妹「兄妹の異常な愛情」 (47)
戦争で気が狂った祖父の血を受け継いだ兄は生来のキチガイで、
温かな家庭で育った母には重荷過ぎた。
兄を絞め殺す寸前に祖父が現場を発見し、逆に母を死ぬ寸前まで暴行した。
その横できゃっきゃと喜ぶ兄を、まだ3歳だった私は目に焼き付けた。
以来、私達兄妹は親の愛情を一切受けずに育ったと言っていい。
母は祖父の血に怯え、父も兄も私も愛さなくなり、父もまた祖父を憎み、兄を憎み、私を憎んだ。
その分だけ祖父は兄や私を可愛がり、金を惜しまず使い、近所の人達にも私達を可愛がるよう脅迫して回った。
その祖父も私が中学校に上がる前に死に、いよいよ私達は二人きりになった。
兄「この世界は僕達とそれ以外の人間だ。分かるか?」
妹「うん、世界は私達とそれ以外の人」
兄「正解だ」 ナデナデ
妹「えへへ」
兄「他の奴は一人残らず家畜だ。家畜には二種類いる。使える家畜とそれ以外だ」
妹「うん、家畜には二種類いて、えと」
兄「ああそうだ、二種類だ。最初が肝心だ、家畜には家畜の自覚を与えなくちゃいけない」
妹「うん、自覚が大事」
兄「しっかり教え込むんだ。徹底的に痛め付けて逆らえなくするんだ」
妹「ありがとうお兄ちゃん、たくさん教えてくれて」
兄「お前は僕の妹だからな、特別だ」
兄との会話はいつも他人を使う方法ばかりだった。
兄の愛情表現は言葉よりも行動だった。私はたくさんの愛情を見た。
私をいじめた男の子が前歯を全部失くして血だらけの口で謝罪する姿も愛情だったし、
よく吠えていた隣の犬が死体になって隣の家のリビングに投げ込まれたのも愛情だったし、
家の事情を責めた女の先生が男性恐怖症の挙句に自殺したのも愛情だったと思う。
兄の周りには兄に従う人がたくさんいたし、その人達は兄のおかげでたくさん得もしたけれど、
媚びた笑顔の裏には怯えがあって、兄を心から慕ってはいなかったように見えた。
逆に、私の周りには誰もいなかった。みんな兄の影を怖がり、近付こうともしなかった。
ある時、私のクラスに男の子が転校して来た。事情を知らない彼は私に話し掛けてくれて、私達は仲良くなった。
そして彼はすぐに学校に来なくなった。
兄は自慢げに話してくれた。
彼がどんな風に許しを請い、どんな風に自分のモノをしゃぶったかを。
兄は同性愛者ではないけれど、相手に屈辱を与えるためなら手段を選ばなかった。
自分に従う人間に彼を犯させたのも、そういう事の一環だったんだと思う。
私は二度と彼に会わなかった。
兄「僕か総理大臣、片方しか助けられないとしたらどうする?」
妹「お兄ちゃんを助ける」
兄「偉いな」 ナデナデ
妹「えへへ」
兄「じゃあ僕か父さん母さんなら?」
妹「お兄ちゃん」
兄「じゃあいらないね、もう」
妹「うん、いらない」
兄「二人はいない方がいいね」
妹「うん、いない方がいい」
兄「やっぱり妹もそう思うか。早くどうにかしなくちゃね」
その日の夜、私達の家は火事になり、両親は帰らぬ人になった。
パジャマ姿の私は背後から兄に抱きしめられ、燃え上がる我が家を眺めてた。
耳元でくつくつ笑う兄の声は本当に楽しそうで、炎の中にいる両親の存在が遠くなる。
結局、火事は事故として処理されて、二人の命と家はお金に変わった。
兄にとって家はただの寝泊りする場所で、大事なのは私が側にいる事だけだった。
兄は私を連れてホテルを転々とするようになり、学校にも通えなくなった。
退屈した兄はすぐに宿泊客の荷物から金品を盗むようになり、
気紛れに女性客の部屋に押し入り強姦し、連れの男性に殴る蹴るの暴行も加えた。
私の役割は側でその光景を眺めて、兄の求める追従の言葉を吐くだけ。
たくさんの血を見た。たくさんの悲鳴を聞いた。たくさんのゲロの匂いを嗅いだ。
ある時、私はこう思った。人は兄に壊されるために存在するみたいだと。
それを口にすると、兄はとても喜んだ。子供みたいに無邪気に笑って、その顔のまま人の骨を踏み折った。
無軌道な癖に周到な兄は被害者の口を徹底的に塞ぎ、露見する前に逃亡し、警察は近づく気配さえない。
兄は一生変わらずにそういう風に生き続けるんだろうかと、私はそう思った。
妹「お兄ちゃんは夢とかある?」
兄「聞きたいか?」
妹「うん」
兄「僕はな、幸福な家庭を作りたいんだ」
妹「……」
兄「母さんは僕を愛してくれなかった。父さんもだ。じいさんは少しは愛してくれたけど、じいさんは僕より自分の方が好きだった」
妹「うん」
兄「だからな、僕は自分より僕を愛してくれる女とたくさん子供を作って、たくさん愛してやるんだ」
妹「うん」
兄「なあ。妹は……僕のことが、好きか?」
妹「好きだよ」
兄「……自分よりもか?」
妹「うん」
兄の愛情表現は言葉よりも行動だった。
乱暴に私を押さえ付け、覆い被さるようにキスする。獣が得物を貪るように、長く激しく。
呼吸を止めたまま、私は兄の瞳を覗き込んだ。
そこには酷く繊細で、拒まれる事に怯えた男の人がいた。
私はすべてを受け入れようと思った。
慈しむように兄を抱きしめ、破瓜の痛みに声を殺し、兄の気の済むように犯された。
すべて吐き出し尽くした兄は泣いていた。
生まれて初めて見た兄の涙は、何の変哲もなく透明に零れ落ちていた。
それから私達は外を散歩した。
夏の夜風は心地良くて、世界は少し変わったように思えた。
通りすがりに見つけた縁日に飛び込んだ私と兄は、雑踏の中を歩いた。
橙色の灯かりが綺麗で、私達は繋いだ手の温もりに微笑み合った。
財布の中身を賽銭箱に全部入れた兄は、何事か祈っていた。
私も神様に祈った。兄には伝えられない秘密の祈りは、神様に届いたろうか。
帰り道、兄は私の歩調に合わせて、ゆっくりと石段を下りてゆく。
遠い夜空に、無数の星がきらきらと輝いている。
兄「遠くに行こうか」
妹「うん」
兄「妹はどこに行きたい?」
妹「お兄ちゃんの行きたい所」
兄「北に行こうか。静かな街で静かに暮らそう」
妹「うん」
兄「子供は何人がいいかな?」
妹「何人でも」
兄「たくさんだな、たくさん欲しい。寂しくないように十人、いや二十人だ」
妹「うん、十人でも二十人でも」
兄「なら急がなくちゃな」
私の手を放した兄は、石段の先を眺める。
お面を被った子供が、父親と母親に挟まれて、本当に、本当に幸せそうに笑っていた。
自然に私の手は、自分のお腹に触れていた。そこに宿っているかもしれない命に呼び掛けるように。
兄は不意に屈み込み、足元の掌大の石を握り締めた。
訊ねる間もなく、その足は石段を一歩くだり、視線はまっすぐに親子の方へと向いていた。
すぐに私は理解した。財布は空で、行先は遠い。必要になるのは、お金だ。
これから起きる事は想像に難くない。
私は殴られる父親と犯される母親、泣き叫ぶ子供を、他人事のように見るのだろう。
鈍い衝撃は他人事のようだった。
石段を転げ落ちる人の姿は遠ざかり、親子連れの足元で止まる。
悲鳴。母親は子供を抱きしめ、父親は倒れる人を揺すり、子供は不思議そうに眺める。
私の足はゆっくりと、倒れた人の方へ向かい階段を下りてゆく。
人を呼ぶためにか、父親は私の横を駆け抜ける。
子を抱く母の横、私は膝を着いて倒れる人の、兄の側に寄り添う。
兄「お前が……?」
妹「うん」
兄「なんで、だ」
妹「だってお兄ちゃん、また酷い事するでしょう?」
兄「お前は、僕を……愛して……」
妹「私ね、お兄ちゃんがずっと怖かったの。お父さんもお母さんも、お兄ちゃんに壊されて、死んじゃって」
兄「そんなの、関係ない……」
妹「知ってる? 私、好きな人がいたんだよ。その人、こんな私でも話し掛けてくれたの。でも、いなくなっちゃった」
兄「……」
妹「それでも、お兄ちゃんがどれだけ化け物でも、お兄ちゃんを変えられるかもしれないって思ったんだよ」
兄「僕は……」
妹「……」
兄「……化け物の、ままだ」
妹「うん。お兄ちゃんは、化け物だよ」
兄の握る石を奪い取り、私は頭目掛けて振り下ろした。
何度も、何度も、何度も、何度も。繰り返し、繰り返し。
私の荒い息に混じり、子供の泣き声と遠いサイレンが聞こえた。
やがて兄は動かなくなり、普通の人間と同じ赤い、赤い血に塗れていた。
化け物はもういない。そこには化け物だった人が死んでいる。
手放した石は血溜まりを跳ね、転がり落ちる。
私は兄の唇に口付けした。まだ温かい血は鉄の味がする。
「化け物を愛せる人なんて、いちゃダメなんだよ、お兄ちゃん」
返事はない。私は兄の頭を膝に乗せ、泣き続けた。
これで終わりなんだなぁ
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