十頭鬼具 (87)
刀語みたいなお話です。
似たり寄ったりな部分が多いと思います。
キャラクターに名前があります。
一度書き上げてからの掲載なので、一カ月に一回くらいの割合で貼れていけたらと思います。
江戸時代関係にあまり詳しくないので、矛盾があるかもしれません。
そんな感じのお話になります。
では、始めたいと思います。
SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1374121717
天下統一を成し遂げた時の天下人、豊臣秀吉による武装解除の法、刀狩りにより生じた全国規模での武器押収は最北端から最南端に至るまで、全ての村及び町で行われたのは、二百年以上前の話である。
そして百二十年ほど前に幕府という名前は消え、新たに帝都政権と呼ばれる政権が出来上がった。
新しい日本の形となると思われた帝都政権が初めて行ったのは、豊臣秀吉と全く同じ、名前だけを変えた武装解除の法、武具献上法であり、結局のところ御上が全国を実質的に支配する体制は変わらぬままだった。
それから目立った争いが無く、人々が戦乱という言葉を絵巻で知るそんな時代。
時は諸外国との交信も多くなり、鎖国と呼ばれる孤立した国家としての形に少しばかりの影が差し始めた頃のことになる。
道案内の男性に付いて行くように、森の中を歩く女性の姿があった。
見たところの年齢は二十七ほどと言ったところで、この国では奇異な目で見られることは間違いない金色の長髪、そして前を歩く道案内より頭一個分背の高いところもあり、とても目立つ外見をしていた。
その手に持った四角い物入れもそれなりに大きく、少しばかりの旅路を歩いてきたことを思わせ、服装もまた和服ではない物で、異国の服装であった。
その見た目から、この頃よく目にするようになった黒船と呼ばれる外国船の乗組員かその関係者であることは想像に難しくなく、案内の顔は緊張しているようだ。
彼女が諸外国の要人であるかもしれないと思えてくると、緊張してしまうのも無理はなく、異国の者たちは平気で人を屠る鬼のような者たちだというのが、当時の庶民たちの認識であったからだ。
少しして、女性が言葉を落とす。
「本当にこの先で間違いないのですか」
清楚な声、少しばかりの威厳が混じり合ったその音色に案内の緊張が増す。
「へ、へい、とは言っても、こんなけったいな場所に一体何の用事で」
「あまり詮索すると為になりませんよ」
その言葉を素直に受け取った道案内は、その先しばらくの間は口を開く事は無くなり、無言のままに案内を続けることになる。
幽閉林と呼ばれているここら一帯の山々は、帝都が指定する立ち入り禁止区域に当たる。
それほど監視体制も無い時代ではあるから簡単に入れるものではあるが、幽閉林のおぞましい様相から入るものは少ない。
四方を山に囲まれた中に存在する林、山を登っていくのはとても難しく唯一の入り口は洞窟だけである。
また十数年前まで、中に入って帰ってくる者は皆無であったこともあってか、地元の村民たちの間では、触らぬ神に祟り無し、猫も跨いで通ると言った具合に、存在そのものに触れてもいいことは無いと、暗黙の了解でまかり通っているのである。
では、ここに至ってなぜ道案内が行われているかと言うと、彼女が帝都から許可を得てここを訪れている人間だからである。
少し入り組んだ道を進み続け、そろそろ森に入って一時間と少し経った頃。少しばかりの疲れを女性が感じ取り始めたところで、案内が足を止め振り返った。
「残念ですが、私が案内できるのはここまでになりますので」
案内役の言葉が、案内の終わりを告げた。
案内人の目線の先には、地蔵がぽつりと立っているだけであった。年季が入ったそれは苔生していて、全く手入れをされていないのが分かり、これが到達点とはどういうことかと女性は地蔵を見つめる。
そして地蔵の裏方を見やれば、少しだけ人が通っていけるだろうくらいの細道があり、そして木々に隠れるようにして暗い口を開けた洞窟の姿が飛び込んできた。
「本当にこの先に何があるんですかね」
案内人は再び思っていたことを口に出す。別に返答を望んでいるわけではないが、気になっていることは言ってしまった方がいい、そんな抑える気の無い欲がそうさせたのだろう。
その言葉に、女性は少しだけ気まぐれな思案をしてから歩みを始める。何も言わずに去るのだろう、そう考えて案内人は来た道を戻ろうと踵を返したところ。
「あるではありません、最強のブキが居るのです」
顔を戻した時、すでに女性の姿は消え、案内はその後女性の行方を知ることはなかった。
森の奥の更に奥の奥地。人はまず立ち寄ることのないそんな未開の地に、その家は憮然と存在していた。
幽閉林と呼ばれる周りを岩石に囲まれ、一つの洞窟からしか行き来できない流刑の地。島流しならぬ、森流しと呼ばれる不可解極まりないこの刑は、有頂天下が治め始めたこの時代に置いて、表向きに行われた記録は残っていない。
残っていないが、実際にその刑に処され森流しにされたのは、型一族と呼ばれる者たちだけであった。
「ん〜、いい天気」
そんな言葉と共に家の中から飛び出してきたのは一人の少女であり、そのただ肌を隠すくらいにしかならない布切れのような服と、胸くらいにまで達するくらいの長髪を一つに纏めて左肩から流している。目は丸い月のようにクリクリとしており、身体はスラっとしていて無駄な筋肉を持っていないような印象を与える。華奢というよりはお転婆という言葉が似合う、そんな少女だった。
彼女は家から出てくるもう一人の影をのんびり待っているようだった。
「三日兄、今日もいい天気だよ」
「みたいだな。というか、なんでそんなに機嫌がいいんだ」
そう言葉を綴って家から出てきたもう一つの影、先に出た少女に比べると頭一個半ほど大きな背、これまた身体を少しばかり隠す程度の布切れのような服。そしてその節々から見える鍛え上げられた肉体を持つ男。見た目は屈強とも言えるが、その周囲を倦怠と呼べる気だるい雰囲気が漂っていた。
そんな彼は面倒くさそうにしながら、お天道様の明りに眩しそうに目を細める。春が終わってから少し経ったが、今日も一日良い天気なようだ。
「へへっ、今日は三日兄が当番の日だったね」
「……満月、昨日はお前が当番だったよな」
そう語りかける少女、名前を型満月といい、返答した男性の名は型三日月という。
朝が始まり、彼らがまずすることは生活用の水を入れておく桶の中を確認する作業で、今日はその当番が三日月であることから、のんびりとした仕草で桶の蓋が開けられる。
桶は二つあり、一つは大きさがかなりのものであり、満月と三日月についでもう一人が入っても余裕があるほどだ。
そして蓋が開かれたのは、その隣にある平均的な男性が一人すっぽり入るくらいの大きさの桶であった。
蓋を開けて三日月の表情が暗くなるのに時間は掛からず、それを見て意地悪そうに顔を崩す満月は、どこか楽しそうに桶の中を覗き見ていた。
「おい、満月」
「なんだい、三日兄」
三日月が言いたいことを満月は理解しているためか、その顔は終始ご機嫌と言った感じであった。
「あちゃー、水無くなっちゃってるね! まるで昨日の内に全部無くなっちゃってたみたいにも見えるね!」
それは間違いなく昨日の内に無くなっていたということだろう。
なぜなら朝一番にこの桶を開いて中を覗いたところ、すでに乾いた底板が顔を覗かせていたからである。それに昨日、最後に桶から持ってこられた水は、朝一番に満月が汲んできた物だけである。
つまり、満月以外はこの桶の中身を見てもいないし、いつもの水汲み当番の通りに行くなら、満月がこの桶に水を入れていなければならなかったわけである。わかりやすく言えば満月は昨日、水汲みの仕事をサボったということだ。
この場所から水汲み場まではそれなりに離れている。離れていることもあって、満月はそういうのが嫌いである。
何でも簡単、何でも単刀直入と言った感じに、楽できる方角に転がそうという考えは誰でもするようなことなので、しょうがないことではあった。
かなりの閉鎖空間、一つ森の中にいるのは家族と呼べる者たちだけで、外界の者と出会うことなど今までなかったが故に、一つの輪の中での人間性、価値観だけを持ったそういう存在が型満月なのである。
満月がその一部始終に喜んでいると。
「満月、三日月と一緒に水汲みに行きなさい」
家の中からもう一つ声がして、その声に満月の体がビクリと跳ねた。
その反応は結構なものであり、自身の天敵に街角を曲がって出会ってしまったように身体が硬直した。そしてカタカタしい動きで振り返る。
「で、でも、今日は三日兄が担当の日だよ」
家に向けてそう発言する満月であるが、今さっきのようなふざけた音色ではなく、少しばかり怯えたような声であった。
「なら、三日月を手伝ってあげなさい。それくらいできるでしょう?」
そう淡々と述べて家から出てきたのは、満月より頭一つ分ほど背が大きい女性であった。
満月よりも長く腰に届くかも知れないほどの長髪に、二人に比べてきちんとした服装、そして何よりも近寄りがたいような雰囲気を持つ女性。
型半月、三日月の双子の妹であり、満月の姉に当たる彼女は、太陽の眩しさなど気にしていないようにのんびりとした足取りで外へと現れ、満月との距離を詰めていた。
「あたし当番じゃないのに」
不満を我慢せずに口に出しながら満月は地面を蹴り、それを見ながら半月は一度溜息を漏らしてから、優しい口調で語りかける。
「ええ、でも手伝うことはいいことよ。水汲みだって修行みたいなものだから、それとも、兄さんと姉さんの言うことが聞けないのかしら?」
そのどう見ても脅しとしか取れない発言の効果は大きかったようで、満月は近くに置いてある背負い桶を手に持つとすぐさま走りだした。
「姉ちゃんだって、水汲み手伝えばいいじゃん!」
負け惜しみのセリフも付ける手際の良いその光景を見て、三日月はまたかという呆れた表情で、半月はどこか微笑むようにして満月を送り出した。
満月が水を汲んで来てくれると、三日月は家に戻ろうと踵を返したところで、その腕を掴まれる。かなりの力だったのでその握ってきた主に三日月は目を向けた。
「三日月も行きなさい、満月はあなたの手伝いをするために走っていったのよ?」
「…はい」
続いて三日月も、近くにある大きさにして置いてある桶の中を満たすには十分なほどの背負い桶を背負ったところで。
「満月はずっとこの森で過ごすのかしら?」
そんな質問を投げかけられて進めようとした足を止めた。
「それは、満月が決めることじゃないか?」
「そうかもしれないけど、満月はまだ十五よ。こんな場所で生きていくのは間違っていると私は思うわ」
「それには俺も同意するさ。でもさ、いきなり自由にしていいぞって言われても、満月は困るに決まってるし、右も左もわからないのに外になんて出られないさ」
そう言葉を締めくくり、三日月は満月の走っていった方角に歩を進め始める。
古今東西、生まれた地に骨を埋める者はいるが、それがこうした森の中だけで過ごし続けてということはまずないだろう。時にはどこかへ旅に出たり、色々なことに挑戦したりと人生には花があるものである。
しかし、満月は文字通りこの森の中しか知らないのである。
満月はそれでも気にしないようだが、半月と三日月はそれを勿体ないと思っている。
このような隔離された森の中、もうすでに先が無いであろう拳術の修行だけが取り柄の生活を続けていても、いいことなんて何もない。
この地にいて、この地で生きていくことに意味があるとすれば、それはそこに多くの人がいて、文化と呼ばれるものがある場合だけだ。
この森にあるものは型新月が授けた拳術だけだ。それ以外に何も存在しない、この場所にまだ若い満月を閉じ込めてもいいことなど無いと分かっている。
「このままでいても、満月の為にはならない」
参道を歩きながらに三日月は呟きを漏らした。
「でも、俺たちは外の世界のイロハなんて分かんねえ。いざ外に出たって何も分からないまま右往左往するに決まってる」
外の生活、それはもっぱら未知の領域であった。だからこそ、そんな領域に知識も常識も持っていない状態で出ることは、意味の無い事と結論付けるのだった。
誰か外の事を知っている人物でもいれば話は別なのだろうが。半月も三日月も外にいたことがあっても、外の事を知っているというわけではないのだ。
死ぬまでこの森の中で過ごすことしか今はできないと、そう落胆した思いが込み上げてきた所で。
「三日兄!」
三日月は満月の声が聞こえた事に気づき、その顔を上げた。
なんだか慌てた様子で走ってくる姿が見え、桶を壊すくらいしか今現在起きえる問題はないと思っていたので、また壊したのか、仕方ない奴だと思いながら近づいて。
「水汲み場に誰かいる!」
その言葉に少々驚いたのであった。
この森には湧水が沸いている所がある。
その水汲み場には、水を汲むのに適するように大岩が二つ置かれており、直接流れ落ちてくる水を汲むのに適した一岩、流れが緩やかになった水を取るのに適した二岩があり、そのうちの二岩の上に満月が見かけた人影があった。
林の中からでも見えるその姿に満月はなんとも興味津々であった。外から来た人間であり、しかも生きているのを見るのは生まれて初めてだったからだ。
髪は黄金で、外に住んでいる人間というのはそう言う奴らばっかりなんだろうかと、色々と興味が絶えない感じであった。
隣に座る三日月はその髪の色を見ながら、この頃の外ではああいう髪の色が流行っているんだろうかと、見当外れなことを考えていた。
何回か水を掬い、それを口に入れて飲んでいる。どうやら休憩中のようで、三日月と満月に気づいている様子ではなかった。
「三日兄、どうしよっか。問答無用斬り捨て御免?」
「お袋がいたら間違いなく即始末してただろうけど」
「母さん、そこらへん厳しかったもんね」
そう言葉を漏らしながら、満月は手に石を持って三日月をチラチラと見ている。それはこの石を投げていいかと問うものであり、三日月が頷けばすぐさま全力投球で石が水汲み場にいる人物に向かって飛んでいくだろう。
どこに当てれば致命傷になるのか、それを満月は理解しているし、この石が投げられそれをあの人影が避けられなかった場合、重症では済まない事を三日月も理解している。
満月は投擲に関しての技術がものすごく高く、投げれば十中八九狙った場所に当たるほどであるし、速度も威力も人並み外れている。だから命令次第で、あそこで水を飲む人物を殺すことなど簡単なことなのである。
しかし、三日月には今さっきの半月とした会話が頭を過っていた。
外のことをあまり知らない自分たちとは違い、あの人物は間違いなく外の世界を知っている。満月をここから出す理由作りには成るかもしれないと考えた。
欲というのは厄介な物だとよく言われるが、この場合はその人影にとって良い方角に働いたと言えるだろう。
三日月は決めたように満月の持っている石を奪うと、その場に置いた。いきなり攻撃するのをやめようという意思表示である。
「まぁ、まずは話してみよう。もうお袋はいないんだから、いきなり殺す必要も無い」
「そっか、あたしは三日兄に従うよ。それじゃ、お〜い」
満月は林から飛び出すなり、水汲み場にいる人影に向けて声を掛ける。少しばかり見ればわかるが女性のようで、屈みながら水に手を入れていたその女性は、立ち上がると同時に振り返る。
目を疑ったのは満月であり、三日月もまた目を疑った。
そう、それはこの二人にとって未知との遭遇とも言っていいものであった。満月は驚きに声を上げるのを止め、三日月は今さっき話してみようと提案したにもかかわらず、すでに臨戦態勢の構えを取った。
その変化に驚いたのは女性の方であり、手に持っていた四角い物入れをその場に置くと、肘を曲げて手を振る。
新手の武術か、それとも何かの合図なのか、満月に緊張が走る。山の中、久々に感じる重たい空気を前に長い時間が過ぎるかと思われる中。
「失礼、敵意を持っているわけではありません」
流暢な日本語でその女性は二人に話しかけた。
安心感を与えるという意味ではとても澄んでいる声であり、その言葉の端々からは敵意の欠片も感じ取れないことが分かると、三日月は手の構えを解いた。
一方、満月は三日月の後ろに隠れ、その女性をコソコソと見やるばかりである。未だに警戒を解くつもりはないようで、少しばかり威嚇するような眼差しで、女性を見抜いている。
「怖がらせてしまったなら申し訳ないです」
二人は確かに最初驚いた。その理由が何なのか、女性には皆目見当がつかないが、ここはとりあえず謝っておこうと考え謝罪し、三日月はそれに対して、こっちも驚いて済まなかったと謝り、満月は未だに怯えたままだった。
少しばかりの誤解が終わりを迎えたのにホッとすると、女性はその胸ほどに届く金色の髪を少し掻き上げてから、改めたように言葉を紡ぐ。
「ありがとうございます。しかし何を驚かせてしまったのでしょうか、この髪の色ですか、それとも服装でしょうか、それともこの入れ物。そなた達は一体何に驚いたのです?」
女性自身、自分の身形が他とは違うことを自覚している。服装だって和服ではないし、手に持った入れ物も日本という国ではなかなか見ない革製のもの、そして髪は金色だ。つまりこのどれかに二人は驚いたのだろうと推測したのだ。
その問い掛けに対して三日月は少しばかり考えてから、指摘するようにそれについて呟いた。
「お前、背が高いから」
そう言われて女性は自身の身長について思い出したようで、そう言うことかと頷いた。そしてよく見れば、三日月よりも頭一個分くらい自身の背が大きいことを理解して、尚更納得して頷く。つまりは、背の大きすぎる女性ということにこの二人は驚いていたのだ。
「背か、さすがにこれだけはどうにもならないから許せ」
自身の背の高さというのはどうやっても変えられない物で、遥か未来に現れる便利道具でも使用しない限り、縮めることなど不可能なことだった。
「もしかしてあんた、女に見える男だったりとか?」
三日月の素っ頓狂な発言に、さすがに馬鹿にされたような不快感を覚えて女性は抗議する。
「それは余りにも失礼と言う物だろ。ちゃんと胸だってあるし、声だって無駄に高いぞ。髪だって長くサラサラだ。これで女性だとわかるだろう」
そう言われて三日月は女性の形を確認する。言われた通り、胸は見る限りある、声も女性特有の高音であるし、髪は無駄に長いが手入れをしているようにサラサラとしている。
これだけの状況証拠が揃っているため、女性と見るのが間違いないだろう。
「それもそうだな」
彼女が女性であり、同時に敵意が無いということも分かったところで、次に聞く事があった。
「あんた、外の人間か?」
「正確には外の更に外の人間です」
女性はそう含んだ言い方をした。
外の更に外、三日月の後ろに隠れている満月は、森の外の外がどういうものかわからないため、桶の水を森と考え、桶を外にしてその桶の外を外と考えた。結果的に言うと、なるほど外の人間なんだなと軽く纏めた。
「外の人間が、どうしてこんな場所に?」
「用事があるからに決まっています」
「何の用事さ!」
女性の言葉に噛みつくように言葉を返した満月は、未だに女性の事を威嚇している。
正確には今さっき驚かされた仕返しに威嚇しているだけにすぎない。
なお、女性の方はそんな満月の心境など気にすることも無く、今ここで一番話ができそうな三日月だけに的を絞って言葉を紡いでいく。
「私は渡来メリーといいます。そなたの名前は」
「俺は、型三日月」
その名前を聞いてメリーと名乗った女性の眉が動いたのを二人は見逃さなかった。どうやら用事というのは自分たちに関係している事と理解した。
さて果たして誰に用事なのかということが気になったところである。
「型、ということは型新月の息子さんということでしょうか」
「お袋の事知ってるのか」
その質問に対して渡来メリーは軽く頷いた。
三日月の方は型新月、つまり言うところ実の母に会いに来たということが分かってか、少しだけ困った顔をする。会わせられない事情が存在するのか、それを感じ取ってはいるもののメリーは言葉を続ける。
「そなたの母親については名前を知っているだけに過ぎませんが、火急の用でここにやってきました。型新月に会わせてもらえないでしょうか」
メリーの言葉に三日月はどうしたものかと悩んでから、真実を告げる。
「残念だけどお袋はもういない」
その言葉にメリーの眉がまたも動き、その理由を問うたところ。
「三年前に死んじゃったよ」
三日月の後ろで未だにチラチラとメリーを観察していた満月がそう言葉を発し、それを肯定するように三日月も頷いた。
「そうか、三年も前に、か」
メリーの言葉には若干の落胆が籠っていた。遠路はるばるここまでやって来たものの目的の人物がすでに死んでいるのだから、それも仕方ないだろう。
少しばかりの同情を感じながらすでに話は終わったと考えて、三日月は持ってきている桶の中に水を汲み入れ始める。
桶の中に水を入れる三日月に合わせて、満月も水を汲み入れ始め、メリーは少しだけ考えるように二人を眺める。
自身よりは背の低い三日月と、それよりも小さい満月。
三日月は鍛えに鍛えた肉体を保持し、満月は俊敏に動けるように無駄な重みを身体に乗せていない身体の持ち主のようだと推測する。
戦闘に関して素人のメリーにも分かることだった。この二人に襲われたとして、自身が生き残ることはほぼ不可能なこと、そして痛み無く絶命できるであろう。
この二人が型一族が代々受け継いできた、人を殺めることに特化した殺戮拳術の使い手であるかもしれない可能性に、なんら不審を抱く必要も無かった。
そう、不信も抱かなかったし、同時になんら不満も無かったのだ。
メリーの用事というのは新月でなければどうにもならないことではなく、殺戮拳術の使い手であると同時に、腕がちゃんとしていればいいだけのことなのである。結果良ければ全てよし、それがメリーの信条としている事柄そのものであった。
水を汲み終えてそれを背負う二人、もう用は無いと言った感じに先に歩き始める満月と、それの後にのんびり続く三日月。
丁度メリーの真横で止まる。
「無駄足みたいで悪かったな」
だからそう言葉を投げかけてくる三日月に対して、メリーはどこか何を言っているのですかという表情を向けていた。その顔にすでに落胆の色は無く、同時にどこか自信に満ちた色があり、その変化に対して満月が人一倍警戒を強くしていた。
そんな警戒の視線を受け取りながら、メリーは言葉を紡ぐ。
「別に新月がいなくても問題はありません。一つお聞きしますが、今は誰が武鬼の継承者になるんでしょうか」
武鬼(ブキ)、その言葉を聞いて三日月と満月は驚いて目を丸くしていた。
まさか、外からやってきた人間の口からその名前が挙がるとは夢にも思わなかったからである。
「なんだ、武鬼の事も知ってるのか、あんた何者だよ」
「それは追って話しましょう。少し疲れてまして、座って話せる場所は無いでしょうか」
そのメリーの提案に満月は反対するような視線を向けていたが、三日月としては話を聞いてみた方がいいかもしれないと考え、それに従って足を家へと向けるのだった。
「そうですか、長旅でわざわざ来てくださいましたのに。残念ながら型新月は三年前にこの世を去っています、申し訳ありません」
半月は自身の母親に会いに来たメリーにそう謝罪した。一体何に関して謝罪しているのかは良くわからないが、その謝罪を受け取ることでまず一つの話が終わる。
型新月に対する用事が今終わったということである。
外の桶に水を入れ終えた三日月が戻り腰を下ろすと、いっしょに作業をしていた満月は半月の膝の上に座りながら、メリーをチラチラと見ている。
まだ警戒が抜けていないようであるが、それをどうにかしようともメリーは思っていないので本題に入ることにした。
本題、つまり型新月でなくとも良かったという本題である。
「結局の話ですが、新月でなければいけない理由はないのです。私が欲しているのは武鬼の継承者なのですから」
武鬼、その言葉を聞いたところで半月もすこしばかり驚いたように眉を動かして答える。
「はい、私達は確かに武鬼拳術の継承者ですけど、一体どういった要件なのですか?」
半月の質問にメリーは少しばかり間を置いてから、事の始まりに関して口を開いた。
「まず、私について説明しておきますと、私は外来特別調査隊特別諜報員という役職に就いている者です」
外来特別調査隊特別諜報員、それが渡来メリーの就いている役どころだそうである。
満月は噛み噛みに復唱し、三日月は文字の長さに首を傾げ、半月は短く興味なさそうに、そうですかと言葉を添える。
「かねて私の所属している外来特別調査隊は諸外国との有益な外交手段確立のため、遠征及び諜報活動などを主に行っておりました。今世を支配している帝都政権が樹立されてから、すぐに発足されたと言われています。そして現在、私達の活動により、西の大国との貿易交渉に臨める準備が整い始めております。これは長きにわたる鎖国を続けてきた我が国に、新しい流れを生み出すことが間違いないものです」
鎖国という言葉を聞いて、満月は首を傾げ、三日月はよくわかんないけどなと呟き、半月はそうですかと言葉を漏らした。
日本は幕府があった時代から、鎖国らしい形を取って来ていた。そして鎖国が完全に完成したのは帝都政権の発足より二十年ほど前の話に当たる。つまり、ある意味一般常識とも言えるのであるが、この三人には関係の無いことのようだった。
そんな鎖国を続けてきた日本が、鎖国を止めるという第一歩の活動となり得るかもしれないのが、今回の西の大国との貿易交渉らしい。
「ですが、鎖国を解除することに大きく反対している者たちがいるのも確かです。主に農民に位を付けている者たちや、秘密裏に諸外国の物資を仕入れ売り捌いている商人たち、数えればキリがありませんがそう言った輩たちの大規模な反乱も予想されているのです」
鎖国を解除することで日本全土に広がるかもしれない波紋や反発、それを帝都政権は恐れているのだとメリーは語る。
つまり、最悪大乱が起こるかもしれないということなのだそうだ。この百年ほどの間で帝都政権は盤石とも言える平和を続けてきたのだから、恐れるのは間違いないことであったが、ここに来て一つの疑惑が持ち上がった。
「それと、俺たちの武鬼に何の関係があるんだ?」
三日月はそう言葉を漏らしてメリーを見た。
たしかにここまでの話を聞く限り、武鬼の出番はどこにも見当たらない。
ここまでの話は外交上のお仕事だ。反乱についても起こさないように取り計らうのは政権の仕事である。そして拳術を学んできたこと以外に何も持っていない型の面々には、まったく関係の無い話であった。
それは半月も思っていたことらしく、これで新月に話が持ちかけられていたならば、ここで即刻打ち首にされていたかもしれないだろうと考えていた。
即ち、まだ武鬼の出番はどこにもないのだ。
不信を含んだ目でメリーを見る二人に対して、分かって無いようですねと、溜息を漏らして言葉を続ける。
「話は最後まで聞くものです。言ったでしょう、私たちは外国との貿易における有効な手段模索していますと」
「まさかとは思いますが、反乱分子の全ての首を差し出すとか、そう言った事ではないですよね?」
半月の質問に対して、メリーは少しばかりの沈黙を待つ。
図星や言葉がないということはないだろうなと三日月が思い始め、満月が大きな欠伸をし、半月が動かないままに見つめ続けていると。
「脱法刃」
その単語が飛び出した。
「なんだそれ」
三日月の言葉が部屋に漂い、半月も首を傾げ、満月はうとうとと舟を漕いでいた。
脱法刃、いきなりの言葉の出現に困惑する二人を尻目に、メリーは得意げに口を動かし始める。
「百年以上前に行われた武具献上法を知っていますか?」
「確か村町関係なく一定量の武具を持つことを禁止し、過剰量を帝都政権に献上しなくてはならない法、でしたでしょうか?」
半月の答えにメリーは頷くことで答えとした。
「槍、刀、剣、鉄砲などの武具を一定量所持することを禁じた法です。地方奉行や大名などの反発も大きかったのですが、結局実行されました。時の天人たる有頂天元が最初に行った政策としても有名で、その際に押収された武器は諸外国に貿易商品として贈られ、高い評価を得たと聞いています」
武具を外交の懸け橋とする。すでに百年前から諸外国との手探りの交友関係が始まっていたことに、三日月は少しばかり感心していた。しかし、今の話からは見えてこない脱法刃の存在には、まだ首を傾げるしかなかった。
だからメリーの話は続く。
「しかし、地方奉行や大名たちにとって武器が無くなることは死活問題でした。まだ戦乱が終わりを迎えたばかりの世、何時また大乱が始まるかもわからない中で、手持ちの武具が少なくなることは命を奪われるのと同じこと、そこで始まったのが武具の所得隠しです。実際の保有数を誤魔化して報告し、献上するというよくある誤魔化しです」
満月はついに眠りに入り、三日月の膝枕を使うに至る。三日月も若干飽きてきたようで、欠伸が絶えない様子だった。半月だけは未だに動かずにいた。
「しかし、それも長くは続かず武具隠しによって一つの大名家が根絶やしにされました。所謂見せしめというもので、この効果はとても大きな影響を与えました。武具を隠すことは寿命を縮ませかねないと、そうした背景の中で生まれたのが脱法刃になります」
「やっと脱法刃の説明に入るのか、ちょっと話長いぞ」
やっと出てきたキーワードに三日月はようやく欠伸を止める。興味のない話を真摯に聞けるほど、型一族は真面目ではない。
「歴史の勉強みたいなものです。そなたたちには初めてのことかもしれないですが、耐えてください」
一方的に耐えろとだけ言葉を添えて、メリーは脱法刃についての話を始める。
「脱法刃と呼ばれるものの多くは隠し刀が殆どです。たとえばこれですね」
そう言ってメリーは持っていた荷物入れを開くと、小さな扇を取り出して広げて見せる。
「ただの扇でしょ」
「そう思う?」
何時から起きていたのか、面白くなさそうな顔をして満月が発言するのを見て、メリーは待っていましたと言わんばかりに荷物入れから半紙を取り出すと、それを満月に持つよう指示する。
何気に素直なもので満月はそれを持って立ち上がると、腕を伸ばして半紙を宙に浮かせる。ヒラヒラとした半紙に向けてメリーは開いた扇を向けた。
「なんだ、扇で風送りでもするのか?」
「まぁ、見ててください」
そう言ってあまり決まっているとは言えない格好を取ると、扇を開くとそのまま勢いよく半紙に扇の外縁が当たる様に横に一閃して、その変化に満月は驚いて手から半紙を落とした。
半紙はヒラヒラと空中に浮かび、やがて途中で二枚に分かれて下に落ちた。
満月は今さっきまで警戒していたはずのメリーに歩み寄って、扇以外に何か隠し持ってないかと見てみるが、そんなものはどこにも存在しなかった。
「い、今のどうやったの」
「ここを見て見ればわかりますよ」
そう言って扇の外縁を見せ、それを良く見れば扇の縁の間にキラキラと光る何かがある。一体なんだろうと目を凝らして見てみれば、それが刃そのものであるということに、満月は気がついた。
「その昔、地方大名の命を奪ったとされる閃子の模造品になります。人の喉を掻っ切るくらいは簡単に行えますから暗殺道具の一つとして使われていたらしいです。こうした全く武器のように見えない刃、見ただけでは法に触れない刃、故に脱法の刃、つまり脱法刃と呼ばれているわけです」
脱法刃の説明はつまり読んで字のごとくである、そのトンチの様な名前に三日月はなるほどと頷き、満月は今さっきの仕掛けに心躍らせていた。
で、ここまでの話を聞いて半月が静かに手を上げる。
「それで、その脱法刃を集めるのがメリーさんの仕事なのですか?」
「つまりそう言うことになります」
そうメリーは肯定して
「しかし、脱法刃は脱法刃でも私が必要としている物は、実はこれらなのです」
そう言葉を足して、再び荷物入れからまとまった半紙を取り出すと、見せるようにして満月に手渡す。満月は文字というのが読めないので、困ったように半月の元へと歩み寄った。
「姉ちゃん、読めない」
「そう」
上から『土鬼、鈍鬼、利鬼、書鬼、陶鬼、機鬼、名鬼、磁鬼、銀鬼、凶鬼』と並んだそれら。
一体何のことなのだろうと満月が首を傾げたところで。
「これらは武具献上法が行われるよりも前に作られた脱法刃、私たちの間では十頭鬼具と呼ばれている脱法刃です」
「ちょっと待ってよ」
その発言に喰いついたのは満月であった。今さっきの話と、この鬼具の矛盾点に気がついたようで、その間違いを指摘するように口を開いた。
「そもそも脱法刃ってその、なんだっけ?」
「武具献上法ね」
「そう、その法案ができた後に作られたんでしょ? だったら、その法案ができる前にできたこれが脱法刃って言えるの?」
その質問はまさにその通りであった。脱法刃と呼ばれる概念が出来上がる前にできたこれらの鬼具が、脱法刃であるのはおかしな話である。
だが、その疑問こそメリーが言わせたかったことらしく、その表情はとても輝いていた。
「そう、これらが脱法刃と呼ばれ始めたのは、脱法刃が普及し始めたころからのことなんです。本当の話をすると、有頂天元が行った武具献上法はこれら十頭鬼具を集める口実だったらしいです」
「なるほど、有頂天元が本当に欲しかったものは、この十頭鬼具だけだったというわけですね。ではなんで手に入れられなかったのですか」
その半月の質問にメリーはまたもや自信満々に答えを返す。
「それはこの十頭鬼具、そのほとんどが武器と呼ぶにはあまりにもかけ離れた形をしていたからに他なりません。収集対象は武具でしたので、そうは見えない形、そうは思われない形をしていた武器、それが十頭鬼具です。その武具に見えない所から生まれた言葉が脱法刃になります。つまりこの十頭鬼具こそが脱法刃の始祖とも言えるわけです」
全て言い切ったところで、メリーは淹れられた御茶に手を伸ばして一息吐く。全てを言い終えたという完了感がそうさせるのだろうか、その顔は何処か清々しくも見えた。
「で、これが俺たちと何の関係があるんだ?」
そこで再び槍を入れたのが三日月であった。確かに脱法刃も十頭鬼具の事もそれなりにはわかったが、まだ具体的に三人は何を頼まれているのか理解していないようだった。
メリーとしては、もうここまできたら私が頼もうとしていることを理解してくれてもいいんじゃないでしょうかと、内心愚痴りながら言葉を続ける。
「はい、一年後に初めての開国議会が行われるのですが、まだ天人たる有頂天下は開国に慎重なのです。それはもちろん反乱に関してのことに重きを置いています。できればその反乱が起きないよう、悪く言えば地方やその他諸々の勢力が逆らえないようにするための抑止力が欲しいわけです。そして地方の有力者たちは十頭鬼具の存在について良く知っていたりするのです。その価値や強さもです」
それを聞いて半月がのんびりと顔を上げて、分かったように口元を崩した。
その様子を見ていた三日月も察した所があるようで、何も言わずにただ半月の発言を待つことにする。
満月は読み方のわからない文字を見ながら、首を傾げてばかりであった。
「つまり、ここに書いてある脱法刃の始祖である十頭鬼具。それを掻き集めたいということでしょうか」
半月の発言に対し、メリーはやっと理解してくれたと頷いて顔を上げる。
「そういうことになります。ですが私の様な弱い人間では、その全てを揃えるのに何百年と時間を掛けなければならなくなります。そこで武鬼継承者である型一族に協力要請をしに来た次第なのです」
「別に集めるなら、普通に集めればいいんじゃないか?」
「それが一筋縄ではいかなくてですね…」
ここでメリーは本当に困ったように表情を崩した。今さっきまでの優勢だと思われていた状況も、ここに来ると少しばかり後退することになる。
今さっきまでの勢いが消え、どうしたものかと悩んでいる中。
「いっぱい失敗したってことじゃない?」
満月の気の抜けていながらも、見事に的を射抜いた発言にメリーの身体が動き、首がまるで壊れかけの人形みたいに重く動いた。
当てずっぽうに失敗を指摘されるのは、精神衛生上良くない。
それもそうで、今から話す事というのは帝都政権の失態に他ならないからである。しかも、これがまた聞いたら呆れられそうなものばかりであり、どこから説明すべきかと悩んでいると。
「そうですよね、ここまで自信満々に話を進めていたのに、ここにきて失速するっていうのは、つまりとても恥ずかしく、むしろ聞かれたら呆れられてしまうような失敗を話す時くらいでしょうし」
「はい、そうです。その通りです」
これ以上推測で的を完全に射抜くのをやめてくださいと、メリーは頭を下げる。
人の失敗なら話していて楽しいが、この失敗のほとんどはメリー自身が関わっているので、話すのが辛いということをこの三人は理解すべきだろう。
一息呑みこんだところで、メリーは重々しく口を開いた。
「最初に取りに向かったのが凶鬼でした、選りすぐりの先鋭を集めて向かわせたんですけど」
「全滅させられたあげくに、何も成果が出なかったというわけですね」
メリーは不機嫌そうに顔を歪めた。
「次に帝都政権が囲んでいる黒子人柱という裏稼業の集団に協力してもらいまして、『土鬼』柔姫の収集に向かい、手に入れることに成功したのですが」
「まさか、その黒子とか言う奴らに盗まれたとかじゃないだろうな。まさかの話だけどさ」
メリーは何も言わずに暗い顔になった。
「なら、他の鬼具の所在を確かめようと諜報活動に勤しんだところですね」
「何も分からなかったんだね」
メリーは横に倒れた。
つまり、どんなことをやってもうまくいかず仕舞い。こうして結果が出せないままに時間が過ぎてしまったということで、聞いてみれば相応の処罰を受けているのではないだろうかという失態を、最低二回行っているのである。
「そんな失敗をして、よく生きて来れましたね。打ち首になっていてもおかしくないはずでは?」
「私は少し事情がありまして、どうにか処罰を免れました。まぁ、次はないでしょう」
そう言葉を締めくくり、メリーは改めて三人に向き直って真面目な表情のままに呟く。
「つまり、私に次は無い状態です。だからそなたたちに私の手伝いを頼みに、はるばるやってきた次第なのです。どうか、私の仕事の手伝いをお願いできないでしょうか、この通りです」
そう言葉でまとめ、頭を下げた。
何ときれいな土下座だろうか、これほどまでに綺麗な土下座は見たことがないと満月は思いながら、その分何度も土下座をしてきたってことなんだろうと理解する。
しかし、手伝うという決定は満月の仕事ではなかった。大抵の決定は三日月と半月が行う。
「うーん、半月どうするか?」
「まだ一つも鬼具が手に入っていないとなると、長い旅路になりそうね」
「そうだな」
三日月はそのまま視線を満月に向けた。
それに続いて半月も同じように満月へ視線を向ける。
二人の視線が自分自身に向いていることに気がついた満月は、そのいきなり向けられてきた視線に戸惑いを覚えつつも、何か決めたみたいだなと理解して言葉を待つ。
少しばかりの沈黙、外からは風で木の葉が揺れる音が聞こえ、二人の決断を迫る様に沈黙が静かに歩み寄った。
その次の言葉をメリーも満月も待ちわびて、手に自然と力が入ったところで。
「ところで、そんなところで立っていてもなんですから、入ってきたらどうですか? メリーさんの付き人なのでしょう?」
そんな言葉が部屋の中に漂い、一体何の事かとメリーは首を傾げ、満月も同じように入口の方へと目を向けた。三日月と半月はすでに知っていたように動こうとはしなかった。
少しばかりの静寂が流れ、半月の妄言かとメリーが呆れたように溜息を漏らしていた。
ここまで来るのにどれほどに忍んできた事かと、上の者にも報告はしていないし(どう考えても、これ以上成果なしで報告しにいけるわけがない)、ここまでの道程で話をした人数も少なく、この幽閉林の案内人も一人だけだ。
そう、一人だけなのだからありえるわけがないのだ。部下など今はいない身であるからこその単独行動であり、だからこそ隠密行動ができるのである。
メリーは自信を持っていた。私の隠密的に進めてきたここまでの旅路は完璧であったと。
「むほほ、これは驚きましたねぇ」
メリーの持つ旅路完璧理論は早くも否定されることになった。わずか数秒の自信が崩れ去ると同時に、崩した相手はどうやら感づかれたことに驚いているようだった。
「まさか、気づかれていたなんてねぇ」
そんな声が聞こえてきたが、その主は家の中に入ってくる気配はなかった。家の外から威圧をぶつけ、それにメリーが表情を曇らせる。
いや、威圧に曇らせているわけではない、その声に覚えがあったからである。
しかも、できれば聞きたくもない声であったことが、彼女の表情の変化の原因である。そう聞きたくない声、それは裏切り者の声に他ならない。
「その口調、巨男ですね」
メリーの乾いた声が部屋の中に漂うと共に、外から聞こえてくる声は愉快さを増した。
「むほほ、覚えていてもらって光栄ですねぇ。吾輩、そして鈕と一緒に土鬼を回収した以来ですから、もう忘れられているんじゃないかと心配にもなっていましたからねぇ」
姿を見せない相手ではあるが、それに対してのメリーの言葉から察するに、この家の外にいる何者かが話にあった黒子人柱の者ということだけを半月と三日月は理解した。
どこか感じる女っぽい言葉使いと、その男だと隠すことのできない音色、所謂オカマと言う奴であり、話し方の端々に感じる女っぽさがなんとも言えない感覚を満月に与える。
「まったくねぇ、吾輩たちの事を他人に話しちゃうのは駄目駄目ねぇ。黒子人柱の話は他言無用っていうのが、あなたたち帝都政権と交わした約束なのにねぇ」
「土鬼を手に入れた途端、それを持って行方を眩ませたあなたが何を言うかと思えば、私を笑い死にさせたいようですね」
「そうだったかしらねぇ、謝るわぁ」
「そうですか、なら謝ってもらえますか? 私がした以上に美しい土下座で、謝ってもらえますか」
その挑発的な発言の後、二人の会話は止まり静かになる。
メリーの手には先の閃子が握られているが、全くと言っていいほど頼りになるとは思えない。あんな隙だらけで、形も取れていない構えでは、脅威にすらなり得ないと言ったところだろう。
そんなメリーを壁一枚向こうにしている巨男と呼ばれる何者かは、少しばかりの沈黙を置く。何か策を練っているのか、それともすでに逃げたのか、メリーの考えがグルグルと頭の中で回っていると。
「メリー様、あなたを裏切って……」
外から声が聞こえ始める。
それは確かに謝罪の声である。そう謝罪の声であったが故に、メリーはどこか勝ち誇ったような顔をし、満月は特に興味なさそうに欠伸をした。
だから、すでに理解していた二人が動いた。
メリーを三日月が、満月を守る様に半月が二人を床に文字通り密着させるほどに押し倒す。
回転する視界と、身体の正面全てが床に接触した感触。
何が起きたのかメリーには理解できなかった、三日月に押し倒されたという結果だけがあるわけで、それに対して何かを言おうと後ろを確認した所でそれは起きる。
見えたお世辞にも新しいと言えないボロ天井、それだけしか見えていなかった光景の中を、何かが一瞬にして通り過ぎたような感覚。風に舞った砂埃が顔に降りかかってくる。目を瞑ってそれを乗り越えると、再び目を開いた先には青い空が広がっていた。
一瞬の破壊劇、その全てを理解できるだろう者はやった本人だけであり、同時にその結果を誇れるのもまた、やった張本人だけである。
「むほほ、ボロいお家ですねぇ。新しい丈夫な家を作れるように取り計らってしまいましたねぇ」
そう言って型一家の寝床を一瞬で破壊した黒子人柱の一人。
メリーと同じほどの高身長とその筋肉質な身体、そして不思議なほど巨大化した両腕を見せつけるようにしてポーズを決めていた。
「それと、初めましてかしらねぇ。黒子人柱、一柱巨男。以後よろしくねぇ」
最後に取ってつけたような自己紹介が、辺り一面に静かに立ち込めたのであった。
「お久しぶりねぇ、羊ちゃん」
「いつ聞いてもそのオカマ口調と、上半身裸で筋肉モリモリなのは隠せないようですね、巨男」
「ふふっ、いいでしょこの筋肉、吾輩の自慢だからねぇ」
そう言ってポーズをとり続ける巨男。頭は完全に坊主であり上半身は見間違えないほどの強靭な肉体である。
そして今さっきまで異常なほどに巨大化していた両腕は、大きいには大きいがその体格に似合った物に戻っており、何か仕掛けがあることを表していた。
「そうですか、それで土下座はどうしました。私、ちゃんと見てないんですけど」
「もうしたじゃないの、土下座したついでに、あんたと周りにいるその細い奴ら一緒にハグハグしてあげようと思ったのにねぇ。勘が鋭いのが何人かいるみたいで残念ねぇ」
「生憎、私もそれなりに勘の鋭い方ですから、あんな攻撃避けるのも容易いことです」
自信満々のその発言に対し、三日月と半月の表情が一気に曇ったのは言うまでも無いことである。
土下座していると思い込み、勝ち誇った表情にすらなっていたメリーが勘の鋭い方にも思えないし、それに勘が鋭いなら裏切られるなんてことになるわけがないからだ。
それは巨男も同じことを思っているようであり、愉快そうに笑う。
「むほほ、勘が鋭いねぇ。ならこれは予想できるかしらねぇ」
巨男はそうして腰にぶら下げているというよりは、そこに設置してある人間の肘から指先までもがすっぽり入りそうな筒のような物体を見せびらかす様に揺らす。
それを見てハッとしたのがメリーであった。明らかな動揺が見てとれ、それが嬉しいのか巨男は面白おかしく笑い始める。それは彼にとって今世紀最大の愉快痛快な出来事であったようだ。
「むほ、むほほ。それはびっくりするわよねぇ。こんなものを持って行動しているなんて思わないものねぇ」
そう言って見せびらかす様に握っているそれをゆらゆらと揺らす。見たところは本当に落としてしまったら割れてしまいそうな脆い土細工に見える。表面にはどこかの姫を象った装飾がされており、芸術品のような印象を与える。良くできた工芸品というのがそれを初めて見た人間のほとんどの意見だろう。
しかし、メリーには分かっている。それが芸術品でないことも、そして一味違う存在であることも。
「まさか、土鬼『柔姫』を持ち歩いて行動していたなんて、驚きを隠せませんね」
鬼具・土鬼『柔姫』
それこそが、この土細工でできた芸術品に見える物の名前であり、十頭鬼具の一つであった。
「むほほ、この美しい芸術品、吾輩が持ち歩くことで美しさが際立つってものよねぇ」
そう言ってスリスリと頬擦りする姿はなんとも言えないものであり、メリーはその気色の悪い光景に自然と目を逸らすと同時に、どこまで話を聞かれたのかと考え始める。一体いつからいたのだろう、その答えは半月が呟いてくれた。
「メリーさんのお付きではなかったのですね。話が始まった当初から居ましたから、てっきり、交渉が決裂した際に私達を殺す役割の方かと思ってました」
そう短く纏める。
半月の胸の中には少しばかり何が起きたか理解していない満月がいた。怖がっているわけではなく、本当に何が起きたのかイマイチ理解できていないらしく、なんでいきなり天井が吹き飛んだのかを、のんびりと考えているようであった。
「むほほ、いえいえ、ある意味間違ってませんねぇ。貴方達、吾輩が所属する黒子人柱の話を聞いちゃったもんねぇ。うんうん、これは残念って言わざるを得ないわねぇ。できれば吾輩達が動いてる事、知られたくないのよねぇ」
そう言いながら巨男はその腰に取り付けた柔姫を持つと、そのまま右腕に装着する。正確には腕を入れているといった感じであり、その装飾もさることながら巨男の気色悪さをさらに際立てている。
「別にあんたらの邪魔をする気なんて俺たちにはないぞ。メリーに用事があるのなら、連れ去ってもらって一行に構わん」
「そ、そなたたち」
メリーからの恨めしい視線を受け取りながら、特に気にすることも無いように壊れた家の破片を拾い始めている三日月はそう呟き、新しい家を作る必要があるんだろうなと頭を掻いた。
「関係ないわぁ、な・ぜ・な・ら、知られること自体がまずいからよ」
そうして巨男が形を取った。それは明らかな攻撃宣言でありメリーの顔に緊張が走った。
疑いようのないことだった、巨男はここにいる四人全員を殺す気なのだ。それにここにいる三人に協力を依頼したとしても、実際強いかなんてことは見てみなければわからないことだった。武鬼の継承者が強いというのは資料などを通しての話である、幽閉されたこの長い間に力が弱まっている可能性だってある。
そしてなにより、この三人がメリーを守ってくれる保証が、今現在どこにも存在していないことが一番問題だった。
メリーの立ち位置は一番巨男に近い場所である。巨男ほどの腕があれば、メリーなどすぐに絶命させることができるだろう。そう、容易く殺されることは間違いのないことだ。
頼りになると思われた型一族は、誰しもが動くつもりがないようである。いくら人を殺せる拳術でも、人を殺したことがなければ話にならないのだ。人を殺すという意味すら、型一族は知らないのではないかと、メリーは思い始めていた。
「まぁ、なんだねぇ。羊ちゃんには少しだけ話が聞きたいから生かしてあげるわねぇ。他の人たちは、邪魔だから死んでねぇ」
どうやら、メリーはここでは生き残れるようであるが、それも何時までかは全く分からないと言ったところだった。どちらにせよ、ここで終わるという可能性が濃厚になったところ。
「って、おまえ!」
いきなり元気な声が飛び出し、素早い動きでメリーよりも前に立つ人影が現れ、すぐさま構えて対峙する。
突然の乱入者に対し、メリーは驚き巨男もすこし以外だと顔を崩したが、その姿を見て顔を意地悪そうに歪めた。
「むほほ、お嬢ちゃんどうかしたのかしらぁ? 最初に殺されたいのかしらぁ?」
巨男の自信満々の表情の先、すでに型を取っている満月の姿があった。今さっきまでの半月の胸の中でのんびり考え事をしていたとは思えないほどに、生き生きとしている。
「うるさい、あたしは怒ってるんだ。これじゃ雨風凌げ無いじゃん」
怒りのベクトルは違うが、その怒りは本物であるようで家を壊された仕返しを、巨男に施すつもり満々であると言った感じであり、まさに怒り心頭と言ったところだ。
「そうですねぇ、それは悪いことしちゃいましたねぇ」
悪びれる様子も無くそう言葉を連ねる巨男。
「土下座したって許さないからね」
どうこうあろうと許すことはないらしい満月。その返答が気に入ったのだろう、巨男は目に見えるほどの上機嫌な笑みを浮かべると共に、挑発的に煽るよう言葉を発する。
「あらそう、ならそうねぇ。雨風凌げないのはとてもかわいそうだからぁ、吾輩がそんな心配しなくていいように、殺してあげるわねぇ」
「問答無用!斬り捨て御免!」
二人の中での認識は倒すことくらいしかすでに無く、この会話の応答はまさしく勝負の始まりに他ならなかったのであった。
会話の終わりと同時に、満月が一気に走り始める。
草を、土を、石を踏みつけて走る姿は俊敏な動物のようであり、そのしなる様な足の動きはまさに獲物を追う捕食者の姿そのものである。
早い、普通の人間では見てから判断する前に、頭が混乱し気づけば倒れ伏しているであろうことは間違いない速度の接近速度であり、それに驚いているのは傍観者であるメリーだった。
内心子供と思っていただけに、そのギャップには凄まじいほどに驚きを禁じ得なかった。
やがて迫りつつある間合い、満月は自身が得とする技、『円月』を繰り出す構えを取る。
一歩踏み出して右手を腰に回し、そのままもう一歩踏み出して左手を右肩まで回す。身体を捻る準備が整う。
小指から手首に掛けての輪郭、その部分だけを使った回転切りであり、その威力は常人の腕を圧し折り、最悪肉をそぎ落とせるほどである。何度も繰り返した練習は驚異的な遠心力と正確な打点調整、それらを一寸の狂いも無く行えるほどに完成させている。
何本もの木をへし折り、何本も木を切り倒し続けてきたが故の今の形、それは間違いなく綺麗に決まれば相手を殺す刃になるだろう。
満月が自信を持って繰り出せる、それが円月なのである。
しかし、ここに来てなんではあるが、満月には重大な問題があった。
根本的な話をすると、これは殺し合いであり、殺し合いで優位に立つ者は戦闘経験の多い者である。出鱈目に、がむしゃらに強いという者は確かにいるが、満月は所謂その出鱈目に強いという性質ではない。満月にとって、これは初めての実戦。初めての殺し合いなのである。
そして、相手である巨男の実戦経験は満月とは違う。そう、違うのである。
ここまで生きてきた中で巨男が培ってきた戦闘技術や、戦闘能力、そして戦闘経験は満月のように練習だけを続け、実戦を体験したことの無い相手に対して大いに発揮される。
つまり、殺し合いにおける優位さに置いて、巨男は数倍上なのである。
「むほほ、お嬢ちゃん、本格的に動く相手と闘った事無いのねぇ」
そう言って巨男は自身の左腕を前に出して、そのまま突撃してくる満月を待ち受ける。
「円月!」
強く地面を蹴り遠心力を掛けた手刀が巨男の腕にめがけて繰り出される。風圧さえ感じるその力強い輪郭線はまさに空に円を描く月の軌道の如く美しいものである。
その攻撃を前に巨男は。
「むほほ」
そう気味の悪い笑みを浮かべたままに、むしろ余裕が感じられるほどに落ち着いた様子だった。
「黒子術『戦値移動』」
その言葉と共に目に見えた異変が起きた。守る様に出された左手、その左手が見る見る大きくなっていく。その速度はもう少しで円月が届くというのに尚早く、その鋼のように引き締まり巨大化した左腕に、円月が触れると同時に甲高い音が響くと満月は一気に飛びのいた。
間一髪であった。そのまま居れば左腕に顔面を叩き割られていたことだろう。空を切る巨男の左腕は未だに大きなままであり、少しばかり避けられたことに喜んでいるようでもあった。
「むほほ、お嬢ちゃん勘だけは鋭いのねぇ」
「おっさん、その腕なんだよ。太くなってる」
そこには先の時、家を破壊した時よりも幾分か大きくなっている巨男の腕があり、それを誇らしく見せびらかしながら巨男は構えを取る。
「むほほ、これが吾輩の持つ術、戦値移動よぉ。詳細は教えてあげないわぁ」
そう言うと同時に、今度はこちらの番と言わんばかりに巨男の巨体が動き始める。大きくなった左腕を使った強烈な薙ぎ払い、腕に当たれば骨が折れ、腹に当たれば内臓は破裂することは間違いないであろう攻撃の連打。
その巨体に似合わないキレのある速い動きは、満月に劣るものの驚異的なものである。何回も行われる攻撃を避け切りながら、反撃の機会を窺う満月もまた驚異的な動きである。
そして、その動きもだんだんと遅くなっているのを満月は察する。
同時に大きくなった腕もだんだんと小さくなっていくのが目に見てとれ、いずれにせよこれは勝機があると踏む。後退し続ける自身の足に気を配りながら、三連撃を主に使用してくる巨男の動きを見切る。すでに同じようになっており、三回目の返しが若干遅いことはすでに見抜いている。
その合間を縫うように満月は三回目の返しで一気に後退する足を前へと進める。頭の上を巨大化した左上が通り過ぎる気配、そのまま巨男の背後に回り込むように足で地を蹴る。
ガラ空きの背中が見え、そこに向けて打撃を繰り出そうと勢いよく腕を腰まで弾く。この距離なら外すことも無い、攻撃を仕掛けようと身体を動かしたところで目線が少し外れ、その際に巨男の右腕が見えた。
そこには後ろに向けられている土鬼・柔姫の姿があり、それは間違いなく満月を捉えているものであった。悪寒が走るのと、攻撃を中断し後ろに飛びのいたのはほぼ同時であった。
「土流土破!」
巨男のその掛け声と共に柔姫が真の姿を現す。
八角形の一角一角から出現する細かな刃、そして先端の部分から突出してあらわれる刺突刃、その数は合計で八本と言ったところであり、それらすべてが今さっきまで満月の居た場所と、満月が飛び込んでいたらいたであろう空間を八つ裂きにする。
乾いた空気を切り刻み、ハチの巣にした刃たちはすぐさま中へと姿を消し、再び何の変哲もない工芸品の様な姿をそこに現す。
「まさか避けられちゃうなんてねぇ」
決まらなかった攻撃、それに驚きを隠せないのか巨男は不満そうな表情を浮かべて、攻撃を避け切って再び構えを取る満月を視線に捉える。
「道具なんて卑怯だよ」
「戦いに卑怯も何もないでしょう?」
そう開き直った巨男に対して、満月は悔しそうに顔を歪めた。
満月にとってこれは屈辱的なことであったのだ。こうして自身の攻撃を二度も避けられたことがである。
今までの練習相手は木であったが故に、絶対に決まっていたからこそ、ここに来て避けられるという事態が信じられなかった。実戦で避けられるというのは当たり前のことであったが、今までの練習の結果がそれを鈍らせていた。
そして許せなかったのは、武器に見えない存在にそれを邪魔された事だった。
一回目の攻撃、あれは別に構わなかった。巨男の持つ術の力であったからである。それは巨男が持っている技術であり、それは修行の賜物である。満月も同じように修行を繰り返してきた性質で得あるから、そこは認められた。
それが二回目はどうだ、決まると思われた攻撃を武器にも見えないあんなものに中断させられたのだ。修行とかそんなものは関係ない、ただのおかしなものに中断させられた、それが屈辱的なことであったのだ。
自然と闘争心が沸き上がり、それにメリーは希望のようなものを覚えて。
「それ、ぶっ壊すよ」
満月の口から零れたその言葉、その発言にギョッとしたのも他ならぬメリーであった。
やる気を出した。闘争心が燃え上がった。ここまでは良くても、その最後の到達点が柔姫の破壊では困るのである。
柔姫が破壊されるということは、必然と自身の首が胴体と離れ離れになることになる。つまり、死刑が待っていることは間違いない。
その発言を聞いた巨男はこれまた面白そうに顔を綻ばせる。まさか、この鬼具を壊すという発言である。
メリーが頼んだのは集めることであり、鬼具の破壊ではないのだから、これは笑えてくるというものであり、我慢の限界に達したのか大きな声で笑い始める。
「むほ、むほほほほほほ! 面白いお嬢ちゃんねぇ。こんなのに協力の打診だなんて、羊ちゃんとっても後がないのねぇ」
巨男の言葉が見事に的を射抜いていたので、なんとも言えないところであった。今考えれば、ここまでの戦闘で柔姫を破壊されていたかもしれないと考えると、自然と血の気が引いてくる。
柔姫が壊されることは、絶対に阻止しなければならないとメリーは心で察する。つまり、満月を説得しなければならないということも。
「型満月! あれを壊してはだめですよ。あれは回収対象の土鬼・柔姫なのですから」
「やだっ」
説得失敗。
「そこを頼みます、私の命が掛かっているのです」
「やだっ」
説得失敗。
「あいうえお」
「やだっ」
説得失敗。
「話を聞きなさい」
「やだっ」
「満月、メリーさんの言う通りにしなさい」
一瞬で張り詰めたのは満月であった。
今さっきまで頭に上がっていた血が一気に引いていくのさえ感じられた。
その変化に、巨男が一番驚いていた。
絶対的な力量関係が、すでにこの会話だけで見て取れ、それに反逆する術を満月は持ち合わせていない。実質的な支配権が半月にあるということが、見ただけで伝わってくる。
やがて、諦めたように満月は答えた。
「わかった。あれ壊すのやめるよ」
「上出来です。というわけでお待たせしました巨男さん」
「むほほ、少しくらい待ったって罰は当たらないものねぇ、それでどうするのかしらぁ、お嬢ちゃん?」
どうしようか、満月は考えて、一つの結論に達する。
「おっさん、黒子術っていうのも使うんだよね」
「使うわよぉ。使える物は使って勝たなきゃねぇ、使わないで負けたら悔いが残るじゃない?」
そう宣言する巨男、だから満月は決めた。
「そう、ならこれならどうかな!」
そう言って満月が一気に動き始める。一気に手を地面に付け、そのまま思いっきり上へと振り上げる。
距離はまったく間合いではないが、その行動の意味を巨男はすでに見抜いている。
巨大化した左腕がその行動で発生した事象を全て受け止める。少しばかりの高い音が響いたと同時に足元にいくつもの石が落ちていく。
「指弾、石を投げるなんて野蛮ねぇ」
満月が行っていること、それは投擲である。地面に落ちている石を無造作に拾い上げては投げる。
「まだまだ、続くからね」
何十発もの石の嵐。石、石、石、石、石の雨が横から飛び立ち巨男の身体へと向かっていく、それを全て左腕へと投げていく一方で、ところどころ違う場所へも飛ばしていく。
そのうちの一つが柔姫を付ける右腕、上腕に吸い込まれるように飛んでいき。当たる寸前に上腕が異様なほど巨大化する。その石も損傷を与えるには至らずその場に落ちる。
次は顔面に向かう石があったが、同じくして顔が大きくなり同じ結果に終わる。左足、右足、左腕、右腕、胸、局部、首、顔面、その全てが石を受ける前に巨大化し、損傷を防ぎ切る。
まさに肉体の痛みを受けないように巨大化する。身体の戦力が守る様に動き回る。戦値移動、巨男が用いる黒子術その正体である。
同時に三か所に投げても意味は無く、まさに体一つで闘うことさえできる者、それはある意味満月たちが継承した武鬼拳術に通じる物があった。
「むほほ、そこまでかしらぁ?」
「おっさん、すごいね」
「そうでもないわぁ、そんな歳と身体で吾輩に立ち向かって、まだ死んでないお嬢ちゃんも中々に人間離れしてるわぁ」
そう言って次に動きだそうとするのは巨男の方で合った。今まで散々攻撃されたのだから、反撃開始と洒落込むつもりなのだろう。
「さぁて、今度はこちらからって言いたいけどぉ」
一気に左腕と両足が巨大化する。一気に勝負を決める気なのだろうと満月が身構えた瞬間。
「一時撤退ねぇ」
そう言って一陣の風が満月の横を通り過ぎる。避けなかったのではない、当たらないと見切った上で避けなかった。現に満月は存命し、半月も三日月も存命していた。
「一時撤退って、あれ?」
振り返った先、そこには居るべき人物の姿が一人なかった。
今さっきまで確かにそこにいたはずではあるが、一体どこへと消え去ったのかと満月が首を傾げたところで。
「メリーなら、巨男に抱えられて水汲み場の方に消えていったぞ」
三日月がそう告げて。
「満月、修行よ。巨男さんからメリーさんを取り返してきなさい」
半月がそう告げ。
「姉ちゃんも三日兄も手伝ってよ」
満月が愚痴っぽく言葉を零した。
困ったことになったと、メリーは溜息を漏らす。いや、漏らさざるを得なかった。
場所は先に三日月と満月と出会ったあの水汲み場、丸太に縄で縛りつけられた挙句に水の中に放り投げられている有様で、これは言わずとも絶体絶命と言える状態である。
身体の半分くらいが水に浸かっている状態で、だんだん身体も寒くなってくる。
「むほほ、なんともいい光景ねぇ」
それを見下ろす巨男は、その濡れて身体に密着した服からわかるメリーの身体の輪郭線を見て、ニヤニヤと顔を崩している。
その腕から柔姫は外されており、近くの岩の上に展示するように綺麗に置かれていた。
「あなた、オカマなのでしょう。女なんかに興味を持つのですか?」
皮肉る様にメリーが告げたが、巨男は悪びれる様子も無くジロジロと眺め続ける。
「何言ってんのよぉ。オカマでも吾輩は男よぉ? それは綺麗な女には見惚れるわぁ。まぁ、それが羊ちゃんだってことは、少し癪に障るけどねぇ」
そう言葉を告げて巨男は目線を外した。もう十分に堪能したということなんだろう。変わってメリーが巨男に視線を向ける番になる。
「ふん、それでなぜすぐ殺さないのです? 私が何か情報を漏らすと思っているわけではないでしょう?」
強い自信を持った発言、その発言を聞いて巨男はつまらなそうに欠伸をすると、再び視線を戻してきた。
「何々、すぐに殺してほしいのかしらぁ。でもすぐに殺してあげたりしないわぁ。まだ使えるかもしれないなら、限界まで使って捨てるのが最適だもの」
「ならば、今すぐにでも舌を噛んで死んであげましょうか?」
そう言って舌を出して脅す様に見せるが、巨男はそれに動じる様子はない。むしろ、やるならやって別に構わないといった感じに無表情になる。メリーが自害しようとしなかろうと、関係がないとその眼は語っている。
ここで使えなくなるならそれでいいし、後で使えなくなるのもそれでいい、結局のところ巨男にとってのメリーの価値などそんな物なのである。
しかも、巨男には核心をもって言えることがある。
「それに羊ちゃん、こんな所で死ぬ気なんて更々ないんでしょう?」
「……」
今度はメリーが黙る番になった。
それはまさにその通りだったからである。
ここまで生きてきたこと、それらすべてが終わるにしては、今はまだ早すぎる。
メリーにとっての人生、その全てを今清算することを、メリー本人は認められない。否、認めるわけにはいかないのだ。
その無言を肯定と受け取って、巨男は優位に立ったと理解し言葉を紡ぐ。
「羊ちゃん、吾輩達にも話してない秘密があるんでしょう? 正確には帝都政権の天人・有頂天下にさえ、話してない秘密がねぇ」
そう言葉を紡ぎ反応を見るが、すでに今さっきの黙ってしまったメリーの姿は無く、変わりに挑戦的な瞳で巨男を見返す姿がそこにある。
「ふん、ならどうしたというの? 戦乱が終わって百年以上、その間あなた方を囲い守ってきたのは今の帝都政権なのですよ。その主に対して牙を剥いた時点で、あなた方にも話していなかった秘密があるのでしょう?」
得意げに言葉を返すメリーに対して、巨男は開き直る様に言葉を紡いでいく。
「それもそうねぇ、ならお相子ってことでいいのかしらねぇ。ただ言えることは、吾輩達の先祖は、元々帝都政権に忠誠を誓ってなんていないわぁ。黒子人柱としての誇りに忠誠を誓っていただけなのよねぇ。まぁ、それも吾輩達の代で終わりを迎えてしまうんでしょうけどねぇ」
そう巨男は笑うと同時にメリーを蔑むように眼付を変える。
全てを偽ることになんら抵抗を覚えない女、それが一度だけでもメリーの部下として働いた巨男の感想であった。
その感想故に今の僅かな会話の中で、この女に踊らされたように色々と喋ってしまったと、少しばかり自身の調子の良さを恥じる。
「ほんと、抜け目のない女よねぇ」
「お褒めにあずかり光栄です。今からでも遅くはないですよ、その土鬼・柔姫を持って帝都政権に戻ったらどうです。あなたの命くらいは助かるよう取り計らってもいいですよ」
そう提案するメリーの顔は、相手を馬鹿にするようなニュアンスを含んでいた。明らかな挑発と煽り、それを巨男は突き放す様に答える。
「反吐が出るような提案ね。羊ちゃん、柔姫を回収し終わったら貴女、吾輩と鈕を殺す気だったでしょう?」
その言葉にメリーは何も言わない。否定もしなければ肯定もしない、何も言うつもりはないという意思表示であり、巨男の思う通りに思っておけばいいというメリーの挑戦的な計らいだった。
しかし、巨男はすでに理解している。あのまま、メリーの元に柔姫を持ち帰ったら、自身は殺されていたということ。そして今後のことを考えればこの女、メリーを殺しておいて損はないということ。
尖った性能とおかしな見た目、そして後に脱法刃と呼ばれるようになった十頭鬼具たち。
それを集めることが日本の開国を邪魔する者たちへの抑止力となると同時に、海外へ日本の技術を知らしめ一定の地位を確立することができるなんていう机上の空論。
それを現在の帝都政権を握る有頂天下に対して提案し、実行に移させることのできる女、渡来メリー。
「羊ちゃん、本当はどういう腹の虫で仕事してるのかしら」
その言葉に対してメリーは即座に言葉を返した。帝都政権の為という言葉、その言葉を聞いて巨男の顔は嫌悪に溢れる。
「嘘ね」
その言葉に何も返さず、メリーは視線を逸らし自身の体を縛る縄をどうするべきか考えていた。ここから出なくてはどうにもならない事、このままでは遅かれ早かれ死ぬこと、それはどうにかすべき問題である。
そんなメリーの行動を見ながら、もう話すことは無いと巨男は布を手に取る。
「まぁ、しばらくはそこでもがいてなさい。大丈夫よぉ、あの生意気なお嬢ちゃんとその兄さん、姉さんを殺したら迎えに来てあげるからぁ、黙って待ってなさい」
その布で口を塞ぎ、喋れないようにしたところで巨男は腕から外しておいた柔姫を再び取り付ける。
十頭鬼具・土鬼『柔姫』は、内側の特殊繊維が一定の筋肉による圧力を受けることにより作動し、刃が飛び出すという仕掛けを持っている。
虚を突く事に特化した攻撃方法と、その工芸品に見える見た目が特徴である。
この土細工に見える表面は全く柔らかくなく、むしろ剣すら弾くほどに硬い。
それこそが、柔姫の見た目からの脅威性を取り除いて虚を突く武器としての形を成しているのである。
巨男は取りつけた柔姫を一度だけ作動させ、動く事を確認すると踵を返した。向かう場所はあの三人の元、そうして水汲み場から少し離れたところで足を止めた。
「あらぁ、思ったより早いじゃないの、お嬢ちゃん」
止めた目線の先にいるのは追いかけてきた満月の姿であり、その眼は巨男を見つけて意気揚々としている色を帯びていた。
「メリーの姉ちゃんはどこ?」
「ふふ、今水浴びしてる所よ。安心していいわよぉ、まだ殺してないわぁ」
皮肉を込めた巨男の発言。その言葉を聞いて安心したように溜息を漏らす満月。
もしもここで死んでいたら半月に叱られていたと考えてみれば、それが回避された事に安堵の息を漏らすことは不思議ではなかった。
なかったが、今この対峙した中で漏らすものではないのである。ここから始まるのは本当の殺し合いであるのだから。
「それじゃ、お嬢ちゃんを殺して、あの二人も殺そうかしらねぇ」
「そう、でもあたし負ける気ないよ。負けたら姉ちゃんに叱られるからね」
「むほほ、その心配は無用よ。だって、死んだら叱られないで済むものねぇ」
そうして巨男に合わせるように満月も構えを取る。仕切り直しの戦い、今度は何も手加減するつもりはない巨男と、頭から怒りが抜け冷静になった満月。その二人の戦いは……
「そうねぇ、少し武士道みたいにするわねぇ」
「武士道?」
「ええ、お互いに名乗るのよぉ。雰囲気出るじゃない?」
そんな巨男の提案から始まり、その提案に対して満月は静かに頷くことで了承を得る。古臭いことではあるが、巨男の中で認めた相手に対して、こうした提案をするのはいつものことであったのだ。
「さて、名乗りましょうねぇ。黒子人柱・一柱巨男よぉ」
黒子人柱・一柱巨男、使用武器・肉体と土鬼『柔姫』、使用術・黒子術『戦値移動』
「武鬼拳術継承者・型満月」
武鬼拳術継承者・型満月、使用武器・肉体と石、使用術・特になし
名乗りが終わった一瞬の静けさの中、何か始まりの合図を待ちわびる二人の要望に応える様に、二岩に置いてある石がポチャリと音を立てて水の中へと入ったところで。
「『戦値移動・剛拳左腕』!」
先に動いたのは巨男であった。
術の発動と同時に大きくなる左腕を振りかざし、一気に距離を詰めるように飛び出すと、そのままに左腕を突き出す。
風を切る重々しい強烈な拳打が続けざまに二回繰り出される。顔面と胴体に向けて放たれたそれを避けきった満月は、そのまま左足に向けて拳を握りしめ、それを一気に放つ。いきなりの動きに左手の防御は間に合わない。
それは間違いないことであるが、戦値移動の反応速度は防御に関して最大の力を持っているようであった。
確かな感触、握った拳は確かに左足に入ったが、その腕に感じるのは違和感である。
『月』と呼ばれる正拳突きは、相手の骨を粉砕する技であり、綺麗に決まったそれは巨男の足の骨を粉砕するはずのものであったが、その感触は全くない。それを感じたと同時に一気に地面を蹴って後ろへと飛び去る。
空中にふわりと満月の髪が浮くと、その髪を掠める様にして、先の左足が巨大化したままに前蹴りを決める。
着地すると同時に一気に距離を取ると、巨男の足も少しばかりして元に戻る。戻るには少しばかりの時間が掛かるようではある。
「本当に、すごいね。その技」
「むほほ、吾輩への攻撃箇所は防御の集まる場所、それは転じて攻撃の一番強い場所になるのよぉ」
変幻自在の戦値移動、防御に始まり攻撃で決める。防御してからの近接攻撃、攻撃が決まった瞬間に人間は油断する。
それが直に相手の肌に触れているなら、それは決まったと勘違いするものである。そんな心の中に少しだけ芽を出した安心を刈り取る様に、そのまま攻撃を加える。それが戦値移動の攻撃戦略である。
「でも、こんなに防御に回さないと受け止められない攻撃を繰り出してくるなんて、お嬢ちゃん強いわねぇ」
それは巨男の素直な感想であった。
満月が人並みな強さしか持ち合わせていなければ、こんなに腕を大きくする必要も無く、逆に細い腕で受けその変化の無さに攻撃を追加したであろう満月は、巨男にあっけなく殺されていただろう。
巨男と満月、肉体的な強さでは満月の方が上であるが、術を駆使するという行為で巨男の強さは満月を少し上回る。また、巨男には満月より優れている点がある。
「吾輩の体力の方が、まだお嬢ちゃんよりは上みたいねぇ」
それは体力の差であった。このまま続けていけば、先に体力切れで満月が根を上げるのは間違いなかったのだ。厳密に言えば、あと数十回の内に巨男は満月を捕える事が出来るようになるだろう。そう、あの剛腕に満月は捕まることになる。それは即ち死を意味していることに他ならない。
そしてもう一つの圧倒的な有利を巨男は持ち合わせている。それは―
「それに、この柔姫を壊したらダメなのよねぇ〜」
柔姫を壊してはならないという枷を満月が持っているということである。
だから、自然と柔姫の中に入れた腕の防御力など巨男は考えなくていいのである。柔姫を作動させるギリギリの筋力さえ確保しておけば、何ら問題ない。それは意識していなくても十分すぎるものであるから尚更性質が悪い。
「だから、この柔姫で殺してあげるわ!」
そうして巨男の右腕は振われる。土細工のように脆そうに見えるそれを受け止めるかどうか、その判断に対して満月は避けることを選択して、一気に後ろへと距離を取る。空を切る柔姫、同時に刃が突出し間合いを詰める。
「あらあら、本当に勘だけは鋭いのねぇ。でも、この土流土破を連続で避けきれるかしらぁ!」
思ったようにはいかないものだと巨男は笑うと、柔姫での土流土破で間合いを詰める。
飛び出す刃と、伸びる間合い、本来なら避けられない速度のそれは服を掠めるに至る。
布一枚で地肌に刃は触れず、どうにかして距離を取ると満月は大きく息を吐いた。
額に光る汗は確かに本物であり、疲労は目に見えてわかるもので、このまま戦闘が延びれば、間違いなく満月は負けるだろう。
そんな空気が漂い始めていた。
「満月は大丈夫かな」
壊れた家の破片を一ヶ所に集めながら、三日月が呟く。
見事に柱と天井を吹っ飛ばされたその光景は、まさに台風が通り過ぎた後のように凄惨な光景であったが、それを気にすることはないという感じに撤去作業を続けている。
「大丈夫でしょう、手助け程度の言葉も上げたんですから。これで死んでしまうようなら、私の目測が誤りだったということでしょう」
半月は破壊された家の中で御座に腰を下ろし、のんびりとした雰囲気で空を見上げる。今日が雨で無くてよかったと内心思いながらに、満月が負けた後のことを考える。
それは三日月も同じことを思っているらしく、手にした木の破片を投げ捨てて頭を掻いた。
「満月が殺されちまったら、次は俺たちの番になるよな」
「そうね、次は私たちの番ね」
満月が殺されるかもしれないという可能性があるというのに、なんとも呑気なものであり、満月の後には自身たちの命が狙われることは間違いないというのにこの空気。
「巨男だっけ、あの男」
「たしか巨男さんでしたね」
確認するように名前を復唱し合うと、そのまま三日月は倒れた柱に腰を下ろす。その顔にあるのはどうでもいいという空気だけだ。
「俺より背が高かったな」
「私よりもっと高いですね。メリーさんと同じくらいというところかしら」
そんなこれといった大きな感想を漏らさずに、半月は戦いが行われているだろう水汲み場の方に目を向け、一つ溜息を漏らした。
「満月には、もう少し強くなってもらわないと困るのにね」
「ああ、そうだな。でもあの戦値移動、中々に強そうだ」
「でも巨男さんのあの術、弱点があるのよね」
「そうだな」
三日月も同意の言葉を漏らし、破片回収を再開したのであった。
「ん〜、中々しぶといわね」
巨男の呟きは満月の耳にしっかりと届くほどに大きかった。何度も振るわれた柔姫と、何度も繰り出した剛拳の数々、それらを駆使しても満月をまだ捕えきれてはいない。
しかし、結局のところ状況は巨男に有利になり始めていた・。
満月はもう少しで息が上がる。息が上がるということは、その先における戦闘行動に支障が出るということである。
そろそろ、巨男は満月を捕える事が出来る。つまりそれは満月の負けを意味している。
「もう諦めて柔姫の餌食になっちゃいなさいよぉ。それとも吾輩自慢の肉体にハグハグされて死ぬほうがいいかしらぁ?」
「どっちもやだね」
素直な感想を漏らして満月は再び形を取り、巨男に拳を向ける。
ここまでの間、どうにか体力が持ってくれたことは幸運だったと言えた。
負ければそれまで、ただそれだけの事だと、満月は三日月と半月から教わってきた。
次が無いなら、ここまで培ってきたものすべてを使ってぶつかればいいだけの話だ。
巨男に関する情報は思った以上に集まった。動きも、戦値移動の特性も、そして柔姫の土流土破の攻撃特性も、それらすべてを含めて最後の勝機を手に入れるのが、満月の戦いであり、半月が満月にした助言でもあった。
体力が続く限りでいいから、巨男さんの情報を集めなさい。そうすれば、必ず勝てるわ。
その言葉の通り、満月はここまで巨男の情報を集めた。そして、ここまで集めた情報、それを使って巨男を倒せばいいだけの話なのだから。
「だけど、これで最後だね」
自信満々の表情で満月はニヤリと笑う。疲れが混じったその笑顔に、巨男は次で最後だとすぐに察する。一気に左腕を巨大化、両足を巨大化させて柔姫を構える。
「ん〜、まだやる気なのぉ? まぁ、楽しかったわよぉ。何か言い残すことがあったら、言って置いてねぇ。お嬢ちゃんの家族に伝えておくからぁ」
何度も刃を突出させて挑発しながらに巨男は待ちわびる。どんな言葉を残していくのかと、かっこいい言葉を残していくのか、それとも命乞いをするのか、どちらにせよ後々笑いながら語れる言葉を残してくれると楽しいと、巨男は期待に胸を膨らませた。
しかしその機体を裏切る様に、満月は真面目に質素に答えた。
「特にないよ」
「ふーん、そう」
「それよりおっさん、今から浴びせるあたしの最新作の感想、考えておいた方が良いよ」
逆にそう言葉を送りる。最新作、つまりは隠し玉があると宣言した彼女に対して、巨男は愉快に笑った。
「むほほ、最新作ねぇ、付け焼刃なんて最後の最後に出すものじゃないわよ!」
巨男がその掛け声と共に地を蹴り、草を踏み潰し走り寄ってくる。
それはまさに暴走したトラックのようであり、相手を引き殺すのではなく、吹き飛ばすことにだけ特化した動き。
膨らんだ体の部位、一番大きいのは左腕、次に両足、次に身体、特に変わっていないのは右腕だけだが、右腕も柔姫を向け、土流土破の準備は完璧だった。
「まったく、お嬢ちゃんの身体能力はすごいものがあったわよぉ。本来ならこういう形じゃ無くて、純粋な戦力として黒子人柱に招待してあげたいくらいよぉ。でもぉ、格闘術の席は吾輩が座ってるから、お嬢ちゃんに席なんて無いんだけどねぇ!」
ここまで黒子人柱一柱の格闘術の使い手として名を馳せてきた巨男にとって、自身の肉体とその肉体を使った攻撃には絶対的な自信があった。それがこのような初実戦のペーペーに負けるなどあっていいわけも無く、ましてや起り得るわけも無い。
絶対的な自信と、絶対的な優勢が揺らぐことも無い。攻撃に対してこの体はすぐさま反応する。
他の場所の戦値を移動させて攻撃を受け切り、そのまま反撃に転用する防御術。防御と攻撃を両立した最高の術、それが戦値移動なのだと、巨男は心で豪語した。
「おっさん、防御得意だよね」
「むほほ、その通りよ。お嬢ちゃんの攻撃がどんなに強くても、吾輩の肉体は攻撃が当たるよりも先に防御を完成させるわぁ。そして、今まさに防御と攻撃を兼ね備えたこの突撃に、お嬢ちゃんは成す術も無いのよぉ!」
後数歩と言ったところ、巨男は柔姫に向けて力を入れる。どこに逃げようと、もう柔姫の射程から逃れられない位置に彼女はいた。そう、柔姫の射程間合いの丁度いい位置に、満月は立ち尽くしているのである。
巨男にとっての勝機は今訪れたと言えよう。もう決まる攻撃に柔姫に入れた力を意識する必要も無くなった。柔姫を発動するのに必要な戦値は本当に少ないのだから。
「これで終わりよ」
すでにもう見え切っている勝負の行方。自身の勝利で終わることを夢想し、顔を向けて笑おうとした瞬間。
「連投・二十六夜」
その言葉が巨男の耳に入り込むと同時に、満月の手から繰り出されるのは石。
月のように丸い石がある一点に向けて狙い投げられる。その速度はとても目で追いかけられるようなものではなく、その数二十六個に相当する石が狙う場所、それは巨男の突き出す柔姫のその奥に見える上腕に掛けての筋肉。そこに二十六個全ての石が当たると同時にその部分は異常なまでに膨らんでいく。
だが、それがどうしたと、巨男は突き出した柔姫を持って宣言する。
「土流土破!」
柔姫で殺すということを決めた巨男の最後の一撃、それは言葉と共に満月の命を奪うと予想されていた。
完全に決まったと思われた攻撃に、巨男は目の前を確認して。
「な、なんですってぇ!」
その状態に驚愕の声を上げた。
発動されること無く、変わりにあったのは突撃する速度に合わせたように目の前で形を取って待機する満月の姿であった。
無傷でそこに存在する満月に巨男は混乱し、ふと視線を柔姫に向ける。
そこには土流土破を発動していない柔姫の姿があり、同時に感じる右腕の力の流れの変化、そして腕から零れ落ちていく柔姫の光景があった。
そして、何が起きたのかを巨男は自身の右腕を見ることで知る。
そこには細くなりすぎた右腕の姿があった。筋肉と言うものが殆ど無くなった様な細さを保ったそれを見て、巨男は初めて自身の術「戦値移動」の弱点を知ったのだ。
戦値移動、攻撃された部分に身体における戦値を集中させて防御、そしてそれからの攻撃を行う反撃特化の黒子術。だが、結局のところ戦値は百しかないのである。
今さっきの状況、巨男は左腕、両足、頭と体に合わせて八十割り振っていた。残りの二十の内、柔姫の運用に使っていたのはそのわずか五であったのだ。そして右腕の上腕に割り当てられた十五、これこそがこの現象を生み出す結果になった。
結局のところ、一番近い場所から戦値は送られてくる。しかも巨男から見れば柔姫発動に使う筋力は意識しないでもいいほどに少ない、そして柔姫を壊せないという枷を持っている満月が、柔姫を狙ってこないだろうという慢心。それが右上腕への戦値振り分けを見誤らせたのである。
満月の攻撃、それを受け止めるには筋肉を強大化、つまりそれなりの戦値を有するのは前述の通りである。それは、投げる石にも言えることであり、その連続的な打撃を受けきるには、それなりの戦値を使わなければならない。数値に表せば、満月の攻撃を受け切るのに必要となる戦値は十九と少しである。すでに割り振られた戦値である八十はそこに意識的に固定されているため、動かすことができないわけである。
そんな状態で、わずか十五の戦値しか割り振られていなかった右上腕に石が当たろうとするたび、巨男の身体はそのダメージを無くすため、つまり防御するために戦値を送り込む。攻撃されることも無く、攻撃にもまったく筋力を使わない柔姫に守られた右腕がその対象として選ばれたのだ。
そこから戦値が送り込まれる。結果、柔姫によって囲われた右腕にあった戦値は限りなく無に近い数値へと変化し、筋肉は無くなり細々とした腕だけが残った。そして柔姫の中の特殊機構は、そのような腕では発動せず、土流土破は不発に終わり、柔姫は零れ落ちるという結果を生んだのである。
満月はすでに戦値移動の特性を完全に見抜いていた。変幻自在であるが、その戦値が元に戻るには時間が掛かること、そして攻撃よりも防御に特化したそれは、守ることを優先して戦値を送るということ、その最大の弱点を突くだけで勝利を手にすることができるのである。
今さっきまでの戦いは巨男の戦値移動を見抜くための戦闘だったのだ。それを理解できず、巨男は己の術を行使しそれの内容の全てを見せびらかしたに過ぎなかった。
そして、突然の出来事に巨男は混乱し、攻撃に思考を転換できない。
簡単な事、今形勢は逆転した。
一気に畳み込むように満月の攻撃が始まる。
「朧!」
巨男の股関節から首筋に掛けて切り上げる攻撃、身体はそれを受け止めるために戦値を集める。集まるのは胴体の左に掛けてであり、その部分が異様に膨らんでいく。
「繊月!」
右肩から左肩に掛けての一閃する攻撃、同じように戦値が集まり防御に特化される。それもまた胴体に集まる。胴体は広い、広い分だけ戦値は多く集まっていく。
「欠月!」
鳩尾から胸に掛けての連続突き、同じように戦値が集まり防御特化。
防御特化、防御特化、防御防御。防御することで攻撃と成す術、しかしそれは腕や足で攻撃を受けた場合に限っての話である。今、全ての攻撃は巨男の胴体だけに集中していた。
その胴体に集まる戦値は近い部位から自然と集まり始める。集まり、集まり、集まり、極限にまで胴体だけを鋼のような強靭さ彩っていく。この胴体を傷つけるのは不可能なほどだ。今なら大砲の弾ですら簡単に受け止めるほどの硬さを誇っているだろう。
だが、戦値が送られた場所はそうはいかない。必然的にそれらの部位は力を失っていく。そしてその一番近い場所、それは巨体を支える脚だった。
身体の重みを支える両足、それらはすでに細い木の棒のようになっていた。今さっきの強靭な両足は見る影も無く、骨だけにも見えるそれは、やがて戦値が集中し重みが増した胴体を支えることができなくなる。戦値が無くなった足が、戦値を鱈腹詰め込んだ胴体を支えることなど不可能なことである。
そんな足に向けて満月の無情な足払いが入ると、バランスを失った胴体の重みが足全体に圧し掛かる。
「ぐぬぁ!」
音を立てて足が折れ、巨男の身体が地に伏す。仰向けに倒れると空が顔を覗かせる。
空を彩る青い色彩。そんな中に突然差される黒い影、その正体がなんであるかを知った巨男の目には敗色が混じり始める。
「まだ、まだよぉ!」
叫び声を上げる巨男。
どうにか迎撃に映るために左右の腕を動かそうと戦値を移動させようとするが、それを防ぐように、再び石の雨が巨男の肩にめがけて降り注ぐ。再び移動する戦値、動かそうとする前に移動した戦値は肩を防御するために移動、そして執着し、それに見合ったように細くなっていくのは両腕、顔、そして首である。
すぐに移動させようとしても、戦値は戻るのに少しばかりの時間を掛ける。すでに全ての戦値が動いてしまったこの状態で、他の場所に送り込む戦値は残っていない。元の胴体に割り振られた戦値は、他の戦値に覆われ移動させることもできなくなっていた。
巨男の硬質化した胴体から視線を外し、満月はその一点に的を絞りこんで踵を上げる。その狙い込んだ部位、それはもう細くなってしまった首であり、その首めがけての攻撃が最新作となる。
「最新作・一夜落月!」
空から落ちる踵落とし、落ちる満月、故に落月。その速度は恐ろしいほどに早く、同時に落ちる場所は正確であり、やっと動かせる戦値を首に少しばかり送り込んだところで
「認めない! 認めないわよぉ!」
その言葉を最後に、一夜落月は巨男の首に落ち、夕暮れを思わすほどに世界が赤く染まった。
「くしゅん!」
布を体に巻き、壊れた家の破片で焚かれた火を前に、メリーは冷えた体を温めていた。その近くには寄りそうように置かれた柔姫と疲れ果てた満月がいた。さすがの実戦に体力を使い尽くしていたようで、メリーを運んできたと同時にその場で眠り始めたのである。
来ていた服は全て干され、布切れ一枚だけという恥ずかしい格好ではあるものの、文句を言える立場ではなかった。
なにせ、助けてもらった上に柔姫まで回収できたのだから、これで不満などあるわけがない。
「ううっ、さすがに寒い」
「まぁ、長い時間水に落とされていたのですから仕方ないですね」
半月はそう言葉を繋げると、手に持っている破片を火の中にくべる。パチパチという独特な効果音と共に炎が若干勢いを増した。
それはまるで拍手を送るかのように柔姫を照らし、それを誇らしげに撫でるメリーの顔は何処か満足げである。
「まさか、柔姫を取り返すことができるなんて思いもしませんでした」
「ええ、満月も頑張ったみたいですし、私としても嬉しい限りです」
そう言葉を繋げた半月は、満月の髪を優しく撫でる。本当に優しい手つきで、これほどに優しいのに、一人で巨男を相手にさせるというというのはどういうことなのかと、メリーは疑問を持っていた。
「半月、もしも満月が殺されていたらどうするつもりだったのですか?」
その質問は起きていたかもしれない最悪の話である。
ここに居る満月が死んでいて、巨男が彼女たちの前に姿を現したらという、仮定の話である。
そんな仮定の話を聞いて半月は少しだけ考えてから、少しばかりの頷きを持って答えを口ずさむ。
「その時は巨男さんに、私か三日月のどちらかが勝負を挑むだけでしょう。満月が死んでしまったとしたら、それは私の推測不足でしかありませんから、悔やむところはありますけど」
その言葉にメリーは若干の驚きを隠せなかった。推測した、つまり半月は。
「巨男くらいなら満月でも倒せると、見切ったというのですか」
「ええ、巨男さん相手なら満月一人で倒せると確信しました。だから満月にメリーさんの言うことを聞きなさいと言ったんです」
そう言って半月はのんびりと立ち上がって足を水汲み場の方に向けて、少しばかり三日月を手伝ってきますと言葉を残して去っていく。
まだ御天道さまは空にいるが、少しばかり陰りが見え始めている時刻、今日の夜は野宿かもしれないとメリーが溜息を吐いたところで、満月が寄りかかってくる。
このあどけない顔で眠っている少女が、今さっき巨男と死闘を繰り広げ、それに勝利したなど今でも信じられないことであった。
しかも、柔姫を壊すなと言う枷を付けての戦闘での勝利、それは武鬼継承者に協力を打診をしたことが間違いで無いことの証明でもあった。
これほどの力と技術を持っているですから、この先の旅でも役に立ってくれるはずだと。メリーは思い同時に思い出す。
「って、良く考えたらまだ協力関係になっていませんでしたね」
そこで、まだ協力してもらえるという約束を結んでいないことに気がついて、メリーは少しばかり溜息を漏らした。
実際交渉の結果は、巨男に水を差されてしまい終わっていないような状態だった。凶鬼の回収に失敗し、土鬼を盗まれ、諜報活動も実を結ばず、藁にも縋る思いでやってきたのはこんな場所。
そしてあろうことか、土鬼を奪い返すことに成功したことは幸運と言えた。だが、これ以上の幸運があるとすれば、武鬼継承者が私に協力を約束してくれるという最高の結果だけだろう。
「満月は姉に言われたから私を助けに来てくれたのでしょうね。私が助けてくれと言っても、助けてはくれなかったはずですし」
多分それは間違いないことだ。正義感など無く、目的も無く、ただ命令されるままに満月は巨男を倒した。満月は確かに言っていたのだ。メリーを水の中から拾い上げる際に、これで姉ちゃんに怒られないで済むと。
それは本心からメリーを助けに来たというわけではないことの証明だった。
「これからどうするべきでしょうか、悩みますね」
そう言葉を漏らしたところで満月が寝返りを打つ、身体に掛けてある布が落ちてなんとも寒そうな姿である。
「まったく、寒いでしょうに」
布を掛けて上げると、何とも嬉しそうに顔を綻ばせる。
それを見てメリーは苦い表情をした。
「苦いことを、思い出させてくれますね」
そう言葉を漏らしてメリーは二人が戻ってくるのを待つことにした。
やがて夕刻が迫りつつある頃、満月とメリーは並んで二人を前にしていた。
メリーの背中には布で包まれた柔姫が背負われており、ここから去る準備ができたという感じであり、一方の満月の手にはメリーの入れ物が握られており、その顔はなんだか少しばかり不満を帯びているようではあった。
彼らの背後にはぽっかりと空いた洞窟の姿があり、それはこの幽閉林唯一の出口である洞窟だった。
「本当によろしいのですか?」
メリーの少しばかり困惑した言葉にたいして、半月はなにも心配することはないですよと言った感じに、優しく答えを出す。
「ええ、三日月と話し合って決めたことですから、メリーさんが心配することではありません」
「なら、そなたたちも一緒に来るべきではありませんか?」
彼女のした心配はもっともであった。
それもそのはずで、満月はメリーと共に外へと旅立つのである。なぜそうなったのかとすれば、半月と三日月が話あって決めた事である。
しかし、いきなり家族と離れ離れになった挙句、しかも今日出会ったばかりの人間と一緒に旅に出るなど、あまりにも不用心すぎる。
しかし、そこはケロッとしている半月と三日月であった。
「大丈夫さ」
「ええ、私たちは貴女を信用して、満月を任せるんですから」
「しかしですね」
満月はまだ修行中の様なものだろうと考える。すでに修行を終えたような身である二人の方が、戦闘に十分長けているだろうとメリーは予測しているし、この先には巨男を超える力や実力を持った者たちが待ち受けていることは間違いないことだ。
できれば、勝てる可能性の高い二人のどちらか、もしくは三人一緒に付いて来てほしいものなのだ。この三人がいれば、この先の旅で戦闘という面に置いては困ることなど無くなるだろうし、途中で一人だ倒れても、まだ二人戦えるのだから。
そんなことを考えていると、半月が囁くようにこう言う。
「いいえ、私たちに比べれば満月にはまだまだ伸び幅があります。残念ですけど、私たちにはもう伸び幅などありませんので」
私たちにはこの先戦闘で得られることも何もないと半月は言い、三日月も同じ意見であるらしく言葉を繋げる。
「この中だったら一番伸び幅がある満月の方が色々都合良いし、なにより満月には強くなってほしいからな」
二人はそう言葉で占める。
こうなってはもう議論の余地はないと考えて、これが今の最大限の結果なのだと考える。どうあれ、最後に成功すればいいだけの話だと結論付ける。結果が出ればそれでいいと、腹を括った。
「わかりました。満月をしばらくの間お借りしますね。無事に事が終われば一年後くらいに帰って来られると思います」
一年後、それは初の開国議会の事を指している。つまり、あと一年以内に残り九個の鬼具を集めなければならないわけである。
これはなんとも忙しい戦いである。
「はい、よろしくお願いしますね、メリーさん」
そんな旅路になると知っていて、半月は満月をメリーに託し―
「満月、もっと強くなれよ」
辛い戦いが待っていようと、それによって満月が強くなることを三日月は信じ―
「がんばるよ、姉ちゃん、三日兄!」
それに答える様に満月は返事をした。
家族三人の会話が終わると同時に半月がメリーに向けて言葉を紡いだ。静かでありながら、強い覇気を感じるその言葉に、メリーは自然と背を正していた。
「それと、メリーさん」
「はい」
「約束の事、忘れないでくださいね。それが私があなたに満月を託すために交わした約束なのですから」
その半月の言葉に、メリーは静かに頷いた。
満月とメリーは洞窟の中へと姿を消し、やがて残った二人は踵を返して壊れた家へと戻っていった。
そして夕刻が迫りつつある時間、洞窟を抜けた先にある地蔵を越えたところになって、満月にとっては初めての外の世界であったがゆえか、少しだけ興奮している様子だった。
「ここが、外。外なんだね」
「ここが外ですよ。なんだかすごく違和感を感じますけど」
そんなことを話しながら、数十歩進んだ頃になってメリーが先を歩く満月に言葉を掛ける。
それはこの先の度に関しての約束事の提案であった。
「ところで、満月。一つ約束しておきたいことがあります」
「うん、なんだいメ姉」
「ん、めねえ? めねえとはなんです?」
自身の呼び名に対して首を傾げながら顔を向けると、満月はニヒヒと笑顔になると自信満々に説明を始める。
「だって、メリー姉ちゃんじゃ長いんだもん。姉ちゃんって読んでもいいけど、姉ちゃんは半月姉ちゃんのことだからさ、ならメリー姉ちゃんを短くして、メ姉って予防って思ったんだ。メ姉って呼んでいい?」
「なるほど、それでも構いませんよ」
感心したようにメリーは頷いて、満月の頭を撫でて上げると、少しだけくっすぐったそうに身を捩ってから再び話は戻った。
「それで、約束って何かな」
「これから私たちは運命共同体みたいなものです。ですから、やってはいけない事みたいなことを決めようと思います」
「うん、わかった」
満月が頷いたところでまず一つ目の約束を提案する。
「まずはですね、十頭鬼具は壊してはいけませんし、壊されてもいけません。集める対象である十頭鬼具が壊されてしまっては、この旅の意味そのものが無くなってしまいますから」
「うん、わかった。十頭鬼具は壊さないようにするよ。他には?」
一つめの約束を終えて次の約束を提示する。
「できれば、私を守ってください。必ずとは言いませんが、できる限り守ってください」
「うん、わかった。メ姉は家族だからね、できる限り守るよ」
二つ目の約束を終えて次の約束を提示する。
「次に、強くなりなさい。これは三日月からの要望みたいなものですから、それに強くなれば自身を守ることもできるようになりましょう」
「うん、三日兄との約束だもんね。ちゃんと守るよ!」
三つ目の約束を終えて最後の約束を提示する。
「最後に、このたびの間だけでも家族でありましょう」
「家族、良くわかんないけど、もうあたしとメ姉は家族じゃないの?
そう言葉を漏らす満月に対して、メリーはそれもそうでしたねと、零す様に呟いて良くわからないと首を傾げた。
そんなメリーの事など知らず、満月はその手を握ってくる。
その行動にメリーは少しだけ驚くと、見上げながらに笑う満月と目が合い。
「家族とか、難しく考える必要無いんじゃないかな? あたしはメ姉と旅に出るよう言われてきたんだからね」
「それって、家族って言いませんよ。ただ命令されたってだけですから」
そう言葉を返してメリーは半月と交わした約束を思い出す。
あの洞窟の前に行く前、半月と交わした約束、それは満月の家族になってあげてくださいというものだった。
家族、そんな物になれるわけはないだろうと思いながらも、手を握ってくれている満月は嬉しそうにつぶやく。
「でも、旅を続けながら家族になっていけばいいんじゃないかな?」
そんな前向きな発言に、メリーは少しばかりの笑みを零してから、前を見据え沈んでいく太陽を眺めながら、それもそうですねと言葉を呟いた。
家族のように振る舞えばいいと、そう解釈するメリーと、半月と三日月、そしてメリーの命令を聞いていればいいと考える満月と共にこの旅を始めるのであった。
こうして始まった二人の旅路、鎖国から開国への足がかりを目指すという大義を背負う女性と、強くなることを望まれた一人の少女。
次の目指す場所はどこになるのか、一体何が待っているのか、それらすべては分からないままに、旅はこうして始まるのでした。
一鬼・土鬼 ―終―
ここまでになります。
次は一ヶ月くらい先です。のんびりとやっていこうと思いますので、よろしくお願いします。
次回は二鬼・鈍鬼『鬘割』をお送りします。
それでは、お疲れさまでした。
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