100日後に死ぬ彼女 (82)

はじめに

・本スレは地の文で構成されています。終始シリアスになる予定です。

・本スレは現実のカレンダーと連動して進行します。週1~2回の更新予定です。

・アルファポリスでも同様の内容を掲載しています。こちらの方は加筆することがあります。

https://www.alphapolis.co.jp/novel/733762571/962546746

・前シリーズを読んだ方ならなお楽しめますが、読まなくても問題ありません。
なお、前シリーズの設定は一部改編されている可能性があります。
(後日リメイクする予定です)

【安価】殺人鬼コナン4【コンマ】
【安価】殺人鬼コナン4【コンマ】 - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1554727814/)

SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1632148847






嫌な、夢を見ていた。






僕は漫然と、町中華のテレビを見ていた。昼のニュースは、アメリカの金融政策が変わりそうだとか、上野の動物園でパンダが生まれただとか、そんなどうでもいい話題を流していた。
僕はズズッとタンメンを啜った。塩気と胡椒と化学調味料が効いたスープは少しくどいけど、野菜の旨味が凝縮されたスープは少し太目の麺によく絡んでいた。熱いスープも、年末のこの時期には有難い。

評判通り、悪くない店だな。

その時、画面が切り替わった。ベテランの女性アナウンサーの声が、一気に緊張感のある物に変わった。

「速報です。東京都小金井市のマンション3棟が、倒壊したとの情報が入ってきました。現場から中継です」

倒壊?どういうことだ?

ほぼタンメンを食べ終わり、立ち上がろうとした僕は、テレビに視線を向けた。

記者が震えながらレポートを始めている。混乱からか、記者は噛み気味に原稿を読み上げていた。

「ご、午前11時頃っ、と、東京都目黒区のマンション3棟が、突如と倒壊しましたっ。きゅ、救護活動が始まっていますがっ、百人以上がい、生き埋めになったもようですっ」

記者の背後には多数の救急車と消防車、そしてパトカーがあった。まだマンションが倒れて間もないからか、土煙で画面がくすんでいる。

何かすごいことになっているな、とぼんやり思っていた僕の意識は、数秒後に叩き起こされた。



……見覚えがあるぞ、ここ。


あのコンビニと、遠くに見える鉄塔。……まさか。いや、そんなはずは。


記者は続ける。


「と、倒壊したのはエバーグリーン自由ケ丘の1号棟から3号棟っ、倒壊の原因は、不明で、警察が詳しい状況をっ……」


ガタッ


僕は思わず立ち上がった。唇が一気に乾いていくのが分かった。


……間違いない、由梨花のいるマンションだ。


由梨花が家にいないことを、強く願った。大学に行っているか、家族や友達とたまたま外出していると思いたかった。
震える手で、スマホを操作する。焦りと恐怖で指がずれ、何回か変な所をタップしてしまった。

由梨花に電話を掛ける。頼む、出てくれ。



「お掛けになった電話番号は、電源が入っていないか、電波の届かない場所に……」



その願いは、無機質な電子音声と共に、瞬時に打ち砕かれた。







そして、いつもそこで目が覚めるのだ。




*

「クソッ」

熱帯夜でもないのに、汗が酷い。僕は手で額のそれを拭い、強く頭を振った。

悪夢は段々と鮮明になっている。最初に見たのは、春頃か。凄まじく嫌な夢を見たという記憶だけがあった。
次に見た時には、内容をうっすら覚えていた。その次は夢に色が付き、声が付き……そして今日は、味まで感じていた。

霊感などというものは、僕にはない。勿論、予知能力などというものもない。この20年、普通の、どこにでもいる人間として生きてきた。
多分このまま院に進み、研究者として大成することなくどこかのメーカーに就職し、そこそこの収入とそれなりに平凡で暖かな家庭を作って死ぬのだと思っていた。
家庭を作るのが、由梨花となら最高だ。ただ、大学に入ってやっとできた初めての恋人と添い遂げられると考えるほど、僕はロマンチストじゃない。今はただ、このぬるま湯のような幸福に浸っていたかった。


だからこそ、この悪夢は不快だ。……不快極まりない。


由梨花といつか別れることに、僕が恐怖している表れなのだろうか。機会があったらカウンセラーにでも相談しようかと思ったが、金が勿体無いのでやめた。

時計は10時過ぎを示している。休日とはいえ、少し遅い目覚めではある。
由梨花に無性に会いたくなった。あの夢を見ると、いつもそうだ。

僕はスマホを手に取り、LINEを開いた。

*

「で、私を呼び出したってわけ?」

ニヤニヤしながら由梨花が僕を見る。僕はバツが悪くなって、フラペチーノのクリームを口にした。

「……悪いかよ」

「いやあ、可愛いなあと思ってさ。前にも急に呼び出したことあったじゃん。あれもそうなの?」

僕は無言で、もう一度スプーンでフラペチーノをすくう。由梨花の笑みが深くなった。

「ニャハハ、そうなんだあ。てっきり私としたかったからだと思ってたよ。あの時の真人、随分お姉さんに甘えてきてたからさ」

「こういう時だけ歳上ぶるなよ」

「でもそういうの、嫌いじゃないよ?俊太郎、母性本能くすぐるタイプだもんねえ」

「……褒められてるのか貶されてるのか分からん」

「勿論、褒めてるよお。私の友達でも、俊太郎可愛いって言う娘結構いるもん。大学でも、狙ってる娘いるかもよ?」

「生憎、大学ではとっつきにくい陰キャで通ってるんでね。第一、うちの理学部に女はほとんどいない」

由梨花が少しむくれた。

「俊太郎のそういう自己評価の低いとこは直した方がいいと思うけどなあ。てか、学歴だけなら私より上なんだし」

「たまたま入試で山が当たっただけさ。本物の天才を前にすると、思い上がろうなんて気も失せる」

「あー、前に言ってた青山って教授?でもそこのゼミ生なんだから、俊太郎も凄いと思うけど」

僕は苦笑してストローに口をつけた。

「僕からしたら、由梨花の方が凄いさ。就職、もう大体決まったんだろ?三友地所なら十分だろ」

「私こそたまたまインターンで行ったのが上手く行っただけだよ。……就職まであと1年半かあ」

ふうと溜め息をつく由梨花を見て、僕は微かな不安を覚えた。由梨花は僕より1つ上だ。僕が多分院に行くことを考えたら、社会人としてのキャリアは最低3年離れることになる。その間、この関係が維持できているのだろうか。
由梨花も同じようなことを考えているのかもしれない。あんな夢を見るのも当然か。


「……マンションに、異変はないよな」

「あ、さっき言ってた悪夢を気にしてるの?大丈夫、もう住んで10年経ってるけどすっごく快適。セキュリティも万全だし治安は良好だよ」

「……ならいいけど」

「考えすぎだってば。ていうか、これからどうする?スタバでお茶して終わりじゃしょうがないでしょ」

時計を見ると14時過ぎだ。道玄坂方面に向かってもいいが、身体目当てに呼んだと思われても癪に障る。そういうことは嫌いじゃないが、今は由梨花といる時間そのものを楽しみたかった。

「……そうだな、映画何かやってたっけ。竜のなんとかってのが流行ってるらしいけど」

「んー、映画もいいけど。ヒカリエの辺りをブラブラするのもよくない?」

「ま、それもいいか。ただ、そんな手持ちはないぞ」

「いいのっ。じゃ、行こっ……」

由梨花の視線が止まった。窓側の席をじっと見ている。

「どうした?」

「いや、誰かが見てるような気がして」

由梨花の視線の先には、若い母親と小学校高学年ぐらいの子供がいた。

「……あの母子が?」

「どうだろ、気のせいだと思うけど」

母親はかなり整った顔立ちだ。母親にしては少し若すぎる気もする。
ただ、それより目を引いたのは子供の方だ。水色のジャケットにフレームの厚い眼鏡。これで蝶ネクタイまで着けていたら、ほぼ某国民的アニメの主人公だ。

「コスプレ、じゃないよな」

「あー、言われて気付いた。名探偵コナンっぽいよね、あの子。本当に探偵だったり」

「なわけあるかよ。行くよ」




僕が席を立ったその時、コナン似の少年が一瞬ハッキリと僕を見たのに気付いた。



その時は単に、躾がなってないだけだろうとしか思わなかった。
その意味が分かるのは、もう少ししてからのことだ。






木ノ内由梨花が「死ぬ」まで、残り100日。
これはその100日間の物語だ。




以上です。次回は最速23日になります。

なお便宜上、コロナのない世界での話になります。

一部ミスを発見。

>>3
小金井市→目黒区

アルファポリスでは直っています。

>>8で訂正です
「あの時の真人」→「あの時の俊太郎」

こちらもアルファポリスでは修正しています

本編2話は19~20時頃にアップします





残り97日





「お、来たね」

分厚い扉を開けると、カランという音と乾いた木の匂いがした。マスターの大城戸さんが、ニヤリと笑う。

「ども」

「最近良く来るな。また、競馬で勝ったのかな。この前のセントライト記念、竹下君の予想通りだったしな」

「この前のは買ってないんですよ」

大城戸さんが目を丸くした。

「そりゃなんで。馬連で万馬券だっただろ」

「や、何となく」

「うちに君が来る時は、大体大勝ちした時なんだが。株は暴落したしなあ」

大城戸さんが顎髭を触って首をひねった。僕はフフッと笑ってカウンターの椅子に座る。客はまだ僕だけだ。

「実はそれなんですよね。連休前にショート(空売り)仕掛けたんで」

「……凄いな。ここ最近、日経平均はえらい調子よかったから、あそこで売るのってなかなか勇気いるだろ。……っと、1杯目はいつものでいいか?」

「ええ、ギムレットで」

「了解っと」

大城戸さんがシェーカーにジンを入れ始めた。僕は軽くカウンターを撫でる。
この年季の入った古いチーク製のカウンターは、大城戸さんが1年かけて頼み込んで譲ってもらったものらしい。この手触りが、なんとも言えず心地いいのだ。


「で、どうなんだ。例の彼女」

シャカシャカという軽妙な音と共に、大城戸さんが訊いた。昔は湯島にある老舗のバーで働いていたらしく、シェーカーさばきは素人の僕でも分かるほど鮮やかだ。

「由梨花のことですか」

「おう。もう付き合って1年になるだろ。最近姿を見せないからな」

大城戸さんはシェーカーから静かにグラスへとカクテルを注ぐ。ライムの香りを、わずかに感じた。

「上手くいってますよ。この前の休みも会いましたし。インターンで忙しかったんですけど、やっと落ち着いたみたいで」

ギムレットを口に含む。ここのギムレットはコーディアル・ライムジュースを使ったクラシックスタイルだ。切れの中に甘酸っぱさが感じられる。

「あー、年上だっけな。またうちに連れてくればいいのに」

「ええ、就職先も大体決まったみたいですし」

「早いねえ。俺の頃は4年の春まで内定なんて出なかったけどなあ。青田買いってやつか」

すっとお通しの麦チョコが出される。僕はそれをつまみ、口に放り込んだ。

「……就職したら、どうなるんでしょうね」

「んー、何とかなるんじゃないか?結局の所、恋愛って相性だよ。君には、ああいう引っ張ってくれるタイプが合ってる気がするな」

「でも、会える時間は減りますよ」

「そこは密度でカバーさ。何より、彼女の就職はまだ1年半も先だろ。心配しすぎだよ」

大城戸さんが苦笑する。それはそうかもしれない。ただ、あの悪夢を引き合いに出すまでもなく、先に行かれることへの焦りが僕の中にある。
大城戸さんのような大人の余裕を、僕は持てるのだろうか。


ギムレットの苦みを、やけに強く感じた。


*

「Bar Orchid」を出たのは21時ごろだった。ギムレットを含むショートカクテルを3杯、そこにロングアイランドアイスティー。
酒量としてはかなり飲んでいる。店を出る時、心配そうな大城戸さんに「大丈夫れす」と答えたけど、正直足元はおぼつかない。

不安を酒でごまかそうとしているのかな。どうにも、僕らしくもない。

由梨花に電話をしようと思ったけど、確かこの時間は居酒屋のバイト中だ。コミュ障気味で接客業に向かない僕と違い、彼女は職場では看板娘として人気らしい。
株式投資が上手くいっているおかげでお金には苦労していないけど、社会性という意味で僕は由梨花に遠く及ばない。

くすんだ夜空を見上げ、ふーっと深く息をつく。「ネガティブになりすぎるのが俊太郎の悪いところ」と、由梨花に何度言われただろうか。
だからあんな嫌な夢を、何度も見てしまうのだ。つくづく自分が嫌になる。



……コツリ


僕は振り返った。……誰か、僕の後をつけている?
酔いと鬱気味の心理が作り出した、幻想だろうか。祝日夜の中目黒駅前商店街には人がそれなりにいて、もし誰かが僕を尾行しているとしても、特定は難しい。

少し歩くペースを速める。マンションまではあと数分といった所だ。足が少しもつれた。


……カッカッカッ


かすかに硬い、革靴のような足音がする。間違いない、誰か後ろにいる。
僕は走ろうとしたけど、血の中を流れるアルコールがそれを邪魔した。胃液が漏れそうになる。これ以上は限界だ。


立ち止まり、僕は叫んだ。


「誰だっ」


振り向くと、誰もいない。


……そんなはずはない。誰か、いるはずだ。


「か、隠れてないでっ、出てこいっ!」


……返事はない。そんな馬鹿な。確かに、気配と足音はしたのに。

こんな現実と混同するような被害妄想まで出るとは、いよいよカウンセラーに診てもらった方がいいのかもしれない。
僕は自分自身が嫌になり、再び深い溜め息を吐いた。

*





その夜、また、夢を見た。





*

スローモーションのように、あるいはソフトクリームが溶けるように、高層ビルが崩れ落ちていく。
逃げ惑う人々。立ちこめる黒灰色の煙。それはありきたりな言葉で言えば、地獄絵図そのものだった。

僕はそれを、画面越しに見ていた。音は聞こえない。仮に音があったとしても、爆音と轟音しか聞こえないだろう。

ホテルの客室から、窓の外を眺める。丸の内方面から、黒煙が立ち上っているのが分かった。もう、あのオフィスビルは瓦礫と化したはずだ。



僕は満足げに頷き、グラスに缶ビールを注ぐ。そして、僕以外誰もいない部屋で、「乾杯」と呟いた。




そう、僕の復讐は成されたのだ。




*

「……はっ」

思わずベッドから飛び起きた。深酔いのせいで気分は最悪だ。かといって、胃の中の内容物を吐くまでには至らない。それが僕を一層苛立たせた。

「何だってんだよ……」

スマホを見ると、まだ3時過ぎだ。夜明けまでにはかなり時間がある。
いつもの悪夢とは違う。しかし、これも酷い夢であるのには変わりない。しばらく酒量はひかえよう、そう心に誓った。

冷蔵庫に向かい、冷やしてあったスポーツドリンクのペットボトルを開けた。一気飲みすると、身体の中がわずかに洗い流された気がする。

さっきの夢は何だったのだろうか。精神的に参っている所に酔ったのがいけなかったのか。
それにしては、夢の内容は鮮明だった。例の夢ほどじゃないけど、内容はかなりはっきり思い出せる。


何か、強烈な違和感がある。まるで、あれは実際にあったことのような……






その時、ふと気付いた。あのオフィスビル、どこかで見覚えがある。……丸の内にある「三友グランドタワー」。
由梨花が就職する予定の、三友地所の本社が入居しているビルだ。




今回はここまで。
次回は視点が変わるかもしれません。

更新は今日か明日です。
あと、由梨花の一人称を私からあたしに変更します。
(アルファポリスでは修正済みです)





残り95日





「今日も随分並んでるな」

俊太郎が呆れたように呟く。ビルを取り囲むようにできている行列は、ざっと5、60人くらいかな。

「こりゃ2時間コースだねえ。今日は何だっけ?」

「ズワイガニとキウイ」

「キウイ?そんなのラーメンに使うなんて聞いたことない」

「僕もだ。どうする?並ぶの嫌なら諦めるけど」

「いやー、そんなレアなの食べない手はないでしょ」

あたしはニマっと笑い、俊太郎の手を取った。
デートの時、あたしたちは大体まずラーメンを食べる。2人の共通の趣味の一つというのもあるけど、並んでいる間ゆっくり話せるというのも大きい。

中でもここ、「総本家」はお気に入りだ。最初に俊太郎が連れてきてくれた店だけど、とにかく色々強烈なお店なのだ。
まず、スープが違う。普通のお店じゃ決して使わない食材を惜しみなく寸胴に入れ、徹底して煮出す。それを濃厚な醤油タレと合わせてできたスープは、凄まじいほどの中毒性がある。
前に来た時は夏のインターンの前だったけど、その時のスープは確かスッポンだった。食べ終わった後にやたらと身体が火照ってしまったけど、深いコクがあってとにかく美味しかった。

もう一つの特徴はご主人だ。まるで仙人のような風貌で、お弟子さんと2人で切り盛りしていている。
とても気さくな人で、ご主人との会話も結構楽しみだったりする。なお店内のBGMはご主人のカラオケで、なぜかやたらと上手い。
ラーメン界では、ご主人は伝説的な人なのだそうだ。ちょっと前に亡くなった「ラーメンの鬼」とは親友だった、らしい。

そんな「総本家」だから、2時間ぐらい並ぶのはさほど苦じゃない。
列の最後尾に着くと、あたしは俊太郎の頭を撫でた。

「……何だよ」

「んー?いや、なんとなくね。ここに来るのも、結構久しぶりだねえ」

「……夏の間、ほとんど会えなかったからね」

俊太郎の表情が、少し暗くなった。1ヶ月以上も続いたインターンの期間、あたしたちはろくにデートもできなかった。
やっと解放されたのが2週間前だ。その時の俊太郎が凄く不安そうに「会いたかった」と言ってきたけど、寂しかったのはあたしもだ。
だから、月曜に会って間もないのに、こうやって今日も誘った。できるだけ長く、心も身体も繋がっていたかった。

「……例の夢、また見たの?」

「いや……違うのを見た。あまり言いたくないけど、ろくな内容じゃない。一度、カウンセラーか何かに診てもらった方がいいかも」

俊太郎はかなり参ってそうだった。思わず抱き締めたくなったけど、さすがに人目につく。代わりに握っていた手に、少しだけ力を込めた。

「大丈夫、あたしはどこにも行かないから」

俊太郎はちょっとだけ涙目になって、すぐに目を手で擦った。

「……うん」

俊太郎は、基本的に自己評価が低い。東大に通えるほど頭がいいのに、やたらと自分を卑下したがる。
ルックスだってそうだ。ちゃんとしてたら、下手なアイドルよりずっと整ってる。あたしの友達が俊太郎を可愛いと言っていたのは、多分お世辞でもなんでもない。それでも、俊太郎は自分に魅力がないと思い込みたがるのだ。

もちろん、俊太郎は単なるネガティブな陰キャじゃない。優しいし、結構気が利く。
何より、あれで結構男らしい所もあるのだ。


あたしは、俊太郎と初めて会った時のことを思い出していた。

*



それは、去年の7月の末、蒸し暑い夜だった。



*

「いや、だから二次会はいいって」

ニヤニヤしながら、目の前の金髪の男があたしの手を掴んだ。酒臭い息が髪にかかり、すごい不快な気分になった。

「そんなこと言わないでよお。木ノ内ちゃんが来なきゃ盛り上がらないんだって」

男の後ろでは、あたしと一緒に来た優結が別の男に絡まれていた。彼女は酔って意識が朦朧としているみたいで、男のされるがままになっていた。

しまった、こんな合コンに来るんじゃなかった。

セッティングは同じゼミを取ってる葵だった。遊んでいるという噂があって進んで絡もうとしなかった子だけど、彼氏と別れてしばらく経って人寂しかったからか、つい合コンの誘いに乗ってしまったのだ。
合コンが行われる創作料理の居酒屋に着いてすぐ、あたしは来たのを後悔した。

……「ヤリモク」だ。

男たちがマトモな大学生じゃないことを、すぐにあたしは理解した。
葵は慶應の子だって言ってたけど、本当かはかなり怪しい。もし本当だとしても、浅く焼けた肌とこれ見よがしのアクセサリーが、彼らが近付いてはいけないタイプの連中だとあたしに語っていた。

一次会の間、男たちは執拗に酒を飲ませようとしてきた。葵はもう男の一人と姿をくらませている。
あたしは適度にあしらって時間が過ぎるのを待った。上手く切り抜けられるだろうと思っていたのだ。

……甘かった。

優結の手を引いて帰ろうとした結果がこれだ。少し歩けば道玄坂のラブホ街がある。こんな連中に半分無理矢理なんて、最悪過ぎる。

「だから嫌だって言ってるでしょ!!」

「えー、いいのかなあ?お友達、一人じゃ寂しそうだよお?」

葵と違って、優結はあたしの大切な友達の一人だ。あたしだけ逃げたら、優結はメチャクチャにされてしまうかもしれない。そんな友達を売るような真似は……あたしにはできない。あたしは自分の愚かさに、唇を噛んだ。




その時、あたしと男の間に、誰かが割って入った。



「僕の彼女に、何か用ですか」




そこにいたのは、小柄な男の子だった。中学生?……いや、こんな時間に中学生がいるはずがないから、多分高校生かそれ以上なんだろう。
もちろん見覚えはない。……誰だろう、この子。

「は?」

「しつこい男に絡まれて困ってるという連絡が彼女からありまして。それで来たんです」

男はハハッと笑ったかと思うと、その子の胸ぐらを掴んで凄んだ。

「……てめえは引っ込んでろよ」

「引っ込むのは、お前の方だ」

男が殴りかかろうとした、その瞬間。


ドスッ


「か……はっ……」

男が苦痛の表情を浮かべ、うずくまっている。何が起こったんだろう?

そしてその子は優結の方を見ると、呆気に取られている別の男に静かに言った。

「同じ目に遭いたいか?」

「て、てめえっ……」

男はその子に詰め寄ろうとして、足を止めた。野次馬が集まって、騒ぎになり始めている。

「こ、のガキっ……!」

「颯真、ヤバイぞっ?警察が来たら『AD』のことがバレるっ」

起き上がろうとしていた男の顔色が変わった。

「……!!チッ、引き揚げるぞ」

男はペッと唾を男の子に吐き捨て、もう一人と共に渋谷の奥へと消えていった。

あたしは優結を抱き抱える。気持ち悪そうにしているけど、特に問題はないみたいだった。

「あ、ありがとうございます。……本当に助かりました」

「たまたま通りがかっただけですよ。とりあえず、駅まで送ります。連れの人は大丈夫ですか?」

「優結、起きてる?」

「ん……ぐ……だ、大丈夫じゃない、かも……どこかで、休ませて」

優結は一人では帰れなさそうだ。どうしたものだろうと思っていたあたしに、彼は近くのビジネスホテルで一晩を明かすことを提案した。お金は彼が持つという。

「え……?そんな、悪いよ。だってあなた、まだ高校生とかじゃ……」

「あ、一応これでも大学生なんです。あと、お金は十分ありますから」

「でも、助けてもらって、ホテル代までなんて……」

「いいですって。僕がしたいだけなんです。僕は別の部屋で寝ます。終電、もうなくなりそうですし」

そもそも、彼は何者だろう?酔っていたとはいえ、男を一発で倒しちゃうんだから、空手か何かやってたんだろうけど。

「でも、何から何までしてもらって、お礼もなしなんて。ていうか、あなたは?」

彼は竹下俊太郎と名乗った。大学で勉強していたら、こんな時間になってしまったという。
たまたま近くのラーメン屋で遅い夕食を採っていたら、あたしたちを見掛けたということ、らしい。

「でも、何であたしたちを助けようなんて」

竹下君と名乗るその子は、目を丸くした。しばらく考える素振りをして、彼は苦笑した。

「……何ででしょうね。普段の僕なら、絶対にしないのに」

「そうなの?」

「何か、放っておいちゃいけない気がして」

ハハ、と彼は頭を掻いて笑った。

「とりあえず、ホテルに行ってチェックインしましょう。大丈夫、ラブホじゃないです」

*

ビジネスホテルに着くと、あたしは優結を寝かせた。少し吐いたけど、酔いはそこまで深刻なものじゃなさそうだった。

竹下君、って言ってたっけ。善意から色々してくれたのだろうけど、このまま何もしなくていいのだろうか。
朝になったら、彼はふっとそのまま消えてしまいそうな気がする。せめて、連絡先ぐらいは交換しないと。

優結が寝たのを確認し、あたしは時計を見た。午前2時。さすがに遅すぎるだろうか。
あたしは自分の電話番号とLINEのアカウントをメモに書き、竹下君がいる隣の部屋に向かった。ドアの合間からメモを入れることぐらいは、できるはずだ。

ドアを開けると、竹下君が部屋に入ろうとしている所だった。

「待って」

「……!木ノ内さん」

「良かった……これ、あたしの連絡先」

「あ、ありがとうございます」

彼は少し戸惑っている様子だった。これは、いい機会かもしれない。

「ちょっと、話せる?あなたのこと、もう少し聞かせて」

*

その夜は色々話した。彼が東大の1年生だということ。身体を鍛えるためにボクシングジムに通っていて、だから男を倒せたのだということ。
何であたしたちを助けたかは本当に分からないけど、今になって怖くなり、寝付けずにビールを買っていたこと。そして、意外とオタクで、あたしとは結構……いや、かなり趣味が合うこと。


気が付いたら、夜が白み始めていた。

*



そうやって出会ったあたしたちが男女の仲になるまでは、そう時間がかからなかった。


*

「何ニヤニヤしてるんだよ」

「ううん、俊太郎と会った時のことをね」

俊太郎の顔が、少し赤くなった。

「……そうか」

「俊太郎はあたしの恩人なんだからさ。ああやって助けられる勇気のある人なんてほとんどいないんだから、もっと自信持ちなよ」

「そう、だな……って、あ」

俊太郎が何かに気づいて顔を上げた。店の方から、がっしりした体格の男の人が手を振ってやってきている。半袖のワイシャツに、スラックスという姿だ。

「仁さん!」

「よう。やっぱ来てたか」

結構親しげな感じだ。俊太郎の知り合いかな?

「そりゃズワイガニ、しかもキウイですから。今日はお仕事なんですか?」

「ん……まあ、な。嫁と娘はぶーたれてたが」

「出来はどうでした?」

「旨かったよ。93点と家元が言ってたが、期待にそぐわぬ味だったね。……そっちは彼女さんか?」

「ええ」

あたしは頭を下げた。俊太郎の知り合いかな?

「あたし、木ノ内由梨花っていいます」

「そうですか、初めまして。矢坂仁、といいます。竹下君とは、よくラーメン屋で一緒になるんですよ」

俊太郎はかなりのラーメン通だ。この人も、そういう流れで知り合ったのかな。

「こちらこそ、初めまして」

あたしはふと、名刺を持っているのに気付いた。インターンの時の習慣みたいなものだ。
バッグから名刺入れを取り出し、慌てて差し出す。

「最近の学生は名刺常備なんだっけな。早稲田の商学部……俺の後輩か」

「そうなんですか?」

「俺は政経だったけどな。っと、こっちも名刺を出すのがマナーだね」

矢坂さんは、胸ポケットから名刺入れを取り出した。名刺には、こう書かれてあった。

失礼しました。上の文章を訂正します。

*

「何ニヤニヤしてるんだよ」

「ううん、俊太郎と会った時のことをね」

俊太郎の顔が、少し赤くなった。

「……そうか」

「俊太郎はあたしの恩人なんだからさ。ああやって助けられる勇気のある人なんてほとんどいないんだから、もっと自信持ちなよ」

「そう、だな……って、あ」

俊太郎が何かに気づいて顔を上げた。店の方から、がっしりした体格の男の人が手を振ってやってきている。半袖のワイシャツに、スラックスという姿だ。

「仁さん!」

「よう。やっぱ来てたか」

結構親しげな感じだ。俊太郎の知り合いかな?

「そりゃズワイガニ、しかもキウイですから。今日はお仕事なんですか?」

「ん……まあ、な。嫁と娘はぶーたれてたが」

「出来はどうでした?」

「旨かったよ。93点と家元が言ってたが、期待にそぐわぬ味だったね。……そっちは彼女さんか?」

「ええ」

あたしは頭を下げた。俊太郎の知り合いかな?

「あたし、木ノ内由梨花っていいます」

「そうですか、初めまして。毛利仁、といいます。竹下君とは、よくラーメン屋で一緒になるんですよ」

俊太郎はかなりのラーメン通だ。この人も、そういう流れで知り合ったのかな。

「こちらこそ、初めまして」

あたしはふと、名刺を持っているのに気付いた。インターンの時の習慣みたいなものだ。
バッグから名刺入れを取り出し、慌てて差し出す。

「最近の学生は名刺常備なんだっけな。早稲田の商学部……俺の後輩か」

「そうなんですか?」

「俺は政経だったけどな。っと、こっちも名刺を出すのがマナーだね」

毛利さんは、胸ポケットから名刺入れを取り出した。名刺には、こう書かれてあった。




「警察庁特務調査室 警部 毛利仁」



今日はここまで。

なお、前シリーズから1年経過しているという設定です。仁の設定などにはかなりの変化があります。
(リメイク時に色々分かるかと思います)

なお、ズワイガニとキウイのラーメンは実在します。というか、今日出ていました。

可能なら本日第四話を投稿します。
投稿できない場合はおそらく水曜日前後にずれ込みますが、ご了承下さい。

3人目の主人公視点です。





残り94日








また、あの夢を見た。




*

崩れていく3棟のマンション。失われていく人々の命と日常。
私はそれを、ただ茫然として見ることしかできない。
現場に押し掛けるマスコミに取り囲まれ、私はただ何も言えず、崩れ落ちる。



遂に、ツケは払われた。これ以上ない、最悪の形で。



……そして、強烈な後悔と絶望を感じながら、夜半に目が覚めるのだ。



*

「……くっ……」

もう、10年も同じ夢を見ている。にもかかわらず、一向にこの最悪の目覚めには、慣れそうもなかった。

横の妻は、静かに寝息を立てている。彼女を起こさないよう、私はキッチンへと向かい、睡眠薬のレンドルミンが入った紙袋を手に取った。こいつとも、もう10年の付き合いになる。

コップに水を入れ、錠剤を流し込む。年々効きは悪くなっているが、それでも1時間以内には眠れるだろう。私は寝室に戻り、ベッドに潜り込んだ。

妻からはずっと、ちゃんとした睡眠障害の専門医に診てもらうように言われている。私もできればそうしたい。
しかし、それは絶対にできない。この悪夢の原因は、何より一番私が理解している。
もし医者に診てもらうことになれば、この原因を話すことになるだろう。それは、私が築いてきたものを、全て失うことに繋がる。



悪夢の原因、それは……



そこで、睡魔が襲ってきた。


*

「水元ちゃん、今日は調子悪かったじゃないの」

向かいの少し日に焼けた男が、ハヤシライスを食べながら口の端を上げた。それを聞いた、隣の禿かかった男が苦笑する。

「それでも水元が一番スコアいいんだがな。80切れなかった程度で調子悪いと言われたら、俺たちは何なんだ」

「まあでも、こうやってたまに同級生4人で集まってゴルフするのは、やっぱ楽しいものだねえ。というか、クラブハウスの飯旨くなってない?」

斜向かいの少し太めの男が訊いた。

「確か、クラブハウスの運営に高級フレンチをやってる企業が参入したらしいな。ゴルフブームに乗って、富裕層を取り込もうとしてるらしい」

「さすが三友地所の幹部候補。情報のアンテナが広いねえ」

「煽てても何も出さんぞ、丸井」

丸井と呼ばれた浅黒い肌の男は、私の言葉にヘヘっと笑った。

「まあ金ならもう心配はないんだけどな」

「は?」

「いや、最近流行りの『FIRE』、俺もすることになってね。9月末で大泉建設を辞めることにした」

私を含む、3人の目が丸くなった。FIREーー投資で財産を作って早期退職するのには、1億円ぐらいは必要と聞いている。丸井にそんな金があるとは、初耳だった。

「本当か?」

「ああ。株で一山当ててね、働かなくても大丈夫なぐらいには金融資産ができたのよ。身辺整理をして、来年頭にはベトナムかタイに移住するつもり」

「すげーな。お前にそんな才能があるとはねえ」

禿かかった男、大仏が唸った。

「でも、お前も大泉では結構出世してたんだろ?」

「まあな。でも、やっぱ50近くなったら大事なのは自由よ、自由」

「それは独身貴族だから言えるんだよなあ、羨ましいよ。子供がいて、マンションのローン抱えてる身じゃそんな決断はできんわ」

小太りの沢村が肩を落とす。ククっと丸井が笑った。

「まあ、どの株が上がるかぐらいは教えてやるよ」

「今教えてほしいもんだけどな」

「ま、それはおいおい、な。そもそも、お前らも社会的には俺より上だろ」

それはそうかもしれなかった。私は三友地所の総合開発部第一部長、大仏は国土交通省のキャリア。そして沢村は、世界的に有名になりつつある建築家だ。
大手ゼネコンの管理職である丸井も、世間一般に比べれば成功している方ではあるが。


「ったく、ケチくさいな」

「ハハハ、さすがに今日のラウンド代と飯代は俺が奢るよ」

「でも、もう頻繁にこうやって4人で集まるのは無理そうだな」

沢村が寂しそうに呟いた。少し、しんみりとした空気が流れる。

「……何、たまに日本には戻るから安心しろって」

「そ、それもそうだな」

沢村はハヤシライスをスプーンですくった。大仏が「そうだ」と手を叩く。

「せっかくだから一度自由ケ丘のエバーグリーン、見に行かないか?俺たちがここまで成功したのは……」

「……大仏」

私は彼を睨んだ。大仏はハッとしたように固まる。

「……そ、そうだったな……」

「俺は構わないけどね。もう10年、何事もなかったんだ。国を離れる前に見ておくのも悪くない。大仏ちゃんの言う通り、今の俺たちがあるのは、あそこのお蔭だ」

丸井がナプキンで口を拭う。彼の言うことは、確かにその通りだ。

エバーグリーン自由ケ丘は、自由ケ丘の一大開発プロジェクトだった。高級専門店を揃えた商業施設を併設する、大型高級レジデンス。
30半ばでその担当になった私は、サラリーマン人生の浮沈をかけてこの案件に打ち込んだ。施工会社の丸井、設計とデザインを担当した沢村、そして官庁として許可を出した大仏も、この案件に賭けていた。
それは見事に成功した。高級イメージにも関わらずリーズナブルな設定の販売価格、そして自由ケ丘という街のイメージに沿ったデザインとブランディングは、たちまち評判となった。
竣工から10年経った今でも、エバーグリーン自由ケ丘は街のランドマークであり続けている。あの仕事は、確かに私の、私たちの誇りだ。



……ただ一点の、重大な瑕疵を除いては。



「水元ちゃん、まだ、気にしてるのか」

低く、小さな声で丸井が私に言った。

「……それはそうだろう」

「大丈夫、10年何もなかった。あのことは、忘れた方がいい」

「……ああ」

丸井の言う通りなのかもしれない。私は考えすぎているだけなのかもしれない。


それでも、万が一。万が一のことが、ないとは言い切れない。
だから私は、10年間眠れないのだ。

*

ゴルフから帰った私は、書斎のノートPCを開いた。休日でも会社から連絡は来る。メールに一通り目を通してから、夕食を採るのが私の習慣だ。
大体は工事の進捗状況に関するメールだったが、その中に見慣れないアドレスがあった。
……フリーメール?スパムメールは弾く設定になっていたはずだが。

題名は「水元敬士様へ」とある。私の名を知っている誰かか。うちの会社は、個人情報の流出には人一倍気を遣っているはずだが。

添付ファイルはない。ウイルスメールでは、どうもなさそうだ。変なURLを踏まなければ、無害なメールではありそうだ。
すぐに削除するつもりで、私はそのメールを開いた。

*

水元様

突然のメール、大変恐縮です。身分は明かせませんが、私のことはアイとお呼び下さい。
ある事実について確認したく思い、ご連絡させて頂きました。

単刀直入に申し上げます。エバーグリーン自由ケ丘の耐震設計に、問題はございませんでしょうか。
さらに具体的に申し上げれば、免震構造の一部が手抜きとはなっておりませんでしょうか。

本件、重大な事故に繋がりかねないと認識しております。
もし内部告発のお考えがあれば、是非とも相談に乗りたいと考えております。

勇気を持ってご連絡頂けることを、心より願っております。

アイ

*


……何だ、これは。


血の気が一気に引くのが分かった。なぜ、私たちしか知り得ないことを、このメールの差出人は知っている?
丸井たちの知り合いの誰かか?いや、この事実を漏らすほど馬鹿な奴らではない。
私も、墓場まで持っていくつもりだ。妻にも、この事実は知らせてはいない。


だとしたら、どうしてこのメールが?「アイ」とは一体、何者なのだ?


*




その日見た悪夢は、普段よりずっと鮮明だった。レンドルミンも効かないほどに。



本日はここまで。今後は俊太郎、由梨花、そして水元の3人の視点で基本展開します。

次回は来週末の予定ですが、余裕があれば木曜ぐらいに投稿するかもしれません。

予定より早いですが、投下します。






残り92日





大学に入って感じたのは、授業がつまらないということだ。
程度が低いわけではない。ただ、大講堂で遠くから講義を聞くだけの、受け身の授業は退屈さしか感じない。
週に何回かある実験も、さほど僕の心を興奮させるものではない。教授が求める答えを、ただ実験で導きだすだけだ。
教養課程ーーリベラルアーツというものは、こういうものなのかもしれない。ただ、理系でゼネラリストを育てようとすることに、何の意味があるのかは甚だ疑問だった。
だから僕は、ダメ元で専門課程のゼミに応募した。何かしらの刺激がそこにあるのでは、と考えたからだ。

それが、青山ゼミだ。

正直、2年生枠1人に僕が選ばれるとは思ってなかった。学業成績自体はそこそこだったけど、中高からエリート街道を歩んできた連中に勝つことはあまり期待してなかった。
今でも、なぜ僕が青山ゼミに入れたかはよく分からない。一つ言えるのは、将来ノーベル賞を取るだろうと言われている天才、青山憲剛教授の指導は、とてつもなく刺激的ということだ。

総合図書館にいる僕は、手帳を見る。休み明けのゼミまで、あと1週間。それまでに、この論文を読み終わらなければ……

「竹下君」

低い声が、僕の耳に届いた。ハッとして振り向くと、背の高い神経質そうな白衣の男性が、静かに立っている。

「……!!何でしょうか、青山先生」

「オルド・テイタニアの論文は、もう読んだか」

「は、はい。先生と共同で発見された人工元素、『オルディニウム』の性質について、ですね」

「そうだ。隅から隅まで、完全に理解したか」

僕は黙り込んだ。正直、まだ内容の3割ほどしか理解できていない。
核分裂の際に新元素がプルトニウム以上のエネルギーを生じるだけでなく、従来とは違う性質の放射線も発するという点ぐらいは分かったけど。その原理はさっぱりだ。

青山教授が不機嫌そうに眉をひそめた。

「次のゼミでは、この論文の査読を行う。今からそれでは困る」

「す、すみません……」

正直、ゼミの内容は高度で、ついていくのがやっとだ。理学部でも選りすぐられた学生が所属するだけあって、議論にもなかなか参加させてもらえない。

青山教授は、僕の何を買っているんだろうか。

気が付くと、彼の姿は消えていた。というか、青山教授はてっきり研究室にいるものとばかり思っていたけど、図書館に何かの用事でもあったのだろうか。
首を捻りながら、僕は難解極まりない論文に目を戻した。

*

「……ふう」

家路についたのは夜9時を回ってからだ。家の近くにある麻婆麺屋で腹を満たす。
LINEには由梨花からのメッセージがあった。今週末にちょっと遠出をしないか、ということらしい。
10月になれば新学期が始まる。忙しくなる前に、彼女との時間はできるだけ作っておきたかった。
幸い、ここ数日は悪夢は見てない。土曜に由梨花と会って、精神的に落ち着いたおかげだろう。

マンションが見えてきた。さて、週末はどこに行こうかな……


「……?」


エントランスの前に、誰かいる。……子供?こんな遅い時間に、一人で?
塾か何かの帰りだろうか。向こうを向いて、誰かを待っているようだけど。


その人影が、こちらを向いたのが分かった。明かりに照らされた、その顔は……


「……えっ」


水色のジャケットに、少し立った髪の毛。そして、黒いフレームの眼鏡とその奥に見える鋭い目。


そう、それは間違いなく、先週の月曜に会った、「名探偵コナン」似の少年だった。


僕の心に、例えようのない恐怖がわき上がった。一体、何のために?まさか僕に、何か用なのか?
そして、秋分の日に僕の後を尾行していたのは、こいつだと直感した。あれはやはり、幻覚ではなかったのだ。

「コナン」は、ゆっくりと僕に近付いてくる。逃げる?こんな子供の脚なら、きっと振り切れ……


少年が、銃のようなものを向けたのが分かった。


「逃げようとするなら、撃つ。手荒な真似はしたくない」


僕は、その場にへたりこみたい気持ちを、必死になって抑えた。
何だこれは。一体、こいつは何なんだ!?

これが悪夢の続きで、現実ではないことを心から願った。……しかし、「コナン」の姿は段々と大きくなり、そして僕の前で止まった。

「竹下俊太郎さん、だね」

僕は震えながら頷いた。やはり、僕の名も知っている。

「すまない。抵抗しなければ、あなたに危害は加えない。大事な、極めて大事な話がある。10分ほど、時間をくれないか」

「は、話って」

「それは後でだ。人に聞かれるとよくない。申し訳ないが、こちらに来てくれ」

「コナン」は銃らしきものをジャケットの内ポケットにしまった。近くで見ると、どうも拳銃とは違う何かのようだ。
1分ほど歩くと、ワンボックスカーが見えた。「コナン」はドアを開けると、「入ってくれ」と僕を後部座席に促した。


運転席には中年の男がいる。……父親だろうか。

「き、君は、何者だ」

「コナン」が男の方を見た。

「やはり『思い出して』はいないね。僕の顔を見て、過剰に反応はしてたけど」

「『覚醒レベル』は恐らく1、だな」

「もう少しあるといいけど。それはこれから分かる」

覚醒レベル?一体、何を言ってるんだ?

「コナン」がもう一度、僕を見た。

「僕が何者か、その説明をするには多分時期尚早だ。申し訳ないが、あなたは質問に答えてさえくれればいい」

「し、質問」

「ああ。簡単な質問だ。……最近、勘が鋭くなったという気はしないか。まるで、この先何が起こるのか、事前に理解できているような」

背中に冷たいものが走るのが分かった。

心当たりは、ある。株式相場がいつ上がり、下落するのか。理屈ではなく、直感的に理解できた。
だから、僕はそんなに大した知識もないのに、投資で儲けられていた。ただそれに従い、先読みして売買すればよかったのだ。
それは、ただ勘が鋭いだけだと思っていた。……違うのか?

「コナン」の目が、鋭さを増した。

「心当たり、あるようだね」

「何が、言いたいんだ」

「次の質問だ。最近、悪夢は見ていないか」

汗の量が、一気に増えた。

「……なぜそれを」

「……『覚醒レベル』、2かもね」

「思ったよりは進んでいるな。お前のことは、うっすら覚えている程度のようだが」

男の言葉に、「コナン」が小さく頷く。

「これなら、少し話してもよさそうだ。竹下さん、あなたが見ている悪夢の内容、大体見当が付く。マンションが倒壊した夢じゃないか?」

驚きのあまり、声も出ない。本当に、何者なんだ?

「沈黙は肯定と受け取るよ。それはただの悪夢じゃない」

「コナン」が少しだけ、身を乗り出した。






「それは、2021年12月29日に起きるであろう、『未来の事実』だ」





僕が返事を返すまで、数秒かかった。意味が分からない。

「……は?まさか、君は未来人とでも言うのか?」

「半分当たりだ。そして、あなたも」


こんなSF小説みたいなことが、現実にあり得るのか?
ただ、思い当たるフシがないわけではない。……あの悪夢は、夢にしてはあまりにリアルすぎる。


「僕も、だって?」

「その可能性はかなり高い。ただ、完全に『思い出してはいない』。正直、それでよかったとは思ってるけどね」

「もう少し、ちゃんと説明してくれ!」

「さっきも言った通り、それにはまだ時期が早い。あなたがもう少し、『未来の記憶』を思い出してからの方がいい。
もっとも、人格そのものまで『思い出されたら』、僕はあなたを消さなきゃいけなくなるかもしれないが」

「消す?どうして?」

「僕らにとって、あなたは要監視対象だ。これも今の段階じゃ詳しく言えないが。とりあえず、今のあなたは危険じゃない。むしろ、協力者になり得る」

「コナン」が男の方をまた見た。

「……言っていいかな、父さん」

「『コナン』、構わない」

「了解」

「コナン」が僕の目を、じっと見つめた。その圧は、小学生のそれじゃない。これに匹敵するのは、青山教授ぐらいだ。

「竹下さん、あなたにしてもらいたいことがある。エバーグリーン自由ケ丘の倒壊を防いで欲しい。何としてでも」

「……え」

「あの倒壊による死者は413人。その中に、あなたの恋人である木ノ内由梨花さんが含まれている。
ここで重要なのは、木ノ内さんを救うことじゃない。413人の命を救うことだ」

「ど、どうやって!?」

「倒壊事故の原因は、事故直前に起きた震度5の地震によるものとされている。……ただ、真実は不明だ。だから、それを明らかにしてほしい」

「僕は、ただの大学生だぞ!?そんなことが、できるわけ……」

「コナン」が微かに笑った。

「協力者は、既に動いているよ。そして、エバーグリーン自由ケ丘に行く機会がある君なら、きっと役立てるはずだ」

「協力者?」

「そのうち分かるさ。そして時間が経てば、君も『目覚める』ことになる」

「……警察には」

「基本的に、言っても信じないだろうさ。もちろん、今夜のことも。それに、よしんば信じた場合は、確実に面倒なことになる」

「コナン」の言うことには、妙な説得力があった。話し方含め、この少年がどう見ても見かけ通りの年齢でないのは明らかだった。まるで「見た目は子供、頭脳は大人」の、あのコナンのように。

「由梨花には、話した方が」

「やめておくべきだ。いきなり死期を告げられて、平静でいられる人間がいると思うか?」

その通りだった。しかし、こんなことを、いつまで秘密にできるのだろう?……正直、自信はない。

「君たちが、解決に動けばいいじゃないか」

「そうしたいけど、僕らには別にやらなきゃいけないことがある。何より、エバーグリーン自由ケ丘に、自然な形で入っていけるのは、あなただけだ」

そう言うと「コナン」は、ワンボックスのドアを開けた。

「また会うことになるだろうね。とりあえず、あなたの方でも探ってみてくれ。協力者からの連絡も、近いうちに来るだろう」

降ろされた僕は、ワンボックスが走り去るのを茫然と見ていた。






……由梨花が「死ぬ」まで、残り92日……それは覆せる、運命なのだろうか?





今日はここまで。プロローグはこれで終了となります。

なお、一部で某シリーズに関わる単語が出ていますが、某シリーズと本作は直接的な関係はありません。多分。
ただし、ここで彼の名とある単語を出した意味は、単なるお遊びではなく存在します。





残り88日








何か,様子がおかしい。




俊太郎に会ってすぐに、あたしは気付いた。いや、会う前からなんとなく妙な気がしていた。

火曜の夜、あたしから送ったLINEへの返信は、やけに遅かった。そして、「土曜日はうちで過ごさないか」と訊いてきたのだ。
まったりおうちデートというのは、決して嫌じゃない。適当に二人でYouTubeを見て、そのうちそういう雰囲気になり、何回もセックスしてから解散する。多分、いつものそういう感じだろう。
ただ、インターンが終わってからの俊太郎は、何か変だ。悪夢に悩んでいるというのは前からだったけど、さらに何か思い詰めるようになっている。

遠出を彼に持ちかけたのも、いつもと違う所で過ごして、気分転換してもらいたかったからだ。新学期になれば、また忙しくなる。このままでいるのは、良くない予感がしたのだ。
それがおうちデートでは、普段と大して変わらない。俊太郎に甘えさせても、それはその場しのぎだ。その時は良くても、またすぐに悪くなる。

だから、あたしは強引に彼を説き伏せ、こうやって車で中目黒に来た。でも、これは正しかったのか。俊太郎の顔を見たあたしは、すぐに不安に駆られた。

「どうしたの?……目の下、すごい隈だよ。また、例の悪夢?」

「いや……そうじゃないんだ。でも、寝れてない」

「えっ……今日、どうする?具合悪いなら、俊太郎の家に行ってもいいよ?」

俊太郎は、少し考えた後で強く首を振った

「……大丈夫。それに、色々調べてくれたんだろ?由梨花に悪い」

「本当に、身体は問題ないの?」

「うん」

そう言うと、俊太郎は助手席に座った。無理をしているのは、明らかだった。
「何かあったの?」と問い詰めようとして、あたしはやめた。普段なら、きっとそうしていただろう。でも、そうすると俊太郎を追い詰めることになる気がしていた。もう、1年の付き合いになる。俊太郎のメンタルがそこまで強くないのは、分かっていた。

あたしは、iPhoneを操作した。接続されたカーステレオから、昔のロックバンドの曲が流れる。


♪Is this the real life?
♪Is this just fantasy?
♪Caught in a landside,
♪No escape from reality……


「……『ボヘミアン・ラプソディー』か」

「そ。Queen、好きでしょ?」

俊太郎は無言で頷く。音楽を流していないと、沈黙に耐えられない気がしたのだ。

あたしはハンドルを首都高方面へと切る。目的地の房総半島までは、渋滞さえなければ2時間弱で着くはずだ。

*

「……ここは」

「そ、牧場」

車を降りると、家族連れが次々に入場門に向かっているのが見えた。小さめの観覧車が、ゆっくりと回っている。

「何か、意外だな。てっきり、富士急かどこかに行くかと思ってた」

「そういう刺激もいいけどね。たまには、こういう何もしないでぼーっとするデートもよくない?」

俊太郎には、今日の行き先は告げないでいた。少し物珍しそうに、彼は辺りを見渡している。

「何か、懐かしいな。実家の近くにも、こういう牧場があった」

「群馬だったっけ。伊香保の方にも,似たようなのあったよね」

「小学校の遠足の定番だったな」

少し、俊太郎の表情が緩んでいる。あたしは、ここを選んで正解だったかもと思った。もちろん、俊太郎の出身を踏まえた上での選択だ。
童心に戻る、というと大袈裟だけど、リラックスしてもらうならこういう所の方がいいかもと考えたのだ。

あたしは、レクサスの後部座席からリュックを取り出した。

「そういえば、それ何が入ってるの」

「ふふん、それは後でのお楽しみ。じゃ、行こっか」

あたしは俊太郎の手を引いた。

*

羊やアルパカと戯れているうちに、すぐにお昼になった。絶叫マシーンや派手なショーがなくても、意外と時間は早く流れる。台風一過、空が透き通るように青い。
はじめは所在なげにしていた俊太郎も、あたしに連れられて動物たちに触っているうちに、まんざらでもない様子になった。俊太郎は、何か難しいゼミに入っている、らしい。その準備とかで、気が張り詰めている所はあるのだろう。今の彼に必要なのは、こういうゆっくりとした時間なのだ。

「ここでいっか」

あたしは広い芝生の広場を見つけると、リュックからシートを取り出した。

「え」

「ほら、座って。お弁当、用意してあるよ」

俊太郎が、少し目を見開いた。

「まさか、由梨花が作ったの?」

「そ。俊太郎んちに行く時、ご飯は外か俊太郎が作るかだったじゃない。たまには、ね?」

「料理、あまりしないかと思ってた」

「そんなことないよ?ただ、機会がなかっただけ」

あたしは、大きい弁当箱を置いた。中身はおにぎりとウインナー、そして卵焼きという定番だ。そこに、小さなハンバーグとポテサラ。
作るのには、1時間ぐらいかかった。ママからは「手伝おうか」と言われたけど、冷凍食品なしで全部手作りしたかったのだ。
結果、卵焼きは少し焦げたし、ハンバーグはちょっと形崩れした。それでも、やってみることが大事なのだ。

俊太郎が、少し笑った。笑い顔を見るのは、かなり久しぶりな気がする。

「まるで、遠足みたいだな」

「そういうこと。大人の遠足も、悪くないでしょ?」

俊太郎はハンバーグを口にすると、「うん、美味しい」とつぶやいた。あたしもつられて笑顔になる。



……と、その時。
俊太郎の表情が、急に崩れた。


「う、ううっ……」

「ど、どうしたの?」

彼は涙目であたしを見ると、強く唇を噛む。精神的に参っていたから、ほっとして感情が緩んでしまったのだろうか。

「由梨花っ……」

俊太郎が何かを言いかけて、やめた。間違いない、何かを隠している。

「辛いことがあったら、言って?少しは楽になるかも」

「……違う、そうじゃないんだ……ただ……」

「ただ?」

俊太郎が口を開きかけて、閉じた。頰に涙が伝っている。

「……今は、言えない。言えないけど……」

あたしは、少しイラっとした。隠し事をされたままなのは、それがどんな理由であれ、いい気分じゃない。「ちゃんと言ってよ!」と喉まで出かけた。


……その刹那、あたしの身体は強く抱きしめられた。嗚咽が、耳元で聞こえる。


「ちょ、ちょっと……」

周りの親や子供たちの目が、あたしたちに集まったのが分かった。正直、これは気恥ずかしい。
でも、俊太郎は泣くのをやめなかった。身体を離そうとするのをやめ、あたしはそっと彼の頭を撫でる。甘えさせてばかりじゃダメだと、分かっているのにな。




耳元で、小さく俊太郎の声が聞こえた。



「……由梨花、僕が必ず……君を守る」



「え?」

俊太郎が急に、我に返ったようにあたしから離れた。

「……ゴメン。でも、いつかちゃんと話すから」

「大学のこと、じゃないよね」

「違う。今は、言えない。でも、必ず……」

必死に、真剣にあたしの目を見つめる俊太郎に、あたしはただ頷くしかなかった。

*

牧場を出た後、あたしたちは海ほたるに寄ったぐらいで、ほぼ真っすぐにうちに帰った。
「ラブホに行かない?」と誘ったけど、「それはまたでいい」と断られた。俊太郎にしては珍しいけど、そういう気分でないのはよく理解できる。
身体を使って繋がりを確認したいなんて……不安なのは、あたしもかもしれない。

車から降りる時、俊太郎が言った。

「今日はありがとう。……とても、幸せだった」

「うん。来週から、頑張ってね」

「ありがと。……今度、由梨花の家に行っていい?」

「え、うち?」

俊太郎が、小さく首を縦に振った。

「一度、見ておきたくって」

「休日に、だよね?パパとママ、両方揃ってた方がいい?」

正直、ここで両親に挨拶しようというのは意外だった。もちろん、2人には俊太郎のことは話している。今のところ、好印象は持ってもらえている、はずだ。
ただ、将来俊太郎とどうなるかなんて、まだ分からない。俊太郎と結婚というのは、考えたことがないわけじゃないけど、そうだとしてもずっと先のことのはずだ。今のタイミングで両親に紹介するのは、少し早い気がする。

「……それは気にしないよ。ご両親に会えればそれはそれで構わないけど」

どういうつもりだろう?さすがに、親がいるのにいちゃつくほど、あたしも俊太郎も常識がない人間じゃない。

「一応、帰ったら予定聞いてみる。じゃ、またね」

「うん……また」

例の悪夢のこと、気にしているのかな。どこか引っかかりなら、あたしは車のハンドルを切った。

*

エバーグリーン自由ケ丘には、6時前に着いた。辺りはかなり暗くなっている。車はそんなに運転しないけど、何とか何事もなく着けた。
たまにはこういうドライブもいいかもしれない。もっとも、今日はパパが車を使わないからできたわけで、そんなに頻繁にはできないけど。

マンション脇の大型商業施設には、かなり客が入っているようだった。高級スーパーに加えて、有名ブランドショップがテナントに入っている。自由ケ丘らしいちょっとお洒落なパティシエールやイタリアンレストランなども入っていて、あたしもたまに使う。
日本でも滅多にないこの高級ショッピングモールは、開業から10年経った今でも客足が途絶えない。あたしが三友地所をインターン先に選んだのも、ここのデベロッパーである影響が大きかった。

「っしょ」

ほぼ空のリュックを背負い、あたしは駐車場を出た。パパとママに、何か買って帰ろうかな。

その時、スーパーの方から、誰かがあたしを見ているのに気付いた。……あれ、どこかで見たことがあるかも。
その子連れの人影は、私に向かって一礼した。あ、あの人は。

「毛利さん?」

近づくと、彼は照れながら笑顔を浮かべた。

「奇遇ですね!この辺にお住みなんですか?」

「いや、嫁に連れられて、でしてね。木ノ内さんは、こちらに」

「はい。本当に偶然ですね。お子さんですか?」

毛利さんが小さな女の子を見た。まだ、小学校に上がる前だろうか。毛利さんの手を握っている。

「ええ。亜衣、ご挨拶は」

「もうりあい、です。はじめまして」

ぺこりと、その子が頭を下げた。

「すごくしっかりしたお子さんですね。あたしがこのぐらいの時は、こんなにちゃんと挨拶できなかったですから」

「……まあ、実の子じゃないんですけどね。連れ子でして」

そうなのか。毛利さんは30代前半っぽいから、このぐらいの子がいても不思議じゃないけど。

「あっ、すみません。何か複雑な事情が……」

「いや、大した話でもないんですけどね。おっとごめんなさい、嫁を待たせてるんで、また今度。竹下君によろしく」

「どうもすみません」

そう言うと、毛利さんは商業施設の駐車場の方へと去っていった。実の子じゃないって言ってたけど、仲の良さそうな家族っぽいな。



その時、あたしはふと違和感を覚えた。


「また今度」?


ああ、ラーメン屋で会うことがあるかもということかな。その時はそう、勝手に納得した。
それは、とんでもない勘違いだったのだが。

今日はここまで。明日水元パートです。

相変わらず色々伏線をばらまいています。中盤以降に読み返すと、印象がかなり変わる回かもしれません。

このSSまとめへのコメント

1 :  MilitaryGirl   2022年04月21日 (木) 08:52:36   ID: S:sixRmZ

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