貝木泥舟「竈門炭治郎? 誰だそいつは。知らん」 (10)

唐突ではあるが、出任せを語らせて貰おう。

日頃の行いのせいか、四六時中、嘘ばかりついていると思われがちな可哀想な俺であるがごく稀に、本当のことを口にする時がある。

俺が真実を口にする状況は限られており、周りが絶対に信じないような場合のみ、嘘みたいな本当の話をまるで嘘のように語るのだ。

たとえば今この時、俺が置かれている状況などは、まさにうってつけであると言えよう。

時は大正。場所は吉原遊廓。男と女の見栄と愛憎渦巻く夜の街。そんな嘘みたいな空間に俺は存在していて、ひとり酒を呷っていた。

遊廓という界隈がどのような場所で、どんなことをするところなのか気になったならば、両親に訊いてみるといい。近いうちに兄弟が増えるかも知れない。無論、真っ赤な嘘だ。

俺を呼び出したのは忌々しい臥煙伊豆子だ。
先程顔を見せたが奴は遊廓にも関わらず遊女の格好をしておらず、そのことに憤慨して思わず酒をかけて追い出そうとした俺に向かって、臥煙伊豆子は上司気取りでこう命じた。

「富岡義勇を一晩足止めして彼の命を救え。あとは余計なことをするな。わかったね?」

はて、余計なこととは、何のことだろうか。
賃金代わりのつもりか何人か部屋によこした遊女に「五月蝿い。黙れ。話しかけるな」と吐き捨てて追い出したのは余計だったのか。

しかし、安く見られては今後に支障を来す。
こう見えても俺は専門家であり、仕事をさせようものならば報酬はそれなりに高くつく。

遊廓から出る際、窓辺に佇む臥煙の視線を背中に感じながら、俺は仕事場へと向かった。

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「炭は要りませんか?」

寒村と呼べるほどの田舎町で炭を売る少年の姿を見かけた。みすぼらしく、健気な子供。
周囲から炭治郎と呼ばれるその子供が売る炭は飛ぶように売れていて、詐欺師とはいえ、商売人としてどのような秘訣があるのか気になった俺は、ひとつ炭を買うことに決めた。

「ひとつ貰おうか」
「炭をひとつ、ですか?」
「何か問題があるのか?」
「あ、いえ……炭をたったひとつだけ買うお客さんは珍しかったもので」

不審がられてしまったので、ここはひとつ嘘を披露してやろう。懐から和紙を取り出す。
遊廓で遊女から盗んでおいた、和紙の束だ。

「俺は画家でね。丁度、画材を切らしてしまったので、その炭で描こうと思ったわけだ」

炭の一欠片を持ち、サラサラと特技である似顔絵を描いてやると竈門少年は大層喜んだ。

「わあっ! すごいなぁ。あの、もし良かったら家で待っている俺の家族も描いてくれませんか? もちろん、炭のお代は結構ですので」
「引き受けよう」

タダより高いものはない。当然のように代金を踏み倒した俺は、仕事のついでに竈門家へと足を運ぶことにした。臥煙には余計なことをするなと釘を刺されていたがそもそも仕事を受けるかどうかさえ、俺は決めていない。

「へえ、貝木泥舟さん。珍しい名前ですね」
「ああ」

竈門炭治郎は山奥で暮らしていて、そこに辿り着くまではかなりハードなハイキングになりそうだった。これは追加料金が必要だな。

「あの、貝木さん」
「なんだ?」

道すがら俺が自己紹介をしてやると、竈門炭治郎は何やら言いづらそうに、こう訊ねた。

「竈門炭治郎という名に覚えはないですか」
「竈門炭治郎? 誰だそいつは。知らん」

息を吐くように俺が嘘をつくと、竈門少年は肩を落として力なく笑った。悲壮感が漂う。

「あはは……すみません。貝木さんの声が、俺の父親の声とあまりにも似ていたもので」
「それはどういう意味だ?」
「うちの父は既に亡くなってまして、それでも俺はどこかで生きてるんじゃないかって」

竈門炭治郎については、詳しく調べていた。
病死した父親のことも、そして遺された母親と妹や弟たちのことも、全て把握している。
父親を喪い、唯一の稼ぎ手としてこの少年が家計を支えているということもわかった上で俺は専門家として、竈門炭治郎に忠告した。

「気持ちはわかるが父親を騙る悪人に騙されるかも知れないから気をつけたほうがいい」
「はい……気をつけます」

今この瞬間にもこの少年は騙されていて、如何にも純真無垢な竈門炭治郎は俺のような詐欺師からすると恰好のカモのように見えるが、こういう子供が意外と鼻が効くのだと、千石撫子の一件で身に染みて理解している。

「鬼が出るぞ」

詐欺師と少年が山道を肩を並べて歩いていると、山裾に住む初老の男に呼び止められた。
竈門少年とは顔見知りらしく、その晩は三郎と名乗るその初老の男の家に泊まるようだ。

「貝木さんも泊まっていかれては?」
「俺は町に忘れ物をしたから取りに戻る」
「えっ……夜道は危険ですよ」

俺からしてみれば明らかに目つきがおかしい初老の男の自宅に泊まるほうが危険極まりないと思うが、ひとまずそれらしい嘘を吐く。

「俺が持っているのは便所で用を足すためのちり紙だ。そんな紙で大切な家族の似顔絵を描いて欲しいのなら俺もここに泊まるが、ひとりの大人として、そんな不作法は出来かねる」

そんな俺の嘘を信じた様子の竈門少年は困ったような顔をして、鼻先をぽりぽり掻いて。

「ええっと……はい。わかりました。貝木さんは、その……優しい嘘をつくんですね」

やはり、この少年は嘘を見抜けるらしい。
しかし優しい嘘など見当違いも甚だしい。
おおかた、なるべく良い紙で似顔絵を描いてやろうとして嘘をついた立派な画家だと思われているのだろう。好都合なので反論はしない。

「さて、自問自答だ」

真っ暗な山道を歩きながら自問自答をする。

「臥煙の言いなりになって仕事をこなしてやる義理が、果たして俺にはあるだろうか」

答えはNOだ。そんな義理は一欠片もない。
仕事をするにあたり前金代わりに寄越した遊女を追い出した俺が臥煙に従う理由はない。

「それでは、竈門炭治郎のためにタダ働きをしてやるつもりが俺にはあるか。父親に声が似ている俺は、僅かながらでもあの少年に親しみを覚えてひと仕事してやろうと思うか」

やはり、NOだ。タダより高いものはない。
声が似ているのも偶然だ。たまたま俺が清流のせせらぎのような美声だったに過ぎない。

「この状況を招いたことに僅かなりとも責任を感じて事態を収束させる気は俺にあるか」

NOだ。こうなったのは俺のせいではない。

「駄目だ。何ひとつ、理由が思いつかない」

まったく、こんなにやる気が出ない仕事というのは久しぶりだ。前に戦場ヶ原に依頼されたくだらない仕事以来だろう。気分が悪い。

あの時はどのように困難を乗り越えたのか。
そう言えば、俺が世界で唯一恩義を感じていた臥煙遠江の忘れ形見を引き合いに出したのではなかったか。一応、自問自答してやる。

「神原駿河の倒錯した変態趣味の為に1円にもならない仕事をするつもりが俺にはあるか」

YESだ。考えるまでもなく即断即決だった。
俺は山の麓の町で鬼舞辻無惨の足跡を追ってやって来た富岡義勇の足止めをしてやった。

「これで臥煙に文句を言われる筋合いはなくなった。ならば、後は自由にやらせて貰う」

柱と言えども生身の人間。楽な仕事だった。
人外を相手取り人外を扱う俺の敵ではない。
夕飯に下剤を仕込み腸内を洗浄してやった。

『フハッ!』

夜道に響く神原駿河の愉悦は幻聴だろうか。

『フハハハハハハハハハハハハッ!!!!』

近頃の若い娘の趣味は理解出来ないな。高級焼肉よりも漫画のキャラの脱糞が好物とは。
ともあれ、駿河の悦びは俺の悦びと言えた。
そのお釣りとしてちり紙を贈呈してやろう。
朝まで、富岡義勇は宿から出てはこれない。

山道に続く一本道で、俺は怪異と対峙した。

「つば広の帽子に洋装の青年。お前が鬼舞辻無惨だな。悪いが、少し騙されて貰おうか」
「なんだ、お前は。何故、その名を……?」

事前に調べた背格好の男の前に立ち塞がる。
これが臥煙の言う余計なことだろうが仕事終わりの俺には関係ない。刑務所暮らしではないのだから、労働のあとは何をするも自由。

「俺は詐欺師だ。お前ことは調べ尽くした」
「ほう? 詐欺師が私の何を知っていると?」
「千年前に不死身の鬼となったことも。唯一の弱点である太陽を克服するために同胞を増やして試行錯誤していることも……そして」
「どこでそれを知り得たかは知らないが、どうやらお前は知りすぎているようだな……」

俺が言い終える前に鬼舞辻無惨が変貌する。
こちらに向けた腕がメキメキと変形して異形の肉の塊となり、醜悪な口から生えた牙がギチギチと耳障りな歯軋りを闇夜に響かせた。

「唯一の天敵である、継国縁壱のこともな」
「っ!?」

懐から取り出した和紙に描かれた縁壱の姿絵が実体となって俺と無惨の間に割って入る。
無惨は驚愕を顔に貼り付け即座に逃走した。

「他愛もないな鬼舞辻無惨。不死身故に学習しないお前が今回のことで学ぶべき教訓があるとすれば、自分の力に自惚れている者ほど詐欺師にとっては騙しやすいということだ」

後日談にもならない真相を、ぼそりと呟く。
縁壱がハリボテであることにも気づかずに逃げ出した無惨を追うつもりは、俺にはない。
ぼんやりとした表情でその場に佇む継国縁壱の足元に広げた和紙に火をつけ、燃やした。
ちなみにこの絵は遊廓で俺を接待しようとした漫画家志望の遊女から盗んだ代物である。

「炭治郎。お前の炭はよく燃えるな」

種火がひとつだけ貰った炭に移り、焔となって夜道でパチパチと爆ぜた。燃え尽きるまで眺めていようかと思ったが、邪魔が入った。

「やれやれ。盛大にやってくれたね」

臥煙の声が夜道に響くもその姿は見えない。

「これで竈門少年と家族の命は助かった。しかしその代償として鬼舞辻無惨を逃した。あの鬼を倒すには炭治郎の家族を襲わせて仇を討たせる必要があった。だからこそ私はお前に富岡義勇の足止めを依頼した。しかし今宵、歴史が大きく変わってしまったせいで、私たちが暮らす現代は鬼によって滅ぼされることが定められてしまった。だから、泥舟」

臥煙伊豆子はまるで、上司のように告げた。

「ペナルティーだ。しばらく反省したまえ」
「いいや、臥煙先輩。それには及ばないさ」

どのようなペナルティーなのかは知らないが、俺はそれに甘んじるつもりはなかった。

「どのみち、鬼舞辻無惨は終わりだ」
「それはどういう意味だい?」
「来ているんだろう。阿良々木と吸血鬼も」

臥煙先輩の表情は伺えないが、読めている。

「今ごろ、鬼舞辻無惨は吸血鬼の腹の中だ」
「ご名答。だが、いつから気づいていた?」
「遊女に千石撫子が混ざっていただろう」
「なるほど。流石に迂闊だったか」
「故にそこから導き出される結論は、仙石撫子に鬼滅の2次創作の依頼を出し、現実を漫画の中の世界へと変質させたということだ」

ここは千石撫子が描いた漫画の中であった。

「まあまあ、そう怒らないでくれ。たまたま我々の専門家業に都合の良い世界観の作品をチョイスしただけで、他意はないのだから」

そう嘯く臥煙の嘘など、俺には通用しない。

「人喰い鬼が大量発生している世界観で怪異の専門家の地位を向上させようと、そう目論んでいたことは言わなくてもわかっている」
「わかってるなら少しは理解を示してくれ」

理解に苦しむ。臥煙は世界を放置していた。

「忍ちゃんは切り札のつもりだったんだよ」

切り札。カードを切るつもりはない隠喩だ。

「しかし、どの世界でも想定外は起こるものだ。言うことを聞かない部下だったり、大正時代にすぐ飽きてしまった吸血鬼だったり」

現代社会を経験した吸血鬼にとっては、さぞかしこの大正時代はつまらなかっただろう。
ともあれ、逆転した立場を利用して告げた。

「さて、ペナルティーの時間だ。臥煙先輩」

竈門炭治郎の父親と同じ声が、冷たく響く。

「はてさて、私に何をさせるつもりかね?」
「お前ならば聞かずともわかるだろう」
「そうだね。私はなんでも知っている」
「ならば、酒をつげ。遊女の格好でな」
「ふふっ。流石は空前の大ヒット映画に出演しただけのことはある。見違えたよ、泥舟」

遊女の格好をした臥煙伊豆子が宵闇に佇む。

そう。400億の興行収入に貢献した俺には、いくらかボーナスがあってもいいだろう。
無論、嘘だ。全てを俺が演じてはいない。
俺が作中で発声した台詞はたったひとつだ。

『何のためにお前がいるんだ、役立たず』

出汁も取っていない味噌汁を炭治郎に浴びせて吐き捨てた自問だけが俺の唯一の台詞であり、たとえ偽者とはいえ父親として息子の不幸に反逆する刃を持つに至った動機だった。

そんなあからさまな嘘で物語を締め括ろう。


【声物語】


FIN

というわけで、声繋がりの作品でした。
物語シリーズに登場する大人たちはそれぞれ違った信念を持っていて魅力的ですよね。
中でも臥煙伊豆子さんが大好きです。
臥煙先輩の遊女姿のために書きました。

最後までお読みくださりありがとうございました!

すみません。
義勇さんの苗字が『冨岡』ではなく『富岡』になってました。
正しくは冨岡義勇です。
確認不足で申し訳ありません。
謹んで、訂正させていただきます。

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