【ウマ娘】タキオンのトレーナー、死す (63)

「具合はどうだい?トレーナー君」

ノックもせずに、タキオンは病室に入っていった。
ベッドで寝ていた彼女のトレーナーは、起き上がって、彼女に返事をした。

タキオンのトレーナーは、半年前に突然倒れて病院に運ばれた。有馬記念で一着をとった翌日のことだ。
診断の結果、現代医学では治療不可能な病とされ、もって1年と医者に告げられた。

「花を買ってきたよ。そろそろ取り替えてもいい頃だと思ったからね」

片手に握った花をタキオンが掲げる。トレーナーはそれを見て、綺麗な花だね、と言った。

「目の前の景色に変化がないと余計に気が滅入るだろう。感謝したまえよ」

病室の中をスタスタと歩き、躊躇なく花瓶に手をかける。
トレーナーが素直にお礼を言うと、タキオンはそっけなく返事をした。

倒れたトレーナーを最初に見つけて病院に連れて行ったのはタキオンだった。

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お祝いを二人でしたいと、倒れた前日に、トレーナーがレースの帰りに言った。

「はしゃぎすぎだよ、トレーナー君」

タキオンは渋々と言った感じにそれを承諾してから、
疲れているんだがねと皮肉を二言三言付け加えて、お祝いで食べるものについてあれこれ口を出す。

そしてタキオンは不敵な薄笑いを浮かべて、彼女の横に並んだ。

「まあ、せいぜい頑張った私をもてなすといいさ」

様々な困難を乗り越えて、今日の大舞台を勝利しきった二人。
その日は、彼女たちにとって特別な日だった。

トレーナーがせっせと祝勝会の準備を進めるのを眺めながら、
タキオンはトレーナーにちょっかいを出しつつ、はやくしろとせっついた。それにトレーナーが、はいはいと応える。
場所はトレーナーの部屋。

タキオンはちょっかいを出すのにも飽きて、暇になり、
そこら辺に寝転がって、トレーナーの私物を弄りだした。

真面目な本や資料が丁寧にしまわれているので、適当に取り出して、パラパラとめくって、元に戻す。

殺風景な部屋だなと自分のことを棚に上げて、見回していると、
息抜きに出かけた時にクレーンゲームで取ったぬいぐるみが置いてあった。

あの時はやけに取り過ぎて、トレーナーがその大半を自分で持ち帰っていたのだ。

タキオンはなんとなくそれを抱きしめながら、トレーナーが甲斐甲斐しく働いているのを、後ろからぼんやりと眺めていた。

相変わらずトレーナー君は嬉しそうに、私のために働く。
でも、今日はいつもよりも5割増しで楽しそうだった
それを見ていると、タキオンは妙な気分になる。

始まった二人だけの祝勝会の中、トレーナーは機嫌よく今後の展望について話した。

次々と有名どころのレースの名を口に出し、それぞれでタキオンが一着をとる姿を想像してニヤニヤとほくそ笑む。
しまいには、タキオンは日本一、いや世界一、いやいや史上最強のウマ娘になれると嬉しそうに話すのを、
タキオンは、酒も飲まずによく酔えるものだと茶化しながら、黙って聞いていた。

ついつい我慢できなくて、タキオンが冷や水を浴びせると、
トレーナーはいつものように、困ったような笑みを浮かべる。

でもやはり怒ることなく、もっと頑張るよ、と力強くタキオンに返す。

それを見て、予想通りの反応だと思いながらも、タキオンは、やはり妙な気分になる。

トレーナーが、信頼しきった顔で、こちらを見る。今日は一段と蕩けきっている。
すごくニコニコとしている。

タキオンは、飲み物をちびちびと口に含んだ。

今日は妙に、所在が落ち着かない。

今までのタキオンは誰かに頼ることが無かった。
基本的に、自分一人でどうにかできた。

自分の力を何より信じていたし、それが一番の近道だと考えている。
誰かと協調し、不確定要素が増え、それで足並みを乱されるより、
結果の予測しやすい自分のペースで物事を進める方が、
計画を立てやすいし、自分の性に合っていた。

だが、この数年間。
彼女は一人のトレーナーと同じ道を共にした。
そして、一つの結実を迎えた。

調子を狂わされることもあったし、
一人の方が都合が良かったと考えることもあった。

でも、この人といると、心の底から安らぐ気がした。

この数年間、たくさんのことを発見した。
知らない自分を見つけた。
誰も見つけてくれなかった自分を、トレーナーは見つけてくれた。
トレーナーが一緒にいてくれたから、今の自分がここにいる。

今日の彼女は、自覚していなかったが、いつになく機嫌が良かった。

タキオンは、あんまりにトレーナーが無邪気で、嬉しそうに笑うので、突然、何かを言いたくなった。
口ごもるタキオンを見て、トレーナーが不思議そうにするので、タキオンは少し黙り、すぐにニヒルな表情に切り替えて、
皮肉が口をついて出た。
トレーナーはいつものように優しく笑って、それに答えた。

安心する笑顔だと思った。
タキオンはぼんやりとその顔を眺めながら、そう思った。
決して口には出さない言葉。
でも、言葉にしなくても、言いたいことは通じ合っているような、そんなくすぐったい感覚を、タキオンは感じていた。
この人となら、ずっと走っていけるような気がしていた。

ただの錯覚だった。

「新しいトレーナーは教え方が上手いようでね。今のところ順調だよ」

病室に備え付けのパイプ椅子に座って、
慣れた手つきで林檎の皮をむきながら、タキオンが言う。
つくづく月並みな見舞品だとは思うが、月並み以外のやり方を知らない。
来るたびに林檎を持ってきて、目の前でむいて差し出してくるのを、
トレーナーは嫌な顔一つせず、むしろ嬉しそうに、そして飽きもせず口に運ぶ。

昔からこの人は、自分の我儘に文句を言いつつ、甘やかして受け入れたっけと、ぼんやりと考える。
それが当たり前だと思っていたし、そのことがやけに心地よかった。

「フ、落ち込むことは無いさ。君は確かに私を有馬記念で勝たせた」

林檎を切り分け、皿の上に置いて差し出す。

「だが君の上にも下にもたくさん人がいる。この世界は当然、君が考えている以上に広いのさ」

トレーナーは偉そうなタキオンの物言いに苦笑しながら、林檎を食べる。
ゆっくりとフォークを林檎に突き刺し、口の前に持っていき、口を少しだけ開けて、
先端を軽くかじってから、少しだけ咀嚼して飲み込む。

弱弱しい食べ方だ。

そんな食べ方をされると、どうしようもなく、なぜだか、ひどく胸を掻きむしりたくなってしまう。

「…油断は大敵とでも言いたいんだろう?あいにく、準備は万端だ。その上で予測をしているんだよ」

ふふんと、余裕ぶって、タキオンは一つ上から物を言うように、トレーナーを見下ろす。内心など、おくびにも出さない。
以前と同じ態度で接する。
そうするとトレーナーは、タキオンのことを、かわらないなぁというような目で見て、少し嬉しそうにしてくれる。
だからタキオンは、いつものように、自信ありげな薄笑いを浮かべる。

祝勝会は、タキオンの門限が来る前にお開きになった。
タキオンは、今日はもう少し、トレーナーと一緒にいたいような気がしたが、それを口に出すことは無かった。
トレーナーが後片づけをするのを見守っていると、トレーナーが、名残惜しそうな顔をあからさまにしているので、
タキオンは吹き出しそうになった。

子供のような人だ。

タキオンが冗談で、「まだ続けようか?」と言うと、トレーナーは顔を明るくして、
次いで気付いたように表情をあらためて、取り繕った顔で窘めてくるので、ついタキオンは笑ってしまった。

タキオンは、トレーナーと他愛もないことを話して、門限ギリギリまでそこにいた。

翌日の朝にレースを振り返るミーティングをすると約束をした。
寝坊しないようにと念を押されて、わざといい加減に返事をした。
別れ際、トレーナーは感慨深げにタキオンのことを見た。タキオンは少し気恥ずかしくなり、そっぽを向く。
トレーナーは手を振って、タキオンが建物の中に入るまで見送った。

今生の別れでもあるまいしと、タキオンは大袈裟なトレーナーに少し呆れた。
でも、そこまで私と一緒にいたいのなら。
タキオンは、クックッと、笑った。
鍵の複製をとられたことにも気がつかない、間抜けなトレーナー君め。
合鍵なんて、トレーナー君のことだから、頼めばくれると思うけれど。
朝も早くから驚く顔をするトレーナーを心の中で思い描きながら、タキオンはほくそ笑んだ。

部屋に帰ると、同室のウマ娘にすごく機嫌がいいですねと驚かれたので、適当に返事をした。

「君は私が来るたびに心配事を言う」

タキオンは病室に来ると、だいたい近況について話す。
そうすると、トレーナーはいつも、タキオンが真面目に練習をしているか、
新しいトレーナーの言うことをちゃんと聞いているか、確認してくる。

「少しは私のことを信用して欲しいのに」

タキオンがわざとらしく悲し気な顔をして見せると、トレーナーはハッと表情を変えて、信頼してるとタキオンに真面目な顔で告げた。
そして、慌てて違う話に変えてくれる。
ふっふっと、思い通りのトレーナーの反応を見て、タキオンはたまらなく笑ってしまった。
ああ。
私が悲しんで見せたら、どんなに怪しい薬でも、トレーナー君はすぐに飲んでくれたっけ。
本当に、私のことが好きでたまらなくて、愛すべきほどに愚直な、私の、トレーナー。
私の、トレーナーだった、人。

「…少し、痩せたね。トレーナー君」

表情が、どこか頼りない。入院着の袖から覗く腕が細く見える。

「食事はちゃんと食べているのかい?味気なくとも食べなくてはいけないよ。ここのはきちんと栄養を考えて作られているんだから」

もどかしい。

「ああ、それとも私が作ってあげようか。とびきり栄養のいいものを用意できるよ」

トレーナーが笑う。

「抜群に元気がでる薬さ。なんなら、そのまま…」

いつものように軽口を叩こうとして、少し言葉が詰まった。

「…そのまま、走り出して、病院から飛び出てしまうかもね」

不味くて?と、トレーナーがからかうように言うので、「味は保証できないね」と、答えた。

それはそれで、元気が出そうだね、と、トレーナーがクスクスと笑った。

タキオンは、薄笑いを続けていた。

その日の学園内は、少し騒ぎになった。
朝早くから、不安になるようなサイレンを鳴らしながら救急車が敷地内に入り、
朝練をしていたウマ娘たちも何事かと様子を見に行っていた。
教師がウマ娘たちを宥め、元に戻るよう告げた。
しばらく途絶えていたサイレンの音が再開し、敷地内を出て、遠ざかっていく。

誰か怪我をしたのだろうかと噂するウマ娘たち。
授業が始まっても、彼女たちは互いに情報交換し、何が起きたのかを知ろうとした。
一人のウマ娘が、教師たちが話している内容を偶然聞き取ったらしく、
とあるトレーナーが自室で意識不明の状態にいるところを、担当ウマ娘が見つけたそうだ。

そのウマ娘から迅速な応急処置を受けて、すぐに救急車で運ばれていったが、どうやら重体らしかった。
発見がもう少し遅れていたら危なかったそうだ。学園関係者の何人かが一緒についていった。担当されているその子も救急車に乗っていったらしい。
怖いねえ、心配だねえと、ウマ娘たちは話をした。

運ばれていったトレーナーは、なんでもあのタキオンのトレーナーらしいと噂話が広まった。
救急車に乗り込んでいくタキオンの姿を見たウマ娘がいた。
いつもの彼女らしからぬ酷く取り乱した様子だったらしい。

「なんでよりにもよって…」

つい昨日、有馬記念で華々しい勝利を飾って、あれほど輝いていた彼女たちが。
ウマ娘たちはその日、いつまでも噂し続けた。

手に温もりを感じていた。
トレーナーが目を開けようとすると、すぐにその温もりは離れていった。
外界から声が届いてくる。やっとの思いで、それに返事をしながら、目を開けると、
目の前に、こちらを覗き込むタキオンの顔があった。

なんだか、とても真剣な顔をしているので、おかしくなって、
つい笑ってしまった。

そうしたら彼女は、目を瞬いて、すぐに顔を背けた。
ベッドの脇にあるボタンに手をかけ、何事かを呼びかける。

その様子を見て、ここは病室なのだとうっすら理解ができた。
記憶が混濁してよくわからないが、もしかしたら、いろいろ迷惑をかけたのかもしれない。
起き上がろうとして力が入らず、ふと腕を見ると、管が刺さっていた。

少し不安になって、タキオンの名前を呼ぶ。
「なんだい」と、いつもと変わらない彼女の声に、少し安心する。
もう一度彼女の名前を呼ぶと、こちらの顔を覗きに来てくれた。

いつも通りの、澄ました顔だ。

それで、もしかして、タキオンの薬を飲んじゃったのかな?と言うと、
「命の恩人に向かって、酷い言い草じゃないか?」と、呆れたように文句を言われた。
ごめんごめんと、謝っているうちに、渦巻き始めていた不安な気持ちが、薄れていく。
息をほーっと吐いて、迷惑をかけてごめんねと、また謝った。

「そう思うなら、ちゃんと安静にしてるんだね。すぐに元気になるから」

そう言って、タキオンはポンポンと、毛布の上から軽く叩いた。

その言葉にふと、優しい感じがしたので、ありがとうと、タキオンに言った。
こわばっていた力が抜けて、眠くなってきたので、目を閉じる。
タキオンが声を掛けてくる。曖昧に返事をする。

しばらく経って、そっとまた手に温もりが戻った。

…ああ、タキオンが手を握っていてくれたのか。
安心する。
少しだけ力を込めて、握り返す。

…ありがとう、タキオン。
…私のタキオンはやっぱり、優しいね。

心地よい気持ちの中、どんどんと、意識が薄らいでいく。
そのうちに、タキオンの手の温もりだけになった。

…私の自慢のウマ娘。

トレーナーの症状は深刻だった。

意識は取り戻したものの、いつ容態が急変してもおかしくない。
今も意識を失ったり、また取り戻したりを繰り返している。
薬を投与し続けて、やっとのことで症状を緩和できている状態だ。

そして現状、これ以上の手立てがないと医師には言われている。

どうしてここまで急に体を持ち崩したのか。
兆候はなかったのだろうか?
それに気付くことはできなかったのだろうか?

様々な思念が渦巻く中、タキオンはトレーナーに降りかかった病気に関して情報収集を続けていた。
論文を漁り、治療法を探し回った。

手立てがないはずがない。馬鹿で無能で怠惰な医師だと思った。病院を変えるよう言った方がいいかもしれない。

タキオンは授業をサボって、必死に心当たりを探って回った。
学園からは、特に何も言われなかった。

ある日、トレーナーが自分を呼んでいると聞いた。
だから、身だしなみを整えて、病院に向かった。

数週間しか空いてないはずなのに、トレーナーは前よりもやつれているように見えた。

「やあ。悪かったね、しばらく会いにも来ないで」

トレーナーは首を振った。
世間話もそこそこに、トレーナーはタキオンが今度出ることになっていたレースについて触れた。

自分が今動ける状態にないので、代理のトレーナーを立ててレースの準備をしてほしい。
学園には、既に許可をとり、めぼしいトレーナーの用意もしてくれる。
せめてレース当日までにどうにか自分の体が治ればいいんだけどと、トレーナーが喋るのを遮って、
タキオンはきっぱりと告げた。

「レースには出ない」

トレーナーが一つ咳をした。

「…悪いが、大事な用があるんだ」

理由を尋ねても、タキオンはハッキリとした答えを言わなかった。

トレーナーは、突然のことで申し訳ないけど、今後につながる大事なレースだからと、
代理のトレーナーは、最大限タキオンに配慮して選んでもらうようにすると、説得を続けた。

「誰であろうと関係ない」

タキオンは無表情にそう言った。

トレーナーは少し黙った。
そして、しょうがないと溜息を吐いて、紙とペンを机の上に取り出し、
咳をしながら、ぐりぐりと文字を書いて、タキオンに差し出した。

とりあえずはこのメニューの通りにトレーニングをこなしてほしいと言った。

タキオンは、紙面上のよれよれとした文字をしばらく見つめて、「わかった」と呟いた。

トレーナーは時間をとってごめんねと、タキオンに謝った。

タキオンは薄笑いを浮かべた。

「…精々、安静にすることだね。君には、私をもっと速くする役目があるんだから、はやく元気になってもらわないと」

トレーナーは困ったように苦笑して、わかった、ごめんねと言った。
私は、タキオンの夢を叶えてあげたいから。

「…」

いつまでも黙っているタキオンをトレーナーが心配すると、「なんでもないよ」とタキオンが答えた。

その後、いくつか近況を話し合って、タキオンは病室を後にした。

一人で調べることに限界を感じたタキオンは、いろいろな伝手に協力を頼んで回った。
理事長をはじめとする学園関係者にも、便宜を図ってもらうために、頭を下げた。
皆、驚いてタキオンのことを見て、少し気の毒そうな表情を浮かべた後、出来る限りの力を貸すことを約束してくれた。

進捗は芳しくなかった。
昔から存在する病気で、にもかかわらず現在まで効果のある治療法が確立されていない。
いくつか効果があると主張されている治療法はあるが、有意な結果があるとは考えられなかった。

それでもタキオンは、可能性がどれほど小さいものでも検証を重ね、
有望な研究をしているところに連絡してまわった。

必ず治して見せる。自分にできないはずが無い。今まで、どんなに難しいこともやってのけた。
トレーナーは自分の夢に必要なのだ。まだ一緒にいてもらわないと困る。
だから、絶対に、生きていてもらわないといけない。

タキオンは寝食を忘れて、調査を続けた。
トレーニングメニューは、トレーナーとの約束だったから、最低限こなした。

時間ばかりが過ぎていった。
病院から逐一トレーナーの症状の報告を聞くたびに、タキオンの焦りは強くなっていった。
ずっと期待をしては、失望することを繰り返していた。
調査し、誰かに連絡をするたびに、次第に頭の中での理性の声が強まってくる。

ただ、糸を手繰り寄せて、以前よりも可能性の高い線を見つけることはできている。
そういうものだ。どんなことも、途中で諦めさせてくるものが出てくる。それを退けてやっと、道の最後に到達できる。
今までだってそうだった。

忙しくしている中、理事長がわざわざ訪ねてきた。
少し苛立たしく感じながらも、世話になっているので、話を聞いた。

トレーナーの見舞いに行ってやって欲しいと言ってきた。
タキオンは、健康状態を直接確認したいのはやまやまだが、そんな暇はないと答えた。
理事長は、トレーナーがタキオンのことを心配して、不安がっていると訴えてきた。加えて、事情は重々承知しているが、
会えるうちに会いに行った方が、と言われた時点で、頭に血が上り、丁重に、お引き取り願った。

時間を無駄にした。

トレーナーの病状は悪化の一途を辿っていた。

焦りを必死に押し殺して、時間を稼ぐために最新施設が揃った病院に移させることを検討していると、
病院から連絡があり、トレーナーがまたタキオンに会いたいと、呼んでいるとのことだった。

タキオンは急いで病院に行った。

トレーナーの症状は予断を許さない状態にあった。
それでも意識だけはあり、苦しそうな表情を浮かべていた。
それを見ていると、心臓がやけにうるさくなった。

様々な管や、器具に繋がれて、トレーナーは、タキオンを見て、ぽつりと、
「隈」
と言った。

何のことかと思って、自分の目の下を触る。そう言えば、身だしなみを整えるのを忘れていたことに気がついた。

トレーナーは、タキオンの体調を心配した。

息苦しそうにしながら、途切れ途切れの声で、
トレーニングをちゃんとしているか、とか、レースのためには、そろそろちゃんとしたトレーナーに見てもらわないといけない、と言った。

出会った頃から、この人の目には狂った色が宿っていた。
このウマ娘を、自分が絶対に速く走らせて見せると、情熱を迸らせていた。
当時、その色に私はひどくそそられた。

でも今のトレーナーの目の色は、弱弱しい。
トレーナーの目には、恐怖が滲んでいた。

今の自分は、タキオンの邪魔になっていないか。
自分のせいで、タキオンは大事なレースに出られなくなるのではないか。

身体の不調が精神に影響しているらしい。

病気で苦しくて、弱気になっているのだろう。
邪魔になんかなるはずないのに。だから頑張っているのに。どうしてわからないんだろう。

トレーナーが不安そうに見上げてくる。
トレーナーは、タキオンの夢を叶えるために、今回のレースは、必要な事だからと強く訴えてきた。
そして、震える声で、
だから、これからは、新しいトレーナーの下で頑張って欲しい、
と、言った。

タキオンは、元気になれば、また元のトレーナーに戻るだろうと思った。
だから、すぐに治療方法を探しに行った方が良い。

だが、タキオンの頭の中の理性が、今のトレーナーの姿を見てから、
絶対に間に合わないと、ずっと言っていた。今を逃したら、もう会えなくなると叫んでいた。

トレーナーは、タキオンを、縋るように見上げた。涙が汗と混じって、ひとすじ零れた。

心臓が酷く軋んで痛みを発していた。
なんだろう。

トレーナーが、タキオンを見て、聞き取れないくらいの、か細い声を発した。

なんだろう、これは。

タキオンは、長い間黙った。

そして、時間をかけて、
静かに、膝をついて、トレーナーの手をとった。

「…約束する。レースに出て、一着をとる。だから、君にも見てて欲しいな」

その言葉を聞いて、トレーナーの目から恐怖が揺らぎ、そして、ほっと息を吐いた。
タキオンは、そのまま、手を強く握る。
すると、トレーナーは、目を細めて、安心するように笑って、弱弱しく、握り返してきた。

タキオンは治療の可能性を諦めた。

代わりに、次のレースでは絶対に一着をとろうと思った。
トレーナーが望んでいるのなら、絶対に叶えてあげようと思った。

安心させたいと思った。

その後、トレーナーの容態は持ち直して、嘘のような小康状態を保った。
ただ、いつ急変してもおかしくない状態でもあった。

見舞いのたびに、トレーナーはしつこく、新しいトレーナーと上手くいっているか確認してきた。
トレーニングの内容を詳しく聞きたがった。
安心させたくて、何も心配いらないとだけ伝えた。

理事長には、後で非礼を詫びに行った。
そして、次のレースに専念することを告げた。

理事長は終始沈痛な表情をして、
贔屓にはできないが、出来る限りのフォローはすると言ってきた。

会話している間、ずっと何かを言いたげにこちらを窺っているのが、どこか気に障った。

「じゃあ、また来るよ」

タキオンはそう言って、パイプ椅子から立ち上がった。

「トレーニングで忙しくなるから、これからは頻繁に来られなくなるが」

トレーナーは、ちゃんと言うことを聞いてあげてねと言った。

「聞かない理由はないね。約束は守るよ。絶対に一着をとってみせる」

タキオンならできるよと言うトレーナーに、タキオンはニヒルな笑みをしてみせた。

「当然だ。君は、ここで待っているだけでいい。今の君にできるのはここで安静にしていることだけさ」

そうだね、とトレーナーが答えた。

新しいトレーナーは優しそうな人間だった。
結果を何度もあげている優秀なトレーナーだと理事長に紹介された。

新しいトレーナーはタキオンのことを気遣わしげに見て、
君の事情は聞いているし、前任からタキオンについての共有は受けている、
だから万全のトレーニングを用意できるだろう、
今は病床に伏せている彼女のためにも、次のレースは、絶対に一着をとろうと言ってきた。

タキオンは、こいつのことは嫌いだと思った。

トレーナー面をしてほしくなかった。
こいつが自分の走りの癖を知っていることが我慢にならなかった。

絶対に一着をとるだなんて、言われるまでもないことを、
どうしてこいつに言われなくてはならないんだろう。

どうしてこいつは、ここにいるのだろう?

新しいトレーナーは笑顔を浮かべた。タキオンも笑みを浮かべた。

タキオンは、素直にトレーナーの言うことを聞いて、トレーニングに打ち込んだ。

そして、夜に抜け出して、追加のトレーニングをした。
睡眠時間を削って、自分を痛めつけるようなトレーニングを、毎日行った。

絶対に一着をとらないといけない。
トレーナのために、絶対に一着をとらないといけない。

速く走らないといけない。誰よりも速く走らないといけない。
誰よりも、速く、走らないと。
誰よりも。

脚に少し違和感を覚えるようになった。
冷却スプレーをかけながら、誰かにこのことを気付かれたら面倒だなと思った。
前に同様のことで、少し気取られかけたことがあるから、注意しないといけない。

あの新しいトレーナーには大丈夫だろうと思った。
腕は悪くない。トレーニングの内容は、共有を受けたおかげもあるだろうが、
的外れではない。

ただ性格が大雑把で、細かい部分を気にすることをしない。
方針はほめて伸ばすことにしているらしく、下品に笑いながら
調子のいい事ばかり言っている。

現に、自分が毎日勝手に自主トレーニングをしていることに全く気がついていない。

タキオンは、脚を眺めて、ゆっくりとさすった。
どうだっていい。次のレースに勝ちさえすれば、もうどうだっていい。

絶対に一着をとる。

レースまで時間がないのだから、無理をしないといけない。

新しいトレーナーは、病室をたまに訪ねているらしい。
不愉快に感じながら何をしに行っているのかときくと、トレーニングの進捗具合の報告をして、
タキオンのことを褒めちぎって、次のレースは一着間違いないですよとのたまっているらしい。

相性バッチリだもんなと笑うこいつの姿はこの上なく不愉快だったが、
直接本人から上手くいっていることを告げられた方が安心できるだろうと、放置した。
一応トレーナーの方に探りを入れたが、悪い印象は無さそうだった。

レースへの準備を進めた。
最近、あまり夜を眠れなくなった。原因はよくわからない。
だから、眠れない分だけトレーニングに時間を費やすことにした。

多少の身体の不調は、薬で誤魔化した。

今日、トレーニングの前に、胃の内容物を吐き出した。
よく分からない色の液体がトイレの中に落ちた。
どうやら身体の不調は深刻らしい。

薬の量を増やすことにした。
トレーニングでは、上辺を保って、不調に気付かれないよう極力気を付けた。
少し怪訝に思ったようだったが、レースを前にして不安なのだろうと思ったのか、
大声でタキオンのことを励ますので、頭の中に響いた。

追加の自主トレーニングの途中、脚が妙にむずがゆかった。
タキオンは苛立たし気に、脚を叩きつけるように、何度も、地面を勢いよく踏みつけた。

「タキオン」

後ろから、声がかかった。振り返ると、ルドルフがそこにいた。

「…」

タキオンがルドルフを見ると、気圧されたようにルドルフが一瞬だけ押し黙り、
その後、「…頑張っているようだな」と、続けた。

無視してタキオンがトレーニングに戻ろうとすると、
ルドルフが「…いつも、そんなトレーニングをこなしているのか?」と聞いてきた。

「…」

「随分と過酷なトレーニングをしているようだ…まるで、自分を痛めつけているようにも見える」

タキオンの頭が酷く痛んで、また吐き気がしていた。
はやく会話を終わらせたかった。

「…このことを、君のトレーナーは把握しているのか?」

「…どっちの?」

「…は」

「…どっちのトレーナーのことを今言ったんだ?」

「…」

ルドルフは、少し逡巡したが、タキオンに向かって言った。

「…ハードワークは、非効率的だと思わないか?」

「…場合による」

「故障にもつながりやすい」

「だろうね」

タキオンの頭の痛みが強くなっていく。

「だったら…」

「…君も、出るんだろ。次のレース。だったら、好都合じゃないか。敵が都合よく減るのなら」

「私がそれを喜ぶと思うのか?」

「さあ…」

タキオンは、吐き捨てるように言った。

「知ったことじゃない」

頭の痛みが強くなっていく。

苛々とする。
どうしてしつこく話しかけてくるんだろう。
どうして真っ直ぐにこちらを見て、何かを伝えようとしてくるのだろう。
いらない。何もいらない。

「…トレーナー君がさぁ、トレーナー君が、私の一着を望んでいるんだよ」

私にこれ以上話しかけてくるな。吐き気がする。

「私はそう決めたんだ…だから…一着をとらないと…」

トレーナー君は、何て言っていたっけ?

「負けない。誰にも負けない。絶対に、絶対に」

彼女のために、私は。

「トレーニングをしないといけないんだ」

苦しい間は、何も考えずに済む。何もかもを。全部。

「だから、邪魔をしないでくれよ」

私は、だから、なんで、私は。

「私は…」

ルドルフは痛まし気にこちらを見ていた。

それでも彼女は、口を開いた。

「何のために君は走るんだ?」

「知らない」

約束したから。

彼女は私が走る姿を、いつもキラキラとした目で見つめた。
走り終える私に駆け寄って、お疲れ様、と笑顔で迎えてくれた。
いつも熱を込めて私に語る。

私も、あなたと一緒に果てが見たい。
その手助けをしたい。

私は、いつもその熱にあてられていた。

昔から、私は一人だった。
それでもよかった。私には大事な夢があったから。
誰にも理解されなくてよかった。私だけが理解していればよかったから。

誰かが、私と一緒に歩いてくれるなんて、思ってなかった。
私と、一緒に、ずっと。
ずっと。

一緒に。

レース当日。
タキオンのコンディションは最悪だった。
頭が痛くて、身体が重くて、脚が痛くて、
まともに走れるとは思えない状態だった。

流石に新しいトレーナーも、その状態のタキオンに気がついていた。
怒るかなという予想に反して、すまないと、力不足を謝られた。
彼女に合わせる顔が無いと、ずっと俯いていた。

悪い人間じゃないと、思った。
少し、申し訳なかった。

レースを辞退するかという申し出に対して、タキオンは首を振った。
絶対に一着をとると言い張った。


自分は一体、何がしたかったんだろう。
馬鹿そのものだ。

無駄に身体を痛めつけて、忠告も無視して。
自分を心配してくれる人も、力になってくれる人も無視して。
こうなることが分かっていながら、負けないと喚きながら、間違った方向にずっと進み続けて。

こんなに酷い状態で、レースに臨んで、
それでも、一着を取る気でいる。

スタート地点に進んだ。ルドルフがタキオンのことを少し窺っていた。

タキオンは、ぼんやりと、考え事をしていた。

どうして私は走るんだったっけ?

思い出せない。もう忘れてしまった。大事な事だったのに。
どうして大事だったのだろう?

ただ、あの人のことだけが思い浮かんでくる。

あの人の声が、表情が、私に笑いかけて、話してくるあの人のことが。
一緒に悔しがった。一緒に笑ってくれた。一緒にいてくれた。

一緒に夢を見てくれた。

私がレースに負けると、自分のことのように悔しがってくれた。
私がレースに勝つと、とても喜んでくれた。

私の走る姿が、好きだったあの人のために。

勝ちたい。
またあの人の喜ぶ顔が見たい。

あの人がこのレースを見ている。
また、あの笑顔が見たい。
また、前みたいに、私に向かって、
心から笑ってほしい。


勝ちたい。勝ちたい。勝ちたい。勝ちたい。勝ちたい。

勝ちたい。


ゲートが、開いた。

…真っ白な世界から引き戻される。

前には、誰も存在しなかった。

会場の異様などよめきと歓声が、耳に入ってきた。

後ろを見ると、二着以降のウマ娘が、信じられないものを見る目でこちらを見ていた。

どうやら、一着を取ったらしい。

脚が酷く痛んだ。

大勢の人間が、客席から身を乗り出して大声を上げていた。

その光景に、何の感慨も浮かばなかった。
ただ、夢から醒めた後のような不快を感じた。

トレーナーに会いたかった。

タキオンは、ふらふらとした足取りで、外に出て行った。

病院に辿り着いたタキオンは、病室の前で、少し立ち止まった。
いつものように、いつもの自分を思い出してから、無造作に扉を開ける。

「やあ、トレーナー君。見てくれていたかな?」

「タキオン…」

トレーナーが驚いて、タキオンを見た。

「君の感想が聞きたくてね。レースが終わって、すぐに駆けつけてきたんだよ」

トレーナーは少し黙って、「そっか」と呟いた。

「椅子に座らせてもらうよ。えらく草臥れたんだ」

タキオンはパイプ椅子を取り出して、そこに座った。

備え付けのテレビに、今日のレースの様子が映っていた。

「録画してたの。それで、何回か見直してた」

「…ふぅン?何か気になる点でも?」

「いや…うん…」

テレビ画面に映るタキオンの走りは、完璧だった。
身体の不調も、脚の痛みも、全く感じさせない、狂気的で、圧倒的な走りだった。
終始他のウマ娘に寄せ付ける隙を与えず、一着を危なげなく獲得した。

トレーナーはじっとそれを見ていた。

「…トレーニング内容を聞いてもいい?」

「…ああ、いいよ」

タキオンは、表面上のトレーニング内容を教えた。
トレーナーは考え込んで、またテレビ画面に映るタキオンのことを見つめた。

タキオンは少し焦れったくなった。

「おーい」

「…」

「トレーナー君?」

トレーナーはぼんやりとしていた。

「どうしたんだい。ちゃんと約束を果たしてきたんだよ?君のことだから、もっと興奮してくれると思ったのに。ああ、病人が興奮したらまずいか。なあ?」

「…」

トレーナーは画面上のタキオンを眩しそうに見つめながら、ぽつりと、
「凄かったよ」と、こぼした。

「…そうだろう?」

「今までに見たことが無い走りだった」

「うんうん」

「あのトレーナーさん、やっぱり、結果を残しているだけはあるんだ」

「…まあ、腕は悪くないと思うがね」

「私には、こんな走り、引きだせてあげられなかったな」

「…?」

「私ね…あの人とタキオン、本当は、反りが合わないんじゃないかって、思ってたんだ」

「…」

「そんなことはなかったけど。そう思いたかっただけなのかも」

「…」

「…私、駄目なトレーナーだったね」

「…は?」

かすれて、絞り出すような声だった。

トレーナーの眼から、涙がボロボロ零れた。
それを拭って、悔しそうに、唇を噛みしめて、俯いた。
それからトレーナーは、しゃっくり混じりに、恥じ入るように呟いた。

「…本当は、一着を取って欲しく、なかった。私以外の手で、一着をとるタキオンなんて、見たくなかった」

「…」

「あの人が、タキオンのことを、話すたびに、胸が痛くて、大丈夫だって言うタキオンを、見るたびに、辛くなって、
あの人とタキオンが、今、一緒にいるんだって思うと、それで、自分だけ、ここにいると、寂しくて、グチャグチャな気持ちになって、タキオンが、負けてしまえばって」

トレーナーは、消え入るような声で呟いた。

「…タキオンには、私がいないと、駄目だったんだって、最後くらい、そう、自惚れたかった」

トレーナーは、叱られている子供のように頭を抱えて、小さくなってうずくまった。

「…ごめんなさい…ごめんなさい…ごめんなさい」

肩を震わせて謝り、泣き続けた。
酷い裏切りをしてしまったかのように。

「…」

どうして?

どうして泣くんだ?

どうして笑わないんだ?

どうして褒めてくれないんだ?

頑張ったねって、私の自慢のウマ娘だって、
どうして言ってくれないんだ?いつもだったら言ってくれるのに。

私の手を取って、嬉しそうに笑ってほしかった。
タキオンはやっぱり凄いねって、自慢げに言ってほしかった。
私の目の前で、呑気に笑っていてほしかった。

またお祝いがしたかった。そこでなら、今なら、つっかえて言えなかったことが、言えると思った。
いろんな話を、聞いたり、喋ったりして、それで、前みたいに、楽しく、話が、できたら、って

子供のように震えて縮こまるトレーナーを見て、
タキオンの頭の中で、何かが切れる音がした。

気がついたら、力づくで、トレーナーをベッドに押し倒していた。
両手を抑えられて、驚いた表情をしているトレーナーの、
涙で濡れて、見開いた目が、間近にあった。

タキオンは、何かを言おうとして、少し、喉でつっかえた。

「どうして、泣くんだ」

私が、言いたいこと。

「そんなことのために、頑張ったんじゃない」

たくさん、あった。

「わ、私は、ただ」

たくさん迷惑をかけた。たくさん振り回した。たくさん世話になった。

「君と、いられ、て」

本当は甘えていたかった。頼られたかった。自慢に思われたかった。

「夢を、一緒に、見ら、れて」

一緒に夢を叶えたいと思えた。この人と一緒に喜びたいと思った。分かち合いたいと思った。

「嬉しかっ、た」

離れたくなかった。
ずっと、一緒に、いたかった。

ずっとこらえていた涙が、こぼれて、トレーナーの頬にぽたぽたと落ちた。
トレーナーの涙と混じって、流れていく。

涙が、止まらなくなった。

タキオンが抑えていた手を放すと、トレーナーが、手を伸ばして、タキオンを抱きしめた。
トレーナーは震える声で、ごめんねと、耳元で囁く。

そして、タキオンの頭を優しく撫でた。
愛おしそうに、何度も何度も、ゆっくりと撫でつけた。

タキオンは、嗚咽を漏らして、
しがみつくようにトレーナーを抱きしめて、泣きじゃくった。

タキオンは、研究も、走ることも、やめた。
最後まで、トレーナーの側にずっといることを選んだ。

ある日、トレーナーの容態が急変して、治療の甲斐なく、そのまま亡くなった。

息を引き取る前に、トレーナーは、タキオンと二人きりにさせて欲しいと言った。
タキオンは、トレーナーを安心させるように、ずっと手を握っていた。
最後に二人は、いくつかの、言葉を交わした。

タキオンはそのまま、彼女の最後を見送った。

数年後、タキオンは理事長の計らいで学園の教師になった。
タキオンは、真面目に教師活動を取り組んだ。

生徒に知識を叩き込んで、時には生徒の悩みに力を貸す。
生徒から、面白い先生だと人気になった。
少し変なところもあるが、大人っぽくて、憧れの先生だという声も多かった。
タキオンは、楽しそうに、教師生活を送っていた。

タキオンは時々、グラウンドに立ち寄って、
トレーニングに明け暮れるウマ娘たちを見つめる。

「…」

そのうち視線をふいっと外して、その場を後にする。

幸せに生きて、と、最後に言われた。
だからタキオンは、それに従うことにした。


たくさんの思い出と後悔に、囲まれて。

終わり
ちょっと不幸にし過ぎた

最後は心を通わせたいなぁ…えい!えい!ってしてたら夢と未来が消し飛んだ
しかもオチを付けたら最後の最後ですれ違った
泣きながら夢オチエンドを書いた

せっかく書いたのでちょっと後で夢オチエンドを投下します
いらない場合は無視で大丈夫な奴です

「はっ。朝か」

ただの仮眠のはずが、つい寝すぎてしまった。
URA決勝のための対策がまだ終わってないのに。

「はー…また今日も徹夜かな」

ソファで寝ていたせいか、妙に夢見心地が悪かった。
何の夢を見たかは覚えていないが、凄く嫌な感じだったな…。

「今日の予定は…」

午前にトレーナーミーティングがあって…その準備と…メインのタキオンのトレーニング。
まずはタキオンのための弁当を作らないと…ワンパターンだと文句を言うので、今日のはどうしようかな…私のは適当におにぎりでいいか…。

起き上がろうとして、タキオンが私に抱き着いていることに気がついた。

寝苦しいと思ったら…タキオンの肩をゆすって起こす。
そういえば、どうしてここにタキオンがいるんだろう?

無断外泊…無断外泊かなぁ…また謝らないと…。

「タキオン?タキオン」

なんだか様子がおかしい。
寝ているわけではないらしい。
いくら肩をゆすっても動かない。

そういえば彼女がこうして密着してくるのは珍しい。
実験でもこうして抱き着かれたことはあまりない気がする。

まあ何か理由があるんだろう。
私はタキオンごと立ち上がって、朝支度の用意をした。

「…私を無視する気かい?」

「ごめん…今日は忙しくて…」

「仕事と私とどっちが大事なんだよ…」

朝一で面倒くさいこと言われてもな…。

「タキオンのことが大事だから仕事も頑張るんだよ。ほら、引きずられたくなかったら、立ち上がって」

タキオンは二本足で床に立ち、そのまま私の真正面から抱き着いてきた。

「えぇ…」

「…」

「あの…抱き着かないと駄目?」

「…」

「うん…じゃあ…せめて後ろから抱き着いてくれないかな?このままじゃ歩けないから」

「…」

ずりずりと移動して後ろからにしてもらった。
言うこと聞いてくれるんだ…。

どうしたんだろタキオン…心配だな…あ…時間ない…やばい…。

とりあえずこのままで身支度をすることにした。

「ほら、タキオン。今日はタコさんウィンナー入れちゃうよ~。おいしそうだね~」

「…」

「あ!この人参お花さんだね!きれいだね~」

「…」

反応がない…。

弁当を詰めて、きゅっと布で包む。
自分用のおにぎりも作ったし…弁当をここでタキオンに渡せれば時間がいつもより短縮できて…あ、着替えてない…。

「あの…タキオン。私、着替えたいから、一瞬だけ、いいかな…?」

「おい…なんだこのおにぎりは…」

「え?わ、私のお昼ご飯…」

「なんだと…?ふざけているのか…?」

「ご、ごめんなさい…」

「こんな食生活だから…病気になるんだ…」

何の話だろう…。

「…うっ…ぐっ…」

…。

泣いて…泣いてる!?

「どうしたのタキオン…何があったの!?」

「ちゃんと栄養バランス考えろよぉ…」

「すみませーん!今日のミーティング休みまぁす!」

ついでに学園側にもタキオンが欠席することを伝えた。
まあどうせいつもサボってるけど…ああ…嘘をついてしまった…心苦しいな…。

でも仕方ない。なんたって、タキオンの異常事態なんだから。
タキオンが泣くなんて…初めて見た…ここからじゃ見えないけど…タキオンは私の服でゴシゴシ涙を拭いている。後できれいなハンカチを渡さなきゃ。

「タキオン…一体どうしたの?何があったの?話せる?」

「…」

「話にくい事なのかな…?無理はしなくてもいいけど…私にも話辛い?」

「…」

「え?なになに?」

「…悪夢を見た」

「…そっか」

お母さんに泣きつく幼稚園児みたいだな…。

「酷い悪夢だったよ…この世の地獄を見た…」

ミーティング休んじゃったな…。

「どんな悪夢だったの?」

「…言いたくない」

「…」

「ううん…じゃあ、どうしたら怖いのが無くなるのかな?」

「怖いわけでは…ふぅン…まあ…一日は続ける必要があるだろうね」

「私にも仕事があるんだけど…」

「だから私と仕事とどっちが大事なんだよ」

「そんなこと言っても…貴方のことも仕事に含まれてるし…」

「えー!?君は仕事として私の相手をしているというのか!?」

面倒くさい事言い出した…。

でも段々元気になってきてるような…相変わらず後ろから思いっきり抱き着いてきてるけど…。
耳元で叫ばれるとちょっとうるさい。

「URA決勝に向けたトレーニングだってあるでしょ?」

「体力がギリギリだから失敗の可能性がある」

「何言ってるの…わかるけど…じゃあまあ今日は休息にしようかな…」

「うん」

「お腹空いてない?折角だからこのお弁当食べる?」

「いただくよ」

このままの体勢ではタキオンが食べ辛いので、私の膝にタキオンが乗る形で食事をすることに落ち着いた。

「ふぅン…カラフルな見た目じゃないか…」

いそいそと弁当を食べようとするタキオンを尻目に、私もこの際だからお腹に物を入れようとおにぎりを手に取ると、
タキオンが動きを止めて、凄い眼でこちらを睨んできた。

「え?なに?」

「…おい。何をしている…?」

「お、おにぎりを食べようと…」

「だから栄養バランスを考えろと言っているだろう!!ちゃんとした朝ご飯を食べろ!!」

今日のタキオンの地雷が分からない…。

「でもまた作りに立つのもなぁ」

「君はその体たらくで今まで私の食生活に文句をつけてたのか?」

「ぐうの音も出ないけど…忙しくてどうもね」

「ハァ…いいか?明日から二人分の弁当を作るんだ。いいな?」

「結局私が自分で作るんだね…タキオンが心配して言ってくれるんなら、素直に従うけど」

「心配…うぅん…まあ…心配してる…」

「どうしちゃったのタキオン?」

「…まったく!君は私の弁当は苦も無く作るのになぁ!どれだけ私のことが好きなんだか!」

「やっぱり変だよ今日のタキオン…」

妙にもじもじして、頭の耳がぴょこぴょこ動いている。可愛い。

その後もうタキオン食べ始めちゃったしそれならこの弁当を食べろいやそれはタキオンのために作った弁当でつべこべいうななどとひと悶着があって、
二人で弁当とおにぎりを分け合って食べることになった。

「栄養バランス考えて作ったのに…いつもなら人に譲らないのにどうしちゃったのタキオン…」

「君が自分の分を作らないのが悪い。反省したまえ」

ほら、あーんと弁当の中身を口に持ってこられて、
なんでナチュラルにあーんしてるんだろ…?やっぱり今日のタキオンおかしいな…と思いつつ満更でもなかったので、
特に指摘せずに食べた。我ながら美味しかった。

「どうだ?美味いだろう?」

「美味しいよ。ありがとうタキオン」

「ふぅン。礼には及ばないさ。ほら、今度は君の番だ」

「はい、あーん」

「もぐもぐごくん…ハッハッハ!」

なんで笑うんだろ…?ウマ耳が忙しなく動いていた。尻尾もバサバサ動いて私の顎をかすめている。

楽しい食事を続けた。

食事を終えて、片付けのために立ち上がろうと、タキオンの位置をまた私の背後にずらして、流しに立った。
移動するたびに面倒くさいな…くっついてくることに対しては正直に言うと悪い気してないけど…。

「どう?お腹いっぱいになって立ち直った?」

「なんだよ…さっさと離れて欲しいのか?面倒くさそうにするなよ…」

面倒くさいよ…今日のタキオン面倒くさいよ…。

「そうやってると貴方も研究ができないでしょう?」

「…今日は研究する気が起きない」

「え?タキオン?」

思ったより重症だな…たかが夢のことで…。

いつも些細なことでやる気が下がってトレーニングに支障をきたすけど、
ここまで深刻だと少し心配になる。

元気出してほしいな…ううん。

「…わかった。今日は薬を五本まで飲みます。グイっといっちゃうから、好きなの持ってきてよ!」

「そんなことして君の身に何か起きたらどうする…」

「嘘でしょタキオン!?」

そんなに?夢でそんななるの?

いつも私のことをモルモット呼ばわりしてくるタキオンが…?

「本当にどんな夢見たの…?流石に心配になってきたんだけど…」

「今までは心配してなかったのか?」

うわー面倒くさい。

「いやでも、ほら…なんだかんだ言って、今までだって薬の安全性は最低限考慮してくれてたんでしょ?ね?」

「おおよそは」

私はおおよそで今まで無事だったの?

「害はない。ないが…今の私には何もわからない…」

そう言ってタキオンはしょぼんと項垂れる。
尻尾がパスパスと力なく床に擦れる音がしていた。

「…そんな自信のないタキオン、見たくないな。どうしたら元のタキオンに戻ってくれる?」

「…」

「私、いくらでもタキオンの力になるよ。タキオンが辛いと、私も辛いから」

「…」

「何だって私に言ってくれていい。私たち、今まで一緒に頑張ってきたでしょう?」

「…」

「もちろん、言いたくないことなら無理には聞かないけどね。そっとして欲しいなら、そうするよ」

「…」

「…」

「…誰にも…言わないでくれるか…?」

「うん」

「…」

「…」

「…君が…死ぬ夢を見たんだ…」

…夢と現実は区別しようよ。

「悲しくて…君の顔が見たくなって…」

いよいよお母さんに泣きつく幼稚園児みたいなこと言ってるな。

「原因不明の病気で…どうしようもなくて…」

タキオンの薬が原因だったんじゃない?

「なあ。今何を考えている?なあ」

「ご、ごめん…ちょっと予想外で…」

私を後ろから抱きしめるタキオンの腕の力が強まった。
しばらくタキオンの尻尾が床に擦れる音が続いた。

うーん…。

私は水を止めて、手を拭き、
そしてソファに向かった。タキオンも抱き着いたままついてくる。

ソファに座る。
タキオンを私の膝の上に座らせた。なぜか向かい合っている。いや別にいいけど。
目の前にうつむき気味のタキオンの頭が見える。

今なら撫でさせてくれるかな?
私はそっとタキオンの頭に触れ、優しく撫でた。
タキオンは特に抵抗しない。

「怖かったね」

私は笑いながらタキオンの頭を撫で続けた。

タキオンは私の顔を上目遣いにじっと見た。
そしてまた俯いて、私の胸にぎゅっと抱き着いた。

「今日は一日こうしてゆっくりしてようか」

「…君、仕事とかいいのか?」

「今更だね。いいよ。最近働きづめだったし、病気になってタキオンを心配させたくないもんね」

「…明日は元通りになるから」

「うん」

「…今日だけはこうさせてくれ」

「わかった」

「…明日以降は今日の記憶を忘れてほしい」

「努力はするよ」

「…」

「…」

「…いつもありがとう」


言葉通り、翌日からタキオンはいつもの調子に戻った。
ただ、その日以降の薬に健康成分がふんだんに混ざるようになって、とてつもなく不味くなった。

終わり
なんとかハッピーエンドになった

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