伊織「アンタ、こんな所で何やってんのよ!」 (166)

既に書き溜め終えてるので、たんたんと投下して行 きます。




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いつも通りの、ある日。
いつも通りの事務所。

少しだけ違ったのは。

午前十時になっても
プロデューサーが事務所に来なかったって事。

最初はプロデューサーが寝坊なんて珍しいって
みんな笑ってた。

律子だけはプリプリ怒ってたけど 
みんな、どこか楽観してた。

だけど昼になっても何の連絡も無くて
みんな、おかしいと騒ぎ始めた。


小鳥が何度かアイツの
携帯電話や自宅に電話しても不通のまま。

まさか事故に巻き込まれたんじゃ……。
なんて雪歩が言うもんだから、そこからは大騒ぎ。

事故に巻き込まれた人が居ないか
近辺の警察に確認するも該当無し。

みんな、押し黙って
手掛かりが無いかテレビのニュースを観てた。

不安だけを募らせて
気付けば時刻は午後七時。

アイドルのみんなは帰りなさいと促され
不満を漏らしつつ帰宅した。


次の日の朝。

プロデューサーは暫く休むらしいと
社長から報告された。

みんな、思い思いにプロデューサーの事を口にする。

ただの休暇にしては急過ぎる、とか。
このまま事務所を辞めてしまうんじゃないか、とか。

私は今まで築き上げてきた
信頼関係を蔑ろにされた気がして。

一方的な事後報告に腹を立て
その日はレッスンすら、ままならなかった。


更に次の日。


小鳥や社長に有志一同が詰め寄った。

ほとんど全員だったけど。

結果は、知らないの一点張り。

不安が芽を出し始める。

いったい何だって言うのよ。

今すぐ帰って来たら
少しはワガママを控えてあげても良いわよ?

この時は、そんな軽口を叩く余裕もあった。


プロデューサーが事務所に来なくなってから一週間。


どんよりした空気が事務所に蔓延し
イライラに拍車を掛ける。

やよいにキツく当たってしまう時もあった。

レッスンをサボった事もあった。

その度に、プロデューサーの所為にして。

最後は決まって
早く帰って来なさいよ、ばかっ。で締め括った。


プロデューサーが事務所を休んで八日目。


社長室から、こちらを手招きする小鳥を見つけた。


伊織「あら、社長は居ないのね?」

小鳥「社長が留守だから、ここを使わせて貰うことにしたの」

伊織「それで何の用?」

小鳥「プロデューサーさんの事、なんだけど……」


伊織「裏切り者の事なんか今更、興味無いわ?」

小鳥「伊織ちゃんだけには伝えなきゃって思って……」

伊織「聞きたく無い」

小鳥「伊織ちゃん……」

伊織「どうせ事務所を辞めるって事なんでしょ?」

伊織「そりゃ、そうでしょうよ」

伊織「ワガママばかり言うアイドルの世話なんて────」


伊織「私なら願い下げだもの」


小鳥「プロデューサーさんの休暇に伊織ちゃんの事は関係無いわ」

伊織「はっ。どうだか……」

小鳥「プロデューサーさんは今、ここに居るの……」


差し出されたメモには
どこかの住所と大学病院の名前。

早く会いに行ってあげて。

小鳥はそれだけを言うと、さめざめと泣いた。


メモを握り締め、事務所を飛び出す。

何なのよ。

おおかたどこかで躓いて
その拍子に骨折でもしたんでしょ?

ドジなんだから全く。

まあ、担当のアイドルとして
握り拳くらい、お見舞いしてあげるわ。

病院に向かうタクシーの中で強がったけど
不安の芽は、どんどん大きくなっていった。


辿り着いた病院の受付窓口。


説明すら、もどかしくて
足踏みをしてると背中から声を掛けられた。


「あれっ? 君は確か水瀬さんの所の……」


振り返ると、目の前に居たのは
どこか見覚えのある白衣を着た男。

あぁ、いつかの水瀬財閥主催のパーティーで
挨拶に来た、医者Aね。

名前は覚えて無いけど
何かの病気を研究してる、とか言ってたかしら。


医者「お嬢さんはアイドルをされていたんでしたっけ?」

伊織「え、えぇ。そうなんですの。オホホ」


どこぞの令嬢のような言葉使いが
自らの寒気を誘う。

だいたい、医者Aと
和やかに喋ってる場合じゃないっていうのに。

はっきり言って邪魔よ、医者A。

うちの真みたいに実力行使で黙らせてやろうかしら。


医者「誰かのお見舞いですか?」

伊織「私が所属してる社員がこちらで入院してると伺いまして~」


語尾を延ばしながら
自分の頬に手を当てがって気付いた。

まるで、あずさの真似してるみたいね。これ。


医者「社員……あぁ、彼の面会に来られたのですか」

伊織「あら、ご存知なんですか?」

医者「えぇ、私が受け持っている患者さんです」

伊織「うちの者が、ご迷惑をお掛けしてすいません」

医者「いえいえ」

医者「それにしても、お嬢さんの……そうでしたか……」

伊織「……? どうせ、骨折くらい、なんですよ、ね?」


どうにも歯切れの悪い言い方をされ
普段なら、すらすら出てくるはずの敬語も覚束ない。

胸ぐらに掴み掛かりたくなる衝動を
必死で抑えた。


医者「彼に会う覚悟はありますか?」


不安の芽から、花弁が顔を覗かせた。


恐る恐る頷き
案内されるがまま長い廊下を歩く。

突き当たりまで来たところで
出迎えてくれたのは電子制御されたドア。


伊織「指紋認証なんて、随分と大仰だこと」

医者「一応、研究所ですからね」

医者「その為のセキュリティと言った所でしょうか」

伊織「いつだったかお会いした時……」

伊織「そんな話をしていらしたわね」

医者「覚えていてくれたんですか。光栄です」

伊織「も、物覚えには自信がありますのよ。おほほ……」

医者「それではお嬢さんの指紋も登録しておきましょうか」

伊織「どうして?」

医者「いつでも僕のラボに入れるように、です」

伊織「別にアナタと一緒なら、入れるんじゃ?」

医者「僕が居ない時に来る事も、あると思いますよ?」

伊織「勝手に入って良いって事かしら?」

医者「そういう事です」


伊織「それは光栄だこと」


医者「それでは、ここに指を当てて下さい」


指された場所に人差し指を当てる。

少しの間を置いて
ピッと電子音が鳴ると同時にドアが開いた。

薄暗い通路を歩きながら
ガラス戸の部屋を覗き見ると機械ばかり。

病棟というよりは実験棟と言った方が
当てはまる気がした。


医者「ここが、彼の居る治療室です」


通されたガラス戸の向こうは
またガラス張りの部屋があった。

治療室って言うより、動物園の飼育部屋みたい。

ゆっくりと、ガラスで仕切られた
治療室に近づく。


まず最初に目に付いたのは
所狭しと配置された様々な機械。

次に、白いシーツが張られたベッド。

その上には薄っぺらい掛け布団。

そして、ショーケースのような檻の中。

ベッドと布団に挟まれた、探し人を見つけた。

私のワガママを困りつつも
いつも聞いてくれた優しいプロデューサー。

まるで、すやすやと眠ってるみたいに。

だらしなく開いた口からヨダレを垂らし
朧気な眼で虚空を見つめていた。


伊織「なによ、これ……」

伊織「この間まで、ちゃんと働いてたじゃない!」

伊織「アンタ、こんな所で何やってんのよ!」


言い終えるよりも早く
分厚いガラスを力任せに叩く。

ドン。

それなりの音がしたはずなのに
無反応なアイツに腹を立て、もう一発。

ドン。

さっきよりも響いたはずの音は
私の右手に痛みだけを残した。


焦点の合ってない目、閉まりの悪い口元。

必死に面影を探しても
どこにも元気なプロデューサーの姿は無くて。

目の前には、ただ廃人のような患者が一人。

言葉の変わりに
胃液だけが口から飛び出しそうだった。

変わり果てたアイツの姿は
私の心を打ちのめすには充分過ぎて。

ギリギリのところで
制御した感情が治療室の中を漂った。


医者「彼は一週間前から、ここで治療をしています」

伊織「一週間前から……?」

医者「突然道端で倒れ、うちに運び込まれてきました」

伊織「そんな……!」

医者「様々な検査の結果、内因性の変性疾患と診断され、ここに」

伊織「治るの……よね……?」

医者「未だ、有効な治療法は見つかってません」


伊織「それって────」

医者「この病気は脳に影響を与え……」

医者「発症者は異常な言動を取るようになります」


医者「何か心当たりは?」 


異常な言動……。

思い返せば今から丁度、一ヶ月前。
何気なく会話を交わしたあの時。

既にコイツの身体は
病魔に浸食されていたのかも知れない────。


P「メロンパンとか食べるのか?」


仕事までの待ち時間。
斜め読みしていたファッション雑誌に落ちた影。

顔を上げると、目の前にプロデューサーが居た。

ワンテンポ遅れで
話しかけられていたのが自分だと気付く。


伊織「メロンパン?」

P「ああ、うん……」

伊織「別に、嫌いじゃないけど……差し入れでもあるの?」

P「あ、いや、そういうわけじゃ無いんだけど……」

伊織「…………?」

P「その……そんな庶民的な物も食べるんだな」


気まずそうに頭を掻いた
アンタを見上げたまま。

最初の質問の意図を図りかねた私は首を傾げる。

端から見れば、おかしな構図だったに違いない。


伊織「アンタねぇ、いくら私がお嬢様だからって」

伊織「普段食べてる物なんて、みんなと変わらないわよ?」

P「そう、なのか」


伊織「菓子パンも食べるし、スナック菓子だって好きよ」


ポテチくらいしか食べたこと無いけど……。

みんなと買い食いした
ポテチの味を思い出して思わず生唾を飲み込む。

これじゃまるで、おにぎりを前にした美希みたい。

そんな事を考えてたら事務所に春香が帰ってきた。


春香「ただいま戻りましたー」

伊織「あら、お帰り春香」

春香「あ、丁度良かった!」

春香「プロデューサーさんに聞きたい事があったんです!」

P「………………」

春香「今、大丈夫ですか?」

P「………………」

春香「あの、プロデューサーさん?」

P「………………」

伊織「ちょっとアンタ、何ボーッとしてるのよ?」

P「えっ…………?」


伊織「春香が話しかけてるじゃない!」

P「春香……? あ、スマン!」

春香「い、いえ!」

P「本当にスマン! それで、何だっけ?」

春香「いえ……大した事じゃないんですけど……?」

P「あぁ、そうか…………」

春香「お疲れみたいなので、明日にでも、また聞きますね!」

P「あぁ、うん」


春香「そ、それじゃあ私はこれで帰ります」

P「おぉ、お疲れ様…………」


────この時は気にも止めなかった。


本当に疲れてるんだと思ったし
実際、アイツは多忙だったのだから。


だけど、これは兆しだったのね。


また、別のある日。


プロデューサーが無断欠勤をした日から
遡って、二週間前って所かしら。


また唐突に切り出された。

P「素昆布食べる?」

伊織「はぁ……?」

P「素昆布は好きじゃないのか?」

伊織「好きとか以前に、まず食べた事が無い……わね」

P「そっか……」


それからは、ほぼ毎日
ことあるごとに、この食べ物は好きか?

この食べ物を食べたことはあるか? と聞かれ続け。


プロデューサーが事務所に来なくなる一週間前。


私はついにキレた。


伊織「だから、なんでいつも食べ物の話ばかりしてくるのよ!?」


P「えっ!? あ、いや、すまん……」

伊織「そんなに私の食生活に興味があるの?」

P「いや、そう言うわけじゃ……」

伊織「なんなら、これまで食べてきた物を書き出しましょうか?」

P「そ、そんなに怒らないでくれよ……」

伊織「はあっ………アンタ、最近なんだか変じゃない?」

P「そうかな……へへへ……」


伊織「…………もう、良いわ。叫んだら喉が渇いた」

P「ミネラルウォーターならあるけど?」

伊織「オレンジジュースが飲みたい」

P「す、すまん! すぐに買って来るよ……」


伊織「まったく……」


伊織「こんなに謝ってばっかりのヤツだったかしら?」


慌てて事務所から出て行く背中を見ながら
そう呟いたのを覚えてる。

むしろ、いつも私が言う前に
オレンジジュースを用意してくれてた。

まあまあ使えるヤツだと思ってたんだけど。


これも、きっと病気の所為だったのね────。


過去を振り返り終わった私は
病院の屋上から遠くのビルを眺めていた。

遠くに見える街並は、いつもと何も変わらない。

虚構の様な現実と、日常の境目。

つい数時間前は、あちら側に居たはずなのに
今となっては、あの日常が懐かしい。


笑っちゃうくらいに、残酷な日常。


それを知ってしまった私はどうすれば良い?


教えなさいよ。


プロデューサー……。


黄昏れる私の後ろから
誰かの手が延びてきてハッと振り返る。

缶コーヒーを二つ持った医者Aが
心配そうな表情で立って居た。


医者「良かったら、コーヒーどうぞ」

伊織「……あとで戴くわ。それで、アイツはどうなるの?」

医者「彼の呼吸器系は、まだ健全に活動していますが……」

医者 「いくつかの臓器は既に意味をなしてません……」

医者「いずれは、心臓や肺も……」

伊織「……っ!」

医者「どこに行かれる、おつもりですか?」

伊織「今すぐアイツをひっ叩いて起こしてやるのよ!」

医者「ちょっと、まだ話は終わって────」


……………………………………………………………………………………………………………………………………


伊織「アイツが病気? そんなのやっぱり冗談よ!」


ついこの間までは、ピンピンして笑ってたじゃない!

何一つ、約束も守らずに呆けてんじゃないわよ!

この伊織ちゃんが頬の一つでも叩けば、きっと────


伊織「きっと、目を覚ましてくれるんだから!」


指紋認証をしながら足踏みをする。

息を整える時間すら惜しみ
飛び込んだガラス張りの治療室。

さっきはアイツしか居なかったのに
驚いた顔をした看護士が居た。

訝しげな視線をくれた看護士に
一瞥して呆けたままのアイツに跨がる。


看護士「ちょっと、あなた!? 何してるの! 」


伊織「見たら分かるでしょ!」

看護士「患者さんに跨がるなんて止めなさい! 」

伊織「コイツが起きたらすぐに退いてあげるわ !」

看護士「何を言ってるの!」

伊織「私だって、こんな腑抜けに跨がりたくなんか無いわよ!」

看護士「じゃあ、今すぐに患者さんから降りなさい!」


乱暴にベッドから降ろされそうになり
必死にプロデューサーの胸にしがみついた。


伊織「離して! ビンタの一発でもすればコイツは絶対に起きるの!」

看護士「あなた、自分が何してるか分かってるの!?」

伊織「───っ!? 分かってるわよ!」


伊織「このバカは、私の大切な───」


大切なプロデューサーの胸元からは
沢山のコードが延びていた。

そのコードを辿ると
ベッドの横に置かれた様々な機械へと繋がっている。



『彼の呼吸器系は、まだ健全に活動していますが……』

『いくつかの臓器は既に意味をなしてません…… 』


高ぶった感情が別方向から掻き乱され、上手く呼吸が出来ない。


胸が。


心が。


安物のベッドみたいにギシギシと音を立てた。


看護士「酸素マスクをしてないから、マシに見えるかもしれないけど」

看護士「もう、自分の意志では手ですら、ほとんど動かせないのよ……」

伊織「コイツは……私の……」

看護士「それは解ったから、ほら退いて」

伊織「大切な……ぐすっ……」


看護士「彼の命を繋ぐ機器に異常が無いか確かめるから────」


命を繋ぐ。


その言葉だけがぐるぐると頭の中で渦を巻く。


そっか。


このままどんどん症状が悪化して。


このバカ、死んじゃうんだ。


医者「────やれやれ……患者さんに随分と乱暴なさったようですね」

看護士「先生……!」

伊織「…………」

看護士「すいません……。私の責任です」

医者「患者に何かあったら、それは医者である僕の責任です」

看護士「……機器に異常は無かった事が不幸中の幸いでした」

伊織「……がい……ます……」

医者「……?」

伊織「お願いします……このバカを…………」


私の涙が、私の邪魔をする。
それでも、恥も捨てて、ただすがった。


伊織「どうか助けてあげて下さい……っ!」

看護士「あなたは、患者さんの妹さん?」

医者「いや……彼女と彼は、ただの仕事のパートナーだよ」

伊織「っ……………」


そうよ。


確かにアイツから見たら私なんて
大勢いるアイドルの内の一人かも知れない。

だけど……私に取ってアイツは────。


伊織「たった一人しか居ない、私のプロデューサーなの!」


伊織「何でもするから、どうか……私の大切な人を助けて……っ!」

医者「…………最善は尽くすつもりです」

伊織「こうやってただ、命を繋ぐ事が最善なの?」

医者「…………」

伊織「この私が何でもするって言ってるのよ?」


伊織「今すぐコイツを起こして!」


子供滲みたワガママだって分かってる。


私のワガママは誰にも聞き届けて貰えない 。


だって。


私のワガママを聞いてくれる人は
眠ったように呆けてるんだもん。

それでも、誰かに頷いて欲しくて
何度も懇願する。

産まれて初めて下げた頭は
空っぽなんじゃないかと思うほど軽かった。


ピ。

ピ。

ピ。


一定のリズムで脈打つような
機械音だけが、ガラス張りの治療室のBGM。

メトロノームのような
命のリズムに合わせみっともなく請い願う。

自分の目から見ても
滑稽な光景だと思う。

だけど、何度も何度もお願いした。


ピ。

ピ。

ピ。

ただ漏れ続ける私の声。

ただ垂れ流される電子音のリズム。

その中に一瞬、かすれた呻き声が
混ざって聞こえ、ハッと顔を上げた。

目の前の医者と看護婦は
お互いを真似しあったように驚いている。

なぜか亜美と真美の顔が
ダブって見え、目を擦った。


二人の視線の先をゆっくりと辿っていく。




その先にはベッドの上で
アイツが空中を掴まんと手を伸ばしていた。


伊織「プロデューサー……?」

P「り………い………」

伊織「私よ! 私の声が聞こえるのね!?」

P「お……り……」

伊織「そうっ! 伊織よ! アンタのアイドルの水瀬伊織よ!」

P「い……おり……」

伊織「この寝坊助! いい加減、起きなさい! さっさと帰るわよ!」

P「う……あ……」

伊織「みんな、事務所でアンタを待ってるんだから!」


精一杯伸ばされたプロデューサーの手を強く握る。

神様ありがとう。

こんな私のワガママを
聞いてくれてありがとう。

また自然に涙が溢れる。

さっきの涙と味は一緒のはずなのに
どこか甘く感じた。

これから、どんどん病状も安定して
いつか治るかもしれない。

淡い希望が溢れてくる。


とっとと帰って来なさいよ!

私をトップアイドルにするって
約束したじゃないの!

まくし立てるように
ひたすらプロデューサーに声を掛けた。

奇跡って、こんなにもありふれているんだ。

五分前よりも世界が明るく輝いて見える。



だけど…………。


獣の喉なりみたいな
このウザったい音は何なの?

プロデューサーの声が聞こえないじゃない。

ヒュゥっと何か吸い込むような
音が聞こえ、獣はカッと目を見開いた。


伊織「プロデュ──────」


私の叫び声は別の誰かの叫び声にかき消された 。




P「くぎゅうううううううううううううううう !!!!」



最初、それがプロデューサーから発せられた声だとは思わなかった。



初めて聞いたプロデューサーの叫び声は。


酷くて醜くて。


だけど、どこか。


母親におっぱいをねだる赤ん坊の泣き声に似ていた。


医者「まさかここまで釘宮病が進行していたなんて!」


伊織「釘宮……病……?」


看護婦「危ないから、その人から離れて!」

伊織「えっ───痛っ!?」


右手に激しい痛みを感じて
咄嗟に手を振り払うと床に血が垂れる。

恐る恐る右手を見ると
手の甲に付いた爪痕から血が流れ出ていた。


未だ、獣の遠吠えのように叫び続けるプロデューサー。

私は、狼に睨まれた野兎のように
後退りし、ペタンと尻餅を付いた。

足はガクガクと震え、動悸は早くなるばかり。

慌てて左手で傷口を押さえるも
指の隙間から赤黒い血が滲み出す。

傷口はジンジンと痛み、血は止まらない。


だけど何故か流れてる血が
自分のものだとは思えなかった。


医者「人を呼んで来てくれ! 鎮静剤の用意も !」

看護婦「はい!」


バタバタと暴れるプロデューサーを
必死に医者が押さえてる。

バタバタと人が入ってきて
私は治療室から追い出された。


いったい何なのよ?


やっとプロデューサーが起きたのに。


あんなに元気に泣いてるのに。




ふふふ……あはは、ははは。


どんどん眩しくなる私の世界。

何て綺麗な輝きなのかしら。

遠くから私を呼ぶアイツの声が聞こえた気がする。

早く行ってあげなくちゃ。

だけど、眩しくて、何も見えないの。

もっと大きな声で私を呼んでよ。

白いモヤの中で手を
バタつかせてみると見えない何かが私を邪魔する。


そっか。


檻に閉じ込められた獣は、私だったのね────。


……………………………………………………………………………………………………………………………………


気が付くと
カーテンレールで仕切られた天井を見上げていた。

見上げてるって事は、私は今、仰向けで寝てるのね。

徐々に意識がハッキリとしてくると
消毒液の匂いが、やけに鼻をついた。

ぼんやりした頭で何が起こったのか考えてみる 。


さっき起こった事は本当に現実だったの?

もしかしたら夢だったんじゃないのかしら?


そうよ。


きっと私は交通事故にでも巻き込まれたのね。

そして今日まで、ずっと意識不明だったに違いない。

ついて無かったわね、私。


そうよ。


今までの事は全て夢だったんだわ。


プロデューサーが事務所を休んだのも夢。

プロデューサーが入院したのも夢。

プロデューサーが叫んでたのも夢。

だいたいアイツが獣みたいに叫ぶわけ無いもの 。

アイツは優しくて

人畜無害で

誰も傷つけたりしない ────。


無意識に右手をさすり
私はぎゅっと目をつぶった。


しっかりと巻かれた包帯に滲んだ
赤黒いシミを見ないように。


誰か、側に居ないのかしら。

声を出そうとして
自分の置かれてる状況を理解した。

喉はカラカラで
大きな声を出そうとすれば、かすれる。
起き上がろうとすれば頭がズキズキ痛む。

ふて寝でもしてやろうかと考えた時
カーテンがサッと開いた。


看護士「良かった。気がついたみたいね?」

伊織「ここ、は……?」

看護士「ここは病室。今、先生を呼んでくるから待ってて」

伊織「あ、その前に、水が欲しいんだけど……」


砂漠で遭難した人じゃ、あるまいし
水……って 。

思わず自分でツッコミを入れる。

看護士は笑いながら
ミネラルウォーターを差し出してくれた。


一気に飲むと気分が悪くなるかもしれないから
少しずつ飲んでね?

そんな忠告を残し、部屋から出て行った看護士。

周りに誰も居ないのを確認して
急いでミネラルウォーターをコクコクと飲む。

あまり冷たくないけど
今まで飲んだ水の中で一番美味しく感じた。


…………だから遭難者か、っての!


空になったペットボトルを
ベッドに投げ捨てながら忠告を思い出す。



そう言えば、一気に飲んじゃダメだったんだ、と。



一人でボケたりツッコミ入れたりしてたら
病室に医者Aが入ってきた。


医者「お嬢さん、ご気分は如何ですか?」

伊織「最悪ね」

医者「それは飲み物のせい? それとも、精神的にですか?」

伊織「両方。だいたい、水は……喉が渇いてたから仕方無いじゃない」

医者「それは、仕方無いですね」

伊織「あら、なかなか話が分かるのね」

医者「患者のワガママを聞くのも医者の仕事ですからね」

伊織「私のワガママは聞いて貰えなかったけど?」


医者「ははは。その事なんですが少し、お話しても? 」

伊織「手短にお願い」

医者「残念ですが、彼の症状は末期まで来ています」

伊織「……いきなりパンチが効いてるわね」

医者「包み隠さずが、私の診療方針ですから 」

伊織「まぁ良いわ、続けて?」

医者「まずは彼が、罹ってしまった病気について説明します」

医者「内因性変性疾患、もしくはウィルス過敏性大脳皮膚炎」


医者「俗に言う釘宮病です」

伊織「そもそも、その、釘宮病ってどんな病気なの……?」

医者「釘宮病は、まだ全く解明されていないんですが……」

医者「特定の周波数を聞き続けると発症する……と言われてます」

伊織「音ってこと?」

医者「はい。そして、S型、L型、N型など様々な症例がありますが」

医者「多くは性的嗜好が変化し、幼い少女を好むようになります」


伊織「……ロリコンになっちゃうって事?」

医者「ロリ……まぁそうですね。一部では少年を好む場合もある、と」

伊織「少年って……完全に変態じゃない」

医者「奇異な例としてはメロンパンや素昆布からの発症もあるとか……」

伊織「メロンパンや、素昆布……」

医者「おや?」

伊織「あ、いえ、気にしないで、どうぞ続けて?」

医者「この病気の恐ろしい所は、症状の進行に気付かない所です」


医者「本人すら気付かないまま各臓器の機能が衰えて」

医者「自分の意志では手足も動かせなくなり……」

医者「最終的には、奇声を発します」

医者「先程あなたも聞いたでしょう?」

伊織「くぎゅううう……ってやつ?」

医者「はい、それが末期の症状です」

伊織「もう、どうにも出来ないの……?」

医者「その事なんですが────」


医者「先程、アナタが彼に呼び掛けた時……」

医者「彼の脳波から異常な波形が検知されました」

伊織「アイツが、ああなったのは私の所為……ってこと?」

医者「そうとも言えますが、こうも言い換えれます」


医者「彼はあなたの声に反応したんですよ」


伊織「私の、声……に……?」


医者「彼には、あなたの声が届いていたんです」


届いて、た……?

私の声が?

あんなにも変わり果てた姿になっても。

私の声だけは聞いていてくれたの?

口を開けば、ワガママばかりの私の声を?


いつだって、ワガママを押し付けて。

今日だって。

それでも。

私の声だけには反応してくれるなんて。


なんて────。


伊織「────なんて、バカなのかしら」


こんなバカな私の声だけに律儀に反応するなんて。

大馬鹿もいいところよね。

でも、良かった。

産まれてきて初めて、この声で良かったと思えた。


医者「あなたの声だけに反応する」

医者「ここに、きっと光明があるんじゃないかと」

伊織「解った。私が出来る事ならなんでもするわ」

医者「糸のように細い一縷の希望ですが、可能性はある」

伊織「上等よ! 」


どんな細い糸だって、手繰り寄せてみせる。

その先に、私の思い描く未来があるんだから。


私が居て。

アイツが居て。

みんなが居る。

これまでと変わらない日常。

これからも続いていく幸せな日常。

絶対、そこに戻ってやるんだから。


その為なら、何だってやってやるわよ────。


半年後。


律子「────伊織、亜美、あずささん。準備は良い? 」

亜美「モチのロンだよ→」

あずさ「あらあら、私のマイクはドコかしら~ ?」

伊織「あずさ、マイクはステージにセットされ てるわよ?」

律子「もう、しっかりして下さいよ、あずささん」

あずさ「すみませ~ん……」


律子「あずささんのフォロー頼むわね、亜美? 」

亜美「まっかせといて~♪」

律子「伊織は、何も考えずに歌う事だけに集中してね?」

伊織「……言われなくても、分かってるわよ」

亜美「もしかして、いおりん緊張してる?」

伊織「ぐっ……き、緊張なんかして無いわよ!」

律子「ほら、茶化さない!」

あずさ「そうよ亜美ちゃん……私達には……」


あずさ「いえ、伊織ちゃんには世界の運命が懸かっているんだから」


律子「伊織の声だけが釘宮病の症状を抑えられる……なんて、ね」

伊織「ふん。アイドルの私にはピッタリじゃない」



亜美「にいちゃんも……間に合えば良かったのにね……」



律子「ちょっと、亜美……」

伊織「………………」


あずさ「さあ、行きましょう。みんなが待ってますから」

伊織「ええ…………今は、アイツの事なんか関係無い!」

伊織「世界中で苦しむ、人に歌を届ける!」

伊織「それが今、私達のする事よ!」

律子「伊織……強くなったわね……本当に……っ…………」

亜美「おやおや~? これが鬼のメガネにも涙ってやつですかな?」

律子「もうっ、だいたいそれを言うなら────」

あずさ「そ~だ! ア・レ、やりませんか?」


亜美「ア・レ? ド・レ?」

伊織「アレ? 別に、やらなくても良いんじゃない?」

律子「やるならやるで、ぱぱっと済ませちゃいなさいよ」

伊織「ちょっと私は、やるなんて言ってな────」

あずさ「さあ、伊織ちゃんも亜美ちゃんも手を出して」

亜美「ほいほいっと」

伊織「………………」

律子「ほら、時間無いわよ?」


伊織「あぁ、もう! 仕方無いわね。じゃあ行くわよ?」


伊織「竜宮小町───っ!!」


「「「「お───っ!!」」」」


亜美「んじゃ亜美、先に行ってくんね!」

あずさ「じゃあ私も。ステージで待ってるわね?」

伊織「あっ、えぇ…………」

伊織「…………」


律子「まさか、怖じ気づいたの?」

伊織「……うっさい」

律子「あら、やだ怖い」


伊織「いきなり、全世界同時中継なんてバカげてると思わない?」


律子「それこそ、今更な話じゃないかしら?」

伊織「ぐっ……」

律子「伊織は今まで頑張ってきたじゃない。自信持ちなさいよ」


伊織「もしかしたら、私の声が病気に効かないかもしれないし……」

律子「臨床試験では、ちゃんと効果が出てたじゃない」

伊織「それは、そうだけど……」

律子「はいはい、ごちゃごちゃ言わず、さっさと歌って来なさい」

伊織「でも…………」


律子「プロデューサーにアンタの想いが届くように歌えば良いの!」


伊織「私の……想い……」


律子「いってらっしゃい」



伊織「いって……きます……」



ヨタヨタと歩き出し
自分の足に躓きそうになる。

春香じゃあるまいし
そう考えると、いくらか緊張がほぐれた。

あとで、春香にありがとうって
言わないといけないわね。


たくさんのスポットライトに照らされたステージ。

大勢の人の歓声を浴び
亜美とあずさが手を振っている。


私がステージの中央まで行くと
一層、歓声が大きくなった。



ねぇ。

アンタもどこかで見てるのかしら。

どこでも良いから
ちゃんと私のこと、見てなさいよね。


ばかっ。


ステージの端に居た亜美が
慌てて、こっちに駆け寄って来た。

何かを伝えたいのか
私の身体を揺すりながら叫び続けてる。

マイクを通さないと
歓声がうるさくて何も聞こえやしないのに。

聞こえない事に気付いたのか
今度は身振り手振りで何かを伝えようとしてる。

様々な方向に手が行き来してるけど
さっぱり分からない。


貴音なら「面妖な」って一言で
済ますんじゃないかしら?


亜美は諦めたのか
客席の一カ所をただ黙って指差した。

目を凝らすと、ぼんやりとしたシルエットが
はっきりと輪郭を帯びてくる。




あら?


退院には間に合わないんじゃなかったの?


ったく、病人は大人しくしとけば良いのに。

もし、この所為で退院が延びたら承知しないんだから。

とりあえず、これだけは言わせて貰うわ。



伊織「アンタ、こんな所で何やってんのよ!」



私の言葉は、たくさんの声援に掻き消されたけど。

アンタだけには、ちゃんと届いたでしょ?

にひひっ♪

                end.


以上で、投下終了です。
ここまでお付き合いして頂き、本当にありがとうござ いました。

この物語はフィクションです。

だけど、みんな気をつけてくれ。
実際に釘宮病を発症してる人は、この日本中で 何万人も居るんだ。

俺 達 の 世 界 に 伊 織 は 居 な い

だから、症状を抑えることなんて不可能なんd くぎゅうううううううううううううううううう う!!!!

皆様、良い『くぎゅう』ありがとうございました。
蛇足になるかもしれませんが、これから補足という形で少しだけ投下します。

【釘宮病患者の日記】を見つけた←NEW!

○月×日

今日、新しく入ったアイドルと初めて顔を合わせた。

彼女の名前は水瀬伊織。

かの有名な水瀬財閥のお嬢様らしく
洗練された立ち振る舞いに感心させられた。

彼女ならすぐにでもアイドルとしてやっていけそうだ。


○月×日

伊織のプロデュース活動から一週間。
彼女のワガママが目に付き始めて戸惑いを隠せない。
もしかしたら、彼女は猫を被っていたのだろうか。

とても先行きが不安である。


○月×日

仕事中、ささいな事から伊織と言い合いになった。
彼女の顔色を伺い、機嫌を取り持つ事に一日を費やす。

なんて非生産的な一日だったのだろうか。


○月×日

営業先から帰る車の中で、伊織は不満を叫んだ。
少なくとも、俺と二人きりの時は
裏表が無くなったような気がする。

前進してるのか後退してるのか。

これからも、今まで以上に気を使う必要があるようだ。


○月×日

仕事の帰り道、伊織はポツリと家庭の不満を洩らした。
彼女は一人、家柄の抑圧に抗っていたのかもしれない。

涙を拭ってあげると、恥ずかしそうに顔を背けた彼女は、等身大のあるべき少女の姿そのもので、とても可愛らしかった。


○月×日

あの一件以来、伊織はコロコロと笑うようになった。
年齢に相応しい笑顔で大変満足であったが、それを言うと途端に頬を膨らませた。

オレンジジュースを献上する事で、なんとか事なきを得る。


○月×日

伊織と出会って、もう三ヶ月。
お互い、順調に仕事をこなし、伊織は他のアイドル達ともようやく打ち解けたようだ。
最近は、やよいと楽しそうに話しているのをよく目にする。

姉妹のようで微笑ましい。


○月×日

仕事の関係で、あるアニメを観た。
よく分からないがヒロインの少女が活躍する物語のようだ。

それにしても、ヒロインの声が伊織の声に似ていて、何故か心が惹かれた。


○月×日

伊織の声を聞くと何故か落ち着くと同時に心が躍る。
もしかしたら俺は伊織の事が好きなのか?
これは非常に不味い。
伊織はアイドルで俺はプロデューサー。
何より、伊織は未成年。

変態の烙印を押されない為にも、この気持ちは封印しなければ。


○月×日

伊織に不必要な接触を取らないようにしてから一週間。
何故か伊織が不機嫌になる日が増えた気がする。
今日も伊織の機嫌は悪かった。
伊織の声を聞きたかったが、触らぬ伊織に祟り無し。

そうそうと退社した。


○月×日

今日も伊織は不機嫌だった。
仕事の帰り道、なんとなく立ち寄ったUTAYAで以前に観たアニメを見つけた。
ずっと心に引っかかっていたので、まとめ借りした。

丁度、明日は休日。一気に観ようと思う。


○月×日

例のアニメを観た。
ストーリーもさる事ながらヒロインの声が伊織に似ていて可愛い。

伊織もメロンパンが好きなのだろうか?


○月×日

自分から伊織とスキンシップを
取らないようにしたのに何故かイライラする。
やはり伊織の事が好きなのかもしれない。

変態にはなりたく無いので
アニメヒロインの声に伊織を重ねて自分を抑えた。


○月×日

家に帰ってはアニメを観るのが習慣になった。
今日は魔法使いの女の子がヒロインのアニメを観た。
俗に言うツンデレというやつだろうか。

振る舞い方が伊織に似ていて可愛かった。


○月×日

日中、仕事が手に付かないので日記を付ける事にする。
ぼーっとしてたら律子に怒られてしまった。
そこを伊織に見られて伊織にも怒られた。
今度、駅前にあるパン屋の
美味しいメロンパンを差し入れしよう。

きっと喜んでくれるに違いない。


○月×日

無気力感が心と身体を包む。
アニメを観るために徹夜が続いたせいだろうか。
今日は早めに寝よう。

それにしても、この鎧の弟も伊織に声に似ている気がする。


○月×日

仕事にはやりがいを感じて居るのに身体が重い。
伊織の声が聞きたい。
しかし自制しなければ。
アニメを観た。

落ち着く。


○月×日

思い切って伊織にメロンパンを好きかと聞いてみた。

何故か怪訝な顔をされた。

どうせなら、怒鳴って欲しかった気もする。


○月×日

今日も身体は重い。

早くアニメを観よう。


○月×日

左手が上手く動かない。

次の休み、病院に行ってみようか。


○月×日

伊織と話せないと禁断症状のように右手が震える。

仕方無い。早く帰ってアニメを観よう


○月×日

伊織に罵倒された

嬉しかった


○月×日

伊織の声をずっと聞いていたい

ははは

どうやら俺は、立派に変態になってしまったようだ


○月×日

伊織とはなしてるとたのしい


○月×日

いおりのこえききたい


○月

あれきょうはなんにちだっけ


いおりあいたい

はやくあさになれ


あさになったはやくしごといこ


○月×日

久し振りに日記を付ける。

どうやら俺は釘宮病という不治の病に罹ってしまったらしい。
その所為で、通勤途中に道端で倒れ意識不明のまま入院。
リハビリのおかげで字も書けるようになったが
ここまで症状が改善したのは伊織のおかげだ。

意識が戻ったのは倒れた日から一週間後。
最初に見たのは涙を流しながら顔を覗き込む伊織だった。
何度も罵倒されたけど不思議とそれが
心地良かったのを今も覚えてる。

それは病気の所為じゃなくて
俺の手に零れた伊織の涙が温かかったからだと思う。

今までの経過を医者から説明されたが
俺の症状は伊織の声を聞く事で抑えられるらしい。
俺のために伊織が頑張ってくれている。
だから、俺も頑張ろう。

久し振りに字を書いて疲れた。今日はこの辺りにしておこう。


○月×日

ついに釘宮病のワクチンが完成したらしい。
内容を聞いて驚いた。
伊織の歌声で治るらしいのだが、疑いの余地は無い。
俺の病状も良くなっているのだから。

面会に来た伊織にありがとうと言ったら
別にアンタの為だけじゃないわと返された。

でもそのあと、早く元気にならないと
許さないんだからと照れながら
聞こえない程の声で呟いた伊織がとても懐かしく感じた。

実は、もう少しで退院出来るらしい。
伊織には内緒で外出許可を取った。

きっと、びっくりするだろう。

それを楽しみにリハビリに励む。


○月×日

釘宮病完治プログラムとして結成された
伊織を有する竜宮小町のライブが明日に迫る。

伊織だけで良いんじゃないのかと疑問に思ったが
俺以外の患者には効果がいまいちなのだそうだ。
研究の結果、効果を増幅するためには
他者の歌声も必要と言うことで竜宮小町が結成された。

入院中の俺にはプロデュース出来無いので
プロデューサーに立候補してくれた律子には感謝してもしきれない。

○月×日

竜宮小町のライブは結果を先に書けば
大成功で幕を閉じた。

釘宮病発症者の未来は明るい。

それにしても、いきなり全世界同時中継とは
プロデューサーとしての律子の手腕に恐れ入る。

ライブが始まる前、俺に気付いた伊織が
アンタ、こんな所で何やってんのよ、と叫んだ。
きっと、俺にしか聞こえ無かっただろう。

俺にとって、伊織の声は特別なのだから。

その特別は今、疲れ果てたのか
事務所に帰ってくるなり、俺の横でスヤスヤと寝息を立て


伊織「う……ん……」

P「あ、すまん。眩しかったか?」

伊織「ん……何してるの?」

P「ああ、日記を付けていたんだ」

伊織「あら、アンタにしては殊勝なことね」

P「あはは。なんとなく続けてるだけだよ」

伊織「ふーん……それより……」

P「うん?」

伊織「今日、どうだった?」


P「最高のライブだったよ」

伊織「そっ、そうじゃなくて……っ!」

伊織「ちゃんと、私の想い……届いてた?」

P「うん。温かかった。聴いてるだけで幸せになれる歌だった」

伊織「そ、そう……? それなら良かった……」

P「伊織の声を、ずっと聞いていたい。これからもずっと」

伊織「そっ、それってプロポ─────」


P「ずっとプロデュース出来たら良いのにって思うよ」

伊織「…………何よソレ。アイドルとしてって事かしら?」

P「俺はプロデューサーで伊織はアイドルだからな」

伊織「呆れた。この伊織ちゃんが、こんなに尽くし────」

P「だから、これからも俺の側で歌ってくれないか?」

伊織「────っ! あっ、当たり前でしょ!」

伊織「わっ、私のプロデューサーはアンタしか居ないんだから!」

伊織「ちゃんと私のこと見てなさいよねっ!」

P「うん。伊織が大人になるまで、ずっと見てるよ」


伊織「……? あっ、それって……!」

P「ほら、明日も仕事だから早く家に帰らないと、な?」

伊織「もうっ……アンタ、意地悪になったんじゃない?」

P「昔から言うだろ? イジワルするのは好きな証拠って」

伊織「ふふっ。じゃあ、ワガママを聞くのも?」

P「好きな証拠」

伊織「じゃあ、帰る前に……きっ、ききききっ─────」

P「ワガママを叶えるのが仕事だから仕方無いな」


伊織「────っ、ん…………ぷはっ。ずっと……側に居てね?」

P「当たり前じゃないか、俺は病に罹ってるんだぞ」

伊織「何言ってんの? もう釘宮病は治ったのに」

P「恋の病ってやつかな」

伊織「なかなか洒落てるじゃない、にひひっ♪」

伊織「それなら、私も病に罹っちゃったみたいね」

伊織「アンタと居たら、胸がドキドキするもの」

P「それは、大変だ」


伊織「でも、離れたらもっと苦しくなりそうなの……」

伊織「だから私から絶対に離れちゃイヤよ?」

P「分かってるよ」

伊織「まぁ離れても、すぐに私が見つけてあげる」

伊織「そして、アンタに指を突きつけてこう言うの────」


伊織「アンタ、こんな所で何やってんのよ!」


伊織「────ってね♪」


【釘宮病患者の日記】の最後のページ←NEW!


事務所に帰ってくるなり、俺の横でスヤスヤと寝息を立てている少女。

彼女と出会えて良かった。
これからも続いていく物語だから
こう締めよう。


            HAPPY END.

くぎゅう~w疲れました。
以上で終了です。
今までありがとうございました。

また、どこかのSSで会えたら、その時は生暖かく見守って下さい。

それでは最後に短く、くぎゅう。

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