【デレマス】ファースト・シンデレラ (187)


地の文一人称形式の物語になります。

ちょっと長いので2~3日かかるかもしれません。


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「……フーッ……」

23時、企画書を書き終えた俺は大きく息を吐いた。

練り上げたとはいい難いかも知れないが、これが一人の女性の人生を左右するものになる。

しかし、友人でもある彼女のたっての願いなのだ。応えないわけにはいかない。

東京の本社に持ち込むにはもう少し推敲が必要だろうし、何より彼女の了解を得る必要がある。

明日、バラエティ番組の企画会議後に別途打ち合わせという形で彼女に会議室の予約をとってもらっている。

企画書のタイトルは凝ったものではない。

『川島瑞樹アイドルプロデュースプロジェクト』

シンプルだが、それ以上のものは思いつかなかった。

とにかく、寸暇を惜しんで書き上げた企画書なのだ。

まずは、必要な睡眠を取り、明日の打ち合わせに備えることとしよう。


大学進学を機に地元を離れてもう10年が過ぎていた。

あの頃の夢を叶えるべく、大手の芸能プロダクションに入社し、そのまま進学先であった大阪の支社に勤めること数年、

下積みからディレクターに昇格し、契約したテレビ局と共同してニュース番組やバラエティ番組の企画・制作に携わってきた。

その中で出会ったのが彼女、川島瑞樹だった。

気品のある整った容貌に知的で落ち着いた美声。

ユーモアのセンスも兼ね備えた頭の回転の速さ。

アナウンサーとしても、番組進行役としても申し分もない。

当然、彼女は人気アナウンサーとして大阪を中心に西日本に広く名前が知れ渡っていた。


「ディレクター君?」

彼女は、なぜか俺を名前で呼ばない。

初めて会ったときは「アシスタントさん」だったのだが、とある番組の打ち上げで親交を深めてからはひとつ年上の俺を君付けで呼ぶようになった。

交友関係の広い彼女には当然異性の友人が何人か居るのだが把握している限り全員を名前で呼んでいる。

とは言え、扱いに差があると感じたことはなかった。彼女の中での何らかの線引きなのかも知れないが深く立ち入るつもりはない。

「あ、すみません川島さん」

「寝不足なの?いやだわぁ。お肌に悪いわよ?」

くすりと微笑んで、軽妙に返してくれる。このやり取りが心地よい。


「それで、例の計画の話だけど……」

川島瑞樹は手元の資料を目に通す。ニュース番組の原稿を読み込むような真剣な眼差し。

「すごいわね。ここまで考えてくれるなんて。持つべきものは飲み友達ね」

「飲み、はつけなくても良いのでは無いかと」

「フフッ。もう、お硬いんだから」

いたずらっぽい笑顔を浮かべ、彼女は企画書を読みすすめた。


2ヶ月前の打ち上げ飲み会で、たまたま同じタイミングで夜風に涼んでいた際、お互いのこれからについて語り合う機会があった。

俺は、やがてプロデューサーとしてアイドルのプロデュースをしていくつもりであること、それが高校の時に出会った、ある地下アイドルから見せてもらった夢だ、と語った。

川島瑞樹もまた、夢を語った。

今の仕事は楽しいけれど、本当はもっと色んな人を笑顔にしたい。

今回のアイドル密着取材で、その思いがもっと強くなった、と。

利害の一致から、彼女との共闘を誓った。この企画書はそのスタート地点だ。

「要るのは覚悟だけ、ね」

番組内で彼女自身が語った言葉を反芻する。

「ディレクター君。この話はどこまで進んでいるのかしら?」

したたかな、大人の女性の顔で彼女は聞いてきた。

やるからには本気、そして失敗は許されない。

彼女の人生に責任を持つのだ。

根回しはしすぎるほどしているつもりだ。


「支店長と本社の同期から本社の部長と先輩プロデューサーとの繋がりを作りました。元々俺はプロデューサー志望だったので、感触は悪くないと思います。部長もこのプロジェクトの開始と同時に本社への異動とプロデューサーへの昇格を人事に掛け合うと約束してくれました」

企画書のコピーと先の番組での発言を修めた動画データ、そして最後は彼女からの一筆。

「川島瑞樹のアナウンサー卒業旅行の行き先は、東京になるのね」

彼女は脇においていたバッグから1枚の封書を取り出す。

『退職願』とだけ書かれた封書。中身は見るべくもない。


「さすがに今日はやめてくださいよ?俺が誑かしたように思われてしまいます」

「まぁっ、誑かしたなんて人聞きの悪いわ」

大げさに驚いてみせた後、彼女は告げた。

「私だって大人のオンナよ。それなりの根回しは済ませているわ。さて、意見のすり合わせをしましょう」

机の上に開いていたノートに、今までの『アナウンサー川島瑞樹』とは異なるサインを綴る。

「もうサインを考えて来られたのですか。気が早いですね」

こうゆう余裕というか、準備の良さは流石だな、と思う。

「この日のために考えてきたの。これからよろしくね。私のプロデューサー君」


(そう言えば、聞きそびれていたことがあったわ)

東京への移動中、まどろみながら昨日の話の続きを思い出していた。

(プロデューサー君が若い頃に会ったアイドルって、どんな子だったの?)

これからの活動のために参考に、と聞いてくる川島瑞樹になんと答えたのか。

(川島さんとはタイプが違いすぎるので参考にはなりませんよ)

(いいじゃない。参考にするかしないかは聞いてから考えるわ)

彼女の表情は参考にするため、というより別の興味に掻き立てられているようにも見える。

(笑顔が、いや、笑顔だけじゃない可愛らしい女の子でしたね。でも、ちょっと一風変わった設定付けをしていました。皆と一緒に笑顔になりたい。皆の笑顔が見たいって言っていたのを覚えています)


(あら、私と同じじゃないの。聞いてよかったわぁ。私と気が合いそうね)

川島瑞樹の表情から、興味の方向性が若干変わったのを見て取れた。

(でも、あの頃16歳のデビューライブに立ち会って、進学のために地元を離れた時があの子の17歳の誕生日の少し前でしたし、彼女がメジャーデビューしたという話は聞きませんので、もう引退して普通の仕事をしているか、結婚しているかもしれませんね)

(誕生日まで覚えているのね……。あら、それなら私より年下じゃない?プロデューサー君、もしその子と再会したら何をやっていたとしてもスカウトしちゃえばいいのよ。私も年が近いアイドル仲間がいると心強いし、それに、その子とはいいお友達になれそう……)

楽しげに語る川島瑞樹の表情には裏腹の、アイドルとして生きていくことを決意した覚悟のようなものを感じた。

(そうですね……会えたら、良いですね……)

その話はそれで終わりだった。


その後は彼女と共に企画書の推敲を行い打ち合わせは終了となった。

事務所に戻り、推敲した企画書、動画ファイルと川島瑞樹の一筆のコピーと共にクラウドストレージ上の共有フォルダにアップロードして、本社の先輩プロデューサーに連絡をした。

善は急げ、と言ったもので「明日、本社に来られないか」との打診を二つ返事で承諾し、諸所の予定の調整を行って朝一の新幹線に飛び乗って現在に至る。

(名前は……あの子の名前は……あ)

―――眠りに、落ちた。


「流石に経験豊富なアナウンサーだけはある。しっかり打ち合わせしてきたんだな」

企画書に随所に盛り込まれた川島瑞樹の意見を評価し、先輩プロデューサーである神山は感想を述べた。

「彼女の夢の大きさに私も感銘を受けました」

そして、告げる。

「彼女は一両日中に退職願を出します。早ければ来月、遅くとも再来月にはアナウンサーを『卒業』します」

「川島瑞樹ほどの女子アナがアナウンサーを辞めるとなると、あっちのマスコミは大騒ぎだろうし、こっちでも大なり小なり話題になるだろうな」

川島瑞樹の名前は東京でもある程度知られている。

どのマスコミよりも先に彼女がアイドルとして再デビューする計画を進め、広報しなければならない。

幸いにも、先日のアイドル密着番組が放送された後、もしかして本気で、という雰囲気が流れている。


「これからの予定は?」

「念の為、明日いっぱいの予定を調整済みです」

「よし、幸い上の方も明日は社内にいる。個室を貸してやるからプレゼンの用意を進めろ」

「ありがとうございます」

幸い、と神山は言うが、だからこその「今日来い」だったのだろう。こういう強引な手法もまた、プロデューサーには必要ということか。

「千川、こいつを個室の作業部屋に案内してくれ」

「かしこまりました」

ハキハキとした声と共に、女性が一人やってきた。

「千川ちひろだ。お前も本社に異動して本格的にアイドルをプロデュースするようになると、彼女の世話になることが多くなる。今のうちに媚を売っておけ」

「なんですか神山さん、人聞きが悪いですよ」

柔らかい微笑みを浮かべながら女性は、千川ちひろは答える。


「では、ご案内しますね」

「よろしくお願いします。千川さん」

立ち上がり一礼する。

ある程度すぐに動けるよう、既にプレゼン資料に手を付けてはいた。

後は昨日推敲した企画書の内容に合わせた修正を行うのみ。

「企画書、私も読ませて頂きましたが素晴らしい出来でしたよ。あれなら上の方々も承認していただけると思います」

「ありがとうございます。千川さんにそう言ってもらえると自信がもてます」

「さっきの神山さんが言われていたこと、真に受けないでくださいね」

千川ちひろは困ったような笑顔を浮かべる。

「こちらです。何かあったら内線をお願いしますね」

出張者用の作業部屋で、万が一のために寝泊まりできるようベッドが備え付けられている。

「ありがとうございました」

千川ちひろを見送った後、部屋に入り、ジャケットを脱いだ。ネクタイを外し、備え付けのパソコンの電源を入れる。

グループウェアを起動し、メールを確認すると、明日のプレゼンの時間が決まった旨の連絡が入っていた。


「仕事が早いな……」

プレゼンは明日の13時から、参加者は常務、部長以下主だったもの全て。

他の参加者は自由に入室して良いというものだ。

『川島瑞樹アイドルプロデュースプロジェクト・プレゼンテーション』と銘打たれている。

「……丸一日……」

そこまででどれだけ資料をブラッシュアップ出来るかにかかっている。

まだまだ肩書はディレクターのままだが、プロデューサーとしての初仕事なのだ。

「……よし!」

気合を込め、資料を開く。

企画書の内容と照らし合わせ、修正を始める。

今日、この瞬間瞬間の全てに川島瑞樹のアイドルとしての未来を背負っているのだ。

それを忘れないよう、昨日ノートに書かれたサインをいつでも目に入る場所に置くのだった。


結果から言えば、拍子抜けするほどプレゼンは上手く言った。

川島瑞樹の名前と、先日の放送から既に話題性があったこと、その背後で俺が既に動いていたことも評価された。

条件はいくつかある。あくまで新人アイドルとして過度の特別扱いはしないということを始め、想定以上のものはない。

ひとつを除けば。

「ユニットデビュー、ですか?」

「そうです。注目度の高い川島瑞樹のアイドルデビューに合わせ、ユニットでの活動を行うことも発表します」

部長の語り口は穏やかなものであったが、反駁を許さない雰囲気もある。

「既にメンバーの選定は終わっている」

部屋には神山ともう一人、俺と同期の林田が居た。

「5人一組でのユニットデビューとなる。まずはこいつだ」


神山が取り出したのは1枚の履歴書と数枚の宣材写真。

どれもこれもまるでグラビアアイドルのような扇情的なポーズで撮られている。

「松本沙理奈。22歳だ。見て分かる通り外見の素材は超一級だ。だが、少々その素質に胡座をかいている部分がある」

「川島さんのもとでもう少し落ち着いて欲しいと?」

「違う。鼻っ柱を叩き折って、その上で成長させる」

なるほど、とうなずく。

完成された大人の女性と若く魅力的ながら自信が強すぎるタイプをぶつけて相乗効果を促そうということか。

「会うのは久しぶりだな。俺からはこの眼鏡二人だ」

林田が渡してきたのは2枚の履歴書。

気だるそうな長髪の女性と笑顔が爽やかな少女。

「こっちの気だるそうな眼鏡が荒木比奈、20歳。同人作家だ。こっちの爽やかな眼鏡は上条春菜、18歳。女子高生だな」


「ちょっと待て。女子高生は分かるが同人作家?」

「磨けば光るものを感じてスカウトしてきた。今の所レッスンは真面目にこなしているぞ」

そういう問題か、と思いつつ履歴書の内容を目に通す。

「この上条って子は、履歴書だけ見ると割と普通だな」

「そう思うだろう?まぁそのうち分かるさ」

苦笑気味の声を漏らしつつ林田は答えた。

(そう言えば、こいつの眼鏡の趣味、こんな上等なものだったか?)

何度か顔を合わせていたが、林田が以前掛けていた眼鏡は可もなく不可もない黒縁の眼鏡だった。

だが今はスーツの配色に合わせたような淡い青色の眼鏡を掛けている。


「最後はこの子だね。担当プロデューサーが外出しているので私から紹介させてもらうよ」

部長の差し出した最後の履歴書には、大人しく利口そうな少女が写っている。

「佐々木千枝、11歳。見ての通り小学生だね。よく気が利く利発な娘だが、少々気弱な部分があるそうだね」

確かに、その通りの写真だ。

「彼女は、自分からユニット入りを希望したそうだ」

「それは……」

「かっこいい大人の女性に憧れているそうでね。君の企画書を読んでいた彼女のプロデューサーに向けて、同じ仕事がしたいと言ってきたそうだよ」


(年が近いアイドル仲間がいると心強いし)

一昨日の川島瑞樹とのやり取りを思い出す。

気がつけば全て彼女より年下のアイドルとのユニットデビューの話が進んでいる。

しかも、一人はまだ小学生だ。

「ひとまず、今日は大阪に帰りなさい。今回の件、川島瑞樹とよく話をしておくんだよ」

部長に告げられ、ミーティングは終了となった。

議事録は明日にでも届くだろう。

ふと、スマートデバイスに目をやるとメールの着信があった。

川島瑞樹からだった。

退職願を出したことの連絡と、明日こちらの事務所を訪問しても良いかの打診だった。

時間は任せるとのことだったので、15時に、こちらも報告したいことがある、と返信をする。

土産として事務所用以外に川島瑞樹への菓子を購入し、新幹線に乗る。

慌ただしい2日間はようやく終わりを告げようとしていた。


翌日、出社して支店長に報告を行った。

「分かってはいたが、思ったより急だったな」

少し名残惜しそうに、支店長は一枚の紙を差し出してきた。

辞令。来月1日付けで本社勤務。職種はプロデューサー。

「本社の方から君の代わりに若いディレクターの異動辞令も出ている。再来週にはこちらで勤務を始めるが、君は例のテレビ局との仕事が主だったのでそれほど引き継ぎに時間はかかるまい」

「ありがとうございます」

深々と頭を下げた。

川島瑞樹とのやり取りから2ヶ月、支店長に計画を打ち明けたのがその数日後だったとは言え、その間多大な支援をしてもらっていたのは知っている。

川島瑞樹が所属するテレビ局の局長とも既に話をしているそうだ。

曰く、川島瑞樹の出演依頼をした場合は優先的に回して欲しいとのことだという。

「だからこそ、川島瑞樹も、そして君にも成功して欲しい」

力強い後押しを受けた。入社して7年、この人の下で働けて本当に良かったと、心から思った。


「我社のアイドルプロデューサーの間では、最初にプロデュースしたアイドルを『ファースト・シンデレラ』と呼ぶのを知っているかね?」

「同期の林田がそんな事を言っていましたね。まぁ彼のファースト・シンデレラはガラスの靴ではなくて、ガラスの眼鏡を掛けていたようですけど」

プロデューサー人生を変えてしまうほどの出会い、そういう意味でそのような大仰な言葉を使っているのだろう。

林田も、上条春菜との出会いをそう語っていたのを思い出す。

「川島瑞樹が、君の『ファースト・シンデレラ』だったのだな。出会って何年も経つというのに」

支店長はそう笑い、釣られて俺も笑っていた。


ただ、人生を変えるほどの出会いという意味では、申し訳ないが彼女は『ファースト・シンデレラ』ではない。

俺の『ファースト・シンデレラ』は、もうどこにいるのかもわからない、探し出すためのガラスの靴も持っていない。

なのに、今も変わらず記憶の奥底で笑って歌っている、あの子なのだから。


午後になり、川島瑞樹が事務所に来訪してきた。

「はぁい。プロデューサー君、お待たせ」

数日前会ったときより、ずっとスッキリした顔をしているように見える。

「この前言いそびれましたが、俺はまだディレクターですよ。職種変更は来月からです」

「もう、お硬いこと言っちゃって。貴方は私のプロデューサーなの。もう決まったことよ?」

「……敵いませんね。川島さんには」


「それで、どうだったの?」

お土産の菓子を渡し、椅子に座った後、彼女は尋ねてくる。

昨日の社内プレゼンの結果、本格的にプロジェクトがスタートすること、来月から東京の本社に異動すること。

川島瑞樹のアナウンサー卒業の報告に合わせて、当プロダクションへの移籍を発表すること。ソロデビューへの向けた日程、そして。

「ユニット?」

「そうです。ソロデビューライブに合わせて、ユニット活動の発表を行います。可能なら、ユニットソングを披露することになるかもしれませんね」

「あらやだ。そこまで想像していなかったわ」

驚いたような声を上げはしたが、表情は楽しげだった。


「ユニットメンバー候補はこちらの4人です」

「いやだわ。私よりみんなずっと若いじゃない」

言葉とは裏腹にやはり楽しそうだ。

具体的な話がいくつも出てきてアイドルになる実感に溢れているのだろう。

「この千枝ちゃんって子はまだ小学生?」

「そうです。他のメンバーはわかりませんが、佐々木さんははっきりと川島さんと仕事がしたいと名乗り出たそうです」

「健気だわ……お姉さんが守ってあげなくちゃ」

「アイドルとしては川島さんが後輩ですよ?」

そんな会話を楽しみつつ、少し時間が経った頃、話題を変える。


「局の方ではどんな反応でした?」

「なんだか拍子抜けするくらい、あっさりだったわ。プロデューサー君のプロダクションから声がかかっているのも、知ってた、みたいな雰囲気よ」

思っていた以上に周囲の察しは良かったようだ。彼女が時間を掛けて根回ししていたこともあったのだろうが。

「後は発表のタイミングだけど、そこは局長に一任することになったわ。早ければ来月頭には、ということで決まり次第、支店長さんに連絡が入るはずよ」

「何から何までありがとうございます。流石、デキるオンナは違いますね」

「もう、からかっちゃって」

照れたように笑う彼女を見て、思う。

例え人生の『ファースト・シンデレラ』でなかったとしても、プロデューサーとしての『ファースト・シンデレラ』は間違いなく川島瑞樹なのだ。

彼女に人生を変える決断を促したのは間違いなく俺で、その責任から逃れようとしてはならない。


「川島さん、改めてこれからもよろしくお願いします」

「なぁに?プロポーズ?」

「何でそうなるんですか?」

「そんな冷静なツッコミ、ミズキ、ちょっぴり悲しい……」

これからはこんなやり取りが多くなっていくのだろうと思うと、少し面映ゆくなってしまう。

それでも、こんな彼女だからこそなお、アイドルに相応しいのではないかと感じた。


川島瑞樹が事務所を退出後、ここ数日間で溜まっていた仕事を取り掛かる。

そうこうしている内に思いつく新しいアイデア、プロモーションをノートに書き込みながら、気がつけば夜はすっかり更けていた。

これから忙しくなるだろうが、それはきっと心地よい忙しさだろう。

新しい日々が始まる、その実感だけは確かにこの胸にあるのだから。


― 第一章「川島瑞樹」 了 ―


今日はここまで。続きは26日の夜に。

最近じゃまったく売ってないブルナポクッキーの宣伝ですね。わかります(意訳。続きが楽しみです。頑張ってください)

再開します。


『川島瑞樹 28歳の再挑戦!』

『女子アナからアイドルへの華麗なる転身!』

『28歳の覚悟!アイドル、川島瑞樹の魅力に迫る!』

ここ数日、スポーツ紙や芸能雑誌では川島瑞樹のアイドル転身を報じた様々な文面が踊っていた。

発表のタイミングを調整し、このように一斉に報道させることで単報では得られることのない相乗効果があった。

「もう、28歳28歳って、女の子の歳をそう強調するものじゃないでしょ?」

当の本人はやはり、というか当然のように落ち着いているが、報道内容に年齢を強調した物が多いことに不満であるようだ。


「別に隠していたわけじゃないんですし、それも広告ですよ。既に何件か美容品関係のオファーが来ていますから」

「プロデューサー君、そういうことじゃないの。女の子はいつだって若く見られたいものなのよ」

「それじゃぁ、このアンチエイジング関係の仕事は断りますか?」

「それとこれとは話は別」

不満げな少女のように振る舞っていたかと思えば、大人の女性としての表情に切り替える。川島瑞樹はまだまだ底を見せていない。


「ところで、昨日の初顔合わせはどうでした?」

「良かったわよ。若い子たちに囲まれてパワーをいっぱい貰えたわ」

昨日はユニットメンバー達との初顔合わせが行われた。

心配だったのは松本沙理奈がやや元気がないように見えたところだ。

自分のスタイルに最大限の自信を持っていると聞いていただけに不安だったが、神山に確認したところ「折ってもらおうと思っていた鼻っ柱が別のところで折られていた」かららしい。

あれ程の美女の自信を挫いたのは誰だか気にはなるが、「そのうち会うだろう」と言われただけだった。

つまり、このプロダクションのアイドルの誰かなのだろうが、ここは所属アイドルが多すぎる。

全員の顔と名前が一致するまで時間がかかりそうだ。

聞いた話だと同じ仕事に入って初めて同じプロダクションのアイドルだと知った例もあるという。


「春菜ちゃんの『眼鏡どうぞ』から始まって、沙理奈ちゃんのお悩み相談でしょ?比奈ちゃんはお話の引き出しがとても多くて助かったわ。千枝ちゃんが『千枝もみなさんみたいなオトナになりたいです』って言うものだから、もぅいじらしくって、いじらしくって……千枝ちゃんは私たちで守り育てていきましょうってなったの」

指折しながら嬉しそうに話す川島瑞樹の表情で、この5人を組ませてよかったと心から思う。

「川島さん、ユニット名は決まりましたか?」

「もちろん。プロデューサー君達が挙げてくれた候補、どれも素敵な名前だったわ」

コーヒーを一口し、川島瑞樹は決意を込めて答えた。

「その上で、みんなで考えてみたの。私たちに相応しいユニット名……」


何枚かの紙をテーブルに広げる。昨日、彼女に渡していたユニット名候補と、可愛らしい少女のイラストが数枚。

「比奈ちゃんすごいのよ。候補名でイメージできたイラストを次々書いていって」

『こんなに筆が乗るなんて、なかなかないっス』と語っていたらしいが、さすが同人作家といったところか。

「春菜ちゃんも事前に聞いていたらイメージに合う眼鏡を持ってきたのにって……フフッ……ごめんなさい、脱線しちゃったわね」

本当に、楽しそうだ。やはり川島瑞樹はアイドルになってよかったのだ。

「……私たちが決めたユニット名は『ブルーナポレオン』よ」


川島瑞樹から渡されたユニット名の書かれた紙には、松本沙理奈の提案を荒木比奈がイラスト化した5人の共通衣装案が書き添えられていた。

神山を始め、他のアイドルのプロデューサーは「ユニットのリーダーは川島瑞樹、彼女の決定に従う」と言っており、何よりもアイドルの自主性を重んじるのがプロダクションの方針である。

二つ返事で部長の了承は得られ、正式に『ブルーナポレオン』によるユニットデビューが決定した。

それぞれのプロデューサーとの打ち合わせを近日中に行えるよう、スケジュールの調整を千川ちひろに依頼した。

「プロデューサーさん、午後からは代理店さんのところに行かれるのですね?」

「そうですね。できれば明日以降でお願いします」

「はい!任せて下さい」


ハキハキとした言葉遣いが頼もしい。事務員は何人も居るが、その中でも彼女は群を抜いて有能だ。

「世話になることが多くなる」と言われたが、はたしてその通りだった。

「あら、プロデューサー君。今からお出かけ?」

レッスン中だった川島瑞樹が通り掛かった。休憩中なのだろうが、多少息が上がっているようで言葉は短かった。

「はい。今日はレッスンが終わったらそのまま諸所の手続きに行って下さい」

「わかったわ。それじゃぁプロデューサー君。また明日ね♪」

川島瑞樹と別れ、事務所を後にした。


夕方、打ち合わせは特に問題なく終わった。

広告代理店、化粧品メーカーの営業とで、現在の川島瑞樹は話題性こそあれデビューが発表されたばかりの新人アイドルであることを説明し、本格的なCM起用の話はデビューLIVE以降という方向に落ち着かせた。

帰り際に「ぜひ川島さんに」と新製品の試供品を手渡されそうになったが、あいにく今日は薄めのバッグ一つしか持ってきていない。

営業はそれに気づいたのか「まとめて送るので川島さん以外のアイドルの方や女性スタッフにも」と運送会社を手配し、まとまった数の試供品を送ってくれると約束してくれた。

よほど製品に自信があるのか、川島瑞樹に乗ることを商機ととらえてくれているか。


(とにかく、まずはスケジュール通り進めることだな)

アイドルに期待するのは何もファンばかりではない。

様々な企業や業界がそれぞれの思惑で動いてくるだろう。

それら全てが今回のような好意的な反応を見せるわけではないだろう。

「ピピーッ」風を切って笛の音が響いた。

ふと目をやると、どうやら駐車違反の取り締まりをしているようだ。

1人の婦警が、路肩に停車している車の移動を指示しているようだ。

その婦警を目にして、一つの可能性が頭をよぎる。

記憶の中の映像と比べてみて、身長は少し高く、髪の色も……少し違う。

でも、もしかすると、もしかするかもしれない。

10年経ったのだ。面影は変わっていて当然。だが、もし別人なら……。


(プロデューサー君、もしその子と再会したら何をやっていたとしてもスカウトしちゃえばいいのよ)

以前、川島瑞樹から言われたことを思い出す。

「あの……」

気がついたら肩をたたいていた。瞬間、肩に手を回され、右腕を思いっきり引っ張られ……。

「痛っ!」

視界が反転し、青空が目に飛び込んでくる。幼くみえる顔が、いたずらっぽく舌を出していた。

「ごめんねー。お姉さん、日頃の癖でいきなり掴まれると投げ飛ばしちゃうんだ。職務中の警官をナンパしようとか、いい度胸ね♪」

楽しげに話しかけてくる。見た目よりもう少し年齢があるのかもしれない。


「いや、ナンパというわけでは」

立ち上がり、スーツの埃を払いながら答えた。

「昔の知り合いに、少し似ていたように感じて」

「ナンパの常套句じゃないの。もう、いくらお姉さんがかわいいからってそんな嘘ついちゃって……」

(常套句なのか?)

ナンパなどしたこともないのでよく分からない。

しかし、彼女がそういうのなら過去にそんな風に声をかけられる機会が多かったのだろう。

「怪しいなぁ……よし!職務質問よ!何か身分を証明できるもの、持ってる?」


「あ、怪しいものでは……。これ、名刺です」

言われるがまま名刺を差し出してしまった。

かなり強引な人のようだ。

それに冷静になってみると低い身長、髪色の系統、幼気な顔立ちとあの子との共通点はあるが、もしかして、と思うほど似ていないのに気づく。

(何を焦ってたんだろうな、俺)

こちらの思惑もどこ吹く風、婦警は名刺を受け取って覗き込んだ。


「ふーん…………おおっ!芸能プロダクションのプロデューサー!?へー……スゴいじゃない!ナンパじゃないとしたらスカウト?キミ、見る目あるじゃない♪」

「え?」

唐突な話の展開に思わず声が漏れた。

「え?じゃないわよ。失礼しちゃう!」

ムッと頬をふくらませるが、むしろ子供っぽい可愛らしさが強調されているだけで怖さは微塵もない。

その声音はどことなく楽しそうだ。


「本当に昔の知り合いと思っただけってことね。信じてあげるわ!」

低い位置から肩をバシバシと叩いてくるが、このカラッとした笑顔は何物にも得難く感じてきた。

「さて、あたしは職務に戻るから。知り合いにも会えるといいわね」

両拳を腰に据え、「行ってよし!」と言わんばかりの大きく口を開いた笑顔。

「アイドルに、興味はありませんか?」

気がつけば、そう声をかけていた。


もともと直帰予定だったこともあり、その後は彼女の仕事が終わるのを待ってからとなった。

彼女、片桐早苗が勤める警察署から少し離れたカフェ店での待ち合わせとなった。

1時間ほど経ち、辺りが薄暗くなる頃、待ち合わせ場所のカフェに入る。

コーヒーをいっぱい注文して席につくと、スマートデバイスに見慣れないアドレスからのメールが着信した。

『今からいくわ。10分後くらいに。さなえ』

これまで話した印象とは異なる簡潔な文章。

彼女の中にも何か迷いのような感情があるのかも知れない。


(は?さっきのは冗談で……。あ、あたしがアイドル!?またまた~)

アイドルの話を持ち出した際、明らかに動揺していた。自分が最初に「スカウト?」とか言ってきたにも関わらず。

(やっぱりナンパだったんじゃなーい?ふふっ)

動揺はすぐに収まったようだが、話の展開は不審なものだったのは認めざるをえない。

(わかった!キミ、ちょっと面白いから話くらい聞いてあげるわ!)

そして、現在に至っている。


(片桐早苗、新潟県出身、28歳……川島さんと同い年か。柔道空手合気道の有段者で、大学卒業後警視庁に入庁。階級は巡査部長、交通部交通指導課勤務……)

メモしていた内容を見直しながら待つところ数分、片桐早苗がやってきた。

「おまたせー……ってなによその顔?」

「いや、私服のセンスが独特というか……」

一昔前の派手な色の、ボディコンスーツと言っていいのだろうか。童顔の片桐早苗にはあまり似合っていると思えない。

「あたしがなにを着ようが、あたしの好きでやってることっ!センスが古いのはわかってるけど、好きなことは貫かなきゃね!」

大きく口を開いて笑う片桐早苗の声は、自分を曲げない力強さに満ちていた。


「それで、夕方の話なんだけど……、なんであたしをスカウトしようと思ったの?」

大きな目を見開き、怪訝そうに尋ねてくる。

「警察官より向いてるかな、と思いました」

「あーそう?たしかにお堅いシゴトって向いてないなーって最近思ってたのよねー」

片桐早苗の職務中のふるまいは、特に警察官として逸脱していたわけではない。

ただ、くだけた話しかたは警察官らしいとは思わなかった。

「この方をご存知ですか?」

事務所から持ってきていたスポーツ紙や芸能誌のコピーを取り出す。


『川島瑞樹 28歳の再挑戦!』

『女子アナからアイドルへの華麗なる転身!』

『28歳の覚悟!アイドル、川島瑞樹の魅力に迫る!』

今朝、川島瑞樹と話していた際に見ていた資料。

「スポーツ紙でみた程度には、かな?あたしと同い歳で女子アナからアイドルに転身なんてスゴいわねーって。まさかあたしが声をかけられるなんて夢にも思わなかったけどね」

表情をころころ変えながら、最後には少しはにかむように笑った。

おそらく、彼女自身が言ったよりもっと大きな関心事だったのだろう。


「川島瑞樹さんの所属は弊プロダクションです。そして、俺は彼女のプロデューサーを務めています」

「ホントに?」

「本当です」

「ちょっと信じられないわ。そんなうまい話、あたしに降ってくると思えない」

片桐早苗から今までの明るい表情が消え、明らかに怪訝な眼差しを向けてきた。

それもそうだろう。明るく、顔立ちこそ童顔だが片桐早苗も28歳なのだ。

世の中にはうまい話などそうそうあるものではないことも知っているだろう。

なにより彼女は警察官なのだ。うまい話をダシにして人を騙し、甘い汁を吸うような輩がいることなど誰よりも知っている。


「そこで、職場体験を提案します」

誠意を見せる必要がある。

川島瑞樹の時のように何年も付き合いがあるわけではない。

片桐早苗に人生を変える決断をしてもらうには、駆け引きなど必要ない。

実際に会社を見てもらい、レッスンをするアイドル達を見て、スケジュールが合えば川島瑞樹にも会ってもらう。

こちらの提案を聞いた片桐早苗の瞳から、疑惑の色は消えているように思えた。

「片桐さん、次の休暇はいつですか?」


「驚いたことに明日なのよ。あははっ、今日はこの後、一杯ひっかけて、明日は何も気にせずお昼くらいまで寝ていようと思っていたのに……」

片桐早苗は「困ったわね」と呟く。

「明日、朝10時でいいかな?」

「飲み過ぎないでくださいよ?」

「あはは!」

俺の返しに、片桐早苗は笑った。

「大丈夫よ!ちゃんと起きれるくらいしか飲まないから!お姉さんを信じなさい!」


「それで、スカウトしちゃったんだ?トレーナーの麗ちゃんと何を話しているのかと思ったわ」

翌朝、事務所で川島瑞樹に昨日の話をした。

なぜ声をかけたのかというのは適当に言い繕っておいたが。

千川ちひろにはアイドル候補からの来客があること、トレーナーの青木麗にはアイドル候補の見学者が来ることを伝えている。

「そうですね。良ければ川島さんも会ってもらえませんか?」


「わかったわ。片桐早苗さん、話を聞いていたらとても楽しそうな子だし、同い年だし、それに、フフフッ、お酒もいける口みたいね」

やはり同年代で、しかも酒好きと嗜好があう仲間が増えるかも知れないというのは心強いのだろう。

「まだ片桐さんがアイドルになるかは分からないですけどね」

「なってくれるわ、きっと」

そう、なってくれるという確信がある。

目の前の川島瑞樹が、初めてプロデュースするアイドルだとしたら、片桐早苗は初めてスカウトしたアイドルになるのだから。

もうひとりのファースト・シンデレラに、彼女ならきっと。


「プロデューサーさん、片桐早苗さんがお見えですよ」

千川ちひろから声がかかる。

「あぁ、いま行きます」

「プロデューサー君、レッスンが終わったら私も行くわ」

川島瑞樹に礼を言い、応接へと向かった。

「プロデューサー君、おはよう!来たわよ!」

応接室には、昨日とは打って変わってスーツ姿の片桐早苗が居た。

「おはようございます。今日はよろしくお願いします」


「こっちこそよろしくね!」

目を輝かせている片桐早苗の様子から、まずは心理的なわだかまりが無くなっていることがわかる。

芸能プロダクションのプロデューサーを名乗る男から、間違いなくプロデューサーであることがはっきりしたのが大きいのだろう。

「それで、何を見せてくれるの?」

「各施設からご案内して、その後にレッスンルームへご案内します」

「ふふっ学生時代に戻ったみたい」

わだかまりがなくなり、昨日、声をかけたときのような明るい笑顔を振りまいていく片桐早苗の様子を、各施設のメンバーたちも暖かく見守ってくれていた。


彼女の明るさ、気風の良さ、愛嬌が様々な人たちと話すたびに見えてきて、まわりのメンバーもそんな彼女につられて笑顔になっていた。

やはり片桐早苗はアイドルに向いている。

食堂での昼食に舌鼓を打ってもらった後、レッスンルームに案内した。

歌のレッスン、魅せ方のレッスン、そしてダンスレッスン。

基礎的な部分だけであるが一通り見てもらう。

「なにかやってみますか?」

「そうね……ダンスレッスンとかやってみたいわ」

「大丈夫ですか?昨日のお酒が残っているのでは?」

「そこまで飲まないって言ったでしょ……シメるわよ♪」

俺たちの会話を見て、レッスンに参加しているアイドル達も自然と笑顔が零れていた。


「でも、今日スーツなのよね。もっとカジュアルな格好にしておけばよかったかしら?」

「そういうことなら!今日たまたま予備を持ってきていた私のレッスンウェアをお貸ししますよ!はっ、これはもしやサイキック予知だったのでは?」

レッスンメンバーの1人、堀裕子が元気な声を上げた。身長は問題ない、だが……。

「ありがと。でもちょっとトップが……ね……」

片桐早苗は少し言いよどんだ。

さすがにストレートに胸が窮屈になるとは言えなかったようだ。

「それならー、トップは私の予備をお貸しするというのはーどうですかー?」

もう1人のメンバー、及川雫がゆったりと声をかける。

彼女は背も高く、そのバストサイズはプロダクション内でも最大を誇る。

「ぶかぶかだろうけど、伸びちゃうよりいっか!ありがと、ふたりとも!」

「ふえー……きつかったわー……」

ダンスレッスンの体験が終わった後、片桐早苗は完全にへばっていた。

「こういう時はキンッキンに冷えたビールが飲みたいわー……。プロデューサー君、ちょっと買ってきて?」

「ダメです」

さすがに半日ほど行動をともにしていると気兼ねない会話ができるようになってきたと感じる。

「しかし、柔道空手合気道と武道の有段者でもきつかったでしょう?」

「そうねー。身体の使い方が全く違うからね……まぁここまで動いたのも久しぶりだったけどね……あー……ビール飲みたいー」

片桐早苗は水を何杯も口にしながら息を整える。


川島瑞樹のレッスンが終了してしばらく経っている。

そろそろこちらに来る時間だ。

彼女との話が終われば、片桐早苗に今の気持ちを聞くつもりである。

コンコン、とノックする音、「どうぞ」と入室を促した。

「はぁ……今日は特にきつかったわ……。プロデューサー君、ちょっとビール買ってきて?」

とんでもない事を口走りながら川島瑞樹が入室してきた。


「何を言ってるんですかあなたは」

「フフッ……だって、ちょっと聞こえてたのよ。片桐さんの声。それに片桐さんの気持ち、わかるわ。はじめまして。川島瑞樹よ」

「えっ!ちょっと!」

片桐早苗は慌てて立ち上がった。

「変なところ見せちゃったわ……。はじめまして。片桐早苗よ。これからよろしくね」

片桐早苗の言葉を受け、俺は川島瑞樹と顔を見合わせる。


「あら、その様子だともう決めちゃってる?」

「片桐さん。アイドルになっていただけるんですね?」

片桐早苗は、両拳を腰に当てて、気持ちよく笑った。

「あははっ!もうほとんどそのつもりだったけどね。はっきり決めたのは今よ!」

「今、ですか?」

「そうよ!たった今!」

片桐早苗は川島瑞樹と向き合った。

「川島さん……いいえ、瑞樹ちゃん!辛いレッスンの後に飲むビールは最高よね!」

「片桐さん……いいえ!早苗ちゃん!わかるわ!」

二人は熱い握手を交わしていた。

俺は一体何を見せられているのだろうか。


とは言え、片桐早苗の決意を最後にひと押ししたのは、紛れもなく川島瑞樹の一言だったのだろう。

「……では片桐さん。次は退職までのスケジュールを教えてくださいね。公務員なんですからそこはしっかりしてください」

「わかってるわよ!プロデューサー君!さて、ふたりとも!今日の予定は?」

キラキラと目を輝かせ、片桐早苗は尋ねる。

「今日ですか?これからは特に……?」

「わかってないわね、プロデューサー君。ここにビールが飲みたいって女の子が二人もいるのよ?」

つまり?

「「ちょっと付き合いなさい♪」」


― 第二章「片桐早苗」 了 ―

今日はここまで。続きは明日27日の夕方に投下します。
明日の投下で完結します。

?「ビール?!キャッツの試合はないけどつきあうよ!」

?「おさけのトラブルはさけなければいけませんからね……ふふっ」

再開します。


何になりたいのかとか、どう生きたいのかとか、何も考えずに生きてきた。

高校3年生だった俺は、単に何かと子離れしてくれない親元を離れたいという軽薄な動機で、地元を離れて関西の大学を志望していた。

やりたいことは、もっと歳をとったら見つかるだろうか。

そう思いながら過ごしてきた。

成績は割と良い方だったこともあり、それなりに名のしれた大学に進学できそうではあったが、将来に向けて何の目的もないまま過ごしていた。


初夏の土曜日。

その日、受験勉強の息抜きに街をぶらついていた。

通りがかった雑居ビルの方から、にぎやかな声が聞こえてくる。

近くのライブハウスから漏れている声々に興味が惹かれ、ほんの気まぐれに足を踏み入ったことは覚えている。

「…………、………出身の16歳でーす♪」

チケットを買って扉を開いた。キンキンと高い声がライブハウスに響き渡る。

最初に出会った際に、名前と設定を話したところを聞きそびれたのは今でも覚えている。

メイド服のような衣装を着て、ウサギ耳のカチューシャをつけた、ポニーテールの女の子だった。


(……地下アイドルってやつか)

あの頃はそういう分野にあまり興味がなかったが、こうやって必死に夢を追っている女の子たちがいることくらいは知っていた。

「今日はじめて!ステージに上げさせてもらいましたよー!」

なんて眩しい笑顔なのだろう。

なんて嬉しそうな声なのだろう。

「皆さん!今日は私のステージにきていただいてありがとうございます!精一杯歌いますね♪」


特別に歌がうまいわけではない。

それでも、小さな体から発せられている歌声は、このステージの先にきっとある、夢を信じていたからだろう。

必死に歌い、必死に踊る、その一挙手一投足に目を奪われていた。

心のなかでは(がんばれ!)と何度も叫んでいた。

「ありがとうございました!」

曲が終わったと同時に、自然と拍手をしていた。

ただ、拍手も歓声もまばらだった。

そう、彼女はまだまだデビューしたての地下アイドルだったのだから。

彼女の出番の後も、ライブは順調に進行していった。

何人かの地下アイドル、何組かのインディーズバンドのパフォーマンスが続けられたが、頭の中には、彼女の、夢をまっすぐに信じる瞳と、喜びを弾けさせた笑顔だけが残っていた。


その後は、受験勉強を続けながら、あのライブハウスに通っていた。

彼女の出演は土日だけ、しっかり勉強することが地下アイドルを続ける条件だという。

そんな彼女を見習って、俺も成績を落とさないよう受験勉強に励んだものだった。

そして、何度目かのライブの後、初めて彼女と話す機会を得る。

少しずつ彼女の認知度は上がっていたようで、ライブ後に握手会が開かれることになったのだ。


「あぁっ!いつもありがとうございますー♪」

型通りの挨拶だった、と思いきや……。

「初ライブの時から、毎回見にきてくれてますよね~。嬉しいです!」

驚きのあまり、一瞬固まってしまった。

「あの、その、いつも応援しています!頑張ってください!」

年下の女の子に敬語で挨拶をしていた。

どれだけ緊張していたのだろう。

「はい!また見にきてくださいねぇ♪」

ふにゃっとした、という表現がしっくりくる微笑みで、握手をしてくれた。

小さな、柔らかい手だった。


それから何度もライブハウスに足を運んだ。

何度かの握手会を重ねる内に、少しずつ、少しずつ、彼女の話を聞く機会も増えてきた。

アイドルだけではなく声優の仕事もしたい。

お姫様のようなアイドルになりたい。

アイドルとしての設定(設定ではなく本当だと強弁していたが)について、アニメの話。ゲームの話。

こちらの話も少しずつ聞いてもらっていた。

受験の話。進学の話(関西の大学に行くと言った時は、寂しそうにしてくれたものだ)。

そして、将来何になりたいか。


「君がトップアイドルになっても、こんな風に話ができるような仕事が良いな」

そんなことを口走っていた。

「それじゃあ、芸能事務所のプロデューサーさんとかどうですか?そうしたら一緒にお仕事もできるかもしれませんねぇ」

光が差し込んだような気がした。

そこから、今の人生が始まったのだから。

人生を変えてくれた初めてのアイドル。それが彼女だった。

試験の前に行ったライブ後の握手会では逆に応援してもらった。

大学への進学で故郷を離れる前、最後の握手会でも話をした。


「もう少しでお誕生日だったんですが……仕方ないですよねっ!頑張って下さい♪」

最後に会った彼女は、本当に寂しそうにしてくれていた。

「君も、4月からはここより大きいライブハウスに行くんだろう?お互い頑張ろうね」

彼女もまた、新しい舞台へ挑戦していこうとしているのだ。最後の握手の後、握り拳を作って彼女に見せる。

「芸能界での再会を祈って」

大きな瞳にうっすらと涙を浮かべていた彼女。

小さな握り拳を作って、俺の拳と合わせた。

「次に会う時は……」


―――目が覚めた。

何度も見てきた夢だけど、ここまで鮮明にあの頃を思い出すのは久しぶりのような気がする。

大学から今まで、実家に戻る機会は盆と正月くらい。

「芸能界で再会するまで」なんて言わず、彼女の行き先を聞いておくべきだった。

何をカッコつけていたのか。

だけど、もしその後も理由をつけて彼女に会いに行っていたら。

そうして、どこかで夢を諦めてしまった彼女を見ていたら、今の俺はなかったかも知れない。

そうしたら川島瑞樹とも、片桐早苗とも出会うことはなかった。

それに、川島瑞樹はまだしも、片桐早苗がアイドルになることはなかっただろう。

片桐早苗は既に警察官を辞め、正式にアイドルとしてプロダクション所属となった。

二人のアイドルの未来は俺の肩にかかっている。

いつまでも思い出を引きずっているわけにはいかない。


「あら、おはようプロデューサー君」

「おはようございます。川島さん」

川島瑞樹の朝は早い。

アイドルである彼女が定刻通りに出社する必要はないのだが、事務所に寄る用事があるときは、まず俺より早く来て新聞や雑誌を読んでいる。

特に新聞に関しては必ず複数社の記事に目を通す。

アナウンサー時代の癖だと言うが、学ぶことへの貪欲な姿勢が、彼女の魅力のひとつだろう。

そして今日は、1人の小さな訪問者が居た。


「おはようございます。プロデューサーさん」

「おはよう、佐々木さん」

ジュニアアイドルの佐々木千枝。

ユニット「ブルーナポレオン」の最年少メンバーだ。

川島瑞樹のデビューライブの際、松本沙理奈、荒木比奈、上条春菜とともにバックダンサーを務め、そのまま5人でのユニット活動が発表された。

以来、「ブルーナポレオン」としてのユニットライブに向けてレッスンに励んでいる。


控えめでおとなしい少女だが、学ぶことへの積極性は眼を見張るものがある。

先ほどから川島瑞樹と共に新聞を読んでいたが、読めない字やわからない表現が出てくると、川島瑞樹に尋ねていた。

「学校の先生になったみたいね」と川島瑞樹は微笑んでいたが、しっかり者の佐々木千枝の存在が、ユニットメンバーをまとめる鍵になっているようだ。

4人ともが、この少女の前では憧れの「大人のお姉さん」であろうとするからだろう。


「川島さん。少ししたら、来週のスケジュールを確認しましょう」

「わかったわ。いつでも声をかけてね」

専用の事務室に入り、普段どおりメールと、アイドルのスケジュールを確認する。

片桐早苗のレッスンはもう少し先の時間。

とは言え彼女もまもなく出てくることだろう。せっかくだから二人揃っての確認にしようと決める。

二人とも、持ち前のコミュニケーション能力で既に多くの同僚たちと親交を深めていた。

それでもやはり、最も気が合うのはお互いのようだ。


「おはよう!プロデューサー君!なにか用事ある?」

そうこうしていると、片桐早苗がやってきた。

「おはようございます、片桐さん。10分後に、来週のスケジュールを確認させて下さい」

「わかったわ!」

そう言うと、片桐早苗は元気に去っていった。

おそらくリフレッシュルームに寄っていくのであろう。

それもまた彼女の日課のようなもので、暇があればリフレッシュルームで同僚のアイドル達と雑談をしている。

そうやって様々なアイドルたちの話を聞き、親交を深めて行っているようだ。

(さて……。川島さんを呼びに行くか)

今日という長い一日は、そうやって幕を開けたのだった。


二人のスケジュールを確認し、今のところ無理のない配分になっている事を確認する。

川島瑞樹には新しい化粧品のCMとバラエティ番組でのレポートコーナーへのオファーを、片桐早苗には数件の営業への出演予定を伝えた。

二人のスケジュール自体はかなり先まで埋まりつつある。

その中でもレッスン時間を確保しつつ、新しい仕事に入り、認知度を高めていく必要がある。

とはいえ、もともと鳴り物入りでのアイドルデビューであり、話題性の高かった川島瑞樹とは異なり、片桐早苗は何本かのバラエティ番組に出演したとはいえ、まだまだ地味な仕事が多い。

それでも、文句ひとつ言わずに明るくこなしていく片桐早苗に、早く大きなステージを用意したいものだ。


今日は何件かの広告代理店、ドラマの制作会社、提携先のレコード会社を訪問する。

季節は初夏。外回りをするのにも難儀な季節になってきたが、すべてはアイドルのため。そう思うと何の苦にもならない。

プロダクションに届く出演依頼やオーディションの案内はある程度の役柄に限られており、端役やエキストラのような仕事は探しに行く必要がある。

それに、イメージに合うようなタレントがなかなか見つからないこともあるだろう。

訪問回数を増やして縁を作っておけば、思いがけないオファーが来るかもしれない。

事務室に座っているだけで仕事が降ってくるわけがないのだから。


「前職は警察官でしたが、お祭好きの明るい性格。片桐さんはそんな女性でしたね」

レコード会社での打ち合わせの際、先方のプロデューサーが切り出してきた。

「ウチの若いメンバーが、80~90年代のディスコブームに興味があるようで、彼女の宣材写真を見てピンときたらしいです」

「ありがたい話です」

「任せてみますか?彼らに」

そうして、彼ら制作した楽曲を聞かせてもらう。イメージは、共有できているようだ。

「ぜひ、お願いします」

深々と頭を下げた。願ってもないことだが、片桐早苗のデビューシングルの制作プロジェクトが始まったのだ。

(片桐さん、きっと喜んでくれるぞ……)

黄昏時を迎えた街中を、吉報を抱えて家路につく。

今日は週末。報告は来週の頭となるだろう。喜ぶ顔が目に浮かぶようだ。


そんな矢先、ポツリ、と鼻先に水滴が降ってきた。

(今日は、夜から雨だったか?)

天気予報を確認し忘れていたこともあり、傘を持ってきていない。

雨はしだいに強まり、いよいよ本降りとなってきた。

(参ったな……)

運悪く、近くにコンビニエンスストアはなく、目的の駅まではまだ遠い。

雨雲の予報を確認するも、1~2時間は止みそうにない。

近くに時間をつぶすような場所はと検索してみるも、付近にはメイドカフェくらいしかないようである。

ああいったものはあまり得意ではない。

普通のカフェでもあればよかったのだが。


19時、夜の帳が下り、街頭の光が雨に反射して、光の道を作っているようだった。

雨は少し勢いを弱めていた。今のうちに少しでも、と道向かいの屋根付き歩道に移動する。

(ふぅ……)

ようやく人心地がついた。

この道ならしばらくは雨に打たれることもないだろう。

しばらく歩いていると、先ほど検索で出てきたメイドカフェが目に入る。

と、同時に1つの看板が目に入る。

【3階ライブハウスにてアイドル劇場開催中!】。

小さなビルだったが、昔行っていたあのライブハウスよりは広そうである。

1階にメイドカフェ、3階にライブハウスということは、1階の従業員の何名かは、地下アイドルとしてステージに立っているのだろう。


雨はまだ止まない。先ほどよりまた、勢いを増したようだ。

(メイド、メイドか……)

本当に何気なく、だった。あの時も、そして今も。

チケットを買い、劇場に足を踏み入れる。

ちょうど最初のアイドルのステージが終わり、二人目の登場を待っているようだ。

ステージの前方には熱心なファンと見られる観客たちが十数名固まっており、他のアイドル目当てや、珍しいもの見たさの観客が少し距離をあけて雑談をしている。

どことなく懐かしい風景。かつては俺も、あんな風に距離を開けて眺めており、やがて前列に陣取るようになっていたものだ。

もしかしたら意外な拾い物があるかも知れない。

そんなことを考えながらステージを眺める。


会場のライトが消え、ステージがライトアップされる。

そうして、舞台袖からひとりの小柄な女性が飛び出してきた。

メイド服のような衣装を着て、ウサギ耳のカチューシャをつけた、ポニーテールの……。

(まさか……そんな……)

心臓が飛び出そうになる、とはこのようなことを言うのか。

早鐘のように鳴り出した鼓動。見間違えるはずもない。


「こんばんはー!今日もナナのステージにきてくださってありがとうございます!」

あの子が、安部菜々が、居た。


「以上!新曲『ウサミン伝説最終章・第4話・その8』を聞いていただきましたー♪」

聞き入っていた。曲の良し悪しや、歌の巧拙ではない。

何が起こったのかまだ理解できていなかったが、あの頃のままの姿かたち、あの頃のままの歌声、それでいて、疲れているような感情。

俺はすぐに近場のスタッフに声をかけ、名刺を渡し、ライブハウスの責任者に話を通した。

あの子と、安部菜々と話がしたい、と。

責任者は名刺を見て目を丸くしていたが、今はそんなことはどうでもいい。

会場はまばらな拍手と、十数人の掛け声。

笑顔で舞台袖に退出する安部菜々を追うように、スタッフを伴ってステージ裏へと入っていった。


「はぁ……」

控室、安部菜々はそこに居た。

ため息まじりにうつむいて、息を整えているようだった。

(覚えているだろうか……)

不安だった、だけど。

(プロデューサー君、もしその子と再会したら何をやっていたとしてもスカウトしちゃえばいいのよ)

あの日、川島瑞樹からかけられた言葉を再び思い返す。

会えたら良い、ではない。目の前にいる。

「あの……」

遠慮がちに声をかけた。


「え、はい!」

今にも泣き出してしまいそうな顔で、安部菜々は振り向いた。そして。

「あぁ~♪お久しぶりです!懐かしいですねぇー」

あの頃と同じような、ふにゃっとした微笑み。

「覚えていて、くれたんだ……」

「もちろんですよ!だって、ナナの最初のファンだったんですし、でも……」

……言葉が止まった。

「こんなところで再会しちゃうなんて……思わなかったですけどね……」

困ったように眉尻を下げ、小さく呟く。


「菜々さん、これを……」

名刺を差し出した。

「……芸能プロダクションのプロデューサーさん!?ええええっ!」

驚きの声とともに、安部菜々の表情は喜びに満ちていく。

「夢、叶えちゃったんですね!わぁ~♪おめでとうございます!」

まるで自分のことのように喜んでくれる。そんな所もあの頃のままだ。

「それで、プロデューサーさんはどうしてここへ?」

ひと通り喜んだあと、困ったような顔を向けてくる。

「その前に」

一息ついた。


「アイドル・ウサミンの自己紹介。また聞かせてくれないかな?」

「は、はい!」

笑顔。ずっと変わらないままの笑顔。

「え~と、あの時とちょっと違うんですけど……。ちょっとまってくださいね!ンッ!深呼吸します!」

大きく息を吸って、大きく吐いて、挙動がいちいち大きくて。

「キャハッ☆ナナはウサミン星出身の永遠の17歳!声優アイドルになるため、ニンジンの馬車に乗って、ウサミン星から地球にやってきましたっ!はい、ウーサミン☆」

「ウーサミンッ」

「アハッ♪常連さん達に、もう飽きたって言われてますけど、毎回ちゃんと返してくれるんですよねー」

照れたような、困ったような、でも嬉しそうに。


「今日もそうだったね。それで改めてお伝えしたいことがあります」

敬語に切り替える、ここからは仕事の話だ。

「ど、どうしたんですか?」

急によそよそしい言葉遣いになって困惑させてしまったのだろう。

でも、これは必要なことなのだ。

「我がプロダクションで、メジャーデビューしませんか?」


「ええええっ!?ス、スカウトですかっ!ナナ、メジャーデビューできるんですかっ!?」

表情をコロコロ変えながらずっと驚いている。

それもそうだろう、おそらくずっともがいていた暗闇に、急に光が差しこんだのだから。

「はい。菜々さんを必ずトップアイドルにします」

右手を差し出す。

ファンとアイドルとしてではなく、プロデューサーとアイドルとしての、最初の握手。

「あ、ありがとうございますっ!よろじぐおねがいじまずっ!」

涙声まじりに握り返してくれた小さな手は、あの頃よりちょっとだけ、硬くなっていた。


月曜日、出社して最初にやったことは、事務室の掃除だった。

(週明けに、身分証明証と履歴書を持って本社事務所を訪ねて下さい)

(はいっ!それにしてもびっくりですっ!まだ夢の中にいるみたいです~。早起きしてお邪魔しますね♪)

安部菜々は今日、ここを訪ねてくる。

雑然とした事務室を少しでも片付けておきたかった。

「おはようプロデューサー君。今日は早いわねー」

「おはようございます。川島さん」

珍しく、自分より先に出社しているプロデューサーを見かけた川島瑞樹は、何も言わずに片付けを手伝いだした。


「川島さん、アイドルに雑用を手伝わせるのは悪いですよ」

「大事なお客さんがくるんでしょ?わかるわ」

女の勘というやつだろうか?

「早苗ちゃんが初めて訪ねてきた時も、プロデューサー君はこうやってお掃除していたじゃないの」

そうだっただろうか。

通したのは応接室だったが、事務室も見せる予定だったので、川島瑞樹と会話しながら書類を整頓していたのは覚えている。


「早苗ちゃんの時は10時に来る予定だったから、いつもどおり出社してからお掃除していたんでしょうけど、今日はいつもより早く出社してからのお掃除でしょ?朝早くから来るかもしれないのなら、私にも手伝わせて?」

本当によく気が付く女性だな、と改めて思う。

「おはよう!何だか早起きしちゃったから来ちゃったわ♪」

片桐早苗が事務室にやってきた。

確かに、いつもより1時間以上早い。

なぜ今日に限ってかは置いておいて、片付けの手を止める。


「片桐さん!ソロデビュー曲の制作が決まりましたよ!」

「本当!?やるじゃない!プロデューサー君!」

「あらっ!おめでとう早苗ちゃん!」

まずは3人で喜びあい、片桐早苗を祝福する。

「それで、どうしたの朝っぱらから?二人して片付けなんて」

それは……。

「ふふっ。今日はプロデューサー君の大事なお客様、そしてきっと、私たちの新しい仲間がやってくるのよ」

「へぇ!それじゃ、張り切ってお掃除しないとね!」

こちらがなにも言っていないというのに、確実に真実を言い当てていく。これが年の功なのだろうか?


「プロデューサー君。今、すっごく失礼なこと考えてなかった?」

「よし、シメる♪」

「お、落ち着いて下さい。感心してただけですよ?」

川島瑞樹との付き合いは長いが、最近は特に考えていることが読まれるようになっている気がする。

アイドルとプロデューサーとなり、共にする時間が増えたのもあるのだろうか。

「それで、どんな子をスカウトしてきたの?」

片桐早苗はホウキを手にとって、床を掃いてくれていた。

「ふふっ」

机を拭きながら、川島瑞樹が笑う。

「あら、もしかして?」

川島瑞樹の仕草から片桐早苗はなにかを察したようだ。

ここ何分か、この件についてろくに言葉を発していないはずなのに、順調に外堀が埋まっているのを感じる。


「プロデューサーさん、お客様がお見えですよ」

二人の協力により予定より早く片付けが終わってからしばらくして、千川ちひろが来客を告げに来た。

「こちらに、お連れして下さい」

「かしこまりました」

軽くお辞儀をして、千川ちひろが戻っていく。

「お二人とも、ありがとうございます」

気がつけば、川島瑞樹と片桐早苗は打ち合わせ用のテーブルを挟んでコーヒーを飲んでいた。


「スカウトしたアイドル候補がやってきましたので、お二人とも別室に……」

「あら?」

言い終わる前に川島瑞樹が口を開く。

「早苗ちゃんの時は私とお話させたのに、今回は二人きり?」

え?

「今回はあたしが瑞樹ちゃんの役割かぁ。お姉さんはりきっちゃう!」

この二人のコンビネーションは困った方向に磨きがかかっている気がする。

戸惑っていると、コンコンッとノックする音が聞こえた。

仕方ない。大人しくしてくれていることを願うばかりだ。


「どうぞ」

「し、失礼しま~す」

あからさまに緊張した顔で、安部菜々が入室してきた。

「あ、安部菜々です!今日からお世話になりますっ!よろしくお願いします!」

「あら、菜々ちゃんって言うのね?」

こちらが口を開くより前に川島瑞樹が立ち上がる。

「こんな可愛い子を捕まえてくるなんて、プロデューサー君は罪な男ねぇ……。やっぱり逮捕しておけばよかったかしら?」

畳み掛けるように片桐早苗が近づいてくる。

「あーっ!お、お二人はっ!?」

二人の顔を見て、安部菜々は驚きの声を上げた。


「女子アナからアイドルに華麗な転身を果たした川島瑞樹さんと、婦警さんからアイドルになったって話題の片桐早苗さん!?ほ、本物ですか!?ナナ、お二人が大好きなんです!!サインくださいっ」

背中のバッグから色紙とサインペンを取り出す。

「あらあら、瑞樹ちゃんだけじゃなくあたしも知っててくれたんだ。お姉さん嬉しいわぁ」

サラサラとサインを書きながら、片桐早苗は笑う。

「ふふっ。これからは仲間なんだから、そんなにかしこまらないでね。菜々ちゃん」

「わぁ……。ありがとうございます♪川島さん!片桐さん!」

二人からサインを受け取り、安部菜々はご満悦と言ったところか。


「それに菜々ちゃん?仲間になったのだからかしこまったのはナシよ?」

川島瑞樹がいたずらっぽく微笑んだ。

「はい!ありがとうございます♪瑞樹さん!早苗さん!」

最初の緊張はどこへやら、安部菜々は朗らかに笑っていた。

「さて、役割も済んだことだし、私と早苗ちゃんはリフレッシュルームにでも行こうかしら」

「菜々ちゃん、これからよろしくね!プロデューサー君が何かしたらすぐに呼ぶのよ?シメるから♪」

そう言って、かしましい二人は事務室を去っていった。


「すみません菜々さん。いきなりお騒がしいところを見せてしまい……」

「いえいえ。瑞樹さんと早苗さんは大好きですし!それにお二人をプロデュースしていたのはプロデューサーさんだったんですねぇ♪」

「安心しましたか?」

いくら旧知が名前のしれたプロダクションのプロデューサーになっていたとはいえ、何の実績があるかもわからないと不安だろう。

川島瑞樹と片桐早苗は、それを察して最初に賑やかしをしてくれたのだろうか。

女の勘も年の功も侮れないものだ。

「「クシュン!」」

ドアのすぐ外からくしゃみが2つ重なって聞こえた。

せっかくの感心が台無しだが、まあ良い。


「もちろんプロデューサーさんのことは信じていました。でもそれ以上に、すぐにお二人と仲良くしてもらって、歳が近いだけに心強いなぁ……って!違います!ナナは永遠の17歳です!大人のお二人が!心強くって!」

設定に対して言動が甘すぎるのは昔と変わっていない。

でもそれがもっと微笑ましい愛嬌になっている。

「俺は菜々さんに出会って、人生に光が差し込んだような気持ちでした。そして今の俺があります」

机を挟んで向き合う。

契約書を読み終えた安部菜々は、署名と捺印を済ませる。


「ナナも、プロデューサーさんと再会できて、どうしようもなかった暗闇から光が差し込んできたような気持ちだったんです!」

そうだったろう。とっくに諦めていたと思い込んでいた。

実際には、安部菜々は10年にも渡って1人、もがき続けていた。

思い通りにならない地下アイドル活動に何度も挫けそうになりながら。

再会した日の彼女は、明らかに疲れていた。

もう、折れそうになっていたのかもしれない。

本当に、紙一重の再会だったのだろう。


「これからは菜々さんにはもっともっと頑張ってもらうことになります。今までとは違う種類の努力が必要になります。それでも」

まっすぐと安部菜々の瞳を見る。

彼女もまた、俺から目をそらさないでいてくれる。

「俺がいますし、同僚のプロデューサーたちもいます。川島さんや片桐さん、そしてこれからたくさんの仲間たちと出会うことになります」

一息入れ、コーヒーを口に運ぶ。


「彼女たちは仲間ですが、同時にライバルでもあります。ですが彼女たちは菜々さんを1人にさせません。その上で競い合っていきましょう。助け合っていきましょう。そして、トップアイドルに、ウサミン星のプリンセスになりましょう」

静かに聞いていた安部菜々は、俺が話し終わるのを待っていたように、静かに口を開く。

「今まで、辛いこともありました。苦しいことだってたくさん……。でも諦めなければ叶う夢もあるんですね。こんなナナの姿が、プロデューサーさんにとって光だったのなら、これからもっともっと、たくさんの人たちの前で、歌って、踊って」

大きな瞳から大粒の涙がポロポロと零れ落ちていく。

「ナナは、トップアイドルになります!ウサミン星のプリンセスになります!ナナを見てくれる誰かの光になってみせます!支えてくださいね、プロデューサーさん♪キャハッ☆」

この日、安部菜々は地下アイドルからアイドルになったのだった。


― 第三章「安部菜々」 了 ―


― エピローグ ―


3人のアイドルを担当することになった俺は、その日も都内を駆けずり回っていた。

川島瑞樹は新たにバラエティ番組の1コーナーを担当することになり、ソロとしてもユニットとしても順調に活躍を続けている。

片桐早苗のデビューシングルも売上は上々。

縁のあった堀裕子、及川雫とユニット『セクシーギルティ』を組んで活動するようになった。

安部菜々もメジャーデビューとなった合同ライブで持ち前の設定に対する言動の隙きの多さを発揮し、すぐに話題になっていった。

最近はバラエティ番組やゲーム関係のイベントへの出演も増えている。

川島瑞樹を通して荒木比奈との交流も生まれているようだ。

後はデビュー曲と、彼女の夢の一つでもある声優の仕事を持ってこれれば……。


「すんませーん。ちょっと今撮影中で……」

考え事をしながら歩いていると、誘導スタッフに止められてしまった。

道路を貸し切ってのドラマ撮影が行われているという。

この道は本社事務所までの近道だったのだが仕方ない。

遠回りしようとしたが……。撮影場所の方で何か揉めているようだ。


(何だ……あの服は……?)

監督と思える人物から、こっぴどく叱られている、派手な柄の服に、羽を背負った服を着た女性。

顔立ちは美しいが、表情がいちいちうるさい。

話自体は殆ど聞こえないが、どうにも女性の喋り方は特徴的すぎる。

さらに、出演者の1人だと思っていたが、どうもただのエキストラのようだ。

……女性はやがてつまみ出されていった。

気落ちしているのか、トボトボと歩いている。

どうにも気になってしまった。


「ずいぶんと目立ってましたね」

女性は振り返った。

近くで見ると本当に綺麗な顔立ちをしている。同時に、格好の奇抜さも目につく。

「でしょー☆あ、この服ね。はぁとの手作りなんだ☆」

はぁと?はぁととは一体?

「で、あなたはだぁれ?変質者だったらぶっとばすぞ☆」

それなりに普通の身なりのつもりだ。

けれど以前、片桐早苗に制圧された経験もある。

片桐早苗や安部菜々の件で慣れてしまったが、そもそもこういう風に女性に声をかけること自体が問題なのだろう。


「俺はこういう者です」

流れるように名刺を差し出した。

このやりとりが、これからどうなるのかはまだ分からない。

だが、もう俺はアイドルのプロデューサーなのだ。

夢を見させてくれる人と、夢を知らない人たちを繋いでいくこと、

誰かの人生を変える出会いを創り出していくことが、出会ってきた3人の『ファースト・シンデレラ』から教わったことなのだから。

終わりです。
読んでいただいた方がいらっしゃいましたらありがとうございます。
お疲れ様でした。


Scene 1


走っていた。ずっと、ずっと。

高校のブレザーを着ていた俺は私服に着替えて、そしていつの間にかスーツに身を包んでいた。

走る道の先に、あの子がいるのが見える。俺の人生を変えてくれたアイドルが。

最初は浮かない表情をしていたあの子が、俺に気づいて安心したように笑って、手を振って。


――そこで、目を覚ました。


既に朝日は姿を現していて、空からは雪の粒が車の窓に落ち、溶けて消えている。

人もまばらな交差点を歩く男女が、凍りつく空気から互いを守るように寄り添って歩いていた。

(時間は……もう少しあるな)

新しい冬はまだやって来たばかりだ。まだ夜中と言ってもいい時間に家を出た俺は

昨日のうちに手配していた社用車に乗って都内から東に向かった。

(菜々さん、予定通り明日は早い時間に移動することになります)

昨日の会話を思い出す。

(はいっ!今日は早く休んで明日にそなえますね!)

俺が担当するアイドルの一人、安部菜々さんは威勢よく返事をしてくれた。


(7時半頃にはアパートの付近のコンビニに着いていると思います)

そう言いながら、実際は6時頃には目的地に着いていた。

雪が降るという予報があったこともあり、万が一と考え早い時間に家を出た。

実際、雪はちらついていたが交通機関に影響を与えるほどでもなく、

合流の時間まで一眠りすることで時間を潰すことにした。

ガソリンを無駄にするわけにはいかなかったので、念の為に持ってきていた

コートを羽織って目を閉じ、そして、少しだけ懐かしい夢を見たのだった。


菜々さんと再会し、どれくらい時間が過ぎただろう。

着実に仕事も増えてきたし、ファンクラブ会員数も順調に伸びている。

愛らしい笑顔と一生懸命な姿勢、設定への墓穴を掘っては恥ずかしがるその仕草。

念願だったアニメの主題歌、ゲスト枠とは言え声優デビューも果たして。

菜々さんは、ほんの少し前までは想像もできなかったような、夢のような道を駆けている。

(菜々さんを、必ずトップアイドルにします)

あの日、菜々さんに誓ったことは、菜々さんの努力もあって一歩ずつ進んでいるように思える。

菜々さんはトップアイドルになれる、いや、トップアイドルになる。

10年前、菜々さんの地下アイドルデビューに立ち会ったあの日から、それは何も変わっていない。

何よりも眩しい笑顔に照らされて、魅せられて、生き方を決めたこの想いは恋だったのだろうか。


それとも、とうに恋ではなくなっていたのだろうか。


「その子が好きだったんでしょー?」

菜々さんをスカウトする少し前、担当アイドルである川島瑞樹さんと片桐早苗さんと3人で飲みに行った時、早苗さんからあっけらかんと言われたことがあった。

「早苗ちゃん、少し違うと思うわ。これはもう愛よ。LOVEなのよ」

川島さんもその日は随分と酒が入っており、いつもの知的で落ち着いた雰囲気は無くなっていた。

「会えると良いわねー。おねーさんたちも会いたいわー!」

ビールジョッキを呷りながら、その日の早苗さんは殊の外愉しげだった。

「プロデューサー君。私、少し思うことがあるの」

そんな最中、川島さんは猪口を持った手を止めて、神妙な面持ちをする。

「プロデューサー君はその子と再会したら、何よりもスカウトしてしまえばいいと、今も思ってるわ。でもね……」

そして、猪口のお酒を空にする。

「こんなにも永く想った相手を、アイドルとしてだけ見ていくことができるのかしら?」


その時は不思議な問いだと思ったものだ。

だけど再び出会ったあの夜、胸を打ったのは再会の喜びではなく、寂れたステージに飛び込んできた菜々さんの、変わらない笑顔。

アイドル安部菜々に魅せられ続けていたことを確信した夜だった。

戻ることのない流れの中で、心を燃やした人だったのだと。

(だけど)

事務所に菜々さんを迎え入れたあの朝、手を取り合っていこうと誓ったあの時。

地下アイドルとファン1号から、担当アイドルとプロデューサーになったその時。

何かに、蓋をしたような感覚があった。

それは多分、菜々さんがアイドルを続ける限り、貫いていかなければいけないこと。

その答えに向き合うつもりは、今のところ無い。


コンッ……コンッ……


物思いに耽っていると、誰かが車の窓を叩いていた。

「菜々さん……」

遠慮がちに、窓の外で俺の顔を見ている。

「おはようございます!プロデューサーさん!今日も一日頑張りましょう!」

心地よい、明るい声が胸を満たしていく。

「おはようございます、菜々さん。今日もよろしくお願いします」

冬空の下でも、菜々さんの笑顔は眩しい。頬は少し赤らんでいて、吐く息は真っ白だった。

「すみません、菜々さん。寒かったでしょう?早く車に……」

「いえいえ!いま来たところですよっ!」

なんて温かい笑顔なのだろう。なんて温かい心配りなのだろう。

「行きましょうか。今日もきっと楽しいですよ」

菜々さんを助手席に迎えて、車のエンジンを点ける。

「はいっ!今日もアイドルを楽しみますよー!」

この笑顔が見たいから、見続けていたいから。


「あぁ~懐かしいですねぇ~」

海岸線を車で走っていると、菜々さんは感慨深げに呟いた。

「そう言えばこの町は……」

「はいっ!プロデューサーさんとナナが初めて出会った町ですよ!」

「というと、菜々さんの……」

はっと思いついて、菜々さんの言葉に合わせようとすると。

「ノウッ!ナナの故郷はウサミン星ですよ!」

「そうですね。菜々さんはウサミン星のプリンセスなんですからね」

頬を膨らませて取り繕う菜々さんの表情は可笑しかったが、いつもの調子で話を合わせる。

「はいっ♪って、あーっ!今通ってる道の、あそこの砂浜で小さい頃よく海を眺めてたんですよ~」

話を合わせたはずなのに、なぜか菜々さんは話を元に戻してしまった。

これがバラエティ番組なら佐藤あたりがツッコミを入れるのだろうが、今日はふたりだけ。

すみません。トリップを付け間違えていました。
◆1hbXi1IU5Aは僕です。


「……小さい頃の菜々さんは、海を眺めて何を思ってたんですか?」

「えへへ……」

菜々さんは笑う。いつもの笑顔とは少し違う、懐かしそうな笑顔で。

多分、聞いてほしいことがあったのだろう。

「ナナは、子供の頃からウサミン星のプリンセスになるんだって言ってたんですけど……」

朝日を浴びて光を散らしていく海を眺める菜々さんは、とても綺麗だと思う。

「クラスの子達からはよくバカにされてたんです。ウサミン星なんてないって」

海岸線から市街地へと向かう道へと曲がると、菜々さんは名残惜しそうに振り返っていた。

「それで、あの海に向かって『ウサミン星はあるもん!』って叫んでたんですか?」


「……小さい頃の菜々さんは、海を眺めて何を思ってたんですか?」

「えへへ……」

菜々さんは笑う。いつもの笑顔とは少し違う、懐かしそうな笑顔で。

多分、聞いてほしいことがあったのだろう。

「ナナは、子供の頃からウサミン星のプリンセスになるんだって言ってたんですけど……」

朝日を浴びて光を散らしていく海を眺める菜々さんは、とても綺麗だと思う。

「クラスの子達からはよくバカにされてたんです。ウサミン星なんてないって」

海岸線から市街地へと向かう道へと曲がると、菜々さんは名残惜しそうに振り返っていた。

「それで、あの海に向かって『ウサミン星はあるもん!』って叫んでたんですか?」


遠い遠い少女時代に、誰からも見向きもされなかった夢を叶えた高翌揚感からなのだろうか。

一通りまくし立てた菜々さんに、一つ魔法をかけてみたくなった。

「菜々さん、いつか菜々さんが胸を張ってウサミン星のプリンセスになったんだって思えたら」

赤信号。ちらりと横目で菜々さんの顔を見ると、頬が紅潮しているのを見て取れた。

「一緒に、あの海を見に行きましょう」

信号が、変わる。

「……はい」

菜々さんが、答えてくれた。


「安部菜々さん、入りました!」

「商店街の皆さん!準備はばっちりです!」

現場に入ると、けたたましく撮影の準備が進んでいく。

「プロデューサーさん。さきほどの約束、忘れないでくださいね♪」

柔らかい掌が、ハンドルを握り続けて冷たくなっていた手に一瞬だけの温もりをくれた。

そして、スタッフに促されて、菜々さんは駆けていく。

「今日もアイドル!がんばりますよー!」

アイドル安部菜々が出かけてゆく。いつか見たような街の、ひとごみの中に。


【Scene [ FRIENDS ] どうしても君を失いたくない ― 了 ―】

わかる人には何をモチーフにしているか分かるお話を、明日明後日でもう二つ上げさせていただきます。


Scene 2


何度目かの待ち合わせ。

賑やかな夜の街に君を誘う。

時計を見ながら待つ僕の前に、君は悠然と現れた。

周りの女性に比べてやや小さな背丈からは想像もできない。

豊かな胸元を見せつけるような大胆なドレス。

タイトなスカートからふっくらとした太腿が伸びて。

「待たせたかしら?」

君は挑発的な上目遣いで僕の顔を覗き込んでくる。

「いや。今来たところだよ」

決り文句にむず痒さを感じつつ、君の手を取る。


君は僕より少しだけ年上だけど、何かにつけてリードされたがっているのは知っている。

「今日はいつものバーで少し飲んだあと……」

細くくびれた腰に手を回し、こちら側に引き寄せる。

「会えなかった時間をたっぷりと埋め合わせしよう」

周りの目なんか気にせず、君の耳元に囁きかけた。

「若いわねぇ」

君は妖艶さに芳醇な色香を混ぜて、童顔な顔立ちに背徳的な微笑みを浮かべる。

「いいわ。今夜も付き合ってあげる……」

指先で僕の頬をなぞる君に、これから訪れる目眩く時への誘いを感じて……。


『朝よー!(カンカン!)起きなさい!(カンカン!!)』

けたたましく響く目覚ましボイスに脳が激しく揺さぶられる。

この【片桐早苗ボイス付き目覚まし時計:4980円(税抜)】を使ってから、寝坊知らずだ。

問題は、せっかく夢の中で片桐早苗さんに出会えたとしても、

そこでの触れ合いでたとえどんな美しく扇情的な装いであったとしても、

時間がくれば早苗さんは突然割烹着姿に着替えてフライパンを叩き出すということだろう。

「おはよう。早苗さん」

壁の、早苗さんが浴衣姿でにこやかにビールを煽る広告ポスターにひと声かけて、身支度を始めた。


早苗さんが28歳にしてアイドルデビューを果たして暫く経った頃に、

テレビのバラエティで朗らかに、ハキハキと周りの出演者たちを引っ張っている早苗さんを見た。

なんて素敵な人なんだろうと早苗さんのファンになってから、毎日が随分と変わった。

大学を卒業して2年目、24歳の僕にとって早苗さんは年上のお姉さんだ。

友人たちや会社の同期達は同じ28歳でもクールで知的な美女、川島瑞樹さんのファンが多い。


童顔で背も小さく、なのに抜群のスタイルを誇る早苗さんが好みだというと、

周囲からはなぜかロリコン扱いされることもあり、あまり口に出さなくなった。

それでも、こうやって早苗さんの写真集や歌、グッズなんかを買い集めて、

どんどん活躍の場を増やしていく早苗さんの笑顔を思い浮かべると、

どんなに仕事が辛くても気持ちが楽になるんだ。


帰りがけに寄ったコンビニ。

巻頭グラビアを飾る早苗さんが表紙になっているからと

ろくに中身を読むもないタブロイド雑誌を買うのも珍しくなくなった。

部屋に戻ると、10代の少年のような胸の高まりを抑えながら雑誌をめくる。

水着姿で、ギュッと両肩を窄めて谷間を強調して見せては、イタズラっぽく笑う早苗さん。

写真一枚一枚に「どうもありがとう」と声に出す僕も相当なもんだ。

(一度でいいから、会ってみたいなぁ)


東京の方では、頻繁にLIVEや握手会が開催されていて、早苗さんもよく出演している。

地方都市に在住で土日が出勤の僕は、未だに映像でも写真でもない早苗さんを見たことがない。

LIVE映像を見ると、早苗さんは楽しそうに歌って踊って、時折カメラに視線を送ってウインクなんかして。

まるで、誘惑されているような気持ちになってくる。

だからあんな夢を見るんだ。覚めてほしくない、願望に塗れた生々しい夢を。


「どうかしたの?」

「……いや。特には」

久しぶりに休日が合ったこともあり、その日は朝から彼女と出かけていた。

彼女とは大学時代から付き合っていて、もうすぐ6年になろうとしている。

最初は趣味の話で盛り上がったことから始まった関係も、

何年も経てばお互いに興味の向かないジャンルをいくつか抱えるようになっている。

ただお互いに余計な詮索をしない関係は、居心地が悪いわけではない。

そして当然、彼女には早苗さんのファンであることは伝えていない。

多分僕は、彼女より早苗さんに恋をしてるんだろう。

もちろんこんな気持ちを、頻繁に夢に見ているなど彼女に話せるわけない。

このぬるま湯のような関係を捨ててしまうほどの度胸はない、そんな小心者の恋なんだ。


……ランチのために立ち寄った喫茶店で、彼女はこれ見よがしに結婚情報誌を眺めていた。

その号には短いながらも早苗さんへのインタビューが掲載されているのを知っている。

ウェディングドレスを着た早苗さんの写真を想像して、なぜかとても嬉しくなった。

「……何を笑ってるの?」

彼女が嬉しそうにこちらを見てきた。

……やっぱりこういうのも悪くない。


一週間後、ファンクラブの連絡で、早苗さんが近くの街にイベントで来ることを知った。

ユニット『セクシーギルティー』でのトークショーの後、新曲のお披露目と握手会が開催されるそうだ。

千載一遇だった。多分もう、二度とこんな機会は訪れない。

直ぐに予約をとって、次の日には有給休暇も確保した。


後から知ったが、握手会は先着100名の狭き門だった。

質問が一つだけ許されるそうなので、どうしても聞いてみたかったことを聞くことにした。

……それがつまみ出されるかも知れない危険な質問だというのは後から知ったことだけど。

とにかく、永遠とも思えるような日々を過ごした後、待ちに待ったイベントの日がやってきた。


(動いてる……!そこに居る……!)

トークショーでも、LIVEでもとにかく頭にあったのはほとんどその言葉。

初めて、本物の片桐早苗さんを見た。

画面の向こうから見るのに比べて、本当に可愛らしくて、本当に元気で、本当にセクシーで。

ユニットメンバーがふたりとも高校生だから、頼もしいお姉さんとして存分に魅せてもらえた。

思い残すことはなにもない。いや、まだ最後の思い残しがある。


新曲の披露が終わって、僕はもう魂が抜けたような感覚だったけれど最後の力を振り絞って握手会の行列に並ぶ。

少しずつ、少しずつ距離が縮まっていく。

もう少しで、早苗さんに触れることができる。

早苗さんはまるでファンがずっと前からの友人であるかのように短い対話を楽しんでいた。

あと3人、あと2人、あと1人。

鼓動が早鐘のようだ。口から飛び出してしまいそう、というのはこういうことを言うのだろう。


「はじめまして!よね!?」

自分の番になって、戸惑ってしまった僕の手を、早苗さんは強引に両手で手を掴んできた。

近い。小さい。可愛い。柔らかい。でもちょっと力が強い。いい匂いがする。あぁ……。

「あ、あの、ずっと、ずっと好きでした!」

しまった。何もかもすっ飛ばして……。

「あはは!ありがと!お姉さんもみんなが大好きよ!」

そこはやっぱりアイドルなんだ。早苗さんは何の迷いもなく、何の躊躇いもなかった。


目の前の早苗さんは、夢で見た早苗さんなんかよりも、もっともっと魅力的だった。

決して、手に届かないところに居るんだということを実感できるほどに。

「それで、君はお姉さんに何を聞きたいのかな?」

そうだった。早苗さんは本当に優しい人なんだな……。

「えっと、あの、早苗さん!」

「なーに♪」

大きな目をぱっちりと開けて、朗らかに笑ってくれている。

「早苗さんは今、恋を……していますか……?」


最後の方は、もう殆ど聞こえていないのではないだろうか。

怖くて、怖くて目を伏せてしまった。周りが少しざわついているような気がする。あぁ。終わった。

早苗さんの手は、ずっと僕の手を握ってくれたままだったけれど……。

「うふふっ……アイドルの恋は秘密よ♪」

そう言って、うつむいたままの僕の頬を両手で挟んで。

「あはは!しゃんとなさい!次は堂々と聞いてきなさいよ♪」

早苗さんはウインクをして、ペロリと舌を出した。


握手会を終えて、さっきまで早苗さんに包まれていた右手と、頬を交互に左手でなぞりながら家路につく。

そう、秘密だ。早苗さんもまた、秘密の恋をしているんだ。そういうことにしておこう。

僕と同じなんだ。そう思うと、少し心が楽になる。

誰に恋しているのかなんて、この際どうでもいい。踏ん切りがついた。

これからも、ずっと応援していよう。ファンであり続けよう。

そして僕は僕の生活を続けていこう。

今度は、胸を張って大好きだと言えるように。


君を想って、この後ずっと生きてゆこう。

それでいい。

君を想って、この後ずっと頑張ってゆこう。

何も変わらない。


【Scene [ FRIENDS Ⅱ] ある密かな恋 ― 了 ―】

明日、もう一作投下します。


Scene 3


「カンパイ♪」

「カンパイ!」

個室の居酒屋で早苗ちゃんとふたり、カチンと勢いよくジョッキを合わせた。

「瑞樹ちゃん!今週もお疲れさま♪」

「早苗ちゃんもお疲れさま♪今日は張り切って飲みましょうね」

今日のレッスンはかなり体を動かしたし、明日は私も早苗ちゃんもお休み♪

そう!どれだけ深酒しても大丈夫な日なの!

「どうかしら早苗ちゃん。このメニューの端から端まで頼んじゃう?」

「いいわねー♪でもね瑞樹ちゃん。せっかくだから食べ物もいっぱいいただきましょう!」


早苗ちゃんのオススメでやってきた居酒屋だけど、お酒も食べ物も本当にたくさんで目移りしちゃうわ。

それに、二人で個室にも入れるお店なのが良いわね。

やっぱりふたりともテレビのお仕事をしているから、カウンターやテーブルで飲むってのは、ね。

「早苗ちゃんは本当に色んな所に顔が利くのね」

「あはは!故郷の新潟を出て10年!お酒が飲めるようになって8年!開拓してきた甲斐があるわ!」

美味しそうにジョッキを傾ける早苗ちゃんに、私も負けじとジョッキを呷る。

「「ぷはー♪」」

ふたり、おなじタイミングで一息ついて、顔を見合わせて笑いあった。


「ところで瑞樹ちゃん」

「なあに?早苗ちゃん」

口元に着いた泡を豪快に拭ってみせる早苗ちゃん。

「直帰だって言うからメッセージ打ったのに、プロデューサー君ったらまだ未読なのよ!」

「あら、そうなの?」

外は小一時間前から降り始めた雨が強さを増しているみたい。

「プロデューサー君、普段からマナーモードだから気づいてないのかしら?」

「ケータイを何のために携帯してるのよ!大事な担当アイドルからのお誘いでしょ!?」

言葉とは裏腹に、早苗ちゃんはとても楽しそう。


「早苗ちゃん。プロデューサー君は早苗ちゃんのために新しいお仕事を取りに行ってるのよ」

彼が営業に向かった先、それはとある有名なレコード会社。

以前、早苗ちゃんの宣材写真を持っていった会社だから早苗ちゃんへのお仕事をとってきてくれるわ。

「ふふふっ♪瑞樹ちゃん、ずいぶんプロデューサー君を信頼してるのね!」

機嫌よくおかわりのジョッキを呷った早苗ちゃんはとても嬉しそうにしてる。

「ねえ!瑞樹ちゃんとプロデューサー君はアイドルになる前からの付き合いなのよね!」

「そうね。私が局に入ってから2年。初めてバラエティのお仕事をした時に……」


プロダクションの制作部でアシスタント・ディレクターだった彼との出会い。

名刺交換しただけで印象的な出会いではなかったのよ。

その頃は私も駆け出しの局アナだったし、彼だって新人のアシスタントだったわけじゃない?

無我夢中に時間を積み重ねて、日々成長していこう、輝いていこうって必死だったのよ。

「3年前の年の暮れに、局の年末特番で総合司会をやりきったの」

「うんうん♪」

「お友だちになったって言えるのは、特番の打ち上げからじゃないかしら?」

「なんかはっきりしないわねぇ」

早苗ちゃんは首を傾げるけど、何年もお仕事をしたからって取引先の人とお友だちになんてそうそう無いのよ。


お仕事で何度も顔を合わせていたし、年齢も近かったからお喋りをする機会はあったんだけどね。

そう言えば、あの特番は彼がディレクターに昇格して間もない頃だったのよ。

お互いに大きなお仕事を無事に済ませられたってことで、共感するものがあったのかもしれないわ。

「それでその後は?」

「一緒に飲みに行く機会が増えたかしら♪お互いのお友だちと一緒だったり、ふたりきりだったこともあるけどね」

「あらあら♪もしかしたら何かあったんじゃ?」

早苗ちゃんが前のめりになって聞いてくる。女の子はこういう話が好きよね。わかるわ。


「プロデューサー君は必ず私を先に帰らせたわ。大事な取引先の社員ですから、だって」

「あはは!プロデューサー君らしいわね!それじゃなーんも無かったのね」

「そう♪なーんにも無かったのよ」

他愛もないお話やお仕事での体験談を語り合うこともあれば、何十分も喋らないで黙々と杯を重ねたこともある。

お互いに良いことばかりがあったわけじゃないけど、愚痴を言い合うようなことはなかったわね。

ちょっと嫌なことがあったら、どちらともなく飲みに誘って、静かに杯を重ね合うの。

いつの間にか、そういうことを許し合えるような仲になってたのね。


「アナウンサーを卒業する少し前に、アイドルの密着取材をしたのだけれど……知ってる?」

「もちろん知ってるわよ!全国で放送された765プロの……」

そう、私の人生をまるごと変えてしまったあの密着取材。

ううん。私の中に眠っていた憧れが再び目覚めたあの夜。

「私自身もっと笑顔になって、みんなの笑顔をもっともっと見られるようなお仕事をしたいって気持ちね」

「それがアイドルね!」

何回目かの乾杯とともに、早苗ちゃんの笑顔が弾ける。

「瑞樹ちゃんも良い笑顔してるわよ!今、とっても!」

「そうかしら?ふふっ♪」


彼の企画したお仕事をきっかけに、彼の後押しを受けてアナウンサーを卒業した。

そして、彼がプロデューサーになると同時に、私はアイドルになった。

それから私は色んな笑顔に囲まれてアイドルの道を歩んでいる。

なんだか、ちょっとした運命を感じちゃうけど、彼と私は今までずっと……。

違うわ。アイドルになりたいという夢と、プロデューサーになりたいという夢のために利用しあった共犯者なの。

だからこそ、これからどんなことがあっても彼となら乗り越えていける。

この業界が明るいだけの世界じゃないことくらいわかるわ。

だけど、どんな光も影も、彼となら慈しんでいける。

一度色褪せて散ったと思っていた花がまた咲いたように。


「なんだかちょっと妬けちゃうわー♪」

「そうかしら?私もプロデューサー君のスカウトを受けてみたかったわぁ」

ジョッキも空いたことだし、店員さんを呼んでおかわりをお願いしたわ。もちろん、ふたり分。

「そんなに良いもんじゃないわよ?学生の頃だったらまだしもこの年になってからだもん」

「そうなの?」

「そうよ!最初にいきなり肩を掴まれたって話はしたわよね」

それで投げ飛ばしちゃったのはやりすぎたとは思うけどって、

何回目かは忘れちゃった乾杯の後、早苗ちゃんはちょっと不満そうな顔をした。

「この前聞いた『あの子』と見間違えたって。しかもちゃんと見てみたら全然違ってたって!」

「そうだったわね。プロデューサー君、よっぽど慌ててたのね」

彼がかつてファンだった地下アイドルの少女。多分私たちと同じくらいの子。


「会ってみたいわねぇ」

「そうねぇ……地下アイドルってそんなに長く続けられるもんなの?」

「わからないわ」

あの堅物の彼に芸能事務所のプロデューサーなんて夢を抱かせた『あの子』のこと、私たちは気になっている。

できれば会ってみたいし、お友だちにもなってみたい。

そんな名前も知らない『あの子』は今、何をしているのかしら。

彼は今も、あなたの姿を追いかけている。どうか出会ってあげてほしい。

「そう言えばプロデューサー君からの連絡は来てないの?」

「まだなのよ!どこで油を売ってるのかしら……?」

「もしかしたら……」

生真面目な彼だからこそ、何時間も連絡をよこさないほどなにかに没頭しているのかも。


「早苗ちゃん。プロデューサー君はお休み明けに何か報告してくれるかもしれないわ」

「あらっ♪ひょっとして今頃誰か新しい仲間をスカウトしてたり?」

「早苗ちゃんもそう思ったのなら、きっとそう♪」

私たちはほとんど同時に同じ結論に達したわ。オンナのカンね♪

その後しばらく他愛のないお話をして、私たちは締めのお粥を頂いてお店を後にしたわ。

帰りのタクシーを待つ間、早苗ちゃんったら彼にメッセージを打ってたんだけど……。

「今日は都合が合わなかったみたいだけど、今度担当アイドルからのお誘いを無下にしたらシメるわよ!っと」

「もう少し優しくしてあげてもいいんじゃないかしら?」

「いーのいーの!それじゃ、また明日ね!」

明日はふたりでエステに岩盤浴。きっちり身体をメンテナンスして来週のお仕事に備えなくちゃね。


月曜日。

アイドルの私たちは定時出社の必要はないんだけど、そこは染み付いた習慣かしら。

「おはようございます。瑞樹さん」

「おはよう。ちひろさん。今日も早いわね」

挨拶もそこそこに、彼の事務室に顔を出す。

いつもは私のほうが少し早いのだけど、今日に限って、ううん。多分今日だからこそ彼は出社していた。

いそいそと机の上に乗った書類を片付けているわね。うん。やっぱりそうなのね。

「おはようプロデューサー君。今日は早いわねー」

「おはようございます。川島さん」

いつもの挨拶を済ませて、私は応接用のテーブルに置きっぱなしになっていた雑誌や写真を纏め始める。


「川島さん、アイドルに雑用を手伝わせるのは悪いですよ」

バツの悪そうな顔をする彼。私と早苗ちゃんのカンはバッチリ的中したみたいね。

それに、もしかしたら、もしかするのかもしれないわ。

彼の表情、以前『あの子』の話を聞いたときと同じ顔をしている。

「大事なお客さんがくるんでしょ?わかるわ」

雑誌と写真の束を彼に手渡して、掃除機を借りてくるべく事務室を出る。


毎朝の彼との、他愛もないちょっぴり退屈な時間を過ごすのは悪くないけれど、

アイドルの為にって情熱を迸らせている彼に支えてもらうのが一番なの。

今日、これから新たな仲間が加わる。きっと良いお友だちになれるわ。

でも彼から最初にこの想像のつかない、真っ白な夢の道に手を引いてもらったのは、私よ。

例え『あなた』にだって負けないわ。いらっしゃい。最高のライバルさん。

一緒に輝いていきましょうね♪


【Scene [ FRIENDS Ⅲ] GROW & GLOW ― 了 ―】

終わりました。

Scene 1 と 2 は最初のお話の少し後のできごと、 3 だけが最初のお話の最後の章の裏話と言った感じでした。
また、機会があれば同一世界線のお話を投下しにきます。

>>141
(全然気づいてなかったんですが、ここはこれにが入ります。)


「えぇっ!?なんで知ってるんですか!!?」

「えっ?そうだったんですか?」

菜々さんなら、そうしただろうなと思って口にしたのだけれども、まさかの図星だ。

「ん"ん"!びっくりしました!もしかしたらとか思っちゃいましたよ!」

表情をコロコロ変えながら俺の顔と通り過ぎた砂浜を見返している菜々さん。

「でも!それだけじゃないんです!ウサミン星のプリンセスになるんだってあの海に誓って!」

「……菜々さん」

「それがプロデューサーさんに出会って、いつか再会する時にはって頑張ってたら!あの日にですね!」

「菜々さん。お仕事はこれからです。今からそんなんじゃ疲れてしまいますよ」

「は!はひっ!!!そ、そうですねー……アハハ……」

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