千早「今日、母が私の家に来る」 (31)

代理

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人の流れを視界の端に捉えながら携帯電話を取り出し、メールを確認する。
間違いない、この時間だ。
ちょうど今電車が着いた頃だと思う。
顔を上げて改札の向こう側を見つめる。
するとすぐに、ホームからたくさんの人が流れて来た。

自分が立っている場所は伝えているのだから、こちらから探す必要ない。
そう思いつつも、つい探してしまう。
と、案外すぐに見つかった。
想像していたよりたくさんの荷物を抱えたその人も、こちらに気付いているようだった。

こちらへ向かって歩いてくる。
……少しだけ、視線の置き場に困る。
視線を外す必要もないだろうけど、距離が近づくまでじっと目を合わせ続けるのも、なんだか面映ゆい。
やっぱりこちらから探さない方が良かったかな、
なんて思いながらも、結局は互いに目を合わせながら歩み寄る。
そうして……私は久しぶりに、母に会った。

千種「誕生日おめでとう、千早」

第一声は淀みなく母の口から発せられた。
まるで強くそう決められていたみたいに。
けれど母の笑顔はとても自然で、私も同じように微笑む。

千早「ありがとう……。荷物、持つわ」

千種「いいのよ。私が持ってきたんだから」

千早「でも……」

千種「……わかったわ、ありがとう。じゃあ、こっちだけ」

笑いながらそう言って、母は小さい方の鞄を渡してきた。
本当は大きい方を持つつもりだったけれど、
これ以上食い下がるのも何かおかしく思えたから、私は素直に受け取ることにした。

千早「それじゃあ、行きましょうか」

そう言って私は歩き出す。
半歩遅れて歩き出した母は、すぐに私の隣に並んだ。

 『あなたの誕生日に、家に行ってもいい?』

ひと月前に母からそう連絡があった時には、少しだけ驚いた。
母が私の誕生日を覚えていたこと、それから、多分祝ってくれようとしていること。
嬉しいという気持ちはもちろんあったけれど、
どちらかというと意外な気持ちの方が大きかったように思う。

でも、私はすぐにスケジュールを確認してプロデューサーに連絡した。
レッスンが入っていたけれど、なんとかずらしてもらえた。

その時はなんの迷いもなく、当たり前のようにそうしたけれど……。
今にして思えばレッスンよりも、事務所のみんなよりも、
母のことを優先する日が来るだなんて、ほんの一年前には考えられなかったことだ。
それが良いか悪いかは別にして、
少なくとも今の私は、この変化を好ましく感じていると思う。

千種「それにしても……」

隣を歩く母が、ふと小さい声で言った。

千種「本当に、気付かれないものなのね。少し意外だわ」

千早「そうね……。きっとみんな、自分のことで忙しいんだと思うわ」

道行く人たちは、誰も私がアイドルだとは気付かない。
前を真っ直ぐに見つめて歩く人、携帯電話に目線を落としている人、友達とのお喋りに夢中な人。
帽子と眼鏡だけでも気付かれないというのは、初めは確かに少し意外だった。
もちろん、気付かれる時も少なくはないけれど。

母に事前に連絡を取ったとき、初めは、人気アイドルなんだからと出迎えを断られた。
でも「気を使ってくれるのは嬉しいけど、そんなことを気にしていたら普段も外出できない」、
そう言うと母は案外すんなりと折れてくれた。

……考えてみれば、母との仲が改善してからこういうことが多くなった気がする。
意見がぶつかりそうになると、母が先に折れて言い合いにならずに済む……そういうことが。
そう思うと、なんだか少し申し訳ない気もする。
私は相変わらず頑固なままで、自分の意見を通そうとしているばかりのような……。

千種「千早?」

声をかけられて、自分がずっと黙っていたことに気付いた。
母は、心配そう……とまではいかないけれど、気掛かりな様子で私を見ていた。

千早「あ……ごめんなさい、何かしら」

千種「どうかしたの? 急に黙り込んだりして……」

千早「いいえ、なんでもないの。少し、考え事を」

千種「考え事?」

千早「大丈夫、本当になんでもないことだから。気にしないで」

千種「だったらいいのだけど……。もし何かあったら、遠慮しないで……」

と、そこで母の言葉は止まった。
何か言いかけた言葉を飲み込んだ、そんなふうに。
けれどそのことを私が問う前に、

千種「遠慮しないで、言うのよ?」

薄く笑って、そう続けた。
その母の表情には特に不自然なところはない。
だから私もまた笑って、ありがとう、と返した。

千種「家に着いたら、まずは買い物に行こうと思うのだけれど……いいかしら?
  今日のお夕飯と、明日の朝ごはんの材料を買わないと」

千早「そうね……。それと、野菜と果物も」

千種「もしかして、野菜ジュースの?」

千早「ええ」

それからは私も母も、特におかしなところもなく会話を続けられた。
だから、さっき母が何か言いかけたように見えたのは
気のせいだったんだと思い直すのに、そう時間はかからなかった。




千種「――選ぶの、上手なのね」

お店で、いくつ目かの林檎を手に取ってカゴに入れた時、母が静かに言った。

千種「野菜と果物。新鮮で良いものを選んでいるでしょう?」

千早「えっと……。友達に、教えてもらったの。そういうのが得意な子が居るから」

千種「事務所のお友達?」

千早「ええ」

千種「その子も一人暮らしなの?」

千早「ええ。それから、ご両親が忙しくて買い物をしないといけない子も。
  何度か、買い物を手伝ってもらって」

千種「そう……その子も忙しいはずなのに、すごいのね」

千種「料理も、お友達と一緒にすることがあるの?」

千早「多くはないけれど……オフが重なる日はほとんど無いから。でも、時々は」

千種「そうよね……。学校のお友達とは、そういうことはしないの?」

千早「……あまり無い、かしら。学校が終わったらそのまま事務所に行くのがほとんどだから……。
  オフの日に、ちょっと寄り道をして帰る……くらいは、あるけれど」

千種「寄り道……。どんなお店に?」

千早「えっと……」

会話しながら私は、なんだかインタビューされてるみたいだ、と思った。
そのくらい、今日はずいぶんと質問されているような気がする。

けど思い返してみると、これまで時間を作って会ってきた時も、
話題の大半は母からの質問で始まっていたようにも思う。
だとすると、こういうものなのかも知れない。
一人暮らしをしている娘がどういう生活をしているのか、母親としては気になるのだろう。
……なんて、母親の気持ちというものは私にはまだ分かるはずもないのだけれど。

それでも、こうも質問攻めにされると、
なんとなくそういうものなのかなと考えてしまうのは、きっと仕方のないことだと思う。
とは言え質問されること自体は決して嫌ではない。
寧ろこうして滞ることなく会話を続けられていることに、私は安堵していた。

母と喧嘩することなく会話ができるようになってからも、あまり長い時間を共に過ごしていたことはない。
これだけ長く会話するのは……それこそ本当に、幼い頃以来かも知れない。
それも、こんなにも穏やかに。

千早「これは、どれがいいのかしら……? こういう食材は、あまり買ったことがなくて」

千種「そうね……。それじゃあ、これにしましょう」

こんな会話をしながら、夕飯や朝食の買い物をしたことも、きっと初めてだ。
幼い頃には母の買い物に付き添ったこともあるけれど、当然その頃にはただ付いて回っていただけのはず。
こんな風に『二人で一緒に買い物をする』なんて経験は、一度だってなかった。
なんだか特別な体験をしている気がしてくる。

いや、きっと特別なんだろう。
私にとって、今日のこの出来事は「特別」。
だって……今日は私の誕生日なんだから。
誕生日という日は、「特別」でいいんだ。

……そんな風に思えるようになったのは、去年事務所のみんなに祝ってもらってから。
幼い頃のように何日も前から楽しみにするなんてことは無いけれど、
それでも今年の誕生日は、ちゃんと特別なんだと思えている。

誕生日は、特別な日。
だから、この「特別」をちゃんと受け止めよう。
母と一緒に買い物をする、この体験を。

なんてことを頭の片隅で考えているうちに、必要なものはすべて買い終えた。
2人分の食料と、洗剤なんかの消耗品も一緒に買った。
いや、買ったというよりは……。

千早「ごめんなさい、全部、買ってもらって……」

千種「いいのよ。あなたはまだ学生なんだから」

それなりの値段になったはずだけど、代金はすべて母が支払ってくれた。
私が財布を探っている間に、カードで支払ってしまったのだ。
お会計が終わってからもちろんお金を渡そうとしたけれど、
母は『誕生日プレゼントの代わり』と、受け取ろうとしなかった。
そう言われると、私も折れるしかない。
特別を受け入れるのだと、そう決めたばかりだったのだから。

千早「その……。今度、何かの形で返すわ。次は私が代わりに支払って……」

千種「それじゃ意味がないでしょう? お返しをされたらプレゼントにならないじゃない」

千早「じゃあ、私も誕生日に……」

千種「……本当に良いのよ。遠慮なんかしないで……。……」

……あ、まただ。
また母は何か言いかけて飲み込んだ、気がする。

千種「そうだわ、あとはケーキも買わないと。近くにケーキ屋さんがあったわよね?」

千早「え? ええ、あるけれど……」

私が違和感について考えるより前に、母は話題を変えた。
そのおかげで私はまた、それ以上違和感について考えることはなくなった。

千早「ケーキって、もしかして……」

千種「ええ、誕生日ケーキよ。本当は、買って持ってくれば良かったのだけれど……ごめんなさいね」

そう謝った母の顔は、どこか寂し気だった。
私にはその表情の理由は分からなかったけれど、すぐに何か言わなければならないと感じた。

千早「謝ることなんて……。それより、本当にいいの?
  あんなに色々買ってもらったのに、その上ケーキまで……」

千種「もちろん。だって、誕生日だもの」

そう言って笑い、母は歩き出した。
真っ直ぐに前を向いて進み続けるところを見ると、お店の場所はもう調べてあるらしい。
やはり母の意思は固いと知り、私もそれ以上遠慮することはやめた。




日が暮れかかった頃。
私と母は、二人並んでキッチンに立っていた。

千種「ごめんなさい、お塩、取ってくれる?」

千早「あ……はい、どうぞ」

千種「ありがとう」

千早「……サラダ、テーブルに運んでおくわ」

千種「ええ、お願い」

微笑んで、母は視線をフライパンに戻す。
私はお皿二つをテーブルに運んでから、ついでにお箸とコップも並べて置いた。

千早「包丁、もう使わないわよね? ボウルも」

千種「ええ」

千早「お醤油はまだ使う? お塩は?」

千種「ちょっと待ってね……。……大丈夫、もういいわ」

味付けが済んだのを確認して、私は調味料を元あった場所へ戻す。
母がフライパンの中身をお皿に移している間に、もう使わない調理器具をシンクに移して水につけておく。

……こうして、私と母の、二人で作った料理は完成した。
特別な料理。
メニュー自体はごくごく普通だと思う。
でもやっぱりこれは、私にとっては特別だ。

千早「それじゃあ……いただきます」

千種「いただきます」

二人手を合わせて、まず最初にお味噌汁に口を付ける。
それから炒め物。
うん……美味しい。
最後にお塩を振っていたけれど、あれがなかったら少し塩味が足りなかったかも知れない。
咀嚼しながら、そんなことをぼんやりと考える。

初めて母と二人で作った食事。
二人で作ったとは言っても、味付けはほとんど母がした。
最後に母の料理を食べたのはあまりにも昔のことで、どんな味付けだったかは覚えていない。
けれど、なんとなく懐かしいような気もしてくる。
……覚えてないのに懐かしいなんて、ただの気のせいかも知れないけれど。




食事を終えたら、母は冷蔵庫からケーキを持ってきた。
私と母とで一つずつ。
ロウソクを立てるようなホールケーキではないし、
「誕生日おめでとう」なんて書かれたチョコレートも乗ってない。
なんでもない日に買うような、普通のケーキ。

でもそれで十分。
母は特別なケーキを注文することも考えていたようだけれど、私が断った。
遠慮というよりは、自分の誕生日ケーキを注文する場に居合わせる気恥ずかしさが勝ったから。
母の気持ち自体はもちろん、嫌というわけではないのだけれど。

千種「じゃあ、改めて……。誕生日おめでとう、千早」

千早「ええ……ありがとう」

普通のケーキとは言え、こうして誕生日をお祝いされると、
やっぱりすごく特別なものに思えて……それから少し面映ゆい。
同時に、どこかふわふわとして夢心地のようにも感じる。

このケーキのことだけじゃない。
今日一日、ずっとそうだった。

誕生日は特別なもの。
そう思えるようにはなってきたけれど、それでも今日は、あまりに特別過ぎたように思う。

母が訪ねてきてくれたこと。
一緒に買い物をしたこと。
ケーキを買ってもらったこと。
二人で料理をしたこと。
食事をして、お祝いのケーキを食べること。

そのすべてが本当に特別だった。
特別過ぎてなんだかまるで現実のことじゃないような、全部夢の中の出来事のような……。
幸せな出来事を「夢のような」とは言うことはよくあるけれど、今の私がまさにそうなのかもしれない。

そんな「夢のような時間」は、その日の夜まで続いた。
ケーキを食べ終えたら、後片付けをして。
それからテレビを見ながら、番組の話やアイドル活動の話、他にも色々な話をした。
母の質問に私が答える、それは相変わらずだったけれど。
そんな風に緩やかに時間は流れて、寝る時間になった。

千種「じゃあ、おやすみなさい」

床に敷いた布団の上で微笑んだ母に、私も「おやすみなさい」と笑みを返した。
そうして明かりを消す。
瞼を閉じ、ベッドの中で今日一日のことをぼんやりと振り返る。
こうして振り返ってみても、やっぱりまだ、夢を見ていたような気持ちだ。
でも夢なんかじゃない。

今年は去年のように賑やかな誕生日ではなかったけれど、
母と過ごした時間は特別で、去年と同様にとても良い誕生日を過ごせたと、そう思える。

そんな、どこかふんわりとした感覚に包まれながら……私の意識は眠りへと沈んでいった。




千早「……ん……」

翌朝。
目が覚めてからすぐ、いつもの朝とは違うことに気が付いた。
まず聞きなれない音が耳に入る。
それから……

千種「おはよう、千早」

体を起こして目を向けると、エプロンをして鍋に向かって立っている母の姿があった。
母は少しだけ申し訳なさそうに、でも優しく微笑んで、

千種「ごめんなさい、起こしてしまったかしら。
  それに、キッチンも勝手に使わせてもらって……」

そんな風に言った。
やっぱり、昨日のことはちゃんと現実だった。
夢じゃなかった。
安堵というと大げさだけれど、そう再確認した。

でも、その時だった。

突然……母の姿が、ぐにゃりと歪んだ。
母だけじゃない。
視界のすべてが突然不明慮になり、歪み、滲んだ。
それが涙のせいだと気付いたのは、一瞬遅れてからだった。

千種「千早……!?」

滲んだ視界の中に、慌ててこちらへ駆け寄る母の姿が見えた。
それを見て私も慌てて口を開いた。

千早「っあ……! ご、ごめんなさい、どうして……? ごめんなさい……!」

鼻の奥にツンとした痛みを感じながら。
喉の奥から嗚咽が漏れるのを抑えながら。
必死に弁明しようとした。

弁明?
何を?
分からない。
どうして急に涙があふれたのか、分からなかった。
目は涙でいっぱいでもう何も見えない。
そこにはただ、数秒前の母の姿が映し出されていた。
けれどその時。
瞼の裏に映った母の姿に……いつか見た、見ていた記憶が、重なった。

そうだ……私は、毎朝見ていた。
今朝の母の姿を……私は毎朝見ていた。

寝起きのはっきりしない耳に聞こえてくる包丁の音。
母はいつも私より先に起きて、ご飯を作ってくれていた。
台所に入るとエプロンをしてご飯を作ってくれる母が居た。
私に気付くと、笑顔で私を見て、「おはよう」って言ってくれた。
私も目をこすりながら、「おはよう」って返事をした。

それは私にとって、特別でもなんでもなかった。
毎朝の、当たり前の日常だった。
でもその当たり前が私にとっての幸せだった。
もう、ずっとなかった幸せだった。
そしてそれが今……戻ってきた。

特別なことじゃない。
当たり前の、毎日の、幸せ。
それが今、私の目の前に、戻ってきたんだ……。

母は今私の目の前に立ってる。
溢れる涙で私は目を開けていられず、どんな顔をしているか分からない。
でもきっと、心配そうな顔をしている。
怪訝な表情を浮かべているかも知れない。
だから、母にそんな表情をさせるのは嫌だから、

千早「違う、の、私、わたしっ……」

必死に話した。
昔を思い出したことを。
嬉しかったことを。

伝えるべきだと思った。
自分の気持ちを伝えなければならないと思った。
だから伝えた。
必死に、言葉を繋ぎながら、喘ぎ喘ぎ懸命に伝えた。

けれど……そんななんでもないことで泣き出す自分におかしさを感じていて。
嗚咽交じりにそんなことを言う自分を母はどう思うか、そんな不安もあって。
だから母の顔を見ることができなかった。
顔を伏せたまま必死に話し、謝り続けた。

でもそんな私に、何かが優しく触れた。

千早「っ……」

私の背に、頭に、手が触れる。
母の手。
母が、私を、そっと抱き寄せていた。

千種「……いいのよ。謝らないで。気にすることなんてない……」

耳元で囁くように発された母の言葉は、そこで止まった。
そう……言いかけた言葉を、飲み込むように。
けれど、今度はそれで終わらなかった。
昨日とは違う。
飲み込まれた言葉は今度は、小さな声で、微かに震えた声で、けれどはっきりと……

千種「……母娘なんだから……」

私の耳に届いた。

……ああ、そうか。
そうだったんだ。
やっとわかった。
母はずっと、この言葉を……。
そして初めて気づいた。
この言葉は、母が言ってくれたこの言葉は……私が……私こそが、ずっと、ずっと……!

千早「お母さん……!」

絞り出すようにそう言って、私は母に思い切り抱き着いた。
そして大声で泣いた。
何度も何度も、母を呼びながら小さな子供みたいに泣いた。
そんな私の頭を、母は優しく撫でてくれた。

それ以外に言葉は無かった。
私はただ母を呼び続けて、母は私の頭を撫で続けてくれた。

これまで何度も会ったのに、昨日だってずっと一緒に居たはずなのに、
私は今ようやく、母をすぐそばに感じることができた。
ずっと遠くに居た母が……お母さんが、今やっと、私のそばに帰ってきてくれた。
帰ることができた。
そんな気がした。

だから今は。
今だけは。
私も、あの頃に帰ってもいいんだ。
何も気にすることなんてない。
遠慮することなんてない。
だって……私たちは、母娘なんだから。




千種「それじゃあ、行くわね」

千早「うん……。来てくれて、ありがとう」

マンションの前。
多分まだ赤い目で微笑んだ私に、母も少し赤い目で微笑みを返した。

千種「アイドルのお仕事、頑張ってね」

千早「あっ……」

背を向けて歩き出した母に、私は反射的に声を上げた。
振り返った母と目が逢い、私は気恥ずかしさから一瞬を目を逸らす。
でも、なんとかもう一度目を逢わせて、

千早「またね……お母さん」

そう言った私に、母はほんの少しだけ目を丸くしたように見えた。
けれどそれも一瞬のこと。
すぐに優しい微笑みに変わって、

千種「ええ。またね、千早」

そう言って去っていった。
私は母に手を振り、小さくなっていく背が見えなくなるまで見送り続けた。

終わりです。
付き合ってくれた人ありがとう、お疲れ様でした。
如月千早さん誕生日おめでとうございます。

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