そして、ギガンティック機関始まって以来となる激闘の日々の始まりの予感とは、
 誰も……空自身でさえ、まだ知らずにいた。


第9話~それは、幸福たるべき『無垢なる天才』~・了

今回はここまでとなります。
ここに来て、ようやく分かり易い感じで縦軸の話が動き出して来ました。

次回のお当番はマリアとクァン……別に面倒なのでワンセットとかではありませんw



ついでに安価、置いて行きます

Ⅰ・結編
第34話 >>2-70
最終回 >>76-153
番外編 >>165-233
閑話   >>235-245

Ⅱ・空編
プロローグ >>251-260
第1話   >>265-295
第2話   >>300-327
第3話   >>332-366
第4話   >>371-404
第5話   >>409-442
第6話   >>447-485
第7話   >>496-534
第8話   >>540-576
第9話   >>581-618

保守る

>>620
保守、ありがとうございます。

最新話を投下します。

第10話~それは、ぶつかり合う『二人の関係』~

―1―

 誰かが他人を殺めた場合、
 その“誰か”からは社会的に名が奪われ、新たな名や蔑称が与えられる。

 容疑者、加害者、殺人者などはその最たる物だ。

 他にも、人殺し、殺人鬼、etc、etc……。

 事の真相に依っては、やや劇的だが復讐者や死神などと呼ばれる事もあろう。

 どれも重苦しく、背負うには難い名だ。

 しかし、自身の責任の範疇でならそれも当然だろう。

 自業自得なのだから。


 だが、意図して殺めたのではないのなら?
 むしろ、“誰か”を助けるために犠牲になった者がいるなら?

 おそらく、その“犠牲になった者”には哀悼と共に様々な賞賛の名が送られるだろう。

 善人、善行者、英雄。

 大衆の目は“誰か”よりも、“犠牲になった者”に向くのは世の常だ。

 だがしかし、“犠牲になった者”が既に“英雄”だった場合はどうだろうか?

 人々は英雄の死を哀しむと共に、英雄を死に追い遣った“誰か”に目を向けるだろう。

 慈悲の目を、憤怒の目を、憎悪の目を、排斥の目を、その“英雄殺し”に。


 2031年12月19日。

 人々の記憶から永遠に消える事のない、人類敗北の歴史が刻まれた日。

 広大な大地を追われ、人工の大地に押し込められた、その日。

 一人の英雄の死と共に、一人の幼い少女が“英雄殺し”となった日。


 少女はその名を変え、別の人生を歩まされる。

 恨まれる事のない人生を、怒りに曝される事のない人生を。

 しかし、少女の心に刻まれるのは激しい後悔と、自責の念。

 アリスと名を変えられた少女の本当の名を知る者は少なく、
 彼女の伴侶と娘とごく近しい者だけが知っている。


 そう、伴侶と娘……そう、彼女には夫と娘がいる。

 奇しくも、“英雄殺し”の血を継いだ少女。

 幼い頃から、“英雄殺し”の罪に苦しみ続けた母を見て育ち、
 世界を守る十の力の中から、二つの力によって見出された少女。

 娘……少女の名は、マリア・カタギリ。


 だが運命は彼女を嘲笑う。

 彼女には、その力に適うべき魔力が、欠如していた。

 無能者。

 その蔑称が、幼い子供の心に刻む傷の深さは、どれだけの物だろうか?


 幼さ故に可能性が有り、幼いが故に夢も望みも抱く事が許される。

 だが、人は生まれを選ぶ事は出来ず、その少年が生まれたのも、
 多くの夢や望みを諦めなければならぬ家柄だった。

 武と魔に通じるが故に、軍事の大半を任せられる事となった大きな家。
 阮家が、彼の家だ。

 日本の本條、台湾の李と並ぶ、ベトナムの名家。
 その名は羨望と敬意の象徴。

 だが、並ぶが故に阮家には、他の二家に対する引け目があった。

 それは、オリジナルギガンティックのドライバーに連なる血が無い事。

 御三家と呼ばれるようになったのは、世界が閉ざされ、混乱を収めるべく奔走する中で、
 三家の役割が決まり行く過程で誰かが呼んだのが始まりに過ぎない。

 歴史は浅いが、世が世であるが故に強い影響力を持つ名。

 だが、だからこそオリジナルギガンティックを所有する権利の無い阮家は、
 他の二家に引け目を感じるのだ。


 無理からぬであろう。

 阮家は本條家と李家の子女が欧州に渡る中、ただ一家、
 アジアにその根を深く張る事で世界を裏から支えた功労者なのだ。

 だが、それ故に、他の二家と世代を同じくした前当主は渡欧する事はなく、
 オリジナルギガンティックの初代ドライバー達の大半が名を刻む部隊に、その名を連ねる事は無かった。

 家柄だけでなく、その実力も、その心根も、
 英雄達に勝るとも劣らない人物であったにも拘わらず、だ。

 世が世であったなら、世界を救った英雄達と共に名を連ねたであろう前当主は、
 我が子に当主の座を譲る際、その子供に――孫に望みを託した。

 望み……いや、正しくは周囲の期待と言うべきであろう。

 古くより家に仕える臣下。
 好奇に目を輝かせる大衆。

 老いた当主にそれらの期待に応えられる力はもう無く、託すより他なかったのだ。

 それが当事者達にとっては悲劇だった事を、彼らの口から語られる事は無い。

 何故なら、生まれた世継ぎは、オリジナルギガンティックに見出されなかったのだ。


 凡百の魔導師では持ち得ないない高い魔力。
 傑出した大魔導師でさえ至れない魔導の高み。

 幼くしてその二つに恵まれた世継ぎの少年は、
 だが多くの人に望まれた期待にだけ、応える事が出来なかった。

 繰り言だが、世が世であるなら、神童や天才と持て囃されるハズだった少年は、
 その賞賛を受けながら陰で“無能者”の烙印を押されたのだ。


 彼の事を思う者達は、彼の周囲に気を配り、彼の耳にその呼び名が伝わらないように努めた。

 だが、現実は残酷であり、彼の耳にはその名が届いてしまった。

 その事が彼を――阮黎光をどれだけ傷つけたのかは、彼だけしか知らない。

 魔力を持たぬ英雄殺しの娘、マリア。

 力を持つ資格を持たぬ無能物、クァン。


 その二人の出会いは、ある種の運命だったのだろう。

 クァンには、マリアの魔力に感応する才能があった。


 二つの力に見出されたマリアと、彼女に足りぬ魔力を補う事の出来るクァン。

 奇しくも、二機で一機と謳われた兄弟機が、彼女を……彼女達を見出したのだ。
 それは僥倖と言えた。

 一人は母の汚名を雪ぐため、一人は自身の汚名を雪ぐため。

 そうして出逢った二人は、新たにギガンティックから選ばれる事となる。

 マリアはより同調したプレリーに、彼女と同調したクァンはより適正の高いカーネルに。


 奇しくも同じ日に生まれ、奇しくも互いが欲す物を持ち、奇しくも兄弟機に選ばれた。

 出逢うべくして出逢ったと言っても、決して過言ではない二人。

 物語なら、ヒーローとヒロインに選ばれたかもしれない、そんな運命の二人。


 その運命の二人は今――


マリア「だぁかぁらぁ!
    あの場で前に出るのは支援役のアタシの役目だろう!?」

クァン「いいや、あの場面でお前が前に出るのは間違っている。
    それは防御役である俺の役目だ」


 ――盛大に喧嘩をしていた。

―2―

 歳の暮れを三週間後に控えた12月10日、月曜日の夕暮れ。
 ギガンティック機関、ドライバー待機室――


 テーブルを挟み、コの字型ソファの対岸に陣取った二人は、
 立ち上がってお互いを睨み付けながら激論を交わしていた。

クァン「あの場で支援役を失ったら、
    後からどう戦えばいいか、お前はよく考えろ!」

マリア「フンッ!
    戦況に合わせて最適に動くってのは、アタシ達の教官の教えだ!

    レミィや瑠璃華、空や隊長だって同じ教官に教えられてるんだ!
    文句あっか!?」

風華「あぅあぅ……二人とも~」

 怒りの形相で怒鳴り合う二人に挟まれ、コの字型ソファの真ん中……
 テーブルの上座に腰掛けている風華が、オロオロとしながら宥めようとする。

 因みに、この場でマリアが“隊長”と呼んだのは、
 風華ではなく前隊長であり空の姉である海晴の事だったのだが、
 その事を問い詰められる状況ではなかった。

 また、テーブルの上ではカーネル型とプレリー型のドローンが、
 各々の主を宥めるように“まあまあ”と身振り手振りで諫めている。

瑠璃華「ハァ……」

 その状況を後目に、マリアの傍らに腰掛けていた瑠璃華が小さな溜息を漏らす。

 言って見れば、二人の喧嘩は待機室の名物のような物だ。

 最近は、新人の空が入った事もあってそれなりに自粛していた二人だが、
 以前――特に海晴が亡くなる前――は、事ある毎に衝突を重ねていた。

 それが今になって再発……と言うより、復活したのにはワケがあった。

空「ただいま戻りましたぁ……」

レミィ「ぅう……」

 ハンガー側の出入り口が開かれ、疲れ果てた様子の空とレミィが、
 無言のフェイを伴って部屋に入って来る。

 どうやら、先ほどまで出撃していたようだ。

 険呑とした空気に包まれていた待機室も、その雰囲気を幾分か和らげ、
 風華達の視線もそちらに向けられる。

風華「あ、お疲れ様、三人とも……。
   どうだった?」

フェイ「出現したのはクマとトラの混合型。
    コレでこの一ヶ月間で通算八体目の近似個体です」

 フェイは風華の質問に淡々と答えながら、情報を補足する。

 この一ヶ月で通算八体目の近似個体――そう、八体目。

 実を言えば、半月前の派遣任務最終日に現れたイマジンの中には、
 件のクマとトラの混合型イマジンが含まれていた。

 それでも、およそ一ヶ月前となる二体同時出現の際にマリアとクァンが対処した物に、
 今回、空達が対処して来た個体を含めても三体。

 まだ、五体足りない。

 ……回りくどい言い方はやめよう。

 結論を言えば、空達は半月前からほぼ連日のように出撃を余儀なくされていた。

 その全てがイマジンだ。

 まあ、当然と言えば当然なのだが、
 相互支援を兼ねて別任務に赴く事もあるのがギガンティック機関と言う組織でもある。

 ともあれ、あの派遣任務最終日であった11月25日から今日まで、
 連日のようにイマジンが現れていた。

 日に確実に一体、多い時には、たった一度だけだったが四体同時。

 ロイヤルガードの手も借りねばならない程の忙しさだ。

 オペレーター達も普段は事後処理に動かなければならない所なのだが、
 連日の激務と言う事で今は事後処理を課の同僚達に任せ、休憩中である。

 しかし、連日のように現れるイマジン達は、おおよそ四種類に限られていた。

 先ず、つい先ほども話のあったクマとトラの混合型。
 一ヶ月近く前に、空とレミィが風華と共に倒したトンボ型。
 初出撃で空が相対したカメレオン型。
 そして、最後がサイ型。

 その内のカメレオンを除く三種は、
 海晴の亡くなった八ヶ月前の四体同時出撃の際に現れたイマジン達と似た個体達だった。

 無論、近しい形状のイマジンがそれ以前に出現しなかったか、
 と聞かれれば答えはノーである。

 だが、今回のイマジン達は同種の物と形状があまりにも似通っており、
 別種の個体と言い切るには“生物学”の見知から憚られた。

 ともあれ、似た種類のイマジンばかりを相手取る出撃が半月も続き、
 マリアとクァンのフラストレーションも限界に来ていたのだ。

 それが二人の喧嘩癖の再発の原因である。

空<何かあったの?>

 待機室に入るなり、まだ僅かに残る険悪な雰囲気を察し、
 空は瑠璃華に思念通話で尋ねた。

 無論、レミィやフェイにも回線を開いた状態でだ。

瑠璃華<ああ、いつもの痴話喧嘩だぞ。
    少々、根が深いような気もするがな……>

 瑠璃華は半ば呆れたように漏らしてから、最後は肩を竦めるような声音で返した。

レミィ<また、か……全く>

 瑠璃華の答えが予想通りだったのか、
 レミィは間髪入れずに溜息混じりの声で返す。

 年上だが後輩と言う少々面倒な二人を後目に、
 レミィは瑠璃華の対面のソファに身体を投げ出すようにして深々と腰掛けた。

 空もレミィの隣に腰を下ろすと、溜息を一つ吐いて、ソファの背もたれに身体を預ける。

 短時間とは言え、命がけの戦闘を連日のように続ければ、さすがに疲れが抜けきれない。

フェイ「すぐにコーヒーを煎れます」

 一方、フェイはすぐさまキッチンに向かう。

アルバトロス「待って下さい、フェイ。
       コーヒーは我々で煎れますから、
       貴女は少しでも躯体を休めていて下さい」

 だが、キッチンに控えていたアルバトロスが飛び上がり、
 そんなフェイの行く手を遮る。

突風「そうよ。
   ココは私らお姉さんに任せて、あなたは休んでなさいな」

 そう言う突風の言葉通り、
 キッチンでは彼女とチェーロがいそいそとコーヒーを煎れる準備をしていた。

 飛べない突風がキッチンヒーターを管理し、
 飛べるチェーロとアルバトロスが諸々の用意と行った分担だ。

フェイ「ですが、コレは私の仕事で……」

チェーロ「ダメです。
     肝心な時に動けないようじゃ後悔する事になりますよ」

 食い下がるように言いかけたフェイの言葉を遮って、
 チェーロが半ば呆れたように漏らす。

フェイ「…………了解しました。
    次の出撃に向けて省魔力モードで待機します」

 だが、さすがにその忠告は聞き入れるべきと判断したのか、
 僅かな逡巡の後にフェイは深々と頷いて答えた。

 口調こそ淡々としている物の、どこか不服そうなのは気のせいだろうか?

 ともあれ、フェイは瑠璃華の傍らに腰を下ろし、不動の牡丹と化す。

 一方、そんなやり取りで僅かに気勢を削がれたのか、
 マリアとクァンも“不満げに”と言う形容詞が相応しい表情でソファに座り込んでいた。

空(あ、同じポーズ……)

 空は、そうやって座り込んでいる二人の姿勢が、
 これでもかと言うほど同じである事に気付き、心中で独りごちる。

 胸の前で腕を組み、右脚が上になるように膝を組み、僅かに俯き加減。

 体格差は大きいものの、
 どちらかを左右逆にすれば鏡映しになっているようにさえ見える程だ。

マリア&クァン「「……む……?」」

 数秒後、不意に自分達の姿勢が相手と同じである事に気付き、
 気まずそうに短く唸ると、同時に足を組み替えた。

マリア&クァン「「あ……ぅん」」

 しかし、組み替えた後の姿勢も同じである事に気付いてしまい、
 僅かに赤面して今度は足を崩す。

 だが、やはり結果は同じ姿勢だ。

マリア&クァン「「……………同じ――!」」

 ――ポーズを取るな。
 とでも言いたかったのだろう。

 タイミングを合わせたかのようにピッタリ同じ時間だけの逡巡の後に、
 異口同音同時に出た声に二人は押し黙ってしまう。

マリア&クァン「「先に――!」」

 ――言わせろ。
 とでも言いたかったのだろう、やはり。

マリア&クァン「「そっちが――!」」

 ――後回しにしろ。
 であろう、おそらく。

マリア&クァン「「じゃあ、先に――!」」

 ――そっちが言え。
 では、ないだろうか? あくまで推測だが。

 声をかけるタイミングが被る度、二人は顔を赤く染めて行く。

瑠璃華「険呑としてる時でも仲良過ぎだぞ、二人とも」

レミィ「痴話喧嘩ならよそでやってくれ……」

 お互い、二人の隣に座っていた瑠璃華とレミィは、
 やれやれと言いたげに肩を竦め、溜息混じりに漏らした。

マリア「誰と誰の仲がいいんだ、瑠璃華!?」

クァン「どこが痴話喧嘩なんだ、レミィ君!?」

 そこでようやく、タイミングと言葉がズレた。

 すると、二人はハッとなって顔を見合わせる。

空(何で、そこで残念そうなんだろう……)

 二人の表情を交互に見遣って、空は心の中で苦笑いを浮かべた。

クァン「………すいません、藤枝隊長、少し道場で身体を動かして来ます。
    出撃コールが来たらすぐに戻りますから」

 クァンはそう言うと、ソファの背もたれを跳び越えるようにして、
 そそくさと出入り口に向かう。

 レミィと空に退いて貰うのも、もどかしかったのだろうか?

風華「あ、はい。
   いってらっしゃい……」

 二人の喧嘩の余波からようやく立ち直ったばかりの風華は、
 半ば呆然とクァンと見送った。

 クァンが退室し、扉が閉じられるとその後ろ姿を無言のまま見送っていたマリアが、
 長く深い溜息を漏らす。

マリア「ッハァァァ……まったく……」

 どこかもどかしげに漏らすマリアの表情に浮かぶのは、
 怒りと言うよりは不平不満と言った風だ。

レミィ「本当に仲が良いな……」

 そんなマリアに、レミィは少し微笑ましそうに漏らす。

フェイ「シンクロは良好でした」

 まだ省魔力モードになっていなかったのか、フェイも続く。

マリア「年上を茶化すな! 後、フェイは寝とけ!」

 マリアは頬を紅潮させて返すと、少し怒ったように顔を俯けてしまう。

空「でも……二人とも、口で言うほど仲が悪いワケでもありませんよね?」

 そんなマリアに、空はふと、今まで気に掛かっていた事を口に出してしまった。

 マリアは一瞬、面食らったように目を見開いたが、
 どこか恥ずかしそうに頭を掻くと、やはり照れ隠しで足を組む。

 だが、すぐに足を崩し、観念したように口を開く。

マリア「あぁ……うん、まぁ……この子らに乗れるんだから、ね」

 そう言って、マリアは喧嘩の仲裁を終えてへたり込んでいたカーネルとプレリーに手を伸ばす。

 主から手を伸ばされ、プレリーはどこか嬉しそうに、
 カーネルはそれから僅かに遅れてその手に飛び込む。

 マリアは二人を自分の膝の上に座らせると、口を開く。

マリア「前に一度、話したでしょ?
    この子らのオリジナルドライバーが夫婦だって」

 問いかけるようなマリアの言葉に、空は入隊初日の事を思い出す。

 そう、七体のギガンティックがハンガーに勢揃いしていたのを見たあの時、
 それとなく聞かされていた。

 確か、連携戦専用の調整が施されているとか?

 記憶力には自信があるので間違いないハズだ。

マリア「まあ、おしどり夫婦だったんだろうねぇ……。

    ピッタリと息があって無いと使えない機能も多くてさ。
    入隊してから半年は、戦闘の時は隊長に面倒見て貰いながら、
    魔力をシンクロさせるトレーニングばっかりやってたよ。

    ………お陰で言葉や動きまでピッタリ揃うようになっちまってさ」

空「えっと……」

 どこか自嘲気味なマリアの説明を聞きながら、
 空はある疑問が過ぎるのを堪えられなかった。

 連携戦機能を使うのに当たって息が合っているのは重要かもしれないが、
 そうでなければ使えないと言うのは、些か欠陥品の類なのではないだろうか?

 まあ、そんな事を言い出したら、
 “乗り手を選ぶオリジナルギガンティック全てが欠陥品ではなかろうか?”と言う話だが。

 その辺りの空の戸惑いを察したのか、マリアは苦笑いを浮かべた。

マリア「まあ、ちょっとややこしいけどさ、考えてみれば当然じゃない?
    連携するのに息が合い過ぎて悪い事なんて何にも無いよ」

カーネル「そうそう。
     俺達、二人で一つみたいな感じだからな」

プレリー「ちょっと照れてしまいます」

 主の言葉を受け、カーネルとプレリーは彼女の膝の上で得意げに、
 或いは少しはにかむような仕草で続けた。

 確かに、連携戦を基本とするなら息が合っている事は前提条件として間違っていない。

 だが、やはり満たすべき前提条件が多いと言うのは、
 どう考えてもデメリットになってしまう。

 と、なれば、カーネルとプレリーには、
 その前提条件を満たすに足りるメリットが存在する事になる。

 特に、カーネルとプレリーのドライバーが同時期に揃ったと言うのは、
 オリジナルであるファルギエール夫妻以来なのだと聞かされていた。

 その事を踏まえても、メリットを得るためには納得の条件なのかもしれない。

 空はそんな事を考えながら、“なるほど”と頷いていた。

マリア「まあ、このシステムもそう悪いモンじゃないしね……」

 マリアは少し気恥ずかしそうな声音でそう呟くと、
 照れ隠しなのかカーネルとプレリーを抱き上げる。

マリア「システムと……その……クァンのお陰で、アタシもこうして戦えるワケだし」

 頬を染めると言うか、顔を茹で蛸のように真っ赤にしながら、
 マリアはぽつりと漏らした。

 だが、すぐに激しく頭を振って誤魔化すと、困ったような苦笑いを浮かべる。

 まあ、その程度で誤魔化されるような発言でもニュアンスでも無かったが。

空<レミィちゃん……こう言う時、どうすればいいんだろう?>

レミィ<記憶に留めて聞かなかった事にしてやれ……。
    口喧嘩が十倍楽しく見られるようになるぞ>

 空はやや呆然自失気味になってレミィに思念通話を送ると、
 彼女も半笑いと言った風な声音で返してくれた。

 そこでようやく、空も気を取り直す。

空「えっと……マリアさんって、魔力は……?」

マリア「五二〇。
    訓練で少し伸ばしたけど、まあコレで限界かな?」

 戸惑い気味の空の質問に、マリアもようやく頬の紅潮が引いたのか、
 少し冷静になって苦笑い気味に答える。

 低いとは聞かされた事があったが、まさか千を下回っているとは初耳だった。

 しかも、市民階級で言えば正二級市民。

 ランクで言えばBの中程度でしかない。

 現状、安定起動のために一万の魔力係数を要求される
 オリジナルギガンティックに乗るのは難しいだろう。

 空の場合、姉の生前は総魔力量の殆どをバッテリーに回していたが、
 七十五しかない姉の魔力でエールを戦闘させるには、
 それだけの事をしなければならなかったのだ。

 その姉の七倍以上の魔力量を誇るとは言え、
 マリアの魔力量ではバッテリーを貯めるのも難しい。

 魔力コンデンサに一万の魔力を貯めるには、
 彼女の全魔力を絞り出しても半月以上の時間をかけなればならない。

 魔力減衰で下手をすれば昏睡状態だ。

マリア「ああ、そっか、空は知らないんだっけ?
    アタシの魔力さ、全然足りないから、クァンから貰ってるんだよね」

 マリアは、以前に瑠璃華が真相を語った時のようにあっけらかんと言おうとしたが、
 自嘲気味な苦笑いは隠す事は出来なかった。

 彼女はさらに続ける。

マリア「プレリーだけじゃなくて、
    カーネルもアタシがドライバーなんだよね、本来ならさ」

 そう言って、マリアは再び膝の上に座らせた二人の頭を、優しく撫でた。

マリア「選んでくれたのは凄く嬉しかった……コレでアタシも戦えるんだ、って。

    でも、さ……魔力が全然、足りなかった。
    努力して増やせる量でも無かったし、あの時は本当に参ったよ」

 マリアは遠い目をして、
 懐かしさと当時の思いの混在した、複雑な面持ちで呟く。

 だが、すぐに視線をクァンの出て行った出入り口に視線を向け、
 そのまま空に視線を戻す。

マリア「そんな時に、さ……アイツと出逢ったって言うか……、
    まあ、司令に会わせて貰ったんだよ、クァンと」

 そう語るマリアの笑顔は、いつもの溌剌さや快活さよりも、
 どこか柔らかな雰囲気が勝っているようだ。

マリア「アイツに無いドライバーの資格がアタシに有って、
    アタシに無かった高い魔力がアイツには有った……。

    柄にも無く、運命とか感じちゃったよ、
    同い年どころか誕生日まで一緒なんだからさ」

 マリアはその時の事を思い出しているのか、
 少し照れ臭そうにしながらも感慨深げに漏らす。

 普段からサバサバとした男勝りな印象を受けるマリアだったが、
 そう語る様子はどこか“乙女”と言う言葉を想起させた。

 彼女も、まだ十六歳の少女と言う事だろう。

空<コレって、惚気なのかな?>

レミィ<惚気だな、間違いない>

 苦笑いを交えた空の思念通話での問いかけに、
 レミィも思念通話で半ば呆れたような口調で返す。

 対面では瑠璃華が砂を吐きそうな顔をしており、
 フェイは早々に省魔力モードに入っていた。

空<フェイさん……>

レミィ<逃げたな……あれは>

 呆然とする空に続いて、レミィが何処か恨みがましい声音で呟く。

 公私に渡ってサポートとは何だったのか?

 ともあれ、そんな二人の様子に拘わらず、マリアの一人語りは続く。

 普段はあまり喋らない方なので、フラストレーションが溜まっているのか?

 或いは、一人語りを始めると止まらない方なので、
 普段から意識して喋らないようにしているのか?

 どちらにせよ、彼女の独白はまだ止まらない。

マリア「アイツって案外、抜けてるって言うか……、
    回り優先にしようとして自分疎かになってる事って有るでしょ?」

カーネル「ああ、有る有る。
     女所帯だから遠慮してるんだろうけど」

 さすがに一人語りでは寂しそうだとでも思ったのか、カーネルが合いの手を入れる。

 プレリーも彼の隣でうんうんと頷く事で、サポートに回っていた。

マリア「いや、まあ、それで助かってるっちゃ助かってるんだけどさ。

    着替えの時とか男一人って事で、もの凄い肩身狭いでしょ?
    出撃の時とか、殆ど全力ダッシュだよ、アレ」

 マリアはそう言って盛大な溜息を漏らす。

 空は、未だに二人と同じタイミングで出撃した事は無いが、
 風華も納得したように“うんうん”と頷いている所を見ると、どうやら事実らしい。

 実際、クァンは出撃の際には全力でロッカーまで向かい、
 他のメンバーが駆け付ける前に着替えを済ませてハンガーに出て、
 他のメンバーがハンガーに出る前にはスフィア内で待機していた。

 後から行くのでは仲間達を急がせる事になるし、
 一緒では身体のラインが丸出しのインナーを拝む事になってしまう。

 悩ましい限りだ。

マリア「さっきの戦闘の時も、アタシがフロントに回った方が効率が良いのに、
    アイツがフロントに回って守ってくれてさ……。

    いや、守ってくれるのは嬉しいよ?
    けどさ、無駄に危険に晒される必要は無いって話だよ」

 と、空達が半ば放心気味になっていると、
 不意に一人語りの内容が不穏な雰囲気を帯び始めた。

 どうやら、今日の出撃の事のようだ。

 先程まで出撃していた空達は、先に出ていた二人がやはり先に戻っていた事しか知らなかったので、
 この件に関しては初耳だった。

プレリー「でも、装甲強度は私よりもカーネルさんの方が上ですもの。
     クァンさんの対応も一理あるかと思いますわ」

マリア「いや、分かってるよ?
    でもさ、あの場は私だけでも対処出来たワケだし……」

 窘めるようなプレリーの言葉に、マリアは不満げに食い下がる。

 彼女達が今回の出撃で相対したのはカメレオン型だと、ほのかから聞かされていた。

 接近戦が専門で機動力の低い二機では、
 あの舌の攻撃を防御しながら進むしかなかっただろう。

 他の機体と違い、防御力に重点を置いている二機だからこそ出来る戦法だが、
 その際に起きたトラブルだった。

マリア「四年もコンビ組んでるのに信じて貰えて無いんじゃないか、
    って考えたら、何か無性に腹が立ってさ……」

 マリアは不安と怒りの入り交じった声音で言うと、
 今日一番の盛大な溜息を漏らす。

瑠璃華<るりかしってるよ。
    これ、けんたいきっていうんだよ、おねーちゃん>

 突然、感情の篭もらない棒読みの思念通話を送って来た瑠璃華。

 声だけは何故か年齢相応に可愛らしい。

 どうやら真横で聞かされる惚気に、精神が限界を迎えてしまったようだ。

空<る、瑠璃華ちゃん!? ダメ、戻って来て!>

 空は心中で大慌てになって、そんな彼女を現実に引き戻す。

瑠璃華<言ってないと正気を保ってられないぞ、これ……>

 瑠璃華は“やってられるか!”と言いたげな声音で、呆れたように言った。

 その声音はいつも通りの彼女だ。

風華<いいなぁ……>

 と、いつの間にか風華も思念通話の回線を繋いでおり、どこか羨ましそうに呟く。

 何が“いい”のか、空には皆目見当も付かなかったが、
 マリアの惚気は続き、思念通話回線は混沌とし始め、最早しっちゃかめっちゃかだ。

空(ど、どうしよう……)

 空は寛ぎの姿勢のまま硬直し、思案を巡らせる。

 いっその事、とぼけた振りでもしてみようか?

空「マリアさんは、クァンさんの事が本気で好きなんですね」

 空はとにかく、天然を装ってそう切り出した。

マリア「………いや……いやいやいや!
    す、好きとかそう言うのじゃなくてね!?」

 するとマリアは、一拍置いてから再び顔を真っ赤に紅潮させ、
 必死に否定し始める。

 最早、好きな相手をバラされた小学生のリアクションだ。

 それも、どちらかと言うと男子側。

マリア「く、空調が熱いから、ちょーっと外の空気吸って来るね!」

 マリアはプレリーとカーネルを抱きかかえたまま、
 逃げるように待機室から出て行ってしまった。

 但し、行く先はハンガーである。

 ハンガー経由で外に出られない事も無いが、普通にロビーに向かうのに比べて、
 移動距離は二十倍くらいになってしまうのではなかろうか?

 余談だが、待機室の空調は常に快適な温度と湿度に保たれている。

チェーロ「あ……折角、コーヒーが入ったのに」

 その後ろ姿を、人数分のカップが乗せられたお盆を掲げたチェーロが呆然と見送った。

 ちなみに、先に出ていってしまったクァンの分と、飲めないフェイの分を除いた五人分だ。

 普段よりやや時間はかかっているが、それは用意が大事だったからに他ならず、
 使っている豆はフェイが厳選した特製ブレンドである。

 閑話休題。

 空達は気を取り直し、チェーロ達の煎れてくれたコーヒーに口を付けていると、
 不意にロビー側の出入り口が開かれた。

クァン「っと……マリアはいないのか」

 クァンだ。

 どうやら、色々と発散を終えて戻って来たらしい。

 出て行った時に比べ、かなり落ち着いている。

 が、つい先程まで繰り広げられていたマリアの惚気を思い出し、
 空達はどこか困ったような表情を浮かべてしまう。

クァン「藤枝隊長、マリアは?」

風華「マリアちゃんなら、外に行くってさっきソッチに……」

 クァンに尋ねられ、風華はハンガー側の出入り口を視線と手で指し示す。

 それを見て、クァンは小さく肩を竦め、
 “それじゃ正反対だろうに”と半ば呆れたように漏らした。

 クァンは空とレミィに席を詰めて貰うと、
 マリアが受け取るハズだったコーヒーカップを受け取り、ソファに腰を下ろす。

クァン「ハァ……」

 コーヒーを一口飲むと、人心地ついたのかどうか分かり難い微妙な溜息を吐いて、
 クァンは軽く天井を振り仰いだ。

レミィ「………なんだそれ?」

 その様子に、レミィは苦笑いを浮かべて噴き出しそうになりながら尋ねた。

クァン「ああ、いや……コーヒーは旨いんだが……。
    少し、な……」

 クァンは視線を仲間達に戻すと、
 空の向こう隣にいるレミィに向けて力なく笑い、肩を竦める。

風華「言い過ぎだと思ったなら、すぐに謝った方がいいわよ?」

 心配した様子の風華がそう言うと、
 瑠璃華も納得したように“うんうん”と頷いて口を開く。

瑠璃華「だな。

    そうでないとレミィみたいに気まずい思いをした上に、
    怒っていた相手に抱きついてワンワンと大泣きする事になるぞ」

レミィ「誰がワンワンだ!?」

 唐突に引き合いに出されたレミィは、顔を真っ赤に染めて反論するが、
 微妙に論点がズレているような気もする。

空「レミィちゃん、多分、怒る所が他にもあるよ」

 空も苦笑いを浮かべて即座にフォローを入れるが、
 レミィは顔を真っ赤にしたまま“うぅ~”とうなり声を上げるばかりだ。

 これでは自ら事ある毎に否定しているワンワン……もとい、犬である。

 まあ、コレも連日の出撃でストレスが溜まっているが故の行動だろう。

 ともあれ、クァンは肩を竦めたまま小さく溜息を漏らして、観念したように口を開く。

クァン「マリアは本来、こんな所で戦うべきじゃないんですよ……。
    魔力は低いし、かと言って魔力運用がずば抜けて上手いワケでも無いし」

 クァンはどこか愚痴っぽく言って、残りのコーヒーを一気に飲み干す。

 そして、カップをテーブルに置きながら、さらに続ける。

クァン「第一、魔力さえリンクさせてくれていれば、
    カーネルだけなら俺でも動かせるんですから……」

 クァンはそう言うと、また一つ小さな溜息を漏らす。

 これではマリアを足手まといと言っているようにも聞こえる。

 だが、その事で誰も声を荒げないのは、声音や口調に反して、
 クァンの表情が何処か不安そうで寂しそうだからだろう。

 普段からあまり口数の多くない――マリアとは違い、彼の場合は本当に寡黙なだけだ――
 クァンだが、だからこそ言葉よりも表情が本音を如実に表していた。

 無論、それはまだ付き合いの浅い空にも分かる程だ。

 足手まといだから、と言うよりは心配なのだ。

 無論、隊の中でもずば抜けて魔力運用能力の高いクァンからしてみれば、
 戦闘訓練を受ける以前はロクな魔力運用を習って来なかったマリアは、
 どこか危なっかしく見えるのだろう。

空「クァンさんも、マリアさんの事を大切に思っているんですね」

 空は先程からの流れで、つい、その言葉を口にしてしまった。

 すると、クァンはビクリと全身を震わせ、固まってしまう。

 クァンに合わせるかのように、しばしの沈黙が待機室を支配し――

クァン「………ノーコメントで……」

 ――五秒ほど後、彼は眉間に手を当て、難問を諦めるかのように漏らした。

レミィ<分かり易いヤツだなぁ……>

 レミィは溜息を吐くかのような声音で漏らし、
 空も戸惑いながらも胸中でそれに同意する。

 確かに、あれだけ逡巡すれば逆に認めているような物だ。

 何とまあ、素直になれない者同士のカップルなのだろうか。

空(何だか、この場に佳乃ちゃんがいたら叫んじゃいそう……)

 空はそんな事を考えながら、思わず噴き出しそうになってしまう。

 確かに、佳乃なら“ああっ! じれってぇっ!”と叫び出しそうだ。

空(……みんな、遊園地はどうするんだろう……?)

 佳乃の事を思い出すと、半月前に親友達と約束した遊園地の件を思い出す。

 連日のようにイマジンが現れるようになって工事は停滞、
 今より三日前を予定していたオープンは延期、
 それに合わせてプレオープンの招待も順延と言う有様だ。

空(まあ、こんな状態だものねぇ……)

 空はそんな事を考えながら、胸中で肩を竦めた。

 レベル5の警報発令中はシェルター内に退避が原則である。

 それでも工事自体は大まかには済んでいると言うのだから、
 中々の手際と言うべきだろう。

 ともあれ、親友達との約束もお流れとなってしまったのは事実だ。

 クァンに答をはぐらかされ、
 どこか白けてしまった様子の待機室を見渡しながら、空は小さく肩を竦めた。

―3―

 それから三日後……12月13日早朝。
 ギガンティック機関、ドライバー待機室――


 三日前はふざけたり軽口を叩く余裕のあったドライバー達にも、
 さすがに疲れが目立ち始めていた。

 特に瑠璃華などは顕著で、連日の出撃の合間を縫っての整備指示や、
 ハートビートエンジンの解析作業などで忙殺され、
 挙げ句に昨晩は深夜間近になっての出撃も重なった事もあって、
 今は仲間達の好意でソファを一つ貸し切って仮眠中だ。

 彼女と同じシフトとなる風華も、出撃回数が増えれば書類仕事も増えると言う悪循環で、
 精神的に追い詰められ始めたのか、今は焦点の定まらない視線をコーヒーカップに向けている。

 瑠璃華や風華だけでなく、レミィやマリア、クァンも食事が終わるなりソファに全身を預け、
 フェイも後片付けや食後のコーヒーはドローン達に任せ省魔力状態で休んでいた。

空(みんな……そろそろ疲れがピークだ……)

 空も疲れの抜けきれない様子で仲間達を見渡す。

 余談だが、空はコの字型ソファの一番端に座り、レミィ、マリア、瑠璃華が一人で眠り、
 空達の反対側のソファにクァン、風華、フェイと言った順に座っていた。

 昨日とは瑠璃華と風華の位置が逆なだけだ。

 ともあれ、絶対の強さを誇るオリジナルギガンティックとは言え、
 それに匹敵するか凌ぐ強さのイマジンを前にすれば、
 一歩間違えれば即死と言う緊張状態を強いられる。

 撤収まで含めて二時間足らずの出撃でも、精神的肉体的負担は計り知れない物だ。

 魔力を充填すれば限度はあっても幾らでも動けるフェイや、
 幼い頃から戦闘訓練を受けている風華やクァンに比べ、
 他の四人……特に瑠璃華やレミィは元々小柄で体力が多い方ではない。

 空も新人と言う事でまだ体力が心許ない方だが、
 潤沢過ぎる魔力で誤魔化せる分だけまだ幾分かはマシな方だった。

 だが、逆に魔力の乏しいマリアはかなりのグロッキー状態なのか、
 風華以上に焦点の定まらない視線を辺りに向けている。

 そう言えば、彼女は食事も喉を通らなかったようで、
 持参した栄養補助食品のチューブゼリーを飲んだだけだった。

 クァンもパートナーのそんな様子が気がかりなのか、
 ようやく疲れの取れ始めた身体を気怠そうに起こし、声をかける。

クァン「休まなくて、大丈夫なのか?」

マリア「あん?」

 心配そうなクァンの口調に反して、マリアはどこか気怠そうで不機嫌そうな声音で返した。

 どうやら、まだ先日の事が二人の中で……と言うよりは、マリアの中で尾を引いているようだ。

 確かに、三日前は惚気るだけの気概はあったが、それでも互いの誤解は解いてはいなかった。

マリア「それ……どう言う意味さ?」

クァン「どう言う意味も何も、そんな状態で出撃なんて出来るのか、って聞いているんだ。
    他意は無い……」

 険呑とした様子のマリアを諫めるように、クァンは溜息がちに漏らす。

 それはこの所の疲れも手伝っての事だったが、
 その溜息がちな物言いがマリアの怒りに触れた。

マリア「魔力の足らないアタシは、邪魔だって事かよ……」

 マリアは吐き捨てるように呟くと、ゆらり、と立ち上がる。

マリア「そりゃ、二万四千もあるヤツにゃ分かんないよね、
    魔力が五百程度しかない人間の気持ちなんて……!」

風華「ちょ、ちょっとマリアちゃん……」

 普段よりも一オクターブ低い声で言い放つマリアの雰囲気に、
 風華もただ事でない気配を感じて諫めようとするが、
 何といえば良いか分からずに口を噤んでしまう。

 魔力の高さで言えば、
 風華も正規ドライバーであり、名家の生まれと言う事で人並み以上だ。

 そんな自分が何を言って諫めても、所詮は綺麗事に過ぎない。

 加えて、元々の引っ込み思案な性格も手伝って、風華は押し黙ってしまった。

プレリー「マリアお嬢様、抑えて下さい」

クァン「クァンも突っ掛かるような言い方はヤメて、冷静になれって!」

 そんな風華に代わって、雑用をしていたドローン達の中からプレリーとカーネルが慌てて駆け出し、
 テーブルの上に飛び乗って慌ててお互いの主を諫める。

クァン「俺は最初から冷静だ……」

 クァンは少し苛ついた様子で肩を竦めて呟く。

 確かに彼の言う通り、一方的に突っ掛かって来ているのはマリアだ。

 だが、苛ついているマリアの神経を逆撫でするような態度を取っているのも、
 またクァン自身なのである。

 カーネルが指摘しているのも、その態度の事だ。

 先日の誤解を解いていない事と、連日の疲れが重なったが故の、不幸なすれ違い。

 言葉にしてしまえば簡単だが、普段の複雑な思いもあって、
 一度大きく噛み違えてしまった歯車は、そう簡単に上手く噛み合おうとはしなかった。

瑠璃華「ん……何だか騒がしいぞ……?」

 耳元の騒ぎが気になったのか、仮眠中の瑠璃華も目を覚ます。

 眠り始めてから一時間も経っていないせいか、眠そうに目の回りを擦っている。

クァン「瑠璃華君を起こすワケにもいかないだろう……。
    もう少し声のトーンを落とそう」

 クァンは努めて紳士的に語りかけるが、頭に血の昇っているマリアには完全に逆効果だ。

クァン「最初に言い出したのはアンタの方だろう!?」

 マリアは激昂した様子で叫び、クァンを睨め付ける。

 確かに、この会話を切り出したのはクァンの言葉足らずな一言からだ。

 愛しさ余って憎さ百倍と言う心境だろう。

 マリアの大声に、寝起きの瑠璃華も目を見開いて驚き、空達も思わず身体をビクリと震わせた。

 フェイもただならぬ物を感じたのか、省魔力モードを解除する。

空「ちょ、ちょっと……クァンさんもマリアさんも、
  一回、落ち着きましょう?」

風華「そ、そうね、空ちゃんの言う通りよ。
   二人とも、一度、深呼吸しましょう」

 僅かに怯えた様子の空に続いて、風華は何度も頷きながら言う。

 空達の言葉通り、二人は少し落ち着くべきである。

 だが、二人には冷静でいられないだけの理由が有り、
 それ故に引き下がる事が出来なかった。

 二人は諫めてくれた空達に視線を向けながら、
 半ば無視するようにして言い合いを再開してしまう。

クァン「俺は、そんな疲れた状態で本当に出撃できるのか、
    って聞いているんだ」

マリア「出来るからここにいるんだろう!?
    それとも、少しでもボーッとしてるのもダメだって言うのかよ!?」

 クァンは努めて冷静に、マリアは感情のままに言葉を口にする。

クァン「そんな事は一言も言っていない!
    俺はただ、そんな状態で出撃して危険じゃないのか、
    って、そう聞いているんだ」

 昂奮した様子のマリアに、さすがにクァンも声を荒げてしまう。

 それでも、口にした言葉は彼女を慮っての言葉であるのは明白だ。

 しかし、行き違って拗れたままの言葉は、
 思慮ではなく疑惑の物としてマリアの耳に届いてしまう。

マリア「やっぱり、足を引っ張るって言うのかよ……!
    そんなに、アタシの事が信用できないのかよ!?」

クァン「信用できないなんて言ってないだろう!
    俺はただ、心配で……」

マリア「ああ、そうだろうさ!
    アタシが足を引っ張れば、アンタだって身に危険が及ぶんだから!
    だったアタシに頼らず、自分の力だけでカーネル動かせよ!」

クァン「それは……! それは君だって同じだろう!」

 冷静でいようと努めていたクァンだったが、
 マリアにだけは最も言って欲しくなかった一言を突き付けられ、声音に怒りの色が乗る。

 無論、見下すような意味ではなく、“彼女にだけは”言って欲しくない言葉だったのだ。

マリア「ああ、そうだよ! だけど、正当資格者はアタシだ!
    アタシが言えば、特一級権限でアンタから魔力を奪う事だって……!」

 怒りの形相に哀しみを讃えながら、マリアは絞り出すように叫ぶ。

 最低すぎるほど最悪だ。

 自分の言葉を耳にしながら、マリアは自身をそう断じていた。

 確かに、考えなかった事が無いワケでは無かった。

 魔力が足りないなら、自分と同調できる魔力の持ち主から魔力を譲渡して貰えば良い。

 そうすれば、今は亡き海晴のように、自分もカーネルかプレリーのどちらかを駆る事が出来る。

 ただ、偶然にも二機分の資格を持つマリアと、二機分の起動魔力を持つクァンがいて、
 それが偶然にも同時運用が好ましいカーネルとプレリーだったから、コンビを組む事になっているのだ。

 悪し様に言ってしまえば、二人のコンビは上辺にはそれだけの関係だった。

クァン「お前は……本気で、そんな事を……」

 先日は彼女のいない場で、逆の立場から述べたが、それも彼女のを身を案じればの事だ。

 だが、マリアが今、口にした言葉はそうではなかった。

 単に、“一人で全てやらせろ”と言っているだけに過ぎない。

 クァンは激しい動揺を顔に浮かべ、今にも崩れ落ちそうな雰囲気を漂わせる。

マリア「ッ……」

 そのクァンの姿に、マリアは下唇を噛み締めた。

 言ってはならなかった言葉を口にした後悔が、彼女の中に蠢く。

 二人の思いをよく知る故か、引き返せない言葉を口にしてしまった主の間で、
 カーネルとプレリーは深く項垂れてしまっていた。

マリア「………信じてくれてないクセに! 自分が――!」

 ――信用されているなんて思うな。

 それは、口にすれば二度と引き返す事を許されない、破滅の言葉だっただろう。

 仮にそうでなくても、口にすれば僅かな疑心を生む。

 疑心は暗鬼となって、二人の関係を蝕んだだろう。

 だが、そうはならなかった。

空「いい加減にしてくださいっ!」

 その最悪の言葉は、空の怒声によって阻まれていたから。

 二人だけでなく、全員の視線が空に集まる。

 空は立ち上がり、マリアとクァンを射るように睨み付けた。

 まだ新人の空の眼光に、二人は思わず居すくんでしまう。

空「どうして、そうなっちゃうんですか!?

  マリアさんはクァンさんの事が大好きなのに、
  クァンさんもマリアさんの事がいつも心配だってくらい大切に思っているのに!

  何で、言っちゃいけない言葉の前に、
  言わなきゃいけない言葉を言わないんですか!」

 空は怒りの声のまま、訴えかけるような言葉を二人に投げかける。

 それは彼女の言葉通り、本来ならば二人が互いに向けて言わなければならない言葉だった。

 特に、マリアにはショックが強過ぎた。

 憎からず思われているのは、自惚れなどではなく分かっていたつもりだった。

 だからこそ、戦闘で信用されていない自分が歯痒く、
 それ故にいつまでも信頼してくれないクァンの事が許せなくもあったのだ。

 それが単なる誤解……それも一方的な勘違いであると悟れたのは、
 空の怒声が、先ずは怒りを掻き消す冷や水になってくれたお陰である。

マリア「クァン……その……」

 マリアは先程とは一転し、戸惑いを多分に含んだ声音で漏らす。

 どう言えば良いか、分からない。

 先程までの後悔と懺悔の念と、それまで込めて来た思慕がごちゃ混ぜになって、
 マリアの思考をかき乱す。

 とりあえず、疲れは悪い意味で吹き飛んでいた。

 要はナチュラルハイの状態だったのだ。

 今も、そして、ほんの少し前までも……。

 一方、空は今の自分の状況を冷静に分析して固まっていた。

空(や、やっちゃった……)

 そう、やらかしてしまった。

 八ヶ月前に姉を喪って以来、必死で感情を爆発させる事を抑えて来たが、
 ついにやらしかしてしまったのだ。

 まあ、それもマリアが空のトラウマと言うか、
 魔力譲渡の件を持ち出してしまって、思わず“たが”が外れてしまったのだが……。

 未だに、マリアとクァンを除く全員の視線が空に集まっており、
 特に風華など完全に目が点である。

 レミィは驚きとも尊敬とも取れる奇妙な視線を向けて来ており、
 瑠璃華は完全に眠気の吹っ飛んだ目で唖然とし、
 フェイも彼女としては最大級とも取れる僅かばかりの驚きを湛えていた。

 そして、マリアとクァンはどこに視線を向けて良いか分からず、
 一方は俯いて、一方は天井を振り仰いでいる。

 先程とは完全に別種の、何とも言えない心地よさを含んだ気まずい空気だ。

 心地よくて気まずいとは、また矛盾した物言いだが、
 それは当のマリアとクァンの感じている物でもあった。

 先程までの言い分が申し訳ないのと、
 お互いの気持ちを他人の口からとは言え知った気恥ずかしさ。

 それらが渾然一体となったコレを、気まずい心地よさ以外で何と言い表そう。

瑠璃華<仮眠から目を覚ましたら、二人が痴話喧嘩していて、
    空が怒ったと思ったら、砂糖が吐けそうになって来た。

    状況を整理しても何を言っているのか分からないぞ。
    安っぽいドラマか何かか?>

空<な、何だか……ごめんなさい>

 瑠璃華からの思念通話に、空は申し訳なさ五割と言った風に返した。

 まあ、二人以外からすれば居たたまれ無さの方が大きい。

 この状況を作る引き金を引いてしまった空は、申し訳なさ半分の微妙な気分だった。

 ともあれ、空は気を取り直すと、良い方向に急転した状況を見守る。

 思念通話回線はマリアとクァン以外の全員に開かれていたのか、
 他のメンバーもそれぞれに二人へと視線を向けた。

 一方、視線が集まって来た事を感じながらも、二人は押し黙ったままである。

 マリアはどう謝って良いか、クァンはどう切り出せば良いか分からないのだ。

 前述の通り、お互いに意識はしていたが、本音を改めて知ったのはつい今し方。

 謝り方も切り出し方も心得ていても、本当に“どう”すれば良いのかが分からない。

 多分、ここに短気な佳乃がいれば、
 やはり“ああ、じれってぇ!”と言ってくれたのだろう。

 レミィや瑠璃華も短気な方だが、
 その辺りは口にすべきでないと言うスタンスなので、この場はどうにもならない。

空(みんな、どうしてるかなぁ……)

 空は軽い現実逃避に、昨今のイマジン多発で混乱する日々の中、
 友人達がどう過ごしているのかと思いを馳せ始めた、その時だった。

クァン「その………」

 躊躇いがちながらに、天井を振り仰いだままのクァンが口を開く。

 我に返ったマリアは、先程までの自分が並べ立てた言葉を思い返して、
 ビクリと肩を震わせた。

 あれだけ悪し様に言い放ってしまったのだ。

 最後の最後は、空のお陰で口にせずに済んだが、
 それでも一方的に悪く言ってしまった事実は変わらない。

 しかも、彼にだけは言ってはいけない言葉は、既に口にしてしまっていた。

 償いの意味も込めて、その事を詰られる覚悟を決める。

 だが――

クァン「悪い……信用していないワケじゃないんだ……。
    むしろ、信頼している……。

    ただ、疲れが溜まっていたみたいで、心配だったんだ……」

 躊躇いがちに、ぽつりぽつりと漏らすクァン。

 視線こそそっぽを向いていていたし、寡黙な彼らしい不器用な台詞だったが、
 今までに無いほど照れているのは声からだけでも分かる程だった。

 マリアはその言葉を聞きながら、次第に安堵の表情を浮かべて行き、
 最後は安堵と照れの入り交じった笑みを浮かべる。

マリア「なんだよ……最初から、そう言ってくれりゃいいじゃんか……」

 俯き気味の姿勢のまま不満げに語るマリアだったが、その声はどこか嬉しそうだ。

 罪悪感もまだ燻っているが、それを凌ぐだけの悦びが胸に満ちて行く。

クァン「最初から、そう言ってるつもりだったんだが……」

マリア「……何だよ!」

 溜息がちなクァンに、マリアはいつもの調子で食って掛かる。

 だが、いつもの調子以上に声が弾む。

 そう、いつも通りでいいのだ。

 どうすればいいかではなく、どうしたいか、どうしていたいか。

 そう思えた時には、
 二人は視線を合わせて、照れたような笑みを浮かべる事が出来ていた。

風華<いいなぁ……羨ましいなぁ……>

 そんな二人の様子を羨望の眼差しで見ながら、風華は思念通話で呟く。

瑠璃華<うん、私はこれから砂糖を吐くのに挑戦するぞ>

 完全に目の覚めてしまった瑠璃華は、胸焼けを起こしたような顔しながら漏らす。

レミィ<コイツら……喧嘩させておいた方がマシなんじゃないか……?>

 レミィは自分たち以外が眼中に入っていない様子の二人に溜息を漏らすが、
 文字通りに眼中の外で気付いていないようだ。

フェイ<省魔力モードに再移行します……>

 フェイはどこか呆れたような色を声音に浮かべて、無表情のまま再び省魔力モードに入った。

空<コレって、私のせいかなぁ……>

 空は苦笑いの表情を貼り付けたまま、“アハハハ……”と力なく笑う。

 だが、やはり空のそんな声も二人には届いていないようだ。

 既に“二人だけの世界”の住人である。

 加えて空の擁護をするなら、彼女の責任ではない。

 気付いたキッカケは空の言葉でも、
 この状況を作り出しているのは紛れもない二人なのだから。

 しかし、数で言えば“二人だけの世界”から切り離されている人数の方が倍以上なのだが、
 あまりの存在感に居たたまれ無さが半端ではない。

空(こっそりとハンガーの方に行こうかな……うん、そうしよう)

 空はそう決めると、レミィに向き直る。

 レミィも気付いたらしく、空と視線を合わせた。

 すると、空は目配せで“ハンガーに逃げよう”と提案する。

 レミィも渡りに船と感じたのか、無言で小さく頷く。

 こう言う時のための思念通話なのだが……。

 ともあれ、二人が立ち上がろうとした瞬間――

『PiPiPi――ッ!』

 待機室内に立ちこめた甘い雰囲気を叩き壊すような電子音が、けたたましく鳴り響いた。

 この空気をどうにかしてくれとは思ったが、イマジンはお呼びではない。

空「このタイミングで……!」

 空は思わず眩暈にも似た感覚を覚えながら、改めて立ち上がる。

ルーシー『第三フロート第一層に二体のイマジンの同時出現を確認しました!
     待機要員、整備班は出撃準備に入って下さい!

     繰り返します。
     第三フロート第一層に二体のイマジンの同時出現を確認しました!
     待機要員、整備班は出撃準備に入って下さい!』

クララ『01、08ハンガーはリニアキャリア二号へ!
    09、11、12ハンガーはリニアキャリア三号への連結作業を開始!

    また、二次出撃に備え応急整備が終了次第、
    06、07ハンガーのリニアキャリア一号への連結作業を開始!』

 ルーシーとクララのアナウンスを聞きながら、空達は驚く。

 この三週間近く、一日に数体のイマジンが出現する事はあったが、
 二体が同じ場所に出現するのは初めてだ。

 それだけでなくキャリアへの接続編成も普段と異なる。

瑠璃華「……ヴィクセンとアルバトロスのブラッド交換が終わっていないだけだ!
    すまん、尻ぬぐいは任せたぞ、マリア!」

マリア「りょーかいっ!
    こう言う時のプレリーだからね、任されたよ!」

 端末から整備情報を確認した瑠璃華の言葉に、マリアは胸を張るようにして立ち上がった。

クァン「先に行くぞ!」

 クァンも立ち上がると、ハンガー側出入り口に飛び込むと、全速力で走り出す。

 短距離走選手のようにはいかないが、豪快ながらに鮮やかなスタートダッシュだ。

 マリアもその後に続く。

レミィ「私達も急ぐぞ!」

空「うん!」

フェイ「了解しました」

 レミィに促され、空とフェイも走り出す。

風華「じゃあ、瑠璃華ちゃん。
   疲れている所悪いけれど、向こうで待機しましょう」

瑠璃華「ああ……今日は二体で終わってくれるように祈ろう」

 そう言った風華に続いて立ち上がった瑠璃華は、半ば諦めきった様子で溜息混じりに言うと、
 手を振って見送るドローン達を残してハンガーへと向かった。

 一方、出撃メンバーである空達は先んじて着替えを済ませていたクァンを見送り、
 自分達も素早く制服を脱ぎ去ると、既にキャリアへの接続の終わっている乗機へと向かう。

春樹『整備不良で申し訳ない。
   ブラッド交換が終わっているのはエールとカーネル、プレリーの三機だけだ』

 コントロールスフィア内に飛び込むなり、
 通信回線を通して申し訳なさそうな春樹の声が響いて来た。

 その声には端々から疲れの色が聞いて取れる。

 連日の出動は、整備を滞らせる所まで来ていた。

 いや、この連日の出動の中、今まで整備を滞らせなかった事が奇跡なのだ。

 加えて、三機が稼働状態なのは不幸中の幸いでもある。

ほのか『出現したイマジンは、エリア担当の保護官の報告からどちらもサイ型であると思われるわ。

    エールは基本装備に加えて、予備のシールドスタビライザーを装着中よ。
    空ちゃん、モードDには劣るけれど、それで何とか耐えて。

    クァン君もプレリーにはブラッド浄化を担当してもらうから、
    出撃直後は合体不能よ。気を付けて』

空「了解です、新堂チーフ」

クァン『了解しました』

 ほのかの説明に、空とクァンは各々頷いて答えた。

 通常、エーテルブラッドの交換は、
 それぞれのユニットを接続している弁を閉じて手や足なのどユニット毎に行われる。

 ヴィクセンとアルバトロスは全身各部が分離する複雑な構造であるため、
 ブラッド交換にかかる時間はオリジナルギガンティックに比べて長くなるのだ。

 代わってプレリーだ。

 プレリーにはある程度のブラッド自浄能力が付与されていた。

 それは彼女のオリジナルドライバーであるロロット・ファルギエールが、
 陣地作成や救急救命を主任務とした後方支援魔導師であった事に起因する。

 アレクセイ・フィッツジェラルド・譲羽は、彼女の愛機にも、
 その能力を発揮できるよう、ブラッドの簡易リサイクルシステムを搭載したのだ。

 自身と寮機を接続する事でエーテルブラッドを循環させれば、
 複数体のオリジナルギガンティックのブラッドを浄化する事も可能である。

 無論、通常のブラッド交換に比べれば数段質の劣る物だが、
 劣化したブラッドの性能を五割回復できると聞けばかなりの精度だ。

クァン『空君、お互いパートナーが戦闘に参加できない状態だ、
    相互にフォローしながら戦おう』

空「はい、よろしくお願いします、クァンさん!」

 通信機ごしのクァンの言葉に、空は深く頷く。

 空の返事に合わせるかの如く、リニアキャリアは走り出した。

―4―

 第三フロート第一層、第五自然保護区――


 東南アジア地区東部の自然環境と海が再現されたエリアだ。

 自然環境崩壊以前に組み上げられた天然の海水が、
 その成分を人工に保たれ続ける矛盾した空間。

 そこにギガンティック機関のリニアキャリアが滑り込む。

 マリア達の三号キャリアは、そこから五キロ離れた位置でブラッド浄化の作業中だ。

 海岸線近くに停車した二号キャリアから、
 即座にエールとカーネルがハンガーごと立ち上がる。

 どちらも重厚な外観だが、カーネルは群を抜いていた。

 エールよりは僅かに背の低いものの、
 二八メートルと言う巨体の殆どがシールドとでも言うべき重厚な装甲に覆われており、
 黄色と茶色をメインにカラーリングされた装甲の隙間に、雄黄色に輝くブラッドラインが覗く。

空(何だか、ちょっと重たそう……)

 初めて目の当たりにするカーネルの動きを、空はそう感じていた。

 繰り言だが分厚い装甲に覆われたカーネルは、やや関節可動域が狭いように見受けられる。

 砂浜に立つと、沈み込む量はエールよりも深い。

 堅牢な物理装甲と、全オリジナル中最大を誇る体積比重量により、
 カーネルはモードDを凌ぐ防御力を発揮する。

 動きが鈍重なのは、その引き換えに過ぎない。

 起動したカーネルは、
 両肩と背中に身の丈の八割はありそうな三枚の巨大シールドを装着した。

 接続されたシールドのブラッドラインにも暖かい輝きが灯り、
 戦闘準備が完了したようだ。

 空も、普段とは違う空色の輝きを宿したシールドスタビライザーを閉じ、
 戦闘準備を終える。

ほのか『普段よりも重心が前に行くから気を付けて』

空「はい」

 ほのかの注意を聞きながら、空はエールを歩かせた。

 確かに、通常のモードDに比べて重心が前に偏っているようで、普段よりも歩き難い。

 空はクァンのカーネルと併走しながら、イマジンのいる地点を目指す。

 イマジンが暴れているのは、海岸線の切り立った岩場だった。

 足もと程の高さしかない崖を相手に、サイ型イマジンは巨大な角を振り乱し、
 その鋭利に尖った先端で切り刻んでいる。

クァン『クソッ、好き勝手にやってくれているな……!』

 その光景に、クァンは吐き捨てるように漏らす。

 人工の景観とは言え、見ていて気持ちの良い光景ではない。

タチアナ『第五自然保護区は水質環境改善に向けた研究も行っています。
     施設に被害を出す前にイマジンを撃破して下さい!』

空「了解っ!
  クァンさん、もう一匹は任せます!」

 タチアナの指示で、空は手近な一体に向けて跳びかかった。

 シールドスタビライザーを展開し、
 長杖を構えてイマジンの鼻先へとその切っ先を突き付ける。

イマジンA『BHOOO……ッ!?』

 イマジンは野太い声を上げて、驚いて後ずさりを始めた。

 一方、クァンとカーネルももう一体のイマジンの横っ腹に体当たりし、
 海岸線から引き離す。

イマジンA『BRRRrrrrッ!』

イマジンB『BHOOOOッ!!』

 無邪気な遊びを邪魔された事に腹を立てたのか、
 イマジンは海底を激しく蹴りながら突進して来た。

空「ッ!?」

 空は短い悲鳴のような声を上げ、すんでの所でその突進を回避する。

 サイ型イマジンは既に幾度か戦った相手だが、
 何度見てもこの大迫力の突進には慣れない物だ。

 モードDやモードSのように軽やかに動けない事もあって、
 その圧迫感はいつにも増して凄まじい。

空(そう言えば……一人で戦うのって久しぶり……!?)

 空はその事実にも愕然とする。

 いや、クァンが隣で戦っているのだから厳密には一人ではないが、
 一体のギガンティックを一人で動かしての実戦は、
 姉が亡くなったあの日を除けば、変則ティラノサウルス型イマジンとの戦闘以来だ。

 その事を意識し出すと、心拍が急激に上昇するのを感じた。

 片側のシールドスタビライザーを無意識に閉じ、空は守勢に回る。

 大丈夫だ。

 防御型とは言え、鈍重なカーネルを駆るクァンも戦えている。

空(そうだよ……エールも動きは遅いけど、十分に戦える……ハズ……!)

 空は心中で独りごちるようにして自分に言い聞かせると、
 片腕で長杖を構え直し、サイ型イマジンと向き合う。

イマジンA『Brrrr……BHOOOooooッ!!』

 一方、サイ型イマジンは空の弱気を悟ったのか、
 威嚇するような大音声と共に突進して来た。

空「当たるワケには……!」

 空はバックステップとサイドステップを組み合わせ、
 ブースターとスタビライザーの推力のお陰で何とかその一撃を回避するが、
 回避されたサイ型イマジンはさらに執拗に追い込みを駆ける。

イマジンA『BRRRRrrrrッ!!』

イマジンB『BHOOOooooッ!!』

 それはクァンの相手をしているサイ型も同様で、
 相方の怒りに同調するかのように、カーネルに向けて突っ込んで来る。

クァン「うおぉぉっ!」

 クァンは右肩のシールドに魔力を集中すると、その突進を真っ向から受け止めた。

 硬質な物体同士がぶつかり合う重く甲高い音が辺りに鳴り響く。

 さすがの重量級の突進も、
 オリジナルギガンティック最高の防御力を誇るカーネルの前には無力のようだ。

 だが、ぶつかり合った一点から甲高い金属音が鳴り響き続ける。

クァン「な、何だ……!?」

 聞き慣れぬ音に、クァンは動揺の声を漏らす。

 単に金属が擦れ合うだけの音で無いのは、音が規則的過ぎる事から即座に分かった。

 直後、分厚いシールドを貫き、イマジンの角の先端が視界に入る。

クァン「なっ!?
    カーネル、ライトシールド、パージだ!」

 愕然と叫ぶクァンだったが、即座に愛機に指示を下す。

カーネル『おうっ!』

 カーネルも一瞬で指示を実行し、右肩の接続部からシールドを切り離し、
 クァンはすぐさまその場から跳び退く。

 すると、イマジンの角を起点にシールドが高速旋回を始めた。

クァン「角が回転……コイツ、角がドリルになっているのか!?」

 クァンが驚きの声と共にその推測を口にするとのとほぼ同時に、
 本体から切り離されて結界装甲の加護を失った巨大シールドは、
 角との接触面から溶けるようにして大穴を穿たれる。

 遠心力に耐えられなくなって崩れ落ちたシールドの向こうでは、
 サイ型イマジンの角が高速で回転を続けていた。

 クァンの推測通り、イマジンの角は高速回転するドリルと化していた。

クァン「合体前で出力が足りないとは言え、
    俺達のシールドをああも簡単に貫通するなんて……。

    空君、気を付けろ!

    エールの装甲やシールドスタビライザーの防御力では、
    このイマジンのドリル攻撃に耐えられない!

    決して受け止めるな!」

 悔しそうに歯噛みしたクァンは、空に向けて警告を発する。

空「は、はい!」

 空も滲み出た冷や汗を拭いながら、戸惑い気味に返す。

 エールの装甲も中々の強度だが、さすがにカーネルほどではない。

 あんな一撃を食らえば一瞬でアウトだ。

 ならば、こんな装備では役に立たない。

空「シールドスタビライザー、パージ!」

 空はそう断じて、音声指示でシールドスタビライザーをパージする。

 少しでも身軽にならなければ。
 そう考えての事だ。

 しかし、それは間違いだった。

 シールドスタビライザーはブースターで飛行中のギガンティックの挙動を安定させる他に、
 推力を上昇させる装備でもある。

 ステップでの回避に専念する空にとって、
 ソレを失ったエールの挙動は今まで以上に重くなってしまう。

空「あ……!?」

 先程までは意識しない程度の抵抗でしかなかった足下の海水と砂が、
 途端に絡みつく足枷のようになって、空の動きを制限する。

 オリジナルギガンティックの性能ならば、本来は物ともしない抵抗だっただろう。

 だが、連日の戦闘はドライバーだけでなく、ギガンティック本体も蝕んでいた。

 前傾重心を心がけていた事もあって前につんのめりそうになった空は、
 咄嗟に長杖を突き立ててバランスを取り、転倒を免れる。

 だが、その直後――

イマジンA『BHOOOooooッ!!』

空「………え?」

 この好機を逃すまいと突進して来たイマジンの角が胸に突き刺さりそうになった瞬間、
 空は唖然とした声を漏らす。

 高速回転するドリルが胸に接触した瞬間、走る激痛。

空「ッ……ガッ……!?」

 心臓を真上から圧迫されながら胸を抉られる痛みで、吐き出すような悲鳴を上げる。

 だが、痛みはすぐに消えた。

空「っはぁ……!?」

 痛みから解放された空は、目を白黒させたまま息を吐き出す。

 オペレーター達が魔力リンクを解除してくれたのか?

 そんな思考が彼女に訪れる事は無かった。

 息を吐き出した刹那、機体外部に通じるハッチがひしゃげ、
 その向こうから高速回転する何か――無論、イマジンの角だ――が飛び出したからだ。

空(角!?
  コックピット直撃!?
  逃げられない!?

  死…んじゃう…!?)

 命の危険を感じた瞬間、空の思考は目まぐるしくその回答を叩き出した。

 フラッシュバックする、姉の死に様。

 ひしゃげて、潰れて、イマジンに食われたあの姿。

空「イヤアァァ――――ッ!?」

 悲鳴を上げた空の声ごと、高速する回転するドリルの音が飲み込んだ。

 一方、司令室では――


明日美「魔力リンク切断!
    ドライバーの魔導装甲を外部から緊急起動! 急いぎなさい!」

 立ち上がった明日美が、焦ったようにオペレーター達に指示を飛ばしている。

ほのか「空ちゃん! 空ちゃん!
    つ、通信が繋がらない……!

    リズ、他の回線を片っ端から回して、早く!」

リズ「やってるわ! 通信用の全チャンネル回すから呼び掛け続けて!」

 慌てた様子で指示を出すほのかに、リズも使える回線を探しては、
 文字通り片っ端からほのかに回して行く。

雪菜「201、各部システムダウン……信号受け付けません!?」

春樹「サブギアの方からバイパスを開くんだ!」

 悲鳴じみた声で叫ぶ雪菜に、春樹が激を飛ばすように指示を出す。

サクラ「08、11、現着まであと十秒……二人とも、急いで!」

 サクラが祈るように三人の指示を飛ばすが、事態は変わらない。

 飛行できるフェイとアルバトロスを、
 カーネルの予備シールド回収に向かわせた事が仇となってしまった。

 足場の悪い海岸線では、ヴィクセンもその機動性を十全には発揮できないし、
 プレリーは元より支援用で足が遅い。

メリッサ「01バイタル消失!?
     サブギアともリンクが開かないだと!?

     ……くそぉっ!」

 メリッサは悔しそうに叫びながらも、
 事態を少しでも好転させようと足掻くようにコンソールを操作する。

タチアナ「みんな、落ち着いて下さい! 焦ってはダメ!」

 タチアナは混乱する部下達を見渡し、指示を飛ばしながらも、
 何らかの打開策を求め、手元のコンソールで全オペレーターのモニターを確認し続けた。

 アーネストも身を乗り出し、タチアナのコンソールに目を向けている。

 本来なら各オペレーターが四名で数人のドライバーのコンディションをチェックするのだが、
 今は最低限を残してほぼ全員が空とエールの状況を確認していた。

アーネスト「むっ!?」

 何事かに気付いたアーネストの視線が、一点を見て止まる。

 タチアナもそれに気付き、アーネストの視線を追う。

 M2と表示されているモニターだ。

アーネスト「サイラスオペレーター!」

タチアナ「すぐにハートビートエンジンのコンディションを確認して下さい!」

 アーネストがクララの名を呼ぶのに続いて、タチアナが指示を出す。

クララ「は、はい!

    ……は、ハートビートエンジン、システムオールダウンですが魔力反応有り!
    ドライバー、生存しています!」

 驚きながらも自分のモニターを覗き込んだクララは、
 即座にパラメーターを確認すると驚きと歓喜の入り交じった声を上げた。

 途端、司令室にも安堵と歓喜の声が上がる。

 だが――

明日美「まだ生存が確認されただけよ!
    メディカルオペレーター各員は01ドライバーのコンディション確認を急ぎなさい!」

 緩みかけた空気を、怒声とも取れる明日美の声が引き締めた。

アーネスト「パブロヴァチーフ、ブランシェチーフ、
      君達二人はカンパネッラオペレーターと笹森オペレーターの職務を引き継げ!

      カンパネッラ、笹森両名はエルスターチーフと共にドライバーのバイタル確認を!」

タチアナ「了解しました!」

 アーネストに指示を出された四人を代表し、タチアナが返事をする。

メリッサ「カンパネッラ、笹森!
     メインギアへのアクセスは私が続けるから、
     お前達二人はサブギアの回線確保を頼む!

     リズ、悪いがアレジャーノを借りるぞ!」

リズ「了解!
   ルーシー、ジャンとセリーヌに協力してサブギアとの回線確保に注力!

   エミリー、他の回線の調整は全部あなたに任せるわよ!」

 メリッサとリズはそれぞれの部下達に指示を出しながら、お互いの任務を支援し合う。

 チーフクラスのオペレーターは、
 他の部署に関してもある程度オペレート出来るように訓練を受けている。

 それはこのような事態を想定しての事だが、些か事態が最悪過ぎた。

 再び、第五自然保護区の戦場――


クァン「空君から離れろぉっ!」

 司令室からの空生存の報告が届くよりも早く、
 クァンは咄嗟の判断でエールをサイ型イマジンから引き剥がす。

 僅かに上に逸れたイマジンの角がエールの胸を縦に抉るが、
 それでも何とかサイ型イマジンから引き剥がす事が出来た。

クァン「空君! 空君!」

 グッタリと力なく倒れそうになるエールを支えながら、クァンは必死で空に呼び掛ける。

カーネル『おい、エール!
     こんな時までダンマリかよ、お前!
     この大馬鹿ヒキコモリ野郎!』

 カーネルも怒声を張り上げ、友人とも言えるギアの名を叫ぶ。

 だが、どちらも反応はない。

 エーテルブラッドも空色の輝きを失い、鈍色に戻ってしまっている。

クァン「くっそぉぉ……!」

 クァンは悔しそうに歯噛みしつつ、声を絞り出す。

 握り締めた拳からは血が滲む。

イマジンA『Brr……』

イマジンB『BHo……』

 それを嘲笑うかのように、二体のサイ型イマジンは低いうなり声を上げている。

「お前ら……!」

 クァンは憎悪と憤怒の視線を、そのサイ型へと向けた。

 だが――

マリア『クァン! エールを海岸に上げろ!』

 そこへ、マリアの声が響く。

クァン「マリア!?」

 驚きの声を上げたクァンが後方に視線を向けると、
 そこにはプレリーとヴィクセンの姿があった。

 さらにその後方からは、
 一号キャリアから予備のシールドを回収してコチラに向かうアルバトロスの姿も見える。

レミィ『空は生きてる! 今は空の安全確保が先だ!』

クァン「ッ!? ほ、本当なのか、レミィ君!?」

 クァンはレミィの言葉に驚きながらも後方に跳び退き、海岸の森にエールを横たえる。

 対して、二人と二体のイマジンの間にはヴィクセンとプレリーが躍り出た。

フェイ『阮隊員、予備のシールドを装着して下さい』

クァン「すまない、フェイ君!」

 フェイのアルバトロスから予備のシールドを受け取ったクァンは、
 すぐさま右肩にシールドを装着すると、プレリーの前に出る。

マリア「レミィ、アンタは空の救出!
    フェイはアタシ達の援護と二人の護衛だ!」

 マリアはそう指示を飛ばすと、
 プレリーの両肩に装着された大型のアーマーから無数のワイヤーを射出した。

マリア「プレリー、フォート・デザルブル!」

 マリアがクァンから供給させる魔力を込めると、
 それはワイヤーを伝って森へと広がり、森の木々を急速に成長させる。

 エールとヴィクセンを取り囲むように、
 ギガンティックの胴体よりも太く育った大量の巨木が隙間無く整列し、
 さらにそれが五層に連なって大樹の大要塞を海岸に作り上げた。

 アルフの訓練所で仕込まれた、
 ロロット・ファルギエールの得意とした植物操作魔法だ。

 しかも、ワイヤーを伝って注入されたエーテルブラッドにより、
 弱い結界装甲の効果も生み出している。

マリア「これで……!」

 マリアは短く息を吐き、確信と共に頷く。

 これだけの分厚く堅固な防壁ならば、あの角でも易々とは突破できないだろう。

 そして、前方のサイ型を睨め付ける。

マリア「どっちが空に上等かましてくれたのかは知らないよ……。

    ………けどなぁ!
    アタシは……空にまだ一言も礼も言ってないんだからな!

    この戦いが終わった後で、生意気言ったなって、軽く小突いて、
    それから力一杯、ぎゅって抱きしめて!

    それで………それから、ありがとう、って言う予定だったんだからなっ!」

 マリアは怒りの形相で叫び、前に進み出る。

クァン『奇遇だな……俺も空君への礼は戦闘後に、って決めていたんだ……』

 クァンの静かな怒りの声と共に、その隣にカーネルが進み出た。

 茶に黄色と橙の身体、雄黄と火色の輝きを宿した、
 二体の重厚なオリジナルギガンティックが並び立つ。

マリア「今日はトコトン気が合うじゃん……。
    今にもブチ切れそうだけど、今日は最高のコンディションで行けそうだよ!」

クァン『マリア、上になれ! 先ずは連中の足を止める!
    フェイ君は援護を頼む!』

 沸々と怒りを燃やすマリアに応え、クァンはカーネルを前に進み出させ、
 前後一列のフォーメーションを組む。

フェイ『了解、牽制射撃を行います』

 淡々と答えたフェイはアルバトロスの全火器を解放し、
 サイ型イマジンの前方に魔力弾を雨霰と降らせる。

イマジンA『BHOッ!?』

イマジンB『Brr……!?』

 魔導ランチャーも魔導ガトリングガンも、モードD時ほどの火力は望めないが、
 それでも海水を巻き上げてサイ型イマジンの気勢を一瞬でも削ぐにはそれで十分だった。

マリア「今だっ!
    プレリー、モード・パラディ、セットアップ!」

 マリアが音声入力を行うと、プレリーを中心として二機のギガンティックの周囲を、
 結界装甲が拡大された魔力防壁が覆う。

プレリー『了解ですわ! カーネルさん!』

カーネル『おう、魔力リンク確認、ユーハブコントロール!』

プレリー『アイハブコントロールです!』

 プレリーとカーネルの間で主導権の引き渡しが行われると、
 それまで雄黄色に輝いていたカーネルのブラッドラインが一瞬で鈍色に変わる。

プレリー『208各部変形開始して下さい』

カーネル『魔力リンク、一時遮断。
     変形開始!』

 プレリーの指示に応えるかのように、
 カーネルはクァンとの魔力リンクを遮断し、変形を開始した。

 各部のシールドをパージ後、魔力で一旦その場に固定すると、
 両腕を背中側に折り畳み、頭部を胴体内部へと格納し、
 腹部が左右に割れて下方へとスライドし膝関節を覆い隠す。

 その姿は巨大な下半身だ。

プレリー『209各部変形開始します。
     魔力リンクを一時遮断しますわ』

 今度はプレリーの魔力リンクが解除され、こちらもブラッドラインが鈍色に変わる。

 そして、ほぼ全身を覆うようだった両肩の装甲をパージし、
 やはりこちらも魔力でその場に固定すると、プレリーはカーネルの上に飛び上がる。

 すると、やはり腹部が左右に割れて下方へとスライドして膝関節を覆い隠し、
 両腕を背中側に折り畳むと、下半身が左右に割れて巨大な腕となり、
 下半身となったカーネルに真上から接続された。

 完成した人型は、全高四十メートルを超える大巨人だ。

プレリー『各部コネクタ接続、各部シールド再接続――』

 その大巨人の腰にカーネルの両肩のシールドが、腹部に背面のシールドが、
 両肩にプレリーの巨大装甲が装着されて広く展開する。

プレリー『ブラッドライン、ダブル・ハートビートエンジン、正常稼働です!』

 そして、全身がマリアの魔力波長である火色に輝き出す。

マリア&クァン「「プレリー・パラディ! 合体完了!」」

 お互いのコントロールスフィア内にマリアとクァンがそれぞれに現れ、
 二体のギガンティックが合体した超大型ギガンティック――
 プレリー・パラディが二人の主の声の元に構えた。

 そう、これこそが二機が同時に運用される最大のメリット。

 OSSではなく、オリジナルギガンティック同士による合体だ。

 二機のハートビートエンジンを並列接続する事により、安定した大出力を発揮する。

 そして、その合体と同時に、アルバトロスの弾幕をかいくぐったサイ型イマジン達が、
 プレリー・パラディとその向こうにある大樹の壁に向かって突進して来る。

マリア「通すワケないだろう!」

 マリアは怒りを込めて叫ぶと、愛機の両肩からワイヤーを射出した。

 そして、ワイヤーを伝って大量の魔力を森の木々に流し込む。

マリア「ジャルダン・デュ・パラディッ!!」

 火色の魔力が波紋のように森に広がると、一瞬にして周辺の木々が大きく成長する。

 その大魔法は、かつて巨大な超弩級魔導機人さえもその場に釘付けにした魔法。

 使い手こそ違えど、その魔法を支える魔導の器はかつてのそれを遥かに凌ぐ性能を誇る。

 成長した木々はサイ型イマジン達を真下から突き上げ、その進行を塞ぐ。

イマジンA『BHOoッ!?』

イマジンB『BRRrッ!?』

 結界装甲すら突き破る角の破壊力や突進力に物を言わせれば、
 意図も簡単に押し退けて行けたであろうその大樹も、
 サイ型故の短い足では力を掛ける事も出来ない。

マリア「レストリクシオンッ!!」

 そして、主の束縛の声に従い、
 成長した森の大樹達はサイ型の胴体や首、足にまとわりつき、その動きの一切を封じる。

マリア「いい加減、お前らは力任せでワンパターンなんだよ!
    対策できてないと思ってんのか!」

 ジタバタと足掻くサイ型イマジンの姿にようやく溜飲を下げたのか、
 マリアは胸を張って言った。

 サイ型イマジンはマリアとクァンが幾度となく戦って来た相手だ。

 今回は角がドリルと言う変種であったため、
 受ける防御が基本のクァンとカーネルがしくじったのは致し方ない事ではある。

 だが、植物操作魔法で戦闘するマリアとプレリーにとって、
 自然保護区と言う地の利と今までの対戦経験の多さを鑑みれば、何という事はない相手だった。

 サイ型イマジンにとっても、マギアリヒトで構成されていない植物や、
 その植物に伝播している結界装甲が動きを阻み、易々と脱出できる物ではない。

マリア「このまま握りつぶしてやりたい所だけど、
    アタシの分は………このくらいで勘弁してやるよ!」

 マリアはそう言うと、イマジンを拘束している大樹を操り、
 イマジン同士を頭からクラッカーのようにぶつけ合わせた。

イマジンA『BHOOOooooッ!?』

イマジンB『BRRRRrrrrッ!?』

 イマジンの悲鳴に合わせ、結界装甲をも貫いたドリルの角が砕け散る。

 矛盾ではないが、最強の矛同士がぶつかり合えば結果は二通りしかない。

 強度と構造が釣り合ってどちらも砕けないか、
 構造よりも強度が勝ってどちらも砕けるか……今回は後者だったと言う事だ。

マリア「クァン、止めは任せたよ!」

クァン「おう! カーネル、モードチェンジだ!」

 マリアの声に応え、クァンはカーネルを促すように叫ぶ。

カーネル『分かったぜ! プレリー!』

プレリー『はい、ユーハブコントロールです!』

カーネル『アイハブコントロール! 魔力リンク一時遮断』

 カーネルとプレリーがお互いの主導権を交換すると、
 プレリー・パラディの全身に走るブラッドラインが火色から鈍色へと変わる。

 そして、お互いのコントロールスフィア内に現れていたパートナーの姿も掻き消すように消えた。

クァン「モード・デストラクター、セットアップ!」

カーネル『了解!
     209分離後、モード・デストラクターへ変形開始!』

 クァンの音声指示で、二体のギガンティックは分離し、さらなる変形を開始する。

 肩と腰回りの追加装甲をパージ後、その場へ魔力で固定し、
 上半身から人型へと戻ったプレリーは、
 下半身へ変形したカーネルと同じプロセスで変形した。

 カーネルも下半身から人型へと戻ると、やはりプレリーの真上に飛び上がり、
 彼女と同様のプロセスで上半身へと変形する。

 そして、二機が上下を入れ替えて合体した姿は、
 先程よりもややマッシブな印象を受ける大巨人だ。

カーネル『各部コネクタ接続、各部シールド再接続――』

 その大巨人の腰にプレリーの巨大装甲が、背面の腕を覆い隠すように背面のシールドが、
 残された肩のシールドが両肘に装着される。

カーネル『ブラッドライン、ダブル・ハートビートエンジン、正常稼働!』

 そして、全身がクァンの魔力波長である雄黄色に輝き出す。

クァン&マリア「「カーネル・デストラクター! 合体完了!」」

 再びお互いのコントロールスフィア内に現れたパートナーと共に、
 クァンとマリアがその名を叫ぶと、カーネル・デストラクターは重々しく一歩を踏み出した。

 そして、これこそが最大のメリット。

 ほぼ同型のフレームを採用している二機は、その上下を入れ替える事で、
 二種類の合体を可能にしている。

 後方支援と前衛でも通用する強力な植物操作魔法を得意とする209XX-プレリー・パラディと、
 絶大な防御力と高い魔力打撃能力を併せ持つ前衛特化の208XX-カーネル・デストラクターだ。

 二機連携運用が前提として設計されているため、
 単機運用や他とのコンビネーションが容易な突風とチェーロに比べて取り回しは劣るが、
 出力の安定性と頑強さでは二機を大きく上回る仕様なのである。

 カーネル・デストラクターはさらに一歩を踏み出すと、
 その足は今までよりも深く、海底に沈み込む。

 プレリー・パラディよりもやや重心を低く設計されたカーネル・デストラクターは、
 合体前と動揺にその動きは鈍重だ。

 だが、その鈍重さ故に高い安定性と破壊力を生み出す、

 前述の通り、近接状態での魔力打撃戦に特化したギガンティックでもある。

クァン「先に言っておくが……、
    俺はマリアほど優しく掴んではやれないからな……!」

 クァンは雁字搦めのままのサイ型イマジンを睨め付け、そう酷薄に言い放つ。

 事実、カーネルに搭乗している際のクァンは、
 彼自身が幼い頃から極めんとして来た本来の器用さを殆ど発揮できない。

 全神経を魔力の波長調整に費やし、
 常にマリアの魔力波長に自身の魔力を同期させなければならないからだ。

 それ故に、戦闘ともなれば殆ど力任せに敵を叩く事しか出来ない。

 だが、カーネルとその合体形態であるカーネル・デストラクターは、
 その事情に見事に合致していた。

 それはオリジナルドライバーであるアイザック・ファルギエールが、
 細かな魔力運用を不得手とし、自身の魔力特性に任せた戦法を得意としていた事にも起因するだろう。

 Sランク二人分を大きく上回る魔力を、ただただ拳に込める一撃は、
 確かに彼自身の言葉通りに“優しく”はない。

カーネル『ブラッド流入量調整、術式形成……、
     腕部魔力、オーバードライブッ!』

 カーネルの読み上げる情報に呼応するかのように、
 カーネル・デストラクターの腕の先に巨大な硬化と増幅の二重術式が出現し、
 その術式に腕を差し入れると腕部周辺に巨大な魔力の腕が現れて、
 カーネル・デストラクターの腕を覆う。

 硬化魔力と増大した結界装甲の作り出す、文字通りに巨大な腕だ。

 その腕は、クァン――カーネル・デストラクターの動きに合わせ、
 彼が腕を広げると大きく左右に広がる。

クァン「潰れろ……ッ!
    ギガントプレス……ッインッパクトッ!!」

 クァンが握り締めた両拳を胸の前で突き合わせると、
 巨大な腕も拘束された二体のサイ型イマジンに向けて、左右から拳を突き付け合う。

イマジンA『BHOOoo――ッ!?』

イマジンB『BRRRrr――ッ!?』

 握り拳だけでカーネル・デストラクターの身の丈ほどもある巨大な鉄槌の如き拳は、
 プレリー・パラディの作り上げた大樹の拘束ごと、
 巨大なサイ型イマジンをすり潰して霧散させた。

フェイ『……イマジン反応、消失を確認しました』

 上空でいつでも援護に入れる体勢を整えていたフェイは、センサーを確認しながらそう呟く。

クァン「ふぅ……戦闘終了!」

 フェイの言葉に、クァンは深く息を吐くとすぐさま踵を返す。

クァン「マリア、分離して防壁を解除を頼む」

マリア「分かったよ!」

 二人は頷き合うと、すぐに愛機を分離させた。

 追加装甲もパージしたまま、
 二人は慌てた様子でマリアの作り出した大樹の防壁へと駆け寄る。

 マリアがプレリー越しに触れると、大樹の防壁は徐々に朽ち枯れて、
 小さな木屑のようになってゆっくりと崩れ落ちて行った。

 そして、消え去った防壁の向こうでは、レミィによる空の救出作業が続いていた。

 グチャグチャにひしゃげた胸部装甲の一部をヴィクセンで引き剥がしたレミィは、
 今は魔導装甲を纏ってコックピットハッチ周辺の装甲を細かく切り裂いている最中だ。

レミィ「空……空……空……!」

 魘されているかのように不安げな声を上げ、
 素早く、だが慎重にひしゃげた内装を引き剥がして行く。

 オリジナルギガンティックのコックピット――コントロールスフィアは、
 そのままハートビートエンジンの一部でもある。

 下手に修復不可能な傷を付ければ、
 世界にたった八つしか存在しないオリジナルエンジンの一つを永遠に失う事になるのだ。

 空の命がかかっているとは言え、レミィが慎重になるのも無理はなかった。

 マリアとクァン、フェイもそれぞれの愛機から降りると、
 魔導装甲を纏って空の救出作業に加わる。

 そして、五分ほどかけて、遂に緊急用の保護シャッターの層に辿り着く。

?「……っ……ぁ……」

 ドリルで抉られてメチャクチャにひしゃげたシャッターの向こうから、
 微かにうめき声が聞こえた。

 間違いない、空の声だ。

レミィ「空!?
    しっかりしろ、返事をしろ! 空ぁ!」

 レミィはシャッターの隙間から、内部の空に向けて呼び掛ける。

 だが、返事はない。

クァン「退いてくれ、レミィ君!」

 クァンはレミィを押し退けると、ひしゃげたシャッターの両側に手をかけ、
 一気に引きちぎるようにしてシャッターを引き抜いた。

 途端に、内部の状況が明らかになる。

 コントロールスフィア内は僅かに表層に傷があったものの、
 比較的無傷と言って差し支えないレベルの損傷で済んでいた。

 不幸中の幸いか、
 ドリルが真っ直ぐにコントロールスフィアに突き刺さったお陰だろう。

 クァンが乱暴に引き抜いた痕も、
 胸部装甲を抉った以外はエンジンに支障を来してはいないようだ。

 そして、肝心の空は――

空「……ッ」

 外から差し込んだ光に、ビクリと身体を震わせていた。

マリア「クァン、中覗くな、離れろ!」

 マリアはいち早くその事実に気付き、クァンを促す。

クァン「何が……! ……分かった……」

 引き抜いたシャッターを手近な場所に放り投げるため他所を向いていたクァンは、
 マリアの言葉に一瞬は憤慨しかけたものの、即座にそれが何を意味するかを悟り、
 悔しそうに引き下がる。

レミィ「そ、空……」

 レミィは心配そうな声を上げて、コントロールスフィア内に身体を滑り込ませる。

 空は自らの肩を抱きしめるようにして硬直し、スフィア内にしゃがみ込んでいた。

 彼女の足もとには、僅かな刺激臭を放つ小さな水たまり……。

 無理からぬ事だろう。

 ギガンティック中最高の硬度を誇るカーネルのシールドを貫いたドリルが、
 手を伸ばせば触れられる距離にまで迫ったのだ。

 その恐怖を前に平静でいられるハズもない。

 だが、空に目立った外傷は無く、その事を除けば無事であった。

レミィ「空……大丈夫だったか? 怖かったろう……」

 レミィは魔導装甲を解くと、ゆっくりと彼女の傍らに膝をつく。

 水たまりに触れるが、そんな事を気にしている状況ではなかった。

 そして、レミィの優しい声が耳に届いた時――

空「い、や………イヤアアァァァァッ!?」

 ――臨死の恐怖にさらされていた少女は、
 その緊張の糸が切れたように、臨死の恐怖を思い出すように、
 喉が裂けんばかりの悲鳴を上げる。

 目を見開き、恐怖に顔を歪ませる。

 数分遅れの、恐怖の絶叫。

 空は半狂乱になってレミィを振り払い、その場で全身を振り乱すようにして暴れ出す。

レミィ「そ、空!?」

マリア「ショック症状だ!
    レミィ、空を押さえつけて布を噛ませろ、舌を噛むかもしれない!
    フェイ、本部に救援要請、女だけ寄越せって伝えろ!」

 愕然とするレミィに、マリアは怒鳴りつけるように指示を飛ばし、
 自らも空を押さえつけながらフェイにも指示を飛ばした。

空「お姉ちゃん!? お姉ちゃん!?
  おねえちゃあぁぁんっ!? おねぇ…もがっ!?」

 レミィとマリアの二人に押さえつけられながら、空は亡き姉に助けを求めて叫び続ける。

 インナースーツを引きちぎった物を口に押し込められながら、助けを求め、手を伸ばす。

空(助け……て……おねえ……ちゃん……)

 自分が助かった事にも気付かぬまま、
 駆け付けた救護班に打たれた鎮静剤で意識を飛ばしながら、
 それでも空は亡き姉に助けを求め続けた。


第10話~それは、ぶつかり合う『二人の関係』~・了

今回はここまでとなります。
次回から、第5話の時点で一旦区切っていた空本人の話が再開となります。

今まで思わせぶりな台詞で止めていた、アレやコレやが明かされたり明かされなかったり……。



そろそろキャラ名の把握が自分でも怪しいので、
簡単な役職とキャラ名、年齢に加え、ドライバーは魔力の色を併記させていただきます


 司令 明日美・フィッツジェラルド・譲羽 63歳
副司令 アーネスト・ベンパー 54歳

チーフオペレーター タチアナ・イリイニチナ・パブロヴァ 31歳

技術開発部オペレーター
 チーフ 舞島春樹 26歳
   1 柊雪菜 24歳
   2 クララ・サイラス 23歳

戦術解析部オペレーター
 チーフ 新堂ほのか 26歳
   1 サクラ・マクフィールド 21歳
   2 アリシア・サンドマン 18歳

医療部オペレーター
 チーフ メリッサ・エルスター 26歳
   1 ジャンパオロ・カンパネッラ 23歳
   2 セリーヌ・笹森 21歳

情報解析部オペレーター
 チーフ リゼット・ブランシェ 26歳
    1 エミーリア・ランフランキ 23歳
    2 ルシア・アレジャーノ 19歳


01 朝霧空 14歳  魔力波長・空色
11 レミット・ヴォルピ 15歳  魔力波長・若草色(緑)
12 張・飛麗 6歳(外見は二十前後)  魔力波長・山吹色(黄)

06 藤枝風華 20歳  魔力波長・蒼色(青)
07 天童瑠璃華 10歳  魔力波長・瑠璃色(紫)

08 阮黎光 16歳  魔力波長・雄黄(橙)
09 マリア・カタギリ 16歳  魔力波長・火色(赤)

10 本條臣一郎 24歳  魔力波長・青藍(藍)


全員、現時点ではなく2074年度終了時点での年齢となります。
また、オペレーターは年齢順に並べると、先輩後輩が分かり易いかと。
年齢が同じ人は基本的に同期だと思って下さい。
部門チーフ全員が同期なのは手抜きではなく、春樹の肩身の狭さを加速させるエッセンスですw

ドライバーはキャリア順に並べると、
  臣一郎>風華>レミィ、フェイ>クァン、マリア>瑠璃華(入隊だけはレミィ、フェイと同期)>空
となります。

02のドライバーは未登場ですが、クァン、マリアと同期。
03は現在ドライバー無しと言う状況です。

また、空以外の七人の魔力波長は、結編のAカテゴリクラスメンバー同様、虹の七色を由来としています。

激しく乙です
速報がもう見れないかもと思って半ば諦めていたので・・・・・・

>>660
お読み下さりありがとうございます。

いつ深夜に移住するか、いっそなろうにでも投稿したろうかと、
色々と考えながらモチベを低下させていたので、個人的にも復活して何よりです。

妙な時間ですが最新話を投下します

第11話~それは、心砕く『恐怖と真実』~

―1―

 サイ型イマジンの出現から二日後の昼。
 ギガンティック機関、ドライバー待機室――


?「ご迷惑をおかけしましたっ!」

 申し訳なさ九割、嬉しさ一割と言った風な声が、ロビー側出入り口から響いた。

 昼食後の僅かに気怠い時間帯、思い思いに身体を休めていたドライバー達の視線が集まると、
 そこにいたのは空だ。

 空はやはり申し訳なさそうな表情に、僅かな嬉しさを湛えた表情を浮かべ、
 少し気恥ずかしそうにその場に立っていた。

 検査入院を終えて、ほぼ二日ぶりの復帰だ。

 そう、検査入院。

 空はあの日、錯乱状態に陥ってしまった事と、イマジンと最接近した事もあって、
 機関の隊舎内にある病院で精密検査のために入院していたのである。

レミィ「空ぁっ!」

 二日ぶりとなる仲間の復帰に、レミィが一拍遅れて感極まった声を上げた。

 嬉しそうに尻尾を揺らし、喜び勇んで駆け寄ろうと立ち上がる。

 が――

マリア「心配かけやがって!」

 それよりも一瞬早くマリアが空に駆け寄り、
 彼女の頭を胸に抱き込むようにして強く抱きしめた。

レミィ「あぅ……」

 機先を制されたレミィは、その場でつんのめってしまう。

マリア「まったく、あんまり心配かけさせんじゃないよ……!」

 マリアは空を抱きしめたまま、僅かに上擦った声で諭すように呟く。

 それは誰が聞いても分かるほどに感極まっていた。

瑠璃華「マリア、泣くのは構わんが……」

マリア「な、泣いてない!」

 瑠璃華に声をかけられ、マリアは慌てた様子で否定する。

 まあ、否定した所で涙声なのは隠しきれないのだが……。

瑠璃華「いや、まあ、この際、ソレはどっちでもいいんだが……。
    早く離さないと、空がもう一度病院送りになるぞ?」

 瑠璃華に溜息がちに言われ、マリアは怪訝そうな表情で自分の胸元を覗き込んだ。

空「もが……っ、むぅっ、むーむーっ!?」

 そこでは、空が苦しそうにもがいていた。

 丁度、胸の谷間に空の顔を挟み込むような体勢だ。

 さすがのマリアでも顔全体がすっぽり、とまでは行ってはいなかったが、
 絶妙な高さで鼻と口が完全に塞がれていた。

 これでは息も出来ない。

マリア「っと、悪い悪い!」

空「っぷはぁ」

 苦笑いを浮かべたマリアに開放され、空はようやく息を吸い込む。

瑠璃華「むぅ……マリアほどとは言わないが、せめて風華くらいには大きくなりたいぞ」

レミィ「どうせ私は小さいよっ!」

 まだ成長途中の胸を見ながら呟く瑠璃華に、レミィはいきり立つように叫ぶ。

 引き合いに出されてはいないが、本人には敏感な話題のようだ。

風華「そうねぇ……あまり大き過ぎるのも考え物って言うし……」

 風華は納得したように頷きながら呟く。

クァン「俺は何も聞いていない、俺は何も見てない、俺は何も……」

 その横ではクァンが視線を逸らして念仏のように同じ言葉を繰り返していた。

フェイ「朝霧隊員、コーヒーをどうぞ」

 そして、そんな面々を気にすることなく、
 フェイはお盆に載せられたコーヒーを空に差し出して来る。

空「あ、ありがとうございます」

 空も、仲間達の様子に呆気に取られながらも、そう言ってコーヒーを受け取った。

 二日前は空達の相対したサイ型イマジンが二体だけ、
 昨日も風華と瑠璃華が出撃しただけと聞かされており、
 今日もまだ出撃をしたとは聞かされていない。

 そのお陰か、どうやら仲間達の疲れも少しは和らいでいるようだ。

 いつも通りの雰囲気に戻った仲間達に囲まれ、
 空はようやく戻って来た実感を得て、笑顔を浮かべた。

 仲間達と共にソファに腰掛け、コーヒーを一口飲むと、その実感もより強くなる。

空(まだ二ヶ月も経ってないけど、
  私……ちゃんとみんなの仲間になれたのかな……?)

 空はそんな考えで自問した。

 時にぶつかり、時に支えられながら過ごした四十五日間。

 丸一日ほど検査入院で空いてしまったが、
 一人きりでベッドに寝ている時より、今の方がずっと心が安らぐ。

 それは少なくとも、空がレミィ達の事を心から仲間と思えるからに他ならない。

 仲間達が自分を見た時に浮かべてくれた笑顔も、きっと……。

 コーヒーを飲みながら、空がそんな事を感慨深く思っていると、
 不意にクァンが口を開いた。

クァン「すまない、空君。
    俺がいながら、あんな事に……」

空「い、いえ!
  シールドスタビライザーを外してしまったのは私のミスですから!
  クァンさんのせいなんかじゃありませんよ!」

 申し訳なさそうに頭を下げるクァンに、空は大慌てで否定する。

 確かに、あの戦闘での致命的だったのは空の判断ミスだ。

 あのままシールドスタビライザーを使えていれば、イマジンの攻撃も避ける事は出来ただろうし、
 レミィやフェイが来てくれた時点で合体も出来ただろう。

空「むしろ、ギガンティックがあんなになってしまって……。
  瑠璃華ちゃんや整備の人達に申し訳ないです……」

 空は肩を竦める。

 ハートビートエンジンそのものに問題は無かったそうだが、
 コントロールスフィアはパーツを全交換したと聞かされていた。

 連日の整備で疲れていた整備員達や、
 瑠璃華たち技術開発部に迷惑をかけてしまった事の方が申し訳ないくらいだ。

瑠璃華「ああ、それならもう修理は殆ど終了しているぞ。

    まだ胸の装甲は張り直していないが、
    山路の方から送られて来た新しいスフィアは取り付け終わったぞ」

空「そっか……良かった……。

  ごめんね、瑠璃華ちゃん、出撃や整備監督で疲れているのに……」

 安心しろと言いたげな瑠璃華に、
 空は安堵の溜息を漏らした後、申し訳なさそうに呟く。

瑠璃華「ああ、気にするな。

    しばらく前に、スフィア回りの解析も終わってな、
    メーカーの担当者やばーちゃんと話し合って新型スフィアを導入しようって話もあったんだ。

    先ずは私とチェーロで実戦テストしてから、と思っていたから、
    逆にいいタイミングだったぞ」

 瑠璃華はそう言うと、胸を張ってニンマリと自信ありげな笑みを浮かべた。

レミィ「それじゃあ、空を体よく実験台にするだけじゃないか」

 レミィは呆れたように言って、盛大な溜息を漏らして肩を竦めた。

瑠璃華「人聞きの悪い事を言うな!

    設計段階から私が携わってるんだぞ!
    実戦テストがまだなだけで、既に実用段階だぞ!」

空「瑠璃華ちゃん、レミィちゃんも本気で言ってるワケじゃないんだから……。
  レミィちゃんも、瑠璃華ちゃんに意地悪しちゃダメだよ」

 怒ったように言う瑠璃華と戯けたように肩を竦めたままのレミィを諫めながら、
 空は苦笑いを浮かべる。

 瑠璃華の言い方も、少々言葉足らずではあったが、
 まあレミィのコレは胸の件に関しての反撃だろう。

 レミィからしたら身長や体型の事はそれだけ大問題なのだろうが、
 瑠璃華自身の落ち度がそれ程でないだけに不憫だ。

風華「本当に隊長……海晴さんみたいになって来たわね、空ちゃん」

 そんな空の様子を見ながら、風華は感慨深げに漏らす。

空「えっ?」

 唐突な風華の言葉に、空は驚き混じりの声を上げる。

マリア「そうだね。
    アタシなんてこの前、空に怒られた時は、海晴さんに怒られたのかと思ったよ」

クァン「ああ、アレには俺も驚かされたよ。
    まあ、俺が気付いたのはリニアキャリアが走り出してからだったけど……」

 マリアとクァンはそう言って顔を見合わせた。

 二人を怒った時と言うと、思わず感情を爆発させてしまった、あの時の事だろう。

空「あ、あの時はつい感情的になってしまって……。
  すいません、二人とも……」

マリア「まったく、あの時は生意気な事言ってくれちゃってさ……。
    でも、お陰で色々と吹っ切れたよ、ありがとう、空」

 空が再び申し訳なさそうに頭を下げると、マリアは最初だけ唇を尖らせて文句を言ったものの、
 すぐに照れ笑いのような表情を浮かべて礼を言う。

クァン「俺からも、ありがとう……空君。
    あのままじゃあ、色々と取り返しがつかなくなる所だった」

 マリアに続けてそう言ったクァンは、
 安堵と申し訳なさの入り交じった複雑な表情を浮かべていた。

空「え、あの……」

 二人から向けられた予想外の感謝の言葉に、空は戸惑ってしまう。

 さすがに生意気を言い過ぎたかと、気に病んでいる部分も少なからずあったので、
 ここまでストレートに感謝されるとは思っていなかった。

 戸惑っている空に傍らで、レミィも小さく息を吐いてから、口を開く。

レミィ「ん……私もな、思わず隊長……海晴さんかと思ったよ。

    お前に“代わりがいるのか”なんて言っておきながら、
    まったく、最低なのはどっちなんだか……」

 レミィはそう言って、自嘲気味な苦笑いを浮かべる。

 正直な話を言えば、レミィは空と関係を修復してからも、
 幾度か空に海晴を重ねるのをやめられなかった。

 二人が瓜二つと言うほど似ている事もあったが、
 それ以上に思い切った空の行動は海晴そのものだったからだ。

 常に一歩引いて仲間達の様子を見守り、言うべき事にはハッキリと物を言う。

 それは偏に姉妹故、と言うべきだろう。

 空自身も姉を見て育ったので、二人が似るのも当然と言えば当然だ。

風華「もう、空ちゃんが隊長でいいんじゃないかしら……?」

空「え!? ちょ、ちょっと風華さん!?」

 思わずと言った風に漏らした風華の言葉に、空は目を白黒させて慌てる。

風華「あ、冗談よ、冗談」

 あまりの空の慌てように、風華もオロオロとした様子で訂正した。

瑠璃華「さすがに一番の新人に隊長を任せるようなマネはしないぞ」

空「そ、そうだよね……」

 どこか呆れたような瑠璃華の言葉に、空も胸を撫で下ろす。

 だが――

マリア「でも、副隊長くらいなら有りじゃない?」

クァン「ああ、そう言えば、副隊長は空いたままだったな……」

 あっけらかんとしたマリアの提案に、クァンが思案げに漏らし、事態は急変する。

 海晴が生きていた頃は、風華がその役職だった。

 聞かされた話では、あくまで隊長が非番の時の隊長役との事だが、
 隊長や副隊長無しで出撃するシフトも存在するため、
 まとめ役をしつつ書類仕事もこなす隊長に比べて存在感は無い。

 繰り上がりで副隊長から隊長になった風華も、その後任を決めてはいなかった。

 隊長代理とは言っても、本当に代理をするワケでもないので当然だろう。

 加えて、ドライバー達は基本的にシフト間でのまとまりの強さや仲間意識の高さもあって、
 隊長や副隊長がどうのこうのと言う上下関係とはほぼ無縁だったせいもある。

レミィ「私やマリアはまとめ役って柄じゃないし、フェイはあの調子だからな」

マリア「まぁ、ね」

フェイ「私はあくまで、皆さんのサポート役であり、それ以上の役職は望みません」

 レミィの言葉に、マリアは肩を竦めて苦笑いを浮かべ、
 フェイもいつも通り淡々と述べるだけだ。

 端的に言えば、任せられても困ると言った三人だろう。

クァン「俺も、下手な役職につくと喧伝する輩がいるからな……」

風華「そうねぇ……お互い、辛いわねぇ」

 溜息がちなクァンに、風華も肩を竦めて呟く。

 以前にも説明したが、クァンの実家である阮家は軍事に関係深い家柄だ。

 そして、クァンや風華はその立場上、
 ギガンティック機関と軍部がどんな関係かも知っていた。

 風華が隊長ならともかく、クァンが役職に就けば、
 軍部に関係の深い政治家に政治利用されてしまう可能性を案じていたのだろう。

 いや、むしろ“そんな所で副隊長をやらせるくらいならば”と、
 マリアごと軍部に引っ張られかねない。

 カーネルはともかくブラッドを浄化できるプレリーを他の部署に移す事だけは、
 先日のような緊急事態を思えば絶対に避けなければならないと言うのは、二人の共通の認識でもあった。

瑠璃華「私は技術開発部主任だからな、さすがにこれ以上仕事が増えるのは勘弁だ」

 別に仕事は増えないのだが、瑠璃華は体よく断るための常套句を口にする。

チェーロ「機体特性を考えたら、私が隊長機なんだけどね」

 それまで黙々と雑用をしていたドローン達の中で、チェーロが声を上げた。

 確かに、チェーロは後方にどっしりと構えて、
 広く感度の高いセンサーを利用した遠距離戦を得意としている。

 オリジナルドライバー達を顧みても、
 初代特務隊長を務めたフランチェスカ・カンナヴァーロの愛機だったチェーロの、
 現ドライバーである瑠璃華が隊長に相応しいと言えた。

風華「それじゃあ、ギガンティックのみんなも含めて、多数決を取りましょう」

 風華は名案を思いついたと言いたげに、目を輝かせて言う。

空「え?」

 唐突な提案に空は唖然とするが、そんな事はお構いなしに場は進む。

瑠璃華「意義無し」

フェイ「民主主義に則りましょう」

 瑠璃華に続き、フェイもそう言って頷く。

 他のメンバーも、戸惑う空を除いて何ら文句は無いようだ。

風華「副隊長は空ちゃんがいいと思う人、手を挙げて~」

 どこか戯けたような風華の言葉に、
 空以外の――それこそエールを除くドローン達までもが――全員が手を挙げる。

 ヴィクセンとアルバトロスも、前脚と翼を挙げて挙手の代わりとしていた。

 本人以外、満場一致だ。

 これぞ正に“民主主義【数の暴力】”である。

空「え? あの? ちょ、ちょっと……」

レミィ「よし、特にこれと言った仕事はないけれど、
    頑張れよ、朝霧空副隊長」

 困惑する空の肩を、レミィが激励の言葉に合わせてリズミカルに叩く。

空「れ、レミィちゃん……」

マリア「よっ、ふくたいちょー!」

クァン「困った事があれば相談してくれ、副隊長」

 レミィに何事か言おうとした空の言葉を、囃し立てるようなマリアと、
 親身な様子のクァンの言葉が遮る。

瑠璃華「体よく任されたな、副隊長。
    まあ、給料に特別手当が出るワケでもないからなぁ」

 瑠璃華はそう言って、コーヒーを飲み干す。

フェイ「宜しければお代わりしますか?
    朝霧副隊長、天童隊員」

 フェイは立ち上がり、コーヒーを入れてあるティーポットを手に取った。

空「ふ、風華さん!
  こ、こんないい加減でいいんですか? 副隊長って!?」

 空は困惑したまま風華に尋ねる。

風華「私の時もこんな感じだったから、大丈夫じゃないかしら?
   基本的に繰り上がりだし……次期隊長候補、って言う事で」

 風華は思い出すようにそう言うと、携帯端末を取り出して何事か操作を始めた。

 次期隊長候補とは、それはまた重大な人事だ。

 しかし、そんな重要な事を、こんな学級委員どころか、
 誰もやりたがらない係を決めるようなノリで決めてしまっていいのだろうか?

風華「……よし、譲羽司令に副隊長人事の報告完了、っと」

 空がそんな事を考えている内に、最後の逃げ道を塞がれてしまう。

 これで、明日美から承認が下れば、正式に副隊長就任だ。

空「あぅ……」

 特に仕事が増えるワケではないが、重責を思って空は項垂れてしまう。

レミィ「……みんな、お前が無事に帰って来てくれて嬉しいんだよ」

 そんな空を見かねてか、レミィが笑みを浮かべて呟き、
 “副隊長だって、お前を信頼して任せるんだからさ”と付け加えた。

 まあ、姉が亡くなってから八ヶ月も宙ぶらりんだった役職だ。

 押しつけられた気がしないでもないが、
 レミィの言う通り、仲間達からの信頼の顕れとも言える。

 そう考えると、“仲間になれたと感じていたのは自分だけではない”
 と言って貰えたような気がして、空は知らずに顔が綻んで行くのを止められなかった。

レミィ「顔、ニヤけてるぞ……」

空「に、ニヤけてなんかないよ!」

 噴き出すようなレミィの言葉に、空は慌てて顔を引き締める。

 だが、やはり嬉しくて顔が綻んでしまう。

瑠璃華「ん……テスト準備が整ったみたいだな」

 空がそんな事をしていると、
 携帯端末を取り出した瑠璃華が、画面を確認しながらそう呟いた。

瑠璃華「空、新しいスフィアのテスト準備が整った。

    またいつ出撃があるか分からないし、胸の修理も早く終わらせないといけないからな。
    早速、テストに付き合ってくれ」

空「うん、了解」

 瑠璃華がそう言って立ち上がるのに続いて、空も立ち上がる。

瑠璃華「フェイ~、帰ったらコーヒーのお代わり頼むぞ~」

空「あ、フェイさん、すいませんけど、私の分もお願いしますね」

 二人は行きがけにフェイにそう声をかけ、ハンガーに向かった。

フェイ「了解しました。
    先日いただいたクッキーも準備しておきます」

 そんなフェイの言葉を、背に受けて。

 数分後。
 格納庫、01ハンガー前――


空「う~ん、やっぱりコレで決まりなんだ……」

 先程、携帯端末に送られて来たばかりの人事通達に目を通しながら、
 空は苦笑いを浮かべた。

 人事通達は空の副隊長就任の件だ。

 どうやら、明日美の承認も降りたようで、司令と副司令の連盟のサインもされていた。

 空の戦績は、先日の一敗を除けば十八戦中、撃破十七回の好成績である。

 この所の激務もあるが、新人でここまでの戦績は中々無い。

 それもレミィやフェイのアシストあったればこそだが、
 それは逆にモードSやモードDを空が使いこなしている証拠だ。

 その辺りが加味されての人事承認である事は、空以外の誰もが分かっていた。

瑠璃華「副隊長~、そろそろ始めるぞ~」

空「あ、はーい」

 少し離れた場所に置かれた機材の前に座り込んだ瑠璃華に促され、
 空は制服の上着を脱いだ。

 手近な手すりに制服をかけると、すぐにコックピットハッチ前に向かう。

 コックピットハッチ前と言っても、あくまでハンガーの通路の名称である。

 エールは現在も胸の修復が完了していない。

 とは言え、胸回りの装甲を張り直すだけなのだが、
 その結果としてコックピットハッチもまだ取り付けられていない状況なのだ。

瑠璃華「まあ、テストと言っても基本的に、
    いつもやってるスフィアの調整と一緒だな。

    専用の調整と機体とのフィッティングが終われば、
    シミュレーターで実戦テストの代わりをしよう」

空「うん」

 軽いストレッチを行いながら瑠璃華の説明を聞くと、空は抑揚に頷いた。

 こう言う時、機体のコンディションをそのまま使うシミュレーターは便利だ。

 異常があればシミュレーターにも異常が出るし、
 機体が損傷していれば数値を弄らなければ損傷したままになる。

 面倒と言えば面倒だが、代わりに機体を実際に動かさなくてもテストが可能なのだ。

 軽いストレッチ終えた空は、
 まだハッチの取り付けられていない機体内の通路を見遣る。

 コントロールスフィアに向かう、一メートル強ほどの短い通路。

空「よし……!」

 空は小さく頷いて、通路に一歩踏み出す。

 その瞬間、胸が大きく高鳴る。

 ドクン、ドクンと、身体を通じて耳にまで届くほどの大音響。

空「あ、あれ……?」

 空は思わず胸元を押さえる。

 あまりに心臓の音が大きく、自分でも驚いてしまう程だ。

瑠璃華「どうした、空?」

 機材から目を離した瑠璃華が、怪訝そうに空に尋ねる。

空「う、ううん、何でもないよ! 何でも……」

 空は慌てた様子で応えて、スフィア内に潜り込む。

 真新しいコントロールスフィアは、以前とは細部が僅かに異なるようだ。

 これが新型なのだろう。

 だが、空はそんな事にも気付く余裕も無かった。

空「ハァ……ハァ……ッ、ハァ……」

 先ほど感じた旨の高まり……動悸は止まず、むしろより早くなり、呼吸も乱れる。

空(どうしたんだろう……胸が……息が……苦しい……)

 空は先ずは呼吸を整えようとするが、上手く深呼吸が出来ない。

瑠璃華『緊張してるのか? 心拍が早いぞ?

    ……大丈夫だ、ちょっと手は加えたが、
    この新型スフィア自体はヴィクセンやアルバトロスにも使われている物を、
    今の技術でバージョンアップした物だ。

    むしろ、二人が使っている物より安定するぞ?』

 空の心拍数をモニターしているのか、通信機を介して瑠璃華の声が聞こえる。

 瑠璃華は空を落ち着かせようとしているようだったが、空の動悸と呼吸は整わない。

空「だ、大丈夫、だよ!」

 空は何とかそう返事をする。

瑠璃華『む……そうか? じゃあ、スフィア側のハッチを閉じるぞ』

空「う、うん、お願い……」

 訝しげな瑠璃華の声に頷いて、空はもう一度深呼吸を試みるが、
 やはり上手く深呼吸は出来なかった。

空(どうしたんだろう……どうなっちゃったんだろう、私……)

 空は幾度も自問するが、それが気持ちを落ち着ける材料とはならない。

 困惑する空の目の前で、ゆっくりとコントロールスフィアのハッチが閉じられて行く。

 ドクンッ、と、その光景に、空は再び鼓動が高鳴るのを感じた。

 いや、鼓動なんて生易しい物ではない。

 心臓が胸を突き破りそうな、そんな感覚だ。

空「いや……」

 閉じられて行くハッチを見ながら、空はか弱く頭を振る。

 ひしゃげる装甲。
   ――傷なんてない。

 迫るドリル。
   ――そんな物はない。

 消える、姉。
   ――この場にはいない。

 閉じ行くハッチに浮かぶ幻影を、空は頭を振って振り払う。

 だが、振り払っても振り払っても、
 目を瞑ってもそれらの幻影は視界にこびり付いて、消えようとはしない。

瑠璃華『空、どうした?
    空? 返事をしてくれ、空!』

 外でも瑠璃華が空の異常に気付いたのか、慌てた様子で声をかける。

 だが、既に空にその声に応える余裕は無かった。

 そして、完全にハッチが閉じられた瞬間――

空「い、いやぁ……イヤアアァァァァッ!?」

 空は目を見開き、絶叫する。

瑠璃華『空!?』

瑠璃華「開けて! 開けて! あけて! アケテッ!
    いや、怖い……怖いこわいコワイコワイ……ッ!
    嫌なの、いや……開けて! アケテェェッ!?」

 瑠璃華が呼び掛けても、空は髪を振り乱して狂ったように叫び続けた。

瑠璃華「空っ!」

 瑠璃華はすぐさまハッチを開き、スフィア内に駆け込む。

 だが、既に錯乱状態に陥っていた空は、その場に倒れ、頭を抱えて泣いていた。

空「こ、コワイ……怖いよぉ……お姉ちゃん……助けて……助けてよぉ……」

 全身から脂汗を滲ませ、失禁し、涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔で、
 亡き姉に助けを求める。

 それは、二日前に救出されたばかりの錯乱以上の状態である事を示していた。

瑠璃華「そ……空……!?」

 瑠璃華も、そんな空の姿に愕然とするばかりだった。

 気を取り直した瑠璃華が、医療部に連絡を入れられるようになるまで、
 それから三分もの時間を要した。

―2―

 同日、夕刻。
 ギガンティック機関、司令室――


 そこには明日美とアーネストだけでなく、医療部主任の笹森雄嗣【ささもり ゆうじ】――
 セリーヌの父であり、かつての結の主治医であった笹森貴祢の孫だ――と、
 タチアナ、メリッサ、それにセリーヌの六人がいた。

雄嗣「PTSD……ですね、間違いなく」

明日美「つまり、トラウマ、と言う事かしら?」

 雄嗣の言葉に、明日美は怪訝そうに返す。

 PTSD……つまり、心的外傷後ストレス障害。

 危うく死にかけたり命に関わる程の重傷を負うなどした後、
 精神的な傷が元で様々なストレス障害を生む疾患だ。

 直感的に分かりやすく言うならば、明日美の言葉通りに“トラウマ”だろう。

 軽度な物なら、車で追突事故を起こしそうになった人間が、
 それ以前よりも広い車間距離を取るようになったり、
  重度な物では有名な話では、ストーブに手を置いて火傷をした人間が、
 火のついていないストーブに触れて、手に火傷と同じ症例が表れたなど、
 事例も軽重を問わず様々である。

 あの後、瑠璃華の連絡で駆け付けた医療部によって保護された空は、
 雄嗣らの診断を経てそう判断された。

メリッサ「朝霧隊員には以前からそれらしい兆候がありましたが、
     前回の出撃の際、コックピットへの直撃を受けた事で決定的になってしまったようです」

 メリッサは淡々とした様子で報告する。

アーネスト「以前から、とは?」

 アーネストが怪訝そうに尋ねると、メリッサの右後ろに控えていたセリーヌが進み出た。

セリーヌ「先月、派遣任務から戻った際にも報告しましたが、
     空ちゃん……朝霧隊員は、以前から出撃の際に恐怖を感じていたようです」

 セリーヌは説明と同時に、司令室の壁掛け式の大型モニターを操作し、
 そこに空の脳波パターンを投影する。

 それは出撃時における空の脳波推移らしく、
 出撃直後から戦闘終了までが激しく乱れている事を窺わせた。

メリッサ「これはギガンティック搭乗直後から戦闘終了後、
     機体回収までモニタリングしたデータですが、
     出撃から戦闘終了までにかけて著しいストレス状態にある事を窺わせます。

     私も、初見は新人故に緊張しているだけかと思っていたのですが、
     二度、三度と出撃しても波形は乱れたまま、
     しかし、本人は至って平静に近い状態でしたので、笹森主任にだけ報告していました」

タチアナ「私も、派遣任務の際に笹森オペレーターの報告で心拍数の異常に気付き、
     半月前に報告したのですが……」

 事実と推測を交えたメリッサの報告に続き、タチアナも申し訳なさそうに続ける。

 明日美はタチアナの言葉を聞き、眉間を抑えた。

 確かに、タチアナからの緊急の旨の報告を受けていたが、
 文字通り連日出現したイマジンの対応に追われて失念していたのは自分だ。

明日美「私の判断ミスね……ええ」

 明日美はその事実を受け止めるように、重苦しく漏らす。

 この三週間ばかり、ギガンティック機関全体が多忙を極めていたとは言え、
 対応を先延ばしにして良い案件では無かった。

 ぐうの音も出ないほど、完璧な判断ミスだ。

明日美「朝霧隊員は?」

雄嗣「今は鎮静剤を打って、医療部のベッドで眠っています」

 明日美の質問に、雄嗣が答え、さらに続ける。

雄嗣「昨日の検査入院中と先程、簡単な問診は行ったのですが、
   どうやら、コントロールスフィア内が彼女にとってのPTSDのトリガーとなるようです」

アーネスト「コントロールスフィア恐怖症……と言った所、か」

 雄嗣の説明を受け、アーネストはそう呟いて肩を竦めた。

 ギガンティックウィザードのドライバーにとっては致命的な恐怖症だ。

 しかも、世界にたった九人しか存在しないオリジナルギガンティックの、
 さらに、未だかつて選ばれた人間が空自身しかいないエールのドライバーが、である。

 この場にいる人間でなくても、頭を抱えたい自体だろう。

タチアナ「朝霧隊員に同調できる魔力の持ち主はいないんですか?」

明日美「そんな人間がいたら、とっくにその人がエールのドライバーになっているわ……」

 タチアナの質問に、明日美は溜息がちに答える。

 空の姉である海晴も、
 空の魔力に同調できたからこそエールのドライバーが務まったのだ。

 海晴の魔力は、平均値から見ても著しく低い部類である。

 ほぼ完全と言って良いほどの同じ波長の持ち主だからこそ、
 クァンとマリアのような同調訓練も無しに扱えたに過ぎない。

 空と同調できる魔力の持ち主が他にいたのなら、その人物に任せた方が良かっただろう。

 だが、海晴も空も、ギガンティック機関が三十年以上も探してようやく見付けたのだ。

 そう簡単に、エールのドライバーが新たに見付かるワケもない。

雄嗣「朝霧隊員の回復を待つのは現実的とは言えません……」

 そんな明日美の苦悩を知ってか知らずか、雄嗣は僅かに重苦しく言った。

 空は心的外傷を受けたばかりだ。

 心の傷は深ければ深いほど、
 何らかのキッカケも無しに、すぐには回復するような事はない。

 繰り言になるが、だからと言って新しいドライバーなど見付かるハズもない。

 八方塞がりだ。

メリッサ「カウンセリングやショック療法、
     催眠療法などで治す手立ても考えられますが……」

 メリッサがそんな提案を口にするが、彼女にしてはやや自信が無さそうな口ぶりだ。

 どれも時間がかかったり、確実と言える治療法では無い。

雄嗣「……トラウマの引き金は、
   どうやら彼女の姉である朝霧前隊長の最期にあるようでして……」

 部下の心境を察してか、雄嗣がその後に続く。

アーネスト「海晴君の最期?」

 アーネストが怪訝そうに尋ねると、雄嗣はさらに続ける。

雄嗣「これも彼女に対する催眠誘導の問診の結果で判明したのですが、
   どうやら彼女は朝霧前隊長が殺される瞬間を“見て”いたようなのです」

 雄嗣が“見て”の部分を強調するように言うと、明日美は眉根をピクリと震わせた。

タチアナ「見ていた、とは、その……」

 タチアナはゴクリと喉を鳴らし、躊躇いがちに尋ねる。

 大凡の予想はついているようだったが、信じられないと言った所だろう。

雄嗣「……朝霧空隊員は、朝霧海晴前隊長がイマジンに捕食される様を、
   終始見ていたようです」

 重苦しい声で言った雄嗣の言葉に、司令室がざわつく。

 問診に立ち会っていたメリッサも、どうした物かと肩を竦める。

 八ヶ月前の戦闘後、戦場周辺に対して行われた入念な調査で、
 海晴の物と断定できる血液がこびり付いたアスファルト片は採取されていたが、
 遺体は発見されていなかった。

 海晴がエールの外に出て魔導装甲を起動していた記録はあり、
 死亡直前に空にその権限を返還――要は借り物のエールを返したワケだ――も記録されていた。

 あくまで戦闘中の行動記録なので、精緻で客観性のある者ではない。

 報告義務のあった海晴自身が死亡していた事と、
 現場に駆け付けたレミィやフェイの証言を元に機関が出した結論は、
 “朝霧海晴は死亡直前に朝霧空にエールの権利を返還、直後に息を引き取り、
 激情した朝霧空とイマジンとの戦闘中、
 その余波によって遺体が回収できないレベルまで砕け散ったか、
 イマジンによって捕食・吸収された”と言う物だった。

アーネスト「それは…………」

 アーネストはそこまで漏らしてから、どう続けて良いか分からずに眉間に手を当てる。

 海晴の死に様を見ていた事実は、空以外の誰もが今日の問診まで知らなかったのだ。

 それもそうだろう。

 肉親……それもたった一人、唯一の家族であった姉の死。

 それを目の前でむさぼり食われるなど、まともな精神状態でいられるハズがない。

 だが、朝霧空と言う少女はそんな事を、誰に対しても口にしていなかったのだ。

 事実、真実に対して語った際も、目の前で姉がイマジンに殺されたとは語ったが、
 その凄惨すぎる死に様は口にしていなかった。

明日美「予想して、然るべき、だったわね……」

 明日美は八ヶ月前のあの日、
 空の肩口にべっとりとこびり付いていた返り血の事を思い出し、
 その事にまで考えを及ばせなかった自分のミスを責める。

 あれだけの量の返り血だ。

 間近で殺されているに決まっていよう。

 だがそれでも、捕食される様を見ていたと言うのは予想の埒外と言う物だ。

―― 一番、大切な事は話せず終いだったのは、
   卑怯だったかも、と思ってね……――

明日美(あの事をあの時に話さなかったのは良かったのか……
    それとも、間違いだったのか……)

 朝霧家を後にした直後の、
 アーネストとのやり取りを思い出して明日美は自問する。

 だが、明確な答えを出す事は出来ない。

明日美(……お母さん……貴女なら、こんな時にどうしますか……?)

 両手を額の前で組み、眉間に押し当てるようにして、記憶の中の母に語りかける。

 かつて、母も大きな壁に当たった事は、師からも聞かされた事があった。

 母だけでなく、師や、師の母も、大きな壁にぶち当たりそれを乗り越えて来たのだ。

 そして、それは明日美自身もかつてはそうであった。

明日美(まだ十四歳の女の子に、こんな難題がのし掛かるなんて……)

 明日美は心中で独りごちる。

 かつての魔法倫理研究院エージェント隊では、
 十四歳になればプロのエージェントだった。

 魔導師としては十四歳で一人前になれるのだから致し方ないが、
 それでも今と昔では状況も違う。

 だが、壁を乗り越えて貰わねばならぬ人間の前に、
 乗り越えねばならぬ壁がやって来てしまった事実だけは、どうあっても覆せない。

 明日美はそこまで考えると、意を決して顔を上げた。

明日美「笹森主任、朝霧隊員は動けるのかしら?」

雄嗣「? ……はい、戦闘は勿論、
   訓練も許可は出来ませんが、外出くらいならば……」

 明日美の質問に最初は戸惑った雄嗣だったが、すぐに彼女の質問の意を汲んで応える。

メリッサ「心拍の上昇と言ったバイタルの乱れも、
     現時点では基本的にコントロールスフィア内でなければ起きないと思われます」

明日美「そう……」

 雄嗣の後を引き継いだメリッサの言葉に、
 明日美は幾度か頷きながら、何事かを考え込んでいるようだった。

明日美「以後、朝霧隊員の件に関しては私の預かりとします。

    ドライバーのシフトは昨日から引き続き、
    06と11、07と12の変則シフトを適用。

    パブロヴァチーフ、貴方からオペレーター各員とドライバーに周知して下さい」

タチアナ「……はい」

 唐突にも見える明日美の決断に戸惑いながらも、タチアナは返答する。

明日美「では解散で……。

    エルスターチーフと笹森オペレーターは、出撃に備えて仮眠室で休みなさい。
    パプロヴァチーフ、周知が終わり次第、あなたもね」

メリッサ「了解しました。
     ………行くぞ、笹森」

セリーヌ「はい……」

タチアナ「では、お先に失礼します」

 明日美に促され、メリッサとセリーヌは、タチアナと共に司令室を後にした。

明日美「笹森主任、病室にいる朝霧隊員に、
    隊舎横の駐車場まで来るように言ってくれないかしら?」

雄嗣「畏まりました」

 雄嗣も明日美の指示を受けて、司令室を後にする。

 残されたのは明日美とアーネストの二人だけだ。

アーネスト「………あの事、話されるのですか?
      このタイミングで……」

明日美「……先延ばしにして来たツケね」

 戸惑いがちなアーネストの質問に、
 明日美は自嘲気味に漏らし、さらに続ける。

明日美「この事が吉と出るか、凶と出るかは分からないわ……。
    ………九分九厘、凶でしょうけれど……」

 明日美はそう言って、深い溜息と共に天井を振り仰ぐ。

アーネスト「九.九パーセントの確率で凶なら、
      九〇.一パーセントは吉と出そうですがね……」

明日美「茶化さないで……」

 アーネストの言に、明日美は呆れたような溜息を漏らした。

 無論、アーネストも“九分九厘”と言う意味が十割からの差し引きでなく、
 “十分よりは僅かに欠ける”と言う意味から発展した、
 とんちのような言葉である事は知っている。

 軽口を叩いたのは、彼女のプレッシャーの軽減と、
 それだけ彼女を信じていると言う意味だ。

明日美「少し自宅に戻るわ……。
    帰宅中にイマジンが出た場合の指揮はあなたに任せたね、アーネスト君」

アーネスト「任されましたよ、明日美さん」

 二人は目を見合わせてそう言うと、立ち上がった。

―3―

 三十分後、隊舎横の駐車場出入り口――


 雄嗣を通じて明日美に呼び出された空は、
 私服へと着替え、数分前からそこで立ち尽くしていた。

 自然保護区や外郭自然エリアと違い、気温や湿度が適度に保たれた区画と言う事もあって、
 空は十二月にしては薄着に見えるブラウスとスカートと言った出で立ちだ。

空(譲羽司令……何の用だろう……?)

 メインの照明が落ち、灯り始めた街灯の光に視線を向けながら、
 空は呆然とそんな事を考えていた。

 いや、そんな事を考えていなければ、
 どんどんネガティブな方向に思考が向かってしまう。

 PTSD……コントロールスフィア恐怖症の事。

 副隊長にまで推してくれたのに、みんなに迷惑をかけてしまっている事。

 考え出せばキリがない。

空(笹森主任からは、あまり考え過ぎない事、って言われたけど……)

 空は肩を竦めて、溜息と共にその思考を追い出すように努めるが、
 やはり上手くはいかない物だ。

 と、その時、微かな駆動音と共に、
 空の目の前に一台のセダンタイプの乗用車が滑り込んで来た。

 目の前で停車した乗用車に、空は何事かと驚く。

 だが、すぐにその疑問も氷塊する。

 空から近い助手席側の窓が開くと、その奥に明日美の顔が見えた。

空「ゆ、譲羽司令!?」

明日美「待たせたわね……。さあ、乗ってちょうだい」

 驚く空を促すように、明日美は助手席側のドアを開く。

 空は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしながら、促されるままに助手席に乗り込んだ。

 空がシートベルトをした事を確認した明日美は、
 “じゃあ、出すわね”と言って発車させた。

 しばらくして気を取り直した空は、ようやく口を開く。

空「司令……車の免許、持ってらしたんですね」

明日美「ええ……。

    と言っても、十八の頃にイタリアで取った物だけどね。
    昔はフェラーリも持っていたのだけれど、妹が免許を取った時にあげてしまったわ」

 空の質問に、明日美は懐かしそうな口調で、噴き出しそうになりながら語る。

 車に詳しくない空も、フェラーリが高級車である事ぐらいは分かった。

 今、二人が乗っている車は国産――旧日本のメーカー産と言う意味だ――の、
 比較的安価な部類の車種だ。

 無論、それでも安全性と乗り心地は問題ないと言うか、
 信頼の置ける車種として有名なのだが……。

 しかし、それでもフェラーリから比べれば数段見劣りしてしまうのは否めない。

明日美「さすがにギガンティック機関の幹部が高級なガソリン車を使っていると、
    色々と煩く言って来る人も多いのよ」

 空の疑問を察してか、明日美は肩を竦めて言った。

 普段と違い、どこかフランクな様子の明日美を、空はまじまじと見遣る。

 見慣れた制服姿ではなく、トレーナーにズボンと言った動きやすそうな服装だ。

 靴もハイヒールやパンプスではなく、運転に適した運動靴である。

明日美「……そう言えば、自宅に招くのは初めてだったかしら?」

 会話が途切れ、明日美は別の話題を振って来た。

空「あ、はい……。
  って、司令のご自宅、ですか!?」

 空は答えた直後、驚いたように漏らす。

 これから明日美の自宅に向かうなど、初耳だ。

 かつてのGWF200X-ヴェステージのドライバー。
 英雄、明日美・フィッツジェラルド・譲羽の自宅。

 かつては、本條家に嫁いだ彼女の妹である本條明日華も、
 オリジナルギガンティックの設計者である
 アレクセイ・フィッツジェラルド・譲羽も暮らしていたであろう自宅。

 伝説の英雄一家の暮らしていた家ともなると、やはり大豪邸なのだろうか?

 空がそんな事を考えていると、彼女の予想通り、
 明日美の車は閑静な高級住宅街へと入って行く。

 この辺りは政治家や企業の社長、軍や警察の幹部など、
 正一級の中でもさらに高い身分の人々が暮らす区画だ。

 車窓から見える家も、その全てが広い庭付きの豪邸と言う有様で、
 空は思わず魅入ってしまう。

 真実の実家もかなりの豪邸だったが、申し訳ないが眼前の光景の比ではない。

 抱えていた悩みも思わず一時的に忘れ去ってしまう程の、正に夢の光景だ。

空「す、凄い……」

明日美「ふふふ……」

 以前、初めて自然保護区にやって来た時とは別種の驚きに翻弄される空の様子を、
 明日美は微笑ましそうに見守る。

 だが、すぐに表情を引き締め、正面に向き直った。

明日美「そろそろよ……」

 明日美がそう言うと、車は高級住宅街の外れへとやって来る。

 車は住宅街の外れにある坂道を一気に駆け上がり、小高い丘の上へと出た。

 小高い丘の上に作られた広い台地は、高級住宅街を見下ろすような位置関係だ。

 高く厚い生け垣に囲まれた敷地は、眼下の高級住宅街とは一線を画す、
 さらなる身分の高さを窺わせた。

 生け垣の隙間を覗き込んでも、その向こうがまるで見えない。

 代わって、生け垣の上を見ると、僅かに背の高い建物の姿が見えた。

 辺りを見渡しても、この広い敷地以外にこの台地に建物らしき物は見えないし、
 登った高台を再び下るとも思えない。

空「ここが……司令のご自宅……」

 想像のさらに上を行く大豪邸の予感に、空は思わずゴクリと喉を鳴らしてしまう。

明日美「……さあ、到着よ」

 明日美の言葉と同時に、車は生け垣の切れ目――正門へと辿り着く。

 その正門に掲げられた表札……いや、看板の姿に、空は目を見開いた。

 看板には“児童養護特殊学校法人 ひだまりの家”と書かれていたからだ。

空「孤児院と……学校……?」

 そこまで来て、空は思い出す。

 確か以前、明日美本人の口から孤児院を経営していると聞かされていた。

 その時、自分たちの母もその孤児院の出身だった、とも聞かされている。

 どうやら、それがこのひだまりの家らしい。

明日美「ええ、ここが私の経営している孤児院兼、私の自宅………。

    まあ、経営と言っても資金を提供しているだけで、
    実質的な運営は他の人に任せているのだけど……」

 自動で開いた正門の奥に愛車を滑り込ませながら、
 明日美は苦笑いのような笑みを浮かべて説明した。

 校舎と言うか孤児院の建物は、
 ギガンティック機関の寮とほぼ同クラスの物であり、かなり大きい。

明日美「建物自体は、以前はある国の王室がNASEAN時代に使っていた物を、
    戦時中の縁で譲り受けて改修したの……」

空「お、王室……」

 明日美の説明に、空は唖然とする。

 さすが英雄。
 話のスケールが段違いだ。

 外見は質素な木造建築に過ぎないが、
 これだけの大規模な木造建築など、今は許可されていない。

 それだけでも眼下の高級住宅街の豪邸とは一線を画す存在だろう。

明日美「瑠璃華やレミィも、書類上はここで預かっている事になっているわ。
    自室は隊員寮だけど、あの子達の自宅はこっち、と言う事になるわね」

 明日美の説明に、
 空は驚きながらも“なるほど”と心ここにあらずと言った風に答える。

 そんな説明を続けている内に、
 車は校舎から少し離れた場所にある小さなログハウスへと横付けされた。

 どうやら、このログハウスが明日美の“自宅”のようだ。

 明日美に促されるまま、空が車から降りると、
 校舎の方から一人の男性が駆け寄って来る。

男性「先生、帰ってらっしゃるなら連絡して下されば良いのに!」

 男は驚きとも呆れとも喜びとも取れる複雑な声音で言った。

 年の頃は、アルフやアーネストと同じくらい――五十代半ばと言った頃だろうか?

明日美「ごめんなさい、ジャック君。
    ちょっと、部下の子に話があって、ね」

 明日美はジャックと呼んだ男性に、苦笑い気味に答えた。

男性(ジャック)「おや、こちらは……朝霧君……!?」

 一方、ジャックは空に気付き、驚いたように目を見開く。

 おそらく、姉の事を知っている人物なのだろう。

明日美「妹の方よ。
    前に話した事があるでしょう?」

ジャック「ああ、そうか……君が空君か……。
     マリアからも、話は聞いているよ」

 明日美の説明に、ジャックは納得したように頷き、手を差し出す。

 一方、殆ど置き去りのまま進む会話に、空は面食らったままだ。

明日美「こちら、ジャッキー・カタギリ。
    この孤児院の実質的な運営者で、マリアの父親よ」

 見かねた明日美が、微笑ましそうな笑みを浮かべてジャックを紹介する。

空「あ、すいません! 朝霧空です!
  マリアさんには大変お世話に……」

ジャック「あの子の事だ、誰に似たのか口が悪いからね……。
     苦労しているだろう? 申し訳ないねぇ」

 慌てて手を差し出し返して挨拶しようとする空の言葉を遮り、
 ジャックは固く握手をしながそう言うと、豪快に笑った。

 確かに、この豪快さと言うか独特の勢いは、確かにマリアの父親で間違いないようだ。

明日美「あら、マリアは良い子よ。アリスに似て、ね」

ジャック「ハハハ……これは手厳しい」

 笑みを浮かべた明日美の言に、ジャックはこれはしたりと頭を掻く。

ジャック「では……譲羽先生、よければ子供達にも顔を見せてあげて下さい。
     会いたがっている子もいますし」

 ジャックはそれだけ言い残すと、来た時と同じように小走りで校舎へと帰って行った。

明日美「嵐のような人でしょう?」

空「え、えっと……はい」

 噴き出すように笑う明日美に、空は戸惑い気味に頷く。

空「………マリアさんのお父さん、意外とご年配の方なんですね」

明日美「色々あって、結婚が遅かったのよ……。
    マリアが生まれたのも、彼が四十歳の頃だったかしら?」

 気を取り直した空の疑問に、明日美はどこか遠い物を見るような目をして語った。

 どうやら、余人には計り知れない事情があるようだ。

 空はそんな事を思いながら、明日美に促されるまま、ログハウスに足を踏み入れた。

 総天然木のログハウス内は木の香りに溢れており、
 明日美の自宅と言う事に緊張しながらも、空は僅かにリラックスする事が出来ていた。

 小さなログハウスは、今、二人がいるリビングと併設されたダイニングキッチンの他は、
 寝室と物置、トイレとバスルームだけようだ。

明日美「適当な所に座って」

 天井から提げられたシャンデリア風のランプに魔力の灯りを灯しながら、
 明日美はそう言って空に座るように促す。

 リビングには背の低いテーブルを囲むようにソファが並べられており、
 離れた場所には執務机と書架もある。

 どうやら、このリビングもリビング兼明日美の書斎でもあるらしい。

明日美「我が家は昔から、一家揃ってコーヒー党なの……。
    だからコーヒーしかないけれど、良いかしら?」

空「あ、はい、大丈夫です」

 キッチンに向かう明日美に返事を返しながら、空は手近なソファに腰を下ろした。

 すると、正面に置かれた飾り棚に並べられたフォトスタンドに目が行く。

 写真ではなく、最新のフォトデータに直された物だ。

 大きなフレームのフォトスタンドに、
 幾つものフォトデータが映し出されており、それが五つ。

 五つのフレームには様々な人々が映っているが、
 一人の人物を追って見るとほぼ年代別、年代順に纏められていると分かるソレは、
 その人物――明日美の几帳面さを窺わせる。

明日美「ああ、それは私のアルバムよ……。
    写真の方は妹と共用の物があったから、
    あの子が本條に嫁ぐ時にフォトデータに直したの」

 フォトデータを見ている内にコーヒーを煎れ終えたのか、
 いつの間にか明日美が傍らに立っていた。

 明日美はコーヒーカップを載せたお盆をテーブルの上に置くと、
 空の対面のソファに腰を下ろし、カップの一つを空に差し出す。

空「あ、すいません……いただきます」

 空はカップを受け取ると、普段のクセでそのままカップに口をつける。

空「あ………美味しい」

 コーヒーはブラックではなく、僅かに砂糖が加えられて程よい口当たりになっていた。

 どこか、待機室で飲んでいるコーヒーの味にも似ている。

明日美「ふふふ……。
    待機室名物コーヒーのオリジナルはお口に合ったみたね」

 驚いたように漏らす空に、明日美はどこか得意げに微笑んだ。

明日美「まあ、そのコーヒーも両親直伝なのだけど……」

 そして、そう付け加えて、一番左端のフォトスタンドに目を向ける。

 空もつられてそちらを向くと、そこには幼い少女時代の明日美が映っていた。

 赤ん坊の頃から就学前後……五、六歳頃までの物だろうか?

 無邪気に笑う幼い明日美と、その両親――
 英雄である母・結と天才と呼ばれた父・アレックスの姿が映されている他、
 オリジナルドライバー達と一緒に映った物もある。

 左から順に年代別に並べられているのか、
 右の二つはこの孤児院を背景にした物や、
 待機室など機関の施設で映された物ばかりだ。

 よく見てみると、今よりもずっと若い印象を受けるタチアナや、
 青年時代のアーネストやラルフ、幼少期と思われるレミィやマリア、
 今よりもずっと幼い瑠璃華の姿も映されていた。

明日美「右の二つは私が現役ドライバーだった頃の物と最近の物だけど、
    あとの二つは修業時代と、私がエージェントだった頃の物ね」

空「エージェント……代理人ですか?」

 少女時代の写真を見ながら目を細める明日美の言葉を、空は怪訝そうに反芻する。

 空の言葉に一瞬戸惑った明日美だったが、すぐに合点が行ったように口を開く。

明日美「ああ、そうね……。

    研究院が解体されて軍や警察に編入されて、
    残りはギガンティック機関として再編されたから、
    今の子はエージェントなんて知らないのよね……」

 明日美は感慨深く語ると、さらに続ける。

明日美「そうエージェント……代理人。

    かつて、魔法の悪用を禁じる魔法倫理研究法と言う物が存在してね、
    それに則り、研究したり取り締まる立場にあった魔導師の事を、
    魔法倫理研究法の執行者……法の代理人に準えて、エージェントと呼んでいたのよ」

空「法の代理人……」

明日美「あくまで形式上の呼び名ね……」

 自分の説明を小声で反芻する空に、明日美は苦笑いにも似た小さな笑みを浮かべて呟く。

明日美「よく師匠に言われたわ……。

    保護エージェントは法の代理人だけじゃない、
    助けを求める誰かの代理人だって、ね……」

 そして、そう呟きながら明日美が目を向けた先には、
 まだ幼さの残る彼女と、凛とした雰囲気を持った金髪の女性を映したフォトデータがあった。

明日美「クリスティーナ・ユーリエフ……。
    エージェント時代の私の師匠だった人よ」

空「じゃ、じゃあ、この人が二代目……
  203のオリジナルドライバー!?」

 明日美の口から語られたその名に、空は驚きの声を上げ、フォトデータに魅入る。

 二代目……七色の輝きを操る最強魔導師と謳われた、
 結・フィッツジェラルド・譲羽の異名――
 “閃虹”を受け継いだ、七色のギアを使いこなした英雄。

 英雄の血を引き、英雄に師事した女性、
 それが明日美・フィッツジェラルド・譲羽と言う現代の英雄の経歴だった。

 才能と師に恵まれたのならば、確かに英雄となるべくして生まれた女性だったのだろう。

 空はそんな事を思い、尊敬と羨望の念でもって明日美に向き直る。

 だが、次に明日美に口から語られたのは驚くべき言葉だった。

明日美「才能も英雄の名も、二人には関係なかったわ……。

    むしろ、才能と言う点で二人は口を揃えて言っていたわね、
    “私達に才能なんて大層な物は無い”って……」

空「そんな……」

明日美「英雄なんて、そんな物よ……。

    でもね、人一倍、誰かを助ける事に躍起になって、
    そのためだけに一心不乱になって、
    結果的に二人は英雄になった……英雄に成り得たのよ……」

 自分の言葉に愕然とする空に、
 明日美は言い聞かせるように言って、さらに続ける。

明日美「誰かのための代理人……それが、エージェントだったのよ……。
    あの二人には……」

 明日美がそう言うと、空は再びフォトデータに目を向け、口を噤んだ。

 そして、僅かばかりの沈黙が訪れると、
 必死に思考から追い出していた空自身の悩みが脳裏を過ぎってしまう。

空「あの司令……今日は、その話をするため、だったんですか……?」

 空は戸惑いがちに尋ねた。

 コントロールスフィア恐怖症となってしまった自分には、
 フォトデータに映る人々のように戦う力はもう無い。

 “もしや、お役御免なのだろうか”と、
 “今の話も、ただの最後の思い出作りなのだろうか”と、
 嫌な想像ばかりが脳裏を過ぎる。

 そうなってしまえば、イマジンとはもう戦えない。

 姉を殺した、あの憎く、恐ろしいイマジンと……。

 そんな空の考えを察したのように、明日美は質問を投げかける。

明日美「空……。
    貴女がイマジンと戦うのは、何故?」

空「それは……」

 明日美の質問に、空は俯いて言葉を濁し、固く口を噤んでしまう。

 先程、明日美の口から語られたエージェントの有り様や、二人の英雄の事を思えば、
 自分の戦いの動機は実に不純で、穢れた物のように思えたからだ。

明日美「私が言った事が気にかかるなら、
    さっきの話は無視しても構わないわ。

    戦う理由なんて人それぞれよ。
    名誉のため、愛のため、復讐のため、お金のため……。

    仮に結果に貴賤があっても、戦おうとする意志に貴賤は無いわ」

 明日美はそう言うと、どこか自嘲気味に“師匠の受け売りだけど”と付け加えた。

 その言葉も、空は……いや、明日美自身も知りはしないが、
 明日美の師・クリスの母である奏の言葉だ。

 一方、その言葉を受けて、空は思い悩む。

 口にすべきか、どうか。

 もしも口にしてしまえば、
 ドライバーとして相応しくないとギガンティックから降ろされるかもしれない。

 だが、明日美の言葉に空はまた驚く。

明日美「私はね……最初の数年間は復讐のために乗っていたわ……」

空「ッ!?」

 息を飲む空に気付きながら、明日美はさらに続ける。

明日美「イマジンに母を殺されて………
    いいえ、違うわね……。

    母を見殺しにした自分が許せなくて、
    妹を母親の無い子供にしてしまったのが悔しくて、
    父を追い詰めた自分を許せなくて、
    それを全部、イマジンにぶつけるしかなくて……。

    ……それで戦っていたのよ、私は……」

 明日美は言いかけて頭を振ると、
 どこまでも遠い目をしながら自嘲気味に言った。

 しかし、明日美のその言葉は空への後押しになる。

 嗚呼、心の中にどす黒い物を抱えているのは自分だけでは無い。

 世界を守り続けた英雄ですら、胸の内に黒い物を抱えていたんだ。

 そう思うと、固く噤んでいた口も開かれる。

空「怖い……から、です………怖くて、憎いから……」

明日美「それは……目の前でお姉さんを………
    たった一人の肉親を食い殺されたから?」

 切れ切れに吐き出すように呟いた空に、
 明日美は今日になって知った事実を踏まえて聞き返す。

 空は心臓が止まってしまうのではないかと言うほど、
 鼓動に合わせてビクリと身体を震わせた。

 だが、すぐに怒りが、憎しみが、空の胸を満たし、
 心臓を、魂を、心を突き動かす。

空「当たり前………当たり前じゃないですかっ!」

   ――オネエチャン、ヲ、カエセエエェェェッ!!――

空「アイツらはバケモノです!
  お姉ちゃんをあんな……あんな風に……!」

   ――オマエガアアァァァッ!!――

空「アイツらが殺したんです! お姉ちゃんを!」

   ――オネエチャンヲカエセ………オネエチャンヲカエセ………――

空「アイツらを皆殺しにしないと!
  怖くても戦わないと! また……また………!」

   ――コロシテヤル………オマエエェェェェェェッ!!――

 恐怖と憤怒と憎悪に突き動かされるように、空は喚き散らす。

 そうだ。

 殺さなければならない。

 イマジンは、一体残らず。

 お姉ちゃんを殺したイマジンを。

 恐ろしいイマジンを。

 皆殺しにしなければならない。

 そうでなければ……!

明日美「また……ね……」

 そこまで考えた瞬間、明日美の小さな声が空の思考を遮った。

 そして、再び先程と同じ思いが脳裏を過ぎる。

 いくら何でも、自分の考え方は過激だ。

 危険思想と言い換えても良いだろう。

 コントロールスフィア恐怖症も踏まえれば、
 ギガンティックから下ろされても文句は言えない。

 だが――

明日美「じゃあ、お姉さんと血が繋がっていないと知っていたら、
    あなたはそこまでイマジンを憎んだかしら?」

 続く明日美の言葉に、空は全ての思考を消し飛ばされる。

 十秒以上の沈黙は――

空「え………?」

 ――ようやく事態を察した空の言葉によって、破られた。

 それと同時に、思考が空の元に戻る。

 何を言っているのだろう?

空「だって……だって……え? そんな……」

 空はいつの間にか――いつか、と問われれば、喚き散らしていた頃からだ――
 溢れていた涙も拭わず、頭を抱える。

 明日美は何と言った?

 姉と血が繋がっていない?

 冗談だろうか?

 いや、明日美はその事を“知っていたら”と言った。

 それは、自分がその事実を知らない事が前提とした言い方だ。

空「だって……私……お姉ちゃんとそっくりで……」

 そうだ、自分は姉と瓜二つと言うほどに似ている。

空「魔力の色だって……同じ淡い青系で……」

 空色と水色……僅かにしか違わない魔力は血縁の証になる事もある。

空「魔力だって……完全に同調して……」

 魔力波長が合うのは他人にだってあり得るが、
 同系色同波長、しかも顔まで瓜二つで他人など、あり得ない。

 そう、あり得るハズがないのだ。

 自分と姉……海晴の血が繋がっていないなど、誰が信じるのだ?

 現に、仲間達も何度も自分たちが似ていると、
 “さすが姉妹”と言ったように言ってくれていた。

 そうだ、仲間達ですら認めてくれるのに、自分と姉の血が繋がっていないハズがない。

 だが、困惑しながらも言葉を否定する空の思考を遮って、明日美は語り出す。

明日美「あなたが生まれた日……いえ、海晴に保護された日は、
    本来ならばあの子の妹が生まれる日だったわ……」

空(いや……聞きたくない……)

 そうは思っているのに、朗々と語る明日美の声から耳を背けられない。

明日美「2060年7月9日……。

    60年事件の起きたあの日、由嘉里ちゃん……
    海晴の母親はパレードの沿線にある総合病院の産婦人科にいたわ。
    出産を間近に控え、海晴も父親と共に産婦人科に来ていた……。

    自宅から離れたその病院を紹介したのは私ね……。
    妹の時にもお世話になった病院だったし、
    パレードの日取りはもっと前から決まっていたから、

    プレゼントのつもりだったのだけれど………今思えば、悪い事をしたわ……」

空(聞きたくない……聞きたくないのに……)

 耳を塞ぐ事すら忘れ、頭を抱えたまま、空は明日美の言葉に聞き入ってしまう。

明日美「陣痛を迎え、由嘉里ちゃんが分娩室に入った瞬間………テロが起きた。

    丁度、パレードの隊列が間近にいた事もあって、総合病院は全壊。

    海晴は奇跡的にかすり傷で済んだけど、
    両親と、母のお腹の中にいた妹を……全ての家族を失った」

空(違う……違う……私は……お姉ちゃんの妹は……私……
  私……お姉ちゃんの……妹……?)

 次々と語られる真相に、空は自らを規定する最大の起源――
 朝霧家の次女である事――を揺るがされる。

明日美「家族を失った事を信じられず、呆然と彷徨う瓦礫の中で、
    生まれたばかりの……ヘソの緒の無い赤ん坊を見付けたそうよ。

    そして、家族を失った海晴は、自らの心の平穏のために、
    誰の子とも知らぬ貴女を、自分の妹として……
    本当の妹の物になるハズだった名前を……
    “空”と名を付けて、その赤ん坊を育てる事にした……。

    本来ならば出生直後に発行される戸籍が無かったのも、そのためよ」

空(じゃあ……私は………)

 明日美の説明に、空はある一つの疑問が膨れあがるのを感じた。

空「ワタシは……ダレ……?」

 呆然と漏らした空の疑問に、明日美は口を噤んだ。

 だが、語るべきだと判断し、意を決して口を開く。

明日美「………貴女の事を知ってから何年も調べているけれど、
    誰の子であるかは未だに分からないわ……。

    DNA鑑定をして、近しいDNAと照合しても、
    出産日と合う妊婦はいない。

    強いて言えば、あなたは朝霧空である、
    としか私からは言えないわ」

空「じゃあ、何で……何で私は、
  こんなにもお姉ちゃんに似ているんですか!?

  魔力の波長だって、色だって……!」

 明日美の言葉を聞き終えるなり、空はいきり立ったように叫ぶ。

 そうだ。

 海晴の妹でないなら、朝霧の血を引いていないのなら、
 何故こんなにも自分と海晴は似ているのか?

 何故、自分と海晴の魔力はあんなにも合致していたのか?

 血の繋がった姉妹と言う以外に、どんな証明の方法があると言うのだろう。

明日美「偶然の一致、としか言えないわね。
    生物学的にも、魔法研究的にも……。

    現に、クァンとマリアは生まれも育ちも両親の人種すら異なるけれど、
    魔力を同調させる事が出来るわ」

 明日美は淡々と、事実だけを語る。

 それに魔力の波長や色の合致は、
 血縁の証明……その補足の方法の一つにも挙げられるが、
 その一方で、家族だからと言って必ずしも同じ色になるとは限らない。

 明日美も父は青紫、母は薄桃色だが、
 自身の魔力は藤色で妹の明日華は朱鷺色だ。

 色の系統こそ紫色と言えない事もないが、
 両親の魔力の色に比べるとやや遠い。

 それに、甥の臣一郎など、父の勇一郎の青緑、
 母である明日華の朱鷺色から鮮やかな藍色である青藍だ。

 家族だからと言って必ず同じ色になるとは限らないし、他人でも同じ色になる事は多い。

 同系統、同波長の色を持った、同じ顔立ち、似た声を持った他人。

 海晴と空は、信じ難いほどに天文学的偶然の一致を持った、単なる赤の他人なのだ。

明日美「………イマジンが食い殺した海晴は、
    貴女の本当の肉親では無いのよ……」

空「そん……な……」

 空は頭を抱えていた腕を力なくだらりと垂らし、呻くように愕然と漏らす。

空(お姉ちゃん……)

 いつも、妹である自分の事を優先してくれた姉。

 理不尽な悩みを吐露した自分に、申し訳なさそうに涙してくれた姉。

 誰に聞いても、妹思いの優しいお姉さんと言って貰えた姉。

 そんな姉と自分が、血の繋がらない、他人。

 信じたくなかった。

 だが、どこかで、そんな気がしていたのかもしれない。

 何故、自分に戸籍が無かったのか?

 当たり前だ。

 あの当時の姉が自分の戸籍を発行するには、正規の手順を踏まなければならない。

 そうなれば、朝霧の子でない自分はあの家から出ていかなければならなかったハズだ。

 赤の他人なのだから当然だろう。

 そうなれば、姉は失うのだ。

 亡くなった両親と、生まれる事すら許されなかった妹の代わりを………家族の、代役を。

空「うぅぅ……ぁぁ……ぁぁぁぁ……っ」

 その事実に気付いてしまった空は、絞り出すような声で嗚咽を漏らす。

空(私……家族じゃ……お姉ちゃんの妹じゃ……なかった……!
  誰でもない、家族もいない……私に本当の家族なんて………いなかった!

  お姉ちゃんは……代わりが欲しかっただけ……!
  私じゃない……お父さんやお母さん、本当の妹の代わりが……!

  私でなくても……私が……お姉ちゃんの妹じゃなくても、良かった……!)

 困惑の果てに、空はその結論に至ってしまう。

 そうではないと思いたい。

 だが、ネガティブになった思考の全てが、
 空の心をその結論に雁字搦めに縛り付けた。

明日美「海晴はあなたの唯一の肉親では無かった……。
    それでも、イマジンが憎い……?」

 明日美は淡々と、感情を殺した声で語りかける。

空(イマジン……!?)

 その単語に、空は身体を震わせた。

 そして、気付く。

 憎い、殺したい。

 そんな憎悪よりも、今は恐怖が勝る。

 海晴が、お姉ちゃんではないからか?

 自分が、朝霧空でないからか?

 自分と海晴が、家族ではないからか?

 そんな疑問を突き破るように、眼前に何かが迫る。

 それは、コントロールスフィアに突き込まれた、イマジンの角。

 ドリルのように回転する角が、目前に迫る。

 そして、あの八ヶ月前の日、自分に迫った巨大な触手。

 無論、幻だ。

 困惑と恐怖が見せる、ぬぐい去れない恐怖の象徴。

 だが、その恐怖の象徴が脳裏にこびり付き、空はガタガタを身体を震わせる。

 ガチガチと歯が音を立て、全身から嫌な汗が噴き出す。

 そうだ、恐ろしい。

 イマジンは怖い。

 怖い。

 怖くて、もう――

空「私…………私……もう……戦えない……?」

 震える声でそう呟いた時、
 空は今までとは違う種類の涙が溢れ出した事に気付いた。

 それは紛う事なき、恐怖の涙だ。

 空は、姉を奪った憎しみと怒りに支えられてた少女は、
 今、イマジンの恐怖に完全に屈してしまった。

 折れた心に象徴されるかのように、
 空はソファからずり落ちるようにして、床に蹲ってしまう。

 その時――

『PiPiPi――ッ!』

空「ひ……ッ!?」

 携帯端末からイマジン出現を報せる警報音が鳴り響き、
 空は恐怖で身体を強張らせ、悲鳴を上げる。

 思わず取り出した携帯端末を、
 だが、すぐにソファの上に投げ出すようにして自分から引き離す。

 一方、明日美は冷静に立ち上がり、
 自らの携帯端末を取り出し、本部に連絡を入れる。

明日美「ベンパー副司令、私は今からそちらに戻ります。
    情報は全て私の端末に送りなさい。

    ええ、シフトは事前通達通りよ。
    変更はありません」

 明日美はそれだけ言うと、端末を懐にしまい込み、空の元に歩み寄った。

明日美「すぐにコチラにジャック君が迎えに来るわ。
    校舎下に専用のシェルターがあるから、そこに避難していなさい。

   ……普通のシェルターよりもずっと頑丈だから、安心して」

空「で、でも……しゅ、しゅつ、げき……出撃しない、と……」

 優しく語りかける明日美に、空は震える声で返し、
 投げ出してしまった形態端末に手を伸ばす。

 だが――

『PiPiPi――ッ!』

空「ひぃ……ぁ……っ!?」

 再び鳴り響いた、二体目のイマジン出現の警報に、空は伸ばした手を引いて恐れ戦く。

 一度折れてしまった心は、空の中に刻まれていた絶対的なイマジンへの恐怖を引き出す。

明日美「端末はここに置いて行きなさい……
    心配なら私が預かります。

    ………後で設定の仕方を教えるから、
    それでイマジン警報は切る事が出来るわ」

 明日美は諭すように言うと、投げ出された空の形態端末を手に取り、
 それをズボンのポケットに入れた。

空「でも……でも……でもぉっ!」

 空は難く目を瞑りながら、必死で強張る手を伸ばそうとする。

 だが、手は僅かばかりも動こうとしない。

 そう……元から彼女はイマジンに敗北していたのだ。

 幾度、その前に立とうとも。
 幾度、その命を奪おうとも。

 心に刻まれた恐怖を、憎悪と憤怒で必死にねじ伏せていただけの少女は、
 その憎悪と憤怒が恐怖に敗北した今、その事実を思い出す他無かった。

明日美「いいから、さぁ……逃げなさい」

 ログハウスに飛び込んで来たジャックの姿に気付いた明日美は、
 努めて優しい声で空を促し、立ち上がった空をジャックに託す。

ジャック「さあ、空さん、シェルターはこっちだよ」

 ジャックも思念通話で事情を聞いていたのか、
 空の肩を抱くようにして、優しく導いてくれた。

 明日美もログハウスから出ると、車へと向かう。

 だが、ふと思い出したように振り返る。

明日美「空!」

 明日美に名を呼ばれ、
 空はビクリと身体を震わせ、怖ず怖ずと向き直った。

明日美「………もし、まだ戦う意志があるなら、探しなさい。
    自分が戦う理由……いえ、戦いたいと思える理由を、
    自分だけの戦う意味を探しなさい!」

 明日美の言葉に、空は目を見開き、呆然と聞き入る。

明日美「そして、自分が朝霧空である事を、決して忘れない事!
    いいわね!」

 明日美はそれだけ言い終えると車に乗り込み、
 全速力でその場から立ち去った。

ジャック「……さあ、私達もシェルターに急ごう」

 しばらくその後を呆然と見ていた空だったが、
 ジャックに優しく促され、シェルターへと向かう。

 校舎内に入り、ジャックの提案で顔を洗って涙を拭った空は、
 彼と共に地下へと続く階段を下って、突き当たりの何層もの分厚いシャッターの奥へと入って行く。

 そこは大広間のような空間と、そこから通じる無数の個室に区切られた、
 見たこともないほど豪華で頑丈そうなシェルターだった。

 幾人もの職員と、それ以上の数の子供達が思い思いの場所で寛いでいる中、
 空は彼らから少し離れた位置にあるベンチに腰を下ろす。

 ジャックは職員のまとめ役と言う事もあって、
 すぐに職員達の元へ向かい、空は一人きりになってしまう。

 空が俯いて呆然としていると、不意に人の気配が間近にある事に気付く。

 そこにいたのは、まだ幼い……五歳くらいの男の子だった。

男の子「はじめまして!」

 男の子はニッコリと微笑んで、大きな声で挨拶して来た。

 すると、それにつられて、また何人かの子供達が駆け寄って来る。

女の子「お姉ちゃん、だぁれ?」

少年「ジャック先生の知り合いの人?」

少女「ほらほら、そんなに一気に質問しないの」

 話しかける子供達は、最初の男の子と年の変わらない女の子や、
 もう少し年齢の高い少年や、そんな弟妹分を窘める瑠璃華と同い年くらいの少女もいた。

空「みんなは……イマジンが、怖くないの……?」

 空は呆然としながらも、そんな事を尋ねる。

 そう、子供達はどの子も無邪気に微笑み、
 微塵も恐怖を感じている様子は無かった。

 いや、厳密に言えば怖がっている子供もいたのだが、
 そんな子達ですら、空には自分よりも怖がっているようには見えなかったのだ。

 そして、瑠璃華と同い年くらいの少女が口を開く。

少女「大丈夫だよ!
   瑠璃華ちゃんや、マリアお姉ちゃんや、レミィちゃんが、
   絶対にイマジンを倒してくれるもん!」

少年「風華お姉ちゃんやクァンお兄ちゃんだっているぜ!」

男の子「フェイお姉ちゃんもいるよ!
    それと、臣一郎お兄ちゃんも、茜お姉ちゃんもいるから大丈夫だよ!」

 少女に続いて、子供達が口々に言った。

 その中に、自分の名前は無い。

 明確な守秘義務は無いとは言え、随分とギガンティックのドライバーに詳しいようだ。

 まだ自分の知らない人物……茜【あかね】の名前もあるが、
 おそらくはロイヤルガードにいる202のドライバーだろう。

 空が疑問を事故解決していると、不意に一人の女の子が、
 じっと自分の顔を覗き込んでいる事に気付いた。

女の子「あ、お姉ちゃん……海晴お姉ちゃんにそっくり!」

空「ッ!?」

 女の子の言葉に、空は思わず肩を震わせる。

少年「あー、俺知ってる! 海晴お姉ちゃんの妹が、今のエールのドライバーなんだぜ!」

少女「じゃあ、お姉ちゃん……エールのドライバーなの?」

男の子「エール、動かないの?」

 一人の少年の言葉に、子供達が口々に疑問を漏らす。

空(違う……私………お姉ちゃんの……海晴さんの妹じゃないの……。
  ギガンティックにも……もう、怖くて……乗れないの……!) 

 空はその事実を口んする事が出来ず、
 膝を抱え込むようにしてベンチの上で蹲ってしまう。

空「うぅ……」

 小さく呻くように、嗚咽が漏れる。

 初めて出逢った子供達でさえ分かるほど似ているのに、
 海晴とは血が繋がっていない。

 ギガンティックのドライバーである自分が、何でこんな所にいるのだろう?

 海晴の妹でもない、ギガンティックに乗る事も出来ない。

空(私は……誰なの………!?
  何で、こんな所に……いるの……!?
  私……分からない……怖い……誰か……誰か、助けてよぉ……!)

 空は心中で、悲鳴のように助けを呼ぶ。

 だが、その声に応えてくれる人間は誰もいない。

 本当の家族が、いなかったように……。

空「うぅ……うぁぁぁ………ぁっ!」

 押さえ込んでいた涙が、嗚咽と共に溢れ出す。

 突然泣き出した自分を心配する子供達の声も、
 慌てて駆け寄って来たジャックの声も、空には届かなかった。

―4―

 十数分後、ギガンティック機関司令室――


 私服の上に上着だけを羽織った明日美が、慌てた様子で駆け込む。

 既にオペレーター達は所定の座席で仕事に入っていた。

明日美「状況は!?」

アーネスト「第一フロート第二層にカメレオン型、こちらは06と12。
      第三フロート第四層に混合肉食獣型、こちらは08と09。
      第六フロート第一層にトンボ型、こちらは07と11で、それぞれに対処中です」

 コマンダーシートに座った明日美の質問に、アーネストが答え、
 さらにタチアナが続ける。

タチアナ「第四フロート第三層にサイ型イマジンが出現しましたが、
     こちらは増援を要請したロイヤルガードの02が出撃しています」

明日美「動けない10以外は、全て出払っているのね……」

 タチアナの説明を聞きながら、明日美は思案気味に漏らす。

 さすがにこれ以上の数を出されたら、もう対処できる戦力はなかった。

 軍のギガンティックに時間を稼いで貰う手立てもあるが、
 それは軍のドライバーに“死ね”と言うのに等しい。

 その時――

リズ「軍用回線から緊急入電!
   皇居正門周辺に大型の同体反応!
   識別不明! テロリストの大型ギガンティックと思われます!」

 悲鳴じみた声で、リズがそんな情報を読み上げた。

アーネスト「ここまで長期間に渡って非常事態だと言うのに………。
      節操がありませんな、テロリストは……」

明日美「だからテロリストなのでしょう……全く」

 呆れたように漏らし肩を竦めたアーネストに、
 明日美は苛つき混じりの溜息を漏らして言った。

ルーシィ「10発進の通達が出ました。
     10がテロリストの迎撃に向かうそうです!」

 リズの隣に座ったルーシィが、僅かに喜色ばんだ声を上げる。

アーネスト「久しぶりに動きますか……臣一郎君が」

明日美「あの子はああ振る舞っていても責任感の強い子だもの……。
    妹達や恋人ばかりに戦わせている状況に、苛立ちがあるのよ」

 アーネストの言葉に、明日美は淡々と漏らした。

 10……GWF210X。

 アレクセイ・フィッツジェラルド・譲羽謹製の、最後のオリジナルギガンティック。

 初代ドライバーである本條一征、その息子である本條勇一郎を経て、
 三代目となる臣一郎へと受け継がれたギガンティックだ。

明日美「二分……保つかしら……?」

 明日美はふと、そんな疑問を口にしていた。

 同じ頃、メインフロート第一層中央区、
 京都のさらに中央、皇族王族隔離型集合居住執政区、別名・皇居――

 政府の人心掌握政策のため、
 執政権と権威を持ち合わせた皇族や王族達が住まう特別区画。

 広大な土地を百メートルを超える高い防壁と結界に守られたその場は、
 たとえ一級市民であっても、特別な許可が無ければ入る事は許されていない。

 立ち入りが許されているのは、厳重な審査に合格した一級以上の市民か、
 オリジナルギガンティックに選ばれた特一級でもさらに最上級の者達だけ。

 無論、犯罪者など立ち入りは許されない。


 だが、今はその場に向かう巨大なリニアキャリアの一団があった。

 旧式だが、ギガンティック運搬用のリニアキャリアだ。

 それが三両。

 その上に屈むようにして身体を固定した、テロリストの使うギガンティックが五体。

 リーダーと思しき黒い機体は他のギガンティックよりも一回り巨大な四〇メートルの巨躯を誇り、
 一体で一台のキャリアを占有していた。

 他の灰色のギガンティック達も平均よりもやや大きな三十五メートルの、
 いわゆる大型ギガンティックの一団だ。

 そして、それを正面から見据える巨大な姿があった。

 真っ白な躯体に黒い差し色の映える、
 全身を青藍に輝かせた、こちらも四十メートル級の大型ギガンティック。

 そう、これこそが本條臣一郎の駆るオリジナルギガンティック、GWF210Xだ。

 その内部――コントロールスフィア内では、両腕を組んで仁王立ちになった、
 ドライバー用インナースーツ姿の臣一郎がいた。

臣一郎「見えた……。
    量産型第三世代、324改が四機と377改が一機」

??『相変わらず、テロリストのくせに豪勢な装備だね。

   こちら第一中隊、藤枝。
   西門は以上無し。

   ………どうやら、陽動も何も無しとなると、君だけに用があるらしいね』

 呟くように漏らした臣一郎の声に応えるように、
 通信機越しに柔らかな雰囲気の青年の声が聞こえる。

臣一郎「カズ、第一中隊はそのまま西門で待機。
    同じく、第二中隊は東門、第三、第四中隊は裏門の警備を続けろ。
    第五から第九中隊、内部の警戒を怠るな!」

 通信の相手に返しながら、臣一郎は部下達に指示を出す。

 ロイヤルガードは三機一小隊のギガンティックが四小隊で一中隊だ。

 大きな目抜き通りに面した裏門周辺には二十四機のギガンティックが陣取って構え、
 実力者を率いる第一、第二小隊のそれぞれ十二機が脇の東西を固める。

 そして、裏門よりも広く、広大な自然区画に面した正門には、
 近くに軍のギガンティック大隊が控える基地があるものの、
 基本的に一体のギガンティックだけが守りを固めていた。

 それが、臣一郎とその愛機だ。

 それは、誇張でも自惚れでもなく、たった一機で防備が完璧と言う証拠だ。

 無論、緊急事態に備えて、正門裏手には第五、第六中隊からなる二十四機の予備戦力も隠されており、
 本来ならばこちらが正門の防衛に駆り出される。

??『一番防御の厚い正門を狙う物かねぇ、普通』

 祖母譲りだと公言する軽口を叩く親友の言葉を聞きながら、
 臣一郎はどこか呆れたような笑みを浮かべる。

臣一郎「普通の考えなら、
    今と言う時代にテロを気取るのがどれだけ愚かか分かるだろう」

??『そりゃそうだ』

 皮肉めいた臣一郎の台詞に答えた通信の相手……カズ――
 つまり、風華の実兄である一尋だ――は、半ば呆れ気味に納得したように漏らす。

臣一郎「通信終了。
    戦闘状態に移行する」

 臣一郎は通信を切断すると、しっかりと前を見据えた。

臣一郎「戦闘準備だクルセイダー……いや、デザイア」

デザイア『イエス、ボス』

 思わず仮の名で呼びかけた臣一郎が、改めてその名を呼ぶとギガンティック――
 デザイアは、かつての主達にもそうであったように淡々と応える。

 クルセイダー……デザイアはロイヤルガードの旗機となった時に、
 その名を改めさせられていた。

 デザイア……欲望を意味する名は、
 セルフコントロールの意味を込めて初代ドライバーである一征が、
 研究院から譲り受けた第五世代ギアに付けた名だ。

 それは利己の精神を捨てようとする一征の、
 謂わば歯止めになってくれる事を願って彼自身が愛器に送った名だった。

 だが、その名は旗機に相応しくもあるワケがなく、
 政治家の思惑もあり、外の世界を取り戻す――聖地奪還――意味を込めて、
 十字軍を意味する名を与えられたのである。

 淡泊で利己を嫌うデザイアは問題なくその名を受け入れたが、
 祖父から代々受け継いだオリジナルギガンティックを、
 臣一郎は敬愛を込めて真の名で呼んでいた。

 普段から変わらぬ声音だが、その名で呼ばれた愛器が悪い気をしていないのは、
 長年の経験から臣一郎も分かっている。

 臣一郎が腕を解くのに合わせて愛器も組んでいた腕を解き、
 それと同時に正門の左右に巨大なタンクがそびえ立つ。

 鈍色の輝きで満たされたそれは、
 大量のエーテルブラッドの貯蔵された地下タンクと直結したタワーだ。

 クルセイダー……いや、デザイアは背面からケーブルを伸ばし、
 二本のタワーと自身を接続する。

デザイア『戦闘準備、完了』

臣一郎「……よし」

 デザイアの言葉に頷き、臣一郎は構えを取り、外部スピーカーを起動した。

 正門から僅かに離れた位置でキャリアを停車させ、
 降り立った五機の大型ギガンティック達を見据え、一征は口を開く。

臣一郎「こちらは皇居防衛警察、ロイヤルガード第一小隊隊長、
    及びギガンティック部隊総隊長、本條臣一郎である!

    諸君らは軍、警察、ギガンティック機関、
    その他あらゆる組織に属さないギガンティックウィザードを使用している。

    即刻、そのギガンティックウィザードの武装を解除し、投降せよ!」

 臣一郎は普段よりも僅かに低い声で、
 ゆっくりと迫り来るギガンティックのドライバー達に警告を発する。

 だが、彼らは止まる素振りを見せず、
 手に銃や剣を構えると、デザイアに向かけて一斉に襲い掛かった。

デザイア『対象は警告を無視』

臣一郎「分かっている………E.B.G.S、起動!」

デザイア『イエス、ボス。
     ……エクステンド・ブラッド・グラップル・システム、起動!』

 デザイアが臣一郎の声に応えると同時に、デザイアの全身各部の装甲が展開し、
 中から青藍に輝くエーテルブラッドが噴き出す。

 しかし、排出されたエーテルブラッドは辺りに飛び散らず、
 デザイアの四肢を覆う装甲へと変化した。

臣一郎「下半身を溶かし斬るぞ……炎熱変換だ、デザイア!」

デザイア『イエス、ボス!』

 臣一郎の言葉にデザイアが応えた瞬間、
 四肢を覆うエーテルブラッドの装甲が燃え上がる炎と化す。

 こちらもギガンティックと同じく祖父の代から譲り受けた、
 属性体内集束の魔力特性を利用した機能だ。

 ドライバーの特性を受けて変質したエーテルブラッドを、
 そのまま属性変換する事が出来る、デザイアのみに搭載された機能である。

 その精度と破壊力は、風華の突風・竜巻のブレードエッジを遥かに上回る。

 しかし、それだけでは終わらない。

臣一郎「本條流格闘術奥義………」

 朗々と呟く臣一郎が右腕を横薙ぎにするように広げると、
 青藍に輝く炎と化した装甲が伸びた。

 それは大きく広がり、全長二百メートルはあろうかと言う長大な刃と化す。

 そう、これこそが、かつて魔導装甲であったデザイアに搭載された専用武装、
 エクステンドグラップルユニットを進化させた装備。

 エーテルブラッド――即ち結界装甲そのものを武器と化す、
 おそらくは世界最強の破壊力を誇る刃――
 エクステンド・ブラッド・グラップル・システム、略称E.B.G.Sだ。

 代償として著しいブラッドの消耗と、補給システムとの連動を余儀なくされるが、
 その代償を負うが故に、デザイアはこの皇居正門前では無敵を誇る。

 分厚い正門と、地下のブラッド貯蔵タンクと供給システム、
 ギガンティック本体の全てを統合した防衛システムこそが、
 GWF210Xの真骨頂なのだ。

臣一郎「轟の型壱・改! 炎熱……轟烈掌ッ!」

 そして、裂帛の気合と共に手刀を一薙ぎする一撃――轟の型・改【ごうのかた・あらため】、
 炎熱魔力によって強化された刃と化した轟烈掌【ごうれつしょう】が放たれる。

 本條家やその臣下の家々に、連綿と受け継がれた格闘の奥義。

 敵を薙ぎ払い、粉砕する轟の型を炎熱によって強化した一撃は、
 襲い掛かかって来たギガンティック達の同体を上下に両断した。

 正に一瞬。

 鋭い炎の刃に溶かし切られたギガンティック達は、
 爆発する事もなくその場に崩れ落ちた。

 臣一郎はさらに、伸びたままの炎の刃を使い、
 ギガンティック達の武器や腕を破壊し、敵を完全に無力化する。

デザイア『敵性ギガンティックウィザード、無力化を確認』

臣一郎「よし、戦闘終了。
    回収部隊、敵性ギガンティックを回収、内部のドライバーを捕縛しろ」

 デザイアの報告を聞いた臣一郎は、静かに部下達に指示を出した。

 ここまで、戦闘開始からおよそ一分十三秒。

 予感めいた明日美の呟き通り、二分と経たずに戦闘は終了したのだった。

一尋『お疲れ様、シン、それにデザイアも』

 通信機からも、親友の労いの声が聞こえる。

 彼も、愛機を仮ではなく真の名で呼んでくれる数少ない人物の一人だ。

デザイア『サンクス、カズ』

 デザイアも、そんな主の親友に返礼する。

臣一郎「ありがとう、カズ……。
    さあ、引き上げだ、デザイア」

デザイア『イエス、ボス』

 臣一郎は愛機の返事を聞きながら、
 正門横に開いた地下ハッチへと機体を滑り込ませた。

 そんな一連の光景を、そこから離れた軍の監視塔の屋上、
 その給水タンクの上から監視している一団がいた。

 人数は四人。

 全員が黒い防刃防弾スーツを着込み、夜の闇に紛れている。

 スーツには魔力遮断機能やレーダー妨害機能が備わっており、
 肉眼以外で彼らを見付ける術はない。

男1「こんな場所で軍に見付かりませんかね」

??「………灯台と言うのは、下も暗いが真上も案外暗い物だよ」

 心配そうに尋ねる男の一人に、
 立ち上がって双眼鏡型録画機器を覗き込んでいた中年の男が答える。

 男は録画機器から目を離し、
 “内通者もいるからね、退路は完璧だ”と飄々と付け加えた。

 どうやら彼がこの一団の首魁らしく、他の三人が彼の一挙手一投足を見守っている。

??「しかし、捨て駒の324改と377改とは言え、
   五機がかりで二分保たないどころか一撃とはね……。

   まあ、アレがあのまま攻め込んで来る事はあり得ないが、
   今の我々の装備でアレの相手はしんどいだろうねぇ」

男1「博士がわざわざ出向かれる必要は無かったのでは?」

 愚痴っぽく漏らす男――博士と呼ばれた――は、部下の質問に肩を竦めた。

博士「皇帝陛下が煩いからね……。
   あれの悪趣味に付き合うなら、たまには外に出て気分転換も必要だよ……」

 博士はそう言うと、足もとに置いていた鞄にソレを仕舞い込んだ。

男2「しかし、データは全て手元にあるのですから、
   わざわざ動いている物を見る必要はなかったのでは?

   ギガンティックを五機も失う必要は無かったと思います」

 別の部下の質問に、博士はまた肩を竦めた。

博士「まあどう考えても無駄だよねぇ……。
   まあ、圧倒的戦力差を見せれば、
   皇帝陛下を焚き付けるのが楽になるだろう?

   必要経費を投じたと思わなきゃ」

男2「324改四機と、377改一機が必要経費、ですか……」

 飄々と漏らす博士の言葉に、部下が呆れたように漏らす。

 324改と377改は、軍でも正式採用され、
 現役で動いているGWF324とGWF377を改良した機体だ。

 無論、正規の改良とは異なるため、
 軍用の正式な324改や377改とは性能が異なり、一長一短と言った所である。

博士「必要経費と思っておこうじゃないか?

   上手く焚き付ければ、400シリーズの開発資材がたっぷり入って来るからね。
   馬鹿の王国の駒をせっせとこさえるより、浪漫溢れる新型機の方が、
   僕ら研究者には大事だからねぇ」

 博士はそう言って、嘲るように笑った。

 つられたように、他の三人も口元に笑みを浮かべる。

 誰を嘲ったかは、彼らのみぞ知ると言った所だろう。

男3「しかし、あの皇帝陛下が満足されますかね、400シリーズに?
   いっそ、核弾頭を抱いて世界と心中する準備を整えてやった方が喜びそうですが?」

博士「ああ、それは言えてるね、言い得て妙だ。

   けれど、400シリーズに満足して貰わないと困るよ……。
   そうでないと、何のために山路の研究所を乗っ取ったのか分からなくなるから。

   それに完成すれば210Xなんて目じゃないよ……。
   トリプルエックス……アレを上回る機体を作るワケだし。

   資金繰りや設備は機関に負けるかもしれないけれど、
   資料の質や知識は、機関より上のつもりだよ」

 もう一人の部下の質問に、博士は噴き出しそうになりながら答えると、
 ニンマリと目を細めて子供のように手を広げて大仰に、感慨深げに語った。

博士「あと、皇帝陛下の玩具も作らないとねぇ……。
   いやぁ、やる事がいっぱいで楽しみだ」

 博士は無邪気を装って笑う。

博士「こちらの手元には色々と手札も揃いつつある。

   201Xや202Xの主武装もコチラの手の内だし、
   ミッドナイト1もそろそろ使い物になる頃合いだからねぇ……」

 博士がそう言い終えると、部下達が立ち上がる。

男1「撤収準備、完了しました」

博士「じゃあ、京都見物も今日で終わりにして、帰ろうか?
   我らの王国、第七フロート第三層に、さ」

 博士は芝居がかった口調でそう言うと、部下達を連れ立って給水タンクを後にした。

 第七フロート第三層への帰還。

 それは彼らがテロリスト……
 それも、60年事件を引き起こしたテロリストの流れを汲む、
 危険な一団である事を示していた。

博士「さあ、僕らのエナジーブラッドエンジンが、完成の日を待っているよ」

 博士はそう言うと、無邪気な少年のような笑みを浮かべた。


 連日のように現れ続けるイマジン。

 自らの出生を知らされ、心折れた空。

 そんな危機的状況の中で動きを見せたテロリスト達。

 しかし、彼らの暗躍、そして彼らが本格的な動きを見せるまでには、
 まだ僅かばかりの時を要する事を……
 もう僅かばかりの時しか残されていない事を、まだ誰も知らない。


第11話~それは、心砕く『恐怖と真実』~・了

今回はここまでとなります。

次回は………なんか構成ミスで2~3倍の文章量必須である事が判明したので、
分割で投下するか、二ヶ月後に投下になるかもしれませんorz

あと、安価置いて行きます

Ⅰ・結編
第34話 >>2-70
最終回 >>76-153
番外編 >>165-233
閑話   >>235-245

Ⅱ・空編
プロローグ >>251-260
第1話   >>265-295
第2話   >>300-327
第3話   >>332-366
第4話   >>371-404
第5話   >>409-442
第6話   >>447-485
第7話   >>496-534
第8話   >>540-576
第9話   >>581-618
第10話   >>622-658
第11話   >>663-700

設定等 >>659

期待

乙保守!

期待ageと保守、ありがとうございます。



前回、分割で投下する、とか、二ヶ月後に投下、とか言ったな?    アレは、嘘だ。


いや、冗談抜きで何でか早めに書き上がってしまったので投下します。
今回長いです。

第12話~それは、憎しみを超えた『空色の巨人』~


―1―


 イマジンの四体同時出現とテロリストの襲撃が重なったあの夜から5日後、12月20日木曜の朝。
 ギガンティック機関隊員寮、食堂――


空「………」

 朝食を済ませようとする職員でごった返す中、空は気落ちした表情で朝食を摂っていた。

 朝食と言っても食欲が湧かないため、野菜スープと牛乳だけのシンプルな物で、
 普段から身体を鍛えている十四歳の少女の朝食としては物足りない。

 その少ない朝食ですら、空はちびちびと事務的に啜っているだけで、
 食事が捗っているとは言い難かった。

 五日前、PTSD……コントロールスフィア恐怖症と診断され、
 明日美から海晴と自分の関係を聞かされた空は、
 誰の目から見ても分かるほど気が滅入っており、
 回りの職員達もその雰囲気を察してか距離を取っているようだ。

 気遣いの範囲なのだが、空には逆にそれが心苦しくもあり、余計に気分を沈ませる。

 仲間達のいる待機室に顔を出せば良いのだが、戦えない自分が顔を出すワケにもいかない、
 と言う思いもあってそれも難しく、空はどんどんと鬱屈して行く自分に歯止めがかけられずにいた。

??「隣、いいかしら?」

 そんな空を心配してなのか、不意に頭上から聞こえた控え目な声に、空は思わず顔を上げる。

空「あ……」

 驚く空の目の前にいたのは、雪菜とルーシィ、それにアリスの三人だ。

 声をかけたのはおそらく先頭にいる雪菜だろう。

 空が辺りを見渡すと、確かに席は満席で、空いているのは自分が座っている一角だけだった。

空「……どうぞ」

 ベンチシートのど真ん中に座っていた空は、ほんの一瞬だけ迷った後、
 少し端に寄って三人に場所を提供する。

アリス「空ちゃん、あんまり食べてないみたいだけど、大丈夫?」

 傍らに座ったアリスが心配そうに尋ねて来た。

空「……あまり食欲が無くて……。
  心配かけて、すいません」

 空は弱々しい笑みを浮かべて、乾いた笑い混じりに返す。

 その声に気力は感じられない。

アリス「えっと……」

 アリスは続けて何らかの話題を切り出そうとするが、中々、思い浮かばない。

雪菜「アリス……」

 そんな後輩を、雪菜は名前を呼んで御した。

アリス「……はい」

 アリスも肩を竦めて頷くと、食事に移る。

 そんなアリスの様子が申し訳なくて、空は必死に話題を探す。

 改めて三人を見ると、全員が制服ではなく私服だ。

空「………皆さん、私服って事はお休みなんですか?」

雪菜「ええ……。
   三日前を最後に出なくなったから、
   スキを見てローテーションで休暇を取る事になったの。

   今日は私、ルーシィ、アリスと、
   この場にはいなけれどエルスターチーフの四人ね」

 空の質問に、雪菜が応えた。

 イマジンの事だったのだが、雪菜は空を気遣って断言を避ける。

 先月の25日から、つい三日前の17日までの間、
 休み無く現れ続けていた同種のイマジン達は、ぱったりとその出現を止めていた。

 端末の警報をオフにしていた空だったが、四日前に出勤した際、
 室内で警報を聞いた瞬間にパニックを起こしてしまい、
 それ以来、明日美の許可を得て待機室にもブリーフィングにも顔を出さなくなっていた事もあり、
 何となくそうでなないかと思っていたのだが、どうやら当たりだったようだ。

 オペレーター達の休暇も昨日から始まった事で、
 イマジンの反応が途切れている今がチャンスと言う事らしい。

ルーシィ「まあ、急に休みを入れられても、何も出来る事は無いんだけどね………」

 ルーシィはそう言うと、盛大な溜息と共に肩を竦めた。

アリス「私も学生時代のお友達からお誘いはあったんですけど、
    新堂チーフとサクラ先輩が仕事中と考えると気が引けてしまって……」

雪菜「アリスは真面目ねぇ……」

 苦笑い混じりに言ったアリスに、雪菜はつまらなそうに呟き、
 “まあ、ウチのクララより何倍もマシだけど”と付け加えた。

ルーシィ「クララ先輩、仕事は出来るんですけどねぇ」

アリス「あんまり言うと、クララ先輩が可哀相ですよ?」

 笑いながら漏らしたルーシィに、アリスは少し躊躇いがちに二人を諫める。

ルーシィ「そう言うアリスも、お誘いのあった“お友達”は、
     本当に“お友達”かなぁ? 彼氏じゃないの? うん?

     遠慮せず、お姉さんに話してみなさいな」

アリス「そ、そんな……彼氏なんかじゃ……!
    じゃ、なくて……クラブ活動をしていた時のお友達で……」

 サラダパスタを食べていたフォークを突き付けられ、目の前でクルクルと回すルーシィに、
 アリスは顔を真っ赤に紅潮させて俯き気味に返す。

雪菜「私も気になるわねぇ……クラブ活動をしていた時の“お友達”かぁ」

アリス「だ、だから! そんなんじゃないですって!」

 何処か戯けた調子で“お友達”を強調する雪菜の言に、
 アリスはさらに顔を真っ赤にして否定した。

 しかし、その言い方では男性である事は否定していない事になる。

 ともあれ、折角の休暇も予定が立てられる状況でも無い事も手伝って、
 二人はアリスをからかって楽しもうと言う魂胆なのだろう。

 別にイジメと言うワケではなく、アリスがオペレーター最年少の新人と言うだけでもなく、
 真面目で大人しく、受け答えが丁寧でリアクションが可愛らしいと言う事もあって、
 どこかからかい甲斐があるのだ。

 特にルーシィなどは去年は自分が同じ境遇だった事もあり、
 からかう様にも熱が籠もっている。

空「もう、アリスさんが困ってるじゃないですか」

 そんな三人の様子に、いつの間にか笑みを浮かべていた空は、
 そう言ってアリスをフォローした。

 見ていて退屈はしないが、このまま助け船を出さないのも薄情だ。

ルーシィ「もう、空ちゃんったら、本当に海晴さんみたいなんだから」

 そんな空に、ルーシィは屈託なく笑って言った。

 悪気は無かっただろう。

 事実、空の物言いはどこか海晴を思わせる物で、それは仲間達も認める所だ。

 以前の空なら、そう言って貰えるのは何よりも嬉しかった。

 だが、自分と海晴の間の真実を……血が繋がらない他人であったと言う事実を知らされた今となっては、
 海晴と似ていると言われても、空には虚しさや苦しみしか無い。

空「あ……」

 思わず漏れた声も、半分以上は戸惑いだ。

 だが、自分と海晴の血が繋がっていない事を知っているのは明日美とアーネストの二人だけ。

 無論、オペレーター達には報されていない。

雪菜「ルーシィ……」

ルーシィ「……ごめん、空ちゃん」

 朝霧家の事情を知らぬ雪菜は、空の反応をPTSDの件と取ったのか、
 後輩を一オクターブ低い声で窘め、ルーシィも申し訳なさそうに言って肩を竦めた。

 まあ、姉の事も無関係とは言い切れないので、雪菜の判断もあながち間違いではない。

空「いえ、大丈夫です……気にしないで下さい」

 空も申し訳なさそうに言って、また弱々しい笑みを浮かべた。

 そして、まだ半分以上のスープが残っている食器を持って立ち上がる。

空「すいません、お先に失礼します……」

 空はそう言い残すと、足早にその場を辞した。

 オペレーター達は無言で空の後ろ姿を見送っていたが、
 その視線もすぐにルーシィに注がれ、ルーシィも肩を竦めて俯く。

アリス「ルーシィ先輩……」

雪菜「本当、あなた、空気読みなさいよ……」

ルーシィ「うぅ……申し訳ないッス」

 哀しそうな後輩と咎めるような先輩の視線と言葉に、
 ルーシィは居たたまれなそうな表情と共に深々と頭を垂れた。

 一方、食堂を離れた空は、寮の自室へと戻っていた。

 休暇ではないので制服は着ていたが、やはり待機室に顔を出す気にはなれない。

 それは、三日前にパニックを起こしてしまった気まずさもあったが、
 空の中でそれ以上の体積を占めていたのは、海晴の事に対する戸惑いと、
 敢えて誤解を恐れずに言うならば、ある種の不快感に分類される感情だった。

空「ハァ……」

 ベッドに仰向けに身体を投げ出し、小さな溜息と共にベッドサイドのタンスに目を向ける。

 タンスの上には、正面を下に向けて倒された二つのフォトスタンドがあった。

 姉と両親の……いや、そう思っていた人達の遺影だ。

 朝晩、日課のようにしていた報告も、五日前の夜から止まっている。

 それどころか、三人の顔を見るのも心苦しくて、あのように倒していた。

空「……ん……」

 空は倒れたフォトスタンドから目を離し、そっぽを向くように寝返りを打つ。

 何もない壁を見ていると、逆に様々な思考が空の脳裏を駆けめぐる。

 コントロールスフィア恐怖症の事。

 自分の本当の家族の事。

 これから、自分がどうやって生きて行けば良いのか、と言う事。

 コントロールスフィア恐怖症は、
 主治医である笹森雄嗣主任の話では時間が解決してくれる事もあると言う。

 但し、それがいつになるかは分からないので、根気よく治して行くしかないとの事だ。

 自分の本当の家族の事にしても、
 先日、司令室に呼び出されて明日美とアーネストから話を聞かされた。

 八年前からずっと、ギガンティック機関の諜報部門や行政の方で調べてもらっているらしいが、
 有力な情報はまるで無いとの事らしい。

 そして、最大の問題とも言える、今後の自分の生活だ。

 コントロールスフィア恐怖症が治らないならば、
 このままギガンティック機関に籍を置き続けるワケにはいかない。

 明日美からは“戦う意志があるなら残りなさい”、とは言われていた。

 事実、戦わなければならないと言う使命感は空にもある。

 自分はオリジナルギガンティックに選ばれたのだ。

 今、世界にたった九人しかないオリジナルギガンティックのドライバー。

 仲間達を残して自分が抜けるワケにはいかない。

 だが、それもあくまで義務感でしかなく、イマジンに対する恐れはそれを大きく上回る。

 今も、イマジンの事を思い浮かべただけで身が竦み、呼吸は乱れ、汗が滲む。

 明日美は戦う意志があるなら、
 自分が朝霧空である事を忘れるな、とも言っていた事を思い出す。

 空にはそれが今一つ、意味を掴みかねていた。

 今の自分を規定してくれる物は、この名前しかない。

 借り物の……本来ならば、本物の朝霧家の次女に付けられる筈だった名前。

 借り物の名前を与えられた自分。

 その事を忘れるな、とはどう言う意味なのだろうか?

 恐怖と困惑の中で、空にはそれを理解する事が出来なかった。

 そして、それは戦う意味が見出せない事と同義だ。

空(だったら……やっぱり……)

 ギガンティック機関を、去るしかない。

 空は再び巡って来たその結論に、深いため息を漏らす。

 そうなったら、自分はどうすればいいのだろう?

 第八小中学校に復学する事も出来るし、正一級市民が通う学校に編入する事も出来る。

 勉強には自信があるし、そのまま普通の学生になってしまっても良いだろう。

 普通に進学して、普通に就職して、興味のある分野が出来たら大学に行くのも悪くない。

 人並み以上に鍛えた身体を活かして、警察官や軍人になる道もある。

 それは、多少の差違はあれど普通の生活だ。

 そう、ギガンティックには乗れなくなってしまったが、空には普通の生活を営む権利があった。

 だが――

空(みんなの所には……戻れないな……)

 今更、自宅には戻れない。

 権利上、あの家は空の所有となっているが、本来は朝霧家の物なのだ。

 赤の他人である自分が、あの家に戻って良い筈がない。

 それがただの頑固さ故の思い込みである事は分かっていたが、
 空にはその思いを曲げる事は出来なかった。

 そうなれば、別の場所で暮らす事になるだろう。

 幸い、先月と今月半ばまでの給料を使えば、家の一軒くらいはどこにでも都合が付けられる。

 それだけ膨大な給金が支払われていたし、正一級市民として今後の生活には一切困らない。

 それに、自分の事を送り出してくれた真実達の元にも戻る気にはなれなかった。

 真実達は自分と海晴の事を姉妹だと思っている。

 そんな彼女達の元に戻れば、嫌でも海晴の事を意識してしまう。

 どうせ家が買えるだけの資金があるのだから、
 誰も知らない場所に行ってしまうのも手かもしれない。

 そんな考えが脳裏を過ぎった瞬間、空は思わず目を見開いた。

空(何、考えてるんだろう……私……?)

 空は自問する。

 そうだ、それは逃げだ。

 しかも、親友達から逃げる事など、あってはならない。

空(……気が滅入ってるだけだよ……きっと、そう……)

 空は小さく頭を振って、脳裏に過ぎった考えを追い出す。

 三日前から食事と風呂以外は部屋に閉じこもりっきりだ。

 そのせいだと決め付け、空は身体を起こす。

空「……………………みんなの所に、行こう……」

 空は絞り出すようにして、ようやくそれだけを口にした。

 みんなの所――待機室だ。

 姉の事を思い出すのは変わらないが、それでもいつまでも逃げていて良い筈がない。

 それに、このまま待機室を避けて続けていては、どんどん行き辛くなって行くだろう。

 そうなれば、このPTSDを治すキッカケを失ってしまうかもしれない。

 空は意を決して立ち上がると、制服の襟を正して部屋を後にした。

―2―

 待機室――


空「……失礼、します」

 重い足取りで待機室を訪れた空は、やはり絞り出すような声で言って扉を開いた。

レミィ「空……!?」

 空の姿を認めると、レミィは僅かに驚いたような声を上げる。

 レミィだけでなく、仲間達は全員が待機室に勢揃いしていた。

 イマジンの連続出現は収まっていたが、ドライバー達の警戒態勢は解かれていないようだ。

レミィ「来て、大丈夫なのか……その……」

 心配したように駆け寄ったレミィが、見上げるような視線で戸惑い気味に尋ねる。

 前述の通り、イマジンの連続出現は収まっていたが、いつまた現れるとも限らない状況だ。

 警報が鳴れば、自分が再びパニックになってしまう事を心配してくれているのだろう。

 それが嬉しくて、空は弱々しいながらにも笑みを浮かべた。

空「大丈夫だよ……。
  ちょっと、みんなに聞きたい事があったから……」

 弱々しい笑顔を貼り付けながらも、空はそう言って待機室を見渡す。

 仲間達も心配そうな表情を浮かべながらも、
 空の言葉の意図が分からず、怪訝そうにもしている。

空「みんなの、戦う理由が……知りたくて……」

風華「戦う、理由……?」

 どこか躊躇いがちな空の言葉に、風華が微かな驚きと戸惑いを持って聞き返した。

 レミィに促されるままにソファに座った空は、
 フェイが煎れてくれたコーヒーを飲んで人心地つくと、再び仲間達を見渡す。

 風華は必死に考え込んでいるようだが、
 仲間の大半は、“もう答えは決まっている”とばかりに悠々としている。

 瑠璃華やマリア、クァン、それにフェイがそうだ。

 レミィも“むぅ”と小さく唸っているが、
 深く考え込んで“う~ん……う~ん……”と唸っている風華ほどでない。

瑠璃華「私は戦う理由は、恩返しだな」

 そして、そんなレミィと風華を後目に、瑠璃華は胸を張って答えた。

空「恩返し?」

瑠璃華「そうだぞ」

 怪訝そうに聞き返した空に、瑠璃華は抑揚に頷いて続ける。

瑠璃華「お父さんやばーちゃんに拾って貰った恩返しだ。
    まあ、研究者でいるのも悪くは無かったが、私が戦う事で少しでも恩返しになれば、とな。

    あとは実地で戦った方がハートビートエンジンの研究が捗りそうでもあるからだが、
    一番の理由はやっぱり、幸せな思いをさせてくれた事への恩返しだ」

 そう語る瑠璃華は、次第に遠い目をしながら、だが暖かな声音で言い切った。

フェイ「私は、それが私の役目であると思っています」

 続くフェイの返答は、予想通り過ぎるほどに予想通りだ。

 なるほど、自らを仲間達のサポート役と規定している彼女らしい。

レミィ「そうだな……。そう考えると、私も仕事だから戦っているのかもしれないな」

 考え込んでいたレミィも、そう言いながら自分の言葉に納得したように頷いた。

レミィ「今更、この仕事を辞めるつもりはないが、
    もしも辞めたりしたら、研究所に逆戻りになるかもしれないしな……。
    さすがに、あそこに戻るのだけは御免だ」

 レミィはそう言って肩を竦めると、心底嫌そうな表情を浮かべる。

 確かに、幼少期のレミィはドライバー達の中で誰よりも過酷な環境下に置かれていた。

 フェイも同じ穴の狢だが、環境に臨む精神状態や周囲の姉妹達が次々に死んで行く状況から比べれば、
 まだマシな方と言える。

レミィ「まあ、それに今はここが私の居場所だからな。
    ……お前の姉さんが、迎えに来てくれたんだから」

空「……うん」

 少し恥ずかしそうな笑顔を浮かべたレミィに、空は戸惑い気味に頷いた。

 “お前の姉さん”と言われて思わず否定しかけたが、レミィの気持ちを考えれば、
 その事を否定するのは最低な事だからだ、と踏み留まる。

マリア「アタシは………………………まあ、いい機会だから言っておくか」

 言いかけて言葉を濁していたマリアは、僅かな沈黙の後、
 覚悟を決めたように頭を掻いてから口を開く。

クァン「おい、マリア……」

マリア「いいっていいって、良い機会だし、みんなにも教えておかないとね」

 マリアの戦う理由を知っているクァンは、彼女を止めようとしたが、
 マリアはあっけらかんと言った風にそれを制して続けた。

マリア「アタシの母さんさ……実は、間接的に司令のお母さん………
    結さんを殺してるんだよね……。

    勿論、アタシは母さんが原因だなんて思わないし、
    結さんを殺した一番の原因はイマジンだと思ってる。
    けど、そう思わない連中もいる……英雄殺しなんて言うヤツだって昔はいたらしい。

    だから、アタシが大活躍して、そんな事言った連中にこう言い返してやるのさ。
    “アタシの母さんは英雄殺しなんかじゃない、英雄の母親だっ!”ってね」

 最初はまだ少し戸惑った様子だったマリアは、
 すぐに熱の籠もったような口調になって、最後には自信たっぷりに言い切る。

風華「……なるほど……そう言う事だったんだ……」

 風華は、マリアの戦う理由が初耳だったのか、どこか納得したように呟く。

 実を言ってしまえば、風華は祖母や両親から、
 マリアの事に関して少し言い含められていた事があった。

 それは“何があっても、マリア・カタギリと言う少女を信じてやれ”との事だ。

 今思えば、彼女の母親の事を聞いても、
 “彼女の事を色眼鏡で見るな”との事だったのだろう。

 無論、そんな浅い付き合いでも無いので今更の話だ。

空「……マリアさん……すいません」

 空も、そんな重い話をしてくれたマリアに、申し訳ない気持ちで顔を俯けてしまう。

マリア「だから、そんな辛気くさい顔すんなって。

    空の姉さんには世話になってんだからさ、
    せめて妹のアンタにくらい恩返しさせてくれよ……」

空「……はい……」

 どこか恥ずかしそうに言ったマリアに、空は重苦しい声音で返した。

 やはり、そうなってしまうのか。

 空は、胸の内でそんな気持ちが渦巻くのを止められなかった。

 だが、そんな空を思考を遮るように、次はクァンが口を開く。

クァン「マリアの後でこれを言うのは気が引けるんだけど……俺は、家のためだな」

 クァンは少し迷ったようだったが、そう言ってさらに続ける。

クァン「俺の実家は御三家で唯一、オリジナルドライバーの血筋じゃない。
    そのお陰で、親父や俺にかかる期待が大きくてね……。

    それに、俺はこの中で唯一の無資格ドライバーでもあるし……」

 クァンはそう言って、少しだけ目を細めて肩を竦めた。

 そこにあるのは、僅かな失望の色だ。

クァン「お陰で子供の頃は、陰で無能者なんて言われた事もあったが……。
    ……それを考えたら、俺は自分自身のために戦っているのかもしれないな」

マリア「なぁにカッコつけてるんだか……。
    魔力二万超えで魔力運用Sランクのどこが無能だってのさ」

 どこか自嘲気味に語るクァンに、マリアは皮肉めいた口ぶりで呟く。

 だがその皮肉は、暗にクァンが無能者などではないと言っていた。

クァン「………すまないな」

マリア「どう致しまして」

 申し訳なさと嬉しさの混在した複雑な声音で言ったクァンに、
 マリアは少し恥ずかしそうにそっぽを向いて返す。

瑠璃華「おーい、フェイ~、砂糖の補充するか~?」

フェイ「人体から精製した糖分は、コーヒーには適さないと判断します」

 その横では、いつものように砂糖を吐きそうなほど胸焼けした様子の瑠璃華と、
 いつも通りに淡々とした様子のフェイがそんなやり取りをしていた。

風華「えっと……最後は、私ね……」

 そんな二人を後目に、風華が戸惑い気味に口を開く。

風華「コレ、って一つには絞れないかな……やっぱり」

 風華はそう言うと、少し照れたような笑みを浮かべて続ける。

風華「クァン君と同じで、私も家のために戦っているわね。
   李と本條、二つの家に連なっている以上、逃げてはいけないとも思う。

   似たような理由で、お祖母様の孫でお父様の子だから、と言うのもあるわ。
   お祖母様やお父様の志を継ぎたい、って言う意味ね。

   それに……今は隊長だもの……。

   そう言う意味だと、全部ひっくるめて、責任感……なのかな?」

 風華は指折り数えるように言いながら、最後は自らも納得したように言い、
 “改めて考えると、やっぱり難しいわね”と付け加えて苦笑いを浮かべた。

 恩返しのため、任務だから、ここが居場所だから、
 親のため、家のため、責任感。

 明日美から言われた通り、人の戦う理由はそれぞれだ。

 結果に貴賤はあっても、戦おうとする意志に貴賤は無いとも言われた。

 だが、仲間達に比べて、自分の戦う理由のなんと穢れている事だろう。

 空は俯くと、いつの間にか自分が涙ぐんでいた事に気付いた。

 俯いた事で溢れ出した涙が、紺色のスカートに一つ、また一つと染みを作って行く。

 その光景を見ていると、さらに涙が溢れ出し、ついに止められないほどの勢いとなった。

レミィ「空……おい、大丈夫か?」

風華「空ちゃん、どうしたの……!?」

 唐突に泣き出した空に、レミィは心配そうに彼女の肩に手をかけ、
 風華も慌てふためいて立ち上がる。

 他の仲間達も驚き、フェイは少し駆け足気味に駆け寄り、
 ハンカチでその涙を拭ってくれた。

 だが、拭っても拭っても、涙は次々と溢れて止まらない。

空「わ、わたし……みんなみたいに、胸を張れない……。
  わたし……憎くて、イマジンが憎くて……戦ってた……」

 止まらない涙を拭ってもらいながら、自分でも手の甲で涙を拭いながら、
 空はしゃくり上げるような声で漏らす。

 空の言葉に、仲間達は困惑の表情を浮かべて顔を見合わせた。

 だが、レミィはすぐに表情を和らげて口を開く。

レミィ「そりゃ、そうだろうさ……。
    お姉さんを殺されたら、憎くて当たり前だ……。
    私だって、イマジンを憎いと感じた事は何回もある」

 レミィは優しい声音でそう言うと、宥めるように空の背中をそっと撫でた。

マリア「アタシらにだって、海晴さんは大切な人だったからね……。
    空の気持ちだって、少しは分かってやれるつもりだよ……」

クァン「まあ、難しい相談に乗れるほど、俺達も出来は良くないけどな」

 マリアとクァンは顔を見合わせると、そう空に語りかける。

フェイ「私に出来る事でしたら、何なりとご相談下さい……」

 フェイも淡々と言うが、その声音には言外の優しさが込められていた。

瑠璃華「まあ、私は技術専門だから、出来る事は限られているがな……。
    そっち方面だったら何でも言ってくれ」

 瑠璃華は少し照れたように言って、照れ隠しにもう残り少ないコーヒーを啜る。

風華「空ちゃん……、誰も空ちゃんの戦う理由を責めたりなんかしないわ……」

 風華は宥めるように言って立ち上がると、空の目の前に跪いて、彼女の手を取った。

 だが、空は涙を散らしながら、激しく頭を振る。

 そして――

空「……ちが、うん……です……!

  私……私……イマジンが怖くて……殺されかけて……
  目の前で……殺されて……怖くて……憎くて……
  怖くても、憎いから……戦えていて……。

  でも……おねぇ………海晴さんと、血が繋がってないって知った途端……
  怖いって気持ちが……大きくなって……! 怖くて……逃げてるんです……!」

 ――悪夢に魘されるような声音で、空はその事実を口にしてしまっていた。

 これには、さすがの仲間達も驚きを隠せず、すぐに立ち直る事は出来なかったようだ。

レミィ「血が……繋がってない……?」

 レミィは信じられないと言いたげに、愕然と漏らす。

 どうやら、明日美の言葉通り、
 彼女とアーネスト以外の人間はこの事を本当に知らなかったらしい。

風華「ちょ、ちょっと待って……そんな話、誰から……!?」

 風華も、さすがに驚きが振り切れてしまったのか、逆に少しだけ冷静になって問う。

空「譲羽司令……から……。私……私……!
  海晴さんと姉妹じゃなかったって知ったら………
  それだけで、怖くて……戦えないん……です」

 空は顔を覆い、嗚咽と共に声を絞り出す。

 そのまま限界まで身体を縮こまらせ、空は自らの肩を掻き抱くようにして嗚咽を続ける。

 溢れた涙が足もとに小さな水たまりを作り出しても、空は泣き続けた。

 仲間達も呆然とし、空に声を掛ける事が出来ない。

 この中でも最も明日美を慕っている瑠璃華など、どうして良いか分からずにオロオロとしている。

 だが、そんな中で、風華が小さく深呼吸をした。

風華「………ごめんなさい、少し司令の所に行って来るわ」

 風華は低い声でそう言うと、
 いつもの“風華”ではなく、“藤枝隊長”の顔になって待機室を辞す。

 無言の仲間達に見送られ、風華は足早に明日美の執務室に向かった。

 司令執務室――

風華「失礼します……!」

 風華は普段ならば発しないような怒った声と共にノックをすると、
 返事も聞かずに執務室に足を踏み入れる。

アーネスト「どうしたんだね、藤枝隊長?」

 殆ど突然と言う風華の来訪に、アーネストはやや驚いたような声を上げた。

 だが、明日美は“ついに来たか”と言いたげに、
 小さく肩を竦めてから風華と向き合う。

風華「おばさま………いえ、譲羽司令、お話があります!」

明日美「……ええ、そうでしょうね……」

 怒気を孕んだ風華の声に、明日美はどこか諦観を含んだ声で応える。

 実妹の夫の妹の娘……遠縁の姪とも言える女性の反応は、
 当然と言えば当然の範疇だが、それでも彼女らしくない様子に明日美は僅かに驚いていた。

明日美(まあ、おっとりしたこの子でも怒るわよね……さすがに)

 だが、すぐにそう納得して、心中の溜息と共に気を取り直す。

風華「何で……何で今まで黙っていた事を、
   こんな……こんな最悪のタイミングで言うんですか!?

   空ちゃんが……朝霧副隊長が今、どんなに苦しんでいるか、
   本当に分かっているんですか!?」

 内心で溜息を漏らす明日美を他所に、風華は叫ぶような声で詰め寄る。

 確かに、彼女の言葉通りに最悪のタイミングだ。

 それは、明日美自身も“九分九厘、凶”と言う結果を予見していただけに反論は無い。

明日美「確かに、後回しにしていたのは私に非があります……。
    こう言う結果になる事も十分に予想していました」

風華「なら……なら、どうしてなんですか!?」

 明日美がアッサリと自らの非を認め、現状を予見していた事を語ると、
 風華は僅かな戸惑いと失望と、強い怒りの念を表情に浮かべ、さらに食って掛かる。

風華「どうして、あんな追い打ちをかけるような事を……!」

明日美「貴女も初めて聞いたようね……」

風華「……ええ、初めて聞きました。
   正直、信じられないとも思いますし、ショックを隠しきれません……」

 視線だけを俯かせた明日美の言葉に、風華は困惑と怒りの入り交じった声音で漏らす。

 確かに、風華も朝霧家の事情について、その真相を知ったのはつい先程である。

 驚いていないと言えば嘘になるし、今も頭の中は混乱していた。

 だが、それ以上に許せなかったのは、その事をこのタイミングで話した明日美の判断だ。

風華「朝霧隊長が私達どころか、空ちゃんにまで隠し立てしていた理由は分かりません。
   ……ですが、今、その事を明かす事は、あの子を追い詰めるだけじゃないですか!」

明日美「ええ……その通りね」

 限りなく怒声に近い声で詰め寄る風華に、
 明日美は冷静に頷いて返し、その事で彼女が面食らっている内に口を開く。

明日美「けれど、今のあの子には必要な事だったと、私は考えています」

風華「……ッ!?」

 明日美の言葉に、怒りに震えていた風華も流石に言葉を失う。

 追い詰める事が、本当に必要だと言うのか?

 困惑と怒りと失望と、様々な感情の入り交じった複雑な表情を浮かべたまま、
 風華は二の句を告げる事が出来なかった。

 そして、明日美はさらに続ける。

明日美「戦う理由に貴賤は問いません。

    だけどね……憎しみだけで戦い続ける事は、実はとても難しい事なのよ。
    勿論、上辺だけを取り繕った義務感も、ね……」

 明日美はどこか遠くを見るような目でそう語ると、
 机の上で組んだ手に視線を落した。

 後悔と諦観と達観の入り交じった小さな溜息を一つ吐き、
 明日美は再び風華に視線を戻す。 

明日美「私はあの子を信頼しています……あの子の言葉をね……」

 風華の目を見ながらそう呟いた明日美の表情は、どこか穏やかな雰囲気に満ちていた。

風華「何を……」

 対して、風華は明日美が言わんとしている事の意味を掴みかね、困惑した様子で返す。

 だが、風華はすぐに気を取り直したように明日美を睨め付け、
 明日美は顔色一つ変える事なくその視線を受け止め続ける。

 その時だった。

レミィ「し、失礼します!」

 ノックも無しに扉が開かれ、慌てふためいた様子のレミィが駆け込んで来る。

アーネスト「ヴォルピ君、ノックくらいしたまえ。
      ……それで、何か緊急の用事かね?」

 最初は注意したアーネストだったが、
 すぐにレミィの様子を非常事態と受け取り、報告を促す。

レミィ「そ、空が……朝霧副隊長が……消えました!」

風華「消えた……!?
   何処かにいなくなったって言う事!?」

 レミィの報告を聞くなり風華は愕然と漏らし、
 アーネストも驚きの表情を浮かべ、明日美も微かに眉根を動かした。

レミィ「顔を洗いにトイレに向かった後、中々戻って来ないので心配になって行ってみたら、
    洗面台に制服と端末と、それにギアが……」

 レミィは心配そうな声で状況を説明する。

 つまり、トイレに行った後で装備一式を置いて、何処かに行ってしまったと言う事だ。

レミィ「寮の部屋にはフェイを向かわせています。
    瑠璃華にも、整備班にハンガーにいるかどうか確認させている最中です。
    それと、待機室にはクァンとマリアを残しています」

 レミィは出来るだけ落ち着いて現状を報告するが、声は心配と哀しみで震えている。

風華「レミィちゃん……」

 風華はそんなレミィの肩に手を置き、必死に宥めようとするが、
 何と言って良いか分からず、口を噤んでしまう。

 だが――

明日美「ドライバーは全員、待機室に戻りなさい。

    フェイにも即刻、戻るように指示を出し、
    整備班も通常の勤務に集中するように伝達を。

    朝霧副隊長の捜索には諜報部を出します」

アーネスト「……はい」

 そんな二人の感情を無視するように、明日美は淡々と指示を出し、
 アーネストも僅かな間を置いてその指示を承服すると、各部署や各員に伝達する。

 まだ寮にいるかどうかの確認も出来ていない内から諜報部に指示を出すと言う事は、
 明日美は空が寮にいないと言う事を確信しているのだろう。

風華「………おばさまっ!」

明日美「今は司令です……」

 僅かな逡巡の後、声を荒げた風華に、明日美は淡々と返した。

風華「ッ……フィッツジェラルド・譲羽司令!

   ……これでもまだ、必要な事だったと言うつもりですか!?
   こんな事になるまで……こんなに追い詰めておいて、
   信頼しているなんて、あの子に言えるんですか!?」

 困惑するレミィの肩に手を置いたまま、風華は明日美に怒声を叩き付ける。

 当然だろう。

 そう言いたげに、明日美は顔色一つ変えずにその怒声を受け止めた。

明日美「……待機室に戻りなさい。
    司令命令です」

風華「ッ………了解、しました」

 そして、冷徹にも聞こえる声で出された指示に、風華は絞り出すように、
 また吐き捨てるように答え、レミィを伴って執務室を後にする。

 閉じられたドアを見遣り、明日美は肩を竦めて溜息を漏らす。

明日美「はぁ………」

アーネスト「お疲れ様です、司令」

 そんな明日美を労うように、アーネストが声を掛ける。

明日美「……寒々しい物ね、こんないい年をしたお婆さんが悪役を気取ると言うのも……」

アーネスト「ですが、必要な事なのでしょう?」

明日美「ええ……」

 溜息がちな声のままの自分に、
 冷静に返してくれたアーネストにそう答えて、明日美は小さく頷く。

明日美「ただ、少しやりすぎたかもしれないわね……」

 そして、自嘲気味に付け加えてから、アーネストに向き直る。

明日美「諜報部への指示は?」

アーネスト「手筈通り、事が起きる前から準備させていた職員が動いています。
      勿論、朝霧君が隊舎を出た時点で、尾行させていた職員からも連絡が来ています」

明日美「そう、助かるわ……」

 明日美は安堵の溜息を漏らし、天井を振り仰いで自嘲気味な笑みを浮かべた。

明日美「信頼している、なんて言った人間のする事ではないわね……」

アーネスト「信頼なさっているからこそ、ああ言った指示を出されたのでしょう?」

 自嘲気味な明日美を心配するように、アーネストが声をかける。

 明日美は視線をアーネストに戻すと、
 感謝するかのような笑みを浮かべ、すぐに表情を引き締め、口を開く。

明日美「……これは最後の賭けね……。
    このモラトリアムの中で、あの子が自分にとって一番大切な事に気付けるか……」

アーネスト「信じておられるのでしょう?」

 思案げに呟いた明日美に、アーネストが確認するかのように問いかけた。

 すると、明日美は深々と頷く。

明日美「ええ……そうね……遅いか、早いかだけの違いよ………。

    そして、帰って来たあの子はきっと、今よりも、もっともっと強くなる……。
    エールに……私の母のギアに選ばれたのだから……」

 目を細めてそう語る明日美の声はどこまでも、空への信頼と、そして期待に満ちていた。

―3―

 翌々日、12月22日、土曜日の正午少し前。
 メインフロート第七層、第一市民街区――

 およそ八ヶ月前に現れたイマジンの襲撃によって計画遅延の憂き目に合っていた再開発地区は、
 某アミューズメント企業によって買収され、大型ショッピングモールを併設した、
 一大アミューズメントパークに生まれ変わっていた。

 先月の終わりにオープン直前までこぎ着けていたアミューズメントパークは、
 同時期からのイマジンの連続出現と言う非常事態によって、
 十二月上旬に予定していたオープンを順延を余儀なくされた。

 だが、五日前からのイマジンの連続出現がパタリと止んだ事と、
 二日前の政府の安全宣言を皮切りにオープン準備を再開。

 グランドオープンを新年に据え、
 22、23日の二日間をプレオープンとして解放する事となった。

 半月以上に渡る戒厳令で萎縮していた人々は、安全宣言もあってこぞって街に繰り出し、
 プレオープンの当日券を求めて長蛇の列を成していた。

 イマジンの警戒レベルも、最もグレードの低い注意報のレベル1。

 ようやく帰って来た日常に、人々は歓喜した。


 そして、当日券を求める列から少し離れた場所に、彼女達もいた。

??「っだぁっ! やっぱ繋がんねぇっ!」

 携帯端末を片手に、一人の少女が怒ったような声を上げる。

 佳乃だ。

雅美「メールも返事がありませんねぇ」

 その傍らでは、困ったような表情を浮かべる雅美。

歩実「空お姉ちゃん、来られないのかなぁ……」

真実「やっぱり、連絡は付きませんの?」

 残念そうにしている妹の歩実と手を繋ぎながら、真実が肩を竦める。

 彼女達は動き難くない程度にお洒落をして、
 このアミューズメントパークに足を運んでいた。

 それは先月、空と約束した通りに、
 冬休みに入ってから始まる集中補習前の羽目外しと言う名目だ。

 商社に勤める雅美の父親が取引先から貰った、
 このアミューズメントパークのプレオープンの招待券は五人分。

 空を含め、真実、佳乃、雅美の四人に、真実の妹である歩実を加えた五人が、その内訳だ。

 一昨日――彼女達は知らない事だが、既に空は失踪した後だ――、
 政府の安全宣言直後に広報されたプレオープンの日取りは、既に空に連絡してあった。

 無論、その頃には携帯端末は空の手元にはなく、空自身はメールを受け取っていない。

雅美「急でしたしねぇ……。
   五日前までは忙しかったようですし、空さんも連絡が取れない状況なのかもしれません」

 雅美は溜息がちにそう漏らす。

 ドライバーの名前も情報も秘匿はされていないが、さすがに世界の存亡に関わる仕事だ。

 いくら友人とは言え、明かせない任務や連絡の取れなくなる任務もあろうだろう。

 事実、そう言った事は稀に有ったが、部外者の彼女達には想像に任せるしかない。

佳乃「案外、ハードな仕事が続いてグロッキーなだけだったりしてな」

 佳乃はそう言って笑い飛ばす。

真実「それはそれで心配する所ではなくて?」

 だが、そんな友人の様子に、真実は盛大な溜息を交えて言った。

歩実「空お姉ちゃん、やっぱり来られないの?」

 姉たちの様子に、歩実は哀しそうな声で呟く。

 空と歩実は、それなりに親しい仲だ。

 出逢ったその日に弁当とシェルターの権利を譲ったのが始まりだが、
 修行期間中の空は休暇の際には友人達の家に泊まる事が殆どで、
 瀧川家にも幾度か世話になっている。

 そのお陰もあってか、歩実は朗らかで優しい姉の友達によく懐いていたし、
 空も歳の離れた少女を妹のように可愛がっていた。

 招待券の最後の枠も、本来は友人の誰かしらに譲るか誘う予定だったが、
 空に会えるかもしれないと、駄々をこねてまで歩実が勝ち取ったのだ。

佳乃「歩実、空はな、すっ……ご~い! 大切なお仕事をしてるんだぞ」

 佳乃は歩実の前にしゃがむと、身振り手振りを交えて説明を始めた。

 歩実も、佳乃の説明に固く手を握って息を飲む。

佳乃「だからな、ワガママを言って困らせちゃ駄目だ。
   空や空の仲間が頑張ってるから、
   アタシらはこうして遊園地にだって来られるんだからさ」

雅美「最初に怒っていたのは佳乃さんですよね」

 自らも納得したように締めた佳乃に、雅美が冷静なツッコミを入れた。

真実「往来で大声で叫ぶとか、あり得ませんわ」

 真実も冷ややかな視線を向けて続ける。

 さらに“説得力の欠片もありませんし”と溜息混じりに付け加えた。

佳乃「お前らなぁっ!
   歩実を納得させる方便だよっ!
   歩実を傷つけないための思いやりだよっ!

   分かれよっ!
   ちょっとくらい、棚に上げさせてくれよっ!」

 親友達の容赦のないツッコミに、佳乃は涙目になって反論する。

 まあ、彼女の言う通りなのだろうが、
 真実の言葉通り、正論を通すには確かにやや説得力に欠ける。

 だが、幼い少女を納得させるのにはそれで十分だったようだ。

歩実「はい……分かりました」

 少し残念そうにしながらも、歩実は抑揚に頷く。

真実「今日は空とは会えませんけど、
   また遊びに来てくれるでしょうし、その時に遊んでもらいなさい」

歩実「はい!」

 優しく言い聞かせる真実に、歩実は今度は元気よく答えた。

 と、その時、入場口付近が俄にざわめき出す。

雅美「どうやら開場時間のようですね」

 この中では最も背の高い雅美が、入場口の方を見ながら言った。

 入場待ちの短い列も、ゆっくりと動き始めている。

 真実達もその列に加わり、園内に向けて歩き出す。

真実「入ったらどうしますの?」

佳乃「とりあえず、フードコートで腹ごしらえだな。

   んで、大観覧車から見渡して、
   空いてそうなヤツとか面白そうなヤツを探そうぜ」

 妹の手を引いて歩く真実の問いかけに、佳乃が思案げに応えた。

 用意周到な招待客は既に昼食を済ませ、
 仕入れた事前情報を頼りに、お目当てのアトラクションに向けて歩き出している。

雅美「招待券なら今日、明日と遊べるワケですし、
   明日に向けての下見も兼ねて、ゆっくりと見て回りましょう」

佳乃「だな」

真実「そうしましょう」

歩実「はーい」

 雅美の提案に頷きながら、四人はゆっくりとアミューズメントパーク内に足を踏み入る。

 その時の彼女達は、親友の身に降り掛かった数々の出来事を、まだ知らずにいた。

 同じ頃、ギガンティック機関隊舎、ドライバー待機室――


 昼食を終えた面々は、何処か沈んだ様子で時を過ごしていた。

 理由はやはり、空の事だ。

風華「…………はぁ……」

 携帯端末の画面を睨んでいた風華が、小さな溜息を漏らす。

レミィ「やっぱり、まだ連絡はありませんか?」

風華「ええ……」

 不安げなレミィの質問に、風華は肩を竦めて応える。

 現在、風華達は、空の捜索に赴いた諜報部からの連絡を待っている最中だった。

 無論、まだ連絡は来ていないが、それもその筈。

 彼女達は明日美の企てについて、まだ誰も何も知らなかったのだ。

 既に空には、ギガンティック機関の諜報部職員が二人一組で常時二組、
 交代制で張り付いており、今も見失う事なく空の後を尾行中である。

 しかし、そんな事を知らない彼女達にしてみれば、
 個人の居場所を特定できる端末を持たずに出奔してしまった空の居所を、
 諜報部ですら掴めていないのか、と不安が募るばかりだった。

フェイ「………あれから五十一時間、経過しました」

 フェイが、不意にそんな事を呟く。

 空が行方知れずとなってからの時間だろう。

マリア「もう、そんなにかよ……」

 マリアは驚き混じりに呟く。

 携帯端末を持っていないと言う事は、
 フリーパスの交通機関も使えなければ電子マネーも使えない。

 自宅に戻っていないのは確実だろうし、そうなれば寝泊まりする場所も食料も無く、
 丸二日以上も彷徨っている事になる。

 身体は普段から鍛えているし、体力も申し分無いとは言え、
 さすがにどこかで行き倒れになっているのではないかと気が気ではない。

クァン「諜報部が早く見付けてくれる事を祈ろう……」

 クァンも祈るような気持ちで言って、マリアの肩にそっと手を添えた。

 実際、何の連絡も無いと言う事は、空は行き倒れになっておらず、
 諜報部員達も尾行を続けているのだろう。

 だが、前述の通り、彼女達にはその事を知る由も無い。

瑠璃華「整備班を空の捜索に動員できればいいんだが……」

 瑠璃華はそう溜息がちに呟き、肩を竦めた。

 イマジンの連続出現が止んで五日目。

 一ヶ月近い激務の中、体調を崩してしまった整備員も少なくなかった。

 そんな中でも、次のイマジンの出現に備えてギガンティックは整備中だ。

 ハンガー内での捜索ならともかく、外の事となると手を回す余裕は無い。

 その事が分かっているだけに、
 面々は揃って――フェイだけは違ったが――溜息を漏らす。

 溜息を吐き終えて、風華は改めて仲間達を見渡した。

 レミィや瑠璃華、マリアは空と仲が良いため、
 その気落ちぶりはそろそろ看過できないレベルだ。

 フェイも感情を面に出せないが、心配しているのは確実だろう。

 クァンも先日の義理や負い目も有り、
 相棒のマリアに引き摺られるようにして落ち込み始めている。

風華「………っ、……やっぱり、私、司令に掛け合って来るわ……!
   私達も諜報部に協力しましょう」

 風華は僅かに戸惑った後、意を決したように言って立ち上がった。

 政府が安全宣言を出したとは言え、
 軍や警察、ギガンティック機関は警戒を続けていなければならない。

 だが、警戒するだけなら二人も残れば良いハズだ。

 こんな所で心配を続けて気持ちを鬱屈とさせ続けるよりは、
 必死でかけずり回った方がずっと有意義だし、空のためにもなろう。

 そう思っての決断だった。

 だが――

突風「ちょっと待ちなさいって、風華!」

 ロビー側の出入り口に向かった風華の前に、アルバトロスの背に跨った突風が立ち塞がった。

 足もとにはエールを除く他のドローン達も勢揃いしており、風華の行く手を塞いでいる。

風華「つ、突風、みんな……駄目、退いてちょうだい」

 避けて跨げばすぐに出て行ける状況ではあったが、風華は愛機に哀しそうに訴えかけた。

 ここで彼女達を避けても、再び回り込まれてしまうだけだ。

 しっかりと説得しなければならない。

チェーロ「明日美にだってあの子なりの考えがあるでしょう。
     母親譲りで猪突猛進な所はあるけど、
     何の考え無しに妙な事をするような子でもないわ」

 足もとのチェーロが飛び上がりながら、言い聞かせるような口調で風華に迫る。

 あの子……と言う年齢ではないのだが、
 幼子の頃から彼女を知っている古株のギア達にとっては、
 確かに“あの子”とも言いたくなろう。

カーネル「ま、何考えてるか俺達も分かんねぇけどな」

プレリー「か、カーネルさん、それは言わなくても……」

ヴィクセン「ちょっと、アンタは黙ってなさいよ」

 あっけらかんと言うカーネルに、プレリーとヴィクセンががっくりと項垂れる。

アルバトロス「とにかく、今は司令のお考えを信じて動かずにいるべきです」

 アルバトロスが気を取り直して、風華に戻るように促す。

風華「司令を信じて、って言うけれど……、
   どう信じればいいのか、もう……分からないわ」

 しかし、風華はどこかやり切れない面持ちで俯いてしまう。

 PTSDで苦しんでいる空に、あんな事実を告げた明日美を、
 どう信じればいいのだろうか?

 ああも苦しんでいる空を目の当たりにしてしまった以上、
 その状況を作り出した明日美には不信感ばかりが募る。

風華(けれど、突風達もこう言っているし……、
   単に、私の考えが浅いだけなのかしら……)

 困惑の中で、風華はそんな事を思う。

 本来ならば司令の暴走を止める立場にある副司令のアーネストも、
 明日美の考えには賛同している様子だ。

風華(隊長は……海晴さんなら、こんな時、どうしていただろう……)

 風華は俯きながら、沈思する。

 海晴自身に関わる事だけに予想はつかない。

 それに、海晴がいれば、この場に……ドライバーの中に空はいなかっただろう。

 生涯に渡って隠し続けるつもりだったのか、将来的に打ち明ける予定があったのか。

 さすがに分からないが――

風華(私は、打ち明けてもらえるほど、隊長から信頼されていなかったのかも……)

 ――それだけは、何となく感じられてしまった。

 仲間の事とは言え、海晴の家族の事に関して、自分は部外者なのだ。

 そして、それは恐らく、他の仲間達に対しても同じだろう。

 空の行方不明も一大事ではあったが、
 仲間達は慕っていた海晴が大きな隠し事していた事実に戸惑っている部分も、
 僅かにだが、確かにあった。

風華「………分かったわ……」

 風華は沈痛な面持ちのまま、観念したようにソファに戻ろうとする。

 だが――

『PiPiPi――ッ!』

 それを阻むように、電子音が鳴り響く。

エミリー『第三フロート第四層にイマジン出現を確認!
     待機要員、整備班は出撃準備されたし!

     繰り返す、第三フロート第四層にイマジン出現を確認!
     待機要員、整備班は出撃準備されたし!』

春樹『08、09ハンガーのリニアキャリア二号への連結作業開始。
   二次出撃に備え、07、11ハンガーのリニアキャリア三号への連結作業開始。
   同時進行で、06、12ハンガーのリニアキャリア一号への連結作業開始!』

 エミリーと春樹の放送が響き、待機室内がざわめく。

 三次出撃にまで備えているのは、先日までのイマジンの連続出現の影響だ。

 だが、これで空の捜索どころではなくなってしまった。

 風華は溜息を漏らすように呼吸を整え、頭を切り換える。

風華「………みんな、出撃準備よ!」

ドライバー達「了解っ!」

 風華の号令に応え、全員がハンガーに向かって走り出す。

 そして――

『PiPiPi――ッ!』

 二体目のイマジン出現を報せる警報音が、鳴り響いた。

―4―

 時間は前後するが、イマジン出現の一時間前。
 第二フロート第二層、第四十八街区。

 その郊外、外郭自然エリア沿いの幹線道路――


空「…………」

 空は虚ろな目をしながら、フラフラと幽鬼のように歩き続けていた。

 二日前、思わず隊舎を飛び出してしまってから既に五十時間。

 最初の数時間は走り通しだった事もあって、
 空は一般用連絡通路を通って隣のフロートにまで来てしまっていたのだ。

空(…………何で、こんな所にいるの、私……?)

 空は、もう一週間以上前に自問したソレを、再び自分に投げ掛ける。

 答はすぐに出た。

 逃げ出したからだ。

 逃げ出してはいけない、投げ出してはいけないと思いながら、
 結局、恐怖と自責に耐えられなくなって、逃げ出したのだ。

 虚ろな目のまま、自嘲の笑みを貼り付ける。

 今の自分に、“自分自身”を示す物は何も無い。

 ギガンティック機関の制服も、オリジナルギガンティックのドライバーである事を示すギアも、
 そして、自分が朝霧空である事を示す携帯端末すら、あの場に置き去りにして来のだから。

 だが、名も無く、何処の誰かも分からない人間になって……
 空っぽになって初めて、彼女はどこか安らいだ気分でいられた。

 誰も自分に戦いを強いたりしない、誰も自分を朝霧海晴の妹だとも思わない。

 誰からも逃げたくなかったのに、逃げてはいけないと思っていたのに、
 いざ逃げ出してしまえば、何と心安らかなのだろうか?

空(最初から、こうしていれば良かった……)

 そう、八ヶ月前から。

 正一級になった時、海晴との思い出の残るあの家を捨て、
 どこか遠い場所に行くべきだったのだ。

 そうしていれば、自分は朝霧空でいられた。

 何も知らずに、朝霧海晴の妹でいられた。

 誰も自分の事を知らない場所で、
 イマジンの恐怖に怯えながら過ごしていれば良かったのだ。

空(ドライバーなんかに……ならなければ良かった……
  ならなくても、良かったのに……)

 思い返せば、後悔ばかりだ。

 ドライバーにならなければ、あんな恐ろしい思いをせずにいられた。

 イマジンに二度も殺されかけたりしなかった。

 余計な言葉でレミィを傷つけずにいられた。

 新たな仲間達と出逢わずに――

空「………みん、な……」

 ――こんなにも苦しい、胸を穿つような喪失感を、抱かずにいられた。

 虚ろな目から、大粒の涙が溢れ出す。

 だが、耐えきれなかった。

 こんな自分が、復讐と憎悪だけで戦う自分が、あんな素晴らしい仲間達の中にいる事が、
 自分のような身勝手な人間が、高邁で気高い意志を持った仲間達を穢す事が許せなかったのだ。

 その事に耐えきれなくなって、自分は逃げ出したのだ。

 恐怖も大きな原因の一つだが、理由の一旦でしかない。

 投げ出して逃げた自分に、もう帰る所などない。

 そして、もう帰るつもりもない。

 どこかで、誰でもない誰かになって、生きていこう。

 誰も自分を知らない場所で、学生としてやり直そう。

 名を偽り、身分を偽り、怯える一人の人間として、生きていこう。

 こんな自分を……戦えもしない自分を、ギガンティック機関も連れ戻しはしないハズだ。

 そんな事を思っていると、空の虚ろな視線は無意識の内に街の姿を捉えていた。

 先ずは身分証の再発行と形態端末の支給を受けよう。

 そして、戸籍の変更だ。

 正一級である以上、全ては簡単に済む。

 学生としての義務を果たせば、
 残りの人生は正一級の身分で悠々自適に隠れて生きて行ける。

 誰とも関わらず、誰とも交わらず、
 ひっそりと、自分ではない誰かとして人生を終えよう。

 そう思うと、空の足は自然と街へと向かっていた。

 しばらくしてフラフラの足取りで市街地へと入ると、
 休日の街に人の姿はまばらだった。

 外郭自然エリアのすぐ近く――田舎だからだろう。

 建物は全体的に背が低く、都会に比べて家同士の間隔も広い。

 そんな環境だからか、人々の視線が自分に突き刺ささるように感じた。


――どうしてお前がここにいる?――

――逃げ出した卑怯者め……――

――卑怯者は出て行け……――

――仲間を捨てた卑怯者!――


 彼らは誰一人として、自分の事を知らないハズなのに、
 空にはそんな幻聴が聞こえて仕方が無かった。

 勿論、中には奇異の視線を送る者もいたが、
 大半はフラフラになって歩いている空を心配しての視線だ。

 だが、さすがに積極的に関わろうとする者もいなかったため、
 それが空の誤解と思い込みを加速させていた。

空(………隠れ、なきゃ……)

 空は非難の幻覚から逃げるように、細い路地裏へと入り込んだ。

 さすがにそんな所まで追って来る人間はおらず、
 空は壁にもたれるようにしてようやく人心地つく。

 しかし、いつまでもこうしているワケにはいかない。

空(役所を探さないと……)

 空は目的を果たすべく、役所を探して歩き出す。

 携帯端末を持っていない以上、どこかでこの街区の案内図か、
 案内図を掲載しているインフォメーションボードを探さなければならないだろう。

 だが、決して表通りには出ない。

 先程の幻聴が、彼女に恐怖を植え付けていたからだ。

 傍目にも分かる通り、強がりも韜晦も止めれば、空は決して心穏やかなどではなかった。

 むしろ、自責と自己嫌悪の念はさらに強くなって行き、重苦しいほど心を蝕んでいる。

 良く言えば責任感が強く、悪く言えば頑固で意固地な性格の空は、
 一度、自分を強く責め始めれば、際限なく落ちて行く性格だった。

 八ヶ月前のあの時も、
 真実が止めてくれなければ自ら命を絶ちかねなかっただろう。

 望み通りに隠れて生きても、最終的に彼女に待っている結末は自死しかない。

 そんな自覚などない空は、壁に肩をぶつけるようにフラフラとした足取りで歩く。

 人通りの少ない道を、街の中心方向に向かって進むと、不意に開けた場所へと出た。

 どうやら、早くも街の中心部に出たようだ。

 広場のようになったその場所は、通りとは比較にならないほど多くの人で溢れていた。

 どうやら公園のようで、冬休み最初の休日と言う事もあってか、
 田舎にしては人の数も多い。

 よく見渡せば、近くにショッピングセンターが併設されており、
 そこから足を伸ばして昼食を摂っている者達もいた。

 ショッピングセンターの反対側にはこの区画の役所もあり、
 どうやら大型施設に囲まれた憩いの広場と行った所なのだろう。

空「………行かなきゃ……」

 空は人々の視線を避けるように、街路樹の陰に隠れるようにして役所へと向かう。

 現代の役所は旧世代のそれと違い、基本的に半数以上の部署が年中無休だ。

 産児管理法による出生登録の管理の他、
 紛失した携帯端末――要は住民票や電子マネー、個人情報等――の再発行など、
 旧世代の役所に比べて仕事の重要度が著しく高くなっている事が挙げられる。

 人目を忍ぶようにしてようやく役所へとたどり着いた空は、
 殆どガラガラの役所のロビーへと入って行く。

 どうやら昼休みは終わっているようで、各部署の窓口には受付係が座っていた。

 魔力を認証して受付番号を発行して貰い、待ち時間ゼロで戸籍管理課の窓口に呼ばれる。

受付嬢「えっと、今日はどう言ったご用件でしょうか?」

 気落ちした空の様子に驚きながらも、
 メガネをかけたショートボブの女性は努めて落ち着いた素振りで空に問いかけた。

空「……あの……携帯端末の、再発行を……」

受付嬢「あ、ああ、端末無くしちゃったんですね。
    それはヘコみますよねぇ……」

 怖ず怖ずと漏らした空に、受付嬢は納得したように言ってから同情気味に返す。

 どうやら、空が気落ちしている理由を端末紛失による物と思ったようだ。

受付嬢「自分の住民番号は分かります?
    分からなければ住所からでも再発行できますよ」

空「………住所は、A7-001の35-07-08、です……」

 落ち込んでいる様子の空をこれ以上気落ちさせないようにと明るく振る舞っていた受付嬢だったが、
 空の口から語られた住所には目を見開いて驚いた。

 それは、このフロートとは別のフロートを指す住所だったからに他ならない。

 各フロートにはAからHまでのアルファベットと階層、どの街区であるかを示す、
 ハイフンを含む六文字の情報が存在する。

 空はご存知の通りA7-001……
 つまり、メインフロート第七層の第一街区が本籍だ。

 後に続く住所も、それなりに中央寄りである事が分かる物で、
 受付嬢の困惑も無理からぬ物だった。

受付嬢「ず、随分と遠い所から来たのね……。
    知らない街で携帯端末紛失とか、嫌になっちゃいますよね」

 受付嬢は驚いたような苦笑いを浮かべながらも、手元の端末の操作を始める。

受付嬢「……えっと、朝霧、空さん……一人暮らしなのね」

 該当住所に登録された名前を読み上げて、受付嬢は僅かながらショックを受けたようだった。

 個人の住宅で年若い少女が一人暮らしとなれば、それは孤児である事を示す情報でもあるからだ。

 空くらいの年齢で一人暮らしと言うのも、珍しくないと言えば嘘になるが、
 それでもいないワケでもないご時世である。

 イマジン被害によって家族を失おうとも、生活保障によって生きていける社会構造だ。

 孤児院に引き取られるケースも無くは無いが、
 ある程度の年齢ならばそれを拒否する事も許されている。

受付嬢「……正一級か……大変ね」

 情報を一つ一つ確認しながら、受付嬢は感慨深く呟いた。

受付嬢「前の携帯端末の使用差し止め申請が終わったら、新しい端末を発行しますね。
    全ての作業に一日以上かかりますから、仮の端末を発行するので、
    今日の所はそれを使って下さい」

 受付嬢はそう言って、最終申請のための作業に入る。

 その瞬間だった。

『PiPiPi――ッ』

 甲高い警報音が鳴り響き、辺りにサイレンが響き渡る。

空「ひ……ぅっ!?」

 瞬間、空は全身をビクリと震わせ、頭を抱え込んで身を竦ませる。

 イマジンの出現を報せる警報である。

受付嬢「またイマジン!?」

 受付嬢は驚いたように叫ぶと、即座に立ち上がった。

 それと同時に、所内にアナウンスが流れる。

アナウンス『第三フロートにイマジンが出現しました。警報レベル5。
      市民の皆様は速やかに最寄りのシェルターに退避して下さい。

      繰り返します。
      市民の皆様は速やかに最寄りのシェルターに退避して下さい』

 収録された音声だけを組み合わせた簡易なアナウンスに従い、
 役所内の人々が動き出す。

受付嬢「っと、まだ仮端末発行前か……。
    三級市民向けじゃ狭いかもしれないけど、一緒に来て下さい」

 受付嬢はそう言って、蹲ったままの空の手を引いて歩き出した。

空(……あ、そ、そっか……私……もう、戦わなくて……いいんだ……)

 イマジンの出現にパニックを起こしかけていた空は、
 その事を思い出して気持ちを落ち着ける。

 逃げ出した自分は、もうギガンティックに乗る事は無かったのだ。

 昔のようにシェルターの中に逃げ込んでも、誰も責めはしない。

 その事に安堵しかけて、空は吐き気を催すほどの自己嫌悪に襲われた。

 口元を押さえ、大粒の涙をボロボロと零しながら、受付嬢に手を引かれるまま歩く。

受付嬢「シェルターの中なら安全だから、急ぎましょう」

 この場にイマジンが現れたワケではなかったが、孤児である空の身の上を思ったのか、
 受付嬢は努めて優しい声音で言って、空に歩くように促した。

空(ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……)

 さっき出逢ったばかりの女性に優しく手を引かれながら、空は心の中で謝り続ける。

 だが、その謝罪を聞いて欲しい人々の元には、その声は決して届かない。

空(レミィちゃん……フェイさん……風華さん……
  瑠璃華ちゃん……マリアさん……クァンさん……。

  ……………ごめんなさい……)

 自分を信頼し、副隊長にまで推してくれた仲間達。

 戦う事さえ出来なくなった自分を、見捨てなかった仲間達。

 そんな仲間達を裏切って、逃げ出した自分。

 最低だ。

 最低の、最悪の、裏切り者だ。

 空はそんな激しい自責の念に苛まれながら、
 手を引かれるまま、役所の地下に設けられたシェルターへと入って行った。

 状況を説明してくれた受付嬢の計らいで難なくシェルターに入れる事が出来た空は、
 受付嬢と離れ、広いブースへと入る。

 二級市民向けの物と違い、
 二~三家族十人程度で使う広いブースには、既に何人もの避難者がいた。

 一組の親子と、幼い姉妹、カップルと思しき男女に、空を加えた八人だ。

 このシェルターは役所の管轄なのか、先程の受付嬢を含めた所員達が忙しく立ち回っている。

 人数分の毛布と携帯食が配られ、空も無意識の内にそれを受け取っていた。

空(ちっちゃい頃も……こんな感じだったな……)

 虚ろな目をしたまま、空は自嘲気味な笑みを浮かべる。

 海晴がギガンティック機関に所属してからは、
 日中にイマジンが出た場合は二級市民向けのシェルターを使っていたが、
 幼い頃は三級市民向けのシェルターしか使っていなかった。

 思えば、あの頃はこそこそと隠れるようにしてシェルターに入っていた記憶がある。

 今になって考えれば、あの頃の自分には戸籍が無かったのだから当然だ。

 そのせいか、食料も一人分しか支給されず、海晴と分け合って食べていた……。

空(今更……何を……)

 脳裏を過ぎった記憶を、空は弱々しく頭を振って追い出す。

 家族ごっこなど思い出しても、虚しくなるだけだ。

 空は膝を抱え、顔を俯けて何も考えないようにしながら、
 時が過ぎるのを待つ事にした。

―5―

 同じ頃、ギガンティック機関、司令室――


 四日間のインターバルを置いたイマジンの出現は、
 やはりと言うべきか、以前と同じく同時多発型だった。

ルーシィ「第七フロート第五層、トンボ型出現!」

タチアナ「そちらには07と11を向かわせて下さい!
     06と12も出撃準備を急いで!」

 軍からの通信を受けたルーシィの報告に、タチアナが素早く指示を飛ばす。

 マリアとクァンの乗ったリニアキャリアは、
 既に第三フロート第四層に向けて出撃した後だ。

アリス「リニアキャリア二号、現着まであと二十秒です!」

リズ「現在、サイ型に対して軍のギガンティック部隊による牽制射撃が続いているようですが、
   効果は見られないとの事です」

 アリスの現況報告に続いて、リズが軍からの情報を読み上げた。

クララ「リニアキャリア三号、発進準備良し!」

 出撃準備が整ったのか、クララが報告を上げる。

タチアナ「08と09には軍と連携して戦うように指示を!
     リニアキャリア二号は発進して下さい!」

 タチアナも素早く指示を飛ばす。

 と、不意に司令室のドアが開き、明日美とアーネストが現れる。

明日美「状況は端末で確認しています。各員は状況に集中」

 明日美は冷静に指示を出しながらコマンダーシートに深く腰掛けた。

 その瞬間――

サクラ「い、イマジン反応!?
    そんな……これって八ヶ月前と同じ……!?」

 レーダーを睨んでいたサクラが、戸惑ったような声を上げた。

アーネスト「状況報告は精確に!」

サクラ「は、はい!」

 だが、すぐにアーネストに強く諭され、サクラはすぐに戸惑いを収め、報告を続ける。

サクラ「メインフロート第七層に突如としてイマジン反応を検出しました。
    魔力の波形は八ヶ月前の軟体生物型に酷似しています」

エミリー「警報、有りません!
     出現区画付近からの通報によると、突如として現れたようです」

 サクラに続いて、エミリーが現状を報告した。

リズ「観測所から入電! 反応は直前まで皆無との事です!」

エミリー「そ、そんな……い、イマジン出現付近の遊戯施設、避難率二十五パーセント!

     避難誘導隊からの情報によると、
     イマジンの出現でパニックが起きている模様です!」

 リズの報告に続けて、エミリーが悲鳴じみた声音で叫ぶ。

 それらの報告に司令室が一気にざわめく。

 八ヶ月前のイマジンと同じ魔力の波形を持つ、
 レーダーにも掛からずに突如として現れたイマジン。

 加えて、遊戯施設――例のアミューズメントパークだ――には、
 逃げ遅れた多くの市民。

明日美「ここに来るのは想定の範囲内だけど、これは想定外よ……」

 明日美は舌打ち混じりに小声で呟く。

アーネスト「政府が焦って出した安全宣言が仇になりましたね……」

 それに倣って、アーネストも耳打ちするような小声で漏らす。

 半月以上もシェルターに出たり入ったりを繰り返させられていた
 市民のフラストレーションは、最早爆発寸前だった。

 特にメインフロートは全てのフロートと隣接するため、
 どのフロートにイマジンが現れても常に警報レベル5。

 加えて先日のテロ騒ぎだ。

 政府としては市民のガス抜きを急ぎたかったのだろうが、
 例外なく連日現れていたイマジンが突如として途絶えたのが判断を鈍らせたのだろう。

明日美「根拠になるデータも提出していたと言うのに……」

アーネスト「ロイヤルガードとの連盟だったのが、
      軍寄りの派閥には気に入らなかったのでしょうな……」

明日美「これだから頭の固い派閥至上主義の古い政治屋は……」

 アーネストと愚痴めいた応酬をしていた明日美だが、
 小さな溜息と共に肩を竦め、気を取り直してすぐに指示を飛ばす。

明日美「周辺の地形情報をピックアップ!

    06、12は格納庫内で起動、06はOSSを即時接続、
    メインピラー内のリニアエレベーターを使って降ろしなさい!」

タチアナ「了解! 各員指定作業を急いで下さい!」

 明日美の指示を受けて、タチアナが総員に指示を出す。

リズ「第七層の映像来ました!
   ノイズを最大限除去してメインモニターに投影します!」

 情報収集を行っていたリズがコンソールを操作し、
 司令室正面の大型モニターに映像を投影した。

 どうやらアミューズメントパーク内の監視カメラの映像らしく、
 画面の端々にカラフルな建造物やアトラクションが映っている。

 だが、本題はそこではない。

 アミューズメントパークの外縁をぐるりと囲む林を踏み越えて、巨大な影が迫っていた。

 タコの身体にクリオネの口のような頭をした、軟体生物型のイマジンだ。

ほのか「やっぱりクリオネタコ……ッ!」

 予想通りと言いたげに、だが僅かな驚きを込めてほのかが叫ぶ。

サクラ「魔力波形、完全一致!
    八ヶ月前のイマジンと完全同種の個体と思われます!」

 コンタクトオペレーター達の集めてくれた情報と、
 現在までのデータベースを照合していたサクラが驚きを隠しきれない様子で言った。

タチアナ「レーダー網をかいくぐる高い同化性と隠密性に、完璧なまでの魔力遮断能力、
     加えて、この所の同種同型イマジンの多発……司令!」

明日美「ええ……」

 確認するかのようなタチアナの呼び掛けに、明日美は深々と頷く。

明日美「最悪のタイミングで、最悪の予想が的中したようね……」

 明日美はそう漏らしながらも、思考を巡らせる。

 実を言えば、明日美はこの事態をおよそ一ヶ月以上前から予想し、
 先日からチーフオペレーター達や各部署の主任達に、ある仮説の話を説明していた。

 およそ一ヶ月前……最初は虫の知らせ程度の物だったが、
 それは一つの情報を受け取ったその日の内にある最悪の想像へと発展した。

 最初は今、再び現れた軟体生物型イマジンの予想行動経路の確認に過ぎなかった。

 あの隠密性の高いイマジンが、どのように移動していたか、と言う物だ。

 それらのデータはロイヤルガード……臣一郎から受け取った補完データと合わせて、
 単なる虫の知らせが一つの予測に変わろうとした時、ある二体のイマジンが出現した。

 そのデータを受け取った当日に現れたイマジン――混合肉食獣型とトンボ型――は、
 それより七ヶ月前に出現したイマジンと酷似していたのである。

 そして、出現地点は軟体生物型イマジンの予想行動経路から大きく外れていなかった。

 つまり、混合肉食獣型、トンボ型、サイ型、カメレオン型の四種のイマジンは、
 軟体生物型イマジンから派生、或いは産み出された個体である可能性が高いとの予測がそこで立つ。

 それから次々と現れたイマジン達の出現地点もやはり、
 件の経路からそう大きく外れる位置ではなかった。

 おそらく、空、レミィ、フェイらによって大きなダメージを負った軟体生物型イマジンは、
 消滅の寸前に自らの身体の一部を切り離して生き延び、隠れて再生を続けた。

 そして、六ヶ月半が過ぎて最低限まで回復したイマジンは、徐々にその活動を開始したのだ。

 最初はカメレオン型を使い、回復が順調になると混合肉食獣型とトンボ型を使い、
 そして、約一ヶ月前に完全回復したイマジンは次々と自らの手駒を動かし始め、
 それがあの連日のイマジン出現となったのである。

 これらも、あくまで明日美達の推測に過ぎない事柄ではあったが、
 事実として、その殆どは推測通りだった。

 このおよそ二ヶ月間で、件のイマジン達と無関係だったのは、
 変則ティラノサウルス型とバッタ型の二体だけだ。

明日美(手駒をあれだけ消耗してから動き始めた理由は何……?
    四日間も沈黙していた理由は……?)

 一通りの指示を出し終えていた明日美は、残る不明な理由の推測を始める。

 おそらく、こちらを疲弊させる作戦――そんな知能があるかどうかは不明だが――としか推測できないが、
 だとすれば何故、18日から21日までの四日間に現れなかったのか説明がつかない。

 事実、そのお陰でこちらの体勢はほぼ立て直せている。

 しかし、改めて考えると、連続出現が止まる以前との最大の違いと言えば、
 空の戦線離脱だろう。

明日美(自分に深傷を負わせた空とエールを警戒していた……?)

 知能はともかく、イマジンにもその程度を判別する能力はある。

 イマジンは数度の出撃で、空の離脱を本能的に察したのだろう。

明日美(だとするなら狙いは何……?
    穴も多いとは言え、戦略を立てる能力を有したイマジンの本当の狙いは……?)

ほのか「06、12、現着します!」

 明日美の思考を遮るように、ほのかの声が響いた。

 明日美は顔を上げて、正面のモニターを見遣る。

 アミューズメントパークの敷地内に侵入したイマジンの前に、突風・竜巻が立ち塞がり、
 上空からはアルバトロスが飛来した瞬間がモニターに映し出されていた。

―6―

 アミューズメントパーク外周エリア――


 植林されたばかりの木々を押し倒して侵入したイマジンの目の前に、風華とフェイが立ち塞がる。

 軟体生物型イマジンは広大な敷地の三割を占める自然公園を戦場としてくれるのか、
 それとも二機のギガンティックを警戒しているのか、それ以上進もうとはしなかった。

フェイ『藤枝隊長、このイマジンは高い同化能力を持っています。
    装甲の薄い06では同化される可能性が高いと思われます』

風華「大技以外の接近戦は厳禁、なのよね……。
   本当に戦い辛い相手だわ」

 フェイからの通信を受けて、風華は憎々しげ……と言うよりは困ったように漏らす。

ほのか『同化に注意して風華ちゃんが撹乱、フェイが攻撃よ!

    周辺の避難が完了していない以上、被害を広げるワケにはいかないわ、
    射撃の角度に注意して!』

 そんな二人にほのかが指示を出す。

 幸いにもそれなりに広い戦場を確保できたが、
 すぐ隣はパニックに陥った人々でごった返す遊園地だ。

 早々、派手な攻撃は出来ない。

風華「了解! フェイ、新堂チーフの指示通りよ。

   私がイマジンの周辺を飛び回って撹乱するから、
   出来るだけ真上から撃って頂戴!」

フェイ『了解しました』

 フェイの返事を聞くなり、風華は愛機と共に跳ぶ。

 軟体生物型イマジンは無数の触手を伸ばし、突風・竜巻を捕らえんとするが、
 軽やかに跳躍を続ける緑のギガンティックを捕らえる事は簡単ではなかった。

 そして、真上に位置取ったアルバトロスが胴体部の魔導ランチャーを展開し、
 触手の付け根を狙って砲撃を放つ。

イマジン『QWOOOO――ッ!?』

 呆気なく触手は分断されて消滅し、イマジンは苦悶の声を上げる。

 海晴を屠ったイマジンとは言え、あくまで生身の海晴を殺したに過ぎない。

 状況から警戒こそされていたが、
 軟体生物型イマジンは群を抜いて強力なイマジンと言うワケでもなかった。

 繰り返して撹乱と砲撃を続け、次々にイマジンの触手を破壊し、無力化させて行く。

 腹いせ混じりとは言え、幾度もシミュレーターで屠って来た相手だ。

 対策など万全である。

風華(空ちゃんには申し訳ないけれど……隊長の仇、私が取らせて貰うわ!)

 イマジンが触手の全てを失った瞬間、風華は意を決して距離を取った。

風華「突風、ブレードエッジをお願い!」

突風『了解、ブレードエッジ、アクティブッ!』

 主の指示に従い、突風は脛のブラッドラインを迫り出させる。

 直後、ブレードエッジが蒼い炎に包まれた。

 風華の最強の技、豪炎・飛翔烈風脚だ。

 隙の大きな大技だが、敵は腕を失って対処不可能。

 たとえ頭部の口を開こうとも、腹の中から蹴り砕ける自信が風華にはあった。

 完全同型同種だと言うなら、それもシミュレーターでの訓練通りだ。

イマジン『Qwoooo……』

 イマジンもどこか観念した様子で大人しくなってしまう。

 あれだけの策謀を巡らしておきながら、最後は呆気ない物だ。

風華「豪炎ッ! 飛翔ッ!」

 魔力を最大限まで高めて跳び上がった風華は、
 蒼く燃える炎と化したブラッドラインの蹴りを、
 軟体生物型イマジンに向かって蹴り込まんとする。

 その瞬間、イマジンの頭部――クリオネのような口がバックリと開かれた。

 しかし、無駄だ。

 先に述べた通り、そのくらいでは風華の大技を破る事は出来ない。

風華「烈――ッ!!」

 だが、それが以前の軟体生物型イマジンだったならば、である。

風華「――風きゃ……ッ!?」

 最大の技が決まらんとした、その瞬間。

 開かれたイマジンの口の中から巨大な何かが現れた。

 金属のようにも見える黒い硬質な鎧を身に纏ったそれは、巨大な人型だ。

 鎧の隙間から覗く腐ったような土気色をした肉体は、
 だが逞しい筋肉に覆われ、悪鬼のような形相をした額から伸びる一本の角。

 “ソレ”を知らなければ、大半は鎧を纏った鬼のイマジン……
 オーガ型イマジンとでも呼んであろう。

 だが、風華には“ソレ”が見覚えがあった。

風華(黒い……エールッ!?)

 その姿に、風華は心中で驚愕した。

 そう、鎧を纏った一本角の人型イマジンは、
 黒く染まり醜悪な生物と化しながらもエールの姿を思わせた。

 しかし、この程度で攻撃を止めるワケにはいかない。

 当たれば必殺のこの一撃。

 外さなければ勝ちだ。

 だが、それ以上の驚愕が風華に襲い掛かる。

??『駄目よ風華………。
   飛翔烈風脚を狙うには、まだ隙が大き過ぎるわ』

 イマジンが発した声に、風華は愕然とした。

 その聞き慣れた声音に、蹴りの勢いが削がれる。

風華「うそ……」

 呆然と漏らす風華は、その脚から魔力の炎が消えている事に気付いていなかった。

 驚愕が、魔力の流れを阻害したのだ。

 だが、それも一瞬の事に過ぎない。

 それでも、その一瞬があれば十分な隙だった。

 エール型イマジンは炎の消えた突風・竜巻の脚を掴むと、
 振り回すようにして強かに大地に叩き付ける。

風華「がはっ!?」

 背中から強かに叩き付けられる衝撃に、風華は目を白黒させて肺の中の空気を吐き出す。

 軽量で装甲の薄い突風・竜巻には大きなダメージである。

 加えて、エール型イマジンも、
 相手の蹴りの勢いがかなり削がれていたとは言え、鮮やかなカウンター戦法だ。

??『モードS……セットアップ』

 そして、エール型イマジンが朗々と呟くと、その手足と背中が一瞬で肥大化した。

 肥大化した肉体は一瞬で何かを形作り、硬化する。

 それはスラッシュクローを思わせる巨大なかぎ爪と、噴射口のように伸びる触手だ。

??『マキシマイズッ!!』

 直後、かぎ爪が一瞬で巨大化し、突風・竜巻の右膝を狙って突き立てられた。

風華「ッ………ァァァァァッ!?」

 息の詰まるような風華の絶叫と共に、
 切り裂かれた突風・竜巻の右下脚が弾け飛んだ。

 蒼色に輝くエーテルブラッドが、切断面から激しく噴き出して辺りに撒き散らされ、
 自然公園の中央にある大きな池には、切り離された脚の残骸が落下する。

 エール型イマジンが姿を現してから、この間、僅かに三秒足らず。

 普段は冷静沈着に振る舞っているフェイも、
 さしもの状況に咄嗟に援護に回る事が出来なかった。

風華「ぅぐ、ぁぁぁっ!?」

 リンク中の愛機の脚を分断された事によるフィードバックで、
 風華は右膝から先を失ったに等しい激痛に苛まれ、声ならぬ悲鳴を上げてのたうつ。

メリッサ『右脚部、魔力リンク、カット!』

 だが、すぐにメリッサが魔力リンクをカットした事で、その痛みも急激に引く。

風華「ッ!? ……はぁ、はぁ……」

 急激に痛みが引く感触に、風華は一瞬だけ全身を震わせたが、
 すぐにそれも治まり、激痛から解放されて喘ぐように呼吸を整えた。

フェイ『藤枝隊長!』

 あまりの事態に呆気に取られていたフェイも、何とか気を取り直し、
 アルバトロスを急降下させ右下脚を失った突風・竜巻を掴むと、即座にその場から飛び退く。

 ランチャーに加えてガトリングガンも展開し、
 エール型イマジンを牽制しながらゆっくりと突風・竜巻を降ろす。

フェイ『申し訳ありません、藤枝隊長。
    援護が遅れました……』

風華「だ、大丈夫よ……フェイ……」

 淡々としながらも申し訳なさそうなフェイに、風華は絶え絶えに返した。

 さすがに脚を切断されたショックからはすぐに立ち直れそうにはない。

 だが、今の風華にはそれ以上にショックな事があった。

??『援護が遅いわね……フェイ。
   駄目よ、そんなのじゃ』

風華「この、声……やっぱり……!」

 エール型イマジンの発した声に、風華はワナワナと震える声で愕然と呟く。

 そして――

フェイ『朝霧……隊長……!?』

 ――能面を貼り付けたような平静を保つ事の出来ないフェイの驚愕に、
 自分の記憶が間違っていなかった事を知る。

 そう、間違いなくこの声は……二ヶ月前に加わったばかりの新たな仲間にも似た、
 だが落ち着いた雰囲気を纏ったこの声は、朝霧海晴の物だった。

 そして、風華達の感じている動揺は司令室にも広まっていた。

タチアナ「そ、そんな……海晴さん!?」

 タチアナを筆頭に、オペレーター達も動揺を隠せない。

 黒いエール型イマジンと言うだけでも驚きの状況だと言うのに、
 加えて死んだ海晴の声で彼女然として話されては当然だ。

 隣り合った者同士で顔を見合わせ、中には混乱を隠せずに思わず立ち上がる者もいる。

 だが――

明日美「落ち着きなさいっ!!」

 その雰囲気を、明日美が一喝した。

 ビリビリと空気をも震わせる大音声が、オペレーター達の動揺を吹き払う。

アーネスト「タクティカルオペレーターは解析を急げ!
      手空きのコンタクトオペレーターは資料解析を!」

 続けてアーネストが指示を飛ばし、指示を受けたほのか達も困惑しながらも作業に戻る。

アーネスト「メカニック、バイタル、共に06のコンディションチェックを優先!

      加えて、緊急事態に備え、
      戦闘が終了しているギガンティックを現場に搬送する準備を!」

 立て続けのアーネストの指示に、残る春樹達も作業を再開した。

明日美「ありがとう、アーネスト君……。
    あなたが冷静でいてくれて助かるわ……」

アーネスト「私の務めは、司令の補佐ですから」

 小声で漏らした明日美に、アーネストも小声で応える。

 正直な話をすれば、明日美も驚いていないワケではなかった。

 イマジンが生物を摸した魔法現象である以上、
 嘶きや鳴き声がその生物に似る事も稀にだがある事だ。

 それは声帯にも似た部位を作っているからだろう。

 だが、人間の声を作り出したイマジンはコレが初めてだ。

明日美(あのイマジンが推測通りに八ヶ月前と完全同一個体ならば、
    確かにあのイマジンは海晴を捕食……いえ、吸収している。

    同化能力の高さは隠密正の向上だけでなく、
    吸収した相手のコピーすら可能にしていると言うの……?)

 混乱の中、明日美は必死に思考を巡らせる。

 仮にコピーが可能ならば、エールの姿を摸しているのは八ヶ月前の接触による物だろう。

明日美(この二ヶ月間は、こちらの戦力を削るためではなく、
    エールのコピーを完璧にするための物?)

 その仮の結論を考えた時、それが腑に落ちるような気がした。

 姿こそ異形だが、突風・竜巻の脚を切断したエール型イマジンのあの姿は、
 モードSに見えない事もない。

 となれば、モードDも使うと思った方が良い。

 しかも、ノーマルからSへのモード変形に掛かった時間は一秒足らず。

 オリジナルのエールのOSS接続に比べて圧倒的な速さだ。

明日美(このイマジン……想定外過ぎる……!)

 今までの推測や対策案など、全て無に帰してしまうようなイマジンの登場に、
 明日美は心中で舌打ちと共に冷や汗を流す。

『PiPiPi――ッ!!』

 そして、明日美の内心の焦りを嘲笑うように、
 次なるイマジンの出現を告げる報せが舞い込んだ。

ルーシィ「い、イマジン出現!」

明日美「……ロイヤルガードに出動要請を!」

 この状況への追い討ちで声を上擦らせたルーシィの報告を聞くなり、
 明日美も焦りを隠しきれない様子で指示を出した。

 一方、戦場ではさらなる困惑が続く。

海晴?『どうしたの?

    いつも通りのお人形ごっこのままなら、
    風華を助けられたんじゃないかしら?』

フェイ「お、お人形ごっこ……?」

 エール型イマジンから響いてくる海晴の声が紡ぐ、辛辣な棘を伴った言葉を、
 フェイは愕然とした様子で声を震わせて反芻した。

フェイ「…………あなたはイマジン。我々の殲滅対象です」

 だが、フェイはすぐに気を取り直し、外部スピーカーを通し、
 いつものように努めて淡々と言った。

 そう、“努めて”。

 フェイは内心、平静ではいられなかった。

 相手は間違いなくイマジンだ。

 だが、その声もまた間違いなく海晴の物。

 海晴から投げ掛けられる言葉、と言う拭いきれない感覚が、
 フェイの余りにも人間じみた人工知能――心――を抉る。

海晴?『そうそうお上手お上手……よく出来ているわ、
    いつも通りのお人形ごっこが……。

    とても、“私はどうすればいいのでしょう?”なんて、
    弱々しい言葉を発していたあなたとは思えないわ』

 どこか微笑ましい記憶を語るように、和やかに弾む声でエール型イマジンは言い放つ。

 それは、決してフェイと海晴以外が知る由も無い、
 かつての自分の悩みを吐露した言葉そのものだった。

海晴?『ちゃんと自分の思う通りに出来ているじゃない。
    造られた人形に相応しい、人形のフリが』

フェイ「ッ! 殲滅しますっ!」

 だが、続く嘲るようなイマジンの言葉に、
 フェイは無表情でいる事も、淡々としている事もいられなかった。

 アルバトロスの使用可能な火器を全て展開し、
 クチバシ部分を展開して魔力弾を交えて集中砲火しながら突撃する。

アルバトロス『フェイ! 敵の挑発に乗っては駄目です!』

 アルバトロスが悲鳴じみた声でフェイを諫める。

 だが、その相棒の言葉も激昂したフェイには届かない。

 一見して静かに見えるフェイだが、その心は激しい怒りに満ちていた。

 大切な記憶だった。

 軍用ヒューマノイドウィザードギアから、一人の人間としてオリジナルギガンティックを任され、
 困惑の渦中にいた自分を救い、道を示してくれた大切な言葉。

 それを穢された。

 その激しい怒りが、普段から冷静沈着たらんとしていたフェイの心を、千々に乱していたのだ。

海晴?『だって、本当の事だもの……』

 狼狽え玉にすら感じられる乱れ撃ちの中、エール型イマジンは小さく呟いた。

 直後――

海晴?『モードD、セットアップ』

 手足と背中の肥大化していた部分が霧散すると、
 肩と腰が肥大化して、一瞬でその姿はモードDを摸した物へと変わる。

 蝙蝠の翼を思わせる肩の翼を閉じ、
 瘴気じみた濁りきった水色の魔力がエール型イマジンを覆い尽くす。

フェイ「シールドスタビライザーッ!?」

 愕然とするフェイの前で、放った魔力砲撃の全てが無効化されてしまう。

 元々、アルバトロスは低出力の試作型エンジンを中心に、
 エール用のオプションを寄せ集めて造った支援機に過ぎない。

 飛行能力と高い火力を誇り、量産型ギガンティックを大きく凌ごうとも、
 真のオリジナルギガンティックには遠く及ばないのだ。

 それでも寮機と連携できれば多大な戦果を発揮する事は出来たが、
 今、この場には脚を失って満足に動けない風華の突風・竜巻しかない。

 全ての砲撃を掻き消され愕然とした瞬間、
 雨霰のような無差別射撃に僅かな隙が生まれる。

 エール型イマジンは、それを見逃さなかった。

 即座に蝙蝠の翼を展開し、腰や翼の下から砲身型の触手を引き出す。

海晴?『役立たずの人形は、捨てられるのよ……!』

 酷薄な言葉と共に、エール型イマジンは腰と肩に出現した砲門から魔力砲を放った。

フェイ「ッ!?」

 直後、フェイもコントロールグリップを素早く操作し、
 敵の砲撃に対して最も頑丈な背中を向けて上昇する。

 だが、イマジンも急旋回して上昇するアルバトロスを見逃しはしない。

 放たれた極太の魔力砲撃がアルバトロスを捕らえた。

フェイ「ぅぐっ!?」

アルバトロス『キャアァ――』

 背中に直撃した衝撃にフェイは呻き、叫びかけたアルバトロスの声が途切れる。

 魔力砲撃を背中に受けたアルバトロスは、結果を言えば辛うじて無傷で済んでいた。

 だが、膨大な魔力を一瞬で受けたアルバトロスのシステムは沈黙し、
 全身を輝かせていた山吹色の魔力は消え失せ、ブラッドラインは鈍色になってしまう。

フェイ「あ、アルバトロス!?」

 愕然としながらもフェイは愛機の名を叫ぶが、愛機は声を返す事はなかった。

 急上昇の勢いを失ったアルバトロスは、
 そのままアミューズメントパーク付近のビル街に真っ逆さまに落下してしまう。

フェイ「ぅぅっ!?」

 何の軽減もなくビルに叩き付けられる衝撃に、
 フェイは必死に口を硬く噤み、押し殺した悲鳴と共に耐える。

システム『Error! Error!』

 ギアとは一部切り離されているギガンティックのシステムが、
 幾度もシステムエラーを告げた。

 どうやら、魔力砲撃のショックで
 アルバトロスのギアとしての人工知能がシャットダウンされてしまっているようだ。

 魔力リンクの強制遮断で、ビルに激突したフィードバックは起こしていなかったが、
 システムの再起動には僅かな時間を要する。

 しかし、その僅かな時間すらフェイ達には命取りだった。

海晴?『二人がかりで……無様な物ね』

 瓦礫と化したビルの中に沈むアルバトロスと、
 片脚を失って立ち上がる事も出来ない突風・竜巻を交互に見遣りながら、
 エール型イマジン――海晴の声は呆れ果てたように呟く。

 突風・竜巻にはまだ戦闘能力があるが、それでも片脚を失った機動性を補う事は不可能だ。

 幸い、突風本体は無事だったが、
 モードSとDの両方に一瞬で切り替える事が出来るエール型イマジンを相手に、
 分離しての戦闘は命取りである。

 だが、万事休すかと思われた、正にその時だった。

 遠くからけたたましく響く急停車音が鳴り響き、
 直後にズゥン、と低く腹に響くような音がする。

 音のした方向を視線を向けると、
 ビル街のど真ん中、開けた大通りに火色の輝きを纏った巨人が立っていた。

 マリアとクァンのプレリー・パラディだ。

 いち早く混合肉食獣型との戦闘を終えたマリアとクァンは、
 合体状態のまま劣化したブラッドを浄化しつつ、リニアキャリアで駆け付けたのである。

 先程の急停車音と重低音は、リニアキャリアの急停車による慣性を利用した
 簡易カタパルトで跳んだプレリー・パラディが降り立った際の物だった。

マリア「ほ、本当に黒いエール……!?」

 一方、目の前に立つイマジンの姿に、マリアは愕然と漏らす。

 駆け付ける道すがら、こちらの状況を聞かされてはいたが、
 改めて目の当たりにすると驚きを禁じ得ない。

海晴?『今度はマリアとクァンね……』

クァン「声マネも情報通りか!?」

 覚悟はしていたが、自らの耳でその声を聞かされると、
 クァンも驚かずにはいられなかった。

マリア「そっちのやり口はもう分かってるんだ!
    簡単に挑発できると思うなよ!」

クァン「お前が一番心配なんだがな、俺は……」

 外部スピーカーを通して堂々を啖呵を切ったマリアだが、
 直後のクァンのぼやきで、僅かにつんのめりかける。

マリア「うっさい!」

 敵以前に相棒の言葉に顔を真っ赤にして反論しながらも、
 マリアはプレリー・パラディから無数のワイヤーを放ち、自然公園の各部に打ち込む。

マリア「フォート・デザルブルッ!」

 魔力を流し込んで自然公園やアミューズメントパーク周辺を覆う街路樹を操作し、
 突風・竜巻の周辺を遮蔽し、さらにエール型イマジンをその場に閉じ込めた。

マリア「クァン、交代だ!」

クァン「おう! モード・デストラクター、セットアップ!」

 エール型イマジンを大樹の檻に閉じ込めるなり、
 マリアとクァンは愛機を分離させ、上下を入れ替えて再合体する。

 そして、再合体が完了した直後、
 エール型イマジンを閉じ込めていた大樹の檻が内側から細切れに切り裂かれて飛び散った。

 内部からは、モードDからモードSに転じたエール型イマジンが飛び出す。

マリア「クソッ、やっぱり檻程度じゃ時間稼ぎで精一杯か!」

 その光景に、マリアは舌打ちする。

 最初から拘束する選択肢を除外していたのは、この変形能力を警戒しての事だ。

 全身各部を変形させられたら、
 締め付けが緩んで脱出されてしまう危険性を考えての事である。

 それならばと、最初からかなり分厚く頑丈な檻を造り出したつもりだったが、
 あの鋭いかぎ爪の前には無力でしかなかった。

マリア「もっと硬い樫の木とか植えとけっての!
    手抜き工事め!」

クァン「無茶を言うな!」

 愚痴る相方にツッコミを入れつつ、クァンは一歩、また一歩と進み出る。

クァン「相手はエール・ソニックか……あまり相手をしたくないタイプだが」

 クァンは少し困ったように漏らしながらも、徐々に愛機を加速させて行く。

 鈍重な重量級の躯体でも、ある程度の勢いを付けてしまえば走る事くらいは出来る。

 クァン自身の器用さを最大限まで活かせば魔力弾での遠距離戦も可能だが、
 カーネル・デストラクターの本領は接近戦だ。

 モードDで上空に飛ばれる前に接近戦に持ち込まなければならない。

海晴?『あなたなら、そう言う選択をするわよね……クァン!』

 しかし、それを分かり切っていたのか、
 してやったりと言いたげな声と共にエール型イマジンは走り出した。

 それも、真っ正面からぶつかり合う勢いだ。

 だが、真っ向からの体当たりならばクァン達に分がある。

 同じ二体分の質量でも、カーネル・デストラクターは重量級同士の合体だ。

 体格も一回り以上、カーネル・デストラクターが上回っており、
 如何に大型スラスターを活かしたモードSの突進力とは言え、簡単には弾かれはしない。

クァン(本体の鈍重さは同じだが、動きの良さならエールよりも俺達が上だ!)

 加えて、クァンにはそんな確信にも似た感覚があった。

 鈍重な機体同士とは言え、
 エールはギア本体が沈黙しているため他の機体よりも反応が鈍い。

 その弱点を克服するため、凄まじい突進力を生み出すスラスターを持ったモードSと、
 スタビライザーでの柔軟な機動性を生み出すモードDの二種の合体なのである。

 直線機動を得意とする、剛柔で言えば剛のモードSでは、
 タイミングを合わせさえすれば真正面から捕らえる事は簡単だ。

クァン「真正面ならっ!」

 両手を広げるようにかぎ爪を構えたエール型イマジンの顔面に向けて、
 クァンは愛機の右拳を叩き込む。

 回避不可能な間合い――

海晴?『何度も訓練していたのに、攻略がワンパターンね……』

 ――そのハズだった。

 エール型イマジンは呆れ気味に呟くと、左腕のかぎ爪後部の噴射口型触手から魔力を噴射し、
 カーネル・デストラクターの肘に装着された大型シールドと肘の隙間にかぎ爪を差し入れる。

クァン「なっ!?」

 驚くクァンの目の前で、エール型イマジンの背面スラスターが右――
 クァンからすれば左――を向き、放出された魔力の勢いで身体を捻るようにして、
 突進しながら拳を突き出すカーネル・デストラクターの勢いを一切殺す事なく、
 むしろ加速させるようにして、エール型イマジンはカーネル・デストラクターの右側面から真後ろへと回り込んだ。

 合気道のような鮮やかなカウンターで背中を取ったエール型イマジンは、
 肩関節の隙間を狙って両腕の爪を突き込む。

クァン「っぐあっ!?」

 魔力で加速された鋭いかぎ爪は結界装甲を貫き、
 装甲の無い関節部を貫いて正面にまで突き出る。

 辛うじて切断は免れたが、かぎ爪が身体を貫通する激痛にクァンは呻く。

 既に魔力リンクを低く抑えてもらっているが、
 それでもギリギリ耐えられるかどうかと言う痛みだ。

マリア「クァン!?」

 マリアも相方の痛みを思って悲鳴じみた声を上げる。

 だが、それだけでは終わらない。

海晴?『配属されてからは、誰が戦い方を手ほどきをしていたのか、
    まさか忘れてしまったのかしら?』

 エール型イマジンはそう良いながら、徐々に両腕を開いて行く。

 ミシミシ、ギチギチと言う不気味な音と共に、
 カーネル・デストラクターの両肩が限界を超えて開かれてしまう。

クァン「ぐぅ、がぁぁッ!?」

 内側から両肩を切り裂かれる痛みで、クァンは悶絶する。

海晴?『その鈍重な、躯体で、カウンター戦法が、主体の私に、
    勝てるワケが……無いでしょうっ!』

 途切れ途切れに力を込めながら叫ぶ海晴の声と共に、
 エール型イマジンの両腕が大きく左右に開かれると、
 壮絶な破断音と共にカーネル・デストラクターの両腕が吹き飛んだ。

クァン「ぐぉあアァァァアァァっ!!?」

 魔力リンクの低減で痛みも軽減されていたとは言え、
 さすがに両腕を切り飛ばされる痛みには耐え切れず、クァンは目を見開いて絶叫する。

 盛大に弾かれた巨大な腕はビルをなぎ倒し、
 両肩の付け根から噴き出した雄黄色のエーテルブラッドが噴水のようにビル街に飛び散った。

マリア「クァンっ!? クァァンッ!」

 マリアは泣き叫ぶようにクァンの名を叫ぶ。

 だが、魔力リンクを遮断されても残る激痛に、クァンは膝を折ってその場に崩れ落ちた。

海晴?『二人とも新人の頃からまるで成長が無いのね。

    お互いを心配してばかりで、まともなコンビネーションも出来ていない。
    これでお互い好き合っているとか、コント以外の何物でも無いわ』

 エール型イマジンは鬱陶しそうに言いながら、
 俯せに倒れ伏したカーネル・デストラクターの横っ腹を蹴り上げる。

 脹ら脛の触手型噴射口から噴き出した魔力で増幅された蹴りで、
 カーネル・デストラクターは弾き飛ばされ、崩れたビル街に突っ込む。

マリア「うぁっ!? な、何でお前にそんな事を……」

 ビル街に叩き付けられた衝撃に悲鳴を上げながら、マリアは愕然と漏らす。

 いくら海晴にそっくりな声でも、そんな事を言われる筋合いは無い。

 いや、むしろ、何でイマジンがそんな事を言い出すのか、マリアにはそれが分からなかった。

海晴?『まだ分からないの? 私よ?
    あなた達の隊長……朝霧、海晴よ』

 エール型イマジンは大仰に芝居がかった動作で、
 手を広げてやれやれと言いたげに肩を竦める。

 しかし――

???『お前が海晴なワケがあるかっ!』

 エール型イマジンの背後から怒りに満ちた声が響き、巨大な魔力弾が飛来した。

 しかし、エール型イマジンは全身の噴射口を吹かして、一気に跳び上がってそれを回避する。

 狙いを外した魔力弾は、途中で霧散するように消滅した。

 どうやら、回避される事を想定した遅延消滅型の魔力弾だったようだ。

 そして、魔力弾の色は瑠璃色。

海晴?『次は瑠璃華と……』

 跳び上がりながら視線だけを後ろに向けたエール型イマジンは、
 その瑠璃色の魔力弾の主……瑠璃華の駆るチェーロ・アルコバレーノと――

レミィ『隊長……なん、ですか……本当に!?』

海晴?『レミィ、ね』

 ――自分が離れた瞬間を狙い、倒れた仲間を守るように瓦礫の上に立った、
 レミィのヴィクセンの姿があった。

 レミィの声は困惑と不安で震えており、彼女の受けた衝撃の大きさと深さを物語っていた。

 エール型イマジンは上空でモードDへと転じ、悠然とその場に滞空する。

海晴?『私を食べたイマジンはね……もの凄く貪欲なの』

 レミィの質問に答えるかのように、エール型イマジンは海晴の声で語り出す。

海晴?『彼は、この世界を食い尽くしてしまいたいと考えている。
    人間も、動物も、イマジンも、全て。

    ……でもね、自分自身の力の限界も悟っていた。

    だから二重三重の作戦を立て、
    長い時間をかけて障害となるあなた達の戦術を研究し、
    私を使うと言う最適解を導き出した』

 エール型イマジンはそう言いながら、自らの身体に手を滑らせた。

海晴『記憶を吸い出し、人格を吸い出し、
   私……朝霧海晴と言う全てを自らに移植したの。

   だからね、身体はイマジンでも、心も記憶も人格も、全て私なのよ』

 朗々と語るイマジンの言葉を聞きながら、
 レミィはヴィクセンのコントロールスフィアの中で俯く。

レミィ「隊長……」

 絞り出すようなその声は、戸惑いと、哀しみと、僅かばかりの喜びに溢れている。

 隊長が……海晴が生きていた。

 だが、その姿はイマジン。

 イマジンとなってしまった海晴に対する憐愍と、彼女が生きていてくれた歓喜と、
 彼女が仲間達を傷つける事に対する困惑が混然となって、レミィの胸に突き刺さる。

 だが、それ以上の疑問がレミィの口から飛び出す。

レミィ「何で……何で、空にあの事を黙っていたんですか!?」

海晴『応える必要は無いわね……だって、分かっているんでしょう?
   同じように、家族の代用品を求めたあなたなら』

 僅かばかりの怒りの籠もる声音で投げ掛けた疑問は、嘲るような声で答えられた。

レミィ「だ、代、用……品?」

 上空のエール型イマジンを見上げながら、レミィは愕然と漏らす。

海晴『だってそうでしょう?
   合わせて二十六人姉妹だったかしら?
   二十五人も姉妹を失ったかどうだか知らないけれど、
   たまたま助けに行ってあげただけに過ぎないのに、
   半分獣半分人間のバケモノの代用品として私を見ていたじゃない』

レミィ「ばけ……もの……!?」

 汚らわしいと言わんばかりのイマジン――海晴の言葉に心を抉られ、
 レミィは思わず、その言葉を反芻してしまう。

海晴『キツネなのか人間なのかすら分からない、どっちつかずバケモノでしょう?
   そんなバケモノのクセに、人にべたべたとくっついて……いい加減、鬱陶しかったのよね』

レミィ「ッ!?」

 酷薄な呟きに、レミィは息を飲む。

レミィ「そ、そんな……」

 そして、ガックリと項垂れる。

 普段のレミィならば、こんな話は信じなかっただろう。

 相手はイマジンなのだ。

 海晴の声を借りて、大嘘を吐いているに違いないと決め込み、
 乗り越えても見せただろう。

 だが、空と海晴の間にあった真実を知った今、
 彼女の海晴に対する信頼は僅かに揺らいでいた。

 その心の隙を突かれたカタチだった。

海晴『あらあら……気付いていなかったのかしら?』

 予想外な程に効果的だった精神攻撃に、
 エール型イマジンはどこか嬉しそうな声を上げる。

海晴『姉妹の代用品がいれば良かったんだから、
   別に代用品からどう思われていようと関係無いじゃない。

   一方的で、身勝手で、一番最低な愛し方を選んだのだもの……
   憎まれても当然でしょう?』

 そして続く言葉が、さらにレミィの心を抉った。

 何度も、何度も、深く、深く、心に痛みを刻みつける。

レミィ「たいちょぉ……!?」

 気付かぬ内に溢れ出した涙で顔を濡らし、声を震わせ、レミィは困惑の声を上げた。

 だが――

海晴『風華……繰り上がりで隊長になったのはあなたでしょう?
   八ヶ月も経って、まだ隊長だって認めて貰えていないのね……。
   レミィにはあなた達を傷つけた私の方が、隊長に見えているらしいわよ?』

 レミィの言葉尻すら武器に、今度は風華の心に言葉の刃を突き立てる。

風華「そ、それは……」

 倒れ伏して警戒態勢のまま、風華は言い淀む。

 反論が出来ない。

 今でも、自分が隊長である事が場違いのように、風華には思えていた。

 海晴を真似て隊長のふりをする事は出来たが、それでも海晴には届かなかった。

 だからこそ、仲間達が死んだ海晴の事を隊長と呼ぶ事を咎めなかったし、
 彼女自身にとっても未だに、ギガンティック機関前線部隊の隊長は朝霧海晴のままだったのだ。

海晴『隊長失格ね……』

風華「隊長……失格……!?」

 ピンポイントで、それも一番その事を言って欲しくなかった人からの言葉に、
 決して聞くハズも無かったであろう言葉に、風華は愕然とする。

海晴『ああ、失格と言えばあなた達もよね……クァン、それにマリアも……』

 イマジンは次なる狙いを、クァンとマリアに定める。

クァン「っ、くぅ……」

マリア「……」

 クァンは痛みに喘ぎながら、マリアも身を硬くして肩を抱く。

海晴『家のためだ、母親のためだって言いながら、
   お互いの事で頭が一杯の平和ボケ……。

   ご大層な文句を並べながら、結局自分達だけで精一杯じゃない』

 イマジンは心底呆れ果てたと言いたげな声音で言うと、大仰に肩を竦めて見せた。

クァン「それは……!?」

海晴『ご両親や一族の期待を背負っておきながら、
   恋しい人が出来たから、心配で仕方がない?

   家のため、なんてご大層なお題目はどこに消えたの?

   ねぇ、どんな言い訳があるの?
   その言い訳は、ご両親や一族が納得して下さる理由かしら?』

 痛みに耐えて反論しかけたクァンの声を遮り、
 イマジンは何度も何度も問い詰めるようにまくし立てる。

クァン「そ、それ、は……!」

 対するクァンは、先程と同じ言葉を悔しげに漏らすばかりで、反論する事が出来ない。

マリア「クァン……」

 マリアは心配そうな声を上げるが、
 今はお互いにコントロールスフィア内の立体映像に過ぎず、
 それ以上の事は不可能だった。

 そして、イマジンの心を抉る攻撃はさらに続く。

海晴『でも、マリアの方がもっと酷いかしら……母親のため、ね。
   じゃあ、その母親を殺されている譲羽司令はどう思うかしら?』

マリア「や、ヤメテ……ッ!?」

 マリアは上空を見上げて叫ぶ。

 仲間達には知っていて貰いたいと思った事だが、まだ知らない者達も多い。

 それは偏に、マリアにまだそこまでの勇気が無かったからだ。

海晴『自分の親を殺される、って、どんな気持ちか分かる?
   分からないわよねぇ、ご両親が健在なあなたには……到底、ね。

   ……直接、殺してはいない? そんなの関係ないわ。
   あなたの母親が原因で司令のお母様は亡くなられた。
   家族を殺した人間の娘が、家族を殺した人間のために戦っている姿を見て、
   司令はどう思うのかしら?

   ねぇ、英雄殺しの娘さん』

マリア「ヤメテェェッ!!」

 マリアは耳を塞いで泣き叫ぶ。

 元より感じていた事だった。

 英雄殺しを償うには、自分が英雄になるしかない。

 だが、それで本当に償えるのか?

 母の胸の痛みを和らげる事は出来ても、
 遺族の……明日美達の心に刻まれた傷を癒す事など出来はしない。

 その事実を、クァンを除けば真っ先に打ち明けた、
 尊敬し、信頼した人から突き付けられ、マリアは胸を引き裂かれんばかりに苦しむ。

海晴『ほーら、フェイ……人形ごっこの出番よ。
   フォローしてあげなさいよ……出来ないの?
   アハハハッ』

フェイ「………」

 未だにシステム障害から復旧できないまま、
 フェイは無言でその嘲笑混じりの言葉を聞き続けるしかなかった。

 しかし、その言葉に抗う者がいた。

瑠璃華「やめろぉっ!」

 瑠璃華だ。

 瑠璃華は怒声を張り上げ、ジガンテジャベロットから魔力砲弾を放つ。

 だが、エール型イマジンは一瞬でモードSへと変形し、
 空中で魔力を大噴射してその砲撃から逃れる。

海晴『そうね……まだあなたがいたわね……。
   どう? “幸せごっこ”は、まだ続いてる?』

瑠璃華「し、幸せごっこだと!? 何を……!?」

 鮮やかに砲撃を回避したイマジンの言葉に、瑠璃華は激しく動揺した。

海晴『ごっこ、でしょう?
   自分に言い聞かせなきゃ幸せだと思えない、
   幸せでいられているかどうかも分からない、
   そんな滑稽な姿がごっこ遊びじゃなくて、何だって言うの?』

 その動揺を聞き逃す事なく、イマジンは言葉を畳み掛け、さらに続ける。

海晴『天道主任が亡くなっても、あなたは幸せなんでしょう?
   ごっこ遊びじゃない?

   自分の育ての親を失って、幸せなんでしょう!?』

瑠璃華「ッ! そんな物は論点のすり替えだ!
    お父さんが亡くなって哀しかったのは本当だし、
    それでも、今の私が幸せなのだって本当だ……!」

海晴『ああ、そう……あなたもそこの化け狐と一緒で、代用品で十分なのね。
   じゃあ、この場で誰が死んでも構わないでしょう?

   すぐに代わりを見付けて、幸せだって言い聞かせればいいのだもの』

 砲撃を続けながら反論した瑠璃華に、イマジンはすぐに言葉を投げ掛ける。

海晴『死んだ天道主任の代用品は譲羽司令?
   それとも舞島さんのお父さん?

   ねぇ、私の代用品は誰? 空かしら?

   いいわねぇ、この世界には、
   あなたの不幸を肩代わりしてくれる代用品で溢れているのね、羨ましいわぁ』

 最高の喜劇を笑うように、砲撃を回避しながらイマジンは羨望と嘲笑を込めて言った。

瑠璃華「代用品なんかじゃない!
    私を……私の大切な人達を笑うなあぁぁっ!」

 僅かに図星だった部分もある。

 自分が幸せだと言い聞かせているのは本当だ。

 だが、論破はされていない。

 瑠璃華にとって、
 それはあくまで周囲の優しい人々への感謝の念を確認するための行為なのだ。

 ディベートはまだ続けられた。

 だが、ルール無用の舌戦を仕掛けられた瑠璃華は、その怒りを抑える事が出来なかった。

 瑠璃華はジガンテジャベロットの砲身を開き、ジガンテスリンガーの体勢に入ってしまう。

チェーロ『マスター、落ち着いて下さい!
     こんな町中でジガンテスリンガーなんて使ったら!』

 しかし、間一髪でチェーロがその瑠璃華を諫めた。

瑠璃華「ッ!?」

 瑠璃華は息を飲み、自分がやろうとした凶行に愕然とする。

 時間は一秒足らずの、一瞬ほどの出来事。

 だが、その一瞬だけで十分だった。

海晴『図星を指されて、怒っちゃったかしら?』

 酷薄な声が背後から響く。

 僅かな時間だけ、瑠璃華はイマジンの姿を見失っていた。

 その一瞬の隙を突き、イマジンはモードDへと変形して
 チェーロ・アルコバレーノの背後に立っていたのだ。

瑠璃華「しまっ……!?」

 自らの失態に気付き、脚部のキャタピラを使ってその場から退避しようとした瑠璃華だったが、
 そんな余裕を与える事なく、エール型イマジンは四つの砲口から魔力砲弾を解き放つ。

瑠璃華「うわっ!?」

 背面……ジガンテジャベロット基部への直撃に瑠璃華は驚きの声を上げ、さらにその直後――

瑠璃華「キャアァァッ!?」

 ――ジガンテスリンガーを放とうと込められていた魔力に誘爆し、
 砲塔が大爆発を起こし、瑠璃華は悲鳴を上げて愛機共々吹き飛ばされる。

 瑠璃華の魔力特性は、繊細なコントロールを要求される特質熱系変換特化だ。

 誘爆も、その魔力の均衡を崩されたからに他ならない。

 チェーロ・アルコバレーノはビルの中に突っ込み、
 何軒ものビルをなぎ倒してようやく止まったその背中は、装甲の一部が消し飛び、
 内部のチェーロも背面に折り畳んでいた手足の一部を失っていた。

瑠璃華「ァァァ……ゥゥァァァァァァァッ!!??」

 背中を抉られ、体内まで焼かれる激痛に、
 瑠璃華は気絶もままならぬまま苦悶の絶叫を上げ続ける。

春樹『しゅ、主任!? 早くリンクを切断してくれ!』

メリッサ『今やってる! 焦らせるな!』

 悲鳴じみた春樹の叫びに続けて、メリッサが焦りと怒りの入り交じった声音で叫んだ。

 すぐに破損部の魔力リンクは解除され、
 瑠璃華も痛みから解放されると、コントロールスフィア内に倒れ伏す。

レミィ「瑠璃華ぁっ!?」

 戦う前からその気力を奪われてしまったレミィだったが、
 仲間の危機に愛機を走らせる。

 そして、勝利を確信して悠然と立ち尽くすエール型イマジンと、
 ビルの残骸の中に倒れたチェーロ・アルコバレーノとの間に躍り出た。

 だが、どんなに怒りで戦う意志を振り絞ろうとも、
 辛辣な言葉に切り刻まれた心は戦う気力を失っている。

海晴『最後はあなたが相手をしてくれるの? レミィ……?』

レミィ「隊長……あなたは本当に……!
    ずっとこんな事を思っていたんですか!?

    イマジンに記憶を利用されているだけなんじゃないんですか!?」

 自らの頭上へと飛来するエール型イマジンに向けて、
 レミィは泣き叫ぶような声で問いかけた。

 そうだ、そうに違いない。

 そんな希望を込めて。

 だが――

海晴『言ったでしょう? 記憶も、人格も、私本人の物よ』

 呆れと嘲笑の入り交じった声で、
 エール型イマジン――海晴はレミィの希望をへし折る。

 そして、さらに続けた。

海晴『あなた達が私の何を知っていると言うの?
   上っ面ばかりを見て、私の全部を知ったつもりでいたの?』

レミィ「たい、ちょぉ……! 隊長は……私達の隊長は……!」

 嘲るように問いかける海晴の言葉を聞きながら、
 レミィは自分の知る海晴こそが本物だと言い聞かせるように、言葉を絞り出す。

 聞き間違えようもない海晴の声。

 空との血縁が無い事を知った時の、海晴への僅かな疑惑。

 次々と仲間達を傷つけて行く海晴の言葉。

 万全とは言えない精神状態と、圧倒的な強さを誇るイマジンと、
 それらの事象が折り重なって正常な判断力を奪われたレミィ達は、
 エール型イマジンの放つ辛辣な言葉に、完全に飲み込まれしまっていた。

 一方、司令室にも激しい動揺が走っていた。

春樹「各機、最低限の回路を残して破損部の接続を遮断!
   復旧を急ぐんだ!」

クララ「チェーロ・アルコバレーノ、
    回路寸断箇所が多くて復旧に三分かかります!」

雪菜「カーネル・デストラクター、
   08部の破損が激しく再起動困難です!」

 コンソールを操作しながらの怒声にも似た指示を出す春樹に応え、
 クララと雪菜も必死でギガンティック達の再起動処理を続ける。

ほのか「増援現着まであと四分!」

サクラ「こんなヤツ相手に、どんな作戦を組めばいいのよ……」

アリス「たとえ間に合っても、勝てる保証なんて……」

 どこか悔しげに現況を報告するほのかに続いて、
 サクラとアリスも震える声で漏らす。

ジャン「クァンのバイタル、正常値まで回復……!
    フェイのモニタリング、未だ不可能です!」

セリーヌ「天道主任のバイタル、正常値に向けて回復中……。
     しかし、脳波に著しい乱れが……」

メリッサ「くそ……精神的な物までフォロー出来んぞ……!」

 ジャンとセリーヌの報告を受けつつ作業を続けながら、
 メリッサは悔しげに呟く。

ルーシィ「……やりました! アルバトロスとの回線、開けます!」

エミリー「こちらも二回線目を確保しました!」

リズ「その回線をルーシィはクララに、エミリーはジャン君に渡して!」

 システム異常を起こしたままのアルバトロスとの回線復旧を続けていたルーシィとエミリーは、
 リズの指示でそれぞれが確保した回線を必要としている二人に回す。

 それまで二人の管理していた回線を一手に引き受けていたリズも、
 ようやくその作業から解放され、部下達から預かっていた回線を開放する。

 しかし、状況が僅かにでも好転しようとしかけた、その時だ。

リズ「避難誘導隊から入電?

   ………遊戯施設で停止した大観覧車に、
   まだ五十人以上の市民が取り残されているそうです!

   安全な救出作業のためにも、
   戦闘区域をあと一キロ離して欲しいとの要請です!」

タチアナ「こんな状況で!?」

 愕然と避難誘導隊からの要請を読み上げるリズの報告に、
 タチアナは驚愕の表情で漏らす。

ルーシィ「入場者の避難状況八十五%!
     どうやら、大観覧車以外にも各所のアトラクションに取り残された乗客がいる模様です!」

エミリー「応援要請したロイヤルガード02、現在、二体目、及び三体目のイマジンと交戦中!
     こちらの増援には向かえないとの事です!」

 情報収集に戻ったルーシィとエミリーが、それぞれに絶望的な状況を報告して来る。

明日美「むぅ……」

 オペレーター達の報せて来る数々の状況に、
 明日美は眉間に皺を寄せて小さく唸った。

 アーネストもその傍らに無言で立ち尽くす。

明日美「……何も聞かないのね……?」

アーネスト「ええ……」

 小声で尋ねる明日美に、アーネストも小声で返した。

明日美「逐次投入とは言え、合体したギガンティックを三体破壊……。

    人格や記憶は些か疑問が残るにしても、
    海晴の操縦センスをコピーしているのは間違いないわ……」

 明日美は溜息がちに漏らす。

 海晴の操縦センス。

 それが、あのイマジンの強さの最大の秘密だろう。

 流麗で鮮やかなカウンター戦法は、正に海晴のソレだ。

 風華やクァンとの対峙で見せた動きも、
 彼女達の動きのクセを熟知していなければ出来る物ではない。

 仮に人格が偽物でも、記憶や戦闘技術だけは本物と遜色ないと言って良い。

アーネスト「……迷ってらっしゃるので?」

 どこか弱気になった様子の明日美の言葉に、
 アーネストも僅かに怪訝そうな表情を浮かべる。

明日美「さすがに、ね……。
    信じてはいるけれど、不安要素が揃っている状況には変わりないもの……」

アーネスト「最悪の場合、単に被害を増やすだけだと……?」

 不安げに漏らした明日美は、アーネストの言葉に“ええ”とだけ言って首肯した。

アーネスト「今からでも02の支援に変更し、02に第七層へ向かって貰いますか?」

明日美「それでは時間がかかり過ぎる……。
    それに、ここを乗り越えなければ、あの子に先は無いもの」

 アーネストの提案に、明日美はどこか諦めたように、
 だが徐々に確信を込めて思惑ありげに呟く。

 明日美の言葉を聞くと、アーネストはどこか満足げに頷き、口を開く。

アーネスト「そう仰ると思っていました」

明日美「あまりプレッシャーをかけないで頂戴……」

 明日美は微かな苦笑いを浮かべると、再びモニターを見遣る。

 レミィは心を挫かれながらも、まだ善戦していた。

 仲間達から注意を逸らし、戦闘区域を少しずつ引き離そうと必死だ。

 だが、相手はモードSとモードDを自由に切り替える事が出来るエール型イマジンである。

 引き離してもすぐに回り込まれ、元の場所まで放り投げられ、蹴り上げられる様は、
 正に翻弄されていると言って良い。

アリス「レミィちゃん!
    あと少し! あと少しだけ耐えて!」

 アリスが祈るように叫ぶ。

明日美(そう、あと少し……あと少しよ……!)

 その言葉を聞きながら、明日美も祈るような思いで見遣った。

 直後――

ほのか「リニアキャリア一号、現着します!」

 歓喜と、僅かな不安に彩られたほのかの報せが、司令室内に響き渡る。

明日美「来た……!」

 その瞬間の訪れに、明日美は大きく目を見開いた。

 同じ頃、アミューズメントパーク――

 避難誘導隊からの報告通り、イマジン出現の混乱の中で大観覧車は停止し、
 その内部には大勢の乗客が取り残されていた。

 全高五十メートル、園内を一望できると銘打たれた大観覧車は、
 そのまま空中の牢獄と化したのだ。


 そして、その中の一つ、登りの中ほどで停止したゴンドラ内に、
 真実達四人も取り残されていた。

佳乃「あの赤いのもやられちまって、
   もうあの緑色の犬みたいなのしか残ってないぜ……」

 外の戦況を見守っていた佳乃が不安げに漏らす。

雅美「ギガンティック機関のギガンティックが、こんなに簡単に………」

 雅美も恐怖に声を震わせながら呟いた。

 レミィ達とイマジンのやり取りは、指向性の音声でやり取りしている事もあって、
 周囲の人々にまでは聞こえていなかったが、
 それだけにギガンティック機関の劣勢が強調されている。

 イマジンは人々の負の感情……恐れや怒りを糧に出現する魔法現象だ。

 人々の恐怖は、それだけでイマジンの能力を強化する。

 それが僅かな物でも、イマジンの優勢を後押しするには十分だった。

歩実「ねぇ……空お姉ちゃん達……負けちゃったの……?」

 真実の腕の中に抱かれて震えていた歩実は、
 姉の友人達の様子に、声を震わせて不安げに漏らす。

佳乃「そ、それは……」

雅美「っ……」

 佳乃と雅美は息を飲んで顔を俯ける。

 真実を含め、三人共、空の乗機の特徴は彼女自身から聞かされていた。

 額に一角獣を思わせる角を持つ、白亜の巨人。

 親友と同じ、空色の輝きを纏ったその姿は、この戦場には無い。

 動かないのか、他で戦っているのかは分からない。

 だが、六体のギガンティックを相手に圧倒するイマジンでは、
 来た所で死にに来るような物だ。

 それが分かっているからこそ、二人は親友の身を案じて口を噤んでしまう。

歩実「………ぅ」

 二人の様子を無言の肯定と取ったのか、歩実は大粒の涙を目の端に浮かべた。

 だが――

真実「……大丈夫!」

 真実はそう言って、歩実の身体を強く抱く。

 歩実は驚いたように目を見開き、姉に向き直る。

真実「……大丈夫よ、歩実。空は絶対に来てくれます。
   そして、きっとあのイマジンを倒してくれますわ」

 真実も妹の目をしっかりと見据え、優しく言い聞かせるように言った。

 しかし、真実は言いながら、“我ながら無責任な物だ”と心中で独りごちる。

 八ヶ月前まで、厭味しか言った事の無かった相手を、
 こうまで信頼しているのだから。

 無責任と言うより、むしろ現金と言った方が良いかもしれない。

 だが、だからこそ、真実は空を信じていた。

 あの日……和解したあの日の空は泣いていたが、真実は空の強さを知っている。

 どんな辛辣な事を言っても、強い心で受け止めていた空。

 激しい憎悪と怒りと向き合いながら、それでも戦う事を決意した空。

 そんな空の強さを、真実は信じていた。

歩実「お姉ちゃん…………はいっ」

 姉の思いを感じ取ったのか、歩実は涙を拭って大きく頷いた。

佳乃「真実……」

雅美「真実さん……」

 佳乃と雅美も、友人の名を呟き、顔を見合わせる。

 だが、その時、不意に激震が辺りを襲った。

 彼女達は揺れるゴンドラの中で悲鳴を上げ、いち早く立ち直った佳乃が外を見遣る。

 するとそこには、緑色の輝きを宿した獣型のギガンティック――ヴィクセンが、
 イマジンによって投げ飛ばされ、近くのジェットコースターのレールを押し倒すように落下していた。

 そして、イマジンは蝙蝠の翼を広げて、悠然とヴィクセンに迫る。

佳乃「ッ!? こ、こっちに来た!?」

 佳乃は驚愕の表情で叫び、
 ヴィクセンが倒れているのとは反対方向のゴンドラの端にまで飛び退いた。

雅美「そ、そんな……」

 雅美も恐怖に表情を引き攣らせ、佳乃に縋り付く。

真実「歩実、こっちへ!」

歩実「お、お姉ちゃん!?」

 真実は歩実を背中に庇うようにして、三人の前に立ちはだかる。

 だが、そんな事をしても無駄だ。

 ヴィクセンを挟んで、大観覧車とイマジンはちょうど向かい合うような位置にある。

 ヴィクセンがどう回避しようと、大観覧車への被害は免れない。

佳乃「空ぁ……」

雅美「空さん……」

歩実「空お姉ちゃん……」

真実「空……!」

 眼前に迫る死の恐怖に、四人は口々にその名を呟く。

 そして、倒れ伏したままのヴィクセンに向け、
 姿を変えたイマジンが鋭いかぎ爪を構えて高く跳んだ。

 その瞬間だった――

?『レミィちゃんから、離れてぇぇぇっ!!』

 どこからか、アミューズメントパーク内に大音声が響き渡り、
 極太の魔力の輝きが辺りを照らし、上空高くから襲い掛かるイマジンの攻撃を阻む。

 目も眩むほどの魔力が放つ、空色の輝き。

 響き渡った大音声の、聞き慣れた声。

 そして、倒れ伏した獣型ギガンティックと、
 大きく飛び退いたイマジンの間に、ゆっくりと降り立つ白亜の巨人。

 その巨人を覆う輝きも、また空色。

真実「空っ!」

 その後ろ姿に、信じていた親友の到着に、真実は歓喜の声でその名を叫んだ。

 その姿は確かに、GWF201X……エールを駆った、空の物だった。

―7―

 時間はやや遡り、二十分前。
 第二フロート第二層、四十八街区、シェルター内――


 イマジン出現の報せから十五分が過ぎ、
 このシェルターもかなり人が増えて来たようで、
 空達のいるブースの外のざわめきも大きくなって来る。

 ブース内にいる他の人々もあまり騒がしくする様子は無く、
 そのお陰か外の喧騒が大きく聞こえた。

 だが、シェルターの収容限界に比べて避難して来る人数が少ないのか、
 空達のいるブースに別の人間が来る様子は無い。

 空は先程から体勢を一切変える事なく、身を隠すような思いで息を潜めていた。

 戦わなくて良い、逃げて良い。

 そんな免罪符のお陰で震えは止まっていたが、
 それでも仲間達の元から逃げ出した罪悪感は消えず、むしろ強くなっていた。

 イマジンから隠れると言うより、そんな罪の意識から逃げ出したくて必死なのだ。

 丸二日以上歩き通しだったと言うのに、身体は休む事を要求しては来ない。

 おそらくは無意識の内に肉体強化魔法を使っていたのだろう。

 空の魔力は膨大な物で、肉体強化をかけて歩き続けるだけなら三日は不眠不休でいられる。

 肉体強化魔法に精通した魔導師が一昼夜に渡って走り続けた記録も有ると言えば、
 決しておかしくはない数字だ。

 それも限界が許せばの話だが、結果から先に言ってしまえば、空はまるで眠くなかった。

 ようやく身体を休められる場所にいると言うのに、心は一向に安まる事がなく、
 それ故に身体も休む事を拒絶していたからだ。


――卑怯者め……――

――裏切り者……――

――臆病者……!――


 先程も聞いた幻聴が、延々と脳内でリフレインする。

空(……誰か……助けて……)

 空は微動だにせず、だが腿を抱えていた拳だけをギュッと握り締め、
 縋るものも無いまま助けを請う。

 誰も、空を助ける者はいない。

 誰にも、今の空を助けられる者はいない。

 そんな状況で繰り返される幻聴が、空自身の罪の意識が、より一層に彼女を追い詰める。

 悲鳴を上げて逃げ出したい。

 そんな事を考えても、逃げ出した先からこれ以上逃げる方法など、空は知らなかった。

 そして、無駄と思いながらも耳を塞ごうとした瞬間――

??「……ねぇ、お姉ちゃん」

 傍らから聞こえて来た声に、空はビクリと肩を震わせ、
 耳を塞ごうと伸ばした手を止めてしまう。

 お姉ちゃん。

 その一語に空は反応していた。

 かつて、自分にいたと思い込んでいた、たった一人の家族を呼ぶ名。

 反応してしまったのは、喪失感故か、それともただの驚きだったのか、
 その時の空には分からなかった。

 だが、空は無意識の内に声のした方向――
 二メートル弱ほど離れた位置に座る幼い姉妹に目を向けていた。

 年頃は姉が十歳程度、妹が四、五歳ほどだろうか?

空(あまり……歳は離れてないんだ……)

 空は思わず、そんな事を考えていた。

 それは自身の……海晴と自分の歳の差を考えての事だったが、殆ど無意識の物だ。

姉「どうしたの?」

 一方、姉妹の姉は、妹に服の裾を摘まれて、首を傾げて妹に振り返った。

妹「お腹すいた~……」

姉「……だからちゃんとお昼御飯食べてから出掛けよう、
  って言ったのに、もう……」

 そして、力なく呟く妹の言葉に、姉は肩を竦めて呆れたように呟く。

 だが口調や素振りとは裏腹に、彼女は心配そうな眼差しで妹を見遣っていた。

姉「渡された御飯は、もうさっき食べちゃったわよね……」

 そう言った姉が、その視線を妹の手元に向けると、
 そこには空になった非常食の袋がある。

 非常食と言っても、本当に最低限の栄養を摂るための物なので、
 味や量についてはお察しと言う、悪く言えば軍用携帯食のような物だった。

 話の内容からして、彼女達は昼食を摂らずに遊びに来ていたようで、
 妹の方は既に非常食を食べてしまったらしい。

姉「これに懲りたら、もう御飯食べずに出掛けちゃ駄目だからね」

妹「はぁい……」

 姉に呆れたように窘められ、妹は顔を俯けて返事を返す。

 お腹が空いているのもあるだろうが、しっかりと反省したようだった。

姉「……じゃあ、お姉ちゃんと半分こ」

 しっかりと謝った妹に、姉は笑顔でそう言うと、自分の分の非常食の袋を開け、
 中に入っていたスティック状のクッキーを半分に割って、片方を妹に差し出す。

妹「ありがとう、お姉ちゃん!」

 妹も弾けるような笑顔でお礼を言うと、姉から手渡されたクッキーを食べ始めた。

 どこにでもある、ありふれた姉妹のやり取りに過ぎない。

 だが、その光景を見ながら、空は気付かぬ内に涙を流していた。

空(あ、あれ……何で……?)

 涙を流していた事に気付いたのは、
 スカートに涙の染みが広がっている事に気付いた時だ。

 慌てて拭っても、涙は止まらず、さらに溢れ出してしまう。


――じゃあ、半分こにしましょう――


 頭の中で繰り返される非難の幻聴に混ざって、
 不意に懐かしい声が空の脳裏に響く。

 それが幼い頃の……本当に幼い頃の記憶だと気付いたのは、
 その懐かしい声の主を思い出したからだ。

空(海晴さん……)

 その名を、心の中で独りごちる。

 それは、海晴の声……いや、言葉だった。

 おそらく、自分が三歳になった頃の事だろうか?

 夕食前の時間に、イマジンが現れた事があった。

 夕食の準備を始める前だった海晴と自分は、シェルターに忍び込むように避難したが、
 その日は運悪く、シェルター内で隠れて食べる非常食を持ち込むのを忘れてしまったのだ。

 その頃の自分には戸籍が無かったため、支給される食料は海晴の分だけ。

 夕食時を過ぎても避難警報は解除されず、ついにお腹を空かせて泣き出した自分に、
 海晴は“じゃあ、半分こにしましょう”と言って、
 先程の姉妹の姉のように、非常食のクッキーを半分に割ってくれた。

 上手く半分にならなかったそのクッキーの、大きな方を自分にくれた海晴。

 海晴だって、お腹を空かせていたハズなのに……。

 その事を思い出しながら、空は幼い姉妹に目を向ける。

 嬉しそうな笑顔を浮かべる妹を見遣る姉の目は、どこかその時の海晴に似ていた。

 どこまでも優しい、姉の瞳。


――空は、お姉ちゃん自慢の妹だよ――
――お姉ちゃん、空には普通に幸せになって欲しいな。――


――妹は、私が守ります!――
――妹には、普通に幸せになって欲しいんです……だから、私が代わりに!――


――………さいご、まで………まもれ、なくて……ごめん、ね……――
――しあ、わせ……に、でき、なくて……ごめ、ん……ね――


 その小さな記憶が呼び水となって、たくさんの言葉が一気に溢れ出す。

 優しい温もり、優しい言葉、そして、哀しい記憶も。

 記憶と一緒に、涙が堰を切って溢れ出す。

空「ぅ……ぁぁ……」

 小さな嗚咽を漏らしながら、空は顔を覆う。

 覆った手の隙間から、幾筋もの涙が頬を伝って落ちた。

空(なんで……こんなに……大切な事……忘れて……)

 空はその事に気付いて、自らを責める。

 ああ、そうだ。

 何でこんなにも大切な事を、自分は忘れていたのだろう。

 海晴は――

空(……お姉ちゃんは……私の事を……)

 ――愛してくれていた。

 血も繋がらない自分を育てようとしてくれたのは、
 おそらくは本当に家族の代わりが欲しかったからだろう。

 最初はそうだったかもしれない。

 だが、いつしか自分は、海晴にとって家族の代わりではなくなっていた。

 朝霧海晴と朝霧空は、“本物の姉妹”ではなかったかもしれない。

 だが、“本当の姉妹”になっていたのだ。

 妹の身を案じて、我が身を省みずにドライバーとなった姉。

 妹の危機に、命を賭した姉。

 そして、常に、最期の瞬間まで、妹の幸せを願い続けてくれた姉。

 血が繋がらないとか、本物の家族ではないとか、その事を隠し続けていたとか、
 そんな全てがちっぽけでどうでも良く思えてしまうほど、
 姉は自分の事を、妹として必死に愛してくれていたのだ。

空(お姉ちゃん……お姉ちゃんっ……お姉ちゃんっ!)

 何度も何度も、空は姉を呼ぶ。

 その度に、記憶の中の姉が微笑み、振り返り、応えてくれた。

 そして、不意に明日美の言葉を思い出す。


――自分が朝霧空である事を、決して忘れない事!――


 そう。

 明日美は最初から分かっていたのだ。

 血の繋がりの有無など何の関係も無く、
 朝霧海晴の妹……朝霧空は、自分しかいない事に。

 そして、海晴が誰よりも空の事を愛していた事も。

 記憶が……姉との優しい思い出達が、脳裏に響き続ける幻聴を吹き飛ばす。

空(お姉ちゃんは……私を守るために、ずっと戦ってくれていた……)

 空は、ようやく止まりかけた涙を拭いながら、姉の事に思いを馳せる。

 僅かな魔力しか持たない姉が、イマジンと戦う事は、
 どれだけ恐ろしかっただろうか?

 満足に動く事もままならないエールで、
 たった一人で戦い続けた頃もあったのに……。

 それがどれだけ苦しく、どれだけ恐ろしい事か、空は沈思する。

 だが、姉は戦い続けた。

 自分の代わりに、イマジンと戦い続けたのだ。

 自分を……妹の幸せを守るために。

 そうやって戦って来た姉の愛が、姉が注ぎ続けてくれた愛が、自分の中にはある。

 それだけで――

空(行かなきゃ……!)

 ――空は、立ち上がる事が出来た。

 自分の幸せを守ろうとしてくれた姉。

 自分の幸せのために、イマジンと戦い続けてくれた姉。

 それなら、自分はどうすればいい?

 海晴の……もう愛を返す事の出来ない姉のために、自分は何が出来る?

 そう自問した瞬間には、空は走り出していた。

 突然に走り出した少女にざわめくブースから飛び出し、
 シェルターの出口に向かって走る。

 その時だった。

 出入り口付近に立っていたスーツ姿の二人組の男性が、空の前に立ち塞がる。

 このシェルターの管理職員だろうか?

 だが、空は臆すことなく二人の前に立つと、
 決意に満ちた目で彼らを見据え、口を開いた。

空「……ギガンティック機関所属、特一級の朝霧空です。
  緊急事態につき、シェルターの退出許可を願います!」

 しっかりとした口調で言った空に、職員達は無言のまま目を見合わせる。

 そして、僅かな間を置いてから頷き合い、一方の男性が懐から携帯端末を取り出した。

男性職員A「ギガンティック機関諜報部の者です」

 男性の言葉と共に、
 携帯端末の画面に彼の言葉通りの身分証明画面が映し出されている。

 同様にもう一方の男性が取り出した携帯端末の画面にも、
 同じ文面の身分証明が映っていた。

 そして、ふと背後に気配を感じて振り返ると、
 先程まで同じブースにいたカップル風の男女が立っており、
 彼らもまた、二人と同じ画面の映った携帯端末を手にしている。

 機関を出奔した後もずっと尾行されていた事に空が気が付いたのは、その時だった。

 驚く空を後目に、背後の女性が歩み寄って来る。

女性職員「司令から御伝言を預かっています。
     “答えは見付かったか?”との事です」

空「……はい!」

 女性の口を通した明日美の問いかけに、空は抑揚に頷く。

 空の返答に女性は満足そうに頷くと、最初に立ちはだかった男性二人に目配せする。

 すると、一方の男性が足もとに置いていたアタッシェケースを取り出し、
 その蓋を開いて空に差し出す。

 そこにあったのは、空の制服とインナースーツ、それに携帯端末とエールのギアだった。

男性職員B「これはお返しします、朝霧隊員」

空「ありがとうございます……!」

 空はアタッシェケースごとそれを受け取ると、
 制服の上着を羽織って、ギアを指に嵌める。

 その間にも後からやって来た男性職員が、どこかに連絡を取っているようだ。

男性職員C「どうやら、すぐに出撃しなければならない状況のようですが、戦えますか?」

 連絡中の男性職員を横目に、女性職員は空に問いかける。

空「行けます……いえ、行かせて下さい!」

 空が言いかけた言葉を強く言い直すと、女性職員は再び満足げに頷いた。

 四人に囲まれるようにして空達はシェルターの外に出ると、
 すぐに目の前のショッピングモールの地下へと入って行く。

 すると、搬入口と思しき構内リニアの駅に、一台の大型リニアキャリアが停車していた。

 ギガンティック機関の一号リニアキャリアと、エールを乗せた01ハンガーだ。

 リニアキャリアに乗り込んだ空は、
 用意されていた小型ブースでインナースーツに着替えを済ませると、
 通用路を登ってハッチへと向かう。

空「ッ………ふぅぅ……」

 そこで一瞬、息を飲んでから、深く、深く息を吐いた。

 いくら戦う決意を固めたからと言って、
 未だにコントロールスフィア恐怖症には変わりない。

 目を閉じると、イマジンの触手が、回転する角が、
 眼前に向けて迫って来るイメージが襲う。

 だが――

空(お姉ちゃん……!)

 心の中で呪文を唱えるように、姉の名を呼ぶ。

 脳裏に甦る姉の笑顔、数々の優しい記憶。

 そして、心に満たされるのは、注いで貰った、たくさんの愛情。

 愛を注がれた事実は、誰かに愛された優しい記憶は、勇気に変わる。

 お姉ちゃん。
 それは、海晴がくれた、空の勇気を呼び覚ます、魔法の呪文だった。

空「…………………………よしっ!」

 空は意を決し、開かれたハッチからコントロールスフィアへと潜り込んだ。

 恐怖を勇気でねじ伏せ、コントロールスフィアに立つ。

 すると、すぐに司令室と通信が繋がる。

タチアナ『朝霧さん!』

 通信の相手はタチアナだった。

空「すいません、パブロヴァチーフ。
  ご迷惑をおかけしました!」

 音声のみの通信だったが、空は謝罪の言葉と共に慌てた様子で頭を下げる。

タチアナ『その……大丈夫ですか?』

 大方の事情は把握しているのか、タチアナは心配そうな声で尋ねて来た。

空「はい……ご心配をおかけしました」

 対して、空も申し訳なさそうな声で返す。

 その声音からはどこか憑き物が落ちたような雰囲気が感じられ、
 タチアナは安堵の溜息を漏らした。

 だが、すぐに気を取り直した様子で、口を開く。

タチアナ『朝霧隊員は、そのまま帰投して下さい』

空「!? 出撃じゃないんですか!?」

 タチアナの指示に、空は愕然と漏らす。

 決して、好んで戦いたいワケではなかったが、
 諜報部の職員からは出撃と聞かされていた事もあって、空は困惑を隠しきれない。

ほのか『ごめんなさい、空ちゃん。
    あなただけは、あのイマジンと戦わせるワケにはいかないの』

 そこにほのかが割り込んで来る。

空「私とだけは戦わせるワケにはいかない、って……
  他のみんなは……レミィちゃんや風華さん達は、どうしているんですか!?」

 ほのかの言葉に、空は急かすように問う。

 空だけは、と言う事は、他の面子ならば構わないと言う意味だろうか?

 ほのかと繋がれた回線からは、
 彼女の両隣にいるサクラとアリスの声も微かに聞こえる。

 話の内容までは聞き取れないが、
 声の様子からしてかなり緊迫しているのは間違いない。

ほのか『それは……大丈夫よ』

 一瞬、言い淀んだほのかの様子からも、仲間達の危機は容易に想像できた。

 事実、レミィ達は海晴の声を発するエール型イマジンに追い詰められ、
 今は瑠璃華が戦っているが、戦況は圧倒的に不利なままだ。

空「……本当の事を教えて下さい!」

 空は懇願するように、ほのかに向かって叫ぶ。

 すると、すぐに別の回線が開く。

 映像を含めた回線には、明日美の顔が映っていた。

明日美『………………答えは、見付かったようね』

 僅か数秒、空の顔を覗き込んでいた明日美は、どこか満足げな声音で呟く。

空「はい……!」

 空も抑揚に頷き、明日美もその答えを聞くと、
 気を引き締めるようにしてから口を開いた。

明日美『現在、メインフロート第七層に出現したエールに酷似した黒いイマジンは、
    自身を朝霧海晴であると名乗っています』

空「ッ!?」

 明日美から語られた事実に、空は目を見開き、息を飲む。

 イマジンが喋るだけでも驚きだと言うのに、
 その声が姉の物となれば、驚きを抑えきれる物ではない。

ほのか『戦力的にも圧倒されているけど、最大の障害は精神攻撃よ……。

    海晴ちゃんの声や言葉で、みんなのトラウマや思考の隙を突いて、
    精神的な面からも無力化を図って来るわ。

    今、辛うじて戦えているのは……レミィちゃんだけよ』

 明日美が事実を告げた事で観念したのか、
 ほのかも悔しげに戦況を教えてくれ、さらに続けた。

ほのか『偽物だとは……いや、偽物とは思いたいんだけど、
    声どころか、戦い方まで海晴ちゃんにそっくりで……』

 ほのかの言葉の言葉を聞きながら、空は目を瞑って沈思する。

 だが、すぐに目を開き、意を決して口を開く。

空「ほのかさん、戦闘の音声記録を下さい」

ほのか『………分かったわ。
    リズ、こっちに戦闘中の音声記録を頂戴!』

 空の言葉に一瞬戸惑った様子のほのかだったが、
 すぐに気を取り直し、空の要求通りに戦闘中の音声記録を送る。

 そこには、仲間達の悲鳴や苦悶と、
 イマジンが放った辛辣で酷薄な言葉の数々記録されていた。

 その言葉の数々を聞きながら、空は胸の奥から怒りが湧き上がるのを感じた。

 だが、すぐに深呼吸を一つ、吐き出す。

空(お姉ちゃん……!)

 そして、もう一度、姉の名を呼ぶ。

 ゆっくりと、だが確実に心を落ち着けてから、空は口を開く。

空「司令……私に、行かせて下さい!」

 決意を込めた声で、空は言い切った。

―8―

 そして、再び現在。
 メインフロート第七層、第一街区アミューズメントパーク内――


 多くの乗客が取り残された観覧者と、その前に倒れたヴィクセンの目の前に、
 空の駆るエールが背を向けて立つ。

 視線の先には、自分と同じ……だが、
 黒い怪物と言った方が正しい、悪魔のようなエール型イマジンの姿。

レミィ『空……?』

風華『空ちゃん!?』

マリア『空っ!?』

クァン『そ、空くん……!?』

 レミィ、風華、マリア、クァンが口々に空の名を呼ぶ。

 フェイはまだ通信が回復しておらず、
 瑠璃華は痛みから解放されたばかりで声を発するのもままならない。

 だが、仲間達の驚きの声には、微かな不安と、
 それ以上に空を心配する色が多分に交じっていた。

空(ああ………)

 仲間達の声を聞きながら、空は自責の念と、それ以上の感謝の念に駆られる。

 勝手に飛び出した……逃げ出した自分を、こんなにも心配してくれる仲間達。

 こんな素晴らしい仲間達に、自分は囲まれていたんだと、思い出す。

空「みんな、ごめんなさい……心配をかけました……!」

 空は少し涙ぐんだ声で、仲間達の呼び掛けに応える。

 だが、そこに弱々しい色は無い。

 そして、長杖のエッジをエール型イマジンへと向けた。

 すると、イマジンも口を開く。

海晴『あら? やっと来たのね……空』

空「ッ!?」

 通信記録で聞くよりもずっと姉の声に近いソレに、空は驚愕する。

 そして、大観覧車のゴンドラ内でも、その声に驚いている者達がいた。

佳乃「ウソだろ……!?」

雅美「イマジンから……海晴さんの声……!?」

 佳乃と雅美だ。

 さすがに至近距離と言う事もあって、
 その声は大観覧車のゴンドラ内にいる佳乃や雅美の耳にも届いていた。

 聞き間違えるハズも無いその声に、二人も驚愕する。

真実「海晴さん………空のお姉さん!?」

 真実も、初めて聞く……だが友人の声に良く似た声に驚きを隠せない。

歩実「…………」

 歩実も、三人の様子に言いしれぬ何かを感じ、姉の腰にしっかりとしがみつく。

 そして、次に聞こえて来た言葉は、彼女達もまだ知らぬ事実だった。

海晴『どうしたの?
   血の繋がらない偽物のお姉ちゃんに、会いたくなっちゃったのかしら?』

 その言葉に、全員が――特に古くからの友人である佳乃と雅美が――息を飲む。

佳乃「い、今……何て……?」

雅美「血の繋がらない、って……え、そ、そんな……ウソ、ですよね……?」

 信じられない状況にも拘わらず、
 “海晴の声”がそう言ったと言う事実が、二人に激しい混乱を促す。

真実「ふ、二人とも、落ち着きなさい!」

 二人を諫めようとする真実も、その声は困惑で上擦ってしまっていた。

 だが、彼女達の困惑を収めたのは、怒声にも似た親友の声だった。

空『黙れぇっ!』

 大気を、ゴンドラさえビリビリと振動させる、怒りの一喝。

 しかし、それは激昂の怒声で無ければ、
 苦し紛れの怒声でも無い、澄んだ声の正に“一喝”だった。

 一方、その一喝を放った空は、怒りよりも決意に満ちた目で、
 眼前のイマジンを睨め付けていた。

空「お前は……お姉ちゃんじゃない!」

海晴『ええ、そうよ……。
   あなたは家族の代わり……テロで死んだ本物の妹の代用品!
   あなたの言う通り、私は……』

空「私のお姉ちゃんは――!」

 自分の言葉尻をあげつらうような、イマジンの嘲りを遮り、
 空はさらに続ける。

空「――朝霧海晴は、私の……本当のお姉ちゃんだっ!」

 辺り一帯に響き渡るように、空は叫ぶ。

 姉の名を騙るイマジンへの怒りと、自分を愛してくれた姉への尊敬と、
 返しても返しきれない、深い愛を込めて。

 そして、さらに続ける。

空「血は繋がってなかったかもしれない!」

 あのシェルターの中で、幼い姉妹が思い出させてくれた――

空「本物の家族じゃなかったかもしれない!」

 ――幼い日から、最期の瞬間まで――

空「それでも、私達は……本当の姉妹だっ!」

 ――姉が注ぎ続けてくれた愛を、心から、言葉に込める。

空「お前がお姉ちゃんなら……私達の事を、偽物なんて呼ぶもんかっ!」

 そして、それは、空が辿り着いた真実だった。

 血の繋がりが偽りであろうと、自分と姉の間にあった絆は、
 姉が注いでくれた愛だけは、絶対に偽りではなかった。

 目の前のイマジンが姉なら、
 決して、自分の事を“代用品の妹”などと呼ぶハズがない。

 そんな確信が、今の空の中にはあった。

 そして、空の独白はさらに続く。

空「風華さんだってそうだ!」

風華『っ!?』

 空の声に、風華が息を飲む音が重なる。

 しかし、空はそんな風華を後目に優しい声に返って続けた。

空「私は……お姉ちゃんがどんな風に隊長をしていたのか見た事はない、
  だけど、みんなを見ていれば、どんな素敵な隊長だったのかは分かるよ……。

  だけど、風華さんだって負けてない!

  普段はちょっとおどおどしてるけど、凄く優しくて、
  責任感が強くて、いつもみんなの事を考えていて、
  お姉ちゃんに負けないようにいつも必死に頑張ってる!

  私の隊長は、藤枝風華さんだけだ!
  風華さんは、私達の優しい隊長だっ!」

風華『空ちゃん……』

 ハッキリと断言した空の言葉に、風華は感極まった涙混じりの声を漏らす。

空「マリアさんとクァンさんだって、頑張ってる!

  自分たちの目標のためにお互いを支え合って、
  想い合って、頑張ってるんだ!

  後輩の私の事まで心配して、話し難い事だって話してくれた!

  そんな優しい先輩達の想いを、願いを、
  目標を踏みにじるのは、私が許さない!」

マリア『空……』

クァン『空君……』

 仲間の純粋の想いを踏みにじられた空の怒りの声に、マリアとクァンがその名を呟く。

空「瑠璃華ちゃんの生き方を幸せごっこなんて言わせない!
  瑠璃華ちゃんが大切に思ってる人達の優しさを、そんな言葉で汚させるもんか!

  瑠璃華ちゃんの……仲間の幸せは、私達の幸せなんだ!

  だから、瑠璃華ちゃんが幸せでいられるように、
  私達が、瑠璃華ちゃんの幸せを守ってみせる!」

瑠璃華『そ、そらぁ……』

 姉から受けた愛と同じだけのありったけの思いを込めた空の決意に、
 瑠璃華はまだ痛みのショックが引かない中で、譫言のようにその名を呟く。

空「フェイさんだって、知らない人から見たら人形のように見えるかもしれない!

  だけど、フェイさんは凄く真面目で、頑固で、人間らしくて、
  思いやりに溢れた、私達の大切な仲間……。

  私達のために頑張ってくれているフェイさんが大切にしている、
  お姉ちゃんの贈った言葉まで、馬鹿にするなっ!」

フェイ『代弁、感謝いたします、朝霧副隊長……』

 空が啖呵を切ると、ようやく通信の回復したフェイが感謝の言葉を漏らす。

空「それと……レミィちゃんとお姉ちゃんの絆を、馬鹿にするなっ!」

レミィ『空……』

空「レミィちゃんは、私に怒ってくれたんだっ!

  お姉ちゃんの代わりになろうとした私を……
  代わりなんていない大切な人になろうとしていた私を、怒ってくれたんだっ!

  そんなにお姉ちゃんの事を大切に思ってくれるほど、
  レミィちゃんだってお姉ちゃんに愛されていたんだっ!

  お姉ちゃんはレミィちゃんを大切に思っていた、
  バケモノなんて思っていなかった!

  それをウソにしようとしたお前を、
  みんなとお姉ちゃんの絆をウソにしようとしたお前を、
  私は絶対に許さないっ!!」

レミィ『……空……ありが、とう……っ!』

 敵への怒りと、姉と仲間への愛と、自らの決意を込めた空の叫びに、
 涙ぐんだレミィの声が重なる。

 それは自分が忘れかけていた最も大切な事を思い出させてくれた、
 仲間への感謝の言葉。

 そして、倒れ伏したままのヴィクセンが立ち上がる。

空「レミィちゃん、大丈夫?」

レミィ『ああ……アイツ、こっちが戦えないと踏んで、
    随分と玩んでくれていたからな……。

    ブラッド損耗率は半分も行っていない、
    躯体も関節にはダメージが溜まっているが、合体は問題ない!』

 空の問いかけに、
 レミィはオペレーター達から送られて来た機体コンディションをチェックしながら答えた。

空「なら、行くよっ!
  モードS、セットアップッ!」

 レミィの返答を受け、空はエール型イマジンの顔面に長杖の狙いを定めると、
 魔力砲撃を放ちながら、音声指示で合体を始める。

 極太の魔力砲撃を避けるため、エール型イマジンはモードSに変形すると、
 触手の噴射口を吹かして上空に向かって飛び上がった。

 だが、それで一瞬の隙が生まれる。

 その一瞬の隙を狙い、空とレミィは乗機を合体させた。

 全身各部に、バラバラに分離したヴィクセンが装着され、
 エール・ソニックが完成し、空のコントロールスフィア内にレミィが現れる。

空「心配かけて、ごめんね……レミィちゃん!」

レミィ「それは、もういい……!
    お前が大丈夫なら……それでいい!」

 空が視線だけをレミィに向けて微笑むと、
 レミィも僅かに残っていた涙を手の甲で拭いながら答え、さらに続けた。

レミィ「偽物の黒いバケモノに、本物の……私達の力を見せてやれっ!」

空「うん! 走るよ……レミィちゃんっ!」

 レミィの声に応え、空は長杖を地面に突き立てると、
 エール・ソニックを走らせる。

 背面のフレキシブルブースターを噴かし、
 一歩ごとにフットブースターを点火して加速して行く。

空「ヴィクセン、両腕をハーフでっ!」

ヴィクセン『了解! スラッシュクロー、ハーフマキシマイズッ!』

 一瞬で乗機を最高速度まで加速させた空は、ヴィクセンに指示を出し、
 鋭く強化された魔力の爪で、エール型イマジンに襲い掛かった。

 しかし、対するエール型イマジンもモードS――ソニック。

 同じく鋭い魔力のかぎ爪を構え、空達の爪に抗する。

 魔力を纏った硬質な物体同士がぶつかり合う、
 甲高く、激しい嘶きのような音が辺りに響き渡った。

 突進力を上乗せしただけ、空達にやや分があるのは明白だ。

 だが――

イマジン『せいっ!』

 エール型イマジンは僅かに打点をずらす事で、
 エール・ソニックの攻撃を簡単にいなしてしまう。

空「ぅっ!?」

 前につんのめりかけた空は、咄嗟に身体を横に振り、
 噴かしていたブースターの力で体勢を無理矢理に戻す。

 一方、エール型イマジンはモードDに変形し、上空高くへと舞い上がっていた。

イマジン『偽物? 本物?
     そんな事を言っても、あなた達の方が弱い!

     それは事実でしょう?

     どんな綺麗事を並べ立てても、
     勝てないと言う現実を受け入れなさい!』

 エール型イマジンはそう叫ぶと、四門の砲門型触手を向け、
 エール・ソニックへと極大の四連砲撃を放つ。

空「ッ!?」

 空は息を飲み、辺りに視線を走らせる。

 ここはまだ、アミューズメントパークの敷地内。

 回避すれば、まだ施設内に取り残されている人々を危険に晒してしまう。

空「ヴィクセン、マキシマイズッ!」

 空は咄嗟に両腕を較差させた。

ヴィクセン『耐えられないわ!?』

 ヴィクセンは愕然と叫びながらも魔力とブラッドを調整し、
 かぎ爪は巨大な刃へと変貌する。

空「耐えてみせるっ!」

 空は自身の魔力を全開で集中し、
 巨大な刃をシールドにするようにして、砲撃を真っ向から受けた。

 ごく僅かな時間差を付けての四連砲撃が、断続的に空達に襲い掛かる。

空「っ!? ぐぅ……っ!」

レミィ「ぅぅっ!? ぁぐ……っ!」

 空とレミィは苦悶の声を上げながらも、その砲撃に耐え切った。

 かぎ爪の纏った結界装甲は空の魔力によって著しく強化され、
 砲撃を防ぐ盾の役目を果たしたのだ。

空「っ、ふぅぅ……」

 砲撃のショックから立ち直った空は、小さく息を吐く。

 そして、上空のエール型イマジンを睨め付ける。

空「そんな現実……諦めなんて、受け入れるもんかぁっ!」

 そして、吠えるように叫び、さらに続けた。

空「私は……戦うって決めたんだっ!

  私の代わりに戦ってくれていたお姉ちゃんの思いを消さないために……!

  私の幸せを守ろうとしてくれたお姉ちゃんが、
  必死で守ってくれた世界のために!」

 エール型イマジンを睨め付けたまま、空は決意の叫びを上げる。

 そうだ。

 この世界は、姉が守り続けた世界だ。

 妹の幸せのために……幸せを願って戦い続けてくれた、
 姉の守ってくれた世界なのだ。

 だが、もうこの世界に姉はいない。

 ならば――

空「……私は盾だ……!
  愛する人を守ろうとする、誰かの思いを守る盾だ!

  私は矛だ……!
  愛する人のために戦おうとする、誰かの思いを貫く矛だ!

  私は……ギガンティックのドライバーだっ!
  愛する人のいる世界を守りたい、
  そんな人達の願いを叶える、ギガンティックのドライバーだっ!」

 ――姉の守った世界に生きる、力なき人々の力になって見せる!

 それが、空の戦いの決意だった。

 姉の代わりでも、誰の代わりでもない。

 もう返す事も出来ない、姉から受けた沢山の愛。

 その愛を戦う勇気に変えた、空の決意だった。

 フェイの言った“代弁”は、
 ある意味で空の決意を正確に捉えていたと言って良い。

 盾なき人の盾。
 矛なき人の矛。
 力なき人の力。

 恐ろしいイマジンから世界を守り、戦う、ギガンティックのドライバー。

 それこそが、空の見出した、亡き姉への愛の返し方だった。

 決意を口にすると、体中から力が……魔力が湧き上がる。

 そしてそれは、単なる思い込みでも、幻覚でも無かった。

 それに気付いたのは、司令室でバイタルチェックを行っていたメリッサだ。

メリッサ「そ、そんな……減ったハズの朝霧の魔力が、上昇している!?」

 メリッサは愕然と漏らす。

 空は砲撃を防御するために、相当量の魔力を注いだハズだった。

 だが、空の魔力は一気に全快していた。

春樹「ぶ、ブラッド劣化率、十九パーセント!?
   あんな無茶な防御で、劣化率が想定の半分以下だって!?」

 春樹もその事実に気付き、驚愕の叫びを上げる。

 そんな二人の報告にもなっていない声を聞きながら、明日美は目を見開く。

明日美「まさか……ここで本当の魔力覚醒……!?」

 驚く明日美の声は、僅かだが、確かに歓喜に震えていた。

 本当の魔力覚醒。

 それは、つまり、魔力特性の開花だ。

 一般に、五歳から七歳程度で発露する魔力には、様々な特性が付加される。

 魔力の隠匿に特化した完全魔力遮断、
 熱系変換のスペシャリストである熱系変換特化、
 自身の体に属性魔力の特性を付加する属性体内集束。

 それらの特性が完全に定まるまでには、個人差が激しい。

 魔力覚醒からすぐに固定化する者もいれば、
 老成してから魔力特性に目覚める者も稀にいる。

 そして、空の魔力特性は――

明日美「無限の魔力……!」

 ――奇しくも、かつてのエールの主、結・フィッツジェラルド・譲羽と同じ、
 自身の周囲に存在する、自分以外の誰の魔力影響下にも無いマギアリヒトから、
 無制限に魔力を接収・供給する最高稀少度を誇る魔力特性だった。

明日美「そう魔力特性まで……。
    これだけ、条件が揃っていれば……
    あなたがあの子を選ぶのは、当然だったのね……」

 歓喜に震える声で、明日美は漏らす。

 そう、魔力特性の開花までは予想外だったが、
 明日美には、空の出すであろう結論がうっすらと見えていた。


――怖くても戦わないと! また……また………!――


 明日美は、数日前の……自宅で聞いた空の言葉を思い返す。

 そう、彼女は“また”と言った。

 それは決して、自分に襲い掛かる恐怖を思っての事ではない。

 恐怖を押してでも戦わなければ、“また”、誰かが死ぬ事になる。

 空は恐怖と憎悪に押し潰されそうになりながらも、
 自分以外の誰かのために戦おうとしいたのだ。

 空があの結論に至ったのも、明日美にとっては決して大げさな物ではなかった。

 だからこそ、空が答えを見出した時に、すぐにでも迎えられるよう、
 諜報部の職員達に、監視と保護を命じていたのだ。

明日美(名も知らない誰かのために戦う事の出来る、無限の魔力の持ち主。
    ………エール、あなたはずっと、お母さんを探していたのね……)

 明日美は感慨深く、その言葉を心中で独りごちる。

 それは、もしかしたら、明日美自身も探し続けていたのかもしれない。

 戦うだけの、誰かが作り上げた英雄ではない。

 英雄となるべき資質を秘めた……本物の英雄となるべき人物を。

 メインスクリーンに映るエールの姿に、その中にいる空に、
 明日美は母の姿を重ねていた。

 だが――

明日美(まだ、足りない……!)

 あのエール型イマジンには、まだ一歩届かない。

 ――その厳然たる事実に、明日美は思考を走らせる。

 相手はエールをコピーし、エールの能力を使いこなすイマジンだ。

 その姿はこの戦闘中に見続けて来た。

 一瞬でモードSとモードDを切り替える戦術は、本物のエールには出来ない。

 その上、敵は海晴と同じ戦術を使う。

 人格は嘘だとしても、記憶や能力は海晴と同じ物と思って間違いない。

 そして、空と海晴には、七年以上のキャリアの差がある。

 この絶対的な差を埋めるには、仲間達の援護が不可欠だ。

 だが、あの戦場で満足に戦える戦力を残しているのは、
 現在再起動中のアルバトロスだけ。

 あのイマジンには、届かない。

 空の魔力特性の開花に色めき立っていた司令室も、
 オペレーター達が段々とその事実に気付き始め、落胆に沈んで行く。

空『負ける、もんかぁぁっ!』

 空は諦めてはいない。

 だが、圧倒的な戦術の差で、エール型イマジンは空達を追い詰めて行く。

 致命の一撃こそ、空はレミィとのコンビネーションで回避していたが、
 紙一重で繋がれている空達の命に、エール型イマジンの魔の手は少しずつ迫りつつあった。

 時にモードSのスピードで、時にモードDの軽やかさで。

 空達の反撃も、爪、盾、スピード、砲撃、陸戦、空戦を
 自在に切り替えて来るエール型イマジンには届かない。

 そして、空にもそれは分かっていた。

空(届かない……!
  攻撃が……魔力が……私の力が……届かない!)

 空が固めた決意を、イマジンとの圧倒的な実力差が絶望となって、
 ジワジワと削り取って行く。

 無限に湧き上がって来る魔力も、実力差を埋める事は出来ない。

 その魔力を扱うのは、自分自身なのだ。

空(……私の力じゃ……勝てない!)

 遂に、空がその結論を思い浮かべた、その瞬間だった。

瑠璃華『空! まだ諦めるなっ!』

 漸く痛みのショックから立ち直った瑠璃華が、叫ぶ。

瑠璃華『クララ!
    アルバトロスの再起動、まだ終わってないとは言わせないぞ!?』

クララ『はい、瑠璃華ちゃん主任!
    お待たせしました、アルバトロス再起動完了です!』

 まだ動ける余力を残している仲間の再起動に集中していた部下に激を飛ばすと、
 彼女――クララ・サイラスは自信たっぷりに言い放った。

 その言葉と共に、崩れ去ったビル街の残骸に埋もれていたアルバトロスが、
 翼を広げて舞い上がる。

フェイ『朝霧副隊長、お待たせしました。
    張・飛麗、アルバトロスと共に戦線へ復帰します』

アルバトロス『コンディション、クォーターグリーン……。
       戦闘可能です!』

空「フェイさん! アルバトロス!」

 頼れる仲間達の復帰に、空は歓喜に満ちた驚きの声を上げた。

瑠璃華『空、敵がモードSとDを使い分けるなら、
    お前は両方を同時に使ってやれ!

    エール、ヴィクセン、アルバトロスの三体合体!
    モードH……ハイペリオンだ!』

 そして、瑠璃華が待っていましたとばかりに叫び、さらに続ける。

瑠璃華『モードSとDは、私が海晴のために作った合体だが、
    モードHはお前のために作った合体形態だ!

    モードSのスピードと格闘能力、モードDの機動性と火力……
    お前の魔力と、教官の所で鍛えた技術なら使いこなせる!』

空「私のための……合体!?
  モード……ハイペリオンッ!」

 瑠璃華の言葉を、空は驚きと喜びを持って繰り返す。

 だが――

イマジン『合体のヒマなんて、与えると思う!?』

 エール型イマジンは、先程の失策を反省してか、
 砲撃によって隙を作れないように空達に肉迫する。

 ヒットアンドアウェイ……遠近を織り交ぜた攻撃は回避と防御が精一杯で、
 空はその場に釘付けにされてしまっていた。

 この状態ではアルバトロスが接近しても合体は出来ない。

 フェイとアルバトロスが援護できるのは、一瞬だけ。

 一瞬の隙を作ったら最後、あとは初合体に集中しなければならない。

空(ぶっつけ本番は得意だけど、この状況じゃあ合体なんて……!?)

 空は、折角、仲間達が繋いでくれた希望だと言うのに、
 その希望に手が届かない事を悟って歯噛みする。

 しかし――

風華『みんな! 空ちゃん達の援護よっ!』

 そんな空の絶望を吹き飛ばすように、風華の声が響き渡った。

 直後、倒れ伏したままの突風・竜巻が、その両腕から極大の魔力弾を放つ。

 砲戦能力の高い機体の砲撃に比べれば、微々たる威力だったかもしれない。

イマジン『ちっ!?』

 だが、それでも、
 エール型イマジンに舌打ちさせるほどの回避を誘発するには十分だった。

 そして――

マリア『ジャルダン・デュ・パラディッ!!』

 マリアの声と共に、
 魔力弾を回避したエール型イマジンに向けて無数の木が鋭い蔦を伸ばす。

イマジン『なっ!?』

 愕然とするエール型イマジンが視線を向けると、
 そこには両足を失った状態のプレリー・パラディが、
 這い蹲りながらも無数のワイヤーを伸ばしている姿が目に入った。

 どうやら、両腕の使えないカーネル・デストラクターではなく、
 動けなくとも戦闘のできるプレリー・パラディを選んだようだ。

 合体しなければ動けるが、全力の植物操作魔法を発動させるには、
 ダイレクトにクァンからの魔力供給を必要とする。

マリア『可愛い後輩を援護しろ、って、ウチの隊長からの命令だからな!
    こっち向いてろ、偽物海晴っ!』

 マリアは偽物に好き勝手された鬱憤を思うさまぶつけるように、
 植物操作を続けながらニヤリと不敵な笑みを浮かべていた。

 逃げた先を狙って、次々に鋭く尖った蔦を突き出して行く。

クァン『マリア、もっと数を増やして、速度を上げろ!』

マリア『あいよっ!』

 魔力を供給しているクァンの激を受けて、マリアは伸ばす蔦の数をさらに増やす。

イマジン『この程度っ!』

 その攻勢にエール型イマジンは舌を巻くが、
 モードDの機動性ならば避けられない物ではない。

 さらに――

瑠璃華『これでも食らえぇっ!』

 ようやく完全に立ち上がった瑠璃華が、
 チェーロ・アルコバレーノの右腕を突き出させ、極大の魔力弾を放った。

 これも、決して避けられない物ではない。

 だが、エール型イマジンが紙一重でその魔力弾を回避した瞬間、
 回避したハズの魔力弾が爆散する。

イマジン『なっ!?』

 爆発に煽られたエール型イマジンは、一瞬、体勢を崩す。

風華『今よ、空ちゃんっ!』

 その瞬間を見極め、風華が指示を出した。

空「はい、ありがとうございますっ!」

 仲間達の援護を得て、
 空は感謝の言葉を口にしながら素早く戦場から僅かに離れる。

 そして、思う。

空(そうだ……私一人で戦っているんじゃない!)

 今も背に感じるレミィだけではない、多くの仲間達がいてくれる。

 戦場で支えてくれる、ドライバーの仲間達。

 司令室で戦いをサポートしてくれる、オペレーターのみんな。

 機体を万全の状態に整えてくれる、整備班の人々。

 生活を支えてくれる、多くの職員達。

 まだ名前も顔も覚え切れないほどの、多くの仲間達。

 その人達の支えがあるから――

空「モードH、セットアップッ!!」

 ――決意を持って、戦える。

 その万感の想いを込めて、空は叫ぶ。

 空の音声指示に従い、肩と腰の装甲が弾け飛び、
 ドッキングコネクタが露出した。

 そこに、バラバラに分離したアルバトロスのパーツが接続される。

アルバトロス『シールドスタビライザー、テールバインダー、接続完了』

ヴィクセン『シールドスタビライザー及びテールバインダー、
      フレキシブルブースターとのリンケージ完了』

アルバトロス『火器管制接続、ブラッドライン、各部接続完了』

ヴィクセン『セミトリプルハートビートエンジン、オールグリーン』

 アルバトロスとヴィクセンが、コンディションを読み上げて行くと同時に、
 コントロールスフィア内にフェイの姿が現れた。

 そして――

空「エール・ハイペリオン……合体完了っ!」

 ――“高きを行く者”を意味する、ギリシャ神話の神の名を冠した翼が、
 主の……空の宣言を受けて、戦場となったビル街の真上に舞い上がる。

 巨大な翼とかぎ爪を持った異形の……だが、全身を空色に輝かせた、巨人の騎士。

イマジン『ッ! 邪魔だあぁぁっ!!』

 一瞬の隙で合体を許してしまったエール型イマジンは、
 最早、海晴のふりをする事も止めて、風華達に向けて魔力砲撃を放つ。

 機体が満足に動ける状態でない風華達は、その砲撃の直撃を受けてしまう。

風華『キャァッ!?』

瑠璃華『うわぁっ!?』

クァン『ぐぅっ!?』

マリア『あぅっ!?』

空「みんなっ!?」

 口々に苦悶の叫びを上げる仲間達に、空は悲鳴じみた声で叫ぶ。

風華『だ、大丈夫よ……空ちゃん……!
   このくらい、まだ……!』

 風華は苦しそうに、だがしっかりとした声音で言い、さらに続ける。

風華『だから……倒して!
   私達の分まで……海晴さんの……
   私達全員の大切な人を騙った、あのイマジンを!』

空「風華さん……!」

 風華の言葉に、空は小さく息を飲む。

マリア『ぶっとばせぇ、空ぁっ!』

クァン『頼んだ、空君!』

瑠璃華『ハイペリオンの力……見せてやれ、空!』

 マリア、クァン、瑠璃華も口々に叫ぶ。

空「マリアさん、クァンさん、瑠璃華ちゃん……!
  了解っ!!」

 空は抑揚に頷く。

 そうだ、自分は力だ。

 力なき人の力。

 今は、姉の事を愛してくれたみんなの、力になる時だ。

フェイ「朝霧副隊長、姿勢制御と照準は私とアルバトロスにお任せ下さい」

レミィ「なら、私とヴィクセンは推力と機動の微調整だ! 行くぞ、空!」

空「うんっ!」

 背中に二人の仲間の声を受け、空はエール型イマジンに向けて飛ぶ。

 空色に輝く翼を広げ、空色の魔力をブースターから放出しながら、
 空色の軌跡を描いて、黒い異形の騎士へと飛び掛かる。

イマジン『実力差が、まだ分からないのかっ!?』

 しかし、エール型イマジンは触手の砲身を構え、
 さらに高くへと飛び上がりながら砲撃を放つ。

空「フェイさん、シールドをっ!」

フェイ「シールドスタビライザー、シールドモードへ移行!」

 空の呼び掛けに応え、フェイは翼をシールドへと変形させた。

 空色に輝く翼の正面に巨大な術式が出現し、
 直撃コースの砲撃全てを受け止める。

イマジン『空中で翼を閉じてしまえば、まともに飛べなかろう!』

 イマジンは勝利宣言と言わんばかりに高らかに叫び、モードSへと転じると、
 砲撃を受け止めたばかりの空達に向けて加速しながら落下した。

 直撃コースだ。

 だが――

レミィ「ディフェンサーだけならなっ!」

 レミィは自信たっぷりに叫び、
 フレキシブルブースターを噴かしてその落下突撃を回避した。

イマジン『なっ!? お、おのれえぇぇっ!』

 勝利を確信した一撃を避けられ激昂したエール型イマジンは、
 地面を蹴り、触手型噴射口から魔力を放出し、
 頭上のエール・ハイペリオンに向けて再度、突撃する。

 一方、空も再びエール・ハイペリオンの翼を広げさせ、
 エール型イマジンを迎え撃つ。

空「ここっ!」

 一直線に突進して来るイマジンを見据えていた空は、
 接触の瞬間を見計らい、全身を大きく捻ってその突撃を回避した。

空「ヴィクセン、右腕全開っ!」

ヴィクセン『スラッシュクローR、オーバーマキシマイズッ!!』

 ヴィクセンに指示を出し、片腕だけに魔力を集中して作り上げた巨大な刃を構え、
 空はエール型イマジンの背面の触手を切り裂く。

イマジン『QWWWOOOooooッ!?』

 背中を切り裂かれる激痛に、エール型イマジンはついに人外の悲鳴を上げた。

空「みんなが受けた痛みは……こんな物じゃないっ!」

 空は叫び、空中で体勢を崩したままのエール型イマジンの両腕を、
 巨大な刃で切り裂く。

 本体から切り離された両腕は一瞬で霧散した。

空「私の仲間を……私とお姉ちゃんの大切な仲間の心を玩んだお前は!
  絶対に許さないっ!」

 怒りの声と共に、フットブースターで加速させた蹴りを叩き込む。

 それは憎悪でも、復讐でもない、義憤。

 人の心の平穏を冒す、暴力への怒り。

イマジン『QWwww……!?』

 大音響と共に、崩れ去ったビルの中に叩き付けられたエール型イマジンは、
 苦悶の声を上げながらヨロヨロと立ち上がる。

 腕も背中も、最早使い物にはならない。

 そう判断したイマジンは、肩と腰を変化させ、モードDへと姿を変える。

 シールドを閉じて内部に閉じこもり、触手からの砲撃で攻撃を続けた。

空「こんな狼狽え弾でっ!」

 しかし、空はその砲撃を自身の砲撃や爪で次々に相殺しながら、
 一気にエール型イマジンへと肉迫した。

 エール・ハイペリオンを駆りながら、空は瑠璃華の言葉を思い返す。

 このモードHは、瑠璃華が自分専用に誂えてくれた合体形態だと言うが、
 空はその言葉の意味を肌で感じていた。

 確かに、モードHは空の本来の戦い方に……
 アルフの訓練所で鍛えて来た戦い方に、実に馴染む。

 周辺の建造物に被害を出さぬように鍛えたフットワークを、
 フレキシブルブースターの推力とシールドスタビライザーの安定性が、
 空中でさえ完全に再現してくれている。

 森の中で鍛えたすれ違い様に見舞う一撃も、
 この機体の軽やかさとスピードなら可能だ。

空(凄い! ディフェンサーよりも速い! ソニックよりも軽い!)

 イマジンの攻撃を相殺しながら、空はようやく追い付いた感想を心中で叫ぶ。

 しかも、戦闘は遠近自在。

 単にソニックとディフェンサーを組み合わせただけでは生まれない、
 細やかな調整が施されている。

 両者の特徴を併せ持ち、尚かつ、空が動かすのに最適な形。

 それこそが、エール・ハイペリオンの真骨頂だった。

 空の適性により合致し、空の全力を引き出し、
 レミィとフェイ、ヴィクセンとアルバトロスの四人の協力を得て、
 空とエール・ハイペリオンは、海晴の力を使うエール型イマジンを僅かに、
 だが、確実に上回ったのだ。

空「この……ハイペリオンなら!」

 空はイマジンの砲撃を相殺しながら、
 大観覧車付近に置き去りにしていた長杖へと向かう。

 地面に突き立てられていた長杖を引き抜き、
 襲い掛かる砲撃を翼で完全に防ぐ。

 そして、翼を大きく広げ、辺りに残留している魔力の残滓を吹き飛ばす。


 その様は、大観覧車のゴンドラ内にいる人々……無論、真実達からも見えていた。

佳乃「行っけえぇっ! 空ぁっ!」

雅美「佳乃さん、暴れないで下さい!」

 窓ギリギリまで身を乗り出して応援する佳乃を諫めながら、
 雅美の視線もまたエール・ハイペリオンに……その中にいる空に向けられている。

歩実「空お姉ちゃん、がんばれーっ!」

真実「空……頑張って……」

 佳乃と同様に昂奮した様子の妹を抱きしめながら、
 真実も小さな声で、だが強い願いを込めて親友に声援を送っていた。

 その声が、想いが届いたのかどうかは分からない。

 だが、空は魔力と共に湧き上がり続ける力を身に受けて、
 上空高くへと舞い上がった。

 エール型イマジンの攻撃は、常に空達――
 エール・ハイペリオン――に向けられたままだ。

空(やっぱり……お前は偽物だ……ううん、偽物ですらない、イマジンだ!)

 空はその攻撃に確信する。

 あのイマジンに本当に人と同じ心があるなら、戦うために手段を選ばない相手ならば、
 仲間やアミューズメントパークの人々を人質に取っただろう。

 そうする事が、今の空を縛る最大の戦術なのだから。

 仲間達の心を玩んだのも、
 仲間達の弱点を突くために海晴の記憶を利用したに過ぎない。

 海晴の記憶から、それが“心を乱す手段”と分かり切っているからだ。

 仲間達の心の隙を突き、弱り切った心に付け込むだけの、
 詐欺師のような攻撃は、確かに一時的には効果があったかもしれない。

 だが、本当に心を理解しているのならば、あからさまな精神攻撃ではなく、
 もっと高度な心理戦を選んだであろう。

空(だから……みんなの思い出を、お前が汚した全部を、返して貰うよ!)

 限界まで舞い上がった空は、
 その決意と共に砲撃モードへと変形した長杖を突き出すように構えた。

 そして、思い出す。

 アルフの訓練所で見せられた、エールに関する数々の資料を。

 その中で、空の興味を最も惹いた魔法。

 虹の輝きを纏って飛翔する、
 結・フィッツジェラルド・譲羽が閃虹と謳われる所以の魔法、その一つ――

空「リュミエール・リコルヌシャルジュ……ッ!」

 それは、開発者のアレックスが、
 最愛の妻のために作り上げた装備の全てが揃って初めて完成する、虹の軌跡。

 装備の一部を失い、機能不全を起こしている今のエールには、到底不可能な最強魔法。

 だが、このモードHは、瑠璃華が空のために準備してくれた形態だ。

 突進力、防御力、火力、その三点で本来の性能に肉迫して見せる!

 それこそが、この形態を作り上げたくれた瑠璃華への、
 合体の隙を作ってくれた仲間達への、最大の恩返しだ。

空「フェイさん、シールドモードへ!
  レミィちゃん、最大速度、フルパワーでっ!」

フェイ「了解しました!」

レミィ「了解だっ!」

 空の言葉に応え、フェイとレミィも抑揚に頷いて各々の作業に入る。

 シールドスタビライザーが閉じられ、
 フレキシブルブースターがその力を解き放つ瞬間に向けて出力臨界へと駆け上がる。

 砲撃の魔力で身を包めるほどの器用さは、まだ空にはない。

 だが、渾身の魔力で防御を高め、砲弾化する事は出来る。

 空色に輝く魔力がエール・ハイペリオンの全身を包み、
 突き出した両腕で長杖からも魔力を放出した。

 仮想砲身の砲口から溢れた魔力は、巨大な弾頭のようになる。

空「レミィちゃん、今っ!」

レミィ「おうっ! 行けぇぇ、空あぁぁっ!!」

 空の号令で、レミィは臨界まで高まったフレキシブルブースターから、
 一気に魔力を解放した。

 空色に輝く砲弾と化したエール・ハイペリオンは、
 真っ直ぐに、砲撃の乱射を続けるエール型イマジンに向かって飛ぶ。

 膨大な魔力と絶大な硬度を誇るシールドが、
 イマジンの砲撃を悉く無力化して行く。

 その様は、イマジンから見れば恐怖以外の何物でも無かっただろう。

イマジン『アネヲコロスノカァァ、ソラアァァァァッ!!?』

 砲撃を続けながら、イマジンは苦し紛れの叫びを上げる。

 その瞬間、空の脳裏にあの日の自分の言葉が過ぎった。


――オネエチャン、ヲ、カエセエエェェェッ!!――
――オマエガアアァァァッ!!――
――オネエチャンヲカエセ……オネエチャンヲカエセ………――
――コロシテヤル………オマエエェェェェェッ!!――


 それは、今も空の中で響き続ける、隠しきれない、怨嗟の声。

 姉を殺した、恐ろしいイマジンへ向ける、復讐の声。

空(お姉ちゃん……っ!)

 その言葉を、胸の中で唱える。

 思い出の中の姉が、微笑む。

 そうだ、海晴はもういない。

 だが、海晴の想いは、愛は、自分の中に生き続けている。

 その事に気付けたから……だから、この復讐を乗り越えて――

空「ハイペリオン……ッ!」

 溢れ出す空色の輝きがさらに眩い物へと変わり、
 空はエール・ハイペリオンをさらに加速させた。

空「………ストラァァァイクウッ!!」

 仲間の与えてくれた力の名を冠した、その名を叫ぶ。

イマジン『QWOOOO……――ッ!!?』

 イマジンの断末魔の叫びを掻き消して、
 エール・ハイペリオンがイマジンを貫く。

 巨大な風穴を穿たれたイマジンは、その場で崩れ落ちる。

空「お前は偽物だ…………お姉ちゃんは、私達の中にいる」

 空は静かに呟き、アスファルトの上に乗機を降り立たせると、
 閉じていた翼を広げ、まだ微かに砲身に残る魔力の残滓を振り払い、長杖を収めた。

 その瞬間、倒れ伏したイマジンが霧散して消えた。

 ――優しい姉の思い出と共に、仲間達と一緒に、歩んで行ける。

 振り返り、イマジンが消え去った事を確認した空は、微かな笑顔を浮かべた。

フェイ「イマジン反応消滅……戦闘終了です」

レミィ「やったな……空!」

 淡々と語るフェイに続いて、レミィも少し疲れた様子で語りかける。

空「うん……」

 空も笑顔のまま応えた。

 だが、そこで限界を迎える。

空(あ、あれ……?)

 急に視界が揺れ、空は全身の力が抜けるのを感じ、
 そのままその場に崩れ落ちるようにして倒れた。

 体力の限界だ。

 精神的に追い詰められたまま丸二日以上、飲まず食わずで歩き通した上に、
 戦線復帰するなりの魔力特性の覚醒に加え、魔力全力状態を維持しての全力戦闘。

 まだ十四歳の少女には、あまりにも大きすぎる負荷だった。

 だが、それ以上に、空の心が安らいでいたのも理由だ。

 仲間達の元に戻る事が出来た、仲間達を守れた。

 そして、決意した通り、誰かの力になる事が出来た。

 その満足感が、充足感が、限界を迎えていた空の身体に一気に染み渡り、
 ようやく限界が……休息の時が訪れたのである。

 空が気絶するように眠りに落ちた事で魔力の供給が途切れ、
 エールのシステムも停止してしまう。

 エーテルブラッドも空色の輝きを失って鈍色に返り、
 エール・ハイペリオンもその場に立ち尽くす。

レミィ「空……? そ、空ぁ!?」

フェイ「朝霧副隊長!?」

 レミィだけでなく、珍しくフェイも驚きの声を上げるが、
 システムが停止した事で二人の姿もコントロールスフィア内から消え失せてしまった。

 仲間達の心配を他所に、空はコントロールスフィアの壁に寄りかかり、
 安らかな寝息を立てて眠り続ける。

 その寝顔は、寝息と同様に、どこまでも安らかだ。

空「お姉ちゃん……やった……よ……」

 眠りの中で、記憶の中の姉にそんな言葉を向けると、
 安らかな寝顔を浮かべた空の頬を、一筋の涙が伝った。

―9―

 あの激戦から三日後、12月25日火曜日の昼。
 ギガンティック機関隊舎、ドライバー待機室前――


 廊下に立ち尽くしていた空は、小さく溜息を吐く。

空(やっぱり……五日ぶりは緊張するなぁ……)

 そんな独り言を心中で呟いてから、改めて気を引き締めた。

 まあ、これも半分は自業自得だ。

 自棄になって飛び出した、自らの責任。

 だが、戻って来てからの三日間は、言ってみれば心配のし過ぎである。

 検査入院、PTSDの経過観察、過労と軽い栄養失調の治療……。

 明日美の計らいで査問こそ受けずに済んだが、
 戦闘後からつい数時間前までの、ほぼ三日間に渡って医療部に缶詰だったのだ。

 ちなみに、最初の丸一日は昏睡状態である。

空(まあ、心配かけ過ぎた私の責任だもの、ね……)

 空はその結論に行き着いて、大きく肩を竦めた。

 そうやって気を取り直すと、改めてドアノブに手を伸ばす。

 だが、その瞬間――空がドアノブを掴む直前に――、内側から扉が開かれた。

レミィ「そんな所に突っ立って、何をしてるんだ、お前は?」

 そして、中から、呆れ顔のレミィが顔を出す。

空「れ、レミィちゃん!?」

レミィ「ほら、さっさと入れ!
    もうシフトは切り替わってるんだからな!」

 驚く空を無視して、レミィは空の手を引いて室内に引き入れた。

風華「あ、空ちゃん、もう身体はいいの?」

瑠璃華「んぁ……? そらぁ?」

 空の姿に驚いたような風華の声を聞き、
 彼女の傍らで眠っていた瑠璃華は目を覚まし、寝ぼけ眼を向けて来る。

マリア「何だ、元気そうじゃん、心配して損したよ」

クァン「そりゃ、あれだけ心配していればな……」

 あっけらかんと言ったマリアに、クァンは少し呆れたように漏らし、
 二人は軽くお互いを睨み合い、だが、すぐにどちらからともなく肩を竦めると、
 改めて空に向かって笑顔を向けて来た。

レミィ「ほら、さっさと座れ」

フェイ「お待ちしていました、朝霧副隊長。
    コーヒーをどうぞ」

 レミィに促されるままソファに腰掛けると、狙いすましたようなタイミングで、
 フェイが空の目の前にコーヒーカップを置く。

空「あ、っと……その……改めて、ご心配おかけしました」

 矢継ぎ早な仲間達の言葉に圧倒されかけた空は、
 一瞬だけ苦笑いを浮かべた後、すぐに笑顔を浮かべて頭を垂れた。

 コーヒーに口を付けると、程よい苦味と甘味が口一杯に広がる。

空(ああ……帰って来たんだなぁ……)

 その味を噛み締めながら、空は改めてその事を実感していた。

 自分に集まる仲間達の視線を感じながら、空は感慨深くカップを置く。

風華「ハァ……」

 と、不意に風華が溜息を漏らした。

空「どうしたんですか、隊長?」

風華「あ、うん……何だか、晴れ晴れとした空ちゃんを見てたら、
   おばさま……じゃなくて、司令の判断の方が正しかったのかと思うと、
   ちょっと悔しいと言うか……隊長としてまだまだなんだと実感させられたと言うか……」

 空が怪訝そうに尋ねると、
 風華は溜息混じりに呟いて、最後に盛大な溜息を吐く。

 風華は結果的に非を認めざるを得なかったのだが、
 別に構わないと言い出した明日美に、半ば意地になって自主的に始末書まで提出していた。

瑠璃華「まあ、亀の甲より年の功と言うしなぁ……ふわぁぁ、むにゃ」

 瑠璃華も眠そうに身体を揺らしながら呟き、盛大なアクビをする。

フェイ「天道隊員、もう少し休まれた方が良いと判断します」

瑠璃華「ん~……そうするぅ……」

 フェイに促され、瑠璃華はソファに身体を横たえ、昼寝を始めた。

 あれから三日間……いや、今もまだ終わっていないのだが、
 瑠璃華はほぼ不眠不休でギガンティック修復の指揮を執っている。

 突風・竜巻は右下脚断裂。
 カーネルは下半身喪失。
 チェーロはアルコバレーノが中破した上、四肢を破損。

 損傷軽微に見えるヴィクセンとアルバトロスも、
 各部にダメージが蓄積し、関節回りのオーバーホールだ。

 無事なのは突風の本体と、プレリーとエールの三体だけ。

 山路重工本社から多くのスタッフに出向して貰い、軍からも人員を確保しての整備は、
 丁度今日の夜明け前にようやく半ばで一段落と言った有様である。

 今はイマジンも現れていないが、イマジンと唯一戦えるオリジナルギガンティックが、
 ロイヤルガードと合わせて五体だけ、しかもその内、
 動けて全力を出せるのが202一体だけと言うのは、余りにもマズい事態だ。

 早急に何とかしろとの、政府側からの矢のような催促が連日のように来ていた。

 ソファの足もとをよく見ると、
 ドローン達がいそいそと何かの資料データを整理している途中だ。

 おそらく、瑠璃華が眠っている間も自分たちの修復作業の手伝いをしているのだろう。

 まあ、そのお陰もあってか、ヴィクセンとアルバトロスの修理は完了していた。

 空も復帰したとあって、今日の昼前までは連日、風華とマリアの変則シフトが続いていたが、
 今日からは空、レミィ、フェイの三人が当面のメインだ。

瑠璃華「アルコバレーノの装甲と……竜巻とカーネルの足フレーム……うぅ……」

マリア「な、何か、逆に起こした方が良かないか?」

クァン「………ノーコメントで」

 眠りについてから数秒で魘され始めた瑠璃華に、
 マリアは少し引き気味に漏らし、クァンも溜息がちに肩を竦める。

レミィ「子守歌でも歌ってやれば良いんじゃないか?」

フェイ「かしこまりました」

 冗談めかしたレミィの言葉を真に受け、フェイが動く。

空「ちょ、ちょっと待って下さい、フェイさん!」

 彼女が歌を唄うイメージが無い事もあって、空は慌ててフェイを止めようとする。

 フェイに一切の悪気は無いだろうし、その気持ちも嬉しい物だが、
 抑揚も無い子守歌など歌われた日には、さらなる悪夢に魘されかねない。

フェイ「歌には自信があります。是非、私の歌をお聴きください」

 一方、フェイは妙に乗り気だ。

 だが、その時、不意に空は傍らに仲間達以外の気配を感じ、
 フェイを止めながら視線だけをそちらに向ける。

空「えっ!?」

 そして、視界に入ったソレに、空は驚きの声を上げて慌てて向き直った。

レミィ「ど、どうした!?」

フェイ「どうされました、朝霧副隊長?」

 隣に座っていたレミィも、意気込みたっぷりに歌おうとしていたフェイも、
 空の視線の先を見遣る。

 そこには、一体のドローンの姿があった。

空「………え、エール……?」

 空は驚いたように、そのドローンの……
 そのドローンを動かしている、ギガンティックのAIの名を口にする。

 自分の魔力と同じ、空色の輝きを宿したエールが、
 いつの間にか、傍らにちょこんと座っていた。

 十三日の昼に出撃して以来、
 ずっと待機室に置き去りにされていたエール型ドローン。

 そのドローンが……今まで、微動だにしなかったそのドローンが、
 自分の傍らに座っていたのだ。

 誰かがそこに置いた様子も、最初から置かれていたと言う事もない。

 彼は、自らの足で、空の傍らに座ったのだ。

空「え、エール!?
  動いた! エールが動いたっ!」

 空は目を輝かせ、傍らに座る彼を抱き上げて、
 高い高いをするように掲げて叫んだ。

瑠璃華「にゃ、にゃんだとぉっ!?」

 空の声に驚き、瑠璃華は寝ぼけ眼のまま、素っ頓狂な声を上げて飛び起きる。

瑠璃華「な、何だ!? 異常動作か!? 暴走か!?」

 ようやく呂律の回るようになった口調で、辺りを見渡して状況確認を始める瑠璃華だが、
 その意識の半分以上は、未だ眠りの世界にいるようだ。

 一方、起こしてしまった空は大わらわである。

空「ああ、ご、ごめんなさい、瑠璃華ちゃん!
  で、でも、エールが! エールのドローンが動いたの!」

 大慌てで謝りながらも、空は声を弾ませた。

 携帯端末のドローンチェッカーを起動し、
 自分の傍らに来ていたエール型ドローンと一緒に、その画面を瑠璃華の前に差し出す。

瑠璃華「………?
    おお、本当か!?

    ………うん、確かに、稼働時間と移動距離が増えているな……!」

 ようやく意識もハッキリして来た瑠璃華は、
 空と同じように目を輝かせ、驚き混じりに声を弾ませる。

 しかし、肝心のエール型ドローンは空の腕の中で、また動きを止めていた。

空「……また、動かなくなっちゃったのかな……?」

瑠璃華「ん……まあ、リハビリみたいな物だな……」

 心配そうに漏らし、エールを覗き込んだ空に、瑠璃華が頷きながら呟く。

クァン「これまで何十年も、一言も喋らなかったんだ。
    地道に、一歩一歩だろうな」

マリア「成る程、そりゃ瑠璃華の言う通り、リハビリだわ」

 クァンがそう言うと、マリアも納得したように漏らす。

風華「お祖母ちゃんに連絡しなきゃ!?
   あれ? 先に、明日華おばちゃん?
   ……あれ? 明日美おばちゃんに連絡した方が……!?」

 一方、風華は携帯端末を取り出し、この喜ぶべき事実を誰に告げようかと、
 あたふたと一人で泡を食っていた。

 あまりの慌てぶりに、完全に素に戻ってしまっている。

 そんな我らが隊長の、年齢にそぐわぬどこか可愛らしい慌てぶりに、
 空達は誰からとなく噴き出し、ようやく落ち着いた風華も、
 恥ずかしさのあまり顔を真っ赤にして俯いてしまう。

 だが、すぐに気を取り直して、
 風華は苦笑い混じりの笑みを浮かべて、仲間達と共に笑った。

 平和な一時が、ようやく待機室にも訪れようとしていた。

 八ヶ月前、海晴の死に端を発したと思われるイマジン連続出現騒動は、
 海晴の妹である空の、多くの仲間達に支えられた活躍によって、その幕を閉じた。

 しかし――

『PiPiPi――ッ!』

リズ『第三フロート第二層外殻部周辺にイマジン出現を確認!
   待機要員、整備班は出撃準備されたし!

   繰り返す!
   第三フロート第二層外殻部周辺にイマジン出現を確認!
   待機要員、整備班は出撃準備されたし!』

春樹『01、11、12ハンガーのリニアキャリア一号への連結作業開始。
   二次出撃に備え、06、09ハンガーのリニアキャリア二号への連結作業開始』

 響き渡る不穏な電子音と、リズと春樹のアナウンスが、
 イマジンの出現と出撃を告げる。

 連続出現のイマジンを除けば、
 あのバッタ型イマジンから丸一ヶ月ぶりとなるイマジンの出現だろう。

風華「………みんな出撃よ!」

 仲間達の顔を見渡して、風華が勢いよく立ち上がった。

空「はいっ!」

 空は大きく頷いて立ち上がると、レミィとフェイに向き直る。

空「レミィちゃん、フェイさん! 行こうっ!」

レミィ「任せろ!」

フェイ「了解しました、朝霧副隊長」

 二人と共に、ハンガー側出入り口を飛び出し、ハンガーへと向かって駆け出した。

マリア「んじゃ、行って来るから!」

風華「マリアちゃん、急ぎましょう!」

 軽口気味にクァンに言い残すマリアを促して、
 程よく肩の力を抜いた風華は、空達を追って走り出す。

クァン「気を付けてな」

瑠璃華「さて……私達も気を引き締めて留守番だな」

 仲間達を見送って、クァンと瑠璃華も座り直す。

 ――世界を守る、彼女達の戦いは、まだ終わらない。

―10―

 同じ頃、メガフロート外、南南東二千キロ沖――


 ほぼオーストラリアの北西側海岸に近い氷原を、
 這いずるように移動する影があった。

 それは、クリオネを思わせる巨大な頭を持った、
 軟体生物の姿をしたイマジンだ。

 そう、空がレミィやフェイと共に、
 エール・ハイペリオンで倒したハズの、あのイマジンである。

イマジン『Qwww………』

 イマジンはか細く鳴きながら、猛吹雪の大氷原の上を這っていた。

 実を言えば、空達まだイマジンの本体は倒し切れていなかったのだ。

 あの時、口の中から姿を現したのは、エールとの接触で得た情報と、
 吸収した人間の情報を統合して作り出した分身の一体に過ぎなかった。

 分身と言っても、自身の全力を注ぎ込んで生み出した分身である。

 その分身を破られ、イマジン本体は同化能力と隠匿能力を最大限に活用し、
 メガフロートを脱出したのだ。

 長く生きたイマジンには、確かな自我と知性が備わっていた。

 そして、この軟体生物型イマジンの意識には、復讐の炎が灯っていた。

 恨めしや、白き巨人。

 我が臓物を殴りつけ、あまつさえ多くの分身、
 その中でもその最高傑作を殺戮した、あの白き巨人。

 そんな感情が、軟体生物型イマジンの意識には芽生えていたのだ。

 二度も辛酸を舐めさせられたイマジンの怒りの矛先は、
 二度の辛酸を舐めさせてくれた空とエールに向けられていた。

 だが、新たな情報は掴んだ。

 今回の敗北は、言ってみれば作り出した分身の性能が、
 新たな姿に対応し切れなかっただけに過ぎない。

 次はあの姿を真似て最強の分身を作り出し、
 人間共の住処に放った無数の分身達と共に、今度こそ攻め落としてやろう。

 そして、人間全てを……そして、世界の全てを貪り尽くしてやるのだ。

イマジン『QWwwww………』

 暗い感情を芽生えさせたイマジンは、低いうなり声のような鳴き声を漏らしながら、
 能力を酷使せずとも身を潜められる場所を探して彷徨う。

 この屈辱すらも、次の復讐の糧にすべく。

 そうやって、怒りと憎悪の念を募らせるイマジンの思考は、一瞬で途切れた。

 ザクリ、と、身体を通じて全身に伝わる音。

 直後に体中を駈け巡る激痛。

 身体が、背中から真っ二つに切り裂かれていた。

イマジン『QWWWWOOOOOOOOOO――ッ!!』

 イマジンは激痛に絶叫し、暗く落ち窪んだ眼下で自らを切り裂いた存在の姿を確認する。

 驚きの悲鳴を上げられたかは分からない。

 いや、最早、そんな声を上げる事すら出来なかっただろう。

 だが、声を上げる事が出来たなら、イマジンは驚きの声を上げたハズだ。

 そこにいたのは、憎き、白い巨人。

 いや、正しくは、白い巨人を思わせる、巨大な人型イマジン。

 真っ白な鎧のような外骨格に身を包み、美しい一角獣を思わせる角を額に聳えさ、
 背には巨大な翼を広げる、異形の白騎士を思わせるイマジンだ。

 その手には、槍のような長柄の武器を携えていた。

 この槍を思わせる武器が、軟体生物型イマジンを切り裂いたのだ。

白騎士イマジン『…………』

 白騎士型イマジンは無言のまま背に広げた翼を畳み、
 切り裂いたイマジンの身体を振り払い、
 完全に霧散させようと自らの魔力を込める。

 何と、呆気ない事だろう。

 必至の復讐を誓い、敗走の恥辱に塗れたイマジンの復讐劇は、
 呆気ないほど簡単に幕を下ろした。

 軟体生物型イマジンは、まだ知らなかった。

 長く生きたイマジンは、弱肉強食の環に放り込まれる事を。

 メガフロートで生まれたイマジンは、絶対の強者として君臨するばかりで、
 同族が同族を食らう事を知らなかったのだ。

 そして、自らを屠ったイマジンがどれだけの強さを誇るかを、
 軟体生物型イマジンはその意識が途切れる瞬間まで、理解できなかった。

 白騎士型イマジンは霧散を始めた同族を吸収しようと、大きく腕を広げる。

 だが、やはりこの白騎士も弱肉強食の鎌鎖の中の存在だった。

白騎士イマジン『ッ!?』

 不穏な空気を感じ、白騎士はその気配に身体を震わせて、
 そちら――オーストラリア方面――を見遣った。

 真っ白で真っ暗な吹雪の中、真っ黒い津波が押し寄せる。

 真っ黒い津波。

 いや、正しくは津波のような何か。

 狩ったばかりの獲物を残し、その場から離れようとした白騎士。

 背後で霧散して行く獲物が津波のような何かに取り込まれた。

 そして、間もなく白騎士をも取り込んだ。

 津波に取り込まれながら、白騎士は必至に手を伸ばす。

白騎士イマジン『A――ッ!?』

 何かの叫びを上げようとした瞬間、
 白騎士は黒い津波のような物に、完全に取り込まれてしまった。

 しばらくして黒い津波のような物が引くと、そこには、
 白騎士の手にしていた槍のような武器だけが取り残されていた。

 氷原に突き立てられたソレは、どこか墓標を思わせる。

 長い柄に、鋭く長い穂先を持った、それは矛のような長杖。

 主を失った長杖は、そのままゆっくりと霧散して行った。


第12話~それは、憎しみを超えた『空色の巨人』~・了

第一部 戦姫立志編・了

思わせぶりな伏線を張って、今回の投下はここまでとなります。
珍しく早く書き上がった物が170kb近くあって二度ビックリだったのは内緒です。

ヴィクセンとアルバトロスの合体位置的にモロバレだったであろう三体合体モード、今回で初お披露目です。
両者のパーツが干渉しないように配置していたので、立体化できるならやってみたい………

その前にV2とZZをニコイチ風した物をフルスクラッチしてエール作らないと…………まぁ、そんな大層な技量ありませんけどねっ!orz

なんぞ、板の方に画像のアップロード機能が追加されると聞いたので、
ヒマを見てCGモデルでも作れたら作って見ます。


あと、今回、50件分で表示し切れないので安価置いて行きますね。

Ⅰ・結編
第34話 >>2-70
最終回 >>76-153
番外編 >>165-233
閑話   >>235-245

Ⅱ・空編
プロローグ >>251-260
第1話   >>265-295
第2話   >>300-327
第3話   >>332-366
第4話   >>371-404
第5話   >>409-442
第6話   >>447-485
第7話   >>496-534
第8話   >>540-576
第9話   >>581-618
第10話   >>622-658
第11話   >>663-700
第12話   >>705-790

設定等 >>659

数ヶ月ぶりに乙でした!
新年の投下以来中々拝読出来ず、その後も多忙が続いて読み進められず、今回のお話でもう構わないから読んじゃえ!と。
申し訳ありません。またゆっくり読ませていただきます。
さて、やはりドン底から這い上がる主人公、この王道が心地よいです。
最近とみに思うのですが、王道を語らずして邪道を語るなかれ、と。
単なる予定調和と、ド直球の王道は違うと思うんですよ。
逆に、スパイスとして機能しない邪道は外道ですらないんじゃないのかと。
今回の、ドン底から這い上がる空、叩きのめされても立ち上がる仲間たち、そして専用の新装備での決着と言う流れはまさに、その王道に準じて、リズムも抑揚も効いた見せ方だったと思います。
スパイスとしては、特に真美と歩美の姉妹ですね。この二人のやり取りで、空の”ヒーロー”としてのポジションが際立っていました。
色々あって中々読めませんでしたが、久々に触れて良い気分を味あわせてもらうことが出来ました。
次回も楽しみにしております。

お久しぶりです、お読み下さりありがとうございます。
加えて、お忙しい中のコメント、ありがとうございます。

>この王道が
ただ、上げるためには一度落とさないと行けないんですよねぇ……。
しかも、今回のどん底具合は結編の18~9話の比では無い感じで。
その分、駆け上がって来た距離も半端では無い物になりましたが……。

>王道と邪道
どちらも切り離せない関係ですよねぇ……表裏一体とでも申しますか、特に邪道は一方では成り立たない言葉だと思います。
仰る通り、邪道ばかりでは結局ただの単調な一本道でしか無いワケで、逆に王道ばかりでは際だった演出にはなりませんし。
物語に悪人や怪獣がいなければ正義の味方が輝かないように、正義の味方がいなければ悪人や怪獣は張り子でしかないんですよね。
特に、このシリーズは自分から邪道と言うのも少々寒々しいですが、鬱屈とした設定が多いので、
その辺りの暗さを吹き飛ばせるような王道展開を、可能な範囲で心がけているつもりです。

>今回の流れ
戦姫立志編の名の通り、一連の流れは第一話から綿密に練っていましたので!w
空っぽになってしまった結が、奏との出会いを経て中心を得て強くなったように、
空は自分に注がれた愛を再確認する事で、徐々に英雄として目覚めて行く感じです。
いや、ご満足いただけたようで何よりです。
装備にしても、構造的にはいつでも……それこそピンチの時の思い付きでさえ合体させる事の出来たモードHなのですが、
再起した空には相応の物が欲しいと言う事で、“瑠璃華が作り上げた空専用モード”と言う位置づけになりました。
ただ、ヴィクセンもアルバトロスも基礎設計が海晴向けなので、まだまだ改善の余地がありますが……。

>瀧川姉妹
姉に続いて、まさかの妹再登場!w
仰る通り、空のポジションを際だたせるために、「あれ? ここ、歩実も出した方が美味しくね?」と言う悪魔の囁きに耳を傾けましたw
姉が使い捨てキャラから主人公の親友へと昇格したように、妹も“ヒーローを応援する子供”枠で復活です。
この姉妹の空ラブっぷりは、おそらくレミィに比肩するのでは無いかと……。
何やかやで気に入ったので、もう開き直って、歩実も機会を見てちょくちょく出す事にしますw
まったく、未就学児童はs(検閲

>次回
次回から、ついに奏の後継たる茜の出番が……と言っても、
現時点の予定では、次回はまだまだ\カッナデーン/ならぬ、\アッカネーン/状態ですがw
そして、業界的に言えば2クール目、新章と言う事で新キャラ新ロボ目白押し……の予定ですw
影が薄い事この上ない第三世代ギガンティックも、ネームキャラを搭乗させて活躍させます。
加えて、個人的にお気に入りのあの子の孫にして、あの人とあの人の曾孫も登場します。

お待たせしました、最新話を投下します。

第13話~それは、凛々しき『双刀の鉄騎』~

―1―

 西暦2075年6月24日。
 四季があるなら、そろそろ梅雨も明けようかと言う初夏の頃。

 メインフロート第一層、ギガンティック機関隊舎――


 三日後に大規模な派遣任務を控えたギガンティック機関は、
 そろそろ人工太陽の照明も落ちて数時間経つにも関わらず、
 普段以上に多くの職員が作業に従事していた。

 それはドライバー達の待機室も変わらず、
 フェイの補佐を受けながら、空は風華からの引き継ぎを受けている最中だ。

風華「……必要な書類はこれで全部かしら?」

 風華は最近になって新調したばかりの端末から、
 立体映像の仮想ディスプレイを浮かび上がらせ、そこに映された書類のリストを確認する。

空「えっと……はい、リストの書類は全部転送済みです」

 空も、自分の端末から同様の仮想ディスプレイを展開しつつ、
 風華の画面と自分の画面とを交互に覗き込みながら頷いた。

風華「じゃあ、私はこれから最後の調整に立ち会って来るから、
   ここからここまでの書類は、目を通したらサインをして、
   これとこれは私に、それ以外は司令に期日までに提出してね」

空「隊長代理確認と代行業務内容確認ですね。分かりました」

 風華から指示のあった書類を確認しながら、空は大きく頷く。

風華「じゃあ、行って来ます!」

 風華はそれを見届けると、足早にハンガーへ向けて走り出した。

空「ふぅ……」

 空は風華を見送った後、小さく溜息を漏らし、ソファに深くかけ直す。

 そして、指示のあった書類に目を通し始める。

フェイ「お疲れ様です、朝霧副隊長」

 そんな空の前に、フェイの手によってコーヒーカップが置かれた。

空「ありがとうございます、フェイさん」

 空は笑顔でそれを受け取ると、一口だけ飲んで、深い安堵のため息を漏らす。

空「はぁ……やっぱり美味しい」

 微かに緩んだ笑顔を浮かべながら、味覚や食道を通して身体に染み渡って行く
 コーヒーの感触に空は軽く天井を振り仰ぎ、だがすぐに気を引き締めて書類に向き直る。

 風華から渡された書類は、先ほど渡された物を含めて今日までに五十枚。

 その全てが、隊長業務の委任に関する物ばかりだ。

フェイ「お疲れですか、朝霧副隊長?」

空「大丈夫ですよ。
  今日は半休も貰ってましたし……ただ……」

 淡々としながらもどこか心配そうに尋ねたフェイに、
 空は小さく頭を振って笑顔で答えたが、その笑顔を少しだけ苦笑いに変えてさらに続ける。

風華「風華さんが結婚して除隊するような事があったら、
   その日からこの量以上の書類が待っているかと思うと……」

 空は苦笑い浮かべながら、そう言って書類のリストに目を走らせた。

 三日後から予定されている件の大規模派遣任務には、
 空、レミィ、フェイ以外のドライバー達四人と、
 それに随伴するスタッフが二手に分かれて向かう手筈となっている。

 隊長である風華も派遣される予定であるため、
 任務期間中は副隊長である空が隊長代理としてその任を引き継ぐのだ。

 そして、その間の引き継ぎ書類やら確認事項書類やら委任状やら、
 とにかく大量の書類が空の元にも届いていた。

 明日美には“今から慣れておくのも良い経験になるでしょう”と、
 どこか微笑ましげな笑いと共に片付けられてしまったが、簡単に言ってくれる物である。

空「えっと……あ、コレはロイヤルガードからの出向関連の書類だ。

  期日は、っと……明日の朝!?
  発行日が一昨昨日なのに、何で今日まで来てなかったの!?」

 コーヒーを飲みながら書類確認を続けていた空は、驚きの声と共に嘆くように呟いた。

 四日前に発行された書類のようだが、ファイルの転送履歴を見る限り、
 何らかの手違いでつい一時間前まで風華の元にも届いていなかったようだ。

 ともあれ、提出期限は明日の朝まで、もう十時間も無い。

 コレは最優先で確認しなければならないだろう。

フェイ「書類のリストを下さい。
    提出期限の近い順にソートし直します」

 フェイはそう言って空の対面に腰を下ろすと、
 普段は待機エリアへの出入り以外にはあまり使っていない端末を取り出した。

空「すいません!
  リンク先は私の端末のアドレスに、パスは以前教えた物を使って下さい」

 空は大急ぎで書類を確認しつつ、
 自身の端末とフェイの端末を魔力による無線回線で繋ぐ。

フェイ「了解しました」

 フェイも接続を終えると、
 空の端末の書類が置かれている領域へとアクセスし、作業を始める。

 一方で、空も細かい字の並んだ書類に目を走らせた。

空(えっと……第二十六独立機動小隊を派遣……。
  この部隊の人が、こっちの応援に来てくれるんだ……)

 空は部隊名を確認しながら小さく頷く。

 空もロイヤルガードに於ける大まかな部隊編成は教えられている。

 基本的にギガンティック三機で一小隊、四小隊で一中隊。

 第二小隊から第二十五小隊までの計六中隊二十四小隊は、
 それぞれが皇居の防衛を担っている。

 そして、その中に含まれない例外が、
 臣一郎の所属する第一小隊と、今回応援でやって来る第二十六小隊だ。

 第一小隊は臣一郎のクルセイダー――デザイア――だけの小隊であり、
 逆に第二十六小隊には四機のギガンティックが配備されていた。

 今回は、その四機全てとそのドライバー、運搬用リニアキャリア、
 運用スタッフが全てギガンティック機関に貸与されるカタチだ。

 大規模派遣で本部が手薄になってしまう事もあって、これだけの増援は実に有り難い。

 そもそも、何故、今回のような大規模な派遣任務が予定され、
 ロイヤルガードから四機ものギガンティックが貸し出されるのかと言えば、
 原因は半年前――事の興りに遡れば一年と二ヶ月前――に起きたイマジンの連続出現事件に有った。

 件の軟体生物型イマジンが、このメガフロートの至る所に、
 自身の分身とも言える四種のイマジンを潜ませていたのは周知の事実だ。

 半年前の激戦の際、PTSDから復帰した空達の手によって撃退され、
 分身達はその活動を停止したかに思われていた。

 だが、今もその四種のイマジンが定期的に現れており、本格的な分身達の除去作業が必要となったのだ。

 正確な数も所在も不明で隠れ潜んでいる分身イマジンを、最接近して高感度精密センサーで感知、
 オリジナルギガンティックによる殲滅と言う実に地道な作業である。

 ちなみに予定されている期間はとりあえず三ヶ月間。

 その間は派遣されたメンバーは二週間に一度帰還し、
 本部の控えメンバーと交代して二週間後に再び交代、その繰り返しだ。

 閑話休題。


 空はさらに書類を読み進めて行くと、派遣される隊員のリストに行き着く。

 そして、そこに踊る“小隊長 本條茜”の字。

空(本條……茜さん……。
  この人が、202……クレーストのドライバー)

 その名を眺めながら、空は感慨深げに目を細める。

 現状、稼働状態にあるオリジナルギガンティックは、瑠璃華によって新造された二機を含めて九機。

 自分の駆る201-エール、風華の206-突風、瑠璃華の207-チェーロ、
 クァンの208-カーネル、マリアの209-プレリー、臣一郎の210-クルセイダー、
 レミィの211-ヴィクセン、フェイの212-アルバトロス、そして、茜の駆る202-クレーストだ。

 GWF203X-クライノートは、現在は適格者がいないため、格納庫のさらに奥に安置されている。

 オリジナルドライバーの死亡、及び本体大破によって欠番となった204、
 建造途中で放棄されて現在もエンジンの所在が不明な205を除けば、
 貸与に過ぎないとは言え、八機のギガンティックが機関に揃う事になるのだ。

 これはギガンティック機関始まって以来の事と聞かされた事もあって、感慨深い物がある。

 そして、それ以上に空の心を躍らせているのは、彼女の血統とその愛機だ。

 本條茜【ほんじょう あかね】……そう、彼女は臣一郎の妹にあたる女性だった。

 つまり、本條勇一郎と本條明日華の娘……臣一郎と同じく、
 結・フィッツジェラルド・譲羽の血を引く者である。

 その愛機は、結と起源を同じくする、奏・ユーリエフの愛機であったクレースト。

 まだ見ぬ相手とは言え、かつてのドライバー同士が親友と聞くと、妙な期待が高まらないでもない。

 そう言う部分では、空もミーハーなのだ。

空(どんな人なんだろう……?)

 期待に胸を膨らませつつあった空は、
 だが仕事中――殆ど残業の域だが――だったのを思い出す。

空(いけないいけない……今日中にサインして提出しないと!)

 そして、すぐに気を引き締め直し、書類に視線を走らせた。

 列挙されている出向予定の人員の名前を確認し、さらに先に進む。

 型式番号が並んでいるのは、どうやらギガンティックと、
 その整備に使うパワーローダーやドローンの類のようだ。

空(こんなに貸してくれるなんて、ロイヤルガードって太っ腹だなぁ……)

 空は不意にそんな感慨を抱く。

 機関がたった七機のオリジナルギガンティックをロイヤルガードと同じ予算で活動していて、
 普段からギリギリの所で運用していると思えば、そうも感じるのも無理は無い。

 実際、オリジナルギガンティックの性能は、
 単純に比べても軍や警察で正式採用されている量産機の五倍近い性能だ。

 だが、単純に整備の手間も五倍以上とは考えてはいけない。

 実際はさらにその倍以上だ。

 下手に調整をすれば機能不全を起こすかもしれないブラックボックスの塊を、
 欠片も性能を落とさずに整備しなければならないのだ。

 その心労たるや計り知れないが、人類の命運とは天秤にかけられない。

 機械任せに出来ない整備箇所も多く、結果的に人手は増え、人件費も嵩む。

 門外漢の政治家達からすれば“たった七機になんでこんなに金がかかるのだ?”と言う事になり、
 機関の覚えが宜しくないも致し方ない。

 オリジナルギガンティックを所有しているのはロイヤルガードも同様だが、
 機関とは出撃頻度が段違に少ないのだ。

 結果的に整備費用がかかるのは、
 ロイヤルガードの十分の一程度しか機体を所有していない機関なのである。

 無論、空がそんな事情をまだ知る由は無く、
 空が抱いた疑問にも近い感慨が解消されるのは、もうしばらく先の話だ。

空「よし……!」

 書類の内容を確認した空は、画面を操作してサインを書き込み、
 拇印を押すと、それを明日美の端末に向けて送信した。

フェイ「書類のソート、完了しました」

 そして、タイミング良く、フェイのしてくれていた作業も終わったようで、
 端末内の書類データのリストが一瞬で並び替わる。

 ご丁寧に、先ほど片付けた書類はリストに含まれていない。

空「ありがとうございます、フェイさん」

フェイ「いえ、朝霧副隊長に限らず、
    皆さんが滞りなく業務を実行できるようにするのも、私の任務ですから」

 空が満面の笑顔で礼を告げると、フェイは淡々としながらも、
 何処か誇らしげな雰囲気を漂わせて返した。

 そんな一見して年上の……だが生まれてからまだ十年にも満たない仲間の、
 微笑ましそうな様子に目を細めた空は、すぐに書類の確認作業に戻る。

 殆どの書類は明日の内か明後日の昼までに提出と言う物で、
 先ほどの物ほど緊急の書類は無いようだ。

空(これなら、明後日の午後までには全部終わるかな?)

 空がそんな事を思った、その時である。

レミィ「ただいまぁ……」

 エントランス側の出入り口が開かれ、どこか疲れた様子のレミィが現れた。

 フェイはすぐさま立ち上がってミニキッチンに向かうと、
 肩を解しながらソファに座ったレミィの前にコーヒーを注いだカップを差し出す。

フェイ「お疲れ様です、ヴォルピ隊員」

レミィ「ああ、悪いな、フェイ」

 レミィは差し出されたカップを受け取ると、
 程よく飲み頃の温度にまで冷まされているコーヒーで喉を潤した。

レミィ「ふぅ……意外と気疲れするな、アレは……」

 レミィはつい先ほどまでの仕事を思い返して呟くと、
 ようやく人心地ついたと言いたげにソファの背もたれに体重を預ける。

空「そんなに大変なの? 新装備のテスト、って」

 そんなレミィの様子に、空は不安と心配の入り交じった声音で尋ねた。

 今日はレミィも――ちなみにフェイもだが――
 空と同じく半休だったのだが、出勤後から書類整理を始めた空と違い、
 レミィとフェイは午後の三時頃から新装備のテストを行っていたのだ。

 最初の二時間はフェイ、そして、それから二十分ほどのインターバルを置いてから、
 つい十分前まではレミィが二時間半ほどテスト、と言った具合である。

フェイ「今までとは運用形態が異なりますので、
    その慣熟にはかなりの時間を要する物と思われます」

 前述の通り、レミィより先にテストを終えていたフェイが、空の質問に答えた。

レミィ「異なるどころか、完全に別物だろう………アレは」

 フェイの言葉を受けて、レミィが僅かばかり呆れたように漏らすと、
 空に向き直ってさらに続ける。

レミィ「次はお前の番だからな……。
    まあ、お前の分は私達ほど無茶な変更じゃないが……」

空「……うん」

 まだ少し疲れた様子のレミィの言葉を受けて、
 空は不安と期待の入り交じった面持ちで深々と頷いた。

 それから十分ほどして瑠璃華からの呼び出しを受けた空は、
 シミュレータールームへと向かった。

 シミュレータールームでは瑠璃華以外にも、
 サクラとクララがコンソールで作業を続けている。

瑠璃華「お、待ってたぞ、空」

 空が来た事に気付いた瑠璃華が、疲れた様子ながら笑みを浮かべて迎えてくれた。

空「お待たせ、瑠璃華ちゃん。
  それに、サクラさんとクララさんも……今日は残業ですか?」

サクラ「ええ、空ちゃん達と同じで私達も半休を貰って、
    午後からは天道主任のお手伝いね」

 小首を傾げた空の質問に、サクラが視線を向けて答えると、
 さらに傍らのクララが顔を上げる。

クララ「瑠璃華ちゃん主任も舞島チーフも派遣組だから、
    調整とシミュレーションの方は暫く私達が担当って、事でね。

    ナイトシフトやミッドナイトシフトのみんなは他に仕事もあるし」

 クララはそう言ってから、年齢にそぐわぬ無邪気な笑顔を浮かべた。

 と、その傍らで瑠璃華が“ふふふ……”と不敵な笑いを漏らし、
 全員の視線がそちらに注がれる。

瑠璃華「私はこれで二徹だぞ……。
    前にとった睡眠は四十時間前の三時間だけ……」

空「る、瑠璃華ちゃん?」

 どこか暗い瘴気のような物を纏いかけている瑠璃華の様子に、
 空はたじろぎ気味に声を掛けた。

サクラ「思いつきで作業を始めるからこうなるんです……。
    舞島チーフやエルスターチーフが心配されてましたよ?」

 二人の様子に、サクラは作業の手を止めて呆れた様に漏らす。

瑠璃華「しょうがないだろう! ピピッと閃いたんだから!」

 瑠璃華はすぐさま反論するが、どこか言い訳気味だ。

 そう、言ってしまえば、この新装備のテストは瑠璃華の思いつきが、
 その理由の大半を占めていた。

 それが理由の全てで無いのは、ここ数ヶ月の空の急激な成長にあった。

 件の軟体生物型イマジン……いや、エール型イマジンとの戦闘を経た空は、
 あれ以来、急激にその才能を開花させ始めていたのだ。

 明日美に言わせれば“魔導師として一皮剥けた”との事なのだが、
 それまでの空のデータを元にしたモードHでは、近い内に扱いが難しくなると判断したのである。

 モードHは元々、海晴に合わせて設計されたモードSとモードDを組み合わせて、
 空専用にチューニングを施した機体だ。

 空専用に組み上げたと言えば聞こえが良いし、扱う空自身も満足の行く出来で文句の一つも無いのだが、
 やはり細々とした無理が機体のそこかしこに見付かったのだ。

 勿論、戦闘中に甚大な被害が出るような類の無理ではなかったのだが、
 これを機にヴィクセンとアルバトロスを根本から見直し、空専用のモードSとモードD、
 そして、新たなモードHを作り上げようと言うのが、瑠璃華の目論見だった。

 但し、それを思いついた……いや、思いついてしまったのが四日前なのである。

 三日後に大規模な派遣任務を控え、各部署がフル稼働していると言う事もあって人手も借りられず、
 瑠璃華はたった一人でその頭脳と技術をフル回転させ、新型機の設計に着手したのだ。

 今は、派遣任務出発前にテストデータ収集用のシミュレーションデータも並行して作り上げ、
 今はそのテストデータの第一次収集と微調整作業中、と言う状況だった。

 このテストデータが新型開発に活かされる事もあって、
 元よりそのつもりだが、より一層、手は抜けない。

クララ「まあまあ、愚痴っていてもしょうがないから、
    ちゃっちゃっと作業しちゃいましょう!」

 ともあれ、そんな様子を見かねてか、
 クララが場の雰囲気を和ますように、極めて明るい様子で促した。

 すると、瑠璃華とサクラの驚愕の視線がクララに突き刺さり、
 空も驚いたように目を丸くする。

クララ「あ、あっるぇぇ? 何か、皆さんの視線が予想外にイタイデスヨ?」

瑠璃華「く、クララが真面目だ……」

サクラ「先輩が、まともな事を……」

 笑顔のまま表情を強張らせたクララに、瑠璃華とサクラは愕然と呟いた。

クララ「泣くよ? いくら私でも泣くよ!?
    割と人目を憚る事なくワンワンと大泣きするよ!?」

 あんまりと言えばあんまりな、だが普段の態度からすれば自業自得な扱いに、
 クララは涙目でまくし立てる。

瑠璃華「さてと、作業に戻るぞ」

サクラ「了解しました、天道主任」

 二人はクララから目を逸らしつつ、空のテストの準備に戻ってしまう。

クララ「空ちゃぁん、上司と後輩がイヂメるよぅ!」

 対して、クララは空に泣きつく。

 これでクララの作業が中断されているなら慰めようと言う気も湧くのだが、
 彼女の手は先ほどから止まっておらず、
 どこまで本気でどこから冗談だったのか判然としないせいか、イマイチ慰めようが無い。

空「ああ……えっと、頑張って下さい」

 なので、空にはそんな当たり障りのない事しか言えなかった。

クララ「うん、頑張る」

 だが、クララは途端にケロリとした様子で笑顔を見せ、作業を続ける。

 その様子に、空は思わずつんのめりかけてしまう。

瑠璃華「空もふざけてないで、シミュレーターに入ってくれ」

空「は、はぁい」

 空は“ふざけてるのはどっちだ”と言う言葉を飲み込み、
 瑠璃華に促されるままにシミュレーターに寝転がる。

瑠璃華「とりあえず、モードS、モードD、モードHの三種を順に確認するぞ。
    最初の十五分は慣らしと調整だ」

サクラ「実地のデータ収集の前に、
    ノーマルで軽くウォーミングアップしてからテストに入ります。
    モードSはカメレオン型、モードDは混合肉食獣型、
    モードHはトンボ型でそれぞれテストします。

    難度は全てBランク。今の空ちゃんなら問題なく行けるわ」

 瑠璃華の説明を引き継ぎ、サクラがテスト内容を補足した。

クララ「案外、空ちゃんなら慣らしと調整は戦いながらでも良いかもね」

 その横で、クララがとんでもない事を呟いているが、流石に空もコレには苦笑いだ。

空「ぶっつけ本番は苦手じゃないですけど、ちゃんと地道にテストします」

 空は苦笑い混じりに言ってから、気を引き締める。

 繰り言だが、新型開発に関わる大事なテストの初回だ。

 実戦――いや、本来なら実戦でこそ、そんな事はあるべきではないのだが
 ――ではないのだから、ぶっつけ本番は勘弁願いたい。

 空は目を瞑り、意識を集中し、眠るようにして仮想空間へと飛び込む。

 そんな空を見遣っていた瑠璃華は、自身のコンソールに視線を落とし、
 不意に頬を緩めて笑みを浮かべた。

サクラ「どうされました、主任?
    まさか、徹夜続きでナチュラルハイですか?」

瑠璃華「人聞きの悪い事を言うな。
    まあ、確かに多少はナチュラルハイかもしれんが……」

 少し心配した様子のサクラの問いかけに、瑠璃華は肩を竦めて溜息混じりに返す。

 そして、すぐに気を取り直し、続ける。

瑠璃華「いや、乗り手の魔力制限が無いと出来る事が増えてな。
    どれを試してみようかと楽しみでしょうがないぞ」

 瑠璃華はそう呟きながら、次第に零されて行く笑みを抑えきれなかった。

 ギガンティックウィザードはドライバーの魔力を何十倍から百倍以上にも増幅して扱う事が出来るが、
 ドライバーの魔力には限りがあり、出来る事もその範囲内に限られている。

 しかし、今の空にはその制約は無い。

 空の魔力特性は、かつてのエールの主である結・フィッツジェラルド・譲羽と同じく、無限の魔力。

 自身以外の魔力の影響下に無いマギアリヒトから、
 無制限に限界量の魔力を接収できる稀少度Ex-Sの魔力特性だ。

 マギアリヒトに溢れている現代社会では、
 四十年以上前とは比べ物にならないほど有利な能力である。

 元から十万以上の魔力量を誇っていた空だったが、
 継戦能力も以前よりも上がったと考えて良い。

 継戦能力……エーテルブラッドの耐久時間が向上したと言う事は、
 それだけ無茶な扱いが出来るようになったと言う事だ。

 技術開発部主任としては、腕が鳴ると言った所だろう。

瑠璃華「……ばーちゃんの……司令のお父さんも、こんな事を考えたんだろうか?」

クララ「司令の父親……フィッツジェラルド・譲羽博士ですか?
    どうなんでしょうねぇ? 考えたんじゃないですか?」

 瑠璃華が不意に漏らした疑問に、クララは小首を傾げてからあっけらかんと言った。

サクラ「そんないい加減な……」

 一方、サクラはそんなクララをジト目で見遣ってから、さらに続ける。

サクラ「……エールは元々、司令のお母さん……閃虹の譲羽、
    つまり博士の奥さんの機体じゃないですか。

    自分の配偶者の乗る機体ですから、細心の注意を払った事くらいは分かりますけど……」

瑠璃華「ん、まぁ、なぁ……」

 サクラの言葉に、瑠璃華はどこか煮え切らない様子で返す。

クララ「何かあったんですか、瑠璃華ちゃん主任?」

瑠璃華「いや……ちょっとなぁ」

 怪訝そうに尋ねたクララに、瑠璃華はどうした物かと言いたげに呟き、
 だがすぐに気を取り直して口を開いた。

瑠璃華「ばーちゃんや、フィッツジェラルド・譲羽夫妻を知る人達から、
    何度か二人の思い出話を聞かされた事があるんだが、
    どうにもそれだけだと腑に落ちんのだ」

 瑠璃華は溜息がちに呟いてから、さらに続ける。

瑠璃華「大昔の魔導ギア、アレの第六世代から第八世代を作ったのは、
    若かりし頃のフィッツジェラルド・譲羽博士だそうだ。

    まあ、第六世代はちょっと難のある失敗作だったが、
    第七、第八世代は傑作と呼んで良いレベルのギアだな。


    特に第七世代……魔導装甲は今でも最前線で使われている装備だし」

クララ「正に希代の大天才の仕事ってヤツですね。

    パワーローダーもギガンティックも、
    基礎理論は博士が作り上げたような物ですし」

 瑠璃華が言葉を句切ると、クララが感慨深げに漏らし、瑠璃華も納得したように頷く。

 だが、すぐに訝しげな表情を浮かべてしまい、盛大な溜息を漏らす。

瑠璃華「だから謎なんだ。

    魔導装甲開発期におけるエールのナンバリングは103、通しだと四番目になるんだが、
    それまでに構造、射砲撃、重装甲の試作品を挟んでいるんだ。

    緊急で完成させなければいけなかった第八世代は別として……いや、
    それでも自分で試作機のテストをしていたそうなんだが、
    とにかく安全かつ、閃虹の譲羽の能力が最大限に発揮される物を作って来たんだ」

 瑠璃華が再び説明を一区切りすると、サクラとクララは異口同音に“成る程”と頷く。

 意外と身内贔屓な所があったようだが、
 天才と呼ばれた人間にそんな一面があると聞くと、逆にどこか微笑ましい物だ。

 だが、瑠璃華はまるで納得が行かないと言いたげな顔をしている。

瑠璃華「第七世代、第八世代は完成品を贈っているが、
    私は今のエールが完成品とはどうしても思えなくてな……」

サクラ「それは、エールが未完成と言う事ですか?」

クララ「正式武装の一部が行方不明だから、って事じゃないんですか?」

 溜息がちな瑠璃華の言葉に、サクラとクララは顔を見合わせてから口々に漏らす。

 確かに、クララの言う通り、今のエールには浮遊型機動砲台や魔力障壁を作り出す補助武装、
 プティエトワールとグランリュヌが長らく行方不明となっていた。

 だが――

瑠璃華「いや、それもあるんだがな……どうも、201が試作品臭い所が気になってな」

 瑠璃華はそう言って、また盛大な溜息を漏らした。

 言いたいことは分からないでも無いが、試作品“臭い”と言うのは酷い言い様だ。

瑠璃華「だって、あの携行武装の数だぞ?
    何でも出来ると言えば聞こえが良いが、汎用試作品だと言わんばかりだろう」

 瑠璃華はそう続けて、また溜息を漏らす。

 確かに、エールの使える携行武装の数は多い。

 その後のギガンティックに使われる各種武装の原型となったと言えば、
 やはりこれも聞こえが良いが、どうも腑に落ちない数だ。

 武装の殆どは他のギガンティックも使える物ばかりだが、
 その中でも特に投擲用ダガーやスラッシュクローなどは、
 どう考えても閃虹の譲羽のイメージからは遠い武装も多い。

クララ「そんなに溜息ばっかり漏らしていると、幸せが逃げちゃいますよ、瑠璃華ちゃん主任」

瑠璃華「私の幸せは、この程度で空っぽになるほどケチな物じゃないから安心しろ」

 冗談めかして言うクララに、瑠璃華は肩を竦めて返した。

空『エールの話?』

 と、そこにウォーミングアップを終えた空が、通信機越しに話に加わった。

瑠璃華「ん? ウォーミングアップは終わりか?」

空『うん、提示されたメニューは一通り終わったよ』

 瑠璃華の質問に、空は声を弾ませて応え、さらに続ける。

空『それで、エールがどうかしたの?』

 空もウォーミングアップ中にそれとなく話は聞こえていたが、
 ウォーミングアップに集中していた事もあって、
 話題の内容がエールに関する事としか分からなかった。

クララ「瑠璃華ちゃん主任が、エールは未完成なんじゃないか、って」

 そして、空の疑問にはクララが応える。

空『未完成、ですか?』

 空は怪訝そうに返す。

 乗っている側からすれば色々と制限の多い機体と言った印象だが、未完成と感じた事は無い。

サクラ「天道主任の物言いも、分かると言えば分かるのよね……。

    確かに、携行武装で何でも出来ると言うより、
    携行武装で何でも出来るようにされてる感じだし」

 サクラの漏らした言葉は、実に感覚的な物だった。

 何でも出来るのと、何でも出来るようにされている、のは僅かにニュアンスが違う。

 前者は先天的、後天的に拘わらず万能性を感じさせるが、後者は後天的な万能性でしかない。

 この場合なら、前者は先天的な万能性を指しての事だろう。

瑠璃華「エールの武装の一部が行方不明になったのは60年事件の頃。
    開発はその三十年以上前だからな。
    携行武装も開発時期に合わせて作られた物ばかりだから、
    武装が無くなった分を補ったと言うワケでもないんだ」

 瑠璃華はそう言って肩を竦め、さらに続ける。

瑠璃華「他のオリジナルギガンティックが個人専用であるように、
    エールは閃虹の譲羽専用に作られた機体だ。

    だが、後発とは言えクルセイダーよりカタログスペックが圧倒的に低いのは納得がいかん」

 そう言い切った瑠璃華は、言葉通りにどこか不満そうだ。

クララ「いつもの瑠璃華ちゃん主任なら“先発の機体が後発に劣るのは仕方ないだろう”
    って言いそうだけど、何かあったんですか?」

 そんな瑠璃華の様子に、クララが怪訝そうに呟くと、サクラも“確かに……”と頷く。

 天才を自称する明るい少女に見えて、
 天道瑠璃華と言う少女は実にリアリストな根幹を持っている。

 浪漫を解し、それを実行せんとするロマンチシズムを持ち合わせてもいるが、
 その根本は徹底されたリアリズムだ。

 いくら浪漫があろうと、実行できなければ切り捨てる。

 実行できるならここ数日のような無茶もするが、
 決して実行できないような無理はしない。

 そんな彼女の根本を知っているならば、
 クルセイダー……デザイアとエールの性能差には肯定的なハズだった。

 事実、数ヶ月前までの瑠璃華はその事に肯定的だったのだ。

瑠璃華「ああ、クルセイダーが最後発で、今までの技術を惜しげもなく注ぎ込んでいるから、
    オリジナルギガンティックの中でも一番の高性能機なのは分かる。
    量産型は基本的にアレをベースにしているくらいだしな。

    だけどなぁ……エールがクルセイダーに劣ると言うのが、どうにも納得できないんだ」

 悩ましいと言いたげな瑠璃華の言に、空も通信機越しに“う~ん”と唸る。

 空にも、瑠璃華がクルセイダーの事を貶して言っている言葉でないのは理解できた。

 サクラとクララも、先ほどの開発者の考え方――身内贔屓
 ――を聞かされた今なら、瑠璃華の言にも納得できる所がある。

 瑠璃華自身、こんな疑問を持つようになったのは、モードHを作った後からだ。

 瑠璃華が七年前に海晴のためにモードSとモードDを作ったのは、仕事としての義務感もあった。

 無論、海晴を思って作らなかったと言えば嘘になるが、当時の瑠璃華はそこまでロマンチストではない。

 しかし、空のために作ったモードHは、彼女へのサプライズも含め、
 一から空自身のために……もっと言えば、初めて“誰かのため”だけに作った機体だった。

 オリジナルギガンティック……いや、ハートビートエンジンの解析のために、
 機関に残されているアレックスの研究資料を読み漁った事もある瑠璃華には、
 今のエールからはそれまでのエールにあった“情念”のような物が薄いように思うのだ。

 事実、アレクセイ・フィッツジェラルド・譲羽と言う人物は、
 妻である結のためのギアに全ての心血を注いだような男だった。

 第六世代と並行して開発していた補助魔導ギアも、第七世代の魔導装甲ギアも、
 第八世代の魔導機人装甲ギアも、第一世代ギガンティックウィザードも、
 その開発諸元を見れば一目瞭然と言わんばかりに、彼女への愛……情念に満ち溢れていた。

 だが、今のエールは後発のオリジナルギガンティックや、
 それまでの閃光の譲羽に贈られた数々のギアに比べて、
 どこか思い入れに欠けるような気がしてしまうのだ。

 その証拠が、膨大な数の後付けの携行武装と言う事になる。

クララ「単に203……いや、その前進の103の開発に向けて、
    テストベッドに使っただけじゃないですか?」

 クララがそんな言葉を不意に漏らす。

瑠璃華「クライノートか……いやアレの、と言うか、
    110の完成後だぞ? 携行武装の開発は……」

サクラ「じゃあ、単にNASEAN側から
    ギガンティック用の武器の開発を持ちかけられたとかじゃないでしょうか?」

 どこか呆れた様子の瑠璃華に、サクラは思案げに言った。

瑠璃華「それは私も考えたし、そう言った文書が存在するのも確かだが、
    それだけじゃないような気がするんだ……。

    嗚呼、自分でも言っててよく分からなくなって来たぞ……」

 対して、瑠璃華は頭を抱えて考え込んでしまう。

 しかし、“そうじゃないような気がする”とは実に彼女らしくない、
 直感と感覚だけに任せたような物言いだ。

空『まあ、そんなに深く考え込んでも仕方ないよ。
  じゃあ、そろそろモードSのテストに移るね』

 空は瑠璃華の気持ちを切り替えさせようと、そう言った。

瑠璃華「むぅ……それもそうか……」

 瑠璃華も空の気持ちを慮ってか、だがまだどこか不承不承と言いたげに返す。

 しかし、深いため息と共に気持ちを切り替え、コンソールに向き直る。

瑠璃華「今度のモードSは、お前の適性や動きの癖に合わせて、
    旋回性能と瞬間的な加速力を強化している。

    メインスラスターが単発から四発になった分、
    初見は扱いづらく感じるかもしれないが、
    前よりももっと直感的に、能動的に動かせるハズだ」

空『うん、了解!』

 説明をする内に、次第にいつも通りの声音に戻って行く瑠璃華の様子を感じながら、
 空は深々と頷いた。

 それから都合二時間ほどのテストを終えた空は、再び待機室に向かって歩いていた。

空「う、うぅ~ん」

 二時間も本物の身体を動かしていなかった事もあり、
 思った以上に凝り固まっているのか、空は小さく伸びをしながら肩を解す。

空(長時間使っても身体は疲れないんだけど、コレだけは何とかならないかなぁ……)

 最後に背筋を伸ばして軽いストレッチを終えた空は、
 そんな事を考えながらも待機室へと歩き続ける。

 機関やアルフの訓練所で使っているシミュレーターは、
 魔力的な刺激で脳に非常にリアルな体感を与える物だ。

 その間、身体は一切動く事が無いため、
 精神的には疲れる事はあっても肉体的に疲れる事は無い。

 だが、前述のように身体を動かさない状態が続くため、
 二時間以上も続けて使っていると流石に凝り固まってしまう。

空(けど、お陰で何とか感覚は掴めたかな……?)

 空は気を取り直し、テストの内容を思い返す。

 新しいモードSとモードD、そしてモードH。

 まだ設計試作段階だと言うのに素晴らしい出来映えだ。

 機体の取り回しが以前とはかなり違ったため慣らしに少々時間を要したが、
 慣れてしまえば以前よりも取り回し易く設計されているのが分かった。

 あれならばいつ実戦投入されても十分な戦果を発揮できるだろう。

 空がそんな事を考えていると、
 待機室の方――と言っても入口付近だが――から話し声がするのに気付いた。

マリア「だからさぁ、向こう回るんだから、
    こっちでしか買えない土産くらい持って行った方がいいじゃん?」

クァン「あまり気を遣う必要は無いぞ?
    まだ立ち寄れる程ゆっくりしていられるかも分かっていないんだからな」

 マリアとクァンだ。

 どうやら、話しながらゆっくりと歩いていた二人に追い付いてしまったのだろう。

 何事かの話し合いの最中のようで、折角の二人きりの時間を邪魔するのも気が引けたが、
 このまま後に付いて立ち聞きを続けるのはさらに気が引ける。

 そんな考えに至った空は、すぐに口を開く。

空「マリアさん、クァンさん!」

マリア「およ? 空じゃん。
    ……向こうから、って事はシミュレーターでも使ってた?」

 すぐに振り返ったマリアが少しだけ驚いたような表情を見せ、
 空の歩いて来た通路を一瞬だけ見遣ってから尋ねた。

クァン「瑠璃華君が近い内に新型のテストをするとか言っていたから、
    そっちの件じゃないのか?」

 続けて、クァンが思案気味に漏らす。

空「はい、さっきまでシミュレーターを使って、
  新型機の開発に必要なテストをしていました」

 空は頷きながら応えた。

 二人合わせて正解だ。
 さすがパートナーと言うべきか?

 ともあれ、二人は私服姿で――と言っても、それなりに着飾ってはいたが――、
 何処からかの帰途と言った印象である。

空「お二人は今日はオフでしたよね?
  こんな遅い時間にどうされたんですか?」

マリア「ん? 今日はみんな残業だって言うから、
    遠くまで買い出しに出たついでに、ちょっとした陣中見舞いに、
    “とらふく”の“もなか詰め合わせ”をね」

 空が小首を傾げるとクァンと顔を見合わせたマリアが、
 手に提げていた紙袋を胸の高さにまで掲げて得意げな笑みを浮かべた。

空「とらふくの……もなか詰め合わせ!?」

 マリアの掲げた紙袋に印字されていた、仰々しい崩しの行書体で描かれた“とらふく”のロゴと、
 そして、マリアの口から語られた“もなか詰め合わせ”の言葉に、空は目を見開く。

 ちなみに、とらふく、とは、
 京都――メインフロート第一層第一街区――にある、
 若い――と言っても、それはあくまで京都基準の話で、
 実際は創業六十年のそれなりの老舗だ――和菓子専門店である。

 四季折々の茶菓子なども人気だが、
 一番の人気商品はマリアの買って来た“もなか詰め合わせ”だ。

 その名の通り、店主拘りの漉し餡、粒餡、白餡、鶯餡、栗餡、芋餡からなる、
 一口サイズの最中六種の詰め合わせ。

 プラントで作られる合成食品に頼らず、
 農家栽培の天然食材を厳選して作っていると公言しているだけあって、
 その味は親友の佳乃も舌を巻く程だ。

 少々、高いのが玉に瑕だが、ともあれ、
 “並んでも買いたいお店”の和菓子一位を長年独占し続ける原動力となっている名品である。

 閑話休題。


 何はともあれ、空も食べるのは数年ぶりとなる逸品だ。

 驚くのも無理は無い。

マリア「ちなみに……司令室のみんなには団子詰め合わせだったから、
    こっちが最中だってのは内緒な」

空「りょ、了解です」

 マリアの耳打ちに、空は緊張した面持ちで何度も頷く。

 そんな二人の様子に、クァンは小さな溜息と共に肩を竦めた。


 三人はそのまま待機室へと入り、既に調整を終えて戻って来ていた風華と、
 遅れて戻って来た瑠璃華と共に少し遅めの間食を楽しみ、その日はお開きとなった。

―2―

 翌々日、正午前。
 ギガンティック機関隊舎、格納庫内、01ハンガーコックピットハッチ前――


 201……エールのコックピットハッチは閉じられ、
 その両脇に据えられた機材を覗き込んでいるのは医療部主任の笹森雄嗣と、
 その部下でメディカルオペレーターチーフであるメリッサの二人だ。

 ハッチ横のスリットから空気の抜ける音と共に、ゆっくりとハッチが開かれて行く。

空「どうでした!?」

 開かれたハッチから、制服の上着だけを脱いだ空が顔を覗かせる。

 その声は期待感で弾んでおり、二人からの返答を心待ちにしている様子が窺えた。

雄嗣「ふむ……脳波、脈拍共に目立った異常は無し。
   実に安定した数値だ」

メリッサ「発汗も許容量、瞳孔も異常無しです、主任」

 計器と睨めっこをしている雄嗣に続けて、メリッサがそんな報告を上げる。

空「と言う事は……!」

雄嗣「ふむ、完治……と言うのは医者としては些か早いとは思うが、
   短いスパンでの定期診断を必要としないレベルまで回復したと診断させて貰おう」

 目を輝かせながら息を飲む空に、雄嗣は笑みを浮かべて何度も頷きながら言った。

 そこで、空は破顔し、“やった!”と声を上げる。

 そう、これは空が半年前に発症したPTSD……コントロールスフィア恐怖症の定期診断だ。

 件の軟体生物型イマジンとエール型イマジンの討伐に前後して、
 その症状は驚くほど軽減していたが、やはりまだ完治と言うにはほど遠い状態だった。

 それを使命感と勇気でねじ伏せて勤務を続けていたのだが、
 そうして行く内に空の症状はどんどん回復して行ったのである。

 ちなみに、今日の診断は長期派遣任務に出るメリッサの都合に合わせての、
 直前の診断と言うワケだ。

雄嗣「荒療治を続けているようで、あまり良い気分はしなかったがね……」

メリッサ「これで出撃後に、朝霧に診断を強制する理由も無くなりましたね」

 肩を竦める雄嗣に、メリッサも安堵の表情を浮かべて呟く。

 例のイマジン連続出現も収まりを見せ、出撃の頻度も月に二、三度まで下がったが、
 出撃の度に空は診断を余儀なくされていたのだ。

空「本当にお世話になりました、笹森主任、エルスターチーフ!」

 空は感謝の言葉と共に、丁寧に頭を垂れる。

メリッサ「お前は気が早いな……。
     これから医療部の世話にならないつもりか?」

空「あ、いえ、そう言うワケじゃなくて……」

 メリッサが苦笑い混じりで戯けたように言うと、
 空は“また、やっちゃった”と言わんばかりに、自らの失言にしどろもどろになってしまう。

雄嗣「普段はしっかり者だが、どことなくどこかが抜けているな君は」

 そんな空の様子に、雄嗣は微笑ましそうに目を細めて言った。

 口ぶりや様子から、咎める様子は無い。

 だが、それが逆に空には恥ずかしくてならなかった。

空「あぅ……」

 空は顔を真っ赤にして、がっくりと項垂れる。

メリッサ「ほら、あっちも診断が終わったようだぞ」

 だが、そんな空を見かねてか、機材の撤収準備を始めていたメリッサが、
 そう言って通路の奥を指差した。

 羞恥で顔を俯けていた空は、その言葉に促されるようにして顔を上げ、
 メリッサの指差す方角を見遣る。

 するとそこには、寸詰まりの足でヒョコヒョコと歩み寄って来るエール――
 勿論、エール本体ではなく彼が遠隔操作する二頭身半にデフォルメされたドローンだ――の姿があった。

空「……エール!」

 空は驚きと歓喜の入り交じった声を上げる。

 エール……と言うか、ドローン達は、明日からの派遣任務で瑠璃華が不在になる事もあって、
 一週間前から瑠璃華の手で徹底的な整備を受けていたのだ。

 本来なら半日程度で終わる作業だったが、
 派遣任務直前と新型機の設計の作業の合間を縫う事でこれだけ長期に渡ってしまっていた。

 空は慌てて手すりに掛けてあった制服の上着を羽織ると、
 駆け足気味にエールの元に駆け寄る。

 軽く屈んで手を両手を差し出すと、エールは小さく跳び上がってその腕の中に飛び込んで来た。

空「前より少し関節の動きがスムーズになったみたい。
  瑠璃華ちゃんに隅々まで整備して貰って来たんだね」

 空は笑顔で言って“後で瑠璃華ちゃんにお礼を言わないとね”と付け加える。

 そして、空はまるで可愛らしいぬいぐるみをそうするように、エールをしっかりと抱きしめ、
 思い出したように雄嗣とメリッサに会釈してから、待機室へと戻って行く。

 左手にはギア本体もあるし、ハンガーまで来ればいつでもエールと顔を見合わせる事は出来たが、
 空にとって、今も言葉を発しようとしないエールとのコミュニケーション手段は、
 こうして彼が自由に動かす事の出来る第二の身体以外には無かった。

 それだけに、ドローンに対する思い入れも人一倍なのだろう。

メリッサ「まるで家族か恋人との再会ですね」

 そんな光景を後目に、メリッサは肩を竦めて呟いた。

雄嗣「家族か恋人、か……。

   彼女のコントロールスフィア恐怖症が和らいだ理由も、
   案外、その辺りにあるのかもしれないな」

 対して、雄嗣は思案げに漏らし、メリッサは驚いたように雄嗣に向き直る。

メリッサ「まさか……。

     いくら高性能な人工知能が搭載されたギアとは言え、
     初起動は八十年近く昔に別人が行った物ですよ?

     そこまで感情移入が出来る物ですか?」

雄嗣「他人が起動した物だからこそ、だろう」

 訝しがるようなメリッサに、雄嗣は撤収作業を続けながら漏らし、さらに続けた。

雄嗣「旧来の高性能魔導ギアは、使用登録者の魔力によって起動される。
   その際、基礎人格を基に所有者の無意識下の人格を取り込んで人格を形成する。

   言ってみれば、初めて起動した人間の写し身のような物だ。
   それは今も変わらない」

 さすがは旧魔法倫理研究院の流れを汲む組織で医療部の長を務める人間らしく、
 雄嗣は本来なら門外漢である魔導ギアの事をスラスラと語って行く。

メリッサ「写し身……」

雄嗣「ヴォルピ君のヴィクセンや、フェイのアルバトロスを見れば分かるだろう。
   エンジン本体は別の人間がテスト起動させた物が、AIは天道主任謹製の後付けだ。

   どことなく、AIを起動させた彼女達らしい部分が見受けられるだろう?」

 一つの単語を反芻したメリッサに、雄嗣は確認するように漏らす。

 確かに、ヴィクセンやアルバトロスのAIは、
 どことなく所有者であるレミィやフェイに似ていない事もない。

 ヴィクセンはレミィの遠慮の無い部分と姉貴分としての人格を、
 アルバトロスはフェイの世話焼きで心配性な部分をそれぞれ継承している。

雄嗣「そう言った意味では、魔導ギアのAIは起動者の最大のパートナーであり、
   理解者であるワケだが、……それと同時に起動者本人でもある。

   自己愛に希薄な起動者に代わって、起動者を深く愛するような情動を見せるAIもあるが、
   それはある種の自己愛の補完であって本物の愛情とは違う物だ」

メリッサ「はぁ……」

 雄嗣の語る何処か専門外の……内科や外科からは外れた話題に、
 メリッサは思わず彼女らしくない生返事を返してしまう。

雄嗣「話が横道に逸れたな……。

   まあ、魔導ギアのAIは基本的にもう一人の起動者本人だ。
   それ故にお互いの間で発生する情動は、家族や恋人との間に発生する情動とは異なると言う事だ」

メリッサ「つまり、朝霧とエールは他人だからこそ、家族や恋人のようでもある、と?」

 苦笑いを浮かべてから結論を述べた雄嗣に、メリッサはその回答の正否を問いかける。

雄嗣「他人だからこそ家族、と言うのは少々語弊があるがね。
   まあ夫婦も元は他人と考えれば、それも十分に模範解答の範囲だよ」

 雄嗣はそう言って、部下の導き出した回答に満足そうに笑う。

 そして――

雄嗣「朝霧君は、戦場で自分が一人でないと言う事に気付けた。
   ……と言うのは、医者が言うにはセンチメンタリズムに酔い過ぎかもしれないな」

 ――と、どこか自嘲気味な口ぶりで言って、照れ隠しにまた笑ったのだった。

 外野でそんな会話が繰り広げられているとは露知らず、
 空はエールを抱えたまま上機嫌で待機室へと戻っていた。

空(診断結果も問題無いし、エールも戻って来たし……)

 それらが、空の上機嫌の理由の大半だ。

 誰かを守りたいと願う人の盾、誰かのために戦いたいと願う人の矛、力なき誰かのための力。

 そんな決意と思いを固めて、改めて踏み出したオリジナルギガンティックドライバーとしての道。

 思い描いた道を歩み続けるためには、
 コントロールスフィア恐怖症と言うPTSDは重すぎる枷だったのだ。

 だが、その枷がようやく外れたのだ。

 最も近くで同じ道を歩いてくれるパートナー――の依り代のような物だが
 ――も帰って来てくれて、心強いことこの上ない。

 だが――

空「あ、でも……」

 不意に思い出したように哀しげな表情を浮かべた空は、
 胸元で抱きかかえていたエールを視線の高さまで掲げる。

空「折角戻って来たばかりなのに、今日はお留守番をお願いしたいんだ……。
  ごめんね、エール」

 そして、申し訳なさそうな声で空が漏らすと、
 真っ白なハズのエールの姿がどこかくすんで見え、哀しみを湛えているように感じられた。

 考え過ぎの思い込みだろうか?

 空はそう考えると、妙な印象を振り払うべく、軽く頭を振った。

空(いつも通り……だよね?)

 そして、改めてまじまじと相棒を見遣る。

 印象は先ほどと変わらない。

 決して通路の照明が暗いと言うワケではないが、普段からこのような色だと言う事だろうか?

空(違う……よね、やっぱり)

 思い浮かびかけた考えを……勘違いで済ませようとしていた事実を、
 空は小さく頭を振って自ら振り払う。

 やはり、いつもよりくすんで見える。

 間違いない。

空(もしかして……寂しいのかな?)

 空は不意に脳裏を過ぎった考えを心中で独りごちる。

 実の所、午後の予定を明かしてしまえば、
 空はこれから学生時代の親友達――真実達の事である――と会う約束をしていた。

 長期派遣任務で休みが減る前の、最後の半休だ。

 先日からの書類仕事も既に一段落しており、
 イマジン注意報も長らくレベル1以下なので、良い機会なのである。

 だが、ドローンとは言え、
 バスケットボールよりも大きなエールを持って行くワケにもいかない。

 まあ、半休とは言え、携帯端末もギア本体も持って行くのだから、
 自分とエールの繋がりが断たれるワケでもない。

 しかし、今のエールは人間で言う失語症の状態だ。

 意志表示には瑠璃華の作ってくれたこのドローンが無ければならない。

 となれば、“寂しい”と予想した空の想像は外れてはいなかった。

空「大丈夫だよ……夜までにはちゃんと戻るから」

 空は掲げたままのエールの額に、自分の額をそっと触れさせて、
 優しく言い聞かせるように囁く。

 それは、まだ幼かった日、数ヶ月ぶりの日曜の休日を姉妹で過ごしていた中、
 突然のイマジンの出現で出勤せねばならなくなった姉が、
 寂しくて涙ぐんでいた自分にそうしてくれたように……。

 すると、されるがままに抱えられていたエールが、
 僅かに身じろぐような仕草をした。

空「エール?」

 訝しがる空は、思わずエールを掲げていた手の力を緩めてしまう。

 すると、エールは空の手から抜け出し、先ほど駆け寄って来た時は逆に、
 寸詰まりの足でヒョコヒョコと走り去ってしまった。

空「あ……待って!」

 空は慌ててエールの後を追い掛ける……までもなく、すぐさま追い付いてしまう。

 しかし、それでもエールは寸詰まりの足で必至に走り去ろうとする。

空(えっと……)

 そのほぼ真横を、空はゆったりと歩く。

 コンパス……歩幅の差と言うのは、実に正直で残酷な物だ。

 どんなにドローンのエールが必死に走っても、
 譬え、跳ねるように走っても、寸詰まりの足の歩幅は十センチ程度。

 空は小幅に足を出しても、一歩で五十センチ以上は進んでしまう。

 空は追い越してしまわないように、注意深くエールを見守りながら歩き続けた。

空(もしかして、照れてる……のかな?)

 俯いたままの相棒の、その変わらない表情が、
 本来はどんな感情に彩られているのかを考えながら……。

―3―

 メインフロート第七層、第一街区中央、アミューズメントパーク――

 半年前のイマジンとの戦闘で外周部や周辺のビル街に甚大な被害を受けたいたが、
 その傷痕も今や過去の物。

 多額の復興予算と人手を注ぎ込まれて、見事な再生を遂げ、
 今日も多くの人々でごった返していた。


 丁度正午を迎えようとしていた時間帯。

 空は制服から私服に着替え、友人達との待ち合わせ場所である、
 アミューズメントパーク内のフードコートへとやって来ていた。

 日曜と言う事もあって、家族連れや友人グループ、恋人同士と様々な人々で溢れかえっている。

 しかし、空は、その人混みの中を傍目には軽快にすら見えるフットワークですり抜けて行く。

 空の持ち味は、このフットワークの良さだ。

 今の状態のエールでは二割もこの良さを発揮する事は出来ないが、
 合体でモードを切り替えれば、ギガンティックでもこの程度の動きは朝飯前である。

 閑話休題。


 ともあれ、空は人混みを軽快にすり抜けて、友人達から指定された席へと向かう。

 三階建てフードコートの最上階、展望テラスの見晴らしの良い席に彼女達はいた。

 一番見通しの良いテーブルを囲んで座り、あちらも空を見付けたらしく、
 佳乃などは手招きをするように右手を挙げている。

空「みんな!」

 その姿を認めた空は、嬉しそうな声を上げた。

 と、そんな空に向かって小さな影が飛び込んで来る。

空「わっ!?」

 驚きの声を上げながらも、空は反射的にその影を受け止め、
 勢いを殺すようにその場でクルリと一回転しながら持ち上げた。

 すると、受け止めた空の手の中にいたのは――

歩実「こんにちわ、空お姉ちゃん!」

空「あ、歩実ちゃん!?」

 元気よく挨拶する真実の妹……歩実に、空は驚き混じりの声を上げる。

 真実と和解するキッカケになったり、彼女達の家に泊まらせて貰った事もあって、
 空も歩実とは深い面識があったが、まさか今日この場にいるとは思っていなかった。

真実「もう、はしたないですわよ……歩実」

 真実は溜息がちに言って立ち上がると、
 申し訳なさそうに“ごめんなさいね、空”と言ってから、親友の手から妹を抱き上げる。

 空は“大丈夫だよ”とあっけらかんと返し、下に降ろされた歩実の前に軽くしゃがむ。

空「歩実ちゃん、えっと……八ヶ月ぶりだね。暫く見ない間におっきくなったね」

歩実「はい!」

 思い出すように言ってから笑顔を見せた空に、歩実も弾けるような笑顔で応える。

 今年でまだ六歳――この春に第八小中学校に入学した
 ――になったばかりとは思えない、しっかりとした受け答えだ。

歩実「この前はありがとうございます!」

空「この前?」

 きっちりとお辞儀をして見せた歩実に、空は思わず首を傾げてしまう。

 はて? 八ヶ月前に何かあっただろうか?

 ちなみに八ヶ月前とは、空がギガンティック機関に正規入隊する直前、
 アルフの訓練所にいた頃の最後の休日に、瀧川家に宿泊した時の事だ。

 また、真実達三人とは三ヶ月前の二学年の終業式の際に会っていたが、
 その時は歩実とは会っていなかった。

 空自身、記憶力は自慢できるほど良い方だが、
 八ヶ月前の事で今更、改まったお礼をして貰う程の事をした覚えは無い。

雅美「半年前、あの場に歩実さんもいたんですよ」

 と、必死に思い出そうとしていた空を見かねて、雅美が助け船を出してくれる。

空「半年前……ああ!」

 雅美の言葉に、空は驚きと納得の入り交じった感嘆を漏らす。

 半年前、このアミューズメントパーク付近にイマジンが現れた際、
 歩実は真実達と共にこの場を訪れていたのだ。

 その際、四人は空が戦う様を間近で見る事になった。

 それも運悪く、イマジンの襲撃で停止してしまった大観覧車に取り残されると言うカタチで。

 しかし、ご存知の通り、最悪の事態が起きる直前に駆け付けた空と、
 その仲間達の獅子奮迅の活躍で死者ゼロと言う奇跡的な結果と相成ったのである。

空「あ、アハハ……約束はすっぽかしちゃうし、到着はギリギリだし、
  ………かっこ悪かったでしょ?」

 空は照れ隠し二割、申し訳ない苦笑い八割と言う微妙な表情を浮かべて漏らす。

 事実、あの日の空はイマジンの連続出現が無ければ、
 友人達に誘われてこのアミューズメントパークに来ていたハズなのだ。

 だが、あの頃の空は、姉と血が繋がっていなかった事やPTSDなど、
 様々な出来事に心を押し潰されて、自分を取り巻くありとあらゆる物から逃げ出してしまっていた。

 結果的に空はドライバーとして戦場に舞い戻り、仲間達や多くの人々の命を助ける事が出来たが、
 明日美の取り計らいで不問に付されたとは言え、一度逃げ出した罪の意識は、
 やはりまだどこか彼女の心にこびり付いていたのだ。

佳乃「まぁだそんな事言ってんのかよ。
   あの時のお前は格好良かったぜ? な、歩実もそう思うだろ?」

歩実「はい!」

 少し呆れたように言ってから、力強く同意を求める佳乃に、
 歩実もとびきりの笑顔で元気よく頷く。

 その目は、あの当日に約束をすっぽかされた事よりも、あの日に目に焼き付けた、
 目前に迫るイマジンの恐怖すら振り払ったエールの……空達の勇姿を思い浮かべて輝いていた。

 真実達には電話やメールだけでは謝り足らず、
 前述の通り三ヶ月前に直接会って約束をすっぽかした事を謝罪したが、
 歩実の事は本当に今日まで初耳だった事もあり、驚きや戸惑いも大きい。

 ちなみに、真実達が歩実の件を今日まで黙っていたのは、
 彼女自身が“空お姉ちゃんには自分からお礼を言う”と言って聞かなかった事と、
 空が大切な事を幾つも秘密にしていた事に対するささやかな意趣返しである。

 ともあれ、そんな純粋で真っ直ぐな歩実からの言葉だった事もあって、
 空は今や、驚きや戸惑いを上回る感激に打ち震えていた。

 それは、まだ微かにこびり付いていた罪の意識を洗い流し、
 罪は罪と認めたまま、前に歩き出せる程の喜びだった。

空「……ありがとう、歩実ちゃん」

 その喜びに打ち震える中、空は何とか、その言葉を絞り出す。

 あの日の勇姿を……決意と共に戦場に舞い戻った自分の姿を、
 その目に焼き付けてくれた幼い少女に情けない顔を見せないように。

 その言葉と共に、涙が溢れ出さないように。

 だが、彼女の意に反して、その目にはうっすらと涙が浮かんでしまう。

歩実「空お姉ちゃん……?」

空「あ、ごめんなさい……!」

 歩実が不思議そうに首を傾げると、空は慌てて目元に浮かんだ涙を拭う。

佳乃「お前、ホントに涙もろくなったよな」

雅美「ええ、本当に……」

 昔からの空を知る佳乃と雅美は、一度顔を見合わせてからどこか嬉しそうに語る。

 空はその生い立ち――ギガンティック機関に入隊する以前の、
 彼女が知り得た範囲での事だ――故に、どこか自分の感情を抑圧する傾向にあった。

 そして、それは姉・海晴の死を境に、さらに強固となってしまう。

 憎しみに飲まれて戦った際に、どす黒い感情の恐ろしさに空自身が気付いてしまったからだ。

 激しい情動に身を任せる事を無意識に抑圧してしまった空は、
 多くの仲間達との出会いやふれ合いを通し、そして、自身の戦う意義を見出して、
 ようやく本来の……幼い頃からの彼女らしさに立ち返る事が出来た。

 涙もろくなってしまったのは、言ってみれば良い事なのだ。

真実「私は、最初から泣き虫の印象ですけどね、空は」

 親友達の様子を察してか、真実はどこか戯けた調子で呟いた。

空「えぇ……ひ、ひどいよ真実ちゃん」

 真実の突然の言葉に、空は思わず困り顔で返す。

歩実「お姉ちゃん……」

 姉の辛辣とも取れる言葉に、歩実も少しだけ不満そうである。

真実「早とちりするんじゃありません」

 だが、真実は二人を窘めるように言って、さらに続けた。

真実「本当に泣きたい時に泣ける強さが、元より空にはあると言っているんです」

雅美「……成る程」

 真実の言葉に、雅美が納得したように漏らす。

 そして、そこから一拍置いて、佳乃も納得したようにポンと手を叩く。

 だが――

佳乃「ああ! そう言う事か!
   さすがツンデレ! アタシらとは目の付け所が違うな」

真実「誰が、ツンデレ、ですの!?」

 ――続く佳乃の弁に、真実は僅かばかりに怒りに震える声で漏らす。

佳乃「いや、いざと言う時以外は素直になれないのがツンデレの持ち味だし?」

真実「そのツンデレを撤回なさい!」

 戯けたように返した佳乃に、真実は声を荒げた。

 一方、雅美も佳乃と大方は似たような納得の仕方だったのか、
 我関せずと視線を逸らしている。

空「み、みんな……」

 思わず噴き出してしまいそうになる親友達のやり取りに、
 空はやはり噴き出しそうになりながら目を細めた。

 しばらくして落ち着きを取り戻すと、五人は昼食を購入し、
 再び先ほどのテーブルを囲んで座っていた。

空「あのクレープ屋さん、商店街からこっちに出店してたんだね」

佳乃「ああ、おやっさんがここの責任者に是非に、って言われたらしいぜ?」

 空が自分のトレーに乗せられた白桃タルトを見ながら呟くと、
 佳乃がその時の事を思い出しながら呟く。

 空の言う“あのクレープ屋さん”とは、一年以上前に真実達の通う
 第八小中学校近所の商店街にオープンした例のクレープ屋だ。

 佳乃の話を詳しく聞くと、例のクレープ屋は味の良さをメニューの豊富さが話題を呼び、
 地固めが済んでいざ二号店を出店しようと言う頃合いの時期に、
 このアミューズメントパークのフードコートへの出店を求められたのだと言う。

 商店街の一号店の基本客層は地元、フードコートの二号店の客層は遠方からの来園者と言う事もあって、
 互いの客を多くは食い合わないだろうとの判断もあっての事だと、佳乃も聞かされていた。

 そして、何故、佳乃がそんな事を知っているのかと言えば、
 以前から店主と懇意にしている事と、彼女自身が密かに店主への弟子入りを希望しているからだった。

空「いきなり弟子入りなんて大丈夫?」

佳乃「う~ん……おやっさんの様子だと、薄々気付いてるっぽいけどな」

 心配そうに尋ねる空に、佳乃は思案気味に返し、
 “いざとなったら、一級調理師免許取って公務員になるけどな”と付け加えて笑みを浮かべる。

 一級調理師免許とは、その名の通りの最上級の調理師免許だ。

 食品衛生士の免許と合わせれば自分の店を持つ事も出来るし、
 そのままでも軍や警察と言った重要公的機関の食堂や、
 それらの機関に食事を卸す下請けにも務められる。

 ちなみに、この場で言う一級とは、市民階級の一級とは別物だ。

佳乃「まあ、親父やお袋に“第一女子まで出ておいてクレープ屋で修業とは何だ”、
   なんて言わせねぇように特待生目指さねぇとな」

 佳乃はがっくりと項垂れながらも、確かな力強さを感じさせる声音で呟いた。

 特待生とは、旧来の世界でも通じる意味での特待生である。

 元より学費は極端に低いのが今の世間の一般常識だが、
 高等教育以上では将来有望な学生には学費や諸費用の全額免除が認められていた。

 無論、特待生に望まれるような公的機関、公的業績の大きな企業に就かない場合には、
 それらの免除費用の支払いが本人に義務づけられるが、
 少なくとも親に負担をかけたくないのが佳乃の本音であろう。

 そして、その言葉からも一級調理師免許を取る目標は立てているが、
 それ以上にクレープ屋での修業を希望するほど、
 佳乃は店主の料理人としての腕や心意気に心酔しているのだ。

雅美「佳乃さんが特待生を目指す以上、私も特待生を目指すべきでしょうか?」

 そんな佳乃の傍らで、雅美が思案気味に漏らした。

 だが――

真実「あら、勝ち逃げは許しませんわよ?」

 そんな雅美の正面に座った真実が、ライバル心に満ち溢れた視線と声音で呟く。

雅美「そんな、勝ち逃げなんて……」

真実「特待生部門では、合否だけで順位が出ませんもの……。
   しっかりと一般入試部門で競って貰いますわよ、雅美」

 苦笑いを浮かべる雅美に、真実は闘志剥き出しと言わんばかりの様子で言い切った。

佳乃「コイツ、まだ実力考査と中間考査の事を根に持ってやがる……」

 睨み合う――と言うより、真実が一方的に敵愾心を燃やしているのだが――
 親友二人の様子に、佳乃は溜息がちに呟いた。

 そう、真実は学年最初の実力考査と先月末の前期中間考査で、
 雅美に五教科中二教科で五点以上の差を付けられて敗北を喫したのだ。

 因みに、全科目の合計点数と学年総合順位では真実のトップで、誰がどう見ても彼女の勝ちなのだが、
 学年総合三位の雅美に“得意教科で負けた”事が許せないのだろう。

 無論、彼女が許せないのは雅美ではなく、驕りによるミスを二度も繰り返した自分自身だ。

 そして何より、自分のミスで各教科のトップを友人に譲ると言う事が、
 彼女にとっては友人の努力に対する最大の侮辱でもあるのだ。

 人間関係に対してはある種、辛辣であり狡猾である事も否定しない真実だが、
 勝負事に関してはとかく正々堂々を重んじていた。

 それだけに、一般入試で正々堂々と全教科トップの完全なる総合トップを取る事で、
 友人の努力に報いながらも、自らのプライドも貫こうとする、
 彼女なりのややねじ曲がった友情の現れなのだ。

空「アハハ……」

 空も事の次第はメールや電話で聞いていたのか、細かな感情の機微はともかくとして、
 苦笑いを浮かべながらも“真実らしい”と何処か納得していた。

雅美「まあ、今の所、目指しているのは単なる事務方ですし、
   特待生に拘るほどではないかもしれませんね」

 雅美はそう言って“力仕事も苦手ですし、手先も器用ではありませんし”と付け加える。

空「研究職とかはどう?」

雅美「う~ん……勉強は得意ですし嫌いではありませんが、
   研究となるとやはり勝手も違うでしょうし」

 空の提案に、雅美は思案気味に返す。

 “研ぎ究める”とは良く言った物で、
 研究とは行き詰まりかけた分野や未開拓の技術をさらに先に進める行為だ。

 基本の学力が必要なのは確かだが、その先に行くのに必要なのは智力である。

 佐久野雅美と言う少女は学問を修める事には秀でていたが、
 生来の無趣味が祟って、得た学力をその先に活かそうと言う欲求が無い。

 しかし、広く見識を得る事に関しては興味を示す質なので、
 知識の管理や記録などの方面には少なからず興味を持っていた。

 有り体に言えば資料館の管理人や、情報の記録員に向いた性格なのだ。

 だからこそ、扱える知識や情報の多い上級公務員で、
 さらにその事務方を目指そうと言う考えなのだろう。

 だが、興味のベクトルが結果の記録に留まらなければ、
 雅美は実に地道な研究者向きの性格とも言えた。

真実「本当にバラバラの進路になりそうですわね」

 先ほどまでの張り詰めた気概を感じさせない様子で、真実は肩を竦めて呟いた。

真実「私は軍か警察の前線オペレーター、佳乃は調理師、雅美は事務……」

佳乃「んで、空がギガンティック機関でドライバー……。
   ホントにバラバラだな」

 指折り数える真実に続けて、佳乃は少し残念そうな表情に微かな笑みを浮かべる。

 離れ離れは寂しいが、それはそれで面白い、とでも考えているのだろう。

 しかし、そこで空は不意に疑問を覚えた。

空「真実ちゃん、進路はオペレーターに絞るの?」

 空は小首を傾げて尋ねる。

 そう、真実はギガンティックやパワーローダーに携わる仕事を目指していたハズだ。

 オペレーターにならないとも、ドライバーになるとも言ってはいなかったが、
 どちらかだけを選ぼうとは、今までも言ってはいなかった。

真実「さすがに半年前のアレで凝りましたわ……。

   いざとなったら腰が抜けて、何も出来ませんでしたもの。
   それに魔力が低いのだから、戦闘要員は元より無理だったでしょうしね」

 真実は溜息がちに呟き――

真実「本当に……あなたの魔力と、強さが羨ましいですわ」

 ――と付け加える。

 その声音には羨望以上の敬意のような物が窺えた。

 そして、それは同時に自分が何処までも行って凡人である事に対する、
 諦めとも焦りとも憤りともつかない複雑な想いを感じさせる。

空「そ、そんな! 私なんて、これっぽっちも強くないよ!」

 空は慌ててその言葉を否定した。

 それは友人のフォローも多分にあっての事だが、
 謙遜を抜きにした自分自身への素直な所見である。

 イマジンが恐ろしい、と言う彼女のトラウマは決して消えていない。

 そんな自分が今のように戦えているのは、
 サポートしてくれる仲間達や守りたい人々がいるからだ。

空「みんながいてくれるから、それで何とか、逃げずに戦えるんだもの……」

 空は改めてその事を再確認すると、感慨深く親友達やその妹を見渡した。

真実「まったく、謙遜し過ぎと言いたい所でしたけど、
   毒気を抜かれてしまいましたわね……」

 あまりの謙遜ぶりに文句の一つでも言ってやろうと思っていたが真実だったが、
 そんな空の様子では言い返す気も削がれてしまい、肩を竦めて溜息混じりに呟く他なかった。

 空なりのフォローも含まれているので、あまり強く言い返すのも無粋との思いもあったが……。

佳乃「ま、さすがに魔力云々は百パー謙遜だけどな」

 だが、佳乃は無粋とは思いつつも、それだけは言わずにはいられなかった。

空「あぅ、それは……」

 さすがにこればかりは言い逃れ出来ず、空は言葉を濁してしまう。

 十万超を上限とした最大出力の魔力を、
 特定の条件下以外でなら際限なく使い続ける事が出来る。

 それが真なる覚醒を果たした空の魔力特性……無限の魔力だ。

 細かい技術を除けば魔力勝負だけなら世界最強。

 まさに言い逃れ出来ぬほどの“謙遜のし過ぎ”である。

空「でも、これ意外と不便なんだよ?
  閃光変換以外の属性変換が出来なくなっちゃったから……」

 空はそう言って、指先に小さな魔力の輝きを灯す。

 昼の人工太陽の下では乏しすぎる輝きだが、
 それでも爽やかな空色の輝きは十分に目にする事が出来た。

空「むぅ……!」

 空は念じるように指先の魔力に意識を集中する。

 すると、指先に灯った魔力の輝きが赤い輝きを放ち始めた。

真実「魔力の色が変わった!?」

雅美「そ、そんな!?」

佳乃「マジか!?」

歩実「?」

 真実を皮切りに雅美と佳乃は驚きの声を上げるが、
 まだ魔力覚醒を迎えたばかりで本格的な魔導の授業を受けていない歩実だけが、何事かと首を傾げている。

 魔力の色が変わる。

 これは本来、あり得ない事なのだ。

 他者の魔力に自身の波長を合わせる事は出来ても、生来の魔力の輝きを変えると言う事は不可能。

 それが、世間一般に言われている魔力の常識だ。

 だが、空はその常識を目の前で覆して見せた。

 そして、驚く真実達の前で、空の魔力は今度は深い藍色の輝きに変わる。

空「熱系変換が出来なくなると、魔力ってこうなるんだって……」

 空は肩を竦めて呟く。

 彼女としては必死に魔力を熱系変換――炎熱変換や流水変換
 ――しているつもりだったのが、魔力の色が変わる以外は何の変化も無い。

 いや、むしろ色が変わる事自体が驚天動地なのだが、
 汎用性を欠いてしまった自身の魔力にショックを禁じ得ないのだろう。

 ちなみに、この症状は空以前にこの魔力特性を持っていた人物――結も同様であった。

 無限の魔力は、それと引き換えに熱系変換の自由を奪うのだ。

 ちなみに術式を用いた魔力の変換も不可能となるため、
 空は一生涯、熱系変換の魔法を使う事が出来ない。

 それでも、以前の空では使えなかった、特別な素養や複雑な術式がなければ使えない、
 高威力の閃光変換の魔力を苦もなく扱えるようになったのだから、
 差し引きではプラスになっている部分もあった。

 まあ、それで納得が出来るか否かは本人の価値観次第だ。

真実「案外、不便な部分もあるんですのね」

 真実は驚きも醒めやらぬままと行った風に呟く。

空「まあ、上司や仲間からは、なるようにしかならない、って言われちゃったし、
  出来る事を追求して色々とやってみるつもりではいるんだけどね」

 空は小さく溜息を吐くと、気持ちを切り替えて前向きな決意を口にした。

 と、その時だ。

歩実「ごちそうさまでしたっ」

 姉達の難しい会話に割って入る事も出来ずに黙々と昼食を食べていた歩実が、
 両手を合わせて行儀良く言った。

四人「あ!?」

 そこで、空達は話に夢中になって食事がまるで進んでいない事に気付かされた。

 幼い少女を話題の置いてけぼりにしていた罪悪感もあって、四人は顔を見合わせる。

真実「あ、歩実、少しだけ待っていなさい!」

 真実は早口で言って、サンドイッチに手を付けた。

 空達も彼女に倣ってそれぞれのプレートに手を伸ばす。

 幸い、この後は動き回る予定だったので軽食ばかりだ。

 はしたない気もするが、少し急げばすぐにでも食べ終わる。

 結局、少々、忙しない遅めの昼食となってしまったが、昼食を終えた空達五人は、
 半年前に果たせなかった約束を果たすかのように、アミューズメントパークを楽しんだ。

―4―

 翌日、6月24日月曜の正午頃。
 メインフロート第二層、外郭自然エリア――

 フロート内各層には、至る所に天然の樹木が繁茂している。

 それはフロート内で暮らす人々の精神的なストレスの緩和や、
 フロート内の大気循環システムの一助など、様々な理由からだ。

 中でも、この外郭自然エリアはフロートの最も外周から最低でも三キロ、最大で五キロほどの幅で、
 ぐるりと内部の市民街区や工業区を取り囲んでいた。

 広すぎる、と言う意見もあろう。

 だが、この外郭自然エリアは、イマジンが外郭周辺の街区に出現した際、
 こちらに誘導する事で被害を抑えるための緩衝地帯でもあるのだ。

 そして、今日も外部から侵入したイマジンとの激戦が繰り広げられていた。


 鬱蒼と生い茂る森の上空スレスレの位置を、翼を広げたギガンティックが飛ぶ。

 白亜の躯体に空色の輝きを宿し、
 肩には翼、腕には爪を備えた異形の騎士――エール・ハイペリオンだ。

 その前方を、跳ね回るように走る巨大な球体。

 こちらはイマジン……アルマジロ型イマジンが変形した姿である。

 時に木々をなぎ倒し、時に木々の隙間を縫って、縦横無尽に跳ね回り続ける様は――

レミィ「ちょこまかと跳ね回って……スーパーボールか、アイツは!?」

 ――レミィの言葉通り、玩具のスーパーボールに似ていなくもない。

空「照準が……定まらない!?」

 一方、攻撃の機会を窺っている空は、あまりに軽快に跳ね回られて狙いを定められずにいた。

 エール・ハイペリオンの火力は折り紙付きだ。

 当たれば多大なダメージを与える事が出来るが、外せば周辺に甚大な被害を及ぼしてしまう。

ほのか『空ちゃん! 威力を絞ったガトリングで牽制しながら、
    イマジンをもっと外周まで追い込んでみて!』

フェイ「朝霧副隊長、弾道と出力はコチラで制御します」

 通信機越しのほのかの指示に続いて、フェイが淡々と言った。

空「了解ッ!」

 空は二人の言葉に頷きながら応えると、
 翼のように広げていた両肩のシールドスタビライザー下部から魔導ガトリングガンを展開し、
 跳ね回るイマジンの右側にバラ撒くように弾幕を張る。

 弾幕と言っても、ごく狭い範囲に少量だ。

 掠めたり命中した物も何発かはあったが、それ以外はイマジンの傍を通り過ぎるとすぐに霧散した。

 遅延術式である程度の距離より先は拡散して消えるようになっていたのだろう。

 威力は低いが僅かに掠める弾丸が鬱陶しいのか、イマジンは徐々に左側……メガフロートの内壁へと迫って行く。

ほのか『そこから約五キロ先に上階層に繋がる内壁通路があるわ!
    そのまま追い込んで、その中に誘導して!』

空「了解です!」

 ほのかの指示に応えながら、空は内心で“なるほど”と感心していた。

 メガフロートの内壁と外部隔壁の間には大型車輌やリニアキャリアが通れるだけの広い通路がある。

 横幅はそれなりだが、高さはギガンティックがようやく通れる程でしかない。

 ここならば、跳ね回るアルマジロイマジンの動きを幾らか制限する事が出来る。

空「フェイさん、イマジンを追い込んだらアルバトロスと分離します。
  モードチェンジに備えて下さい!

  レミィちゃん、通路に入ったらモードSで追い掛けよう!」

フェイ「了解しました、朝霧副隊長!」

レミィ「おうさっ!」

 空が仲間達に指示を出すと、フェイとレミィはそれぞれに応えた。

 そして、ほのかの目論見通り、
 内壁の際まで追い込まれたイマジンは開かれていた隔壁から隔壁内部の通路へと飛び込んだ。

ほのか『よしっ、狙い通り!』

空「アルバトロス、セパレーション!
  モードS、セットアップ!」

 ほのかの歓声を合図に、空は腰と背中のアルバトロスのパーツを分離させ、即座にモードSを起動した。

 一方、分離したアルバトロスのパーツは即座に空中で鳥型の支援機へと再合体を果たす。

ほのか『フェイ! 貴女はそのまま天井の隔壁から第一層へ!

    空ちゃん、レミィちゃん!
    イマジンは隔壁を閉じて一層の出入り口に誘導するわ!
    フェイと挟み撃ちよ!』

フェイ『了解しました、新堂チーフ』

空「了解です、ほのかさん!」

レミィ「了解! 飛ばすぞ、空!」

 ほのかの指示で、空達は順に返答しながらそれぞれに動き出す。

 空はエールSを通路に突入させると、既に先に進んでいるイマジンを追って走り出した。

 本来は枝のように多岐に分かれているハズの通路だが、
 今は殆どの隔壁が閉じられ、ある一定の方向にだけ続いている状態だ。

レミィ「作業溝の外部隔壁はブチ破ったくせに、あんな薄い隔壁は破らないんだな……」

 ゴロゴロと凄まじい速度で転がり続けるイマジンを見つつ、
 レミィは呆れ半分と行った風に呟く。

空「単に寒いのが嫌いなだけだったりして」

 空も、どこか冗談めかしたように漏らす。

 イマジンの侵入経路は既に特定されており、
 第三層と第二層の間にあるリニアトレイン用の旧外部隔壁を突き破って侵入したとの事だった。

 オリジナルギガンティックでも突き破るのが困難な外壁を突き破ったのだから、
 簡単にメガフロートの外壁を穴だらけに出来そうな物だが、
 当のアルマジロイマジンは最初の突入以外は隔壁を破っていない。

 無駄に隔壁を破る気が無いのか、だとするならどうしてメガフロート内に侵入して来たのか。

 疑問は尽きないが、イマジンの思考など分かった物ではない。

ほのか『案外、空ちゃんの想像が当たっているかもしれないわね。
    隔壁を閉じていても、熱量の高い物があるとそちらに近付こうとする習性があるみたい』

 ほのかの思案気味な言葉と共に、コントロールスフィア内に小さな立体映像のスクリーンが現れる。

 そこにはイマジンの通過経路が示されているが、その動きにはある一定の法則が見て取れた。

空「これ、発電機のタービンに近付こうとしていますね」

 横目でチラリと見遣りながら、空は微かな驚きを込めて呟く。

 魔力でエネルギーの殆どを賄っているNASEANメガフロートだが、
 旧来の電力頼りの部分も少なくは無い。

 旧来の優れた技術で、未だに魔力への転換の終わっていない分野では電力が必要だ。

 例えば医療。

 心臓マッサージには電気ショックが必要だが、
 雷電変換の術式は煩雑過ぎて緊急性や精密さが要求される医療向きとは言えない。

 そう行った分野の電力を賄うために、メガフロート各所には魔力による発電設備が存在する。

 イマジンが引き寄せられているのは、発電設備のタービンが放つ熱のようだ。

レミィ「外郭自然エリアは気温が一定に保たれて暖かいからな……。
    成る程……」

 レミィも納得したように漏らす。

空「けど、それなら市街地の方が暖かいんじゃないかな?」

ほのか『外郭自然エリアと市民街区の間には広い川があるから、
    単に濡れるのも嫌いなだけかもしれないわね、濡れたら身体が冷めるし』

 怪訝そうに漏らした空の疑問に、ほのかが思案気味に答える。

レミィ「猫か!」

 ほのかの推測に、レミィは思わず突っ込みを入れずにはいられなかった。

 確かに、濡れるのと寒いのを嫌って暖かい場所に向かうと言うと、
 真っ先に思い出すのは猫の習性だ。

空「何だか……“寒いのイヤァッ!”って叫びながら、
  隔壁を突き破って来たイマジンの姿が思い浮かんだよ……」

レミィ「ぶふっ!?」

 苦笑い気味に呟いた空の言葉に、レミィは思わず噴き出してしまう。

ほのか『何だか、そう聞くと変な親しみが湧いちゃうわね……』

 通信機の向こうでも、ほのかが噴き出しそうになりつつ呟いている。

 思わず和やかな雰囲気になりかけた、その瞬間――

明日美『作戦行動中です! 不要な私語は控えなさい!』

 それまで沈黙を保っていた明日美の一喝がコントロールスフィア内に響き、
 空とレミィは思わず肩を竦めた。

 さすがに会話の内容があまりにも戦闘に無関係過ぎたようだ。

空&レミィ「「も、申し訳ありませんっ!」」

 空とレミィは思わず居住まいを正しそうになりかけたものの、
 何とか走りながら謝罪の言葉を口にする。

 あちらでも、ほのかが“申し訳ありませんでした”と大慌てで叫んでいるようだ。

レミィ<思惑通りに動いてくれたとは言え、さすがに気を抜き過ぎたな……>

空<うん……ちょっと緊張感が足らなかったね……>

 レミィの投げ掛けた思念通話に、空も心底申し訳なさそうに返す。

空<イマジンは……しっかりと倒さないと!>

 空は改めてその決意を固めると、前方を行くイマジンを睨め付け、追撃を続けた。

レミィ<ああ、帰ったら茜達の歓迎会の準備もあるしな!>

 続けて、レミィも思念通話で小気味良い声を上げる。

 歓迎会……そう、風華達は既に派遣任務のために今朝方から出払っており、
 午後になったらやって来るロイヤルガードの面々を迎えるべく、
 空達は生活課の協力を得て歓迎会の準備を進めていたのだ。

 そこへこのイマジン出現の報せである。

空<うん! 目標地点に来たら、反撃を許さないで速攻だね!>

 空とレミィは視線を交わしながらも、次第に急になって行く坂道を駆け上がる。

 どうやら倉庫区画や発電所区画を通り過ぎ、上層に向かう大回りの螺旋通路に入ったようだ。

 外壁と内壁の間に通された、車両用の運搬通路である。

 車両用リニアエレベーターで運行できない大規模輸送団などが使う通路だが、
 二十キロの距離で一キロ以上の高さまで登るだけあってそれなりの登坂角度だ。

 転がり続けるアルマジロイマジンの速度も僅かに落ちている。

ほのか『二人とも、そろそろよ! カウント一〇〇!』

 気を取り直したほのかの言葉と共に、邪魔にならない程度に見易い位置にカウンターが出現した。

 このカウンターがゼロになった瞬間が攻撃のタイミングと言う事だろう。

 空は改めて気を引き締め直し、獲物に飛び掛かるタイミングに備えて神経を研ぎ澄ます。

 あと一分半足らずで、その時が来る。

 空の脳裏にそんな考えが過ぎった、丁度その時だ。

フェイ『譲羽司令、作戦予定地点でロイヤルガード第二十六独立機動小隊と合流。
    先方より支援の提案を受けています』

空「!?」

 フェイからの不意の通信に、空は驚いて目を見開く。

 第二十六独立機動小隊と言えば、
 丁度これから迎え入れる予定のロイヤルガードからの応援部隊だ。

 オリジナルギガンティックを運用している部隊同士、
 イマジンに関する情報は共有している物も多い。

 おそらく、ロイヤルガードもその共有情報に従い、
 フェイに先んじて作戦予定地点で部隊を展開していたのだろう。

明日美『……提案を受け入れましょう。
    新堂チーフ、先方に作戦概要の転送を』

ほのか『……了解しましたっ!』

 僅かな思案の後、そう決断した明日美の指示に従い、
 ほのかもどこか意味ありげに応えたようだ。

エミリー『第二十六小隊と司令部の通信を、01Sと同期します』

 続けて、エミリーの言葉と共に、外部部隊との通信がオンラインとなる。

?『こちら皇居防衛警察ロイヤルガード、
  ギガンティックウィザード第二十六独立機動小隊隊長、本條茜だ』

 すると、通信機を解して凛とした少女の声がスフィア内に響く。

レミィ「茜! 一年ぶりだな!」

 その声に聞き覚えがあるのか、レミィが驚きと喜びの入り交じった声を上げる。

 さすがに七年も機関に在籍しているだけあって、レミィは先方との面識があるようだ。

 そして、この声の主こそが――

空(茜さん……)

 ――本條茜、その人。

 思いも寄らぬ通信機越しの初対面に、空は緊張で息を飲む。

茜『レミィか?
  ……旧交を温めるのは後だ、今はイマジン撃破を優先しよう』

 対する茜も、どこか嬉しそうな声で返す。

空「こちら、ギガンティック機関前線部隊副隊長、朝霧空です!
  ご協力に感謝します、本條小隊長!」

茜『朝霧……そうか……君が海晴さんの……』

 初めて声を交わす、緊張でやや上擦った空の声に、
 茜は少し驚いたような声を漏らす。

 最初は上擦った声に驚いている物と思ったが、
 血は繋がらないとは言え、空は海晴とよく似た声だ。

 聞き覚えがあるなら驚くのも無理は無いだろう。

茜『そのまま隔壁からイマジンを追い出してくれ。
  こちらの連携をお目に掛けよう』

 だが、茜はすぐに気を取り直し、そう言って来た。

 空は一瞬、拍子抜けしたような驚きの表情を浮かべる。

 しかし、すぐに深く頷く。

 以前の空なら、意地でも自分たちの力でイマジンを倒していただろう。

 だが、今の空は違う。

 今の空の戦う理由は、イマジンへの復讐ではなく、多くの人々を守る力となる事。

 その目的に力を貸してくれる人々は、皆、自分の大切な仲間だ。

 まだ出会う前とは言え、その仲間が自分達に任せてくれと言うのだから、
 それを信じて協力するのが正しいやり方だ。

空「はい、お願いします!」

 そんな思いを込めて、空は明るい声で返す。

 そんなやり取りをしている間にも、カウンターは刻一刻とゼロに近付いて行く。

空「レミィちゃん、カウントが三になった時点でブースター全開!
  膝蹴りで一気に外へ押し出すよ!」

レミィ「了解だっ!」

 空の指示にレミィは深く頷く。

 既に坂は終わりを告げ、今走っているこの緩やかなカーブを過ぎれば、
 後は第一層へと出る最後の隔壁へと通じる直線だ。

 そして、その時が来た。

 カーブを通り過ぎ、出口、イマジン、そして、エールSが一直線に並ぶ。

レミィ「フレキシブルブースター、最大出力………行くぞ!」

空「お願いっ!」

 レミィの合図と同時に、空は全速力で駆け出した。

 一気にイマジンへと肉迫し、全力の魔力を込めた膝蹴りでイマジンを真っ直ぐに押し出す。

 これでイマジンが待ち伏せに気付いても、すぐには方向転換が出来ないハズだ。

 直後――

茜『総員っ! ってえぇぇっ!』

 茜の砲声のような号令が響き、隔壁の左右と上方の三方から、
 隔壁よりも離れた位置に飛び出したイマジンに向けて十字砲火が放たれる。

 ゴールライン――隔壁の出入り口――を切った空達は、
 イマジンを蹴り出した反動で急制動をかけて立ち止まり、その光景に目を見張った。

レミィ「ロイヤルガード仕様の391改だ!
    エース用の最新型が三機も!?」

 咄嗟に左右と上方を見渡したレミィが驚きの声を上げる。

 空もレミィの声に従うように視線を向けた。

 すると、エールSの左右と真上に、
 エールと同等のサイズの三機のギガンティックの姿があった。

 どれも白を基調に黒く塗られた肩や足、
 胴体のコントラストが鮮やかなポリスカラーで塗られたギガンティック達だ。

 GWF391改。

 山路重工が今年になって発表した、最新型のギガンティックウィザードだ。

 愛称はアメノハバキリ。

 それまでのベストセラーである370型エクスカリバーシリーズを凌ぐ、
 当代最高の傑作機との呼び声も高い高性能機だ。

 その改型……つまり、よりピーキーなチューンを施されたエース用の改修機である。

 軍でもまだ二十機しかない機体。

 それが三機ともなれば、レミィが驚くのも無理は無い。

 左右の二機は内壁を背にマシンガンを構え、
 上方の一機は上空で完全に静止した状態で、両手に構えたショートバレルライフルを連射している。

 統率の取れた見事な、そして上方の一機は針の穴を通すような精密さで、
 イマジンの身体を掠めるような弾道の牽制弾を放っていた。

 最初は最新鋭の機体と、そのドライバー達が見せる見事な射撃技術に、
 レミィ同様に目を奪われていた空だったが、すぐにその視線は正面のイマジン……
 そのさらに向こうにいるギガンティックへと吸い込まれるように奪われる。

 他の三機と同じく、白を基調に漆黒に塗られた各部のコントラストが美しい、
 黒い騎士を思わせるような流麗な姿に、茜色の魔力の輝き――ブラッドラインが走る機体。

空「あれが……202……クレースト!?」

 機関に入隊して以来、初めて目にする、現在稼働中のオリジナルギガンティック最後の一体。

 その姿に、空は感嘆とも取れる驚きの声を上げた。

?????『行ったぜ、お嬢!』

 上空の機体から声が飛ぶ。

 すると――

茜『作戦行動中はお嬢と呼ぶな、アルベルト!』

 正面の機体……クレーストから、怒ったような呆れたような茜の声が聞こえた。

イマジン『KYUUUiiiiiiッ!?』

 一方、堪らず正面に逃げるしかなかったアルマジロ型イマジンは、
 そのままクレーストに向けて突進する。

 逃げ惑うイマジンだが、その全力の体当たりは外部の隔壁を突き破るほどの破壊力だ。

 いくらオリジナルギガンティックと言えど、真正面から直撃を受けては破壊されてしまう。

空「危ない……!?」

 その光景に、空は思わず声を上げる。

 だが、クレーストは両腰に提げられていたブレードラック――
 要は巨大な鞘だ――から、長短二刀の巨大な太刀を抜き放つ。

 日本刀を思わせる美麗な刀身に走る茜色の輝きは、
 その刀身にブラッドラインが走っている事が一目で分かった。

 ブラッドラインを持つ太刀と小太刀。

茜『崩天・雷刃……昇舞・氷牙……!』

 そして、静かな茜の声と共に、太刀に茜色の電撃と小太刀に茜色の凍気がまとわりつく。

空(術式無しの雷電変換と氷結変換……熱系特化の魔力特性!?)

 空がその事実に気付いた瞬間、クレーストの眼前にアルマジロイマジンの渾身の突撃が激突する。

 だが――

茜『本條流魔導剣術奥義、壱ノ型改!
  天舞・崩昇! 雷刃氷牙ノ型っ!』

 イマジンの向こう側……クレーストから茜の声が響き渡った瞬間、
 茜色の氷柱が上空高くへと伸び上がり、イマジンをその場に氷漬けにした。

 さらにその直後、茜色の落雷が氷柱を襲う。

 巨大氷柱は落雷と共に砕け散り、
 砕けた氷柱の中から真っ二つに叩き割られたアルマジロ型イマジンが現れる。

 真っ二つになったイマジンは、最初の突進の速度を大幅に削られ、
 クレーストの左右に吹き飛びながら転がった。

茜『…………成敗!』

 自身の後ろにまで転がったイマジンの亡骸を見る事もなく、
 クレーストは主の声と共に二刀を鞘に収める。

 それと同時に、真っ二つになったアルマジロ型イマジンはそれぞれに霧散して消えた。

?????『ヒュゥッ! さすがお嬢!』

茜『茶化すなアルベルト……』

 上空から降り立った寮機のドライバー――アルベルトと言うらしい――に囃し立てられ、
 茜はやはり怒ったような呆れたような、だが先ほどよりも多分に呆れたような声で漏らす。

空「す、凄い……太刀筋が……分からなかった……!?」

 だが、一方で空は、仲間が収めた勝利の余韻に浸る事も無く、
 ただ愕然と漏らしていた。

 イマジンが影になっていたからとか、氷柱に隠れていたからとか、
 そんなレベルの話ではない。

 完全にイマジンはクレーストに激突していたと思わせるタイミングだった。

 にも拘わらず、クレースト……
 茜は氷結変換された魔力の太刀を、あの瞬間に繰り出していた。

 故に、空は太刀筋が“見えなかった”のではなく、“分からなかった”と言ったのだ。

 風華やレミィと組み手を繰り返し、
 最近は何とか二人の動きを目で追えるようになって来た空だったが、
 あの一瞬の太刀筋を見切る事は出来なかった。

 空がその事に愕然としていると、
 不意にクレーストのブラッドラインが鈍色となり、胸のハッチが開かれる。

レミィ「空、私達も顔を見せるぞ」

空「え!? あ、うん!」

 レミィの提案に、空は驚きながらも頷く。

 相手が顔を見せるのに、こちらが顔を見せないのはいくら何でも失礼だ。

 そう考えて空はエールを跪かせ、
 少しでも安全な高さまでハッチの高度を下げてからシステムを切る。

 同じコントロールスフィア内に立体映像で映し出されていたレミィの姿が消えた事を確認し、
 空はハッチを開いて外に進み出た。

 丁度ハッチ前に出させたエールの掌の上に乗ると、上からレミィが飛び降りて来る。

 どうやら肩側から回って来たらしい。

空「レミィちゃん」

 飛び降りて来たレミィに、空は微かな驚きの声を上げる。

 だが、レミィはすぐに視線で前を向くように促し、
 空もそれに従って前――クレーストのハッチを見上げた。

 すると、上下に開いたハッチの下部フラップへと、
 ゆっくりとした足取りで、一人の少女が進み出て来る。

 鴉の濡れ羽色と言う言葉がしっくりと来る漆黒の長髪を後頭部で無造作に纏めた、
 青みを帯びた深い緑色の瞳をした美しい少女だ。

 身に纏う漆黒のドライバー用インナースーツは、
 名家の令嬢に相応しい白い肌と相まって愛機同様の絶妙なコントラストを生み出している。

 循環する大気の風に煽られた横髪をかき上げる様すら美しく、
 思わず“姫”と言う単語を思い浮かべないでもない。

空「あの人が……」

レミィ「ああ、アイツがこれから私達に協力してくれる……本條茜だ」

 その一挙手一投足に思わず見惚れていた空に、
 レミィは久しぶりの仲間との再会に、どこか嬉しそうな様子で語る。

空「茜さん……」

 空が、既に何度か見聞きしていたその名前を反芻すると、
 こちらに気付いた茜が、凜とした表情に微かな笑みを浮かべた。


第13話~それは、凛々しき『双刀の鉄騎』~・了

今回はここまでとなります。
次回は茜の生い立ちやら、第二十六小隊の面々の紹介やらが主な内容になるかと思われます。

このSSまとめへのコメント

1 :  SS好きの774さん   2014年06月26日 (木) 23:04:36   ID: JdQKcMAk

スレが落ちてしまっていますが、続きはあるのでしょうか?

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