【モバマス】小夜啼鳥の歌 (56)
・地の文
・独自の設定、解釈を含む
↓続きではないけど同じ世界線の話
【モバマス】月を想う
【モバマス】月を想う - SSまとめ速報
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人は夢を見る生き物、らしい。
夢を探し、夢を追い。
夢に支えられ、夢に苦しめられ。
夢を求め、夢に焦がれる。
夢を手にしても、あるいは破れても。
夢は消えることなく在り続ける。
そうして人は生きていくのだそうだ。
「まるで呪いだな」
こぼれた言葉はそのまま自分に突き刺さった。
私のどこに、そんな不遜な物言いができるだけのものがあるのか。
過去を失い、未来を望まず。
ただ今だけがある私に。
振り返らず、見上げることもせず。
そうして生きてきた私に。
夢などという不確かなものが入り込む余地などない。
希望はなく、絶望もない。
残酷なまでに優しい世界に生きる私に。
停滞という泥濘に浸かり、感覚を麻痺させ。
永遠に続く今を繰り返す。
私にかかった呪いの方が、よほどタチが悪いではないか。
***************************
私の世界は変わることなく続いていく。
そんな予測はあっさりと覆されてしまった。
誰あろう、唯一の拠り所である方の手によって。
「それじゃあ千夜ちゃん、行ってくるね」
刹那的で奔放、それでいて厭世の匂いが漂う。
お嬢さまはそんな方だった。
ある日突然アイドルになると言われても。
あまつさえ、私を巻き込んだとしても。
驚きはしても抵抗は感じなかった。
何しろ、こういったことは初めてではない。
大抵の場合は一時の退屈しのぎに過ぎないのだ。
「行ってらっしゃいませ、お嬢さま」
けれど今回は、少し様子が違った。
戯れに飽きればそれで終わりのはずだった。
しかしお嬢さまは、今なおアイドルを続けている。
いつもの気まぐれではなかった、ということなのだろう。
何がお嬢さまにそうさせるのかは分からない。
しかしそれは、私が口を出すような問題ではない。
お嬢さまが望むのなら、応えるまで。
だから私もアイドルを続ける。
それだけのことだ。
最近のお嬢さまは、少しずつ変わってきている。
以前に比べて前向きになっているように感じられるのだ。
いつもと同じ日常の端々に、その兆しが見て取れる。
それは、世界の変容を意味していた。
私にとってお嬢さまは、世界そのものなのだから。
たとえ私が変わらぬ今を求めたとしても。
抗うことなどできようはずがない。
私にできることはただ一つ。
お嬢さまに付き従うことだけなのだから。
だから私は変化する世界をただ眺める。
その意味など考えることすらなく。
***************************
「よし、今日はここまで」
トレーナーのよく通る声が響く。
途端に、レッスンルームに弛緩した空気が流れた。
「ストレッチは十分に、反省点はまとめておくこと」
お決まりの文句を残してトレーナーが退室していく。
その背中を気怠げな返事が追いかけた。
「……ふぅ」
そこここに広がる話し声を尻目に一息つく。
日常的なレッスンであっても、私には十分ハードだ。
まだまだ、ということなのだろう。
いくらか余裕が感じられる周囲の声に思い知らされる。
当然といえば当然か。
いくつかのステージを経験したとはいえ、所詮は新人。
積み重ねてきたものが違うのだから。
……それで良いではないか。
私はアイドルに何かを求めているわけではない。
何かを求めてアイドルになったわけでもない。
私はただ、与えられたものをこなしていけばいい。
お嬢さまの顔に泥を塗るようなことさえなければいい。
私は、それで良いのだ。
「さて、どうしたものか」
ストレッチを終え、汗を流すとやることがなくなってしまった。
お嬢さまを迎えに行くか、先に帰宅し食事の準備をするか。
普段ならばそのどちらかを選択するだけだ。
だが、この先一週間ほどはそのどちらも選べない。
お嬢さまは今朝方、地方ロケの仕事に出てしまったのだ。
ともかく事務所の外に出る。
仕事でもないのにここにとどまる必要はない。
仕事でもないのに誰かと馴れ合う必要も感じない。
だが。
このまま帰宅しても中途半端な時間になってしまう。
お嬢さまが不在の内に屋敷の掃除をしてしまいたいが、その余裕はなさそうだ。
私の手際では間違いなく時間が足りないだろう。
加えて言えば、今日のレッスンの影響で体が重くもある。
掃除はまた別の日、ということにしよう。
結論づけて顔を上げると、公園が目に入った。
特にやるべき事も無いのだから丁度良いだろう。
ベンチで一休みすれば、良い時間つぶしになる。
しぶとく残った疲労もどうにかしてしまいたい所ではあるし。
言い訳じみた思考を胸に、公園へと足を踏み入れた。
――――――
――――
――
昼を過ぎた日差しは柔らかかった。
のんびりと流れる時間が疲労を洗い流してくれるようだ。
「反省点……か」
弛緩した思考に、先程のトレーナーの言葉がよみがえる。
すぐに連想されたのは、表現力、という問題だった。
ステージ上で具現化し、伝えるもの。
私にはそれが足りないらしい。
それもそのはず、というのが正直な感想だ。
そもそも私に、伝えたいものなど存在しないのだから。
ステージを共にした相手から指摘されたこともある。
しかし、無いものは無いのだ。
取り繕って有るように見せたところで、本質的に無意味だろう。
ならばどうするか。
技術的な面で過不足なく振る舞えるように、というのが私の答えだった。
そうすれば、悪目立ちするようなことはない。
それで十分だ。
アイドルなどいつまで続くのかもしれないのだから。
「しかし、やはり体力面か」
そうは言っても、今の私がアイドルであることに変わりはない。
お嬢さまにそう望まれている以上、応えなければならない。
ならば、できることを十全にこなす必要がある。
普段のレッスンくらいは難なくこなせなければ話にならないだろう。
「こんにちはですねー」
その声に思考を打ち切り、視線を上げる。
すぐ目の前に見覚えのある顔があった。
こうまで近づかれてなお気づかないとは。
ずいぶんと呆けていたらしい。
「お隣、よろしいでございますか?」
私が彼女を知っているのは、その特徴的な容姿によるものだ。
事務所は、個性的という言葉が用をなさないような面々であふれている。
その中にあってなお、彼女は印象的だった。
金髪……は珍しいとは言えない。
だが彼女は、そこに褐色の肌と碧色の瞳が加わる。
物語の中でもなければ、そうそうお目にかかれないだろう。
「……どうぞ」
しかし、彼女が私を知っているかというと、どうなのだろう。
まともに言葉を交わしたのはこれが初めてではないだろうか。
にもかかわらず、なんでわざわざ。
そんな疑問は、結局外に出ることはなかった。
一欠片の邪気も感じない声。
こちらの内側にスルリと入り込んでくる表情。
それらが私から、拒絶という選択肢を奪っていた。
「ふふー、ありがとうございますですねー」
屈託をまったく感じさせない笑顔が返ってきた。
隣に座る仕草はごく自然で、ずっと以前からそうしてきたようだ。
「わたくし、ライラさんと申しますですよ」
「ええ、知っています。私は……」
「シラユキチヨさん、でございますよね?」
私のことなど知らない。
当然そう思っていた。
「……なぜ」
事務所で数回すれ違ったことがあったかどうか。
仕事で直接関わったこともない。
その程度で覚えられるほどの個性も、私にはないだろう。
だというのに、彼女は私を私として認識していた。
「ライラさん、人の顔と名前を覚えるのは得意なのです」
驚きに対する答えは笑顔だった。
無防備で、幼くすら見える。
つられて頬が緩むのを自覚した。
「チヨさんのお名前、どういう字を書くでございますか?」
名前はその人を表す、その人だけのものだから。
だから、ちゃんと知りたい。
彼女はそんなことを言った。
「白い雪に漢数字の千、朝昼夜の夜ですね」
名前。
それは、僅かばかり残された私のよすがであり。
私を縛り続ける呪いの一端でもある。
「千の夜、でございますか?」
「ええ」
名は体を表す、などとよく言ったものだ。
果てしなく続く夜。
それは間違いなく私の世界だ。
見通しもきかず、変化もない。
それこそが、私が望む世界なのだ。
しかしそれを表に出すようなことはない。
わざわざ人に知らせるようなことではないのだから。
誰がどうであれ、私の望みは変わらないのだから。
「……千夜一夜」
「どうかしましたか?」
何やら考え込んでしまった彼女に声をかける。
自分の内心は綺麗に覆い隠して。
それは、息をするくらいに簡単なことだった。
「ライラとは、日本語で夜の意味なのです」
要領を得ない答えが返ってきた。
なぜかその瞳が嬉しそうに輝いている。
「二人合わせてアルフ・ライラ・ワ・ライラですねー」
「アルフ……?」
お互いの名前に、夜という共通点があるらしい。
それは分かったのだが、出てきた言葉は耳慣れないものだった。
「あー……千夜一夜物語、ご存じありませんですか?」
次に出てきた単語はどこかで聞いたことがあった。
記憶から知識を引っ張り出す。
「アラビアンナイト……でしょうか」
「おー、それでございます」
コクコクと彼女が頷く。
それならば映画を見たこともある。
「魔法のランプに空飛ぶ絨毯、でしたか」
「あー……正解ですが間違いでもあるのですよ」
「どういうことでしょうか」
話によると、私が思い浮かべた物語はヨーロッパで後付けされたものらしい。
だから厳密に言えば、それは別の物語となる。
その一方で、千夜一夜物語には確固とした原典が存在しない。
様々なものが付け足され、混ざり合ったものが現在に続いている。
その意味では、今の私たちが認識しているものが正しく千夜一夜物語なのだとか。
「ずいぶんといい加減というか、大らかというか」
「えへへー」
嘆息と共に言葉がこぼれる。
私の呆れに対して、照れたような笑いが返ってきた。
なぜそんな顔を。
そんな疑問が頭を掠め、けれどすぐにどうでもよくなってしまった。
それくらいに呑気な笑顔だった。
「おー、もうこんな時間でございますか」
その言葉に顔を上げると、空が赤く染まりだしていた。
いつの間にこんなに時間が経っていたのか。
何かに化かされたような、そんな気さえしてしまう。
「それではまた明日、ですねー」
「ええ、また」
ずっとそうしてきたような、何気ないやりとり。
それが自分の口から出てきたのが不思議だった。
まともに言葉を交わすのも初めての相手だというのに。
こちらに手を一振りすると、彼女は足取り軽く去って行った。
私の戸惑いなど、気づく素振りもない。
けれどそれが、どうしてか好意的に感じられる。
「また……か」
小さく、自分の台詞を繰り返した。
なぜそんなことを言ったのか分からない。
だが、間違いではなかったと、そう思える。
家路につく足取りは奇妙なほどに軽かった。
***************************
お嬢さまがいない。
ただそれだけで屋敷が数倍は広く、寒々しく感じる。
故あって天涯孤独となった私を、お嬢さまは迎え入れてくださった。
その恩の大きさは計り知れない。
だから私は、私の全てをもってお嬢さまに仕える。
到底返しきれる恩ではないが、そうしなければならないのだ。
だからこれは当然のことだ。
主のいない屋敷も。
主のいない使用人も。
ただひたすらに空虚でしかないのだから。
おざなりに食事を済ませ、何をするでもなく床につく。
目を閉じる直前、脇に置いたスマートフォンが振動した。
『どう? 変わりはない?』
お嬢さまからのメッセージだった。
気を遣わせてしまったのだろうか。
お嬢さまのことだ、今の私の有様もお見通しだろう。
「ええ。こちらはいつも通りです」
お嬢さまの優しさが嬉しくて。
そうさせてしまう自分が情けなくて。
これ以上心配をかけさせたくない。
その想いが、欠片の愛嬌もない文面になった。
「お嬢さまはお変わりありませんか?」
『大丈夫。魔法使いさんも付いているし』
魔法使い。
私たちをこの世界に引き込んだ張本人。
はっきり言ってしまえば、私はこの男が気に食わない。
この男は、私の世界を変えた元凶なのだから。
その意味でこの男は、私にとってノイズに等しい存在だった。
同時に、お嬢さまの望みを叶える為に必要な存在だった。
二律背反とは、まさにこのことだ。
「何かあればお呼びください。すぐに参りますので」
仕事の上では有能、なのだろう。
多分に抜けたところはあるが、認めざるを得ない。
無能であれば遠慮なく追い払うこともできたというのに。
それが尚のこと、気に食わないのだ。
お嬢さまは、そんな私を見て楽しんでいる節があるが。
『ダメだよ。せっかく一人なんだから、自由な時間を楽しんで』
一人で無為な時間を過ごすくらいならば。
そんな考えはあっさりと否定された。
自由な時間など必要ないのに。
あるいはお嬢さまも、そんな私の考えは見抜いているはずなのに。
「ありがとうございます。明日も早いようですので、ゆっくりとお休みください」
けれど私には、お嬢さまの言葉に抗することなどできない。
『うん。千夜ちゃんもおやすみなさい』
「……お休みなさいませ、お嬢さま」
最後の言葉をそっと口にする。
お嬢さまも同じようにされているのではないか。
何となくそう思えた。
自由。
目を閉じてもなお、先程の言葉が頭から離れない。
私はそんなものを求めていない。
だがお嬢さまは、それを私に求めている。
では私は、一体どうすれば良いのか。
思考の迷路にはまっていると、少し前に聞いた話が浮かんできた。
私とライラさんをつなぐきっかけとなった、千夜一夜物語。
シェヘラザードは、明日をも知れぬ命を自らの語りでつないでいた。
生殺与奪の権利を握る王に対し、毎夜の語りで立ち向かっていた。
絶対者の気まぐれで全てが終わるにもかかわらず。
なぜ彼女はいくつもの夜を重ねていったのだろうか。
何がそうさせたのか。
その先に何を見ていたのか。
私には理解できない。
私は今があればそれでいい。
シェヘラザードと私はまったく違う。
それなのに、なぜだろう。
何やら暗示めいたものが潜んでいるように思える。
「何を馬鹿なことを」
さまよう思考を、寝返りで強引に打ち切る。
こんなものは単なる気の迷いだ。
それよりも、掃除の手順を考えよう。
どこを、いつ。
その方がよほど建設的ではないか。
おおよそのスケジュールが組み上がった頃、睡魔がやって来た。
夢は、見なかった。
***************************
私の世界はお嬢さまを中心に回っている。
けれど、お嬢さまがおらずとも朝はくる。
いつも通りの時間に起きてまず感じたのは、諦めに似た何かだった。
空腹を紛らわせる為だけの食事をして屋敷を出る。
道すがら考えるのはお嬢さまのことだ。
ちゃんと起きられているだろうか。
体調は崩されていないだろうか。
楽しんで……はおられるだろう、間違いなく。
できるならば今すぐにでも駆けつけたい。
何ができる、ということではない。
お嬢さまがいなければ始まらないのだ。
その為ならばレッスンなど放り出しても構わないとすら思う。
だが、そうすることはできない。
お嬢さまは私に、アイドルであることを望んでいるから。
ならば私は、アイドルとしての務めを果たさなければならない。
――――――
――――
――
また昨日のように当て所なく歩いてみようか。
レッスン後にそんなことを考えていると、事務所の中庭が目に入った。
天気は良く、昼過ぎの中途半端な時間の為か人もいないようだ。
「千夜さん、こんにちはですねー」
ここで一休みするのも良いだろう。
そう思って足を踏み入れると、脇から声をかけられた。
「ええ、こんにちは」
「ふふー、またお会いしましたです」
まさか先客がいようとは。
まあ、私が邪魔になるということもあるまい。
だから声をかけてきたのだろうし。
何より、昨日話した印象からもそういう考え方はしないと思えた。
「本当に会うとは思っていませんでしたが」
彼女と喋りながら、というのも悪くない。
元々軽く休憩しようと思っていた所でもあるし。
少々の打算を含みつつ、彼女が座るベンチに足を向ける。
「おー、そうなのでございますか?」
隣に座った私に顔を向け、小首を傾げる。
彼女にとってこの出会いはごく自然なことだったらしい。
「この事務所も広いですから」
そんな返事をしつつ、内心に僅かな戸惑いがあった。
何を言うでもなく隣に座るなど。
私は、そんなことをする人間だっただろうか。
「あー……確かにですねー」
脳裏に浮かんだ疑問は、すぐに消えた。
透き通った碧色の瞳に吸い込まれたのか。
柔和な表情に溶かされたのか。
ひょっとするとこれが、彼女の力なのかもしれない。
のどか、と表すのがしっくりとくる陽気だった。
喋るのはもっぱら彼女で、私は聞き役に回っていた。
話題は特筆するようなこともない、ありふれたものばかりだ。
アイドルのことだったり、学校のことだったり。
最近の天気のことだったり、生活での些細な出来事だったり。
だたそれらは全て、間を持たせる為、というようなものではなかった。
のんびりと、楽しそうに話す彼女の表情がそれを教えてくれる。
そのお陰かなんなのか。
私まで肩の力が抜けていくような、そんな不思議な感覚があった。
「それではまた、でございますねー」
「ええ。また、ライラさん」
気づけばそれなりの時間が経過していた。
中庭も大半が影に飲み込まれている。
ライラさんはこの後、打ち合わせがあるのだという。
「えへへー」
「……どうかしましたか?」
腰を上げる動きを止め、ライラさんがこちらを見る。
付き合いが浅くとも分かる、嬉しそうな表情だった。
「ライラさんの名前、初めて呼んでもらいましたです」
「そうでしたか?」
「はいですよ!」
大げさなくらいに大きな頷きが返ってきた。
たかが名前程度で。
けれど彼女にとってはそうではないのだろう。
『名前はその人を表す、その人だけのものだから』
ライラさんは昨日、そんなことを言っていた。
名前を呼ぶというのは、彼女にとってそれだけ大切なことなのだろう。
何より、こんな笑顔を向けられて悪い気はしない。
「それではまた明日、ライラさん」
その表情につられてしまったのだろうか。
私はまた、ライラさんの名前を呼んでいた。
「また明日でございます、千夜さん」
だが、それで良かったのだろう。
笑顔を一層大きくしたライラさんに、そう思えた。
***************************
また明日。
その言葉の大部分は、社交辞令で占められている。
ライラさんと私は、所属する事務所が同じというだけに過ぎない。
一緒に仕事をするわけでもなく、何か約束をしているわけでもない。
ただそれだけの関係で、そう何度も会うものでもないだろう。
それでなくとも、事務所に出入りする人間は多岐にわたるのだから。
おおよそこれが世間一般的な考えではないだろうか。
偶然とは、そう何度も繰り返さないから偶然なのだ。
だがしかし、ライラさんに限っていえばそうではないらしい。
一言で言えば神出鬼没、だろうか。
スケジュールに連日レッスンが組み込まれている、というのは一因に違いない。
それにしても、だ。
事務所の廊下で。
息抜きに立ち寄ったカフェテラスで。
あるいは帰宅の途上で。
ふと気がつくとライラさんの姿があった。
普通に考えれば不気味な話だ。
行く先々で出くわすなど、尾行でもされているのかと疑いたくもなる。
相手がライラさんの場合は、その限りではないのだが。
それくらいに彼女は自然だった。
同世代だとは思えないほどに無邪気だった。
そして、一見して分かりづらくはあるものの、聡明だった。
そんな彼女が悪意を持って付きまとっているなど、あり得るはずがない。
ここ数日の付き合いとはいえ、その程度は理解できる。
「さて、今日は……」
事務所へ行き、レッスンを受け、少々時間を潰してから帰宅する。
その繰り返し以上の何かなど、求めることはなかった。
いや、意識に上ることすらなかった。
それが今、少し変わっている。
いつどこでライラさんと出会うのか。
胸の内にあるその考えを、もはや否定することはできない。
二言三言交わすだけで別れることも、話し込むこともあった。
二人して何もせず、ぼうっとしていることもあった。
その何でもない交流が、私を変えてしまった。
「白雪千夜様、ですね?」
事務所を出てすぐ、声をかけられた。
それは、最近聞き慣れてきた声ではない。
そもそもライラさんはこんな呼び方をしない。
「ええ、そうですが」
返答に警戒がにじむ。
状況的にはやむを得ないだろう。
私を待ち受ける人間など、どこにも心当たりがない。
だが声の主に目を向けると、その警戒心は若干薄らいだ。
目の前にいるのは成人した女性だ。
もちろん知り合いではない。
だが、おおよその見当は付いた。
この人と同じ肌の色をした人物を、私は知っている。
ここ最近、私の生活に入り込んできた相手だ。
全くの無関係、ということはないだろう。
「少々よろしいでしょうか」
私の推測を肯定するような視線が返ってきた。
表情に出したつもりはないのだが。
物腰は柔らかく、だが立ち姿には隙がない。
薄れたはずの警戒心が首をもたげる。
害意など全くないと、分かっているのに。
「……分かりました」
断る理由が見当たらず、後に続く。
有能、なのだろう。
おそらくは特別と言えるレベルで。
ごく自然に歩む女性の背中にそう直感した。
――――――
――――
――
「どうぞこちらへ」
案内されたのは古ぼけた駄菓子屋だった。
築何十年と経っていそうな木造の家屋。
土間には所狭しと駄菓子が並べられ、引き戸一枚で居住スペースと隔てられている。
昔ながらの、というやつなのだろう。
「何か召し上がりますか?」
店内を見回していると、そう声をかけられた。
物色しているとでも思われたのだろうか。
「いえ、結構です」
「分かりました。少々お待ちください」
なぜ駄菓子屋なのだろうか。
何やら話があるらしいことは分かる。
だが、この場がふさわしいとも思えない。
それとも、私の考えすぎなのだろうか。
警戒の必要などどこにもない。
その程度のことだったのだろうか。
「お待たせいたしました。どうぞ」
差し出された湯呑みを受け取る。
年季の入った丸椅子に腰掛け、口を付ける。
何の変哲もない、ただの麦茶だった。
「あなたはライラさんのお姉さん、でいいのでしょうか」
しばらくの沈黙の後、私から口を開く。
なんの話があるにせよ、相手の素性をはっきりさせなければ。
そうでなければ何も始まらない。
「ええ」
肯定の返事はある程度予想済みだった。
故郷から付き添ってきた姉がいる。
ライラさんはそんなことを言っていたから。
「正確には、保護者代わり兼護衛役ですが」
そう付け足された時の表情が引っかかった。
喜んでいるような、後ろめたいような。
誇っているような、恐れているような。
だがそれも、瞬きする間に消えていた。
全ては気のせいだったのかもしれない。
「護衛役……ですか」
だから私は、気になった単語について触れることにした。
護衛など、そうそう耳にするものではない。
物騒な話もあるにはあるが、おおよそこの国は平和だ。
ということはつまり、それは故郷でのことなのだろうか。
「ある意味で、白雪様と同じ立場と言えるでしょうか」
しかしその言葉はまったく事実に即していない。
彼女の説明は、現実離れしているようにさえ思えた。
多くの使用人を抱える名家。
加えて、娘の為に用意された専属の優秀な側仕え。
その中でライラさんは、何不自由なく暮らしていたそうだ。
ある時降って湧いた政略結婚から逃れる為、ライラさんはこの国へ来た。
身辺警護も兼ねた世話役として、専属の側仕えと共に。
私との共通点など、仕えるべき主人がいるという程度ではないか。
嘘や作り話でないのは、態度で分かる。
それが尚のこと私を混乱させた。
「到底同じとは思えませんが」
一般的な基準でいえば、黒埼の家も十分に裕福だろう。
だがこれは、家の規模や経済面の話に限ったことではない。
私と彼女では、根本的に立ち位置が異なっていた。
私は返しきれぬ恩を返す為、お嬢さまに仕えている。
けれどそれは、お嬢さまが望んだことではない。
私の望みをお嬢さまが受け入れてくださっただけなのだ。
しかし目の前の彼女はそうではない。
彼女はあるべくしてそうあるのだ。
まがい物、という言葉が浮かんで消えた。
「いえ、同じですよ」
手元に視線を落としていた私に、否定の言葉が向けられる。
それが意外で、とっさに顔を上げた。
私の言葉の真意など、とうに理解しているだろうに。
「主に忠誠を誓い、身命を賭して仕えている」
ただの職業としてその道を選んだのではない。
自らの生きる意味をそこに見出した。
そうできる主人に出会えた。
「その意味で、私たちは似ているのですよ」
その言葉には説得力があった。
だからこそ、疑念が浮かぶ。
果たしてそうなのだろうか。
私は、この人のように胸を張って断言できるのだろうか。
その疑念が小さな棘となって、胸の奥に突き刺さった。
「もっとも、ライラお嬢様はそうして仕えるだけでは許してくれないのですが」
苦笑を浮かべた表情から喜びが伝わってくる。
なぜそんな顔ができるのだろうか。
使用人が使用人として生きるのは至極当然のことだ。
それを許さないと言われて、なぜ。
「私のことを、姉だと聞いていたのですよね」
「ええ」
「それこそがお嬢様の望みなのです」
ライラさんにとってこの人は家族なのだ。
だから、使用人としての生き方を否定はしない。
しかし、それだけになって欲しくない。
主人の為に生きること。
自身の為に生きること。
そのどちらも全うすることを、ライラさんは望んだ。
「使用人以外の生き方など、無縁だったのですが」
二人には血のつながりなど問題ではないのだろう。
それほどに確かな絆がある。
それが私にも感じられる。
「だから、此処で働きながら勉強している所なのです」
まぶしい。
そう思った。
お嬢さまにとっての私は。
私にとってのお嬢さまは。
お嬢さまが私に望むことは。
私がお嬢さまに望むことは。
……どうでもいい。
私には今があればそれで良い。
何を得ようと、いずれは喪うのだから。
そんな未来、こっちから願い下げだ。
……何を私は必死になっているのだ。
お嬢さまがなぜ私をアイドルの世界に引っ張り込んだのか。
考えるまでもない。
一時の気まぐれだ。
これまでもそうだったではないか。
……なぜ私は、こんなことを考えている。
お嬢さまは聡明な方だ。
私の考えなど、とうに見抜かれているだろう。
だからこれはただの戯れに決まっている。
……本当にそうか?
聡明なお嬢さまが、それだけの為にこんなことをするのか?
お嬢さまが何を考えているのか、本当に理解しようとしたのか?
私は……本当に……
思考の檻に囚われていた私には、何も見えていなかった。
だから当然、私を見つめる瞳の優しさにも気づかなかった。
***************************
薄く軽い扉を開き、中に入る。
この動作にもすっかり慣れてしまった。
「お嬢様、ただ今戻りました」
玄関に靴があるのを確認して、声をかける。
トテトテと、すぐにお嬢様が駆け寄ってきた。
今晩の食材が入った袋に気づくとそれを受け取る。
そして、いつものように笑顔を向けて言うのだ。
「ふふー、おかえりなさいです」
こんなありきたりなやり取りがお気に入りらしい。
無論、私とて同じなのだが。
……以前なら考えられなかったことだ。
お嬢様に出迎えさせることも、そのお手を煩わせることも。
一介の使用人に許される所業ではない。
だが今はの私は、それを受け入れている。
お嬢様の想いを知り、自らの願いを知った今は。
――――――
――――
――
「千夜さんとお話しできましたですか?」
手早く用意した夕食を前に、そう尋ねられた。
飛びつくように手を付けられるのが常だというのに。
よほど気にしていらっしゃったのだろう。
「ええ」
「どうでございましたか?」
「そうですね……きっかけくらいにはなれたのではないかと」
白雪様と話をして欲しい。
ある日突然、お嬢様はそう仰った。
最近できたアイドルのお友だちであることは、既に知っていた。
白雪様のお話しをなさる時のお嬢様は、それは楽しそうだったものだ。
けれど、そう切り出したお嬢様の顔には憂いの色があった。
彼女には何か、悩み事がある気がする。
もしかすると、悩みがある事に気づいていないのかもしれない。
傍にいるだけでは話してはくれないから。
自分が踏み込んで良いのか分からないから。
彼女と同じ立場の私なら、違うかもしれない。
力になってあげられるかもしれない。
だから、と。
そう仰ったのだ。
使用人としても姉としても、この願いを聞き入れない選択などありはしない。
「それならきっと大丈夫なのです」
お嬢様の信頼は嬉しい。
だが私は、本当にその信頼に値する事ができたのだろうか。
実際のところ、私がどこまで力になれたのか。
確かに彼女は、何かに気づいたように見えた。
けれどそれが何なのか、非才の身では知る術もない。
「そうであれば良いのですが」
何かが変わるのか。
何も変わらないのか。
結局それは、彼女次第なのだから。
『そんな顔をしないで』
お嬢様が優しく微笑んでいる。
全てを包み込んでしまう慈愛に満ちた笑顔。
それが私に向けられている。
『……お嬢様?』
いつかに見たお嬢様の姿だった。
私が今の生き方を選ぶと決めた、あの時のお嬢様だった。
『大丈夫よ。私は貴女も千夜さんも信じているもの』
不思議なものだ。
信じているというただの一言で、霧が晴れてしまった。
単純に過ぎる自分に呆れる。
だがそれでいい。
未来は誰にも分からない。
けれどきっと、良い方に転がるのだろう。
明けない夜などないのだから。
<了>
というお話でございました
千夜さんとライラさん並べたら千夜一夜
そんな単純な思いつきにメイドさんが絡んできてこうなりました
なぜこうなったのかはよく分かっていません
お読みいただけましたなら、幸いです
というお話でございました。
(ライラさんまったく出てこないけど)ライラさんお誕生日おめでとうございます。
ライラさんの情報はメイドさん経由でママに渡ってるしパパも共有している。
でもママにでっかい釘を刺されているのでパパはじっと我慢している。
色々解釈はあろうかと思いますが、私の世界線ではそうなっているのです。
お読みいただけましたなら、幸いです。
このSSまとめへのコメント
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