プロデューサーは、双葉杏を咲かせたい (32)
「女は恋をすると綺麗になる」
それには化学的根拠が存在する。
少女たちは初恋を経験することで ある“生理現象”が働き、
大人の女性へと成長していく……。
その姿は、蕾が花開く様子に喩えられた。
この物語は思春期を迎えてなお
蕾のままの少女と、少女の咲いた姿を見るために奮闘する男の物語……なのかもしれない。
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東京都某所、とあるアイドルプロダクション。
ここには100名を越える女性アイドルが所属している。
下は9才から上はアラサー。実に幅が広い。
彼女達は主なプロデュース方針により『キュート』『クール』『パッション』の3部署に分かれ活動をしている。
尤も、必ずしもそこでしかアイドル同士の交流が無い訳ではなく、この分類もあくまで形式的なものである。
これからの話の主軸は、キュート部署の一部で起こる出来事だ。
「よいしょっ、と」
書類の束を両腕に抱え、ソファーに深々と座ったこの男はキュート部署のプロデューサーの1人。
年は若いが、言動が所々中年臭い男である。
「ちょっとー、杏が寝てるんだから他所に行ってよ」
男が座ったソファーに先に寝そべっていた小柄な少女の名前は双葉杏。
身長こそ139cmと小学生のそれだが、実年齢は花も恥じらう17才。しかし、だらしなさだけを見ればまるで男子のよう。
「悪い悪い、小さすぎて見えなかったんだよ。金平糖やるから許してくれ」
「失礼だなぁ。まぁ許す」
軽口を叩きつつ、プロデューサーは書類仕事を、杏は再びだらけ始めた。
「プロデューサーは小さい小さいって言うけどさ、杏だって昔から小さかった訳じゃ無いんだよ?」
「ほーん?」
書類に目を通しつつ、杏の言葉に耳を傾けるプロデューサー。
この時、杏の語る言葉が今後の彼の動向を左右することになるとは思いもしていなかった。
「杏さ、3年生くらいまでは女子の中では背の順だと後ろの方だったんだよ」
国が行った調査によると、小学3年生女児の平均身長は約133cm、4年生は140cm。
杏の139cmは3年生としてはやや高い部類に入るのは間違いでは無い。
「4年生になる頃にピタッと身長が止まっちゃってさ、同級生にドンドン抜かされていったんだー」
「3年やそこらで止まるって、そりゃ確かに早いな」
「まぁ頭の成長は止まらなかったからいいけどねー」
女性の成長期は一般的に15~16才までとされている。
成長期に入るのが遅かった場合は22才頃まで身長が伸びると言われている。
杏の場合はピークが早かった。と言ってしまえばそれまでだが、しかしそれだけでは説明が付かないと感じるのも事実だ。
「杏、そろそろレッスンの時間だろ?」
「プロデューサー、代わりに受けてきていーよ」
「寝言は寝てから言いなさい」
しかし仕事をしながら話を聞いていたプロデューサーには、その疑問には辿り着かなかった。
退勤後、プロデューサーは同僚でもあるアイドル数名と居酒屋にいた。
日々忙しい彼らに話の種が尽きるという事は無く、今日もその日の出来事を肴に酒をあおっていた。
「そう言えば今日杏と仕事中に話してたんですけど、あいつって子どもの頃からチビッ子って訳じゃ無いんですって」
「あら、そうだったんですね」
プロデューサーの言葉に相づちを打ったのは柳清良。元看護師という経歴を持つキュート部署所属のアイドルだ。
「小3だったかな? までは普通だったんだけどそこで背が止まっちゃったんだとか」
「随分早いんじゃない、それ?」
馬刺しをつまみつつ疑問を投げかけたのは、原田美世。同じくキュート部署所属アイドル。
ちなみに彼女は車で来ている為ノンアルコールだ。
「そうですねぇ。ナナも小柄ですが、流石に小学生の頃に止まったりはしませんでしたよ?」
美世の言葉に続けるのは安部菜々。こちらもキュート部署のアイドル。
自称ウサミン星人の“永遠の17歳”。彼女が飲んでいるのがなんなのかはここでは重要では無いので触れない事にする。
「うーん、言われて見れば確かに早すぎな気もしないでもない、のか?」
「もしかして杏ちゃん、『少女性徴覚醒』が起きていない、とか?」
「まっさかー。あんなの誰だって簡単に起こるよ?」
清良がとある可能性を示したが、それは即座に否定された。
「何、そのなんちゃら覚醒って」
「えっ、プロデューサー知らないんですか?」
『少女性徴覚醒』、それは恋をすることで身体の成長を促す女性特有の生理現象。それが始まった少女たちは『咲いた』と言われる。
思春期の証明のようなものである。
詳しくは週間ヤングジャンプに連載中の『花待ついばら めぐる春』を読んで頂きたい。
つまり、清良は杏の身体に『少女性徴覚醒』が起きていないが為に小柄なままなのでは無いかと仮定したのだ。
「へぇー、女体の神秘ってやつですね」
「保健の教科書に載ってる事ですよ?」
「それを読み込む奴はスケベ扱いを受けるので殆ど読んで無かったですね」
性の扱いというのはデリケートなものである。身近に母や祖母以外の異性がいないとその手の知識は入ってこないものである。
「でもさ、それって杏ちゃんが今まで誰にも恋をしたこと無いって事でしょ? そんな事ってあるのかな?」
美世の疑問も尤もである。少女性徴覚醒は何も劇的な物では無い。
恋をする相手は教師や親兄弟、画面の向こうの俳優やそれこそアニメのキャラクターでも構わないのだ。更に言えば性別すらも厭わない。
それが起きていないという事は、人を好きになる気持ちが分からないという事を意味する。
「んー、でも杏ですよ? 案外あり得るんじゃないですか?」
「プロデューサー、杏ちゃんをなんだと思ってるんですか!」
余りにも無礼なプロデューサーの言葉に菜々が怒り、それを2人が宥めつつその日の宴は幕を閉じた。
翌日、プロデューサーは昨日とは異なり自身のデスクで仕事をこなしていた。
が、その目線は書類やパソコンの画面ではなく度々杏へと向けられていた。
「ねぇプロデューサー。さっきからなんなのさ。落ち着いて昼寝も出来ないよ」
杏はたまらず不満を口にした。チラチラと見られて気分が良くないのは尤もだ。
「あー、そんなに見てたか?」
「見てたね。言っとくけど今日は杏オフだから寝てても文句を言われる筋合いは無いよ」
オフならワザワザ事務所に来なくても良いのだが、そこに関してプロデューサーは突っ込まなかった。
「すまん杏。……ちょっと聞きたい事があるんだが、いいか?」
「何さ、改まって」
普段とはあからさまに態度の違うプロデューサーに怪訝な表情を浮かべる杏。
プロデューサーは杏が寝そべっているソファーの向かいに腰掛け、話を切り出した。
「なぁ杏。『少女性徴覚醒』って知ってるか?」
「そんなの知ってるに決まってるじゃん。まぁ杏には起きてないけどさ」
「なーんだ、そうか。……って起きてないのか!?」
衝撃の事実を余りにもサラッと口にするので、驚きもワンテンポ遅れてしまったプロデューサー。
「おま、それがどういう意味なのか知ってるのか?」
「もちろん。杏、今まで恋ってしたこと無いんだよねー」
初恋とは人間誰しも通る道である。中には
『ボクは愛など信じないよ』
などと口にする者もいるのだろうが、そんな者だって大抵は物心ついて直ぐに誰かを好きになるものだ。記憶に残っておらずとも。
「サラッと言うなよ……。その、今さらだけどこんな話聞いて良かったのか?」
「別にー。まぁこの話すると周りがうるさいから嫌だから吹聴しないでね」
プロデューサーは悩んだ。
昨晩、自宅に戻ってからある疑問が湧いたのだ。
『双葉杏が少女性徴覚醒を迎えたらどうなるのか』
双葉杏は美少女である。
生活態度こそだらしなく時には目を逸らしたくなることもあるが、そこは揺るぎ無い事実だ。
そんな美少女が成長をしたら、どんな風になるのか。気にならないという方が嘘になるだろう。
もちろん中には少女性徴覚醒を迎えても肉体的に大きく成長しない者もいる。
だがそれでも、小学3年生相当の肉体からは少なからず成長するであろう事は間違いない。
プロデューサーは見てみたくなったのだ、双葉杏が成長した姿を。
「なぁ、杏。俺の為に咲いてくれないか?」
プロデューサーは杏の前に膝を立てた状態で座り、彼女に目線を合わせてそう言った。
瞬間、プロデューサーの目には咲き乱れる花弁が目に写った。
……が、それは杏からではなく彼らの後方から舞ったものだった。
振り向くと、そこにはキュート部署所属の小学生アイドル、古賀小春の姿があった。
「プロデューサー、やっぱり王子様だったんですねぇ~♪」
古賀小春はお姫様に憧れる少女である。
そんな少女がプロデューサーと杏の今の姿を見たらどう思うか。
それはまるでお伽噺に出てくるお姫様と王子様の姿に見えたに違いない。現物は全く違うが。
では小春はプロデューサーに恋をしたのか? 否。では杏に? それも否。
『恋に恋するお年頃』という言葉がある。
小春は、プロデューサーと杏に自身の理想を垣間見たのだ。
それが小春が咲くきっかけとなった。
「はあー、素敵ですぅ~♪」
「ねぇ、プロデューサー?」
「お、おう?」
お伽噺の世界へとトリップした小春を余所に、杏とプロデューサーは現実へと戻っていった。
「プロデューサー、自分が何を言ったか分かってるの?」
「だから、俺はお前が咲いた姿を見てみたいんだよ」
先程の言葉と意味は通ってはいる。しかし、言葉選びは大分間違えていた。
「あのさ、『俺の為に咲いてくれ』なんて、下手すりゃプロポーズの台詞だよ?」
「……げっ」
今さらながら、自身の言葉の意味に気付いたプロデューサー。しかし後悔先に立たずとは言ったものである。
振り向くと既に小春の姿は無かった。恐らく自分の見た感動を共感して貰いたくて誰かに話しに行ったのだろう。
「ど、どうしよう……?」
「知らないよ。それに、さっきの言葉はお断りだね」
「な、なんでだ? 別に俺相手じゃなくてもいいんだぞ?」
「面倒」
すっぱりと断られたプロデューサー。
しかし、これは波乱の幕開けでしか無かった。
「プロデューサー、私を咲かせて下さい~!」
プロデューサー撃沈の翌日、キュート部署のフロアに大胆な告白が響き渡った。
声の主は日下部若葉、20才。
彼女は身長148cmと小柄であり、また童顔な事がコンプレックスであった。
彼女は昨日、小春から広まった噂を耳にしてこう考え付いたのだ。
『自分がこんな体型なのは咲いていないからなのでは?』
実際には彼女は既に咲いているのだが、半ば藁にもすがる気持ちでプロデューサーに朝一番に頼み込んだのだ。
「あー、若葉? 自分が何を言ってるのか分かっているのかい?」
昨日の自分の事を棚にあげ、プロデューサーは若葉に言葉の真意を尋ねた。
「はいっ! 私、気付いたんです~。私がおっきくなれないのは少女性徴覚醒がちゃんと起きてないからだって!」
自信満々に告げる若葉。
小さな胸を張るその姿は確かに義務教育を受けている最中だと言われても納得してしまえるだろう。
「若葉、それは違うんじゃないかい? 俺は医者じゃないから詳しい事は分からないけど……」
「きっと五分咲きなんです!」
事実から目を背け、あらぬ自信を持つ若葉。これにはプロデューサーも頭を抱えた。
「あのな、若葉。仮に君が咲いていなかったとしても、相手は俺である必要は無いんだよ?」
そう、彼女たちはアイドルである。アイドルとは夢を売る商売であり、基本的には恋愛は御法度なのである。
そんなアイドルが事務所内とは言え『自分を咲かせてくれ』と言うのは、はっきり言って問題発言である。
この後、プロデューサーが上司から呼び出しを食らったのは言うまでもない。
「あー、疲れた……」
上司からの有難いお説教をたっぷりを聞き、プロデューサーは精も根も尽き果てていた。
その姿を見て杏はソファーに寝そべりながらニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべていた。
「自業自得だね。昨日は杏に俺のために咲けとか言うし、今日は今日で若葉に私を咲かせてくれだなんて言わせるし」
「昨日のは反論出来ないが、今日のは俺は悪くないだろ……」
お説教の効きは予想以上に強かったらしく、普段の軽口にも力が無い。
「ねぇ、どうして杏を咲かせたいだなんて言ったのさ」
杏は天井を眺めながらそう尋ねた。
プロデューサーは暫く思案したあと、口を開いた。
「杏、お前は客観的に見ても美少女だ。そんなお前が成長したら、一体どうなると思う?」
「さぁ、案外若葉みたいに大して成長しないかもよ?」
「かもしれないな。でも、それでも俺は見てみたいんだ。杏が咲いた姿を」
プロデューサーの瞳には一片の曇りも無かった。
誰かに聞かれたらまた噂の元になるかもしれない。それでもプロデューサーは言葉を止めなかった。
「杏、お前は今でもトップに近い位置にいるアイドルの1人だ。そんなお前が成長したら、一体どこまで行けるのか。それを俺は知りたいんだよ」
平成も終わりを迎える今の時代、アイドルと呼ばれる存在は日々増え続けている。
玉石混淆である事は否めないが、それでもトップにいるアイドルの輝きは時代が移ろうとも変わることは無い。
「なぁ杏、咲くのは嫌か?」
「……この間も言ったけど、面倒。ただ……」
それまで天井を眺めていた杏は顔を背け、一言だけ呟いた。
「勝手にすれば?」
長い髪の間から見える杏の耳は、ほんのり赤みを帯びていた。
この物語は思春期を迎えてなお、蕾のままの少女と、少女の咲いた姿を見るために奮闘する男の物語……なのかもしれない。
果たしてこの物語がどのような結末を迎えるのか、それはまだ分からない……。
以上です。
『花待ついばら めぐる春』は面白い作品なので、お暇なら目を通して下さい。
それでは失礼
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