涼宮ハルヒにキスされた翌日と言うとなんだか後日談のようだが、では当日がどんな1日だったかと言えば何の変哲もない日常だった。
いつものように登校し、いつものように授業を聞き流し、そして放課後いつものように変人集団がたむろする元文芸部室へと向かう前に、ここ最近日課になりつつある勉強をしていた。
頼みもしないのに俺の専属講師となった涼宮教諭の指導は、時に身も蓋もないことを言われる以外、特に不満はなく、概ね良好だ。
わざわざ作ってくれたハルヒ謹製の問題集を解き、間違ったらシャーペンでチクチク刺されることすらも特筆するに値しない日常である。
そんな穏やかな勉強風景に茶の間が凍るようなおかしなシーンが訪れたのは、ハルヒが出題した図形問題について不明な点があったのでそれについて尋ねている時のことだ。
隣に来て問題の図形を覗き込むハルヒと俺の顔面の距離はかなり接近しており、なんとなく落ち着かない気持ちになっていたことを悟らせまいと平静を装っていたところで事件は起きた。
ぷちゅっと。
頬にこれまで経験したことがない柔らかな感触を覚えた俺が驚いて隣を見ると、まるで鏡のように目を丸くしたハルヒがこちらを向いていて、暫しの沈黙の後、奴はこう呟いた。
「別に。ただなんとなく」
なんとなくってなんだよ、と返すと、ハルヒはそれっきり黙り込み勉強道具を片付けて部活にも行かずにそのまま直帰してしまった。
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さて、そのような出来事があった俺の精神状態は到底安定しているとは言い難く、正直昨夜は一睡も出来なかった。ものすごく眠い。
いっそのこと体調不良を理由に学校を休もうかとも思ったが、家に居てもすることがないし、下手に休んで知り合いなんかに見舞いに来られても挨拶に困ってしまう。
ましてや涼宮ハルヒが我が家に乗り込んで来ようものならば、より一層おかしな事態へと発展しかねないと危惧した俺は、素直に登校することに決めた。
登校する前に洗顔を一瞬躊躇ったのは一時の気の迷いであると言い訳をしておこう。
「……普通に居るな」
涼宮ハルヒが欠席するとは思えなかったが、いざ真後ろの席に座っている姿を目の当たりにすると、少々気遅れしてしまう。
まるで昨日の夜にキャバクラに行って楽しんできた旦那のような心持ちで席に着く。
朝のSHRまであと15分程度。
いつもならば、後ろの席に座る仏頂面の団長に他愛もない世間話でも振ってみるのが定番であるが、流石に今日はやめておこう。
俺が登校してもハルヒがこちらに顔を向けることはなかったし、誰しも触れられたくない話題がある筈だ。察しと思いやりって奴さ。
というわけで丁度寝不足でもあったので少しばかり惰眠を貪ろうかと思い、机に突っ伏したと同時に、背中にシャーペンが刺さった。
「痛てぇなこのやろう!」
憤然として振り返ると、ハルヒは窓の外に目をやりながら、おかしな言い訳を始めた。
「絶対に押しちゃいけないボタンってあるでしょ? アレと似たようもんよ」
いきなり例え話を持ち出されても通常ならば理解し難いものだが、今の俺ならばわかる。
そして理解すると同時にムカっ腹が立った。
「人をそんなボタンに例えるなよ」
「だって、どうなるか気になったんだもん」
だもんじゃねぇ。好奇心で人にキスすんな。
「で? どうなったんだ?」
「それをあんたに聞きたいのよこっちは」
「別に。どうもなってないぜ」
何故かこっちがガッカリした気分になりつつも、とりあえず何事もなかったように装うと、涼宮ハルヒはキッとこちらを睨んで。
「嘘つき」
そう言われても、ドキドキして昨夜一睡も出来なかったとは口が裂けても言えずに、嘘をついた気まずさから俺が目を逸らすと、涼宮ハルヒはこんな耳打ちをしてきた。
「またするから、覚悟しときなさい」
何言ってんだこいつと思ってポカンとしていると、ハルヒはふんと鼻を鳴らしてまた窓の外に視線を向けた。同時にチャイムが鳴り、岡部教諭が登場してSHRが始まったが、その内容が俺の脳に浸透することはなかった。
「今日は勉強は休みにしよう」
「はいこれ。昨夜作った新しい問題集」
放課後、そう切り出すと涼宮ハルヒはその提案を無視して勉強道具を取り出し始めた。
ハルヒ謹製の問題集を渡されると、わざわざ作って貰った負い目もあり、仕方なく俺はそれを解くしかなかった。とにかく集中しよう。
煩悩や雑念を振り払い、問題に没頭していると、問題文に不明な点が見つかった。
そのことについてハルヒに尋ねるべきか否か昨日のこともあって迷う。やめておこう。
ひとまずその問題を後回しにすると、チクリとシャーペンで手の甲を刺された。
「痛いからやめてくれ」
「なんで後回しにするのよ」
「問題文がわかりづらいからだ」
「出題者が目の前に居るんだから聞きなさいよ。どうしてそんな意地悪するわけ?」
俺が? むしろ俺は意地悪されている側だが。
「ハルヒ」
「なによ」
「昨日みたいなことはやめてくれ」
目を見てはっきり言うと、涼宮ハルヒはムッとした顔で睨んできた。なんで怒るんだよ。
ひとまず、理由を説明して理解を求めよう。
「正直言って、心臓に悪いし、精神的にもかなりキツい。おかげで昨夜は寝不足なんだ」
「私だって……全然眠れなかったわよ」
「だろ? それならもうあんなことはするな」
我ながら非の打ち所がない完璧な説明だったと思うのだが、涼宮ハルヒは納得せずに。
「だってしたいんだもん」
だから『だもん』はやめろ。子供かお前は。
「あのな、ハルヒ。お前がしたいからって俺がされたいとは限らないだろう? するなら相手側の同意を得てから……」
「じゃあ、ちゅーしていい?」
「うん、いいよ」
あれっ? おかしいな、こんな筈では。
てっきりハルヒのことだから意地を張って改めてキスがしたいなどとは絶対に言わないものとばかり思っていたのに、意外にも素直におねだりされたからこちらもつい頷いてしまった。
これは悪い流れだ。断ち切らねばなるまい。
「じゃあ、今そっちに行くから」
「まあ、待てよ」
手のひらを突き出して待ったをかける。
これ以上、お前の思い通りにしてたまるか。
こっちにだって意地があることを示そう。
「別に隣に来なくても出来るだろ?」
「それもそうね。じゃあ頬をこっちに……」
「嫌だね。あんなもんはキスの内に入らん」
どうだ言ってやったぞ。これで俺の勝ちだ。
「わかった」
あれっ? おかしいな、どうなってんだ?
素直に頷いて目を閉じるハルヒのまつ毛が長いことを観察していると、接近してきた。
待て待て。これはともすればそういう流れなのだろうか。もはや不可避の流れなのか?
「……あんたもこっちに寄りなさいよ」
机を挟んで向かい合っている現状、接触するにはこちらも身を乗り出さねばならない。
いけないと思いつつも、まるで誘蛾灯に導かれる蛾の如く、ハルヒへと接近してしまう。
お誂え向きに教室内に他の生徒はおらず、いつかのように谷口が忘れ物を取りに来る気配もない。やはりこれは確定的な流れらしい。
閉鎖空間から脱出するためにハルヒにキスをした過去が蘇る。あの時、俺はどうした。
照れ隠しにポニテについて持論を語って同意も得ずにぶちかましたのではなかったか?
そんな俺が正攻法でキスをして良いものだろうか。その資格が俺にあるのか疑問だった。
何か言うべきか。後から死にたくなるような妄言を吐くべきではないのか。よし任せろ。
「その前にちょっとトイレに行って来ても良いか? 実はなんだか緊張しちまってさ」
やっちまった。妄言ではなく、失言である。
まさしく100年の恋も冷めるようなことを抜かした俺を、しばらくハルヒはキョトンとした表情で見つめてから、いきなり席を立って急速接近。柔らかな唇が触れる、間際。
「その場でだだ漏らしなさい」
「むぐっ!?」
過激すぎる発言からの濃厚なキッス。
一瞬で脳みそが沸騰してスパークリング。
くるくるパーになった俺は、ハルヒの言葉の通りに糞尿を垂れ流してしまった。来るぞ。
ぶりゅっ!
「フハッ!」
その愉悦の雄叫びはハルヒのものか、はたまた完全にイカレちまった俺のものかは定かではないが、ひとつだけ言えるのは存外、悪くないキスだったということだけである。
ぶりゅりゅりゅりゅりゅりゅりゅぅ~っ!
「フハハハハハハハハハハハハッ!!!!」
ハルヒが嗤うと俺も愉しくなる。不思議だ。
「フハハハハハハハハハハハハッ!!!!」
2人して嗤い合って、気づくと何故かハルヒまで漏らしてして、滴る黄金の雫が夕陽に照らされて赤く染まり、美しく目に焼きつく。
「これで満足か?」
「ま、あんたにしては上出来じゃない?」
やれやれ。落第はなんとか免れて何よりだ。
今日ハルヒから教わった接吻時の脱糞における快楽についてはあとで論文化して学会に提出しておこう。何か役に立つかも知れない。
涼宮ハルヒの授業は時としてこのように制御不能に陥ることもあるが、概ね良好である。
【涼宮ハルヒの接糞】
FIN
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