式波・アスカ・ラングレー「またね、シンジ」 (8)

「なんとかしなさいよ! バカシンジ!!」

衛生軌道上に安置された初号機奪還を目的としたUS作戦で、Code.4Bに苦戦を強いられた私は咄嗟にその名前を叫んでいた。

それに応えるように初号機が格納されていた黒い箱に亀裂が生じ、中から光が照射されて4Bを追跡し、そのコアを破壊して撃破した。

ほんの12秒ほどの、出来事だった。

その光景を間近で目撃した私は、目の前の現実を認識出来ず、情けないことに惚けた。
見惚れてしまったのだと、あとから気づく。

心臓の音だけがやたらうるさく響いて、やかましいことこの上ない。ほんと、嫌になる。
コネメガネに3秒早いと指摘された時から薄々気づいてはいたけど、私は、やっぱり。

自覚した思いは質量を得て、赤くコア化した地球の重量に引かれ、大気圏に再突入する。

初号機と共に、真っ逆さまに空へと落ちる。

もう離さないように。離れたくないように。

回収地点に着陸し、回収班を待つ時間が、途方もなく長く感じて、はしたないと思った。

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「アスカ! 良かった……無事だったんだね」

初号機のエントリー・プラグ内からサルベージされたシンジは、あの時から変化がない。
そんなことは最初からわかっていたけど、だからこそ強く失望した。故に、殴りつけた。

私とシンジを隔てる分厚いガラスにヒビが入り、拳が痛かった。なにより胸が痛かった。
私だって再会の喜びを分かち合いたかった。

けれど、すぐ近くには加持リョウジを喪ったミサトが居て、父親を喪った鈴原サクラの姿もある。赤城リツコの観察するような視線も無視は出来ない。私は監視されているのだ。

そうした理由の他にも、まるで不慮の事故から奇跡的に生還した友人を見つけたような、完全に他人事のシンジの態度に泣けてくる。

言いたいことは山ほどあった。
本当は、ただいまと言いたかった。
アタシが死ぬわけないでしょとか、アタシに会えてそんなに嬉しいんだとか、言いたい。

けれどもう、そんな軽口は叩けないのだ。

ガラス越しのシンジの困惑した情けない表情を見るに、やはり何も自覚してはいなくて、誰も何があったのかを教えようとはしない。

「あれから14年経ったってことよ」

かろうじて、せめてそれだけを伝えると、赤城リツコの視線が刺さった。釘を刺された。
余計な情報を与えて、下手に責任を感じさせると、何をしでかすかわからない。だけど。

これじゃあ、あんまりじゃないの、ミサト。
こんな、何も知らない子供を閉じ込めて、アンタは何もするなと言って、どうするのよ。

そして私は一体どうしたいのか、自問した。

「ワンコくん、大人しくお座りしてた?」
「何も変わらず、寝癖で馬鹿な顔してた」
「その顔、見に行ったんじゃにゃいの?」

コネメガネに尋ねられ、見たままの印象を伝えると、見透かしたようなことを言われた。
自分はいったい、シンジになにを求めていたのか。開口一番に、何を伝えたかったのか。

少なくとも、あんなに冷たく接するつもりはなかった。けれど、どうしようもなかった。

シンジは私の無事を喜んではいたけれど、自分こそが当事者だとは自覚していなかった。
シンジにとっては一緒に事故に巻き込まれて、私だけが重傷だったようなものなのだ。

それが癪に障ったことは間違いなく、ならば当事者意識を持って貰えばそれで満足だったのか。それも違う。そんな同情は要らない。

シンジがごめんと謝ってきてもそれはそれで癪に障って、私は殴っていただろうと思う。
3秒早い。あと3秒だけ我慢すれば良かった。

それだけで、何か違っていたかも知れない。

そこでようやく、私はシンジよりも自分のほうが準備出来ていなかったことに気づいた。
会いたい、顔を見たい気持ちが急いて、早まって、それでも会えて良かったと感じてる。

そんな自己矛盾に自己嫌悪して、だからそのあとすぐにNERVの零号機にシンジが連れ去られたことに、どこかほっと安堵していた。

「邪魔しないでよ、アスカッ!!」
「女に手をあげるなんて、最ッ低……!」

再会したシンジはまたエヴァに乗っていた。
あれほど乗るなと言われたのに、あれほど辛い思いをして、傷ついたのに。ほんとバカ。

結局、ミサトが正しかった。それが悔しい。
この世界の惨状とその原因が自分にあると知れば、シンジはエヴァに乗ってしまうのだ。

利用され操り人形と化していると知らずに。

そして私はまた肝心な時に止めてやれない。
前と違って今度はこの場に存在するのに、あのバカを止められない。きっとまた傷つく。

そこでようやく、何をすべきかを理解した。

シンジを甘やかすことは私の役目ではない。
私には、私にしか出来ないことがあるのだ。
シンジを叱り、怒鳴りつける、嫌な役目だ。

しかし、それはきっと、私にしか出来ない。

私がやらなければ、シンジはダメなままだ。
もう救いようがないように見えるけど、それでもまだ、コイツの可能性を信じたかった。

「立ってるくらい自分で出来るでしょ!?」

結局、フォース・インパクトは未遂に終わり、シンジを回収した私はサバイバル・キットを背負わせてやり、そして檄を飛ばした。

そうすることが、自分の役目だと、信じて。

「いきなりケンケンと呼ばれて、驚いたよ」

なんとか第三村に辿り着き、シンジと一悶着があり、アイツが家出してから相田ケンスケが苦笑混じりに苦言を呈した。素直に謝る。

「ごめん。でも、こうするしかなかった」

シンジと親しくならないように、遠ざける。
それには理由が必要でケンスケを利用した。
じゃないとシンジと私も一緒にダメになる。

「碇は愛されてるな」

どうだろう。私はシンジを愛しているのか。
違うと思う。私はシンジに愛されたかった。
それは温かな感情ではなく、冷たい感情だ。

「ケンスケ」
「なんだよ、改まって」
「これが本当にアイツの為になると思う?」

自信がなくて尋ねると、相田ケンスケはまた苦笑して、彼なりの言葉で励ましてくれた。

「結果的に碇のためにならなかったとしても、だからと言って何もしなければ式波はあとから絶対に後悔する筈だ。だからやるだけやってみればいい。ただ見返りは求めるな」

うんと頷いて、無性に家出したシンジが気になり、周辺を捜索するとすぐに見つかった。
NERV本部跡の廃墟に座り込むシンジをこっそり伺い、傍らに寄り添いたくなる気持ちをぐっと堪え、立ち去った。馬鹿みたい、私。

「アスカ、僕も行くよ」

家出したシンジが帰ってきて、しばらくケンスケの仕事を手伝って、そして初期ロットを看取り、自分もヴンダーに戻ると口にした。

未調整の初期ロットが長くは保たないことは最初からわかっていたことだったけれど、だからと言って設備や薬のないこの第三村では処置出来ず、初期ロット自身もNERVへ戻ろうとせず、だから、どうしようもなかった。

14歳のままのシンジなら、その現実を受け止められずに喚き散らしていただろうけど、今のシンジはその喪失をしっかり受け入れた。

私が使徒に侵食、寄生され、使徒として処理せざるを得なくなった時、当時のシンジは選択から逃げた。選ばないことを選んだのだ。

同じくえこひいきが使徒に取り込まれた際には救うことを選んだ。けれどそれが原因で世界は壊れ、現実に絶望し、挫けてしまった。

今の成長したシンジならどうするだろう。
今更、訊ねる気はなく、必要も感じない。
その答えはこの目で見届けると決意した。

「じゃ、これ規則だから」

テーザー銃を突きつけて、引き金を引いた。
意識を失い倒れ込むシンジを相田ケンスケが抱えて苦笑した。いつも苦笑させてしまう。

「運ぶの手伝ってくれて、ありがとう」
「碇は俺の友達だからな」

たぶん、物欲しげな目をしていたのだろう。

「もちろん、式波も俺の友達だよ」

友達。ずっと欲しかったもの。憧れの関係。

「碇のこと、頼んだぞ」
「ん。善処する」

私は私に出来ることをする。それ以外のことは他に任せる。全て独りでする必要はない。
それを理解出来る程度には私も成長してる。

「ちょっと、寄り道するわ」

碇ゲンドウとの決戦に赴く前にシンジに伝えたいことがあった。同行したコネメガネは、コネメガネにしか出来ない布石を打った。

私は寄り道の目的である問いを投げかけた。

「なんで私が殴りたかったかわかった?」
「僕が何も選ばなかったから」

望む答えを得て満足した。あとはついでだ。
私は私だけが伝えられる私自身の気持ちを、シンジへと伝える。照れや迷いはなかった。

「アンタのこと、たぶん好きだったと思う」

なんとなく、これが最後になる予感がした。
鈴原サクラによると、シンジは目の前でチョーカーが爆発してその死を目撃したらしい。
それを踏まえると、やはり私の態度は失敗で、もっと優しくするべきだったかも知れないけど、それでも私には私の役割があった。

ここで気持ちを伝えるのも、私の役目だ。

「あれで良かったの?」
「すっきりした」

言葉通りに、一切の後悔や未練はなかった。
もともと私は使徒に寄生された時点で半分死んでいるようなもので、いつ死んでもいいと思っていたけど、US作戦の時、シンジの名前を叫んだことで自分に悔いが残っていたことを自覚した。だから今、それを解消した。もうこの後の決戦で戦死しても悔いはない。コネメガネも茶化すことなく納得してくれた。

私はどうなってもいい。ただシンジのために。

人を捨て全力を出し尽くし、今度こそ死を覚悟した私は気がついたら大人になっていた。
傍らにはシンジが座っていて、裂けたプラグ・スーツから覗く肌を隠そうと寝返りを打ち、自分が恥じらっているのだと自認した。

「僕もアスカのこと、好きだったよ」

シンジに好きだと言って貰えて嬉しかった。
自分にしか出来ないことを見つけたシンジが、今度こそ私を助けてくれて、嬉しい。

頑張った甲斐があったと思った。見返りは求めるなと言われていたけど、やっぱりご褒美があると報われた気持ちになれる。幸せだ。

「ちょ、アスカ、何漏らしてんのさ!?」
「……こっち見ないでよ」

いけない。止めないとと思えば思うほどに溢れてくる。恥ずかしくて死にそうだけど、どうしようもないじゃない。好きなんだから。

「私の嬉ションよ? ちょっとは悦んだら?」
「フハッ!」

シンジの哄笑を聞きながら、私はエントリー・プラグごと第三村へと送り届けられた。

『フハハハハハハハハハハハッ!!!!』
「もう……黙ってなさいよ、バカシンジ」

役割をこなし、やり終えた達成感が高笑いの残響と共に胸に残っている。終わったのだ。

「お疲れさん。それで、首尾は?」
「上々よ」
「そいつは結構」

たまたま近くに不時着したこともありケンスケの手を借りてエントリー・プラグを出る。
詳細を話す前に、ケンスケにお願いをする。

「シャワー貸して。あと、着替えも」
「やれやれ。碇は本当に罪な男だよ」

ケンスケの苦笑に釣られて、くすりと笑う。
シンジはたしかに罪を犯したかも知れないけど、私はもう、それを笑って許せるくらいに成長したことが実感出来て、誇らしかった。

「またね、シンジ」

またどこかで、シンジと出会えることを夢見て、エヴァの存在しない世界で生きていく。


【アスカ、嬉ションの向こうに】


FIN

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