響「『バッハの旋律を夜に聴いたせいです。』」 (53)


「ひゃっ」

 自分が楽屋のソファで休んでいると、貴音が後ろからやって来て缶ジュースをほっぺに当ててきた。

「お疲れ様でした、響」

「た、貴音……ありがと」

「どうかしましたか、冴えない表情ですよ」

「うん……そうかな?」

 貴音がくれたのは、自分がいつも見栄を張って飲んでいるコーヒー。
 すっかり無糖が好きなんだと勘違いされてるみたいだ。

「悩みでも……?」



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「えっ?」

「今日の響の歌は、少し音楽とずれていました」

 貴音はそうやって笑って、ペットボトルのフタを回して開けた。
 自分の横に座ると、ソファが少しへこんで。

「……相談していいかな」

「相談、ですか」

「うん」

「分かりました。わたくしに相談して、響の負担が減るのであれば」


「……好きな人が居るんだ」

 目を丸くした貴音は、

「好きな人、ですか」

 と反復する。

「うん、好きな人。いっつもその人のことばっかり考えててさ」

 仕事のパートナーだから、毎日顔を合わせることにもなるし。

「それでも、告白する勇気はないんだ」

 あの人が自分のことをそういう目で見るかどうかなんて、分からない。
 少なくとも、そうだろうと考えたことなんて一度もない。


「好きってことを伝えたいけど、今の関係が壊れるのは嫌なんだ」

 自分勝手。完璧でもなんでもない自分の考え。
 向こうからしたら、迷惑にもホドがあると思う。

 自分は、高校生の小娘でしかないんだ。

「……わたくしは、響の恋慕する相手のことは知りません」

 貴音はいつもの優しい声で、ゆっくりと喋り出す。

「それでも、誰かに好かれているということは、嬉しい事だというのは分かります」

「え?」

「人に好意を抱かれて嫌な人間は、わたくしの知る限りではあまりいません」


「……」

「どうして、告白する勇気がないのですか?」

「それは、嫌われるのが怖くて」

 もし嫌われたら、目を合わせてくれなくなったら。そう考えるのが怖くて。
 ただ、嫌で。

「響の”好きな人”は、あなたを嫌うような人間なのですか」

 貴音のなにげないその一言が、胸に突き刺さった。

「……ちがう」

「では、もう大丈夫ですね?」


「……」

「響、飲まないのですか?」

「……え?」

 不思議そうに首を傾げて自分の手元を見る貴音。
 その視線の先には、まだ開けていない缶コーヒー。

「ごめんごめん、手に持ったまま忘れてたよ」

「いえ……あの、わたくしは響の力になれましたか?」

「うん、ありがと貴音」

「……すみません」


「ど、どうして謝るの」

 貴音は俯いて、

「わたくしがもっといろいろな知識を持ち、身につけていれば響に的確な助言が出来たのではないかと」

「そ、そんなことないよ! 自分、すごく貴音の言葉に助けられたぞ」

 自分が好いている人は、告白を断ったら嫌ってくるような相手じゃない。
 あの人を好きだ、ということに自信を持てた。

「……それならば、良かった」

 貴音はいつもと変わらない、微笑みを浮かべた。


 ほどなくして、プロデューサーが楽屋に戻ってきた。

「悪いな、ふたりとも。今日はもう終わりだから家でゆっくり休め」

「ありがとうございます、あなた様」

「うん、ありがとね」

 ……そういう話をした後だと、顔を見られない。
 別に聞かれたわけでもないのに。

 車が置いてある駐車場へと向かうことになった。


「ねぇ、プロデューサー」

「ん?」

 エレベーターの中は、3人だけ。

「今日も事務所でお仕事するの?」

「そりゃあ、毎日してるよ」

「あっ、そうじゃなくて。残業するの?」

 プロデューサーはちょっとの間をおいて、困った笑顔。

「まぁ、お前らのためだと思えばなんてことはない」


「いつもありがとうございます、あなた様」

「おう。その分ステージで頑張れよ。実際に結果を出すのはアイドルのみんなだから」

「ふふっ。心配いりませんよ」

「うん、自分完璧だからな!」

 地下の駐車場に到着した。扉が開いて、一列に続く蛍光灯の明かりが眩しい。


 車に乗り込む。
 「危ないから」って、プロデューサーはたとえ1人でもアイドルを助手席に乗せることはない。

 いつものように、自分は運転席のうしろ。貴音はその隣に座っている。

「すっかり夜になってしまいましたね」

「ああ、収録も長引いたけど会議も長引いてな……悪かった」

「いえ、お疲れ様です、あなた様」

 ふたりの会話を聞きながら、夜の東京を眺める。
 オシャレなビルに、オシャレな人。この街はいつもそうだ。


 765プロ――自分の所属する芸能事務所――の事務所は、そこそこ都会にあって、そこそこ田舎にある。
 テレビ局から近いわけだけれど、周りに高層ビルやらカフェやら、洒落たものはない。

 おばちゃんがやっているクリーニング店やら、焼き魚定食のおいしい居酒屋とか。
 田舎以上都会未満の街に、ひっそりとある。

「……ついたぞー、降りろー」

「はーいっ」

 事務所はビルの3階。1階は居酒屋になっていて、車は道を2つ曲がったところの駐車場に停めている。

「では、戻りましょうか」

 アイドルを事務所の前で降ろして、プロデューサーは走り去っていく。


 帰ってくると、まず事務員のぴよ子が出迎えてくれた。
 次に、アイドル仲間で事務所に残っていた春香と千早。

「もう夜遅いのに、大丈夫なのか?」

「うん、今日は千早ちゃんのおうちに泊まるんだっ」

「お泊り、をするのですね」

「はいっ!」

 春香は千早の首に抱きついている。

「明日は朝の8時から、ドラマのエキストラの撮影があるんです。春香と行かなくてはいけないので」

 千早はとても嬉しそうに顔を赤らめて、春香の手の甲をさすっている。


「響ちゃん、貴音ちゃん、お疲れ様」

 ことん、と湯のみ。
 ぴよ子がお茶を出してくれた。

「ありがとう、ぴよ子」

「ありがとうございます」

 テーブルの真ん中にあっただろうお茶菓子は、春香と千早が平らげてしまったみたいだ。
 お皿が残っている。

「さーて、それじゃあ私達はそろそろ!」

「ええ、晩ご飯を作らないといけないものね」


「帰っちゃうのか?」

「うん。じゃあね響ちゃん、貴音さん」

「おやすみなさい、我那覇さん、四条さん」

「はい。良い夜をお過ごしください」

 二人は鞄を持って事務所を出て行く。

 そこから数分、事務所はキーボードの音に支配されていた。
 終止符を打ったのはキーボードを叩いていたぴよ子だ。

「終わったあー!」


「どうしました?」

「お仕事でいろいろなファイルを一つの表にまとめていたんだけど、それが終わったのよ!」

 ぴよ子は歩き出して、出口へと向かっていく。

「あれ、帰っちゃうの?」

「ええ、事務服を着替えないとね。プロデューサーさんの机に鍵を置いておくから」

「お気をつけて」

 そしてぴよ子も、事務所を出て行った。


「響」

 刹那、貴音が自分の名前を呼ぶ。

「ん?」

「今日の相談ですが」

 貴音はずいっと顔を近づけて、

「わたくしには、精一杯応援をすることしか出来ません」

「……」

「あくまでも、響が動かなければ意味はありませんよ」

「う、うん」


 それはきっと、貴音なりのエールだったんだと思った。
 自分はそう受け取った。

「貴音」

「はい」

「本当にありがとう。自分、頑張ってみる」

「……はい」

 プロデューサーはまだ帰ってこない。
 駐車に手こずっているのかな。


 律子は「直帰」だった。要は、ここには来ない。
 結局22時になり、自分は帰ることになった。

「貴音、帰らないのか?」

「はい、誰もいないと物騒ですから」

「そっかあ、自分もいたいけど……」

「響は明日、早朝から仕事がありますので」

「うん。それじゃあね、貴音」

「おやすみなさい、響」

 ガチャン。
 ドアノブは気温と対照的に冷たい。


 月が、きれいだ。
 事務所のビルの居酒屋が休業していて看板が暗いからかなんなのか、今日は月がよく見えた。

「貴音みたいだな」

 ひとり、呟いてみる。
 月光は街の中で人を照らしている。

 まるで四条貴音そのものじゃないか。


 駅について、鞄の中身をあさる。

「あれ……?」

 改札の前で、定期券が無いことに気づいた。
 あれがないと帰れない。

「事務所に置いてきちゃったかな」

 事務所に定期を取りに帰ることにした。時間を無駄にした気がするけど、仕方ない。

 目の前に改札があって、真上で電車が動いているのに。
 歩き出そうとしてたのに、待ってくれって服を掴まれたようだ。


 貴音に電話をかけてみる。
 まだ事務所に居るだろうし、もしかしてありかを知っているかもしれない。

 6コール、7コール、8コール。
 通話が始まることはない。

「おかしいな」

 電源が入っていないのか。いや、それなら「電源が入っておりません」って言われるはずだ。
 マナーモードで気づいていない。その線が高いかなぁ。

「事務所は静かだったし、気づきそうなもんだけど」


 小走りで事務所に到着した。
 さっきと何も変わらない風景。相変わらず、月は柔らかい光で街を照らしている。
 エレベーターが壊れているので、階段で3階へと進んでいく。

「疲れるなぁ」

 でも仕方がない。真は良い運動になる、なんて言ってた。そう考えよう。

「……ついた」

 芸能事務所、765プロダクション。そう書いてあるドアが見えた。
 外で確認したとおり、中は明るい。

 さて、と冷たいドアノブに手をかけた。


「っ」

 ビクッ、と身体が震えた。
 中から、矯声が聞こえたんだ。

「……うそ」

 誰の?

「――!」

 1人しか居ない。


 そっ、と。
 ドアを少しだけ開けて、覗いてみた。


 プロデューサーのデスクの横で、貴音とプロデューサーがキスをしていた。
 強く、強く抱きしめあって。


 あなた様、いけません。こんな場所で、もし誰かに見られたら。
 貴音は息を乱しながらこう言っていた。

 プロデューサーは、貴音が俺に抱きついてきたんじゃないか、と言った。

 …………ふたりは再びくちづけを交わす。


 扉から手を離して、走って逃げ出した。
 思い切り音をたてて閉まったから、きっと気づかれた。

 貴音には、自分が誰のことを好きなのかは言わなかった。

 だから、悪いのは自分だけだ。
 貴音を好いているプロデューサーに、自分が勝手に恋焦がれただけ。

 さっき自分がプロデューサーと話していたとき、貴音は黙って月を見ていたような気がする。


 それとは逆に、貴音とプロデューサーが話していたとき、とても嬉しそうにしていた気がする。

 ああ、どうして自分は気づかなかったんだ?


 改札の前に戻ってきた。全力疾走のせいで息がきれている。
 ショルダーバッグから定期を……って、だから持ってないんだ。
 財布を取り出して、切符を買った。

 自分はひどく落ち着いていて、それでもふたりのキスを記憶からかき消すことは出来なかった。
 忘れられないのは、なんでだろう。


 家に帰れば、壁掛け時計はあと10分足らずで日付が変わることを教えてくれた。
 モヤモヤした気持ちをどうにかしようと遠回りして帰ってきたからか?
 どうしようもなくてコンビニに立ち寄ったからか。

 貴音からの着信を無視し続けているからか。

 携帯はドライブモードのまま。不在着信通知は9件、とある。


 貴音は悪くない。自分だけが悪いんだ。


 プロデューサーは貴音とキスをしていた。
 普通の関係――アイドルとプロデューサーの関係で、たとえ演技の練習だったとしても。
 あそこまで深くキスをするもんだろうか。

 なんだ、これ。

 貴音が抱きついたからだとプロデューサーは言っていた。
 普通の関係で、異性に抱きつくもんだろうか?


 そんな関係にあるのに、自分はそれに気づかなかった。
 他のみんなはとっくにあの2人の関係を知っていたのかもしれない。

 いつもはもっと遅くまで残っているぴよ子がすぐに帰ったのも。
 春香と千早が自分より早く帰っていったのも。

 ――じゃあ、自分だけが知らなかったのかな。


 自分だけ何も知らないで、プロデューサーを好きになっていた。
 仕事で成功すると頭を撫でてくれる、兄貴に似たあの人を。
 その人の心は貴音に向いているというのに、自分は貴音に相談を持ちかけた。


 こんな心。


 自分は事務所に居る。ドアを少しだけ開けて、中を覗いている。
 中に入らないのは、貴音とプロデューサーが深くキスをし合っているから。

「……」

 足に力が入って、思いっきりドアを開けた。
 驚く貴音と、プロデューサー。

「――!」


 自分は貴音をすごい力で押しのけた。
 嘘みたいに軽い。

 貴音は入口の方へ押され、ゆっくりと消えていく。


 茫然とするプロデューサーの首に両手をかけて、

「――――」

 その唇を、奪った。


 自分は貴音をすごい力で押しのけた。
 嘘みたいに軽い。

 貴音は入口の方へ押され、ゆっくりと消えていく。


 茫然とするプロデューサーの首に両手をかけて、

「――――」

 その唇を、奪った。


「――――好きだ」

 声が出る。
 肩を掴んで、彼の瞳を見る。

「ずっと好きだったんだ」

「――」

 プロデューサーは喋らない。

「最初は、兄貴と重ねてるだけだって思った」


「――」

「でも違うっ」

 自分は、

「自分は……ずっとずっと、大好きだったんだ!」

 誰よりも?

「貴音より」

 自分が。

「愛してるんだ!」


 プロデューサーは無表情になり、

「――――」

 声になっていない言葉を発した。

「なんで」

 肩を揺らしてみる。

「なんて言ってるの」

「――」


「聞こえないよ……」

 俯くと、次の瞬間、軽い力で窓側に押しのけられた。
 バランスを崩して、壁にぶつかる。

「っ……!」

 悲しそうな瞳の、貴音。

「なんでだよ……」

 貴音は再び、プロデューサーと見つめ合う。


 無音の空間。
 自分以外は喋らない。

「なんで……」

 ふと、どこかでピアノが鳴っている気がした。
 マイナー調の旋律は、聞いたことがあるような、ないような。

「――――」

 プロデューサーが貴音の背中に手を回して。


 ふたりは、再びディープキスをする。


「っ!」

 跳ね起きた。

「……」

 首元を触ってみる。異常なほど、汗をかいていた。
 シーツとパジャマがしっとり濡れている。

「夢だ」


 これは悪い夢だった。

「……どうしてだろ」

 どうして、自分は。
 貴音を押しのけて、プロデューサーとキスをしたんだろう。

 どうして、プロデューサーは。
 何かをしゃべっていても、その声が聞こえなかったんだろう。

 どうして、貴音は。
 あんなに寂しそうな瞳で、自分を押したんだろう。

 どうして。


 どうして、自分は……こんな気持ちでいるんだろう。


 『バッハの旋律を夜に聴いたせいです。』


 胸糞注意ですみません。元の楽曲はサカナクションです。
 お読みいただき、ありがとうございました。お疲れ様でした。

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