【ウマ娘】小さなトレーナーと白い奇跡【みどりのマキバオー 】 (76)

【注意】
・「ウマ娘プリティダービー」と「みどりのマキバオー」のクロスSSです。
・誤字脱字、または設定が甘い等々あるかとは思いますが、何卒ご容赦をいただければ幸いです。

暇つぶしにご一読頂ければ幸いでございます。

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『今度はボクの番だ。だから見てて、マックイーン』
 
 もう無理だと思っていた。二度と走ることは叶わないと心のどこかで諦めかけていた。奇跡でも起こらない限り、と。

『奇跡は起きます。それを望み奮起する者の元に、必ず……きっと』

 かつてあなたに捧げた言葉。それをあなたは確かに証明してみせてくれた。
 
 歓声、歓喜、感動に包まれたターフの上で。
 十六万人もの観衆の前で。

 だから、今度はわたくしの番。

 ??あの日交わした、約束のために。

「痛ってて、なんだここは?」
 
 一匹のネズミが地面いっぱいに敷き詰められた落ち葉の上から起き上がる。

 ズキズキと鈍痛が響く頭を摩りながら、ネズミは立ち上がり辺りを見渡す。

「なんでこんなトコで寝てたんだ? というか、どこだここは? いや、そもそも……」

 冬枯れのように葉の少なくなった木々の枝からは真っ青な空が見える。見知らぬ景色。ネズミは困惑したようにこう呟いた。

「俺は……誰だ?」

 呟いた独り言がやけにうるさく感じる。それほどまでに静かな森の中。耳を澄ますと、後ろから乾いた落ち葉を踏みしめる音が聞こえてきた。

「なっ、なんだ!? まさか野犬か!?」

 そう言って振り向いたネズミの頭にズキンと鋭い痛みが走る。

(こんな場面、以前どっかで……)

「って、やべぇ! そんなことより早いとこ逃げねぇと!」
 
「あら? 服を着た……ネズミさん?」

 慌てて逃げようとしたネズミの前に現れたのは、ジャージ姿で足を庇うように引き摺りながらやってきた一人の少女。ただ、その容姿はネズミが知っている人間のそれとはやや異なっていた。頭の上にある長い耳。そして、艶やかな毛並みの整った尻尾。

「珍しいお客様ですわね」

 これが、ネズミと少女の初めての出会いだった。

「な、なんだてめぇは!? 人間か? いや、その耳と尻尾はまるで馬じゃねぇか」

「まぁ珍しい。喋るネズミさんだなんて」

 好奇の眼差しを向けて手を伸ばしてきた少女に背を向け、ネズミは一目散に走った。

「あっ、お待ちになって!」

「へっ、捕まるかよ! あいつ以外に森の中で俺様の瞬足に追い付けた奴なんて??」
 
 遁走しながらそう言いかけた瞬間、ネズミの頭に再び鋭い痛みが走る。

(あいつ? あいつって、誰だ?)

 余計なことを考えず、今は逃げることが最優先。背後からはゆっくりだが落ち葉を踏み締める音が聞こえる。間違いなくこちらを追ってきている証拠だ。ネズミが更に加速するべく二足歩行から四足歩行へと移行したその時、大きく倒れ込むような音が聞こえた。

「な、なんだ? もしかしてぶっ倒れやがったのか?」

 おそるおそる戻ってみると。先程出会ったウマの特徴を有した少女は左足を押さえ、整った顔を悲痛に歪めながら地面に疼くまっていた。

「な、なぁ嬢ちゃん、あんたもしかして足を痛めてんのか?」

「これくらい……どうってことありませんわ」

「その苦しみ方は普通じゃねぇだろ。ちょいと待ってろ。今誰か呼んできてやる」

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何故か書き込みがundefinedとなってしまい続きがあげられないのですが、理由をご存知の方いらっしゃいますか?

 見知らぬ森をネズミは駆ける。どこに何があるかも分からない。しかし、少女が来た方向へ向かって進めば開けた場所に出るかも知れない。依然と何も思い出せないネズミだったが、こうして自分の足で走ることが何故だか妙に懐かしいと思える不思議な感覚を覚えながら進んでいると、目の前に大きな屋敷が見えた。立派な門の前には、眼鏡を掛けた燕尾服の老紳士が立っている。

「お嬢様! お嬢様!」

 彼がお嬢様と呼ぶ人物こそ、さっきの少女のことだと察したネズミは老紳士の前に立ち止まり、小さな体をいっぱいに使いながら身振り手振りを交え大声で叫んだ。
 
「おい、じいさん! あんたの探してる娘はあの森ん中で倒れてるぞ! って、聞いてんのかコラ!!」

 いくらネズミが声を枯さんばかりに叫べども、老紳士は足元には一瞥もくれない。まるでネズミの声は聞こえていないかのように。

改行と文字数が一定以上だと、そうなってしまうので
レスを分ければよい

「チクショウ! なんだってんだ!」

 ネズミは苛立ちから小石を思い切り蹴り上げた。すると、その小石は高く飛び上がると放物線を描いて老紳士の頭に当たったのだ。老紳士は小石の当たった頭を摩りながら上空を見上げている。どうやら、頭上から石が降ってきたのだと思っている様子だった。

 それを見たネズミはあることに気付いた。何故かはわからないが、自分の存在はこの老紳士には認識されていないということ。これでは助けを呼ぶことなど到底不可能である。しかし、先程の老紳士の反応を見たネズミはまだ打つ手が残されていると悟り、急いで来た道を戻り少女の元へと向かった。

 しばらく走ると、少女はまだそこにいた。何度か立ちあがろうとしては倒れたのだろう。長い髪や尻尾、着ているジャージは土や落ち葉で先程よりも汚れていた。ネズミは少女の頭に登ると右耳に付いたリボンを外して耳元でこう呟いた。

「悪いな、ちょいとこいつを借りてくぜ。直ぐ戻って来るからよ」

>>10
解決しました、ありがとうございます。

 緑色のリボンを咥えたネズミは、再度老紳士のいた屋敷の方へと向かって走った。

「おぉ! これはもしやお嬢様の……」

ネズミは老紳士の前でヒラヒラと少女のリボンを振って見せた。予想通り、物に関しては認識出来るようだ。これ幸いとネズミはリボンを咥えたまま再び少女の元へと向かって走る。老紳士の目には、まるでリボンが風に吹かれて飛ばされているように映っているのだろう。ネズミの思惑通り、老紳士はリボンを追って付いて来た。老紳士が倒れた少女を見つけたのは、それから数分後の事だった。

 翌朝、鳥の鳴き声でネズミは目覚めた。
 
「ふぁ~あ、よく寝たぜ」

 昨日出会った少女が倒れた場所の近くにあった一本の老木。そこの根元付近に出来た樹洞の中に落ち葉を敷き詰めた簡易的なベッドだったが、なかなかに寝心地は良かった。何よりも春先の寒さを和らげてくれたのは毛布の代わりに包まっていた緑色のリボン。結局あの後少女は老紳士が呼んだ多勢の人間に運ばれて行き、誰もこのリボンには目もくれなかったのだ。仕方なくネズミが預かり、今に至っている。

「これからどうするかねぇ。つっても、何をするにしても記憶がねえってんじゃまるでお話に……」

 独り言を遮ったのは大きな腹の音。もちろん、捕食者や外敵のものではない。自分自身のものだ。そこでようやく自分が昨日から何も食べていないことに気づいた。

「俺はあくまでこいつを返しに行くだけだ。その過程であわよくば食い物を、なんてやましい考えなんてこれっぽっちもだな……」

 ネズミは徐に立ち上がり体に付着した落ち葉や土を払い落とすと、昨日足を運んだ大きな屋敷の方角へ向かって歩き始めた。

 木漏れ日の差し込む窓辺。吹き込んだ風がカーテンを優しく揺らしている。キャンバスを前に座っている少女の芦毛の髪と尻尾もまた同様にそよいでいた。

「せめて気を紛らわせるために筆を執ってはみたものの、やっぱり慣れませんわね。早く慣れないといけませんのに……」

 呟いた独り言さえうるさく感じてしまうほど静かな朝。頭の上にある少女の耳は、小鳥の囀りを捉えてぴこぴこと動いていた。この療養所では学園のような喧騒は聞こえない。友の笑い声も、蹄鉄が大地を蹴る音も。少女は何気なく自分の右耳をそっと右手で触れた。

「あぁ、そうでしたわ」

 普段から身に付けていたリボンは昨日紛失してしまった。いつもそこにあるものがないという感覚は、慣れるまでが苦労する。いつしか忘れ、それが無いことが当たり前になるまでが。

「…………」

 たかがリボン一つ。替えなんていくらでも利く。しかし少女は、その失くしたリボンに掛け替えのない自分の夢を重ねていた。俯きながら少女はそっと自分の左足を摩った。

「なんて顔してやがるんだよ、イイ女が台無しじゃねぇか」

「だっ、誰ですの?!」

 不意に聞こえた声に少女は驚いて顔を上げる。すると、半分開いた窓に小さい何かが立っていた。少女は、メジロマックイーンはその何かに見覚えがあった。

「あなたは……昨日のネズミさん?」

「おうよ、昨日ぶりだな嬢ちゃん」

 ネズミはそう言うと、ぴょんと身軽にキャンバスの上へと飛び乗った。

「ほらよ、昨日借りたまま返しそびれちまったリボンだ。落ち葉や砂埃でちょいと汚れちゃいるが、洗えばまだ使えるだろ」

「わざわざこれを届けに?」

「まぁな。んでよ、その駄賃ってわけじゃないんだけどあのリンゴくれねーかな。描かねぇんだろ?」

 真っ白なキャンバスを覗き込んだネズミはそう言うと、テーブルに乗ったリンゴを指差した。マックイーンがデッサンの為に持ってきたものだ。

「えぇ、構いませんわ。あなたには昨日の御恩もありますから」

 快諾を得たネズミはキャンバスから一足飛びでテーブルへと移動すると、自分の体より大きなリンゴをひょいと持ち上げた。

「へへっ、ありがとよ。そういや、昨日はなんであんなところに一人で歩いて来たんだ? 見たところ足を怪我しているみてぇじゃねぇか。昨日も左足庇いながら歩いていたよな?」

「…………」

 ネズミの質問にマックイーンは俯いたまま何も喋ろうとはしなかった。

「まっ、何でも良いけど無茶は感心しねーな。安静にしてねーと治るもんも治らねーぞ」

「安静にしたところでこの足はもう治らない。医者からもそう言われていますの。酷使さえしなければ、日常生活には問題はないと主治医から言われてはいます」

「なんだ。なら良いじゃねーの。無理せずのんびり普通の生活をしていれば良いなら何の問題もないじゃねーか」

「普通の生活さえしていれば良い。もう、走らないでさえいれば。ですが……」

 ぽたり、ぽたり。
 少女の瞳から大粒の雫が零れ落ちた。

「その普通の生き方が……死ぬよりも辛いんです……」

 声を[ピーーー]ように、少女は静かに泣いた。

「おいおい、いきなり何だってんだよ。わけがわかんねーって。走らなきゃ良いってだけじゃ……うっ!?」

 突如ネズミの頭に走った痛み。そして脳裏にぼんやりと浮かぶ不思議な感覚と既視感。ネズミはかつて今と似たような場面に立ち会ったことを断片的に思い出した。しかし、それがいつだったかは思い出せない。ただハッキリと言えることは、走れないことが死ぬよりも辛いと涙を流しているこの少女の姿が、何故だか似ても似つかぬ自分の姿と重なって見えたのだ。

 ふつふつと湧き上がる確かな想い。ネズミは、この少女の力になりたいと心の底からそう思った。

>>18
声をころすように、がの部分にNGが入っているみたいですね……

「走りてーのか?」

「えっ?」

「本当に走りたいのかって聞いてんだよ。未来を蹴ってまで今を走る覚悟があんたにはあるのか?」

 少女は袖で涙を拭い、真剣な眼差しをネズミに向け、自身の左胸に手を当てながらこう答えた。

「覚悟の上ですわ。愚かな選択だと言うことは百も承知。ですがそれでも構わないと思えるほどに、ここから溢れてくる衝動の方がはるかに強い。頭からの命令なんかじゃ抑えきれないんですの」

「へっ、そうかよ。ったく、泣き虫の鼻タレかと思ったけど、良い顔するじゃねーの。ようし、わかった! この俺様が人肌脱いでやろうじゃねーか。よろしくな、たれ子!」

「たっ、たれ子!? えっ、わたくしのことですの?」

「お前以外の他に誰がこの部屋に居るってんだよ。今日からお前は鼻水たれ子だ」

「はなみ……それは流石にあんまりですわ! それに垂らしてなんかいません!」

「じゃあここはやっぱり満を持して玉しゃぶ郎ならいいだろ。女っぽい名前だしよ。いやでも待てよ、やっぱりうんこたれ蔵の方が何かしっくり来る……あっ、ちょっと待ってなんか目眩が……」

「たま……うん……なっ、なんて下品な。わたくしにはメジロマックイーンというちゃんとした名前がありますのよ!」

「わかったから大声出すなよ、たれ子。今なんか思い出しそうなんだって」

「たれ子はおやめなさい!!」

 久しぶりにマックイーンの元気な声が屋敷に轟いたこの日、使用人の日記にはこう記されていた。「不自由による精神的ストレスからか、お嬢様はやや錯乱気味と見受けられる」と。

 翌日、マックイーンは療養所から久しぶりにトレセン学園へと戻った。理由は二つある。一つは学生としての本分を全うするため。もう一つは、二度と叶わないと諦めかけていた夢への再起を図るため。学園以外での生活では、常に使用人たちの監視の目がある。隠れてトレーニングなどして見つかった日には、メジロ家の当主たる厳格な祖母からどんな叱責を受けるかわかったものではない。その為、マックイーンは祖母や使用人には「これからは勉学に励む」と嘘を吐いてきた。

 しかし、学園関係者たちにも〝マックイーンを走らせてはならない〟とメジロ家のからの通達が来ているはずである。それはおそらく、トレーナーやチームメイトにも。

 だからこそ、マックイーンは強い覚悟を持って学園へと戻ってきた。今日からは誰とも関わらない。ただ一人で、誰にも知られることなく自己研鑽を積むこと。ここからは孤独な戦いが始まる。相手は足の痛みと自分自身。そして、その先に待つ彼女との約束のために。

「ほー、随分と立派な学校じゃねーか。名家のお嬢様は伊達じゃないってわけだな、たれ子」

 鞄の中からひょっこり顔を覗かせたネズミは、物珍しそうに辺りをキョロキョロと見渡している。その様子を見て、正確に言えば自分は一人ではないということを思い出した。

「誰かに見つかると厄介ですわ。学園に着いてくるのは構いませんが、せめて大人しく身を隠していてくださいまし。あと、たれ子はやめてくださいます?」

「心配ねーよ、たれ子。どうやら俺の姿はお前以外にゃ見えてねーみたいだからよ。少なくとも療養所いた連中は誰も俺の姿を視認出来てなかったみたいだしな」

「だからたれ子はおやめなさいってば!」

「悪い悪い。俺的にもたれ子よりもやっぱたれ蔵の方がなんかしっくりくるんだよ。何故だかわかんねーけどよ」

「どっちもやめてください!」

 久しぶりに登校してきた最強のステイヤーと呼ばれるマックイーンが、校門付近で鞄に向かって声を荒げて話しかけている。何とも奇怪な光景だろうか。そんなマックイーンの背後から二人のウマ娘が嬉々としてやってきた。

「わぁー! おはようございますマックイーンさん!」

「ずっと学校来ねーから心配してたぜー!」

 髪をサイドで編み込んだ少女と、帽子を被った長身の少女。チームメイトのスペシャルウィークとゴールドシップである。

「そういや聞いてくれよマックイーン。この間チケゾーが」

「だからたれ蔵もやめろッッッ!!」

「ゴルシッッッ!?」

 振り向き様に放たれたローリングソバット。マックイーンの左足は、重く鈍い音と共にゴールドシップの鳩尾に深くめり込んだ。負傷しているとはいえ、ウマ娘の強靭な脚力から放たれる蹴りの威力が如何許りかは300m離れた花壇まで吹っ飛ばされたゴールドシップを見れば一目瞭然である。

「ゴゴゴゴールドシップさぁぁああん!!」

 派手に吹っ飛ばされたゴールドシップの元へ慌てて向かったスペシャルウィークだが、彼女はまだ知らない。その先では、花壇の管理者にしてこの学園の副会長。女帝エアグルーヴがジョウロを片手に憤怒の形相で待ち受けているということを。

 放課後、ジャージに着替えたマックイーンは登山用の大きなリュックを背負ってある場所へと向かった。そこは、今は使われていないトレセン学園の旧校舎。外観は廃校のように寂れてはいるが電気や水はまだ使える状態で残されている。それ故に多少古いがシャワー室やトイレなども使用可能。有事の際に緊急避難所として利用出来ると噂されてはいるが、真偽は一般生徒の与り知るところではない。トラックはきちんと整備されており、まだ比較的新しい蹄跡も残っていることからつい最近まで誰かが練習でこの場所を使用していたことが伺えた。

 マックイーンはグラウンドの端にテントを設置してトレーニングシューズに履き替えた。しばらくの間ここが一人と一匹の拠点となる。

「さぁ、始めましょう。タイムをお願いしますわ」

「おうよ任せろ。よーい、スタート!」

 ネズミは自分の体ほどもあるストップウォッチのボタンを器用に押すと、それを合図にマックイーンはゆっくりと駆け足を始める。始めはゆっくりでいい。理想のタイムなんて到底出せないことは分かりきっている。焦らず一歩ずつ確実にゴールすることだけに注力した。足の負担を軽減させるサポーターをジャージの下に着用している為、痛みはかなり和らいでいる。トラックを一周するのに五分も掛かったが、これでいい。小まめな休憩と患部へのアイシングを施しながら、練習という名のリハビリは日が暮れるまで続けられた。

翌日、普段通り登校し授業に出席したマックイーンは放課後再び旧校舎へと向かった。誰とも接さず、関わらず。チームメンバーやトレーナーにさえもその真意を話してはいない。話せば確実に止められてしまう。最悪の場合、メジロ家に連れ戻され籠の中の鳥のように過ごさなくてはならないかも知れない。あるいは、家督を継ぐ跡取りの為の縁談を持ちかけられるかも知れない。いずれにせよ、今はまだそのどれも望んではいない。あるのはただ、あの日の約束を果たすという使命感。そして、勝ちたいというウマ娘の本能。それに従うべく、マックイーンは今日もジャージに着替えてトレーニングシューズを履く。

「今日は昨日より少しペースを上げていきますわ。ネズミさん、またタイムをお願いします」

「ちょいと待ちな。客が訪ねて来たみたいだぜ」

「客?」

 ネズミの指差す方へ目を向けると、セグウェイに乗った同じジャージ姿のウマ娘がいた。

「こんなこったろうと思ったぜ、マックイーン」

「ゴールドシップ! どうしてここが?」

「お前の考えそうなコトは何となく直感的に分かるんだよ。悪いことは言わねぇ。これ以上足に負荷をかけるな。走るどころかマジで歩けなくなるぞ」

「それでも一向に構いませんわ。あなたもウマ娘ならわかるでしょう? 走らずにはいられないという衝動の強さを。テイオーはわたくしに奇跡を見せてくれました。ならば今度はこちらが応えなければならない。わたくしは未来を前借りしてでも、今を駆けたいんです。わかったら邪魔はしないでください」

「……そうかよ。ならこっちにも考えがある」

 セグウェイから降りたゴールドシップは、いつになく真剣な表情でこちらへと詰め寄る。その雰囲気に気圧され、たじろぐマックイーン。罵詈雑言を浴びせてくるだろうか。引っ叩かれるだろうか。ずた袋に詰め込まれるだろうか。

 様々な不安が交錯しているマックイーンの予想に反して、ゴールドシップが取った行動は意外なものだった。

「なにボサッとしてんだよ。走るんだろ? 一緒に走るなら邪魔にはならないよな。ゴルシ様が併せに付き合ってやるんだから感謝しろよ。あと、やべーと判断したらすぐ止めるからな」

「ゴールドシップ……」

「なぁ、お友達も一緒に走るのは構わねーけどよ。もう時計測っちまって良いのか?」

「ええ、お待たせしました。よろしくお願いします」

「マックイーン。お前誰と話してるんだ?」

「親切なネズミさんですわ」

 マックイーンはそう答えると、呆気に取られていたゴールドシップを横目に駆け出した。

 後日、ゴールドシップが学園中にバラまいた〝マックイーン遂に覚醒! 見えないネズミが見えてしまう〟という見出しのビラによって、全校生徒からマックイーンに奇異と同情の目が向けられるのだった。

 昼休みにもなると、トレセン学園内の学食はウマ娘たちで大いに賑わう。自動車並みのスピードで走る彼女たちにとってエネルギーの補給という意味でも食事も立派なトレーニングの一環である。また、年頃の女子ということもあり、大半の生徒たちは学友、ライバルたちと会話に花を咲かせるのだ。

 ただし、一部例外もいる。一人黙々と食事に徹したいと思うものもいれば、人付き合いが得意ではなく基本的に一人が好きというものもいる。エベレストのように聳え立つ白米とおかずを瞬く間に食べ終え、おかわりへ向かっているオグリキャップや隅っこで身を竦めるように食事をしているライスシャワー。気恥ずかしそうにウィニングチケットとビワハヤヒデから少しだけ離れた場所に座っているナリタタイシン等がその部類だ。

 復学してからはマックイーンも周りを避けるように一人で食事をしていた。最初のうちは多くのウマ娘が心配して話しかけてきていたが、近寄り難い雰囲気を放っているマックイーンに萎縮して今ではその頻度は減っていた。しかし、今日はいつもと違っていた。

「マックイーンさん、これ……食べてください! スピカのみんなはマックイーンさんのこと、いつまでも待っていますから!」

 スペシャルウィークはそう言うと、マックイーンのテーブルに大きな段ボールを置いて去って行った。箱の中身は大量のニンジン。次にやって来たのはメジロドーベルとメジロライアン。マックイーンと同様、メジロ家のウマ娘である。

「みんなマックイーンのこと心配してるからさ……辛かったらいつでも戻って来なよ」

「おばあさまも良い精神科医を見つけてくれるって言ってたし。あまり気を落とさないでね」

 身に覚えのない憐れみの視線や激励に困惑しているマックイーンの元へと次にやってきたのは、同じチームのメンバーであるウオッカとダイワスカーレットだった。

「よ、よぉ、マックイーン」

「聞いたわよ。精神的なストレスで幻覚が見えているんですって?」

「ちょっ、ちょっとなんなんですの? 一体誰がそんなことを」

「ゴールドシップから」

「まったくあの人は……」

「他のみんなもトレーナーもマックイーンのこと心配してるんだよ。例え走れなくたってマックイーンは俺たちの大事な仲間なんだから。テイオーだってお前のコト」

 ウオッカの言葉を遮るように、マックイーンは勢いよく立ち上がると食事が済んだ空の食器が乗ったトレーを手にして二人に背を向けて答えた。

「心配して頂けるのは有難いですが、ヘンな同情なら無用ですわ。それにわたくしは諦めてなどいません。テイオーに会ったら伝えておいてください。次はわたくしの番だと」

 それだけ伝えると、マックイーンは二人を背に食器返却口へと向かって行った。

「それにしても、随分な言いがかりですわ。わたくしが錯乱しているだなんて。ネズミさんを幻覚だなんて……」

「マックイーン!」

 返却口で独り言を呟いたマックイーンに対して大声で話しかけきたウマ娘が一人。

「ウチは信じるで、あんたの話。そのネズミになんや運命的なモンを感じるわ!」

 同じ芦毛であり、小柄な体躯ながらも〝白いイナズマ〟と称される実力者、タマモクロスは親指を立ててマックイーンにニカっと微笑みかけていた。

「あ、ありがとうございます……」

 マックイーンはただ、愛想笑いで相槌を打つことしか出来なかった。

 その日の放課後も、マックイーンは旧校舎にてトレーニングを行っていた。未だに足には時折激痛が走り、幾度と無く足を止めてしまう。その度にもう全盛期のようには走れないという現実を直視させられる。その絶望感を振り切るようにマックイーンは再度走り込みを行う。ただがむしゃらにその繰り返し。まるで、出口の見えないトンネルを進んでいるような感覚に陥っていた。

「おーい、たれ子! どうした! もうやめちまうのか!? お前さんの覚悟ってのはそんなもんか!?」

 小さい体からは想像もつかないほど大きな檄が飛ぶ。極秘トレーニングの間、ネズミは片時も離れず懸命にマックイーンを支えていた。足の痛みと共に湧き上がる焦りや不安は、その声を聞くと不思議と和らいだ。ネズミの声から伝わってくる自信や安心感はまるで熟練のトレーナーそのもの。その声援に背中を押される度に幾度と無く救われてきた。自分は決して一人ではないと奮い立つことが出来た。

「まだまだ! もう一本お願いします!」

「おう! よーい、スタート!」

 スタートの合図と同時にマックイーンは走り出す。その姿を見る度にネズミの脳裏にはぼんやりと懐かしい記憶の断片が蘇っていた。その記憶は相変わらず霞がかっており、輪郭さえおぼろげではあったが確かに自分は以前、今と似た状況にあった。

白い毛並みが走る姿を遠くから眺めている。

 それがとても誇らしく、同時にとてもつらい。

 懸命に走るマックイーンの姿に、大事な誰かを重ねていることだけは自分でもわかる。しかし、それが誰なのかまでは思い出せない。ただ直感でわかることは全てを思い出したその時、自分はもうここには居られないだろう。何となくだが、ネズミはそんな予感がしていた。

「はぁ、はぁ、はぁ……。如何でしたか、ネズミさん。さっきより良いタイムが出せたとは思うのですが」
 
 ぼんやりとしていたネズミに、トラックを一周してきたマックイーンが息を切らしながら話しかける。

「お、おぉ。タイムな。……あー、悪い。時計押し忘れてたわ。すまねぇな」

「随分ぼーっとされてましたわね。そんなにわたくしの走りに見惚れてたのですか? それとも、わたくしの走る姿に誰かを重ねていたとか」

「へっ、見惚れるほど立派な走りなもんかよ。でもまぁ、当たらずとも遠からずってとこかな。休憩がてらチョイと話とくか」

 ネズミはそう言うと、マックイーンによじ登ると頭の上に座って話を始めた。

「俺はな。ここに来る前は多分お前と同じくレースに関わっていたんだと思う。まだ記憶はおぼろげなんだが、どうも体は覚えているみてぇなんだよ。お前の走る姿を見ていると居ても立っても居られないっつーか、ふつふつと湧き上がる熱いものを感じるっつーかよ。お前の言う通り、俺はお前の走る姿に誰かを重ねているらしい。そいつのことを未だに思い出せないってのが心苦しいがな」

「その方はわたくしに似ていますの?」

「いや、多分お前とは真逆だな。ブサイクで、お前さんほど品も良くねぇし、どうしようもねぇくらいドンくさい奴だった気がする。でもそいつはお前に負けないくらいすげー根性の持ち主だった。居並ぶ強豪に囲まれても一歩も退くことなく、色んな奴らの想いをその小さな体に背負って緑の上を懸命に走っていた。それを俺はすぐ近くで見ていた。そう、丁度お前の頭の上に乗っている今みてーにな」

 ネズミはふと自分の手に目をやる。すると、手が透け始めていることに気づいた。不確かだった記憶が形を成していくつれて徐々に自分の存在が消え始めていることの証明。ネズミは、自分に残されている時間はあと僅かであると悟った。

「ネズミさん?」

「あ、あぁ、まぁ、要するに今話したことが全部本当かどうかは俺にもわからねぇってコトさ。すまねぇな、こんなくだらねぇ話でトレーニングを中断しちまってよ」

「いいえ。ネズミさんの話はきっと全て本当の事ですわ。現にこの数日トレーニングに付き合ってくださいましたが、あなたの指示やアドバイスは全て理に適っていました。共に走っているかのような安心感や一体感がありましたわ。それこそ、まるで熟練のトレーナーが側にいてくれているかのような。本当にレースに関わっている者でなければこうはいきません」

「へっ、よせやい。褒めても俺様のトレーニングは優しくならねーぞ?」

「寧ろ望むところですわ。では、次の一本はこのまま走りましょう。そうすれば、何か思い出すかも知れませんわ」

「「ちょーっと待ったー!!」」

 ネズミを頭の上に乗せたまま、マックイーンが再びスタート位置についたところで二人分の大声が響く。ネズミにとっては初めて見るウマ娘だが、マックイーンには昼休みぶり。声の主はダイワスカーレットとウオッカだった。

「あなたたち。どうしてここが?」
 
「ゴールドシップからよ」

「あんのお喋りウマ娘は……。で、何の用です? あなたたちもわたくしを止めに来ましたの? それともまさか、練習に付き合ってくださるのかしら?」

 マックイーンの問いに対しての返答は実に意外なものだった。

「その両方よ」

「どういうことですの?」
 
「俺たちさ。昼休みの時にマックイーンが言っていたことが気になって、ゴールドシップから色々聞いたんだよ。テイオーと決着をつけようとしていること。その為にここで隠れてトレーニングしていること」

「アタシたちもウマ娘だもの。もし自分が同じ立場だったらって考えると、きっと同じ答えを選んでいたと思う」

「だけどやっぱり、俺たちはお前に無理をして欲しくねぇんだよ。でも、気持ちが分かるからこそどんな言葉を並べても今のお前を説得出来る自信がねぇ。だから……」

 ダイワスカーレットとウオッカは、マックイーンを挟むような形で同じスタート位置へと並んだ。

「距離は1600m。お前が勝ったら俺たちはもう何も言わねぇ」

「その代わり、アタシたちが勝ったら問答無用で連れて帰るわ」

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 一方的な条件を提出してきた二人のチームメイト。随分と乱暴な物言いに聞こえるかも知れない。しかし、マックイーンはその言葉の裏にある二人の優しさ、そして真意をしかと理解していた。

 もしも二人がマックイーンの体のことだけを心配していたのであれば、条件提示などせずにトレーナーかメジロ家に密告すれば良い。しかし、二人はそれをせずに勝負という形に持っていったのはマックイーンの気持ちが痛いほど理解出来るからこそ。ならばこそ、そこにもはや言葉は不要。走りで語るのみ。ウマ娘らしくレースで引導を渡すのがせめてもの情けであると考えたからである。また、1600mのマイル距離はダイワスカーレット、ウオッカの脚質に適している。つまり、ライバルとして本気でぶつかるという覚悟と意思の表れであると共にマックイーンの足への負担を考え、敢えてそう長くない距離を選んだのだ。

「ふふっ、本当にわたくしは幸せものですわね。こんなにも想ってくれる仲間に囲まれているんですもの」

 マックイーンはジャージのポケットから銀のコインを取り出した。これがスタートの合図。親指で弾かれ天高く舞い上がったコインが地面についた瞬間、三人はほぼ同時に地面を蹴って走り出した。

 左回りのコースでまず先に前へ出たのはダイワスカーレット。それを追う形でマックイーン、ウオッカが続いている。風を受けてたなびくツインテールが実にうっとうしい。すかさずマックイーンは大外を狙い右側へと抜けようとした。しかし、背後から向けられた凄まじいプレッシャーがマックイーンの追い抜きを止めた。

 後方を横目で確認すると、すぐ斜め後ろには殺気めいた視線と闘気を放っているウオッカがいた。マックイーンはこれに似た感覚を知っている。春の天皇賞にて自身の連覇を阻んだライスシャワーが仕掛けてきたものと非常によく似た走法。しかし、プレッシャーの質そのものはまるで違っていた。ライスシャワーが放っていたものは息が詰まりそうなほど凄まじい重圧だったのに対して、今のウオッカが放つプレッシャーはまるで鋭利なナイフ。背筋をぞくりとさせるほどの冷たささえ感じる威圧は隙を見せた瞬間に背後から刺されるのではないかと錯覚するほど研ぎ澄まされていた。

 先行するダイワスカーレットも、背後のマックイーンを絶対に前へ行かせまいと意識を耐えずこちらへと向けているのがわかる。この二人は確実に自分を仕留めるための走りをしている。普段いがみ合っている二人とは思えないほど、見事なまでのコンビネーション走法。加えて、マイル距離ということもありじっくりと打開策を見出す時間さえ与えてもらえない。マックイーンは焦りがまるで毒のように思考を蝕んでいくのを感じていた。

「随分苦しそうじゃねーか、たれ子」

 不意に耳元で声が聞こえた。その時、今の自分は一人で走っているのではなかったということを思い出した。

「なに迷ってやがるんだ。今ここで行かねーと負けちまうぞ」

「そんなことはわかっています! ですが……」

 二人に挟まれる形で前にも後ろに出れずにいる内に、残された距離は500mを切ろうとしていた。多少無理をすれば二人を抜き去り前へと行けないことはない。しかし、その無理が今は致命的。ただでさえ足の寿命を前借りして走っているのだ。今は奇跡的に動けている足だが、本来ならいつ動かなくなっても不思議ではない。自身の最期の走りを捧げるのはここではないことはわかっている。しかし、ここを乗り越えなければどのみち先はない。加えて、もう迷っている時間も残されていない。

「あの二人は間違いなくお前が動くのを待ってやがる。中途半端な仕掛けじゃまず刈り取られるだろうよ」

(そろそろ後ろの二人も仕掛けてくる頃ね。でも絶対に行かせない!)

(マックイーンが仕掛ける瞬間を狙って、一気に差す!)

 言われずとも、前後から痛いほどに感じる二人の気迫が雄弁に語っている。しかし、ネズミが言う通りここが判断を下せる最終地点であることも確かである。

「モタモタしてんじゃねー! 絶対に勝たせてやるから、俺を信じろ! マックイーン!」

 ネズミの小さな体から迸る炎のような熱意と気迫が、マックイーンの迷いを一気に焼き払った。

「良いでしょう、あなたを信じますわ!」

 マックイーンは意を決して負傷している足にぐっと力を入れた。その瞬間、左足に凄まじい痛みが走る。苦痛に顔を歪めるマックイーンだが、その足の痛みは頭上のネズミによってすぐに消し去られる事となる。

「来るわよ、ウオッカ!」

「おうよ! 絶対に行かせねぇ!」

「でかした、たれ子! 漏らさねーようにケツの穴をしっかり閉めとけよ!」

 大口を開けたネズミの鋭い前歯が、マックイーンの脳天に突き刺さった。

「んあああああ?! 痛っったぁぁぁぁぁ!!!!」

 突如、足の痛みを帳消しにしても余りあるほどの凄まじい痛みがマックイーンの頭天から足の先まで全身へと一気に駆け巡る。その瞬間マックイーンの思考は停止し、まるで痛みから逃げるように無我夢中で走った。無意識にかけていた自制のリミッターが、ネズミの噛みつきにより外されたのだ。

 普段のマックイーンからは想像もつかないほどの素っ頓狂な絶叫と共に見せた渾身のラストスパート。ダイワスカーレットとウオッカが驚愕したのは、何よりもその速さ。

 これが繋靭帯炎を発症した者の走りだと誰が信じるだろうか。そのキレ、力強さはまさしく在りし日のマックイーンそのもの。否、或いはそれ以上。あまりにも衝撃的な展開にやや混乱気味ではあるが、ただ一つ言える確かなことは徹底的にマークしていたはずのマックイーンが自分たちの包囲網を突破して遥か先へ独走しているという事実だった。

「な、何よあれ……。本当に怪我してるの?」

「つーか、前より速くなってるんじゃねーか?」

 喜ぶべきか悔しがるべきか。複雑な心境を抱えるダイワスカーレットとウオッカは勝者であるマックイーンの元へと駆け寄ろうとしたが、肝心のマックイーンは頭を摩りながら「どうかお構い無く! ホントに!」とだけ言い放ち、旧校舎のトイレに向かって一目散に走り去ってしまった。

 チームメイトである二人との対決から二週間が経った。

 一人と一匹の二人三脚により、マックイーンの走りは全盛期のそれに戻りつつあった。足を踏み込む度に走っていた激痛はもう無い。すっかり慣れたコースを走りながら〝その時〟が近いことをマックイーンは悟っていた。

「よぉ、そろそろ時間だせ。たれ子」

「ええ、わかっていますわ。それといい加減たれ子はお辞めなさいったら」

マックイーンはネズミを頭に乗せ、迎えが来るトレセン学園の校門へと向かった。今日は左足の定期検診の日。じいやの運転する車に乗り、マックイーンは久しぶりに実家のメジロ家へと戻った。

 レントゲン撮影、触診。いつも通りの流れ。出来上がったばかりのX線写真を一瞥した主治医は、処置室にじいやとマックイーンを呼んだ。

「そのお姿を見た時にまさかとは思いましたが……」

 主治医はジャージ姿のマックイーンへ向き直り、続けた。

「やはり学園を辞めさせてでもご実家にて療養させるべきでした」

 その一言に最も動揺したのは執事のじいや。当のマックイーンはと言うと、顔色一つ変えずにただ黙ったまま主治医を真っ直ぐに見ていた。その姿勢にマックイーンの覚悟を見た主治医は、ハッキリと告げた。

「この怪我の中、よくぞここまで仕上げられました。足の筋力、関節の柔軟さ、どれも以前の状態に限りなく近い。歩行の状態から見ても痛みももう感じていないご様子。しかしながらここまで酷使してしまった以上、もはや手遅れです。今後、車椅子での生活を覚悟しておいてください」

 マックイーンは自分の足の状態を何となくは察していた。あれだけの激痛が消えるほど過酷なトレーニングをしておいて完治などするはずがない。泥をかぶり、頭をかじられながら取り戻した走りは、所詮はかりそめ。限界を超えた先にあるエクストラターン。それこそ、今こうしている間にも儚く消えるかも知れない有限の中にあるものだとマックイーン自身も気付いていた。だからこそ時間が惜しい。一分一秒も無駄にはしたくはない。残された時間を使いたい相手を待たせているのだから。

「率直に聞きますわ。わたくしはあとどのくらいであれば全力で走れますの?」

 主治医は対面する少女の瞳の中に気高き王者の威厳を見た。まだあどけなさを感じるが紛れもなくメジロの名を継ぐ者。当主メジロアサマより脈々と伝わる〝逆境を覆す力〟が彼女の中にも確かに受け継がれているのだと確信した。取り乱しながら答えてはならないと叫ぶじいやの言葉を無視し、主治医はマックイーンに告げた。

「怪我の具合から診ても3200mは間違いなく走れません。3000、いや2400。それがお嬢様に残された最後の距離です」

 余命2400m。それは奇しくもトウカイテイオーが最も得意とする距離。その言葉を聞いたマックイーンは、かつてライバルに送った言葉を思い出していた。

『メジロ家のウマ娘たるもの、完全な勝利無くして栄光は有り得ません。次はあなたの距離で叩き潰して差し上げますわ』

 じいやの反対を押し切り学園の寮へと戻ったマックイーンは、その日の夜にテイオー宛に果たし状を出した。

 勝負の前日は雨が降っていた。

 窓を打ち揺らすほどの激しいものではなく、一定のリズムを刻むかのような静かな雨。

 明日の明け方には止み、早朝から快晴の予報が出てはいたがマックイーンの心中はあまり穏やかとは言えなかった。

 寮室の窓から見える景色は厚い灰色の雲に覆われている。普段は練習に勤しむウマ娘たちの声や足音で賑わっているが、今は雨音しか聞こえない。

 窓辺で物憂げな表情を浮かべるマックイーンは、彼女は今どうしているのだろうかと思いをめぐらせていた。せっかく淹れた紅茶には全く手をつけず、すっかり冷めてしまっている。マックイーンは服の右裾が引っ張られていることに気づき、視線をそちらへと向ける。

「なにぼけーっとしてやがるんだよ。さっきからずっと呼んでるんだぜ? 明日は大事な勝負だっていうのに随分呑気じゃねーの。もしかして余裕の表れってやつか?」

 ネズミはそう言うと、マックイーンの腕を伝って頭の上へと一気に駆け上った。旧校舎でのトレーニング以来、すっかりそこがネズミの定位置になっていた。

「余裕だなんてとんでもない。果たし状を出してからずっと不安ですわ。いっそ、明日なんて永遠に来なければと心の何処かで願うほどに……。今までたくさんのプレッシャーを受けてきましたが、これほど走るのが怖いと思える日もありませんでしたわ」

 明日で全てが決する。勝敗も、未来も。例えそれが望まない結果であっても受け入れなければならない。明日は自分が最強のステイヤーとして残せる最期の蹄跡になるだろう。ならばこそ、絶対に悔いが残らない走りにしなければならない。そう思えば思うほど不安や焦りは否応にも積もるものだ。

「ですが、やはりわたくしは彼女と競いたい。テイオーとの約束を果たしたい。おそらく、これが神様がわたくしに与えてくださった最後のチャンス。この機を逃したら、きっと死ぬよりも辛い後悔を抱えながら生きていくことになる。それに、わたくしは絶対に負けません。今日までわたくしを支えてくれた全ての人たちに報いるためにも彼女を倒して真の最強を示して潔くターフを去りますわ」

「へっ、そうかい。そこまでの覚悟が決まってンなら今更発破をかけるのはヤボってもんだな。その支えてくれた奴らのためにも絶対に勝つんだぜ」

「あら、その中にはあなたも入っていますのよ? ネズミさん」

「はぁ? な、なんで俺もなんだよ。つい最近転がり込んできたただの小汚ねぇネズミだぜ?」

「わたくし一人では今の自分には成れていなかった。そしてきっと、明日という日を迎えることは出来ていなかった。あなたが居てくださったからこそ、今のわたくしがあるんです。ですから、改めて言わせてください。ありがとう、ネズミさん」

「バッ……よせやい! 俺はただ、一緒にいりゃ何かを思い出せそうだったから付き合ってやってただけさ。礼なんて言われる筋合いはねーよ」

「まったく、素直じゃありませんわね」

 気恥ずかしそうに顔を赤らめたネズミは、マックイーンの頭から膝の上へと飛び降りた。

「そんなことより、レースの対策とかちゃんと考えてんのか? 馬場の状態もこの雨じゃ明日はどうなるかわからねぇんだぞ」

「ええ、もちろんですわ。距離は2400m。この距離はテイオーが最も得意とする距離。そう、彼女が二冠目を獲った日本ダービーとほぼ同じ条件で……って、聞いてますの? ネズミさん ネズミさん?」

〝日本ダービー〟

 その言葉を聞いた瞬間、ネズミの小さな頭に鈍器で殴打されたかのような衝撃が走った。今まで解けなかったパズルのピースが次々と順調に組み上がっていくような感覚。ネズミの頭の中に様々な記憶が流れ込んできた。

「あ、あぁ、大丈夫……大丈夫だ……。ただ、ちょいと腹の具合が悪くてな。すまねぇがちょいと便所に行ってくるわ。長グソになるかもしれねぇから俺のことは気にせずレースのことに集中しててくれ。明日までにゃバッチリ治して応援に行くからよ」

「あっ、ちょっとネズミさん!?」

 ネズミはそう伝えると、マックイーンの部屋を飛び出して行った。

 混乱している、というのが率直な感想だった。

 マックイーンの部屋から飛び出したネズミは、寮の外へと飛び出した。幸い、雨はすっかり上がっていたが地面は水溜りや泥濘みが多く、非常に走りにくい。だが、こうして走っていないと頭がパニックでどうにかなりそうな衝動に襲われていたのだ。無我夢中でひたすら走っていたネズミが止まれたのは、濡れた芝生に足をとられて前のめりに倒れてからだった。

「痛ってぇなチクショウ。どうしちまったんだよ俺は。どこに行っちまったんだよあいつらは。もやもやしやがるぜ。一番大事なことだけが思い出せねぇ」

 自分が何者で、どこにいたのか。ある程度の記憶は戻っている。しかし、直近の記憶のみが未だにスッポリと抜けてしまっていた。何故自分はここにいるのか。そして他の連中はどこにいるのか。思い出した記憶のカケラと短いながらもここで過ごしていた記憶が頭の中で乱雑に散らばっており、小さなネズミの頭では記憶の処理が追いついていないのか絶えずズキズキと痛みが続いていた。

「とにかくここがどこか調べねぇことには始まらねぇ。場所さえわかれば、あとはいざとなりゃ長距離トラックの荷台にでも潜り込んで北海道へ向かえばいいだけだ。そうと決まればとっととこっからオサラバして……」

 泥を払って立ち上がったネズミは、改めて辺りを見渡して言葉を失った。何も考えずここまで走って自分が迷い込んだこの場所に、とても見慣れた光景が広がっていたからだ。

 緑の芝、それを挟むように白いラチがあり、距離を示すハロン棒、そしてゴール板。

「ははは、なんつーか、因果なモンだよなぁ。どこまで行っても。記憶なんて無くたって無意識に俺は此処を求めちまう。もう体がぶっ壊れちまっていても、こっから溢れてくる衝動はやっぱ抑えきれねぇよ。そう、例え……」

 自身の左胸に手を当てていたネズミは、ふっと笑ってその先を言葉にするのを止めた。本物のレース場を目にしたことでほぼ全てを思い出した以上、それを口にするのは野暮。鼓動を刻んでいない左胸から離した手に目をやると、今にも消えてしまいそうなほど透けていた。

「レースの神様ってやつぁ、あのお嬢ちゃんだけじゃなく俺にまで最後の機会を与えてくれたみてぇだな。まぁ、こうしてここに呼ばれたのも意味があるんだろうよ。今の俺にしてやれることは限られているが、せめて明日は思いっきり走らせてやりてぇ。となると、やるべきことはアレしかねぇわな」

 ネズミは踵を返して来た道を戻っていく。程なくしてネズミは一枚の雑巾を咥えて帰ってきた。

「こいつをやるのは朝日杯以来だな」

 そう呟いたネズミは濡れたターフを自分の体以上の大きさもある雑巾で丁寧に拭きあげていく。何もしてやれない以上、せめていい馬場で悔いのないよう思い切り走らせてやりたい。ネズミが心からそう思えたのは、マックイーンで二人目だった。

 ネズミが雑巾掛けを始めてどれくらいの時間が経っただろうか。日の出までまだ時間はあるとはいえ、2400mもの距離を一匹のネズミの力だけで拭きあげていくのは無理がある。しかし、決してネズミは諦めようとはしなかった。疲労は既に限界を迎えている。水を含んで重くなった雑巾を持ち上げる力はもうない。雑巾の下敷きになりながらも、ネズミはターフの水気を拭き取ろうと懸命にもがく。そんな時、体を覆っていた雑巾が持ち上がった。

「お、おめぇは……」

 雑巾を持ち上げたのは、以前マックイーンの元にやってきた帽子を被った芦毛のウマ娘だった。確か名をゴールドシップと言っていただろうか。

「ちょうどいいところに雑巾が落ちてるじゃんか~。うっし、いっちょ気合い入れてやってやろうじゃねーか」

 ゴールドシップはそう言うと、雑巾をきつく絞ってネズミ同様に濡れたターフを拭いていく。相変わらず、マックイーン以外には自分の姿は見えていないようだった。

「ったく、俺様の雑巾を取るんじゃねぇよ。仕方ねぇ。もう一枚パクってくるか」

 新しい雑巾を取りに行くために再びターフを後にするネズミ。残って雑巾掛けをしていたゴールドシップは、小さく独り言を呟いた。

「ありがとな、あいつを支えてくれて」

 暖かい風が吹いていた。

 昨日の雨とは打って変わり、眩いばかりの晴天。長い冬の終わりを告げるかのように、桜の花びらが静かに舞っている。

 真新しい制服に身を包んだ多くの新入生が、期待と不安を胸にトレセン学園の門を潜る。

 他の生徒たちよりも少し遅れて二人のウマ娘が走る。新たな季節の始まり。新たな時代の幕開け。

 そしてこれから行われるのは新たな時代の前日譚であり、旧世代のウマ娘たちがかつての約束を果たす物語。

 トレセン学園内にある本物のレース場を模した練習コース。そこにあるビュースタンドは既に20万人を超える観客で埋め尽くされていた。
 
 全国の競馬関係者、ファン、そして入学式を終えた新入生を含めた学園の在校生一同。

 非正規のレースであり、あくまで非公式のもの。しかしながらその価値は〝三冠達成の瞬間を目撃する以上の価値がある〟と触れ込みが各社の競馬新聞により報じられた。

 現生徒会長のシンボリルドルフの働きかけもあり、今回の模擬レースを本番さながらのレース同様に観客を動員して大々的に行なう運びとなったのだ。

 始めは二人だけで誰にも知られず行われるはずだった。それがここまで大きな催し物となるまでに至ったのは、一人のウマ娘の暗躍があったからである。

「まぁ、暗躍もクソも、あたしがチクッたからなんだけどな」

 ルービックキューブを片手に得意げな表情を浮かべたままゴールドシップは胸を張ってチームメンバーの前でそう告げた。

「まったく、ちょっとは反省しなさいよね。あの後、トレーナーもメジロ家の人たちもてんやわんやだったんだから」

「結果的にマックイーンの練習に手を貸しちまった俺たちも言える義理は無いけどな。つーか、なんで泥だらけなんだよ?」

「ヤボなことは聞くなウオッカ。そんなことよりほら、始まるぞ」

 ウオッカの質問には答えず、ゴールドシップはスターティングゲートを指差す。そこには、錚々たる顔ぶれがジャージ姿で並んでいた。

「前日の雨が嘘のような快晴。暖かな春の陽気の助けもあり良馬場との発表がありましたここトレセン学園には、世紀の対決を一目見ようと多くの観客、関係者が詰めかけております。今回のメインは何と言っても一枠一番トウカイテイオーと一枠二番メジロマックイーン。このチームスピカ二大スターウマ娘の対決ですね、細江さん」

「そうですね。宝塚記念では見られなかった中距離対決への注目も勿論ですが、今回有志で参加を表明してくれた他のウマ娘たちからも目が離せません。誰が勝ってもおかしくない、まさに世紀の一戦になることは間違いないでしょう」

「そうなんです。なんと今回の模擬レースには、総勢十四名のウマ娘が出走登録をしております。まずは二枠三番には同じくチームスピカよりスペシャルウィーク。更に二枠四番にはチームリギルよりエルコンドルパサー」

「今回の模擬レースは日本ダービーと同条件ですのでトウカイテイオー同様、ダービーウマ娘としての貫禄を存分に見せつけてくれるでしょう」

「ダービーウマ娘と言えばこの娘も外せません。三枠五番にはトウカイテイオー同様に無敗で二冠を達成したミホノブルボン。そしてそのミホノブルボンとメジロマックイーンの悲願を阻んだ黒い刺客、ライスシャワーが三枠六番にて出走です」

「ミホノブルボンとトウカイテイオーの無敗二冠対決、そしてライスシャワーとメジロマックイーンのリベンジマッチにも注目したいですね」

「続いて四枠七番よりイクノディクタス、四枠八番からはマチカネタンホイザが参戦です」

「スピカに続いて頭角を現しているチームカノープスの二人。特にイクノディクタスは大阪杯での雪辱を晴らす絶好の機会ですからね。気合いも充分に入っていると思いますよ」

「えー、ここでお知らせ致します。同じくチームカノープスで六枠十四番にて出走を予定しておりましたツインターボですが、返しの時点で全力を出し切ってしまい既にスタミナ切れを起こしてしまったとのことで出走除外とのことです」

「トウカイテイオーとの対決を本人が誰よりも楽しみにしていただけに、非常に残念ですね」

「さぁ、気を取り直しまして五枠九番、十番からは新世代、BNWよりウィニングチケットとビワハヤヒデが参戦」

「ウィニングチケットもダービーを獲ってますし、ビワハヤヒデも有馬でのリベンジに燃えていると思いますよ」

「六枠十一番、十二番からは芦毛の二大巨頭、〝怪物〟オグリキャップと〝白いイナズマ〟タマモクロスが出走致します」

「トウカイテイオー、メジロマックイーン同様に鎬を削ってきたこの二人の対決にも目が離せません」

「最後はこの娘、七枠十三番よりメジロパーマーです」

「同枠での出走を予定していたツインターボの分も豪快でハイペースな大逃げに期待したいところですね」

「十三名の優駿たちが今、ゲートに入り体勢整いました」

 スターティングゲートに入ったマックイーンは、隣で準備運動がてらに首を回しているウマ娘に話しかけた。こうして彼女と言葉を交わしたのはいつぶりだろう。色々話したいことを頭の中に用意していたつもりだったが、何を置いてもまずはこの言葉を先に伝えなければならない。

「お待たせしました」

 桜の花びらを運ぶ風が栗色の髪を撫でている。柵越しに青い瞳を真っ直ぐこちらへと向けたトウカイテイオーは、マックイーンを見つめ返して答えた。

「ううん、全然。やっと一緒に走れるんだね」

「ええ。芝2400。天気晴れ。馬場状態良」

「負けて泣いちゃっても知らないよ。ボク、最強のウマ娘だからね」

「望むところですわ」

 固唾を呑んで歴史的瞬間を見守る観客たち。歴史に蹄跡を刻むべく出走の合図を静かに待つウマ娘たち。まるで世界が静止したかのような静寂が辺りを包んでいた。

 そして今、ゲートが開くと同時に世界は動き出す。

「「「うぉぉぉおおお!!!!」」」

 20万人もの大歓声でスタンドが揺れている。様々な想いや願いを胸に十三名のウマ娘たちがターフを駆ける。まず先頭に立ったのはマックイーン。それに並走する形でミホノブルボン、メジロパーマーの三名が三つ巴の先頭争い。その三馬身後ろをエルコンドルパサー、イクノディクタス、ビワハヤヒデ、ウィニングチケットが追走。そこから更に二馬身後ろをスペシャルウィーク、内側から離れてやや大外へと向かいましたトウカイテイオー、オグリキャップ、マチカネタンホイザ、タマモクロス、ライスシャワーの順位でレースは進んでいく。

(序盤は大外後方から様子見。そこから足首のバネを活かして一気に上がってくる。まさに定石通りのテイオー走法。ですが、わたくしは負けるわけにはいかないんです!)

 既に壊れている左足に力を込め、何のためらいもなくマックイーンは第一コーナーを抜けたところで一気に距離を離しにかかったのだ。

「おーっと! なんとここでメジロマックイーンが仕掛けて行ったぞ! これは予想外! 異常と言えるくらい速すぎる展開ですがどう見られますか細江さん」

「冷静で聡明な彼女らしからぬ走り方ですね。序盤からこのペースでは後半のスタミナ切れも充分ありえますよ」

「さぁ、メジロマックイーンの大逃げに釣られて他のウマ娘たちも一気に上がってきた! 先頭は変わらずメジロマックイーン。二番手にメジロパーマー、その後ろ三番手にミホノブルボン、エルコンドルパサーとウィニングチケットがほぼ横並び。その一馬身後ろにオグリキャップ、スペシャルウィーク、ライスシャワー。更にその二馬身後ろにイクノディクタス、トウカイテイオー、ビワハヤヒデ、タマモクロス、最後尾にマチカネタンホイザという順番であります」

「ライスシャワーより後ろの娘たちは実に冷静ですね。この意外過ぎる急展開にも動じずにきちんと自分たちの走りに徹しています。こうなるとメジロマックイーンに釣られてペースを上げてしまった娘たちが掛かってしまうのも時間の問題かもしれませんね」

 マックイーンの最も危惧する敵は後方にはいない。いるのは自身の左足。例えるならタイマーの見えない時限爆弾を抱えて走っているようなもの。爆発が避けられないなら、せめてゴール板を駆け抜けて盛大に散りたい。そんな願いがマックイーンの走りに反映されている。生き急いでいるように見えるのならば、それが真実。彼女の今抱えている境遇を誰もが知っているからこそ、痛々しくも懸命に走るその姿に心を打たれるのだ。大観衆の視線と声援を独占するマックイーンはペースを落とさず下り坂を進み、独走状態で第三コーナーへと差し掛かった時、そこからレースは大きく動くことになる。先頭を行くマックイーンにも観客席から轟いた大きな歓声とどよめきがそれを伝えていた。

「七番手、六番手、五番手、ここにきてスパートを掛けてきたのはやはりこの娘だトウカイテイオー! メジロマックイーン逃がすまじとグングンと距離を詰めている! 大外不利も何のその! トウカイテイオーがきているぞ! トウカイテイオーがきているぞ! まさに無重力状態だトウカイテイオー! 三度の骨折を経験したとは思えないほど鋭い走り! あっという間に二番手ミホノブルボンを抜き去り、今先頭のメジロマックイーンと並んだ!」

「きましたわね、テイオー!」

「今日こそ勝たせてもらうよ、マックイーン!」

「望むところですわ!!」

 互いに並び、顔を見合わせ僅かに言葉を交わした後、二人は前を向いて更に速度を上げる。そのスピードに他のウマ娘はどんどん引き離されていく。

「どうしよう! 全然距離が縮まらないよハヤヒデ! このままじゃ入着すら出来ないよぉ! タイシンに怒られちゃう!」

「無駄口を叩くなチケット! 今一番問題なのは、我々の先頭を走っている二人が故障して再起不能とまで言われた旧世代のウマ娘ということだ!」

 目の前で起こっているありえない展開に、理詰めの走法を得意とするビワハヤヒデの額にもじんわりと焦りが滲む。有馬記念の時はあくまで仮説の域だったが、二度も見せつけられては認めざるを得ない。トウカイテイオーの持つポテンシャルは決して計算などでは測れないのだと。悔しさの中にどこか清々しさを感じていたビワハヤヒデの横を〝別の計算外〟が凄まじい速度で駆け抜けて行った。

「幾度となく……。幾度となく挫折を味わいながらもその度に立ち上がってきた不屈のトウカイテイオー。同じく絶望の淵に立ちながらも鋼の強さで再びターフへと舞い戻ってきたメジロマックイーン。二人のウマ娘が今、最終コーナーに差し掛かった! もう言葉はいらないか!?」

「いや、まだだ!」

 実況の言葉を遮るかのようにマックイーンの耳元で聞こえた声。そこには、走るマックイーンの耳にしがみついたネズミがいた。

「ネ、ネズミさん!? いつからそこに?」

「んなこたぁどうでもいいんだよ! もう一人、すげー勢いで突っ込んでくる奴がいるぜ! もっとスピードを上げねーとこのままじゃすぐに追いつかれ……」

 後方で状況を伺っているネズミの声が止まった。マックイーンの問いかけにも答えず、ネズミはただ黙って後ろから追い上げてくるその小さな影を見つめていた。マックイーンは再度場内に湧き上がった歓声でその追走者の存在を知ることとなる。

「これは奇跡か神懸かりか!? 猛烈な勢いで上がってくるウマ娘がいるぞ! タマモクロス! タマモクロスだ! 小柄な体躯を活かして内ラチ沿いから凄まじい追い込みを見せる! 最後尾から中団をまさかのゴボウ抜き! あっという間にメジロパーマー、ミホノブルボンすらも追い抜き、トウカイテイオーとメジロマックイーンに喰らい付かんばかりだ!」

 白くて、小さな体だった。
 泣き虫で、甘ったれだった。
 だけどそいつは、負けん気と根性は他のどの連中にも負けなかった。

 涙を流しながら猛追撃を仕掛ける芦毛の小さな姿。その姿こそが彼の記憶の最後のピース。ネズミは今、すべてを思い出した。


『一言くらいホメてくれたっていいでしょ
 よくやったって言ってよ
 厳しすぎるのね おやぶんは』

(そうだ……俺はあの時、あいつに言ってやれなかったこと。それがずっと心残りだったんだ)

 たった一言。あの日、あいつに言ってやられなかった心からの賛辞。それだけが唯一の心残りであり、無念だった。それに気づいた時、ネズミの体が淡い光に包まれる。

 残り200m。
 残された時間は、あと僅か。

「並んだ並んだ! 驚異の末脚で二強に並んだのはスピードでもスタミナのウマ娘でもない! 根性のウマ娘、タマモクロスであります!」

 最終直線でまさかの三者横並びのデッドヒート。熾烈な先頭争いを繰り広げる三人にはもう周囲の熱狂や歓声は届いていない。彼女たちの意識や視線は眼前のゴールにのみに向けられていた。

「まさかまさかの三つ巴! トウカイテイオーかメジロマックイーンかタマモクロスか! 夢のレースの終演はもうすぐだ!」

『なぁ、マックイーン。懸命に走ってるとこ悪いが聞いてくれ。いや、きっと俺の独り言なんざ、こうして耳元で喋ろうが聞こえちゃいねーだろうがよ。お前のおかげで全部思い出せたぜ、自分が何者なのかをな。もし覚えてたらで構わねぇから、最後に一つだけ頼まれてくれ。このレースが終わったら』

「横並びの大激戦! 今三人並んでゴールを駆け抜けた! ここで着順掲示板に写真の文字! クビかアタマかハナ差か! このレースを制したのは一体どの娘……な、なんとこれは!!?」

 あれから一週間が経った。

 日本ダービーと同条件で行われた模擬レースはあくまで練習試合という名目で行われたものでありながら、ファンの間では〝歴史には残らないが、記憶に残る名勝負〟と囁かれている。

 とある総合病院の入院病棟。その中でも最も高額な個室の扉をトウカイテイオーは叩いた。

「はい、どうぞ」

 中から返事が返ってきたことを確認し、中へと入る。どうやら今日は一番乗りらしい。ここ数日は親族や学友、URAの関係者たちが多く彼女の元へと訪れていたため、こうして二人きりで会うのは随分久しぶりだった。

「まぁ、テイオー」
 
 キングサイズの大きなベッドで横になっていたマックイーンはテイオーの姿を見ると、上体を起こして笑みを見せた。

「少し痩せたね。ちゃんと食べてる?」

「心配なさらずとも食欲は健在です。食事も三食デザート付きでパクパクですわ。まぁ、ほぼ寝たきりですから筋肉は確かに落ちたかもしれませんわね」

 憂いの表情を浮かべたマックイーンは、やや俯いて布団越しに自身の左足を摩る。

「今はしょうがないよ。それにお医者さんも言ってたじゃない。ゆっくりリハビリをやっていけばまた歩けるようにはなるって」

 慌ててフォローを入れるテイオーの必死ぶりがなんだか可笑しくて、思わず吹き出したマックイーンはテイオーの松葉杖を指差して答えた。

「同じ怪我人のあなたにだけは言われたくありませんわ」

「あ、あはは。だよね」

あの日、並んでゴールを駆け抜けた二人は揃って故障。怪我の程度は違えども、これまで限界を超えて酷使してきた二人の足はもう二度とレース復帰は出来ないと宣告されていた。実質、あのレースが二人にとって全力で臨めた最後の勝負だった。

「あーあ、勝ちたかったなぁ~」

 松葉杖を立てかけ、マックイーンの横にある椅子へと座ったテイオーは天井を見上げながら大きく伸びをしながらそう呟いた。

「それはこちらも同じですわ」

 あの時、写真判定での二人の結果は同着。己の全てを賭して全力を出し切ったレースで絶対勝ちたかった相手との試合で互いに優劣を決めれなかったのだ。そしてもう二人に再戦の機会は訪れないという現実。しかし、意外にも二人はこの結果を受け入れていた。寧ろどこか誇らしく、心は充実感で満ちていた。

「ねぇ、マックイーン」
 
「なんですの? テイオー」

「足が良くなったらさ、天気のいい日にお散歩行こうよ。どこか公園にでも行ってさ、噴水の周りを歩いてぐるっと一周するの。それで決着を付けるってのはどう?」

 目尻に涙を浮かべて微笑みながら、マックイーンは答えた。

「ええ、約束ですわ」

 いつになるかはわからない。
 
 でもいつか、そんな未来をもう一度共に歩んでみたい。例え走れないとしても二人並んで。これからもずっと一緒に、どこまでも。

「あー、イチャついてるトコ悪いんやけどウチも入ってええかな?」

 突然の第三者の声に驚いて振り返るテイオーとマックイーン。そこにいたのは小柄な芦毛のウマ娘、タマモクロス。何やらまずいものを見たと言わんばかりに伏し目がちにそわそわしていた。

「い、いや、ちゃうで! ちゃんとノックはしたんや。でも返事なかったから……。別に邪魔するつもりはなくてやな」

「わかってますわ。それに、わたくしとテイオーはそんな疾しい関係じゃありませんから」
 
「まぁ、どっちでもええわ。それより、ほれ見舞いや。ついでにアンタにもな、テイオー」

 タマモクロスはそう言うと、抱えていた紙袋からリンゴを取り出すと二人へ一つずつ手渡した。残り一つを齧りながら、タマモクロスは続けた。

「案外元気そうで安心したわ。それ食って早いとこ怪我を治して復帰しーや。あのレースでのウチとの決着もまだやねんから」

 あの日のレースが記憶に残る名勝負と言われる所以は、まさにそこにあった。

『なんとこれは!? 同着であります! 前代未聞の三人同時の一着判定だー!!』

 模擬レースなれど、日本ダービー三人同着という前人未到の大快挙を成し遂げたのだ。あの日のレース映像は各動画サイトにあげられており、一日で三百万以上の再生数を叩き出した。本来であれば二人きりでひっそりと行われる予定だったレースは今や伝説となり、この瞬間も全世界のレースファンたちの心に刻まれ続けている。

「ほな、ウチはそろそろ帰るさかい。ターフで待っとるで。二人とも」

『もし覚えてたらで構わねぇから、最後に一つだけ頼まれてくれ』

 タマモクロスの背中を見た瞬間、マックイーンの脳裏にあの日の言葉が鮮明に蘇った。そうだ、伝えなければならないことがある。大事な約束はもう一つあったのだ。マックイーンは帰ろうとするタマモクロスを慌てて呼び止めた。

「ま、待ってください!」

「ん? なんや、まだリンゴ欲しいんか?」

「あなたに、大事な伝言を預かっていました」

『このレースが終わったらあいつに。お前の隣を走るあの芦毛のチビにこう伝えておいてくれ』

「〝よくやった、流石は俺様の自慢の子分だぜ〟だそうですわ」


おわり

>>19
メール欄に saga と入れると
殺す
これこのように。次書くことがあるなら覚えとくとええで

いい話だったわ、ゴルシちゃんがいい味出してた

とても良い話でした。描写のタッチも言葉運びも綺麗で、思わず魅入ってしまいました。
もし次作など書かれるご予定などありましたら、ぜひ拝見させていただきたく思います……!

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