Bye-byeばさらガール (100)
私、渋谷凛が稼業で実家の花屋で店番をしていると、1人の女の子が入ってきた。
「いらっしゃいませ」
そう言う私に軽く会釈をすると、その女の子は店を見渡し「ふうん」と言った。
これは稼業とはいえ、所詮店番という立場に過ぎない私としてはあまり好ましくない状況だ。
というのも、花屋にやってくるお客さんというのは、大きく3つに分類される。
まず、花束や鉢植えなど、プレゼントを買いにくるお客さん。
次に、目当ての花があり、それを見るなり買いなりしにくるお客さん。
そして最後に、特に目的はなく花が好きで花屋にやってくるお客さんだ。
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本好きが本屋に行くことが好きであるように、動物好きがペットショップに行くことが好きであるように、花が好きな人は特に用事がなくても花屋に行くのが好きなのだ。
無論、そうしたお客さんが悪いとか、よいお客さんではないというのではない、お父さんは「そういうお客さんこそ、良い目利きで上客になってくれるんだ」と言っているが、いかんせん私は花屋の娘でしかなく、お父さんほどには花の知識も技術もないのだ。
やってきた女の子は、明らかに3番目のタイプのお客さんだ。
年の頃は私と同じぐらいだろうか。
とても可愛い。いや、美人といえる顔立ちだ。
淡いブルーを基調とした花柄のワンピースで、長めの髪を頭上でおだんご状に結んでいる。
「なにかお探しですか」
型どおりの接客をする私に、女の子はニコニコとしながら口を開く。
「なかなか良い品ぞろえですね~。誉めて差し上げてもよろしいですよ~」
「え? あ、はあ。あ。ありがとうございます」
なんだか不思議な誉められ方だが、とりあえず私は頭を下げる。
「定番のアンスリウムの仏炎苞も良いものを選んでいますし、芍薬もいい色合いですね~」
実際に仕入れたのは父親だが、誉められれば嬉しい。
そしてその花々を誉める少女の横顔も、なんだか神々しい。いや、絵になっている。
「ただ~」
「え?」
少女が顔を曇らせる。
その視線の先には、ラナンキュラスがあった。
「濃青のラナンキュラスは珍しいですけれど、少々派手に過ぎませんか~?」
そう言われても、その花を仕入れたのは自分ではない。
では仕入れたお父さんなら、この少女になんと言うだろうか?
そんな事をあれこれと考えながら、それでも接客である以上、何かを答えなければならない。
「その花」
「……なんでしょうか?」
なんと答えようか。悩んでいるうちに、不思議と言葉が出てきた。
「花束に入れると、綺麗だから……」
自分で言って、驚いた。
そんなこと、店に並べた時は思いもしなかった。
なのにその言葉は、自然に出てきたのだ。
「……証明、できますか~?」
「え?」
少女の言葉に、一瞬私はたじろぐ。
「あなたは、自分の言葉に責任を持ち、証明ができますか~?」
見れば少女は相変わらずニコニコとしている。だがそれに反し、その目は挑むように私を見ている。
この娘、なんだか少しこわい。
そう私は思ったが、もはや後には引けない。
所詮、花屋の娘でしかない自分でも実家の稼業だという意気もある。
「わかった。作るよ……あ、いや、作ります」
挑むような目のまま、少女は頷く。
私は店の花を見回すと、いく本かの花を手に取る。
「四種いけ……?」
少女のやや批難じみたつぶやきが聞こえたが、その意味はよくわからないし相手にしている余裕が今はない。
ただ一心不乱に、花束を作った。
これまでも「お任せで」と言われて花束を作ったことはあったが、ここまで集中して作ったのは初めてかも知れない。
「できた……えっと、できました」
「……」
少女はなにも言わない。先ほどまでは挑むようであったその目も今は花束に向けられており、どう思っているのかもわからない。
「どう……かな?」
「華道の始祖の1人である佐々木道誉は~」
「え?」
なにを言うかと思っていた少女は、いきなりそんなことを口にする。
「意に添わぬ花でも、生けた全体からすれば見事な一点になることもある……そう言ったと伝えられていますが。確かにこのラナンキュラスは調和がとれ、自身の個性も際立ちましたね~」
もしかして、誉めていてくれてるのだろうか。
そう考えていた矢先。
「ですけど~」
「え?」
「ラナンキュラスとスカビオサでは、季節感が合わないのでは~?」
き、季節感?
花束がきれいかどうかに、季節感が関係あるのだろうか、私は戸惑う。
「生け花としては、いかがかと~」
「でも……」
戸惑いながらも、私は口を開いた。
「なんですか~?」
「これ……生け花じゃないから」
「あ」
「花束だから」
少女は驚いた表情を見せるとしばらく後、心底可笑しそうに笑いだした。
「私としたことが、これは大変失礼いたしました~。そうですね、生け花ではありませんでしたね……口げんかでは誰にも負けないつもりでしたが、これは一本とられましたね~」
「べ、別に口げんかとかそういうんじゃなくて」
「わかっていますよ~。でも、思わず私は笑ってしまいました。笑ったら負けよ……ですから今日は、私の負けですね~」
少女の論法はよくわからない。
別に勝つとか負けるとかでもない。
いや、それよりも……
「このお花、おいくらですか~?」
「え?」
「いただいてまいりますね~」
「あ、ありがとう……ございます」
代金を渡すと、少女は笑顔で花束を抱いた。
宝物を見るような、そして小さな子供がぬいぐるみを抱きしめるような、そんな表情と仕草だ。
なんだか不思議なやりとりをしたが、こうして見ていると本当に喜んでもらえてたようで、私もなんだか嬉しくなる。
「では失礼いたしますね~」
「うん。あ、いや、はい。ありがとうございました」
頭を下げ、そしてその頭を上げると少女はもう店の外に去ってしまっていた。
私はその後ろ姿を、見えなくなるまで目で追っていた。
「ほう、そんなことがあったのか」
「うん。大変だったよ」
夕食の席で、私は今日の顛末を話したのだが、鷹揚なお父さんと違いお母さんが厳しい声を上げる。
「だからもっとちゃんとお花のことを勉強しなさい、っていつも言っているでしょ」
「いやいや、別に凛が将来ウチを継ぐってわけじゃないし」
お父さんは取りなしてくれるが、お母さんはやはり厳しい。
「今日みたいなことだってあるわけじゃないの。もう少し凛は、花のこと知らないと」
お母さんの言うことは、たぶん正しい。
別に私だって、無理矢理に店番をさせられているわけじゃない。稼業を支えるのは、家族としては当然でもある。そして店番をするのなら、それなりの知識も技術も必要だ。
「わかったよ。お父さん、また教えて」
「いいとも。ま、しかし凛も若いんだ。青春を……人生を賭けられるようななにかが見つかったら店のことはいいからな」
これはお父さんの口癖みたいなものだ。
お父さんは、自分が花に人生を賭けたように、私にも何かを見つけて欲しいらしい。
「そうね……でも、それまではしっかりお店のこと、頼むわよ」
この点ではお母さんも同じ思いらしい。
けれどまだ、自分がやりたいものなんて私には……
「あ、そうだお父さん。四種いけ、ってなに?」
「え?」
「さっき話したその娘が、私が花束用の花を手に取った時にそうつぶやいたんだけど、その時はちょっと不満そうっていうか、そんな風に聞こえて」
お父さんとお母さんは、顔を見合わせた。
「あなた……」
「うん……凛、その娘はたぶん、華道の家元とかそういう家のお嬢さんだな」
「えっ?」
確かにあの娘、なんとはない気品というか風格みたいなものがあった。
同世代とはいえ、初対面の自分とも物怖じせずに話すような娘だ。
あの娘が、華道の家元のお嬢さん……?
「なんでわかるの?」
「華道では、1種類の花でいけるのを一種いけ、2種類の花なら二種いけ、と言うんだ」
思い返してみると、確かにあの時自分は4種類の花を手に取っていた。生け花なら四種いけだ。
それに作った花束を「生け花としては」と評したり、季節感がどうとかも言っていた。
なるほどあれは、華道の家の子としての発想だったのだ。
「だが華道では四という数字は、し……つまり死を連想させるとして忌避されていた」
「あ、それであの娘、ちょっと不満そうに四種いけ、ってつぶやいたんだ」
「ええ。けれどね凛、それは古いというか厳格な、ルールとも呼べないような考え方なのよ」
少し慰めるように、お母さんが言う。
「今現代の華道というか生け花で、そんなことを言い出す者はいない。母さんも言っていたが、それは古い考えだ。けれど格式とか伝統を重んじる、それこそ家元のような人たちはまだそれを重んじている」
「そうだったんだ。だめだね私、やっぱりちゃんとそういうの教えてもらわないと」
肩を落とす私を、お母さんが抱きしめてくれる。
「落ち込むことないわよ、凛」
「え?」
「初対面でその人が華道の家元だとかその縁者だなんて、わかるはずもない。そもそも華道でも四種いけは今、普通に受け入れられている。なによりその娘は凛の作った花束を気に入って買っていってくれた。それでいいんだ」
お母さんの温かさとお父さんの言葉に、私はちょっと救われた。
「それにしてもその娘、家元の縁者の娘ならお得意さんになって欲しいわね」
「そうだな。よいお客さんになってくれそうだ」
両親の思惑とは別に、私もまたあの娘に会いたい。
そう思った。
再会は意外に早かった。
翌日、学校で休憩時間に窓の外を見ていると、なにやら人だかりができている。
「なんだろう?」
「んー? ああ、あれだよJ組の聖母サマ」
初めて聞く単語に、私は隣の席の友達に聞く。
「なに? J組の聖母さまって」
「凛、知らないの!? ゆーめー人だよ。って言ってもJ組はわれらA組からは1番遠いクラスだもんね。選択授業でもいっしょになることないし」
要するに同じ学年の最果てのクラス、J組には有名人がいるらしい。それも聖母さまとかいう。
「ものすごい美人で可愛くて、本人もそれをとーぜんみたいな顔して受け入れてる自称『聖母サマ』。すごいよー、クラスの内外にもファンがいるんだから」
「自称……って、自分で自分のことを聖母って言ってるの?」
なんだかわからないけれど、それはとにかくすごい自信だ。
よほど自分の容姿に自信がないと言えないだろう。
「もっとすごいのはさ、自分の取り巻きのそのファンのこと『子豚ちゃん』って呼んでるトコ」
「子豚ちゃん?」
「聖母だから導くのは迷える子羊……だけど、子羊よりも子豚ちゃんの方がかわいいからそう呼んでるんだって」
すぐには理解できない思考だ。いや、よく考えてもいまひとつわからない。
聖母さま……か。そう思ってその人だかりの中心を見た時、そこにいたのは……
「あ!」
「んー?」
「あの娘、昨日の……!」
あの娘だった。
まさか同じ学校で、学年も同じとは思わなかった。
「しりあい?」
「あの娘。名前は? なんていうの!?」
「んー……? わかんない」
「えぇ!?」
「J組なんて遙か彼方のクラスだし、聖母サマで通ってるから」
わからないものはしかたない。
私はクラスを飛び出し、人だかりの前にやって来た。
「えっと、あの……せ、聖母さま!」
名前がわからないので仕方なくそう叫ぶと、あの娘はこちらを振り返った。
「おや~これはこれは、A組の渋谷凛さんではありませんか~」
「え?」
なんと、向こうは私のことを知っていたらしい。
ということは昨日も、自分の家だと知っていて店に来たのだろうか。
「子豚ちゃんたち~ここからは彼女とちょっとしたお話がありますから、みなさんとはまた後で~」
少しザワザワとしていた取り巻きのファン……彼女流に言うなら子豚ちゃんたちは、潮が引くようにいなくなる。
「それにしても、凛さんに聖母さまと呼んでいただけるとは、私も嬉しいですよ~」
「あ、あのそれは……名前、知らなくて」
彼女はため息をつくと、あからさまにがっかりとした表情になる。
「私は凛さんのことを知っていたのに、凛さんは私のことをご存じなかったのですね~」
「あ、ほら、わ、私はA組であなたはJ組で……つまり、1番遠いクラスだから」
「J組の私はA組の凛さんのことを知っていたのに、A組の凛さんはJ組の私をご存じなかったのですね~」
これはだめだ。
そう言えば昨日も「口げんかでは誰にも負けない自信がある」と彼女も言っていた。
どうやらそれも、あながち嘘でもなさそうだ。
「ごめん……この通り、謝るよ」
「……まあ、人と人との出会いは縁ですし、縁とは人知を超えたものですから。今日の所は許してあげましょう~」
彼女は素直に頭を下げる私に、そう言ってくれる。
どうやらこの娘も、意地悪というわけではないみたいだ。
いやたぶん、根は優しい娘らしい。
「じゃあ名前」
「はい~?」
「名前、教えてよ」
彼女は嬉しそうに、クスクスと笑って言った。
「天空橋……天空橋朋花、ですよ~。まあ凛さんが呼びたいなら、ずっと聖母さまと呼んでいただいても構いませんよ~」
「いや、それは……勘弁して」
私と彼女……朋花は一緒に笑った。
「昨日は、私に会いに来たの?」
「いいえ~正直なところ、お店に入ったら凛さんがいたので驚いたぐらいですよ~」
朋花はそう言うが、あの時の彼女はとても驚いているようには見えなかった。
「私は花が好きですから~入ったことのないお花屋さんを見ると、入りたくなるんですよ~」
「そっか」
ニコニコとして……いや、ここまでほとんどいつも彼女はニコニコとしているのだが、そう言う彼女に私は昨日両親から聞いた情報をぶつけてみる。
「あ、そうそう、花っていえば朋花の家って華道の家元をやってるの?」
ビシッ。
音に聞こえるように、その場の空気が変わった。
相変わらず朋花は笑顔のままだ。だが、その場の空気が、重く冷たく凍るように変質している。
「誰から~」
「えっ!?」
「誰から聞いたんですか~」
空気を変えたのは朋花だった。
微笑んでいるのに目が昨日の100倍は鋭い。
私はうろたえながら答える。
「その……昨日、朋花が四種いけって不満そうにつぶやいてたから」
「え?」
「お父さんに、四種いけってなにって聞いたら華道の言葉で、しかもそれを避けるのは華道でも家元みたいな人かその縁者だって聞いたから……それで……」
空気が少し和らいだ。
「なんか……ごめん」
「いいえ~私もまだまだ、聖母として未熟ということかも知れませんね~」
「え?」
「聖母にプライベートなどあってはいけませんから~」
相変わらず朋花の言っていることは、よくわからない。だが、彼女にとってのプライベートは触れられたくない知られたくないことなのだろう。
「もう聞かないよ。プライベートなことは」
「……おや~もう次の授業が始まるみたいですね。では凛さん、またお目にかかりましょうね~」
「うん、またね」
再会を約束してわかれたのは事実だが、まさかその日の夕方に彼女がまた店にやって来るとは私も思っていなかった。
私服であるところを見ると、いったん帰宅してから来てくれたのだろう。
店番をしていた私に、昨日と同じように朋花は会釈をした。
「口げんかをしに来ましたよ~」
笑顔で物騒なことを言う彼女に、思わず私も苦笑する。
「歓迎するけど、口げんかは勘弁して」
私たちは、声を上げて笑い合った。
昨日知り合ったばかりなのに、もうずっと友達だったような気がしてくる。
「朋花はどんな花が好き?」
「そうですね~。どんな花にも、みんな好ましい所があるとはおもいますが……やはり淡い青の色合いが好みでしょうか~」
「デルフィニウムとかオキシペタルムみたいな?」
朋花は頷いた。
「はい。凛さんはどうやら、昨日のラナンキュラスがお好みのようですね~」
ずばり言い当てられて、私は少なからず驚く。そう、昨日店番に出た時からあのラナンキュラスはいいな、と思っていた。
「なんでわかったの!?」
「だからあの花束を作れたんだと、思いますよ~」
朋花はおかしそうに言うが、そういうものだろうか。
でも確かに、昨日は無心になって花束を作れたし、あれは自分でも満足のいく出来映えだった。
「あの花束、あれからどうしたの?」
「帰ってあのまま、私が花瓶に生けましたよ~」
やっぱり華道の家元の家庭なのかな、そう思い浮かんだがそれは言わない約束だ。
いや、こちらが一方的に「もう言わない」と言っただけだが、それでもやはり彼女が嫌がることは話したくはない。
だが。
「私は~」
「え?」
私の気持ちに気づいたのか、朋花が口を開く。
「生け花の心得がありますから~」
これはつまり、家庭のことは話さないが、朋花個人についてならそういうことを話してもいいということだろうか。
よくはわからないが朋花は相変わらずニコニコと笑っている。
私は意を決して聞いてみた。
「生け花って楽しい?」
「どうでしょうか……ただ、昨日も言った佐々木道誉はこんな言葉を残しています」
佐々木道誉……誰だっけ。
そうそう、華道の始祖の1人とかだっけ。
「立花(りっか)というものは正面だけではなく四方いずれから見ても美しゅうなければならぬ。人の作った花の美しさが神仏の作りたもうた花の美しさを越えられようか……そこが難しい。難しいがおもしろい。おもしろうてやめられぬ……と」
朋花は神妙な顔をして、そう言った。
おそらく彼女は、この佐々木道誉という人物を尊敬しているのだろう。
「要するに、難しいけどおもしろいわけだ」
「そうですね~。私はまだそうした名人の域には達していないとは思いますが、確かに生け花は難しいけど面白いですね~」
それを聞き、私は彼女がどんな花を生けるのかが気になった。
そう、彼女は言った。私が昨日のあの濃青のラナンキュラスが好きだからあの花束が作れた。それなら朋花は、どんな花でどんな花束を作るのだろうか。
「私、朋花がどんな花束を作るのか見たいな」
「はい~?」
「ね、作ってみてよ。もちろん使った花のお金は、私が出すから」
最初は驚いた顔をした朋花だったが、すぐまたいつもの笑顔に戻って言った。
「大散財になってしまっても、いいんですね~?」
「え?」
私がなにかを言う前に、朋花はもう花を選び始めている。
「今日うかがった時から、気になっていたんですよね~」
朋花が手に取ったのは、アジサイだ。まだはしりだけあって値段も……
「ま、待って! それ1本で3500円もするんじゃない!!」
「3本ほどいただきましょうか~」
「やめてーーー!!!」
「あら、こんなところにプロテアとトルコキキョウが~」
止めてもやめない朋花による花束は、確かに見事だった。
大ぶりのアジサイをベースにプロテアやトルコキキョウ、そしてビバーナムという構成だ。
朋花の好みだという淡いブルーが活きていて、はなやかだけど気品を感じる。
ただそれよりも私が強く思ったのは……
「さよなら、私の今月来月のおこずかい……」
「言い出したのは、凛さんですよ~? それに~」
「? なに?」
「おこずかいの心配は、必要ないかも知れませんよ~」
朋花の言葉は謎だったが、彼女が帰ってからその正しさが証明された。
「凛……これ、あなたが作った花束じゃないわよね」
配達から帰ってきたお母さんは、花束を目にするなりそう言った。
「うん。それは友達が……あ、ちゃ、ちゃんとお金は私が払うから」
「……それ、昨日言ってた娘? 友達になったの?」
「え? なんでわかるの?」
お母さんはしげしげと花束を眺めていた。
手に取ると、それを様々な方角から見る。
「これは華道の生け花の所作よ。どこから見ても不等辺三角形になるように、花を配置してある」
「へえ……やっぱりすごいんだ。朋花」
「凛、これお金は払わなくていいわ。そのかわり、あなたの部屋に飾っておきなさい」
軽くなった財布が再び重くなる申し出に、私は飛び上がりそうなる。
「いいの!?」
「部屋に飾って、よく見ておくのよ」
「ありがとう!」
「ずいぶんと、仲良くなったのね」
肩をすくめて苦笑しながらお母さんが言う。
「え? なんで?」
「これ生け花なら、四種いけでしょ? あなたの流儀にその娘が主義を曲げて作ってくれたのよ。いいお友達ね」
「あ……そうか」
「大事になさい」
「うん」
お母さんの言うとおり、私はなるべく花束のまま自分の部屋に朋花の花を飾った。そして財布の重さを気にしなくて良くなった目で見ると、やはり彼女の花束は見事だ。
それになによりお母さんは私の教育のために言ってくれたんだと思うけど、それより私はなんだか彼女が部屋にいてくれるみたいで嬉しい。
「おやすみ、朋花」
私は花にそう声をかけ、その日は眠った。
校内で彼女、天空橋朋花を見つけるのはさほど難しいことではない。
人が集まっている場所を探し、その真ん中を見に行けばいいからだ。
たまに朋花ではない場合もあるが、それでも次の集団を探せばだいたい朋花がいる。
だが、見つけるのが容易いということと、彼女に話しかけられるかと言うことはまた別だ。
彼女はいつも子豚ちゃん達に囲まれていて、彼彼女たちを魅了しているが決してかしずかれているわけではない。純粋に好意を向けられているだけで、ちやほやされているのとは少し違う。
そして朋花の方も単に慕われているだけではなく、自分を好きでいてくれる子豚ちゃん達を大事にしている。
そういう彼女と子豚ちゃん達に割って入るのは、少し申し訳ない気がしてくる。
「凛さんも、子豚ちゃんになってくださればすべて解決しますよ~?」
彼女の言葉は、冗談なのか本気なのか。
おそらく半々なのだろうが、私は子豚ちゃんになるつもりはない。
それがなぜだかは、なんだか自分でもよくわからないのだが、おそらく自分は朋花と同等でいたいのではないかと思う。
子豚ちゃんよりも、友達でいたい気持ちの方が強い。
「そう言えばさ」
そうした私の心情を酌んでか、彼女も同じ気持ちなのか、朋花も週に1度ぐらいはうちの店に寄ってくれる。
「朋花は私のこと、知ってたんだよね。前から」
「孫子曰く」
「え?」
朋花の受け答えは、時々突飛だ。
おそらく成績も良いんじゃないだろうか。少なくとも、私よりは。
「彼を知り己を知れば百戦殆からず。彼を知らずして己を知れば、一勝一負す。彼を知らず己を知らざれば、戦う毎に必ず殆し~」
?
「つまり、どういうこと?」
「私は、美人で有名なA組の渋谷さんという方が、私のライバルになるかも知れないと気にしていましたから~」
「え?」
朋花が私を? ライバルに? なんの?
「凛さんのことは、J組まで伝わってきてますよ~。残念ながらA組には、私のことは伝わっていなかったみたいですが~」
「あ、それは違うよ。私の友達は知ってたよ、朋花のこと。私はそういうのに疎かっただけ……え? なんでJ組に私のことが伝わってるの?」
朋花は少しだけ、いつもの微笑を解いた。
「A組に、すごく綺麗な娘がいる。美人でスタイルもよくて靡くような綺麗な髪で、いつもクールな佇まいで少し近寄りがたいけど、笑うと目が離せない……そんな噂」
それは誰の話だろう。少なくとも私じゃないと思う……
違うよね?
「そう聞いて気になってしかたなくて、A組に見に行ってすぐにわかりましたよ~。あの娘だ、って凛さんのことを」
「え? 私!?」
朋花はあきれたように私を見る。
だって……
「私、無愛想だってよく言われるし」
「それは、凛さんの笑顔を見たいという要望の声ですよ~。まってく凛さんは、人から好かれていてもそれに気づかないんですから~」
そうなんだろうか?
「私の子豚ちゃんが、凛さんに魅了されてしまうんじゃないかと心配していたんですよ、私は~」
そんなことはないだろうと私はわかっているけれど、朋花が心配しているというのもまた本当なんだと、彼女を見ているとわかる。
今の彼女は、嘘偽りなく真剣だ。
私は顔が赤くなるのを自覚した。
別に彼女の言うように、自分が魅力的だと噂になっているとは思わない。
朋花の子豚ちゃんが、私に好意の対象を変えるとも思っていない。
けれど朋花が私のに大事な子豚ちゃんが取られちゃうんじゃないかと心配したというのは、それだけ私が彼女から見て魅力的だと真剣に思ってくれたことは――
ちょっと泣きそうなぐらい、私には嬉しいことだった。
「どうしたんですか~?」
「ご、ごめ、ちょっと……教室に戻るね!」
もう朋花の顔が見られなかった。
真っ赤になった顔を隠すように、私はその場を走り去った。
「なにかあったのかと、心配したじゃないですか~」
その日の夕刻、朋花はまたうちの店に来てくれた。
突然走り去った私を心配してくれた……というか、自分が何かしてしまったのかと思ったようだ。
「いや、あの、宿題やってないの思い出してさ……」
私は適当に言い訳をしたが、朋花のせいではないのは本当のことだ。
あくまで私が勝手に恥ずかしくなっただけなのだから。
「おわびに……はい。ホットチョコ」
私は自宅棟からお気に入りのカップにとっておきのホットチョコを入れ、持ってきた。
「いいんですか~? 店内で」
「いいよ。他にお客さんもいないし、親もいないし」
「悪い店員さんですね~」
そう言いながらも、朋花はカップを両手で持つと口をつけてくれる。
「たまにやるんだ。忙しくない時は、お店でこうして休憩」
「確かに~……ここで飲むと、お花に囲まれていていい気分ですね~」
私はその光景が嬉しかった。
たくさんの数と種類の花に囲まれても、朋花は負けずに美しくそこにいる。いや、彼女自身が周囲の花を引き立てている気すらする。
朋花ぐらいきれいだと、周りから浮いちゃうんじゃないかと思ったが、花の中の彼女はその美しさにおいて調和がとれている。
「意に沿わぬ花でも全体からすると調和がとれて美事な一点に見えることもある……か」
「はい~?」
「前に朋花が言ってたこと、ちょっとわかった気がする」
朋花は小首をかしげた。
「言ったのは私ではなくて、佐々木判官様ですけどね~」
「佐々木道誉じゃなかったっけ?」
「判官は役職名で、そう呼ばれることもあるんですよ。ちなみに道誉というのも出家してからの名で、本名は佐々木高氏といいますね~」
「そっか。覚えておく」
朋花は微笑んだ。
「凛さんは、よいお花屋さんになるかも知れませんね~」
「花屋になる……か」
ふと、私は口ごもる。
そうなんだろうか。
そうなるんだろうか。
恋とか結婚とかはさておき、私は将来花屋を継ぐことになるんだろうか。
もちろん花は好きだ。
商売の稼業とはいえ、花に囲まれて育ったことは幸せだと思う。
けれどそれが自分のやりたいことなんだろうか、一生を賭けた夢なんだろうか。
私はいまだに、両親の言う自分が真剣にやりたいことを、まだ見つけられていないのだ。
「ごめんなさい~」
「え?」
唐突に朋花が頭を下げる。
「人には自分の有り様をあれこれと注文を付けるくせに、凛さんの将来を今私は勝手に決めつけてしまいましたね~」
まったく朋花は人の感情に対して機敏だ。
私の将来に対する漠とした不安を、私よりも真剣に受け取ってくれたのだ。
「気にしなくていいよ。でも……そうだね。確かに私が将来、花屋になるのはどうなんだろうね……」
しばらく朋花は押し黙っていたが、やがて真剣な顔で私に言った。
「向き不向きで言えば、今お話しした通り向いていると私は思いますよ~。ただ、将来なりたいものというのは、向き不向きではなくやりたいかどうか、なりたいかどうかで決めるものですから~」
「……ねえ、私が花屋になったら……この店を継いだら朋花は常連客になってくれる?」
また朋花は押し黙った。しかも今度はさっきよりもずっと長く黙っている。
「駄目かー」
「そうではないんです~」
今度の彼女の返事は早かった。
「凛さんが稼業を継ぐなら、もしかしたら私も……そうちょっと想像をしていました。悪くはないかも知れませんね~」
その言葉はちっとも嬉しそうではなかった。
朋花の家の稼業が何かはおおよそわかってはいるが、彼女もそれを継ぐかどうかで悩んでいるとは知らなかった。
だがどうやらそれは、楽しいことではないみたいだ。それは伝わってきた。
「朋花の家がなにやってるのか、なにを継ぐのか私は知らないけどさ」
「え?」
「継がない方がいいよ。朋花は、聖母さまになるんだよ。うん、それでいい」
その日、私たちはその後なにも言わずに別れた。
まだ15歳の小娘2人が、将来についての不安を語り合った。
ただそれだけのことだった。
少なくとも私たち2人は、そう思っていた。
しかし世界にとっては、そうではなかった。
私たちは後日、それを思い知る。
「あ」
「あら~」
別に待ち合わせたわけでも示し合わせたわけでもないが、ある日の日曜日に私たちは外で偶然出くわした。
「今日は子豚ちゃんたちは?」
「今は騎士団の方が遠目で見守ってくれていますが、夕方までは私1人ですよ~」
親しくなったと思っていた朋花から、まだ聞いたことのない単語が飛び出してきた。
「騎士団?」
「天空騎士団と言いまして、私を守ってくれている選ばれし人たちのことですよ~」
どうやらファンである朋花の子豚ちゃんとは別に、彼女を守る人たちもいるらしい。
親衛隊みたいなものだろうか?
「ということは夕方までは時間あるの? 良かったらちょっと一緒に歩かない?」
「いいですよ~。お昼をどうしようかとも思っていましたし、凛さんはこの辺りにくわしいんですか~?」
「ううん。なんとなく来てみただけだから」
別段がっかりした素振りも見せず、朋花は可愛い房の付いた扇子で口元を隠しながら笑った。
いつも思うのだが、朋花の何気ない立ち居振る舞いは優雅だ。
これが品、というものなのかなと感心する。
「では、知らない者同士で、散策と参りましょうか~」
「うん、いいね」
私たちは連れ立って歩き出す。
「ね。私たちさ、周りからどう見られてるのかな」
「どう、とはどういう意味ですか~? 友達……というあたりではないでしょうか~」
「それはそうなんだけどさ」
なんとなく不満げな声が出て、自分でもびっくりする。
それはまあ、友達なんだろうけど。
「朋花みたいな娘と歩いてると、私もちょっと特別な存在になった気がするよ」
「私は聖母ですからね~。でも凛さんは子豚ちゃんにはならないと言われるので、やはりお友達ですね~」
「ふーん……あ、こんなとこに花屋があるんだ」
通りから見える場所に、割と大きな花屋があった。ウチの店より少し大きいだろうか。
「……なかなか品揃えが良さそうなお店ですね~」
のぞき込むようにしている朋花が、ちょっと嬉しそうな顔をしてるのがわかる。
こういう時の彼女は、普段よりも幼い感じがする。
そう、彼女は入ったことのない花屋に行くのが好きなのだ。
「寄ってみようよ。ちょっとさ」
「……そう、ですね」
あれ?
珍しく朋花の口調の歯切れが悪い。
「知らない店だよね?」
「そうなんですが……いえ、そうですね。入ってみましょうか~」
?
なんだろうと思っていたら、なんと朋花が私の手を握ってきた。
え?
どういうことだろう?
どういう意味?
どぎまぎする私を引っ張るように、手をつないだまま朋花は店へと入っていく。
「いらっしゃいま……え!?」
店員と思われる女性は、一瞬驚いたような表情を見せると、うろたえたように店の奥へと入っていく。
「? どうしたのかな?」
私の問いに、朋花は小さくため息をつく。
「悪い予感が当たってしまったみたいですね~」
「どういう意……」
私の問いかけが終わる前に、店の奥から先ほどとは別の女性が出てきた。
「……本日はどのようなご用件で?」
かなり強い口調だ。少なくとも歓迎されているとは思えない。
「あ、別に目的とかあるわけじゃなくて、どんな花があるかなあって思って」
同意を求めるように朋花に目をやるけれど、朋花は浮かない表情で黙っている。
「本日はこのような品ぞろえでして、ただ平素はもう少し……」
なぜだかうろたえ気味の店員さんを横に、朋花が言う。
「帰りましょう。凛さん」
「え、でも……」
まだ買うどころか、花もろくに見ていない。
朋花のことだから、また花束を作ってもらったりするんじやないかと思っていたのに、なんだか……
「ま、またのお越しを」
「え?」
「おじゃまいたしました~」
「え?」
そそくさと退散するように店を出るその瞬間、店員さん同士の声が私の耳にも入ってきた。
「天空橋のお嬢さんとフラワーショップシブヤのお嬢さんが、連れだって来るなんて……」
「無理難題を言われたり、重箱の隅をつつかれるようなまねをされなくて良かったじゃないですか」
「なんか、ごめん。朋花」
店を出て、私は朋花に手を合わせる。
「凛さんのせいではありませんよ~。それに色眼鏡で見られることには、私は慣れていますからね~」
そう、不勉強な私は知らなかったが、やはり朋花は知る人ぞ知るというか、知る人は知っている存在なのだ。
そして私も同様に、会ったこともない人からも花屋の娘であることは知られているのだ。
華道の家元令嬢と、花屋の娘が連れだってやって来たのだ。そりゃあ店側も何事かと思ったのだろう。
立場が逆なら、私だって緊張しただろうし、わかっていればすぐさまお父さんかお母さんを呼んだと思う。
ただ――
「気軽に花を見たかっただけなんだよね……」
私の独り言に、朋花は別に返事はしなかったけれど、少し寂しそうな表情をしていた。
思い返せば、私は朋花が何者かを知らなかっただけに、ごく普通の……お母さんに言わせればやや無愛想な対応を朋花にしていた。
朋花にとってはそれが、居心地が良かったのかも知れない。
しかしどこに行っても同じとは限らない。
私は花屋になるかも知れない。
朋花は華道の家元になるかも知れない。
だが社会は、私という花屋とは見てくれない。花屋という私を見る。
朋花だってそうだろう。華道家元という朋花を見るようになるのだ。
「別に花屋になりたくないとか、そういうわけじゃない」
ガーデンテラスのあるカフェに入ると、私は朋花に想いをぶつけた。
幸い他に誰もお客さんはいない。
「花は好きだし、店の手伝いも嫌じゃない。でも、私ってそれだけなのかな」
「私も……」
「え?」
朋花は他に誰もいないとわかっているはずなのに、周囲に目を配ってから再び口を開く。
「聖母になるとは決めています。これからも。でも、今よりも子豚ちゃんを増やしていくには、そして子豚ちゃんたちを魅了していき続けるにはどうしたらいいのかわからないでいるんです~」
私は朋花が家を継がずに聖母として生きていくことを悩んでいるのかと思っていたのだが、彼女はもうそこは決めているようだ。
だが聖母としてどうすれば、生きていけるのかというまた別の次元の悩みを抱えているとも言える。
「子豚ちゃんって、いま何人ぐらいいるの?」
「108人ですね~。騎士団の方達はそれとは別に、12人いますけど~」
即答できる朋花は、やはり子豚ちゃんたちを大切に思っているのだとわかる。きっと聞けば名前もそらんじてくれるんだろう。
「今以上に子豚ちゃんたちが増えた時、私の声が届かない子豚ちゃんがもしいたら……私の姿を見ることができない子豚ちゃんができてしまったら……」
「朋花は今以上に、子豚ちゃんを増やしたいんだ」
「もちろんですよ~。最終的にはすべての人を、子豚ちゃんにしたいと考えていますから~」
「ふふっ。壮大だね」
彼女の言う『すべての人』の中に、私はいるんだろうか?
そんなことがちょっと頭をよぎる。。
「ですが子豚ちゃんを何万人、何十万人に増やすには……そしてもしそうなった時……私の手からあふれ、私の眼に入らないような子豚ちゃんを、私はどうして気づいてあげて導いてあげればいいんでしょうか~……」
朋花は肩を落とす。
「朋花の悩みは、私とはスケールが違うよね。私なんか、やりたいことを見つけられないってだけなのに」
「なにを言っているんですか~?」
「え?」
「私は聖母になればいい、って後押ししてくださったのは凛さんですよ~?」
確かに言った。
朋花は聖母になるんだよ、それでいいと私は言った。
え? じゃあ朋花は、私がそう言ったから決意したの?
決意できたの?
「ですから凛さんも、きっと見つけられますよ~なりたいもの、人生を賭けられるほどに本気になれるなにかを~」
「……うん、ありがとう。見つけるよ、励ましてくれる朋花のためにも」
朋花はまた扇子で口元を隠し、微笑んだ。
「そもそもなんで朋花は、聖母になろうとしたの? そういうなりたいものを見つける為の参考に聞きたい」
「私が生まれた時、お爺さ……祖父は私を人相見に見せたそうなんです」
「にんそうみ?」
人相っていうのは人の顔だろうから、それを見る人ってこと?
「そうなんです。その道では有名なその方は、私の顔を見るなり『この子は傾城いや、傾国の相がある』……と」
相変わらず、朋花の話は難しい言葉が多い。
やはり古い……んだと思う家柄のせいだろうか。
「傾城というのは、文字通り城が傾く……つまり、私の為に城が傾くことになるという意味ですね~」
「お城が傾く……ってそれは、重さで?」
唖然とした表情を見せた朋花は、手にした扇子で顔を隠してしまう。
と、その肩が小さく震えている。
もしかして朋花、笑ってる?
えー見たい、見たい。
いつものすました微笑みじゃない、笑うのを必死でこらえている朋花の顔を、私は見たい。
身を乗り出した私から顔を背けながら、朋花は続けた。
その声はやっぱり、ちょっと笑っている。
「城が傾くのは、私が美人だからですよ~? 私を巡って沢山の人が争い、奪い合い、そして身を滅ぼしていくからです~……」
そのせっかくの笑い声が、話していくうちに沈痛なものに変わっていく。
「美しく、珍しい花があった時、人はそれを自分のものにしようとするんですよ~ましてその花が、世界にひとつだけ……その人しかいないのだとしたら……」
「その人を巡って争いがおこる……城が傾く、ってわけか。じゃあ傾国っていうのはつまり、朋花をめぐって国が傾いちゃう事態になるって意味なんだ……」
「無論、傾城や傾国というのはひとつの言葉です。ですが実際に、私を巡って争いがあったことは事実なんですよ~」
そうか、これが朋花が聖母さまになるという理由なんだ。
奪い合いにならないよう、誰のものにもならないよう、自分を好きになった人には平等にそして一生懸命に応えようというのだ。
「事実、こんなことが~……」
今や朋花の声は、沈痛を通り越して泣きそうですらある。
これ以上、彼女に喋らせたくない。
私は朋花の話を遮った。
「今さ、花のこと色々とお父さんに教わってるんだよね」
「……はい~?」
「ポインセチアってあれ正確には花じゃないんだよ。花に見える部分って苞って言って葉っぱが変化したものなんだって」
「……知ってますよ~」
「あと、リザンテラって花は地下で咲くんだって」
「……蟻が花粉を媒体するそうですね~」
「ラベンダーって富良野とかで寒い所で咲くイメージがあるけど、元々は地中海で咲いていた花なんだって!」
特に意味も脈絡もなく、私はただしゃべり続けた。
そのうち朋花は返事をしなくなり、そしてなおもしゃべり続けようとする私に抱きついてきた。
「え!? と、朋花!?」
「ありがとう……ございます~」
少し涙声で朋花は小さくつぶやいた。
結局私は、彼女を泣かせてしまっている。
当たり前のことだけど、朋花は私の意図なんかお見通しだった。
そう。私の、朋花にしゃべらせたくないという気持ちをわかっていてくれ、感謝の涙を流しているのだ。
「……うん」
私も朋花を抱きしめた。
腕の中の朋花は、ボロニアのような香りがした。
事態はなにひとつ好転していない。
私は将来の夢……というか自分がなりたいものを見つけられないでいるし、朋花は聖母として今後どうしていいのかわからないでいる。
それでも時間は過ぎていく。
もしかして、この先もずっとそうなのだろうか。
15歳の私はやがて16歳になり、17歳18歳と今のまま今と同じ悩みともいえぬ惑いを感じながら大人になっていくのだろうか。
人生ってそんなものかも知れない……とは思いたくなかった。それが内心のあせりとなる。
だが、そんな私にも転機がやってきた。
自然に、大事件というわけでもなく、しかし突然に。
歌は好きだ。歌うのも、聞くのも。
学校帰りに街中でスマホを見ていたら、ふと楽しそうな歌声が聞こえた。
目を上げると、とあるビルに映し出された街頭ディスプレイでアイドル達が歌い踊っていた。
そうだ、テレビでちょっと見たことがある。確か765プロという事務所のアイドル達だ。
これまであまりちゃんと見たことがなかったけど、こうして実際にライブとかしている歌や姿を見ると……うんもやっぱりすごい。
私は引き込まれていた。
手にはスマホを持ったまま、気がつけばその曲がおわるまで私は立ち尽くしたようにディスプレイを見つめていた。
「あ、店番……」
その日はお父さんもお母さんも出かけることになっている。
早く帰らないと。
私はいそいでその場を立ち去った。
一度だけ、またディスプレイを振り返ってから。
「アイドル、ですか~?」
私は3日後、さっそく朋花にアイドルになるよう勧めに行った。
「そう。アイドルは歌ったり踊ったり、そしてそれだけじゃなくてその輝きで見る人を魅了しちゃうんだよ。テレビとかにも出られるから布教になる上に子豚ちゃんたちは、テレビとかで朋花をたくさん見られるし。ライブとかすれば、直に朋花にも会えるし」
聞いているうちに、朋花の顔が輝いてきた。私の話の趣旨をわかってくれたようだ。
「なかなか良い考えかも知れませんね~。なるほど、私がアイドルとなれば自然と子豚ちゃんたちも……」
「ね、朋花にぴったりじゃないかな」
私も自然と声が弾む。
そう、これで少なくとも朋花の将来への不安はひとつ解消されたんじゃないだろうか。
アイドルとなり、子豚ちゃんたちを魅了し続ける。そして更に子豚ちゃんたちを増やしていけるのだ。
朋花ならアイドルになるのも簡単だろうし、すぐにトップアイドルになれるに違いない。
「ただ~」
「え?」
なにか問題がある? 私は怪訝な顔になる。
「凛さんは……どうするんですか~?」
「え? 私?」
「凛さんが、アイドルの良さを私に説いたのは、凛さんがアイドルの素晴らしさに魅了されているからではないんですか~?」
私は固まった。
やっぱり朋花は鋭い。そう、確かにアイドルってすごいなと思ったから、私は彼女に勧めたのだ。
「凛さんも、アイドルになりたいのではないですか~?」
否定しようとして、私は見てしまった。
朋花が挑むような眼をしているのを。
挑む? 私に?
なんで?
――わかったことだ。
朋花は、私にもアイドルになって欲しいのだ。
彼女は最初から、私をライバルだと思ってくれていた。
朋花みたいに素敵な女の子から、彼女に敵う相手と認められたことは今は素直に嬉しい。
だけど、私がアイドルなんて……
「違うよ」
私は適当な否定の言葉を口から出す。
「私は朋花がアイドルになればいいと思っただけで、自分がアイドルになりたいわけじゃない」
「嘘はいけませんよ、凛さん~」
すがるような朋花の声に耐えきれず、私は自分の目を逸らした。
「違わないよ。こ、これ、765プロってプロダクションの要項だって。今、39(サンキュー)プロジェクトっていう企画で候補生を募集してるんだって」
目を逸らしたまま、私は朋花に765プロダクション事務所からもらってきたパンフレットを押しつける。
「凛さ~ん」
「私は応募しないから!」
私は逃げるように……事実、そうなのだろうけれど……走り去った。
逃げる?
なにから?
朋花から?
違うと思いながら、それでも私はその場から走り去ったのだった。
私が店番に集中できていない場合、たいていはお母さんがそれに気づき叱られるというのが常だ。
今日も仕事に身が入っていないという自覚はある。
だがお母さんは怒らなかった。
ポンと私の頭に手を乗せると「休んでなさい」と言われた。
「具合でも悪そうに思われたかな」
そう思いながら部屋に帰って驚いた。
生気のない表情に、泣いたわけでもないのに目が真っ赤だ。
それはお母さんも、心配してくれるはずだ。
ベッドに身体を預けると、私は朋花の事を考えていた。
朋花はあのパンフを読んで、付属していた要項を書いて765プロに送るだろう。
彼女なら絶対に選考に選ばれるだろうし、面接を経て合格するに違いない。
だがそう想像することが、思った以上に自分自身の胸をひどく痛くする。
アイドルとして活動するようになれば、今までのようにはもう朋花とは気軽に会って話したりはできないだろう。
いやそれ以上に、朋花という得難い友が遠くに行ってしまうことが、無性に悲しくて心が痛む。
考えれば馬鹿な話だ。彼女にアイドルになるよう勧めたのは自分だ。
それなのに彼女がアイドルになることを想像すると、こんなにも寂しく悲しくなるのだ。
けれどーー
「朋花がアイドルになれたら、やっぱり嬉しいかな」
彼女はアイドルという聖母になるのだ。
日本中、いや世界中にファン……子豚ちゃんを増やして魅了していくのだ。
彼女のことが好きな人を、彼女が大切にしていけて、そして大切にしてもらえる夢を叶えるのだ。
3日もなにもせず、そんなことを考えていたら少しずつ私も落ち着いてきた。
と、教室の中がザワザワとする。
なんだろうと思う間もなく、隣の席の友達が私の肩をつつく。
「凛、ほら」
彼女の指さす先には……
「朋花!?」
「放課後、私に付き合っていただけませんか~?」
3日ぶりに会う朋花は、別段怒っている風でも悲しそうでもなく、普段通りの微笑みで私にそう言った。
「あ、あの、この間は、その……」
「なんですか~?」
「お、怒ってる?」
「なにか怒られるようなことを、凛さんは私にしたんですか~?」
「そうじゃないけど……いや、ごめん」
「……放課後、つきあっていただけますか~?」
「それは、うん」
「では、また」
それだけを言うと、朋花はきびすを返して去って行った。
おそらく彼女のクラス、J組に。
「聖母サマがわざわざウチのクラスに来るなんてねー」
隣の友達が腕を組み、うんうんと頷きながらそう言う。
「別に、クラスにぐらい来るんじゃないの?」
「今ぐらいの用事、例の子豚ちゃんに言えば、ぶひぶひ言いながら喜んでやってくれるのに」
なるほど、確かにそうかも知れない。
子豚ちゃん達はいつでも朋花の役に立ちたがっているし、朋花もそんな子豚ちゃん達の為に細々とした用事を命じたりもしている。
彼女は別に傲慢でも高慢でもない。子豚ちゃんが喜ぶ、彼女のためになることを与えてあげているのだ。使命を与え達成させるのも聖母の役割、そう言って。
その意味では私なんかにちょっとした伝言を頼むのは、子豚ちゃん向きの良い使命だったかも知れない。
それなのになぜ、朋花は自ら1番遠いA組までやって来たのか。
「私に、会いたかった……から?」
そうだったらいいな……と、私はありそうもない願望を口にしていた。
放課後になり、J組に行った方がいいのかな……と思っていると朋花の方から来てくれた。
また、私の周囲がザワつく。
私は少し、鼻が高い。
「私がJ組に行ったのに」
「凛さんが来ると、子豚ちゃん達が凛さんに取られちゃうかも知れませんからね~」
「そんなことはないと思うけど」
「前にも言ったはずですが」
朋花はそう前置きして続ける。
「私は、凛さんが私のライバルになると思っていますし、それを恐れていますから~」
私は肩をすくめる。
「そんなことにはならないと思うけど、それで? どっか寄る? それともうちの店に来る?」
「……今日は、私の家に~」
「え!?」
朋花の家は、住宅街に忽然と現れる森のような場所にあった。
正確には、門付きの森。
森の正面に門がくっついているのだ。
その森も、中ではあちこちに季節の花が咲いている。
「普通の家じゃないだろうなとは思っていたけど」
「母屋の一部は、室町時代から残っているそうですから、確かに普通の家とは違うかも知れませんね~」
さらっと朋花は言うが、室町時代って何年前だっけ!?
「中には母屋以外にも、礼拝堂もありますよ~」
日本家屋の中に礼拝堂がある? もしかして朋花が聖母さまになろうと想ったことと関係あるのだろうか。
「表札とかも、出てないんだね」
「ここが天空橋だとご存じの方には、必要ありませんから~」
「でもほら、郵便とかは? 届くの?」
「私書箱がありますよ~」
言いながら彼女は門をあけると、頭を下げた。
「朋花です。ただいま戻りました~」
彼女はそう言うと、門の中へと入っていく。
「と、朋花。朋花!」
「はい~?」
私は朋花を必死で呼び止める。
「誰かそこにいるの?」
「誰か、って……誰もいませんよ~?」
彼女は不思議そうにそう言うが、不思議なのは私の方だ。
「だって今、挨拶してたじゃない。誰かに」
「ああ~」
朋花はまた、扇子で口元を覆いながら微笑んだ。
「別に誰かがいたから、挨拶をしたわけじゃありませんよ~。誰いなくとも、己を弁え、誠実でいるのが礼ですからね~」
そういうものだろうか。
今一つピンとはこないが、お母さんにいつも接客でお小言をいただく身としては、彼女の言うことが正しいのだろう。たぶん。
私の困惑に、朋花が言葉を添えてくれる。
「花は誰も見ていなくても、自ら美しくありますよね~。礼儀作法とは、そういう美しさだと……まあこれはお爺様の受け売りですが~」
なるほど。朋花の言葉に少し私はわかった気がした。
誰かが見ているからではなく、いつも美しく咲いよう……というのは、確かにいい考え方だと思った。
「えっと、渋谷凛です。ただいま戻り……えっと違うよね。初めまして……かな」
私も門で頭を下げる。
先をいく朋花が、クスクスと笑っているのが、花の香りの空気と共に伝わってきた。
門から玄関までかなり歩き、玄関で靴を脱ぐ。
その動作や課程ひとつひとつに、朋花がこの大きなお屋敷のお嬢様だという実感が伴う。
廊下を歩いていると、朋花はある部屋の前で膝をついた。
手を揃えて頭を下げると言った。
「ただいま戻りました。朋花です」
「うむ」
部屋の中から声がする。
初老の男性と思われる声なので、もしかしてこれが朋花の言っていた『お爺様』かも知れない。
「誰か他にそこにおるのか?」
「はい~。学校の友人です~」
ほう、という呟きのような声が聞こえた。
「茶室を使うといい」
「ありがとうございます~」
朋花はまた頭を下げると、そう言った。
どうしよう。
これ、私も何かごあいさつ……とかするべき?
廊下に膝をついて、手を揃えて頭とか下げた方がいいの?
「こちらへ、凛さん~」
悩んでいると、朋花は既に立ち上がっていて私にそう言った。
「ね、ねえ」
「なんですか~?」
「私も、その……ごあいさつするべきなの?」
ストレートに私は聞いた。
「今はよろしいんですよ~」
彼女は簡潔にそう言うと、歩き出した。
私は、ついていくしかなかった。
茶室というのが、お茶を飲む部屋以上の意味がある場所だというのはわかっていた。
いわゆるテレビなんかで見る、茶道の席みたいな部屋だろうとは思っていた。
だが朋花は庭に出ると、また森のような場所を通り小屋みたいな所に私を連れて行った。
茶室は部屋ではなく独立した、ちょっとしたした家ぐらいある別の建物だった。
「先程の件ですが~」
「え?」
「障子が閉まっているということは、あちらとこちら、世界が分けられている……という意味合いがあるんです~。ですから、初対面の凛さんは黙っていて正解なんですよ」
彼女の言うことは、少しもわからない。世界が分けられている? 世界史でちょっと聞いたあれは、確か壁だったけど。
「誰だか知らない初対面の人がいた場合、扇子をこう……かざして間から相手を伺いながら壁を作ったりするのも、そういう習わしですね~」
「へえ……」
少しも理解できていないが、とりあえず私はそう言った。
朋花は茶室の障子を開けるとその廊下に腰掛けた。
「凛さんもこちらへ~」
私は頷くと、朋花の隣に座った。
「本日、凛さんにおいでいただいたのは、写真を撮っていただきたかったからです~」
「え? 写真?」
「先日、凛さんが私に渡したんですよ~?」
な、なにを? そう思っていて思い出した。
私が朋花に渡したのは、あの765プロへのアイドル募集要項だ。
「顔写真を同封の上、と書いてあったじゃないですか~」
「うん、確かに書いてあったね」
どうしたのか、私がそう言うと朋花は黙り込んでしまった。
不思議に思い彼女の顔をのぞき込むと、なぜだか彼女は嬉しそうにしていた。なんだろう。
「では」
数分の後、朋花は再び口を開いた。
「凛さん、撮っていただけませんか~? 私の写真を~」
「う、うん……え? 私が撮るの!?」
「先ほどから、そう言っているではありませんか~」
どうして?
自撮りが難しければ、彼女には彼女のために何かをしたい子豚ちゃんたちが大勢いる。彼・彼女たちに撮ってもらえばいいんじゃないだろうか。
少なくとも朋花を撮りたい子豚ちゃんは、大勢いると思うのだけど。
「凛さんが持ってきた募集要項なので、凛さんにその責任をとっていただかないといけないと思いまして~」
「そういうものなの? じゃあ……わかった。でも私、スマホしか持ってないけど」
「それでけっこうですよ~。では……」
腰を上げると朋花は、ツツジの前に立った。
前にも思ったけど、朋花は本当に美事な一本の花だ。
そこに立つだけで、花束のように彼女の周りは景色が変わっていく。
「ツツジ……入らないけど……あ、顔写真だからいいのかな」
「いいと思いますよ~。ただ、凛さんが撮りたい風景の中に私はいたいので……」
嬉しい言葉だった。
そう。今、朋花は私の手の中にいる。
この光景が花束なら、作っているのは私。
私は今、朋花を好きにアレンジメントしていいのだ。
「もっと下を見て……うん、もうちょっと……目だけ今度は……いや、左下を見た方がいいかな? じゃあ今度は上を」
「凛さ~ん? そんなに撮っても使うのは1枚だけなんですよ~」
「いいじゃない。あ、これ、私も画像もらうから」
「子豚ちゃんじゃない凛さんには、私の聖画はさしあげられませんよ~」
「もう私の個人フォルダに保存しちゃった」
「あ、凛さ~ん!」
結局一時間も私たちは、ああでもないこうでもないと、たくさんの朋花の顔写真を撮り。そして、より抜きの一枚を選び出した。
「プリントアウトはどうするの?」
「私がコンビニでやりますよ~」
「えっ?」
「? なんですか~?」
「朋花、コンビニとか行くんだ」
彼女は苦笑する。
「聖母もコンビニぐらいは行きますよ~」
「ちょっと想像できない。コンビニスイーツとか買ったりする? 私、今オーゾンでやってるパティシエ加藤のアナベル・ショコラがお気に入りなんだけど」
「そうそう、それで思い出しました~。お爺様が気を使ってお茶菓子をくださったのですが、お茶の用意をする時間はなかったので、帰る時にお渡ししますね~」
さっきのお爺様が、お菓子を? 全然気づかなかったのだけれど、きっと私は朋花を撮るのに夢中だったのだろう。
「この茶室は、燕庵を模した良い茶室なので、私も凛さんが空気に見合うと思っていたので残念ですが、その景色はまた次の機会にいたしましょう~」
えんなん?
と、朋花にまた聞こうと思ったがやめておいた。
それに私が茶室の風景に合うはずがない。
朋花だから、この庭に負けないで咲いていられるのだ。
私なんかが……
帰り際、朋花が門まで見送ってくれた。
朋花はなにやら紙でくるんでそのくるんだ部分を綺麗な紐で結んだ物を取り出した。
私は朋花からその紙包みを受け取る。
そうか、これが例のお茶菓子か。
「今日は良い日になりました~」
「写真ぐらい、いつでもつきあうよ」
朋花は曖昧な笑みを浮かべる。
「ではなくて、ですね~」
「? なに?」
「凛さんの本心が、垣間見られましたから~」
何のことかはわからないまま私は帰宅すると、朋花からもらった紙包みを開いてみた。
「干菓子だ。やっぱりこういうの高いのかな?」
私は夕食の後、お父さんやお母さんにそれを出して見せた。
「チョコレート好きの凛が、和菓子とは珍しいな」
「今日、友達の家でもらって。せっかくだから」
「凛……これは……」
お母さんが、干菓子の入っていた紙包みのその和紙を丁寧に広げる。
あれ? なにか書いてある?
「今来むと 言ひしばかりに 長月の 有明の月を 待ち出るつるかな……百人一首ね」
「うん。素性法師だな。……凛」
「え?」
「意味がわかるか?」
「えっと……ちょっとわからない」
お父さんとお母さんは、苦笑いして肩をすくめている。
え? なに? なに?
「これは……」
お母さんは、また紙に干菓子を包み直して私に押しつける。
「あなたがもらったものなんだから、あなたがいただきなさい」
部屋に帰ると私は、スマホで紙に書いてあった百人一首を検索してみる。
「待ち出るつる……か……な、と。なになに? こ、恋の歌!?」
あやうくベッドから落ちそうになりながら、私はスマホの画面に並んだ訳文を読む。
「今すぐに参ります、とあなたが言ったばかりに九月の長夜を眠らずに待っているうちに、夜明けの月である有明の月が出てきてしいました……」
まあ確かにここで歌われているのは、恋心なのだろう。
だけどたぶん、朋花は違う意味でこの歌を紙に書いておいたのだろう。
私は気づかないかも知れない、この包み紙に。意味が理解できるかもわからない、この百人一首の歌を。
待っている。来てくれないと、寂しいよ……と。
私は朋花と比して、自分のことを「自分なんて」と思いがちだが、朋花は違う。私をライバルと認めてくれている。出会った最初の頃からそう言っていた。
ライバルということは、同じぐらいすごいということだ。
そのライバルが、私を待ってると言ってくれている。
同時に友達して、寂しいとも言ってくれている。
でも……
「私が……アイドル?」
それは、震えるような想像だ。
わたしもあんな風に、いつか見た目屋外ディスプレイの光景のように、光あふれる場所で咲けるのだろうか。
思い悩む私に一週間後、朋花のニュースが飛び込んできた。
「ほら凛、いつかのJ組の聖母サマだけどさ」
「朋花のこと?」
「だっけ? あの娘、アイドルになるんだってさ!」
「ということは、やっぱり合格したんだ」
「あれ? 知ってた? なんかオーディションに合格したとか。それもあの765プロのね」
彼女なら当然受かるだろうと思っていたオーディションに、やはり朋花は合格していた。
嬉しいと同時に、またあの喪失感が胸を襲ってくる。
今更、朋花を追いかけようにもあの765プロ39プロジェクトの応募は終了してしまっていた。
要項をよく読んでいた私は知っている。
「あ……」
いつかの朋花の家で、私が応募には写真が必要だったことに同意した時、朋花が少し嬉しそうだった理由がわかった。
あの時、朋花はやはり嬉しかったのだ。
私がちゃんと要項を読んでいたから……アイドルになる方法をちゃんと読んでいたからだ……
そうだ、私もアイドルになる方法を知りたがっていた。
それはとりもなおさず――
私もアイドルになりたかったんだ……
後悔しても、もう遅い。
39プロジェクトは終了し、アイドル候補生の募集は終わってしまっているのだから。
今更ながら、私はあの時に朋花と一緒に、朋花に誘われた募集に応募していれば良かったと悔いた。
なくしてしまって、人は初めて手にしていた物の大きさに気づく。
怖じ気付いて逃げ出したその夢は、思い返せば私が初めて興奮するような、なりたい姿だった。
けれど私は、その場所に朋花という自分よりも美しいと信じる少女を送り出して満足してしまっていた。
けれど違う。本当は、私も並び咲きたかった。
彼女だけでなく、私も咲きたかったのだ……
遅ればせながら、自分もアイドルになりたかったのだと気づいた。
朋花も私が、アイドルになるのを待っているとわかった。
そんな私に……というかうちの店に、またしても私の運命を変える来客があった。
そう、運命はいつも花を求めてやって来るのだ。
私が花に囲まれて育ったからか、その為に花が好きだからなのか、その両方なのか。
いずれにしてもその来客は、花を求めてやって来た。
「あの……」
「いらっしゃ……」
来客に挨拶しようとして、私は絶句した。
うちの店はお父さんが「バーベナも店頭に飾れるぞ」と自慢するほどに入り口が高い。
その入り口を、もしかしたら頭がぶつかってしまうんじやないかと心配になりそうなほど大きな男の人が入ってきたのだ。
優に190センチはあるであろうその男の人は、お世辞にも人相がいいとは言えない顔をしており、白目の多い瞳は眼光鋭く私を見据えている。
「な、なに……?」
つい、おおよそ接客とは思えない口調で言葉を発した私を、その男の人は咎めるでもなく言葉を続けた。
「急ぎで花束を、作っていただけますか」
「……っ、は、はい」
そうだ。お客さんだ。
そのよくわからない迫力に圧倒されてしまったが、ここはお店で私は店員。そしてこの男の人はお客さんなのだ。
「えと、ご贈用答ですか?」
「……」
「あの……?」
「……失礼ですが、アイドルにご興味は?」
「はあ?」
思いもかけない時、思いもかけない場所で、初対面の人にいきなり核心を突かれる質問をされ、私は狼狽する。
「私、こういう者です」
男の人は腰をかがめ、両手で名刺を持って私に差し出す。
名刺の小ささと男の人の大きさの差で遠近感が狂い、名刺に手が伸びない。
「……せめて名刺だけでも」
いや、名刺を受け取らないわけではない。
ただなんというか……
「……またやって来ます」
男の人は、カウンターに名刺を置いた。
そして去って行った。
「アイドル……って……あれ? そういえば花束は? 作らなくていいの!? ね、ねえ!!」
男の人はもういなかった。
それから半年後――
「あれ? どこ行くんだよ、朋花」
「もうすぐ本番ですよ、朋花さん」
既にステージ衣装を身にまとった朋花に、永吉昴と七尾百合子が声をかける。
「わかっていますよ~。ただちょっと、どうしてもステージに上がる前にお目にかかって用事を済ませたい方がおられまして~」
「誰のことですか?」
「用事っていったいなんだよ?」
朋花は、心底嬉しくてたまらないといった表情で、彼女にしては珍しい悪戯っぽい笑みを浮かべて言った。
「用事というのはですね~」
「おーい、凛。なんかお客さん来てるんだってさ」
「765プロの新人アイドルの娘らしいんだけど、知り合い?」
控え室で、ユニット仲間の神谷奈緒と北条加蓮に声をかけられ、笑みを浮かべて立ち上がる。
「来たね。待ってたよ……」
「な、なあ、本番前に余所の事務所のアイドルと、なんの用なんだよ」
「まさかとは思うけど、もめ事とかじゃないよね?」
凛は2人に向けて、少しイタズラっぽく笑ってウインクをした。
「用って言うのはさ……」
「口げんかですよ~」
「口げんかだよ」
「ええええええっっっ!?」×4
「いや、ほんとに口げんかしてるけど……」
「大丈夫なんでしょうか……」
「うん。けどさ……」
「なんか2人とも……楽しそうじゃない?」
外から4人が見守る中、朋花と凛の口げんかは白熱していた。
けれどその表情は、2人ともこぼれるような笑顔だ。
「凛さ~ん? アイドルにはならないんじゃなかったんですか~?」
「私はそんなこと言ってないよ?」
「はい~?」
「私は、アイドル候補生に募集はしないって言っただけ」
「……スカウトは募集より上、とおっしゃりたいのですか~?」
「私はそんなこと言ってないよ?」
「自分がアイドルになりたいわけじゃない、とは間違いなくおっしゃいましたよね~?」
「あー……えっと、そうだっけ?」
「凛さ~ん!」
2人とも、吹き出しそうになりながら口論を続ける。
「あれだよ。朋花が待ってる寂しいって意味の百人一首、私に送ってくるからそれで」
「そんなこと、ありましたっけ~?」
「いつかの干菓子の包み紙に、書いて渡したじゃない」
「ああ~。あれは別に私が書いたわけではありませんよ~? たまたま包んだ懐紙に書いてあったんじゃないですか~?」
「おーい! 朋花ー!」
「そろそろ出番だそうですよ」
「凛、こっちも準備しろってさ」
「早く早く」
「あら~残念ですが、この続きは合同ライブが終わってからにするしかなさそうですね~」
「うん……確かに残念だけど、今日だけじゃなくても機会はまたいくらでもあるよ。きっと」
2人は手を握った。
「凛さんが花束になるところ、見ていますよ~」
「私も。朋花がどんな生け花になるのか、見ている」
その日、ステージではたくさんの花が咲いた。
中でも2輪の違う花は、ひときわ綺麗に咲いていた。
2輪の花は、別々に咲いていたけれど――
お互いの姿を見て、お互いの姿を映しあって、同じ気持ちで咲いていた。
「意に沿わぬ……なんだっけ?」
「意に添わぬ花でも、生けた全体からすれば見事な一点になることもある……ですよ~」
「そうだった。私ね、ちょっと調べてみたんだ。佐々木道誉。ばさら大名だって書いてあった」
「ばさらは金剛石のことで、その揺るぎない強固さで常識を打ち破る……そういう心意気を示したものなんですよ~」
そう、私たちは閉塞していた、どうにもならないかも知れないと思っていたそれぞれの未来を打ち破った。
アイドルとなることで。
「私たち、綺麗に咲けたかな?」
「お互い、美事な一点になれたんじゃないでしょうか~」
お わ り
以上で終わりです。おつき合いいただきまして、ありがとうございました。
シンデレラガールズの渋谷凛とミリオンライブの天空橋朋花2人のお話でした。
とても好きな2人です。
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