【オリジナル】どっとハレルヤ【一次創作】 (134)
「パンパカパーン! なんとたった今、無意味に命を落としたお前に特別大チャーンス!」
気がつくと真っ白な空間にいた。
目が眩んであらためて、これまで自分が暮らしてきた世界がいかに暗く、昏く、冥くて澱んでいたのか思い知らされた。
「なーにを打ちひしがれてるんですかぁ? そんなセンチメンタルに気に病む権利なんてお前のような下等生物にはないんですよー?」
なんだこいつは。いきなり罵倒してきた。
後光からこの空間を満たす真っ白な輝きは恐らくこいつから放たれているのだと察することは出来る。絶世の美貌。完璧なスタイル。
こいつが女神と言われたら信じる見た目だ。
「ほーん。このあたしを肉眼で直視して劣情を催さない程度には高潔な精神を持ち合わせていることを証明したのは褒めてあげるわ。でも、お前ごときがこのあたしを観察するような眼差しを向けていること自体が不敬よ」
それは失敬。慌てて目を逸らす。まずいな。
やっぱりこいつは女神かなんかでかなり偉い存在なのだろう。怒らせるのは危険である。
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「なーにを勝手に目を逸らしてるんですかぁー? 誰が許可しましたー? 誰もが垂涎なこのあたしの美貌を前にして、あっさり目を逸らすとかプライドが傷つくんですけどぉー?」
じゃあ、どうすりゃいいってんだよ。
ため息を吐き、あらためて向き直る。
すると目の前の女神様は蠱惑的な表情を浮かべて、落命の瞬間について語り始めた。
「お前は死に瀕した少女を自分の命と引き換えに助けようとした。神ならぬお前ごとき下等な存在が他者の運命に干渉しようとした。もちろんその少女の運命はお前みたいな矮小な存在が変えることなんて出来ない。当然、死んだわ。ただ唯一、大きく運命が変わったのはお前自身よ。お前はここで死ぬ運命ではなかった。それなのに、死んだ。そのことについてあたしはとても腹を立てている。おわかり? わかったなら、まずは謝罪しなさい」
「申し訳ございませんでした」
素直に謝罪した。反発や反論はしない。
もちろん、腑に落ちない点は沢山ある。
自分の運命なんだから好きにさせてくれても良さそうなものだ。説明によると、結局、あの子は助からなかったようだし。他者の運命に介入は出来なかったらしい。がっかりだ。
「それが口先だけの謝罪だって、このあたしがわからないとでも思いましたかー? 全知全能であるこのあたしの慧眼を誤魔化せるとでも? お前はただ素直に、その生意気な目でこちらを見据えて反論すればいいんですよ?」
「じゃあ、自分の命くらい好きに使わせて」
「ダメに決まってんじゃないですか。いいですかー? お前の運命はお前のためにあるんじゃない。勘違いすんな、です。まったくもう。思い上がりも甚だしいというか、極めて利己的で、しかも発露が自己犠牲なのが独善的かつ偽善的すぎて反吐が出ます。おえっ」
さすがにムカついた。これはキレていい。
たしかに客観的にみればあの自己犠牲が独善的かつ偽善的な自己犠牲だったことは認めよう。それでも、こちらの主観としてはあくまでも善行のつもりだったのだ。死の間際、マシな命の使い方だったと満足していたのだ。
「ふー危ない危ない。危うく成仏されるところでしたよ。間一髪です。もしもあたしがお前の愚行を労っていたらその瞬間に魂は浄化されて自我なんて欠片も残っていなかったでしょーね。今こうしてお前ごときちっぽけな魂が偉大なあたしの目の前で本来の形を保っていられるのはその怒りが源だと自覚しろ、です。お前はそうやってあたしに苛ついていればいいんですよ。これからの人生、死ぬまであたしへの感謝を忘れずに過ごしなさい」
これからの人生とは? どういうことだろう。
落命して、女神に説教をされて、運命とやらを歪めた罰として地獄行きではないのか?
「お前はもともと地獄で暮らしていたのですよ? みーんなゴミみたいな奴らばっかりの掃き溜めという賽の河原で、報われない石積みをして、その生涯を終える運命でした。なのにお前は、勝手に、その勤めを放棄して死んだ。お前が積んだ石を崩すあたしの楽しみを奪った。それは万死に値する罪ですが、裁きを与えるにもお前はもうくたばってますからね。だから特別に、またあの糞みたいな世界で復活させてあげようと言ってるんですよ」
復活。またあの世界に逆戻り。
助けようとした少女がいない世界。
それはまさしく、地獄だろう。
「い、嫌だ。戻りたくない。このまま死んでたい。お願いします。どうかご慈悲を……」
「ダメだって言ってんだろーが、です。お前の運命は、その命は、お前のもんじゃない。お前には為すべきことがある。その使命を放棄することは許されない。黙って言われた通りに石を積め。ある程度の高さになったらあたしが崩す。お前はそのたびに絶望して、死にたくなるだろう。しかし、それは許されない。お前はその命運が尽きるまで、石を積むんだ。それが、お前に課せられた使命です」
「嫌だ……行きたくない……生きたくない」
「生きたくなくても生きるんだ。死にたくなくても死ぬ連中を思ってな。あの少女は死んだ。その十字架を背負って生きていくんだ。それがお前の人生であり、運命なのですよ」
あの少女は両親から酷い虐待をされていた。
時折、家から追い出された少女がベランダで泣いているのを見た。警察に通報したが、ただの躾ということで片付けられた。あの日、ベランダに放置されたまま動かなくなった。
焦って、なんとか救出をしようとして、転落して命を落とした。あの暗く、昏く、冥く淀んだ社会で、あの地獄のような世界で生きていたくない。あそこで暮らす、ゴミのような連中と一緒にされたくない。ああ……そうか。
「お前は自分が特別だと思い、あの世界の連中とは違うと決めつけていた。でもそうではないのです。お前も同じなのです。道端で野良猫が轢かれていても埋めようともしない。そんなお前があの少女のために命を落とすなんて自己満足以外の何ものでもありません。そんな在り方は認めませんし、このあたしが許しません。お前はあの世界で、あの連中と一緒に生きていくのです。生きていく中で、報われたと思ったら、また失敗をして、絶望をすることがお前の運命であり、生きる意味なのですから。それ以外の選択肢は存在しません。それを拒むことは許しません。お前はそのやるせなさを噛み締めて、天を呪いながら生きていくのです。くだらなくて、ずるくて、卑怯で、汚くて、虫唾が走るような連中と一緒にね。仲良くするにはお前自身もそうなるしかないんですよ? わかってますか?」
「嫌だ……そうなりたくない……死にたい」
「それはつまらない意地ですよ。本来、お前らみたいな連中はあたしを下卑た目で見つめて、押し倒すのが普通です。それなのにお前は自らの保身のことしか考えていない。欲望が足りていないのです。あの虐待されていた少女が裸でベランダに放置されていても、お前は一切欲情しなかった。そんな高潔な精神なんて、あの世界において一切必要ありません。だからもっとクズになってください。だってあの世界、クズしかいないんですから」
「クズになりたくない……自分を保ちたい」
「あは。ようやく本音が出ましたね。クズになりたくないのは周りと同じになりたくないから。強烈なただの自我にすぎません。お前は自分のことが好きなだけ。自分が助かるためにあの憐れな少女を利用したわけです。最低ですよね。自覚してくださいよ。お前は最低な奴です。下手したらあの連中よりもね」
そうかもしれない。きっとそうなのだろう。
あの子を助けたかったのは、自分のためだ。
つまらない正義感を満たして、自尊心を保ちたかっただけ。結果としてあの子が救われたら、それは美談になる。クズすぎて泣ける。
「ああ、ううっ……くそっ……畜生……畜生」
「ああ、泣かないで。その薄汚い涙でこの清潔な空間を汚さないでください。ただでさえ吐く息も臭くて汚いのに、鼻水とか涎なんて勘弁してくださいよ。おい。蹲るな。顔を上げろ。そのぐちゃぐちゃになった顔面をよく見せろよ。あの世界に戻ったら、何度も何度もその顔で天を仰いで慟哭しろ。それで今回の件は許してあげます。もう怒ってはいませんよ? 寛大でしょう? だから早く泣き止んでください。鬱陶しいですから」
口調とは裏腹に頭を撫でる手つきは優しい。
何より許されたことが嬉しかった。たしかに成仏しそうなほどだ。しかし、別に労われたわけではない。ただただ罵倒されただけだ。
「ちーがーうーでしょー? あんたはこれを慈愛だと勘違いしてあたしに惚れるの。それが普通でしょ? わかんないかなー。なんでそんな簡単な思考回路も積んでないワケ? 馬鹿なんだから難しく考えても仕方ないじゃん。能天気に、女神様しゅきーってなってればいいの。ほら、言ってみ? 女神様しゅきってさ」
「……女神様しゅき」
「うわキモ。きっしょ。キッツ。ないわー」
はいはい。ご褒美ご褒美。別に傷つかない。
なるほどだいたいわかってきた。理解した。
こういうやり取りが求められているのだと。
「わかってきた? ならもう大丈夫ね。今のお前ならきっと下界でも上手くやっていける。毎朝毎晩、このあたしに感謝しなさいね?」
「……ありがとうございます、女神様」
「よろしい。じゃあね……頑張んなさい」
目が覚めると、自分のアパートのベッドの上だった。まだ夜明け前なのか、薄暗い室内。
隣接するマンションのベランダには、きっと死んだあの子が放置されているのだろう。暗く、昏く、冥い気持ちになった。カーテンを開けて確認するのが怖い。それでも確認をして、絶望視して、天を憎むのが自分の使命であり、義務だと女神様は仰っていた。仕方なく、布団から出て、そこでようやく気づく。
「本当にありがとうございます……女神様」
布団の中で丸くなって寝ている野良猫ならぬ少女がすやすやと寝息を立てていることを確認して女神様に改めて感謝した。たしかに死んでいる場合ではない。この子と生きていくのだ。この暗くて昏くて冥い素敵な世界を。
【どっとハレルヤ】
FIN
「聞いたよ? また主神様に楯突いたって?」
「ウザい」
クスクスと、耳障りな嘲笑にイラッとする。
あたしが何かしでかすたびに、いちいち揶揄うのがこいつの趣味であり、悪趣味なのだ。
「主神様は心配してたよ? キミまで堕天してしまうんじゃないかってさ。愛されてるね」
「ほっとけ」
下界の劣悪っぷりは、たしかに堕天したアホの影響も大きい。けれど、それでもだからって管理者側が放置していても状況は悪くなる一方だ。あたしにはこいつのように、もがき苦しむ人間を見て見ぬふりなどしたくない。
「キミは人間たちにとって良い神様でありたいの? そんなことをしたって無駄だよ。連中は、何度救ってやっても救えないんだから」
「あたしが自分に与えられた権限の範疇で何をしようと勝手でしょ。口を挟まないでよ」
「いやいやいや。越権行為で怒られたくせに何を言ってるのさ。少しは反省しなさいよ」
越権行為なんて詭弁だ。それをするだけの力は有している。我々のやることは常に正しくて、間違ってなどいない。こいつのやることですら、あたしに口を挟む余地はない。主神は、あたしたちを監督する役目にすぎない。
「本当に堕天しそうでお姉ちゃん心配だよ」
「は? 誰があたしのお姉ちゃんよ、誰が」
「僕だよ。キミのお姉ちゃんはこの僕です」
「ふん……性別不詳のくせに、よく言うわ」
「僕はほら、恋愛感情を司っているからね。どちらかに偏るのは良くないでしょう?」
クスクスと己の権能を自慢するろくでなし。
こいつの匙加減で人間同士がくっついたり、破滅したりする。こいつは何気ない幸せを大切に出来る人間しか救わない。節操のない連中を嫌う。なので大半の人間は加護を受けられず破滅する。人間の運命とは我々の加護が途絶えた瞬間に潰える。悪魔の餌食となる。
「キミだって節制は大事だって思うでしょ」
「だからって草しか食べないような惰弱な人間は、それはそれで運命が弱る。チャンスを逃して幸せを得られない。あいつみたいに」
「この前キミが救ってあげた人間? キミの言いつけを守って、自分の欲望と向き合っているみたいだよ。あの少女のほうも無事に成人してから積極的だしね。そのうち番になるだろう。僕の加護さえあれば幸せになれるよ」
幸せになれるかどうかなんてどうでもいい。
ただ運命から逃れることは許さない。これはあたしの領分だから、そこを逸脱されると沽券に関わるのだ。それこそ、下界に降臨したくなるほどにもどかしい。少しくらいなら。
「ダメだよ。絶対に。降臨、ダメ、絶対!」
「チッ。わかってるし……ケチくさいわね」
「節制だって言ってるでしょ。連中は甘やかしたらすぐ堕落する。簡単に手を貸して、信仰されすぎると、連中は全て神様任せにしてしまう。考えることをしない。自発的に正しい運命を全うさせること。それが出来ない奴らは破滅する。それが摂理だ。逸脱した彼を正しい運命に導いたのはかなりギリギリの介入で、だから主神様に怒られるのは当然さ」
自発的に正しい運命を全うするなんて詭弁にすぎない。大抵は運命に翻弄されて、その過程で自らの運命を受け入れる。痛い目をみないと気づけない。そして気づいた時には、ある意味もう手遅れなのが運命である。自発的にそこに辿り着ける者などほとんどいない。
「破滅した連中は自分が悪いんだよ。僕らが気にすることじゃない。キミの慈愛は僕のように博愛ではないだろう? 僕は愛するがゆえに切り捨てる。永遠など下界には存在しないのだから。命運が尽きる時、人間どもは気づくのだろう。自分たちの存在は儚いのだと」
あたしはこいつを嫌いだし認めたくないけれどこいつのスタンスは管理者として間違っていない。あたしたちは間違わない。結果的に正しいことをする。それが神の思し召しだ。
「それよりさ、聞いてよ。何度天罰を下してもあの馬鹿どもは違法薬物に手を出すんだ。まんまと悪魔の奴らの罠に引っかかって破滅しちゃう。キミはどうしたらいいと思う?」
「もっとえっちの時に気持ちよくするとか」
「もぉーだから節制だってば。ほどほどにしないと、それしか考えられなくなる。下半身に支配されたらそれこそ悪魔の思う壺だよ」
「本能に忠実な人間のほうが素直じゃない」
「そしたらあいつら戦争しかしないよ。徒手空拳での殴り合いならともかく、悪魔の武器で絶滅まっしぐらだよ。そしたらいよいよ主神様が激怒して、もうめちゃくちゃになる」
「堕天したあのバカもなんだかんだ詰めが甘いわよねー。主神に刃向かうわりには人間に対する愛情が残ってる。だから人間を絶滅させるまではしない。ま、歪んだ愛情だけど」
「あんなのを愛情なんて言わないでくれよ。僕の沽券に関わる。愛情というのはもっと純粋で尊いんだ。堕天したあのアホのそれは、悪意ある欲望だよ。人間の悪意があの気狂いは大好きなんだ。だから主神様は怒って天界から追放した。そしたらもうこの有様だよ」
「堕天して伸び伸びとしてて愉しそうよね」
「僕らは全然楽しくないけどね。忙しすぎ」
人間の本能を自制させる。それは重要だけど自制しすぎるとあいつみたいに逸脱する。あいつの場合は悪魔に唆されたわけでもなく、完全に自滅だった。管理者として、そんな末路は1番許せない。だからあたしは介入した。
「また彼のこと考えてる。たしかに人間の中では珍しい高潔な精神の持ち主だけどさ、ただの馬鹿だよあんな奴。愚かすぎる人間さ」
「わかってるわよ。あいつは馬鹿で愚かな人間。でもだからこそあたしはあいつを……」
「手のかかる子供ほど可愛いってやつかい? 博愛主義の僕には理解出来ないね。主神様のように我々を監督する立場からしても看過出来ないのは当然だ。ほどほどにしときなよ」
「えいっ」
「あ! またなんかやったでしょ!? ダメだよ男性用避妊具を売り切れになんかさせちゃ! たしかにあの道具は自然の摂理に反しているけど、節制という面では有効なんだから!」
ふん。違法薬物になんかに頼らずともこれが1番健全に快感を得られる。せいぜいあいつも運命の相手との行為に没頭するがいい。馬鹿なら馬鹿らしく愚かに頭を空っぽにして後先なんて考えずに腰を振ってればいいんだ。
「よーし鑑賞会をするわよ!」
「やめて! 手を離して! 僕の権能を低俗な覗きに使うな! しかも特定個人だけを視るなんて清く正しくない! 変態のすることだよ!」
「あんたを通すと快楽まで伝わって便利ね」
「僕を娯楽の道具にしないでよ!?」
主神から怒られるのを回避するために喚きつつも恋人繋ぎをするこの僕っ子はやはり嫌いだけど、こいつから伝わってくるあいつの愛情はあたしのやったことの正しさを証明してくれる。せいぜいあたしに感謝しながら行為に没頭するがいい。早く子供作って見せろ。
【どっとハレルヤ 2話】
FIN
「あたし、ヴァンパイアだから」
不意にそう告げた彼女は美少女と呼んで差し支えない美貌にそぐわない暗い、昏い、冥い瞳を紅く光らせて、こちらを見つめてくる。
「君が、ヴァンパイア……?」
ヴァンパイア。吸血鬼。夜の、王……?
そこまで連想をして、その発言の信憑性をようやく疑った僕は、どうやら自分で思っている以上にそうしたファンタジーに憧れていたらしいと自覚した。そんなわけはないのだ。
あるとすれば、そう。アンパイア。もしくはパパイヤかも知れない。いかにもパパ活をしていそうな感じがする。いや流石に失礼か。
たまたま同じクラスで隣の席になった病み系の女子がヴァンパイアなんて、ありえない。
そうとも。そんな筈ない。だって彼女は朝、普通に登校して、太陽の下で平然としているではないか。もしも本当にヴァンパイアならばそれは耐え難い苦痛でなければおかしい。
だってヴァンパイアは陽の光が弱点だから。
いやいやいや。そもそも僕はどうしてヴァンパイアの伝承や設定に当て嵌めて否定をしているんだ。否定は簡単だ。現実的ではない。
「えと、揶揄ってる……?」
「あーその顔、信じてないっしょ」
「ま、まあね」
全然。これっぽっちも。そうさ。僕は欠片も信じてなんかいない。ちょっとでも耳を疑ったことが恥ずかしい。馬鹿馬鹿しい話だよ。
「どうして太陽が平気か、知りたい?」
「別に、そんなのどうでもいいし……」
「じゃーん! UVカットクリーム!」
愕然とした。その手があったか。伝説上の存在であるヴァンパイアの伝承は時代背景が中世ヨーロッパなので、その設定が現代に通用するとは限らない。美容業界は日進月歩で進歩しており、既に太陽を克服していたのだ。
「塗る?」
「いえ、結構です……」
手の甲にクリームを擦り付ける隣の席のヴァンパイア。てか爪長! マジかよ。うちで飼ってる猫より長いじゃん。剥がれたら痛そうなので切ることをおすすめしたい。でも下手なこと言ったらガブってやられそうで怖いな。
「ん? なに見てんの?」
「いえ、別に……」
「いきなりガブっとしないから言ってみ?」
「つ、爪が長いな、と思いまして……」
恐る恐る指摘するとヴァンパイアは笑って。
「ああ。これ付け爪だからへーきだよ」
「あ、そっすか……」
ですよねー。常識的に考えてそうに決まってんじゃん僕のバカ! ヘラヘラ笑いながら恥ずかしくて死にたくなっていると悪寒が走り。
「その愛想笑いやめて」
「は? えっ……と?」
「長く生きてるとさぁー感情の起伏がなくなってくんの。だからあたしは本当に面白い時しか笑えないし、本当に泣きたい時しか泣けない。そりゃあ、周りに合わせて空気読むこともあるけどさぁー……すっげー虚しいんだよね。ねえ? わかるかなぁー? この気持ち」
せいぜい16年しか生きてない僕には到底わからない境地だった。ただ言われてみると、なんとなくわかるような、わからないような。
「つまり、たまには思いっきり笑ったり泣いたりしたいってこと?」
「まーそういう願望はあるっちゃあるけどさぁーぶっちゃけただの八つ当たり」
羨ましいわけでもなく、八つ当たりか。諦めてるようにも思える。そんなもんだろうか。
ふと、彼女が何歳なのか訊きたくなったが。
「年齢訊いたら噛むかんね」
「うっす……」
「ぷっ……そんなびびんなって! ウケる」
あっぶねー。地雷だったわ。真っ青になってお口にチャックをする僕を見て、彼女はケラケラと笑った。尖った八重歯がヴァンパイアらしい。マジか。マジで、ヴァンパイアか。
「あーおもろ。久々に笑ったわ」
「あの」
「ん?」
「何歳っすか?」
無意識に訊ねると、ヴァンパイアは真顔で。
「訊くなって、あたし言ったよね? 聞き分けないガキはマジでガブってやっちゃうよ?」
「ガブって、やられてみたいなって……」
「え……きも」
あ、終わったわ。なに言ってんだ僕は。うわーガチきもいじゃん。ガチきもだよ。なんだよ噛まれたいって。あーキツイ。きちぃー。
「あのさー、あんたにだって食べ物の好き嫌いってあるっしょ? それと同じようにあたしにだって誰の血が吸いたいとかあるワケ」
「はい……」
「逆に考えてみ? もしもあんたがヴァンパイアだとしてさぁーあたしの血が吸いたい?」
「え、それはもう、当然吸いたいっすけど」
「マジきも。銀の弾丸や十字架よりキショ」
あ、これもうダメだわ。もうおしまいだ。キモいならまだしも、キショいのは終わりだ。
でもどうだろう。ニンニクじゃないし。銀の弾丸や十字架なら、ワンチャンまだ希望が。
「あのさぁーニンニクはブレスケアとかミンティアでなんとかなんの。常識でしょ?」
「あ、なるほど。左様でございますか……」
そっちも克服されていたとは。そうだよね。
ヴァンパイアだって焼肉とかニンニクマシマシのラーメンとか食いたいもんね。当然か。
「さっきから噛んでくださいとか、血を吸いたいとかさぁーほんとアタマおかしくない? 大丈夫? せめてそういうのはムード気にするべきだってわっかんないかなーこの童貞は」
「童貞でごめんなさい」
「あ、そこは別にいーよ。ヤリチンの血ってクッソ不味いから。一生童貞でいれば?」
「うっす……」
なんだそれ。僕は非常食みたいなもんかよ。
「んで? マジで吸って欲しいワケ?」
「またキモいとか言わない……?」
「言わない」
「キショいもご勘弁……」
「言わないってば!」
「それなら、吸って欲しいです……」
「なんで?」
衝動的な発言に理由を求められてしまった。
笑った彼女の八重歯を見ていたら自然とそう思ったのだ。それに理由を付け加えるなら。
「君が、美しかったから」
「っ……ば、ばっかじゃないの!?」
うわ、顔真っ赤だ。どうやらブチ切れさせてしまったらしい。しかしこれは方向性としては悪くないのではないだろうか。彼女が僕に対して怒れば、ガブってやってくれるかも。
「マジキレイ。尊い」
「チッ……本気でうざいんだけど」
「天使……いや、悪魔的なかわいさだよ」
「はっ。悪魔的なかわいさねぇ。天界の連中に聞かせてやりたいね。あいつら元気かな」
「天界……?」
「いいから、もっと褒めな」
「髪はサラサラだし、目はキラキラだし、笑顔は魅力的だし、胸は……慎ましいし……」
「よーし。ガチで吸うかんな。いいな?」
我ながら酷いボキャブラリーだが、なんとかヴァンパイアを怒らせることに成功した。どのワードが地雷だったかはわからないけど、かなりの圧を感じる。僕は初めてだから痛くしないで優しくして欲しい。お願いします。
「あむっ」
「っ……」
チクッとしたけど痛みはもうない。むしろ。
「な、なんだ、これ……」
ヴァンパイアの吸血はまさしく悪魔的な気持ち良さだった。脳内麻薬がドバドバ溢れているのを感じる。なるほど。こういうものか。
だからこのまま吸い尽くされてしまうのだろう。もうやめてなんて、自分では言えない。
「ぷはっ」
「あっ……」
「ごっそーさん。んー? なんだよ、その顔」
「いえ、あのその、もっと……」
「だーめ。これ以上吸ったらマジぶっ倒れっから、もうやめとき。また今度なー」
「うっす……」
これはハマるわ。依存性がハンパない。もう吸われたくて仕方ない。血を吸って貰うためになんでも言うことを聞いてしまいそうだ。
「いいかぁー? あんたはもうあたしの餌だかんな。他所の女と仲良くしたり、ベタベタすんなよー? 血の味ですぐわかんだかんな?」
「……うっす」
「あんたはこの先、未来永劫、不死の眷属としてずっとずーっとあたしのそばにいるんだぞー? どこに逃げたり離れたりしても地の果てまで追っかけるかんなー? 覚悟しろなー」
「……うっす」
「あたしが1番美しいだろ?」
「1番美しいっす」
「あたしが1番かわいいだろ?」
「はい! 1番かわいいっす!」
「よーし……じゃあこれからよろしくなー」
「末永く、よろしくお願いします!!」
こうして僕はヴァンパイアに隷属することになったわけだけど、いつからだろう。どのタイミングで彼女は僕を虜にしたのだろうか。
「夜も更けた。さあ、我が眷属よ。この暗い、昏い、冥い、美しい宵闇を彷徨おうか」
「うっす!」
悠久を共に生きる中で答えを探していこう。
【どっとハレルヤ 3話】
FIN
「そこのソファの真ん中に座ってて」
現代のヴァンパイアの根城は摩天楼の最上階。つまり、高層マンションの1番上のフロアを全て貸し切っていた。お金持ちである。
「お腹すいたでしょ。何か作ってくるね」
3人がけのふかふかなソファに座らせられた僕は緊張していた。両隣に同い年くらいの若者が座っているからだ。右隣にはファッション雑誌から飛び出してきたような美少女。不機嫌そうにスマホをシュッシュしている。左隣には色素が完全に抜けたような性別不明の真っ白い人物。この子は機嫌良さそうにニコニコ笑っているが、うっすら開いている真紅の瞳はまるで笑っていない。おっかないな。
「……あの」
「なによ」
「肩に頭乗せるのやめて貰っていいですか」
「やだ」
スマホ美少女は僕が座って間も無く、こちらの肩に側頭部を預けてきた。ヴァンパイアに負けず劣らずサラサラな髪の毛が肩にかかって、ものすごく良い匂いがする。悪い気はしないものの、痴漢冤罪で捕まりそうで怖い。
「……あの」
「ん? なんだい?」
「手繋ぐのやめて貰っていいですか?」
「僕、冷え性だから」
白い子は僕が座って間も無く、左手を繋いできた。しかも恋人繋ぎだ。この子と僕は面識はない筈なのに、いつの間に恋人になったのだろう。そもそもこの子は男なのか女なのかわからない。性別に関わらず、指は細くて手のひらは柔らかいので不快感は全くない。やたら指先が冷たいのは冷え性のせいらしい。
「ねえ、見て見て。こいつバカじゃん?」
スマホ美少女がSNSに投稿されたバイトテロ真っ最中の動画を見せてきた。バイトテロをしているのは僕らと同じくらいの年齢の悪ガキでコンビニの商品に悪戯している。具体的にはカップラーメンの底に穴を開けていた。
「ほい、拡散。これで人生おしまいっと」
スマホ美少女がポチッとタップすると、瞬く間にその動画が全世界に知れ渡り、盛大に燃え広がっていく。すげーな。何人フォロアーいるんだろう。ここまで影響力を持ったインフルエンサーとは逆に友達になりたくない。
「手、あったかいね」
「君の手は冷たいね」
「僕は心があったかいからね」
白い子は遠回しに僕は心が冷たい奴だと非難してきた。いや、さすがにただの被害妄想だろうけど何か裏がある気がする。だってこの子、赤いおめめが全然笑ってないんだもん。
「へえー白いのの魅了に抗えるんだ」
「魅了? 抗う?」
「そいつ男でも女でも惚れさせる名人だよ」
そうなのか。僕としては薄気味悪いとしか思えないけどたしかにかわいい部類ではある。
天使とか、妖精とかそっち系だ。ていうか。
「君もモテそうだけど?」
「そりゃあんたよりはね」
スマホ美少女は文字通り美少女である。仮に後光で差していたら彼女が女神だと言われても信じるかもしれない。外見を見る限り、歪んだ造形が一切なかった。美少女フィギュアの原型師が彼女を見たらきっと、理想のモデルと巡り会えたことを神に感謝するだろう。
「あんたはふつーだね」
「うん。ふつーだねー」
ほっといて欲しい。両隣から普通と言われて普通とはなんだろうと考える。特筆するべきない点もまた、特筆するべきではないのか。
つまり普通というのはそれも個性なのでは。
「あの人に何されたの?」
「え? 首すじをガブって」
「うわ。痛そう。大丈夫だった?」
「むしろ気持ち良かったよ」
「ひえー引くわー」
「手、離してもいい?」
ヴァンパイアとの馴れ初めを話すとドン引きされた。白い子は手を離すと言いつつも離す素振りはない。むしろ繋いだままズボンのポケットに入れられた。何がしたいんだろう。
「ああ、でもそういう鈍感なところはちょっと変わってるかも。性欲とかないの?」
「ガブってされた時に久々に味わったよ」
「じゃあ、僕もガブってしてあげる?」
「いえ、結構です」
やっぱりこの人たちもヴァンパイアの眷属なのだろうか。それにしてはあんまり吸血鬼っぽくないな。僕が言うなという話だけどさ。
「じゃあさ、あたしの血、飲みたくない?」
「いえ、結構です」
何がじゃあ、なのかよくわからない。まったく飲みたいと思わなかった。僕も一端の吸血鬼ならば吸血衝動があって然るべきなのに、しかもこれだけの美少女なのに。不思議だ。
「僕の血はあげないよ」
「うん……要らないよ」
この白い子の血は単純に不味そうだ。もしかすると血も白いのかもしれない。人肌に温まった生臭い牛乳を想像して、吐き気を催す。
「うん。やっぱり変わってる。仲間じゃん」
「僕と付き合う?」
「あのー! この人たち何なんですか!?」
たまらず僕は、キッチンのヴァンパイアに質問した。さっきからトントンと聞こえていた規則正しい包丁の音がやんで、大きな声で。
「お前の同類だよ! 仲良くやんなー!」
同類って。僕って、こんなのと同類なのか。
となるとやはりこの人たちもヴァンパイアの眷属なのだろう。では改めて挨拶をしよう。
「この度、新しく眷属になりました……」
「は? 眷属ってなに? 新しい属性?」
「どうやら、僕たちとは違うんだね」
違うのか。ならこの人たちは何なんだろう。
「あたしはあの人のフォロアー」
「僕はね、あの人のファンだよ」
なんか恥ずかしい。よりによって眷属とか言っちゃった自分を殴りたい。厨二すぎる。
でも、そもそもあの人が僕を眷属って呼んだわけだし、眷属のほうが正式な呼び方かも。
「あは。すっかりヴァンパイア気分なんだ」
「ふふ。かわいいね」
やっぱりダメだ。スマホ美少女はニヤニヤしているし、白い子はニコニコしながら蔑んだ眼差しをしてくる。そんなにダサいかなぁ。
「素敵だと思うよ眷属。頑張ってね」
「そもそもさ、眷属って何すんの?」
「何ってそりゃあ……知らないけど」
なんか絶対服従の下僕みたいに言われたけど具体的には何をするかはわからない。やっぱり夜の闇に紛れて人を襲ったりするのだろうか。そんなこと出来るだろうか、この僕に。
「なんか顔色変えずに虫とか殺せそう」
「わかるー屠殺とか得意そうだよねー」
そんな風に見えるのか? まあ、否定はしないけども。虫なんか怖くないし屠殺は可哀想だけど仕方ないことだ。お肉は美味しいから。
「あーもしかして意外と1番狂ってる系?」
「きゃー怖ーい」
狂ってないし怖くない。僕はそう、普通だ。
「あー良かった。あたしらはまともでさ」
「なんか安心感あるよね」
自分より下がいると人間は安心する。僕はそういう意味では安心感を与えられる人間だ。
情けないけれど、それで良いと思っている。
いつも必死に走っている人の背中を支えてやって、最後に襟を思いっきり掴んで転ばせてやりたい。普通、誰だってそう思うだろう?
「とにかく、これからよろしくね」
「うっす」
スマホ美少女は僕の右腕を持ちあげて、自分の肩に乗せた。そのまま擦り寄ってくる。白い子は左手を繋いだまま耳元で囁いてきた。
「今夜は僕と一緒に寝る?」
「自分ヴァンパイアなんで。夜寝ないんで」
仲良く出来るかなんてどうでもいい。僕は絶世の美少女でもなければ変わり者でもない。
そんな僕がヴァンパイアの眷属になれたのはきっと普通だからだ。目の見えない人が杖を落としても見て見ぬふりをするように。耳が聞こえない人がクラクションを鳴らされても知らん顔をするように。それが普通で、それが正常なこの暗くて、昏くて、冥くて、澱んだ世界に染まった僕は、どこにでもいる普通の人間だから。きっと上手くやれるだろう。
「出来たっ! お待たせー! さあ、お食べ」
ヴァンパイアが食卓に乗せたのは何の変哲もないただのミネストローネ。その血のように真っ赤なスープは、普通に、美味しかった。
【どっとハレルヤ 4話】
FIN
「え。何そのバッグ。どうしたの?」
「いーでしょ。パパがくれたんだー」
ソファの左端に座って、真ん中に座る新入り眷属くんに今日の収穫を見せつけた。するとスマホの子は、またかというようにため息を吐いて、何やらスマホの画面を彼に見せた。
「ほら。あれ、バーキンの新作だよ」
「バーキンってなに?」
「エルメスって言えばわかる?」
「ああ、聞いたことある」
「ほら、買取価格300万だって」
「はえーバッグひとつで300万かぁ」
どうだ!と得意げになるも、新入り眷属くんは呆気に取られたようにポカンとしている。
そんな彼の肩を叩いて、スマホの子が囁く。
「あのね、ちなみにあたしも昨夜、スパチャで300万くらい稼いだよ。すごくない?」
「スパチャって?」
「投げ銭。生配信してるとお金が貰えんの」
「ああなるほど。おひねりみたいなもんか」
やはり今ひとつな反応。もっとこう、大袈裟に驚いて欲しい。新しい眷属くんはリアクションに乏しい。まるで全て想定内みたいだ。
「眷属くんは親からお小遣い貰ってるの?」
「特に欲しいものがないから貰ってないよ」
「マジ? 買い食いとかしないの?」
「特に食べたいものがないからね」
やっぱり変だ。欲望というか人間に備わっている欲求が一切感じられない。ヴァンパイアになって睡眠欲は克服したとしても、食欲と性欲はそのままの筈なのに。というか、ヴァンパイアだって昼間は眠くなる筈だろうに。
「ああ、でも口止め料は貰ってるよ」
「口止め料?」
「うん。たとえば駅の売店で万引きした人がいたとして、その人を注意するとお金をくれるんだ。基本的に僕はお金を使わないから貯まっていく一方でさ。ほら、こんなに一杯」
そう言ってポケットから無造作に札束を取り出した。くしゃくしゃになっていて、こうして見るとただの紙屑であり価値を感じない。
「あとは両親からそれぞれ浮気の口止め料を貰ってるよ。それも口座に結構な額が貯まってると思う。持論だけど悪いことをした人はさ、きっと代償を払えば赦された気になるんだろうね。そんなことで罪は消えないのに」
ゾクリとした。思わず日頃の薄ら笑いをやめて真顔になってしまった。新しい眷属くんは実に興味深い。彼のことがもっと知りたい。
「お互い浮気してんのに、なんで離婚しないのかな? そこらへん、追求したことある?」
「世間体とか、僕という子供がいるからとか色々と理屈はあるらしいけど、たぶん面倒臭いんだと思うよ。あとは、家庭を持ちながら情事に耽る背徳感がたまらないんだろうね」
心底どうでも良さそうに自分の両親について分析する彼はきっと、本当にどうでも良いのだろう。もしかすると両親はそれぞれ子供のことを愛しているのかも知れないけれど、きっと彼は、それを含めてどうでもいいのだ。
「でも、こんなあぶく銭でも良い使い道があってね。いかにも今から強盗するぞって人に渡すと、とても喜ばれるんだ。思わず笑っちゃったよ。だってそのお金なくなったらどうせ強盗するんだし。お金がないから人の物を奪おうなんて発想がさ、普通はあり得ないよね。そういう普通じゃない発想が頭に浮かんじゃう人を見ているとさ、テレビのつまらないバラエティーよりもよっぽど面白いよね」
面白いのは君だ。万引きのくだりに関してもそうだ。たまたま今回見逃されただけでどうせ捕まるのだ。犯罪者というのは何度も同じ過ちを繰り返す。両親の浮気を咎めないのも無意味だからだ。離婚してもまた新しい相手を見つけて浮気する。実に理に適っていた。
「痴漢している人も、盗撮している人も、ポケットにやましい物を入れてる人も、みんなお小遣いをくれるからわりと良い人なのかも知れないな。そのお金で強盗犯の執行猶予が伸びるわけだから、この暗い、昏い、冥い世界は本当に上手く出来ているよね。この世界を作った神様がいるなら天才だ。いつか会ってみたいよ。君たちもそう思わないかい?」
むかつく。本当は僕に夢中になって欲しいのに。真っ白な僕の存在意義は有象無象に惚れられて、愛でられて、チヤホヤされるくらいしかないのに。飽きたら捨てるのが何よりも愉しみなのに。新しい眷属には通用しない。
「今の痛々しい格言、拡散しといたから」
「やめて!?」
スマホの子もさっきまで珍しくスマホから顔を上げて見惚れてたのに。そのことを誤魔化すなんてみっともない。僕はひと味違うぞ。
「今度、僕がパパとヤッてるとこ見学して」
「やだよ!?」
無理矢理でも連れていこう。この新しい眷属に見られながらしたら、きっと得も言われぬ快感を味わえるだろう。きっと彼は何も感じない。ただポカンとしながら、この暗い、昏い、冥い世界の理に思いを馳せるのだろう。
【どっとハレルヤ 5話】
FIN
「ただいまー」
「ん。お疲れ。社会見学、どうだった?」
「はあ……何が悲しくて自分の父親がヤッてるところを見せられないといけないんだよ」
白いのに連れ出されて帰ってきた眷属くんは疲弊していた。よりによって自分の父親とかないわー。ま、白いのがやりそうなことだ。
「シチュエーションは?」
「クローゼットの隙間から……」
「マジうける。拡散していい?」
「ふん。自分でするからいいよ」
げんなりしながらPCの前に座って、スレッドを立ち上げる眷属くん。最近あたしが提案して、白いのと共同出資でマンションの空き部屋にサーバールームを作り、立ち上げた掲示板に、今日起きたことを書き込んでいく。すると、沢山のレスが飛んできて、すぐにあたしが見ているSNSにもURLが貼られ始めた。凄まじい拡散力だ。
「最近、掲示板の調子良いみたいじゃん」
「今は業者の攻撃もやんで平和なもんだよ」
「荒らしを放置してたら住民が勝手に自警団みたいなのを組織して撃退したんだっけ?」
「そうそう。今となってはその自警団も過激派認定されて、誰にも相手されてないのが面白いよね。性根が腐ってるからIDコロコロ自演しても丸わかりで、すぐにNG登録されてるし」
あたしの見立て通り、匿名掲示板の運営は眷属くんに向いていると思う。忖度しないし、贔屓もしない。善人も悪人も同じ人間であるならば、その言動によって扱いを変えたりはしない。真の平等の下に掲示板の平和を取り戻した正義マンをアクセス禁止にしている。
「正義を掲げて他人を攻撃するのはそこらの悪党よりもタチが悪いと思うんだよね。基本的にやってることは一緒なのにさ。なんか変なルールを勝手に作って自分は正しいと思い込んじゃってるなんて、頭おかしいじゃん」
そう呟いた言葉通りに書き込むと正義マンがIDコロコロして暴れ始めた。速やかにそいつらはSNS上で晒しものになる。個人情報を載せてしまった者は住所や学校が特定されて人生おしまいである。アーメン。ざまあみろ。
「君はひとの人生終わらせるの好きだねぇ」
「あたしはあの人のフォロアーだから。この世をもっともっと暗くて、昏くて、冥くて澱んだ世界にして、昼間でも紫外線を気にせずにお散歩出来るようにしてあげたいワケよ」
「なるほどなぁ。ヴァンパイアがUVカットのクリーム塗るだけで平気な世界はおかしいもんね。そうやって生存圏を確保するのか」
説明に納得した様子の眷属くん。あたしの働きに感心しているようだ。そんな殊勝な新入り眷属くんのことも先輩として労っておく。
「眷属くんの掲示板は昔からある既存の掲示板に比べて発言が自由だから人間の本心をそのまま書き込めて良い感じだよ。偉い偉い」
「細かい規制の条件付けは面倒だし、なにより僕は神様じゃないからね。誰が何を考えようがその人の自由で、それを捻じ曲げる権限は僕にはない。でも一度はやってみたいよ。他人の考えを捻じ曲げた上で、否定したい。そんな考え間違ってるよって。そんな考えはどこにも通用しないよって。頭がおかしいのかい?って。梯子を外されて、自分の足元のうっすい氷が割れて、極寒の海に突き落としてやりたい。きっととても愉快だろうなぁ」
正義マンに対する扱いは彼のそんな歪んだ願望の表れなのだろう。アンチスレを立ててそれを非難する連中を裁く。荒らしと正義マンは同じ人間であるとわからせるのは愉しい。
「追い詰めるとさ、正義を振りかざしていた連中もあっさり罪を犯して捕まるんだよね。本当にこの世界はよく出来ているよ。作った人は天才だ。きちんと、平等に出来ている」
捕まる際に、悪党は身に覚えがあるからわりと大人しい。正義マンが捕まると喚き散らすのが実に愉快だ。朝早くに警察が家にやって来て、逮捕状を出されて狼狽する連中の顔は最高だ。電子レンジでスマホをチンして証拠を隠滅しようなんて無駄なのに。ああもう。
「キスしたい」
「また? 僕は今日、自分の父親の悍ましい行為を見せられて食傷気味なのに……むぐっ」
これは別に性欲なんじゃない。そもそもこいつは勃たないし。いや、正確にはあの人の寝室に招かれた夜に硬くなっているのを目撃したことがある。カッとなってファースキスを捨ててしまった。あたしだけがムラムラするのは不公平だ。だからこれは罰だ。世の中を暗くするこいつに昏い感情をぶつけて冥い顔させてやる。そうすればあたしのドス黒い気持ちも少しは薄まる。いや、より濃くなる。
「いっつも普通のキスだけど、処女なの?」
「う、うるさいっ!」
こいつ、押し倒してやろうか。いやダメだ。怖いし。硬くなったらびびって触れないし。これ以上はあの人に怒られる。白いのとあたしは違う。あんな淫乱と同じなんて、嫌だ。
「てゆーか、あんたも童貞でしょ?」
「……そのほうが血が美味しいらしいよ」
「ふうん。それで納得したんだ。チョロ」
あの人の言葉は当てにならない。ただあたしたちに干渉せずに正しい在り方でいさせてくれる。悪人は悪人らしく悪党のまま過ごしたほうが幸せだ。なるほど。そういうことか。つまりこいつの言う通り、善人も悪人も幸せを望んでいることが共通点なら、それは同じ存在なのだ。ちょっとエモいかも知れない。
「少しだけあんたのこと理解できた」
「目つきがヤバいっすよ」
「黙って目を閉じないと拡散するよ」
「……うっす」
暗い昏い冥い瞳が、ゆっくりと閉じていく。
瞼を閉じると暗い昏い冥い闇に閉ざされた。
理解出来たあとのキスは、より格別だった。
【どっとハレルヤ 6話】
FIN
「あのー……そろそろ時間ですけど……」
「うーん……むにゃむにゃ……あと5分」
最近のあたしの日課は寝たふりをして、眷属が起こす様子を観察することである。人間の真似事をするのは趣味みたいなものだけど、大好きな生き物の生態を理解するために必要なことでもあった。知識として理解していてもやはり自分でやってみないとわからないことも多い。さて、我が眷属はどう出るのか。
「では少し遅れることを先方に連絡します」
「つまらん!」
どうしたってこちらが起きようとしないことは既に学習済みらしい。あたしはこの子があの手この手を使って健気に試行錯誤する様子を観察したいのに、まったく。困った奴だ。
「ちゃんと起きられて偉いですね」
「えへへ。でしょ?」
「着替えの用意は出来てますので」
「着させて?」
寝る時は基本、全裸なので要介護者のように身体を転がされてドレスアップした。これは極めて楽ちんだ。よーし。褒めて遣わそう。
「だいぶ上達したな、我が眷属よ」
「寝癖が酷いんで、座ってください」
「うむ。よきにはからえ」
あたしの自慢のトゥルトゥルの髪は眷属のお気に入りらしく、セットするのは嫌じゃないようだ。ドレスとお揃いのシースルーのスケスケな黒いリボンで手早くまとめてくれた。
「ふんふん♪」
「……この前から気になってたんですけど、その鼻歌、なんて曲なんですか? なんか料理作ってる時にいつも口ずさんでるけど……」
「True My Heart。まさか知らないの?」
「知らないっすね」
「マ? あんなに流行ったのに?」
「有名な曲なんですか?」
「うん。有名なエロゲの主題歌」
「エロゲっすか……」
「OPは良かったけど内容はイマイチでさ。そのエロゲの制作会社は倒産したんだけど、あたしは嘗て、その社名の『ランプ・オブ・シュガー』と名乗ってた時期もあった……」
「うわ。だっさ」
眷属のくせにジェネレーションギャップを感じさせるなんて許せない。でも、髪型が上手くキマッたから良しとしよう。覚えとけよ。
「うむ。いい感じ」
「うん。いい感じ」
鏡越しのお互い満足しながら話を切り出す。
「ところで同居人達とは上手くやれてる?」
「言われた通り仲良くするようにしてます」
「でもなんか2人にえらく好かれてない?」
「あの人たちは頭がおかしいので、僕も頭のおかしいふりをしていたら好かれたんです」
頭のおかしいふりねぇ。たしかにこの子は至って普通なので、やろうと思えば善人にも悪人にもなれる。同居人達はもちろん善人なんて大嫌いなので、仲良くするにはこの子が悪人になるしかなかった。それはわかるけど。
「ちょっとくらい、本心もあったでしょ?」
「どうかな。僕が言ったことはあの人たちが好きそうな極論ばかりだから、一概にそれが全てに当てはまるわけじゃないよ。ケースバイケースというか、そういうこともあって、その場合には本心という場面はあると思う」
あらゆる場面、状況で、その価値観が適用されるわけはない。緊急事態や、後々のことを考えれば言ったことと真逆の行動をする場合もある。それが生きるということだからね。
「そう言えば、ほらあそこ。見える?」
「え。なんすかあれ。サーチライト?」
摩天楼の最上階から見下ろす街並みに目を凝らすと光の柱が天に伸びているのがわかる。
あたしにはハッキリ見えるけど、この子は言われないと気付けない。なので、あの光の柱に近づく前に警告しておこう。心配だから。
「あれは天界から差し込んでる光だから近づかないでね。あんたはあたしの眷属だから一瞬で蒸発することはないけど、腹いせに何されるかわかんないから充分に注意すること」
「はい? 天界? 蒸発? なんの話っすか?」
「天界には神様が住んでいて、いつも下界の様子を見ている。気に入った人間がいると、あんな風にマーキングをする。そんで、あの付近ではしばらく前にあり得ない超常現象が起きた。具体的には死者の蘇生と運命の改変ね。人間には当然不可能な事象だから間違いなく天界の連中が干渉して奇跡が起きた証拠よ。そう断言されてもわかんないだろうからゲームの設定とでも思ってくれればいいよ」
「自分、ゲームしないんで」
「あ、そう」
信じるも信じないも自由だ。この子なら案外上手くやるかも知れない。神の使徒とも馴染めるだけの素質はある。運命の改変が行われていることから、マーキングしてるのは十中八九あの口の悪い女神だろう。使徒になった人間はよくあの女神の罵詈雑言を受けて自我が崩壊しなかったものだ。ま、うちの子も平気だろうけど。それにあの女神をあたしの眷属みたいな子が大好きだし。あげないけど。
「それで、ヴァンパイアなのに天界のことについてやたら詳しいのはどうしてですか?」
「それは、あー……説明が面倒臭いからまたあとでね。あんたの血を飲むのは別に食欲とは関係なくて、供物みたいなもん。血を捧げるってなんか抵抗あるでしょ? だからあんたにとってはあたしはヴァンパイアでいいよ」
「なんか誤魔化されているような気がする」
「細かいことを気にすると良い眷属になれないぞ。さあ、夜も更けた。宵闇を彷徨おう」
「……うっす。お供するっす」
今宵は掛け持ちしてる高級クラブに顔を出して政財界の人たちの相談を聞く予定だ。彼らのお悩みを解決して、この暗くて、昏くて、冥い、"甘くほろ苦い"世界を導いてやろう。
【どっとハレルヤ 7話】
FIN
「うーむ……普通に面白いな」
この前、ヴァンパイアが言っていたエロゲをプレイしてみると、別段、彼女が言うほどシナリオが悪いわけでもなく普通に楽しめた。
「お、なにしてんのー?って、ちょっ!?」
「あ、有希奈」
「はあっ!? だ、誰が有希奈よ!? じゃなくて、昼間から堂々と何してんのよ!?」
「エロゲ」
「エ、エエ、エロゲってあんたねぇ……!」
ちょうどHなシーンの真っ最中だったので、処女のスマホ美少女、略してスマ子には刺激が強すぎたらしい。エロという言葉を聞きつけて、もう1人のエロい同居人もやってくる。
「なになに? ついに性欲に目覚めた?」
「あ、クルル」
「違う。僕の名前は……」
「僕がこんな絵に欲情するわけないだろ?」
「そ、そうよね。ただの絵だし……全然、ちっとも平気なんだから……やっぱり無理!」
さっきからスマ子が情緒不安定でうるさい。僕の見立てだとスマ子はヴァンパイアに惚れているので、このエロゲの立ち位置的には巴有希奈になるのだが、言動は双子の妹の真紀奈みたいだからややこしい。恐らくスマ子の言動は憧れのヴァンパイアを意識してトレースしているのだろうけれど、ヴァンパイアはこのエロゲにハマって制作会社の社名を名乗っていた過去もあるほどのファンなので、Hシーンで慌てふためくことなどないだろう。まだまだだな。
「おお。すごい。大洪水だね」
「うん。水分不足になりそうだ」
「もっとよく見たい……だっこ」
「うお。頭、邪魔。画面見えん」
白い子はクルルほどかわいくはない。いや、ビジュアル的にはかわいいのだがクルルのような純粋さがないのがマイナスだ。Hなシーンを見ても平気で人の膝の上に乗ってくる。
「ん。あの人はこの中ならティータかな?」
「いや、あのヴァンパイアは嘗て、このエロゲの制作会社の名前を気に入って、"ランプ・オブ・シュガー"と名乗っていたらしいぞ」
「なにそれ素敵。シュガー2世になりたい」
「へー。ランプ・オブ・シュガーっと……」
白い子の感性はよくわからない。スマ子もスマ子でランプ・オブ・シュガーを検索しているし。ヴァンパイアが言っていた通り、OPの曲は素晴らしく、シナリオも言うほど悪くはなかった。それなのに倒産してしまったということは、恐らくヴァンパイアのせいだ。
「つまりあのヴァンパイアがランプ・オブ・シュガーと名乗っていたせいで天界から天罰でも下ったのかもしれないな……気の毒に」
「あの人は優しいから、きっと救ったはず」
「たしかに倒産と同時期に同じ制作スタッフが新しい社名で再集結して、新しく会社を立ち上げてるみたいね。今でも新作が出てる」
ヴァンパイアが存在しなければ倒産することもなかった。運命の改変とやらの影響だろう。再結成時に援助したとすれば、あのヴァンパイアなりの罪滅ぼしということか。もっとも、社名を名乗るくらい気に入った作品のわりに、シナリオに関しては辛口だったけど。
「内容的には、あのヴァンパイアはもっと陰鬱な作品のほうが好みってことだろうか?」
「あんたに興味を持たせて作品をプレイさせるために、あえて高評価しなかったのかも」
「なんで? 意味がわからないんだけど?」
「僕にはわかるよ。君は天邪鬼だからね」
天邪鬼かぁ。そんなつもりはないんだけど。
でもたしかに、すごい面白いからやってみてと言われても気は進まない。でも嘗て、社名を名乗って今や倒産してるとか言われると、興味がそそる。そう考えると天邪鬼かもな。
「なんか天邪鬼って、字面がすごいよね。天の邪な鬼って書いて、おまけに響きも悪い」
「あんたにピッタリじゃないの」
「うん。素直な僕とは正反対だね」
白いのがわけのわからないことを言っているが、僕の厨二センサーが敏感に反応してる。
天邪鬼という字面と響きは、かなりやばい。
「どうせあの人に『僕は頭のおかしいふりをしているだけです』とか言ったんでしょ?」
「True My Heartを聴いて、どう思った?」
別に強がってなどいないけど、僕の本心か。
「いつまでも君たちの傍にいたいと思うよ」
「ふぇっ!?」
「ふうん。想いは優しいキスでってこと?」
「な、なんだ。ただの歌詞か……てゆーか、そもそも、そんなエロゲなんかしないで、あたしと……ああ、もう! 拡散してやる!!」
「理不尽すぎない!?」
善人も悪人もそれぞれが素直な気持ちを抱きしめれば、この暗くて、昏い、冥すぎる、"甘くほろ苦い"世界もキラメキ始めるだろうか。
【どっとハレルヤ 8話】
FIN
「ふんふん♪」
「なにその曲」
「これは"kiss my lips"って曲。例の"True My Heart"のカップリング曲らしいよ?」
「ああ、道理で似てると思った」
今日は久しぶりのお出かけだ。キャップを被って、ゆったりパンツルックにダウンで体型を隠して、サングラスとマスクをつけて、変装は完璧だ。それでもこの暗い、昏い、冥い世界ではいつ何が起こるかわからないので、基本的には引きこもり生活をしている。最近は眷属くんが同伴してくれるので出かけやすい。鼻歌を歌いながら灰色の寒々しい空の下でスマホを見ながら歩いていると、いきなり肘を掴まれて引っ張られる。びっくりした。
「危ないよ。車が来てた」
「あ、ご、ごめん……気づかなかった」
「いや……別に謝る必要はないけどさ」
そのまま、車道側に立ってくれる眷属くん。
たまに優しいんだから。まあ、あたしは美人だし、気持ちはわかる。さては惚れたかな。
「ふんふん♪」
「あ、この先はまずい。遠回りしよう」
「え? なんで?」
「向こうに光の柱が……」
「はあ? 光の柱ー?」
道の向こうを見るもそんなものはなかった。
「何にも見えない。気のせいじゃないの?」
「この薄暗い曇天であそこだけ陽が差してるんだから間違いないよ。ヴァンパイアから忠告されてるんだ。光の柱には近づくなって」
「へー。何があるんだろう? 行ってみよう」
「……僕の言うことなんて聞くわけないか」
近づくなと言われると気になる。ちょっと歩いた先に公園を発見。そこには小さな女の子が遊んでいて、お父さんとお母さんらしき人たちがベンチに並んで座っている。お父さんのほうは中年で、お母さんのほうは20代前半くらいかな。ひと目見て、お母さんのほうはあたしたちと同類だとわかった。あの暗く、昏く、冥く澱んだ目はこの世界の闇を垣間見た証である。だけどあのお父さんのほうは。
「うわー……あの人、やばいね」
「僕にはわからない。どうやばいんだ?」
「上手く説明出来ないけど……」
見た目的には普通の中年だ。やつれてるわけでも、ハゲているわけでもない。育児の疲れは見て取れるものの、夫婦仲は良好らしく、お互いに支え合っている様子だ。子供を見守る視線から妻に育児を押し付けていないとわかる。普通のパパだ。少なくとも、眷属くんのお父さんのように、白いのに手を出したりはしないだろう。でもおかしいのだ。そんな人が、あの奥さんと結婚出来るはすがない。
「あ、転んだ」
「痛そうだな」
子供が転んで膝を擦りむいてしまった。慌てて駆け寄る父親と、遅れてやってきた母親。
母親が何か言うと、子供はピタリと泣き止んだ。父親が取りなすような仕草をしている。
「たぶんあのお母さんはもっと痛い目にあった経験があるんだろうね。だから転んだくらいで泣く子供の感情を理解出来ない。あの家庭は共働きで子供を保育園に預けるか、もしくはお父さんが主夫しないと成り立たない」
「何が言いたいんだ?」
「子供だけじゃなく自分の奥さんの面倒も、あのお父さんが見てる。きっと、すごく大変だろうけど、それにしては悲壮感が少ない」
夫婦になると、2種類に分かれる。相手に対して献身する人と、それぞれ自分を大切にする人だ。これはどちらの在り方も問題ない。
けれど子供が出来ると難しい。自分は後回しで子供に全てを捧げることは出来ても、奥さんの世話までするのは難しい。だから夫婦は2人で育てるか、育児に有害で不用な片方を切り捨てて、離婚するのが普通なんだけど。
「ねえ、眷属くん。あの旦那さんは、なんのために結婚して、子供を作ったんだろうね」
「そりゃあもちろん、幸せになるためだろ」
「ううん。そうじゃない。あの人は奥さんと子供を幸せにしたいだけ。自分の幸せを考えてなんかいないんだよ。狂っていると思う」
結論的に、あの人はやばい。理解出来ない。
「うーん……普通に良い人じゃないか?」
「異常だよ。あたし……怖い」
「怖いなら、背中に隠れるか?」
ふと、奥さんの昏い瞳と目が合った。何やら耳打ちをすると旦那さんが駆け寄ってきた。言われた通り、眷属くんの背中に隠れる。
「すみません。妻があなた方のことを気になるそうで。もしや、知り合いでしょうか?」
「おお……! すっげー、ビリビリくる……」
「はい?」
「いえ、知らないっす。僕らもあんな可愛い子供が欲しいなーって話してただけですよ」
何を言ってるんだ、この男。こんなのその場凌ぎの思いつきに決まってる。ま、まあ、どうしてもって言うなら結婚するのはやぶさかではないけれど、子供なんて気が早い。だいたい、あの人に注意されたのにそんな親しげに危険人物と話していいのだろうか。ちょっとだけ心配だから眷属くんの背中に抱きつこうとしたその時、背後から声をかけられた。
「どうして、体型を隠してるんですかー?」
「ですかー?」
振り向くと、そこにはいつの間にか母親とその子供がいた。怪訝そうな昏い目つきで、着膨れしたあたしの身体をジロジロ見ている。
「サングラスごしでも美人ですし、脱いだら身体もすごいって脱がなくてもわかります。私の旦那さんを誘惑しに来たんですかー?」
「ですかー?」
「いえ、そんなつもりは……!」
「怪しいですねー」
「ねー」
被害妄想が酷い。ネガティブすぎる母親だ。
「ああ、すみません。うちの妻はどうも、綺麗な女性と出くわすとあのように絡んでしまいまして……知り合いではないみたいですしすぐにやめさせますんで。失礼致しました」
「いえいえ、お気になさらずに。ちなみに、これは今後の参考までに伺いたいのですが、実際、結婚すると幸せになれますかね? 」
「幸せ、ですか? 考えたこともなかった。妻と子供を幸せにすることが"使命"ですので」
「……わかりましたありがとうございます」
眷属くんが振り返って、あたしの耳元で『帰るぞ』と囁いた。立ち塞がる母子のうち、母親側に立って真っ直ぐ見つめると、何やら悔しそうな表情であたしを睨んできた。ふふん。羨ましいだろう。あの旦那さんよりも、眷属くんみたいなこっち側の人間のほうが、居心地が良いに決まってる。あたしの勝ち。
「じゃあね、バイバイ」
「ばいばい、きれいなお姉ちゃん」
子供側に立っていたあたしが手を振ると女の子は手を振り返してくれた。可愛い。いらないと思っていた子供が欲しくなってきてしまう。名残惜しくて、暫く子供に手を振っていたので、眷属くんの疲弊に気づかなかった。
「はぁ……スマ子の言う通りだったよ」
「スマ子言うな……てか、大丈夫?」
「あれが"聖人"って存在なんだろうな」
眷属くんは早歩きで、追いつくのが大変だった。目が真っ赤に充血していてアレルギー反応みたいに涙が止まらないらしい。鼻水も出てる。ティッシュを取り出して鼻に当てる。
「ほら、チーンって鼻かんで」
「ふがっ。なんか……自分が嫌になったよ」
「あんたは悪くない。あの人がおかしいの」
すっかり自信を喪失してしまったらしい。あんな人間なかなかいない。眷属くんが普通で気にすることないのに。そもそもこの暗い、昏い、冥い世界であの人はさぞ生きにくいことだろう。それに奥さんのあの顔ときたら。
「もしもあんたがあの人みたいなら、あたしも白いのも仲良くなれなかった。でしょ?」
「そういう考え方もあるか……でもなぁ」
「そうじゃなきゃ困るの! 元気出せっ!」
「じゃあ……kiss my lips」
「はあっ!?」
思わぬリクエストに怯む。周囲を見渡して。
「んっ……はい! こ、これで、元気出た?」
「いや、鼻歌を歌って欲しかったんだけど」
「!? し、知ってたし! 今から歌うし!!」
曇天の暗い、昏い、冥い寒々しい空の下で、どんなに素敵なキスをしてもそれが勘違いなら拡散してもあたしが恥をかくだけだった。
【どっとハレルヤ 9話】
FIN
「んー? どうしたの? 怖い夢でも見た?」
「……勝手にベッドに入らないでください」
その日の晩も、僕はいつものように眷属くんのベッドに忍び込んだ。帰ってから元気がなくて、まるで日焼けをしたように鼻の頭が赤くなっていた。外は曇天で、紫外線も平気だろうに。おかげで添い寝する口実が出来た。
「夜は暗くていいっすね。昏い気持ちになっても普通っていうか、冥いのが当たり前で、それが自然だから、咎められる心配もない」
「うんうん……そうだね。夜は素敵だよね」
眷属くんが何言ってるのかさっぱりわからない。お年頃なので仕方ないのだ。僕は眷属くんがいつもそうするように適当に合わせる。
「暗いと安心するよね。明るいと見たくないものまで見えちゃうし。自分の影も濃くなるからね。昏い感情も冥い世界では普通だし」
「あの、手繋ぐのやめて貰っていいですか」
嫌よ嫌よも好きのうちってね。本当に嫌ならふり解けばいいのにそれをしないのはきっとあの人から仲良くするように命じられているからだろう。僕としてもやぶさかではない。
「白は子供欲しいって思ったことあんの?」
「んー? そうだねぇ……なくもないかなぁ」
僕の子供はきっとかわいいだろう。かわいくて、きっと苦労する。スマホの子もそうだけど、容姿が整いすぎていると、生きづらい。
「白は自分の子供の幸せを願える?」
「そうだねぇ……ほどほどには。幸せすぎると、見失ってしまうこともあるからねぇ」
「見失うって?」
「たとえば今、君がいつになく弱っているのを慰めることで僕はそれなりに幸せを感じているけれど、毎日それだと幸せは薄れてしまうよね? だから、ほどほどが大切なんだよ」
特に悩まずともそれらしい説明は出来る。
世の中には一定の価値なんて存在しない。
だからはっきりとしたことなど必要ない。
「自分の子供が不幸になっても、そのおかげでささやかな幸せに気づけるなら、それは良いことだと僕は思うよ。だから君が嫌な思いをしたとしても、それは良いことなんだよ」
「……そんなの詭弁だ」
「ふふ。そうだね。君が大好きな詭弁だよ」
人に好かれるためにどうするべきかは眷属くんよりも知っているつもりだ。あの人が僕らを同類と言ったように、僕は眷属くんやスマホの子のことをある程度は理解できる。とはいえ無論、全てを理解出来るわけではない。
「ずーっと幸せな日々が続いたらきっと人間の感覚は麻痺して、不幸な日を喜ぶようになる。その日だけ、生きてると実感するんだ」
「明日はもっと幸せになればいいじゃんか」
「1000兆円も、1001兆円も変わらないよ」
これは正論だけど、眷属くんは嫌いだろう。
「ダメだ。白の理屈は……人をダメにする」
「人間なんてもともとダメさ。でも、ダメだからって毎日怒られてたら生きる気力がなくなっちゃうよね? だからダメなことを許してあげないと。きっとあの人もそういう、暗くて、昏くて、昏い、優しい世界を望んでる」
正しいことだけでは通用しない。時にはズルをしたっていい。それをダメだと言わずに認めてあげよう。そうしたら、ほら、きっと。
「君も、そんなに悩まなくてよくなるよ」
「僕が悩むのは、僕の自由で、僕の権利だ。だいたい人間が悩まなくていい世界なんて、あのヴァンパイアだって望んでいないさ」
一理ある。神のみぞ知ると言ったところか。
「悩みすぎると、ハゲるよ」
「うっ……それは嫌だ」
「ほら、おいで」
どうせあのスマホの子は子供みたいに触れ合うキスしか出来ない。だから僕が、眷属くんを抱きしめてあげよう。久しぶりに寝れたのに、悪夢にうなされた可哀想な眷属くんに優しくしてあげよう。そして支配してやろう。
「よしよし。眷属くんはもう僕のものだよ」
「……胸が薄すぎて、全然心地良くない」
「でも間に枕を挟むよりはマシだろう?」
正論が嫌いな眷属くんから反論はなかった。
「このために生まれてきたって気がするね」
「あのー……そもそも、白って女なの……?」
「んー? 今更だね。この前、クローゼットの隙間から、ちゃんと見てなかったのかい?」
「確かに僕の父親は白を女みたいに扱っていたけど、別に女じゃなくても出来るし……」
「なら、どっちだろうが、結果は一緒だよ」
どうせ僕に手を出す気なんてないんだから。
「……白は優しいんだな」
「そうとも。僕は優しい」
「でも、すごい悪い奴だ」
「そうとも。僕は悪党だ」
「悪党は、優しいんだな」
悪役は優しい。罪を犯す感覚を知っているから、同罪の連中に優しくできる。自分が罪を犯していることに気づいていない連中とは違う。そんな奴らに僕は優しくなんてしない。
「君が悪党でいる限り、優しくしてあげる」
「……うっす」
大丈夫。眷属くんはとっくにこっち側だ。この暗くて、昏くて、冥い、優しい世界の住人だから、もう戻れない。どれだけ善人が羨ましくてもそうなれない。だって悪党だから。何を見てきたのかは知らないけど、あの人も気の毒なことをする。おかげで眷属くんを抱き枕に出来たことを感謝しよう。アーメン。
【どっとハレルヤ 10話】
FIN
「靴、脱がして」
「……うっす」
夜の街から帰宅したヴァンパイアのブーツを脱がす。基本的に靴下を履かないひとなので素足である。かかとまで柔らかですべすべな足をぼんやり眺めて無意識に鼻を近づけた。
「え、ちょっ、な、なにをしてるの……?」
「あー、いや……」
何をしているかと言われたら匂いを嗅ごうとしたと答えるしかない。しかし、その理由までは自分でもわからない。ただ興味本位でヴァンパイアの足も蒸れて臭くなるのか気になっただけだ。けれど、それを無断で嗅ぐのは人としてどうかと思う。では、事前に許可を貰えば良かったのだろうか? そんな許可を貰うことが恥ずかしい。だから勝手に嗅いだのだ。それが良いことなのか、はたまた悪いことなのかに関しては判断が出来ない。よってヴァンパイアがどう思うかに全ては委ねられたわけだが、彼女の反応は芳しくなかった。
「……お風呂行く」
「ま、まだ沸いてないっす……」
「シャワーでいい。ついてきなさい」
別段、激怒するわけでもなく、淡々とヴァンパイアはそう言って浴室へ向かった。なんとなく落ち込んだ素振りを見せつつ、付き従うと、彼女は湯船のへりに腰かけて足を出す。
「洗って」
「……うっす」
スカートの彼女はそのままでいいけど、僕はズボンなのでまくってからシャワーからお湯を出して、適温になったのを確認してから足を洗った。ボディソープをたっぷり泡立てて優しく丁寧に洗い、最後に泡を流した瞬間。
「えいっ」
「うわっ!?」
肩のところを足で押されて尻餅をついてしまった。もちろん下着までびしょ濡れだ。けれど勝手に嗅いだ僕が悪いだろうから、素直にその仕打ちを受け入れた。するとヴァンパイアはつまんなそうに爪先を鼻先に近づけて。
「ほーら。どう? もう匂いしないでしょ?」
ムカッとした。イラッとではなく、ムカついた。洗ってから嗅がせるなんて、そんなの何の意味もないじゃないか。研究のテーマはあくまでも、『ヴァンパイアも足が蒸れて臭くなるのか』なのに、これじゃ何も検証出来ない。怒られ損だ。だから僕はヴァンパイア爪先を噛もうとした。すると、彼女は目を丸くして慌てて足を引っ込める。取り乱しつつ。
「は? え? あ、あんた今、噛もうとした?」
「……うっす」
「あたしあんたのご主人様なのに? あんたはあたしの眷属なのに? 眷属がご主人様の足を噛むなんて前代未聞よ。飼い犬に噛まれるとはまさにこのことだわ。ありえないでしょ」
「……うっす」
まるで信じられないものを見たかのような顔をして、唇をワナワナ振るわせながらの説教だったが、僕は足を引っ込めて片膝を立てる形となった格好に釘付けだった。下着なんかはこの際どうでもいい。噛まれそうになった爪先の緊張感、そして驚愕の表情。スマ子や白い子相手では一切欲情しない僕が、何故か飼い犬に足を噛まれそうになってあられもないヴァンパイアに欲情していると怒られた。
「や、やらしい目で見んなっ! この変態!」
「……うっす」
立ち上がったヴァンパイアに蹴られるかなと思ったけど、そんなこともなかった。浴室を出て、脱衣所で立ち尽くしている。恐らく、足を拭けということだろう。嫌いな奴に拭かれたくはないだろうから、嫌われてはいないようだ。ふわふわのタオルで恭しく丁重に拭いてやると頭上から小言が降り注いできた。
「あんた最近、同居人とベタベタしすぎ。澄ましてるけど匂いでわかんの。あんたはあたしの眷属って自覚が足りない。ちょっと使徒と遭遇して、打ちのめされて、優しくされたからってデレデレすんな。わかったかー?」
「……うっす」
「だいたい怖い思いをしたなら真っ先にあたしによしよしされに来いっての。あんたのご主人様はこのあたしでしょ? 普段寝ないあんたが不貞寝して、どんだけあたしが心配……こほんっ。とにかく! 忠誠心を見せてよ!」
ふむ。忠誠心ときたか。ブーツを脱がしたり足を洗ったり拭いたりしてる僕は我ながら健気な眷属だと思うのだがそれ以上となると。
「……では、僭越ながら」
「っ……!?」
とりあえず足の甲にキスしてみた。すると。
「ふ、ふうん……やれば出来んじゃん」
「……チョロ」
「あ? なんか言った!?」
「いえ、別に何も……」
「あんたってば、本当に……まあ、いいわ。使徒と遭遇して身体はなんともないのね? 」
「うっす」
遭遇した日は日焼けしたみたいにヒリヒリしたけど、今はなんともない。精神的なダメージも、白い子のカウンセリングで回復した。
「この遭遇でわかったでしょ? 使徒には勝てない。今回は別に対立したわけじゃないみたいだけど喧嘩を売るのはやめときなさい。もしも喧嘩を売られたら引き下がること。あんたがボロボロになっても意味なんてないから意地を張る必要はない。本質の問題だから」
「本質の問題?」
「正義は必ず勝つってことよ。天界の主神は正義の女神にして勝利の女神。あの使徒は主神から直接加護を得ているわけではないけどその在り方に主神は一定の理解を示して認めた。だから基本的に負けない。そもそも強力な運命の女神の加護に加えて慈愛の女神も見守っている。要するにチートみたいなもん」
「はあ……チートっすか」
それにしては、俺つぇええっ!という感じではなかった。あれは、まるで、賽の河原で石を積むことをやめない覚悟をした顔だった。
「あの人、生きてて楽しいんすかね?」
「それ、本人に聞いてみた?」
「なんか、使命とか言ってました」
「使命を果たすのは困難だけど、目的や目標を見失ったまま生き続けるのも大変だから、そいつにとってはそれで良いんだと思うよ」
そんなもんか。僕は死んでもごめんだけど。
「ちなみに正義と勝利を司る天界の主神には、ヴァンパイアでも勝てないんですか?」
「天界と下界じゃ土俵が違う。基本的にあの短気な主神は結果重視だから、勝った奴が正しいと認めざるを得ない。下界では正義=勝利とはならないこともある。むしろ、正しい奴は勝てない世界よ。だから主神様は、今日も天界でイライラしていることでしょうね」
いい気味だと薄く微笑むヴァンパイアの口元から覗く尖った美しい牙に僕は見惚れる。どうして彼女が主神とやらを目の敵にしているかは定かではないがどちらに付くかと言われたら断然、このご主人様を僕は選ぶ。いや。
「あたしがあんたを選んだ。だから、あんたに負けて欲しくない。無謀なことはやめて、あたしに従ってればいい。そうしたら、あんたを下界の王として君臨させてあげるから」
「僕は王になんかなれなくてもいいですよ」
「まーた、言ってるそばから刃向かって……それじゃあ、あんたは何になりたいのよ?」
「ヴァンパイアの旦那さんは如何ですか?」
「ふふっ。あはっ。ははっ。あっはっは!」
冗談めかしてそう言ってみると、滅多に笑わないヴァンパイアはゲラゲラ笑ってくれた。
惜しげもなく牙を晒して、ひとしきり笑い。
「あんたとあたしが番になったら、天界の連中はさぞ悔しがるでしょうね。運命の女神あたりは負けじと堕天するかも。そうなったら世界の摂理や秩序は狂い放題。実現出来るかどうかはともかく楽しみしてる。だからせいぜいあたしを堕とせるくらい頑張んなさい」
「うっす!」
このヴァンパイアを娶るのに世界の摂理やら秩序が障害となるならぶっ壊そう。あの使徒のように石を積む人生なんてまっぴらごめんだ。ご立派な正義なんかに頼らず勝利して、暗い、昏い、冥い、この世界を謳歌しよう。
【どっとハレルヤ 11話】
FIN
「うっす!」
「え? あっ! こ、ここ、これは違うの!?」
ノックをせずにスマ子の部屋の扉を開けてみると、ノートパソコンの前に大股を開いて座っており、片手が下腹部へと伸びていた。僕がやっていたエロゲのHなシーンの最中なので、ナニをやっていたかは一目瞭然である。
「あーまあ、いいんじゃないか? 健全でさ」
「う、うるさいうるさいっ! てゆーかあんた、そもそも勝手にひとの部屋に入って来ないでよ! あの人に言いつけられたいの!?」
「まあまあ、ひとまず落ち着いて」
「ちょっと! は、離しなさい……きゃっ!」
スマ子が暴れるので両方の手首を掴んで、ベッドに押し倒した。細い腰が折れてしまわないよう、なるべく体重をかけずに見下ろす。
「あ、あんた、何をするつもりよ……?」
「さあ? なんだろうなぁ?」
「ううっ……そ、そんな人だとは思わなかった……あたし、あんたを信じてたのに……!」
口調とは裏腹に絶望に染まった表情だ。目つきも反抗的ではなく、どうやら諦めて受け入れるつもりらしい。やっぱりチョロいなぁ。
「スマ子、僕の話を聞いてくれ」
「ううっ……スマ子って言うなぁ」
「泣くな。ほら、全然勃ってないだろ?」
「へ? あ、ほんとだ……」
さっきまで下腹部に伸びていた手を僕の下腹部に導いてやった。ポンポンと触らせても応答なし。スマ子は泣き止んで、キレだした。
「この状況で勃たないってどういうことよ!? そんなにあたしは魅力ないわけ!? てゆーかあんた一体全体何が目的なのよ!?」
「まあ、結論を急ぐな。じきにわかるさ」
意味もなく勿体ぶって、スマ子を解放した。
「あ、あんた、見かけによらず力強いわね……アザになったらどうしてくれんのよ」
「大丈夫。加減した。それよりもPC画面のHなシーンをさっさと閉じてくれないか?」
「あんたが突然押し倒すからでしょーが!」
バシンッ!と叩きつけるようにノートパソコンを閉じたスマ子。発散して落ち着いたのか彼女の澄んだ瞳に理知的な光が戻ってきた。
「で? なんのつもり?」
「スマ子を押し倒してみた」
「その理由を聞いてんの」
「練習だ」
「は?」
聞こえなかったのだろうか。仕方がないな。
「押し倒す練習だ」
「押し倒す練習って何よ!?」
「ヴァンパイアを娶ることにしたから、こうした技術も必要になるだろうと思ったんだ」
「はあ?」
我ながら簡潔で理路整然とした説明のつもりだったのだが、スマ子は呆れたというか白けたような顔で深々と盛大にため息を吐いた。
「はあ~……あんたがあの人を娶る? 馬鹿も休み休み言いなさいよ。ましてやあの人を押し倒すなんて、身の程を弁えなさいっての」
「やっぱり難しいかな?」
「難しいというより無理ね。不可能。さっきやってたエロゲのキャラクターに恋してるようなもんよ。あの人とあんたは住む世界が違うの。そのくらい、あの人と一緒に暮らしてたら、あんただって嫌でもわかるでしょ?」
「……うっす」
なんとなくわかる。あのヴァンパイアは冒し難いし、侵し難いし、犯し難い。まさしく、神聖にして不可侵という言葉がぴったりだ。
足を噛めなかったのは逃げられたからではない。土壇場で躊躇してしまったからである。
「あの人には伴侶なんていらないの。完全で完璧な存在なの。あんたなんてせいぜいペットみたいなもんよ。あんたの代わりなんていくらでもいるんだから、思い上がらないで」
「……うっす」
たまたま選んで貰っただけ。そんなことは百も承知でよくわかっている。けれど、僕はこれを千載一遇のチャンスだと思いたいのだ。
たとえそれが運命によって定められていなくとも、この機を絶対に逃したくはないのだ。
「あんた、あの人に惚れてんの?」
「むしろ惚れない奴なんているのか?」
「この前に遭遇した使徒は惚れないでしょうね。あとはこの、暗い、昏い、冥い世界を真っ当に生きようと健気に石を積む奴らもね」
真っ当に生きて無意味に石を積んで死んで、それで何になるのだろう。この世に生を受けたからには、何者にも成し得ない偉業を達成するべきだと、僕はそう思う。そんな僕の意思の固さが伝わったのか、スマ子が促した。
「手」
「ん? 手がどうかしたのか?」
「片手であたしの手をまとめて押さえてみ」
再びベッドに倒れ込んだスマ子の手を言われた通りに片手で押さえ込む。すると、僕のもう片方の手がフリーになった。なるほどな。
「優しくほっぺを触って。ゆっくり顔を近づけてキスして。あとは胸だろうが、他のどこだろうが触っていいから。あ、爪はちゃんと切ってんの? ならよし。あっ、ちょっと!」
指示通りに処女のスマ子が喜ぶお子様キスをしてから、僕は鼻の穴に指を入れた。するとスマ子がふがふが言いながら抗議してきた。
「なんれよりによってはなのあななのよ!」
「はっ。ははっ……美人が台無しだなぁ?」
「ふぇ……?」
「あっはっはっはっ! あー……面白かった」
思わず笑いつつ指を引き抜くと、何故か真っ赤な顔をして、スマ子が前髪を直している。
チラチラこちらを伺って、口を尖らせつつ。
「あ、あんたの笑顔、良いと思う……邪悪で可愛くて、無邪気で、その……素敵だった」
「……うっす」
そう言えば僕も、あのヴァンパイアと同じで滅多に笑わない。そりゃあ皮肉で笑うことはあるけど、まともに笑ったところは少ないかも知れない。どうやら笑顔は効果的らしい。
「もしかしてヴァンパイアにも効くかな?」
「どうかしらね……もっと練習しないと。あたしで試してみてよ。もっともっと見たい」
趣旨が変わっている気がするけど、まあいいか。スマ子は美人だから変顔のギャップが面白い。写真に収めて、笑顔の練習をしよう。
【どっとハレルヤ 12話】
FIN
「ただいまー」
「うっす」
ノックもなしに当たり前のように部屋に入ってきた白い子。パソコンで掲示板を眺めていた僕の膝に乗り、向かい合わせで抱きついてくる。そのまま何やら鼻をくんくんさせて。
「む? スマ子臭いよ。浮気は良くないね?」
「そう言う白も僕の父親臭いんだけど……」
「あ、わかるー? 今日も会ってきたんだ」
白は相変わらず僕の父親との関係を続けている。この前は、僕の母親の香水をつけて「そろそろママが恋しいんじゃない?」とか言ってきたので、「それは僕の母親が浮気相手と会う時につける香水だよ」と言い返したら、もうその香水をつけることはなくなった。
「それで? スマ子とどこまで進んだの?」
「押し倒して、鼻の穴に指を突っ込んだ」
「へー。なかなかマニアックなプレイだね。僕にはそういうことしたくならないの?」
白は揶揄い甲斐がないので基本放置である。
「なんだよ、澄ましちゃってさ。スマ子にはキスもしてるらしいじゃん。僕もしたい!」
「白が? 僕と? なんで?」
「だって気持ちいいじゃん」
スマ子は熱っぽい視線で僕にキスを求めてくるけど、白は冷めている。ただ独占欲や支配欲を満たしたいだけだと見ていればわかる。
「そもそも白にはいっぱい恋人がいるんだから僕なんかにキスされなくてもいいだろ?」
「拗ねてるの? かわいいねー」
断じてそんなつもりはないのに、薄い胸元で僕の頭を抱きしめてくる。肋骨がゴリゴリして痛い。それなのに体温が高くて柔らかい。
「僕は抱き心地が良いって評判なんだよ。皮下脂肪のつき方が絶妙でね、ふとももだってすごく柔らかいよ。もちろん唇だって……」
首筋に押し当てられた白の唇はたしかに柔らかくて気持ちがいい。大半の男共はこれだけで満足するのだろう。無論、僕以外の話だ。
「……勃たないね」
「うっす」
僕は勃たない。あのヴァンパイア以外では。
「むー。悔しい悔しい。僕にメロメロにさせて父親なんかと会うなって言われたいのに。スマ子に対しても優越感に浸りたいのに。それなのに、君は文字通りブラインドタッチでキーボードをカチャカチャカチャカチャ……さっきから、何を書き込んでいるんだい?」
「中央集権を批判してる奴とレスバして煽ってるだけ。こいつはたぶん、やると思うよ」
「へぇ……面白いねぇ。Xデーが楽しみだね」
ニコニコと白は笑う。僕もきっと邪悪に、それでいて無邪気に笑っているのだろう。僕と白は似た者同士だから相入れないのかもしれない。それでも笑いの嗜好は似ているのだ。
「どうなるかな? 僕、ワクワクしてきたよ」
「どうもならないよ。きっと、どうにかなるように出来ている。僕はそれを見てみたい」
一時的に行政の機能が失われたとしても、さほどパニックにならずに収束することは目に見えている。もしかしたら、天界に住む主神様の威光を拝めるかも知れない。楽しみだ。
「明日はもっともっと、暗くて、昏くて、冥い世界になるといいね。夜なのか昼なのかわからないくらいのほうが、目に優しいから」
「……うっす」
中央集権の破壊なんて、そんな危険思想を掲げる輩のために、犠牲者が出ることを、僕も白もスマ子もヴァンパイアだって望んではいない。僕らが目指す、暗い、昏い、冥い世界は優しいのだ。故に犠牲者を出さないように暗躍しよう。ヴァンパイアの眷属の仕事だ。
【どっとハレルヤ 13話】
FIN
「なんだぁ……てめーは?」
「うっす」
煽り耐性皆無な過激派は、職員の少ない深夜を狙って内務省を占拠した。もちろん24時間警備されている施設であるが、この日だけは常駐している警備員たちも不在だった。馬鹿な連中は監視カメラを気にしながらコソコソ爆発物を仕掛け、タイマーをセットして建物から出てきた。そこで私服警察官に捕まって事件は表沙汰になることなく収束した。僕の予想通り、なんとかなるように出来ている。
「てめーも、あの不届きな連中の仲間か?」
「とんでもない。あんな脳みその代わりにスポンジが詰まってるような連中と一緒にしないでよ。善良な僕がそんなに怪しいかい?」
「ああ、怪しいな。こんな新月の真っ暗な夜に独りで彷徨いて、誰も知らず気づかずに終わる事件を嗅ぎつけて、特等席で終始見届けるような奴は、黒幕以外の何者でもないね」
この国の権力は小高い丘の周辺に集中している。丘の上には由緒正しいお屋敷が建っているらしく、各省庁の大臣や長官は就任する際にそのお屋敷で任命式に臨むそうな。そこで彼らは国家に身命を捧げることを誓うのだ。
「君は丘の上のお屋敷から来たの?」
「だったらなんだ。それがどうした」
「それなら丁度いい。絶景が見れる」
丘の麓でも内務省の全景は一望出来る。僕は背後の少女に背中を向けて、間もなく起きる一大イベントを待ち望んだ。すると、少女は意外にも僕の隣に立って眼下を見下ろした。
「てっきり後ろから拘束されると思ったよ」
「んな卑怯な真似するか。舐めんじゃねぇ」
お屋敷から来たという少女は何故かセーラー服姿で横顔にはまだ幼さが残っていた。同い年には見えないので、中学生だろうか。そう言えば、この辺に有名なスケバンが君臨していると聞いたことがある。もしや彼女がそのスケバンだろうかと思い、横目で様子を伺っていると、こちらに一切目を向けることなく、新月の暗闇を切り裂くような閃光を放つセーラー服の少女は、盛大に舌打ちをした。
「ひとを化け物みたいに見んじゃねーよ」
「こりゃ失敬……それにしても美人だね」
「だから、見んじゃねーっての。ウザい」
「もしかして照れてる?」
「っ……だ、誰がっ!?」
ようやく少女がこちらに顔を向けた、その瞬間、内務省が吹っ飛んだ。少女が放つ閃光よりもっと鮮烈な熱線が、その端正に整った横顔を炙り、新月の闇夜を美しく照らし出す。
「はっ! はっはぁーはっはっはっはっ!!」
閃光に遅れて響き渡った爆轟と、ガラスが割れる音。近隣の犬が狂ったように吠え出す騒音に負けじと僕は哄笑した。馬鹿と鋏は使いようだとよく言ったものだ。塀の向こうで、もう二度と日の目を浴びることのない連中の代わりに僕が見届けてやったぞ。感謝しろ。
「はあー面白かった。最っ高の気分だよ!」
「喜んでるところ悪いが、あの建物は……」
「うん。そろそろ解体するつもりだったんだよね? もちろん知ってるよ。僕が笑ったのはね、そうとも知らずに大義を成し遂げたと思ってる連中の愚かさだよ。あっはっはっ!」
内務省の建屋は老朽化のために解体が予定されていた。ヴァンパイアが高級クラブで政府高官からリークされた情報である。だから僕は連中をけしかけた。連中は僕のために無意味な花火を打ち上げて、楽しませてくれた。
それは一瞬気分を高揚させ、儚く散りゆく。
まるで祭りのあと。後の祭りの気分になる。
「ふぅ……それじゃ、そろそろ僕は帰るよ」
「待て。てめーがどこの誰で、何が目的かは知らねーけど、あたしと会ったのが運の尽きだったな。自慢じゃねーが、あたしは昔からひとの考えを見透かせる。だから、てめーがろくでもない奴だってことはわかってんだ」
燃え盛る総務省の残骸に照らし出された少女からは依然、眩い閃光が放たれており、運命の女神の使徒とは比べ物にならないくらいの光量だった。間違いなく天界の主神とやらの使徒だろう。本人は自覚がないようだけど。
「君は自分が何者かわかってるのかい?」
「うるせー。女子中学生を悩ますようなことを訊くんじゃねーよ。防犯ベル鳴らすぞ?」
「君は本当はご自慢の透視能力で僕のことを見透せなくて困っているんじゃないかい? その理由を教えてあげる。それはね、僕自身にもわからないからさ。くだらないだろう?」
「……黙れ」
図星を言われてカッと顔が赤くなったのは燃え盛る炎のせいではないだろう。あらかじめ手配されていた消防車に囲まれて、徐々に鎮火している。やはり、彼女は照れ屋らしい。
「なんでもかんでも見透かしちゃうから、誰も目を合わせてくれなくなって寂しい? だから久しぶりに目を見て話してくれる他人と出会えて嬉しいのかい? さすが女子中学生だ」
「黙れっつってんだろーがぁ!!」
「君の正義では僕には勝てないよ」
正義と勝利の女神の使徒はまだまだ発展途上らしい。まだ若く、幼いから揺るぎない信念を持ち合わせていない。潜在的な危険度は随一だけど、怖さで言ったらあの運命の女神の使徒のほうが上だ。とはいえ敵対はしない。
ヴァンパイアの言いつけもあるけど、弱い者いじめは良くないからね。僕は優しいから。
「おや? 泣いてるのかい? 慰めようか?」
「ぐすっ……うるせー……1発、殴らせろ」
「はいはい。お好きにどうぞ……ぶへ!?」
すぐに暴力に訴える正義の使徒の横暴に素直に従って前屈みになって顔を突き出すと、腰の入った良い正拳突き、と思いきや、寸止めからのワンインチ・パンチ。かなり効いた。
でも殴られっぱなしは癪なので一矢報いる。
「ほーら捕まえた」
「うわっ!? 離せよ!?」
「悪夢でも見たと思って諦めるんだなぁ」
「っ!? な、なな、なにしやがる!?」
突き出した腕を引き寄せて女子中学生の額にキスをした。瞬間、防犯ベルを鳴らされたので逃げた。連中を馬鹿にしてた僕もなかなか煽り耐性がなかった。これで僕も犯罪者の仲間入りかと思ったら、何故か少女が追いかけてこない。不思議に思って振り返ると、足元に転がっていた石を拾い額にぶつけていた。
「これでさっきのはナシだかんな!!」
「……うっす」
額から血を流して吠える少女は先程よりも凄みを増していた。その怨嗟には若さや幼さを感じさせない揺るぎない信念が宿っていて、どうやら彼女は大人の階段を登ったらしい。
運命の女神の使徒よりも過激に成長してる。
少女の成長を見届け、尻尾を巻いて逃げた。
「正義の使徒、おっかねー」
ワンインチ・パンチはかなり効いた。鼻血が止まらないし、ほっぺなんて焼け爛れてる。
それでも彼女は額の傷はきっと、僕の火傷の跡と同じく残り続けるだろう。ざまあみろ。
【どっとハレルヤ 14話】
FIN
「あんた、しばらく外出禁止だから」
「……うっす」
満身創痍で帰宅した僕を見て、スマ子が驚き取り乱して泣きながら抱きついてきた。白い子は鼻血まみれでほっぺを火傷した僕を見て、「男前になったね」と言って頭を撫でてくれた。とりあえず鼻血がやばいので横になろうとした僕を、スマ子がふんわりむちむちのふとももで膝枕してくれたので、白い子が鼻にティッシュを詰める間に、正義の使徒について話して聞かせてあげた。するとスマ子の瞳は暗く、昏く、冥く澱み、「女子中学生にキスするロリコンは殴られて当然よ!」と罵倒され、僕は膝枕という安息の地を追われた。そして現在、僕は鼻にティッシュを詰めたまま、椅子に座り足を組むヴァンパイアの前で正座させられて、お説教を受けていた。
「よりによって主神の使徒とやり合うなんて何考えてんの? 運命の女神の使徒との遭遇でなんにも学んでないワケ? おい、答えろよ」
「別に……やり合ってはないっす。ただ1発殴られたらそれで済むかなって。でも相手はまだガキだったんで、付け入る隙みたいのがあって、それでまあ……ちょっと"曇らせて"やろうと思って。そこは、褒めて欲しいっす」
弁明というか素直に自分の気持ちを口にすると、ヴァンパイアは呆気に取られた顔をして不思議そうな目で僕を見つめ、訊いてきた。
「え? あんた、あたしに褒めて欲しいの?」
「うっす」
「なんで? 眷属があたしに尽くすのは当然だし、ましてやご主人様の命令に背いた駄犬なんて褒めるわけないでしょ? 馬鹿なの??」
「……うっす」
残念ながら僕の献身は無意味だったらしい。
「ほっぺ、診せなさい」
ヴァンパイアがそっと僕の頬に触れた瞬間、ジュッとその指先が焦げた。思わず顔色を伺うが、眉ひとつ動かさずに焦げた指先を噛みちぎって捨てた。すると、すぐに指先が生えてきて、元通りになった。脅威の再生能力。
「聖痕はあたしたちにとっては呪いみたいなもんだから、あたしが吸ってあげた。でも跡は残るし消せない。そのリスクを負うだけのダメージを、正義の使徒に負わせられた?」
「あの加護の塊みたいな存在に呪いみたいなのはたぶん効きませんが、精神的なダメージと物理的な傷跡はしばらく残ると思います」
あの正義のセーラー女子中学生はきっとこの先、何か暗い気持ちになった時に額の傷が疼くだろう。とはいえ、重要なのはこっちだ。
「少なくとも、僕と出会って痛い目を見たことで、ネットの頭の硬い正義マンとは違って少しは柔軟な正義の使徒へと成長していくだろうと思います。それは、僕の功績ですよ」
「ふん……だからって、あの怒りん坊の女神の使徒にキスするなんて……あーむかつく」
やはり褒めて貰えそうにない。でもいいか。
「あは。ヴァンパイアも嫉妬するんですね」
「だ、駄犬の癖にご主人様を笑うなっ!!」
何故か目の敵にしてる天界の主神への苛立ちが嫉妬に変わり、メラメラと紅眼の奥が揺れていた。それだけで殴られた甲斐があった。
「ああ。あと、そう言えば……」
「まだなんかあんの? 洗いざらい吐け」
「内務省の爆破は綺麗でした。でもきっと、独りではあんなに楽しくなかった。あの子が居たから、気分が高揚したんだと思います」
「ふざっ……ああっもうっ!!」
洗いざらい吐くと、ヴァンパイアは立ち上がり、僕の肩を押して床に転がした。慣れない正座ですっかり足が痺れているふりをして寝転がっていると上に乗られて首を咬まれた。
「いや、誤解しないでくださいよ? 浮気とかじゃなくて……たぶん、あの閃光のような光の塊の隣に居ると僕の影がより暗く、昏く、冥くなって、だから存在感が増すんだと……」
「黙れ。食事中に話しかけるな」
「……うっす」
鮮血に濡れた唇を手の甲で拭い、一喝して僕を黙らせたヴァンパイアは、またカプカプガブガブと僕の血を啜る。痛みを凌駕する快感に脳が満たされて、僕は神に感謝を捧げた。
この暗くて、昏く、冥い世界は素晴らしい。
【どっとハレルヤ 14話】
FIN
「おはよ」
「……うっす」
チュンチュンと小鳥の囀りで目覚めることはこの摩天楼の最上階ではあり得ない。そもそもヴァンパイアの眷属となってから夜に寝ることが減った僕が朝こうして目覚めるということも最近は減った。ふかふかの大きなベッドはヴァンパイアのもので、何故か僕は大の字になって寝ていた。天井を眺めながらぼんやり思い返すと、昨夜満身創痍で帰宅した後にヴァンパイアに説教をされ、吸血されたことでどうやら朝まで気を失っていたらしいところまで把握した。しかしこの手錠と足枷はなんだろう。これじゃあ身動きが取れない。
「なんすか……コレ?」
「外出禁止って言ったでしょ」
「だからってこんな、大袈裟な……」
枕元に仁王立ちするヴァンパイアは、一晩明けてもお怒りで、外出禁止令を解くつもりはないようだった。彼女はずいっと顔を寄せ。
「あんたに、文句を言う資格はないんだよ」
「……うっす」
「あーそのほっぺの火傷の痕を見てるとイライラする。朝からご主人様を怒らせていいと思ってんの? おい、謝れ。ほら、早くしろ」
「……ごめんなさい」
素直に謝罪すると、ヴァンパイアは正義の使徒に殴られた痕にそっと触れて、次の瞬間、ぎゅっとつねってきた。たいして痛くない。
「ふぁにすんでふか」
「ぷっ……くふふふっ。面白い顔のおかげで笑えたから、餌をあげる。何が食べたい?」
ほっぺを引っ張りクスクスとひとしきり僕を笑い者にしたヴァンパイアは朝食を作ってくれるらしい。別段食欲はないけど注文する。
「オムライス」
「ちっ……朝から面倒な。まあ、いいけど」
ちょっと嫌そうな顔をしつつも素直にオーダーを受け取って部屋から出ていく前に、ふと何かを思い出したかのように、再び枕元にやってきて、ヴァンパイアは僕の耳元で囁く。
「昨夜はごちそうさま」
「……うっす」
昨夜の吸血行為がフラッシュバックして、目に見える形で興奮してしまう僕を見下しながらまたクスクス嘲笑い、機嫌良さそうに鼻歌を奏でながら部屋を出ていくヴァンパイア。
すると、入れ替わるようにスマ子が現れた。
「えっと、その……あんたもう平気なの?」
「うっす」
「え? ていうか、あんた、なんで朝から硬く……いや、朝はそういうものなのかな……? こほんっ。とにかくこれっ! あたしの中学の時の制服で、着てみたんだけど……どう?」
スマ子は僕の股間をチラチラ見ながら、何故か中学校の学生服姿を見せつけてきた。部屋着で制服を着るのが趣味なんだろうか。とりあえず、感想を求められたので答えておく。
「うん。かわいいと思うよ」
「ほ、ほんと!? やった!」
「でも、ちょっとキツそうだね……」
「うっ……い、言っとくけどあたしは別に、中学の頃から太ったってわけじゃないんだからね! ウェストは変わってないんだから!」
「……うっす」
恐らく中学から高校にかけて胸が成長したんだろうけど、なら制服を着るなら高校のものを着れば良いのに、何故中学のをわざわざ。
「これは、その……あんたが、女子中学生が好みって言うから、だから、仕方なく……」
「え?」
「え?」
お互い顔を見合わせる。見解の相違がある。
「僕は別に女子中学生に興味なんてないよ」
「え、でもだって昨夜、女子中学生と……」
「ほら、もう勃ってないだろ?」
「あ、ほんとだ……もう怖くない」
下半身を利用してロリコン疑惑を払拭するとスマ子は納得して、それから何やらショックな顔をして、最終的にこちらを睨んできた。
「騙されないし。あたしの女子中学生みが足りないから、あんたは勃たないだけでしょ。もう自白したくせに、なんて往生際の悪い」
「いや、女子中学生みって……」
「うるさいこのロリコン! 拡散してやる!」
ロリコン疑惑の払拭に失敗した僕は、部屋から出ていくスマ子を引き留めることも出来ない。拘束されてるからね。だからスマ子にネットで拡散されても無抵抗で、無力だった。
「おやおや? 緊縛プレイとはあの人もなかなか趣味が良いね。ほっぺの火傷もすっかり良くなって、元気そうだねぇ……眷属くん?」
「……うっす」
偽物の女子中学生と入れ替わりに、今度は偽物の女子小学生が入ってきた。低身長に貧乳で童顔な白い子。何やら手に、不思議な形状の容器を提げている。いったいなんだろう?
「白、それはなんだい?」
「ふふ。これは尿瓶だよ」
「帰れ」
いくら僕が身動き取れないからってそんなもんを持ってくる女子小学生が居てたまるもんか。だいたい昨夜はヴァンパイアにいっぱい吸われたからこっちはもうカラカラなんだ。
「お願いっ! ちょっぴりでいいから!!」
「アホか。ていうかそろそろ朝食が……」
「ご飯出来たよー!」
「わあーい!」
キッチンからヴァンパイアの声が聞こえた途端、尿瓶をほったらかして白が部屋から出て行った。いや、持って帰ってくれ。呆れつつも恐らくは男女兼用で使えるであろうその独特な形状をしげしげと観察していると、ヴァンパイアがオムライスを持ってやってきた。
「え、なにソレ。新しい如雨露?」
「ええ。まあ、そんなもんです」
「ふうん。あとでガーデニングに使おっと。それより、見なさい! 完璧な出来栄えよ?」
ヴァンパイアは尿瓶を如雨露と誤認したらしく、有効的に活用してくれるようだ。彼女が手に持つ皿にはオムライスが盛られており、自画自賛するに相応しいほどの完璧な形状と食欲を唆る香りだった。だがしかし妙だな。
「オムライスに何も描かないんですか?」
「え? 何か描いたほう良かった?」
「そりゃもちろん」
オムライスと言えばケチャップアート。ケチャップアートがなければ、ただのチキンライスに卵を巻いただけの料理でしかないのだ。
「ふうん。あんた意外と子供っぽいのね。ちなみにあたしにどんなのを描いて欲しい?」
「もちろんかわいいハートマークを……」
「は? なんで? え、キモいから無理」
にべもなく却下されて、ブチュッと無造作にケチャップをオムライスに垂らすヴァンパイア。勢いが良すぎて手に撥ねた赤いその液体を、ペロリと舌で舐め取ってから、命じる。
「ほーら、餌だ。食え、我が眷属」
「……うっす」
顔の横に皿を置かれて、身動きが取れないなりに、必死に食べようとすると、口の周りどころか、鼻まで真っ赤に染まってしまった。
「美味しい?」
「……うっす」
本当は食べさせて貰いたい。そうしたらきっともっと美味しくなる筈。だけどヴァンパイアはそんなことしてくれない。ちょっとずつ皿を遠ざけて、舌を伸ばす僕を嘲笑うだけ。
「あたしの眷属になってこうして美味いものを食べられて、幸せだろー? わざわざこんな面倒臭い料理を作ってやったあたしに感謝しろよー? ほら、ありがとうございますは?」
「……ありがとうございます」
「犬みたいに手を使わずに餌を食うお前が、あたしを煩わせていいわけないよなー? もっとあたしのご機嫌を伺ってみ? ほら、早く」
「……ご主人様は今日も綺麗で美しいっす」
「よしよし。皿までしっかり舐めて綺麗にするんだぞー。残したらお仕置きだかんな?」
ご満悦なヴァンパイアの命令を、僕は破る。
「お腹いっぱいなんで、もういらないっす」
「……は? な、なんで? あたし、上手にオムライス作ったじゃん。ていうかさっき言ったよね? 残したらお仕置きだって……それなのに、どういうつもりなの? おい、答えろよ」
「お仕置き、されてみたいなって……」
「っ……あーもうっ!!」
瞬間、顔面に残ったオムライスを押し付けられた。ぐちゃぐちゃになった僕を見下して、ヴァンパイアはちょっとだけ涙ぐんでいた。
「……せっかく作ったのに、台無しじゃん」
「……うっす」
「顔なんて、拭いてあげないから」
「別にいいっすよ……このままで」
ヴァンパイアに台無しと言われて、僕はそれが好きなのだと理解した。きっとスマ子や白も台無しにするのが好きだろう。ならば、僕のご主人様だってこんなシチュが大好物だ。
「あんたって、ほんっとーにかわいくない」
「よく言われます。小学生の頃、体育教師に体罰されたことがありましてね。女子をジロジロ眺めていた体育教師をジロジロ眺めていたら、その邪な視線が気に入らないってぶん殴られました。もちろん、その教師は懲戒免職になりましたけど。ははっ。あっはっは」
「あは。何それ……めっちゃウケる。ふふ」
邪な視線を女子に向けていた体育教師から、邪な視線を理由に暴力を振るわれるという、僕の小粋なジョークでヴァンパイアは笑う。
「もっといろんな話を聞かせて。どうせ、あんたはしばらくここから動けないんだしさ」
「うっす」
この汚くて醜く、くだらなくて、どうしようもない、暗い、昏い、冥い世界には笑える話が山ほどある。それを笑い飛ばすことで、僕たちは、明日も明後日も生きていけるのだ。
【どっとハレルヤ 15話】
FIN
「それで、その尊い女神様は堕天したのよ」
「ふむふむ」
拘禁生活にも慣れてきた今日この頃。明け方に掛け持ちしている高級クラブから帰宅してお風呂上がりのヴァンパイアは、僕に髪を乾かして貰いながら上機嫌に物語を語って聞かせてくれた。彼女曰く、人間が知性を保ち、善悪の概念が生まれてから今日まで、善性を司る主神と悪性を司る女神様の間で熾烈な争いが繰り広げられているとのこと。良い人間だけを救済しようとする主神の意向とは裏腹に、悪い人間は増え続け、主神のフラストレーションは溜まる一方らしい。人類の歴史において、大きな戦争が起きる瞬間というのは決まって主神がブチギレた時のようで、そこで悪い人間を間引こうとするのだが、良い人間ばかり真っ先に死んでいくので、あまり効果はないらしい。その事実を突きつけて癇癪を起こすのをやめろと説得するも、喧嘩となり、堕天した悪性を司る女神様は、下界の人々を陰ながら見守る有難い存在のようだ。
「その悪い邪神がいなくなったら……」
「悪い邪神って言うな」
「失敬。じゃあ、その尊い女神様がいなくなったら、悪い人間も減って、この暗くて昏くて冥い下界も少しはマシになるんすかね?」
「悪い人間は基本的に神の存在を信じてないし、その加護を受け取ることが出来ないから女神がいてもいなくても変わらない。いと尊き地上の女神様は奇跡の安売りはしないし」
「つまり、救いようがないんですね」
この下界は救いようがない。これからも、時折ブチギレる天界の主神様のご機嫌によって翻弄されて、同族同士で争い続けるらしい。
「でもね、ものすごい悪党で、信仰に厚い使徒がいれば、天界の主神の癇癪に対抗することが出来るかもしれない。その子はきっと、他の悪い人間とは違い、この一寸先も闇の暗い、昏い、冥い、澱んだ世界を導いてくれる救世主になってくれるとあたしは信じてる」
「ほーん……救世主、ねぇ」
胡散臭いと思いつつも、ヴァンパイアの赤い瞳がキラキラ輝いているので口に出せない。
どうやら僕という眷属がありながら存在すら疑わしい救世主とやらに憧れているらしい。
「その救世主とやらは、具体的にどう他の悪党と違うんですか? 結局、クズなんでしょ」
「全然違うわ。まず女神様への圧倒的な忠誠心。そして厚い信仰。あとは女神様が惚れちゃうくらいの偉業を成し遂げる必要がある」
「偉業って、たとえば?」
「世界規模の戦争を止める」
くだらない。そんなのは、ただの偽善者だ。
「あんたも悪の眷属の末席を連ねるなら救世主になることを目指してこれから励めば?」
「僕が? 冗談じゃないっす。僕はきっと、世界規模の戦争を眺めて、ゲラゲラ笑ってますよ。それを止めようとする奴をみたら舌打ちをするでしょうね。僕のご主人様ならそれくらい察してくださいよ。ほら乾きましたよ」
辟易してドライヤーを止めると、鏡に映らないヴァンパイアはこちらを振り向いて、まるで言葉の真意を探るように。見つめてきた。
「なんすか?」
「別に。あたしはあんたのことを理解してるつもりだけど、あんたはあたしが思った通りに動かない。それはどうしてかと思ってさ」
「ご要望通りに髪の毛を乾かして差し上げたじゃないっすか。まだ何か足りませんか?」
僕はそれほど、このヴァンパイアについてなんでも知っているわけじゃないけれど、なんとなくこの人が僕に過度な期待を寄せていることはわかる。そういうプレッシャーは嫌いなので、僕はこれてからも、期待はずれのことをして、ハードルを下げていこうと思う。
「ねえ、僕のご主人様」
「なに?」
「仮に救世主様とやらが世界規模の戦争を止めたとして、その動機が女神様のためじゃないならなんの意味もなくないですか? あくまでも自分の目的のためにその偉業とやらを成し遂げないとその人は救世主でもなんでもなく、ただの空っぽの人形で人間ですらない。人間以外に救われた世界は、虚しいだけだと思いますし、そうなって欲しくありません」
「ふふっ……あんたらしい見解ね」
キッパリ告げると、ヴァンパイアは微笑み。
「あんたはあたしの眷属なんだから、これからもあたしのためだけに尽くしてればいい」
「うっす」
「そろそろその枷も邪魔でしょ。外出禁止は解除するから、思う存分、暴れてきなさい」
「仰せのままに」
もしも僕が女神様だったら、偉業を成し遂げたからって惚れない。自分のために偉業を成し遂げてくれたからこそ、素敵なのだ。そういう奴こそ救世主であって然るべきなのだ。
「ご主人様、手を出してくれませんか?」
「ん? 手がどうかしたの?」
「ほーら捕まえた」
「あっ!? あ、あんた、なんのつもり!?」
「似合ってますよ? あはっ! あっはっはっ」
そんなロマンチックな僕が鍵を貰って手錠を外したあとに何をしたかと言うと、ヴァンパイアにその手錠を嵌めて仕返しをした。もちろん怒られた。それでも泣き喚く緊縛ヴァンパイアにごめんなさいを言わせることは、僕にとって世界を救うよりも達成感があった。
【どっとハレルヤ 16話】
FIN
「ううっ……奥様……ぐすっ……」
「おやおや……どうしたんだい?」
あたしはこれまで、悪魔に願ったことが2回ある。1度目は中学の頃、周囲に馴染めずに浮いていたあたしは理解者を求めていた。するとあの新月の晩に"あいつ"が現れて、あたしの額に消えない傷を残した。そして2度目は今回。街へと向かう橋の上であたしが泣いていると、やたら車高の低いスポーツカーが路肩に停まり、窓を開けて、"そいつ"が声をかけてきた。見計らったようなタイミングだ。
「寒いから、乗りな」
なんでお前がとか、誰が乗るかなんて台詞が頭の中に浮かぶも、言葉にならない。まるで悪魔の誘いに乗るように、あたしはやたら車高の低いスポーツカーの助手席に収まった。
「良い車でしょ。RX-7っていうんだけど知ってる? 知るわけないか。あっはっはっはっ」
こちらの気持ちなど関係なしに、自分の車の自慢をしてきたのでイラっとした。すると、止めどない涙が引っ込んで頭が冷えてくる。
「無理しなくていいんだよ。君はまだガキなんだから、泣きたい時に泣いておかないと人生損するよ。大人になったら、自然と泣けなくなるんだから。今のうちに泣いておきな」
「ふん……余計なお世話だっての」
こいつもそうだったのだろうか。あたしが出会った時にこいつは高校生くらいで、今のあたしよりも大人びていた。あの時にはもう、涙の流し方なんて忘れていたのだろう。というか、こいつが泣くところを想像出来ない。
「君の泣いてる顔を見ると僕は胸が温かくなるんだよ。どうしてだろうね。君が美人だからだろうか。いいや。きっと、ざまあみろって気持ちになるからだ。君みたいに恵まれた存在にも平等に降りかかる不幸が、僕はたまらなく嬉しいんだ。だからもっと泣き喚け」
そんな理不尽な物言いにすら、今のあたしは何も言い返せなかった。こいつはきっと、あたしの涙に含まれる後悔や懺悔を察して、責めてくれているんだ。そんなことは、あたしの周りの良い人間には出来ない。だからあたしは、こいつを求めてあの橋で泣いていた。
「君みたいなガキが、なんでもかんでも解決出来るわけないだろう? 僕みたいな大人にだって、どうしようもないことがある。だから君の涙は極めて傲慢で鼻持ちならないのさ」
「……てめーならきっと奥様を救えただろ」
根拠はないけど、この悪魔に不可能はない気がした。到底、倫理的にしてはいけない手法や、道徳的にやってはいけない手段で、奥様の命を救うことが出来た筈だ。それなのに。
「そうかもしれない。だけど僕は救わない。だって、その奥様とやらは僕なんかに助けて欲しいなんて思ってないから。あの奥さんはね、そういう運命を受け入れていた。あの旦那さんに命を拾って貰ったその日から、分不相応な愛情を注がれて、場違いなお屋敷で飼われながら、少しずつ善意に蝕まれて、衰弱していったのさ。それは彼女の意思で、だから君や僕が気に病む必要なんてないんだよ」
慰められているのだろうか? こんなやつに。
「旦那さんはなんか言ってた?」
「旦那様は……仕方がなかった、と」
「だろうね。どんなに無意味でも、それがあの人の使命だからね。あの人は必死に石を積んで、そして崩れた。ただそれだけの話さ」
「お前にっ! いったい何がわかるんだ!!」
気づくと怒鳴っていた。ただの八つ当たりという自覚はある。でもきっと、こいつならあたしの行き場のない怒りや虚しさを受け止めてくれると思った。いや、そう信じていた。
その為にこいつとの再会を願ったのだから。
「君とあの奥さんとの関係は知らないけど、あの由緒正しいお屋敷の中で、あの奥さんが馴染めなかっただろうってことはわかるよ。きっと君は、そんな奥さんに仲間意識を持ったんじゃないか? 学校では作れなかった友達みたいに接していた奥さんが亡くなって、君はまたあのお屋敷で独りぼっちになってしまった。だからその涙は途方に暮れてるんだ」
こいつの言う通りだった。屋敷を出て、様々な企業の研究室でスマホや自動車のような革新的な発明を生み出し、この国を急速に発展させた旦那様が、ある日、ふらりと屋敷に戻ってきて連れてきた妻子。当然、その存在は公に認められるものではなかった。半ば軟禁される形でのお屋敷暮らし。そんな奥様の境遇は、あたしと似ていた。たまたま家令の娘として生まれてずっと息が詰まるような暮らしを強いられてきたあたしはようやく、同じ立場の存在と出会えた。仲間意識を持った。
そんなかけがえのない奥様が亡くなってしまったからあたしは喪失感を抱いているのだ。
「でもさ、よーく考えてみなよ? まだ居るじゃないか。君と同じく、喪失感に打ちひしがれている子供がさ。その子のほうがよっぽど気の毒だと、僕は思うよ。そうじゃない?」
言われて胸が押しつぶされそうになる。奥様が遺したお嬢様。葬儀のあと、口をきかなくなって、笑うこともなくなった。可哀想だ。
「君は今、自分のことで精一杯なんだろう。でもいずれ、その子を放って置けなくなる。旦那さんと一緒に、奥さんの面影が残るその子を育てることこそが、建設的じゃない?」
たしかにお嬢様は奥様に似ていた。というかあの子は奥様の真似をするのが好きだった。
子供が誰かを真似て成長するのは自然なことだ。なら、これからはあたしが、あの子の手本として導いてあげよう。尊敬なんかされなくたっていい。もっと気楽に、友達感覚で。
そう。今まさにこいつに唆されてるように。
そうやってあの屋敷の中で仲間を作るんだ。
あの子が成長して、恋をして、恋バナをするようになったら、あたしは缶ビールを片手に聞いてあげよう。親身にではなく、気楽に。
そんな未来を想像するだけで楽しくなった。
「ほーら、もう寂しくないだろう?」
「うん……もう寂しくない」
「君のそういうワクワクした顔や、キラキラ輝く瞳を見てると、昔、君に殴られた頬がうずくんだ。ヒリヒリして、ズキズキ痛むよ」
「あたしも……暗くて、昏くて、どうしようもなく冥い気分になると、額の傷がうずく」
「あはっはっはっはっはぁー。かわいいね」
ゴシゴシと額を擦ると奴は笑った。恥ずい。
「そろそろ目的地だよ」
「どこに向かってんだ?」
「とっても良いところさ」
まさかホテルじゃないだろーな。でもあたしはまだ高校生だし。葬儀の後で制服だし。そもそも喪中だし。今日の下着は自信ないし。
「はい、美容室に到着」
「はあ? なんで美容室なんだよ」
「バッサリ髪を切ると、吹っ切れるからね」
知ったようなことを。でもまあ、悪くないかも知れない。そう言えば、髪を切りたい気分だった。シートベルトを外して、乗るのも降りるの大変な車から出る間際に、囁かれた。
「そう言えば、随分胸が大きくなったね?」
「う、うっせ!!」
バタンッ!と思いっきりドアを閉めて、美容室で髪を切った。鏡で向き合う自分の顔が赤くて恥ずかしい。だけどそのおかげか、大人っぽくなれた気がする。胸だってそれなりにあるし、あたしは大人だ。その後、戻ると。
「あのヤロー……待ってろっての……もぉ」
やたら低い車は消えていて、肩を落とすあたしを嘲笑う、あの男の耳障りな哄笑の残響だけがその場に残っていて、額の傷が疼いた。
【どっとハレルヤ 17話】
FIN
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「遅い!」
「……うっす」
掛け持ちしてる高級クラブへ出勤する際に、眷属が遅刻した。ご主人様の送迎は眷属の仕事なのに、たるんでる。マンションの前に停まったやたら低くて乗り心地の悪いスポーツカーのドアを開けて、喝を入れてやった瞬間に、車内に充満したメスガキ臭に悶絶した。
「クッサ!? メスガキクサッ!!」
「あー……やっぱわかりますか?」
「何考えてんのよ!? 消臭しろこのアホ!」
メスガキ臭が目に染みて涙目のあたしを見てヘラヘラしてる眷属にブチギレた。鞄から香水を取り出して助手席にふりかける。タクシーで出勤しようかと思ったけどこのアホ眷属に臭いの元を問いたださなければならない。
「あんたまさか女子高生でもナンパしてきたんじゃないでしょーね!? 説明しなさい!」
「まあ、女子高生は女子高生ですけど……」
「やっぱりそうか!? お前はいつかやると思ってた!! 山に埋めてないでしょーね!?」
「落ち着いてくださいよ……女子高生は女子高生でも、相手はあの正義の使徒ですから」
正義の使徒。そんな、まさか。ありえない。
「正義の使徒が、こんな発情したメスネコみたいな臭いするわけないでしょーがぁ!!」
「そんなの知らないっすよ……はい、ちゃんとシートベルトつけてね。出発しますから」
喚くあたしをよそに眷属は身を乗り出してシートベルトをかけて、悪びれもせずに発進した。特に隠し事をしてる様子はなく、いつも通りの平常運転だ。ジト目で睨みつつ訊く。
「正義の使徒が座っていたわりには、お尻がピリピリしないけど……どういうことよ?」
「あー今日は"曇って"ましたからね」
「なによそれ。詳しく説明しなさい」
「いやー、じつはかくかくしかじかで……」
その説明を受けてようやく納得した。けど。
「だからって発情してんのおかしくない?」
「たぶん、正義の使徒もお年頃なんですよ」
「あたしは絶対、あんたの悪影響だと思う」
「まあ、よくわかんないですけど、もしもあの正義の使徒が僕と同級生だったらワンチャンあったかも知れませんね。あっはっはっ」
冗談のつもりかも知れないけど、あたしは思わず想像してしまう。もしかしたら、この暗い、昏い、冥い、夜の世界よりも、この眷属なら明るい世界を満喫出来たかも知れない。
「……後悔してるの?」
「はい?」
「あたしの眷属になったこと……」
「え。いやいや、なんですか急に」
キッと路肩に停まって、こちらを見つめる。
「いつ誰がそんなことを言ったんですか?」
「だって、正義の使徒と良い感じだし……」
「あのね、僕のご主人様……僕の目を見て」
イジイジするあたしの手を取ってこう語る。
「僕は眷属になったことを後悔してません。これからもあなたのためだけに尽くします」
「そ、そう……それなら、まあ……いいけど」
だめだ。嬉しさが抑えきれない。好き好き。
「……ご主人様。僕は今回の件で気づいたというか、そろそろ認めざるを得ないと思うんですけど……答えて貰ってもいいですか?」
「えっ!? そ、そんな急に!? ちょ、ちょっと待って……あたしにも、心の準備が……!」
カッチカッチと鳴るハザードランプの音と共に鼓動が跳ねる。とうとう気づかれてしまったか。認めざるを得ないか。あたしの想い。
「どうもこの流れ……運命の女神様の一人勝ちなんじゃないですか? どう思いますか?」
「そっちかー……」
「え? ご主人様もそう思いませんか?」
ダメだこの眷属。いや、期待したあたしがバカだった。切り替えよう。運命の女神の一人勝ちか。なるほど。たしかに言い得て妙だ。
「あんたの言う通り、主観的に見たらそうなるでしょうね。まるで全てが運命に従っているように見える。運命の使徒の奥さんが亡くなったことも含めて、全てが運命の女神の手のひらの上の出来事。その認識に間違いはないわ。運命は主観で見ると絶対的に感じる。でも、実際のところ運命というのは選択の連続だから、こうならなかった可能性もある」
「ええ。奥さんがこっち側に来て、悪党になれば長生き出来たって理屈はなんとなくわかります。旦那が聖人、使用人が正義の使徒じゃあ、僕だって息が詰まって早死にするでしょうから。たとえヴァンパイアの眷属じゃなくたって、潜在的な悪と嫌でも向き合わされる毎日なんて地獄です。もともと身体が弱くて長生き出来なかったのは間違いないでしょうけど、僕らと一緒に居れば、もう少し伸び伸びと、延命出来た筈です。ですけど……」
「それを本人が望まないなら意味がない。どれだけ悪魔が囁こうとも、手を差し伸べようとも彼女の運命は彼女にしか決められない。主観的に見れば、やはりどうしようもない」
どうやら正義の使徒は悔いていたらしいが、眷属はそのあたりを割り切っている。その見解には異論はないけど捉え方は間違ってる。
「運命の女神はね、もっと強かなやつよ」
「なんすかそれ。どういう意味ですか?」
「奥さんを救うために、運命の使徒は善処した筈。それこそ、画期的な医療技術を開発したでしょうね。そうじゃなくたって、運命の使徒の閃きは脅威だし。どうしたって思いつけないようなアイディアをある日突然、思いついてしまう。この感覚を想像するのは難しいかもね。決して良いことばかりじゃない」
世のため人のため、そして愛する奥さんのために様々な技術や発明を生み出したのに、何故全て無意味な石積みになるのか。それは。
「便利なスマホを使って愛する人と連絡を取り合う一方で、誹謗中傷が飛び交う。便利な車で愛する人に会いに行く一方で、交通事故が発生する。だから運命の使徒が生み出す全ては、結局、無意味な石積みでしかないの」
それで救われた人よりも、犠牲になったり傷つく人のほうが遥かに多い。運命の使徒は、そうした虚しさを背負って生きていくのだ。
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「その辺はわかってます。だから僕は死んでもあんな生き方はごめんだって思ってます。僕が言いたいのはそんなことじゃなくて、そうしたデメリット以上に致命的な問題です」
「もちろんわかってる。あんたが言いたいのはこういうことでしょ? このままだと救世主は誕生しない。その理由は何故かわかる?」
「この国が発展しすぎて、敵がいないから」
「その通りよ。さすがは、あたしの眷属ね」
せっかく褒めたのに、眷属は浮かない表情。
「ねえ、僕のご主人様」
「なによ、そんな顔をして」
「ご主人様は救世主に憧れてるんでしょ?」
たしかに以前そんな話をしたことがあった。
「大きな戦争が発生しない、暗い、昏い、冥い、この平和な世界で、もしも救世主がいるんだとしたらそれは運命の使徒に他ならないと僕は思う。コツコツと石を積んできたあいつに、僕のヴァンパイアが憧れ、惚れてしまうんだとしたら、とてもとても悲しい……」
しょぼくれて俯いた眷属の額を中指で弾く。
「そんなことあるわけないでしょ。たとえこの世界の救世主が運命の使徒だとしても、あたしの眷属にしたいとは思わない。それはもちろん正義の使徒にも言える。あんたが救世主じゃなくたって関係ない。何度も言わせないで。あたしがあんたを眷属に選んだんだから、もっと自信を持ちなさい。わかった?」
「……うっす!」
眷属の暗い、昏い、冥い、澱んだ瞳に映るあたしは、どういうわけか必死に彼を励まそうとしていて、思わず笑ってしまう。救世主なんかよりも、目の前の眷属のほうがよっぽど魅力的で、手放したくない。天界で現状に満足しているであろう運命の女神にはわからないだろう。下界で人間に恋する気分なんて。
「ああそう言えば、これ、本人にも思わず言っちゃったんですけど……正義の使徒の胸がデカいのはどうしてなんですかね? もしかして、正義の女神様も胸がデカいんですか?」
「どうでもいいでしょそんなこと!? さっさと車出してよ!! 遅刻するでしょーが!!」
「うっすうっす」
脳みその栄養が全部胸にいったようなあんな単細胞バカ乳女神のことなんか知らん。知ってても教えるつもりはなんてない。眷属は眷属らしく、そのあたりに興味持つなよアホ。
【どっとハレルヤ 18話】
FIN
「たらいま~」
「うっす」
夜遅く、日を跨いでから2人が帰ってきた。
酔っ払ってへべれけのご主人様を半ば担ぐようにして帰宅した眷属。彼のご主人様はお酒が大好きだけど、決して、酔うことはない。
酔っ払ったふりをして、甘えているだけだ。
「靴、脱がせて~」
「うっす……さて、今日はどんな具合かな」
「ふふん。今日の足の匂いはどう?」
「正直、メスガキより強烈っすね」
「あはっはぁ! 負けてらんないもんね~!」
「あっはぁーはははっはっはぁーははっ!」
あたしは何を見せつけられているのだろう。
この倒錯した主従関係にご満悦なご主人様は完全にこの眷属に感覚を狂わされていた。足の匂いを嗅がせることへの恥じらいはもうないようだ。まったく。はしたないなぁもう。
「いつまで嗅いでんのよ、この変態眷属!」
「あ、スマ子。起きてたのか……ただいま」
「お帰りなさい。今日は随分遅かったわね」
「うっす」
「疲れてるみたいだけど……何かあった?」
「大丈夫。ご主人様を寝かしつけてくるよ」
「あたしは夜の王だぞ~寝かせないぞ~!」
「はいはい。そろそろ吸血の時間ですねー」
珍しく疲れた顔をしている眷属くんの様子を伺うも、気丈に振舞ってご主人様を抱えて寝室へと向かった。たっぷり30分ほどしてからリビングに戻ってきて、正義の使徒と遭遇したことや運命の女神について話してくれた。
「というわけで運命の女神の一人勝ちだよ」
「そうとも言い切れないんじゃないの? なにせ、あの人があれだけご満悦なわけだから、きっとこちらにも利があった筈よ。あんたの影響で正義の使徒はだいぶ様変わりしてるみたいだし、それに"あの子"の件も間違いなく運命の女神の思惑通りではないでしょうし」
「あー……"あの子"は今日、どうしてた?」
「今はもう眠ってる。子供のお世話なんて、最初はどうなることかと思ったけど、もう慣れたもんよ。あんたと遊びたがってるわよ」
「うーむ……それにしても今更、あんなに歳の離れた弟が出来るなんて思わなかったよ」
この数年で、別れと新たな出会いがあった。
もう何度聞いたかわからないその嘆きの原因は白いのにある。同居人であった彼女は眷属くんの父親と関係を持ち、妊娠した。そして子供を産んですぐに消滅した。眷属くんのご両親を道連れに。もうあの白いのはいない。
その代わりに小さな同居人が誕生したのだ。
「スマ子が面倒を見てくれて、助かってる」
「ふん。別にいいわよ。嫌じゃないし……」
あたしとあの白いのは、あの人の血肉から生み出された存在だ。創造の際に、あたしは運命の女神を模して、そしてあの白いのは慈愛の女神を模して生み出された。スマホを通じて他者の運命を弄ぶあたしと、パパ活を通じて万人に愛される博愛主義の白いの。その性質は、本物の女神よりも醜悪で歪んでいる。
白いのは魅了されない眷属くんの代わりに父親に手を出し、その子供を産むことで役目を全うしたらしい。満ち足りて、成し遂げた。そうして、すっかりその存在感を失って、抜け殻になったあと、堪忍袋の緒が切れた慈愛の女神の天罰によって、消滅したのである。
逆鱗に触れるほどに、この暗い、昏い、冥い世界においても許されざる冒涜だったのだ。
「それにしてもまだ愛情が残っていたとは、最後までよくわからない両親だったよ……」
「夫婦って、そんなものなんじゃないの?」
「そう言われると納得するしかないけどさ」
眷属くんのご両親は、すっかり冷めていたように見えてそうでもなかった。今回は父親が浮気相手を孕ませたことによって、母親が激怒して、破滅した。しかし恐らく、もしも立場が逆であったとしても、父親が激怒して破滅したと思う。最後の一線だったのだろう。
お互いの命を奪い合って一緒に死ぬくらい、そこだけは超えていけない一線だったのだ。
「頼みもしないのに遺産だけはあんなに遺すんだもんな。生まれてこのかた、あの親たちからはお詫びの金しか受け取っていないよ」
眷属くんは心中した両親の葬儀の際にも淡々としていた。莫大な遺産を喜ぶわけでもなく相続したあとも変わらず生活している。だけどあたしは知っている。眷属くんなりに思うところはあったのだろう。でなければ、物欲のない彼が、あんなやたらと低い、真っ白なスポーツカーなんてわざわざ買うわけない。
良い機会だからそれについて訊いてみよう。
「あの車には、どんな思い入れがあるの?」
「昔、父親が乗ってたんだよ。まあ、浮気相手を乗せるために買ったんだろうけどさ。それでも、今になっても、良い車だと思うよ」
眷属くんはまるで冗談みたいにそう語っているけど、あたしは悲しくなった。車の色が白い理由に関しては聞かなくともわかる。哀しかったのであたしは眷属くんを抱きしめた。
「あ。いま抱かれて気づいたんだけど……」
「ん? なによ突然、どうしたの?」
「正義の使徒、お前よりも胸がデカかった」
「はあっ!? それ、いま言うこと!?」
この男。ひとの胸の中で他の女の胸と比べやがった。やはり血は争えない。浮気性の両親の性癖を受け継いでいる。こんなやつに子育てなんて無理だ。そうでなくとも"あの子"は白いのと同じく可愛らしい。もう男の子か女の子かわかんないくらい可憐で、かわいい。
「あんたもあの子の父親役としての自覚を持ちなさい! 懐かれてんだから! あの子に悪影響を与えたらあたしが許さないからね!?」
「……うっす」
まずはご主人様の足の匂いを嗅ぐのをやめさせないと。あの子が真似したら困る。まあ、あたしの足なら……って、いけないいけない。
天罰が下らないように、子育てに勤しもう。
【どっとハレルヤ 19話】
FIN
「さあ、立って。早く逃げるんだ」
僕の家庭環境は変わっている。パパは実は僕のお兄ちゃんで、ママは実は僕の叔母さんみたいなもので、そしてパパには何故かご主人様がいて、僕は男子なのに女装をして小学校に通っている。そのせいなのかは定かではないけれど、何事にも動じない精神力が身についたらしく、どうにも小学校低学年のノリにはついていけなかった。騒がしい同級生を冷めた目で観察していると、自分の背後がやたら静かなことに気づいて振り返る。するとそこには澄んだ瞳でこちらを見つめる美人さんが座っていて、挨拶がてら声をかけてみるも無反応だった。ただ興味深そうにこちらを見つめるだけで、何も言わない。その青い瞳を見るからに外国人のようなので、もしかしたら言葉が通じないのかも知れないと思い、無視されたわけではないと自己完結した。簡単すぎて退屈な授業を聞き流しているうちに放課後となり、校門付近でパパの迎えを待っていると、後ろの席のあの子が僕の前を通り過ぎて、こちらに向けて微笑みながらひらひらと片手を振っていた。僕も手を振って応じると次の瞬間、路肩に停車した真っ黒なバンの扉が開いてその子が攫われかけた。いきなり腕を引かれて転んでしまった彼女をなんとか車に乗せようとする誘拐犯を観察していると目が合い、用意していた札束を出してみせるとターゲットは無事、僕へと移った。膝が擦りむけて赤くなっている後ろの席の女の子に逃げるように告げてから、僕は真っ黒いバンに自分から乗り込んだ。以上、回想終わり。
「チッ。全然、進まねえ……何してやがる」
僕が普段から持ち歩いている大金を受け取っても誘拐を続行したということは人身売買が目的なのだろう。中央大陸では未だに奴隷制度が残っている国が存在している。車もしばらくは国境に向かって走っていたのだけど、スクランブル交差点付近で渋滞にはまってしまった。一向に進まない苛つきから、誘拐犯が懐からタバコを取り出して火をつけた。そうしていると、少しずつ進み始めた。どうやら前に並ぶ車がUターンして引き返しているらしい。かなり前に進んで原因が判明した。
「ああん? エンストか? なんつーところで停まってやがる。ふざけんな! 早くどけろ!」
男が悪態を吐きながらクラクションを鳴らすも車道を塞ぐ車は動かない。ドアが開き、見覚えのあるその白いスポーツカーから降りてきた優男は、紛れもなく僕のパパであり、誘拐犯が丁度タバコを吸い終わるタイミングだったので全てを察した僕は後部座席でシートベルトを閉めて、衝撃に備えることにした。
「なんだ、あの野郎……ぶっ飛ばしてやる」
ニヤニヤしながらこちらにやってくるパパに業を煮やした誘拐犯が車から降りて、吸い終わったタバコを足元へと捨てる。その吸い殻は転がって、あらかじめパパがズラしていたマンホールの中へとホールインワン。充満していた可燃性ガスに引火して、周辺一帯の地面が捲り上がった。見事、僕が乗っている黒いバンは誘拐犯を下敷きにして、横転した。
「はっ! はっはぁー! あはっはははぁっ!」
横倒しになった車内に響き渡る悲鳴と絶叫とそしてパパの笑い声。倒れたバン飛び乗って何度かジャンプしているようだ。ひとしきり蹂躙して満足したのか、ひょこっと窓からこちらの様子を伺いつつ手を差し伸べてくる。
「さあ、そろそろ帰ろうか」
「うん。待ちくたびれたよ」
割れたガラスで怪我をしないように気をつけながら脱出して、エンストなんかしてなかったパパの車に乗って僕は帰路についた。車内でパパは学校でのことについて訊いてきた。
「学校、どうだった?」
「退屈だったけど、帰り道は楽しかったよ」
「いやー誘拐されたってママに知らされてからあのスクランブル交差点でエンストしたふりをして待ってたんだけどさ、どいつもこいつも助けようともしないんだよね。仕舞いには怒りだす始末だし。Uターンした奴らは許してやるけど、スマホいじったり鬼クラクションを鳴らしてきやがった連中は良い気味だね。そもそもマンホールに可燃性ガスを検知する仕組みが備わっていないことが大問題なわけで、改善する機会を作ってやったことを感謝して欲しいくらいだよ。まったくもう」
文句を言ってるように見えて、パパはまったく怒っていない。僕はパパが怒っているところを見たことない。ママやご主人様はしょっちゅう怒っているけど、パパはあらゆる出来事を受け入れた上で笑い飛ばす。そうして、この暗い、昏い、冥い世界を謳歌している。
「ねえ、パパ」
「ん? どした? てかパパじゃないし。パパって呼ばれるとパパ活みたいで嫌なんだけど」
「助けに来てくれてありがとう。すっごくかっこよかったよ。僕、お兄ちゃんが大好き」
「うっす!」
僕のパパは変わっていて、実はお兄ちゃんで悪党だけど、そこらのチンピラや誘拐犯なんかよりはずっとずっと魅力的で素敵な人だ。
【どっとハレルヤ 19話】
FIN
「もうどうしたらいいかわからなくて……」
「お気持ちお察し致します。どうぞご安心してお任せください。全て上手くいきますよ」
闇の眷属の朝は早い。とはいえ、眷属になってからほとんど寝ていないのだけど。おもむろに台所に立ったご主人様であるヴァンパイアが昨晩作り置きしてくれたエビチリとトマトのサラダを小さなお弁当に詰める。余ったぶんは朝食にするために皿に盛り付けた。準備が出来たらノックもせずに同居人であるスマ子の部屋に入って、布団を剥ぎ取る。すると小さな児童を抱き枕にして半裸で寝ているスマ子が飛び起きた。自分の寝相の悪さを棚に上げてギャーギャー喚くスマ子を無視しつつ、抱き枕にされた児童に朝ごはんを食べさせて、食べている間に白と黒のツートンの髪の毛をとかし、おさげにしてあげる。ヘアメイクを終えて「今日もかわいい」と眷属が言うと、モノクロな児童は嬉しそうと微笑みを返した。その後、顔を洗わせ歯を磨かせたらスマ子がお洒落な子供服を着せて、小学校へと車で送り届ける。眷属はそのまま今日の仕事場である閑静な住宅街に佇むとある一軒家へと赴き、疲れた顔をしたその家の夫人から話を聞いて、仕事に取り掛かる。保健所から業務委託の要請を受けた眷属は『正義マン』の駆除に勤しみ今日も社会貢献をしていた。
「危険ですから、商店街の入り口にある喫茶店でお待ちください。すぐ終わりますから」
「はい……どうか、よろしくお願いします」
『正義マン』は基本的に引きこもりが多い。
自立せずに大人になった大きな子供ばかり。
自分で勝手に作り上げた価値観を他人に押し付ける精神疾患を抱えているため、社会に適合出来ないのだ。この暗い、昏い、冥い世界の汚さやルールを理解出来ない彼らは、ヒキニートになって自分の親にまで迷惑をかけて生きている。試算によると、『正義マン』1匹あたりの経済的損失額は最低1億円。大学まで通わせた『正義マン』の損失額はさらに大きなものになる。つまり、『正義マン』を100匹駆除するだけで100億以上の経済効果が得られるのである。それが判明してから、各地方自治体はこぞって駆除に乗り出した。
「さて、まずはブレーカーを落としてっと」
眷属は素人ではない。玄人であり、正義マンを駆除する名人である。プロフェッショナルの彼はまず、家のブレーカーを落とした。すると2階から豚のような鳴き声と、床をドンドン叩く音がし始める。それらに一切反応せずに放置していると、肥えた大きな子供が転がるように階段を降りてきて、ブレーカーを探し始める。もちろんヒキニートは自分の家のブレーカーの位置なんて知らないので、時間がかかる。その間に正義マンの部屋を家宅捜索して、スマホやタブレットを押収し、重量のあるデスクトップPCなどにはあらかじめコップに汲んでおいたお水をたっぷりとかけておく。そのまま待機して、正義マンがブレーカーを発見したら窓から脱出して、発見出来ずに諦めるようなクズの場合は、仕方なくブレーカーを上げてやる。電気が戻ってすぐに正義マンはスマホがないことに気づき、パソコンの電源を入れる。水浸しのPCは火花を散らしてショートして、豚の断末魔が閑静な住宅街へと響き渡り、眷属は哄笑した。
「はぁーははっはっ! あっははっははっ!」
こうして、また1匹正義マンを駆除した。仕事の完了を喫茶店に待つ夫人に伝えると、泣いて喜ばれた。夫人の辛さを汲み取り、しばらく落ち着くのを待ってから店を出て、押収したスマホとタブレットを鑑識へと回して余罪がないか調べる。だいたいの正義マンは叩くと埃だらけなので犯罪者として裁かれる。
裁かれて初めて、自分の正義の嘘に気づく。
潔白は幻想。自らの罪深さに懺悔するのだ。
「ただいまー」
「お帰りなさい。今日もお疲れ様」
「うっす」
そうして本日の社会貢献を終えた眷属は帰り道にモノクロの小学生の迎えに行き、棲家である摩天楼の最上階へと帰還する。心地よい疲労と満足感に浸りながら、再び夜通し正義マンを煽り、新たなターゲットを探す日々。
まるで刈っても刈っても増える雑草を毟っているようだが、この世界は基本的に無意味なことで占められているので徒労感は少ない。
「スマ子」
「ん? なに?」
「疲れた夫人ってなんで色っぽいのかな?」
「知るか、そんなこと!」
たまに連絡先を渡してくる欲求不満な夫人もいらっしゃるので、そんな時は飢えた性獣どもを掲示板で募ってカップリングさせる。適材適所で性犯罪も減る。この暗くて、昏い、冥すぎる世界で眷属は社会に貢献している。
【どっとハレルヤ 21話】
FIN
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