【ブルアカ】カヨコ√に入った (39)

そろそろ出ようと扉に手をかけたところで、カヨコは立ち止まった。
玄関の外から慌ただしい物音が徐々に近づいてきていた。沈黙し、手を戻して、数歩だけ扉から下がった。
ドタバタとした足音が扉の前で止まって、

「ああ、もう…鍵、鍵…!」

慌てた声と身をまさぐる音が扉の向こうから聞こえてくる。

「開いてるよ」

カヨコが声を掛けると、扉の向こうにいる人物が押し黙った。
すぐに扉が開くと、驚いた表情のアルが顔をのぞかせた。

「カ、カヨコ…?今日は、有給じゃなかった…?どうして事務所にいるの?って、それどころじゃなくて!」

言いながら、焦った様子で事務所に入り込んで、カヨコの横を慌ただしく通り過ぎる。

「今日、三人で仕事してたんじゃなかったの?」

「そうなのよ…!今もう、大変で…!」

自席に駆け寄るアルを目で追いながら、扉に背を向ける。
パーカーのポケットに手を突っ込んで、ドタドタと忙しない物音に近づいた。


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「トラブル?」

「簡単な依頼だったはずなのにぃ…!」

「それ、いつも言ってる気がする」

床に座り込んで、机の側の荷物をああでもないこうでもないとドラえもんのように引っ張りだしては並べて、

「アレ!アレがないと、やばいのよ!!カヨコ!アレ見なかった!?」

「アレじゃわからないよ…」

半ばパニック状態のアルに、カヨコはため息を吐いた。そして、

「状況は?」

と、冷静な声で尋ねた。

「カヨコ…」

「お休みとか、言ってる場合じゃなさそうだね」

「カヨコ…!」

アルの目が輝きそうになって、すぐに我に返った。そして何かに耐えるように、ぎゅうっと手を握りしめる。

「…駄目よ!有給は社員の義務!我が社はアウトローであっても、決してブラックではないわ!」

「そんなこと言ってる場合?」

「矜持の問題よ!せっかくカヨコが私達を信用して有給を取得したというのに!」

「そんな重い感じで申請してないけど…本当に、手助けいらないの?」

「ううっ…!」

しばらく、アルは葛藤を続けていたが、

「カヨコぉ…」

「困ってるんでしょ?」

「…実は、困ってる。助けて、カヨコ…」

観念して項垂れて、情けない声を出す彼女に、やれやれとカヨコは苦笑を浮かべた。

「別にブラックだなんて思わないから」

「はぁ…情けないわ…困ったらいつもカヨコにおんぶに抱っこ」

「そんな事ないと思うけど…じゃあ、ちょっとまってて。今、先生に連絡するから」

「ええ…実はハルカが…ん?待って、先生?先生って何?」

「だって今日会う約束してたから」

「…カヨコが?先生と?約束を?」

「そうだけど…」

まじまじとカヨコの顔を見つめてくる。

「…そんな驚くこと?大丈夫、先生ならわかってくれるはずだから」

「ちょーーっと、待ってちょうだい」

「…?」

「…なるほどね。それで有給を…そういうこと」

「…」

「…それなら…まずいわね」

カヨコはふと、苦虫を潰しかけたかのように眉根を寄せた。

「…カヨコ!」

「…なに。社長」

「…やっぱり前言撤回するわ」

「ダメ」

「ダメじゃないわ」

「はぁ…あのさ…」

「せっかくのカヨコのデートチャンス!みすみす潰させはしないわ!」

「だから…あのね、社長。前にも言ったけど、これは社長が気にすることじゃなくて…」

「あった!見つかったわ!コレよ!コレがあればカヨコがいなくてもなんとかなるわ!」

「はぁー」

これみよがしなカヨコのため息も気にせず、アルは荷物をまとめると、すっくと立ち上がった。

「それじゃあ、カヨコ。頑張ってね」

「…」

「一発、かましてきなさい!」

「だから…」

「カヨコ」

恥ずかしそうに目を伏せているカヨコに、アルは笑って、自分の耳を指さした。

「…なに?」

「新しいピアス、似合ってるわよ。先生に喜んでもらえるといいわね」

「…」

そう言い残して、アルは来たときと同じように慌ただしく事務所を出ていった。

「…なんだったの」

憮然としてカヨコはひとりごち、後頭部を乱暴に掻くと、自分も扉に向かった。

両耳をイヤホンで塞ぐとお気に入りのヘヴィメタルが耳元で騒ぎだした。
そして、いつもどおりのパーカーに、リュックを肩にかけて、街中を歩く。
けれどもカヨコの指は落ち着きなく、耳に付けたピアスをしきりに触っていた。
今日はいつもとは違う色のピアスにしていて、これで劇的に何が変わるということはないものの、それ以上の冒険を今日のカヨコの自意識が邪魔した。

「まあ…無理に背伸びしてると思われてもね…」

気づいてもらえたら重疊。
通りがかったガラス張りの店先に自分の姿が映って、立ち止まる。

「…」

耳のところをかき分けて、ピアスの付いた部分を露出させる。この前見つけて気に入ったので買った。それから今日、はじめて付けた。

「…」

しばらく髪の毛を触ったり、弄ったり、機嫌良さげに微笑んで、ガラスから目を外した。
そのとき、

「きゃっ」

前から走ってきた子とぶつかる。カヨコはよろけて、ぶつかってきた子は反動で尻もちをついてしまった。

「大丈夫?」

比較的小柄な生徒で、制服を見るにミレニアムのようだった。気が緩んでるな、と、カヨコがイヤホンを外しつつ、手を差し出す。

「ああ、ごめんなさい…ありが…ひいっ!」

差し出された手をつかもうとしたミレニアムの子が、カヨコの顔をみた瞬間に悲鳴を上げて顔面を蒼白にした。間髪入れずに、

「ご、ごめんなさい、ごめんなさい!今度から前に気をつけて歩きます〜〜〜〜!!」

手も取らずに、慌てて立ち上がるとすぐさまピューッとその場から逃げ去っていった。

「…」

あっという間の出来事に、カヨコはしばらく呆然としていたが、そのうちげんなりとため息を吐いた。
自分としては威圧しているつもりはないけど…。
いつものことではある。うかつに手を差し出した自分も悪い。
慣れているから、もはやいちいち傷ついたりはしないけど…。
でも、これから先生と会おうとしているときに、これはよくない。
数分前までの自分が馬鹿みたいだ。

「…」

もう一度ガラスに映る自分を眺める。
捨てられた猫のような目になっていた。

「はぁー…」

いっそのこと、着物やドレスを着ていたときのように振り切れば違うだろうか。
先生は、可愛いって、言ってくれてるし…。
…。
髪型を変えてみるだけでも、喜んでくれるのかな…。

「〜っ…」

急に自分が恥ずかしくなって、首をふる。

「…もう行かないと。遅れちゃう」

もやもやとした心のまま、カヨコはまた歩き出した。

遠くから見かけたとき、いつも先生に声をかけるか躊躇する。
先生はたいてい誰か生徒と一緒に歩いているから。
そうでないときは何かで急いで走ってたり、やたらと忙しそうにしている。
前まではカヨコからの誘いも、申し訳無さそうに断ることがしばしばあった。ところが近頃はそうでもなく、自惚れでなければ、自分を優先してくれている気さえする。
先生に限って、特定の生徒を優遇したりとかはないとも思うけど。
でも、どうだろう…。

「先生」

先生に近づいていくうちに、ふと湧き上がってきたいたずら心に突き動かされて、足音を忍ばせて、店先でぼーっとしている先生の手を握りしめた。

「うわっ…カヨコ」

「ふふ…ぼーっとしてたね、先生」

「うん…びっくりしちゃった…」

「ふふ」

本当に驚いた表情をしている先生が面白くて、笑ってしまう。
手をすぐに離して、先生と目を合わせる。

「ごめんね。待った?」

「いや、ちょうどきたところだったよ」

「本当に?待ちくたびれてそうだけど」

「ほんとほんと」

「いつも先生、早めに来るからな」

「それはそうだけど…待ち人のことを考えて待つのも悪くない時間だよ」

「…あ、そう」

まっすぐに見つめ返されて、目をそらす。ふと、先生の声がはずんだ。

「ピアス、新しいやつだね。似合ってるよ」

「…この前ぐうぜん見つけて、気に入って」

「カヨコの優しい雰囲気によく合ってるよ」

「…優しいって…逆なら、よく言われるんだけど」

「カヨコのことをよく知ってるからかな…うん、綺麗だ」

「〜っ…もう、いいよ。はやく、店に入ろ?」

「そうだね」

「こ、今回の新譜は、先生にもすぐに聞いてほしくて…忙しかった?」

「カヨコの誘いなら、いつでも」

「っ…そっ、か…」

はにかみそうになる頬をどうにかこらえて、カヨコは先生と並んで店の中に入った。

便利屋のみんながいるところは別として、騒がしすぎるのは好きではない。
音楽が好きだというのも、前までは周りと離れて一人と誰かの世界に浸れるからだった。いわば煩わしい世界と自分を切り離すためのツールだ。
だから好きな音楽を誰かと共有するということは、今まで生きてきた中での自然な発想にはなかった。
我ながら浮かれていると思う。

「…」

公園のベンチで、先生と並んで座る。
それぞれがイヤホンを耳につけて、たった今買ったばかりの新譜を聞いていた。
イヤホンを片方ずつ互いに分けて一緒に聞く方法も一瞬頭によぎったが、カヨコとしてはちゃんと作品を完全な形で鑑賞したいので、そういうことはしたくなかった。

だから二人は誰もいない公園のベンチでただ並んで座っていた。
新譜が終わるまでずっとそうしていて、一緒にスタートを切ったので、聞き終わるのも同時だ。
カヨコはプレーヤーを停止した後、ややテンションの上がった様子で隣を向いて、口火を切った。

「最高だったね?」

弾んだ声に先生は苦笑を浮かべる。

「…なかなか、強烈な印象だったね」

「うん。えぐるように物事の本質を切り取って、シャウトに昇華していた。これが、このグループの特別たる所以なんだよね」

カヨコはいつもよりも早口で先生にあれこれと語る。
先生はウンウンと真面目に頷いて聞いていた。ときおり自分の見解をはさむ。

「ふふ。さすが先生、わかってるね」

カヨコは嬉しそうに笑ってベンチに指をかける。
先程まで親しんでいたリズムを機嫌よく指先で模倣しだした。
タン、タン、タタンと、気持ちよさそうに指が弾む。

「〜…♪…♪」

かすかな鼻歌が公園の片隅で聞こえる。
先生とカヨコ以外に人はいなくて、
先生は特に喋ろうとせずに、カヨコの隣でじっと耳を傾けていた。

しばらく会話もせず、ただそうやって余韻に浸っていた。
沈黙があっても気まずくなることなく、二人の間で穏やかな時間が流れていた。

カヨコが地面を足先で振り子のようにこする。

「…」

ちらりと先生の方を目で見た。
すると先生と目が合って、先生は穏やかに笑ってみせた。

「…」

…私は、この人のことが好きだ。

いつ頃から自覚しだしたのかは定かではない。
それでも、この心地いい時間を共有してくれるこの人を、随分前から特別に考えていた。

カヨコは前を向いてうつむき、耳を触った。
赤くなってないか心配になった。

「いいものだね」

先生の呑気な声が聞こえる。

「音楽とかそういうので、こうやって余韻に浸る時間が、私は好きだな」

「…」

「今日は誘ってくれてありがとう、カヨコ」

カヨコは震えそうな息をこっそり吐いた。

「…あのさ、先生。よければ、なんだけど」

「うん?」

「えっと…その…」

前ならもっと気軽に誘えていたのに、と、内心でほぞを噛む。

「…?」

「…ううん、やっぱり…なんでもない、ことも、ないんだけど」

「?」

「だから…」

『一発、かましてきなさい!』

「…」

カヨコは、先生を見上げながら恥ずかしそうにする。

「…時間があるなら、ご飯でも、行かない?」

「よろこんで」

「…よかった」

カヨコがほっと息をつく。

「いやいや、カヨコとご飯を食べられるチャンスを逃す私ではないよ?」

「なに、それ…まあその…先生、忙しそうだしさ…」

「そうして一人さみしくカップラーメンを食べるときの寂しさがね…」

「…言ってくれれば、私、先生のところに行くよ?」

「いやあ…たくさん当番に来てもらってるほうだからねぇ」

「当番じゃなくても…話し相手くらいなら、なってあげられると思うし…簡単なものだったら、料理だって…」

「カヨコは本当に優しいね」

先生は立ち上がって、カヨコの頭をぽんぽんと叩いた。

「でも、無理しない範囲でいいよ」

「無理、なんかじゃ…迷惑、だった…?」

「そんなわけないよ。ただ、最近はカヨコに甘えてばかりだと思って」

「…それって」

カヨコの端末が急に鳴った。カヨコはすぐに端末を取り出して着信元を見た。

「…迷惑電話だった」

「あはは。あるある」

「…」

「…?どうかした?」

先生のことをぼーっと眺めていた。カヨコはハッとして、視線を逸らした。

「…いや、あの…そう言えば、なんだけど」

携帯を見る。

「…今日事務所へ寄ったときに、社長が大変そうだったの、思い出しちゃって」

「そうなんだ…それなら、ご飯は今度にしようか?」

「…ん…や、大丈夫だとは思ってるんだけど…本当にまずかったら、連絡くれるだろうしね」

「そもそもアルは、カヨコに頼ろうとしなかったの?」

「…まあ…有給は社員の義務だって…言ってたけど」

「ああ、アルらしいねぇ…それなら、社長の心意気に付き合ってあげてもいいんじゃない?」

「心意気…」

「大切に思われてるんだね」

「…そう、だね。おせっかい、でもあるけど」

「そう言わないであげて」

「…」

しばらくカヨコは地面をつま先でなぞっていた。

『先生に喜んでもらえるといいわね』

「…」

やがて立ち上がって、スカートをはたいた。

「…行こっか」

「大丈夫そう?」

「うん。私も…そうだね。今日は社長に、いい報告をしたくなった、というか…」

「付き合うよ」

「…」

一歩近づいて先生を真正面から見上げた。
先生は気づかなかったが、カヨコの目の奥には、不安と、それなりの期待が込められていた。

「うん」

来るものは強いて拒むことはしない。けれどもこちらから追うことはなく、そのスタンスでずっとやってきた。
一人ぼっちになりかねないその生き方で今までやってこれたのは一人で生きていられる能力があったからだし…おせっかいな人に恵まれたからでもある。
便利屋のみんなと過ごすのは楽しくて、居心地が良くて、ふと、安らいでいる自分に気がつく。

それでも、もう少しこれに加えて…他にも欲しいものができて、それを望むのは、贅沢だろうか。
いや、きっとそれは、普通のことなのだと思う。
今までそういうことから、ずっと目を逸らし続けてきただけだ。

カヨコはせっかくならと、お店について先生にお願いをした。先生は快諾して、改めて時間を決めてからカヨコは事務所に一旦戻った。事務所にはまだ誰もいなかった。使わなくなったものをしまってある一画に近づいて、カヨコは服を脱ぐ。脚をひきぬいてスカートを床に落とした。

それからドレスに着替えて、髪の毛などを丁寧にセットした。

「…」

鏡に自分が映っている。

「可愛い…のかな?」

よくわからない。なんとなく前髪をいじる。言ってくれるのは先生くらいだ。
自分ですら怖い顔だと思っている。
でも…。

頬に赤みが差している。鏡に映っている自分が恥じらっていた。

「はー…」

ガラにもなく緊張しているようだった。

少しでも魅力的に見えるよう最善を尽くす。
自分のことを信じられなくても…先生の言ってくれることは信じたいし。
でも、本当にガラじゃない…。前髪をいじる。

大人びていると言われることもあるが、
要領よく物事をこなすのが得意なだけで、取り繕ったうわべでいつも心の内を隠している。
本当は寂しがりなくせに。

すべてさらけ出して受け止めてもらえたら、どれほど幸せなことだろう。
先生と、私が…。

「…っ」

もちろん、先生が生徒と恋愛関係になることを肯定するはずもないけど…それでも…。
…いつも、本心から褒めてくれているのなら、
先生も一緒にいる時間を、私と同じように、特別に思ってくれているのなら…期待してもいいのだろうか。

「…」

「カヨコ、お待たせ。はやかったね」

「…待ってばかりの先生の気持ちが知りたくてね」

「はは…それじゃあ、店に入ろうか」

「うん」

「カヨコ」

「なに?」

「やっぱりカヨコは可愛くて、綺麗だね」

「…ありがとう」

カヨコは、はにかんだ笑顔を浮かべた。

落ち着いた雰囲気の店だった。
客はいるのにささめくような静けさで、クラシックの上品なBGMが控えめに流れていた。
案内された、真っ白できれいな布に覆われたテーブルに二人で向かい合って座る。
係がメニューについて説明しに来て、いくつか料理を頼んだ。

こういうかしこまった場で緊張するようなことはないけど、いつもより先生の視線が気になってソワソワしてしまう。

「…先生、急なお願いだったのにありがと」

先生はニコニコと笑っていた。

「久しぶりにカヨコのドレス姿が見れて嬉しいよ」

「…そう」

「ところで、今日はなにか特別な日だった?いや、何もなくてもいくらでも連れて行くけどね」

「先生ってときどき、気前が良いよね」

「喜ぶ顔がみたくて…ついつい」

「私から誘ったんだから今日は私が払うよ」

「いや」

「先生。貸してばかりだと負い目に感じる子もいるんじゃない?」

「でも、私は大人だからね」

「今日くらいは、そういうの気にしないでもらいたいな」

「…誕生日ではないし、えっと」

「そういうのじゃない。特別な日じゃないけど…えっと…私たち、親子には見えないし…」

「うん…?」

「だから…こういう場だし、いつもと違うことを話せると思うんだけど…」

「…ふうん?」

「…」

グラスが運ばれる。ドリンクが注がれ、ウェイターが通り過ぎていった。
つばを飲み込む。

「先生はさ、生徒が大人になりたいって言ったら、どう答える?」

唐突な質問に先生は首を傾げて真面目に考えた。

「理由によるかな」

「そんなの、だいたいは子どもの自分が嫌だからだよ」

「どうして?」

「大人にならないとできないことがたくさんあるから」

「例えば?」

「先生に気兼ねなく奢ってあげたり、弱音を聞いてあげたり…とか」

「気にしなくていいのに」

「気にするの」

「生徒たちの手助けをすることが私の役割だから」

「役割だけではないでしょ?」

「本心から、そういう役割でいられてよかったと思ってるよ」

「…先生には感謝してる。お世話になってるし、私のことをよく考えてくれてて…だから、先生のことが好きだよ」

「…ありがとう」

「先生のことをよく考えてる。先生は今何をしてるんだろう…私のことを、少しでも思い浮かべてくれてるかな、とか」

「…」

ドキドキしてきた。

「先生はいつでも先生なの?寝ているときも、ご飯を食べているときも、私とこうしているときも…」

「カヨコ、生徒がいる限り、私は先生なんだよ」

「答えになってない」

熱がこもって声が大きくなりかけた。BGMに埋もれた周りのささめきと同じように、カヨコはささやくような声に戻る。

「…名前はいらない。先生が困るだろうから」

ややうわずっていた。

「でも、先生の気持ちが知りたい。確認がしたい。私を呼んでくれるとき、一緒にいるとき…何を思ってくれてる?」

頬は紅潮し、カヨコは潤んだ瞳で、先生を見つめていた。

「それって、私と同じ気持ち?」

「…多分、同じではないかな。でも、大事には思ってるよ」

「…」

「大切な生徒の一人だ」

「…」

「カヨコ…」

「でも…」

「…」

「だって」

口から出そうになったことをすんでのところで飲み込む。
かろうじて残った理性がブレーキをかけた。

「カヨコは大人になりたかったんだね」

先生は申し訳無さそうな顔をしていた。

「ごめんね」

そのうち料理が運ばれてきて、それぞれの向かいに置かれた。しかし、二人ともそれに手を付けることはなかった。

いま着ているドレスも、髪留めも、全部破り捨ててやりたくなった。
馬鹿みたい。
ぜんぶ子供じみた考えだったらしい。いつの間にか抱いていた期待も、自信も、慕情も、ぜんぶ。
らしくない。本当に、私らしくなかった。
何を夢見ていたのだろう。
何を…。

結局、何も食べずにカヨコと先生は店をあとにした。帰り道を歩き続ける中、先生は何かをカヨコにずっと喋りかけているが、カヨコの頭の中には何も入ってこなかった。

先生との関係を元通りにしなくちゃいけない。でも、どうやって?そんなこともわからないまま話を進めようとしてしまった。

「カヨコ」

いや、私が考えることではないか。
後のことは全部大人の先生に任せてしまえばいい。子どもの私が下手な考えで場を乱したところでいいことなんか何も無い。

「カヨコ」

さっきから私を呼んでいる先生に、いつも通りに返事をすればいい。そうすれば、いつも通りの関係に戻る。さっきまでのことは、全部、なかったことになる。

「…カヨコ?」

「…」

大人になりたかったって?
なにそれ。

カヨコは先生の腕を掴んだ。先生は驚いて、強い力に顔をしかめた。
横道の暗がりに先生を力尽くで押し込み、壁に押し付けて、胸元を引っ張り寄せる。

「カヨ…っ」

歯と歯がぶつかったが、構わずに手の力を強め続ける。
先生の手がカヨコの肩を掴んで突き放そうとするがかなわなかった。

「…大人になりたかったんだね、って?ごめんねって何?」

カヨコの口から低い声が漏れる。

「へえ?先生が、生徒にそんなこと言うの」

「…」

「ねえ、先生。バカバカしいって、言いたいの?」

「ごめん、私の言い方が」

「言い方の問題じゃないよ!」

「ごめんね、ごめん」

胸ぐらを掴まれながら先生は、カヨコの背中を優しく叩いて抱きしめる。

「っ…」

胸ぐらをつかむ力が弱まって、すがるようになっていった。

「私…ほんとうに、先生、の、こと」

「カヨコは…その、すごく魅力的だけど」

「…」

「生徒からの信頼はかけがえのないもので、先生として、失くしてはいけないものなんだよ。だから」

「おねがいしても、だめ?」

「…」

「ごめん。馬鹿みたいなこと言ってるね。らしくないよね」

頬をひとすじの涙がつたった。

「でも私、先生と一緒にいたいな…」

声は震えていた。

「先生…私、役に立てるよ?なんでも、してあげられるよ…?」

「…」

「ぜったいに先生の邪魔しないから…ねえ…」

先生は黙ってカヨコの頭を撫でた。
カヨコはうつむいて、先生にもたれかかっていた。

カヨコが人通りのない道を歩いていると、後ろから声をかけられた。

「あれ〜?カヨコっちだ」

振り返るとムツキがこちらに手を振っていて、アルとハルカがそれを挟むようにしていた。
三人とも服がボロボロだった。

「きれいな格好してるけど…もしかしてこっそり別任務だった?」

「…」

「もー、カヨコっちいなくてこっちは大変だったよ〜!ま、何だかんだで楽しかったけどさ〜」

「ご、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」

「えー?ハルカちゃんはすっごくよかったよ〜?面白くて♡」

「うう…」

「ま、まあ…終わりよければ全てよしよ!どう、カヨコ?私たちは無事、仕事をやり遂げてきたわけだけど」

アルは咳払いしながらカヨコに近づいてこっそりと声を潜めた。

「…で、そっちの首尾はどうだったの?進捗何%くらい?」

「…」

カヨコのいつもと違う様子に、アルは眉をひそめる。

「…カヨコ?」

いきなりカヨコがアルに抱きついた。

「カヨコッ!?」

「わお」

「か、課長…?」

「ど、どうしちゃったの…?カヨコ…?」

アルはオロオロと手を彷徨わせていたが、カヨコはアルの胸元に顔を埋めたまま離れようとしなかった。

「…ふーん?珍しいねえ、カヨコちゃんがこんな堂々とアルちゃんに甘えてるの」

「甘えてるのかしら…?」

「課長…!な、なにか嫌なことでも…わ、私が原因を潰してきましょうか…!?」

「ハルカ、よしなさい」

「…そーだねえ。ハルカちゃん、私たちは先に行こっか」

「え?で、でも課長が…」

「いーからいーから〜♪あとはアルちゃんに任せよ?それじゃね〜」

ハルカの背中を押してムツキが元気に先を歩いていった。道端にアルとカヨコが取り残される。
アルはとりあえずあやすようにカヨコの頭を撫でていた。

「進捗、は…」

「え?」

戸惑っているアルの胸元からくぐもった声が聞こえる。

「…マイナス、かな…」

「そ、そうなの…それ、は…」

「…」

「…やらかしちゃったわね…?」

「…」

「あっ、だ、大丈夫よ...!カヨコなら取り返せるわ。なんたって、うちのエース…いえ、一人ひとりがエース級の人材ではあるけれども、だから、つまり…」

「…」

「そう、こう思えばいいのよ。一歩進んで、百歩さがった、と…」

「…」

「一歩を評価するべきなのよ!いつの世も新しいことに挑戦するとはそういうことで…」

「近づいていったら、その分だけ先生が後ずさっていくのは、どうすればいい…?」

「う〜ん、ええとねえ…!!」

鼻をすすりだすカヨコの頭のてっぺんを心配そうに眺めて、優しく髪の毛をなでつけた。

「…それでも追うべきよ。だって諦められないのでしょう?」

「…」

「あのね…落ち込んだときはね、なりたい自分を口に出して言えばいいのよ。例えば…カヨコは、デートするならどこがいい?」

「…」

「あーほら、遊園地を貸し切ったり、夜景のきれいなスポットとか、いいと思わない?どう?」

「…どこでも…先生の好きなところでいい」

「あら!一緒にいられるならってことね、いいじゃない…それなら、おうちデートでゆっくりなんてどう?何かしてみたいことはあるかしら?」

「…いい機材で、お気に入りの曲を、一緒に聞いたり、とか…」

「場所は?」

「…ソファの上で、二人並んで…」

「うんうん」

「手、つないでみたり、したかった…」

「いいじゃな〜い!過去形じゃなかったら、もっといいわね!」

「…」

「ほらぁ、やる気が湧いてこない?ダメ?」

「…」

「…元気がなくなったらこうやって、それでまた、頑張るの。こんなことになら、いくらでも付き合ってあげるから…だから、泣かないで。ね?」

「…」

「大丈夫。ぜんぶ大丈夫だからね」

「社長…私、まだ諦めたくない…」

「わかってる、力になるわよ…大切な友達の、大切なことだもの」

「…」

「ほら、涙で可愛い顔がぐちゃぐちゃになってるわ」

「…ん」

アルはハンカチを取り出して、カヨコの目元にあてた。顔をうかがって、ついでに頭をぽんぽんと軽く叩く。

「はやく事務所に帰りましょ。ムツキたちには外すように連絡しておくからね。今日はいくらでも話、きくわ」

「…うん」

「歩ける?」

「…」

アルがカヨコの手を引っ張っていく。テクテク歩いて、その途中でカヨコがポツリと漏らした。

「…社長って、お母さんみたいだね」

「どういう意味よ」

「いつもありがとうって意味」

「…どういたしまして?」

「ふふ」

カヨコは泣きはらした顔で笑った。
アルもそれを見て笑う。

「落ち着いたら作戦会議しましょ、二人ならきっといい方法を思いつくわよ」

「そうだといいね…」

それから二人は他愛のないことを話しながら帰路についた。

高級店エアプでヘヴィメタもエアプ
ここからのは小数点以下の確率でイベント発生した場合

「先生…私、役に立てるよ?なんでも、してあげられるよ…?」

「…」

「ぜったいに先生の邪魔しないから…ねえ…」

先生はしばらく何もしないで黙っていた。
そうしていると、そのうちカヨコがうつむいて、しゃくりあげ始めた。

「…」

震えている肩を、先生は掴んで、ぐいと押して離した。
突き放すような行動に顔を上げると、涙でぼやける視界が塞がれた。何が起きているのかわからなくて、カヨコはただ服にしがみついていることしかできなかった。

路地裏の入口の向こうから物音がした。
先生はそちらを向いて、カヨコの身体を引き寄せながら息を潜めた。
酔っぱらいか何かが喚いている声がして、すぐに通り過ぎて聞こえなくなった。

ふたたび静かになった薄暗闇の中でカヨコは抱きしめられて動けないでいた。
目が見開かれて、心臓は飛び出るくらい跳ねていて、呼吸が苦しくて、思考がまとまらなかったが、間近に感じられる先生の体温が狂おしいほどに離れがたかった。

背中の手が這って敏感に震えた。
力強く抱きしめてくるその手は、いつも撫でてくれるものとは様子が違っていた。
先生が今どういう表情なのかは、胸元にいるのでわからない。
それでもカヨコはただ、すがるようにして先生に力を委ねていた。

「先生…?」

その声には戸惑いと、仄暗い期待がにじみ出ていた。先生の服をうかがうようにかすかに引っ張る。

「先生」

蚊の鳴くような声。また否定されるのが怖くてそれ以外に言葉を紡げなかった。
熱い吐息と心臓の鼓動ばかりがうるさかった。
永遠に思えるくらいに長い沈黙の後、

「私もカヨコのことが好きだよ」

そう言うなり、先生は長い溜息を吐いた。
腹いせのようにカヨコの頭を乱暴につかむと強く自分に押し付ける。圧迫感と息苦しい中で先生の匂いに包まれて、どうすればいいのかわからなくて、硬直した。

黙り込んだままのカヨコに、

「失望した?」

カヨコは、首を振った。

「顔、みせて」

ためらって、おずおずと顔を上げた。
カヨコは真っ赤になって、先生のことを見ていた。先生が薄暗い中でよく見ようと顔を近づける。

「あーあ、可愛い顔が涙でぐちゃぐちゃだね」

「せ、先生…んっ」

カヨコの身体が反射的に揺れて、不安げにしながらも、彷徨わせていた手をゆっくり背中へ回した。
しがみつくように絡みつく。

「…何でもするなんて軽々しくいうものじゃないよ…あれ、耳が真っ赤だね。身体も熱いし」

「そういうこと…言わないで…」

「いつものカヨコらしくない」

「先生…こそ…」

「嫌いになった?」

今度はカヨコから背伸びをした。
ふらふらと数歩さがって、口元を抑えながら、視線を地面に移す。火照った頬に汗が一筋つたって顎から落ちる。顔を上げられなかった。先生の靴ばっかり見ていた。

いろいろな感情が渦巻いていて、一つで言い表すのは難しかった。
その中でふいに一番上に浮かび上がってきた感情は、罪悪感に似ていた。

「あ、の…先生…」

「言っておくけど、アルたちには内緒だよ?」

先生の声にはいつもより威圧感があった。

「誰にも悟られたくない。大っぴらには会えないから…カヨコが望むようなことは、できないかもしれないね。それでもいいの?」

複雑な感情だった。決してポジティブなものばかりじゃなかった。後ろめたくもあり、自己嫌悪のような感情も中にはあった。
それでもカヨコは嬉しかった。
涙が浮かび上がるほどに嬉しかった。

カヨコが先生の言葉に何度も頷く。

先生が近づく気配がして、身体にぞくりと期待が這った。
その予想に反してカヨコの頭の上に手が載せられた。

「そっか」

そのまま撫でられた。

「…」

カヨコはそれに不平を言っていい気がしたし、ダメな気もした。
ただ、先生に触れられるのが心地よかった。

「…」

カヨコから一歩近づいた。
先生の背中に手を回して、身体を密着させる。こうやって触れても嫌がられないことが嬉しい。
先生は抱き返してくれた。

一生独り占めしたくなる。カヨコはまたキスをしたくなったが、がんばって我慢した。

…こんなにも心乱れるのは今日限りにしよう。
これからもこんな幸せが続くように。
この人の側に一生いられるように。

今日だけにしようと、思った。

終わり
よくないよ…
ブルアカの恋愛要素なんてストーリーのおまけでユーザーへのサービスなんだからもっと軽くてイチャイチャしたほうがいい

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