長門有希「離さない」 (13)

昼休みを告げる鐘が鳴り、いつもならば谷口や国木田と昼食を共にするところではあるが、その日早弁を済ませていた俺は教室から出て真っ直ぐに元文芸部室へと向かった。

どうして普段と違う行動をしたのかについて明確な理由はなく、あえて説明するならば毎日毎日男友達と弁当をつつきあっている自分を客観視した際に絶望的なみじめさを覚えたからである。

別に男同士の友情を軽視しているわけではないが、ほどほどにしておかないとこの短い高校生活を棒に振りかねないと危惧していた。

幸いなことに狭い交友関係の中でも女子の知り合いが俺には居て、中でもハードルが高い先輩である朝比奈さんや鶴屋さんの教室に向かうことは身の程知らずもいいところなので、だからこそ元文芸部員の少女を訪ねようと、そう思い至ったわけである。

「長門、入るぞ」
「どうぞ」

常日頃の慣習に則りノックしてから声をかけると、中から長門の声が返ってきて、それだけで一段階テンションが上がったことを自覚しつつ、俺は元文芸部室の扉を開けた。

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「少しばかり邪魔しても構わないか?」
「構わない」

パイプ椅子に腰掛けた長門はいつも通り、読書していて、本から顔をあげて黒檀の瞳でこちらを見つめている。その視線を受けて、ひとまず来訪の目的を話しておくことにした。

「実はクラスの男共と昼休みを過ごすのに飽き飽きしてさ。もしお前さえ良ければ、話し相手になってくれると助かるんだが……」

まるでナンパの常套句みたいな台詞に我ながら軽薄さを感じてしまうが、長門はあまり気にしていないようで、こんなことを呟いた。

「話し相手として、私は不適切」
「何故だ?」
「私は話すのが苦手」

自らの短所を淡々と口にされて、なんだか申し訳ないというか、そんなことを長門に言わせちまった自分が情けなくて憤りを感じた。

「無理しなくてもいいんだ。なんなら、俺も読書するからおすすめの本を貸してくれ」
「でも、あなたの希望には応えられない」

そんなことお前が気にする必要はないんだ。
気まぐれに立ち寄っただけで、しかも来訪目的はくだらないもので、だからそんな俺に気を使う必要なんてないんだ。心が、痛んだ。

「悪かった。もしもお前が負担に感じるならすぐに出て行くから……」
「待って」

席を立とうとすると長門に引き留められた。

「話すのは、苦手」
「長門……?」
「だから、こうすれば話す必要はない」

そう言って、長門はおもむろに席を立ち、ひんやりした手で俺の手を取り、立たせた。
そして何を思ったのか優しく抱擁してきた。

「な、何を……」
「話さない」

それは黙れという意味か。俺が沈黙すると。

「離さない」

その微妙なニュアンスの違いは、恐らく会話だけでは伝わらないもので、先程よりもほんのり強まった抱擁が、それを伝えてくれた。

なんとなく長門が話すことが苦手な理由がわかった気がする。この世界には言語化出来ないことが多すぎて、だから長門は自分の気持ちや感情を言葉にすることが難しいのだろう。そしてそれは誰しも当て嵌まることだ。

「昼休み、終わっちまったな」

昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。
長門がゆっくりと抱擁を解くと同時に、一気に緊張感が抜けて、気疲れを自覚した。
しかし、それにも増して俺は名残り惜しい。

「迷惑じゃなければ、また来てもいいか?」

訊ねると、長門は首肯して、言葉を紡いだ。

「また来て欲しい」

それはただの許可ではなく要望とも取れた。
こちらの意向を受け入れつつ長門自身の気持ちもこちらに届けてくれた。それが嬉しい。

「来て良かったよ」
「何故?」

何故、か。何故だろうな。言葉は難しいな。

「お前のことを知れて嬉しかったからだ」

なんとか感情を言葉に変換すると、長門は。

「そう」

黒檀のような瞳をこちらに向ける長門は俺が伝えたい想いをなんとか理解しようと努力しているようで、なんだかとてもいじらしかった。

「キョン、今日も早弁したのかい?」
「悪いな。昼休みは用事があるんだ」

翌日の昼休み、足早に教室を出ようとする俺を見て国木田が呆れていたが、関係ないね。
弁当を少し早めに食っておくことで昼休みを有効に活用出来るなら誰だってそうするさ。

「今日も邪魔するぞ」
「どうぞ」

長門は今日は読書をしておらず、俺が部室に入ると席を立ち、こちらに近づいてくる。
そのまま、俺の背に手を回して密着した。

「毎日こうする必要はないと思うが……」

なんとなく、後ろめたい気持ちになってそう苦言を挺すと長門は言葉を選ぶように呟く。

「毎日……こうする必要が……ある」
「理由を訊いてもいいか?」
「毎日……こうしたいから」

そう言われると、反論する気概は霧散した。
利己的な理由で長門に毎日ハグして貰うのは気が引けるが、そうしたいと言われるなら男冥利に尽きるというかまさに本懐であった。

「ずっと立っているのは流石に疲れるな」
「座る?」
「そうだな」

次の日からはパイプ椅子に座ることにした。
最初は椅子を横並びにして近づけてハグしていたが、どうにもやりづらく、長門は席を立って、ついっとこちらの膝を指差してきた。

「そこに乗っても、構わない?」

長門からの提案という珍しい状況に呆気に取られつつも、せっかく積極的になってくれたのだからそれを無碍にすることは出来ない。

いや、そうじゃない。ただの言い訳。
自分から提案出来なかった俺の弱さ。
楽をしてしまったことを反省しよう。

「退屈?」
「いや、そんなことはないさ」

長門とのひとときは抱擁が大半を占める。
しかし、俺はそれを退屈だとは思わない。
何故ならばこうして抱擁していると時間があっという間に過ぎ去っていき、時の流れが相対的なものであるとの学説が正しいことを証明してくれているからだ。だから退屈ではない。

「長門、キツくないか?」
「平気」

あれから、様々な抱擁の仕方を試してみた。
抱っこしたり、おんぶしたり、床に座ってみたり、背中に乗って貰ったり。肩車したり。

「意外」
「なにがだ?」
「飽きると思っていた」

意外だろうか。たしかに、実際に体験するまではこうして密着することにあまり魅力を感じなかったかも知れない。すぐに飽きて、それ以外の、いやそれ以上の行為に移ろうとする者が大半なのだろう。普通ならばそうだ。

「飽きないさ」
「どうして?」

しかし、俺は飽きなかった。何故だろうね。
正直に言えば俺も男なので、ただ抱きしめているだけでは色々と耐え難い場面もあった。
だけど、そんな一時の気の迷いで全てを台無しにしたくなかった。否、恐れていたのだ。

「お前に嫌われたくないからな」
「どうして?」

長門の存在は既にかけがえのないものになっていて、失うことには耐えられないだろう。
言うなれば完全に依存していて、その状況は決して良いものではないと自覚しているのだが、それでも毎日昼休みになるのが待ち遠しくて、恋しくて。そうか……だから、俺は。

「どうして……だろうな」

自覚した想いを口にすることを躊躇すると、壁に背中を押し付けられる形で俺に抱かれていた長門が抗議するように両足でキツく挟んできた。鐘の音が鳴っても離してくれない。

「午後の授業、完全に遅刻だな」
「あなたのせい」

午後の授業の開始を告げる鐘の音がスピーカーを通じて校舎に鳴り響き、サボりが確定しても長門は離してくれない。俺も離さない。

このところ、思うことがあった。
長門とのこの関係性は健全ではないと。
不純とは思わないが、純情ではなかった。

そもそもの話、ここは外国ではないのだから男女が抱擁するまでに済ませておくべきプロセスというものがあって、我が国の常識で言えばそれは告白であったり、キスであったり、そうした順序を飛ばしていることについて、俺は頭を悩ませていた。葛藤していた。

「お前はどう思ってるんだ?」
「話すのは……得意ではない」

それはずるいと思った。俺が色々と今の関係性について悩んでいるのにそれに向き合うことすら放棄しているように見えて、しかし。

「あなたの責任」

責任。責任か。重くのしかかる。俺の罪だ。

「別に、押し付けるつもりはないんだ」

言い訳にならないように、言葉を選びつつ。

「ただ、一緒に考えて欲しくて……」
「考えている」
「じゃあ、聞かせてくれ」
「私の結論を伝えるつもりはない」

長門は頑なに、それを伝えてはくれない。
何故ならば、それはあくまでも長門が導き出したもので、俺もそうするべきだからだ。

俺は俺の結論を見つけなければならず、そしてそれをとっくに見つけているのに口に出さないことを、長門はキツい抱擁で咎めてくる。

「俺は……長門。お前のことが……」

そう切り出すのにどれほど時間が経っただろう。1時間かも知れないし、2時間かも知れない。その間、長門はずっと待っていてくれて、もしかしたら最初に抱擁したその日から待っていたのかも知れなくて、そう思うとすぐにでも結論を出さないといけないと焦って、上手く言語化出来なくて、言い淀んで。

「話す必要はない」
「話す必要はある」

こちらを気遣う長門に、きっぱりと告げる。
これは口に出して言わなければならないことでそれを否定することだけは許せなかった。

それは長門のためというよりも、軽率な誘いで期待を持たせた自らへの戒めであり、自分はそういう不真面目な男ではないと宣言するために必要な覚悟である。そう、覚悟だ。

「俺は、お前が……」
「待って」

意を決して想いを口にする直前で、長門が待ったをかけて床に足をつけた。抱擁を解くや黒檀の視線をじっと扉へと向けている。
次の瞬間、扉がガタガタと音を立て始めた。
しかし、開かない。長門が防いでいるのだ。

すると廊下から、何やら声が聞こえてきた。

「何よ、なんで開かないのよ!」

その声の主を間違える筈はない。ハルヒだ。
しまった。いつの間にか午後の授業は終わっていたらしく、部活動の時間となっていた。

「こうなったら、力尽くで……!」

今にも開かずの扉を破ろうとしているハルヒに焦る。まずい。授業をサボった挙句に長門と2人っきりの密室で何をしていたのか追求されたら詰みだ。打つ手なし。投了寸前だ。

「長門」
「もう……持たない」

眼力か念動力でハルヒの侵入を防いでいる長門の肩を掴む。黒檀の瞳と目を合わせてから、ぎゅっと抱きしめて、耳元で囁いた。

「好きだ。だから、信じてくれ」

想いを伝えてから、再び黒檀の視線と目を合わせると心なしか潤んでいるように見えて、それが幻覚かどうか判断する余裕もなく、俺は長門を狭いロッカーの中へと押し込んだ。

さて、涼宮ハルヒとの決戦の前に、これまでの抱擁でロッカーを使用しなかったのは俺が愛読している如何わしい本のタイトルが露見しないようにしていたのだという事実だけは伝えておかなければなるまい。

「ようやく開いた! って、キョン! なんであんたがここに居るのよ!? 」
「よう。遅かったな、ハルヒ」

長門が入ったロッカーを揺らすことなく俺は団長の机に座り、ハルヒの来訪を歓迎した。

「あんた、どこに座ってんのよ」
「座り心地が良さそうだったもんでね」

俺が団長の机の上に座っているのを見て、ハルヒの目が据わった。大変お怒りのご様子。

「あんたが午後の授業をサボろうがそんなのは別に構わないけど、そこに座っていいのは団長である私だけなのよ。早く降りなさい」
「そいつは悪かった。ほら、降りたぜ」
「ふん。わかればいいのよ」

机の上から尻を退けてやると、ハルヒはそれ以上とやかく言うことなくその話題を打ち切って、そして部室内に視線を巡らせた。

「あんたひとり?」
「見ての通りだ」
「てっきり誰か……有希でも居ると思った」

どうして女ってやつはこうも勘が鋭いのかね。しかも長門が隠れているロッカーを凝視してやがる。どうやら見透かされているな。

「そこに居るんじゃないの?」
「居たらなんだって言うんだ」
「別に。ただ隠すのが気にいらないわね」

たしかに隠す必要はなかったかも知れない。
しかし、その場合はどうなっていただろう。
どうしても俺は不測の事態を避けたかった。
長門とこれからも、昼休みを過ごすために。

「そんなことを気にしている場合か?」
「む……何よ、その態度」

全てを見抜かれて、揺れてないロッカーの中身を見透かされても、俺は余裕を崩さない。
それが気に食わなかったらしく、ハルヒはこちらに詰め寄って、ネクタイを引っ張った。

「あんた、有希に何を……!」
「長門のことばかり気にしてていいのか?」

そこまで言うと、ようやく気づいたらしく、ハルヒは慌てて団長の机に駆け寄って、そして先程まで俺が座っていた部分を嗅いだ。

「フハッ!」

思わず、愉悦を漏らすハルヒ。そうだろう。
そのために手は打った。その代償として、俺は長門に嫌われるかもしれない。それでも。

「俺はその机で脱糞するしかなかったんだ」
「フハハハハハハハハハハハハッ!!!!」

嗤えよ。好きなだけ嗤えばいいさ。
どれだけ嗤われても、蔑まれても。
俺は長門のためなら糞を漏らそう。

「キョン、あんたって本当に……」
「馬鹿みたいだよな」

ひとしきり哄笑されて、逆にすっきりした心持ちの俺に対して、団長は優しく微笑んだ。

「ま、いいんじゃないの」

そう言ってハルヒは部室から出て行こうとして、ふと立ち止まり、偉そうにこう命じた。

「机、綺麗にしておきなさいよ」
「ああ、わかった」
「有希も! 連帯責任だからね!」
「わかった」

やはり全てを見透かしていたらしいハルヒに連帯責任と言われた長門がロッカーから律儀に返事をするとハルヒはそれ以上何も言わずに帰っていった。どっと疲れが押し寄せる。

「とりあえず、なんとかなったな」
「あなたのおかげ」

ロッカーを開けると長門がそこに居て、ひんやりした手を伸ばして、俺を中へと誘った。

「狭いな」
「狭いね」

糞を漏らした俺を、躊躇なく抱擁する長門。
返事の中に確かに感じる僅かな親しみを得るために、尻に染みる大便をしたことに後悔はなく、むしろ誇らしいと、俺はそう思った。


【長門有希の抱擁】


FIN

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