妹神「人族を止めてくれ」 姉神「貴女が何とかしなさいな」 (7)

 昔話を、致しましょう。

 時の流れも幾星霜。世界の始まりも忘却の彼方。

 世界を創ったのは、仲の良い双子の女神。姉神ヒュドミッテと、妹神クーアクヤ。

 妹神は、火と水と土と風をかき混ぜて、空と大地と海を創りました。

 偉大なる姉神は、魔翌力に長けた亜人を創って世界を治め、最後に、文化の担い手たる人族を産みました。


妹神「この子が、新しい子? 魔翌力がほとんど無いじゃない」


 木組みの寝台で寝息を立てる唇に、少女がそっと指を当てると、幼子は僅かに身を捩った。

 自分達に似通った幼子は、身を守る固い鱗も、敵を切り裂く鋭い爪も持たず、華奢で、弱々しい。

 さらに世界を動かす魔も持たず。姉は何故、こんな種族を創ったのか。


姉神「仕様なの。繁殖力に重点を置いたから、一人当たりの魔翌力量が、極端に減ったみたい」

妹神「ふーん、成長性重視か。道理で、育ちが早い」

姉神「その分、寿命も短くなったけど。良い労働力となって、あの子達を支えてくれるわ」


 あの子達――この世界の統治を任せた亜人達だろう。

 世界は今が黎明期。人材はいくらあっても足りてない。なるほど、姉は働き手となる種を創った。

 しかし、魔を行使する亜人の下に、魔を持たぬこの子らを付ける意味を、姉は解っていない。

 この世界は、力なき民が生き残れるほど甘くない。でもそれで良い。それが正しい。

 力を持たず、命が短い種だからこそ、奉仕種族と成り得る――この子達は、使い潰すための命なのだ。

 何も知らずに眠り続ける幼子の髪を撫でながら、少女は目を瞑った。

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 亜人がいつまでも魔法を研究する一方で、女神の最高傑作たる人族は、道具を造り、世界に〝技術〟という概念を生み出しました。
 人々の努力は生活を豊かにし、個々の資質に依存していた魔法社会は、誰もが扱える技術社会へと変わり、世界は急速に発展していきました。



妹神「姉さん、話がある」
姉神「あら、ちょうど良い。どう、綺麗な紫色でしょう」


 石造りの宮殿の一室。金細工が施された扉を開け放った少女に、姉は紫の反物を広げて見せた。
 僅かしか採れなかった、その色は、今や人族が造った合成染料により、量産が可能だ。


姉神「工場を増設すれば、全ての民へ配給できる。これで世界はもっと豊かになるでしょう」
妹神「その工場建設を、止めて欲しい。既に二つの森が死んだ。人に比べて木々の成長も、河川の浄化も、もっと遅い。森を失えば大地は枯れ、河川を汚せば、命が死ぬ」


 告げた瞬間、姉の顔から笑顔が消えて、冷たい視線が少女を射貫く。


姉神「何も持たぬあの子らが、必死に成した物を、捨てろと?」
妹神「違う、見直せと、言っている。私も多くの調整を行ったが、限界だ。しかし私や、水族の長が掛け合っても、人族は無視を決め込み、もはや止められるのは、姉さんだけだ」


姉神「他の子は、魔法で工夫すれば良い。でも技術を取り上げられた人族は、生きられない。肉体も魔翌力にも恵まれた亜人達は、違うのです」


 少女は唇を噛みしめた。姉は、望外の成果を出した人族を、寵愛していた。
 魔翌力を持たぬ人族が、代わりに身につけた技術は賞賛に値する。だがそれも度が過ぎた。
 次に姉が浮かべた表情は、嘲笑と侮蔑。そして僅かな苛立ちだ。


姉神「そもそも、貴女の世界が不完全なのよ。もっと自浄作用を強めた環境を、用意できないの?」
妹神「やっている。だが急激な環境変化は、生態系を狂わして種を絶滅に追いやる。今のままでは間に合わない。お願いだ、ちょっと抑えるだけで良い」


姉神「それは、そこまで見据えられなかった貴女の責任。ほら、泣き言を言わずに、早く何とかしなさいな」


 さも当然、とふんぞりかえる姉に、少女は、何も言い返せなかった。いや、言い返さなかった。
 何も言わず、彼女の中で、何かが静かに切り替わる。もはや言うべきことは無い。踵を返した少女を、姉は一瞥すらしなかった。
 そして、少女は、言われた通りに、創造した。

 世界を蝕む害悪を灼き尽くす、新たな仕組みの存在を。

 人々が血潮と努力で築き上げた大成を、快く思わぬ存在もいました。
 魔翌力ばかりに頼り、技術の発展を否定し続けた亜人達、そして女神の妹、クー・アクヤです。
 広大な心を持つ姉神と対照的に、矮小なる妹神は、豊かな創造力を持つ姉神と、努力と精進で世界を変えた人族を妬みました。
 その心は徐々に邪悪な闇を産み出し、その嫉妬の炎が抑えきれなくなると、環境の神は深い闇の底へ身を堕とし、魂より溢れた醜い魔が、厄災と化して、世界へ噴出しました。
 それが、後の世で魔族と呼ばれる存在の始まりです。
 そして、闇の塊は、瞬く間に軍団を成し、世界に襲いかかってきました。




 褐色の腕が伸ばされると、宙に生まれた灼熱の火弾が、城壁に撃ち込まれて爆砕する。
 瓦礫に交じり手足が吹き飛び、爆風が人々の悲鳴と怒号を掻き消すと、戦列を成した黒い集団は、隊伍を組んで破壊の火の手を上げていく。

 戦果を上げる度、闇の軍団を指揮する少女は拳を握りしめ、食い込んだ爪が皮膚を破って血を流す。
 表情を苦渋に歪ませた造物主の隣りから、褐色の女が静かに告げた。

魔族の長「貴女様は、必要を成しています」
妹神「……はは、姉さんに、言われた通りだ。私は世界を創るセンスが無い。こんな形の修正しかできないのだから。君達も、良い迷惑だろう。まるで[ピーーー]ために生み出されて――」


 少女の唇に、女の褐色の人差し指が当てられる。
 人を屠る者として、人を基に創り出された破壊者の褐色の指は、温かい。
 そして女は頭を横に振ると指を離し、三歩下がって跪く。

魔族の長「ご無礼を、お許し下さい」
妹神「……失言だったよ。信じて貰えるかわからないけどさ、君達はね、私が望んで産んだんだ」

魔族の長「我が神、クーアクヤ様。子が、どうして母たる貴女様を疑いましょう。そのお言葉さえ頂ければ充分です。我らは世界を護るため、御身の炎となりましょう」


 女が改めて頭を垂れると、背後に控える魔族の大軍団も、長に合わせて跪く。
 少女は大地を埋め尽くす黒い子供らに振り返ると、唇を真一文字に結び、再び眼前を見据えた。
 その先に蠢く白銀の群れ。前列に火砲を並べ、槍衾と鎧で身を固めた人族の軍団。

 敵の数は、魔族の十倍を悠に超える。
 それでも少女、後の世界で邪神と呼ばれる一柱は、一歩も引かず、ただ一言、静かな声で勅命を下す。


妹神「――灼き払え」

 邪悪な魔族達は、瞬く間に人々を虐殺し、世界を滅ぼして行きましたが、女神の祝福が施された聖都の守りが硬いと知ると、クーアクヤは姉神に陳謝し、話し合いを提案して自らの城へ招き入れました。しかしそれは、姉神の心優しさを利用した、罠でした。





 整然とした黒い軍勢が取り囲む城塞の広間で、少女は玉座に腰掛ける姉を見据えた。
 天井から吊された巨大な水晶石は、きっと人族が研磨した物。曇り一つ無い加工面は見事であり、正しく導けば、今後も強い力となるだろう。
 戦争は既に決した。それが解っているからこそ、姉に和議を申し込まれ、少女は受けた。
 予想より早いが、これ以上、無駄な血を流したくもない。

 そのはずなのに、眼前の女神は、今もなお不遜な眼差しを、妹へ向ける。


姉神「魔族、だったか。我の人族をベースに、よくもあれだけ高水準な魔翌力を練り込めたものよ」


 数年ぶりに聞いた声は固く、敵意に満ちていた。
 苦虫を噛み潰し、姉はきつく見据えて来るが、少女が怯む理由は無い。
 世界を護るため、多くの命のためにも、少女は引けないのだ。


妹神「私の要求は二つ。人族の開発計画の管理に、私を据えること。そして環境に関する私の言うことを、徹底して貰うことだ。これを呑まないなら、私は炎を以て、世界を浄化する」


 少女が命令を下せば、外で待機した軍勢が、一斉にこの城へ火を放つ。
 この城塞都市には、人族の知恵を溜め込んだ資料館がある。姉だって失いたくは、無いはずだ。

 姉は俯いていた。しかしその口元が、急につり上がる。


姉神 「愚かなり。やはりそなたは、堕ちてしまった。我が妹クーアクヤ。そなたの魂、我が懐で、浄化させようぞ」
妹神「一体、何を言って――」


 そこで、自身の胸から剣が生えると、溢れて出た血塊が喉を塞いだ。
 呪文の詠唱が最後に聞こえると、視界が霞み、意識が急速に塗り潰されていく。
 水晶に魔方陣が展開されていたのが見えたが、そこまでだ。倒れ伏した小さな体から、赤い水たまりが広がっていく。
 少女の骸の前で、姉神は高らかに笑った。そこで、少女を刺した人族の男が口を挟んだ。


人族王「ヒュドミッテ様、まだ終わってはおりませぬ」
姉神 「おお、人族王。よくやりました。そう。もう二度と、このような暴挙を起こさせないわ。早速、妹の魂を我が懐で浄化しましょう」

人族王「はい、もう二度と、このような暗君に世界は任せられませぬよ」

 刃が一閃すると、振り返ろうとした姉神の首が飛び、断面から血を噴出させた体が重力に引かれて崩れ落ちた。
 再び展開された水晶石の魔方陣が光の塊を吸い込むと、男は首無しの死体に恭しく頭を垂れて、嗤う。


人族王「しかしご安心下さいませ、これからは、我々が世界を動かしてみせましょう」




 邪神の残虐非道な謀略にも屈せず、女神は世界を守るため自ら剣を取り、見事、邪神を討ち滅ぼしました。
 しかし女神もまた深い傷を負い、世界の全てを人族の王に託すと、永い眠りにつきました。
 そして最後の祝福を受けた人々は、慌てふためく魔族共を東の世界へ追いやり、世界は平和な日々を取り戻しました。

 めでたし。 

おしまいです。
原稿用紙10枚のお話でした。ありがとうございました。

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