モバP「兎」 (13)
アイドルのプロデューサーといえば聞こえはいいが、と言ってはみたものの実際どうなのだろう。業界というかギョーカイの中心でおぼこ娘をこまして荒稼ぎ、流行の最先端でイケイケのウハウハ、舶来のエキゾチックカーを乗り回し、LMFAOなんかをがんがんかけつつプールサイドで三鞭酒を飲みながら莫連女としゃあしゃあほたえるエキセントリック中年ガイ。現実ではそんな奴見たことも聞いたこともないが、ちょいと昔、カネが有り余っていた時代の先輩たちによる、現在とはまるで異なるイメージが先行、一般的となり、つまるところ聞こえのよくない職業なのかもしれない。
どちらにせよ世人に誇れるような職業でもなくて、例えば俺なんかの場合、新規プロジェクト会議における決定事項を当該アイドルに申し伝える、なんて言うとそれっぽいが要するに、担当アイドルに「今度こんなことやるから頑張ろうね」と言うだけ。その一事に際してすら、企画の内容・コンセプトと抜擢されたアイドルのイメージが合わないといった理由、というか俺の個人的な思い込みによって煩悶・屈託し、自らこさえた重圧から逃がれんと事務作業に没頭するふりをしながら、
「しずけさや、ウラにジミールラスプーチン」
などとまったく訳のわからないことを呟いては一人、悦に入るなどしている。
いいねぇ。「しみ入る」から「ウラジミール」を連想、文字数稼ぎのために「ウラに」としたところが裏目に出て句全体を狂ったものにしている。そいでもってウラってなんぞ、なんて議論を差し挟む暇もなくラスプーチンが登場。ウラジミール・プーチンといえばロシアの大統領と同じ氏名であるが、怪僧ラスプーチンとは無関係。ここが紛らわしいところで、つまりは文字数合わせのためにまったくの架空の人物を作り上げ、そのくせ実在する/した人物と名前が似通っているものだから聞いた方はたまったものではない。「なんかしとんね。プーチンなんかラスプーチンなんかはっきりせんかれ、あほぼけかすひょっとこへげたれあんけらそ」などと、精神を揺さぶられてしまうン。
一見、季語がないように思えるがまあロシアっぽいし、ロシアって寒そうだし、寒いのは冬だから冬の句であろう。サンクトペテルブルクの冬の朝、ペチカの火を掻きたてながらふと、大統領と怪僧ラスプーチンにまつわる噂が話題にのぼったことを思い起こし、この煤のように、わが国にはまだまだラスプーチンの要素、もしくは印象が多少なりとも残っているのだろうなあ、なんて思う「わたし」の頬に、ペチカの熱がぬるく当たって。ほどの句意であろうか。はは、あほらしもない。気が重い。
「あー……プロデューサー?」
あほのように自足していると俺の担当アイドルが一人、ロシアンハーフで銀髪碧眼の15歳、アナスタシア通称アーニャがいかにも、ばつが悪いといった表情で声を掛けてきた。
「おどっ」
しまったことになってしまった。俺はどうにも昔から、精神的に追い詰められたり作業が煮詰まったりすると適当かつ意味不明なことを呟いて精神を弛緩、これの安定を図るという奇癖があり、一人でやるぶんにはいいが人に聞かれると気をおかしくしたのではないかとの嫌疑を掛けられるので普段はひた隠しにしている。つもりだった。
また最近俺は「どうれ乃公もここらでひとつ、ロシア文学あたりを嗜もうかしらんコフ」なんて古本屋で投売りされていたドフトエフスキー翁の「罪と罰」上下巻を購入、駄目な兄ちゃんが延々と屈託するさまに嫌気がさして上巻の途中で投げたのも情けないが、それ以来俺の思想の中にロシアっぽい単語が沈着沈殿昏々昧々、ことあるごとに浮き上がり、気が付くとロシアンテーなどと嘯いて、苺ジャムを舐めつつ烏龍茶を飲んでげんなりするなどといった奇行に及んだりしている。何がテーだ。
聞かれた、というか図らずも聞かせてしまった相手も悪かった。前述のとおりアーニャは半分、というか10歳までロシアで育ったから実質3分の2くらいがロシアの人で、ロシアの文化的なことに関してはこの事務所において誰よりも詳しい。これはつまりアーニャの脳内で俺の俳句に対する多少の、中途半端な理解が自然となされてしまうということである。
例えば生粋の日本人にして京娘、大和撫子を具現化したようなうちのアイドル小早川紗枝であったら「ほほ、またあのプロデューサーはん、あほなこと言うてはるわぁ、ちゃんちゃら&いとおかし」とは言わないまでもそれに準じた感想をもつくらいなのだが、アーニャに限ってそうはならない。なんとなれば彼女においては「ウラジミール」や「ラスプーチン」といったロシア的名称から反射的に大統領、怪僧が連想せられるからで、人間というものは中途半端に情報を与えられると、たとえそれがどんなに悪いものであってもその本質を知りたいと思うものなのである。
どないしょ。どないしょ。どないしょ。三度言ったところで何が変わるわけでもない。でもほんと、どないしょ。
「ああ、ごめんなアーニャ。ちょっと考え事をしてて」
「シトー? 考え事、何ですか?」
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ううむ可愛い。この子が小首を傾げるさまをイコンにしたらその教会はどんなにか繁盛することであろうか。けんど困った。いくら俺があほとはいえ、日本語がやや不得手な少女に「仕事に倦んだのでロシア的な俳句を捻って遊んでました」なんて無内容かつ非生産的なことを、「でも行き詰ったときってこんな気晴らしの仕方もあるよね、ないかな?」みたいなニュアンスを多分に含んだ雑談を交わすほど無神経ではないつもりなのじゃが、そうなるとこの場をどう切り抜けたものか、よい考えが浮かばない。でも「何ですか?」なんて割合ダイレクトに聞かれてるし。どうしよう。
ええい構うことあるかれ、わいは男。プロデューサー男や。決めるとっきゃ決めんならん。言ったる。俺は。デカダンでいったる。
「まあ仕事とは関係ないんだけどね。最近ロシアの本をちょっと読んだんだけど、どうにも人の名前が沢山出てきて混乱……わからなくなるんだよね、はは」
「名前、ですか?」
「うん、例えばナスターシャって人なんだけど、きちんとした名前がわからないまま語りではナスターシャ、他の人にはナスターシュシカとかナスチェンカとか呼ばれてたりして」
まったくもって俺はなんというトコブシなのだろう。結局俳句のことなんか一言も触れずして、それでもまあ関わりがないとは言えないロシアの人名にまつわる無難な話題でお茶を濁すことしかできなかった。何がデカダンだ。そもそもデカダンの意味がよくわからないし。
「……あー、呼ばれますね。ロシアのイーミャ……名前は沢山あります。ナスターシャもそれの一つですね」
「そうなんだよなあ。人が沢山出てくる上に、呼び方も色々だから困ってたんだ」
アーニャのためとはいえなるべく平易な、画数少なめの単語選びに骨折りしつつも、俺は猛烈に感動していた。
俺の妄言とごまかしを全て許容、赦した上でさらに雑談にまで付き合ってくれるアーニャの優しさに心を打たれたのである。
俺はなんとなく宮沢賢治の作品に出てきそうな人物の口調で「ああ、サンタマリヤ」と快哉を叫びそうになったが、そんなことをすればさしものアーニャも怯えるに違いないのでやめた。
どうせならとことんまで付き合ってもらおうってんで、俺はA4サイズの裏紙にボールポイントペンで大きくナスターシャと横書き、そこを基点に右側に矢印を2本引いて、それぞれの先にナスターシュシカ、ナスチェンカと書いた。字が汚い。
「こんな感じかな?」
「ニェート……ちょっと違います」
「少し、いいですか」と言ってアーニャは俺からペンを受け取ると、俺よりも断然美しい字、きちんと片仮名でアナスタシアと書いた。
なんでこの子は唐突にサインの練習をするのかな、それにしても綺麗な手だ、なんて思っていたら、アーニャは更にアナスタシアからナスターシャまでの矢印を書き込んだ。「こう、ですね」なんて、少しはにかみながら。
「ははあ、なるほど。ナスターシャも愛称だったんだな。ナスターシャ」
「ダー、ふふ♪」
仕事に関してヘレンさんほど話しやすい人は中々いない。俺にとっては頭痛の種であるセクシーバニーパーティー、アイドル達にバニーガールの格好をさせるなんて妙な企画においてもそれは同様であった。
出身を聞いても「海の向こうから来た」としか言わないヘレンさんは24歳、アイドルとしては遅咲きかもしれないが、流れる黒髪と豊満なボディ、十代の娘にはない妖艶さを持ち、ことあるごとに口にする「世界レベル」という当人以外の誰も理解できない価値観に従って行動、なんて言うとプライドが高くとっつきにくい印象を受けるかもしれないが、そんなことは全然なくて実に頼りになる人である。
実際のところ常に自信満々余裕綽々、その上器の大きなヘレンさんには新人アイドルのサポートで何度助けてもらったかわからない。俺がスカウトしてくるアイドルは基本的に物静かだったり内気だったりする人が多いのだが、緊張でがちがちになっている新人をヘレンさんと組ませると驚くほど動きが柔らかく生き生きとし、ミスを愛嬌に変えるほどの余裕が生まれたりするのである。おそらくヘレンさんの自信家ぶりに中てられるのであろう。すげえよ、世界レベル。すげえ。
「――という訳でですね、今回はバニーガールで行きます」
「任せなさい」
「あ、ありがとうございます」
即答であった。
続けて何か言うのかな、なんてひょっとこみたいな顔をして待っていたが、ヘレンさんは悠揚迫らぬ態度で紅茶を一口啜ると、ふぅ、なんて一息ついたりしている。
「あの」
「何かしら?」
「ええと、何か質問とか聞きたいことってありますか?」
「そうね……貴方、この後の予定は?」
「俺ですか? 書類でもやっつけようかと」
「ならここにいなさい。少し話でもしましょう」
この私に疑問を抱かせるような仕事なんてない、とでも言わんばかり。やっぱすげえよ、このひたぁ。
俺はこの間書店で借りた、登場人物が唐突に歌ったり踊ったりする米国の珍妙な学園ドラマの話をしたところ、DVD鑑賞が趣味のヘレンさんは当然チェック済みだった。るらら。
もう俺は何もかも全てわかったのだ。などと言うと幻覚茸を生食し、七色の夢の中を旅している人みたいだがそうではない。
ただ最近、ぶん投げてベッド下に落ちていた「罪と罰」を読み直していて、これがまた陰惨な内容で心が壊れそうなのだけれどもまあその中でちょっと気づいたことがあって、これは面白いなあなんて思ったのである。
何かというとやっぱり人名のことで、ロシアだとどうもこれ、同じ家族であっても男女で苗字が異なるみたいなのである。男性形・女性形みたいな。イワーノヴィチとイワーノヴナ、ペトローヴィチとペトローヴナ、ラスコーリニコフとラスコーリニコワといった感じ。しかし主人公の友人である気のいい兄ちゃん、ウラズミーヒンはどうなるのだろう。こればっかりはどうにもわからない。
などとくだくだしく述べているのは、新規プロジェクトの内容を次に伝える相手がなかなかの難物であるからして、つまるところやっぱり俺は逃げているのだ。
「こんにちは、アナスタシヤ・コンニーチワです。なんてことはアマリ・イワンです!」
「……シトー?」
顔を上げると銀髪碧眼の美少女アーニャ、首をかしげて立っていた。
「あぶぶ」
非常にまずいことになってしまった。一度ならず二度までも。仏の顔は三度までだがアーニャの顔は何度見ても美しいって違う、そんなんじゃない。いや違わないけど。アーニャは美人だけど。でも俺の軽薄な一言でその美しい顔が怒りに歪んでしまうやもしれんのやんかいさ。
特に口からだだ漏らした内容がやばい。誰だって自分の名前で遊ばれたら嫌に決まっている。
俺の担当アイドルで橘ありすという子がいて、12歳という年齢にそぐわぬ真面目で落ち着いた物腰と、くりっとした目やぷっくりした頬といった年相応の可愛らしさが絶妙な相乗効果、恐ろしいまでの輝きを放っている子なのだが、来た当初は自己紹介のたびに「橘と呼んでください」とそっけなく繰り返す、ちょっと頑なな所のある子であった。ありすという自分の名前を嫌っていたためである。
今では20歳未満のアイドルを原則下の名前で呼ぶ無神経な俺が「ありすー」なんて呼んでもにこにこしている。頑固なところはあるがそれ以上に、あほに対する気遣いができる子なのである。
話が逸れたがつまるところ人の名前というのは軽々しく扱ってはならないものであり、「ははぁ、あなたのお名前は珍太郎と仰るのですね、まるで陰茎のようだ」などと言おうものなら珍太郎さんに殴られるに決まっている。
それをば何ですか?俺は?一番身近にいるロシアの人名を引き合いに出して、適当な苗字をつけて遊んでいる。うちのアナスタシアと区別をつけるため、最後のアをヤに変えるなんてこすっからい手段を取っているのも却ってマイナス、そんなことをするくらいなら最初から黙っていればよい。
どうしたものかと悩んだが、俺が何かにつけ思想を口からだだ漏らすことはおそらくアーニャも知っている。やはりここはデカダンで行くべきだ、行くべきである、行きましょうおず。
「ごめんなぁ、アーニャ。また考え事してたんだわ」
「私には話、ないですか?」
何か用があって呼んだんじゃねえの?くらいの意味であろうか。だとするとそれはまずい。なぜならアーニャは先の俺の独り言のうち、少なくともアナスタシヤの文言を聞き取ったうえで反応しているということになるからで、ここは富楼那の弁舌を振るい、アナスタシアとアナスタシヤとの違いについて述べなければならぬ。
「いや、また仕事とは関係ない話なんだけど、いいかな?」
「ダー、いいですよ」
「それでまたロシアの人の名前についてなんだけど……」
俺はつけもの。つけものりゅうじ。おう。俺は、嘘とごまかしに漬かっているぜ。へどもどしてるぜ。
駄目だだめだ全然だみだ。漬物たる俺はもはや、無知で無能で無粋で無遠慮、愚鈍で鈍重な馬鹿おのことして振る舞い、会う人すべてに涙で赦しを請うほかないのだ。デカダンというものが何なのかはいまだに分からない。でもこれだけは言える。俺はデカダンという単語のどぎつい調子に沿うような人間ではない。だって自分の主張ひとつ、満足に言えやしないのだから。
俺は悄然として先日アーニャと一緒に愛称を書き連ねた裏紙、なぜか捨てずに持っていたのを取り出すと、へろへろの字で「罪と罰」の主人公とその妹の名前を書きつつ言った。
「――こんな感じで、『ロジオン・ロマーヌイチ・ラスコーリニコフ』さんの妹が『ドゥーネチカ』……ごめん、これって愛称かな?」
「あー、妹の名前はアヴドーチャ、ですね」
「あーそうだった思い出した。『アヴドーチャ・ロマーノヴナ・ラスコーリニコワ』さんだ。で、兄妹で苗字がちょっと違うのは性別、男と女の違いってことでいいのかな?」
「ダー♪ ロシアの名前はロード、んー……性別で分かれています。他の言葉もです」
「おお、やっぱりそうなんだ」
俺は嬉しいやら情けないやら、一度ならず二度までも、年端も行かぬ少女に放言、これの赦しを賜って、恩寵、これに過ぎたるはなし、なんて、不自然なまでに読点も増えて。
これが例えば他のアイドル、速水奏や塩見周子あたりだったら大変で、悪戯っぽい笑みを浮かべながら「ふぅん……で、本当は何を考えていたの? ごまかさないで教えて」とか「ねーいいじゃん、聞かせてよ」などと知らず知らずのうちにいろいろ白状させられ、言語によって俺の精神は丸裸、吐き出した情報、性癖や恥ずかしい過去なんかを眼前にちらつかされて、映画や食事を奢らされるのである。でも実際のところ2人とも美少女、というか10代にして美女であり、奢らされているほうもデートをしているみたいでご褒美だったりする。今度試してみよう。
「あともう一つあるんだけど、ロシアの人って苗字が2つあるのかな? この『ロマーヌイチ』と『ラスコーリニコフ』みたいに」
「そうですね。ロシアの人はイーミャ、オーチェストヴァ、ファミーリヤの名前、あります」
「オーチェストバ?」
「んー、父の名前です」
「アーニャの?」
「ニェート……」
その後、ロシア人名が名・父姓・姓の3つに分かれているということを理解、かたや説明するために俺とアーニャ、双方が四苦八苦、最終的な理解に行き着くまで一時間を費やしたのである。
結城晴くらいの年齢、橘ありすと同じ12歳にもなるとだんだん知恵もついてきて、思春期・反抗期ってのもあるかも知れんが、ああ言えばこう言うといった調子で何か頼む際にもちょっとした反発、一筋縄ではいかないことが多い。
ましてや晴は家庭においては男兄弟たちと取っ組み合い、屋外では男児とサッカーに興じ、自らを「オレ」と称するなど育った環境がやや特殊、口調から趣味・嗜好にいたるまで男の子らしいところが多分にある。
本人はカッコイイアイドルならやってやらんこともない、みたいなスタンスなのだがああ無情、世間ってのは因果なもので眉目秀麗で金髪の、上背はないが手足のすらりと長い晴にもひらひらでふりふり、かわいい格好をさせたがる。
今回だってそうだ。セクシーなバニーのパーティーである。うら若き乙女たちが兎を模した露出度の高い衣装に身を包んでうちゃうちゃする、なんて親が聞いたら泣きそうなことを大真面目にやらせるのである。
「――というわけで今回はうさぎさんだ。頑張っていこう」
「嫌だよオレ、やりたくねーよ!」
やはり即答である。しかしここまでは想定内、何かにつけ直情的・直截的な晴に対していきなり本人の希望と正反対の提案をすれば断られるなんてのは分かりきった話で、ここからうだうだ説得し、議論に疲れた晴から最終的に承諾を得るのが俺の大人の汚いやり方である。まったくもって。
「そうは言ってもなあ。晴はカッコイイアイドルになりたいんだろ?」
「わかってんじゃねーか、これのどこがカッコイイんだよ!」
「どこがカッコイイのかわからんなら教えてやろう。……いっやー、でもどうかなー? こうしたプロフェッショナルの話ってのはまだ晴にはわからんかなー?」
「……何だよ、言ってみろよ」
うくく、または、げひひ。すっくり行きやがった。言うまでもなく晴はまだまだ子供、とはいえこのくらいの年代の子というのは大人たちによる子供扱いが耐え難くなる年頃で、冷静な議論に持っていくにはそのあたりを刺激してやればよい。
それでもやっぱり後ろめたい、申し訳ないといった気持ちは俺のような人非人にもある。後で葡萄味の巻尺みたいな形をしたやたらめったら長ったらしい変なガムを晴に買ってやろう。今売ってるか知らんけど。
「何で毎回晴の格好がかわいいって言われてるか、わかるか?」
「アンタが変な格好ばっかりさせるからだろ?」
「違う。晴がかわいいからだ」
「なっ……やっぱりロリコンじゃねーか!」
「それも違う。いいか? 要は見せ方なんだ。涼いるだろ?松永涼」
「うん」
「この衣装のサイズを直して涼が着たらどう思う?」
「何だよそれ……涼さんならスタイルいいし、似合うんじゃねーの?」
「カッコイイと思わんか?」
「……カッコイイ、かも」
「さっき俺が晴のことをかわいいって言ったのもそれだ。衣装うんぬんじゃない。イメージのことだ」
「イメージ?」
「その人がカッコイイかかわいいかなんて衣装じゃ決まらないってことだ。かわいい衣装を着てカッコよく見せる方法なんていくらでもあるんだよ」
「そう……なのか?」
嘘です。本当は恥ずかしさでもじもじしている晴の様子が最高に可愛くて、俺とファンに大人気だからです。なんて本当のことを言ったら爪先で脛を蹴られるので言わない。
それよりさっきから「カッコイイ」と「かわいい」を言い過ぎて、もはやそれらの言葉が何を意味するのかわからなくなりつつある。
「まあ何でも経験だ。どんな衣装を着ても俺やファンに『カッコイイ』と言わせるアイドルになってくれ」
「……あー! わかったよ! やってやるよ!」
「ありがとう、晴。じゃあ行こうか」
「どこに?」
「駅前のスーパーだ。巻尺みたいな変な長いガム買いに行くぞ」
「何だよそれ! すげー気になる!」
そうして俺は晴と一緒に輸入食品を多く取り扱うスーパーマーケットへ行き、件のガムとバニラ味の珍妙な炭酸飲料を購入、ガムはともかく炭酸飲料の味が最悪で、しばらくの間事務所で二人、焼き出された人のように落ち込んでいたのである。ぐぬぬ。
背を焼くような焦燥感の中、俺は事務所で一人。かくすればかくなるものと知りながら、止むに止まれぬ大和魂。わかっちゃいるけどやめられねえ。やめるわけにはいかぬのだ。
「あそーれスーヴィスーヴィスヴィドリガイロフスヴィドリガイガイローフ」
「シトシト?」
ぴっちゃん? 違う。アーニャである。
でももう俺は驚かない。なぜならたった今、俺の奇癖がアーニャにとっては別段、不快なものではないということがわかったからである。
アーニャの発した「シトシト?」という言葉、これは日本語に直せば「なになに?」ほどの意味である。
つまりアーニャは俺の奇妙な独り言に対し、前髪ぱっつんおかっぱ頭でとろんとした眼の元気娘、喜多見柚のような軽いノリで「えーなになに?なんて言ったのー?」と言えるくらいの度量の広さがあるということで、以前の俺のように適当な質問をしてはぐらかす必要はどこにもないのである。
素直がサイコー、素直が一番ですよ。
「アーニャ、ありがとう。スパスィーバ」
「パジャールスタ……どうしましたか?」
「いや、最近の俺って少し変だったろ? いきなり変なこと言い出したり、質問したり」
「あー……そう、ですね」
「あれってちょっと悩み事があったからなんだけど、でも吹っ切れたんだ。アーニャのおかげだよ」
「……ヤ、トーザ。私も、です」
「え、何で?」
「昔から一度、プロデューサーとたくさん、話してみたかったです」
「私は、ほとんどロシアですね? だから、あー……伝わるのが難しいです」
「プロデューサーは、でも、いつも私を気にします。してくれます。それが嬉しいです」
「ありがとう、プロデューサー」
うるる。
高峯のあ。恐ろしい人であった。
ヘレンさんと同じく24歳だが出身は奈良県。腰まで届く長い銀髪に切れ長の目、身長は高いがモデルというよりプレイメイトに近い暴力的なスタイルの持ち主である。
とにかく寡黙な人だが、話し始めると言葉のあちこちに難解な専門用語のごときが散見せられ、この広い宇宙の中で仕事の連絡事項などを申し伝えんとしている俺という存在が、なにかひどく矮小なものに思えてくる。
奈良県には変わった人が多いのだろうかと思い以前、同郷の巫女アイドル道明寺歌鈴に聞いてみたことがある。「そ、そんなことありまひぇん!」と江戸っ子のような口調で返された。
高峯さんはその行動原理も不明なところが多く、一体どこから手に入れたのか、ひらひらのメイド服を着用して事務所をうろついたり、猫アイドル前川みくの弁当からハンバーグを奪ったりしている。
そんな恐ろしい人に、今度はバニーちゃんになって頂かなければならない。
俺は緊張、といって緊張の範疇をどれ越してもはや戦慄していた。
俺はふと、先ほど交わしたアーニャとの会話を思い出した。
アーニャは俺に、きっかけがたとえあほな独り言であったとしても色々話せるのが嬉しい、と言ってくれた。
してみれば今までの煩悶・屈託は全て俺の一人相撲で、周囲から見ればほんの些細な、日常のワンシーンだったということである。
それをば俺は、ああまったくもって何たることであろうか、兎のように怯えていた。
他の誰でもない、俺自身がバニーちゃんだったのである。
もはや恐れることは何もない。俺は結局、プールサイドで莫連女を侍らせてほたえる人間ではない。プールにかかる水道代、酔っ払って帰りの電車に乗ることへの不安、音楽や嬌声の音量と、周囲からの苦情なんかをいちいち気にして、隅っこで震える兎ちゃんなのだ。そんなことは始めからわかっていたはずじゃないか。
それでも、そんな臆病な俺との会話でもアーニャは喜んでくれたのだ。
俺はやる。やってこます。高峯さんにバニーちゃんの格好をお願いすることで、俺は俺の、兎ちゃんのデカダンを体現してみせる。
体現してこます。
「……いたのね」
おわしまい
パーティーに間に合いませんでした^p^
文体は町田康さんをパクりました
お粗末さまでした~
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